白楊ヶ丘同窓会東京支部 第30号

 第30号
旧 制 函 館 中 学 校 函 館 中 部 高 等 学 校
平成19年.9.15
(2007年)
ホームページアドレス h t t p : / / h 6 . d i o n . n e . j p / ~ k a n c h u /
写真提供:67 期 吉岡直道氏(函館在住・吉岡写真館)
10
年卒︶
公 彦
期︵昭和
34
金 子
白楊ヶ丘同窓会東京支部長
支部長ご挨拶
15
61
皆さん
お変わりなくお元気にお過ごしのことと拝察致
しております。
平成 年は、暖冬で始まり平均気温が5℃程高く、新潟
県ではスキー場は泣き、ゴルフ場は笑い、札幌の雪祭りも
散々な状態、青森の冬祭りは中止、榛名湖の公魚釣は湖面
の氷が本来 センチは必要なところ ∼ センチでこれも
駄目。単なる泣き笑いだけでは済まされない状況でした。
19
0
また、以前はエルニーニョ現象、最近はラニーニア現象
で今夏は例年より猛暑の予測や反対の冷夏の話など気象予
報が交錯しておりましたが、 ℃を超える日々の多い例年
にない蒸し暑い夏となりました。自然界のみならず、世界
各地域での紛争、エレベータや遊戯機械、エスカレータの
事故、各食品問題、更には米中に於ける橋の落下やロシア
での列車爆破など、心を痛める事故が依然として起きてお
ります。
自国だけでなく世界的規模で対応していかなければなら
ない地球温暖化や隣国からの環境汚染の問題、信越沖地震
でクローズアップされた原発の耐震性・安全性の問題等こ
れからの課題が山積しております。
このような中、私共東京支部に於きましては勿論改善し
ていかなければならない事項は沢山ありますが、懸案の決
算では前年度に引き続きわずかではありますが、黒字化を
達成することが出来ました。これも偏に役員はじめ各期の
評議員はもとより会員各位の大変なご協力の賜物と心から
感謝申し上げます。私が支部長を拝命して丸四年が経過致
しました。改革、改善へはまだ道半ばではありますが、別
な表現をしますと永遠に続くともいえます。若年層の取り
35
込み促進、会費納入者の増大化、名簿の整備、各期評議員
の更なる活性化、HPの更なる充実、定時制の方々のご参
入、ドキュメントの標準化、支部運営のシステム化等々枚
挙に暇がありません。これらの展開を更に継続して頂くに
も若い力が必要と考え、私はこの親睦大会で退任し、 期
の安田康次氏へ支部長をお願いすることに致しました。こ
れまでのご厚情にこの場をお借りし感謝申し上げます。
67
白楊ヶ丘同窓会東京支部
国公立大学
85
32
81
31
77
35
私立大学
134
62
119
79
135
81
その他・準大学
3
0
2
3
1
3
短期大学
6
0
9
3
10
5
3年次在籍
240
234
231
国公立出願
154
162
169
国公立2次受験
147
150
161
五月十六日︵水︶七時間目、体
育館で春の大会に出場する選手
を激励する壮行会が開催されまし
た。生徒会長佐藤君から﹁選手の
皆 さ ん の 健 闘 を 祈 り ま す。﹂ の 激
励に選手からは﹁悔いなく頑張る
の で 応 援 し て く だ さ い。﹂ の 力 強
いメッセージがありました。文武
両 道 が 生 徒 の 合 い 言 葉、 体 育 系、
文化系合わせて九割の生徒が部活
動に参加しています。
★伝統の壮行会
平成十八年度から文科省の再指
定を受け、﹁英語でのコミュニケー
ション能力﹂の研究開発を実践し
ています。その取組が全国から高
く評価され、早々に新聞報道され
ま し た。︵ 読 売 新 聞 全 国 版 及 び 英
字新聞でも︶今後とも英語力を駆
使して世界中で活躍する生徒が
育って欲しいものです。
★全国に発信︵SELHi︶
名前後と伸びません。合格率は約
六○%と上がっているものの、こ
こが一つの壁になっています。ま
た、 私 大 受 験 者 数 も 三 年 前 の 延
べ三二三名が今年は二七九名でし
た。学校をあげて生徒の志望が叶
うよう努力をしていく所存です。
古林
由則
二十一世紀にはばたけ
函館中部高等学校長
は じ め に
白楊ケ丘同窓会東京支部の皆様
には、日頃より母校への熱いご支
援と温かい激励を賜り、心より感
謝申し上げます。
★今春の卒業生進路
現 役 過年度 現 役 過年度 現 役 過年度
区 分
平成19年度
平成18年度
平成17年度
本校の現役大学合格者が延べ
二二八名、うち国公立大学合格者
は 二 桁 で 推 移 し ま し た。
︵今年度
合格者は微増︶ただし、
六学級︵定
員二四○名︶になって、国公立大
学への出願者数が一五○∼一六○
■大学合格者のべ数
(6学級)
★燃えた白楊祭
中部高校第五八回白楊祭が七月
二○日から三日間の日程で開催さ
れ ま し た。 今 年 は﹁ 夢 幻 の 舞 台
へ﹂がテーマ。初日のクラス対抗
パフォーマンス︵千代台陸上競技
場を借り切っての一大イベント︶
に始まり、二日目は、アテネ五輪
シンクロスイマーの武田美保さん
を迎えての講演会と一般公開。三
日目の模擬店、展示、バザーと生
徒が繰り出すアイデアが一杯、盛
り だ く さ ん の 内 容 と な り ま し た。
併せて恒例になっている母の会バ
か味や形に改良を加えて、今のう
ぐいす餡とママレード味の白楊パ
イ に な り ま し た。︵ 母 の 会 五 十 年
の歩みより︶現在、会長の飯田正
子さんを中心にますます盛んに活
動を展開しています。
★校長雑感記
最近、テレビのコマーシャルで
も流れる﹁江戸しぐさ﹂が一寸し
た話題となっています。江戸時代
と言えば身分制度があって、雁字
搦め︵がんじがらめ︶の窮屈な世
を想像しがちですが、案外そうで
ザ ー︵ 母 親 が 作 っ た 白 楊 オ リ ジ
も な か っ た よ う で す。 三 代 続 い
ナルグッズの販売︶と親父の会バ
ザー︵野菜・花の販売︶も大盛況、 た ら﹁ 江 戸 っ 子 ﹂。 元 々 各 地 か ら
出てきた人たちが身分や門閥、血
定時制の模擬店も頑張って、祭り
筋に捕らわれることのない自由を
一色の三日間となりました。生徒
粋 と す る 気 質 を 作 り 上 げ ま し た。
達にとって最高の思い出になりま
その江戸っ子が基本に据えた子
した。
育 て の 基 本 が あ り ま す。﹁ 三 つ で
心、六つで躾、九つで言葉、十二
★中部高校母の会
で文、十五で理﹂の教えです。三
歳 ま で に 素 直 な 心 を 育 て、 六 歳
本校のPTAには﹁母の会﹂な
になったら振る舞いに節度を持
る 組 織 が あ っ て、 昭 和 二 十 五 年
たせ、九歳では人前で恥ずかしく
の 誕 生 か ら 現 在 ま で、 活 発 な 活
ない言葉遣いができる。十二歳に
動で知られています。時代と共に
なったらきちんとした文章が書け
変化はあるものの教養講座の開講
て、十五歳になったらものの道理
や研修旅行など、互いに子を育て
が分かるように教育する。今でも
る母親としての情報交換やコミュ
立派に通用する教えではありませ
ニケートの場として大きな役割を
んか。
果たしています。中でも三十年ほ
ど前に考案された﹁白楊まんじゅ
う﹂は﹁合格まんじゅう﹂とも呼
終 わ り に
ばれ、他校からも人気があったよ
うです。今では本校のオリジナル 朝、生徒玄関で﹁おはよう﹂と
声 を か け て い ま す。﹁ お は よ う ご
お菓子として評判です。創立百周
ざいます﹂と返しがあって、気持
年の時に和風のまんじゅうから洋
ち良く一日がスタートできます。
風のパイに衣を変え、その後幾度
白楊ヶ丘同窓会東京支部
第30回 親 睦 大 会 報 告
平成18年 9月13日に青山ダイヤモンドホールにおいて開催された親睦大会の模様を、
担当期(76期)の白川正広氏が報告します。
大会のハイライトは、ニューヨークの「コットンクラブ」でハウスピアニストとして活躍中の
76期加茂紀子さんを招いてのジャズ演奏でした。
故郷函館と母校への想いを共有する200余名、最大年齢差75歳の「仲間」が集う宴となりました。
冥の北の一道・
・
・
・﹂ 様 子 に も ふ れ、﹁ 生 徒 は、 文 武 と
作された﹁白楊魂とともに│函中
も に め ざ ま し い 活 躍 を し て い る。 110年、そして今│﹂が写し出
を、出 席 者 全 員 で
高体連の各種目、特に、野球部が
斉唱。会場は一挙
された。昔と変わらない街並みや、
全道大会に出場した。また、3年
にいつもの同窓会
時代とともに変わりつつある母校
間の文部科学省のプログラムに加
の雰囲気につつま
の様子が、思い出と結びつけて会
えて、北海道教育委員会から理数
れた。
話をはずませる材料を提供するか
科目の学力向上プロジェクトの指
続いて、支部長
たちとなった。
定を受け大学合格実績を伸ばして
の 期・金子公彦
また、会場内には、同じく函館
いる。伝統を受け継ぎ、 年のス
氏が﹁東京支部の
市東京事務所寄贈の函館山からの
パンで世界に通用する人物を輩出
財政は昨年度、わ
夜景や旧倉庫街から生まれ変わっ
する学校にしていきたい﹂とあい
ずかではあるが
た ベ イ エ リ ア の 風 景、 元 町 界 隈
さつをいただいた。
各位の努力によ
などのポスターが多数貼られ、函
この後、日本将棋連盟会長をさ
り黒字化を達成で
館 の 雰 囲 気 を 感 じ さ せ て い た が、
れ、現在、相談役に就任している
きた。磐石な体制
年々、これらのポスターがあか抜
期の二上達也白楊ケ丘同窓会東
にしていくために
けたものになっていくことも参加
京支部顧問のご発声で乾杯し、懇
はさらに改革が必
者に好意的に受け止められ、話題
親パーティーに移った。
要。御高齢の皆様
を提供してくれていた。
歓談の冒頭、110周年祝賀会
からの御寄付にも
さて、今回の親睦大会のハイラ
で乾杯の発声をされた、出席同窓
感謝する﹂とあい
イトであるジャズ演奏がはじまっ
生のなかで最高齢の 期・佐藤洋
さつした。
た。これまでも、パーティーの合
間にバンドの演奏を取入れたこと
氏から後輩へ向けて、健康を維持
司 会 か ら、 来
賓として出席い
はあったが、今回は﹁ニューヨー
する秘訣などについてのごあいさ
ただいた本庄幸賢
クからやってきたジャズメンた
つをいただいた。
函館中部高等学校
ち﹂と銘打ち、函館中部高校出身
会場には、プロジェクターが設
教頭、三ツ谷富夫
の現役ジャズ・ミュージシャンに
置され、函館市役所東京事務所か
白楊ケ丘同窓会長
よる演奏だ。ピアノ・ 期加茂紀
ら提供された函館の街を紹介した
をはじめ、 名の
ビデオ﹁函館│出会いの街│﹂と、 子さん、ヴォーカル・ 期仲谷美
方々の紹介が行われた。
波︵音音・ネネ︶さんに、加茂さ
昨年の函中110年を記念して製
昨 年 ま で の 大 会 は、 懇 親 パ ー
テ ィ ー の 前 に 演 奏 会 あ る い は 講 来賓を代表して、まず、三ツ谷
同 窓 会 長 が、﹁ 昨 年 の 函 中 1 1 0
演が行われるという形が多かった
周年式典には東京支部からも大勢
が、今回の 期の企画は、懇親パー
の御参加に感謝する。祝賀会では
ティーのなかに、ジャズ演奏を取
最高齢参加者の東京支部の佐藤氏
入れたものであった。
司 会 は、 期 の 西 谷 康 紫 氏 と、 に乾杯をお願いした。宮城支部及
び 函 館 の 定 時 制 の 同 窓 会 も 本 日、
期の岡部あさ子さんが担当し
開催される。今後、各支部の連携
た。宴に先立ち、 期以前の旧制
