第12号 - 多賀工業会東京支部

2009年 第12 号
************
報
告 第 29 回 東 京支 部総 会開 催 のご 案内
目 次
************
············································································ 1
····························································· 石川
講 演 会の 講師 と概 要紹 介
久··············· 1
東 京 支部 長挨 拶
(第 28 回 総 会に 当た って )
総 会 出席 者名 簿
··········································································· ····························· 2
第 28 回 東 京支 部総 会報 告
····························· 近江 義勝··············· 2
··························································· 田中 栄太郎 ············ 3
総 会 時の 講演 概要 (講師:日置 秀明氏、(株)東芝 電力システム社 原子力システム設計部の主幹)
·················································· 菅谷 禎男··············· 4
( 演 題: 地球 環境 と原 子力 )
平 成 20 年 度東 京支 部会 計報 告
平 成 21 年 度東 京支 部予 算案
随
··················································································· 5
······················································································ 5
筆 嬉し くな い思 い出 ········································································ 田島 廣一··············· 6
·························································· 矢野 睦男··············· 7
マ ス ター ズ水 泳と 健康 管理
····························································· 栗原 功幸··············· 8
” 感 動” トラ イア スロ ン
ゴ ル フマ ナー に学 ぶこ と
······························································ 小林
一················9
··········································································· 菅野 義裕
サ ッ カー の裏 話
·························································· 笹島
能 樂 「金 春流 」と の出 会い
···········10
晃··············11
·············································································· 小滝 麟太郎 ···········12
生 涯 現役 人生
四 半 世紀 回顧 録
··········································································· 仲澤
斉 ··············13
インタビュ−記事(活躍人訪問) 海老原 雄二氏
············································· インタビューア・小林
渡···············14
支部めぐり 静岡支 部の 紹介 ········································································ 高田
勲··············16
予 防 に勝 る治 療な し
協 賛 広告
お知らせ 会報 題字 変更
···················· 上野精養軒
経 緯と 揮毫 者紹 介 ··················································· 会報編集室··············17
·························································· 上月 秀俊··············17
会 費 納入 に関 する 調査 報告
平 成 20 年 度会 費納 入者
······························································· 会報編集室··············18
·················································································· 田中 栄太郎 ···········20
囲 碁 同好 会
旧 制 水戸 高等 学校 と親 善囲 碁大 会
山遊会
··································································16
········································· 高田 丈夫··············21
························································································ 菅谷 禎男··············21
ゴ ル フ同 好会
写 真 同好 会
·············································································· 小澤
茂··············23
················································································· 小林
渡··············24
総 会 時写 真出 展者 名簿 と出 展作 品 リス ト
こ う がく 祭写 真展 示会 見学 記
快 舞 会( ダン ス同 好会 )
編 集 後記
················································ 石川
久··············26
····························································· 瀬在 城雄··············27
···················································································· ····························27
多 賀 工業 会東 京支 部
協 賛 広告
組織 体制 と 担当 役務
···················· 大協印刷
多 賀 工業 会東 京支 部会 則
協 賛 広告
····························································25
·································· ····························28
·····································································28
······················································································· 表 3
··························· ソフトロニクス・サイバーリンクス・新世代加工システム···········表 4
表 紙 の 説 明 : ア ンダ マン の 夕陽 (撮影 2007 年 2 月。
)
ア ン ダ マ ン海 は マ レー 半 島 西岸 の タ イ、 ミ ャ ンマ ー と ジャ ワ 島と の 間 の海 域 で 海と
夕 日 の美 しさ で知 られ てい ます 。
「ア ンダ マン の真 珠」と呼 ばれ るプ ー ケッ トは リゾ ー
ト 地 で す が、 そ の 北の ミ ャ ンマ ー と の国 境 の町 ラ ヨ ーン で 撮 った の が この 写 真で す 。
ち ょ う ど 通り か か った 祭 り 帰り の 女 性を 点 景に 夕 陽 の美 し さ を表 現 し てみ ま した 。 地
震 と 津波 から すで に復 旧し て静 か な町 の雰 囲気 を取 り戻 して いる か に見 えま した 。
三好
表 紙 の 題 字 : 小澤
茂
成 實( 昭 39 学 機 )
会 員 ( 昭 43 学 子 ) → 17 頁 に題 字 変更 関連 記事
第 29 回多賀工 業会東京支部総会開催 のご案内
1.日
2.場
時
所
平成 21 年 10 月 17 日(土)午後 3 時から
上野精養軒(右図参照)
東京都台東区上野公園 4-58
電話 03-3821-2181(代表)
交
通
:JR上野駅公園口下車徒歩 5 分
:京成線京成上野駅下車徒歩 5 分
:東京メトロ銀座線日比谷線上野駅下車
西郷隆盛像から徒歩 5 分
3. 会 費 10,000 円(当日受付にて申し受けます)
4.総 会 午後 3 時∼午後 4 時
5. 講演会 午後 4 時∼午後 5 時
演題「光ファイバ通信の現状と今後の動向」
講師 堀口 正治(昭 44 学子)氏
茨城工業高等専門学校講師
工学博士
講師略歴等は下記をご覧下さい。
午後 5 時 00 分∼7 時ごろまで
総会の会場内に展示します。
(写真部員以外の会員からの出展をお待ちしております)
8.お願い 出欠のご返事は 10 月 2 日(金)までに同封のハガキにてお願いします。
なお、出欠にかかわらず、お手数でも同封の振込用紙にて、年会費 2,000 円を
お振込みくださるようお願い申し上げます。
9.お問い合わせ先
駒場 方耀 (昭 38 学機)TEL : 042-665-8387
広瀬 行一 (昭 38 学電)TEL : 0297-78-8737
6. 懇親会
7. 写真展
講演
演題と講演概要
講師:堀口 正治氏
(昭 44 学 子 、46 院 子 )
茨城工業高等専門学校講師
工学博士
「 光 フ ァ イ バ 通 信の 現 状 と 今 後の 動 向」
写
真
∼その歴史的発展と今後の課題∼
1 9 6 0年 に レ ー ザ が 発 明 さ れ て 以 来 、19 7 0年 代 に 入 り 相 次 い で 低 損
失光ファイバと室温連続発振の半導体レーザが開発された結果、光
ファイバ通信実現の可能性が見出されました。そして、講師らの研
究 努 力 に よ り 、光 フ ァ イ バ に よ る 極 め て 低 損 失 で 大 容 量 の 光 伝 送 波
長 帯 が 開 発 さ れ 、世 界 中 に 光 フ ァ イ バ 通 信 網 が 構 築 さ れ ま し た 。光
ファイバ通信が今日のインターネットの繁栄に繋がる多大な貢献
をしていることは会員の皆様の広く知るところであります。
講 演 で は 光 フ ァ イ バ の 基 本 的 な 概 念 と 特 徴 に 始 ま り 、光 フ ァ イ バ
技術の歴史的な発展過程においてターニングポイントとなった技
術 革 新 を 解 説 し 、そ の な か で 、講 師 が 研 究 さ れ た「 光 フ ァ イ バ 伝 送
に お け る 長 波 長 帯 の 開 拓 」に つ い て そ の 一 端 を 紹 介 し て も ら い ま す 。
さ ら に 、 FTTH (Fi be r To The H om e) や NGN(Ne xt Ge ne ra ti on
Ne two rk) 構 想 な ど 、 光 フ ァ イ バ 通 信 と イ ン タ ー ネ ッ ト の か か わ り
に つ い て 今 後 の 動 向 と 課 題 に つ い て も 言 及 し 、結 び と す る 予 定 で す 。
〔 紹 介 者 : 石 川 久 ( 昭 4 4学 子 ) 〕
(1 )
講師情報
経 歴 : 元 NT T 光 エ レ ク ト
ロニクス研究所
主幹研究員
趣味:旅行、写真、
ゴルフ、将棋
賞 : IE E 最優秀論文賞、電子通
信学会業績賞、科学技術庁長官賞他
会報:本誌第 8 号
( 20 0 5 年 8 月 発 行 )
活躍人訪問に登場
わっ た頃に順 序を間違え られたので はないか” と
の問 ですが 、昭和 17 年当 時から現在 の通りです 。」
東京 支部の現 況を申しま すと、本日 出席予定 者
は昨 年より 10%UP の約 90 名です。総会出欠 葉書
を出 してくれ た人の数は 昨年よ り 36 名少な くな
りま した。ま た年会費納 入は本日ま でのとこ ろ、
昨年 より 10%少ない 状況です。尚一 層のご協 力を
お願 いいたし ます。
本日 は楽しく 語り合い、 飲みましょ う。これ を
もっ てご挨拶 といたしま す。
第 28 回東京支部総会
支部長の挨拶
支 部長
近江 義勝 (昭 28 学 電)
本部 より 木 曽 正 明 (昭 29 学 電 )副会長 、また
北は 仙台、南 は中部支部 の幹事諸兄 にご参加 頂き
有難 うござい ました。厚 く御礼申し 上げます 。総
会に 先立ちま して本年不 幸にして他 界されま した
16 名 (工専 13 名 、学部 3 名)の諸 兄に黙祷 を捧
げた いと思い ます。・・・(黙祷 )・・・
今年 は異常気 象、石油高 騰、年金問 題、金融不
安な 一年でし た。
会報 11 号 で原動 19 年 卒の藤 田先輩から“吼洋
寮寮 歌の 3 番 と 4 番の歌 詞の順序が 逆になって い
るの ではない か”とのご 指摘があり ました。
これ に対して 早速金 属 19 年卒の福 水先輩か ら
下記 のような お手紙を頂 きました。
「昭 和 17 年 入学時にレ コードが発 売されて い
ます 。その 時の歌詞も 現在と同じ です。
“大学 に変
総会出席者 :( 敬 称 略 )
<来賓> 9名
木曽 正明 本部
檜山
上田
内山
高田
邦良
正雄
岩男
勲
副会長
(昭 29 学電)
千葉県支部 支部長(昭 30 学機)
埼玉支部 支部長(昭 37 学電)
水戸勝田支部 支部長(昭 30 学電)
静岡支部 支部長 (昭 37 学機)
<会員> 74 名
田邊 良美 (昭 17 専金)
依田 連平 (昭 17 専金)
菅原 庄一 (昭 18 専機)
玉川 信二 (昭 28 学電)
藤田 史郎 (昭 28 学電)
照沼
清 (昭 29 学金)
宮崎 至誠 (昭 18 専機)
山田
実 (昭 18 専金)
杤本 二郎 (昭 19 専原)
藤田
勲 (昭 19 専原)
佐藤 久弥 (昭 30 学機)
石川 英二 (昭 30 学原)
鈴木 日出男(昭 30 学原)
三本木 武 (昭 30 学金)
(昭 19 専精)
(昭 20 専精)
(昭 22 専通)
(昭 23 専原)
瀬在
山崎
國井
矢野
城雄 (昭 31 学原)
慎一郎(昭 31 学原)
榮次 (昭 32 学機)
睦男 (昭 32 学原)
斉田 耕平 (昭 23 教電)
小峰
弘 (昭 24 専舶)
渡邊
貢 (昭 26 専原)
菊地 玲二 (昭 26 専通)
田口
田崎
山下
粕谷
嘉男
耕八
正明
宏夫
高田 丈夫 (昭 28 学機)
小白井 和典(昭 28 学機)
柳沢
裕 (昭 28 学原)
近江 義勝 (昭 28 学電)
高野 久弘 (昭 35 学機)
上月 秀俊 (昭 36 学機)
小宅
仁 (昭 36 学電)
上田 正雄 (昭 37 学電)
柳田
田島
幸道
飯島
裕美
廣一
貞一
公正
(昭 32 学電)
(昭 32 学電)
(昭 32 学電)
(昭 34 学原)
(2 )
支部長(昭 33 学原)
滝
宏
栃木県支部
相原
菅谷
木曽
一彦
伸夫
正明
仙台支部 副幹事長(昭 54 学機)
中部支部 幹事長 (昭 45 学機)
兼務 日立綜合支部支部長代理
阿部 徳治 (昭 37 学化)
小林
一 (昭 38 学機)
駒場 方耀 (昭 38 学機)
中村 好秀 (昭 38 学機)
兼子 八郎 (昭 38 学電)
小林
渡 (昭 38 学電)
橘
弘 (昭 38 学電)
寺内 賢一 (昭 38 学電)
広瀬 行一 (昭 38 学電)
海老原 雄二(昭 38 学金)
白石 道彦 (昭 38 学化)
高木 二郎 (昭 38 学化)
磯部
亮 (昭 38 学精)
黒羽
昇 (昭 38 学精)
矢嶋 國男 (昭 38 学精)
三好 成實 (昭 39 学機)
原
俊彦 (昭 39 学電)
佐藤 道夫 (昭 40 学機)
田中 栄太郎(昭 40 学化)
大泉 雅靖 (昭 40 学精)
堀野 州男 (昭 40 学精)
青野
潔 (昭 41 学化)
高橋 徹男
菅谷 禎男
