Q:先日夢を見たんです。すごく荒唐無稽な夢で、夢 の中ではそれを本当

Q:先日夢を見たんです。すごく荒唐無稽な夢で、夢
Q:うーん、そうですね。
の中ではそれを本当だと思い込んでいて、家族み
A:うん、その具体的な人みたいのが仮にもし見当た
たいな人がいるけど、知らない人なんですけど自
ったとして、ではその人が夢ではない証拠っての
分は家族だと思い込んでいる。で、何かをすごく
も、また無いんですよ。つまりどんな人として生
探していて・・・必死なんですよ。
きていたとしてもその人のことを「自分だ」って
A:ふむふむふむ。誰が探しているんですか?
思い込むように、生き物というのはできているん
ですけど。ええ、ただ本当はそれは自分ではない
Q:夢の中で自分だと思っている人。
ということなんです。だから、この本体ではない
A:あぁ、
「自分だ」と思っている人も、自分じゃな
別の、その夢を見ている本当の、目が醒めたら本
い人のことを自分だと思っているんですね。
当のこの人であるという人がいるわけではなく
て、ただ無定形の何の性質も持っていない名づけ
Q:はい。
ようの無いものが、もし敢えて本体という言葉を
A:ところで面白いですね。今もあなたは自分じゃな
使ってもいいなら、本体です。で、その本体を見
い人のことを自分だと思っているんですよ。この
当てようとして、今取り組みを行っているような
人のことを。
ところです。
Q:・・・そうですよね。
この人間、今自分が自分だと思っている人のこと
A:それがちょっと分かったんじゃないですか?
を本気で自分だと思い続ける以上この人が何か
を探したくなったら、その探しているのがすごく
Q:そう、なんです。
重要そうに見えますし、この人が誰かのことを嫌
A:ほう、その夢はすごい重要な夢じゃのう。その夢
ったらその嫌いだっていう感情がすごく重要そ
をみんなも知るといい。はい、もうちょっと聞い
うに見えるでしょうし・・・。あるいは、その夢
てみましょう。興味深いですよ。
の中で家族がいた、今の家族とは違う人達。その
時その夢の中では「これが家族だ」と思い込むで
Q:で、その夢の中の人はすっごく本当にもう子ども
しょう?今の現実の中で、
「これが家族だ」って
みたいに必死なんですよ。何かを探すのに。もの
すごい必死に探してたんですよ。それで、起きて、
夢から覚めた瞬間に必死に探してた何かも、もう
思い込んでいて「これが私のお母さんだ。これが
私のお父さんだ」と思い込んでいるんですけれど。
で、それに基づいていろんな思いが湧いてきて、
無くなってしまって、ただ何か探してて焦ってた
その思いのことをとても本気に思っているんで
なという思いだけが残ってたんですけど。その人
すけれども。それを外していくための最大のコツ
にとってはすごい大事な何かを、一生かけてみた
いな感じで探していたんですけど、夢から覚めて、
全部無くなって、何も無い。なんか、今このここ
は、ある考えが湧いてきた時に、またある印象が
湧いてきた時に「あっこれは勝手に湧いてきたも
のであって、それが自分とは言えないんではない
にいる私もそうなんじゃないかと思って。誰かの
見ている夢?の中で自分と思い込んでいる何か。
A:うん。
・・・ちょっと惜しいです。その考えはほ
だろうか?」という判断を事後的にするんではな
くて、まぁ事後的にですら初めのうちはそれもな
いよりはずっと良いんですけど、湧いてきたその
んの少しね、核心を外してしまっている。でも、
瞬間にそこから離れている、ということが継続し
相当惜しいところにいっていますね。どう惜しい
て行われるように取り組むことです。その際、私
と思いますか?誰かの見ている夢なのだとした
的に思う最初の関門、難関はこれなんです。ある
ら、別の誰か本体みたいのがいることになります
生じてきた思い、例えば必死にこれを探してきた
ね、具体的な人としての。
という思いが夢の中ではなくで、この現実、今回
1/4
の現実という名の夢、あれを探さなきゃとかこう
ですよ。それが自分だって感じる認識が全く無い
しなきゃ、という思いが生じてきた時に、
「あっ
ので「何かの物体がそこに映ってるね」とういう
これは自分の中で自動的に湧いてきただけで、幻
