NJP メンバーの宝物 ―メンバーが大切にしている秘蔵の品、それにまつわる思い出を紹介するコーナー 番外編: 追悼ロストロポーヴィチ ―スラヴァが残してくれた宝物(その1) 出席: 崔 文洙(チェ・ムンス) 花崎 薫 2006/12/3 ショスタコーヴィチ生誕 100 年記念特別演奏会より Photo : K. Miura 去る 2007 年 4 月 27 日、世界的なチェロ奏者・指揮者であり、<フレンド・オブ・セイジ>のタイ トルで、新日本フィルに深く関わってくださったムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏が逝去され ました。 1984 年の初共演以来、指揮者として、ソリストとして数多くの名演を残したくれたスラヴァ。昨年 12 月は、病をおして新日本フィル定期と特別演奏会のために来日、12 月 6 日の第 409 回定期演奏会が、 最後の演奏会となりました。 12 月の 2 公演でコンサートマスターを務めた崔文洙さん、初共演のときから首席チェロ奏者を務めて きた花崎薫さんに、マエストロとの思い出を語っていただきました。 ●最後の演奏会 崔:スラヴァはユーモアのある人で、練習中もジョークを言ったりウィンクを送ってきたりすること があったけれど、12 月のときは、最初の練習からそんなゆとりはない感じで、どのセクションにも非 常に厳しかったですね。ときには指揮台を叩いて「そうじゃない!」「ピアニシモと書いてあるのに、 なんでそんなにでかいんだ!」と怒鳴ったりしていました。普段は英語なのに、あのときロシア語の 通訳を要求したのは、細かいところまで正確に伝えたかったんでしょう。残された時間は少ない、伝 えられることはすべて伝えたい、という気迫を感じました。終わったあと楽屋に行って、 「またきてく ださい」といったら、 「ありがとう、僕はもう来られないと思う」とおっしゃったのは悲しかったで す。 花崎:すごく痩せていて、食事もきちんととれないようだったし、手術の痕も痛むようだったけれど、 練習が進むにつれて、だんだんテンションがあがって元気になっていったのは驚きましたね。 崔:その後、奇跡的に回復をしたと聞いていたし、あの超人的なスラヴァだから、復活してまた振り にきてくれるだろうと思っていたんですが、残念です。もっともっと長生きしてほしかった。 サントリーホールでの特別演奏会のゲネプロが終わったとき、 「僕からのメッセージだ」として、 「も っと楽譜をみて、もっと細心の注意を払って練習をしてくれ」と オーケストラにおっしゃったのが、 最後の言葉になりました。 花崎:もちろん僕らだって楽譜をみて、注意して練習しているわけだけれど、そのレヴェルが違うん ですね。スラヴァの読譜力は並外れていたし、耳もめちゃくちゃよかった。これだけの人数のいるオ ーケストラで、誰がどの音を出しているのか、一人一人がどういう音楽的センスの人なのか、全セク ションにいたるまで、すべてわかっていた。あの人の前に出されると、丸裸にむき出しにされてしま う恐ろしさがありましたね。 ●極上のピアニシモ体験 崔:あのときショスタコーヴィチの8番の練習 で、鋭 い 眼 光 で ぎ ろ っ と 睨 み つ け ら れ て 、「 ピ ア ニ ッ シ モ!!」と怒鳴られたとき、ほんとうにいいピアニシ モが出せたんです。これまで経験したことのない音色 とバランスだった。僕らもこんなきれいなピアニシモ が出せる!と、ほんとうに気持ちいい瞬間でした。 花崎:やっぱりスラヴァの言葉は説得力があるから、 みんな真剣にそれに応えようとしますよね。 昔の話になりますが、シモン・ゴールドベルクの練 習でも体験したことです。彼も非常に厳しくて、絶対 に妥協しなかった。練習中もたった一言「違う」 「もう一度」しか言わないし、同じところを 何べんも 何べんもやらされるので、そのうちになにがいけないのかすら、わからなくなってくる。けれど、そ うやって部分、部分を積み上げていった全体像が、本番の演奏中に初めて見えてくるんです。「ああ、 彼はこういう音楽をやりたかったんだな」というのがわかったとき、世界がわーっと拡がってきた。 彼らの頭のなかでは、全体の構造が見えていて、それを作り上げるひとつひとつのタイルが、 「こう でなければならない」という確固たる信念がある。そこにオーケストラを近づけるために、何回でも ダメだしをするんだと思います。 崔:その信念たるや、「こう思う」というレヴェルではまったくなく、「絶対にこうだ」という、ゆる ぎない自信と裏付けに基づいているから、ぶれがないですね。フィンガリングだって「こうあるべき」 というのが出来上がっているから、少しでも違うことをすると、 「それはなんだ!」と言って、あの長 い手がのびてきて、指差される。特にショスタコーヴィチの場合、スラヴァはじかに知っているし、 スラヴァが初演をした曲、スラヴァの助言を受けて書いた曲もある。演奏する曲がどういう状況で書 かれたかも、よく知っている。それだけに説得力がありました。 花崎:彼が一緒に仕事をした作曲家、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ブリテンについては、 彼らがどういうことを考え、なにをやろうとしていたか、スラヴァはよくわかっているわけで、自分 が後世に伝えなければ、という使命感がありましたね。 