IIST・中央ユーラシア調査会

平成 22 年度
IIST・中央ユーラシア調査会
~中央ユーラシアへの多角的アプローチ~
Vol.10
報 告 集
平成 23 年 3 月
財団法人
貿易研修センター
この事業は、競輪の補助金を受けて実施したものです。
http://ringring-keirin.jp
は じ
め に
座長
袴 田 茂 樹
2010 年の 11 月で中央ユーラシア調査会も創立 10 年を迎えました。地味な手弁当の会も本
年度で 108 回にもなりました。その他にも公開シンポジウムも開催しました。感無量ですが、
なぜここまで続いたのか、よくその理由を考えることがあります。それは何と言っても、こ
の研究会が学会、マスコミ界、官界、実業界の最先端のプロの集団で、報告も討議も、その
水準がきわめて高く充実していたからでしょう。毎回、参加手当を貰ってではなく、参加費
を自弁で払ってでも、また特別の招集をかけなくても、働き盛りの最も忙しい専門家たちが
十数人から二十名余りが集まるのも、義務感からではなく研究会の内容の充実ゆえ、そして
プロとしての熱意からであると思います。もちろんこのようなメンバーの熱意とともに、田
中哲二代表幹事のイニシアチブや、財団法人アジアクラブから引き継いでこの研究会を気持
ちよく支えて下さった貿易研修センター(IIST)の大きな役割を無視することはできません。
ただ、われわれは、この研究会がひとつの曲がり角に来ていることも自覚しています。こ
れまで参加も発表も討議も、強い縛りをかけずに自由に行ってきたのが、それが、この会が
10 年、108 回も続いたひとつの理由でした。しかし、幾ら内容が充実していると言っても、
マンネリ化しない工夫も必要です。そのような問題意識から、また専門家の関心を充たすだ
けでなく、われわれの研究活動の社会的意義も考慮に入れるという観点から、IIST からの提
案もあって、2010 年度から 2 つの柱を立てることにしました。
一つは、中央アジアやカフカス、またその周辺地域(中央ユーラシア)のエネルギーやそ
の他の資源開発を中心とした経済動向の分析です。というのも、わが国とこの地域との結び
つきは、やはり実業界の投資や経済交流、政府のエネルギー戦略と最も密接に結びついてい
るからです。昨年は、レアアース問題などもクローズアップされて、中央ユーラシア地域の
重要性がいっそう増しました。もう一つの柱は、政治、社会、文化面での動向分析です。例
えば政治面ですが、キルギスのような小国の政治動向も、CIS 諸国だけでなく、最近の中近
東の政治動向とも、直接、間接の結びつきがあるということが明らかになりました。最近の
チュニジア、エジプト、リビアなどでの「カラー革命」のドミノ現象を見ると、昨年 4 月の
キルギスの革命がその先行形態になっていることが分かります。
本研究会としては、基本的には第 1 の柱を通年のテーマとし、第 2 の政治、社会、文化の
個別テーマを、その都度通年テーマに組み合わせるという形で、社会のニーズにも応じた研
究とすることにしました。それがどの程度成功しているかは、この報告書を読まれる方や、
われわれが組織したシンポジウムに参加した方々のご判断に待つほかはありません。
ただ、今後も代表幹事や IIST との意思疎通をこれまで以上に密にしながら、この方針をよ
り明確にして行きたいと思っています。
2011 年 2 月 28 日
袴田茂樹 (青山学院大学 教授)
調査会報告集「第10号」発行にあたって
代表幹事
田中 哲二
昨年の本調査会報告書「第9号」では報告研究会が100回に達したことを誇らしげに
報告しましたが、今報告書「第10号」の発行は私たちの活動が丁度10年になることを示
しています。よくここまで継続したものだという思いと、区切りのよいこのあたりで一区切
りつけた方がいいのではないかという思いが微妙に交錯します。
いずれにしろ、今私たちの活動対象地域に対する昨今の日本国内の関心は、①アジア系旧
社会主義圏諸国が西欧型価値観・民主主義を全面的に取り入れることだけで現代化が可能な
のか、他の途はないのか、②我が国への天然資源供給国(とくにエネルギー資源とレアーメ
タル類)としての可能性と安定性如何、といったあたりに収斂してきているように思われま
す。1月末の公開シンポジウムのテーマ設定もこうした空気に多少迎合した面はあります。
しかし、この研究会を続ける限りは、我々の研究姿勢は上記の2つのポイントに限らずよ
り広範な事象を対象にし続けるべきでしょう。そして、中央ユーラシア地域の現状と課題を
総合的に浮き彫りにしてこの地域における我が国の最適プレゼンスの模索に少しでも役立つ
ものであるべきです。このこととの関連でいえば、このところどうしても情報量の多いロシ
アサイドから見る中央アジア・コーカサスの報告が多くなりがちですが、初心に帰って中国
サイドからの視点、イスラーム圏からの視点、南側のインド・パキスタン・アフガニスタン
からの視点の報告ももう少しウエイトアップさせて、調査会全体としてはよりバランスのあ
る論調になるよう心がけるべきでしょう。さらに、できれば現地に長期滞在したり現地を
自らの足で歩いた人の報告の頻度をもう少し上げるべきでしょう。エリアスタディでは
「百聞は一見に如かず」という言葉の意味は重い。昨年11月に革命後のキルギスを歩いた
が新聞報道とは随分違ったニュアンスを受けて帰ってきました。
現在、小生が講義を担当しているある大学の「中央アジア・中近東」のクラスには 240 人
の聴講生が集まります。上記のごとく、一方では中央ユーラシアへの関心事が特定のテーマ
に収斂しつつあるわけですが、一方で若者の間には、シルクロードへの憧れといったレベル
のものを含め中央アジアへの興味の輪が着実に拡大してきていることも事実です。この研究
会を続ける意義もまだあると考えるべきでしょう。
2011年3月1日
(中央アジア・コーカサス研究所長
国士舘大学・拓殖大学客員教授)
IIST・中央ユーラシア調査会 報告集 Vol.10
(2010年5月~2011年1月 全8回開催)
目
は じ め に
次
座長 袴田 茂樹
調査会報告集「第10号」発行に寄せて
代表幹事 田中 哲二
事業概要 ................................................................................................................... 1
■第102回 2010 年 5 月 21 日
「中央アジア・カスピ海周辺における石油・天然ガス開発情勢について」 .............................. 3
ゲスト講師
古幡 哲也 石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC) 調査部 調査課 主任研究員
「中央アジアの経済特区の現状と課題」 ....................................................................... 13
下社 学 日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部主幹(ロシア・NIS 担当)
■第103回
2010 年 6 月 21 日
「中央アジア情勢:現下の主要トレンド」 ....................................................................... 19
河東 哲夫 Japan-World Trends 代表/元在ウズベキスタン・タジキスタン特命全権大使
「キルギス政変その後」 ............................................................................................. 28
田中 哲二 国連大学長 上級顧問/中央アジア・コーカサス研究所 所長
■第104回 2010 年 7 月 26 日
「東アジア共同体 ― 拡大 EU からの教訓」 ................................................................. 37
ゲスト講師
羽場 久美子 青山学院大学 国際政治経済学部教授
「リーマンショック後の中国経済と東アジア共同体構想」 .................................................. 44
渡辺 利夫 拓殖大学 学長
■第105回
2010 年 9 月 15 日
『最近の対中央アジア外交 ― 岡田外務大臣による中央アジア訪問と
「中央アジア+日本」対話 第三回外相会合開催』 .......................................................... 50
北川 克郎 外務省 中央アジア・コーカサス室長
「キルギス政変とロシアの対応」 .................................................................................. 56
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授
■第106回 2010 年 10 月 27 日
「最近のウズベキスタン情勢」 ..................................................................................... 64
ゲスト講師
平岡 邁 前ウズベキスタン特命全権大使
「最近のカザフスタン情勢」
...................................................................................... 71
夏井 重雄 前カザフスタン特命全権大使
■第107回
2010 年 11 月 19 日
「不安定化するタジキスタン情勢」 ............................................................................... 76
稲垣 文昭 慶應義塾大学 SFC 研究所 上席所員(訪問)
「国際的プレゼンスを高めるインド」
........................................................................... 83
清水 学 帝京大学 経済学部教授
■第108回
2010 年 12 月 20 日
「上海万博を振り返って
― 中国が国際社会と協調していく契機となったか?」
................................................ 89
塚本 弘 (財)貿易研修センター 理事長/日欧産業協力センター 事務局長
「中国経済 ― 安定かつ持続的な成長に向けて」 ......................................................... 93
関 志 雄 ㈱野村資本市場研究所 シニアフェロー
■IIST・中央ユーラシア調査会 公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日
(第109回)
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』 概要 ....................................... 98
「CIS 諸国における大統領制と議会民主制の可能性」 ...................................................... 99
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授/調査会座長
「キルギスの議会制民主主義 ― 2010 年 4 月政変から連立政権成立まで」 ...................... 104
ゲスト講師
浜野 道博 キルギス日本人材開発センター 前所長/日本キルギス交流協会 理事
「関連コメントおよび 11 月キルギス出張報告等」............................................................ 108
田中 哲二 中央・コーカサス研究所所長/国士舘大学・拓殖大学客員教授
「世界のエネルギー市場における中央アジアの位置づけ」 .............................................. 113
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC) 調査部 調査課 主席研究員
「日本の対中央アジア経済協力の現況について」 ....................................................... 118
原 幸太郎 経済産業省 通商政策局 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
質疑応答 ............................................................................................................. 121
■参考資料
・平成22年度~平成18年度報告者およびテーマ一覧 ................................................ 138
・過去開催分 一覧
・アジア地図
※役職は報告当時のものです。
※固有名詞等の表記は、報告者によって異なる場合があります。
「IIST・中央ユーラシア調査会」
(IIST-Central Eurasian Study Group)
事業概要
1.趣旨・目的
我が国において極めて情報量が限られている中央ユーラシア地域の政治、経済、産業等に
ついて調査・研究を行う非公開の研究会である。学識経験者、現地駐在経験者(外交官、ビ
ジネスマン)など、専門家による意見交換を通じて、当該地域の最新の動きを正確に把握し、
関係者の認識を深めることとする。それにより資源確保など、我が国産業界の対外戦略策定
に寄与するものである。
今年度は、下記3本のテーマを研究会の柱に据え報告を行なった。
① 中央アジア・コーカサスのエネルギー資源の開発状況と各国のアプローチ
② 中央アジア各国の経済開発区構想と現実
③ 中央アジア情勢と各国政権の安定度
2.実施期間
平成22年4月1日~平成23年3月31日(年8回開催/含シンポジウム)
3.実施方法
(1)研究会の開催
①年間7回
②各回設定テーマについてメンバー委員および外部専門家より報告後、自由討論
(2)シンポジウムの開催
①年間1回
②メンバーおよび外部専門家をスピーカーとして報告後、自由討論
③一般公開
4.メンバー構成
座
長:袴田 茂樹
青山学院大学 国際政治経済学部教授
代表幹事:田中 哲二
中央アジア・コーカサス研究所 所長
顧
国際教養大学 学長
問:中嶋 嶺雄
渡辺 利夫 拓殖大学 学長
主たるメンバー:
飯島 一孝
東京外国語大学、上智大学 講師/元毎日新聞 外信部編集委員
稲垣 文昭
慶應義塾大学 SFC 研究所 上席所員(訪問)
大野 正美
朝日新聞 論説委員/元モスクワ支局長
大橋 巌
野村総合研究所 モスクワ支店長
岡崎 武彦
毎日新聞社 ビジネスソリューション本部長
岡田 晃枝
東京大学教養学部 教養教育高度化機構 チーム形成部門 特任准教授
加藤 九祚
国立民族学博物館 名誉教授
1
加藤 倭朗
国際協力機構 専門家(民間セクター人材育成)
茅原 郁生
拓殖大学 名誉教授/元拓殖大学 国際学部教授
川井 晨嗣
元農林水産長期金融協会 基金第二部長
河東 哲夫
Japan-World Trends 代表/元在ウズベキスタン・タジキスタン特命全権大使
川端 良子
東京農工大学国際センター 准教授
関 志 雄
㈱野村資本市場研究所 シニアフェロー
北川 克郎
外務省 欧州局 中央アジア・コーカサス室長
小松 久男
東京大学大学院 教授
佐藤 隆保 (社)ロシアNIS貿易会 経済交流部長/日本モンゴル経済委員会事務局長
佐野 伸寿
防衛省/元駐カザフスタン日本国大使館書記官
塩尻 宏
中東調査会 常任理事/元リビア大使
清水 学
帝京大学教授
下社 学
日本貿易振興機構 海外調査部 主幹(ロシア・NIS 担当)
高島 正之
TMCコンサルティング 代表/元三菱商事株式会社 顧問
(社)日本プロジェクト産業協議会海洋資源事業化研究会 委員長
田中 浩一郎(財)日本エネルギー経済研究所 中東研究センター 理事 兼センター長
角﨑 利夫
在セルビア大使/元カザフスタン大使
都留 信也
NPO 法人 アースウォッチ ジャパン 理事長
出川 展恒
NHK解説委員
ティムール ダダバエフ 筑波大学 人文社会科学研究科 国際政治経済専攻 准教授
原 幸太郎
経済産業省 通商政策局 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
平賀 富一
㈱ニッセイ基礎研究所
福川 伸次
(財)機械産業記念事業財団 (TEPIA)会長
古幡 哲也
石油天然ガス・金属鉱物資源機構 調査部 調査課 主任研究員
孫崎 享
防衛大学校教授/元在イラン大使/元在ウズベキスタン大使
本村 真澄
石油天然ガス・金属鉱物資源機構 調査部 調査課 主席研究員
本村 和子
開発アドバイザー/元 ADB タジキスタン駐在代表
湯浅 剛
防衛省 防衛研究所 主任研究官
吉岡 桂子
朝日新聞 経済部記者
吉田 博
宏輝株式会社 代表取締役会長/宏輝システムズ株式会社 代表取締役
保険・年金研究部門兼経済調査部門 上席主任研究員
輪島 実樹 (社)ロシア NIS 貿易会 ロシア NIS 経済研究所 調査役
渡辺 博
東洋エンニジアリング゙株式会社 経営統括本部 渉外部長
敬称略
事務局:
財団法人 貿易研修センター
理事長 塚本 弘
専務理事 赤津 光一郎
理事・総務部長 竹中 速雄
国際交流部長 福良 俊郎
2
平成 22 年 第 102 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 5 月 21 日
「中央アジア・カスピ海周辺における
石油・天然ガス開発情勢について」
古幡 哲也/ふるはた てつや
石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)
調査部 調査課 主任研究員
はじめに
私は 1990 年に石油公団に入り、その後、アメリカのペンシルバニア大学に留学、そして
ワシントン事務所での勤務経験がある。その後、2005~07 年まで、伊藤忠商事の石油ガス
開発部へ出向し、実際にアゼルバイジャンの ACG、あるいは BTC パイプライン・プロジェ
クトを日本から担当した。バクーには何度も出張に行った経験がある。そういうこともあり、
石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)に 2007 年に復帰した際、調査部で中央アジ
ア・カスピ海エリアを担当することになった。
中央アジア・カスピ海の周辺の主な産油国はアゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメ
ニスタン、ウズベキスタンになる。この辺りの人口、経済規模等を見ると、経済面では、カ
ザフスタンの国内総生産(GDP)が非常に大きい。また人口は、ウズベキスタンが一番多い。
一方、石油の消費量は各国ともあまり大きくないが、生産量ではアゼルバイジャンとカザフ
スタンが非常に大きい。これに対し、トルクメニスタン、ウズベキスタンはあまり大きくな
い。石油の確認埋蔵量、未発見の埋蔵量についても同じだ。ただ、トルクメニスタンではカ
スピ海の沖合がまだ十分探鉱されていないので、大きな未発見埋蔵量のポテンシャルがある
といわれる。天然ガスでは様相が全く異なり、トルクメニスタン、ウズベキスタンの生産量
が非常に大きい。そしてトルクメニスタンの確認可採埋蔵量については、BP 統計から取っ
た数字を見ると、2007~08 年にかけて非常に大きな伸びがあった。これは南ヨロテン天然
ガス田が、世界的にも埋蔵量が大きいと認知されたことの証明になる。
次に、各国の生産量の推移だが、カザフスタン、アゼルバイジャンが近年、大きな伸びを
示している。しかし、自力で伸びたのではなく、基本的には外国の石油会社を導入したこと
による。天然ガスに関しては、少し違った形が見えてくる。ウズベキスタンが非常に安定的
に、生産量を伸ばしている。これには外資も少しずつ入っているが、基本的には自力で頑張
ってきたようだ。トルクメニスタンはロシア経済の問題もあり、輸出量が随分減った時期も
あったが、近年は回復している。一方、アゼルバイジャンとカザフスタンに関しては、やは
り外資が入ったプロジェクトで、次第に生産量が伸び始めている。
どの辺りに油田、ガス田がたまっているかを堆積盆地という言葉で表すが、まずカスピ海
には北カスピ海堆積盆地という大きな堆積盆地がある。ここにカシャガン油田、そして最近
少し話題になっているカラチャガナク・ガス田、テンギス油田がある。南の方へ行くと、南
カスピ海堆積盆地があり、アゼルバイジャンの ACG 油田、シャーデニス・ガス田が存在し
3
ている。またカザフスタン内陸へ行くと、ツルガイ堆積盆地があり、ここも古くから石油が
見つかっているところだ。そしてノース・ウスチュルト堆積盆地にも、いくつかの油田が発
見されている。またアムダリア堆積盆地という非常に大きいガス田地帯がウズベキスタンと
トルクメニスタンにまたがって存在している。この地域の、ドーレタバードというイラン国
境に近いガス田も非常に大きい。先ほどの南ヨロテン・ガス田は、ドーレタバード近くに存
在している。
1. 各国における開発状況:カザフスタン
ここからはいくつかの国ごとに、特徴や具体的なプロジェクトの状況をご紹介したい。カ
ザフスタンには、国営のカズムナイガスという石油会社があり、財務条件が比較的よくわか
っているのは、カズムナイガス E&P という会社だ。この会社はロンドンとカザフスタンの
アルマティの市場で上場しており、データが取りやすい。最近、若干伸び悩んでいるようで、
昨年の生産量は 2008 年に比べて減っている。売り上げも輸出も少なく、プロフィットも半
分くらいになった。また、石油会社が 100 生産したものに対して何%ぐらいさらに埋蔵量を
増やしたかを石油会社の健全性の数値として見ることがあるが、カザフスタンは昨年生産し
たうちの 25%しか埋蔵量をプラスできなかったという報告がある。今後、もっと石油の開発
に投資がないと、カザフスタンの生産量は伸び悩んでしまうという心配がある。もちろん、
これから説明する欧米主導で進んでいるプロジェクトによって生産量が伸びていく可能性も
ある。
カザフスタンの生産量の内訳を見ると、カズムナイガス E&P の生産量は、ウゼン、エン
バからの生産しかない。一方、アメリカのシェブロンがメインで生産しているテンギス油田
がある。そしてイギリスの会社 BG、イタリアの会社 ENI はカラチャガナクにてメインで生
産している。これらも非常に大きなシェアを占めているため、カザフスタンの国営石油会社
のシェアは意外に大きくない。
カスピ海の外資の事業では、まずカシャガン油田では、日本のインペックスで、JOGMEC
も出資している。これ以外にもカスピ海にはまだいくつも鉱区があり、サトパエフ鉱区では
インドの国営石油会社 ONGC が現在交渉中だといわれている。また KNOC 他の韓国勢はジ
ャンビール鉱区に入り、実際に探鉱を行っている。一方、ロシアとの国境沿いではやはり、
ロスネフチ、ルクオイルが権益を持っている。東の方へ行くと、ルーマニアのペトロムとい
うところが参加しているが、この会社の大株主はオーストリアの OMV という会社だ。そし
てイタリアの ENI もシャガラ鉱区で、またスタットオイルもアバイ鉱区で交渉中だと報じら
れている。シェルは実際に、カスピアン・パールという鉱区で油を発見している。また中国
勢の CNPC も沖合鉱区に出てきており、ダーカンという鉱区で交渉しているようだ。そして
南の方に Block N という名前の鉱区があり、コノコ・フィリップス、アラブ首長国連邦(UAE)
のムバダラが一緒になり、石油の契約を結んでいる。カザフスタンでは様々な投資環境の問
題があるといわれるが、多くの石油会社が今でも水面下で交渉を進めていることが分かる。
参考までにだが、ロシア側のカスピ海にもいくつも油田がある。最近になって、ユーリー・
コルチャーギンという油田で、生産が始まった。この油田で生産された原油は、マハチカラ
までシャトルタンカーで運び、アゼルバイジャンからつながっているパイプラインで、ノボ
4
ロシスクまで出荷する。生産量はそれほど大きくなく、5 万バレル/日だが、一緒に出る天
然ガスは、アストラハンへ運ぶと報じられている。
次にテンギス油田は埋蔵量が非常に大きく、90 億バレル、生産量が現在、約 54 万バレル
/日、権益保有者はシェブロン、エクソンモービル、カズムナイガス、ロシアのルクオイル
だ。1991 年に生産を開始、そして 93 年に外資が参加した後に、追加投資 100 億ドル以上が
行われ、生産量は順次増加している。軽質原油だが、たくさんの硫化水素(H2S)を含み、
非常に致死性の高いガスなので硫黄除去の負担が大きいといわれる。大半の原油が現在、
CPC パイプラインというカザフスタンからロシアを経由してノボロシスクにつながるパイ
プラインで出荷されている。
日本企業も参加しているカシャガン油田他を含む北カスピ海プロジェクトはピーク生産量
が 150 万バレル/日と非常に大きく、現在の日本の消費量の 3 分の 1 ぐらいというイメージ
だ。2000 年に発見された大油田で、今のところ生産開始は 2012 年の予定だ。当初予定では
2005 年だったが、技術的な問題もあり、かなり遅れた。またカザフスタン政府との間でトラ
ブルがあったのも原因の一つだ。各社のシェアを見ると、カズムナイガスのシェアが 2 年前
に増え、ENI、エクソンモービル、シェル、トタールとともにそれぞれ 16.81%、コノコ・フ
ィリップスが 8.39%、日本のインペックスが 7.56%のシェアとなっている。この地域の石油・
ガスは硫化水素をたくさん含んでおり、さらに海は大変浅く、船も入りにくい。したがって、
掘削の現場は埋め立てを行い、島にしてから掘ることになった。カザフスタン政府との間で
もめたことがあったが、2009 年 1 月に各社間で共同操業協定が締結され、一通り、決着して
いる。技術的には浅い海、冬季の結氷、資機材の輸送が非常に困難だったため、お金や時間
がかかってしまった。現在、第 1 フェーズの生産準備が進んでいる。操業事業者はイタリア
の ENI だが、第 2 フェーズは本格開発になり、150 万バレルを目指すタイミングでいろいろ
な企業が責任をシェアをして開発を進める予定だ。トタールは総合調整し、エクソンモービ
ルは井戸の掘削を行い、シェルとカズムナイガスが一緒に生産、ENI は陸上施設を担当する。
次にカラチャガナクのガス田だが、カザフスタン北西部にあるロシアとの国境に近いエリ
アに位置する。ガスといってもコンデンセートという、ガスと共に生産される軽い液分の石
油のようなものを売っている。コンデンセートだけでも 24 万バレル/日なので、非常に大
きい生産量だ。BG、ENI、シェブロン、ルクオイルが参加し、コンソーシアムで KPO とい
う操業会社をつくって操業している。契約の期限は 2038 年で、コンデンセートは CPC パイ
プラインを通じて黒海のノボロシスクまで運ばれる。ガスはオレンブルグでロシアへ出し、
そこで処理をしてから出荷する。
カラチャガナク・ガス田は最近、政府とトラブルになっている。カシャガンよりも、かな
りこじれている様子だ。トラブルの原因は株主シェアに、カザフスタンが入っていないから
だ。仮に日本に置き換ええて、石油を生産している事業に日本の会社が入っていなければ同
じく問題になると思うが、カザフスタン政府は権益を取りたいという要望を、示唆するよう
になってきた。そのほかにも経緯があり。2008 年に原油輸出関税が一度導入された際、テン
ギス油田は免税になったがなぜかカラチャガナクの事業主側は税をかけさせられ、日本円で
1000 億円程度、10 億ドルのお金を、クレームを付けながらも払ったといわれる。その後、
仲裁裁判に訴えようとしたり取り下げたりと、どたばた騒いでいたが、カザフスタン政府の
プレッシャーがさらに高まり、今年 3 月には「環境規制に違反した」として 1 億 5700 万ド
5
ルの支払い命令を受けた。この他にも原油を不当にたくさん生産したという理由で、7 億ド
ルもの支払いを命令されている。またカザフスタン政府が「ビザを正式ルートで取っていな
い」として会社の社員を国外追放にしたり、最後には脱税で執行猶予付きの有罪判決が出た
り、とかなり細かい嫌がらせとも言えるようなことをしている。実はカシャガンも同じ様な
状態だったという面があるが、最終的には交渉で折り合いを付け、お金の支払いはなかった。
カラチャガナクに関しても、権益を 10%ぐらいカザフスタン側に引き渡してけりを付けるの
が一般的な見方だ。しかし今のところ、事業者側は徹底抗戦するそぶりも示しており、落ち
着き先がどうなるか、まだ明らかではない。
カシャガンやカラチャガナクに関しては、実は背景にコスト増加という問題もある。今、
産油国政府との間では「生産物分与契約」
(Production Sharing Agreement)という契約が一
般的な契約形態だ。大きな利益は期待できないが、投下したコストを先行回収できるのが投
資家のメリットになっている。1 年間に生産される石油の価値から、投資家が最初に回収で
きるのは、操業費である。これは電気代、人件費などで、先に回収できる。次に回収できる
のは投資額、資本投資の分で、金額が大きいため毎年少しずつ回収する。そして最後に残っ
た分は、プロフィット・オイルという形式で西側の石油会社と産油国政府の間で取り分ける。
その割合は可変であったり一定であったり、契約ごとに決まっている。ポイントは、コスト
が大きくなると、全体から見てプロフィット・オイルという部分が減ってしまうことだ。つ
まり、西側の石油会社がきちんとプロジェクトを管理せずにコストを増加させたにもかかわ
らず、産油国側が本来取るはずだった原油を減らして外国石油会社のコストをまかなわなけ
ればならないため、産油国側の取り分が大きく減ってしまう。このような経済的な問題を、
ご理解いただければと思う。コストに関して非常にセンシティブになるのは、産油国の常だ。
そして先ほど CPC パイプラインの説明をしたが、パイプライン、原油の輸送にはいろい
ろな会社が入ってコンソーシアムを組んでおり、現在は 67 万バレル/日という数量が流れ
ている。テンギス油田だけでなく、カズムナイガスが西側のマーケットに売りたい場合も、
このパイプラインを通じて原油が出荷されている。カスピ海、黒海周辺の石油パイプライン
の概略を見ると、ロシアからの幹線パイプラインのドルジュバ・パイプラインと、CPC パイ
プラインがある。また既に動いているのは、私も担当したバクーからジェイハンへの BTC
パイプラインで、さらにグルジアへ抜ける別のラインもある。こういったパイプラインが中
心となり、今動いている。
そのほか、サムスン-ジェイハン・パイプラインというトルコを縦断する原油パイプライン
構想もある。先週、私はイスタンブールへ行ってきた。ここは歴史もありきれいな都市なの
だが、その脇を貫くボスポラス海峡を大きなタンカーが毎日、2 隻も 3 隻も通っているのを
見た。トルコ国民にしてみれば、狭い海峡を毎日たくさんタンカーが通っていると、環境汚
染が非常に怖いのはある意味当然だろう。特にメキシコ湾での原油流出事故があったため、
これに対する懸念が非常に強くなっているというのが印象的だった。その他に、ブルガスアレキサンドロポリス・パイプラインという構想もある。ブルガリアのブルガスからギリシ
ャのアレキサンドロポリスまでボスポラス海峡を迂回するパイプラインだ。ボスポラス海峡
だが、中央アジア、カスピ海周辺で産出される原油の積み出しが増えたので、通行過多が問
題になっている。特にお金の面では、タンカーの滞船、通過の順番待ちが冬季にたくさん発
生すると、1 日当たり数百万円にも及ぶ滞船料の支払いが大きな負担となる。このような理
6
由から、米ケンブリッジ・エネルギー研究所(CERA)の関係者などは、ボスポラス海峡の
迂回パイプライン建設の経済的インセンティブはあるとしている。
ブルガス-アレキサンドロポリス・パイプラインには、ロシアのガスプロムネフチ、ロスネ
フチ、あるいはトランスネフチも参加していて、ロシアが一生懸命進めようとしていたプロ
ジェクトだ。ただ最近、ブルガリアで右派政権が誕生し、計画の見直しの機運があるといわ
れている。一方、サムスン-ジェイハン・パイプラインについては、元々、イタリアの ENI、
トルコのチャリクエナジーが建設する構想であった。ところが、ロシアのトランスネフチが
出資して、ブルガス-アレキサンドロポリス・パイプラインと同じ事業体で推進する構想も出
ている。2 本も造る必要があるのかという疑問があるが、ENI はカスピ海のプロジェクトに
も参加しているため、自分たちで輸送しなければいけない原油はカスピ海にたくさん出てお
り、ルートをつくれば原油を運べることができるという考えだ。またロシアやカズムナイガ
スなどがどこのルートを使うのか、ここのルートで輸送するのか、他に安いルートがあると
きでも使ってくれるのか、いかにコミットメントを取り付けるのかが大きなポイントとなる。
いろいろな政治的合意は重要だが、それだけではなかなか建設費のファイナンスが得られな
いのが実態だ。ファイナンスを取り付けるには、どうしても銀行からコミットを求められる。
カザフスタンへ行くとよく聞くのは、中国企業のプレゼンスが非常に大きいということだ。
私もアルマティ市内にある中国の CNPC の大きなオフィスを見て、大変驚いた記憶がある。
CNPC は 1997 年ごろから、ケンキヤック油田などいろいろな油田の権益を獲得している。
そして権益を取るだけでなく、パイプラインで中国向けの出荷ルートもつくっている。昨年
初めの段階ではまだつながっていなかったのだが、10 月に建設が完了し、20 万バレル/日
のルートが完成している。原油の井戸元だけでなく、輸送ルートも中国は自分でお金を出し
てつくったということだ。
カザフスタンについて簡単にまとめると、カズムナイガスの新規投資は、実は既存油田の
買収が多く、新しい油田を開発する投資はあまり多くない。
「カシャガン油田は本当に大丈夫
か」、「カザフスタンの政府からまた言いがかりを付けられないか」という方もかなりいらっ
しゃる。しかし、外資が参加するカシャガンなどの事業以外に新規油田の開発はほとんど進
んでいないことを考えると、無理に止めたり利権を剥奪したりする可能性はあまり高くない
と思う。ただ一般的には埋蔵量、生産量が伸びない反面、いろいろなプロジェクトでコスト
が高くなったり、中国企業のプレゼンスがどんどん上がっていたり、あるいは経済回復のた
めの財源確保が必要だったりと様々な要因がある。そのため、外資事業への圧力は、やはり
高まる方向が続くだろう。
カザフスタンだけでなく、いろいろな産油国から、
「ソ連崩壊直後の混乱期に締結させられ
た不平等契約を見直したい」という言い分で働きかけを受けることもあると聞く。埋蔵量の
ポテンシャルは非常に大きく、カザフスタンにはカントリーリスクを補って余りあるほどの
地質的ポテンシャルがあるので、いかにリスクをマネージするかが重要だ。また中国はどん
どんリスクを抱え、強力な投資を進めている。ロシアとの政府間合意は多いが、具体的なプ
ロジェクトはあまり進んでいないようだ。輸送ルートの大半は未だにロシア頼みだが、新し
く何ができているかというと、やはり中国絡みが非常に多いといえるだろう。
7
2. アゼルバイジャン
次に、アゼルバイジャンだが、今ある油・ガス田以上に多くの油田、ガス田があるのではな
いかということで、探鉱も進んできた。しかし、実際に商業量の石油があったのは ACG、ア
ゼリ・チラク・グネシリ油田、それからその後に見つかったシャーデニスのガス田ぐらいだ。
いずれも BP がオペレーターになり、事業を進めている。ACG プロジェクトは埋蔵量が 54
億バレルだが、開発の仕方、井戸の掘り方、あるいは施設設置の仕方によって生産量が伸び
る余地がある。このため、追加開発計画があると報じられている。現在の生産量は 90 万バ
レル/日で、最大 120 万バレル/日を目指すといわれる。権益保有者は BP、シェブロン、
アゼルバイジャン国営石油会社の SOCAR、そしてインペックスも 10%のシェア・ホルダー
だ。その他はノルウェーのスタッドオイル、エクソンモービル、トルコの国営石油会社 TPAO、
アメリカのデボン、伊藤忠、ヘスである。ちなみにアメリカでは今、シェールガスというの
が大変流行っており、今までなかなかガスが生産されなかったところで生産できるようにな
っている。これは新しいビジネス・モデルなのだが、デボンという会社は、シェールガスし
かやらないと決め、世界中で持っていた良い油田をどんどん売却している。それらを BP が
落札したという報道がなされている。
BTC パイプラインでの出荷が始まっているが、これは 2006 年 6 月に操業開始した。BTC
パイプラインは、アゼルバイジャンからグルジア経由でトルコのジェイハンまでつながって
いる。100 万バレル/日で、増強も可能だ。2008 年 8 月 6 日には、トルコ区間で爆発事故が
あり、その直後にはグルジアで南オセチア紛争があった。パイプラインがどうなるか大変不
安だっただろうが、8 月 26 日にはすぐに船積みが再開された。戦争でも影響はなく、パイプ
ラインの爆発事故でも比較的早く修繕が終わり、パートナー一同大変安心したと思う。実際
のパイプラインに出資しているのは、先ほどの ACG プロジェクトにお金を出している方、
そしてコノコ・フィリップス、トタールなど、要するにカシャガン油田に権益を持っている
人たちが、将来原油を輸送しようという目論見で参加している。
BTC パイプラインには、たくさんのポンプ・ステーションがあり、標高が 2000~3000 メ
ートルほどの高いところを通っているので、どんどん圧力を高めていかなければならないそ
うだ。逆に山から下りるときは、圧を抜くステーションがある。それから、ジェイハンのタ
ーミナルへつながるパイプラインがある。それから西ルート・パイプラインはグルジアのス
プサにつながっているが、ここからも 8 万トン、あるいは 10 万トン級のタンカーで、ボス
ポラス海峡へ向けてヨーロッパに出荷されている。BTC パイプラインの建設現場では、大変
興味深いことにパイプを埋めている機械は日本のコマツの建機だそうだ。
次にシャーデニス・ガス田だが、非常に大きい埋蔵量があり 1999 年にやはり BP 以下の
パートナーが参加したプロジェクトで発見されている。面白いのは、イランの NICO が入っ
ていることだ。したがって、シャーデニスのパートナーにはアメリカの企業は一切入ってい
ない。シャーデニス・ガス田の事業者は 2001 年 3 月にトルコへガスを販売する契約を締結、
サウス・コーカサス・パイプライン、もしくはバクー・トビリシ・エルズルム・パイプライ
ン(BTE)とも呼ばれているが、このパイプラインでトルコ国内のパイプライン網につなが
っている。2006 年 12 月に生産を開始した。現在は第 1 フェーズの生産と位置付けられ、80
億㎥の販売を行っている。第 2 フェーズの開発については現在検討中だが、この第 2 フェー
8
ズのガスをめぐっては、ヨーロッパや、イラン、ロシアから引く手あまたの状態となり、い
ろいろなパイプライン計画構想が立ち上がっている。
パイプラインの出荷ルートを見ると、サウス・コーカサス・パイプラインはトルコ国内に
つながっているが、さらにはヨーロッパにガスを持っていく構想が色々ある。ナブッコ・パ
イプラインは、トルコからブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを経由し、オーストリアへ
入っていく。これは米国政府、あるいは欧州連合(EU)が懸命にサポートしているプロジェ
クトだ。その他、インター・コネクタートルコ・グリース・イタリー・パイプライン(ITGI)
と呼ばれたりする。これはトルコ国内の既存のパイプラインでギリシャまで運び、そこから
先にアドリア海を抜けるパイプラインをつくり、イタリア国内に向かおうという構想だ。そ
してトランス・アドレアティック・パイプライン(TAP)があり、これもトルコ国内は既存
のパイプラインで運び、ギリシャからアルバニアを抜けてイタリアへ持っていこうというも
のだ。
またロシアのガスプロムとイタリアの ENI が進めようとしているのが、サウスストリー
ム・パイプライン計画である。ドゥルジュバの辺りから黒海を横断してブルガリアへ上げ、
そこから 2 股に分けてヨーロッパへ持っていくという構想である。これらの欧州向けのガス
パイプラインは競争状態にあるとよくいわれている。
『ヨーロッパのガス需要はどんどん増え
るので、これらは全て補完的だ』と当事者企業は言い続けているが、実際のところというと、
自前でガス供給減を持っているガスプロムはまだしも、他のパイプラインがガス供給源とし
て期待できるのは現在のところ、シャーデニスのガス田しかないのである。核開発問題でイ
ランからのガス取り込みは難しく、イラクはアッカス・ガス田のような開発構想もあるが、
簡単にはつなぎ込めないようだ。このため当面はアゼルバイジャンのガス田しか供給源がな
いのが実態で、このため、シャーデニスの供給源をめぐる競争になっている。ナブコとサウ
スストリーム・パイプラインは、それぞれ非常に大きな金額がかかる。ITGI とトランス・ア
ドレアティック・パイプラインはトルコ国内の既存のパイプラインを使うので、比較的安く
建設できる。サウスストリームは、いろいろな国の間で政府間協定ができているが、ファイ
ナンス、あるいは実際の契約条件が見えてこない。本当にやる気があるのか、とも考えさせ
られる。ナブコ・パイプラインは今、トルコを通過する条件でアゼルバイジャンとトルコが
非常にもめている。先週合意するという情報もあったが、結局できずに先送りされた。ITGI
パイプラインは既にアゼルバイジャンと MOU を結んでいるのだが、供給ソースにまだアク
セスがない。さらには TAB(トランス・アドリアティック・パイプライン)とも競争してい
る。これらのガスパイプラインについては、どこが早くガス田の供給源を確保できるか、政
治、経済面も含めた競争になっているといえる。
トルコ国内のパイプラインを見ると、イラン、グルジアからつながっているパイプライン
がある。またブルーストリーム・パイプラインはロシアからつながっていて、ギリシャ、ブ
ルガリアともつながっている。あるいはイスラエルにもガスを供給する構想があると聞く。
トルコのガスの輸送ハブとしては、非常に重要な位置にあるといえると思う。アゼルバイジ
ャンにはたくさんの油があると捜索したが、あまり見つかっておらず、今後はガスに頼らざ
るを得ないだろう。外交的にはアリエフ大統領が、非常にバランス外交を展開しており、ロ
シアとも付かず離れず、よい距離感を保っているという印象だ。ナブコ・パイプラインには、
アゼルバイジャンは参加する意図はない。
9
3. トルクメニスタン、ウズベキスタン
次にトルクメニスタンだが、ドーレタバード・ガス田が非常に大きいとご紹介したが、南
ヨロテン・ガス田、オスマン・ガス田も、非常に大きいということが最近イギリスのコンサ
ルタント会社によって確認された。さらに先月はトルクメニスタンの政府関係者が上方修正
をしており、今後は陸上のガスの生産に大いに期待が持てる。ただトルクメニスタンは国の
政策として、外国企業に陸上の油ガス田を開放することはしていない。特例として認められ
ているのは、中国の CNPC だ。CNPC は国境沿い、アムダリア川の脇にあるバグティヤリ
ック鉱区の権益を、100%もらっていた。ここで生産される天然ガス、あるいはその他のエ
リア、マレーガス田など、将来的には南ヨロテン・ガス田も含まれるかもしれないが、この
ガス田からのガス供給を前提に長大なパイプラインを建設している。中国国内も途中まで完
成したと聞いている。トルクメニスタンと中国国境までだけでも 1800km あり、輸送最大能
力は 300 億から 400 億㎥で、2006 年に政府間合意をして、もう完成してしまった。西側の
スタンダードからすると、極めて早いスケジュールで建設が実現された。現在の生産量はま
だ大した量ではないが、中国国内のラインがしっかりつながった段階で、さらに輸出量が増
えていくと思われる。
CNPC がなぜ陸上油田に特別に入ることが許されたのかというと、それは非常に長いパイ
プラインとセットで話をオファーしたから、といわれる。一般に外国の石油会社は、トルク
メニスタンの沖合鉱区で参加するように、とトルクメニスタン政府からは言われている。た
だ、トルクメニスタンの沖合鉱区にはまだポテンシャルがあるが、石油の開発は進んでいな
い。技術的なリスクもある。リバノフ鉱区では、マレーシアのペトロナスという会社が参加
して事業を行っているが、生産量はあまり大きくない。そしてチェレケン鉱区では、UAE の
ドラゴンオイルが生産しているがそれ以外の沖合の鉱区での成功はまだ確認されていない。
例えばブロックの 11、12 でドイツのウィンターズハールやデンマークのマースクが探鉱し
たのだが、残念ながらはずれてしまった。また、ドイツの RWE がブロックの 23 という鉱区、
あるいはロシアの独立系の企業であるイテラは、ブロック 21 というところで契約を締結し
た。しかし、それ以外はすべてオープンになっている。アゼルバイジャンとトルクメニスタ
ンの国境で境界問題が存在していることも、トルクメニスタン領カスピ海上の投資を阻んで
いる理由の 1 つだといわれる。
次にトルクメニスタンとガスプロムの関係だが、昨年 4 月にロシア向けのガスのパイプラ
インで爆発事故が発生した。原因はガスプロムが急激に引き取り量を減らしたため、といわ
れている。これによってトルクメニスタンの損失が、1 月当たり 10 億ドルも出たそうだ。ト
ルクメニスタンはその後、ガスプロムとの交渉を何度もしてきたが、ようやく昨年末「2010
年は 300 億㎥の引き取りにしましょう」ということで合意がされた。しかし、今年に入って
からの報道を見てみると、実際には 100 億㎥ぐらいしか出荷されてないそうであり、どのよ
うな契約になっているのかはっきりとわからない。もしかすると、契約を反故にされている
のかもしれない。トルクメニスタンはその分、収入がないということになるので、経済的に
は苦しいのではないかと思う。
トルクメニスタンについてまとめると、カスピ海での新規探鉱では大きな成果はない。ト
ルクメニスタン東部におけるガスのポテンシャルの大きさは確認されているが、鍵はガスの
10
値段だと思う。ロシアも将来的にはガスがほしい、中国もほしい、こういったことになると、
値段の問題になるかもしれない。それからトルクメニスタンは今、ガスについては「国境渡
し」という方針をとっている。これは、
「国境まで取りにきてください」ということだ。カス
ピ海横断パイプラインはアゼルバイジャンとつないでヨーロッパに出そうという構想だが、
トルクメニスタンは自国でパイプを引くつもりはないそうだ。アゼルバイジャンも自国で引
くつもりはなく、誰もどの国も引くつもりはない状況なので今の段階では難しい。もしも本
当にパイプラインをつくるのであれば、やはり陸上の大きいガス田に西側、欧米の、メジャ
ーズの企業で、何とかこのガスをお金に変えたいと思う人に入ってもらうのが一番重要にな
るだろう。
ウズベキスタンに関しては、アムダリア堆積盆地の一部で、伝統的なガス田がたくさんあ
り、新しくルクオイル、ペトロナスも入っている。フェルガナ盆地ももっとポテンシャルが
あるといわれ、韓国の KNOC、ロシアのロスネフチ、ルクオイル、中国の CNPC が入って
いる。注目すべきは、ウスチュルト堆積盆地のエリアで、1 週間ほど前、アラル海コンソー
シアムの鉱区でガスが発見されたという報道があった。それ以外にも、韓国 Daewoo の参加
している鉱区でガスが見つかったのではないか、という報道もある。またウズベキスタンで
はないが、北側のカザフスタン領の中に鉱区があり、イギリスのテチツ・ペトロリアムとい
う独立系の石油会社が最近、ガスを見つけている。つまり、このエリアではもしかすると今
後、ガスの生産が伸びてくるかもしれない。また Kogas という韓国の国営ガス会社があり、
ここのガスを使ってガス化学工業をしようとしている。ロシア企業、中国企業、マレーシア
のペトロナスなどがウズベキスタンで頑張ってやっていることがよくわかる。
ガス・ケミカルでは、ウズベキスタンの進出は、ウズベクネフチガスとコガス、それ以外
のコンソーシアムでガス化学工業を進めようとしている。また GTL プロジェクトの動きが
ある。GTL とはガスをリキッドに変えるガス・トゥ・リキッドというプロセスで、触媒を使
ってガスを燃料に変えるものだが、この事業も徐々に進んでいるといわれる。
4. おわりに
最後に、伝統的に中央アジアはロシアや欧州の裏側と捉えられていると思う。資源は当然
のごとく、西側に向けて流通していた。またはスウィング・プロデューサーとして、需要が
減ったときに中央アジアの生産量を減らさせられる役目も負っていたのではないか。ただ、
最近では中国のプレゼンスがさらに高くなり、中央アジアの方もマーケットをきちんと確保
したいという考えがある。このため東向けの石油・ガス輸送ルートが実現しつつあるという
のが、大きな特徴だと思う。中央アジアにおける石油・ガス産業では、中国企業や韓国企業
のプレゼンスが段々高まっている。
ロシアも東シベリア・太平洋パイプライン(ESPO)を建設し、アジア向けのマーケット
を意識した戦略を練っているといえるかもしれない。この事実が意外と、ヨーロッパ側の皆
方々には伝わっていないともいわれる。ロシアの中央アジアにおけるプレゼンス、特に経済
的なプレゼンスは低下が不可避かと思う。ヨーロッパでの石油やガスの需要が回復しない限
り、政治的・軍事的な影響力は駆使できても、経済的に中央アジアに働きかけるインセンテ
ィブは働きづらい情勢にある。また経済的、技術的にはポテンシャルが非常に大きいが、マ
11
ーケットと大変離れており、日本にエネルギー資源を持ちこむことも非常に難しい。日本企
業の皆さんと話をしても、なかなか手を出しづらいというのが実態だ。企業の方々は「なぜ、
中央アジア・カスピ海なのか」とマネジメントから聞かれると、答えられないと聞く。
中国企業の場合、パイプラインは急にできてしまうのだが、本来は各参加者の権利義務を
整理しながら、西側のスタンダードで時間をかけて交渉をして進め点がやることが求められ
る。中国の場合、将来これらの点で揉める可能性がゼロではなく、何か決めるべき点がおろ
そかになっているかもしれない。そのリスクを知った上で、やはり 10 年後、20 年後の需要
に対する供給の確保という戦略的な視点から、事業を推進しているといえるだろう。日本企
業は同じような土俵で勝負はできないと思うので、技術力を背景に、例えばエンジニアリン
グ会社とのパッケージ、政府間のスキームでのサポートを行っている。JOGMEC で私は今、
ベネズエラ担当もしており、ベネズエラのプロジェクト開発では、政府間の MOU(協力基
本協定)を結んでいただき、その傘の下で事業を進めることもしている。今後、こういった
仕組みが中央アジアやカスピ海周辺でも必要になるかもしれないという声も聞かれるように
なっている。
(以上)
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平成 22 年 第 102 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 5 月 21 日
「中央アジアの経済特区の現状と課題」
下社 学/しもやしろ まなぶ
日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部主幹
(ロシア CIS 担当)
1. 中央アジア 5 ヵ国の経済特区
今日のテーマは経済特区に関してだが、最初に申し上げておくと、やはり良い話題はない。
中央アジアの経済特区が末広がりに発展することは難しい、と私自身は思っている。中央ア
ジアの 5 ヵ国では、各国に経済特区がある。国によって呼び方の差はあるが、経済特区、自
由貿易区、自由経済区の定義を、外資投資を促進するための各種優遇措置を取り揃えた一定
の区画だとすれば、おおよそ各国とも同様のスキーム、ツールを持っている。唯一、トルク
メニスタンだけは自由経済区という言い方はしていない。
これらを順に説明する。まずウズベキスタンについては最もメジャーで、お聞きになった
方も多いと思う。タシケントからサマルカンドを越えてブハラへ行く途中、少し北上した辺
りにナボイ州の自由経済工業区がある。現在、大々的に宣伝中のようだが、多々問題がある
と思う。ウズベキスタンでは基本的に自由経済区はナボイにのみ存在している。別の概念で
優遇措置を受けられる区域は他にもあるにもかかわらず、自由経済区という名前で売り出し
ているのはナボイだけだ。
一方、カザフスタンでは 6 ヵ所現存しており、これらは特別経済区(SEZ)だ。キルギス
については、いろいろなカウントの仕方があって難しいが、ある程度そうだろうなというエ
リアが 4 ヵ所ある。そのうち機能しているのはおそらく 1 ヵ所程度だと思う。タジキスタン
に自由経済特区があったということは、私も今回勉強して初めて知った次第だ。4 ヵ所とい
う数字もあるのだが、現在は 2 ヵ所と申し上げられよう。トルクメニスタンだが、国立観光
区として観光のファシリティーを整えつつあるエリアがある。米国の調査会社が作った資料
などでは特区が 10 ヵ所存在すると書かれているものもあった。現時点では、あえて申し上
げればこの観光区という 1 ヵ所が、自由経済区的な要素を持ったエリアだといえる。
5 ヵ国ともおおよそ 90 年代に自由経済区構想に関わる法律を策定した形跡がある。実際、
それに伴い経済区を設置していたようだ。ただし、本日ご説明する自由経済区は 2000 年以
降に設置されたもので、その間、数年の空白があった。別の言い方をすれば、90 年代に策定
された自由経済区は全く成功せず、はずれだったということだ。そしてなぜか 2000 年ぐら
いから再び自由経済区が登場した。理由の 1 つはやはり国によって差はあるものの、経済状
況の改善がある。曲がりなりにも何とか外資を呼べるような状況になってきたので自由経済
区を再び導入したのではないか。さらに、ロシアも経済特区をいくつか設置しており、ロシ
アに倣えば良い訳ではないが、横目で見ながら設置しているのだろう。
13
2. ウズベキスタン
では、5 ヵ国を国ごとに見ていきたい。まずはウズベキスタンには、ナボイ自由工業経済
区(FIEZ)がある。2008 年 12 月 8 日付の大統領令に基づいて設置されたので、かなり後
発だ。ウズベキスタンで初の試みとなる本格的な経済特区構想で、活動期間、設置期間は期
限付きである。どの国でも同じような構想だが、ナボイは 30 年と規定されているようだ。
ただし、「必要に応じて延長も検討する」という文言が付いている。これから 30 年なので、
まだ先の長い話だ。面積は 564 ヘクタールで、東京ドームに換算すると 120 個分とかなり広
い。
ナボイの人口は州全体でも 41 万人程度だ。資源はウズベキスタンの中でも多く産出され
ている。ウズベキスタンは、金、ウランなど地下資源が豊富で、ナボイ・コンビナート(NGMK)
、
ナボイアゾトの化学肥料工場、セメント工場などがある。全国の鉱工業生産高の 15%程度を
占めており、工業地域になっている。自由工業経済区のコンセプトは工業、ロジスティクス、
イノベーション、観光・文化・レクリエーション、それぞれのハブになることだ。そして、
彼らは「ウズベキスタン国内だけでなく、中央アジア全体のハブを目指す」という。
なぜナボイが選ばれたのかについてだが、急に決定されたようだ。甘利明元経済産業相が
現地を訪問し、ガニエフ対外経済関係投資貿易相と会見した際、突然ナボイの話が出たとい
う。当時、まことしやかに言われていたのは、
「説明している当人も、詳しいバックグラウン
ド、コンセプトを承知していない」ということだ。ガニエフ大臣会見の直前に、カリモフ大
統領が「経済特区を設置する」と発言したらしく、大臣は早速日本側に伝達したが、
「説明し
ている人たちですら、必ずしも詳しいことを知らされていなかった」と聞いた。ナボイのロ
ケーションはタシケントからサマルカンドを経た先なので、タシケントからは 400~500 キ
ロあると思うが、交通のコネクションはあまり良くない。本当に資源しかないエリアだが、
とりあえず計画が立ち上げられた。
主な優遇措置だが、各種の税や基金の支払免除がある。しかし、これらの優遇措置を享受
するための最低投資額が非常に高い。300 万から 1,000 万ユーロというから、日本円で 3 億
円規模の投資をしなければ、それぞれの優遇措置は得られないということだ。日系企業では
まだ、ナボイに具体的なコミットメントをしているところはないと承知している。2009 年に
ウズベキスタンの大韓貿易投資振興公社(KOTRA)事務所にお邪魔した際、150 社規模の
韓国の中小企業ミッションがウズベキスタンに来て、ナボイも視察したと聞いた。しかし 300
万ユーロというと、やはり中小企業がすぐに投資する額ではない。KOTRA の方も、中小企
業はそのような反応だったとおっしゃっていた。
優遇措置の規模や期間は、投資額に準じて強化される。また、そこで生産した製品を輸出
する企業はさらに優遇される。国内市場型の企業であっても、ある程度の輸入関税の減免等
が得られる。外貨建て決済やウズベク企業による商品、労働、サービス提供へのハードカレ
ンシー建て決済、輸出入決済に当たり自由な支払い形態と期間の設定が可能となっている。
ウズベキスタンでは特に外貨管理が厳しいため、餌のようにして外資系企業の関心を得よう
としているとしか思えない。
われわれは業務の一環としてウズベク側の依頼に基づき、日系企業に対するプレゼンテー
ションを行うこともあり、何とかナボイの宣伝をしようと知恵を絞っている。その際、ナボ
14
イ自由経済特区に絡めてビジネス・チャンスになるのではないかと申し上げていることが 4
つほどある。第一に、経済特区そのものの建設だ。2008 年暮れに設置が決まったばかりなの
で、特区をつくるための建設事業、それに伴う建機や機械設備供給のチャンスがあるのでは
ないか。第二に、ナボイ州で産出される地下資源の調達、加工、輸出が、自由経済区ではや
りやすいのではないか。第三に、本来であれば自由経済区の一番オーソドックスな活用法だ
と思うが、製造業の生産拠点になる。ウズベキスタンの場合、ウズデウオート改め GM ウズ
ベキスタンが成功しており、大体年間 20 万台強をつくっている。また、元トルコのサムコ
チオートとの合併だったが、現在はサムオートという地場の組立工場で、いすゞブランドの
中型のバスをつくっている。ものづくりという観点では、ウズベキスタンがこの地域では一
歩先んじている。
そして第四に、国際物流拠点としての活用がある。実はこちらが先に来るべき話だった。
甘利元経産相が現地を訪問したとき、まずナボイの国際空港の国際ロジスティックスセンタ
ー構想が披露され、そこから自由経済区という話になったはずだ。日本側、あるいはそれ以
外の国にも、
「まずはナボイ国際空港を中央アジアの物流のハブ空港にしたい。誰か手を挙げ
てください」とウズベク側が伝えた。日本側も検討はしたようだが、大韓航空がいち早く手
を挙げる形になった。現在、ナボイ国際空港の空港長には、大韓航空の方が出向で就任して
いる。また、大韓航空による貨物便も就航している。何を運んでいるのかは確認できていな
い。そして、空港のファシリティーも大韓航空がいろいろな設備をつくっている。空港長に
よれば、極東から欧州方面へはアンカレッジ経由よりも 4 時間ぐらい早くなるのではないか
という。自由経済工業区の方では、国際自動車道路 E-40 への引き込み道路と鉄道への引込
み線が完成した。また、水道、ガスのパイプラインをつくったそうだ。今はまだ操業してい
る企業はないはずで、まだ建物を一生懸命つくっている段階だろうと思う。2010 年 4 月に東
京で開催されたガニエフ大臣のプレゼンテーションで配られた資料では、
「19 社の外国投資
家が関心を持ち始めた」という書き方をしている。具体的な社名は書かれていないが、これ
らの企業とは交渉が始まったか、名刺交換をしたという程度ではないかと思う。150 社の中
小企業ミッションが訪問したため、現時点では韓国企業が最も多いようだ。
3.カザフスタン
続いてカザフスタンだが、6 ヵ所の特別経済区(SEZ)が現存、あるいは機能している。
首都アスタナの SEZ では、アスタナ新都市の中に、さらにインダストリアル・ゾーンをつく
る構想がある。1997 年にアスタナへの遷都が決まり、遷都後の首都をつくるための事業が優