を強化し、大会の日程が重ならな
卒業生が壇上に上がり、 期土橋
いよう調整を図っていきたい﹂と
道子さんの歌唱指導、 期の島津
あいさつされた。
路郎氏のピアノ伴奏によって、同
窓会歌
︵旧制・函館中学校校歌︶
﹁玄 本庄教頭からは、最近の母校の
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http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
ホームページアドレス
76
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63
61
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んとともにニューヨークで活躍し
ている、ベース・北川秀生氏、ド
ラムス・植松良高氏。それは、い
きなり、
﹃ストレート・ノー・チェ
イサー/ Straight, No Chaser
﹄で
始まった。スタートから最高潮に
達し、たて続けに、ジャズのスタ
ンダードナンバーが演奏され、ス
テージのまわりは参加者の人垣が
できた。
ニューヨーク大学に在籍してい
た音音さんのボーカルも、昨年の
大会では﹁飛び入り﹂の壇上から
アカペラでその力強い歌唱力を披
露したが、
今回は、
トリオメンバー
とはこの大会のために即興で組ん
だ関係であるのに、以前から一緒
に演奏してきたかのような印象を
与え、さすが、ジャズ・ミュージ
シャンの本領発揮と、参加者を納
得させた。
ジャズ演奏は前半・後半の2ス
テージ行われ、その合間に、今回
参 加 し た 若 手 の 紹 介 が 行 わ れ た。
期の松川文弥氏、 期の高波恵
美 さ ん、 及 び 平 成 年 卒 業 の 第
108期の宮上麻奈美さん。
特に、
宮上さんは、大学在学中ながら自
らかかわっている﹁あしなが育英
会﹂
のボランティア活動にも触れ、
これらの若手メンバーがこれから
の同窓会に新しい風を吹き込むも
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18 98
■昭和 年卒︵第
藤本一郎
期︶
■昭和8年卒︵第
佐藤 洋
期︶
■昭和 年卒︵第 期︶
井筒吉彦
加藤良雄
神山茂郎
小泉広義
續豊
■昭和 年卒︵第 期︶
小竹嘉子
櫻庭晃
椎名三五
鈴木幸子
武田有弘
松川澄子
吉田精吾
■昭和 年卒︵第 期︶
池上謹之助
田沼修二
■昭和 年卒︵第
小笠原敏雄
■昭和 年卒︵第
堀田善和
年卒
期︶
期︶
■昭和 年卒︵第 期︶
間山郁三
渡辺丞二
■昭和 ∼
︵第 期︶
小野寺吉彦 三國比左男
■昭和 年卒︵第 期︶
井上 稔 瀬田松吉昭
長島 康 福津達男
二上達也
■昭和 年卒︵第 期︶
佐々木順一
多和田裕
■昭和 年卒︵第 期︶
遠藤 宏 小宮山恵三郎
澤口幹男 杉田博子
富田洋一
■昭和 年卒︵第 期︶
阿部 健 加藤冨蔵
北原徹
栗崎健一
■昭和 年卒︵第 期︶
五十嵐克至
小川英夫
越知 馨 唐沢フミ子
近藤好介
坪田憲俊
永野 巌 早川光江
広田洋吉
宮川美智子
■昭和 年卒︵第 期︶
岸本文子
小林重行
真船 昭
■昭和 年卒︵第 期︶
石渡悦子
伊藤紀子
上平慶一
北原耕太郎
白戸寿男
内藤 尚
松田栄美子
山根信子
59
■昭和 年卒︵第 期︶
大久保泰宏
岡本 興
金子公彦
後藤玲子
佐々木住明 正津禎男
長尾邦充
堀内恵子
松本 充 水島晴江
水嶌紀子
60
■昭和 年卒︵第 期︶
荒井 浩 池上拓磨
石原雄一郎
市丸大平
小松康宏
高橋範彦
辻 明 松本光平
61
■昭和 年卒︵第 期︶
小熊勝夫
木島光彦
小林嘉則
土橋道子
中村 崇 福本元子
62
■昭和 年卒︵第 期︶
上田健司 大原淳一
岡本 馨 佐々木京子
関 英夫 田中公子
徳田定勝
63
■昭和 年卒︵第 期︶
小嶋正歳
菅原大作
64
■昭和 年卒︵第 期︶
石橋信 彦 稲越淳子
65
67
↑
29
30
32
33
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58
青山ダイヤモンドホール)
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36
35
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46
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53
54
55
37
24
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親睦大会出席者一覧
16
18
19
20
20
23
25
26
27
28
38
40
51
のとして注目を集めた。
前回の大会に引き続き、今大会
も﹁その年に 歳になった期が企
画・運営する﹂という支部の新し
い方針のもと、 期メンバーが中
心に進めてきたが、次回の大会を
運営する 期の参加者が颯爽と壇
上 に あ が り、 こ の 期 を 代 表 し て
若 生 直 氏 か ら﹁ 当 期 は 例 年 少 数
の参加だったが、今回は二桁の参
加。函中に入学と同時に制服が廃
止されリベラルな雰囲気で高校時
代を過ごした。先輩諸氏の努力の
賜物。本大会も同期で知恵を出し
合って、より良いものにしていき
た い。
﹂ と、 次 回 へ 向 け て の 決 意
表明が行われた。
今大会の進行役を努めた 期メ
ンバーが入れ替わって壇上にあが
り、 期土橋道子さんの指揮によ
る校歌
﹁火柱のはためく峰も・
・
・
・﹂
の斉唱で会場が熱くひとつにな
り、それぞれの高校時代に思いを
馳せた。
最後に、先ほど紹介された若手
会 員 に よ る 元 気 の い い 三 本 〆 で、
次回の再会を約束して懇親パー
ティーを終了した。
な お、 参 加 者 に は、 北 海 道 製
菓︵本社・函館︶から寄贈された
クッキーとカンパンのセット並び
にサッポロビールからのお土産が
手渡された。
● 第30回 親 睦 大 会 報 告
63
77
50
76
76
加賀幸彦
相馬研二
花海吉夫
松田幹夫
安田康次
■昭和 年卒︵第 期︶
大河原綾子
木戸正文
横田依早弥
■昭和 年卒︵第 期︶
梅田五郎
梅田やよい
奥野政博
■昭和 年卒︵第
加納元雄
期︶
■昭和 年卒︵第 期︶
会田雅樹
大森もと子
神垣善一
菊池佳裕
小林繁治 佐野香苗
谷口雅典
丹羽 修
村上誠一 村田秀樹
渡部敏雄
期︶
■昭和 年卒︵第 期︶
戸来伸一
山田 朗
■昭和 年卒︵第
伊藤正明
■昭和 年卒︵第 期︶
桑原洋子
祐川伊左久
増田博幸 湯座はるみ
伴 孝子
吉田由香
若生 直
■昭和 年卒︵第 期︶
岡部あさ子
垣坂 清
佐藤 労
島津路郎
斯波宇司
立野泰昭
塚本良子 長澤一徳
松田 司
宮崎恒春
山内清美
←
昭和 年卒︵第
■西田勢津子
期︶
■昭和 年卒︵第 期︶
片瀬裕巳 齊藤 聡
田村幸悦 西谷尚久
福島洋行
■昭和 年卒︵第 期︶
清水真
高橋千夏子
■昭和 年卒︵第 期︶
西篠政幸 田口志保
馬場麻美
■昭和 年卒︵第
石井清香
■平成7年卒︵第
松川文弥
■平成8年卒︵第
高波恵美
■平成9年卒︵第
仲谷美波
■平成 年卒︵第
宮上麻奈美
期︶
期︶
期︶
期︶
期︶
http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
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須永滋子 曽我正彦
高野勝弘
高山悦子
竹埜しをり
竹埜正敏
田島 琢 都丸雅明
中田広也 中村三保
名古屋彰
西谷康紫
畠山弘文 林ひとみ
平井正夫
前川哲也
松浦 明 三宅朋子
山谷真児
■昭和 年卒︵第 期︶
伊藤 肇
伊藤義子
大鹿栄樹
小野裕子
鎌田巧平
桜井久恵
柴田順 行 中川若英
←
吉川忠幸
■昭和 年卒︵第 期︶
伊藤 靖 稲垣直樹
片野則夫
加藤誠也
加茂紀子 小林 博
貞方泰子
下國直人
庄子正子
白川正広
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(平成 18 年 9 月 11 日
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第3
0回・東京支部
50
41
←
白楊ヶ丘同窓会東京支部設立30周年記念
加茂紀子フロムニューヨークウィズ函中ジャズメン米木康志アンド音音
ライヴ レポート
平成18年10月2日
晴海・第一生命ホールにて
76期 曽我正彦 記
だったが、あいにくメンバーのス
ミュージシャン全員が揃ったとこ
月2日 時、晴海の第一生命
ケジュールが合わず、大会とコン
ろで、音音のヴォーカルをフィー
ホールで、白楊ヶ丘同窓会東京支
チ ャ ー し て New York State Of サ ー ト で は 別 メ ン バ ー に な っ た。
部設立 周年記念﹁加茂紀子フロ
一方、第一生命ホールはクラシッ
ムニューヨーク ウィズ函中ジャ
︵ビリー・ジョエル︶を演奏
Mind
クコンサートでは定評があり音響
ズメン米木康志アンド音音﹂のコ
した。次に、加茂アレンジによる
バ ツ グ ン、 で も P A︵ 音 響 調 整 ︶
ンサートが400名余りの観客を
︵ソーラン節︶に
So-Ran
Bushi
はどうしようかなどと素人スタッ
迎えて開催された。
なり、ジャズに馴染みがなかった
フの右往左往を経ながら、なんと
方々にも楽しめる演奏になったよ
このセッションは、ピアノ・
かコンサートにこぎつけた。
期加茂紀子、ベース・ 期米木康
うだ。次に、ピアノトリオに戻り
これもそれも、プロとして活躍
志、ドラムス・鹿児島ラサール出
、アルトサッ
Autumn
In
New
York
されているミュージシャンの皆さ
身の原大力によるピアノトリオ
クスが加わって Beatrice
、最後に
に、
ヴォーカル・ 期仲谷美波︵音
全員で加茂オリジナルの Song For んのずば抜けた実力があったれば
こそであり、さらに同窓会の関係
音・ ネ ネ ︶、 ゲ ス ト に サ ッ ク ス・
を 演 奏 し た。 函 館
Hakodate
City
者各位、当日会場にいらしてくだ
高橋守を加えた構成だった︵敬称
の地名が連発するノリノリの楽し
さったすべての皆さんのご協力の
略︶
。
い一曲であった。
ア ン コ ー ル は、 再 び Song For 賜物と感謝しております。ありが
、
オープニングは Monk's Dream
とうございました。
次に米木オリジナルの
を 演 奏 し た 後、 ド
、さ
Hakodate City
Sirius
ヴォルザークの交響曲で有名な
らに名曲の
とピア
The
Peacocks
ノ ト リ オ の 演 奏 が 続 い た。 数 時
︵家路︶を加茂のピ
Going Home
間前に初めて音合わせをしたメ
アノソロで奏で、ふるさと函館に
ンバーとは思えないほどスウィ
想いを抱きつつ幕を閉じた。
ン グ 感 じ た っ ぷ り で、 一 気 に 聴
さ て、 こ の 同 窓 会 メ ン バ ー を
衆 を 魅 了 し て い っ た。 4 曲 目 は
中心としたジャズライブコンサー
ト開催までの経緯について簡単
、加茂のヴォーカルに
Manhattan