崔:あのときのピアニシモ、あの音色がいつも出せるようになれば、オーケストラの音色が非常に豊 かになると思う。スラヴァともう会えなくなってしまったいま、僕ら一人一人が、あのときの音を想 い起こして、スラヴァが残してくれた宝物として、自分の引き出しにしまっておかなければならない と思います。 ●「質を落とすな」~スラヴァの忠告 花崎:僕はスラヴァが最初にソリストとして新日本フィルと共演した 1987 年からいますから、彼の演 奏、指揮をつぶさに体験することができました。オケの練習中に、僕の楽器を「ちょっと貸して」と 言って弾くことがあったんですが、あれやられちゃうと、なにも言えない(笑)。でもこんな身近で彼 の音を聴き、姿、言葉に接することができたのは、なんて幸せだったのだろうと思います。 思い出はたくさんありますが、忘れられないのが、2001 年のリトアニア国立バレエ公演の日本公演 のときのことです。プロコフィエフの 「ロメオとジュリエット」のバレエ上演だったのですが、オー ケストラ曲としても完成度が高い作品であることを示したいというロストロのアイデアで、オーケス トラも出演者として衣装をつけて舞台に乗り、まわりをバレリーナが踊るという、彼流の構成をとっ ていました。 ところがあの時期、新日本フィルは過密スケジュールで、みんなくたびれ果てていた。加えて、小 澤さんが芸術監督をやめられた後で、音楽監督不在の時期だったことも関係していたでしょう。もち ろん、どんな状況でも準備を怠ってはいけないことはわかっていたし、精一杯練習していったつも り だったけれど、僕自身も万全の状態ではなかったと認めざるを得ない状態でした。ロストロがそれを 見破らないわけはないですよね。練習の合間に呼び出されて、 「クオリティが落ちている。どうなって るんだ」とさんざん説教されました。その前に共演したとき、とてもいい印象を持ってくださったよ うで、その後小澤さんの指揮でベルリン・フィルと弾いたとき、小澤さんに「 NJP のほうがいいよ」 とおっしゃったというエピソードを、あとで僕はロストロにレッスンを受けたときに本人から聞きま した。そのイメージを思い描いて来日し、いざプロコの名作を …と指揮台に立ったら、イメージと違 っていた、ということだったんでしょう。ものすごく怒っていたし、また心配してくださっていまし た。いろいろ話をしましたが、彼が言ったことは、なにが起ころうと、どのような状況になろうと、 「質を落としてはならない」、その一言に尽きるんです。 「忙しい」 「たいへんな時期」などというのは 言い訳にすぎない。ともかく「質を落とすな」と。 崔:僕もあのときロストロと話す機会があって、同じように怒られました。本当は自分たちで気づく べきことだったかもしれませんが、みんな忙しすぎて気づくゆとりがなか った。質を落とす、など、 芸術の分野でもっともやってはいけないことのはずなのに。 “クオリティの低い音楽”なんて、あって もなんの意味もないですから。 花崎:あのときロストロさんを怒らせ、失望させてしまったので、実をいうと、あのあともう彼は来 てくれないのかもしれない、と思っていたんです。でも来て くれた。 その後 2003 年に協奏曲を共演していますが、指揮者として 次に新日本フィルの指揮台に立ったのが、昨年の 12 月、最後 の公演だったわけです。まわりの人たちの反対を押し切って、 「ショスタコーヴィチの音楽を、日本で NJP と演奏するとい う使命のために」来てくれたと聞いて、胸が熱くなりました。 崔:ロストロさんに説教された後、なんとかクオリティを上 げたいと精一杯頑張ってきて、よくなってきた僕らを聴いて ほしい、という気持ちがあった。12 月のときは、練習は厳し かったけれど、お説教はありませんでした。そのことについ てなにも話しませんでしたけれど、僕らが懸命にやってきた ことをわかってくれたのかなと思います。 花崎 ロストロさんが残してくれたことを肝に銘じて、演奏 に生かしていくことこそ、恩返しになると思いますし、 新日 本フィルのさらなる向上につながるはずと信じています。 >>次号につづく…ロストロポーヴィチの音楽家、人間としての魅力、共演エピソードを語ります。 (2007 年 7 月号) ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ&新日本フィル ★=指揮者として 共演記録 ☆=独奏者として共演 ユニセフチャリティコンサート(ジュニアオリジナルコンサート)★ 第 255 回定期演奏会★ 1997.11.7すみだトリフォニーホール 1984.4.24 簡易保険ホール ブリテン:戦争レクイエム ロストロポーヴィチ・協奏曲の夕べ(指揮:小澤征爾)☆ ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル★ 1998.3.22 すみだトリフォ 1987.5.16 東京文化会館 ニーホール ショスタコーヴィチ:チェロ協 奏曲第1番/ドヴォルジャーク:チェ ショスタコーヴィチ:交 響 曲 第 1番 /歌 劇 『ムツェンスク郡 のマク ロ協奏曲 ベス夫人』より2つのアリア、5つの間奏曲 国連帰国記念 JOC オリジナルコンサート★ 第 261 回定期演奏会(ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル)★☆ 1987.5.23 簡易保険ホール 1998.3.27 すみだトリフォニーホール 第 178 回定期演奏会(指揮:小澤征爾)☆ ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番/交響曲第 13 番「バー 1990.4.11 東京文化会館、4.12 オーチャードホール ビ・ヤール」 ヴィヴァルディ:チェロ協奏曲/ルトスワフスキ:チェロ協奏曲/R. 