下ノ村 勇
遠藤 義和
(昭 41 学精)
(昭 42 学機)
(昭 42 学精)
(昭 43 学機)
後藤 豊弘 (昭 43 学電)
小澤
茂 (昭 43 学子)
鈴木 弘道 (昭 43 学子)
石川
久 (昭 44 学子)
堀口 正治 (昭 44 学子)
小滝 麟太郎(昭 45 学電)
飯塚 英一 (昭 46 学電)
高田
洋 (昭 47 学機)
日置 秀明 (昭 47 学機)
東
學 (平 08 院生)
来賓 のご挨拶↓
第 28 回東京支部総会報告
田中
栄太郎 (昭 40 学 化 )
東 京支部総 会 は、 10 月 11 日(土)午後 3 時か
ら予 定の 19 時ま で、上野 精養軒で開 催されま し
た。当 会本部副会 長の 木 曽正明 氏をはじめ、他支
部( 水戸勝田 、仙台、栃 木、埼玉、 千葉、静 岡、
中部 、日立 綜合 )代表の方 々をご来賓 にお迎え し、
出席 者総数 82 名 となりま した。ご来 賓の方々 に
は遠 路はるば るのご出席 、誠にあり がとうご ざい
まし た。(出 席者名 簿は前ペ ージに 掲載。 )
以下 に、本会 内容概略を 記載します 。
第 1部
総 会( 15 時 ∼ 16 時 )
工専 から大学 への変革期 の皆さん↓
大 泉雅 靖( 昭 40 学精 ) 氏の司会で、開 会の
辞、 近江支部 長挨拶、来 賓祝辞(代 表して木 曽副
会長 にお願い しました) に続いて当 支部役員 によ
る年 間行事、 同好会活動 報告および 会計報告 等が
行わ れ、年 度予算案 は全会一致 で承認さ れました 。
第 2部
講 演会( 16 時 10 分 ∼ 17 時 )
現 役の 日 置 (へき )秀 明 (ひで あき )( 47 学 機 )
氏に よる演題 「地球環境 と原子力」 という講 演が
行わ れました 。
人 類が直面 している地 球環境問題 と、必要 エネ
ルギ −需要へ の対策を、 各方面から 調査、研 究し
た結 果、一時 後退してい たかに見え た原子力 発電
への 更なる期 待が高まっ ているとの ことで、 最近
の原 子力技術 に関する興 味深い知識 が披露さ れま
した 。(概 要は次 ページ に掲載 。)
第 3部 懇 親会( 17 時 10 分 ∼ 19 時 )
地 下講演会 場(ホール 銀杏)から 、二階の 宴会
場に 席を移動 して開催さ れました。 卒業年度 の近
い人 々ごとに テーブルを 囲み、大い に飲み、 語り
合い の場を持 つことが出 来ました。
今回 の幹事当 番は、39 年組以 降の会員で したが 、
38 年 組 以 前 の 先 輩 諸 氏の 並 々 な らぬ ご 支 援 に よ
り、 実施でき たと感謝し ています。
恒例 の写真展 は、どれも すばらしく 、レベル の
高い 作品と評 価された方 が多数おら れました 。
(作 品出展 者名簿は 25 ペー ジに掲 載。)
(3 )
昔取 った杵柄
大先輩が 手旗信号を 披露↓
懐か しい寮歌 で意気投合↓
て いる 。これ に対応 すべ く "京 都議 定書 "を 定 め、
地球 温暖化対策を 講じているが 、米国や中国 等の
<総会時の講演概要>
CO2 の大量 放出国が参加 していない問 題がある 。
特に 、エネルギー 起源の CO2 放 出低減のた めに
地球環境と原子力
講師
は、 化石燃料の消 費を抑え、再 生可能エネル ギー
や原 子力発電を増 やす必要があ る。
:(株)東 芝 電 力システム社
原子 力システム設 計部の主幹
日置
秀明( 昭 47 学 機)
3、原子力
原 子力発電は 1960 年代に世 界に登場し、 期待
講師紹介
のエ ネルギー源と して世界に広 まった。このため 、
ウラ ン資源の枯渇 対応として早 期から高速増 殖炉
所 属学会 :日本機械
の開 発が行われて きた。1979 年 の米国のスリ ーマ
イル アイランド事 故、旧ソ連の チェルノブイ リ事
学会 、日本原子力 学
会
趣 味: 料理、囲 碁 、
ゴル フ、旅行、
陶芸( 2007 年青山 表
参道 のプロモ・ア ル
テギ ャラリーにて 個展
開催
紹介 者
紹 介者か ら
: 菅谷
故に より、世界の 原子力発電に ブレーキが掛 かっ
た。 この間、日本 では着実な建 設・運転を進 め世
界をリードするまでになってきている。現在
( 2008 年 1月 時点 )、 世界 の原 子力 発 電所 は、
435 基3 億9千万k W が運転中、43 基 3 千9 百万
紹介 を受ける講師
k W が建設中 、 53 基4千 9 百万k W が計画 中で
ある 。この様に、 地球環境問題 、エネルギー 需要
禎男 (昭 42 学機)
の大 幅増加、化石 燃料の高騰等 から原子力発 電へ
の期 待が高まって いる。これら の動きは「原 子力
脱原 子力政策を掲 げていた西欧 諸国が CO2 他 の
温室 効果ガスによ る地球温暖化 に対処すべく 、太
陽光 発電、風力発 電に加え、現 状で最良の解 決策
ルネ ッサンス」と 呼ばれている 。
とし て、原子力発 電を見直す中 での講演でし た。
総会 参加者の関心 も高く、㈱東 芝で原子力事 業に
直接 かかわってい る日置さんに よる原子力安 全利
用に 結びつく内容 について、講 演後、皆様か ら多
数の 質問がありま した。
講 演要 旨
1、はじめに
多 くの文明が芽 生え、栄え、 滅びてきた。 産業
革命 以前の地球で は、たかだか 数億人前後の 人々
が自 然エネルギー 、自然農耕業 の元で暮らし てい
た。 18世紀以降 の化石燃料の 活用による産 業革
命で 、爆発的な人 口増加、エネ ルギー需要増 加が
起こ った。エネル ギーの元とな る資源はその 量の
みで なく、質が重 要である。こ の観点から、 得ら
れる エネルギーを 取り出すのに 必要なエネル ギー
と の 比 で ある エ ネル ギ ー 収支 比 = EPR で の 考 え
方が 提唱されてい る。
2、地球環境
人 口の増加、エ ネルギー消費 量の増加によ り、
地球 温暖化が進み つつある。元 来、地球史的 には
氷河 期と間氷期が 繰り返されて きたが、今回 の温
暖化 はそれを越え るものと捉え られている。 この
原因 は、CO2 他の 温室効果ガス によるものと され
(4 )
(5)
非常 に丁重に扱わ れ少しでも激 しく動くこと は禁
じら れ、入院前の 自分には考え られないよう な扱
いで した。今とな って考えれば 、医師の立場 から
それ ほど危険状態 と考えられた のでしょう。
その後九月十四 日に施術するまでの期間、検
査 ・施術の説 明などあり 、執刀の 医師より施術 内容
の説 明で、心臓の 冠状動脈の血 管に数カ所閉 塞が
あり 、閉塞が少数 の場合は薬や カテーテルに よる
治療 を優先して行 うが、多数認 められた場合 には
冠動 脈にバイパス を作る施術に よる治療が勧 めら
れる との説明でし た。
嬉しくない思い出
田島
廣 一( 昭 20 専精 )
今 年 の 二月 十 九日 に東
京 支 部会 報 の掛 かり の方
か ら 「内 容 は何 でも 良い
か ら 寄稿 文 をお 願い した
い 」 との 電 話が あり まし
た 。 急な こ とで 驚き 考え
ま し たが 、 自身 の健 康に
つ い て少 し でも 皆様 の参
考 に なれ ば と思 い筆 を執
りま した。
◇
◆
その結果バイパス施術
を行うことになりまし
た 。施 術そ のも のは 全身
麻 酔で 行い ます から 、特
に 苦痛 など はな かっ たの
で すが 、そ の後 の集 中治
療 室で の処 置と リハ ビリ
の 期間 に約 2週 間掛 かり
まし た。
以上 前兆から施術 の過程を述べ てきましたが、
当然 のことながら 病気になり施 術することな どは
誰も 好むことでは ありません。
八十 超える まで内 臓の施 術受け た事 なし
私は 生来丈夫で病 と言っても風 邪くらいで、内
臓の 施術などはこ の八十を越え る歳まで一度 も受
けた こともない人 間でした。
と ころ が六 十歳 (1986 昭 和 61 年 )の 定 年を過
ぎ、七 十を少し越え た頃から、定 年後(社)日本測
量協会 に勤めていて 通勤で4∼ 6km を歩いて いた
ので すが、その途 中胸が僅か痛 みだして、し かし
少し 経過するとそ の痛みもなく なり平常に戻 るこ
とが 毎日のように 繰り返しまし た。でも前述 のよ
うに 健康には自信 がありました ので、それ程 気に
もせ ずにおりまし た。その頃に は近くの医者 にも
通っ ていて血圧が 少し高くその 薬も服用して いま
した 。
その 後ネパール・中国 などの旅行 や国内旅行ま
た埼 玉支部のワン ダーフォトク ラブへの参加 、ま
た5 ∼6 km 程の 散歩など 多くの脚 を使う運 動を
して きたつもりで した。
◆
◇
早め に前兆 に気付 いて手 当を!
後で 思ったことで すが、一般に言 われている様
に早 めに前兆に気 付き手当する ことが大事な こと
だと 思います。
私のように健康 だと自信をもっていて手遅れ
にな らぬようお互 い注意するこ とです。
既 に定年 を迎え られて おられ る方も 多いと 思
いま す。私の同級 の人々も年々 欠けていきま す。
過度 に自分の健康 に自信
をも たず、医師に 診ても
らい ながら、多賀 工業会
のよ うな同窓会で 活躍ま
たは 同好会に参加 される
こと も良いのでは ないで
しょ うか。
高野 山で胸 の痛み 激しく 歩行困 難に
しか し困ったこと は急に起こり ました。それは
2006 年 4 月 高野山 ・熊 野 三山 に行 った 時の こと
で、 ここは登り下 りの多い所で 結構石段があ り、
その 途中で胸の痛 みが激しくな り休みながら でな
いと 歩行困難とな りました。こ の状態になっ ても
医学 の知識のない 者は仕方ない もので特に心 臓に
よる 痛みではない と思っていま した。
◇
心臓 の冠動 脈にバ イパス を作る 施術
著 者プロ フィー ル
1945 年
1949 年
狭心 症と診 断され て直ぐ 入院
その後帰宅して 近くの掛かり付けの医師に相
談し たところ、病 院で精密な検 査をする必要 があ
ると 言われ、近く の総合病院で 検査を受けた とこ
ろ「狭心症で直 ぐに入院」と宣告された のでした 。
九月 四日に入院し ても外科には 空き部屋がな く十
日程 内科の病室で 検査などをし て過ごし、そ の間
(6 )
1975 年
1986 年
同年
2001 年
多賀高等工業精密機械科卒
東京大学地震研究所坪井忠二研究室に
採用さる
理学博士を授与さる
同研究所を定年退職
(社)日本測量協会の技術開発部の業務を
委嘱さる
同協会を辞任する
いる 。登録会員は どの会場にも 参加すること が可
能だ 。また、一部 の長距離種目 を除いては遅 いか
ら駄 目だなんて断 られることも 無い。
近年 日本人の高寿 命化にともな い高齢日本人 の
世界 記録保持者が 増えている。
マスターズ水泳
と健康管理
矢野
睦男( 昭 32 学 原)
水 泳との出 会い
私が幼 少期を 過ごし た故郷 長崎の 港外に 俗称
ネズ ミ島と言う周囲 1km 程度 の小島が有り、そこ
で夏 休みの期間だ け小堀流の水 泳を教える遊 泳協
会が あった。県衛 生部の技官だ った父は検診 のた
め県 内の島々を船 で廻ったが、 全くの金槌で あっ
たた め恐怖にさら されたようだ 。結果として 子供
達に はその恐怖を 味合わせたく ないと、全員 その
遊泳 協会に通わさ れ水泳を習得 させられた。 私も
例外 ではなく、小学 4 年生の時と 中学 2 年生 の時
の 2 回、夏休みの 期間だけだが 通い小堀流の 泳法
を習 得した。段位 を取るには至 らなかったが 、塾
生と しては丁 1 班 に始まり最上 位の甲 3 班ま で進
級で きた。
小 堀流の水泳は 、スピードは 問題ではなく 見せ
る水 泳で、御前泳 ぎ (殿様に見せる泳ぎ)とか水
書 (立ち泳ぎで左 手に持った板 に書を書く) とか
が重 要視されてい た。特に手を 上げ肩まで出 して
泳ぐ 立ち泳ぎには 難儀し 30 分 も泳ぐと砂浜 に上
がっ ても腿が疲労 で立てないほ どだった。
競 技会で平 泳ぎ力泳 中
プ ールでの 水泳
成人してからは 年に 1∼ 2 回 海水浴に行く 程度
で、 水泳からも遠 ざかっていた 。還暦近くに なり
静岡 県の榛原町( 現在の牧之原 市)での勤務 とな
り、 単身赴任した が、通勤する のに公共交通 機関
が無 くドアツード アのマイカー 通勤となった 。こ
れで は運動不足か ら成人病にな ると思い、す ぐに
スポ ーツクラブに 退社後通うこ ととした。
スポーツクラブ では筋肉 トレーニ ング 30 分 、
持 久力トレ ーニング (エアロ バイクな ど) 30 分 、
プ ールでの 水泳 30 分 を日課と した。プール (淡
水) での本格的な 水泳はこの時 が初めてで、 幼少
期に 覚えた小堀流 の水泳が役に 立ち平泳ぎは 何と
か泳 げたが、まわ りが泳ぐクロ ールは残念な がら
25m も泳 げなかった。
そ れまでスポー ツとは殆ど縁 が無かったが 、こ
の ス ポ ー ツ ク ラ ブ 通 い で 目 が 覚 め 、 60 歳 の 時
10km の ロ ードレースに 参加し、 50 分 13 秒 で走
りき ることが出来 た。 48 人 中の 34 位だった が、
青年 ・壮年期をノ ン・スポーツ で過ごした私 とし
ては まずまずの成 績だったと思 う。
マ スターズ 水泳競技 会
マ スターズ競技 とは、水泳に 限らず陸上で も 5
歳刻 みの年齢区分 による競技で 、同年配の方 々と
力を 競い合うこと が出来る。世 界規模の競技 会も
ある が、日本では 日本マスター ズ水泳協会が 主催
また は公認する水 泳競技会が日 本全国で行わ れて
(7 )
マ スターズ との出会 い
約 3 年間の地 方勤務を終え、東京に戻って から
は 66 歳 でリタイ ヤするまでは 通勤だけで運 動量
は十 分だったので スポーツから も遠ざかって いた。
その 代わり通勤途 中エスカレー タは利用しな いよ
うに 心がけ、1 日 1 万 歩 をこなしていた。
リ タイヤ後通い 始めたスポー ツクラブで、 おだ
てら れてクラブ内 の水泳競技会 に出場した。 しか
しチ ャレンジした 100m 平泳ぎ で、25m も離 され
恥を かく羽目とな った。それか ら初心に返り 、コ
ーチ に基礎から教 わり、70 歳 からマス ターズ水 泳
競 技会 に年数回参加し泳いで いる。しかし、 子供
の時 に身につけた 、平泳ぎはま だしもクロー ルで
は 50m も泳ぐ と息が上がっ てしまう。また、バ ッ
ク やバタ フラ イ では筋肉質の ためか 足が沈 みま
だ満 足に泳げない 現況だ。
ベス ト記録は 72 歳 の時に出し た 25m 平 : 20 秒
57、50m 平:46 秒 65。その後は 加齢と共に遅 くな
る一 方だが、目標 を持って泳ぐ ことを楽しみ に週
数回 クラブに通い 、体力の維持 に努めている 。競
技会 では競技生活 を若い時から 続けている人 とは
勝負 にならず、運 が良ければ 3 位に入れる 。
週 3∼ 4 回の水泳、月 1 のゴル フ、年 3∼ 4 回 の
山登 りのお陰か 、体脂肪率:10∼ 15% 、医者 と薬
には 無縁の生活、90 歳まで元気 に泳ぎ続けら れれ
ば マスタ ーズ水泳 での金 メダ ル も夢では無 いと
淡い 希望を持って 、プールに通 っている。
著 者プロ フィー ル
昭和 32 年 日機装( 入社時は別社 名)に入社
以 降原子力 ・火力発 電所の水 質調整装置 の設
計・ 製造に従 事、東村 山製作所 長の後、関 連会
社の 日機装YSI 勤務を経て 66 歳 でリタイヤ 。
現況 :ボケ防 止にボラ ンティア でパソコン を教
えた り、ホームペ ージを制作し て過ごす。
東京 支部ホームペ ージ編集室長
4 . 「 30 歳 代で大会 初参加 」を目 標
“感 動”
トライアスロン
栗原
準備 をせず、いき なり参加する という無謀な チ
ャレ ンジは避け、 練習を積み、 まず 30 歳代 で大
会初 参加・完走を 目標に掲げ準 備を進めた。
トラ イアスロン完 走という夢を 実現するため の
近道 は、「周 囲に公言」し 自分を追い込 むことだ 。
これ はしばしば仕 事でも使用す る手法で、そ の実
現の ハードルが高 いほど自分に プレッシャー がか
かっ てくる。残さ れた期間はあ と2年、それ 以来
自転 車を購入し、 トレーニング に励んだ。
功幸( 昭 46 学 子)
1 .還 暦のア イアン マン
トラ イアスロンレ ース
の競 技者はアイア ンマン
と呼 ばれている。 私がこ
のレ ースに参加し 始めて
も う 20 年になる 。昨年
平成 20 年 12 月には、60
歳の アイアンマン に晴れ
て仲 間入りできた。70 歳
80 歳 代 の ア イ ア ン マ ン
も珍 しくないが、 私にとってひ とつの目標に 到達
した 。
5 . 土・ 日曜に 集中練 習
練 習時間が大変 だ。何しろ1 種競技の3倍 の時
間が 必要で、休日 は練習中心の 生活になる。 朝、
B 40Km走行 、昼プールで 2K mの遠泳、夕 方、
10K mのラン を一日でやり こなす。ただ、大 会で
は、 これを連続休 みなく走りき るため、トレ ーニ
ング で鍛えること が必要だ。
2 . トラ イアス ロンと の出会い
6.
