感情労働における「組織的支援モデル」 精緻化への一考察 Developing the Framework of an Organized Support System for the Emotional Labor of Service Workers: A Study 田 村 尚 子 Hisako TAMURA 要旨 本稿の目的は、感情労働への組織的支援の有効な枠組みとして前稿 で筆者が作成した「感情労 働における組織的支援モデル」を実際の感情労働の現場でより機能するために精緻化を試みること である。具体的には、高い顧客満足度を保持し続け社会的評価も高い川越胃腸病院を事例として取 り上げ、看護師の感情労働への組織的サポートの仕組み・体制等の成功要素を抽出する。それらの 要素を一般化できるように検討を加え、その上でモデルの精緻化を考察する。 Abstract The objective of this article, continued from the last issue, is to develop the framework of what is considered an effective mechanism−an organized support system for the emotional labor of service workers. Taking Kawagoe Gastroenterical Hospital, which accommodates a wide range of customers’ needs and obtains appropriate evaluations, as a concrete example, I try to analyze its organized support system, determine its key success factors, and consider a concrete sophisticated model that can be generalized to ordinary companies. キーワード; 感情労働、対人サービス従事者、組織的支援 Keywords : emotional labor, service workers, organized support system 1 拙稿(2014)を参照のこと。 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( 年 月) ある。 はじめに つ目は、看護職員の %超が「離職意 識」を抱いているといわれる中 、当院では離 職率がほぼゼロに近く、むしろ患者への感情労 サービス産業は我が国 GDP の約 %、従業 働を通し、喜びや充実感を得るなど職務満足度 員の約 %を占め、経済のサービス化が進展し が高い点である。 ている。実際、顧客対応の現場では、顧客満足 張感のある厳しい現場で働く看護師の感情労働 のためのサービスの提供が継続的に求められて への支援のあり方は、様々な業種・職種におけ いる。そこで他社との差別化の る組織的支援を検討する上で、多くの示唆をも つになるのが、 多様化する顧客ニーズに的確かつ個別性を配慮 つ目は、生死と向き合う緊 たらすものと考えるからである。 したきめ細やかな対応である。但し、この対応 本稿の構成は次のとおりである。 章で感情 を個人の資質や努力のみに委ねるにはもはや限 労働に関する概要及び看護師の感情労働研究を 界がある。顧客に対する対人サービス従事者の 概観する。 適切な感情労働(後述)の行使に加え、その感 態及び感情労働の課題を確認する。 情労働を組織的にサポートする体制の整備が、 研究を通して有効な支援の仕組み・体制のため 激化する企業間競争の帰趨を決する上で極めて の示唆を導出する。 重要となる。以上の問題意識の下、筆者は感情 精緻化に向けて考察する。最後に本稿の総括及 労働に関する先行研究および現場でのヒアリン び今後の課題を示す。 章で看護師をめぐる職場環境の実 章で事例 章で組織的支援モデルの グ調査の知見を基に、感情労働への組織的支援 .感情労働と研究概要 の有効な枠組みを検討し、 「感情労働における 組織的支援(三層支援)モデル」を作成した(田 村, − ) 。 感情労働の概要 「感情労働」は、アメリカの社会学者ホック 本稿の目的は、次なる課題として、この枠組 みが実際の感情労働の現場組織でより機能する シールド( ためにモデルの具体化・精緻化を考察すること 定義を「自分の感情を誘発したり抑圧したりし )が提唱した概念であり、その である。具体的には、 「医療は究極のサービス ながら、相手の中に適切な精神状態を作り出す 業である」と捉え、高い顧客満足度を保持し続 ために、自分の外見を維持する労働」とする。 け社会的評価も高い川越胃腸病院を事例として 本稿もこの定義に拠る。 取り上げ検討を行う。同病院は、変化する患者 感情労働を行う者は、 「私が感じる」感情と のニーズや評価を的確に把握し、それを次のサ は別にその職にふさわしい感情(「感情規則」 ) ービス向上や経営改善につなげる努力を日常的 が定められているとし、感情規則に沿って自分 に行っている。本稿では、病院スタッフの中で の感情を心の内面でコントロールすることを 特に看護師に焦点を当て、感情労働が有効に機 「感情管理」としている。 能する組織的サポートの仕組み・体制等の要素 を抽出する。その上で、一般化のためにモデル − を再検討し、精緻化を試みる。 感情労働による心理的影響に関する先行研究 当該病院を事例として取り上げた理由は 2 3 4 つ は主に 感情労働研究 つの方向性 つに分類される。 つは、感情労働が 出所:2013年実施 日本医療労働組合連合会「看護職員の労働実態調査報告書」7頁。 出所:拙稿(2014)より一部抜粋。 詳細は拙稿(2014)を参照のこと。 ― ― 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 顧客との良好な関係をもたらし、顧客に満足感、 摘している。