其の 豪 州 人 ︑日 本 人 を 考 え る ﹁ 疑 問 ﹂ 松本 主計 早い︒ 痛み止めは手術の日だけ服用し︑ 次の日から必 言っても︑ 切らなかった︒ 切らない手術だから回復も の 技 術 の レ ベ ル は 私 に は 判 か ら な い︒ ただ手術と の為の医者︑ という関係が存在しているようだ︒ 医者 くともその病院には︑ 医者の為の患者ではなく︑ 患者 の病院で一年以上も手術の順番を待っている︑ 等と 専門医のアポイントメントは数カ月先︑ パブリック に結果が出るのにニ︑ 三週間も待たされるのは普通︒ 段階でアポイントメントを取らねばならず︑ 最終的 地方都市では︑ CT等の検査の場所が異なるので︑ 各 適当な専門医に付ける︒ 総合病院ならともかく特に た一年の外地移住の為︑ 自分の家は家財運び出して と︑﹁ヘルニアなんだってネ︒ ヨシ︑ すぐに病院の手配 なのだ︒ 我々が症状を説明し︑ 彼が妻の診察を終える 得した︒ 良い家庭を持つ︑ ケインズでは評判の専門医 前︑ 彼の子供が道場に通っており︑ 頑張って初段を取 では埒があかない︒ ヨシ︑ クアラルンパーに行け︒ と 目前なのだ︒ 娘もいる︒ 条件が揃っていた︒ ケインズ だ︒ その町でも評判の病院が︑ 娘のマンションのすぐ 遇するので︑ 世界の良医がそこに集まって来るそう の顔︒ それ位は認めてやるか︒ それにしてもこの町と りしたが︑ 国費待遇の派遣軍人だからまァ一応は国 と洗濯に来る︒ 貧乏症の私には︑ 贅沢な事だと思った 町の中心地にある4LDK︒ 週二回はメイドが掃除 めた︒ 結局この手術は成功しなかった︑ と感じたから れない︒ もう半年もたった︒ 効果のないリハビリも止 ず︑ 又リハビリも続けていたがどうしても痛みがと 手術後何度もブリスベンにチェックに行かねばなら 痛みが出た︒ 微妙な手術なのでケインズでは難しい︒ いう事は珍しい事ではない︒ 私の妻の場合でも痛み 要なかったという︒ 借家にする︒ 二年の産休は次の一年以内に職場に復 もしてあげよう﹂ ケインズでは珍しい程︑ アッという ころが頑固者の妻︑﹁こんな事でそんな遠くまで行け 待遇の居心地の良さに味をしめ︑ 要領よく長年居続 だ︒ 空手の稽古で左手がまったく使えなくなった︒ 型 で苦しんでいるのに︑ アポイントメントと検診︑ そし 帰しないと︑ 退職することになる︒ 子供はようやく二 間に手術入院が決定した︒ 彼のお陰なのだが︑ 科学的 るか︒ イヤだ﹂ の一点張り︒ けている何もしない上官もいるそうだ︒ 今の世の中︑ はもう打てない︒ 左手を使わないで動ける稽古を始 二週間後に私もクアラルンパーに着いた︒ 妻の顔 才が近い︒ 色々と面倒臭いのだ︒﹁まァ好きなように 根拠の出せる検査もないまま手術が決定したので︑ 彼 専門医が痛みに関して何もしてくれないので打つ 応 々 に し て 正 直 者 が 馬 鹿 を 見 る︒ こんな上官が威 て検査の繰り返しで待つ時間が多く︑ 何もされない を越えた︒ 娘達の将来に関する事 に感謝はするものの︑ 一抹の不安が心の中に残った︒ 手がない︒ ソウダ︑ GPだがドクターヤブに行こう︒ 張っているようでは︑ 豪州陸軍も大した事はない︒ 色は見違えるようによくなり︑ もう普通に歩行して 娘のパートナーは軍人︒ 佐官で何やら結構エリー ﹁おかしいンだヨネ﹂ 不安が彼女の顔に張り付い 専門医ばかり見て︑ 彼を忘れていた︒ いた︒ ケインズで一ヶ月以上も苦しんだあの手術は︑ ト ら し い︒ 豪 州 陸 海 軍 よ り 一 名 づ つ 選 出 さ れ︑ 他の ていた︒ 退院して一週間もたった頃︒ 患部の回復も順 話をかけてきた︒ 痛みの原因は手術部の化膿だった︒ クアラルンパー政府の医療方針が良く︑ 医者を優 はないのか︒ 国々から集められた者達と一年間︑ クアラルンパー 調のようだった︒ 手術は成功したはずなのに︑ 再び露 一ヶ月放っておかれたのでかなり悪い︒ す ぐ様 そ の 専 門 医︑ お 互 い に よ く 知 っ て い た︒ 年 程 も で戦略的論議を勉強する︒ 家族も同行して良い︒ 全て 出が始まった︑ と言うのだ︒ 早速アポイントメントを の言うヘルニアを信じ︑ なぜ科学的物証となる検査 でもある︒ 親の出る幕ではない︒ 日 買い物も楽で値段も安い︒ ローカルのレストラン た︒ 年前に折ったまま空手をしていたが三年も前︑ 納得がゆかない事が一つある︒ 彼程の専門医が私 めなくては︒ 年以上 れはネ︑ センセ︑ 彼はネ︑ 子供を立派に成長させたセ 妻は私より我慢強い︒ 彼女が痛い︑ と言えば︑ 本当に 何と二ヶ月の待ち︒ 病人だゼ︒ やってらんないヨ︒ こ 週間の待ち︒ 女性専門の泌尿医も紹介された︒ ここは ンパーは連続6年選ばれているという︒ 私はただの一 日本で退職後住んでみたい国のトップに︑ クアラル 文句を言う気もない︒ それよりも彼はケインズに必 で す ヨ︒ I bet ﹂ 私はそうは思わないが又彼に ンセを尊敬し︑ これっポッチも疑ってなかったから 脱腸だ︒ という事はヘルニアの症状になる︑ と医学知 強い痛みなのだ︒ 一ヶ月後に痛みが出るのは︑ 何とし で食事をすると︑ 豪州のTAKE AWAY SHOP 私もこの四月︑ ブリスベンで左肱関節の手術をし 国費︒ エエじゃないか︒ 誰もが行ける︑ ってものでは 取り︑ 数日して専門医に会った︒ 手術は何等問題はな がエラク高く感じられる程︒ まったく安いし味も悪 もナースとして働き︑ 彼を知る女性に話したら︑﹁そ をしないで手術を行ったのか︒ こ の 疑 問を まま一ヶ月以上苦しんだ︒ ない︒ 行け行け︑ と私は内心思っていた︒ その娘が去 間の抗生物質の投与︒ そして再度の尿検査︒ まだ治っ くない︒ 伊勢丹のデパートはまるで日本︒ 日本酒の種 一体何だったんだろう︒ 年の暮︑ ケインズに戻って来た折に︑﹁コレを預かっ かったし︑ メッシュも入れた︒ 回復の度合は個人差が ていなかった︒ さらに強度の抗生物質︒ 多分妻の口臭 類 も 多 く︑ こ の 町 に 住 み 付 く と 早 く 死 に そ う だ︒ ヤ 娘達のマンションは メートルのプールの付いた てくれ﹂ 娘が 才になった時の記念に︑ 私が特別に あり︑ 数週間から何ヶ月もかかる人もあるという︒ で はこの体内の化膿と関係あったのだ︒ ヤブ氏は万一 レ︑ もうケインズのウールワースなんかで買い物し しやンせ﹂ ︒ 娘も 日 本 で 鍛 え て も ら っ た 短 刀 一 振 り︑ 持 っ て き た︒ ヨ もまだ体外に露出するのだ︑ と説明したが︑ もう少し の為に胃の内部のガストロスコープ検査も勧めてく ドクターヤブ︑ すぐに尿の検査を手配︒ その翌日電 シ︑ ようやく行く気になったようだゼ︒ 様子を見てから︑ と何やら歯切れが悪いのだ︒ 妻が体の異常を訴えたのは今年に入ってからだ︒ 識の皆無の私は考えた︒ どちらにしろ私のGP︑ ドク 内臓の一部︑ 多分腸だ︑ が体外に露出する︒ いわゆる 60 ても妙だ︒ 近くに工場を設置していた。二年半前、大 50 ターヤブに診てもらおう︒ 手術後一ヶ月もたった頃︑ 妻が突然痛みを訴えた︒ たくないナァ︒ ﹁行きたくないンだけどネ﹂ 娘が渋っていた︒ たっ 118 れた︒ 指定されたクリニックに申し込むと︑ 早くて3 20 週間しかいなかったが︑ 娘達がいるのでアチコチの穴 私の疑問はそのまま︑ あの世まで持って行こう︒ 彼は 要な専門医︒ これからも元気で頑張ってもらいたい︒ 津波が直撃。生き残れたのが不思議と思 の跡から、奇跡的に数本のウィスキーが見 つかった。これはその中の一本。 州の宮崎でお会いした大学の先輩。会社 その会社の恩人的存在が、先般私が九 のオーナーが先輩に送った津波記念のウィ メスを入れた段階で︑ シマッタ︑ と思ったに違いない︒ の時点で妻が折れた︒ ヨシ︑ クアラルンパーに行こう︒ 宮城県塩釜のある酒問屋は、港のすぐ らんばの親父は私の数少ない日本人の友 ンを張っていた事がある。彼等関係者にこ 人達。彼等が以前東北支援のキャンペー そ、 この一本飲ませてやりたい。 1966年木曜島にてPearls Pty Ltdに勤務。1975年退社、 その後ケアンズに、Matsumoto Karate Academyを開く。 