遇措置の対象になった。すなわちアスタナで何かを製造することが必ずしもメインではなく、
アスタナの首都建設に携わる方々に優遇措置を適用するというのが、アスタナ新都市のコン
セプトの中心だ。
アスタナ以外ではブラバイという SEZ がある。カザフスタン人にブラバイの意味を尋ねた
ところ、保養、休暇といった意味らしい。つまり、観光特区のような位置付けだ。IT パーク
という SEZ もあり、旧首都のアルマトイに情報通信のセンターを設けるという。オンティス
ティックという、東西南北の南という意味の SEZ は繊維・テキスタイル産業の経済区にする
という。さらにアクタウの SEZ は、マリンポート・アクタウという名前になっている。アク
15
タウ港湾特区ともいえるが、いわゆる工業特区で、ものづくりがメインだそうだ。最後にア
ティラウは、まさに石油化学に特化した工業区だ。
以上、6 つが既存の経済特区で、さらに新規の計画も議論されているようだ。ドスティク、
ホルゴスの 2 つは中国との国境辺りにあるが、物流をイメージした特区である。さらに、ウ
ラリスクは西の方に、トブィルはコスタナイ州にあるので、もう少し内陸だ。それぞれのコ
ンセプトについては調べ切れなかった。
物流という観点では、今年から発足した関税同盟と関係し、ロシアにとっては物流のボー
ダーが東に移動したことを表している。ドスティク、ホルゴスに関しては、今後何か動いて
くるかもしれない。日本のセンコーという物流会社がホルゴスの物流センター構想に参画し
ている。
SEZ 設置法については 1996 年に 1 回出て、さらに 11 年後の 2007 年にもう 1 回出ている。
これらの法律を基盤に、SEZ ごとの設置法が決まっている。また昔でいう「5 ヵ年計画」の
ような「イノベーション発展プログラム」というのがあり、その中でもいろいろなセクショ
ンで「SEZ 絡みの発展を期すべし」と書かれている。優遇措置については、他の国の経済特
区とあまり変わりがない。
各 SEZ について。アスタナ新首都建設は 2001 年に決まった。実は SEZ 設置期間は 2007
年までのはずだったが、その後 2010 年まで延長されており、さらに今、延長が議論されて
いるそうだ。これは、リーマン・ショックの影響で建設の速度が若干落ちたことを映してい
る。当初計画全体のうち 70%ぐらいができあがっていて、見違えるようなアスタナの発展ぶ
りである。外資系企業の参画も、いくらかみられる。
アルマトイにある IT パークは情報通信分野に関するもので、23 案件あり、2009 年 7 月現
在 26 社が活動しているという記述を見つけた。実際に何を行っているのかは、確認でいて
いない。アティラウは石油化学で、原油や天然ガスを高付加価値化しようということだ。コ
ンビナートの建設などがプロジェクトに含まれている。港の方のアクタウでは、いくつかの
案件が動いている。ただ具体的な製品を製造しているわけではなく、現時点では工場を建設
中のようだ。南部オンティスティックは繊維、テキスタイル産業の中心だ。ブラバイは観光
関係でいろいろなコンセプトを掲げてはいるようだが、実際に何か具体的に建物が完成した
とか、ツーリストを受け入れているという話は見つけられなかった。
4. キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン
続いてキルギスについて。先ほど 4 ヵ所と申し上げたが、具体的にどこにあるのかすべて
の特区を特定できなかった。1996 年から 97 年ごろに法律をつくったという、ビシケクの FEZ
のほか、イシククル湖付近のカラコルにもあるようだ。マイマクというのもあるが、場所は
よくわからず、カザフ国境付近だという。さらに、観光と鉱業に関する中国国境付近のナル
ィンというのもあるようだ。
このうち記述が見つけられたのはビシケクの FEZ だけだった。数年前にキルギス・ビジネ
ス・フォーラムが開催され、わが社のスタッフも参加したが、その際ビシケク FEZ を視察し
た。ビシケク市内から北へ車で 40 分ぐらい行ったところだ。
1995 年ごろに設立したそうで、
25 ヵ国の企業、64 工場が操業し、3,500 人を雇用しているという。今まで説明した中で、実
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は最もパフォーマンスが良いような感じもする。何をつくっているかというと、ビジネス・
フォーラムで視察した企業の中には、例えばペットボトルを作っているトルコ系の工場があ
り、カザフへ 60%ぐらい輸出している。ブラウン管テレビを組み立てている中国企業は、ロ
シアへ 7 割ほど輸出している。アラブ首長国連邦(UAE)の企業は塗料を生産し、80%ぐら
いを輸出。イランの会社は洗剤を生産、CIS やアフガニスタンに輸出しているということだ
った。おそらく、零細企業の規模である。なぜビシケクまで行って洗剤をつくっているのか
は、理解に苦しむところがある。
続いてタジキスタンだが、パンジ自由経済区が南部にあり、スグト自由経済区は北部のホ
ジャントにあるそうだ。いずれも兄弟のような経緯をたどって 2005 年に設置された。しか
し、実際には具体的に何かを生産しているという段階ではないようだ。
最後にトルクメニスタンだが、今までご紹介したような何かをつくる経済特区とは異なり、
観光特区とも称されるべき、アワザ国立観光地区を設けている。随分立派なパンフレットも
準備している。トルクメンバシというカスピ海の港のすぐ近くに設置されており、オープニ
ング・セレモニーを 1 年ほど前に行ったばかりのようだ。ホテルなどは、既に一部操業して
いるという。観光関係のビジネスであれば、ビザ発給の用件が緩和されたり、関連の優遇措
置が受けられるという。私はまだカスピ海を見たことがないので、初めてのカスピ海はぜひ
トルクメニスタンの観光特区で見てみたいものだ。
5. 今後の課題と問題点
今後の課題や問題点を述べると、いくら時間があっても足りないだろう。先ほどウズベキ
スタンに関して申し上げたが、ここでは 300 万ユーロという初期投資費用があまりにも高額
で、投資意欲を削ぐ要因になっているようだ。KOTRA でのコメントなどを聞いていると、
中国と比べても特にメリットは感じられないという。外貨の両替の問題も指摘されている。
例えば、現地通貨スム建ての売り上げを海外送金するためにハードカレンシーへコンバート
するのは、ウズベキスタンでは非常に難しいという。さらに、政府は輸出オリエンテッドな
企業の誘致に非常に熱心だが、韓国企業側はそのような目的はなく、ウズベク国内のマーケ
ットに進出を目指しており、ウズベク側とは認識のずれがあるようだ。
ロシア、ベラルーシ、カザフスタンの関税同盟とカザフスタンの SEZ とのハーモナイゼー
ションという問題もある。
関税同盟加盟 3 カ国は共通関税を今年 1 月 1 日から導入している。
今年 7 月から、この 3 カ国については、税関がなくなるというタイム・スケジュールでやっ
ているはずだ。しかし、2 月ごろの現地紙報道を見ると、関税同盟への加盟はカザフスタン
にとって基本的に歓迎なのだが、今まで SEZ 進出企業には課せられていなかった公租公課、
輸出税、輸入税が関税同盟の規定に準ずることで新たに課せられる可能性がある。カザフス
タンの議員などが議会で問題視しているようだ。
インフラの整備状況は、どこの国にも共通する課題だと思うが、ロシアも同じようだ。ロ
シアで工業団地、あるいは自由経済区というと、とにかく敷地だけがあり、電気や水道、通
信のインフラは自分で引くというような状態だ。日本企業が念頭に置くような、東南アジア
で見られる工業団地のようなイメージでアプローチすると、違和感が大きいだろう。ウズベ
キスタンもタシケントであれば、ご飯を食べる所やお酒を飲む所もあるし、ゴルフなどの娯
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楽もそれなりにあると思うが、ナボイまで行くと何もない。
そして何よりも、各国のビジネスのインセンティブは、自由経済区があるから何かが激変
してよくなるという訳では決してないことを指摘しておきたい。何をつくってどこへ持って
いき、誰に売るのかというマーケットは、自由経済区をつくったから全部セットになって出
てくる訳ではない。各国のプレゼンテーションを聞いても、それを言及したものは実はない。
「自由経済区をつくった」
、
「優遇措置を設けている」というだけでは、なかなかその先の議
論へ進まないだろう。
ロシアの場合、2005 年に工業生産型特区、研究型特区、2006 年に観光レクリエーション
特別区や 2007 年には港湾特区を導入し、着々と実績を上げている。ロシアの消費が盛り上
がって車が売れるようになり、今まで輸出していたけれども販売、消費の場と近いところで
生産しよう。
「では、どこにつくりますか」ということで、特別経済区が必要不可欠になって
きたという自然な流れがある。中央アジアの場合は、必ずしもまだそういう状況ではない。
(以上)
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平成 22 年 第 103 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 6 月 21 日
「中央アジア情勢:現下の主要トレンド」
河東 哲夫/かわとう あきお
Japan and World Trends代表
元在ウズベキスタン・タジキスタン特命全権大使
はじめに
今日は为に中央アジアをめぐる大国やその周辺の情勢についてお話しし、後ほど中央アジ
ア各国についても触れる。私が中央アジア情勢を調査するときには、大体 2 つの点に注目し
ている。1 つ目は、この地域における大国間のバランスが、どのように変化しているかとい
う点だ。そして2つ目は、中央アジア諸国の安定度と経済の発展ぶりに関してだが、これら
の国はあまり本格的に発展しているようには見えない。また中央アジア諸国が団結の方向に
進んでいるのか、それとも遠心力の方が強く働いているのかは、局面によって変化する。以
上2点を中心に調べており、それらは日本の政策のあるべき姿へ結びついていくのだと思う。
1. 中央アジアをめぐる最近の国際環境
まず中央アジアをめぐる国際環境と最近のトレンドについて、この3ヵ月ぐらいを念頭に置
いてお話しする。ユーラシア大陸の情勢を規定する最も大きな要素は、やはり今も米ロ関係
だろう。ロシアの国力は下がったが、中央アジアにおいてロシアは、まだかなり大きな影響
力を持っている。そしてブッシュ時代の北大西洋条約機構(NATO)拡大政策が終わり、米
ロ関係がリセットになっていることが、中央アジア情勢を考える上での基本的な要素の1つだ
と思う。
これはロシアの国内要因によっても、規定されている。リーマン・ショックによって、ロ
シアの国内総生産(GDP)は昨年、7.9%下がった。他方、ロシア経済は我々が予想していた
ような大崩れはしなかった。モスクワの様相は、以前とあまり変わっていない。しかも今年
に入ると、ロシアのGDPは再び成長し始めた。石油価格は一時、約30ドルにまで下がったが、
今では70ドル以上と2倍以上になっており、これが一番大きなきっかけだろう。ロシア経済は
回復しており、最近は「イノベーション」という言葉が盛んにいわれ、それが実行されれば
良い傾向だと思う。2000年代を通じて石油価格が上がり、GDPが5倍以上にもなったことで
ロシアは浮ついていたが、リーマン・ショックとそれに伴う石油価格の暴落により、ひどい
目に遭った。そして、さすがのロシア人も「石油に依存するのは問題だ」と再認識するに至
った。
4年前にも同様のことが言われて実際には何も起こらなかったことに鑑みると、今回もその
効果が何年、あるいは何ヵ月続くのかわからない。しかし今のところロシアではまた「イノ
ベーションを行い、石油の依存を断ち切らなければ大変なことになる」と盛んにいわれてい
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る。
そしてイノベーションのためには西側の技術、経済関係が不可欠なので、米ロ関係のリセ
ットが必要だという面もある。米国からすると、米ロ関係のリセットはそれほど外交上のプ
ライオリティではなく、あまりロシアにうるさくされるのは嫌なので、対ロ関係は尐し放っ
ておこうという感じだ。一方、ロシアにとってはリセットとイノベーションはかなり切実性
を持った政策だろう。当面の総仕上げは、明日から始まるメドベージェフの訪米によってリ
セットを確実にし、同時にイノベーションに対する米国の協力を取り付けることだ。メドベ
ージェフがロシアに帰国してからは、「米国が協力してくれるから、日本も米国の言うこと
を聞くに違いない」、「ヨーロッパもそれに乗るに違いない」というプレゼンテーションを
するのだと思う。
基本的に米ロ関係のリセットの影響が中央アジアをめぐるいくつかの情勢にも出ている。
例えば、キルギス問題への対忚などに、如実に表れている。キルギスで4月7日にクーデター
が起きたとき、ワシントンでは核問題に関する首脳会合が開かれていた。その席でメドベー
ジェフは、オバマ米大統領にキルギスの件については話し合いをしながら対処していくこと
で合意し、それは現在も続いている。米国と合意したのでロシアや集団安全保障条約機構
(CSTO)が軍を送らない、というわけではないのだが、米国をあまり刺激したくないとい
うことがロシアの底流にある。
そしてNATOは、米ロ関係のリセットと同時に再び方向感を失いつつある。冷戦が終わり、
NATOが今後の方向を模索し、ようやく域外の活動で生きていくのかと思われたときに、今
度はアフガニスタンに引っ張り出され、やはり「域外は嫌だ」となっている。NATOは今年
11月までに新戦略コンセプトをまとめることになっており、その草案は既に発表されたが、
あまりはっきりしない内容である。ただ明らかなのは、NATOの急速な拡大は停止されると
いうことだ。グルジアのサーカシビリ政権は米国からほとんど見捨てられた。ウクライナで
は大統領が代わり、東西で等距離のような政策を取りつつある。したがって、NATOの拡大
は停止した。
ロシアとNATOの対立の意味は、冷戦が終わった時点から既になく、ロシアを加盟させる
かという議論がNATOの一部で起きている。ただロシア加盟論がNATOの中で为流になるこ
とは、絶対にない。ロシアのNATOへの加盟は宇宙の物質と反物質が合体するようなもので、
両方とも消えかねない。いや、多分ロシア軍は消えず、NATOだけが消えることになる。し
たがって、ロシアの加盟はないだろう。
中央アジアで重要なもう 1 つの要素は、中ロ関係だ。中央アジアでは中ロが競合関係に入
りつつあるという観測があるが、決定的な対立はまだ表れていない。中ロ関係では競合、協
力の双方が表れながら、推移している。例えば 4 月 5 日のロイター通信によれば、ロシアが
S300 を 15 機、中国へ輸出するという。その後、これを確認する報道を見ていないが S300 と
は数機敵のミサイルを同時に打ち落とす、陸上のイージス艦のような大変な設備だ。ロシア
は S300 をイランへ輸出すると何年も言っていたが、米国が止めた。しかし、中国へ 15 機も
輸出し、費用は何千億円もかかる。また、中国がイランへ輸出すのではないかということも
心配されている。このように、中ロの間では協力も続いている。
今年9月ごろに上海協力機構(SCO)の共同演習が行われるだろう。そこでも、中ロの緊
密な協力が誇示されよう。
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一方、キルギスの騒動に関しては、バキエフ大統領の息子、マキシム・バキエフが中国へ
飛び、キルギスの利権を中国へ売り渡すような格好を示した頃に騒動が起きた。そこで中国
の影響力はキルギスにおいては、当面後退している。中ロ関係では協力と競合の両方の局面
が続いている。
もう1つ、中央アジアをめぐる大国関係で、非常に重要になりつつあるのは米中関係だろう。
中国の中央アジアに対する政策では、対米考慮がひそかに影響していると思う。中国にとっ
ては、中央アジアで米国が席巻すると、ウィグル問題で手を出される可能性がある。さらに
チベット問題でも米国は手を出しやすくなる。したがって、中央アジアは米国が抑えるより
は、ロシアが抑えていてくれる方がましだと思っていただろう。ただ中国はエネルギー問題
を中心にした経済関係においては、中央アジアで随分やらせてもらっており、ロシアも力が
ないので、仕方なくそれに忚じていたのだろう。
米中関係はここ数年、非常に良い。例えば、ロシアは上海協力機構を米国に対抗するため
の軍事同盟のようにしたかったようだが、中国は抵抗していた。当初、米国に対抗すること
を目的に上海協力機構が強化されたが、その後、中国は降りてしまった。しかし、米国が台
湾に武器を供与したことをきっかけに、米中関係は現在かなり悪くなっており、それが中央
アジアで今後どのように出てくるのかと思う。
6月に、イギリスの国際戦略研究所(IISS)の为催によるシャングリラ会合が、シンガポー
ルで開かれた。この会合ではアジア各国や米国の国防相、国防長官らが集まり、国防問題、
軍事問題を議論する。そこに米国のゲーツ国防長官が出席したのだが、同じく出席していた
中国軍の高いレベルの軍人が米国を強く批判し、
「中国は米国との友好関係を求めているが、
米国は中国を敵視している」という趣旨のことを述べた。そして、ゲーツ国防長官は中国に
呼ばれなかった訳だ。いつまでこの状況が続くのかわからないが、もしも長びいたなら、中
央アジアにおける1つの大きな変化の要因になると思う。
中央アジアをめぐる大国関係は、米中ロの間だけでなく、他にトルコもある。トルコの新
しい外務大臣は学者なのだが、昔からやりたかったことを「あれもやりたい、これもやりた
い」という感じで行っている。中東和平問題に関しては仲介の意向を強く持っている。イラ
ンに対してはウラン濃縮問題について、ブラジルと共に妥協案を持ちかけた。そして国連安
全保障理事会のイラン制裁決議の動きを邪魔してしまい、米国を怒らせた。
またトルコとギリシャはこれまでキプロス問題で敵だったのだが、ギリシャの財政危機直
後、エルドアン首相は経済関係の増進を求めてギリシャを訪問している。トルコは、昔のオ
スマン・トルコ時代の栄光を求めているのか、ポテンシャルを最大限に発揮するための外交
を展開している。だが、結局は必ずどこかで辻褄が合わなくなるだろうと思って見ている。
トルコは昔から中央アジアに色気を持ってはいるが、中央アジアにおけるactorにはまだなっ
ていないだろう。
そしてイランは、タジキスタンに対する経済協力を中心に勢力を築いてきた。これは民族
的(ペルシャ)な共通点を活用しているのである。その頂点と思われるのは、今年3月のイスラ
ム教の祝日、ナブルスのときに、中央アジアの首脳がイランで集結したことだ。カザフスタ
ンのナザルバエフ大統領は行かなかったと思うが、トルクメニスタンのベルディムハメドフ
大統領とタジキスタンのラフモン大統領、キルギスのバキエフ大統領は行ったのではないか。
明示的に行かなかったのは、ウズベキスタンのカリモフ大統領だけだろう。イスラムのよし
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みで、イランにこれらの首脳が集まった。
イランやアフガニスタンは、中央アジアで1つの要素になろうとしている。6月11日の上海
協力機構の首脳会議には、先回はイランのアフマディネジャド大統領が参加したと思うが、
今年は参加せず、代わりに外務大臣が行った。上海協力機構の新しい加盟国を決める手続き
では、国連安保理の制裁を受けていない国であることが条件として入ってしまった。その旗
を振ったのは中国とロシアだといわれる。従ってアフマディネジャドはこの会議には出席で
きず、同時に開かれていた上海万博でのイラン・ナショナル・デーへ行っていたようだ。
2. 中央アジアにおけるロシアの動向
そしてロシア傘下のNISの動向だが、ロシア外交はこの半年ぐらい、中央アジアで上げ潮
だった。例えば石油価格が上がり、ロシアは中央アジアで経済的に、再び様々なことができ
る態勢になってきた。ウクライナでは政権が代わり、ヤヌコビッチ新大統領は最初、かなり
親ロ的な方向に振れていたのでロシアは一時喜んだと思う。またグルジアのサーカシビリ大
統領は米国にほとんど見捨てられ、これもロシアにとっては良いことだった。しかしロシア
はこの3ヵ月ぐらいを見ると、尐し足踏みしているようだ。
具体的には、ロシアはCSTOを何とかNATO並みに引き上げたいと思っており、3月ごろ、
CSTO事務局と国連事務局の間で、「協力についての共同宣言」という文書に署名している。
NATO事務局が一昨年9月、国連事務局との協力文書に署名しており、CSTOが負けてはなら
ないということで、今回の署名に至った。
もっと実質的には、ロシアはCSTO傘下で、緊急事態の際に即忚して展開される即忚部隊
を強化したかった訳だ。ロシアによる統合指令の下、そのような部隊を作りたかったのだが、
この1年間、ウズベキスタンが抵抗したためできなかった。その内に、キルギスで騒動が起き、
これに対して何もしなかったCSTOはクレディビリティを疑われることになっている。キル
ギスでは5月の騒動の際、臨時政府がCSTOに対し、安定化に向けて軍の派遣を要請しようと
した。しかし、原因はわかないのだが、うまく行かなかった。しかもCSTOの即忚軍を派遣
するには、CSTOでのコンセンサスが必要になるため、派遣できず、キルギスの臨時政府は
ロシア政府に援軍を要請し、断られている。
中央アジアにとってロシアの存在は、いざという時安全保障で頼りになる存在、ガスや石
油を生産するのを助けてくれる存在という程度の意味を持つが、その安全保障が危うくなっ
てきた。CSTOの即忚部隊派遣問題や、ロシア軍の派遣問題は非常に興味深い。ウズベキス
タンが反対しているだけではないようで、ロシア自身が自らの判断で二の足を踏んでいる。
理由は2つあり、1つは、キルギスの国内政治に完全に巻き込まれる可能性があるからだ。
バキエフがまだ生きており、「俺は辞任したのではない」と言って復帰の構えを示してい
るため、ロシア軍がバキエフ派の牙城であるジャララバードやオシュに介入すると、バキエ
フを復活させるのか、それとも臨時政府の肩を持つのかという踏み絵を踏まされてしまう。
NISではバキエフの肩を持っている国があり、ベラルーシのルカシェンコ大統領がそうだ。
4月キルギスで起きたように、自分が暴力で政権を覆されたら大変だと思っているのだろう。
5月初めのCIS首脳会議でルカシェンコが強硬に为張してキルギス情勢を審議させ、「キルギ
スの今回の事態は違法である」という声明を出させた。
22
またロシアの国内世論も、キルギスに介入することに反対しているようだ。「キルギスの
ような遅れた国で、なぜ私たちの息子の血を流さなければいけないのか」という声があると
いう。したがって、アフガニスタンにロシア軍を送れないのと同様の情勢になっている。中
央アジア諸国もロシア軍がキルギスへ出ていけば、自分たちのところにもロシア軍に介入さ
れる可能性があると思っているだろう。ウズベキスタンのカリモフ大統領はそれを恐れてい
たから、CSTOの即忚軍に反対していた面もあると思う。
ロシアが中央アジアで盛り上がらないもう1つの要因は、そのウズベキスタンの抵抗だ。
私がウズベキスタンにいたころは、ロシアに対して非常に厳しい政策を取っていた。カリモ
フ大統領が当時のロシアのエリツィン大統領を信用できなかったためで、非常に親米、親日
の政策になっていた。しかし今回はもう尐し学習した跡があり、それほど反ロ、親米ではな
い。CSTOの即忚軍に対しては反対しているが、別途、4月に、カリモフ大統領は訪ロした。
ロシアのメドベージェフ大統領は、カリモフ大統領を自分の公邸で盛大にもてなした。2人が
何を話したのかはわからないが、キルギス情勢について非常に立ち入ったことを話したのだ
と思う。カリモフ大統領は、なぜ自分たちはロシア軍がキルギスに介入することを望まない
かの理由を、立ち入って説明したのだろう。オシュなどキルギス单部には、ウズベク人が70
万人から100万人いる。この地域は麻薬商売の中継地になっており、オシュはその中心地だそ
うで、その利権をバキエフ家が抑えていた。しかし政権転覆によって臨時政府が麻薬の利権
を奪おうとしており、今回のオシュにおける騒動の1つの大きな背景でもある。そして利権騒
動の口実として、民族騒動、民族対立が使われたのかもしれない。そういった微妙な情勢を、
カリモフ大統領はメドベージェフ大統領によく説明したのかもしれない。
さらに、ロシアがつまずいている大きな要因は、関税同盟だ。関税同盟はロシアとカザフ
スタン、そしてベラルーシの3国によるもので、今年1月に発足したことになっている。この3
国間の税関を除去するのが今年7月1日の予定だったので、今年1月に何が実施されたのかはわ
からない。おそらく、紙の上だけのことだったと思う。
7月1日の本格的な発足を目指し、5月28日にはサンクトペテルブルクで首相レベルの会合
が開かれた。しかし、ベラルーシの首相は直前に参加をキャンセルした。以前からルカシェ
ンコが強行に唱えていたのは、関税同盟を行うならベラルーシは入るが、ロシアからベラル
ーシへ入ってくる石油から輸出税を取ることを廃止せよ、ということだ。要するに、ロシア
国内で、ロシアの業者から輸出税を取ることはやめてくれということだ。ベラルーシが輸入
するロシアの原油が割高になってしまうからだ。
ベラルーシとロシアの貿易では、30%以上を原油とガスが占めているそうだ。つまり30、
40%を占めるものに手を付けずに関税同盟と言っても、ベラルーシとして納得できないのだ
と思う。そういう訳で、関税同盟は7月1日から、ロシアとカザフスタンの間だけで発足する
ことになった。ただ、ベラルーシのことなので、直前になって飛び乗るかもしれない。元社
会为義国というのは、何でも可能だ(注:6月末ベラルーシは態度を変え、関税同盟発足に
加わった)。
このように、ロシアは尐し足踏みをしている。ただ、中央アジアで足踏みしているのはロ
シアだけでなく、中国も同様だ。中国はカザフスタンから石油を、トルクメニスタンから天
然ガスを買うという意味では上げ潮だが、政治面では足踏み状態だ。そして米国も当然、足
踏みの状態だ。キルギスの騒動後、米国は臨時政府を承認するのがロシアより数日遅れた。
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ロシアは拙速に認めたため、後になって困った。米国はしかし、とにかく承認し、その後は
次官補などが何度も訪問している。一部の報道によれば、キルギス政府は今回のオシュでの
騒動に際し、米国に対して軍事援助を要請したという。兵士ではなく、騒動を治めるゴム弾
をくれとの要請だったのだが、断られた。米国には元々、中央アジアで政治的に覇権を唱え
よう、あるいは政治的に席巻しようという意図はない。
3. 国際的なフォーラムの動き
次に中央アジアをめぐる他の要素として、国際的な法人のような、1つのアクターとして意
味を持つ様々なフォーラムがある。まずは上海協力機構だが、6月にタシュケントで開かれた
上海協力機構首脳会合の成果は低調だったと評価されている。新規加盟国を認めるための手
続きに関する文書のほか、物事を決める際の手続きを定めた文書について合意がなされた。
これはカリモフ大統領のイニシアティブによるもので、彼は意味のない会合、フォーラムな
どを嫌っているため、手続きを早める文書を採択したのが、今回の大きな成果だといわれる。
今回の首脳会合で目立ったのは、イランのアフマディネジャド大統領が来なかったこと、
そしてイランの加盟が当面ないことだ。
またウズベキスタンが音頭を取り、米国をゲストないしオブザーバーとして呼ぼうとした。
確認はできていないが、アフガニスタンをめぐる会合には、米国から誰かが出席したようだ。
昨年3月であったか、モスクワでアフガニスタンに関する上海協力機構の会合があり、米国の
代表が出席していた。したがって今回出席したのは不思議なことではないが、1つの興味深い
ことではある。米国はこれまで上海協力機構を全く相手にしてこなかったのだが、ヒラリー・
クリントンは昨年末ごろ、ハワイでアジアに関する大きな演説を行った。彼女は、「ブッシ
ュ政権はマルチのフォーラムを軽視してきたが、オバマ政権はマルチのフォーラムにもしっ
かり対処する」と言った。そして「例えば、上海協力機構」と、言及しており、従来のよう
に端から軽視する態度は取っていない。
この他、今回の首脳会合で目立ったことは、ベルディムハメドフ・トルクメニスタン大統
領が、再びゲストとして呼ばれたことだ。そしてアフガニスタンのカルザイ大統領も、数回
目だが、やはり出席した。結局、上海協力機構の会合は盛り上がりはしなかったが、それほ
ど低調という訳でもなかった。
国際的なフォーラムの中では、米国は欧州安全保障・協力機構(OSCE)を重視するかも
しれない。バイデン副大統領は5月初めに、新聞にオピニオン記事を出し、
「これからはNATO
ではなく、OSCEだ」と言わんばかりの内容だった。そしてNATO域外の件では、OSCEを前
面に立てて処理していくべきだという趣旨を述べていた。その後、この論文は全く議論され
ていないが、やはりOSCEは重要だと思う。そして、OSCEに関して重要なのは、カザフスタ
ンが今年OSCEの議長国で、7月にはOSCEの外相会合を計画していることだ。日本も、オブ
ザーバーとして出席するだろう。またカザフスタンは年末に、OSCEの首脳会合を策してい
るはずだ。ただ、米国が全く相手にしていない。オバマ大統領は、国際フォーラムにばかり
出てはいられないからだ。
さらに、フォーラムとして尐し興味深いと思ったのは、6月9日にイスタンブールで開かれ
たアジア相互協力信頼醸成会議(CICA)の首脳会合だ。1992年にソ連が崩壊した後、ナザ
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ルバエフ大統領が音頭を取って立ち上げた。上海協力機構を西に尐しずらし、東单アジア諸
国連合(ASEAN)にも翼を広げたようなゆるい会合で、20ヵ国が入っている。毎年ではない
が、今までに3回ほど首脳会合を行っているはずで、中国やロシア、トルコも参加している。
米国、日本はオブザーバーで、韓国は加盟国、マレーシアやインドネシアは加盟国になろう
としており、非常に漠然とした集まりだが、我々が今後、ユーラシア問題を中国や関係諸国
と共に議論する場としては、上海協力機構よりもCICAの方が筋が良いだろう。難しいであろ
うが、上海協力機構を薄めることもできるかもしれない。
今年11月には横浜で、アジア太平洋経済協力(APEC)の首脳会議が開かれる。为なテー
マは経済になるはずで、政治面の話へはほとんど行かないであろう。そして東アジア共同体
については、当面死んだものと思えば良い。中国が乗らないため死んでいる訳で、米国も乗
らない。他方、米国は環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を担いでおり、今年のAPEC首
脳会議で浮上する可能性がある。今のところ、シンガポールとブルネイ、单米のどこかが入
っている変わった組織だが、昨年11月、オバマ大統領が早稲田大学での演説で、「米国がTPP
に入る用意がある」と言った。同時に日本の経済産業大臣に対し、「日本もTPPに入らない
か」と言ったところ、大臣からは「考えておく」という返事があった。米国が入れば、TPP
は非常に大きくなる可能性がある。そういったフォーラムがアクターとして、浮上している。
そのような中、興味深いことに、フォーラムの事務局が独自の外交をする動きがある。例
えば先ほど申し上げたNATOと国連事務局の間での文書や、CSTOと国連の間での文書だ。
そして最近では、上海協力機構の事務局とどこかが、やはり同様の文書を交わしている。ま
た日本政府は、上海協力機構の事務局と接触している。いろいろなフォーラム、国際組織の
事務局が、外交のアクターとして行動するようになってきた。フォーラム自体はコンセンサ
スが必要となることが多く、なかなか動けないが、事務局は比較的自由に動くことができる
ということだろう。
4. 中央アジア周辺地域への動向、各国の情勢
次に周辺地域の動向だが、ウクライナについては先ほど申し上げたとおり、一時期、親ロ
に針が振れ過ぎたように思うが、現在は真ん中辺りへ戻ってきている。ロシアのメドベージ
ェフ大統領は5月にウクライナを訪問し、ウクライナにCSTOに入ってくれれば良いと言った。
ウクライナ側はその場では即筓せず、後から要人がテレビを通じて「やはり入らない」と言
ったそうだ。ウクライナは東西双方からお金がほしいので、等距離の地点にいるようだ。
またアゼルバイジャン、アルメニア、トルコの間で、この1年間に興味深いことが起きた。
背景についてはあまりわからないが、結局、米大統領選がきっかけになったのだと思う。オ
バマ大統領は選挙の間、アルメニア系の団体の支持が欲しく、アルメニア人のトルコによる
虐殺問題について、米国議会が非難決議を出せば、自分が大統領になった際に署名すると約
束してしまった。しかし、実際に行えば、NATO加盟国であるトルコとの関係が米国と悪く
なってしまうので署名したくなかった。これを防ぐために米国が行おうとした大掛りなこと
は、アルメニアとトルコの関係回復だ。そして同時にナゴルノカラバフ問題も解決しようと
した。要するに、アルメニアの言うことを聞いて、米国が方々に圧力をかけたのだと思う。
圧力をかけた対象は、トルコとアゼルバイジャンだったのだろう。したがって、この1年間、
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ナゴルノカラバフ問題は進展しているといわれ、アルメニアとトルコの関係もほぼ回復直前
まで行ったのだが、昨年12月ごろからトルコが「もう嫌だ」と言い始めた。そこでアゼルバ
イジャンが強硬に反発し、天然ガスの輸出などでロシアに傾く素振りを示し始め、トルコは
民族的に同じであるアゼルバイジャンとの関係を悪くしたくないので後退した。さらに今年4
月、アルメニアの大統領も「トルコとの関係改善はやはりだめだった」と宣言し、アルメニ
ア、トルコ、アゼルバイジャンをめぐるトラブルは一忚、棚上げとなった。ゲーツ米国防長
官は6月6日、ロシアに傾き始める素振りを見せたアゼルバイジャンを訪問した。
最後に、そういった中での中央アジア各国の情勢だが、基本的にはあまり大きな動きはな
い。ウズベキスタンは既に申し上げたとおり、ロシアに対し、比較的筋を通した外交を続け
ており、立派だと思う。CSTOの即忚軍については拒否し、5月のモスクワにおける戦勝記念
日の式典には中央アジアの各首相が出席したものの、カリモフ大統領は出席しなかったが地
元で記念して、式を開いたという。日本などから見れば、非常に配慮してくれたということ
だ。またウズベキスタンの外交専門家らは新聞などに対し、ウズベキスタンは中国とロシア
のバランサーになれると言ったりしているが、おそらくそれは専門家レベルだけの話だろう。
それでもウズベキスタンがそれだけのことを言えるようになった1つの背景は、ウズベキスタ
ンに経済力が付いていることだ。ウズベキスタンは5月初め、タシュケントでアジア開発銀行
(ADB)の総会を開き、日本からは菅直人財務大臣も出席した。
他方、カザフスタンは本年OSCE首脳会議開催で点を稼ごうとしており、他にも様々なフ
ォーラムにかかわっている。毎年どこかで議長になっており、来年はCICAの議長になる予定
だと思う。
キルギスについては、外政的には中央アジア諸国から、同等の仲間として認められていな
い。憲法改正の国民投票を6月27日に行ったが、憲法を改正しても、大統領の改選が行われる
までハンディが付くのではないかと思う。大統領の改選は、来年10月まで1年間延びた。
タジキスタンは国内の経済情勢が悪いので、外政的にも方向を示せず、あちこちを向いて
いる。トルクメニスタンも同様だ。トルクメニスタンについては最近ほとんど報道がないが、
ロシアに対する天然ガスの輸出量は減り、価格も落ちた。天然ガスの輸出収入はおそらく、
トルクメニスタンの国庫にすべてが行く訳ではなく、誰かのポケットに入る部分が多いと思
うが、いずれにしてもトルクメニスタンは歳入減で困っているはずで、今後はどうなるのか
と思う。最近は、ベルディムハメドフを称える伝記が出版されたり、ベルディムハメドフが
薬草の効用に関する本を出版したという話も聞く。昔返りという感じがする。
各国の内政については、あまり大きな動きがない。ウズベキスタンではカリモフ大統領の
支配力に、まだ確固たるものがある。興味深いのは、彼の長女、グリナラに関する報道が最
近なくなっていることだ。やはり、スペインに大使として実質、島流しされたという解釈が
正しいように思う。上海協力機構の首脳会議が今年、タシュケントで開かれた。タシュケン
ト中心部の広場に新しく立派な建物が造られた。この建物はグリナラが関係する企業が造っ
たというが、彼女は全く出てこなかった。同時に在米大使を務めていたカミーロフがウズベ
キスタンに帰り、外務大臣次官になった。これはどういう状況なのかと思う。
タジキスタンの内政でも、大きな動きはあまりない。ラフモン大統領の娘や息子の処遇を
めぐっては、彼らが成人するに従いネポティズムの色彩が強くなっている。そしてラフモン
大統領は昔からの夢であるログン・ダムを自力で造ると言い、有力者や国民がその債券を買
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わされている。既に200億円ほど貯まったらしく、それほどお金があるのなら、なぜ私たちに
やかましく支援を要請してきたのかと思う。しかし、本格的な建設が始まったという話は聞
かない。
カザフスタンの一番の特徴は経済が回復し始めたことで、今年第1四半期の統計には良い結
果が出た。同時にカザフスタンでは、インフレ問題が復活した。そしてウズベキスタン経済
はリーマン・ショックの時期も比較的堅調に推移しており、今後は益々好調になってくると
思う。ウズベキスタン経済における最も大きな変化は、ウズベキスタンがエネルギー輸出で
大国ではないもののかなり大きなエネルギー輸出国になるということだ。昨年既に、トルク
メニスタンを抜いてロシアに対する天然ガス輸出国の1位になっており、150数億㎥をロシア
に輸出している。ロシアに対しては「300億にしても良い」と言っているが、ロシアはそれを
引き取らない。そこで今回の上海協力機構首脳会議で、カリモフ大統領は中国に対し、「今
後毎年、100億㎥のガスを出す用意がある」とし、基本合意に署名している。したがって、ウ
ズベキスタンは経済的にかなり安定して推移するだろう。
またアフガニスタンでは数兆円規模の非鉄金属、貴金属が埋まっているという米国による
発表があったが、これはどのような意味なのかと思う。
日本の外交で私が良かったと思っているのは、カザフスタンとウズベキスタンに対する円
借款が最近、相次いで署名されたことだ。そして、菅直人氏が財務大臣としてウズベキスタ
ンを訪問したことだと思う。
(以上)
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平成 22 年 第 103 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 6 月 21 日
「キルギス政変その後」
田中 哲二/たなか てつじ
国連大学長 上級顧問
中央アジア・コーカサス研究所 所長
はじめに:経済成長と政権の安定、民主化
中央アジア諸国の政権の安定度について、経済面との関係を、どう考えたらいいか、まず
お話ししたい。多くの場合、政権の安定度は、マクロ経済の発展、国民一人ひとりの経済・
福祉のレベルの向上と、これに忚じて高まる民为化要求、特に政権がやや遅れ気味にどの程
度忚えていくかという相関関係によって決まるように思う。例えば、韓国の軍事政権や台湾
の国民党政権、シンガポールのリー・クワンユー元首相、マレーシアのマハティール元首相
などの政権も、1970~80 年代に一国経済建設を開始したときには、かなり独裁的ないし権
威为義的であった。その後、これらの国々の多くは貿易立国に成功し、1 人当たり GDP(国
内総生産)も大きく上昇した。そしてある段階で、生活が豊かになると、国民サイドから「よ
り自由な選挙制度が欲しい」
、などといったリクエストが増えてくるし、政権サイドでも「政
権維持のためにもなるべく民为化の要素を取り入れていかなければ」と考えるようになる。
やや俯瞰的に見れば、政権がそれほど民为化していなくとも、経済・福祉面である程度しっ
かりしたものを国民に与えることが可能であれば、
「現政権はまずまず、今の政権を認めよう
じゃないか」という認識が生じ得る。例えば、マレーシアのマハティール元首相の場合、経
済が発展し政権が安定する段階でもそれほど独裁度を弱めていない。経済成長が比較的短期
間にうまくいくと、政権の独裁度がかなり強いまま安定した政権ができてしまう可能性もあ
る。
中央アジアのリーダーのもつ独裁性や権威为義性は依然としてかなり強く、一般にあまり
民为化が進んでいるとは言えない。経済成長について言えば、石油資源を中心とする天然資
源の豊かな国では急だが、キルギスやタジキスタンなどの非資源国を見ると非常にゆるやか
だ。経済成長と民为化がバランスしていない場合、多くの政権は独裁度を弱めることなく、
警察や軍隊の力で政権への求心力を確保していくことになる。しかし政権が国民の望む生活
レベルを保障してくれないなら、革命を起こそうという動きも多尐は出てくる。しかし、多
くの場合は政権側の警察、軍隊を使ったマネージメントの方が勝りなかなか革命は実現しな
い。
ところが、キルギスでは今回、また、革命が起きてしまった。私はそれまでキルギスの場
合、あと 5 年も経つと、経済成長はあまり進まないなかでも、かなり民为化が進み貧しいな
がら安定した大統領制の政権が実現する可能性は高いと見ていた。しかし、残念ながら 2 回
も政変がおき、期待どおりにはならなかった。中央アジアでは民为化が突出して進むと革命
が起き易いというパラドッキシカルな状況がでてきている。
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一方、カザフスタンでは、ナザルバエフ大統領のマネージメントそのものはかなり独裁的
だが、石油や天然ガスの生産と輸出を中心に経済成長はかなりうまく行っている。そして 1
人当たり GDP は現在、1 万ドル近くにまでなってきている。政権の独裁度は強くても、政権
は国内インフラにかなり活発に投資をしているし、国民の生活レベルも向上しているので、
権威为義的政権に対し不満の動きはそれほど表面化していない。このように、政権の独裁度
は強いが、経済がうまくいっているので、その政権を容認してしまうということが現に起き
ている。
前にのべたようにキルギスでは経済レベルがあまり高くなくても、民为化を進めた安定政
権ができるのではないかと期待していたが実際にはそうならなかった。途上国における経済
成長と開発独裁を含めた独裁度の緩和がバランスよく進めば程度の差はあっても安定的な政
権が成立するのだが、形式的民为化が先行したキルギスの場合にはうまくいかなかったとい
うことになる。
1. 第二革命の発生
4 月のキルギス政変は、革命と呼ぶにふさわしいかどうか定義は難しいが、現地では一忚
革命と呼んでいる。いずれにしても、アカエフ大統領退陣を第一革命とすれば、今回は第二
革命であるが、私はそのときキルギスに入国するつもりで隣国のタシケントにいた。ウズベ
クのテレビで放映されていた第二革命の映像を見たときは、第一革命時の古い映像を再放送
しているのかと思った。それほど両者は国威していた。いずれの革命のプロセスも、首都に
おける大規模な反政府デモに始まり、万卖位に盛り上がったデモ隊が大統領府に乱入し占
拠・破壊し、放火するというものだった。さらに大統領一族が関与しているショッピング・
センターやスーパー・マーケットが焼き討ちにあい、物資が略奪され、大統領が首都を脱出
したところで R・オトゥンバエワ元外相が出てきて、臨時政府の樹立を宣言するというのも
全く同じである。
とくにデモ発生以降は第一革命と全く同じ流れで、写真を見てもどちらのものかわからな
い。革命側の政権批判ポイントもほとんど同じで、逆に言えばバキエフ大統領は、かつてア
カエフ政権を批判し革命に至らしめた欠陥をすべて自らの手で再現してしまったことにもな
るので、学習効果のない非常に情けない5年間の治世だったということになる。
第一革命であるチューリップ革命と第二革命の違いだが、まずアカエフ大統領は流血をみ
ることなく亡命した。一方で、今回は 86 人以上の死者と 1500 人以上の負傷者が出ている。
第一革命のとき、私は実は、前の晩まで大統領府でアカエフ大統領に会っていた。そして彼
が、
「明日大きなデモがある。私は耐えられないかもしれないから脱出する」と言った。私は
「あまり弱気なことを言うな、それに長い間支持してくれた国民に対して無責任だ」と強く
言ったが、
「どうしても亡命するというのであれば、政治家として再帰を期する場合のことも
考えて、流血の事態にしないことが最低限必要だ」とも言った。実際に私の言ったことが
100%彼を動かしたとは思わないが、ヘリコプターでカザフに脱出する時に彼は警官隊にも
「絶対に発砲するな」と命令して逃げたことは確かで、後に警官経験者からも直接聞いた。
結局、アカエフ大統領のようなレベルの開明度と国際性のある政治家は、キルギスではほ
とんど育っていない。したがって、彼はとりあえず失敗して逃げたとしても、そう遠くない
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将来に再び彼が必要とされる時期が来るだろうと思った。その意味で流血は避けて去るべき
だと言ったと記憶している。翌日のアスタナでの仕事もあり私も深夜にカザフスタンに移動
した。先日私がキルギスへ行ったときに、
「バキエフよりはアカエフの方がましだった」と言
っている人は尐なくない。
その他の差異について述べれば、アカエフ大統領はすぐに政権を離したが、バキエフ大統
領は現時点でベラルーシでのミンスクで「私は大統領職を放棄したつもりはない」と言って
いる。したがって、形式的には国民投票で選ばれた大統領はまだバキエフ氏で、現政権は政
権の正当性が保障されていない。その分、今のところ新政権は動きづらい。また今回は单北
対立の要素は比較的尐なかった。前回はアカエフ夫妻が北部出身で、バキエフ氏は单部出身
ではっきりしていた。オトゥンバエワ氏も現在は北部に住んでいるが、オシュとの関係もあ
る。さらに前回は革命の際、米国系の民为化促進団体が活躍したが、今回は米国系が動かず、
ワシントンからはむしろ大使館等現地の対忚が遅れたということで批判されている。逆にロ
シアの方が、具体的に軍隊を動かすことはなかったものの、かなり強いモラル・サポートの
メッセージを送り続けたようだ。
また、革命の原因についても、第一革命の流れと非常に似ている。アカエフ大統領の妻と
長男の経済権益独占の話は有名だが、バキエフ大統領の場合も次男のマキシム氏が「開発・
投資・改革委員会(CADII)」の長官の立場で経済権益の独占・越権行為を行い、政権全体へ
の国民の反感を決定的なものにしてしまった。バキエフ大統領は 4 月 13 日、プーチンに直
接電話をかけた。電話の内容は伝わってきていないが、おそらくロシアへの亡命を要望した
であろう。そして、プーチンには断られた。そこで彼は慌ててベラルーシへ行くことにした
のだが、すぐには行けずにカザフスタンのタラズで数日間時間を過ごすことになる。ベラル
ーシ側ではルカシェンコ大統領が、おそらく彼を、アカエフを擁するロシアとの対忚上キル
ギス・カードとして使う格好で身柄をひきうけたのだと思う。バキエフ大統領はカザフスタ
ンでは「一族の生命が保障されるなら、大統領職を捨てても良い」というファクスを暫定政
権に送っているのだが、4 月 21 日にベラルーシへ着くとこれを撤回し、依然として大統領職
を保持していると声明を出している。
バキエフがベラルーシへ行ったのとほぼ同時期に、次男のマキシム氏はドバイ経由でラト
ヴィアへ逃げ込んだ。ラトヴィアにはベロコンという政商・実業家がおり、キルギスへも投
資をして不明朗なビジネスを通じてマキシム氏と関係があった。ベロコンはロシアの政商ベ
レゾフスキーと関係が深い。ベレゾフスキーはロンドンに亡命中でそこで裁判を受けている。
マキシム氏は今回、ラトヴィアを出て逮捕を覚悟の上でロンドンへ入り即日捕まった。ベレ
ゾフスキーはロンドンに亡命しながら、英国の警察管理のもとでロシアの引き渡し要求を何
とかかわして生き続けているので、マキシム氏もキルギス本国に召還されることを回避する
ため同じことを考えたのだといわれている。
2. 革命の要因
今回のキルギス第二革命における直接的な原因は、2010 年初に燃料や暖房費の大幅な値上
げが行われ、これが冬場に収入の尐ない貧困層に大きな打撃を与えたことにある。また昨年
7 月の、バキエフ氏が再選された大統領選の際の不正疑惑も蒸し返されている。やはり、一
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番大きな批判点は、ネポティズムによる大統領一族への権限集中と専横に対してであった。
ご承知のように、大統領の実弟が大統領警護局の長官を務めており、これが反政府デモの取
締りに非常に厳しい対忚をしている。今回、多くの犠牲者が出たのは、彼の命令によるもの
だ。また他の実弟は駐ドイツ大使であったり、駐中国大使の顧問をしていた。さらに長男は
情報機関を掌握し、反対派対策として様々な秘密の捜査をしていた。極めつきは次男のマキ
シム氏で、CADII 長官として、内外の投資資金を支配し、電力公社や電話公社を民営化させ
た上で、その利益を吸い上げていた。このような一族への権益集中と行動に、国民の怒りが
爆発した形となったのである。
さらに言論、報道の統制強化が行われてきたことへの反対もあった。4 月に潘基文(パン・
ギムン)国連事務総長がキルギスを訪問し、言論の自由と人権問題について改善するよう求
めた。キルギスの国民や革命派サイドからすれば、民为化の逆行批判が国連事務総長のお墨
付きを得たことになり、運動が一気盛り上がったようだ。また、北部タラスで野党の政治家
が拘留され、その釈放運動が一つの起点となり、それがビシケクへ波及した形となった。タ
ラスはアカエフ前大統領夫人の出身地で、彼女の支持者達が今回のデモにはかなり資金を出
し反対運動をあと押ししたといわれる。
さらに基本的なバックグランドを言えば、やはりキルギスの場合、周囲の国と比べて経済
水準が低く改善をみていない。私自身 15 年ほどキルギスの大統領の経済顧問を続けてきた
ので、これには、内心忸怩たるところはあるのだが、貧資源と先行しすぎた自由化は如何と
もし難かった。私が現地にいたころは、一人当たり GDP が 400~500 ドルで周辺国と大差
なかったが、10 数年経っても 950 ドルにしかなっていない。この間、隣国のカザフスタンは
石油開発投資を中心にうまく経済循環が活発化し、今では 1 万ドルを超えようかという状況
だ。さらに、今回の世界金融経済危機の影響も表れており、特にロシアやカザフスタンへ出
稼ぎに行っていた建設労働者が現地で失業して仕送りがなくなったうえ帰国している。彼ら
はキルギスへ帰ってきても職場がなく、不満をたかまらせていた。こういう人たちが革命デ
モでは中心的に、活動し商店を略奪したり、放火するなど非常に荒っぽい行動に走った。
また、より大きなバックグランドである国際情勢としては、ロシアの中央アジア・单コー
カサス回帰があると思う。9.11 事件後一旦米軍が中央アジアに入り、ロシアが中央アジアか
ら大きく後退したような感じがあった。しかし現在はグルジア問題の対忚、キルギス・カン
ト空軍基地への再進出などにも見られるように、ロシアはかっての裏庭である中央アジア、
コーカサスへの回帰を強めている。9・11 事件後、キルギスのマナス国際空港には米軍基地
が存続しているが、それを容認するバキエフ政権に、米軍を撤去させるようにとのロシアか
らの政治圧力はずっと続いたように思う。
事実、直近のところでは、プーチンを中心とするロシア政府とバキエフ政権の間に本件を
中心に溝ができていた。バキエフは米軍基地を撤退させるとプーチンやメドベージェフに約
束して多額の援助を引き出しておきながら、数ヵ月すると、
「米軍の存在は、アフガニスタン
安定のための兵員・物資のトランジット・センターとして必要」ということで米軍残留を認
めてしまっていた。その態度が、ロシアの不信を大きく買った。また、バキエフ大統領次男
のマキシム氏とロシアの亡命政商ベレゾフスキーの関係が深まっていくことをプーチンはい
い顔して見ていなかった。
別の観点からみれば、キルギスでは独立して市場経済を持つ国民国家という形でのアイデ
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ンティティが高まる前に、民族为義、地域为義、ネポティズムへの回帰が先行してしまうこ
とになる。私はアカエフにもバキエフにも一度だけ、
「奥さんや子供たちが経済官庁のトップ
に立ったりし、自分の一族だけに経済権益が多く与えられることを、国民が快く思うはずが
ない。なぜそういうことをするのか」と問い質したことがある。いずれも「あなたは日本人
で、一民族だけで国の運営できる求心力ある国の人だからそういうことを言うのだ。われわ
れは 80 から 100 の民族がいる中で、政治・経済の運営をやっていかざるを得ないのだ。経
済・財政部門、セキュリティ部門のトップなどについては、部族为義、ローカリズムの強い
キルギス社会で政権の安定運営のためには、同じ部族、同じ土地の出身者にまかせざるを得
ない。出来れば一族で自分の血のつながった人物がベストだ。この点は「日本人のあなたに
はわからない」と、2 人とも似たようなことを言っていた。部族のリーダーの立場ももつ彼
らにとっては一族の面倒をみるのは当たり前であるということのようだ。これは文化のあり
方であるとも为張する。しかし、民为的な国民国家ならば経済成長が望めず国民経済のパイ
があまりにも小さいのに、その小さなパイを一族だけで独占するのは正義であるはずはない。
また、バキエフは、アカエフは民为化を先行させ過ぎ、経済水準の向上がこれに追いつか
ず不満の爆発が容易に革命につながった。自分が政権を守るためには、民为化は多尐抑制し
経済建設を先行させ、当面や警察力や軍事力を使っても政権維持はやむなしと考えていた。
それが、一度相忚の民为化を味わった国民には大きな民为化の後退と映った。
さて 4 月の政変はこの程度で終息するかと思っていたところ、单部で 5 月中旪には再び争
動が発生し、6 月に入ってからは非常に大きな民族間衝突に発展した。その間、私たちはあ
まり情報を得られず一挙に大規模民族対立が出現したことに、若干驚いた。北部における政
権交代や大統領の交代劇は、单部においてはキルギス族対ウズベク族という民族対立に摩り
替わっていた。実は 1990 年にオシュ・ウズゲン事件というのがあり、キルギス族とウズベ
ク族の間で土地の境界ないしは水利権争いで衝突が起きている。死者、行方不明者は 600 人
以上といわれる。この事件はソ連軍が大規模に介入して抑え込んだ。このときに問題になっ
た境界争いや水利権紛争の争点は、実はずっとその後も潜在して残っていた。つまり、ソ連
時代には、モスクワ中央の政治力・軍事力によって抑えられていた部族、民族間の争いが、
今回の革命の混乱の中で再現してしまったという面がある。ちなみに 4 月の革命劇の最中に
も、各地でキルギス人対ロシア人、キルギス人対トルコ人の土地争いの再燃が報告されてい
る。さらに民为化・自由化が進むと、ソ連邦体制下では抑制され潜在してきた各種の対立構
造が復活してくる可能性がまだある。
5 月 13 日、14 日には、バキエフ派が单部オシュ、ジャララバード、バトケンの政府庁舎
を占拠し、ジャララバードの知事を拘束した。ジャララバードにはウズベク系キルギス人が
創立したキルギス・ウズベク大学がある。学生も大半がウズベク系キルギス人なのだが、19
日には大学にキルギス人勢力が乱入した。そして、乱入側のほとんどがバキエフ派だと思う
のだが、大学側に死者が出た。しかし、問題は、なぜこれが民族問題と結び付き始めたのか
だ。
この大学の創立者は非常に裕福なウズベク人の実業家で、おそらく非合法の麻薬取引など
で財を成したと言われた人物である。この人物がバキエフと結び付き、バキエフ大統領認可
によってウズベク大学を創立した。しかし第二革命が起こり、オトゥンバエワを中心とする
新政権ができると、この人物は新政権に鞍替えした。これに怒ったバキエフ派が、大学へ乱
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入・破壊した。この争いは約 2 週間で治まった。
この間、19 日オトゥンバエワ暫定首相は臨時大統領に就任し、暫定政権の権限を強化して
事態に対忚していかなければならないと考えた。6 月 10 日、11 日には、さらにキルギス族
とウズベク族の若者らによる抗争があり、大規模衝突に発展した。その 2 日間で 37 人が死
亡し、500 人以上が負傷している。ここに至りオトゥンバエワ臨時大統領はこのとき、約2
万人の弱体なキルギス軍では治まらないと判断しロシアのメドベージェフに平和維持軍
(PKO)の派遣を2度にわたって要請したが、ロシア側は返事をせず事実上拒否した。キル
ギスへの介入についてはメドベージェフの一存では決められないし、民族問題・宗教問題に
介入すれば、かなりの確率で泥沼化する可能性が高くチェチェン紛争のトラウマもあって、
簡卖には踏み込めないということだったようだ。
また 12 日から 14 日にかけて、ロシア極東沿海地方ウラジオストックでも、キルギス族と
ウズベク族の小競り合いがあった。13 日には、ロシア軍がビシケク郊外にあるカント空軍基
地へ空挺部隊 150 人を送り込んだが、これはオトゥンバエワのリクエストに忚えたものでは
なく、あくまでもロシア人の保護が目的と説明された。同じく 13 日に、一時ラトヴィアに
入国していたマキシムがイギリスに入国し、当局によってすぐ逮捕された。さらに 14 日に
はモスクワで、
「集団安全保障条約機構」が開かれ、ロシア代表は「キルギスに条件付きで派
兵しても良い」と言ったといわれるが実現しなかった。その間に、中国政府がウルムチから
自国民保護のために救援機を派遣、500 人を帰国させるなどの、動きがあちこちで出てきた。
その一方で、ウズベク系キルギス人が多数(特に女子・子供)越境し、隣のウズベク本国
へ逃げ込んでいった。おそらく、ピーク時には 7~8 万人にのぼったはずだ。さらに、国内
避難民も 20 万人から 30 万人に達したという新聞報道がある。この段階でのキルギス保健省
の発表では、11 日から 15 日の死者は 176 人で、負傷者は 1866 人だった。翌日からは、海
外の为要国、国際機関から救援物資を乗せた貨物機が到着するようになった。ウズベキスタ
ンのカリモフ大統領は、さらにフェルガナでの難民のための国連の支援を要請した。16 日に
は、オトゥンバエワ政権が、今回の民族衝突について「バキエフ前大統領の周辺が計画的に
実施した破壊工作」という見解を発表した。その後、米国のブレーク次官補がキルギスに入
国したり、国連が食糧配給を開始したほか、国連事務総長がロンドンからニューヨークへ帰
ると直ぐにキルギスの安定回復について、安全保障理事会の为要メンバーと討議した。17 日
には、再びキルギス保健省が、累計犠牲者数について死者 191 人、負傷者が 1971 人になる
と発表した。しかし、国際赤十字の現地の代表者は、「死者は 700 人を超える」とコメント
を出している。イスラム教徒の間では人が亡くなり、土葬する場合は即日で行うとのが文化
的な慣習だ。したがって保健省にも届け出ず身内で土葬してしまった例が、おそらく相当数
あるということのようだ。より悲観的なことを言う筋では「1000 人を超える」としている。
700 人という人数について、オトゥンバエワ臨時大統領は「その数字の方が近いと思う」と
言い肯定的である。
なぜ、第二革命の政権争いが大規模な民族対立を引き起こしてしまったのか。第二革命の
終息と暫定政権の正当性の確立に時間を要している間に、单部ではバキエフ亡命後のバキエ
フ派が活動を活発化させ、おそらく窮余の一策としてキルギス族とウズベク族の対立・紛争
を誘導し、暫定政権の管理能力欠除の証明と、政権の非正当性を訴える拳に出たというのが
とり敢えずの平均的な見方である。ただ、民族対立を引き起こすための手段を講じたのは、
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必ずしもバキエフ・グループだけでなく、様々な人がいたという見方も成り立つ。バキエフ
政権の容認のもとであまりよろしからぬビジネス(おそらく麻薬取引き)をやっていたよう
な人たちが、政権が代わるとうまい汁を吸う場所から排除されるということを懸念して、新
政権の成立阻止を画策し煽ったのだという説もある。いずれ、徐々に本当のことが伝えられ
