『聖書と宗教』1(2011) Bible and Religions 1(2011) ISSN 2186-4020 翻訳 Japanese Translation フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923) (1) Friedrich Heiler, Das Gebet. Eine religionsgeschichteliche und religionsgeschichtliche Untersuchung. 5. Auflage (1923) (1) 伊藤 利行 ITO, Toshiyuki 翻訳にあたって これから何回に渡るのか不明であるが、ここに提示しようとしているのは、1918年に初版が刊行され、数 版を重ねた「祈り」に関しての古典的名著と定評のあるフリードリッヒ・ハイラーFriedrich Heiler (1892-1967) の『祈り』Das Gebet. Eine religionsgeschichtliche und religionspsychologische Untersuchungの最終版である第5版 (1923年)の翻訳である。 本書は、祈りに関する研究等の中で引用される事が多いように思われるが、邦訳はまだないようである。 英訳は1932年にOxfordから刊行された。訳者が原著初版未見のため確認できていないが、明らかに第5版に ある内容が含まれていない部分もあり、最終版の第5版とは内容構成が異なる。それだけではなく、原著に ある多くの研究書の引用などについては大胆に削除されており、研究書としての側面も薄められたものとな っている。刊行年が1932年であるのもかかわらず、第5版を底本として使用して翻訳しているとは到底考え られず、それ以前の版、多分初版によっているのではないかと考えられる。 後に示す「序言」をお読みいただければ、明らかであるが、ハイラーは全面改訂を意図しつつも果たせず、 多くの補遺を加えることで版を重ねていたようである。ところが、この補遺の追加の仕方が、極めてあいま いで「何頁」と指示があるだけのこともあり、その頁のどのあたりに関係するのかについては正確には示さ れていないことがある。補遺の分量は、第5版では、累積してかなりの分量になっており、これらを無視す るか、適当に挿入するかの判断に苦しむところである。しかし、補遺を加えた著者の意図からすれば、それ を何らかの形で反映するのが良いと判断されるので、翻訳にあたっては、訳者が適当と考える場所に割り込 ませることにする。 ハイラーの筆致は、多くの傍証を引くことで、自説を補強する意図があるようで、その意味では、それら の多くの引用などは極めてくどくて退屈にさえ思われるかもしれない。例えば、普通の研究書では、誰かと 話をしていた時に得た研究上のヒントや対話相手の示唆内容などについて詳しく述べたりはしないと思う が、ハイラーは、そのような研究的対話のプロセスを文献としては示せない口頭会話の部分まで遡って議論 に加えている。英訳が、多分初版によっていると思われながらも、引用文献さえもほとんど削除しているの は、そのあたりを考え、むしろ祈りに関しての有益なハイラーの議論の本筋を明瞭簡潔に一般読者に示そう とした意図があったのではないかとさえ推定される。しかし、豊かな祈祷体験を古代から現代に至るまで引 用しつつ霊的世界の広がりを何とか学問的に切り開こうとする姿勢は感銘深い。 また、ハイラーは、同時期に、本書とは別の著作「仏教的沈潜 宗教史的研究」Die Buddistische Versenkung. 39 聖書と宗教 No.1 Eine religionsgeschichtliche Untersuchungによって、仏教に対する認識を示しているように、祈りに関しての現 実をキリスト教に限定することなく、多くの宗教における現実を踏まえていることから、多宗教における現 実への認識が必要とされ、それに連動して引用されている原典の言葉なども含まれる。そのため、多言語の 文献を読まなければならないというハードルが読者には存在し、さらに翻訳する場合には大きな障壁ともな っている。 その意味で、思わぬ間違いを犯す危険もあるが、本訳では、出来るだけ、原著の煩わしさと思われる部分 も、反映できるように留意して提示してみたいと思う。これによって、祈りの世界の豊かな内容を多方面の 方々が考察できる機会となれば幸いである。 40 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) フリードリッヒ・ハイラー 祈り 宗教史的宗教心理学的研究 第5版 1923 〔献辞〕 エッテンガー・ヴァーラーシュタイン侯爵御料地の管理人 我が伯父フリードリッヒ・シリング Friedrich Schilling に 感謝を持って捧げる。 〔序言前の引用文〕 「義人の祈りは天の鍵である。懇願は昇り、神の憐れみは降る。」 (アウグスティヌス De temp. serm. 226) 「祈りは、人を全力で駆り立てる大きな力である。