地域文化政策研究 - Fiber Bit

地域文化政策研究
第 10 号
2015 年 3 月
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究室
地域文化政策研究
第 10 号
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究室
はしがき
友岡邦之
本論文集『地域文化政策研究』は,高崎経済大学地域政策学部・友岡研究室所属学生
の卒業論文を元にした論文と,3 年次生の進級論文(演習Ⅰにおける課題)とをあわせ
て収録したものである.
本論文集の発行も,とうとう 10 回を数えるに至った.友岡研究室の開室から時が経
ち,
「地域政策学」に取り組む際の本研究室なりの視点も定まってきたように思われる.
その視点は,主に「ソーシャル・キャピタル」「アーキテクチャ」「コモンズ」「ガバナ
ンス」「コミュニタリアニズム」の 5 つの要素によって支えられている.
すなわち,他者との関係性の問題が深く関わる物的・人的資源としての「コモンズ」
「ソーシャル・キャピタル」,社会制度を構想する上での理論的根拠としての「コミュ
ニタリアニズム」
(あるいはリベラリズムやリバタリアニズム等の公共哲学),社会の統
治に関するエージェントと制度設計の問題としての「ガバナンス」「アーキテクチャ」.
これらのことが,地域社会における文化活動と文化政策のあり方の検討をメインテーマ
とする本研究室でも,共有課題として認識されるようになっている.
学生たちは,就職活動をはじめさまざまな活動に追われる中,なんとか自身の思考を
形にしていった.私見では,論文を執筆し,研究を発表するための一連の作業は,就職
活動をはじめとするさまざまな社会活動に応用できる重要な経験である.この作業を計
画的かつ着実にこなすことは,人生における他の活動にもプラスに作用すると確信して
いる.率直に言って,本報告書所収の論稿の中には論証に不備があったり,体裁が整っ
ていなかったり,文章表現に違和感を抱かずにはおれないものも含まれている.しかし
そうしたものについても,各学生の成長段階の足跡として寛容な気持ちでご一読いただ
ければ幸いである.
なお各稿の執筆過程では,多くの方々に様々な形で御協力いただいた.この場を借り
て,あらためて御礼申し上げる次第である.
目次
はしがき…………………………………………………………友岡
邦之
世界遺産をめぐる3者関係
―対立を協力に変える地域住民の可能性―………………平澤 亜弥
再生可能コンテンツツーリズム
―大河ドラマの永続的観光資源化を目指して―…………渡部 翔太
すれ違う農村と都市住民
―長野県姨捨地区の棚田から―……………………………栁澤 祐也
スナック社会学
―地域に根付く裏コミュニティスペース―………………湯浅 諒祐
映画教育と地域振興
―コミュニティアートの視点―……………………………中村 尚道
聖と俗をつなぐ場としての伝統宗教施設
―現代における地域寺社の役割―………………………森谷 奈央子
日本における博物館・美術館の財政問題
―外部資金の投入の可能性―…………………………………坂庭 萌
命名文化と流行
―キラキラネームが映し出す現代社会―…………………松本 理奈
キャラクターに貢ぐ社会
―成就不可能な対象への疑似恋愛消費―…………………中村 可奈
オタク趣味から見る一般化
―オタクと一般人と情報社会―……………………………山本 凌平
TCG にみるバッドコミュニケーション
―子どもたちがエゴイズムと向き合えない現代社会―…坂本 敦史
メディア規制の強化とその正当性について…………………高橋 世羅
-7-22-36-48-59-73-86-101-116-130-142-154-
「スクールカースト」をいかにして乗り越えるか
―未来の学校についての提案―………………………………森 千晴
守られるルールと守られないルール…………………………由田 早紀
子どもの自由な読書のために
―本の規制と与え方を考える―……………………………砂永 美紗
「温泉卵風萌えおこし」の考察
―「あしかがひめたま」を事例にして―…………………佐取 哲郎
恋愛都市宣言
―コンセプト・シティのまちづくり―…………………小板橋 稔真
高架下からのまちづくり
―人のつながりをつくるコミュニティデザイン―……小板橋 絵名
民衆信仰の柔軟性
―屋敷神信仰の生存を賭けて―………………………………林 良香
「高崎サロン」の音楽文化及び「地域」発展のあり方
―七月王政期サロンとの比較から―………………………小野寺 洋
演劇市場の一極集中と地方公共劇場の可能性………………山田 千尋
ZINE と現代社会 ……………………………………………ニ井谷 友希
現代のひきこもりと自己救済への道標
―自分の克服を目指すあなたへ―…………………………清水 和音
従属へ誘う視線
―ネットを通した作品発表に見るコミュニケーションの弊害―
…………………………………………………………………利村 裕理
マニアによるアイデンティティの気付き
―キャラクターを通して考える―…………………………清水 聖羅
-168-177-188-199-210-221-232-246-261-270-285-
-295-302-
Ⅰ
第 9 期生 卒業論文
世界遺産をめぐる3者関係
―対立を協力に変える地域住民の可能性―
平澤 亜弥
はじめに
2014 年,
「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界文化遺産として登録されることが決まった.富
岡製糸場を抱える富岡市だけでなく,群馬県全体で登録に向けた運動を盛り上げていたこともあ
り,高崎駅では号外が配られるなど県全体がお祝いムードに染まったことは記憶に新しい.世界
遺産登録が決まった翌日から富岡製糸場は大変な賑わいとなっており,富岡製糸場を訪れる観光
プランが多くの旅行会社によって企画・宣伝されている.
このような動きからも世界遺産登録は観光振興と結び付けられ地域に潤いをもたらすと考え
られることが多い.しかし世界遺産登録を果たした地域はその後も様々な問題に直面しながら世
界遺産と共存していかなければならない現状があることを忘れてはならない.世界遺産登録直後
の観光客増加は長期的なものではなく,また世界遺産を抱えることが直接地域ブランドの確立や
遺産・遺産を生み育てた地域の魅力理解につながっていないのである.さらに登録を機にもたら
される様々な問題が地域内で軋轢を生むことは珍しくない.本稿は世界遺産登録を巡る問題に関
わる 3 つの要素に注目し,長期的な文化遺産と地域との共存について考察するものである.
1
世界文化遺産とはなにか
1-1. 概要
はじめに本稿で取り上げる世界文化遺産について整理していきたい.外務省(2014)によれば
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」
,すなわち「世界遺産条約」は,文化遺産
や自然遺産を人類全体の遺産として損傷,破壊などの脅威から保護・保全していくために 1972
年のユネスコ総会で採択された条約であり,条約締約国は 190 か国に上る.また「世界遺産」と
はユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産,文化遺産,両者の性質を含んだ複合遺産を
意味する.2014 年 6 月時点で 1007 件(文化遺産 779 件,自然遺産 197 件,複合遺産 31 件)の
世界遺産が存在し,このうち日本の世界遺産は 18 件あると外務省(2014)によって示されてい
る.なお,本稿では世界文化遺産を取り上げることとし,次項から世界文化遺産を指して世界遺
産と表記したい.
世界遺産への登録は,世界遺産条約に加盟した国々から投票によって選ばれた 21 ヵ国で形成
される世界遺産委員会と,世界遺産にふさわしいかどうかを専門的に判断するイコモスによって
決められている.世界遺産条約では世界遺産とは「顕著な普遍的価値」を有するものと定められ,
基準に合致しているかの他に該当遺産が国内や地域で十分に保護管理体制が整えられているか
も判断基準とされている.以下は世界遺産に登録される基準の中から特に文化遺産に該当する基
-7-
準のみを抜粋したものである.
(1)人類の創造的才能を表す傑作である.
(2)ある期間,あるいは世界のある文化圏において,建築物,技術,記念碑,都市計画,景
観設計の発展における人類の価値の重要な交流を示していること.
(3)現存する,あるいはすでに消滅した文化的伝統や文明に関する独特な,あるいは稀な証
拠を示していること.
(4)人類の歴史の重要な段階を物語る建築様式,あるいは建築的または技術的な集合体また
は景観に関する優れた見本であること.
(5)ある文化(または複数の文化)を特徴づけるような人類の伝統的集落や土地・海洋利用,
あるいは人類と環境の相互作用を示す優れた例であること.特に抗しいれない歴史の流に
よってその存在が危うくなっている場合.
(6)顕著で普遍的な価値をもつ出来事,生きた伝統,思想,信仰,芸術作品,あるいは文学
的作品と直接または明白は関連があること(この基準は他の基準とあわせて用いられるこ
とが望ましい)
.
出典:公益社団法人日本ユネスコ協会連盟(2014)
当初はこうした基準に基づいて世界遺産一覧表の作成が行われたが,結果として西欧的に価値
の高い建築物の登録数が多くなり,地域的な不均衡を招いた.こうした不均衡の是正のために
1994 年「均衡性・代表性・信頼性のある世界遺産一覧表構築のためのグローバルストラテジー」
がユネスコ総会にて打ち出された.文化審議会・文化財分科会・世界文化遺産特別委員会(2007)
によればグローバルストラテジーにおいては,遺産を「もの」として類型化するアプローチから,
広範囲にわたる文化的表現の複雑でダイナミックな性質に焦点をあてたアプローチへ移行する
必要性が指摘されているという.こうしたなかで産業遺産や 20 世紀の建築,文化的景観を評価
しようとする動きが熱を帯びてきた.グローバルストラテジーによって世界遺産登録が進められ
てきた今日においては,現に住民が生活している都市や景観が世界遺産として登録されることも
珍しくはない.世界遺産が登録数の増加に伴って身近に感じられるようになったとはいえ,国際
的に認められた顕著で普遍的な価値はどの遺産にも共通のものといえるだろう.
1-2. 観光との親和性
世界遺産と観光との親和性はしばしば指摘され,なおかつ期待される.今年の 6 月に世界遺産
リストへの登録が決まった群馬県富岡市にある富岡製糸場は 8 月 14 日に過去最多の来場者数
8576 人を記録した(『上毛新聞』2014.8.15 朝刊).富岡市だけでなく近年世界遺産として登録さ
れた文化財をもつ地域ではほぼ例外なく観光客の増加がみられる.
しかし,もともと世界遺産と観光がここまで密接に関連していたわけではない.鈴木(2010)
は日本で世界遺産が認知されていくきっかけとしてTBS系による『世界遺産』をはじめとした
-8-
メディアによる露出を挙げている.また奈良大学文学部世界遺産を考える会(2000)によれば,
日本で最も早く世界文化遺産として『法隆寺地域の仏教建築物群』が登録された頃は登録も文化
庁主導で行われていたため,世界遺産の意味もシステムも当事者はまったく知らされていなかっ
たという.とはいえ,世界遺産として登録されることは栄誉であるうえに新しい価値を認定され
たことを意味し,国内に留まらず世界各地から観光客の訪問が期待できるため,地域活性化を図
ろうと世界遺産登録を望む地方自治体の思惑を西山(2000)は推測している.
また,地域にある資源を生かしたまちづくりが全国的に進められ他地域との差別化が難しい状
況となっている中で,世界遺産という「顕著で普遍的な価値」を国際的に認められることが地域
としての個性を確立し観光客を対象にアピールする手段になっているとも捉えることができる.
各旅行会社では世界遺産を特集したツアーが組まれ,世界遺産観光を目的として訪問地を決定す
る旅行客が少なくないことがわかる.
2
登録後の問題
2-1. 対立する 3 要素
第 1 章では世界文化遺産が本来の意義に付随して観光と深い関わりを持ち,地域の観光振興に
役立てられている現状について述べた.日本では世界遺産をめぐるツアーや旅行雑誌も豊富であ
り,観光地としての世界遺産の魅力の高さを知ることができる.しかし,こうした観光地を選択
する側の人気の高さに反して,実際に世界遺産を抱える周辺地域に視点を変えると世界遺産観光
は無条件に歓迎されるものとは言い難い.
世界遺産登録による観光公害が顕著に表れた例としてよく知られたものに,中国雲南省の麗江
が挙げられる.この場所は世界で現在も使用されている唯一の象形文字である「トンパ文字」の
文化をもつナシ族をはじめとした少数民族が,農業を営み素朴な暮らしを続けてきた地域である.
麗江は歴史的都市景観などが評価され,1997 年に世界遺産として登録された.しかし世界遺産
登録を機に近隣に飛行場ができ,観光客の数が激増したことが麗江の地域を一変させる.観光地
化が進むなかでナシ族などの旧住民は農業のできる世界遺産地区の外に転居し,入れ替わりに多
くの商売目当ての人々が移り住むという事態を招いたのである(朝日新聞グローブ,2009)
.も
っともこのような観光公害の一方で,登録によって注目を集めることで当時消えかけていたトン
パ文字が再興され,文化が消滅する事態を防ぐことができたという側面も忘れてはならない.け
れども世界遺産登録は観光振興や経済的な潤いをもたらす側面が注目されると同時に世界遺産
としての文化財の価値を揺るがし,地域住民の文化や暮らしぶりを激変させかねない影響力をも
っているのである.日本でも広島県福山市を世界文化遺産団体が「100 の危機に瀕する遺産リス
ト」に登録し,
『崖の上のポニョ』の舞台にもなった鞆の浦の文化的景観と開発計画を巡って長
い間論争が繰り広げられた事例が挙げられる(深見・井出編 2010)
.
このように世界遺産登録を巡っては様々な利害対立が生じている.メリットにせよデメリット
にせよ登録による影響力は莫大であるため,対象となる文化財を抱える地域では登録を目指すと
表明してから無事に登録を果たした後も世界遺産を巡る問題は絶えることはない.そこで,利害
-9-
対立の実際を整理するため,麗江の事例でも見られた世界遺産を巡って対立する 3 つの視点に注
目して分析をしていくこととする.まずは登録により莫大な利益を得る「観光事業」の視点,そ
して世界遺産条約の意義に則った「文化財保護」の視点,最後に世界遺産を巡る諸問題が自らの
生活と密接に関わる「地域住民」の視点である.3 者は自らに利益をもたらす事業が他者に不利
益をもたらすといった関係になりやすく,合意形成が困難な立場にある.
2-2. 登録による影響分析
では,登録による影響を 3 つの視点それぞれから整理していきたい.以下は世界遺産登録によ
って生じる現象に対して 3 者それぞれの利害をプラスマイナスで簡潔に記述したものである.
表1
観光客増加
世界遺産としての
広告効果
観光需要による経済
的収入の増加
渋滞緩和のための
道路や駐車場の整備
登録による影響の利害対立
地域住民
文化財保護
観光事業
±
-
+
+
+
+
-
+
+
±
-
+
-
+
±
±
+
-
世界遺産や
周辺の景観整備
(開発制限を含む)
文化財活用
に関する規制
筆者作成
観光客増加
まず,観光客の増加がある.観光事業では観光客の増加に比例して利益も増加していく.地域
住民は来客によって地域に誇りをもつ可能性が高まる一方で,観光客が残していく大量のごみの
問題を抱えることとなる.文化財保護では観光客の増加に伴い文化財がダメージを受け,さらに
落書きなどのいたずらをされる危険が高まるなど価値の維持が困難になると考えられる.実際に
- 10 -
日本人の大学生が海外旅行先の貴重な文化遺産に落書きをする事件が発生したことからも,観光
客の増加は文化財保護の観点から捉えればデメリットが大きいことがわかるだろう.
世界遺産としての広告効果
観光客増加と共に世界遺産としてのブランドが広告として効果を発揮していく点に注目する
と,3 者すべてが恩恵を受けることがわかる.文化財保護においては保護に必要な資金を寄付で
集めることや,法的整備を進めるにあたって理解が得やすくなることもあり,長期的な保護の必
要性を広く周知させることができるのである.地域住民においては世界遺産を抱えるまちとして
郷土愛や誇りを育む土壌が生まれ,観光事業では世界遺産をテーマにした観光形態の活用も可能
になり国内外問わず観光客を呼び込むことが可能になる.
観光需要による経済的収入の増加
観光需要による経済的収入の増加は観光事業・文化財保護双方にとって利点となる.文化財保
護においては富士山を保護する団体が入山料を集めごみ問題の解決につなげようとしている例
にみられるように,入山料・拝観料が文化財を維持・保存するための費用にあてられている.し
かし地域住民に経済的収入が還元されることはほとんどない.観光客が地域で消費した利益のほ
とんどは旅行会社や土産をはじめとした小売などに限定されてしまうのである.
渋滞緩和のための道路や駐車場の整備
観光客の増加に伴って生じる交通渋滞解消のために,道路や駐車場が整備される.観光事業か
らみればスムーズな観光が可能になり,観光客の満足度をあげられる.また,地域住民の立場か
らも生活道路にまで及んでいた交通渋滞が解消されることで観光によるストレスの緩和につな
がる.その一方で,自らが生活する地域を観光客向けに次々と整備されることに抵抗を示す住民
も少なくない.文化財保護に視点を変えると,道路等の整備は周辺の景観を含めて保護しようと
する世界遺産の理念とは合致せず,あまりに開発が進めば世界遺産リストから抹消されることも
あり得るため歓迎されないといえる.
世界遺産や周辺の景観整備(開発制限を含む)
世界遺産に限らず歴史的まちづくりを行う地域でみられるのは,開発制限を含んだ文化財と周
辺の景観整備である.地域住民としては実際に暮らしている住居が保護されるべき景観の対象に
なることも多く,建て替えや改装などの経済的負担や景観を損ねるような日常の活動が制限され
るケースもあり負担が大きい.しかし景観の保全・保護は文化財の価値を損なう高層ビルや鉄塔
の排除を可能にし,統一した空間が整備できれば世界遺産そのものだけでなく地域全体が観光対
象となる可能性が増すことから,観光事業からは歓迎される.ただし,過剰に観光地として秩序
だった空間が整備されることは長期的な観光欲求につながらないこともあり,一概には言い難い.
- 11 -
文化財活用に関する規制
最後に文化財活用に関する規制に目を向けると観光面にかかわるマイナスの側面を見つける
ことができる.文化財を保護するために使用目的を制限することは,内装の変更も安易にできな
くなることから,観光客の潜在的な需要に柔軟に応えようとするには不向きである.
それでは,改めて 3 者それぞれの登録によるメリット・デメリットを整理したい.地域住民に
とって世界遺産登録は経済的にも日常生活としても負担を増やすものであり,3 者の中ではもっ
とも不満を抱えやすい立場といえる.しかし,登録や登録に向けた運動が地域の歴史や文化財の
重みを住民たちが再考するきっかけとなり,誇りや郷土愛を育む可能性をもたらすといえる.ま
た,文化財保護の立場からみた登録におけるメリットを考えると,世界的な価値の認定によって
法的整備が進み保存への理解がもたらされる一方で,正しい保存・活用がなされなければ本来の
価値を損なう恐れが登録による利益よりも存在感を増してしまう可能性があるだろう.そして,
3 者の中で最も登録による恩恵を受けるのが観光事業である.しかし観光地として成熟しきって
いないうちに爆発的に観光客が増えることで,交通や施設,ガイドなどが対応しきれないという
問題が発生することもある.
上記のように整理してみると,地域住民ほど負担やデメリットが大きく,観光事業が登録によ
る恩恵を最も受けていると関係性が明確になるだろう.こうした傾向は世界遺産を抱えた地域だ
けでなく,歴史的文化財を活用してまちづくりを進める多くの地域でみられる.そのうえで世界
遺産に登録されたばかりの地域で利害対立が関わる問題が大きく取り上げられやすいのは,3 者
の要素がバランスよく成熟しないままに知名度だけが上がってしまったことに要因がある.つま
り,世界遺産登録をきっかけとして突如観光地となった地域は,それまで登録のために「文化財
保護」を比較的重視しまちづくりを進めてきた一方で,それ以外の「地域住民」や「観光事業」
がバランスよく成熟しきれていない場合が多い.また一時的で爆発的な観光ブームに振り回され
てしまうことで,世界遺産をもたない歴史的なまちづくりを行う地域よりも,より利害対立が顕
著に表れてしまうのである.
しかしながら,この 3 つの要素は利害対立を生むだけではなく,影響を与え合うことで互いに
成熟することのできる性質を備えている.具体例として文化財を解説する市民ガイドを挙げたい.
彼らは本来文化財の価値を正しく伝え,価値を正しく理解してもらうことが目的としており,文
化財保護に重点を置いた活動を行っている.その一方で,市民ガイドは地域住民のボランティア
である場合も多く,住民たちが誇りを持って地域の歴史を伝えようとする姿を窺い知ることがで
きる.さらにガイドの充実は観光客の満足度を高めることにもつながり,観光事業全体にプラス
の効果を与えているのである.したがって,利害対立を生む 3 つの要素は,一方で互いに正の影
響を与える要素にもなり得る.つまり「地域住民」
「文化財保護」
「観光事業」の 3 要素の成熟の
バランスが,世界遺産を抱える地域を大きく変化させてしまう可能性を秘めているのである.
- 12 -
3
登録を実現した地域
前章では世界遺産登録によって生じる利害対立を「地域社会」
「文化財保存」
「観光事業」の 3
つの視点から整理し,成熟のバランスが世界遺産を抱える地域を大きく変化させると述べた.で
は実際に島根県大田市と群馬県富岡市を取り上げ,世界遺産を抱える地域の実態に照らし合わせ
てみたい.両者はもともと有名な観光地ではなく,登録決定によって急激に観光客が訪れた地域
であり,文化財そのものの芸術性や希少性よりも経済的・文化的に世界にどのような影響を与え
たかをアピールすることで登録に至った点で共通している.
3-1. 島根県大田市
島根県大田市は 2007 年に世界文化遺産として登録された「石見銀山遺跡とその文化的景観」
を有する市町村である.この世界遺産は大別すると鉱山跡と鉱山町,石見銀山街道,港湾と港町
から構成される.石見銀山は大航海時代の 16 世紀から日本の銀鉱山として世界に知られ,銀を
基軸にした東アジア交易において重要な役割を果たしていたと考えられている.では,大田市の
中でも石見銀山周辺地域である大森地区では,石見銀山をはじめとした文化財が世界遺産登録を
果たすまでにどのような経緯があったのか.毛利(2008)を参考に大田市について整理していく
こととする.以下は,石見銀山の休山から世界遺産登録を果たすまでの動きと関連した民間の動
きを年表としてまとめたものである.
表2
石見銀山と周辺地域の世界遺産登録までの流れ
休山から世界遺産登録までの歴史
関連した民間の動き
1923
第一次世界大戦後に経営不振となり,休山
1956
大森町が大田市に合併される
1956 「大森町文化財保存会」結成.独自
に文化財を指定,保護
1967
「石見銀山遺跡」県指定史跡となる
1969
代官所跡,龍源寺間歩などが国指定史跡となる
1987
大森,銀山の町並みが国の重要伝統的建造物群
1986 町内会と大森町文化財保存会,大森
保存地区に選定
町観光開発協会が「町並み保存対策協議
会」を結成.市長と市議会に町並み保存推
進を要望
- 13 -
1993
大田市による石銀地区発掘調査開始
1991 「町並み討論集会」→
あらゆる分
野からまちづくりを語る「石見地域デザイ
ン計画研究所」ができる
1996
島根県・大田市共同の石銀地区調査開始
2001
世界遺産暫定リストに登載
2002
「銀山柵内(さくのうち),山城跡,港湾」が
国史跡追加指定
2004
大田市・温泉津町・仁摩町の景観保全条例制定
温泉津の町並みが国の重要伝統的建造物群保存
地区に選定
2005
「石見銀山街道,宮ノ前地区」国史跡追加指定
2005 石見銀山の保全と観光振興,人々の
「銀山柵内,羅漢寺五百羅漢,鞆ケ浦集落,沖
生活の共生の実現を目的に「石見銀山協働
泊集落」が国史跡追加指定
会議」を設立
大田市・温泉津町・仁摩町が合併し,新「大田
市」となる
2006
世界遺産登録推薦書をユネスコに提出
2006 主体別にわけて年次計画をくみこ
イコモスによる現地調査
んだアクションプラン「石見銀山行動計
画」がまとめられる
2007
イコモスより「登録延期」の勧告がなされる
世界遺産委員会において世界遺産に登録
i
2007 石見銀山の訪問客数増加.パークア
ンドライド方式採用.
島根県教育庁文化財課世界遺産室(2014)を参考に筆者作成
石見銀山周辺の大森地区は江戸時代前期に最も栄えたが,鉱山の休山に伴い過疎化の一途を辿
った.過疎化の脱却を目指して農業振興や観光振興を試みたこともあるが時代のニーズや環境に
合致せず上手くいかなかったのが実情である.時代の流れに取り残された石見銀山を見直すきっ
かけとなったのは,1967 年の文化財保護委員事務局の調査官による「史跡」指定に向けた取り
組みであった.また 1956 年に石見銀山を有する大森町が大田市に合併された経緯も大森地区の
住民たちに影響を与えたといえるだろう.合併の同年には大森地区のアイデンティティの維持が
i「石見銀山遺跡とその文化的景観」は登録目前に人類にとって顕著で普遍的な価値をも
っているかが十分に証明されていないとして,イコモスから「登録延期」の勧告を受けた
ことでも知られる.最終的には経済史的,世界史的意義よりも石見銀山の環境との共生が
評価され世界遺産が決まった例であり,これまで町全体の保全を進めてきた住民の活動と
深い理解から得られた登録といえるだろう.
- 14 -
必要と考える町民たちによって「大森町文化財保存会」が結成され,行政による取り壊しが予定
されていた大森代官所跡の買い取りや保存活動が行われた.さらに住民によって町並み保存対策
協議会が結成され,市長と市議会に町並み保存推進を要望していく動きが起こった.こうした住
民主体の推進運動もあり,1987 年には大森や銀山の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区
に指定された.アイデンティティの維持や地域の外部からの価値の承認によって,文化財や町並
みの保存に関する住民の意識が少しずつ高まっていったことがうかがえる.
「石見地域デザイン研究所」が立ち上がるなど住民主導のまちづくりが進められていくなかで,
突如石見銀山が考古学的価値から世界遺産として登録できるのではという話が持ち上がった.世
界遺産登録を巡っては住民から喜びの声だけでなく不安の声や慎重な声もあがったという.急激
に観光客が増えることで地域が荒らされてしまうことへ危機感を抱いたのである.そこで大田市
では銀山の遺跡保存と住民の暮らし,観光振興の三本柱の並立を目指し 2005 年に住民や各種団
体代表,行政職員から構成された「石見銀山協働会議」を発足し,
「石見銀山行動計画」と呼ば
れるアクションプランをまとめた.この行動計画では行政が主体となって実施する事業と民間が
主導する事業,官民共同で進める事業など主体別に分けた計画が盛り込まれている.このように
世界遺産を抱えることとなる地域の事前準備が行われた後,石見銀山の価値を伝える活動が実を
結び,2007 年に「石見銀山とその文化的景観」として世界遺産に登録されることが決定した.
世界遺産登録直後の 2008 年,石見銀山を訪れる観光客は 80 万人を超えた.世界遺産登録以前
の約 30 万人と比べると,観光客数が 2 倍以上増加したことがわかる.ピークを終えた現在の観
光客数は 50 万人ほどに落ち着いているものの,地域社会としても安定してきているといえるだ
ろう.また「石見銀山行動計画」をまとめた石見協働会議は 2010 年に NPO 法人となり,石見銀
山基金の運用を担い,銀山遺跡の保存や伝統文化の振興,情報発信などを支えている.加えて,
伝統的建造物群保存地区となっている温泉津の中心部に位置する龍御前神社では,定期的に伝統
芸能である石見神楽が上演されるなど新しい試みも始まっている.
大田市の石見銀山の世界遺産登録運動前後のまちづくりを振り返ると,長い月日をかけて地域
社会が文化財を自らのアイデンティティとして保護・活用してきた歴史がうかがえる.同時に住
民たちの主体的な活動は,大森町が大田市に合併されたことで生じたアイデンティティの危機感
や行政主導の町並み保存への不安感,史跡指定といった他者からの価値の承認など常に外部から
の刺激によって生じていることがわかる.世界遺産登録という話題もあくまで外部からの刺激の
ひとつであり,登録に向けた運動が始まってからも住民の主体的な行動が失われることはなく,
まちづくりの方向性が大きく変化していないことが指摘できるだろう.
3-2. 群馬県富岡市
では,石見銀山の事例を踏まえ,群馬県の富岡製糸場を中心とした動きを見ていきたい.2014
年 6 月「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産として登録されることが決定した.国内 18 番
目の登録となった「富岡製糸場と絹産業遺産群」は日本初の本格的製糸工場である富岡製糸場と
関連資産群からなり,世界の絹産業の発展に貢献した.
- 15 -
表3
群馬県富岡市の世界遺産登録までの取り組み
世界遺産登録までの歴史
2003
関連した民間の動き
富岡製糸場を世界遺産にする研究プロジェクト
開始を発表
2004 「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」
発足
2005
「旧富岡製糸場」国史跡に指定
2006
富岡製糸場の明治初期建造物等を国重要文化財
「赤岩重要伝統的建造物群保存活性化委
に指定
員会」設立(8 月)
赤岩養蚕農家群が重要伝統的建造物群保存地区
に指定(7 月)
富岡製糸場の公有地化完了
2007
世界遺産暫定リストに登載
地域ボランティア団体(6 団体)が「シ
「シルクカントリーin 赤岩」開催,以降群馬県
ルクカントリーぐんま連絡協議会」設立
各地でシルクカントリーを開催
2008
「世界遺産フォーラム」開催
2009
群馬県世界遺産学術委員会設置(2012 年 5 月ま
でに 15 回)
2010
シルクカントリー群馬 2010 国際シンポジウム
2011
世界遺産劇場・世界遺産大學等開催
2012
「シルクカントリーin 富岡製糸場」開催
ユネスコへ推薦書(暫定版)を提出
群馬県世界遺産関係市長会議を開催
2013
ユネスコへ推薦書(正式版)を提出
イコモスによる現地調査
2014
「シルクカントリーin ぐんま」,「産業遺産ユー
スプログラム」開催
イコモスが世界遺産への登録を勧告
ユネスコにおいて「富岡製糸場と絹産業遺産群」
の世界遺産登録が決定
群馬県企画部世界遺産課『群馬県の取り組み』を参考に作成
- 16 -
そもそも富岡市の登録運動は群馬県による富岡製糸場の世界遺産登録推進表明に端を発する.
富岡製糸場が国史跡や国重要文化財として指定され登録への準備が県主導で進められていくな
か,富岡製糸場世界遺産伝道師協会やシルクカントリーぐんま連絡協議会といったボランティア
団体が中心となって文化遺産の価値の普及や啓蒙活動が進められた.しかし,富岡製糸場世界遺
産伝道師協会会長の近藤巧氏は,活動をはじめた当初,富岡製糸場が世界遺産になるはずがない
といった否定的な意見が多かったと振り返る ii.これは世界遺産登録を目指す以前の富岡製糸場
が,地域の中では文化財として以上に民間企業
iii
が経営していた古い建物としての認識が上回
っていたからではと考えられる.新井(2006)によれば片倉工業株式会社が富岡製糸場を管理して
いた時期,同製糸場は知名度の高さにも関わらず観光資源としてほとんど活用されていなかった
という.さらに,文化遺産となるモノは珍しいモノそれ自体として認知され,他者の文化をその
まま受容,評価,研究するという欲望があって初めてモノは文化遺産になると萩野(2002)は述べ
ている.これらのことからも,世界遺産登録を目指すと表明した当初,地域住民にとって富岡製
糸場は特別なモノではなく日常生活の風景の一部として捉えられていた可能性が高いと指摘で
きるであろう.
また,新井(2006)は富岡市では世界遺産プロジェクトが持ち上がる前後で富岡製糸場周辺地域,
すなわち中心市街地が対象となった計画が大幅に変更された点に言及している.世界遺産登録に
向けた運動がはじまる以前,中心市街地では大規模な区画整理を伴う再開発が計画されていたの
である.しかし世界遺産登録を目指すうえでの緩衝地帯に含まれる中心市街地の再開発は困難で
あったため,周辺地域の住民たちのワークショップを経た 2005 年に改めて発表されたのが富岡
市まちづくり計画である.同計画には世界遺産登録を見据えた富岡市のまちづくりについて道路
整備や景観形成,市民・事業者・行政の協働による事業推進の実施等が含まれた.
では前項の石見銀山の事例と比較しながら富岡製糸場の事例を見ていきたい.実は大田市は
2001 年,富岡市は 2003 年と世界遺産登録を目指す運動が正式に始まった時期に大きな違いはな
い.しかし大田市大森地区ではまちづくりを巡る住民主体の活動が世界遺産登録運動よりも早い
時期から見られた上,登録前後でまちづくりの方向性が大きく変化していないことを踏まえるな
らば,富岡市における登録運動前後のまちづくりの大幅な路線変更や住民主体のまちづくりの期
間の短さには不安が残る.さらに登録運動において重要な働きをしたとされる民間のシルクカン
トリーぐんま連絡協議会の活動は見逃せないものであるが,同連絡協議会は文化財保護を目的と
した住民たちによる組織である.つまり,富岡市の世界遺産登録運動は文化財の価値の普及や啓
蒙活動が中心となって進められ,活動や観光客の増加に伴って観光対策を行ってきたものと考え
られる.2 章で述べた対立を生む 3 者に照らし合わせるとすれば,富岡市では「文化財保護」と
「観光事業」の充実が重視された登録運動が行われてきており,「地域住民」の視点に立った活
動が充実する前に世界遺産登録を果たしたといえるのである.しかしながら,前述した 3 者のバ
ランスの不均衡は地域にマイナスの影響を強く与えかねない.世界文化遺産リストに登録された
ii平成
26 年 7 月 6 日発行「ぐんま広報」p4『登録決定を受けて』
1987 年まで操業が行われていた.
iii富岡製糸場は片倉工業株式会社によって
- 17 -
ばかりの「富岡製糸場と絹産業遺産群」を抱える富岡市がブーム後も文化遺産を良好な状態で保
護し,かつ富岡のまちを育んでいくためには「地域住民」の登録によるマイナスをフォローする
ような仕組みが必要なのである.
4
世界遺産と共存するまちづくりを目指して
4-1. スマイルとみおか
ここまで,本稿では世界遺産を抱える地域では「地域住民」「文化財保護」「観光事業」の 3
つの要素がバランスよく成熟している必要があり,この均衡が保てない場合には利害対立によっ
て地域に悪影響が表れると述べてきた.世界遺産登録を宣言したことで歴史的なまちづくりへと
舵をきった富岡市では文化財保護や観光事業を意図した活動が積極的に進められたが,地域住民
が主体となった活動は大田市の事例と比較するとまだ発達途上にあるといえる.大田市の事例に
みられたように,外部による価値の認定やアイデンティティ喪失の危機感を受けての住民主体の
まちづくりが行われるまでには時差があり,また容易に進められるものではない.富岡市におけ
る住民主体の活動はまだ始まったばかりなのである.
そんななか,注目したい住民主体の動きが富岡市で見られる.それは「5 万人がつくる!笑顔
いきあうまち富岡」を目標に数々のプロジェクトを実現する「スマイルとみおか(以下,スマと
み)
」の活動だ.スマとみは平成 24 年 6 月 18 日に市民約 80 人が参加した「富岡まちづくり・人
づくりプロジェクト」から生まれた団体であり,住民が主役となった持続可能なまちづくりを考
える団体である
iv
.15 存在するプロジェクトには,古い建物を活用したカフェや裏路地で飲み
歩きを楽しんでもらうもの,絵手紙を活用したつながりの創出などがあり活動は多岐に渡る.な
により興味深いのは 15 のプロジェクトのうち,まちの中心にあり文化遺産でもある富岡製糸場
をメインとしたプロジェクトが存在しないことである.スマとみの運営をサポートしている
studio-L vは「来訪者が製糸場だけを見て終わるのではなく,富岡の街を好きになってもらい,
富岡で生活する人たちとの出会いによって,何度も訪れてもらえる関係づくり」を重視した長期
的な住民主体のまちづくりが必要と唱える vi.つまり,スマとみの活動は文化遺産にばかり依存
せずに富岡の魅力を住民の手で創造し伝えていこうとする取り組みなのである.堀川(2007)は
世界遺産を中心とした観光地ほど静かに息の長い成長が必要としたうえで,地域固有の新しい食
文化の創出や新しいテーマ性を持った観光スタイル(五感観光)の創出の必要性を指摘している.
スマとみの 15 のプロジェクトはまさしく新しい富岡の楽しみ方を提案するものであろう.ある
プロジェクトでは富岡の好きなモノやコトを書いたボードと一緒に写真をとり,富岡の笑顔を発
信するものがある.一部のまちづくりのキーマンだけが関わるような取り組みではなく,一般の
市民や観光客が自由に参加できるスタイルこそが「地域住民」全体の潜在的な意識を変えていく
ivスマイルとみおか公式ウェブサイトを参照.
v日本各地で多様なプロジェクトに携わり,コミュニティデザインに取り組む団体.
「富岡
まちづくり・ひとづくりプロジェクト」のコーディネーターとして富岡市に関わる.
viStudio-L
富岡市世界遺産まちづくりプロジェクトを参照.
- 18 -
のではないだろうか.
しかしその一方で studio-L 代表の山崎亮氏(『上毛新聞』2014.12.1 朝刊)は富岡市が世界遺
産登録に沸く反面,新規出店などでまちが急激に変わっていることを指摘している.登録による
観光事業の拡大は今後もブームの終焉まで続くだろうが,世界遺産登録による利害対立やブーム
終焉後の空洞化を生まないためにも地域で生活を営む住民たちの積極的なまちづくりへの関わ
りが求められる.
4-2. 地域を変える世界遺産
スマイルとみおかに限らず,富岡市をはじめ世界遺産を抱える地域の多くでは,住民が登録を
喜び祝賀イベントや観光客を意識した催しなどを行う事例が数えきれないほど存在する.しかし
2 章で述べた「地域住民」
「文化財保護」
「観光事業」の 3 者の利害対立関係を踏まえると,地域
住民は世界遺産登録におけるデメリットを最も受けやすい存在でのはずある.なぜなら文化財保
護や観光事業においては世界遺産登録を契機として制度改革や事業推進が着実に進められてい
くのに対し,地域住民自体に働きかけるような動きは自動的に進んでいくものではない.そこで
は直接経済的な利益に影響するか否かが多少なりとも関わっているだろうが,結果として必ずし
も地域住民に関する対応が行われるとは限らない現状がある.しかし,スマイルとみおかの永田
啓介氏は「製糸場が世界遺産にならなければ恐らくアイデンティティや誇りといった感覚はなか
ったのでは」と述べたうえで,製糸場があったからこそ外部の視点が富岡にもたらされ,月並み
ではないまちづくりの話題や活動が生じたと指摘している
vii
.つまり世界遺産によって身近な
地域に変化が訪れるという危機感が,住民が主体的にまちづくりを考えるきっかけとして機能し,
アイデンティティや誇り・愛着といった一見すると曖昧で不確定な要素が有効に生かされたので
ある.スマとみの活動は発展途上であるものの,今後の富岡市における「地域住民」の醸成にお
いて重要な地位を担うであろう.
したがって世界遺産を抱える地域にこそ,スマイルとみおかの事例のように地域住民側の視点
に立ち,住民主体となってまちづくりを行おうとする動きが必要である.世界遺産登録は地域資
源の価値と観光事業の増加による地域の危機とを強制的に示すことで,住民が自らの地域の在り
方について意識的に考える機会を与えている.それは言い換えれば世界遺産頼りのまちではない,
世界遺産と共存する地域として住民が主体となったまちづくりの模索である.そのためには「地
域住民」
「文化財保護」
「観光事業」の 3 者が相互に生かし合う良好な関係の構築が望ましい.世
界文化遺産への登録は歴史的なまちづくりのゴールではなく,住民にまちづくりへの気づきを与
えるスタートである.登録後はこれまで以上に市民が誇りを持ってまちづくりや観光客との人間
的な交流を楽しむ姿が必要なのであり,文化遺産の保全や価値の訴え,観光事業の充実に留まら
ない地域の姿を住民それぞれが描いていくことが求められるのである.
vii永田啓介氏はスマイルとみおかの運営に関わる.2014
聞き取りを行った.
- 19 -
年 12 月 16 日に電子メールにて
おわりに
本稿では世界遺産登録後のまちづくりに注目し,登録を機に生まれる利害対立の構造や実際に
登録を果たした自治体の事例から世界遺産を抱えるまちづくりについて考察した.世界遺産を抱
える地域が一時的なブームだけで終わらず,持続的に世界遺産と共存していくためには地域住民
が主体となったまちづくりが欠かせない.しかし世界遺産という文化財の価値の承認は.地域に
アイデンティティや愛着を与える一方で急激な変化という危機をもたらす.地域住民が主体とな
ることが望ましいのは,ともすれば住民にばかり重い負担がかかりかねないこの変化を.誇りや
愛着をもって好転的な変化へと変えることが可能な点にある.住民が地域で主体的に活動をする
ことで地域は観光地としての魅力を増し,登録に至った文化財保護への理解を深めることができ
る.つまり,現状対立している「地域住民」
「文化財保護」
「観光事業」の関係を協力関係にでき
る可能性がスマイルとみおかのような住民主体の動きにはあるのである.
世界遺産登録は地域に観光地としての成功を約束するものでない.しかし間違いなく地域を劇
的に変化させるだけの力が世界遺産にはある.世界遺産も含めて魅力ある地域に変化できるかど
うかは,実際に文化財を抱える地域に暮らす住民ひとりひとりに委ねられているのである.
文献
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「第 11 号 世界遺産というパワーゲーム
町の顔が大きく変わった 観
光客増加の中国・麗江旧市街」
,朝日グローブホームページ,
(2014 年 12 月 21 日取得,
http://globe.asahi.com/feature/090302/02_2.html)
.
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世界遺産プロジ
ェクトの展開と課題」
『地域政策研究』高崎経済大学地域政策学会,8(3): 201-218.
文化審議会・文化財分科会・世界文化遺産特別委員会,2007,
「世界文化遺産特別委員会におけ
る調査・審議の結果について 『グローバル・ストラテジー』について」,文化庁ホー
ムページ,
(2014 年 12 月 21 日取得,
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/sekaibunkaisan/singi_kekka/190124bette
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,外務省ホームページ,
(2014 年 12 月 21 日取得,
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/culture/kyoryoku/unesco/isan/world/)
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,富岡製糸場と絹産業遺産群公式ホームペ
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『文化遺産の社会学――ルーブル美術館から原爆ドームまで』新曜社.
堀川紀年,2007,
『日本を変える観光力――地域再生の道を探る』昭和堂
深見聡・井出明編,2010,
『観光とまちづくり――地域を活かす新しい視点』古今書院.
公益社団法人日本ユネスコ協会連盟,2014,
「世界遺産活動 世界遺産の登録基準――登録の基準」,
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http://www.unesco.or.jp/isan/decides/).
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毛利和雄,2008,
『世界遺産と地域再生――問われるまちづくり』新泉社.
奈良大学文学部世界遺産を考える会編著,2000,
『世界遺産学を学ぶ人のために』世界思想社.
島根県教育庁文化財課世界遺産室,2014,
「石見銀山の歴史略年表」
,石見銀山世界遺産センター
ホームページ,
(2014 年 12 月 21 日取得,
http://ginzan.city.ohda.lg.jp/wh/jp/history/index.html)
Studio-L,2014,
「プロジェクト紹介 富岡市世界遺産まちづくりプロジェクト」,studio-L 公式
ホームページ,
(2014 年 12 月 21 日取得,
http://www.studio-l.org/project/21_tomioka.html)
スマイルとみおか,2014,
「スマとみとは.」
,スマイルとみおか公式ウェブサイト,
(2014 年 12
月 21 日取得,http://smiletomioka.jimdo.com/)
- 21 -
再生可能コンテンツツーリズム
―大河ドラマの永続的観光資源化を目指して―
渡部 翔太
はじめに
近年,観光のあり方に変化が起きている.2005 年にある報告書がまとめられた.それは,国
土交通省・経済産業省・文化庁がまとめたもので,
『映像等コンテンツの制作・活用による地域
振興のあり方に関する報告書』というものである.この中で「コンテンツツーリズム」という語
が日本において初めて公的に使われたのだ.この「コンテンツツーリズム」は「地域にかかわる
コンテンツ(映画,テレビドラマ,小説,まんが,ゲームなど)を活用して,観光と関連産業の
振興を図ることを意図したツーリズム」(国土交通省・経済産業省・文化庁,2005,p.49)のこと
を指している.この観光形態は「地域に『コンテンツを通して醸成された地域固有の雰囲気・イ
メージ』としての『物語性』
『テーマ性』を付加し,その物語性を観光資源として活用すること」
(同報告書内 p.49)を指している.要するに,近年の観光として,ドラマやアニメといった映
像作品などが観光選択の一つの参考となっているのだ.また,テレビドラマ放映をきっかけにこ
れまで以上の観光客数を獲得する事例が増えている.
大河ドラマの放映に際しても同じような事例がある.大河ドラマといえば,日本の歴史をテー
マにし,人気の俳優やその他脇を固める俳優陣が豪華であるため,各種メディア媒体で毎年注目
されているドラマである.例えば,大河ドラマの作品のひとつに,
『八重の桜』という作品があ
る.この作品の舞台は福島県の会津若松市であった.この地域は,東日本大震災の影響から観光
客数が落ち込んでいた.しかし,大河ドラマの放映をきっかけに観光客数は回復し,これまで以
上の動員数を記録した.この事例のような大河ドラマによる観光誘致の成功例は他にもある.で
は,具体的に大河ドラマ放映に際して,観光の分野においてどのような効果が期待できるのであ
ろう.また,大河ドラマによる観光を成功させた地域ではどのような工夫がされていたのか.本
論文では大河ドラマと観光について,主として,観光動員数の確保について考察していきたい.
1
大河ドラマについての考察
1-1.大河ドラマとは
そもそも大河ドラマとはどういったドラマのことを指すのだろうか.大河ドラマとは,1963
年から日本放送協会(以降 NHK)で放送されている,特定の人物ないし時代に題材を採る歴史ド
ラマのことである.歴史テーマは毎年(放送当初は半年)変わり,1月から 12 月までの1年間
放送され,翌年は全く違った人物・時代をテーマに描かれる.昨年度は同志社大学の創設者であ
る新島襄の妻,新島(山本)八重を主人公とした物語であった.この大河ドラマは社会に大きく影
響を与えるものでもある.高い視聴率が取れないといわれている近年でも視聴率 20%前後の高
- 22 -
い視聴率を記録している.そのため,作中での番組名や台詞が流行語となることもある.放送の
2 年前から描かれる人物,時代,主演俳優,その他重要人物とキャスト,スタッフなどが各メデ
ィアから発表されるなど,世間の注目度や関心も非常に高い.この点からも社会の影響力も大き
いものであるといえる.
1-2.大河ドラマの特徴
大河ドラマの主人公やその他の登場人物,出来事は史実に基づいており,学校の教科書やその
他のドラマなど,様々な媒体ですでに認知されている.そのため,その人物像イメージが既に定
着されている場合が多い.また,同じ大河ドラマの枠内でも,根強い人気のある坂本龍馬や徳川
家康,大石内蔵助といった人物が主人公の作品は,これまでに 2 作品以上制作されている
i
.
また,前原(2008)は大河ドラマの特徴として以下の 5 つを挙げている.
①撮影地や舞台となる場所をドラマ本編内では直接 PR はしない
②しかしながら撮影地・舞台の歴史上の旧跡を各回の最後に 5 分程度のコーナーとして紹介し
ている
③NHKの他の番組
ii
で特集を組むことで,歴史的な背景,登場人物や舞台設定,制作模様を知
ることができる
④そのため,視聴者は,撮影地・舞台と大河ドラマの内容をリンクしやすい
⑤放映期間は 1 年間
iiiにわたり,再放送もあるので,視聴者は長期間にわたって登場する歴史
上の人物や撮影地・舞台への興味・関心をふくらませ,イメージを形成してゆくことができる.
以上で述べたことは他のドラマ作品にはない特徴がある.放映期間が本放送と再放送で 1 年間
あるため,視聴者が長期間に渡って作品を追うことができる.さらに,ドラマ自体ではなく,他
番組で登場する人物やその撮影地・舞台の紹介をすることで作品以外のことで興味関心を抱かせ
ることが可能である.また,学校教育の場などで認知できる事件や出来事が歴史の事実を物語の
中で扱うため,物語の時代背景や人物像などが既にイメージ付けされている.人気俳優を主人公
に起用するなど,特に若年層の新規の視聴者を獲得する工夫もなされている.以上のことにより,
他のドラマ作品に比べ,物語自体と舞台地のリンクが容易であり,定着もされやすいと考えられ
る.
1-3.大河ドラマと観光
ドラマ本編の終了後,5 分程度の時間で撮影地や舞台となった歴史上の旧跡を紹介するコーナー
が設けられていることを前節で紹介した.これは本編で触れた歴史的事件の起きた場所や人物に
縁のある場所をピックアップし紹介しているものである.この番組内のコーナーでは場所の紹介
やドラマ本編とどういった繋がりがあるのかを紹介している.そのため,場所の紹介にあたり,
NHK 大河ドラマのホームページ(http://www9.nhk.or.jp/taiga/catalog/)を参照.
『土曜スタジオパーク』という番組ではドラマに出演する俳優に関して,『歴史秘話ヒストリア』では,
登場人物や事件をドラマ本編とは別視点から紹介している.
iii近年の他のドラマは通常1クール,約3ヶ月間の放映が主流である.
i
ii
- 23 -
赴くためのアクセスの方法も紹介している.このように大河ドラマは,ドラマの本編が事実に基
づいていることに加え,放送後に簡単な舞台の紹介があることで,観光に繫がるものと考えられ
る.また,大河ドラマと観光をつなげるものとして,
「大河ドラマ館」というものが挙げられる.
この「大河ドラマ館」と呼ばれるものは,大河ドラマの主な舞台となった地域で開催される期間
限定のイベントである.このイベントでは撮影で実際に使われた衣装や小道具やドラマのセット
など展示がされている.実際に触れ,間近に見ることによって内容に入り込みやすくなるような
工夫がなされている.
2013 年に放映された「八重の桜」という作品の舞台となった福島県会津若松市も大河ドラマ
館の開館もあり,例年以上に観光客数を伸ばした.会津若松市の 2013 年の観光客の入り込み数
が,前年より 100 万人多い 395 万 9000 人に達し,過去最多となったというデータがある
iv
.
会津若松市は 2011 年の東日本大震災での福島第一原発事故による風評被害の影響を受け,観光
客の入り込みは低迷していた.しかし,大河ドラマの放映をきっかけに,観光客を誘致すること
で震災以前の観光客数を取り戻すと共に,これまでの最多の観光客数であった,大河ドラマ「独
眼竜政宗」放映時の 1987 年に記録した 387 万 5000 人を上回る結果となった.
この事例を踏まえると,大河ドラマが舞台となる地域はその放映年に観光に大きな影響を与え
るということが考えられる.本文では大河ドラマによる観光を「大河ドラマ観光」と呼ぶ.以下
からは具体的に大河ドラマ観光が舞台となる地域にどのようなことをもたらすのかを考察して
いきたい.なお,次章からは日本政策投資銀行北陸支店が記した『大河ドラマを活かした観光活
性化策~持続的な観光需要の創出に向けて~』(2000 年)を参考に,大河ドラマの舞台化によっ
て地域にもたらす影響を考察していきたい.
2
大河ドラマ観光がもたらすもの
2-1.プラスの効果
2-1-1.集客効果
前章で触れたが,大河ドラマの舞台となる地域では「大河ドラマ館」と呼ばれる施設が設立さ
れる.その他にも,舞台となる地域ではドラマ関連のオープンセットや博覧会などのイベントが
開催されるため,舞台になる以前よりも高い集客率を記録する.また,これまで行われてきた地
域の祭りなどのイベントに大河ドラマに関連する催し物が新たに設けられるなどの工夫もされ
るため,例年に比べ祭りへの参加者数が多くなる事例も挙げられる.これら事例のような大河ド
ラマによる地域イベントの盛り上げが寄与し,開催地の「ドラマ放映年」における観光客の入り
込みは前年に比べ増加している事例は多い.過去 10 年間の大河ドラマと舞台となった観光地の
観光動員数の数値を示した〈表1〉を見てみると,放映の影響を受け,多くの地域では観光客数
の増加が見られている.このデータからは近年の過去 10 年間の大河ドラマ観光による集客効果
ONLINE NEWS2014 年 3 月 27 日木曜日の記事,
(http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201403/20140327_62008.html)を参照.
iv河北新報
- 24 -
は大きなものであるといえる.そのため,各自治体などは大河ドラマ放映をきっかけとした高い
集客率に期待している.
〈表 1〉大河ドラマに伴う各地域の観光客動員変異数
02年
01年
大河ドラマ
北条時宗 利家とまつ
05年
04年
03年
武蔵
新選組!
(MUSASI)
義経
06年
07年
功名が辻 風林火山
08年
09年
10年
篤姫
天地人
龍馬伝
舞台の都道府県
神奈川県
石川県
山口県
京都府
山口県
高知県
長野県
鹿児島県
新潟県
高知県
観光客増加数(千人)
3,115
1,077
-13
1,621
570
150
3,170
2,396
4,096
1,203
観光客数伸び率(%)
2.2
5.0
▲ 0.1
2.4
2.5
4.9
3.6
4.8
5.8
38.1
日本銀行福島支店(2012:p.4)を参照
2-1-2.経済波及効果
観光客が増加し,その地域にこれまで以上の人が訪れるようになれば,経済効果も期待できる.
主に観光客が訪れると,観光施設の利用をはじめ,交通,宿泊,飲食,物産品の購入といった消
費がなされる.これらの消費は民間消費と呼ばれる.この民間消費のほかに,多くの観光者が期
待される場合,観光施設・道路の整備,道標・案内板の設置,博覧会場建設などの公共投資も盛
んになる.これまでに注目されていなかった地域では,多くの観光客を受け入れる体制を整える
必要性が生じる.大河ドラマ観光は前節で述べたようにこれまでの観光者を上回るきっかけとな
りえる.そうなれば,公共投資,民間消費が及ぼす生産誘発効果も多額になる.
〈表 2〉はある
大河ドラマ放映における舞台となった地域への経済波及効果をまとめたものである.この 2 つ
の事例は共通して,大河ドラマ放映後に,土産ものによる民間消費によるものに加え,道路整備
といった公共投資による経済波及効果により,各前回調査年の結果よりも経済波及効果額が増大
している.
大河ドラマ観光は多くの観光客を誘致するきっかけをつくり,それに伴う経済波及効果も大い
に期待できるものである.この大河ドラマ観光による観光客の誘致に成功すれば雇用の拡大や地
域外からの観光客の消費による地域経済の潤いに繫がる.
〈表 2〉大河ドラマによる経済波及効果の試算
ドラマ名
放映年
推計主体
対象地域
経済効果額
内訳
放映前後変化率
八重の桜
2012年
観光消費支出,及び「大河ドラマ館」建設に
日本銀行福島支店 福島県会津若松市 214億80百万
2.54%(2010年比)
おける生産誘発額
龍馬伝
2010年
日本銀行高知支店
高知県全域
535億
土産、交通などの直接効果及びそれに追随
2.4%(2008年比)
した間接効果による増加額
各推計主のデータを基に筆者作成
- 25 -
2-2.マイナスの効果
2-2-1.大河ドラマ効果の一過性
大河ドラマの放映に伴いかかる集客効果・経済波及効果は大河ドラマ効果とも称される.しか
し,その効果はドラマ放映当年のみの一過性のものであるといわれている.そのため放映年以降
の需要の反動減が見られる.その原因として,ドラマ放映時の単一かつ大量の情報発信と放映終
了後の急激な情報不足が起こる点と,ドラマ放映時の観光客の受け入れ態勢が不備の場合に大量
のマイナスイメージが流布する点が挙げられる.また,ドラマ放映時には,大河ドラマの登場人
物をテーマに,自治体や観光促進組織においてキャンペーンや大河ドラマのロケセットの公開な
どのイベントを実施するほか,旅行会社のキャンペーン,マスコミの特集記事など,民間事業者
の情報発信が活発化し,集客に大いに貢献する.しかし,ドラマの放映が終了すると,ほどなく
地域のドラマ関連の観光推進主体が解散して域内からの情報発信活動が低下し,マスコミや民間
事業者の関心も次の大河ドラマ関連の観光地に移り,域外からの情報発信量も著しく減少する.
その結果,急速に人々の記憶から当該地域の印象が薄れ,観光需要の低下をもたらすことにな
る v.また,溝尾(1994)は,大河ドラマの放映中は,あらすじが旅行者(観光者)の中に記憶され
ているため,何の変哲もない観光資源に価値が付加される.しかし,放映後は視聴者の興味・関
心が薄れ,同時に他の作品へ関心が移る.これは,前に述べた大河ドラマの特徴として挙げたこ
との裏返しになりえるということが言える.
大河ドラマ観光はドラマを視聴したことで観光をする観光客を誘致することができる.また,
舞台化された地域は全国区に放送されるテレビ番組である大河ドラマを通して全国区に知られ
るようになる.そのことに加え,マスメディアとしての大河ドラマという一面から,その影響力
が絶大であるため,爆発的な観光客数の増加が期待できる.しかし,その反動は大きく,前節で
のマイナス面から,爆発的増加をした観光客数の維持は困難であると考えられる.大河ドラマと
いうコンテンツはメディアの影響力の大きさ故の起爆剤的な観光誘致である一方で,コンテンツ
の一過性の面を持つ.そのため,大河ドラマ観光によって注目された観光資源は,ドラマ放映時
の一時的なものに過ぎないものと考えられる.
では,大河ドラマの舞台となったいずれの地域でも,この大河ドラマ観光による一過性の事例
が当てはまるのだろうか.次章からは過去 10 年間の大河ドラマの舞台となった地域の観光動員
数に注目し,大河ドラマ観光は一過性であるという仮定に例外は無いか考察していく.
3
大河ドラマ観光におけるケーススタディ
3-1.データから見るケーススタディ
では,具体的なデータから大河ドラマ観光における観光客数の変動を見ていきたい.以下のグ
ラフは 1987 年から 1997 年の間に放映された各作品の舞台となった地域への訪問者数を元に表
v日本政策投資銀行北陸支店(2000)は,
「大河ドラマを活かした観光活性化策~持続的な観光需要の創出に
向けて~」においてこのことを「大河ブームの終焉」と表現している.
- 26 -
図化したものである.放映年前年の訪問者数を 100.0 とした指数にすることで,放映 3 年前か
ら 3 年後の訪問者数の推移を表したものである.(中村(2003))
〈表 3〉過去 10 年間の大河ドラマの放映に伴う観光者数の指数の変化
ドラマの名称
独眼流政宗
撮影地・主たる舞台 放映年 3年前
仙台市
1987 89.4
八ヶ岳とその周辺地域
91.8
武田信玄
甲府昇仙峡地域
1988 98.3
峡東果実温泉郷
96.9
春日局
埼玉県川越市
1989 99.5
飛ぶが如く
鹿児島市
1990 97.4
太平記
栃木県足利市
1991
信長
岐阜県
1992 94.1
名古屋市
167.1
琉球の嵐
沖縄県
1993 93.9
岩手県江刺市(当時)
102.9
炎立つ
岩手県平泉町
1993 100.5
盛岡市
97.9
八代将軍吉宗
和歌山市
1995 68.2
名古屋市
111.4
秀吉
兵庫県姫路市
1996 116.0
滋賀県長浜市
85.5
山口県防府市
95.1
毛利元就
広島県吉田町
1997 44.9
広島市
98.3
2年前
97.0
96.5
97.7
98.7
103.6
98.6
102.8
95.1
96.1
95.6
108.4
102.8
103.2
67.6
107.2
117.5
98.1
97.8
44.5
95.2
1年前
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
放映年 1年後
141.6 101.5
138.5 105.0
128.8 103.0
115.7 101.0
133.9 137.7
123.0 118.7
204.1 118.0
120.1 112.4
103.2 113.6
101.1 100.9
324.6 243.0
108.5 104.1
99.3
98.7
103.0
94.0
102.2
91.3
114.7 106.7
182.5 123.9
148.8 115.7
288.5
45.8
107.8
97.5
2年後
113.4
107.3
104.3
103.0
135.3
114.5
108.1
113.4
109.3
104.0
214.5
87.1
98.7
86.0
99.4
112.7
125.4
110.0
30.4
100.9
3年後
119.9
107.4
102.6
104.0
137.6
98.8
108.8
112.7
102.0
110.0
254.9
82.4
101.7
79.5
104.3
122.5
136.5
104.6
21.1
97.5
中村(2003:p.95)より抜粋
以上の表からは,どの地域においても放映年の観光客数は上昇している.しかし,放映後の観
光客数の変動はいずれも下がってはいない.これらの変動のパターンを中村は「一過型」
,
「無関
係型」,
「ベースアップ型」と呼称した.ではここからはそれぞれのケースについて,中村の論を
基に考察していく.
3-1-1.類型1「一過型」
このタイプについては『毛利元就』の舞台となった広島県吉田町の観光客推移を例として説明
していきたい.このグラフの特徴として,放映時の観光客数の増加が著しいということである.
これは,放映前年ごろから来訪者が増加し始め,放映年をピークに徐々に減少してゆき,最終的
には放映年以前にその水準を戻すというタイプである.つまりはブームが一時的であり,一過性
であるということである.その原因として,世間が次の作品に注目が移ってしまい,その観光地
の興味・関心が薄れてしまうことが考えられる.撮影地・舞台となった場所自体の魅力や市場か
らのアクセスの悪さもその要因として挙げられる.いずれにせよ,このグラフから見えてくるの
は,前章で述べた「大河ドラマ観光は一過性である」という大河ドラマ観光のマイナス面に一致
する.
- 27 -
〈図表 1〉「一過型」のケース
広島県吉田町の例
〈表 3〉を基に筆者が図表化
3-1-2.類型2「無関係型」
このタイプについては『琉球の嵐』の舞台となった沖縄県のケースを用いて説明する.このケ
ースは観光客数に大きな変動がないというものである.これはドラマ放映が舞台となった場所へ
の来訪者数に大きな影響を与えたとは考えられないというタイプである.沖縄県は観光地として
のイメージが既に強く,修学旅行者なども多い.日本国内の旅行の定番といわれるような観光地
である.つまり,大河ドラマの舞台となる前から知名度も高くすでにある程度の来訪者を維持し
ていたため,大河ドラマ観光といったブームが訪れないというケースである(このケースには他
の理由も存在する.理由として,①土地の近辺に大きな旅行市場がない,②直接の舞台となった
ところへのアクセスが良くない③番組そのものがあまり注目を集めず,大きなインパクトを与え
なかった,といったことが挙げられる).
〈図表 2〉「無関係型」のケース
沖縄県の例
〈表 3〉を基に筆者が図表化
- 28 -
3-1-3.類型3「ベースアップ型」
このケースについては『炎立つ』の舞台となった岩手県江刺市(現 奥州市江刺区)を例として
挙げる.このケースは放映を機に観光客数を伸ばし,放映以降もその数を維持,または伸ばして
いるということである.これは,放映前年ごろから来訪者が増加,放映年にピーク,それ以降も
減少するものの放映前よりも高い水準に収束するタイプである.1987 年放映の『独眼流政宗』
以来,大河観光が注目されるようになったが,この作品の舞台となった宮城県仙台市が,ドラマ
放映以後,観光客が永続的に訪れる観光地として確立されたのもこのケースに該当する.このよ
うに,大河ドラマ観光は一過性であるという仮定とは異なるケースが存在していることが確認で
きた.
〈図表 3〉「ベースアップ型」のケース
岩手県江刺市(当時)の例
〈表 3〉を基に筆者が図表化
3-2.ケーススタディを受けての考察
以上のことから,次のことがいえる.1 つは知名度の低かった地域はドラマの放映をきっかけ
にその知名度を上げ,観光客の増加に繫がるということである.しかし,その多くの場合は,放
映翌年には放映時の観光客数を維持できず,前年の水準に戻ってしまうことが問題として挙げら
れる.一方で,既に観光地としてのイメージを確立している地域では,大河ドラマ放映時も観光
客数が例年通りであるというケースも存在する.
それらのケースの中で大河ドラマ放映をきっかけにその知名度を一気に上げそれをきっかけ
に放映終了後も放映以前よりも高い観光客数の水準を確立することのできる「ベースアップ型」
と呼ばれるケースも存在する.これは「大河ドラマ観光は一過性である」という仮定を覆すもの
であり,大河ドラマ観光を永続的にする理想的なケースと考えた.この「ベースアップ型」のモ
デルを体現した地域は具体的にどのような工夫をしていったのだろうか.次節では,実際に「ベ
ースアップ型」のケースを実現させた地域の取り組みを紹介しつつ,どういった工夫が必要であ
るか,考察していきたい.
- 29 -
3-3.持続的観光を実現した実例
3-3-1.岩手県奥州市江刺区 「炎立つ」の舞台
ここからは,前章において理想的な来訪者数の推移の形であった「ベースアップ型」の例とし
て挙げた岩手県奥州市江刺区 の取り組みについて紹介していく.この地域の取り組みの中で代
表的である「えさし藤原の郷」という施設の取り組みを中心に説明する.
「えさし藤原の郷」は,
大河ドラマ『炎立つ』の放映をきっかけに,ドラマ本編の時代を主題としたテーマパークである.
世界文化遺産平泉からほど近い場所にあり,奥州藤原氏の偉業を顕彰しながら,古代から中世に
かけての東北の歴史文化を体感できるテーマパークである.約 20 ヘクタールという日本初の壮
大なスケールで現代によみがえった園内には,厳密な時代考証に基づいた 120 棟余りの歴史的
建造物を再現している vi.多くの大河ドラマや映画などのロケ地としても活用されてきた.また,
隣接する「えさし郷土文化館」と併せ見学することで世界文化遺産「平泉」の歴史的価値をさら
に深めることができる .
『炎立つ』の撮影の際に建造されたオープンセットが「えさし藤原の郷」
に維持される.園内はドラマの時代であった平安をイメージされて設備されている.その建物の
再現度もあり,その後も大河ドラマやテレビコマーシャル,楽曲のプロモーションビデオやその
他のロケーションに利用されている.施設のホームページにはこれまで行われたロケーションの
情報を取得することができる.これらのように映像作品の撮影の場の提供を「えさし藤原の郷」
では行っている.江刺区は,大河ドラマ放映後も他の映像作品の舞台となることで,新たな観光
客,消費者を獲得することができる.
この考え方は「地域に関わるコンテンツ(映画,テレビドラマ,小説,マンガ,ゲームなど)
を活用して,観光と関連産業の振興を図ることを意図したツーリズム」である「コンテンツツー
リズム」という観光形態を利用した観光誘致であると考えられる.この「えさし藤原の郷」の事
例は,一度使用された大河ドラマのロケ地を利用し,教育施設のようなものを設備することに加
え,実際に使われたオープンセットをそのまま再利用し,新たな映像作品にその場を提供してい
る.この一連の流れにより,映像作品を観てロケ地を訪れる「聖地巡礼」を目的とした新規の観
光者を獲得できる.継続的に映像作品の撮影を誘致しているため,新規の観光者はこれからも継
続的に増えていく.結果として持続することのできる観光形態をとることが可能になるといえる.
3-3-2.『秀吉』の舞台 滋賀県長浜市の場合
長浜市も「ベースアップ型」の観光客動員を記録した自治体である.この自治体は大河ドラマ
による観光のデメリットを克服した実例として紹介する.
『秀吉』放映以前長浜市の動きとして
は,1983 年に歴史博物館として長浜城を市民の寄付により復元され,まちおこしを行い始めた.
1988 年以降は第 3 セクターの「黒壁」が文化性と地域性を活かし昔風の建物と門前町商店街の
vi
えさし藤原の郷ホームページ(http://www.fujiwaranosato.com/)を参照.
- 30 -
まちづくりを進めていた.1996 年に大河ドラマ『秀吉』が放映された.長浜市では放映を記念
し,豊臣秀吉や他の登場人物をテーマに長浜市内 3 会場を中心に「北近江秀吉博覧会」という
イベントが開催された.
このイベントは,秀吉がはじめて一国一城の主となった出世の地である長浜の街の 3 カ所を
会場とし,NHKとタイアップして開いたあやかり博である.会場は,長浜市街地の中心に位置
し,旧映画館と商家の建物を利用した珍しいパビリオンで,ここに大型スクリーンとともに,音
と光のページェントを繰り広げた.
『秀吉』のロケ風景などを紹介した大河ドラマ体験ヤードの
ほか,湖北・長浜の特産品やオリジナルグッズなども販売された.豊臣秀吉が建てた伏見桃山城
を移築した寺である大通寺の会場では,国の重要文化財である本堂や大広間,円山応挙や狩野派
の襖絵,屏風が随所で展示され,秀吉と蓮如を中心に,湖北で青春を生き天下を夢見た人たちが
紹介された.3 つ目の会場である長浜城歴史博物館は,豊臣秀吉に縁のある合戦屏風や肖像画な
ど,北近江秀吉博にちなんだ企画展を開いた.そのほかにも,北近江に点在する豊臣秀吉に縁の
ある史蹟やみどころ,イベント,地元開催の祭りなどをネットワークして,博覧会を盛り上げ
た
vii
.
この博覧会の特殊性は,すべて民間人のボランティアによって運営されたことである.会場内
の説明や交通整理などは平均 62 歳のシルバースタッフ 120 名に委ねられるなど,合計 1000 名
の地元住民のボランティアが動員された.また,この長浜市の事例で特徴的なのは,早期の段階
で,大河ドラマに寄与するイベントなどが一過性のものであると判断し,人的ネットワークをま
ちづくりに回すようになったことである.そのため,展覧会以後,
「一過性のイベントで終わら
せず,まちづくりに繋げる」という意識が強く,博覧会の収益を基金として更なるまちづくりを
進めていった.その試みの 1 つとして「まちづくり役場」を挙げる.この団体は,博覧会の事
務局を元に,「黒壁」のまちづくりのノウハウを活かした「まちづくり役場」という NPO 団体
を創設,地元開催のフリーマーケットの運営や地域に根差したテレビ・ラジオ番組の制作など,
11 の事業を行い,まちづくりの中枢を担うものとなっている.それらの取り組みもあり,放送
終了後も安定した観光客を動員することができ,観光客数の「ベースアップ」に繫がっていった.
長浜市は,大河ドラマ観光のデメリットである観光需要の喚起が一過性であることを早期の段
階で判断していた.そのため,地域住民主体の博覧会の開催をきっかけとして,放映終了後を前
に観光誘致からまちづくりにシフトチェンジしたのである.長浜市は放映以前から昔の建造物を
利用した趣ある景観によるまちづくりを行っていたため,
「黒壁の街」として大河ドラマの放映
以前から全国的に有名であった.そこに大河ドラマの舞台化ということで,従来から住民主体の
まちづくりの気運がより一層高まり,住民の手によるまちの活性化がなされっていったのである.
この事例では,長浜市及びその住民が大河ドラマはあくまで観光誘致の起爆剤として位置づけ
たことが成功に繫がったといえる.つまり,大河ドラマというコンテンツに完全に頼るのでなく,
従来からある「黒壁の街」という住民主体の観光資源を活かし,そこに大河ドラマの舞台という
vii株式会社乃村工藝社
ホームページ
博覧会資料 COLLECTION
(http://www.nomurakougei.co.jp/expo/exposition/detail?e_code=369) より抜粋.
- 31 -
新たな価値を加えていったのである.大河ドラマの放映後に住民が主体となってまちづくりを更
に進め,それが新たな観光者の誘致に成功した事例であるといえる.
以上で述べてきた事例はもともとの観光資源も整っており,その地域が何に長けているのかを
自らが知ることによって地域の長所をより引き出しているものである.しかし,これらの事例は
その地域の「場所」や「人」を利用したものであり,大河ドラマというコンテンツそのものにあ
まり頼るものではないと考えられる.では,大河ドラマというコンテンツを新たなコンテンツと
して,地域がリブートすることが可能であるのだろうか.次章からは大河ドラマという作品自体
を利用した事例を挙げると共に,このことが大河ドラマを持続的観光につなげられるか考察して
いく.
4
これからの大河ドラマ観光
4-1.大河ドラマ主人公のキャラクター化
昨今,地域振興の一環として「ゆるキャラ」の存在は大きいものであるといえる.大河ドラマ
の場合でもこの件は該当する.第1章で挙げた特徴の1つとして,放映をきっかけに新たな人物
像が付加されると触れたが,放映をきっかけに主人公に縁のある地域の自治体は歴史上の人物を
新たにゆるキャラとして誕生させる事例が近年増加している.例えば,2014 年放映の『軍師官
兵衛』の制作・放映に際して,黒田官兵衛をモチーフにした「ゆるキャラ」は,複数の地域・団
体によって生み出されている.もともと全国的に有名であった人物のゆるキャラ化がなされる一
方で,大河ドラマ放映前をきっかけに,あまり注目されなかった人物のキャラクター化を行う自
治体・法人が増えている.
山村(2013)は「ご当地キャラクター」,いわゆるゆるキャラを地域(多くは自治体)が製作し発
信する,地域既存のコンテンツを分かりやすく対外的に伝えるメディアの役割を担うと言及して
いる.この大河ドラマとゆるキャラ化はこれまでの観光・地域振興とは新たな方向性を打ち出し
ていると考えられる.メディアは一過性のものであり,この悪い特性は大河ドラマというコンテ
ンツにも該当すると前章までに述べてきた.ゆるキャラ化は,この特性を克服できるものである
と期待する.大河ドラマをきっかけにこれまでも注目されていた人物や新たに発掘される人物を
改めて認識することが可能となる.その上で,対外的に分かりやすいよう作られたゆるキャラを
生み出すことにより,新たな観光資源として定着し,ブランド化されていく.ドラマそのものは
製作・放映会社の著作物であるが,自治体が制作したキャラクターは地域のコンテンツであるた
め,自治体が永続的にそのキャラクターを利用していくことも可能である.従来からある歴史に
ゆるキャラの要素を加えることで新たな消費者を呼び込むことが可能になると考えられる.
4-2.キャラクター化による観光資源に対する問題点
前節で挙げたとおり,ゆるキャラの持つコンテンツとしての利便性は高い.そのため,各自治
体は地域の全国のアピールを目的に様々なゆるキャラをつくり出している.大河ドラマの放映に
- 32 -
便乗して縁のある人物のゆるキャラ化も盛んである.地域におけるこれらの目的は「地域活性化」
であると考えられる.しかし,ゆるキャラによる地域活性化・地方創生にはいくつかの問題点が
存在している.一つ目の問題点として,ゆるキャラ自体の一般化による地域そのものが認知され
なくなる点である.ゆるキャラはその分かりやすさと使い勝手の良さから様々な商品のパッケー
ジ化や「ゆるキャラグランプリ」といったイベントに際してメディア露出が多くなる.すべての
事象に当てはまることは無いが,地域をアピールするためのコンテンツが地域そのものよりもそ
の知名度を上げてしまう事例も存在する.二つ目の問題として,複数のキャラクターが同じよう
なモデル・コンセプトでキャラクターを作るため,類似したキャラクターが存在しうるというこ
とだ.これは地域を宣伝するために作られたキャラクターの容姿が似てしまうことで,差別化が
図られず,結果として,その地域のアイデンティティを伝えることができなくなってしまう.三
つ目の問題は,作られたキャラクターが一過性のものになってしまう可能性があるということで
ある.ゆるキャラはテレビなどのメディアに取り上げられることでその知名度を上げる.そのた
め,ブームが起こるとその人気も爆発的に上昇する.しかし,メディアなどの特集が組まれなく
なると,情報を取得する機会は減り,結果として情報の受け手の関心は薄くなってしまう.結果
として,キャラクター自体のブームの一過性が起こりうる.
「ゆるキャラ」による観光は新しいあり方であると考える.大河ドラマの登場人物や作品その
もののリブートとして新たなキャラクターを作ることは大河ドラマ観光の一環としても有用で
あると考える.ゆるキャラは分かりやすく,他の地域にアピールしやすいコンテンツである一方,
他の地域と差別化を図り,尚且つ地域自体の宣伝にならならなければ,その地域の観光には繫が
らない.また,大河ドラマ観光の弱みである一過性という課題を克服するために行うキャラクタ
ー化であるが,完成したキャラクターも一過性のコンテンツになってしまうという課題がある.
これら問題を受け,大河ドラマ観光を持続的な観光にするため,キャラクター化を図るという手
法は慎重に行わなければならないと考えられる.
おわりに
ここまで,大河ドラマ観光について論じてきた.この大河ドラマ観光では,大河ドラマという
コンテンツを利用することによって爆発的観光誘致が可能になる.その恩恵は単なる観光客数に
繫がるだけでなく,その地域の経済を潤す効果や,震災の復興の足掛かりにもなりえる.しかし,
ドラマというメディアの一面もあるため,視聴者の関心が薄れてしまうと舞台となった地域への
客足が一気に遠退いてしまう.この大河ドラマ観光の一過性はこのテーマの大きな問題として提
示した.その中で,この問題に対処するため,様々な取り組みを行う地域があった.それぞれの
地域は元からの特色に大河ドラマという新たな価値を付加させることで,大河ドラマブームに完
全に頼るのではなく,上手に利用した結果,放映以後も継続して観光客を誘致できると考えられ
る.また,この大河ドラマ観光は地域住民の理解が得られやすいものであるとも考えられる.大
河ドラマは歴史をテーマにしているため,放映をきっかけに舞台となった地域の住民が改めて自
らの住む土地の歴史について知るきっかけとなる.自分の住む地域の認識により,誇りに思うこ
- 33 -
と,いわゆるシビックプライドという考え方に繫がるのではないかと考えられる.このことから
大河ドラマにより住民が地域への愛着を持つことで,地域への参画も積極的になり,住民の手に
よるまちづくりに繫がっていくとも考えられる.
大河ドラマはドラマという一つのコンテンツに属するものである.近年は大河ドラマによって
再発掘された人物や風土を「ゆるキャラ」を利用するなどの新たにリブートさせる動きも盛んで
ある.山村はコンテンツツーリズムについて「未来の文化遺産を育てる取組である」と論じてい
る.過去を描くドラマによって新たな地域のブランドを生み出していくと考えると,大河ドラマ
は舞台となった地域の過去と未来をつなぐコンテンツになるといえるのではないだろうか.
大河ドラマは一つのテーマを一年という長くも短い期間に放映されるものであり,舞台となっ
た地域はその大河ドラマ効果に肖りたいと考える.しかし,大河ドラマは観光を盛り上げる以上
に住民に自らが住む地域の魅力を再確認することができるきっかけなのではないだろうか.魅力
に気付いて初めて全国にアピールする観光資源を発掘できるものと考えられる.つまり,
「大河
ドラマと観光」は,
「住民が地域の魅力を再認識」することが可能であると考える.このことか
ら,大河ドラマというコンテンツを再生利用することで永続的な観光資源にすること,つまりは
「再生可能コンテンツツーリズム」につなげていくことが可能なのではないだろうか.
文献
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は 535 億円~』
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『NHK 大河ドラマ「八重の桜」の放映に伴う県内経済への波及効果~
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山村高淑,2013,「コンテンツ・ツーリズムの可能性と課題:キャラクターやストーリーを地域
で活用する際の重要な論点」『都道府県展望』654:7-12.
- 35 -
すれ違う農村と都市住民
―長野県姨捨地区の棚田から―
栁澤 祐也
はじめに
棚田は元来の米生産農地としての価値があるとともに,農業景観としても高い価値があるが,
近年における農村の衰退とともに耕作放棄された棚田が増加し,その景観が損なわれている.こ
れは棚田と言う土地利用上,米生産の合理化が難しいことに由来している.農業保護と景観保全
の間にはギャップが存在し,単純な価格政策や技術革新では景観保全へとつながらないことが大
きな課題となっていた.
ここで現在日本各地に制定されている棚田オーナー制度に着目すると,オーナーとなる非農家
が棚田に参入することは,景観保全に重要な効果がある.すなわち,棚田オーナー制度が景観保
全の主体として存在しているのである.
だが,参加する都市住民は,果たして真に景観保全を行うがために参加をしているのだろうか.
彼らは単に農業機会の享受やグリーンツーリズムの一環として棚田オーナー制度を利用してい
るのに過ぎないのではないだろうか.
長野県千曲市姨捨地区の棚田をモデルに棚田オーナー制度を取り上げ,制度が棚田にどのよう
な機能をしているか明らかにするとともに,社会学をベースに棚田オーナー制度およびオーナー
となる都市住民を細分化し,その機能を明確にする.そして,棚田オーナー制度の真の機能と制
度を含む今後の農村政策の価値を考察する.
1
棚田の多面的価値
1-1. 文化的景観と農業文化
“農山漁村地域の自然,歴史,文化を背景として,伝統的産業及び生活と密接にかかわり,そ
の地域を代表する独特の土地利用の形態又は固有の風土を表す景観で価値が高いもの”は「文化
的景観」と称されており,古くは大都市とその周辺における田園風景の領域において大戦以前よ
り存在していた概念である.戦後は農業土木学,歴史学,地理学などの様々な分野で発展,地理
学において農林漁村を含む「文化的景観」の地域が対象になり,また自然科学分野では農林水産
業と生物多様性の関連などへの応用など多様化してきた.最近では都市および農村計画学の視点
から,農林漁村地域を含む「文化的景観」の地域について望ましい将来像の提案を目的とした調
査が実施されている.昨今の日本国内での棚田・里山の保全を目指す市民活動の高まりにより,
この「文化的景観」はより注目されるようになった.特に中山間地域において耕作放棄地が増加
するのに伴い,耕作放棄の発生を防止し健全な農地および国土を将来的に維持,発展させていく
- 36 -
ためには,棚田をはじめとする「文化的景観」の地域が国土の保全,水源の涵養,自然環境の保
全,良好な景観形成などの多面的な機能に十分注目すべきことが指摘されている.
棚田はこの「文化的景観」の領域内でも非常に価値のある景観とされ,文化の継承,文化財お
よび文化遺産の保存・活用の観点から「文化的景観」の保存などの地域政策が行われることも見
られる.
世界遺産条約の自然遺産において,
「有機的に進化する景観」の領域(すなわち「文化的景観」
)
で初の登録となったのが「フィリピン・コルディレラの棚田」
(フィリピン・平成 7 年登録)で
あった i.その際に棚田における労働力の著しい不足や現代的な材料および工法の導入による棚
田の体系および景観の懸念,農家の所得増加に伴う文化的景観への影響(茅葺屋根がトタン屋根
へ)などの問題が浮き彫りとなった.平成 13 年に同棚田は「危機にさらされている世界遺産の
一覧表」に登録,ユネスコの支援のもとフィリピン政府の管理計画策定を行い,地域共同体へ支
援を開始した.これによって地域社会が伝統的な農林漁法のもとに「文化的景観」を維持し,将
来にわたって確実に管理していくことに大きな困難を伴っており,この点においていずれの遺産
地域も共通する大きな課題を持っていることが明らかとなった.
また,同じく日本でも国内的,交際的情勢を受け,
「文化的景観」の中でも特に千枚田と呼ば
れ,芸術上または観賞上の高い価値を有する姨捨の棚田(田毎の月)(長野県千曲市,平成 11
年 5 月 10 日),白米の千枚田(石川県輪島市,平成 13 年 1 月 29 日)がそれぞれ名勝に指定さ
れ,棚田は単に米を生産する価値だけでなく,その風景の美しさや棚田を含む地域文化としての
価値が元来より高く評価されてきたのだ.そして,棚田を始めとする「文化的景観」の保護に対
する要望は,国内外問わずかつてないほどの高まりを見せ,これに適切に応えることが行政上の
重要な課題とされてきている.
1-2. 長野県千曲市姨捨地区の棚田
長野県千曲市姨捨地区とは,長野県北信地域の南東部に位置する長野県千曲市大字八幡の一部
の別称である.姨捨の千枚田は,冠着山や三峰山などを中心とする聖山高原が善光寺平に臨む北
東面の傾斜地のうち,
標高約 460m から約 560m の範囲に展開する約 30ha の棚田のことである.
姨捨山はこれらの地域全体の総称で,古く『古今和歌集』や『枕草子』にも登場する月の名所で
あり,明応 7 年(1498)には,宗祇が連歌の会を開いたことでも知られている.姨捨の棚田は
元禄 10 年(1697)に上流の大池から水を導くために用水堰を建設したのに伴って開発され,そ
の後,明治時代にかけて現在見る千枚田へと発展したとされている.それ以来,姨捨山から千枚
田に至る区域が観月の名所となり,
『信濃更科田毎月鏡台山』
(広重『六十余州名所図会』所収)
などに描かれ,1枚1枚の水田に移る月影が「田毎の月」として喧伝されるようになった(文化
庁文化財部記念物課 2005).
i
アジアの稲作文化が中国大陸からフィリピン・ルソン島北部のコルディレラ地方山岳地帯の高
地に伝播したことを示す重要な物証であるとともに,一説には 2,000 年という長年月にわたり山
岳の厳しい自然に抗して人間が築き上げてきた壮大な文化的景観である.
- 37 -
昭和 50 年(1975)には部分的圃場整備が行われたものの,棚田全他の景観は良好に維持され
ている.平成 11 年(1999)に「姪石」「四十八枚田」
「長楽寺」の3地区,約 68,000 ㎡の区域
が「姨捨(田毎の月)」として名勝に指定されたほか,農林水産省の「日本の棚田百選」にも選
定されている.その後平成 22 年 2 月に国の重要文化的景観に選定された.
1-3. 棚田オーナー制度
千曲市では市の政策として,棚田貸します制度(オーナー制度)を設けている.県営ふるさと
水と土保全モデル事業により,平成 7 年度(1995)に荒廃した姫石地区を復田整備し,約 2.6ha,
149 枚の棚田を対象にして,平成 8 年から棚田貸します制度を実施した.復興にあたっては,こ
れまで区画形状を基本としてオーナー制度で工作の継続を図るために,畔の幅を広く歩きやすく
し,毎日の水管理を容易にするために用水路をパイプライン化した自動の用水装置を設置するな
どの工夫が施されている.
棚田オーナー制度では,毎年千曲市農林課で二つのコースを募集している.体験コースは年会
費 3-4 万,田植え・草刈り・稲刈り・脱穀を体験し,収穫したお米をすべて持ち帰ることが可能
である.保全コースは年会費一律 3 万円,棚田保全を支援するもので,米 20kg を受け取ること
ができる.
オーナーの支援組織として,地元農家の「名月会」 iiが農作業のやり方を指導するとともに,
日常の棚田の管理を行っている.
2
農業保護と景観保全
2-1.合理化を必要としない農業
棚田を支援する方法として,文化的景観の観点から棚田そのものを保護していく景観保全と,
棚田の保有者でありかつ生産者である農家を保護する農業保護が挙げられるが,これら二つには
大きな差が生じている.
農業保護は農業経営の基盤強化,認定農業者制度の導入,農業の機械化,技術革新などが中心
であり,市町村の政策としては資金運用および交付金などで農業経営者を支援することが可能と
なる.一方,景観保全は耕作放棄地の減少や伝統的農法の保護などが考えられるが,これには伝
統的農法の継承者による指導が必要であり,また場合によっては手作業ですべての工程を行うた
め,相応のマンパワーが必要となる.そのため効率的な農業(機械化や大規模経営など)とは相
反することがしばしばあり,根本的な解決が難しくなる.行政の景観保全政策としては,担い手
育成制度の制定,農業ボランティアの導入,農業経営の法人化による小規模農場の経営などが考
えられるが,農業従事者は基本的に自分の農場を経営することで手いっぱいの状況である.また
非農業者が積極的に参加する環境をつくることは,農業指導者の設定や通年にわたる指導の
8 年「棚田貸します制度」の発足とともに土地改良区の役員(当時)や地元農家などを中心
として結成,千曲市「棚田貸します制度」を実施している田の水管理やオーナーへの営農指導な
どの実践を行っている.
ii平成
- 38 -
難しさ,従事者の受け入れ態勢,地域共同体の高齢化など困難を極める.
これに対し,棚田オーナー制度は経営者が都市住民を中心とした非農業者が参加でき,また一
部の農作業を担うことで景観保全に不可欠な人力を確保できるため,景観保全には非常に強い制
度と言えるだろう.
2-2. これまでの棚田オーナー制度
平成 8 年に開始された棚田貸します制度は当初体験コース 17 組でスタートし,近年では両コ
ース合わせておよそ 90 組前後で推移している.また保全団体は年一回視察研修会を実施し,積
極的に他地域と意見交換を行っており,オーナーともども年々成長が見られる.都市と農村との
交流や次世代の子供たちへの体験会の開催により,広く「姨捨棚田」の情報が発信され,オーナ
ー確保にも繋がるほか,各種メディアが取り上げることにより,地元農家も棚田耕作に対するモ
チベーションが上がり,耕作放棄地の増加に歯止めとなる効果も認められている.近年オーナー
制度は棚田のみならずさまざまな農業へと取り入れられているほか,各種研究により棚田オーナ
ー制度は棚田の景観保全に対し高い評価が得られている.また,都市住民が流動的に農村へ入り
込む機能も備えているため,村おこしや農村政策としての可能性も多分にあるだろう.
ここで視点を制度から参加するオーナーたちに変えると,棚田オーナー制度に参加する都市住
民は真に景観保全をしたいが為に参加しているのかという疑問も残る.もちろん棚田オーナー制
度は景観保全を前提にしているが,これまでの研究ではあまり触れられていなかった.そこで,
本論文ではオーナーの参加する目的や意欲などをもとに,棚田オーナー制度を「ソーシャル・キ
ャピタル」によって分類化し,その現状を探る.
3
ソーシャル・キャピタルから見る棚田オーナー制度
3-1. ソーシャル・キャピタル
ソーシャル・キャピタルという概念は,米国の政治学者ロバート・パットナム・ハーバード大
学教授の一連の研究が大きな契機となっている.パットナムは,『孤独なボウリング』(1995)に
より米国の「ソーシャル・キャピタル減退論」を発表した.ソーシャル・キャピタルの定義は「協
調的行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる信頼,規範,ネットワークのような社
会的組織の特徴」と表現され,その特徴は性質,形態,程度,志向などに細分化できるとされて
いる.またパットナムによる研究の後,様々な学問領域の研究者,国や国際機関からコミュニテ
ィ・レベルまでにおいて,継続的な調査・研究が行われたり,概念を用いたプロジェクトへの取
り組みが進められている.特に,英国などの欧米の先進国においてソーシャル・キャピタルに対
する関心が高まっている他,OECD (経済協力開発機構)や世界銀行といった国際機関におい
ても,政策研究や開発協力手法としてソーシャル・キャピタルへの取組みが動き始めている.
各国・機関では,それぞれの社会・経済状況に応じてソーシャル・キャピタルの概念を取り入
れた施策や計測の取組が進められている.国際機関では,OECD が 2001 年に「国の福利:人的
資本及び社会的資本の役割」を刊行し,ソーシャル・キャピタルの概念を定義する一方で,分析
- 39 -
手法や政策手段としてのソーシャル・キャピタルの活用についてはさらなる議論の必要性を指摘
した.また我が国行政においては,内閣府国民生活局が平成 14 年度に行った調査により,
「ソ
ーシャル・キャピタルの培養と市民活動の活性化には,互いに他を高めていくような関係がある
可能性」
,
「ソーシャル・キャピタルは相対的に大都市部で低く,地方部で高い」等の分析を行っ
たことを嚆矢として,その後の各府省における地域経済・地域社会・生涯学習・犯罪防止・市民
活動等の分野に係わる研究において,ソーシャル・キャピタルとの関係性が検討されるようにな
った(農村におけるソーシャル・キャピタル研究会 2007).
3-2. 農村のソーシャル・キャピタル
農村におけるソーシャル・キャピタル研究会(2007)では,農村におけるソーシャル・キャ
ピタルの形態は二つあり,それぞれ第 1 農村 SC(ソーシャル・キャピタル)
・第 2 農村 SC と
分類している.第 1 農村 SC は「協働型農村 SC」と言い換えられ,主として協働を促進する構
成要素(地域活動への参加など)が多い.また第 2 農村 SC は「互助型農村 SC」と表現でき,
主として互助的な構成要素(友人との付き合いの程度など)が多い.これら二つの SC から,農
村のソーシャル・キャピタルにおいて重要なキーワードは「協働」
「互助」であると考えられる.
さらに地域独自の自主的・自立的な活性化の取組を促進するという農業・農村振興政策の基本的
方向に鑑みれば,その施策が必要な対象を「農村,あるいは農村と都市の複数の主体が,農村の
活性化のための目標を共有し,自ら考え,力を合わせて活動したり,自治・合意形成などを図る
能力または機能」と考え,ソーシャル・キャピタルの中核をなす一部分を「農村協働力」と呼ぶ
こともできる.
また同研究会では,集落機能の再生・活用によって活性化に成功した地域の事例において,農
村におけるソーシャル・キャピタルと思われる要素がどのように扱われ,どのような役割を果た
しているかを抽出し,農村における社会的特徴へのソーシャル・キャピタル概念の適用性を確認
するため,複数の地域の事例代表者からヒアリングを実施し,それによりソーシャル・キャピタ
ルにおける「信頼」
「ネットワーク」
「規範」によって農林漁村の細分化を行った.以下はその一
部を参考・引用し,農村のソーシャル・キャピタルの特徴をまとめたものである.
農村社会の心の豊かさとも関連する「信頼」については,地域との関わりが長い(年齢が高い)
ほど地域への信頼度が上がると見られる.また見知らぬ人へ信頼できるかという質問に対しても,
外部に対する警戒心は年齢とともに上がる傾向が見て取れる.これにより,従来の農村のソーシ
ャル・キャピタルのままでは,都市住民などの移住を受け入れる際の課題となる可能性もあると
考えられる.
人間関係の特徴を表す「ネットワーク」については,農林漁業関係者の方が集落内のネットワ
ークが強い,すなわち結合型ソーシャル・キャピタルが高い傾向が見られ,我が国における農村
のソーシャル・キャピタルの特徴をよく示している.また,非農林漁業者や農地に関わりのない
人は集落外の友人や親戚が多く,若い世代を中心に,友達や親戚に会う頻度も農林漁業関係者と
大きくは変わらないことから,非農林漁業関係者がより積極的に協働に参加するような農村の新
- 40 -
たなソーシャル・キャピタル醸成の可能性はあるとも考えられる.
「地域共同活動」の中でも農業生産活動に関連する集落の「規範」の存在が大きく影響する「農
地保全」や「農業生産関係の寄合」などの「農業関連共同活動」では農林漁業関係者とそうでな
い人との参加率の差は一層顕著であり,これに関わるソーシャル・キャピタルの存在も農林漁業
関係者にかなり限定されている可能性がある.ただし,「都市交流イベント」については両者の
参加率の差は比較的少なく,地域活性化のためには非農林漁業関係者を含めた新しいソーシャ
ル・キャピタル醸成の可能性も見て取れる.なお,
「農業関連共同活動」では 50,60 歳代が参
加率のピークとなっており,農業活動の主体がこの世代であることが窺える.また,70 歳以上
で参加率が下がるのは,農業経営の第一線からの引退を示すものとも考えられ,これも集落にお
ける「規範」の存在によって,共同活動への参加は世代によるところよりも年齢によるところが
大きいと推察される.
ソーシャル・キャピタルによる農村の特徴づけにより,農村”らしさ”を支えているのは,農村
において単に視覚的な農的風景が広がっているだけでなく,そこに住む人々が築き上げてきた農
村社会の特徴,すなわちソーシャル・キャピタルが大きく影響しているものと考えられるのであ
る.また,農村における共同活動や相互扶助の衰退や変質が農業・農村振興に影響を及ぼしてい
ると見られる一方で,近年都市住民の間では,農村における豊かな自然環境とともにゆとりある
心豊かな生活にも関心が高まっていることも事実である.
3-3. 棚田オーナー制度とソーシャル・キャピタル
本論文では農村におけるソーシャル・キャピタル研究会(2007)におけるヒアリング調査を
参考とし,千曲市役所職員および名月会会員各一名にインタビュー形式のヒアリングを実施,ソ
ーシャル・キャピタルにおける構成要素「ネットワーク」
「社会的信頼」
「互酬性の規範」にかか
わる質問,ならびに伝統継承や担い手の意識があるかという質問を行った iii.また実際に参加し
たオーナーの意見として,千曲市「棚田貸します制度」オーナーアンケート(2013 年 11 月実
施)を同市役所よりお借りし,参考とした.
以下の表はヒアリング調査および『千曲市「棚田貸します制度」オーナーアンケート』をもと
に作成した結果の概略である.なお,各項目の後には筆者のコメントを伏している.
3-3-1. ネットワーク(表 1)
周辺の近隣同士の情報交換はイベント時に行われているが,参加地
オーナー同士の会話や
区ごとで集まって会をつくるような事はない.稲刈りや田植えなど
協力はあるか.
の際に,隣の田の方と積極的な会話などもあまりみられることがな
iii2014
年 8 月 20 日午前 9 時名月会会員渡辺スミ子様,同日午後 2 時千曲市市役所経済部農林課
農業振興係担当湯浅正栄様に各 90 分程度,事前に質問をお送りしそれに対する返答をいただく
対話ヒアリングを行った.
- 41 -
い.
オーナーが地域の方と
名月会会員と情報交換したり,会員のお宅に宿泊し早朝より作業を
交流,あるいは日常的な
行ったりなどの様子は見られるが,基本的には地域の皆様との交流
かかわりを持つことは
は行われていない.オーナー交流会(棚田貸します制度に関わるス
あるか.
タッフとオーナーの交流)を実施したが,参加者は 38 名で予想の
50 名を下回る結果となった.
都市住民は名月会の方とは交流はあるが,地域住民や他のオーナーと交流することがない.
3-3-2. 社会的信頼(表 2)
棚田で生じた問題(農害
など)にオーナーがかか
水当番など日常的な作業は名月会が行うため,問題解決にオーナー
わり,問題解決に関わる
が入ることはない.
ことはあるか.
オーナーである都市住
日常的に観光客が多く見えているため,地域の皆様は寛大な様相で
民が地域に参入するこ
ある.農作業期とイベントごとが重なると,駐車場等への苦情が起
とに抵抗はないか,また
きる気ともある.
過去にはあったか.
新規のオーナーに対す
社会的地位のある方や,参加者それぞれが共通の目的意識を持って
る不安などはないか.
いるため,不安などはない.
表面的な社会的信頼(都市住民が観光やイベントで地域に入ることへの寛容さなど)は,地域
住民にも成熟されていると考えられる.
