「材料は酸化マグネシウムがベスト」 東京工業大学原子炉工学研究所

特 集
「材料は酸化マグネシウムがベスト」
マグネシアが拓く
〝低温排熱回収ケミカルヒートポンプ〟
の未来
酸化マグネシウムがまたひとつ
新しい可能性を見出そうとしてい
る。ケミカルヒートポンプの蓄熱
材料として注目されており、エネ
ルギー分野での利用に結びつく期
待が高まっているのである。
ケミカルヒートポンプとは、従
来の機械式ヒートポンプとは異な
り、特定の化学材料によって蓄熱
と熱出力を可逆的に行うものであ
る。電気エネルギーの投入を必要
としないで、発電所をはじめとし
て各種の産業プロセスから発生す
東京工業大学原子炉工学研究所
エネルギー工学部門 博士 劉 醇一氏
劉氏は「熱力学的に
可逆的な材料はそれ程
ない。酸化マグネシウ
ムは物性としてベスト
であり、資源としても
海水中から回収できる
ため豊富に存在し、か
つ、安全性も高く、環
境面でも最適である」
と評価する。まだ、実
験 段 階 で あ る が、「 最
終的な目標は100~
250℃の排熱回収を
可能にすること」とし、
そうなれば未利用の熱
エネルギーの応用範囲
は無限に近い可能性を
秘める。言い換えれば、
排熱がエネルギーとし
ての価値を持つことに
なる。
そこで、酸化マグネシウム利用
のケミカルヒートポンプとは、ど
の 様 な も の な の か を 訊 く た め に、
東京都目黒区大岡山の東京工業大
学原子炉工学研究所に劉先生を訪
ねることにした。
(取材日2010年5月 日)
低温排熱の回収を目的に
2010年7月 マグネシア・ミュー
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―劉先生の専門は。
劉・材料化学です。研究テーマ
はケミカルヒートポンプの反応用
材料の研究・開発です。東京工業
大学原子炉工学研究所に来る前か
ら考えると 年近く取り組んでい
ま す。 専 門 は 材 料 化 学 で す の で、
ケミカルヒートポンプの材料を作
るというのがメインです。
―素人の質問で申しわけありま
せんが、原子炉工学との関連性は。
劉・ よ く 聞 か れ る 質 問 で す が、
私は原子力そのものの研究という
のは殆んどやったことがありませ
ん。ただ、原子力発電所には必ず
排熱が発生しますので、それを有
効利用する一つの手段としてケミ
カルヒートポンプを利用できない
かということを私の上司(同研究
所エネルギー工学部門加藤之貴准
教授)が永年続けています。その
繋がりで私はここに採用されたの
かなと思います。関連するのは熱
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る排熱を回収するシステムであ
り、省エネルギー、エネルギーリ
サイクル、環境対応に即した技術
である。
その中でも、従来回収が難しい
とされてきた350℃以下の低温
排熱回収蓄熱技術に、酸化マグネ
シウムがケミカルヒートポンプの
最適な化学材料として、研究開発
を進めているのが、東京工業大学
原子炉工学研究所エネルギー工学
部門の助教・工学博士の劉醇一氏
である。
東京工業大学 劉 先生
量という観点からですかね。ただ、
排 熱は 別 に 原発 に 限 っ たこ と で は
な くて 工 場 でも 何 で も 発生 し ま す
から熱回収する技術は必要です。
―ケミカルヒートポンプの位置
付 け を 教 え て い た だ け ま す か。 水
素吸蔵合金なども含まれますか。
劉・ 文 字 通 り 化 学 材 料 を 用 い た
ヒ ー ト ポ ン プ で す。 水 素 吸 蔵 合 金
も そ の 範 疇 に 入 り ま す。 ア ル カ リ
ニ ッケ ル フ ァイ バ ー や カル シ ウ ム
ニ ッケ ル フ ァイ バ ー に 水素 を 吸 わ
せ て そ こ で 発 熱 さ せ、 熱 を か け て
水 素 を 吐 き 出 し て、 と い う の は 基
本 的に 水 素 化合 物 を 使 って い る 特
性 から ケ ミ カル ヒ ー ト ポン プ に な
る と 思 い ま す。 た だ、 温 度 域 が 違
う のと 水 素 の圧 力 を 下 げな い と い
け ない 等 の 問題 は あ り ます け ど 本
質的には同じだと思います。
―ヒートポンプ自体に色々な種
類 が あ り ま す け ど、 酸 化 マ グ ネ シ
ウ ムの ヒ ー トポ ン プ と して の 特 徴
は。
劉・ 他 の 材 料、 例 え ば 酸 化 カ ル
シ ウ ム を 使 う 反 応 系 で す と、 蓄 熱
操 作の 温 度 が5 0 0 ~ 60 0 ℃ の
高 い 温 度 に な り ま す。 O の 反