辛い心を甘くし、悲しい心を喜ばせ、 貧しい心を豊かにし、愚かな心を賢くし、気弱な心を大胆にし、病める心を強くし、盲 目の心を見えるものとし、冷えた心を燃やすのである。祈りは偉大な神を地上の小さな 心の中へと引き寄せ、渇いた魂を満ち満ちたる神へと引き上げるのである。」 (マグデブルクのメヒトヒルト Offb. V13) 「祈りがどのような力と特性と徳を自らに備えているかを、我々は決して十分に称賛で きていないのではないか気にかかっている。というのは、祈りというものは、あまりに も単純素朴に聞え、あまりにも深く豊かで広いがゆえに、誰も祈りの根本を極めること ができないからである。」 (ルター 「ヨハネ福音書17章の講解」エルランゲン版 50.160) 「祈りによってこの地上は神の天へと変えられる。」「永遠の命とは祈りの生活であり、 この祈りの生活は既に現世で始まっているのである。」 (サドゥー・サンダー・シン「サドゥー・サンダー・シンのメッセージとN.ゼーダー ブロム」(1923)116、123) 41 聖書と宗教 No.1 初版への序言から ある偉大な宗教的天才は、「祈ることは驚くべき行為である」と語った。彼は祈りの世界に通暁した人物 であった。実際、宗教と敬虔の広大な王国において祈りよりも奇異で脅威に満ちた現象は存在しない。宗教 的人間にとって祈りはあらゆる敬虔のアルファでありオメガであり、最も自明的で最も必然的な生の表明、 あらゆる精神的喜びと倫理的力の源泉である。「一個のキリスト者の生業は祈ることである。」「もし祈ら ない者であるなら、あなたはキリスト者ではない。」と偉大な敬虔者は教えている。それどころか自然科学 的啓蒙と哲学的批判に満たされた現代の教養人にとって、祈りは、厳密な自然法則への無知や卑しい自己追 求の欲望から生じた愚かで子供じみた迷信、精神的倫理的に強き者が克服してしまった迷信と映っているの である。近代の最大の思想家と賞されるべきケーニヒスベルクの哲学者は、「既に善に前進した者は誰でも 祈ることをやめる」と判断した。このように祈りこそは、精神性を持つ人を分離する宗教的現象なのである。 ここにおいて生き生きとしたキリスト教的敬虔さと現代の思想との間を割いている底なしの深淵が認識さ れるようになる。我々がこの根本的な対立を鮮明に意識してない事は、特に両宗派(訳注:カトリックとプ ロテスタント)の神学が祈りの真剣な研究をあまりにも軽視したせいである。それは神学が前もって退けて いる現代哲学との避けがたい衝突という不安な予感だったのだろうか。命の権利のために思考に逆らって戦 うという祈りの不合理な特性にあからさまに味方する勇気を神学は持ち合わせていないのだろうか。あるい は知性主義と合理主義の古い結びつきが、眼差しを曇らせ、祈りの中に自らを啓示している生をその驚くべ き根源力と秘密に満ちた深みにおいて見ることが出来ないようにさせたのではないか。宗教の中に存在する 最高の秘匿性と最高の聖性、最高の内面性と最高の個人性を覚めた学問研究の対象とする事を抑制するちょ っとした臆病さというものがあるのだろうか。あるいは学問的関心に駆られて秘密に満ちた祈りの世界に押 し入ろうとする人の邪魔をする困難さに恐れをなしていたのだろうか。尊敬する師アロイス・フィッシャー 博士の勧めに従って筆者がこの大胆な企画にあえて手を染めた時、この研究の筆者のようにこの困難を感じ ていたのは多分一人もいなかったであろう。文献に基づいた素材は無限に豊富で多様であるが、最も重要な 点では極度に乏しく貧弱である。文献学的に信頼できるオリエント(インドあるいはバビロンのもの)の領 域やキリスト教の時代に基づいた研究に限定することによって素材の乱雑な多様性を限定するということ は、筆者にとっては魅惑的な試みであった。しかしながら宗教史的仕事のそのような特殊化がどのような大 きな利益を必然的に伴ったにせよ、そのような研究の宗教学的成果は相対的には僅かな利益だったであろう。 だからこの研究が突発的で断片的な祈りの記録の分類と明確な歴史的関連性の記載に関して大きく逸脱す ろことがなければ良いのだがと願っている。「一つの宗教しか知らない人は、どの宗教も知らない。」先駆 的インド学者にして宗教史家であるマックス・ミュラーのこの言葉はここで十分に妥当性を持っている。祈 りの本質と同様に祈りのタイプの変化に富んだ多様性は、決して一民族、一時期、一宗教的社会の宗教にの み認めうるものではない。そこでキリスト教外及びキリスト教の宗教史という見渡し得ないほど広大な領域 で、祈りの特徴的タイプを探し出し、典型的な明確さで祈りの多様な発現形式が我々の前に立ち現れる全て の場所で研究するという苦労の多い道だけが著者に残されたのであった。散在する記録の入手と精査以上に 困難であったのは、多様な素材の心理学的克服と透徹であった。深く秘密に満ちた宗教的体験を理解し翻訳 することに成功するならば、経験的な規範心理学の技巧に満ちた諸方法すべては力を失う。