3-3-3. 互酬性の規範(表 3)
オーナーが日常的に(強
制的でなく自発的に)棚
月一回の稲刈りや多収穫コンテストなど,自発的に足を運び日常管
田に訪れることはある
理の徹底がなされるような機能を設けられている.
か.
田植や除草,稲刈以外
に,水管理や農地管理な
基本的には無い.
どへオーナーが参加す
ることはないか.
オーナーが制度で設け
ている棚田のほかに農
地域側からそば打ち体験などの参加者を募り,実際に興味を持つ人
- 42 -
業機会を求めている,ま
もいるが,オーナー側からの要請や要望はない.
たは地域農業に参加し
ようとする姿はあるか.
オーナーが参加する規範は少なく,またオーナー側から規範を担いたいという姿もあまり見え
てこない.
3-3-4. 伝統継承や担い手の意識があるかという質問項目(表 4)
オーナーが伝統的な田
無農薬栽培が原則となるが,近年ではオーナーの作業負担軽減のた
植えの姿を継承してい
め,初期除草剤の散布を希望者のみ行っている.
ると考えられるか.
重要文化的景観保持には,耕作の継続が大原則になってることをイ
オーナー自身が,景観保
ベントごとに説明はしている.ただ,現在参加者の多くは「素晴ら
全の意識を持って制度
しい景色の中で米作りが出来ること」「お米を作る作業の一端を経
に参加しているか.
験できる」など,農業機会の享受を目的としており,景観保全を目
的とした保全コースにあまり需要が集まっていないことも現状で
ある.
移住や住込みなどが実
今後の棚田耕作農地として担い手になるかについては,現実的問題
際に起きたり,また今後
(作業機械・労力・空き住宅)もあり,意識はあっても可能性は少
起こりうるか.
ない.
オーナーにある程度の意識はあるが,実際に地域に入り農家として伝統継承や担い手となるこ
とは難しいだろう.
3-3-5. 小括
以上の結果から,棚田オーナー制度において,農村のソーシャル・キャピタルに見られるよう
な内向的な強い結びつきは一部分でのみ存在し,あまり他者との協働を見出すことはできない.
参加者の多くは自己の棚田を耕作することで手いっぱいであり,他のオーナーと協力して作業を
行うことはあまり見受けられない,とした現状もうかがえた.
また,今後ソーシャル・キャピタルの醸成がなされる可能性は低いと思われる.オーナーの大
きな目的は,景観保全と同様に制度による農業機会の享受であるため,自ら地域に入ることは考
えていない.また地域も受け入れ態勢を整備しておらず,
「オーナー制度はオーナー制度,農家
は農家」のような一定のラインが形成されているようにも感じられた.さらに運営する名月会の
構成員も,兼業農家がほとんどで制度に専任な方はあまりおらず,高齢によってその力も年々衰
えを見せている.他に棚田オーナー制度を運営する団体は存在するが,現在各々が持つ棚田で大
- 43 -
きな労力を必要としているため,今後彼らが後継者になることは難しい.
4
棚田オーナー制度の真の価値
4-1. アーキテクチャとしての機能
棚田オーナー制度はソーシャル・キャピタルによる結びつきが弱く,醸成も見込めない状況で
ある.またオーナーも多くは農業体験を目的としており,それ以上の欲求はあまりない.
それでも景観保全としての機能は生じている.これまで農業は,農村のソーシャル・キャピタ
ルにあるようにお互いが協働し,同じ目的を持って問題解決を行うことが当然とされていた.し
かし,棚田オーナー制度ならびに景観保全にはそれらのネットワークや信頼,規範を用いなくて
も十分に機能している結果となっている.
これはアーキテクチャの概念から説明できるのではないだろうか.アーキテクチャという用語
は,米国の憲法学者ローレンス・レッシグが『CODE』
(2001)のなかで論じたものである.レ
ッシグは,アーキテクチャという概念を,規範(慣習)・法律・市場に並ぶ,ヒトの行動や社会
秩序を規制(コントロール)するための方法だとしている.またこの概念は,日本の哲学者・東
浩紀氏によって,
「環境管理型権力」と概念化されている.以下に二例を取り上げる.
飲酒運転防止を例とすると,規範は「飲酒運転=悪」という考え,人の価値観や道徳心に訴え
かけること,法律は罰金や免許資格のはく奪,市場罰金の引き上げによる経済感覚に訴えかける
ことに相当する.そしてアーキテクチャは自動車にアルコール検知機能を設置し,そもそも飲酒
状態のときにはエンジンがかからないようにする,といった機能である.これは単に運転者が飲
酒状態であれば,本人の心理状態にかかわらずすべての飲酒運転を規制できる機能であるため,
運転者の精神的な制約やモラル,慣習などによる規制とは大きく異なる.
またファーストフード店の例を示すと,アーキテクチャは椅子の堅さ・BGM の大きさ・冷房
の強さなどを変化させることにある.椅子をソファではなく,堅いものにするとお客が長居しづ
らくなり,また混雑時には BGM の音量を上げ,冷房を強めることで,お客が気付かない程度に
店の不快指数を引き上げ,ひいては店の回転率を向上させることができる,といったことである.
これも客の心理に作用させず,環境を変化させることによる人への規制(阻害)が行動を生じさ
せているのである.
上記二例より「アーキテクチャ/環境管理型権力」の概念を整理すると,任意の行為の可能性
を「物理的(人々の心情やモラルなどといった精神的,心理的要因にかかわらないもの)
」に封
じてしまうため,ルールや価値観を被規制者の側に内面化 ivさせるプロセスを必要とせず,さら
にその規制(者)の存在を気づかせることなく,被規制者が「無意識」のうちに規制を働きかけ
ることが可能となる.すなわち,価値観やルールを内面化する必要がない,人を無意識のうちに
操作できるということが最大の特徴であるである.
iv「内面化(内在化)
」…個人の内部(心理)に,社会的な規範や価値,種々の習慣や考えなど
を取入れて,自己のものとすること.内面化により,集団が同じ目標達成へ円滑に行動すること
ができるようになる.
- 44 -
4-2. 棚田オーナー制度とアーキテクチャ
これまでの棚田オーナー制度の考えは,その目的を景観保全とし,参加者一人一人に景観保全
の必要性や重要性をよく理解してもらい,彼ら自身がその意識を持って(内面化して)参加する
ことが良い条件であるとされてきた.これから,意識の高まりにより各々が結び付き(ソーシャ
ル・キャピタルの醸成)
,より一層の景観保全が見込まれることで,制度は成功したとされてい
た.
しかし現状をソーシャル・キャピタル的概念から捉えると,その見解は当初の考えと大きく異
なる.制度の目的は景観保全で変化はないが,オーナー個々人に焦点を当てると,様々な取組意
識を持っているうえ,それ以上の意識の高まりはあまり見られない(内面化されない)ことは事
実である.つまり,人々の結びつきは形成されず,結果として棚田オーナー制度が機能している
だけではないかという結論に達してしまうのだ.
ここで棚田オーナー制度をアーキテクチャ概念に基づく議論から展開する.制度の目的は景観
保全と農業機会の享受であり,現状は個々人が様々な取組意識を持っているうえ,それ以上の意
識の高まりはあまり見られない(内面化されない)
.ここでアーキテクチャ論を用いると,そも
そもオーナーに景観保全を内面化することが真の成果ではなく,非農家や都市住民であるオーナ
ーが,オーナー制度を通じ時間やお金を費やして農業をすること(アーキテクチャ)によって,
棚田オーナー制度による景観保全は大きな意味と効果があるのではないかと考えられる.よって,
棚田オーナー制度はアーキテクチャが機能しているため,オーナーの意識や価値観などにとらわ
れずに制度として確立されているのである.
表 5 4-2. による目的・意識・結果のまとめ
棚田オーナー制度
目的
景観保全
ソーシャル・キャピタル的
アーキテクチャ概念に基
概念と現状
づく議論
景観保全
景観保全と農業機会の享
受
意識
結果
オーナー一人一人に景観
景観保全をすべてのオー
オーナーに共通の内面化
保全を内面化させること
ナーに内面化させること
をせずに参加してもらう
が重要
は難しい
意識の高まりにより各々
人々の結びつきは形成さ
オーナー制度を通じ時間
が結び付き,一層の景観保
れず,結果として棚田オー
やお金を費やして農業を
全が見込まれる
ナー制度が機能している
することが景観保全は大
だけではないか
きな意味と効果がある
4-3. 農村政策の真の意義とは
ここまで棚田オーナー制度を二つの社会学的観点から分析し,その機能を論じた.ソーシャ
- 45 -
ル・キャピタルをもとにした議論では,これまで農村が農村”らしさ”としてもつ特徴を三つの要
素から分類し,その特徴と棚田オーナー制度を比較した.これは制度が農村のソーシャル・キャ
ピタルとして組み込まれているか,また今後農村の機能として醸成が見込まれるかなど,農村側
からの視点で読み解くものであった.一方アーキテクチャ概念に基づく議論では,農村やその行
政が目標とする意識(景観保全)の内面化をオーナーへせずに制度が機能しているという結果を
見出せた.いわばこれは農村という独特のソーシャル・キャピタルを持つ地域側からの視点から
大きく離れ,単に制度と人という視点から読み解いている.つまり,これら二つの社会学を用い
たことで,相対する論点から制度が考察されたものであった.そして,棚田オーナー制度はアー
キテクチャの機能を持つものの,ソーシャル・キャピタルの醸成はうかがえないという結論に達
した.
この結果より,これまでの農村と都市の関わり合いにおける政策に対して,改めて視点を明確
にすることが重要ではないかと考えられた.農村と都市間の交流は,流動性や新規ネットワーク
の構築など,農村にある共同体や制度(ソーシャル・キャピタル)に都市住民をどう参入させる
かが重要であった.そのハードルは棚田オーナー制度によって下げられているとは感じるものの,
今回の見解より,過度な期待を寄せることはできないであろう.それは,制度がアーキテクチャ
による成功であるならば,真に都市住民が農村に参入できたとは言い難いと判断されるためであ
る.
今後の発展として,農村と都市の関わり合いにおける政策の成功は,さらなる受け入れ態勢の
拡大やお互いの歩み寄りを見せることによるだろう.いかに農村地域が都市住民を受け入れられ
る環境を構築するのか,また都市住民が農村のソーシャル・キャピタルに参加できる状況を作り
出せるか.これらを解決し新しいネットワークを構築できれば,農村政策は真の価値をもたらす
のだろう.
おわりに
本論文は当初より棚田オーナー制度とそのオーナーという対立関係をテーマにしてはおらず,
制度が地域にもたらす価値を問うものであった.しかし筆者が実施したヒアリング調査により,
オーナーと制度の間に何らかのすれ違いが生じているのではないかと感じ,二つの社会学をもと
に考察を行った.これにより,感じていたすれ違いは,明確なものとして浮かび上がったのだ.
日本にある農村は衰退の一途をたどり始めて久しい.各市町村は様々な政策を講じ,あらゆる
方法で農村の活性化を行ってきた.その中には本論文で取り上げた棚田オーナー制度のように大
きな成功をおさめ,他の地域のモデルにもなるような政策も少なくないだろう.ただ,それだけ
で本当に成功とはいえないこともある.長野県千曲市姨捨地区の棚田オーナー制度も,現在世話
役をしている「名月会」の方々の高齢化が深刻な状況である.仮に制度がなくなってしまえば,
それまであった都市住民との交流も潰えてしまう可能性がある.やはり,農村における政策は何
を持って成功となるのか,今一度考えることが必要となるだろう.
棚田オーナー制度に残る問題点として,本論文で展開したもの以外に二つ考えられる.それは
- 46 -
継続性とリピーター,そして差別化やブランディングについてである.最後にこれらを考察して
本論文を締めよう.
前者については,アーキテクチャが機能しているとはいえ,結果として意識が高いオーナーが
いなければ高い継続性は生み出せない(その土地でなくても,農業体験を行えるなどの要因があ
げられるため)と考えられる.よって,やはり最終的には,景観保全の意識がオーナーに内面化
されなければならないのかという疑問である.この要因としては,やはり制度にソーシャル・キ
ャピタルが欠如しているためである.後者については,棚田オーナー制度を長期的に機能させる
には,他の地域と差別化を図り,オーナー獲得をしなければならないという課題があることに要
因される.ただ,姨捨地区では景観や歴史などによって差別化ができていると考えられよう.こ
のような差別化は,都市住民の行動を左右させるアーキテクチャとしての様相がある.これらの
課題解決についても,やはりどちらの社会学からとらえることが重要であるか考察することで今
後の発展へとつながるのではないだろうか.
文献
文化庁文化財部記念物課,2005,
「日本の文化的景観
農林水産業に関連する文化的景観の保護
に関する調査研究報告書」同成社
佐野未帆他,2010,
「中山間地域農業と棚田オーナー制度の効果について」会津大学短期大学部
産業情報学科経営情報コース
内川 義行・木村 和弘・安田 和司,2007,「長野県・姨捨棚田地区における文化的景観形成の
担い手」『農業農村工学会全国大会講演要旨集 』,公益社団法人農業農村工学会,
424-425
長野県千曲市市役所農林課,2013,
「名月会の部屋
千曲市」
,長野県千曲市ホームページ(2014
年 11 月 1 日取得,http://www.city.chikuma.lg.jp/docs/2013031500195/)
中島峰広,2012,「棚田
その守り人」古今書院
農村におけるソーシャル・キャピタル研究会,2007,「『農村のソーシャル・キャピタル』~豊
かな人間関係の維持・再生に向けて~」農林水産省農林振興局
千曲市文化財センター,2013,「姨捨の棚田
ガイドブック」千曲市教育委員会
千曲市農林課,2013,「千曲市『棚田貸します制度』オーナーアンケート」
- 47 -
スナック社会学
―地域に根付く裏コミュニティスペース―
湯浅 諒祐
はじめに
日本にはスナックバー(以降スナックと称す)という飲食店がある.そこには「スナック文
化」と称するほどの様々な独自の魅力がある.全国各地域に点在するスナックはそれぞれ地域住
民の憩いの場となり,交流を育んできた.しかし,スナックに対する世間一般のイメージはその
ような良いイメージとは異なる場合が多く,扉の向こうで何が行われているのかを知る人があま
りにも少ないのが現状である.筆者はスナックの有する機能は地域コミュニティに貢献しうる要
素を持ちうるのではないかと考える.本稿ではスナックの成立から現状までの歴史を論じた上で,
衰退の一途を辿るスナックにそれでもなお向かう人々は何を感じているのか,社会学的にスナッ
クは地域コミュニティにおいてどのような役割を担うことができるのかを考察する.
1
スナックの歴史と現状
1-1. スナックの概要,その歴史
スナックとは,一般に女性がカウンター越しに接客する飲酒店を指す.店の責任者は女性であ
ることが多く,その女性は「ママ」と呼ばれる.ママや店員が客と,あるいは客同士が会話を楽
しんだり,カラオケを歌ったりするのが主たるサービスである.提供するアルコール類,料理類
はあくまでその補助にすぎず,ブランデーなど高価な商品がある一方で,安価な甲類焼酎などが
提供されることも多いのが狭義のバーとの違いである.
スナックの歴史は浅く,昭和 39 年に施行された風俗営業の規制条例により,バ-やキャバレ
-などは深夜に営業ができなくなった.そこで新たに深夜にアルコ-ル飲料を提供しても法律に
抵触しないスナックが誕生した.当時は幅広い層に親しまれ,とくに 2 次会の流れの場としてカ
ラオケブ-ムを巻き起こし,女性客を数多く飲食店に足を運ばせるきっかけをつくった.また,
自己雇用型の女性経営者を多く生み出すなど,女性の社会進出に貢献している.相次ぐ新規参入
によってスナックへの賃貸店舗は,小型のものから大規模のスナック専門飲食ビルまで,大都会
のみならず地方都市にまで出現するなど,かつては建設投資の誘因を果たした時代もあった.
1-2. スナックの現状
スナックは夜の社交場として幅広い層に親しまれていたが,バブル崩壊以降は勢いが衰え,
スナックブームは過去のものとなってしまい,事業数も年々減少している.要因として考えられ
る事としては,第一にレジャーの多様化によって,かつて余暇活動をスナックで過ごしていた人
が他のレジャー産業に流れてしまったことが挙げられる.
- 48 -
さらに,カラオケを最初に世間に浸透させたといわれたスナックであったが,カラオケだけを
専門としたカラオケボックスの登場により,スナックにおけるカラオケ需要はカラオケボックス
と分離してしまった.さらにカラオケボックスによる,飲食メニューの提供や安価な料金システ
ムなどのサービスはカラオケ業界内で次々に行われ,市場が飽和状態となり,また需要面でもか
つてのようなカラオケ熱は冷え込んできている.カラオケというスナックを象徴するもののひと
つの現状を鑑みると,顧客減少に拍車をかける結果となっていることは明白である.
さらに世間の酒離れもスナック衰退の一因であるが,残った酒好きの人々を顧客として獲得し
ているのはスナックではなく,居酒屋である.最近の若者はリクルートが無料配布している
HotPepper などのミニコミ情報誌を活用して,クーポンが使える低料金の居酒屋を利用する機会
が増えている.行きつけの店で馴染みの客になることを一種のステイタスのようにしていた時代
は過ぎ去り,安価で明朗会計の店を特にこだわらず選択する若者が今日では圧倒的に多い.
また,こういった世間の流れによって起こる要因だけでなく,スナックの経営システム上の問
題もある.例えば,少ない資金での開業や営業ノウハウの無い人でも営業可能であることによっ
て起こる脆弱な経営基盤の形成や,新規参入と撤退が容易なことから安直な経営者が多いことな
ど,そもそもスナックは,最初から長い間顧客を獲得する体制は確立されていなかったと考えら
れる.
このように,バブル崩壊以降は居酒屋やカラオケなどの異なる業界との競争も強まるなど,昔
と経営環境が大きく変わってしまった.近年ではスナックの顧客数の急減から休業や廃業に追い
込まれる個別事例が少なくなく,新規開業もかつての勢いがみられない.こうなってしまうと,
残されたメインの客層だった団塊の世代は止む無くスナックから居酒屋にシフトせざるを得な
いという,スナック業界にとっての悪循環になってしまう.この悪循環を断ち切るために,スナ
ック業界は新しい方向性を視野に入れた対策を立てなければならないのかもしれない.
スナックに対してどのようなイメージを持っているかを調査したアンケートの回答が,次のよ
うになっている.
表1
「あなたはスナックにどのようなイメージをお持ちですか」のアンケートの回答
男性
構成比
女性
構成比
1位
お酒を飲みに行く
53%
1位
初めての店は入りにくい
49%
2位
初めての店は入りにくい
36%
2位
お酒を飲みに行く
46%
3位
料金基準が不明確
31%
3位
不安で一人で入れない
44%
4位
カラオケ
29%
4位
料金基準が不明確
36%
(財)東京都環境衛生営業指導センター「環衛業に係わる
消費生活調査報告書」平成 11 年度をもとに作成
特徴的なのは,男女ともに「初めての店は入りにくい」という項目が大きな割合を占めている
- 49 -
ことである. これは,店構えに大きな原因があるといえよう.スナックの店舗の多くは,木製
のドアで閉ざされ,窓ガラスもなく店舗内部が外部とまったく遮断されている密室形式である.
このため,なじみの店ならいざ知らず,知らない店には内部の雰囲気や料金などの不安が先立ち,
気軽に入れないことは容易に想像できる.
一方,スナックの経営者側にも問題がある.東京都生活衛生営業指導センターの社交業経営の
調査によると,口コミによる新規顧客は歓迎するが,一見客は歓迎しないという考え方が基本的
に多いという調査結果が出ている.もちろん,経営する側にも顧客の好みがあるだろうし,なか
には歓迎できない顧客もあるのは事実であるが,商売としてみれば,余りにも閉鎖的な面が強す
ぎるといえよう.
2
スナックの魅力とそれに向かう人たち
2-1. スナックが持つ独自の魅力
衰退の一途を辿る今日のスナック業界であるが,現在においてもなおスナックに通い続ける
人たちは存在するのは確かである.その人達を主流の安価な大衆居酒屋ではなく,スナックに足
を運ばせる独自の魅力とは何なのか.
大衆居酒屋には無いスナック独自の魅力,それは会話である.スナックは大衆居酒屋と異なり,
ママやその店の従業員などが密な接客をしてくれる.この密な接客こそが,スナックの最大の特
徴であり,客をまたこの店に行きたいと思わせる要素でもあると考える.
店員が接客をしながらお酒を楽しむ店として他に考えられるのはキャバレークラブ,いわゆる
キャバクラであるが,キャバクラと大きく異なるのは料金システムと,それによって引き起こさ
れる店内の雰囲気であると筆者は感じる.キャバクラの料金システムは主に時間で区切られるセ
ット料金制である.他にもチャージ料(席に着いた時点で発生する料金)や指名料,サービス料
などが加算され,多くの場合最終的に払う金額は,セット料金から 30~100%割増となることが
多い.さらにキャバクラで接客をする女性従業員(以下,キャバ嬢と称す)の給料は歩合の割合
が高く,自分の力で稼ぐという面が強い.一方スナックはチャージ料こそあるものの,それ以降
は客の懐具合によっていくらでも安価に抑えることができる.
また,キャバクラは指名制というシステムであるがゆえに,違う席に着く客と客は指名したい
キャバ嬢が一緒であればそのキャバ嬢を取り合う,いうならばライバルであり,そもそもキャバ
クラに行く人々はキャバ嬢と一緒に会話を楽しむ目的で来店しているので,そこに客同士のコミ
ュニケーションが発生することは少ない.一方スナックは狭い空間でママを含め 2~3 人程度の
従業員と客同士が会話をすることになるので,自然と客同士がママを介さずに会話をするように
なる.スナックの常連客は,ママに会うためにその店に行くだけではなく,他の常連客にも会い
に来るようになる.スナックは利害関係のない社交場にもなりうるのである.
スナックに足を運ぶ人達の年代は,依然のスナックの隆盛の時代を知る団塊世代が多いのが現
状である.一方職種は多種多様で,それに伴う年収も幅広い.中にはその地域に関係のある極道
関係者が出入りする場合もある.このように,年齢層以外でほぼ接点の無い人達が同じ店に集ま
- 50 -
るのは,料理や酒の質や値段ではなく,共通項の少ない人達が混在してできる,他では感じられ
ない雰囲気を求めてきているからであるといえる.しかし,それはスナック特有の怪しいという
イメージに繋がるところもあるだろう.
表 2 キャバクラとスナックの項目毎の相違点
キャバクラ
スナック
接客体制
一緒のテーブル
カウンター越し
料金システム
時間制,指名料,サービス料
自由(または時間制)
など
飲食の値段
割高
安価
女性従業員の給与
歩合制
給料制
客の目的
キャバ嬢
従業員または常連客
客同士の関係
関係を築きづらい
飲み仲間
独自に作成
2-2. 「ママ」のファシリテーション能力
最近「ファシリテーション」という言葉が注目を集めている.ファシリテーションとは,
「促
進する」
「物事を楽にする」という意味の英単語ファシリテートの名詞形であり,特定非営利活
動法人日本ファシリテーション協会によれば,人々の活動が容易にできるよう支援し,うまくこ
とが運ぶように舵取りすること.集団による問題解決,アイデア創造,教育,学習など,あらゆ
る地域創造活動を支援し促進していく働きを意味する.その役割を担う人がファシリテーター
(facilitator)であり,会議でいえば進行役にあたる.と定義している.
スナックを象徴する存在ともいえるママであるが,ママの魅力がその店の魅力の大半を占めると
いっても過言ではない.ママは店内において会話の中心に立ち,客同士のコミュニケーションを
円滑にまわし,時には客同士の会話に入り込むことで店内全体の雰囲気を保っている.店内の会
話を会社の会議に例えるならば,ママはファシリテーション能力を有する議長的存在であり,優
れたママは優れたファシリテーション能力を有すと言えるのではないかと考える.
- 51 -
図 1 ファシリテーターの分野別タイプ
特定非営利活動法人日本ファシリテーション協会をもとに作成
上の図は,どのような分野でファシリテーションが応用されているのかを眺めた図である.客
同士のコミュニケーションを円滑にするという役割に注目するのであれば,社会活動分野に該当
する合意形成型のファシリテーターになると考えられる.しかし,スナックに訪れる人全てが,
単にコミュニケーションを求めているわけではなく,時には一人で酒を楽しみたい場合,ママと
二人きりで話したい場合,何か教えを請いたい時など,人によって,また日によって求める事は
違う.そのためママも同様に人によって,また日によって問題解決型や教育研修型にシフトする
場合もある.このように,スナックに訪れる客はママの柔軟なファシリテーション能力で,自分
の心境に合った雰囲気を楽しむことができるのである.
3
スナック社会学とコミュニティカフェ
3-1. 趣味縁で繋がるコミュニティ
前章では,スナックの特殊なコミュニケーションの形態を説明してきた.本章は,そのよう
なスナックで築かれるコミュニティを社会学の観点から考察し,コミュニティカフェとの比較か
らスナックの可能性を探る.まず本節では,趣味縁の観点からスナックコミュニティを分析した
い.
趣味縁という定義を定めた浅野智彦は,趣味縁が形成されていく時代を山崎正和が唱えている
- 52 -
<柔らかい個人主義>という概念が生まれた,1980 年代とみた.そのことを踏まえ,趣味縁の
問題に立ち入るために,同概念についてもう少し詳しく立ち行きたい.
スナックの常連客は利害関係のない,ただ楽しみとしての社交を学び,独自の情緒を共有する
ことを主な目的としていると考えられるが,そのような,いってしまえば<無意味>な共有とい
う目的は,1980 年代から台頭し始めた柔らかい個人主義によってもたらされるものであるとさ
れた.
かつての産業社会は,効率的に資源を活用,消費することが良しとされ,人々は歯車のように
動かされる「誰でもよい人(エニボディー)」であった.これに対して人々は「誰かである人(サ
ムボディー)」として生きるために,広い社会のもっと多元的な場所を求め始め,他人に自己を
表現することを求めるようになった.これが個人化であり,人々は,一人一人固有のステイタス
を形成するようになったのである.そして個人を主張するためには,主張する相手が必要となる
ため,社交のもつ意義も同時に上昇するようになった.
個人が一人一人独自のステイタスを持つために起こせる行動で,一番手軽なアクションの一つ
が趣味の形成である.80 年代後半から台頭してきた柔らかい個人主義は,個人が築いた趣味と
いうステイタスを,同じ趣味を持つ他人と共有することで自己を表現するようになる.これが趣
味によって繋がるコミュニティ――趣味縁と呼ばれる近年生まれたアイデンティティ形成のた
めのコミュニティである.地域の草野球チームや市民合唱団,大学のサークルなど,様々な例が
挙げられる.
趣味縁には二つの性質がある.一つは,個人的趣味を共有する上で形成される親密性である.
これは趣味を媒介とすることで共有のネタが設定されるため,容易に関係性を構築することがで
きるということである.いきなり公共の場で見知らぬ他者と関係性を結ぶことは高い社交性が求
められる.しかし,趣味縁はいわば「限定的社会」,
「社会参入初級編」のような領域であること
が前提されるゆえ,参加・参入がしやすいのである.
もう一つは,親密性とは相反する公共性という性質である.つまり,個人的に親密な関係にあ
る人間以外の,外部の人間とも関わりが結べるというメリットがある.趣味縁で繋がれたコミュ
ニティは,親密な関係を求めるが,結果として趣味を通じて自らの親密圏を広げていく,言い換
えれば人間関係の幅を大きくしていく可能性を備えているのである.さらに,本来他者とのコミ
ュニケーションを妨害するノイズを,趣味という緩衝剤を介することで受け入れやすくすること
もできる.そしてその緩衝剤は,社会性を養う苗床としても機能するのである.
つまり趣味縁とは,親密性と公共性の中間にあるものであり,言い換えれば,両者の橋渡しを
するものであると定義付けられるのである.
趣味縁をさらに性質別に分けるとするならば,公共圏から離れれば離れるほど,またはその趣
味縁に属するために段階があればあるほど,親密性は高くなり,公共性は低くなる(
「大学」と
いう施設内のサークル,
「紹介制」のクラブなど)
.逆に,公共圏から近ければ近いほど,または
その趣味縁に属するための段階が少なければ少ないほど公共性が高くなり,親密性は低くなると
考えることが可能である.
- 53 -
趣味縁と公共性を結ぶものとして「ソーシャルキャピタル」という概念が挙げられる.これは
「ある社会関係自体が利得を得るための元手になっているような場合」を指す.例えば「よりよ
い転職先を紹介してくれる友人関係を多く持っている人」は多くのソーシャルキャピタルを有し
ているといえる.ソーシャルキャピタルについては,資本が生み出す利得を「資本の所有者が享
受する」という考え方と,
「所有者以外の人も含めた共同体全体に享受される」という二つの考
え方があり,趣味縁は後者の立場に立つ.つまり,趣味縁という親密性と公共性の中間コミュニ
ティが生み出した,言うなれば<新しい公共圏>は,人間関係のバリエーションの広がりが大き
いことから,それだけソーシャルキャピタルが得られる機会が多くなるといえる.そして,スナ
ック等の公共性の高い趣味縁も同様に,ソーシャルキャピタルが得られる機会を与えてくれる可
能性を含んでいるといえるのではないだろうか.
また,ソーシャルキャピタルと共同性との結びつきを論じたロバート・パットナムは,ソーシ
ャルキャピタルは「一般的信頼」と密接な関係があるとみている.これは「自分とは異なる他者,
顔の見えない他者に対する信頼」のことであり,一般的信頼を持つ人々は「自分たちの利益を追
求するだけではなく,社会や共同体の利益をも考えて行動する」と考えるとされている.
趣味縁はこれにあてはまるのか.趣味縁の三つの特徴について考える.一つは「趣味への愛が
深いほど,内部に強い葛藤を生み出す」,次に「その葛藤は趣味への愛によって克服される」
,そ
して「克服の過程の要が,尊厳や経緯などの承認関係」である.これらの特徴,言い換えればプ
ロセスの中で一般的信頼に結びつく行動,すなわち社会参加が引き起こされる可能性がある.例
として挙げられるのが,2007 年 6 月に秋葉原でコスプレをした数百人の若者たちが「全てのオ
タクや萌え文化愛好家や非モテが自由に生きられる社会へのビジョンを訴えるため」に引き起こ
した,「アキハバラ解放デモ」である.オタクと社会参加は遠いイメージを持つ人が多いが,そ
のオタク的趣味でさえ,ときに政治的な声を上げるための通路になるのである.無論全ての趣味
縁が即,社会参加に結びつくわけではない.趣味縁に属する人は他にも様々な活動を行うなど多
元的であることが常であり,趣味縁には社会参加への糸口の可能性が垂れているだけにすぎない.
だが,公共的趣味縁であるスナックも同様に,その特異かつ多種多様な人々,いわば思想が集ま
るという特徴によって,有意義な社会性を生み出す可能性があるかもしれないということだけは
提言しておきたい.
図 2 2007 年 6 月 30 日『アキハバラ解放デモ』ホームページTOP絵
- 54 -
趣味縁とスナック,また,ソーシャルキャピタルとスナックの関連性を考察してきたが,
ソーシャルキャピタルには,主にボンディング型とブリッジング型の二つのタイプに分け
ることができる.ボンディング型は集団内部での強い結びつきを指し,ブリッジング型は
集団外部の異質な人との結びつきを指す.ソーシャルキャピタルの概念においては,前者
のボンディング型は否定的に捉えられることが多いが,一般的なスナックのイメージから
すると,スナックはボンディング型のソーシャルキャピタルを形成していると思われるこ
とが多いだろう.今後スナックを地域的に有効活用していく可能性を生み出すためには,
ブリッジング型の営業形態に切り替えることが急務であると捉えられるかもしれないが,
スナックのボンディング型営業形態こそがスナック独自の文化を生み出した大きな要因で
あることは間違い無いため,スナックの良さを消さない程度のブリッジング型形態の模索
と移行が今後のスナックの課題となると考えられる.しかし,スナック文化に直接触れて
筆者が感じたことは,他のコミュニティでもソーシャルキャピタルを得る機会に巡り合う
ためには,他者とのコミュニケーションが必須である場合が多い.しかし,スナックは前
章で述べたように,訪れる人たちは比較的社交を求める傾向が強く,ママという優れたフ
ァシリテーターのように円滑に社交を進行する人がいることを考えると,様々な障害があ
げられつつも,結果的に他のコミュニティより,優れている面もあるのではないかと考え
る.
3-2. 社会ネットワーク論から考察するスナックの役割
これまで,第 3 章では趣味縁という概念によって,スナックで生まれるコミュニティを考察
してきた.本節では社会ネットワーク論によって,スナックが同地域でどのような役割を持ちう
るのかを考察したい.
社会科学において「ネットワーク」という概念は,この概念に限ったことではないが,捉え方や
文脈によって意味内容が大きく変わって用いられているのが現状である.よって本稿では,ソー
シャルキャピタルと関連する社会学的なネットワーク概念を用いることとする.
社会的ネットワークでは,人々の社会的隣接性を,
「ノード」と「リンク」という観点によっ
て考える.
「ノード」とは,要素を意味するもので,社会的ネットワーク理論上ではネットワー
クに関わりを持つ個々人を指す.一方,「リンク」とはノード間の結びつきを指すものである.
社会的ネットワーク理論では,様々な解釈があるが,ここでは「会話をしたことがある」という
ことを「リンク」とする.つまり,会話をしたことがある知人とは,社会的ネットワークを形成
しているということになる.また,ネットワークには同質性が強いネットワークと弱いネットワ
ークがある.例を挙げるならば大学のサークルは強いネットワークに該当し,地域の町内会等は
弱いネットワークとなる.この両者にはそれぞれメリットとデメリットがある.強いネットワー
ク内では個々人の共有要素が多いため,情報等の伝達速度が速いというメリットがある.しかし,
同じ知識や経験を共有していることから,意見に画一化がみられ,多様性に欠けることが多いと
- 55 -
いうデメリットもみられる.一方,弱いネットワーク内では,つながりが微弱であるため,リン
クの維持が難しいというデメリットがあるが,自身とは経験を共有していないノードからの新し
い情報や機会が得られやすいというメリットもみられる.このことから,社会的ネットワークは,
ソーシャルキャピタルの視点から語るならば,一つの強いネットワーク内で多くのリンクを持っ
ているよりも,強弱様々なネットワークとリンクを持っているほうが,より有益な情報や機会が
得られやすいということになる.
社会的ネットワーク理論の基盤的概念を簡単に論じたうえで,スナックについて同概念を用い
て考察する.
スナックに足を運ぶ人たちは,その場所にいる他人との会話を楽しむ人が多く,常連客とママは
強いネットワークを形成していくことがある.しかし,そもそも客それぞれの関連性はとても薄
く,ただ単に同じ場所に偶然集まっただけにすぎない.さらに,サークル活動のように同じ人が
同じ時間に店にやって来ることは少ないため,強いネットワークのみが形成されるわけではない.
つまりスナックは,強いネットワークを形成しつつも,新規客や知り合いの連れ人などとの弱い
ネットワークを多く形成していくことができる場所なのである.
また,本来我々がネットワークを形成するためには,物理的な「移動」が必要な場合が多かっ
た.現代においては,交通手段や通信手段の発達によって,「移動」という概念が空間的移動だ
けではなく,バーチャルな移動も含むようになり,我々のネットワークは,ますます「移動」を
前提として構成されている.つまり,自身のネットワークを形成するためには,その分の移動を
有するのだが,スナックは違う.スナックは,そこに訪れる人たちの交流の場となり,多様な人
たちが集まって相互に刺激し合うことができる.つまりスナックはつながりの交差地点であり,
その場だけで様々なネットワークを形成することができるという役割を持つと考えられるので
ある.
3-3. コミュニティ・カフェとスナックの比較
前節で,スナックはその場所だけで多くのネットワークを形成できる可能性を有すると論じ
たが,地域を支える仕組みとして近年注目されている,コミュニティ・カフェも同様の役割を持
つと考えられる.本節ではコミュニティ・カフェとスナックの比較から,スナック独自の役割と
有用性を考察したい.
コミュニティ・カフェは長寿社会文化協会(WAC)が,
「地域の溜まり場や居場所」を「コミュ
ニティ・カフェ」と定義したものが始まりである.今日では,日本全国で「人と人とのつながり
の場づくり」を目指した“コミュニティ・カフェ”という施設作りが大きな広がりを見せている.
コミュニティ・カフェは,単にお茶を飲むことよりも,他の客や店の人と交流や情報交換をする
場所であり,「カフェ」であることは必須ではない.高齢者の人たちが居場所を求めて集まる場
もあるが,子育て中の母親がお互いにおしゃべりしたり相談し合ったりするために立ち寄る子育
て支援の施設なども,一種のコミュニティ・カフェと言える.また,スローカフェのように,有
機無農薬コーヒーやフェアトレード,スローフードなど,ライフスタイルや文化の魅力が中心と
- 56 -
なって人を引き寄せ,さまざまな人が結びついていくような場もある.
以上のコミュニティ・カフェの特徴をスナックと比較することで,スナック独自の特徴を探り
たい.筆者がコミュニティ・カフェに対して感じる点は,地域社会への貢献を目指すことが多い
コミュニティ・カフェの「まちづくり」テイストはある種の高いハードルを生み出しているので
はないかという点である.コミュニティ・カフェがターゲットにすることが多い高齢者に注目し
てみても,コーヒーショップやファーストフード店で,一人で軽食を取りながら新聞を読んでい
る人が少なくない.このような店では仲間との交流や活動のきっかけをつかむことは難しい.そ
ういった人達のセーフティネットに,スナックはなれるのではないだろうか.スナックが注目さ
れていた時代を知る高齢者世代なら,かつてのサラリーマン時代を思い出し,気軽に入ることが
できて,さらにママというファシリテーターがコミュニケーションを活性化させてくれる.アル
コールが入ることで,人見知りで内弁慶傾向のある人でも初めての人との交流もしやすくなる.
既に立派な目的を持つコミュニティ・カフェを地域における表のコミュニティスペースとするな
らば,スナックはそんな場所に高いハードルを感じる人達にとっての裏のコミュニティスペース
になりうるのではないだろうかと筆者は考える.
おわりに
以上で述べてきたように,スナックというコミュニティスペースを分析することは地域コミュ
ニティを考えるうえで一つの要素になりうるのではないかと筆者は考える.しかし,いざ現実と
してスナックを地域におけるコミュニティスペースの一つとして再考するとなると,世間一般の
スナックに対するイメージとしてデメリットで挙げられていた,閉鎖的,明朗会計ではないとい
う点が障害となるだろう.このようにスナックの主な特徴は,デメリットとして見られる要素の
ものが多い.しかし,見方を変えればそれがスナックの良さに繋がっている事もある.つまり,
「閉鎖的」は言い換えれば「家庭的」であり,「あいまいさ」はある種の「粋」に繋がるのであ
る.スナックが現在の形態を変えずに,地域コミュニティと共存していけることが双方にとって
善い道であると考える.
また,スナックに関係する人々の中には,言い方を変えれば,その地域において害をなしうる
人も存在する.しかしながら,そういった人達を排他したコミュニティを作ったところで,地域
コミュニティ形成において,それは本当に成功だといえるのだろうか.その地域に住む全ての
人々に何らかの居場所があることが本当の成功であるといえるのではないだろうか.現在スナッ
クはただの飲み屋にすぎないが,本稿でのスナックについての議論が,地域コミュニティの形成
になにかしら一考の余地を与えられることになるならば,筆者として非常に嬉しくおもう.
スナックを始めとする水商売の店舗とコミュニティカフェ等の正規のコミュニティスペース
が共存する可能性が感じられる事例が群馬県高崎市柳川町にある「高崎電気館」というコミュニ
ティスペースである.高崎電気館は 1913 年に開館された映画館で,映画人気の低迷に伴い 2001
年で閉館した建物を再利用したものである.地域活性化センターとして生まれ変わり,地域の新
たな文化活動拠点として 2014 年 10 月 3 日にオープンした高崎電気館には,集会室や研修室など
- 57 -
のスペースと 250 席を抱える映画館がある.
あくまで地域住民のための一コミュニティスペースでしかない高崎電気館であるが,筆者はこ
の建物がスナックと地域住民の交流の懸け橋になる可能性を感じる.何故ならば,この高崎電気
館がある柳川町には中央銀座通りと呼ばれる商店街がある.通称中銀通りは,風俗店や居酒屋,
スナックが立ち並ぶ通りであるという一面も持ち合わせている.そのようなコミュニティスペー
スを設置するには一見ふさわしくない土地柄にある高崎電気館には,そこでしかできないコミュ
ニティイベントを開催することを願わずにはいられない.柳川町の,閉店に次ぐ閉店によって引
き起こされたシャッター街問題や,在日外国人の問題などの地域社会問題は,取り上げるに値す
るものだろう.そしてなにより本稿でも再三の通り,マイナスのイメージを持つ人々をも受け入
れたコミュニティの形成を,他の地域に促していくモデルケースになっていってほしいと切に願
う.
文献
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,(2014 年 6 月 10 日取得,https://www.faj.or.jp/)
- 58 -
映画教育と地域振興
―コミュニティアートの視点―
中村 尚道
はじめに
近年,コンテンツの文化的価値や,産業としての経済効果への期待が日本国内で高まってい
る.2001 年に施行された「文化芸術振興基本法」や,2007 年に施行された「知的財産基本法」
などによって,コンテンツの活用を制度的に支援していることからも,その期待が大きいことが
伺える.制度によるコンテンツの活用支援は,地域振興にも影響を及ぼしている.2006 年に改
訂された「観光立国推進基本法」のもと策定された計画により,新たなコンテンツの発掘や観光
促進への活用による地域づくりなどが推進されてきた.地域において,特に活用が多様化してい
るコンテンツが映画である.撮影誘致による地域の観光客数増加や,経済振興を目的としたフィ
ルムコミッションや,上映環境の地域間格差是正を目的としたコミュニティシネマ,地域住民主
導で地域を舞台に映画制作を行う地域映画など,地域において,多様な形で映画が活用されてい
る.
地域で活用される映画コンテンツの中でも,特に歴史が古いのが映画教育である.映画教育は,
国民の教養を高めることを目的に映画産業初期の 1900 年代から続いており.戦前の国威発揚か
ら戦後の民主化政策,現在のメディアリテラシー教育まで,内容を変えつつ取り組まれてきた.
しかし,そのような長い歴史を持ちながら,映画教育に対する研究は教育としての意義や教材観
にとどまっており,地域との関係性についてはほとんど言及されていない.本論文では前述の背
景をふまえて,映画教育が地域へ貢献する可能性について論じる.具体的には,日本の映画教育
の事例を,
「コミュニティアート」という地域でのアート活動と比較して,その効果をまとめる.
そして,筆者が実際に取り組んだ「前橋市短編映画制作ワークショップ」の事例から.その妥当
性を検討し,その課題について論じる.
1
映画文化と地域
1-1. 映画による地域振興
中村恵二・佐野陽子(2012)によれば,国内では,2002 年の知的財産立国宣言や,クールジ
ャパン戦略などをきっかけに,芸術,文化,デジタルコンテンツなど,いわゆる国の無形の財産
に対する関心が高まっている.その影響は,近年の地方における映画を活用した取り組みの振興
に及んでいる.取り組みの内容は,映画の制作過程を活用したものや,完成したコンテンツを活
用したもの,その両方を掛け合わせたものなど様々である.以下では,それぞれの取り組みの特
徴についで論じる.
まず,映画の制作過程を活用した取り組みとしてあげられるのが,商業映画の撮影を誘致し,
- 59 -
地域の情報発信と経済効果を得ることを目的としたフィルムコミッションである.フィルムコミ
ッションは,映画制作者に対して,ロケ地候補の紹介,ロケ地使用手続き,地元エキストラ募集
などを行い,地方での円滑な撮影を援助する.撮影誘致の見返りとして,映画の公開によるロケ
地域の情報発信を通した地域振興や観光振興,撮影の際の撮影スタッフの食費や宿泊費などによ
る経済効果が期待されている.フィルムコミッションの運営は,行政の観光や地域振興関係の部
署,地元の有志による市民団体,NPO などが担っており,2001 年に全国フィルムコミッション
連絡協議会の設立によって,全国的なネットワークが広がった.2009 年には,より発展的な活
動を行うために,ジャパン・フィルムコミッションに名前を変えて,海外からの撮影誘致にも力
を入れている.
次に,完成したコンテンツを活用する活動で代表的なものは,映画祭やコミュニティシネマで
ある.映画祭では,商業映画,インディース作品,ドキュメンタリーなど,開催主体ごとに扱う
作品に特色を持っている.例えば山形市では,市制 100 周年の 1989 年から,国際ドキュメンタ
リー映画祭を開催している.2 年に 1 度,ドキュメンタリーに焦点を絞った上映を行い,国内だ
けではなく世界各国からクリエイターが集まる,国際的に評価された映画祭になっている.コミ
ュニティシネマは,シネマコンプレックスの全国的な展開と単館映画館の相次ぐ閉館によって,
地方における映画鑑賞の多様性が確保できなくなった状況を鑑み,市民と行政が共同して「公共
上映」を実施し,鑑賞機会の多様性の確保を目的とした上映活動を行っている(コミュニティシ
ネマセンターホームページ 2014).コミュニティシネマの活動主体は,地域住民による任意団
体や NPO などが担っている.活動の規模は,定期的な上映会を行うものから,常設館の運営を
行っている団体まで様々である.高崎市では,市民の有志で立ち上げた「高崎映画祭」が年度を
重ねるにつれて規模を拡大し,映画の鑑賞文化が地域に根付いたことで,「シネマテークたかさ
き」という常設館の設立に至った事例もある.
そして,映画の制作と上映の両方を活用している事例が,地域映画である.かつての地域映画
は所謂ご当地映画とも呼ばれ,その地域の観光地や文化を紹介する映像であり,映画というより
はストーリー性のある地域 PR 映像という見方があった.しかし,現在は地域を題材にしつつも,
映画としてのクオリティを意識して制作される作品が増えてきている.2014 年には,映像制作
会社のメディアミックスジャパンが,日本全国の1つの地域にスポットを当て,その地域住民に
よって「映画を育ててもらい全国へ広げてもらおう!」をコンセプトとした「M シネマ」の製
作を行っている.また,群馬県では地域を題材にした市民参加型の映画制作を行う,
「まち映画
制作事務所」や,東京でも同様に市民参加型の映画製作に取り組む,
「ファイヤーワークス」な
ど,地域映画の制作を主な事業としている制作会社が出来はじめている.
これらの活動には,本来想定していた状況とは別の形で活動の成果を得ているという共通点が
ある.ここでは,それらの効果を整理するために,マートンの機能概念を用いる.マートンの機
能概念は,
「ある事象の,定義された社会システムに対する(反)貢献作用が,成員によって体験(意
図・認知)されていない場合,その作用を潜在的機能といい,成員によって体験されている場合,
顕在的機能という」(見田他編 1994: 550)と定義されている.地方で行われている映画を活用
- 60 -
した取り組みの顕在的な機能を,前述した内容だと考えるならば,潜在的な機能にあたるのは,
映画を活用する各取り組みの際に,地域住民の交流が活発になるといった,地域コミュニティの
振興であると考えられる.例えば,コミュニティシネマの活動において,映画を上映する機会を
整える際に,どのようなプログラムを上映するのかという決定や,会場の交渉,上映の広報,そ
して,鑑賞する地域住民との交流が生まれる.フィルムコミッションの活動では,商業映画撮影
を誘致する際に,地域住民が所有している家屋を.ロケ地として使用させてもらえるように依頼
をする場面で生まれる交流や,地域住民のエキストラやボランティアスタッフとしての参加によ
る交流などがあげられる.その他の活動においても,地域での映画を活用した取り組みは,地域
住民が地域コミュニティに参加するきっかけづくりとしての役割を果たしている.
表1
地域における映画を活用した取り組みの機能
フィルムコミッション
映画祭・コミュニティシネマ
地域の知名度向上
地域の知名度向上
顕在的
潜在的
地域映画
地域の情報発信
ロケ費による経済効果
上映環境の地域間格差是正
誘致に伴う地域住民の交流
運営・上映時の地域住民の交流
制作における
地域住民の交流
1-2. 映画教育の歴史と現在
地方における映画を活用した事例の中でも,特に古くから行われている活動が,映画教育であ
る.ここではまず,その歴史に触れたい.大澤浄(加藤編 2006)によれば,映画と教育の関係は,
映画産業が発展し始めた 20 世紀初めの頃からすでに存在している.1911 年,映画は文部省に
通俗教育として調査・選別される対象となり,国家的な教育政策の手段として認識され始めた.
当初は,児童に悪影響を与える映画の鑑賞規制を,甲乙二種興行という年齢制限を設けた興行を
行ったが,制度的な限界から規制という形ではなく,教育的な意義が見いだせる映画の鑑賞を推
奨していくという積極的な方向に転換した.以上の変遷の後.映画教育は国民の教養を高めると
いう目的を明確に持つにいたる.1920 年代には,新聞の販売促進を目的とした,無料の巡回型
映画上映会を行っていた大阪毎日新聞社が,全日本活映教育研究会を発足させ,映画教育の導入
を全国に広げていく.その動きは国策に利用され,戦前には,国威発揚や国民文化の向上を目的
とした文部省推薦優良映画鑑賞会などが行われ,戦後,民主主義の徹底のため,巡回型映画教室
の実施が全国各地で行われた.1960 年代,テレビによる娯楽・教養番組の発展により,社会教
育としての映画教育は下火になるものの, 2001 年に施行された「文化芸術振興基本法」の中で,
映画はメディア芸術として法的に分類され,映画教育への前向きな検討がなされている.これを
受けて文化庁が設置した「映画振興に関する懇談会」がまとめた提言では,保存・普及の分野の
- 61 -
中で,子どもの映画鑑賞普及の推進について述べられている.
このような歴史をふまえた映画教育の先行研究の内容は,その教育的な意義や手法についての
検討が多くを占めている.その中でも特に大きなテーマは,学校教育に映画教育をどのように普
及させていくかというものである.しかし,映画教育を考察する視点には,1-1.の事例と同
様に.地域において映画教育がどのような役割を果たすのかという視点も必要なのではないだろ
うか.映画教育が全国各地で行われ,その文化を根付かせていた歴史からも,改めて映画教育と
地域の関係を考察することは,今後の映画文化の振興や地域での活用において有意義なものであ
ると考える.次章では,地域における映画教育が,地域コミュニティの振興に貢献する可能性を
見出すにあたり,市民参加型のアート活動として注目されているコミュニティアートの視点から
考察していく.
2
コミュニティアートの視点
2-1. コミュニティアート
アート活動において,その目的にコミュニティの活性化を掲げている活動が,コミュニティ
アートである.コミュニティアートとは,
「プロフェッショナルなアーティストが個人あるいは
グループで制作するアートに対して,『アーティストが一般の人々と一緒に,あるいは彼らを指
導する形でコミュニティー(地域)の中で行うアート活動』である」
(林 2004: 209).林(2009)
によると,コミュニティアートは,普段アートと親しみが無い人々にも,アーティストと市民の
協働という形で,アートに接する機会を提供することを目的としている.プロのアーティストが
制作した作品を市民が鑑賞するという従来の関係ではなく,市民自身が作品を制作する.個人の
趣味の芸術活動と異なるところは,必ずプロのアーティストが共同制作者,もしくは,指導者と
して参加している点である.コミュニティアートの始まりは,1960 年代から現在まで活動を続
けているイギリスの community development foundation(コミュニティ開発財団)の活動であ
り,その目的は,社会的な弱者に対して,政治的・社会的関心をあらわす手段として,アート活
動への参加を促すことであった.コミュニティ開発財団は現在の活動においても,芸術表現を手
段とした,社会・環境などの種々の問題解決を図る取り組みを行っている.
また,金淳植(矢作・明石編 2012)はコミュニティアートの特徴について以下のように述べ
ている.
「コミュニティアートの特徴は,
『市民参加型プログラムであること』や『プロセスを重視
すること』などが挙げられ,音楽や文学,映像など,さまざまな表現がコミュニティから
発信され,それが表現者・参加者とともに,コミュニティ内に還元されていく過程が重要
視されている」
(金 2012: 242)
続けて,金がまとめたコミュニティアートの具体的な効果は,以下の内容となっている.
- 62 -
(1)コミュニティ内の文化表現が豊かになる
(2)コミュニティが,外部に開かれ,アートを通して外部との交流をはかることができる
(3)アートに参加することでコミュニティ意識が高まる
(4)内外ともにコミュニティの新たな側面を発見できる(金 2012: 242)
コミュニティアートとして取り組むアート活動は,アーティストが市民と協働,または指導す
る形で行う表現活動である.ゆえに,コミュニティアートとしての映画教育は,子どもたちの表
現活動(映画制作活動)であることを前提として,その効果を検討していく.
2-2. 日本における映画教育
表現型の映画教育には,映画のメカニズムを学ぶ「工作型」と,映画作りに関わる一通りの作
業を体験する,
「「映像制作型」
」に分けられる.映画教育をコミュニティアートとして検証する
にあたり.参加者の表現活動が活動の核にある.
「映像制作型」の事例を用いる.
「映像制作型」の活動は,映画というコンテンツがどのような段取りで制作されていくのかを,
実際にスタッフとしての役割をそれぞれの参加者に割り当てて体験していくものである.
「映像
制作型」の映画教育の事例には,金沢コミュニティシネマの「子ども映画教室」や,KAWASAKI
しんゆり映画祭による「ジュニア映画制作ワークショップ」がある.
「子ども映画教室」は,金
沢コミュニティシネマ代表の土肥悦子が 2004 年に金沢で開催した子ども向けのワークショップ
であり,
「こどもと映画のアカルイミライ」を目指すことをミッションに,映画・映像に関する
ワークショップの企画・実施,学校などへのワークショップのコーディネートや,シンポジウム
の開催などを行っている.
「ジュニア映画制作ワークショップ」は,1995 年に川崎市の芸術のま
ち構想の一環としてスタートした,KAWASAKIしんゆり映画祭 i内の企画であり,中学生を対
象に「映像制作型」の活動が行われ,川崎市内の日本映画大学などが講師派遣や撮影機材貸出等
の援助を行っている.
「映像制作型」の活動は,どちらの団体も,募集によって集めた子どもたちを複数のグループ
に分け,数日間をかけて活動を行っている.以下は共通する大まかな活動の流れである.
(1)与えられたテーマに沿って,グループごとにどんな作品にするかを話し合う
(2)技術的なレクチャーの後,街に出かけ,撮影したいと思う場所を選ぶ
(3)自分たちが考えたイメージを元に撮影を行う
(4)映像の編集やポスター制作作業を行う
(5)上映会と舞台挨拶を行う
映画制作の段階は,大きく3段階あり,撮影内容の検討(脚本執筆)
,決まった内容に沿った
映像の記録(撮影),記録した映像の整理(編集)に分けられる.映画制作スタッフの役割は,
監督,撮影・照明,録音,演者に分けられ,それぞれ,映画全体の方向性(監督),どんな画に
i)
「市民(みんな)がつくる映画のお祭り」として,市民スタッフが,企画・運営の中心を
担い,行政がバックアップする市民映像祭.
- 63 -
するのか(撮影・照明)
,どんな音にするのか(録音),どのように演じるのか(役者)について
考えをまとめ,スタッフ内で共有して撮影を進めていく.
また.表現型の映画教育の特徴の一つは,活動の範囲に,完成した作品の公開(上映)と舞台
挨拶という内容が含まれていることである ii.完成した作品の上映と舞台挨拶の役割は,活動の
「評価」と「共有」にあたる.木下勇(木下 2007)は,ワークショップでの「評価」と「共有」
について,活動のプロセスを言葉にすることで潜在的な意識を顕在化させること,他者の認識を
知ることで自分の意識を広げられること,それらの気づきが創造性に繋がることを指摘している.
「映像制作型」の活動に参加した子どもたちは,完成した作品の上映と舞台挨拶によって,ただ
映画制作の体験に満足して終わるのではなく,自分の体験を他者の認識の中に位置づけ,自分の
意識を広げることができる.この特徴は,映画教育における,子どもたちへの教育的な効果のみ
でなく,地域振興に貢献するための効果としても,重要なことだと考えられる.
2-3. 映画教育の効果の仮説
映画教育をコミュニティアートとして捉え直すことによって,どのような効果が期待できるの
かについて,2-2.で述べた「映像制作型」の映画教育をコミュニティアートにあてはめて検討
する.そして.検討した内容を基に.映画教育がコミュニティアートの効果を発揮するかど
うかの仮説が表2である.問いと仮説について改めて整理すると.映画教育は地域振興に
貢献するのかという問いに対して.映画教育は地域振興に貢献する可能性があるが.コミ
ュニティ外部との交流と.参加者が映画を制作することに自己満足してしまうと.効果が
適切に発揮されないという点に課題があるという仮説が立てられる.
2-3-1. 文化表現の豊かさについて
映画教育によって豊かになる表現力は,映画制作を通して身に着ける,脚本執筆方法,演出方
法,撮影技術,映像編集技術,演技方法などがあげられる.映画教育は専門的な技術を身に着け
ることを目的とした活動ではないことや,活動期間の短さからも,これらの能力の向上はあくま
で初歩的なものだと考えられるが.参加者の文化表現は豊かになると考えられる.
2-3-2. 外部との交流について
映画教育はコミュニティ内の交流を活発にする.活動へ参加した者同士の交流,地域を舞台に
ii)
実際の映像制作の領域は,コンテンツが完成するまでであり,それ以降は作品の流通
に関する領域となる.商業映画で例えるなら,コンテンツの企画や配給を担当するのが映
画配給会社であり,それに基づいてコンテンツの制作を行うのが制作会社のため,本来,
制作と上映は切り離された領域にある.
- 64 -
映画を撮影するにあたって生まれる地域住民との交流,上映会や舞台挨拶などがあり,普段は接
する機会がない同世代や異世代との交流を生み出すことができる.しかし,前述した交流の内容
は,あくまでコミュニティ内の交流を活性化している例であり,本来のコミュニティアートが持
つ外部との交流には繋がらないと考えられる
2-3-3. コミュニティ意識の高まりについて
映画教育では.参加者が地域を題材にした映画制作を通して,地域について考えることによっ
て,コミュニティ意識が高まることにつながると考えられる.しかし,こうした効果は,参加者
が映画制作のみに集中をしてしまうと.その効果を得られないという不確定な要素を含んでいる.
そのため.映画教育の効果に.コミュニティ意識の高まりがあることは断定できない.
2-3-4. 新たな側面の発見について
地域を舞台に映画を制作する過程を通して,参加者は自らの地域でストーリーを構成し.カメ
ラ越しに地域に風景を見ることによって.今までとは異なる視点で地域について考える体験をす
る.このような体験は.参加者に地域について新たな発見や再発見を促すと考えられる.しかし,
2-3-3.の効果と同様に,参加者が映画制作のみに集中してしまうと.地域振興に貢献するため
の効果を得られないという可能性もあるので.映画教育の効果は断定できない.
表2
映画教育の効果の仮説
コミュニティアートの効果
映画教育の効果
(1)コミュニティ内の文化表現が豊かになる
〇
(2)コミュニティが,外部に開かれ,アートを通して外部との交流
×
をはかることができる
(3)アートに参加することでコミュニティ意識が高まる
△
(4)内外ともにコミュニティの新たな側面を発見できる
△
3
映画教育による地域振興
3-1. 前橋市短編映画制作ワークショップ
3 章では,2-3.で述べたコミュニティアートとして捉える映画教育の効果について,筆者が
2013 年に 1 年間を通して実際に取り組んだ,
「前橋市短編映画制作ワークショップ」を事例に,
より具体的に検討していく.また,単純に事例と比較した効果の検討のみではなく,その方法論
についても述べていく.
「前橋市短編映画制作ワークショップ」は,前橋市生活課の「平成 26
年度市民提案型パートナーシップ事業」の一環として行われたものである.この事業は,地域の
- 65 -
課題解決における市民と行政の協働の活性化を目的としている.その内容は,市民団体から地域
の課題解決事業案を募集し,書類審査とプレゼンテーション審査を通過して採択された団体との
協同事業を行うというものである.事業の妥当性を認められた団体には,その特典として,事業
における一部負担金の補助と,事業内容に相応しい課とのマッチングが行われる.
「前橋市短編映画制作ワークショップ」において解決しようとした課題は,前橋市の魅力の
PR 不足である.前橋市は,
「水と緑と詩のまち」をキャッチフレーズにしており,萩原朔太郎
をはじめとする詩にまつわるスポットや,赤城山の美しい景観など様々な魅力が存在する.しか
し,地域ブランド調査の結果において,「全体評価」や「観光意欲度」のポイントが低く,市の
魅力を十分に発信できていない状況にあった.この課題を解決するにあたって,
「前橋市短編映
画制作ワークショップ」では,市の魅力を PR するためのコンテンツ制作と発信,市民自身の地
域への興味・関心の向上という 2 点に事業の目的を絞った.
ワークショップは.前橋市内の小・中・高校生を映画の出演者として募集し,2014 年 8 月 20・
21 日,23・24 日の 4 日間の内,映画基礎学習と演技練習に 2 日間,撮影に 2 日間の内容で行わ
れた.映画基礎学習と演技練習は,市内施設で 1 泊 2 日かけて行い,まず,子どもたちは,映
画基礎学習として,座学で映画制作の流れを一通り学び,演技トレーニングとして,屋外で発声・
脚本に沿った演技練習等を行った.基礎学習を受けた子どもたちは.学生がスタッフを務める前
橋を題材・舞台にした短編映画へ出演.作品が完成した際には,シネマ前橋にて,無料上映会と,
監督・出演者による舞台挨拶を行った.
3-2. 活動に基づく仮説の考察
実際にワークショップに取り組んだ結果.映画教育は地域振興に貢献する可能性があるが.
コミュニティ外部との交流と.参加者が映画を制作することに自己満足してしまうと.効
果が適切に発揮されないという点に課題があるという仮説は妥当だと考えられる.それぞ
れの詳しい効果の検証結果を述べ.その結果を表3にまとめた.
3-2-1.文化表現の豊かさについて
「前橋市短編映画制作ワークショップ」に参加した子どもたちは,地域における映画制作活動
に積極的に取り組む姿勢が育まれたといえるだろう.具体的には,前橋市にぎわい商工課の事業,
「やる気の木プロジェクト」にて制作された市民参加型の地域映画「スーブニール」や,前橋市
生涯学習課の事業の「前橋映像塾」などに参加している.
「やる気の木プロジェクト」は,前橋
市内の大学や専門学校 14 校の学生が前橋の中心市街地を活性化することを目的として,2013
年 5 月に設立.主に中心市街地を対象に,市内外の大学,専門学校等の連携による「やる気の
木プロジェクト」を構築し,前橋の活性化・発展に寄与することを目的とした活動を行っている.
制作された「スーブニール」は,前橋大空襲を題材にした市民参加型映画であり,子どもたちは
エキストラとして参加した.「前橋市短編映画制作ワークショップ」における,短編映画編での
- 66 -
演技経験を,他の映画に活かしている例だといえる.
「まえばし映像塾」は,市政発信課のシテ
ィプロモーション事業,
「まえばしCMフェス」の一環として実施された,前橋をPRするCM
制作ワークショップである.小学3年生から中学3年生を対象にした「子どもコース」と,高校
生以上を対象にした「大人コース」の2コースが実施された.
「前橋市短編映画制作ワークショ
ップ」に「演者」として参加した子どもたちは,次のステップとして「制作者」として映像制作
に携わっている例だといえる.以上のことから,子どもたちの「演技」という表現活動の経験が,
他の表現活動へ波及している.以上のことから.文化表現の豊かさについての仮説は妥当である.
3-2-2.外部との交流について
コミュニティ外部との交流の創出という効果については,
「前橋市短編映画制作ワークショッ
プ」では,群馬県内の学生で組織された「メディアキャンプin群馬 iii」という団体が運営を担っ
ており,映画制作や演技などの技術的部分の指導は,プロの映像ディレクターや俳優に依頼をし
ていたため,参加者とスタッフとの間において.外部との交流がなされていた.以上のことから.
全面的に効果を発揮しないという仮説にはあてはまらないが.あくまで本来の意味としての外部
との交流については課題が残っている.
3-2-3.コミュニティ意識の高まりについて
ワークショップを通して.コミュニティ意識の高まりについて明確に効果を実感できる場面は
見られなかった.上映会における舞台挨拶や.参加者アンケートから.参加者が自分たちの地域
について考えるきっかけになっている部分は.地域の新たな側面や魅力を発見するに留まってお
り.前橋市民であることについての意識については.明確にその効果を確認できておらず.仮説
の通り.課題が残っている.
3-2-4.新たな側面の発見について
新たな側面の発見については,仮説とは異なり.参加者の多くが今までと異なった地域への視
点を持った様子が伺えた.その一例として.2014 年 11 月にシネマ前橋にて行われた上映会に
おいて,舞台挨拶を行った子どもたちは,
「自分たちがいつも住んでいる街の景色が,映画を通
して見ると,全く違う町に見えた」等のコメントをし,上映会に来場した市民と体験を共有して
いた.
iii)
2011 年から,群馬県のブランド力向上を目的に,高崎,前橋,富岡などを舞台に,地域
を PR する CM 制作ワークショップの運営や,メディア業界の著名な人物の講演会などを実施
している.
- 67 -
表3
映画教育の効果の検証結果
コミュニティアートの効果
映画教育の効果
検証結果
〇
〇
×
△
(3)アートに参加することでコミュニティ意識が高まる
△
△
(4)内外ともにコミュニティの新たな側面を発見できる
△
〇
(1)コミュニティ内の文化表現が豊かになる
(2)コミュニティが,外部に開かれ,アートを通して
外部との交流をはかることができる
3-3. 映画教育の課題と解決策
映画教育が地域振興に貢献するための課題には.コミュニティ外部との交流と.参加者が映画
制作に満足してしまうと.地域振興のための効果を十分に発揮できないという二点である.前者
については.活動団体同士のネットワークを創出すること.後者については.参加者に応じて.
映画要素と地域要素のバランスよく学ばせることが.課題の解決に繋がると考えられる.
3-3-1.外部との交流について
映画教育において.コミュニティ外部との交流を促すためには.映画教育に取り組む団体同士
のネットワークづくりが必要である.ここでは.キンダー・フィルム・フェスティバルという事
例に触れたい.キンダー・フィルム・フェスティバルは.世界三大映画祭の一つに数えられる.
ベルリン国際映画祭の児童映画部門「キンダー・フィルムフェスト・ベルリン」の協力により創
設されたイベントであり.東京都の調布市にて毎年行われている.「キンダ―・フィルムフェス
ト・ベルリン」にて上映された作品から 10 作品程を上映し.公募から選んだ子どもの審査員が
最優秀作品を選出する.
作品上映会の他に行われているのが.「ティーンズ・フィルム・コンペディション部門」であ
る.ティーンズ・フィルム・コンペディション部門は.国内で子どもたちによって制作された作
品を募集し.上映会を行うことで.映画教育を行う団体同士の交流の機会として機能している.
映画教育の課題である.コミュニティ外部との交流は.団体同士のネットワークづくりを通して.
このような団体同士の交流の機会を創出することで.解決する可能性がある.
3-3-2.コミュニティ意識の高まりについて
映画教育の参加者がコミュニティ意識を高めるために必要なのは.参加者に応じて.映画要素
と地域要素をバランス良く学ばせる工夫である.映画は総合芸術なので.監督.脚本.撮影.役
者など.その役割を分担することができる.映画教育は.その特徴を活用することで.コミュニ
- 68 -
ティ意識の高まりという効果を得ることができる.例えば.地域の偉人を題材にした脚本作りの
みを行うワークショップや.地域の文化を題材にした脚本に.役者としてのみ参加するなど.子
どもたちが学ぶ映画と地域の要素をそれぞれ限定することで.学ぶ内容を明確にすることができ.
結果的にコミュティ意識の高まりという効果に繋がるのである.また,学ぶ内容の明確化は,運
営する団体の活動目的の明確化にも繋がるだろう.
映画教育に限らず,コミュニティアート全般の効果の検討においても,一度の機会で,コミュ
ニティアートとしての効果を全面的に期待するのではなく,何をどれほどの割合で学ばせ,その
効果を得るのかというバランス感覚が重要だといえる.開催する会ごとのテーマ設定や参加者の
募集形態などを工夫することによって,参加者に応じた適切な活動内容を企画することが,映画
教育の発展には必要なのである.
4
活動の継続性
4-1. 映画教育の担い手
2 章,3 章では,地域に貢献する映画教育の効果や方法論について,事例や実体験から考察し
た.4 章では,その活動の継続に必要な担い手と経営基盤について考察していく.
映画教育の担い手について,映画教育全体の企画・進行を行う運営団体に注目して考察する.
運営団体に必要とされる要素は,映像コンテンツ制作における地域プロデューサーとしての能力
である.経済産業省(2010)によると映像制作における地域プロデューサーとは,地域の企業
や住民と連携して企画を整え,ビジネスモデルとして成立させるための「地域の魅力の抽出」,
「地域経済モデルの把握」,「ビジネスモデルの構築」を担う役割である.それぞれの内容につ
いて述べると,「地域の魅力の抽出」とは,映像化するコンテンツの選定を行う事であり,地域
そのものに対する十分な理解と,企画として成立させるための消費者の目線が求められる.次に,
「地域経済モデルの把握」は,発案した企画を経済モデルに乗せるためのプロセスである.この
役割は,事業としての価値を地域に示す段階でもあり,地域の企業や住民をより強く引きつける
ことが求められる.以上の準備段階を経て,「ビジネスモデルの構築」では,プロジェクトとし
ての座組を構築していく.このプロセスでは参加する企業の関係性を理解し,適切な組織体をつ
くり上げる必要がある.これらの内容を映画教育に当てはめて考察する.
「地域の魅力の抽出」は,映画教育で,地域のどんな内容を扱うかを選ぶ行為である.その際
に,地域プロデューサーには,地域の文化や魅力への深い理解と,題材選びのバランス感覚が求
められる.この題材選びのバランス感覚とは,参加者が制作する映画の題材という面と,参加者
に地域に関心を持たせる題材という面の両方に配慮できる視野の広さだといえる.また,この過
程で注意することは,地域の題材をそのまま紹介するような内容にするのではなく,あくまで,
子どもたちに主体的に読み取ってもらう材料として提供するという点である.この点に注意をし
なければ,先入観のない子どもたちによる,地域文化の新たな魅力の発見に繋がらなくなってし
まい,活動の効果が薄くなってしまう.次に,「地域経済モデルの把握」は,地域住民との良好
な関係形成である.具体的には,運営団体が映画教育の意義や価値,地域コミュニティに与える
- 69 -
効果について,舞台となる地域の住民に示すプロセスである.地域を舞台にした映画教育の内容
を充実したものにするためには,その活動に対する地域住民の理解や協力は不可欠である.具体
的には,地域における撮影の際に協力的に受け入れてもらえることや,活動の影響を外部に広げ
ていくために地域住民を巻き込む下地作りとして,大切なプロセスとなる.そして,「ビジネス
モデルの構築」は,参加アーティストの確定と,参加者募集の過程である.地域における映画教
育に参加するアーティストとして適切なのは,どのような存在だろうか.その理想は,地域に根
差して映像制作を行っている映像ディレクターである.地域に密着した映像ディレクターは,地
域の魅力について把握していることや,地域住民とのコネクションが築かれていることから,子
どもたちが映画教育を通して地域に参加する際の適切な方向性を選択できるだろう.アーティス
ト誘致の課題は,参加するディレクターへの報酬である.地域に密着している映像ディレクター
は,地元テレビ局やケーブルテレビ,ブライダル関係などが多くを占める.映画教育は,普段取
り組んでいる事業と比較すると,その報酬が低いことや内容の特殊性などから,映像ディレクタ
ーの負担になる可能性が大きい.このように採算が取れない事業への参加に対して,アーティス
ト側にどのようなメリットがあるかを提示し,理解を得る必要があるだろう.活動に対するアー
ティストの理解の深さは,全ての関係者にとって,活動の有意義性を左右するものである.
4-2.経営基盤の確保
4-1. では参加アーティストの報酬について述べたが,映画教育にとって経営基盤の確保は重
要な課題である.筆者が取り組んだ「前橋市短編映画制作ワークショップ」では,前橋市の負担
金を経営基盤として活動した.負担金の無い状況だったならば,それに応じて規模を縮小した活
動になっていただろう.負担金以外に収益を得るための取り組みとして,地元企業への協賛金の
募集と,上映会の際の募金箱の設置を行った.取り組んだ感想として,地元企業への協賛金の募
集は,地域住民との交流や活動の宣伝という点では有意義だったが,時間に見合う対価が得られ
たかというと,金額的な成果は低かった.協賛金を募集する際には,活動内容を事前にどれほど
周知することができているかも重要な要素であると感じた.募金箱の設置は,実際に映画を見て
頂いた方たちから多くのご厚意を頂き,予想以上の金額が集まった.この理由は,映画館で制作
した作品を共有し,実際に製作者,参加者の活動にかけた気持ちを伝えられたという,直接的な
コミュニケーションが行われた点と,募金箱という 1 人数円からでも協力できる気軽さという
点にある.
これらの経験から,経営基盤の確保の手段として,活動の周知,コミュニケーション,気軽さ
などの要素を満たすのに適しているのは,web を活用した資金調達の方法である,クラウドフ
ァンディングだと考える.米良はるか・稲蔭正彦(2011)によると,クラウドファンディング
とは,資金を調達したい個人や組織が,クラウドファンディングを運営しているサイトに申請を
し,その活動内容の妥当性や調達したい資金等を審査され,承認されれば契約を結ぶ.そして,
運営サイトに活動内容を掲載し,宣伝・告知を行い,web を通して世界中から資金を調達する.
クラウドファンディングは,寄付型,購入型,投資型の3パターンがあり,寄付型は慈善活動へ
- 70 -
の寄付が多く,購入型や投資型は,企業やクリエイティブな活動など,何かを作り出す活動が多
い.クラウドファンディングの特徴は,all or nothing 方式と,SNS との連携である.all or
nothing 方式では,資金調達をしたい各プロジェクトが,設定した期間内に,設定した目標金額
に達した場合に限り,プロジェクトは成立する.目標金額が達成されなかった場合は,プロジェ
クト不成立とみなされ,集まっていた資金は,資金提供者に返還される.資金提供者は,SNS
を使って取り組みの拡散を行えるため,情報拡散への協力者という立場で,共に成立までの過程
をたどることができる.単純に寄付をして終わりではないシステムによって,活動への参加度を
高めるのである.
クラウドファンディングの課題は,当然だが,資金調達が必ずしも成功しないという点だろう.
この課題はクラウドファンディングのみならず,資金調達全般における課題である.このような
課題に対して,コミュニティアートのような地域に密着した活動が強みを発揮する具体的な例と
して,国内各地域に密着したクラウドファンディングを行う,
「FAAVO」というサイトに言及し
たい.
「FAVVO」とは,株式会社サーチフィールドが運営しているクラウドファンディングであ
る.「FAAVO」は「『出身地と出身者をつなぐ』ことをコンセプトとした『地域×クラウドファ
ンディング』
」というテーマを持ち,地域・地方に特化したクラウドファンディングのプラット
フォームを持っている.最大の特徴は,「FAAVO 宮崎」「FAAVO 新潟」など,各地域のプロジ
ェクトを専門にあつかうクラウドファンディングのサイトを,地域ごとに運営している点である.
「FAVVO」の地域ごとにプラットフォームを持つという特徴は,地域で取り組む映画教育に適
した,活動資金の集め方だと考える.また,この方法ならば,アートに関心がある人のみではな
く,教育や地域振興に関心がある人へのリーチも可能となるため,広く地域を巻き込んだ取り組
みへのきっかけづくりとなるのではないだろうか.
おわりに
筆者は学生生活を通して,フィルムコミッション,コミュニティシネマ,映画祭,地域映画な
ど,映画を活用した地域振興の事例に携わる機会に恵まれた.本論文では,その中でも特に感銘
を受けた映画教育について,学術的な考察を行った.具体的には.映画教育は地域振興に貢献す
るのかという問いに対して.映画教育は地域振興に貢献する可能性があるが.外部との交流と.
参加者が映画制作に満足してしまうと.その効果が適切に発揮されない.この課題を解決するに
は.映画教育を行う団体同士のネットワークづくりや.参加者に応じた映画要素と地域要素のバ
ランスに工夫が必要であるという結論に至った.
執筆を通して,実際に筆者が取り組んだ「前橋市短編映画制作ワークショップ」の事例を踏ま
えて論じられたことは,自らの経験をより客観的に捉え直す機会として,とても有意義だったと
考える.表現型の映画教育は,まだまだ未発達な領域のため,地域振興のツールとしての潜在的
な機能は,今後の事例の積み重ねによって,より多様な可能性を見出すことが出来るのではない
だろうか.本論文が,そのような映画の可能性を広げる一助になれば幸いである.
- 71 -
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- 72 -
聖と俗をつなぐ場としての伝統宗教施設
―現代における地域寺社の役割―
森谷 奈央子
はじめに
人々との関係が希薄化したことにより,寺院や神社の存続が難しくなっていると聞いて衝撃を
受けたことがある.神社や寺院といった存在は地域の中に当たり前に存在し,ずっと続いていく
ものだと思っていたからである.寺院や神社は日常空間にありながらも非日常を感じさせる場所
で,どこか惹かれるものがある.しかし,寺院や神社の役割を問われれば,寺院であれば葬儀,
神社であれば神事を行う場所であり,普段に訪れることが少ないというのも,またたしかかもし
れない.寺院においては山門を閉じ,気軽に立ち入れない雰囲気を醸し出しているところさえあ
る.過去には寺院や神社には多くの人が日常的に足を運び,地域の中心的存在として地域と共に
文化を育んできた公益性のある場所だった.ところが現代の寺社を見るとそうした公益性が薄れ
てきているように思われる.寺院や神社は公益法人のひとつである宗教法人となっているところ
がほとんどだ.ならばこのまま公益性をうしなっていくことは避けなければならないのではない
だろうか.また,生活の中で非日常を体験することができる数少ない場所として残していく必要
はないのだろうか.近年ではそうした現状を危惧した寺社が新たな取り組みを始めている.本稿
ではそうした寺社の活動に注目することで寺院や神社が現代においてどのような役割を果たし
うるのかを考えていきたい.
1
宗教のもたらす影響
1-1. 信仰から生まれた合理化
宗教施設は人々と宗教とをつなぐ布教の活動拠点としてつくられたものが多く,当然ながら宗
教とは切っても切り離せない存在となっている.そのため,宗教施設と人々との関係が希薄化し
ていることから人々の宗教離れが指摘されることがしばしばある.では人々と宗教の間にはどの
ような関係があるのだろうか.
まず宗教とは一体何なのであろう.宗教に関する定義は数多く存在するが,デュルケム
(Durkheim 1912=1941)は宗教の本質を「聖なるもの」に求めた.世界を聖(sacré)と俗
(profane)という二つの領域に区別し,その二つの内の「聖なる事物」に関わることがあらゆ
る宗教思想に共通して見られる特徴なのだという.デュルケムによれば「宗教とは聖物,換言す
れば分離され,禁忌された事物と関連する信念と行動との連帯的な体系である.教会と呼ばれる
同じ道徳的共同社会に,これに帰依するすべての者を結合せしめる信念と行事との連帯的な体系」
(Durkheim 1912=1941: 85)なのだという.
原始社会より続いてきた聖なるものとの関わり,すなわち宗教は社会に対し様々な影響を与え
- 73 -
てきたとしてデュルケムをはじめとする様々な研究者が注目してきた.M.ウェーバーもまた宗
教現象を研究テーマとし,宗教が社会にどのような影響を及ぼすのかを明らかにしてきた.ウェ
ーバーの著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(1904‐05=1969)
(以下倫理
論文)は彼の宗教社会学に関する問題関心が初めて形になったものである.以下岩井洋(井上順
孝編 1995)の解説も参照しながら倫理論文についておおまかに見ていき,宗教が社会にどのよ
うな影響を与えうるのかを見ていく.
倫理論文においてウェーバーはまず,なぜ西ヨーロッパにおいてのみ合理的な資本主義が成立
したのかという問いを立てる.その上で近代ヨーロッパにおいては企業経営者や上層の労働者た
ちがカトリックに比べてプロテスタントである場合が多いことを統計から導き出し,近代資本主
義社会の根底にある経済的合理主義とプロテスタンティズムの間には何かしらの関係があるの
ではないかと考えた.ウェーバーは,資本主義を根底から支えるものを「資本主義の精神」と名
付けている.その古典的な例としてベンジャミン・フランクリンの処世訓が挙げられているが,
そのおおまかな内容は次のようである.信用のできる正直な人間を理想として,とりわけ自分の
資本を増加させることを目的と考えることが各々の義務であるという考えで,そこでは営利や利
潤追求が倫理的義務となっているのだ.
研究を進めていく中でウェーバーはプロテスタンティズムの禁欲的な生活態度に注目してい
く.プロテスタンティズムにおける禁欲とは,神からの救いの確証を得るためには,神から与え
られた職業に徹して,神の意志の道具として専心する他に方法はないというものである.禁欲的
な生活態度はカトリックにも見られることだが,カトリックが世俗から離れた世俗外,普段の生
活とは離れた場所で禁欲を実践しているのに対し,プロテスタンティズムでは世俗内で禁欲が実
践された.ウェーバーはこうした世俗内で行われるようなプロテスタンティズムの禁欲的な生活
態度を世俗内禁欲と呼んだ.
世俗内禁欲では営利や利潤の追求が信仰上の義務となっている.しかし節約が強制されている
ために,得られた利益は当然新しい営利のために投資されるほかにない.こうした,利益を得る,
資本を蓄積する,資本を投下する,再び利益を得る,といったサイクルが資本主義のシステムを
育てていったというのだ.つまり,人々が救いの確証を得るために熱心に宗教的な実践をしなけ
れば西洋における近代化はもたらされなかったかもしれないのである.そうだとするならば宗教
というものが確かに社会や人々を動かすほどの影響力を持っていたといえるだろう.しかし,こ
の後正反対の展開が訪れる.資本主義の精神であった,救いの確証を得るための職業に専心し,
資本を増加させるという行動は,資本主義が発達していくにつれて,次第に宗教的な支えを必要
としなくなり,合理性という部分だけが重要視されていくことになるのだ.こうした現象をウェ
ーバーは「合理化」と呼ぶ.以上が倫理論文の大まかな内容であるが,この合理化の動きがのち
に世俗化という議論に発展していく.
1-2. 世俗化する宗教と宗教施設の衰退
世俗化とは一般的には宗教が社会の中での影響力を失っていくことをいう.世俗化に関する議
- 74 -
論はドベラーレによってまとめられている.ドベラーレ(Dobbelaere 1981=1994)はウェーバ
ーの議論を用いながら宗教がどのように世俗化したのかを次のように指摘している.
経済秩序における合理化の過程は,機械を基盤とする大規模な工場と巨大な官僚制度を
産み出した.そこでは個人は単なる役割遂行役となる.こうした強制的配置は,政治,教
育,そして家庭といった他の社会制度にも影響を及ぼした.事実,社会生活はゲゼルシャ
フト的な関係によって支配され,縦と横の社会的結合の多くは破壊された.人間は共同体
的関係を失い,共同体を基盤とする宗教は,社会に与える影響力を喪失した.宗教はもは
や不安定な下位世界,つまり,家族,私的領域,宗教集団に縮小されたのである.
(Dobbelaere
1981=1994: 50)
かつては社会を動かすほどの影響力を持っていた宗教は共同体において力を発揮していたが,
近代化された社会ではかつてのような共同体関係は崩壊し,影響力を失った宗教は役割が限定さ
れていくことになった.
またドベラーレ(Dobbelaere 1981=1994)は人々の宗教施設(教会)への関与についても触
れている.
西洋世界では特に 1960 年代頃より人々の教会への関与は劇的に衰退しているという.
神や死後の世界を信じる人は減少し,また人生儀礼のような節目ごとの行事にも神が関わらなく
なってきている場所もあるというのだ.近代化した社会では超自然的な存在というものはほとん
どの人々の日常生活からは遠のき,また人々はそうした存在に頼るということを必要としなくな
ってきている.そのため教会という宗教と密接に関わる場所からも宗教性が失われてきていると
いうのである.またアメリカにおいては教会への関与が衰退した要因にカウンターカルチャー
(対抗文化)が関わっているとされる.1960 年頃,青年層の中で東洋思想などが高まり,ドラ
ッグの合法化や性の自由な在り方への好意的な態度,また伝統的な権威への否定といった行動が
見られるようになった.しかしこうした行動が起きたにもかかわらず宗教団体は社会の中で力を
発揮できず,若者たちの期待に応えることができなかった教会は,社会の中で益々影響力を失っ
ていくことになったというのだ.
こうしてみると宗教が社会の中で影響力を失っていることは否定することができない.しかし
私的領域に限定されていったとあるように,人々の生活の中,個人のレベルに目を向けると未だ
に宗教への関与があることがわかる.宗教が個人の趣味や心の内面の問題へとシフトしてきたの
だ.これは一般に宗教の私化や私事化と呼ばれている.ルックマン(Luckmann 1967=1976)
はこうした現象を「見えない宗教」と呼んだ.また,1970 年ごろからは世界的な宗教回帰の動
きがみられるようになり,日本でも同じような現象が起こるのである.次章からは日本の伝統宗
教ともいえる神道,仏教と深いかかわりを持つ神社や寺院と人々との関係に注目していく.
- 75 -
2
聖なるものを求める人々
2-1. 宗教のイメージ
日本で主として信仰されている宗教は仏教と神道である.この二つの宗教は神仏習合という歴
史があるようにはっきりと区別されることなく信仰されてきた.宗教年鑑(2012)によれば全
国の神道系の信者数は 100,770,882 人で,仏教系の信者は 84,708,309 人で合計すると日本の総
人口よりも多くなっている.弓山達也(井上編 1995)によれば,これは宗教団体によって信者
の捉え方の基準が異なるために生じているという.例えば仏教では家が寺に墓を持ち,その寺の
住職に葬儀を頼んでいれば,その家の世帯全員が信者ということになる.また神社であれば神社
周辺の一定の地域に住む人全体が信者ということになるのだ.そのため一人で二つの教団の信者
となっている場合が多いというのである.
また弓山は仏教や神道は寺院や神社を中心とした共同体によって信仰されてきたもので,季節
ごとの祭りや結婚式などのセレモニーも信仰の行事に当てはまるとしている.日本では宗教は伝
統的な村落社会の成立・維持に大きな役割を果たしてきたとされる.日本社会は古来より地縁,
血縁によって結びついてきた.そして地縁や血縁を象徴しているのが産土神や氏神であった.こ
うした神々は地縁,血縁を同じくする人々の共通のシンボルであり,祭などを通して共同体の構
成員としてのアイデンティティをもたらしたというのである.日本における宗教は家を中心とす
る共同体的性格を強く持っているものだが,現代ではそうした性格は弱まってきている.それは
かつてのような共同体の関係が崩壊してきたことが大きな原因といえるだろう.しかしながら日
本においてもこうした流れと共に宗教が無くなってしまうわけではない.1970 年ごろから世界
的な傾向として見られたスピリチュアル・ブームや新宗教の興隆に見られるように人々の宗教へ
の興味は依然としてみることができるのである.またスピリチュアル・ブームは今現在でもゆる
やかに続いているようで仏像や御朱印などに興味を持つ人々がメディアに取り上げられること
もある.こうしたことから,人々は伝統的な形の信仰がなくなった現代においても宗教的なもの,
つまり聖なるものに惹かれているのではないだろうか.また西久美子によると,2008 年にNHK
放送文化研究所が行った調査 iでは,信仰とは別に宗教に対して「親しみ」を感じるかどうかと
いう項目について,親しみを感じると答えた人が最も多かったのが仏教の 65%で,次いで神道
が 21%という結果が出ている.また 1998 年の調査と比較すると,それぞれ親しみを感じると
いう人の割合が増えているということだった.こうした人々の様子からは,西洋の事例のように
伝統的な信仰がなくなってきた今でも聖なるものとの関わりを求めているということができる
のではないだろうか.しかし,日本人は無宗教であるといわれるように何かしらの宗教を信仰し
ている人は 39%と少ない(西久美子 2009).日本の原始宗教は神道であるが,神道には数多の
神が存在するため特定の神を信仰する文化がもともとなかったことや,仏教や神道は習俗と捉え
られている面もあること,そして宗教に対するマイナスイメージを持っている人が多いというこ
とも関係しているのではないだろうか.またこのマイナスイメージを抱く対象は新宗教である場
NHK 放送文化研究所では ISSP という国際比較調査グループに所属しており,日本に関する
調査を行っている.
i
- 76 -
合が多い.それにはオウム真理教による地下鉄サリン事件も大きく影響していることは間違いな
いだろう.
新宗教に対して人々はどのような印象を抱くのだろうか.この新宗教という言葉は近代以降に
見られるようになった新しいタイプの宗教を指して用いられることが多い.國學院大學 21 世紀
COE プログラムが 2004 年に行った世論調査では,神道(神社)
,仏教(寺院)
,キリスト教(教
会)
,新しい宗教団体のそれぞれの宗教団体を信頼できるかという質問に対し,伝統宗教に関し
ては信頼できると答える人が半数から半数以上であるのに対し,新しい宗教団体では信頼できな
いと考える人が 7 割ほどであった.また新しい宗教団体に対しては怖い・ぶきみ,教祖の強い
個性,金もうけ主義,強引な勧誘といったマイナスイメージを持つ人が多くなっているのである
(國學院大學 COE プログラム 2006).
こうしてみると宗教といっても新宗教と伝統宗教ではイメージにかなりの差があるように感
じられるが,この差はいったいなんなのだろうか.そこには聖と俗のバランスが関係していると
考えられる.これを図 1 に示した.新宗教は指導者を中心として時に信者たちが洗脳されてい
ると感じるほどに熱心に信仰している印象を抱く.これは宗教の聖なる要素が強くなっていくに
つれて次第に脅威を感じてしまうためではないだろうか.また新宗教には強引な勧誘やお金儲け
といった俗を強く感じさせる一面もあり,俗ならではのいやらしさを感じさせてしまうことにな
っていると考えられる.これはどちらも人々の日常とはかけ離れたイメージを与えるため受け入
れがたい印象を与える.それに対し伝統宗教は共同体の中で信仰されてきたこともあり,伝統宗
教における墓参りや葬式,祈祷や祭りをはじめとする儀礼などの聖なる要素は人々の日常生活の
中に溶け込んでいる.そしてそれらは完全に俗になってしまうのではなく,様々な規則(禁忌・
タブー)によって聖の要素が保たれてきた ii.人々が新宗教に比べ伝統宗教に対し親しみを抱く
のは生活,文化の中に宗教の要素が溶け込んでいるから,というだけではなく,人々が恐怖を感
じるのではなく尊いと感じられるだけの聖の要素を保っていて,また人々の生活(俗)のにうま
く組み込まれていることが大きく関係しているといえるだろう.伝統宗教が人々の日常に近い存
在であるのに対し,新宗教における行動は日常から逸脱したものと捉えられるためマイナスイメ
ージを与えやすいのである.
伝統宗教は人々の生活にうまく溶け込んでいることから人々に受け入れられ易い要素を持っ
ていることを示したが,一方で長い間生活の中に溶け込んできたことが寺院や神社にとってはマ
イナスの影響ををもたらしたともいえるだろう.宗教の影響力が弱まる中で寺院や神社といった
場所の役割もまた限定されていき,仏事や神事のみを行う場所として認識されるようになってい
った.そして寺社もそれを受け入れていたように思う.それではそうした結果,現在の寺社はど
のような状況にあるのだろうか.
デュルケム(Durkheim 1912=1942)は「聖物とは禁忌が保護し孤立せしめる物」であると
した.
ii
- 77 -
図 1 宗教に抱く印象
2-2. 取り残される寺社
第一生命経済研究所の調査によれば 2009 年に寺院を訪問した人は全体の 76.9%おり,ほとん
どの人はお寺を訪れていた.目的別に,最も多かったのは「お墓参り」(62.8%)で,次いで多
いのは「観光・旅行」
(33.7%),そして「法事」
(30.5%)となっている.
「除夜の鐘つき・初詣」
で訪れた人は 28.9%で,日常的に行われる「お寺の行事(講演会,縁日,写経会,音楽会など)」
に参加した人は 14.5%しかいなかった(小谷みどり 2009).
クム,金澤が行った明石市中尾住吉神社の周辺住民へのアンケート調査によれば人々が神社を
訪れる理由としては散歩やお参り,祭,遊び場など寺院と比較すると日常的に訪れるような理由
が挙がっていた.また清掃や行事への協力なども見られた.しかしその一方で月の内にどれくら
い訪れるのかという質問に対しては回答者の半数近くがほとんど行かないと回答していた(ク
ム・金澤 2005).
こうしてみると現代では人々が日常的に寺院や神社を訪れることは少なくなっているように
感じられる.しかしながら前節で触れたように伝統宗教への関心は高まっており,寺社もその対
象になっているのである.それでも寺社と社会との関係が薄れつつあることにはやはり,共同体
が崩壊し機能が縮小されたことが関わっているだろう.寺院や神社という場所は,かつて人々の
集まる集会場,懇親の場,読み書きなどの教養を教える場,文化教養や地域文化の発展の場であ
った.しかし共同体関係が崩れ,社会が近代化していく中そうした役割は行政へとシフトしてい
った.そのため人々が寺社と関わる機会が減り,足が遠のいてしまったのだろう.また先述した
ように,人々の生活の中で仏事や神事のみを行う場所として存在してきたことで,寺社という場
所はいつの間にか単なる風景になろうとしているのである.こうしたことから現在では存続に悩
む寺社も増えてきているという.しかしながらこのような状況に陥った原因は寺社にもあるので
はないだろうか.人々との関係が希薄化していく中でも,生活の中に宗教の要素が残っているこ
- 78 -
とに安心し,行動に移すことができなかった部分もあるのではないだろうか.
日常生活に近いところで身近に聖なるものを感じることができる場所であるため,という他に,
寺社が積極的に人々との関係を修復すべきではないのかと考える理由がもう一つある.それは寺
院や神社の多くが公益法人の一つである宗教法人となっているためである.公益法人は広く社会
の公益のために活動を行う必要がある.しかし現在の寺社は社会とのつながりさえも失おうとし
ているのである.果たして,このまま社会とのつながりが薄れていくままで良いのだろうか.人々
に聖なるものと触れ合う機会を提供するにも,公益性を発揮するにも,まずつながりを再生させ
る必要があるのではないだろうか.
2-3. 聖と俗をつなぐ場としての寺社
近年,こうした寺社の現状を危惧し新たな活動に乗り出している寺社が増えてきており,人々
の支持を得ている.カフェやコンサート,バザー,結婚式のプロデュース,体験授業,子育て支
援,カウンセリングなど様々な取り組みがなされているが,取り組みにはいくつかの特徴が見ら
れる.一つは,これまでの寺院や神社という枠を超えた活動になっていることである.これまで
の寺社は役割が限定されたことで人々にとっては仏事や神事を行う場所でしかなかった.ところ
が新しい取り組みではコンサートや子育て支援といったこれまでの寺社では考えられないよう
な活動を行っているのである.図1でいえば伝統宗教と日常の重なる部分から飛び出したような
活動といえるだろう.またこうした取り組みは既存の檀家や氏子といった限られた範囲の人々だ
けを対象とせず,多くの人に働きかけたものといえるだろう.そしてこれらの取り組みは大きく
二つに分類できる.活動は既存の寺社の枠を超えたものと述べたが,一つは寺社が宗教施設であ
ることを意識した宗教色の強い活動であり,既存の活動よりも聖の要素が強いものといえるだろ
う.例えば座禅や巫女の体験,仏教や神道を学ぶセミナーなどがそうである.またもう一つは寺
社が公益的な施設であることを意識した公益性を重視する活動や娯楽に関わる活動である.人々
の生活,すなわち俗の要素が強いものである.生活に関わる講座や福祉分野に関する支援事業な
どが当てはまるだろう.
こうした取り組みの多くは規模の大きな寺社が取り組んでいる場合が多いが,地域の中にある
寺社の多くはそう規模が大きなところばかりではない.聖なるものへアクセスできる場所である
こと,また公益性を持った場所であることは観光地のような大規模な寺社に限らず,人々の日常
に近接した地域の中の寺社にも必要なことではないだろうか.では地域の中にある寺院や神社が
人々に働きかけることで寺社にどのような変化があるのだろうか,また活動の中にはどのような
問題がみられるのだろうか.次章では二つの施設による活動を取り上げ分析する.
3
寺社は開かれるのか
3-1. 高崎山名八幡
高崎市にある山名八幡宮は「安産と子育てに縁起のある創建 830 年の歴史ある神社」
(山名八
幡宮ホームページ)である.この山名八幡宮では地域の母親に向けた子育て支援である,
「ミコ
- 79 -
カフェ」という取り組みが行われている.このことから山名八幡宮ではより俗の要素が強い取り
組みを行っているといえる.このミコカフェの活動については主にミコカフェ facebook と筆者
が聞き取り調査を実施した情報をもとに活動についてまとめていく.
ミコカフェは 2012 年より開始された活動である.活動を始めたきっかけは山名八幡宮の特徴
を活かしながら何かできないかと考えたときに,山名八幡宮が安産と子育てに縁起があるという
こともあり,少子化や,子育てを行う母親の孤立といった社会問題を解決していくために子育て
支援をしていく案が持ち上がったことである.子育て中の母親,特に未就園児を持つ母親は,核
家族化や地域との関係が希薄化している現代において育児中孤立しがちである.身近に頼ること
のできる場所が少ないため不安と闘いながらの育児は辛いものと感じてしまい,二人目,三人目
につながらない.そこでミコカフェでは孤立しがちな母親たちが社会との接点を持てるよう,コ
ミュニティの場を用意し,少しでも母親たちの不安や負担を軽減しようとしている.
ミコカフェが支援を行う主な対象は 0~3 才の未就園児を持つ母親たちである.ただし,小学
校低学年くらいまでの子供を持つ母親も参加しているようだ.活動が開始された当初は月に一度
のセミナーが開かれ,現在までで 26 回ほど,のべ 200 人程度が参加しているという.このセミ
ナーでは時には地域の母親たちが講師として自分の持つスキルを活かす場所にもなっているよ
うである.また神社で行われる他のイベントや地域の中の子育てイベントにも参加することもあ
るようだ.現在では子供や父親も参加できるような企画も用意されており,なかでも月に一度開
催される「あそびばプロジェクト」が人気だという(この企画はミコカフェだけでなくままえー
るやママプロぐんま他いくつかの団体と共同で行われている)
.