応 で す と、 現 状 だ と 約 3 5 0 ℃ の
蓄 熱 操 作 温 度 で す。 材 料 を 色 々 い
じ って い け ば 25 0 ~ 30 0 ℃ の
間 まで 温 度 域を 落 と す こと が で き
る。 そ う す る と、 こ れ ま で は 使 え
Mg
なかった低温の排熱利用などアプ
リケーションが広がってくるだろ
うという観点です。今、材料開発
のターゲットというのが蓄熱操作
温度をもっと下げられないかとい
うことで、時間さえかければ20
0℃まで可能性が見えています。
―低温利用のヒートポンプを研
究のターゲットにする。
劉・高い温度領域のヒートポン
プ は も と も と あ り ま す し、 過 去、
他の研究者が取り組まれてきた歴
史があります。ところが、500
~600℃の高温排熱は実際に
は、特定のところでしか発生しな
いのです。殆んどは低温の排熱で
すから、これをうまく利用できれ
ば応用範囲は莫大です。また、低
温で使える反応は必ず高温領域で
も 可 能 に な る の で、 低 温 排 熱 回 収
開発をターゲットにする考え方も
あっていい。
食はしませんがそれは考えにく
い。金属製を使うとどうしても腐
食の問題を回避する必要がありま
すね。
―酸化マグネシウムは腐食の問
題がないわけですね。
劉・そうですね。ただ、今一番
新しい研究では水酸化マグネシウ
ムに塩化リチウムを添加して使っ
ています。やはり腐食も問題があ
りますので、そこは次の課題です
ね。
―塩化リチウムを使う。
劉・塩化リチウムも少し表面に
添加します。水和反応挙動を示し
ます。
―これは表面で触媒みたいな反
応があるということですか。
劉・ お そ ら く は、 そ う で す ね。
ただ、まだ証拠を掴んでいないの
で触媒とは主張していませんが。
―塩化リチウムを使えば温度が
下がる。
劉・そうです。350℃で反応
するのは短時間では厳しい。時間
を長くしていいのであればもっと
低い温度でも可能ですが。
―どれくらい時間がかかります
か。
劉・反応器の大きさで当然変わ
ってくるので一概に比較できませ
んが、ある一定の条件、数 ㎎の
という条件で熱天秤を使った実験
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マグネシア・ミュー 2010年7月
酸化マグネシウムは可逆性
を持つ
―其の中で、酸化マグネシウム
が材料として注目されたのは。
劉・熱力学的に他のものに比べ
る と 低 い 温 度 で 蓄 熱 操 作 が 可 能、
なおかつ反応に可逆性を持つとい
う特性からです。というのも可逆
性がないとヒートポンプとして使
えません。一回きりの反応ならい
くらでもありますが、可逆的に行
ったり来たりするという条件で
は、ものすごく材料が限られてく
るというのが一つあります。あと、
水酸化マグネシウムや酸化マグネ
シウムは原料が海水ですのでそこ
から作られる。純度をものすごく
上げないのでよければ、材料コス
トは相当かからないはず、という
ことですね。
―他の物質でも可能ですか。
劉・なくはないです。例えば塩
化カルシウム。しかし、水の反応
ですと、塩化カルシウムの水和物
は腐食性がありますので、要は塩
水になるので、金属製の反応器で
すと容器がボロボロになる可能性
があります。ガラスの容器だと腐
図 1 金属酸化物ー水蒸気系反応平衡線図
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この現象はストーンと落ちるとい
うことはなく、徐々に落ちてきて
いる。その落ちてきた分を再生さ
せるのが今後の課題です。もしく
は材料を取り替える。
―実用化に向けた課題ではどう
いうのがありますか。
劉・反応器を作って、そういう
ものが本当にサイクルするかどう
かというのが一番大きな課題で
す。あとはエネルギー収支を本当
にペイできるのか。その辺りはも
う一度真剣に検討する必要はある
と思います。
―現段階でいえるのは。
劉・実験室レベルで電気ヒータ
ーを使ってよければ繰り返すこと
ができるというのは過去にやられ
ている。それをただ、蓄熱操作温
度が350℃というところでアプ
リケーションが限られてくるの
で、反応の材料をとにかく良いも
のを作ろう。今ちょうど段々と良
いものが出来つつあるので、これ
と決めたものを材料メーカーさん
に協力いただいて量を多く作っ
て、リアクターにいれる研究・開
発を進めて行きたい。現状のビー
カーレベルではなく、大きいリア
クターでやるとすると材料は数
㎏、数十㎏レベルが必要です。も
ちろんスケールアップは段階を踏
まなければなりませんが、実験室
規模じゃ非常に困難です。
