日本文学に描かれた「タイ」

日本文学に描かれた「タイ」
-オリエンタルなロマンスを求めて-
メ ー タ セ ー ト ・ナ ム テ ィ ッ プ
(チ ュ ラ ー ロ ン コ ー ン 大 学 )
1. は じ め に
日本の文芸作品において東南アジアに関して言及するものは欧米及び東アジ
アのそれに比べて少ない。それでも、戦前における山田長政伝説に題材をとっ
た作品群から戦後の三島由紀夫、遠藤周作を初め、近年の宮本輝、辻仁成、村
上春樹に至るまで実に多種多彩な顔ぶれの作家がタイを作品の中に描いてきて
い る 。た だ し そ の ほ と ん ど は 日 本 文 壇 の 主 流 外 に あ る 大 衆 文 学 系 の 作 品 で あ り 、
あまり評価・研究の対象とされてこなかった。一方、日本文芸作品における中
国・朝鮮等東アジアとの関係にまつわる言説が盛んに研究されているものの、
タイをはじめ、東南アジア地域に関するテクストの検証にも、まだほとんど着
手されていないのが現状である。
本 稿 で は タ イ が 日 本 人 の 「 ロ マ ン ス 」( 恋 愛 ・ 官 能 ) の 実 践 の 場 と し て 描 か
れている小説を中心に、これらの作品において「日本的オリエンタリズムのま
な ざ し 」が 、
「 タ イ 」に 対 し て ど の よ う に 向 け ら れ 、そ れ が ど の よ う に 表 象 さ れ
ているかについて考察する。タイが舞台であるというだけで喚起されるイメー
ジを分析することで日本人の意識に潜在的に織り込まれたタイ観を明らかにし、
より深い日本理解につなげようと企図するものである。
こ こ で 主 に 取 り 上 げ ら れ た 小 説 5 作 品( 宮 本 輝『 愉 楽 の 園 』、嵐 山 光 三 郎『 蘭
の 皮 膜 』、山 田 詠 美『 天 国 の 右 手 』、佐 藤 亜 有 子『 ボ デ ィ・レ ン タ ル 』、辻 仁 成『 サ
ヨ ナ ラ イ ツ カ 』) が 描 か れ て い る 時 代 背 景 は 1980 年 代 後 半 以 降 の グ ロ ー バ リ ゼ
ーションの流れの中、国際社会で勝ち抜くために日本が再びアジアに目を向け
る よ う に な っ た 時 期 で あ り 、NIES と ア セ ア ン 諸 国 に 対 す る 投 資 ラ ッ シ ュ 、バ ブ
137
ル景気、文化面ではエスニックブーム、アジア旅行ブームが始まっていた時代
である。
2. オ リ エ ン タ リ ズ ム の ま な ざ し
作品考察へのアプローチとしてエドワード・サイードが提唱した「オリエン
タリズム」とJ・アーリの「観光のまなざし」などの概念を視野に日タイの関
係性に置き換えて応用するため、本論に入る前にここでまず「オリエンタリズ
ム」概念とまなざしの問題について少し触れておく。
2.1 オ リ エ ン タ リ ズ ム の ま な ざ し( オ リ エ ン タ ル な も の へ の ま な ざ し )
他者表象の問題を考えるとき、よく用いられるのが、エドワード・サイード
が 提 唱 し た「 西 洋 」/「 東 洋 」の 関 係 に お け る 権 力 構 造 、
「 我 々 」/「 他 者 」の
二項対立的な対比の概念である。
サ イ - ド は『 オ リ エ ン タ リ ズ ム 』
( E.W. サ イ ー ド 、1978 ) の 中 で 、西 洋 が オ
リ エ ン ト = 東 洋( サ イ - ド の 分 析 対 象 は 基 本 的 に イ ス ラ ム 世 界 )を「 野 蛮 」、
「停
滞 」の 地 と し て 差 別 、抑 圧 し 、一 方 で 過 去 の 失 わ れ た オ リ エ ン ト の 言 語 、習 慣 、
心性までも再発見再構成し、それによって現在の退廃からオリエントを救おう
とする学問的な言説(ディスク-ル)が「オリエンタリズム」であると指摘し
た。またこの言説は、疲弊した西洋を救済する鍵をオリエントに求めようとも
するものであると分析した。サイ-ドによればオリエント=東洋は認識論・存
在論的に実在するのではなく、
「むしろヨーロッパ人の頭のなかでつくり出され
たものであり、古来、ロマンスやエキゾチックな生きもの、纏綿たる心象や風
景 、珍 し い 体 験 談 な ど の 舞 台 で あ 」り 、
( E.W. サ イ ー ド 著 / 今 沢 紀 子 訳 、1993 :
17) す な わ ち 、 西 洋 が 創 り だ し た 「 心 象 地 理 」 で し か な い と い う 。 (1)
「オリエンタリズムのまなざし」とはそのようなサイードの理論を踏まえた、
西洋(支配者)からアジア植民地(被支配者)に向けられた、権力構造をはら
んだまなざしのことをいう。
138
2.2 観 光 の ま な ざ し
サイードの「オリエンタリズム」概念にはいろいろ問題点がある(ジェンダ
ー、階級への視点の欠落等)という批判もあるが、文学における他者表象の研
究に大きな示唆を与えてくれるものであることは確かである。近代以降、拡大
し多様化した旅の領域や形態までは、
「 オ リ エ ン タ リ ズ ム の ま な ざ し 」で は 対 応
しきれない部分があるが、そこに観光社会学の権威J・アーリの提唱した「観
光のまなざし」の問題をあわせて考えると、旅人による他者の表象のメカニズ
ムをより明解に分析することができる。観光という概念を、アーリは「まなざ
し」という言葉を用いて、次のように説明している。
(観光という)この体験の一部は、日常から離れた異なる景色、風景、町
ゲ
イ
ズ
並みなどにたいしてまなざしもしくは視線を投げ掛けることなのだ。私たち
は“出かけて”、周囲を関心とか好奇心をもって眺める。周囲は私たちの見