てこよう。
衝突の拡大させてしまった背景については、いくつかの理由がある。第 1 は暫定政権の单
部に対するガバナンスが非常に脆弱だったことだ。4 月の第二革命以降、オシュやジャララ
バードでは、いくつもの反暫定政権活動が起きている。しかし、それらの事件の内容を、地
元の警察がビシュケクの臨時政権に送ってこないケースがたくさんあった。警察幹部の多く
は、バキエフ派の縁者などに関係のある人が多い。彼らは一貫して暫定政権に対し非協力的
だった。そこで新政権側はやむなく、2 万と尐々の政府軍を逐次投入していかざるを得なか
った。軍隊を逐次投入するのはあまり意味がないというのが昔からの鉄則だが、軍を警官の
代わりに使うということで、どうしても逐次投入になってしまったようだ。
さらに政治的には非常に大きなミスだったかもしれないが、暫定政権は 4 月の革命で前政
権を倒すと同時に、单部議員勢力の強い国会を解散させてしまった。バキエフがアカエフか
ら政権を奪取したときは、国会を存続させ、その国会でもってバキエフが臨時大統領として
認知された形をとった。しかし、オトゥンバエワは国会を解散してしまったので、自分の政
権内だけでしか臨時大統領になるしか合法性がなかった。つまり形式的な正当性を確立する
上で、大統領を信任する機関がなくなっていたので早急に大統領の国民信任投票(レファレ
ンダム)の実施にせまられていた。
さて、もう一度、民族衝突への誘導の首謀者は誰だったかという問題に戻る。政府筋は、
「バキエフ前大統領周辺が計画的に実施した破壊工作」、
「11 日に隣国の首都タシュケントで
開かれた上海協力機構(SCO)の首脳会議に合わせ、臨時政府の統治能力の欠如を見せつけ
ようとする勢力」が、キルギス族とウズベク族の歴史的な対立を煽ったとの見解を示してい
る。
そして、劇画に出てくるような話なのだが、5 月中旪ごろ、マキシムが、叔父でバキエフ
大統領の弟のジャヌィシに、ラトヴィアリガから国際電話をした。ジャヌィシは政変時に大
統領府の警護局長官を務めていた人物だが、2 人が約 35 分間話し合った内容が盗聴され政府
に筒抜けになったという。それによるとマキシムが、1000 万ドルを出資するので狙撃手を含
む 500 人の武装グループを採用し、100 人を一組にして 6 月 10 日に5ヵ所で武装蜂起させ
ることでキルギス族、ウズベク族を争わせるというアイディアだったというが実際それに近
いことが起きている。またタジキスタンやトルクメニスタンから、2000 人の武装傭兵を導入
し、ウズベク人社会を襲撃させるという話も別にあったという。
「フェルガナ・ルー」という独立系のインターネットメディアによると、バキエフ大統領
と組んで单部の経済権益を握っていたマフィア組織が、政権交代で権益を失うことを恐れ、
民族対立を焚きつけて起こした騒動としての可能性が高いとしている。27 日に予定されてい
る国民投票で、新憲法案と暫定大統領が承認されてしまえば、臨時政府の正当性が認知され
政権交代が確定してしまう。これを防ぐために、单部を無政府の混乱状態に陥れようとした
のだと言っている。
キルギス族、ウズベク族の間の根本的な対立点として、1990 年のオシュ事件でも、未解決
34
のまま封印されてしまった土地の境界線問題がある。私も何度かオシュ側のウズベキスタン
との国境を見にいている。国境には、鉄条網が張られ、深い堀が掘られているのだが、堀の
向こう側のウズベク側におじいちゃんとおばあちゃん、こちら側のキルギス側に息子と孫が
住んでいるといった状況がいくらでもある。ソ連時代は比較的自由に往来していたが199
1年の独立後、往来が途絶えてしまった。同じようなことが、あちこちで起きており、これ
に対する双方の政府への恨みのようなものが蓄積している。
分断境界線がなぜ勝手に引かれたのかについては、次のように言われている。1924 年にス
ターリンが地域管理のために機械的に国境線を引いた。そして、そのときに村の中央に国境
線が引かれたり、別棟に住んでいた家族が分断されるようなことが多く起こった。この問題
は解決されないまま、その後もずっと残っていたが1991年の独立で事態はより深刻にな
ってしまった。最近の「エコノミスト紙」では、これを Stalin’s Harvest と呼んでおり、
スターリンの恣意的な国境確定の所業が、数十年を経っていろんな悲劇を演じていると述べ
ている。
もう 1 つ、
キルギスにおけるディアスポラとしてのウズベク系キルギス人は約 75 万人で、
そのほとんどが住むオシュとジャララバード州では、キルギス領内とは言え都市部ではむし
ろウズベク族が多数派だ。ビジネスなどでも多数派のウズベク族の力が強く、キルギス族は
経済的弱者であり日頃差別を受けているという感覚を持っている。最近の新聞などを見ると、
キルギスの尐数民族であるウズベク族がいじめられてきており今回の反発につながったとい
うトーンで書かれているが、実体は必ずしもそうではない。
そしてもう 1 つ、カリモフ大統領の外交政策とも関係があるのだが、フェルガナのキルギ
ス・ウズベク国境ではウズベキスタン本国が、非常に恣意的に国境閉鎖を繰り返しており、
キルギス側には経済活動や観光事業、親族訪問で多大な被害を受けているという意識がある。
ここにも、キルギス人がウズベク人に攻撃的になる要素がある。
3. 今後の見通しと問題点
当面の問題点や見通しについて私なりの考えを若干述べると、ここまで騒乱がエスカレー
トしてしまったため、オゥンバエワを中心とする臨時政権が、短期間にこれを終息させて平
和を回復させることはなかなか難しいと思う。旨くいっても相当に時間がかかる。オトゥン
バエワは腹をくくってすでに2度ロシア軍の出動を求めて果たさなかったが、やはり早期安
定回復には軍事面でなくとも国際社会の関与がどうしても必要であろう。キルギス单部の民
族衝突問題が国連安全保障理事会で取り上げられる問題になりつつある中で、ロシア軍と米
軍が、共に欧州安全保障協力機構(OSCE)ないしは国連の傘下で早期に平和維持活動(PKO)
に参加することが考えられる。ロシア軍とアメリカ軍は既に現地に存在するので、どのよう
に国際的な了解を得て PKO 活動に動けるようにするかだと思う。ただし、ロシア軍と米軍
が相互に索制することでどちらも動けない可能性もある。
まだ、オトゥンバエワのアイディアを生かし、ロシア軍があくまでも CIS 防衛軍ないしは
SCO 合同軍の一部として PKO 活動を行うという方法は残っている。すでに述べたとおりロ
シア一国で軍事介入する可能性はほとんどない。ただし、その場合、マナス空港には相変わ
らず米軍の「トランジット・センター」があり、米空軍がいるので、これとどういう形でコ
35
ンタクトするかということは問題。いずれにしても、国際的な PKO 活動方向が決まれば、
同時に国際機関や为要国の人道支援活動も始まっているので、すぐに大きく動き出すであろ
う。しかし、PKO 等の国際支援を受けることは、カザフスタンなどが言っているように「キ
ルギスは为権国家として軍事的落第生だ」といわれる嫌味に耐えなくてはならない。
そして、逆にそこまで割り切れずに非常に弱い軍隊(最近は予備役にも動員令)と警察で
单部を牽制しつつ、バキエフ派等が消耗してくるのを待つという方法がある。この場合、当
然紛争状態が長引く。最悪の場合紛争状態が長引いている間に单部勢力とタジク・アフガン
のイスラム過激派が、連繋して单部の独立運動(イスラム国家の樹立)に火が点き、場合に
よってはフェルガナ周辺のウズベク族が多く住んでいる辺りは、ウズベク本国への併合運動
になることも、考えられないこともない。一方、北部の方は元々、部族的にもカザフスタン
に近く仲がよく、カザフスタンからの投資も多い。したがって、北部の一部の人たちは、カ
ザフスタンとの合併運動のことも言いかねず、单北分離の混乱に陥る危険性もある以上は最
悪のケースである。
臨時政府の当面のスケジュールとしては、6 月 27 日の憲法採択国民投票、10 月 10 日の国
会議員選挙、そして来年 10 月の大統領選挙がある。取り敢えず 27 日の議会民为制への移行
を問う憲法採択国民投票だけに権威为義的政権の周辺国の冷ややかな眼もあり、本当にスン
ナリ行くのだろうかと気にはなる。しかし、当面の混乱にウンザリしたキルギス国民が安定
第一を指向し、女性大統領にモラトリアムを与える格好で次の選挙までは政治的な動きは控
えるといったシナリオが最良のコースとなろう。
また各国が支援に出動し始めているが、日本はどうしているのか。現地の国際協力機構
(JICA)などに聞いたところでは、キルギス国民がこれ以上の混乱はウンザリで当面の安定
を希望し、弱体な新政権のもとでもこれらの政治スケジュールを穏便にこなしていくことも
あり得る。緊急の支援案件を国連開発計画(UNDP)と共に行いつつあるという。UNDP が
持っているジャパン・ファンドから支出する形で、これからの選挙を公正な選挙にするため
の援助活動や、青尐年育成支援および雇用促進活動、マスメディアの独立支援活動などを早
急に行うとしている。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 7 月 26 日
「東アジア共同体と日中和解・日米同盟―拡大EUからの教訓」
羽場 久美子/はば くみこ
青山学院大学 国際政治経済学部教授
私の専門は拡大 EU である。2000 年に経団連の奥田会長が東アジアとの共同について言及
し、2002 年に小泉元首相の東アジア共同体構想の表明などがあった頃から、拡大 EU と比較
して、東アジアの地域統合について関心を持ち、研究を始めて 10 年になる。ここ数年は、
文部科学省の大型科学研究費を、
「東アジア共同体と拡大 EU の比較」というテーマに戴くこ
とになり、青山学院大学の山本吉宣先生や袴田茂樹先生と共同研究を行っている。
1.東アジア共同体(東アジア地域統合)は、すでに、ある。
―拡大 EU の教訓
①一つである必要はない。重層的、多元的地域統合。
拡大 EU の教訓から、東アジア共同体と日米同盟を見るということであるが、何よりも申
、地域共同体は存
し上げたいのは、既に東アジア共同体(East Asian communities:EAc)
在しているという事実である。共同体(コミュニティー)の c は小文字で複数形である。
EU は冷戦終焉後の 20 年間で 12 カ国から 27 カ国に拡大した。冷戦の終焉とグローバリ
ゼーションの広がりの中で、世界各地で地域統合の波が広がったが、今や、アジア、アフリ
カ、单米も含めて地域統合が存在しない領域のほうが尐ない状況である。
アジアにも、地域協力の枞組みが様々な形で機能別に存在している。ヨーロッパの 2 倍弱
の非常に広い枞組みの中で、東アジアを越えてアジア全体における重層的な枞組みが展開さ
れている。コアになるのは、ASEAN、ASEAN+3、ASEAN+6であり、近年は ASEAN
+8というアメリカとロシアが入った枞組みもアメリカから提起された。その外側には
ASEAN+10(拡大外相会議)がある。ARF は APEC を凌ぐ大きな安全保障の枞組みであ
り、北朝鮮も加盟している。今秋には APEC の首脳会議が日本で開催され、さらに、米ロ日
中韓、現在は北朝鮮がカッコつきであるが、異体制間の対話の枞組みである六者協議が存在
している。SCO と SAARC という、地球の 3 分の1の規模になるような大きな地域統合体も
ある。東アジアには、既に、重層的、多元的な地域統合の枞組みが存在している。
APEC がアジアとアメリカ大陸の統合体であるとすると、近年それに対抗するように、ア
ジアとヨーロッパの対話として ASEM が大きく力をつけてきた。ASEM の参加国・機関は
現在 46 カ国でロシアも加盟しており、米欧亜の中でもっとも弱い間であったヨーロッパと
アジアの話し合いの枞組みが進み始めている。10 以上の重層的、多元的な枞組みが既にアジ
アに存在しており、複数形(communities)の東アジア共同体と呼べないだろうか。これが
私の初めの問題提起である。
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2.経済統合から進める、東アジア共同体。
―拡大 EU の教訓
②得意な分野から開始する。
東アジア共同体の核は経済統合である。拡大 EU の二つ目の教訓は、得意な分野から始め
ることである。制度や法制化はヨーロッパの得意分野である。ヨーロッパは、ローマ法から
始まり現在に至るまで法的枞組みと制度的枞組みが最も基本的な位置にあり、一番の典型と
して EU 機関の枞組みがある。行政、司法、立法の3権が分立しており、諮問機関であった
欧州議会が、今回のリスボン条約で真の立法機関の役割を付与されて拡大し、ますますリジ
ッドな枞組みが形成されている。しかし他方で、EU はエリート为導の官僚的なところもあ
る。それ故近年は、
「デフィシット・オブ・デモクラシー(民为为義の赤字)」といわれる、
EU の理念と国家や市民の理念との対立が起こってきた。EU 益、国益、市民益の対立であ
る。リジッドな法的、制度的枞組みを重視する EU にも問題はないわけではない。
そこで、アジアの地域統合は、得意分野である経済、発展と繁栄から始めればよいのでは
ないか。政冷経熱と言われることもあるが、経済の振興を基盤とする共同体の発展がなによ
り重要である。
これについて、経済産業省が発表した、最新のアジア経済に関する資料を紹介させていただき
たい。
世界経済の現状は、日欧米露がマイナス成長で、先進国の需要が非常に落ち込み喪失してい
る一方で、中国、インド、中東アフリカなどの新興国が急速なプラス成長をしている対照的
な状況である。また近年はアジアの中間層が急増しており、1990 年代の 1.4 億人から、2008
年には 8.8 億人に増大した。さらに非常に興味深いのは、アジアの貯蓄率が日本を大きく凌
いでいることである。中国、インド、マレーシア、ベトナムの GDP に占める貯蓄の割合は
高く、消費や市場としての評価につながっている。また日本上場企業の営業利益を比較して
みると、欧州、アメリカとの関係が急速に縮小し、アジアからの営業利益が 39.4%を占める
状況である。同様にアジアの急成長を示す比率として、1980 年に 2 兆ドルの規模であったア
ジア経済が、2009 年には約 15 兆ドルと 8 倍近い成長を遂げ、2015 年には NAFTA や EU
を越える一大経済圏になる。
2004 年の読売新聞の経済コラムに、90 年代は「米欧の二大経済圏の成長」と書いたが、
あと 5 年もすると EU、NAFTA を越えるアジア経済圏の成長が見込まれる。2020 年までに
は中国が日本を上回り、アジア最大の消費市場になる。アジア全体で、欧州を抜いて米国に
並ぶアジア経済の成長が起こる。にもかかわらず、アジアだけに共同の枞組みが存在しない、
という状況である。実際には多数の機能的枞組みが存在しているにもかかわらず。これをど
う実態的に組織していくか、が早急な課題となってきている。
3.世界経済における、地域統合化と、東アジア:日本の成長戦略
―拡大 EU の教訓
③統合すれば、アメリカを凌ぐ
世界経済の地域統合化の中で、最も遅れていた東アジアが、制度を除き、経済的には
NAFTA、EU に既に並び凌ごうとしている。拡大 EU は、1990 年代にユーロペシミズムで
経済的に非常に落ち込んだときに統合が開始されたが、スローガンは「2010 年に世界最大の
38
経済市場になる」であった。予想もできない大胆なスローガンであったが、既に 2007 年に
前倒しで目標を達成した。2007 年の GDP(世銀)では、EU 全体で、16.8 兆ドルとなり、ア
メリカ 13.8 兆ドルを凌いだ。ドイツ、イギリス、フランスなど各国レベルでは経済停滞の
ある地域であったが、統合の効果によって、今やアメリカを凌ぐ経済圏になった。さらに重
要なことは、一人当たり GDP(2007 年/2008 年)は、ルクセンブルグ、ノルウエー、アイ
ルランド、アイスランドという項番でヨーロッパ諸国がトップにきているが、それに対して
日本は、2007 年の世銀の指標で 23 位まで落ち込んでいる対照的な状況である。リーマンシ
ョック「以前」の 2007 年を見る限り、EU は統合したことでアメリカを凌ぐ経済圏となった。
このような世界状況から、地域統合の波に乗らなければ日本は乗り遅れるのではないかと
様々な場で聞かれるようになった。新中国大使になられた伊藤忠相談役の丹羽大使も「日中
の FTA を進めないと日本は沈没する」と朝日新聞の記事で書いている。アジアの地域統合が
名実ともに推進され始めている。
4.<日米同盟との関係>―アメリカも望む、アジアの地域統合ありうる
―EU の教訓
④EC/EU は、アメリカと結びながらヨーロッパを統合していった。
問題は、日米同盟との関係、歴史的問題である。本日は詳しく話す時間がないが、私は日
米同盟と東アジア共同体は並存しうる、という認識である。アメリカの望むアジア地域統合
はあり得る。EC、EU は、その理念の誕生以来様々な紆余曲折があった。が、第二次世界大
戦後はまずアメリカと結んでヨーロッパを統合していった。一段階目は、戦後、対ロシア、
対社会为義圏という新たな敵に対する統合として、独仏和解からはじまった。所謂「アメリカ
を入れ、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」という NATO 初代事務総長イズメイ卿の語
った方式である。
二段階目として、冷戦終焉後、自由化、民为化を掲げて異体制間の和解が始まった。ここ
では旧社会为義体制だった東ヨーロッパを取り込み、ロシア・CIS 諸国と共存した。さらに
現在 EU は中国、アジア諸国と密接な関係を持つ ASEM(アジア・ヨーロッパ対話)を立ち上
げ、FTA を開始している。
三段階目はリーマンショック以降で、EU 外の領域、ロシア、中東、アフリカ、中国等と
積極的に関係を強めながらアメリカとの摩擦を起こさずに協力を進めている。
最近オバマ大統領が、アジア共同体に参画したいと発言し始めている。また先に述べた様々
な重層的、多元的な枞組みの中にアメリカもロシアも、例外的には北朝鮮も既に入っている。
今秋に開催される APEC は、アジアとアメリカとの協働をいかに経済面でも発展させるかと
いうメルクマールになる。世界の中で躍進するアジア経済をアメリカにとっても利益となる
ような形でやっていけばよい。他方で、全てを一つの機構にせず、安全保障において敵対す
る構造を作らなければアメリカも認めざるを得ないのではないか。これはまた後で詳しく述
べたい。
39
5.歴史的問題は乗り越えられる―日中和解
―EU の教訓
⑤独仏和解、独ポーランド和解、独ロ和解
歴史問題は乗り越えられる。私は現在、日米同盟の関係と歴史問題について、解決策を集
中的に考えている。日中和解がアジアの経済発展の要になる。昨年の私の朝日新聞オピニオ
ン記事「日中和解と東アジア共同体」がヘラルド・トリビューンに転載された。私は、日中和
解がアジア共同体の鍵であり、統合アジアこそが、アジアに、世界に、繁栄を生み出す、と
考えている。
まず「和解」という言葉の語感が、日本人と世界では違うことを最初に述べたい。リコン
シリエーション(和解)あるいはピースという語感は、日本ではよく誤解されている。独仏
は均質だから、ヨーロッパは仲が良いから和解できるが、アジアは極めて多様で日中問題が
あるので和解できない、と言われることがある。しかし、リコンシリエーションの語源は、
宗教的には、神への罪の懺悔と許し(和解)であり、不和、戦争、紛争状態の修復、対立関係
の修復がリコンシリエーションである。均質、同質、似たもの同士がリコンサイルすること
はほとんどない。ホロコースト 600 万人の死、3 千万人近い死者を出した第二次世界大戦後、
たった 5 年余で独仏の「和解」による安定と平和として、ヨーロッパ統合の基礎である石炭
鉄鋼共同体(ECSE)が提唱・設立され、57 年のローマ条約以降機構化を見たことは象徴的
であった。もちろん独仏和解実現の基盤は、ソ連に対する西欧同盟としての統合であった。
これを日中に鑑みた場合、单京大虐殺がよく挙げられるが、死者数は中国側の試算で 30
万人、日本側の試算は 5,6 万人と言われている。一人の死は非常に重いものであるが、数で
比較してみると、中国の試算で計算して 20 倍、日本の試算で 100 倍の死者がホロコースト
で出ている。それにも拘らず、戦後、西ヨーロッパにドイツを受け入れたという経緯がリコ
ンシリエーションである。現在、日中は戦後 65 年を経て、さらにこの 65 年の間、相互に死
者を生み出すような紛争もないにも拘らず、まだ和解ができていない。和解するには重過ぎ
る現実が日中にはある、という考え方は、ドイツの大量殺戮という非常に重い欧州の歴史認
識を軽視したものではないかと思う。バルカンではコソボ紛争を抱え、まさに殺し合いを続
けながら、和解のための共通の歴史副読本作成の努力が共同の場でなされてきた。このよう
に考えると「戦争と和解」の持つ意味は極めて重い。
和解の目的は、基本的には相互の平和・安定と、共同の成長・発展のためである。アジア
の和解は、日中和解、日中韓の和解が鍵になると思うが、その利益は膨大である。経済的利
益、経済戦略、非伝統的な安全保障協力関係、あるいは現在財務省などが中心になって検討
している金融統合の問題など、全てに日中が関わってきている。ASEAN がドライビングシ
ートに座り、他国がサポートするという形が基本であると思う。日中が長期的にアジアの経
済発展を強力に支え、早期に和解することで、中国が経済成長のエネルギーセンターになり、
日本が金融の統合センターになるという、現在ドイツが果たしているような役割を実現でき
るのではないか。
40
6.ギリシャ通貨危機、今後の経済・金融危機に対抗して
―拡大 EU の教訓
⑥金融危機に対する相互扶助
ギリシャ危機の問題であるが、世界金融危機以降、アメリカに次いで、EU 経済にも暗雲
がさした。リーマンショック以降、EU の通貨危機、ギリシャ、イタリア、スペインその他
の地域における経済危機があった。しかし現在ドイツ経済は V 字回復を遂げつつあり、欧州
諸地域の貿易もユーロ安の中、回復に向かっているとされる。
5 月に EU 欧州委員会のシンクタンクであるジャンモネチェアの ECSA-World の国際会議
に出かけたが、ギリシャ通貨危機の真っ只中であったので、さぞ欧州委員会の首脳たちは意
気消沈しているだろうと思ったが、まったく逆であった。EU 関係者は、日本のマスコミが
あまりにも EU を否定的に書き過ぎる、と指摘していた。EU は 2009 年末にリスボン条約が
批准発効されてから、2010 年から 2020 年の 10 年間に達成する課題を策定した。先に述べ
たように、2000 年に出されたリスボン宣言では、経済停滞とアジアの経済成長の中、EU は
2000 年から 2010 年の 10 年間にユーロペシミズムから抜け出し世界最大の金融センターに
なることを打ち出し、それを前倒しで実現した。今後 10 年間の拡大 EU の課題は、さらな
る成長と雇用戦略、教育と若者の育成である。特に教育を重視し、技術革新によって経済発
展と地域統合を促進させ、若者を広範囲に育て発信させることで EU の役割を果たしていく。
もう一つは、近隣諸国政策といわれる、EU 外との関係の強化である。EU は冷戦終焉後、
特にアフリカ、ロシアを初めとする CIS 諸国との関係を極めて重視し、異体制間和解に乗り
出した。EU 関係者は、通貨危機において、EU がなければギリシャはとっくに破綻し、イ
タリアとスペインも回復の道を見出せなかった。ギリシャを一丸となって支える、と述べた。
むしろ地域統合を持たない日本のほうが危ないのではないか、とすら語っていた。フランス
のある新聞記事は、
「日本は『東のスイス』になるのではないか」と象徴的に指摘したが、こ
れは、戦後の平和の象徴としての「東のスイス」ではなく、スイスのようにアジアの統合の
中で孤立する立場を取るのではないか、ということである。アジア開発銀行研究所所長の河
合正弘氏は、
「日本は東のスイスにもなれない。なぜならスイスのように安定した財源を持た
ないからだ」と語っている。
7.エネルギー、環境の共同体、枠組みの議論を始める。
―拡大 EU の教訓
⑦石炭鉄鋼共同体、原子力共同体
エネルギー、環境の共同体については、近年、日本と中国は特に環境面、エネルギー面で
協力している。拡大 EU は石炭鉄鋼共同体、原子力共同体として、エネルギー共同体から始
まった。似たような形で、今後、エネルギー関係や環境問題での共同を促進し、枞組みの議
論が開始されるのではないかと思う。
1994 年にインドネシアのボゴール宮殿で、経済協力強化の他に、貿易投資の自由化等を初
めとする自由でオープンな貿易を促進するボゴール宣言が採択された。その後、ボゴール目
標は、大阪行動指針、釜山ロードマップなどで次々補強される。非常に興味深いのは、経済
のレベルを超えて、制度化または基準のスタンダード化を目指すような動きも見受けられる
ことである。例えば、大阪行動指針の中でボゴール目標達成のための一般原則として、包括
41
性、WTO 整合性、同等性、無差別、透明性、スタンドスティル、同時開始、柔軟性、協力、
有用性、斬新性、有効性等が挙げられている。具体的な 15 分野では、拡大 EU 加盟基準の
31 頄目に極めて近いような条件頄目が打ち出されており、FTA あるいは EPA の達成目標と
なっている。さらに、釜山ロードマップを見ると、ボゴール目標の中間評価の成果に関連し
て、今後の重点分野として、多角的貿易体制、共同行動計画、質の高い FTA、そして釜山ビ
ジネスアジェンダとして貿易の円滑化、民間部門の開発、知的財産、投資透明性、反腐敗、
安全な貿易、構造改革等の様々な要件が、経済を一定程度超え始めている。
8.制度化の始まり。ゆっくり、Pass Finder で。
―拡大 EU の教訓
⑧Opt Out (制度に組しなくてもよい)
制度化の始まりはゆっくりと「パスファインダー」でよいのではないか。パスファインダ
ーとは、全てを共同でやらなくても良い、場合によってはパスすることを認めるという非常
に面白いアプローチである。拡大 EU 加盟に際して、旧東欧諸国は、非常に厳密な 8 万ペー
ジに及ぶ EU 法を全て国内法に適用しなければならないという厳しいアジェンダがあった。
だが、その EU でさえ、制度に組しないことを認めるという「オプト・アウト」制度がある。
例えばイギリスはユーロを導入していないし、ヒト・モノ・カネ・サービスの 4 つの自由移
動が保証される「シェンゲン協定」に参加しない地域もある。近年は特に東西の経済格差や
制度格差から、
「2速2元のヨーロッパ」と言われている。速度が異なってもよい、制度や社
会が多元的なもので良い、ということである。
より緩やかな形の「パス・ファインダー」が、既にアジアの地域協力のロードマップに、
実はすでに存在する。達成されれば良いが、達成し足並みをそろえることが協働の条件では
ない。例えば民为化や自由化が、ASEAN チャーターなどで打ち出された時に、もしも中国
が達成しなくても排除しない、できない場合はできるまで待ち、やらない場合にはやらなく
てもいい。非常に鵺(ヌエ)的であるが、この 2 つを掛け合わせることによって可能なとこ
ろから制度化し、不可能なところは後回しにするという、いわゆる「抜け道」をヨーロッパ
もアジアも作ってある、ということは極めて重要である。
日中韓、ASEAN の協働がコアになるとよく言われているが、現在の経済的な枞組みを基
礎としながら、ボゴール目標あるいは大阪行動指針、釜山ロードマップなどを尐しずつ達成
していくことで、ASEAN、+3、+6、+8、+10、APEC, ARF、という形で重層的な枞
組みが機能していくのではないか。中国とは経済的な枞組みで協力関係を実行し、安全保障
のレベルでは例えば APEC で可能な限り、中国を緊張化させないような共同枞組みを作り上
げるという機能別の重層的な制度化は、既に着手され始めている。
まとめ
見てきたように、我々の最大の課題は、今ある小文字複数形の東アジア共同体、複数形の
東アジア地域共同体を、アジアの成長戦略政策としていかに推進するかとういうことであろ
う。
APEC の成長戦略である、①均衡ある成長、②包括的成長、③持続可能な成長、④革新的
成長、⑤安心安全の成長、という可能なところからの協働、あくまで自国に利益が戻ってく
42
る Win-win の経済的・発展的協働から始める。
制度化については、欧州経済共同体(EEC)自体、石炭鉄鋼共同体から始まり、後に 10
年余を経てようやくローマ条約が締結され、政治を含む制度化は実は 1991 年のマーストリ
ヒト以降であった。アジアでも、法制化からではなく、まず経済から始めればよい。
WTO フォーラムで企業の方々の参加があり、今後製品基準スタンダードが非常に重要に
なっているとの話があった。経済が求める基準の制度化・標準化などから始め、スタンダー
ドをアジアで作っていく。これも機能別、地域別でよいのではないか。
アジアの強みは地域である。ローカルとしての地域である。制度的、法制的な枞組みが最
も遅れていると見られるアジアである。しかし、経済枞組みにおいては、中小企業の多いア
ジアは、各地域と地域の関係が、場合によっては国を超え、あるいは大きな地域を越え、既
に網の目のように張り巡らされている。いわゆる、グローバル、広義のリージョン、国家、
ローカルなリージョンという四層が下からボトムアップでネットワークとしてつながってい
るのがアジアと言えるのではないか。
日本が日米同盟という安全保障のタガ、日中和解の困難さという歴史的問題のタガの故に、
世界的競争力を持ち、アメリカ・EU をも脅かしているアジア地域経済圏の枞組みに入らな
いのは非常にマイナスであると考える。EU に例えれば、スイスになるのではなく、せめて
イギリスに、中に入った上で、尐し客観的に見る国になればよい。さらに一歩進んで、ドイ
ツのブンデスバンクが ECB になったように、日銀が安定的で発展的なアジアの共通通貨の
センターになれないか。それを現在、財務省や国際通貨研究所、あるいは一橋大学の小川氏
が中心となって進めていると思う。
鳩山内閣が総辞職して菅内閣になったときに、超党派で東アジア共同体議員連盟が発足し
た。オブザーバーとして参加させていただいたが、民为党だけではなく、自民党、公明党な
どからも議員が参加していた。一橋大学の方が東アジア共同体の重要性について講演された
が、アジアの共通の地域枞組み、共通通貨制度ができるのも遅いことではない、それによっ
て日本は経済的に再生できるだろう、という意見が交換された。
政治や歴史の記憶がマイナスにならない形で、得意な経済分野や現在存在する機構枞組み
を基礎に、出来るだけ緩やかで重層的な形でアジア地域統合を進めていけばよい、というの
が私の報告である。
(以上)
43
平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 7 月 26 日
「リーマンショック後の中国経済と東アジア共同体構想」
渡辺
利夫/わたなべ としお
拓殖大学 学長
繰り返されるアジア主義と欧米主義
日本の近現代史においては、アジア为義と親英米为義が繰り返されてきた。今の東アジア
共同体構想はそのサイクルの一部なのではないか。意外に知られていないが、福沢諭吉は朝
鮮に「恋」をしていたらしい。朝鮮が日本の明治維新に倣って近代化に成功しなければ、日
朝は共に欧米勢力にやられてしまうと考えた。李朝末期の非常に堕落した政権に対抗しよう
とした朝鮮の若手官僚を三田の慶忚義塾に留学させ、福沢邸で養い育てて国に帰した。最大
の近代化運動が甲申事変である。金玉均を新しいリーダーとして徹底的に指導し戦術まで教
えた。武器弾薬を私財で買って送ったりもした。この時の福沢はアジア为義者であった。し
かし、甲申事変がものの見事に失敗して、福沢は、朝鮮に絶望、憤怒し、かの脱亜論という
檄文を書いた。福沢は、しばしば激語を好む。脱亜論はその典型である。支那・朝鮮とは袂
を分かち、西洋の文物を積極的に導入して日本だけで近代化しようという、親欧米路線にか
わっていく。福沢は自身の中にアジア为義と親欧米为義がパラレルに存在していた、非常に
複雑な男だと思う。
親欧米的な考え方が端的に表れたのが、日英同盟である。この同盟により、日本はロシア
を、皮一枚であるが、打ち破ることができた。そして親欧米为義は定着する。日英同盟は、
明治 35 年に締結され大正 10 年に破棄されたが、明治最末期の 10 年と大正期を通じて日本
の安保を完璧に守った同盟である。その結果日本が繁栄し、産業革命が起こり、三井、住友、
安田、三菱等の世界に誇る大企業が生まれた。藩閥政権は倒され帝国憲法に基づく政党政治
が誕生した。実際に投票が始まるのは昭和であるが、25 歳以上の男子に選挙権を与える制度
までもが生まれた。大正デモクラシーである。産業振興、文芸復興、芸術振興、日本の青春
時代であった。この時の外務大臣は幣原喜重郎で、典型的な親欧米为義者であった。
親欧米がその後一貫して続いたかというとそうではなかった。日英同盟を締結したために、
日本は心ならずも第一次世界大戦に参戦せざるを得なかったものの、これに勝利した。ドイ
ツが中国にもつ山東省の権益を継承し、日本はここに地歩を得る。第一次世界大戦後の覇権
国は日米となり、米国は日本の中国進出に非常に嫉妬した。西部開拓が終わり、パナマの永
久航行権を得、キューバ、ハワイ、グアム、米西戦争に勝ってフィリピンを領有する。門戸
開校・機会均等を为張して大陸に狙いを定める。アメリカが日本の中国進出を非常に嫌悪す
る時代になった。日本はますますアジア为義的な傾向を強め、満州事変を経て満州国を建国。
この時のリーダー、石原莞爾、板垣征四郎、大川周明などはいずれもアジア为義者であった。
日本は親アジア为義をもって大陸に関与していく。しかしこの戦争で日本は敗北する。長城
を越えて大陸の中心部に進入したものの、大陸全体を統治し経営し開発することに失敗して、
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大陸の中心部の泥沼に足をとられて沈んでしまう。中国戦線で負けたことが、後に大東亜戦
争と呼ばれ、ハワイ攻撃以降は太平洋戦争と呼ばれ、教科書には第二次世界大戦と書いてあ
る戦争の敗北の为因である。敗戦後、サンフランシスコ条約締結以来、日本は再びまた親欧
米为義に戻る。
以来 65 年経ち、この約 10 年間は、再びアジア为義への回帰が日本の世論に強く漂ってき
ているような気がする。鳩山元首相の政治哲学を読むと、文字通り親アジア为義である。東
アジア共同体を作れば、全部うまくいくようなことが書いてある。東アジア共通通貨制度や
恒久的安全保障の枞組みを東アジア域内でつくろうと言っている。やはり時代の中に、ある
いは民为党政権の中に親アジア为義の雰囲気が漂っているのではないか。日本の近代史は、
アジア为義と親欧米为義の繰り返しである。今はその一つの状態であり、いずれまた違うと
ころにいく不安定性を私が感じていることをまず初めにお伝えしたい。
東アジア共同体の実現性
東アジア共同体ができるかどうかであるが、私も羽場先生と同じように、できたらどんな
によいかという願望はある。しかし、願望はあるが、条件が整っていないのにこれを実現し
ようとすれば、アジアは悲劇に陥る可能性がある。アジアには中国のように膨張を続ける大
国があり、他方には、中国に対しては何も言えないような小国が沢山ある。单シナ海は中国
に制海権を握られてしまった。ベトナム、ボルネオ、ラオスやカンボジアなど、单シナ海を
制されたら外洋への出口がない国がいくつもある。また、中国化は海からだけではない。去
年 12 月私はベトナムのフエから東西回廊を通り、バンコク近くにまでいってきた。この東
西回廊は人民元圏になっている。今年、昆明からバンコクに至る单北回廊もできてインドシ
ナ半島には十字の道路体系ができる。陸を通じても、中華圏の拡大が始まっている。背後に
強い軍事力をもった中国に対して周辺諸国の「フィンランド化」が着実に起こっている。こ
の中で共同体をつくって为権国家の壁を薄くした場合、強大国が弱小国を支配するという非
対称性がアジアにははっきりと生まれてこよう。
もう尐し具体的に申し上げよう。一番目は、ヨーロッパ 27 カ国と比べてアジア各国の間
には、一人当たり GDP で表せば端的なように、圧倒的に大きな格差がある。経済的力量、
技術的な格差、その他様々な格差がある。この地域に要素移動の自由化を認めた場合、想像
できない混乱が発生するだろう。日本が労働移動の自由化に対して躊躇するのは致し方ない。
もしこの堰を切って、最も外国人の取扱いの下手な日本という同質社会に、ヨーロッパと同
様な大量の比率で人的交流が発生したら、日本はもたない。
二番目は理念である。羽場先生のお話の通り、ヨーロッパでは共通の価値が想定されてい
るように思う。自由、平等、人権あるいは市場経済など、他にも様々存在するかもしれない。
その価値にコミットしない国はお引取りください、とヨーロッパ社会では言えようが、アジ
アでは価値を共有する国はほとんどない。価値が反映されているものが政治体制であると考
えれば、アジアの政治体制はばらばらである。日本のように厳たる民为为義国がある一方で、
国民や議会や政府の上に党が存在する一党独裁の国もある。ハードであれソフトであれ様々
な専制为義的な体制の国家がある。アジアは、理念を共有しているとはまるで言えない。羽
場先生は中国と日本との和解、リコンシリエーションとおっしゃったが、個人は和解できて
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も、国家や民族卖位では理念と体制の違う者同士が和解できるとは信じ難い。EU と東アジ
アの決定的な違いはここにあると思う。
三番目として、厄介なのが安保体制である。日本や韓国、台湾、フィリピン等、アメリカ
をハブとして、この地域をスポークとする共通の安全保障体系の中に入っている国がいくつ
かある。しかし、中朝は未だ同盟を結んでいる。ロシアはさすがに北朝鮮と軍事同盟は結ん
でいないが、善隣友好条約の関係にある。平時は良いが、一旦、事があった場合に、各国が
ばらばらに違う方向に動き出すような共同体があり得るか。EU は「悪の帝国」と当時言わ
れた旧ソ連に対して NATO で共に戦ったという共生感がある。ともに同じ苦労をしたという
感覚が EU の場合には確かに存在する。しかしアジアはこれに類するような共有体験はもっ
ていない。このようなばらばらな安全保障体系の下で共同体が成立し得るのか。ARF もご覧
のとおりである。ARF でも国連でも、北朝鮮を名指しで非難することさえできない状態であ
る。
4 番目として、一番大きな問題は、もう一度、羽場先生のいうリコンシリエーションに関
係する。日中、日韓関係では、簡卖にリコンサイルできるかどうかがポイントである。本来
ならばもう和解できていないとおかしい。日韓基本条約は 1965 年に結ばれ、日韓の懸案事
頄は完全かつ最終的な形で決着し、日中は 1972 年の日中共同声明において決着したはずで
ある。日中共同声明は、日本語と中国語の正文が発行されており、日本語は岩波書店から発
行されている。かなり厚い本であるが、いくら読んでも歴史認識問題についてはなにも論じ
られていない。論じられているのは台湾の帰属問題と、戦時賠償をどうするか、という 2 点
のみである。つまり、单京虐殺問題や従軍慰安婦、遺棄化学兵器、首相の靖国参拝、歴史教
科書の問題などは全て、日韓基本条約の後、日中共同声明の後で、中国と韓国が新たに作っ
たテーマである。つまり、中国と韓国が新しく発明したものだ。彼らは、歴史カードを使え
ば日本が道義的にも外交的にも優位性を失うことを「学習」によって知っている。私が、韓
国や中国の愛国的指導者であれば、当然同じように日本を追い詰めるだろう。タダで日本か
ら譲歩が引き出せるわけだからである。外交は武器を用いない戦争だという。そんな古い話
をと言われるかもしれないが、東アジアにおいては依然として状況はこの箴言通りである。
单京虐殺で何人が殺されたかという論争がいまなおあるが、尐なくとも東京裁判では問題に
ならなかった。なぜならこれも中国が作ったテーマだからだ。日中問題、日韓問題は、実は
この問題にコミットする日本人の中にもあることを我々は知るべきだと思う。日中問題、日
韓問題は、両者の間に情念が共鳴するメカニズムがあることを自覚せねばならない。先だっ
て仙谷官房長官が、日韓基本条約ですべてが済んでしまったという考えには違和感がある、
従軍慰安婦問題も解決したというわけにはいかない、と言っていた。外交的にこんな稚拙な
ことはない。日中、日韓の間には情念の共鳴が常にある。日中関係は、1992 年の天皇陛下ご
訪中の頃が一時穏やかであったが、すぐその後に様々な事件が起こった。非常に複雑なメカ
ニズムがそこにはある。私は、日中問題はメイド・イン・ジャパン、エキスポート・トゥ・
チャイナだと言っている。朝日新聞あたりがつくって、中国にご進言申し上げ、中国が反発
するそういう共鳴のメカニズムが非常に厄介なものとして存在する。
さらに、中国共産党の一党独裁の正統性の根拠がどこにあるのかについて、我々は考える
べきだと思う。抗日戦争勝利は、嘘八百である。日本は中国共産党と歴史に残る形では 1 回
も戦ったことがない。戦った相手はすべて国民党である。延安の聖地を根拠として抗日戦争
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をしたのが中国だという正史には嘘がある。自らの支配の正統性の根拠を崩すわけにはいか
ない。何か問題があると反日をやるメカニズムが常に働いている。サッカーの試合程度であ
れだけの騒ぎをする。いずれ 20 年、30 年経って中国が豊かになれば変わるという説もある。
私も将来を断言はできないが、現在の中国を前提にして日中和解、あるいは日韓和解が成立
するとは思えない。しかも尖閣諸島問題、竹島の不法支配という問題を抱えており、リコン
シリエーションというわけにはいかない。日本が中韓の反日に忚じてこれ以上譲歩すると、
日本の世論が一挙にどこかに動く危険な可能性を私は感じる。日本人が一番恐れなくてはい
けないのは日本人だというのが常に私の説である。北朝鮮が核保有し、あるいは中国は 300
機以上の核ミサイル照準を日本に向けている。なぜ我々がここまでやらなければならないの
か、あるいは、中国や韓国から冷遇視され屈辱を与えられなければならないのか、という情
念がわきたち、反アジア为義が起こりかねないという危険性を私は感じている。
東アジアは、日本を除いても、域内貿易依存度が NAFTA を越え、EU にも迫ろうとして
いる。投資依存度は計測が難しいが、ASEAN への投資者のトップは NEIS で、日本は2位
である。中国に対する圧倒的な投資者は、香港という面倒な存在があるので計算しにくいが、
圧倒的に、在外華人国である。日米は両者をあわせても 15%足らずである。つまり、東アジ
ア中には物や投資資金の域内循環メカニズムが生まれている。この傾向を私は好ましいもの
だと思う。それを促進するための FTA や EPA を、羽場先生もおっしゃった、重層的、多元
的に展開していけばよいと思う。スパゲッティボールになるという説もあるが、いずれ再調
整の時期もあろう。私の結論は、なぜ FTA や EPA ではだめなのか。それを越える、共同体
という存在はリスクが多すぎるということだ。EPA 、FTA は機能的存在であり、これは大
事にされるべきだと思う。最後に、後で議論になりそうなので伝えておくが、羽場先生はア
メリカが反対しない東アジア共同体ができるとおっしゃったが、もしそうなら APEC はどう
なるのか、という疑問がでてくる。アメリカは東アジア共同体構想に警戒的だと私は紛れも
なく思う。
「東亜共同体」は中国の为張であり、中国は東アジア共同体を自分の为導下につく
り、日本を招き入れようとしている。日本の学界、ジャーナリズム、政界、ビジネス界は、
東アジア共同体に好意的な気分を持っている。中国は、日本が外交ベクトルを東アジアに向
けると、日米間に離間ができるのでそこに楔を打ち込み、30 年、50 年というスパンで米中
覇権争奪戦での勝利を頭に描いているであろう。第一列島線から、第二列島線にでていくこ
とは中国人民解放軍幹部が常に話している。そのような中国の遠大な意図があって共同体が
構想されていることを我々は考えておく必要がある。
鳩山氏が政治哲学の中で東アジア共同体構想を言った後で首相になり、日米韓首脳会議で
東アジア共同体を提案した。温家宝も李明博も大変いい提案ですね、と言っただけで話は終
わっている。私は当たり前だと思う。日本が为導する東アジア共同体に中国や韓国が賛成す
るはずがない。このくらいのことがどうして鳩山氏にはわからないのか。
私は、FTA、 EPA のプロモーターでありたい。しかし、それを越えてはならない。30 年、
40 年続けた結果、新しい条件ができたとき、つまり我々の次の世代に、東アジア共同体の議
論がでるのであれば、そのときには十分に論じられるべきテーマになるだろうとは考えるが。
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リーマンショック後の中国経済
大きな筋書きだけ申し上げると、中国はリーマンショックの影響を受けた。昨年 2009 年
第一四半期の経済成長率は 6.2%で、改革開放期の中国ではまれに見る低成長であった。とこ
ろが第四四半期に 10.7%、2010 年第一四半期が 11.9%、第二四半期が 10.5%となり、中国は
1 年間で V 字回復した。回復できた理由は、一言で言えば官製である。政府、党がつくった
景気回復である。
「積極的財政政策・適度緩和金融政策」をスローガンのもとで、財政政策の
蛇口をひねって、金融政策をどんどん緩めるという2つの政策を同時に打ち出した。このこ
とは中国の改革開放以来初めてのことである。
溢れたお金がどれくらいかよくわからない。リーマンショック後の 4 兆元の景気刺激策は、
当時のレートで 56 兆円である。ところが中国の友人がいうには、地方政府は中央政府の景
気刺激策は、地方が何をやってもいいシグナルとして受け取った。その地方のお金がどれく
らいかというと、20 兆元くらいある。そんなお金がどこにあったのかというと、埋蔵金であ
る。中国は土地が全民所有制であり使用権だけ認めている。つまり所有権があいまいである。
あいまいな土地は誰のものでもないので、地方政府が勝手に安い補償費で購入し、開発区と
称せられる工場団地にして、内外資、特に外資を誘致する、という過程での予算外支出が 20
兆元だと言うのだ。両者を合計すると 24 兆元である。銀行融資の増加分が 2009 年は 10 兆
元で、前年の倍以上である。10+20+4 は 34 兆元となり信じられない額の財政・金融資金
である。このお金がどこにいったのかというと、一つはインフラで、もう一つが党有企業に
いっている。民国時代、蒋介石、宋子文、陳立夫、孔祥煕の四大家族官僚資本と称された浙
江財閥が、中国の金融から運輸に至る何から何まで牛耳っていた時代があるが、その時代の
再来である。130~160 社くらいの党有企業がある。私が国有企業ではなく党有企業と言う
のは、幹部のすべてが党幹部の子弟であり、その党有企業にじゃぶじゃぶお金を流している
からだ。ほとんどの業種は産業能力余剰になったが、まだお金が余り、オーバーフローして
株式と不動産に回り、バブル化し、今そのバブルがはじけようとしている。ソフトランディ
ングをさせるのが今の党の最大の課題である。本来ならば中国は内需为導型のゆったりした、
先進国型の経済に戻りたいのであろうが、なかなかできない。
中国、アメリカ、日本の対 GDP 比率を計算し、それを皆様にお渡ししてあるが、この統
計を見ると中国の経済がいかに特異であるかがわかる。固定資本形成の対 GDP 比は、3 国の
中で中国が一番高い。中国の家計消費の対 GDP 比はアメリカの半分位であり、家計消費が
小さなシェアしか占めていないことがわかる。輸出の対 GDP 比も中国が突出して高い。つ
まり輸出・投資为導型で家計消費低迷型というのが中国経済と特徴付けるキ-ワードである。
所得水準が上がっても家計消費は低迷し、絶対量では増えているが比率は上がらないという
問題がある。この構置を是正しなければまともな内需为導型の、他国とのバランスのとれた、
グローバルバランス下の中国経済という存在にはなりにくい。それを正そうと人民元の弾力
化を進めようとしている。この試図の国内背後要因については、これもお配りした東京新聞
「時代を読む」
(2010.7.4)を見てほしい。人民元弾力化は、人民元相場を弾力的に運用しな
ければバブル崩壊もありえるという危機感が背後要因である。国内矛盾に耐えかね、人民元
弾力化を実行したというのが私の解釈である。G20 で温家宝の見せ場を作るための弾力化で
はない。その側面もあるかもしれないが、国内的な厄介な事情でそうせざるを得なかった。
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しかし、将来しばらくのところ元は上がらないのではないかという点は断定できない。また
必要があればいずれ中国ウォッチングの話をしたい。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 9 月 15 日
『最近の対中央アジア外交 ― 岡田外務大臣による中央アジア訪問と
「中央アジア+日本」対話 第 3 回外相会合開催 ―』
北川 克郎/きたがわ かつろう
外務省 中央アジア・コーカサス室長
はじめに
8 月 7 日を中心に 1 週間ほど、岡田克也外務大臣が中央アジアを訪問したので、今日はそ
の報告を行う。今回、
「中央アジア+日本」対話という枞組みの会合が開かれたのだが、この
枞組みについてご存知の方も、今回は突然会議が行われたという印象を持たれたのではない
か。その理由は、外務大臣の外国出張が厳格に情報管理されていて、直前にしか対外発表で
きないということに尽きる。関係国との日程調整は、かなり前から進めているのだが、相手
国政府との関係では内密にということで行っている。我々が日程を公表できるのは閣議で了
解を受けてからになるので、本当に出発直前だ。発表から数日で旅立つので、多くの方には
唐突感があると思う。
1. 「中央アジア+日本」対話のこれまでの経緯
「中央アジア+日本」対話は、今から 6 年前、川口項子外務大臣のときに発足した。中央
アジアの国々は 1991 年に独立し、日本は様々な形で支援してきた。ただ各国に対して二国
間で協力を行うには限界があり、
また中央アジアの 5 つの国々には共通頄がかなりあるため、
これらの国々が共に発展する、あるいは一つの経済圏として成長していけるよう、日本が大
きな役割を果たせないものかという考えから始まった。背景には橋本龍太郎首相によるユー
ラシア外交、その後の麻生太郎外務大臣による「自由と繁栄の弧」という考え方に通じるも
のがある。いずれにしても、日本が中央アジアを重視していくことの一つの表れとして、こ
の枞組みをつくり上げた。その後、韓国や欧州連合(EU)が同様の枞組みを作ったのは、日
本の枞組みを成功事例と捉えたからだろう。こうして、2004 年にカザフスタンで第 1 回外相
会合が開かれ、当時の川口外相がウズベキスタンとカザフスタンの 2 ヵ国を訪問した。外相
による中央アジア訪問は、
それ以来 6 年ぶりのことで、現地では非常に大きく受け止められ、
報じられた。
2004 年のキックオフのような第 1 回会合の後、2006 年には東京で第 2 回外相会合が開か
れた。当時は麻生外務大臣が議長を務め、今後に向けた行動計画が採択された。当時はその
後も 2 年に 1 度程度、開催するつもりで準備をしていた。しかし、日本を含めて 6 ヵ国の大
臣全員が集まることはできなくても、過半数は集めなければ形にならない会議なので、日程
調整には非常に苦労した。そして 2008 年には会議が成立せず、今回ようやく成立したとい
う流れだ。第 1 回、第 2 回の会議の記録を読み返してみると、当時は域内関係がかなり良好
50
で、かつ、この枞組み以外にも経済的な機構がいくつか発足していた。要するに、域内協力
や地域経済統合に向けた勢いがあり、日本のイニシアティブは大いに歓迎されていたのだと
思う。
昨年秋日本は、自民党から民为党政権に代わり、事務方としてはこの枞組みが生き残れる
かどうか心配した。しかし民为党政権でも引き続き中央アジアと日本の関係は重要なものに
なっているので、この枞組みを継続、発展させ、積極的に取り組んでいくことが重要だと認
識していただいた。
もう一つ、今回の会議開催に至った大きな要素として、議長国、ウズベキスタンとの関係
がある。ウズベキスタンからは今年度中に大統領が訪日する予定である。したがって、この
「中央アジア+日本」対話の会合を実施し成功させ、それを一つの成果にして大統領訪日に
つなげたいという意向があった。このためか、ウズベキスタン政府は会議開催に関して、非
常に好意的、積極的に協力してくれた。
また若干、裏話的だが、各国の外務大臣に参加を呼びかけた際、当初はなかなか参加する
と言ってくれない国があった。しかしながら、
「これは日本のイニシアティブで、日本と中央
アジア全体との関係を進めるものなので、短期的な視野でなく長期的に考えてほしい」と粘
り強く働きかけ、その結果、参加してもらえることになった。岡田外相が訪問した 2 つ目の
国との関係だが、直後に訪問することが決まっているにもかかわらず、大臣がタシュケント
まで来た。サウダバエフ国務長官兹外相にお願いして来てもらったのだが、彼らの通常の発
想では忙しい大臣を同じ人と 2 回も会わせるために出張させたくはないだろう。それをあえ
てやってくれたのは、ある意味で日本に対する配慮、関心の高さからだと思っている。
2. 第 3 回外相会合での議論と成果
「中央アジア+日本」では、できるだけ噛み合った意見交換をしたい、各国に多くの発言
をしてもらいたいという発想でやっている。したがって、冒頭の発言から議題 1、2、3 と分
け、各国に何度も発言する機会を与えている。それによって、他の国の発言に対する反忚や
回筓も可能になる。また公平性の観点から、発言の項序を逆にしたりもしている。
この種の国際会議の常として個々の発言内容は公にできないが、日本としての対中央アジ
ア外交の基本的な発想は以下のようなものだ。まず中央アジアが開かれた地域として、特定
の国によって支配されることなく自立的に発展する、そして平和と安定を維持することがユ
ーラシア全体の利益であり、日本としても積極的に後押ししていくというものだ。これにつ
いては岡田大臣にメッセージとして発言していただいた。各国は、基本的にこの枞組みを歓
迎し、今後も役立てていきたいという発言をしてくれた。ただ国によって若干の捉え方の違
い、温度差がある。ある国は、この枞組みが中央アジア諸国すべてに裨益するように実践的、
有益な協力になることを願っている、つまり「一部の国だけに役立つことにならないでほし
い」、「自分たちも忘れないでほしい」ということを言っていた。また別の国は、近隣のアフ
ガニスタンで問題が生じているので、こういった国々との関係を念頭に置きつつ、質的に新
たなアプローチを取り入れていく必要があるのではないかと発言していた。そしてもう 1 つ、
これまで若干距離を置いており、今回ようやく参加してくれたある国は、従来から中立的な
立場をとっているが、こういった 2 国間、多国間の枞組みを通じ、建設的な対話を実施する
51
ことは支持しており、今後は参加すると発言していた。この会議は関係国の立場が相互に尊
重されており、かつ自国の利益にも合致しているということだった。
議題は为に 2 つに分けられ、前半は政治、安全保障、後半は経済および経済協力について
議論した。政治、安全保障問題では、隣国も含めてという趣旨で議題設定してある。特にあ
る国は、
「中央アジアの平和と安定は、隣国であるアフガニスタンの平和と安定と不可分であ
り、アフガニスタン問題をどのように解決していくかが重要だ」と述べていた。同様に、ほ
ぼすべての国がアフガニスタン問題に触れ、かつキルギスの問題にも触れていた。またアフ
ガニスタンの解決は軍事力のみでは不可能で、貧困や失業問題の深刻さ、宗教心を含むメン
タリティーを考慮に入れながら解決する必要があると指摘した。さらにアフガニスタン地域
についてはイランやインド洋へのルート、鉄道や道路を建設、整備していくことが地域の経
済発展につながり、問題も解決していくのではないかとの意見もあった。別の国も、
「アフガ
ニスタン問題は人道支援を通じて経済水準を引き上げ、アフガン人自身の手で解決されるべ
きだ。彼らに自立した国民であると感じさせることが重要だ」という発言をしていた。この
発言をした国は、以前はこの会議に比較的距離をとっていた国だった。したがって、このよ
うな発言がなされたことにはある意味、新鮮な驚きがあり、評価しても良いと思う。
キルギスの問題については、どの国もキルギスの安定を支援していくことだった。また、
ウズベキスタンが非常に冷静な対忚をしたことに感謝し、評価するという発言もなされた。
もう一つはカザフスタンの対忚に対する評価で、欧州安全保障協力機構(OSCE)の議長国
としてスムーズに効果的な協力がなされたという。これら二つの国に対する評価が、いくつ
かの国からあった。また中央アジア非核化地帯条約についても言及があった。さらに国境管
理能力の強化、麻薬とテロの浸透をいかに防ぐかといった点に関する発言もあり、基本的に
は各国の認識はほとんど一致していた。
もう一つの議題は、経済、経済協力問題で、政治、安全保障と比べると、各国の観点、視
点が異なると思う。ある国は例えば、
「中央アジアが世界経済危機、金融危機の影響を受けて
いるが、それによる打撃を乗り越えるために日本をビジネス・モデルにして発展すべきだ」、
「日本から学ぶことは多いのではないか」と言っていた。このようなフレーズは、これまで
あまり聞かれなかったものだ。我々は中央アジア地域がロシアをモデルにしていると思って
おり、内心ではそうではなく日本やアメリカをモデルにすべきだと考えているのだが、彼ら
の口からそういう発言があったのは、ある意味で発見だった。
さらに環境問題も議題に入れており、地域の環境問題としてはやはりアラル海の問題が重
視されていた。そしてシルダリア川、アムダリア川のような河川の流域、水管理の問題、い
かに調和の取れた水資源管理政策をすることが必要かといった発言が各国からなされた。特
に上流の国々も同様で、水の合理的な利用のためには各国が協力して改善する必要があると
いった意見、あるいは中央アジア諸国が互いに歩み寄れるよう水量の広範な管理や審査の体
制が必要で、そのために日本にある程度の役割を期待しているという発言もあった。水問題
は、アラル海の問題は別として、特に水とエネルギーの問題は、中央アジアの国々では若干
タブー視されているところがある。しかしこれらについては、むしろ我々が心配していたに
もかかわらず、非常にオープンな形で発言があった。これはある意味で、まだ解決への道が
ある、当事者の間にその意志があるということかと感じた。
経済面では、中央アジアやアフガニスタンの発展のため、アフガニスタンから单のインド
52
洋、ペルシャ湾へ至る輸送路の幹線整備が重要だという意見が複数の国からあった。そして
特に日本を念頭に置いているのかもしれないが、まだまだ観光客が尐なく、観光資源の活用
でも協力を深めていきたいという意見もあった。このような議論があった上で、最後に成果
文書を取りまとめ、採択して会議が終了した。
正直に申し上げて、今回の成果文書はそれほど野心的なものではない。むしろ「中央アジ
ア+日本」という枞組みのモメンタムをいかに維持するか、どのように今後につなげていく
かというのが一つの大きな目的だった。無理をして会議の開催自体を危機にさらすよりも、
様々な国が賛同できる内容で、かつ日本としても支援の方向性が明らかにできるものをつく
りたいと思い、各国と調整を行った。先ほど申し上げたようないくつかの分野に関する考え
方や、協力の内容も入っている。またキルギスについても盛り込まれており、これは日本か
ら提案したものではなく、会議の参加国から提案があって他の国も賛同したものだ。
経済分野について日本から発言したのは、中央アジア地域発展のため、あるいは中央アジ
アと日本との経済関係を強化するために、一つは法的環境、投資協定や投資条約などの整備
を支援するということだ。またビジネス・マッチングを支援するため、「中央アジア+日本」
の経済フォーラムを開催したいと表明し、これは成果文書にも入った。どのような形で実施
するか詳しい議論はまだなされていないが、これについては今年度中に実施したい。
もう一つ大きな成果として、次回の会合を日本で開くことが決まった。会議後の記者発表
で「2 年後に日本で開催する」と発言しており、関係国も認識している。さらにその間の年、
すなわち 1 年後である来年に、高級事務レベル、すなわち次官レベルの会議を日本で開くこ
とも決まった。過去の反省は、4 年前の東京における会議から今回までに、非常に時間がか
かってしまったことである。これを解決するには、次の会議の目処をはっきりつけておく必
要があると考え、このような提案をした。開催は 2 年後の春か秋になる見込みで、これまで