―低温排熱利用というのは環境
対策の面から非常に重要ですから
期待は大きいですね。繰り返しに
なりますが材料としての水酸化マ
グネシウムには必然的に辿り着い
た。
劉・熱力学的にこういう可逆的
な材料というのはそうないです
ね。水酸化物というと、鉄でもコ
バルトでもニッケルでもなんでも
いい。しかし、それに熱をかけて
酸化物にし、次に水蒸気をかけて
水酸化物に戻るかというと戻らな
い。ですからマグネシウムがベス
トの材料です。熱力学的にいうと
ベリリウムが最適でしょうが、毒
性の問題があります。周期表で並
べる限りは自然界でという縛りを
かけるとマグネシウムが一番で
す。
―物性としては昔か
ら知られていた。
劉・少し計算すれば
でてくることなので知
られていました。
―この研究を他の研
究グループはやってい
るか。
劉・マグネシウムで
やっているところは国
内ではないと思いま
す。世界的には、塩化
カルシウムを使っているところは
中国・イギリスにあります。彼ら
はそれと、炭素材料を混ぜ込んだ
特殊カーボンファイバーのような
ものでもう一つのコンポジットを
作ってやっているところもありま
す。
―世界的にもあまりない、と。
劉・誰も相手にしないから我々
しかやっていないのか、我々が本
当に最先端を走っているのかは紙
一 重 だ と 思 い ま す が( 笑 )
。カル
シウム系は名古屋大学と千葉大学
に あ り ま す。 そ れ は 温 度 が 高 い。
100~250℃くらいが我々の
目標です。
―100~250℃というのが
できれば家庭用も含めて、例えば
燃料電池とかでも応用出来ます
ね。
2010年7月 マグネシア・ミュー
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で あ れ ば 低 温 化 可 能 で、 そ の 時 2
0 0 分 く ら い で す。 当 然、 反 応 器
を 大き く す ると 伝 熱 の問 題 も 出 て
き ま す し、 水 蒸 気 の 拡 散 の 問 題 も
出てきます。
― 表面 上 を コー テ ィ ング す る 材
料はいろいろと試されたー。
劉・片っ端から色々な材料を試
し て、 そ の 結 果、 塩 化 リ チ ウ ム に
辿り着いたわけです。
― 塩化 リ チ ウム と い うの は 物 性
的には安定していますか。
劉・そうですね。分解したりは
しません。
― とい う こ とは 反 応 器の 中 に 入
れ て蓄 熱 と いう 反 応 の 中で 取 れ た
りはしない。
劉・スケールを大きくすると問
題 は で て く る か も し れ ま せ ん が、
分 解や 出 て いっ て し ま うな ど の 現
象 は 起 き ま せ ん。 仮 に 硝 酸 塩 を 使
う と熱 を か けた と き に 分解 し て し
ま い ま す か ら、 そ う い う 材 料 は 最
初 から 検 討 の対 象 か ら 外し て し ま
って分解しないものでやる。
―実用化の時には粉体でー。
劉・それはやってみないと分か
り ま せ ん し、 や っ て な い の で 答 え
づらいです。
―耐久性はどうですか。
劉・百回繰り返して反応の変化
率 を 見 て い き ま し た が、 何 % い
っ た 反 応 が % く ら い に 落 ち る。
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図 2 ケミカルヒートポンプ概略図
劉・技術的には無茶苦茶難しい
ですがね。
00に近い。
―材料以外でシステムにすると
いうことに課題はありますか。
劉・材料自体の伝熱性の問題や
熱交換をどうするかもあります
が、専門ではないので解りません。
しかし熱工学の研究はかなり進ん
でいると期待しています。
― 今 は 排 熱 利 用 が 基 本 で す が、
他の利用法は。
劉・違う反応系でよければ冷熱
発生というものは当然ある。マグ
ネシアではなく塩化カルシウムと
アンモニアの反応など、アンモニ
ア の 気 化 熱 で 冷 熱 を 出 す。 あ と、
アルコールを使ってもいいです
し、活性炭にアルコー
ルを吸着させてという
のもある。そういう気
化熱を使って吸脱着だ
けでというのも実験室
レベルではある。ただ、
アンモニアの場合だと
毒性や漏れたらどうす
るかという問題があ
る。アンモニア自体は
蒸発率が高いのでいい
媒体ではあります。漏
らさなければアンモニ
アは使いやすい。
O 自身の純度
―
は問題になるんです
か。
劉・なります。不純
物でも入っていていい
ものと悪いものがある
ので、それを白黒つけ
な け れ ば な り ま せ ん。
%の純度のものでや
