日本英語表現学会 第 43 回全国大会 研究発表・講演・シンポジウム要旨集

日本英語表現学会 第 43 回全国大会
研究発表・講演・シンポジウム要旨集
第 1 日目:2014 年 6 月 28 日(土曜):武蔵大学江古田キャンパス(東京都練馬区)
<研究発表>
第一会場:1 号館 1403 教室
第二会場:1 号館 1405 教室
第三会場:1 号館 1404 教室
* 記念講演は 1 号館 1401 教室
第 2 日目:2014 年 6 月 29 日(日曜):武蔵大学江古田キャンパス(東京都練馬区)
テーマ:翻訳と表現
<研究発表>
第一会場:1 号館 1403 教室
第二会場:1 号館 1405 教室
第三会場:1 号館 1404 教室
* シンポジウムは 1 号館 1401 教室
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第 1 日目 【目次】
研究発表
■ 第一会場(1 号館 1403 教室)
Thomas Hardy の詩的言語―不調和の調和―
…………………………….….......…並木
幸充 (東京理科大学)p.4
Strange Interlude における thought aside の言語的特徴
……………………………能勢
卓 (京都聖母女学院短期大学)p.5
日本人英語学習者の等位接続詞の使い方
……………………….…..伊藤
文彦 (群馬工業高等専門学校) p.6
–tion 接辞名詞における形式と意味
……………………….……川﨑
(日本赤十字看護大学) p.7
修一
■ 第二会場(1 号館 1405 教室)
be going to do の命令用法について
………………………………...多田羅
平 (広島大学大学院生) p.8
子供の現在時制の発達と言語変化
……………………………………..……関田
誠 (東海大学)p.9
日本の城郭に見られる英語案内板の表記
…………………………………..…....…..福島
一人 (文教大学)p.10
■ 第三会場(1 号館 1404 教室)
不定名詞句の特定的・非特定的な読みについて
……………………………………谷澤
優 (東海大学大学院生)p.11
台湾の大学における英語自律学習の実態調査
…………………………………………..佐竹
幸信(早稲田大学)p.12
早期英語教育における絵本の活用の可能性
……………………………………河内山
有佐 (和洋女子大学)p.13
記念講演:「舞台上演翻訳の実際」
……………………………………..…小田島
3
(1 号館 1201 教室)
恒志(早稲田大学)p.14
第 1 日 6 月 28 日(土)第一会場
14:00 より
並木
幸充 (東京理科大学)
Thomas Hardy の詩的言語―不調和の調和―
近年では、Thomas Hardy の詩を批判する論はほとんどなくなったが、ハーディ最初の2つの詩集、
Wessex Poems と Poems of the Past and the Present が出版されたとき、ほぼ全否定に近い批判が浴びせら
れた。
「詩の目的が統制のとれた永続的美」(Clarke 1: 363) を表現することと考えた同時代の批評家たち
にとり、ハーディの詩は、あまりにも伝統を逸脱したものだったからである。感情過多、構想力の欠如、
ペシミズムに染まった哲学など、欠陥とされる点が当時の書評で指摘されているが、とりわけ集中的に
批判されたのが、“awkward” や “harsh” と形容されるその詩語と不調和なリズムであった。
確かに、900 編以上あるハーディの詩を通読してみると、程度の差はあれ、diction と rhythm に関し
ては、常識的な目で見た場合、“harsh and rough, uncouth and uncanny” (Cox 332) といった面があるのは否
定できないし、特にその種の側面は最初の2つの詩集に顕著である。しかし、ここで重要なことは、そ
うした欠陥とされるものが、必ずしもハーディの詩の芸術的効果を損なってはいないという点である。
そこで考察したいのは、もし欠陥が長所になり得るとすれば、それはいかなる点でハーディの詩的芸術
の創造に寄与しているのか、という問題である。
従来、ハーディの最良の詩は、ほぼ批評家の見解が一致しているように、
「日常的で個人的な現実世界
を見つめ、思い起こした叙情詩」(Hynes, Introduction xxvi)、
「偶然の盲目性、愛の痛切さと絶望、そして
時の残酷さを描く回想詩」(Clarke 2: 219) であるとされた。“Poems of 1912-13” という Emma Hardy へ
の追憶詩は、その意味で最良の詩と言えよう。しかし、
「芸術とは、偽りのものによって、真実なるもの
の効果をいかに生み出すかの秘法」(Hardy 216) であり、
「連想の美は外見の美に優り」、
「醜さの中に美
を見いだすことが詩人の領分」(Hardy 120, 213) と考え、
「偶発性の原理」(Hardy 301) を重んじたハーデ
ィの芸術観を踏まえると、
従来的価値観とは異なる側面から、
ハーディの詩を考察する必要がでてくる。
つまり、使い古された言葉やリズムだけに頼らず、むしろより耳障りでぎこちない言葉、あまり洗練さ
れない田舎の方言、
そして不調和とも思われる韻律そのものが持つ機能について、
考察すべきであろう。
今回の発表では、ハーディが意図的に採用したとされる、ぎこちない言葉や表現、前面に出された方
言、そして不調和な韻律などの使用が、詩を物語っていく語り手の特異な心理状況と密接にかかわって
いる点に注目し、それらが一定の詩的効果を上げていく過程を検証していくことにする。そしてその中
で、ハーディが、人間の持つ自己正当化や防衛本能と、晦渋で逡巡とした言語のぎこちなさを結合する
ことで、調和がないところに、一種異様な調和を作り出していることを確認し、不調和の調和という詩的
空間を通して実現される、過酷な人生、見栄えのしない生活の中に映し出される人生の真実や美を、模
索していきたいと思う。
4
第 1 日 6 月 28 日(土)第一会場
14:40 より
能勢
卓 (京都聖母女子短期大学)
Strange Interlude における thought aside の言語的特徴
Eugene O’Neill (1888—1953)の Strange Interlude (1928)は全 9 幕で構成され、初演時の上演では 6 時間弱
を要した大作である(Bogard, 1972)。作品それ自体の物理的長さに加えて、soliloquy や thought aside (心理
傍白)の使用のために、Strange Interlude は作品が冗長なものになってしまう危険性を孕んでいた。しか
し観客の注意を舞台上で展開される虚構の Strange Interlude という物語世界に引きつけることが出来た
からこそ、この作品は 426 回ものロング・ランを博したのだと考えられる。Strange Interlude における
thought aside の使用に関しては、先行研究において様々な議論がなされてきたが、特に次の 5 点が多く
の研究者の関心を集めてきた:(1) thought aside の解説的機能 (Tiusanen, 1968; Törnqvist, 1969); (2) thought
aside が舞台上に秘密めいた雰囲気を作る手助けとなっている点 (Tiusanen, 1968); (3) thought aside の中で
登場人物の心の中に間断なくあふれ出る思考や感情が表されている点 (Tiusanen, 1968; Törnqvist, 1969;
Dahl, 1970; Dubost 1997); (4) dialogue 上の台詞で他者に述べられる外面的な言葉と thought aside で表され
る内心の思いとの乖離が舞台上に表されている点 (Tiusanen 1968; Törnqvist 1969); (5) 外的 dialogue と内