「家族と一緒に最高の休日を過ご
そう」ということをコンセプトにペンキ塗りやちょうちん作り,焼き芋,雅楽の演奏会やだるま
作り,神社体験など様々な企画が用意されている.
こうした取り組みの背景には子供たちの遊び場である公園が,今では制約が増えてしまい自由
に遊べなくなってしまったことがある.あそびばプロジェクトは山名八幡宮の境内を利用して行
われているが,今後も神社内の空いている建物などを利用して親子で楽しむことのできる企画を
開催していきたいとしていた.現在ではイベントやセミナーなどが中心であるが,今後は現在テ
ストオープン中のキッズマタニティカフェ,mico café を常設のものにしていき,またそこから
母親たちの雇用を生んでいきたいとのことだった.現在ミコカフェの情報は face book にて随時
知らせる形になっている.
このようなミコカフェの取り組みを通して神社に変化があったかを尋ねたところ,山名八幡宮
では,ミコカフェ以外の神社の行事に参加する若い世代が増えているそうである.また今後の活
動について伺ったところ自国の文化を正しく発信できる子供たちを育てていきたいとのことだ
った.日本では自国の文化に誇りを持てない,またよく知らないという若者が多い.神社は日本
文化の詰まった場所であり,そうした日本らしい施設の中で子供たち,また海外の方にも日本の
文化に親しんでもらえるような取り組みを行っていきたいとしていた.その第一歩として山名八
幡宮では「まなぱる」という子供向けの英会話教室が今年の 11 月からスタートし,すでに 40
名ほどの生徒が集まっているそうだ.
- 80 -
3-2. 東京光明寺
光明寺についてもホームページと実際に行った聞き取り調査の情報をもとに活動についてま
とめていく.光明寺では人々に,より仏教や寺に親しんでもらおうと 2005 年より境内の一部を
開放し,地域の人々が自由に利用できる「神谷町オープンテラス」という活動を行っている.こ
のことから光明寺の活動はより聖の要素が強いものといえる.通常檀家のほかは立ち入りにくい
雰囲気を醸し出している寺院も多い中,光明寺では境内の中にあるテラスを開放し,平日の 9
時から 17 時まで葬儀や法事などお寺の用事のない日であれば誰もが出入りできるようになって
いる.テラスが本堂の前にあることから誰もが参拝できるだけでなく,テーブルやイスが設置さ
れ,自由に休憩できるようになっている.仏教関係の書籍も置かれているようだ.またオープン
テラスではおもてなし,傾聴も行っている.こちらは予約制であり,おもてなしでは来訪者にお
茶とお菓子を提供している.おもてなしは 11 月から 4 月の間はテラスでの長居が難しいため休
みとなっている.もう一つは傾聴でこちらはじっくりと話を聞くような相談の場になっている.
基本的には木曜日の 11 時から 14 時まで,一回 50 分,一回につき 4 名までを受け入れている.
ただし,水曜日また金曜日に話を聞いてもらうことも可能である.おもてなしが休みの期間は水
曜日と木曜日に寺院の本堂にて傾聴を行っている(光明寺ホームページ).
オープンテラスの活動は,地域の方,お寺に縁のある方にとって仏教やお寺が身近で,親しま
れるようになればよいという思いで開始されたそうだ.もともとはインターネット寺院彼岸寺
iii
を運営している松本圭介氏の提案で始められたそうである.オープンテラスを訪れる人は三つの
パターンに分けられるということだった.ひとつはテラスを憩いの場として利用する近所の人々.
もう一つはおもてなしを利用する人々.そして傾聴を希望する人々である.テラスを訪れるのは
檀家のほか,寺院がオフィス街にあることで周辺の会社員も多く訪れるようだ.筆者が訪れた日
は雨も降り,気温も低い日だったにも関わらず数人のサラリーマンらしき人たちがテラスでくつ
ろいでいた.普段はお昼頃になると弁当を持参した女性が多く訪れるとのことだった.おもてな
しを利用するのは 3:1 の割合で女性が多く,傾聴に関しては 7 から 8 割が女性ということだっ
た.
また,予約をメールのみで受け付けていることから 3 から 40 代の利用者が多いようである.
おもてなしや傾聴を利用する人の中には常連になる人もいるようだ.また近場の方だけでなく,
インターネットや他のメディア等で知り遠方から足を運ぶ場合もあるとのことだった.
寺院を訪れる人々が何を求めていると思うかと尋ねたところ,お寺独自の雰囲気に潜在的に癒
しや安らぎを求めているのではないかということだった.解放された憩いの場としては公園など
も考えられるが,公園にはないお寺がもつ独特の雰囲気に,意識しているかは別として惹かれて
いるのではないかということだった.また最近はレストランだけでなく公園でさえも子供が騒ぐ
ことを気にするがお寺はもともと子供にやさしく,泣いたり騒いだりする声を気にしなくてもよ
iii
インターネット寺院彼岸寺は,
「宗派を超えた仏教徒や普通の人たちが新しい時代の仏教につ
いて考え,行動をする,インターネット上のお寺」
(彼岸寺ホームページ)であるとして,お寺
や仏教に関する情報発信を行っている.
- 81 -
い場所なのだとも話されていた.
境内を解放したことで寺院に変化があったかを尋ねたところ,活動を開始して間もなく感じた
ことはお寺の雰囲気がよくなったことだそうだ.様々な人が訪れるようになることは檀家からも
好評だったようである.また光明寺に限ったことではないが,人の出入りが生まれることで賽銭
の盗難などが減るという効果も期待されるようだ.また活動を始める以前は寺院であることを認
識してもらえないこともあったが,解放して始めて寺院と知り,新たに関わりを持つこともある
そうである.
光明寺ではオープンテラスのほかに誰そ彼(たそがれ)というコンサートと法要を組み合わせ
たイベントやテラヨガという寺院でヨガを行う活動も行われ,比較的若い世代の人が多く参加し
ているようである.最近では仏教について一般の人々が語り合うイベントも開催されたようだ.
今後の活動については,今の活動をじっくり続けていきたいとのことだった.オープンテラス
の現場の運営は店長である木原氏が一人で行っているということもあるが,今お寺を訪れている
人たちを大切にしたいということと,人が増えすぎることでお寺の雰囲気が壊れてしまうことが
心配されるためということだった.
3-3. 事例分析
二つの取組みはこれまでの仏事や神事を行う場所である,寺社という枠にとらわれない活動に
なっているが,山名八幡宮と光明寺の取り組みは,山名八幡宮では子育て支援という公益(俗)
の面から,光明寺では仏教を身近に感じてもらうため寺院という場を開放していることから聖の
面から人々に働きかけているものといえ,異なった面からのアプローチがされていることがわか
る.しかしながら,いずれの取り組みも聖,俗(公益)の片方を重視しているわけではない.山
名八幡宮ではミコカフェの企画の中に雅楽や神社体験など神道の要素を含んでいるものがあり,
神社神道という聖の部分も意識されていた.また光明寺においても単に寺院という場所を開放す
るだけでなく,人々の悩みを受け止めるという人々の生活,俗に関わるような公益的な活動や仏
教色の強い活動も音楽などの娯楽的要素と組み合わせて行われていた.寺社が行う活動には,既
存の役割に比べ聖または俗(公益)のいずれかの要素が強い取り組みをきっかけに人々に働きか
ける二つのタイプが見られたが,それぞれの活動内容には両方の要素が組み込まれていることが
わかった.寺院,神社が公益法人として,また人々の聖なるものへの欲求に応える場として機能
するためには,いずれの面から働きかけるにしてもこの二つの要素を取り入れていく必要がある
のではないだろうか.なぜなら寺院や神社という場所を開放するだけでは人々の聖なるものへの
欲求に応えることはできるが,つながりを再生するには至らないためである.神社は比較的開か
れた場所であるが,開かれているだけでは人々との関係は取り戻すことができない.そのためつ
ながりを再生するためには人々の生活という俗(公益)の面から働きかけることが必要だといえ
るだろう.また,寺社という場所により興味を持ってもらうためには活動に寺院や神社,仏教や
神道を知ってもらう機会を取り入れることも考えなければならない.そして,そうした活動によ
って生じたつながりを強くするためには活動を継続する必要がある.それぞれの活動は毎月数回
- 82 -
は必ず行われている.ある程度の頻度を保ち活動を行うことが,人々に寺社へ足を運ぶことを定
着させるということにつながっているのではないだろうか.いずれの施設も活動を開始して以降
に訪れる人が増えており,地域の寺社がこうして開かれ,人々との結びつきをつくるきっかけを
持つことで確実に社会とのつながりを取り戻すことができるのだといえるのではないだろうか.
二つの取組みに関する情報発信は SNS やホームページなどを用いて行われていることから多
くの人に活動が伝わりにくいのではないかと考えたが,活動が口コミによって広まるにつれて寺
院,神社に訪れる人も増えているようだった.また,あまり人が増えすぎることで寺院や神社の
雰囲気が損なわれる可能性もあることから,過度の発信は必要ないと考えられる.ただし,先述
したように両者とも活動を継続して行っていることで利用者が増えていると考えられ,活動を行
う際にはイベントのように一過性の強いものを行うにしても,どのように活動を継続していくの
かも考慮しなければならないだろう.
資本主義が発達し社会が近代化していく中で共同体の関係は崩れきた.そうした社会の変化と
共に宗教の社会に対する影響力は弱まり,同時に宗教施設も機能が縮小され人々との結びつきが
弱まってきた背景があったが,個人レベルで見てみれば未だに聖なるものを求める傾向にあり,
またそうした聖なるものを伝統宗教に求めている様子がみられた.人々が身近に聖なるものへと
アクセスでき,また宗教法人として公益性を発揮するために地域の寺院や神社が自ら人々に働き
かけることは必要である.新たに活動に取り組む寺社には時に寺社という枠を大きく外れた活動
を行っている場所もあるが,金銭や人材といった面で地域の中の多くの寺社がそうした大規模な
活動をすることは難しいだろう.また規模が大きくなれば聖と俗のバランスをとることができな
くなる恐れもあるのではないだろうか.まずは宗教施設という聖なる空間を人々に開いていくこ
とを意識するべきだろう.そしてこれまでも寺社が行ってきた仏事や神事を継続していくことは
重要である.なぜなら,そうした行事には地域の文化が詰まっているからである.
4
地域文化の発信拠点としての寺社
仏教や神道,そして寺院や神社はその土地の文化と深い関わりを持っている.それにはやはり
共同体の中で信仰されてきた宗教が人々の習慣に溶け込んできたことが関わっているだろう.し
かし現在ではこうした地域文化の一部となってきた宗教的習慣が消えつつある.寺院や神社に訪
れる機会が減ったことで参拝の作法も知らないという人も増えてきているのである.初詣や彼岸
参りなどは現在も多くの人が習慣としているが節分や恵比寿講などは行わない人々も増えてき
た.また,縁日や夏越の祓など各種の行事にも参加する人が減ってきている.それらの行事もか
つては多くの場所で,共同体の人々が協力しながらその土地独自の方法で行ってきたが,今では
そうした行事には一部の人々が参加するだけに留まっている.こうした状況から赤坂氷川神社で
は毎年 6 月と 12 月に行われる大祓という行事に地域の人に参加してもらうためある取り組みが
なされた.このことが『Business media 誠』に取り上げられている.
大祓では形代という人型の紙に自分の氏名と年齢を書き,それで体をなで,息を三回吹きかけ
る.こうすることで心身の穢れがその形代に移るとされる.またその形代は祈祷の後に川や海に
- 83 -
流して清めるのである.赤坂氷川神社ではこうした行事に再び参加してもらうため,形代を氏子
区域の各世帯に神事の解説や神社の行事案内と共に配布した.するとそれまでの参加者の十倍も
の人が集まったということだった.また,赤坂氷川神社では訪れた人々にダイレクトメールで神
社の行事を知らせるということも行っており,リピーターも増えているようだ(Business media
誠 2008).
地域文化のひとつともなっていた宗教行事は地域の特色を表すだけでなく,季節を感じたり家
族や周辺の人々との時間をつくったりすることにも一役買っていたように思う.しかし今では四
季を感じるような行事も行われることが少なくなってしまった.だからこそ寺院や神社には訪れ
た人々にそうした文化の魅力を伝えていく役割があるのではないだろうか.
おわりに
近代化によって共同体や信仰の形態が変化し,人々の寺社離れが進んでいることは否定できな
い.しかし研究を通して観光地のような有名な寺院や神社に関わらず,地域の中の身近な寺社で
あってもその場所を開放し,さらに聖と俗(公益)という二つの要素を持つ寺社の特性を生かす
ことで,一度薄れた人々との関係を取り戻せる可能性を持っていることが明らかになったと思う.
寺院や神社は日常に最も近い非日常の場所で,人々も寺社の持つ聖なる空気に癒しや安らぎを求
めていることもたしかである.人々のそうした期待に応えていくことが,機能が縮小され,風景
の一部になろうとしている寺社の現状を打開することにつながるのと同時に,人々の心にゆとり
を与えることにもつながるのではないだろうか.また寺院や神社には聖なる空間だけでなく地域
の文化という魅力が詰まっている.そうした文化はもともと人々と共に作り上げてきたものだが,
人々がそれを忘れようとしている.寺院や神社とのつながりの再生は郷土の文化の素晴らしさを
再発見する機会につながるかもしれない.
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- 85 -
日本における博物館・美術館の財政問題
―外部資金の投入の可能性―
坂庭 萌
はじめに
博物館・美術館を経営していく上で,常につきまとうのが財政的課題であり,現状では,十分
な資金調達が出来ているとはいえないばかりか,閉館や休館となる博物館も増えてきている.そ
こで現代における博物館・美術館の財政問題の解決策としての外部資金の投入を国内外の博物
館・美術館等の文化施設を例にあげ,盛んな動きを見せるファンドレイジング,クラウドファン
ディングの可能性を模索するとともに,今後の地域に根ざした博物館・美術館のあるべき姿につ
いて論じる.
1
博物館の財政問題
1-1.日本の博物館の現状
先にも述べたように博物館運営において財政面が大きな課題となっている.近年,指定管理者
制度の導入や生涯学習のブームにより,市民の文化施設として様々な魅力ある企画や展示などが
盛んになってきており,それらの予算を捻出することが難しくなっている.
そればかりか,博物館界全体で約半数の資料購入費が1円もない状況であり,図 2 にもある
ように直近 3 ヵ年の事業費の増減傾向からも,減少傾向にある施設が大半であることがわかる.
また,「金がなければ,知恵を出せ」といったような乱暴な意見が議会から聞かれることもある
ほどだともいわれている.
さらに,自治体の財政難や市町村合併に伴って,博物館の閉館・休館が相次いでおり,全国各
地で文化財が展示も適切な管理もされないまま行き場を失うケースが急増している.実際に,
5000 点以上の文化財を保有していた石川県輪島市の民俗資料館は,財政難から閉館を余儀なく
されたといったような例もたくさん目にすることが出来る.この事態に NHK クローズアップ現
代(2011 年 5 月 12 日放送「どう守る『地域の宝』文化財」)でキャスターの国谷は「それぞれ
の地方の宝である文化財が姿を消しています.その地方でしかできないもの,作れないものが失
われつつあり,これからの日本の文化はどこに向かって進むのでしょうか」と提起している.ま
た,博物館の閉館が相次ぐ一方で,寺などが後継者難や地域の過疎化で,文化財を盗難などから
守れないと博物館に寄贈・寄託する動きも広がっているなど博物館・美術館が文化を守る施設と
してもいかに重要視されているのかがわかる.
九州国立博物館館長の三輪は「地方にある文化財はその地域のアイデンティティの象徴.文化
財の活用方法にもっと知恵を絞るべきだ.
」
「主役は市民です.市民参加でこれからの文化財保護
を考えていく必要があります」と博物館施設の重要性を述べている.
- 86 -
コトラーはミュージアムの使命を①展示解説して人々に観せる,②次の世代がコレクションを
利用不可能な劣化が生じないよう保護する責務,③安全性,快適性,利便性を大きく損なわない
範囲で利用者を拡大すると同時に利用者に向けて質の高い視覚的・審美的な学習経験の提供を目
指すものとしている(Kotler,P. and Kotler,N,G. 1998=2006:36-42).
これらのことからも,博物館・美術館は自治会レベルで経営を維持できるものではなく,市民
の働きかけが重要となってきていることがわかる.
(出典)
:文部科学省委託調査 2012 より
図 1
平成 23 年度事業費
図 2
事業費直近 3 ヵ年の増減傾向
1-2.文化資金に関する論争
2000 年末にはニューヨーク市場で売買履歴についての詳細データを請求したところ,半額で
販売されたという彫刻を 4700 万円で購入するという議案が発生した.このことに疑問を感じた
のが同市議会議員の野口英一郎である.このころ鹿児島市では定期的に芸術品を買う状況があっ
た.また,自主文化事業 iも行われ,多額の公的資金を充てていた.
しかし,現財政的に豊かであったかと言えばそのようなことはなく,またほとんどが回収でき
ておらず,雇用問題など深刻な問題を抱えていた.このように市民に文化を提供するために多額
の金銭を使っている自治体もある一方で,大阪府・大阪市の事例を見ていく.
現大阪市長である橋下徹が大阪府知事時代にワッハ上方の運営費縮減,文化情報センター・現
代美術センターの廃止をはじめとするハコモノ集客施設を中心に公の 28 施設を廃止,見直しす
るなどの政策が推進された.また,市長となってからも文楽協会に支給している補助金を今年度
いっぱいで廃止し,大阪アーツカウンシルが各文化・芸術団体と同様に補助金支給の可否や配分
を競うことになる.このような動きは文化を軽視しているのではないか,文化の重要性を理解し
ていない政策であることが明らか,保護して育てて行くべきであると言う批判的な意見と,補助
金だけに頼らず,自立する努力も必要なのではないか.保護されていると発展がないのではない
かと言ったような肯定的な意見が両立している.
i市民の文化環境を豊かにする,という目的のもと,世界的・もしくは国内で高い評価を持つア
ーティストを招き,比較的リーズナブルな価格で市民が鑑賞できる機会を提供するという事業.
- 87 -
表1
鹿児島市が購入した美術品の金額
ii
(単位:千円)
購入年度
1998
1999
2000
2001
2004
2005
2011
種別
油彩画
油彩画
彫刻
油彩画
油彩画
油彩画
油彩画等
購入価格
49,350
46,389
47,000
49,350
49,350
49,350
42,000
(出所)野口英一郎
2014 より筆者作成
このように文化施設に対する公的資金の使い方に対する考え方は単に金をかければよいとい
うものではないが,公的資金に頼りきりになった結果,運営自体の発展や努力を怠ってしまうと
いうケースも少なく無いために,それがよいと言うわけではない.規模こそ違うものの両自治体
の文化に対する金の使い方,金銭をめぐる文化に対する価値観に対する考え方は両極端であると
言える.文化を守り,育てるという使命はどこに住んでいても誰もが持つべき考えであるという
部分においては共通の価値観であることが望まれる.しかし,同じ国内においても考え方の違い
が明確になっており,今後内外の資金の投入に関して共通の認識を持って考えていくべきである
と思われる.
1-3.外部資金の必要性
博物館・美術館においては資金の確保が重要になるのは前述したとおりである.公立の文化施
設である以上,市民の手で守り,学び,伝えていく場であるのが当然であるが,入館者を思うよ
うに増やすことが出来ず,広く地域の人々に地域の資源として利用されていないのが現状である.
このような状況では,自治体からの公的資金の投入がされない,減額されるのはやむを得ないこ
とであると思う.しかしこのまま公的資金が減額・削減され,博物館・美術館が閉館に追い込ま
れるのを見過ごすわけにはいかないのは前述したとおりである.
しかし,博物館を運営していく上で資金の獲得はもっとも重要であると言っても過言ではない
が,公的資金に頼るには限界が来ているのが現状である.そこで,新たな資金の獲得の可能性と
して考えられるのが外部資金の投入である.指定管理者制度の導入により,一部の博物館・美術
館では外部資金の積極的導入が進められており,今後より多くの外部資金の導入が注目されてい
る.
もっと市民一人ひとりが自らの手でその施設を守り,育てていかなければならないという強い
問題意識をもつことで博物館・美術館の活動自体を盛り上げるという姿勢が,外部資金を集める
際にも,また自治体が今後の公的資金の増額にも動きだすといったようにプラスに作用すると筆
者は考える.この考えに基づき,外部資金の獲得方法としてあげられるのが,欧米諸国ではすで
ii
議会の議決を伴うものとする.購入した美術品は鹿児島市立美術館などに展示されるなどして
いる.
- 88 -
に盛んに行われている寄付
iiiという手段であり,日本でもNPO法人等を中心に少しずつではあ
るがファンドレイジングやクラウドファンディングなどの方法を用いて盛んになってきている.
2
外部資金調達の方法としての寄付
2-1.博物館・美術館と寄付
自治体からの大幅な予算の削減,職員の解雇,開館時間の短縮などさまざまな問題の解決策と
して寄付という方法が注目され始めている.
寄付とは何らかの見返りを得るために与えるものであると考えられており,寄付は譲渡ではな
く,取引なのである.寄付を募る際にはどのような満足や利点,メリットを,寄付する側の人々
が期待しているかをつかむことが重要である.主な寄付の効果と目的は以下の表のとおりである.
このように一口に寄付といっても目的は様々であり,自ら進んで寄付をしようというものだけで
はないことが見てとれる.このことからも寄付を募るというひとつの目的に向かうにも,様々な
目的や効果を得ようとする人々に対する働きかけが必要となり,まずどの層を寄付者として取り
込むべきなのかを検討した上でどのような働きかけをすべきか考えることが重要であると思わ
れる.
表2
寄付の目的
自尊心を満たしたい
表彰を受けたい
習慣的寄付者
面倒を逃れるため
義務感から
人とのふれあいを求める
倫理観から
寄付の目的と効果
得られる効果
自己像を高める
社会的地位を得て自分の名声を高める
寄付してない人として扱われ恥ずかしい思いをしたくない
寄付を求めてくる人を厄介払いしそれ以上の要求をされないようにする
周囲の人からの圧力によっての寄付
他人との連携意識からの寄付。特定個人を助けることが多い
他人の幸せ(延長線上で組織)のために貢献する倫理的義務を感じる
(出所)Kotler,P. and Kotler,N,G. 1998=2006:406-7 より筆者作成
このような問題は博物館・美術館のみならずさまざまな業界や分野でも増加しており,民間か
らの支援をめぐる競争の激化が今後も進んでいくと考えられる.図 4 のように日本人が一般的
に寄付をする目的についての割合を見てみる.社会貢献や仲間が出来る・増えるが大多数を占め
ており,表 2 の人とのふれあいを求める・倫理観からに当てはまる.
また,図 4 から見てみると,現段階では,寄付者の 3 割以上が復興支援や国際協力のための
寄付であり,そのうちのほとんどが東日本大震災に対する寄付であり,2番目以降も介護やまち
づくりなど困っている人を助けたいという思いが寄付に繋がっていると思われる.そして今回の
重要なテーマある博物館・美術館が含まれる学術・文化芸術振興は 1.4%ほどであり,まだ十分
に寄付が必要とされている分野であるという認識が世間にされていないと言うのが現状であり,
iii
以降,寄付という言葉が何度も出てくるが,寄付(附)の差異はないものであり,参考文献,
資料に従い使用するものである.
- 89 -
今後いかに学術・文化振興分野の発展が人々にとって重要であり,問題を抱えていると言うこと
を理解し,寄付をしてもらえるような取り組みが出来るのかを考えていく必要があるだろう.
50%
40%
30%
20%
10%
0%
(出所)内閣府公益法人行政担当室 2013 より筆者作成
図3
図4
寄付の目的(2011)
活動分野別にみた寄附者の割合
2-2.欧米諸国の寄付税制 iv
ここで寄付が盛んであるアメリカとイギリスの事例について述べていく.
まず,アメリカの寄付税制に関して論じる.現在,日本にある博物館・美術館の 7 割が国公
立であるが,一方でアメリカでは 1 万数千ともいわれているミュージアムの 6 割以上が NPO に
よる運営である.NPO の先進国と呼ばれるアメリカでは 17 世紀以降ヨーロッパからの移民が
政府設立以前から自分たちのコミュニティに必要な仕組みや施設を設立していったという歴史
がある.そのことからアメリカでは自分たちに必用なものは自分たちの力で作り上げ,支援して
いこうという思いが強いと考えられ,それに呼応するような税制がしかれている.
ここで取り立てて紹介したいのが matching と呼ばれる制度である.アメリカでは所得税の控
除を受けるために寄付をするという仕組みがあり,寄付による控除があれば納税額を下げられる
ために,高額所得者や企業は政府に税を納めるよりも自分が支援する団体に寄付し,有益に使わ
れていることが目に見える形で使われたいという思いが強いという.
matching と呼ばれる制度は自分が給料から毎月一定額寄付するという契約を結び,寄付しよ
うとする金額と同額分を,給料を支払う側である企業や団体が上乗せして寄付してくれる仕組み
であり,これを従業員への福利厚生(benefits)として採用する企業が増えており,人気を集めて
いる.このような取り組みにより,様々な NPO がより多くの市民からより多くの寄付を集めよ
うとより市民のニーズに応えようとする.それを見た市民が必要な団体,応援したい団体にはよ
り多額の寄付をすることになり,市民から必要ないと判断された団体には寄付が集まらないため
活動が続けられずに淘汰されていくのである.このような取り組みと市民の意識が寄付をより盛
んで強固なものにしている.
iv
山田 2008,兼平 2010,岩田 2004 から引用.
- 90 -
次にイギリスの事例である.現在の寄付制度は Gift Aid(単独寄付)と Payroll Giving(給与
天引き)を 2 つの柱としている.本来,標準税率 22%の適用で源泉徴収されるところを,Gift Aid
を選択する場合,寄付を受けるチャリティー団体が税の還付請求を行うことで,寄付者の意図し
た寄付額の全額を受領できる仕組みになっている.
一方,Payroll Giving を選択する場合,被雇用者である寄付者は,源泉徴収なしに,雇用主で
ある企業から一定の金額を給料から天引きされる.給料から天引きされた寄付金を寄付専門取り
扱い機関(Payroll Giving agencies)は寄付額の 4%を手数料として徴収し,寄付者の希望する
寄付先へ毎月一定額送付する.寄付者は給与天引きの際,寄付を希望するチャリティーの団体名
を勤務先に知らせる必要がないため,どのような団体や活動に興味関心があるかなどを知られる
ことなく寄付が出来るために十分にプライバシーが守られている.また,給料から毎月一定額天
引きされるため,寄付者は無理なく寄付を続けることが出来るので,被寄付者は継続的に寄付を
集めることが出来る.
これらの様々な取り組みにより下表にあるように成人 1 人当たりの年間平均寄付額が日本と
比較してそれぞれ 52 倍,16 倍になっており,今後も増加していくと思われる.また合計寄付額
における個人の寄付額を見てみてもアメリカではほぼ大多数が,イギリスでも半数以上が個人の
寄付であるのに対して,日本では個人の寄付額は1%にも満たない.こういった面から考えてみ
ても,今後の日本で寄付を盛んにしていく上で個人の寄付金額を増加させることが求められてお
り,個人の寄付金額の増加,個人寄付者の増加こそが寄付を守り立てることに繋がる.今後,こ
れらの仕組みづくりがいっそう重要視されていると考えられる.
表3
日・米・英寄付額の状況
日本
合計
2593億円
個人
7億円
成人1人あたり 2.5千円 アメリカ
イギリス
34兆円
3兆円
25兆9256億円 1兆9237億円
13万円
4万円
(出所)山田英二 2008 より筆者作成
2-3.税制改革と日本の寄付文化
2-3-1. 日本の寄付文化
これまでの日本人の大多数の寄付行動が,赤い羽根共同募金といったようにとりあえず有名
どころの団体に寄付しておけばいいという義務感や倫理感からの寄付が一般的であった.しかし,
2011 年の東日本大震災を機に,被災地ではどのような支援を必要としていて,そのために最も
有効な寄付金の使い方をしてくれる団体はどこなのかを考えて寄付するようになったといわれ
ている.
また,伊達直人を名乗る人物から全国各地の児童相談所や自動擁護施設にランドセルや商品券
- 91 -
や金銭等をメッセージカードとともにプレゼントするという,2010 年末にブームとなったタイ
ガーマスク運動は,日本人は名前を公開するのがはばかられるという国民性を象徴するものであ
ろう.
2-3-2. 寄付税制の改革
平成 23 年 6 月 22 日に成立した新寄付税制では,これまで所得控除として扱われていた「認定
NPO 法人への寄付による控除」が 税額控除・所得控除のどちらに適用するかを寄付者(=納税
者)が選択できるようになった.それにより個人が認定 NPO 法人等に対してその認定 NPO 法
人等が行う特定非営利活動に係る事業に関連する寄付金を支出した場合に図 5 図 6 にあるよう
な計算式に従い,所得控除として寄付金控除の適用を受けるか,又はその年分の所得税額の 25%
相当額を限度として計算した金額について税額控除の適用を受けるか,いずれか有利な方を選択
することが出来る.表 4 のように実際の控除額を比較してみると,所得控除と税額控除の差は
歴然としており,税額控除のほうを選択するのが一般的であると思われる.しかし,高額所得者
がある一定額以上の寄付を行うときに所得控除を選んだほうが減税額が大きくなる場合があり,
高額寄付者が減税額で損をしないようにこの二つを選択できるようになった.
これらの寄付税制の抜本改革により,寄付する側の市民は少額(適用下減額:2000 円)でも
個人住民税の軽減を受けることが出来るようになる,寄付金控除の対象となる NPO 法人等の選択
肢が広がる,所得税の税額控除制度の導入で所得税の軽減額が拡大するなど寄付がしやすくなり,
ひいては寄付文化の発展,公に当事者として参画することが期待されている.
また,寄付を受ける側である法人からしても,寄付金控除の対象となる認定要件が緩和され
る,設立 5 年以内の法人は「仮認定」を活用することで,スタートアップ段階から寄付金控除の
対象となることが出来るなど寄付金を集めやすくなることで,様々な主体が公的サービスの提供
に参画する,多様なニーズにきめ細かく応える公的サービスの提供などが期待されている.
このように寄付税制の抜本改革により,十分であると思われる制度がしかれており,税制に関
しては少しずつではあるが,もっと市民が寄付をしやすい,寄付を受ける側はより寄付を集めや
すくなるような制度がどんどん整ってきている.日本は寄付文化を持たない,税制が確立してい
ないのではなく,明治維新以降国家による公共への依存の期間が長かったせいで寄付という経験
をしたことのある人が少ないだけであり,それこそが寄付文化が根付いていないのではと考えら
れる要因である.
- 92 -
図5
個人が寄附した場合(所得控除)について
(出所)内閣府 2012 より
図6
個人が寄附した場合(税額控除)について
表4
実際の減税額
v
1万円の寄付
800円
3,200円
所得控除 (寄付金額-2,000円)×10%
税額控除 (寄付金額-2,000円)×40%
10万円の寄付
9,800円
39,200円
(出所)認定とろう!NET より筆者作成
3
先行研究の検討
博物館・美術館で,寄付を募っているところはたくさんあるが,それに関する先行研究などが
あまり進められていない.これは,寄付文化が博物館・美術館に根付いていないことをあらわし
ている.では,日本では今後,寄付文化が根付くことはないのだろうか.決してそんなことはな
い.実際にさまざまな業界でファンドレイジングが動き出している.
3-1.動き出したファンドレイジング
日本でもファンドレイジングやクラウドファンディングが少しずつおこなわれてきている.
島根県隠岐島海士町では図書館のない島で「人間力溢れる人づくり」をテーマにして 2007 年に
「予算も図書館もないなかで読書環境をいかに整え,島民の皆さまに図書館サービスを提供して
いくか」を目指した図書館構想が始まった.「READYFOR?」という日本初クラウドファンデ
ィングを運営する会社のサービスを利用して進められた.このサイトのプロジェクトは目標金額
v
年収 500 万円世帯の場合.認定とろう!NET (2011)を参照.
- 93 -
と,募集期間を決め,期間中に目標金額を達成できたらプロジェクト成立となるため,プロジェ
クトが成立しなかった場合には,一切の手数料はかからないため,開始するだけであれば 0 円
で掲載できる.寄付や,投資ではなく,購入型のクラウドファンディングであるため,双方向の
やり取りによって支援者とつながることで長期的な支援やコミュニティ作りにも役立つ.また,
掲載されたプロジェクトにキュレーターという担当者がつき,プロジェクトを成功に導くために
プロジェクト掲載ならびに,広報サポートなども行われている.マッチングギフトプログラムと
呼ばれる取り組みもされており,1 度でも目標金額を集めることができた成功者向けに,二度目
以降のチャレンジの際に,最大で目標金額の半分まで,企業に支援してもらうといった企業との
連携も行われている.
このようなクラウドファンディングを支援する web サイトは近年盛んになってきており,図
書館を充実させたいというものや,発展途上国にきれいな水を届けたいといったものなど多岐に
わたっている.
地域に特化したクラウドファンディングサービスである FAAVO は大阪や東京,群馬など様々
な地域に根ざした活動を支援している.
3-2.東京都写真美術館の事例
東京都写真美術館は日本経済新聞の 2006 年「美術館の実力調査」では,ファンドレイジング
を柱とする運営が評価され,博物館・美術館の運営力評価で 1 位にランキングされた.2001 年
より,写真映像文化振興支援協議会を発足させ,「写真・映像に係わる文化や芸術等の振興を図
るとともに,東京都写真美術館の活動等を支援すること」を目的として設立された.そしてその
活動を支える一環として企業・団体を対象とした1口 30 万円からの維持会員の募集を開始した.
写真印刷関係,マスコミ・出版関係,サービス業などさまざまな業種から維持会員が年々増えて
おり,平成 21 年度の総会員数は 230 法人にもおよぶ.
主な維持会費の使途は写真・映像収集品の充実,新進作家の発掘と育成,企画展,国際交流,
対外サービス活動の支援など多岐にわたる.また,維持会員の特典も充実している.顕名,主催
展覧会招待,情報提供,パーティーの際の会場提供などである.
しかし,個人からの寄付は今現在行っていない.これは,会員確保のために職員が企業に訪問
するなどの営業活動を行うことで,会員数を増やしているという背景があるためである(末吉・
武政 2008).
現在,企業や団体などに限定されている寄付を今後個人にも拡大していくことができればより
多額の寄付を集めることが出来ると思われ,更なる活動の幅が広がるだろう.しかし,法人や団
体のように一件ずつ訪問し,営業活動をすることが出来ないぶん,個人からの寄付を募るために
はどのような宣伝や募集方法が有効であるのか,どのように寄付を集めるか,どのような特典を
つけるか,どのように会員を増やしていくかなど今後考えていく必用がある.
- 94 -
4
博物館の事例
4-1.Tous mécènes! vi
ルーヴル美術館では,Tous mécènes! (=みんな,パトロン!)と呼ばれる寄付を過去に数
回実施している.ルーカス・クラナッハの絵画《三美神》購入費用やエジプト文明の貴重な建築
の修復費用などがそれである.
《サモトラケのニケ》の発掘 150 周年を記念した大修復工事と大
階段の改修に伴う寄付には世界中の約 6700 名の個人からといくつかの団体・企業の支援,主要
メセナである日本テレビホールディングスなどの尽力により,目標額 100 万ユーロを達成する
ことが出来た.
このキャンペーンは,大体 2-3 ヶ月の期間限定ので,目標額に達成した時点で終了させるとい
うものであり,寄付を募った目的以外には基本的に使わないことになっている.提案金額は 20
ユーロから 1500 ユーロまでの 8 種類があるが,提案金額以外の額を自由に設定することも可能
であり,提案金額ごとに展示の際支援作品近くの壁面に全支援者の名前が記載されたり,閉館日
である火曜日にも支援した作品の閲覧が可能になるなどのリターンがあり,支援した金額は寄付
金扱いとなり税控除対象となる.
支援方法はオンライン決済か銀行振込,直接美術館に持っていくなどさまざまであり,平均支
援額は 160 ユーロであり,支援額は 1 ユーロから 4 万ユーロまで幅広い.
Tous mécènes!は,期限内に寄付金額が集まらない場合,作品購入や改修等のプログラムが実
行できない可能性があり,その場合は寄付者に返金される.このような取り組みにより,新たな
プログラムに対する支持がどれくらいのものなのか図ることが出来る.また,企業メセナなどに
も支援されており,様々な媒体を使っての宣伝活動がなされており,web サイトもフランス語,
英語,日本語の 3 言語で訳されており,各国の美術ファンを巻き込むことを可能にするなどの
工夫がなされている.
4-2.メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館をアメリカ最大の美術館に育て上げたといわれる館長 Thomas Hoving
の就任によって美術館運営が大きく変わった.博物館や美術館ではその館ごとにテーマや時代,
地域などが決められており,それに関連したものが収集,展示されているのが一般的であるが,
メトロポリタン美術館に行って驚かされることはさまざまな地域,文明の豪華な展示物が並べら
れており,多くの展示室や展示物の付近には個人の名前が冠されている.これは,社交界で出会
ったさまざまな資産家や財団の所有者などが購入,所有している美術品をメトロポリタン博物館
に寄贈,寄付してもらうという仕組みをとっているためであり,それゆえに様々な時代,地域の
ものが個人の名とともに展示されているのである.
また,メトロポリタン美術館での入館料は希望する金額は提示されているものの,入館者が任
意の入館料を支払う寄付という形になっている.現在の希望金額は大人 25 ドル,65 歳以上 17
ドル,学生 12 ドル,大人同伴の 12 歳以下の子供とメトロポリタン美術館の会員は無料となっ
vi
Louvre Museum official website 参照.
- 95 -
ている.特別展示の費用を補填するために,希望料金の全額を支払うことが望ましいとしている
が,あくまで寄付という名目上,1 ドルも払わずに入館することも,または 25 ドル以上支払う
ことも可能であり,各々の倫理観や美術館自体の満足度などに任されている.入場料の最低金額
を設定していないのは,生活が貧しい人で,美術,芸術を愛する人々を,経済的理由のみで排斥
したくないという理由からであるという(Hoving 1994=1994).また,ブログや Twitter 等で
入館料を払わずに見学してきたというような書き込みが見られると,様々な人から人格を疑うや,
倫理上いかがなものかといったような反論や批判がされているのを見かけることもしばしばで
あり,日本からの観光客の中でも,ヤフー知恵袋等の質問サイトを利用し,入館料に関する質問
が多く寄せられている.
このように,あえて入館料として金額を提示するのではなく,寄付として希望金額を提示する
ことにより,入館者以上の収益が期待できること,市民の倫理観,義務感,使命感に訴えかける
ことによって,無料で入館しようとする人を間接的に減らすことに繋がる仕組みになっているこ
とがわかる.また,展示物をメトロポリタン美術館として購入するのではなく,賛同してくれる
財団や富豪などからの寄贈や寄付といった形で市民は常に新たな展示物を見ることが出来,財団
や資産家も展示室に名が関されていることで宣伝効果も得られ,何より美術館側は出費を抑える
ことが出来るといったような仕組みになっている.
しかし,ここまで多くの資産化や財団から多くの展示物や寄付金を集めることは簡単なことで
はなく,いかに美術館側の活動が認められているか,人々に求められているかなど様々な条件が
そろって初めて可能になるものであり,関係性を築くまでに長い年月や活動の重要性などをアピ
ールしていくことが何より重要であることを忘れてはならない.
4-3.森美術館
森美術館ではMAMC viiと呼ばれる活動が行われている.これは現代美術をメンバーとともに
より楽しむことを目的としたメンバーシップ・プログラムである.単に美術を鑑賞するだけでは
なく,アートファン同士の交流を深め,また,アーティストの活動を応援し,アートの世界を盛
りあげていくことを目的としている.個人会員はフェローとベネファクターの2つにわけられて
おり,展覧会への入場が 1 年間自由になっていたり,レセプションパーティーの招待状などが
特典としてつけられている.そして,ベネファクター会員はグランドハイアット東京の宿泊優待
なども付与されるなどさまざまである.また,さまざまなイベントも企画されており,MAMC
ナイトというさまざまなゲストを迎えたギャラリーツアーなどの個人会員向けのイベントや
MAMCアニュアルカクテルパーティーなどに参加することによってさまざまな会員同士の交流
も図れるという.
さらに,法人会員も募集しており,森美術館の芸術・文化活動を支援してもらいながら,数多
くの特典やプログラム,イベントを楽しめるプログラムであり,ダイヤモンド,プラチナ,ゴー
ルド,シルバーの4つにわかれており,AIG やパナソニック,日本航空など 2014 年 9 月現在計
vii森美術館
MAMC トップページ(http://www.mori.art.museum/jp/mamc/)より.
- 96 -
59 社の企業会員を集めている.法人メンバーと森美術館のコラボレーションによって,より多
くの人々がアートに触れ,楽しむ機会を創出するとともに,日本の新しい芸術文化活動への一助
を担うことを目的としている.
このように,単に寄付を募るのではなく,会員同士の交流が図れること,更なるアートの魅力
を趣味を同じくした人たちとともに再発見することができ,人とのふれあいを求めるというもの
に該当する.
5
日本における寄付文化の展望
5-1.日本の現状に照らす
現在,日本では寄付を応募している博物館は少なくないが,満足のいく十分な金額の寄付を集
められているとはいえないのが現状である.下表にもあるように全体の収入に占める寄付の割合
は他の都市にある博物館に対して 74%とほとんどが公的資金によって運営されているといえる.
日本で寄付を実施している博物館・美術館の寄付の募り方は,運営するために使うというもので
あり,運営費のどの部分に寄付金が使われているのかが非常にわかりにくい.NPO 法人フロー
レンスの代表である駒崎氏は「お金で世の中が少しでもよくなったという実感という成功体験を
積むことでもっと寄付が一般的に」なるとし,自分がこういう社会にしたいという社会像への投
票や投資として,私たちの方から積極的に社会を作る参加の方法となると述べている(駒崎
2010:53-5).このことからも,現在の博物館運営に対する寄付という方法では寄付を集めるの
は難しいのではないかと考える.
表5
ルーブル美術館
メトロポリタン美術館
大英博物館
東京都写真美術館
美術館の収入
収入
371億円
276億円
162億円
9億円
viii
公的資金の割合
49%
9%
53%
74%
(出所)末吉・武政 2008 より筆者作成
5-2.寄付は根付くか
日本では,寄付文化は根付かないのだろうか.2011 年の東日本大震災後には日本人の 76.4%
が被災者に寄付をしているという統計もある(日本ファンドレイジング協会 2012).活動内容
や寄付を募る目的などをあまり深く考えずに名の知れた団体に寄付しておけばいいというのが,
これまでの日本人の大多数の寄付行動だったと思うが,震災を機に被災地ではどのような支援を
必要としていて,そのために最も有効な寄付金の使い方をしてくれる団体はどこなのかを考えて
寄付するようになった.これは寄付文化の進化という意味では画期的なことで,日本の寄付元年
であるとも言われている.このことが,問題意識を持つことと寄付という行動が結びついている
viii公的資金・営業収益・寄贈・寄付を含む展示物.
- 97 -
ことがわかる.
今後,日本の寄付文化が根付くためにはいかに博物館・美術館の現状を市民が問題視し,危機
感を抱くことの重要さに注目すべきかを考えるべきなのではないだろうか.2 章で前述したとお
り,日本は公共依存が長いため,公立の施設での問題は役所に任せておけば何とかなるだろうと
思いがちになっているのが現状である.そこで重要となってくるのが博物館自体の方向性をしっ
かり定めることではないだろうか.その上でこんな展示物がほしい,ここをこうしたいという目
的をしっかりと定めて,寄付を募ることが重要である.現行の日本の博物館・美術館ではただ単
に寄付を募集するのでは限界があり,これから寄付文化が興隆することは難しいと思われる.
様々なプログラムを組んだ上でより多くの人に働きかけることが重要であり,また,市民の側も
自分に何が出来るのか,何が今重要なのか,寄付をすることでどのようなメリットがあるのかを
考えて寄付することが重要である.
5-3.外部資金投入の可能性
今後公立博物館での外部資金の投入は盛んになっていくべきであると思われるが,現在のまま
の web サイトや博物館や美術館での寄付の募集にとどまってしまっていては博物館・美術館と
しての機能が果たせない.また 1 章を踏まえるならば,公的資金を増やすことが出来ないとな
ると,従来の定められた予算の範囲内で可能な業務しか行えないとなると,博物館・美術館の運
営や活動が進展せずにマンネリ化し,新しいことをやろうという意志も生まれないので,さらに
来館者の足は遠のき,公的資金も削減される一方であり,外部資金も集めることが出来ないとな
ると.閉館や休館の一途をたどることはやむを得ないことなのである.そこで重要なのが外部資
金の投入であり,クラウドファンディングやファンドレイジングなどの方法で集めることが出来
るということについて論じてきた.しかし,闇雲にファンドレイジングのサイトに頼ったり,
web サイトに掲載して満足しているだけでは現状を打開することが出来ず,折角改革された寄
付税制も無駄になってしまう.博物館や美術館の働きかけはもちろん重要であるが,それだけで
は解決できない状況である.寄付する側の市民も日ごろから問題意識や地域の文化を守ろうとい
う意識を持って,博物館・美術館の重要性や必要性について考える機会をもち,今後の運営をど
うなっていくかを自分の問題として考えることが外部資金の投入を考える上で,ひいては博物
館・美術館の財政問題を考えていく上で重要になってくる.
市民が問題意識をもったり,するためにはまず,現状を知ることが重要であり,それらはテレ
ビ,新聞,雑誌といったようなマスメディアによって情報が世間に拡散していくというのが主流
であるだろう.しかし,そのマスメディアの取り上げられ方により,市民が抱く感情も変わって
くるものである.現代の博物館・美術館の問題を市民がより深く考え,行動するようになるため
には,マスメディアがどのように人々に対し,情報を発信して行くかにも大きく左右されるだろ.
このように,もはや博物館・美術館の財政問題は博物館・美術館だけの問題ではなく,私たち
市民の生活においての問題であるといっても過言ではない.
- 98 -
おわりに
本論分では地域博物館・美術館に外部資金を調達するひとつの可能性としての寄付,ファンド
レイジングについて論じてきた.今後,博物館・美術館をはじめとする公立文化施設は地域住民
の生涯学習の拠点として存在することが望まれる.そのためにも,また地域の財政面においても
その他の面においても考えていくとともに,1人でも多くの市民が博物館・美術館を訪れ,現状
を知り,自分たちの力で何とかしなくてはいけないという問題意識をもち,活動が盛り上がるこ
とを願う.
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ク ロ ー ズ ア ッ プ 現 代 ,( 2014
年
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3038.html).
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12
月
15
日 取 得 ,
命名文化と流行
―キラキラネームが映し出す現代社会―
松本 理奈
はじめに
生まれた子供には,様々な想いをこめて名前が付けられるのは,今も昔も同じである.しか
し,昨今の日本では,それまでの名付けの常識を逸脱したような奇抜で個性的な名前が溢れ
ている.通常では見かけない奇妙な漢字を使った名前,漢字から飛躍した読み方をする名前
など,中には首をかしげるものが多く存在する.名付けた親は,誰とも被らない個性的な名前
を付けようとしたのかもしれないが,それに対して社会の反応は極めて冷たいのが現状であ
る.一部の人は,そのような名前を不愉快に受け取り,一部の人は,滑稽な様だと感じているの
である.「キラキラネーム」や「DQN ネーム」など呼び名は様々だが,このような奇抜で個
性的な名前が世間を騒がし始めてしばらく経つ.そこで,奇抜な名前の子供は,ありふれた名
前の子供に比べてどのような違いがあるのか.また,そのような名前を付ける親はどのよう
な心理で名付けをおこなっているのか.なぜ,奇抜な名前を付ける親が増えたのかというこ
とを明らかにし,それらが現代の社会とどのような関連があるのかを論じていくこととす
る.
1
キラキラネームの誕生
1-1. 日本における人名制度とキラキラネームの結びつき①(明治維新以前)
キラキラネームの誕生の発端は,日本における人名制度の変化が大きく関わっている.人
名制度は明治維新以前と明治維新以降に分けられる.
明治維新以前において,当時の人々は「通称」と「実名」の二つの名前を持っていた.「実
名」が本名であるのに対し,「通称」とはあだ名のようなものであり,生まれた時に親から付
けられた本当の名前ではない.明治維新前に暗殺された坂本龍馬も実名は「直柔(なおなり)
」
であり,「龍馬」の部分は通称である.このように,実名を隠す文化があったのは,日本では古
くから言葉には魂が宿っており,他人の名前を軽々しく呼ぶことが無礼とされていたからで
ある.そこで,官の位や役職で相手を呼び合うようになり通称が発達したのである i.現代でも,
会社で上司に対して「○○課長」
「○○部長」と呼びかける風習があるのは,その名残である.
i
長崎人,東北をゆく,2014,「本名を秘す,日本の文化」
(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/namae1.html)
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1-2.日本における人名制度とキラキラネームの結びつき②(明治維新以降)
近代国家を目指した日本は,明治維新において様々な改革を行った.その改革の一環とし
て,政府は戸籍法を制定した.しかし,コロコロと変わる「通称」で人々に名前を登録されては
困ると考えた為,政府は「通称」を用いることを禁止し,従来の「実名」である姓名で名乗る
ように命じた.この戸籍法により,出生の際に届け出をすることで正式に子供の名が定めら
れるようになったわけであるが,名前に用いることのできる漢字には制限があった一方で,
読み方には制限が設けられなかった ii.つまり,漢字の音読みや訓読み,伝統的な名乗り iiiから
外れた読み方をすることが可能になった.また,名前の文字数にも制限が設けられず,全く読
めない当て字を使うことも,非常に長い名前を付けることも認められたのである.この点が
奇抜な名前を生み出す制度的な原因であり,日本における人名制度は,明治維新を境に変化
し,漢字の読み方に制限が設けられなかった為,現代のキラキラネームの誕生に繋がった.
2
個性化する名前
2-1.多様化する漢字の読み方
漢字の読み方に制限が設けられないことで,どのように名前は多様化するのであろうか.
現代の子供の名前ランキングを例に挙げる.
表 1 2013 年の人気名付けランキング
明治安田生命(2014)を基に筆者作成
TOSS ランド,2014,「名づけと親心」,
(http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/2382)
iii 人名にのみ用いられる漢字の伝統的な読み方のこと
ii
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1つの表記で何通りもの読み方が存在する名前が多いことが,表 1 から分かる.ここで注目し
たいのは,本来その漢字からはそのような読み方をしない名前に加え,特に女の子では漢字
の読みを途中で切る読み方が目立つという点である.
例:①「結(ユイ)
」→「ユ」の音だけを拾う・・・結衣(ユイ)
「結」という漢字は,音読みで「ユイ」と発音する.
②「愛(アイ)
」→「ア」の音だけを拾う・・・結愛(ユア)
「愛」という漢字は,訓読みで「アイ」と発音する.
また,上記のランキングには見られなかったが,熟語の時のみに特殊な読み方をする漢字を
用いた以下のような名前も存在する.
例:①「音」→「観音(カンノン)
」の一部→「ノン」 ・・・花音(カノン)
「音」という漢字は,観音という熟語の時にだけ「ノン」と発音することができる.
②「雪」→「雪崩(ナダレ)
」の一部→「ナ」 ・・・雪摘(ナツミ)
「雪」という漢字は,雪崩という熟語の時にだけ「ナ」と発音することができる.
このように,現代では本来の漢字の読みにはない別の読みをあてはめたり,漢字の読みを途
中で切ったりする読み方が多数存在し,それらが組み合わさる事でより読み方が多様化する
ことが分かる.
2-2. キラキラネームの定義・分類
2-1.の通り,名前の読み方が多様化していくにつれて,世間ではそれがキラキラネームと騒
がれるようになる.キラキラネームは別名「DQN(ドキュン)ネーム」とも呼ばれ,「DQN
(ドキュン)」とはインターネットで用いられる俗語の一つである.不良少年,ヤンキー,暴走
族など,世間からあまりかしこいとされていない反社会的な若者たちを指す言葉である.こ
のことから,DQN ネームというのは,奇抜な名前に不快感や嫌悪感を抱く人からの呼び名で
あり,奇抜な名前を良くないものとして捉えていることが分かる(牧野 2012).また,奇抜な
名前を「キラキラネーム」
「DQN ネーム」だけでなく「珍奇ネーム」という用語を用いて
いる命名研究家も存在する.このように,名前に関しては非常にデリケートな問題だけに
様々な類語が使われているが,本稿では中立的な立場を取りながら問題の核心にせまりたい
為,「キラキラネーム」という呼び名で論を展開していくこととする.
しかし,ここで一つの疑問が生じる.キラキラネームは奇抜な名前のことを指すものの,奇
抜であるか否かは人によって基準が異なる.同じ名前でもある人は「素敵」と捉えたり,ある
人は「異様」と捉えたりする可能性もあるのである.そこで,本節では珍しいと言われる名前
をいくつかのパターンに分類し
iv,このパターンに当てはまるものが一部の人からはキラキ
iv牧野恭仁雄,2012,『子供の名前が危ない』の一部を参照
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ラネームと呼ばれるのではないかということを述べる.また,この分類は以下に載せてある
名前が悪質な名前であると決めつける為のものではなく,奇抜と言われる名前の傾向を捉え
る為のものであるということをご理解いただきたい.
①親の趣味を表す名前・・・親が好むゲーム,アニメキャラ,スポーツ,有名人などの名前をつ
ける.
「黄熊(ぷう)」
「亜斗夢(あとむ)」
「光宙(ぴかちゅう)」「蹴斗(しゅうと)」「楽冬(が
くと)
」
②外国の言葉を漢字にした名前・・・外国の言葉は奇妙な発音になりやすいだけでなく,漢
字で表記するのが難しく,読みにくい名前になりやすい.
「大穴(だいあな)
」
「天使(えんじぇる)」
「寿梨庵(じゅりあん)」
「明日(ともろう)」
「卓
留(たっくる)
」
「空(すかい)
」
「月(るな)」
「騎士(ないと)」「心(はあと)」
③古風すぎる響きの名前・・・現在では皆無な名となった為,逆に奇抜だと感じられる.また,
赤ちゃんであっても名前だけ見ると老人をイメージさせる.
「桃太郎(ももたろう)
」
「団十郎(だんじゅうろう)」
「権太(ごんた)」
「梅吉(うめきち)」
④別の意味を表す名前・・・特別おかしな名前ではないようにも思われるが,熟語自体に特
殊な意味を持つものもある.熟語の意味を知らずに付けている親が多い.
「海月(みづき)=くらげ」
「海星(かいせい)=ひとで」「大夢(ひろむ)=迷いの人生」
「心太(しんた)=ところてん」
「春歌(はるか)=卑猥な歌」
⑤モノを表す名前・・・よく知られた食べ物,動物,地名などの名前を付ける.
「心愛(ここあ)
」
「苺(いちご)
」
「来音(らいおん)」「梨澄(りす)」
「貴林(きりん)」
このように,キラキラネームはいくつかのタイプに分類できるものの,上記したものの中
には,人の名前に使うのは極めて不適切だというものもあれば,あまり気にするほどのない
ものもある.問題となっているのは前者であり,それらに共通していえることは,一目見ただ
けでは難読なものが多いということと,読めたとしても不思議な発音・漢字・意味であるも
のが多いということである.また,人に付けるというよりは,ペットに付けるような感覚で名
付けを行っているのではないかという見方さえできるほどである.
3 キラキラネームが批判される理由
3-1. キラキラネームが子供に与える影響
キラキラネームの増加は一つの社会問題として取り上げられているが,なぜキラキラネー
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ムは批判されているのであろうか.実際に起こっている問題を,この章では取り上げていく.
まず,一番初めに挙げられるのが幼稚園や学校へ通うようになった時に,他の子供たちに
名前が原因でいじめられる確率が高くなるということである.子供は時に残酷であり,常識
からかけ離れている名前を付けられたせいで,からかわれたり,いじられたりすることもあ
る.2012 年 11 月 15 日に東京都内で開かれた講演会の席で安倍晋三総裁は,「光宙」と書い
て「ピカチュウ」と読ませる例を挙げて,キラキラネームを付けられた子供の多くがいじめ
られていると苦言を呈した v.また,名前が原因でいじめられることにより,うつ病に繋がるケ
ースもある vi.キラキラネームをつけられた子どもは,「どうして親はこんな名前をつけたの
だろう」
「からかわれるのが嫌だ,名前を変えたい」などと自分の名前のことでコンプレック
スを抱き悩み,追い込まれてしまうのである.一般的に,子供のうつ病は症状が曖昧で,言葉の
表現も上手にできない為に見逃されることが多く,大人のようにやる気が出ない,何も楽し
くないといった「抑うつ感」は明確には表現されることがあまりない.大人と違って精神症
状が目立たないのが特徴的である為,宿題や勉学に意欲関心を失せている姿を見た家族は怠
惰と誤解しがちである.その結果,子供は「さぼり」と思われて余計厳しい対応をされ,ますま
す生きる力を失い,学校に行けず家からも出られないひきこもりになってしまうこともある
のである.
次に,キラキラネームは子供の人格形成に影響を及ぼすだけでなく,人生を左右する重要
なイベントにも大きな関わりがあるということを述べる.例えば,「お受験」と呼ばれる小学
受験・中学受験が挙げられる.「集団の中にいるとイジメの対象になりやすい.いじめられれ
ば,親は学校に対しクレーマーのようになりがち.そう判断され,入学試験でキラキラネーム
とそうでない子が同点で並べば,普通の名前の子が合格するでしょうね.」
(石川 2012)この
ように,小中学校などのお受験では不利になるケースがある.キラキラネームの場合,子供に
対してだけでなく名付けた親がモンスターペアレントや非常識な人間なのではないかとい
う印象を学校側は抱きがちで,名門校になればなるほど敬遠されてしまう傾向にある.また,
就職試験においても,倍率の高い大手企業では名前もチェック項目に入り,人数を絞るとき
の指標の一つとしていることが多い.名前は育ちを見ることができる指標である為,多少難
しい程度ならまだしも,親の非常識や無教養をあらわすようなキラキラネームであれば厳し
くなるのである.とある大手都市銀行の人事担当者は,「3 年ほど前,子会社のキラキラネーム
系の男性新入社員が入社半年ほどで出社しなくなった.間もなくその親が会社に乗り込んで
きて,『上司のいじめのせいで子供が出社拒否になった』とまくし立て,会社に補償まで求め
たのです.だが,人事が調べても上司に落ち度はなく,男性社員の被害妄想だっただけでした.」
と証言しており
vii,このような問題が発生すると,企業によってはエントリーシートや面接
JCAST ニュース,2012,「安倍総裁『キラキラネーム,いじめられる』 北海道新聞『いじ
め,いさめるのが教育』,(http://www.j-cast.com/2012/11/23155095.html?p=all)
vi 一般財団法人 海外法人医療機関,2014,「子どものうつとひきこもり」,
(http://www.jomf.or.jp/include/disp_text.html?type=n100&file=2007090105)
vii NEWS ポストセブン,2012,
『大手企業役員「正直キラキラネームの学生の採用ためらう」,
v
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の際に,キラキラネームの人にはどうしても厳しくなってしまいがちである.それは,上記の
事例のように,本人だけでなく親や周囲の人物が問題を引き起こす可能性もあるからである.
だからこそ,そのようなリスクを回避する為にもキラキラネームの人は最初から採用しない
という行動に行き着くのである.
このように,キラキラネームが社会から批判されるのは,子供の人格形成に影響を与える
だけでなく,人生の分岐点においても,他の子供よりもハンデを抱える可能性があるからで
ある.以上の事から,キラキラネームの子供への影響はやはりいいものではないと考える.
3-2.保育を扱う現場でのインタビュー
実際に,保育を扱う現場ではキラキラネームによって,どのような問題が起きているのか
ということを調査する為に,珍しい名前の子供が増加している群馬県内の保育園でインタビ
ューを行った
viii.挙げられた問題点としては,まず子供の名前が読めなかったり,読みにくか
ったりする為,一人一人の園児の名前を覚えることが以前よりも容易でなくなったと述べて
いる.また,キラキラネームの園児の中には,「自分の名前は他の子の名前に比べて,いつも初
対面の人からスムーズに読まれない」という経験を重ねているものもいるそうだ.その為,幼
いながらにして自分の名前に薄々嫌悪感を覚える園児も存在し,先生が名前の読み方を訊ね
たことで気を落としてしまったというケースが過去にあったという.しかし,保育園側の努
力としては,日頃から名前を呼び間違えないように,園児の名前を覚えることに尽力を注い
だり,漢字で表記されている名簿等の書類は必ず読み仮名を付けるようにしたりするといっ
たことくらいでの対応が限界であるそうだ.なぜならば,保育園側が園児と関わるのは既に
名前が付けられた後のことであり,名付けそのものに関しては到底介入する余地がないから
である.また,キラキラネームを子供に付ける保護者とそれを問題視する保育園側の間では,
名付けにおいての価値観が異なり,そこでは絶対的なイデオロギーが対立しているのである.
よって,保育園側がやみくもに子供の名前について言及することは,保護者との間に新たな
トラブルを生み出す火種へと繋げてしまう.もはや,保育園側はキラキラネームを一つの社
会現象として受け止める他はなく,「自分たちが時代の流れに対応していかなければならな
い」と述べている.
以上のように,保育の現場でもキラキラネームは様々な問題を抱えていることが判明した.
しかし,子供の名付けに関しての介入は極めて困難であり,問題に対する根本的な改善策が
ないのが現状である.
3-3.名付けの自由と社会の混乱
3-1.3-2.で述べた通り,子供に珍しい名前を付ける事が流行し,その結果今日では様々な問
題を引き起こしている.これは,社会学者エミール・デュルケームの「アノミー論」に当ては
(http://www.news-postseven.com/archives/20120626_123476.html)
viii 前橋市内の保育園で園長をされている方から,30 分ほどお話しをうかがった.
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まる
ix.アノミーとは,従来の社会規範が緩んだり崩壊したりすることで,人々の行為や欲求
に規制が加えられなくなり,焦燥や欲求不満が生じることを意味する.そこでは,個人や集団
相互の関係を規制していた社会的規範が弛緩または崩壊し,社会的規範が失われ,社会が乱
れて無統制になる.アノミーは,日本の命名文化にも当てはまる.日本では明治維新以降に名
前に関する法律が制定され,自由に名付けを行えるようになった.そして,今日では暴走とい
っても過言ではないくらいに珍しい名前が日常茶飯事に付けられており,時に人々を混乱さ
せているのである.
本来人が自由を獲得するということは,別の見方をすれば,それだけ危険な状態に置かれ
るという可能性も出てくる.思想家ホッブズが『リヴァイアサン』の中で指摘したように,自
由が飛び交う自然状態にある世界では「万人の万人による闘争」が繰り広げられ,自由と安
全は両立しない.例えば,もし人々にありとあらゆる権利が与えられているとしたならば,何
をしても罰せられることはない.しかし,そこでは人を殺したり,物を盗んだりすることも許
容されている為,自分自身に危険が及ぶ可能性もある.一方で,もしありとあらゆることが法
律に縛られた状態であれば,不自由ではあるものの,身の安全は確保される.また,万が一被害
にあった場合でも罰則を与えることができる.このように,自由と安全は天秤のように逆に
動き,決して両立することはない.だからこそ,ホッブズはある程度の自由を捨てた社会を形
成すべきと述べた.
このことから,我々は自由と不自由のバランスが取れた状況で生きているわけであるが,
もし今まで以上に自由が与えられるようになれば,社会は危険な方向に向かって動き出すこ
とが分かる.名付けに関しても同様であり,「好きな字を自由に使いたい」「名前を変えたい
ときは自由に変えたい」などという意見を一人歩きさせれば,どのような名前を付け,いつ改
名しても本人の自由であるということになってしまう.誰にも読めない名前で世の中が溢れ,
ころころと名前を変えることが普遍的になれば,やがて名前を持つ意味などなくなり,社会
が混乱することが予測できる.
4 キラキラネームと流行
4-1. 名前を付ける親の心理
親が子供に付ける名前には世相が反映される.それはその年に活躍したタレントやスポー
ツ選手,政治家などの有名人の名前だけではない.その時代が親たちに強いる社会環境,戦争
や貧困,病気といったひどくマイナスの状況から逃れたいという願望が名付けに表れている
のである(牧野 2012).そこで,各年代の名前の流行と時代背景を照らし合わせながら,2 つ
の関連性をみていくこととする.
ixエミール・デュルケーム,2005,『社会分業論』,青木書店
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①戦争の時代
表 2 戦時中に多く付けられた名前
1929(昭和4)
1930(昭和5)
1931(昭和6)
1932(昭和7)
1933(昭和8)
1934(昭和9)
1935(昭和10)
1936(昭和11)
1937(昭和12)
1938(昭和13)
1939(昭和14)
1940(昭和15)
1941(昭和16)
1942(昭和17)
1943(昭和18)
1944(昭和19)
1945(昭和20)
1946(昭和21)
1947(昭和22)
1948(昭和23)
1949(昭和24)
1950(昭和25)
1951(昭和26)
1952(昭和27)
1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
勇
勇
勇
勇
勇
武
勇
勇
勇
勇
勝
武
勝
勇
勲 武
勇 勝
武
勇
勲 勝 武
勇
勲
勝
勝 勇
勲
勝 勇
勲 武
勝利
勝 勇 勝利
武
勝 勇
勝利
勲
勇
勇
明治安田生命(2014)を基に筆者作成
日本が中国やアメリカと戦争を繰り広げていた時代には,「勝」
「勝利」
「武」
「勲」などの
戦いに関係する名前が毎年のようにベスト 10 に入っていた.日本と中国の軍事衝突は長い
間あちこちで勃発していたが,1937(昭和 12)年に起きた盧溝橋事件をきっかけに,日中戦
争に突入した.そして,1937(昭和 12)年の南京陥落や,1941(昭和 16)年の真珠湾攻撃の
奇襲は国民に無敵である日本軍の印象を植え付け,日本中を戦争の熱気で盛り上げた.しか
し,その後日本は 1942(昭和 17)年のミッドウェー海戦での大敗を境に,次第に不利な戦況
へと追い込まれていった.さらに,1945(昭和 20)年の終戦間際に東京大空襲と広島・長崎
の原爆投下を受け,ポツダム宣言を受諾した.この流れと表 2 を照らし合わせてみると,上記
に挙げた戦争に関する名前は 1937 年の日中開戦以降の盛り上がりのときよりも,1945 年の
終戦に近づくにつれて上位を占めている.つまり,戦争に勝利できると自信を抱いていた頃
よりも,負け色が濃くなり自信が失われていくほど戦いにまつわる名前が増えたと推測でき
る.
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②食糧不足の時代
表 3 食糧不足の時に多く付けられた名前
1926(昭和元)
1927(昭和2)
1928(昭和3)
1929(昭和4)
1930(昭和5)
1931(昭和6)
1932(昭和7)
1933(昭和8)
1934(昭和9)
1935(昭和10)
1936(昭和11)
1937(昭和12)
1938(昭和13)
1939(昭和14)
1940(昭和15)
1941(昭和16)
1942(昭和17)
1943(昭和18)
1944(昭和19)
1945(昭和20)
1946(昭和21)
1947(昭和22)
1948(昭和23)
1949(昭和24)
1950(昭和25)
1951(昭和26)
1952(昭和27)
1953(昭和28)
1954(昭和29)
1955(昭和30)
1956(昭和31)
1957(昭和32)
1958(昭和33)
1959(昭和34)
1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
実 茂
茂 実
茂
茂
実
実
茂
茂 実
稔
実
茂 稔
実
茂
実
茂
実
茂
稔
実
茂 稔
茂
実
稔
稔 茂
稔
稔
稔
稔
豊
稔
茂
茂
茂
茂
実
実
豊
豊
豊
実
茂
茂
茂
茂
稔
稔
茂
豊
豊
茂
稔
稔
豊
稔
茂
豊
茂
茂
豊
豊
明治安田生命(2014)を基に筆者作成
昭和の戦前・戦後の厳しい食糧難に国民が悩まされた時代には,「茂」
「実」
「稔」
「豊」な
ど食物の収穫を表す名前が男の子に多く付けられた.この名前が多く付けられた時期は大き
く二度に分けられ,一度目は,1930 年代に起きた日本人の満州・南米への移住や 1936(昭和
11)年の二・二六事件の頃である.これらの事件が起きた背景には,日本人の極度の貧困や食
糧難が関係している.二度目は,第二次世界大戦の終戦後であり,敗戦した日本は食糧供給基
地であった朝鮮や台湾,満州を喪失した.また,農業労働力や作付面積の減少によって国内食
料生産が激減し,その為食料の配給は滞るようになり,法外な価格で食料が取引されるヤミ
市が各地で発生した.これらの事が重なり,戦後の食糧事情は戦時中にもまして大変深刻な
状況となった.表 3 からは,食糧不足が深刻であるときほど,食物の収穫をあらわす名前が多
く付けられていることが読み取れる.特に,1945(昭和 20)年以降の数年間はその傾向が顕
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著であり,戦争が終結した後も国民は飢餓や日々の不安と闘っていることがうかがえる.
③女性にとって苦難の時代
表 4 女性の地位が低い時に多く付けられた名前
1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
1926(昭和元)
幸子
貞子
1927(昭和2)
幸子
節子
1928(昭和3)
節子 幸子
1929(昭和4)
幸子
節子
1930(昭和5)
幸子 節子
1931(昭和6)
幸子 節子
1932(昭和7)
幸子 節子
1933(昭和8)
幸子 節子
1934(昭和9)
幸子 節子
1935(昭和10)
幸子 節子
1936(昭和11)
幸子 節子
1937(昭和12)
幸子 節子
1938(昭和13)
幸子 節子
1939(昭和14)
幸子 節子
1940(昭和15)
幸子 節子
1941(昭和16)
幸子
節子
1942(昭和17)
幸子 節子
1943(昭和18)
幸子 節子
1944(昭和19)
幸子 節子
1945(昭和20)
幸子
節子
1946(昭和21)
幸子
節子
1947(昭和22)
幸子
節子
1948(昭和23)
幸子
節子
1949(昭和24) 幸子
節子
1950(昭和25)
幸子
節子
1951(昭和26)
幸子
節子
1952(昭和27)
幸子
節子
1953(昭和28)
幸子
節子
1954(昭和29)
幸子
1955(昭和30)
幸子
1956(昭和31)
幸子
1957(昭和32)
幸子
1958(昭和33)
幸子
1959(昭和34)
幸子
1960(昭和35)
幸子
1961(昭和36)
幸子
1962(昭和37)
幸子
1963(昭和38)
幸子
1964(昭和39)
幸子
1965(昭和40)
幸子
1966(昭和41)
幸子
1967(昭和42)
1968(昭和43)
明治安田生命(2014)を基に筆者作成
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昭和の時代には,「貞」「節」などの道徳を表す字や,幸せを表す字が女の子の名前に多く
用いられた.特に「幸子」という名前がさかんに付けられた昭和二十年代までは,女性にとっ
て多くの苦難を強いられていた時代でもあった.その当時の女性の社会的地位は極めて低く,
家庭内でも夫の言い分に逆らうことは許されなかった.人生や進路,結婚相手を自らの意志
で選択することもままならず,家事や農作業に日々黙々と従事しなければならなかったので
ある.また,非道徳的な行為や村の掟を破ることなどはもってのほかであり,女性は男性以上
に節操や貞節が強く要求されていた.しかし,昭和三十年代に入ると多くの家庭で電化製品
が普及しはじめ,主婦の負担が軽減するにともなって,余暇が増加した.また,女性の社会進出
が進んでいったこともあり,次第に「幸子」という名前も姿を消していった.
④バブルの時代
表 5 バブル期の時に多く付けられた名前
1981(昭和56)
1982(昭和57)
1983(昭和58)
1984(昭和59)
1985(昭和60)
1986(昭和61)
1987(昭和62)
1988(昭和63)
1989(平成元)
1990(平成2)
1991(平成3)
1992(平成4)
1993(平成5)
1994(平成6)
1995(平成7)
1996(平成8)
1997(平成9)
1位 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位 10位
愛
愛
愛
愛
愛
愛
愛 愛美
愛
愛美
愛
愛美
愛
愛美
愛
愛美
愛
愛美
愛
愛
愛美
愛
愛
愛
明治安田生命(2014)を基に筆者作成
戦争が終結し貧しい生活を強いられた日本人は,豊かな生活をおくる為,懸命に働いて国
の復興に努めた.そうした彼らの勤勉さもあり,大阪万博が開かれた 1970(昭和 45)年頃に
はアメリカと肩を並べるほど,豊かな国となった.その頃には,国民のあこがれの象徴であっ
た白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」に加えて,炊飯器・掃除機・洗濯機の 3S
や,カー・クーラー・カラーテレビの 3Cが普及していた.表 5 からは昭和の終わりから,平成
にかけて「愛」
「愛美」の名前が非常に多く付けたことが分かるが,これはちょうどバブル経
済で日本中が浮かれていた時期と重なる.バブル経済により我が世の春を謳歌していた日本
人であるが,その一方で競争社会という新たな問題が生まれていたのである.当時の人々は,
「いいキャリアを重ねた者がいい人生をおくれる」と信じており,その結果高等教育機関へ
の進学率が大幅に上昇した.また,日本中が仕事に従事しすぎるあまり,お金や地位に人生の
比重が置かれるようになった.残業や単身赴任,出張や子供の習い事が増えて,食事を一緒に
- 111 -
とらない家族の増加にも繋がった.やがて,家族のコミュニケーション不足が問題視される
ようになり,それに伴って「愛」
「愛美」という女の子の名前が増加した.しかし,1991(平成
3)年にバブルが崩壊してからしばらく経つと,家族が家で過ごす時間が以前よりも多くなり,
次第に「愛」の付く名前は減少した.やはり,人の名前に「愛」という漢字を用いるのは,人に
愛されて欲しいからという想いだけでなく,名付けた本人自身が愛を欲望していたことが推
測できる.
このように,名前はそれぞれの時代の空気を感じる事ができる.当時の人々の欠乏感が名
付けの鍵になっており,自分に欠乏しているものや求めているものを子供の名前に託してい
るという事が考えられる.
4-2.現代の親が個性的な名前を付ける理由
現代の日本は,戦争や食糧危機などにさらされる恐怖も少なく,便利でモノが豊かな社会
になった.そこでは,多様な生き方が自由に選べるようになった反面,自分らしく生きること
が非常に難しい時代になったともいえる.例えば,近代以前の人々ならば「自分が何者である
のか」ということは,この世に生を受けた瞬間に決定し,そしてその決定はその後も変わるこ
とがない x.農民の子は農民になり,武士の子は武士になる運命なのである.つまりその頃の個
人は,固定的な社会的階層によって,自分が他の何者かになる可能性などありえなかった為
に,「自分が何者であるのか」という不安に駆られることもなかったのである.不自由である
ことによって,アイデンティティの喪失からは免れたといえる.一方で現代人は,建前として
は「何者にもなれる」自由を手に入れた.農民の子に生まれても,田中角栄のように一国の首
相になることも可能になったし,政治家の子でも,望めば農民になることが可能になった.ま
た,この自由は職業選択に限ったことではない.寺の息子でもキリスト教徒になることがで
きるし,日本人がフランス人になることもできるといったように,宗教や国籍の自由も認め
られているのである.このように,現代人は近代以前の人々が想像もしなかったような自由
を獲得した.しかし,その自由を獲得した代償として,彼らはアイデンティティを損失するこ
とになった.アイデンティティは先天的に決められたものではなく,自分で決めなければい
けないものへと変わり,生き方の選択肢が多くなりすぎてしまったからである.
以上のことから,現代人はアイデンティティを自分で決定する自由を獲得したが,自分自
身が「何者であるのか」
「どのように生きるべきか」という答えを見つけることが難しくな
った為,結果的にアイデンティティを見出せなくなった.そのようにして,アイデンティティ
を持てずに,空洞化してしまった現代人は自分独自の価値観を持つ事が困難になる.現代人
は,「自分独自の価値観」
「生きている実感」といったアイデンティティの根幹にかかわる重
要なポイントが欠乏しているのである.そこで,現代の親は誰ともかぶらないようなオリジ
x
タツノオトシゴの歌,2011,「僕らはアイデンティティを喪失しているのか」,
(http://nannokanno.cocolog-nifty.com/kotonoha/2011/01/post-f312.html)
- 112 -
ナリティ溢れる個性的な名前を子供に付ける事で,自分の個性を表現しようしたのである.
この事がキラキラネームを付ける親が増えた大きな要因ではないかと筆者は考える.
4-3.名前の移り変わり
現代では自分の個性を表現する為に,子供に珍しい名前を付ける事が流行しているわけで
あるが,いつの時代でも珍しいと思われるような名前は実は昔から存在している.鎌倉時代
に書かれた書物には「人の名も,目慣れぬ文字を付かんとする,益なき事なり.何事も,珍しき
事を求め,異説を好むは,浅才の人の必ずあることなりとぞ.」(吉田兼好『徒然草』第百六十
段)とある.これは,奇抜な名前を付けることはくだらないことで,かしこい者のすることでは
ないと指摘している.また,江戸時代でも「近しきころの名にはあやしき訓有て,いかにともよ
みがたきぞ多く見ゆる.」
(本居宣長『玉勝間』十四巻)とあり,最近の名前は変な読み方を
して,どうしても読めない名前を多く見かけると述べている.これらのことから,珍しい名前
というものは現代に限ったことではなく,いつの時代でも存在し,似たような問題が起こっ
ていたことが分かる.
しかし,時代ごとに珍しいと思われる新しい名前が生まれる一方で,徐々に使われなくな
っていく名前もある.例えば,昭和初期に一般的だった「千代」「幸子」「節子」「三郎」「茂」
「辰男」などといった名前は今の若い世代ではあまり見ない.逆に 3~40 年前であれば「芸
能人じゃあるまいし」と変わり者扱いされていた「美羽」「杏」「真理」
「翔」「海斗」など
といった名前が,現在は命名ランキングで堂々と上位を占めている.以前までは珍しいとさ
れる名前であったとしても,時が経つにつれて人々の間で定着し,ごくありふれた名前にな
る場合もある.このように,人の名前はいつでも滞ることなく時代と共に移り変わっている
のである.
4-4.キラキラネームと流行
3 章で述べたように,キラキラネームは一つの社会問題として,世間から非難を浴びること
も多かった.しかし,珍しい名前の全てがキラキラネームに当てはまるかといえば,筆者はそ
うは思わない.確かに,人の名前からあまりにかけ離れており,他人に不快感を与えたり,本人
が負い目を感じたりするといったような難点のある名前は問題が多くある.一方で,たとえ
珍しい名前であったとしても,人の名前として不適切に感じるものでなく,他人に読みやす
く,本人が一生不自由することがなければ,名前の役割を十分に果たしていると考えられは
しないだろうか.また,4-2 の通り,人の名前は常に時代と共に変化している.つまり,現代では
キラキラネームとして扱われている名前であったとしても,近い未来にはありふれた名前に
なっているものもあるかもしれないといえるである.ただ,実際には珍しい名前であればあ
るほど,他人が読めなかったり,性別が混同してしまったりするなどといった不都合も起き
やすい.だからこそ,名付けの際には細心の注意を払わなければならないのである.
このように,キラキラネームは確かに人に付ける名前としては考えがたいもの存在するの
- 113 -
は事実だが,その中には次世代の命名文化へと繋がっているものもあり,珍しいからといっ
て一概に否定することはできないのではないかと考える.
おわりに
インターネットやテレビなどのマスメディアを通してキラキラネームの増加が深刻にな
っていると発信されてきた.また,それだけでなく,知人の子供に友達の名前を聞いたり,公共
の場で親が子供の名前を呼ぶのを耳にしたりすることで,珍しい名前の増加を肌で実感した
という人も少なくないだろう.人々の中には,そのような名前を付けることを「子供への虐待
である」「親のモラルや知能の低下によるものである」などとさえ主張する者も存在した.
しかし,調査の結果から珍しい名前というものは,現代に限ったことではなく,いつの時代に
も存在していたということが判明した.人の名前にも流行があり,その時代ごとに移り変わ
っていく可変的なものなのである.ただ,これまでと比較して,現代においては珍しい名前が
爆発的に増加したことは確かである.それは,現代の親が「自分らしさ」を探し求めているが
為に,我が子に誰とも被らない名前を付けることで,自分の個性を表現しようとしたことが
背景にあるからである.
しかし,誰とも被らない名前を付けることが本当に個性的であるのかと筆者は疑問に感じ
る.それは,「個性」とは,人と異なっているということでなく,自らの信念で貫く確固たる意
志こそが大切であると考えるからである.キラキラネームを付けた親の多くは,自分の個性
を名付けで表現しようとしたのかもしれないが,真の人間の「個性」とは珍しい名前をつけ
るか否かでは決定しない.本当に個性のある人は,その時代において多い名前か少ない名前
かなどに左右されることなく,自分が気に入った名前を子供に付けるのではないだろうか.
人々が他人と異なること以外で「自分らしさ」を実感できる世の中になった時,キラキラネ
ームは徐々にその姿を消していくのではないかと筆者は考える.
文献
師岡 章,2010,『保育者と保護者のいい関係』新読書者
諸富 祥彦,2008,『モンスターペアレント!?』アスペクト
キラキラネームとは,2013,「キラキラネームとは?」(http://kirakira.ho-zuki.com/)
牧野 恭仁雄,2012,『子供の名前が危ない』ベストセラーズ.
小林 康正 ,2009,『名づけの世相史』風響社.
エミール・デュルケーム,2005,『社会分業論』,青木書店
福 井 新 聞 ,2012, 「 読 め な い 個 性 的 な 名 前 は 親 の エ ゴ ? キ ラ キ ラ ネ ー ム に 賛 否 の 声 」
(http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/2012newstop10/37357.html)
明治安田生命,2014,「名付けランキング」
(http://www.meijiyasuda.co.jp/enjoy/ranking/),
長崎人,東北を行く,2014,「本名を秘す,日本の文化」
(http://www.geocities.co.jp/Si
- 114 -
lkRoad-Forest/4179/namae1.html)
TOSS ランド,2014,「名づけと親心」,(http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/
2382)
JCAST ニュース,2012,「安倍総裁『キラキラネーム,いじめられる』北海道新聞『いじめ,
いさめるのが教育』,(http://www.j-cast.com/2012/11/23155095.html?p=all)
一般財団法人 海外法人医療機関,2014,「子どものうつとひきこもり」,(http://www.jomf.
or.jp/include/disp_text.html?type=n100&file=2007090105)
NEWS ポストセブン,2012,『大手企業役員「正直キラキラネームの学生の採用為らう」,
(http://www.news-postseven.com/archives/20120626_123476.html)
――――,2012,「私学関係者個性的な名前は入学試験でチェック対象になる」
(http://www.
news-postseven.com/archives/20120627_124003.html)
タツノオトシゴの歌,2011,「僕らはアイデンティティを喪失しているのか」,(http://nanno
kanno.cocolog-nifty.com/kotonoha/2011/01/post-f312.html)
- 115 -
キャラクターに貢ぐ社会
―成就不可能な対象への疑似恋愛消費―
中村 可奈
はじめに
近年,二次元のキャラクターが三次元の世界でも存在感を有している.2014 年 2 月 14 日には,
「新テニスの王子様」に登場するキャラクターに向け総数 18 万個を超えるチョコレートが届い
た.獲得数 1 位の跡部圭吾というキャラクターには約 6 万 3 千個の贈り物があり,仮に同年の
AKB48 選抜総選挙の投票数に換算すると 9 位に相当し,架空のキャラクターが 10 位圏内に入る
驚異の数字を出している.この他にも漫画「ONE PIECE」に登場するキャラクターそれぞれをイ
メージした眼鏡は大きな話題を呼び,博物館ではゲーム「戦国無双4」に関する武器をテーマに
「戦国無双の刀剣展」が開催されるなど,キャラクターの躍進は枚挙にいとまがない.このよう
な現象は,まるで理想の世界でのみ存在しうるキャラクターたちが,現実世界において生きてい
るかのような錯覚を私たちにもたらしている.本稿では,キャラクターの在り方の変化と,それ
によってキャラクターに今まで以上に生活を奉げていく消費者の行動や心理を考察していく.そ
して,実存化していくキャラクターと消費者の新たな関係性,キャラクターへの恋愛感情が真に
意味するものについて言及していきたい.
1
オタク文化と疑似恋愛消費
1-1. オタクとは
「オタク」という言葉は,1970 年代から 80 年代にかけてアニメや SF などのファンの集合体
が,互いのことを「おたく」と呼び合ったことから生まれたと言われている(岡田 2000).中島
梓はこの言葉が,彼らが個人的でないこと,どこかの集団に帰属していることを表していると論
じている(中島 1995)
.これを受けて東浩紀はさらに,オタクたちが社会的現実よりも虚構を選
ぶのは,それらが与えてくれる価値規範を天秤にかけた結果だと述べている(東 2001)
.このよ
うに,オタクは一般的にコミュニケーションが苦手だと思われやすいが,オタクの集まるネット
上,そして日常会話においても作品やキャラクターを有力なコミュニケーションツールとして利
用している,という見解がオタク研究ではよくみられる.すなわち,キャラクターを介した人間
同士のコミュニケーションに重点が置かれているのである.しかし,本稿ではキャラクターと人
間とのコミュニケーションに注目していくこととする.それは,キャラクターに対する消費者の
接し方や精神的あり方の変化を探ることを目的としているためである.
また,本稿においてオタクとは,ある一つのものに熱狂的に愛情を注ぎこむ者を指す.オタク
と聞いて容易に想像されるサブカルチャーを愛するオタクもいれば,電子機器や食べ物,電車な
どを偏愛するオタクなどもいて,一言で「オタク」と言ってもそれは実に多彩である.ここで扱
- 116 -
うオタクは主に二次元オタクのことであり,その対称として三次元オタクについても随所で言及
していく.二次元オタクとは,漫画,アニメ,ゲーム,小説などに登場する実際には存在しない
キャラクターを愛する者,三次元オタクとは,ジャニーズやその他の芸能人のように現実に存在
する人物を愛する者とそれぞれ定義する.
1-2. 二次元オタクと三次元オタクの壁
漫画やアニメ,ゲームのキャラクターに没頭する二次元オタクと,俳優やアイドルに夢中にな
る三次元オタクとの大きな相違点は,「コミュニケーション可能性の有無」である.例えばファ
ンレターを出したならば,三次元オタクの場合は万が一にもその人から返信が来る可能性がある.
ライブやディナーショーに行けば遠いかもしれないが会うことができる.しかし二次元オタクの
場合はディスコミュニケーションが確定している.すなわち二次元オタクの恋の対象は,永遠の
理想像であり,相手からの反応はなく,そもそも相手は現実世界で生きていない.そのため,オ
タクたちは二次創作 iで仮想現実を作り出しているのである.一方で,三次元オタクの恋は,理
想像であるが一緒に年を取ることができるし,生きているためライブなどで多少の反応はある.
しかし個人的な関係を築くことは見込めない.そのためSNSなどを利用しつつ,雑誌を集めた
り会いに行ったりなど,対象の日常を追いかけるのである.
相違点もあるが,二次元オタクも三次元オタクも時間や愛情をかける相手と自分の間に直接的
なつながりは成立しえない点は共通している.両者の違いはこの世に相手が存在するか否かであ
り,最終的には同じ境遇に立つ同志である.つまり,二次元オタクと三次元オタクに立ちはだか
る壁は,どれだけ愛情を注いでも,その相手と恋仲には決してなれないことである.
1-3. データベース消費から疑似恋愛消費
その人の見た目や,新たな一面を知ることで「キュン」としたり,その人のことをもっと知り
たいと思ったりすることは,現実の恋でも,オタクたちのように成就不可能な恋愛対象への恋で
も変わらないものである.ともあれオタクと呼ばれる人々の間で,特定のキャラクターのことを
思うと胸がいっぱいになり,満たされ幸せな気持ちになれるという状態の人が以前に比べ増加し
ているように筆者は感じている.このような成就不可能な恋愛,「疑似恋愛消費」が一般化して
いるのではないだろうか.そして以下では疑似恋愛消費を,“キャラクターをより身近に感じら
れる仕組みにより,キャラクターがリアルな生活に溶け込み,恋愛に近い感情を抱きつつ行なわ
れるキャラクター消費”と定義する.本節では疑似恋愛消費に至るキャラクター消費の変化を考
i
二次創作とは,原典を一次創作とみなし,そこから派生して作られる漫画や小説のことで
ある.本稿で主に扱っている「二次元」という意味は持たない.大澤真幸はオタクの二次創
作について「原典となる物語を言わば反復している.あの物語はこうだったかもしれない.
あの世界は,こんな風であってもよいのではないか.という感覚が二次創作へかり立てる(大
澤 2008: 201)」と語り,オタクのキャラクターへの憧れや欲求を象徴している.
- 117 -
察していくことにしたい.
東浩紀によれば,1970 年代に社会は「大きな物語」 iiを失い,その埋め合わせをするために
80 年代に物語消費 iiiが生まれ,そして 90 年代には大きな物語の復元さえ必要とされなくなり,
データベース消費へと変化していった(東 2001).このデータベース消費の在り方について東
は 1998 年に誕生した「デ・ジ・キャラット」(通称でじこ)を例に挙げ説明を加えている.こ
のキャラクターはアニメ・ゲーム関連会社のイメージキャラクターであり,背景に物語が存在し
ていないにもかかわらず,アニメ化やノベライズ化まで至った.この人気の特徴はデザインがま
ず単独で支持を集めたことである.でじこは猫耳,メイド服,しっぽ,大きな手足など,東が「萌
え要素」と呼んでいる消費者の萌えを効率よく刺激するために発達した記号が集合していた.こ
のように 90 年代以降のオタク系作品に現れるキャラクターは,もはや作品固有の存在であるの
ではなく,消費者によって直ちに萌え要素に分類され,登録され,新たなキャラクターを作るた
めの材料として表れていくのである.
そして,疑似恋愛消費はデータベース消費の追求により生まれたと考えられる.身体的な特徴
だけではなく,声もデータベースとして分類されるようになり,声優という 2.5 次元への注目が
集まった.「声優グランプリ」,
「声優アニメディア」に代表される声優を専門的に扱った雑誌が
現在数多く刊行されており,声優たちが表紙を飾り,内容もインタビューと共にモデルのような
写真も多く掲載されている.上記で取り上げた「声優グランプリ」は 1994 年,
「声優アニメデ
ィア」は 2004 年に刊行されており,どちらも隔月刊から月刊へと発行を安定させており,声優
への注目が 90 年代後半から徐々に増していることが伺える.現在,人気作品は声優イベントも
熱く,生アフレコやキャラクターと同じ衣装を身にまとってのステージパフォーマンスも行われ,
今や声優は大きな「萌え要素」となっているのである.このようにデータベース消費の追及が声
優という二次元と三次元の中間的存在に注目させ,キャラクターの実存性,疑似恋愛消費への足
掛かりとなったのである.
ii
東は,社会を支え,社会として成り立たせているシステムの総称を「大きな物語」と語っ
ている.近代国家では,その成員を一つにまとめ上げるために生産優位の経済,人間として
の理念,国民国家という政治など様々な形でシステムが整備されており,これらが正常に働
くことを前提として社会が運営されていたのである.しかし,ポストモダンでは,高度経済
成長の終わりや石油ショックなどを通して急速に大きな物語が凋落し,社会のまとまりが弱
体化してしまった(東 2001).
iii
1980 年代,オタクたちは物語を消費していた.オタクたちが真に求めているものは大き
な物語(作品における設定や世界観)であるが,それらを直接消費することはできないため,
大きな物語を部分として持つコミックやグッズが小さな物語として置き換わり見せかけの作
品として消費される.作品の背景が存在することで個別の商品は価値をもち,消費されるの
である.大塚英志はこのような「大きな物語」の断片である「小さな物語」が消費される状
況を「物語消費」と名付けたのである(東 2001).
- 118 -
1-4. 疑似恋愛消費を支える要素
キャラクター消費のあり方が変化する時代背景と共に,サービスを享受する者とサービスを提
供する者の意識も捉えておきたい.まず,享受する側であるオタクは,ネットの普及による二次
創作のさらなる増加・一般化によりキャラクター消費への慣れから,想像力が磨かれていた.例
えば,あのキャラクターがあの仕事をしたら,子どもだったら,あの CM をやってみたら,と
いうように妄想の種はどこにでも落ちており,オタクたちの生活にキャラクターが投影されやす
くなっていたといえる.
次に,サービスを提供する側である企業の狙いとして指摘しておきたいのは,キャラクタービ
ジネスの成功である.2014 年「ハリー・ポッター」の世界を再現したユニバーサル・スタジオ・
ジャパンの 10 年間での経済波及効果は 3 兆 1,420 億円と試算され,東京オリンピックによる経
済波及効果 2 兆 9,600 億円の予想を上回るほどである(『毎日新聞』2014.7.24 東京夕刊)
.もは
やキャラクタービジネスが定番となった「大江戸温泉物語」では様々な作品との力の入ったコラ
ボレーションが話題になっている.このような「あの部屋,あの世界を再現」したものや,声優
やキャラクター人気に着目し新たな顧客層や売上拡大を狙う企業の存在も忘れてはいけない.
このように,新たなキャラクター消費の傾向,消費者の受け入れ土台の成熟,企業によるキャ
ラクタービジネスの注目,という三つの要素が重なったことで,キャラクターの実存化が進み,
疑似恋愛消費の源となったと推察される.
2
キャラクターの実存化
2-1. 想像させるキャラクター
前章では,恋愛感情を抱いたキャラクター消費を「疑似恋愛消費」と名付け,その時代背景を
明らかにした.繰り返しとなるが,疑似恋愛消費とは,“キャラクターをより身近に感じられる
仕組みにより,キャラクターがリアルな生活に溶け込み,恋愛に近い感情を抱きつつ行なわれる
キャラクター消費”である.それでは,キャラクターはどのように私たちの生活に溶け込んでい
るのだろうか.本章では「キャラクターをより身近に感じられる仕組み」を考察するため,キャ
ラクターのあり方,特にキャラクターの実存性に注目することとする.
疑似恋愛消費に拍車をかける現象は,キャラクターの実存化であると考えられる.ここでいう
「実存化」とは,この世には存在しないアニメやゲームのキャラクターが「現実に生きている」
状態に近づくことを意味している.キャラクターを実存化する仕組みには二つの方法が考えられ
る.それは,二次元のキャラクターが「生きている」状態を私たちに想像させる方法と,二次元
のキャラクターを三次元の生きている人間に投射する方法である.
本節では,想像させるキャラクターについて,オタクたちに「生きている」ように思わせる仕
組みに注目し,分類を行うことにしたい.
- 119 -
(1)
コミュニケーション型
コミュニケーション型は育成ゲーム,恋愛シュミレーションゲームのように,会話や選択,戦
闘を通して感情移入をしていくものである.歴史も長く,反応があることが特徴である.例えば,
男性向けアイドルプロデュース体験ゲーム「アイドルマスター」
(通称アイマス)は,13 人の少
女たちがトップアイドルを目指していくものであり,プレイヤーは新米プロデューサーとなり,
各キャラクターと一緒に営業やレッスン,オーデションを行う.会話によって思い出が増え,そ
の思い出はオーデションにてアピールポイントとして利用できる iv.このようなキャラクターと
のコミュニケーション量と対戦が連動する仕組みによって,夢中になっていくプロデューサーが
増えているのである.
また,ゲームやアニメに登場するキャラクターに向ける「俺の嫁」という表現がある.オタク
用語として使用され,ついにはコミュニケーションをとるという点では不向きだと考えられる
「ポケットモンスター」においても「嫁ポケ」が存在するのである.ゲーム「ポケットモンスタ
ーXY」から,ポケモンにおやつをあげる,触れる,反応があるといった「ポケパルレ」機能が
加わり,戦いや育てていくことでしか触れ合うことができなかったポケモンに対して愛情を直接
注ぐことができるようになった.それでは,プレイヤーたちはこのポケパルレ導入以前のポケモ
ンとのコミュニケーションをどのようにとっていたのだろうか.それはバトルやレベルを上げる
といった行為の中で行われていたと考えられる.ポケモンには,アニメやポケモンが直接喋るゲ
ームも存在し,そのキャラクターの性格を知る機会ももちろん存在する.しかし「嫁ポケ」は特
にゲーム内で使われるお気に入りのキャラクターであることが多く,性格という点で「嫁ポケ」
を決定しているようには見えない.このことから,コミュニケーション型においてゲーム的であ
ること,つまり擬似コミュニケーションが非常に大切な役割を担っていると考えられる.ゲーム
の中でオタクたちはキャラクターたちに対して好きなだけ愛情を注ぐことができる.そして愛情
を奉げた分だけキャラクターからの反応(あらかじめゲーム機能として設定されたものであるが)
や,戦闘での成果に表れるのである.その好意が現実世界の他人よりも興味のある大きな感情に
なったとき,つまりそのキャラクターに関することが何よりも優先される生きがいとなったとき,
お気に入りのキャラクターを「俺の嫁」と主張するのではないだろうか.そしてそのキャラクタ
ーは嫁になりうるほど「生きている」状態を想像させる存在になるのである.
(2)メディアミック発展型
メディアミック発展型とは,メディアミックスの発達によってもたらされた新たな「生きてい
る」状態を想像させる仕組みである.例えば,バーチャルアイドル初音ミクが「ミクの日大感謝
祭」としてライブを行うことは,次元の壁を越え,キャラクターと同じ時間・同じ空間を共有す
ることができ,初音ミクが「生きている」一瞬を共有することを実現したのである.千田洋幸は
初音ミクのライブに対して「ミクの存在が観客に働きかけ,観客がそれに応答することにより,
相互交渉的な間身体性が自然に発生しているのだが,そこでは(中略)ミクのパフォーマンスに
iv
アイドルマスター公式サイト(idolmaster.jp/)参照.
- 120 -
うながされ彼女と共振する,一回性,不可逆性を内包した身体も実現されている」(千田 2013:
184)と解説している.また,恋愛シュミレーションゲーム「ラブプラス」ではイベントとして
彼女と熱海旅行に行くことができ,決められたスポットでは一緒に写真を撮影することも可能で
ある.彼女はゲームの中だけの存在ではなく,不可能であるはずの彼女とのデートをより現実に
近い感覚で楽しめる点でラブプラスは優れていた.二次元の彼女は,仮初めではあるが現実世界
で一緒に旅行を楽しむことのできるパートナーとなりうるのである.