現在の心理学は、 宗教的な「意識の経過」を「正確な」方法で研究しようとする限りにおいて、生きた宗教の理解に我々の足 を一歩も近づけはしなかった。真の宗教心理学は宗教心理の感情のない分析にあるのではなく、異常な宗教 42 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) 的体験の直感的共鳴の内にある。個人的な宗教体験なしには、宗教的価値に関する最も微細な感受性なしに は、稔り多い宗教心理学的研究は不可能である。畏敬の念を伴なう恐れや驚きという宗教的原感情を抱いて 聖域に入るようにではなく、自らの研究対象に入る宗教研究者にとっては、宗教の驚きに満ちた世界は常に 閉ざされたままであろう。宗教の特性とは、学問的要求に対してそのような立場を為す。そういうわけで宗 教心理学は宗教の外にある冷めた観察者としてではなく、宗教の内に生き、宗教と共に感じることが必要で あるとともに、個々の宗教や宗派を超えた絶対的な自由に立脚点を持つことも必要である。真の深い敬虔な 生活は決して一定のキリスト教の宗派、否、キリスト教にすら自らを限定するものではなく、全キリスト教 界を、否、全人類を貫いて力強く暖かくほとばしり出るものである。多様な諸宗教と宗教社会に対して完全 な囚われのない仕方で対しうる人のみが、すべての宗教宗派の宗教生活に啓示される個別の特殊な精神を捉 え評価することができるのである。著者にとっては、祈りをその発現形式の多様性およびそのもっとも深い 宗教的本質根拠を叙述することが、ひとえに重要であるので、著者はすべての教会的神学的諸観点———別の 課題ではなお正当であるとしても———を断念せざるを得なかった。著者の目的は中心的な宗教現象の迫真か つ目に見えるような叙述以外の何ものでもないので、祈りの哲学的批判を断念すると同じくらいに祈りの弁 証的正当化については断念し、史的心理学的研究に限定せざるをえなかった。宗教的生を、その起源的特性、 非合理的価値に満ちた点、秘密に満ちた奇跡の力という形で把握すること、その内側からさえも捕えられる ことが重要である。著者がこの目的に邁進する内に、それは活ける宗教ならびに現実の客観的な認識を求め る学問に同様に仕えることだと著者は確信した。 テーマの周辺にある全ての事柄がこの著作で扱われているわけではない。魔術的言葉、その形式、その成 立、その祈りとの諸関係に関する問は、祈りのタイプの関連では、魔術的言葉の優越性とそこからの祈りの 生成に関する現代の諸理論を拒否する結論に著者は研究によって到達したので、不要なように思われた。仏 教的沈潜は独立した著作において扱われた。祈りの作用の因果的心理学的説明は、読者に祈りの多様な形式 の豊富さと非合理な根源力についての生き生きとした印象を伝えるという正に主目的を持つこの研究では 登場してはいけないし登場させなかった。テーマの周辺域に属する諸問題を分離することと祈りの主要なタ イプと本質の記述に厳密に集中することで本書が失うものはなく、むしろ内的完結性を獲得したと言っても 良いであろう。 この仕事の動機を与えてくださったことと一般および特殊心理学に関する講義において受けた数々の激 励とに対してアロイス・フィッシャー教授に深く感謝する。私の研究に関する価値ある宗教史的暗示を偉大 なスウェーデンの宗教史家ナタン・ゼーダーブロムの著作の中に見出した。多くの私情を交えない激励に対 し兄弟ヨゼフ・ハイラーに感謝する。 1918年1月27日ミュンヘンにて 第5版への序言 1919年12月に出た、この著作の第2版は第1版に対して著しく増補されが、外的に不都合な諸関係のため に以来新版は可能とはならなかった。第3版(1920年秋)、第4版(1921年秋)と同様、この版も第2版のただ のステロ版印刷である。それゆえ著者は新しい改訂の願いは延期し、あらゆる捕捉と改訂と訂正を補遺の形 で収録せねばならなかった。第5版の補遺はかなりの量になっている。実際的な修正は大部分神秘主義の叙 述に関したものである。古今の最善で最もこだわりのない最も正確な神秘主義の研究者であるフリードリッ 43 聖書と宗教 No.1 ヒ・フォン・ヒューゲル、 ウィリアム・ラルフ・インゲと エブリン・アンダーヒル夫人の影響の下で、筆 者は以前の神秘主義の理解と判断を様々な点で修正し、著者の他の小さな著作のおけると同様に本書でもと きどき現れるRitschlの神秘主義の理論を完全に捨ててしまった。筆者の現在の理解はカトリックの神秘主義 の要約的な叙述「カトリック主義」(475-555ページ)に最も明白に見出すことができる。 しかしながら神秘主義についてのこの深化され改訂された把握によって、「神秘的」敬虔の形式と「預言 的」敬虔の形式の様々に悩ませられた区別———それに代わって今日ルドルフ・オットーにならって「神秘主 義」と「信仰の敬虔」と呼びたいのだが———は、拠り所をなくすのではなく、逆に保証されたのであった。 