的 thought aside という性質の異なる二つの台詞を用いることにより、dialogue と thought aside の二つの時
間体系が一つの舞台上に表されている点 (Bogard, 1972)。
Strange Interlude に関する先行研究において、thought aside と dialogue 上でやりとりされる台詞の双方
について多くの研究者が様々な議論をし、また Dahl (1970)や Dubost (1997)においては thought aside の言
語的側面に関する分析や示唆に富む見解が示されることはあったが、この thought aside と dialogue 上の
台詞の両者の文体的差異に関しては、十分な議論がなされてきたとは言い難い面がある。そこで本発表
において、thought aside と dialogue 上の台詞の言語的特徴の差異に関して、それぞれを構成する語彙の
違いと、文構造の違いに着目して分析と考察を加えていく。今回の発表においては、thought aside と
dialogue 上の台詞を分析する為に作製した Strange Interlude の自作コーパスを用いて、語彙と文構造に関
する分析と考察を加えていく。本発表の分析と考察を通して、Eugene O'Neill が、一面的には捉え切れな
い人間の精神内奥の葛藤の重層性を舞台上に表出するために、thought aside において行った言語的工夫
の一端を明らかにしたい。
5
第 1 日 6 月 15 日(土)第一会場
15:20 より
伊藤
文彦 (群馬工業高等専門学校)
日本人英語学習者の等位接続詞の使い方
1. はじめに
等位接続詞(for, and, nor, but, or, yet, so)は、前文(S+V)と後文(S+V)を連結し、その文の論理関係や意味
関係を表すことができる(例 <S+V, and S+V.>、<S+V, but S+V.>、<S+V, so S+V.>)。アカデミックライテ
ィングにおいては初歩的な表現なので、英語による表現力の育成に力を入れている米国では、小学校低
学年のうちから、これらの重文が教えられている。一方、日本人英語学習者のアカデミックエッセイの
中には、これらの等位接続詞を文頭で使用するインフォーマルな表現例が頻繁に見られる(Izzo, 2000; 小
林, 2009a, 2009b)。例えば、<S+V. And S+V.>、<S+V. But S+V.> 、<S+V. So S+V.>というように、前文文
末にはピリオドを書き、続けて And、But、So を後文の文頭に執筆するのである。そこで本研究は、等
位接続詞の習得研究の一例として、アカデミックライティングにおける日本人英語学習者の等位接続詞
の執筆傾向を調査することにした。
2. 方法
参加者は日本の中等教育で英語を学んできた 84 名の高等専門学校 4 年生(大学 1 年生相当)である。
ETS
(Educational Testing Service)によって作成された TWE (Test of Written English)の作文課題を用いて、これら
の学生に英語作文を書いてもらった。実施方法は TWE の手順に倣い、制限時間を 30 分とし、辞書の使
用は認めなかった。作文課題は以下の通りである。
Preferred Teacher Style
Some people learn best when a classroom lesson is presented in an entertaining, enjoyable way. Other people
learn best when a lesson is presented in a serious, formal way. Which of these two ways of learning do you
prefer? Give reasons to support your answer.
3. 研究課題
(1) 等位接続詞(for, and, nor, but, or, yet, so)を文頭で使用するインフォーマルな表現の執筆頻度を調査す
る(例 <S+V. And S+V.>、<S+V. But S+V.>、<S+V. So S+V.>)
(2) 等位接続詞(for, and, nor, but, or, yet, so)を文中で使用するフォーマルな表現の執筆頻度を調査する(例
<S+V, and S+V.>、<S+V, but S+V.> 、<S+V, so S+V.>)
なお本研究では、参加者が使用していた検定教科書における等位接続詞の使われ方についても調査し、
研究課題結果と比較する予定である。
4. 結果・考察
結果および考察は当日発表する。
6
第 1 日 6 月 28 日(土)第一会場
16:00 より
川﨑
修一 (日本赤十字看護大学)
–tion 接辞名詞における形式と意味
本発表では、川﨑(2013)で提案された、‘description’ 等の接辞 –tion を持つ名詞(以下 T-noun)に
関する指導モデル (1) を基に、(2) の問題を検討する:
(1) 以下の 5 つの形式において[1]-[4]はコト・モノ両解釈が可能であり、[5] はコト解釈
のみが可能である:
[1] a + T-NOUN (+ PP): e.g. a development of the law
[2] the + T-NOUN (+ PP): e.g. the description of Wonderland
[3] one’s + T-NOUN (+ PP): e.g. his collection of strange-looking rocks
[4] T-NOUNs (+ PP): e.g. e.g. careful descriptions of speech
[5] Zero-T-NOUN (+ PP): e.g. recognition of Croatian independence
(2) a. -tion 接辞名詞の冠詞の有無や単数・複数はいかに決定されるか
b. コト・モノ解釈とどのような関係があるのか
(1) のモデルは、学習者が容易に理解できることを目的とした“シンプルな”指導モデルである。しかし、
形式上の組み合わせの可能性のみを指摘するに留まった結果、1つの大きな問題として、
「同じ解釈であ
ってもなぜ異なる形式が可能なのか」という課題が残った。例えば、次の両例は、どちらもコト解釈と
考えられるが、定冠詞の有無に違いが見られる:
(3)
a. The poor or absent recognition of cp27 and cp28 may result from the charge
change at position 5 of the peptide preventing binding to HLA-B35. (BNC)
b. It is suggested that recognition of this distinction is fundamental to the efficient
and economical design and execution of stability tests. (BNC)
また、次の 2 例は、どちらもモノ解釈であるが、単数・複数の違いが生じている:
(4)
a. There are many important collections of charters, leases and other capitular works,
maps, cartularies, deeds, manorial records and so on, of pre-Reformation properties. (BNC)
b. He does this with the aid of a collection of 160 photographs which graphically show
the results that may be obtained.