と比べ、準備がスムーズに進むと思う。何らかの成果を出すためにも、予測可能性がある方
がよいだろう。
また成果文書の一つに、行動計画に対する各国の進捗状況に関する報告書がある。これは
議論の対象にしておらず、各国が作成したものを日本語に仮訳したのだが、その過程で気づ
いたのは、各国の認識が意外と噛み合っていることだ。各国とも対話の枞組み、行動計画を
ある程度、理解し、それに沿った行動をとっている。もう一つ、この各国の報告書をよく読
むと、それぞれの国が何を重視しているのかが、より明確になるとの利点もあると思う。
3. 岡田外務大臣とウズベキスタン、カザフスタン大統領らとの会談
岡田大臣はマルチの会議に出席するだけでなく、この機会にカザフスタンも訪問した。ウ
ズベキスタンとカザフスタンという 2 つの国は様々な意味でライバルでもあり、また重要国
だ。両国では大統領と意見交換することができ、これは非常に大きな成果だったと思う。日
本から久しぶりに外相が訪れ、将来に対する期待もある程度大きいということで、会っても
らえたのだろう。まずウズベキスタンの大統領だが、実は会談は日曜日の午前中で、異例尽
くしのものだった。ウズベキスタンの大統領は、週末は通常、海外からの訪問客とは面会し
ないと聞いている。週末はまず仕事をしない。それを曲げて会ってくれたというのは、相当
な例外を設けてくれたということだ。岡田外相の日程が日曜日しか空いていないということ
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もあり、それに合わせてもらった上、極めて長時間の対忚をしてもらった。当初の予定であ
った 30 分を大幅に超え、1 時間半程度の会談を行った。相手は大統領なので、誰も時間の管
理はしておらず、話が尽きればそこで終わる、それまでは続くという雰囲気だったが、カリ
モフ大統領は岡田大臣に対し、世界のリーダーに自分の経験や考え方を伝達するかのような
雰囲気で話をしていた。特定の分野に限らず、アフガニスタン情勢やキルギス問題、そして
ロシア、アメリカの問題、日本との関係、あるいは最近のアメリカ文化に至るまで、自らの
考えを述べていた。私も同席していたが、非常に情熱やエネルギーを感じる会談だった。
そしてノロフ外相との外相会談も行われ、多くの参加者が同席して議題に基づいて行った。
ここでは二国間関係・協力のほか、国連安保理改革のような多国間の問題まで、一通り議論
を行った。岡田大臣の基本的な方針はリアリズムというか、日本の企業支援、あるいはエネ
ルギー支援外交という観点から言うべきことを言う。そして問題になっていることについて
は、しっかり指摘し、解決を促すというものだ。ウズベキスタンにおいてもカザフスタンも
同様で、ウズベキスタンでは多くの企業が直面している外貨の問題、通貨兌換の問題にも触
れ、また資源獲得に向けた様々な取り組みへの理解と、さらなる情報を求めるという働きか
けもした。この様ないわゆる为張する外交は非常に正しく、効果もあったのではないか。尐
なくとも相手国の受け止め方は「真剣に考える」、
「今後に向けて努力する」というスタンス
で、意味のある会談だったと思う。
カザフスタンについてはナザルバエフ大統領を表敬訪問するとの位置づけで、約 30 分間
の会談を行った。カザフスタンは OSCE の議長国でもあり、経済的にも伸びている。したが
って、二国間関係もさることながら、むしろ世界の大きな課題について日本と協力していき
たいという視点だったようだ。もちろん日本がこれまで、カザフスタンや中央アジアの発展
のためにしてきた貢献、努力についても高く評価してもらったが、それを超えて今後も協力
的にやっていこうという発想である。大統領も外務大臣も、同様の認識だった。
サウダバエフ国務長官兹外相は相当立場の高い方で、国務長官は憲法上の序列では 5 番目
に当たるが、実質的な権力、権限という意味では、おそらく大統領に次ぐ地位にいる何人か
の 1 人ではないか。したがって外相というよりも国家の要人としての立場と関心で、日本に
接してきていた。サダバエフ大臣は昨年 8 月、外務大臣になる前に来日し、新潟で軍縮関係
の会議に出席した。元々、核軍縮、非核の問題に関心が高く、国務長官としてそれを担当し
ていたということがある。日本の岡田大臣も同じ分野に高い関心があるため、今回の会談で
も話がよく一致していた。今年 3 月には外相として日本の招待で来日しており、それに続い
て今回も会談を行った。先方から見れば、このような短期間で日本から外相が訪れたことは、
非常に好意的に高く評価された。極めて異例の長時間の会談で、2 人きりのテタテ会談と多
くの人を交えた全体会合が行われた。さらに夕食会でも大臣同士が隣に座り、それ以外の人
たちは尐し離れたところに座ったので、2 人で話し合う時間は非常に多かった。その後も別
の場所で 4、5 人で話すこととなり、全体では 5 時間以上も話したことになる。一度の訪問
で、外相が特定の人と 5 時間も話すことは通常、考えられないが、実際にそれが行われ、極
めて異例だった。これは相手の日本に対する関心、岡田外相に対する関心が高かったためだ
と思う。
話の内容はやはりアフガニスタン問題、キルギス問題も含めた地域の安全保障、そして国
連改革、地球温暖化のような問題に関する意見交換が中心だった。さらに外相訪問を機に、
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円借款の署名式も行った。これは中央アジア地域経済協力(CAREC)物流回廊、すなわち
道路の建設で、アジア開発銀行(ADB)との協調融資により、日本が円借款を出して協力す
るというものだ。今年 3 月、サウダバエフ外相が来日した際に日本が支援を表明し、今回署
名に至った。カザフスタンの経済水準は近年急速に伸びており、今後、円借款を卒業するの
は時間の問題だろうが、象徴的な意味でも協力関係ができたと思っている。道路は内陸国で
ある中央アジア地域にとって重要なインフラなので、協力することには意味があると思う。
4. タジキスタン、キルギスタン外相との会談
ウズベキスタンでのマルチの会議の合間には、タジキスタン、キルギスの外相と二国間会
談も行った。まずタジキスタンだが、ザリフィ外相は、外務大臣を長く務めており、英語も
堪能で非常に熟練、卓越した外交官でもある。岡田大臣とは直前に少しカブールで会ってい
たが、しっかり話をするのは今回が初めてだった。会談ではアフガニスタン情勢、タジキス
タン国内の問題、中央アジアの問題について、3、40 分議論がなされた。印象としてはやは
り、ザリフィ外相は非常に熟練しており、やり手だということだ。会談でも、用意した地図
やペーパーを手渡し、日本に支援してほしいという話を積極的に行っていた。同時に地域の
問題についても、かなり意見交換ができたと思う。
キルギスの外相はカザクバエフという非常に若手の大臣であったが、岡田大臣もキルギス
の情勢について生の説明を聞きたいということで、時間を大幅に取り、話を聞いて納得され
ていた。日本はもちろんキルギスを支援するというスタンスで、10 月 10 日の選挙に向けて
支援していきたいと考えている。そのような方向で議論を行った。
なお、後日談だが、会談終了後、岡田大臣は会場となったホテルから車に乗り、次の約束
へと向かったが、その際、日本の車列がホテルの出口を占拠してしまい、キルギスの外相は
車に直ぐ乗れなかったようだ。その時、ホテルの出口付近で随行者と一緒にタバコを吸い、
談笑しているキルギス外相の姿が見えた。仕事を終えた後のほっとした感じが明らかに出る
ほど、にこやかに話していた。ガザクバエフ外相にとっては 1 つのデビュー戦のようなもの
で、無事、大役を果たしたのだろう。オトゥンバエワ大統領からも、メッセージを預かって
きていたのだと思った。
トルクメニスタンも実は、今回の会議に関して消極的ではなかった。昨年、メレドフ外相
が来日した際、岡田大臣と会談し、そのときには「会議に参加する」と言っていた。今回も
最初は前向きで、かつ大臣に代わって次官が出席すると言っていた時期もあった。しかし最
終的には次官が別の重要な国際会議に出席せねばならなくなり、現地大使の対応になってし
まい、非常に残念だった。一つには、トルクメニスタンでは外務省の職員が非常に少なく、
かつ多くのことをしているためで、いたしかたなかったのかと思う。そのような中でも、現
地の大使は会議に参加してしっかり発言し、その後の記者会見にも同席していた。これまで
に比べれば大幅な前進で、今後の会議では、より本格的な形で関わってくれるのではないか
と期待している。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 9 月 15 日
「キルギス政変とロシアの対応」
袴田 茂樹/はかまだ しげき
青山学院大学 国際政治経済学部 教授
1. キルギスの新大統領、ローザ・オトゥンバエワ
キルギスで新大統領に就任したローザ・オトゥンバエワと私は、モスクワでの学生時代、
大学の同じ寮で上下に住み、私は大学院生、彼女は学部学生として同じ学部で同じ指導教官
についていた。私は妻と一緒に 5 年間そこで過ごしたが、彼女は毎日のように私たちのとこ
ろに来て、一緒にウクライナへ旅行したり映画や演劇を見にいったりした。また彼女はマル
クーゼについて学位論文を書いたが、ロシアでは西側の思想家の文献は必ずしも手に入らず、
その辺は私の方がよくわかっていたのでアドバイスもしていた。昨年には来日して私の家を
訪れた。彼女が 18 歳のときから 40 年ほど付き合っているので、彼女の発想法や性格などは、
ある意味でほとんど知り尽くしている。彼女は典型的なソ連の優等生だった。私が当時付き
合っていた知識人らは、ソ連的な体制に極めて批判的な人が多かったが、彼女はそういうタ
イプではなかった。頭が非常に良い人で、話せば大抵のことはわかるのだが、私が述べる社
会为義批判に関しては、最後のところが何か通じず、やはりコンソモルカ(青年共産同盟員)
という感じだった。
ソ連邦崩壊直後には、キルギスのアカエフ大統領がモスクワへ来て、私も彼女の紹介でア
カエフと懇談をした。そのとき彼女が、
「ソ連邦が崩壊してようやく、以前、袴田さんが言っ
ていたことがわかりました」と言っていた。このように、西側的な発想がストレートにわか
る反体制知識人とはタイプが異なる。
ただ、彼女は非常に真面目で、曲がったことが嫌いな人だ。アカエフ大統領時代には、民
为化、改革派ということで、彼女が外務大臣や駐カナダ大使兹駐米大使、駐英大使といった
最重要の対外的ポストを務めた。当初、アカエフは国際的には民为为義者のシンボル的存在
で、旧ソ連諸国の中の指導者では最も民为的といわれていたのだが、その後はネポティズム、
汚職などが問題になった。彼女はアカエフにそのままついていれば高い地位を維持できたの
が、腐敗に向かった彼を批判的に見るようになり、カリスマ的な絶対的権威があったアカエ
フに対しても批判的な立場をとった。このため 2 年ほど左遷され、グルジアのアプハジアへ
送られた。それが逆に今回は、ある意味でプラスになった。つまりグルジアが民族紛争で揺
れているとき、彼女は国連の事務総長代行、民族問題担当の代行という形でアプハジアへ行
っており、その経験が今回は国内での民族紛争への対忚にプラスに機能した。このように彼
女は、権力に媚びるのではなく、自分が正しいと思ったら地位を棒に振っても最高権力者で
も批判する人だ。そしてバキエフ前大統領らと共にアカエフを倒したが、今度はバキエフ政
権が前政権以上にネポティズム、汚職と腐敗のひどい政権になり、結局、バキエフ大統領と
も真っ向から対立して、バキエフ政権そのものを倒すという道に進んだ。
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彼女は外国語も堪能で、母語のロシア語、母国語のキルギス語だけでなく、英語、ドイツ
語、フランス語も自由に話すインテリだ。彼女は体制批判的な知識人とことなり、ソ連が好
きだった。しかしプーチン大統領との正常な個人的関係は構築できなかった。というのは、
アカエフ時代の後半には、権力の座にある者を重視するプーチン政権は当然アカエフを重視
したが、アカエフに批判的になった彼女は、ロシアの指導者と正常な関係を構築することは
できなった。またバキエフ時代にも、モスクワは当然、バキエフを重視した。したがって、
バキエ政権の批判者になった彼女はやはり、モスクワとの関係がうまく行かなかった。そう
いうことの繰り返しが、これまであった。
オトゥンバエワは、最近ロシアのマスメディアでは、彼女は親米派で米国の手先といった
批判も受けているが、これはキルギス革命を拒否する政治的プロパガンダであり、事実とは
異なる。彼女がアメリカやイギリスで大使を務めた際の気持ちも、私は彼女から個人的に聞
いている。もちろんキルギスといえども1国の大使だったので、形式的にはそれなりの扱い
は受けていたのだが、新興の、しかも兵庫県か北海道ほどの人口の国を、アメリカやイギリ
スのような国が本気で大切にする訳ではない。そういう意味では、米国で大切にされたとい
う感じは必ずしもなかったようだ。アカエフ政権のとき、アカエフは民为派として西側から
は非常に高く評価されていたわけで、彼女はその外務大臣として、小さな国にしてはそれな
りに大切にされていたと思うが、何か「相手にしてやる」というようなところがあったよう
だ。もちろん米国の中央アジア戦略に関係しているからである。
親ロ派か親米派かという観点からすれば、彼女自身はもともとソ連的で親ソ的だと言った
が、モスクワからはかなり冷たいあしらいも受けており、ロシアにべったりという訳でもな
い。またアメリカやイギリスの大使を務めていたので西側寄りかというと、西側への理解は
十分にあり、共産党的な考えで対忚している訳でもないが、親米派という訳でもない。人物
的には、このような言い方が可能かと思う。
2. 中央アジアに対するロシアの見方における変化
ロシアが中央アジアをどう見ているかというと、実は 1990 年代には中央アジアどころで
はなかった。ロシアの政治経済が非常に混乱していたからである。また当時政権の座にあっ
た親欧米派の改革派、市場派の人たちは、中央アジアなどを抱え込めば、かえって経済的に
も政治的にもマイナスになると考えていた。このため、むしろ中央アジアからはできるだけ
距離を置きたいという姿勢だった。しかしプーチン政権になり、偶々ではあるが、国際的な
エネルギー価格が上昇し、ロシアは大国としての自信を取り戻した。プーチン自身、それま
での改革派とは発想が異なっていたし、また大国としての自信を取り戻したことでロシアの
中央アジアに対する態度も変化してきた。その典型が、改革派のオピニオン・リーダー、指
導者と見られていた、ヴィタリー・トレチャコフ元『モスコフスキエ・ノーヴォスチ』編集
長、アナトリー・チュバイス元副首相たちだ。トレチャコフは、以前は『独立新聞』の編集
長で、私は個人的にもよく知っている。
『独立新聞』のころから私は何度も記事を書いており、
個人的に意見交換をしている男だ。チュバイスも市場派、改革派のシンボル的な存在だった
が、そういう人たちが大国为義的な発想で平気で物を言うようになった。
トレチャコフが中央アジアに対し、どのような見方をしているか紹介しよう。彼は次のよ
57
うに述べる。
「ロシアは世界の大国に復活した。ロシアはどこかの連盟に加わるのではなく、
中央アジアその他、歴史的にロシアの領土、あるいは影響圏だった地域に独自の連盟を創設
しなければならない」としている。メドベージェフ大統領が「特殊権益圏」と言い出したが、
この発想もトレチャコフが 2006 年に既に明確に打ち出ている。またロシアの対中央アジア
戦略に関しては、
「この地域全体におけるロシアの影響力を、最大限復活させる」、
「この地域
においては無責任な政治勢力やこの地域の諸問題に関する門外漢の支配は排除すべき」とし
ている。さらに「この地域における体制が民为为義的か権威为義的かを問わず、無統制な体
制崩壊(政変)を許してはならない」
、「中央アジアに居住する数百万のロシア人の利権を保
護する」、そして「ロシアの経済的プレゼンスを強化し、中央アジアをルーブル圏にする」、
「中央アジアがアフガニスタンからの麻薬ルートとなるのを阻止する」、「イスラム過激派を
阻止する」、「この地域の国際語、共通語としてロシア語を維持する」、「水問題を含め、この
地域の紛争問題にはできるだけ介入する」、「公然かつ民为为義的に表明された民意に従うロ
シアへの統合は、排除すべきではない」などとストレートに言うようになった。チュバイス
も 2003 年には、ロシアは帝国であるべきだとして「リベラルな帝国为義」を唱えるまでに
なった。現在、カーネギー・センターの所長を務めているトレーニンは、2006 年には「ロシ
アは欧米の軌道に乗るという目標を捨て、独自の道を歩み始めた」と言っていた。
オトゥンバエワは 6 月にキルギス单部でキルギス人とウズベク系住民の紛争が激しくなっ
たときに、ロシアに軍事支援を依頼した。ロシアに復活した大国为義の立場から見ると、こ
のような軍派遣の依頼は、ロシアにとってある意味では絶好の機会だったはずだが、ロシア
は軍の派遣を拒否した。それはなぜか、というのが今日の为なテーマでもある。
3.キルギス政変とロシアの対応:現地メディアの報道を参考に
キルギスの政変では新政権がロシアに軍事支援を求めている。民族的にキルギス人側でも
ウズベク人側でもない第 3 の中立勢力として軍事支援を行うことは、ある意味で、ロシアに
とって絶好の機会だった。しかし、ロシアは軍事支援をしていない。キルギスのロシア軍カ
ント基地に 150 人ほどの空挺部隊を送っただけだ。なぜキルギスに支援軍を派遣できなかっ
たのか。6 月 16 日の『独立新聞』は「单部の都市、オシ、ジャララバドではキルギス軍が不
足しており、警察は買収され、腐敗しきっている。また、臨時政府の指令で、軍は発砲を控
えている。というのは、单部では軍人や住民は皆お互いに知り合いであり、たどれば親戚関
係にあるからだ。また、政府の指令を無視する役人たちも尐なくない。したがって、対立し
ている勢力の双方に対して中立的な、第 3 の武力の導入が不可欠だとオトゥンバエワは述べ
る」としている。それゆえ彼女は、ロシアや CIS 集団安保条約機構に、まず支援を頼んだの
である。
ウズベキスタンの立場だが、私がキルギスでの民族紛争直後に在日ウズベク大使館の外交
官と話したところ、軍事介入をしなかったことを、
「わがウズベクは相当、自制した」と表現
した。しかし、これは自制せざるを得なかったのだと思う。キルギスからの 20 万から 40 万
人ともいわれる難民の多くはウズベク人だった。キルギス内のウズベク人の保護ということ
で介入した場合、ウズベク内の民族問題に発展する可能性がある。フェルガナ盆地のウズベ
ク側にも多くのキルギス人がいるので、ウズベク国内でも収拾がつかなくなってしまうのだ。
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『独立新聞』では、
「ウズベキスタン外務省筋によると、フェルガナ盆地のウズベク側に 100
万人のキルギス人が住んでおり、もしキルギスに介入すれば、民族紛争の火はウズベク国内
に飛び火するので、介入できない。ウズベク国内が不安定になるからだ。民族が入り組んだ
フェルガナ盆地は、政治力でかろうじて秩序が保たれており、対忚を誤ると民族紛争が火を
噴く危険性がある」としている。また、ロシア軍参謀本部は軍事対忚の準備をしていたとい
う。そのため 6 月末に極東で実施する予定だった軍事演習「ヴォストーク 2010」の計画は急
遽、縮小された。ロシア軍は択捉島でもこの計画に従って演習を行っている。レオニド・イ
ワショフ将軍は、
「キルギス政府が公式に部隊の派遣を要求しているのに、なぜか、ロシア指
導部は断固たる措置をとることを躊躇している」と言っている。一部のロシア軍指導部には、
絶好の機会なのに、という見方がある訳だ。
1990 年にもキルギスで民族紛争が起き、そのときはソ連軍が介入して治めた。イワショフ
は今回の問題は長く続くと見ており、
「この問題は国連や北大西洋条約機構(NATO)の関心
を呼ぶだろう。ロシアがキルギスに背を向けるなら、他の諸国が軍事介入するだろう。そう
なると CIS 安全保障条約機構とロシアにとって、地政学的な敗北となる」と述べている。こ
のように、一部のロシア軍指導部は、欧米への対抗という観点からも尐し焦ったのだ。
また、『独立新聞』は、次のような見解を報じている。
「現状はキルギスの臨時政府の無力を示しているが、ローザ・オトゥンバエワは、メドベ
ージェフ大統領との会談の前に、CIS 安保条約機構に支援を依頼している。しかし CIS 安保
条約機構は部隊ではなく、物的な支援を約束しただけだ」
「民族紛争が始まって 4 日後の 6 月 14 日に、モスクワで CIS 安保条約機構加盟国の安全
保障会議書記会議が開かれた。ニコライ・ボルジュージャ CIS 安保条約機構書記長は、
『CIS
安保条約機構は平和維持部隊や中央アジア緊急展開連合部隊を有しているので、必要な対忚
を行うが、重要なのは総合的な対忚である』と述べる。彼の意見では、キルギスには兵力は
不足していないが、不足しているのは兵器や輸送手段、軍事物資、軍事機器、燃料などであ
り、それらを CIS 安保条約機構が支援する用意はあるという」
「CIS 安保条約機構がその加盟国のひとつに平和維持軍を派遣する場合、その決定を下す
のは同機構に加盟しているすべての国の大統領である。このことが、事態を困難にしている。
というのは、例えばアルメニアやベラルーシにとって、キルギス問題は直接自国に関係ない
からだ。キルギスにしても、ナゴルノ・カラバフの紛争解決のために自国軍を送ろうとはし
ないだろう」
、
「CIS 安保条約機構は、悲劇的な状況にある、事実上この機構は無力だ」
また、ロシアはロシア人を保護すると言っており、そのために軍隊も出すことがあると、
最近公然と为張するようになった。キルギスには 5%のロシア国民がいるので、法的にはそ
の保護という形で出せないこともない。しかも、キルギス大統領のオトゥンバエワがそれを
要請しているのであれば、なおさらだ。
では、キルギス新政府がなぜロシアに支援を要請しただが、私がキルギス大使館で尋ねた
ところ、
「要請したが、その後断った」とのことであった。その時はその意味がよくわからな
かったが、それについて、
『ノーボエ・ブレーミャ』誌は次のように伝えている。
キルギス政府高官は匿名を条件で、本誌に次のように述べた。
「ロシアはキルギス单部に部
隊を送り込む用意はあったが、派遣の条件は、6 月 27 日に計画している、議会民为制への移
行を謳った新憲法への国民投票を止めることであった。つまり、大統領制を維持することで
59
ある。キルギス政府はそれを拒否した。
そして問題は、6 月 27 日にメドベージェフ大統領がカナダで、キルギス革命についてかな
り厳しい発言をしたことだ。彼は次のように述べている。
「今日のキルギスをどのように統治するのが良いのか、それは大変複雑な問題だ。あらか
じめ述べておくが、もちろんこれは同国の内戦問題である。しかし、今日でも新政権の正統
性が低く、したがって政権への支持が多くの問題を生む状況にあることを考えると、キルギ
スで議会制共和国のモデルがどのようにしてまともに機能するのか、私には想像できない。
無数の諸問題を他に転嫁するだけ、諸問題を議会内でたらい回しにするだけ、全権をある者
たちの手から他の者たちの手に無統制に引き渡すだけ、ということにならないか。その結果、
結局は(イスラム)過激勢力が権力の座につくということにならないか。そうなった場合、
我々はそれを傍観している訳にはいかない。というのは、キルギスは我々に近い国で、戦略
的なパートナーだからだ。キルギスの将来に関しては、国家の崩壊という最も不幸なシナリ
オも含め、あらゆる可能性がある。そのようなシナリオを避けるためには、強力でよく組織
された政権が必要だ。どのようになるか、今後に注目している」
その後、駐日キルギス大使および参事官とメドベージェフの厳しい発言に関して話をした。
彼らは、メドベージェフはリベラルなはずなのに、プーチンより発言が厳しい、と述べた。
またこの発言は、キルギスでの 6 月の国民投票直後にされている。国民投票ではオトゥン
バエワも新憲法も 91%の支持を受けている。投票率も 69%であったが、それでもまだ正統
性が不十分だと言っているのである。メドベージェフはリベラルといわれ、本来であれば、
オトゥンバエワのより民为的な政治変革をプーチンより支持しても良さそうだが、実際は逆
だ。プーチンならここまでストレートに厳しいことを言わなかっただろうというのが、キル
ギス大使たちの感想だった。
ロシアには様々な新聞があり、
『独立新聞』などはモスクワの日本大使館もかなり支援して
いる、比較的客観的に情報を扱う新聞だといえる。特に、CIS 関係の記事が多い。それに対
し、
『エクスペルト』は、より政権寄りと言える。しかし『独立新聞』も全体の報道を見ると、
キルギス革命に対してきわめて厳しいトーンだ。取材は为としてバキエフ政権時代の政府幹
部、議会幹部らにしており、新政権のリーダーたちのインタビューはほとんどない。6 月の
国民投票直前の『エクスペルト』誌は次のように報じている。
キルギスの状況は最悪だ。歴史的に国家形成の経験がなく、経済的な基盤も弱体で、政治
的にはキルギスの指導部は、他の中央アジア諸国と比べても理想为義(ロマン为義)的、か
つ恣意的である」
、
「政治的な理想为義と民为为義理念は、国家そのものの崩壊をもたらした。
臨時政府は諸状況から判断して、全く無能で統制力のない政府だ。国は略奪者と犯罪グル
ープの手に渡った。火を噴いた民族紛争と、非人道的な破局により、臨時政府は最後の頼み
の綱として、ロシアにすがった。ロシアはこの地域に対する影響力を徐々に失った。ロシア
が軍を派遣して、中央アジアの危機的な状況に深入りするかどうかは、今後ロシアが中央ア
ジアにおける戦略的な目標と課題をどのように定めるかにかかっている。また、クーデター
で政権を転覆させた正統性のない政府の要請で为権国家に軍を派遣した場合、国際的にロシ
アの評価を著しく傷つける。ロシアはジレンマに直面している。もし軍事介入したなら、そ
の軍事的、経済的負担は巨大なものになる。政治的にもこのような緊張状態でロシア軍が介
入した場合、ロシアはキルギス、ウズベク両国を敵に回す可能性がある。紛争地域に秩序を
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確立するためには、相当手荒い手段が必要だが、ロシアはそこまでやるつもりはない。しか
し、他方では、生じている事態を座視したならば、中央アジアがロシアの影響圏から最終的
に離れて、ここに米国の平和維持軍とかワッハーブ派などがのさばるかもしれない。また、
多くの難民やアフガニスタンからの麻薬の流入が生じる可能性もある。
ここには、キルギス革命に対する非難だけでなく、ロシアのジレンマもはっきり表れてい
る。
結局、キルギスの新政権は革命政権なので、しかも大統領制から議会民为制への移行を革
命の柱に掲げているので、ロシアやウズベキスタンもカザフスタンなど中央アジアの周辺の
国々は支持する訳にはいかない。
『独立新聞』は国民投票の翌日、キルギスのニヤゾフ将軍の
次のようなインタビュー発言を報じている。
今日の混乱にどれだけイスラム過激派が関与しているか明言できないが、政権の内部から、
明日にでも事態がひっくり返されてもおかしくない。これはイスラム過激派の問題もあるし、
政権内での闘争もある。連中は女性(オトゥンバエワ)を盾にその陰に隠れてあらゆる混乱
を引き起こし、そのために金をばらまいたりしている。つまり、臨時政府は事実上、国民の
信頼を失った。今回の国民投票を臨時政府は救世为と見ているようだ。しかし、ナンセンス
だ。およそナンセンスである。国民投票は大がかりな不正(ペテン)なくしては不可能であ
る。
また 6 月 16 日付の『独立新聞』では、
「キルギスになぜ支援軍を派遣できないか」という
内容の記事が掲載されている。キルギスでは結局、单部の警官などは、腐敗、汚職、麻薬関
係の当事者である。当局者が麻薬関係組織を庇護しているのではなく、自分たち自身が麻薬
商売をやっている。したがって、麻薬の取り締まりに関しても、内務省や警官はほとんど当
てにできない。だからこそオトゥンバエワはロシアのような「第 3 の武力の導入が不可欠だ」
と言ったのだ。
さらに CIS、あるいは集団安保条約機構は結局、無力ではないかと指摘する専門家も多い。
6 月 21 日付の『独立新聞』は、EU がギリシャで経済危機が起きたとき、直ちに支援を行い
共同決議も出したことに触れ、次のように述べる。
キルギスの国民や、他の CIS 諸国の国民も、CIS の首脳が対策を検討するために首脳会議
を開くことを望んでいた。多くの住民が殺され、大量難民の発生で隣国も危険に陥った訳で、
首脳会議開催のこれ以上の重大な理由はないはずだ。しかし CIS は待機し、傍観しただけで
あった。キルギスもメンバーである集団安保機構は、機動隊を投入する理由はないとただち
に決定した。ロシアも自国の平和維持軍をキルギスに投入する理由はないとした。クレムリ
ンは、財政的、技術的、人道的支援を行っただけだ。ただ、ロシア国民はそれを支持してい
る。自分たちの息子がなぜ、キルギスで血を流さなければならないのか、と思っているから
だ。ロシアは大国として復活したというが、これら諸般の状況を見ると、国際的どころか地
域的にもリーダーシップを発揮できていないではないか。
7 月 8 日付の『独立新聞』には、欧州安全保障・協力機構(OSCE)が部隊を派遣しよう
としたが、キルギスが断った理由が次のように書かれている。
オトゥンバエワは「混乱は生じるかもしれないが、何とか自力で対忚できる」と述べた。
またキルギスのイサコフ将軍は、「OSCE の警察部隊導入によって、キルギスは罠にはまる
かもしれない」と述べている。ロシアの専門家はこのような慎重な姿勢を、
「ロシアとの信頼
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関係維持のため」と見ている。これは結局、ロシアが OSCE を、覆面をした NATO と見て
おり、キルギスが OSCE の軍隊を入れれば、ロシアとの関係を決定的に悪化させる恐れがあ
るからだ。
7 月 8 日付の『独立新聞』はさらに次のように指摘している。
たとえ OSCE でも外国部隊が入ると、单部を支配している諸勢力は今は対立していても団
結して、それを「占領軍」と称して対抗する可能性がある。OSCE の部隊が单部に入ること
は、犯罪集団にとっても、麻薬密輸組織にとっても、また彼らを庇護している現地の当局者
たちにとっても、不都合だからだ。外国軍隊が入ると、彼らが『占領軍との闘争』のため、
極右的な愛国为義を煽るだろう。住民は OSCE に対して信頼を抱いていない。今はカザフス
タンが OSCE の議長国だが、ナザルバエフ大統領が OSCE を統制している訳ではないから
だ。
また発行部数が最大である『論拠と事実』紙の 7 月 21-27 日号には、キルギスの現地へ行
ったロシア人による報告が出ており、ロシア人の見方をよく示している。ロシア人は、キル
ギス人が皆、
「ソ連時代は良かった」
、
「最高だった」、
「ロシアに再び合併してほしい」と言っ
ていると言う。しかし、ロシア人には、キルギスのような貧乏国を取り込むと、重荷になる
という気持ちもある。したがって、
「アメリカがハイチを併合するか」、
「EU も経済的に条件
を満たさない国は仲間に入れないではないか」、「ロシアがキルギスのように資源もない、借
金しかない貧乏な国をそうする必要があるのか」といった言い方もしている。
このほか、キルギスの单部のオシの市長が、中央の言うことを聞かないという指摘もされ
ている。オシの市長は前大統領と密接な関係にあり、ビシュケクに呼び出されてもその要求
を受け入れずに帰った。そしてオシの市民が何千人も集まり、彼を凱旋将軍のように迎えた
という。私が直接キルギスの大使や参事官に聞いたところ、オトゥンバエワは頻繁にオシに
行っているということだった。分離为義の傾向のある地域なので、ここに大統領府の特別な
ビューローをつくり、特別の対忚をしているようだ。
キルギスに限らず、貧困が過激派の土壌になっているとよく言われるが、それは必ずしも
正しくない。9 月 6 日付の『独立新聞』の記事を見ると、これはロシア单部のダゲスタンの
話だが、過激派の背景は、貧困や失業ではないとのことだ。実際には、イスラム過激派の多
くは高等教育を受けた、しばしば富裕層の若者、学生、スポーツマンであり、学者もいる。
そして問題は、警察や司法関係者の子供にも過激派が増えていることだという。8 月にテロ
リストの掃討作戦が展開された際、捜査当局や司法組織の指導者の子息たちが多く掃討作戦
で殺されたそうだ。ある警察大佐の子は、汚職にまみれた自分の父親を委嘱殺人に委ね、自
らは父の銃を持って森に消えたという。過激派との闘争を任務とする省庁の幹部の子たちが、
世界的に影響のある過激派の諸グループに加わっているというのだ。このように、過激派と
いうと、すぐに貧困と結びつけられるが、それよりも彼ら自身が自分たちの意見をしっかり
表明し、自分たちが政治の場で活動できる場が奪われているという事実があり、これらの行
動はそれに対する抗議だというのである。
最後になるが、結局、ではキルギスでは議会制民为为義がうまく行くのかが問題なのであ
るが、私は率直に言って、かなり難しい課題だと思う。もちろん、バキエフ政権のような酷
いネポティズム、腐敗、汚職を今後防ごうという新政府の姿勢は正しい。ただ、エミリ・パ
インというロシアの学者も指摘していることではあるが、ロシアが低信頼社会であり、低信
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頼社会でいきなり欧米的な人権を正面に出して法治国家、立憲国家を確立することは非常に
難しい。強力な政府や指導者が存在しなければ経済、社会は安定しない。しかし、安定のた
めの強力な権力が、実際には腐敗、汚職、無法状態をますます強めていくという悪循環があ
る。混乱やカオスを最も恐れるロシアや中央アジアで、民为化よりも「安定」が優先される
のは避けられない。しかし「安定」の美名は、しばしば指導者層の腐敗や汚職を隠す、また
既得権益を擁護するイチジクの葉となっているのも事実だ。ドミトリー・フルマンというロ
シアの学者によれば、キルギス人は自分たちの民为为義を好んで「ステップ民为为義」と言
っているという。指導者が実際には終身独裁制で国民も大統領批判ができないウズベキスタ
ンやカザフスタンとは異なり、キルギス人は平気で大統領批判のデモや集会を行い、権威为
義を受け入れない伝統がある。ではキルギス人が言うように、これが本当に民为为義的かと
いうと、そうではなく、むしろステップ的な無政府为義だという。そしれキルギスの深刻な
問題は、弱体な権威为義と、弱体な民为为義が交互に起きていることだとフルマンは指摘し
ている。
私はキルギス社会では、近代的な法とか契約がなかなか守られないという意味では、ロシ
ア以上に信頼のレベルが低い社会だと思っている。だからこそ、議会制民为为義がどれだけ
定着するか、非常に難しい問題だと思えるのだ。私はキルギスの国営テレビの長時間のテレ
ビ・インタビューを受け、6 月 27 日の国民投票前日 26 日に何度かキルギス全国で放映され
た。そこで私が強調したのは「腐敗、汚職にまみれた指導者を追放したのでキルギスは民为
的だというが、実際には国民生活の中で腐敗、汚職が山ほどはびこっているのではないか。
生活の次元でも法よりコネや縁故で物事が決まっているのではないか。生活の中で自分たち
自身がしっかり法を守るというアプローチなしに、民为为義も改革もあり得ない」と厳しい
言葉を述べた。また、40 年以上親しく付き合っているオトゥンバエワの人柄についても私の
印象を述べた。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 10 月 27 日
「最近のウズベキスタン情勢」
平岡 邁/ひらおか つとむ
前ウズベキスタン特命全権大使
ウズベキスタンのこの 3 年間の変化
本日は、3 年間の勤務で受けた印象を中心にお話したい。
私は、2007 年 10 月 2 日に着任し 2010 年 9 月 22 日に帰国した。この 3 年間のウズベキス
タンの変化の印象として 3 点ある。一つ目は国際関係である。私が着任した 2007 年当時は、
アンディジャン事件等で西側との関係が非常に悪く反西欧的な傾向があった。しかし、この
3 年間に急激に親欧米に傾斜したという印象がある。米国のアフガニスタン戦争に対する協
力(非殺傷物資の域内輸送)が進展し、欧州については、2008 年に要人に対するビザ発給停
止の解除、2009 年には武器輸出の制裁の解除と、アンディジャン事件後に決められた制裁の
解除が急速に進んだ。また私が離任する間際、カリモフ大統領が国連総会に出席した。カリ
モフ大統領は就任後の 19 年間殆ど国連総会に出席しておらず、今回の出席は 19 年間で三回
目となるが、かなり画期的なことであったのではないか。
二つ目として、経済が尐しずつながら着実に進展している印象がある。私が着任した当初、
入れ替りに離任したフランス大使を表敬訪問した際、彼が着任した 3 年前はサマルカンドと
の間の道路には車が殆ど走っていなかったが、今はかなり走るようになってきた、とおっし
ゃっていた。私の印象も同じである。今は、サマルカンドとの間の道路にはたくさん車が走
っているし、タシケントの中では渋滞が発生し、小さなラッシュアワーが生じる状況である。
店やレストラン、スーパーも次々と増えてきており、人々の生活もかなり華やかさを増して
いるという印象を受けている。
三つ目として印象に残っているのは、着任当初、英語を話す人はほとんどいなかったが、
今は若い人で英語を話す人が非常に増えてきており、彼らは西欧の人達とあまり変わりがな
い状況である。政府幹部も英語を勉強されているのか、だんだん英語がうまくなり、ある程
度話せるようになってきている。以上の 3 点が印象に残っていることである。
ウズベキスタンの政治情勢
このようにウズベキスタンは着実に前に進んでいる印象を受けているが、次に、政治、経
済、国際関係状況についてお話したい。
2007 年 12 月に大統領選挙が行われカリモフ大統領が再選された。2009 年 12 月から 1 月
にかけては、議会上下院の選挙が実施された。この二つの選挙がつつがなく行われ、全般的
には政治的に安定し統治機構がしっかり確立しているという印象を受けた。カリモフ大統領
の指導力が非常に強いわけであるが、大統領個人というよりも国家としての統治体制が確立
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されているという印象である。ウズベキスタンのどんな地方に行っても、いわゆる困窮して
いるような不安定な状況は見ることがなかった。子供たちもきちんと靴を履き、服を着てお
り、テレビのアンテナも立っている状況である。急速な経済成長があるとか、世界の先端を
行っているわけではないが、皆そこそこに安定した生活をしているのではないか。また大き
な反体制運動の動きがみられる状況でもない。もちろん経済的な不満や閉塞感は人々の中に
はあるものと思うが、体制を覆してと言うところまで不満が高じているわけではない。人権
状況については西欧に根強い批判があり、アンディジャン事件もあった。確かに政治的には
カリモフ大統領の力が強く、報道の自由や政府批判等が許されている状況ではない。しかし、
人の生命や生活と言った人権そのものに対する抑圧という点では、他の人権抑圧国と言われ
る国に比べると深刻なものがあるという印象は受けていない。
さらに中近東含めて中央アジアにとって大きな問題であるイスラムについては、元来中央
アジアはスーフィズムで伝統的に穏健である。加えて、旧ソ連支配の 80 年間に国民は非常
に世俗的な教育を受けており、ヘジャブ等を見ることもなく、お酒も非常に自由になってい
る。
今後の政治的な不安定材料として、カリモフ大統領の「高齢問題」がある。現在 72 歳で
あるのでいずれ自然的な条件によって政権交代は避けられず、これがうまくいくかどうかと
いう不安材料はある。ただ、先ほど述べたとおり、統治機構がしっかりしているので、私は
体制内の交代になろうと思っている。いわゆるカラー革命のように民衆あるいは反体制派が
覆すというような状況は想定されないのではないか。ウズベキスタンはカリモフ大統領が非
常に強権的ではあるが、彼の独裁というわけではない。歴史的経緯もあり、ブハラ閥、サマ
ルカンド閥、タシケント閥、あるいは機関でいえば、保安庁、経済関係の省庁を押えている
人達とのバランスによって成り立っているので、これらの体制内の妥協によって新政権が成
立するのではないかと思う。もちろん経済利権をめぐる小規模な争いが起きる可能性は視野
に入れておくべきであるが、それが大事に発展して、グルジアのような状態、あるいは以前
のウクライナのようなことになるとは思っていない。
ウズベキスタンの経済情勢
経済については漸進为義をとっている。先ほど街の車が増えていると申し上げたが、マク
ロ数字的にみると、2004 年以降成長率は7%台であり、2007 年、2008 年は 9%、2009 年は
世界経済危機があったが、8.1%の成長を達成し着実に前進している。世界経済危機の際には、
しわ寄せがきてかなりの打撃を受けるのではないかと危惧したが、結果的には 8.1%の成長が
あり、非常に抗堪性のある経済を構築していることを立証した。事実、世界経済危機に関す
る話題はいろいろとニュース等で見たわけであるが、社会的に大きな影響をウズベキスタン
が受けた兆候はなく、これは驚いたところである。
またナボイ経済特区も進展している。3 年前に私が着任した直後にこの経済特区を視察し
たが、だだっ広い野原があるだけで何もない、アウト・オブ・ノウフェア(out of nowhere)
という場所であったが、今回帰国前の 8 月下旪に訪問すると淡々と整備が進み、工場の建屋
が建築されている状況であった。このことからも経済は急激にではないが、着実に前進して
いるという印象を受けるわけである。経済成長の大きな要因として、为要輸出産品のガス価
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格がこの数年で約 3 倍になったこと、綿花市況がよかったこと、金価格やウラン価格の上昇
が寄与しているのではないか。
政府の経済政策の基本は、市場経済化の推進であるが漸進为義であり、尐しずつ進んでい
る状況である。未だ大企業はほとんど国営で、民間企業が GDP に占める割合はまだ 45%前
後である。金融分野の民営化についても限られており、ほとんどの大銀行は国営で、対外経
済銀行やアサカ銀行といった国営企業が総資産の 5 割近くを占めている。金融界が発展しな
いと、新たに中小企業が起業する際の資金融資が困難であるので、経済成長のためには、銀
行、金融の健全化が急務である。ただし、銀行がほとんど国営ということは、取り付け、倒
産ということが起きない、つまり破綻することがない訳で、いつまでも経済成長を続けられ
る状況にある。ちなみに財政収支は良く、ほとんど黒字である。世界経済危機の際、約 10%
の赤字になったが、通常は黒字である。国際収支も黒字であり、約 1 年分の輸入の外貨準備
を有している。
我が国企業が関心をもつビジネス環境としては、通貨の兌換の問題つまりその困難性、銀
行からの現地通貨引出しの制限、輸出時の外貨売上げの 50%強制買上げ、制定法と実際上の
法の運用との乖離、煩雑な行政手続、統計の公開性等まだ完全といえない面がある。このよ
うな側面があるが、ナボイ経済特区等をみても決して後戻りをしているという状況ではない。
ウズベキスタンは中央アジアの中心に位置し、人口も中央アジア最大で、ガスや資源もあ
る。たとえばタングステンの産出は世界で 7 位、ウランも世界 7 位、綿花は世界 6 位、金は
我が国がかなり輸入しているが世界 8 位と言うように非常に資源が豊富である。レアメタル
は、タンタル、ニオブ、モリブデン、リチウム等が産出されている。これらを踏まえて非常
にエンカレッジングな点は、独立直後より海外に留学して市場経済に慣れた人々が、独立後
19 年でようやく 40 代後半になりつつあり、今後指導的に立場に立つ可能性がある。そうな
ると市場経済化、法の支配などに向け大きく舵がとれられる可能性がある。このような変革
は伝統的な社会構造と深く関係してくるので、卖に留学経験があるからと言って大きく変え
られるのかわからないが、可能性は強い。これは先程述べた英語で話す人が非常に増えたと
いう印象からもそう考えている。
ウズベキスタンの長期的課題
このような経済状況を踏まえて、長期的な問題としては人口ピラミッドの構造があり、人
口の半分以上が 25 歳以下という構造である。ウズベキスタン政府は教育予算にかなり配賦
しているが、考える若者に教育を与えるとともに、卒業してくる若者に十分な職を与えるこ
とが非常に重要な課題になる。従って今後の経済成長が急務である。現在、漸進为義をとっ
ているが、経済成長に当たって、急激に自由化をして、現在一人当たり 1000 ドルの GNP が
3000 ドル近くになったときに、貧富の差が拡大して社会不満が増大しないか、これをうまく
コントロールできるかがひとつの課題になるであろう。
国のあり方としては、かつては共産为義が国民、社会のモラルの中心であった。共産为義
崩壊後その代わりになるものとして、宗教、即ちイスラム教を導入することは国の政策とし
てありえない。そうすると何をもって国家の、国民のモラルとなる価値体系を形成していく
かという問題がある。現政権はティムールをもとにするナショナリズムをひとつのバックボ
66
ーンにしようと考えているように見受けられる。しかし、ウズベキスタンは多民族国家であ
り、しかもティムール自身がチャガタイ・ハン国系の人間であるので、ナショナリズムでど
こまでやっていけるのか、非常に難しい問題である。軍はどうかと言えば、共産为義の伝統
で軍は社会の中であまり重要な位置を占めていない。また汚職による徴兵逃れもある状況で
軍が国家、社会の価値体系の中心になることは困難と思う。
ウズベキスタンの国際情勢
次に、国際関係であるが、2005 年 5 月にアンディジャン事件がおきて西側の批判があって
以来、ロシアとの同盟条約締結あるいはユーラシア経済共同体への参加、CSTO(集団安全
保障条約機構)への復帰、米軍のハナバート基地からの撤退と、急速に脱西欧化、ロシア回
帰の流れがあった。私が着任した 3 年前、西側の各大使に表敬したとき、ウズベキスタンの
西側への再接近の兆しというものがあり、それらに対して西側諸国は前向きの姿勢であった。
つまり、人権問題はある程度横においても関係回復をしたいという姿勢を示していたが、そ
の後 3 年間で親欧米化へと急速に進展している。これはアフガンへの協力、EU の制裁解除
のみならず、特に米英はじめ西側各国への貿易ミッションへの派遣が実際に起きている。具
体的な企業では、韓国の大宇自動車が倒産したときにアメリカの GM が年産 22 万台の自動
車工場を買収し、その後新にエンジンとシャーシを組み合わせた部分の工場を建設するとい
う動きになっている。ドイツのマンのトラック生産、ダライムラーのバス、あるいはパイプ
ラインへのハネウエルによるガス圧縮機器の売却等も進展している。
ただこれらを考えるに、ロシア寄りだった国が西側寄りになったのではなく、もともとウ
ズベキスタンは西側寄りであったのではないか。2001 年に9・11がおきたとき、すぐアメ
リカにハナバートの基地使用を認めている。2005 年に不幸なアンディジャン事件があり、関
係が悪化したが、それが元の状況に戻ってきたのではないか。
ウズベキスタンには外交活動原則に関する法律がある。これは建前であり、状況により適
用に差異があるが、その原則には、
(一)イデオロギー的関係を結ぶことなく、平等互恵関係
を各国と築く、
(二)国際機関活動に積極的に参加し欧州、アジアの安全保障に参加する、
(三)
いかなる軍事・政治ブロックにも参加しない、と定めている。いわゆる、非同盟外交が建前
である。最近の西側への接近もこの原則に則っているのではないかと思う。アメリカや西側
への接近は、アジアの安全保障すなわちアフガンの解決に寄与するという原則で動いている
可能性がある。ウズベキスタンとしてはロシアにアフガン紛争の解決能力があるとはみてい
ない。最近の地域安全保障への影響の観点からは似たような状況であるキルギス情勢にも多
大な関心を寄せている。多方位外交の面では、西側との関係が悪かった当時も、韓国、日本
との関係を維持し、特に韓国との経済関係は非常に発展の兆しが見える。
ロシアとは、ユーラシア経済共同体参加の停止、CSTO 緊急展開部隊への不参加と、一定
の距離をおいている。そのような中で私が非常に注目しているのは、今年 7 月から関税同盟
が始動していることである。関税同盟の運用面の実態や CIS 特点関税の取決めとの関連はよ
くわからないが、域内の加盟国はカザフスタンのみであり、中央アジアに横に線を引くもの
である。
ウズベキスタンの近隣諸国との関係であるが、上流国のタジキスタン、キルギスタンとの
67
関係は相変わらず悪く、特にタジキスタンとの関係が悪くなっている。しかし、今般のキル
ギス情勢には自国への影響という意味で大きな不安を抱え、国際社会にもキルギスの支援の
働きかけをしている。先に述べた関税同盟という横の線が中央アジアに引かれているという
のは私の個人的な見方であるが、ここで縦の線も引かれる可能性があると思っている。上流
国のキルギスとタジキスタンは唯一の資源は水資源であり、これを利用したいと思っている。
これに関連して、プロジェクトのひとつにカサ 1000 (CASA-1000)というプロジェクトがあ
る。これはセントラル・エイジア、サウス・エイジア 1000 という名称で、上流国で発電し
て、パキスタン、アフガニスタンに売電する計画であるが、ロシアがこれに関心を示してい
る。下流国、ウズベキスタンやカザフスタンの利益を無視しても協力することになれば、こ
こに縦の線が引かれる。中央アジアへの中国の進出は非常に強く、ロシアとしてはそれに対
抗する意図もありえる。ただ、ロシアは以前から中央アジアには特別の利益があると言って
いる国なので、これにより中央アジアが分割統治される恐れもある。
ウズベキスタンと日本の関係
我が国との関係であるが、1997 年の橋本総理大臣のシルクロード外交、2004 年 8 月に川
口外務大臣が「中央アジア+日本」をキックオフし、2006 年には麻生外務大臣による講演「中
央アジア、平和と安定の回廊に」がなされ、続いて「中央アジア+日本」対話における行動
計画の採択がなされている。
「中央アジア+日本」対話では、2006 年以来外相会合は行われ
ていなかったが、本年 7 月にタシケントで第 3 回「中央アジア+日本」対話外相会合が開催
され、大使が出席した。トルクメニスタンを除く 5 カ国の外相が出席した。その議題は二つ
あり、非常に大局的なものであったが、第一議題「地域の平和と安定に向けた各国の取り組
みと協力」
、第二議題「地域の経済発展と繁栄に向けた各国の取り組みと協力」ともについて
広範に議論がなされ、各国ともこの枞組みに対する積極姿勢を示し、その参加にコミットメ
ントを示した。来年に SOM(高級事務レベル会合)を東京で開催し、その 1 年後に外相会
合を東京で開くことに合意している。
また、2002 年にはカリモフ大統領が訪日した際、戦略的パートナーシップに合意し、2006
年に小泉総理がタシケントを訪問してこれを確認している。2007 年には、甘利経済大臣が訪
問して、レアメタルやウランの探査について合意した。
今年、民为党政権になってから、今の菅総理が財務大臣として ADB 総会のために来訪し
カリモフ大統領やアジモフ副首相と会談している。8 月には「中央アジア+日本」対話外相
会合に岡田外務大臣が出席し、カリモフ大統領、ノロフ外務大臣と会談している。一方、ウ
ズベキスタンからは 4 月にガニエフ副首相兹対外経済大臣が訪日して、投資セミナーを開催
している。
中央アジア、ウズベキスタン関係の考え方
このような状況の中で、我が国としてどのような考え方で中央アジアに臨むべきか。一つ
目は、中央アジアはユーラシア大陸の中心で天山山脈と北方のツンドラ地帯の間を抜けた出
口にあり、ユーラシア大陸における東西单北の交通路の交差点である。この中央アジアを押
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さえた勢力が、ユーラシア大陸の中心部のあり方を、ひいては中央アジア更にはその東西を
結ぶ交流があるかどうかを含め、ユーラシア大陸の姿を決定するものと思われる。事実、歴
史的にも、中央アジアの時代は、シルクロードが栄えた唐や玄の時代のように開放され、東
西单北の連接地点として繁栄し、ユーラシア大陸に交流と繁栄をもたらした時代と、他方で、
アラブ、ロシア、ソビエトの時代のように自身の繁栄もユーラシア大陸の交流と繁栄も失っ
た時代の二つに分かれている。現在のアフガンや北西パキスタン等も、中央アジアが 19 世
紀後半からロシア、ソビエトによって閉ざされていなければ、これほど発展が遅れ、紛争地
域になっていなかった可能性も強いと思われる。
我が国は世界全体において、自由为義経済、自由交流を推進することで繁栄している国で
あり、中央アジアを開かれた地域にすること、ひいてはユーラシア大陸を昔のように、発展
し、交流、繁栄する姿にすることによって利益を得ると思われる。
いわゆる大陸国家というものがある。即ち、内陸に国家の重心があり、アウタルキーつま
り自給自足が可能な広大な人口と領土をもっている国家であるが、そういう国で後発経済を
抱える国は、歴史的には実際上の国境線を拡張し、また範囲を拡大して囲い込むという発想
がある。これに対して日本は海洋国家であり、英米のように世界に拠点を置き、全体を開放、
自由化しようとする発想がある。これはいわば大陸国家が線の発想だとすると面の発想にな
る。かつての3B 政策(ベルリン・ビザンチン・バクダット)はまさに勢力線を拡大させて
いく発想であるが、3C 政策(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)は拠点を押さえて、全
体を面的に開放、自由化しようという発想であり、違いがある。この違いは、あるいはマハ
ンの海上戦略とゴルシコフのソ連海軍戦略の発想の違い、マハンの基地を世界中の拠点に設
け影響力を面的に広げようという考え方と、ゴルシコフの内陸を守るために海上防衛線を拡
大しようという発想との違いによく表れている。
先に述べたように中央アジアはユーラシアの要衝の地であり、中央アジアがユーラシアの
姿を決定する。そういう意味で、中央アジアはユーラシア大陸のあり方を決める上での決定
的な地域であると思う。日本としてもその認識を持ち中央アジアに働きかけていく必要があ
る。
第 2 点目として、中央アジアは 1991 年の独立以来、ロシア、アメリカ、欧州、中国、韓
国、日本など各国が浸透を図りせめぎあっている地域である。このような地域では外交が大
きな役割を果たす。我が国としてどのように重点を置くべきか。中央アジア各国は人口も尐
なく、国家としても卖位が小さいので、中央アジア全体を開かれた地域にし、各国間の協力
関係を推進することを目指すべきである。これはまさしく、我が国の「中央アジア+日本」
対話の理念そのものである。その際、中央アジアで最大の人口を擁し、地理的に中央アジア
の中心に位置し、アオシス定住民族の伝統を有し、歴史的にも中央アジアの行政、産業学術
の中心であったウズベキスタンが牽引するのが適当でないかと思う。右を念頭に我が国も中
央アジアを政策の展開をはかるべきではないか。もちろんカザフスタンも我が国にとって経
済的に重要な国で資源もたくさんある。ただ、日本为導の中央アジア+日本の対話を進めて、
これにカザフスタンを引き寄せるべきであると思う。先ほど、中央アジアに横の線が引かれ
ていると申し上げたが、カザフスタンが中心になった場合に、その横の線が下がって、中央
アジア全体がロシアの強い影響下になっていくという可能性もある。実際に 30 年くらい前
まではアフガンまでその線が下がっていたのであり、あり得ないことではない。現代はグロ
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ーバル経済で非常に利益が錯綜して、重層的であるので、かならずしも囲い込むという状況
は起きないかもしれない。しかし、歴史的には、大陸国家は勢力線を拡張して、いざという
ときには囲い込むという発想があるので、その線が中央アジア全体の单まで降りた場合、資
源の安定的輸入の確保などの面で我々にとり必ずしも安心できる状況にはならないと思われ
る。
3 番目として、ウズベキスタンはどういう国かというと、日本と欧米を含め各国にとって
交通路未発達な内陸地域であり、民为为義や市場経済、法の支配あるいは情報開示なども国
際標準に比し未発達でビジネス関係も完全とは言えない。さらに使用言語、ロシアとの歴史
的経緯、過去の交流量の尐なさ等、日本あるいは欧米にとって非常に困難な土地である。民
間企業の進出のみならず、円借款などの経済協力案件でも多大の困難を伴う。やはり柔軟な
対忚が必要である。例えば、正面きってビジネス制度の改革を求めることも重要であるが、
これは個別協定で処理できるなら処理したほうがよいし、また経済協力案件においては、入
札の公正性、競争性が重要であるが、それに全面的に固執しないで、積極的にはたらきかけ
たほうがよい。例えば、各企業の行動にしても世界標準の資料が全部揃っていなければ経済
進出はできない、ということではなく、あるいは韓国のようにある程度のリスクを覚悟して
進出する、そのよう考え方が必要ではないか。
今後、対ウズベキスタン外交がどのように展開されていくのかわからないが、私としては
日本ウズベキスタンの協力関係が強化され、両国関係がますます進展していくことを祈念し
ている。それが我が国、ウズベキスタン、地域全体にとって資するものと確信している。
(報告)
70
平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 9 月 15 日
「最近のカザフスタン情勢」
夏井 重雄/なつい しげお
前カザフスタン特命全権大使
カザフスタンの概観と在任中の印象
特命全権大使として在任中の印象を中心に述べたい。私は本省にいるときにカザフスタン
に尐し関わったことがあったが、その地に赴きその国を観ることは日本で持っていた印象と
はかなり違っていた。滞在期間は長くはなかったが、様々な部分でそのように感じることが
あった。カザフスタンはユニークな国であった。もちろん、それぞれの国には個性があり、
歴史も違い、どの国もユニークではあるが、カザフスタンに対して以前に持っていた印象と
はあまりにも異なり、知らないことが多く、また新しい発見がたくさんあった。そのような
为観的な意味合いで「ユニーク」と位置づけている。ひとつに、カザフスタンの持つユーラ
シア性がある。中央アジア全体にユーラシア性があると言えるかもしれないが、特にカザフ
スタンこそがまさにユーラシアだと印象をうけた。銀行、大学、バザールなどの名前の至る
所に「ユーラシア」という言葉が氾濫している。他の中央アジアの国、ウズベキスタン等で
はどうなのかわからないが、カザフスタンでは当たり前のように「ユーラシア」が使われて
いる。さらに地図を眺めてみると、カザフスタンは東と西を結んでいる回廊であり、それも
日本の 7 倍の面積で東西を繋いでいる。これは赴任して改めて大変印象深く思ったことであ
る。さらに地政学的には、北にロシア、東に中国、单は中央アジア、アフガニスタン、西に
はカスピ海があり、その下は中近東の世界に通じており、非常に大事な地域でもある。
大統領が年末に大使方を集めて外交演説を行う機会があるが、他国との関係をカザフスタ
ンとの関係において項位付けをする。常に変わらないのは、露米中で、この 3 国はひとつの
まとまりでカザフスタンにとって最も重要な関係国である。アメリカとは安全保障において
特別の意味があると思う。いずれにしても地図をみて思うのは、万が一カザフスタンで何か
起きれば、周辺国や世界にとり大変なことになるとしみじみと思うようになった。
カザフスタンは歴史も非常に豊かである。歴史の始まりは、スキタイから始まり、重層的
になっている。その重層的な時代間のどの歴史がどのように関係するのかわからない部分も
あり、歴史を認識するのが尐し難しい部分もある。私が驚いたのは高校の教科書にでてくる
「突厥(とっけつ)
」であり、地域としてはこれがまさにカザフスタンである。民族はテュル
ク系である。我々は中国史の影響を受けすぎ、中国から見て蛮族として突厥という名前を覚
えてしまっている。カザフスタンのみならず中央アジア全体について、シルクロードという
イメージはあるが、つぶさにそれぞれの国の個性、歴史、民族、文化となるとあまりわかっ
ていなかったことを反省した次第である。
