平成5年門審第97号 押船泉州丸被押浚渫船明王号転覆事件 言渡年月日 平成7年3月7日 審 判 庁 門司地方海難審判庁(綱島記康、山田豊三郎、工藤民雄、谷口武夫、大楠 理 事 官 尾崎邦輝 損 丹) 害 泉州丸の連結ピン付近が曲がり両船が離れて沈没。泉州丸の船長は救助された後、病院で死亡、機関長 と操機長は行方不明となった。 原 因 復原力に対する配慮不十分 主 文 本件転覆は、倉口の閉鎖設備がない船倉に山土を積載して航行中、波浪の打ち込みによる復原力の減 少に対する配慮が不十分で、早期に避難しなかったことに因って発生したものである。 理 由 (事実) 船種船名 押船泉州丸 総トン数 199トン 機関の種類 ディーゼル機関 出 力 2,206キロワット 船種船名 積 受 職 浚渫船明王号 量 1,380立方メートル 審 人 A 名 一等航海士 海技免状 四級海技士(航海)免状 事件発生の年月日時刻及び場所 平成5年1月18日午前7時 九州北岸玄界灘 1 泉州丸の船体構造 泉州丸は、昭和44年5月に進水した2基2軸の推進系を有する長さ29.10メートル幅9.00 メートル深さ3.80メートルの鋼製押船で、平成3年10月にB社が購入し、専ら明王号を押航して 運航されており、船体中央部に機関室、その前方に船員室が配置され、船員室の上部が船橋でその上に 立てられた高さ約2メートルの支柱上に押航時の操舵室が設けられ、明王号との連結には、船首部両舷 に装備された油圧で作動する径約50センチメートル(以下「センチ」という。)の1対の連結ピンを、 明王号の船尾凹部両舷の内側にある上下5個の穴に喫水に合わせて差し込むようになっていたが、連結 した状態から連結ピンを切り離すとき、船体が10度あまり傾斜していると連結ピンが切り離せなくな る機構になっていた。 2 明王号の船体構造 明王号は、昭和57年にC社で建造された、長さ58.00メートル幅14.00メートル深さ4. 50メートルの押航式ボックス型浚渫船で、船体中央部に長さ21.00メートル幅10.40メート ル上甲板下の深さ約3.60メートル船倉を有し、同船倉のハッチコーミングの高さは約1.8メート ルで、船倉前部ハッチコーミングと揚錨機を備えた船首楼との間の前部上甲板上にジブクレーン及びそ の運転室などが、船倉後部ハッチコーミングと押船がかん合する船尾凹部との間の後部上甲板上に機関 室囲壁、煙突及び船員室などがそれぞれ設置され、上甲板下には船首から順に船首水槽、錨鎖庫、空所、 前部ビルジタンク、船倉、後部ビルジタンク、浚渫用サクションポンプ及び同ポンプ駆動用ディーゼル 機関などを備えた機関室が配置され、船倉前端から機関室後端までの二重底には、船倉下部に1番バラ ストタンク及び2番バラストタンクが、機関室下部に燃料タンク及び3番バラストタンクがそれぞれ設 けられ、船倉の両舷側は空所となっており、左舷舷側甲板上には浚渫用のサクションホース船尾を基部 として船首から前方に少し突き出す形で設置されていた。 明王号の船体は、その後改造され、ジブクレーン並びに機関室囲壁、煙突及び船員室などの主要構造 物が設置されている前部及び後部上甲板の中央部分はそのままとし、上甲板の両舷の船側のみを幅1. 8ないし2.8メートルで船首楼後端から船尾端まで約1メートル高くするとともに、ハッチコーミン グも約1メートル高くしたが、ジブクレーン操作の都合上、船首側ハッチコーミング及び両舷のハッチ コーミングの前端約1メートルの部分は元の高さのままとされ、船倉の倉口には閉鎖設備がなかった。 この改造工事によって前部及び後部上甲板は、ともに周囲より1メートル低い凹甲板状となり、前部 上甲板にたまった水は同甲板右舷後部角に設けられている船倉用排水トランクを通じて船外に排水さ れるようになっていたが、同トランクの上甲板立上がり部には高さ10センチ幅30センチばかりの排 水口が、前側に2箇所、横側に3箇所あるのみで、前部上甲板に波などが打ち込むと、一時的に海水が 滞留する状況となり、また、後部上甲板には排水口がなく、同甲板にたまった水は移動式電動水中ポン プで船外に排出するようになっていた。 