に ご 紹 介 し よ う。 東 京 支 部 第
驚きながらニューヨークの雰囲気
回大会の企画を 期メンバーが仰
に飲み込まれていった。
せつかったのが 年9月、当初は
続いて音音が登場し、ピアノの
大 会 の ア ト ラ ク シ ョ ン で﹁ ピ ア
みをバックに、キャロル・キング
ノ・加茂、ベース・米木、ヴォー
の 名 曲 You've Got A Friend
を加
カ ル・ 音 音 ﹂ の 函 中 メ ン バ ー に
茂と音音のデュエットで熱唱し
よるジャズ演奏はどうかという漠
た。 年代のポップスファンにも
然としたアイディアだった。それ
懐かしい一曲であった。第一部の
から、加茂をニューヨークから呼
最後は再びピアノトリオをバック
に、音音が I Need To Be In Love ぶのだから別途コンサートもやろ
/ 青 春 の 輝 き︵ カ ー ペ ン タ ー ズ ︶ うとなり、 期小林嘉則氏のご尽
力でトリトンスクエアの第一生命
を情感タップリに歌いきった。
ホールを押え、トントンと話しが
第二部は、高橋のソプラノサッ
進んでいった。9月 日の大会で
クスと加茂のピアノ/ヴォーカル
による Harlem Blues
でスタート、 の演奏のノリをそのままコンサー
続 い て 米 木、 原、 音 音 が 加 わ り、 ト に 持 ち 込 め ば よ い と い う 思 惑
10
30
70
19
99
73
76
63
05 76
30
30
演奏者とスタッフ一同
期
加茂紀子
タ ウ ン に あ る ス パ で、 ア ロ マ の
香りの中で水着やバスローブ姿の
観 客 に 囲 ま れ て 演 奏 し た と き は、
ちょっとドキドキしました。
現 在 は ベ テ ラ ン の ド ラ マ ー、
ジ ョ ー・ チ ェ ン バ ー ス 氏 と の レ
コーディングを控えており、毎日
曲作りに追われています。
今年の親睦大会が大成功であり
ますよう、祈っています。
米木康志
99
OFOF
そ こ で 演 奏 す る 話 が あ り ま す ね。 ズ﹃ Groove Smooth
﹄を始めま
私は普段やっている
した。ライブ会場を毎回変える事
ではな
JAZZ
をテーマとしており、7月には東
く、少人数のバンドで当時のキャ
京 タ ワ ー で﹃ vol.﹄
バレーバンド音楽をやる予定。ホ
5を演奏させ
ステス、ショウダンサー、リンボー
て頂きました。その内函館でのラ
ダンスの踊り子さん、そしてフル
イブも実現させたいと思っていま
バ ン ド も 入 る 予 定 で す。 こ れ も、 すので、その時は是非、皆様足を
興味がある方は是非どうぞ!
お運びください。
その他、最近の活動としては東
期
京都内のジャズ、ソウル、ポップス
仲谷美波
︵音音・ネネ︶
のライブに加えて作詞、作曲、レ
コーディング等の制作活動、ボー
みなさま
こんにちは。
カ ル サ ポ ー ト 等 も し て お り ま す。
昨年 月、白楊ヶ丘同窓会東京
月 に は 青 森・ 下 北 で の ボ ー カ
支部設立 周年記念コンサートに
ル、ベース、ギター
出演させて頂きましたVOCAL
のライブも予定さ
音音
と申します。
-neneれ て お り ま す の で、
その折は、実行委員の皆様に大
変お世話になりました。憧れのミ ﹃ Groove Smooth
﹄な
ュージシャンの方々と共演させて
どのライブ情報も含
頂 き、 終 始 エ キ サ イ テ ィ ン グ で、 め、ホ ー ム ペ ー ジ で
とても貴重な空間だったと思いま
最新情報をご覧いた
す。
だけると嬉しいです。
今年に入り、サックス、ボーカ これからも白楊魂
ル、ギターを中心とした、スムー
で音楽活動をしてい
スジャズ・R&Bのライブシリー
きたいと思います!
●音音-nene- ホームページ
www.nenezo370.com
●お問い合わせ
[email protected]
期
ド・ ツ ェ ッ ペ リ ン と 言 う イ ギ リ
スのハードロックバンドの曲のみ
を、アコウスティックピアノ、ベー
ス、 ド ラ ム の 三 人 で 演 奏 す る バ
ンドで北海道ツアーをやっていま
す。 バ ン ド 名 は、﹁ 絶 句 ﹂ ト リ オ
といいます。興味がある方は、是
非いらして下さい。
7 月7 日 の 伊 達 紋 別 を 皮 切 に、
函館、手稲、札幌、そして釧路で
最終を迎えます。函館では、函中
の同級生も何人か来てくれ、楽し
い一日でした。
一度、東京へ戻り、何日か演奏
をして、今度は 日から 日迄札
幌です。中島公園に500人規模
のテントをはり、ジャズコンサー
トをやると言う企画です。
そ れ か ら、 函 館 関 係 が も う 一
つ。9月 日に、松風町にある︵現
在 は 営 業 し て お ら ず、 廃 墟 同 然 ︶
﹁ キ ャ バ レ ー 未 完 成 ﹂︵ マ ル ハ ン
裏︶を最低使用可能な状態にして、
﹁ た っ た 一 日 だ け の キ ャ バ レ ー﹂
を 開 こ う と 言 う 話 が あ り ま し て、
昨年のコンサートでは、 期の
幹事の皆さんをはじめ、函中同窓
の 皆 様 に は、 大 変 お 世 話 に な り、
ありがとうございました。
今年は、各年代の高校在学当時
の思い出の歌を、何世代かの皆様
に歌ってもらうと言う企画だそう
で、これは面白そうですね。私は
音痴なので、まあ自分からクビで
すね。
さて近況ですが、現在︵7月
日︶たまたま釧路に居ます。レッ
10
76
函中の皆さんお元気ですか。
去年の同窓会では本当にありが
とうございました。
皆さんの暖かいサポートで実現
した素晴らしいホールでの素晴ら
しいミュージシャン達とのコン
サートはもちろんのこと、夢にま
で見た同窓生達との再会は、生涯
忘れられない思い出のひとつにな
りました。
さ て 私 の 近 況 で す。 最 近 あ っ
たちょっと面白い仕事を紹介しま
す。それはスポーツメーカーのナ
イキからの出演依頼で、ボストン
に行ったときのことです。演奏会
場は大きな体育館で真ん中にフェ
ンスで囲まれたバスケットコート
があり、中ではプロの選手たちが
ゲームをしていて、それを見下ろ
せる高いステージの上でジャズを
演奏するというものでした。
ま た、 マ ン ハ ッ タ ン の ミ ッ ド
12
10
30
:"464)*
:0/&,*
76
73
/03*,0
,".0
● ジャズ ライヴ レポート
23
22
25
と こ ろ で﹁ 白 楊 ケ 丘 同 窓 会 東
京支部長﹂を長く勤められた将
﹁盤寿﹂の翠楊会
棋 の 二 上 九 段 の お 話 で は、 将 棋
の世界では将棋盤の目の数が九
期︵昭和 年卒︶
×九の八十一をお目出たい数と
田沼
修二
し、八十一歳を﹁盤寿﹂として傘
寿に次ぐ賀寿として祝う慣わしが
広辞苑の﹁賀寿﹂の項を見れば
あるとのことであった。
﹁長寿の祝い﹂とあり、
﹁賀寿﹂の
一覧表も載っていて
我々昭和 年に函館中学校を卒
業 し た 期 の 同 窓 会 を﹁ 翠 楊 会 ﹂
と名付け、函館に本部、東京と札
幌に支部をおいて、毎年支部の集
まりと、秋に函館で総会を開いて
いる。集まる者は年を追って減り
続け、昨年9月の函館の総会に出
席した者は僅か 名であった。会
員のすべてが﹁盤寿﹂を迎えた翠
楊会の現状である。
﹁還暦︵数え年︶六十一歳﹂以下
﹁古希︵七十歳︶
﹂
﹁喜︵ ︶寿︵七十七歳︶
﹂
﹁傘︵ ︶寿︵八十歳︶
﹂
﹁米寿︵八十八歳︶
﹂
﹁卒︵卆︶寿︵九十歳︶
﹂
﹁白寿︵九十九歳︶
﹂
﹁上寿︵百歳︶
﹂
20
昭和 年の新入生は二六五名
で、卒業の 年には途中転校者な
18
18
18
およそご存じの通りである。
45
13
45
きるまで、この懐旧の集まりを続
どもあって二三三名であった。
けたいものと願っている。
いま盤寿を迎えた同期生は卒
業時の半分の一一七名に減り、大
半は病を抱えて連絡無用との返
リリリリが時空を
信を貰うことも増えてきた。思え
超えるスズラン︵鈴蘭︶
ば 名が集まった昭和 年の札幌
大会、 名が参加した昭和 年の
期︵昭和 年卒︶
鶴巻温泉の集りが懐かしい。そし
小澤
善雄
て平成5年、函館で開いた卒業
周年の盛大な記念総会を思い返せ
庭の鈴蘭が咲いてくれた。しか
ば、中学校で習った﹁歳々年々人
も三本である。葉の脇から細い茎
不同﹂の古詩を自らの体験としつ
を伸ばし、白い壷型で白磁を思わ
つある。
せる花を十個ほどつけている。緑
の楕円形の葉に抱かれるように咲
しかし少数ながら、病める人々
の診察を続ける医師をはじめ、ピ
く姿は、何とも可憐。それでいて
ア ノ の 独 奏 会 に 挑 み、 ス キ ー を
繊細な自意識もある。
担いで冬山に挑戦したり、第九の
去年成績が良かったので、お礼
コーラスリーダーを楽しむ盤寿の
に肥料を少し施したためか、今年
友は、なお健在である。幸い健康
は 葉 が お に お に し く 茂 っ て い た。
に恵まれた残る翠楊会員は、命尽 ﹁ ス ズ ラ ン は や せ た 所 の 方 が 良 く
62
75
50
57
50
59
32
しながら、スズランは﹁上品で優
しいかすかな花の振れは、まさに
雅であるがどことなく箱入り娘の
リリリリ。谷間のリリーが、時空
ごとき弱さがある﹂と説いている。 を越えて現在と過去を取り結んで
私もスズランには心惹かれる。鈴
くれた。
や蘭という名称から受けるイメー
ジ、スズランと声にしたときの響
き、甘く爽やかな芳香、すべてで
ある。それにしても、密生してい
る場所で、足下からにおいたつ中
に佇んだら、陶酔してしまうので
はないかと考えると、その当時を ︻小 澤 喜 雄︼
羨ましく思う。残念ながら、北海
七飯町在住。3冊目のエッセイ集
道の初夏の風物詩も、最近は採り ﹁ 北 の 草 木 花 つ れ づ れ 帳 │ 優 し
すぎてしまったためだろうか、生
い心が花を咲かせる│﹂から抜粋
活から遠ざかってしまった感がす
した。
る。
Tel 0138-65-4882
風が吹くたびに細かに揺れる花
を見ていたら、ふと高校時代に汽
車通学をしていた場面が頭をかす
皆でよく勉強した函中
めた。朝夕の通学時はいつも満員
でぎゅうぎゅう詰め。帰宅して夕
期︵昭和 年卒︶
食を終えると睡魔が襲う。それだ
山本
晴義
けに、列車の待ち合わせ時や、行
き帰りの車中で、仲間同士で授業
専売公社に勤めていた転勤族
の情報交換をしたり、相互に問い
の父親について小田原から函館に
を出し合ったりしながら時間を有
引っ越してきたのは、中学二年生
効に活用した。特に、英語の単語
の時でした。
の 暗 記 が 求 め ら れ て い た だ け に、
的場中学に転入し、函館中部高
時間があれば意味やスペルについ
校を卒業するまでの思春期の五年
て お 互 い に 提 示 し あ っ た。﹁ レ ス
間を函館で過ごしました。
ト ラ ン ﹂ の ス ペ ル は?﹁
Adam's
当時の引っ越しは大変で、小田
原から上野経由で、蒸気機関車の
﹂ は ど ん な リ ン ゴ?︵ の ど
apple
寝台列車と青函連絡船を乗り継
ぼとけの意味︶等々。
いで、一昼夜かけての大移動でし
あるときK君が﹁ a lily of the
の 意 味 何 だ か 分 か る?﹂ た。トンネルのすすで顔が真っ黒
valley
になったこと、青森での青函連絡
と問うのである。しばし沈黙が続
船のドラの音、函館に降り立った
くと﹁谷間のユリでスズランのこ
ときの雪景色など、五十年たった
