I S H I U C H I M I Y A K O 2013 / 2014 445×300㎜ タイプCプリント LI X IL A RT NE W S _ No.361 LIXIL GALLERY 2014 年 6 月 5 日(木)∼ 8 月 23 日(土) 休館日:水曜日 8 月14 日(木)∼ 17 日(日) 10 : 00a.m.∼ 6 : 00p.m. 東京都中央区京橋 3-6-18 東京建物京橋ビル LIXIL:GINZA 2F phone 03-5250-6530 制作発行:株式会社 LIXIL デザイン:SOUVENIR DESIGN INC. http://www1.lixil.co.jp/gallery/ きものと母 石 内 「背守り」という聞きなれない言 葉を知った時、日本の衣服、きもの 文化の奥の深さと日常生活の豊かな 心づかいを改めて感じた。母親が産 まれたばかりの幼児のうぶ着からそ の成長を祈り、健やかな生命を願い、 ひと針、ひと針背縫いの印を付けて いく。何と秘めやかなやさしい手仕 事だろうか。その始まりのひと針は いったい何処の誰の母だったのだろ う。くわしい来歴はわからないが、 つつましい市井の生活の中から生ま れたはずだ。 「背守り」とは未来へ の希望の印なのだから。 そしてもうひとつ、 「百徳きもの」 についてもまったく知らなかった。 子供が産まれた時に近所の人達が布 きれを持ち寄り、パッチワークのき ものを作るというものだ。布きれ一 枚、一枚に徳が宿っているのでパッ チワークは百徳となる。 その昔、布地はとても大切で貴重 な品物だった。ぼろや刺し子の歴史 をみれば身にまとうきものの何とし た労苦。糸を作る植物から育てて布 になるまでの労力や知恵が、縦糸と 横糸となり、生きる力となって身を 守ってきた。 「豆粒三つ包める布は 捨ててはならぬ」という戒めと共に、 布に対する慈しみは女の身体の一部 を司る。 「背守り」と「百徳きもの」との 出合いは新しくきものについて知る キッカケとなり、幼い衣としてのき ものと、母との関係が見えてくるよ うな気がする。 はたして私はいつどこで初めてき ものを着たのだろうか。さすがに幼 児期の記憶はないが六畳一間に住ん でいた小学生の頃、お正月にはいつ もきものを着せられていたのを覚え ている。そのきものは薄い桃色の地 に赤い菊の花と緑の葉の模様がとこ ろどころに丸く染め付けてある絹の きものだ。女の子のきものとしては シンプルでモダンな感じが、気に 入っていたかどうかはわからない、 よそ行のきものである。 小学生は自分できものを選んで着 たりすることはできない。いや大人 になってもきものを一人で着れない 日々は長く続いた。自分一人できも のを着て帯をしめることが出来るよ うになったのは母が亡くなってから である。きものと母はいつも一緒で、 母がいなければきものを着るなんて 考えてもみなかった。 その当時の小学生で絹のきものを 着ていたのは近所では私一人だ。貧 都 形さんのような気分で母にされるま まにしていた。 母が生まれ育った町が絹織物の産 地の近くで実家が養蚕農家のため、 絹はいつでも彼女の身近にあったよ うだ。18 歳で手に職を付け、経済的 に自立していた彼女は自分のお金で いくらでもきものを買うことができ たが、結婚していつの間にかほとん どのきものが質屋へ行ってしまった と母に聞く。 ここに一枚の写真がある。座って いる女は銘仙のきものに細い花柄を 染付けた羽織を着て、きれいにセッ トした髪に福よかな表情をしている。 隣に立つ男は七三に分けた髪に顔の 表情は硬く、背広にネクタイをしめ た正装で、線の細い青年とのツゥー ショットは、写真館で撮影したものだ。 女 30 歳、男 23 歳、の ち の 母 と 父 で ある。両家から反対されての結婚で ある。この写真は私が生まれる前、 多分一緒に生活を始めた当時と思わ れる。生前の両親から写真について 話を聞いていないので想像するしか ないが、結婚式をあげなかった二人 の結婚記念写真に違いないと思う。 その写真の中で母の着ていた羽織 が数少ない遺されたきものの中から 出て来たのだ。きっと質屋へ持って 行かなかった品なので、母が大事に していた羽織だろう。少なくとも 70 年ぐらいは経っている羽織を洗い張 りに出して仕立直しをすると、生き かえったように美しい光沢が甦った。 