第 262 回定期演奏会(ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル)★ シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 1998.4.2すみだトリフォニーホール、4.3オーチャードホール ロストロポーヴィチ・協奏 曲 の夕・特 別 演奏 会(指揮 :井 上道 義) ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番/交響曲第 10 番 ☆ ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル☆ 19998.4.10 すみだトリフ 1992.11.6サントリーホール ォニーホール ハイドン:チェロ協 奏 曲 第 1番 /ショスタコーヴィチ:チェロ協 奏 ショスタコーヴィチ:弦楽 四重 奏 曲第2番/第8番 第1Vn マキ 曲第1番 シム・ヴェンゲーロフ/第2Vn 豊嶋泰嗣/Va ユーリー・バシュメ 小澤征爾還暦祝賀チャリティーコンサート ット/Vc ロストロポーヴィチ 1995.9.1サントリーホール 第 263 回定期演奏会(ショスタコーヴィチ・フェスティヴァル)★ 管弦楽:祝賀特別 編成オーケストラ(ホストオーケストラ 新日本 1998.4.23 すみだトリフォニーホール、4.24 オーチャードホール フィル)/リムスキー=コルサコフ:「スペイン綺 想曲 」★/プロコ ショスタコーヴィチ:映 画 音 楽 「ハムレット」組 曲 /ピアノ協 奏 曲 フィエフ:ピアノ協 奏 曲 第 3番 より 第 2・3楽 章 ★(pf:マルタ・ア 第1番/交響曲第 11 番 ルゲリッチ)/J.S.バッハ:無伴 奏チェロ組曲第5番より「サラバ ロシア公 演 1998.9.15(A)、16(B)モスクワ音 楽 院 大 ホール、 ンド」☆/大江 光:チェロとピアノのための「お話し」ほか☆ 9.18(B)、19(A)サンクト・ペテルブルクフィルハーモニー大ホー 第 232 回定期演奏会★ ル 1995.9.6東京文化会館、9.7オーチャードホール <Aプロ>☆ ドヴォルジャーク:チェロ協 奏曲 /R.シュトラウス: ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」/ショスタコーヴィチ:交響 交響詩「ドン・キホーテ」 曲第 10 番 <Bプロ>★ ブリテン:戦争レクイエム 年末第九特別演奏会★ 日露友好演奏会(指揮:小澤征爾)☆ 1996.12.26 オーチャードホール、12.29 サントリーホール 2000.2.12 すみだトリフォニーホール ベートーヴェン:「献堂式」序曲/交響曲第9番「合唱付」 ドヴォルジャーク:チェロ協 奏 曲 /R.シュトラウス:交 響 詩 「ドン・ 埼玉特別演奏会★ 1997.1.6埼玉会館 キホーテ」 チャイコフスキー:交響 曲第1番「冬の日の幻想」/「眠りの森の リトアニア国立バレエ公演★ 美女」組曲 2001.4.15、16、17 東京文化会館、19 大阪フェスティバルホー 越谷特別演奏会★ 1997.1.7越谷コミュニティーセンター ル チャイコフスキー:交 響 曲 第 1番 「冬 の日 の幻 想 」/「くるみ割 り プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」(全曲) 人形」組曲 ロストロポーヴィチ特別演奏会(指揮:現田茂夫)☆ 第 246 回定期演奏会★ 2003.12.12 東京文化会館 1997.1.10 オーチャードホール、1.11 東京文化会館 ハイドン:チェロ協奏曲第1番/ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲 プロコフィエフ:オラトリオ「イワン雷帝」 ショスタコーヴィチ生誕 100 年記念特別演奏会★ 第 253 回定期演奏会(指揮:小澤征爾)☆ 2006.12.3すみだトリフォニーホール 1997.10.31 すみだトリフォニーホール ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番/交響曲第8番 R.シュトラウス:交響詩『ドン・キホーテ』 第 409 回定期演奏会★ 2006.12.6サントリーホール 第 254 回定期演奏会★ 1997.11.5すみだトリフォニーホール ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番/交響曲第 10 番 チャイコフスキー:交響曲第4番/「くるみ割り人形」組曲/序曲 「1812 年」
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