3 明王号の排水設備 船倉内の排水設備としては、前部隔壁の下部に前部ビルジタンクへの排水口が4箇所、後部隔壁の下 部に後部ビルジタンクへの排水口が8箇所あって、船倉内に生じたビルジは同排水口を通って前後部の 各ビルジタンクにたまり、前部ビルジタンクのビルジは前部区画に設置された1台のビルジ兼雑用水ポ ンプによって、後部ビルジタンクのビルジは機関室に設置された2台のビルジ兼バラストポンプ及び移 動式電動水中ポンプによりそれぞれ船外に排出されるようになっていたほか、浚渫作業時に倉内にたま った海水を排出するための排水口として、船倉前部隔壁の左舷中央部に上下に細長いものが1箇所及び 同隔壁の右舷側上部ハッチコーミングの部分に大小4個集まったものが1箇所あって、木製のさし板を 差し込むようになっており、左舷中央部の上下に細長い排水口から左舷船側に通じる排水パイプには途 中にストップバルブが装備されていたが、右舷側上部ハッチコーミングの排水口から船底まで通じる排 水トランクは上甲板上の高さが約1.5メートルで、長さ3メートル幅2メートルばかりの大きさで船 底まで通じ、同排水トランクの船底には直径約1.3メートルの円形の開口部があって直接船外に排出 できるようになっていて、同排水トランクには閉鎖装置がなかった。 船倉前部隔壁の右舷側上部ハッチコーミングにある4個の排水口は、上甲板上の高さ1.5メートル 幅2メートルばかりの排水トランクの部分に、上甲板に下端を接した高さ約1メートルで幅90センチ と60センチばかりの大きさで左右に2列あり、更にその上部に高さ30センチ幅60センチばかりの 排水口がそれぞれ設けられており、これらの排水口の前面に木製のさし板が差し込めるようになってい た。 4 山土の積載状況 明王号は、船舶安全法の適用がなく、前示のように改造された同船を、平成3年12月にB社が購入 し、常時泉州丸と連結して運航されていたところ、平成4年12月以降関門港から福岡県博多港へ山土 を輸送するようになり、関門港田野浦区太刀浦に着岸して山土を積載する際には、1番から3番までの 全バラストタンクを空とし、船倉前部隔壁の左舷中央部及び右舷上部にある浚渫作業用の各排水口に木 製さし板を差し、左舷中央部の排水口から船外に通じる排水パイプのストップバルブを閉めた状態で、 船倉に山土をダンプカーで直接落とし込み、同船のクレーンを使って山土の頂部をならし、最終的に頂 部がハッチコーミングの上部から約10センチ下で、左右は船倉の幅一杯にほぼ水平な状態に、船首側 及び船尾側には傾斜をつけた状態に積み付けられていた。 5 受審人及び船長 受審人Aは、東シナ海やベーリング海などで底びき網漁業に従事する漁船の航海士や船長として約3 5年の乗船経歴を有し、漁業会社を定年退職したのち、平成4年6月B社に入社し、泉州丸に一等航海 士として乗り組み、同船を明王号に連結した状態で土砂の運搬などに従事していたが、浚渫船に乗り組 んだのは今回が初めてで、船長D(五級海技士(航海)免状受有)から、この船はビルジさえ排出しな がら航行すれば安全であると教えられ、明王号の船倉のビルジを排出するときには、いつも後部ビルジ タンクのビルジを排出することとし、明王号の機関室に設置されている2台のビルジ兼バラストポンプ 及び左右各舷への排水管系統のうち、右舷側の同ポンプ及び排水管系統並びに移動式電動水中ポンプを 使用していた。 D船長は、昭和56年B社を設立し、娘婿で僧侶であるEを取締役に就けて主に経理面を担当させ、 営業面や船舶運航などについては自ら担当して船長も兼務していたが、荒天時の運航基準などは特に定 めずにその都度判断することとし、船橋当直体制として、長い航海のときは自らを含めて一等航海士及 び機関長の3人による3直制としていたが、短い航海のときは専らA受審人に任せるようにしていた。 