とさ﹂と言うと、鼻をぴくりとさ
今でもその時の状況が思い出され
せた。
ます。
一陣の涼風が吹いた。かわいら
函館出身の患者さんも五人担当
住まいは時任町で、三階建ての
しています。ちょっとしたアクセ
的場中学は広々としており、北海
ン ト で、﹁ 先 生 は 函 館 の 出 身 じ ゃ
道の学校はさすがに大きいなとい
ないですか?﹂といわれることも
うのが初めの印象でした。
あり、ちょっとうれしい気持ちで
担任の松村先生からは今も年賀
す。患者さんは、大人ばかりでな
状を頂いております。親友で、テ
く受験ストレスを抱えた高校生も
レビ朝日のコメンテーターをして
たくさんおり、のびのびと過ごし
いる朝日新聞論説委員の清水建宇
た自分の青春時代を思い出し、函
君は、よそ者だった私を立派な道
館で思春期を迎えられたことを感
産子にしてくれました。
謝しています。
函館中部高校での思い出は、担
最後に、私が実践しているスト
任の先生たちとの出会いです。一
レス解消法をお教えします︵図参
年は地学の古谷先生、二年は英語
の上野先生、三年は国語の横田先
生。共通していたのは、先生方が
皆、 教 育 熱 心 で あ っ た こ と で す。
自分の現在があるのも中部高校で
出会った先生方のおかげだと思っ
て い ま す。 中 部 高 校 で は、 友 人
たちとも数多くの思い出ができま
した。文化祭の仮装行列でクレオ
パトラを演じたのも忘れられませ
ん。男女共学の 人クラスで、進
学、就職組が半々でしたが、放課
後に皆でよく勉強しあっていまし
た。級長である自分が、数学の補
講で教師役をしたことも記憶にあ
ります。
大学は、函館を離れ、仙台の東
北 大 学 の 医 学 部 に 入 学 し ま し た。
卒業後は、心療内科医になり、現
在 は 横 浜 労 災 病 院︵ 横 浜 市 ︶ で、
勤労者メンタルヘルスセンター長
として働いています。心療内科と
は、心と身体の両面を診る内科の
ことです。
ストレスが原因で病気になって
し ま っ た 患 者 さ ん を 診 療 し た り、
ストレス病にかからないための予
防の普及に努めています。
育つよ﹂と母が話していたことが
頭 を か す め た が、 後 の 祭 り。 こ
れはへぼなことをしたなと思いな
がら、花を待っていただけに嬉し
い。匂いを確かめたくて身を屈め
たが、なかなか分からない。地べ
たへ膝をついたら、紛れもなく香
しい。
昔、スズランが咲き出すと、デ
パートや園芸店などに地方発送の
コーナーが設けられ、季節の商品
として販売されていた。初めのこ
ろは、花束だったようだが、後に
は鉢植えが贈られるようになっ
た。函館駅のホームでは旅行客へ
のサービスとして、花束のプレゼ
ントがあり喜ばれていた。
函館出身の文芸評論家、亀井勝
一郎は著﹁函館八景﹂で、トラピ
スチヌ修道院前の草地で、むせる
ような香りに包まれたことを回想
౓೻ɩȦঠࣕΓན࠵Ć޵ĆఱĆૃȞ୸Γ
68
41
50
S…スポーツ(記録より、楽しみ)
T…トラベル(自然との触れ合い)
R…レクリエーション(人とのコミュニケーション)
E…イーティング(栄養素やカロリーではない)
S…スィンギング(歌うこと)&スピーキング
S…スリーピング、スマイル&酒&SPA
8
昨年東京支部の大会に顔を出し
たことがきっかけで評議員をする
ようになったのですが、非常に面
白い!
というのは会議の後の宴
ですが︵笑︶初対面の方がほとん
どにも関わらず、自分の夢を語り
語られ、こんな風に素敵に年を重
ねられたらと、何度も思いました。
正直にいうと、今年5年ぶりに
実家に帰ったくらい普段愛郷心を
意識したことがなく、東京を満喫
しておりました。
母校が一緒だったということだ
けで、色々な分野でご活躍されて
いる色々な世代の方と、これほど
までに心に壁を感じないでお話し
する面白さは、一言では語りつく
せません。
また、今私がやっている事業も
偶然出会った母校の先輩がきっか
けだったり、今年自分が主催した
講座に母校の後輩が居たり、人生
の中で人様が運んでくる縁を毎日
感じています。
同窓会のきっかけを先輩に質問
すると、年齢が遅いスタートが多
いようですが、同年代にこだわら
ず世代を超えたコミュニケーショ
ンのきっかけを、自ら創っていけ
たらと思っております。
原作詩/サムエル・ウルマン
自由訳/新井満
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青春 とは
ੀ
ᅔ
ཆ
ā
Ό
@
照︶
。皆さんも参考にしてみてく
ださい。
98
ā
ā@
Ό
72
期︵平成 年卒︶
高波
恵美
10
︻やまもと・はるよし︼
横浜労災病院
勤労者メンタルヘ
ルスセンター長。一九四八年東京
都 生 ま れ。 函 館 市 立 的 場 中、 函
館中部高を経て 年東北大医学部
卒。同大助手などを経て、二〇〇
一年より現職。医学博士、日本医
師会認定産業医、日本体育協会公
認スポーツドクター。横浜労災病
院ホームページの﹁勤労者心の健
康相談﹂に、世界中の日本人ビジ
ネスマンから電子メールで寄せら
れる毎月五〇〇件近くの心の悩み
に答えている。
著 書 に﹁ ス ト レ ス 一 日 決 算 主 義 ﹂
︵NHK出版︶
、
﹁ビジネスマンの
心の病気がわかる本﹂
︵講談社︶
など。
北海道新聞道南版﹁みなみ風﹂
平成十九年六月十四日より転載
母校って
18 98
期の高波恵美です。
歳に北海道を出てそのまま
年大阪に居て、その後東京へきて
2年、今年ついに三十路になりま
した。
౓೻ɩȦঠࣕΓན࠵Ć޵ĆఱĆૃȞ୸Γ
(講談社)より抜粋
荒井 満 著「青春とは」
ວ ࡖ ‫ ޏ‬Ⱥ ɢ ɤ
﹁隔月の食事会﹂をやろうという
事になった。2月、4月、6月は
同期会があったので休止、8月は
会場の都合で実現出来ず、今のと
ころ9月 日︵火曜日︶を予定し
ている。
期の皆さん、私からの案内を
楽しみに待っていて下さいね。
減り、参会者8名の淋しい集まり
となった。
会は出席会員の近況報告のあと
第 期
欠席会員からの返信を紹介したが
吉田 精吾記
老 化 は 確 実 に 進 ん で、 入 院 者 が
めっきり増えてきた。函館本部や
佐々木弘明君が栄えある叙勲受章
札幌支部の消息の報告のあと、中
わが 期では 年前から原則と
学時代の回顧談に始まり、傘寿を
して毎年同期会を開催しているが
越えるまでに辿ったそれぞれの人
十数年前からは毎月1回、囲碁会
生航路の思い出などを語りあった。 を続けてきている。さらに、数年
アルコールの消費量はめっきり
前に十里木高原に女性も加わって
減ったが話題は尽きず、次回を約
一泊旅行をしたのを機に年に数
大会を開催した。
束し、記念撮影をして散会した。
回、麻雀を楽しむ会も開くように
そ れ は さ て お き、 こ の 5 月 に
なった。
佐々木弘明君が永年、自治省の消
囲碁の参加者は5∼6名、午後
第 期
五 楊 会 1 時 ご ろ か ら 3 ∼ 4 局 打 っ た 後、 防研究所所長として活躍された功
杉田 博子記
績 に よ り 瑞 宝 中 綬 章 を 受 章 し た。
近くのレストランでビールやワイ
そのお祝いの会を、すでに予定し
ンを傾けながら、その日の囲碁の
五楊会と名づけた 期関東地区
ていた島田さんの誕生祝の麻雀大
感想や近況報告、健康談義など幅
同期会が、6月8日東京飯田橋の
会にあわせて6月に葉山の吉田宅
広いテーマが話題になる。
ホテルグランドパレスで 名の出
で開催した。好天にも恵まれ、せっ
一方、麻雀はといえば、多くは
席で行われた。
かくの機会だからと京都や静岡の
葉山の吉田宅で 時ごろ集まり昼
出席者は大阪や京都、函館から
遠方からも馳せ参じた人も、麻雀
で、 卒 業 以 来 初 め て の 人 も お り、 食を挟んで夕刻まで2卓で賑やか
をしない人も加わって総勢 名の
に卓を囲む。
和 気 あいあいの楽しいひとときで
盛況となった。麻雀2卓、囲碁も
夕食は小生の手料理をみんなで
あった。
2組、そしておしゃべり組と満員
楽しむ。その時によりイタリア料
各自近況を話している所を見る
電車並みのぎゅうぎゅう詰めだっ
理であったり和食であったりする
と皆 才を過ぎたとは思えない程
たが、それでもあちこちで笑いが
が、みんなの評判は上々、アルコー
元気である。
絶えなかった。
ルの勢いもあっていつも時間の経
初めて共学になった高校2年の
つのを忘れて笑いが絶えない。
時、早く仲良くなれるようにとい
昼食時にお祝いとして金一封の
ほかに山形・酒井ワイナリーのメ
旅行もする。この3月には 名
う諸先生の配慮のお陰で、皆ほん
ルロー種ワインの会員証と、同種
が参加して三浦海岸にあるマホロ
とうに仲良しである。
のワインを贈呈した。4年後には
バ・マインズ三浦に一泊して麻雀
昨年 月の忘年会を皮切りに
http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
ホームページアドレス
バの根と大きなイボがあるのです
第 期
高 楊 会
が、
かわいらしい目をしています。
安富 隼平記
最近の作品﹁青函連絡船︵大正末
期︶
﹂ は 熊 谷 孝 太 郎 写 真 集﹁ は こ
人生百年ですが、高楊会の会員
だて
は万一の時本部の世話人村上健介
記憶の街﹂収録2枚の写真
から。まるまげの女性の目の美し
君に連絡、過去帳に記録すること
に な っ て い ま す。 総 員 2 2 8 人、 いこと。余技とはいえ既に大家の
風格があります。
戦死 人、逝去117人、不明
人、現在員 人。
絵に巧みな荒木勇君は、第 回
第 期
翠 楊 会
市 展 に 油 絵﹁
﹂を 出 品、傍 ら
Closed
田沼 修二記
﹁私本 シベリア抑留﹂第二部を執
筆中です。会員一同出版を楽しみ
例 年 通 り、 今 年 も 6 月 6 日 昼、
にしていますが、本人は百才まで
NHK青山荘で翠楊会東京支部の
あと 年などと落着いています。
総会を開いた。今年は様々な理由
多才な田沼静一君は、余技の一
で、当初 名の出席予定者が急に
つ水彩画を画いています。今年の
年賀状イボイノシシは目の下にキ
ວࡖ‫ޏ‬Ⱥɢɤ
54
70
12
14
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25
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57
57
11
熟成したワインが届けられること
になっている。ワイン好きの彼に
相応しいのではないかと選んだも
のだ。席上、来年にはその原木を
確かめながら温泉旅行する案も浮
上した。
ビュッフェスタイルの夕食も賑
やかなことこの上なかった。料理
も な か な か 好 評 で、 大 皿 料 理 も
あっという間に平らげ、みんなが
持参したワインや日本酒、ビール
も次々に空になってしまった。こ
れがすでに古希を超えた連中とは
とても思えないほどの元気ハツラ
ツぶりには驚くばかりだった。
右 脳 と 左 脳 を 使 っ て 頭 を 鍛 え、
料 理 と ア ル コ ー ル で お 腹 を 鍛 え、
好き勝手なことを言いながら思
いっきり笑って⋮と、すこぶる健
康的?なひと時を満喫した。これ
も同期という気の置けない集まり
のお陰といえる。
この調子で百歳にチャレンジしよ
う がこれからの目標だ。
最後は恒例の麻雀の成績順に並
んで記念撮影。この日は佐々木君
が運も味方にして見事優勝し、ダ
ブル受賞となった。
!!