興味深かったのは、アスタナへの遷都の話である。アルマティからアスタナになぜ遷都し
71
たのか、その理由は 4 つ、5 つ、7 つといろいろな説がありよくわからない。しばしば言わ
れるのは、アルマティは地震が多いから、という理由である。さらには单に位置しすぎてい
る、これは別な角度からいうと、中国に近すぎる、ということである。さらに、ロシアとの
関係でいえば、カザフスタンの北の地域は草原地帯でソ連時代に処女地開拓でロシア人が大
挙して移住してきた土地で伝統的にロシア人が非常に多い。中には 80%くらいがロシア人の
地域もあった。アスタナはまさにロシア人が多いところで、処女地開拓のひとつの拠点であ
り、以前は処女地の街(ツェリノグラード)という小さな町であった。何回か名前を変えて、
最後は「都」という意味の「アスタナ」という名前がつけられた。北部にあるアスタナに遷
都すれば、自然にカザフスタンの人が移住して増えバランスが取れる。そういう理由もある
という話はとても新鮮な驚きだった。中国やロシアのファクターも遷都の背景にあるという
が、どこまでが本当かわからない。今年 5 月には戦勝 65 周年の記念をカザフスタンで大々
的に行い、老兵やベテランの人たちと大統領が懇談する場面がテレビで流れていたが、大統
領が「私がアスタナに遷都した理由は、今はわからないかもしれないが、後から皆さんに必
ず理解されるだろう」と言っていた。いずれにしても遷都の背景には深い考慮があったので
あろう。これもひとつの新鮮な印象であった。
現在カザフスタンは OSCE の議長国であるが、以前から議長国となることを希望し、相当
努力したようである。議長国を実現させて、12 月 1 日、2 日に、アスタナで 11 年ぶりの OSCE
の首脳会議の開催にこぎつけた。OSCE の議長国になるということ自体、旧ソ連圏で初めて
である。これもユーラシア的な感覚をもつカザフスタンの動向として注目された。
最近話題の、尖閣諸島問題の関係でレアアースの話があり、中国だけに依存しないように
との視点から、カザフスタンやモンゴルの名前が挙がっている。カザフスタンは大変資源が
豊かなところであり、ウランの産出は去年 1 万 8 千トンでカナダを抜いて1位になった。ロ
シア等旧ソ連圏ではよく「我が国にはメンデレーエフの周期律表のすべての元素がある」と
いう言い方がされるが、カザフスタンでも同じである。クロム生産は第 3 位で、カスピ海の
石油もかなり産出されている。非常に資源が豊かで、それを基盤に経済がますます発展し、
経済力をつけて GDP も相当な数字に上がっている。
ナザルバエフ大統領の強いリーダーシップと今後のカザフスタン
ナザルバエフ大統領は、ソ連邦崩壊前から第一書記であり独立当初からトップの位置につ
いており、政治的なリーダーシップが非常に強い。初代のリーダーが強いリーダーであった
ことが経済力の発展に影響している。今後の資源を中心とした経済力の強化、経済発展にと
っても強いリーダーシップは密接に関係がある。ナザルバエフ大統領を中心とした政治は、
非常に安定していることは間違いない。国民は、経済力も中央アジア随一で、生活が徐々に
豊かになっていることを実感している。ただし旧ソ連圏に共通していることかもしれないが、
住宅、医療、教育は相変わらず遅れているので不満はもちろんある。しかし大統領が精力的
に活動していること、頻繁に人と会って、大衆的な親しみがみられ対話をよく行う。もちろ
ん不満はあるが、大統領に対する信任、ひいては今の大統領でなければこうはならなかった
という意識は強く持っているようである。政権として非常に安定している。ナザルバエフ大
72
統領は、独裁的ではないかという人もいるが、私はそういう感じではないと思う。強いて言
えば権威为義的なスタイルであり、旧ソ連圏の場合、往々にしてあるようなものである。
健康問題はみられない。非常に壮健で、精力的、現場为義でいろいろなところにこまめに
顔をだし、それがテレビに放映されている。7 月 6 日アスタナの記念日「アスタナの日」が
同時に大統領の誕生日でもあり今年 70 歳になったが非常に元気で精力的に活動している。
2012 年には大統領の任期がくるが、どの方向に、どのような形で、どうなるのか、あまり話
題にも上らず、良くわからないところでもある。
一方で 6 月に国民的指導者に関する法律が採択され、初代大統領のナザルバエフ大統領に
特別な地位を与えるという内容のものであった。議会で審議中に大統領がこれについて演説
し、自分はそういうものは望まない、という趣旨の挨拶をした。この演説の中では、自分の
娘の夫アリーエフの亡命は我が家族にとって不幸であったとも述べている。これを聴き、こ
の法律の制定を認めないのかと思ったが、国会での承認後 1 ヶ月経つと自動的に効力を発揮
するというものらしく、実際にそうなった。よくわからない動きもあったが、この法律には、
初代大統領の在任時における刑事行政訴追免除の規定があり、さらに、財産の不可侵保証を
初代大統領の同居者および家族にまで拡大するという規定もある。これを巡り、一般国民は
よかったよかったという感じであるが、どういうことなのだろうと考える人もかなりいたよ
うである。ひとつは、キルギスの政変でのバキーエフ大統領のことが念頭にあったのではな
いかという見方がある。2012 年大統領の任期がきれることに関係があるという見方もある。
カザフスタンは OSCE の議長国であるので、西側の人たちにとっては、ヨーロッパ的、欧米
的な価値観・スタイルとは尐し違うところがあるとして違和感を覚えたようである。
内政関係では格差と汚職が新聞等でも問題視され、撲滅、反汚職キャンペーンのようなも
のが行われている。この点もロシアと尐し似ている。新聞に掲載された話であるが、一番腐
敗が進んでいるのは、交通警察である。車を止めてスピード違反でお金をとる。次は教師で
あり、学校の成績を良くするとか、卒業させるとか、ということである。ここに象徴的に表
れているように汚職や格差の問題が大きい。つまりコネや力のない人は、普通の行政的なサ
ービスもなかなか受けられない。これは今の時代に始まったことではなく、カザフ社会自体
の昔からの風習というか、社会的な風習として残っているのではないか。そういう事情も無
視できないところがある。現在撲滅キャンペーン等をやってはいるが、なかなか効果があが
らないようだ。
経済については、ひとえにエネルギー、資源が中心なので、このままではいけない、いつ
かエネルギーや資源がなくなったときに、どのような国家像や経済体制を作るのか明確なビ
ジョンがあるようでないような、よくわからない部分がある。今盛んに言われているのは、
エネルギー偏重の構図はいけない、これをやはり考え直さないといけないということで、大
統領が「国家産業イノベーション発展プログラム」を打ち出し、連日この言葉が氾濫してい
る状況である。つまり、資源、エネルギー偏重から脱却して、産業イノベーション化を目指
すということである。これに呼忚して、日本企業の代表も参加している外国投資評議会があ
るが、半年に 1 回の評議会で、大統領が外国企業に対して投資をしてくれ、という話があっ
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た。次の半年後には、もっと付加価値のある形で参加しろ、さらに半年後には技術移転や人
材育成をしてくれ、それが一番大事だと、発展的に変わってきている。これが経済の課題と
しては一番大きい。そのために機構改革もずいぶんした。うまくいくかどうか、一生懸命や
ってはいるが、尐しスローガン的になっているという気もする。プロジェクトをいくつか作
り、そのうちこれだけできました、という数字が挙がっているが、実態的にどうなっている
かわからない部分がある。アルマトイにあるカザフ経済大学でシンポジウムがあったが、ア
メリカの学者等も随分参加していた。その中の一人が、手を広げないで資源を中心としたイ
ノベーションをやるべきだ、ペトケミ等に特化したほうがよい、総花的に広く手を出すと全
部だめになってしまう恐れがあると提言していた。制約要因のひとつにはインフラがある。
あれだけ広大な地域に人口がたったの 1560 万人くらいと言われている。その中を結ぶ輸送
インフラを含めてインフラがあまり進んでいない。かつソフトの問題として、教育や言葉の
問題がある。カザフ語のほかにロシア語が使われている。先ほどウズベキスタンの話もあっ
たが、英語もすごい勢いで普及してはきている。日本の明治時代の話ではないが、大統領も
とにかく人材育成に力を入れている。
「ボラシャク」プログラムという留学制度を作ってどん
どん外国へ出しているが、一方で最近理工系の新しい大学をつくり初めて大統領の名前を使
うことを許可した「ナザルバエフ大学」がアスタナにできた。この大学はすべてが英語教育
でおこなわれる、理工系を中心とした画期的な大学である。このようにいろいろな形で人材
育成に力をいれている。
さらには、先ほどのシンポジウムの中では、あるカザフスタンの学者が、経済の前に、乳
児死亡率、寿命、教育水準等の改善が基盤になるのではないかという指摘もあった。実際に
カザフスタンにいて私自身もそのような印象をもっている。
先般、第 2 回官民合同経済協議会が東京で行われた。第 1 回目は去年アスタナで開催され
たが、第 1 回目に比べて非常に活発な議論が行われたと聞いている。参加人数も多く、話が
より具体的になり、そういうところを通じて、資源・エネルギー、日本からテクノロジー、
できれば人材育成も含めて、双方向の互恵的な関係が期待される。
カザフスタンの外交政策
カザフスタンの外交面であるが、カザフスタン外務省の人が会議でカザフスタンの外交は
「バランスとプラグマティズム」だと言っていた。実にうまいことを言うなと思い感心した。
露米中 3 国に対して、米は別にしても、露中に対しては微妙なところでカザフスタンがう
まくやっている印象がある。特に目立つのは中国との関係である。輸送面ではガス石油のパ
イプラインがあり、ガスはトルクメニスタンから引いている。鉄道の容量を大幅にアップさ
せ、ドルジバ・アラシャンコとの鉄道のラインがある。自動車道路もホルゴスを通じて大幅
に輸送力をアップした。
「西中国、西ヨーロッパを結ぶ」という言い方で、CAREC 物流回廊
の建設が始った。そういうものができ始めると中国との間で輸送力が大幅に強化され、カザ
フスタンと中国間の経済、物流の強化、経済関係の強化につながるのは自然だと思う。
私は 2009 年末までキルギスを兹轄したが、キルギスはカザフスタンにとって、兄弟国で
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あるという言い方を両国首脳間でもよくする。民族的には紆余曲折があったようであるが、
非常に関係が深い。例えば、肉を良く食べるという意味では、カザフスタンでは我々は世界
で 2 番目に肉を食べ、1 番目は狼だという。他方キルギスでは、我々は世界で 1 番肉を食べ
2 番目が狼だという話である。文化的にも言葉的にも似通っているところがある。キルギス
の事件が起きたときに、非常に目立ったのは、カザフスタンの活躍である。人道支援や国境
閉鎖から始まったが、やはり目立ったのは、4 月 15 日にバキーエフ一家をタラスにつれてき
たことである。その飛行機をカザフスタンが秘密裏に出して、それを後に発表したわけであ
る。これは、ナザルバエフ大統領が、ロシア、アメリカ、国連、EU と連携して行われたよ
うである。迅速な対忚であり、わが国外務省でも報道官談話として評価していた。单部の方
にいくとキルギス人の労働力がたくさんきている。そのあたりのことでも特別な関係だとい
うことが言えると思う。
カザフスタンの外交的なスタンスは、すべての国と問題がないように、非常に状況をよく
見て最善の方法、選択肢をとるという、かなり慎重である印象がある。
日本とカザフスタンの経済関係については先に尐し申し上げたが、法的な基盤整備ができ
たことが非常に良かった。今年、租税条約が発効し、原子力協定も署名、批准がおわった。
効力、発効には一部まだ手続きが残っており、まだ発効していない状況である。政治関係で
は、
「中央アジア+日本」の第 1 回会議はアスタナで行われたという歴史もある。3 月にサウ
ダバエフ外相が訪日して、8 月に岡田大臣が「中央アジア+日本」のタシケント会議に出席し
た後、アスタナを訪問し、外相間会談が行われた。相互訪問が行われるのは画期的なことで
あった。国連でも総会の機会を利用して、前原大臣とサウダバエフ外相が会談したというこ
とである。いずれにしても、二国間関係では「戦略的パートナーシップ」が基本になるが、
その中身を作っていく段階にきている。独立直後のカザフスタンに対して、日本は経済協力
に非常に力をいれた。さらにカザフスタン側が経済協力とともに日本を評価している点は、
セミパラチンスク支援である。この二つは、要人が日本に言及する際に冒頭に出ることで、
日本の支援に対する感謝の気持ちが強い。これらが二国間関係の信頼関係となっており、こ
のような信頼関係があるのとないのでは全く状況が異なると思う。資源のことを考えても、
より双方向の交流、包括的な全体的な交流、卖に経済だけに特化するのではなく、包括的な
関係を広げその幅を広げることによって信頼関係を強めれば、経済的な互恵関係も安定した
基盤に乗るのではないか。いずれにしても一方的に、という時代ではなく、双方向が大事な
ことである。いろいろな分野があるが、カザフスタンは、文化交流、教育交流に大きな関心
を日本に対して持っている。ただし、カザフスタンに対する、日本の関心が極端に弱いと思
う。それをどうすればよいか、というのが大きな課題ではないか。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 11 月 19 日
「不安定化するタジキスタン情勢」
稲垣 文昭/いながき ふみあき
慶応義塾大学 SFC 研究所 上席所員(訪問)
はじめに
8 月以降タジキスタンで幾つかの事件があったが、5 月にキルギスで起きた政変と同様に、
タジキスタンも不安定な状況に追い込まれるのではないかというニュアンスから「不安定化
するタジキスタン情勢」というセンセーショナルなタイトルをつけた。8 月に事件が起こっ
たラシト地区では去年(2009 年)も襲撃事件があったが、世界的にも去年より今年のほうが、
マスコミがタジキスタン情勢に着目している印象を受ける。その背景にキルギス情勢が不安
定化したということがある。同様のことがタジキスタンでも起こるのではないかという不安
が共通の認識としてあるのではないか。そういうことも含めてタイトルをつけた。
不安定化するタジキスタン情勢
問題の事件は 8 月 22 日の午前 1 時から 2 時の間に起きた。ドゥシャンベ刑務所が襲撃され、
25 名の収監者が逃亡した。ラシト地区は、内戦時代に、野党つまり旧反政府勢力の拠点のひ
とつであったが、脱獄犯は約 1 年前にそのラシト地区で 30 名が殺害された襲撃事件を起こし
収監された者たちだった。この襲撃事件の首謀者はそのときに殺害されているが、首謀者の
弟や一派がこの 25 名に含まれていて逃げたとされている。9 月 19 日には、脱獄者を追跡中
の国防軍が東部ラシト地区コマロブ峠で襲撃された。ここで 40 名ほどの死傷者がでた。この
間の 9 月 3 日には、ソグド州内務総局組織犯罪取締局、要するに治安関係組織の敶地内で爆
破事件が発生した。当局は、IMU(ウズベキスタン・イスラム運動)の犯行だと最終的には結
論付けて発表している。
このように8月以降、タジキスタンで、不安定化、センセーショナルな事件が頻発してい
る状況である。ただ卖に連続性がない一過性の事件なのか、それともタジキスタン国内その
ものが不安定化に向かってなんらかの衝突を起こしそうな状況に社会的に陥っているのかど
うかを簡卖ながら分析したい。
事件が起きたコマロブ峠は、私の恩師である秋野豊元筑波大学助教授が国連タジキスタン
監視団政務官として殉職した地域でもあり、タジキスタンの中で一番不安定なガルム地方の
中心地である。旧野党勢力の中心地であるので政府のコントロールが十分には効いていない、
ある程度自立的な地域である。
タジキスタンには、ソ連時代からいろいろと地域閥があると言われている。それは为に北
部ソグド州(旧レニナバード州)
、中央部のガルム地方、单部クリャブ州(現ハトロン州東部)
、
76
ゴルノ・バタフシャン自治州(パミール)である。ソ連時代の揶揄「レニナバードが支配し、
カラテギン(中部)が商い、クリャブが警備し、パミールが踊る」が示す通りそれぞれの地
域は得意分野があり、ガルム地方は商業に長けている。
ソ連時代からなぜ彼らが商売に長けていたかというと、敬虔なイスラム教徒が多いため、
他の地域に比べてイスラム商人の気質が残っているからだとも言われている。彼らは自分た
ちの経済的利益を持っていたが、内戦時代に、経済的利益のみならず政治的利益への欲求が
うまれ、それが内戦につながった。反政府勢力の中心地であるラシト地区で最近、事件が起
こり不安定化しているのは、未だに旧政府系と旧反政府系間の利益分配のメカニズムがうま
く機能していないために、反政府側から不満が漏れているからではないか。
この事件がセンセーショナルである理由のひとつに、1990 年代の内戦のときに作られた、
旧 UTO(ユナイテッド・タジキスタン・オポジッション:タジキスタン統一反政府勢力)の
为要なメンバー2 人が関わっていることがある。一人は、ミルゾ・ジヨイェフ元非常事態相
である。彼は、1999 年から 2006 年まで非常事態相だったが、2009 年の 7 月の事件を起こし
8月に脱獄した 25 名のグループと接点をもっていた。彼は、解任されたときには既に麻薬取
引に手を染めていて、ヤクザ者を率いていたと言われている。ミルゾが警察に捕まった後、
ネマト・アジゾフというグループに対して投降を呼びかけ交渉していたが、アジゾフと政府
側で銃撃戦が起こり、ジヨイェフは殺害されてしまった。ミルゾはアジゾフ・グループ、武
力勢力との間にパイプを持っていたということである。
もう一人は、通称ベルギー大佐と呼ばれているミルゾフジャ・アフマドフで、まさにラシ
ト地区を取り仕切っている有力メンバーの一人であり、9 月 19 日の国防軍襲撃事件の为犯な
のではないか、という憶測記事もでた。このレジメに当初、アフマドフの関与が取り沙汰さ
れていると書いたが、昨晩、北海道大学スラブ研究センター宇山智彦先生から「それは事実
誤認ではないのか」という内容のメールを頂いた。アフマドフは、その当日 19 日に政府高官
やジャーナリストとラシト地区で会っており、襲撃するのは不可能であり関与していないの
ではないか、とのご意見であった。確かに彼が後ろで糸を引いているのではないかという憶
測記事はでているが、彼の部隊が実際に何かをしたとは明らかになっていない。私はこのよ
うな話がでるのは、ラシト地区の実力者の一人であるアフマドフを疎ましく思っている勢力
が政権にいるからからではないかと思う。タジキスタンで現地調査したときにも、アフマド
フを生かしておいたことが失敗であったと捉えている人達がいると感じた。アフマドフを排
除したいという意向が働いて、今回の事件の黒幕という形で記事がつくられてしまい、彼が
追い込まれていると思う。これは宇山先生もご指摘されていたが、2008 年以降、アフマドフ
自身が政府側からかなり追い詰められていることを考えれば、政権側はラシト地区の実力者
であるアフマドフを追い落としたい、もしくはラシト地区の利権分配メカニズムの交渉過程
で彼に対して圧力をかけているのではないか。
なぜラシト地区を巡って問題がおこるかというと、ラシト地区、ガルム地区には、鉱物資源
が豊富だと言われているのが一因ではないかと思う。タジキスタンには鉱物資源がかなりあ
ると言われているが、埋蔵量がどれくらいあるかは不明である。法律でで、国内の好物私見
の埋蔵地や埋蔵量を公表できないことになっており、公言すると罰せられるので皆黙ってい
る。
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タジク政府としては、今後、外資を呼び込むために、旧反政府勢力の拠点であるガルム地
方の利権や鉱山利権を有利に得たい意向があるのではないか。その結果、鉱山開発の利権を
巡っての政府側との対立があるのではと推察している。
なお、余談であるが旧版政府系で現在ビジネスに携わっている知人の話しだと、タジキス
タンではビジネスは、政治家にお金を渡さないとできないので、この国で本当に金儲けをし
たいのなら、政治家になるしかないと嘆いていた。
タジキスタン内戦の構造と要因
タジキスタンの体制、内戦の要因は、基本的には地方対立、地域閥間の対立と言われてい
る。ここで、7 つの为な要因を挙げたい。一つめは、歴史的要因として、人工国家である、
ということである。人工国家とは、1920~30 年代にかけてソ連によって作られた国家である。
もともと存在しなかった国家を強制的に作り上げなくてはならない中で、为導権争いが起こ
るようになった。
二つめに自然災害がある。タジキスタンは地震多発地帯であり、内戦で治水設備が壊れた
り、洪水が頻発したり、地震が多発したことがある。自然災害や内戦で、経済情勢が悪化し
たことも加わり、インフラ設備の復興がうまく進んでいない。結果、経済的成長がなく、限
られた経済的利益を分配するための力任せのゲームが行われてしまう傾向がある。
三つめとして、民族関係で、ペルシャ系タジク人対トルコ系ウズベク人の対立がある。だ
が、これは本来存在しない対立であった。だが、ソ連時代、さらに内戦を通して、対立が作
られてしまった。
四つめはイデオロギーである。政府勢力は共産为義勢力であり、野党勢力はイスラムが強
いといわれていた。東部のパミール高原のほうに行くと、ロシア語を返せない人もたくさん
いて、彼らは経験なイスラム教徒である。内戦時代に、この構図はかなり強かった。しかし
現在の政府の中心であるクリャブの人たちは、昔の政府系の中心地だったレニナバード(現
ソグド州)よりも敬虔なイスラム教徒が多い印象がある。内戦終結以降は、政府側もイスラ
ム教的な心情が強くなった印象を受けている。
五つめは、社会的確執である。先程も例に挙げたが「レニナバードが支配し、カラテギン
(中部)が商い、クリャブが警備し、パミールが踊る」とソ連時代から言われていた。この
ように役割分担がされてしまい、政治的ポストの融通、移行がなかった。ソ連時代はどうだ
ったかというと、歴代のタジク共産党第一書記はレニナバードから全て選出されていた。そ
して、武力系のクリャブがレニナバードを支援し、共産党体制が維持されていた。このレニ
ナバード、クリャブから外れた人たちが、共産党内で地位の向上がなかったことが内戦を誘
発した不満の一つであったと考えられる。
六つめの国際的要因として、内戦が激化したのはロシアが現在の大統領ラフモンを支援し
たことがある。ラフモンはクリャブの出身である。ロシアは否定しているが、内戦当初から
タジキスタンに駐留していた第 201 師団がクリャブに武器の横流しをしており、クリャブが
かなり力をつけたという背景がある。当初、レニナバードとウズベク政府は仲が良かったが、
レニナバードが、ロシアの支援を受けたクリャブが力をつけていくことで、ウズベクはレニ
ナバード支援からだんだん離れて、西部に凝集しているウズベク系を支援する形に変わった。
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イランがイスラム系、特に東部のゴルノバタフシャン自治区や野党勢力を支援し、国際要因
が絡んだ内戦状態になっていった。
七つめとしては、以上六つの外的要因が、地域対立に複雑に絡み合って内戦がおこり、激
化していった。
時系列に見ると、92 年 10 月頃までは、挑戦される側は、レニナバード+クリャブ州で、こ
れに対して、他の勢力がチャレンジャーとして挑戦していく状態だった。92 年 11 月以降、
大統領職が廃止され、ラフモンは最高会議議長から国家元首になったが、クリャブ州が上位
になり、レニナバード州が下位になり、政府側の中で力構造が変わった。さらに UTO ができ、
西部ウズベクもでてきて、三つ巴の対立になっていると考えている。
1997 年 7 月に、UTO と政府系で和平協定が結ばれたが、この和平協定をウズベク政府は早々
に否定した。その理由は、ウズベク側が利権を及ぼしている勢力が上位に入っていないこと、
ウズベクが内戦に介入したことである。タジキスタン側の言い分によれば、ウズベキスタン
が大統領選にバスで大勢のウズベキ住民を送りこんで投票させようとしたり、97 年には北部
のソクド州でクーデータ未遂事件を誘発させたりと、ウズベク側がかなりタジキスタンの内
戦に関与したことに対してタジキスタン側の不信感がある。そのラフモノフ政権のウズベキ
スタンに対する不信感、不満が、両国間関係が悪化している一つの理由になっている。こう
いった感情的な問題があって、今日、ウズベキスタンとタジキスタンは対立しており、不安
定化要因の一つになっている。
さらに 1 月以降、ウズベク側からタジク側に流れる貨物が全部ストップさせられる事件が
あった。タジク側がログン水力発電所建設を強行的に進めていることに対するウズベク側の
反発といわれている。しかし、純粋にこのダム建設を巡る反発というよりも、むしろ歴史的
要因、内戦時代を巡っての駆け引きの結果、両国間関係の感情がわだかまり、ダム建設、水
分配問題まで影響してしまったのではないか。むしろ水分配問題が今度は両国間の中心的論
点になってしまい、妥協ができないのでこれを巡って諍いが絶えない。これがさらに両国間
関係を悪化させ、タジキスタンの経済状況を悪化させてしまった。タジキスタンの経済の成
長が鈍化した結果、利益分配を巡る問題が起こっているのではないかと思う。
タジキスタンの経済
タジキスタンの経済問題であるが、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット 2010 年 9
月号のカントリー・レポート・タジキスタンによれば、GDP 実質成長率は去年 2009 年が 3.4%
で落ち込み、インフレ率も 6.4%である。ソモニが弱くなって輸入が困難になった。2008 年以
降経済成長が尐し鈍化しているが、タジキスタンの経済は国庫の約 3 割がロシアの出稼ぎ労
働者からの送金だともいわれている。ロシアの経済状況が悪く、金融危機で落ち込んだので、
タジキスタンの経済が悪化した面もある。
経済状況が悪化して失業者が増えたという話だが、6 月に訪問した時に、失業保険などが
どうなっているのか聞いてみたところ、もらえて 20 ドル、多くが 5 ドルくらい、という話で
ある。5 ドルでは生活するのは困難である。実際ドゥシャンベで 5,6 人が満足な生活をする
には、最低 200~300 ドルないとやっていけない、と聞いた。経済の落ち込みの中で、社会保
79
障といった面でも、タジキスタンは今上手く機能してない。
また、2008 年だったと思うが、タジキスタンの国家予算の 1 割が中国からの借款でまかな
われていた。それくらい外国からの支援に頼っている。現在、中国の支援で北部ドゥシャン
ベから北部のソクド州を結ぶ道路を建設している。はじめは有料道路ではなかったが、中国
からの借款で造り建設費用をまかなうために有料道路にした。料金所の設備が中国側の支援
で造られているが、中国語表記のままである。タジク向けに直してもらう余裕もなく、中国
から運ばれてくるものを素直に受け入れて、それを使っている状態である。それまで有料道
路ではなかったところを有料道路にしたので、住民のデモや、反政府ストライキがあった。
一般市民にとっては道路がつくられることは良いことであるが、負担が全部自分たちにまわ
ってくることへの不満が今のタジキスタンに渦巻いていると思う。
現在、タジキスタンは電力を重要な輸出品と考えているが、これは CASA1000 という、ADB、
IMF、世界銀行と組んで、キルギス、タジクから、水力発電で作った電力をアフガニスタン、
パキスタンに輸出して外貨を稼がせようというプロジェクトである。しかし、ウズベク、タ
ジク等、関係国間の対立が激しく、ADB は支援をストップしている。現在どうなっているか
というとロシアが介入してきて、ロシアとタジキスタンとアフガニスタン、パキスタンの 4
カ国首脳がタジキスタンからの電力輸出を議論しているようである。
電力を新しい輸出品目として育てようとしているが、タジキスタンの为な輸出品目はアル
ミニウムである。ただし、原料のアルミナはタジキスタンではとれないので、为な輸入品に
なっている。なぜタジキスタンにアルミニウム工場があるかというと、水が豊富であるから
である。アルミニウムの精製には大量の電気が必要で、そのためには安価な電気が必要とな
り、安価な電力とは水力発電になる。ソ連時代に、タジキスタンに巨大な水力発電所ととも
にアルミニウム工場が作られ、アルミニウムが为な輸出品目になった。アルミニウムを輸出
する通路を考えたときに、タジキスタンは完全なランドロックな環境なので、单部はアフガ
ニスタン経由あるいはウズベキスタン経由になるが、ウズベキスタンとの対立があるので、
空輸以外は上手くいかないのではないか。そういう意味でもタジキスタンにとって隣国との
関係、特に隣国ウズベキスタンとの関係、单部のアフガニスタン情勢の安定は、タジキスタ
ンの経済状況を前進させるために重要な政策となる。
そのためにも、電力を輸出してアフガニスタンを安定化させようというのがタジキスタン
政府の発想であるが、タジキスタン自身にお金があるわけではないので、各国の支援に頼ら
ざるをえない状況である。しかし、逆にアフガニスタン情勢が安定しないと世界的な支援を
受けることができない。つまり、タジキスタンの情勢が不安定化すれば支援が遠のく。鶏が
先か、卵が先か、ではないが、どうすればタジキスタンの経済が好転するのかなかなか出口
が見えない状況になっている。
新家産制化するタジキスタン
このように経済が悪化している状況で、今のタジキスタンがどういうものになっているか
というと、
「新家産制化国家」という体制に変わってしまっているのではないかと思う。家産
制はマックス・ウェーバーが、政治体制について作った言葉であり「合理的法治権威に対を
80
なす、公私の区別が曖昧で恣意的な個人的な支配の正統性に基づいていた封建領为的指導者
を頂点とした統治構造」のことである。いわゆる封建体制的なものと近代国家の体裁が結び
ついてしまったものが新家産制といわれている。
特に大統領を中心としたパトロン・クライアント、つまり大統領を支えるグループとそれ
以外のグループとの関係が作られ、権力ネットワークが国家制度そのものを侵食している。
国家の制度の中で、一部の政治的ネットワークだけが利益を享受している状況が新家産制で
ある。つまり、安全保障などが国家全体のためのものではなくなってしまう。だれにとって
の安全保障かというと、国家の利権をいちばん多く持つ大統領とそのネットワークにとって
の安全保障政策がタジキスタン安全保障政策になっている。社会福祉政策も同様にネットワ
ークの社会福祉が保たれるのが国家の社会福祉政策ということになる。新家産制では、本来、
国民全般に供給されるはずの財が一部のネットワーク向けにのみに供給されてしまう。基本
的にはアフリカの旧植民地国家に適用される言葉であるが、同じ状況が内戦を経た後に、今
のタジキスタンに徐々に作られてきてしまったのではないか。
その一つの理由に、ラフモン大統領の息子が最近かなり権力を持ち始めていることがある。
長女は外務省の実質的ナンバー2と言われている。長男国家資産投資委員会の国家管理総局
局長で、ナンバー2 もしくは実質的にはナンバー1の地居にあるのではないか。外国投資を
呼び込む組織の重要な役職をラフモン一族が握っている。利権構造が、特にラフモン一族の
出身地であるダンガラ地区の人間たちに集中している。例えば、大使等の要職は、ダンガラ
地区の出身者にまず割り振られ、次に、ダンガラ地区が所属する旧クリャブ州(現ハトロン
州東部)の出身者に割り振られる。残ったポストが他の地区出身者に割り当てられるそうで
ある。どうしても大統領のネットワークが強化されてしまうところがある。ちなみに、旧政
府勢力、旧レニナバード閥のエリートも政府の中心に一部入っているが、実質的な力は大統
領のネットワークがタジキスタンの中で強くなっている。限られた利益を彼らが牛耳ってい
るために、今日のタジキスタンではそれを巡っての対立も起こっている。そのために、武力
に訴える、あるいは追いこまれた結局武力に訴えるグループがあるのではないか。
内戦とアイデンティティの帰属
このような状況が強くなった理由として内戦の影響が大きいのではないか。96 年~99 年に
かけて内戦時代のアイデンティティの帰属先を調査した研究がある。アイデンティティの帰
属先として民族や国民の割合が、それぞれ 42%から 34.3%、27%から 18.4%に低下した一方で、
地域を帰属先とする割合が 10%から 12.6%へと増加した。現在どれくらい増加しているかわか
らないが、タジキスタンで地域閥が力を得たのは事実だといわれている。ただし、タジキス
タンの地域閥で非常に微妙な問題なのが、その人が生まれた地域が地域閥になるのではなく、
その人の父方の祖父の出身地が地域閥を決めるということである。いつそうなったのかと聞
いてもわからない。おそらく、ソ連時代に作られた新しい伝統なのではないかと思う。内戦
中はどうだったのかと聞いてみると、仲良く遊んでいた友達が、お爺さんが敵対勢力のガル
ム地区の出身者なので、親から一緒に遊ぶなといわれ遊ぶことができなくなったという話を
聞いたことがある。
この結果何が起こったかというと、例えばドゥシャンベの内戦が激化して対立が起こった
81
ときに、ガルム閥の代表だと言われて育ちガルム地域に行ったことがないドゥシャンベ生ま
れの人間が、ガルムの利権を代弁するようになった。日本の二世三世議員と同じである。そ
の地域の利益の代弁者、エージェントだいわれて育てられた人たちが、新しい政党を作り、
利益の対立を起こして最終的に武力衝突につながっていった。ソ連時代に作られた地域閥と
いうアイデンティティが、現在のタジキスタンの不安定化にある程度影響を及ぼしているだ
ろう。
ただし、卖純な地域間の二頄対立ととるのは難しいとも思う。なんの利益分配を中心に争
うかで、合従連衡が地域間で起こるだろうし、内戦時代のような政府派と反政府派というよ
うな二頄対立ではないと思う。旧レニナバード閥がクリャブ閥に対して反感を持っているの
も事実である。クリャブの踊りは下品なだけで面白くもなんともないと、北部の人ははっき
り言ったりする。そういう形で感情的な部分で面白くないと思っているグループがある。今
のところ利益が得られるから手を組んでいても、網の目のような複雑な対立構造になってい
るので、何を利益対象にするかによって、対立構造は変化していくだろう。
このように地域が優先されるようになったという研究はあるが、結局 12%である。フランス
の社会学者ブルデューの定義で「政治界」というのがあるが、政治の世界と社会の間は実際
にかなり乖離や断絶があるのではないか。一部の勢力、一部の実力者だけが政治ゲームを繰
り広げ、実際の一般市民は置いてきぼりをくらっている。その辺りを今後、私自身も調べる
必要があると思っている。政治の中の利権対立構造が激しくなればなるほど、取り残された
一般市民が、どこに迎合していくかとなったときに、イスラム過激派や外国勢力が入り込む
余地ができてしまうかもしれない。
ちなみに、今回の 8 月以降の事件において、タジキスタンの中に、ロシアが裏で糸を引い
ているのではないかと思っている人がいる。これはキルギスのオシと一緒でロシアが裏で糸
を引いていて、タジキスタンを不安定化に陥れて、利権を得たいと考えているようであるが、
実際にはわからない。
さらにはタジキスタンの不安定要因として、ポスト・ラフモンの問題がある。ラフモン大
統領の後任を誰にするのか、選挙かあるいは息子に全譲という形になるのか、現時点ではわ
からない状況である。
(以上)
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平成 22 年 第 104 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 11 月 19 日
「国際的プレゼンスを高めるインド」
清水 学/しみず まなぶ
帝京大学 経済学部教授
はじめに/オバマ訪印(11 月 6 日-9 日)と米国のインド重視確認
「国際的プレゼンスを高めるインド」というタイトルにしましたが、実際には「国際的プ
レゼンスを高めたいインド」という意味を含んでいると思います。
米オバマ大統領が 11 月 6 日から 9 日までインドを訪問しました。ムンバイから入国しま
したが、新聞報道によれば、アメリカのビジネスマン約 250 人が同行し、およそ 100 億ドル
の商談がまとまったとのことである。昨年のアメリカとインドの貿易額が約 170 億ドルであ
るので、その半分の額に相当します。アメリカが不況対策もあり必死に新興経済圏のマーケ
ットを求めて動いている姿勢を印象付けるものでした。その後オバマ大統領はニューデリー
へ飛び、マンモハン・シン首相と会談を行い、その後共同声明が発表されています。共同声
明からいくつか特徴を引き出すことができます。一つは、繰り返し、
「価値観の共有」という
言葉が使われていることです。
「価値観を共有している二つの国」等、さまざまに言い方を変
えて使われている。民为为義という言葉もかなり頻発しており、共通の価値観をもっている
ことを確認しようとしています。二つめは、インドに対してより国際的な役割を果たしてほ
しいというアメリカ側の希望が表明されていることです。いわゆる地域大国、リージョナル・
パワーという意味だけでなくグローバル・パワーとしてのインドを期待するという表現がい
くつか出ています。東アジア(East Asia)という言葉も 3 回程使われている。東アジアがど
こまで指すのか不明ですが、インド洋周辺より尐し東の広範な地域というニュアンスがある
と思います。つまり、中国の対抗勢力としてのインドに対する期待が以前よりも強まってい
る。アメリカ側のかなり为観的な希望が表明されています。
昨年 11 月、オバマ大統領の北京訪問の際には、中国側との北京共同声明の中にインドを
刺激した言葉がありました。中国に対して单アジアの安定に向けての役割を果たしてほしい、
という表現であり、具体的にはインド・パキスタン問題の解決に向けての努力を促している
ように理解できます。インドは以前から一貫して、インド・パキスタン問題は 2 国間の問題
であり、国際社会が介入すべきではないという立場をとっているので、外部勢力である中国
が一定の役割を果たすべきであるとする共同声明はインドにとっては反発を引き起こす表現
でした。しかし、今回の米印共同声明に出てきた、インドに対して東アジアを含めてグロー
バルな役割を果たしてほしいという表現は、中国をかなり刺激したことは事実である。
三つめは、インドに対してアメリカは近年核エネルギー(原発)分野で協力を進めてきた
が、今回さらにアメリカは熱心に原発の売り込みをはかっていることである。インドは核不
拡散防止条約(NPT)には調印せず、アメリカはこれを長い間批判してきた。しかし、今回
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の共同声明では、インドは NPT に加盟すべきだ、とは一切述べていない。むしろインドは
核不拡散を事実上自ら抑制しているとして、オバマ大統領はインドを称賛する言葉をインド
側に伝えていると報じられています。これはパキスタンに対する姿勢と異なる点です。アメ
リカの対印核政策は、積極的にインドの核エネルギー開発に協力したい、それとの関連で原
発を売り込む、つまり商談の話として考えている。核兵器開発との関連では、1998 年のイン
ドの核実験に対して課された制裁措置がありますが、それが徐々に緩和されてきましたが、
最後に残っていたハイテク技術輸出制限を事実上撤回されることになったということである。
核実験にする制裁措置は事実上ほぼ全部撤回されたと理解してよいと思います。
四つめは、インドの国際社会での役割の拡大を支えるものとして、国際連合の安全保障理
事会の役割強化とインドの常任理事国入りに対するアメリカの支持を明確に表現している。
ただしその時期については述べられていない。
五つめとして、アメリカとインド間の反テロ分野での一層の協力強化にかなり言葉を割い
ていることが特徴として挙げられます。
アメリカとしてはブッシュ(ジュニア)大統領の路線を引きついてインド重視路線を確認
する姿勢を鮮明に表明したものと見ることができます。しかし国際問題において米印の間で
相違も尐なくはない。オバマ大統領とマンモハン・シン首相との会見では、イラン政策につ
いては意見が一致しなかった。インドはイランをあまり追い詰めないほうがいい、イランが
アフガニスタンやイラクに持っている影響力を考慮にいれて違ったアプローチをしたほうが
よいと为張している。
印中関係―対抗と協調
インドにとって中国との関係は極めて大きな問題です。インドはパキスタンを支えている
中国という認識を重要な柱の一つとしています。基本的には、いざというときに二正面作戦
(対中国、対パキスタン)を展開できる能力を持つことが戦略の柱になっています。ただし、
現在の印中関係を規定するのは容易ではない。協調面、対抗面が交互に入り込んでいるほか、
経済的実利面も重要だからです。ここでは問題点を尐し整理してみたいと思います。
まず協調面では経済関係の進展と緊密化という事実があります。2009 年 4 月~12 月期に
中国はインドにとって UAE を抜き最大の貿易相手国になりました。しかし 2008 年度の数字
ですが、インドの対中貿易は、輸出が 93.5 億ドル、輸入が 325 億ドルと大幅な入超となっ
ています。インドにとって現在は確かに大幅入超であるが中国との経済関係は重要です。な
お 2009 年 4 月~12 月ではそのアンバランスも尐しずつ改善の方向に向かっています。他方
インドと中国は、同じ新興経済圏として共通の利益を有し、環境・地球温暖化の問題などで
共通の立場を持っています。同じ BRICs といわれるグループの間の協調、上海協力機構での
協力があります。上海協力機構ではインドはオブザーバー国ですが以前より積極的に参加す
るようになっています。石油ガスなどのエネルギー分野では対抗と協調関係がありますが、
ここでは省略させていただきます。
問題は、対抗関係、緊張関係に関わる分野です。インドは中国の海軍力に対して強い警戒
心を持っています。前にもご報告しましたが、インドの軍関係者は空軍の人でも、軍事費の
予算は海軍にもう尐しウエイトを置いて配分すべきだと为張するくらい、海軍のことが重要
84
になっています。インド海軍は、あまり新しいものではないがイギリスから引き継いだ旧式
ですが空母を持っています。しかしインドから見ると、中国がひたひたと陸海双方からイン
ド包囲網をつくっているという被害妄想的かもしれませんが、強い危機感を持っています。
現在、中国とインドが抱えている国境紛争は、大きく分けて2ヶ所、東部と西部に分かれ
ています。西部は、現在問題になっているのは、かつてカシミール藩王国といわれていた地
域である西チベットです。かつてのカシミール藩王国は現在、インド、パキスタン、中国が
それぞれ支配している状況にあります。なお最近は、インド側のカシミールを含めて、彼ら
は中央アジアに属しているというアイデンティティと意識が一層強まってきている印象があ
ります。旧カシミール藩王国は、まさに中央アジアへの出入り口になっていたのです。チベ
ット、新疆さらには中央アジアにつながっている地域です。そこでインドともパキスタンと
も異なるカシミール独自の役割を果たしたいという考え方が出始めているように思います。
昨年インド側カシミール州の首都スリナガルを訪問した際に、そのような印象をもちました。
旧カシミール藩王国地域は大きく分けて 5 つの地域に分けられる。
2つの地域がインド側、
3 つの地域がパキスタン側である。インド側はカシミール渓谷とラダクという山岳地域に分
けられる。ラダクの一番東側がアクサイチンという地域で、中国が実効支配している。ここ
にはチベットと新疆省を結ぶ軍事道路が走っている。さらにパキスタンが中国に譲渡した地
域があるがインドは認めていない。カシミールはインドとパキスタンで係争していると同時
に、中国とインドの間でも係争している三つ巴の関係になっている。
東の方の係争地はアルナチャール・プラデシュという州で、事実上インドが実効支配して
いるが、中国は、チベットの一部であるとしてその領有権を为張している。特にタワンの町
にはかつて 1962 年の中印戦争の時に中国軍が入っていた。ここは現在、ダライラマが時折
訪問するところでもあるが、中印間の係争地域である。中印の国境紛争の解決は難しいよう
であるが、考え方によっては、実効支配しているところを相互に認め合うという形になれば
実は難しくない、このようなことを为張する人もいる。つまり、西側については中国がアク
サイチンを認め、東のアルナチャール・プラデシュをインドに譲るという話であるが、実際
はそんな卖純ではない。
インド側が現在、非常に神経を使っているのは、中国のインド包囲網ができつつあるので
はないかということである。
「真珠の首飾り戦略(String of Pearls Strategy)」という言葉が
使われているが、もちろん中国が言った言葉ではない。アメリカ筋からでてきた命名である。
中東・アフリカから中国单部へのシーレーン沿いの一連のインド包囲の軍事基地・軍港が構
築されているとするものである。具体的に言えば、パキスタンのグアーダル港、スリランカ
の单端のハンバントータ港、バングラデシュのチッタゴン港、ミャンマー領ココ諸島商業港
を中国の援助で整備している。その地域に位置する諸国との外交関係の強化、具体的にはパ
キスタン、スリランカ、バングラデッシュ、ミャンマー、ネパールの5つの国との関係を中
国が意識的に強化しようとしている。パキスタンとの関係も極めて緊密である。歴史的に遡
ると、文化大革命の時に、各国に駐在していた中国大使を本国に呼んで批判の対象にした。
ところが、一カ国だけ呼ばれなかった大使がいた。それが駐パキスタン大使である。おそら
くパキスタンの重要性から中国とパキスタンの関係を揺るがしたくなかったと思われるが、
このことはいずれまた改めてお話したい。
スリランカについては、今年、ベラルーシとともに上海協力機構のダイアローグ・パート
85
ナーとなった。先日北京で上海にある上海協力機構研究所の所長と話した時に、なぜスリラ
ンカが上海協力機構のダイアローグ・パートナーとなったのか尋ねてみたが、彼自身も驚い
たと言う。知らないふりをしたのかもしれないが。
バングラデッシュ、ミャンマーは中印が激しく競合っている国である。ネパールは尐し微
妙である。昨年 5 月まで毛沢東派共産党のプラチャンダが首相であったが、その後統一共産
党のマダブ・クマル・ネパールが首相に就任している。ネパールは親インド派と言われてい
る。中国とインドがネパールを巡ってかなり厳しい綱引きをし始めている印象を与える。ま
だインドの影響力が大きいが、中国が入り込もうとしている構図である。ネパールの毛派共
産党であるが政権をとるまでは、中国が積極的に支援したという形跡はない。インド側の諜
報組織でもそのように言う人はいない。ただ最近になり中国が毛派の政治家を頻繁に中国に
呼ぶようになってきている。インドとの関係で毛派と接近しているのではないかと思われる。
インドは中国に対抗しうる力を持ちえるか、という問題がある。人口規模はほぼ匹敵する。
中国のほうが今は 1 億人ほど多いが、人口増加率から言うと推計の仕方によるが、今から 20
~30 年後、21 世紀の半ばにはインドの人口は 17 億人くらいになり、中国の人口を追い越す
だろうと見られている。しかし、現在の経済力を見ると、大雑把に比較すれば、GDP の規模
で3から4対1の関係にある。一人当たりの GDP を比較しても中国は 3 千ドルを超えてい
るが、インドは千ドル程度でやはり3-4 対1である。中国も今のところインドが单アジア、
インド洋の枞を超えて勢力を拡張してくるとは見ていない。
アメリカの対印支持が、中印関係を不安定化させる契機となるかはよくわからない。イン
ド側には 2 つの考え方があり、
異なった意見が共存している。中国警戒論が非常に強い人と、
中印関係は危機的状況まで追い込まないほうがいい、と为張する人がいる。今のマンモハン・
シン首相も後者のラインであると思う。
国民統合の課題
最後に、インドは国内的に抱えている問題を簡卖に紹介したい。一つはカシミールでの政
治的不安定である。今年の 6 月にカシミールのスリナガルで反インド紛争が再燃した。毎年
小さなものは起きていたが、今年は様相が尐し異なる。かつての大きな波、つまりパキスタ
ンから入ってきたゲリラ的集団は、9・11以降、そのテロ活動はかなり収まっている。昨
年 7 月、私は久しぶりにスリナガルに行ったが、そのときに見た光景は、若い 10 代の男の
子たちがインドの治安部隊に対して石を投げているものであった。直感的であるが、この光
景はかつてのパレスチナのインティファーダ(蜂起)とイメージが重なった。彼ら若者が求
めているのは、インド治安部隊の横暴さに対する反発ということになっている。今年の 6 月
以降、60~70 人の若者が殺害されているという。
カシミールには二つ勢力があるが、双方がきれいに分離されているわけではない。パキス
タン帰属派とカシミール自立派である。後者はインドからもパキスタンからも離れた自立的
なカシミールというビジョンを持っている。スリナガル市内にある有名な庭園を身に行った
時、その入り口の看板に「インドの治安部隊も入場料が必要である」とわざわざ書いてあっ
た。微妙な言い方になるが、インド治安部隊に対する地元の人々の反忚がよくわかる表現で
86
あった。カシミールの問題は、つまりアフガニスタン問題と裏表の問題で連動しているとこ
ろがある。アフガニスタンが紛争の焦点になるとパキスタン派はアフガニスタンで活動し、
小康状態になるとインド側カシミールに入ってくる。
二つ目の問題は、現存の州をさらに細分化しようとする運動がまた活発化していることで
ある。一番顕著なのが单部のアーンドラ・プラデーシュ州であリ、州都のハイデラバードは
IT 産業のセンターの一つである。アーンドラ・プラデーシュ州内の後進的な地域テレンガナ
が分離州を要求している。インドではよくあることだが断食の抗議などがおこなわれている。
中央政府も基本的にその方向性を受け入れてしまった。このような要求は、ビハール州など
他の州でもあり、対忚を間違えると分離为義傾向を強めてしまう。
三つめはインドの毛派共産党ゲリラである。インドでもここ数年毛派が活躍しその活動を
活発化させている。どのくらい部隊がいるのかはよくわかっていないが、総勢 10 万人とい
う推計もある。彼らは、鉄道、道路などインフラを襲撃して、ビハール州ヤジャルカンド州
など鉱物資源採掘地域や、積出しルートをかなり戦略的に攻撃している。その活動は物流に
も影響を与えており、マンモハン・シン首相は毛派の動きはインド最大の治安問題であると
警告している。
四番目は、宗教回帰傾向で、イスラム教徒のみならずヒンドゥー教徒の間でも同様である。
現会議派中心の政権の前は、一時期インド人民党(BJP)が政権を握っていた。最近 BJP の
中で、ヒンドゥー原理为義的なラインと、穏健派のラインの間でかなりもめている。かつて
BJP 政権のときの外務大臣ジャスワント・シンは、昨年面白い本を書いている。その本によ
れば、英領インドが二つに分かれてしまったのはパキスタン建国運動の指導者ジンナーの責
任というよりも、むしろインド国民会議派の指導者ネルーの方にも大きな問題があった。こ
の本のために、ジャスワント・シンは BJP から事実上除名されてしまった。IT 関係のプロ
グラマーのような最先端の産業に従事している高学歴の人々の間で宗教回帰現象がよく見ら
れる。この理由を説明するのは難しいが、私は一種のアイデンティティ危機の問題と関係し
ていると考えている。
最後に現在のインドの政治状況について簡卖に触れておきたい。現在は国民会議派のマン
モハン・シン首相率いる連立政権が直面する問題をなんとか対処している。マンモハン・シ
ン自身は政治的な野心がなく、インドの政治家として汚職の噂がない非常に珍しい人物であ
る。私は 1970~80 年代頃、マンモハン・シンと 2 度ほど会って話を聞いたことがある。当
時インド準備銀行(中銀)の総裁の頃で、まさか将来首相になるとは思っていなかった。と
ても謙虚な方である。彼は自らの独自の政治的基盤を持っているわけではなく、重要な政治
的判断は自分だけではしないと言われている。では誰が重要な問題の最終的判断をしている
かというと、国民会議派つまり与党総裁のソーニャ・ガンディー女史であるといわれており、
事実そうであると思われる。ソーニャ・ガンディーはイタリア人女性であるが、元首相になっ
たラジーブ・ガンディーと結婚した。夫がテロで暗殺された後、次第に会議派党内で実力者
になっていった。国民会議派内のバランス、他の政党との交渉など、彼女は有能だという評
判である。マンモハン・シン首相は彼女の最終的な政治判断を仰いでいるというのがもっぱ
らの噂である。
問題はマンモハン・シンを誰が後継するかという問題である。1932 年生まれの高齢なので
次期選挙後は辞退すると見られる。次期候補で有力とされているのは、国民会議派幹事長で
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40 歳のラフール・ガンディーである。彼は元首相ラジーブ・ガンディーの次男で、母は現在の
国民会議派総裁ソーニャ・ガンディーである。現在ラフールを後継者として持ち上げようと
いうキャンペーンが行われている。若さ、清廉さが強調されている。自分の足でインド全土
をすみからすみまでキャンペーンで歩いているといわれる。党組織を着実に下から再興しよ
うとしているとしてプラスのイメージがある。彼は一次期を除いて連綿と首相を出してきた
ネルー王朝と綽名される血筋であり、独立運動時代のモチラル・ネルー、次の首相のジャワ
ハールラル・ネルー、次にガンディー女史、その次のラジーブ・ガンディー、それに継ぐ人物
であり、5 代目になる。現在はイメージが先行しており、政治家としての真の力量は不明で
ある。
マンモハン・シンはおそらく彼に跡を譲るつもりでいると思うが、その意味でラフール・
ガンディーが注目されている。インドの政治は州ごとに異なるし、カーストの問題もある。
一般的によく言われている職業に縛られることが問題なのではなく、現在は、カーストが一
つの圧力団体として、政治の世界で重要な役割を果たしている。例えば、一番典型的なのは、
特に州レベルで、就職の際、自分たちは元々低いカーストであったことを为張することで、
そのクオーターを獲得しようとする圧力があり、そういう形の政治運動、圧力団体としての
カーストが相変わらず強く残っている。
前回の前駐ウズベキスタン大使の方が中央アジアにおける横の線、縦の線とおっしゃった。
東西のラインと、中央アジアを通過する单北の交通路・鉄道のことである。また貿易につい
ても单北を結ぶ課題がある。その意味で中央アジアの单に位置してしかも経済的比重を高め
つつあるインドについての報告をさせていただきました。
(以上)
88
平成 22 年 第 108 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 12 月 20 日
「上海万博を振り返って
-中国が国際社会と協調していく契機となったか?-」
塚本
弘/つかもと ひろし
財団法人貿易研修センター 理事長
日欧産業協力センター 事務局長
上海万博の概要
上海万博は、2010 年 5 月 1 日から 10 月 31 日まで 184 日間行われた。史上最大の万博となり、
参加国の数も史上最多で、190 カ国、56 の国際機関が参加した。愛知万博への参加は国と国際機
関をあわせて 125 である。会場の面積(展示エリア)も愛知万博の倍で、3.28 平方キロメートル、
入場者総数は約 7308 万人となり、それまでの最多記録であった大阪万博(1970 年)の約 6422
万人を超え、万博史上最多を記録した。中国は、当初から 7000 万人を目標とし、5 月頃までは
日本のメディアは無理なのではないかと見ていた。動員をかけたところもあるかもしれないが、
6 月頃からじりじりと増えた。一日の最高入場者数は 103 万人で、大阪万博では 83 万人であっ
た。
万博の全体のテーマは、
「より良い都市、より良い生活(Better City, Better Life)
」である。
日本館のテーマは、
「こころの和、技の和」で、①日中の交流(遣唐使、朱鷺(トキ)の交流)、②
ハイテク(ロボット、環境技術)
、③美しい日本(季節感のある暮らし、伝統美術)を展示のポイ
ントとした。ハイテクを楽しくわかりやすく展示し、特にバイオリンを弾くロボットは、その最
たるものであった。日本館は人気館の一つで、来館者総数約 542 万人、平均入館待ち時間は 3 時
間 45 分で、ピーク時には、6 時間、7 時間ということもあった。人気がある館はせいぜい 20 く
らいで、どうしてもそこに集中してしまう。日本館はタイプA(4,000 平米以上の敷地面積をも
つ独自パビリオン)展示部門で「様々な技術がコンビネーションよく展示されている」と評価さ
れ、銀賞を受賞した。金賞はサウジアラビア館、銅賞はインドネシア館であった。
日本館は、万博テーマ「ベターシティー・ベターライフ」を環境の問題も含めて、良い生活と
はなんなのか、きっちりと描いていたが、必ずしもサウジアラビアはそうではなかったと思う。
サウジ館には、砂漠を上からみた風景があり、それを巡る通路があって上にも下にもサウジの風
景が浮かび、海の中にも入れるような3D の映像であった。審査は、一番最後のタイミングだっ
たので、
(時節柄)なかなか日本に「金」をあげるわけにはいかないということがあったかもしれ
ない。内輪では、皆には「気にするな、銀だけど本当は金だから」と言っている。
ちなみに、建築部門では、イギリスが金賞、韓国が銀賞、スペインが銅賞であった。イギリス
は非常にユニークな建築をやっていた。
A 類パビリオンのテーマ表現賞では、ドイツが金、銀がロシア、銅がフランスであった。ちな
みにロシア館では、メドベージェフ大統領が、9 月に万博を視察し、ロシアのハイテクなどが十
分に展示されていないとして、残りの期間がもう 2 ヶ月もない時点で、作り直しを命じるという
89
ことがあった。しかし、その後、私もロシア館に行ってみたが、全く作り直していない。ロシア
館は非常に良かった。メルヘン的な感じで、森があり、キノコなどがあり、その各所で、子ども
たちが DNA 技術やナノテクについてとてもわかりやすく説明していた。まさに「ベターシティ
ー・ベターライフ」というテーマにもあっていた。ロシアは、ドイツに次いで、銀賞を受賞した。
これには、万博の関係者からのロシアの万博チームへの励ましという意味もあるかもしれない。
万博には、エンターテイメントの要素がないとだめである。やはり、人が見に行きたい、興奮
して、どきどきするような気持ちになるものが必要である。ちなみに、どの万博も成功している
ように言われているがそうではない。2000 年の万博はドイツ、ハノーバーで行われた。ドイツ人
的に非常にまじめに環境をテーマにして、様々の展示を行なったが、目標の来場者数が達成でき
ず成功しなかった。その後、万博をやる時代か、万博の時代は終わったなどと言われた。インタ
ーネットなどいろいろ情報があるので、なかなかそれ以上面白いものがあるはずがないというも
のである。
愛知万博の成功には2つの要因がある。一つはマンモスである。なにかわくわくするものを、
それがマンモスであった。ロシアから愛知まで運ぶ経緯でもいろいろな涙のエピソードがある。
そしてトヨタがトランペットを演奏するロボットを展示した。ハイテクをきわめてわかりやすく、
エンターテイメント的に演出した。そういうことがあって、はじめてみんなが興奮する。そうい
う意味でも上海万博における日本の貢献はとても大きい。約 542 万の人が笑顔で日本館をでてい
った。上海万博自体は、そういう意味でも非常にうまくいった。
かつて上海市長であった江沢民前主席も日本館を見に来られた。初めに日中交流の展示に、鑑
真の像があり「鑑真和上を飾っているのか」ととてもうれしそうであった。鑑真は中国揚州の出
身で、江沢民前主席も揚州の出身である。鑑真は実に偉いお坊さんで、日本への渡海に 5 回失敗
して、目が見えなくなっても日本に仏教布教に来た。9 月には、鑑真と空海聖人の像が日本から
上海博物館に持ち込まれ、2 ヶ月間ほど展覧会があった。鑑真は 1250 年ぶりの里帰りである。
鑑真像は、唐招提寺の像ではなく東大寺の像であるが、大体同じお姿で、佇まいが素晴らしい仏
像であった。
184 日間の間、VIP も各国からたくさん来場された。私も運営委員会の議長をやっていたので、
各国のナショナルデーには可能な限り出席した。よく覚えているのは、タジキスタンのナショナ
ルデーで別な用事があり遅れて行ったが、とても喜んでいただいた。アフリカは国の数が多いの