各々のタイプ化は、具体的な個人の多様性を決して正当に評価しえない、———「現実は常に我々の区別より も豊かである」———単に学問的作り事であることは確かであるし、確定されたタイプの術語的関係に多くの 困難が伴っているのも確かである。しかし学問は、活ける現実が満ちているものを決して別物と概観するこ とはできないので、タイプにより区別することを断念することはできない。「宗教学はしっかりとした方針 を用いている。そしてその方針というのは宗教の核心を貫くという方針である」(Söderblom, Ur religionens historia 1915, 70)。歴史家と心理学者がより高い敬虔性という地に鍬を入れる場合には、上記の二つのタイプ の性格的な異質性に出くわすものである。そしてもっと深く掘り下げるならば、これらのタイプは神観念の 対極性にその根を持つことを発見する。偉大な敬虔者にとっては内的生活の振り子は、Deus absconditus(隠 された神)あるいはDeus revelatus(啓示された神)、Deus semper quietus(常に平穏な神)あるいはDeus semper argens(常に咎める神)、神の隠された秘密あるいは神の活ける働きという神的なものの両極の少なくとも 一つを閉じてしまうのである。神性の片方あるいは両方への振り子の方向に偉大な敬虔者と祈祷者の典型的 な違いの原因がある。 第二の最も重要な補足は、あらゆる神との交わりに固有な現実性のより明快な協調と人間の「体験」中に ある超越的現実性を雲散霧消し解消してしまう、例の「心理学主義」の断固たる拒否にある。祈りを行う敬 虔者が関わる神的なものは、人間の「体験」の創造ではなく、たとえそれが情緒や祈願や「価値判断」であ るとしても、ウパニシャッドやプラトンが一致して述べているような、satyasya satyam とか τοῦ ὄντος ὄν (存 在の存在)、純粋で、完全で、究極的で、最高の現実性なのである。すべての心理学主義に敵対的で、強力 に現実的なこの宗教的なものの理解(それは本書の根底にあり、著者が既に第1版の最終章で完全に明晰に 表明していたことである)は、もちろんカール・バルト、フリードリッヒ・ゴーガルテン 、エミール・ブ ルンナーのあの病的に過剰に主張された「客観主義」とは根本的に異なっている。それは———現代の美学的 体験崇拝との正当な戦いの中で———活ける神信仰一般から「魂」を追放し、最後の究極なるものである全て の宗教的キリスト教的「内面性」を破壊するものである。宗教的内的生命のこの現代の敵に対して、本書の 著者はアウグスティヌスの古いモットー Deum et animam scire cupio. Nihilne plus? Nihil omnino. (私は神と魂 を知りたくてたまらない。その他には何もないのか。何一つありません。) を強く擁護する。この言葉の中 には二つの事柄が綱領的に表明されている。即ち、我々の心より大きいもので、我々の小さな思索や感情で は決して把握されえない神的なものの現実と神の秘密に満ちた恵みの働きの場である神殿になる資格を持 つ人の魂の神的な高貴さとである。「宗教体験」への呪いを言い表す者は、そうすることで神的なものを人 の心情と説明する者と同じくらい活ける神との交わりという最も貴重で聖なるものを人の魂から奪うので ある。現代の「客観主義」というカリュブディスは、自由な「主観主義」というスキュラのように正しく危 険である。ただ「神と魂」についての古いキリスト教的真理のみが、あの危険な絶壁とこのあらゆるものを 絡ませる渦の間を我々が無事に通り抜けるよう助けているのである。 44 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) 第2版および後続の版に関して問題提起と指示を与えて下さった全ての人々に対してこの場でも、既に先 にお名前を挙げたルドルフ・オットー教授、ハインリッヒ・ショルツ教授、フェルナンド・ メネゴス教授、 ヘルマン・シュタインライン牧師、ヴォルフ・マイヤー牧師、カール・アントン牧師、フェリックス・パー ルス・ラビの他、同様にこのステロタイプ版の訂正の際の誠実な援助者である私の亡くなった兄弟ヨセフ、 伯父アントン・シリングと主索引の著者アドルフ・ コベールとゾフィー・コベール夫妻に心からの感謝を 申し上げる。 ヴェステロース市ヴィスコプスゴーデン(スウェーデン)、1923年 白い日曜日 著者 45 聖書と宗教 No.1 ハイラー「祈り」内容目次 [数字は第5版の頁数] 献辞 V [序言前の引用文] VI 初版の序言から VII-IX 第5版への序言 X-XII 序論 I. II. 宗教の中心的現象としての祈り 1-4 これまでの祈りについての宗教学的研究 4-16 1) 宗教史 4 2) 比較宗教学 7 3) 宗教心理学 13 4) 宗教哲学 15 III. 16-26 宗教学の課題と方法 1) 宗教学の対象 16 2) 宗教学的研究の区分 22 IV. 26-37 祈り研究の資料 1) 祈り 27 他者に聞かれ記録された祈り 28、自ら記録した祈り 28、伝えられた祈り 30 祈りの例 31、祈りの形式 31、祈りの詩 33、詩人によって模倣された祈り 33 2) 祈りの自己証言 34 偉大なる祈祷者の戒めの指示 34、神秘主義者の自己証言35、祈りの神学 36 3) 純粋な他者証言 祈りの身体表現について 36 祈りのタイプ(主要形式) A. I. II. 