池上 拓磨記
期
三五会︵夏の旅︶
23
6月 日∼ 日の2日間、恒例
の三五会夏旅行
︵今回は男鹿温泉︶
に総勢 名の方が参加した。
例年、
梅雨入り直後に旅行を実施してい
るが、同期生には自称、晴男さん、
晴子さんが多いせいか、今年も又
第
62
できればこうした楽しい輪を
もっと広げていきたいものだ。
ວࡖ‫ޏ‬Ⱥɢɤ
22
24
幸運にもお天気に恵まれ、2日間
とも晴だった。初日はバスで男鹿
半島の史跡等を訪ねながら、目的
地の男鹿温泉に向った。途中、日
本海の海岸沿いに延々と続く防
砂林を見ながら、観光バスで寒風
山に登り、夜は勇壮な男鹿太鼓の
実演を楽しんだ。翌日は、元少女
達のモーニングコールで目をさま
し、幸運にも日の出を拝むことが
できた。男鹿真山伝承館ではナマ
ハゲ習俗学習講座を見学した。家
の主とナマハゲの問答事例や、ナ
マハゲが家の敷居をまたぐ時の足
踏 み の 数︵ 7 回 ︶、 主 の 座 敷 に 入
る 時 の 足 踏 み︵ 5 回 ︶、 家 を 立 ち
去 る 時 の 足 踏 み︵ 3 回 ︶ 等 々 の
ルールを事前に説明され、ナマハ
ゲのご登場となる。ナマハゲ役も
客 層 を 見 な が ら コ ミ カ ル に 演 じ、
私達を楽しませてくれた。テレビ
ニ ュ ー ス で 見 る シ ー ン と は 違 い、
佐藤 泰博記
16
18
17
57
39
やかな赤色モードの中、函館から
機材を持ち込んだ吉岡プロによる
記 念 撮 影 か ら 始 ま っ た。 そ し て、
加 賀 幹 事 長 の 司 会 の も と 開 会 し、
山崎会長挨拶、太鼓持ちの芸と続
き、懐かしい話などでアッととい
う間に一次会は終わり、二次会は
事前に用意した高校時代の写真を
編集しての﹁青春のアルバム、ス
ライドショー上映会﹂となり、み
な 若 か り し 頃 に タ イ ム ス リ ッ プ、
今でも変わらない︵変わった人も
いるが!︶仲間達との談笑また談
笑⋮で終了。
2日目、私は﹁水上バス﹂コー
スを選び、お台場に到着後即、皆
と別行動し﹁大江戸温泉物語﹂に
直行。サウナ、温泉でリラックス
して更衣室に戻ると携帯に留守電
が⋮電話すると﹁皆の金持って何
している!早く戻れ﹂と幹事長の
怒声。ひいた汗もドット噴出して
皆のもとへと駆けつけた次第⋮。
3日目は、観菊会のため新宿御
苑に行った 名が前夜の宴会の残
り の 飲 食 物 を 持 ち 込 み、﹁ 菊 見 の
宴﹂と洒落こんだものの、小雨に
見舞われ東屋へと移動。森戸校長
は飲物のキャップを器にして、職
業柄、今まで出来なかった友達を
作る為と、一人づつお茶をついで
回り、たちまち 名の友を作る事
に成功。早速﹁次の会は帯広も一
日予定に入れて﹂との提案に全員
一致で快諾を得た。アーアいがっ
たね、いがった!
すでに定年を迎えた人、まだま
だ働く人⋮など、様々なセカンド
ライフがあると思うが、これから
も第3回中国旅行の他、数年に一
度くらいは元気な顔を見せ合って
いきたいもだと感じた再会であっ
た。
﹁再見!﹂
第
﹁還暦﹂と言う言葉がいよいよ
現実のものとなった。
これを機に、まず首都圏在住組
が札幌・函館を訪れ懇親会をやろ
う、との話が本格化し、6月の第
2週﹁YOSAKOIソーラン祭
り ﹂ の 行 わ れ て い る 札 幌 と、 函
館地区は大沼で開催の運びとなっ
た。
平成 年6月9日、午前8時羽
田集合。午前9時札幌へ飛び立つ。
この日、札幌は快晴、真夏を思
わせるほどの上天気でカラリとし
た空気が清々しい。荒川君の手配
木戸 正文記
期
よいよい会
68
19
特定の家をナマハゲが訪ねてくる
という設定での実演は、楽しい思
い出となる催しだった。今回も函
館の幹事さんには、お世話になり、
本当に有難うございました。
第
11
平 成 年 月 日 か ら 3 日 間、
還 暦 志 丸 会 を 東 京 に て 開 催 し た。
参 加 者 は、 札 幌 8 名、 函 館 名、
東京 名の合計 名︵男 女 ︶。
初 日 は 浅 草 助 六 の 宿﹁ 貞 千 代 ﹂
での宴会に始まり、2日目は﹁は
と バ ス ﹂ と﹁ 水 上 バ ス ﹂ の コ ー
スに分かれたが、夜は合流し、駒
形の﹁どぜう鍋﹂をメインとした
晩餐会、3日目は新宿御苑の観菊
会と存分に親交を深める事が出来
た。初日は先ず、還暦に因んだ艶
18
期
志 丸 会
67
33
13
12
であった証しに、この集合写真を
ら、ゆったりとした時間の流れを
撮影して、一次会をお開きにした。
楽しむ。
二次会は、同じホテルのスカイ
函館の皆さんとの懇親会は函館
ラウンジで行い、その後は銀座ま
大沼プリンスホテルで午後5時半
で繰り出してカラオケ。更に夜の
から開催。再会を祝し乾杯の音頭
巷を彷徨った末、ザッケンが泊っ
は山本晴義君。彼は九州での講演
ているグランドパレスに舞い戻っ
の後、駆けつけてくれた。宴会開
て、空が白むまで尽きぬ話に花を
始、卒業アルバムで再確認しつつ
咲かせた者も、いたようである。
﹁なんも変わってないネ﹂と几帳
面な・・さん。二次会はカラオケ
へ と 続 く が、 瞬 く 間 に 午 後 時、
第 期
帰 宅 組 は 再 会 を 誓 い 合 い な が ら、
渡部 敏雄記
送迎バスへ。青森在住の本谷隆司
君は真夜中のフェリーに乗るとの
2月 日︵土︶に開催された東
こと。
京同期会には、遠路函館から福西
秀和くん︵3組︶が駆けつけ、総
翌日は再び駒ケ岳の景観を楽し
みつつ、朝食の後、現地解散とし
勢 名という前回︵平成 年1月
た。 ゴ ル フ、 函 館 観 光 を 楽 し む
開催︶とタイ記録になる最高人数
者、そして実家や親戚へ顔をだす
が集まりました。
者、三々五々再会を約束して出発
今回の極立った特色は、特に理
テルグランドパレス﹂芙蓉の間
して行った。
系クラスからの初参加者が多かっ
で、6月 日に開催した。
たこと。従来は9組だけが突出し
今回の懇親会開催にあたって幹 今回は、函館からザッケンこと
事として、尽力いただいた、荒川
佐藤健一君が出席。彼は、五稜郭
伸夫、徳田祐二両君とスタッフの
公園前で﹁居酒屋けんちゃん﹂を
皆さん、そして出席し会を盛上げ
開 業 し て お り、︵ 函 館 か ら 見 た ︶
てくれた、各先生と延べ 名の皆
地方在住者が帰郷したときの拠り
さんに感謝しつつ、函館空港から
所となっている。また、函館で歯
帰途に着いた。
科医を開業している村井茂君が途
中から飛び入り参加。偶々所用で
首 都 圏 か ら の 参 加 は 麻 田︵ 村
本︶、雨宮︵工藤︶、大河原︵小澤︶、 上京していて、忙しいスケジュー
細野、塩田︵村井︶、村上︵佐藤︶、 ルの合間を縫って駆け付けてくれ
吉 野︵ 米 一 ︶、 池 端、 越 中 谷、 及
たようである。
能、白 、高橋︵弘︶、武内、内藤、
「 康 ﹂。
今年の話題の中心は 健
丸山、山本、横田、木戸。
検査で異常が見付かった、と言っ
た話題から始まって、3年前から
こん睡状態を続けている同期生の
第 期
近況、出欠の返信ハガキが奥様か
加納 元雄記
らの逝去の連絡であった友人のこ
と等々⋮。
今年の 期大会は、斎藤太七郎
君 の 紹 介 に よ り、 九 段 下 の﹁ ホ 最後に、今日、6月 日は元気
http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
ホームページアドレス
してくれた、大通りパレード会場
︶ に て、 樋 口 先 生 は
011--533-0311
の桟敷席に陣取り、祭り真っ盛り
じめほぼ全員が徒歩で移動、東京
の
﹁YOSAKOIソーラン祭り﹂ 出張の今井浩三君も駆けつけ、再
を観覧。道内外からエントリーし
会を期して、再び乾杯乾杯乾∼杯。
た、各隊の一糸乱れぬ、切れのあ
翌日︵9月 日︶は大沼公園へ
る灼熱の演舞と飛び散る汗と笑
列車で移動。札幌駅デパ地下で偶
顔が大音響とともに次から次へと
然 フ ェ ア ー を や っ て い た、 荒 川
やって来る。
君の地麦パン工房﹁れもんベーカ
特に素晴しかったのは養護学校
リ ー﹂︵ 011-836-6080
︶で昼食の
チームである。祭りと対峙し、お
サンドイッチを調達。
のおのの祭り観を良く表現してい
大沼は昨日の喧騒とは打って変
る、まさに﹁一生懸命﹂その演舞
わっての静寂の中にあった、湖に
は 心 に 伝 わ っ て く る も の が あ る。 映える名峰駒ケ岳、今まさに萌え
ブラボーである。機会があれば一
出でる新緑の大沼公園が素晴しく
度ご覧頂ければと思う。
美しい。
さ て、 懇 親 会 は 札 幌 テ レ ビ 塔 ホテルの露天風呂につかり、野
2階宴会ホールで午後7時から樋
鳥の声と悠然と泳ぐ錦鯉を見なが
口、富田、藤原先生にご出席頂き、
開催した。 数年の歳月は瞬く間
にタイムスリップ。一番遠方から
の出席は豊田市からの内藤和明君
であった。
二次会は森川勝吉君の﹁ピカも
り川﹂
︵ニューすすきのビル4階
ວࡖ‫ޏ‬Ⱥɢɤ
40
10
71
71
80
10
16
16
42
17
72
24
ていたのが、今回は6∼ 組から
まんべんなく出席があり、理系が
文系をしのぐ勢いになっていま
す。その反面、女性の参加者が減
少したため、ハナとタッタのタッ
タ二人だけの賑やかパワーでは如
何ともしがたく、華やかさより男
臭さがまさった会となりました。
同期会の男性化は、日本の少子
化に匹敵する危険な徴候です。次
回、女性の皆さんの奮起を切に希
望いたします。とはいえ、村田秀
樹くん︵9組︶が執念で調達した
料理は従来とは比べものにならな
いほどグレードが高く、そこここ
で繰り広げられる卒業以来の再会
シーンを大いに盛り上げて、なご
やか且つ温かい談笑の輪がいつま
でも続く会になりました。
皆さんありがとうございまし
た。来年か再来年になるか分かり
ませんが、
またお会いしましょう。
会 計 担 当 の 小 林 繁 治 く ん︵ 2 組 ︶
か ら、 極 め て 迅 速 な 会 計 報 告 が
届きましたので別途報告いたしま
す。 赤 字 と 聞 い て お り ま し た が、
会計幹事の腕が良いのか終わって
みれば1万2千円ほどの黒字にな
っていました︵奥山御夫妻ごめん
なさい。黒字になったら御夫婦割