6 転覆に至る経緯 泉州丸は、D船長、A受審人、機関長F(四級海技士(機関)免状受有)及び操機長Gほか2人が乗 り組み、数日来の降雨によってかなり湿気を帯びた砕石混じりの山土約1、150立方メートルを積載 して船首4.00メートル船尾4.20メートルの喫水となった明王号の船尾凹部に船首部をかん合し、 平成5年1月17日午後0時関門港田野浦区太刀浦を発して博多港へ向かう途中、同1時30分ごろ関 門港若松区堺川公共岸壁に着岸した。 ところで、D船長は、太刀浦で山土を積み終わったとき、折から空船状態で博多港から関門港に向か って玄界灘の相ノ島付近を航行中の同業船日向丸に船舶電話をかけ、同船船長でいとこのHに玄界灘の 気象・海象状況を聞いたところ、北西の季節風が強く、波も高いから山土を積載した状態では航行は無 理であるとの情報を得たので、天候の回復と博多港への着時間調整を兼ね、とりあえず若松区堺川で待 機することとした。 その後D船長は、天気予報により福岡管区気象台から、福岡地方及び北九州地方には波浪注意報がそ れぞれ発表されていることを知ったものの、冬季の響灘及び玄界灘に波浪注意報が出されているのはい つものことであり、これ以上天候が悪化することはないと思い、関門港内が比較的静穏であったことか ら、翌18日午前2時泉州丸の船員室及び機関室への出入口など各開口部を閉鎖したうえ明王号に連結 した状態で堺川公共岸壁を発し、離岸時からF機関長に操舵操船を行わせ、A受審人を船首配置につけ、 自らは船尾配置について離岸作業を終えたのち、博多港までの運航をF機関長及びA受審人にゆだねて サロンで休息したが、同時40分ごろ白州灯台の南東方1.8海里ばかりの地点に達し、九州北岸沿い に響灘を西行し始めたところ、船首方向から強い風波を受け、波しぶきが明王号の倉口に頻繁に打ち込 む状況となり、このまま航行を続ければいずれ波浪が船倉に打ち込むおそれがあり、途中に適切な避泊 地がなかったのに、関門港に引き返すなど早期に避難せずに続航した。 一方、船首での離岸作業を終えて昇橋したA受審人は、博多港までの約7時間の全航海を1人で当直 するつもりでいたところ、当直中のF機関長から倉良瀬戸入口付近まで船橋当直をするのでしばらく休 むように言われ、関門航路に入って台場鼻潮流信号所の南方付近に達したところで降橋し、休息を取っ た。 同4時22分ごろA受審人は、波津白瀬灯浮標の北東方0.8海里ばかりの地点で昇橋したところ、 船首を倉良瀬灯台に向け約7ノットの全速力で航行中であり、西方からの風波を受け、右舷船首から上 がった波しぶきが頻繁に倉口に打ち込んでいるのを認め、F機関長と相談したうえ、船倉後部のビルジ タンクからビルジを排出することとし、同5時2分ごろ倉良瀬灯台の東方0.4海里ばかりの地点で左 転して倉良瀬戸に入り、同5時10分ごろ筑前大島の島陰に入って静かになったところで明王号の機関 室に赴き、2台設置されているバラスト兼ビルジポンプのうち、右舷側の同ポンプとビルジ管系統を使 ってビルジの排出を始め、更に移動式電動水中ポンプを同ビルジタンクに入れ、右舷側の甲板上から船 外に導いたホースでビルジの排出を行い、甲板上に出て両方のビルジ排出口から勢いよくビルジが排出 されているのを確認したのち昇橋した。 同5時20分ごろA受審人は、筑前大島港漁港北防波堤灯台から100度(真方位、以下同じ。)1. 2海里ばかりの地点に達したとき、F機関長から船橋当直を引き継ぎ、針路を224度に定め、引き続 き機関を約7ノットの全速力前進にかけて自動操舵で進行したところ、間もなく筑前大島の島陰から出 て、風力5ないし6の西風と高さ約2メートルの波浪を右舷前方から受けるようになり、再び波しぶき が頻繁に倉口に打ち込むようになったが、D船長から教えられていたとおり船倉ビルジの排出を続けな がら続航した。 同6時25分ごろ、泉州丸の自室のベットで就寝していた機関員Iは、体が右舷方に寄せられるので 目覚め、甲板上に出てみたところ、右舷前方から波しぶきを浴びながら航行を続けていたため、船倉右 舷側の山土が水分を吸収して重さを増し、泉州丸が明王号とともにわずかずつ右舷に傾き始め、2ない し3度ばかり傾斜した状態となっているのを認めたが、大した傾斜ではないと思い、再び自室に戻って 休息した。 