39 歳 で大会初 参加
目 標通り 39 歳 の夏、潮来ト ライアスロン 大会
(シ ョートタイプ )にエントリ ーし、見事完 走で
きた 。初参加 のため 、レース配分 が分からない 中、
足が つりつらい初 レースだった 。しかし、こ のと
きの ゴールの感動 が実に爽やか で素晴らしく 、心
を充 実感・満足感 で一杯にして くれた。その とき
以 来 20 年間、こ の満足感に浸 りたいという 一心
でレ ースに参加し ている。この 時は 2 時間 24 分
と、 いまいちの記 録だった。
私の 記憶では、確 か二十数年前 のテレビに流 れ
たニ ュースで、初 めてトライア スロンという 競技
を知 った。それは 、ハワイのど こかの島で軍 人の
発案 がきっかけで このレースが 始められ、数 年前
から 毎年続いてい るというもの であった。
その 画面では、泳 いで、自転車 をこいで、走 っ
たあ とゴールに向 かっている姿 が映し出され てい
た。その距離は 、実に水泳(スイム)3.9Km 、自
転車(バ イク)180Km、マ ラソン(ラン)42.195
Km 、トータル 226Kmにも及 ぶ信じられな い長
い距 離だと云う。 その信じられ ない距離を、 なん
と数 年後に私自身 が完走してし まうのだから 、我
なが ら驚きだった 。
7 . ロン グタイ プトラ イアスロ ンの完 走
3 . トラ イアス ロン挑 戦のきっ かけ
当時 、健康のため ランニングは 続けていた。
ト ライ アスロ ンの存 在を 知って から、 自分 には
可能 なのか、でき れば挑戦して みたいという 気持
ちが 芽生えてきた 。というのも 、茨
城大 学水泳部に4 年間在籍し、 水泳
には 絶対的自信が あったこと、 自転
車は 家庭用自転車 に乗っていた こと、
ラン はフルマラソ ンの経験はな いが
毎週 1回程度のト レーニングを 続け
てい たことから、 練習を積めば 私に
もい つかは完走で きるという思 いが
育っ ていった。
幸い 、日本におい てもトライア ス
ロン 大会が全国各 地で急激に増 えて
きた 。そしてレー スのタイプも 、初
心者 が参加し易い オリンピック タイプ(ショ ート
タ イ プ :S 1.5K m ・ B 40K m・ R 10K m ) やミ
ド ルタ イプ (S 2K m・ B 90K m・R 21K m )と
種類 が増え、参加 の機会が増し てきた。
(8 )
毎年 2,3 のレー スに参加する につれて、競 技者
とし て自然に、最 長のレースに 出てみたいと の思
いが 強くなってき た。その後距 離を伸ばしミ ドル
大会 、ロング大会 へと参加する ようになった 。
ロン グ大会では 、佐渡大会 が印象に残 っている 。
S 3.9Km,B 184Km,R 42.195Km合計 230K
mを 13 時 間 40 分で完 走した。この 日、朝 7 時に
スタ ートし、佐渡 島をバイクで 1周し、マラ ソン
のあ と、ゴールは 実に午後9時 前。よく半日 以上
も走 り続けられた ものだ。この 間、休めるの はト
ラン ジェットの着 替える時だけ だ。このゴー ルが
実に 感動的だ 。自分にもで きるんだとい う達成感 、
充実 感に満たされ 、感動の涙が あふれてくる 。こ
の感 動が忘れられ ず今もこの競 技を続けてい る。
今 後も 、体の 動く間 トラ イアス リート を続 けた
いと 思っている。 健康である限 り。
著 者プロ フィー ル
1971 年4月 日本電電公 社(現NT T)入社
1993 年2月 ㈱NTTド コモ 転籍出向入社
2002 年4月 大明㈱ 入 社
現在に 至る
趣味 :
トライ アスロン、読 書、旅行
して しまってもペ ナルティーを 払って救済さ れま
す。 一方、すべて のゴルファー が楽しくプレ ーす
る為 の’心配り‘ として、他の プレーヤーに 対す
る安 全の気配り・ コースの保護 ・プレーファ ース
ト・ きちんとした 服装 等は永 い歴史の中で 培わ
れた 「マナー」に 基づく行動と して「ルール 」よ
りも 優先して大切 に守られてき たものです。 前記
した ショートホー ルでの一場面 の他に私の体 験し
たも う一つの場面 をお話しいた します。
ゴルフマナーに
学ぶこと
小林
一 (昭 38 学 機 )
8 番 155 ヤ ードの シ
ョートホールにやっ
て来 ました。先行 の組
のう ちの 2 人の手 前の
バン カーからと右 の斜
面の 下からのアプ ロー
チを 見ながら待ち まし
た。 先行の組がグ リー
ン上 でボールのマ ーク
が終 わり、そのあ と、
手を 挙げてコール ・オ
ンの サインを送っ てくれました 。
このホールは打 ち下ろしだが途中には池もあ
り、 4 つのバンカ ーに囲まれ、 右は急な斜面 の砲
台グ リーンです。 かつ、グリー ン面には右奥 から
左手 前の方にかな り傾斜してい ます。
今 日のピンの位 置は左の奥目 に切られてい る。
どう 攻めるか考え 、絶対にオー バーはしない こと
だけ を目標とし、 7 番アイアン でセンターを 狙い
スタ ンスは少し狭 くとり、ゆっ くりしたスイ ング
でシ ョットをしま した。
幸い 高い弾道で少 し右目ではあ ったけれども 、
グリ ーンの右の手 前にオンさせ る事が出来ま した。
昨年 の秋に水戸市 郊外にある私 の友達のゴル フ
コー スでプレーし た時の事です。初対面の方 2 人
と 4 人でスタ ートしまし た。 4 番ホールで私 のテ
ーシ ョットは右に スライスして 木立と斜面の 方に
消え て行きました 。この時私の 友達だけでな くほ
かの 2 人も一緒 にボールを捜 してくれまし た。な
かな か見付からず あきらめかけ ていたとき、 深い
ラフ の中のボール を初対面の方 の一人が見付 けて
くれ 、皆が自分の ことのよう に「よかっ た」
「 よか
った 」と笑顔で喜 んでくれまし た。その後は 不思
議 と 4 人の気持ち が一つになり 楽しく話をし なが
ら、 一日なごやか にプレーを終 わりました。 同伴
プレ ーヤーのボー ル捜しも一緒 にするという 「マ
ナー」にしたがって 行動してくれ たおかげで 4 人
とも ゴルフを楽し む事が出来ま した。
「マナー 」の
大切 さを実感いた しました。
話 を日常生 活に移し た時に 、私達は一人で はな
く、 必ず他人との かかわりを持 ってすごして いま
す 。例えば、公園を散歩し ても・乗 物に乗っても ・
車を 運転しても・ レストランに 行っても小さ なト
ラブ ル(いやな思 い)から大き なトラブル( 不愉
快な 思い)にまき 込まれる機会 がかなりある と思
いま す。
こん な時に、自分 中心になりす ぎずに、相手 を思
い、 相手にいやな 思いをさせな いと心くばり をし
て行 動すれば、多 分相手にも分 かっていただ き、
お互 いにいやな思 いをしないで すむものと思 いま
す。 これから年 令を重ねるに つれ、どうし ても
自分 中心の行動に なりがちです が、相手に求 める
より、まず 自分から「ルール よりもマ ナーを大 切
に する 行動」に心がける事が、 これからの人 生を
より 楽しくすごせ る事につなが るのではない かと
思う 次第です。
ナ イスショ ット!( 筆者では ありませ ん)
ほ っと した気 持ちで ボー ルの落 下点を 見て いた
時に 、グリーンの 奥で待ってく れている先行 のプ
レ ー ヤ ーか ら、「 ナ イ ス シ ョッ ト 」 の声 と 拍手 の
音 が聞こえ て来て、こちらは 帽子をと り、会釈 し
て お礼の気 持ちを表 わしまし た。ゴルフゲームの
中で 、ほんとうに 心安らぐ楽し い一場面でし た。
著 者プロ フィー ル
・出 身高:水戸一 高(茨城県笠 間市で出生)
・昭和 38 年 4 月: 旭硝子 (株 )に 入社
以来 約 35 年 自動 車用安全ガ ラスの生産関 係
の仕 事に従事 (工場 勤務 5 回 本社勤務 3 回 )
・趣 味:ゴルフ( 過去 2 回手術 したけどまだ や
れて います)、 自宅庭での草 花園芸、読書( 特
に好 きなジャンル は無し)等
ゴ ルフは審 判員のい ない「 ルール (規則 )」を 一
人 ひとり のプレ ーヤー がきち んと守 る事によ り
成 り立って いるスポ ーツ です。打ち方をミス すれ
ばス コアに跳ね返 ってくるし、 池に入れたり 、木
の根 元に止まった り、さらに誤 ってボールを 動か
(9 )
ら、 これは出来ま せん。
サッカー裏話
菅野
こ の中でプ ロ スポー ツ選 手の 厳しさ を傍か ら
みて きました。ア ルコール、タ バコは厳禁で す。
食事 は栄養士のカ ロリーコント ロールしたメ ニュ
ーを ホテル側にお 願いします。 試合 3 時間前に 、
エネ ルギー源であ る、パス タ 、う どん等のでん ぷん
質を とります。試 合が終わって も飛行機の中 、新
幹線 の中で選手が 食べているも のは弁当と飲 み物
だけ で、体を休め ています。土 曜・日曜の試 合が
終わ ると、翌日は 練習グランド に午前中集合 し、
トレ ーナーの下、 1 時間ぐらい 軽いランニン グと
十分 なストレッチ を行い、翌日が休日と なります 。
本当 に激しいスポ ーツですので 、試合前後に 体重
を測 定し、体 重の減り方で 体調を管理し ています 。
一試 合終わると 3 キロ前後 、体重が落 ちます 。体
重が 減っていない ことは体調が 悪く、運動量 が少
なか ったことが推 測されます。
義 裕( 昭 45 学 機)
大 学 に 入り 、初 めて
サッ カーに触れ、 その
面白 さ、奥の深さ に嵌
って しまいました 。水
戸の 教養課程を経 て日
立に 移って 5 年 間、友
人と ボールを蹴っ てい
たの が今でも楽し く思
い出 されます。ま た大
学院 1 年の時、メ キシ
コで ワールドカッ プが開催され 、テクニック に優
れた ブラジルが“ 神様ペレ”の 活躍で優勝し たこ
とも サッカーに取 りつかれた大 きな原因かも しれ
ませ ん。
プ ロスポー ツは結果 が全て です。結果が出て い
ない と、11 月末の契約更 改時に翌年の 契約金“ゼ
ロ” を提示されま す。くびです 。また公式戦 中に
不正 行為で“一発 退場”になり ますと、 J リ ーグ
から 数十万円の罰 金と、呼び出 されて審判部 から
注意 を受けます。 本当に厳しい 世界です。
東 京ガスに 入社し 、当時の東京ガ スサッカー 部
は東 京一部(一部 は 15 チーム で構成、東京 には
約 400 のチ ーム)の強 豪でした 。自分の力が どれ
ほど かを試したい 一心で、初練 習に参加する と、
流石 に選手は一人 一人技術もし っかりしてい て上
手か ったことを記 憶しています 。幸運にも翌 日の
試合 、前半 10 分 過ぎに交代出 場し、1 分後に コー
ナー キックからの ボールをヘデ ィングでゴー ルを
決め 、その後レギ ュラーポジシ ョンを確保し まし
た。 しかし、ボー ルを扱う技術 は劣っていま した
が、 体力とスタミ ナはありまし たので、中盤 で相
手の エースを抑え る役をよくや らされました 。そ
の間 、仕事とサッ カーの両立は 肉体的にきつ かっ
たけ れども、 2 度 の優勝を味わ いました。ま たコ
ーチ 、監督も経験 し、選手育成 の難しさを知 りま
した 。チームも成 長し“関東リ ーグ”へ昇格 して
いき ました。関東 大学リーグか ら優秀な選手 が入
部し てきて、日本 リーグ、JF L(ジャパン ・フ
ット ボールリ−グ )と順調に階 段を上がって いき
まし た。
活 躍し ている 選手 たちの 裏舞 台 を何年間も 見
続け てきていたの で、その後の 移籍先、ある いは
選手 生命を終え、 コーチの資格 を取得してい ろい
ろな チームでスタ ッフ、指導者 として活躍し てい
る人 を見、会える ことは大きな 喜びです。こ のよ
うに 他のチームに 行っても活躍 している人は 、選
手時 代から自分を 大切にし、将 来の自分を見 据え
いろ いろな布石を 打っています 。人生を前向 きに
捉え 、心の暖 かい人たちが 多いように感 じました 。
最後 は人間性です ね。チームを 預かるスタッ フと
して は、一対一で 選手たちと心 を通わす指導 ・話
し合 いができるか が、どのよう な世界でも一 番重
要な ことなのだと いうことを痛 感しました。
私 自身 、サッ カー は今で も年数 回、マ スタ ーズ
の大 会も含め、昔 の仲間とプレ ーしています 。そ
のた め、毎日 の筋トレ 、土日 のランニ ングは欠 か
せ ません。それも元 気に活き ていくた めの必須 ア
イ テムです 。
ア マチ ュアチ ームか らプ ロチー ムにス テッ プ
ア ップ することは、一民間企業 の力量を超え るも
ので 、東京にある 有力企業(東 京電力、新日 石を
はじ め、 200 以上 の企業)の協 力を得て初め てプ
ロ化 が実現しまし た。チーム名 も首都圏を代 表す
るチ ームとしてF C東京 となり、 J リーグ 2 部を
経て 、現在 J リ ーグ 1 部で 活躍していま す。
著 者プロ フィー ル
福島 県伊達市(旧 保原町)出身 。
現在 、埼玉県春日 部在住。
1972 年東京ガ ス入社。
燃焼 研究・機器開発に 22 年 間従事、その後 、
トー セツ(旧東京ガス給 排気設備 )、筑波学園
ガス を経て、現在 美浦ガスに勤 務。
1984− 86 年 東京ガ スサッカー部 監督
1993− 98 年 東京ガ スサッカー部 副部長
1999 年
FC 東京 ア ド バ イ ザ リ ー ス タ ッ フ
私 はプロ化 する前 の 1993 年か ら 1998 年まで の
6 年 間 、東京ガス サッカー部の 副部長として 全て
の試 合に同行して いました。日 本全国で試合 をし
まし たので、高知 県を除いて全 ての都道府県 に足
を運 んでいます。 土日が潰れま すが、スタッ フの
役得 として日本各 地で郷土料理 と美味しい地 酒に
巡り 合えたことが 楽しみでした 。選手は残念 なが
(1 0 )
能楽「金春流」との
出会い
笹島
晃( 昭 44 学 子)
☆ 「能 楽 」を始め た動 機
「能 楽が趣味 です」と 、
誌面 に書くほどの 技量を
持ち 合わせていま せんが、
「能 楽 」に触れて 早 5 年が
過ぎ 、その動機と その醍
醐味 について述べ ます。
赴任先から帰宅すると
「定 年前に趣味と なるも
のを 持つべきで、 定年過
ぎる となかなか探 せない」と妻 によく言われ まし
た。 その教訓をも とに長く付き 合える趣味と して
妻が 通っていた 「牛久櫻詠 会 」に 親しみを感じ るよ
うに なり 「能 楽 」に 触れました。 初めてお会い した
「山 中一馬 」師の美 声に魅了され て、入会 を決意し 、
月 2 回の稽古に 妻と通い始め ました。
うハ ーモニーが非 常に重要でそ の演目の情景 描写
と心 象描写を謡い で表現します。地謡は大体 8 名
位の 合唱になるた め、地頭(じ がしら)とい って
地謡 をリードする 人(コン サートマスタ )がい て、
すべ て地頭の謡い に沿って、後の 7 人はつい て謡
いま す。従って、 シテ方と地頭 の力量によっ て能
の成 否が決まりま す。
仕舞 は能の一曲の 中で、舞で表 現する部分が あ
り、 その部分を稽 古します。特 に男舞は颯爽 とし
て気 持ちの良い舞 です。一般 に 「謡 いは宝生流 、仕
舞は 金春流 」といわれてい ますが、高浜虚子は「す
べて 金春流」と いったとのこ と。各流 派の謡い方・
舞い 方は同じ曲で も異なり、さ らに時代によ って
も違 う口伝の世界 のようです。 私としてはや はり
金春 流の謡が好き で、独特の抑 揚と「つや」 があ
るよ うに思えます 。
☆ 「山 中一馬 」師 との 出会い
師は 金春流のシテ 方で、櫻間の 芸統を継承す る
若手 (現 在 51 歳 )の 一人です。ま た、故 19 世 櫻間
金太 郎師に師事し 、金太郎師の 本名 「龍 馬 」に 因み
舞台 名 「一馬 」を許 された経緯の 持ち主です。
一般 に宗家だけが 舞える 「翁 」を 今年の 1 月に 金
春 会 の 定 期 能 に て 披 い た 実 力 者 で 、 「能 楽 」の 指
導・ 育成にも熱心 で、出身の学 習院大及び東 京・
地元 の牛久市、土 浦市において 「櫻詠会 」を主 催
して います。
師の 指導により、我 々素人にとっ て、他流派で
は許 されない新企 画(能仕立て 仕舞等)に挑 戦し
たり 、また同門会 では国立能楽 堂、銀座能楽 堂等
の舞 台に立つこと ができたり、 励みになるこ とが
多く 、師と出会え たことは、私 にとって幸運 だと
感謝 しております 。
独吟(葛城)の舞台風景(於:銀座能樂堂)
☆ 私の目 指すも の
師 は 「教 え る こと で か って 学 ん だ師 の 教 えを 忘
れな いでいられる し、自己の鍛 錬にもつなが る。
これ からも能を通 して日本文化 の素晴らしさ を広
めて いきたい。」との思 いを持って おられ、そ れに
共感 しつつ、いず れの日か師の シテ方の舞の 下で
「地 頭 」として謡え ばとの目標に 精進しており ます。
また 、妻と共通の 趣味をもって 、末永く楽し む
事を 目指しており ます。
なお 、山中一馬師 のホームペー ジの URL は 次
の通 りで、興味の ある方は開い てみてくださ い。
☆ 能の稽 古につ いて
素人 向けの稽古は 通常、謡と仕 舞をしますが 、
基本 は謡から始め 、仕舞を併せ てします。私 も謡
を初 めて 5 年、 昨年の 10 月か ら仕舞を始め まし
た。
謡の 稽古は 謡本( 台本)の一節 一節を師の口
伝に 沿って謡い、 師から謡い方 のポイントの 解説
があ り、最後は通 して合唱しま す。その合間 に能
に纏 わる話をされ るのが楽しみ であり、理解 を深
める のに参考にな ります。
地謡 の稽古もあり、地 謡とはバック コーラスで
能舞 台ではシテ方 ・ワキ方他と 地謡とが交互 に謡
http://www.geocities.jp/ishin_kaden/
著 者プロフ ィール
昭和 44 年 4 月
三 菱電機 (株 )入 社
平成 12 年 3 月 同 社退社
平成 12 年 4 月 島 田理化工業 (株 )転籍
平成 21 年 6 月 同 社退社
趣味 : 能 (謡、 仕舞 ) ゴル フ
(11 )
生 涯 現 役 人 生
小滝
麟 太郎( 昭 45 学 電)
1 .人生 は偶然 の積み 木 ?