方に合わせて語りかけてくれる、というか少なくとも語りかけてくれるだろ
う と 期 待 す る の で あ る 。」( J ・ ア ー リ 1995: 2)
つまり観光という行為は「まなざし」の集積に基づくものだといえる。その
まなざしには旅人の欲望、偏見、期待などが孕んでおり、それが異国情緒を生
み 出 す と い う の で あ る 。( 2)
2.3 日 本 的 オ リ エ ン タ リ ズ ム の ま な ざ し
オリエンタリズムとしての東洋観は単に西洋側だけに存在しているのでは
ない。近代化の過程の中で、日本を含めアジアの国々自体がそのような西洋的
なアジア観を受け入れてきたことは事実である。そのためオリエンタリズムに
おける西洋/東洋の二項対立の図式は日本/アジアにも適用することができる。
姜尚中氏は、サイードの「オリエンタリズム」理論を踏まえて「日本的オリ
139
エ ン タ リ ズ ム 」に つ い て 、
「 ア ジ ア の 中 に あ っ て 、ア ジ ア と 日 本 と の 間 に 超 え る
ことのない境界線を引き、こちら側のなじみ深い「自分たちだけ」の空間の彼
方にアジアというステレオタイプ化された空間を設定することで自分たちのア
イデンティティを確かめようとする文化的ヘゲモニー」
( 姜 尚 中 1988:134)で
あると説明している上に、西洋のまなざしと同一化することによって日本も他
の ア ジ ア の 国 々 を「 性 的 な 期 待 」、
「 倦 む こ と な き 官 能 性 」、
「あくことなき欲望」
を 挑 発 す る 場 所 と し 、「 日 本 本 土 で は も ち え な い 「 性 的 体 験 」 を 誘 発 す る 場 所 」
と し て 見 る よ う に 至 っ た ( 姜 尚 中 1998: 96) と 論 じ て い る 。
福沢諭吉が提唱した「脱亜入欧」思想に基づき、地理的にアジアの一員であ
りながら、日本はアジア=東洋から抜け出し、ヨーロッパ=西洋の仲間入りす
ることを目指した。近代日本の確立は先進的な西洋への同一化と侮蔑の対象で
ある未開の東洋との差異化を前提に成り立ったのである。近代日本は、そのよ
うにして自分を西洋とアジアの中間に位置付け、西洋を見るときには、アジア
のまなざしを用いる一方、アジアを見るときには西洋のまなざしをもって見つ
めてきたといえる。欧米(支配者)からオリエンタルなもの(被支配者)とし
て「観られ」る一方、支配者としてアジア諸国(被支配者)を「観る」二律背
反構造に基づき、日本がアジアに対して向けるまなざしは西洋が東洋に向けた
もののようにストレートで一方的なものではなく、西洋のオリエント憧憬を内
在化したアンビヴァレンスで複雑な視線となっている。
ま た 、 明 治 期 に 発 す る こ の よ う な 「 二 重 の 他 者 と の 対 照 的 な 関 係 」 や 、「 大
東 亜 共 栄 圏 」の イ デ オ ロ ギ ー に よ る 軍 事 的 武 力 支 配 は 、敗 戦 に よ っ て 潰 え た が 、
戦 後 は 援 助・開 発 な ど の 名 の も と 、経 済 力 に よ る 支 配 に 取 っ て 代 わ る 。
「経済的
な優位性を前提とした関係において、以前と同様にアジア諸国が〈差異化すべ
き 他 者 〉」 と 看 做 さ れ 続 け た 」 と 指 摘 さ れ て い る 。( 阿 部 潔 : 79)
3.「 タ イ 」 と い う 「 場 所 」 に 喚 起 さ れ る イ メ ー ジ
―その表象の歴史について―
140
前述のとおり、明治以降、日本人は、西洋伝来の文明史観に自己同一化する
こ と に よ っ て 、 (西 洋 か ら 見 た )他 者 に 対 す る 未 開 意 識 を 持 ち 、 ア ジ ア 的 な も の
を「 貧 困 」
「停滞」
「怠慢」
「 野 生 」な ど と い う 固 定 し た 概 念 で 捉 え る こ と に な る 。
( 3)
タイは直接日本の植民地にはならなかったものの、友好関係をうたい文句に、
日本における南進政策や大東亜共栄圏構造の中に組み込まれ、英領ビルマに攻
め る 行 軍 中 継 地 と し て 日 本 軍 の 支 配 下 に 置 か れ た 歴 史 を も つ 。日 本 よ り「 未 開 」
で「弱い」タイを西洋植民地主義の脅威から守るというような「タイ像」ある
いは「タイ観」は、明治期から第二次世界大戦にかけて大量に生産された山田
長 政 伝 説 関 連 テ ク ス ト に 窺 い 知 る こ と が で き る 。( 4)
戦 後 、 三 島 由 紀 夫 の 『 豊 饒 の 海 』 に お い て 、 タ イ が 再 び 登 場 す る 。「 シ ャ ム 」
から国名を「タイ」に改めた近代タイの姿が初めて著されていた文学作品であ
る と う こ と も あ り 、 三 島 が 『 暁 の 寺 』 (1970)に 描 い た タ イ の 表 象 は そ の 後 の 一
般の日本人が抱く「タイ像」に大きく影響したことはいうまでもない。ここに
その例をあげてみる。
「あの国はこのごろ、奴隷も解放する、鉄道も作る、なかなか進んだやり
方 を し て い る ら し い か ら 、 お 前 も そ の つ も り で 附 き 合 わ ね ば な ら ん 」(『 春
の 雪 』: 47)
南国の健康な王子たちの、浅黒い肌、鋭く突き刺すような官能の刃をひ
らめかすその瞳、それでいて、少年ながらいかにも愛撫に長けたようなそ
の長い繊細な琥珀色の指、それらのものが、こぞって清顕に、こう言って
いるように思われた。