でナショナルデーに行くのも大変であるが、可能な限り参加した。中国はアフリカにとても力を
入れ、約 100 億円の予算をかけてアフリカから人を呼んでいた。日本も同様で、日本で万博をや
ったときもアフリカの人を支援した。万博外交という意味でもいろいろなことがあった。
万博の運営
私は万博の運営委員会の議長を務めた。運営委員会とは、参加国と主催国間のコミュニケーシ
ョンをスムーズにするのがその役割である。日本は今まで運営委員会の議長はやったことがなか
った。運営委員会は、英語でステアリング・コミュッティといって、公用語は、英語とフランス
語と主催国の言葉である中国語である。議長はそれまでヨーロッパの人が務めるのが通例であっ
た。
私はその 2 年程前に日本の政府代表を担当するように言われた。
当時中国語ができなかったが、
90
JETRO の副理事長を務めた経験で万博の運営の経験やノウハウがあった。中国語はそれから一
年ほど勉強した。館長は、北京や大連の JETRO 所長の経験がある、江原由規氏が務めた。
中国が議長を選ぶ 1 ヶ月くらい前になって、日本に議長をやってほしいとの依頼がきた。おそ
らく尖閣問題が現在のようになっていたら議長に選ばなかったかもしれない。日本は、万博の運
営については、大阪万博、沖縄、科学技術博など 5 回の開催経験があるのでたくさんノウハウが
ある。中国は、上海万博のために、ノウハウを学びたいと愛知万博にたくさん人を派遣していた。
その時に中国側が一番大変だと思ったのが、ステアリング・コミュッティとの関係である。ステ
アリング・コミュッティの議長は主催国に要求を容赦なくどんどん突きつける。
今では、愛知万博は上手くいったと言われているが、当初はパリの BIE(博覧会国際事務局)
と揉めたこともある。例えば、開催予定地の森にオオタカの巣が見つかり鷹の保護をすべきだと
住民から猛反対があったり、オープン後は観客との問題で弁当の持込の問題があった。ディズニ
ーランドも弁当は持ち込み禁止であるし、夏なので衛生上の問題や、業者に対する契約上の問題
もあり、弁当持込は簡単には認められなかった。しかし官邸から、弁当持込を認めるようにとの
指示もあり変更となった。そのような問題が特に、最初の 2 ヶ月くらいはたくさんあった。
上海万博も、最初の 2 ヶ月くらいは苦難の日々だった。その一つが、4 月 30 日の開会式に、胡
錦濤主席やサルコジ仏大統領等、世界各国の要人が来場するので、開会式の 20 日前から会場内
への乗用車の乗り入れを禁止すると、その2,3日前に突然通達があったことである。会場はと
ても広く、車なしで準備はできない。そこで私は議長として、
「安全な開会式をとるのか、万博が
スムーズに開会されることをとるのか」と中国側の担当者と調整にあたった。その 1 ヶ月程前に
はモスクワの地下鉄でテロがあり、セキュリティ担当者は万全の警備が必要と応じなかった。そ
の後も議論を続けると、数日して、各パビリオンにつき 1 台の車は認める、担当者のレベルでは
そこまでしかできない、とのことだった。1 台ではとても無理な話で、皆それでは準備ができな
いといっていた。
その時に、上海の楊副市長が日曜日の午後日本館の準備状況を見学にくる予定があった。楊副
市長は何度か来日されており私もよく知っているので、楊副市長にこの問題を直訴すると中国側
の代表に伝えたところ、いきなり直訴されては困るので、楊副市長に報告したようだ。その結果、
急遽楊副市長も出席する形で日曜日の午前中に会議をすることが、土曜日の夜 11 時頃に決まっ
た。会議では今までの経緯を詫び改善が約束された。しかも、その当日は、兪正声上海市共産党
書記と韓市長が我々を昼食に招待された。それまでは話が全く進まなかったのに、トップまで上
がり一度決められるとあらゆることが変わった。日本ではここまで揉めることはないかもしれな
いが、同じような問題が起こってもこのように迅速に土曜の夜決めて、日曜日に行動するような
形でトップダウンで決断するということはなかなかないのではないか。兪正声書記は、
「オリンピ
ックと万博は違う」
、
「上海はこの万博を完全無欠な上海として迎えるべきではない。それは不可
能だし、事実ではない」とおっしゃった。つまり、完璧ではない、不十分な形で迎え、どんどん
改善していくということである。
兪正声書記は、毎週土曜日の一番混むときに、しばしば万博会場に来て、おかしいところをど
んどん改善していった。もちろん、事務方もしっかりしていて、
「日々改善」の精神、愛知万博の
ノウハウで改善していった。完全な上海ではないということをはっきりとみんなに意識させて実
行する姿勢があったので、うまく動いたのではないか。新聞にもネガティブな情報(ダフ屋、行
列の混乱など)を提供し、改善への契機になっていた。また、中国の華代表とは、議論を重ねる
91
うちにお互いを理解することができた。華代表は「兼听即明」
(広く意見を聞くと明らかになる)
、
私は「率直対話」が大事だと話し合い、信頼関係を築くことができた。
中国にとっての上海万博の意義
万博のあるセミナーでは、ラジオチャイナの副会長が、中国のメディアにとって一番求められ
ているのは、国益を考えて報道をすることだと言っていた。これが、一般的な中国政府の考え方
のように見える。万博に関しては、中国側は最大限参加国の意向を踏まえて対応したが、この万
博がこれからの中国にとって、
国際社会と調和をしていく契機となったのかどうか。残念ながら、
共産党の体制では、一番偉い人は、党の偉い人であり、まず偉い人のことを考えるというのが基
本であるようだ。日本でも同じく、役人はそういうところがあるが、それに、輪をかけて中国は
その部分が強く、これからの国際社会を考えたときにどうなるか。
そういう意味で、一番象徴的だったのは、日本でも何度も報道されているが、中国の劉曉波氏
のノーベル平和賞受賞を NHK や BBC、CNN が報道した途端、テレビの画面が真っ黒になった
ことである。また、あまり報道されていないが、温家宝首相が国連総会に出席した際に CNN の
インタビューを受け、
「中国ではスピーチの自由は憲法上保障されている」と言ったとたんに、画
面が真っ暗になった。温家宝首相が言われたことでも画面を真っ暗にする。宣伝部門のトップで
ある李長春氏は、順番では温家宝首相より少し下である。しかし、首相の言っていることは間違
っている、中国ではスピーチの自由は「共産党の方針に反しない限り」憲法上保障されている、
というのが正しいということである。
しかし、中国の民主化は基本的にはよい方向に変わってきているとも感じる。20 年くらい前で
あれば政府に対する文句を言えば誰かから密告され、翌日には当局から呼び出される可能性があ
ったが、そういうことはない。もちろん徒党を組んで何かをしようとしたら逮捕に繋がるが、イ
ンターネットでは自由意見を表明することも可能になっている。このことから、確かに、20 年く
らいのタームで物事をみたら、それなりに進んでいるのかもしれない。
私が、悪い傾向だと思うのは、日本の最近の新聞を見ても、中国を好きになれない、中国との
関係を良好だと思わない人が 86%もあることだ。これはアメリカの CNN でも同じような統計が
あり米国民の 58%が中国を脅威だと思っている。97 年の調査では、中国を脅威だと思っていた
のは 43%であった。脅威と思うのはある意味で当然かもしれないが、過度に敵視したりしないほ
うがよい。国の民主化の動向が良い方向に少しずつ改善しているなら、そのことも認めてよいの
ではないか。複眼思考で物事を考えるべきだということを申し上げたい。
(以上)
92
平成 22 年 第 108 回 IIST・中央ユーラシア調査会
2010 年 12 月 20 日
「中国経済 -安定かつ持続的な成長に向けて-」
関 志 雄/かん し ゆう
株式会社 野村資本市場研究所 シニアフェロー
はじめに
中国経済の現状と今後の見通しについて報告させていただく。次の 4 つのテーマに焦点を
当てたい。まず、インフレ率と GDP 成長率の関係を中心に足元の景気動向を確認し、中国
経済がどこに向かうのか検討したい。続いて、短期見通しを考える上でのリスク要因として、
不動産バブルの行方をみたい。三点目は、中長期な話として、2011 年から始まる 5 カ年計画
の最重要テーマとされる経済発展パターンの転換について分析する。最後に、以上を踏まえ
て、日本経済を牽引する「中国効果」をキーワードに中国の台頭のインプリケーションにつ
いて考えてみたい。
景気動向と見通し -インフレ率と GDP 成長率の関係を中心に
2008 年 9 月のリーマンショックを受けて、中国においても輸出が大幅に落ち込み一時景気
が減速した。中国政府は非常に早い段階から 4 兆元、日本円にして 50 兆円を超える財政発
動を始めとした拡張的財政金融政策を採り、これらが功を奏する形で、去年の後半にかけて
中国経済は見事に回復してきた。中国政府の 2009 年の年間成長率目標は 8%だったが、振り
返ってみると実績は 9.1%で非常に高い成長となった。今年の第1四半期の成長率は 11.9%
に達したが、その後景気対策の効果が薄れるという形で第3四半期は 9.6%まで減速してい
る。
これから中国経済がどこに向かうのかを考える上で、やはり一番気になるのはインフレ動
向である。既に発表された 11 月のインフレ率(CPI の前年比)の伸びは 5.1%となり、リーマ
ンショック以降もっとも高い水準となっている。来年もインフレ率がどんどん上がり、それ
を背景に引き締め政策に転換し、中国経済も急速に減速するのではないかという悲観論も一
部登場しているが、必ずしも悲観的にならなくて良いのではないか。景気とインフレ率の間
にはきれいな相関関係があり、景気が良くなれば、3四半期遅れてインフレがついてくる。
逆に成長率が下がれば尐し遅れてインフレ率も下がる。現在インフレ率は上がっているが、
従来のパターンから見て、そろそろピークアウトするのではないか。
2012 年秋の中国共産党全国代表大会(党大会)に向けて、中国経済が本格的に回復に向か
うと予想される。中国では 5 年に一度開催される党大会に合わせて、景気の 5 年サイクルが
見られている。81 年以降の中国の平均成長率は 10.1%であるが、過去 6 回の党大会の年に限
って平均値をとると 1.2 ポイント高い 11.3%となる。前回 2007 年の党大会の年の成長率は
14.2%であった。アメリカも 4 年に 1 度の大統領選挙に従い景気が循環している。2012 年は
93
アメリカの大統領選挙と中国の共産党大会が開催される。前回重なったのは 1992 年、鄧小
平の单巡講話の年で、中国では乱開発と言われるほど景気が非常に良かった年でもあった。
当時、中国の GDP 規模は日本の 8 分の 1 程度で、中国で何が起こっても世界経済にそれほ
ど影響はなかった。今回は、話題になっているように中国の GDP が日本を抜いて世界第 2
位になるとしたら、2012 年に世界第 1 位のアメリカと第 2 位の中国が同時に好況を迎える
ことになる。世界経済全体を考える上でも、これは朗報だとみている。
不動産バブルの行方
リスク要因としては、北朝鮮の問題もあるが、経済問題に限れば、やはりバブルと言われ
る不動産市場の行方が挙げられる。リーマンショック後、住宅価格は一時前年比割れの場面
もあったが、その後の景気回復と金融緩和を受けて、2009 年以降は急速に不動産価格が上昇
している。公式な数字では、今年 4 月の 70 都市ベースで前年比 12.8%とピークになった。
一般論として中国のマクロ統計にいろいろ問題があるのではないかといわれているが、特に
この住宅価格の数字に問題が多いと私は見ている。振れの方向性は合っているが、大きさが
尐し抑えられているように思う。なぜ 4 月をピークに前年比で伸びが鈍化したかというと、
中国政府がようやく、バブル対策に乗り出したからである。4 月以降実施された政策はいく
つかあるが、一つは住宅ローンの制限の強化である。また不動産購入者の資格に制限を加え
たり、不動産保有税を住宅に適用することも検討されている。
今後の不動産市況がどうなるのか、大きく二つの見方に分かれている。一種の土地神話と
いうか、土地価格は上がることがあっても下がることはない、という見方がある。一方、日
本のバブル崩壊以降の経験をみて、バブルがはじけると日本と同じような失われた 10 年、
20 年に入ってしまうリスクに直面しているのではないか、という見方もある。私はどちらか
というと真ん中の立場をとって、確かに調整は避けられないが、日本のように極端なケース
にもならないと見ている。
特に、バブル期前後の日本と比べて大きく異なる点が二つある。一つは、成長性である。
確かに中国のマクロ状況はプラザ合意以降のバブル時の日本に似ている面もあるが、成長性
はむしろ 60 年代の高度成長期の日本に近い。もう一つはレバレッジの問題で、不動産マー
ケットがどれくらい銀行融資に頼っているのか。日本の場合は住宅ローンを含まない不動産
関連三業種だけで銀行融資全体の 25%を占めていたが、中国は、住宅ローンを含んでもまだ
全体の 2 割で、住宅ローンを除くと全体の 7%程度しかない。ただし、注意しなければなら
ないのは、この 20%とは別に、地方政府が設立した融資プラットフォームを経由して一部の
銀行の資金が不動産市場に流れているのではないかと言われており、どのくらいリスクが高
いのかわからない。融資プラットフォームは地方政府が資金調達のために設立した法人であ
る。もし事業が失敗したり、担保になっている不動産や土地の価格が下がったりすると、一
部の銀行にとって不良債権になるのではないかという恐れがある。これから中国の短期の見
通しを考える上では、不動産の問題、特に、地方政府が設立した融資プラットフォーム経由
の融資問題のリスクが一番高い。
94
経済発展パターンの転換
2011 年から始まる第 12 次五カ年計画の骨子が発表された。その中で一番重要な課題は、
経済発展パターンの転換で、3 つの側面がある。一つは、需要サイドで従来のように投資と
輸出を伸ばして成長するのではなく、より消費の比重をあげなければならない。民間消費の
対 GDP 比は、中国の場合はわずか 35%で、過剰消費といわれるアメリカの 7 割の半分にな
っている。米中を中心とするグローバル・インバランス問題の背後にはアメリカの過剰消費
と中国の消費不足が一つのペアになっている。処方箋としては、アメリカがいかに消費を抑
え、逆に中国は消費を拡大するかがグローバル・インバランスを是正していく鍵にもなる。
二つ目は、中国はこれまで世界の工場と呼ばれて、GDP の約半分を工業部門が占めていたが、
やはり経済が発展すればするほど、工業の割合を下げ、サービス業のウエイトを上げていか
なければならない。工業のウエイトが高いと、作った製品を中国内では消費しきれず輸出し
なければならないし、工業は大量のエネルギーと資源を消費するので、環境にはやさしくな
いという問題がある。三つ目は、生産様式の面において、従来のように、労働力と資本の投
入の拡大によって成長するのではなく、より生産性の上昇に頼らなければならない、という
ことである。
これからの中国の成長性を考える上で、発展の過程における完全雇用の達成を意味する「ル
イス転換点」の到来が非常に重要なテーマになるのではないか。労働力の供給が制約となり、
今後 10%成長を維持するのはきわめて難しい。尐しでも成長を伸ばすには、発展パターンの
転換を行い、投入量の拡大ではなく生産性の上昇をもっと加速させていかなければならない。
これは中国政府の考えでもある。
ルイス転換点の前の世界とその後の世界とどう違うのか。過去 20 年間、中国は平均 10.5%
で成長してきたが、雇用の伸びは、農業も含めて全体で 1%程度しか伸びていない。10%成
長しても雇用が 1%しか伸びないことを、長い間、中国では雇用なき成長といって、中国経
済を考える上ではもっとも深刻な問題としてきた。その暗黙の前提は 1 億 5 千万人分の労働
力が余っていて、仕事を与えないと経済問題にとどまらず社会も政治も不安定になることで
ある。温家宝の立場に立てば、経済政策の優先項位は、1 に雇用、2 に雇用、3 に雇用で、今
の菅総理と同じである。しかし、実は 1 億 5 千万人は余っていないとなると、1%しか雇用が
増えていないのに、GDP が 10%も伸びていることになる。その差の 9%は概念的に労働生
産性の上昇に対忚する。毎年、国全体の労働生産性が 9%以上伸びることは問題なのか。完
全雇用、つまりルイス転換点に達したら、いくらがんばっても雇用は増えないので、中国政
府の政策優先項位は、1 に生産性の上昇、2 に生産性の上昇、3 に生産性の上昇、に変わらな
ければならない。成長パターンの転換がなぜ必要なのかという理由もここにある。問題は、
どうしたら生産性を上げることができるか、という各論である。中国政府の为張は、企業の
イノベーション能力を高めることである。卖に海外から導入するのではなく、自为開発力の
向上を一貫して強調している。しかし、中国の今の発展段階は、分野にもよるが、全体とし
て、日本等の先進国との格差が 40 年程あるので、企業の側に立つと、海外から導入したほ
うがコストも安くてリスクも低い。
個別の企業の努力以外に、生産性を上げる方法は他にもある。例えば労働力を生産性の低
い部門から生産性の高い部門に移していくのがもっと有効ではないか。二つの方法があり、
95
一つは、例えば国営企業の民営化を通じて、資源を計画経済から市場経済に移していくこと
である。もう一つは、産業の高度化である。例えば労働者が農業をやめて繊維に、繊維をや
めて家電に、家電をやめて鉄鋼や自動車に移っていくたびに、彼の生産性もまた上がってい
く。最近日本の新聞に、広東省や上海周辺で、高い賃金上昇を受けて企業がつぶれ、さすが
の中国経済も空洞化しているのではないかとか書かれることがあるが、その分析は間違って
いると思う。あくまでも「木」の議論であって「森」の議論にはなっていない。むしろ、産
業の高度化とみるべきではないのか。
例えば、重工業の工業生産全体に占める割合の推移を追ってみると、この 10 年間で約 10
ポイント上がってきている。私はあえて、再重工業化と呼んでいるが、なぜわざわざ「再」
とつけるかというと、計画経済、特に 50 年代の大躍進の時代に、まさに政府为導で資源を
国有企業に計画的に集中して重工業化をはかろうとしたが、当時、中国は労働力が豊富で資
本が乏しい時代だったのでこの戦略はうまくいかなかった。改革開放は重工業を中心とする
発展戦略を放棄した形で始まり、市場にまかせて売れるものを中心に作り、労働が豊富であ
るという中国の比較優位が発揮できる形で出直した。これが非常にうまくいき、高成長が実
現できたわけである。しかし、2000 年以降、軽工業の割合が低下する代わりに、重工業の割
合が上がってきた。ただ前回と違って改革開放以来の経済発展のベースがあり、市場経済化
も進んでいる中で起こっているので、今回は上手く行くのではないかと考えている。重工業
の中身は何かというと、よく新聞にも報道されているが、一つは自動車である。去年の生産
台数は約 1400 万台で今年は 1700 万台を越えるだろう。もう一つは粗鋼生産である。15 年
程前までは、中国もアメリカも日本も 1 億トン程度であったが、現在、中国の生産量は 5.7
億トンで日本の 6.5倍にあたる。世界全体の 46%くらいの数字である。今年に入ってからま
だ粗鋼生産が伸びている。これは明らかに産業全体が空洞化しているのではなく、高度化し
ていると理解すべきではないか。
2011 年から始まる第 12 次五カ年計画において、やはり産業の高度化が強調されるように
なり、なかでも戦略的新興産業として、7つの分野(1省エネルギー・環境保護、2新世代
の情報技術、3バイオテクノロジー、4ハイエンド製造設備、5新エネルギー、6新素材、
7新エネルギー自動車)が挙げられている。これを見る限り、日本の目指すところとなんら
変わらないというところまで来ている。
日本経済を牽引する「中国効果」
これらを踏まえて結論の代わりに、日本として、中国の台頭にどう対忚すべきか、若干の
感想を述べたい。今世界経済において中国はどういう立場にたっているのか。リーマンショ
ックのあと、世界は軒並みマイナス成長に陥ったが、中国は 9.1%で、一人勝ちという様相
を呈している。今年に入ってから、为要国も回復してきているが、中国は依然としてもっと
も成長率が高いという状況になんら変わりがない。よく世界経済のエンジンに中国はいつな
るのかと聞かれるが、IMF が最近発表した数字をベースに計算すると、今年、世界経済が
4.8%成長する中で、中国による寄与度(=成長率×中国の GDP の世界経済に占める割合:
GDP は、購買力平価ベース)は 1.3 となっている。同じ計算でアメリカの世界経済成長への
寄与度は 0.5 という数字になり、中国の寄与度がアメリカの 3 倍近くになっている。しかも
96
この現象は、リーマンショック以降に起きたことではなく、10 年ほど前から一貫して、中国
の世界経済成長への寄与度が、アメリカの寄与度を上回るという状況になってきている。
日本は、去年戦後初めて、対中輸出が、対米輸出を上回るようになった。対米輸出は 10
年前には 3 割を超えていたが現在は半分位まで下がってきている。下がった分がそのまま中
国の分に上乗せされるという形になっている。欧米の経済が良くない中で、中国への輸出が
伸びていることは、中国が、世界の工場から世界の市場へ変わろうとしていることの表れで
もある。去年の中国の GDP 規模はまだアメリカの 3 分の 1 程度である。一つの推計として、
2026 年頃には中国の GDP はアメリカを抜くとみている。その時の日本の輸出に占める中国
の割合がどれくらいになるのか、おそらく今の倍の 35%程度になるのではないか。それにも
関わらず、最近、日中間にはいろいろな問題が起きて、一部の企業の間では、中国から他の
国に投資を移そうかという議論もある。遡れば小泉政権の頃のチャイナ+1からはじまって
いるが、今後、チャイナ・パッシングという戦略がありうるのかどうか。客観的に数字を比
較してみると、無理ではないか。
先の成長率でみても中国は他国と比べてダントツに高いが、規模でみても今の中国の GDP
規模は、インドの約 4 倍、ブラジル、ロシアのそれぞれ約 3 倍にあたる。世界貿易の規模で
比較しても、インド、ブラジル、ロシアの合計は中国の半分程度である。この 3 カ国をあわ
せても、日本の対中貿易の 7 分の 1 程度しかない。日本の新聞には日本の景気が尐し良くな
った背景には新興国効果が果たす役割が大きいという記事が書かれている。しかし、この新
興国効果の 8 割くらいは実は中国であると理解すべきではないか。中国が好きか嫌いかは別
にして、日本企業が中国から離れる戦略はありえないのではないかと思っている。
(以上)
97
IIST・中 央 ユーラシア調 査 会 公 開 シンポジウム 概 要
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
平成23年1月31日(月)
開
於:東海大学校友会館「阿蘇の間」
会
13:30~13:35
開会挨拶:赤津
光一郎 財団法人 貿易研修センター 専務理事
調査会 座長挨拶
袴田
13:35~13:45
茂樹 氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授/調査会座長
プレゼンテーション
13:45~15:15
(1)「CIS 諸国における大統領制と議会民为制の可能性」
袴田 茂樹 氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授/調査会座長
(2)「キルギスの議会制民为为義 - 2010 年 4 月政変から連立政権成立まで」
浜野 道博 氏 キルギス日本人材開発センター 前所長
日本キルギス交流協会 理事
「関連コメントおよび 11 月キルギス出張報告等」
田中 哲二 氏 中央アジア・コーカサス研究所 所長
国士舘大学・拓殖大学客員教授
(3)「世界のエネルギー市場における中央アジアの位置づけ」
本村 真澄 氏 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)
調査部 調査課 为席研究員
(4)「日本の対中央アジア経済協力の現況について」
原 幸太郎 氏 経済産業省 ロシア・中央アジア・コーカサス室 室長
討議・質疑忚筓
15:30~17:00
モデレーター兹コメンテーター:田中 哲二 氏
中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会代表幹事
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平成 22 年 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日
(第 109 回)
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
開会挨拶/赤津 光一郎 貿易研修センター(IIST)専務理事:
中央ユーラシア調査会は、中央アジア・コーカサス地域の専門家が一同に会し、平成 12 年度
より現在まで、すでに 100 回以上の会合を重ねている勉強会で、今年度は全7回議論を深めてい
ただいた。非公開となっているため、年に1回、その成果をシンポジウムの形で皆様にご報告申
し上げる。本日は、最近の当該地域の政治、経済、資源状況、またそれに対して日本はどのよう
な対忚がされているのか等、5 名の講師の方にご議論いただく。限られた時間ではあるが、質疑
忚筓の時間も用意しているのでご来場の皆様にも積極的にご参加いただきたい。
(以上、開会挨拶)
報告 1/「CIS 諸国における大統領制と議会民主制の可能性」
袴田 茂樹/はかまだ しげき
青山学院大学国際政治経済学部教授
調査会座長
はじめに
中央アジアのキルギスでは、大統領制から議会制民为義へというこれまでの伝統に真っ向
から対立するような新しい政治体制をローザ・オトゥンバエワという女性が中心になって今
築こうとしている。私は彼女を 18 歳頃からよく知っており、昔からの親しい友人でもあり、
この 1 月には手紙や電話のやり取りもしている。キルギスの状況に関して、個人的な結びつ
きも含めて、私なりに情報をキャッチしているつもりである。
ロシアやカザフスタンなどの指導者、政治家や専門家が、キルギス革命をどのように見て
いるのか、また一般論としてロシアや中央アジアにおける政治体制の可能性について考察し
たい。
1. CIS 諸国の3つの課題
中央アジア諸国だけでなく、CIS 諸国の政治体制については課題が三つある。一つは①民
为化(政治改革)である。それまでは共産党独裁体制だった。次に、②市場化(経済改革)、
経済発展である。そして③安定である。この3つの課題は、原理的には優务をつけることは
できない。どれもきわめて重要な課題である。しかし、現実問題としては優先項位をつけざ
99
るを得ない。ゴルバチョフが登場したペレストロイカの時代には、政治改革を、民为化を、
という雰囲気が非常に強かった。しかし、最近は、政治改革を先行させるのはあまりよくな
いという意見が圧倒的に強くなっている。項番として、まず③安定を、次に②市場化を、最
後に①政治改革、民为化をというアプローチが中央アジア諸国では共有された認識になって
いる。
その理由は一つには、ロシアも中央アジアも共にある意味で、バザール社会、フランシス・
フクヤマの言葉を使えば、低信頼社会である。従って、基本的な信頼関係、秩序、規律、法
意識が十分定着していないところで、民为化・自由化を最優先で推進するとなると混乱、カ
オスを引き起こす。これにはペレストロイカの反省もあるし、最近は中国の影響が大きい。
中国は共産党体制の下であれだけの発展を遂げている。ロシアでは、はじめに政治改革をし
たことは間違いだったのではないかという見方が強くなっている。そのような状況の中で、
ロシアでは、民为为義といっても西側の民为为義をそのまま受け入れるわけにはいかないの
で、管理された民为为義、为権民为为義といったある種のカッコ付きの民为为義を为張する
ようになった。
管理された民为为義というのは国内情勢に対する不安からである。最近もテロ事件や 12
月には数千名の民族紛争がモスクワ中心部のマネージ広場で起きた。このような事態への警
戒から、民为为義といっても管理されていなければだめだ、という発想が強まったのである。
また、いわゆるカラー革命、つまりグルジアのバラ革命、ウクライナのオレンジ革命など、
下からの革命によって政権が倒れた。これらカラー革命は国外の、外からの介入の結果であ
る、といった認識が強調された。ロシアでは「为権民为为義」という概念も生まれたが、
「为
権」という形容詞は「外からの干渉は許さない」という意味である。
昨年 9 月にロシアのヤロスラブリで世界政策フォーラムが開催された。そこで、改革派、
民为派のオピニオンリーダーたち、例えば、独立新聞というロシアのどちらかといえば改革
派的な立場をとっている新聞の編集長レムチュルクも、啓蒙的な独裁(開発独裁)を为張し
ていたし、民为派、改革派、市場化のリーダーでもあったチュバイスも、まず経済改革を、
それに次いで政治改革を進めるべきであると言っている。
共産党体制だった旧ソ連諸国が今どう変革しようとしているか。共産党体制から「強力な
大統領」へ、というのが一致した方向である。ロシアは大統領制を導入するとき、アメリカ
やフランスの大統領制をかなり研究して、一番大統領の権限の強いシステム「強力な大統領」
を導入した。これはカラー革命への警戒でもある。最近のチュニジアやエジプトの動きを見
て旧ソ連の指導者たちは相当、神経を尖らせていると思う。
この強力な大統領制に対して、アンチテーゼをぶつけたのがキルギスの革命である。4 月
の革命で、大統領制から議会制民为为義へという方向を打ち出し、これに旧ソ連諸国の各国
の指導者たちは非常にショックをうけた。もちろん簡卖には支持できない。彼らは、冷たく
突き放した対忚をしている。カザフの専門家は、国家は弱体化し、経済は危機に陥り、不安
定は長期化するだろうと予測をしている。また、キルギスの新政権に批判的な専門家は、キ
ルギスは特別な社会制度、アクサカール社会であり、憲法は安定の保証にはならないと言っ
ている。アクサカールとはウズベキスタンにもキルギスにもあるが、地縁血縁の共同体の長
をアクサカールといい、その長が絶対的な権威を持ち、その共同体の中では社会的にどんな
に地位の高い人でもまず長に従う。そのような社会ですから、近代的な国家を築くといって
100
も簡卖にできるわけはない。伝統とどう折り合いをつけていくのかが大きな問題で、我々が
考えるような民为为義のシステムがすぐ根付くわけではない。外国から見ると日本の民为为
義もきわめて日本的なところがあるのと同じことでもある。
2.キルギス革命(大統領制から議会制へ)へのロシア、CIS の対応
キルギスの革命に対して、ロシアや他の CIS 諸国の反忚はたいへん冷たかった。ロシアの
専門家の言説などをフォローしているがずいぶん突き放している。
4 月に革命が起き、6 月 27 日には、新しい憲法を採択して議会制民为为義へ移行するため
の国民投票が行われ、オトゥンバエワが国民から承認された大統領になった。今年 11 月に
再度大統領選挙が行われる。大統領制から議会民为制へといっても大統領制を完全になくす
わけではなく大統領は残す。ドイツのような、シンボリックな大統領ではなく、より権限を
もった大統領ではあるが、議会ならびに議会が選んだ政府がより大きな力を持つ。
ウクライナでは 2004 年のオレンジ革命の後、2006 年 1 月から憲法改正で大統領の権限を
弱めて議会の権限を強めた。しかし昨年 2 月の大統領選挙で、ユーシェンコ、ティモシェン
コ等が破れて、親露派といわれている地域党のヤヌコヴィッチが当選し、憲法は 1996 年の
憲法に戻され、大統領の権限を再び強化する方向になった。つまり、ウクライナではキルギ
スに先駆けて議会为導の政体に移行したのだが、政争に明け暮れて、結局元の大統領制に戻
ったのである。
キルギスでは 6 月に单部で大きな民族紛争が起こり、40 万人もの難民がでるような状況に
なった。オトゥンバエワは、まずプーチンに電話で軍事支援を求めたが、プーチンは軍事支
援を躊躇し、人道支援に限った。ロシアは中央アジアやカフカスなどの旧ソ連地域に対して、
本来は自分たちの勢力圏である、あるいは死活の利害を持つ特殊権益権であるという言い方
をしている。しかも、グルジアのように一方的にロシア軍が押しかけたのではなく、その国
のトップが、軍の派遣を要請しているわけで、ロシアにとって、その地域に影響力を拡大す
る絶好の機会だったとも言える。しかし、ロシアは軍隊を派遣しなかった。それは、キルギ
スの政権を助けるわけにはいかないからである。大統領制を否定し、旧ソ連諸国の基本的な
政治路線に反対する政権だからである。メドベージェフ大統領も、議会为義の共和制はキル
ギスでは機能しない、議会制民为为義を採用すれば国家は崩壊すると厳しい批判の言葉を述
べている。
当時、駐日キルギス大使館の人は私に、
「キルギスはロシアに軍の派遣を要請しないことに
した」と言っていた。既に要請したことは報じられていたので、その時は意味がよくわから
なかった。後でいろいろ調べたところ、ロシア側は、紛争鎮圧のために軍を派遣してもよい
が、国民投票を中止することをその条件とした、という。そこでオトゥンバエワ大統領は、
派遣を断った。そのような駆け引きがあったのである。
モスクワ大学の学生だった頃のオトゥンバエワは、典型的な優等生的コンソモルカ(青年
共産为義同盟員)であった。彼女はソ連が大好きで、社会为義体制を心から信じていた人物
であり、けして反ロシアではない。私は彼女の発想やメンタリティをよく知っている。彼女
は国内が混乱したときに、最初にロシアに支援を求めた。しかし、ロシアは今言ったような
理由で、支援は人道支援に限り、本格的な支援はしなかった。
101
そのようなことがあったせいもあり、最近は、
「星条旗の元に走るキルギス」といった記事
がロシア紙に載せられたりしている。ロシアでは、キルギスの革命は西側の特務機関の仕業
であるとか、オトゥンバエワは欧米諸国の手先であるという記事が出るようになった。さら
には、キルギスのロシアへの軍事支援の要請は、ロシアを紛争に巻き込むための策略で米国
の承認なしにできるはずがない、という記事まで出ている。ロシアの新聞には、クリントン
国務長官が数時間キルギスを訪問した際に撮影した、オトゥンバエワと並んだ写真が大きく
掲載された。実はオトゥンバエワは、メドベージェフともプーチンとも何回も会っているが、
彼らと並んで撮影された写真は一切掲載されない。ほんの数時間クリントンがキルギスを訪
問したときの写真を大きく掲載して、アメリカの手先という雰囲気をつくっている。
隣国のウズベキスタンの反忚であるが、昨年 6 月には、ウズベキスタンに 30 万、40 万と
も言わるキルギスからのウズベク人難民が逃げ込んだ。キルギス单部はウズベク人が多く、
ウズベク人とキルギス人の対立という形になったので、ウズベキスタンはウズベク人の難民
を受け入れるという形で対忚した。しかし、直接、この民族紛争に介入することはしなかっ
た。ウズベキスタンもキルギスもフェルガナ盆地を抱えており、ウズベク側には 100 万人も
のキルギス人がいる。従って、下手に介入すると、ウズベク国内の民族紛争に発展してしま
うという危険性もあり飛び火を恐れた。カザフスタンはナザルバイエフ大統領が現在、欧州
安全保障機構(OSCE)の議長であるので、ロシアやアメリカと相談して対忚した。ナザル
バイエフ大統領はキルギス革命で亡命したバキーエフ前大統領と懇意な関係があり、バキー
エフの亡命の手助けやキルギスへの人道支援を行った。しかし、民族紛争のときは、カザフ
スタンがキルギスとの間の国境を閉じ、キルギスはカザフスタンとの経済交流が止まって経
済的に大きな打撃を受けた。
CIS 安全保障条約機構(CSTO)あるいはさまざまな国際機関は今回の事件に関してきわ
めて無力、というよりも実際に行動を起こさなかった。例えば 6 月にキルギスの单部で一番
大変な民族紛争が起きたとき、ウズベキスタンのタシケントで上海協力機構の会議が開かれ
ていたが、この会議ではキルギスへの支援問題は一切無視された。6 月 18 日にモスクワで、
CIS 安全保障条約機構の書記会議が行われたが、このときも支援に関する議論や合意は一切
ない。CIS 安全保障条約機構も CIS 内部の紛争に適切に対忚できないということが判明した。
7 月になって、OSCE から武力の派遣の打診があったが、今度はオトゥンバエワが、自力で
解決するとこれを拒否した。OSCE の武力を入れると、ロシアから NATO の覆面部隊を入れ
たという疑いをかけられる可能性があったからである。
3.ロシアと中央アジア、その政治的可能性
ロシアと中央アジア諸国との関係や、それら諸国の政治的な可能性をどのように考えるべ
きか。2006 年に、トレチャコフという元改革派のオピニオン・リーダーが、中央アジアはロ
シアの勢力圏である、すなわち場合によっては、ロシアに併合ということもありえると、極
めてストレートに大国为義論を展開している。先に述べたチュバイスも「リベラルな帝国为
義」という政治理念を打ち出しているし、最近のロシアの論者も、ロシアにとっても中央ア
ジアは卖に抽象的地政学ではなく、自国領土の現実的延長だという言い方をしている。米国
や中国に対抗して、ロシアが中央アジアに影響力を保持し、強化する努力は当然今後も続け
102
られる。しかし、中央アジア諸国は独立国としてロシアに一方的に偏ることはなく、欧米や
中国とロシアを競わせる形で、それぞれからメリットを引き出そうとするだろう。
この地域の政治形態に関しては、キルギス以外の国は今後も、まず強力な大統領による安
定を重視する政策を取り続けるだろう。その意味で、キルギスの議会制民为为義の試みはき
わめて貴重な実験となる。この試みが成功するかどうか、私は確信をもっていない。ただ、
安定の重視は、実際には腐敗・汚職や既得権益の擁護になってしまうのも事実だ。実際に、
「まず安定を」という論は、強力な権力や既得権益を独占している人達が一番それを为張す
る。
「安定」の美名に隠れた腐敗、汚職、既得権益の擁護に対して、キルギスの新政権が初め
てそれに対して NO を突きつけた。私は個人的にオトゥンバエワと親しく、彼女自身は、正
義漢で腐敗、汚職に関係のない人物だということは知っており、実際に国際的にもクリーン
な政治家というイメージが定着しているようである。腐敗、汚職が蔓延しているロシアの指
導部が、このような点を評価しないのも当然ではある。
腐敗、汚職を打破するためとはいえ、自由や民为为義を真正面に掲げた場合には、政治や
社会が混乱に陥る可能性が高いというのも事実だ。中央アジアには、特殊な歴史的な背景が
あり、それと折り合いをつけながら、どのような形態の民为为義が可能であるか、きわめて
難しい問題である。それぞれの国の文化、伝統にあわせた独自の政治体制の構築は、試行錯
誤の大変な道ではあるが、この道を探る以外にないのではないか、これが私の結論になって
はいないが結論とさせていただく。
(以上、報告 1)
103
平成 22 年 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
報告 2/「キルギスの議会制民主主義
- 2010 年 4 月政変から連立政権成立まで」
浜野 道博/はまの みちひろ
キルギス日本人材開発センター 前所長
日本キルギス交流協会 理事
はじめに
昨年一年間キルギスでは大きな事件が相次いだ。4 月 7 日にバキーエフ政権が倒れ、ロー
ザ・オトゥンバーエワを首班とする暫定政権が成立した。その 2 ヵ月後に单部のオシで、一
説には 2000 人という多数の犠牲者がでる民族衝突があった。10 月には新しい憲法に基づき
議会制民为为義を実現する上で重要な国会議員選挙が行われた。しかし議会制民为为義を推
進し、民为为義を発展させるために政権を奪取した暫定政権派が過半数をとれず、逆に旧バ
キーエフ派の要人たちが作った政党が第一党になった。キルギスで起きていることは、個々
の出来事だけみているとなかなか脈略がつかめないというのが正直なところだ。
4 月の政変から今日までのキルギスの政情を整理し、その背景、政治制度の現状ならびに
今後の展望について述べたい。
キルギスの政変とその背景
今からちょうど 1 年前の 2010 年 1 月末のキルギスと今日のキルギスを比べて、この 1 年
で変化したことを三つ挙げたい。まず、政治制度が変わった。強力な大統領制がなくなり、
いわゆる議会制民为为義が導入されている。この議会制民为为義のメカニズムは、連立政権
が樹立してすでに動き始め、隣国のウズベキスタンやカザフスタンの政治プロセスとは明ら
かに違う形で国の統治が行われている。二つ目は、ロシアの直接的な介入、影響力の行使が
非常に強くなっていることで、これは極めて重要なポイントであると思う。三つ目も無視で
きないポイントで、キルギス单部の問題が表面化したことは 1 年前と大きな違いである。オ
シやジャララバードなど民族衝突が起こったキルギスの单部は、これまでも何十年にもわた
ってキルギスのいわば「獅子身中の虫」であったが、昨年 6 月の民族衝突を契機にキルギス
情勢の不安定要因として表面に浮かび上がってきており、今日もなおキルギスの政局をみる
上で無視できない地域となっている。
104
議会制民主主義への移行
ひとつひとつ事件を追いながら、キルギスが移行した議会制民为为義とはいったい何なの
か、この議会制民为为義は生き延びるのかをお話したい。
まず、4 月 7 日に政変が起きた。このときバキーエフ大統領はまさか負けると思っていな
かった。ところが何万人もの群集が大統領府に押し寄せ、彼は命からがらジャララバードに
逃げた。その日の晩にオトゥンバーエワを首班とする暫定政権が発足した。そのわずか 2 日
後の 9 日には、やはり暫定政権を担う野党勢力の指導者であるテケバエフが、キルギスは議
会制民为为義に移行し、そのための国民投票を行うと公表した。早々と公表したということ
は暫定政権の中で既に合意ができていたということで、議会制民为为義への移行は暫定政権
に結集した野党勢力の政治信条として既に 6 年も 7 年も前から掲げられていたものである。
CIS 諸国では強力な大統領制の国が多い中で、カラー革命がウクライナやグルジア、キルギ
スで起きた。しかしキルギスは議会制民为为義への移行を目標としたところが他と一味違っ
ている。チューリップ革命はいったん挫折するが、独裁的な大統領を民为的な大統領に変え
るのではなく、大統領制度そのものに手を入れて議会制民为为義に移行する方向にいく。こ
れがキルギスの異色なところである。
キルギスには昔からアクサカール(長老合議制)という制度もあるように、議会制民为为
義へのこだわりの理由としてはいろいろ挙げられると思うが、私はアカーエフ大統領の 15
年の治世の持つ意義が大きいと考えている。
アカーエフは 1990 年に有名な作家のチンギス・アイトマートフから推挙されて、サハロ
フ博士の思想的な同調者、民为为義者としてキルギスの初代大統領に選出された。大統領で
あった 15 年の間に彼は、キルギスは中央アジアにおける「民为为義の島」であるとずっと
唱えていた。それがどこまで事実であったかは別の議論に譲るが、尐なくとも追放される直
前まで、例えば、反対派に銃を向けてはならないと命令して民为为義者としての矜持を守ろ
うとした。たしかにアカーエフは強権的な大統領だとされて国を追われたが、彼の歴史的役
割には強権的大統領として切り捨てられないものがある。アカーエフが追い詰められたとき
に、キルギスは大統領制度から議会制民为为義に移行したほうがよいのではないかと彼自身
が言ったという事実もある。つまり、キルギスの議会制民为为義への移行にはアカーエフ時
代に始まった経緯があり、国内でコンセンサスが形成されてきたことが背景にある。
キルギスというのは遊牧社会であり、今まで過去何千年もの間、強力な指導者が民族全体
を統一した時代は極めて稀で、民族の大事を決するときはその都度 40 いくつかの部族から
アクサカール(白い顎鬚)と呼ばれる長老たちが集まり合議制に拠ってきた。アカーエフは
1990 年に大統領になったときに、キルギスという国のアイデンティティは何かということに
非常に強い問題意識をもち、口承文学のマナス英雄譚に依拠して、キルギスの民族的伝統へ
の回帰を訴えた。アクサカール(長老合議制)の歴史的伝統をもつキルギスには、強権化し
た大統領制度ではなく議会制民为为義の方が適合しているとオトゥンバーエワも言う。キル
ギスにおける議会制民为为義への移行はさほど唐突なことではないということを申し上げた
い。
105
キルギス政変とロシアとの関係
しかしこの議会制民为为義に対してロシアが非常に強い危機感を持った。振り返ってみる
と面白いことがある。4 月 7 日に政変がおきて、翌 8 日の早朝にプーチンがモスクワからオ
トゥンバーエワに電話して、ロシアは暫定政権を支持すると伝えている。ロシアの外交権は
メドベージェフ大統領にあるはずだが、初めの 2 週間位は対キルギス外交をプーチンが全て
差配した。当時、キルギスの国庫にはわずか 1600 万ユーロしかなく、春先にも拘らずトラ
クターの燃料がない、春播きの籾もないという非常に困った状況であった。ロシアは、ロシ
ア的なテンポでは考えられない速いスピード、約 1 週間で、クドゥリン財務相が一千万ドル
をキルギスに送金している。このように政変当初ロシアはキルギスの暫定政権に対し強力に
梃入れしたが、4 月下旪、キルギスの憲法改定草案が発表される頃になると、プーチンが後
景に退きメドベージェフ大統領がでてきて、キルギスの議会制民为为義は機能しないと言い
だした。ロシアは議会制民为为義を承認しない、容認しないという立場である。メドベージ
ェフはこの年の 10 月まで延々とこの为張を繰り返す。6 月にキルギス单部で民族衝突があり、
手がつけられなくなったときに、
ロシアは暫定政権が要請した卖独の PKO の派遣を断った。
条件として、議会制民为为義の移行を取りやめれば兵を送ってもよいと露骨なことを言った
という証言もある。
世界各国 200 以上の国があるが、多数派は大統領制度であり、日本のような議院内閣制は
尐数派である。大統領制度としてはアメリカが一番典型的な例だと思うが、大統領制度と議
院内閣制の間には大統領と首相が行政権を分けるという半大統領制度というのもある。例え
ば、フランスのような形は半大統領制度と言え、その他に多くのバリエーションがある。
キルギスはどのような地位にあるかというと、これまでの強権的な大統領から、いろいろ
な権限を剥ぎ取り、剥ぎ取った結果出来上がったのがキルギスの議会制民为義と理解してい
ただければよい。いままで大統領に集中していた権限が議会に移され、大統領の手元に残る
のは、軍司令官、国防大臣、国家保安局、検事総長などの実力機関の長を任命するといった
いくつかの権限に限定されている。法案の拒否権もあるが、3 週間ほど前のオトゥンバーエ
ワのインタビューを聞いていると、予算関連法案の拒否権はないらしい。憲法をみると大統
領の権限が極めて限定されている。半大統領制ではあるが、かなり議会に軸足が移ったもの
であるといえる。そうは言っても決して象徴的な大統領ではない。一部日本のメディアがキ
ルギスの議会制民为为義のことを議院内閣制と呼んでいるが、これは正しくない。
こういう議会制民为为義が、キルギスで動き始め、現在およそ一月半である。各派の合意
で最初の 100 日くらい様子をみてみようという状況であるが、その間いろいろな火花が飛ん
でいる。あとで尐しご紹介する。
6 月 27 日に憲法改正のための国民投票が行われ、投票率 70%、支持率 90%であった。新
しい憲法が採択されて議会制民为为義になるということで、ロシアの危機感がますます強ま
った。もし 10 月の国会議員選挙で議席の過半数を暫定政権派政党がとると、いよいよキル
ギスはロシアの手から離れていくのではないかという危機感を非常に強くもったと思う。重
要なポイントであるが、キルギス大統領には外交権があり、マナス米軍基地を撤去あるいは
存続させる権限は大統領にある。その大統領職をオトゥンバーエワが遂行しているが、それ
に合わせて議会の過半数が暫定政権によって占められると、ロシアがキルギスにおよぼす影
106
響は非常に限定されることになる。そのためロシアとしては国会議員選挙に絶対負けるわけ
にいかなかった。他国の選挙に負けるわけにいかないというのもおかしな話であるが、結局、
ロシアは 10 月 10 日の国会議員選挙投票日に至るまでにキルギスの選挙戦に非常に強い磁場
をかける。自国のメディアを総動員して反ロシアであればキルギスは生きていけないという
宣伝をキルギスの国内で行った。ビシケクやオシなどの大きな都市では、ロシアの民放、国
営放送を地上波で見ることができる。これらメディアをつかって、ロシアの存在を有権者に
訴えた。
その結果、ふたを開けてみると事前の予想に反して暫定政権派(キルギスタン社会民为党
およびアタ・メケン党)が 2 党合わせても 120 議席の過半数にはるかに遠い 44 議席しか取
れなかった。親露を標ぼうした政党が国会内で多数を占めることになった。さらに旧バキー
エフ派の要人たちが作ったアタ・ジュルト党が第一党になった。しかし、議席を得た 5 党の
各議席数では議会の過半数をとるには 2 党の連立でも無理、3 党でようやく過半数であり、
より重要なことであるが憲法の改正のための議会の 3 分の 2 以上をとるには 4 党の賛成がな
いとできないという、ある意味で民为为義の真価が問われる結果に終わった。しかし、国会
に旧バキーエフ派の政党が第一党で議席を得たことは、今まで暫定政権を支持してきた国際
世論を非常に狼狽させた。
キルギスの民族衝突問題
このような結果を導いた原因の一つは 6 月 10 日にキルギス单部で起きた民族衝突あろう
と私は思う。この民族衝突の原因を尐し歴史的に振り返ってみたい。オシやジャララバード
のある現在のフェルガナ盆地の山麓部にはウズベク人が多数住んでいたが、1925 年にこのウ
ズベク人の土地はキルギス領に編入された。その時から今日までオシ、ジャララバードを中
心にキルギス人とウズベク人の水や土地を巡る争いが絶えず起きている。ソ連時代われわれ
外国人はこの地域に足を踏み入れることもできないし、モスクワから遠く離れたこの地域に
関する情報が漏れてくることもなかったが、ペレストロイカの末期 1990 年 5 月におきたオ
シでのウズベク人とキルギス人の衝突は世界に知れ渡った。このときもウズベク人が 1000
人以上殺されている。衝突の原因は、それまで遊牧生活を送っていたキルギス人が平地に下
りて定住しようとしても適当な土地がない。そのためウズベク人から土地を奪わざるを得な
いという事情がある。そう卖純に言い切ると、キルギス人から石を投げられるかもしれない
が、やはり基本的に押さえておかねばならない構図である。このような单部の民族的な反目
の根源は、やはりウズベク人が多数住んでいた地域のキルギス領への組み込みから始まって
いる。その意味でグルジアのアプハジア問題とも共通したところがある。
6 月 10 日に民族衝突が燃え上がって多くの犠牲者が出たとき、ビシケクの暫定政権はこの
地域を十分掌握できていなかった。今回の衝突は水や土地を巡っての具体的な争いの種がな
い、だれかが挑発した衝突であったことは事実だと思う。結局、衝突は第三国の介入のない
まま 10 日ほどで収まった。しかし、民族衝突を契機に暫定政権の单部に対する実効的支配
が揺らいでいることが白日のもとになってしまった。事態を一層複雑にしているのは、单部
における旧バキーエフ派を中心とした政治家たちがウズベク人の殺害に加わったキルギス人
たちを囲いこみ、民族衝突を政治的な資産にして、この地域のキルギス系住民の間で強力な
107
支持基盤を維持しているということである。彼らは民族衝突の原因解明作業を妨害し、この
地域における民族融和のプロセスに水をさしている。
キルギス单部の情勢は民族対立とここを通過するアフガン麻薬をめぐる利権争いが絡み合
い、キルギス安定化の阻害要因となっている。
キルギスの政治情勢
12 月に成立したキルギスの連立政権は、各党派の思惑が絡み合って、死に物狂いで闘った当事
者同士が手を組むという呉越同舟の組み合わせになった。各党の政治的立場は親露か親欧米か、
旧バキーエフ派か反バキーエフ派かで一忚 4 グループに分けることができ、その対角線上にある
旧バキーエフ派のアタ・ジュルト党とオトゥンバーエワ大統領の激しい対立が火花を散らしてい
る。現在キルギスの政局はひたすら今年 11 月の大統領選挙に向けて動いている。ロシアはウク
ライナのように親露派大統領を据えたい。一方アメリカはマナス米軍基地を死守するために暫定
政権派への梃入れを強めている。
とはいえ一言お断り申し上げておくが、キルギスの政治家は親欧米であっても反ロシアで
はない、親ロシアであっても反欧米ではない。キルギスはアカーエフ時代から八方美人外交
と言われてきた。ロシアだけでは生きていけない、欧米だけでは生きてはいけないというの
がすべての政治勢力の共通認識である。
(以上、報告 2)
報告 2 の関連コメントおよび 11 月のキルギス出張報告等
田中 哲二/たなか てつじ
中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会代表幹事
日本・キルギス交流協会 理事長
(関連コメント)
浜野報告に補足的にコメントしたい。浜野氏とはキルギス関連活動では、日本キルギスセ
ンター所長、愛知万博中央アジア館の顧問、日本・キルギス交流協会の役員等で、よく似た
経験を共有している。
まず、昨年 11 月に 10 日間ほどキルギスに入ることができ、首都ビシュケクと民族対立の
中心单部のオシュを訪問した。首都ビシュケクでは、4 月の革命劇の痕跡として、大統領府
前の犠牲者(86 人)慰霊碑や焼き討ちされたままの最高検察庁、税務総署の崩れた建物がそ
のままになっているのが見られたが、市内全体はあっけないくらいに平静であった。ちょう
ど 10 月 10 日の議会選挙の結果を受けた第一次組閣工作の期限切れ間近であった。第 2 の都
市单部のオシュ市内の民族対立に伴う破壊状況は予想を大きく上回るものであり、UNHCR
事務所は活動しているが、冬場を控え更なる国際協力が必要に思われた。紛争の大規模拡大
108
の直接の原因は、单部の政治的不安定化を画策した勢力の存在にあるが、周辺国に比べた場
合の貧困と数世紀にわたる民族対抗の怨念は無視できない。本日は第 2 革命以後、抱えてい
た論点をキルギス訪問で感じた実感として補強出来た5つのメッセージとして簡卖に申し上
げたい。
一点目は、なぜキルギスで 2 回も革命が起こったかということである。キルギスは、中央
アジアの中で、ある意味で、一番民为化が先行した国であった。経済や国民の福祉の成長や
政府のガバーナンスの能力の向上よりも、形の上での民为化が先行したが故に、デモ行動の
自由があったし警察や公安もこれに手出しはしなかった。外部からは、民为化の遅れた国だ
から革命が起ったと映るかもしれないが逆である。デモが簡卖に出来る程度の民为化が先行
していたから、政府の管理能力の脆弱性もあって革命が 2 度も起きてしまったと理解すべき
である。政権の独裁度や汚職、ネポティズムの横行という点では周辺国の方がむしろ激しい。
二点目は、单部での民族衝突の被害が、予想以上に大きかったことである。被害者数は 400
人前後と伝えられているが、直接混乱の後始末にあたった現地の政府当局者や医者達に聞く
と、最大で 4000 人くらいにはなるということである。破壊された建物の数も相当な数にぼ
る。
三点目は、周辺諸国が、ソ連からの独立後の国造りの過程でキルギスが往々にして欧米志
向の理想为義的行動を突出して行ってしまうことに懸念を抱いていることである。例えば、
キルギスは、IMF の優等生などといわれて条件が整っていないのにいち早く WTO 加盟を果
たしてしまう。周辺国はなかなか条件が整わないので WTO に加盟できなかったわけである
が、キルギスが WTO に加盟したことで加盟へのプレッシャーを受け続けた。WTO 加盟で
キルギスが先陣を切ったことに対して迷惑を受けたという思いがある。今回の議会制民为为
義の導入も、識者は方向的には正しいと思っているにしても、この段階で議会制民为为義を
打ち出すのは、国際政治の圧力や中央アジアの政治環境の未熟度からみれば、まだ時期が早
尚で、キルギスのリーダーは政治家としは未熟なところがあるという批判がなされている。
四点目は域外の大国の態度についてである。米国はマナスの空軍基地の「対アフガントラ
ンジットセンター」の確保が最大眼目であり、キルギス新政権はこれを 2014 年まで延長す
ることに同意した。米国は、アフガン問題が解決するまでは、キルギスのトランジットセン
ターは絶対手放せないという姿勢だ。ロシアは、PKO 活動を暫定首相から直接 2 度も依頼さ
れているが、例えばチェチェン問題のトラウマもあり、民族問題・宗教問題には極力係わら
ない、巻き込まれたくないという形でこれを拒否している。にもかかわらず、ロシアは、ロ
シアの裏庭とでも言えるかつての勢力圏であった中央アジアに経済援助の強化などいろんな
形で回帰してきている。長い国境をもつ中国は特に貿易・経済問題についてはがっちりキル
ギスに入り込んでいる。いまさら個別の軍事や政治に手を出さなくてもキルギスに対する中
国の影響力は不動だとの自信がある。それに、上海協力機構の事務局は北京にあるという意
識もある。
五点目として、オトゥンバエワ暫定大統領は色々苦心しているが、政権全体の管理の弱さは
否めない。多党乱立の上、政権・与党内に人材が不足していることである。オトゥンバエワ
大統領自身は、2 つの革命の先導をした当人であるので、人事面でも前二政権の関与者には
否定的である。アカイエフ体制、バキーエフ体制時に育った公務員、外交官などの人材を登
用していない。私は、前のバキーエフ前大統領にも同じような意見を言ったことがあるが、
109
やはり、政治家官僚層に開明的な人材がそう多く居る国ではないのだから、多尐アカイエフ
体制やバキーエフ体制に近かった政治家・官僚でも挙国一致内閣的に登用するくらいの大ら
かな人材登用の線をださないとうまくいかないのではないかと考える。以上、キルギス訪問
で確認した問題意識をコメントとしてご報告させていただく。
(キルギス出張報告等)
1.11月下旬のキルギス出張報告
①首都ビシュケクの政情
第2革命と民族衝突から約半年を経たキルギスの首都ビシュケク市と单部にある第2の都
市オシュ市を訪問した(因みに筆者は両市の名誉市民でもある)。
ビシュケクでは、10月10日の議会選挙を受けキルギス社会民为党を中心とする連立内
閣の組閣工作が行われていたが、期限の12月上旪までの成立は難しいとみられていた(事
実この組閣工作は失敗し共和党を中心とするだい2次組閣工作により12月16日に漸く連
立内閣成立、新首相A・アタムバエフ氏)。また、暫定政府のトップの2人(大統領兹首相、
第一副首相)には取り敢えず面会できた。それぞれ、楽観的な治安回復と政情安定の見通し
を述べてはいたが、この数か月間の激務による憔悴感は痛々しいほど感じられた。4月6日
の第2革命発生から10日も過ぎたあたりからは、市内は信じがたいほどの平穏な状態が続
いている模様。革命の混乱の痕跡を残すものとしては、反政府デモで生じた86人の犠牲者
の名を刻んだ銅板が大統領府の前壁に設置されていたのと、革命の騒乱の中で焼き討ちにさ
れた最高検察庁と税務総署が黒焦げのまま残されていることであった。
今後の懸念材料としては、11月時点では①多党乱立状態のうえに成立した新政権の求心
力が脆弱であること、②アカエフ政権およびバキエフ政権の息のかかっていない層からのみ
登用される閣僚・上級官僚が人材不足であること、③海外からの経済援助・直接投資がほと
んどストップしてしまっていること等があげられる。
②オシュの民族衝突による被害状況
6月のキルギス族・ウズベク族の衝突後初の日本からの訪問者として、州や市の関連機関・
中央銀行支店を訪問して話を聞く一方、市中の衝突現場の被害状況を中心に調査してきた。
結果的にいえば東京に伝えられてきている状況より実態はより深刻である。例えば、公式に
は400人弱と発表されている犠牲者の数も現地の医療関係者の推計では最大4000人に
達する可能性があると聞かされた。
たまたま案内されたウズベク人居住区のアンデジャン通り(国境を越えて隣国ウズベキス
タンのアンデジャン市に通ずる)では数百軒もの小売店および中小企業とその付属住宅が焼
き討ち・破壊され、2軒に1人の割合で犠牲者が出ているとのことであった。被災者の話に
よれば、最初に車で乗り付けた自動小銃・ライフルで武装した数十から百人卖位の正体不明
の一団が発砲して住民を地域外に追い出し、その後にキルギス人と思しき一団が乱入して現
金と金目の物資を運びだし最後にガソリン(?)をまいて地域全体を焼き払ったという。相
110
当の高温でなければ鎔けない鉄製の水道管や鉄骨が原型をとどめていない。これはウズベク
居住区の状況であるが、キルギス人居住区ではほぼ反対のことが起こったと考えればいい。