引と申しあげたのに、返金できず
に終わって済みません。次回、覚
えていたら値引きします︶
。
も う ひ と つ ご め ん な さ い。 当
日、クラス別の写真しか撮ってお
らず、一次会の会場で全員の集合
写真を撮るのを忘れました。気づ
いたのは二次会が終わりかけた頃
という失態、最近モノ忘れが激し
いのです。
ວࡖ‫ޏ‬Ⱥɢɤ
10
函中の卒業生であることまで忘
れないようにしなければ。
75
第
05
76
76
期
あす76会
10
50
30
物 故 者
期・昭2年卒︶
日没
謹んでご冥福をお祈りいたします。
徳田
肇︵
平成 年8月
佐々木忠男︵
平成 年8月
年卒︶
期・昭7年卒︶
日没
期・昭
日没
年卒︶
年卒︶
重松
史郎︵ 期・昭
平成 年2月4日没
前田
季邦︵
不明
期・昭
日没
年卒︶
関
四郎︵
平成 年7月
年卒︶
年卒︶
年卒︶
期・昭
期・昭
奥野
潔︵
不明
山崎
秀勇︵
不明
期・昭
19
期・昭
日没
期・昭
日没
上垣
美以︵ 期・昭
平成 年7月没
高尾 忠良︵
平成 年 月
飯田
繁︵
平成 年4月
期・昭
日没
年卒︶
年卒︶
年卒︶
工藤 亮二︵ 期・昭 ・ 年卒︶
平成 年2月4日没
大沢
清躬︵
平成 年3月
年卒︶
徳永
俊夫︵ 期・昭 ・ 年卒︶
平成 年 月 日没
吉田
徹︵
不明
期・昭
12
12
13
23
24
37
15
15
15
23
24
白川 正広記
高橋
勝美︵
平成9年 月
期・昭4年卒︶
天坂
正男︵ 期・昭5年卒︶
平成 年 月3日没
徳山清一郎︵
不明
10
15
16
16
46
48
15
27
30
54
54
用し、海を渡り、大沼の地で、北
海道ゴルファーとの﹁決戦﹂に挑
むということになりました。参加
者は写真のとおり、4組です。勝
敗はさておき、遠く離れて、ネッ
トでしか会話してこなかったメン
バーとの﹁肉弾戦﹂に大いに盛り
上がりました。
東京からのメンバーの半数
は、3日連続= ホールの旅とい
う こ と で、 函 館 メ ン バ ー か ら は、
﹁緑のお遍路
函館大沼 ヶ所巡
り﹂と尊称されるに至り、中日の
日夜に、五稜郭付近の居酒屋に
集合し、函館│札幌、東京、ゴル
フをやる人もやらない人も含め
て、総勢 名の宴会とあい成りま
した。
いつもの﹁地区別﹂の同期会と
勝手が違い、 数年ぶりで顔をあ
わせる面々も幾組か存在し、お互
いに自己紹介する場面も見られま
し た。 会 は、 た い へ ん 盛 り 上 が
り、ゴルフ談義を通り越し、二次
会、三次会へともつれこんだのは
いうまでもありません。
31 11 29
32
39 11 39 11 34
17
18
18
40
43 28 42
43
51
64 23
51 24 42 16 42 31 42
50
50
11
12
12
05
10
18
18
18
18
18
19
19
18
75
先輩の皆様もどこかで言ってお
第 期
七五三会
ら れ た と お り、 歳 の 前 後 か ら、
宮下 知子記
同期・同窓の集りに皆さんの関心
が高まってくるもののようです。
の声を聞くとなぜか急に同窓
わが 期も高校卒業 周年の
会活動が活発になるという話は前
歳のころから、函館│札幌及び東
か ら 聞 い て い た が、 は た し て 私
京であいついで同期会が活発にも
たち 期もその通りの展開になっ
たれるようになってきました。新
た。
年会、忘年会、暑気払いなどの連
ほぼ全員が 歳になった 年2
絡にはインターネットを通じた同
月、七五三会結成︵七・五・三では
期の﹁掲示板﹂がたいへん威力を
な く、 な・ ご・ み 会 と 読 む ︶。 今
発揮しています。
年は銀座にある品のよい居酒屋
その﹁副産物﹂として、東京付
﹁ 咲 く ら ﹂ で 会 合 が 開 か れ た。 幹
近在住メンバーで、数組のゴルフ
事は持ち回り制で今年は2組と6
コ ン ペ が 定 着 し て き て お り ま す。
組の有志が担当した。
名 づ け て﹁ あ す 7 6 会 ﹂。 年 か
それにしても不思議だ。高校卒
ら、1月、4月、7月、 月を定
業当時、人生の中身のほぼすべて
例会として、 回を数えました。
は﹁未来﹂に属していた。大学生
今回は、その節目として、7月
活、恋愛、就職、結婚、子育て⋮。
の﹁海の日﹂をはさむ3連休を利
そのすべてを体験しつくしたあ
と︵ ち ょ う ど 歳 頃?︶、 何 事 も
なかったかのように昔に戻って○
○君、△△︵旧姓︶さんと互いを
呼 び 合 い、 談 笑 す る 私 た ち っ て
いったい⋮。
ひとが同窓会に出かけていくの
は、自分の中の﹁変わらない部分﹂
を確認するためなのだろうか。そ
れ と も、 大 い に﹁ 変 わ っ た 自 分 ﹂
を自他ともに確認し今後の糧にす
るためなのだろうか。おそらくそ
の両方を無意識のうちにやってい
るのかもしれない。単になつかし
い、昔話をしたいからという後ろ
向きな理由だけではないような気
がしている。
50
その他
115,608
120,000
3,886,608
3,880,000
大会関連費用
1,428,071
1,640,000
会報関連費用
861,041
863,000
印刷費
206,850
200,000
通信運搬費
191,412
190,000
本部派遣費
179,480
210,000
事務所諸費
300,000
300,000
その他
508,433
477,000
合 計
3,675,287
3,880,000
差 引 収 支 算
211,321
0
次期繰越剰余金
4,798,071
4,798,071
7
34 18
43
11
17
35
10
12
13
8
28
〈65期 菅原大作記〉
勝
位
位
ベスグロ賞
期
期
期
期
第 回ポプラ会は平成 年 月
日︵ 金 ︶、 浦 和 G.C.に て 開 催
された。
当日は、台風並みの強風下、
名の参加者があり、和気あいあい
の中、ダブルペリア方式でプレー
が行われ、無事終了した。成績は
次のとおり。
11
優
19
5
佐藤
建氏
小林
嘉則氏
菅原
大作氏
坊
吉太郎氏
19
ポプラ会
報 告
54 65 63 63
昨年度は 名もの方からご寄付を頂戴いたし
ました。深く感謝申し上げます。お名前を掲載
して御礼に代えさせていただきます。︵カッコ
内は期・卒年︶
34
33
6
当支部の財政状態はまだひ弱で、本年も引続
き会員の皆様のご寄付を募っております。お志
のある方は、ご協力をお願い申し上げます。
61 45
︻ 取扱金融機関 ︼郵便局
︻ 口 座 番 号 ︼ 00190│ 1│ 124291
︻
名
称
︼ 白楊ヶ丘同窓会東京支部
︻ 振 込 用 紙 ︼ 郵 便 局 備 え 付 け の 用 紙︵ 赤
色・ 振 込 料 受 取人負 担 ︶を ご
利用してお振り込みいただけ
ます。
3 2
32
田熊国太郎様︵ ・S ︶
徳田肇様︵ ・S ︶
加藤敏雄様
佐藤洋様︵以上 ・S ︶
風間憲吉様
釣谷光博様︵以上 ・S ︶
大庭一朗様
西原林之助様︵以上 ・S ︶
高梨良雄様
椿田和彦様︵以上 ・S ︶
今井清様
太刀川良三様
田本實様 外山源一郎様
西村慎吾様 室谷国男様︵以上 ・S ︶
井筒吉彦様 宇津志彰様
梅崎総一様
加藤良雄様
神山茂郎様
佐々木貞光様
谷淳一様
S・ ︶
續豊様︵以上
今井基之様 勝浦寛様
久保田陽人様
橋本隼朗様
三上理一朗様
渡辺鉱一様︵以上 ・S ︶
田沼修二様︵
S・ ︶
金子公彦様︵ ・S ︶
38
44
37
39
7 1 9 名 ︶、 運 営 費 の 節 減 等 に
より、差引収支残
︵211,132円︶
真船監事より監査報告
︵3︶平成 年度事業計画案
加納副支部長
親睦大会、会報、HP、渉外活
動、同好会活動等
︵4︶平成 年度収支予算案
加納副支部長
80,000
40
昨年度と同様に収支均衡予算とする
102,000
16
日時・4月 日︵水︶
場所・インテリジェントロビー
ル・コ
出席評議員 名
以下の議案について審議し、全
議案とも承認された。
︵5︶支部長の選任
金子支部長
次期支部長は、顧問・先輩による
仮称顧問会に諮って選任する。
引き続き、同会場において会費
制で懇親会を実施。今年度親睦
大会幹事の 期若生直氏からの
イベント企画説明及び協力要請
等があった。
な お、 4 月 日 に 顧 問 会 を 開
催、次期支部長として安田康次
氏︵ 期、S 年卒︶に委嘱す
ることを決定。
会員からのご寄付
支 出 の 部
1,520,000
収 入 の 部
1,512,000
合 計
http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
ホームページアドレス
大会費収入
******
******
25
2,160,000
32
2,157,000
ご寄付御礼
19
19
77
評議員会報告
36
年会費収入
67
平成19年度
19年度予算
18
18年度実績
40
18
18
︵1︶
平成 年度事業報告
加納副支部長
親睦大会、特別企画、会報、H
P、
渉外活動、
同好会活動等
︵2︶
平成 年度収支決算報告
片瀬理事
会 員 の 皆 様 か ら の ご 寄 付︵
名、 1 0 2,0 0 0 円 ︶
、年会
費 納 入 者 の 増 加︵ 7 1 2 名 ↓
平成18年度収支実績および
平成19年度予算
2007年11月10日(土)午後2時∼
今年度の親睦大会の運営は、私
たち 期が担当いたします。
アトラクションは、これまでと
装いを新たに、親睦大会参加者の
皆様一人一人にアトラクションに
参加して頂く企画としました。﹁母
校函中﹂と﹁故郷函館﹂への思い
を共有し、同窓生としての絆を強
め、心を通わす時間としたいと考
えています。
形式は、同窓生の皆様に年代ご
とにグループをつくって頂き、そ
の年代の方々の青春時代に関連し
た曲をプロのピアノ伴奏で歌って
頂くというものです。同窓生の間
を、 時 代 ご と に 歌 声 で リ レ ー し、
同じ街で過ごした思い出、私たち
が 生 き た 歴 史 を 共 有 す る 空 間 を、
皆様とご一緒に作りたいと思いま
す。
期 か ら は、 音 楽 部 O B が 多
数?