また,ニコニコ動画を利用したラジオ番組や twitter などの定期的な情報発信も近年よく見ら
れる.オタクたちはその情報を日常的に享受し,その状況が当たり前になることで,どこかで生
きているキャラクターの日常を垣間見たかのような錯覚に陥るのである.話題になった例が女性
向けアイドル育成恋愛シュミレーションゲーム「うたの☆プリンスさまっ♪」である.2013 年
10 月から翌年の 2 月までの約 4 か月間,アイドルであるキャラクターたちが作品中の事務所公
式アカウントとして twitter に登場し,フォロワー数は 19 万人を超えた.twitter 上でよく見か
けるのが bot と呼ばれるキャラクターのなりきりアカウントだが,ここでは公式としてキャラク
ターが日常をつぶやいたり,キャラクター同士がリプライを飛ばし合ったりなど,キャラクター
の「生」を忠実に演出して見せた.このようにメディアミックス発展型は,実際には存在しない
キャラクターたちが技術の発達により物理的に三次元の世界に近づいたことによって,同じ空間
にいるという身体性の共有や日常的な情報収集を可能にした.このような新たな仕組みによって
オタクたちはキャラクターを「生きている」ようだと身をもって感じることのできるのである.
「生きている」状態を想像させる方法は,メディアミックス発展型のように近年さらに方法が
増加したといえる.コミュニケーション型が土台となっていると推察されるが,これらの分類は
一つのみに当てはまることも,複数に当てはまることもある.本来架空のキャラクターたちが私
たちと同じ世界に生きていると錯覚してしまう仕組みは,これからも技術の進展やアイディアの
もとに増えていくと考えられる.
2-2. 次元を超えたキャラクター
本節では,キャラクターの実存化のもうひとつの手段,二次元のキャラクターが三次元の人に
置き換わる方法について考察していく.そのためにはまず,キャラクターとそれを演じる人の共
通点を見つける必要があるだろう.
容姿に注目した場合,やはり二次元という理想の世界の人物であることから,美男・美女がキ
ャラクターに見合う人物として選ばれることが一般的である.これを厳格に行っているのが「テ
ニスの王子様ミュージカル」(通称テニミュ)である.出演キャストは,舞台経験の有無にかか
わらず「原作のキャラクターに近いかどうか」で選ばれる.そのため,テニミュは若手俳優の登
竜門とも呼ばれており,公演楽曲を使用したコンサートや,大運動会なども行われ,パフォーマ
ンスをする若手俳優の人気も非常に高い.同じく,容姿やキャラクターといった点を考慮して実
存化がおこなわれるものに,漫画の実写化が考えられる.これまでドラマや映画など多くの作品
- 121 -
が実写化をされている.しかし,この場合は,キャラクターの実存化よりも物語の実存化に力が
注がれているといえる.ビジネスとして結果を出す,すなわち興行収益を出すことや視聴率を得
ることが目的であり,キャラクターよりもどんな作品を実写化するのか,どの俳優を起用するの
かが実写化の最大のポイントになる.そのため,原作ファンは実写化には厳しい評価を下し,自
分の持つイメージを壊すことを嫌いその作品を見ないという選択がされることもある.
また,実存化において容姿以外の共通点として「声」が挙げられる.先程も触れたが,声優は
キャラクターが声を通して現実の人に置き換わったものと考えられる.キャラソンやドラマ CD
など映像のない声のみの商品が増えるとともに,声のみでもそのキャラクターの体現とみなされ
るようになるのである.さらには声優によるラジオやイベントも活発になり,そこでのトークや
振る舞いでその声優の性格や容姿さえも好きになっていくことで声優ファンは増加していると
考えられる.
ここではいくつかの実存化の例を挙げてきたが,最終的には演じている人自身への注目が集ま
る傾向がみられる.次元を超えたキャラクターのファンには二次元オタクと三次元オタクの融合
がみられるのである.想像させるキャラクターのファンと比較した場合,三次元オタクへの移行
が多いという特徴があるだろう.
2-3. キャラクター化するアイドル
キャラクターの実存化は,二次元のキャラクターが「生きている」状態になることのみを指す
言葉ではない.現実世界に生きる人間の存在そのものがキャラクター化することも一種の「キャ
ラクターの実存化」といえるだろう.つまり,二次元のキャラクターのみでなく,人間さえもキ
ャラクターのように振る舞い,そして人々にもそのように見られているのである.この傾向はご
当地アイドルに顕著に表れている.AKB48 を筆頭に日本全国でご当地アイドルが誕生しパフォ
ーマンスなど行い地域おこしに活躍している.ご当地アイドルの最大の特徴は,会いに行けると
いう点である.ファンは足しげく通いこめば顔を覚えてもらえ,会話ができるほどアイドル一人
一人のキャラクターを近くで知り,推しメンを作ることが可能である.しかし,みんなのアイド
ルである事は変わらず恋愛禁止条例によって,顔見知りとなりどれほど仲良くなろうとも決して
手に入れられない存在となっている.現実世界で接点を持つことができ,しかし成就不可能な点
で二次元のキャラクターよりもさらに傾倒しやすいキャラクターといえるだろう.同じようにジ
ャニーズファンはジュニア時代から見守る母親的な楽しみ方を以前から行っている.前節のテミ
ニュも若手俳優の成長を見るという点ではジャニーズジュニアの応援と共通点がみられる.
存在自体が二次元よりも現実的であるだけでなく,アイドルたちの活動もまたゲーム的である.
AKB48 の総選挙やじゃんけん選抜のようなイベントを通して,オタクたちはリアルなアイドル
育成ゲーム,恋愛シュミレーションゲームを楽しんでいる.アイドルたちは二次元とは違い一緒
に年を取ることができ,キャラクターのストーリーは実に不安定である.メンバーとしてデビュ
ーできるか,今の人気が続くのかと期待と不安は尽きないが,自分の応援が力になると実感もし
やすい.このようにご当地アイドルたちは二次元以上に手が届きそうで届かない存在であり,特
- 122 -
殊なキャラクターの実存化と言えるだろう.この世に存在しない二次元キャラクターへの叶わな
い恋を誘発するキャラクターの実存化がある一方で,同じ世界で生きていながらも憧れの存在で
あり続ける人間のキャラクター化,大きく括ってしまえば,このような「キャラクターの実存化」
もまた存在するのである.
3
アイロニカルな消費行動
3-1. 自己満足の直接消費
前章まで,キャラクターのあり方に注目し擬似恋愛消費への考察を加えてきた.特に,キャラ
クターが「生きている」状態に近づくこと,また,人間がキャラクター的な要素を持ちつつも手
の届かない存在であり続けるという「キャラクターの実存化」によって,キャラクターが現実世
界に溶け込み,オタクたちが思わず恋愛感情を抱いてしまうという一連の流れが疑似恋愛消費の
要になると明らかにした.そこで本章以降では,疑似恋愛消費の魅力に陶酔するオタクたちに視
点を移していきたい.本章では「行動」に注目し疑似恋愛消費を行うオタクの消費行動と愛情表
現の関係を,次章ではさらに疑似恋愛消費におけるオタクの隠れた「心理」をそれぞれ考察して
いく.
キャラクターの実存化によって,オタクの消費行動は大胆になったといえるだろう.キャラク
ターが日常に溶け込み,自分と同じようにキャラクターに傾倒する仲間を目にすることでさらに
愛情表現は深く「沼」vへ沈んでいく.ブログやtwitterのようにネットの普及によってオタクの
過剰な消費が目立つようになったことももちろんあるが,オタクたちは疑似恋愛消費を存分に楽
しんでいるように見える.そしてそこで発信される情報は驚くものが多い.ソーシャルゲーム「ラ
ブライブ!スクールアイドルフェスティバル」のユーザー数は 400 万人を超え,月に数十万も
使う「廃課金者」を生み出している.アイテムやキャラクターを集めるために総額では百万,二
百万円の課金が行われているのである(『EXドロイド』2014.5.14)vi.また,オタクたちの愛情
が瞬間的に爆発するのが「生誕祭」である.キャラクターの誕生日にはお祝いツイートが 0 時
になった瞬間から,時には前夜祭などと題し誕生日前からメッセージが溢れている.
「おめでと
う」のような一般的なコメントから,キャラクターを祝う祭壇やキャラクターのために作ったケ
ーキを写真に撮りtwitterに上げるオタクも多い.部屋にはポスターや等身大パネルが壁一面に
張られ元の壁の色など分かる余地もなく,棚や机の上にはフィギュアやキーホルダーなど同じグ
ッズが何十個ずつと並ぶ.そして中心にはケーキやそのキャラクターの好物が献上され,祭壇は
そのキャラクターのカラーで染められるのである.
このように,好きなキャラクターの同じグッズを大量に手に入れたり,ゲームへ何百万も課金
したりと,作品やグッズなどの公式商品を購入する過剰な「直接消費」はコアなオタクにはよく
みられる.このような一般常識から離れた必要以上の投資は,オタクたちの愛情表現である.し
v
ある作品の虜となり,その状態から抜け出せないほどにのめり込んでいることをジャ
ンルの名前を入れ「○○沼」と呼ぶことがある.
vi
EX ドロイド(http://exdroid.jp/d/69975/)参照.
- 123 -
かし,愛情表現の一部であるお金はキャラクター自身へ流れることはなく,その作品を提供して
いる会社の利益となる.すなわちこの過剰な直接消費はオタクたちの自己満足であることを意味
すると考えられる.つまり過剰な直接消費はそのキャラクターを好きであることの自己アピール
の意味合いが強く,オタクたちはそのキャラクターのために愛情をかけている自分自身に満足し
ているのではないだろうか.
3-2. 共有するための間接消費
前節で紹介した,作品やグッズなど公式商品を購入する直接消費だけではなく,実際にはこの
世に存在しないキャラクターが使ったもの,行ったところを信じ(ているふりをして),キャラ
クターと共有するための「間接消費」を行う現象も増加している.間接消費への原動力は,キャ
ラクターの実存化によって,好きなキャラクターが生きていると信じる気持ちがキャラクターの
「生」の一部を消費したいという衝動に変わることだと推察される.最も分かりやすい例は,存
在しないはずのキャラクターが行った場所,生活しているとされる場所に訪れる聖地巡礼だろう.
実際にその地に足を運んでもキャラクターに会うことはもちろん生きている証を見つけること
もできず,ある地域の日常の風景を見ることになる.それでも聖地巡礼が現在のように盛り上が
っているのは,舞台となった場に行きその世界観に浸ることが人々にとって魅力的な誘惑である
ためだろう.この町のどこかで生活しているかもしれないと考え,同じ空間にいると想像するだ
けで生きていない者との距離を縮めるには十分なのである.
また,先ほど「生きている状態を想像させるキャラクター」の例として挙げた「うたの☆プリ
ンスさまっ♪」twitter企画
viiを再度取り上げると,キャラクター内で流行しているとして写真
が掲載されたお菓子はすぐさま特定され,そのツイートが上がった日の夜には商品は二か月の注
文待ちとなった.このような「特定班」の仕事の速さはネット上でも有名であり,キャラクター
が「今車に乗っている」,「電車を降りる」
,飛行機からの写真などをツイートする度に乗ってい
る電車や飛行機の特定が数分の内に完了し拡散されるのである.キャラクターがおでんを食べた
と言えば真夜中にもかかわらず「コンビニにおでんを買いに行く」というつぶやきがtwitter上
に溢れ,経済にも大きな影響力を持つとされる.
公式商品を購入する直接消費に対し,間接消費はキャラクターの言葉や行動から生きているこ
とを想像し消費行動を起こすのである.直接消費よりも制限が少ないためその波及効果は際限な
い.聖地巡礼やコラボイベントは町おこしにも有効に使われているが,その背景には,オタクた
ちの存在しない対象と少しでも物・情報・空間を共有したいという強い思いが秘められているの
ではないだろうか.
vii
「うたの☆プリンスさまっ♪」のキャラクターが舞台を行う設定のプロジェクト「劇
団シャイニング」の開始を記念し,出演するアイドルを中心に 14 人のキャラクターが
2013 年 10 月 18 日から 2014 年 2 月 28 日までの期間限定で twitter を行ったもの.
- 124 -
3-3. 引きこもりとオタク賢者
しかしながら,過剰な直接消費や間接消費を行う一方で,オタクたちは企業や企画者の思惑も
十分理解している.それでも進んで踊らされているのである.美術や演劇活動を行い,作家でも
ありながら,いまや自分のことをオタクと断言する嶽本野ばらは著書の中で自己の体験を語って
いる.
二次元は三次元にいる人間が作り出したものでありフィクションなのはちゃんと心得て
いる.だが,その世界に感情移入してしまうと,食事をし排便を繰り返しながら時間を経
る毎に確実に成長,老いていく人間よりも永遠に青春を生き続ける二次元のキャラクター
のほうに思い入れが強くなる.つまり,現実を否定するのではなく,現実と二次元を常に
天秤に掛けてしまうのだ.
(嶽本 2012: 36)
キャラクターが実存化する前までもキャラクターに熱中する消費者は存在した.それは大抵の
場合引きこもりという存在であり,社会的異端者として見られていた.そこで,わかっていなが
ら戯れる「アイロニカルな消費」viiiをすることで,異端者にならずして社会的立場を保つ,仕事
と趣味を分別する賢者が増加している.この背景には,ビジネスとしてキャラクターとの擬似コ
ミュニケーションの場が当たり前のように提供されていることが上げられるだろう.その結果,
キャラクター消費を趣味として楽しむというよりは,むしろ趣味のために仕事をするかのような
風潮さえみられる.公の場での振る舞いには見せないが,帰宅後や休日には趣味に没頭するオタ
ク賢者が現代の社会には多く隠れているのである.
4
社会に溢れる成就不可能な恋
4-1. 叶わない恋と現実の恋
ここまでキャラクターの実存化に注目し疑似恋愛消費を考察し,実現不可能と知りつつも異常
に執着した消費を繰り返すオタクたちの行動を挙げてきた.本章では,このような行動の裏に潜
むオタクの心理を解き明かしていく.
1-2 ですでに述べたように,二次元オタクの「好き」と三次元オタクの「好き」は,手が届か
ない存在への恋という点で同じだといえる.それでは,相手からの見返りがないにもかかわらず
愛情を注ぎ続ける熱意とは何なのだろうか.社会学者である大澤真幸は恋愛の本質を以下のよう
に述べている.
ウォルターがサンドラを愛する理由が,サンドラを一要素として含む一般的な集合を指
定するような場合には,彼の愛は唯一的なものではなく,したがって,サンドラが求めて
viii
宮台真司は,
「所詮は戯れだ」と言いつつ自己のホメオスタシス,すなわち自分の恒常性
を維持するために精一杯奮闘することを「アイロニカルな没入」と語っている(宮台 2014).
- 125 -
いる「本当の愛」ではない.この場合には,ウォルターは,サンドラを愛するのと同じ志
向性によって,複数の他者を愛することができるようになる.
(大澤 2005: 31)
人が誰かと恋に陥るということは,どんな場合であれ,訳がわからない理由によってつ
まり相手が何者であるかということには無関係に,その相手が離れられないものになると
いうことではないか.
(大澤 2005: 12)
大澤によると,その人の「こんなところが好き」と説明ができるうちは愛とは言えないのである.
理由などなく「もう,とにかく好きだ」という感情が恋なのである.
間接消費をはじめ痛車や痛バッグ ix,twitter上における同担拒否 x,他人が付けているキャラ
クターグッズを「私の○○つけないで!」と引きちぎる行為などは,データベース消費のように,
ある一部の萌え要素によってもたらされる「好き」の範囲を超えているのではないだろうか.し
たがって,先ほど例を挙げたようなコアなオタクが至る理由のない好きに踏み込んだ恋は「現実
の恋」と同じ熱意を持っていると考えられるのである.
4-2. 社会に矛盾する「好き」
前節で明らかになったことは,対象への熱意は現実の恋も成就不可能な恋も同様である,とい
うことである.また,すでに述べたように,二次元オタクと三次元オタクの恋,すなわち疑似恋
愛消費は決して恋人にはなれないという大きな壁が存在しているのである.つまり,同じような
熱い気持ちを抱えているにもかかわらず,キャラクターへの恋は実現不可能なのである.しかし,
実現不可能であるからといってオタクたちの行動や感情全てを意味のないものとして捉えてよ
いのだろうか.本節では,
「好き」という感情について成就不可能な恋と現実の恋を比較してい
く.
二次元オタクや三次元オタクがするキャラクターへの「成就不可能な恋」と,実現可能な「現
実の恋」は理由のない好きという点では同じだが,その愛情表現や,相手に求めることは異なる
のではないだろうか.「現実の恋」はその人の一番になりたいと思うものであり,これに対して
「成就不可能な恋」は誰よりもそのキャラクターを愛している存在になりたいと思うものである
と考えられる.その証拠となるのが自己アピールであり,さらに自己満足へとつながる直接消費
や間接消費である.相手と直接的に触れ合うことができないということは,相手のことを気にせ
ず自由に愛情表現ができることを意味する.現実の恋よりも本能的に行動し,自己の目的を果た
ix
好きなキャラクターの缶バッチやキーホルダーをバッグの表面全域に所狭しと飾り
付けたもの.痛車と同じく,見ていて「痛ましい」と思えることからこのように呼ばれ
る.オークションにて限定グッズを購入したり,痛バッグを複数所持していたりと痛バ
ッグには 2~150 万円がかかるといわれる.
x
自分と同じ人物やキャラクターを好きな人によるフォローを避けるための言葉.
twitter のプロフィール上でよくみられる.自分以外の人がその人を好きである事を許せ
ないオタクによる自己防衛であると考えられる.
- 126 -
すために一方的に対象への愛を深めていくことができる.つまり,
「成就不可能な恋」ほど本質
的で,洗練された「好き」になると推察される.
しかし,どれだけ愛情を注いでも,その相手と恋仲には決してなれないという大きな矛盾は消
えることはない.そしてオタクたちもこのことを十分に理解しているのである.
「好き」という
気持ちの原理としては正しいにもかかわらず現実世界においてこの恋は成就することはなく,こ
の熱い想いは妄想でしかないのである.
4-3. 洗練された「好き」の行方
ここまでキャラクターが生きているかのように変化し,人さえもキャラクター化しつつある社
会で成就不可能な恋「疑似恋愛消費」が横行していると述べてきた.そして,オタクたちは見返
りがないと理解しながら愛を奉げ続けるアイロニカルな消費を行っているのである.つまり,オ
タクたちは「愛される」よりも「愛する」ことに意味を見出しているのではないだろうか.オタ
クたちがキャラクターに対して奉げているのは,キリスト教的な愛だといえる.それは,相手の
ために自分自身を犠牲にすることもいとわない愛であり,自分のすることへの見返りとして,自
分を愛してくれることさえ求めないものである.そのキャラクターのためならば,お金も時間も
惜しまず直接消費や間接消費を繰り返し,むしろキャラクターへの愛情表現をより高度にするた
めに,仕事をし,日々の困難を乗り越えていくオタク賢者へと進化したのである.自分が愛して
いるだけで十分満足し,むしろそのキャラクターを愛していることを誇りに思う,報われること
のない洗練された「好き」を抱えたオタクたちは「そのキャラクターを愛している自分を愛して
いる」状態だと推察される.しかし,この深い愛情が自己満足のみでは終わってしまってよいの
だろうか.さいごに疑似恋愛消費におけるオタクたちの行動や心理が,オタクたちにとどまらず,
社会にどのような影響をもたらすのかを考察していきたい.
オタクたちは成就しないとわかっていながら,なぜ傾倒するのか.それは前節で述べたように,
本質的な「好き」だからである.それでは,この実現することのない本質的な「好き」の正体は
何なのか.それは,自己愛であると考えられる.心理学の視点から恋愛を捉えたバーバラ・デ・
アンジェリスは,自己愛こそが他者への愛を生むと述べている.
要するに,自分をしっかり愛することができない人は,他人を愛することもできない,と
いうことなのだ.なぜなら,自分自身に与えていないような時間とエネルギーを他人に与え
ることが許せないからだ.
(Barbara De Angelis 1995=1999: 39)
また,愛の研究に有名なヴィクトール・エミール・フランクルは,愛とは愛する者の精神的な
成長につながると述べている.
愛は愛する人間に対して,価値の豊かさに対する人間的な共感性を高めるのであり,す
べての価値に対する眼を開くのである.かくして愛する者はその汝への献身において,こ
- 127 -
の汝を超えて行く内的な豊饒化を体験するのである.(Viktor Emil Frankl 1952=1983:
147)
これら二つの引用は愛について,特に男女間での恋愛を主題として語っているものだが,実現
可能性の問題以前の話であるため,これをキャラクターへの恋に置き換えても問題ないだろう.
つまり,誰かを好きになることは自身の豊かな精神と愛を育むことであり,その前段階として自
分を愛する必要がある.そのキャラクターを愛している自分を愛するからこそ,他者を愛するエ
ネルギーが生まれる.そして他者を愛することでさらに自己愛を深めていくことになる.このよ
うにして,オタクたちはより手近でわかりやすく分類されたキャラクターを愛することで,日常
の他者を愛する準備をしているのである.キャラクターという手に届かない存在への愛は,年齢
や性別,恋人の有無にかかわらず「人を好きになる」気持ちを私たちに教えるのかもしれない.
しかし,キャラクターに恋をすることはあくまで準備期間であることに注意が必要である.実
現不可能な恋での相手との距離は,単に好きなものに愛を注ぎ,それをただ受け入れてもらうだ
けの関係である.居心地の良い環境に甘んじるばかりではなく,現実での恋愛をする努力もすべ
きではないだろうか.永遠の理想を追いかけているだけではわからない相手の気持ちを考えるこ
とや,相手への愛情を押し付けてしまいがちな自分の気持と折り合いをつけることは,手の届く
存在からしか学ぶことはできない.理想の世界でも心の安定を手に入れることができ,自己愛を
育むことが可能だが,さらに現実世界で恋をすることで,人間としても成長することができるだ
ろう.
おわりに
本稿ではオタクの恋愛感情に注目し,二次元オタクと三次元オタクの恋は決して報われること
はないが,その見返りを求めない深い愛情は自己愛,他者愛につながると論じてきた.1 章と 2
章で示したように,キャラクターの実存化が進み,キャラクターが生活に溶け込んでいる社会は,
存在しない相手にさえ「好き」という感情を呼び起こさせ,疑似恋愛消費を一般化・日常化して
いる.オタクの消費行動を考察した 3 章では,オタクたちは過剰な直接消費,間接消費をしつ
つも「アイロニカルな消費」を行うことで趣味と公の場を意識的に分離していることを明らかに
した.そして 4 章では本稿の目的であったオタクのキャラクターへの恋愛感情が真に意味する
ものについて考察を行った.オタクが行う疑似恋愛消費すべてが無意味な感情,行動ではなく,
疑似恋愛消費,すなわち思う存分愛情表現をすることで,自分の心に正直になることができ,そ
れが自己愛につながる.そして,自分自身を十分愛している人に生じる心のゆとりこそが他者を
愛するエネルギーになるのである.
このように,決して叶うことのない夢を追いかけるオタク心理を解明することで,社会的
には一見無意味と思われてしまう行動や消費に価値を見出すことが可能になる.それはキ
ャラクターに貢ぐオタクだけに当てはまることではない.一人一人趣味は異なり,料理や
ボランティア活動など実用的なことももちろん多いが,その一方でなかなか共感を得られ
- 128 -
ない趣味も時代の変化と共に増加している.好きなことに熱中できるということは,その
人の生きがいとなり,自分自身や他者になんらかの影響を与えていると考えられる.ビジ
ネスとしての利用や社会の変化によって生まれた個人の偏愛を無意味なものだと一方的に
判断してしまうのではなく,それぞれの趣味や立場を尊重し合える社会が望まれる.
文献
東浩紀,2001,『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社.
Angelis,Barbara De,1995,Real Moments for Lovers: Delacorte Press.(=1999,加藤諦三訳
『「その人」にもっと愛される心理学』三笠書房.
)
宮台真司,2014,
「オタク文化史論―「〈秩序〉の時代」から「〈自己〉の時代まで」辻泉・岡部
大介・伊藤瑞子『オタク的想像力のリミット 〈歴史・空間・交流〉から問う』筑摩書
房.
中島梓,1995,『コミュニケーション不全症候群』筑摩書房.
岡田斗司夫,2000,『オタク学入門』新潮社.
大澤真幸,2005,『恋愛の不可能性』筑摩書房.
――――,2008,『不可能性の時代』岩波書店.
嶽本野ばら,2012,『もえいぬ 正しいオタクになるために』集英社.
千田洋幸,2013,
『ポップカルチャーの思想圏―文学の接続可能性あるいは不可能性』おうふう.
Frankl,Viktor Emil,1952,Aerztliche Seelsorge: Franz Deuticke.(=1983,下山徳爾訳『死と
愛――実存分析入門』みすず書房.
)
- 129 -
オタク趣味から見る一般化
―オタクと一般人と情報社会―
山本 凌平
はじめに
あらゆるモノと情報が溢れ,それに伴い人々の趣味が多様化してきた現代社会において
一部特殊な部類に属するものも出てきた.その中でもテレビやネットといった情報媒体を
介することで広まった趣味がオタク趣味である.オタク趣味とはアニメや漫画,ライトノ
ベル,キャラクター,フィギュア,萌え,特撮,電車,同人誌等々のサブカルチャーを嗜
好としている人々を指している.情報媒体で広まった例として,事実に基づいて製作され
たテレビドラマ「電車男」の影響などが挙げられる.そして,そのような特殊な趣味を持
つ人々にスポットが当てられ幅広く認知されていき遂には趣味として公言する人も増加し
ていったのである.しかし,近年までオタク趣味は虐げられるものであって決して褒めら
れたものではなかった時代が長かった.筆者がオタクという言葉を知ったのも小学校高学
年の時であり,それからオタクの社会進出について関心を持つようになった.
本稿では「オタク趣味」はどのようなものかを過去のオタク像を顧みて定義しつつ二次
元の三次元化という一種の転機にも絡めてオタク趣味の浸透について考察していく.そし
てオタク趣味の「一般化」がこの現代社会において言えるのかどうかについても事例を挙
げた上で考えていきたいと思う.
1
「オタク」と呼ばれる人々
「オタク」という呼称が付けられた時期がいつ頃かというと,1983 年に中森明夫 iが『漫
画ブリッコ』のコラム記事で同人誌即売会 ii(別名:コミックマーケット)に集まる人々を総
じて「おたく」と命名したことから始まる.勿論良い意味ではなく,蔑称の意味が大きい.
そんな「オタク」と称されるグループではあるが,一体どのような趣味が属しているのだ
ろうか.オタクについての研究は現代社会においてかなり進められているが,筆者の思う
オタク像と重なるかどうかについても見て行きたいと思う.ここでの筆者の思うオタク像
とは,自身の趣味嗜好が一般のモノとは異なる特殊なモノとして周囲に積極的に公言しな
い人たちのことを示している.今回の考察で過去のオタク論と筆者の見解の相違点が存在
しているのかを示していく.
中森 明夫(なかもり あきお,本名:柴原 安伴(しばはら やすとも),1959 年 1 月 1 日
-)は日本のコラムニスト,編集者.
ii 同人誌を配布・頒布・販売する集会である.また,その規模は年々拡大しており日本の経
済をわずか 3 日で動かすほどの金銭のやり取りも行われオタクたちが全国津々浦々から有
明付近に集結する.
i
- 130 -
1‐1.オタクとは
そもそもとして「オタク」とは何なのか,岡田斗司夫によると「オタク」はNHKの放
送問題用語でもあり,また浅羽通明 iiiによるとマニアや熱狂的なファン,ネクラ族などと呼
ばれていたマンガやアニメ,SF,コンピュータ,アイドル,鉄道などに没頭する若者の
一群と定義付けている(浅羽 1991:10)
.つまり定義を踏まえるならば「おたく」という
言葉はオタク趣味を持つ人々へ差別的な意味を含む呼称イメージを与えるためのものであ
り,オタク趣味の扱いに関してよくわからないものと一般層の人々は考えていたのではな
いかという仮説が筆者の脳裏に浮かんできた.そこで本稿ではオタク趣味の認識に対して
焦点をあてて考察していく.また本稿での「オタク趣味」とは 21 世紀以降におけるアニメ
や漫画,ゲームなどの情報媒体に範囲を設定することとする.それに加えて,イベントな
ども考慮していくこととする.
1-2.過去のオタク像の歴史の流れ
オタクといっても時代によって様々な動きがあり一言で言い表すことは困難である.こ
こで筆者がオタクの起源について調査を進めると 1980 年代と 1990 年代にルーツがあるよ
うに思われた.
大塚によると,1983 年に「オタク」という言葉が『漫画ブリッコ』という性的メディア
であるロリコンコミック誌で使われ始めた.つまりオタクの始まりはエロ漫画を基盤とし
たエロティシズムから来るものだと推察される.また,二次元におけるオタクの理想像が
出来上がっていくと同時に創造物への物語消費も進行していった.この流れにおいて,一
般層がオタクを認知することとなる「東京・埼玉連続幼女殺人事件」が発生し,オタク層
への風当たりが強まったと考えられている.さらに情報媒体も少なく情報の取捨選択と真
偽の判断が困難であったとされている.
1990 年代になるとオタクたちが更に軽蔑視されるようになり,それに伴いオタクたちに
変化が生じ,様々な形で彼ら自身の居場所を探す傾向が見られるようになった.その過程
には「通過儀礼」という成熟していないものが存在しているとされ,現実逃避を行う要因
として考えられている.
そして上手くその流れを汲みとったものが 1995 年に放映された
「新
世紀エヴァンゲリオン」に表れていると大塚は推察している.また主体を求める物語から
主体を徹底して拒絶する物語へと変化していったと考察しており,自己確認への欲求が高
まっているためであるとしている.アニメ放映後,1997 年に発生した「神戸連続児童殺傷
事件」にその影響が見られるとしている.この事件に関して,主体をめぐる欲望にとうと
う抗いきれずそれを解き放った点で戦後サブカルチャー史の終着点にあるように思われる
と大塚は考察している.そしてインターネットが普及し始め,1999 年には 2 ちゃんねるが
浅(淺)羽 通明(あさば みちあき,1959 年 3 月 4 日- )は神奈川県横須賀市生まれの
評論家.元早稲田大学非常勤講師.
iii
- 131 -
開設され,情報の交換がなされるといった情報媒体が増えたことにも注目しておきたい(大
塚
2007)
.
1980 年代と 1990 年代をみて,過去のオタクと現代のオタクを分かつメルクマークとし
て「一般層における情報媒体を通したオタク層への認識」を挙げたいと筆者は考えた.こ
のように一般層に対する情報媒体が乏しかった 1980 年~1990 年代でさえある程度の勢力
を持っていたわけだが,21 世紀以降に様々な技術進歩を経てオタク趣味はどう変容してい
ったのであろうか.一事例として 2006 年の角川スニーカー文庫原作のテレビアニメ『涼宮
ハルヒの憂鬱 iv』や動画共有サービス『ニコニコ動画』の隆盛が転機の一つとして考えられ
る.このように情報媒体の進歩とともにオタク趣味は大きな広がりを見せ,様々なサブカ
ルチャーの成長の背景には情報媒体が常にあったと考えられる.
以上の事を踏まえて本稿では 21 世紀以降のオタク趣味に関して考察すると範囲を設定し
て情報媒体の三次元化,つまり二次元の三次元化が起こることで‘オタク趣味が一般化し
ている’かもしれないと仮説を立てることにした.
2
現代のオタク像に見られる特徴としての二次元の三次元化
本稿では,二次元の三次元化を二次元のゲームやアニメのキャラクター,アニメや漫画
で登場した場所を三次元である現実世界へと進出させることと定義する.事例を挙げると
するとアニメ等の原作で実際にリンクする場所,つまり聖地に巡礼を行う事自体であると
いえる.
2-1.三次元化の定義と進展
本稿において三次元化とは消費者がただただオタク趣味を楽しむものではなく,生産者
が二次元のものだけとせず,またそのものの立体を伴うわけでもないが多くの一般人の目
に触れる機会として提供されることとする.明確な区分を設定することが出来ないのでお
およそのものとして考えていただきたい.
オタクたちが二次元を好むのはわかるが三次元についてはどうであろうか.現代におい
ては様々な三次元化が見られており需要もあることも明らかである.筆者の頭に,どうし
て三次元化が進んでいるのであろうかという疑問が浮かぶ.それは現代のオタクの傾向を
振り返ってみると何か分かるかもしれないと筆者は考えた.
「ニコニコ動画 v」の動画共有
サービスを通した派生事例としてヤマハの開発した初音ミクをはじめとした音声合成シス
テム「VOCALOID」を利用し動画投稿を行う活動が頻繁に行われたことで,その知名度を
一般層へ広めたのである.また,ゲーム『ときめきメモリアル』から続く恋愛ゲームの要
素を,視点を変え恋人同士から始める『ラブプラス』も三次元化と言えるのではないだろ
iv
谷川流が著書を記し,キャラクターデザインをいとうのいぢが担当しているライトノベ
ルのことである.
v ドワンゴが設立し,子会社であるニワンゴが提供している動画共有サービス.
- 132 -
うか.現代において,このようなオタク趣味の三次元への進出がオタク趣味一般化への鍵
の一つであると言えるかもしれないと筆者は考えた.
2-2.三次元化がもたらした影響
メディアからの注目もあり「オタク」への関心が高まりつつある現代では三次元化を通
して「オタク」の呼称が持つ差別的な意味が薄れてきているのではないかと思われる.そ
れに三次元化に関する動きに実際に触れようとする一般人が秋葉原に訪れたり,毎年夏と
冬に東京ビッグサイト viでコミックマーケットと呼ばれる同人誌即売会が行われ,またそこ
ではコスプレも観光として多くの一般人客や海外観光客を呼び寄せる結果に繋がっている
といった状況がある.しかし,実際に目に見えないものでも多角的な視点を持つことが可
能になったために一般人の賛同を得られるようになりつつあると筆者は考える.しかし,
オタクを悪として捉えている人々もいるためまだまだ課題や問題点も多い.結果,いい影
響と悪い影響どちらの比率が重いかは図りかねるが何らかの変化がもたらされる時は決ま
って両方が生み出されることは仕方のない事と筆者は思う.
2-1 であったオタク趣味が一般層へと露出が進んでいるように,一般層によるオタク趣
味への理解も進んでいるのかもしれない.これを仮説として図に表してみることで何か一
般層とオタク層の間で渦巻く関係が判明するのではと筆者は考えた.
図 1 一般層とオタク層の関係 (筆者作成)
3
表面上の疑似一般化
一般層とオタク層で相互に干渉し合う,つまり両者が相手に影響を及ぼす構図が浮かび
上がってくる.現実ではこのような関係かと筆者は考えていたが,実際は異なっているの
ではないだろうか.つまり一般層とオタク層の両者が協力関係にあって親睦を深めあうと
いった綺麗なものではなく,偶然の産物で誤った認識なのではないかと筆者は考えた.
vi東京ビッグサイト(東京国際展示場)は,展示ホール,国際会議場,レセプションホール
などを備える日本最大のコンベンション施設.(東京ビッグサイト公式 HP)
- 133 -
3‐1.新規参入層の出現
2 章においてオタク趣味が一般層にまで認知され,一般層がオタク趣味へ理解を示しその
領域に足を踏み入れるといったいわゆるオタク化現象が発生し,オタク層へと流入したと
筆者は考える.この新規参入層はライト層として「にわかオタク vii」の位置付けに当たる
とする.また,筆者はオタク趣味人口が増加しその知識量にかなりの開きが見られ一言に
「オタク」とくくることに筆者は違和感を覚えてしまう.それだけ新規参入層の入り口は
広く,垣根が低くなったと思われる.にわかオタクとして参入を果たした一般層がオタク
趣味を認知し,そして理解を示し始めている.こうした結果,今まで交わらなかったモノ
が交差した瞬間であると筆者は考えた.極端なことを言ってしまうと人種差別どうのこう
のといった問題に抵触しかねないが,一般層とオタク層は本来交わることはなくオタク層
がアンダーグラウンドで慎ましやかに息を潜めているものであるとし,そのアンダーグラ
ウンドな領域に触れてしまった層がにわかオタクなのだと筆者は考える.
3‐2.一般化への疑惑「偽りの一般化」現象
2 章の図で推測したように,一般層とオタク層の両者が向かい合い,お互いにアプローチ
を行い,親睦を深めていく構図を前提にしていた.そうすることでオタク趣味が一般化へ
と進んでいく.その上でオタク趣味が市民権を得た前提の話を考えると,今までのオタク
(既存層)と新規参入層とが混同することによって一見オタク趣味が認可されたように見
えてしまっているが,実際は既存層のオタクたちはあまり変化がなく新規参入層のみが一
方的な関心を示しただけではないだろうか.つまり,オタク趣味全体における一般化とい
うのではなくただ単に一般層がオタク趣味の領域に流れ込んできて少数派趣味であるオタ
ク趣味の規模が本来の範囲を大幅に超えて拡大しているようにみえているだけなのかもし
れない.このように一見しただけでは誤解をしてしまうかもしれない事例を,本稿では「偽
りの一般化」と呼ぶことにしたい.ゆえに現実でオタク趣味が正当化されていたわけでは
ないと考察する.
図 2 一般層の一方的な好奇心 (筆者作成)
vii
オタク趣味に踏み入れて日の浅く,知識が伴っていない状態.または広く浅く趣味に手
を出していること.
- 134 -
3‐3.一般層とオタク層の中間に位置する層
図 2 で見えることは,オタク層側からの勢いが一般層に押されており現代社会に顕在化
してきているということである.また,一般層とオタク層とが交わることで元々存在して
いたが一般層からの流入でその勢力を拡大させてきた層であるにわかオタク層の役割が異
なった意味を持つようになってきたと筆者は考える.
4
オタク層と一般層の干渉事例
3 章で取り上げたにわかオタク層が仲介役となって一般層とオタク層の橋渡しの役割を
担っている可能性がありうる.そこで実際の事例を取り上げつつ各層からのアプローチの
様子と相互干渉の関わりをみていきたい.そのために主に 3 つに分類を行い,オタク層の
中でもかなり深部に位置すると思われる「アングラ viii」界,一般層が商業的なアプローチ
も兼ねてオタク層へと向ける「一般層→オタク層」界,その逆であり本来オタク層のたし
なむものであった事象を一般層へと広めていく「オタク層→一般層」界として各自事例を
伴い考察を進めていくこととする.
4‐1.「アングラ」界 『MOGRA 秋葉原』の事例
「アングラ」界,つまりオタクによるオタクのための空間であり,一般層の入り込む余
地がほとんどない知名度のあまり高くない世界ではないかと筆者は考えている.そこでオ
タクたちの聖地である秋葉原に居を構え,知る人ぞ知る場所である『MOGRA 秋葉原』を
考察対象の事例として挙げたい.
『MOGRA 秋葉原』という名前を聞いても具体的な活動内
容がわからず,初めて聞いた時にはそういう集会所が存在していることすらにわかオタク
に認知されているか怪しい.勿論の事一般層にとっては秋葉原自体がよくわからない町で
サブカルチャーの発信地で,電気街として機能していたという曖昧な認識なのかもしれな
い.そんな『MOGRA 秋葉原』は一体どのようなものなのか.それはオタク文化の最先端
をいく“秋葉原”の地下にある本格 DJ バーのことである.ここではニコ動系,電波系, ゲ
ーム音楽,同人音楽など,アキバ系音楽を様々な「アニソンクラブ・イベント」で楽しむ
場として機能しておりオタクたちに愛されている集会所と言えよう. 営業形態としては
①バー営業と②イベント営業の2つの顔を持っている.
① バー営業⇒平日の火曜日は不定期ですが,それぞれ多方面で活躍している DJ たちが
懐かしいアニメソングから最新のアニメソングまで流れる A-POPbar.毎週水曜日は
DJ をどなたでも体験できる DJ ブースレンタルデー(※事前予約制)第一第三木曜日は
viiiアンダーグラウンドの略であり,
商業性を無視し,独自の主張をする前衛的で実験的な
芸術.または,その作品.1960 年代に米国で発生して,日本にも普及した.映画・演劇を
主とする.
(goo 辞書)しかし,ここでは陽に当たらないマイナーで静かな場所であること
を指す.
- 135 -
レトロゲームから美少女ゲームまで幅広く DJ たちがお届けする GAMESONGE DJ
Bar.第二第三木曜日は 80 年代 90 年代の懐かしいアニメソング,特撮ソングが流れ
る oldies-懐かしアニソン DAY となっております.水曜日以外でしたらそれぞれの曜
日にあわせて DJ に曲をリクエストできますのでお気軽にリクエストしてその日をお
楽しみください.
② イベント営業⇒レギュラーパーティーでは毎月第三土曜日のアニメソング中心のア
ニソンインデックス.毎月最終金曜日は様々なゲスト DJ が登場するクラブミュージ
ック系パーティー,elemog.また店長の気分によって季節ごとに開催されるお花見や
夏祭り謎企画なパーティーなどなど!他にも mogra では毎週末様々なジャンルのイ
ベントが開催されておりますのでスケジュールにてチェックしてみてください.また
イベントを開催したいという方は web の rental をご一読の上お気軽にお問い合わせ
ください.
とホームページに書かれている通りに精力的な活動を行っていることが伺える.
また,USTREAM ixを使って外部発信も行っており,場所や時間の関係でその場に居合わ
せなくても興味関心のある人たちが見れるよう工夫がなされている.
上記のようにこのディープなオタク層は,にわかオタク層にとっては情報量が多すぎて
完全に楽しむことは難しいが決して門前払いという事ではないことがわかる.しかし,オ
タクによるオタクのための場所なので一般層は足を踏み入れにくいと筆者は思う.しかし,
こういったオタク趣味を全開にして楽しむ場を提供し,生産者と消費者がお互いの目的を
理解してストレス解消やモチベーション回復に努めている素晴らしい社交の場でもあると
筆者には思えた.
「アングラ」界は基本的に一般層の目に触れず,限定された人のみが享受するものであ
るが,来るもの拒まず,といったスタイルで自由気ままな活動方針であるといえよう.
4‐2.オタク層から一般層へ 『ニコニコ動画』
オタク層から一般層へのアプローチとして「ニコニコ動画」が挙げられると筆者は思い,
オタク層と一般層とをどう繋げているのかをさらってみた.
「ニコニコ動画」は 2006 年に
設立され,今もなお根強い人気を誇り一般層への認知度も高い.動画共有サービスのみに
とどまらず,web カメラを利用したリアルタイム放送であるニコニコ生放送やイラストや
漫画などを投稿できるニコニコ静画や今昔のアニメを配信するサービスも充実しており,
オタク層のみならず一般層にも楽しめる作りとなっている.その垣根の低さが売りの一つ
ix
世界中のライブ(生中継)コンテンツが中心のオンライン動画サイトのことであり,テ
レビなどでも放送されるプロフェッショナルコンテンツはもちろん,コンサートやトーク
ショー,企業発表会などネットならではのコンテンツをノーカットで楽しめる.
(Ustream
公式 HP)
- 136 -
でもあり,にわかオタク層を増やす一因といえるであろう.
「ニコニコ動画」は会員登録が
必要となっており,基本的には無料で利用できるが課金することによってさらに良質なサ
ービスを受けられる仕組みになっている.2013 年 6 月時点での無料で利用している一般会
員登録者数が約 3215 万人,有料会員通称プレミアムアカウント利用者は約 200 万人,スマ
ートフォン等の携帯機器からも利用することが可能でありこのモバイル会員は約 623 万人
となっている.
(ニコニコ動画公式サイト)一般層に対し年々認知度の輪は大きくなってお
り,その影響はボーカロイドの曲である「千本桜」がトヨタの「AQUA」の宣伝 CM の BGM
として採用されるといった現代社会への浸透が進んでいる程である.また,多くの政党や
政治家個人がニコニコ生放送や動画投稿サービスを利用し,情宣活動を展開するといった
動きも見られている.
つまり,オタク層から一般層へとオタク趣味を発信し,それを享受する流れこそ一般化
への糸口の一つとして考えられるかもしれない.筆者はこれを情報共有や趣味だけではな
くコミュニケーションのツールとして機能も果たしていると考えている.
4‐3a.一般層からオタク層へ 『NHK紅白歌合戦 x』の事例
一般層からオタク層への商業的なアプローチとしてNHK紅白歌合戦が挙げられると筆者
は考えた.元々NHK紅白歌合戦という日本の一大イベント番組とオタク趣味の関係性はほ
とんどないものであったと思われる.しかし近年になって,オタク層へのアプローチが行
われてきたと思われる事象が発生した.それは水樹奈々 xiがNHK紅白歌合戦へと参戦した
ためである.水樹奈々とは一体どのような人物でどうオタク層と関係があるのか.それは,
声優といったオタク層向けの職業を兼任する歌手が一般層向けの番組の表舞台へと立った
ということである.さらに,水樹奈々が歌ったアニソン xiiについても言及すべきであると
筆者は考えた.アニソンがコンテンツとしての成長が目覚ましいジャンルとして一般層に
認められつつあるという背景が存在している.本来ディープなアニソンは一般層へと向け
られて作詞作曲されるものではないことを念頭に置いて考えていただきたい.しかし情報
媒体の技術の進歩によって各種メディアが今まで日の当たらなかったサブカルチャーを取
り上げたことで人気が高まり,その勢いは止まらなかったのである.iPod等の音楽機器の
NHK が 1951 年から放送している男女対抗形式の大型音楽番組のことであり,2014 年で
第 65 回目を迎える日本における長寿番組のひとつとして有名である.
xi1980 年生まれの愛媛県出身であり,シグマ・セブンに所属しており,声優や歌手を兼ね
て活動を行いその代表作は第 60 回 NHK 紅白歌合戦への出場を決めたアルバム
「ULTIMATE DIAMOND」が挙げられる.
xiiアニメソングの略.狭義の意味ではアニメーション作品のオープニングテーマやエンディ
ングテーマを,広義の意味では挿入歌やキャラソン(キャラクターソング)
,BGM なども
含んだ楽曲のことである.1980 年頃までは,作品名や登場するキャラクター名などの入っ
ている曲が主流であったが,それ以降は一般の歌謡曲と変わらない曲調のものや,タイア
ップ企画として作品とは関係のない一般の歌謡曲をそのまま使用するケースも増えてきた.
(金田一 2009:012)
x
- 137 -
技術進歩やデータとして音楽を持ち歩く時代に移り変わりつつある中でCDという情報記
録媒体を購入して音楽業界を支える層がオタク層の一面でもあった.水樹奈々の活躍は,
2009 年 06 月 03 日に発売した 7 作目のアルバム「ULTIMATE DIAMOND」が 2009 年 06
月 15 日付のオリコンチャート xiiiで週間 1 位を獲得する(2009 年度 6 月分オリコンランキ
ング | ORICON STYLE調べ)といった偉業を成し遂げたのである.これは声優業界でも
初のことであり,オタク層だけではなく一般層にもその知名度が広まった瞬間でもあった
と筆者は考察する.そして,オリコンチャートへの登場回数も 16 週という多さで人気を博
した結果で 11 月 23 日に第 60 回NHK紅白歌合戦への出場が決定したのである.NHK紅白
歌合戦の視聴層にも変化があったことは明らかであり熱狂的なファンが歌合戦の会場へと
駆けつけ,盛大な応援をしたことを覚えている人は少なくないであろう.一般層から距離
を置かれている様が放映されてしまっていたが,これもまだオタク趣味が完全に一般層へ
浸透していなかったからであると筆者は考える.
近年では一般層にもウケがよかったものの例として,テレビアニメ「進撃の巨人」のオ
ープニングテーマ曲である「紅蓮の弓矢」を歌ったLinked Horizon xivが我々の記憶に新し
い.2013 年 7 月 10 日にテレビアニメ「進撃の巨人」前期と後期のオープニングを収録し
たシングルCD『自由への進撃』が発売されオリコンチャートで 2 位獲得する人気を見せた
のである.また,オリコンチャートへの登場回数は 55 週であり,上記の水樹奈々を越える
ロングヒットを達成したことも一般層への浸透が進んでいることに繋がるのではないだろ
うか.この大ヒットを受けて同年の第 64 回NHK紅白歌合戦への参戦が決定し,視聴者を
釘づけにした姿を見た人も少なくないだろう.
さらに加えると,水樹奈々を皮切りとしてサブカルチャーであるアニソンへの注目度が
年々大きくなっていることもあって,ももいろクローバーZ xvやT.M.Revolution xviがNHK紅
xiiiCD
シングル・アルバム等の「音楽ランキング」
,DVD・Blu-ray 等の「映像ランキング」
,
書籍・コミック等の「書籍ランキング」
,芸能人やトレンドに関する「エンタメランキング」
を 提供.(オリコンランキング | ORICON STYLE)
xivSound Horizon の別名義であり,サウンドクリエイター【Revo】
(作詞/作編曲)が主宰
するアーティスト集団である.幻想的な物語を音楽的に表現する為に相応しい楽団員を,
その都度必要な人数を集めて編成するという希有なスタイルのグループであり,歌い手・
語り手の人数・性別も限定はしていない. Sound Horizon の音楽を一言で言えば『物語音
楽』ということになるのだが,詩,歌,語り,効果音等を情景に合わせて駆使した物語描
写が最大の特徴であり,それはアルバム 1 枚を組曲に見立て構成する『組曲形式』という
形で鮮やかに表される.作品のコンセプトの根幹には,生と死,光と影,愛と憎しみ,喜
びと悲しみといった,二面性を持つ人間の根源に関する問いかけがあり,聴き込む程に奥
の深い内容となっている.
(Sound Horizon official website)
xv柴咲コウや北川景子が所属する大手芸能事務所スターダストプロモーションに所属する
百田夏菜子,玉井詩織,佐々木彩夏,有安杏果,高城れにの 5 人によるガールズユニット.
次世代の新人プロジェクトとして 08 年春に結成.
グループ名は「ピュアな女の子が,幸せを運びたい」という意味を込めて「ももいろクロ
ーバー」と命名された.
ストリートライブを出発点に活動を開始し,09 年 8 月に「いま,会えるアイドル」という
- 138 -
白歌合戦に名を連ねていることからも同じような考察が出来るだろう.
このように NHK 紅白歌合戦という媒体を通し,視聴者としてオタク層は興味関心を引き
寄せられているが,商業的な面から見るとオタク層はいいお客さんとなり経済を回す一環
の一部として音楽業界から認識されているかもしれない.オリコンチャートという統計デ
ータを用いることでその影響を把握し,かつオタク趣味に対する一般層の意識の変化を確
認することが出来るのではないかと筆者は推測している.
4‐3b.一般層からオタク層へ 『あしかがひめたま』の事例
「あしかがひめたま」というのは,栃木県足利市にて 2010 年 7 月より実施されている萌
えおこし企画のことであり,主導は足利ひめたま委員会である.また,アニメーター・奥
田泰弘のキャラクターデザインで,足利市の織姫神社と門田稲荷神社(下野國一社八幡宮
境内社)の祭神に由来する美少女キャラクター・おりひめ xvii(ひめちゃん)とみたま
xviii(た
まちゃん)が「あしかがをげんきにしよっ」をキャッチコピーに,市内のイベントや地元
商店限定のノベルティ配布などの活動に従事している.2010 年 11 月 3 日には,足利ひめ
たま委員会主催による痛車 xixイベントが同市の渡良瀬川河川敷中橋緑地多目的広場で開催
され今年度では第 9 回目となっている.その第 9 回足利ひめたま痛車祭が 2014 年 10 月 12
日に行われ,多くの観光客(一般層とオタク層両者共々)が訪れて大盛況であった.痛車
やコスプレ,足利市出身の著名人を招いての特別ステージ,付近の酒屋などが協賛して出
店を行うといった足利市において一大イベントになりつつある.また,アニメーション化
の企画も進行しており,地元企業とアニメ制作会社が連携し,足利市を舞台としたアニメ
作品としての「あしかがひめたま」を製作し町おこしをしようという試みが検討されてい
る.このような試み(アニメツーリズム)は埼玉県鷲宮町(現久喜市)の鷲宮神社(アニ
メ『らき☆すた』の舞台となった)が有名であるが,これが既存のアニメを観光に利用し
ているのに対し,
「あしかがひめたま」に関しては,地元から人気アニメを発信していくと
いう新しいアニメツーリズムの形といえるのではないか.
「あしかがひめたま」を事例として取り上げた理由として,4‐3a とは対象とする規模が
違うために全国的なものと局地的なものとではとらえ方が異なってくるのではないかと筆
者は考え,この事例を挙げることにした.
キャッチフレーズのもとシングル「ももいろパンチ」でインディーズデビュー.
(週末ヒロ
イン ももいろクローバーZ オフィシャルサイト)
xvi1970.09.19 生まれの A 型で滋賀県出身.1995 年 11 月 25 日に CD リリースを待たずに
ライブスタイルでのソロ活動を開始し以後デビューへのカウントダウンライブと称したマ
ンスリーライブスタートする.
(T.M.Revolution Official Website)
xvii 足利織姫神社の神様を擬人化したもの.
xviii 門田稲荷神社の神様を擬人化したもの.
xix痛車とは,アニメや漫画のキャラクターがあしらわれた車のことを表しており,自身の好
きなキャラクターとともにいたいという思いが高じてなるものと自己の主張としてのもの
といくつか例が挙げられる.
- 139 -
両者ともに,オタク層をターゲットとしてみておりその効果もあったことで一般層から
オタク層へのアプローチ手段として成り立っているように筆者は感じた.しかしそれはあ
くまでオタク層を利用するという目的があってのものであると筆者は考察する.
4‐4.オタク層と一般層のこれから
上記で挙げた事例を振り返ってみる.ディープなオタク層のみのアングラ界で行われる
ものからは排他的ではなく自身から積極的にその門戸を広げることはあまりしてはいない.
しかし一般層にも楽しめる内容も存在し一般層にも浸透しうる可能性を秘めているかもし
れないと考察する.次にオタク層から一般層へのアクセスとして両者ともに身近になった
情報媒体を上手く駆使して情報発信を行っていることに,筆者はオタク層と一般層が手を
取り合っているのではないかと考えた.また,一般層からのアプローチとして挙げた事例
において,一般層主体のメディア媒体を通してオタク層に接近する姿が 3 章で挙げた「偽
りの一般化」を辿るものではないかと筆者は感じた.これは一般層からの一方的な接近,
つまり搾取目的の商業利用の一環である側面が際立ってみえたためかもしれない.依然と
してオタク層と一般層の関係性は曖昧な部分が多く,両者の立ち位置を断言できるレベル
に達していないと筆者は感じたのである.
おわりに
今回の論文を書くにあたって,筆者は一般人とオタクは別物として扱っている.本稿で
は元来相反するものであり,一般人とオタクが水と油のような関係である前提の上で考察
を行っている.しかし,考察を進めていくうちにはっきりとした結論を出すことは難しく,
オタク趣味は一般化していると断言することは出来なかった.また,3 章において筆者が呼
称した「偽りの一般化」に関して 4 章で挙げた事例を紐解いていった結果を踏まえて締め
くくりたい.一般層とオタク層の双方の理解と認識を変えることは可能であるが,既存の
情報媒体だけでは両者の本質を伝えきれていないと筆者は感じる.また,
「従来の発想では
まったく公共的ではない,しかしそれなりに緊密なコミュニケーションのネットワークが
大量に組織されていく.オタクがやっているのは,ひとことで言うとそういうことです.
(大
塚英志+東浩紀 2008:283)
」と語っているようにオタクも変わっていく兆しがあるので
はないだろうか.一般層もその目的が異なるとはいえオタク層に接近している現状があり,
両者ともにいずれ完全ではないが忌避し合うことがなくなっていくのではないだろうか.
今回の考察を通してオタク趣味が現代社会に浸透することを「一般化」という言葉の一言
で片づけてしまわず,常に変化し続けるものとして今後の情報媒体に期待したい.
文献
岡田斗司夫,1996,
『オタク学入門』,太田出版
―――――,1997,
『東大オタク学講座』,講談社
- 140 -
―――――,1998,
『国際おたく大学 1998 年最前線からの研究報告』,光文社
―――――・唐沢俊一,2007,
『オタク論!』,
(有)創出版
浅羽通明,1991,
『天使の王国 「おたく」の倫理のために』,JISS 出版局
大塚英志・東浩紀,
『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』,講談社現代新書
金田一「乙」彦編著,2009,
『オタク語辞典 2』,株式会社美術出版社
大塚英志,2007,
『
「おたく」の精神史』
,朝日新聞社
経済産業省(http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/)
インターネット歴史年表(https://www.nic.ad.jp/timeline/)
MOGRA 秋葉原(http://club-mogra.jp/)
Ustream(http://www.ustream.tv/)
NHK 紅白歌合戦公式 HP(http://www1.nhk.or.jp/kouhaku/)
水樹奈々 公式 HP NANAPARTY(http://www.mizukinana.jp/)
Apple 公式 HP(http://www.apple.com/jp/)
T.M.Revolution Official Website(www.tm-revolution.com/)
オリコンランキング | ORICON STYLE(www.oricon.co.jp/rank/)
あしかがひめたま製作委員会 HP(http://www.himetama.jp/hime.html)
足利市商工会議所 HP(http://ashikaga.info/)
ニコニコ動画 HP(http://www.nicovideo.jp/)
東京ビッグサイト公式 HP(www.bigsight.jp/)
Goo 辞書 HP(http://dictionary.goo.ne.jp/)
Sound Horizon official website(http://www.soundhorizon.com/)
週末ヒロイン ももいろクローバーZ オフィシャルサイト(www.momoclo.net/)
- 141 -
TCGにみるバッドコミュニケーション
―子どもたちがエゴイズムと向き合えない現代社会―
坂本 敦史
はじめに
トレーディングカードゲームは,昨今の家庭用テレビゲームやスマートフォンゲームなどの普
及によって「ゲーム=デジタルゲーム」という認識が広まっているなか,アナログゲームであり
ながらもいまだに小学生から社会人まで幅広い年齢層から人気を集めている.2014 年現在,年
間市場規模は 900 億円前後にも達しており i,今もなお成長をみせている大規模なゲームコンテ
ンツである.
そうしたトレーディングカードゲームの遊び場のひとつであるカードショップでは,さまざま
な人がトレーディングカードゲームというツールを通じてコミュニケーションをする姿が見ら
れる.しかし,そうした風景のなかで必ずしもよいとはいえない“バッドコミュニケーション”
が見られるのも事実である.本稿では,そのようなバッドコミュニケーションに焦点を当て,現
代の子どもたちを取り巻く環境を分析しながら,その問題点を取り上げ,トレーディングカード
ゲームを通じた交流に秘められた可能性を論じていく.
1
TCG の特異性
1-1. TCG とは
トレーディングカードゲーム(Trading Card Game 以下 TCG)とは,トレーディングカードと
して販売されている専用のカードを各プレイヤーがコレクションし,ルールに則して自由に組み
合わせたカードの束(デッキ)を持ち寄り,2 人以上で対戦を行うカードゲームのことである.
アメリカの『マジック:ザ・ギャザリング』から始まり,
『ポケモンカードゲーム』
『遊☆戯☆王
オフィシャルカードゲーム』『デュエル・マスターズ』などによって日本で広く認知され,浸透
した.
ひとつの TCG には何百種類という数のカードが存在し,それぞれのカードにはオリジナルのモ
ンスターやアニメーション原作などのキャラクターをはじめ,さまざまなイラストが描かれてい
る.また,その描かれたイラストに合わせて,カードごとに異なった能力値や効果が与えられ,
数字や文章などで表記されている.これらのカードを組み合わせて作るデッキは,非常にバリエ
ーションに富んだものとなり,
「特定のキャラクターを中心としたデッキを組み,その個性を楽
しむ.」「ゲームで勝つことを狙い,強力なデッキを作る方法を追求する.
」「誰も思いつかない,
i日本玩具協会,2014,
『2013年度玩具市場規模調査結果データ』
(2014
http://www.toys.or.jp/pdf/2014/2013sijyoukibo_all.pdf)
.
- 142 -
年 12 月 20 日取得,
オリジナルの戦術を持ったデッキを考える.
」などといった遊び方ができるようになっている.
1-2. TCG の特異性
個人スポーツに始まり,将棋やトランプ,デジタルゲームなど,2 人で対戦を行う形式の遊び
はいくつも存在する.そうした遊びのなかでも TCG は,他の遊びにはみられない特異性を数多く
有している.
1-2-1. 運要素
TCG には,ゲームの勝敗を決する要素として,実力つまりは思考力以外にもさまざまなものが
存在する.第一に,運要素である.トランプゲーム同様にカードの束を使うために,カードの並
びという不確定要素が関わってくる.時にはこうしたカードの並び次第で,思考力だけではどう
やっても勝敗を覆せないようなゲーム内容になってしまうこともある.しかしながら,運要素は
不利な状況からの逆転といったドラマチックな展開を生み出したり,初心者であっても上級者に
勝つこともできるという TCG における魅力の一要素でもある.
近年生み出される TCG には,運要素をあえてゲームシステムのなかに数多く取り入れることで,
誰でもそれなりに勝てるゲームにし,幅広いユーザーを取り入れようとするゲームシステムのカ
ジュアル化の傾向がみられる.これは,
「販売されてから年月が経つほど,カードの種類が膨大
になり,カード一枚一枚を把握することが困難になる.」
「プレイヤー間の実力差が広がってしま
い,初心者が経験者に勝つことが困難になる.」などの問題を解決し,新しくその TCG を始めよ
うとするユーザーが減っていくという事態を防ぐための販売戦略でもある.運要素は,TCG の間
口を広げる役割を果たしているともいえるだろう.
1-2-2. カードパワーとデッキの相性
次に,トランプなどのカードゲームとTCGとの違いのひとつである“カードごとに異なった能
力値や効果が与えられ,数字や文章などで表記されている”という要素である.これによって,
強力・斬新なコンボ iiの発案や,デッキのオリジナリティ・完成度の差異といった面白さが生じ
る.ゲーム自体をしていない間にも,TCGは楽しめるのである.
これは,ゲーム上でそのカードがどのように活躍するかを決定付ける要素であるが,それゆえ
に数多くのカードが生み出されていくと,どうしてもカードパワーの差(カードごとの強弱の差)
が発生してしまう.カードパワーの低いいわゆる弱いカードであっても,イラストや能力が好み
ii
コンビネーションの略語であり,この言葉を初めて用いられた格闘ゲーム・アクションゲーム
においては,連続攻撃などゲーム的成功を連続させることを意味する.TCG においては,2 枚以
上の異なるカードの効果を組み合わせて大きな効果を発揮させることを意味する.
- 143 -
であるために,あえてそれらのカードを使用してゲームを楽しみたいというユーザーは少なくな
い.しかしながら,こうしたカードパワーの差によって,上級者がカードパワーの低いカードを
使用することで,カードパワーの高いカードを使用した初心者に負けてしまうこともある.
また,数多くのカードを組み合わせてデッキを作るために,デッキごとに相性が発生する場合
もある.そのため,デッキ全体としての強さに大きな差がなくとも,直接対戦すると一方が有利
であるために勝敗に偏りが生じることもある.相性の要素は,大会などで不特定の人と対戦する
際,
「デッキの流行を読み,流行のデッキに対して有効なカードを自身のデッキに数枚採用して
おく.」「流行のデッキに有利なデッキを使用する.」といったゲーム外での読み合いを発生させ
ている側面もある.これは,
『マジック:ザ・ギャザリング』の産みの親であるRichard Garfield
によって「メタゲーム」と命名され
iii
,TCGの魅力のひとつである.TCGの競技性を楽しもうと
するユーザーの間では,メタゲームで優位に立てるかどうかも実力のうちであるという認識が一
般的であり,運のように実力以外で勝敗を左右する要素であるとは言いがたい.
1-2-3. 特殊なユーザー層とコミュニティ
カードショップは,TCG というコンテンツにおける非常に重要なファクターである.カードシ
ョップで行われているのは,カードの販売だけに限らない.多くのカードショップには,対戦ス
ペースが用意されており,そこではユーザー同士での交流や対戦が盛んに行われている.いわゆ
る常連と呼ばれる層は,むしろカードの購入よりも対戦スペースを利用した対戦・交流を主な目
的としてカードショップに通っている場合が多い.都内のカードショップなどでは,対戦スペー
スの利用のみを目的とする客への対応として,対戦スペースの利用条件として商品の購入を定め
ていることも珍しくない.
また,身近に対戦できる知り合いがいないユーザーにとっては,カードショップでの対戦が
TCG を遊ぶ唯一の機会である場合もある.対戦スペースにいる見知らぬユーザーに話しかけ,対
戦を申し込むことに抵抗があったとしても,カードショップで開催される大会に参加さえすれば,
誰でも対戦・交流する機会を得ることができる.そうした大会での対戦をきっかけに交流が始ま
ることは決して珍しくない.TCG の大会には,競技としてだけでなく,ユーザー間での交流を促
進する側面もあるといえるだろう.このように,TCG を介したコミュニケーションの特徴の一つ
である初対面の人間とのコミュニケーションは,主にこうしてカードショップの対戦スペースで
行われている.
カードショップには幅広い年齢層が集まっているが,全体的に TCG の主要層であるオタク層が
集まる傾向にある.また,年齢に比例して,オタク層の割合も増えていく傾向にある.子どもの
頃は遊びの一環として TCG を嗜む場合もあるが,年齢が上がるにつれて TCG を遊ぶ人間が少なく
iii
Richard Garfield,2010,
『Lost in the Shuffle: Games Within Games』
(2014 年 12 月 20
日取得,http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtg/daily/feature/96)
.
- 144 -
なっていくためである.また,客観性に欠くものではあるが,こうしたユーザー層からか,コミ
ュニケーションの欠かせない遊びでありながらもゲーム進行における最低限の確認も困難な者
や,積極的に会話をするものの他者への配慮が無意識に欠けている者など,コミュニケーション
に難のある人間も決して少なくない.
ユーザー層だけでなく,カードショップにおけるコミュニティの形成にも特異性がみられる.
大会の開催時間などを要因に,TCG ごとにユーザーの集まる時間帯などが異なる場合が多く,カ
ードゲーム間でのユーザー交流があまり盛んではないカードショップも珍しくない.また,TCG
というコンテンツ自体が,新規ユーザーの増加よりも既存ユーザーのカードゲームの両立・移行
によって成り立っている部分が大きいため,カードショップの客層は変化に乏しい.カードショ
ップのコミュニティの風通しは悪い傾向にあるといえる.カードショップによっては,常連層が
対戦スペースの多くを占めていたり,レジで店員と談笑していたりもする.カードショップ全体
が一つの固定されたコミュニティと化してしまっているのである.固定化したコミュニティは,
所属している人間にとっては安心感をもたらし,居心地の良い空間を形成するものではあるが,
所属していない人間にとっては排他的にも感じられる.こうしたコミュニティの特異性は,カー
ドショップに慣れていないユーザーにとっては,カードショップに踏み入れること自体のハード
ルが高く感じられる要因の一つでもあるだろう.
1-2-4. 金銭との密接な関係性
TCGは,金銭と密接な関係があるホビーである.それは,イラストや文字が印刷されているだ
けの紙に過ぎないカードに,程度に差こそあれ金銭的価値が付加されていることだ.これはTCG
が一般に理解されがたい部分でもある.国内で普及しているTCGの多くで,大会で見られるレベ
ルのデッキを構築するのであれば 5000 円から 20000 円程度が必要となってくる.また,カード
一枚の価格が大きく変動する点も特徴的である.強力であるために需要が高くなったり,後から
有用性が発見されたり,希少価値の高かったりするとカードの価格は高くなる.逆に,より強力
なカードの登場や,強力過ぎるゆえの使用規制 iv,再録 vされて入手が容易になるなどの理由に
よってカードの価格は低くなる.こうした値段の変動によってカードの価格が 1/10 にも 10 倍に
もなることから,TCGは「株」と比喩されることもある.
iv
TCG によっては,定期的または不定期に公式大会での使用率などを参考に,使用率の高いデッ
キの中心となっているカードの使用を規制することがある.規制されたカードは,1 枚か 2 枚し
かあるいは 1 枚もデッキに投入できなくなるなどの制限を受ける.あえて強力なカードを開発し,
ゲームに勝つために必要とさせることで売上を伸ばし,その後規制するような販売戦略をする企
業に対しては批判の声もある.
v
レアリティの高いカードのレアリティを下げて収録したり,絶版になっているカードを再び収
録すること.再録によって供給されることでそのカードの価格は下がり,入手しやすくなる.
- 145 -
2
TCG におけるバッドコミュニケーション
2-1. TCG におけるバッドコミュニケーション
1-2.で取り上げた特異性は,TCG におけるバッドコミュニケーションの原因にもなっている.
2-1-1. 運要素によるバッドコミュニケーション
1-2-1.で述べたように,運次第ではどうしても覆せないような理不尽なゲーム内容になってし
まうこともある.その際に,実力以外の要素で負けたことでゲームの結果を受け入れられず,コ
ミュニティ内で知り合いに不満を漏らすだけでなく,対戦相手に対して直接的に文句を言うユー
ザーも存在する.気楽にゲームを楽しんでもらうためには,あえて負けた際の言い訳の余地を残
しておく必要もある.ゲームシステムのカジュアル化にはこういった意図が含まれている.しか
しながら,そのために盛り込んだ運要素がこうしたバッドコミュニケーションの原因になってし
まっている側面もある.
2-1-2. カードパワーとデッキの相性によるバッドコミュニケーション
強いデッキや相性の悪いデッキを使用したユーザーと対戦して負けた場合にも,運要素同様に
実力以外の要素で負けたと受け止め,その結果を受け入れられずに不満を漏らすユーザーが存在
する.
他にも,TCG に対して競技性を求めているユーザーが,楽しむことを重視して勝敗へのこだわ
りが薄いユーザーを軽蔑したり,反対に,楽しむことを重視しているユーザーが,勝敗にばかり
こだわり,カードやデッキをゲーム上での強弱でしか判断しないユーザーを批判したりもするこ
とがある.Mark Rosewater は,
『マジック:ザ・ギャザリング』開発のターゲットとして価値観
の異なるユーザーを「Timmy」「Johnny」「Spike」の三種類に分類している.
表1
Timmy
Mark Rosewater によるユーザーの分類
TCG のプレイそのものから得られる興奮や快感,楽しさを求めるユーザー.どのよ
うな楽しさを求めているかによって以下のように細分化される.
Power Gamers
派手なカードを使用して,対戦相手に勝利したいユーザー.
一般的な Timmy.
Social Gamers
親しい人間と共に TCG を遊ぶこと自体に楽しみを感じるユー
ザー.
Diversity
未体験のゲームを望むユーザー.新しいカードやデッキを
Gamers
次々と求める.
- 146 -
Johnny
Adrenalin
予測を裏切るようなゲーム内容を求めるユーザー.運要素が
Gamers
絡むようなシステムやカードを好む.
TCG の自由度の高さを利用し,カードゲームに自己表現を求めるユーザー.斬新な
デッキやコンボを創造し,それを披露することを求めている.コンボの要となり
うるようなカードや,有効利用が難しいカードを好む.どのように自己表現を行
うかによって以下のように細分化される.
Combo Players
新しいコンボを発見し,それを披露したいユーザー.一
般的な Johnny.
Offbeat Designers
突飛な発想に基づくデッキを構築したいユーザー.
Deck Artists
カード毎のストーリーに基づいたデッキなど,構築方法
そのものが斬新なデッキを創造したいユーザー.
Uber Johnnies
非常識なこと,他の誰もやらなかったことを実現するこ
とで自己表現を行うユーザー.
Spike
TCG に挑戦を求めるユーザー.ゲームに勝つことと,それで自分の能力を証明する
ことを望んでいる.カードパワーの高いカードや,プレイングが求められるカー
ドを好む.どのような挑戦を求めているかによって以下のように細分化される.
Innovators
強いカードやデッキを誰よりも早く発見し,次のメタゲームを
支配するデッキを生み出そうとするユーザー.
Tuners
既知のデッキを最適化し,誰よりも完成されたデッキを目指す
ユーザー.
Analyst
メタゲームに注目し,その環境で最適のデッキを見つけること
を目指すユーザー.
Nuts & Bolts
プレイングを磨き,ミスを極力なくすことで他ユーザーとの差
をつけることを目指すユーザー.
(出典:Mark Rosewater,2006,『Timmy, Johnny, and Spike Revisited』
このようにTCGの価値観は多種多様であり,価値観の相違が生じることは必然であるといえる
だろう.しかし,ゲームに対する価値観の違いによる対立は「ガチ
vi
・カジュアル
vii
論争」と
して,TCGに限らず対戦型ゲーム全般でしばしば議論されている.
vi
ガチとは,ガチンコの略語であり,ゲーム本来の“対戦に勝つ”
“目標を達成する”ことに重
点を置いた考えを指す.決してゲームを楽しんでいないわけではなく,
“結果”そのものに楽し
みを見出している.TCG においては,表3の「Spike」がこれに該当する.
vii カジュアルとは,ゲームを“楽しむ”ことに重点を置いた考えを指す.勝敗にこだわらない
というわけではないが,ゲームの内容やコミュニケーションなどの“過程”を重視する.TCG に
おいては,表3の「Timmy」
「Johnny」がこれに該当する.エンジョイとも言われる.
- 147 -
2-1-3. 特殊なユーザー層とコミュニティによるバッドコミュニケーション
新しいユーザーを歓迎するような雰囲気のコミュニティが中心となっているショップももち
ろん存在するが,カードショップの特殊な土壌によって発生したコミュニティは排他的であるこ
とも少なくない.また,排他的なだけではなく,2-1-1.のような状況でコミュニティ全体でユー
ザーを批判するような攻撃的なコミュニティである場合もある.
カードショップの特性上,コミュニティが閉鎖的になってしまうことは珍しくないが,こうし
た排他的コミュニティの存在もそれを後押しし,悪循環となっている部分がある.
2-1-4. 金銭との密接な関係性によるバッドコミュニケーション
TCG が金銭が関わるゆえに,金銭に対して敏感なユーザーが多い.トラブルを避けるためには
金銭に対して敏感であるべきではあるが,マイナスの方向に走ってしまうユーザーも存在する.
具体的には,TCG のトレーディング要素を利用し,カードの価値を理解していないユーザーとの
トレードで,価値の不釣合いなトレードによって利益を得ようとする“シャークトレード”がそ
の典型である.こうしたシャークトレードの主な被害者は初心者や小学生である.トラブル防止
のために,“トレーディングカードゲーム”でありながらも金銭トレードやトレード行為自体そ
のものを禁止してしまっているカードショップも少なくない.
また,大会では上位に入賞することで,賞品が提供される場合がある.大会で入賞し,賞品を
得ようとすることを目的とするだけであればいいのだが,イカサマ行為によって入賞し,賞品を
得ようとするユーザーも存在する.時には,ユーザー主催で参加者を募り,参加費を持ち寄り豪
華な賞品を用意する大型非公認大会が開催され,何万十何万もの金銭が動くこともある.そうし
た大会で不正行為に働いたユーザーが賞品を得た場合,他ユーザーへの被害はより大きいものに
なる.他にも,貴重なカードや商品を買い占め,購入した時をより高い値段で売る転売行為によ
って,大きな利益を得ているユーザーも存在する.金銭に関するモラルの低さは TCG を取り巻く
問題点の一つである.
2-2. TCG が露わにする子供たちが抱える問題点
こうしたバッドコミュニケーションは TCG の抱える負の側面であるといえる.なぜ,こうした
バッドコミュニーケションが発生してしまうのだろうか.筆者は,これらのバッドコミュニケー
ションの最大の原因は,TCG を取り巻く環境による悪影響ではなく,現代の子どもたちを取り巻
く社会に問題があるのではないかと考える.以下,本稿における「子ども」は,カードショップ
の主要層である“中高生”や彼らの幼少期を指すものとする.
- 148 -
表2
TCG におけるバッドコミュニケーションとその心理
運要素によるバッドコミュニケー
例:
「自分が負けたのはあくまで運が悪かったからであ
ション
って,実力勝負であったら負けることはなかった.」と
相手に言う.
敗北によって傷ついた自身のプライドを修復・防衛す
るために,運要素を言い訳に利用する.
カードパワーとデッキの相性によ
例:
「強いデッキを使っているだけで,実力の伴ってい
るバッドコミュニケーション
ない人間に負けた.」「勝ちたいという理由だけでゲー
ムをしていては,本当に楽しんでいるとはいえない.
」
などと相手に言う.
運要素同様に傷ついたプライドの修復をする.また,
他者の価値観を受け入れることができず,自身の価値
観を押し付けようとする.
特殊なユーザー層とコミュニティ
例:自分たちのグループは TCG が強く,グループに所
によるバッドコミュニケーション
属していない人間は TCG が弱いと決めつけ,尊大な態
度を取る.
固定化されたコミュニティを形成し,他者を排斥する
ことで,自尊心を守ろうとする.他者の排斥を繰り返
したコミュニティは腐敗していく.
金銭との密接な関係性によるバッ
例:シャークトレードや転売,イカサマなどの行為.
ドコミュニケーション
自己利益のためであれば他人を利用したり,ルールを
破ったりする.他人の気持ちを顧みない.
(筆者作成)
こうしたバッドコミュニケーションのすべてに,“子どもたちが競争のなかで自身のエゴイズ
ムをコントロールできず,自尊心が肥大してしまっている”という問題が根本にある.
昔の遊びというものは,多対多の集団での遊びが多かった.しかしながら,デジタルゲームの
普及もあり,近年は一対一の対戦型の遊びが珍しくなくなっている.一対一の対戦型ゲームでは,
多対多の遊びと異なり,ゲームの勝敗に占める自身の責任が大きい.さらに,TCG は 1-2-1.や
1-2-2.において述べたように運要素や相性などによって勝敗が決することもあるが,根本は思考
力の勝負である.だからこそ,勝ち続けているうちに自身の自尊心が肥大してしまうユーザーも
いれば,負けることで自身の自尊心が大きく傷ついたりするユーザーもいる.また,近年の対戦
型ゲームは,ネットワークを介して世界中の顔も知らない人間と対戦できるが,ネットワーク越
しに自身の態度や発言が対戦相手にはっきりと伝わることはない.チャット機能やメール機能を
利用して,文章で伝えるのが限界である.しかし,TCG はそうではない.対戦相手は目の前にい
- 149 -
て,態度も発言もその場に相手にはっきりと伝わるのである.つまり,TCG の特異な環境によっ
て,子どもたちが競争のなかで自身のエゴのコントロールできないという問題が顕著に露わにな
っているといえるだろう.
表3 自己愛性人格障害の基準
一,自分が人とは違って,偉い,すごいということを人に認めてもらいたい.
二,自分は才能があって偉いのだから,どのような成功も,どのような素晴らしい相手との
恋愛も思いのままだという空想を抱いている.
三,自分は特別で,普通の人と違っているから,そういう人からは理解されなくても構わな
い.自分の素晴らしさは特別な人しかわからない.
四,過度に人からほめられたい,ほめられないと自分が無視されているように感じてしまう.
五,自分は特別扱いされるのが当たり前だと思い込んでいる.
六,人を自分の目的のためにうまく利用する.
七,人の感情を思いやる気持ちもないし,共感性がない.
八,人をうらやみ,嫉妬し,また逆に,自分が他人から嫉妬されている,と思う.
九,態度や行動が傲慢で,尊大である.
出典:町沢静夫,2000,
『自尊心という病』双葉社
自己愛性人格障害には表3のような特徴があると町沢は述べているが,TCG にみられるバッド
コミュニーケションに当てはまる部分が数多くみられる.バッドコミュニケーションをしてしま
う子どもたちには,自己愛性人格障害の傾向が見受けられるという事実に他ならない.近年は,
子ども同士が遊ぶ機会が少なくなったが,本来子どもは遊びという子ども同士の社会のなかで,
母親に対するようには要求が通らないことを理解し,自己中心性が少しずつ修正されていくもの
なのである(町沢 2000)
.つまり,子ども同士が遊ぶ機会の喪失は,自己中心性の修正する機会
の喪失とイコールなのだ.子どもたちを取り巻く環境の歪みが,子どもたち自身を歪ませてしま
っている.
3
競争を教育する
3-1. 学びのツールとしての TCG
TCGは遊びのツールとしてもちろん魅力的であるが,学びのツールとしても有意義である可能
性を秘めている.それは,初対面の人間ともTCGというツールを介して容易に交流ができるとい
うことだ.フリープレイ
viii
や大会での対戦でお互いの知略と運をぶつけ合うこともできれば,
デッキ一つカード一枚をきっかけに戦略やイラストについて語り合うこともできる.そして,こ
の交流には,年齢・職業などの壁は存在しない.必要なのは,TCGが好きであるという気持ちだ
viii
大会などでの対戦ではなく,知り合いなどと行う通常の対戦のこと.フリー対戦とも言われ
る.
- 150 -
けだ.さまざまな人が混じり合い,TCGという一つのホビーを通して交流し合うカードショップ
という空間は,異様であるが,同時にとても魅力的な場所なのである.しかし,現状のTCGを取
り巻く環境は,TCGを学びのツールとして活用しきれている場面が多いとはいいがたい.TCGを楽
しんでいる人びとの影に,TCGによって傷ついている人びとも多くいるのである.
子どもたち同士で遊ぶ機会が減少しているといわれているが,だからといっていきなり TCG
という実践の場で学ぶというのは困難である.それは TCG を取り巻く現状からも明らかだろう.
では,どうすれば TCG が子どもたちにとって有意義なツールとして活用されるのか.それにはま
ず,小学校などにおいて“競争を教育する”必要があるのではないだろうか.教育の場において,
“競争で勝者・敗者のそれぞれ立場に立った時,自分はどうあるべきか”を学ぶ機会というのは
そう多くない.本来は,子どもたち同士の社会で育まれる感情であったからだ.しかし,遊びと
いう子どもたち同士の社会の存在が希薄になっている現在,教育の場において育むべきでないだ
ろうか.
競争を教育された子どもたちであっても,TCG を通じて嫌な思いをすることも,失敗すること
もあるだろう.しかしそのような時,教育での経験が,子どもたちをバッドコミュニケーション
に走らせず,学びの機会として受け止められるように促すのではないだろうか.ここで始めて
TCG が,他人との付き合い方はもちろん,自身のエゴイズムとの付き合い方もより深く学ぶこと
のできる応用ツールとなりうるのである.
3-2. 競争の排除は果たして健全か
2-2.や 3-1.において,
“競争”を学ぶ機会が少ないという問題を述べたが,近年より一層,教
育の場から他人と競争する機会を排除しようとする動きがみられる.
「徒競走で手を繋いで一斉
にゴールする,順位を付けない.」などの話はまさにこの典型であるといえる.競争という社会
原理が教育の場に持ち込まれることで格差が生じ,いじめの原因になると考えてられているから
である.
しかし,本当に競争と平和は対立しているのだろうか.自身のエゴと向き合う機会を子どもた
ちから奪ったとしても,エゴイズムそのものが無くなることは決してない.一時的に目を背けさ
せているにすぎない.社会のなかでいざそのエゴイズムと向き合った時,どう扱っていいかを分
からない子どもたちは,それを振りかざして相手を傷つけてしまうだろう.TCG におけるバッド
コミュニーケションはその象徴なのである.子どもたちに必要なのは,エゴイズムを抑え込ませ
て作り出した仮初の平和社会・平等社会ではない.競争で勝者・敗者それぞれの立場になった時
に自身はどうあるべきかを考え,そのエゴイズムと正面から向き合い,受け入れることのできる
ような競争社会である.
一方で,競争教育は,批判・排除されるだけのリスクを孕んでいることも事実である.競争教
育の問題点は,失敗経験による無気力である.佐藤淑子は,その状況を強めている原因である相
対評価に関して以下のように述べている.
- 151 -
相対評価は,いくら本人が努力し成果があっても他の子がそれ以上の成果をあげれば評価
は下がってしまうものであり,個人の努力を認める視点はない.努力してそれなりの成果が
あっても,それは認められず,
「成績が下がった」とされてしまう.努力→成功→効力感とな
りうることが,努力→失敗→無力感になってしまうのである.
(佐藤 2009:166)
しかし,それと同時に以下のようにも述べている.
文科省は相対評価・偏差値・競争原理による弊害を取り除くために,新学力観やゆとり教育
を提唱し,偏差値を上げ受験競争に勝つことではなく,内発的動機づけによる学習ができるよ
うに,教えられたことを詰め込むのではなく,自ら学ぶ意欲を学習の基軸に置く教育革新を推
進してきた.ところが,それが一部の生徒にとっては,やる気を引き起こす目標を見えにくく
し,学習意欲を低下させたという批判がある.(佐藤 2009:171)
つまり,競争を過度に煽っても,過度に排除しても,子どもたちには無気力感が生じてしまう
のである.現代の教育は,大人たちの過剰な干渉によって,子どもたちが“自分の意志で行動し
ているという感情”も“自分の行動によって成果がもたされたという感情”が芽生えにくくなっ
てしまっている.そういった感情が芽生えさせるには遊びが最適なのである.特に TCG は,その
ために必要な要素を充分に内包している.しかし同時に,TCG での刺激的な成功体験によって,
無意識に日常生活の無気力感とのギャップを感じてしまう.そのギャップに耐えきれず,TCG で
の成功体験を求め,ひたすらにエゴイズムを振りかざすようになっていく.問題を抱えた現代社
会で育った子どもたちと TCG の関係性のなかに潜む落とし穴である.
決して忘れてはいけないのは,子どもたちを争わせ,切磋琢磨させることが最大の目的ではな
いということだ.競争をさせるだけの教育では,勉強や運動で成功体験を得られなかった子ども
たちから脱落していくことになってしまう.大切なのは,成功体験・失敗体験に関わらずその成
果や意味を感じ,そこで生じたエゴイズムと向き合えるような機会を提供できる競争をさせるこ
とである.失敗体験をした子どもたちが競争から外れていってしまっては,過去の競争教育の失
敗をなぞるだけになってしまう.
競争教育への批判の声は大きいが,競争自体から目を背けさせることも健全とはいいがたい.
子ども同士の遊びが減っている現代社会に合わせ,競争自体を正しく教育できるような新しい教
育の姿が求められている.
おわりに
2014 年現在,20 代以下の男性であれば,小学生の時に一度は TCG に触れたことがあるのでは
ないだろうか.そして,中学生になった頃には「中学生にもなって,カードゲームなんて.
」と
思うようになり,TCG から“卒業”していったのではないだろうか.筆者自身,小学校低学年か
ら始まり,これまでに何度もカードゲームを“卒業”したつもりであったが,大学生になった現
- 152 -
在でも嗜んでいる.これはひとえに TCG の魅力のおかげなのである.
3-1.で述べたように TCG には単なる遊びとしてだけでなく,交流の面でも有意義である可能性
が存在している.しかしながら,本稿ではあえて,TCG の負の側面に焦点を当てた.それは,筆
者自身が TCG の魅力を感じながらもバッドコミュニケーションの存在によって,手放しでは勧め
られないという状況に歯痒さを感じたからである.そうしたバッドコミュニケーションが改善さ
れ,その可能性を最大限に活かして遊べるようなユーザーがひとりでも増えてほしいという願い
から,執筆するに至った次第である.
現代社会の問題点とそれに伴うバッドコミュニケーションが解決され,「TCG は,ゲームを楽
しみながら,人との交流を深められる最高の遊びである.
」と胸を張って言えるような社会にな
ることを切に望みながら,カードショップという現場で自分にできることはなにかを見つめなお
したい.
文献
町沢静夫,2000,
『自尊心という病』双葉社.
佐藤淑子,2009,
『日本の子どもと自尊心』中公新書.
山岸明子,2009,
『発達をうながす教育心理学』新曜社.
子安増生・田中俊也・南風原朝和・伊東裕司,2003,
『教育心理学』有斐閣.
前田泰樹・水川喜文・岡田光弘編著,2007,
『エスノメソドロジー』新曜社.
日本玩具協会,2014,
『2013年度玩具市場規模調査結果データ』
(2014 年 12 月 20 日取得,
http://www.toys.or.jp/pdf/2014/2013sijyoukibo_all.pdf)
.
Richard Garfield,2010,Lost in the Shuffle: Games Within Games(2014 年 12 月 20 日取得,
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtg/daily/feature/9
6).
Mark Rosewater,2002,Timmy, Johnny, and Spike(2014 年 12 月 20 日取得,
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr11b ).
Mark Rosewater,2006,Timmy, Johnny, and Spike Revisited(2014 年 12 月 20 日取得,
http://archive.wizards.com/Magic/magazine/article.aspx?x=mtgcom/daily/mr220b )
- 153 -
メディア規制の強化とその正当性について
高橋
世羅
はじめに
現代では,パソコンやスマートフォンの普及により誰もがインターネットやアプリケーション
を使用して,あらゆる情報を手に入れられる時代になった.しかし,それとは逆にテレビでの暴力
表現や性的表現の規制というのは以前より強くなったように感じられる.これは,主にテレビで
描写された反社会的行動が視聴者に多大な影響を与えると懸念した教育者や警察関係者,または
それらの表現を不快に感じる人々の影響によるところが多いだろう.確かに,今日の凶悪犯罪に
おいて容疑者の私生活やプライバシーが取り上げられる際に,中には偏った趣味・嗜好の娯楽作
品を好むものもおり,メディアの影響を一切受けていないとは言い難い.
しかし,それら犯罪の主な原因が本当にメディアの影響だけによるものなのだろうか.果たし
て,放送規制を一層厳しくすることが犯罪抑制のために正しいことであるのか.寧ろ,これらの放
送規制によって縛り付けられた欲求が視聴者の感情を支配し,負の感情を生み出してしまうので
はないかという不安もある.そこで,本論ではメディアと暴力的・性的表現の影響力の関連性を分
析するとともに,メディア規制の今後の在り方について言及したい.
1
様々な放送規制
1-1.現代の放送規制
今日では,メディアの過激な暴力的・性的表現が視聴者に悪影響を及ぼし,凶悪犯罪を引き起こ
していると懸念されている.そのため,番組を放送する際に以前より制限されるものが多くなっ
たと感じることがあるだろう.では,現代のテレビ放送において一体どのような事が規制されて
いるのだろうか.
まず,言論・表現の自由が認められている国において(日本は認められている),放送禁止の対象
になるものは概ね公序良俗 iに反するものであり,一般的には社会的妥当性・社会的相当性がない
ものと言われている.例えば,具体的なものとしては電波法 iiに定められているように
・日本国憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する通信を発することの
禁止
・わいせつな通信を行うことの禁止
・差別を助長する恐れのある言葉や表現
・暴力や犯罪を肯定的に扱う言葉や表現
i
ii
山本敬三(2000)『公序良俗論の再構成』有斐閣
電波法 電波利用ホームページ 総務省
http://www.tele.soumu.go.jp/horei/reiki_honbun/72001000001.html
- 154 -
以下のようなものが禁止されている.また,国によって差異はあるが差別的あるいは侮辱的・卑猥
的な意味を持つ用語は放送の健全性,中立性を阻害する恐れがあるとして放送禁止用語
iiiとみな
され,テレビやラジオを放送する際には使用されない.しかし,上記に述べたような規制というも
のは全て各放送局の自主判断とされ,明確な放送内容や放送禁止用語が設定されているわけでは
ない.
1-2. BPOの役割
1-1 で示したいくつかの規制というのは国で定められているものであるが,ここでは,放送倫
理上の問題に対して自主的に独立した第三者の立場から活動している放送倫理・番組向上機
構 iv(以下BPO)について注目したい.まず,BPOとは放送における言論・表現の自由を確保し
つつ,視聴者の基本的人権を擁護するため,放送への苦情や放送倫理の問題に対応する第三者の
機関である.主に,視聴者などから問題があると指摘された番組・放送を検証して,放送界全体,
あるいは特定の局に意見や見解を伝え,一般にも公表し,放送界の自律と放送の質の向上を促し
ている.
また,BPOは放送倫理検証委員会,放送人権委員会,青少年委員会の 3 つの委員会から構成さ
れている.まず,放送倫理検証委員会では,問題があると指摘された番組について,取材・制作の在
り方や番組内容について調査する.そして放送倫理上の問題の有無を,審議・審理 vし,その結果
を公表する.これは,放送界の自浄機能を確立し,視聴者に信頼される放送を維持するとともに,
表現の自由を守る事を目的としている.次に,放送人権委員会では,放送によって名誉,プライバ
シー等の侵害を受けたという申し立てを受けて審理し,人権侵害があったかどうか,または放送
倫理上の問題があったかどうかを判断する.ここでは,放送による人権侵害の被害を救済するた
めの役割を担っている.最後に,青少年委員会では,青少年が視聴するには問題がある,あるいは,
青少年の出演者の扱いが不適切である等と視聴者意見で指摘された番組について審議を行い,委
員会での見解を公表したり,制作者との意見交換を行う.また,放送と青少年との関わりを研究,
調査しており,青少年にとっての放送番組の向上を目指すのが狙いである.
こちらの活動は前節で述べたような,放送前の規制というよりは,既に放送されてしまった番
組に寄せられた苦情に対応したものである.当然だが,これらの活動により規制が緩和される事
はなく,年々放送規制は増加し続けることとなる.
1-3. 海外の表現規制
これまでは,日本で行われている放送規制について取り上げてきたが,海外ではどれほどの規
iii
放送禁止用語について,http://www.jiko.tv/housoukinshi/
放送禁止用語集,http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4845/odio/kinku.html
iv
BPO 放送倫理・番組向上機構 http://www.bpo.gr.jp/
放送倫理上問題がある,と指摘された番組は審議,内容の一部に虚偽がある,と指摘された番
組は審理される,http://www.bpo.gr.jp/?page_id=799
v
- 155 -
制が成されているのだろうか.先進国の1つでもあるアメリカ合衆国に注目してみたい.主に,ア
メリカの放送規制に関する役割を担っているのはFederal communications Commision vi(連邦通
信委員会,以下FCC)と呼ばれる機関である.FCCとは,1934 年の通信法によってFederal Radio
Commission (連邦無線委員会)に取って代わる機関として設立された独立行政委員会である.こ
こでは,アメリカ国内の・通信事業を監督し,免許の交付,放送・通信機器の認可,無線周波数
vii
の
割り当てなどの事業を行っている.FCCの構成員はアメリカ合衆国大統領によって任命され,任期
満了に満たさない者を除き,5 年ごとにアメリカ合衆国上院の中から承認される,また,FCCは 5 人
の委員によって管理されており,大統領が議長となる委員長を委員の中から指名している.そし
て,映画の規制においてはMotion picture Association of America viii(アメリカ映画協会,以下
MPAA)という団体が管理をしており,さらにゲームにおいてはEntertainment Software Rating
Board(エンターテイメントソフトウェアーレイティング委員会,以下ESRB)がコンピュータゲー
ムのレイティング ixなどの審査を行っている.
これらの様にアメリカ内にもメディアの様々な規制が見受けられたが,全体的に日本のメディ
アよりも一層規制が厳しい様に感じられた.特に,子供達が視聴すると考えられるアニメにおい
ては銃・酒・煙草・流血・刺青等の表現は一切禁止となっている,そのため,日本のアニメがアメ
リカで放送される際には,煙草はキャンディに変更されていたり,露出の多い女性の衣服はほと
んどが肌を見せないものにする等の配慮がなされており,元のアニメと比較すれば違いが一目瞭
然となっている.しかし,アメリカではこれらの表現規制が強すぎるために生じている問題もあ
る.それはケモナー xといった人々の出現である.近年のアメリカでは規制が強すぎるために,ど
うにかして性的描写を描きたいと考えた人々が人間同士の性行為ではなく,獣や無機物同士の性
行為の表現を始めたのである.特に,ここ最近のtwitterで話題にのぼっているのが,ドラゴンと
車との性行為である.これらは確かに一切法には触れていなく,規制にかかることもない.しかし,
これが本当に規制の結果として求めたことであり,規制の強化が正しいものだったと言えるのだ
ろうか.
2
メディアの影響力
2-1. メディアと暴力的行為の因果関係
1 章で述べた様に現代のテレビ放送においては様々な規制が成されており,映画館で放送され
vi
vii
viii
ix
FCC http://www.fcc.gov/
可聴周波数より高い数万 Hz 以上の周波数の事で,主に無線通信に用いられる,
MPAA http://www.mpaa.org/
コンピューターゲームにおけるレイティングシステムとは,ゲームの購入・貸与・鑑賞がで
きる年齢制限の枠,およびその表現の規制の事である,また,日本でも同様にこのような役割を担
っている Computer Entetainment Rating Organization(CERO)と呼ばれる機関があ
る,http://www.cero.gr.jp/rating.html
x
ここでいうケモノとは漫画やアニメといった同人業界の用語であり,人間の特徴を持った動
物のキャラやその属性のことである,そして,ケモナーとはそれらのケモノを性的に愛する人々
の呼称である,
- 156 -
た映画や,実際放送する予定だったアニメやドラマ等に過激な表現が含まれる場合には,本来の
形ではなく規制をかけた形で放送される事が多い.それらは,おそらくメディアが視聴者に及ぼ
す影響が絶大であると危惧しているからであろう.しかし,実際にメディアから受け取った情報
が本当に視聴者に対して悪影響を与えているのだろうか.暴力的なテレビの視聴と視聴者の攻撃
性との因果関係について,いくつか行われている研究を検証してみたい.
例えば,バンデューラの社会的観察学習理論(モデリング)という研究の中では,子どもたちは
メディアから受けた攻撃的行動を学習し,その具体的な行為を覚えていて,その攻撃的行動の実
行を促すような状況に遭遇すると,習得した暴力行為を再現するとしている.つまり,メディアの
暴力的表現から影響された子供たちは攻撃的な側面をみせると論じたのである.
しかし,その一方でミラブスキーらによって約 3200 名の小学生と 10 代の若者が被験者となり,
約 3 年間(1970 年 5 月~1973 年 12 月)にわたって行われた 5 回の調査(佐々木
1996:24-25)にお
いて,暴力的なテレビ番組と攻撃的行動との関係性を調べたところ,弱い相関しか見出されなく
暴力的番組の視聴が子どもたちの攻撃的行動を助長する主な要因ではないと結論づけている.