原始人の素朴な祈願 38-149 前書き 38-41 祈りの機会と動機 41-47 1) 必要 43、2) 願い 43、3) 規則的な祈り 43、4) 利他的共感 44 5) 感謝 45、6) 聖なる者への畏敬 46、7) 熱狂 47 III. 47-53 祈りの形式 1) 自然音 47、2) 自由な祈りと拘束された祈り 48 3) 祈りの叫びと祈りの会話 51 46 フリードリッヒ・ハイラー『祈り IV. 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) 祈祷者の人格. 原始的祈りにおける個人と社会 53-58 1) 集団の祈り 53(代理祈祷者 54; 応誦 55; 合唱の祈り 55) 2) 個人の祈り 56(個人的な機会に 56; 代表的祭司の祈り 56) 3) 中間形式 57、4) 優先性の問題 57 V. 58-98 祈りの内容 1) 呼びかけ 58、2) 嘆き 59 3) 懇願 60 (命と健康 60、保護 61、食事 62、田畑の生育 63、英雄の隆盛 63、子宝 63、 富 64、財産の保護 64、勝利と戦利品 64、魔術の成功 65、多くの願い 65、利 己的反社会的願い 66、より高い価値 66、一般的な懇願 67、古代の諸宗教に おける原始的な祈願の祈りの存続 67) 4) 取りなしの祈り 69 (婦女子のため、親戚・族長・友のため、外国人のため 69、死者のため 70) 5) 捧げもの、奉献の言葉と誓約 71 (祈りと捧げものの結合 71、食事の捧げものとその意味 72、贈り物としての 捧げもの 74、代償の捧げもの 74、生存者 75、捧げものとしての食事 75、捧 げものの祈り 75、誓約の意味 79、原始的制約と古代の誓約 79) 6) 説得の手段 80 (挨拶 80、讃美 81、神の関心へのアピール 82、侮辱と脅迫 83、自己讃美 85、 神の憐れみへのアピール 86、謝罪と宥和 87、罪の告白 87、熱烈で間断なき 祈り 89) 7) 依属感情、確信、帰依の表現 89 (自己の無力と神の力の指摘 90、神の昔の援助を引き合いに出す 91、子供関 係を引き合いに出す 91、宗教的確信と信頼の純粋な表現 91、帰依の表現 93、 神秘的な黙想への始まり 94) 8) 感謝の祈り 95 (感謝の形式 96、感謝の対象 96、感謝の捧げもの 97、捧げものの言葉 97、感 謝と祈願の結びつき 97) Vl. 98-109 祈りの姿勢と祈りのしぐさ 1) 祈祷者の身振り98 2) 祈祷の際の身体および手の動かし方の心理学的起源98 3) 体の動かし方100 (起立。跪き、しゃがみ、投身、お辞儀、回転、飛び跳ね) 4) 手の動かし方101 (手を上げ広げる、頭に手を置く、手を叩く、胸・大地を叩く、両手を広げ る、手を互いに重ねる。両手の交差、神像あるいは祭壇の接触、祭儀対象へ の接吻、手への接吻) 5) 露出104 47 聖書と宗教 No.1 (足、頭、上半身、全身) 6) 隠蔽(肌および手の) 105 7) 個人の祈りの行為及びしぐさの心理学的解釈 105 8) 世俗的な挨拶および敬意形式との関係107 VII. 祈りの中で呼び出されるより高い存在 109-131 1) 自然および行為の諸霊 l09 (自然霊、動物神、道具110、フェチ、偶像、守護霊111。病気の霊、健康の 神々112。地方神113。この存在の作用範囲113。包括的な作用域の混淆的神 115) 2) 祖先の霊 (祖先と族長) 116 3) 「高き神々」「原父」113 (学問的問題設定119。創造者、設立者、法制定者、運命操縦者、倫理監視者 としてのその機能119。精神的性格120。名前121。組織的祭儀の欠如121。彼 らへの祈り122。原父信仰の理神論的伸び悩み 124 4) 保証 126 5) 仲裁 128 6) 多くの神々への祈り128 7) 優先性問題 129 VIII. 131-139 祈りの根底にある神の表象 1) 超感覚性 131 2) 超感覚的力 131 3) 擬人観133 4) 神の臨在信仰: 祈りの場所と祈りの方向135 (自然物の前での祈り 137。神殿で 137。巡礼 137。天・東・神殿に向かう こと138) IX. 祈りの中で自己を表す人間の神との関係 139-147 1) 神への祈りの現実的作用への信仰139 2) 地上の社会関係の反映140 (親戚関係141。臣下関係 144) 3) 祈りの雰囲気における社会関係の表現145 (恐怖145。荘重さ 146。誠意と信頼 146) X. B. 要約的性格描写。