エラスムス計画とフランスの高等教育制度改革 伝統とグローバルの融合

エラスムス計画とフランスの高等教育制度改革
伝統とグローバルの融合を目指して
黄 未来
論文は、エラスムス計画から始まり、ヨーロッパにおける高等教育制度改革、その経緯
としての「ボローニャ・プロセス」、フランスの高等教育制度改革−−LMD 制度につい
てまで論述した。章と節は目次で示した。
この計画は、フランス語学習の教材を通して知った。フランスに留学したドイツ人や、
ポーランド人の交流場面が印象的だった。また、奨学金で留学できる制度も新鮮だった。
このプログラムを取り上げたのは、固有の歴史・文化・制度などを持つ、大小様々な国々
が、どのように共同プログラムに参加し、運営に関わるのかという関心からである。
1章では、教育プログラム_エラスムス計画についてと題し、欧州連合(EU)の歴史
と加盟国、エラスムス計画とは何か、エラスムス計画誕生の背景、エラスムス計画のねら
い・目的、エラスムス計画の発足の順で調べた。
欧州連合の歴史と加盟国は、既に論文も出ており、記述の必要はない箇所であるが、経
済的な側面ばかりでなく文化的な側面からも考察した。
エラスムス計画は 1987 年にスタートした。12 ヵ国の参加で始まり、現在は 31 ヵ国に
拡大した。対象は、エラスムス計画参加国の大学生で、目的は、留学と高等教育機関の協
力関係を推進するための財政援助プログラムである。1995 年からは「ソクラテス計画」
の一貫としての学習援助・支援のプログラムが具体化された。
背景としては、経済的な分野ではグローバル化の進行に対応できる人材の育成であり、
文化的な分野でも、EC 市民としての自覚を喚起するという必要性からである。
計画誕生の背景には、各国の相互理解という多くの課題があったが、1980 年代には、
カリキュラムや専門職概念の統一には踏み込まない方針を確認し開始された。
ねらい・目的は、EC 加盟諸国の連携と協力関係の強化、人材の育成と EC 市民として
の自覚である。エラスムス計画の発足は 1976 年で、開始されたのは 1987 年 7 月である。
2章では、エラスムス計画の現状と報告と題し、具体的なプログラム、予算、奨学金、
移動学生数・留学期間・専攻科目、エラスムス計画に対する肯定的な評価、周りに与えた
影響と、これからのエラスムス計画について調べた。
具体的なプログラムは、必要経費の助成で 3 つのアクションがある。ActionⅠは大学
間の協力関係、ActionⅡは大学教員の流動、ActionⅢは、分野別ネットワークの促進で
ある。
予算は、学生個人への奨学金、具体的なプログラム、諸活動費などがある。1995 年度
以外は年々増加傾向にあり、肯定的な評価を受けていると見ることができる。
奨学金は個別支給され、
使用頻度の低い言語国での学習に外国語準備学習費給付もある。
受給条件は、エラスムス計画参加国の在籍 2 年以上の学生、EU で公式に難民・亡命者・
無国籍者・永住者と認定された学生、在籍大学の認定、受け入れ大学の授業料免除である。
移動学生数は、発足当時は 3000 人で、近年は、毎年約 10 万人の学生が移動している。
留学期間は 3 ヶ月以上 12 ヶ月以内である。平均留学期間は約 6.9 ヶ月、学年の平均は
3.5 年生、年齢は平均 23.7 才の学生が留学している。
専攻科目は、1997/98 年度は経営学、言語、社会科学、工学、法学、医科学の順に多
い。
エラスムス計画に対する肯定的な評価では、大規模なネットワーク形成、大学の国際事
務局の強化、取得単位認定に関する新制度の導入。学生、教員等に与えた影響。欧州連合
の法令によって、各種の権利が認められるようになったことなどが背景にある。
周りに与えた影響は、日本やアジア地域である。
これからのエラスムス計画は、エラスムス・ワールド、「EU マスター・コース」の創設、
欧州と欧州外地域の学生交流、大学間共同プロジェクトの交流がある。
3章では、計画の問題点と題し、財政、住居:フランス、ドイツ、学生の評価、移動学生
数の現状、制度上の格差の順に調べた。
財政は予算不足のために、奨学金は当初の予定より低く、年々減少傾向にある。各国の
留学生援助の制度や支給額の差が、留学生数や受給額の差に反映し、不均衡も生じた。
住居は、留学先国での住居確保に困難があり。特にフランス、ドイツなどは深刻である。
学生の評価は、授業内容や、事務・行政などのシステムの相違点などに不満足が目立つ。
しかし、社会的・文化的経験などは、どの国の評価も良い。