同6時50分ごろA受審人は、筑前相ノ島灯台から280度2.2海里ばかりの地点に達したとき、 すでに山土の水分が飽和状態となっていたところに、右舷前方から高さ約4メートルの波が続け様に2 回前部上甲板及び船倉に打ち込み、船倉内が波で真っ白になるとともに右舷に7ないし8度ばかり傾斜 して復原しなくなったのを認め、プロペラの翼角を半速力の12度として約5ノットに減じ、直ちに船 長室に赴き、航行継続は無理である旨を船長に報告して船橋に戻ったところ、船体の動揺によって船倉 に打ち込んだ海水が流動するとともに山土が右舷に移動し、同時に前部上甲板に打ち込んだ海水が一時 的に滞留することによる自由水影響も加わって右舷傾斜が増加し、更に船倉前部隔壁の右舷上部ハッチ コーミングにあるさし板を差した排水口の下端が水面下に達し、同排水口から海水が船倉内に入り始め てますます右舷傾斜が増加し、同時55分ごろ右転して船首を風波に立てるとともに翼角を0度として 行きあしを落としたものの、そのころには右舷傾斜が約11度となって舷端が水面に達し、波が明王号 の右舷側の甲板を洗うようになっていた。 右舷傾斜が増加したことに気付いたI機関員は、再び甲板上に出たところ、波が明王号の右舷甲板を 洗っているのを認め、機関当直中のG操機長に泉州丸の連結ピンを明王号から切り離すように進言した が、すでに傾斜が大きくなり過ぎて切り離せない状態であると言われ、船員室で就寝していた他の乗組 員を起こしたのち、泉州丸の傾斜が大きく感じられたので明王号に乗り移った。 報告を受けたD船長は、船橋当直中のA受審人以外の乗組員とともに明王号に乗り移り、山土を海中 に投棄する準備を始めたが、船体が右舷に約18度傾斜したとき前部及び後部上甲板の右舷舷側の内側 が水面に達し、同舷側を越えて海水が前部及び後部上甲板に入り始め、船体が沈下して乾舷が減少する とともに右舷傾斜が増大し、その後山土の投棄作業を手伝おうとしてA受審人が船橋から泉州丸の甲板 に降りたころ、船体が右舷に約23度傾斜してハッチコーミングの右舷船首部が水面に達し、同ハッチ コーミングを越えて海水が船倉に入り始め、右舷に大傾斜して復原力を喪失し、同7時筑前相ノ島灯台 から265度2.8海里ばかりの地点において、泉州丸と明王号は連結状態のまま転覆した。 当時、天候は雨時々曇で風力5ないし6の西風が吹き、波高は約2メートルで、福岡管区気象台から、 福岡地方及び北九州地方には波浪注意報がそれぞれ発表されていた。 転覆の結果、海中に投げ出された乗組員のうち、転覆した明王号の船底に登っていたA受審人及び甲 板員Jは救助に赴いた漁船源徳丸に助けられ、漂流していたI機関員は通りかかった貨物船第八重福丸 に救助されたが、海上保安庁のヘリコプターによって収容されたD船長は病院で死亡し、F機関長及び G操機長は行方不明となり、のち死亡と認定された。 泉州丸と明王号は、泉州丸の連結ピン付近が曲がり、両船離れて付近海域にそれぞれ沈没し、明王号 はのち引き揚げられて解体された。 (原因に対する考察) 本件は、倉口の閉鎖設備がない船倉に山土を積載し、波浪が卓越した玄界灘を航行中、泉州丸と明王 号が連結状態のまま転覆したもので、以下その原因について考察する。 1 泉州丸の復原性 K教授の鑑定報告書によれば、平均喫水2.9メートル排水量450トンにおける仮定重心位置(K G)を3メートルとした場合、正の復原力範囲は横傾斜角70度近くまであり、仮に、本件当時の重心 位置が仮定重心位置より50センチ上にあったとしても、正の復原力範囲は横傾斜角55度付近まであ り、泉州丸の復原性が本件発生の原因をなしたとは認められない。 2 明王号の復原性 K教授の鑑定報告書によれば、平均喫水3.8メートル排水量2,517トンの状態における重心位 置(KG)を2.86メートルとした場合の復原性曲線を求め、これにハッチコーミングの高さを上甲 板上2.8メートルとした場合の同排水量におけるハッチコーミング上縁からの海水流入角27.5度 を合わせると、正の復原力範囲は横傾斜角27.5度までとなる。 本船の場合、海水流入角が復原力消失角となるので、本件当時の重心の位置がこの重心位置より多少 上下したとしても、正の復原力範囲が大きく変わることはない。 