信頼できない語り手 - 日本大学大学院総合社会情報研究科

日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.9, 163-171 (2008)
「信頼できない語り手」による比喩世界
―カズオ・イシグロの『日の名残り』―
髙梨 光子
日本大学大学院総合社会情報研究科
Metaphorical World Described by an Unreliable Narrator:
Kazuo Ishiguro’s The Remains of the Day
TAKANASHI Teruko
Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies
Kazuo Ishiguro’s The Remains of the Day (1989) is a memoir recounted by a
narrator/protagonist who indulges in nostalgia. The story he tells us, however, falls into pieces as the
narrator is revealed to be unreliable. In this thesis, I would like to examine the narrative in order to
show how this novel forms a metaphorical world and a postcolonial discourse. Ishiguro’s literary
efforts present the power of fiction, which causes us to doubt our own understanding of history and of
the world represented, for example, our conventional ideas about “England.” I will examine the
reliability of the narrator in the novel and then show how Ishiguro reveals that the world may be the
reflection of our inner world and, therefore, subjective. Then, I will discuss the conceptual metaphor
of the novel.
はじめに
英国文化イメージを再利用して、作品世界を描きあ
Kazuo Ishiguro ( カ ズ オ ・ イ シ グ ロ ) の 小 説 The
1
げたように、帝国、帝国主義、植民地主義も我々の
Remains of the Day『日の名残り』(1989) は、「信頼
想像を増幅させたものであって、普遍的かつ絶対的
できない語り手」によって、従来の英国的なるもの
な真実ではないということを明らかにしたい。本論
を解体するポストコロニアル小説である。メタファ
で議論する「メタファー」は、Robert Eaglestone が
ーに徹したイシグロの文学的営為は、従来の英国認
Doing English: A Guide for Literature Students で取り
識に代表される我々の歴史や外界についての認識に
上げている Lakoff と Turner の‘basic conceptual
揺さぶりをかけ、文学本来の力を示したものと言え
metaphors’ [基本的な概念的隠喩]を指す。
(91-93)メ
る。
タファーはあらゆる領域において、我々の中に深く
本論考では、まず、
『日の名残り』に於ける語り手
刻み込まれているために、我々の世界観を形作る。
の「信頼性・信憑性」を検証し、イシグロが、我々
さらに、他の思考様式ではできないようなやり方で、
が見ている世界が、我々の心の内面の投影であり、
我々自身と我々を取り巻く世界を理解するように
主観的なものであることを明らかにしていく過程を
我々を導く役割を果たしている。イーグルストンは、
確認する。更に小説が全体として提示するメタファ
どんな概念的隠喩を用いるかによって我々の世界観
ーの意味を考察する。すなわち、イシグロが従来の
が決定され、また思考がコントロールされるという
ことをよく理解しなければならない、その上で、
1
本稿において引用はすべて、Ishiguro, Kazuo. The
Remains of the Day. New York: Knopf, 1989.による。
“doing English” [英文学をやる]ということは、「隠喩
「信頼できない語り手」による比喩世界
の持つ力を改めて考え、新しい隠喩を提示し、世界
を、他の 3 人の主要人物、父ウィリアム、ダーリン
を概念化するためのさまざまな新しい方法を提示す
トン卿、ミス・ケントンとの関係において精察する。
る」ことであると述べている。
スティーヴンスの父ウィリアムは、1869 年、スエ
ズ運河完成の年に執事として働き始めた 2 。1922 年、
『日の名残り』は、舞台設定、登場人物など、す
べてが英国に限定されており、
「英国物語」とみなす
スティーヴンスのいるダーリントン・ホールで副執
ことができる。時代設定として、スティーヴンスが