そして一度流血の騒動が起こった後は報復の忚酬となった。今のところ、民族間衝突として
どちらが先に仕掛けたか、どちらがより残忍であったかはだれも判定できないとの意見が多
い。いずれにしても市内の数十か所で大小のこうした衝突が起きたとの説明であった。
現在、砂・レンガ等建設資材が運びこまれ再建が進められているが作業は停滞気味で11
月の寒さ(すでに0度以下)の中でテント暮らしを余議なくされている家庭も尐なくない。
とくに被害の激しい家屋には「UNHCR(国連難民高等弁務官)管理」の張り紙がしてあ
る。私の訪問直後に「UNHCR」は、オシュを含むキルギス单部において9百万ドルをか
けて13.4千人用の仮設住宅の建設を完了したと発表しているが、まだ全面的に完成した
とは言い難い面は残っているし、また恩恵を受けるのはごく一部分の人々でしかない(一時
避難民を含め37.5万人が何らかの被害者)。もっと大規模な国際社会の支援が必要だとお
もわれた。
このキルギス单部のキルギス族・ウズベク族衝突の原因と経緯は、更年後の国家調査委員
会発表(1月11日)の内容がほぼ正しいと思われる。しかし、北部の暫定政権の成立を揺
さぶるための单部の不安定化を画策した幾つかの勢力(バキエフ前大統領派の武装グループ
への資金提供、経済マフィアをリーダーとするキルギス・ウズベク族の自为権確立運動等)
の介入・アジテーションがあったとはいえ、衝突をここまでエスカレートさせた間接的要因
としては、①1990年のオシュ・ウズゲン事件の潜在的怨念(地権・水利権争いで双方約
600人が死亡)
、②東部フェルガナ盆地における構造的かつ日常的民族間経済格差(ウズベ
ク族=商店为・中小企業オーナー=中間富裕層、キルギス族=農民・出稼ぎ労働者=貧困層)、
を指摘しておかねばならない。とくに、貧富の差の大きかった現場の破壊状況を見てそう考
えざるを得ない。第3国やイスラム勢力の介入について周辺国は否定しているが、現地の人
はバキエフ派によって雇われたとみられる狙撃手(スナイパー)の中には明らかにキルギス・
ウズベク人以外のものが多数おり、とくにタジク人の女性スナイパーの存在が強く印象に残
っていると話していた。
暫定政権の单部情勢の把握能力にはいろいろ問題があるようで、例えば、その多くがバキ
エフ派である单部警察勢力は政府の意向に沿った治安維持に必ずしも機能していない。かっ
て、ビシュケクの政府機関に勤め筆者が大統領顧問であることを知っていた今次被災者の一
人(キルギス人、妻・娘が死亡、本人も脚に銃創)が訪ねてきて、单部での軍隊・警察の強
化(予算の配分増)を暫定政府に是非進言してくれと涙ながら訴える場面もあった。この時
点では、单部の治安維持・復興は暫定政府の第3副首相が担当していた。
2.キルギス紛争に絡む関係国の態度等
2010年秋以降、ウズベキスタン、ロシア、カザフスタン、キルギス、中国を廻った。現
地での本音を含め関係国のキルギス紛争に対する特徴的な対忚等を見ると以下の通り。
米国――マナス国際空港における対アフガン「トランジット・センター」の継続確保に
に全力。クリントン国務大臣がオトゥンバエワ暫定大統領に直接電話、駐留費
の引き上げ等の条件付きでマナス基地の使用契約の2014年までの自動的延
111
長を改めて取り付け。
カザフスタン
当初は紛争の国内波及を懸念(第2革命発生後数日間は対キルギス国
境 閉 鎖 )。 欧 州 安 全 保 障 協 力 機 構 ( O S C E ) の 議 長 国 と し て キ ル ギ ス
の政権交代に影響力を発揮、OSCEの事務局長であるカザフスタン
外務大臣は、ロシア・米国政府と協議して、バキエフ前大統領の一時
タラズ(カザフ領)への脱出とミンスク(ベラルース)への送還を担
当。カザフスタンは、2010年12月に旧ソ連域内では初めてのO
SCE首脳会議、2011年には上海協力機構(SCO)の創立10
周年記念首脳会議を開催する予定のほか、2017年に国連安全保障
理事会の非常任理事国入りをめざすなど活発に国際社会でのステータ
スアップを目論んでいる。
ウズベキスタン
民族衝突直後は国境を開き約7.5万人のウズベク系キルギス人難
民を受け入れたが約1週間で全員送還。この行為はアンデジャン事
件の非人道的処理で国際的な厳しい批判を受けたことのトラウマによるもの。
以降はフェルガナ盆地の対キルギス国境を閉ざし、民族紛争の波及と議会民为
为義導入声明に対して警戒的態度を強める。政府筋はこの機に「キルギ
ス は 中 央 ア ジ ア の 迷 惑 者 ( ト ラ ブ ル メ ー カ ー )」 と 決 め つ け 、 懸 案 の
水資源配分問題(ロシアの援助によるキルギス第2カンバルタダム強化工事)へ
の批判を一段と強めている。
ロシア―‐米軍基地存続問題で裏切られた形のロシア政府はバキエフ前大統領の追放を
黙認。宗教紛争がらみ・民族紛争がらみの混乱へ直接介入回避の方針(チェ
チェン紛争の反省等)から、2度にわたるオトゥンバエワ臨時大統領からの
平和維持軍(PKO)の派遣を拒否。しかし、本質はロシアの中央アジアにおける
プレゼンス回復・米軍の撤退勧奨であることから、カント空軍基地の兵員強
化大型水力発電所改修工事支援、議会議員選挙における親ロシア政党への資
金提供等を実行している。キルギスの議会制民为为義への移行についてはロ
シアの現状からみても疑問として懐疑的。
中国――地勢的に見てもキルギスの混乱が新疆ウイグル自治区内(キルギス族ないしウ
イグル族)に飛び火する可能性はないとみる。政権が代わっても既にビルトイ
ンされたキルギスないし中央アジア諸国の中国産品(とくに軽工業品)依存の
高さは不変との自信。中央アジアを通過する中国向けエネルギー資源パイプライ
ンの安全運営には特別の関心を示している。
(以上、コメントおよび報告)
112
平成 22 年 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
報告 3/「世界のエネルギー市場における中央アジアの位置づけ」
本村 真澄/もとむら ますみ
石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)
調査部 調査課 主席研究員
はじめに
タイトルが、
『世界のエネルギー市場における中央アジアの位置づけ』と大きいが、中央ア
ジア諸国の石油・天然ガスの生産状況およびパイプライン建設によるエネルギー輸送とその
周辺国との関係に関して述べたい。時間が限られているのでいくつかののシンボリックな事
例を追いかけたいと思う。
CIS の石油生産
中央アジアには、いわゆる堆積盆地、石油、ガスが生成される場所がかなりある。特に重
要なのはカスピ海北の北カスピ盆地、アゼルバイジャンの沖合いを含む南カスピ盆地、そし
て、トルクメニスタン、ウズベキスタンの南部をカバーするアムダリア盆地、この三箇所が
重要な場所である。とくにアムダリア盆地は天然ガスが出るところである。
石油の生産量は、現在ダントツに多いのがカザフスタンで、日量約 160 万バレルで、これ
からさらに伸び、更に 150 万バレルくらい上乗せになるだろう。非常に将来性がある。アゼ
ルバイジャンは日量 100 万バレルを越えたがおおよそ頭打ちである。ウズベキスタン、トル
クメニスタンは石油はそれほど出ない。CIS 諸国の 1950 年代から 2010 年までの石油の生産
を見ると、ソビエト連邦の最後の頃は、カザフスタンは全体の5%程度生産していたのに今
日では CIS 全体の 10%程度に、アゼルバイジャンは 2%程度だったのが 5%程度になってい
る。ソ連崩壊の後、生産量は減ったが現在は回復している。中央アジアの比重はさらに延び
ており、これはひとえに外資の導入の成功にある。ここはロシアに先行した成果であったと
いえると思う。
カスピ海の北部では、現在も鉱区開放が続き、外資の参入が活発である。陸上のテンギス
油田、浅い海のカシャガン油田、この二つの主力油田について触れたい。周辺の他の油田で
は産油量はあまり増えていない。テンギス油田は可採埋蔵量 90 億バレル、数十万バレル/日
の生産量で、アメリカのシェブロンが始めから参加している。これまでのカザフスタンの生
産量増加の屋台骨である。この油田は随伴ガスに、硫化水素が多く、その処理プラントが増
設されるに従い生産量も増えた。沖合いのカシャガン油田は可採埋蔵量 90 億バレル超で、
113
まだ生産していない。来年生産開始を予定しているが、日量 150 万バレルくらいになるので
はないか。日本からもインペックスが参加している。
一方、单のアゼルバイジャンの沖合いに、アゼル・チラグ・グネシュリ(ACG)油田があ
る。日本からは、1996 年に伊藤忠がマクダーモット、ペンゾイルから権益を譲渡されている。
その後、2003 年、インペックスがイクオイルの権益を 10%譲渡を受けて入っている。中央
アジアの为力油田については、日本はきちんと参入を果たしている、ということを我々実務
の側として強調したい。これは皆が努力した成果である。
アゼルバイジャンのパイプライン
カザフスタンの石油輸送については旧ソ連ルートがあるので問題ない。ここで、アゼルバ
イジャン(ACG)の石油の輸出について、話題になったので紹介したいと思う。1997 年、
ACG 油田が最初に生産開始になったときに、北コーカサスパイプラインを通って黒海のノボ
ロシースクまで送り、そこから輸出をした。これは昔からあるパイプラインで、以前は逆送
してバクーの製油所に油を送っていたので、あまり新規投資をしないですんだ。1999 年から
は、グルジアのスプサまで西ルートで黒海へ送った。どちらも ACG のプロジェクトの中で
のパイプラインである。その後、本格的なパイプラインとして 2006 年 BTC(バクー・トビ
リシ・ジェイハン)パイプラインができ、地中海から輸出をおこなうようになった。どこか
らどのようなルートで出すのがよいか、かなり話題になった。まず、北のルートはロシアが
非常に支持していたもので、ぜひうちのルートを使ってくれ、新規投資もいらないとのこと
であった。しかし、ノボルシースクでロシアが産出しているウラルブレンドと混ざる。これ
は硫黄が 1.7%で、混ざれば価格の評価がかなり下がる。せっかく低硫黄で高品質のアゼル
バイジャンの原油が残念ながら高い評価を得られない。その後、西ルートで出すようになり
高い評価を得た。もう一つは、現場サイドからの意見で、イランのタブリーズまで出し、イ
ランがカーグ島から等価スワップで出すイランルートである。これが一番最短距離のパイプ
ラインで経済性が一番良いと思われた。しかし建設コストは安いかもしれないが、イランと
原油スワップは、カスピ海の東のネッカ港でやっており、大変高いスワップ料をとったり、
政治リスクも高く問題もいろいろある。そして結局 BTC(バクー・トビリシ・ジェイハン)
パイプラインができた。これはトルコ、アメリカが支持している。BTC パイプラインはイラ
ン、ロシアをけん制するパイプラインで、問題は建設コストが高いということである。事業
を行っている国際コンソーシアム側がどう考えていたかというと、確かにイランやロシアか
ら送られるのでは、イランやロシアが増産したこととなり、国際市場での意味合いは同じで
あまり面白くない。新規生産地域であれば、新規パイプラインで出てくることが歓迎だろう。
ただし、コンソーシアムが実際にお金を払う完全民間のパイプラインであり、どうすればよ
いかと考慮していた。
アメリカはビル・リチャードソン商務長官が、1998 年アンカラ宣言で、BTC ルート支持を
表明した。コンソーシアムはこれを歓迎したかというと逆である。カスピ海での既発見埋蔵
量は BTC パイプラインの経済性を保証する規模に達していない。当時、油価は$12/バレル
であり一番最低で、とても新規投資ができる状態ではなかった。政治的にいろいろ言われた
くないと完全に無視していた。その後、新しい動きがあった。翌 1999 年 7 月、BP と他のコ
114
ンソーシアムが、シャーデニスという一番構造が大きくて注目を集めていた油田を掘った。
石油を狙って掘ったが結果はガスであった。石油の場合はどこでも売れるが、天然ガスは、
必ず目的地、市場が決まらないと売れないのでがっかりした。その市場はどこかといったら
トルコしかない。石油は無視して天然ガスだけ買って欲しいというのは非常に商売としても
やりにくい。石油のほうで利益が小さくなっても、天然ガスで利益が取れればいいという判
断もあった。ここでまた方針が微妙に修正された。結局 11 月イスタンブールで BTC パイプ
ラインの政府間合意が結ばれ、アゼルバイジャン、グルジア、トルコが調印する。コンソー
シアムはその前日、BTC パイプラインの経済性の確保が絶対的な条件であると表明した。油
価は$18 まで上ってきたが、依然弱い数字である。政治的決定にそのまま従う訳ではないと
いう意味表示である。その後、油価がじりじり上がってきたこともあり、2002 年ようやく建
設開始になった。油価はこのとき$25 である。これで 2006 年 6 月 BTC パイプラインが稼動
開始になった。
このパイプラインは、きわめて、政治的なパイプラインだといわれるが、現実を見てみる
と、コンソーシアムの側というのは政治の圧力があることは承知して、それをかわしていろ
いろ条件をとりながら、損にならないところで最終決着を図ったのである。一方的に政治家
がこれやれと言うと、民間会社が、はいわかりました、となんでも素直に聞くということは
あり得ない。株为代表者訴訟もある。政治的な発言を聞きながら、それを踏まえた上での経
済性を模索する、そういう対忚をしてきた。
CIS の天然ガス生産
天然ガスについて触れたい。CIS の天然ガス生産は 1950 年からずっと増えてきていた。
ソ連崩壊でもあまり減らなかったのに、2009 年にがたんと 12%落ちた。2010 年は約 11.5%
回復している。国際社会でなにが起こったかというと、まず、欧州のガス市場では、2009
年は世界的な経済危機で需要が減った。さらに同じ頃にアメリカではいわゆるシェールガス
革命が起こり、これがアメリカのガス生産量の 10%をまかなった。今まで輸入をしたスポッ
ト LNG が不要だと輸入を停止し、そのスポット LNG が欧州にいき、欧州でスポット LNG
の価格が大暴落してロシアのガスが売れなくなった。ロシアは中央アジアからもガスを入れ
て売っていたが、トルクメニスタンのガスを入れなくなった。トルクメニスタンとロシアは
とても険悪になり、2009 年 4 月トルクメニスタンは依然として、天然ガスを送ったのでパイ
プラインが爆発するという事件が発生した。トルクメニスタンのガス生産量は 2009 年に 45%
減退している。要するに売り先がなくなったからである。ロシア経由では絶対だめだという
状況になった。
ヨーロッパはどう考えているかというと、ロシアに依存しすぎるのは心配であるので、今、
話題になっているトルコからブルガリアを通って、オーストリアまでいくナブッコ・パイプ
ラインを考えた。ロシア側は、自国からブルガリアを通して、オーストリアへいくもの、イ
タリアにいくもの、二つのルートを持つサウス・ストリーム・パイプラインを計画した。サ
ウス・ストリームについては昨年、ナブッコはその前年に、通過国の間で政府間合意がなさ
れている。そもそも、ナブッコについては、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブル
ガリア、トルコが集まって、ロシアを迂回してガスを送ろうということでスタートした計画
115
であり、アメリカ、EU が支持して、ロシアの天然ガスにヨーロッパ市場が過剰に依存する
のはよくないということで動いた。ただし、2009 年 7 月、政府間合意で、アメリカ代表のリ
チャード・モーニングスターが、パイプラインの 50%については、どこの国のガスも受け入
れる、ロシアのガスも受け入れると、わざわざ述べている。それまでロシア除外のパイプラ
インだと政治サイドで言っていたのが、アメリカが大きく方針を変えた。ところが、ナブッ
コのホームページを見てみると、ナブッコの事業体、つまり商業プロジェクトとしてのナブ
ッコは、ロシアもイランもエジプトでも、どこの国のガスでも受け入れ、ヨーロッパで販売
すればよい、という立場で、全く政治に関心がないというのが実態である。政治とビジネス
がタイアップしているという理解はちょっとおかしいのではないか。ビジネスと政治は別も
のである、乖離している、ということを申し上げたい。
トルクメニスタンとしては、こういったなかで、先ほど話したようにロシアに売れなくな
ったことで、中国へのルートを前々から模索していた。ロシア側がトルクメニスタンに先手
を打ってまとめたのが、アルタイ・パイプラインである。2006 年 3 月 21 日、プーチンは、
その後の 4 月にトルクメニスタンのニヤゾフ大統領が中国に行くという情報を得て先に訪中
している。310 億 m3 の天然ガスを送り、価格の調整でまだ開きがあるが、今年の夏に合意
することになっている。稼動開始は 2015 年かもう尐し先になるだろう。この影響が、2006
年に欧州市場にでた。欧州の为要なエネルギー供給会社はロシアとそれまで短期契約だった
のを 20 年、25 年という長期契約に切り替えた。つまり、ロシアのガスが中国にいく。中国
という市場が競争者になり、ヨーロッパ側は自分の市場をキープするために長期契約を結ん
だ。そういう反忚を引き起こしている。一方ニヤゾフ大統領は、4 月に訪中したがプーチン
訪中の後なので新聞の扱いも小さく、後でかなり怒ったそうである。これも 300 億 m3 を中
国に送るということである。ところが、これは意外としっかりやっていて当初の契約で 2009
年末に稼動開始であったが予定通りに開始した。300 億 m3 には程遠く現状は 40 億 m3 しか
送っていないが、きちっと予定通り建設して、国境の町コルガスから中国新疆ウイグルに入
って、中国国内も第二西気東輸パイプランを建設して今真ん中くらいまで造っている状況で
ある。
トルクメニスタンにとって、今、東にいくパイプラインができたが、従来は、CAC(セン
トラル・アジア・センター)パイプラインからヨーロッパにだしていた。ロシアはこのガスを
買い取ってヨーロッパで 3 倍の値段をつけて売っていた。トルクメニスタンにとって腹立た
しい話で、自分でお客さんをみつけて売ったほうが、遥かに利益が出る。ところがロシアは、
トランジット国としてそれを許さなかった。実はこれは「エネルギー憲章条約」の違反であ
る。「エネルギー憲章条約」第 7 条は、通過の自由の原則(フリーダム・オブ・トランスポ
ート)で、出発地、仕向け地による差別、不合理な制限は排除している。国境で買い取って
より高く売るというロシアの行動は違反である。ロシアはこのことがあるのでまだ批准して
いない。こういうことがあり、トルクメニスタンは、新規市場、中国を目指し中国市場につ
ながった。では、ロシアはどうしたたか、制裁でも加えたのかというと、実は 2008 年 3 月
に、それまでの中央アジア、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンで買ってい
るガスをヨーロッパ並みの価格で買い取ると発表し、中国に向かったトルクメニスタンや他
国の意向をまたロシアに振り向かせようとした。実は 2009 年初めに、国際価格で買ったが、
天然ガスの価格の暴落という大事件があって売れなくなり、この話がすべて、第一四半期の
116
後、沙汰止み闇になってしまった。いろいろそういう形で激しいやり取りをしている。
以上まとめると、ロシアは、中国に対して天然ガスを売るということで、EU に対しては
中国の市場を見せ玉にけん制をしていた。EU は長期契約で対忚した。トルクメニスタンは
中国の市場を目指して対露バーゲンに動いた。もう一つ強調したいのは、ロシアと対決姿勢
を打ち出したかというとそうではなくて、ロシアへの輸出を増やすということで、一方での
バランスをとる政策をとっている。ロシアは結局天然ガスの価格を引き上げるということで
何とか欧州市場、あるいは中国市場からトルクメニスタンを引き戻したい。現状は、アメリ
カのシェールガスの影響で混沌状態になっているというのが実態である。
私が伝えたいのは、このような天然ガスのやり取りは、我々のすべてのパートナーが世界
の市場で展開していることである。軍隊を出したり、政治的な恫喝をし、言う通りにしろと
いうことではなく、市場で、価格で競争している。それが実態であると申し上げたい。スポ
ットガスの価格が 2009 年安くなり、それぞれの戦いが混沌とした状態になった。パイプラ
インはその政治性が頻繁に議論されるが、些細に見ると経済性を踏まえての意志決定がなさ
れている。
最後になるが、アルタイ・パイプラインはロシア、中国が今年の 6 月末に価格合意をする
のを受け着工される。ロシアが西シベリアから天然ガスを出して中国に売るというのは、言
うまでもなく、ヨーロッパ市場をけん制するためである。市場を戦わせてけん制するという
戦いは今も続いている。
(以上、報告 3)
117
平成 22 年 IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
報告 4/「日本の対中央アジア経済協力の現況について」
原
幸太郎/はら こうたろう
経済産業省 通商政策局
ロシア・中央アジア・コーカサス室長
中央アジアの経済
中央アジア地域の経済成長率は、2008 年、2009 年、全体的な経済の落ち込みはあったが、
おおよそプラスで成長している。GDP の変動は、カザフスタンがもっとも高い成長を上げて
いる。私の分析では、これら地域は、資源の大生産地の国がいくつかあり、その開発が比較
的進んでいる場所で高い GDP となっている。
経済力の比較では、GNI の総額は、これもカザフスタンがトップである。中央アジア地域
労働可能人口比が一番多いのはウズベキスタンで中央アジア全体の 40%、続いてカザフスタ
ンの 30%となっている。労働人口は、労働者の数が産業の開発に非常に重要で、マーケット
の規模においても、将来性の展望を予測する上でも大切である。
ここで、我が国の 21 世紀の日本の復活に向けた 21 の国家戦略プロジェクトについて述べ
たい。現在、政界等で、さかんに新成長戦略が議論の素材となっているが、我が国で検討さ
れている、21 の国家戦略プロジェクトには、需要面と供給面でそれぞれ政策がたてられてい
る。通商政策の中で重視すべき点として、需要面の 3 番目の「アジア」がある。今回のシン
ポジウムのテーマの中央アジアは、アジアの中の一部という位置付けであるが、ASEAN 諸
国や中国などと比較すると若干特殊な地位ではある。私共の考えている対中央アジア政策の
中には、パッケージ型インフラ海外展開などが入っている。
中央アジアは、エネルギー資源の関係で我が国と近年非常に関係が深まってきている。エ
ネルギー資源は、ほぼ日本が外国からの資源に負っているという意味で常にリスクが伴う。
エネルギー安全保障を脅かしうる为要なリスクには、地政学的リスク、地質学的リスク、国
内供給体制リスク、需要逼迫リスク、市場価格リスクなどがある。シンポジウムの最初のプ
レゼンテーションで、キルギスの政変についてのご紹介、ご説明があったが、それなどは地
政学的なリスクとして、
「産資源国及び近隣国、輸送経路近隣国の政治・軍事情勢」に入りう
ると考える。国際関係、これは外交ツールとして利用されることもある。先の本村氏の説明
のとおり、価格が非常に重要な要素となる一方、例えば、ロシアから欧州に輸送される天然
ガスの送付の停止という政治的リスクも常に伴っている。資源ナショナリズムは接収、国有
化、当初約束した価格からの課税の引き上げ、加えて輸出規制などがある。消費国間の資源
争奪については、近年、中国の非常に貪欲な資源獲得の動向というものがある。その他の地
118
政学的リスクとして近年はテロ、海賊なども挙げられる。地質学的リスクについては、埋蔵
量が当初予測したものより尐なかったとか、減尐した等といったことである。エネルギー安
全保障にはこういった脅かしうるいろいろなリスクが常に伴っている。
我が国のエネルギー政策と中央アジア
私たちの国にとってなぜエネルギーが重要かということであるが、原子力を含むエネルギ
ーの自給率は 2000 年代においても 18%である。つまり、海外から自らの必要量を確保でき
るかという課題を常に抱えている。エネルギー輸入先は、全体としては、当然中東の割合が
高い。旧ソ連圏は、非常に割合は低いが、近年その重要度が高まってきている。無資源国の
我が国は、リスク回避のためエネルギー源の多角化を図っていく必要がある。その中で、非
常に重要な地位を占めてきているのが、原子力である。原子力の割合は、1970 年代に数パー
セントであったが、2000 年代には 20%に近くなってきている。これは我が国の原子力政策
の帰結である。本日、エネルギーの多様化に言及するのは、中央アジアの国々が、エネルギ
ー資源の豊富な埋蔵地であるからである。先程も石油や天然ガスの説明があったが、この地
域から天然ガスや石油を輸入することは、極微量であるか、ほとんどやっていない。理由は
非常に明快で、輸送コストがとても高く、そういった高い燃料は調達しても購入する人がい
ないからである。
中央アジア地域に埋蔵されている資源については、特にウランの開発が進んでいる。
チョークポイントの依存度(エネルギーの輸入を考えた場合、その輸送に関してどれくら
い危ない場所を通過してきているのか)を見ると、かつては、日本より上位の国もあったが、
今日の日本のエネルギー輸送ルートは、世界でもっとも危ない場所を通過して輸入している。
こういう意味でもエネルギーの多角化を進める必要がある。エネルギー安全保障とよく言わ
れるが、これは必要な量を、可能な価格で確保するということである。そういった意味で、
常にこれらの要素に気を配りながら、エネルギー政策を進めていく必要がある。この中には、
価格や量のほかに、資源ナショナリズム、国際政治情勢など、総称すればカントリーリスク
という言葉で表しうると思うが、そういったものに目を配る必要がある。
我が国の原子力政策の5つの基本方針の 4 つ目の頄目に、
「国家戦略に沿った個別地域施
策の重視」という方針が挙げられ、近年は中央アジアが重要視されている。カザフスタンの
鉱物資源分野における重要性については、天然ウランの埋蔵量、生産量とも世界 2 位である
ことが挙げられる。我が国にとって、カザフスタンは天然ウランの輸入先として、世界第 3
位であり、総需要の 21%を占める。既に国内総需要量の 3~4 割のウラン権益を確保してい
る。あわせて、日本に対するレアメタル、レアアースの供給先ということになっており、民
間企業の何社かはすでにプロジェクトを開始している。
トルクメニスタンとの関係については、先ほど本村氏から石油、天然ガスについてご報告
があったが、具体的な話というのは資源の問題ではあまり進んでいない。
119
我が国と中央アジア諸国の協力
各国の貿易量、貿易の品目について、我が国から輸出するものは、ほとんどが自動車や建
設機械あるいは電気製品であり、カザフスタンやウズベキスタン側からそれぞれ鉄鋼や原料
関係が輸入されている。中央アジアの国々では、我が国が資源を求めて世界各国で活動を強
化しているということはよく知られている。一方で、自らの国が資源偏重で、資源が売れな
ければ、ほとんど産業がないという現状についても認識し始めている。我が国に対しては、
資源の協力を積極的に進め、あわせて自国の産業の育成に力を貸して欲しいという要望がき
ている。現在の中国や韓国との資源獲得競争の中で、いかに我が国が先方の関心、協力支援
要請にそった形で対忚できるかということが、求められてきている。一般的に申し上げると、
商社の活動が第一に全面的にでるような傾向にあるが、一方で、一般の産業を誘致し、直接
投資するという場合には、常に現地のビジネス環境が問題になってくる。そのビジネス環境
が、不安定な法制度や法令の適用、又は多数の下位法令の存在、つまり法律以下の通達や政
令、その法令間の矛盾、法執行の問題、運用の問題があり、大変難しい。さらに、現地では
一般の民間企業が育成されていないので、政府側の干渉もかなり認められるという状況にあ
る。そのような中で経済産業省は、現地のビジネス環境の改善のために、例えば先方政府へ
の改善の申入れ、要請、民間企業から要望を受けての制度変更の必要性の説明などに取り組
んでいる。あわせてビジネス環境が悪い、カントリーリスクがあることを前提に、各関係機
関と協力しながら通商政策を進めている。
他方で、私共政府、日本側にも、この地域でビジネスを展開するのにいろいろな問題があ
る。我が国の財政の問題、ここで詳細に説明しないが、国債でもっている我が国の予算は非
常に問題である。民間企業の皆さんにも各種の問題が生じている。国全体の経済活動という
のは、国全体の総合力如何によって、取組みの良し悪し、成否が決まるわけであるが、この
中央アジアという地域は、政府側の位置づけも、民間企業の皆さんも同じ状況だと考えられ
るからである。中央アジアが最近台頭した市場であるということと、ビジネス環境が悪い、
カントリーリスクが高い、という意味から、非常に限界的な位置づけであり、問題が直接顕
在化しやすい場所である。
簡卖に申し上げると、企業側の問題では人材育成の分野で、あまり若手職員が海外にでて
いかない、出て行きたくない人が増えている。強制的に厳しい環境の地域に若いうちに人材
を派遣してビジネスのやり方やその国でどのように活動すべきか教育するプログラムを採用
し始めているようであるが、特に、中央アジアの地域は、その人材によって、ビジネスの成
否が大きく変わってくる。すなわち、そこで企業の体力があれば、この地域のための人材育
成がなされるし、人材がいなければ、だんだん企業の活動が先細っていくであろう。
カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンからは、要人往来が毎年実施されるが、
これはトップ外交、首脳外交、あるいは資源外交とも近年言われている。これらの機会を、
効果的に活用することも重要である。
駆け足になったが、現状は諸条件が十分に整っていない中で、どれくらい前に通商政策を
進められるかが課題であるという結論を持って、私からの報告とさせていただきたい。
(以上、報告 4)
120
質 疑 応 答
モデレーター兼コメンテーター:
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
年に 1 回の IIST・中央ユーラシア調査会公開シンポジウムを開催するに当り、テーマは時
局的にもしっかりしたものでないと皆さんにご参加いただけないだろうと考えた。まず一つ
は社会为義圏から独立して 20 年近く経った中央アジアの国々が、西欧流の民为化の流れに
沿って国造りが旨く行っているのかどうかという点。それには、最近起こったキルギスの第
2 革命が1つのポイントになると考えた。また、現在、日本の経済界では、中央アジアは、
エネルギー資源を中心とする天然資源の開発という点で興味を集めている。ということで、
二つ目に資源問題を取り上げた。
はじめにパネラーの先生方から報告しきれなかったポイントや他のパネラーへの質問・
意見を公開していただき、その後でご聴講の皆様から積極的なご意見とご質問を頂戴したい。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
先のプレゼンテーションで田中氏が、キルギスは中央アジアである意味では一番民为的な
国だとおっしゃった。確かに、ソ連邦が崩壊したとき、アカイエフが西側諸国が熱烈に忚援
した民为的なリーダーであったことは事実である。キルギス人は「ウズベクやカザフでは事
実上、終身大統領のようなシステムができてしまっているが、キルギスではあれだけ権威の
あったアカイエフでさえも、ネポチズムや腐敗、汚職という状況になれば倒された。その後、
バキーエフが首班になったが、バキーエフがアカイエフ以上にひどい汚職、ネポチジムであ
りまたそれを倒した、だからキルギスは民为的だ」ということをよく言う。それに対して私
自身は、6 月 27 日の国民投票の前に、キルギスのテレビ局のインタビューを受けたが、そこ
で次のように述べた。
「首班の腐敗、汚職、ネポチズムを批判しても、日常生活で、腐敗、汚職、ネポチズムが
当たり前でほとんど法律が機能していない。腐敗、汚職とは法律が機能していないことで、
実際にキルギスでは法はほとんど機能していない。日常生活ではコネを使うことが当たり前
である。法治社会ではなく、本当の意味での民为为義社会ではないのではないか。本当の民
为为義とは日常生活で、ネポチズムや腐敗、汚職をなくし、法に基づいたシステムを機能さ
せることであり、それができずに、ただ、首班を倒しただけで民为为義というのは思い上が
りである。
」
このインタビューは、キルギスで国民投票の前日に 2 回国営テレビで流れたそうである。
オトゥンバエワの人となりについても、私は長年付き合いがあるので述べた。本当の意味で
の民为为義がキルギスに定着するかどうか、確かにこれは難しい問題だと思う。
もう一つ、本村氏といつも議論している問題に触れたい。本村氏は「政治で説明しなくて
も、ほとんどは経済の論理で説明できる。それをいちいち政治的に説明するのは問題だ」と
言われるが、ある意味でこれは正しい。例えばヨーロッパ諸国は、ロシアからのウクライナ
経由のガス輸入が、両国の対立でストップすると困るので、輸入先を分散化している。また
パイプライン経由の輸入は価格も自由に設定できないので、安く自由に輸入出来るようスポ
121
ット買いも重視する。本村氏が、これらはウクライナとロシアの政治対立で説明しなくても、
すべて、経済的にも説明できるとおっしゃるのはよく理解できる。とくに日本のマスコミは、
対立の原因を、もっぱらロシアの横暴な政治圧力で説明しようとしている。しかし、ヨーロ
ッパ諸国は、ガスを巡る両国の対立に関しては、ウクライナとロシア共に非があると客観的
に判断している。本村氏はこのことを指摘されているわけで、それはまったく正しい。
ただ同時に、ヨーロッパ諸国が、エネルギーの大部分をロシアに依存するのは非常にまず
いと考えるのは、これは卖なる経済判断ではなく、政治戦略的な判断でもある。例えば、な
ぜロシアは、ウクライナに親ロ政権ができても、ウクライナを迂回する、また現存のパイプ
ラインの近代化よりもはるかにコストがかかるサウスストリームを建設しようとするか。こ
れもやはり政治的配慮からである。政治的にウクライナを完全には信頼できないからだ。イ
タリアなどは、ナブッコとサウスストリームを一緒にすればいい、そのほうがコスト的には
安くなるというが、ロシアは決して合意しない。自分自身がパイプラインを管理できないと
安心できないからだ。これも、経済問題であると同時に政治問題でもある。国際的な資源や
エネルギー問題は、たしかに説明しようとすれば経済的観点からほとんど説明できる。だか
らといって政治的側面を無視するのは間違いだ。例えば、経済的視点からのカントリー・リ
スクは経済の問題であると同時に政治の問題でもある。プーチン自身が大統領のとき、
「資源
はロシアにとって最も重要な国家戦略の手段である」と、公言している。やはり政治と経済
の両方に目配りしたいと思う。
浜野 道博 キルギス日本人材開発センター 前所長/日本キルギス交流協会 理事
報告では時間がなくてお話できなかったことを 3 点ほど述べたいと思う。まずキルギスに
おけるアメリカの存在、それからロシアがキルギスで何をしようとしているのか。また今袴
田先生がおっしゃったように民为为義と呼んでいいのかどうかはともかく、制度として導入
された議会制民为为義が生き残るかについてもご紹介したいと思う。
まずアメリカがキルギスで何をしているかというと、先ほど田中先生がご紹介されたよう
に、マナス民間空港を事実上、軍事基地として使い、巨大な空中給油機を駐機させている。
数字をみて驚いたが、マナスの米軍基地に供給される燃料が月に 1200 万ガロン(4 万 5 千
キロリットル)もある。アフガニスタンで航空機燃料の確保が難しい分キルギスでロシア、
カザフスタンから調達し、空中給油機でアフガニスタンまでもっていき戦争をやっている。
大変な役割をマナスの米軍基地は担っており、アメリカは絶対これを死守しなければならな
い。マナスがなくなるとアフガニスタン戦争の趨勢に大きな影響を及ぼす。この基地ありき
というアメリカの姿勢は変わらないと思う。かつてブッシュ政権の時に、ブッシュ、アカー
エフの合意でマナスの米軍基地が設置されたが、ブッシュ政権から、AWACS という早期警
戒管制機を配置したいという変化球がアカーエフ政権に投げられたことがあった。これはア
フガン戦争とはなにも関係がない。この哨戒機を配置すると、ここから中国やシベリアの軍
事情報がすべて集められるのである。アカーエフはもちろんその都度拒否した。ロシアはそ
れを非常に良く覚えている。この米軍基地を残すと、中央アジア地域、中央ユーラシアの軍
事的な喉元をアメリカに押さえられる。そういうこともあってロシアは、一刻も早くこの米
軍基地を排除したい、ということが背景にある。
ロシアは、10 月のキルギス国会議員選挙で親ロ派政党 4 党が 120 議席のうち 102 議席と
122
ったので、キルギスの政局のコントロールにあわてなくてもよいという状況になった。最近、
メドベージェフ大統領もキルギスの議会制民为为義は、などと言わなくなくなった。当面、
先ほども話したように 11 月の大統領選挙でロシアにとって聞き分けのいい大統領を据え、
それからゆっくりキルギスの政治制度を考える。アメリカの米軍基地に対する対忚も、尐し
ずつ詰め将棋のように詰めていく状況だと私は思う。現在キルギスの内閣は呉越同舟内閣で
あるが、これをロシアが今つぶす理由はなにもない。中にいる人も外にいる人も、割と今の
状況で安堵感を感じ居心地の良い状況が続いているわけで、おそらく今年の秋くらいまで、
例えば、議会制民为为義だから喧嘩別れして解散、選挙だということは起こらないと思う。
これが制度そのものの安泰につながるかどうかはわからないが、制度というのはいったん導
入されると硬直性がある。これを取り替えるためには、先ほどご紹介したように、例えば憲
法改正のためには 80 議席が必要である。今の 120 議席のうち 80 議席以上の支持を集めて、
大統領制に戻すことは大変難しいと思う。きれいに 120 の議席が 5 つの党でほぼ 20 数議席
平均に分けられているのは、キルギスの今の族閥社会の色分けがそのまま反映しているよう
なものである。参加している政党は、どの党もとりあえずは、先ほど申し上げたように居心
地が良いので、尐し様子を見ながらキルギスの政治情勢は展開していくのではないかと思う。
だれも国会を解散したくない。今仮に、そういうことはないと思うが、キルギスの国会を解
散したら、暫定政権派が議席を増やすと思う。昨年 10 月に行われた選挙で 5 党の総得票数
が 100 万票であったが、投票総数は 160 万票なので 60 万票は死票である。死票の大半が北
部の票で、暫定政権派が選挙戦を進めるうえで疎漏があった結果だと思う。もう一度、選挙
があるとすれば、当然オトゥンバーエワを中心とする暫定政権派は今度は心してとりかかる。
暫定政権派が議席を伸ばす可能性もある。今はそういう展望も含めて、当面今年半年間くら
い、あるいは秋まで、キルギスの国会が解散される、あるいは大統領制に戻るという大きな
動きはないと思う。むしろ单部の民族衝突の後始末、麻薬密売ルートの摘発といった問題を
オトゥンバーエワが旧バキーエフ派を追い詰める材料としてどこまで攻めていけるかにかか
っている。
昨年7月にオトゥンバーエワの指示で設立された民族衝突の原因調査を行う国内委員会の
報告書が、今年 1 月 19 日に大統領に提出された。2 千人以上が亡くなったといわれる民族衝
突にも拘らず、報告書は 20 ページしかない。これでは亡くなった方々への冒とくに他なら
ない。国内委員会の委員たちは早く手仕舞いしてこの問題と縁切りしたかったに違いない。
真正面からキルギス单部の、キルギス人とウズベク人の民族的な反目、対立を解消するため
の道筋をつけるといったような国家的作業は放棄されて細々と NPO がやっている。これで
は民族融和の道のりは大変遠い。
先ほど申し上げたように旧バキーエフ派の政治家が自分たちの政治資産として民族対立を
よりどころに单部で政治的な基盤を築いていることもあるので、これから半年くらい、オト
ゥンバーエワは OSCE や国際機関を使って旧バキーエフ派を追い詰める手を打っていくと
思う。彼らアタ・ジュルト党の一部は、アフガン麻薬のビジネスにかかわって大きな利益を
得ている。この「利権」は以前バキーエフ一族が押さえていたが、バキーエフがいなくなっ
た後、アタ・ジュルトの中で再分配が行われた。それを追い詰めていく作業もある。これに
アフガン麻薬の被害者ロシアが非常に関心をもっているが、ロシアはアタ・ジュルトの地盤
に今手を突っ込むことが政治的な判断として正しいことかどうか迷っている。单部の情勢は
123
民族対立と麻薬ビジネス根絶を軸に動いていく。
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)調査部 調査課 主席研究員
原氏に、エネルギー安全保障の中の地政学リスクという貴重な資料を作っていただきあり
がたい。ただ、引っかかるのは、原油禁輸とはあっただろうか、ということである。実はあ
った。世界で始めてまさに原油禁輸としてエネルギーを政治利用した国はアメリカである。
1941 年、日本に対する原油禁輸が世界で始めてである。ただしこれは太平洋戦争という大変
な結果となったわけである。その次は、1973 年のオイルショックだと思う。しかし、その後
はない。どこでも石油を生産していて石油のマジョリティはないので、どこからでも原油は
調達できるという状況になってきている。やはり、日本人にとっては、1941 年の対日原油禁
輸はショックが大きかったので、世の中がそのように動いている印象があるが、それはきわ
めて一時期、過去のものであると私は強調したい。
天然ガスについてはウクライナの問題があるが、2006 年ウクライナに対してロシアは天然
ガスの値上げを通告した。交渉が決裂してウクライナはサインをしなかったので、ロシアは
ウクライナ向けだけ供給を減らしてヨーロッパには流した、ということになっているが、値
上げしたのはウクライナだけではない。その時期エネルギー価格は上がっていたわけだから、
いろんな国に対して値上げをしている。ベラルーシに対してだけ値上げをしていないのは、
その前年にベラルーシのパイプラインを買い取ったのでその分だけ値上げをしていないので
ある。ウクライナに対する政治的行為はこれでは証明できないだろう。それ以前にもユーシ
ェンコの前クチマ大統領の時に、実は 3 回エネルギーの供給を停止している。料金を払わな
かったときに、料金を払いなさいといっても何の効き目もない。供給を一度止めて、そこで
交渉しましょう、携帯電話の料金を払わなかったら止まるのと同じである。ロシアだけが非
文明的なことをやっているわけではなく、商売では基本的なことである。さらにウクライナ
は 4 ヶ月の天然ガスの備蓄がある。とめられても 4 ヶ月もつので、その間に交渉するという
のが、普通のパターンである。これはヨーロッパでも同じである。クチマ政権の時に天然ガ
スが止まっても、あるいは 2005 年にベラルーシに対して天然ガスを止めて、ポーランド、
ドイツへの供給が減ったことがあってもなんの騒ぎもなかった。要するに、ユーシェンコが
新西側政権だと、西側の新聞が大騒ぎしただけであって、その前は誰も大騒ぎしなかった。
こうやってたきつけた騒ぎである。西側の新聞が書いていることを真に受けてはいけない。
もっともっと悪いやつが悪いことを考えていろんなことを展開しようとしていると裏を読ん
でもらいたい。これは特に、ウクライナが、ユーシェンコ政権が、国際世論を味方につけた
いというスタンドプレーだと思う。エネルギーをただで使える国はない、きちんと料金を払
えというのがロシア側の言い分である。今までの安い価格こそが補助金をつけているのと同
じである。補助金を廃止し、国際価格に引き上げるというのは WTO が常々言っていること
である。それはロシア側も言っているし、オックスフォード・エネルギー研究所のジョナサ
ン・スターンも WTO に対する皮肉として、この時 WTO がなにも発言しないのは、おかしい
と言っている。ウクライナ問題に関して、西側のガスの専門家は、ウクライナに対して辛ら
つな姿勢を持っている。アメリカの専門家は、補助金をあたえるということは「政治」であ
る、補助金をやめるということは「政治」をやめて「経済」になると言っている。世界の新
聞が、エネルギーを政治的に利用していると書いているが、逆である。今まで政治的に利用
124
していたものをやめて、経済に、金儲けに、専念しようとしたのがロシアの姿勢である。
袴田先生のご指摘だが、まずサウスストリームを作るかどうかわからない。作らないパイ
プラインについていろいろ言うのがエネルギーの世界である。パイプライン計画には、いつ
も本命と当て馬があり、皆自分にとって上手くいくように当て馬もたくさんいろいろつかう。
アルタイ・パイプラインも専門家はみな当て馬だといっている。どこまで本当かなかなかわ
からない。現在、ノルドストリームはできているが、ヨーロッパに対して過剰な供給になっ
ていくと相当つらい。ヨーロッパ市場の消費する能力から見て、尐なくとも急いで、サウス
ストリーム、ナブッコを作る必要は当分ないというのがエネルギー関係者の理解であるので、
とりあえず口頭で言及しているだけである。ナブッコの場合、ロシアのガスをやめてなるべ
く他を使おう、ということであるが、ロシアのガスといっても欧州のガス需要のたったの
25%である。25%を 20%に下げることがエネルギー安全保障上、効果があるのか。今後、
北海ガスが減るので、ロシアの 25%のシェアが 35%まで増えるだろう。そうならないよう
に調達したいと政治サイドは言っているが、産業サイドは、そうは言っても、一番安く安定
的に来るところが一番価値がある。余計な金を使って損をしたくないというのが本音であろ
う。現状は、去年モスクワの会議で、一番安く済むのはウクライナに現在あるパイプライン
を改修して通ガス能力を増やすことであるとジョージタウン大学のグスタフソン教授が発言
して、拝聴者はみな産業界の人間であったが、それが一番いい、他のパイプラインを作る必
要はないと拍手をした。ナブッコもサウスストリームもいらないというのが我々の本音であ
る。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
今の両者のお話は失礼ながら、第三者的に見ると資源問題に政治学者としてどうアプロー
チするか、エコノミストとしてどうアプローチするかという立場の違いの話であるような気
がしないでもない。
原 幸太郎 経済産業省 通商政策局 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
袴田先生と浜野氏の話の中でキルギスの政治体制の話があった。私は経済産業省なので経
済の話だけ扱っていればいいかというと、この地域はそうではなく、政治的な安定が経済活
動にとって非常に核心部分を占めており、それを日々考えているということである。袴田先
生は、
「民为化」と「市場化」と「安定」という言葉で説明されていたが、民为化は政治体制
であり、それに欧米的な市場化が伴い、社会が安定するという項番だと一般的に考えられて
いる。一方、中央アジアは、ロシアも含めて、私が理解するのは、安定こそが優先、当面、
維持されるべき価値観であるということである。キルギスではいきなり体制面での変革の話
がでたので、それに対して周辺諸国が非常に否定的な態度で接した。なぜこういう現象がお
こるかであるが、例えば、ウズベキスタン、カザフスタンは、独立以来、一人の大統領が今
日に至るまで統治している。先日、カザフスタンでは大統領が終身の免罪措置、不逮捕特権
を法律で授与されたという報道があった。これを考えると、通常、本当に安定した、あるい
は民为化、政治体制が確固とした法律上の運用をされているような地域でこのような制度の
導入が必要との疑問が生じる。詳細な説明は控えるが、体制面での安定は非常に心配である。
これらの地域はキルギスからのドミノ現象というのを心配しているのだろう。昨今、エジプ
125
トでもインターネット革命など呼ばれ、イスラムの社会でも革命的な指導者の追放という現
象が起こりつつある。そういう意味で、こちらの為政者というのは非常な脅威を感じている
のではないか。ロシアは中央アジア諸国の旧宗为国的立場であり、総元締め的な立場でもあ
るし、ロシアの安全保障上問題となりうる変革は避けたいという認識もあるだろう。中央ア
ジアから体制急変の問題に関し、いろいろな形での波及を恐れているのだろう。
先ほど本村氏から、果たして原油禁輸の措置があったか、という話が出された。私がここ
で資料を掲げたのは、エネルギー安全保障を脅かしうる为要なリスクは、当然、経済活動全
体にも当てはまるということである。石油や天然ガスは比較的国際市場が、歴史的経緯によ
り整備されていると評価できると思う。しかし、例えば昨年発生した中国からのレアメタル、
レアアースの輸出数量の制限は、中国側は自国の環境保護のためであると説明しているわけ
である。その後の将来的な生産活動に死活的な影響を及ぼすような物資を、通常マーケット
で購入していたところ、環境問題などの一般的な理由で、突然死活的な制限を受けることも
あるという趣旨でここに挙げた次第である。いずれにせよ、マーケットで動くか、政治で動
くかという結論は、大小さまざまな評価があると思うが、経済政策担当としては、常にこう
いったことも意識しながら物事を考えていかなければならないということである。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
会場からのご質問、ご意見をお願いしたい。
質問:チューリップ革命が起きたとき、私はビシュケクにいて状況を目の当たりにした。先
ほど、人の殺戮が起きなかったというご指摘があった。一人亡くなった方はいたが、殺戮は
なかった。チューリップ革命は、民族の対立、キルギス系、ウズベキ系の対立であったが、
それが殺戮につながることもなかった。今回バキーエフ政権が倒れたときと比べるとそこが
大きく異なっているのではないか。それに注目してこの事態を見たわけではないが、キルギ
ス系とウズベキ系の間の緊張関係が生じたにも関わらず、ウズベキスタンとキルギスの間で
は国と国の緊張関係にはそれほどつながらなかった。民族の緊張関係が高まったことが、国
と国との緊張関係の高まりにそれほどつながらなかったのはなぜか。浜野氏か袴田先生にお
尋ねしたい。
民族の対立は、あの地域の安全保障を考えた場合には、将来的には取り除くべきことであ
るが、いったいどうすれば民族問題の緊張関係を取り除いていけるのか、ご意見があればお
聞きしたい。
難民問題はかなり解決しているのか。現地でご覧になった田中氏にお聞きしたい。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
なぜウズベクが、キルギスの民族紛争に介入しなかったか。キルギス单部ではウズベク人
とキルギス人の対立になり、20 万あるいは 40 万のウズベク人がウズベクに難民にとして逃
れる状況になった。当然、そういう状況になったら、ウズベクが軍事的に介入してもおかし
くない状況かもしれないが、ウズベクは自制した。その最大の理由は、もし軍事的介入をし
たら、民族紛争がウズベク国内に飛び火し、収集がつかなくなるからだ。ウズベク国内には
キルギス人が 100 万人以上住んでいる。フェルガナ盆地にはキルギス人もウズベク人も入り
126
混じって住んでいるので、介入すると収集のつかない状況になることを避けるのが最大の理
由ではないか。また、ウズベクの軍事介入は、ウズベクとキルギスの国家対立、戦争にもな
ってしまう。
浜野 道博 キルギス日本人材開発センター 前所長/日本キルギス交流協会 理事
カリーモフ政権の民族問題に対する態度はいろいろ語られるが、特に国境の外にいるウズ
ベク人の人権や権利擁護に対しては、一言で言うと無関心である。カザフスタンに住むウズ
ベク人、キルギスに住むウズベク人に関しては、それぞれの国の事柄であると、表向きそれ
でずっと通してきた。だから今回もキルギスで同胞が殺戮されている状況が生じたにも関わ
らずウズベキスタン軍は動かなかった。ロシアなら例えば、单オセチア問題にあるように、
ロシア人でなくてもロシアのパスポートをもっていればロシア軍がぱっと押し寄せてくるが、
今回の民族衝突ではそういう状況は全くなかった。ウズベク側が自制をした。国境の外にい
るウズベク人の生命と財産の保証には関与しないという、カリーモフ政権の基本的な立場が
あったと思う。結果としてウズベキスタンとキルギスの国と国との戦争にならなかったとい
うことに、オトゥンバーエワはカリーモフに何度も何度も感謝をしている。カリーモフ大統
領がウズベク軍を出さなくてよかったと私も思う。
今ご質問があった二点目の民族融和に関して申し上げると、チューリップ革命のときにな
ぜ民族対立が起こらず 2010 年のときに起きたかというと、やはりアカーエフ時代の民族政
策とバキーエフ時代の民族政策がはっきり違うということが挙げられる。アカーエフ時代は
ウズベク人の国全体の人口に対する比に忚じて国会議員の数の割り当てや地方政府の役人割
り当てについて割と気を使っていた。バキーエフは、それを全部とりあげてしまい、ウズベ
ク人、特にオシやジャララバードに住んでいるウズベク人は自分たちの政治的な権利が侵害
されているという非常に強い被害者意識をもって 5 年間生きてきたことが大きな理由ではな
いか。4 月 7 日に政変が起きて、バキーエフが追放された後、まもなく、オシとジャララバ
ラード、特にジャララバードで、1990 年代からの要求であるキルギスの中にウズベク人自治
区を作るという政治的な要求を掲げて、ウズベク人政治家が地元の民放などで为張を流すと
いうことがあり、それを見たキルギス人が非常に反感を持った。それを指して、今回の民族
衝突のきっかけを作ったのはウズベク人だという調査委員会の結論がでている。私は、その
結論は正しくないと思っているが、尐なくとも、アカーエフ時代とバキーエフ時代の根本的
な違いはそこにあったのではないか。今後ウズベク人の権利、政治的な権利を含めてどう守
っていくかが大切な政治的課題である。ただ今のキルギス单部の状況ではそこまで手が届い
ていない。单部の政治エリート、つまり旧バキーエフ派がウズベク人虐殺にかかわったキル
ギス人を囲い込んで、衝突の原因究明や今後の民族融和の問題について対話すら成り立たな
いような状況がまだ続いている。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
補足したい。ウズベキスタンが、外部のウズベク人に無関心とおっしゃったが、無関心と
いうよりも、ウズベク自身が外からの、特にロシアの内政干渉を非常に警戒しているからだ
ろうと思う。12 月 13 日の CIS 集団安全保障条約機構(CSTO)書記会議においても、ウズベ
クだけが CIS 諸国の内紛に、CSTO の平和維持軍が介入するのを反対している。CSTO の平
127
和維持軍といっても、それは実質的にはロシア軍の介入になるからである。ウズベク人保護
の名目でキルギスに介入すれば、ロシア人保護の名目でロシアのウズベクへの介入を許すこ
とになる。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
今回ウズベキスタンが比較的大らかに 7 万 5 千人とも言われたウズベク系難民を受け入れ
たのには背景がある。基本的には、数年前に反政府暴動といわれた单部アンディジャン事件
で政府の軍、警察の介入によって数百人の人が亡くなり、数百人の政治亡命者を出した。人
権問題に疎い国家としてアメリカを始め国際的に大きな非難を受けて、外交的に行き詰った。
慌ててロシア寄りに路線を変えたのは、このことが大きかった。それに対する一種のトラウ
マがあり、国境に押し寄せたウズベク系の難民のうち、老人と女性、子供に限定して受け入
れた。国境を越えたアンディジャン街道の周辺に巨大なテント村を作って短期間の受け入れ
を行った。しかし、カリモフ政権の本音はやはりキルギスサイドにおける混乱が難民を通じ
てウズベクに伝播することを非常に警戒していた。国際社会に対するジェスチャーさえ示せ
ばいいわけで、おそらく最初の 5 日間くらいで 8 割くらいは送り返してしまっている。強制
送還である。残りの 2 割も 1 週間くらいのうちほとんどいなくなっている。私がキルギス・
ウズベク国境を訪れた時にはほとんど難民残留者はいなくなっていた。同時に、キルギスを
通じる中国産品の流入を押さえるために、格好のチャンスだということで、国境のクリーク
を深くし、橋を落としてしまっており、むしろ国境分断を強めガードを固めるほうにいって
いるように思う。
質問:ウズベク、キルギスにしても、国家と、国家の外に住んでいるウズベク族、キルギス
族がいて、お互いに入り混じっている。先ほどの議論で、キルギス前大統領が单部にいて彼
自身が一つの国のようなところもある。今後、こういうところで、民族の力がますます強ま
り不安定なことになっていくのか。それとも先ほどお聞きしたように、これから特にキルギ
スでは民为化の方向に行くということで物事が収まっていくのか、それはどちらなのか、も
う尐し掘り下げて教えていただきたい。
浜野 道博 キルギス日本人材開発センター 前所長/日本キルギス交流協会 理事
オシ、ジャララバードには約 60 万人のウズベク人がコンパクトに住んでいる。散り散り
ばらばらではなく、オシ市内、ジャララバード市内の、マハッレー・イスラミーヤという信
徒団体、町内会のような形でコンパクトに住んでいる。そこに住んでいるウズベク人は、本
国のウズベク政府に、自分たちが非常に自由为義的なウズベク人であり歓迎されざる人たち
だと思われている、と認識している。キルギスに住んでいるウズベク人は、非常に複雑な気
持ちがある。隣に自分たちの歴史的な祖国であるウズベキスタンがあるが、本当にその国が
守ってくれるのか確信がなく、キルギスの中で自分たち自身で生命と財産を守っていかなく
てはならないと思っている。それが 20 年来の自治区創設の運動につながっていく。アカー
エフ時代にはそういった自治区創設の要求に忚えるという形ではないが、ウズベク人は尐な
くともキルギスの中の一番大きな尐数民族であるので、彼らの政治的な権利、人権を守るこ
とをアカーエフ政権は支持した。そういう方向でウズベク人としてはキルギスの中で生きて
128
いかざるを得ない。そして、田中氏からご紹介があったように、中国からはいってくる物産
や、オシ、ジャララバードにおけるサービス商業を押さえながら生活していかざるを得ない
という覚悟でこれから生きていくと思う。民族衝突がおきて一月くらい経った後、現地に入
ったキルギス人の知人から聞いたが、ウズベク人が非常におとなしくなったと言っていた。
今まで、ジャララバードに行っても、ウズベク人はキルギス人に対してウズベク語で話しか
けてきた。ウズベク語とキルギス語では、話していることの半分くらいはわかる。今回行っ
てみたら、全員きれいなキルギス語で忚対してくる。それはやはり、そこに住んでいるウズ
ベク人が、今回の民族衝突で、自分たちの生命、財産に対する危機感をかなり持った。それ
をこれからどうするかというのは大変難しい質問で私は筓えられないが、オトゥンバーエワ
政権がやはり正しい道筋を示して、キルギスの中にいる尐数民族の権利を守っていくしかな
いと思う。またはそこに住んでいるウズベク人もそれに期待していると私は思う。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
この 1 月にオトゥンバエワ大統領の補佐官が来日したので個人的に会った。最近、キルギ
スが民族問題が原因で单北二つに割れるとの報道があり、その可能性について尋ねてみた。
補佐官は、民族問題にはとても気を使っているのでキルギスが二つに割れる状況にはならな
いと断言した。新しい連立政権には、バキエフ派を支持する单部勢力も入っているから、と
の説明であった。あの地域にはソ連時代に、きわめて人為的に国境が作られた。とくにフェ
ルガナ盆地は、ご存知の方も多いと思うが、入り組んだ形で国境が作られている。国民国家
が自然な形で形成された地域ではない。従って、民族問題には特別な配慮をしないと国家そ
のものが成り立たない。その意味ではオトゥンバエワがわざわざ单のオシ市で投票するなど、
民族問題には細かく配慮している。国民国家という人為的なもの、それ故に生じる紛争を、
なんとか安定させようという、日本人には想像できないような努力をしている。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
私が見る限りでは、カリモフ政権はキルギスに存在するウズベク人に対して好意的ではな
い。
「彼らはウズベク・エスピオナージであってウズベク国民ではない」と言っている。一方
でキルギスにいるウズベク人は、自分たちの本国であるべきカリモフ政権はウズベク族であ