このような形式上の相違は、どのようにして生まれるのであろうか。もちろん冠詞の一般的な性質が大
きく関わっていることは言うまでもないが、本発表では特に T-noun の文法機能上の位置(主語、目的
語、補語)
、後続する前置詞句といった要因にも注目し、(2) の研究問題を検討する。
7
8
第 1 日 6 月 28 日(土)第二会場
14:00 より
多田羅
平 (広島大学大学院生)
be going to do の命令用法について
英語において,命令を下す表現として用いられるのは,通例,命令形であるが,命令形以外の表現を
用いて命令を下すことも可能である。その表現の一つとして挙げられるのが,be going to do である。be
going to do は人称主語と共に用いて,
「決定済みの意図」を表す機能を持つが,二人称主語と共に用いた
場合,話し手の意図を一方的に二人称に対して押し付けることにより,語用論的に「命令・指示」の機
能を持つことがある。be going to が命令の機能を持つことは多くの研究者に認められているものの,ど
ういう場合に be going to が命令の機能を発揮するのか,すなわち,be going to が命令を表す用法として
解釈される条件については,現在明らかとなっていない。
従って,本研究の目的は,be going to を用いた用例の中で命令の意味を表す用例を分析し,be going to
が命令の解釈を得られる条件について考察することである。なお,用例収集の手段として,約 5 億 5300
万語を収録する大規模コーパス WordBanks Online を使用する。
はじめに,命令の機能をもつ be going to に関する先行研究を概観し,そこで取り上げられている用例
について調査した。安藤 (2005: 102),Coates (1983: 203),Swan (2005: 214) はそれぞれ,[1] You’re going
to do as I tell you. [2] You’re going to do this job for me without any more argument. [3] You’re not going to
play football in my garden. を用例として使用していた。[1]においては as I tell you,つまり「自分の言う通
りに」という表現が使用されており,
「有無を言わさず相手に自分の指示に従わせる」ことを明示した結
果,be going to に命令の機能が与えられたものと考えられる。[2]の場合,without any more argument「異
論を唱えることなく」という表現から,
「聞き手の選択する余地をなくす」という読みが与えられ,一方
的に要求を押しつける命令の解釈を得られると考えられる。[3]の場合,in my garden という「特定の領
域」が副詞句として現れ,その領域内での行為に言及していることが,命令の解釈を生みだす引き金と
なっていると考えられる。しかしながら,これらの用例には十分な文脈が与えられておらず,be going to
が命令を表す用法として機能する場合があることを示すには,まとまった文脈を提示された上で用例を
分析する必要がある。
そこで,
上記の WordBanks Online を用いて用例検索を行い,
文脈を考慮に入れた上で用例を分析する。
当コーパスにおいて be going to の用例を検索したところ,15,714 例が得られた。これらの用例を個別に
分析・検討し,be going to が命令の解釈を引き起こす条件について議論する。
9
第 1 日 6 月 28 日(土)第二会場
14:40 より
関田
誠 (東海大学)
子供の現在時制の発達と言語変化
本研究では、子供の英語の獲得過程(2 歳前後)で観察される RI stage という発達の中間段階の存在
意義を明らかにするため、成熟度仮説(Radford 1990)を元に、子供の言語発達と一般の言語変化(進化)
を比較し、この発達段階の意味を探る。特に「現在」を表す表現の動詞句の Aspect に注目し、成熟度仮
説が示唆するように「子供の言語発達と一般の言語変化は類似し、RI stage は必然である」という仮説
を立て検証を行う。
RI stage とは子供が「時間(過去や現在)
」を伴う表現をする際に、本来なら finite を使う、つまり時
制を付ける文脈で、nonfinite(時制無し)も同時に使用するため、両者が混在してしまう中間段階であ
る(Hyams 2007)。 例えば nonfinite では、主語が文脈上 she でも‘Play # play ball with him’ (Hyams 2007,
p235)と、plays や is playing と言わずに「現在」の状態を表現する。この発達段階が何故存在するかを説
明するのにあたり成熟度仮説が提唱されている。言語発達段階は遺伝的にプログラムされており、人間
が立ち、歩くように発達していくというものである。もし人間の成長が進化の過程をたどるならば、言
語発達もそうであると考えられる。立証できれば、言語発達を遺伝と進化に結びつけて考えることがで
き、さらにはより詳細な発達過程の提示が期待できる。
まず、現在時制の発達及び一般的な言語変化には次のような特徴が見られる。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
「位置情報」
、
「観察可能性」と「動作の最中」といった意味を含む語が「現在」を表す表現の元
になっている(Bybee et al. 1994)
「進行中」という意味から「習慣的(一般的)」に発達していく(Bybee et al. 1994)
Layering (A => A / B =>B) と言われる、構造 A が新たに構造 B に発達する段階で A と B の構造
が共存する(Hooper and Traugott 2003)
発達初期では、構造やそれが持つ意味はある特定の動詞の種類に限定されるが、やがて全ての動
詞の種類に適用される(Hooper and Traugott 2003, Bybee et al. 1994)
同じ意味領域内で、新しい構造 B が発達して古い構造 A が保持していた意味を持ち始めると、
構造 A はそのまま同じ意味を保持し構造 B と共存するか、又はその意味領域内に存在し得る構
造 B とは別の意味を持つようになる(Bybee et al. 1994)
上記の特徴から予測される、次に示す特徴が実際の子供のデータにあるかどうかを、CHILDES Corpus
(MacWhinney 2000)を使用して、検証する。
(6)
(7)
(8)
(9)
「進行中」、つまり「終点がない出来事」(=[-telic])が現在表現として主に使用され、初期段階で
は現在表現は原則[-telic]に限定される。形は bare (=nonfinite) form、意味は「進行中」。
V –ing の形の発達に伴い、Bare form は「進行中」と「習慣的」な意味を持ち始めるが伴う動詞
は Bare も ing も[-telic]に限定される。
「進行中」の意味は V –ing で、「習慣的」は Bare もしくは finite で表されるようになる。Bare
から Finite に移行するにつれて[+telic]も使用されるようになる。
言語発達は(6) => (7) => (8)へと進むが、転換期にはそれぞれの構造が入り混じる。
最後に、実際のデータを元に、仮説の妥当性を議論し、結論を出す。
10
第 1 日 6 月 28 日(土)第二会場
15:20 より
福島
一人 (文教大学)
日本の城郭に見られる英語案内板の表記
2020 年に東京でのオリンピック開催が決定し、さらなる外国人観光客の増加が見込まれ、日本の名
所・旧跡においては、特に英語案内板の質的、量的充実が望まれるようになっている。このことは、日
本人観光客の増加にもつながる。
福島 (2011.1) (2011.9) (2012.7) (2013.1) (2014.1) では、
「事例報告」として、日本の名所・旧跡に数え
られる、重要文化財に指定された天守を有する 12 城郭の現地案内板に検討を加えてきた。
本発表では、以上の事例報告に基づき、現地で見られた 案内板について再度検討を加える。案内板
は、
「一般的なもの」
、
「城郭の一般的事物のもの」、
「当該城郭に特有なもの」に分類する。
そして、主に以下の 5 点に焦点を当て、いくつかの現地英語案内板の修正、あるいは作成を提案する。
●文法的に誤りの例の修正(例)
「回縁(まわりえん)へは出ないでください」
:
*Don’t step into a verandah.→Do not step onto the veranda.“verandah”は米国綴りにする。
●城郭の部位を表す用語の統一(例)
「櫓(やぐら)
」
:tower とするか、 turret とするか
●日本語の案内板、あるいは、史実などと矛盾する例の修正
(例) The castle (=Matsue Castle) was built in 1611 by Horio Yoshiharu who took five tears (1607-1611) to
complete.→ Horio Yoshiharu began to work on the construction of the castle in 1607, originally to make it a
residence after his retirement. Yoshiharu died just before the castle was completed in 1611.