事として雇われる。その時ウィリアムは 70 歳を超え
ダーリントン卿に仕えた 1930 年代とアメリカ人の
ていた。ウィリアムは、小さなミスを重ねるように
主人ファラディ氏に仕える 1956 年の現在が併置さ
なり、1923 年、極秘国際会議が開かれた初日に倒れ、
れ、これら 2 つの時代はスティーヴンスの意識にお
翌日死亡する。スティーヴンスは「老い」に対して無
いて交錯しながら進行する。彼の記憶として語られ
理解な執事という上司であり、同時に冷酷な息子で
るダーリントン・ホールでの執事時代は、父親の死、
もある。彼は、ミス・ケントンに、父親が年齢の割
ダーリントン卿のナチ協力、嘗ての同僚ミス・ケン
には無理な仕事を抱えすぎていると指摘されたと言
トンとの別れを中心に描かれる。一方、1956 年の現
うが、後になって、ダーリントン卿の言葉であった
在は、老境を迎えたスティーヴンスが英国西部地方
かもしれないと曖昧にしている。
‘these errors may be
へミス・ケントンを訪ねる 6 日間の旅物語として描
trivial in themselves, but you must yourself realize their
かれている。
larger significance.’ (60)
ここでスティーヴンスが曖
主要人物/語り手である執事スティーヴンスは、
昧に語る意図は、老齢にもかかわらず、父親を副執
いわば「現代英国」版 everyman である。その人生は、
事として任務につかせた自分の判断を複数の角度か
「偉大な執事」を仮面とする自己欺瞞に満ちたもの
ら検証することにあると思われる。
であることが明かされ、さらにダーリントン卿とい
彼は、1923 年の国際会議を回想しながら、執事人
う貴族政治家の偽善、そして「大英帝国」の幻影が
生の一大転機であったと述べ、執事職に徹した仕事
重ねられていく。結果、
『日の名残り』という小説は
ぶりを「偉大な執事たち」や、父に匹敵する「品格」を
帝国主義を解体するテキストとなっている。
垣間見せた瞬間であったのではないかと誇らしげに
語る。しかし、「偉大であった」と語る裏には、倒れ
「信頼できない語り手」
た父親を女中達に任せたまま看取らなかったことへ
イシグロの多くの作品に見られるように、
『日の名
の罪の意識があり、なおその罪を認め後悔するので
残り』のスティーヴンスの語りには、「嘘」、「食い違
はなく、
「品格」に徹したと述べることによって父に
い」、
「記憶の曖昧性」、「語りの欠落」がある。これら
残酷であった自己を弁解しているのである。
は、中心人物スティーヴンスの思い込みや、恣意性
スティーヴンスが献身的に仕えたダーリントン卿
によるものだが、
「信頼できない語り手」を特徴づけ
は、戦後、ナチに協力したことを糾弾されて社会的
る要素である。
に失墜し、失意のうちに亡くなる。主人ダーリント
スティーヴンスの慇懃な語りに見られる自己正当
ン卿のナチ協力は執事スティーヴンスのナチ協力で
化、自負心、思い込み、言い逃れ、曖昧性、一貫性
もある。その罪を逃れるために彼はダーリントン卿
に欠ける思考パターンなどは、彼の卑小さを浮き彫
の執事であったことを隠し、繰り返し「嘘」をつくこ
りにする。彼は「偉大な執事」として「品格」をも
とになる。
ち、自己犠牲、禁欲主義に徹してきたと過去を語る
一つ目の嘘は、アメリカ人のウェークフィールド
が、実は、父親に冷酷な息子であり、ナチ協力者ダ
2
1869 年は、スエズ運河完成の年である。スティーヴ
ンスが語る 1956 年 7 月は、スエズ動乱により、スエズ
運河が英仏の支配からエジプトによって国有化された
年である。このような時代設定からも、イシグロが大
英帝国の盛衰を念頭においていることが理解される。
ーリントン卿に執事として仕えた間接的ナチ協力者
であり、ミス・ケントンとの愛を無理解故に育むこ
とができなかった男である。
以下、この「信頼できない語り手」スティーヴンス
164
髙梨
光子
夫妻が屋敷を訪れた時の事である。夫人にダーリン
スティーヴンスは、ささやかな「嘘」は、ダーリ
トン卿の下で働いていたのだろうと聞かれ、これを
ントン卿の執事であったことから来る不快を回避す
否定する。‘Presumably you must have worked for him.’
るための方便だとして正当化し、卿に仕えたことを
‘I didn’t, madam, no.’ (123)
誇りに思っていると自らに言い聞かせている。
彼は旅の途中、ドーセット州へ入った直後、1 人
Darlington
was
a
gentleman
of
great
moral
の男の世話になるが、その時も、ダーリントン卿の
stature…and I am today nothing but proud and
下で働いていたことを否定する。
grateful to have been given such a privilege. (126)
I said: ‘Oh no, I
しかし、スティーヴンスが 35 年間、執事として仕え
am employed by Mr John Farraday, the American
てきた主人は、ナチ協力という大罪を犯したアマチ
gentleman who bought the house from the Darlington
ュア政治家に過ぎなかったのである。
He was eyeing me carefully again.