移動学生数では、人数の不均衡、予定人数と実数の差、英語圏への留学が目立つ。近年
では不均衡是正のために、調整を図っている。
制度上の格差は、運営手続きが複雑で時間がかかりすぎること。学位の名称と、名称に
見あう水準、単位の違いなどがある。差異を是正し、学生の移動を促進するために、ヨー
ロッパでは 1998 年から高等教育制度改革が始まった。
デンマーク、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスでも高等教育改革が行われている。
4章では、フランスでの高等教育改革と題し、再び制度について、高等教育制度改革の全
体と個、ヨーロッパにおける高等教育制度改革の経緯−−「ボローニャ・プロセス」、フ
ランスの高等教育制度改革−−LMD 制度、国民の声の順で調べた。
再び制度についてとは、フランスの 2002 年 4 月の政令、高等教育改革−−LMD 制度
と、1998 年から始まったヨーロッパの高等教育制度改革−−「ボローニャ・プロセス」
を制度
の違いから考察したためである。
高等教育制度改革の全体と個は、全体をヨーロッパ、個をフランスいう角度から見た。
ヨーロッパでの高等教育制度改革は、ソルボンヌ宣言から始まり、経緯は「ボローニャ・
プロセス」と呼ばれる。フランスの高等教育改革は、新学位制度̶LMD̶政令を出した。
この政令と、従来の学位制度の位置づけと、幾つかの不明な点に動揺した国民もいた。
国民の声は賛否両論あった。賛成派も反対派も集会などを開いた。状況は日本でも報道
された。反対派のデモの鎮圧、学校の一時的な閉鎖、休講などの記事が出た。
反対派は、学位内容に国家的な規定がない点、従来の学位の位置づけ、学位制度の国家
的な枠組みの喪失などを挙げて、LMD 政令の廃止を求めた。賛成派は、反対派学生の危
惧は事実無根と、大学運営の将来性への危機感、将来的な展望を背景に論を展開した。
5章では、その他と題し、プロヴァンス大学の場合̶LMD 制度̶、プロヴァンス大学
の場合̶LMD 制度̶に関するアンケートの順で調べた。
交換留学生として約 10 ヶ月の間、プロヴァンス大学で勉強させて頂いた。この期間の
休暇を利用して、新制度が与えた影響についてアンケートを行なった
プロヴァンス第一大学は、2004/2005 年度から LMD 制度に移行する第 2 グループに
属している。私が留学した年度は、ちょうど新制度適用一年目だった。
プロヴァンス大学の場合̶LMD 制度̶では、5 月発行の学校誌、Flash UP « LMD »
特集を参考に、セメスター制、単位制について、従来の学位、登録料、コースの選択、点
数補完制度 systèmedecompensation、今後の課題の順で調べた。
プロヴァンス大学の場合̶LMD 制度̶に関するアンケートでは、対象はプロヴァンス
第一大学の学生 8 人である。一人の交換留学生が遭遇したフランスの変動期、名もない
日本から来た学生に快くアンケートに答えてくれた一人ひとりに感謝する。年齢は 20 歳
から 28 歳である。性別は女子7人、男子1人である。専攻は心理学・外国語としてのフ
ランス語・文化の行政・社会学・哲学・歴史・造形美術などで、学習する言語は 2 カ国
語から 6 カ国語と幅広い。質問の項目は6つ、同じ意見は割愛し、文章は縮約した。
1) LMD 制度を知った方法、2) LMD 制度は何の役に立つか、3)LMD 制度に賛成か、
何故か、4)LMD 制度によって経験した変化は何か、5)LMD 制度で享受している、享受す
る、であろう利点は何か、6)直面している問題は何かの順で意見を求めた。
おわりに
計画を調べる過程を通して、不均衡を是正するために格闘する姿が印象的であった。
ヨーロッパ経済共同体は、30 年程前に大学政策に着手した際、「ヨーロッパの高等教
育制度については、政策的に各国制度の文化と多様性を尊重しなければならない」という
条件を付した。その通りに、共通の学位制度は異なってきている。
ドイツでは学部によって旧・新学位制度の併用も、どちらか一方の適用も認められる。
オランダは新学位制度を導入しない。このことは、たとえ制度上の調和を唱えても、伝統
や国の独自性は自然と残り、容認されていることが分かる。今後も課題を克服しつつ質を
向上させる深化と、加盟国の拡大の過程を経ていくだろう。長い歴史を持つヨーロッパが、
伝統的なものと新しいものを共存させることは可能だろうか。欧州の発展と、各国の平等
や個人の尊厳が守られることは可能だろうか。今後の EU の動きにさらなる興味を抱く。