感じになります。太陽によって影が出きても、私
のような、夢のようなもので囚われるに値しない」
の影だということは思いません。「影がそこにあ
と判断をしたとするじゃないですか?その時、そ
るね」というようになります、この「自分の」と
の最新の「囚われるに値しない」という判断も夢
いう感覚が飛んでしまえば、それは無敵になりま
であることに同時に気づいている感じになるこ
す。シャーンティデーヴァっていう昔のインドの
とが最初の難関です。
「これは夢だ」っていう判
お坊さんが面白いことを言っていて、もともとは
断はなんとなく現実的に感じるということが、最
お父さんの精子とお母さんの卵子、その細胞によ
初の難関になって、判断を現実視するということ
って作られたのであって、敢えて誰の?と言えば
からなかなか抜け出せません。それでも、いろん
お父さんの細胞とお母さんの細胞であるものを、
なものを現実だと思い込んでいるより、
「これは
なぜかこの意識は「私のだ」と思っていて、「私
夢だ」と思い始めているといくつかの夢が手放さ
が自分で作ったもの」は何も無いのに、
「私のだ」
れるので、出発点として重要なんです。ただ、次
という所有意識を抱いて、
「これが私だ」という
の所に行くのを邪魔をするのは「これは夢だ」と
幻覚を抱いている。それのどれがいったい自分な
いう思いや判断を現実だって感じることなんで
のだ?ということを言っています。
す。
「それを思っているのがこの私だ」という「私
はい、そのことの重要なヒントになる夢を見まし
がいる」という無根拠な感覚の土台をなしていて、
たね。今も、夢を見ているのです。これが私だと
次はそこを突破するのが大事なことです。坐禅中
いう夢。
にある考えがいろいろ湧いてきてもその外に立
って流すことを、もっともっと繰り返してくださ
い。するとある時に「こういう考えや判断は全部
Q:この夢から醒めたら何も無いんですよね?
A:その言葉の意味にもよるんですけど、何も無いと
はどういう意味ですか?
脳が作っている幻想のようなもので、だから取る
に値しない」って分かってくると、自分という感
Q:夢から醒めたら全く違う別の何かがいて・・・神
覚からかなり距離が出てくる。その時足かせにな
っているのが、繰り返すと「そのような取るに値
しないという判断の手助けになっている、そう考
みたいな人が夢見てるのかなと・・・。
A:へぇ、なるほど、なるほど。醒めるとね、醒めて
もこの人の外に行くことはできないんですよ。と
えている自分がいる」という感覚と、それは夢で
りあえず今回生きている間は、この人と何らかの
はなくて現実だと感じられることです。けれども
形で仲良くしていくしかないんですよ。自分がこ
そうした判断も感覚もあくまで心の中で積まれ
れと分かち難く、これに支配されるしかないとい
てきた感情処理のパターンに従って、心の中に勝
う従属してる所から、まぁこれは単なる乗り物に
手に流れてきたものであって幻なんだ、と絶えず
過ぎないなという感覚になるだけであって、どう
眺め続けていて、どこも踏み台にしない、足場に
しても結局のところその状態で生じる思考も、変
しなくなるようにすることです。その時に、心が
な言い方をすれば、今取り付いているこの脳みそ
この身体につながっている感じ、この身体に従属
とこの体に基づいて蓄積してきた知識を元にし
している感じ、というのがボーンと外れてしまっ
か考えることはできませんしね。そういう意味で
て、これは単なるロボットみたいなもので、ただ
は、夢から醒めても何も変わらない。ところが、
たまたまこの体と脳みそに貼り付いているだけ
大げさな言い方をすれば全てが変わるのです。こ
で、これは自分でも何でもないということが分か
の人がいろんなことを考えたり喜怒哀楽を生じ
ります。その心持ちのときに鏡を見ると、面白い
2/4
させたりするんですけど、それがどんなものが生
すごく安らかなんですけど、でも「安らかさ」っ
じても「これ自分じゃないからどうでもいいな」
ていうのは具体的な内容を持っているでしょう。
という感じがあって常に醒めているので、それを
それは、この人の中で起きるんですよ。で、それ
「自分だ」と思わなければ・・・どうなりますか?