彼は、ダーリントン卿の執事であったことを一方
family.’ (120)
ダーリントン卿との関わりを知られること、つまり、
で自慢げに語り、一方で隠す。これは、ダーリント
ナチ協力との関わりを知られたくないという気持ち
ン卿のナチ協力が弁護しきれない事実であることを
が男の目が探るように見つめていた、という彼の語
認めていると同時に、ダーリントン卿を否定するこ
りに現れている。一方、彼は、これらの嘘は、ダー
とによって自分の歩んできた道を否定したくないと
リントン卿に仕えていたことを隠す為の嘘であった
いう相反する気持ちからである。
ことを遠まわしに認めている。
It is hardly my fault if his lordship’s life and work
…there seems little doubt that my conduct towards
have turned out today to look, at best, a sad waste-
Mrs Wakefield that day has an obvious relation to
and it is quite illogical that I should feel any regret or
what has just taken place this afternoon. (125)
shame on my own account. (201)
さらに彼は、モスクの村人たちにも嘘をつき、苦
そして、その事実を理解しようともせずに執事と
境に陥る。彼は、次のように村人たちに吹聴する。
して主人に仕えてきたことが、自分の罪であること
‘In fact, I tended to concern myself with international
も最終的には理解する。1923 年の国際会議による対
affairs more than domestic ones.
ドイツ緩和政策、1936 年の極秘会議はまさにナチス
Foreign policy, that
協力だが、それをダーリントン・ホールの栄光の歴
is to say.’ (187)
「外交政策」という言葉が思いもよらぬ効果となり、
史として繰り返し語り続けるところに彼のアンビバ
村人たちに畏敬の表情が浮かぶ。彼の自慢話はさら
レントな気持ちが反映されていると言えよう。
に続く。
こうしたスティーヴンスの執事人生は、ウェーク
…after all, to have consorted not just with Mr
フィールド夫人が「まがいもの」と指摘した食堂へ
Churchill, but with many other great leaders and men
の戸口を飾るアーチにアイロニックに象徴されてい
of influence-from America and from Europe. (188)
る。秘密会談が行われている間、彼は彼の持ち場で
ここまでくれば、ほら話だが、実際に彼が世界とい
あるこのアーチの下で、ご主人様のお役に立つため
う大舞台で演じたのは、ハリファックス卿が称賛す
に 2 時間も待機し続け、勝利感と高揚にひたってい
るほどに銀器を磨いておいたことや、デュポン氏の
た。
足にできたまめの世話をしたことなどである。しか
…the position near the entrance arch that I
し、彼は村人たちに対し、執事として、このような
customarily took up during important meetings-and
ささやかな役割を果たしただけであることは「言わ
was not obliged to move from it again until some two
ない」。村人たちが本物の紳士だと尊敬するカーライ
hours later,…. (217)
ル医師との対話では、つい執事の癖が出て、
「カーラ
しかし、その「勝利感と高揚」が完全に的外れの
イル様」と付け足しそうになり、苦労したと本音を
ものであることが、レジナルド・カーディナルによ
もらしている。
って明かされている。‘Are you content, Stevens,’ he
165
「信頼できない語り手」による比喩世界
said finally, ‘to watch his lordship go over the precipice
‘Although I have no idea how I shall usefully fill the
それでもスティーヴンスは、心
remainder of my life…’ And again, elsewhere, she
just like that?’ (224)
を動かされることはなかった。
writes: ‘The rest of my life stretches out as an
…the most powerful gentlemen of Europe were
emptiness before me.’ (49)
conferring over the fate of our continent.
Who
しかし、旅の 3 日目の朝には、出立時の読みとは
would doubt at that moment that I had indeed come as
食い違ってきていることを認め、ミス・ケントンが
close to the great hub of things as any butler could
そのように望んでいると自分が勝手に解釈している
wish? (227)
だけなのかもしれないと曖昧に語る。
スティーヴンスは絶対的服従を執事の「品格」と考
For I must say I was a little surprised last night at how
えたが、道徳的判断を欠いた服従は「まがいもの」
difficult it was actually to point to any passage which
でしかない。
clearly demonstrated her wish to return. (140)
最後に、ダーリントン・ホールで働いていた有能
その同じ夜、スティーヴンスはミス・ケントンと
な女中頭ミス・ケントンとの関係を精察する。ミス・
の 20 年ぶりの再会を思いながら、再び手紙を読み返
ケントンの手紙の読みに生じる「食い違い」からも、
すが、ここでは、自分の深読みであったことを認め
読者は語り手への信頼を失うことになる。
ている。
…along with its long, rather unrevealing passages, an
…I am inclined to believe I may well have read more
unmistakable nostalgia for Darlington Hall,…distinct
into certain of her lines than perhaps was wise. (180)
hints of her desire to return here, obliged me to see my
4 日目、彼はミス・ケントンに再会する。ミス・
ケントンは虚無感を否定し、彼の思い込みであった
staff plan afresh. (9)
彼は、ミス・ケントンの手紙から彼女がダーリント
ことが明らかになる。
ン・ホールにノスタルジーを抱いており、戻ってき
‘Really, Mr Stevens,’ she said, also laughing a little.