私 は四国高松生 まれ
の讃 岐男です。父 親の
転勤 で小学時代に 東京、
中学 時代に仙台へ と転
校、 バンカラで有 名な
仙台 一高時代は下 宿生
活と なり、ろくに 勉強
もせ ず、茶畑短大 (実
は高校内にある予備
校) に行ってから 受験
勉強 は頑張ると自 分勝手に決め ていました。
そ して 偶然 入手し た茨 大受 験申込 書を 浪人 生活
を送 る上での自信 のためにと提 出し受験、合 格す
ると「浪人し てもどうせ受 験勉強はしな いだろう 」
と急 遽考えを革め 、正に茨大愛 唱歌にある“ 流れ
流れ て茨城の ・・・”水戸の 地にやって来 ました。
教 養部 時代 は先ず は幅 広い 知識を 身に つけ るべ
きと 水戸で入部し たのが「生 物研究会 」、研究 とは
名ば かりで週末の 山歩き、先輩 の下宿での毎 晩の
梁山 泊(飲み語る )そして夏は テントを背負 って
登山 などに明け暮 れました。そ んな生活状況 と教
養科 目に専念した ためか?間違 いなく単位を くれ
るも のと自分勝手 に期待してい た専門科目を 、見
事に 落としてまさ かの留年をす る羽目になり 、既
に引 っ越していた 日立から水戸 に戻って、孤 独な
2 年 目の水戸 の生活が始ま りました。
と ころ がこ の最大 の苦 境に 陥った こと が私 の人
生に おける最高の エポックにな りました。
水戸 での 2 年目 を無駄にする ものかと教養 科目
の習 得に更に力を 入れ、世界哲 学全集などの 書物
を読 み、また一 部リーグ所属 の「ハンド ボール部 」
に入 部して体力の 限界に挑むな どの試行錯誤 。
し かし 精神 的な充 足感 をつ かめず 苦悶 する 日々
が続 いている中で 、ある先輩と の偶然な出会 いを
通し 、人生におけ る様々な課題 や苦難を前向 きに
取り 組み、最高に 充実した生活 を築くための 人生
哲学 である「真の 仏法=生命哲 学」と出会う こと
が出 来ました。
様 々な 偶然 の積み 重ね の結 果とし て茨 大に 入学
その 上に留年した おかげで、そ の後のわが人 生を
大き く変革し決定 する「人生哲 学と師匠」を 得る
とい う、最悪状況 の中で最高の 人生構築への 因を
掴む ことが出来た 訳で、正に「 人生は偶然の 積み
木」 即「宿命的な 必然」と思え てなりません 。
2 .就職 と人脈 構築
工 学部時代は多 賀に下宿。そ の家主である 老夫
婦の 規則正しい早 起きと朝食に 付合う生活を した
(1 2 )
おか げで教室には 一番乗り、その 結果か 5 年 分の
単位 と優の数をそ ろえて成績最 優秀?で卒業 、当
時社 長であった土 光敏夫著「東 芝の悲劇」に 感銘
を受 けて東芝に入 社しました。
東 芝では玉川/ 府中/日野工 場そして本社 通信
事業 部において主 に国交省・農 水省・自治体 など
官公 庁のダム/水 管理に関する コンピュータ 制御
シス テム技術者と して全国を飛 び回り、建設 電気
技術 協会(建電協 )や農業土木 事業協会など の社
外委 員会の中心メ ンバーとして 、アジア各国 ・エ
ジプ ト・ギリシャ の現地調査、 また JICA 専 門 家
とし てルーマニア 灌漑システム 開発への長期 派遣、
日本 GIF 財 団ア ラル 海問題 チー ムメン バー とし
てロ シア語圏のカ ザフ・ウズベク・キルギス 3 国
の技 術調査と各国 大臣級との会 見など、官公 庁や
主要 メーカの多く の技術者と共 に仕事に取り 組ん
だこ とが会社生活 における大き な成果・財産 とな
り、 現在の幅広い 人脈へと繋が っています。
3 .人生 に定年 無し・ マイス ター 60
2004 年 に IT バ ブルがはじけ た影響で大赤 字を
出し た通信事業部 が無くなり定 年扱で退職す る状
況に 、シニアの再 就職は大変難 しい中、東京 人材
銀行 経由でダム総 合計測の㈱ジ オテックより 声が
かか り、資格と経 験を活かし日 本最大の徳山 ダム
で今 までの集大成 ともいうべき 業務に携わる こと
が出 来ました。そ の後、公共投 資削減により 新規
ダム が激減して 2007 年にはジ オテックが業 務を
終了 、還暦過ぎて の再々就職は まず不可能と 思っ
てい たところ、不 思議とタイミ ング良く㈱マ イス
ター 60 という会社 より声がか かりました。
こ の会社は 、「年齢は背 番号、人生に 定年無し 」
のス ローガンのも と、創業以来 一貫して資格 を持
った 経験豊かなシ ニアの働く場 所を提供する こと
を社 是とし「雇用 機会を創出し 、人々の生き がい
を拡 め、生涯現役 文化をひらく 」を企業理念 とす
るユ ニークな会社 です。
最 近で はマ スコミ から も注 目され 、フ ラン スや
韓国 の国営放送か らの取材も受 け、昨年 5 月 には
TBS テ レビ「みのもんた サタデーずば っと」にお
いて 会社の活動が 映像で紹介さ れ、各方面か ら大
きな 反響がよせら れました。
年 金制度改正に 伴う「改正高 齢者雇用安定 法」
の施 行、シニア世 代のセカンド キャリア推進 や生
涯現 役社会への模 索、サブプラ イム問題に端 を発
した 経済不況によ る人材派遣の 問題など雇用 に関
する 多くの問題が 発生していま す。
幸 い再就職をお 世話した人材 の方々ならび に紹
介先 からは過分の 感謝と評価の 言葉を多くい ただ
き仕 事冥利に尽き 、「生涯 現役」 70 歳過ぎま で元
気に 皆さんのお役 に立てればと ボランティア 精神
で今 後も元気に活 動したいと思 っています。
☆マ イスター 60 HP: http://www.mystar60.co.jp/
四半世紀回顧録
仲澤
斉
( 昭 59 学 ・子 )
勤 続 25 年の表 彰を受
けた 丁度その頃、 編集部
から ご依頼があり 、大学
時代 から今までの 自分を
振り 返ることにし ました。
卒 研 は、電子工学科半
導体 研究室にて故 古越光
雄教 授、菊間講師 、関根
技官 のもと、青色 発光ダ
イ オ ー ド の素 材 とし て 有 用視 さ れ てい た Ⅱ -Ⅵ 族
化 合物の ZnSe(ジン クセ レン )の 物性を 解明 すべ
く、
『高温 での ZnSe の結晶 構造』につ いて、X 線
回折 理論解析と実 証実験を行い ました。精密 工学
科棟 では、 ZnSe 単結 晶を 5mm×0.2mm 程に 溶解
研磨 し真空密封し た石英アンプ ル高温化用の 黒鉛
ヒー タを削り出し 、機械工学科 実習棟では、 高温
で黒 鉛ヒータや石 英アンプルの 酸化 (燃 焼 )を 防ぐ
ため の真空高温実 験装置を旋盤 やドリルで真 鍮板
から 製作しました。雪 降る昭和 58 年 12 月、金属
工学 科棟の油と土 の臭いが漂う X 線照射実験 室で、
一人 、鉛のエプロ ンと手袋を着 用し、低温⇔ 高温
にお ける ZnSe の X 線回折点の 変化を、世で 初め
てリ アルタイム連 続写真として 捉えることに 成功
し、約 1100℃ 前後で立方晶 ⇔六方晶の“ 転移点”
が存 在することを 証明しました 。これにより 、真
空高 圧高温下で化 合物を融解後 徐々に冷やし て結
晶 成長 させる 『高 圧溶融 法』 では、 ZnSe は 立方
晶⇔ 六方晶へ変化 する転移点が 存在するため 、結
晶構 造が反転する “相晶”の無い ZnSe 単結 晶の
製造 は困難である と結論づけま した。入 社数年後 、
東北 大学の西澤教 授が、世界初 の青色発光ダ イオ
ード 開発に成功し たことを知っ たときに身体 中が
痺れ て涙が溢れ出 たことを、昨 今、発光ダイ オー
ド信 号機の“青灯 ”を見るたび に思い出しま す。
入 社した電 電公社 は、翌昭和 60 年に民営 化さ
れて NTT と なりました。世 界初の FAX 画像 の蓄
積変換 NW サービ スである『フ ァクシミリ通 信網
サー ビス (F ネッ ト )の 研究実用化 』に入社以来 13
年間 一貫して携わ り、私の人生 に決定的な影 響を
与え た“ 3 人の恩 師”と多くの “同士”に出 会い
まし た。今でも酒 を交わしなが ら当時の事や 近況
を語 り合います 。平成 9 年から F ネットの制 度料
金に 係る郵政省認 可申請対応を 行い、平成 11 年
NTT 分 社化後 は NTT コ ミュニ ケーションズ で総
括・ 人事を経験し 、平成 12 年同 社で OCN・ 300
万加 入突破へ向け て邁進してい るさなか、金 曜に
電話 対応していた 相手が翌土日 で殺人事件犯 とし
て逮 捕される、等 の体験もしま した。平 成 14 年
NTT サ イ バ ー ソリ ュ ーシ ョ ン 研究 所 に異 動 と な
りデ ジタルコンテ ンツの権利管 理仲介を行う 『著
作権 管理 PF』の研究 ・開発を推進 し、翌平成 15
(1 3 )
年 NTT サ イバースペ ース研究所 (SP 研 )では 環境
保 護やパ ンデミ ック対 策でも 有用 な『 PC 会 議シ
ステ ム』を NTT 東 日本と共同 開発しました 。こ
の頃 は朝帰りも多 く、運転手さ んが、「 仲澤さん 、
待っ ていますから シャワーを浴 びて 6 時半に 出て
きて ください 。」と 、東京∼横浜 を往復してく れた
時に は心底助かり ました。平成 16 年 、これと『 goo』
を提 供する NTT レ ゾナントへ 異動し SI を推 進し
まし た。これらを 通して“ 3 人 の恩師”や“ 生涯
の友 ”に出会い、 先日も将来・ 人生談議をし た所
です 。平成 18 年 SP 研 に戻り、安 心・安全をテー
マに 『遠隔映像モ ニタリングシ ステム』を開 発、
平 成 20 年 “上海万 博 2010”への導入 を狙って 、
『中 国向け監視シ ステム』を北 京や上海の企 業・
大学 と共同開発し ました。平 成 21 年からは クラ
ウド コンピューテ ィングにおけ る画像系イン キュ
ベー ション開発を 行うと共に、 今迄の経験と 人脈
を活 かして社内外 の若手社員育 成に努めてい ます。
趣 味の音楽 は、水戸市本学の“ もずコール” で
バン ド活動を始め 、サークルの 後輩だった妻 や、
多く のかけがえの ない生涯の仲 間ができまし た。
Keyboards&Vocal で は『 Sanskrit』
・
『 JunkJewel』、
Drums では『 CRESCENT』・『 MintGrass』 に所
属し 、茨苑祭や他 学園祭、千波 湖夏祭り、ヤ マハ
主催 の EastWest 出 場など青春 を謳歌。会社 の軽
音楽 部『 a-band』では寮祭や X’mas Party 等 で 活
動。 仲間と会った 時にはバンド 談議に花を咲 かせ
ます 。ゴルフ では今年 3 月に 15 歳の長男と の初
ラウ ンドが実現 。初スコア 136 は 私のそれよ りも
良く 、妻も含めた 家族でのラウ ンドが夢です 。
3 人の子供 に恵まれ、全日本バト ントワリン グ
選手 権で、長女は 団体準優勝 2 回 /入賞多数 、次
女は トゥーバトン 部門 3 位 /ペア部 門 4 位 /ソ ロト
ワー ル部門 5 位 (杉浦紀子 バトンスタジ オ所属 )を、
長男 は全国中学校 総合体育大会 サッカーの部 で神
奈川 県 3 位 /横浜市 3 位 (市立富 岡中学校サッ カー
部 、 上 中 里サ ッ カー ク ラ ブ出 身 )と 、 た く さ ん の
“宝 物 ”と“生 き抜くパ ワー ”を貰いました。
♪♪ |~。.... ... .. .。. . 。・ ゜
゜
・
。_/ ♪ ♪
5 月中旬 、朝 4 時半に は明るくなる 。たまに は
洗濯 物を干す窓越 しの部屋の中 ではパソコン で仕
事を する妻。富士 通の友人や教 え子から贈ら れた
“千 羽鶴 2 つ ”と TV の“ 5:55”をみて家を出 る。
あと 四半世紀は頑 張ろう。(記 48 歳)
著 者プロ フィー ル
1984.4:日本電 信電話公社 入社
横須 賀電気通信研 究所画像通信 研究部配属
2009.4: NTT コミュ ニケーショ ンズ株式会社
先端 IP アーキテク チャセンタ 担当部長現職
学会 :電子情報通 信学会会員、 URCF 会員
趣味 :ゴルフ (月 1∼ 2 回 )、音楽 (演奏・ 鑑賞 )
ボラ ンティア:少 年サッカー指 導員・審判員
メー ル: [email protected]
ブロ グ: http://blog.livedoor.jp/hmhry/
インタビュー記事
予防に勝る治療なし
整体健康開発院
海老原
院長
医学博士
雄二氏(昭 38 学金)
著書(医学書):「治療力を活かす健康」
…健康で長生きするには…
発行 日本図書刊行会
発売 近代文芸社
[編集部から]
昭和 38 年茨城大学工学部金属工学科卒業後、三菱
電機にて半導体の製造・開発に関わり、50 歳頃から
医学の道を志し、神戸大学医学部で学び、その後東
洋医学者となり、医学博士の学位を取得、茨城県守
谷市で「整体健康開発院」を開設、現在に至ってい
る異色の医学者です。
同期の小林 渡(昭 38 学電)編集員がインタビュ
ーしました。
* 半導体 研究者か ら東洋医 学者の道 へ転身さ れ
たのは、異色と思いますがその点の経歴をお聞かせ
下さい。
1963 年3月茨城大学工学部金属工学科卒業後、同
年 4 月三菱電機(株)へ入社、研修後半導体の製造・
開発関係に従事。それ以来、トランジスタ、集積回
路の製造・開発に約 10 年その後 CAD 関係の仕事を
約 10 年行いました。会社勤務で関西地区には約 30
年在住しました。50 歳頃から医学の方を目指し会社
関連の神戸地区の会館をかりて何日か缶詰になって
神戸大医学部の先生から基礎医学、生理学、解剖学、
病理学など西洋医学の講義を受けました。別途、そ
れらの関連の分野について何十冊か本を読んだり文
献で調べたり独自で学びました。1996 年 7 月退社
して、整体健康関係の手法を講習会、セミナー、学
会等で習得しました。更に、西洋医学、東洋医学の
利点を求め、その分野の研究を進め、医博の学位を
得ました。整体健康開発院を開設し、10 年以上経て
現在に至っております。
*
工学から医学の道へ至る切っ掛けは?