参加する予定です。歌はど
うもなあと言う方にも気軽に参加
して頂けるよう、歌唱支援隊を結
成いたしました。
天使の歌声にはちょっともの足り
ないかもしれませんが、当日まで
リ ハ ー サ ル を 重 ね、 一 所 懸 命 サ
ポ ー ト し た い と 考 え て お り ま す。
会場全体で大合唱になるような楽
しい雰囲気を作りたいと思います
ので、皆様のご協力をお願い致し
ます。
また、懐かしい函館の写真を函
館の郷土資料室から取り寄せ、時
代ごとに編集致しました。曲と共
に放映致しますので、歌と合わせ
てお楽しみ下さい。
遠く函館を離れても数百名の同
窓生が一堂に会する東京支部大会
は、函館中部高校の歴史と伝統の
重みを、改めて私達に感じさせて
くれます。
期は、今年度の支部大会幹事
期となり、昨年来、延べ 名以上
の同期生が準備会に参加するよう
になりました。
︵準備
い つ も 昔 話 に 花 が 咲 き、
の方がおろそかになっています
が︶高校卒業後 年以上も経って
いるのに、幼なじみの時のまま話
が弾み、高校時代に話したことの
ない人とも友達になることができ
ました。
このような機会を与えて下さっ
たことに、今、私たちは大変感謝
しております。
今回のアトラクションは、同窓
生が自ら楽しみ、協力して創り上
げる企画です。どうか、皆様奮っ
て親睦大会にご参加下さいますよ
うお願い申し上げます。
歌唱曲目︵予定︶
ϱ ɤɭȮɈ‫ݬ‬
ϲ ಆȞટი
ϳ ಥટફ‫ݬ‬
ϴ ௫ɬ৐ȞɀၐȭȠ
ϵ ਒৫જ༃౺
϶ ȞȾɁɜპɬ
Ϸ ໰ɂಥɈʨˁῴʡ
ϸ ಱഈɬඪɣɄȞ
ાɃɜȹȻ
ā
Ϲ ȞȞ໲ᆟᆏȻ
Ϻ ႘ਡɈ୽
ϻ ౦‫ޢ‬Ʌ‫ێ‬ȾȺȫɈ‫ݴ‬
※駐車場(有料)には限りがござい
ますので、なるべく公共の交通
機関をご利用下さい。
30
期評議員
若生
直
●JR山手線
原宿駅下車・徒歩10分
編集後記│
昨年は白楊ヶ丘同窓会東京支部設
立 周 年 を 記 念 し て、 晴 海 ト リ ト
ンスクエア第一生命ホールにおいて
ジャズライブコンサートを開催しま
した。紙面で内容はご報告申し上げ
ましたが、同窓、同郷の皆様を始め
た く さ ん の 方 々 に ご 来 場 い た だ き、
成 功 裡 に 終 え る こ と が で き ま し た。
ひとえに皆様のご協力、ご支援の賜
物と心より感謝いたします。
さて毎年親睦大会は幹事期のど
なたかによる講演や演奏をアトラク
ションとして行ってきました。今年
期 昭
(和
年
度 は、
﹁アトラクションの主役はご
出席の皆様﹂との第
期小林嘉則氏のご尽力に感謝
諸所不行き届きの面があるかと思
いますが引き続きご愛読いただきた
の意を表したいと思います。
た、
長年にわたり会報を担当され、ハ
イレベルな紙面を作ってくださっ
で編集してまいります。
なお、今回の会報から編集スタッ
フを一新いたしました。新たな観点
です。ぜひご出席をいただきたく。
ており、どんな大会になるか楽しみ
卒 の
) コ ン セ プ ト に よ る 企 画 で す。
今までとは視点を変えた企画となっ
50
号
編集子
く、よろしくお願い申しあげます。
東京白楊だより
13
http://h6.dion.ne.jp/~kanchu/
ホームページアドレス
67
68
ϼ ན࠵Ɉட
●地下鉄
銀座線・半蔵門線・千代田線
表参道駅B5出口直結
77
30
●発
行
白楊ヶ丘同窓会東京支部
●発 行 人
安 田 康 次︵ 期︶
●編
集
木 戸 正 文︵ 期︶
●発 行 日
15
↑原宿
〒107-0061 東京都港区北青山3-6-8
電話:03-5467-2111
30
平成 年 月 日
︻東京事務所︼
〒160 0
│ 022
東京都新宿区新宿1 │ │
8 │
302
TEL 03 │
3352 │
6281
FAX 03 │
3341 │
5048
9
●交番
みずほ銀行●
63
19
表参道
◆青山ダイヤモンドホール◆
30
地下鉄表参道駅
青山通り
赤坂見附→
表参道
交差点
←渋谷
B5
青山ダイヤモンドホール
ハナエモリビル●
77
出口
●
77
青山ダイヤモンドホールご案内
77
77
第30号 追補版
大宴会となりました。高校時代の
思い出話しに花が咲き、普段は健
康と孫の話が多い諸兄姉も、この
夜は 年前にタイムスリップした
感がありました。本当にふるさと
包 ま れ た 未 舗 装 の 道 が 一 本 通 り、 は有難きかなです。宴が終わって
郭公が遠くから鳴くまことに閑静
も又同じ会場で二次会、また話し
な田舎でした。卒業以来 年ぶり
の続きと酒の続きです。よくも話
にお会いした方々は、お互い相手
しが尽きず酒も呑み飽きないもの
第 期
が 判 ら ず 最 初 は 当 惑 し ま し た が、 です。部屋に戻ってからも明け方
藤原正樹記
話しているうちに思い出して来ま
まで三次会をやられた方々もおら
﹁卒業してから半世紀﹂
した。紛れもなく昔の面影が残っ
れたようです。皆さんお元気です
ています。話しも尽きないのです
ね。これでは今年も来年も同期会
ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
が予定の時間となり閉会しました
参加は問題がないようです。
そして 悲しくうたうもの
が、その後五稜郭まで繰り出して
楽しく過すことが出来た裏には
よしや
かたい
二
次
会
ま
で
行
っ
た
元
気
な
御
仁
も
い
三谷君、佐藤和子サンを始め幹事
うらぶれて 異土の乞食となるとても
たようです。
の皆様の大変な準備と心配りがあ
帰るところに あるまじや
りました。末筆になりましたが篤
翌日は好天の下、函館組と非函
館組とに分かれての団体ゴルフ戦
く御礼申し上げる次第です。
これは室生犀星の詩の一節で
す。まことに ふるさとは 懐か
を名門函館ゴルフ倶楽部で行いま
しいもの
した。函館ゴルフ倶楽部は湯の川
忘れられないもの
あ
りがたきものです。
温泉の奥﹁きゅうしめいち﹂の別荘
に隣接して昭和の始めにオープン
卒業以来半世紀、函館中部高校
期同窓生︵昭和 年卒︶の卒業
した道内でも屈指の古いコースで
周年記念同期会が昨年9月 日
す。山アリ谷アリ、手作りのため
から 日までふるさと函館で行わ
微妙な地形の変化もありまことに
れました。地元函館を始め全国大
難しいコースでしたが、途中最高
阪、神奈川、東京から集まった諸
点では恵山から松前の大千軒岳に
兄姉は 名、近来にない盛会でし
至るまで津軽海峡を眼下に見下ろ
た。 日夜は前夜祭、幹事の三谷
す絶景もあり変化に富んだ面白い
君 設 営 の 柏 木 町 の 居 酒 屋﹁ ひ ろ
コースでもあります。この頃乾燥
こ﹂で函館料理に舌鼓を打っての
続きのために芝が枯れているとこ
和気藹々たるスタートから始まり
ろ多く皆さん悪戦苦闘をされまし
ま し た。︵ 函 館 料 理 と は 烏 賊 ソ ー
たが、僅差で遠征組が勝ちました。
メンとかほっけの開きなどの郷土
函館組が遠路の客に配慮して勝た
料 理 と の 意 味 で す。︶ こ こ は 昔 乃
せてくれたのかも知れません。
木 神 社 の 近 所 と い う こ と で す が、
その夜は、いよいよ湯の川温泉
びっしりと住宅が立ち並び往年の ﹁ 丸 仙 ﹂ 旅 館 で 同 期 会 で す。 大 量
面影は全くありません。昔は練兵
の酒が各種寄贈あり、年柄も考え
場からまっすぐ乃木神社まで緑に
ずに、まさに呑み放題食べ放題の
50 58
平成19年.10.0
(2007年)
白 楊ヶ丘
同 窓 会
東 京支部
50
18
│
│
│
85
29
会員短信
│
│
医術の進歩は昔と天地の差があり
まして、内科学会の試験問題の解
答を提出したりして、勉強してお
平成 年9月以降の会費の
ります。
振替用紙のメッセージから
●今井
清︵ 期・昭 年卒︶
●田熊國太郎︵ 期・昭6年卒︶ 東京白楊だより第 号懐しく拝
見しております。特に加茂さんの
会報は毎回懐かしく拝読させて
いただいております。9月9日で
ニューヨーク物語は、一九六〇年
満 歳を迎えますが、同窓会の益々
代に私は、同期の外山君と共に同
の発展を心から祈り上げます。
地に住んでいたこともあり、興味
●加藤 敏夫︵ 期・昭8年卒︶
深く読みました。 ページ︵寄付
金のご案内︶によると、 歳以上
以前は東京支部親睦会に出席
していましたが、顔見知りの人が
の会員は年会費免除になっており
減って出なくなっています。前回
ます。私は 歳です。三千円お送
の出席者リストに同期の佐藤洋君
りしますので、年会費でなく寄附
の名を見付けて﹁偉い ﹂と叫び
金として下さい。
ました。函館は懐かしい所です。
●室谷
國男︵ 期・昭 年卒︶
卒寿を過ぎて単独行動は無理と 年齢の関係か体調不良が治らず
な り、 長 男・ 長 女 一 家 の 介 護 で、 ガッカリです。長期の外出が出来
何とか日々を消光しております。
ず欠席させて頂きます。吾々の仲
●風間
間は毎年少なくなって来ているの
憲吉︵ 期・昭 年卒︶
ですが、未だ空気を吸っているこ
高齢と歩行も困難につき欠席さ
せて頂きます。年会費は送金しま
とを喜びます。 歳以上は会費免
した。益々のご発展を祈ります。
除とありましたが、寄附と言う大
●河村 泰平︵ 期・昭 年卒︶
げさなものでありません。志位に
して御受取下さい。私は体調が良
誰も出ない 期の皆さん!