たいという願望があると思い込む。さらに、その手
‘I couldn’t have written any such thing.’ … Let me
紙がダーリントン・ホールでの職務上の問題に関す
assure you, Mr Stevens, my life does not stretch out
る意識を誘発させたのだと、彼女に会いたいという
emptily before me.
気持ちが露にならないように断りを入れるところに
forward to the grandchild.
彼の虚栄と欺瞞が見られる。そして、西部地方への
perhaps.’ (236)
For one thing, we are looking
The first of a few
旅行の途中、ミス・ケントンに会い、直接彼女の意
スティーヴンスが手紙の中に読んでいたのは、彼自
思を確かめるという計画を立てているうちに、空想
身の内面の投影だったのである。これからの人生が
は確信に変わっていく。
虚無となって広がっているのは、実はミス・ケント
I have, I should make clear, reread Miss Kenton’s
ンではなくて、スティーヴンス自身なのである。ミ
recent letter several times, and there is no possibility I
ス・ケントンについて彼が想像していたものは、自
am merely imagining the presence of these hints on
分にとって都合のよい彼女の「不幸」であったよう
her part. (10)
だ。ミス・ケントンとの再会によって、スティーヴ
一方、いざファラディ氏になぜ西部地方を選んだ
ンス自身にも、また読者にも、他者に自己投影する
という彼の精神的傾向が明らかとなる。
のか告げる段になって、ミス・ケントンが屋敷に戻
りたがっているかどうか確実ではないが、と言って
‘…But the fact is, the letters I have had from you over
いる。こうした食い違いによって読者は、語り手ス
the years, and in particular the last letter, have tended
ティーヴンスが「信頼できない」と再び気づくこと
to suggest that you are-how might one put it?-
になる。
rather unhappy.
旅の 2 日目、彼はミス・ケントンの手紙に、彼女
I simply wondered if you were being
ill-treated in some way….’ (237-238)
の虚無感を読み取っている。
ミス・ケントンとの再会後、5 日目の語りが欠落
166
髙梨
光子
している。正確には、スティーヴンスがミス・ケン
『日の名残り』においては、英国を象徴する貴族、
トンに再会した後の 4 日目の午後から桟橋で見知ら
そして貴族が住まう館、そこに付属する執事によっ
ぬ男と話をする 6 日目の夜までの時間である。この
て、
「古きよき時代」としての大英帝国が再現される。
欠落した時間は、
「偉大な執事」を自負する彼が「執
しかし、この執事が自分を見失い、自己欺瞞に満ち
事職を脱ぎ捨てた」時間であったと思われる。
「偉大
た人間であるということに読者が気づくにつれ、輝
な執事」について、スティーヴンスはかつて次のよ
かしい栄光の大英帝国は個人を歪め、人間の「品格
うに言っていた。
(尊厳)」を損なう社会システムとして批判の対象と
…he will not let ruffians or circumstance tear it off
なり、最終的に否定されていく。同時に、
「偉大な執
him in the public gaze; he will discard it when, and
事」も「大英帝国」も我々の空想の産物であるとい
only when, he wills to do so, and this will invariably
うことを読者は小説を読むという行為によって体験
be when he is entirely alone. (43)
的に理解することになる。
彼は、ミス・ケントンとの再会を果たした後、人の
英国的なるものとして漠然と思い浮かぶものに王
目のないところで、執事の仮面を脱ぎ捨て、悲しみ
権、階級、伝統、教養、体面を重んじる習慣などが
に打ちひしがれていたということなのだろう。しか
ある。その背景には帝国という覇権と秩序、帝王(国
し、桟橋での落涙の場面で、その努力も無に帰す。5
王)を頂点とし、貴族、平民、さらには植民地にお
日目の語りの欠落は、繰り返し嘘を重ねてきたステ
ける「サバルタン」、現地住民、奴隷に至るまでの封
ィーヴンスが、自らの愚かさに気づき、もはや嘘さ
建的階級制度がある。貴族も執事もこれを維持する
えもつけず寡言の人となったことの表れであろう。
装置の一つであると言える。とすれば、ダーリント
スティーヴンスにとって 6 日間の旅は、自らの思
ン卿の noblesse oblige やスティーヴンスの「偉大な
惑を大きく裏切り、その本性を曝け出す結果となっ
執事」の定義もこの装置を作動させるためのお題目
た。思い込みや矛盾の多い語りは執事職に徹し、外
ということになろうか。
の世界で実際に起こっていることから逃避してきた
まず、スティーヴンスの「偉大な執事」の定義を
結果であると同時に、自らの過去を辿り、愚かさや
起点に、彼の自己イメージと読者が読み直すスティ
罪と責任問題に気づき、
「告白」の必要と、それを阻
ーヴンスという人間を対比させながら考察する。ス
む気持ちとの葛藤ゆえでもある。
ティーヴンスは、執事職が身にまとうべき「体面」
「信頼できない語り手」スティーヴンスの素顔は、
彼自身の語りによって投影された世界から想像する
に捕らわれ、
「本質」を見失った一人の人間として描
かれている。
以外にはない。一人称の語りでありながら、それを
彼は「偉大な執事」について、It is, as I say, a matter
「信頼できない語り」にすることによって、イシグ
of ‘dignity’. (43)
ロは語り手が歪曲し、隠蔽しようとする事柄につい
この‘dignity’の実践躬行だが、それは、ダーリント
ての情報を間接的に伝えている。読者に求められて
ン卿への誤った忠誠となって表れる。彼は、ミスタ
いるのはそれらの情報を整理し、スティーヴンスと
ー・スペンサーから世界経済について質問を受けた
いう人間を語り直すことであると言えよう。
時、‘but I am unable to be of assistance on this matter.’