以前より医学関係に関心があり、将来、定年後
はこの分野の仕事で社会との繫がりを持ちたいと考
えて来ました。そして西洋医学と東洋医学のメリッ
トのところを取り入れるように考えました。
西洋医学は科学的根拠に基づいて検査、診断が行
われ、MRI,CT 等でも異常部分が速く検出され、正
確な確認が可能です。他方、東洋医学では原因が明
らかでなくても、症状に対応し易く全体的なチエッ
クが出来ます。予防的な面や特に免疫のアップに有
効な点があります。
西洋医学は在職中から勉強を始め、衛生管理者等
の資格を取り、基礎的な医学をマスターし医学の方
向への切っ掛けをつくりました。
少し早期に退職し、更に、西洋医学、整体関係、
カイロプラクテックなどを学び、整体に関する研究
を進めました。
以前から、生老病死として誰しも人間には避ける
ことの出来ない宿命的な問題があります。しかし出
来るだけ健康長寿を願っている人は多いと思います。
高齢化社会において退職しても、世の中との接点が
出来て少しでも役立てばと思い、整体健康開発院を
開設しました。
当院では、腰、肩、足、頸などの痛み、コリ、シ
ビレで悩みの方、持病と諦め苦しんでいる方、手術
を勧められ不安な方、気分がすぐれない半健康な方
(更年期、自律神経系の障害など)等を対象に治療
器、手技の施術を行っております。
リンパ活性の施術状況
*
健康・病気についての考え方は?
健康であることは、これからの高齢化社会におい
て益々重要な要素となります。種々の病気、寝たき
り、認知症などの防止、または、遅らせることが出
来れば本人自身は勿論、家族、社会にとって非常に
役立つものと思われます。人は何の目的で何のため
に生きるか。生きる意味は何か、健康とは何かなど
色々な考え方があります。人間本来に備えられた力
を活かす健康について考えたいと思います。
通常は健康でも、半健康(未病)、病気へと移行
して行きます。あるクリニックの先生がよく引用さ
れることですが、登山家に「あなたはどうして山に
登るのですか」と尋ねると「そこに山があるから」
と言います。それと同じように「人は何故病気にな
るのか」に対し「病気があるからだ」と言われます。
病気は気の持ち方で、ある場合はよくもなり悪くも
なると言われます。その1例を次に紹介します。体
の調子の悪い方が種々の検査結果の診断として「あ
なたは”がん”です」と告知された場合、次のよう
に落ち込むタイプと頑張るタイプの2つのタイプが
あると言われています。
(a) 「自分はもう駄目だ」と思って頭が真っ白に
落ち込むタイプ
(b) 「”がん”位なんだ、自分は良くなってみせ
る」と頑張るタイプ
(1 4 )
この両者に同じ治療をすると(b)の方が治療成
績が良い。更に治療する立場のベテラン医師は(a)
のタイプでも落ち込ませずに上手に誘導して元気付
けて治療を受ける意欲を引き出して行きます。この
意欲によって免疫力を引き出すことが可能となりま
す。病気とは何か、病気は「生物の全身または一部
に生理状態の異常を来たし、正常の機能を営めず、
種々の苦痛を与える現象」です(広辞苑)。病気を
起こす原因として、(イ)主として活性酸素による
障害で DNA の異常、(ロ)感染症、すなわち病原
性微生物などの寄生増殖、(ハ)免疫疾患、(ニ)
生活習慣(食事、運動、ストレス)等で色々の要因
が相互に作用して病気になると言われています。更
に、健康については、身体的、精神的そして社会的
に良好で有能な状態を言い、単に病気や虚弱でない
と言うだけでないと世界保健機構では定義されてい
ます。健康と病気の中間を半健康(東洋医学では未
病)と呼び、この状態の時、早い時期に有効な手立
てを行えれば、健康状態へ取り戻し易い。寧ろ、積
極的に病気へ進むことを防ぎ健康を取り戻すことが
重要です。
*
現状の健康の問題点などは?
文明の進歩、工業の発達に伴い、運動不足、栄養
の偏り、ストレス精神的な疲労、生活習慣など種々
の病気に悩まされます。病気になると本人は勿論、
家族、社会にとっても大きな損失です。日本では最
近で年間 100 万人を超える人が死亡し、その中 30
万人は、がんで死亡すると言われています。次に、
脳卒中、心臓疾患、肺炎、その他となっております。
高 齢になる につれ 病が増加 し国の 財政も困 難に
なります。科学的な測定や検査技術など発達して病
状が進めば、その状態を詳しく知ることも出来ます
が初期の段階で病気の兆候を予知したり、予防的処
置をすることは難しい面があります。
背骨・骨盤など矯正の一実施例
*
病気の予防・健康維持などの改善点
以上のようにこれまでの様々な病気で、また高齢
になる程、老化も起こり悩みが多くなります。日本
では平均寿命が延びたとは言え、将来とも何らかの
病気、老化と闘わねばならない。理想的には病気に
なる前に体の状態を知り、問題を回避する方法、生
活習慣、環境の改善が必要です。食生活、運動、睡
眠、ストレス等の色々な要因の影響を受けます。こ
れらのバランスをとる健康管理が必要です。特に、
予防を重視する医療として免疫力のアップが重要と
思われます。病気の原因は免疫系の働きが大きく関
係しています。健康状態は免疫、内分泌系、自律神
経系の3つの中枢機能によって制御されていますが、
病気の予防改善に必要な治癒力は免疫系の増強によ
って活性化されます。健康改善の為に現状で私たち
が目指して実施する事は次の療法です。
(イ)現在悩んでいる病気を癒すこと、痛みを和
らげ抑えること
(ロ)疲れ、気分の優れない点、ストレスなどを
解消する。
(ハ)体質改善、恒常性機能、免疫力の改善、病
気の予防
治癒力のアップを考え、本施術では神経伝達、骨
格筋、関節の変化に対応し血流、リンパ液、ホルモ
ン等の体液の分泌及び流れの円滑化をはかる手法を
用います。それにより細胞の働きを活発化する。従
って新陳代謝も良くなり体内の老廃物の回収も良く
病気の回復を早め症状の改善に役立つ。体内の各細
胞の機能の改善、体質の向上を助長し自己免疫力を
あげてゆく。以上の施術は病気の予防、改善に結び
つくものと思われます。
*
将来の健康へ望むこと?
食事、運動、休息のバランスを良くし、免疫力の
向上、自然治癒力を如何に高めて行くかが大切です。
白血球、リンパ球の活性化は病気の予防に効果があ
ります。検査してもわからない程の微細な”がん”
の芽の段階であれば、免疫力の効果が期待されてい
ます。この分野の更なる改善が必要と思います。従
来の医学では既に出来ている病気を診つけ治すこと
にほとんど力が注がれ、又、そうせざるを得ないの
が現状です。これからは予防医学を重視し、病気、
老化の改善できる環境、医学や科学技術の発展が必
要と思われます。さらに、健康長寿を目指す抗加齢
医学(アンチエイジング医学)も益々重要となりま
す。病気、老化が起こってしまえば、現在の最先端
の医療技術でも困難な面も多い。脚・腰が弱らず丈
夫な時から健康管理が必要ですが、病気や老化の前
兆、その原因を診つけ、その対策のできる予防医学
を重視する医療を望みます。
*インタビュー後記
工学者から医学者への転身、相当の決心と努力が
あったことと思います。学生時代寮で同室というこ
ともあり打ち解けてインタビューすることが出来ま
した。真摯に患者さんに接し、物静かにお話しする、
今お医者さんに求められている一番大切な事と感じ
ました。しかも「予防医学」を最大の課題としてい
る。超高齢化時代を迎えた今日、氏の活躍する場面
が益々大きくなる事でしょう。
(小林)
(1 5 )
支 部 めぐり
静岡支部の紹介
支 部長
高田
勲(昭 37 学 機 )
こ の記事が
会員 諸兄の目
にふ れる頃には、 6 月に
催さ れる予定の静 岡支部
総会 で、小生の支 部長任
期が 満了し、新支 部長は
後 任 の 寒 風 沢 毅 氏 (学
機 41)になってい ると考
え、 新支部長に寄 稿をお
願い しようかとも 思いま
した が、寄稿依頼 が小生宛にな っているので 、寄
稿す ることにしま した。
西部 地区 (富 士川・大井川 を境界 )の持ち回り で総
会を 開き、出来る だけ開催地区 の諸兄の出席 に
便利 を図ってきま したが、それ でも遠距離出 席を
余儀 なくされるた め、宿泊付の 総会を他支部 と比
して かなり多く開 催してきまし た。本部及び 各支
部か らご出席いた だく来賓には 余計な出費を 強い
て誠 に心苦しく思 っています。41 年卒の支部 長と、
信 太 茂 新幹 事長 (学 電 45)の 若手 コ ンビ が 今後
支部 の運営を担っ てくれるわけ ですが、この 傾向
はお そらく変わら ないのではな いかと思いま す。
今 総会も 駿河 健康ラ ンドで の温 泉付一 泊総会 で、
翌日 のゴルフ同好 会は二組、当 日のウォーキ ング
は 、薩埵峠 (東海道 五
十三 次で有名地→ 切
手に も )越え に 8 名
参加 してくれます 。
東京 、千葉、埼玉 支
部の 同好会の羨ま し
い活 動に少しでも あ
やか りたいと今後 とも、役員一 同頑張るつも りで
すの で、本部なら びに各支部の ご指導、ご助 言を
頂け ますよう御願 いしてペンを 置きます。
昨年は静岡支部 設立以来 30 年 の節目を迎 え、
来し 方を振り返る と、確かでは ないが、設立 総会
開催 の案内状を 96 通 郵送したと記 憶している。
6 月 の第 31 回 総会の案内 状発送数が 382 通 を越
え、 平成 10 年卒以降の 若手を含め ると 460 名 以
上と なり、この 30 年 間で 5 倍 の会員を有す るま
でに なりました。 支部発足と同 時に幹事長に 就任
し、 以来 14 年間幹事 長を務め、 今期まで 6 年の
間支 部長として支 部の運営に少 しでもお役に 立っ
たと すれば嬉しい 限りです。
<切 手の中の東海 道五十三次
昭和 53 年 12 月、水戸勝田支部 に次いで第 5 番
目の 支部として設 立し、初代 [故 ]西 雅之 支部長
(専 電 19)、 第 2 代の 芝 和男 支部長 (専 機 20)、
第 3 代 [故 ]大 塚 裕庸 支部長 (専機 20)と御 一緒
に、 母校創立 50 周 年記念式典 で多賀工業会 功労
者と して表彰され、ま た初代理事長 [故 ]春 日 光
雄 先 生 (専 原 18)の 名 代 と して 表彰 状 を受 け 取る
事が 出来ました事 、今は只 懐かしく思い 出します 。
静 岡支部は、山 梨県の一部を 含んではおり ます
が 、東西及び南 に広いため発 足以来、東部、中 部、
(1 6 )
原、蒲原、丸 子>
著 者プロ フィー ル
1938 年生れ。 福島県出身 。 1962 年 トキコ㈱
入社 火力発電自 動制御関連に 従事。 1967 年
東海 船舶工業 {現 東海テ クノ㈱ }入社 。 2002 年
退職。趣味 は陶芸、万葉古今等 古典及び漢詩 の
鑑賞 、ゴルフ。静 岡市葵区在住
[email protected]
会報題字変更
ける ものと確 信し、これ までの題字 の筆者、 杉山
先輩 にお礼を 申し上げる 次第です。
経 緯と 揮毫者 のご 紹介
揮毫 者
お 気づ きで しょう か。 今号 から会 報の 題字が 変
わり ました。 従来のB5 版からA4 版へサイ ズを
拡大 して、会 報第 10 号 記念号を発 行したの は一
昨年 のことで すが、これ までの題字 の筆者で ある
杉 山 六郎 (昭 24 専舶 ) 先輩から「私が書 いた
会報 題字 も 10 年になっ たので、そ ろそろ変 更し
て代 替わりさ せてはどう ですか」と 近江支部 長に
電話 を頂きま した。
そ の年 11 月 に開催さ れた幹事会 では「さ し当
たっ てそのよ うな人は見 つからない から、今 暫く
の間 使わせて 頂く様にお 願いしよう 」と言う こと
にな りました 。昨年、支 部総会の担 当役割を 決め
る 時 に 8 月 か ら 幹 事 に なっ た ば かり の小 澤 茂
( 昭 43 学子 ) 氏が「名札や式次第 を書きま しょ
うか 」と言っ てくれまし た。話を聞 くと「総 会の
看板 だって」 とのことで 、総会看板 ( 2 頁の 写真
参照 )と式次 第を書いて 貰うことに なりまし た。
総 会当日こ れらの作品 の出来映え を見た人 達か
ら大 好評を博 し、会 報題字依頼 に結びつ きました 。
従 来の題字 同様に会員 の皆様に慣 れ親しん で頂
H20 年度年会費納入が例年に比し低下顕著なる
為 至近 5 年間の振込み実績を省みた。
会
(1) 年会費:年度別納入状況
16
292
274
305
23 日
18
17
278
257
294
15 日
20
18
275
252
308
14 日
23
19
279
246
302
13 日
20
茂 氏の自 己紹介 と雲峰 雅印
私の 恩師は、 有名な比田 井天
来先 生の流れ で、純正書 道の立
派な 指導者で した。
学生 時代から 茨大書道部 顧問
だっ た関南沖 先生と、武 藤海雲
先生 に御指導 を仰ぎ、両 先生が
亡く なるまで 永く可愛が って頂
きま した。
関南 沖先生は 、茨城大学 教育
学部 教授で、 付属中の校 長も歴
任し 、茨 城県談書会 代表でした 。
武藤 海雲先生 は、水戸二 高教諭・日 展篆刻の 会
友で 、全書 芸評議員 として 99 歳まで 元気に御 指導
され ました。
私 の 号 ( 雲 峰 )は 、 武 藤 先生 の 一 字 「雲 」( ウ
ン、 運)を頂 き命名され ました。
先生 から晩年 に、頂いた 雅印や古墨 は、暖か い
心の 家宝です 。還暦を過 ぎ、恩師や 先輩の有 難さ
を、 一層痛感 しています 。
年会費納入に関する調査報告
納入年度(H)
A :員数
B :員数
C :口数
総会日:10月
総会以降納入数
小澤
20
243
216
278
11 日
10
計
上月
秀俊(昭 36 学機)
<注>
A:前年に重複年度分を納入された員数を含む。
B:当年度振込みされた員数
C:当年度振込みされた口数(1 口=¥2,000)
*総会日迄に93∼95%が納入されるが総会日
は年々早まる傾向なるも総会日以降の納入者 20 年
度は半減。
(2) 年会費:卒業年代別納入推移
年会費納入推移(卒業年代別)
100
90
80
16年度
70
人
数
60
17年度
50
18年度
40
30
19年度
20
10
20年度
0
昭16∼20
昭21∼26
昭28∼30
昭31∼35
昭36∼40
昭41∼45
昭46∼50
昭51∼55
昭56∼60
昭61∼平
卒業年代別に16∼20年度毎の推移を表示
◆ 数値から見える事と対応について
①、支部創設以来の支えであった工専卆の大先輩は高齢化が進み半減方向は致し方ない。
②、半数近くを占める 30 年代の落ち込みは一時的金融危機の影響か見極め難しい所、歯止め検討を要す。
③、40 年代前半は幹事増員し増加方向に転じており同好会活動へ仲間を勧誘し中核に転ずる活動に期待する。
④、40 年代後半は定年を迎える年代で、この年代の幹事増員と同好会への勧誘が今後の拡大への焦点になる?