「 へ え ? 君 は そ の 年 で 、 一 人 も 恋 人 が い な い の か い ? 」(『 春 の 雪 』: 57)
『春の雪』において清顕の父がシャムの二王子を息子に紹介するこの場面で
141
は「日常の服作法はすべて英国風で美しい英語を話した」王子たちの西洋風な
外皮に対して清顕が見出したのは彼らの内に秘めた原始的な熱情とエロティシ
ズムであり、二人のシャム青年はここではアジアの国々が近代化の課程におい
て直面した西洋と東洋のぶつかりあい、その矛盾を体現している存在として描
かれている。このようなイメージは以後の『暁の寺』においても王子の一人の
娘ジン・ジャンに継承されることになる。
かつてタイで会った時、自分は日本人の生まれ変わりだと主張した幼いジ
ン ・ジ ャ ン が 久 し ぶ り に 本 多 の 前 に 現 れ 時 、「 卓 上 に 張 り 出 し て い る 胸 は 、 あ ど
けない顔つきにも似ず、船首像のように堂々としていた。学生のブラウスの下
には、見ないでも、アジアンタ洞窟寺院の壁画の女神たちの肉体が隠されてい
る 。」
(『 暁 の 寺 』
:218)と い う よ う に 、熱 帯 国 に ま つ わ る エ ロ ス の 香 り を 漂 わ せ
た魅惑的な存在に成長した。しかも彼女の漆黒な髪と瞳や褐色な肌色から放た
れた「強すぎる芳香」を「ここ日本までたえず影響を及ぼしてくる遠い密林の
暈 気 の お か げ 」 (218)だ と 本 多 は 認 識 し て い る 。 ジ ン ・ジ ャ ン の ま だ 見 ぬ 裸 体 を
想像し、いつかその裸体をくまなくて観察し快楽を得ようとする本多のまなざ
しは西洋が東洋に向ける、抑圧し支配したい欲望をはらんだ南国憧憬のまなざ
しと同等のものである。本多と慶子の欲望の対象と化されたジン・ジャンの身
体はまさにそれぞれが代表する日本とをアメリカによるアジアをめぐる権力闘
争の場のアレゴリーとして読むことができる。
朝の暑気はすでに懲りずまた部屋を犯していた。汗に濡れた寝床を見捨て
あした
て 、水 を 浴 び る と き に は じ め て 感 じ る 肌 の 朝 は 、本 多 に は め ず ら し い 官 能 的
な体験だった。
・・・こ こ で は す べ て が 肌 を と お し て 感 じ ら れ 、自 分 の 肌 が 、
ね
む
熱帯植物のけばけばしい緑や、合歓の真紅の花や、寺を彩る金の華飾や、突
然 の 青 い 稲 妻 な ど に よ っ て 、 時 あ っ て 染 め ら れ る こ と に よ っ て ・ ・ ・ (『 暁
の 寺 』: 36)
142
上記は『暁の寺』において本多がバンコクを訪れた際滞在したホテルでの描
写 だ が 、 昭 和 16 年 と い う 時 代 は シ ャ ム 政 府 が 国 号 を 「 タ イ 」 に 改 め 、 め ま ぐ
る し く 近 代 化 を 進 め て い た 時 代 で あ る 。こ の 作 品 に も 近 代 国 家 へ と 変 貌 し つ つ 、
依然として未開で野蛮な信仰性や熱帯国特有のアンニュイな官能性を併せもっ
ているタイの姿が描かれている。ただし、近代国家としての側面よりも、作家
三島の描いたタイ=南国のイメージは全体的にエキゾチックで鮮やかな色彩感
覚 や 幻 想 性 が 際 立 っ て 印 象 に 残 り 、そ こ に は 、西 洋 が 東 洋 に 向 け た い わ ゆ る「 オ
リエンタリズムなまなざし」と同質の視線が働いていると見て取れる。
もちろん時代の変化、情報の増加にともない、日本に伝えられるタイ像も多
種多様でかつ変わりつつあるが、一方では経済発展を遂げ続けた近代国家像と
ともに、他方では三島に代表されたエキゾチックで幻想的な官能へ誘う場所―
としてのタイ表象は、観光案内なども含め、依然としてそれ以降のテクストに
継承され、再生産され続けてきたといえる。
4.「 タ イ ら し さ 」 の 表 象
―エキゾチックでオリエンタルなものへのまなざし―
本論で取り上げる作品ではそれぞれ時代設定も主人公がタイを訪れる旅の
目的も様々だが、ここで彼らは日本の日常生活では経験できないような恋愛・
官能の体験を経て、それによって自分自身を見つめ直し、あるいは日本人であ
ることのアイデンティティを再確認していく過程が描かれている。その舞台と
なったタイの表象には「まなざす側」=旅人の心象、欲求などが投影されてお
り 、主 人 公 の 日 本 人 た ち の ロ マ ン ス や 空 想 を 盛 り 上 げ る た め の 舞 台 装 置 と し て 、
現実のタイの姿とは似ても似つかない、よりエキゾチックで(時にはグロテス
クに)官能的なオリエンタルとしてのイメージが創造され、強調されたのであ
る。
4.1 南 国 表 象 (創 造 さ れ た 風 景 )と そ の 心 象 作 用
143
-エキゾチックで官能的なオリエンタルとしてのタイ像-
ここで検証した作品すべてにおいて三島由紀夫以来流通しているエキゾチ
ックで官能的な夢の南国という典型的なイメージに加え、海外旅行が一般大衆
化してから知られるようになった定番の観光名所、例えば、オリエンタルホテ
ル 、パ ッ ポ ン 通 り( 外 国 人 向 け 歓 楽 街 )、ス ト リ ッ プ バ ー 、水 上 マ ー ケ ッ ト 、キ
ックボクシング、アユタヤ遺跡、パタヤビーチなどが、官能を誘う空間として
しばしば登場する。ここにそれぞれの例を取り上げてみる。
「 ― バ ン コ ク の 熱 帯 夜 に 、腐 っ た 果 物 と 汗 ば ん だ 女 の に お い 。そ う い う 演 出
を ほ し が る 人 も い る で し ょ う ? 」 (『 ボ デ ィ ・ レ ン タ ル 』: 126)