を超越したところから眺め、知っていることはで
きるんですけど。つまり超越したことにより、こ
Q:真剣に取ろうとしないというか。
の人はすごく安らかになるんですけど、その安ら
A:はい、ズバリその通りです。真剣に取ろうとしな
かさも自分じゃないし関係ないんですよね。「こ
い、ないしそれが全て意味を失ってしまった状態
の人は安らかになったらしいけど、関係ないや」
になります。すると、仮にそれを「私」と表現し
という感じです。ちなみに「関係ないな」ってい
てみますよ。あぁつい先日、それを模式的に図に
うのはどこで起きるか分かります?超越した所
描いて自分の手帳にメモしておいたのですが、そ
かこの人の中か。
れをちょっと思い出しながら説明をしてみまし
Q:この人の中で起きます。
ょう。だぶん、最初は皆さん、それが「真の私だ」
と考えるのがひとまず安らかになるのに役立つ
A:分かってきましたね。そうなんです。
「自分には
と思います。仮にそう考えてみましょう。真の私
関係ないな」って超越した所で思ってるつもりで
がこの個体を離れた所に超越している感じが分
も、この人がそう思っているんですよ。この人の
かったとします。すると、直感的にはそれはすご
手助けがないと、超越した所は、なーんもできん。
く安らかそうでしょう?まぁとても苦しい感じ
完全な、そしてなおかつ無能な神なんですよ。完
ではなさそうでしょうね。で、とても安らかなん
全無欠で、なおかつ無能です。不具です。ですが、
ですけど、その安らかさは超越した所で生じると
このことが分かってくればくるほど、言わばこの
思いますか?それともこの個体の中で生じると
「神」のパワーに充填されて「この人」がどんど
思いますか?
ん智慧に満ちてきます。そして「神」は搾りかす
です、と言ったことの意味が分かるでしょうか。
Q:超越した所?
・
何かしようと思っても何もできないからです。全
・
A:うん、惜しい。超越したことで生じるんですが、
て、この具体的な人がやる。で、その搾りかすが
・
超越した所では生じないんですよ。
真の私です。この人は私ではなかったということ
が段々分かってきます。この搾りかすこそが「真
Q:超越してるから?
の私だ」ってなった時に、もうお分かりでしょう
A:うーん、
「超越してるから」って言葉の意味がい
けど、その考えは搾りかすにはできないでしょう。
まいち分からないんですが、言葉の意味によって
搾りかすなんですから。この人が思うんですよ。
は当たっています。超越してる場所って、ものす
ということは、ちょっとおかしいじゃないですか。
ごく安らかなんですけど、その理由は、何にも無
この人が「真の私は搾りかすだ」って言っても、
いからです。つまり、あっそうそうこの間、思い
それを思っているのはこの人であって、搾りかす
ついた単語は「搾りかす」
なんですよ、
ある意味。
超越して神と言っていいような境地です、それは。
と同時にゴミみたいなものなんです。というのは
ではないですよね。つまり搾りかすが自分のこと
を「私」って思うことはできないんですよ。とい
うことを次は観察してみてください、そこまで来
ですね、具体的なことはこの人の中でしか起こら
たら。すると何が分かるかというと「これが真の
ないからです。その超越した神の境地では、なー
私だ」ということを考えることすらできない無能
んにも起こらないんですよ。ただ、全てを知って
な神は「私」とは言えないということが分かるは
いることだけができて、それ以外何の機能も持っ
ずです。「この人が私じゃない」と分かるのがま
ていないので、そこに行くと何にも起きないので
3/4
ず第一段階です。その時とりあえず「この神みた
過ぎなくて、そこでは何も起きてなくて、元々、
いなものが私だ」という感覚が分かってきたら、