The main bailey is the last bastion of defense of the castle and is surrounded by a 10m high stone wall.→The
main bailey, which is located on the foundation along the perimeter of which there are stone walls over 10m
high, is the last bastion of defense of the castle.
●英語案内板の作成(例)
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
:.
Just a short note to tell you. Watch out for fire. Don’t make lady O-sen cry. Take care of the horses.
●固有名詞などの英文字表記:日本語学習者の便宜上、平仮名化し、ローマ字入力するものを使用する。
(例)
「備中松山城(びっちゅうまつやまじょう)」
:BTCHU MATSUYAMA CASTLE→BICCHUU …
「高知城(こうちじょう)
: Kochi Castle→Kouchi …
接頭語の後にはハイフンを入れる。
「お仙」
:O-sen
普通名詞などの英文字表記:上記に合わせる、かつ、イタリック体にする。
(例)
「石落し」
:
Ishiotoshi→Ishiotoshi
ネイティブチェックは David Martin にお願いした。画像はすべて、現地にて発表者が 2009 年から 2012
年にかけて撮影したものである。
11
第 1 日 6 月 28 日(土)第三会場
14:00 より
谷澤
優 (東海大学大学院生)
不定名詞句の特定的・非特定的な読みについて
不定名詞句には、特定的な読みと非特定的な読みの二種類がある。一般的に、(1)のような want の範
囲にある不定名詞句 a fish には特定的な読みと非特定的な読みがあるとされている(安井 1987)。特定
的な読みとは、ジョンが捕まえたがっている魚が現実世界に存在するように解釈する場合であり、非特
定的な読みは、そのような魚が現実世界に存在するという含意はない。非特定的な読みが可能になる文
脈としては、他にも否定や疑問などの範囲に不定名詞句が置かれる場合に可能である。
先行研究においては、定名詞句と不定名詞句の統語構造は異なると考えられている。つまり、定冠詞
the と不定冠詞 a/ an は名詞句中で異なる位置を占めると考えられている(Lyons 1999)
。しかし、不定冠
詞が特定的か非特定的かの解釈による統語構造の違いは考慮されておらず、どちらも同様の構造をして
いると考えられている。
本発表では不定名詞句の統語構造が解釈によって異なるということを示すために、Degree Inversion(以
下 DI)や Negative Degree Inversion(以下 NDI)と呼ばれる現象を用いる。DI とは、(2)のように as、so、
too のような程度詞と呼ばれる語句が名詞句中に用いられる場合、名詞句中に倒置が義務的に起こるこ
とであり、倒置を起こさない場合は非文となる。NDI とは、(3)のように英語の一部の方言に見られる現
象で、通常は名詞句中に倒置を起こさない very なども、否定の範囲内にある場合、DI と同様に倒置を
起こすという現象である。また、(2)に見られるように、DI、NDI 共に、一部方言に前置詞 of を挿入す
ることもある。
DI や NDI を含む名詞句の文中における分布は、通常の名詞句の分布とは異なっている。例えば、(4)
のように過去形の文の主語位置や、目的語の位置に置くことはできない。また、(1)に示したように特定
的な読みと非特定的な読みができるはずの want の目的語の位置であっても、(5)では非特定的な解釈し
か許されない(Troseth 2009)
。このことから、DI や NDI の不定名詞句は非特定的な読みのみが可能であ
るということが分かる。
上記のように、DI や NDI には前置詞 of が出現することがあり、他言語の非特定的な読みをする場合
に出現する属格と同じものであると仮定することができる。これらの言語では、DI や NDI のような名
詞句だけでなく、通常の非特定的な読みをする不定名詞句も属格にもなることから、(1)の a fish のよう
な英語の非特定的な読みの不定名詞句も、同様の構造(of a 名詞)をしていると想定する。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
John wants to catch a fish.
Attila is too good (of) an athlete.
John is not very good a student.
*Not very good a student walked in.
Marisa wants too strong (of) an espresso to ever be satisfied in this place).