(195)
と定義している。彼の執事人生は、
と答える。スティーヴンスは、ダーリントン
大英帝国のメタファーとしての『日の名残り』
卿が求めているのが「無知な従僕」であることをす
前段では、イシグロが「中心人物=信頼できない
ばやく読み取り、これを演じているつもりなのだが、
語り手」の物語を読み直すことを読者に促している
実は経済問題には疎く、質問の意味さえ解さなかっ
と論じた。後段では、中心人物の執事スティーヴン
たと思われる。こうした言動が、ダーリントン卿の
スによって語られた自分史という物語も、また、読
ような特権階級の傲慢と民衆卑下を助長させるのだ
者が読み直すスティーヴンスという人間の物語も、
と読者は理解することになる。
大英帝国のメタファーであることを論証したい。
彼の忠誠は、ダーリントン卿がユダヤ人の召使を
167
「信頼できない語り手」による比喩世界
ダーリントン卿が、ドイツ人の友人の窮境を救い
解雇した時にも、その誤りを露呈する。スティーヴ
ンスは、本心では解雇に反対であったと言いながら、
たいという個人的な思いからドイツ救済を求め、国
解雇は罪であると激しく反対するミス・ケントンに
家レベルの政治問題として、自らの屋敷で非公式会
対して、職業上の義務は、ご主人様の意志に従うこ
議を開くというところに彼の浅慮と傲慢がある。そ
とであると言う。彼は、6 年以上も屋敷のために働
れは、
『わたしたちが孤児だったころ』の中心人物ク
いた召使を主人の言いつけ通りに解雇する。それは
リストファー・バンクスを彷彿させる。彼も、自分
人間としての道徳的判断停止を意味する。こうした
こそが上海に平和をもたらすのだと考える無邪気で
スティーヴンスの傾向は父親との関係にも表れてい
傲慢、かつ、誇大妄想的な人物である。こうした個
る。
人の精神的傾向の集積も帝国主義の特質であること
が、
『日の名残り』という小説で明らかにされていく。
1923 年、ダーリントン・ホールで開かれた国際会
議では、「偉大な執事たち」や、父に匹敵する「品格」
アメリカ人ルーイスが指摘するように、ダーリン
を垣間見せた瞬間があったのではないかと彼は誇ら
トン卿のアマチュアリズムはナチズムを助長し、世
しげに語る。しかし、彼が実際に取った行動は、死
界の危機を加速させる。ダーリントン卿の最期は、
に直面している父親を見捨て、職務を優先するとい
全盛期とは裏腹に、惨めなものであった。戦後、ダ
う冷酷なものである。そのような滅私奉公の結果、
ーリントン卿のナチ協力に対する非難は厳しく、訴
父の死を看取らなかったのである。国際会議後の宴
えを起こしたが敗訴となり、全盛期の名誉は永遠に
席で、彼は父親の最期を思い、涙をこらえながら、
汚され、ダーリントン卿は廃人同様になってしまっ
客にワインを注いで回る。これを執事の「品格」と言
た。スティーヴンスが語る「誇り高き英国貴族」、ダ
えようか。
ーリントン卿は、実は「無能なアマチュア政治家」に
スティーヴンスの滅私奉公を称賛することは出来
過ぎなかったのである。
ない。そこには冷酷さと愚かさしかない。このよう
貴族の館ダーリントン・ホールの盛衰も、大英帝国
な人間を作り出すのが「大英帝国」というシステム
のメタファーである。2 世紀に及ぶ歴史あるダーリ
であると言えよう。
ントン・ホールには、全盛期には 28 人の召使が雇わ
スティーヴンスが献身的に仕えたダーリントン卿
れていたが、スティーヴンスの時には 17 人となって
もまた、
「大英帝国」のメタファーであると考えられ
いた。宴会場では、盛大な晩餐会が頻繁に催された
る。スティーヴンスが伝えようとするダーリントン
時代もあったが、20 世紀に入ってからは既述の国際
卿のイメージと筆者が読み取るダーリントン卿とい
会議が、それも非公式で 2 回開かれただけである。
う人間を比較考察する。