野口はかすかでとめどない夢精の感覚が何によって心身に潜り込んできた
のかを、突然悟った。
悟 っ た よ う な 確 信 を 持 っ た の で あ る 。こ の 性 的 な 魔 法 の 元 凶 は 、バ ン コ ク の
い た る と こ ろ に 生 き る 小 乗 仏 教 の 曼 荼 羅 で あ り 、宗 教 と 民 衆 の つ な が り か ら 生
じ る 大 地 や 水 や 、 動 物 や 草 花 や 果 実 な の だ 。(『 愉 楽 の 園 』: 225)
バ ッ タ は 、そ の 死 体 写 真 集 と よ く 似 た 風 景 を 思 い 出 し た 。そ れ は 水 上 マ ー
ケットをゆく小船に満載されたさまざまな果物の山である。赤紫のマンゴスチ
ン 、 堅 い 毛 に 覆 わ れ た 血 色 の ラ ン プ ー タ ン 、 異 臭 の ド リ ア ン (中 略 )タ イ 式 ボ ク
シング場に流れる諦観を秘めた熱狂、寺院等の黄金仏像に貼られた金箔が風に
揺らぐなまぬるい官能、そこを流れているやるせない時間は、共通の眩暈と痙
攣 が あ る 。 (『 欄 の 皮 膜 』: 37)
来 る に 決 ま っ て る 。私 は 確 信 し て い た 。生 暖 か い 風 。柔 ら か な タ イ 語 の 響
き。それに乗せられて海辺の義理の妹に会いに来るには決して悪いことじゃ
ない。シュガーハット。砂糖の小屋の作る甘い日影で、私は彼が来るのを待
つ の だ 。(『 天 国 の 右 手 』: 14)
144
汗ばむ熱帯夜、鮮やかな色彩、きらびやかな黄金の寺院、果物が腐敗したよ
うな濃厚な匂い、異国の言葉の響きなど、これらの表象は、いずれもオリエン
タリズムによるカテゴリー化され、ステレオタイプ化された「南国」のイメー
ジ で あ り 、 い わ ゆ る 「 性 的 期 待 」、「 倦 む こ と な き 官 能 性 、 あ く こ と な き 欲 望 」
を挑発する場所として創り上げられている。
このようにタイ人にとって何の変哲もない日常生活の風景が、その意味を生
成するコンテクストから切り離され、旅人の心象や欲望の孕んだまなざしによ
って、時にはエキゾチックに、時にはグロテスクに脚色されていく。またその
ま な ざ し の ゆ ら ぎ ・ 眩 暈 や 酩 酊 に 似 た 身 体 感 覚 が 非 日 常 、 幻 想 (幻 覚 )を 生 み 出
す装置として機能し、作品における人物たちをしてロマンスや官能の世界へと
導いていくのである。
4.2
創造された伝統文化
南国風景の他に、風景の一部として「タイらしさ」=異国情緒を演出するの
に、西洋のオリエンタル憧憬を具現化した、ノスタルジックな香りを漂わせた
コロニアルスタイルの建築物や、消費する側―主に白人観光客―の欲求に応じ
て消費しやすい形に加工され洗練された伝統文化の品々が繰り返し使われてい
る。
たとえば、ここで取り上げた 5 作品の中で実に 4 作品において世界的に有名
な「オリエンタルホテル」が登場している。
ま ず は 、『 サ ヨ ナ ラ イ ツ カ 』 に お い て 「 映 画 の セ ッ ト の よ う な 伝 統 的 な 佇 ま
い 」 (35)の オ リ エ ン タ ル ホ テ ル 旧 館 は「 非 日 常 的 な 空 間 か 架 空 の 王 宮 に で も い
るような錯覚」を誘うものであり、ロマンチックな夢を提供してくれる空間と
して描かれている。そこでは恋人たちが「世俗とは無縁な王と王妃のような暮
ら し 」を 体 験 し 、こ こ に い る 限 り 、彼 ら は「 あ ら ゆ る 雑 事 か ら 自 由 で 」あ り「 時
間 も 、 規 則 も 、 習 慣 か ら も 開 放 さ れ 」( 72) た の で あ る 。
同じくオリエンタルホテル旧館のスイートルームは『愉楽の園』のヒロイン
145
藤倉恵子が彼女を囲っているタイ人男性サンスーンと初めて交わった場所であ
る。その後も二人はここで情事を重ねた。部屋内部のエキゾチックで神秘的な
官能的な描写が二人の関係性を象徴するようなものだった。
恵子は足音を忍ばせ、息を殺し、ベッドルームに入った。そして天蓋を支
えるチーク柱にさわった。そこには何枚もの木の葉のあいだでひきしめあう
像と蛇と魚が彫刻されていて、三年前の夜、仄かな明かりに浮かび出るとベ
ッドに仰臥する恵子に淫らな微笑と呪文を注いだ。壁紙に描かれた朱色の孔
雀の羽根も、そのときにはすべてが小粒な蝋燭の火に変じ、虚無と愉悦にゆ
だ ね さ せ る 恵 子 自 身 の 火 を 煽 っ た の で あ る 。( 28)
西洋がこの地域に植民地支配の手を伸ばした時代に開業したオリエンタル
ホ テ ル は コ ロ ニ ア ル ス タ イ ル の 特 権 を 体 験 し 、歴 史 の 香 り を 懐 か し む 伝 統 遺 産 、
観光用アトラクションとして政府機関の観光宣伝にも使われており、たくさん
の西洋の文豪が好んで滞在したこともよく知られている。三島由紀夫がタイを
訪 れ た 時 も こ こ に 泊 っ た こ と が あ り 、そ の 作 品『 暁 の 寺 』に も 登 場 さ せ て い る 。
多 く の 旅 行・ホ テ ル 案 内 書 に も 紹 介 さ れ て い る 通 り 、1980 年 代 後 半 ま で 団 体 旅
行の観光客を受け入れず一般旅行者に敷居の高かかったオリエンタルホテルは、
日 本 人 旅 行 者 (特 に 女 性 )に と っ て ロ マ ン チ シ ズ ム を 誘 う 場 所 と し て 憧 憬 の 対 象
にもなっているようである。