12
第 1 日 6 月 15 日(土)第二会場
14:40 より
佐竹
幸信 (早稲田大学)
台湾の大学における英語自律学習の実態調査
世界的な風潮として、外国語教育の分野で「自律学習」という概念が徐々に浸透してきていることは
確かだが、欧米に端を発するこの概念は、いまだ日本人の間ではあまりなじみがない。
「自律学習」とは
基本的に、
「学習者が自分の学習に対して責任をもつ」ことを意味する。すなわち、学習者自身が自分の
学習目標を決め、自分の学習環境(ペース、教材等)を管理し、自分の学習達成状況を評価する。しか
し、日本の英語教育では、伝統的に学習者の学習を管理してきたのは教師であり、今でも多かれ少なか
れそうした風潮は残っているといえるだろう。
一方、台湾の英語教育はどうであろうか。台湾が、日本と同様、英語教育熱が非常に高い国であるこ
とはいうまでもない。特に台湾における英語の早期教育は、日本よりもはるかに進んでいる。例えば、
台湾では 2001 年に、小学校段階における英語教育が必修化されたが、日本においてそれが実施されたの
は、それから 10 年も経った 2011 年のことである。こうした制度的側面で台湾が日本より進んでいるこ
とは確かだが、それ以外の点でも何か違いがあるのではないだろうか。例えば台湾の英語学習者の自律
学習に対する態度や姿勢が、日本人のそれと違うのではないだろうか。
こうした仮説の真偽を確かめる為、台湾の現地の大学に赴き調査を行った。調査は、2013 年の 12 月
12 日から 14 日にかけて、台湾南部の台南市にある国立成功大学の主として大学一・二年生と彼らの英
語教師を対象に行われた。国立成功大学は、台湾の中でもトップクラスに位置する国立大学の一つで、
特に理工系分野で有名である。必修の語学クラス(EGP クラスと ESP クラス)は能力別に分けられ、一
つのクラスに様々な学部に所属する学生達が集まる。したがって今回調査対象者となった学生の専門分
野も様々で、例えば、law、mathematics、chemistry、physics、urban designing 等多岐にわたる。調査方法
としては二つの段階をふみ、最初にアンケートを実施し(対象学生:97 人、対象教師:full-time teacher10
人中 6 人)
、彼らの自律学習に関する意識や実践についての調査を行い、次に数人の学生及び教師を対象
に、アンケート結果等について更に踏み込んだインタヴューを行った。アンケートの質問としては、
「今
自分で取り組んでいる/過去に自分で取り組んだ学習はあるか?それは何か?その目的は?」、
「自律学
習は外国語学習に効果的だと思うか?それはなぜか?」、
「自律学習を授業に取り入れているか?それは
どのような方法でか?」等がある。こうした調査結果から、カリキュラム編成等の問題点が浮上してき
た。本発表では、主として彼らのアンケートとインタヴュー・データをもとに、台湾のトップ大学にお
ける英語の自律学習の実態と、そこから得られる日本英語教育界にとっての教育的示唆等について言及
する予定である。時間が許せば、日本のデータとの比較も行う予定である。
13
第 1 日 6 月 15 日(土)第三会場
15:20 より
河内山
有佐 (和洋女子大学)
早期英語教育における絵本の活用の可能性
文部科学省は、2013 年 5 月に公表した教育再生実行会議 3 次提言において「グローバル化に対応した
教育環境づくりを進める」方針を盛り込み、小学校の英語学習の抜本的拡充に伴う英語学習の早期化、
教科化、少人数指導体制の整備を検討することを表明した。すでに小学校では 2011 年度に新学習指導要
領が全面的に実施され、5,6 年生で「外国語活動(英語)」という名前の下、週1回英語が必修化され
ている。一方、早期に英語活動を経験した子どもほど、中学生になると英語が楽しいと受け止められな
いと感じるようになるという状況も報告されている(川崎市総合教育センター
2003)。
このような早期英語教育による「英語嫌い」を増やさないためには、英語を使ってクラスメートや教
師と関わり合いながら、自分の想いを伝える楽しさを感じるような授業づくりへの取り組みが必要であ
る。実際、現在の学習指導要領における外国語活動の目標としては、
「外国語を通じて、言語や文化につ
いて体験的に理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、外国語の音
声や基本的な表現に慣れ親しませながら、コミュニケーション能力の素地を養う」ことが掲げられてい
る。小学生が楽しみながら初歩的な英語を習得し、異文化理解や言語に対する関心を深めつつ、実践的
なコミュニケーション能力を伸ばすことができるようになることを目的としているが、これらの目的が
英語で書かれた絵本を使用した授業で実現できるのではないかと考えられる。
本研究では、なぜ絵本をリーディング教材として利用することが意義あるのか、そして具体的にどの
ように利用すれば効果的であるのかについて考察する。まず、絵本を活用した大学生向けの授業のパイ
ロットスタディを実施し、学生アンケート調査に基づいてその効果を分析する。次に、活動計画・活動
内容や方法、教材等について具体案を示す。
14
■ 記念講演者:小田島
恒志 氏プロフィール■
● 略歴:
1962 年東京生まれ。早稲田大学で英文学を学び、ロンドン大学クイーン・メアリー・アンド・ウエス
ト・フィールド・カレッジでは、現代英文学を専攻し、修士号を取得。1991 年から千葉大学、専修大学、
和洋女子大学などで非常勤講師、1993 年からは中央大学の専任講師、助教授、1996 年から早稲田大学の
専任講師、助教授となり、現在は同大学の教授としての職務にあたっている。
D.H.ロレンスを専門とし、彩流社から 2002 年に出版された共編著の『ロレンス文学鑑賞事典』を始め、
多くの業績を誇る。
現代演劇の上演のための翻訳にも力を入れており、1996 年には「What a Sexy Dinner!」
「GHETTO/ゲッ
トー」
「FUNNY MONEY」の翻訳により湯浅芳子賞を受賞。
● 主要業績:
著書
・
『ロレンス文学鑑賞事典』
(共編著)
、彩流社、2002 年
論文
・
「上演翻訳におけるジェンダー意識」『演劇研究センター紀要』II、p375-382、2003 年
・
「『ホルロイド夫人やもめになる』について」『英文学』第 84,p.34-46、2002 年
・
「劇作家D.H.ロレンス」『英文学』第 83、p.1-13、2002 年
・
「なぜサイスンは躓くのか」『英文学/早稲田大学英文学会』79、p.101-113、2000 年
・
「イギリスの演劇」『せりふの時代/小学館』13、p.78-81、1999 年
舞台翻訳
・
『Be My Baby ~いとしのベイビー』、ケン・ラドウィッグ作、共訳、2013 年 11 月、本多劇場
・