原始的祈りの意味 147-149 祭儀の祈祷形式 150-156 文化的に貧困な諸民族と古代の文化民族における祭儀的祈りの結びつき150、 自由祈祷からの儀式祈祷形式の成立151、文言の拘束力151、祭儀形式の安定性 151、祭司的新造物 152、朗読の規定152、内容153、儀式祈祷者の人格(祭司と 役人) 154、祈りの機械化154、人の神への法的関係155、宗教的生命の委縮 156 C. 157-190 讃美 48 フリードリッヒ・ハイラー『祈り I. 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) 157-161 原始的な祈りの歌 1) 形式的要素 157 (リズム157、調和158、構成要素の連構成と並行表現158、音楽と舞踏159) 2) 内容(讃美の登場)160. 3) 原始的な祈りへの関係 160 II. 161-182 祭司の祭儀および呪文讃美 1) 前書き161 (古代の祭儀宗教の性格描写161、歴史的概観162) 2) 目標(文化的祭儀的) 164 3) 著者(祭司と祭司諸学派) 165 4) 形式166 (非人格的紋切り型の性格 166、詩的構造167) 5) 内容168 a) 讃美170 (栄光の名前の列挙 172、神の力と好意の称賛173、敬意の表現173、単一 神教的昂揚173、世辞173、地上の富への祈願173) b) 罪の許しを巡る嘆きと祈願175 6) 讃美の中で呼びかけられた神々(混淆的性格) 177 7) 祭儀讃美の根底にある神々の表象(原始的擬人観) 179 8) 讃美の中で自らを表現する人と神の関係 (神との優雅で儀式的な交わり) 180 9) 結びの性格描写 181 III. 182-190 文学的讃美 1) 祭儀詩からの成立 182 2) 個人的性格 183 3) 著者 (俗人) 184 4) 内容 185 (自然観察 185、倫理的特徴187、神秘的な神憧憬 187) 5) 根本にある神表象(胚珠的汎神論) 189 6) イスラエルの詩篇との比較189 7) 評価 I90 D. 191-201 ギリシア全文化の宗教における祈り 1) ホメロス宗教の性格描写191 古典的ギリシア宗教191 2) 捧げものと祈りの祭儀による全生涯の貫徹193 3) 祈願の儀式的無様式拘束 194 4) 祈りの内容 194 (倫理的祈願 196、社会的祈願 196、幸福主義的祈願196、呪いの祈り197、 49 聖書と宗教 No.1 一般的な祈願198) 5) 祈りの中で呼びかけられたより高い存在 (多神教、ゼウスの位置、神々の擬人論) 198 6) 友好関係である神との関係200 7) 評価200 E. I. 哲学的思考の祈り批判と祈りの理想 202-219 哲学的祈りの内容。倫理的祈りの理想 202-209 素朴な幸福主義の批判203 倫理的価値への祈願の祈りの限定204 祈願の祈りの一般的自制205 服従の祈り 206 瞑想的な崇拝207 真の祈りとしての倫理的心情と行為208 II. 形而上学的祈り批判と形而上学的祈りの理想 209-219 1) 批判 (擬人的神観念210、神の臨在信仰210、神への作用への信仰210、神との社会 的交わり211) 2) 祈りの哲学的解釈と代用物 213 (宗教的伝統に対する畏敬の念213、矛盾した態度213、祈りの象徴的把握214、 祈りの考察への解消215、祈りの教育的評価216、祈りの聞き届け信仰の有神 論的正当化216、哲学的祈りの観念の特徴描写217) F. I. 偉大な宗教的人格の個人的な敬虔における祈り 220-409 宗教的天才の祈りの特性 220-247 原始的な祈りとの共通する特徴220 –その他の祈りのタイプとの違い: 1) 祈りの捧げもの祭儀からの解放221 2) 神との恒常的な祈りの交わり222 3) 神の恵みの授与としての祈り224 4) 祈りの訓練227 5) 自己目的としての祈り228 6) 話し合いとしての祈り229 7) 神の臨在への信仰の霊的性格。祈りの孤独229 8) 祈りの理想への信仰232 9) 偉大な敬虔者たちの祈りの生活の歴史的関連232 この関係の主要線234 -正真正銘の祈りの宗教としてのキリスト教235 -ユダヤ教とキリスト教における個人的祈りの生活の歴史についての概観236 (モーセ237、エレミヤ237、詩篇詩人238、イエス239、パウロ240、アウグス 50 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) ティヌス241、クラルヴォーのベルナルド242、アッシジのフランチェスコ 243、テレサ244、ルター244、カルヴァン245、テレステーゲン246、新神学 者のシメオン247) II. 