さらに例を挙げると、例えば『愉楽の園』の藤倉恵子は、タイに来て三年経
ったにもかかわらず、タイ人を始め、タイ料理も、小乗の伽藍の色彩も、大通
りの喧騒と煤煙も、路地の悪臭も嫌いだった。タイの何もかもが嫌いな彼女が
唯一気に入ったのはタイシルクを改良させ世界的にその名を広めさせた「ジ
ム・トムプソン」の「タイシルク」だけだった。そして彼女が安らぎを感じる
唯一の場所―愛人に買い与えられたチャオプラヤ河畔の豪奢なタイ古式旧邸宅
―もまた、トムプソンによって西洋人好みに意匠を変えられたタイハウスを思
146
わせたものである。同じく『蘭の皮膜』の主人公バッタの不倫相手ホタルの家
も、ジム・トムプソンの家の隣の一軒家で、椰子の木が生い茂る豪壮な邸宅だ
っ た 。そ れ は 、
「 屋 根 の 先 端 が 槍 状 に と が っ た タ イ 式 の 木 造 家 屋 」で 、内 部 は「 五
彩のベンチャロン磁器、黄金の仏像、蒔絵家具、仏画」など古美術品が並べら
れていると描写されている。
こ れ ら の 作 品 の 背 景 に あ る の は 1980 年 代 後 半 か ら 始 ま る ア ジ ア 回 帰 で あ り 、
1990 年 代 後 半 に 入 っ て 日 本 の メ デ ィ ア に よ っ て も て は や さ れ た エ ス ニ ッ ク ブ
ームやアジアン・スタイルブームである。ただし、日本人が魅力を感じている
オリエント・アジアイメージの源流は、皮肉にも<アジアそのもの>ではなく
< 東 方 を 憧 憬 す る パ リ > に あ る ( 阿 部 潔 、 2001) と 阿 部 潔 氏 が 指 摘 し て い る 。
これらの作品に描かれた伝統的な「タイ」のイメージにも同じような傾向が見
られる。実際のタイの人々の生活様式に基づくというより観光事業の発展と共
に、旅行者、とりわけ白人観光客の欲望に応えるように「西洋のまなざし」の
もとで作り上げられたものが多い。明治以来西洋のオリエンタリズムな眼差し
を内包した眼差しでアジアを見てきた日本人にとっては、これらのアイテムは
まさに南国のエキゾチックな香りを演出するために相応しいものとして捉えら
れよう。
4.3
さまざまな「性」の実践
前述した通り、西洋のオリエンタリズムなまなざしを持って訪れた日本人旅
行 者 の 目 に は 南 国 タ イ は「 性 的 な 期 待 」
「 倦 む こ と な き 官 能 性 、あ く こ と な き 欲
望」を挑発する場所で、日本本土ではもちえない「性的体験」を誘発する場所
と し て 映 っ て い る 。ま た 、1970 年 代 か ら タ イ の 主 要 産 業 と な っ た 観 光 業 と と も
に発展する性風俗業によって「セックス天国」として外国からの旅行者にはタ
イ 社 会 の 固 定 イ メ ー ジ と な っ て い る こ と は 否 め な い 。( 5)
そのような固定観念に反映してか、本論で取り上げたテクストにはありとあ
ら ゆ る 官 能 の 様 式 、「 性 」 の 揺 ら ぎ あ る い は 歪 み が 繰 り 返 し 描 か れ て い る 。
147
『愉楽の園』において多数の同性愛者の男性とその交合の描写が何度も登場
し、また先天的に奇異な身体を持って生まれた男のグロテスクなエロスや「快
楽 の 巣 」と 称 さ れ た 娼 婦 の 館 に お け る 第 三 者 の 視 線 を 感 じ な が ら で の 情 事 な ど 、
様々なシチュエーションでの官能的な場面が描かれている。
『 ボ デ ィ ー・レ ン タ ル 』で は「 シ ル バ ー セ ッ ク ス ラ イ フ 」を 楽 し む た め に タ イ
を訪れた金持ちの老人にそれ専用の運転手が女性の斡旋もする。
「3P4Pとい
う事態」もあれば、ご奉仕に連れて来られた女性の中にには「人工美」のおか
まもいる。
「バンコクは隠れたおかまのメッカである」
(『 ボ デ ィ ー・レ ン タ ル 』:
129)と ま で 語 ら れ て い る 。ま た 、ス ト リ ッ プ シ ョ ー を 見 な が ら で の 白 人 男 性 と
のセックスにヒロインのマヤが「レンタルでこんな思いをしたのは初めてだっ
た 」( 140) と 唸 ら さ れ た 場 面 も あ る 。
『 蘭 の 皮 膜 』で は 日 本 人 駐 在 員 と そ の 妻 た ち の 乱 れ た 性 生 活 が 赤 裸 々 に 語 ら れ 、
夫は仕事と称し日夜歓楽街で女遊びを繰り返し、若い現地女性を愛人としてい
る。夫に相手にされない妻は不倫に走り、自由奔放な「性」を謳歌することの
表れとして使用人の前で堂々と裸体を晒すエピソードなどが描かれている。そ
の他、水上マーケットの色彩やタイ式ボクシングによる性的な興奮効果にまつ
わるエピソードなども盛り込まれている。
『 天 国 の 右 手 』で は 姉 の 夫 に 恋 し て い る ヒ ロ イ ン の 渚 子 が 義 兄 が タ イ へ 旅 立 っ
たことを聞きつけ彼を追いかけてタイまでやって来た。彼女曰く、自分がほし
い の は 「 額 縁 に 入 れ た 絵 画 の よ う な 恋 」( 8) で あ り 、 一 般 男 女 が 通 常 営 む よ う
な「情事」ではない。なぜならば、幼いころ事故で右手を失った彼女をずっと
善意で接して来た姉のいる日本の現実社会では、彼女が求めたことすなわち、
「 善 意 か ら 切 り 離 さ れ て 、 彼 と 向 き 合 う こ と 」 (14)が 望 め ず 、 ま た そ れ 以 前 に
物理的な現実問題として性的不能な義兄は彼女の要望に応じて関係を持つこと
ができないからである。