『ピグマリオン』、バーナード・ショー作、2013 年 11 月、新国立劇場
・
『FOREVER PLAID』、スチュワート・ロス作、共訳、2013 年 7 月、東京グローブ座
・
『マイ・ロマンティック・ヒストリー~カレの事情とカノジョの都合~』、D・C・ジャクソン
作、2013 年 8 月、シアタークリエ
・
『LOVE, LOVE, LOVE』、マイク・バートレット作、共訳、2013 年 8 月、青年座劇場
・
『遺産と誤算の狂騒曲 ~華麗なるダマしあい~』
、ウィル・エヴァンズ、アーサー・ヴァレン
タイン作、2013 年 4 月、共訳、水戸芸術館 ACM 劇場
舞台演出
・
『短篇集』、D.マーグリーズ作、2005 年 3 月、三都企画制作/草月ホール
・
『ホルロイド夫人、夫を亡くす』
、レーディング、D.H.ロレンス作、2012 年 6 月、日本ロレン
ス協会/成城大学
・
『アウト・オブ・オーダー』
、レイ・クルーニー作、2012 年 10 月、あかぺら倶楽部/東京芸術
劇場シアターウエスト
これまで手がけた上演戯曲翻訳は約 85 本にのぼる。
15
記念講演要旨
第 1 日 6 月 28 日(土)1 号館 1201 教室
17:00 より
舞台上演翻訳の実際
小田島 恒志 (早稲田大学・翻訳家)
これまで、
学術研究とは別に、
実際の舞台上演を前提とした戯曲の翻訳を 85 本ほど行ってきた経験から、
そうした作業で見えてきたこと、気付いたことを列挙していきます。
<はじめに> ― セリフを翻訳するということは、時には極端な「意訳」になることもある。例えば、
「I love you.」というセリフを「私はあなたを愛しています」と訳すことはまず考えられない(もっとも、
遺書の文面だとか、録音された声だとか、特殊な場合にはあり得ないこともないが。
)たいてい、主語や
目的語を省略して「愛してます/愛してる/好きです/好きだ/好っきやねん etc」など、一言で表す
ことが多い。目的語を残して「あなたが好き」と言うこともあるだろう。
一方、ベケット以降、現代英米劇ではセリフが文ではなく語や句で(一言で)表わされるものが増え
てきた。
「I…」とだけ言って黙ってしまうようなセリフだ。ここで、もしこれを「I love you.」と言いか
けてやめたのだと解釈したらどうなるか。
「私はあなたを愛しています」ではないのだから「私は・・・」
と訳すわけにはいかない。だからといって「愛してま・・・」みたいに「愛」とか「好き」とか肝にな
る言葉を口にするわけにはいかない。原文ではそれが言えなくてやめた(と解釈した)のだから。そこ
で、「あなたが好き」と言いかけてやめた、と考えれば、「あなたが・・・」と訳すことも可能になる。
「I…」の訳が「あなたが・・・」
。学術研究や学校教育では許されない訳もあり得るわけだ。
<小田島雄志のシェイクスピア翻訳から学んだこと>
―
Hamlet の“To be or not to be, that is the
question.” と“Words, words, words.” のセリフを例に、翻訳者の狙い、効果、可能性などを考察する。1970
年代に文学座でこの翻訳による『ハムレット』公演を見たことが、舞台翻訳に関心を持つきっかけとな
った。
<David Mamet の A Life in the Theatre(1977)>
― 冒頭で年配の俳優役と若手の俳優役の二人が
「Good night.」と言いあうセリフについて、
「お疲れ」「お疲れさまでした」と訳したことから様々なこ
とに連想が広がった。
<Athol Fugard の Hello and Goodbye(1963)> ―
冒頭の独りごとの中で「Jesus」 とつぶやいた
ことから「洒落」をいうセリフになるが、その意味と翻訳の可能性と不可能性について考察する。
<G.B.Shaw
の Pygmalion
(1913) の上演台本(2013 年 11 月)について> ―
花売り娘の訛りの訳
に対して、ただの cockney ではなく「汚い発音」とヒギンズ教授から唾棄される訛りを既存の日本語訛
り(江戸弁など)に訳すことに抵抗を覚え、訛った表現を創作した。これは賛否両論だった。
<その他> ― 直近で上演された Richard Bean の The Big Fellah (2010)(日本での上演は 2014 年 5
月~6 月)のことなど、具体的に話す予定。
16
第 2 日目 【目次】
テーマ:翻訳と表現
研究発表
■第一会場(1 号館 1403 教室)
坪内逍遥の沙翁翻訳における劇場感覚の分析
……………………………………...星 隆弘 (東海大学大学院生)p.18
岡倉天心の‘Asia is one.’の翻訳をめぐって
…………………………………....…小林
亜紀子 (早稲田大学)p.19
英国庶民のフランス語翻訳力を巡って―Charlotte Bronte の作品 Shirley を中心に―
…………………..…………………..…佐藤
麻耶子 (東海大学)p.20
■第二会場(1 号館 1405 教室)
中学生の聴解力と情意―聴解力に影響する英語表現―
……………………………..染谷
藤重(上越教育大学大学院生)p.21
文法理論と翻訳の接点―不定詞の解釈を例に―
………………………………….…永井
正司 (名古屋工業大学)p.22
談話標識をどのように翻訳するか
……………………………..……..…松尾
文子 (梅光学院大学)p.23
■第三会場(1 号館 1404 教室)
英語句動詞の段階的指導―認知意味論の視点から―
………………………….…松本
知子 (東海大学福岡短期大学)p.24
英語教師に必要とされる異文化教育の理論と方法
……………………………..………..…村松
直子 (早稲田大学)p.25
無冠詞の表出とその特徴について―中学校教科書を中心に―
……………………岩本
17
昌明 (富山県立富山視覚総合支援学)p.26
シンポジウム:「翻訳言語の可能性をめぐって」
(1 号館 1203 教室)
「翻訳語としての漢語と英語の語源」
(吉田
雅之・早稲田大学)
p.27
(梅宮
悠・早稲田大学)
p.28
「俳句の「省略の効果」をどのように翻訳するのか-関連性理論による説明-」
(新井 恭子・東洋大学)
p.29
「エッセイ・ライティングからプレゼンテーションへの指導」
(伊藤 佳世子・京都大学)
p.30
「シェイクスピア翻訳の変遷から曖昧表現」
18
第 2 日 6 月 29 日(日)第一会場
10:00 より
星
隆弘(東海大学大学院生)
坪内逍遥の沙翁翻訳における劇場感覚の分析
本発表は、坪内逍遥の The Tempest の翻訳『颱風(テムペスト)
』の『沙翁傑作集』版(1915)と『新
修シェークスピヤ全集』版(1934)のテクスト比較を中心に、坪内の劇場感覚を翻訳表現に探し、分析
することを主旨とする。
坪内による Shakespeare 作品の翻訳については「少なくとも五變遷を經ている」 と自身が述べている