なぜならば、医療従事者の感情労 安心感を与えると共に対人サービス従事者に喜 働に関する実証研究にはストレスや燃え尽きに び、自信、達成感等職務満足をもたらすという 与える影響、疲労の一因とされる一方で、職務 肯定的側面に注目した研究である(Wouters, への充足感や魅力につながるとする研究や、職 ;Tolich, ) 。もう つは、対人サービ 務に必要なコミュニケーション技術と捉えた研 ス従事者に過度の精神的負担を課すことになり、 究などもあるからである。そこで、片山は感情 過剰なストレス、情緒的消耗、疎外感、精神疾 労働の内容によるストレス反応の違いを明らか 患などメンタルヘルスへのダメージを指摘する にする必要があるとし、下記の 否定的側面に着目した研究である(Hochschild, 成された「看護師の感情労働測定尺度(Emo- つの尺度で構 ) 。前者は、対人サービス従事 tional Labor Inventory for Nurses, ELIN) 」 者に喜び、自信、達成感、満足感等を与え、更 を基に作成した調査票による質問紙調査を実施 なるサービス向上への意欲を喚起させるなどモ した。 チベーションの向上、人間的成長の原動力につ [ ;武井, つの尺度] ながると考えられる。一方、後者は精神的疾患 ・表出抑制(その場に相応しくないと判断し や離職など今後の個人のキャリアへ負の影響だ た感情を表現しないよう意識的 に抑制に努める感情労働) けではなく、組織にとっても組織全体の士気や ・表層適応(頻回に人々の危機に遭遇する医 活力の低下をもたらすとされ、有形無形の損失 療の現場においてその時々に応 につながるものと懸念されている。 じた火急・表面的な対応に努め 肯定的側面に関しては、この点をさらに発展 る感情労働) させ、感情労働が顧客、対人サービス従事者、 ・深層適応(実際に感じている感情との違い 組織の三者相互にプラスの相乗効果をもたらし、 好循環スパイラルに入るよう組織として支援す を自覚しつつ、患者にとって適 ることが求められる。一方、否定的側面に関し 切と判断する感情表現を意図的 ては対人サービス従事者個人の資質、努力にの に喚起させる、より複雑な感情 み委ねるのではなく、精神的負担・疲弊等の軽 労働) 減のために組織として実効性のある方策を検討 ・探索的理解(状況に応じて自己の感情の細 し支援する必要がある。前述したように、サー かい調整をし、対象の理解に ビス競争激化の中、優位性を保持するためにも 努める感情労働) ・ケアの表現(ケアの行動によって優しさな 組織の重要課題として取り組む必要がある。 どの感情を伝えようとする感 − 情労働) 看護師の感情労働研究 片山が実施した上記の調査結果は次のとおり 前節で取り上げた研究は客室乗務員やスーパ ーで働く人を対象としていたが、本節では看護 である。 ①看護師の感情労働は、これまで重要な職業 師における感情労働研究の一端に触れる。対人 援助従事者(看護師)のストレス要因と感情労 上のストレス要因とされてきた、対人関係、 働との関連に関する研究(Zapf, et al., ; 物理的な環境、仕事に対するコントロール ほか)は少なくない 感、仕事の適性意識、並びに身体的な負担 荻野ら, が、片山( ;久保, 感などと同等のストレス要因となっている。 )は、感情労働をストレス要因 ②ストレスとなる感情労働の特徴が明らかに として一律に単純化することは困難であると指 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( 年 月) なった。 ‘表出抑制’がイライラ感や疲労感 われる様々な実態も明らかにしている。 など複数のストレス反応に影響を及ぼし、 千人を超える回答者の 看護師においてはもっともストレスの高い の数からも切実な実態が窺われる。 感情労働であり、心理的負担要因である。 万 割に相当する自由記述 たとえば、人員不足かつ膨大な業務等により、 ‘深層適応’や‘表層適応’も看護師の負 「患者とゆっくり話す時間が取れない。メンタ 担であることが示された。 ルのフォローもしたいが時間がなく申し訳な ③一方、 ‘探索的理解’ 、 ‘ケアの表現’は、 い」など、前述した‘ケアの表現’の感情労働 看護師にとってストレスとなっていないこ を適切に行えない実態や、 「患者に安心な看護 とが判明した。この結果に対し片山は、 「こ ができない」など、看護の本来業務に十分力を れは職務への充足感や魅力につながること 注げないという との関連を窺わせる。 」と述べている。 に患者や家族からのクレームに対するストレス 藤等の記述も見られる。さら や患者・上司からのハラスメントも悩みやスト 以上の結果からストレスとなる感情労働が レスの大きな原因であることも報告されている。 ‘表出抑制’ 、 ‘深層適応’ 、 ‘表層適応’である 以上の調査結果を受け、報告書には看護職場 と判明したが、これらの感情労働は看護のどの にこそディーセントワーク(人間らしい、働き ような場面で行なわれているのだろうか。また、 がいのある仕事)の実現が急務である 等の意 ストレスを軽減するためにどのような対処がな 見に加え、次のような改善提案が示されている。 されているのだろうか。 ①労働基準法の違反に関しては、違反を違反と 一方、職務満足に繋がるとされる‘探索的理 指摘できない組織風土や経営体質に問題がある。 解’ 、 ‘ケアの表現’はどのような場面で行われ 看護部門が一丸となって職場風土を変え、経営 ているのだろうか。次章でこれらの点を確認す 側に対策を迫るような戦略こそが有効である。 る。 ②クレームに関しては、受けた個人だけではな く、組織全体で取り組み組織の改善につなげる .看護師の労働実態と感情労働 必要性をある。③セクハラやパワハラ防止にお いては、あらゆる職位や職種の労働者一人ひと − 看護師を取り巻く環境 りが互いを尊重し合い、民主的で透明な人間関 看護師の就業者数はこの 年間で 万人増加 係を目指す努力が必要である。④人員不足の中 している。