(1 7 )
* 会費ご納入有難うございました。納入された方で記載漏
れや間違いがありましたらご寛恕の上、ご連絡下さい。
未納の方はご入金をお願いいたします。
(敬称略、順不同)
Tel & FAX 045−891−2232(本名簿作成者:兼子)
平成20年度会費納入者
(平成21年5月31日までに納入された方)
氏名の前の□は平成19年度以前分も同時納入の方で中の数字は繰上年数を示します。
氏名の後の○は平成21年度以降分を同時納入もしくは既納入の方で中の数字は前納となる年数を示します。
昭16専機 大矢
純一
昭23専機 梅田
政夫
昭28学機 小白井
和典
昭32学原 矢野
睦男
昭16専機 坂本
衛
昭23専機 向芝
新市
昭28学原 1 戸島
日出雄
昭32学原 榊原
康夫
昭16専原 小川
義夫
昭23専原 飯島
公正
昭28学原 柳沢
裕
昭32学電 田口
嘉男
義雄
昭23専金 村山
昭平
昭28学電 稲見
孝
昭32学電 田崎
耕八
昭17専機 大野
三知雄
昭23専電 塩野
譲
昭28学電 近江
義勝
昭32学電 山下
正明
昭17専機 岡崎
幸晴
昭23専通 荒川
宣夫
昭28学電 白瀬
達郎
昭32学電 渡辺
英雄
昭17専機 田邊
邦行④
昭23専通 大木
康夫
昭28学電 玉川
信二①
昭32学電 小室
秋生
昭17専原 鏑木
正
昭23専通 馬場
昭
昭28学電 橋本
久美
昭33学機 奥
昭17専金 田邊
良美
昭23専通 広瀬
琢朗
昭28学電 藤田
史郎
昭33学原 山崎
勝雄
昭17専金 依田
連平
昭23専通 松沢
清次
昭28学電 山崎
恵三
昭33学金 三浦
陽
昭17専電 小林
幹
昭23専舶 森
栄一郎
昭28学電 大森
通
昭33短電 伊藤
誠二
昭18専機 菅原
庄一①
昭23教電 斉田
耕平
昭28学電 中原
太平
昭34学原 粕谷
宏夫
昭18専機 宮崎
至誠
昭23教電 千野
吉治
昭28学金 赤城
清
昭34学電 1 結城
昭18専機 山本
栄治
昭24専機 小林
長和
昭29学機 雨澤
道雄
昭34学電 高野
史雄①
昭18専金 市島
健男⑧
昭24専機 戸田
慶昭
昭29学機 永島
隆
昭34学電 高橋
孝雄
昭18専金 山田
実
昭24専原 真中
和夫
昭29学原 石橋
弘②
昭35学機 高野
久弘
昭24専精 鳥山
尚利
昭29学原 大久保
昭36学機 上月
秀俊
昭16専原 故・林
昭19専機 大和田
光徳
半吾
二郎
昭24専精 平木
康一
昭29学原 奥野
昭19専原 藤田
勲
昭24専電 白石
壽男
昭29学電 森
昭19専精 小泉
篤
昭24専電 前川
信雄
昭29学金 照沼
清
昭36学機 林
昭19専精 小泉
正男
昭24専通 城田
一成
昭30学機 佐藤
久弥
昭36学機 真下
知行③
昭19専精 橋本
良夫
昭24専通 戸木
禮一
昭30学原 石川
英二
昭36学機 松本
延四郎
昭19専精 柳田
裕美
昭24専舶 小峰
弘
昭30学原 鈴木
日出男
昭36学機 横山
馨
昭19専通 飯村
亮三
昭24専舶 杉山
六郎
昭30学電 1 木村
好延
昭36学電 小宅
仁
昭19専通 酒井
忠光
昭24教電 浦井
猛
昭30学金 黒沢
正蔵
昭36学電 川松
正長
昭25専原 忍田
邦夫
昭30学金 三本木
武
昭36学電 橋本
正直
昭31学機 早乙女
保二
昭37学機 圷
謙次郎
章太郎
昭36学機 境
佑
昭19専原 杤本
昭20専原 海老原
真治
康治②
茂郎
昭36学機 笹生
右
輝
昭20専原 友保
伊弘
昭25専精 4 加藤
昭20専精 山田
初太郎
昭25専電 高橋
清
昭31学機 横山
亨夫
昭37学機 岩田
正路
昭20専精 田島
廣一
昭25専電 村山
錦右
昭31学機 新田
和夫
昭37学機 野本
光彦①
昭20専電 竹内
靖夫
昭25教機 酒井
三郎
昭31学原 瀬在
城雄
昭37学機 1 堀
恒夫
昭20専電 都築
久一①
昭26専原 永山
正美③
昭31学原 山崎
慎一郎
昭37学電 上田
正雄
昭26専原 渡邊
貢
昭31学電 大内
孝
昭37学電 田北
嵩晴
昭22専原 2 石川
義男②
達男
弘
昭22専通 幸道
貞一
昭26専精 関内
正
昭31学電 藤川
俊明
昭37学電 西川
正登
昭22専通 谷口
貞作
昭26専通 菊地
玲二⑦
昭31学金 細井
陽子①
昭37学金 篠原
康祐
昭22専通 中村
弘
昭28学機 坂場
昭二
昭32学機 伊藤
義次
昭37学金 舟田
隆
昭22専通 前田
豊昭
昭28学機 坂本
泰彦
昭32学機 國井
榮次①
昭37学化 阿部
徳治
昭22専通 今井
俊夫
昭28学機 関
昭32学機 柴田
勇治
昭37短機 白川
勇一
昭22専通 保坂
博
昭28学機 高田
昭32学機 平沢
正一
昭38学機 河上
弘一
英雄
丈夫
(18)
昭38学機 小林
一①
昭38学電 橘
昭40学金 松本
二郎
昭44学子
笹島
晃
昭38学機 駒場
方耀
昭38学電 寺内
昭40学化 高久
洋
昭44学子
常盤
浩央
昭38学機
昭38学機
昭38学機
昭38学機
桜井
佐藤
丹下
豊田
衛
幸一
宏
元雄
昭38学電
昭38学金
昭38学化
昭38学化
昭44学子
昭44学精
昭44学精
昭45学機
堀口 正治
岩波 茂
菊地 政行
2 畠山 清
昭38学機 寺門
昭38学機 半田
昭38学機 益子
章
守正
洋一
昭38学化 松浦
昭38学化 矢部
昭38学精 磯部
正明
功一①
亮
昭41学化 青野
昭41学精 高橋
昭42学機 菅谷
潔
徹男
禎男①
昭45学電
昭46学電
昭46学子
小滝
飯塚
栗原
麟太郎
英一①
功幸
昭38学電 今橋
富美男
昭38学精 市村
敬司①
昭42学機 藤嶋
久波
昭46院機
岡本
和彦④
昭38学電 大竹
充②
昭38学精 黒羽
昇
昭42学電 森田
徹郎①
昭47学機
高田
洋②
昭38学電 大久
忠雄
昭38学精 矢嶋
國男
昭42学金 小薗井
健①
昭47学機
日置
秀明
昭38学電 兼子
八郎④
昭39学機 北島
正保
昭42学精 下ノ村
勇④
昭47学子
五十嵐
昭38学電 後藤
紀夫
昭39学機 三好
成實
昭42学精 山本
蕃
昭49学金
松田
昭38学電 小林
渡
昭39学機 小林
章夫②
昭43学機 遠藤
義和①
昭54学精
鳥居塚
昭38学電 佐々木登喜夫③ 昭39学機 須藤
和英②
昭43学電 後藤
豊弘④
昭55学精
二方
甲子夫
昭38学電 1 庄田
六郎
昭43学子 小澤
茂
昭57学機
小林
裕一
昭43学子 佐藤
将彦
昭57学機
水口
一郎
弘道②
昭59学子
仲澤
斉
幸夫
弘
賢一②
広瀬 行一②
海老原 雄二
白石 道彦①
高木 二郎
昭39学機 佐川
俊彦
昭40学化
昭40学精
昭40学精
昭40学精
田中 栄太郎
大泉 雅靖
寺 紘一②
堀野 州男
喜良
研治
卓
昭38学電 田川
政行④
昭39学電 原
昭38学電 橋本
政巳
昭39学電 大原
広哉
昭43学子 鈴木
昭38学電 熊谷
文男①
昭39学金 入江
暢泰①
昭43学子 2 角田
勇
昭60学精
豊福
秀敏
昭38学電 高萩
隆司
昭40学機 熊倉
通
昭43学子 4 野崎
淳一
平04学情
秋山
英樹
昭38学電 小島
淳
昭40学機 佐藤
道夫
昭43学化 池上
毅
平08院生
東
昭38学電 坂野
栄
昭40学電 山崎
輝行
昭44学子 石川
久
平成19年度分会費納入者
昭28学原 山口
茂男
昭38学機 中村
好秀
平成20年度寄付者名簿
昭26専通 菊地
玲二
2,000
昭28学機 斎田
和夫
10,000
年会費納入のお願い
:
學
合計
243名
平成20年度分と同時納入の方は、平成20年度会費納入者
欄の氏名左側に数字入りの□印をつけて表示しています。
ご寄付有難うございました。
(平成20年6月1日∼平成21年5月31日まで)
昭38学機 豊田
元雄
10,000
添付の払込取扱票でお早めにご入金下さい。
皆様に納入して頂く年会費とご寄付が当支部の主な財源となっています。
この年会費納入者名簿にお名前がなければ、昨年度(平成20年度)の年会費は未納となっています。
会員の皆様の過去5年間分の会費納入状況データを、皆様宛会報送付封筒の宛名書き部分に、表示しました。
卒業年学科の後の(H16∼H20)に続く、「1」と「0」だけからなる5桁の数字です。「1」は年会費納入を
示し、「0」は年会費未納を示します。H16年からH20年までの納付状況が、5桁の数字の左側から右側に
向けて順に表示されています。下記例示をご覧下さい。
<宛名サンプル例示>
(A)、11111→5年間分完納。
(B)、11110→4年間納付したが昨年度分は未納。
(C)、11100→3年間納付したが一昨年から2年分未納。
(D)、00000→この5年間未納。
(E)、00111→H18から3年間納付。
(19)
101-1234
会報12号在中
東京都千代田区多賀町1-2-3
多賀本町住宅 3番街 5-2345
多賀専 学太郎様
ます 。
初回 の棋力は申告 制で、ハンデ ィ制を採用し て
囲碁同好会
会長
田中
いて 、段級位にか かわらず、勝 つチャンスが ある
よう な運営システ ムでやってい ます。成 績次第で 、
段級 位が昇降しま す。囲碁に関 心のある方は 、ご
栄 太郎( 昭 40 学 化)
現在 、会員の登録 者は、専 通 22 の大先輩か ら
学 子 44 の若手ま での方々43 名で、棋力は 七段
参加 ください。会 費は 3,000 円 (入場料、運 営費
を含 む)で 1 位から 6 位までの 方と実力を発 揮で
から 4級までいろ いろです 。大会は 、年に4回 で、
2月 、5月 、11月 の第 2 土曜 日と8月の第 1土
きな かった方 1 名に奨励賞が 授与されます( スイ
ス方 式を採用 )。
曜日 に東京市ヶ谷 の日本棋院( 3F 椅子席室)で行
いま す。試合は、 午前10時か ら夕方まで、 参加
対局 終了後、会場 近くで、希望 者による簡単 な
懇親 会を行ってい ます。
者各 人が5回対局 する方式で熱 戦を繰り広げ
←→
第38回 対局風景
大会入賞者(支部会報第 11 号記載以降)
大会
開催日
優勝
準優勝
三位
四位
五位
六位
奨励賞
参加者
35
2008
山田三段
小白井二段
白石初段
高田三段
山下七段
石川初段
海老原 2 級
18 名
08-02
(電 42)
(機 28)
(化 38)
(機 28)
(電 32)
(原 30)
(金 38)
2008
関 三段
寺内三段
小白井二段
田中四段
白石初段
田口五段
海老原 2 級
11-09
(機 28)
(電 38)
(機 28)
(化 40)
(化 38)
(電 32)
(金 38)
2009
兼子二段
寺内三段
照沼四段
田口五段
小白井二段
幸道初段
近江 4 級
02-14
(電 38)
(電 38)
(金 29)
(電 32)
(機 28)
(通 22)
(電 28)
2009
山下七段
高橋五段
山田四段
白石初段
真下七段
田口五段
海老原 2 級
05.09
(電 32)
(精 41)
(電 42)
(化 38)
(機 36)
(電 32)
(金 38)
36
37
38
会員名簿(H21 年 5 月 9 日現在)
幸 道 貞一 (22 専通 )二段
野 坂 賢司 (22 専電 )3級
小 白井 和典 (28 学 機 )二 段
関
英雄 (28 学機 )三段
高 田 丈夫 (28 学機 )三段
近 江 義勝 (28 学電 )4級
照沼
清 (29 学金 )四段
石 川 英二 (30 学原 )初段
山 崎 慎一郎 (31 学 原 )1 級
田 崎 耕八 (32 学電 )二段
小 室 秋生 (32 学電 )三段
田 口 嘉男 (32 学電 )五段
山 下 正明 (32 学電 )七段
穂 坂 邦光 (32 学金 )初段
高 橋 孝雄 (32 学電 )三段
加入連絡窓口 :田 中
笹生
小波
真下
小室
岩田
田北
上田
櫻井
豊田
兼子
広瀬
寺内
根本
新沼
矢萩
右 (36 学機 )3級
倭文朗 (36 学 機 )初 段
知行 (36 学機 )七段
哲夫 (32 学金 )四段
正路 (37 学機 )二段
嵩晴 (37 学 電 )初 段
正雄 (37 学 電 )三 段
衛 (37 学機 )三段
元雄 (37 学機 )三段
八郎 (38 学電 )二段
行一 (38 学電 )二段
賢一 (38 学電 )三段
勤 (38 学電 )四段
厚生 (38 学電 )五段
久 (38 学電 )五段
(20)
栄太郎
Tel/Fax
17 名
19 名
20 名
0466- 82-4988
海 老原 雄二 (38 学 金 )3 級
白 石 道彦 (38 学化 )初段
矢 嶋 國男 (38 学精 )二段
原
俊彦 (39 学電 )四段
高久
洋 (40 学化 )二段
田 中 栄太郎 (40 学 化 )四 段
森
俊和 (40 学化 )六段
高 橋 徹男 (41 学精 )五段
菅 谷 禎男 (42 学機 )2級
井 上 宗治 (42 学機 )三段
山 田 惠規 (42 学電 )四段
藤 沼 隆夫 (43 学機 )三段
五 十嵐 幸治 (44 学 子 )
旧制水戸高校と
親善囲碁大会
高田
山遊会
丈 夫 (昭 28学機 )
本 大会は毎回千 葉県支部、埼 玉支部からの 応援
参加 を得て、溜池 山王の細川ビ ルで年2回行 われ
てい ます。
◇第 3回 :平 成20年 8月 16日 (土 )
参加 者:水高 側12名 、多 賀工業会側 13名 。
4勝 0敗 山下 正明、佐藤 隆義、高田 丈 夫
3勝 1敗 田口 嘉男、益子 洋一、
小白 井 和典、粕 谷 利夫
2勝 1敗 高橋 孝雄
2勝 2敗 兼子 八郎、関 英雄、幸道 貞一
1勝 3敗 阿部 哲、石川 英二
<賞 >4戦全勝賞:山 下、
佐藤 、高田の 3氏
結果 は多賀側 の34勝17敗
と又 も偏 った勝敗 となりまし
た。勝 敗 の偏 りを補正 する
ため、多賀工 業会側会員 の
持 ち点 を5点程度 加算 する
ことにしました。
◇第 4回 :平 成21年 2月 21日 (土 )
参加 者:水高 側9名 、多賀工業会 側16名 。
定着 の感が見える 事は多くの方 々の支えによ る
もの と、感謝申し 上げます。多 賀工業会側の 出席
者が 多いので、多 賀同士の対戦 はやむを得な いと
して 、水高の方は 出来るだけ多 賀出席者と対 戦す
る事 とし、1人 4局制で実施し ました。結果は 多賀
出席 者の 32勝 31敗とな りました。前 3回の 碁会で
は多 賀の圧勝とな りハンデの調 整に苦心して きま
した が、ようやく 出席する方々 がハンデを気 にせ
ずに 碁を楽しめる 会に出来たと 、幹事として 少し
安心 しました。次回か らは 1勝+ 1点、1敗 − 1点の
通常 方法で持ち点 を決めてゆき ます。
4勝 0敗 森 俊和、益子 洋一
3勝 0敗 高橋 孝雄
3勝 1敗 山下 正明、田口 嘉男、関 英雄
2勝 2敗 佐藤 哲雄、兼子 八郎、幸 道 貞一 、
石川 英二
1勝 3敗 照沼 清、高田 丈 夫 、 粕 谷 利 夫 、
白石 道彦
0勝 4敗 上田 正雄、小白 井 和典
<賞 > 4戦全勝 賞:森、益子 の 2氏