ように翻訳時期によって著しく変化している。最初期の明治 16 年(1883)に Julius Caesar を訳了した
『自由太刀餘鋭鋒』の「浄瑠璃まがひの七五調」 と自称する自由訳にはじまり、逐語訳、歌舞伎口調や
狂言口調を残した実演本位訳、文語口語錯交訳と経て、現代語訳を採用した第五期に至る。
『颱風(テム
ペスト)
』の翻訳時期はこの第五期の初期にあたる。
河竹繁俊、柳田泉は共著『坪内逍遥』において、坪内の翻訳を「文學者としてその内容をよく移植す
るといふ立場が主ではなくして、演出家としての立場からの翻譯だったといふ點が留意さるべき」 と指
摘している。本発表では、これと同様の見地から、坪内自身が上演指導に立ち会った実演において台本
に加えられた演出的な変更が、のちに坪内自ら校正を行った新修版にも影響した可能性を考え、旧訳、
上演台本、新訳へと翻訳の変遷を辿ることのできる作品において、テクストの比較検討を行う。
主に取り上げるテクストは坪内訳『颱風(テムペスト)』の新旧版と、新版の校正に先立って、坪内自
身が稽古に立ち会って指導し、加藤長治演出で上演された地球座『テンペスト:四場』
(1931)の上演台
本である。地球座の上演台本は旧版『颱風(テムペスト)』からプロスペローに対するキャリバン一味の
謀反の筋を抜粋して繋ぎ合わせた抄本だが、ほとんど忠実に坪内訳をなぞりつつも、一味の歌の文句に
は大胆な変更が加えられている。その後出版される新版の『颱風(テムペスト)』では、この変更を残し
つつ更に校正が加えられている。
台本の変更点と新旧版との比較検討は、少なくとも『テンペスト:四場』と同じく地球座によって上
演され、早稲田大学演劇博物館に台本が保存されている『オセロー:二場』
(1931)
『ぢゃぢゃ馬馴らし:
三場』(1931)『マクベス:九場』
(1932)で可能である。
劇場感覚については、観客の台詞の受容に対する坪内の用語上の配慮を検討する。翻訳の受容を考え
るにはまず「読者」と「観客」の二種類の受容者を想定せねばならないが、本発表では後者に着目する。
原文を「情味本位、調子本位」 に伝えようとする坪内の試みは、上記キャリバン一味の歌の例にも見ら
れる。The Tempest 3 幕 2 場の‘Flout’em’ (The Tempest, 3.2.121) の箇所を、旧版『颱風(テムペスト)
』で
は「馬鹿に為い」と訳し、地球座台本では「奴等を馬鹿に為う」と、七語調を崩してまで目的語を訳出
している。この変更の理由として、
「馬鹿に為い」という台詞が舞台のキャリバン一味から観客に向けて
発せられた場合に「
(我々を)馬鹿に為い」という意味の Direct address として機能する可能性を未然に
防ごうとする劇場空間特有の配慮があると考えられるのではないか。
以上にように、台詞の観客受容に対する坪内の劇場感覚があらわれた翻訳を、現存する台本を含めた
テクストの分析から検討したい。
19
第 2 日 6 月 29 日(日)第一会場
10:40 より
小林
亜紀子(早稲田大学)
岡倉天心の‘Asia is one.’の翻訳をめぐって
英語表現の翻訳においては、それ本来の文脈に即して、時代背景を考慮しつつ日本語への翻訳を行う
ことが大切であることは言うまでもない。では、ある英語表現が日本語に訳される過程で、本来の文脈
から切り離され、勝手な解釈により誤った意味合いで広められてしまうとしたらどうか。本発表では、
岡倉天心のよく知られた「アジアは一つ」という日本語訳を具体例に取り上げ、ある英語による一文が
日本語に翻訳される過程で英文全体を貫く思想から切り離され、それとはかけ離れた意味合いで独り歩
きさせられるという、英文の翻訳と受容のはらむ危うさについて考えてみたい。
岡倉天心は生涯に3冊の著作を発表した。すなわち、The Ideals of the East、The Awakening of Japan、
The Book of Tea の三作品である。そのいずれもが英語で書かれ、1903 年から 1906 年にかけて英米で出
版された。これらの著作は日本ではそれぞれ、
『東洋の理想』、
『日本の目覚め』、
『茶の本』のタイトルで
知られているが、そもそも日本人読者を想定して書かれたものではなく、英語を解する外国人読者に向
けて書かれたものである。岡倉の生前には日本語への翻訳、出版はなされず、最初の邦訳が出たのは岡
倉没後 10 年近く経てからであり、加えてこれは全訳ではなく抄訳でしかなかった。
「アジアは一つ」ということばは、実際には岡倉自身によるものではない。これは The Ideals of the East
の冒頭に置かれた一文、‘Asia is one.’に与えられた日本語訳であるにすぎない。そのため、
「亜細亜は一
体である」
、
「アジアは一なり」
、
「アジアは一つである」など、時代や訳者によって微妙に異なる複数の
日本語訳が存在する。
「アジアは一つ」が大東亜共栄圏の理念的支柱として利用されたことは周知のとお
りであり、これを通じて今日でも岡倉は「偏狭なナショナリスト」、「国粋主義者」など誤ったイメージ
で捉えられている面が小さくない。しかし、この The Ideals of the East は、副題の with special reference to
the art of Japan にも示されるように、インド、中国から日本へ、という仏教美術伝播の流れを、外国人
読者に向けて論じた日本美術論をその主題とする。また Ideals の複数性にも示されるように、決して他
のアジア諸国に対する日本の政治的優越を説いた本ではない。岡倉の著作を読んだ場合、むしろそこか
ら浮かび上がってくるのは「偏狭なナショナリスト」ではなく、今日流にいえば「多文化主義者」とし
ての岡倉像である。欧米中心主義的価値観の顕著な明治期に、岡倉は卓越した英語力で欧米のみならず
アジアの人々とも広く交わり、相互理解関係を育んだ。そして西洋と東洋が互いにその優れたところに
学び合い、対等で双方向的な関係を結ぶ意義を説いた。その岡倉が、なぜ「偏狭なナショナリスト」の
レッテルを貼られるに至ったのか。これについて検証と考察を行いたい。
20
第 2 日 6 月 29 日(日)第一会場
11:20 より
佐藤 麻耶子(東海大学)
英国庶民のフランス語翻訳力を巡って
―Charlotte Bronte の作品 Shirley を中心に―
本発表では、19 世紀前半のフランス語事情を背景に、Charlotte Brontë(1816-55)の Shirley(1849)の
なかで表現された英国庶民とフランス語能力の関係について、William Makepeace Thackeray(1811-63)
の Vanity Fair(1847-48)と比較しながら、文化的視点から、考察したい。
はじめに、産業革命の影響のもと、都市中心の社会では、先進諸国フランスでの市民革命や皇帝