その一方で、日本医療労働組合連合 でもお互いを支え合い、やりがいを確認し合い、 会が組合員を対象に行った労働実態アンケート 看護師としての成長を実感し合えるような「魅 調査結果( 力的職場」は「質の高いケア」を提供するため 年)によると、人員不足、長時 間労働、健康不調などを理由に、 人中 人に にも不可欠の条件である 。 当たる %超の看護職員が「離職意識」を抱い 確かに①の組織風土、経営体質の改善、②の ているという。同調査報告書は、医療の高度化・ 個人だけではなく、組織全体での取り組み、③ 入院日数の短縮・患者の高齢化など厳しさを増 の信頼性、透明性のある人間関係の構築、④の す労働環境に加え、不払い労働、有給休暇の取 相互に助け合えるチームワークの醸成など、上 得率の異常な低さなど労動法規に抵触すると思 記の改善提案は妥当といえる。但し、このよう 5 6 7 出所:日本医療労働組合連合会「看護職員の労働実態調査報告書」 (2014年) 。 出所:日本医療労働組合連合会 前掲書5頁。 出所:日本医療労働組合連合会 前掲書8頁。 ― ― 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 な改善提案を現状の職場環境の中で、だれがど からです。 」「熟練した看護師でも、忙しいと のような方法で実現していけばよいのだろうか。 きに限ってしつこく訴えを繰り返す患者や、こ この点をさらに踏み込んで改善のための方向性 ちらが気にしていることを平気で突いてきてか を示すことが本稿の狙いでもある。 らかったり文句を言ったりする患者に対して、 自分の感じている苛立ちや怒りを何とか表情に − − 看護師の感情労働 − 出さないように我慢しなければならないとき、 看護の現場 つらく落ち込んでいるのに明るく患者に接しな 前節では、厳しい職場環境を背景に‘ケアの ければならないときなどには、つくづくしんど 表現’もままならぬ実態が報告されていたが、 い仕事だと思ってしまいます。そんな時大声で 看護師が患者と相対する現場ではどのように感 泣き喚くことができたなら…。看護が感情労働 情労働が行われているのだろうか。また、感情 だと思うのは、こんなときです。 」と、感情を 労働は看護師の内面にどのような影響を及ぼし あらわに表出することは不適切とする看護師と ているのだろうか。 しての‘感情規則’に従い、 ‘感情管理’を行 武井( )は臨床の場で勤務する看護師の っている様子が記されている。 感情労働について次のように述べている。 「病 さらに「一週間のうちに何人もの患者が死ん 気がいっこうに回復せず、思うように動けない でいく病棟で働く経験は、想像以上に看護師の ことに対する怒りや無力感が健康な人に対する 心の内面を傷つけている。 」 と指摘する。死を 嫉妬や憎しみとなっているのです。患者の中に めぐる感情管理も看護師特有の感情労働である。 はそれを、看護師にぶつけてくる人がいます。 また、 「心の看護には、患者のそばでじっくり (中略)患者に拒否されたり、どなられたり、 親身になって話を聞き、助けになるというイメ まして暴力を振るわれたりしたときには、それ ージがあるが、患者のところで話し込んでいる だけでも心底悔しく気が滅入ってしまいます。 とさぼっていると思われる。また、患者の悩み ましてその理由がわからないときには、看護す や不安に付き合うことは相当重荷になる。 」と ることのむなしさや無力感、絶望感を感じてし ‘ケアの表現’を行いにくい職場環境や患者に まいます。しかも、そこで思わず感情的になっ 対し感情労働を行うことへの負担にも言及して て怒鳴り返したり、無視したりすれば、今度は いる。 看護師がそんなことをしていいのかと大騒ぎに − なってしまいます。その上、 『思わず感情的に − 看護師の感情労働の実態−インタ ビュー調査から なってしまう』と、今度は自己嫌悪という、も うひとつの地獄が待っています。自分の感情を 看護師の日々の業務の中で感情労動とその対 あらわにするのは、看護師として失格のように 処・支援体制はどうなっているのだろうか。看 感じられるからです。看護師自身『看護師たる 護師として 年の経験を持ち、部下 人を統括 もの感情的になってはいけない。まして怒鳴っ する総合病院救急外来看護科長( 代女性)に たり、泣いたりしてはいけない』と思っている 感情労働およびその対処・支援体制についてイ 8 9 10 11 12 出所:武井(2001)45−46頁。 出所:武井 前掲書47頁。 出所:武井 前掲書145頁。 出所:武井 前掲書26頁。 出所:田村・牛島・菊池・松坂(2009)110−111頁を筆者一部改編。 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( 年 月) ンタビューを行った。以下はその内容である。 ⑶ ⑴ ①患者との関係では、精神的負担は「あります 救急外来での看護において感情労働が必要 となる事例 感情労働による負担、ストレス等 ね。その場で患者さんの前では、感情は抑え ①優先順位の問題。救急病院では緊急度の高い て聞くようにしていますが…。 」 患者が優先となる。優先度の低い患者の待ち ②モンスター患者に関しては、 「この患者さん 時間が長くなり、患者の不満や苦情となる。 は何を言っているのかをよく聞くようにして ②家族への対応。 「救急外来が混雑している場 います。それが、患者さんとの間で、スタッ 合、処置に追われて家族に患者の状態を話す フの一番ストレスになっていることだと思い ことが出来ないことが多い。それによって、 ます。 」 クレームや苦情がくることがあります」 。 ③管理職としては、 「女ばかりの職場ですし、 ③死が避けられない場合もある。 「この仕事で 中堅クラスの看護師が多いので、それぞれの は死は避けられないものです。救急では一瞬 看護観がちがいます。また、病院によってや の場面でしか関われていないのですけれど、 り方が違う面もあります。それを纏めて、今 突然亡くなられる患者さんもいます。家族が までの経験を活かしながら救急の仕事をする 受け入れられない死もあります。その応対は のは難しいのです。 」 大変です。むなしさを感じることはやはりあ ⑷ りましたね。 」 ①「話すこと。話さないと自分の中にストレス ④増加する‘モンスター’患者への対応。 ⑵ ⑶の負担への対処 が溜まってしまいます。スタッフが共感して 「最近は特に多いと思います。救急という くれて『辛いよね』と言ってくれると、確か ものをコンビニのような感覚で、時間外に当 に支えになります。 」また、 「救急外来の経験 たり前のように来て当然のよう薬を出すよう の長い者同士『そうだよね。こんなことがあ 主張される方もいます。また、大声を張り上 った』等、経験を共有するなど。 」 げればスタッフが動くのではないか思う人も ②「切り替え。固執しては引きずられてしまう いる。それがスタッフの一番のストレスにな ので、ネガティブな気分を切り替え、ポジテ っているのです。 」 ィブな考え方をするように自分を奮い立たせ ⑴への対処 て、前向きに考えていかねばならないのです」 。 ①事務方の協力も得て、待ち時間についてのイ 気分を変える時には、 「違うところに自分を ンフォメーションを徹底している。 置くようにしています。帰宅後に家族と話す。 ②「言葉かけ。無意識にやっていることが多い また子どもと話すことが気分の切り替えにな のですが、やはり声かけですね。容態につい ては、詳しいことは言えないので、経過だけ っています。 」 ⑸ 仕事からの心理的報酬 ということです。危機的状況の場合もあるの 「患者さんの症状がよくなった時です。救急 で『大丈夫です』とは言えません。今、何を は病名が分からない状態で来ます。ですから、 やっていますと言うだけです。 」 患者さんに予期せぬことが起こったりします。 ③死亡の場合は「そのような場合には寄り添っ それを予測しながら対処が的確に出来て、患者 てあげるしかないので、その場その場で言葉 さんが良くなられて帰られる時です。また、退 を選びながら声をかけていくしかないです。 」 院のときに挨拶に来られたりすると嬉しいで ④‘モンスター’患者には、 「チームで対処す す」 。 る。まず身を守ることを第一に考えます。 」 ― ― 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 ⑹ 感情労働への評価や金銭的報酬への反映 [図表 ]顧客満足度調査 「特別なものはないです。全く普通と同じで す」 以上のようにこの職場では、事務方の協力や ‘モンスター’患者に対してはチームでの対処 が行われている。一方、看護観の異なる同僚同 士の職場では軋轢も見受けられ、管理者として の苦悩も感じられる。感情労働に対する評価制 度はなく報酬(経済的)への反映はない。 .事例研究―川越胃腸病院 − 出所:川越胃腸病院 H.P. 川越胃腸病院の概要 年に埼玉県川越市に設立された。 [図表 ・標榜科目:消化器科(外科・内科) ・看護基準: ・職員数: 対 ] 入院基本料、病床数 。 名 (医師;常勤 非常勤 /看 護師;全員正看護師 看護助手 ) ・社会的評価:消費者志向優良企業(通産大臣 賞) 、優良先端事業所(日本経済新聞社賞) 、 日本経営品質賞等 受賞多数。 ・外来患者延べ数: , 人( 年度実績) ・入院患者延べ数: , 人( 年度実績) ・職員満足度調査 ( が 点満点中「福利厚生」 弱。残りの 項目ではすべて .前後) 、 出所:川越胃腸病院 H.P. 看護師離職率ほぼゼロ ・顧客満足度調査 表 満足 .%( 年度) [図 ] 。設立以来、医療訴訟ゼロ ・経営理念、基本方針[図表 の効果があると思われる。院長の望月は次のよ うに述べている。 「患者様の抱える不安や迷い、 ] ときには死への覚悟や恐怖にもしっかりと耳を 傾けます。患者様がつらいときには、看護師も − 同院看護師の感情労働 はばからず涙を流すこともあります。これは心 同院のマニュアルを超えた温かい対応や心和 の共有、共感の証しであり、人としてごく自然 む対話は、患者を精神的に癒し治療にもプラス な態度でもあります。会話をしながら患者様の 出所:川越胃腸病院 H.P.(職員満足度調査、職員数を除く) 。 2015年11月5日現在。 15 出所:埼玉県経営品質協議会セミナー資料 0弱∼4. 0であ 全国22病院とともに職員満足度調査に参加した結果、他院22病院の平均値が5点満点中3. 5前後という ったのに対し、川越胃腸病院では「福利厚生」が4を切った以外残りの11項目ではすべて4. 極めて高い満足度である。特に、給与水準、理念実践、理念一致は5に近い高水準である。 13 14 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( 年 肩や手にそっと添える手は、プロとしての自覚 月) ⑴ をもちながらも、 『そうしてさしあげたくて』 自然に伸びるものです。 」 他院と違う点; 「働くすべての職員が気持ちを一つにして患 者様一人ひとりと向き合いながら、各自が精一 杯の医療や看護を提供したいと努力しているこ − − 同院の患者の反応 とです。経営者と働く職員の絆の深いことも特 院長のいう「患者様の立場に立った心温かい 徴の一つです。 (中略)病院にとって一番の顧 サービス」の対応が、現場でどう実行されてい 客は職員であり、私たち職員をパートナーと呼 るのだろうか。同院が定期的に実施している患 んで大切にしてもらっていることだと思います。 者満足度調査アンケート[図表 ]の自由記述 そして職員もただの職場という意識ではなく、 欄 には、次のような意見・感想が書き込まれ 我が家のように感じながらロイヤリティを持っ ている。 て働いている人達が多いと思います。 」 ⑵ 仕事をする上で気をつけている点; 入院してみなさんのケアに感動しっぱなし 「経営者や上司に自分が大切にしていただい でした。/病院嫌いだったが、ここはナース ているように、部署の職員を大切にしたいと思 が良い人ばかりで大丈夫。/白衣の天使とい います。病院職員の心が一つになるように、職 う言葉がぴったりです。/いつも優しい看護 種間の垣根を作らないようにしています。 」 婦さん。身体を大切にして下さい。/看護部 ⑶ これから働く人へのアドバイス; の教育方針の賜物と感心しています。/お願 「私は、川越胃腸病院に来て初めて看護師に いしたことがちゃんと他のナースさんにも伝 なってよかったと実感しましたし、看護師にな わっていた。 ( 「患者様の声」 って人の役に立てることが本当にありがたいと 、 年度) こんなに親身になって看護されたのは人生初 思えるようになりました。患者様との感動体験 めてです。/ナースの優しさに涙が止まりま がたくさん積め、人間としても成長できる病院 せんでした。感謝です。/何回か入院したけ だと思います。温かく楽しい仲間と一緒に看護 ど、常に感心させられます。ここはスゴイ。 しませんか…看護師は最高の仕事、天職だと思 /看護部トップの教育方針が素晴らしいから います。 」 でしょう。/ナースの皆さんが私の病状を全 以上のように看護という仕事を通して患者に て把握してくれていた。/だれに質問しても、 満足・安らぎを感じていただくと共に、看護師 ちゃんと答えが返ってくることに感動。/み 自身にも天職と思えるまでの達成感・充実感を なさんの優しさが笑顔に溢れてました。こん 得ていることが窺われる。 な病院はじめて。 (「患者様の声」 年度) では、看護師の感情労働に対し、同院にはど のような支援体制があるのだろうか。 − − 同院に勤務する看護師の職場・仕 事への想い − 看護部所属の看護師。公立病院 年間の勤務 を経て 年同院に入職。看護師長として現在 − は病棟管理を行っている。 16 17 18 同院における看護師の感情労働への組 織的支援 − 所属部署(看護部)からの支援 同院では、看護師による感情労働がどのよう 出所:望月(2008)173頁。 出所:同院 H.P.「病院の取り組み」にある「患者様満足度調査『患者様の声』 」 。 出所:同院 H.P.「部署紹介」の中にある「看護部紹介」 。 ― ― 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 に行われているのだろうか。また、感情労働か とその家族の喜びや幸せになるため」のケアに ら生じる精神的疲弊等に対しどのような支援が ついては基本的に禁止事項を設けることなく職 なされているのだろうか。 員の自発性に委ねている。その結果、患者と職 ⑴ 員の間でたくさんの感動のストーリーが誕生し、 看護方針 ①看護師の自発性が尊重され、 「患者様の立場 職員のモチベーションがますます高まることに に立った心温かいサービス」のために「した なる 、という。さらにこの「したい看護」を い看護」 (患者様の生命力を広げる看護)が 一人でではなく、部門の枠を超えたみんなのチ 実践できる職場環境である。 ームプレーで行えることも、同院の特徴 であ 「看護部職員の一員として病院や仲間から り強みといえる。 この自発性と感情労働による精神的負担との 大切に支援されている」ことを背景に、自発 的に患者の個別性にきめ細かく対応できる。 関連に関し、久保( 但し、自己満足に陥らないようその方針の裏 場では、仮にその仕事をやり遂げたとしても、 付けとして「したい看護」を実践するための 充実感よりも、押しつけられたという徒労感が ツールとしてナイチンゲール看護論に基づく 残るだけという場合も少なくない。 (中略)仕 「KOMI チャートシステム」 を使用している。 事の進め方に裁量の余地が少なく、過重な負担 その中で患者の個別性を特に重視し、患者に が存在する職場では、バーンアウトとともに、 寄り添いながら、生命の幅が拡がる方法を模 他のストレス性疾患の発症するリスクも急速に 索したり、患者の持てる力を最大限に活用す 高まる。 」と指摘し、ストレス等による精神的 るような看護を考えるための「看護の 負担の軽減・増大に「自発性」の有無が大きく つの ものさし」 を活用している。 影響していることを指摘している。 ②患者に安心・満足をより一層感じていただく ために研鑽の機会を提供している。 さらに、前述した片山( )の調査から明 らかになったように、感情労働の中でも‘ケア 患者ためにどのような看護をしたらよいの ⑵ )は「自律性のない職 の表現’が、看護師にとってストレスにならず、 かと一生懸命研鑽を積む。その成果が患者の むしろ「職務への充足感や魅力につながること 喜びや感動につながれば、看護師自身も仕事 との関連を窺わせる。 」と述べているように、 のやり甲斐や達成感・そして職務満足を実感 同院の看護方針の自発的な「したい看護」は、 することが出来る。 ストレスにもまさる喜び、充足感、感動を看護 看護方針と感情労働 師にもたらすものと考えられる。 ①の同院の‘患者にこうしてさしあげたいと 一方、その「したい看護」を適切に行ってい 思った’ 「したい看護」の例として「ケアにつ くためにも、日々変化する患者のニーズや高い いての禁止事項がない。 」ことが挙げられる。 個別性へのきめ細かい対応に、知識、スキル等 これは職員を信頼し、経営理念にある「患者様 の学びや自己を成長させるための研鑚は欠かせ 出所:同院 H.P. 部署紹介 看護部「看護部長メッセージ」より抜粋し筆者改編。 KOMI とは、長年ナイチンゲールの思想研究にとり組んできた金井一薫氏が、ナイチンゲール看護論を 展開する為の方法論として開発したツール。 21 [看護の5つのものさし]とは、1.回復過程を促進するような援助、2.生命体にとってプラスになる ような援助、3.生命力の消耗を最小にするような援助、4.生命力の幅を広げていくような援助、5. 持てる力を活用し高めるような援助、のことである。 22 望月(2008)234頁。 23 望月 前掲書74頁。 19 20 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( 年 月) ない。同院では院内の研究会はもとより、外部 [図表 ]医療サービス対応事務局 研究会への参加、学会での発表等 を積極的に 行っている。 − ⑴ − 同僚からの支援 同じ目標を共有している同僚からの理解・ 共感・支援がある。 「経営理念」に則した看護の意義・あり方を 共有する同僚の存在は、感情労働に伴う精神的 疲弊等を軽減する上で大変重要である。前述の ように「看護観」等が異なる場合、相互に軋轢 を生むこともあり、職場の人間関係それ自体が 出所:川越胃腸病院 H.P. ストレスの原因になることが少なくない。