3 泉州丸及び明王号の連結状態における復原性 K教授の鑑定報告書によれば、泉州丸の平均喫水を2.9メートル、明王号の平均喫水を3.8メー トル、両船の仮定重心位置をそれぞれ水線面とし、明王号のハッチコーミングの高さを上甲板上2.8 メートルとすると、明王号のハッチコーミング上縁からの海水流入角は船体線図より求めた同排水量に 対して27.9度となる。 泉州丸及び明王号の連結状態における復原性は、明王号の復原性にほとんど依存しており、明王号へ の海水流入角が復原力消失角となるので、両船連結状態の正の復原力範囲は横傾斜角27.9度までと なるが、積み荷が多くて排水量が大きくなれば、海水流入角は当然この角度より小さくなる。 しかしながら、明王号のハッチコーミングの高さは、倉口の舷側及び後部では上甲板上2.8メート ルであるが、倉口前部及び倉口前端から後方へ約1メートルの舷側部では上甲板上1.8メートルであ り、また船倉前部隔壁の右舷上部ハッチコーミングの木製さし板を差した排水口の下端は船底から約4. 5メートルの高さで、発航時の喫水状態で右舷傾斜させると、約5.5度の傾斜で木製さし板を差した 排水口の下端が、約11度の傾斜で舷端が、約18度の傾斜で上甲板舷側の1段高くなった部分の内側 が、約23度の傾斜でハッチコーミング右舷前部上縁がそれぞれ水面に達することになる。 明王号は、山土を積載した船倉に右舷前方から波しぶきを浴びながら航行したので、その波しぶきを 右舷側の山土が吸収して重さを増し、船体がわずかずつ右舷に傾くとともに山土の水分が飽和状能とな っているところに、右舷前方から大きな波が船倉に打ち込むと、山土の船首側斜面に海水がたまり、海 水の流動に伴って山土が右舷に移動し、同時に前部上甲板に打ち込んだ海水が一時的に滞留することに よる自由水影響も加わって右舷傾斜が増加し、右舷傾斜が約5.5度になると船倉前部隔壁の右舷上部 ハッチコーミングの木製さし板を差した排水口の下端が水面に達し、波と船体の動揺によって海水が同 排水口から倉内に逆流して船体沈下と右舷傾斜が増加し、約11度傾斜すると舷端が水面に達して上甲 板から約1メートル高くした舷側の甲板を波が洗うようになり、傾斜が約18度に達すると舷側を越え て前部及び後部上甲板に海水が流入し始め、ますます船体沈下と右舷傾斜が増加し、約23度傾斜する と前部ハッチコーミング上縁から海水が倉内に流入して右舷に大傾斜し、復原力を喪失して転覆するこ とになる。 したがって、本件は、玄界灘において、倉口閉鎖設備のない船倉に波浪が打ち込み右舷に大傾斜した ことに因って発生したものであるが、当時の気象・海象状況からして船倉への波浪の打ち込みは響灘に おいても十分に予想されることであり、関門港内が比較的静穏だったことから発航したとしても、関門 航路西口を出て響灘を西行し始めたときから西寄りの強風と波浪を受け、船首から波しぶきが頻繁に船 倉に打ち込む状況となっていたのであるから、波浪が船倉に打ち込む前に関門港に引き返すなど早期に 避難しなかったことは、本件発生の原因となる。 なお、A受審人が倉良瀬戸の手前で昇橋したときには、波浪が船倉に打ち込む可能性が十分にある状 況となっており、すでに荒天避難の時機を失していたものと認める。 (原因) 本件転覆は、倉口の閉鎖設備がない船倉に山土を積載し、関門港から博多港に向け九州北岸を航行中、 波浪が卓越した響灘において右舷前方から船倉に波しぶきが頻繁に打ち込み、波浪の打ち込むおそれが ある状況となった際、波浪の打ち込みによる復原力の減少に対する配慮が不十分で、早期に避難せずに 続航し、玄界灘において右舷前方から船倉に波浪が打ち込み、倉内の海水が積荷の山土とともに流動し て右舷に大傾斜し、復原力を喪失したことに因って発生したものである。 (受審人の所為) 受審人Aの所為は、本件発生の原因とならない。 よって主文のとおり裁決する。
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