特別 賞:高橋氏
第 5回水高 、多賀工業会 囲碁会は8月 29日(第
5土 曜日) の開催を約束 しお別れしま した。
次 回も多数の方 々の参加を期 待しておりま す。
(2 1 )
会長
菅 谷禎男( 昭 42 学 機)
20 年度は 3 回の山行を行 い、12 月 6 日には 13
名の 出席を得て総 会並びに忘年 会を行いまし た。
総会 では、山遊会 を創設し、こ れまで会の発 展の
ため に尽力されて こられた、知 力、体力、経 験と
もに 秀でた小宅 仁(昭 36 学電 ) 会長がご都合に
より 会長を辞任さ れました。力 不足ですが推 薦に
より 菅谷が会長を 務めることに なりました。 皆様
のご 指導ご鞭撻の もと、精一杯 がんばってい きま
すの でよろしくご 支援をお願い いたします。 小宅
会長 には顧問とし て今までどお り会を引っ張 って
いた だきます。な お、総会では 会則及び運営 要領
の一 部改正等をし ました。
会員 は藤 田勲 ( 19 専 原 ) さん、杤 本 二 郎( 19
専 原)さんの大先輩を始め 、40 人 弱ですが、これ
から も活発な活動 をしていきま す。本年もイ ンタ
ーネ ット上のホー ムページ「多賀工業会 東京支部 」
にて 山行ごと参加 者募集をして います。計画 案を
検討 され、ご自分 の体力等も勘 案し、皆様奮 って
参加 の申し込みを してください 。
1 .第 21 回 守屋山と 高遠の桜 日帰り登 山
実 施日: 2008 年 4 月 19 日( 土)日帰 り
企画及び リーダー :田崎耕 八(昭 32 学 電)
参加者: 7 名
絶 好の登山日和 となったこの 日、9 時 10 分中
央線 茅野駅に集合 した参加者7 名は2台の車 に分
乗し 杖突峠登山口 (駐車場)へ と向かった。 駐車
場で 軽くストレッ チの後、9 時 45 分登山を開 始し
た。 胸付き坂(斜 面がきついと ころ)を過ぎ クサ
リ場 でピークとな るがクサリが 無くても登れ る程
度で 、 11 時 30 分東峰頂上 1631.2m に 到達した 。
展 望を楽し んだ後 、守屋 山頂(西 峰) 1650.3m、
12 時 5 分に到達 した。ここで昼 食をとりしば し休
憩す る。 1 時 50 分キャン プ場着、ここ で小休止 、
丁度 芽が出ていた 座禅草の写真 を撮る。
3 時 前に 駐車場に帰り 着き第一目 的地の守屋山
登山 は終了した。
再び 車に分乗し第 二の目的地高 遠城址公園へ 向か
って 出発した。高遠城址公園 に到着、大枚 500 円
を払 い入場した。公 園内の 1,500 本の小彼岸 桜が
が、当日は 曇り、7 日 8 時 42 分、沼津駅南口 改札
口を 出ると皆さん お揃いでした 。バスで黒瀬 まで
行き 、香陵台へ軽 く上り、登山 準備と簡単な 自己
紹介 の後、登山を 開始しました 。
昨 日まで の雨に もかか わらす 登りやす い道で 9
時 50 分 には香貫山 (193m )に着き ました。
今を 盛りと咲きほ こる風景はさ すがに見応え があ
った 。園内見学の 後、中央自動 車道を一路、 八王
子へ 、途中談合坂 で軽い夜食を とる、途中渋 滞も
なく 8 時に八王 子駅前に無事 到着し解散、各 自家
路へ と急いだ。
[東 京 支部 HP 報告書 (報告者:矢 野より)抜 粋 ]
2 .第 22 回 湯ノ丸山 と四阿山 一泊登山
実施日: 2008 年 6 月 21 日 (土) ・22 日 (日)
企画及び リーダー :田崎耕 八(昭 32 学 電)
参 加者: 7 名
国 の天 然記念 物に指 定さ れてい る湯の 丸レ ンゲ
ツ ツ ジ 群 落を み な がら 、 湯 の丸 山 (標 高 2,101m)
へ地 蔵峠から登り ました。この あと池ノ平湿 原ま
で足 をのばし、高 山植物の女王 といわれるそ うで
すが 金網で囲い守 られているコ マクサ園を見 学し
まし た。 350 名収 容と言われる 日本ダボスホ テル
山喜 荘に泊まりま したが、雨天 予報が出てい たの
で広 々とした大食 堂に客は我々 のパーティだ けで
した 。
↑ 四阿山( 標高 2,354m) 頂上の 参加者全 員
二日 目は長野県の 菅平高原ダボ ス牧場から花 の
百名 山(田中澄江 著)に選ばれ ている根子岳 (標
高 2,128m)、日本百名山(深田久 弥著)に選 ばれ
て いる四 阿山 (標高 2,354m)に 登りま した 。根
子岳 から四阿山に 向かう途中の 十ガ原の笹原 を過
ぎて から、本降り となり合羽着 用を余儀なく され
まし た。牧 場の駐車場に ついてからの 1杯 300 円
の牛 乳は何とも云 えないおいし さでした。
真 田温泉で汗を 流してから、 静岡から来ら れた
前田 さんと別れ、 本体6人は小 宅さんと林さ んの
車に 分乗して上信 越、関越、圏 央道を走り、 拝島
駅で 散会しました 。長時間運転 をされたご三 方に
は本 当に御苦労を おかけいたし ました。
[東 京 支部 HP 報告書 (報告者:兼 子より)抜 粋 ]
3 .第 23 回 沼津アル プスと幕 山梅林一 泊登山
実施日: 2009 年 3 月 7 日(土) ・8 日(日 )
企画及び リーダー :田崎耕 八(昭 32 学 電)
参 加者: 15 名
今回 は静岡支部と の合同開催で 、静岡支部か ら
は 5 名が参加、計 15 名での登 山でした。連 日、
ビチ ョビチョの冷 たい雨と強い 風の悪天候で した
(2 2 )
↑ 香貫山 (193m )頂 上で参加 者全員
下っ ての八重坂峠 からは急な上 りとなり、道 の
左側 にずっと張っ てあるトラロ ープに掴まり 登る
のだ が、道は粘土 でぐちゃぐち ゃの泥濘、滑 るも
のだ から腕の力で 上らなければ ならない状況 でし
た。悪戦苦闘して 11 時 5 分に横 山( 183m)に着
き記 念撮影、急な 下り坂をトラ ロープに掴ま りな
がら 横山峠に下り たところで2 名は無理をせ ずエ
スケ ープコースへ と下りました 。横山峠から は鎖
を使 った直登急坂 の斜面、雨天 でなくて本当 によ
かっ た。広い芝生 の山頂ではた くさんの人が 昼食
中で した。富士山 の眺望はだめ でしたが、曇 り空
なが ら静浦漁港を 眼下にした山 頂からの景色 が良
くゆ っくりできま した。昼食後 、ぬかるみで 滑る
道を ロープ代わり に張った竹棒 を手摺りにし て志
下坂 峠へと下りま した。ここで 5 名がエスケ ープ
コー スへ下りまし たのでチーム は 8 名となり まし
た。 狭い尾根伝い に馬込峠、志 下峠、大きな 岩の
下の 中将宮を過ぎて 14 時 40 分 に今回の最高 峰の
鷲 頭 山 ( 392m) に 到 着 、 小 休 止 の後 、 多 比 峠 を
過ぎて 15 時 30 分 に多比口峠に たどり着きま した。
ここ から太平山 (356m)の 往復 (約 30 分 )を 6 名 が
登り 、 16 時 10 分 に江浦湾の多 比バス停へと 下り
まし た。宿泊の「 KKR 沼 津はまゆう」には 17 時
過ぎ に到着しまし た。宿泊者は 紅一点を加え 、計
12 名 でした。6 時半 からの宴会では 3 年前に 実施
した「草紅葉の 尾瀬ヶ原と燧 岳」登山 のビデオ(前
田 勉(昭 37 学機 ) さん編集)が上映され、 一層
盛り 上がりました 。
8 日 は 10 名が バス、 JR、バス と乗り継いで 湯
河原 の幕山公園に 向かいました 。見ごろには ちょ
っと 遅いかなとい う感じでした が遅咲きの梅 を見
な が ら 、 幕 山 登 山 を 楽 し み ま し た 。 頂 上 (626m)
では 公園で買った おにぎりを食 べ、田崎リー ダー
が運 んでくれた昨 夜の焼酎をお 湯割にして乾 杯、
あっ という間の3 時間半でした が幕山公園に 戻っ
て缶 ビールで喉を 潤し、15 時に 湯河原駅で解 散を
しま した
[東 京 支部 HP 報告書 (報告者:菅 谷より)抜 粋 ]
参加 者: 17 名(敬 称略)
上月 (36 機 )、真 下 (36 機 )、 小林 (38 機 )、
駒場 (38 機 )、大 久 (38 電 )、 兼子 (38 電 )、
磯部 (38 精 )、森 (40 化 )、大 泉 (40 精 )、
青野 (41 化 )、小 澤 (43 子 )、 佐藤 (43 子 )、
角田 (43 子 )、千 ヶ崎 (43 子 )、 野崎 (43 子 )、
五十 嵐 (54 化 )、 二方 (55 精 )
優 勝: 大久、準優勝: 佐藤、3 位 : 二方
DC: 青野、 二方
ド ラ短 : 佐藤、大泉
NP: 磯部、佐藤 、青野
☆ 大久さんが、 小林さんの 3 連覇を阻止 し、
実力 を発揮して初 優勝しました 。
尚、 初参加 4 名の活躍は 見事で、特に 二方
さんの 39 には全員が 刺激されまし た。
ゴルフ同好会
幹事
小澤
茂 (昭 43 学 子)
年間 行事として春 秋 2 回のコ ンペと 5∼ 6 月 に
5 支 部懇親コ ンペを開催し ています。
(1 ) 平成 20 年 4 月 16 日 (水)
第 14 回 紫カ ントリークラ ブあやめ東コ ース
参加 者: 18 名
(2 ) 平成 20 年 6 月 11 日( 水)
紫カ ントリークラ ブあやめ東コ ース
4 支 部(東京(今 回幹事)→ 2、埼玉→ 2、千 葉
県& 水戸勝田→ 1 の6チー ム参加)懇 親コンペ
(以 上については 会報第 11 号で既報 )
(5 ) 平成 21 年 6 月 10 日 (水)
4 支 部懇親 コンペ :千葉県支部が 幹事担当
藤代ゴ ルフクラブ 参加者: 24 名
東京支 部代表: 8 名(敬称略 )
A:大久 (38 電 )、小林 (38 機 )、磯 部 (3 8 精 )、
青野 (41 化 )、
B: 兼子 (38 電 )、大 泉 (40 精 )、千ヶ 崎 (43 子 )、
小澤 (43 子 )
☆ 東京 A チー ムは、小林 さん (2 位 、 BG)の
活躍 もあり準優勝 となりました 。
(3 ) 平成 20 年 11 月 11 日(火)
第 15 回 大厚木 カントリー倶 楽部桜コース
参加 者: 15 名(敬 称略)
友保 (20 原 )、酒井 (25 教 )、玉川 (28 電 )、
上月 (36 機 )、上 田 (37 電 )、 磯部 (38 精 )、
大久 (38 電 )、兼 子 (38 電 )、 小林 (38 機 )、
駒場 (38 機 )、北 島 (39 機 )、 青野 (41 化 )、
小澤 (43 子 )、佐 藤 (43 子 )、 石川 (44 子 )
優 勝 :小林、準 優勝 :大久、3 位 : 駒場
DC:小林 (2) ド ラ短 :玉川、駒場
NP: 大久 (2)、上田、 青野
☆ 小林さんが見 事な 5 オー バーで上がり 、常
勝の 上田さんを破 って、ベスグ ロで 2 連 覇
を飾 りました。
(6 ) 平成 21 年 11 月 18 日(水 )<第 17 回>
紫カン トリークラブ あやめ東 9: 30
参 加 者:募集 中
連 絡 窓口
(4 ) 平成 21 年 4 月 16 日 (木)
第 16 回 紫カン トリークラブ あやめ東コー ス
小澤
茂
(入会歓 迎です! )
TEL: 045-861-6718
写真:H21-4-16 紫CCあやめ東
汗を流し表彰式を終えて
後列左から 兼子、二方、森、五十嵐、千ヶ崎、角田、野崎、真下、磯部、佐藤
前列左から 小澤、青野、上月、大久、小林、駒場、大泉 (敬称略)
(2 3 )
定しました。
鈴 木 日 出 男 顧 問 が 講 師 と な り 、「 カ メ ラ 振
れ・ホワイトバランス・撮影テクニックのそ
れぞれについて」の講習会を実施しました。
写真同好会
会長
小林
渡(昭 38 学電)
東京支部写真同好会「多賀いちょう写真部」は
現在会員 13 名、年 2 回の撮影会を実施しており
ます。埼玉支部「ワンダーフォトクラブ」と連携
し相互の撮影会に参加、技術の向上、親睦を深め
ております。(文中敬称略します)
*
平成 20 年度の活動状況は以下の通りです。
* 「こうがく祭」写真展出展
平成 20 年 5 月 31 日(土) 10 時∼17 時
工学部事務棟ロビーに展示。東京支部出展者 5
名、17 点、南極昭和基地、チベット・ラサ、
中 国 、ギ リシ ャ、 エー ゲ海 、日 本、 国際 色豊
な傑作が出展出来ました。
*
秋の撮影会
平成 20 年 9 月 23 日(日) 馬事公苑「愛
馬 の 日」 で実 施、 昨 年に 続い て伝 統の 「流
鏑 馬」 と共 に勇 壮な 本場 相馬 の「 甲冑競 馬 」、
「 神 旗争 奪戦 」が 実施 され 、撮 影に も熱 が入
りました 。参加者 玉川 信二( 28 学 電)、山
崎慎一郎( 31 学原)、澤野 孝慈( 37 学機)、
小林 渡( 38 学電)、三好 成實(39 学機)、石
川 久(44 学子)の 6 名です。
*
巾着田の彼岸花撮影会
埼玉ワンダーフォトクラブ企画
平成 20 年 9 月 26 日(金) 高麗の里 巾
着田 曼珠沙華公園で実施、辺り一面咲き誇る
彼岸花、今が身頃 撮影に夢中になりました。
その後高麗神社に移動、帰りは遅くまで懇親会、
楽しい一時を過しました。参加者 総勢 11
名 東京からは 小林 渡、三好 成實、石川
久の 3 名が参加しました。
会員活動状況
斎田和夫(28 学機)、鈴木 日出男は全日写
連 埼玉県本部大宮支部、小林 渡は同神奈川
県本部旭支部、堀口正治(44 学子)は同茨城県
那珂支部に属しそれぞれの活動をしておりま
す。
* 平成 20 年度の主なニュース
・ 斎田 和夫、6 月、
「第 58 回埼玉県展」入選、
8 月、米国「オレゴン州国際写真展」2 作品入
選、9 月、「全日本モノクロ写真展」入選。
・ 鈴木 日出男、6 月、「第 58 回埼玉県展」入
選、 9 月、「第 25 回埼玉県サロン展」奨励賞、
9 月「彩の国プラチナフェステバル高齢者創作
展」写真の部 埼玉県知事賞。
・ 小林 渡、7 月「古都鎌倉から湘南大磯撮影会」
特選、「全日写連神奈川県本部 7 月度例会」特
選、11 月「第 2 回神奈川の風景フォトコンテ
スト」入選、11 月「第 53 回全神奈川写真サロ
ン公募展」特選。
・ 堀口 正治、11 月「第 23 回国民文化祭いば
らぎ」写真の部入選。
入 会 のご 案内
*
の方 歓迎します。撮影会の案内は東京支部
HP に掲載しております。
連絡窓口
秋の撮影会 2
平成 20 年 10 月 19 日 蔵の街、小江戸、川
越市「川越祭り」で実施、石川 久参加。
*
本土寺の紅葉撮影会
埼玉ワンダーフォトクラブ企画
平成 20 年 11 月 30 日(日) 紅葉寺として
有名な松戸市本土寺で実施。参加者 16 名、
東京から鈴木 日出男(30 学原)、小林 渡、
三好 成實が参加しました。
*
平成 21 年度支部会報表紙に掲載する写真選
定と講習会の開催
平成 21 年 2 月 21 日(土)に東京知道会事
務所にて実施し、三好 成實氏( 39 学機)作