個人的敬虔の両形式の一般的な性格描写:神秘主義と預言者的敬虔 248-283 1) 歴史的創成の記録 250 2) 心理的根本体験250 3) 詳細な心理的特徴描写257 4) 神の観念259 5) 歴史の評価262 6) 自立性への位置 265 7) 罪と救い267 8) 倫理学への位置269 9) 社会共同体への位置272 10) 文化と世界への位置276 11) 来世の希望279 12) 神秘主義の一元論―預言者的宗教の二元論281 13) まとめの性格描写282 III. 284-346 神秘主義における祈り 1) 前書き284 2) 祈りの動機と目的285 (神との一致への段階としての祈り286、興奮放電としての素朴な祈願 287、 瞑想288) 3) 祈りの形式 (祈りの諸形式 288、心の無言の祈り288) 4) 神秘的な祈りの本質と内容: 最高善への魂の上昇290 a) 集中291 (祈願。世界からの解放292、興奮の鎮静292、神の中での安らぎ293、神の 意志と同じになること294、神の愛 295、神を見ること295、神との合一296) b) 瞑想297 (純粋に美学的な考察299、賛美と感謝301、帰依と服従302、自己の無価値 と神の恵みの奇跡の考察304) c) 脱自306 d) 地上の富への祈願の拒否307 5) 祈りあるいは瞑想の段階309 (祈りの段階の構造の意味310 祈りの第一段階としての瞑想310 安らぎの祈り311 51 聖書と宗教 No.1 至福あるいは平静としての祈り314 祈りの梯子の頂上としての脱自316) 6) 祈りの根底にある神観念317 7) 祈りにおける神の臨在の体験318 8) 祈りにおいて自己を現す人と神の関係319 9) 祈りの指示320 322-346 神秘的祈りの諸相 a) 祭儀的サクラメント的神秘主義322 (神秘的瞑想の感覚的な支え322 ヒンドゥー教の儀式神秘主義324 混淆的神秘主義儀礼324 キリスト教のサクラメント神秘主義325 神秘主義的な交わりの祈り326) b) 花嫁神秘主義331 (原始的な宗教における神聖との性的な合一の観念331、古代教会における宗 教的花嫁のシンボル332、中世の花嫁神秘主義332、神秘主義的花嫁シンボル の心理学的解明333、花嫁神秘主義における祈り334、祈りの呼びかけ337、 愛の憧れ337、愛の至福339、祈る花嫁祈祷者の神との関係340、性格描写341) c) 静寂の神秘主義341 (歴史的前書き341 静寂神秘主義の心理学的特性342 無言の心の祈り343 祈りの内容の公平344 祈願と感謝の拒否 344 性格描写 345) d) 仏教における沈潜345 神秘的祈りのまとめの性格描写346 IV. 347-409 預言者の敬虔における祈り 1) 祈りへの機会と動機348 (自発的に祈ることの例348、動機体験の心理学的分析350、祈りの自発性352、 規則的な祈り354) 2) 祈りの形式354 (自由に祈ること 354、祈りの形式の使用355、自発的祈りの簡潔さ356、声 を出して祈ること357、「無言の呻き」357) 3) 祈りの内容358 a) 嘆きと問359 b) 祈願360 (個人的宗教的価値361、個人的倫理的価値365、社会的宗教倫理的価値: 取 52 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) りなしの祈り366、超個人的宗教倫理的価値: 神の国の祈り368、幸福主義 的価値369) c) 説得の手段372 (敬意372。神の関心へのアピール373、神の昔の善行への想起374、神の約 束への呼びかけ374、神の救済の事実への呼びかけ375、自己の敬虔への呼 びかけ376、神にしつこく迫ること376) d) 無力と依存の発言、罪あることの告白378 e) 信頼の発言379 f) 服従の発言384 g) 感謝 389 h) 讃美391 i) 憧れることと見ること392 4) 祈りの根本にある神観念 393 5) 祈りにおける神の臨在への信仰394 6) 祈りの中に表現される人と神の関係397 (神への作用の観念、「祈りが聞かれること」への信仰397、地上的社会関係 の反映400、友の関係400、仕える者の関係400、子供の関係 401、祈りの気 分における祈りの関係の表現403) 7) 預言者的敬虔の祈りの形式404 (機械的祈りに対する抗議404、自由祈祷への戦い405。戒律的功績的祈りに 対する論争406、積極的な祈りの指導407) 8) 神秘主義的預言者的祈りの比較407 G. I. 