私はきものをいただく事が多く、 若くして亡くなった友人のきもの、 その母親からのきもの、尊敬する人 1040×710 ㎜ 2013/2014 タイプCプリント 445×300 ㎜ 2013/2014 タイプCプリント 445×300 ㎜ 2013/2014 タイプCプリント もの、親戚縁者からのきもの等、枚 数が多くすべてのきものに袖を通す には、まだまだ時間がかかってしまう。 そのきものの持主の大半はもうこ の世にいない。かつて彼女達の身体 にまとわっていたきものを、私の身 体におき替えて着ることの縁とゆか りを感じながら、過去と現在、死と 生を継ぎとめる、何とも言いしれぬ 衣装の尊厳をいただいたきものに感 じている。 今年になって、あの小学生のお正 月に着せられていた絹のきものが、 押入れの奥から現われた。60 年前の きものではなく、洗い張りされたき ものが一反の布になって、私の眼の 前にある。その事実に少し途方に暮 れている。幼な衣の布を次の世代に 手渡すには、大きく時代が変わって しまったように感じるからだ。 2014 年春 れた少女は、その時だけ茫然とお人 群馬県桐生市生まれ。1970 年代 後半から写真を始める。初期三部 作で街の匂い、気配、空気を捉え た作品を発表。身体を被写体にし たシリーズ、傷跡シリーズを展開。 母親の遺品を撮影した「Mother s 2000-2005 未来の刻印」でヴェネ チ ア・ビ エ ン ナ ー レ 日 本 代 表。 「Mother s」以降、遺品をめぐる「ひ (いしうち・みやこ) 445×300 ㎜ 2013/2014 タイプCプリント の奥様のきもの、芸術家の母親のき しい生活の中で絹のきものを着せら 石内 都 445×300 ㎜ 2013/2014 タイプCプリント ろしま」、 「Frida by Ishiuchi」を制作。 「ひろしま」は現在も継続中。2012 年に大正・昭和の銘仙を撮った「絹 「主な収蔵先」 「主な受賞」 チューリッヒ美術館 1979 年 第 4 回木村伊兵衛写真賞 2012 年 「絹の夢」丸亀市猪熊弦一郎現代美術館:香川 1999 年 第 11 回写真の会賞 2013 年 「Ishiuchi Miyako」Michael Hoppen Gallery:ロンドン ニューヨーク近代美術館 第 15 回東川国内作家賞 2014 年 「Ishiuchi Miyako」Hasselblad Center:ヨーテボリ、スウェーデン ヒューストン美術館 2003 年 メトロポリタン美術館 第 15 回写真の会賞 2006 年 日本写真協会賞作家賞 「主な出版」 サンフランシスコ近代美術館 2009 年 第 50 回毎日芸術賞 2002 年 「Mother's」蒼穹舎 国際写真センター・ニューヨーク 2011 年 第 60 回神奈川文化賞 2008 年 「ひろしま」集英社 ゲッテイ美術館・ロスアンジェルス 2013 年 紫綬褒章 2009 年 「Infinity」求龍堂 テートモダン・ロンドン 2014 年 ハッセルブラッド国際写真賞 2010 年 「Sweet Home Yokosuka 1976-1980」PPP Editions 東京都写真美術館 2012 年 「絹の夢」青幻舎 東京国立近代美術館 2013 年 「Frida by Ishiuchi」RM 東京都現代美術館 2014 年 「From ひろしま」求龍堂 7 月刊行予定 横浜美術館 「主な個展」 1999 年 「石内都展 モノクローム 時の器」東京国立近代美術館フィルムセンター:東京 の夢」。2014 年のハッセルブラッド 2005 年 「マザーズ 2000-2005 未来の刻印」第 51 回ヴェネツィア・ビエンナーレ:ヴェネツィア 川崎市市民ミュージアム 国際写真賞において「写真という 2008 年 「ひろしま Strings of Time」広島市現代美術館:広島 国際交流基金 布を編む」作家として評価された。 「石内都 ひろしま/ヨコスカ」目黒美術館:東京 2009 年 「石内都 Infinity∞身体のゆくえ」群馬県立近代美術館:群馬 国立国際美術館・大阪 徳島県立近代美術館、等
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