そして、ダーリントン卿失墜の後、この貴族の館は
ダーリントン卿は、ヴェルサイユ条約が敗戦国ド
繁栄の幕を降ろすことになる。1956 年には、戦後の
イツにとって屈辱的なものであり、英国にとっても
アメリカ帝国の台頭を象徴するように、アメリカ人
不名誉この上ないと考えていた。彼は、1923 年のス
のファラディ氏に売却される。この時点まで残って
イスでの国際会議に先立ってダーリントン・ホール
いた使用人は、スティーヴンスの他に僅か1人だけ
で非公式会議を開き、ヴェルサイユ条約の過酷な条
であった。
項を改定しようと試みる。彼は、道徳的観点からド
嘗て『ブリタニカ』全巻が置かれていた場所には、
イツへの制裁措置の緩和を訴えた。さらに 1936 年に
ファラディ氏の装飾品を収めたガラスのキャビネッ
は、ダーリントン・ホールで駐英ドイツ大使と英国
トが置かれ、宴会場も美術品の展示室となった。国
首相らを交えた極秘会議を開く。しかし、こうした
家の大事に関わる議論が行われた貴族の館は、ファ
ことは、ダーリントン卿、さらには英国政府のナチ
ラディ氏の趣味としての「古き英国」博物館に様変
協力を意味する。ダーリントン卿が、ドイツへ何度
わりする。このように、ダーリントン・ホールの変
か行き、ナチの歓迎を受けていたこと、2 人のユダ
容は大英帝国盛衰のメタファーであると言える。
ヤ人召使解雇も彼のナチとの関係を示す例である。
スティーヴンスの「老い」、そして、父ウィリアム
168
髙梨
光子
の「老い」もまた、大英帝国衰退のメタファーであ
を得てきた。そして、彼がナチ協力に関わっていた
る。老いた父親ウィリアムの姿は、後年、スティー
ことへの責任は放棄してきたのである。しかし、イ
ヴンスの姿に重なる。ミス・ケントンは、ウィリア
シグロは、自分なりの判断ができなかった人間、執
ムが、お盆を持って食堂へ向う途中、スープ・ボウ
事スティーヴンスも、後年、自分の倫理的責任が自
ルの上に、鼻の先から大きな水玉をぶら下げている
分の仕える人間と結びついていることを認めるに至
のを見る。ミス・ケントンがスティーヴンスに告げた
ったと述べている。
このウィリアムの姿は、自身の「老い」を認め、桟
…whether my life was a waste or whether it was a
橋で見知らぬ男にハンカチを差し出されるスティー
good thing, now, he sees, depends so much on whether
ヴンスの姿である。ダーリントン卿にすべてを捧げ
his master, Lord Darlington, was behaving in an
てきた人生を振り返り、誤りであったことに気づき、
admirable and useful way or not.
虚無感に打ちひしがれ、無力さを嘆くスティーヴン
realizes that actually, the moral character of his own
スに男は言う。
life is intricately linked with that of the person he
‘You’ve got to enjoy yourself.
The evening’s the
Very late he
offered his service to. (206)
best part of the day. You’ve done your day’s work.
戦前の階級社会、そして戦後の激しく変動する社会
Now you can put your feet up and enjoy it.
That’s
に翻弄されてきた一人の人間を、イシグロは糾弾す
Ask anybody, they’ll all tell you.
ることはない。彼の「老い」が同情をもたらすとい
how I look at it.
