立教新座高等学校 卒業式式辞 「福島の海を見よ」 校長 渡辺憲司 東日本大震災から三年が経過した。 諸君が中学三年、高校入学を目前にした時であった。十五歳の春から十八歳の今まで、 諸君らは、大震災とともにあった。これは諸君らの青春の歴史である。 私は、今、諸君がその歴史を踏まえて旅立とうとする時、一つのことを提示しておきた い。それは生き方といった道徳的理念もしくは抽象的理想ではない。 きわめて具体的な提示だ。 「捨てて二時間福島の海を見よ」 あらゆる身の回りのものを捨てて、二時間、福島の太平洋に向き合いなさい。 二時間で十分です。二時間は長いそれで十分です。 体で海を凝視しなさい。身についているすべてのものを脱ぎ去りなさい。 携帯電話。 スマートフォン。 書物も、カメラも。 友達も、恋人も、家族も置いて行きなさい。 忘れなさい。自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。 あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為として沈黙を作りだすのです。 独として海に向き合うのです。そして感じなさい。 五感を震わせて海を感じなさい。 波頭をその目で見つめなさい。潮のにおいをその鼻でかぎなさい。 波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。 息を胸いっぱいに吸いなさい。 自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。 新聞やテレビで分かった気になってはいけない。 今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から 3 年たった福島の海を見つめなさい。 朝、自分の町を出れば、夜、家に帰って来ることが出来るのです。 すぐ近くで悲劇がおこり悲劇が続いているのです。 誰もいない海を見なければならないのです。 君は、大人に踏み出したのだ。 君が子供を持った時、君の子供はきっと聞くだろう。 「お父さん。震災の時何してた」と。 君が外国へ行った時、君は聞かれるだろう。 「日本の海はどうだ・・。福島の海はどうだ・・。 」 「あの頃どうしていた」と聞かれるのは、君達の青春史に刻まれた宿命なのだ。 君は「忙しかったんだよ」と答えるのか。 忙しいと忘れるは、同源の語である。心を亡くすることだ。 「僕は福島を忘れていたよ」と答えるのだろうか。 福島に対して忙しいと言える者はこの日本にはいない。 福島に対して忘れたと言える人はこの日本にはいない。 おせっかいな爺さんの卒業式の祝辞である。 行ってどうなる。行って何か変わるのか。 上野から常磐線で広野まで。又、仙台回りで乗り継ぎのバスを使って南相馬小高まで。 福島からバスで原の町まで。私は何度かコースを変えて福島の海を見に行った。 海を見た帰り、残された街を歩く。忘れられた街を歩く。 行ってもどうにもならない。私に残されたのは無力感である。 今年の一月は、臼杵(宮崎)大谷(宇都宮) 、と並んで、日本三大磨崖仏と呼ばれる南相 馬市小高地区の石仏に参詣した。ここは福島原発から 20 キロ圏内、避難指示解除準備地域 である。高さ 5 メートル余の千手観音は、修復中でビニールシートが覆っていた。 帰路、海水浴で賑わった村上海岸に立ち寄った。右手向こうの岬を越えれば福島原子力 発電所である。見事な松林の海岸だったそうだ。今にも倒れそうな松の木が二本身を寄せ 合うように立っていた。 小高は、和菓子のおいしい、おしゃれな喫茶店のある町であった。成人式の前日の日曜 日、日帰りのみ許された小高に人影はなかった。 福島、浜通り。野仏の多い所である。手を合わせる。絶望のみが広がる。想像は悲惨だ。 祈りは無力だ。無力感の行く先を私は知らない。 何度訪れても無力感の出口が見えない。 だが祈りとは何かを、すこし身に感じてきたように思う。 無力な自分を感じること以外に道はない。 大きな光は見えないが、かすかな弱い小さな光が見えるはずだ。 二時間、沈黙を作り海を見よ。 無力感が覆おうとも、君の五感は、イエスか、ノーかはっきり答えるだろう。 十八の春の意味は、高校三年生として大学入学を迎えることよりも重い。 就職しないにせよ、君達は社会人なのだ。 社会への責任を担うことが、十八の春を迎えることだ。 愛されてきたことに感謝しよう。ここに集えるすべての人の愛に感謝しよう。 そして今日からは愛される存在から愛する存在に変わるのだ。 人を愛することこそ、君らの旅の指針だ。 求めるべきは富ではない。富よりも、名誉よりも、大切なのは人を愛することだ。 器用に生きるな、愚直でいい、ひるまず、真っ正直に、やさしい男になれ。 諸君、春は確実にくる。卒業おめでとう。
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