るとコンバージョンが
あまり良くないとか
%でやるといいという
結果は出ています。し
かし何が影響している
のかは特定できていな
いですが。それを特定
して徹底的に除けばい
いということになるか
もしれません。
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マグネシア・ミュー 2010年7月
ケミカルヒートポンプは捨
てる熱を有効利用できるの
が特徴
― 今の 実 用 化し て い る機 械 式 の
ヒ ート ポ ン プの 限 界 性は こ れ と 比
べてどうですか。
劉・機械式ですから振動・騒音
が あ る。 ま た、 電 気 エ ネ ル ギ ー を
投 入 し て い る 点 が 問 題 で す。 あ れ
は 冷蔵 庫 な どと 考 え 方 が一 緒 で 圧
縮 と 膨 張 で す か ら、 コ ン プ レ ッ サ
を回し続ける限り音と振動はあ
る。 ケ ミ カ ル ヒ ー ト ポ ン プ は 騒 音
が少ないのが長所です。0(ゼロ)
か とい わ れ ると 実 際 に 組ん で 見 な
け れ ば 解 り ま せ ん が、 機 械 式 に 比
べ、 小 さ い は ず で す。 ま た、 リ ソ
ー スが 排 熱 なの で い わ ばゴ ミ を 使
っ て い る わ け で す。 も し こ れ が 使
え れば ト ー タル の エ ネ ルギ ー 効 率
の 大 幅 な 向 上 に 繋 が り ま す。 捨 て
て いる も の を使 う こ と にな り ま す
から。
― どれ く ら い排 熱 は 回収 で き る
のですか。
劉・そういった評価はしたこと
が な い。 熱 交 換 器 の 効 率 の 問 題 が
く る の で な か な か 分 か ら な い。 反
応 率 で い う と か な り 高 い。 コ ン バ
ー ジョ ン で 言う と 条 件 によ る が 1
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Mg
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Applying magnesium oxide to the energy sector.
Possibility spreading for use as a low temperature recovery
chemical heat pump
Junichi Ryu, Ph.D. Engineering, Assistant Professor
Tokyo Institute of Technology
Energy Engineering Division, Research Laboratory for Nuclear Reactors
Up to now it has been considered extremely difficult to recover and store exhaust heat at a low
temperature of under 350℃ . Hopes are now rising for bringing this about by using magnesium oxide
as the chemical material for a chemical heat pump. The person engaged in research regarding this is Dr.
Junichi Ryu. He stated,“Magnesium oxide is thermodynamically a reversible material and in terms of
performance the best choice. Furthermore, there is a lot of it available in terms of resource as it can be
extracted from sea water. It is also a very safe material to use.” It is still at the experimental stage, but
if this is actually brought about, low temperature exhaust heat which up to now could only be discarded
could be used effectively. It is attracting note as a low energy, environmental response technology.