その ため、精神的に余裕がなくなり、患者への感情 くスタッフの満足と幸せをサポートするために 労働にも支障をきたすことがある。一方、同じ 創設され、クロスファンクショナル・チームと 価値観を持ち、同じ方向性を向いて励んでいる して組織の階層的な壁を取り払い、各部署から 同僚のいる職場環境は感情労働を行う上で力強 の兼任メンバーで構成されている。メンバーは い支えとなる。 指名制で、医師・看護師 ⑵ 先輩の看護への姿勢から感情労働とその対 施設整備 名ずつ、事務 名を含む総勢 名( 年 名、 月現在) 応を学ぶことができる。 で運営されている。主な役割は次の 既成のマニュアルに頼らず、考え方や対応の ①「CS 推進室」の役割;病院の経営理念に掲 仕方を実際の仕事に携わりながら、 「こういう げた CS 経営を推進する中で、患者のニーズ とき先輩はこうしているのか」と先輩の働く姿 やウォンツの情報収集を定期的に実施してい から学び、肌で感じ、感情労働を心と体で学び、 る。 「患者満足度調査」 、 「患者様の声」等か 受け継いでいく職場環境になっている。職場の ら的確に把握・検討し、患者の声として病院 メンバーが育て合いながら共に学び成長してい くことができるこの環境は、患者への感情労働 つである。 経営にも反映させている。 ②企業における「お客様相談室」の役割;病院 を行う上で非常に重要な意味を持つ。 と患者の間に立って、様々な部門で埋もれが ちになる患者からの意見、要望やクレームを − ⑴ − 組織からの支援 部門横断的に一元管理している。関連する部 医療サービス対応事務局が組織としてクレ ーム対応を行う。 [図表 門や各種委員会・実行委員会が協力して対応 ] 策を検討することを促し、患者への誠意ある 患者やその家族からのクレーム等は、個人に のみ負わせるのではなく、組織全体の課題とし 対応を行っている。 ⑵ 「サービスの質」が評価の基準となり、報酬 て「医療サービス対応事務局」が対応している。 同事務局は、 24 にも反映される。 年に患者、地域の人々、働 医療界では最も早い時期( 年)から、成 出所:同院 H.P. 第45回日本看護学会(徳島県 2014年9月11, 12日開催)にて学会発表。 3日開催)にて研究発表。 第15回日本医療情報学会看護学術大会(岩手県 2014年8月2, ― ― 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 績評価制度を基礎とした能力・成果主義の賃金 ん。同時に、一人ひとりの心のありようと行動 制度を導入している 。川越胃腸病院では、日々 に思いをはせ、みなが健康な精神状態を保って どれだけ質の高い職務を遂行し、良質のサービ いるかを感じ取る必要があります。 」 看護師が患者に温かく接することができるの スを提供したかという観点で「成績」を捉えて は、日常的に院長自らが職員に対して隔てなく いる。 「技術も経験年数も絶対評価対象ではなく、 それを有効に使いながら『いかに患者様の満足 温かな心で接するという模範を示しているから といえるだろう。 や幸せに貢献したか、病院の仕事にいかに貢献 したか』で評価している」 。成績評価制度では − 評価基準書に基づいた能力・努力・方向性の発 黒字及び赤字病院の数の割合は、全国公私病 − 安定した経営組織、良好な職場環境 対 である。赤字で 揮・貢献度を評価し、賞与分配、昇給・昇格に 院連盟の調査によると 反映されている。特に、 「人間を全人格として あれば人件費の削減や労働時間等にも波及し、 みる洞察力や観察力に加え、表現力、コミュニ 前述の調査報告のように職場環境は厳しいもの ケーション力といった人間力ともいうべき社会 となる( ‐ 参照) 。患者への感情労働である‘ケ 適応能力が大切である。 」 としている。 アの表現’や「したい看護」を行う余裕もなく 個人評価だけにとどまらず、部門貢献度の評 なるだろう。安定した経営組織、良好な職場環 価も行っている。患者満足度調査で所属部門が 境は感情労働を行うにあたり重要な前提条件で 得られた点数によって、格差が生じる仕組みと ある。 なっており、賞与の増減に反映される。その結 ⑴ 健全な財務状況 果、サービスの質の向上を目指し、部門間の競 病院も企業である以上は、財務バランスを安 争や部内の連帯感をもたらし、組織全体の活性 定させる必要がある。同院は資金計画も含めた 化やサービス水準を引き上げる原動力にもなっ 長期戦略を踏まえ、 年スパンで計画を立てて ている。 いる。 「人件費比率は、一般には %以上とさ ⑶ れるが、同院は %くらいに抑えている。業績 経営者の見守りと感情労働の模範 院長の望月は、経営者のあり方について次の に応じた原資も公表し、そのなかで大きな傾斜 ように述べる。 「経営者自身が経営理念の真剣 をつけることにより、評価の高い人にも手厚く な実践者であることです。そのうえで、働く人 できる。原価意識を持たせるなど厳しくコスト が最低限の精神的消耗度で、個々の能力を十分 管理を徹底する一方で、必要なものに関しては に発揮し活用できる状態、活き活きと楽しく、 思い切って投資をする。その判断基準は投資に やりがいと夢をもって働ける状態を作ることで よって患者様が満足するかどうかである。 」 こ す。そのためには、五感を駆使してたえず組織 のように原価を抑え、利益率を上げる努力によ 全体を見渡し、異常な空気や不健康な雰囲気が り、 「一般に利益率が 充満していないかをたしかめなければなりませ われる中、 %前後をキープしている。 」 25 26 27 28 29 30 31 出所:望月 前掲書82−83頁、86−88頁。 出所:望月 前掲書83−84頁。 出所:望月 前掲書85頁。 出所:望月 前掲書264頁。 出所:全国病院公私連盟同盟調査資料。 出所:TKC 全国会 医業・会計システム研究会資料 筆者一部改編 出所:金津・宮永(2010)21頁。 ― ― %を超えれば優良とい 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( ⑵ 年 月) フラットかつ風通しの良い組織体制 [図表 ]ひと満足の好循環スパイラル ピラミッド型組織の病院に部門間の対立は少 なくない。