ひそかに実はすごい神様だったんだって全部超
すごくそれは良いですけれども、ただ「それが私
越しちゃう。尚且つ「それが私だ」って思ってる
だ」と思っている間は、まだちょっと惜しい所に
のも「あれ待てよ、それも”私”じゃないでしょ」
います。
「それが私だ」と言えるかどうか吟味し
って分かって、ほんとアッハッハというような感
てみると「私だ」と思っているのは、この人であ
じなんです。
って、この搾りかすは「私だ」ということも思え
Q:ほんとは何にも起こってない・・・。
ないなら
「これも私ではない」
と、
分かります。
・・・
A:そうです。何にも起こってない。ズバリそうです。
そう思っているのもこの人ですけど。というぐら
い全てが洗い流されていくと、最終的にこの人も
脳が幻覚を見せているだけで、その幻覚を突破す
私ではなく、神様も私ではないならどこに私はい
るなら本当は、金輪際、何にも起きてない。てい
ますか?ということで、宇宙から「私という思い
う話を先日、元私の所で働いてくれていた人にし
込み」が完全に消去されてしまう、ということで
ていましたら、その人、スピリチュアルな何か本
す。もう一つ言えば、
「私」が消去されるという
とかをたくさん読んできたらしくて、外国のナン
のは便宜上の言い方であって、前にも別の言い方
トカっていうスピリチュアルな人が「そもそも何
で言ったかもしれませんけれど、
「私」が消去さ
にも起きていないし、ベッドから起き上がること
れるためには、もともといる必要があって、「い
すら起きていない」ということを書いていて、
「ま
る」のを消去するなら、そういう言い方ができま
さにそれですね!」とおっしゃっていて「まさに
すけど、ただ分かるだけです。調べたんですよね。
それかどうかは分からないですけれども、確かに
自分の体と思っているものや心を調べても、どれ
その人の言っている通りですね」という話をしま
も「私」ではなかったと分かるので超越するんで
した。
すけど「超越して神みたいなここが私」って思っ
はい、その神の境地からすると本当は何も起きて
てたのも「私」じゃない。ってのが調べた結果分
いないのです、一切。ということと同時に、相対
かったら、
どっちも
「私」じゃないなら、元々「私」
的な社会的な観点からすればいろいろ起きてい
なんてどこにもいなかったというのが分かっち
るのです、仮にですが。社会生活上、その仮に起
ゃうだけの話なんです。今まで「私」という感覚
きていることをちゃんと対処しないと、他人を傷
に基づいていろいろ悩んだり、苦しんだりしてき
つけてしまいます。絶対的な立場では何も起きて
ているのです。しかし元々「私」がいなかったと
いないということを体得することと、相対的な立
いうことが分かったら、その時、大笑いみたいな
場ではいろいろ起きているのでうまくやるとい
ものです。アッハッハーです。なぜなら「私」が
うことは、どちらも重要なことです。
いなかったら、
「私」がいろいろ悩んできたとい
今非常に賢明なことをズバリ言い当てられたで
うのも全部思い込みであって、
「私」が悩んだと
はないですか。
「本当は何も起きていない」とい
いうことも実際は無かったんだ。
「ほんと?全部
うことが修行を通じてパーンと分かった時、心の
無かったんだ」っていうことすら、この神様は思
芯から喜びが湧き上がってきて、アッハッハです。
えない。って、それもこの人が思ってるだけで、
それも起きてないということです。そのアッハッ
この神様は実は一度も傷ついてなかったし、何事
ハも起きてない、のです。
も起こってなかったし、そもそも神様は「この人」
じゃなかったから。全然何も関係無かったのに、
この人のことを一生懸命になっていろいろやっ
てきただけで、心の本質は全知全能の搾りかすに
(テープ起こし:AH)
4/4