上記以外にも過去にいくつもの研究が成されているが,メディアと暴力的行動の関連性につい
てはどちらの見解もある.ややバンデューラの生み出した論が優勢であるが,実験研究では短期
的な効果しか研究されていない事と,実験研究で作り出す状況は自然な状況とかけ離れているた
め,実際のメディア暴力にあてはまらないという批判が生じた,また,自然な状況下において行わ
れた研究の中に,メディア暴力と暴力的行動との間に性の相関を示したものがあるが,暴力的行
為との因果関係が分かりづらいという欠点が残った,この後もメディア研究は継続しているが,
メディアと暴力的行動の因果関係については曖昧なままである.
2-2. メディア効果論
2-1 では,メディアが放送する暴力的表現の影響力とその因果関係について,過去に行われた
研究をもとに調査したが,結果的にはメディアと視聴者の暴力的行為との関連性については曖昧
なままであった.つまり,メディアが暴力的行為・性的犯罪を引き起こすとは必ずしもいえないの
ではないだろうか.では,2-2 ではこれらの研究をもとに確立されてきた様々なメディア理論を
分析し,実際にメディアが人々に与える影響を時代の変遷とともに考察したい.
20 世紀初頭に入ると新聞やラジオといったマス・メディアの普及に伴いメディア効果論と呼
ばれる,マス・メディアが人々の行動や意識に及ぼす影響に関する理論ないしは研究が行われ始
めた.このメディア効果論には大きく分けて 2 つの説が存在する.まず 1 つ目には,1930 年代~40
年代に確立された『強力効果論』である.この強力効果論とは,マス・メディアの影響は大きく,
受け手に対して,直接的・即効的な影響を及ぼすという考え方であり,大衆化した新聞・雑誌・ラ
ジオなどの暴力的・性的な報道が,受け手をそのまま暴力的・性的にするという理論である.しか
し,この研究が成された時代背景にはメディアと呼べるものが主に新聞とラジオしか存在しなか
った事と,第二次世界大戦や政治的圧力等が厳重だったこともあり,実際にメディアが受け手と
直接的に関係あるのか判断されにくく,この説は反対されてきた.
- 157 -
そこで 1940 年~60 年頃に台頭した説が『限定効果論』である.これはメディアの影響力はそ
れほど大きいものではなく,間接的なものにとどまるとする理論である.この研究の中では,メデ
ィアは多くの影響源のひとつとして効果を発揮するものと考えられ,受け手の既存の状態を強化
する効果が指摘されている.例えば,もともと暴力的な素質を持った子供だけが暴力的メディア
に反応し,暴力的な素質を持たない子供は暴力的メディアの影響を受けないと考えられている.
さらに,限定効果論の中には選択性メカニズムと対人ネットワークと呼ばれる 2 つの理論がある.
まず,選択性メカニズムでは,暴力的な素質を持った子供に対してはメディアが引金を引かなく
ても,いずれ別の要因が引金を引く可能性があるため,メディアを除去することは何の解決にも
ならないと考えられている.2 つ目に,対人ネットワークでは,親しい者とコミュニケーションを
取りながらテレビを見たり,テレビを見た後にコミュニケーションを取る人との影響が大きく,
メディアの内容よりも,寧ろ,どのような意見の人と一緒にどのようなメディアを見るかという,
受容環境が重要な点であると考えられている.
しかし,1970 年代になると更に一転し,限定効果論を再び見直す形で『新しい効果理論』
『新・
強力効果論』と総称される理論が提唱された.今までの限定効果論は主に説得的効果のみを研究
対象としており,メディアがもつ本来の効果については想定されていないことを問題視して,改
めてメディアの効果を研究し始めたのである.この新・強力効果論にはいくつもの説があるが,
今回は代表的なものだけ触れておきたい.
まず 1 つ目に議題設定機能仮説(岡林
2009:67-69)と呼ばれる理論である.これは,1972 年に
M・マックウムとD・ショーよって提唱されたもので,初期の強力効果論のような直接的な効果
とは違うが,メディアが視聴者に対して何が重要な争点であるか(議題)の関心を与える機能があ
るとする仮説である.すなわち,メディアが取り上げる様々な問題やトピックを,受け手が考える
べき内容として与えるのである.これは 1968 年のアメリカ合衆国大統領選挙の際に見られた有
権者の投票行動をもとに分析したマックウムらの実証研究により,「メディアが強調した争点」
と「選挙民の関心が高い争点」の間に,強い相関があることが分かり,これによりメディア自体が
もつ影響力について明らかになった.
そして,2 つ目の新・強力効果論として取り上げたいのがドイツの政治学者エリザベート・ノ
エレ=ノイマンによって提唱された沈黙の螺旋過程仮説(岡林
2009:68)である.この仮説は孤
立への恐怖が人々の行動を動機づける重要な要因であることを前提に,メディアで報道されなく
なったトピックは議題ではなくなり,人々はそのトピックを重要ではないと考えだす.そのため,
重要でなくなったことを話題にするのは世間とずれたことであり,そのようなことを口にするの
は自分の判断力が低いのではないかと不安にさせる,このように,社会的存在である人間は,社会
の中で孤立し,集団から外れていると思われることを恐れるようになる.そして,メディアが報道
しなくなったトピックや社会的問題は話題にのぼることは少なくなり,世論と食い違う判断はさ
らに発言されなくなる.しかし,その一方で世論に沿った意見や解釈は多様な人が様々な状況で
発言するだろう.それをメディアが報道することにより,さらに,主流の意見や判断が社会の中で
目立つようになり少数派の自覚のある人々はより沈黙することになる.つまり,この理論は,メデ
- 158 -
ィアを媒介として何らかの情報を取り入れた際に,メディアに合わせて自己の意見が形成される
可能性があると考えたのである.
前述では主に 2 つの理論を分析したが,この他にもカルティベーション理論(培養分析)・情報
処理アプローチ・メディアシステム依存理論・エンコーディング/ディコーディング・モデル等
といった様々な新・強力効果論が今もなお研究され続けている.
しかし,本節の後半で取り上げた新・強力効果論についてはいくつかの疑問が残る.それは,実
際にこれらの理論が暴力的行為との因果関係があるのかということと,視聴者への影響の発端が
本当にメディアのみに存在しているのかということである.確かに,2 つの理論には政治的側面
において扇動が強く,影響を与えているという事は納得できる.ただ,これはメディア報道の仕方
に最初から悪意があり,故意に一方的な意見に持ち込もうとさせているようにも感じられる.だ
が,暴力的・性的表現はあくまでもドラマやアニメのストーリーの一部であり,視聴者をそのよう
な攻撃的な気持ちに誘導させようとして放送しているわけではない.(ポルノ番組だけを放送す
る局もあるが,これは金銭等も絡む特殊なものであり,あらゆる人々が目にするとは言い難いの
で除く,)
また,議題設定機能仮説ではあくまでも視聴者に与えるものは問題定義であり,メディアが取
り上げた様々な問題やトピックは自己判断で取捨選択することが任される.つまり,議題は一つ
のきっかけにすぎず最終的に自分の中でどのように処理するのかが重要なのである.さらに,沈
黙の螺旋過程仮説ではメディアが多数派を作り上げるとしているが,実はこの説の中では少数派
の必要性も説かれている.彼らのような,隔離への恐怖をあまり感じない少数派の人々は常に存
在している.そして,彼らのような人々が生まれることが社会の変革のためには必要な存在であ
る.そして,彼らの様な人々が居ることで自由な発想が生み出しやすく,会議の様な場で様々な意
見が出やすいのである.このように,少数派の人々が支持される場合もあるだろう.また,多数派
の人々と少数派の両者が社会の中で存在する事は決して悪いことではない.ここで問題なのは,
少数派の人に対する多数派の態度なのではないだろうか.メディア側が多数派の意見を報道した
からといって,多数派の人々が少数派の人々を社会的(いじめや孤立等)に排除しようとしている
とは思っていないだろう.しかし,多数派の人々が少数派の人々にこのような行動を取るという
事は多数派側の人間性に問題があるのであって,メディアだけの責任では片づけられないのでは
ないだろうか.
これらの研究をふまえると,暴力的行為・性的犯罪をメディアだけの責任にしていいのだろう
か.特に,近年での未成年の殺人もしくは性犯罪が取り上げられる際に,彼らの趣味であるドラ
マ・映画・アニメ等が偏っておりそれらが原因だと考えられる場合があるが,実際はそれだけで
はなく家庭環境や対人関係に問題がある場合も少なくない.そして,周囲の環境や教育のされ方
に問題があるからこそ,自身の意見が左右されるのであろう.つまり,メディアからの直接的な刺
激だけではなく,選択制メカニズムや対人ネットワークのような周囲の環境から受ける影響の方
が強いのではないだろうかとも考えられる.
- 159 -
規制による欲求不満
3
3-1. 規制による犯罪増加
1 章では,暴力的・性的な犯罪を防止するため,もしくは視聴者の不快感を除き,よりよい放送
を目指していくための活動として様々な規制を示したが,果たしてこれらの規制が実際には功を
奏しているのだろうか.
240
220
200
180
160
140
120
100
80
60
40
20
0
1976-1980
青少年条例 xi強化
犯罪増加
1984
アダルトアニメ誕生・普及
犯罪減少
1990-1993
有害コミック騒動
1996
児童ポルノ規制の国際会議
犯罪増加
2003
携帯インターネット急増
犯罪減少
2008
携帯フィルタリング
xii
出典 平成 24 年版犯罪白書
犯罪減少
xiii開始
資料 3-4(2012 年警視庁
犯罪増加
生活安全の確保に関する
統計のうち,『少年非行情勢(平成 24 年 1 月~12 月)』
図1
日本の 13 歳以下少年による強制わいせつ犯人数
上記のグラフを見て欲しい.これは,未成年の強制わいせつ犯人数(警視庁
2012)をグラフに
したものであるが,その中でも特に,グラフの数値が大きく上下している部分に注目したい.この
xi
青少年保護育成条例は,日本の地方公共団体の条例の一つであり,青少年保護育成とその環
境整備を目的に地方自治体で公布した条例の統一名称である,青少年保護条例や,青少年健全育
成条例と呼ばれることもある,
xii
特定の漫画が猥褻であり,有害であるとして排除しようという運動のこと,戦後から繰り返
されてきた悪書追放運動の一つであるが,特にここでは 1989 年以降のものを指す,
xiii
インターネット上のウェブページなどを一定の基準で評価判別し,選択的に排除する機能の
こと,
- 160 -
統計によると,何らかの形によってメディアが規制を受けた年には犯罪が増加し,それとは反対
に,新たな情報伝達手段が増えた年には犯罪が減少しているように思える.
グラフで示したものは日本の一例にすぎないが,韓国やスウェーデンで行われた性犯罪調査で
も同様にポルノ規制後に性犯罪が増加するという結果がみられた.つまり,メディアを規制され
る事によってもたらさられる欲求不満が犯罪につながる可能性があると言えなくもないだろう.
もちろん,安易にこの数値を鵜呑みにし,規制を減少させるということは危険である,しかし,ア
ニメ・ドラマ・ゲーム等で発信される性的表現が犯罪抑制の一つとなっていることは無視できな
く,規制を増加させる事だけが良いとは言えないのではないだろうか.
3-2. 無知の危険性
メディアから暴力的・性的表現を一切取り除いてしまう事による問題は生じないのだろうか.
規制を厳しくするということは視聴者が受け取る情報をも制限されることとなる.それはつまり,
一部の知識の欠落ともいえるだろう.
1970 年になると,ガーブナーらは暴力視聴と視聴者の暴力的傾向との関係よりも,暴力視聴番
組を含むテレビ視聴と,視聴者の世の中に対する認知度との関係の方がより重要であると主張し,
それを実証した.本節では,彼らが主張したカルティベーション効果を用いる事で,テレビ視聴者
とテレビをあまり見ない人との情報の差とそれにより引き起こされる問題点を分析したい.
まず最初に,カルティベーション効果とは人々がメディアに接することで,メディアに描かれ
た世界と現実の世界を混同するという理論である.特に,暴力表現との関連では,現実世界には実
際よりも暴力があふれているという認識が深まり,社会に対する不安が増大するとされている.
つまり,メディア視聴が多いほど様々な情報を受け取るために世の中に対する不安感や人々に対
する不信感が強いと仮定したのである.そして,この仮説を検証するために,1987 年 7 月から 8 月
にかけて調査(佐々木
1996:123-30)が行なわれた.調査対象となったのは千葉県柏市のK中学
校の 2 年生 395 名と,群馬県高崎市のT中学校の 1 年生 104 名,そして東京都大田区のS中学校の
1 年生 41 名,合計 504 名である.この調査方法では,まずテレビ視聴量の多い子供と少ない子供に
分けるため,一日の平均テレビ視聴時間を調べた.次に,犯罪番組視聴量の多い子供と少ない子供
を選り分けるために,1987 年春期の,ある 1 週間のゴールデンタイム(午後 7~10 時)の番組表を
生徒に見せ,生徒が視聴している番組を調べた.そして最後に,世の中に対する不安感や人々に対
する信頼度を調べた.これらを調査するにあたり,ガーブナーらの研究を参考に以下の 8 つの質
問項目を用いた.
(1) 夜間にひとりで町の中をあるくことは危ないと思いますか
(2) 犯罪などから身を守るために,家に犬を飼うことが必要だと思いますか
(3) 犯罪などから身を守るために,ドアや窓に新しくカギを取り付けることが必要だと思
いますか
(4) 犯罪などから身を守るために,バットなどを部屋に置いておくことが必要だと思いま
- 161 -
すか.
(5) 犯罪などから身を守るために,町などの,危ない場所には行かないようにすることが必
要だと思いますか.
(6) 世の中の人々のほとんどは信頼できると思いますか.
(7) 世の中の人々のほとんどは,他人が困っていたらいつも助けてあげると思いますか.
(8) 世の中の人々のほとんどは,機会があれば人の弱みにつけこむと思いますか.
しかし,今回の調査からはテレビ視聴量の多い子供は少ない子供より,世の中に対する不安感
や人々に対する不信感が強い.ということは支持されず,ガーブナーらが主張したテレビ視聴量
とカルティベーション効果の関係は確認されなかった.むしろ,カルティベーション理論と相反
する結果が見られたのである.例えば,どの項目においてもテレビ視聴率の多い生徒は『思わない』
と答え,テレビ視聴の少ない生徒は『思う』という回答が多かった.もちろん,テレビに多く接す
ることで暴力に対する感情的反応が鈍化してしまっているという考え方もあるが,その一方でテ
レビ視聴率の少ない子供達が社会や人々に対する不信感を抱いているということは,情報を取り
入れていないために対人関係に,ある種の誤解を生んでおり,正しい知識を身につけていないと
も言えるだろう.
また,テレビ視聴が少ない,つまり無知ゆえに引き起こされる問題はないのだろうか.近年では,
海外に対する知識が不十分なまま危険地域に踏み込み,凶悪な事件に巻き込まれる日本人が増え
ているように思う.これは,テレビ視聴が少ないために必要な情報を受け取れていないのではな
いだろうか.もしくは,メディア報道にあらゆる規制がかかっているため,十分な危険性を伝えき
れていないのかもしれない.これらのように,メディアから遠ざかることが決して良いとは言え
ないのではないだろうか.
3-3. 自己浄化によるフラストレーションの解消
2 章では,メディアと暴力的行為の因果関係について直接的な影響があるとは結論づけられな
いとされたが,それでもなおメディアに対するマイナスな面を拭えない人々はいるだろう.しか
し,様々な規制が在りながらも今日まで過激な放送が禁止されずにこられたのは,メディアがも
たらす 3-1 の様な働きも認知されているからではないだろうか.そこで,人々は日常の中でマ
ス・メディアをどのように利用し,またメディアとの接触によってどのような満足を得ているの
か分析しつつ,カタルシス理論の可能性について言及したい.
では,カタルシス理論におけるカタルシス効果とは一体どのようなものなのだろうか.まず,
カタルシス効果とは心理学において精神の浄化作用と表現される.例えば,人々は日常生活の中
でストレスを抱え込み,フラストレーションを感じることがあるだろう.そして,最悪の場合には
それが原因となって攻撃行動を引き起こすことがあると考えられる.しかし,カタルシス効果に
は,自身の心の内にある不安や苦悩さらには怒りといったそれらのフラストレーションを言葉に
して誰かに相談したり,もしくは他人の攻撃行動に代理参加することによって解消ができると考
- 162 -
えられている効果である.そして,このカタルシス効果がメディア理論にも有効なのではないか
と過去に研究されてきた.
フェッシュバックの研究によると,メディアの暴力的行為を視聴することによって,視聴者は
代理的に攻撃に参加し,自分の敵対的・攻撃的感情を,誰をも傷つけることなく和らげることが可
能であると考えた.つまり,勧善懲悪のドラマ視聴や暴力的なスポーツ観戦または,攻撃的なゲー
ムによる空想的な攻撃行動に代理参加することが視聴者のフラストレーションを解消させ,犯罪
を抑止する効果があるのではないかということである.以下は,視聴する番組とそれによるカタ
ルシス効果の影響をまとめたものである.
(1)気晴らし
バラエティーやドラマ等の娯楽番組
a.日常生活のさまざまな制約からの逃避
b.解決しなければならない諸問題の重荷からの逃避
c.情緒的な解放(泣いたり笑ったりしてスッキリする)
(2)人間関係
a.交友関係(メディア内の登場人物との擬似的な社会関係)
b.社会的効用(家族や仲間などと一緒に楽しんだり、メディアの内容について話したりする
(3)自己確認
a.個人についての準拠(自分の状況・性格・生活について番組内容に照らし合わせて自己確認する)
b.現実の探求(身近な問題の対処の仕方を学ぶ)
c.価値の強化(自分の考えなどが正しいということを番組内容にみつけて確認する)
(4)環境の監視
ニュース
自分にとって間接的な公共的世界の出来事を知る
(筆者作成)
図2
テレビ視聴により得られる効果と番組の種類
このように,メディアが視聴者にもたらす影響は様々であるが,2 章の様な悪い面だけでなく
3-1 や 3-2,そして上記の表で示したような役割も担っているのである.
現在では,カタルシス理論を強く肯定できるような決定的な証拠がないため,研究者の間では
あまり評価されていない.しかし,3-1 の図 1 で示したように規制後に犯罪増加したケースが見ら
れたという事は,規制される前までは自分自身の中で攻撃衝動をうまく自己浄化できていたと考
えられる.また,もちろん,研究結果が少ないために一概にカタルシス理論を支持する事は難しい
が,前述のような結果を無視することはできなく,メディアによるプラスの面があることもまた
事実なのではないだろうか.
4.
規制の在り方
近年では,アニメやドラマを視聴する際に以前よりも制限されるがもの多くなった.例え
ば,90 年代頃はゴールデンタイムの番組で女性の裸体が映し出されることも少なくなかったが
現在ではほとんど目にすることはなくなった.また,アニメ等での殺人描写では血の色が赤色か
ら黒色へと変更されている.このように,テレビ局での自主規制は徐々に強まっているように感
- 163 -
じられる.確かに,BPOの活動内容の1つにもあるように,人権問題に対しては考えなければな
らない所が多数あるだろう.しかし,アニメやドラマ等の規制を厳しくしてしまう事が本当に正
しい事なのだろうか.2 章や 3 章の事例をふまえればメディアの良い面と悪い面の両方が認識で
きるはずであり,必ずしもあらゆるものを規制してしまうという事が悪影響を減少させるとは言
い切れない.今日の科学的研究においてもメディアを取り巻く理論というのは曖昧な結果しか出
ておらず,学問の世界では暴力的メディアが視聴者を暴力的にする,性的メディアが視聴者を性
的にするという直接的な説は強くは認められていない.当然,事前に犯罪を抑制したいという意
味で規制をすることは理解できる.だが,科学的根拠が少ないにも関わらずTVや書籍等では規
制を強くすべきだという声を頻繁に耳にするが,これは一体なぜだろうか.
それは,犯罪が起こる要因をメディアの責任と見せかけたいのではないだろうか.実際には,現
実社会で攻撃的行動を起こす視聴者の背景にはメディアの影響以上に家庭環境や対人関係また
は教育の在り方も関係しているように感じられる.例えば,現在の日本の視聴率
xiv
を考慮しただ
けでも同じ番組を同時に見ている人は何万人,何十万人と存在しているだろう.しかし,それら全
ての人々がメディアの影響を受け,犯罪に足を踏み入れていたら社会的に大問題となってしまう.
つまり,メディアだけが原因なはずはない.昨今では,ニュース番組で殺人事件や性的犯罪が取り
上げられる際に,それとともに容疑者の偏った趣味・嗜好も報道される事がある.だが,さらに蓋
を開けてみれば家庭環境の崩壊や対人関係つまりいじめといった問題も抱えており,寧ろ,彼ら
は心の拠り所を求めてメディアに逃避しているようにも見受けられる.しかし,教育者や家族ま
たは警察等の人物は解決できない犯罪者の心理に直面した時にメディアの過激表現がこのよう
な人物を作ったと責任転嫁しようとしているのではないだろうか.同じ番組を見ていたのに犯罪
を犯す者と犯さない者がいる.そして,圧倒的に犯罪を犯す者の方が少ないという事は,受容者の
教育の在り方や周囲の環境に何等かの問題があったと考えられる.しかし,容疑者に関わった
人々はそれを認めたくはないだろう.そこで,責任逃れをするためにメディアの影響にする事も
少なくないのではないだろうか.ただ,これはあくまでも選択性メカニズムを用いた 1 つの解釈
であり,決定づけることは出来ないが,2 章や 3 章の研究結果もふまえるならば,放送規制だけを
厳しくすることが根本的な犯罪減少の解決になるとは思えない.まずは教育者や視聴者自身が正
しいメディアとの向き合い方を考える事が大事なのではないだろうか.また,放送規制をなくす
のではなく今後はBPOやテレビ局そして我々視聴者が一層メディアという通信手段をうまく
活用し,互いが納得する範囲の規制をつけられれば良いと感じる.
xiv
あるテレビ番組をその地区のテレビ所有世帯のうち何パーセントが視聴したかを
表す推定値であり,一つの指標である.視聴率には個人視聴率と世帯視聴率があるが
一般的に視聴率といえば世帯視聴率のことを指す.一例として,関東地区の場合では世帯視聴率
1%=約 18 万 2000 世帯,個人視聴率 1%=約 40 万 7 千人となっている.
http://www.videor.co.jp/index.htm より
- 164 -
おわりに
本論では主にメディアの中でも新聞や小説等の文字媒体ではなく主に映像面から受け取る影
響を取り上げ,それに基づき実際に規制の強化というものが正しいことなのかを考察した.しか
し,メディア理論というものは媒体が変わると同時に新たな理論が生まれ続けるため,常に曖昧
性を含んだ議論であり,どのようなデータを持ってしても規制賛成派と規制反対派の両者の納得
を得る事は難しいだろう.もちろん,今回の筆者自身の主張というのも規制に対する考え方の1
つでしかない.
そこで,着目したいのが時代とともに規制をする対象が変化しているということである.例え
ば,小説や新聞といったマス・メディアが普及すれば出版の際に規制が強まった.次に,ラジオや
映画が流行すればまたも規制が成される.そして,現在ではテレビやインターネットといったよ
うに,規制をする場が常に移り変わっているのである.しかし,今後テレビやインターネットに置
き換わるようなメディア媒体が生まれればそちらに規制強化の対象が変化するであろう.さらに,
どんな規制が成されても発信側または制作者側というのは,1-3 の海外規制からも見られる様に,
その法をかいくぐりながら新たな作品を生み出すだけである.つまり,どんなに規制を厳しくし
たところで堂々巡りなのだ.それならば,時代とともに変わるメディア媒体とその規制に翻弄さ
れるのではなく,どんな情報にも左右されず自分で客観視して判断できるような人間を教育して
いく事に力を注いで欲しい.
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『日本放送協会番組基準』http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/kijun/index.htm
放送禁止用語について,http://www.jiko.tv/housoukinshi/
放送禁止用語集,http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4845/odio/kinku.html
BPO
放送倫理番組向上機構,http://www.jiko.tv/housoukinshi/
- 166 -
Ⅱ
第 10 期生進級論文
- 167 -
「スクールカースト」をいかにして乗り越えるか
―未来の学校についての提案―
森 千晴
はじめに
「スクールカースト」という現象が認識されてある程度の時間が経過したように感じる.しか
し,その対策は未だに進まず,そもそも「スクールカースト」とは何なのか,何が問題なのかが
まだ曖昧なように思える.本稿では「スクールカースト」の仕組みの分析と現代の生徒たちが学
校で何を考え,何を感じているのかを明らかにし,
「スクールカースト」を乗り越えるための新
しい学校の形を提案するものである.そして,この論文によって「スクールカースト」というも
のがいかに深刻な教育問題であるかを理解していただけたら筆者としても幸いである.
1
「スクールカースト」のとは何か
1-1「スクールカースト」の広まり
「スクールカースト」という言葉の定義は難しい.この分野の研究で知られている教育社会学
者の鈴木翔(2014)による定義は「中学・高校の教室における『見えない地位の差』であり,(本
来対等であるはずなのに)その『上下』でグループ分けが行われ,なおかつその体制を生徒全員
が受け入れる」というもので,俗に「上位,中位,下位」や「1軍,2軍,3軍」などと呼ばれ
ている.筆者としてはこの考えを下敷きにしたうえでこの論文でもっと踏み込んだ定義付けを行
いたい.それは「中学・高校の教室における自己承認をめぐる闘争の結果としてある『見えない
地位の差』であり,全員が積極的もしくは消極的に受け入れる.」というものである.本論文で
はこの定義をもって「スクールカースト」について考察していきたい.また,最近の研究では小
学校などでも「スクールカースト」的情況が見られるという報告もあるが,本稿では触れないこ
ととする.
まず「スクールカースト」という言葉の歴史についてだが,2006 年 11 月 16 日の衆議院「青
少年問題に関する特別委員会」で参考人となった教育学者の本田由紀が言及したのが正式な始ま
りとされる.それを受け,教育評論家の森口朗も著書『いじめの構造』で 2007 年に紹介し,そ
の後教育や文芸批評の文脈で議論の対象とされるようになった.ただし,欧米などでは,およそ
1990 年台初期頃からヒエラルキー化が意識されるようになった.例えばアメリカでは「ジョッ
ク」と呼ばれる階層制度が存在し,日本に先駆け学校に地位の差があることが明らかになってい
る.
その後社会に広く広まるきっかけになったのは,朝井リョウの小説『桐島,部活やめるってよ』
の影響が大きいのではないかと考えられる.映画化もされ,原作,映画ともに高い評価を得た作
品だ.注目すべきは「スクールカースト」という言葉自体はこの作品には登場しないことだ.
「上
グループ」生徒には「下グループ」の生徒をまるでそこにいないかのように扱う描写や高校生の
- 168 -
序列を守り,空気を読む心情を巧みに描いたことにより,読者たちが「スクールカースト」を生々
しく描いた作品という評価したのだ.こうして広まったことによりフィクションながら「スクー
ルカースト」についてのある種の教科書的なものになったのである.
1-2 序列を決める力
では,
「スクールカースト」における序列の差は何をもってきまるのか.それは非常に複雑で
あり一概に言うことはできないがあえて言うならそれは「見えない力」であると考えられる.鈴
木はアンケート調査とインタビュー調査を用いて「学力」
「容姿」
「部活動での成果」など様々な
項目で「スクールカースト」の要因を調べている.確かにこれらの能力が高い生徒の方が「上位」
「中位」にいる傾向が強いことは判明したが,明確に一つの基準のみで上位・中位・下位を分け
ることは無かった.しかし,それと別に鈴木は上位,下位に属する生徒の共通の特徴を発見して
いる.上位に属する生徒は「にぎやか」
「気が強い」
「異性の評価が高い」をあげている.対して,
下位に属する生徒は「地味」「おとなしい」
「特徴がない」である.このことから,「スクールカ
ースト」を決める最大の要素は「他人の評価」ではないかと推測できる.そして,
「他人の評価」
において高評価を得るために必要な「コミュニケーション能力」や「対人能力」が「スクールカ
ースト」の序列を決める力ではないだろうか.
本田はこれらの新しい能力が重要視される状態を総称して「ハイパー・メリトクラシー化」と
いう造語で表している.
「ハイパー・メリトクラシー」とは「文部科学省が掲げる『生きる力』
に象徴されるような,個々人に応じて多様でありかつ意欲などの情動的な部分を多く含む能力で
ある」(本田
2005:22)また,
「ポスト近代社会」と呼ばれる現代で求められている能力を「組
織的・対人的な側面では,相互に異なる個人の間で柔軟にネットワークを形成し,その時々の必
要性に応じてリソースとして他者を活用できるスキルを持つことがポスト近代社会で重要な能
力である.
」(本田
2005:22)と論じている.本田はこのことにより従来の学力とはまた別に「コ
ミュニケーション能力」,
「問題解決能力」などに代表される「生きる力」を社会全体で重視する
ようになったことを明らかにした.この潮流が教室内での生徒たちの価値判断を大きく変え,序
列をも決める力に昇華させてしまったのである.
1-3「スクールカースト」状態の教室
では,
「スクールカースト」は具体的に何が問題なのか.
「スクールカースト」と「いじめ」を
同一のものと思っている人もいると思うが,この二つは深い関係を持ちながらも別問題であると
言える.鈴木によると「
『いじめ』でなくても,なんとなく下に見られているような感覚.
『加害
者』はもちろんのこと,
『被害者』ですら,
『これ,いじめか?』と思うようなことの連続で,学
校生活は成り立っています.
(中略)
『スクールカースト』の中で感じる劣等感,そして優越感さ
えも,きっとこうした小さな小さな事柄の積み重ねでできています」(鈴木
2012:67)この「小
さな事柄」と呼ぶべきものの例をあげるなら,
「高圧的な口調で頼み事をされる」
「掃除の負担が
いつも自分だけ重い」などや,いわゆる「いじり」と呼ばれる特定の相手を貶めることで笑いを
- 169 -
とるようなことも少し行き過ぎればこれに当てはまる.「スクールカースト」は「いじめ」の判
断基準を曖昧なものにしてしまううえに,常に「いじめ」が起きやすい環境を内包しているのだ.
さらに問題なのは「スクールカースト」は逃げることができないことだ.鈴木(2012)によると,
学年が上がってクラス替えをしたとしても,生徒間の噂などで序列の評価は広まり結局また同じ
ランクで固定化される.この序列は卒業まで続くのである.その結果として,「不登校」や「自
殺」に繋がることもあり得る.
「下位」の生徒はずっと「上位」の生徒の反感を買わないように
生活し続けなければいけない.逆に,「上位」にいる人間はずっと「上位」にいるために注意を
はらって生活しなければならない.また,
「最下位」になれば存在すらも無視される「空気」と
いう状態になってしまう.
「スクールカースト」状態の教室ではこうした安らぎのない生活を生
徒たちに押しつけてしまうのである.
2
「承認」と「疎外」の教室
2-1 「承認」と人間関係の変化
この章では「承認」と「疎外」の二つの概念を用いてより詳しく生徒たちの心を分析し,
「ス
クールカースト」をより深く考察したいと思っている.まずは「承認」について説明していく.
近年の社会理論分野で「承認」は大変重要な概念と見なされているが,この「承認」の指し示す
範囲は幅が広く,明瞭で無い部分もある.本論文では「承認」概念の先駆者であるアクセル・ホ
ネットの理論をベースにして,筆者の独自の見解をもって「承認」について論じていく.さて,
まずホネットは「承認」を 3 パターンに類型している.1,原初的諸関係(愛・友愛)
2,法権
利諸関係(法権利), 3,社会的価値評価(連帯)の 3 形態だ.この中で最も現代の教室,ひい
ては「スクールカースト」を語るのに重要なのは 3.社会的価値評価だと考えるのが妥当であろ
う.最初は赤の他人ばかりであるのはどこの学校でもかわりなく事実であり,そこからよくある
「仲良しグループ」を形成するのはまさしく「連帯」であると言えよう.そして,この「連帯」
の承認の欠如で損なわれるものは「尊厳の剥奪」だとホネットは言う.まさしく,
「いじめ」
「い
じり」と対応していると考えられる.
「スクールカースト」を「承認」の「連帯」と見ると,
「上
位」
「中位」
「下位」の各グループは相互の地位の保証と見られるのではないだろうか.お互いに
「スクールカースト」における立ち位置を「承認」することによって,孤立することを避け,居
場所を確保する.こう考えると社会学者の宮台真司(1994)が「島宇宙化」と主張する教室内での
グループの固定化も当然の帰結と言えよう.そのグループにいれば教室内で立ち位置をなくすこ
とはないうえ,
「承認欲求」を満たすことができるからだ.結果として,
「承認を求める闘争の場」
と教室はなってしまい,そこから「承認」の序列とも見てとれる「スクールカースト」が生まれ
たのだ.
別の観点からも,「承認」は現代の生徒たちにとって大変重要なものであるといえる.社会学
者の土井義隆は生徒たちの「自己承認欲求」の増大とそれを「他者の承認」でしか実感できない
ことを指摘している.「彼らが一人になれないのは,むしろ強迫的に群れ続けなければならない
のは,自己意識の感覚化とそれにともなう断片化によって,自律的な指針を内面に持ち合わせな
- 170 -
くなったために,代わって具体的な他者からの絶えざる承認を求めざるを得なくなっているから
です」(土井
2004:14)このことは前章の「スクールカースト」を決める力は「他人の評価」で
あるということからも正当性がある.肥大化してしまった「自己承認欲求」は過度に友達との人
間関係を重視することに繋がり,教室内での人間関係は重いものになってしまったのである.
2-2「承認」依存の関係と「公共圏」の変容
「承認」を求めるあまり閉ざされた人間関係に固執することは前節で示したが,そのことによ
るさらなる弊害が指摘されている.それが「公共圏」 iの変容である.土井は現代の生徒たちが
「親密圏」と呼ばれる友達との関係がますます重くなる一方で,「公共圏」と呼ばれる第三者的
な人間に無関心になっていると指摘している.
「―親密圏の人間関係のマネージメントに際して
も,きわめて膨大なエネルギーを注ぎ込んでいるようです.だとすれば,公共圏の第三者に対し
ては逆にまったくの無関心であり,意味ある他者として感受されていないというもう片方の事実
は,親密圏において,彼らが持てるエネルギーのすべてを使い果たしていることの表れだといえ
ないでしょうか」(土井
2004:15)このことは,
「承認」を得るために互いに依存した人間関係
につながる.
「承認の連帯」を維持するのは容易なことではなく,そこには互いに大変な労力を
使ったコミュニケーションによってのみ成り立つ綱渡りのような関係があるのだ.
また,このことにより前章で述べた文部科学省の言う「生きる力」重視の教育が方向性を間違
ってしまっていることも明らかだ.
「生きる力」とはそもそも気遣いや礼儀を踏まえて,
「見ず知
らずの他人」とでもコミュニケーションをとることができる能力だったはずである.しかし,現
状「親密圏」の仲のいい人間との関係に閉じこもり,
「公共圏」の人間を認識すらしない生徒が
現れている.
「生きる力」の能力が将来的に必要なのは事実だが,
「公共圏の他者」と共存すらで
きない状態では真の意味での「生きる力」を教育できていないのではないだろうか.ひいては,
「生きる力」重視の教育の根本的原因である「ゆとり教育」も見直しの時期に来ているのではな
いだろうか.
2-3 「承認」と「疎外」のパラドックス
これまで,
「承認」が生徒たちの人間関係において重要なことを示したが,次に正反対の現象
があることを指摘したい.それが「疎外」である.なお,本稿においての「疎外」とは経済学者
K・マルクスが初期の著作『経済学・哲学草稿』で提唱した「疎外論」を元にそれを教育分野に
生かせるよう筆者が解釈したものであるとご理解いただきたい.さて,そもそも「疎外」とは何
なのか.マルクスの言う「疎外」は資本主義経済において労働者がまるで機械の部品のような扱
いを受け,資本家に従属することを指摘しそのうえで,人間が作った貨幣が逆に人間を支配して
いる状況を「疎外」と論じた.端的にいえば「人間が作ったものが逆に人間を支配する」これが
この「公共圏」とは J・ハーバマスが論じた他者や社会と相互に関わりあいをもつ空間と
しての「公共圏」ではなく,あくまでも土井が論じた「親密圏」という親しい人間関係の
領域に対立する,見ず知らずの人々が集まる領域のことである.
i
- 171 -
「疎外」の本質である.
では,何が教室で「疎外」されているのか.それは,生徒たちの「本来の自分」と言えると思
う.下記の図 1 及び図 2 は本田が 2009 年 10 月と 2010 年 1 月に神奈川県内の公立中学校を対
象にしたアンケート調査の結果である.これを参照すると,
「本来の自分」とは違う,偽りの「キ
ャラクター」を演じることについて「まったくあてはまらない」と回答した生徒は多少の差はあ
れ,どの階層でも 2 割程度しかいない.そのことから「キャラ」と称されるものに生徒たちが
いかに支配されているかがよく分かる.特に「スクールカースト」の「低位」と「いじられ」に
属している生徒は「高位」「中位」の生徒より切迫した状況に置かれている.土井(2009)はこの
「キャラ」を「外キャラ」と「内キャラ」に分けて分析している.
「外キャラ」とはこのアンケ
ートのような他人に対しての演技された自分のことを指す.現代的な対人関係技法として自己の
欺瞞や他人をだますものではないとしているが,私としては納得しかねる.
「本来の自分」を「承
認」してほしいという欲求に悩まされているはずの生徒たちがなぜ本来の自分とは違う「外キャ
ラ」を演じるのか,その答えを「疎外」で示そうと思う.
高位
中位
とてもあてはまる
まああてはまる
低位
あまりあてはまらない
いじられ
まったくあてはまらない
合計
0%
20%
40%
60%
80%
100%
出典:本田(2011:56)
図 1 「自分の気持ちと違っていても,人が求めるキャラを演じてしまうことがある(男子)」
- 172 -
高位
中位
とてもあてはまる
まああてはまる
低位
あまりあてはまらない
いじられ
まったくあてはまらない
合計
0%
20%
40%
60%
80%
100%
出典:本田(2011:56)
図 2 「自分の気持ちと違っていても,人が求めるキャラを演じてしまうことがある(女子)」
まずは,土井の主張する「キャラクター」の必要性について論じる.
「複雑化した人間関係の
破綻を回避し,そこに明瞭性と安定性を与えるために,相互に協力しキャラを演じあっているの
です.複雑さを縮減することで,人間関係の見通しをよくしようとしているのです」(土井
2009:26)土井が言っているように複雑化した学校での人間関係の中で生活を余儀なくされる生
徒たちにとって,
「キャラ」は非常に便利な制度だ.
「承認」を得るためには他者とのコミュニケ
ーションは必要不可欠であり,このために「キャラ」を使うのは否定されるべきではない.しか
しながら,パラドックスに陥っているのも事実だ.
「本来の自分」を「承認」されることこそ他
者とのコミュニケーションの目的であるはずなのに,演技された自分が「承認」されているのが
現実である.この現状はまさしく「疎外」であると推察される.コミュニケーションのため便利
な「キャラ」という制度を作ったが結果的に「本来の自分」が「キャラ」に従属してしまってい
る.そして,
「スクールカースト」状態においてはその従属はより一層強化されるだろう.さき
ほどの「いじられ」に属している生徒は他の生徒よりも「キャラ」を演じることが多いのもその
一つだ.
「いじられキャラ」という演技をすることにより「スクールカースト」における「高位」
の生徒と同じグループに入ることによって自分の地位を安定させるという場合もあれば,
「いじ
られキャラ」を演じているだけで自分はみんなに「いじめられている」わけではないと,精神の
安定を図る場合もある.いずれにせよ,
「スクールカースト」状態における「キャラ」偏重の人
間関係は「自己承認」と正反対の「自己疎外」にあることは間違いないと思われる.自己も,他
者も関係なく含めての「欺瞞の人間関係」でしかない危機的状況なのである.
3
未来の学校
3-1 日本型教育からの転換
この章ではこれまで論じてきたことを踏まえていかにして「スクールカースト」を乗り越える
かと,「承認依存」の関係からいかに抜け出すかを論じていきたい.結論としては,今までの日
- 173 -
本型の学校制度から転換しなければならないということだ.日本の学校は世界的に見ても変わっ
た制度であると言わざるを得ない.例えば,拘束時間の長さだ.ヨーロッパ諸国の学校は午前中
で終わることがほとんどであり,そこから何をするのもすべて生徒たちの自由となっている.そ
れに繋がることだが,学校の多機能性の点もあげられる.日本の学校は勉強以外に部活動,生活
指導,進路指導など様々な役割を負っていのが当たり前だが,これは世界的に見ても珍しいこと
だ.ヨーロッパはもちろん,隣国の韓国でも学校は勉強する場でありそれ以外の役割はほとんど
排除されている.このことから,学校の拘束が長く,強い日本では必然的に学校内の人間関係に
縛られ「スクールカースト」がつくられやすいと考えられる.
だとするなら,どう変えていくべきなのか.筆者は参考にすべき教育制度としてドイツをとり
あげたい.ドイツでは例えばスポーツがしたい子は地域にあるスポーツクラブに所属することが
ほとんどであり,部活動などというものは存在しない.さらに,このクラブは他学校の生徒や地
域の大人も所属しており,生徒たちはここで他の学校の生徒や先輩・後輩,そして大人といった
様々な人間との交流を学んでいく.所属しないも自由であり,そういった子は勉強に励んだり,
家の手伝いをしたり,習い事をしたり非常に多様な放課後の自由時間を過ごしている.これなら,
学校の人間関係に縛られたり,依存したりせずに学校生活とそれ以外での生活を楽しむことがで
きる.筆者はこのドイツの学校制度のように日本は変わっていくべきだと考える.
では,ドイツのような教育制度を日本に導入するべきなのか.結論としてむしろ導入していか
なければいけない状況になりつつある.なぜなら,ただでさえ激務である教師に部活の指導をさ
せていることでより負担をかけているからだ.それに付随し,部活動を縮小する傾向が日本全体
で活発化している.例えば,2007 年より東京都教育委員会では公立学校での部活動縮小の議論
を進めている.しかし,このことにより生徒たちの自由な活動を阻害することは許されないこと
だ.東京都教育委員会では地域のスポーツクラブとの提携なども解決策の一つとなっており,こ
れはほとんどドイツ型教育に追随するものである.生徒の自由を守り,教師の負担を軽減できる.
ドイツ型の教育制度の導入は両者に利するのである.
3-2 脱学校化とネットワーク型教育
さて,これまで日本型の学校の問題点を指摘し,ドイツ型の教育制度の導入を主張してきたが,
ここからはドイツを参考にした新しい学校制度を論じていきたい.なぜなら,このままの状態で
は日本にドイツ型の教育制度の導入は恐らく難しいからだ.日本ではドイツのように地域活動が
日常的な文化ではないため,生徒たちを受け入れる土壌である地域に根ざしたコミュニティ,ア
ソシエーションがかなり少ないのが現状である.これからの活発化に期待はしているが,本稿で
はそれを踏まえての新しい教育制度を提案していきたい.
そのための参考としたい概念がある.それは社会評論家 I・イリッチの「脱学校化」である.
イリッチ(1971)は「学校」制度を根本から批判しているが,その理由は大きく分けて二点ある.
第一に,
「価値の制度化」である.これは価値のあるもの,これは無価値なものというふうに一
つの価値観を植え付けてしまい,それが公共の制度であるかのようにしてしまうことが「学校」
- 174 -
の罪だと指摘しているのである.1 章で述べた「生きる力」重視の方針が「コミュニケーション
能力」などの新しい能力を序列を決める力に昇華させてしまったことからも,この指摘は現代に
おいても間違ってはいないと思える.第二に,
「機会の独占化」である.学歴はその後の人生に
おいても,常に付きまとうものであることは明らかであり,いわゆる名門大学を卒業した人間と
最高学歴が中学校卒業の人間では明確な格差が生じるのが現状であろう.このことを,「イリッ
チ」は「機会の独占化」として不平等の源泉だと主張しているのである.また,
「スクールカー
スト」から逃げられない一つの理由として,「学校」には行けなければならないという強迫観念
があるということの根拠になりえる.「学校」から脱落することは間違いなく今後の人生におい
てのマイナスにつながることを親や教師の影響を受け生徒たちは熟知しているのであろう.
では,
「学校」をなくしてどうやって生徒たちに「教育」するのか.イリッチは「教育のため
の網状組織」という言葉で説明しているが,本稿では「ネットワーク型教育」iiと表記する.
「最
も根本的に学校にとって代わるものは,一人一人に,現在自分自身が関心をもっている事柄につ
いて,同じ関心からそれについての学習意欲をもっている他の人々と共同で考えるための機会を,
平等に与えるようなサービス網といったものであろう」(イリッチ
1970
44)「ネットワーク型
教育」はこのように好きな勉強を同じ目的をもった仲間と学ぶことを基本原理としているのであ
る.そして,現代社会においてこのネットワークはインターネットを用いればイリッチの時代と
比べて簡単に構築可能であると考えられる.希望的観測だが,距離や言語,年齢の壁を越えて様々
な人々と共に学びあえる場が提供できる可能性を感じる.それはとても大きな学びのコミュニテ
ィとも見てとれる.
最後になるが,筆者としてはイリッチとは違い学校を完全になくすのではなくあくまでも,教
育の補助的システムとして「ネットワーク型教育」を推進するのがベストだと考えている.学校
での教育と学外活動としての「ネットワーク型教育」の両方を行うことこそ,いい結果につなが
るのだ.つまり,大事なのは現状の学校以外の選択肢を与えることだ.「居場所がどこにも無い
こと」はもちろん,
「居場所が一つしか無いこと」もどちらも耐え難い苦痛であろう.だからこ
そ,選択の幅を広げて,一つの人間関係に依存しない土壌を作っていくべきなのだ.そうなれば,
逃げ場がある分「スクールカースト」の圧力から解放されることだろう.様々な人々と学び,交
流し,互いに尊重する「未来の学校」がこれから必要であり,このような関係こそ真の「生きる
力」を伸ばし,
「スクールカースト」を乗り越える方法だと考える.
おわりに
「この論文は未来への願いのような論文である」それが筆者の率直な感想である.「スクール
カースト」を乗り越えるためには,現状のままでは難しいから学校制度を変えなくてはならない
という提案をしたが,本当に状況は改善されるのか,そもそも変えることは可能なのかという疑
問に対して明確な根拠を示すことができなかったのが今後の課題であると考えている.その点を
踏まえて,楽観的な筆者の見解を最後に述べよう.まず,他者とのコミュニケーションとはそも
ii
イリッチ自身も著書で「ネットワーク」と同義語だと述べている.
- 175 -
そもが不安の連続なのだ.結局,他人の思考などわかるはずもないのだから互いにすべて理解し,
「本来の自分」のまま付きあえることはおそらくない.だが,それは皆同じであり,絶えず不安
と戦いながら他者に向き合っているのである.そう考えれば,理解できない「不気味な他者」と
も,わかりあえるという幻想を信じて向き合ってみようかと少しは思えるのではないだろうか.
この皆があたりまえに持っている勇気と,時間をかけ様々な取り組みをしていく挑戦の気持ちが
あれば,いずれ「スクールカースト」は乗り越えられるものと筆者は信じている.
文献
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- 176 -
守られるルールと守られないルール
由田 早紀
はじめに
私たちの社会には様々なルールが存在している.ルールによりその状況においてして良いこと
と悪いことが定められ,それに人々が従うことで秩序が保たれている.しかしルールが守られな
い場合というのは決して少なくない.身近な例を挙げると図書館での本の延滞,自動車の速度違
反などルールが守られていない状況というのは私たちの生活の中で多く存在している.何故ルー
ルは守られないのか.
本稿では法と道徳の二つの観点からルールを分析し,ルールが守られない原因とルールが守ら
れる理想の条件を考察していく.
1
ルールとは
1-1. ルールの必要性
最初になぜ私たちの社会でルールが必要となるのか,その必要性を考えていきたい.そのた
めにまずルールが存在しない社会ではどうなるのかをトマス・ホッブズ(1651)が『リヴァイ
アサン』で唱えた社会契約説から考えていく.いくつか唱えられている社会契約説の中でホッブ
ズの社会契約説を取り上げる理由は,筆者自身が考える人間というものの在り方がホッブズの考
えるものに一番近いためである.
ホッブズ(1651)の社会契約説とはどのようなものか.ホッブズの定義する自然状態におい
て,人間というものは利己主義であり,己の欲求を満たすために行動をとる.ここで言う自然状
態とは社会契約がなされる以前の状態であり,法律も道徳も国家も存在しない.つまりルールが
存在しない状態である.そのような状態で全ての人間が自身の欲望を満たすことを優先して行動
をした場合,自分と他人が同一のものを欲するような状況が発生する.その状況で二人がともに
それを享受できない時,当然のように争いが起きる.ホッブズ(1651)はこの状態を「人びと
がかれらすべてを威圧しておく共通の権力なしに,生活しているときには,かれらは戦争とよば
れる状態にあり,そういう戦争は,各人の各人に対する戦争である」と表現している.所謂「万
人の万人に対する闘争」状態に陥るのである.
これを防ぐためには自分の生命を守るために好きなように振る舞える自然権を放棄し,第三者
である共通の権力に自然権を委ねる必要がある.つまりここで権利を委ねるというルールという
ものが初めて作られる.このルールとは自分だけでなく他者もこれに従うという確信を持ったう
えで従うものである.そうでなければルールが成立しない.ルールがルールとして成立した後の
ことは別として,ルールは作られた時点では全ての人間が従うものであるという共通の認識を持
ったものである必要がある.
- 177 -
このように社会にルールが作られることで人々が何の制約もなく自分の欲求を満たすために
自由に行動するような無秩序な世界に秩序が作られることになる.つまりルールが存在しない社
会では秩序を作り上げることは不可能であるため,社会においてルールが必要なものであると言
える.ではどのようなルールであれば人々がより従う意志を持って守られるのか.それを考えて
いくにあたって次の節でルールにはどのようなものがあるかを分類していきたい.
1-2. ルールの種類
無秩序な社会で秩序を保つためにルールが必要なものであることは前節で述べたとおりであ
るが,私たちの社会ではルールと一言でいっても様々なルールが存在し,守られているルールも
あれば守られていないルールもある.この節ではルールの種類について考えていく.
ルールの種類を考えると大きく二つに分けられる.法によるものと道徳によるものである.ロ
ーレンス・レッシング(2001)は『CODE』において人々の行動を制約するものとして法律・
規範・市場・アーキテクチャの 4 つを挙げているが,本稿では市場による制約は考えないもの
とする.一般的にルール(規範)は道徳などの慣習により定められたものとされると考えられる
が本稿で扱う「ルール」はそういった慣習によるものでだけなく,全ての決まりごとのことをい
い,法律もルールに含まれるものとする.法律によるルールは条文により定められており,ルー
ルを守らないことで受ける罰則がはっきりとしている.それに対し道徳によるルールはルールを
守らないことで受ける罰則がはっきりしておらず,ルールを守るかどうかの判断が人々の善意に
委ねられる.
本稿では道徳のような人の善意に頼る形のルールを「規制が弱いルール」とし,法のような罰
則のあるものを「規制が強いルール」として考えていく.
表1
規制が弱いルール
規制が強いルール
ルールの種類
判断基準
行動の制約 違反者への罰則
道徳、良心 弱い
なし
法、制度
強い
あり
(筆者作成)
ホッブズ(1651)のいう人間像のように人間は他人よりも自分の利益を優先するものとし,
善意ではルールは守られないことを前提にしてルールの在り方について考えていきたい.善意で
成り立たないとすると人々がルールを守る際に基準となってくるのはそのルールを破ることで
何かしらの不利益を被るかどうかであると考える.つまり法のように罰則が明確に示されている
「規制が強いルール」が望ましいのでないか.それを確かめるために 2 章では道徳,人の善意
によるルールについて事例をもとにその問題点を考えていく.
- 178 -
2
規制が弱いルール
2-1. 道徳による制約
前章でルールの種類は法と道徳によるものの二つであることを述べたが,2 章では道徳による
「規制が弱いルール」について考えていく.私たちの日常生活において道徳により行動を制約さ
れているようなルールというものは多く存在している.そもそも道徳とはどのようなものである
か.エミール・デュルケーム(1925)は『道徳教育論』において道徳性の要素として規律の精
神,社会集団への愛着,意志の自立性の 3 つを挙げている.本稿では詳しい道徳についての議
論は避けるが,道徳とは一般的に人々に内面化されたものである.完全に一致するものではない
かもしれないが,人々はある程度共通の道徳的善悪の判断基準を持っている.その道徳的善悪の
判断は多くの場合,判断基準そのものに疑いをかけることなく直観で判断している.道徳的に悪
いと思われる行為をした場合,周りの人間から道徳性がない人間であると判断されるだけでそれ
によって受ける罰則はない.道徳的に悪いとされる行為をするかどうかの選択は個人の判断に任
せられる.つまり道徳によるルールが成り立つためには人々の道徳性,善意に頼らざるを得ない.
しかしホッブズの人間観を前提として考えると善意によってルールが成り立つのは難しいと考
えられる.実際に人々の善意に頼る形のルールを導入している高チャリの事例をもとに善意によ
るルール,つまり「規制が弱いルール」について分析していく.
2-2. 高チャリの事例
人々の善意に頼る形のルールである「規制が弱いルール」は日常生活で多く存在しているが,
この節では筆者自身も利用したことのある「高チャリ」を身近な「規制が弱いルール」の事例と
して挙げたい.高チャリは群馬県高崎市で行われているレンタサイクル事業である.高崎駅西口
の中心市街地で気軽に買い物や回遊してもらうことを目的に「高崎まちなかコミュニティサイク
ル推進協議会」が自転車を市民や高崎を訪れた人々に無償で提供するサービスであり,2013 年
4 月 27 日から事業がスタートしている.
利用する時は,自転車のハンドル部分に付いているキーボックスに 100 円硬貨を入れること
で自転車とポートにあるラックをつないでいるチェーンのロックが解除され,自転車を使用する
ことができる.自転車を返す際はサイクルポートのラックに自転車を入れ,ラックに固定されて
いるチェーンを自転車のキーボックスに差し込むことで 100 円硬貨が利用者に返ってくる.利
用に 100 円硬貨が必要となるが自転車返却の際に返ってくるので実質無料で利用できる.
貸出している自転車は 150 台でサイクルポートは 16 か所存在する i.貸出に身分証明書など
の提示は一切求められないため,16 か所のポート内で自由に自転車の貸出,返却ができるよう
になっている.
自転車を使用する際のルールは大きく五つ挙げられている.
2014 年 12 月時点の状況.高チャリのポートは撤去や増設が行われているため,今後変更
される可能性がある.
i
- 179 -
表2
1
2
3
4
5
高チャリのルール
人や街に優しく乗りましょう!
専用ラックにきちんと返しましょう!
ひとりじめはやめましょう!
いたずら・落書きはやめましょう!
飲酒運転は絶対に禁止です!
(筆者作成)
これらは高チャリの各ポートに掲示されている.この中のルールには書かれていないが,高チ
ャリの利用範囲も定められている.ポートの位置を示した利用範囲のマップも各ポートに掲示さ
れている.上述した通り高チャリは高崎駅西口の入信市街地の回遊性向上と賑わいの創出を目的
としているため,利用範囲もその範囲内とされている.細かい利用規約は 16 か所のポートが示
された利用範囲の地図と共に自転車の籠にラミネート加工されたものが括りつけられている.
また利用時間は午前 9 時から午後 22 時の間となっている.利用者はこの時間内に自転車を利
用し,ポートに返却をする.利用時間についても各ポートに表 1 のルールと共に書かれている.
このように利用時間や利用範囲など最低限のルールが決められているが,実際の利用状況を見
てみると,これら最低限のルールでさえ守られていない状況が見られる.最も目立つ違反行為は
決められた利用範囲外での高チャリの利用である.多くの人々に利用してもらうため,一人の人
が長時間自転車を独占することとなる通学・通勤の利用は禁止されているが,実際に通学・通勤
で利用している人の数は少なくないであろう.筆者も大学構内に駐輪されている高チャリを目に
することがある.あまりに多くの高チャリの使用が大学構内で見られたため,大学から学生に向
けて大学構内での高チャリの使用に対して厳罰をもって臨むという旨の警告が出された.その後
の大学構内での利用は減少しているが,全く無くなったわけではなく,いまだに高チャリを見か
けることがある.
通学・通勤の利用に関しては,利用時間の変更という形で対策がとられている.この事業が始
まった当初は利用時間が午前 7 時からであったが,通学・通勤での利用者が多く,昼間ポート
にほとんど自転車がない状態が見られたため,利用開始時間を通勤・通学で使われる時間帯から
ずらし,2 時間遅らせて午前 9 時からの開始となった.
何が原因でルールが守られないのか,高チャリの問題点として挙げられるのが,ルールが浸透
していないことである.今では大学からの警告などもあり,高チャリを利用している学生にルー
ルが浸透していると考えられるが,警告が出される以前に筆者と友人で高チャリに関しての会話
をしている際に,その友人は通勤・通学での高チャリの利用禁止について知らなかったと回答を
していたため,ルールが守られない要因の一つとしてルールが人々の間で共有されていないこと
が挙げられる.
ルールを知ったうえで違反する人だけでなく,ルールを知らず無意識のうちに違反行為をして
いる人がいることが問題である.ルールが共有されていないことに対する責任が,知らない本人
と高チャリ側の情報発信の仕方のどちらにあるのかはわからないが,ルールが守られるためには
- 180 -
ルールが適用される全ての人に共有されているという前提が必要となる.高チャリの問題点をふ
まえ次の節で規制の緩いルールの問題点を考察していく.
2-3. 規制が弱いルールの問題点
善意によるルールの成立が難しいことを前提に考えているため,高チャリの事例においても問
題点ばかりを指摘してきたが,
「規制が弱いルール」に利点が全くないわけではない.この節で
は「規制が弱いルール」の問題点を考察していくが,その前に利点について考察していきたい.
規制が弱いということは人々の行動を制限するルールが最小限に設定されているということ
であるため,ルールに対して反感を持つもつ状況が発生しづらく,従わされているという束縛感
がない.また高チャリのようなサービス提供におけるルールの緩さは排除性がなく,誰でも利用
ができるという点が利点であると言える.
「規制が弱いルール」が守れられて正しく運用される
のであれば,それが望ましい状況であると思うが,現実ではそのような状況はほとんど見られな
い.何故「規制が弱いルール」は守られないのか.
「規制が弱いルール」の最大の問題点はルールを違反したとしてもそれに対する罰則がないこ
とである.ホッブズのいう自然状態での人間は利己主義であり,ルールがなければ争いが起こる
と言うのは 1 章で述べた通りだが,そのようなホッブズの自然状態において人々の間でルール
が結ばれるのはルールを守らなかった場合に自分に被害が及ぶからである.しかし高チャリの場
合,ルールを守らなかったことで違反者が受ける不利益がない.
通常多くの人はルールを守るか否かを考える際に天秤のかけるのはそれを守らなかった時に
被る不利益と利益である.ルールを守らなかったことで受ける利益が不利益よりも大きいと判断
されたのなら,その人はルールを守らず,逆であればルールを守ろうとするだろう.しかし,そ
の天秤にかける不利益がそもそも存在しないと状況であるとすると,ルールを守るかどうかの判
断は完全にその人の善意,道徳心に委ねられることになる.
人々が道徳的善悪の考えに従うかどうかはルールが適用されている社会の状況によって異な
ると考えられる.例えば小さな村があるとして,その村の住人全員がお互いの名前やどんな人物
であるかを把握している場合,ルール違反者は非難され村八分にされるであろう.しかし,その
ような村社会ではない社会において他人の違反を指摘することは容易ことではない.違反者に対
して不快な感情を抱くことはあっても,それを咎める行動に出る人は多くはないのではないか.
その理由の一つとして違反者がいたとしても直接自分に害が及ぶことがないことが挙げられる.
高チャリの場合で考えると高チャリは利用の際に利用者を特定する情報を一切必要としない
ため,より一層違反者が特定しづらい状況であり,そのことがルール違反者を生み出す原因とな
っていると考えられる.
周りの人の目,ある意味監視されているような環境があるからルールを守るのであり,それが
ない状況では好き勝手に振る舞えてしまう.そうなるとホッブズのいうような人間像を前提とし
て考えた時に善意によるルールは成り立たなくなってしまう.
善意でのルールが成り立たないのならやはりルールを守らなかった場合の罰則が必要となる.
- 181 -
次の章からはルールを破ることで罰を受けるような「規制が強いルール」について考察する.
3
規制が強いルール
3-1. 法による制約
道徳による「規制が弱いルール」が成立することの難しさを前章で述べたが,この章ではもう
一つの法による「規制が強いルール」について考えていく.道徳と同様に私たちの生活の中で法
によって行動を制限また禁止されていることは多く存在している.法によって禁止事項が定めら
れており,法を違反した際にどのような罰則を受けるかが明確に決められている.それは強制力
を持つものであり,ここが道徳との最大の違いである.道徳は法ほどの強制力を持たず,行為の
選択は最終的に個人に委ねられるが,法は個人の意思に関係なく,ある一定の行為を禁止し,強
制的に行動を制約し,また違反者に対する罰も強制力を持つものである.
このような支配力を持ち,違反することで受ける不利益がある法のようなルールを「規制が強
いルール」として考察していく.
3-2. GPA 制度の事例
法ほど違反した時の不利益が大きいわけではないが,「規制が強いルール」の事例としてこの
節でGPA ii制度を見ていきたい.GPA制度とは厳格な成績評価をするための制度であり,欧米で
は一般的に使われている.日本でも大学でのこの制度の導入が増えてきている.GPAと呼ばれ
る値によって成績が評価される.GPAの値の求め方は次のとおりである.
学生の各科目につけられた成績のレターグレード
iiiをグレードポイント(GP)と呼ぶ数値に
変換する.学生が履修した各科目のGPにその科目の単位数を乗じ,その総和を履修総単位数で
除する.この値がGPAの値である.不合格となった科目はGPが 0 として換算され,履修総単位
数に不合格科目が含まれる.そのため,不合格科目が多くなるほどGPA算出にあたり分母の値
が膨らみ,GPAの値は低くなる.
GPA 制度を導入してない場合,その学生の最終的な成績証明に不合格科目が明記されないこ
とがあるが,GPA 制度を導入することにより,GPA の値から不合格科目があるかどうかが判断
できる.つまり不用意に不合格科目を取ることができなくなり,学生の履修が慎重なものとなる.
「規制が強いルール」としてこの制度を考えた時,安易な履修や履修をするだけして講義に出
ず単位を放棄することがルール違反にあたり,それによる罰則は GPA の値にその事実がしっか
りと反映されることである.
このように厳しく成績が評価されることによって不公平さがなくなり,評価されるべき人が評
価される,つまり決められたルールに従う人によい結果がもたらされる GPA 制度はルールの在
り方として望ましく,日本の大学での導入も増えてきているが,問題点もある.
GPA 制度の問題点として挙げられるのが,正しい運用がされなければ本来の制度の効果が出
ii
iii
Grate Point Average の略
秀,優,良,可,不可や S,A,B,C,F など 5 段階に分けられる成績評価
- 182 -
ないということである.たとえば GP に変換されるレターグレードの評価をするのは各科目の担
当教員であり,教員ごとに評価の違いがあるとするなら,科目によって数値が高く出やすい科目,
そうではない科目が出てくる.そうすると良い GPA の値を残すために,自分の興味のある科目
ではなく,良い成績がとりやすい科目を履修する学生が増える.履修だけして講義に全く出ない
といったような安易な履修は減らせても,成績を優先して自分の学びたい科目が他の科目に比べ
て厳しい評価がされるからといって履修を避けるようではこの制度を導入する意味がない.
この問題が起こらないようにするためにはレターグレードの段階ごとにどのくらいの人数を
割り振るかを決めて,S ランクの学生が大量に出ないようにする必要があるが,同等の良い成績
をつけたい学生が多くいた場合にどう評価をつけるかは結局その科目の担当教員に委ねられる
ため,完全に公平な成績評価はできない.
GPA 制度のように「規制が強いルール」であっても適用のされかた次第でどのような効果が
もたらされるかは変わっていく.次の節では規制の強いルールでの問題点を考察していく.
3-3. 規制が強いルールの問題点
この節では GPA 制度のように正しく運用されないことで生まれる問題点を「規制が強いルー
ル」の問題点として考えていく.問題点を考える前に改めて利点を挙げるとしたら,これまで何
度も繰り返しいっていることであるが,ルール違反をすることで受ける罰則があることである.
では規制を強めればルールを違反するものが現れることなく,正しくルールが運用されているか
というとそうではない.このことは GPA 制度の例を見てもいえることである.規制を強めてい
くことは人々の行動を制限していくことであり,自由を奪うことでもある.規制を強めれば強め
るほど,行動が制限され,行為の選択肢の少なさに不満,反感を持つ人々が多く出てくるであろ
う.そのような状況で生まれてくるが「暗黙のルール」であると考える.
ルールの条件を厳しくして規制を強めることは簡単にできたとしても,それに対しての取り締
りしまりの体制を整えるのに時間がかかる.つまりルールの規制に取り締まりが追い付かないよ
うな状況が出てくる.そのような状況において人々の間である程度の共通認識の妥協点が生まれ
る.それが「暗黙のルール」であると筆者は考える.ルールを違反しているという事実はあるが,
本来のルールよりも基準点を低くした暗黙のルールに従うことに罪の意識を持つ人々は少ない
であろう.違反者が自分一人だけであれば罪悪感があるが,多くの人がルールを違反していて,
それが私たちの日常生活の中で暗黙のルールとして根付いている状況であれば罪の意識はほと
んどなくなる.筆者も暗黙のルールに従って行動をすることがある.たとえば車の運転をする際
に,道路交通法に基づいて制限速度が道路ごとに定められているが,その速度制限を守って運転
している運転者は多くないという実感を持つ.具体的なデータを示せないため実際の状況と筆者
の実感が異なっている可能性は否定できない.しかし法に従い法定速度で運転しているような本
来であれば正しい行動をしているはずである人が非難されるような状況もある.正しいはずのル
ールと暗黙のルールの逆転,暗黙のルールの普遍化という現象が起きているのではないだろうか.
ルールがルールとして機能するためにはそのルールが守られることが正しいという人々の共
- 183 -
通認識が必要となり,そのルールの正当性が確かなものである必要がある.本当に守る必要があ
るのかというルールそのものに疑いを持つ状況が発生しうる限り,ルールが完全な状態で機能す
ることはないと考える.全ての人がそのルールが絶対的なものであるという認識を持ち,違反を
罰する体制が完全に整っているとしたら,ルールが守られない状況は発生しないと考えられるが
現実的に考えてそれは不可能であるだろう.だとするならば,ルールそのものを意識することな
く,ルールの存在を人々に気づかせずに行動を誘導できる仕組みが望ましいのではないだろうか.
次の章ではルールを人々に意識させない状況というのをアーキテクチャの考えを取り入れて
理想的なルールの在り方を考察していく.
4
アーキテクチャの可能性
4-1. アーキテクチャとは
前章では「規制が強いルール」の限界とそこから発生する「暗黙のルール」について述べ,ル
ールそのものに疑問を向ける人々がいる限りルールが正しく機能しないことを指摘した.この章
ではこの問題を解消できる可能性のあるルールの無意識化について考察していくが,まずはそれ
を可能とするアーキテクチャという概念が何であるかについて説明していきたい.
アーキテクチャとはローレンス・レッシグ(2001)によって論じられた概念である.2 章で
も触れたが,ローレンス・レッシグは法・規範・市場に並ぶ,人の行動や社会秩序を規制するた
めの方法としてアーキテクチャを挙げている.
アーキテクチャの特徴は大きく分けて二つ挙げられ,濵野智史はアーキテクチャの特徴を次の
ように示している.
1 任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため,ルールや価値観を非規制者の
側に内面化させるプロセスを必要としない.
2 その規制(者)の存在を気づかせることなく,被規制者が「無意識」のうちに規制を
働きかけることが可能.
(濵野 2008: 20)
さらに一点目の特徴は時間が経過するにつれて二点目の特徴を帯びるという点も指摘してい
る.
このアーキテクチャの特徴を説明する例として飲酒運転が取り上げられている.一点目の物理
的に封じる方法は,自動車にアルコール検知装置を設置し,飲酒している場合にはエンジンがか
からないようにする方法である.この方法が導入されたとして,最初は規制が目に見えて人々に
わかるため,人々がアルコール検知装置という規制を意識し煩わしく感じることもあるだろう.
しかし時間が経過することによって自動車にアルコール検知装置が付いていることが当たり前
である状況になり,それが当たり前であるという認識を人々が持つようになる.このように物理
的な制約は時間の経過と共に自然な制約へと変化していく.
人々に規制を受けていることを意識させず,行動を制約する.つまり人々が意識して従うルー
- 184 -
ルを無意識のうちに従わせることであり,これはルールの無意識化であると言える.ルールが意
識されなくなることでルールそのものに対する疑念を抱くこともなくなる.ルールが守られるか
守られないかが問題ではなく人々の行動をルールが守られている状態になるように誘導するの
だから,ルールの無意識化と言うよりルールの消滅とも言えるかもしれない.
次の節ではアーキテクチャの概念を取り入れることでルールが守られない状況の改善の可能
性を 2 章で取り上げた高チャリの事例をもとに検討していく.
4-2. 高チャリへの応用可能性
2 章で高チャリを「規制が弱いルール」の事例として挙げ,ルールが浸透しないことで見られ
る違反行為を問題点として指摘したが,アーキテクチャの要素を取り入れ,ルールの無意識化が
可能となるならば,その問題は解決される.この節では高チャリにアーキテクチャ的要素を取り
入れることができるかどうかを考えていく.高チャリでのアーキテクチャを考えていくとすでに
その試みがされていると考えられる要素がある.それは高チャリの自転車のデザインである.高
チャリで貸出されている自転車は図 1 のように白い車体の上に赤い水玉のデザインが施されて
いる.また自転車の後輪の部分には協賛企業名が書かれた赤いボードが取り付けられていて遠目
から見ても目立つデザインとなっている.
図1
高チャリのデザイン
(筆者撮影)
図2
高チャリ後輪部分(筆者撮影)
これは高チャリの問題点で挙げた利用範囲外での利用に対処できるアーキテクチャ的要素で
あるといえる.誰が見てもその自転車が高チャリの自転車であると認識できるデザインであるた
め,利用範囲外での高チャリ存在は人目を引く.そのような状況であればほとんどの人が自然と
利用範囲外での利用を避けようとするはずであるが,現状として範囲外での利用が見られる.
高チャリのデザインは意図的にアーキテクチャの要素を取り入れたと推測するが,思惑とは違
った結果が出ている.原因として高チャリが高崎市民に浸透しておらず存在を知られていない可
能性や利用範囲のルールがそもそも浸透していないなど様々な要因が推測できるが,あくまで推
測であり事実がどうであるかはわからない.
高チャリに利用範囲内での利用を誘導するアーキテクチャ的要素を取り入れることが可能で
あるなら,ルールが浸透されていないことによる違反はなくなる.しかし都合よくそのような方
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法が存在するわけではない.高チャリにアーキテクチャを取り入れた具体的な例を挙げたいとこ
ろではあるが,筆者が思いつく方法は自転車の乗り心地を悪くすることで無意識に長距離の自転
車の移動を避けさせるように誘導させるという方法くらいである.しかし,この方法はあまり効
果が見込めるものでもなく,自転車貸出サービスで乗り心地を悪くするのは本末転倒ともいえる.
すでにあるルールに対してアーキテクチャを取り入れることは容易いことではないが,これが
実現できたとしたら,理想的な状況であると言える.だがアーキテクチャが持つ要素は本当に良
いものだけなのだろうか.次の節ではアーキテクチャの問題点について考察していきたい.
4-3. アーキテクチャとルールとその課題
ここまで私たちの社会において存在するルールが守られない状況をルールの無意識化によっ
て改善できる良い概念としてアーキテクチャを扱ってきたが,悪い点が全く存在しないというわ
けではない.この節ではアーキテクチャの問題点について考えていきたい.アーキテクチャによ
り規制の被規制者が規制そのものの存在に気づかないという点は被規制者が行動の制約による
不自由さを感じることがなく,良い点であるともいえるが,同時に危険性も含まれている.
例えばファストフード店などではそこに設置している椅子の硬さをわざと硬く設定したり,空
調の温度を調整することで客の回転率を操作する方法が取られていたりするが,この場合被規制
者である客は自分の行動が操作側にとって都合の良いように誘導されていることに気づかない
どころか,自分の意志でその行動を選択したと思い込んでいる.つまり被規制者が自ら進んで支
配に属している状況であるといえる.このようにアーキテクチャには人々に不自由さを感じさせ
ることや反感を与えることなく,設計者の思い通りに人々の行動を操作できてしまうという問題
点がある.アーキテクチャが悪意のある設計者によって設計され,行動を操作されていたとして
も,その事実に気づけられないという危険性がある.設計者によって完全に人々の行動が操作さ
れ管理される状況で人々に行動の選択の自由が本当にあるのかどうかが問われることになる.
つまりアーキテクチャの設計者に対しても善意が求められる.しかし,人間を利己主義なもの
であるというホッブズの前提で考えていくとアーキテクチャは悪意を持った支配的な権力とし
て運用されてしまうといえるのではないだろうか.
完全に人々の行動を制約,管理することにも問題があり,また実現不可能であるため,善意に
頼らざるを得ない部分もある.しかし,どこまで規制を設けて,どの程度人々の善意にまかせら
れるのかの線引きを明確にすることはできない.絶対的に正しいルールの在り方なんてものは存
在しないのかもしれない.
おわりに
ルールがない社会での人間は己の欲求を満たすために行動する利己主義である,つまり人々の
善意を信用しないことを前提に考えてきたが,どのようなルールの条件であれば,人々によって
守られるかの結論を明確に提示することはできない.ルールが守られるかどうかはそのルールの
性質だけではなく,そのルールが運用される環境なども要素の一つとなるため,ルールごとによ
- 186 -
ってどうあるべきであるかは変わってくるのかもしれない.ルールによっては規制が弱いルール
が適しているもの,規制が強いルールが適しているものなど様々であるだろう.本稿で考察して
きたことはあまり意味のないことなのかもしれない.しかし,結論が出なかったとしてもルール
の在り方そのものに疑問を持つことが重要なのではないだろうか.この論文が読者にとって身の
周りに存在するルール,そしてそのルールに対する自身の振る舞いについて考える直すきっかけ
となるものであったなら,執筆した甲斐があったといえるだろう.人の善意を信用しないと言い
つつも,一人一人が自分の意志でルールを守るような行動を選択し,その行動が自分にとって利
益をもたらす状況,つまり規制者と被規制者の双方に良い状況をもたらすルールの在り方が実現
するのなら,それは筆者にとっても望ましいことであり,そのようなルールの在り方が社会で作
られていくことを期待している.
文献
東浩紀・北田暁大,2009,『思想地図 vol.3 特集アーキテクチャ』NHK 出版.
濵野智史,2008,『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』NTT 出
版.
半田智久,2012,『GPA 制度の研究――functional GPA に向けて』大学教育出版.
Hobbes,Thomas,1651,Leviathan,London: printed andrew crooke.(=1954,水田洋訳『リヴァ
イアサン』岩波書店.)
Lessig,Lawrence,2006,CODE Version 2.0,London:Tuttle-Mori Agency.(=2007,山形浩生訳
『CODE VERSION 2.0』翔泳社.
)
高崎コミュニティサイクル推進協議会,2014,「ルール&マナー」,高崎まちなかコミュニティ
サイクル(2014 年 12 月 15 日取得 http://www.takasakicci.or.jp/takachari/rule.html.)
- 187 -
子どもの自由な読書のために
―本の規制と与え方を考える―
砂永 美紗
はじめに
近年,子どもたちの読書活動は文化的・教育的側面から重要視されてきた.その理由として読
書は子どもたちに多様な文化理解を促し,またそれは多くの知識習得への一助となることが挙げ
られる.そのため子どもたちには活発な読書活動が必要となるが,それには子どもたちが自由に
読書活動を行える環境を整える必要性がある.しかしながら日本では古くから現在に至るまで,
数多くの本の規制が行われた.そしてそれに伴い,子どもたちが自由な読書が行えてきたかは疑
問に感じる点がある.したがって子どもたちの自由読書活動のためには,このような本の規制が
必要なのか,また今後の子どもたちの本の与え方の在るべき姿を論じる必要があるのではないだ
ろうか.
本論文は本が規制された歴史・背景を顧み,そしてそこから本の規制が正しいことなのかを過
去の研究から考えたい.またそれらを踏まえたうえで図書館の事例を考察し,子どもたちの本の
与え方はどうあるべきかを論じていきたい.
1
本を規制してきたものとは
1-1. 悪書追放運動の歴史 i
筆者がこの論文を書くきっかけとなったのは 1-2 でも紹介するはだしのゲンの閉架問題だ.筆
者はこの作品を小学生のころに読み,そこから戦争の悲惨さを学ぶことが出来た.しかし今回そ
の戦争の悲惨さを訴えるはだしのゲンが,過激な表現があるという理由で閉架措置を受けること
となった.このことから筆者はこのような本の規制に疑問を感じ,そこから本の規制の正当性や
本の選書のあり方を論じる必要があるのではないかと考え,今回この論文の執筆に至った.
まず 1 章では本が規制されてきた歴史と本の規制となりうる青少年育成条例について述べた
い.そしてここでは悪書追放運動を,最も盛んになったとされる 1950 年代に焦点を当てて振り
返りたい.
この悪書追放運動の発端となったのが1950年のチャタレイ事件であるといわれている.これ
はイギリス人作家D・H・ロレンス作『チャタレイ夫人の恋人 ii』という書籍の中に猥褻的表現
があるとされ,この本の翻訳者・伊藤整氏と発刊者の小山書店社長・小山久二郎氏が起訴された
事例である iii.この作品は当時上下巻15万部の売り上げを出していた文学作品だっただけに,こ
この文献は David Hajdu(2008),橋本健午(2002)の文献を参照している.
原作名「Lady Chatterley's Lover」
iii
裁判の結果,第一審では伊藤整氏は無罪とされたが,第二審では小山氏・罰金二十五万,
伊藤氏・十万の有罪判決を受けた.
i
ii
- 188 -
の裁判は世間に大きな衝撃を与えたことだろう.またこの事件の同時期に岡山県で『図書による
青少年の保護育成に関する条例』が可決されたことも重なり,世間特に子を持つ親は本の悪影響
を懸念し,本の規制に対する意識を高めていったのではないか.
そして悪書追放運動は徐々に勢力を増していき,1955 年には最盛期を迎えた.その理由とし
て当時の内閣総理大臣・鳩山一郎が施政方針演説の際に「青少年に重大な悪影響を及ぼしている
不良出版物の絶滅を期したい.
」と述べたことが挙げられ,そこからこの運動が急激に表面化し
たと思われる.主にこの運動を推し進めていたのは中央青少年問題協議会,東京母の会連合会,
日本子どもを守る会といわれている.具体的な活動としては各家庭にあった漫画や不良図書を持
ち寄り,約 5 万冊を裁断機にかけ,また不良図書の展示会を行い「見ない,読まない,買わな
い」の運動を推し進めたという.大阪では母親たちによって子どもが持っていた漫画雑誌などが
集められ,それ中之島公園広場に積み上げ火を放ったという.このように当時の悪書追放運動が
過激なものであったことを窺がえる.そしてそれは同時にこの運動は児童図書や不良図書が子供
に悪影響を与えるものだというイメージを強く世間に植え付けたきっかけにもなったのではな
いか.
1-2. はだしのゲン 閉架問題
1-1 では 1950 年代に起こった悪書追放運動の歴史をみてきた.悪書追放運動においては不特
定多数の児童書が規制・差別を受けていた.次にここでは特定の本が受けた規制の事例として『は
だしのゲン』の事例について述べていきたい.ほかにも『ピノキオ』
,
『ちびくろサンボ』
,
『窓ぎ
わのトットちゃん』などがそのような本の事例として挙げられるが,ここでは近年の事例として
はだしのゲンを取り上げる.
この事例では 2013 年に松江市教育委員会(以下,市教委と略す)が,原爆の悲惨さを描いた
漫画・はだしのゲンを子供が自由に閲覧できない『閉架』の措置を取るよう市内の全市立小中学
校に求めていたことが判明した.市教委によると,はだしのゲンには首をはねたり,女性を乱暴
したりする場面があることから,昨年12月に学校側に口頭で閉架措置を要請した.これを受け,
各学校は閲覧に教員の許可が必要として,貸し出しは禁止する措置を取った iv.
はだしのゲンに対するこの閉架措置は日本中の報道機関が取り上げ,市教委には全国からこの
措置に対する意見が殺到した.その後市教委は閉架要請を教育委員会会議に報告せず,独断でこ
の措置を取ったことが判明した.そしてこのことや措置に対する反対意見も多かったことから教
育委員会会議が開かれ,対応を協議した結果,はだしのゲンの閉架要請は撤回となった
v vi.
このように一部の市民や団体から一定の図書が問題視され,規制を受ける事例は少なくない.
そしてそのような規制は一部の表現に焦点を当て規制を求めていることが多い.しかしそれはそ
iv
この文献は共同通信,2013,
http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081601001339.html を参照している.
v
市教委はこの撤回をあくまで「手続きの不備」を理由とし,問題となっていた歴史認識に
は踏み込まなかった.
vi この文献は渡邊 重夫(2014)の文献を参照している
- 189 -
の本を表面だけで判断し,その本の真に伝えたい趣旨を隠してしまう危険性があるのではないだ
ろうか.よってはだしのゲンの事例はそのことを強く表した事例であり,私たちに本の規制の在
り方を考えさせる事例であるといえる.
1-3. 青少年育成条例
ここまで本の規制について実際起こった事例をみてきた.次に本の規制をしうる法令として青
少年育成条例
viiを考察していきたい.奥平康弘(1981)によれば,青少年育成条例は青少年が
健全に成長するために青少年に有害な影響を与える可能性がある媒体,物,場所,機会,行為な
どについて一定の公的な規制措置を行う条例である.また名称や違反した場合どのような措置を
取るかなどは各地方公共団体によって異なる.
青少年育成条例においては図書も規制の対象となる.この場合この条例はどのような点に考慮
して規制を行わなくてはいけないのだろうか.
青少年育成条例について奥平はこのように語っている.
図書・映画その他の興行物の制限にわたる条例が,表現の自由との関係でいちばん問題
になると述べておいたが,いまみたような規制措置は,そればかりではなくてさらに一般
に,規制をうける第三者側ならびに青少年自身の側における諸自由の不合理な制限になら
ないか,が問題になる.
この場合,青少年は未成年であるから,成人とちがった法的取扱いをしてもよろしいのだ,
といえたとしても,しかし,だからといって,青少年を保護するためという目的を掲げさ
えすれば,どんな制限・禁止が,客観的にみて青少年保護のためのものであるかどうか,
かりにそうであるとして,当該措置が,目的達成のために必要最小限度のものにとどまっ
ているか,それとも規制しなくてもいいものまで規制した行き過ぎをおかしていなか,な
どの問題をつねにふくみうるのである.(奥平 1981:4)
もちろん,この条例が児童保護のため様々な危険を未然に防ぐよう機能していることは間違い
ない.しかしこの条例が児童保護だけに焦点を絞ってしまうと,それが行き過ぎた規制となる危
険性があるのではないだろうか.つまり主観的な観点から図書の規制を行うことは場合によって
子どもたちがもつ権利を阻害することにつながる可能性がある.規制に関しては客観的な観点と
その本に対する正しい理解を踏まえ慎重に議論を行い,本当に規制が必要となる図書の選別が行
われなくてはいけない.
2
本の規制は正しいことなのか
2-1. 子どもの権利条約
前章では日本における本の規制の歴史・現状について述べてきた.そして本章ではそのような
vii
この条例は青少年健全育成条例,青少年愛護条例,青少年保護条例等の名称があるがこ
こでは青少年育成条例と表記する.
- 190 -
規制の正当性を考えるために 1 節では子どもの権利条約の観点から,2 節は良書・悪書を判断す
る基準から本の規制について考えたい.また 3 節では大人たちと子どもたちの本に対する価値
観の違いから子どもたちの本の与え方について考察したい.ここではまず子どもの権利条約を取
り上げ条文の内容を考察し,ここから本の規制が正しいことなのかを考える.
日本ユニセフ協会
viiiによると『児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)』は,子どもの基
本的人権を国際的に保障するために定められた条約である. 前文と本文 54 条からなり,子ど
もの生存,発達,保護,参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事
項を規定している.この条例は 1989 年の第 44 回国連総会において採択され,1990 年に発効さ
れた.日本は 1994 年に批准した.
ここではまずこの条約の第 13 条について述べたい.この第 13 条では表現の自由を保障して
おり「児童は,表現の自由についての権利を有する.この権利には,口頭,手書き若しくは印刷,
芸術の形態又は自ら選択する他の方法により,国境とのかかわりなく,あらゆる種類の情報及び
考えを求め,受け及び伝える自由を含む ix」とされている.これは子どもたちが様々な方法で情
報や考え方を求め,受けとめる権利を認めているものである.このような点を考えると子どもた
ちが本を読みたいと思い,そしてそれを情報として受け止めるために自由に本を読む権利は保障
されているといえる.したがって本の規制をかけ,子供たちから本を遠ざけることは場合によっ
てはこの権利を侵害しうるものになる可能性がある.
次に第 31 条を見ていきたい.第 31 条では「1.締約国は,休息及び余暇についての児童の権
利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活
及び芸術に自由に参加する権利を認める x」と書かれている.これは子どもが文化的な生活を自
由に送り,またそのような生活を送る機会が平等でなければいけないことを示している.そして
ここでいう文化的な生活を送ることは子どもたちの読書と密接に関わっているといえる.なぜな
らば読書は子どもたちに一定の情報を与えるだけではなく,言語を習得させ様々な思考の展開を
促進するからだ.それは文化的な生活を送ることには欠かせない存在となっている.したがって
本の規制をすることは,このような文化的な生活を制限することに繋がる.
2-2. 良書・悪書の選別基準の有無
前節では子どもの権利条約から本の規制に対する正当性を考察した.次にここでは良書・悪書
の選別基準が存在するのかについて論じ,そこから本の規制について考察したい.まずここで過
去の事例を振り返ると,今までの本の規制では一部の市民などが良書・悪書を選別し,悪書に規
制をかけていく動きが多く見られた.これは彼らが子どもたちに過激な本を与えることによる悪
影響を懸念したからだ.
viii
この文献は日本ユニセフ協会,2014
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html を参照している.
ix
日本ユニセフ協会,2014, http://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/1_9j16j.htm より引用
x
日本ユニセフ協会,2014, http://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/1_25j32j.htm より引用
- 191 -
しかしながらこの規制を行う人々は大仰に一定の本を悪書とみなしているように感じる.そし
てこれらの事例をみて疑問に思うのは,良書・悪書を選別する基準は明確に存在するものなのだ
ろうかということである.これについて加藤ひろの(2011:168)は「
『良い本』や『悪い本』と
は何か,一概に決められない」と述べている.加藤によると表現が残酷なものや内容が薄いもの
が悪書とされるとしても,それが子どもたちの本を読む力をつけることに役に立つことがあると
いう.また発売当時は通俗的であるとされた本も,時代の流れともにそれが古典文学へと変化す
る場合もある xi.そしてそれは歴史の中で何度も繰り返されてきたことである.このようにその
本を見る視点や本の発売された時代背景によりその本の評価は変わってくる.したがって一部の
表現に問題があり,また過去に批判を受けた本は必ずしも悪書とは限らないのではないだろうか.
ここで,はだしのゲンの事例を見てみると,この本が規制された際,市民からは「はだしのゲ
ンは戦争の残酷さや平和への大切さを説いた本である」というような意見が多く出た.そのこと
から多くの市民がこの本を過激な表現がある悪書として見るのではなく,戦争の悲惨さを顧みる
ことができる本として捉えていることがうかがえる.
このように良書・悪書を単純に分けることは難しいといえるだろう.だからこそ一定の本を一
方的に悪書であると決めつけるのではなく,客観的にその本の判断をしてくべきなのではないだ
ろうか.また仮にそれが悪書であってもそれは子どもたちが本を楽しむきっかけとなり,また本
の分別をつける材料になることもある.よって本を良書なのか,悪書なのかを決めるのは実際に
本を読む子どもたちでなのである.
2-3. 本に対する価値観の違い
表1
ジャンル別生徒の読書状況と学校図書館の専門職の推薦状況
専門職からの推薦
生徒の読書状況
小説文学
4
2.9
ノンフィクション・エッセイ
4
2
知識を得る本
3.3
1.9
ファンタジー
3
2.3
歴史小説
3
1.6
ミステリー
3
2.4
社会問題の本
3
1.4
実用のための本
2.3
2
ライトノベル
0.5
1.8
ケータイ小説
0.3
1.9
生徒の読書実態の差異から見る読書指導の効果の検討(2012)を基に筆者作成
xi
加藤はその例として滝川馬琴の「南総里見八犬伝」を挙げている.
- 192 -
前節では良書・悪書を決める基準はどこに存在するのか,という観点から本の規制を考察した.
ここでは子どもたちの興味関心の視点から本の規制と子どもたちの本の与え方について考察し
たい.
まずは上の表について説明したい.表は桑田てるみ(2012:356)が行ったジャンル別の生徒
の読書状況と学校図書館の専門職の推薦状況の調査である.まず桑田は 4 校の中学 2 年生の生
徒に普段どのようなジャンルの本を好んで読んでいるか調査を行った.その際本の 10 項目のジ
ャンルについて,
「よく読む」
「ときどき読む」
「あまり読まない」
「ほとんど読まない」の選択肢
から一つ選択する調査方法を.また結果の分析方法として,各選択肢を 4〜1 点として合計し,
それを回答数で割った数値を用いることとしている.そして学校図書館の専門職には,上記のジ
ャンルについてどの程度推薦を行っているか調査した.各ジャンルについて「よく薦める」
「と
きどき薦める」
「あまり薦めない」
「ほとんど薦めない」を 4〜1 点と設定し,さらに 0 点と設定
する 2 項目「薦めたくない」
「所蔵していない」を加え 6 選択肢とした.また専門職の設問につ
いても平均を求め数値化して用いた.
調査の結果,両者の間には違いがみられる.その違いとは大人が読ませたいと思う本と子ども
たちが読みたいと思う本とには差があるということだ.そしてこのような点を考慮すると,本を
与える立場にある大人はこの事実をきちんと把握するべきなのではないだろうか.
今までの本の規制を考えてみると子どもたちに悪影響のある本を排除し,良識のある本だけ
を子どもたちに読ませたいという風潮がうかがえる.しかしながらこの調査の結果を見る限りで
は,子どもたちに本を強制してもあまりいい反応をみせないのではないだろうか.それどころか
大人が子どもたちに強制的に本を押し付け,または取り上げることにより子どもたちが読書への
関心を失うきっかけにもなりえるだろう.
もちろん子どもたちが読みたいと思う本だけを好きなだけ読ませればいいというわけではな
い.しかし子どもたちの読書力の発展を望むならば,大人と子どもたちの本の需要には差がある
ことを理解するべきである.そのうえで子どもたちは自由な読書を行い,大人たちはそれを見守
り,時には手助けをしていくことが読書力の発展につながるのではないだろうか.
3
現場の事例
3-1. 学校図書館における事例
ここまで本の規制に関する問題・疑問から本の規制の正当性を理論的に考えてきた.そして 3
章では今までの議論を具体的なものとするため,実際子どもたちに本を与える図書館の事例をみ
ていきたい.その事例とは実際図書館では本の規制に関しどのような問題があり,どのように対
応しているのかである.そして筆者はこのことについて現場の現状を把握する必要があると感じ,
実際に図書館で働いている職員の方に聞き取り調査
xii
xiiを行った.まずここでは学校図書の事例
調査の内容だが,筆者は職員の方に実際利用者やその親などから本の規制を求められた
ことはあるか,あるとすればどのように対応したのか(またはする予定なのか)を質問し
た.
- 193 -
を見ていきたい
xiii xiv.
まず実際に利用者の方から本の規制を求められたことがあるかについてだが,そのような意見
は司書の方が現場に赴任してから現在に至るまではまだないという.しかし実際そのような意見
を受けたときには,まずその本を確認し問題となる部分を把握する.そのうえでその学校の図書
館主任の先生や校長先生に相談し,最終的な判断は彼らが下すという.
またこの学校では前任の司書の方の意向で,漫画本がすべて閉架となった.これについて司
書の方は明確な理由は明かさなかったが,恐らく前任の方が教育の観点から漫画本は学校図書館
にふさわしいものではなく撤去するべきだと判断したからであろう.しかしながら現在の司書の
方が周辺地域の小学校の図書館司書の方に話を聞いてみると漫画本を設置している所は多かっ
た.それは『ブラックジャック』や『忍たま乱太郎』などといった医学的・歴史的知識を学べる
ような漫画でだけでなく,場所によっては『あたしンち』や『うちの 3 姉妹』などといった娯
楽的な漫画が置かれている所もあるという.
現在,司書の方は前任の方の意見を尊重したいと考えている.しかし一方でこのような漫画は
子どもたちの様々な興味や想像を広げうるものであり,またそれを置くことで図書館に足を運ぶ
ようになり,そこから本を読むきっかけが生まれるのではないか,とも考えていた.職員の方は
漫画本を設置するか否かの問題は対応が安易に決定できない,非常に難しい問題として捉えてい
た.
3-2. 公立図書館における事例
次にここでは公立図書館の方の事例を見ていきたい
xv xvi.こちらの図書館では実際利用者か
ら本の表現を問題視し本の回収を求められるような意見が出ることは多々あるという.たとえば
藤子不二雄の作品に女性の裸の描写があり,それを問題視するような声などがある.ではこのよ
うな意見に対しここの公立図書館はどのように対応しているのか.ここではそのような本に対し
検討はするが,自分たちや利用者の主観で本を下げることはしない,ということだ.なぜならば
その図書館にある本はそこで働く司書がきちんと責任を持って選書をし,提供しているからだと
いう.よってここでは仮にその本に表現など問題が発生したとしても毅然とした態度でその本を
提供する.
また図書館が本を主観的な観点から規制を行うことは図書館が検閲をすることとなる.そして
それは思想の統制や「図書館の自由に関する宣言
xvii」に違反することとなる.公立図書館はあ
この調査は 2014 年 11 月 4 日に前橋市内の小学校内の図書館で働く司書に対し行った.
これらの意見はあくまで働いている職員の一意見であり,学校図書館の総意ではないこ
とを理解したい.
xv
この調査は 2014 年 10 月 29 日に前橋市内の図書館で働く司書に対し行った.
xvi
これらの意見はあくまで働いている職員の一意見であり,こちらの図書館の総意ではな
いことを理解したい.
xvii
これは 1954 年に打ち出された日本図書館協会の綱領であり図書館の資料収集・提供の
自由,利用者の秘密厳守,検閲の反対などを述べている.
xiii
xiv
- 194 -
くまで本を提供する立場に位置し,その本を手に取るか取らないかは利用者が自由に判断するも
のである.
4
事例から考える本の与え方
4-1. 学校図書館の対応からの考察
3 章では図書館で起こっている本の規制や与え方についての事例をみてきた.調査の結果から
は図書館おいては本の規制対しての考え方・対応を知ることができた.そして 4 章の 1 節と 2
節ではこれらの対応の仕方から,3 節ではそれらを踏まえた考え方から本の与え方のあるべき姿
を考えていきたい.ここではまず学校図書館の対応からの考察をしていきたい.
調査の結果から学校図書館の本は司書,図書館主任,校長などの意向で本を取り下げが可能で
あることが分かった.これは公立図書館の対応と大きく異なる点である.学校図書館は本を一般
的な図書館と違い,利用者は学校に通う児童に限られているため,閉鎖的な空間となる.そこで
は,はだしのゲンや今回の漫画の事例のように本の閉架措置を容易に行えることを意味する.も
ちろんそれは柔軟に本の表現の問題などに対応ができる側面をもつが,一方でその本の本質を理
解されないまま本が下げられる問題もはらむ.また今回の調査にもある通り,本の規制に関して
は様々な意見・観点から本や漫画を設置するか否かを決定しなくてはいけないという難しい部分
も存在する.
そしてこのような問題を解決するためにも重要となってくるのは,やはり上記で述べているよ
うな客観的な本の理解であるが,しかし現場の司書は自分の意見が本当に客観性を持つものであ
るか,という迷いが生じることもある.そこでそのような問題を解決するときに必要となるのが
第三者との協力である.これはどのようなことであるか具体的に述べるとその学校図書館が周辺
の学校図書館やより高い専門性をもつ公立図書館と連帯することだ.それにより司書は本の与え
方について現場の職員同士で協議できる場を設けることができ,本の与え方に関してより客観的
な判断を下すことができる.ただし学校図書館司書は勤務時間が非常に短いという問題があるた
め,このような議論が行えるのか,行えたとしても深い議論が交わせるかどうかという疑問は残
る.
4-2. 公立図書館の対応からの考察
次に公立図書館の対応から本の与え方の考察をしたい.ここでは本の与え方について,図書館
司書が子どもたちと本をつなぐ媒介者になっていくべきではないか,ということを論じたい.
前章において公立図書館の方は,「本を手に取るか取らないかは利用者が自由に判断するもの
である」と述べていた.もちろんこの対応は図書館において利用者の自由を尊重したものであり,
適切な判断である.しかしながらこの状況下では,子どもが過激な表現で刺激が強い本を手に取
ることはありえる.そして子どもがその本を読むことにより,動揺をする可能性がある.確かに
そのような本も子どもが読むことによって,彼らの読書力の成長につながることもある.しかし
何の知識や心構えがないままそのような本を読むと,その表現だけに焦点が集まり,本来その本
- 195 -
が伝えたい本質が見えなくなる場合があるのではないだろうか.今まで考えてきた本の規制はこ
のような事態を引き起こしてきた印象がある.
ではこのような事態にならないためにはどのような対応をしていくべきなのだろうか.それ
は冒頭にも述べた図書館にいる司書が子どもと本をつなぐ媒介者になることが重要である.具体
的にいうと子供に対し表現は過激だけれど読ませる価値がある本を与えるときは,司書が何かし
らの解説を入れて本を提供していくことである.
例えばとある小学校では子どもが事前にその本がどのような内容を含むものか分かるよう,表
現が過激な本に対しコメントを張ったラベルを張るという措置を講じている所もある
xviii.この
ように司書は子どもに対しある一定の配慮を施すことで本と子どもをつなぐ媒介者となる.そし
て過激な表現によって子どもが受ける衝撃を緩和し,問題を回避できる.