そ の よ う な 二 人 は 、タ イ の 海 辺 で 童 話 に 出 て く る よ う な「 シ ュ ガ ー ハ ッ ト 」と
い う 名 前 の ホ テ ル で「 ま る で 、ク リ ム ト の 絵 の 中 に い る み た い 」
( 24)な 空 間 で
148
裸になり抱き合ったことになる。行為の最中に、渚子が右腕を彼の足の間の方
に 伸 ば し て 「 私 の 手 の 平 に 射 精 し て 」 (30)と 言 っ た 。 日 本 の 現 実 に お い て は 存
在しない右手と、男性機能を果たせない義兄の身体との交合がここで可能にな
り、二人は渚子が求めていた―通常の男女の恋愛概念を越えた―新しい関係性
を手に入れたといえよう。
以上、挙げてきた例はほんの一部に過ぎない。性の境界線を侵す同性愛の性
交 、異 人 種 と の 交 わ り 、グ ロ テ ス ク な (病 的 )な 身 体 、奇 抜 な 場 所 で の セ ッ ク ス 、
婚外における多数の相手との性行為など、日本の日常では普段体験できない、
あるいは常識・倫理においてタブーとされているようなことがここタイで実践
さ れ て い る 。 こ れ ら 多 種 多 様 な 性 体 験 と の 遭 遇 ・ 実 践 は 、 身 体 (ボ デ ィ ー )の 解
体及び「性」=「魂」の解放につながり、それはすなわち現実社会の呪縛から
の 解 放 を 意 味 す る 。そ れ に よ っ て 主 人 公 た ち の 精 神 に 何 ら か の 変 化 を も た ら し 、
自己の「性」や生き方などを見つめ直すきっかけとなったのである。
4.4
舞台装置としてのタイ人
西洋のこの系統の小説と違ってタイを舞台とした日本の小説はタイ人を性
欲の対象と描くことはあっても、恋愛対象、すなわちヒーローまたはヒロイン
格に描くものが極めて少ない。
特にここで取り上げた小説の例を見ると作品に現れたタイ人は使用人や運
転手、ホテルのボーイなど日本人同士の恋愛・官能を盛り上げる役として機能
し て お り 、人 種 的 に 日 本 人 の 優 位 性 を 際 立 た せ る 役 割 を 担 わ さ れ る こ と が 多 い 。
使用人役以外もっともタイ人男性人物が多く登場する『愉楽の園』において
はその現象はさらに際立っている。ホモセクシュアルな嗜好のある男性、下半
身が蛇のような奇異なうろこ模様の痣で覆われた男性、病気で永遠の少年のま
まに留まった男性などこの作品おけるタイ人男性サンスーンはいずれも精神的
か 身 体 的 欠 陥 を も つ 不 健 全 な 人 物 ば か り が 勢 ぞ ろ い し て い る 。そ れ に 比 べ れ ば 、
日本人男性人物は、例え日本社会の基準から見ればさえないサラリーマンと日
149
本社会から吐き出されたアウトローといえるような人物であるにもかかわらず、
ここでは極めて常識的な、健全な存在になる。
また女性の場合はどうか。藤倉恵子は、日本での恋愛のトラウマから逃れて
無目的のままタイにやって来ては、ただ流されたままタイ人男性の妾同然に囲
わ れ る こ と に 甘 ん じ て ア ン ニ ュ イ に 暮 ら し て い る 。作 品 の 時 代 背 景 で あ る 1970
年 代 当 時 の タ イ 社 会 に お い て 、日 本 人 は 嫌 悪 の 対 象 だ っ た は ず に も か か わ ら ず 、
そんな恵子に崇拝のような愛を注ぎ込むタイ人男性サンスーンはタイ社会のヒ
エラルキーでも頂上に君臨する王家血筋の高官僚であり、将来首相の座まで上
り詰めるような人物である。
ここで恵子の人種的階級的優位性を強調するエピソードを二つほど紹介し
よう。
まず、サンスーンが恵子専用にあてが割ったチェップというメードがいる。
チェップは恵子よりも三つ歳下なのに、既に三人の子の母である。そんな彼女
がサンスーンから、
「 お 前 た ち と 違 っ て 、タ イ の 水 は 必 ず 恵 子 を 病 気 に す る の だ 。
もし手抜きをして、恵子が下痢をしたり、体をこわしたりしたら、ただちに馘
に す る だ け で な く 、 こ の バ ン コ ク の ど こ で も 働 け な い よ う に す る 」(『 愉 楽 の
園 』: 9) と 威 嚇 さ れ 、 恵 子 の 世 話 を 厳 し く 命 令 さ れ た 。 女 と し て も 人 間 と し て
もすべてにおいて恵子より劣っている存在として描かれている。
次に、サンスーンには親族に結婚相手として勧められた女性がいる。アメリ
カで弁護士として働いているこのタイ人女性は才色兼備で家柄もよく、国王か
らも推薦されていたにもかかわらず、サンスーンはそんな女性を省みず、当時
の一般タイ人にとって嫌悪の対象であるはずの日本人恵子に求婚する。
サンスーンの恵子を見るまなざしは日本人が西洋に向ける羨望や憧憬のま
なざしに近いといえる。なぜなら、二人の関係をめぐって絶えず求愛し続け恵
子の慈悲を請うサンスーンより恵子の方が優位に立っているからである。
最後に結婚をやめて日本および日本人男性のもとに帰ることを選択した恵
子とサンスーンの関係性は、民族間の権力構造で言えば『蝶々婦人』ならぬ、
150
人種的に女性が優位に立っている『王様と私』における関係性のパターンに当
てはまるといえよう。
4.5
旅における眩暈は旅の終わりとともに醒める
「旅は住居とか労働のある通常の場の外にある風景へと向かうこと、滞在は
そこに留まることである。そこでの滞在期間は短期でかつ一時的という性格を
も つ 。 比 較 的 短 い 時 間 た て ば 「 家 」 へ も ど る と い う 明 確 な 意 図 が あ る 。」 と J.