私
は入院より退院をなし、一人暮ら
くなく大会は不参加になりますの
しのため長男宅に身を寄せていま
で宜しくお願い致します。
す。やがて歩行可能となりました
●小川原
清︵ 期・昭 年卒︶
ら、元の住いを整理し、一人暮し
同窓会便り半日かけて読みまし
のため左記に移ります。
た。思い出し乍ら楽しい半日でし
〒
東京都練馬区光が丘
た。これからもこのようなものを
︻河村邦泰︼
方 ☎ 03 5383 5128 作ってください。
●椿田
●篠田
和彦︵ 期・昭 年卒︶
作衛︵ 期・昭 年卒︶
白楊だより御恵贈有難うござい 東 京 白 楊 だ よ り 有 難 く 落 掌 し、
ました。御盛会をお祈り致します。 殆ど全巻読破しました。金子支部
最近は京都までの外出も面倒にな
長のご挨拶の中に、黒字化達成が
りました。まだ診療に従事してお
報じられており、ご同慶に堪えま
りますが患者は少なく、年寄には
せん。又全巻を通じ役員の方々の
最適と思っております。然し医学
新アイディアやご苦労が溢れてお
13
80
13
18
20
40
16
40
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45
47
3
9
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!!
12
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37
35
39
39
39
58
29
53
27
31
27
第30号
追補版
50
0072
第30号 追補版
り、誠に嬉しく声援申し上げてお
ります。
●寺井 滋
︵ ・ 期・昭 ・ 年卒︶
後輩の皆さんのご努力に対し深
謝致します。同窓会・クラス会も
卒後 年位までは熱意があります
が、喜寿も近くなると下り坂にな
ります。同期の出席も少なく、出
席者の間に年代の格差を感じます。
過去の想い出にひたっています。
●石川
︵ 期・昭 ・ 年卒︶
武徳
心臓病、
糖尿病
パーキンソン病、
で入院しております。もう歩くこと
も出来ません。同窓会行事にも参加
することが出来なくなりました。
●鈴木喜三郎︵ 期・昭 年卒︶
心身ともに健全。
●延原
昌樹︵ 期・昭 年卒︶
同窓会会報楽しみに読ませてい
ただいています。
●佐々木鐵雄︵ 期・昭 年卒︶
歳過ぎたので今回で最終にし
て下さい。
●澤田
経子︵ 期・昭 年卒︶
お陰さまで元気で 歳を迎える
ことができ感謝。これからも出会
いを大切に﹁いよよ輝く命なりけ
り﹂を願っています。
●藤本
一郎︵ 期・昭 年卒︶
回同窓会楽しみにしており
第
ます。時代の流れ、あらためて感
じおります。
●奥村ヒデ子︵ 期・昭 年卒︶
﹁東京白楊だより﹂にて函館の
風景を懐かしく思って拝見してい
ます。
●小竹
嘉子︵ 期・昭 年卒︶
毎回の会報楽しみにしておりま
す。充実したお知らせをいつもあ
りがとうございます。感謝です。
●堀江
郁子︵ 期・昭 年卒︶
函館の実家がなくなって心に
ぽっかり穴があいたようです。四角
い電柱は函館谷地頭にありますか。
●吉田
泰彦︵ 期・昭 年卒︶
﹁東京白楊だより﹂楽しみにし
ています。
●伊藤
紀子︵ 期・昭 年卒︶
東京白楊だよりのご送付ありが
とうございました。事務局諸兄姉
へ 感 謝 申 し 上 げ ま す。 故 郷 函 館、
函中に連なる方々のお幸せを祈り
ます。老境に入りよい年を重ねて
いきたいと思っております。
●岩渕
安隆︵ 期・昭 年卒︶
7月に2度目の利尻島、初めて
の礼文島に行ってきました。8年
前、北海道山歩きの第一歩が利尻
岳、その後3週間近く山歩きをし
て、最後は函館でした。懐かしい
思い出です。
●佐藤
裕子︵ 期・昭 年卒︶
東京白楊だよりで函館をなつか
しく思い出します。毎年一人で住
んでいる妹に会う為函館を訪れま
す。立待岬のはまなすの花の香に
酔いしれてきました。
●武田
至正︵ 期・昭 年卒︶
同窓会開催日時は早め︵年初
6ヶ月前︶に決まっていると助か
ります。月半分以下に仕事を減ら
し、健康管理、遊び、趣味にシフ
ト し た 生 活 に 切 り 替 え、 楽 し く
やっています。
﹁東京白楊だより﹂
楽しく読ませて頂いております。
●栃澤
森二︵ 期・昭 年卒︶
日立市で函館での倍以上の年月
元気に生活している。しかし生れ
育った故郷は何年たっても懐かし
いと感じる。
●菊池
紀邦︵ 期・昭 年卒︶
昨年は入院のため山梨大学付属
病院の7階病室から気持ちのみの
参加でした。今年は同窓の諸兄の
皆様にお逢い出来ますことを人生
最大の喜びと楽しみにしています。
●遠藤
隆三︵ 期・昭 年卒︶
会員短信に載せて頂きありがと
うございました。﹁ 会の新年会﹂
に卒業以来 年振りに参加させて
頂き、感謝感動しました。
●須山
慶子︵ 期・昭 年卒︶
娘が七飯町に住み、そのつれあい
は函館市役所に勤務しております
ので、孫の世話をしに時々函館へ行
き、函館を身近に感じています。
●中村
良誠︵ 期・昭 年卒︶
第 号白楊だよりありがとうご
ざいました。楽しく拝読させて頂
きました。幹事の皆様これからも
宜しくお願い致します。
●成谷
節︵ 期・昭 年卒︶
友 人 た ち の 訃 報 に 接 す る 度 に、
会 え る 時 は 会 っ て お か な け れ ば、
出来るだけ自分の活動もしなけれ
ば、と思うこの頃です。
●田中
公子︵ 期・昭 年卒︶
同期の加藤美以さんが7月死
去、5月に函館探訪の旅へご一緒
したところでした。去年は泉さん、
親しい友人を次々と亡くし落ち込
んでいましたが、同期の方たちに
助けられました。
●上原
勝雄︵ 期・昭 年卒︶
3月で定年となり、念願の海に
近い田舎暮らしを楽しんでいます
︵4月に引越しました︶。
●新谷
真秀︵ 期・昭 年卒︶
﹁同期会報告﹂を毎回楽しみに
しています。いつも自分の卒業年
35
度を探して読んでしまいます。い
役員の皆様御苦労様です。
つまでも函館をそして函中を忘れ
●千島
秀子︵ 期・昭 年卒︶
ないでいきたいと思ってます。
函館へ帰るのは親の法事と甥姪
●中川
の結婚式くらいで、会報なつかし
真︵ 期・昭 年卒︶
く読ませてもらいました。
ジェフ千葉と関りのある仕事を
しています。フクダ電子アリーナ
●清水
真︵ 期・昭 年卒︶
︵フクアリ︶にぜひ観戦に来て下
年4月に明治大学法科大
平成
さい。ピッチと観客席が近く臨場
学院教授に就任しました。
感のあるスタジアムです。京葉線
●関村
恒世︵ 期・昭 年卒︶
蘇我駅から徒歩8分です。
事務局の皆様いつも本当にあり
● ロビンソン尚子︵ 期・昭 年卒︶ がとうございます。会報いつも楽
しく拝見しております。
いつも通信をいただき感謝して
おります。仕事の都合で出席が叶
回親睦大会案内に、当日の
わないのが少々残念ですが、今後
第
会費が明記されておりませんでし
ともよろしくお願い致します。
たが、今回も例年通り、八千円と
●丸山
隆︵ 期・昭 年卒︶
さ
せて戴きます。なお、終了は午
還暦が近くなり、次の人生のた
後5時を予定しております。記載
めの決心を致しました。近々新し
漏れがありましたことをお詫び致
い仕事についてお知らせ出来る予
します。
定です。
●堀口
正︵ 期・昭 年卒︶
函館にUターンしました。
お詫びと訂正
●横山久美子︵ 期・昭 年卒︶
ご苦労様です。白楊だより楽し
号に
過日発行いたしました第
く読んでおります。
ついて、編集上の不手際が生じた
●小板
ため、ここに追補版を発行するに
繁︵ 期・昭 年卒︶
至りました。 期の皆様を始め多
8月 日バスケ部 会に出席
大なご迷惑をお掛けしました会員
し、 年ぶりで先輩、後輩、同期
の皆様に、深くお詫び申し上げま
のメンバーと会って来ました。バ
す。また、左記の通り誤りがあり
スケ部健在でした。
ましたので、併せて訂正してお詫
●川村
び申し上げます。
哲雄︵ 期・昭 年卒︶
平成 年度第 期同期会を 月
︻訂正︼
日︵土︶午後4時から三菱重工
● ページ1段 行目
横 浜 ビ ル 階﹁ ス カ イ ラ ウ ン ジ ﹂
藤原先生↓︵正︶藤山先生
● ページ5段
で開催しました。参加者一次会と
高尾忠良↓︵正︶ 期・昭 年卒
二次会合わせて 名で、初参加は
飯田
繁↓︵正︶飯島
繁
3名、約半数がさらに三次会まで
工藤亮二・平成 年没↓︵正︶
残り、延々7時間余の宴でした。
●
ページ﹁ご寄付御礼﹂
●塚田
三上理一朗様↓︵正︶理一郎様
晴康︵ 期・昭 年卒︶
黒 字 化 お め で と う ご ざ い ま す。
OB
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