ただしこのような配慮は普段の図書館業務の中でどこまでできるのかという問題は残る.また
どの本をくらい解説をするべきなのかという明確な基準も存在しないため,安易に行える対応で
はないことを理解したい.
4-3. 子どもと図書館のかかわり
本論文では本の規制について考察し,図書館の事例をみて子どもの本の与え方を論じてきた.
そしてこれら全体を踏まえていえることは,子どもが積極的に図書館と関わっていくべきである
ということである.
これは特に本の規制に関していえることであるが,今までの大人たちの本に関する議論は子ど
もたちのことを考えて行っているとされてきた.しかしながらその肝心な子どもの意見は議論の
中で組み込まれてこなかった印象が見受けられる.それは子どもの意見は未熟なものであるとい
う考えのもとなのかもしれない.しかし仮にそうだとしても子どもが何に興味を示し,何を欲し
考えているかを把握することは重要なことなのではないだろか.そしてまた子どもが自分の読む
本に関して意見を言える場を設けることも重要な論点となりうる.それは 2 章で述べた子ども
の知る権利を守るため,また子どもの読書力を発展させるため興味関心にあわせた本を提供する
ことには欠かせないことであるからだ.
では子どもたちの意見を取り入れるにはどのような取り組みが必要なのだろうか.それは先ほ
ども述べたように子どもが積極的に図書館とかかわる取り組みである.本の規制が過剰に行われ
ないため,また選書の時間が取りづらい職員を手助けする意味で,子ども達が意見を表明し,図
書館づくりに積極的にかかわることは重要な意味を持つものである.
しかしながら幼い子どもが図書館づくりにどの程度関われるかは疑問が残る所である.それは
ある程度年を重ねた子どもであればある程度の意思表示を行うことは容易だが,小学校低学年程
の児童ではそれが難しい部分もあるだろう.そのため図書館司書は意思表示ができる,一定の子
どもたちの意見だけを尊重することは避けなければいけない.
xviii
この点については 学校図書館司書エミリーのおしゃべり,2011,
http://yaplog.jp/toshoshisho/archive/515 を参照したい
- 196 -
おわりに
本の規制をすることは正しいことなのか,そして正しい本の与え方とは何だろうか.それは明
確な答えが出るものではないように思える.本の規制に関してはすべての規制をなくすべきであ
る,という訳ではない.例えば故意に歴史的事実を偽って記載している本や差別的表現が顕著に
表れている本などには規制が必要である.しかしながら私たちは主観的な判断だけで行われるよ
うな規制を見過ごすわけにもいかない.本の規制はきちんと大人たちがその本の本質を見極め,
その規制が本当に子どもたちのためになるものなのかを考えた上で行われるべきである.また本
の与え方についても,大人たちが子どもたちときちんとコミュニケーションを交わし,今現在子
どもたちがどのような本を必要としているのかを把握していかなくてはならない.それにより大
人たちが子どもたちの声を取り入れ,自身の考えを見直すことで,子どもたちの自由な読書活動
を支援する環境が出来る.
冒頭でも述べたように子どもの読書活動は注目を集めている.それは 2001 年に『子どもの読
書活動の推進に関する法律』が制定・公布されたことからも,国が子どもの読書に関心を寄せて
いることが窺がえる.しかし近年パソコン,携帯,ゲーム機などの発達により,子どもたちの読
書離れが進んでいることも事実である.だからこそ私たちは子どもたちが興味関心のある本を分
け隔てなく本を与え,そこから読書の魅力を伝えていかなければならないのではないのだろうか.
謝辞
本稿を執筆するにあたり,前橋市内の公立図書館・学校図書館で働いていらっしゃる方,また
高崎市内で子どもの図書に関する活動を行う団体の方に聞き取り調査のご協力をいただきまし
た.この場を借りて謹んで感謝・お礼を申し上げます.
文献
David, hajdu, 2008, THE TEN-CENT PLAGUE: The Great Comic-Book Scare and How It
Changed America, New York, LLC
橋本健午,2002,『有害図書と青少年問題―大人のオモチャだった”青少年”』明石書店
加藤ひろの,2011,『子どものための選書を―目指す知的自由を持ち権利と意志を持つ子どもた
ちへ―』,図書館界 63(2), 164-175
桑田てるみ,2012,『生徒の読書実態の差異から見る読書指導の効果の検討』,日本教育学会大會
研究発表要項 71, 356-357
共同通信,2013,『はだしのゲン「閉架」に
松江市教委「表現に疑問」
』,47NEWS,(2014 年 12
月 1 日取得, http://www.47news.jp/CN/201308/CN2013081601001339.html )
日本ユニセフ協会,2014,「子どもの権利条約」,(2014 年 12 月 16 日取得,
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_rig.html ,
http://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/1_9j16j.htm ,
http://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/1_25j32j.htm )
- 197 -
奥平康弘編,1981,『条例研究叢書 7―青少年保護条例・公安条例』 ,学陽書房
渡邊重夫,2014,『学校図書館の対話力 ―子ども・本・自由―』,青弓社
2011,『たつのおとしごと勉強会』, 学校図書館司書エミリーのおしゃべり(2014 年 11 月 28 日
取得, http://yaplog.jp/toshoshisho/archive/515 )
- 198 -
「温泉卵風萌えおこし」の考察
―「あしかがひめたま」を事例にして―
佐取 哲郎
はじめに
昨今,
「萌えおこし」iという言葉を耳にする機会が増えてきた.いわゆる「オタク」の「萌え」
という感情を利用し,地域の活性化に繋げる試みである.それは本稿で取り扱う,栃木県足利市
の「あしかがひめたま」も例外ではなく,2010 年に始まって以来今年で 5 年目を迎えることに
なった.本研究では,企画の「持続性」という視点に基づいて全国の萌えおこしを種類別に分け,
その上で「あしかがひめたま」が今後どのような役割を持って足利市の発展に貢献できるか,と
いうことを追究していく.また本稿がその具体的な手法を探る手がかりとなることを願っている.
また,足利市を活性化させたいという想いから,何故「萌えおこし」であり「あしかがひめた
ま」なのか.それは,「一度起こされた企画が今もなお顕在する」からである.もちろん地域活
性化の手法など探せばいくらでも見つかるが,今回は敢えて「萌えおこし」に焦点を当てて話を
進めたい.故に「萌えおこし」以外の「地域おこし」の手法には触れないこととする.
1
萌えおこしの成功とは何か
1-1. 「萌えおこし」を導入する地域は未だに増えている
はじめに,全国における萌えおこしの展開過程を概観しておこう.とは言えアニメや漫画をモ
チーフにした町おこしの出処は曖昧で,筆者が研究を進める過程では「水木しげるロード(1993
~)」が初の成功事例だという声を多く耳にした.一方萌えおこしについては,一般的に 2007
年のアニメ「らき☆すた」が流行し,それに伴うファン活動としての聖地巡礼と称する行動から
生まれたもの,という考え方が主流である.当作品の舞台となった埼玉県・旧鷲宮町へ多くのフ
ァンが何らかの目的を持って訪れ,彼らなりの需要を満たして帰っていく――この経済サイクル
が表出したことで,町が公として町おこしに利用する姿勢をとり,それが全国的にも波及してい
ったということである.
さらに現状を述べると,
「TINAMI」というネット上の投稿サイトがある.単にイラストや漫
画,画像(写真)などをアップロードするだけでなく,ここの運営側が先導して「萌えおこし」
に携わりだしたのである(ITmedia,2013,
「投稿サイト『TINAMI』が萌えおこし応援
第一
弾は『青春☆こんぶ』」
・他).小規模のものまで合わせれば際限のない事例数だが,現在にいた
i
定義については,本稿における議論とは異なった問題であるため,一般的に言われている「美
少女キャラクターを使って可愛いという感情を起こさせ,それを消費することによって地域の発
展に貢献する企画」といった内容にとどめておく.
- 199 -
ってもその数が増えていることは確かである.
以上を踏まえた上で,萌えおこしには大きく 2 つのメリットが挙げられる.すなわち,ター
ゲットを比較的若い年齢層としている点から,若年世代を町に引き込むことができ,彼らを移住
にまで繋げられる可能性があるという面.そしてまた,需要のある層が限られていているために
マーケティングをしやすいという面.全国の諸地域が好んでこの手法を採択していったことは,
これら 2 つの利点が大きな鍵となっていると考えられる.
1-2. 全国の事例から見る「あしかがひめたま」
左様に人気を博している萌えおこしであるが,そのタイプも様々存在する.地域独自でキャラ
クターや世界観を考案し外に発信するケースや,既にメディア化されているアニメ・漫画のキャ
ラクターを地域に結びつけるケースもあり,まさに千万無量の様相である.このようにトレンド
は挙げられても,数にしてみれば扱いきれないほど膨大な量となるため,本研究においては取り
扱う事例を幾つかに絞り,その特徴ごとに分類して共通点を見出すという手法で進めていく.
まず,分類の手法としては井手口(2009)や,片岡(2012)を参考に,地域主導型とメディ
ア主導型 iiの二つに分けて考える.この中で「あしかがひめたま」は地域発祥の要素を持つこと
から,地域主導型であると言える.
この他に地域主導型の萌えおこしを見ていくと,秋田県羽後町「かがり美少女イラストコンテ
スト」や,愛知県知多半島「知多娘」は「あしかがひめたま」と同じように萌え要素を取り入れ
ながら地域資源を活かす取り組みを行っている.また東京都立川市「立川魔法都市化プロジェク
ト(以下,たちぷろ)」においては痛車祭の開催があるという点で足利のそれと重ね見ることが
できる.
一方でメディア主導型の萌えおこしには,2000 年代擬人化ブームの先駆けとも言われる和歌
山県「びんちょうタン」や,「あしかがひめたま」とほぼ同時期に始まった徳島県徳島市「マチ
★アソビ」などを扱っていく.
また,土産品などに起用されるオリジナルの萌えキャラクターについては,特別の先んじるメ
ディアミックスが無い限りは地域主導型として考えられる.しかしながら,これらの商品は往々
にして地域活性化を目的とせず,企業の売上アップを狙ったものが多いため,「萌え」を利用し
た「まちおこし」であるとは言えない.故に,
「萌えおこし」とは区別し,本研究の議論には入
れないこととする.
なお,重なるが本稿は「あしかがひめたま」を題材としての萌えおこしに関する研究である.
研究の上で必要となる「あしかがひめたま」公式の見解については,足利市商工会議所の S 氏
(「あしかがひめたま製作委員会」/総務・渉外等を兼任)にご協力頂いた(聞き取り調査を行
ったのは約二年前のことだが,現在でも大いに考える余地がある問題であるため,本稿を執筆す
るに至った次第である)
.
ii
本稿においては,片岡の言う「外部資源型」を「メディア主導型」として,また「創作資源型」
を「地域主導型」として置き換えて引用する.
- 200 -
1-3. 「あしかがひめたま」は何を目指すのか -「持続性」が成功のカギ-
歴史好きの人間が歴史的建造物に惹かれるのと同じように,アニメ好きの人間がアニメ関連の
オブジェや模倣空間に触れたいと思うのも当然のことであろう.そういった背景もあり,世間に
おいて萌えおこしはエンターテインメントの一種としての色合いが強い.故に単純な好き嫌いの
判断で消費され,波に乗るものもあれば,ごく僅かな月日で消滅してしまうものもある.ならば,
成功と失敗の境界線は何によって引かれるのだろうか.萌えおこしの是非を問う前にまず,その
部分を定義することで明確にしておきたい.
インタビュー調査において S 氏は,萌えおこしの成功とは「企画が『持続性』を持ち,継続
的に開催されること」と語る.公式であるひめたま製作委員会の見解ということで,筆者はこれ
を重要視し,研究を進めるに至った.
故に本稿において萌えおこしの成功とは,
「人々が当該企画の概要等を公式に知ることができ
る,そのような媒体 iiiが実質的に,且つおよそ 4 年以上運用されていること」と定義づける.継
続期間が 4 年以上という論拠は,本稿において後に挙げる諸地域の事例を並べ,比較した上で
の筆者の判断である iv.
ところで,この定義では一つ重要な点を見落としている.すなわち,爆発的にヒットをして間
もなく消えていった企画,いわゆる「一発屋」は失敗なのかという疑問である.確かに経済的な
面での利益は出て,結果的にその地域が潤ったという可能性は考えられる.しかし「持続性」を
基調に考察を進める上では,これらは除外し,むしろ失敗として位置づける必要がある.
議論を本筋に戻そう.「あしかがひめたま」は今もなお顕在する企画であるが故に,あくまで
継続的に利益を出していくことができるような像を描き,思索を巡らせるべきである.S 氏は,
「こういった(エンタメの)イベントは持続させなければ継続的な資金流入を望めない.ひめた
まも有志(個人)のみの出資という零細的な規模からスタートをしているが,痛車祭などは盛況
だった.しかし一過性のもので終わらせるわけにはいかない」と話す.また,「可能ならば市内
のみでビジネスを組み,そうして生まれた商品やサービスを市外のお客さんに買ってもらうこと
で市内経済の活性化も狙っている」ということである.またこの論理に関連して,羽後町の山内
(2009:83)は萌えおこしをする上で将来的に「町内に雇用の場が生まれ,自由な活動ができる
ようになっていてほしい(後略)」と述べ,それこそが本当の地域活性化だと説いている.この
見解もまた,「持続性」が最も重要な要素の一つだという,現場の一意見なのである.
それでは,2 章では持続性という観点で萌えおこしを見ていきたい.どこの萌えおこしがその
要素を持ち合わせるのか,また事例を複数取り上げ,それぞれに共通する点は何なのかを探れば,
「あしかがひめたま」の将来像が多少なりとも浮かび上がるかもしれない.
iii
ホームページや実店舗等.
iv
4 年に満たないがまだ発展途中であるといった事例は本定義に当てはめることができないた
め,判断不可という状況になる.本稿がその企画の発展に貢献できればと思う.
- 201 -
2
萌えおこしの分類から見る「あしかがひめたま」
2-1 メディア主導型・地域主導型
「萌えおこし」の事例のみを単純に羅列
するのでは事例研究に留まってしまう.本
章では,先行研究を参考に全国の萌えおこ
しの棲み分けをおこなった.1 節において
は井手口(2009:61)の図から各事例を
分類し,さらに筆者が新たな要素を付与し
て,2 節における比較の基盤とする.また
先にも述べたが,「あしかがひめたま」は
地域主導型であるため,その型にはめ,地
域主導型の事例と照らし合わせて考えて
いくのが妥当である.無論メディア主導型
についても触れるが,その議論は 3 章にお
いて進めていく.
まず,井手口の図を使い「あしかがひめ
たま」がどの部類に当たるのか見ていこう.
「地域主導型→意図(Yes)
→萌える?(Yes)」と進み,
「知
井手口「『萌えおこし』と関連実践」
(2009)を参考に筆者作成
図 「持続性」別・地域主導型萌えおこしの類型
多娘」や「かがり美少女イラス
トコンテスト」
,
「たちぷろ」の事例と同タイプだということが判る v.そこで前章の定義を用い,
新たに持続性があるかどうかという点で判断をする.上にその図を記載した.
「たちぷろ」は現在公式サイトの更新も止まっている上,インターネット上で検索をかけても
一向に展開されている様子が見えない.終息と呼ぶかどうかは怪しいが,企画公表から実質的な
停止状態に陥るまでは 3 年という期間があった.一方で「知多娘」に関しては今年で 5 年とい
う歳月を経過している.また,
「かがり美少女イラストコンテスト」は 2012 年の開催中止から
現在まで音沙汰が無いため,終わってしまったイベントだと言えるが,中止の理由が特殊だった.
すなわち,消費者のニーズに見合わないことによる需給関係の問題ではないのだ.詳細は公表さ
れていないが,プロジェクトのリーダー格である山内貴範氏は自身のTwitterアカウントにおい
て,
「運営の継続が不可能になった」ことを告げた
v
vi.しかしながら消費者のニーズに応え続け
井手口(2009)の図における「萌えっ子フリー切符(北海道北部)」,
「からす天狗うじゅ(京
都府太秦)
」は I ルートに分けられる.しかし前者は先述したように企業の売上アップを目的と
している点,後者は既に著名なアーティストが CD を売り出すという手法を用いていてメディア
主導型に近いという理由により,本稿では除外した.
vi 本人の Twitter アカウントは削除されているが,外部の手によりログが残されている
- 202 -
て 5 年継続したという事実がある限り,この事例は本稿で定義する成功事例として当てはめる
ことができると言えるだろう.
「持続性」という視点では以上の様に概観することができる.次節においてはこの結果を用い,
持続性が有るもの・無いものとの間にある差異を見出していく.
2-2 二次創作参加度別類型
それでは,2 節においても新たな図を使って分類を試みていこう.再度断っておくが,今回は
あくまで地域主導型の土俵の上でどういったことが言えるのかということを論じていきたい.そ
の上で五十嵐(2012:17 図 2)を参考にすると,「コンテンツ製作・運用する者」=「萌えお
こしのアクター」が 4 項目存在する.すなわち「あしかがひめたま」を例にして考えると,
1)グッズを購入したりイベントに足を運んだりする「ファン活動者」
2)痛車のオーナーやアマチュアの絵描きである「アマチュアクリエイター」
3)ひめたま公式のイラストレーター・奥田泰弘氏=「職業クリエイター」
4)公式である「ひめたま製作委員会」・
「萌える一般社団法人」=「職業プロデューサー」
である.また,それぞれの事例において,各アクターがどれほどの力量を持って経営に参加して
いるかという点で●,▲,×を付けた
vii.また,記号を付けた詳細な根拠については紙面の都
合上割愛させていただくが,概して調査の上で筆者が考察した結果である.
五十嵐「図 2」
(2012)を参考に筆者作成
図 二次創作参加度別類型(メディア主導型)
五十嵐(2012)の言うように,これらのアクターが相互に関係性を持ち,
「萌えおこし」その
ものの需給サイクルを形作っている.一見すると,成功と失敗の差は右端の「職業プロデューサ
(http://togetter.com/li/318735).
vii 「職業プロデューサー」の判断については,優劣の決め手として「萌え要素を扱っている専
門家(アニメ会社・社員など)の在籍があるかどうか」を使用した.
- 203 -
ー」が生み出しているかのように思えるが,ここで筆者が注目したのはむしろ「ファン活動者」
と「アマチュアクリエイター」の欄だ.問題は,「ファン活動者がアマチュアクリエイターに成
り得るかどうか」という点である.成功事例に共通している部分は,ファン活動者としてイベン
トに参加をしている人間が,「自分も創作活動をしてみたい」と思わせられるところにある.そ
ういった,言わば「クリエイターの卵」を育てる心理的変化の起きる環境を,本稿では「温泉」
と呼ぶことにする
viii.
因みに「たちぷろ」に関しては,公式側によって用意されたネットコミュニティの間でファン
活動者が交流をし,痛車や各々の趣味について語り合うということがメインであった.つまり「た
ちぷろ」においては,元来から彼らをイベントの提供者側に回らせる意図は無かったのである.
2-3 「あしかがひめたま」の現状との照合/考察
次に,
「あしかがひめたま」が先の流れを汲んでいるかどうかということを見ていきたい.と
は言え考察を進めるにあたってはやはり細部を見なければならず,
「あしかがひめたま」という
企画を一概に成功,または失敗と断定することは危険である.なぜなら,
「あしかがひめたま」
の中にも様々なイベントが存在するからだ.まずは個々のイベントが「持続性」を持つかどうか
考えていこう.
現在おこなわれているものでは,来夏で第 10 回を迎える「痛車祭」や,羽後町のイラストコ
ンテストの事例を模倣した「萌え☆コン」などがある.また過去におこなわれていたものには,
キャラクターの誕生日を祝福する祭り「ひめちゃん・たまちゃん生誕祭」
,初詣イベント(名称
不明),クラブハウスに DJ を呼んでアニメーションを流しながら音楽を楽しむ「音姫祭」が挙
げられる.
前節で呈示した,
「温泉卵が茹でられているか」という論点でそれぞれのイベントを見ていく
と,確かにその要素を持ちうるイベントは存在している.すなわち,
「痛車祭」がその最たる例
である.しかしなぜ「たちぷろ」の痛車フェスと「あしかがひめたま」のそれとは継続年数に差
が出てしまったのだろうか.その違いを,クリエイターを育てるための環境である「温泉」とい
う面から見ていきたい.
原因の一つとして考えられるのは,
「たちぷろ」は公式側の痛車オーナーに対するサポートが
さほど見られなかったという点が挙げられる.一方で「あしかがひめたま」の痛車祭は毎度さな
がら,飲食の出店の中に混じって「痛車製作,お手伝いします」といったような看板が掲げられ
たテントがあり,その人口を増やしていこうという努力が覗える.また筆者が S 氏から耳にし
た内部事情としては,公式側がイベントに参加した痛車オーナーに対して,協同で運営をするよ
う上手く誘っているという.例えば,「イベントで多くの痛車オーナーが喜ぶような要素とは何
か(=多くの痛車オーナーを集めるにはどうしたらよいか)」というように,公式側(職業プロ
デューサー)として意見を求めながら,それに答える側(アマチュアクリエイター)が徐々に公
viii
温泉卵は丁度良い半熟加減がベストである.故に,プロ過ぎずアマ過ぎない,中庸的な位置
に存在するのが「現在進行形で茹でられている卵」である.
- 204 -
式側へ寄り添うような流れを創り出しているのである.
さらに付け加えると,確かに栃木県足利市という場所は,2011 年に北関東自動車道が通り,
足利 IC まで登場したことや,
「海なし県」であるが故に内陸交通の要となる自動車産業が発達
している地域という,「痛車」で勝負する土俵では地理的要素に強みを持っている面もある.し
かしそれらを抜きにしても,痛車オーナーがその企画に対してある程度の発言力を行使できるよ
うな,いわゆる「地域住民参加型プロジェクト」という色が強いのは,イベントが盛り上がるひ
とつの由縁と言えるだろう.
一方,「あしかがひめたま」の中にも本稿の定義を用いると失敗のサイドに陥落してしまうイ
ベントも存在する.それは,過去におこなわれていたキャラクターの生誕祭,初詣イベント,
DJによるアニソンライブだ.実は,これらのイベントは公式・非公式
ixの混じったもので,生
誕祭・初詣イベントが公式となっている.このことから成功か失敗かの分かれ目には,公式・非
公式の次元は無関係だと言える.
では何が問題なのかと言うと,これらのイベントには「温泉」を整える図の右矢印が存在しな
いのである.しかしそれでだけで失敗した理由の説明になるならば苦労はしないはずだ.次章に
おいては,こういった失敗事例がどのような段階を踏んでいて,どこで足場を踏み外しているの
かという細部を探っていく.
3
「あしかがひめたま」にはどのような型が合うのか
3-1 地域主導型からメディア主導型への転向は可能か
本章においては視点を変え,メディア主導型の萌えおこしについて触れるところである.そも
そも萌えというものを,井手口(2009)は「マンガ・アニメ・ゲームなど娯楽的要素の強いコ
ンテンツの形で,主にメディア産業によって創出が担われてきた」[2009:60]と語っている.そ
うして先行したメディアが特定の地域に結び付けられ,萌えおこしと成りうるのである.それが
メディア主導型の全貌だ.
そして,筆者が「あしかがひめたま」とはまったく別物のメディア主導型について考えるきっ
かけとなったのが,
「あしかがひめたま」のアニメ化を望む声である.本研究を進めていく上で,
インターネット上や筆者の身の回りにおいてそういった意見は少なくなかった.これは萌えおこ
しの受容側が物語性を欲している裏付けにもなる.そうであるならば,五十嵐(2012)のよう
な方向性で,
「あしかがひめたま」がいち早く物語性を,すなわちシナリオなどの具体的なコン
テンツを揃える必要があるということになる.
それでは,「あしかがひめたま」とメディア主導型の萌えおこしとの対比を描いていこう.そ
の過程で様々に思索を巡らせ,前章において述べた,何故いくつかのイベントは失敗に終わった
のかという原因を追究する.
ix
公式:
「あしかがひめたま製作委員会」や「萌える一般社団法人」等.
非公式:有志の一般団体.公式イベントに付随してサブイベントをおこなっている(例として
は,
「痛車祭」の開催時間中に別会場を借りて「音姫祭」をおこなう,など)
.
- 205 -
さて,ここで筆者は「あしかがひめたま」が地域主導型からメディア主導型に変化することが
できる,と仮定した.その変化とは,すなわち成長である.たとえば地域発祥のキャラクターや
世界観が大衆に広まり,その知名度が上がったとしよう.するとメディア化された媒体が,地域
独自のものという情報よりも色濃く表出し,その企画の持つストーリーやキャラクターに起因し
た経済活動が起こり得るのである(果たしてこれが「あしかがひめたま」にとって良いものであ
るか否か,最終的にはその判断を下したい)
.
それでは,
「あしかがひめたま」がメディア主導型に変化するには具体的にどうすればよいだ
ろうか.一つ考えられる方法とすれば,まず初めに,不足しているコンテンツの充足を行うこと
である.例えば痛車祭と併催されている「萌☆コン」でイラストを公募し,観客が投票している
現在のように,足利の寺社などにまつわるシナリオも公募をするという企画はどうだろうか.そ
うすることによって一定のクオリティを保証でき,且つひめたまに物語性を付与できる.一次創
作者,すなわち公式側が提供するまとまったシナリオ等が存在すれば,そこに二次創作者が絵や
楽曲を投入し易くなり,徐々に人気も出てくる.将来的にもアニメ化の方向に進むであろう.
3-2 地域主導型とメディア主導型の間には溝がある
これまでは五十嵐(2012)の見解に全面的な賛同の立場をとってきた.しかし本節・次節で
は初心に立ち戻り,
「あしかがひめたま」が目標としていたものは何であったのかを問う機会に
する.これについては 1 章においても述べたが,足利商工会議所の S 氏の「イベントは継続させ
てこそ価値がある」という意向を軸に据える.
まず,前節のように物語性を重視し,その充足をおこなっていった場合,将来「あしかがひめ
たま」がメディア主導型に分類される可能性は低くない.さらにその中身は,コンテンツが増え
ていくことにより,
「あしかがひめたま」のファン活動者やアマチュアクリエイターにとって非
常に充実した嗜好の対象となるのである.つまり,公式団体はメディア主導型になるよう働きか
ければ消費者である彼らの需要を満たすことができる,というのが先の議論である.
しかしここで,一つ大きな問題に直面する.それはメディア主導型になってしまうと地域主導
型での手法が使えなくなるのである.今までは地域主導型であり,
「地域住民参加型プロジェク
ト」でもあった「あしかがひめたま」がメディア化することにより,より一層ビジネス色が強く
なる.したがって,プロの手が欠かせず,逆にアマチュアの出番は無くなるという事態に陥るの
である.
なぜ筆者がこれほどまでに地域主導型とメディア主導型の分類にこだわってきたのか.それは,
先ほど述べたようにそれぞれのコンテンツが取るべき手法がまったくもって別物だからである.
先行研究で五十嵐(2012)が述べたように,ひめたまには「コンテンツの物語性が不足してい
る」[2012:14]ことは現状としても確かである.しかし彼の言うこの状態は,メディア主導の型
にはめた場合での問題なのである.要するに,メディア主導型の萌えおこしというのはアニメや
漫画などのコンテンツとなるものが先行していなければ成り立たない.「あしかがひめたま」に
はそれが見受けられず,また発足時と現在とを比べてもほぼ変わらないと言っても過言ではない
- 206 -
だろう.故にコンテンツの物語性を充足させるということは,当該コンテンツにおけるメディア
分野の増設だと言える.
3-3 メディア主導型の「落とし穴」
さて,前章で呈した二次創作参加度別類型を用いながら,メディア主導型の危険な部分につい
て述べていこう.今回の類型において着目すべきは,メディア主導型の萌えおこしにはどういっ
た共通点が見出せるかという点である(具体例としては「マチ★アソビ」と「びんちょうタン」
を挙げるが,他のメディア主導型萌えおこしにも当てはめられる図である)
.
まず,先行するコンテンツが世に出回っているということは,職業クリエイターの存在は確実
である.仮にアマチュアクリエイターの作品が世に出回り,人気を博して萌えおこしに使われる
状況があったとしても,それは少なくとも一定の資金が動いているという点で,もはや趣味の領
域ではなく,完全にプロレベルと言わざるを得ない.一方で職業プロデューサーは存在しないケ
ースもある.図には載せていないが,アニメーションの舞台となった市町村で萌えおこしの動き
がある場合,市町村役員や商工会議所員などが有志でその企画に取り組んでいる事例が多い.五
十嵐(2012)は「一次創作者」という位置づけから彼らを職業プロデューサーと定義した[2012:17]
が,実質的に儲けることができるプロレベルの経営者かどうかという点では「職業」という言葉
に疑問が残る.なぜなら,職業であるからには「経営の失敗(=萌えおこしの衰退)
」は許され
ないという立場があるためだ.この視点から,本稿においての職業プロデューサーは,五十嵐
(2012)の定義に金銭的利潤の要素を加えて,より職業カラーの強い存在として位置づけるこ
とにする.
ここまでは図で見るところの右側半分を論じてきたが,左側については二つを融合させて考え
ても問題は無い.というのも,
「職業クリエイター・プロデューサー(以下,プロ)の提供する
作品群を受け取る側」として見れば,ファン活動者・アマチュアクリエイターは単に消費者足り
うるからである.
「痛車祭」にたとえるならば,痛車オーナーが自身の痛車を出展したり,当人
五十嵐「図 2」
(2012)を参考に筆者作成
図 二次創作参加度別類型(メディア主導型)
- 207 -
自身が他者の痛車を見て楽しんだりという立場の変化は,非常に流動的である.つまり,アマチ
ュアクリエイターも時にファン活動者としての顔を見せるのだ.故に,本章においてはこの二者
を「消費者」として扱うことにする.
すると,これらを整理した上で見えてくる事象がひとつ存在する.すなわち,プロが提供した
物語性を,消費者が購入するという流れである.この流れに則して言うならば,物語性無くして
プロは作品等を提供することはできないのである.
再度断りを入れておくが,
「あしかがひめたま」には物語性が欠如している.実際過去に開催
されたイベントでも,キャラクターの生誕祭などは,作品の基盤となるシナリオや歴史背景等を
据えて提供されることがなかったために,受容側にしてみれば「何だかよくわからないが,とり
あえず萌えキャラクターのグッズが売っている」状況であった.つまりこういったイベントはメ
ディア主導型の方法で,物語性が無ければ消費者は興味をそそられない.
さて,本節でのメインとなる議論がこれらの認識の上に成立する.それはメディア主導型の「落
とし穴」とも呼べる事案である.先にも述べたように,萌えおこしを成長させていく上で「持続
性」を最重要視するならば,メディア主導型は危険だという結論に至る.例えば「マチ★アソビ」
は,全国的にもメディア展開されている有名アニメを持つ会社である「ufotable」が主導権を握
って運営しているため,イベントの中身において個々の企画をシリーズ化できる.且つ,元々の
ファンも存在するが故に,何も無いゼロからスタートした萌えおこしとは比較対象にすらなり得
ない.さらにイベントの経営者が当該会社の代表取締役社長ということで,その実績ある経営手
腕もイベントの助けになっている.これらの要素を踏まえると,確かに「持続性」を持ち合わせ
たイベントなのである.しかし「あしかがひめたま」がメディア主導型になったとしても,この
ようなメディア界の大御所のサポートを受けられるという可能性は想像に難い.
また,びんちょうタンに関しても,第一線を行くゲーム会社である「アルケミスト」が発端と
いうことで,ある程度のクオリティが保証されている.そしてやはり企画の背景には彼らのよう
な実績ある集団が存在するという状況であることから,こちらもひめたまには無い強みがある.
確かにこの作品は零細的な地域を舞台としていることから,「弱ってしまった地域を活性化させ
たい」という動機があり,
「あしかがひめたま」と似た萌えおこしと言えるかもしれないが,市
場に出た時に確実に売れなければ失敗して終わり,という状況になりかねない.また,仮に売れ
たとしてもそれが長続きし,5 年,6 年と続く作品になるかどうかは可能性に乏しく,そしてそ
れは非常に稀有なケースではないだろうか.
3-4 地域主導型でのやり繰りが良い
以上の議論をまとめ,結論づけると,現在地域主導型の性格を持つ「あしかがひめたま」がメ
ディア主導型に成長してしまうことは,コンテンツの「持続性」を考慮すると非常に危険だとい
うことが判る.確かにアニメ化を望む声は存在するが,メディア化がコンテンツの最終形態とは
限らないだろう.地域主導型の萌えおこしというフィールドにおいては,
「あしかがひめたま」
の中にも成功しているイベントが存在し,且つ他の成功した地域を見ても,足利の「痛車祭」と
- 208 -
共通する「温泉卵」の要素が覗える.故に「あしかがひめたま」が今後継続的な発展を遂げるな
らば,この要素を活用し,いかにしてファン活動者の目をクリエイト面へ向けられるかという挑
戦が必要となる.以上が本研究の結論である.
おわりに
本研究を進めていく中で,「萌えおこし」というコンテンツは全国においてかなりの数が存在
し,また今もなお増え続けていると改めて感じた.非常にタイムリーな話題であるために,今後
はさらに視野を広げて事例を観察していくことが重要である.故に本研究の課題としては,結論
の補助となる根拠をさらに固めるところにあると確信している.
そして,秋田県羽後町「かがり美少女イラストコンテスト」で成功を遂げた山内貴範氏は自身
の著書の中で,
「寂れている町と活気がある町が存在するのは,地元の人が『埋もれている資源』
に気付いているかどうかの違い」
(山内貴範[2009:42])だと述べている.これは足利市の中を再
度探索したら,ひょっとすると未だに「埋もれている資源」が存在するかもしれないと疑うきっ
かけとなった.この“疑い”は生涯捨てずに持ち続けたいものである.
謝辞
最後に,本論文を執筆するにあたり,大変お忙しい中ご協力を頂いた足利市商工会議所の S
氏には感謝が絶えない.そして,熱心にご指導頂いた友岡邦之教授,また日々の議論を通じて多
くの知識や示唆を頂いた研究室の皆様にも御礼申し上げたい所存である.そして,不遜な言葉の
数々をお目通し頂いた閲覧者の皆様にお詫び申し上げると共に,厚く感謝を申し上げたい.
文献
ITmedia,2013,
「投稿サイト『TINAMI』が萌えおこし応援
第一弾は『青春☆こんぶ』」
,ITmedia,
(2014 年 12 月 20 日取得,
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1304/26/news095.html).
ITmedia,2013,
「TINAMI の萌えおこし応援第 2 弾
福島県『萌えの桜』とコラボ」,ITmedia,
(2014 年 12 月 20 日取得,
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1306/28/news134.html).
井手口彰典,2009,「萌える地域振興の行方--『萌えおこし』の可能性とその課題について」地域
総合研究 37(1), 57-69.
五十嵐大悟,2012,「足利ひめたまからみる萌えおこし:地域発信型萌えおこしの分析」コンテン
ツツーリズム論叢 : Collected Treatises on Contents Tourism 2, 6-2.
片岡達也,2012,「萌えキャラでまちは燃えるか」静岡総合研究機構.
山内貴範,2009,『町おこし in 羽後町~美少女イラストを使ってやってみた~』アドスリー.
- 209 -
恋愛都市宣言
―コンセプト・シティのまちづくり―
小板橋 稔真
はじめに
総務省が発表した平成 22 年国勢調査によると,日本の人口は平成 17 年から 15 歳未満人口が
4.1%減少している.すなわち,徐々に日本は少子化が進行しているということだ.これは日本
全体として大きな課題である.特に地方都市にとっては,己のまちの存続をかけた重大な問題と
して今後の解決策の検討が必要とされるだろう.
こうした少子化の原因は様々ことが考えられる.平成 22 年国勢調査により分かった 15 歳以上
人口の有配偶者の割合の低下や,未婚者割合の上昇も原因の一つだろう.つまり,結婚する人が
減少しているため出生率は低下し,少子化が進行しているということだ.
結婚率を上げるためには,まずその前段階である恋愛をする人を増やすことは必要不可欠だ.
そのため,これからの地方都市は存続のためにも恋愛という一見外部が立ち入れないテーマにア
プローチする方法を考えなければならない.本論では,その一つの方法としてまちのあり方に注
目した.本論を読み,まちづくりと恋愛の関係性を考え,今後のまちづくりのあり方について考
えていただければ幸いだ.
1
現代の恋愛事情
1-1. 異性との恋愛希望
表 1 は国立社会保障・人口問題研究所が発表した第 14 回出生動向基本調査(結婚と出産に関
する全国調査) iの『調査別にみた,未婚者の異性との交際の状況』の調査結果である.表1か
らは,「交際している異性はいない」と回答した未婚者は男性が 61.4%,女性が 49.5%いる
ことがわかった.そして,同調査の過去二回分の調査結果と比較すると,男女ともに「交際して
いる異性はいない」という割合が増加していることは明らかだ.
また,「交際している異性はいない」と回答した未婚者のなかで,異性との交際を望んでいる
と回答した男性は 32.6%,女性は 25.7%いることもわかる.この調査から,男女ともに交際
している異性がいない人の半数は,異性との交際を望んでいることが読み取れる.
i
以後,第 14 回出生動向基本調査とする.
- 210 -
表 1「調査別にみた,未婚者の異性との交際の状況」
国立社会保障・人口問題研究所(2010)をもとに筆者作成
1-2. 年代別にみた異性との交際希望
表 1 から男女ともに多くの人が異性との交際を望んでいることがわかった.ならば,次は年
代によって異性との交際を望む人の割合に差が生まれるかを見てみよう.図 1 は第 14 回出生動
向基本調査の『調査・年齢別にみた,交際相手をもたない未婚者の割合と交際の希望』の結果で
ある.図 1 から,ほぼどの年代でも交際相手をもたない未婚者は,異性との交際を望む割合が
異性との交際を望まない割合を上回ることがわかった.しかし,18~19歳の男女はともに交
際を望んでいないと回答する割合が,異性との交際を望む割合を上回った.
表 1 と図 1 から二つのことが分かった.一つは異性との交際を望む人が多いことである.そ
して,二つ目は異性との交際を望む気持ちに年代の差はほぼないということだ.
<男性>
異性との交
<女性>
際を望んで
いる
不詳
交際を望ん
でいない
図 1「調査・年齢別にみた,交際相手をもたない未婚者の割合と交際の希望」
国立社会保障・人口問題研究所(2010)をもとに筆者作成
- 211 -
1-3. 異性との結婚願望
ここでさらに,異性との交際願望の実態に結びつく資料を提示しよう.表 2 は第 14 回出生動
向基本調査で行われた『調査別にみた,未婚者の生涯の結婚意思』に関する調査結果だ.表 2
から,いずれ結婚するつもりと回答した男性は 86.3%,女性は 89.4%であることがわかった.
また,結婚というライフイベントは,多くの場合で異性との交際というステップを踏むと考えら
れる.
つまり,男女ともに約 90%近くの人が少なくとも一生に一度は異性との交際を望んでいると
考えられる.しかし,表 1 からもわかるように,現在その思いとは裏腹に交際をしている人は
非常に少ない.このような異性との交際を望んでいる人が希望どおりに恋愛ができれば,結婚し
出産をする人が増え,少子化を抑制することが出来るかもしれない.しかし,なぜ彼ら彼女らは
異性との交際ができないのだろうか.第 2 章ではその理由から語っていくとしよう.
表 2「調査別にみた,未婚者の生涯の結婚意思」
生涯の結婚意思
いずれ結婚するつもり
86.30%
一生結婚するつもりはない
9.40%
不詳
4.30%
いずれ結婚するつもり
89.40%
一生結婚するつもりはない
6.80%
不詳
3.80%
【
】
男
性
【
】
女
性
第14回
(2010年)
国立社会保障・人口問題研究所(2010)をもとに筆者作成
2
恋愛におけるまちの可能性
2-1. なぜ異性と交際しないのか
まず,第 1 章で多くの人が年代や性別を問わず,少なくとも一度は異性と交際をしたいと思
っていると理解してもらえただろう.しかし,そのような状況にも関わらず,異性と交際をして
いる人は決して多いとは言えない.なぜ人は異性と交際をしないのか.その理由について図を見
て考察していこう.
図 2 は,第 14 回出生動向基本調査の『調査・年齢別にみた,独身にとどまっている理由』と
いう調査結果をもとに筆者が作成したものだ.図 2 が示しているのは 18~24 歳の男女と 25~
34 歳の男女が考える結婚できない理由だ.この図 2 を見ると,どの年代の男女も「適当な相手
にめぐり会わない」という回答が最も多くなっている.つまり,適当な相手とのめぐり合わせが
ないことが異性との交際を阻害する大きな要因になっていると推察できる.
- 212 -
18~24 歳
25~34 歳
国立社会保障・人口問題研究所(2010)をもとに筆者作成
図 2「調査・年齢別にみた,独身にとどまっている理由」
2-2. 恋愛における段階
さて,
図 2 から多くの男女が適当な出会いがないと感じている現状が浮き彫りとなってきた.
しかし,恋愛は出会いという行為なくしては始まらない.そのことは,すでに著名な研究者によ
ってすでに示されている.
例えば,社会心理学者の松井豊(1993)は恋愛の進展段階を図 3 のように示している.図 3
は松井がアメリカの心理学者であるマースタインのSVR理論という結婚相手を選ぶ過程を理
論化したものを下敷きに作成したものだ.図 3 の進展段階によれば,恋愛の第 1 段階として経
験されるのは出会いだと示されている.その後は,好意の表明等を通じて互いに恋人となり,外
からの脅威を乗り越え仲を深めていくとされている.
この研究成果から,出会いを増やすことが恋愛をする人を増やすことに繋がっていくことがわ
かった.つまり,異性との出会いを増やす方法を考えることこそが今後の少子化問題を解決する
第一歩だと考えられる.
- 213 -
対人魅力の要因
恋愛の進行
出会い
進展
外見的魅力
社会的評判
単純接触の効果
性格の好ましさ
態度や性格の類似
好意の表明
感情的不安定さ
近接性
外からの妨害や脅威
深化
互いの役割の相補性
周囲との役割的適合
出典:松井(1993)
図 3「恋愛の進行と対人魅力を規定する要因に関するモデル」
2-3. まちの可能性
恋愛において,出会いやお互いの思いを深めるという行為は必要不可欠な要素である.そのこ
とは前の節で触れたとおりだ.しかし,現在の社会では深化はおろか,その前の段階でもある出
会いすら満足に出来なくなっている.そのような現状を打破するために,筆者は出会いを生み出
せる場所,そしてお互いの思いを深められる空間が必要だと考える.
ならば,人との出会いやお互いの思いを深められるような場としての役割を担える場所はいっ
たいどこなのだろうか.学校や職場はその一つの例として挙げられる.しかし,もしそれだけな
らば学校を卒業して,会社に勤めていない人に出会いの機会がなくなってしまう.
そこで筆者は新たな出会いの場として,まちという空間に目をつけた.まちは誰もが制限なく
自由に出入りすることができ,そのなかで多様な出会いが演出できると考えたからだ.しかし,
ただ店が並び,人がいるだけのまちでは恋愛に結びつくような出会いは増えないだろう.そこで
必要となってくるのが,異性との出会いを創出し恋を生まれやすくする工夫だ.
これから本稿ではその工夫となりうる 4 つの視点に触れていく.また,これから恋愛をコン
セプトに置いて作られた仮想都市を『恋愛都市』と呼ぶことにする.つまり,恋愛都市を創るた
めの 4 つの要素をこれから論じていくということだ.
3
まちでの出会いを生み出す取り組み
3-1. 街コンの可能性
まちなかでの出会いを増やすといった時,多くの方が街コンという言葉を思い浮かべるのでは
ないだろうか.街コンを通して恋人が出来るなど,街コンが人と人を繋ぐきっかけとなる場の一
つだと筆者も承知している.そのため,恋愛都市において街コンのようなイベントは,積極的に
実施されるべきだと考えている.
本稿を読んでいる方の中には街コンを知らない方もいるだろう.簡潔に説明すると,街コンと
- 214 -
はまちなかで複数のお店を利用し開かれる大型の合コンである.ものによっては,参加者が数百
人規模になる街コンもあり,地域経済の活性化の一つの方法としても活用されている.
街コンはその特性上短い時間のうちに多くの異性と出会えるというメリットが存在する.また,
街コンにはもう一つの大きなメリットがある.それは筆者がまちなかでの出会いを増やそうと考
える一つの要因でもある.そのメリットとは,フェイス・トゥ・フェイスの出会いが生まれるこ
とだ.
現在,インターネットの出会い系サイトや結婚相談所など異性との出会い方は多様化している.
しかし,出会い系サイトや結婚相談所といったサービスは,時に詐欺などの犯罪に巻き込まれる
可能性がある.そうした危険が起こる一つの原因として,当人同士が直接対面して出会うという
プロセスが出会い系サイト等には欠けていることが挙げられる.
こうした危険性を少しでも排除した出会いを創出したい.その思いを実現させてくれる場所と
して,人が対面で出会えるまちなかほど適した空間はない.街コンはそんなまちなかの特性を活
かしてより多くの出会いを生み出す可能性がある取り組みなのだ.
3-2. 市民活動の可能性
フェイス・トゥ・フェイスの出会いを効果的に生み出す方法として,街コンの可能性について
先ほど言及した.しかし,街コンだけに頼り切ったまちづくりをしていては,継続的な恋愛都市
は完成しないだろう.その理由は街コンには商業的側面があるからだ.金銭的な利益が生まれな
くなった時,どんな街コンでも衰退する.ならば,その点を補う取り組みが恋愛都市には必要で
ある.
そこで,重要な存在となるのは市民による自主的な活動である.市民活動の多くは街コンのよ
うな商業的な側面を持たない.つまり,利益が出ないからといって衰退することがない.そうし
た市民活動が活発に行われ,そのなかで異性と出会う流れが生まれることが継続的な恋愛都市の
構築には必要不可欠だ.
例えば,群馬県前橋市の前橋○○部や,高崎市を中心に活動しているジョウモウ大学のような
市民活動は,恋愛都市というコンセプト・シティ iiを創るうえで大きな役割を果たすだろう.こ
の二つの活動には共通点がある.それは,一つのテーマを設定し,それに興味を持つ者同士が集
まり活動を行う点だ.
前橋○○部は,市民が様々な部活を自主的に創り活動する.例えば,カレーの食べ歩きをする
前橋カレー部や集まった人でヨガをする前橋ヨガ部などがある.前橋○○部は○○の中に自分の
趣味を当てはめ活動できるため,共通した趣味の仲間と出会いやすくなる.
もう一方のジョウモウ大学の活動は筆者も参加したことがある.その時は,ZINE という自分
のオリジナル冊子を作りたいという人が集まっていた.筆者も集まった人と話しながら ZINE
を作った.知らない人も大勢いて,最初は緊張したが最後はみんなして笑いながら話していた.
ii
一つのテーマをもとに作られたまちのこと.本論では恋愛をテーマにしたコンセプト・シ
ティのことを恋愛都市と指す.筆者の造語.
- 215 -
筆者自身体験したように,初対面の人とでも好きなものや興味があるものが共通しているとコ
ミュニケーションは取りやすくなる.そして,そのように好きなものを通じて出会い,仲を深め
られる活動はより一層恋を生まれやすくするだろう.事実,研究を進めているうえで,ジョウモ
ウ大学では活動を通じてカップルが生まれたという話も耳にした.
前橋○○部やジョウモウ大学のような市民活動は,さながら共通した趣味を通じて結婚相手を
探す趣味コンのような機能を果たしていると考えられる.もちろん趣味コンと違い,もともと恋
愛を目的として,そうした市民活動に参加している人はほぼ皆無だろう.しかし,恋愛を目的と
していないため,自分を着飾ることのない緩い人付き合いがしやすいという利点もある.
その結果,市民活動は人と人のつながりである社会的ネットワークが広がっていきやすいとい
う側面がある.また,そうした社会的ネットワークは恋愛にも良い影響を及ぼす可能性が高い.
例えば,表 3 を見てほしい.表 3 は第14回出生動向基本調査の『調査別にみた,夫婦が出会
ったきっかけの構成』の調査結果だ.表 3 からは,友人からの紹介で付き合いだしたというカ
ップルは実は意外と多いことが読み取れる.
このように市民活動は,活動自体で異性との出会いがあるだけでなく,社会的ネットワークの
創出という面でも恋愛に良い影響をあたえる.また,街コンにはない継続性という側面からも恋
愛都市における重要性は高いと考えられる.
表 3「調査別にみた,夫婦が出会ったきっかけの構成」
恋愛結婚
調査
(調査年次)
総数
第14回調査
(2010年)
100
友人・ 兄
職場や仕
弟姉妹を
事で
通じて
29.30%
2 9 .7 0 %
学校で
11.90%
サークル・ク
街なかや
アルバイト 幼なじみ・
ラブ 習い
旅先で
で
隣人
ごとで
5.10%
5.50%
4.20%
2.40%
見合い結 その他・不
婚
詳
5.20%
6.80%
国立社会保障・人口問題研究所(2010)をもとに筆者作成
3-3. 街コン,市民活動の問題点
さて,これまで第 3 章では街コンと前橋○○部やジョウモウ大学のような市民活動による新
たな出会いの可能性について触れてきた.しかし,街コンや市民活動だけで理想とする恋愛都市
が完成することはないだろう.もちろん,その原因は街コンの継続性や参加費の高さといった
個々の問題でもある.しかし,そうした点は市民活動によって補っていくことができることは前
述した.そこで,ここからさらに考えていかなければならないのは,街コンや市民活動だけでは
補えない部分についてだ.
例えば,街コンや市民活動には時間的な制約が存在する.どちらの取り組みも一年間 365 日
毎日開催されているわけでない.市民活動の活動日は不定期であろうし,大型の街コンになれば
年に一回開催されるだけかもしれない.その開催日に仕事や講義といった別の予定が入ってしま
えば,活動に参加することはできない.
- 216 -
時間がある人だけが,異性との出会いがあればいいのか.恋愛ができればいいのだろうか.少
なからず,恋愛都市では時間の有無によって異性との出会いがなくなることはあってはならない
ことだと考える.誰でも自由に出会いがあり,恋愛が生まれるまちこそがコンセプト・シティと
しての恋愛都市だ.
ならば,どうすればいいのだろうか.まちに行けばいつでも出会いがあり,金をかけることな
く出会え,なおかつ継続性がある出会いの場をまちに創り出す方法はないのか.それに対する筆
者なりの答えをこれから第 4 章で語っていくとしよう.
4
出会いを生み出すまちの仕組み
4-1. コンパクト・シティの可能性
いつでも,金がかからず,継続性がある出会いの場をまちに生み出す一つの方法として,私は
コンパクト・シティという考えを提案する.コンパクト・シティとは「一般的には,①高密度で
近接した開発形態,②公共交通機関でつながった市街地,③地域のサービスや職場までの移動の
容易さだ――という特徴を有した都市構造のこと」
(吉田 2014: 98)とされている.
まちをコンパクト・シティにすることで,恋愛都市として得られるメリットは二つある.一つ
目は,主な移動手段が徒歩や自転車になることで,人と出会いやすくなり,会話が生まれやすく
なることだ.例えば,群馬県は車社会と呼ばれるほど車が普及している.しかし,車に乗ってい
る時に,新しい人との出会いはほとんどない.もし,知り合いに出会ったとしても会話をするこ
とは出来ないし,挨拶をすることすら叶わない.その一方,徒歩等の移動手段なら移動中にも人
と出会い,会話をすることが出来る.そのように移動中にも人との出会いが生まれるまちの構造
こそがコンパクト・シティなのである.
二つ目のメリットは,まちが小規模都市空間になることで知り合いと出会いやすくなることだ.
ここまでの話では,異性の人と出会うことに重点を置いて語ってきた.しかし,出会いがあって
も,その先の恋愛へと発展しなくては恋愛都市の目的は達成されない.そこで考えなくてはいけ
ないのが,出会いをどう恋愛へと結びつけるかだ.その点において,二つ目に挙げたメリットは
効果を発揮するだろう.
恋愛において意中の相手と出会う回数が増えることは重要なことだ.なぜならば,人は偶然出
会う回数が増えれば増えるほど,その相手に対して好意を持ちやすくなるからだ.それは心理学
の分野において単純接触効果と言われている.少し前の資料になるが図 3 から松井(1993)も
恋の進展には単純接触効果が働いていると考えていることがわかる.これらの結果からコンパク
ト・シティの構造は新たな出会いと互いの仲を深める両面で作用することがわかる.
もちろん,出会いの数が多ければ必ず恋愛が出来るとは言えない.しかし,少しでも目的を達
成出来るような仕組みがあるのなら,積極的にまちに落としていくことこそコンセプト・シティ
の形成で重要なことだ.その点で,やはりコンパクト・シティは一つの仕組みとして恋愛都市に
取り入れるべきなのだ.
- 217 -
4-2. 空間デザインの可能性
もちろん,そんな簡単にコンパクト・シティが実現出来るとは考えていない.まず,スケール
が大きすぎる.地域財政的にも既存のまちをつくり変えるのは厳しいだろう.しかし,コンパク
ト・シティのような人が出会い,会話が生まれる空間は恋愛都市に必要である.
ならば,まちを丸ごとつくり変えるのではなく,まちの一部を人との出会いが生まれる場につ
くり変えるというのはどうだろうか.例えば,広場や建物,店先のようなちょっとした空間を工
夫することで人の出会える場をつくるのである.それならば,経済的負担も少なく済み,実現ま
でにかかる時間も短く済むだろう.
そのような人との出会いが生まれる空間デザインのヒントは意外と身近にある.例えば,まち
なかにある休憩所は出会いと会話が生まれる可能性がある場の一つだろう.なぜならば,誰でも
自由に使え,ベンチのようなゆっくり会話が出来るスペースがあるからだ.それだけでも立派な
出会いの空間だ.
他にも,昔の八百屋や駄菓子屋,東京のアメ横などの店頭販売の形は一つの空間デザインだ.
その理由は,店先に商品を並べることで,それを見に来る客と店員の間で会話が生まれやすくな
るからだ.そして,店の商品を見ながら話をするという行為は,初対面の客と店員同士でも何不
自由なくできるだろう.そのため,店頭販売をする店先は,店側の人間と客が普段の生活をしな
がら新たな出会いを楽しむ場となりうる.その出会いによって,もしかしたら客と店員の間で恋
愛に発展するかもしれない.
また,店頭販売のような空間デザインには,もう一つ注目すべき点がある.それは店先を開け
た空間にすることで,店内が可視化する点だ.その店に知り合いがいる時,もし外から店内が見
えていれば,その知り合いに声を掛けることも可能である.つまり,知り合いとの出会いが生ま
れやすくなるのだ.恋愛に発展するために,同じ相手に何度も会うことの重要性はすでに触れた
とおりだ.その助けとしても,店の中などを可視化できる店頭販売のような空間デザインには目
を向けるべきだ.
このような空間デザインをもし例えるなら昔の日本家屋の縁側だろう.いい具合に可視化され,
自由にそこにいる誰かとゆっくりできる.そのようなイメージを持った空間こそが恋愛都市には
必要だと筆者は考える.
しかし,コンセプト・シティと空間デザインに共通していえる欠点がある.それはいい空間が
あっても人が集まらなくては意味がないという点だ.そこで,まちに人を呼ぶ仕組みが必要とな
る.
その仕組みとして,街コンのようなイベントや市民活動は充分機能するだろう.街コンや市民
活動を通してまちに入り込み,出会いを促すような空間で過ごす.そのような相互補完的な形で
まちづくりが行われることが恋愛都市にとって最も重要である.
4-3. まとめ
本稿では,恋愛都市なるコンセプト・シティづくりの一案として,街コンや市民活動,コンパ
- 218 -
クト・シティや空間デザインの話をしてきた.それは恋愛を増やすことを通じて,少子化という
社会問題を少しでも緩和するためでもある.しかし,本稿で取り上げた全ての要素を含む都市が
実際に完成するかは筆者自身わからない.ここでは筆者は恋愛都市の完成を非常に望んでいると
だけ言っておこう.
そのような実現するかもわからない都市の新たな提案をして論を終える.もし,それだけで本
稿を終えた場合,本稿の価値は非常に低いものとなるだろう.そこで,最後に本稿の研究を通し
て見えてきたコンセプト・シティという一つの概念に対する期待を語り本稿を終えたいと思う.
前述したとおり,恋愛都市というコンセプト・シティでは街コン等の各要素が相互補完する形
でまちが成り立つべきだ.その構造を非常に簡単にではあるが,図で示すと図 4 のようになる.
理想の恋愛都市
図 4「理想の恋愛都市構造モデル」
昨今,まちづくりは地方自治体のような行政機関と,そこに住む市民や企業等が協力して行う
ものだと多くのところで語られている.その結果,現在では様々な主体がまちに関わり独自のサ
ービスや活動を展開している.しかし,各主体が自らの目標しか考えず活動しているだけでは,
まちとしてのまとまりや強く押し出せる魅力がなくなってしまうと筆者は考えている.
そこで,重要となるのは各主体が共通の目標を持つことだ.例えば,恋愛都市においては,そ
の共通目標を恋愛というコンセプトにおいている.そのため恋愛する人を増やすために,行政は
まちにコンパクト・シティや空間デザインを取り入れ,市民は市民活動を活発にし,企業や商店
は場を作り出しつつイベントを行う.
そのような相互補完関係を生み出し,尚且つ一つのまちとしてのまとまりを作りだすことがコ
ンセプト・シティの大きな強みだ.また,コンセプト・シティは住民のライフスタイルの確立に
も影響を与えるだろう.まちなかに出会いがあるため,週末はまち歩きをするといったライフス
タイルが恋愛都市なら生まれるかもしれない.
このように同じく行政・市民・企業が協力する形でも,まちとしてのコンセプトを持つだけで
まちは大きく変わる.本稿では恋愛をコンセプトに恋愛都市の可能性を探ったが,コンセプト・
シティはどんなまちでも応用は可能だ.そのため,今後のまちづくりを考えるうえで,コンセプ
- 219 -
ト・シティという概念が一つの選択肢として広く取り入れられることを筆者は願っている.
おわりに
ここまで本稿を読んで頂いた方にはわかると思うが,恋愛都市なるものは筆者の頭の中にしか
ない.いうなれば筆者の壮大な妄想から書き上げられたのが本稿である.そのため,ただの妄想
ですべてを片付けないように,各テーマでは実体験の話やデータを多く取り入れてきた.
しかし,この恋愛都市がもし現実になったとき,少子化の問題や第 1 章で示した調査結果が
改善されるかはまったくわからない.恋愛都市全体としてどれほどの効果を生むのか,コンセプ
ト・シティが実際稼働できるのかは正直未知数だ.もし実現可能性の議論を検討するならば,音
楽を一つのコンセプトとしている高崎市は良い研究舞台となるだろう.しかし,詳しく研究して
ないが高崎市を見ると日常的に音楽を実感できる点が少ないと感じる.その点を考慮するとコン
セプト・シティの実現は非常に難しいものなのかもしれない.その点を解明できなかったのは本
稿の課題である.
また,本稿ではまちという舞台づくりに目を向けるあまり,そこに息づく人たちの視点が欠け
ていたと思われる.舞台上で人が実際にどう考え動くのかをより綿密に検討できれば,さらに有
意義な論文となっただろう.
最後になったが最も重要なことを言おう.それは,もしかしたら本稿の根幹を揺るがすものか
もしれない.それは筆者には恋人がいないということだ.本稿を読まれた方で,恋愛都市に興味
を持った方がいれば是非実現してほしい.それが本稿で訴えたいことの最後の一つだ.
文献
浅川達人・船津衛,2014,『現代コミュニティとは何か』恒星社厚生閣.
国立社会保障・人口問題研究所,2010,
『第14回出生動向基本調査――結婚と出産に関する全
国調査』
.
厚生労働省,2012,『平成 23 年(2011)人口動態統計(確定数)の概況』
.
松井豊,1993,『恋ごころの科学』サイエンス社.
Nicholas A. Christakis and James H. Fowler,2009, Connected: The Surprising Power
of Our Social Networks and How They Shape Our Lives, New York: Little, Brown
and Company.(=2010,鬼澤忍訳『つながり―― 社会的ネットワークの驚くべき力』
講談社.
)
大橋正夫・長田雅喜編,1987,『対人関係の心理学』有斐閣.
総務省,2011,『平成 22 年国勢調査』.
戸所隆,2000,『地域政策学入門』古今書院.
吉田肇,2000,「地方都市におけるコンパクトシティの導入に関する考察―― 宇都宮都市圏と
富山都市圏におけるケース・スタディ」宇都宮共和大学,97-108.
- 220 -
高架下からのまちづくり
―人のつながりをつくるコミュニティデザイン―
小板橋 絵名
はじめに
近年では,交通網の発展により地方で自動車を使用して生活する人が大半を占めている.筆者
の出身地の高崎市もその一つだ.どれだけの人が駅を利用し駅周辺のお店に立ち寄っているだろ
うか.現在では,駅周辺には自動車を止められる駐車場が少ないため,駅の近くにある店舗に立
ち寄る人が少ないのである.そして,駅を挟んで人通りも増減がある.
このような背景を踏まえたうえで,筆者の出身地にある高崎駅の高架下を有効的に活用し高崎
の魅力を発信する政策を立案する.
1
コミュニティの形成によるこれからのまちづくりの在り方
1-1. まちづくりとは
現在の高崎駅内の通行量は約 17,000 人である.東口の高崎タワー21 前は約 4,000 人,西口の
日本通運跡地前は約 10,000 人という結果になっている(高崎商工会議所
2012)
.高崎駅の通路
を通らないと東側から西側に,西側から東側へと移動することができないのが現状である.東側
と西側をつなぐ通りが 1 か所しかないということが,通行量が両方で差が出る要因である.そこ
で,筆者は高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間の高架下を利用し東側と西側の両方に人が流
れるような政策を立案する.そして,その空間を快適空間に変えることで高崎に人を集める.こ
の高架下の利用から人の流れをつくり,山崎氏のコミュニティデザインの手法を用いて高崎市の
新たなまちづくりを考えていく.
まず,まちづくりの定義を確認しておく.まちづくりとは,街路や公園,建物といった公共施
設を造ることだけではなく,社会,経済,文化,環境等,生活の根幹を構成するあらゆる要素を
も含めた暮らしそのものを造ることである(Sasaki
2014).したがって,まちづくりは自治体
や民間企業,専門家などまちづくりの担い手によるプランニングやデザインといった空間づくり
だけではなく,市民や NPO などのまちの使い手による町並みの保存や再生,コミュニティ・ボラ
ンティア活動などを含めた総合的・複合的な行為によって初めて実現されるものであると言える.
そして,まちづくりはその空間が生活の場として使われていく中で,長い年月をかけて行われる
継続的な創造活動である.
つまり,まちづくりの総合的・複合的な行為を行うためには自治体などだけでなく市民や NPO
などが必要であることと,その行為を長い年月行うためのコミュニティを形成しなくてはならな
いのである.
- 221 -
1-2. コミュニティ形成の変化
前節で述べたように,まちづくりにはまちづくりの担い手のコミュニティが不可欠である.コ
ミュニティは,その地域に住む住民集団ではなく,その地域をより良くしたいという共通の認識
を持ち合わせ協力し合う人々の集まりである.このコミュニティが時代とともに変化してきてい
る.そして,まちづくりの手法も変わってきているのである.従来のコミュニティは大きく3つ
に分けられる(山崎
2011,2012).①自治会・町内会のような地縁型コミュニティ,②行政主
体のトップダウン型コミュニティ,③住民主体のボトムアップ型コミュニティである.なぜ,こ
の3つのコミュニティの在り方が変わってしまったのだろうか.それはそれぞれに問題点がある
からである.
地縁型コミュニティは,束縛の強さに問題があった.コミュニティの中で地域住民同士が助け
合い協力し合う暮らしは,安心感や便利性を持つが,その反面地域住民同士の中にあるルールや
秩序を乱す者には厳しい制裁が下される.「村八分」という言葉があるように,コミュニティに
属せないと生活困難になってしまうほどのつながりは,住民同士が顔色を伺いあいながら暮らす,
閉塞感のあるつながりであった.
トップダウン型コミュニティは,地縁型コミュニティと異なり地域住民と政府とのつながりで
成り立っている.政府が地域問題について考え,問題を解決する体制になっているため地域住民
はお客様感覚で非協力的になってしまう.地域住民の希望に合っていないコミュニティ施設や施
策を作ると地域住民は不満を募らせるものの,その解決をまた政府にまかせるという仕組みをと
ってしまうのだ.つまり,地域住民個々の願いに対して政府が答えることができるほどの財源や
資源が追いついていない.そして地域住民のつながりが希薄になりすぎてしまい無縁社会が成立
してしまう.さらに地域住民の要望をすべて聞き入れられない政府に不満が増大してしまう仕組
みなため破たんしてしまうのである.
地域住民主体であるボトムアップ型コミュニティは,コミュニティ問題や地域住民の願いに対
して直接対応することができると共に希望通りになりやすい.コミュニティ内で解決できる問題
もあり政府の負担は軽減される.しかし,ボトムアップ型コミュニティの地域住民主体は理想と
して終わってしまうケースが多い.例えば,政府が用意した住民参加型プログラムに参加するだ
けで地域住民主体と呼ばれてしまうことがある.また,一部の人間だけが行動し活動しているこ
とが地域住民主体と見えてしまうことがあるのである.つまり,地域住民が自発的に目指してい
るというよりも政府から提示されて目指すように仕向けられているという仕組みになっている
ため地域住民主体となっているか明確にならないのである.
このように従来のコミュニティでは問題があり,これからはコミュニティを自分たちの手で作
っていく必要がある.このまちづくりの分野で最近目立っている取り組みがコミュニティデザイ
ンである.コミュニティデザインという言葉を広く世間に知られるきっかけともなり,自身も全
国のまちづくりに携わっている山崎亮は,コミュニティデザインとは「人がつながる仕組みをつ
くること」だと述べている(山崎
2012).
- 222 -
1-3. 地縁型コミュニティからテーマ型コミュニティへ
山崎氏によると,現在のまちづくりでは「地縁型」と「テーマ型」があるという.「地縁型」
とは前節で述べた地縁型コミュニティと同様な意味合いで地域住民によって形成されるコミュ
ニティである.「テーマ型」は,趣味や興味でつながったコミュニティのことである.コミュニ
ティデザインでは,テーマ型の取り組みを行う中での,地縁型とのコミュニティの形成が重要で
あるとしている.この手法がうまくいった事例を取り上げる.東京都墨田区向島地区の事例であ
る(金
2012).
東京都墨田区の向島地区は,都心部工業地域として高度成長期を支えてきた零細製造業の衰退
や木造密集市街地として防災上の危険性という2つの課題を抱える,城東の下町エリアである.
京島・東向島など一部地区が関東大震災・東京大空襲による被害をまぬかれ,戦前から続く木造
密集市街地の街並みがいわゆる「下町情緒」を感じさせる場所として知られる一方で,近年では
東京スカイツリーの建設や駅周辺を中心とした大規模商業施設の進出,マンション開発など,観
光地化と再開発が可視的に進んでいる.
ここでの最初のまちづくりは,防災に関してであった.1985年に東京都の「東京都防災モデル
事業」対象地区として選定されたことをきっかけに住民参加型の防災まちづくりが始まった.住
民の反対により,行政主導の再開発ではなく,町会・専門家・大学の研修室が協力する形でまち
づくりの組織が作られ,地縁型のまちづくりとして注目を集めた.しかし,1990年代に入ると防
災事業の終了や自治体の予算不足などがあり防災まちづくりは低迷した.
ところが,防災まちづくりが低迷していく中で,空き家や空き店舗の防災上に危険性が新たな
問題として指摘された.その際に,空き家へのアーティストの一時滞在が提案されたのがテーマ
型のまちづくりへのきっかけとなった.向島地区におけるアートの歴史の始まりである「向島博
覧会」は,こうした実験の最初の場であった.向島博覧会は博覧会をきっかけに若手アーティス
トやアート関係者が向島地区へ移住し始めたのである.「地縁型」のコミュニティに若手アーテ
ィストやアート関係者が加わることで新たなまちづくりの組織ができあがり,人のネットワーク
を広げる役割を担った.「下町の隠れたアートタウン」として関係者やアートファンを中心に知
られるようになり,近年では東京スカイツリーの影響もありメディアからも注目され多くの観光
客を惹きつけている.
このように,テーマ型コミュニティの中に地縁型コミュニティを活かすような取り組みこそが
これからのまちづくりの重要でありこの取り組みが広がりつつあるのである.
2
高架下の空間利用について
2-1. 高架下の誕生
前章では,コミュニティとまちづくりの変化を述べてきた.まちづくりでは,コミュニティを
重要視している.そこで,近年のまちづくりの担い手となる人々は,人がつながる仕組みをつく
ることがまちづくりに必要であると考えた.従来の町内会などの身近な人々とのつながりではな
く,趣味や興味が合う人々とのつながりを大切にしていく.これにより,趣味や興味でつながっ
- 223 -
たコミュニティを基盤となって,廃れてしまった身近な人々とのコミュニティを形成していくこ
とが可能なのである.
このまちづくりの在り方を高架下でも生かせるのではないだろうか.高架下はどの地域でもあ
るが,有効利用されている箇所は数少ない.そこで高架下を拠点として,趣味や興味でつながっ
たコミュニティが形成すれば,そのコミュニティを中心として新たな地域のつながりが創出でき
る.そして,高架下でそのコミュニティが活動することで地域内外から人が集まりその地域の活
性化につながると考える.高架下は利用価値のある空間なのである.
まず,高架下がなぜできたのかを述べていく.1992 年 3 月に東海道新幹線にのぞみが走るよ
うになったことをきっかけに今まで自動車を頼っていた貨物輸送を内航海運や鉄道運輸に切り
替え始めた(山本
1994)
.そして東京や大阪などの大都市では,鉄道による通勤・通学輸送量
が大きなウェイトを占めている.このような状況の中,鉄道会社は輸送量力の増強やスピードア
ップを考えざるを得ないということになってきたのである.そこで誕生にした政策が高架化であ
る.大都市交通における輸送力の増強ために,複数の路線を作る場合には高架で行うことが求め
られる.そして,高架化によって高架下の空間が生まれたのである.
2-2. 高架下の事例
高架下が誕生してからというもの高架下空間を活用した事例は数多く出てきている.本節では,
2つの事例をみていきたい(山本
1994)
.1 つ目は,高架下に住宅を作った事例である.京王
帝都電鉄の高尾駅から挟間駅間にある社宅である.高架下は騒音や振動があり柱も多いため,高
架下に住宅ができるとは思いつかない.実際には物理的な限界や都市計画上の制約条件など,2
年にわたり社員に住まわせて住み心地の検証をしたうえで高架下の空間に住宅を作ったという.
2 つ目は,ミニ交通博物館の事例である.これは,東京都墨田区の東武鉄道・東向島駅の高架下
空間を利用したものである.この博物館は,走ってくる本物の電車を下から見ることができる.
子供たちにとっては興味をそそる利用の仕方である.
しかし,これらの事例は衰退傾向にある.安全性や需要の低下が要因だと考えられる.ただ,
高架下を利用するだけでは成り立たないことがわかった.
2-3. 高架化が与える影響と住民の意識調査
前節での事例のように当時では独特な高架下の利用がなされていたが,高架化にともないトラ
ブルや隣接住民からの反対を受けた.トラブルとは,配線のミスである.高架化に伴う線路切り
替え工事で単純な配線ミスが相次いでみつかり,三鷹~立川間が運休した.配線ミスで新設した
仮線路の線路分岐器や踏切が正常に作動しなかった.このトラブルで約 18 万人に影響が出た(朝
日新聞
2003)
.
そして,高架化する前は隣接住民から提訴や訴訟が起こった(朝日新聞
2014).京王線高架
化に反対した提訴や神田駅の超高架差止訴訟である.両方とも隣接住民は,高架化した時の危険
性を訴えた.高架化は,その他にも日照や景観を悪くしたり電波障害を起こしたりなど悪い面あ
- 224 -
ると指摘していた.
しかし,実際に高架化が全国で本格的に進み国民から受け入れ始められるようになる.隣接住
民の考えも変わってきて,高架化に対する評価は,全体を見ると約60%の住民が高架化してよか
ったと評価している(図1).これは,高架化に伴う運送量の増加などだけではなく自動車の交
通が円滑になったり,事故や騒音の減少につながったりしたことが要因だと考えられる.また,
高架化利用後に対する評価では,沿道住民や周辺住民の約70%が施設や店舗を利用できてよいと
いう結果となった(図2)
.それに対し隣接住民の有効利用されていないが約40%となった.こ
れは,施設を利用して高架化することに対して高評価をしている一方で,住居に隣接する高架下
の有効活用していないという意識があるからだと考えられる.
全体
とても良い
隣接住民
良い
どちらでもない
沿道住民
悪い
周辺住民
とても悪い
0% 20% 40% 60% 80%100%
出典:「鉄道高架下空間に対する住民の意識に関する研究(2007)」
図 1 高架化に対する評価
全体
感心がない
隣接住民
施設や店舗などを
利用できてよい
沿道住民
有効利用されてい
ない
周辺住民
悪いことしかない
0% 20% 40% 60% 80%100%
出典:「鉄道高架下空間に対する住民の意識に関する研究(2007)」
図2
高架化利用後の評価
- 225 -
2-4. 文化・歴史の側面から見た高架下の利用
本節では,前章で述べた趣味や興味でつながったコミュニティが基盤となっている施設を紹介
する.その施設は,高架下を拠点としており,前章での住民の利用者が多い場所でもある.その
施設とは,「2k540AKI-OKA ARTISAN」と「阿佐ヶ谷アニメストリート」である(ジェイアール東
日本都市開発
2009,2014).本節では,この 2 つの事例を取り上げる.
2k540AKI-OKA ARTISAN は,秋葉原駅と御徒町駅の中間に位置している.2k540AKI-OKA ARTISAN
ができる前の周辺は,飲食店や小売店舗が集中しており,浅草とともに台東区を代表する繁華街
となっている.また,ジュエリータウンおかちまちと呼ばれる貴金属や宝飾品の卸小売業が集積
している.その他,南部の浅草橋・蔵前周辺は,玩具・雛人形・文具等の卸小売業や,繊維製品
の材料・布地等の卸小売業,帽子製造業等も多数存在している.秋葉原駅周辺は電気街に加え,
IT 産業進出の動きも見られる.浅草の仲見世,谷中銀座,合羽橋商店街なども広く知られた商
店街である.
このように,台東区には,特徴のある商店街や問屋街がみられ,老舗が多いこともあり,商業
活動を通じて古き良き時代の生活文化を提示するなどの賑わいを生み出している.その一方で,
売り上げの減少や空き店舗を抱えるなど,活力の低下がみられるところも存在している.また,
秋葉原から御徒町の高架下は駐車場や倉庫にしか使われていなかった.
ジェイアール東日本都市開発は,高架下に人の流れを作り新たなブランド価値の創出を目指す
と共に「ものづくり」をコンセプトにしてこの地域が持っている資源を活用した.そして,
2k540AKI-OKA ARTISAN ができたのである.そのために,2k540AKI-OKA ARTISAN の店舗は,革製
品や傘,ろうそくの専門店などが立ち並んでいる.
2k540AKI-OKA ARTISAN の特徴は,工房とショップが 1 つになったスタイルであり少量生産の
こだわりの物ばかりを取り扱う専門の店舗が並んでいることである(写真1).職人とお客さん
が直接話せる環境が整っている.そのため,お客さんにとっては自分オリジナルな商品を作って
もらうことができ,職人にとってはモチベーションが高まり,トレンドをつかみやすいのである.
そして,そこから新たなコミュニティが生まれるのである.コミュニティの拡大や次世代の職人
を発掘し育て支援していく環境が整っている.
2k540AKI-OKA ARTISAN のなぜ人が集まるのだろうか.それは,細かいところに対象に対して
のコンセプトに沿ったアプローチがなされているからである.職人であれば,先ほども述べたが
お客さんが自分の作った商品に興味を持ってもらうことができ直接的に評価してもらえる.また,
高架下ということもあり格安で借りることができる.この周辺で活動している職人が集まりやす
いのである.お客さんであれば,ものづくりが体験できるワークショップやそこでしか買うこと
のできない商品がそろっている.ガチャでさえも一つ一つが職人の手作りであり,何度でもこの
場所を訪れたいという気持ちにさせるのである.
- 226 -
写真 1
2k540AKI-OKA ARTISAN
阿佐ヶ谷アニメストリートは,阿佐ヶ谷駅から 4 分ほど歩いた高架下にある.阿佐ヶ谷は,日
本にある 200 社のアニメ制作会社のなかで,約 70 社が周辺にあるという都内有数の“アニメを
生む街”である.アニメの作る人と観る人が集える場所として新たな交流を生み,新人クリエイ
ターの創出に繋がる場として阿佐ヶ谷アニメストリートができた.
阿佐ヶ谷アニメストリートは,カフェやコスプレ,ガチャの専門店が立ち並んでいる.また,
アニメ業界の次世代の担う若者を育成するために専門学校が入っている.また,阿佐ヶ谷アニメ
ストリートもイベントを開催している.アニメの原画展示会や短編映画の上映など周辺地域の特
徴や資源を利用した取り組みをしてきている.現在の阿佐ヶ谷アニメストリートは,活気があふ
れる場所としては程遠いが 2014 年にオープンしたばかりのため発展途中であり新たな取り組み
をしているようなので調査を続けたいと思う.
この 2 つを取り上げたことで見えてきたことがある.それは,高架下の周辺地域の歴史や文化
を理解したうえでコンセプトに取り入れていくことである.そして,対象を決めたうえで地域資
源を利用した空間づくりをしていくことである.職人の街やアニメの街などのように地域の特徴
を捉え人が来るような取り組みをしなくてはならない.
3
高崎の高架下の魅力あふれる利用
3-1. 高崎の歴史的文化
これまで,まちづくりの在り方や高架下を利用した取り組みを述べてきた.近年のまちづくり
には,人がつながる仕組みをつくることが重要であり,特に趣味や興味でつながったコミュニテ
ィを生成することが求められてきている.そして高架下を拠点としてそのコミュニティ形成し成
功している施設もある.筆者の出身地である高崎市でも,利用されていない高架下の空間はいく
つもある.前章で述べた「2k540AKI-OKA ARTISAN」や「阿佐ヶ谷アニメストリート」のように高
崎駅の高架下も人を集められるのではないだろうか.本節では,初めに高崎市の歴史と文化につ
いて述べていきたい.特に駅周辺の町で,現在でも老舗として商売をしている地域について述べ
る.
高崎駅周辺には,鍛冶町,鞘町,桧物町,田町,がある.鍛冶町は,高崎に城下町ができはじ
- 227 -
まったときからの職人町で,箕輪から職人とともに町の名前まで移って来た町である.慶長年間
のこの町の住人はすべて刀工,鍛冶職人であった.この町には,その名を全国的に知られていた
守重,守次,守行らの刀工もいた.今の高崎でもお店を開いている方もいる.鞘町は,刀の鞘を
こしらえる鞘師が多く住んでいた.桧物町は「桧物師」が多く住んでいた.
「桧物」とは,ヒノ
キ,マツ,サワラなどの薄い板を曲げて作る「曲げ物」のことで,これは,食器や勝手用品とし
て欠かせないものであった.田町は,『高崎寿奈子』に「当国第一繁昌の大市なり,商売物造酒
屋,酢醤油屋,呉服,絹綿,太物,穀問屋,肴問屋,小間物問屋,鋳物,其他品々卸,小売見世」
とあるように商店が建ち並び,買物客などで大変なにぎわいをみせていた町であったことが伝え
られている.高崎は,職人たちが集う街であり商業集積地として栄えていたのである.現代でも
県内有数の商業都市として栄えており,高崎郊外に位置する問屋町は日本初の郊外型問屋団地で
ある.
3-2. 高崎の魅力
高崎市は,職人たちが商売をして栄えた商業集積地である.そして,中核都市として現在も栄
えている.本節では,その歴史的文化が根付いている高崎の今の特徴や魅力について述べていく
(高崎新聞
2012).
高崎市のJR線や道路網は高水準であり高崎の強みである.高崎駅は,群馬県で最大の集客施
設となっている.また, 関越自動車道,上信越自動車道,北関東自動車道,上越新幹線,北陸
新幹線の高速交通網と,国道 17 号,18 号,東毛広域幹線など高崎圏域の広域交通網は,高崎の
都市戦略を支える都市インフラとなっている.
食品工業の集積では,ナショナルブランドの「ケロッグ」,「ハーゲンダッツ」,「第一屋製
パン」,「東海漬物」,「加ト吉水産」,「クラシエフーズ」,飲料では「大塚製薬」,地場企
業では,「高崎ハム」,「ガトーフェスタハラダ」,「ハルナビバレッジ」,「オリヒロ」など
が挙げられる.ケロッグもハーゲンダッツも国内唯一の生産工場で,高崎ブランドと言える.平
成 23 年 8 月から,高崎森永第一工場が稼働,高崎操車場跡地では,ガトーフェスタハラダの新
工場が誕生し,さらに食品工業が高崎の特徴的な産業となっている.
高崎市の畜産では,豚モツの出荷量は全国でも屈指である.モツは肉の副産物で,統計には表
れてこないが,およそ年間 3,000 トンの豚モツを出荷すると言われる.牛モツも群馬県内のほぼ
100%が高崎で扱われている.
これらが高崎の魅力であり,魅力を広げるために国内最大の飲食サイト「ぐるなび」と連携し
「高崎ブランド」の発信に取り組んでいる.群馬県の知名度やブランド力は,全国最低水準であ
ることから,観光誘致や都市集客の面でも,交通網を利用して飲食,特産品の発信をしていくこ
とが必要になってくる.
歩行者並び自転車利用者の属性区分は「40 歳以上女性」・「40 歳未満女性」・
「女子学生」・
「一
般男性」
・
「男性学生」
・
「ファミリー」
・
「カップル」の 7 つにかけて算出している(高崎商工会議
所
2012)
.今回は,ビブレ西入り口前と日本通運跡地前,高島屋東入り口前に絞って集計した
- 228 -
データをまとめた.結果,ビブレ西入り口では,40 歳以上の女性と 40 歳未満の女性,一般男性
の 3 属性で全体割合の 77%を占めている.一番少ない割合は女子学生の 1%となった.日本通運
跡地前では,女子学生の 23%及び一般男性が最も多い.高島屋東入り口前では,一般男性が 27%
で一番多く男子学生が 8%で一番少ないという結果となった(図3)
.
結果からわかるように,40 歳以上の女性や 40 歳未満の女性,一般男性が多い.高崎駅周辺で
仕事や買い物をしている方がおり,特に買い物に関してはこの世代が好む商品を販売している店
舗が街中にあふれているからだと考えられる.そして,西口の方が東口より通行量が多い.これ
は,高崎駅より東に行くために一度高崎駅内を経由していかなくてはならないからだと考えられ
る.
高島屋入り口前
11%
9%
13%
18%
8%
27%
14%
日本通運跡地前
8% 6% 8%
11%
23%
21%
23%
ビブレ西入り口前
8%
3%
11%
42%
5%
30%
1%
出典:「高崎市中心市街地通行料動向調査(第 46 回)2012」
図3
歩行者属性の傾向
3-3. 立案
高崎の歴史的文化や魅力,交通量を踏まえたうえで高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間
(図)の高架下利用について考えていく.
前節で述べたとおり高崎市は昔も今も職人たちが集い,独自のブランドを県外に広げている.
老舗と群馬独自の技術を誇る大企業が高崎を支えているのである.そして,40 歳代の女性と一
般男性が多く駅の中を通らなくてはならない環境になっているため東と西の通行量に変化が生
- 229 -
じている.
このことを参考に,高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間の高架下ではコンセプトを考えた.
1 つ目は「高崎から魅力を発信する」である.高崎で昔から営んでいる老舗や群馬を拠点として
いる企業,食品,芸術を広げ高崎を県内外の人々に印象付ける.そして高崎に訪れる人を増やす
という意図が込められている.2 つ目に「人と人を繋げる」である.企業同士やお客同士,企業
とお客との交流する取り組みをすることで,コラボ商品が誕生したりもう一度訪れたりしてほし
いという思いが込められている.
高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間の高架下利用では,対象客層を 40 歳代の女性と一般
男性に絞る.食器や包丁などの日用雑貨の老舗やケロッグやハーゲンダッツ,森永の商品販売店
を高架下に配置する.日用雑貨を買った方が,自分の子供たちに森永などでお土産を買っていく
ということを狙っている.店内は商品が置いてあるだけでなく,実際に商品を作ったり出来立て
の物をお客に提供することも可能である.そして買えない商品を開発し販売する.バレンタイン
などの行事が近づくと作り手がお客と一緒に商品を作るイベントを開催する.ここでは,対象と
している 40 歳代の女性が子供とともに来て親子同士の交流を狙っている.
高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間の高架下利用は,高崎駅の人の流れをつくることで高
崎に人が集まるきっかけになる.高崎の魅力が伝われば,認知度や地域ブランドが上昇するので
はないだろうか.そして,企業間や世代間のコミュニティが形成されることで県外に出ていく若
者が減る.むしろ若者は高崎に行くことを目的として集まってくると考える.そしてこのコミュ
ニティの形成が中心となり新たなコミュニティが生まれる.さらに,町内会などの高崎駅周辺の
町と連携が取れるようになれば,高架下を拠点としたまちづくりが進み高崎市の活性化につなが
ると考える.
この区間
図4
ヤマダ電機~メトロポリタン間地図
おわりに
筆者は本論で,近年のまちづくりや高架下の事例を研究してきた.その中で分かったことは,
人と人とのつながりをつくる仕組みをすること,地域の魅力を理解したうえでテーマや入れる店
- 230 -
舗を考えることである.そして,研究して得た知識で高崎駅のヤマダ電機~メトロポリタン間の
高架下を利用したまちづくりの立案を行った.しかし,今回の立案は,筆者にとって完璧なもの
ではないと考えている.したがって,これからのまちづくりや高架下を有効活用した施設を訪れ
て研究していくことを今後の課題としていきたい.
文献
朝日新聞,2003,JR 中央線工事,8 時間遅れ終了配線ミスで信号故障,
(2014 年 12 月 2 日取得,
http://news.a902.net/a1/2003/0929.html)
.
朝 日 新 聞 , 2014 , 京 王 線 高 架 化 に 反 対 し 沿 線 住 民 が 提 訴 ,( 2014 年 12 月 2 日 取 得 ,
http://www.asahi.com/articles/DA3S11005151.html)
.
平山 隆太郎,2007,
『鉄道高架下空間に対する住民の意識に関する研究』早稲田大学修士論文.
ジェイアール東日本都市開発,2010,2k540AKI-OKA ARTISAN のホームページ,(2014 年 12 月 2
日取得,http://www.jrtk.jp/2k540/)
.
――――,2014,阿佐ヶ谷アニメストリートのホームページ,(2014 年 12 月 2 日取得,
http://www.jrtk.jp/2k540/).
金善美,2012,
『現代アートプロジェクトと東京「下町」のコミュニティ―ジェントリフィケ―
ションか,地域文化の多元化か―』日本都市社会学年報.
許伸江,2013,
『東トーキョーエリアの地域活性化の現状と課題――ものづくりとまちづくりを
つなぐ「徒蔵(カチクラ)地域の取り組み』跡見学園大学マネジメント学部紀要.
高崎新聞,2012,データでみる高崎市の都市力,
(2014 年 12 月 2 日取得,
http://www.takasakiweb.jp/toshisenryaku/article/2012/02/1501.html)
.
高崎商工会議所,2012,
『高崎市中心市街地通行料動向調査(第 46 回)』高崎市.
山本雄二郎,1994,『鉄道高架とまちづくり(上)
』地域科学研究会.
山崎亮,2011,
『コミュニティデザイン――ひとがつながるしくみをつくる』学芸出版社.
――――,2012,
『コミュニティデザインの時代――自分たちで「まち」をつくる』中公新書.
- 231 -
民衆信仰の柔軟性
―屋敷神信仰の生存を賭けて―
林
良香
はじめに
今回著者が屋敷神信仰を研究するに当たった経緯としては日本人の民衆生活の中で根付
く信仰とその表出物である社,小祠に興味を持っていたためである.それらは村の氏神神
社,各地の有名大社と比べるとあまりにも民衆生活から忘れ去られ,遠のいている.しか
しながら,民衆の生活圏の最も近いところにあるのがその様な社,小祠であり,過去にお
いてはその村落の中心的な存在であったことが伺える.
民衆生活に根付いてきた信仰ともいえるそれら小祠の衰退は何を意味しているのか.現在人の
宗教観の変貌には何が見られるのか.‘家’の内側に存在し,生活を共にしてきた信仰はまだ存
在しているのかしているのか.生活の場である屋敷地に祀られた「屋敷神信仰」を考察すること
から,民衆生活の中における信仰の変異を捉えていく.
1
屋敷神の起源
1-1. 屋敷神の定義とは
「屋敷神」という言葉は,日常生活の中でほぼ使われない言葉である.その上屋敷神がどの様
なものなのかということは関心の外であることがほとんどだろう.そのため,まずは屋敷神とは
どのようなものであるか認識していきたい.その定義,範囲は様々であるが,過去の諸研究を参
考に挙げながら本稿における「屋敷神」を取りまとめていく.
民俗学の知見によれば屋敷神とは「屋敷地あるいはその周辺や背後の山裾など,屋敷の付属地
にまつられる神の総称」であって,
「地方ごとにさまざまな名称があり,大きな共通点を有しつ
つも,その地に特有な要素も見られる」ものであるとされる(佐々木 2000 : 722).
そこでは屋敷神を「近隣祭祀」
「個人祭祀」
「同族祭祀」の 3 つの類型に分類する.
「近隣祭祀」
とは,近隣の家が共同でまつるものであり,ムラの形成において地縁関係を強固にするために始
まった祭祀体系である.同族祭祀,祖霊信仰のもとになっている.さらにそこから派生して「個
人祭祀」が生まれた.これは近年よく見られる形態であり,一家族,一軒だけでまつるものであ
る.特に本家筋や旧家・草分けとよばれる家によって行われることが多い.3 つ目の類型として
は「同族祭祀」がある.本家を中心とした本家・分家によりまつられるものでる.屋敷神の成因
としては,山裾や田畑の際など生産の場にまつられる森神,屋敷神などが次第に屋敷地内に取り
込まれていったと解される.生産の場にまつわる神を奉っているため,屋敷神の祭日の多くは秋
に集中しており,収穫祭的な性格が濃厚にうかがえる.
また,牧野眞一の調査によれば,屋敷神の祀られる場として,屋敷内の他に畑の中,屋敷裏の
- 232 -
林の中,裏山の少し登ったところと多様な形態が見られたという.そしてそれらは基底の信仰を
同じとする同様の神であり,屋敷神の最低限の規定として「基本的に屋敷およびその付属地にあ
り,その家で祀る神であり,祭祀集団については一戸からさらに広がりを見せている」ものであ
ると述べている(牧野 2012 : 83).屋敷神の名称も地域差があり,関東,東北地方では「氏神」,
中部地方では「祝殿」
・「祝神」などとも呼ばれている.
以上を踏まえつつ,本稿では屋敷神を「家族等の直近の生活集団の,生活圏内に位置し,小祠
をともなった形態のもの」とし,その名称は問わないものとする.なお,本稿においては直近の
生活集団とは血族関係で結ばれたものをいい,会社等の敷地内に祀られる小祠は対象外とする.
1-2. 民俗信仰と屋敷祭りの位置づけ
以上において民俗学術的知見から屋敷神の定義と範囲の多様性について述べた.その類型と祀
られ方から,屋敷神は民衆生活に根ざした信仰であり,民俗信仰であるといえよう.この知見を
踏まえつつ,以下においては宗教的側面から屋敷神信仰を考察していく.
民俗信仰において重要な点は儀礼を中心とする信仰形態であり,それは経験を持って受け止め
られるということである.民俗信仰には開祖がおらず自然発生したものであるため,教義,経典
を持たない.そのため,人々は儀礼を通して共同認識をつくり,その経験でもって信仰の受け皿
を作ろうとする.同様に屋敷神信仰においても,儀礼,経験は重要なファクターである.そして
それらは屋敷祭を以てなされる.
柳田國男は屋敷神信仰について「近頃では木の小さな宮形,または石の祠もあって常設のもの
になっているが,もとは春秋の祭の日に先だち,新藁や柴の小枝をもって仮屋を作り,もしくは
ただ露地に紙の幣串を立てて祭をしたもので,祭の場所だけが定まっていて,建物のないのが普
通であった」と述べている(柳田 1990 : 533) i.ここから屋敷神が常に社にいたわけではない
ことが伺える.
柳田の考える民俗観として,祖霊信仰がある.そこでは神は単一の性質を持った複数の存在で
はなく,多様な性質を持った同一の神であるといえる.例えば一族の祖霊が神となるとき,季節
の廻りにより山の神になったり,田の神になったりするように,祖霊神が多くの役割を持つとい
う認識である.そして祖霊である神は普段は村を見守るために村の奥山に位置するが,祭により
呼ばれ様々な神になる.同様に屋敷神信仰においても,その祖霊は祭により屋敷の神として役を
与えられると言えるのではないだろうか.すなわち古来の屋敷神信仰において,祭こそが神を迎
え入れる儀式であり,祭なしには信仰は成立しえなのである.古来の屋敷神信仰において,祭が
その要素の重要性をじかに感じ取れるものとしてそこにあったと言えよう.
また,屋敷神信仰では祭を取りまとめる祭祀集団や祀られる神そのものの多様性,地域性が多
く見られる.その多様性はその地域社会,生活環境に即した信仰形態が作られているということ
を示しており,屋敷神信仰は日常生活観に大きな影響を受け,かつ与えていたであろう.経験を
通して信仰が確立される民俗信仰では民衆生活の中の様々な影響を受けていたことは想像に難
i
柳田國男,1947,
『
「氏神と氏子」<新国学談>第三冊』小山書店.
- 233 -
くない.その外部からの力は,屋敷神信仰を時に強固にするものとして,時にその存続を脅かす
ものとして存在してきたのである.
2
伝統宗教と民俗宗教の関係
2-1. 明治政府における宗教統一と民間信仰の否定
屋敷神信仰は広義の宗教に含まれるが,それは教義により広められるのではなく,儀礼とその
経験を通して継承される民間信仰である.それ故に様々な宗教からの影響を強く受けており,混
合複合的な宗教現象といえる.そのため屋敷神研究を進めるにおいては屋敷神信仰に影響を与え
たと思われる宗教について多少の考察が必要となる.
以下においては,屋敷神信仰に強い影響を与えたであろう神道の歴史を見ながら,戦後民主化
政策が進められる中で,日本人の宗教観がいかに移り変わっていったかを述べたい.日本の宗教
事情は過去に二度の大きな変換点が存在した.一つ目が江戸時代の封建制度が終わり,近代国家
が作られていった明治政府樹立の時であり,二つ目は戦後の伝統的宗教の否定から始まった民主
化改革である.
明治政府の発足の際に政府は今までの幕藩体制の批判と新政府の地盤強化を行わねばならな
かった.また,国内の問題だけでなく,対外関係は切迫した状況にあり,欧米の脅威から国を守
るためには人心を一つに統合数する必要に迫られていた.そのため明治政府は祭政一致のイデオ
ロギーをとり,天皇と神道を結びつけることで国民と国家の一体感を作り上げようとした.この
時期に,天皇を現人神とする皇室を中心とした祭祀体系の確立がなされたのである.
天皇の御陵を頂点とするピラミッド型の祭祀体系化がつくられたが,そこには古事記・日本書
紀に登場する神々,国家の功臣,有名神社などが祀体系に組み込まれた.しかし一方で,それ以
外の小祠,淫祠,仏閣は国家権力により強制的に廃止,神道化され,廃仏毀釈 iiが進められた.
国家により権威づけられない神として多くの村の氏神が統廃合されていったのである.
さらに国家の富国強兵政策,地方支配の確立のために,文明開化の名の下で民俗行事の抑圧,
廃絶が推し進められた.明治の新政府にとって民衆の習俗,信仰は前時代的忌むべき猥雑な旧習
であり,民衆を開明化し国家の安寧をたもたせるためにはそれらを払拭させることが重要であっ
た.そして民俗信仰はその悪習を民衆に根付かせる中心的構成要素であると考えられていた.
そのため民俗信仰の抑圧は,国家により権威づけられた啓蒙,進取の価値として地方官僚,さ
らには文化人の間にも広まっていった.明治政府による廃仏毀釈は各地の多大な反発を受けて数
年で終わりを迎えたが,民俗信仰の抑圧は啓蒙の意味づけで捉えられており,権威者たちの反発
は少なかった.そのため多くの民間信仰,習俗が作りかえられていき,民衆の宗教観念も変容を
遂げざるを得なかった.
ii
仏教を廃毀し,僧侶など寺院が持っていた特権を廃することである.
明治期においては仏教だけでなく,国学に由来する国体神学に属さない神も廃止の対象
であった.そこでは寺院,仏像の破壊・略奪と,神道体系への強制的な組み込みなどが行
われた.
- 234 -
2-2. 戦後の宗教観
明治政府によって作り変えられた民衆の宗教観はその後,自ら変貌を遂げていくことになる.
日本人の宗教観を変容させた二つ目の転換点として,戦後の伝統的宗教の否定が挙げられる.戦
後 GHQ による民主化政策により,民衆が明治政府以降持っていた宗教観念が否定された.戦争
に敗れ信仰心の否定された日本人は,その後,戦後の高度経済成長の中で経済神話を打ち立てる
ことで新たな心の拠り所を作り上げた.その中で,旧来日本にあった神道,仏教の勢力は次第に
衰えていき,それにかわって多くの新興宗教が成立されていった.その様な社会の中で,戦後の
日本人の宗教観は作られた.そこには,
「高齢者の宗教性の低下」
,「信仰心,宗教観念の低下」
,
「個人的宗教性の増加」という 3 つの特徴が見られる.