その影響が看護師の職場にも及ぶこ とがある。同院は、その弊害を避けるため組織 をフラット化し、部門間の垣根を作らないよう にしている。その役割を担うのが前述した「医 療サービス対応事務局」である。同事務局は、 全ての委員会の議事録や、部門間の問題、患者 から寄せられる問題の報告を上げてもらうなど 病院の中のコーディネートの役割もある。 外部的には当初の役割である患者対応窓口と して患者と病院をつなぎ、内部では部門間をつ なぐコーディネーターとして機能している。何 出所:川越胃腸病院 H.P. か問題が起きてもオープンにし、組織全体の問 題として垣根を取り除き、原因を話し合うこと 置され、子育てと仕事の両立の支援がされて ができる。その結果、職種を超えた仲間として いる。 組織全体が一丸となって「患者満足」のために ②採用方法 採用面接の際、ホスピタリティを前提とす 力を注ぐことができる。 ⑶ る徹底した理念面接が行われる。採用面接を 経営理念を具現化した人事制度 経営者の最重要な業務と位置づけ、院長自ら ①職員価値の創造 患者満足度を高める前提としてまず働く人 が十分な時間をかけて行っている。それは、 のやる気を引き出す、職員価値の創造が必要 院長が、 「理念が職場の精神的支柱として職 であるとし、職員満足 員の心に根付き、日々の仕事に生きてこそ価 要素(①経済的満足、 ②心理的満足、③社会的満足)を掲げ、これ 値がある。 」と考えているからだ。初回の面 らを満たす仕組みづくりを考えている。具体 接では、病院の理念、医療に対する考え方や 的には、①は、努力や成果が反映される給与・ 病院づくりの基本的な考え方を徹底的に伝え、 賞与昇給・昇格、福利厚生など処遇面での満 回目以降は、さらに深く語り、双方のやり 足であり、公平性、納得性、透明性、合理的 とりを重ねていく。知能的な優秀さよりも、 な運営を目指している。②は、やりがい・働 思いやりの大きさや感性の高さ、人生におい きがいであり、仕事の質と充実感、達成感、 て大切なことを知り、深い考えのできる人、 仕事を通じての自己成長、技術や人間として 普通の常識を持っている人を採用にあたり優 の向上感、責任、評価などである。広い意味 先する。 では職場環境なども含まれる。③は、病院の ⑷ 社会的評価や実績、社会貢献により、職員に 誇りをもってもらうことである[図表 ] 。 さらに、職員のために病院近くに保育室が設 32 33 ②集うスタッフの幸せの追求、③病院の発展性 と安定性の追求[図表 出所:望月 前掲書65−66頁。 出所:望月 前掲書68−70頁。 ― 経営理念・事業方針の徹底浸透と組織風土 経営理念である①患者様の満足と幸せの追求、 ― ]に全職員がベクトル 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 を合わせ協力しかつ切磋琢磨するなかで経営理 強化している。 「したい看護」を行うときは、 念が現場に浸透し、同院ならではの組織風土を 看護部の同僚はもちろんのこと、組織全体がチ つくりあげている。現場に浸透した経営理念・ ームプレーで支援する体制がある。さらに、ク 事業方針は看護師が患者のために感情労働を行 レーム対応を医療サービス対応事務局が担うな うにあたり精神的支柱となり、拠り所にもなっ ど、部門を超えた組織全体としてのチーム力も ている。 ある。 ⑵ .考察 一定の裁量の付与 「医療は究極のサービス業」 の信念のもと、 患 者の個別性にきめ細かく対応するために看護師 − 組織的支援(三層支援)モデルと同院 における組織的支援 拙稿( の自発性を尊重し、 患者に‘こうしてあげたい’ と いう「したい看護」が可能な職場環境である。 )では感情労働から生じる対人サ 無限の裁量はかえって本人の負担感を増すこと ービス従事者の精神的負担の軽減に、①チーム になるが、 「したい看護」が病院の方向性と合 力、②適切な一定裁量の付与、③対人関係スキ 致するよう、判断基準となる明確な看護方針が ル・コミュニケーションスキルの あることにより、裁量の限度が担保されている。 点が有効で あることを明らかにした。また、この 点を強 ⑶ 対人関係スキル・コミュニケーションスキル 化、向上させるために、これらを円滑に推進さ 院長の望月は、 「人間を全人格としてみる洞 せ支援するマネジメントの存在があり、さらに 察力や観察力に加え、表現力、コミュニケーシ その背後には、経営理念、明確な経営方針、職 ョン力といった人間力ともいうべき社会適応能 場環境の整備等を通して後方から支援する経営 力が大切である。 」 と述べている。これらが患 トップの見守りがあることを指摘した。その上 者に対して、納得感、安心感をもたらす点は疑 で業種・職種を問わず有効と考えられる、対人 いなく、仕事のやりがいや「もっとがんばろう」 サービス従事者の「感情労働」における組織的 という原動力になる。さらに、看護師自身の人 支援(三層支援)の枠組みを提示した。 間的成長にもつながっている。 ここでは、川越胃腸病院の組織的支援体制に − ついて上記の枠組みを基に検討する。 − 川越胃腸病院の三層支援体制 同院では、看護現場での実践を円滑に推進さ − − 川越胃腸病院における組織的支援 背景には、経営理念とその経営実践の姿として、 体制の検討 ⑴ 「ES なくして CS なし」の基本方針がある。 チーム力 職員全員が経営理念を思考・行動の指針とし ており、組織全体が せ、支援するマネジメントの存在がある。その つのチームとして一丸と なって理念目標に向かっている。看護部におい さらに後方から、感情労働を行う職員一人ひと りの精神状態を見守り、支援する経営トップの 存在がある。 ては、看護部長の指揮の下、管理職が部下を大 以上のように同院では、組織的支援の三層支 切にしつつ看護方針に則した指導および支援を 援体制が非常に有効に機能しているといえる。 行っている。共有された看護観に基づきより良 い看護を目指し相互に議論を深め、チーム力を 34 出所:望月 前掲書85頁。 ― ― 西武文理大学サービス経営学部研究紀要第 号( − 年 川越胃腸病院独自の感情労働への支援 体制が示唆するもの 月) 師にとって大きな励みになり支えとなる。この ようなトップの姿勢は、感情労働支援のあり方 有効に機能する同院独自の支援体制は、支援 として有効なモデルとなる。 モデルを精緻化するに当たり、考慮すべき次の おわりに 点を示唆している。 ⑴ クレーム対応を個人のみに委ねるのではな 本稿の目的は、前稿で作成し感情労働におけ く、 「医療サービス対応事務局」が組織とし て対応を行っている。 る組織的支援(三層支援)モデルの具体化・精 クレーム対応では感情労働の中でもストレス 緻化を考察することである。そこで業種、職種 の高い‘表出抑制’を使う場面が多くなり、精 を問わず導入可能と考えられる 神的負担が指摘されている( ‐ 参照) 。組織と する。 して対応することにより、看護師の負担を軽減 ⑴ つの点を提示 感情労働の負担が大きいクレーム等を個 することになる。さらに、同事務局は各部署か 人の対応にのみ委ねるのではなく、組織と らの兼任スタッフで構成されており、組織全体 して対応する仕組みを作る。 ⑵ でクレームについて情報共有できる効果的仕組 感情労働という可視化しにくい業務への みになっている。 評価は容易ではない。但し、川越胃腸病院 ⑵ の評価及び報酬に反映させる仕組みや考え サービスの質が評価され、 報酬に反映される。 方は、業種・職種ごとの特殊性はあるもの 評価の視点は、質の高い職務遂行と共に、い の導入を検討するに値する。 かに患者の満足や幸せに貢献し良質のサービス ⑶ を提供したかにある。感情労働は周囲に可視化 感情労働者に対しては、CS と同等以上 しにくく評価の対象にならないことが多い中で、 の ES のための仕組み作りが最優先課題で 同院の取組みは特筆に値する。患者満足度調査 ある。 ⑷ などの結果をも利用した同院の評価・報酬制度 自発性を活かす仕組みづくりと、 ‘丸投 は看護師にとって感情労働を行う上で励みにな げ’にならないよう、チーム及び管理者の る。 的確な管理・支援が必須である。また、裁 量の基準も明確にする必要がある。 ⑶ 「ES なくして CS なし」が徹底されている。 ⑸ 患者への感情労働を伴うホスピタリティ溢れ 経営者の感情労働者に対する理解、励ま る対応の背景に、その原動力として看護師自ら し、見守りが非常に効果的である。但し、 が仕事にやりがいを感じ、充実感・満足感を得 これは経営者自身の姿勢・信念・理念に拠 ていることが重要である。顧客満足の前提とし るところが大きい。 て前述のように職員満足の仕組みが整備されて 同時にこれらの いる。 ⑷ 「したい看護」をチーム全体・組織全体で つの点は、感情労働を行う ことにより顧客から肯定的反応を引き出すこと 支援している。 にも、感情労働による精神的負担の軽減のどち 個人で行うだけではなく、チームプレーで行 らにも有効に機能すると考えられる。 うという点が重要である。 ⑸ トップ自らが的確に対応・支援している。 本稿では、感情労働者への支援体制を 数年 トップ自らが職員全員の精神状態を注意深く かけて構築・定着させてきた川越胃腸病院を事 見守り、声をかけ、気遣いを示すことは、看護 ― 例として取り上げた。同院は、職員数 ― 名の 感情労働における「組織的支援モデル」精緻化への一考察 組織でトップが全体を見守り統括できる規模で ある。 今後はさらに業種・職種の特殊性や企業規模 に合わせた支援体制のあり方、構築期間の短縮 化の取組みなどを検討することが課題となる。 謝 辞 本研究は JSPS 科研費の助成を受けたもので す。 参考文献 Hochschild, Arlie R. (1983). The Managed Heart: Commercialization of Human eling. University of California Press.(石川准・室伏亜希訳 『管理される心―感情が商品になるとき―』世界 思想社, 年) . 片山はるみ( ) . 「感情労働としての看護労働が 職業性ストレスに及ぼす影響」 『日本衛生学雑誌』 , − . 金津佳子・宮永博史( ) . 『全員が一流を目指す 経営』生産性出版. 望月智行( ) . 『いのち輝くホスピタリティ−医 療は究極のサービス業』文屋. 日本医療労働組合連合会( ) 「看護職員の労働 実態調査報告書」 『医療労働』臨時増刊, − . 荻野佳代子・瀧ヶ崎隆司・稲木康一郎. 「対人援助 職における感情労働がバーンアウトお呼びストレ スに与える影響」 『心理学研究』 ( ) , − スミス・パム/武井麻子・前田泰樹訳( ) . 『感 情労働としての看護』ゆみる出版. 武井麻子( ) . 『感情と看護:人とのかかわりを 職業とする意味』医学書院. ( ) . 『ひと相手の仕事はなぜ疲れるの か−感情労働の時代』大和書房. 田村尚子・牛島光江・菊池英雄・松坂健( ) 「 .対 人業務における感情労働の実態と課題―中間報告 ―」 『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』 , − . ― 田村尚子( ) . 「対人サービス従事者の感情労働 に対する組織的支援のフレームワークに関する一 考察」 『西武文理大学サービス経営学部研究紀要』 , − . ( ) . 「ホスピタリティ性を求められる 対人サービス従事者の『感情労働』における組織 的支援モデル」 『西武文理大学サービス経営学部 研究紀要』 , − . Tolich, Martin B. (1993). Alienating and Liberating Emotions at Work: Supermarket Clerks’ Performance of Customer Service. Journal of Contemporary Ethnography, 22 (3), 361−381. Wharton, Amy S. (1993). 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