うだけでなく、スティーヴンスの回想物語が自己検
The evening’s the best part of the day.’ (244)
男が言う夕方とは人生の「夕暮れ時」、つまり「老い」
証、自己審判であり、敢えて語ることに彼の良心を
のメタファーであり、帝国の幕を閉じた英国のメタ
見ることができるからだ。この延長線上において、
ファーでもある。小説のタイトル『日の名残り』の
『日の名残り』はスティーヴンスの身の処し方だけ
意味するものであることは言うまでもない。
でなく、英国の自己検証と責任の取り方を示す小説
これまで見てきたように、「偉大な執事」、貴族ダ
であると言えよう。ナイトの称号を得て、今や英国
ーリントン卿、ダーリントン・ホール、執事父子、そ
文壇を代表する作家イシグロは、こうした小説を書
して、
『日の名残り』という小説のタイトルすべてが
くことによって、帝国以後の英国のあり方を自ら実
大英帝国のメタファーとなっている。
践していることになる。
自己犠牲、自己抑制、禁欲的であることを自ら美
文学がパフォーマティヴ(行為遂行的)であるこ
徳とし、執事としての「品格」に拘り続けたスティ
とを、ジョナサン・カラーは次のように説明してい
ーヴンスの過去はあまりにも愚かであった。主体的
る。
に考えることもなく、ただひたすら職務を優先し、
The literary utterance too creates the state of affairs
父に冷淡であり、ミス・ケントンの愛を受け入れる
to which it refers, in several respects.
こともなかった。ダーリントン卿のナチ協力を目撃
most simply, it brings into being characters and their
しながら、その重大さは理解せず、人道的判断もで
actions, for instance…. Second, literary works bring
きなかった。
「偉大なる執事」に拘り続けた彼は、ナ
into being ideas, concepts, which they deploy….
チに協力する主人を助けるという大きな過ちを犯し
In short, the performative brings to centre stage a
たのであり、人間としての責任は大きい。
use of language previously considered marginal-an
イシグロは、
『ナイン・インタビューズ
First and
柴田元幸
active, world-making use of language, which
と 9 人の作家たち』で、個人の責任問題に洞察の目
resembles literary language-and helps us to
を向け、But often we abandon the responsibility of how
conceive of literature as act or event.
our contribution will be used. (202)
と語っている。ス
The notion of
literature as performative contributes to a defense of
ティーヴンスは、執事であることに徹し、ささやか
literature: literature is not frivolous
な仕事をきちんと成し遂げることでプライドや尊厳
pseudo-statements but takes its place among the acts
169
「信頼できない語り手」による比喩世界
of language that transform the world, bringing into
において、悦子、小野、スティーヴンス、ライダー、
being the things that they name. (96)
バンクス、キャシー・Hと、新たな語り手を創造し
パフォーマティヴ理論は、文学が単に何であるのか、
「信頼できない語り手」の技法を進化させてきた。
何を説明しているのかではなく、出来事や行為その
『日の名残り』まではリアリズムの語りである。
ものであると主張する。
『日の名残り』は場を英国貴
しかし、
『わたしたちが孤児だったころ』では、心理
族の館に設定し、執事を主要登場人物として「古き
小説やファンタジーの語りが多く導入されている。
よき時代の英国」を現出させる。さらにイシグロは
一つの小説は一つのスタイルで貫かれているという
「信頼できない語り」により、一旦は構築された世
通念から考えると大きな変化である。さらに、パラ
界を解体する。
「古きよき時代の英国」は封建制社会
ノイア的な語り手は、周りの世界までも語り手の論
という非人間的制度、ナチ協力という反モラルを体
理に合わせて変えてしまう。従来の、語り手の内面
現するものへと転換される。その上で、登場人物、
世界対外界(=現実世界)という捉え方も変更を迫
作家、読者の責任の取り方を実践する。このように、
られる。こうした語りの変容は、両作品の間に書か
文学は、単なるコンスタティヴな発話ではなく、概
れた『充たされざる者』のカフカ的な語りを通過し
念を現出し、行動し、世界を変容させる「行為」な
たことによると思われる。
のである。イシグロは、
『日の名残り』において、こ
さらに、
『わたしを離さないで』は遺伝子工学が発
うした文学の力を示したと言えよう。
達した近未来ディストピアを描いた小説だが、
「クロ
ーン人間」、
「子供」という「信頼できない語り手」
結論
による現代社会のメタファーとなっている。このよ
『日の名残り』では語り手の意図に反し、貴族の
うに、イシグロは、常に新しい「声」を生み出し、
館を舞台に語り上げられた「古きよき時代」として
作品に反映させている。イシグロは、柴田とのイン
の英国も語り手の「品格」ある自画像も、帝国主義、
タビューにおいても、それが作家の努めるべきこと
植民地主義、封建的階級制の反人間性を示すもの、
であると述べている。(218)
そして、ナチ協力に至る個人の非人道性へと読みか
『日の名残り』をいかに読むかについて、イーグ
えられていく。
ルストンの Doing English: A Guide for Literature
「信頼できない語り手」と言えば、ドストエフス
Students は、筆者に重要な示唆を与えてくれた。
キーやヘンリー・ジェイムズが想起される。彼らの
English deals with texts, certainly, but not just with
作品に見る「信頼できない語り手」は、人間心理の
what we read.