アーリが論じているように、そもそもタイを舞台とした小説はみんな旅の物語
で あ る 。 旅 ・ 出 立 ( departure) と は 非 日 常 ・ バ ケ ー シ ョ ン ・ 休 暇 の よ う な の
どかな期間を意味する。
ここで取り上げた小説の日本人たちには、タイを移住、永住の地にするもの
はほとんどいない。旅人である彼らにとってタイは永遠に理解不能な異国の地
であり、自ら本来の属している社会の圧迫から逃避するための楽園=避難場所
で し か な か っ た 。こ こ で 彼 ら は し ば し の 休 暇 的 な 時 間 を 過 ご し た り 、Home( 家 )
では体験できない擬似イベントを楽しんだりした。しかし旅がいつか終わると
同じように、やがて幻影や錯覚は破綻し、夢から醒める日が訪れる。それは、
滞在が長びくにつれ、それぞれの物語の主人公が旅行者として傍観者的な態度
をとることによってこれまで避けてきたタイの社会の現実と関わらずにはいら
れなくなるからである。
『愉楽の園』の藤倉恵子がタイで生きて行く決意の証としてタイ語を習い始
め、夢現のようなこれまでの生活を現実のものとしようとした時、周りにいる
タイの人々の裏の顔が見えてくるようになる。そしてある事件をきっかけに婚
約者のサンスーンが政治活動において卑劣な工作を施したことを知り、結婚す
る の が い や に な る 。失 意 の 恵 子 が 婚 約 披 露 パ ー テ ィ ー の 最 中 に 会 場 を 抜 け 出 し 、
一人で川辺に佇む。
桟 橋 は 波 に 合 わ せ て 揺 れ 、恵 子 も 揺 れ た 。揺 れ な が ら 、次 か ら 次 へ と 流 れ
151
て く る 輪 ゴ ム を 凝 視 し つ づ け て い る う ち に 、恵 子 は 何 者 と も 知 れ な い 声 を 聞
いた。
それは、恵子の心の奥底から発せられたものが、多種多様な歪み方をし
た無数の口みたいに見える輪ゴムに谺して帰って来ていたのかもしれない。
―
帰れ、帰れ。
恵子にはそう聞こえた。
―
こ こ は お 前 を 幸 福 に す る 場 所 で は な い 。帰 れ 、帰 れ 。
(『 愉 楽 の 園 』:
432)
この場面で、己の心の揺れを反映した川面を見つめた恵子は、最後まで異国
タイの地には安住できない己の性を自覚し、日本へ帰る決意をしたのである。
また、タイを自由奔放な官能の舞台とした『欄の皮膜』の主人公バッタは不
倫相手の女性の死をきっかけにタイで起こった様々な凶悪な事件に巻き込まれ
て行く。そしてある事件によって彼が恋していた女性が帰国することになり、
彼女のいないタイは彼にとってかつての魅力を失ったものと感じられる。そこ
で日本に帰ることにした彼を待っている現実は次の場面によって象徴される。
ホタルは、バンコクの高級ブティックの服を着けているが、それは見るか
らにみずぼらしい。玄関の蛍光灯の光の下で見るホタルは、公開番組を見に
くる下品な主婦客とほとんど変わらないのだった。バンコク製の服がホタル
にいっそう田舎もののイメージを与え・・・バンコクでは、欄の油膜を漂わ
せ て い た 視 線 が 、 こ こ で は 生 気 の な い 灰 色 の 目 に し か 見 え な い 。 (中 略 )
「バンコクでは壮大な夢を見ていたのだ」
と思った、鮮烈な太陽と熱暑の雑踏がバッタに虚構の夢の中で目眩ましをか
け た の だ 。変 わ っ た の は ホ タ ル で は な く バ ッ タ の 視 線 だ っ た 。
(『 欄 の 皮 膜 』:
51)( 下 線 は 引 用 者 に よ る も の )
152
上記の『欄の皮膜』におけるバッタの覚醒と同じように、他の作品において
もそれぞれの主人公がタイの社会の現実と関わらずにはいられなくなった時に
は、彼らの夢の世界を作り上げてきた「まなざし」にかかった霧や魔法はこと
ごとく消滅して行くのである。そして否が応でもタイ人のようにはなれない日
本人たる自己のアイデンティティーを再認識させられた彼らは、現実と直面す
ホーム
るために、楽園から出て 家 に戻って行くことになる。
5. お わ り に
以上、主にタイをロマンスの舞台として 5 作品におけるタイ像を考察してき
たが、タイを描く日本文芸作品には他にも多様なジャンルに亘り、それぞれの
ジャンルによる特徴、モチーフによって採用されるイメージは多種多様にわた
る 。実 際 、他 者 表 象 と 言 説 を 考 え る 場 合 、ま な ざ し の 問 題 の 他 に も ジ ェ ン ダ ー 、
文化、人種、階級など様々な要素が複雑に絡み合っている。今後の研究におい
てそれらの視点をも取り入れて論を展開させていきたいと考えている。
【注】
1. サ イ ー ド に よ る と
「 心 象 地 理 」と は 、
「 な じ み 深 い「 自 分 た ち 」の 空 間 と 、そ
の 自 分 た ち の 空 間 の 彼 方 に 広 が る な じ み の な い「 彼 ら 」の 空 間 と を 、心 の 中 で 名 付
け 区 別 」す る 実 践 の こ と で あ る と い う 。こ の「 心 象 地 理 」は 、ま な ざ し て 支 配 す る
主 体 と し て の 西 洋 、 観 ら れ 従 属 す る 他 者 と し て の 東 洋 な ど の よ う に 、「 権 力 」 の 道