統計数理研究所の国民性調査 iiiによると 70 年代以上の人々が「宗教を信じているか」とい
う質問に対し 1958 年では 63%が信じていると答えたのに対し,2013 年の調査では 44%に減少
している.60 年代の指標はさらに減少傾向が顕著であり,1958 年に 66%だったのに対し,2013
年には 31%にまで減少しており 35%のマイナスとなっている(図 1)
.この背景として宗教教育
を否定する世代がその割合を増していったことや,敗戦による神の存在否定,宗教に代わる新た
な価値の創造があるだろう.また,科学の進歩も大きくその役割を果たしたと言えよう.
更に,同調査を全体の指標としてみたとき 1958 年に信じていると答えた割合が 35%であった
のに対し,2013 年には 28%になっており,7%減少している(図 2)
.また 1973 年に戦後最低
記録となった以後急激な増加がみられるが,その後再び緩やかな減少傾向にあり,全体として信
仰心の希薄化が読み取れる.加えて前述の通り,基本的に信仰心の厚い層であった高齢者層の信
仰離れは,将来的にも信仰心の希薄化が進むことを示している.今後も信仰心,宗教観念の低下
が見込まれるだろう.
2013
31
36
40
43
48
48
56
55
47
56
54
2003
1993
1983
1973
1963
1953
0%
20%
69
64
60
57
52
52
55
45
53
44
46
66
40%
60%
信じている
34
80%
100%
信じていない
統計数理研究所の国民性調査のデータを参考に筆者作成.
図 1 宗教を信じるか(60 代男女)
iii http://www.ism.ac.jp/ 2014/12/5 統計数理研究所
•
20 歳以上の男女個人を調査対象とし,1953 年から 5 年ごとに継続して調査.
- 235 -
2013
28
27
30
29
33
31
32
34
25
30
31
35
2003
1993
1983
1973
1963
1953
0%
20%
72
73
70
71
67
69
68
66
75
70
69
65
40%
60%
信じている
80%
100%
信じていない
統計数理研究所の国民性調査のデータを参考に筆者作成.
図 2 宗教を信じるか(全体の総数)
確かに指標でみれば日本人の宗教性は全体的に低下しているといえるが,一方で未だ 3 割弱
の日本人が信仰する宗教を持っているとも言える.そして文化庁の宗教統計調査によれば,2011
年 12 月 31 日現在で 22 万 1189 団体もの宗教団体が存在しているといわれている.かつ神道,
仏教,キリスト教以外の認可宗教法人は 14841 法人も存在している.
都市化による檀家,氏子制度の崩壊や信仰心の低下によって日本の伝統的な宗教から人々は遠
のきつつあるイメージがあるが,しかし一方で,困難に当ったとき人が頼るのは依然として宗教
であると言える.その様な現状においては近代以前の地縁,血縁で強く結ばれた宗教が求められ
るのではなく,個人の救済のために宗教は求められ,それに応える形で存在している.そのため
現在においては,宗教の個人化が進んでいる.
2-3. 現在の宗教性
戦後の宗教は時代の流れとともに,信仰心の希薄化が進んでいった.そこにおいては個人の救
済を目的として宗教の個人化が起こっていった.それでは,戦後の動乱を受ける中で現在の宗教
はどのような立ち位置にあるだろうか.民衆の生活の中の宗教性について言及していく.
先ほどの図 2 を参考にすると,1973 年以降宗教を信じている人の割合が増加しているのが見
て取れる.これは 70 年代に宗教回帰が起こったためといわれている.この背景としては’73 年
のオイルショックによって今まで信じられてきた経済神話が崩壊し,経済が大変動したことが挙
げられよう.その為将来への不安を持つ者が増えていった.また,高度経済成長期に生まれ,物
質的豊かさが満たされている若者たちが,心の豊かさを求めるようになったことも原因として考
えられる.
このような社会不安と精神性への希求が宗教回帰の現象として現れていったのである.そこで
はパワースポットやスピリチュアル体験といった一部世俗化された神秘的なものが若者層に受
け入れられるようになった.それは教義,儀礼が重視された今までの宗教とは違い,地縁や宗教
概念を必要としないものであった.その世俗化され,宗教的概念が不要な宗教性は,
「お手軽な
- 236 -
宗教」として現在にも引き継がれている.
さらに現代の宗教における特徴として都市/地方間の信仰性の違いが挙げられる.同調査を都
市規模別の比較でみた際,明らかに都市より地方,特に田舎と呼ばれるような地域での信仰心が
高いことが伺える(図 3)
.これは信仰のあり方にそのものに原因を持つ.
そもそも土着の信仰は自然と人間の関係性を由来とするようなものが多かった.自然という脅
威に対しどう生きていくかが農耕民族である日本人にとって重要な課題であったからである.そ
のため管理されていない自然の失われた都市部よりも,一次産業従事者の割合が高く天然資源の
残っている地方のほうが,自然やそれに類する信仰を身近なものとして感じやすい.このように
信仰の本質とその環境から,信仰心を持つ土台が整えられているのである.
また,匿名の他者が多く存在する都市に対し地縁,血縁関係が残り,人と人のネットワークが
固定化されてしまっている地方では氏子,檀家制度などの伝習が存続しやすい.そのために地方
のほうが信仰心はより高くなっていると言える.
42.6
26.1
町村
36.3
30.6
23.3
26.4
小都市
中都市
信仰あり
35.1
32.2
23.1
中核都市
16
大都市
宗教大切
石井(2007) ivを参考に筆者作成.
図 3 重視都市規模別の信仰・宗教性
3
高崎市の事例
3-1. 高崎市の町についての沿革
以上,屋敷神信仰とそれにまつわる民衆の宗教性の変異を考察したうえで,実際に現在の屋敷
神信仰のあり方が,どのような形で民衆生活の中に生きているかについて実地調査を行った.そ
の卑近な例として群馬県高崎市下小鳥町を調査対象とした.
今回調査対象に挙げた高崎市は広 大 な 関 東 平 野 の 北 端 に 位 置 す る ,群 馬 県 を 代 表 す る
商 業 都 市 で あ る .東 京 か ら は 約 100km,新 幹 線 で 1 時 間 の 距 離 で 東 京 か ら 比 較 的 近
い地方都市であるといえる.また,現在閣僚を多く輩出しているが,歴史的にも中
央政府とのつながりは強い地域である.
近代以前の高崎は,中山道の通る情報,文化の交流拠点として関東近隣をつなぐ
役 割 を 担 っ て い た .江 戸 入 城 の 7 年 後 に は 近 代 的 都 市 開 発 と 中 山 道 の 整 備 か ら 西 上
iv石井研士,2007,
「データブック―現代日本人の宗教」新曜社.
- 237 -
州の拠点は高崎城に移され高崎の本格的な開発がすすめられた.また,日本有数の
湯治場であり,将軍も足を通ったという草津温泉も近くにあったために,江戸時代
幕府と深い関係を持っていた.
そ の 後 明 治 政 府 に 移 っ た 後 も ,1873 年 に 軍 事 拠 点 と し て 高 崎 城 内 に 東 京 鎮 台 高 崎
分 営 が 設 置 さ れ る な ど 中 央 と の 結 び つ き は 強 い ま ま で あ っ た .1884 年 に は 上 野 ― 高
崎間に日本鉄道会社の鉄道が敷設され,東京と高崎の距離はますます近くなった.
高崎という土地は,歴史的に見ても中央政府との結びつきが強く,中央政府の影
響 を 多 く 受 け て い た と 予 想 さ れ る .つ ま り 中央政府による民俗信仰の抑圧が実行されやす
い土地であり,その風習が民衆の信仰に影響を与えていても不思議はないのである.一方で高崎
は上毛三山に囲まれ,市内には一級河川が流れるなど身近に自然が残っており,市内に多くの農
家が生活している都市でもある.このような中央権力の影響を受けやすい,かつ,信仰基盤の残
っている状況下で高崎の屋敷神信仰はいかなる変遷を遂げたのだろうか.次章にて調査報告とす
る.
3-2. 高崎市の屋敷神についての調査報告.
今回調査の対象としたのは高崎市下小鳥町の区域である.下小鳥町は高崎市の北西部に位置し,
農業を主体とした集落である.高崎を起点として越後国浅見宿へ抜ける三国街道と,草津などへ
向かう湯治客が多く通った伊香保街道に接している.また,下小鳥町には鎌倉時代後期に建立さ
れた神社 vや江戸時代に寺子屋があり,近隣地域の中心的役割を果した地域といえる.
以下の調査報告は 2014 年 7 月 16 日から過去数回に分けて聞き取り調査したものである vi.
屋敷神,またその社の共通点としては(1)社の材質(2)祀神(3)屋敷と屋敷神との位置関
係(4)その後継者と間柄(5)独立性が見られた.
基本的に社は石製と木製のものがあるが,下小鳥町では石製の社のものがほとんどであった.
屋敷神を持つ 9 軒の家について調査したがそのうち木製の社を持つのは 1 軒だけであった.
農業集落ゆえに祀神はどの家も稲荷を祀っており,屋敷神の名称も「オイナリサマ」などと呼
ばれていた.また,基本的には一対の陶器製の稲荷が社に配置されていた.配置される場所,稲
荷の数は家毎に異なるが,社内におかれるか,社の外側両サイドにおかれるかであった.一対は
夫婦を表しているという認識が多くみられた.稲作の豊穣と家の存続,豊穣を願っているのであ
ろうと推測される.
家と屋敷神の位置は家の玄関に対し北西の隅に位置していた.そのため屋敷祭などで玄関から
出て社に向かう際は,右回りで社まで行き,来た道を戻る形で帰るという.屋敷神の他に馬頭観
幸宮神社 1298 年に建立.従五位魚取明神として奉られる.
2014/7/6,10/24, 10/26, 12/14 に渡り計 9 軒を高崎市下小鳥町にて調査した.
現在屋敷神を奉っている,又は,社が屋敷内に存在する家庭を対象に,訪問調査を行い住
民に直接話を聞いた.
v
vi
- 238 -
音や猿田彦尊を祀る家もあったが,それらは特に方角に関係なく祀られていた
vii.
後継者は血縁関係のあるものがなることが多かった.特に,子供が結婚していない,または未
だ家に一緒に住んでいない場合には息子を後継者として捉えていた.しかし,子供が結婚して一
緒の家に住んでいる場合はそれが娘であっても入り嫁であっても,実際には女がその管理の担い
手となることがほとんどであった.ある家では,屋敷祭などは当主,男の仕事であるが,当主の
死去により現状では妻が行っているというケースがあった.現在は,女が社の管理,屋敷祭を取
りまとめている家が多いといえる.
調査全体を通して感じたことであるが,現在は屋敷神の信仰は独立したものであるといえよう.
屋敷神調査においてよく「○○家の」,
「他所は知らないけど」という言葉をよく耳にした.彼ら
はその信仰の形態が家ごとに異なるのを自覚しており,それを自認している.実際に社の規模,
形状など多くの相違点が見られた.
屋敷神の社における相違点としては(1)規模(2)ご神体(3)世代数が主として挙げられる.
屋敷神の規模は屋敷の規模により,それに釣り合うように変化していく.また,大きな社には
雨風よけの囲いや扉も作られていた.ある家では建物を新築した際に,新しい家の規模に合うよ
うに社の下に土台を設けていた.逆に,建物の規模を小さくした家では社を小さくしていた.そ
の為,越す前の先祖伝来の土地にあった屋敷神のほうが現在の住居にある屋敷神より大きいとい
う場合も見られた.
これは柳田の考える祖霊信仰を土台にした屋敷神信仰のあり方と一致する.祖霊信仰において
は,社は単に祭の際に神を迎え入れるための依代に過ぎず,社それ自体に,必ずしも価値がある
のではない.神は常に社に存在するのではなく,祭により迎え入れるのである.それ故に社を屋
敷の格に合わせて調整できるのである.また,調査において筆者が見た全ての社は扉が閉ざされ
ていたり,手入れがされていなかったりした.そして,屋敷祭が近づくと社を整えるという.こ
れは単に家人の信仰心の低下という問題を示しているのではなく,神の宿らぬ社という側面を示
しているためであろうか.
ご神体について,多くの家では社の中に陶器の稲荷だけがあることが多かった.しかし,下小
鳥の地区でも,隣の地区との境界付近の家では社の中に札を収めているケースがあった.屋敷祭
が近づくと地域の稲荷神社から札をもらい,それを祀るのである.これは下小鳥中心部,他地域
との境界付近では見られなかった.また,その接する隣の地区では,屋敷祭が近づくと,地区の
神社で札を住民に配っていたという.つまりこれは隣の地域の信仰形態が移ったものであろうと
予想される.住民の生活環境に屋敷神が大きく影響を受けていたことがわかる事例であろう.
世代は家ごとに異なり著者が調査した中で最も長く続く家は現在5代目であり,最も新しいも
のは初代のものであった.これは単純に下小鳥に古くから住んでおり,力を持っていた農家か最
近越してきてその土地に合わせている家かの違いであろう.世代数が長い家は屋敷も大きく,周
vii
馬頭観音においては道の交叉路,または三叉路に接する,屋敷の内側に置くという話を
聞いた.しかし,今回の調査対象外であることと,調査を行った中では馬頭観音を祀って
いる家が2軒しかなかったことから本論文では詳細な言及はしないこととする.
- 239 -
辺の家の本家であるといえた.一方で越してきてから,「近所の人に言われた」ために社を置く
ようになった家もあった.また,敷地を同じくして家を建て替えたときは,社は基本的には同じ
ものをそのまま引き継ぐが,敷地自体を変えたとき,屋敷神も新たな家の格に合わせて新調され
る.分家が本家から土地を信託された際には,屋敷神も新たにその土地に勧請したという.
3-3. 高崎市の屋敷祭りについての調査報告.
前節では下小鳥町における屋敷神の社やその在り方に着目しつつ述べた.続いて,屋敷神信仰
の中核をなす屋敷祭について調査報告とする.
屋敷祭の共通点としては(1)屋敷神の祭日(2)供物の内容と器(3)神人同食(4)参加者
の 4 点がある.それぞれ多少の差異がみられるが,おおよその傾向としては類似しているため
このように分類した.
屋敷神の祭日はどの家も共通のものとして 12/1 があった.家によって他に 11/28,12/8,12/15
などにも屋敷祭をする場合があったが,いずれにおいても冬至(12/22)までに行うものとされ
た.一般的な屋敷祭というものは農業周期に合わせて行われることが多い.よって,2~4 月に
かけての春の時期か,9~11 月にかけての秋の時期に行われている.2~4 月は今年の収穫を願
う時期であり,また農業と関係の深い稲荷の祭日が 2 月にあるためであり,9~11 月は今年一年
の収穫を祝い,神に感謝する時期であるためだ.それを鑑みると高崎の屋敷祭はやや遅く,
「同
族祭祀」としての側面はないと言えよう.
神に供えられる供物は赤飯,イワシなどの尾頭付きの魚,塩と水が基本的な内容である.赤飯
魚,塩はどの家でも半紙を四つ折りまたは四つ切りにしたものの上に乗せられ,供えられた.供
物の内容については家ごとに差異がみられたが,どの家でも共通に供えられたものとして上記の
4 点がある.
屋敷祭は夕方の,境界が不安定な時間帯に行われることが多かったが,そこでは神人同食が見
られた.基本的には屋敷神に供物をささげたその場で屋敷祭参加者が「お手のこぶ」分だけそれ
ぞれ配られ食べたという.更に,古くからの風習が多く残る家では「ざく煮」と呼ばれるけんち
ん汁のようなものを屋敷祭の日の夕食の席で食べるという.また一般的にこれらの供え物がなく
なっていると,社に神が訪れ食べたとされ,屋敷祭の成功を意味した.実際にはカラスや野良猫
により食べられるなどして,数日間のうちになくなっていることが多いという.その為,供え物
を下げることはほとんどない.
屋敷祭の参加者はその時家にいる全ての家族,血族で行われる.1,2 世代前は必ず当主,つ
まり男性が屋敷祭の指揮を執っていたが,現在はその役目を妻=女性が行うことが多いようであ
る.冬至が近づき,日が落ちるのが早くなっていく時期の夕方と言えば4時ごろになる.時代の
変化とともに農家の兼業化が進み,家の中での男性の不在が起こったためにそのように変化して
いったと思われる.
一方,その屋敷祭の相違点として,
(1)祭の回数(2)詳細な供物の内容の差異という 2 点が
見られた.
- 240 -
前述の通り,屋敷祭は基本的には 12/1 に行われる祭りではあるが,家ごとに,言うならば家
の規模ごとにその回数は異なっていた.おおよそ 2 つのパターンがあり,一つは 12/1,15 の両
日,若しくはいずれか一日のみ行う場合である.一日のみ行う際は,基本的に 12/1 に行なう.
そして,12/1 に行えなかった場合の代替として 12/15 に行うという認識であった.もう一つは
11/28,12/1,/8 又は 12/1,/15,/20 の 3 日間,若しくは 11/28,12/1,/8,/15 いずれか 3 日間
行う場合である.この2つのパターンであるが,家,または屋敷神の社が大きいほど屋敷祭の回
数が多傾向にあった.
2 つ目の供えられる供物の内容の差異は,屋敷祭における最大の差異であるといえる.これは
どの家も,様々な供物が異なる配置で供えられていた.基本的な供物としては赤飯,尾頭付きの
viii,塩,水がみられた.それ以外ではお神酒,柊の葉,油揚げなど供える場合があった.魚
魚
は一尾,または二尾であった ix.
配置は以下に一例(例 1,2)をあげる.いずれも赤飯,魚の位置は近いものであった.
<
赤飯
社
>
赤飯
塩
魚
塩
赤飯
魚
赤飯
魚
(例 1)
(例 2)
まとめ
4
4-1. 高崎市の調査結果についてのまとめと考察
以上高崎市以上下小鳥町の調査を行うにあたり,屋敷神は普段忘れ去られている存在であるこ
と,家の独自性が強いことが伺えた.屋敷神はその成立と祭の性質故か,普段は忘れ去られてい
る存在であることが多かった.調査の中では日常生活においても屋敷神の管理をしている家は一
軒しかなく,あとは屋敷祭の前に掃除をする程度であるようだった.また,
“家”ごとの独自性,
差異が多きいことも特徴として挙げられよう.そしてこの,“家“ごとの区分が明確に示される
ことこそが,現在まで屋敷神信仰が完全に廃れることなく生き残り続けてきた要因なのでなない
だろうか.
ある家ではかつて屋敷神に,家の中における仏壇と同様に毎朝水などの供え物をしていたという.
現在屋敷祭は多くの家において年に一度のものになっているが,その信仰が盛んだったころは,
屋敷祭は 3 回行われていた可能性が高いと思われる.地域内のある程度の屋敷面積を持つ家に
viii
多くの場合は鰯が供えられていた.
12/1 が近づくと,近くのスーパーでは屋敷祭用として鰯が店頭に並べられるという.
ix 水,お神酒等は別途器に注ぎ,供えていた.
- 241 -
おいて,祭りの回数に関する習慣が残っているのは,その家がその地域に古くからある農家であ
ったためと予想される.実際下小鳥町の調査において,屋敷祭を年 3 回行っている家は屋敷地
が広く,また,その地に 4 代以上存続している家であった.更にその家から屋敷神を他家に分
岐させた形態なども見られ,地域内で力を持った家であったことが伺えた.
しかし,時代の流れとともにその様な習慣は淘汰されていき,屋敷祭という最低限の形態を残
してきたのであろう.屋敷神信仰自体がその在り方を,家族のライフスタイルに合わせかえてい
くことで生き延びていったのではないだろうか.
信仰主体の変化にもそれは見られる.日本の家制度はかつて家父長制として存在しており,家
の中において男性の占める割合は多かった.しかしながら現在は男女同権化により家庭内におい
ての性差は極めて少なくなっている.その様な中では,家事を主に担う女性が家庭内における主
導権を持つようになり,同時に男性の優位性は失われているだろう.そしてその変化が社,屋敷
祭の管理者の女性移行という形で表れているのではないか.
信仰の目的とその形を変えながら現在の生活に適応する形で屋敷神信仰は存続しており,極め
て「お手軽」な信仰になっている.これは現代日本人で引き継がれている「お手軽な」宗教観に
も合致している.
また,屋敷神は“家”の強さに特徴がみられる.以下は統計数理研究所の国民性調査で「一番
大切なもの」とは何かをまとめた統計結果である(図 4).1958 年には「家族」の占める割合が
12%と低い数値なのに対し,年数を経るとともにその比率は増加し,2013 年には 44%と最も高
いウエイトを占めているのである.つまり現代人にとって家族は重要なアクターであり,自己の
生命,健康よりも大切な存在となっていることがわかる.
ここに屋敷神信仰存続のもう一つの鍵を見ることができるのではないだろうか.もともと屋敷
神信仰とは家,一族の存続を願うものである.それが,都市化が進行し,同族意識の低下した現
在において一族の繁栄から転じて一家の繁栄,家族の健康と家内安全といった馴染みやすい信仰
に形を変えていったのではないだろうか.そしてその移行は,屋敷神信仰が外部の影響を受けや
すい民間信仰であるが故に,ごく自然になされたに違いない.
下小鳥町は古くは農業集落として存在し,農家同士のつながりは密なものであった.また,生
活の中の行事は稲作農耕儀礼や神仏信仰に基づくものが多く,ごく自然なものとして受け入れら
れてきた.しかし近代化と工業化の流れの中で村が拡大していき,家同士のつながりは薄れてい
った.また農耕生活を基盤にした信仰は生活との不一致が現れるようになった.
その結果,家の個別化がみられるようになり,人々の意識も「家族」重視へと変わっていった.
そこでは家ごとに個別の信仰を持っており,個人化の拡散する都市部とは異なる,「家族」に重
きを置いた民衆信仰・生活が営まれている.
- 242 -
20…
20…
19…
19…
19…
19…
19…
0%
18
19
21
22
17
22
22
21
21
22
10%
7
6
10
29
28
7
9
10
7
9
8
11
20%
9
10
30%
18
23
44
46
45
40
42
33
31
13
13
12
2
3
40%
生命・健康・自分
家・祖先
仕事・信用
D.K.特になし
2
9
3
3
2
6
9
11
15
50%
60%
子供
金・財産
国家・社会
2
8
1 4
13
1 5
13
1 4
6
22
27
2222
212 3
2 21 3
3 21 3
3 12 4
3 12 4
5 11 3
6
4 13
5
5 1 10
5 4 1 6
5 31 7
7
6 1 6
18
17
13
17
16
18
19
22
19
16
70%
80%
90%
100%
家族
愛情・精神
その他
統計数理研究所の国民性調査データを参考に筆者作成.
図 4 一番大切なもの(全体の総数)
4-2. 核家族の文化継承
近代化による信仰基盤の喪失,生活意識の変化を受けて,屋敷神信仰は「家族」に重点を置い
た信仰形態へと変わっていった.それは都市部の「個人化」とは真逆の働きであり,屋敷地,つ
まり土地が確保されやすい地方故の事例と言えよう.しかし現在,農耕生産形態から離れたこと
で家族規模の縮小が自然なものとして行われている.
屋敷神存続の要因について考えるうえで欠かすことのできない観点として,核家族化の進展が
ある.前述の通り,古くの日本の家族社会は一族,血族が重視されており,その家の跡取りは家
と,一族の祖霊ともいえる屋敷神を継承してきた.そして農耕生産を基盤としていたために,家
族の規模は大きく,世代間交流とそれに伴う伝統,文化継承が図られていた.
しかし,戦後の経済発展によって都市への人口流出は加速していき,家の歴史を持たない核家
族が増加していった.1970 年には核家族世帯は既に七割を超していた.2010 年には単独世帯,
核家族世帯の合計で 88.9%を占め x,ますますその割合は拡大している.さらに,2010 年現在
では,単独世帯が 1678 万 5 千世帯(一般世帯の 32.4%)と最も多く,一般世帯の 32,4%を占
めている.女性の単独世帯の割合が最も増加するのは 80~84 歳の世代であり,文化継承の担い
手が家庭の中から消失していることが伺える.
また,核家族の増大により女手が減った家庭では,子育ての担い手が減り,子育て以外の余裕
は奪われる.そのため,屋敷神信仰の体験を受けて育った子供が,新居に屋敷神を奉ることなく
生活するという状況が生まれている.家庭内における文化継承の担い手の不在と,余裕の消失は
屋敷神信仰の存続を脅かしている.実際調査においても,核家族化による屋敷神信仰の継承が危
x
「一般世帯の家族類型の割合の推移」
2010 国勢調査
- 243 -
ぶまれる例が見られた.調査にあたって 60 代の女性に話を聞いた際に,もう一世代上の者なら
ば詳しい話が分かるが亡くなっているものが多い,という声を聴いた.現在すでに屋敷神信仰は
継承の危機を迎えている.
4-3. まとめにかえて
以上において屋敷神信仰のあり方とその変遷をたどりつつ,高崎市下小鳥町の事例を取り上げ
ることで今後の屋敷神信仰生存の可能性について考察してきた.下小鳥町では近代化による信仰
基盤の喪失と生活習慣の変化により従来の信仰のあり方が揺らいでいった.そのため基盤を「家
族」に置いた,緩い信仰へと形を変えることによりその存続を果たしてきた.それは時代の民衆
生活,社会状況に左右される形で作られていったのである.そして,
「家族」のための信仰とし
て継承された屋敷神信仰であるが,それは「家族」の形態変化とともに再び存続の危機を迎えて
いるといえよう.
しかしながら日本の核家族は急激な産業化により形成されたものであり,家族の近代化に伴う
個人主義の精神と夫婦中心主義の家族理念により確立されたものではない.むしろ歴史的文化背
景と農耕文化に根差した直系家族の理念,意識が依然として核家族の中にも残っているといえる.
これは日本人社会の中で門戸が未だ力を有し,家の墓守が必要とされることからも伺えるだろう.
そしてもしそのような直径家族の理念,意識が薄れていったとしても,屋敷神信仰はその信仰
の柔軟性故に核家族世代における新たな信仰の確立を起こすのではないだろうか.民衆信仰は民
衆の生活感から作られるものであり,時代の移り変わりとともにさまざまな信仰が生まれてきた
のである.そしてそこには多様な信仰が含められ,変容しながら作られている.同様に,屋敷神
信仰もその形を変えながら継承されていくだろう.
最後になったが調査を行うにあたり,高崎市下小鳥町及びその近隣住民の助力を受けたことを
ここに明記し,その多大な支援,協力に感謝の念を記したい.
おわりに
今回屋敷神研究を行うにあたり,当初,屋敷神信仰はすでに高崎市には存在しないのでなないか
と考えていた.そしてそれが身近に見つかった時,なぜこのようなものが現在まで生き残れたの
か至極疑問に思った.屋敷神信仰はその形を変えながらも屋敷の片隅で今なお残り続けている.
そしてそれは家族の存続性という課題を抱えつつも一応の存続が認められるという結論に達し
た.しかしながら家族形態の変化とともに屋敷神信仰が存続の危機にあることも確かである.東
京への人口流出が進み,地方の家族が忘れ去られていく中で,その信仰はどのように形を変えて
いくのだろうか.その伝統的信仰の担い手は絶えることなく現れるのか.今なお賑わう,多くの
大社のように,伝統を失った形だけの信仰になることだけは,あって欲しくないものである.
文献
石井研士,2007,「データブック―現代日本人の宗教」新曜社.
- 244 -
牧野眞一,2012,
「屋敷神信仰の地域性―小祠信仰研究再考―」
『駒澤大学「文化」第 30 号』 83.
佐々木勝,2000,「日本民俗大辞典下」年吉川弘文館,722.
中道郷子,1981,「<資料>日本における核家族」
『和歌山信愛女子短期大学信愛紀要』
.
安丸良夫,1979,「神々の明治維新」岩波新書.
柳田國男 1990「柳田國男全集 14」筑摩書房,533.
統計数理研究所,2013,「日本人の国民性調査―第 13 次全国調査」(http://www.ism.ac.jp/,
2014.12.5)
総務省統計局,2010,「平成 22 年国勢調査」
(http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/kihon1/pdf/gaiyou1.pdf,2014.12.5)
- 245 -
「高崎サロン」の音楽文化及び「地域」発展のあり方
―七月王政期サロンとの比較から―
小野寺 洋
はじめに
19 世紀の音楽史には,たびたびサロンが登場する.そこでは社交生活を土台に様々な音楽活
動がなされ,
「音楽文化の発展に寄与した場」として機能していた.特に七月王政期(1830-48)
のパリにおいては,当時の時代の流れを受けて,その数や機能が拡大していく.また,この時期
は音楽家という職業が社会的に容認され始め,かつサロンが彼らの社会的地位の向上に貢献して
いた.故にサロンは,音楽史上に少なからず影響を与えたのである.
翻って現在の高崎を見てみると,そこでは「音楽のある街」であることを掲げ,行政・民間レ
ベルでも様々な音楽活動が展開かつ支援がされている.高崎の活動を調査すると,アーティスト
にとってのビジネスチャンス拡大になる点などから,音楽文化の発展に貢献する内容であること
が分かった.そこでは七月王政期サロンのものと類似した機能がみられるため,いわゆる高崎の
まち全体が 1 つのサロンといえる.そこで本稿では,七月王政期のパリのサロンの意義・役割
と「高崎サロン」 iが有する機能に着目したうえで比較・考察し,高崎の今後の課題などを明ら
かにすることを目的とし論を進めていきたい.
1
七月王政期サロン―表現と支援による音楽文化発展の寄与の仕組み―
まず高崎が実際にサロンの機能を有しているか否かを検討するために,その判断材料が必要
となろう.それが,七月王政期のサロンのことについて論じる必要性にもなる.そのサロンに関
する先行研究は,玉川(2002)などが挙げられる.そこで本章ではそれらを参考にしつつ,こ
の論考を成立させるための土台となる七月王政期サロンの機能などについてまとめていく.
1-1. 成立過程と定義
はじめに,七月王政期のサロンの成立過程と定義について論じていきたい.サロンは,
「社会
的に閉鎖的であると同時に,人々が親しく交わる特別な社交の集まり」であり,
「フランスでは
17 世紀」には存在していた(玉川 2002: 35).それはいわゆる排他的な環境下で,選ばれた階
級同士のみで会話とともに,つながりを深めていった社交性活の場であった.このような前提の
もと,文学・政治色の強いもの,音楽を重視したものなど種類は様々存在した.18 世紀後半に
なると「高名な貴族のサロンも次々に音楽活動に門出を」開き始め(福田 2013: 13),サロン・
i
本論文ではひとつのサロンに見立てた高崎の街を,
「高崎サロン」と呼ぶことにする.なお,
この「高崎サロン」は七月王政期のサロンの定義に依拠しているのではなく,その機能に着目し
て名付けた.
- 246 -
コンサートが盛んに行われ始める.しかしながらその開催者はほとんど貴族に限定され,かつ参
加者は招待状によって特定されていたために,市民にはほぼ無縁の場であった.
しかし,ブルジョワジーが財力などを有することによって,状況が変化し始めた.ブリュノ・
ヴァイアールによると,その変化が実現したのは 1789 年と 1830 年の革命の時であるという(ヴ
ァイアール 2010=2012: 70).革命についての説明は本論の趣旨ではないために割愛するが,
1830 年以降におけるルイ・フィリップ王政下,つまり七月王政期では,ブルジョワジーを代表
する議会政治を基にしたこともあり,安定して経済が発展した.かくしてブルジョワ市民は富と
権力を獲得していき,同時に彼らの影響力は絶大なものになったのである.この状況の中で,ブ
ルジョワたちが盛んにサロンを開催しはじめ,サロンとそこで演奏される音楽は貴族のみの所有
物ではなくなった.
とはいえ,
「高額な入場料を取ることで出席者の階層はおのずと限定された」点は否めない(水
谷 2013: 6).さらに,招待状により参加者が特定されるしきたりも貴族から引き継がれたため,
「社会的に閉鎖的」であるところはあまり変わらなかった.以上から本論文でのサロンは,
「七
月王政時代の権力者によって開催される閉鎖的・社交的,かつ音楽活動が認められた催し物」と
定義づけることにする.
1-2. サロンの理念
サロンは体系化された催しであったがために,開催自体何かしらの理念ないしコンセプトの
ようなものがあったことは容易に想像がつく.では,そのサロンの開催理念とは一体どのような
ものだったのか.この問いに答えるためには,再び貴族が開催していたサロンに目を向けなけれ
ばならないだろう.というのも従来の貴族のサロン文化の要素が模倣,引き継がれてできたのが
七月王政期のサロンであるために,その起源を知る必要があるからだ.ここでは,福田の議論を
もとにその理念の正体を探っていく.
福田は,サロンの理念を表す言葉としてノブレス・オブリージュを挙げている(福田 2013: 28).
ノブレス・オブリージュとは,貴族が自らのアイデンティティを確立するために,彼らの有して
いた莫大な富と時間を使って社会に貢献する活動のことを指す.その社会貢献の一環として行わ
れたものに芸術の庇護,つまりメセナ活動があった.サロンは,才能あるもしくはデビューのき
っかけがないなどの問題を抱えている芸術家たちに対して,演奏の場の提供をする支援の場だっ
たのである.また後述するが,サロンの有する他のサロンとのネットワークが,音楽家のビジネ
スチャンスを拡大させた.このようにサロンが芸術家を支援する場として機能していたのは,メ
セナ精神が理念としてあったからである.
1-3. 七月王政期のサロンの意義とは?
サロンの定義と理念が明らかになったが,実際にそれがどのように音楽文化の発展に寄与した
のだろうか.よって 3 節ではサロンの社会的な意義や役割などを見ることで,発展の在り方を
確かめていきたい.その際にサロンの成立条件であったその開催者,そこに出演する音楽家,参
- 247 -
加する聴衆の 3 者それぞれの立場について論じていく.
1-3-1. サロンの開催者
サロンを開くにあたり,その開催者にどのようなメリットがあったのだろうか.それは当時の
ピアノが産業革命の余波を受けた,最新鋭の高価なものであったことから読み取れる.つまりピ
アノを所有することが,所有者のステータス・シンボルとなったのだ.そのため,サロンは開催
者の権威などを来訪者に体外的に示す場として機能していたのだ.
またこの時代,ピアノという楽器は音楽家にとっても必要なものであったために,結果的にピ
アノを有する場が音楽家を集めるための要素にもなった.さらにサロンに参加した音楽家の演奏
会が成功した場合,そのマネジャーとしての開催者の名も上がることも言うまでもない.つまり
サロンを開くことによって,その開催者が名声を獲得する機会も得ていたのである.各々のサロ
ン間には強固なネットワークが張り巡らされていたこともあって,彼らのステイタスをアピール
することは,開催者の名声を獲得するために重要な意味を持っていたといえるであろう.
1-3-2. 音楽家
当時の音楽家にとって,サロンでデビューすることが出世の第一歩であった.理由はそれが
有する情報の拡散力である.それは 1 つに,サロンの開催者が有する権力とネットワークであ
る.音楽家がある有力なサロンで成功すると,その知らせは開催者の権威を後押しに,ネットワ
ークを通じて他のサロンに伝播した.そこで成功を重ねていけば公開演奏会開催へとつながり,
音楽家は広く世に知られることになった.そして 2 つ目は,ジャーナリズムによって優れた作
品や作曲家が音楽新聞や週刊誌で公にされたことである.これによって知名度の向上もさらに加
速した.
以上のように,サロンの有する宣伝の機能は,彼ら自身のビジネスチャンスを広げるという利
益を持っていた.そこでいかに自分を売り込むかが重要になってくるのだが,音楽家は当時のパ
リの流行を利用した.その最たる例の一つが,ヴィルトゥオジテである.ピアノの技術改革より,
ピアノ性能の飛躍的な進歩したことはいうまでもない.それに比例し,演奏の技術的な様々の方
法が開発され進化していった.結果,ヴィルトゥオーゾ・ピアニストが台頭してきた.彼らの華
やかで煌びやかな技巧によって施された演奏に,聴衆は熱狂したのである.そして作曲家自身は
この流行から作曲のヒントを得ていたと考えられる.
1-3-3. 聴衆
さて,聴衆の方はいかがであろうか.まずは七月王政期サロンの参加者を職業別に列挙して
- 248 -
みよう.水谷によれば,サロンの主な参加者は,音楽家,画家,作家や詩人,上品な婦人たち,
仕事を終えて休息を求める紳士たち,そしてジャーナリストであるという(水谷 2013: 7).
では,これらの幸運にもサロンに参加できた人々は,一体そこでどのような恩恵を受けていた
のであろうか.それは最新鋭の作品を真っ先に審査する権利である.このことはハーバマスが,
フランスにおいては「サロンはいわば,初演の独占権を握っていた.新作品は,音楽のそれも含
めて,まずこの審延で正統性の証しを立てなくてはならなかった」
,と述べていることからも理
解できる(ハーバマス 1990=1994: 53-4).音楽家が自らの新しい作品を携え披露するまさにそ
の瞬間に,聴衆者は同じ空間で堪能していたのである.
以上のように,サロンは 3 者それぞれに利益をもたらしていた.これらの結果,サロンが音
楽文化の発展に貢献したのである.
2
「音楽のある街」としての「高崎サロン」の現状
1 章では七月王政期のサロンの成立過程などを経て,どう音楽文化の発展に寄与したのか,と
いう問いに答えてきた.そしてこの問いについては,今の高崎についても適用できるものである.
高崎は音楽を中心としたまちづくりを進めている.そこでは地元アーティストの支援・育成など,
七月王政期のサロンと似たような機能を有していた.そこで 2 章では,高崎のまちをひとつの
サロンと仮定したうえで,その成立過程,また実際にどのような活動が展開されているかを確認
していく.
2-1. 「音楽のある街」の成立過程
高崎市が「音楽のある街」と呼ばれるようになったきっかけは,第二次世界大戦後に見出す
ことができる.終戦後荒廃した当時の高崎は,文化を中心とした復興を念頭に置いていた.そこ
で少人数で構成されたアマチュアの団体(これが,現公益財団法人群馬交響楽団(以下群響)の
前身となる ii)が結成され,プロ転向後も定期演奏会などのプロジェクトを展開していた.また
この団体の活動に着目し,制作された「ここに泉あり」という映画作品が全国で公開され,多く
の観客に感動を与えた.結果として「群響」の知名度は上昇していったのである.その成果もあ
り,映画公開の翌 1956 年には文部省(現,文部科学省)に群馬県が日本初の「音楽モデル県」
として指定される.この土台から派生して,1961 年には市民の支援のもと,
「群響」と音楽発信
の拠点ともいえる群馬音楽センターが設立された.
さらに 1990 年から始まった「高崎音楽祭」や「高崎マーチングフェスティバル」といった祭
りでは,高崎のまちなかを音楽の舞台にしたコンテンツが展開され始めた.これらの催しは,ス
トリート・ライブといった様々な音楽活動が行われる基礎になり,それらによって高崎が「音楽
のある街」として認識されるようになった.以上の流れからも分かるように,アマチュア団体か
ii
歴史的過程をごく簡単に触れると,1945 年に「高崎市民オーケストラ」として発足し,翌年
に「群馬フィルハーモニーオーケストラ」と改称.1947 年 3 月にプロの集団として再発足し,
1963 年に「財団法人群馬交響楽団」へ改名,そして 2013 年に現在知られている「公益財団法
人群馬交響楽団」に至る.
- 249 -
ら出発した音楽活動が根底となり,現在の高崎に至るのである.
2-2. デビューの創出-高崎サウンド創造スタジオとその効果―
前節では「音楽のある街」として高崎の成立背景を簡単に確認した.次に現在の高崎に焦点
を当て,行政がどのような音楽関連活動を展開しているのかをみていきたい.それを探るために,
市による「高崎サウンド創造活動」を見てみよう iii.
この事業は平成 25 年度から始まった取り組みで,本格的なレコーディングスタジオである
「TAGO STUDIO TAKASAKI」を中心に音楽人口の増加,音楽都市としての知名度を向上させ
ようという取り組みである.「TAGO STUDIO TAKASAKI」は市の支援のもと建設され,音楽
プロデューサーの多胡邦夫氏が運営する録音スタジオである.この施設の特徴は,「地域振興プ
ラン」という利用料金制度である.これはプロの録音の際に適用されるもので,高崎市に貢献し
た場合(例えば,地元でミニ・コンサートを開催する,SNS などのツールで高崎を PR するな
ど)は,その貢献度合いに応じて利用料金が 1 日 3 万円以下になるというものだ.またアマチ
ュアの場合は,オーディション審査などで選抜されたものが1日1万円で利用できる.以上を踏
まえると,そこはプロか一部の有能なアマチュアしか利用できない,ある種の排他的な施設であ
ることも,特徴として浮かび上がってきた.実際に開店当初から行われてきた録音は,多くの場
合がプロによるものだ.
この限られた一部の人のみが利用できるスタジオ,という敷居を設けた理由は何であろうか.
多胡氏のコメントによれば,このようにすることで「スタジオのステイタス」が生まれ,アマチ
ュアの「あこがれのスタジオ」になるからであるという(山口 2014).「TAGO STUDIO
TAKASAKI」が憧れの的となることで,アマチュアの練習やデモ音源づくりが地元の楽器店な
どの施設などで熱心に行われるようになり,「音楽のある街」高崎の町興しになることが望まれ
る.高崎では以前より,様々なカフェやライブハウスなどの他,街中の通りでもライブ活動など
の音楽活動が行われてきた.この現状を踏まえ「高崎サウンド創造活動」は,市内での音楽活動
がさらに盛んになり,また高崎から音楽が他の地域に向けて発信,定着するビジネスモデルの成
立が目指されているのである.
2-3. 高崎市における音楽関連の事例
前節では「TAGO STUDIO TAKASAKI」が周辺の活動の活性化を促し,
「音楽のある街」の
町興しをしようとしていることを論じた.続いては活性化が見込まれる,その周囲の組織の活動
について確認していく.ちなみにここで取り上げる事例は,①プロ・アマ問わない様々なアーテ
ィストに活動の場所を提供し,②彼らの活動が市民に対して公開されている点で,
「高崎サロン」
において中心的な組織であると筆者が判断したものを 2 つ取り上げた.
この節は,高崎市のホームページの「高崎サウンド創造活動について」(12 月 16 日取得,
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014012200431/)を参考にした.
iii
- 250 -
2-3-1. 「高崎おとまちプロジェクト」
「高崎おとまちプロジェクト」
(以下,
「おとまち」
)は,高崎市からの助成のもと駅西口の商
店街が中心となって展開する事業である.
「おとまち」の目的は HP によると,
「高崎駅西口商業
エリアの振興,音楽関係団体やアーティストへの活動の場の提供と育成」
,すなわち音楽活動を
通して地域活性化とアーティストの支援の両方を図ろうというものである(高崎おとまちプロジ
ェクト 2014a).
「おとまち」の主な活動は,日常の高崎の街で音楽が聞こえてくる環境を醸成するために,ア
ーティストのストリート・ライブの場の提供及び運営をすることである.そのライブ出演者は,
プロジェクトのアーティストとして登録した後,場所や日程の委員会との調整を経てライブを開
催することができる.そして実際に演奏したアーティストには,交通費などとして 2000 円の補
助金が与えられている.
これらのストリート・ライブなどは,アーティストの育成や人々の交流はもちろん,街中を
歩く際の魅力の創出としても行われている.これは前述した「駅西口商業エリアの振興」の部分
にあたる.図 1 は「おとまち」の活動の舞台となる箇所を示しているが,企画するイベントは
駅西口のストリートで行われることがわかる.これらの通りはまちの中心部に通じる道である.
つまりこれらのイベントが人々を楽しませることで,回遊導線及び歩く魅力の連続性を作り,
人々を街中に誘導する流れを生む意図がある.このように「おとまち」は,人の流れを生むこと
で「まち」を活性化もしようとしているのである.これらの活動は,同プロジェクトの岡田委員
長の「“まちなか”の特色を生かした交流の場」を創出したいという,意向に沿った事業である
ともいえよう.
出典:高崎おとまちプロジェクト HP(2014b)
図1. おとまち商店街マップ
- 251 -
2-3-2. 「coco.izumi」
「coco.izumi」は,「人々が集い,夢やアイデアを実現する場所」をコンセプトに,集まる人
の共感を通じて,つながりの創出を支援する民間施設である(coco.izumi 2014).この多目的な
スタジオでは,アーティストの個人的な練習はもちろんのこと,ライブなど幅広い活動が当施設
のスタッフなどのサポートにより開催されている.
つながりの創出に関しては,例えば 2014 年の春に行われた「白水裕憲フルートリサイタル」
で確認できる.このリサイタルは,プログラムの終演後にティーパーティーが催された.そこで
は紅茶を楽しみながら,参加者がリクエストを出し,実際にリサイタル共演者の吉岡裕子氏がソ
ロで演奏を披露するなどの交流が行われていた(白水 2014).また吉岡氏自身のブログでは,
「再
開した知人にはもちろん,初めてお目にかかる方にもお声をかけて」頂いた,という記述がある
(吉岡 2014).このことから,
「coco.izumi」が人々のつながりを創出し得る機会を提供している
ことが分かる.
また同じ目的に関連している活動として,sunset coco live という催し物が挙げられる.こち
らは「街中の日常に音楽」がある環境を作る,という目標のもとで行われている.大音量の演奏
を禁止する制限があるものの,ジャンルなどを問わず広く出演者を募集し,それを一般の人に公
開する街中ライブである.あるブログには,このライブで「ミュージシャンと接しながら一緒に
歌ったり」して,「すごく楽しかった」という記述がみられる(coco.izumi 2014).ライブ中の
アーティストと聴衆の直接的な接触は,この種の企画ならではの交流であり,今後新しいつなが
りが生まれることも十分考えられる.以上の取り組みは,アーティストの演奏の場の提供という
のはもちろんのこと,つながりづくりを支援するコンセプトに合致した催しであるといえる.
以上から高崎が官民ともに音楽活動を展開していることが理解できた.またアーティストの演
奏の場を提供しているなど,七月王政期のサロンと同様である点も確認できる.ここで高崎市を
「高崎サロン」として仮定することは,誤りではないことが示されたわけである.それでは次に,
さらに深くこの現代のサロンの機能についてみていくことにしよう.
3
「高崎サロン」の「地域」という基盤
前章までで,七月王政期のサロンと「高崎サロン」の各々について論じてきた.ここであら
ためて高崎に目を向けると,組織内のみならず「地域」のことも考慮されていることが分かる.
よって第 3 章では,上述した「おとまち」と「coco.izumi」の委員の方に対するインタビュー調
査をもとにしながら,高崎の有する機能及びその事例の特徴を掘り下げていく.
3-1. 「高崎おとまちプロジェクト」
「おとまち」についてのインタビューは,筆者が A さんに対して 2014 年 11 月 29 日に高崎
市内のあるそば屋にて行った.ここではインタビュー調査から得た活動の現状とともに,活動に
するうえでの組織の思いから,
「おとまち」の活動にある「地域」の視点を明らかにしていく.
- 252 -
まず A さんは,
「おとまち」の活動が実際にコミュニケーションを創出していることに加え,
次のように述べている.
街の人や通りすがりの人と会話,交流できるとやっぱ高崎の街に対する思い入れなんか
も変わってくるだろうし,という感じですね.
このように,
「おとまち」の活動はコミュニケーションを通じ,高崎のイメージアップするこ
とを狙っている.またライブ時のコミュニケーションについては,以下の 2 つの回答を得た.
(通りすがりの人が)いつもここ通っていると,この子(演奏を)やっているよね?的
なことで,でその人(アーティスト)のファンになったりだとか,だんだん声をかけてく
れるようになったりなどのコミュニケーションが,自然に生まれてきていると思います.
(出演するアーティストが)自分じゃない人の歌も聴いているんだよね.となるとすご
い,レベルアップにもつながるし,自分のライブにいいところを取り入れたり,というよ
うなことが最近あるみたいね.…そういう意味では,ある意味(アーティストの)ステッ
プアップの場となっているのかな.
これらを考慮すると,「おとまち」のプロジェクトがアーティストと聴衆のみならず,アーテ
ィスト同士のコミュニケーションや互いに切磋琢磨する場として機能していることが分かる.加
えて聴衆が演奏しているアーティストのファンになる,など新たな関係構築につながっているよ
うだ.またそのような場を有効活用して,
「今後いつライブしますっていう広告している人」も
存在していることから,自らの宣伝を行う場として機能していることも認められる.
街中でやっていることもあって,
「今度うちの店でこういうパーティーやるんだけど,
『お
とまち』さんの方で誰か(アーティストを)紹介してくれませんか?」というような動き
は結構あるよね.
このように「おとまち」が,出演したアーティストの他のイベントに出演する機会のきっかけ
にもなっているようだ.その場合,アーティストはイベントの主催者側ないしそのイベントの参
加者とつながりを広げるチャンスを得ることになろう.
あとこれをやることによって,
(高崎駅西口の)7 つの商店街が,そんなに交流がないわ
けではないんだけども,一緒に同じことをやるということが非常に珍しいことなので,他
の商店街の皆さんとも仲良くなれることもありますね.
- 253 -
この回答に関しては,主催する場所に位置する商店街の他に,違う商店街の人が手助けするな
どの共同作業が行われていることが理解できる.
もちろんこれらの事業を運営は,商店街から手助けもされている状況からも推測できる通り,
苦労が伴うものだろう.しかし A さんは,
「高崎の街が,楽しくってにぎやかになればいいなと
思ってみんなやっているわけですけどね」と述べている.この言葉には,
「おとまち」の取り組
みには「地域」に対する思いがあることが読み取れる.
3-2. 「coco.izumi」
ここに関してのインタビューは,B さんに対して筆者が 2014 年 12 月 2 日に「coco.izumi」
で実施した.先の 2-2 で「coco.izumi」のコンセプトと活動内容を述べたが,ここでは「つなが
り」という部分についての回答内容から,
「地域」に対するこの施設の意義を考察していきたい.
まず B さんは,この施設を運営していくうえでの思いを以下のように語った.
どっちかっていうと,
(「coco.izumi」での活動は)消費する音楽というよりも楽しむ音楽
だなと思って,自分なりに考えてやっていこうかなと思いますね.
また,施設についてさらにこう語る.
ここはね,色々なジャンルの人たちが気軽に遊びに来られて,そうしてそこでつながり
を作って,そういう場所になれたらいいなと.
これは当施設が単なる営利目的の貸しスタジオ及びライブハウスとは異なり,誰でも利用でき
る,楽しみながらつながりを作っていく,といった付加価値があることを示しているのであろう.
敷居を設けないことの裏には,B さんの「他を排斥しなければ,自分の興味をどんどん突き詰め
ていくのはいい」というスタンスが表れている.
自分たちがやっていることが楽しくて価値を見だした時に,それを閉じちゃうとやっぱ
り広がりが見えてこないし….自分から開いてどんどん外に向けていかないと,可能性を
どんどん縮めちゃうかなっていう風に思っているんだけどね.
上の内容は,市民に公開されているsunset coco liveに表れている.つまり「coco.izumi」にお
けるイベントは,何かの可能性を広げるためになされていることが把握できる.その可能性とは,
「おおらかな場所」が持つ可能性である iv.
B さんは例として,商店街のある電気屋を挙げた.その電気屋は,付近の住民の井戸端会議
場であった.そこは,大人・子供を受け入れる寛容な場所として機能していたらしい.つまり「お
おらかな場所」とは,敷居を設けない非排他的な場のことであろう.
iv
- 254 -
そういう場所はやっぱりもう一回この地域に出てくると,そこがやっぱり人が集まりた
くなる場所になるんだろうなと思うんだけどね.
このようにして B さんは,人々が集まるようにアットホームな環境づくりを目指している.
そこで楽しいことをみんなで共有する場所として機能してほしいとのことだ.
人が集まってわくわくする様な場所というのが,一つでも多く拠点としてできれば,そ
れはやっぱり面として良い楽しい街になっていくんだろうなとは思うね.
そして上の発言からも読み取れるように,そのような場所が存在することで街の活性化につな
がると考えているようである.
以上のインタビュー結果から,2 つの団体の活動の機能やその根底にある「どのような街にな
って欲しいか」という,
「地域」に対する視点が明らかになった.それではこれらも踏まえつつ,
最後にこの論のまとめに取り掛かっていく.
4
七月王政期のサロンと「高崎サロン」の比較検討
これまでの章では,七月王政期のサロンと「高崎サロン」のそれぞれの活動とその成果を論
じてきた.そこで第 4 章は,以上の結果を比較検討することで新旧のサロンに見られる共通点
をまとめ,高崎という街が機能面でサロンであることを立証したい.同時にそれぞれのサロン固
有の特徴を挙げ,最後に今後の高崎の展望や課題などを明らかにし,本論文を締めくくる.
4-1. 新旧サロンの共通点―昔から今に引き継がれているもの
1 節では七月王政期のサロンに認められた 3 者の利点・問題点のうち,両サロンの共通点とし
て挙げられるものをまとめていく.
4-1-1. 開催者
高崎市を開催者として見ると,
「音楽のある街」としての様々な活動を通じて,特異性をアピ
ールしている点で共通しているといえる.新たな音楽関連ビジネスの創出を目指す「高崎サウン
ド創造活動」の取り組みの他,2 章で述べてきた組織の音楽支援活動・情報発信の盛んさは,他
の地域との差異化を図り,主催者としての高崎が「権威」を有していると考えられる.その結果,
「高崎=音楽の街」という一般の認識の浸透を促進している.
- 255 -
4-1-2. 音楽家
高崎では 2 つの組織を中心に,プロ・アマ問わずに演奏できる場が提供されている.これは
音楽家の支援にほかならない.またアーティストが自らの宣伝を行うほか,演奏の様子がメディ
アなどを通じて公開される場合もある.この点は,
「高崎サロン」が以前のような情報発信機能
を有している点は共通している.さらに仮に彼らが,高崎の音楽の中心地である「TAGO
STUDIO TAKASAKI」で録音する機会に恵まれた場合,経営者の多胡氏が有する影響力などに
より,情報の拡散力とアーティストの名声獲得が後押しされよう.結果として,
「高崎サロン」
にはアーティストのビジネスチャンス拡大の機会があるので,七月王政期のサロンと同様である
と結論付けてよいと思われる.
4-1-3. 聴衆
現在のサロンにおける聴衆は,①生演奏に触れる者と②SNS などを通じて配信されたものに
触れる者の 2 種類に分けられる.ここは共通点を述べるところであるので,①のみを取り上げ
ていく.2-3 で挙げた事例は,事業のコンテンツを市民に公開している.その中には,アマチュ
ア自身が作詞・作曲をしたオリジナルな曲も含まれているために,聴衆は「初演」を生でいち早
く触れられる権利を有しているといえる.
以上の 3 点は,
「高崎サロン」が七月王政期のサロンと,ほぼ同様の機能を持っていることを
立証するものである.またサロンそのものに関して言えば,会話などによりつながりを創出する
点も両方に共通である(表 1)
.すなわち高崎は,それが有する機能や役割の面からサロンであ
ると認められよう.その意味では音楽文化の発展に寄与しているということもできる.
表 1.
七月王政期サロンと高崎サロンの各要素の共通点
(1)主催者
主催者が「権威」を有し,対外的にそれをアピールしている点.
(2)音楽家
音楽家自身が自らを売り込む,ビジネスチャンス拡大の場として
機能している点.
(3)聴衆
生演奏による音楽家の作品の初演を堪能できる権利を有している点.
(4)サロン
現地で生まれる会話などにより,新たな関係を構築できる点.
- 256 -
4-2. それぞれに見られる特異な点
前節では 2 つのサロンに共通する役割を確認した.今度は各時代の特有なものを取り上げて
いく.双方の間には年代的な開きがあることからも,当然それぞれに異なる特徴が存在すると推
測できる.そこで第 2 節では,それぞれに見られる特徴を列挙していこう.
4-2-1. 七月王政期サロン
七月王政期のサロンは,限られた聴衆にのみ開かれていた空間であったのはすでに述べた通
りである.そして,この「限られた」という部分にサロンの特徴を見出すことが可能だ.谷口に
よると,
「閉じられた人間関係の範囲」においては,関与者が「芸術に対する嗜好性を醸成する
場となり得る」のだという.さらに「その中で,芸術家とその支援者が,芸術活動に関わる諸実
践を通じ,
芸術ジャンルについて認識を深めていく」
こともできると論じている
(谷口 2007: 16).
この点については,七月王政期のサロンが貴族や富豪の集まりであったことが重要な意味を持つ.
彼らはその身分上,音楽の稽古を受ける余裕があったので,優れた音楽の素養を持っていたもの
も存在した.つまり彼らと音楽家の間で,かなりレベルの高いコミュニケーションが成立してい
たと予測できる.このことからも,選ばれた人々のみが参加していたことが音楽家との対等の交
流,作品の深い理解を可能にしていたといえよう.
ところが現代の高崎の活動,少なくとも本論文で紹介した事例は,聴衆に関して門を閉ざして
いない.さらにはインターネットなどの SNS の発達により,配信された音楽コンテンツを第 3
者が地理的な障害を越えて鑑賞することができる.音楽の知識がない人が,聴衆として参加する
ことも容易に想像がつく.このような「閉じられていない」現代の取り組みの在り方では,聴衆
の音楽の素養レベルの平均が下がってしまうのは否定できない.よって以前のサロンと同様の機
能を備えているとは考え難い.
4-2-2. 「高崎サロン」
前節でも軽く触れたが,「高崎サロン」は,「地域」を考慮しての活動展開している点が,サ
ロンとは異なる点であるといえる.それは,「サロン」で行われている活動が「高崎のまちが楽
しくってにぎやかになればいいなと思ってみんなやっている」または「人が集まってわくわくす
る様な場所というのが(中略)良い楽しいまちになっていく」という発言からも読み取れる.つ
まり「高崎サロン」の様々な事業の基盤や目的に,
「地域」に対する配慮が含まれているのだ.
一方,七月王政期の方はどうだろうか.確かにノブレス・オブリージュに基づかれた活動とし
てメセナ活動を展開し,才能ある音楽家を世に送り出してはいた.しかしそれが「地域」のため
であったのか,という点には疑問符を打たざるを得ない.1 章で確認した通り,それは自らの体
面を保つために行われていた.さらに,昔のサロンには「排他性」が付きまとう.つまり基本的
- 257 -
にはその催しの範囲内,広くても同じ階級のサロンの開催者や参加者のみがサロンという機能の
恩恵を受けていたのだ.以上の点から,サロンにおける音楽活動には「地域」のことは考慮され
ていないと考えるのが妥当ではないだろうか.
また「高崎サロン」による催しは,排他的な性格がなくなったと考えられる.それは「おと
まち」と「coco.izumi」のスタンスから説明ができる.またイベントに参加するために,莫大な
費用を払う必要がないことも,このことをあとづける証拠となろう.
表 2.七月王政期サロンと高崎サロンにおける各々の特異点
七月王政期サロン
「限られた」人々による,専門性の高いコミュニケーション.
またそれによる,サロンの参加者の芸術性の醸成及びその芸術ジ
ャンルの深い理解が可能となる点.
高崎サロン
「高崎の街」という地域に対する視点と配慮.サロンの参加者
を特定しない「開かれた」活動である点.
4-3. 今後の「高崎サロン」の展望
最後に,
「地域」の視点を持った「高崎サロン」の今後の課題を示すことで,本稿を閉じたい.
課題は,以下の 3 つが挙げられる.
1 点目は,如何にして人を集めていくかということである.
「おとまち」にせよ「coco.izumi」
にせよ,人が集まらなくては活動自体が成り立たない.そこで,広報活動が重要になってこよう.
現在は紙媒体を始め,SNS など様々な広報手段がある.幅広く活動の門を開くのであれば,魅
力をアピールすることは言うまでもなく,どの媒体を使うかを慎重に選ばなくてはならない.
2 点目は,排他的にならないように意識することである.人は一度ある集団を形成すると,そ
の内部での関係のみを重視しようとする傾向がある.この事態になってしまうと,人が集まる可
能性をどんどん縮める結果になるだろう.今以上に盛んな音楽活動を展開するために,例えば「お
とまち」のコネクションを大いに活用し,アーティストとその音楽を通じて,積極的に他の組織
と関わることが必要であろう.
3 点目は,
「自然発生的」なつながりを如何に促進するかが挙げられる.
「高崎サロン」に「地
域」の視点がある以上,人々のつながりは無視できない問題であろう.また,「音楽のある街」
としてさらなる発展をするために,市民と組織のつながりも必要と考えられる.ただし強制した
コミュニケーションで,無理につながりをつくればよいわけではない.この課題が非常に困難な
のは,組織の課題というよりも個々の人々の意識に起因することによる.よって,人々の意識を
- 258 -
如何に刺激していくのかを十分に考慮しなくてはならない.
おわりに
現代社会は,インターネットの発達などによって個人化がさらに進み,人々が見知らぬ人とつ
ながる力が衰退しているように思える.またインターネット上でもコミュニティをつくれるため,
現実のコミュニティにおけるつながりが,どのような意義があるのかを示していかなくてはなら
ない.
しかし,私見ではその意義こそ「地域」に対する思い入れなのではないかと思う.人々が自分
の住んでいる地域に愛着を持てば自ずと人は集り,自らつながりをつくって活動する可能性が高
くなる.そしてそのきっかけを,「おとまち」や「coco.izumi」など「高崎サロン」の活動が提
供しているのである.
本稿では,七月王政期サロン及び「高崎サロン」の活動とその役割の比較を行い,「高崎サロ
ン」の今後の課題を示してきた.それらを少しずつ,時間をかけてでも克服し,
「音楽のある街」
としてさらなる発展を遂げてほしい.そして七月王政期のサロンのように,後世に語り継がれる
ようになることを願うばかりである.
謝辞
本稿を執筆するにあたり,インタビュー調査に快く応じてくださった A さん B さんをはじめ
様々な方々に助言・ご協力頂きました.この場にて深く御礼申し上げます.
文献
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北星社.
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(=2012,小倉孝誠・辻川慶子訳『100 語でわかるロマン主義』白水社.)
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雄・山田正行訳『第 2 版 公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探
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.
- 260 -
演劇市場の一極集中と地方公共劇場の可能性
山田 千尋
はじめに
日本には多くの劇場や劇団があり,大小さまざまな公演・イベントが催されている.その多く
は東京に密集しており,市場もそこに集中している.東京一極集中型の劇場運営に変化をもたら
すために地方の様々な劇場ではほとんどが「地域に根差す」「地域の誇りに」
「地域に開かれた」
などをコンセプトや理念に掲げている.しかし実際には,それぞれの劇場の取り組みが同じとい
うわけではない.根底にある多種多様な運営理念,取り組みがその劇場にもたらしてきた成果や
変遷を筆者なりに整理し,考察していくことで,今後の舞台芸術文化のたどりうる方向性やあり
方を探っていきたい.
その中には,運営に携わってきた人々の思いや願いが込められているのだと思う.すべてが統
一され,一方向にのみ進むことを促されるような社会のあり方はいつしか停滞を生むだろう.筆
者は劇場の運営について考察するが,このやり方が一番良いと思う,という提示の仕方は避けた
い.なぜなら,それぞれの劇場には多くの人間が関わっており,一人ひとりが矜持を持って運営
に取り組み,目指したい方向へと邁進しているからだ.そう考えると,やはりどの事例に対して
も尊敬の念を持って考察しなければならない.また,地方にも存在感のある劇場や劇団があるこ
とは念頭においた上で,本論ではあえて東京一極集中に対する是正のみに重点をおいていくこと
とする.
1
公共劇場とは何か
1-1. 意義
劇場の東京一極集中に対する是正と現状を論じていく前に,ここでは日本における公共劇場の
定義を述べておきたい.伊藤裕夫によると,「公共劇場とは公共=行政が設立した劇場型の文化
施設をいうのではなく,劇場(=演劇)の公共性が担保されている劇場をさしていることは改めて
述べるまでもないことである」としている(公共劇場の 10 年 2010).そして,この「公共性」を
担保するのは行政や民間であり,今日では民間の方向性が模索されている.
具体的に公共性とは何なのか.「公共」という言葉自体は,「public」の訳語であり明治以降,
数多作られてきた翻訳語の一つである.この言葉そのものについては,はっきり言って意味を説
明出来ないのだ.この現象を柳父章は「カセット効果 i」として論じた.演劇における「公共」
という言葉の意味はおそらく近代まで停滞しており,つまり,それはこれから我々が意味を与え
ていくものであるとも言える.
i
翻訳語研究者の柳父章はカセット効果を持つ言葉を,宝石箱のように魅力的で,中身が何
かわからなくとも人を惹きつけるものとして論じていた.(柳父章,1982)
- 261 -
近代の公共劇場は,往々にして「公の機関」のようなイメージがあり,資本の面からも中々一
歩踏み込んだ運営が難しいようである.そもそも自分の関わる劇場で「自分たちで作り上げてい
る」という実感を持って運営している人はどれくらいいるのだろうか.公共劇場の意義とは何か
を考えたとき,
「公的な機関である」というイメージと「公共」という言葉の存在感とは裏腹に,
我々はまだその意味を手探りで模索し,作り上げている途中なのだということに気づかされた.
しかし,1980 年代のバブル経済を背景とした公共施設の隆盛期に,現在までの施設のあり方
を形作ってきたのは間違いなく当時の行政であり,民間であった.特に 90 年代は文化政策史上
の黄金期ともいえる時代で,公共劇場をより深く追求する上での基盤になっていった.
1-2. 日本での変遷
前述のように,公共劇場は行政や民間の体制に添いながら発展しており,
「公共」という言葉
の概念もさらに中身が詰まっていくだろう.劇場運営の手法も東京一極集中の是正において,こ
れから新たな道を選ばなければならない時が来るだろう.そのために,この節では劇場が大きく
発展をみせた 1970 年代から現在に至るまでの変遷をたどり,その中にどのような意図があった
のかを紐解いていきたいと思う.以下に 90 年代以降の主要な文化施設と公共劇場の運営に一石
を投じた芸術監督制を導入した劇場を示したい.
表 1 専門文化施設
開館
1990
施設名
水戸芸術館
東京芸術劇場
1992
愛知芸術文化センター
1994
よこすか芸術劇場
彩の国さいたま県民劇場
浜松アクトシティ
1995
京都コンサートホール
能登演劇堂
1997
すみだトリフォニーホール
札幌コンサートホールキタラ
世田谷パブリックシアター
静岡芸術劇場(SPAC)
1998
横浜みなとみらいホール
びわ湖ホール
2000
富良野演劇工場
(出典:文化政策の展開―アーツ・マネジメントと創造都市,2014)
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表2
導入年
施設
芸術監督
1985
スパイラルホール
天児牛大
1987
銀座セゾン劇場
高橋昌也
1988
新神戸オリエンタル劇場
蜷川幸雄
横浜相模本多劇場
本多一夫
文化村オーチャードホール
岩代宏之
1989
佐藤信
冨田勲
前田憲男
文化村シアターコクーン
串田和美
金子洋明
1990
1993
水戸芸術館コンサートホール ATM
吉田秀和
水戸芸術館 ACM 劇場
鈴木忠志
水戸芸術館現代美術ギャラリー
中原佑介
藤沢湘南台文化センター
大田省吾
世田谷区文化・生活情報センター
佐藤信
(出典:文化政策の展開―アーツ・マネジメントと創造都市,2014)
日本の公立劇場・ホールの運営の上で,地方自治法では「公平性」の原理に基づき,演劇のプ
ロ・アマチュア問わず,同列に扱われていた.そして特定のカンパニーが劇場を長期間利用する
際には自治体の議会の 3 分の 2 の議決が必要とされていた.日本と欧米の劇場に対する理解の
仕方の違いがよく表れている.このような運営方法に芸術家側が不満を持ち,利用者側から批判
されたことで現在のような公共劇場が建設されるようになったのだ.
公共劇場には,複合施設から専門施設まであり,表 1 の水戸芸術館を筆頭に大小さまざまな
劇場が建設された.しかしそこでハードとソフトの問題が出てきた.いくらハードが立派でもそ
れを生かすソフトが備わらなければ,という専門家の知見のもとに「芸術監督制」が導入されて
いった.この主要な事例と変遷については,後述の 2 章 2 節で詳細に述べたいと思う.
かくして,公立ホールへの不満に端を発した新制度の導入によって,また新たな方向へと舵を
切っていくことになったのであった.
1-3. 日本人にとっての舞台芸術文化
ここまでで,現在のような自由な公演の形態が確立したのは意外と最近のことであったことに
付随して,演劇というものが日本人になじみ始めたのもそう昔ではないといえる.よって,日本
人にとっては,演劇を含めた舞台芸術文化はあまり身近なものではないように思われる.幼少期
- 263 -
からの教育カリキュラムの中で,「音楽」「美術」「書道」といった科目があるのにも関わらず,
「演劇」という選択科目は無い.しいて言えば,文化祭などの特別行事に際しての出し物のため
に,数週間取り組む程度である.同じようにステージの上で行われる LIVE や伝統的な歌舞伎・
能楽ほど,積極的に楽しむ人は少ない.市場規模が大きい東京に限っては,その大きさに比例し
て観客も多いが,一般的には「演劇をするのは何だか恥ずかしいし,時折上手でない人の演技を
見ているとこっちが恥ずかしくなるようなときがある」という人も多いだろう.筆者自身もそう
いう場面に出くわすことはままある.
ところが,自分にとってぴったりはまるような演劇を観たときには喜びを感じるものだ.たま
たま手に取った小説が大変好みでとても面白かったときのような,そんな感覚である.演劇には,
既存の台本を上演することもあれば,脚本家に依頼してまだ世に出ていない新しいものを上演す
ることがある.この,自分の嗅覚を頼りに面白い作品や劇団を探すのが楽しみであり,冒険であ
る.
日本ではテレビというメディアの台頭によって,自分から選択していくのではなく,すでに与
えられたコンテンツの中から何となく選択していき,何となく大衆が面白いとおもうものを面白
がる側面がある.わざわざ外へ行かなくてもテレビやネットで手軽に楽しめる環境になっている
からこそ,生の臨場感を味わい,お金を払うのだから面白い作品を引き当ててやるという気概を
持ち合わせて,人としての審美眼を養うべきである.
2
現在の劇場運営
2-1. いわきアリオス
前章では演劇・劇場に関して,その近現代における背景を述べた.ここからは,現在運営され
ている劇場の中から運営理念の方針の違いによって 3 つに分類し,筆者なりの解釈でそれぞれ
のめざすものを明らかにしていく.
最初にいわきアリオスについてみていきたい.このような形態の劇場はもっとも多い,バラン
スのとれた方針で運営している.以下に運営上の基本コンセプトを示したい.
1. 気軽に集い,ふれあい,楽しめるコミュニティであること
2. 自分を磨き,新たな価値を生み出す創造的活動拠点であること
3. みずみずしい芸術文化に触れ,地域への誇りをともに育む場であること
4. まちとつながり,まちを感じる賑わいの空間であること
5. 地域における公共劇場の新しいスタンダードであること
(いわきアリオス HP より)
5.に示されたように,この劇場はこれからの公共劇場運営の新しいスタンダードとして広く受
け入れられていくのではないか.創造の場でもあり,市民の憩いの場でもある.有名人のコンサ
ートから地元民の紙芝居まで,幅広いためターゲットを絞らない経営ものぞめるだろう.また,
- 264 -
サロンとしての雰囲気づくりにも気配りしているので,ただ演劇やコンサートを見に行くだけで
はない楽しみ方や,空間の使い方もできる.入っていきやすく,交流しやすいいわきアリオスは,
芸術と人との新たな結節点となって,新たな感性の発見にも結びついていくことが理想であると
考えられる.
2-2. 可児市文化創造センター
この節では大多数の劇場とは違った視点で運営に取り組んでいる可児市文化創造センタ
ーを取り上げる.この劇場は社会包摂的見地 iiに重きを置いた事例である.まずは以下に記
したこのセンターの館長兼現場総監督の衛紀生の言葉に目を通してほしい.
しかし,私は,いま必要なのは「芸術監督」ではなく「経営監督」という実感を現場
で持っていました.経営感覚と芸術的寛容さを持ち合わせていない「芸術監督」が地
域に派遣されることで,むしろ現場に混乱が生じることになるのではないかと考えて
いました.(衛紀生,2008)
80 年代から始まった芸術監督制であるが,それとはほぼ反対の考えであるといってよい
だろう.可児市文化創造センターでは,劇場を地域住民のコミュニティ形成のために開か
れるものと考え,3 年毎にミュージカル・コンテンポラリーダンス・演劇という流れでの大
型市民参加プロジェクトや ala まち元気プロジェクトを積極的に開催している.参加者であ
る市民同士だけではなく,プロのキャストやスタッフとの共同作業によって市民の創作意
欲や地域活性化を図っているのである.ala まち元気プロジェクトでは,劇場を飛び出して
様々な会場で朗読を行ったり,プロから学ぶ演劇のワークショップを開催したりという活
動を続けている.これによって地域の中でより密接な絆を生み出し,住民自身が街を誇り
に思えることを理想としている.本稿では扱わなかったが,新潟のりゅーとぴあという公
共劇場は,より芸術性の高い作品・団体を誘致しているということを住民に誇りにしても
らいたいという理念を掲げているので,手段は違うが目的は同じであるといえる.専属の
芸術団体と契約している点では後述の SPAC と似た公共劇場である.
2-3. SPAC(静岡県舞台芸術センター)
そして最後に論じていきたいのは,1980 年代から芸術監督制の導入が始まった先進的な文化
施設の中でもっとも大きな権限を芸術監督に委ねた SPAC の事例である.SPAC はこの点で,
欧米型の芸術監督制を取り入れた唯一の公共劇場といってよい.演出家の鈴木忠志には事業の総
指揮のみならず,事業全体の予算執行権と人事権まで専有するという稀有な事例でもある.芸術
社会包摂(social inclusion)とは,能力にとらわれることなく,あらゆる人々があらゆる場
面で地域社会において包み込まれ,それぞれに社会に参画することができることを意味し
ている.
ii
- 265 -
監督制とは,事業企画などの劇場運営に関して排他的な強い権限を与える制度であり,欧米では
一般的なシステムなのである.これは静岡県の全額出資によって実現した.
しかし,様々な権限を委ねられるのは「芸術家」であるため,「経営者」としての素質を持ち
合わせるというのは芸術監督制の問題を克服するためにはどうしても必要になってくるのであ
る.前の節での可児市文化創造センターでの衛氏の言葉通り,経営面から現場のことを考えられ
る人材が求められてくる.予算に縛られていては芸術を重視することは狭められてしまうかもし
れないが,予算が成立しなければ運営そのものが成り立たなくなるおそれもある.やはり何か事
を進めようとする際にはジレンマが生じるものだと考えさせられる.
また SPAC では,2 代目芸術総監督の宮城聰の時代になった際に,地域をないがしろにできな
い事実が待っていた.SPAC の県内知名度が極端に低かったのである.SPAC を「知っている」
と答えたのは 2006 年度で 17.5%,「知らない」が 81.2%,その他無回答だった.2009 年度には
「知っている」12.9%,「知らない」82.6%で後退していた(SPAC の 15 年,2013).県の思想と
県民のニーズがかみ合わなかったのだ.現在の SPAC には,世界に誇れる芸術文化の創造とこ
れから地域社会に受け入れられ,知ってもらうという課題が生まれたのだ.だが,これを乗り越
え克服することによって,日本の公共劇場の意義がまたあらたに肉付けされていく歴史になるだ
ろう.
3
劇場運営の課題
3-1. 東京一極集中
これまでも述べてきたように,私はこの演劇の問題について非常に強い関心を寄せている.自
身が演劇や俳優に興味関心があることに起因しているのだが,もう一つ理由がある.それは,私
が東京から遠く離れた地方に住んでいたということだ.観たい演劇やコンサートはそのほとんど
が東京あるいは近接した大きな都市の施設であり,その度に安くは無い交通費と宿泊費を捻出す
るのは中々に難しかった.それでも年に数回は地元のホールやドームで目当ての公演があったが,
やはり首都圏のそれとは比べ物にならない.そういう環境だったからこそ,東京の恵まれた興行
環境は私にとっては羨ましく,同時に身近にあった公会堂やホールの良さを考えるきっかけにな
ったのである.これは私が首都圏に生まれ育っていたら無関心だったことかもしれない.
そして,「なぜ地方にも良い劇場があるのに東京でばかり人気の公演があるのか」という小さ
な怒りにも似た感情が,地方の公共劇場のことや東京の現状を知る発端になったのだ.この節で
は現代の東京における劇場と公演の現状を論じていきたいと思う.
先に断っておきたいのは,私がこのことについて調べ始める前はただ漠然と,前述のように東
京ほどの劇場数と公演本数ならば何も問題なく円滑に事業は進んでいると思っていたことが,
少々違っていたということだ.ここでも問題は複雑で,一概に東京というくくりで話を進めるこ
とは出来ず,東京だからこその大型劇場と中小劇場の格差のようなものが垣間見えた.それでも
やはり演劇公演に関しては東京が一大市場であることは間違いない.
ここでは東京一極集中を論じる上で核となる大型劇場に焦点を当てたい.まず,東京で公演数
- 266 -
が多い理由であるが,人口が多いのでより多くの集客が見込めるということ・交通の便が良いこ
と・稽古場が充実していること・人気俳優を起用する場合に他の仕事と掛け持ちしやすいことな
どがあげられる.あるいは作品自体を観るのではなく,キャストのために観劇するという人も数
多くおり,このような層をターゲットにしたマーケティングも存在している.また,大手プロダ
クションのマネジメントやスポンサーの意向もあって,東京の大型劇場が選ばれることは少なく
ない.政治・経済の中心である東京に集中してしまうのは何も演劇だけに限った話ではないが,
ここまで成長してきた演劇市場を東京だけにとどめておいてはもったいないのではないか.
地方に存在感のある公共劇場が増えれば,ゆくゆくは雇用の創出や劇場への交通費・飲食代・
土産代・宿泊費などの経済波及効果も見込める.事業規模の小さい中小劇団は地方公演やロング
ラン公演を行うことが困難であるが,地方に演劇をできる環境が整えば,専属契約とまではいか
なくとも定期的に公演をすることができるのではないか.もとはといえば,演劇とは観客がいて
初めて成立するものであり,公演の費用を補うためにも多くの人に観てもらい,チケットを売っ
ていかなければ継続していくのは難しい.東京には様々な人が集まり,職も多い.そのため,観
劇に来る人も多く,層も広がり,劇場も多いために当日券でふらっと立ち寄れてしまうこともあ
る.それでも無数に埋もれている小さな劇団はあるが,それぞれに夢を抱いて東京にやってきた
のだろう.
さらに,一部の成功例を除いて,劇場・劇団の宣伝やマーケティング不足,人材育成の充実と
いった課題が浮き彫りになっている.どんなことでもそれに見合った資本は必要であり,芸術文
化においては「経営」と「芸術」のバランスをとっていくことが持続的な劇場運営と発展には必
要なのである iii.
表 3 「演劇の市場規模」
20000
18000
16000
14000
12000
10000
8000
6000
4000
2000
0
現代演劇
ミュージカル
商業演劇
文楽
歌舞伎
東京
名古屋
京都
大阪
(出典:首相官邸 HP)
首相官邸 HP の資料によると,明瞭な会計システムを持ち,商業的成功を実現している
劇団は圧倒的少数であり,くわえて商業的・人気主義的な劇団は公的な支援を得ることが
困難であると指摘している.
iii
- 267 -
3-2. 各劇場の理念の方向性
はじめに述べたように,劇場にはそれぞれの運営・経営理念がある.画一的な理念では,それ
ぞれに得られたかもしれないノウハウや可能性をつぶしかねないので,どういう方向性が一番良
いとは決められないと考えた.ただ,2 章で述べたように様々な地方でそれぞれに特徴ある公共
劇場が誕生してきたことは東京一極集中を是正していくにあたって有効であることは自明であ
る.そしてあらためてこれまでの歴史をたどってきたことで,日本の公共劇場の概念や運営方法
などは発展途上にあり,
これからどんな風にも変わっていけるという可能性を感じさせた.欧米から様々な影響を受けて
取り組みを続けてきたが,多くの側面で問題が発生する可能性ももちろんある.その方向性を選
んだから困難だということは無く,等しく課題と向き合わなければならない.公共劇場というも
のが広く運営されるようになってまだ歴史は浅いが,これだけのびしろがある地方とそれを押し
上げようとする公共劇場の運営に携わる人たちの言葉を見てきたことで,東京一極集中に対抗し
うる新勢力の息吹を感じることが出来た.
おわりに
本稿では東京一極集中の是正のために地方の公共劇場を運営することを考えてきた.演
劇という一大市場を担う東京に対抗あるいは取って代わるのはまだまだ先のことかもしれ
ない.しかし,市場開拓以外に演劇という文化の芸術的側面を重視した劇場運営,演劇の
社会包摂的側面を生かした地域のコミュニティ形成など,多様な運営理念を知ることが出
来た.
劇場が地域に開かれることを目指しているからといって全員が関心を寄せているわけで
はないが,SPAC の例に見るように,助成金が寄せられる分だけ地域住民の関心も高まると
いうことは忘れてはならず,世界に通用するような芸術性も同時に期待されているという
ことがわかり,実現性の難易度は上がった.しかし,そこに懸命に立ち向かい真摯に課題
に取り組む人々の姿が浮き上がってきて胸をうたれた.これからさらに公共劇場と演劇の
発展に向かって新たな可能性が生まれることを期待している.
文献
伊藤裕夫・松井憲太郎・小林真理,2010,
『公共劇場の 10 年―舞台芸術・演劇の公共性
の現在と未来』美学出版
野田邦弘,2014,『文化政策の展開―アーツ・マネジメントと創造都市』株式会社学芸出
版社
衛紀生,1997,『芸術文化行政と地域社会』株式会社テアトロ
清水裕之,1999,『21 世紀の地域劇場―』鹿島出版会
高田和文・松本茂章,2013,『SPAC の 15 年―静岡県舞台芸術センターの創造活動と文
化政策をめぐって』公立大学法人 静岡文化芸術大学
- 268 -
中山夏織,2003,
『演劇と社会―英国演劇社会史』美学出版
衛紀生,2008,「いま必要なのは芸術監督ではなくて,経営監督である」(2014,12 月 11 日
取得,http://www.kpac.or.jp/kantyou/essay_143.html)
首相官邸 HP,2004,「演劇の現状」(2014.11 月 16 日取得,
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/contents/dai5/5siryou3.pdf)
- 269 -
ZINEと現代社会
ニ井谷
友希
はじめに
都会にはビルや“安くて早い”をウリにした大型チェーン店が立ち並び,店先には大量に生産
されたまるで一つと違わない製品で溢れている.ふと地方に目を向けると大型ショッピングモー
ルにまち中から大量の人が車でやってくる.
2003 年の OECD の調査によると,日本の 15 歳の子供の 30%が孤独を感じているという.利
便性,経済面を重視した大量生産大量消費,都市化,バーチャル化により,生活は確実に豊かに
なった.しかしその反面,人と人との繋がりや人の温もりを感じさせるものは少なくなり,スト
レスの多い孤独な社会へと変化していった.
そんな中,2000 年代に入りある自主出版物が注目され始めた.それこそが ZINE である.な
ぜ 2000 年代に日本で ZINE が脚光を浴びるようになったのだろうか.現代において,ZINE に
は行き過ぎた大量生産大量消費,都市化,バーチャル化の揺り戻しや今日の社会に小さく反抗す
るような,または息抜きのような役割があるのではないだろうか.本稿は現代社会における
ZINE の意義について考察したものである.
1
ZINE の概要
現代社会における ZINE の意義を考察する前に,ZINE とは何かということについて述べたい.
日本において ZINE はアートブックやストリート・カルチャーの潮流を汲み 2000 年代に注目
されはじめた自主出版物の一つである.自主出版物といえば同人雑誌や同人誌,ファンジン,イ
ンディーズ・マガジン,リトル・プレス等の呼び名があり,これらは自主出版物の長い歴史の中
で様々な用途に応じ,呼び名を変え,また,使い分けられてきた.そこで本章では ZINE を理
解するために自主出版についての説明から始まり,ZINE の具体的な説明,ZINE の歴史を紹介
する.なお,日本において ZINE は学術的な見地からの研究は手薄であり,十分な資料がない.
よって現在の ZINE の発行部数等が明らかではないなど,具体性に欠ける箇所があることをご
承知願いたい.
1-1. 自主出版 iという本のかたち
自主出版物の歴史は古く,16 世紀に遡る.グーテンベルグによって活版印刷が発明された話
は有名だが,グーテンベルグが最初に作った「四十二行聖書」が自費出版によるものだったとい
うことを知る人は多くない.「四十二行聖書」は立派な家が八軒も建てられるほどの借金で作ら
i本稿では自主出版の定義を商業出版物が追及する営利とは別に自主的に出版する印刷物とする.
似た言葉で自費出版があるが,自費出版は自主出版の一つとする.
- 270 -
れたものであり,予約注文を集めて 180 部刷られた.
日本において自主出版というと『白樺』や『新思潮』がそうであり,自主出版の中でも同人誌
にあたる.
『白樺』や『新思潮』は有島武郎や木下利玄,岸田劉生,谷崎純一郎が同人として参
加していた同人誌であり,いわば権威ある出版物である.現在,自費出版と言う言葉は一般的で
あり,商業出版社,出版流通,書店などに属する業界人や職業作家からは若干低く見られている
ように思われるが,自主出版の歴史は出版(印刷)の歴史と結びついているといえる ii.
その長い自主出版の歴史の中で様々な呼び名がうまれた.例えばミニコミや同人誌やZINEで
ある.これらの呼び名は微妙な違いによって使い分けられ,さらに,個人によって解釈や説明が
若干異なる.そのことを考慮したうえで, ここでは「一箱古本市」 iiiの発起人,南陀楼綾繁氏
のミニコミ ivの分類を参考にして自主出版物とは何かをひも解いていきたい v.
南陀楼氏はミニコミを,ある個人やグループ(サークル)が自主的に発行し流通させる印刷物
であり,マスコミという大きなジャーナリズムに対する,mini communication media という和
製英語の略だとしている.ミニコミの取りあげるテーマは,地域のこと,運動のこと,個人のこ
とといった自分たちにとって切実な問題で,それをさまざまなカタチで表現している.100 ペー
ジを超えるような冊子体の印刷物もあれば,コピー一枚のモノもある.友人のあいだでのみ配布
しているモノもあれば,全国の書店に配本している場合もある.いずれにせよ,
「ミニコミ」は,
商業出版物が追求する営利とは別の目的によって,自主的に発行されるものだ.
もともと英語の publish には,書籍・雑誌などを出版するという意味の他に,公にする,正
式に発表するという意味がある.前者の意味での publish においては,出版社という形態が不
可欠だが,後者の意味の publish では,たった一人でも自分の意見を世に問うことができる.
ミニコミは,商業出版物がカバーしきれないマイノリティの意見を publish するメディアなの
だ.南陀楼氏はミニコミを,文芸同人誌,機関誌,タウン誌,キャンパス誌,個人通信,フリー
ペーパー,インディーズ・マガジン,自費出版物・プライベートプレスに分類できるとしている.
1-2. ZINE とは
自主出版物の歴史が出版物の歴史と深く結びついていて,その歴史の中で様々な呼び名,種類,
形態がうまれ,今に至るということを述べたが,では日本における ZINE とは一体どういうも
のなのだろうか.
ZINEが広がる以前から,日本の自主出版物には,同人雑誌,同人誌,ファンジン,インディ
ーズ・マガジン,リトルプレス等と呼び方がいろいろあったわけだが,日本ではコミックマーケ
ii大島(2002)より参照
iiiお店の軒先で一人一箱分の古本を持ち寄って売り買いするイベントである.このイベントは谷
根千(東京の谷中,根津,千駄木地域)から広がって今では全国各地で開催されるようになって
いる.
iv本稿では南陀楼氏の定義するミニコミと自主出版物は同義として説明する.
v南陀楼綾繁,
「ミニコミ―出版の広がりと多様性」
(www.accu.or.jp/appreb/09/pdf32-3/32-3p010-12j.pdf)より参照
- 271 -
ットの規模拡大とともに「同人誌≒(二次創作の)
(エッチな)漫画」という誤解が広まってい
って,それゆえに別の呼び名を意識的に使っているところがあったという.他にも,例えば 70
年代から 80 年代初頭に創刊した,マンガ・アニメ・特撮その他様々なものを扱う読者投稿誌『フ
ァンロード』の同人誌紹介コーナーも,2009 年の休刊までずっと『ファンジンロード』という
名前であったり,東京文芸出版(印刷会社)主催の漫画同人誌が主に出展されていた即売会は「同
人誌・ミニコミフェア」という名前であったり,ファンジンやミニコミや同人誌といった自主出
版物を表す呼び名は,重なり合いながら時代と文化圏次第で意味するものが変わっているよう
だ vi.
現在日本で使用されている ZINE という言葉の定義は,南陀楼氏が掲げるミニコミの中の自
費出版物・プライベートプレスに最も当てはまるのではないだろうか,と筆者は考える.その定
義とは要約すると,自費出版物,プライベート・プレスとは商業出版物として成立しにくい,特
異な研究や個人的な回想などを,自費で出版するものである.特に,本づくりの面で技巧を凝ら
し,少部数のみ制作するプライベートプレスは,欧米ほど多くはないが,日本でも製本家や画家
によって行われている例がある,というものだ.但し,現在では製本家や画家によってだけでな
く,より広く一般的に ZINE は作られている.
さて,自主出版物としての ZINE の立ち位置について述べてきたが,ここからは具体的に ZINE
を捉えていきたい.ZINE の特性は,その制作目的,出版方法,テーマ,体裁,作者,コミュニ
ティの観点から語ることができる.
まず,ZINE の制作目的として,とにかく自分の主張を発信したい,自己の絵画や写真の作品
発表をしたい,趣味で人と繋がりたい等々,様々なものが考えられるが,営利が第一目的ではな
い,ということが特性の一つである.
次に,テーマは基本的に“何でもあり”で,音楽,映画,文芸,マンガ,スポーツなどのレビ
ューや批評,クリエイターやアーティストのインタビューなどを取り扱うもの,写真やドローイ
ングなどのアート作品,または詩や小説,エッセイ,マンガなどの自分の創作物を発表する作品
集的なもの,個人の暮らしを綴る日記やメモ的なもの,身の回りのショップやイベント,自分の
ライフスタイルなどを紹介するものなどがある.
体裁も多種多様で,ミシンで縫って綴じたもの,1 枚の紙を折っただけのもの,紙束に穴をあ
けてリングでまとめたものなど,多種多様だ.さらに,シールでデコレーションしたり,付録を
付けたり,トレーシングペーパーやコピー用紙を表紙と扉で使い分けたり,実験的な面白さがあ
る.ホッチキスとコピー機だけで綴じられたようなものも,“これこそ ZINE”という感じで好
まれる.気軽につくれるということも ZINE の大きな特徴である.
また,作者は全くの素人から写真や絵のプロまで老若男女,誰でも興味のあることをZINEで
表現し,販売することができる.最近では“TOKYO ART BOOK FAIR”等,アートブック的
なZINEが注目されることは多いが,
“誰でも自由に”が基本である.実際に群馬県高崎市にて
ばるぼら・野中モモ,2014,
「日本の ZINE について知っていることすべて第 0 回“ZINE の
ABC”」前田毅編『アイデア』62(6)
:185-192 より参照
vi
- 272 -
開催されているZINE販売イベント“ZINPHONY”や,ZINEを閲覧したり,制作したり,自由
にZINEを体験できるイベント「ちょっとZINEつくってみたいかもナイト」の主催者である荻
原貴男氏にZINPHONYに参加した作者の年齢や職種について伺った.参加者が第一回目で 50
人,第二回目で 40 人いたそうだが,年齢は 20 代から 40 代前半,職種も様々な方が参加したと
いうことだった.特に 20 代後半から 30 代前半が多いそうだ.また,
“MOUNT ZINE”は様々
なジャンルのZINEを広く募集し,展示・販売するZINEのプロジェクトだが,MOUNT ZINE
の客の中心は 20 代から 30 代が中心で女性の方がやや多く,クリエイターも女性の方がやや多
いそうだ
vii.イベントMOUNT
ZINEが開催されたのは 2011 年の 3 月で,土日の二日間開催さ
れた.2 回目と 3 回目も土日の 2 日間開催され約 200 種類のZINEを集め,期間中 500~600 人
の来場者を数えた
viii.
これらのことから,年齢,性別に偏りが見られるが,ZINE は元来誰でも参加できるものであ
る.多種多様な人が参加することが魅力でもあるため,この理想と現実のギャップは課題の一つ
であると提示して,ここでは先に進みたい.
最後に,ZINE の販売イベントや,ZINE を作りたい人が集ったサークル等によって,作者同
士,作者と読者間でコミュニティやコミュニケーションが形成され,これは ZINE の特徴であ
り面白さの一つである.
1-3. ZINE の歴史
前節でホッチキスとコピー機だけで綴られたものが“これでこそ ZINE”だと言われることが
あると述べた.その所以は,80 年代後半から 90 年代のスケーターが中心になった西海岸カルチ
ャーを ZINE の発端とする説が最もよく言われているのだが,この時につくられた ZINE がホ
ッチキスとコピー機を使ったものであったからだと考えられる.歴史を知るということは ZINE
という実に定義が曖昧な事柄を理解するうえで重要である.したがって,本節では ZINE の歴
史を追っていく.
80 年代から 90 年代のスケーターたちによってZINEがつくられるようになり,その後 1990
年頃アメリカのビジネス・コンビニ“kinko’s”がアメリカ全土に進出した.このことで,印刷
機を持たない一般層も大量印刷が可能になりコピーとホッチキスで作られるFANZINE ixが普及
した.
1990 年代初頭にはアメリカやイギリスで若い女性パンク・バンドを中心としたフェミニズム運
動の“Riot Grrrl(ライオット・ガール)ムーブメント”が発生した.当時女性パンク・バンド
のメンバーによって,女性の権利を訴えた ZINE がバンドファン向けに発行された.読者の啓
vii佐藤勝,
2013
年,
「手作りアートブック“ZINE”を専門に展示販売する“MOUNT ZINE Shop”
に行ってきました」,
(2014 年 12 月 28 日取得,http://www.ebook5.net/blog/mtzineshop/)よ
り参照
viii志賀隆生・市川水緒編,2012,
『つくる,つながるジンの楽しみ』,株式会社ピー・エヌ・エ
ヌ新社より参照
ixZINE は FANZINE の FAN がとれて”ZINE”となったという説がある.
- 273 -
蒙という点でこのムーブメントが読み手を増やすきっかけをつくった.1990 年代後半アメリカ
で伝統的スケーター,マーク・ゴンザレスが親友の映画監督であったハーモニー・コリン監督(脚
注)と共に ZINE を創刊し,ストリート・カルチャーの中でアート表現として広がりを見せる
ことになった.そして,2000 年以降 ZINE は一気に普及する.主な出来事としては 2004 年に
スイスで Benjamin sommerhalder がアーティストに声をかけ“Nieves Books”として ZINE
の発行を開始したこと,写真家の Crag Atkinson が自身を含めたアーティストの ZINE を出版
販売する Café Royal books を設立したこと,2010 年にはスイスでデザイナーであるウルス・
レーニが主宰する”Rollo Press”が一連の ZINE で,“Swiss Federal Design Awards”を受賞し
たこと等が挙げられる.
日本だけに特化して注目すると,2001 年にTOWER RECORD東京渋谷店でZINEの販売を開始.
2006 年には写真家の平野太呂が“No.12 GALLERY”で“Nieves”とZINEの展覧会を開催し
た.2009 年にはZINE’S MATEが主催の“THE TOKYO ART BOOK FAIR”が開催され,ZINE
ブームが加速した x.この催しは今年 2014 年 9 月 19 日,20 日,21 日の三日間開催され,第六
回目となる
現在では北は札幌市の“NEVER MIND THE BOOKS”から南は福岡“10zine”まで日本各
地で ZINE のイベントが開催されている.常時 ZINE を展示,販売する店舗はまだまだ少ない
が東京を中心としていくつか存在している.
2
ZINE が求められる現代社会
このように生産的でも効率的でもないアナログな紙媒体である ZINE だが,2000 年代に入り
注目され,現在では日本各地で ZINE イベントが行われている.ZINE が注目されることには,
冒頭でも述べたように行き過ぎた大量生産大量消費の揺り戻しや,揺り戻しとまではいかなくと
も,今日の社会に小さく反抗するような,または息抜きのような役割があるのではないだろうか.
そこで,第一節はマスメディア,第二節は大量生産大量消費,第三節は都市化,第四節はバーチ
ャル化をキーワードに現代社会の考察を行う.なお,本稿では分かりやすく 4 つのキーワード
で分類したが,実際にはこれらの問題は複雑に絡み合っている.
2-1. マスメディアによって排斥されるマイノリティ
まずは,マスメディアをキーワードに,現代社会について考察したい.
マスメディアとは主に新聞やテレビ,ラジオ等を指す.現代社会ではマスメディアが発達して
おり,わたしたち現代人は毎日何かしらのかたちでマスメディアを利用し,情報を得ている.ひ
いてはマスメディアからのみ情報を得ているという人も少なくないだろう.
しかし,マスメディアが伝える情報には限界があり,選択の仕方や伝え方には問題点がある.
それは第一に,マスメディアは市場原理が前提となっている以上,特定の相手を想定したもの
21 世紀美術館,「art-ZINE:冊子型アート・コミュニケ―ション」
(http://www.kanazawa21.jp/tmpImages/videoFiles/file-62-110-file.pdf)より参照
x金沢
- 274 -
にならざるを得ないということである.例えば,スポンサーが付くことで制作が可能になるテレ
ビ番組は,スポンサーの意に反した内容を含むことはほぼ不可能である.テレビは不特定多数に
向けてメッセージを発信していると思われがちだが市場原理主義が前提となっている以上,特定
の相手を想定したものにならざるを得ない.
また,マスメディアは言表行為そのものの統制を行い,合意された場を作るという側面がマス
メディアの問題として挙げられる.
(伊藤 2002)これは,ノーエル・ノイマンによって提唱さ
れた沈黙の螺旋モデルによって説明される.沈黙の螺旋モデルは,まず多数派の意見があり,そ
れをマスコミが認知し,多数派の意見を報道する.そうすることでさらに多数派の意見が強化さ
れることとなりこのサイクルが繰り返し行われる.この過程によって多数派の意見が助長される
しくみである.ここでの大衆の心理とは,マスメディアを通じて世間を知り,なるべく孤立を回
避して,多数派の意見に同調するか,沈黙を守ろうとするというものである(Noelle 1988).
以上から,マスメディアにおいてマイノリティの意見は排斥されやすく,非常に弱い立場にあ
るということが想像に難くない.