探求と物語の構築において革新的であった。イシグ
concerned with the interpretation of texts and ideas
ロの「信頼できない語り手」は、さらにポストコロ
that arise from interpretation. (137)
It also explores how we read.
It is
ニアル、ポストモダンの時代に相応しい変容を遂げ
さらに、ミッシェル・ド・モンテーニュに言及し、
ていると言えよう。
「解釈を解釈すること」の重要性を述べている。
イシグロは、先ず語り手に「古きよき時代」の英
…‘we need to interpret interpretations more than we
国を語らせるが、それが語り手自らの内面の投影で
interpret things’, and how we interpret texts, whether
あることを間接的に明らかにし、彼の自画像も英国
they are novels, TV advertisements, political speeches
も虚像として崩壊させていく。このような読書経験
(or anything), is absolutely central to the world today.
を通じて、読者は帝国主義や戦争も、一人一人が大
(137)
義や幻影を抱き、語ることで、現出し、遂行される
イーグルストンに従えば、『日の名残り』を「古き
のではないかという思いに導かれる。
よき時代」への郷愁の物語として読むこと、老境を
『遠い山なみの光』から『わたしを離さないで』
むかえた男女が再会し、かつての淡い思いを語り合
に至るまで、イシグロの小説はすべて「信頼できな
い、実らなかった恋愛を思う物語として読むこと、
い語り手」による回想物語である。それぞれの作品
そこに現れた読者の大英帝国的なるものに対する憧
170
髙梨
憬が問題だということになる。
光子
2006
_____
帝国による戦争は悪であると、既に歴史学習は済
んでいるにも関わらず、我々の現代世界において帝
論社
国主義も戦争も終わる気配はない。その原因につい
_____
飛田茂雄訳
_____
といった領域において、様々な説明が試みられてき
古賀林幸訳
学による説明の試みと言えるであろう。イシグロは、
_____
入江真佐子訳
中
『わたしたちが孤児だ
早川書房
2000
土屋政雄訳
早川書房
われわれの心の底にある、帝国主義や植民地主義へ
『充たされざる者』
1997
ったころ』
た。今回取り上げたイシグロの『日の名残り』は文
中央公
1988
央公論社
て、経済、政治、イデオロギー、民族、宗教、文明
『浮世の画家』
『わたしを離さないで』
2006
の憧れや郷愁がいかに愚かなものであるか、同時に
いかに拭いがたいものであるかを、執事スティーヴ
〈二次資料〉
ンスを通して描いてみせた。スティーヴブンスは時
Culler, Jonathan. Literary Theory: A Very Short
代錯誤も甚だしい noblesse oblige と騎士道精神から
Introduction.
ナチ協力に走る無能貴族に仕えたが、最終的には、
New York: Oxford UP, 1997.
Eaglestone, Robert. Doing English: A Guide for
自らの過ちに気付き、少なくとも過去への思いは断
Literature Students. London: Routledge, 2002.
イーグルストン、ロバート
ち切ろうとする。偉大で美しい大英帝国の幻影に憧
れていた自分に気付き、文字通り、涙ながらに、そ
とは何か』
の思いを断ち切ろうとするのである。それは非常に
カラー、ジョナサン
学理論』
ささやかなことではあるが、一人のごく普通の人間
研究社
川口喬一訳
2003
荒木映子
岩波書店
富山太佳夫訳 『文
2006
柴田元幸編訳『ナイン・インタビューズ
の帝国主義の乗り越えである。グローバリゼーショ
と 9 人の作家たち』
ンという名の帝国主義の時代にあって、我々は道義
アルク
2004
的責任を回避するのか、あるいは引き受けていくの
か、作家イシグロの模索は続く。
(Received: September 30, 2008)
(Issued in internet Edition: November 1, 2008)
参考資料
〈一次資料〉
Ishiguro, Kazuo. An Artist of the Floating World.
London: Faber and Faber, 2001.
_____. A Pale View of Hills.
New York: Random
House, 1982.
_____. Never Let Me Go.
London: Faber and Faber,
2005.
_____. The Remains of The Day.
New York: Knopf,
1989.
_____. When We Were Orphans.
London: Faber and
Faber, 2000.
イシグロ・カズオ 小野寺健訳 『遠い山並みの光』
早川書房 2001
____ 土屋政雄訳 『日の名残り』 早川書房
171
『英文学
柴田元幸