具 と し て 二 項 対 立 的 に 生 み 出 さ れ 、特 に 他 所 の 心 象 地 理 に は 、観 光 客 な ど の ま な ざ
す側のファンタジーや欲望が投影されているという。
2. そ の 典 型 的 な 例 を あ げ る と 、 例 え ば ハ ワ イ や バ リ 等 の 、 官 能 と 性 に 満 ち 溢 れ た
地 上 の「 楽 園 」像 や エ キ ゾ チ ク な 伝 統 文 化・芸 能 は 、そ れ 自 体 の あ り の ま ま の 姿 で
はなく、観光客の好奇心と欲望を満たすために(西洋男性中心社会の措定する周
辺・他 者 へ の ま な ざ し 、オ リ エ ン タ リ ズ ム と ジ ェ ン ダ ー の 交 錯 す る 場 所 で 生 み 出 さ
れ る 認 識 ― エ キ ゾ テ ィ シ ズ ム ― に 満 ち た )観 光 の ま な ざ し の も と で 形 成 さ れ た も の
153
であることは今日では観光社会学の研究で明らかにされている。
3.「 オ リ エ ン タ リ ズ ム 」 の 理 論 を 使 っ て 日 本 が 明 治 維 新 後 「 脱 亜 入 欧 」 を 目 指 し 、
ひたすら近代化への道を歩む過程でアジア/日本という二項対立の図式を形成し
てきた歴史を論じるのは姜尚中、川村湊、青木保らの仕事に見られる。
4. 山 田 長 政 伝 説 関 連 の 研 究 に 関 し て は 矢 野 暢 編 の 『 東 南 ア ジ ア と 日 本 』( 弘 文 堂 、
1991) が 詳 し い 。 土 屋 智 子 の 『 20 世 紀 日 タ イ 関 係 に お け る 山 田 長 政 像 』 チ ュ ラ ー
ロ ン コ ー ン 大 学 修 士 論 文( 1997)に は 日 本 図 書 に お け る 山 田 長 政 像 を 考 察 し た 研 究
の 中 で そ の 関 連 上 タ イ 像 に つ い て 少 し 触 れ た 部 分 が あ る 。他 に 、17-18 世 紀 の テ キ
ス ト に お け る シ ャ ム の イ メ ー ジ を 考 察 し た ラ ッ ダ ー ・ ケ ー ウ リ ッ デ ー ジ の 『 17-18
世紀の日本文学におけるシャムのイメージ』チュラーロンコーン大学研究報告書
( 2003) 等 が あ る 。
5.
戦 後 の 日 本 対 ア ジ ア 関 係 は 軍 事 的 支 配 か ら 援 助・投 資 に よ る 経 済 力 に よ る 支 配
に シ フ ト し て お り 、 そ の 経 済 優 位 性 の も と に 「 1970 年 代 に 入 っ て 海 外 旅 行 は 一 気
に 大 衆 化 し 」( 前 川 健 一 、 2003: 72) 日 本 人 の 団 体 旅 行 が ア ジ ア に 流 れ 込 ん だ 。 そ
の中で買春ツアーが社会問題となり、日本が国際社会の批判を受けた歴史がある。
【参考文献】
< 一 次 的 文 献 > ( 本 文 中 の 引 用 は 以 下 に よ る 。 ・・・は 引 用 者 に よ る 省 略 )
1.三 島 由 紀 夫 『 春 の 雪 』 新 潮 文 庫 版 、 1993 年 ( 所 刊 : 新 潮 社 、 1969)
2.三 島 由 紀 夫 『 暁 の 寺 』 新 潮 文 庫 版 、 1993 年 ( 所 刊 : 新 潮 社 、 1970)
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4.嵐 山 光 三 郎『 蘭 の 皮 膜 』、短 編 集『 欄 の 皮 膜 』文 藝 春 秋 、1993 所 収( 初 出 : 小 説
新 潮 1989・ 8)
5.山 田 詠 美 『 天 国 の 右 手 』 、 短 編 集 『 贅 沢 な 恋 人 た ち 』 幻 冬 舎 、 1994 所 収
6.佐 藤 亜 有 子『 ボ デ ィ ・ レ ン タ ル 』河 出 文 庫 版 、1999( 初 出 :「 文 藝 」1996 年 冬 季
号)
7.辻 仁 成 『 サ ヨ ナ ラ イ ツ カ 』 幻 冬 舎 文 庫 版 、 2002 年 ( 初 刊 : 世 界 文 化 社 、 2001)
154
<二次文献>
1.E.W. サ イ ー ド 著 1978/ 今 沢 紀 子 訳『 オ リ エ ン タ リ ズ ム 』上・下 、平 凡 社 、 1993
2.阿 部 潔 『 彷 徨 え る ナ シ ョ ナ リ ズ ム 』 世 界 思 想 社 、 2001
3.姜 尚 中 「 「 日 本 的 オ リ エ ン タ リ ズ ム 」 の 現 在 ― 「 国 際 化 」 に 潜 む 歪 み 」 『 世 界 』
522、 1988、 ( 133- 139)
4.姜 尚 中 『 オ リ エ ン タ リ ズ ム の 彼 方 へ 』 岩 波 書 店 、 1998
5.J ・ ア - リ 著 1990/ 加 太 宏 邦 訳 『 観 光 の ま な ざ し ― 現 代 社 会 に お け る レ ジ ャ -
と 旅 行 』 法 政 大 学 出 版 、 1995
6.前 川 健 一 『 異 国 憧 憬 ― 戦 後 海 外 旅 行 史 』 JTB、 2003
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