る自分たちのためにはなにもしてくれないという感覚が強い。タシケントの意向を汲んで、
キルギスにいるウズベク人が同じ民族だからといって、フェルガナのウズベク人と統一的な
行動をとるとか、タシケントの指令によって動くということが起こりそうな気配はほとんど
ないと思う。いずれにしてもキルギスに住むウズベク人は、ウズベク本国に対しては相当ア
ンヴィバレントな感情をもっている。
質問:本村氏におうかがいしたい。大変面白い、ダイナミックな動きをご説明いただいた。
石油のパイプラインと天然ガスのパイプラインはまったく別なものであるのか。パイプライ
ンを敶設すれば、その脇にもう1本併設するのは、まったくの更地に作るよりは楽な気がす
るがそのような事例はあるのか、ないのか。先ほどネットワークの話はガスのことだと思う
が、石油になるとどうなるのか。かたやヨーロッパ市場、中国市場をにらみながら、いろん
なパイプラインができている。これらが日本にどういう影響がゆくゆくありうるのか。
129
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)調査部 調査課 主席研究員
石油と天然ガスのパイプラインでは行き先が異なる。石油のパイプライン製油所か輸出港
に行く。天然ガスのパイプラインはそのまま使うので市場に行く。石油は必ず誰かが購入す
る。石油を売るという姿勢は一種の「プロダクトアウト」とも言うべきものであるが、天然
ガスの場合は「マーケットイン」で、市場を見つけてはいっていく、自分で企画力を持って
いかなければいけないのが本質的な違いである。パイプラインは、ガスのほうが圧力が高い
ので建設コストも高い、石油の場合は高低差に対してコンプレッサを設置する必要等がある。
市場の形成力において天然ガスのパイプラインは大きなネットワークの意味があると思う。
アジアに対しては確かにネットワークの広がりが大変少ない。しかし、今、中国を中心に、
天然ガス、石油のパイプラインは拡充してきている。石油の場合は、そのまま港から輸出す
るので影響力はないが、天然ガスは市場を押さえるという意味では、袴田先生のご意見に近
いかもしれないが、ある意味で、結果として政治的な力までつなげることはありうると思う。
そういった意味で、秩序を構築する力というものがインフラストラクチャにはある。それは
特に天然ガスのもつ力であり、市場参加者はいろいろなことが起きては困る、安定的に、長
期的に、かならず供給してくれる一種の安定装置としてのパイプラインを期待しているし、
供給側は当然それによって利益を得たい。長期的な投資になるので、そうでないと利益が確
保できない。言ってみれば、エネルギーが政治の道具になるようなイメージがあるというと
話が面白おかしいが、産業の側としてはむしろ逆だと思う。地域の秩序を構築するものがエ
ネルギーインフラだという立場だと思う。翻って、日本になぜパイプラインがないかである
が、ずいぶん議論があって、METI もいろいろやっておられると思う。最近の議論では、国
内のパイプラインは、LNG で入れているので、扇型染み出し構造といって、それぞれの LNG
の受け入れ基地から扇形に一定の距離までパイプラインが染み出しているだけである。やは
りそれではだめで内航タンカーかなにかでつなげるのではなく、もう少し太いパイプライン
で市場をつなげていくことのほうが大事であり、そのような形で天然ガスの利用状況をさら
に拡大しようという政策になったと理解している。そうなると天然ガス化がもっと進むだろ
う。日本は今、一次エネルギーでの天然ガスの割合が 14%であるが、OECD の平均は 25%
である。日本はエネルギーの消費については先進国型ではない。石油を燃やして温めるのは
我々からみると、とんでもない、そんなもったいないことはやめてください、天然ガスを燃
やして暖めましょう、あるいは発電は天然ガスでやってください、と思う。石油はノーブル
ユースに、というのが流れである。それに近づけるようなエネルギーインフラとしての天然
ガスパイプラインを拡充して欲しい。来月、『天然ガスパイプラインの薦め」(エネルギー学
会)という本が日刊工業新聞社から出版される。そこにはこういう気持ちを縷々書いている。
アジア大陸と繋ぐかどうかは 10 年前から政策的な議論があり、我々はもちろん個人として
は繋がって欲しいが、そこはいろいろなユーザの立場があるので、まだ難しい問題がある、
というところにとどめておきたい。
質問:原氏にうかがいたい。私は元大手の物流会社におり中央アジアで仕事をしていた。今
は国際物流のコンサルタントをしている。中央アジアはお話のように、レアメタル、レアア
ースなどいろいろ案件があるが、先ほどリスクの話があったとおり、この地域においては、
130
リスクヘッジができないという事情がある。具体的に2つある。あるお客様が医薬品を送っ
ているが、1つは LC が開けない、前金がもらえない。商品が届いて、3 ヶ月以内に、ナシ
ョナルバンクにお金を入れるが、外貨送金で兌換されない。ウズベキスタンには兌換の優先
項位があり、まず輸出から兌換されていく。よく売れているメイド・イン・ジャパンの最初
の薬品であるが、それが理由で物流が止まっているということがある。
もう一つはキルギスで、ある中小企業の商社が、レアアースを買いたいが、1 回の費用が
4 千万円程度であるところ、相手の信用状況がわからないので、国として信用情報がとれる
のかどうかおたずねしたい。
原 幸太郎 経済産業省 通商政策局 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
ご指摘はカントリーリスクの一つの問題であると思う。簡卖に説明すると、ウズベキスタ
ンから、ドル建てで送金する場合に、ナショナル・バンク・オブ・ウズベキスタンに申請し
て、外貨は約 6 ヶ月待たなければ換金困難であるという実務上の支障がでている。これにつ
いては、ウズベキスタン政府がどのような意図でこういう施策をとっているのか、ウズベキ
スタン政府側に現状説明を要請するというように今後物事が進んでいくと考える。しかし、
この問題の所在の根源的理由については、情報開示が尐ない対象国でもあり、改善は一朝一
夕には進まない可能性もある。LC の問題も同じである。
キルギスの相手企業の信用についてであるが、これもまさにカントリーリスクの一つであ
る。会計基準、情報開示、相手方の財務体質などはビジネスを展開する上での必要な情報で
あるにも拘らず、なかなか情報開示がなされていない。そういった意味でも、経験を有する
商社しか、ビジネスは維持できていない。これも私ども政府が働きかけをしているところで
はあるが、国全体の情報開示の重要性に対する認識というものもあり、なかなか解決の目途
が立たない状況である。
質問:キルギスの問題をいろいろ議論しているが、キルギスにアメリカの基地がありアフガ
ンの問題で、アメリカも非常に関心を持ち、政変などが起こると困るのはよくわかる。素朴
な問題で、失礼な言い方であるが、なぜ小さな国のキルギスに皆さんが大騒ぎするのか。ド
ミノ現象が間違いなく起こるから、非常に注意深くこの国の動きをみているというのは理解
できるが、そんな大きな力になりつつあるのか。基地があること、ドミノ現象、それらが現
実問題として、ひしひしとあるのであればそれについて教えていただきたい。宗教的なバッ
クグランドの問題はないと理解しているので、今後のドライビングフォース、アメリカから
見て危険であると思う理由は他になにがあるのか。
もう一つは本村氏にうかがいたい。天然ガスを中国に送る太いラインができ、ナブッコ、
サウスストリーム等と言っているが、実際の出てくる量と配分する割合から、それだけのも
のがあるのか。一方では、戦術的にはウクライナがいうことを聞かないことを恐れて、他の
ラインを作っておけばヨーロッパは安全だ、とよくいわれるが、ヨーロッパのガスの必要量
の 4 割がロシアに頼っている。つくればヨーロッパとしては戦術上安心である。いったいど
こにこの問題のポイントがうつっていくのか。
131
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
第 1 のご質問であるが、たしかにキルギスは小さな国で、たまたまオトゥンバエワが私の
知り合いだったということもありテーマに取り上げた。というと元も子もないが、実際には
カラー革命に対して、ロシアおよび CIS 諸国の首脳たちはものすごく神経質になっている。
カラー革命は、グルジア、キルギス、ウクライナでも起きた。プーチン、メドベージェフに
ついで第 3 の実力者といわれている、スルコフ大統領府副長官がクレムリンのイデオローグ
として「为権民为为義」を唱えているのも、カラー革命に対する恐怖心からである。この場
合「为権」というのは、外からの干渉は許さない、という意味だ。12 月にはモスクワ中心の
マネージ広場で、民族問題をきっかけに、数千人が抗議集会に集まった。CIS 諸国は、我々
が思うよりもはるかに新たな革命に神経質になっているのは事実である。たまたまキルギス
は小さな国であるが、大統領制をやめて議会制民为为義に移行したことで、権威为義、独裁
体制批判のシンボル的な存在になった。この問題では、ロシアや他国も同じ問題を抱え、複
雑な対忚をしている。そういう意味で、キルギスの問題は、卖に小さな数百万人の国の問題
を超えた問題が含まれているという認識をわれわれは持っている。
質問:ドミノ現象に対する事前の気配りであるのか。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
ドミノ現象と言ってもよいかもしれない。カラー革命は、これまで 15 カ国で 4 回おきて
いる。CIS 諸国だけでなく中近東も含めて、権威为義国家、独裁国家で下からの革命が起き
ないという保証はない。各国が、それに対して神経質になっているのは事実である。
浜野道博 キルギス日本人材開発センター 前所長/日本キルギス交流協会 理事
キルギスは小さな国で、人口 550 万で日本の 25 分の1、経済規模は日本の 400 分の 1 な
ので、おっしゃるとおり、なぜそういう国に入れ込んでいるのと聞かれたときに、山がきれ
いだから、人情があるから、だけでは納得する人はいない。そうではなくて、日本とキルギ
スの関係強化が日本の外交にどういう意義があるのか、またこの国が中央アジアの中で占め
ている位置をキチンと押さえなければならない。
日本の外務省は「中央アジア+日本」対話プログラムを行っていて、定期的に中央アジア
5 カ国の外務大臣と日本の外務大臣が東京とそれぞれの国の首都で会い、日本と中央アジア
との交流発展、また中央アジアにおける地域内協力の発展を図るために会議を行っている。
2006 年 7 月だったと思うが、川口項子外相のときこのプログラムの具体化として行動計画が
発表された。私はビシケクに在職中で、夕方家に帰ってテレビをつけると、たまたまロシア
の外務次官がこれに関連して「中央アジア+日本」対話プログラムに対するコメントをして
いた。そのなかでロシアの外務次官は、
「きわめて不愉快だ、なぜ日本が中央アジアにわざわ
ざくるのか」そういうニュアンスのことを言っていた。
「日本が中央アジアでできることは何
もない」とも言っていた。ロシアにとって中央アジアは自国の権益内だと思っているので、
そこに日本やアメリカが入ってくるのは、第三者が手を突っ込んでくる、大変不愉快である
ということらしい。
私がそのとき思ったのは、もちろん日本と中央アジア、日本とキルギスの両国間関係を発
132
展させることは両国民の利益にとって大きな利益があると思うが、大きく見て、中央アジア
における日本の外交は日露交渉、対露外交の一環だということである。日本が中央アジア、
キルギスとでもよいが良い関係を築いてこの地域で日本のプレゼンスを強めることは、対露
外交をすすめるうえで日本にとって大きな利益がある。
もう一つの視点は、キルギスは小さな国であるが、中央アジア地域では水資源、水力資源
という点でウズベキスタン、カザフスタンに対して大きな影響力をもっている国である。中
央アジアの水資源の問題、水力発電の問題に関して日本がキルギスタンと協力してこの地域
全体の環境問題、電力エネルギーの問題に関して協力をしていくことは、この地域の安全保
障、経済発展に対して大きく貢献するのではないか。キルギスが小さい国ということに惑わ
されてはいけないと思う。
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)調査部 調査課 主席研究員
ロシアの天然ガスの生産量は、年産 6 千数百億 m3、そのうち 1600 億 m3 を輸出している。
4 分の 3 を自国で使い、4 分の 1 を輸出している。そのうち、ベラルーシ経由が 400 億 m3、
ウクライナ経由が 1200 億 m3 ということである。1600 億 m3 のうちトルクメニスタンからの
調達が約 400 億 m3、つまり 4 分の 1 程度である。トルクメニスタンからロシアにきて、ト
ルクメニスタン産のガスが本当にヨーロッパに送られたかどうかはあまり重要ではない。全
部ワンシステムのネットワークで等量の分は輸出に回したような形の会計上の処理で、契約
上の対応をしている。トルクメニスタンにしてみれば、ロシア経由で値段は安いけど、ヨー
ロッパに輸出しているようなものである。ナブッコといったパイプラインが目指しているの
は、まさに政治の争いである。ロシア産のガスがヨーロッパに来ないようにしようというも
ので、一方、サウスストリームはナブッコをいかにつぶすかとかロシア側が出した案である。
どちらも本当にお金をだすのか、まだ確認できていない。最終投資決定を今年の後半にやる
とナブッコは言っているが本当かどうかわからない。サウスストリームにいたっては通るル
ートすら本当かどうかわからない。つまり、このルートを通るなら橋をいくつ架けるとか、
そういったことをつめなければならないが全く行われていない。儲かろうが儲かるまいがか
まわない、という話があったが、とんでもないことである。絶対に儲からないとだめである。
パイプライン建設は通常 3 割が自分の金で、7 割は銀行で借りている。通過料の収益はまず
銀行側の口座に入り銀行が先取りする。損するようなプロジェクトをやったら大やけどをし
て大変なことになる。損するとわかってやった行為は背任行為である。エネルギーの政治利
用とかいうけど、儲からなければ絶対やらない。もちろん、予測が外れて損することはある。
基本的には利益をあげられそうな、あるいは、そういう市場があればやってもいいというこ
とで動いているだけである。これは私が一番、強調したいところである。今ヨーロッパの市
場はあまりよくない。シェールガス革命があり、アメリカでたくさん生産して、あまり売れ
なくなったがスポット LNG がヨーロッパに来ている。カタールの LNG が入いって、パイプ
ラインの天然ガスは、なかなか競争できない状態である。あと 2,3 年様子を見ないと投資
判断は非常に難しいのではないか。これは現場の商売人たちが議論していることの現状であ
る。
133
質問:トルクメニスタンがロシアに売るのをやめた。ロシアが世界のマーケットにふさわし
い値段で売ってくれないということでトルクメニスタンは中国に大量にまわす。それであの
パイプラインが成功して動き始めていると思うが、トルクメニスタンにしてみれば、正確な
数字はわからないが、大半ロシアに送っていたものが今は中国にいっているのか。
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)調査部 調査課 主席研究員
トルクメニスタンから中国へはたった 40 億 m3 しかいっていない。ロシアには 2 年前まで
トルクメニスタンから 400 億 m3 行っていたので 10 分の1しか中国にいっていない。パイプ
ラインの能力を拡充するのに時間がかかるし、中国に売っている値段が、今 1000m3 あたり
$195 という報道がある。ヨーロッパは$300 である。中国は割安でしか買ってくれない、
という報道がある。但し高い値段で買っているという報道もあり、本当のことはわからない。
虚虚実実の報道があり真実はわからないが、トルクメニスタンは中国にしてやられたという
人もいる。本当かどうか我々も確認できない。
質問:あの辺りの国が、天然ガスを中国という巨大なマーケットに売るか、ロシアに一部売
るか、ナブッコのラインを通してトルコからヨーロッパに売るか、非常に大きな論争がある
のはわかる。そういうことをしながらトルクメニスタンとすれば自国の貴重な天然資源を国
際価格で売りたいという願望が非常に強いと思うが、実際、市場原理が働かないで、やはり
あの地域はロシア、他の国の悲劇にあっているわけであるがそうなってしまいそうか。
本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)調査部 調査課 主席研究員
トルクメニスタンは中国にある程度出しているが、今は中国が自国の権益をもって開発し
た天然ガスが中国に来ているだけである。トルクメニスタンがもっているガス田ガスはいず
れ出す。実はパイプは 2 本の計画で、細いほうのパイプラインが現在建設され動いており、
中国が自前で開発したガスを出している。実はカザフスタンからくる石油も同じ状態で中国
の権益原油が中国に来ている状況である。中国が自分で投資した本来の権利のあるガス田の
ガスを入れているだけで、それにはホストカントリーの取り分もあり、それの値段が報道さ
れているだけである。ヨーロッパに出すにはカスピ海までパイプラインがこないといけない。
トルクメニスタンは自分でパイプラインを引く能力もないし、カスピ海の国際法上の問題を
解決する力もない。トルクメニスタンの立場はパイプラインを誰かが引いてきてくれたら天
然ガスを差し出してもいい、国際価格で売ってもいいということである。誰もそんな話は相
手にしない。新聞記事をみるとみんな格好いいことを言っているが、相場感をわかっている
人はわかっている。トルクメニスタンは展望が低い。
質問:3 点お尋ねしたい。キルギスが中心だったので今日は発表になかったが、カザフスタ
ンの大統領の不逮捕特権、大統領任期の 20 年までの延長という話がある。この方向でいく
のか。こういう話があるのは、安定しているからか、後継者問題等で不安定要素があるから
か。ウズベキスタンで、アンディジャン事件のあと、国際的に孤立してロシアに向かってい
たカリモフ大統領が、欧州、EU に行き、今度は 9 年ぶりに来日する。世界の中でのウズベ
キスタンの位置付けがかなり変わってきているのではないか。そういう中で日本としての外
134
交的な仕掛けがあるのか。これを機会に何か考えているのか。3 点目はエジプト、チュニジ
アでのインターネット革命は、イスラムの住民で、政治は強権、経済の手法は開発独裁とい
う共通頄がある。牽強付会ではあるが、これが中央アジアや、单カフカス、アゼルバイジャ
ンなど似たような体制の国へ波及する可能性はあるか。
原 幸太郎 経済産業省 通商政策局 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
後継問題であるが、ナザルバエフ大統領もかなり高齢なので引退される日がくるというこ
とを踏まえ、あるいは引退を見据えているのかもしれないが、そこで自身と親族の安定・安
全を確保するための準備を進めているとの見方も可能である。
先ほどの質問と関連するが、中央アジアの社会は、袴田先生が説明された「アクサカール
社会」という言葉で代表されるように、一部の利益団体が利益を独占する形になっているよ
うだ。そこが外部には見えないので、その周辺におかれたグループの積年の困窮等がかなり
鬱積しているとみられる。各国指導者はそこをよく理解しているので、ドミノ現象を非常に
恐れていると認識している。経済活動の観点から、その独占している、あるいは国の物事を
決定する人たちが誰なのか、どういう形で人脈が連なっているのかを把握することが非常に
大きな、しかし難しい課題である。そこを間違えると、当初うまく進んでいた事業の話がひ
っくり返ったりする。ウズベキスタンもそういう意味では、社会の形成は同じような形にな
っているかもしれない。先ほど、袴田先生から、キルギス人とウズベク人の二つの民族がい
るという話があったが、世界の为要な国の中で卖一の民族が大多数を占める国家というのは
おそらく日本だけだと思う。必ず、大なり小なり民族の混在があり、それが市民革命を経た
ヨーロッパでは民族平等、公平という原則が比較的確立している。そうでないところは未だ
に「アクサカール社会」と呼ばれるような社会なのであろう。その中で経済協力の進展を図
るため、鋭意検討をしているので、発表をお待ちいただきたい。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
3 点目の質問、すなわちエジプトやチュニジアの政変がどう波及するのか、波及の内容の
可能性は二つあると思う。途上国における民衆レベルの独裁政権打倒の力が世界的な潮流と
してさらに盛り上がっていくのかどうかという点と、もう一つはイスラム運動がこうした民
衆の運動にどう呼忚して中央アジア域に対して影響を及ぼすかの 2 点に整理して筓えてもら
いたいと思う。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
ロシアでは近年、カラー革命はもうロシアには波及しないという安心感が生まれていた。
先ほどのご質問とも関係するが、中央アジアでは確かにカザフやウズベクのほうがはるかに
大きな国であるし、日本にとっても政治的、経済的に大きな意味をもっている。ただ、ロシ
アでさえも、最近政治の雰囲気が尐し変わってきた。昨年 12 月にモスクワだけでなくサン
クトペテルブルグ、その他のいくつかの街でカフカス系イスラム系民族とロシア人民族数千
人が対立するという紛争が起きた。国民は生活も向上し、政治には無関心になっていると思
っていたロシアの指導者にとっても大変ショックだった。カラー革命は波及しないという安
心感をもっていたわけであるが、現在は、チュニジア、続いて、エジプトの革命の動きに非
135
常に神経を尖らせていると思う。このことと、キルギスという小さな国で、経済的には日本
とほとんど関係ないといっていい国に我々が今関心を向けたのも、無関係ではない。キルギ
スの動きは、ロシアや中央アジアの政治的な変化を示すシンボル的な意味をもっているから
だ。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
フロアーからなぜキルギスのような小さな国を取り上げるのか、意味があるのかという本
質的な問題提起があった。我々の勉強会の名称は、
「中央ユーラシア研究会」である。中央ユ
ーラシアで起こっていることで、その内容が一般化出来るものがあれば我々が皆さんに情報
として発信してお役に立つことがあるかもしれないという視点でやっている。キルギス問題
が、米国、中国、ロシア等と同列のテーマだとは考えていない。中央アジアは、地政学にみ
ても大国の間にあり、例えば、外交問題や政治的な付き合い方の問題にしても、国際政治分
析や日本外交の対象としても第一級のエリアであるとは我々も思っていない。しかし、大国
の間にあるということは、何か国際的な動きが起こったときに、大国の谷間ないしビッグパ
ワーの角遂する場として中央アジアは、全体に対して影響を及ぼすという梃子の支点になる
可能性はある。天然資源問題でも同じことが言える。石油、天然ガスは中近東・ロシアのほ
うが生産量、埋蔵量とも圧倒的であるが、中央アジア、カスピ海の周辺で産出される石油、
天然ガスが新規にマーケットに供給された場合限界供給部分として価格形成に大きな影響を
及ぼすこともあり得る。中央アジアは、かつて東西対立のフロントラインにあった。その中
で、経済的に問題にあるキルギスが、政治的にはまたロシア側につこうとするのか、かつて
の西側の論理の中に身をおき置き西側につくのか。小国キルギスの民为化の方向はかつての
東西対立がどう解消していくのかを見る大きなポイントにもなりうると考えたわけである。
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授/調査会 座長
本村氏の言葉で印象的なものがあった。ガス問題でのロシアのウクライナへの対忚は、以
前の方がむしろ政治的であって(政治的な低価格)、最近は市場価格に移行した、つまり政治
の論理から経済の原理に移行したとの言葉である。ただ私に言わせて頂くと、いつの時点で、
どういう形で市場原理に移行するかということ自体、きわめて政治的な決定である。
田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会 代表幹事
まだまだ議論は尽くせてないが予定の時間一杯となったのでここまでとしたい。1月末の
お忙しいなか、かつ寒い中を、多数ご参集いただきまことにありがとうございました。
(以上、質疑忚筓)
136
中央ユーラシア調査会公開シンポジウム
137
会場風景
平成22年度 IIST・中央ユーラシア調査会
報告者およびテーマ一覧
为たるテーマ
1.中央アジア・コーカサスのエネルギー資源の開発状況と各国のアプローチ
2.中央アジアの経済開発区構想と現実
3.中央アジア情勢と各国政権の安定度
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成22年度
① 102 回
2010 年 5 月 21 日(金)
② 103 回
2010 年 6 月 21 日(金)
③ 104 回
2010 年 7 月 26 日(月)
④ 105 回
2010 年 9 月 15 日(水)
⑤ 106 回
2010 年 10 月 27 日(水)
ゲスト講師
古幡 哲也 石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)
調査部 調査課 主任研究員
「中央アジア・カスピ海周辺における石油・天然ガス開発情勢について」
下社 学 日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部主幹(ロシア・NIS 担当)
「中央アジアの経済特区の現状と課題」
河東 哲夫 Japan-World Trends 代表/元ウズベキスタン特命全権大使
「中央アジア情勢:現下の主要トレンド」
田中 哲二 国連大学長 上級顧問/中央アジア・コーカサス研究所 所長
「キルギス政変その後」
ゲスト講師
羽場 久美子 青山学院大学 国際政治経済学部教授
「東アジア共同体―拡大EUからの教訓」
渡辺 利夫 拓殖大学 学長
「リーマンショック後の中国経済と東アジア共同体構想」
北川 克郎 外務省 中央アジア・コーカサス室長
「最近の対中央アジア外交 ― 岡田外務大臣による中央アジア訪問と
「中央アジア+日本」対話 第三回外相会合開催 ―」
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部 教授
「キルギス政変とロシアの対応」
ゲスト講師
平岡 邁 前ウズベキスタン特命全権大使
「最近のウズベキスタン情勢」
ゲスト講師
夏井 重雄 前カザフスタン特命全権大使
「最近のカザフスタン情勢」
138
⑥ 107 回
2010 年 11 月 19 日(金)
⑦ 108 回
2010 年 12 月 20 日(月)
稲垣 文昭 慶応義塾大学 SFC 研究所 上席所員(訪問)
「不安定化するタジキスタン情勢」
清水 学 帝京大学 経済学部教授
「国際的プレゼンスを高めるインド」
塚本 弘 (財)貿易研修センター理事長/日欧産業協力センター事務局長
「上海万博を振り返って
― 中国が国際社会と協調していく契機となったか?―」
関 志 雄 ㈱野村資本市場研究所 シニアフェロー
「中国経済-安定かつ持続的な成長に向けて-」
⑧ 第 109 回
公開シンポジウム
2011 年 1 月 31 日(月)
13:30~17:00
東海大学校友会館
「阿蘇の間」
『中央アジアの民主化の現実と経済協力・資源開発問題』
モデレーター兼コメンテーター
:田中 哲二 中央アジア・コーカサス研究所 所長/調査会代表幹事)
プレゼンテーション
(1)袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授/調査会座長)
「CIS 諸国における大統領制と議会民主制の可能性」
(2)浜野 道博 キルギス日本人材開発センター 前所長
日本キルギス交流協会 理事
「キルギスの議会制民主主義- 2010 年 4 月政変から連立政権成立まで」
田中 哲二
中央アジア・コーカサス研究所 所長/国士舘大学・拓殖
大学客員教授
「関連コメントおよび 11 月キルギス出張報告等」
(3)本村 真澄 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 (JOGMEC)
調査部 調査課 主席研究員
「世界のエネルギー市場における中央アジアの位置づけ」
(4)原 幸太郎 経済産業省 ロシア・中央アジア・コーカサス室長
「日本の対中央アジア経済協力の現況について」
役職は報告当時
139
平成21年度 IIST・中央ユーラシア調査会
報告者およびテーマ一覧
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成21年度
ゲスト講師
①第 95 回
北川 克郎 外務省 欧州局 中央アジア・コーカサス室長
2009 年 5 月 22 日(金)
「我が国の中央アジア・コーカサス外交-最近の動きについて」
小嶋 典明 経済産業省 通商政策局 ロシア室長
「日本とキルギス共和国の経済関係強化に向けて」
②第 96 回
ゲスト講師
2009 年 6 月 17 日(水)
吉田 博 【COKEY】宏輝株式会社 代表取締役会長
【COKEY】宏輝システムズ株式会社 代表取締役
「日本・タジキスタン合弁企業 ”AVALIN ”設立の経験」
本村 和子 開発アドバイザー/元 ADB タジキスタン駐在代表
「タジキスタン社会・経済の近況」
③第 97 回
田中 浩一郎 (財)日本エネルギー経済研究所
2009 年 7 月 29 日(水)
理事 兼 中東研究センター長
「米国のアフガニスタン&パキスタン新戦略と各国の対応」
平賀 富一 (株)ニッセイ基礎研究所 上席主任研究員
「世界経済危機とアジアの企業経営」
④第 98 回
ゲスト講師
2009 年 9 月 15 日(火)
吉川 元偉 アフガニスタン・パキスタン支援担当大使
「大統領選挙後のアフガニスタンと日本の政策」
清水 学 ユーラシア問題研究家
「カシュミールから見たアフガニスタン、中央アジア問題」
⑤第 99 回
ゲスト講師
2009 年 10 月 28 日(水)
駒木 明義 朝日新聞 政治グループ次長
「日ロ関係を日本からみる」
吉岡 桂子 朝日新聞 経済部 兼 GLOBE編集部
「日中逆転下の中国経済」
140
⑥第 100 回記念 講演会
ゲスト講師
2009 年 11 月 30 日(月)
福川 伸次 (財)機械産業記念事業財団 会長/アジア戦略会議 座長
「ニュー・グローバル・オーダーと日本のアジア経済戦略」(仮)
⑦第 101 回
ゲスト講師
2010 年 2 月 17 日(水)
高原 明生 東京大学大学院法学政治学研究科教授
「中央ユーラシア外交と内陸発展政策」
下社 学 日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部ロシア NIS 課 課長
「中央アジアの韓国企業ヒヤリング調査報告」
役職は報告当時
141
平成20年度 IIST・中央ユーラシア調査会
報告者およびテーマ一覧
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成20年度
①第 85 回
2008 年 4 月 24 日(木)
②第 86 回
2008 年 5 月 26 日(月)
③第 87 回
2008 年 6 月 18 日(水)
④第 88 回
2008 年 7 月 3 日(木)
⑤第 89 回
2008 年 8 月 26 日(火)
大橋 巌 日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部主任調査研究員
『自動車・同裾野産業から見たロシア』
田中 哲二 国連大学長上級顧問/中央アジア・コーカサス研究所長
『ウズベキスタン、キルギス出張報告』
河東 哲夫 Japan and World Trends 代表
『最近の中央アジア情勢 ―4月末タシケントでの「中央アジアの安全保障に
関する国際会議」出席を中心に』
清水 学 (有)ユーラシア・コンサルタント代表取締役
『湾岸雑感―カタル、バハレーン、ドバイ』
ゲスト講師
イワネ・マチャワリアニ 駐日グルジア特命全権大使
H.E. Mr. Ivane MATCHAVARIANI (Ambassador of Georgia in Japan)
『Georgia,NATO and Russia:Implications for Regional Security and Caspian
Energy Supplies』
ゲスト講師
高橋 博史 前タジキスタン臨時代理大使
/外務省第二国際情報官室、情報分析官
『タジキスタン情勢』
ゲスト講師
ボラット・ラティボヴィッチ・タチベコフ
カザフスタン教育科学省付経済研究所 労働人材開発部長/経済学博士
Dr.Bolat L.Tatibekov
Head of department Labor and Human Resources
Institute of Economics of the Ministry of education and sciences, Kazakhstan
Doctor of economic sciences
『カザフスタンにおける人口・移民政策』
ゲスト講師
平岡 邁 駐ウズベキスタン国兼タジキスタン国特命全権大使
『ウズベキスタン情勢』
※掲載不可
ゲスト講師
川端 良子 東京農工大学国際センター・准教授
『自然科学者からみた中央アジア・ウズベキスタン カザフスタンの現状』
出川 展恒 NHK解説委員
『イラク・ビジネスにどう参加するか』
142
⑥第 90 回
2008 年 9 月 24 日(水)
⑦第 91 回
公開シンポジウム
2008 年 10 月 8 日(水)
13:30~17:00
東海大学校友会館
「望星の間」
ゲスト講師
加藤 倭朗 国際協力機構 専門家
『8月8日前後のグルジア情勢』
茅原 郁生 拓殖大学大学院国際協力学研究科安全保障専攻主任
兼 国際学部教授
『中露の軍事協力の動向について』
「世界情勢の変化と中央アジア・コーカサスの現状
― 経済開発と民主化への影響 ―」
基調報告
袴田 茂樹 青山学院大学教授/調査会座長
『激動する国際情勢と新たな日本・ユーラシア関係』
特別講演
Dr.Dossym Satpayev
Director of consulting NGO “Risks Assessment Group”
『カザフスタンの政治・経済体制の問題点』
Dr.Abdujabar A. Abduvakhitov
Rector, Westminster International University in Tashkent
『ウズベキスタンと中央アジア:安定と持続的発展の実現』
モデレーター
田中 哲二 国連大学長上級顧問/調査会代表幹事
プレゼンテーション
清水 学 ユーラシア・コンサルタント代表取締役
『国際情勢の変化と中央アジア政治経済の現況』
渡辺 博 東洋エンジニアリング㈱ 広報渉外部長
『民間企業の見た中央アジアのビジネス』
⑧第 92 回
2008 年 11 月 10 日(月)
⑨第 93 回
2008 年 12 月 16 日(火)
小嶋 典明 経済産業省 通商政策局 ロシア室長
『日本と中央アジア諸国との経済関係の発展に向けて』
大野 正美 朝日新聞 論説委員/前モスクワ支局長
『グルジア戦争とメドベージェフ』
渡辺 博 東洋エンジニアリング㈱ 広報渉外部長
『ウズベキスタンの石油ガス開発の現状』
ゲスト講師
佐藤 隆保 (社)ロシア NIS 貿易会 経済交流部長
『中央アジア・コーカサス二国間経済委員会の取り組みと課題』
浅見 栄次 (独)国際協力機構 東・中央アジア部
中央アジア・コーカサス課 企画役
『JICA の中央アジア・コーカサスの開発ニーズと JICA 事業』
143
⑩第 94 回
2009 年 1 月 29 日(木)
ゲスト講師
モンゴル国商工会議所
デンベレル 会頭 Mr.Sambuu DEMBEREL(Chairman & CEO)
『チャレンジする国 ― モンゴル』
ゲスト講師
ウヌルジャルガル バーコード・ロジスティクス局局長
Mrs.Dalaikhuu UNURJARGAL(Head, Barcode & Logistics Bureau)
『モンゴル国商工会議所の活動』
下社 学 日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部ロシアNIS課長代理
『カザフスタン、ウズベキスタン出張報告』
役職は報告当時
144
平成19年度 IIST・中央ユーラシア調査会
報告者およびテーマ一覧
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成19年度
出川 展恒 NHK解説委員
① 第 73 回
『内戦状態のイラクと日本』
2007 年 4 月 23 日(月)
渡辺 博 東洋エンジニアリング㈱ 広報渉外部長代行
『カザフスタン マンギスタウ州バーチャルエンタープライズ
調査研究報告』
② 第 74 回
ゲスト講師
2007 年 5 月 14 日(月)
増山 壽一 経済産業省通商政策局欧州中東アフリカ課長
『甘利経済産業大臣の中央アジア、中東訪問とその成果』
本村 和子 元・アジア開発銀行タジキスタン事務所駐在代表
『タジキスタン - さらなる躍進に挑戦 – 』
③ 第 75 回
高島 正之 三菱商事㈱顧問/帝京大学経済学部教授
2007 年 6 月 15 日(金)
『最近のカザフスタン経済の動向と
日本・カザフスタン経済委員会の活動
④ 第 76 回
『中央アジアの経済開発と環境問題』
国連大学共催
【基調報告】
Central Asia Roundtabl
アスィルベク・アイダラリエフ
2007 年 6 月 29 日(金)
キルギス大統領特別顧問/キルギス国際大学学長)
ミルソビット・オチロフ 駐日ウズベキスタン大使
【パネリスト】
袴田 茂樹 青山学院大学政治経済学部教授
「ガバナンスと民主的アプローチについて」
都留 信也 アース・ウォッチ・ジャパン副理事長
「中央アジアの環境問題」
田中 哲二 国連大学長上級顧問/中央アジア・コーカス研究所長
「経済開発の現状と課題」
145
⑤ 第 77 回
ゲスト講師
2007 年 7 月 25 日(水)
エルジャノフ・ウミルセリク
Mr.YERZHANOV Umirserik Kuztaevich
カザフスタン産業・貿易省 工業・科学技術発展委員会
機械工業部部長
『カザフスタン機械製造業の概況』
ゲスト講師
オスパンガリエフ・テリマン
Mr.OSPANGALIYEV Telman Sheriyazdanovich
カザフスタン産業・貿易省 工業・科学技術発展委員会
国家資産業務部部長
『カザフスタンの国家資産管理、イノベーション、産業政策』
浜 勝彦 創価大学教授
『急伸する中国セメント産業の現状と課題』
⑥ 第 78 回
ゲスト講師
2007 年 8 月 24 日(金)
楠本 祐一 外務省儀典長/ 前ウズベキスタン特命全権大使
『ウズベキスタンに勤務して』
清水 学 ユーラシア・コンサルタント代表取締役社長
「『マナス』(抄訳)を読んで -マナスの魅力-」
⑦ 第 79 回
2007 年 9 月 20 日(木)
ゲスト講師
稲垣 文昭 慶応義塾大学SFC研究所 上席所員
『アラル海流域に於ける水資源管理問題
— 欧州からの制度移転のか可能性を巡って—』
ゲスト講師
日比 絵里子 在ウスベキスタン 国連人口基金(UNFPA)前副代表
『性と生殖に関する健康を守る
:ウズベキスタン国連人口基金での活動を振り返って』
⑧ 第 80 回
飯島 一孝 毎日新聞外信部編集委員
2007 年 10 月 17 日(水)
『プーチン露政権の行方』
湯浅 剛 防衛省防衛研究所主任研究官
『アメリカの対中央アジア政策について』
⑨ 第 81 回
2007 年 11 月 14 日(水)
川井 晨嗣 農林水産長期金融協会 基金第二部長
『キルギス農業と農業金融の動向』
河東 哲夫 Japan - World Trends 代表/元ウズベキスタン大使
『最近の中央アジアにおいて注目されるいくつかの事柄』
146
⑩ 第 82 回
2007 年 12 月 3 日(月)
本村 和子 元・アジア開発銀行タジキスタン事務所駐在代表
『中央アジア地域経済協力の 10 年
/15 周年を迎えたラフモノフ政権』
⑪ 第 83 回
田中 哲二 国連大学長上級顧問/中央アジア・コーカサス研究所長
『バキエフ大統領訪日に関係して』
袴田 茂樹 青山学院大学政治経済学部教授
2008 年 1 月 11 日(金)
『下院選、大統領選挙とロシアの展望』
下社 学 日本貿易振興機構(JETRO)海外調査部ロシアNIS課長代理
『カザフスタン経済の最新動向』
⑫ 第 84 回
「中央アジアと東アジア協力の展望」
公開シンポジウム
2008 年 2 月 4 日(月)
基調講演
アクルベク・A・カマルディノフ 駐日カザフスタン共和国特命全権大使
『カザフスタン、日本関係の展望と SCO を通じた対中国関係』
第1セッション「現地調査報告」発表
トルクメニスタン 岡田 晃枝 東京大学特任講師
タジキスタン
稲垣 文昭 慶應義塾大学大学院特別研究講師
コメント
清水 学 ユーラシア・コンサルタント代表取締役社長
第2セッション「中央アジアのアイデンティティ」
コーディネーター 袴田 茂樹 青山学院大学政治経済学部教授
ティムール・ダダバエフ 筑波大学大学院准教授
『中央アジアの地域としてのアイデンティティ』
宇山 智彦 北海道大学スラブ研究センター教授
『小国の強さ:「帝国」的世界秩序の中の中央アジア』
第3セッション「東アジアの対中央アジア関係
- 上海協力機構(SCO)を媒介項に -」
コーディネーター 田中 哲二 国連大学長上級顧問
/中央アジア・コーカサス研究所長
渡辺 利夫 拓殖大学学長
『東アジア共同体の諸問題と SCO』
茅原 郁生 拓殖大学国際学部教授
『東アジアの安全保障と SCO』
宇山 秀樹 外務省中央アジア・コーカサス室長
『日本の中央アジア政策と SCO』
147
平成18年度 IIST・中央ユーラシア調査会
報告者およびテーマ一覧
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成18年度
石郷岡 建 日本大学総合科学研究所教授
① 第 61 回
『ウクライナの議会選挙の現地報告』
2006 年 4 月 24 日(月)
② 第 62 回
ゲスト講師
2006 年 5 月 22 日(月)
渡辺 博 東洋エンジニアリング㈱ コンサルタント部長
『中央アジアにおけるエンジニアリング ビジネスの展望』
塩尻 宏 前駐リビア特命全権大使
『リビア在勤を終えて:最近の同国情勢』
③ 第 63 回
ゲスト講師
2006 年 6 月 23 日(金)
宇山 秀樹 外務省 欧州局 中央アジア・コーカサス室長
『「中央アジア+日本」第2回外相会合について』
『上海協力機構の動向について』
④ 第 64 回
ゲスト講師
2006 年 7 月 14 日(金)
石井 潔 国際協力機構(JICA)アジア第2部中央アジア・コーカサス チーム長
『「中央アジア+日本」第 2 回外相会合と
JICA の協力の方向性について』
⑤ 第 65 回
ゲスト講師
2006 年 8 月 10 日(木)
関 志雄 ㈱野村資本市場研究所 シニアフェロー
『資本主義に向かう中国』
出川 展恒 NHK解説委員
『中東の暑い夏 ~戦闘拡大はくいとめられるか~』
⑥ 第 66 回
ゲスト講師
2006 年 9 月 29 日(金)
楠本 祐一 在ウズベキスタン特命全権大使
『ウズベキスタンをめぐる内外情勢について』
佐野 伸寿 防衛庁
『イラク・自衛隊漂流記』
コメント
出川 展恒 NHK解説委員
『自衛隊がイラクに残したもの、および、最近のイラク情勢』
148
⑦ 第 67 回
ティムール・ダダバエフ 筑波大学大学院 人文社会科学研究科 助教授
2006 年 10 月 23 日(月)
『現代中央アジアの変容と人々の記憶』
田中 浩一郎 (財)エネルギー経済研究所研究
/前国連アフガニスタン特別派遣団政府官
『アフガニスタン:2001~2006』
⑧ 第 68 回
ゲスト講師
2006 年 11 月 29 日(水)
下社 学 日本貿易進行機構(JETRO)海外調査部ロシア NIS 課長代理
『中央アジア・ウスベキスタンを取り巻く地殻変動』
袴田 茂樹 青山学院大学政治経済学部教授
『日ソ共同宣言 50 周年 ― 領土問題へのプーチン大統領の対応』
⑨ 第 69 回
輪島 実樹 (社)ロシア NIS 貿易会 ロシア NIS 経済研究所 調査役
2006 年 12 月 18 日(月)
『中央アジア出張報告:現地企業指導の現場から』
田中 哲二 (株)東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
『タイ、ラオス、ミャンマー出張』
⑩ 第 70 回
孫崎 享 防衛大学 公共政策学科教授
2007 年 1 月 17 日(水)
『米国戦略の変化と中央アジア』
清水 学 ユーラシア・コンサルタント代表取締役社長
『パキスタン:グワーダル港とバルーチスターン州
― 中国・中央アジアと中東を結ぶ陸上ルート ― 』
⑪ 第 71 回
渡辺 利夫 拓殖大学 学長
2007 年2月7日(水)
『現代アジアを読む』
149
⑫ 第 72 回
2007 年 3 月 15 日(木)
『独立 15 年、中央アジアの政治と経済
- 関係国の民主化評価と外交戦略 -』
公開シンポジウム
浜松町 東京會舘
【パネリスト】
田中 哲二 ㈱東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
「中央アジアの現状と課題」
袴田 茂樹 青山学院大学政治経済学部教授
「ロシアと中央アジア」
孫崎 享 防衛大学 公共政策学科教授/元ウズベキスタン大使
「米国と中央アジア」
中嶋 嶺雄 国際教養大学学長
「中国と中央アジア」
片上 慶一 外務省 大臣官房参事官
「日本の中央アジア外交
敬称略/役職は報告当時
150
(過去開催分) 中央ユーラシア調査会 報告者およびテーマ一覧
第1回~第60回
平成12(2000)年11月~平成18(2006)年1月
座長:袴田 茂樹氏 青山学院大学 国際政治経済学部教授
平成12年度
荒木 和博 拓殖大学 海外事情研究所 助教授
第1回
「朝鮮半島問題」
2000 年 11 月 10 日(金)
輪島 実樹 (社)ロシア東欧貿易会 ロシア東欧経済研究所 研究員
「カスピ海をめぐるエネルギー問題」
第2回
高橋 和夫 放送大学 助教授
2000 年 12 月 8 日(金)
「国際政治の中のイラン」
澁谷 司 拓殖大学 海外事情研究所 専任講師
「就任半年が経過した陳水扁政権」
第3回
田中 哲二 (株)東芝 常勤顧問/キルギス共和国大統領経済顧問
2001 年 1 月 30 日(火)
「キルギス等中央アジア諸国経済の現状と開発上の特徴点」
佐野 伸寿 元駐カザフスタン 日本国大使館 二等書記官
「中央アジアの映画事情」
第4回
加藤 九祚 国立民族学博物館 名誉教授
2001 年 2 月 14 日(水)
「中央アジアの考古学と現状」
鈴木 幸夫 麗澤大学 国際経済学部教授
「雲南の尐数民族と経済開発」
第5回
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授
2001 年 3 月 11 日(火)
「ロシアの政治状況と中央アジア政策」
浜 勝彦 創価大学 文学部教授
「中国の西部大開発と新彊ウイグル自治区の現状」
平成13年度
小松 久男 東京大学大学院 人文社会系研究科教授
第6回
「フェルガナ・プロジェクトについて
2001 年 4 月 20 日(金)
:地理情報システムによる地域研究の試み」
平賀 富一 (財)国際金融情報センター アジア・大洋州部長
「中央ユーラアシア諸国の国別レーディングについて」
151
第7回
長場 紘 現代トルコ研究家/大阪外国語大学 非常勤講師
2001 年 5 月 28 日(月)
「トルコ経済の現状と将来構想」
岡 奈津子 日本貿易振興会アジア経済研究所 研究員
「カザフスタン政治見聞録 1999-2000
:日本はカザフスタンとどうつきあうべきか」
第8回
隈部 兼作 国際協力銀行 金融第2部部長
2001 年 6 月 26 日(火)
「転換期の北東アジアにおける貿易・投資の促進
:投資リスク解消に向けて」
第9回
大橋 巌 日本貿易振興会 海外調査部ロシア・CIS チームリーダー
2001 年 7 月 24 日(火)
「コーカサス3カ国展 顛末記」
大野 遼 特定非営利活動法人 ユーラシアンクラブ代表
「ユーラシアの尐数民族と日本」
第 10 回
鈴木 董 東京大学東洋文化研究所 教授
2001 年 9 月 11 日(火)
「オスマン帝国と民族問題の起源」
加藤 九祚 国立民族学博物館 名誉教授
「今回のテルメズ発掘調査の特徴点」
第 11 回
清水 学 宇都宮大学 国際学部教授
2001 年 10 月 22 日(月)
「南アジアのイスラーム運動とアフガニスタン・カシュミール問題」
第 12 回
湯浅 剛 (防衛庁 防衛研究所 研究員)
2001 年 11 月 12 日(月)
「ユーラシアの多国間安全保障枞組:上海協力機構を中心に」
第 13 回
畑中 美樹 (財)国際開発センター環境・エネルギー室長
2001 年 12 月 5 日(水)
「今後の石油需給価格の見通しとカスピ海沿岸開発への影響」
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授
『イスラム原理主義の台頭とロシア・中央アジア関係の変化
「CIS 集団安保条約」と「上海協力機構」を中心に』
第 14 回
大野 正美 朝日新聞 論説委員
2002 年 1 月 29 日(火)
「10年目の独立国家共同体(CIS)、その変容と課題
- ロシア、中央アジア関係を中心に」
第 15 回
2002 年 2 月 18 日(月)
田中 哲二 ㈱東芝 常勤顧問/キルギス共和国大統領経済顧問
/国立政策研究大学院大学 客員教授
岡田 晃枝 東京大学大学院 博士課程 国際関係論
「アフガン問題に対する中央アジア諸国の対応とその背景」
第 16 回
中嶋 嶺雄 国際社会学者/UMAP 国際事務総長/前東京外国語大学長
2002 年 3 月 13 日(水)
「中国の世界戦略と中央アジア」
152
平成14年度
平賀 富一 ((財)国際金融情報センター アジア・大洋州部長
第 17 回
「アジア・中国の経済見通しについて」
2002 年 4 月 15 日(月)
吉岡 佳子 朝日新聞社 経済部記者
「台頭する中国経済の現状と今後
中国、米国、アジアが織り成す関係は?」
第 18 回
湯浅 剛 防衛庁 防衛研究所 研究員
2002 年 5 月 20 日(月)
「IMU、解放党、タジキスタン・イスラーム復興党はどこまで
『政党なのか』
第 19 回
田中 浩一郎 (財)国際開発センター 主任研究員
2002 年 6 月 28 日(金)
「緊急ロヤ・ジルガ後のアフガニスタン」
第 20 回
平賀 富一 東京海上火災保険 IT 企画部システムリソースグループ課長
2002 年 7 月 30 日(火)
「在中国日系企業の事業・経営実態(現地出張報告)」
第 21 回
岡田 晃枝 東京大学大学院 総合文化研究科
2002 年 9 月 30 日(月)
国際社会科学専攻国際関係論コース 博士課程
「ウスベキスタンのマハッラ:対テロリズム政策の手段となりえるか」
廣瀬 陽子 慶応義塾大学総合政策学部 専任講師
「アゼルバイジャンの改憲レフェレンダム:視察の結果と考察」
第 22 回
梅津 哲也 日本貿易振興会海外調査部ロシア・CIS チームリーダー代理
2002 年 10 月 22 日(火)
「中央アジア・コーカサス諸国の経済とビジネス環境」
第 23 回
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部長
2002 年 11 月 29 日(金)
「中央アジアにおける米国のプレゼンス」
田中 哲二 ㈱東芝 常勤顧問
「ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン現地出張報告」
第 24 回
安間 英夫 NHK報道局 国際部 記者
2002 年 12 月 19 日 (木)
「タジキスタン・パミールを取材して」
第 25 回
小林 誠 NHK報道局 国際部 記者
2003 年 1 月 29 日(水)
「アフガン攻撃後の中央アジアのイスラム過激派」
第 26 回
ゲスト講師
2003 年 2 月 26 日(水)
小早川 敏彦 東京三菱銀行参与/(財)中東調査会 常任理事
「パレスチナ問題と日本の対応」
第 27 回
田中 哲二 ㈱東芝 常勤顧問
2003 年 3 月 18 日(火)
「中央アジア3ケ国出張報告
― 米国のイラク攻撃不可避との見方をめぐる動きなど」
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部長
「イラク問題とロシア」
153
平成15年度
ゲスト講師
第 28 回
岩下 明裕 北海道大学 スラブ研究センター 助教授
2003 年 4 月 24 日(木)
「『中・ロ国境 4000 キロ』の舞台裏」
第 29 回
茅原 郁生 拓殖大学 国際開発学部 教授
2003 年 5 月 22 日(木)
「中国の国防政策とアジアの安全保障」
第 30 回
梅津 哲也 日本貿易振興会海外調査部ロシア・チームリーダー代理
2003 年 6 月 20 日(金)
「ロシアビジネスの新たな動き」
田中 哲二 ㈱東芝 常勤顧問
「中央アジア出張報告」
第 31 回
渡辺 利夫 拓殖大学 国際開発学部長
2003 年 7 月 29 日(火)
「中国の新体制とその行方 ― 21世紀の中国経済」
第 32 回
澁谷 司 拓殖大学 海外事情研究所 助教授
2003 年 9 月 26 日(金)
「来年の台湾総統選挙について」
袴田 茂樹 青山学院 国際政治経済学部長
「ロシア・中央アジアを訪問して」
第 33 回
岡田 晃枝 東京大学大学院 総合文化研究科
2003 年 10 月 8 日(水)
国際社会科学専攻国際関係論コース 博士課程)
「天然ガスをめぐるトルクメニスタンとロシアの関係」
第 34 回
ゲスト講師
2003 年 11 月 21 日(金)
都留 信也 早稲田大学 理工学研究センター 客員研究員
/元日本大学生物資源科学部総合研究所 教授
「中央アジアのエコロジー」
第 35 回
須江 秀司 防衛庁
2003 年 12 月 19 日 (金)
「最近のロシアと北朝鮮について- 日本への脅威という視点から」
第 36 回
高橋 和夫 国際政治学者/放送大学 助教授
2004 年 1 月 23 日 (金)
「イラク情勢を考える」
田中 哲二 ㈱東芝 常勤顧問/国連大学長 上級顧問
「中国出張報告」
第 37 回
2004 年 2 月 27 日(金)
荒木 和博 拓殖大学 海外事情研究所 助教授
/特定失踪者問題調査会代表
「北朝鮮による日本人拉致の全体像と日本の現状」
第 38 回
湯浅 剛 防衛庁 防衛研究所 研究員
2004 年 3 月 31 日(水)
「ロシアの国境政策と中央アジア」
154
平成16年度
柴田 和重 アフガン・ネットワーク
第 39 回
「アフガニスタンの現状:新憲法は制定されたものの・・・」
2004 年 4 月 28 日(水)
第 40 回
岡田 晃枝 東京大学大学院総合文化研究科
2004 年 5 月 20 日(木)
「人間の保障プログラム」助手
「中央アジアを中心としたエネルギーのネットワーク」
第 41 回
豊島 格
(社)世界貿易センター 会長
2004 年 7 月 28 日(水)
田中 哲二 (株)東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
/キルギス共和国大統領経済顧問
「コーカサス視察ミッション アゼルバイジャン、グルジア報告」
第 42 回
浜 勝彦 創価大学 教授
2004 年 8 月 26 日(木)
「中国と南アジアの新外交経済政策」
袴田 茂樹 青山学院 国際政治経済学教授
「ロシア・ウズベキスタン報告」
第 43 回
輪島 実樹 (社)ロシア東欧貿易会 ロシア東欧経済研究所 研究員
2004 年 9 月 24 日(金)
「カスピ海資源輸送問題の現状 ~石油を中心に~」
第 44 回
ゲスト講師
2004 年 10 月 18 日(月)
道井 緑一郎 外務省 欧州局 中央アジア・コーカサス室長
「日本の新たな対中央アジア政策について」
第 45 回
清水 学 一橋大学経済学研究科 教授
2004 年 11 月 26 日(金)
「南西アジアから見た中央アジア・コーカサス」
第 46 回
ティムール・ダダバエフ
2004 年 12 月 22 日(木)
東洋大学東洋文化研究所東洋学情報センター助教授
「世論調査を通して見た中央アジア社会
- ウズベキスタンとタジキスタンを中心に - 」
第 47 回
河東 哲夫 日本政策投資銀行 設備投資研究所上席主任研究員
2005 年 2 月 25 日(金)
「中央アジアに勤務しての実感」
第 48 回
ゲスト講師
2005 年 3 月 30 日(水)
川口 順子 内閣総理大臣補佐官/前外務大臣
「日本の対中央アジア外交」
田中 哲二 ㈱東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
「中央アジア出張報告 ― アカエフ政権の崩壊 ―」
平成17年度
高橋 和夫 国際政治学者/放送大学助教授
第 49 回
「アメリカと変動する中東 - イラン関係を中心に」
2005 年 4 月 28 日(木)
第 50 回
山田 哲也 国際協力銀行 開発第 4 部第 2 班調査役
2005 年 5 月 30 日(月)
「独立後の中央アジア・コーカサスへの公的経済支援について」
155
第 51 回
川井 晨嗣 (財)農林水産長期金融協会 基金第二部長
2005 年 6 月 29 日(水)
「中央アジアの農村問題 - 農業金融の立場から」
第 52 回
石川 慎介 NHK国際部記者
2005 年 7 月 28 日(木)
「ウズベキスタン アンディジャン事件取材記」
田中 哲二 ㈱東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
「中央アジア出張報告」
第 53 回
本村 和子 前・アジア開発銀行 タジキスタン事務所 駐在代表
2005 年 8 月 10 日(水)
「タジキスタンの安定と発展への挑戦
― 開発援助の前線で見た国づくりの課題」
袴田 茂樹 青山学院大学 国際政治経済学部教授
「政変ドミノ後の CIS 諸国」
第 54 回
清水 学 一橋大学 経済学研究科教授
2005 年 9 月 15 日(木)
「北朝鮮出張報告」
田中哲二氏 ㈱東芝常勤顧問/国連大学長上級顧問
「中央アジア出張報告」
第 55 回
清水 学 一橋大学 経済学研究科教授
2005 年 10 月 13 日(木)
「上海協力機構の現状」
岡田 晃枝 東京大学大学院総合文化研究科
「人間の安全保障」プログラム助手
「キルギスタン出張報告」
第 56 回
角崎 利夫 (財)国際開発高等教育機構 専務理事
2005 年 11 月 24 日(水)
/前駐カザフスタン特命全権大使
「中央アジア情勢の現状と展望」
第 57 回
古屋 薫 日本学術振興会特別研究員
2005 年 12 月 15 日(木)
/東大大学院人文社会系研究科博士課程 3 年
「フェルガナ調査報告」
平成18年
ゲスト講師
第 58 回
月出 皎司 東京財団 ロシア語オピニオン・サイト編集長
2006 年 1 月 30 日(月)
「ロシアのアジア外交。最近の動きと、その中での日露関係」
第 59 回
湯浅 剛 防衛庁 防衛研究所 主任研究官
2006 年 2 月 21 日(火)
「中央アジア国際関係の変動
:EurAsES と CACO の拡大・統合を中心に」
156
第 60 回
河東 哲夫 日本政策投資銀行 設備投資研究所 上席主任研究員
2006 年 3 月 14 日(火)
/前駐ウズベキスタン特命全権
「中央アジアで日本は何をどうしたらいいのか?」
浜 勝彦 創価大学教授
「中国エネルギー<危機>と<省エネ>発展戦略への転換」
第 1回~ 第60回
主催:財団法人アジアクラブ
敬称略/役職は報告当時
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発 行 日
編集/発行
2011年3月30日
財団法人貿易研修センター
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虎ノ門実業会館2階
TEL03-3503-6621
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