品「アンダマンの夕日」を支部会報表紙に選
(2 4 )
小林
渡
TEL/FAX 045-363-0785
E-mail : koba-wt@nifty
写真
*
特 にデジ タルカ メラ に趣味
: 写真同好会会合 平成 21 年 2 月 21 日
前列左から 玉川、菊地、三本木、鈴木
後列左から 小林、三好、山崎、高橋
平成 20 年度多賀工業会東京支部総会時写真展
氏 名
卒 年・科
題 名
灯を点す
狭い通路
斎田
和夫
昭 28 学機
玉川
信二
昭 28 学電
鈴木 日出男
昭 30 学原
山崎 慎一郎
昭 31 学原
澤野
小林
孝慈
渡
昭 37 学機
昭 38 学電
三好
成實
昭 39 学電
高橋
伸二
昭 41 学機
撮影場所
出展作品一覧
備
考
ネパール
ベトナム
2006 年モノクロモノトーン展準特選
ふれあい
朝 日 と 遊ぶ
チベット・ラサ
豪州・ゴールドコースト
第 56 回埼玉 県展入選
港に活
いわき市・小名浜漁港
馬高く
馬事公苑
グルメ猫
袋田温泉
2007 年 JPA 展会員出展
梵 天 騎 鳥像
ターラー菩薩坐像
エーゲ海の太陽
シー・ブリーズ
第 25回埼玉県写真サロン展奨励賞
2006 年全神奈川写真サロン展審査員特別賞
2005 年 全神奈川写真サロン展入選
エーゲ海クルーズ船上
横浜・ベイサイドマリーナ
修業僧
鎌倉・建長寺
2007 年 全神奈川写真サロン展入選
渚に遊ぶ
鎌倉・由比ヶ浜
2008 年全日写連神奈川県本部月例会特選
秋田・湯沢市
町田市・薬師池
2008 年全日写連神奈川県本部月例会入選
不 思 議 な鏡
ひっそりと・・・
か た ぐ るま
川崎大師風鈴市
夜明け
静岡県・田貫湖畔
やさしく散歩
踊る女
下妻市・小貝川河川敷
秋田県羽後町・西馬音内
流鏑馬
石川
久
昭 44 学子
愛馬の日
馬事公苑
神 旗 争 奪戦
堀口
正治
昭 44 学子
地球讃歌
大地の詩
ヒマラヤの残照
空中給餌
南部アフリカ
ザンビア共和国
第 23回国民文化祭いばらぎ2008入選
ネパール連邦民主共和国
茨城県那珂市自宅
写真展示風景
(2 5 )
2008 年全日写連那珂支部月例会一席
こうがく祭写真展示会見学記
石川
改築された 多賀工業会館 (写真展会場 )
図4
写真同好の 虫と写真展示
久 ( 44 学 子 )
平成 21 年 6 月 6 日(土)茨 城大学日立キ ャン
パス において「こうがく祭 +オープンキ ャンパス 」
が開 催され、埼玉 支部ワンダー フォトクラブ と東
京支 部多賀いちょ う写真部は写 真展に参加し まし
た。 身近な研究活 動、サークル 活動を通して 、大
学と 地域との密接 な交流を促進 することも一 つの
目的 で、開催 は今回を含め て 4 回目との ことです 。
我々 OB も写真 撮影を通 して多賀工 業会の支 部活
動を 在学生・教職 員・地域の方 々に理解して 頂く
ために 2 度目の 参加となりま す。展示は多賀 工業
会館 の多目的ホー ルで行われ、 国内外の写真 展等
で発 表された作品 に加え入賞は しなかったも のの
各自 腕自慢の写真 が数多く展示 されました。
久し ぶりに日立キ ャンパスを訪 れましたが、 い
まは 立派に整備さ れた校舎が建 ち並び、私た ちが
通っ た昭和 40 年 代の木造校舎 の面影はなく 、鉄
筋 コンク リート 造りの 立派な 校舎が 並び、 緑の
木々 も増えたよう に思えました 。構内にはい わゆ
る大 学の学園祭ら しく、焼きそ ば、たこ焼き に代
表さ れる模擬店が 出展され、活 気に満ち溢れ てい
まし た。
図1 写真展入口 状況
図2
図3
写真 は改築された ばかりの多賀 工業会館多目 的
ホー ルで展示され ました。作品 は合計で 43 点 で
すが 、国内で撮ら れた風景や海 外で撮られた 風景
を単 写真や組写真 で表現された ものでした。 埼玉
支部 ・東京支部の 写真同好の虫 は、前日雨に もか
かわ らず五浦海岸 に集まり撮影 会を行い駆け つけ
まし た。こうがく 祭の写真展示 では、それぞ れの
作品 を評価し合っ てとても楽し そうでした。 埼玉
支部 からは白石幹 事長、東京支 部から三本木 幹事
長が 見学に来てお られました。 また、多くの 来場
者が 、変化に富ん だ作品を興味 深そうに見入 って
おり ました。栃木 県支部の方々 が貸切バスで 大勢
来ら れ、びっくり しました。ま た、中部支部 から
も見 学に駆けつけ られ、作品の 題名、作者や 卒業
年度 を確認ながら 懐かしそうに 鑑賞されてい たの
が印 象的でした。
賑う日立キ ャンパス
茨城 大学を盛り上 げる一方法と して、遠方に 住
む OB が 写真展を 開くことは効 果があるもの の、
この ような機会を 通して、多賀 の地に OB が 集ま
るこ とを企画し実 施した本部お よび各支部の 幹事
の方 々の配慮に感 謝するととも に、今後写真 展以
外に も普及させ、 それを積み重 ねることが、 多賀
工業 会の役割とな ると思う次第 です。
東 京支部の 写真出展 者:鈴木 日出男( 30 学原 )、
山崎 慎一郎( 31 学原)、澤野 孝慈( 37 学 機)、
澤野 弘( 38 学精 )、小 林 渡( 38 学 電)、
堀口 正治( 44 学 子)、 石川 久( 44 学子)
オー プンキャンパ スの名の通り 、在学生はも と
より 一般の方々、 卒業生、近隣 の大学・高校 生等
を対 象にしたイベ ントも多く、 風鈴作りコー ナー
や空 手演舞コーナ ーも開かれて いました。各 建物
の中 では研究室が 日頃の研究活 動や研究の成 果を
紹介 しておりまし た。
(2 6 )
が 、 今 回 も全 員 参 加で パ ー ティ 終 了 後懇 親
会 を 行 い まし た 。 柳澤 さ ん から 今 後 の活 動
予定 案の説明があ りました。
第 13 回 5 月 16 日 (土)
シノ ダ・スポ−ツ ・ダンスクラ ブ(新宿御苑
前) で柳澤さん推 薦のスプリン グパ−ティ
参加 者: 9 名 明 石、成井夫妻 、柳澤、瀬在
夫妻 、佐藤夫妻、 大谷和子(瀬 在の
従妹 特別参加)
◎ 男女 プロ の先 生方 が会員 と積 極的 に踊っ
て頂 き好評でした 。
第 14 回 7 月上 旬 杉並公 会堂
第 15 回 9∼ 10 月頃 ダンス旅行
第 16 回 12 月上旬 忘年会を兼 ねて開催
快舞会
幹事
瀬在
城雄( 昭 31 学 原 )
快舞 会は平成 19 年 5 月 17 日 に初会
合を 行って以来、会員 5 名と特別 会員の女性 3 名
を含 め現在 8 名 で活動してい ます。
定例 ダンスパ−テ ィは年 4 回 実施し、 1 回は 1
泊 2 日のダ ンス旅行を行 うことにして いますが 、
定例 以外に年 1∼ 2 回程度は他 のダンスグル −プ
主催 のパ−ティに 参加していま す。またダン スの
後は 懇親会を行な い、会員相互 の親睦を深め てい
ます 。
平 成 20 年度の活 動状況ならび に今年度の活 動
は次 の通りです。
第 9 回 平 成 20 年 4 月 26 日 (土 ) 前号で既報
第 10 回 平成 20 年 7 月 16 日 (木 )
杉並 公会堂 B2F グ ランサロン
参加 者: 8 名 明 石和夫 (22 専 金 )、成井 浩
(30 学 原 )夫妻、 柳澤 裕 (28 学 原 )、
瀬在 夫妻、佐藤久 弥 (30 学機 )夫 妻
第 11 回 平成 20 年 10 月 26 日 (月 )∼ 27 日 (火 )
鬼 怒川グリ −ンパ レスホテ ル。ホテ ル主催の
「紅 葉のム−ンナ イト・ダンス パ−ティ」
参加 者:8 名 写 真後列左よ り 瀬在、佐藤、
柳沢 、明石、成井
前列はご 夫人
左よ り 佐藤、瀬 在、成井
◎ 快舞会初 のダン ス旅行が 実現でき 、ゴ−ジ
ャ スな会場 で一流プ ロの優 雅なダン スを見た
り 、またフ リ−タイ ムでは 生演奏の 音楽でダ
ンス を楽しみ大満 足でした。
ダ ンス 終了 後は 部屋 に戻 り、 21 年 度 の活
動 方針等に ついてミ −ティ ングを行 いました 。
第 12 回 4 月 16 日 (金 )
東宝 ダンスホ−ル (有 楽町ツイン タワ− )
参加 者:8 名 明石(場所推 薦)、成井夫妻 、
柳澤 、瀬在夫妻、 佐藤夫妻
今回 は昨年のダン ス旅行以来の 再会でした
入 会等の ご案内
上 手下手を問わ ず,愉しく、 明るく、美し く健
康 と長生 きに貢 献する社 交ダン ス<快 舞会 >に
是非 ご入会下さい 。
☆ 快舞会につい ての問い合わ せ、入会ご希 望の
方は 下記宛てにご 連絡ください 。
連絡 窓 口 :
柳澤
瀬在
裕
城雄
TEL/FAX
TEL/FAX
03-3999-5767
0422-46-5208
(1)去る 7 月 4 日(土)水
(2)会報編集室では新たに小澤さんを迎え下記メンバーで
戸市でH21 年度多賀工業会
今号の発行にこぎつけました。昭和 30 年代から 40 年代に軸
理事会と総会(水戸勝田支部
足を移すべく、マニュアルの作成など新しい取り組みを始め
総会と合同)が開催され新役員が決まりましたので、お知ら
ています。来年は総会も第 30 回を迎えますので、一皮剥け
せします。
た会報を目指し検討中です。編集委員も募集中です。
編集後記
新会長=木曽正明(29 学電)
、新副会長=舛井正義(37 学
電・水戸勝田支部)
、臼井敏雄(40 学電・日立綜合支部)
、
としますが、詳細は写真同好会連絡窓口(24 ページ参照)に
新理事(新支部長)=大和田武義(32 学電・千葉県支部)
、
高橋昌之(44 学精・関西支部)
、寒風澤毅(41 学機・静岡支
部)
、秋山光庸(34 学原・栃木県支部)
上記の一環として会報表紙の写真を募集します。自由作品
お問い合わせ下さい。第 13 号向け締め切りは平成 22 年 5 月
末日とします。沢山の方の応募をお待ちしています。
(三本木)
編集担当委員
鈴木
山崎
小林
小澤
日出男(昭
慎一郎(昭
渡 (昭
茂 (昭
幻の瀧となりぬる不二のゆき
多賀工業会東京支部会報
30 学原)
31 学原)
38 学電)
43 学子)
三本木 武
兼子 八郎
た。
菅谷 禎男
石川
久
(昭
(昭
(昭
(昭
30 学金 )
38 学電 )
42 学機 )
44 学子 )
(2 7 )
(兼子)
[第 12 号]
発 行 平成 21 年 8 月 22 日
発行 者 支 部長 近江 義勝
〒 113-0032 東京都 文京区弥生 2-8-6
TEL& FAX 03-3811-7088
「東京支部会則」
(平成 16 年 10 月 23 日改正)
第 1 章 総則
第 1 条 本会は、多賀工業会東京支部と称し、その支
部事務所を支部長宅に置く。
第 2 条 本会は、会員相互の親睦を図り、合わせて母
校の隆昌に寄与することを目的とする。
第 2 章 事業
第 3 条 本会は、第 2 条の目的を達成するため次の事
業を行う。
(1)会報の発行
(2)会員名簿の整備・管理
(3)会員相互の連絡及び共励共助
(4)会員と母校との連絡
(5)発展向上のための講演会、研修会
(6)同好会活動
(7)その他目標達成のため必要と認める事項
第 3 章 会員
第 4 条 本会の会員は、多賀工業会の会員で東京・神
奈川及び近隣に在住・在勤している者、並び
に支部長が特別に承認した者とする。
第 4 章 役員
第 5 条 本会は次の役員を置く。
支部長
1名
副支部長 若干名
幹事長
1名
幹事
若干名
会計幹事 1 名
監事
2名
その他(同好会幹事、相談役、顧問など)
若干名
第 6 条 役員は、次の方法によって定める。
支部長は、幹事会の互選とし総会での承認を
得るものとする。
支部長以外は、支部長が推薦し、現
幹事会の決議を得るものとする。
第 7 条 役員の職務は、次の通りである。
支部長
本会を代表し、会の運営・会務執
行の責めに任ずる。
副支部長 支部長を補佐し、支部長が職務不
能な時はその責務を代行する。
幹事長
幹事の業務を統括する。
幹事
会の運営業務を夫々分担して遂
行する。
会計幹事 本会の収支、
及び会計を担当する。
監事
会計を監査し総会で報告する。
同 好 会幹 事 同好会毎に部長、副部長等 を
定め、自主的に運営する。
相談役
支部長の相談に応ずる。
顧問
支部長・幹事会の諮問に応ずる。
第 8 条 役員の任期は 2 年とし、重任を妨げない。
第 5 章 会議
第 9 条 支部総会は、原則として毎年 10 月に開催す
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る。但し、必要に応じ臨時支部総会を開くことができ
る。
第 10 条 支部総会は、次の事項について審議し、出
席者の過半数の賛成で決議する。
(1)支部長人事
(2)会則の改廃
(3)本会の年度決算並びに次年度予算
(4)本会の年度事業報告並びに次年度計画
(5)幹事会からの提出議案
(6)その他本会の目的を達成するに必要な事項
第 11 条 幹事会は、幹事をもって構成し原則として
年 4 回(2、5、8、11 月の第 4 土曜日)開
催する。但し、必要に応じ支部長又は幹事
長が臨時に召集し開催できる。
第 12 条 幹事会は、次の事項について審議し、出席
者の 3 分の 2 以上の賛成で決議事項とする。
(1)支部長の互選及びその他役員の決定
(2)会則の改廃案
(3)本会の年度決算案並びに次年度予算案
(4)本会の年度事業報告案並びに次年度計画案
(5)総会への提出議案
(6)細則規定の改廃
(7)その他会務運営上必要な事項
第 6 章 会計
第 13 条 本会の経費は、会員の年会費、寄付金及び
本部補助金をもってあてる。
第 14 条 現金の保管は銀行預金の方法による。
第 15 条 本会の会計年度は、4 月 1 日から翌年の 3
月 31 日までとする。
第 16 条 本会の収支は、会計幹事が担当し、監事が
会計監査を行い総会に報告する。
付則 本会則は、平成 16 年 10 月 23 日より施行する。
細則規定
第 1 条 年会費は、2,000 円とし、会計年度内に徴収
する。複数年度分の先行納入は拒まない。
但し、一旦納入の会費は返還しない。
第 2 条 会報は次の者に配布する。
(1) 年会費納入者(但し、5 年連続未納者には 6
回目に通知し以降配布を停止する)
(2) 支部総会参加者
(3) 東京・神奈川に在住・在勤の直近 3 年間の卒
業生
(4) 配布希望者で支部長が許可した者
(5) その他多賀工業会本部及び支部等の関係者
第 3 条 総会開催の案内は、会報にて発表するととも
に書面で通知する。書面による通知は、第 2
条の対象者以外にも広げて発送する。
第 4 条 慶弔規定は別途定める。
第 5 条 80 歳到達の役員経験者に記念品を贈呈する
ことが出来る。
第 6 条 本細則の改廃は、幹事会にて行う。
本細則は平成 16 年 10 月 23 日よりより施行する。平成
20 年 5 月 24 日に第5条を追加し、旧第5条は第6条に
繰り下げとした。