現在、 Australian & Queensland KARATE federation、 Northern representative、 大日本武徳会(DNBK)official Australian co-ordinator. リビケンのスタッフやラーメン屋のがんば 豪 州 で は 直 接 専 門 医 の 診 察 を 受 け れ な い︒ まず 大津波ウィスキー 松本 主計【まつもと かずえ】 スキーを私に一本下さった。 医療制度の問題で敬遠されるのではないか︒ 道場ニュース GPに会い︑ さらに検診が必要な場合︑ GPの紹介で われる被害だったそうだ。瓦礫となった倉庫 移住者にとって一般的に考えられる三つの条件 場に連れて行ってもらった︒ さも有りなん︑ と思う︒ !! その病院はまったく非の打ちどころのない素晴し はずだ。」 その時から一ヶ月以上の間に︑ 二度専門医︑ そして 日本なくして東南アジアの独立はなかった ﹁ヘルニアなんて︑ ないヨ﹂ 検査の結果︑ 症状は説 のか。マレーシアが独立出来たのは日本の は︑ まず治安の良い事︒ 次いで物価が安く生活しやす お陰だ。なぜ日本が謝らねばならないのか。 い施設だったらしい︒ 検査の最終結果が出たのが金 「日本が一 体どんな悪い事をしたという 紹介された他の泌尿専門医を訪ねた︒ 痛みはひどく 68年の現在、 さらに大きくなるばかりだ。 マレー 明しておいたのだが︑ そう言う︒ 彼︑ 私達にはとても良 シアの当時の外務大臣、 カザリーの言葉。 い事︒ 最後に医療設備が整っている事︒ 豪州だってま 彼等にとって都合の良い創られた歴史観を 曜日︒ 手術は早くても月曜日と思っていた妻に︑ お前 も日本人に教え込んだ。その後遺症は戦後 なり︑ 日中はほとんど横になったままで動けない︒ こ WAR GUILT INFORMATION PROGRAM。 くしてくれる︒ 親切だ︒ でも時々︑ 頭をひねるような診 これは占領軍による日本人愚民化政策で、 だいい方だと思うが︑ 最近の物価の高さ︑ そして特に 励し、 その国の利益となる物を育てた。 さんは長くはここに居ないのだから︑ 一日でも早い 地には教育設備、紙幣も発行して産業を奨 方がいい︒ そして手術は翌日の土曜日︒ 医者は日曜日 れに反発して国連に人種平等を訴え、支配 の間痛みに関する何の手当ても薬品の投与もなかっ 列強のアジア植民地支配は植民地から た︒ その内妻の吐く息が異様に臭くなってきた︒ 私の の一方的な搾取のみだった。日本だけがこ 断もする︒ だから私は彼に︑ ドクターヤブ︑ という愛称 紙幣である。 を奉った︒ 決してからかっている訳ではない︒ ワイン好 行、 マレーシア内で使用させた占領地用の も返上して診に来てくれたそうだ︒ に見つけた。大東亜戦中に日本政府が発 耳の底に︑ 泌尿専門医が妻の専門医に電話で話して クタを売っている小店に、 この紙幣を偶然 きで︑ 私はよくワインをブラ下げて彼に会いに行く︒ JONKER STは夜遅くまでマーケットで賑あう。 一般のマレーシア人達には手の届かない高額の治 ほとんどが中国製のジャンクだが、 あるガラ 療費を必要とする病院かも知れない︒ それでも少な マラッカはクアラルンパ―からクルマで いた一言がこびり付いていた︒ 彼は︑ これはヘルニア 二時間。オランダ支配時の古い港町だ。 じゃなくて︑ プロラプサスだ︑ と言っていた︒ 誤診で No. ☎ 4 0 3 3 - 1 9 8 8 ●このエッセーに関する感 想などは、 ● 道 場へのお問い合わせ ● i n f o @ m a t s u m o t o k a r a t e . c o mへ。 24 20 10 40 21 53 【JAPANESE OCCUPATION NOTES】 いで﹂ そういうところもドクターヤブなのだ︒ 遺品が語る日本 ﹁まァそれでも一応︑ 専門医を紹介するから︑ 行っと 松本師範の コレクションから日本を考察 W! 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