2-2. 消費原理主義が円満する社会
日本人の消費活動が,個人店で会話をしながら買い物をするという形態から,大型店で個人的
に買い物をするという形態に変わってきたということにも見受けられるように,マイノリティが
排斥されやすい環境は私たちの消費活動にも現れている.
日本において地域に大規模チェーン店がどんどん進出しているが,大規模チェーン店の建設は
地域の商店街や個人店を追いやり,それにより,地域のコミュニティは崩壊している.
また,安く,効率的にというスローガンを掲げた大量生産によってうみだされた商品は画一的
で個性が失われていて,味気がない.より多くの利益を上げるために機械化が進み,マジョリテ
ィに支持される商品をつくりあげる.
大量生産・大量消費社会はわたしたちの心をも蝕む.消費伝染病「アフルエンザ」という言葉
がある.affluence(富,財,富裕)とインフルエンザを掛け合わせた言葉であり,今日のアメ
リカでは一般的に使われている言葉である.アフルエンザの症状とはもっと手に入れたいという
思いから生じるもので,痛みを伴い,伝染病で,社会的に伝播するモノの持ちすぎ,借金,不安,
浪費の状態である.より豊かになるために産業化が推し進められてきたが皮肉なことにもそれに
よって精神的な充足は得られず,むしろ不満はたまっていく一方である xi.
2-3. 都市化で失われる人と人との繋がり
自分の帰属する集団「外」との交流が少ない「希薄な人間関係」は都市化した社会の特徴であ
る.そんな空間では一歩自分が属している集団を離れると誰も助けてくれない.そのような状況
xiJohn
de Graaf, David Wann, Thomas H Naylor,2005,Affluenza: How Overconsumption Is
Killing Us -and How to Fight Back,Berrett-Koehler Publishers.(=2005 上原ゆうこ訳『消
費伝染病「アフルエンザ」なぜそんなに「物」を買うのか』,日本教文社.
)より参照
- 275 -
を広井は「都市の中のムラ」と名付けた(広井 2009).今日の社会においてネットでは偶然の
繋がりにより直接的な関わりを持ったことがないような他人と親しくなるということが日常茶
飯事であるのにも関わらず,リアルでは自分や仲間の繋がりに閉じてしまう傾向にある.とはい
え,安心して繋がる場所は少ない.さらに,都市空間においては人と人とのつながりを忘れがち
である.エレベーターや電車で他人と乗り合わせた時,他人の言動が気になったり不快に思った
りしたことはないだろうか.互いに顔を合わせず,言葉を交わさないことにより緊張感が生まれ,
不快な感覚ばかりが鋭敏になってしまうのである.ユルゲン・ハーバマスは都市という空間にお
いては人々が様々な社会のパーツとして管理され,消耗品として非人間的な扱いを被っていると
し(Habermas 1987),わたしたちは都会において時に“大勢に埋もれていく”ような感覚を味
わったり,自分の価値を認めることができなかったりするのである.
2-4. バーチャル・コミュニケーションの弊害
都市化を加速させる一つの要因として通信機器やインターネットの普及がある.
今日わたしたちは携帯電話やスマホを使い,メールを送り合ったり,また SNS で見知らぬ人
と会話をしたりしている.携帯電話やインターネットの普及によって表現やコミュニケーション
手段の幅は著しく広がった.言わずもがな,インターネットがもたらした便益は計り知れない.
インターネット上の表現で ZINE と似た表現手段としてよく挙げられるのがブログである.
ブログは個人で自由にやることができて,かつ,内容も自由であり,ブログの投稿者と読者間で
の交流も可能だからだ.むしろブログの方が ZINE に比べてより気軽にコミュニケーションが
取れる.しかし,その気軽さが故に問題がある.
ブログにおいて心無いコメントをする人や意地悪なコメントをする人,セクハラ的なコメント
をする人,他人に便乗して批判し炎上する,ということが度々見受けられるが,これらの行為の
ほとんどはどれもよく考えて行われた行為ではないといえる.炎上について鈴木は,
「ネットで
見つけた非道徳的な振る舞い」への糾弾は,ごく少数の個人によって執拗に行われる場合もある
が,規模の大きい炎上の場合,たまたまその記事を目にした人などが,軽い気持ちで投げかける
批判によって,その輪が広がっていくことが多く,まるで通りすがりに投げつけられる石つぶて
のような批判によってこそ大きくなるのであると述べている(鈴木 2013).
このように,ネット上ではよく便乗する行為が見受けられるが,それを助長するような空気感
がネットにはあるのではないだろうか.例えば,
「2ちゃんねる」は日本最大の掲示板サイトで
あるが,ちょっと変わった人や物事を見つけてネタにするということが行われる.ネタにしたり,
ネタに乗っかったりすることにより自分は大多数側の人間でまともな人間であるということを
暗に示していたりする(香山 2009).それが原因で一度間違ったことを言えば非常識だと非難
され,それがどんどん拡散し手におえない状況になるかもしれないという恐怖から,他人とは違
う考えは意見しないようにするということが起きるのではないか.マスコミや「都市の中のムラ」
の議論にも共通することだが,脱身体化されたような環境において,私たちは人と人がコミュニ
ケーションを取る際の基本というのを忘れてしまいがちなのかもしれない.
- 276 -
また,ネット上のデータは「保障」がない.ここでいう「保障」とはデータを維持することだ
が,例としてあるレンタルブログサービスでの事例を挙げたい.筆者は偶然,自分のブログが事
前の予告や削除理由を提示されずに運営側によって削除されってしまっていたというネット上
の記事を 2,3 件見つけた.詳しく調べてみると,ある政治志向をもったブログが一斉に削除さ
れてしまっているらしい.他にも,アフィリエイトサイト
xiiをしていたり,広告を消したりす
る等のブログサービスの運営側にとって不利となるような行為や,少しでも怪しいと思われるよ
うな言葉を使用していたブログは同じように削除されてしまう可能性が高いということであっ
た.
以上,2 章 4 節についてまとめると,ネット上では気軽であるが故の心無い言説や必要以上の
批判,叩かれる恐れから少数派の意見が抑圧される傾向にあり,データに関する「保障」が薄い
といえる.しかし,一概にバーチャル・コミュニケーションやネットが悪者だとするつもりはな
い.ただ,メディアを使用する際にはそれぞれのメリットやデメリットをよく見極め選択するこ
とが必要である.
3
ZINE の可能性
前章では現代社会にみられる問題としてマスメディア,大量生産,都市化,バーチャル・コミ
ュニケーションについて考察した.では,このような社会において ZINE が読まれ,作られる
ことの意味をこの章では考察したい.
3-1. 自由な媒体
ZINE の一番の特徴は“自由”であるということであり,そこが面白さである.これはマスメ
ディアや大量生産・大量消費をはじめとした画一化などとは逆の思考である.
まず,ZINE は内容が自由である.飼い猫の写真であったり,地元の紹介だったり,好きなバ
ンドや音楽についてバイリンガルで書かれていたり,実に多種多様である.彼ら,彼女らは自分
の気持ちを伝えたい,素敵なお店やアーティストを人に教えたい,自分の作品を紹介したい,等
の気持ちを動機に ZINE を制作していて,営利目的で ZINE を作っていない.彼ら彼女らにと
って ZINE は純粋な“コミュニケーションツール”である.これは ZINE に限らず,出版物,
メディアの基本なはずだが,現代においてそれらは市場原理に組み込まれているケースがほとん
どである.
ZINE では内容が自由であれば,作り手,体裁も様々である.野中モモは ZINE を「持たざる
者のメディア」と表現している.誰もが出版会社から本を出版できるわけではないし,ライター
になれるわけでもない.1990 年代初頭のオリンピア,ワシントン,ワシントン DC ではじまっ
たパンク・ムーブメント「ライオット・ガール」であったが,それこそ,携帯電話もインターネ
xii成果報酬型広告,成功報酬型広告のこと.ネット広告の課金方式の一つで,Web
ページやメ
ールマガジンなどの広告媒体から広告主の Web サイトなどへリンクを張り,閲覧者がそのリン
クを経由して広告主のサイトで会員登録したり商品を購入したりすると,媒体運営者に一定の料
率に従って報酬が支払われる方式.
- 277 -
ットも使えない時代である.女性たちは自分たちの不満を ZINE という形で表し,ZINE を配る
ことによって考えを共有して団結した.このように,ZINE は様々な人によってつくられること
に醍醐味があり,かつ,様々な人がつくれるものでなければいけない.
また,体裁において様々な表現方法が可能であるということは各人のクリエイティブ精神に応
えクリエイティビティZINEの可能性が窺い知れる.例えばjwelry with bookというZINEがある.
その名の通り,
“ジュエリーに一冊ついてくる”ZINEである.ジュエリーと,ジュエリーと同
じくらいの大きさのZINE二つがセットになっている.このZINEの作者はジュエリーに,その
ものとは全く別の物語をまとわせたいという思いからZINEを作ることを思いついたそうだが,
あくまでZINEとジュエリーは等価であるという考えで制作している.ここでのZINEは単なる
説明書ではなく一冊の本として独立しても価値があり
xiii,またその発想は新鮮である.このよ
うにZINEは様々な解釈の余地を残すことで無限の表現方法を可能としている.このように付録
がついていたり,ビニールで包まれていたりといった体裁が自由であるという部分は他の自費出
版物にはない特徴である.いつから付録がついたのかということは定かではないが,ZINEがつ
くられてきた中でアーティストがZINEに関わり,それによりアートブックの要素がZINEに組
み込まれたと考えられる.
3-2. 手作りの ZINE
大量生産に対して ZINE は少量生産である.ZINE が少量生産である理由は基本的に手作りだ
からである.ZINE で採用される包装やコラージュや手書きには大量生産では生み出すことので
きない人間味を感じることができ,手作りであるがゆえに同じ ZINE でも一つずつ表情が違っ
ていることは買い手にとって魅力的である.
第ニ章ではアフルエンザの問題を挙げたが,アフルエンザに陥ってしまった人間は,商品が誰
によって作られ,いかなる材料が使用されているかということや,商品や資源を大切にするとい
うことに興味関心が薄いと推測できる.そうなってしまう原因の一つとして,身の回りの商品が
安く,効率的にということに最大の焦点が置かれ,大量に作られたものであるということが考え
られる.ZINE のような手作りの精神が詰まったものが増えて,少しでも多くの人の手に届くこ
とによって大量生産大量消費の是非を考えるきっかけになるのではないだろうか.
3-3. 人と人を繋ぐツール,ZINE
筆者は約 1 年前に何となく ZINE を買ったのをきっかけに ZINE に興味がわき,その後は現
在住んでいる群馬県高崎市で行われる ZINPHONY や ZINE を置いている雑貨店や,東京に行
ったときに立ち寄った書店やイベントで ZINE を買い,今では約 20 冊の ZINE が手元にある.
筆者は自分の買った ZINE を眺めていてあることに気が付いた.海外の ZINE を除いて,東京
で買った ZINE と高崎で買った ZINE を比べてみると圧倒的に高崎で買った ZINE には連絡先
xiii志賀隆生・市川水緒編,2012,
『つくる,つながるジンの楽しみ』,株式会社ピー・エヌ・エ
ヌ新社
- 278 -
を記載しているものが少なかったのだ.このことについて,いくつかの理由が考えられる.
一つは,東京の方が高崎より多くのアーティストが ZINE を出しているからということが考
えられる.なぜアーティストがつくる ZINE には連絡先やホームページが載っているかという
と,アーティストにとって ZINE が自分の作品の PR になっていたり,普段自分の作品を紹介す
る場としてホームページや SNS で自分のアカウントを持っていたりするからである.自分の作
品を PR して,ZINE を見た人がアーティストに仕事を依頼するというようなアーティストブッ
ク的な役割である.
2 つ目に,高崎に住む人々は ZINE の読者と連絡を取ろうという意識が低いということが考え
られる.では仮にそうだとしたら,なぜ東京と高崎で意識の差が生じたのか.まず,東京に比べ
て高崎の ZINE シーンは浅いからということが考えられる.実際に第一回目の ZINPHONY が
開催されたのは 2013 年の 11 月であり,2014 年 4 月 27 日に 2 回目,2014 年 12 月に行われて
計 3 回開催されたことになる.高崎で開催される ZINE のイベントは ZINPHONY のみで,何
種類もの ZINE を常時置いている販売店はない.
それに比べ東京では TOKYO ART BOOK FAIR
を始め,いくつもの ZINE のイベント,ZINE の販売店が存在する.以上をまとめると,ZINE
の読者が作者に連絡を取るということは ZINE 文化の一つであり,高崎では ZINE 文化が浅い
ことにより,この部分における浸透が浅いという理由である.しかしながら,今後 ZINE 文化
が浸透していく過程で,高崎の ZINE 作者は連絡先を書き,読者は連絡を取るようになるかと
いうことは不明であり,もともと重要視されていなければ,そうはならないだろうと考えられる.
むしろ,現在の時点で高崎では ZINE で誰かと繋がりたい,もしくは作者に連絡を取りたいと
考える人は東京に比べて少ないと考えられる.
その理由としては良くも悪くも高崎における ZINE 文化というのは一部の人々によってのみ
つくられ,享受されているからということと,そもそも今以上に誰かとつながりたいという考え
は東京に比べて弱いということが考えられる.ZINPHONY を主催する荻原氏は高崎に住む人々
がつくる ZINE をみてみたい,この町に住む人の表現方法が多様であってほしいという思いか
ら ZINPHONY を開催するに至った.第一回目を開催する際には荻原氏本人が知り合いや時に
は仕事相手に直接 ZINE について説明し,ZINE をつくって発表してみないかと誘ったところ,
総勢約 50 人参加することになった.第一回目,第二回目,第三回目と行われて新しく ZINE を
つくる人が現れたり,第一回目は参加したが第二回目は参加しないという人もいたりして,参加
する人は変化しているそうだが,荻原氏が直接知り合いに声をかけるところからスタートしたイ
ベントはまだ 3 回目で,ZINPHONY を知っている人はまだまだ多くない.これから ZINPHONY
に参加する人が増えれば ZINE を利用して知らない人と繋がろうと考える人が増えるかもしれ
ない.
一方で,やはり高崎は東京に比べて繋がりたいという欲求を持つ人は少ないであろうとも考え
られる.高崎市は群馬県の中では都会だといえるが東京と比べたら東京の方が圧倒的に都会であ
る.人の流動性が非常に高く毎日知らない人と顔を合わせるような環境が東京にはある.そんな
環境の中で孤独を感じる瞬間は少なくないだろう.ニ章では「都市のムラ」について述べた.都
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市では気心が知れた仲間うちの一歩外に出れば全くの他人である.しかしながら安心して繋がる
場所が少ない.そのような状況では,より人と繋がりたいという欲求が生まれるではないだろう
か.その状況の中で ZINE や ZINE に関するイベントはとても有効なコミュニケーションツー
ルになるだろうし,求められるのだろう.
3-4. 反バーチャル・コミュニケーション
ZINE が有効なコミュニケーションツールとなり得るとする根拠は ZINE がバーチャルとは違
い,物質であるからだ.
物質であるということは,感覚的情報がたくさん組み込まれているということである.例えば
紙の質感によって,紙に付着した匂いによってわたしたちは視覚以外で情報を読み取ることがで
きる.視覚だけに比べてより高次元のコミュニケーションが可能になる.また視覚においても手
書きを使用することでその字体から人柄を想像することができる.
読み手だけでなく,保存する際にもデータと物質とでは大きく異なる.例えば電子書籍を買っ
たときと紙の書籍を買ったときのことを想像してみてほしい.電子書籍はデータ故,月日の影響
を受けにくく,そのため自分のデータと他人のデータに違いが生じることはない.一方紙の本は
月日が経つにつれ紙の色が変わり,部屋の匂いが付くだろう.それはある側面から考えれば良い
ことではないかもしれない.しかし,所有の感覚をデータの場合より鮮明に感じ,愛着がわいて
くるともいえる.また,内田樹は『街場のメディア論』の中で,本は本棚にあるということが重
要であると言っている.それはどういうことかというと,自分の本棚を一番見るのは自分であり,
本棚を空間的にかたちづくることによって理想我を目にする形で現すことができ,また自己の趣
味を証言してくれるきわめて忠実な友人になりうるということだ.友人が部屋に遊びに来たとき
に本棚があればそれによって自己を理解してもらうということもあるだろうし,本棚にある本を
友人に,また友人の友人に貸すこともできるし,はたまた,おのれの死後に蔵書を残すというこ
とも本という実体があってのことである.
また,作り手にとっても ZINE が物質であるということは重要である.実際に ZINE は少な
くとも手作業で,実体化される.そのプロセスにおいて ZINE 製作者は“つくっている”感覚
を実感し,そこに魅力を感じているのだ.音楽がデータとしてダンロードされる時代に CD やレ
コードにこだわる人や電子書籍化が進んでもなお紙の本を好んで選択する人は多い.
さらに,ZINE を制作する,読むというコミュニケーション以外にも,ZINE 関連のイベント
やサークルに参加することで様々な人とのコミュニケーションがうまれる.ZINE 部という団体
は ZINE を作っている人や作りたい人,ZINE が好きな人が集まった部活である.部員の年齢層
は学生から主婦まで様々である.ZINE がなかったら繋がることのなかった人々が ZINE によっ
て繋がっている.また,ZINE のイベントが全国各地で開かれている.TOKYO ART BOOK FAIR
では ZINE 出品者専用のブースが設けられ,ZINE 製作者同士で,または ZINE 製作者と来場者
がコミュニケーションをとることができる.
最後に二章でブログについて述べたが,ブログではなく ZINE を選択する理由について述べ
- 280 -
たい.基本的にブログにおいて内容は自由であるが,書きにくい記事というのがある.例えば,
「山鳩」や「布ナプ生活」という ZINE は布ナプキンについての ZINE である.布ナプキンに
ついてブログに書くことについての是非は人によって違うかもしれないが,自分が記事を書くと
きにはより適切な,快適なメディアを選ぶだろう.ZINE ではブログに比べてより個人的な,実
体験に基づいた情報を提供できる.なぜなら,ブログは誰でも簡単にアクセスできるため,軽い
気持ちで誹謗中傷やセクハラ的な発言をしやすいからだ.ZINE を読むためには ZINE をわざわ
ざ買う必要がある.対価を支払うという工程で,軽率な行為をする人は減るだろう.
4
ZINE の限界
二章では ZINE の良い点について述べてきた.しかし,第一章で述べた理想と現実のギャッ
プや,ZINE を調べていくうちに ZINE の限界や課題も浮かび上がってきた.本章ではそれらに
ついて述べた後,解決策を考えていく.
4-1. ハードルの高さと継続の難しさ
ZINE は誰でも参加可能なメディアであると言われているが,実際に誰でも参加可能な開けた
メディアであるだろうか.結論から述べると,ZINE に対しハードルが高いと考える人は少なく
ないようだ.
実際に筆者の周囲で ZINE についてどう思うか伺ったところ,そもそも ZINE の認知度は低
く,知っていても ZINE に対して“お洒落”,
“ハードルが高い”等の印象を持っているような
のだ.実際に ZINE を利用している中にはアーティストであったり,インディペンデントなア
パレルブランド関連の人々であったり,インディペンデントな文化を好む人が多く存在している.
また,日本で ZINE と言うと,横文字=輸入文化ということでスタイリッシュなものがピックア
ップされがちである.名前というのは重要で,一章で記述したように自主出版にも多様な呼び分
けがされていて,それぞれに異なる空気を纏っている.その中で ZINE
は何でもありだと
言っているが,どこか洒落た雰囲気を持っていてそれをハードルが高いと思う人がいておかしく
ない.
何度も繰り返すが,ZINE は「持たざる者のメディア」である.自己表現することや,人と繋
がりたい,またはただ ZINE をつくってみたい等の思いがない人まで ZINE をつくるべきだと
は考えないが,やりたいのにできないという人がいるということは残念なことであると同時に,
新しく人が参入することによって ZINE 文化が活性化されるという可能性が失われてしまうの
ではないかと考える.
また,ZINE を制作し続けることは容易でない.今まで利益を目的としない少部数性の魅力を
説いてきたのだが,継続ということを考慮した時に,あまりにも自己負担が大きいとそれはそれ
で問題だということになる.継続させるためにはある程度利益を得ることも必要である.
- 281 -
4-2. 解決策
まず,ハードルが高いと感じてしまうのはスタイリッシュなものがピックアップされる傾向に
あり,それをみて自分の中で勝手に ZINE のイメージをつくってしまうからである.それを解
消するには実際に ZINE に触れてみる,ZINE を知るということが有効だろう.
実際にワークショップという形でそれらが行われている.MOUNT ZINE では日本は ZINE に
興味のある層が幅広く,しかし,どのように ZINE をつくったら良いものか分からない人が多
いため,ワークショップを意識的に開催しているそうだ.
また,
“Zine Picnic”という団体がある.Zine Picnic はピクニック気分で気軽に参加できるイ
ベントである.Zine Picnic の特徴は,レジャーシートと ZINE があれば,誰でも出展者になる
ことが可能であり,事前登録も出店料も不要であるということだ.また,とても興味深いと思っ
たのは Zine Picnic のホームページに書かれていた,
「わたしたちにとって ZINE とはミニコミ,
リトルプレス,同人誌などを含む全ての自主出版物を意味しています.
」という文章だ.ZINE
は曖昧であるということが利点であると述べてきたが,曖昧な中でも ZINE は同人誌ではない,
リトルプレスではない,というような暗黙の了解は存在しているのではないか.その暗黙の了解
を真っ向から否定する態度を表すことにより,その名の通り,何でも表現できる媒体としての可
能性が広がると期待できる.
次に,継続の問題については,第一に個人が無理をしない程度に値段を設定することが重要で
ある.自分の中で目標を決めて,出た利益を利用して次号の ZINE を作ったり,また,現在で
はクラウドファウンディングを利用したりする人もいるようだ.制作費用の問題以外で,自分で
作っていて飽きないようにすることも重要である.そのためには,ZINE の質を高めたり,部数
を増やしたりしていくという方法が考えられる.ZINE 文化の発展という面でも,ZINE の質を
高める,またはより多く作るということは一つのポイントとなり得るが,もともと「持たざる者
のメディア」である ZINE という側面と質の高さとのバランスは難しいと言える.
そのバランスを保つためには,TOKYO ART BOOK FAIR のような少しハードルが高い洗練
されたイベントと Zine Picnic のような気軽に参加できるイベントが共存し,新しくつくられて
いく必要がある.
現在 ZINE イベントに参加する人々は 20 代から 30 代が中心となっているが,
より若い世代,年長者も参加できるしかけづくりがあるとより好ましい.
おわりに
本稿では ZINE が現代社会でどのような意義を持っているのかということを自身の仮定をも
とに事例を交えながら考察していった.筆者自身,何か自分で表現したいが方法が分からないと
考えているときに ZINE と出会い,そこから ZINE は現代社会に生きる作者,読者の心の拠り
所となるメディアなのではないかと考えたことから研究が始まった.しかし,実際に ZINE が
作者,または読者にとってどのようなメディアであるかということを調べることができなかった
ことはとても残念である.また,ZINE 文化が根付いているポートランド等の事例を調べること
により,これからの日本における ZINE の発展,または現在抱えている課題の参考になったか
- 282 -
も知れないが,出来ず終いとなってしまった.この点に関しては他日に期すことにしたい.
謝辞
本稿を作成するに当たり,ご多忙の中取材に応じてくださった荻原様,並びに質問に快く答え
てくださった MOUNT ZINE 関係者様,TOKYO ART BOOK FAIR 参加者様に深く感謝し,簡
単ではありますがこの場を借りて御礼申し上げます.
文献
アリスン・ピープマイヤー著,野中モモ訳,2011,
『ガール・ジン――フェミニズムする少女たち
の参加型メディア』,太田出版.
大島一雄,2002,『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」
』,芳賀書店.
Habermas, J, 1981, Theorie des kommunikativen handelns, suhrkamp(=1987,丸山高司訳,
『コミュニケイション的行為の理論(下)
』未来社.
)
志賀隆生・市川水緒編,2012,
『つくる,つながるジンの楽しみ』,株式会社ピー・エヌ・エヌ新
社.
香山リカ,2009,しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる 10 のルール 幻冬舎
新書
鈴木謙介,2013,『ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで』,NHK 出版.
John de Graaf, David Wann, Thomas H Naylor,2005,Affluenza: How Overconsumption Is
Killing Us -and How to Fight Back,Berrett-Koehler Publishers.(=2005, 上原ゆ
うこ訳『消費伝染病「アフルエンザ」なぜそんなに「物」を買うのか』
,日本教文社.
)
Elisabeth Noelle‐Neumann,1988,Die Schweigespirale.(=1997 池田謙一・安野智子訳『沈
黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学』ブレーン出版)
.
広井良典(2009)『コミュニティを問い直すーつながり・都市・日本社会の未来』.
毛利嘉孝(1999)
『「快適さ」と「孤独」―ポストモダン都市としてのキャナルシティの考察』
.
ばるぼら・野中モモ,2014,「日本の ZINE について知っていることすべて第 0 回“ZINE の
ABC”」前田毅編『アイデア』62(6)
:185-192
南陀楼綾繁,ミニコミ―出版の広がりと多様性(2014 年 12 月 22 日取得,
www.accu.or.jp/appreb/09/pdf32-3/32-3p010-12j.pdf)
佐藤勝,2013 年,
「手作りアートブック“ZINE”を専門に展示販売する“MOUNT ZINE Shop”
に行ってきました」,
(2014 年 12 月 28 日取得,
http://www.ebook5.net/blog/mtzineshop/)
金沢 21 世紀美術館,
「art-ZINE:冊子型アート・コミュニケ―ション」
(2014 年 12 月 22 日取
得,http://www.kanazawa21.jp/tmpImages/videoFiles/file-62-110-file.pdf)
ZINPHONY
web ページ
MOUNT ZINE
(http://zinphony.com/)
web ページ
(https://zine.mount.co.jp/)
- 283 -
NEVER MIND THE BOOKS
Zine Picnic
web ページ
(http://nevermindthebooks.com/)
web ページ (http://zinepicnic.tumblr.com/)
TOKYO ART BOOK FAIR
web ページ
(http://zinesmate.org/lang/jp/the-tokyo-art-book-fair)
- 284 -
現代のひきこもりと自己救済への道標
―自分の克服を目指すあなたへ―
清水 和音
はじめに
本論文を執筆したのは,最近ではあまり騒がれなくなったように思える「ひきこもり」という
社会問題が,現在はどうなっているのかという興味がきっかけとなっている.ひきこもりが現れ,
世間で認識されるようになってから,早くも数十年が経ようとしている.この数十年間の中で日
本は劇的な変化を遂げてきた.バブル期を経験し,経済的にも文化的にも著しく成長したこの日
本の中で生きるのだから,社会問題として注目され始めた頃のひきこもりと現代のひきこもりで
は何かが違うのではないか,ひきこもりの持っている性質と我々が抱いているイメージに違いが
あるのではないだろうか.
ひきこもりは,社会的背景から生み落とされた一つの文化のようなもので,それは時代の雰囲
気や風潮の影響を強く受けている.そのため時の流れに寄り添うようにして,ひきこもりも変化
している.したがって変化をしているひきこもりに対して,その時代に合った対策が必要になる
のではないか.この論文は,そのような点について触れつつ,現代のひきこもりが自らの救済を
するには何が必要になるのかを考察するものである.
1
ひきこもりという存在
1-1. ひきこもりの歴史
ひきこもりはいつ誕生し,どれほどひきこもれば「ひきこもり」なのか?第1章では,本論文
でひきこもりを論じる上で必要不可欠な,ひきこもりの定義とその歴史について触れていく.
いったいどのような背景があってひきこもりになる人が現れ増えていったのか,まずは年代ご
とにみていく.関連のある事項を遡りつつみてみると,まず 1950 年代に世間に認識された「学
校恐怖症問題」が挙げられる i.学校恐怖症とは,生徒・児童・学生が何らかの心理的原因で学
校や大学に行けなくなる症状のことである.これは不登校と似ているが,対人恐怖症の一種とさ
れている.
しかし,この時期の日本ではまだ「ひきこもり」という概念が無かった.それは家庭の事情や
親の意向,仕事の手伝いなどの理由により,学校に行けない子供が少なくなかったため,さして
問題視されていなかったからである.しかし 1960 年代に入り,国内で学校恐怖症に対する調査
が行われた.この年代になると,ただ家庭の事情で学校に行くことができないのではなく,本当
に子供自身が学校へ行くことを進んで拒むようになったことから調査されたものである.
i
巨椋修(おぐらおさむ)の不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局,2012,
http://d.hatena.ne.jp/fhn/20120607/1339039629
- 285 -
その後の 1970 年代ではリストカットをする事例が,日本でも目立ち始めた.実は 1960 年代
のアメリカではすでにリストカットが問題視されており,それが日本にわたってきたのである.
さらにそれと並行して「学校無気力症(スチューデントアパシー)」も顕著に表れるようになっ
た.この症状は,
「『本業(仕事・勉強)』に対して無気力になりやすく,『副業(遊び・娯楽)
』
に対しては意欲的になりやすいものである.
」ii.この症状の中では「選択的退却・回避」という
心理現象が起こっているとされている.例えば,テスト直前の学生が,何故か普段はやらない掃
除や洗濯など,その時にやるべき事ではない行動や思考をしてしまうといった状況は,「選択的
退却・回避」によく似ている状態である.そのような症例が現れ,その後 1980 年代には登校拒
否として問題視されるようになり,1990 年代には不登校という言い方が世間に定着し,ここで
ひきこもりという問題が提起されるようになった.当時の推計では,ひきこもりの数は 100 万
人にも達すると言われていた.これは当初の日本の総人口である 1 億 2700 万人のうちの青年期
(20 歳~34 歳まで)にあたる 2700 万人の 3.7%であり,社会問題としては十分に注目すべき
段階であった iii.現在はそれほど言われることはないが,2000 年代以降ではテレビや新聞など
のメディアにも取り上げられていた.
(万人)
90
80
70
60
50
40
15
15
17
18
18
30
20
10
0
18
17
17
18
19
20
21
18
19
18
18
19
18
18
18
18
25~29歳
15~19歳
19
20
18
35~39歳
30~34歳
17
16
18
16
17
16
16
16
12
11
10
9
10
9
9
10
20~24歳
平成14 平成15 平成16 平成17 平成18 平成19 平成20 平成21
(年)
出典:内閣府総務省統計局,2010,「平成 22 年版 子ども・若者白書」第 1-2-13 図をもとに筆
者作成
総合心理相談 ES DISCOVERY,2014,現代のアパシー(無気力)無登校・ひきこもり・
ニート,http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/apathy001.html
iii 諏訪真美,2006,
「今日の日本社会と『ひきこもり現象』」『医療福祉研究』
,2: 23-29
ii
- 286 -
1-2. 過去と現在のひきこもり
ひきこもりにも,浅いながら歴史は存在していて,わずか 50 年ほどの時の流れの中で,様々
な社会現象が起こってきた.時代が変われば,そこに生きる人も変わるのは当然で,例に漏れず
ひきこもりも変化を見せている.ひきこもりの誕生,そして起源とも言える 1950 年代から 1970
年代までの期間では,ひきこもりとなるのは主に学校に通う生徒や学生が中心となっていた.と
いうのも,上記にも記した通り初めは学校恐怖症から始まったものだからである.名前からわか
るように,ひきこもりの温床となっていたのは学校だったわけである.1970 年代以降になると,
学生などの若者に限らず社会に出て働く社会人も,ひきこもりとなる事例が増えていった.
内閣府の出典である「子ども・若者白書平成 22 年版」は,平成 22 年 2 月に「若者の意識に
関する調査(ひきこもりに関する実態調査)」を実施し,15~39 歳の子ども・若者 5,000 人を対
象として 3,287 人(65.7%)から回答を得たものである.この調査では,15~34 歳で家事も通
学をしていない者を「若年無業者」と判断しており,この該当者がひきこもりという事になる.
また,
「普段は家にいるが近所のコンビニに出かける」
「自室からは出るが家からは出ない」
「自
室からほとんど出ない」を「狭義のひきこもり」とし,「普段は家にいるが,自分の趣味に関す
る用事の時だけ外出する」に該当するものを「準ひきこもり」と定義している iv.
調査結果をみると,かつてひきこもりの主体とされていた中学校・高校に通う生徒より,大学
あるいは大学を出て社会人として働く年齢層の人の方がひきこもりとされる人数が多いことが
分かる.ひきこもりが注目されるきっかけとなった時代に比べて,年齢層が上がってきた.
これは,家庭や学校での環境がひきこもりの原因だったのと同じように,時代が進むごとに職
場にも原因となる環境が出来上がっていったわけである.この環境というのは,学校でよく起き
ていたいじめ等が発生しやすい状況のことで,一部の人間によって特定の集団が形成され,それ
に入れなかったものを迫害することが許されてしまう状態や,何か失敗をしたわけでもないのに
自分は他より劣っていると思わせてしまうような状況である.
この環境は誰かが意図するわけでもなくいつのまにか出来上がっていることが多く,それが見
通しづらい人のこころに作用するため,気がついたら気を病んでいることがほとんどである.さ
らに,こういった感情は人に相談することが躊躇されるもので,周囲に助けを求めるのも困難に
なってゆく.学校などであれば,相談窓口など用意されているところが多く,まだ解決する糸口
を見つけやすい.しかし,職場では仕事や自分の社会的立場などから,なかなか打ち明けられる
人や場所さえもないことがある.よって,時代が流れるとともに年齢層があがっていくのである.
1-3. そもそもひきこもりとは
歴史を振り返ったところで,そもそも「ひきこもり」とはどういった存在なのか,いったいど
のような状況になったら明確に「ひきこもり」と判断して良いのか,何を以てして,
「今日から
あなたはひきこもり」と認識して良いのだろうか?まずはそのことについての考察として,歴史
的な背景とともに考察してく.
iv内閣府総務省統計局,2010,
「平成
22 年版 子ども・若者白書」共生社会統括官
- 287 -
厚生労働省では,
「仕事や学校にゆかず,かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに,6 ヶ
月以上続けて自宅に引きこもっている状態」と定義付けている.しかし,筆者は必ずしもその定
義が全てではないと考えている.厚生労働省が打ち出しているこの定義ではもちろん,心身にな
んらかの障害を持ちその治療として外出を控えている人や,学校や仕事に行くことができない状
態の人は含まれてはいないだろう.だが,
『6 ヶ月以上』の期間が,判断する上で必要だという
のは適切ではない.何故ならば,当事者がひきこもろうと考えそれを行動に移した時点で,人は
ひきこもりとなるからである.
ひきこもりは長期化すればするほど,改善することが難しくなるものなので,治療を開始す
るならば尚更,初期の方がよいのは明らかである.したがって,6 ヶ月以上という条件による定
義づけは避ける事とする.
前述した,ひきこもっている期間も重要な判断の指標となるが,近年ではひきこもりにも様々
なタイプがいるとされており,一概に部屋にひきこもっている者だけが該当するわけではなくな
ってきているようだ.例えば,普段は外出をすることはないが,深夜帯のみ外を出歩いたりする
ものや,時間帯に関係なく自らの欲求を満たすために外へ買い物に出かけるもの.ひきこもって
はいるが,家族とのコミュニケーションは普段からとっているものなど,単純に物理的な隔絶を
していることが条件ではなくなってきているのである.
ここで重要になるのは物理的隔絶ではなく,ひきこもりの目的は自らの殻に閉じこもることで
あるので,精神的隔絶による外部との関係の遮断が,真にひきこもりたる条件だと考える.こう
いった状況になっている人たちは,時にインターネットを利用したコミュニケーションを,周囲
の人間の代わりとして使うことがある.現代の日本では情報化が進んでいて,わざわざ外に出向
かなくてもさまざまな情報が入手できる.
だがこのネットが原因でひきこもりが悪化していると世間ではよく言われる事が多々ある.イ
ンターネットを与えることで,外出しなければならない機会が極端に減少し,さらに家族とのコ
ミュニケーションも薄弱なものになってしまうのではないか,という懸念がされる.しかし,実
際は全てのひきこもりの事例において,世間の考え方が通用するというわけではない.実はその
逆でネットを利用することで,脱ひきこもりを実現することもできる.また筆者自身もネットを
利用することで,ひきこもりからの脱却をよりスムーズにすることができるのではないかと考え
ている.
ここまで述べてきたひきこもりに対する定義だが,あくまでも筆者個人の考え方であり,これ
が正解だというわけではない.何故ならば,ひきこもりの原因となるのは個人の心理現象であり,
その現象全てを事細かに分析し,解明あるいは記述することはあまりに膨大な情報量となるから
である.また,心理現象と言っても,全ての例が学術的に確立された条件に当てはまるとも限ら
ないため,筆者一人の見解だけでは論ずることはできないだろう.
よって筆者はここで明確にかつ細かくひきこもりの定義をすることは,避けていく.
- 288 -
2
ひきこもりに関する先行研究
2-1.社会的背景によるひきこもり現象
第 2 章では,これまでにされてきたひきこもりを対象とする研究をもとに,今のひきこもり
を助けるにはどのような手段が有効なのかを自分なりの考察を交えて論じていく.
最初に取り上げるのは,前章でも用いた「現代の日本社会と『ひきこもり現象』
」
(諏訪 2006)
である.諏訪は自身の論のなかで,さまざまな社会的要因によってひきこもり現象は引き起こさ
れたと述べている.
まず,1960 年代の急激な経済成長によって親子間の認識が変わったという.かつての日本で
は,成人して働き収入を得られるようになった子供が,年齢を重ね仕事を引退した自分の親を養
うという世代間の共通認識があった.しかし豊かな生活を送れるようになり,その認識を変質さ
せてしまったのだ.親は強烈なバブル期を生きた世代であるため,貧困を知らずに育ち,自分の
子供も貧困を知ることなく成長させることが当然のように考えてしまう.だから成人して収入を
得るようになっても,親が子供を養うことを続けてしまうという悪循環が形成され,引き継がれ
てしまうのだという.
しかし,著しい経済成長によって昔から日本にあった親子関係が完全に変わってしまったのか
というと,そうではない.日本古来の親子関係の特徴である依存の親子関係の構造は残っている
のだという.これは,古来より親から子供へは「家を継ぐ」という感覚が根強く残っていて,土
地や財産とともに価値観も継ぐというものである(諏訪 2006: 27-8).
この部分は現代の日本には該当しないと筆者は考える.今の日本では非常に多様化が進んでお
り,親の考え方と子供の考え方というのが根本的に引き継がれる事が減ってきているからである.
この事は,農家の後継ぎ問題を取り上げるとわかりやすいだろう.農家の長男として家そして所
有地である畑を継がなければならないと親に言われても,素直に引き継がない事例も多いのでは
ないだろうか.むしろ,親とは違う道に進みたいとか,同じ世界で人生を歩みたくないと考える
若者が多いのではないかと考える.業種や生活スタイルそのものが激変してきたからこそ選択肢
が多様に存在しており,どれを選び取るかで悩む事の方が多いはずである.そして選択肢が多い
からこそ,自分の進むべき道を見失ったり見誤ったりする事が,ひきこもりの数を増加させてい
るのではないだろうか.
2-2.自立の大切さ
もともと,一人の力だけでは抜け出すことの難しいひきこもり現象であるが,竹中(2009: 10)
は次のように述べている.
「ひきこもっている状態は本人にとって,ある意味安心できる状態で
あり,支援あるいは自己努力によって治療過程を歩み始めると,新たに不安・葛藤・緊張などに
直面することとなる」
(竹中 2009: 10).ひきこもりから脱しようとするということは,それま
で居心地がいいように自分で区切っていた生活圏を出る必要があるわけで,そこを出ると様々な
障害や試練が待ち受けているということである.人と必要以上にコミュニケーションを取る事が
要求され,時には自分から積極的に行動・発言をしなければならない場面にも出くわすだろう.
- 289 -
こういった環境に身を投じるには,自らの意思でそうする事を望まなければ確実に,ひきこもり
現象を悪化させるだけになってしまう.自分にとって都合のよくなるよう作り出した空間を抜け
出し,多方面から接点を持たされそれに関わることを求められる環境に身を置くことは,ひきこ
もりとなった人たちには大きな負担になるはずである.
しかし,自立の意思はあくまでも必要最低限な要素であって,改善をするには周囲のサポート
も当然ながら必要になってくる.それは家族だけではなく,その地域の人々も無関係ではない.
自ら作り出した殻を破り外に出るには,慎重にならなければいけないのである.また,その手伝
いを外側からする際は,中から破り出てくるよりも繊細で注意を怠ってはならない.支援者はけ
っして焦ったり気を抜いたりしてはならず,常に見守っていなければならないのである.
最も大切なことは,本人の治療に対する意欲的な自立の意思であることに変わりはないが,そ
の意思を支え歩き続けることを可能にするには周囲の意識が必要になる.しかし,筆者はすこし
ハードルが高いように感じる.何故なら,現実の世界に原因があって自らの行動範囲を制限して
いるのに,周囲の人間ともう一度関係を構築していき,そこに居ることを続けなければならない
のは,たとえ少ない期間であれ,ひきこもりとして過ごしてきた時間がある人にとってはかなり
難しいのではないか.
そんな時,役に立つのが直接人と会う必要がなく且ついつでも人と触れ合うことができるイン
ターネットの世界である.ここはいわばもう一つのリアルで,そこでは現実世界と同じように人
との会話ができて,ひきこもりを脱するには効果的なのではないか.
2-3.あえて電子の海へ
最後に取り扱うのは「
『ひきこもり救出マニュアル』実践編」
(斎藤 2014)である.この本は,
著者のもとに寄せられたひきこもりに関する悩みの声を質疑応答形式で答えていくもので,この
本のなかで最も注目すべきところは,果たしてひきこもりにとってインターネットの存在は有効
なのか,という質問に対する応答であり,そのような形式で,著者自身の考え方が述べられてい
る.
その質問者と著者のやり取りの中で,ひきこもりにインターネットを与えるとさらに悪化させ
てしまうという誤解が喧伝されがちなことは非常に嘆かわしいことで,むしろ使える状態である
べきだと語られている.なぜ,ひきこもりにとってインターネットは必要になるのだろうか.
たとえば,ひきこもりとなった人がデイケアや自助グループなどで人と出会ったとしても,そ
の関係が継続していくとは限らないものである.それは一度出会っていても次に会う時には印象
が変化する,あるいは忘れられているのではないかという恐怖から,次回会う時にはよそよそし
くなってしまうケースがあるのだという.
しかし,ファーストコンタクトでお互いの連絡手段を確立することができれば,たとえ実際に
会う機会が月に一回しかなかったとしても,一定の親密度を維持することが可能になる.ひきこ
もりは,直接声を使用する電話よりも,文字だけによるコミュニケーションが可能になるチャッ
トなどの機能をしようした方が,より気軽に話すことができるのだという.
(斎藤 2014: 210-2)
- 290 -
斎藤が語るように,面と向かう必要がなく且つある一定の距離感で親密さを維持することを可
能にさせるインターネットという空間は,ひきこもりにとっては自己救済への大きな一歩を踏み
出すためのきっかけになりうるのである.
3
脱ひきこもりに必要なのはネットのチカラ
3-1.自分の足で歩むために
第3章では,脱ひき vをするには何が必要になるのか考えていく.まず前章で取り上げた斎藤
によれば,インターネットはひきこもり現象を増加・加速させる有害なものではなく,むしろ脱
ひきをするのには有効な手段の一つだとされている.これは,現実での人との関わり合いを避け
る傾向にあるひきこもりの習性をうまく利用して,逆に脱ひきをするための糸口にしようという
発想である.
ひきこもり現象になってしまった人は,現状維持をし続けるとどこかで自問することになる.
それは,今まではあらゆる関係性の中で生きてきたところを,唐突に断ち切ってしまったために
起こるものである.その状態になった場合,実はそれから先も人間関係を結ぶことを完全に拒む
ようになる,というわけではない.というのも,今まで自然に身近に存在していたものが突然に
なくなったのだから,そこには大きな穴ができる.その穴を埋めるために,インターネットの世
界に入るのである.あらゆる情報が電子化され誰でも閲覧・入手できるこの環境では,ある意味
もう一つの「リアル」が存在している.
インターネットでは,顔を合わせる必要なくして,現実世界と同じように多くの人々とのコミ
ュニケーションを自由に取ることができ,その交流の輪も広がりやすい.そのため,現実世界で
の関係に比べてより良い人間関係を構築することが可能なのである.また,その繋がりは面と向
かって話さなければならない人たちとの間にできるものとは,気楽さが段違いになる.それは,
お互いの顔を知らずとも気兼ねなく話をすることができ,尚且つ適度な距離感な親密さをもって
交流することができるからである.
たとえば,どこかの掲示板などで知り合った人.お互い興味がる内容や同じ趣味の人が集まる
掲示板で知り合えば,互いの会話も尽きることはなく,しかしあくまでも知らない人であるため,
適度な距離を互いに置くことができる.もちろん,交流サイトだけではなくひきこもりのために
用意されたサイトなども同じ理由で該当する.
3-2.何故ネットの活用が勧められるのか
斎藤(2014)は本の中で一貫して,ひきこもり自身の意識や姿勢を深く理解し,それを尊重
することを暗に述べている.それは,ひきこもっている者の親や周りの人間が下手な圧力をかけ
てしまうと,逆効果を発揮してさらにひきこもりの深みへと陥れてしまう危険性があるからであ
る.現実の世界で気に入らないことや,どうしても耐えられないことがあったからこそ,ひきこ
もるという選択肢を選び取る人が出てくるわけであり,その現実に存在する人間が無理に引っ張
v
ここからは「脱ひきこもり」を「脱ひき」と略す.
- 291 -
り出そうとしても,ひきこもりにとってはただの負担にしかならない.だからこそ尊重すべきな
のは,ひきこもっている人自身の意思なのである.
ひきこもりは,個人の心理現象によって引き起こされるものであるので,内面を見る必要があ
る.何があってそうなったのかの前に,当事者に向き合う時間を与え,いったん落ち着かせるべ
きなのだ.現状に希望を見いだせずして物理的あるいは精神的隔絶を行っている間は,どれほど
の距離感・生活圏でひきこもろうと周囲の人間との関わりは減っていく.そこで,簡単にかつ膨
大な情報を素早く入手することができて,さらに顔を見せる必要がなく人と接点を持つことがで
きるインターネットが,大いにそのチカラを振るうわけである.
インターネットによって現実との繋がりがさらに弱まる可能性は十分に考えうる事であるが,
それ以上に自らの意思によって,脱ひきを目指すことのきっかけとなる.リアルな世界において
人と関わるということは,面と向かって顔を合わせる必要があり,これはひきこもりにとっては
大きな脅威になる.自分はどう見られて,どのように思われているのかという事は当然ながら相
手と直接話すだけでは計り知れない部分ではあるが,実際に会って話すことで見られているとい
う感覚が強まり,それが周囲からの視線やイメージを意識させる.そしてそのことが,ひきこも
る原因になっていく.
3-3.すでに開かれているインターネットでの脱ひき
これを読んでいる人は概ね知っているかもしれないが,インターネットの世界にはすでにひき
こもり専用の相談窓口や簡単なコミュニティがいくつか形成されている.もちろん,これだけで
もそのチカラによって自らを救済することができる人はいるし,十分効果は見込めるものである.
しかし筆者としてはより自発的な意思が必要だと考えている.前節でも述べた通り,ひきこも
りは自らに対する感情・感覚や考え方によって引き起こされた現象であり,自分から変わろうと
いう意識を強烈に持たなければ自己を救済へ導くことはかなわないからである.だからこそ,自
らの意思でインターネットの海に飛び込む必要がある.たとえばNPO法人横浜コミュニティデ
ザイン・ラボが委託事業として運営している「ひき☆スタ vi」という,ひきこもりのためのコミ
ュニティサイトがある.ここではTwitterのように,自分が思ったことを一つの記事のように投
稿しそれに対してコメントをしたりすることで,同じ境遇の人やそれに共感を得た人が交流を持
てる場となっている.さらに,このサイトはニコニコ動画ともわずかではあるがサービスの提携
を結んでいる.当事者を交えた座談会の配信をしたり,サイトが募集しているテーマに投稿して
誰でも参加することが可能となっている.ひきこもりが主体の居場所であるので,書き込みや活
動自体はそこまで活発ではないが,そこに存在する彼らは確かに,サイトで各々の魂の叫びを書
き込み,自分の存在をアピールしている.
このいくつかのコンテンツはどこにでもある極めて一般的なものに思えるが,筆者はただのコ
ミュニティサイトで終わらないと感じている.なぜならば,このサイトは「自らの意思で参加す
NPO 法人横浜コミュニティデザイン・ラボが委託事業として運営している
「ひき☆スタ」
http://hkst.gr.jp/
vi
- 292 -
る」事を必要とするからである.ひきこもりというのは実は本音や本当の感情をどこかで誰かに
聞いてほしいもので,絶えずその欲求に駆られている.だが,それを吐露する場所というのは用
意されていたとしても,自由に出入りできる掲示板は荒れていることが多く,まともに話を聞い
てもらえる状況ではない.また,サイトを利用するのに ID とパスワードが必要になる場合は,
安全ではあるがひきこもりにとっては敷居が高く見えるものである.結果的に,自分の気持ちを
さらけ出せる場所は見つけづらい.
しかし,県が委託している事業である上,インターネットを利用する人間ならばほとんどの人
が知っているだろうニコニコ動画という,信頼するに値する存在も控えているとなれば,話は変
わってくる.このサイトの利用には,ID もパスワードも必要なく利用するのにお金などの費用
も発生しない.そして,同じ境遇の人間が参加するコンテンツが用意されており,自分の意思で
サイト利用を選択することができる.これは筆者が,脱ひきをするのに最も重要だと考える「自
立の意思」を育てる良い機会になるのではないか.堅苦しすぎる事はなく,且つ緩すぎて風紀が
乱れることもない空間である「ひき☆スタ」は,まさに脱ひきの足掛かりとしてふさわしい.
おわりに
ここまで,今までにされてきたひきこもりの歴史やそれに関する研究を元にひきこもりについ
て論じてきたが,あくまでも筆者の私見であって,この論文で述べられていることが世のひきこ
もり全てに当てはまるということはない.それは,今までと同じように,これからもひきこもり
が時代の流れによって変化するからである.ものの数十年の間に,一つの社会問題として頭角を
現し,世間を賑わせたひきこもり現象だが,これは非常に中身の変わりやすいものだ.かつても,
社会の風潮や経済状況などによって,その性質を変えてきたひきこもりだから,これからさらに
多様化が進むだろう昨今の時代の中で,変化をしないはずがないのである.
また,4 章で取り上げた事例だが,これは参加すれば必ず脱ひきできる,というものではなく,
まだまだ脱ひきをしたくても,なかなか最初の一歩が踏み出せない人にとっては敷居が高いよう
に思う.つまり,脱ひきをするには十分に活躍をするとしても,それを利用する側の人たちが自
ら歩き出す事ができなければ,サイトがないのと同じなのである.ここが難しいところで,結局
は救い出してあげたくても,ご本人が腰を上げなければ話は始まらない.どのようにして,少し
でも脱ひきしたいと思っている人が一歩前へ踏み出しやすくなるような仕掛けをするか,という
のは今後この問題を考えていく上では外す事のできない
よって,この論文を読んだ人が,現代のひきこもりの脱ひきをするのには,インターネットも
有効な手段の一つである,ということへの理解を深めることができれば幸いである.また,これ
から先もひきこもりは存在し続けるだろうが,現代のひきこもりとは違って,その時代の特徴あ
るまた違った性格を持ったものになっているかもしれない.その時には,この論文で述べたこと
が少しでも参考になれば,筆者としても論じた甲斐があったと言えるものである.また,これを
読んで,自らを救いだし現状の克服をするのに役立つことがあれば幸いである.
- 293 -
文献
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校・ひきこもり・ニートの歴史」,
(2014 年 12 月 22 日取得,
http://d.hatena.ne.jp/fhn/20120607/1339039629)
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(2014 年 12 月 9 日取得,
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/apathy001.html)
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,医療福祉研究(2014 年 12 月 13 日
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(2014 年 11
月 23 日取得,
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h22honpenpdf/pdf/b1_sho2_4.pdf)
竹中哲夫,2009,
「ライフステージに対応したひきこもり支援『ひきこもり状況』と支援課題」
,
日本福祉大学社会福祉学部・日本福祉大学福祉社会開発研究所,
『日本福祉大学社会福
祉論集』
,第 120 号
斎藤環,2014,「『ひきこもり』救出マニュアル 実践編」
,ちくま文庫
- 294 -
従属へ誘う視線
―ネットを通した作品発表に見るコミュニケーションの弊害―
利村 裕理
はじめに
広くネットの普及した現代において,その情報発信力により誰もが情報の発信者となり
得ることは多くの人間が認識しているだろう.それに伴い,一般の人々が自身の活動を世
の中に発信する機会も増えてきている.斯くいう筆者も,拙いながらネットを通じて自身
の活動を発信している身である.本論文では,そういったネットを通じた発表という行為
から,現代のネット社会を考察していきたいと思う.
1 発表者は何を思うか
ネット技術の発達している近年は,情報を発信するという行為が誰にとっても容易なもの
となっている.それに伴い,プロのクリエイターではない一般の人々にも自身の技術や作品を発
表するという機会が昔と比べて格段に増加していると言える.この章では,発表という行為を行
う人々がどのような心理を持ち,行動するのかを論じていきたい.
1-1. 発表という行為の動機
発表者とはどのような人間を指すだろうか.まず前提として,そういった人間には彼らの中に
何かしらの強く関心をもつ事柄を持っているという条件が必要だろう.関心の強さに差異はある
だろうが,興味関心の強い事柄を持つということは創作意欲を持つということに繋がる.創作意
欲を待った人間がそれらを満たすために行うのは創作活動である.つまり発表を行う人間の第一
目的は自身が創作活動を行うことであるといえる.
そして,この創作活動に付随するのが発表という行為である.大多数の人間は創作活動の後に
発表を行う.これにより,自身の得た技術やそれらを活かした作品を他者にアピール,または共
有しようとするのである.
以上のことからまとめると,発表者の最大の目的・動機は自身の創作活動を行うことであり,
それらを他者に伝えるという点により発表という行為が付随するということがいえる.つまり,
発表者にとって発表という行為は第一目的ではないのである.本論文では,発表者・クリエイタ
ーはこのような動機を持って活動を行うということを前提として論を進めていきたいと思う.
1-2. 発表者の心理
発表という行為の動機が発表者自身の技術・作品の発信とするならば,それを持つ人間にはど
のような心理が見られるだろうか.ここでは E・ゴッフマンの自己呈示の理論を用いて考察して
- 295 -
いきたい.自己呈示の理論とは,人間が行為を行う際に表出するさまざまなパフォーマンスにつ
いて論じたものである.この章では,その中の「理想化」という部分に焦点をあてて論じていく.
「理想化」とは,行為者は観察者に対し自身をより理想的なものであると思わせるような呈示
を行い,また,観察者自身も行為者にたいしての理想像を持ち行為者はそれにより理想化される
ことになるというものである.そして行為者はその理想を崩さないために様々な努力をする.
前節で述べたように発表者は自身の技術・作品を発信したいという動機を持つ.そのような動
機を持つ彼らにとって理想的なのは,より多くの人間に自身の作品・技術を発信することといえ
るだろう.しかし,作品を見る側も発表者を理想化しているため,発表者が彼らの理想像に合致
し,彼らによって承認されない限り発表者の理想は果たされない.よって発表者は自身の作品・
技術を発信するという動機の中に,作品自体やそれらを通しての自分自身を承認してもらいたい
という欲求を内在させていることがいえる.彼らの心理には承認に対する欲求が常に存在してい
るのである.
2
ネットが与える作品発表への影響
前章において発表を行う人間の心理について考察を行った.本章においては,昨今において一
般の人間が容易に用いることができる発表手段であるネットを使用した作品発表について考察
したい.我々が暮す社会においてネットが不可欠であるということが自明である現代,現実のコ
ミュニティとは別にネット上にもコミュニティが存在する.我々の生活とも密接に関係するそれ
らのコミュニティの実態はどのようなものであるだろうか.
2-1. ネットコミュニティの特性
プロのクリエイターではない一般的な人々において,作品の発表にはネットコミュニティの活
用が有効且つメジャーな手段であるといって差し支えない.では,そのネットコミュニティには
どのような特性があるのか.
ネットコミュニティの特性と言っても様々なものがあると思うがここでは簡単に三つの特性
をあげたいと思う.第一に公開性の高さ,第二に匿名性の高さ,第三に情報伝達速度の高さであ
る.
公開性の高さは,ネットを使用する人間であれば基本的に誰でも情報を得ることが出来るとい
う点に見て取れる.どんな場所のどんな人間でもネットに繋ぐ事さえできるならそこにある情報
を得ることができるといっていい.逆にネットに公開された情報の取得に排他性を持たせるのは
なかなかに困難であるとも言える.
匿名性の高さという点においては,ハンドル・ネームのように実名を使わないことにより,現
実とは違った自分自身の構築に一役買っている.実名では発言しにくいことでもネット上のよう
な匿名性の高い環境でなら自由に発言できるという人間は少なくないだろう.
例えば,澁川修一は 2ch iを例にあげてこう論じている.「2chにおける匿名性の本当のすごさ
i国内最大規模の電子掲示板(BBS)
- 296 -
は,常連ではなく『一見さん』のもつ隠された知的資産をコテハン iiのような『仮名的匿名性』
よりもさらに匿名性が高い『名無しさん=無名的匿名性』という庇護のもとで公開させ,それを
互いに新たな知識として結びつけ,新たな知識として再生産させていく――つまり,ユーザーの
知識空間を増幅・拡張(エンパワーメント)させる点にある.
」
(澁川 2007).このような増幅・
拡張の作用はもはや知識空間だけに限られないが,匿名性によりネットがこれらの特性を持つと
いうことは特筆すべき点といえよう.
情報伝達速度の高さは言うまでもない.ネットに流れ出た情報は即座に回線の繋がる全ての場
所に行きわたる.それにより,自身の発信した情報はすぐさま他者に受け取られ,さらにそのレ
スポンスも即座に返ってくるのだ.この特性により,ネットにおける互いの反応は加速され,あ
る意味では過敏になるといえなくもないだろう.
これらの特性をまとめると,ネットコミュニティにおいては常時接続された中で絶えず情報が
行き交い,高速で不特定多数の人間が互いに情報を交換しながら彼らの持つそのコミュニティを
拡張し続ける,ということがいえるのではないだろうか.
2-2. 作品発表の場としてのネットコミュニティ
さて,前節においてネットコミュニティにおける特性について論じた.では,1 章でも述べた
ように人々が作品を発表する場としてネットが欠かせないものとなってきている現代において,
その舞台となるネットコミュニティはどのような特性を持っているだろうか.
まず作品発表の場としてのネットコミュニティとはどのようなものか.大山昌彦は音楽制作者
のオンライン上のコミュニティについて述べた論文において「音楽活動者にとってインターネッ
トという場は,単に楽曲を公開するだけでなく,同様の活動を行う人々が意見や情報を共有・交
換するコミュニティとしての性格を帯びている」(大山 2008)と述べている.作品公開の場と
してのネットコミュニティは同時に人々の意見交換・情報共有の場としても成立しているのだ.
例として著名な事例をあげていくと,動画投稿サイト YouTube やニコニコ動画,画像投稿サイ
トの pixiv,他にも音楽や小説など多岐にわたる分野でそういったサイトが存在する.ネットに
おいて作品発表を行う場合,こういったサイトを活用する場合が多いのではないだろうか.この
ように多種多様な分野でそれぞれに対応するサイトが存在するが,これらにはそれぞれ共通する
要素が見受けられる.それは何か.
まず第一に,基本的な機能の使用は無料であるという点である.これにより有料の場合よりも
多くの人間が使用することになり,閲覧者側には無料で多くの作品を鑑賞できる,投稿者側には
より多くの人間に自身の作品を見てもらうことが出来る,という双方向的なメリットが得られる
といえる.
第二にコメント機能や評価機能を持つ,という点である.この機能は閲覧者が作品に対して自
由にコメントする,点数や良い・悪いなどの評価を行う,といったことが出来るというものだ.
この機能により投稿者は閲覧者がどんな感想を持ったかということやその作品の出来をどう感
ii
固定ハンドルネームの意
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じたかを知り自身の作品の評価として捉えることが出来るといえよう.それを受けることにより
投稿者はそれらを自身の作品に活かすことができるだろう.ここにおいては投稿者自身も他の投
稿者に対する評価者になりうる.また,ブックマーク機能やマイリスト機能といったお気に入り
機能なども間接的ではあるがこの評価機能に近しいものと考えていいだろう.
以上の点と前節で述べたネットコミュニティの特性からまとめると,こういった投稿サイトに
おいては不特定多数の人間たちによる作品の評価が常時行われているということがいえるだろ
う.よって投稿者は常時自身の作品が評価されているという印象を受けるのではないだろうか.
2-3. 大衆の視線とクリエイター
ここまでネットコミュニティの特性とそれらにおける作品発表の場について考察してきた.で
は,このような場を通して作品発表を行う発表者にはどのような影響があるのだろうか.
1 章で論じたとおり発表者は作品を承認されたいという欲求を持っている.その欲求に基づい
て発表という行為を行い,その評価を受ける.では,これをネットという場で行った場合どうい
うことがいえるのか.
前節でも述べたとおり,ネットにおける作品公開においては常時多数の人々の評価が行われて
いる.言い換えればネット上において,発表者は現実の状況よりも数多くの人間の視線,即ちよ
り多くの大衆の視線を受けるということが言える.彼らはその常在的な評価の視線の中に身を置
く中で,自身の作品,ひいては自身の評価を知ることになる.自己を承認されたいという欲求を
持つ発表者は,その評価を受けてさらに高い評価を得ようとするだろう.それにより,彼らは与
えられた評価に基づき創作を行った上で作品を公開し,その作品に対する評価を受ける.そして
また,与えられた評価に対しさらなる高い評価を求める.
筆者は,発表者がこのサイクルを繰り返すことで,彼らにある目的の変化が生まれてくると考
える.即ちもともと抱いていた「自身の関心のある創作活動を行い,それを発表する」という目
的が「より大衆から評価される創作活動を行う」という目的にすり替わるというものだ.ネット
上という現実よりも多数の大衆の視線を受けることにより,クリエイターの創作活動が大衆に従
属してしまうのではないかということである.
このような事態はクリエイターが承認を望むという心理を持つ限り多少なりとも起こり得る
ことであるだろう.しかし,クリエイターにとって自身の創作が二の次になり他人の言いなりに
なることは,果たして彼らが本当に望むことだろうか.次章においては,そのような従属という
コミュニケーシンの実態について考察していく.
3 従属のコミュニケーション
これまでの考察により,ネットを通じた作品発表を行うことにより,クリエイターが大衆に
従属するのではないかと述べた.これは,クリエイターが従属という形で大衆とコミュニケーシ
ョンをとっているということがいえる.本章においては,そういった大衆への従属という事態を
通して,クリエイターが陥ると考えられる従属のコミュニケーションの様相を考察したい.
- 298 -
3-1. 従属の心理
一般的な感覚としても従属という言葉は前向きな意味で使われることはまずない.では,従属
という行為にはどのような心理が潜んでいるのだろうか.本節では E・フロムの論を参考に考察
を進めて行こうと思う.
フロムは,完全なコミュニケーションの形を「愛」であるとし,それに到達することを理想と
しているが,自身の論の中で従属=服従を受動的なコミュニケーションの形として次のように論
じている.
共棲的結合 iiiの受動的な形は服従の関係である.臨床用語を使えばマゾヒズムである.マゾ
ヒスティックな人は,堪えがたい孤立感・孤独感から逃れるために,彼に指図し,命令し,
保護してくれる人物の一部になりきろうとする.その人物はいわば彼のいのちであり酸素で
ある.彼が服従する者が人間であれ神であれ,その者の力はふくれあがる――彼はすべてで
あり,いっぽう私のほうは,彼の一部だという点を除けば,無である.ただ,私は彼の一部
であるから,偉大さ・力・確実性の一部でもある.マゾヒスティックな人は自分で決定を下
す必要がないし,危険をおかす必要もない.彼はけっして一人ぼっちにならない.しかし,
彼は独立しているわけではない.人格が統一されていない.いわば,まだ完全には生まれて
いないのだ.(Fromm 1956)
そしてフロムはこの論をこのように締めくくる.
どの場合にも,服従する人は統一された人格を捨て去り,自分の外にある人や物の道具に成
り下がる.そうなると,生産活動によって生の問題を解決する必要がなくなる.(Fromm
1956)
この論からは従属という行為はコミュニケーションとして不完全なものであり,望ましいも
のではないということが見て取れる.従属の状態に陥った人間は相手に自身の人格を委ね,自
身の力で行動することをやめてしまう.それにより,彼ら自身を保証してもらおうとするのだ.
従属するという行為には彼らが自身を相手の庇護下に置こうとする心理が働いているといえる.
確かに発表者は従属することで拒絶されるということはなくなるだろう.しかし,そこには
彼ら自身の人格は無く,従属を続ける限り彼らが彼ら自身の人格として他者に承認されるとい
うことは永遠にない.なぜならば,従属の状態で承認を受けたとしても,それは従属者の庇護
者たる従属対象に対する承認ということになり,従属者本人の人格に対する承認にはなり得な
いである.彼ら自身が承認を得るには,彼ら自身の人格を確立することが不可欠なのだ.
iii
フロムは未熟な愛のかたちを共棲的結合と呼称している.
- 299 -
3-2. 作品の支配者
前節で従属というコミュニケーションについて考察したが,ここで少し視点を変えてみたいと
思う.従属する存在がいるということはその対極には支配する存在がいるのは自明である.では,
クリエイターが大衆に従属したとき,その支配者となるのは果たして大衆なのだろうか.
一見大衆に従属した時点で作品は大衆の移行によって作られるようにも見える.しかし前節で
も述べたように,この場合の従属という行為は行為者が自主的に被行為者に従属するものであり,
被行為者が強制するわけではない.あくまで行為者の自主的な行為である.これを踏まえて実際
に大衆へ従属する場面を考えてみたい.
クリエイターは大衆の評価に対して従属するわけだが,大衆はクリエイターに具体的な指示を
するわけではない.大衆が示すのはあくまで抽象的な評価のみであり,それを受けたクリエイタ
ーがその先にある更なる評価を先読みし,自身の手により従属した作品を作り出すのである.一
種の大衆に対する自己規制に近い行為ともいえるだろう.つまり,クリエイターが大衆に従属し
ていたとしても作品を作り出すのは彼ら自身なのであり,彼らを支配するのは大衆の評価という
鏡に映しだされたクリエイター自身の視線なのだ.結局のところ,作品を支配しているのは大衆
に従属したクリエイター自身なのである.
3-3. ネット社会に遍在するコミュニケーションの弊害
本章では,従属という行為の考察を通してクリエイターが陥るコミュニケーション上の問題を
論じてきた.クリエイターが大衆の思考を先読みし,結果として大衆に従属してしまうような事
態は,常時接続された状態にある現代のネット社会特有のコミュニケーションの弊害といってい
いだろう.
このように本論文においてはネットを通した作品発表に関して論を進めてきたが,このような
事態は作品発表の場に限らず,さらに広範囲に渡って見受けられるのではないだろうか.2 章に
おいても述べたとおり,現代のネットコミュニティにおいては高速で情報が伝達され,常時誰か
の視線が我々に向けられている.と同時に我々もまた誰かに向けて視線を送っている.そして,
我々はこのような視線の存在を自覚しているのではないだろうか.それ故に,その視線を過度に
意識するのではないだろうか.前節で述べたような発表者自身による大衆への従属も,そういっ
た意識の表れといえるだろう.こういったネットの繋がる力によるコミュニケーションの弊害が
現代社会に存在しているのはもはや明白である.
遠藤薫は自身の論文の中で「個々の我々自身が『監視カメラ』であり得る」
(遠藤
2008)と
述べた.自分自身が常に監視の対象になるというのはあまり気持ちのいいものではない.とは言
え,現代社会においてネットと自身の生活を切り離すことは難しい.このような無数の「監視カ
メラ」が存在する繋がりすぎる社会の中で,私たちは今この瞬間にも誰かの視線にさらされてい
る.
- 300 -
おわりに
本論文においては,ネットを通じた作品発表という行為の考察から,大量の視線が飛び
交うネット社会におけるコミュニケーションの弊害について論じてきた.これらのことを
認識したうえで我々が上手くネット社会と付き合っていくにはどうしたらいいのか.我々
は便利なツールを手に入れたが,同時にその影の部分も抱え込んでいる.そのことについ
て考えることはこれからの社会をいきていく上では重要なことであるといえるのではない
か.
文献
遠藤薫,2008,「リトル〈ビッグ・ブラザー〉たちの共同体――ネットと TV,遍在/偏在する
〈眼〉」遠藤薫編『ネットメディアと〈コミュニティ〉形成』東京電機大学出版局,33-53.
Erich Fromm, 1956,The Art of Loving, Erich Fromm.
(=1991,鈴木晶『愛するということ』,
紀伊国屋書店.
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毅『行為と演技――日常生活における自己呈示』,誠信書房.
大山昌彦,2008,
「オンライン上における音楽制作者のコミュニティとその変容」遠藤薫編『ネ
ットメディアと〈コミュニティ〉形成』東京電機大学出版局,185-197.
澁川修一,2007,「ネット文化――2 ちゃんねるの光と影」佐藤健二・吉見俊哉編『文化の
社会学』有斐閣アルマ,191-215.
- 301 -
マニアによるアイデンティティの気付き
―キャラクターを通して考える―
清水 聖羅
はじめに
オタクの聖地と呼ばれる場所があることや海外から漫画やアニメが支持されるなど,日本の文
化はキャラクターであふれている.ORICON STYLE iでは,アニメソングやキャラクターソン
グが上位に来ていることは珍しくない.世に名高い小説を若者に読んでもらおうと,表紙に漫画
家が絵を描き,売り上げを伸ばしたこともある.
もはや日本でキャラクターを見ない日はないだろう.筆者はキャラクターが私たちの生活に何
かしらの影響を与えていると考えている.癒し効果だけではない力はどこに働いているのか,人
からキャラクターへの行動を確認しつつ探っていきたい.
1
キャラクターとは
1-1. 日常に浸透しているキャラクター
キャラクターとは一般に 1.性格や,人格 2.小説,映画,演劇,漫画の登場人物,その役柄
3.文字,記号とされている ii.本稿でのキャラクターは「2.小説,映画,演劇,漫画の登場人
物」に注目する.
近年ではライトノベルといったキャラクター主体の小説が多く書かれるようになった.ライト
ノベル作家は毎月のように新刊を発売することは珍しくなく,単行本より雑誌に近いと東浩紀
(2001)は指摘している.この速度はライトノベルの役割が「物語の媒体」としての役割より
も「キャラクターの媒体」として存在している.また,似て考えられることは二次創作が挙げら
れている.二次創作とは消費者側がオリジナルの作品を様々好きなように設定して創作されたも
のである.本来の物語を抜け出し,違う世界の物語でも同じ人物として描かれる様は,脱物語あ
るいはメタ物語的と思わせる.このことはキャラクターがいかに物語より重視されているかが理
解できる.日本の漫画やアニメの消費者はキャラクターの自律化にあまりに親しんでいるのであ
る.
もちろんキャラクターは,漫画やアニメキャラクターだけではない.ディズニーキャラクター
やサンリオキャラクターといった誰もが知るキャラクターは幼い時から関わるキャラクターで
あり,存在することが当たり前のようである.誰もが知るキャラクターも自律化しているといっ
てよいだろう.
i
ii
ヒットが見えるトレンド情報サイト (htpp://contentsoriconcojp/rank/js/d/)
新村/出 2008 『広辞苑第六版』 岩波書店
- 302 -
1-2. キャラクター分類
1-1 では多くのキャラクターが自律化していると理解した.本節ではさらに自律化についてさ
らに詳しく考えたい.例えばディズニーキャラクターを好きだといった人物を思い浮かべる.そ
の時にその人物がオタクだとイメージする人は少ないだろう.オタクという言葉を聞いて想像す
るのは,漫画やアニメのキャラクターが好きな人だと,多くの人が考えるのではないだろうか.
このように推測できるほど,オタクという言葉のイメージはそのように定着している.本稿はオ
タクについて,3 章で詳しくまとめるため今は漫画やアニメが好きな人とイメージしてほしい.
例の話に戻るが,このようにキャラクターがいかに個人のイメージを周囲に刷り込ませる力があ
るのか,キャラクターたちの間には個人に与えるイメージの違いを持っているのかと考えさせら
れる.
伊藤剛はキャラクターとキャラを区別した.さらに斎藤環(2011)は『キャラクター精神分
析――マンガ・文学・日本人』でディズニーとサンリオのキャラクターを比較し,前者を隠喩的 iii,
後者を換喩的 ivであると指摘している.隠喩/換喩はキャラクター/キャラにほぼ該当し,重要な
のは「環境」だという.例えとして探偵デュパンとドラえもんを挙げている.デュパンという「キ
ャラクター」はポーの小説以外の場所で活躍する可能性はきわめて低い.キャラクターはその世
界との間に固有の関係を持っているのだ.しかし「ドラえもん」という「キャラ」ならば,藤子
不二雄作品以外でも活躍の場の可能性がある.
「キャラ」のほうが,所属する世界との関係性が
緩く,そのぶん複数の世界に所属することができる.現実を写生した自然主義的なリアリズムで
構成された世界は「キャラクター」との親和性が高いのだ.また,虚構を写生したまんが・アニ
メ的リアリズムの世界は「キャラ」との親和性が高いとしている.
以上のことを前提として考えると日本のキャラは欧米圏のキャラクターと対照的であるのだ.
欧米のキャラクターはほとんど全てが人間の隠喩であるという.ディズニーキャラクターは豊か
な感情表現を行い,動物的な外見をのぞけば人間そのものであるため,人間の隠喩たり得る v.
そのためキャラクター viとして精細度が高く人間の特徴とする「共感」も生まれる.しかし日本
型のキャラであるサンリオキャラを考えた場合,表情や感情表現の乏しさから人間らしさはかけ
離れ動物に近い印象となっている.人間の隠喩として考えるには精細度が低く共感性が難しい.
その分人間からの感情移入により愛着が成立しているという考えであった(表 1).
ここで日本の漫画・アニメキャラを考えるとアニメ的リアリズムの世界に住む「キャラ」とし
て該当する.しかし筆者はオタクが好むキャラと同じ世界にサンリオキャラが存在するというこ
iii
隠喩とは,対象の抽象的な特徴に注目すること.例えとして「炎のような情熱」とい
った表現である.
iv
換喩とは,対象に似ている・隣接する事物に注目すること.例えとして医師を聴診器
で表すといったことが挙げられる.
v
現在のディズニーキャラクターは「キャラ」的な側面もあるが,今回は「キャラクタ
ー」として扱う.
vi
「キャラ」の存在を基盤として,
「人格」を持った「身体」の表象として読むことが
でき,テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの.
- 303 -
とが簡単に賛成できない.そこで考えるのは,社会的認知度の高い「大衆的キャラクター」とオ
タクが好む「限定的キャラ」という範囲だ.外国でも知られる漫画・アニメの ONE PIECE は,
今や日本の子供から大人までが手に取る作品となり,男女問わず人気の作品であることはコミッ
ク売上数からも認められるだろう.その ONE PIECE のキャラクターを好きだという人をオタ
クだと一概に言えないのは知っているのが当たり前のような作品のキャラクターであるが故で
はないだろうか.ディズニーやサンリオ,ドラえもんやアンパンマンといったキャラクターも大
衆に知れ渡っている.逆に,日ごろから漫画やアニメに触れない人には知られない作品のキャラ,
人気作品であっても人気に男女の偏りがある作品のキャラが好きな場合は限定的キャラと区分
できるのではないだろうか(表 2)
(図 1)
.
表 1 キャラクターとキャラの違い
キャラ
キャラクター
多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図像で描
「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」
かれ、固有名詞で名指されることによって(あるいはそれ
の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人
を期待させることにより)、「人格・のような」ものとしての
生」や「生活」を想像させるもの
存在感を感じさせるもの
●その世界との間に固有の世界を持っている
●所属する世界との関係性が緩い。その分複数の世界に所属しうる
○自然主義的なリアリズムで構成された世界
○まんが・アニメ的リアリズムの世界で構成された世界
●隠喩は世界の不連続性を前提としている
●換喩は世界の連続性を前提としている
☆ディズニーキャラクター
☆サンリオキャラ
人間くささに欠ける(表情の乏しさ)⇒動物に近い印象。
人間的(豊かな感情表現、語る能力)⇒人間の隠喩であ
感情表現も乏しいため共感や同一化は容易ではない
るといえるためキャラクター性を帯び、精細度が高い
が、感情移入により愛着が成立。
○ディズニーキャラクターは人間という対象の特徴をディ
ズニー世界という虚構空間で展開するための記号という
○「人格の象徴」などではなく「人格によく似た形象」とい
機能を担っている。
う充実した実態として認識される
●ディズニーキャラクターは必ずしも可愛くないが共感性
は高いため、アニメや映画が続々と作れる
『キャラクター精神分析 マンガ・文学・日本人』
文章もとに筆者作成(2014)
表 2 大衆的キャラクターと限定的キャラ
大衆的キャラクター
誰もが知っているようなキャラクター、
内容も大まかに知られている男女ともに人気の作品
ex.
サンリオ ONE PIECE
ディズニー
ドラえもん エヴァンゲリオン
妖怪ウォッチ
限定的キャラ
日ごろアニメや漫画を手にしないと知らないキャラ、
男女に人気の偏りがある作品
ex.
恋愛ゲームキャラ
深夜アニメキャラ
筆者作成(2014)
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大衆的
サンリオ
ディズニー 妖怪ウォッチ
スポンジボブ
ドラえもん
スヌーピー ONE PIECE
キャ ラク ター
仮面ライダー
戦隊もの
キャ ラ
プリキュア
ゆるキャラ
初音ミク
深夜アニメキャラ
恋愛ゲームキャラ
限定的
図 1 表 1 表 2 を合わせて考えた一例
筆者作成(2014)
1-3. キャラの売られ方
また,消費のされ方も様々である.ゆるキャラ
viiのくまモンは,熊本県の九州新幹線全線開
業に伴い,熊本の魅力を知ってもらおうと行われた「くまもとサプライズ」のキャンペーンであ
るキャッチフレーズのおまけとして生まれた.おまけの存在であったくまモンが大阪で活動をし
たところ注目を集め,SNSを通して瞬く間に彼の存在は広がった.近年ではゆるキャラのよう
にキャラクターを使って消費者に商品へ目を向けさせる傾向が伺える.
アパレル産業ではキャラクターの特徴となるものをモチーフとした洋服やアクセサリーを販
売するといったコラボ商品を手掛けるようになった.日本のアニメ・ポップカルチャーをテーマ
としたearth music & ecology Japan Labelは,2012 年 3 月に第一弾としてearth×初音ミクの
販売を開始する.現在 2014 年 11 月まで様々な作品とコラボし,再販売を繰り返すなど好調を
見せている.アパレル産業のみならず眼鏡産業でも各企業でアニメやゲームとコラボした眼鏡を
売り出している.このような商品は一見オタクグッズと判別が難しく,日常に自然と好きなキャ
ラクターを取り入れられるようになっている.一方,キャラクターを前面に出した「痛スーツ」
「痛車」 viiiといったものも登場している.
また音声が出る携帯ゲームの CM では声優の紹介がされるようになった.これは人気の声優
を使用し,声優ファンがその声優の声を聴く可能性が考えられるためである.人気の声優を起用
し作品の消費を広げる方法といえる.株式会社サイバーエージェント Ameba 事業のスマートフ
ォン向けゲーム「ガールフレンド(仮)」の CM では女の子が次々と私たちに向かって自分の名
前を紹介し興味をひかせた.キャラクターの名前や容姿だけでなく,そのキャラクターの声優名
vii
viii
地域おこしや企業・団体などのイベントの際に使用するマスコットキャラクター.
スーツの裏地や車のボディにキャラクターがプリントされているスーツや車を指す.
- 305 -
が紹介される形は,作品の内容よりも,キャラクターと声優に注目させるものである.また,声
優が作品を消費させる手段になっていることは他にも指摘できる.アニメが成功するとキャラク
ターソングも続々と出されることやアイドルのように表紙を飾っている声優雑誌はいくつも出
版されていることだ.さらに作品の声優イベントは DVD などを購入するとイベント抽選券が付
いてくる仕様となっているものもあり,今や声優はキャラクターの一部として存在し,作品を消
費させる一つの手段となっている.
現在は多くの企業が人気作品のキャラクター,また声優とコラボすることで消費者を獲得して
いるといえる.2014 年現在,大ブームとなった「妖怪ウォッチ」とコラボした企業は携帯会社
にコンビニエンスストア,ファーストフードチェーンなど多数の企業に手を貸している.
2
生活をキャラクターに捧げる
2-1. キャラの愛し方
1 章ではキャラクターが当たり前に日常生活に浸透していることが理解できた.では,私達か
らキャラクターへの可愛がり方,愛し方はどのようなものだろうか.現在ではグッズ集めやSNS
で好きだと表現する,イラストを描いたり,コスプレをしたりと人それぞれである.
「痛ネイル」
という爪にキャラクターを描いたネイルアートといったものも出現した.NHKで発表された
Twitter ixでのキャラの誕生日に関してツイートされた数は膨大なもので,多くの人が祝福してい
ると話題になった.Twitterなどの自己表現が自由な場では,以上の様子を簡単に伺うことがで
きる.
そのような中,ディープなファンは多くの注目を集める.好きなキャラの誕生日には所狭しに
並べたグッズを用意し,その中にケーキを置いた写真を投稿し,キャラの誕生日を祝福している
人もいる.これはいかにそのキャラに愛情を注いでいるかを見せつけられる.また無限回収とい
う好きなキャラのグッズを大量に持つことで周囲との差をつけている人もいる.さらに最近では
「特定厨/班」と呼ばれるアニメファンが,作品に出てきた場所や物を,私たちが実際に住んで
いる場所や存在する物を見つけ出して特定することも行われている.その情報が多くの人に広ま
り,聖地巡礼 xがなされたり商品が売れたりする.この現象は 2010 年に放送されたアニメ「け
いおん!」から始まったとみられる.あるサイトではアニメの画像と三次元の画像が特定場所や
物が的確であることが分かるよう比較できるよう用意されている.5 人の軽音部生の活動と日常
を描いた,けいおん!の場合,楽器は勿論,登場人物の平沢唯が持ったニッパーや泊まったホテ
ルまでも確認された.
限定的キャラだけでなく大衆的キャラクターでも愛情は注がれている.ディズニーキャラクタ
ーの一員,熊のぬいぐるみのダッフィーやシェリーメイは,ディズニー雑誌や個人ブログで部屋
一面に彼らのぬいぐるみで埋め尽くされている様子を確認した.ダッフィーのぬいぐるみ S サ
イズ 1 体は約 4000 円かかり,その上に彼らにコスチュームを着せたい場合にはその金額もプラ
ix
x
140 字以内の短い投稿をして,他人と共有する無料サービス.写真も添付可能.
物語の舞台となった地を実際に訪れること.
- 306 -
スされる.所持するためにかかる費用は生半可な愛情ではないことがうかがえる.【ダッフィー
ももた☆SakurairoDays】のブログを書かれている sakura さんはぬいぐるみよりも小さめのポ
ーチダッフィーをメインとして彼を好んでいる.sakura さんがダッフィーにのめりこんだ理由
として「元からクマが好きであり,それ以前にぬいぐるみが好きだったこと.そこにあのダッフ
ィーの独特の顔や毛質は心打たれた.さらに写真を撮ることが好きな私にとって,着替えたり外
に連れ出し写真を撮ったりすることができるあのダッフィーはとても可愛らしいと感じている」
と個人的にメールのやり取りをさせていただいた.さらに「収集癖が元からあるが,自分の好き
なキャラクターに囲まれて過ごすことでそのキャラクターに囲まれている分だけ癒しや幸せを
感じるパワーが大きくなる」と教えていただいた.また,ポーチダッフィーが好きすぎて自分で
形を変えたり目を大きくしたりといった,独自のダッフィーを作り出すことにも凝っているとい
う(図 2)
.
独自の作品を生み出すことは,ニュースで話題になった「痛バッグ」も自分だけの作品と呼べ
るのではないだろうか(図 3)
.好きなキャラクターのグッズを飾り付けたバッグを痛バッグと
いうが,ほとんどの痛バッグは身近にあるバッグから始まる xi.そのバッグに好きなキャラの缶
バッチやぬいぐるみといったものを着けることで完成へと向かう.無限回収を行う人は,この痛
バッグを作るためにもグッズの無限回収を行っているようだ.グッズを大量につけたバッグでキ
ャラへの愛を表現しているのだ.非難されやすいのが「グッズの量=キャラへの愛の大きさ」と
いう考えだが,多くの人は「痛バッグを持つ自分=自分なりのキャラへの愛情表現」という自己
表現であった.
以上のように現代はキャラクターへの愛情は自分で何かを作り出す傾向がたくさん見られる
ようになっている.物の作成からの自己表現は自分の存在を強く示しているように感じる. ま
た,ディープなファンの生活は,「生活の一部にキャラクターがいる」というよりも「キャラク
ターが生活の中心である」といっても過言ではない.
出典:2014【ダッフィーももた☆SakurairoDays】(http://ameblo.jp/lovemedo10)
図 2 ダッフィーの部屋
祭屋みきぽ,2014,
「かかった費用は 150 万」
「複数持ちは当たり前」 なぜそこまで
熱中するのか.
.
."痛バッグ"女子に突撃してみた!, (2014 年 12 月 20 日取得
http://newsmixijp/view_newspl?media_id=178&id=3165774)
xi
- 307 -
出典:mixi ニュース(http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=178&id=3165774)
図 3 痛バッグ一例
2-2. 偏愛の陥り方
筆者は,生活の中心にいるキャラクターは,ほぼ人気のあるキャラクターだと感じる.人気が
あればあるほどそのキャラクターのグッズは世に出回っている.ゲームセンターでのプライズ景
品,あるイベントの限定商品など,グッズの種類は多くなっていく.そして,そのキャラクター
のファンは大抵購入する.多くの経済学では消費することというのは効用(満足)を得るためだ
という.多くのグッズを買えば買うほど効用(満足)も大きなものとなるだろう.その効用(満
足)が「キャラクターを愛せている自分」と思わせてくれるのではないだろうか.このように満
足を得るとさらに愛情は大きくなると推測する.
好きなキャラクターに人気がない場合はどうだろうか.この状況が良いと思うか悪いと思うか
はその人次第になりそうである.良いと思える人の考えとして自分が一番そのキャラクターのこ
とを知っているという気持ちになれるだろう.また,同じキャラクターが好きだという人に出会
った場合の感動は大きくなる.しかし独占欲のような,好きでいる存在は自分だけが良い,と思
う人もいる.人気であればあるほどグッズを大量に持って周囲に自分がどれだけそのキャラクタ
ーに愛があるのか示さなければ中々差はつかないが,人気がない場合は周囲と差をつける必要が
なくなる.これは必要以上にキャラクターグッズを持つ必要がないため,フェティシズムの状態
に陥りにくいのではないだろうかと考えられる.
2-3. データベース消費論
以上のように,現在はキャラクターを消費することがメインとなっており,キャラ萌えするこ
とがほとんどである.このような状況を,東(2007)はデータベース消費社会と名付けた.デ
ータベース消費とは物語ではなく作品の構成要素そのものが消費の対象となっている.70 年代
80 年代の消費のされ方には戻れないといってよい状況になった.70・80 年代の消費のされ方は,
物語消費という形である.
「大きな物語」という設定や世界観を,
「大きな物語」を理解するため
の特定の作品の中にある特定の物語である「小さな物語」を消費していた.例に挙げられるのが
- 308 -
ビックリマンシールである.シールの裏にあるストーリー性ある特定の物語を読解するというブ
ームがあった.2014 年現在は 30 周年記念企画としてファン投票を行うなどまだまだファンか
らの支持があるようだ.
ドッキリマンシールが続いているように,キャラ萌えしている現在でも物語重視をしている消
費者はもちろんいるだろう.
松永英明は「物語派」と「キャラ萌え派」と「属性萌えの対立」で以下のように解釈していた.
キャラクターへの感情移入なくして,作品にのめり込むことはありえない.したがって,
「物語読み」の人たちがいつも冷めた冷静な目で見ているかのような見方は誤りである.
では何が違うのか.キャラ萌えの人は,ある限定された人物にしか感情移入しない.他の
人物に対しては敵視あるいは第三者としてしか見ない.(中略)一方,物語派の人たちは,
多くのキャラクターに対して感情移入する.すべてとは言わないが,その物語に関わるす
べての人たちの存在が重要である.つまり,すべての登場人物の立場から物語に参加する
わけである.
(中略)もちろん,感情移入しやすいキャラとそうでないキャラという違いは
当然生まれるだろうが,そこから離脱して世界を見る余裕がある.それが物語派だ. 言い
換えれば,ある特定個人の内面に引き寄せられるキャラ萌え派と,人と人との外的関係に
興味の強い物語派という位置づけもできるかもしれない(松永 2012).
つまり,消費者は各々の立ち位置でキャラを見ている.「人と人との外的関係に興味の強い」と
いう指摘は腐女子
xiiを考えさせる.彼女は第三者の立ち位置で好きなようにカップルを作り,
そこに自分は存在しないのである.腐女子はキャラ萌えしながらも物語を重視する存在の可能性
があると推測した.しかし,どのような立ち位置でも,多くの人はキャラクターメインに楽しん
でいることが言えそうである.
3
自己アイデンティティ
3-1. ネットの顔とリアルの顔
本稿ではキャラクターが物語や生活の中心に存在するようになっていると述べてきた.特に,
顔が見えないネット上では生き生きと語る姿はとても多くみられるのである.しかし顔が見える
普段の生活を迎えているとき,
「あのキャラが大好きだ」といったことを隠すように暮らす人も
いるのではないだろうか.実際に授業でサブカルチャーが取り上げられれば教室はどよめくし,
テレビ番組で取り上げられるオタクについての内容は文化よりも極端にオタクという「一人の人
間」を紹介していることが多いと感じる.クールジャパン,オタク文化と評価されながらもオタ
クでいることの恥ずかしさのようなものが世の中には漂っていると感じる.
この恥ずかしさを感じるのは 1-2 キャラクター分類でも行った,限定的キャラを好きな人々で
ある.2-1 で話した痛バッグの話を例に挙げて考える.痛バッグを持つオタクはイベント会場に
xii
男性同士の恋愛を好む女性のこと.
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近くなったら,または会場に入ったら痛バッグを持つという.オタクたちの中では人通りでは痛
バッグを持たないというマナー,暗黙の了解が生まれている.しかし,ディズニーキャラクター
を好きな人の場合は東京ディズニーランド,東京ディズニーシーといったディズニーワールドに
行きつくまでにディズニーの痛バッグを隠しもせずに遊びに行くことが可能だろう.
「この人,
今からディズニーに行くのだな」というキャラクターのインデックスが強く機能を果たすのであ
る.
オタクが痛バッグを会場近くまでは「持たない」としたが,
「恥ずかしくて持てない」という
声も上がっているようだ.このような限定的キャラを好きな人々は「オタク」と呼ばれ,今まで
様々な定義を付けられてきた.オタクが誕生するのが 1977 年の映画,
「宇宙戦艦ヤマト」の劇
場前に長蛇の列ができるという異例のブームからとされている.しかし 80 年代に幼女誘拐殺害
事件や神戸連続殺傷事件で犯人が漫画やホラーもの好きと分かると,オタク=犯罪者予備軍とい
う形ができあがった.そして時が流れて 90 年代,海外では日本のオタク文化を肯定した情報が
入ったことからオタクに対しての目は好転へと変化していく.現在のオタクへのまなざしはこの
延長線上ではないだろうか.表面的にはオタク文化を容認する時代となったが,普段の生活をす
る環境にオタクがいたら,抵抗を感じても仕方がないような時代があったのである.
3-2. オタクとは
一体オタクとは何なのだろうか.筆者は 1-2 で「漫画やアニメなどのキャラが好きな人」とし
て定義していたが,本節以降は変更する.まずは『オタクのことが面白いほどわかる本』
(榎本
2009)から学者が挙げるオタクの定義をいくつか紹介する.東浩紀はある種のサブカルチャー
に浸る人々,斎藤環は二次元で「萌える」こと,森川嘉一郎は「弱いもの」に向かっていくもの,
となっている.以上のように学者の中でもオタクの定義はさまざまである.
『オタクはすでに死んでいる』(岡田 2008)の著者である岡田斗司夫は,オタク像が次のよ
うであるという.漫画やアニメ,ゲーム,モデルガン好きも「自分が好きなものは自分で決める」
という共通している意思や知性を持っている.オタクというのは「強いオタク/『普通』の否定」
という考え方だった.岡田の考えを本稿に当てはめれば,大衆的・限定的キャラクターどちら側
でも好きを貫ければ「オタク」なのである.
しかし彼が主張するのは本のタイトル通り,オタクはすでに死んでしまったということである.
以前は「オタクという共通概念」があったのに対して,今では共有・共通している文化がなくな
ってしまったという.わかりやすく例に挙げているのが SF ファンの歴史である.
「SF 文化」で
は SF 関係の物はどんなに興味がなくても SF ファンならば 1 話はチェックするという共通概念
が通っていた.SF ファンであるなら SF 関係全て知り尽くしておきたいという自意識やプライ
ドを持っているのが SF ファンの暗黙のルールであった.しかしその共通概念が壊され,SF フ
ァンの死へとつながる時が来る.共通概念が壊れた原因は,70 年代の作品,
「スター・ウォーズ」
「機動戦士ガンダム」で SF ファンだと思った人口が増大したことが始まりであった.今までの
SF ファンは SF の全てを知りたがることや,分かり合うという価値観や連帯感があった.それ
- 310 -
に対し 70 年代からの SF ファンだと思った人々は自分の好きな作品だけで充分といった,SF 共
通文化を受け入れなかったのである.
オタク界でも同じで,第三世代と呼ばれる現在の 20 代前半が第一世代第二世代のオタクの感
覚を受け継がなかった.それぞれの世代のポイントは以下のようになる.第一世代は現在の 40
代 50 代のオタク趣味と社会性が両立している世代である.そのためオタクであることをあまり
悩まない傾向の世代となっている.
第二世代は現在 20 代後半から 30 代半ば過ぎの人々である.
この世代は前述の殺害事件や「おたく」という言葉が浸透した時代を過ごした.そのため,自分
の好きなものを認めてもらいたいという願望が強く,オタク論を語る口調が強くなる.そして第
三世代は生まれた時からオタク商品に囲まれ,オタク向けに作られた作品を浴びるように受けて
育った世代である.つまりオタク文化に疑問なく育った世代であり,オタク文化に悩みがない.
そのためオタク文化に熱くなることは難しかったのである.第一世代の人生を捨てて趣味に生き
る覚悟はなく,第二世代のように熱くアイデンティティを語る本気さもない.第一世代第二世代
の人々は,第三世代に時代を塗り替えられ,オタクという人々はいなくなってしまったのである.
あえて「オタク」を定義付けるならば「第三世代を中心とした個人単位で好きなことに熱中する
人」だろう.
3-3. 自己表現の在り方
また,第三世代にとってオタクであることはアイデンティティの問題であると述べられている.
第一世代のように人生をかけた趣味でもなければ第二世代の社会性問題でもない.第三世代は
「わたし」の問題なのであると岡田は言う.第一世代と第二世代には強いオタクという中心概念
が存在し理解していた.しかし第三世代には「萌え」という便利な「感覚」の言葉がある.感覚
であるから共有や中心概念は理解できない.理解してしまったら自分とは違う考えの部分が出て
きてしまい,自分のアイデンティティが否定され,居場所がなくなってしまうと考えている.第
三世代の興味は常に「わたし」自身なのである.そのようになると文化の存続は失われる.今ま
でのオタクの共有概念は個人の感覚へと変化してしまった.
また岡田は,オタクが滅びた代わりに生まれたのはマニアであるという.オタクは群れを成し
て楽しむが,マニアは孤立してそれぞれの道を進む.マニアは「私はこれが好き」という小さな
活動をしていけば良い.大勢と無理に付き合う必要はなく,しかし引きこもる必要もない.
「自
分の好きなこと」を楽しめば良いと岡田は指摘している.
確かに Twitter のフォローは自分の好きなジャンルの人を多くフォローをし,他の○○オタク
だという人には興味がないと見受けられる人がほとんどである.自分の好きなものを選択し,必
要な情報だけを交換することができれば満足なのである.作品やキャラクターを通して楽しんだ
り嫉妬したりするのは,いまや「他人との共有」よりも,個人の発信,「わたし」のアイデンテ
ィティの訴えだろう.
- 311 -
おわりに
自分の好きなもので私たちは自身の存在の確認を行える.それはマニアであればあるほど強く
感じることができるだろう.自分の存在の価値について疑問を持った時には,趣味に走ることで
「わたし」を満たしてくれる.その一つとしてキャラクターは私たちを救ってくれるものである.
オタクの共通概念がない今,できることは自分の好きなことを思う存分楽しむほかないだろう.
そのため個人が想いを発信することは,留まることはない.それは悪いことではないし,狭い範
囲の中でだが人々は共有を求めている.現在の情報社会では多くの人がすでにアイデンティティ
を誰かに投げつけ,ぶつけられているだろう.理想論になるが,これからは,「高い質の自己を
発信するマニア」が沢山存在することこそ,日本文化の向上だと考える.
文献
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,講談社.
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http://news. mixi. jp/view_news. pl?media_id=178&id=3165774).
榎本秋,2009,『オタクのことが面白いほどわかる本』,中経.
岡田斗司夫,2008,『オタクはすでに死んでいる』
,新潮社.
- 312 -
《執筆者一覧》
坂庭
坂本
高橋
中村
中村
平澤
松本
森谷
柳澤
山本
湯浅
渡部
萌
敦史
世羅
可奈
尚道
亜弥
理奈
奈央子
祐也
凌平
諒祐
翔太
小野寺 洋
小板橋 絵名
小板橋 稔真
佐取 哲郎
清水 和音
清水 聖羅
砂永 美紗
利村 裕理
二井谷 友希
林 良香
森 千晴
山田 千尋
由田 早紀
友岡
邦之
地域文化政策研究 第 10 号
発行日
発行・編集者
発行所
2015 年 3 月 25 日
友岡 邦之
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