偉大な人物の個人的な祈り (詩人と芸術家) 410-420 瞑想的美学的タイプ(美学的ロマン的神秘主義) 410-414 この敬虔の真の神秘主義との類似性と相違411 自然観察としての祈りと崇拝412 II. 415-420 激情的倫理的タイプ 祈りの動機 415 内容415 (理想的価値への祈願 415、宗教的価値への416、幸福主義的な富への416、信頼 と服従への発言417、祈りが聞かれることへの信仰 418) 評価 419 H. 421-477 礼拝の中での教団の祈り 1) 預言者的人格の個人的祈りの生活との関係421 2) 歴史的展望422 (ユダヤ人の捕囚における集団の祈りの成立423、捕囚期以後のユダヤ教にお ける集団の祈り424、原始キリスト教における 424、古代教会における425、 4世紀の典礼改革426、7世紀における発展の終結428、16世紀における集 53 聖書と宗教 No.1 団の礼拝の改革428、敬虔主義と合理主義429、19世紀の礼拝規定改革429、 現代の礼拝規定問題429、ユダヤ教とキリスト教外の集団の神礼拝の軌跡 430) 3) 礼拝における集団の祈りの動機と目的431 (共通の救済意識と救済要求の表現431、「教化」432、真の祈りへの教育的 な指導432、集団の祈りへの準備としての聖書朗読と説教433、段階的な制度 への集団の祈りの凝結434) 4)礼拝における集団の祈りの形式434 a) 祈祷者の人格: 一般的な平信徒の祈りと祭司の職業的祈り434 b) 古代教会における自由に祈ること435 基本の様式436 規制的な祭儀的様式437 キリスト教諸派の礼拝の祈りの拘束に対する抗議438 c) 神礼拝における集団の祈りの言葉と文体439 d) 代表の祈りでの集団の参与441 (祈りの要請441、交誦441、応誦441、アーメン442、讃美歌の祈り443、讃 美の歌443) 5) 礼拝における集団の祈りの内容444 a) 讃美と感謝の言葉444 (神の大きさと力の考察446、救済への感謝の言葉447、叙事的救済史的感 謝の祈り:ユダヤ教における448、古代キリスト教における450 西洋のミサの序誦 451、福音主義教会の序誦451) b) 罪の告白と赦しの祈願452 c) 祈願454 (神の国の祈願:ユダヤ教における454、原始キリスト教における454、教会 のための祈願456、個人の宗教的倫理的価値への祈願:ユダヤ教と古代教会 における455、ローマ・カトリックの典礼における456、福音主義教会にお ける457) d) 取りなしの祈り458 (艱難に苦しむ兄弟たちのため459、教会の教職者のため459、この世の権 力者のため460、異邦人、ユダヤ人、異端者のため460、死者のため462) e) 結びの唱栄 463 (ユダヤ教の唱栄463、キリスト教の464、三位一体の464) 6) キリスト教の集団の祈りにおける祈りの呼びかけ464 (「イエス・キリストの父」への祈り465、キリスト「にあって」と「を通 して」465、イエスの中間者の位置465、キリストへの祈り465) 7) 礼拝における集団の祈りの観念467 (神の臨在への信仰467、「捧げもの」としての讃美と感謝467、共通の祈 54 フリードリッヒ・ハイラー『祈り 宗教史的宗教心理学的研究』第5版(1923)(1) 願の祈りの力への信仰468、神秘的預言的祈りとの比較468) 8) 礼拝における集団の祈りの特別な特徴469 a) 原始キリスト教における礼拝の祈り:集団礼拝の中心点としてのミステリ ウム470 b) カトリック教会における礼拝における集団の祈り:神秘的祭儀としての礼 拝471、捧げものとして472、集団の祈りの周辺の礼拝形式への置き換え472 c) シナゴーグ・ユダヤ教と福音主義の教会とセクトにおける礼拝の祈り:純 粋な言葉による礼拝474 J. 戒律宗教における宗教的義務と善行としての個人的な祈り 478-485 1) 戒律宗教の特性478 2) 歴史的展望479 a) ユダヤ教(シェマとシェモネ・エスレ) b) イスラム(サラート) 479 c) マンダ教 480 d) キリスト教 (義務的祈り、懺悔の祈り、贖罪の祈り) 480 3) 法的祈りの形式 (文言の拘束力、繰り返し) 480 4) 法的祈りの内容481 (義務の告白と自己厳命481、讃美482、祈願 482) 5) 自らの中で価値ある神への業績としての法的功績的祈りの観念482 原始的捧げものの思想482 魔術思想483 6) まとめの性格描写483 (形式主義の危険484、機械的に祈ることの宗教的性格484、教育的意味485) 祈りの本質 486-495 1) 祈りのタイプについての要約的回想 486 祈りの形式の多様性486 2) 祈りの本質 488 (第一義的・第二義的祈りのタイプ 488、祈りの動機心理学的根拠 489、 祈りの現象学的目印: a) 神の人格性への信仰 490、b) 神の直接的な臨在への信仰491、 c) 神との生き生きとした交流491、d) 地上の社会関係の反映491 定義 491) 3) 崇拝の本質 492 (宗教的崇拝 492、宗教生活の内外における崇拝 492、定義 493) 4) 礼拝の本質 493 55 聖書と宗教 No.1 (宗教生活の内外における礼拝493、定義493) 5) 崇拝と礼拝の祈りの差異 494 6) なぜ祈りはあらゆる宗教の中心点なのか 494 文献目次 497-503 注 504-541 索引 542 -558 外国語引用の翻訳 559-565 補遺 566-618 補遺の索引 619-621 56
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