Napoléon Bonaparte(1769-1821)に対する危機感が高まっていたが、フランスへのグランド・ツアーや
フランス人との社交が奨励されていたように、社会の核として活躍するエリート階級層において、フラ
ンス語能力が須要なものとして崇められていた風潮について検証する。
確かに、Thackeray は、この 19 世紀初頭の価値観を Vanity Fair に反映させ、庶民の Becky Sharp が話
す英語をネイティブ並みのフランス語に翻訳することで、Becky をロンドン社交界の花形へと成長させ
ていく。このようにして、エリート階級層の間で階級の差を超えるほどに尊重されたフランス語能力に
対する価値観から、その当時のフランス語能力には、社会をエリートから大衆化へ移行させる効力があ
ったことを明らかにする。
だが、中産階級の Charlotte も、Shirley に見られる翻訳文から、高いレベルのフランス語能力を身に付
けていたが、その能力が、19 世紀半ばになると、エリート階級層から軽視される傾向にあった。そのた
め、フランス語能力に対する価値観が変わり、庶民のフランス語能力をエリートより劣ったものと見な
すようになっていったことを指摘する。
以上のことを前提に、Charlotte は、Shirley のなかで、19 世紀半ばの庶民のフランス語能力をめぐり、
フランス語の翻訳文を媒介して、社会に異議を唱えていることを考察する。
Charlotte は、Shirley が庶民に読まれることを仮定した上で、この小説の中で、ベルギー人で労働者階
級の Robert Gérard Moore が話す英語をフランス語に翻訳し、Robert に名家 Hiram Yorke や令嬢 Caroline
Helstone などと対等の立場で社交を得させる様相を描く。このように意図することで、Charlotte は、19
世紀半ばの庶民にもエリート階級層に比肩するフランス語能力があることを効果的に証明し、フランス
語能力に対する価値観を 19 世紀初頭のものへ転換させようと試みていることを論ずる。
従って、Charlotte は、Shirley によって、Robert が話す言葉をフランス語に翻訳し、庶民に訳させるこ
とを通じ、庶民にもエリート階級層と同等のレベルのフランス語能力があることを明示し、19 世紀初頭
の大衆社会を求めて、
新しい価値観から古い価値観へ立ち返るよう、
改革の必要性を主張したと言える。
21
第 2 日 6 月 29 日(日)第二会場
10:00 より
染谷
藤重(上越教育大学大学院生)
中学生の聴解力と情意
―聴解力に影響する英語表現―
2011 年度から小学校外国語活動が必修化され,全国の公立小学校の 5,6 年生において年間 35 時間の
外国語活動が行われている。外国語活動の目標は,
「外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解
を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現
に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。
」とされている(文部科学省, 2008)
。こ
の目標を踏まえた授業を行い,コミュニケーション能力の素地を育成し,中学校英語科の授業に繋げて
いく必要がある。
聴解力と正の関係を示す情意面に関する研究において,渕上(2008)は,小学校 6 年生と中学校 1 年
生に対して調査を行い,高い英語好感を持つ小学校 6 年生と中学校 1 年生は,聴解力が有意に高いとい
うことを明らかにした。また,湯川ら(2008)は,独自のリスニングテストを作成し,そのテストの得
点と情意の相関を取った。その結果,英語への興味,意欲,家族の英語への関心などに正の相関が見ら
れたとしている。一方,染谷(2014)では,聴解力に負の影響を与える因子として不安を取り上げ,パ
ス解析により,授業不安と聴解力には,負の因果関係があることを示した。これらの研究が示すように,
小学校での情意面が聴解力に影響を及ぼし,その影響が中学校にも及ぶ可能性がある。また,発話力や
読解力などの他の能力にも情意面の影響はあると考えられるが,本発表では,小学校外国語活動で重視
される最も基本的なスキルである聴解力に着目することとした。
小学校段階での英語や授業に対する好感,言語や文化についての興味,積極的にコミュニケーション
を図ろうとする態度,及び不安などの情意面が中学校での英語学習にどのように影響を及ぼすのか,ま
た,
小学校での情意面と中学校での情意面との違いがどのようなものであるかを明らかにすることには,
小中連携を図る上で価値があると考えられる。
本研究では,2 年間の外国語活動を経験した中学校 1 年生の生徒にアンケート及び聴解力調査を行い,
小学校と中学校での英語に関する情意の違い,及び情意面と聴解力の関連性を明らかにする。また,聴
解力に影響を及ぼす英語表現に関しても言及する。
研究の方法は,新潟県の公立中学校の 1 年生 74 名(2 クラス)に対して,平成 26 年 3 月に,情意ア
ンケート及び聴解力調査を行う。アンケートは,小学校の時のことを思い出して回答してもらう項目 15
問と現在の英語学習状況を回答してもらう 15 問,計 30 問で構成されている。また,聴解力調査は,中
学校 1 年生で学習する内容で構成されている。分析の方法は,因子分析,相関分析,重回帰分析を用い
て,情意面と聴解力の関係性を検証する。さらに,分散分析を用いて,小学校と中学校の英語学習の違
いを明らかにする。また,生徒の聴解力の特徴を明らかにするために,クラスタ分析を用いて,聴解力
に影響を及ぼす英語表現に関しても分析を行う。
22
第 2 日 6 月 29 日(日)第二会場
10:40 より
永井
正司(名古屋工業大学)
文法理論と翻訳の接点
―不定詞の解釈を例に―
近年の文法理論、特に生成文法理論は科学的なアプローチを重んじ、人間の言語能力を解明すること
を第一の目標にしている。それ故に、文法理論の研究が翻訳の分野に直接的な貢献をすることは期待す
べきではないが、本発表では、英語における不定詞節の解釈の問題を例にとり、
「文法理論は翻訳にどの
ような貢献ができるか」というテーマを考察したい。
以下の英文において、hopes の主語は Bill であるが、to win の主語は文中で明示されていない。事実と
しては、(1)における to win の意味上の主語は Bill である。この場合、文法理論(特に生成文法理論)に
おいて、Bill が to win の主語をコントロール(control)していると称する。
(1) Bill hopes to win.
コントロールの現象に関しては、1990 年代末頃から、相反する 2 つの分析が生成文法理論内部において
存在し、現在も両者間の論争は続いている(Ndayiragije (2012))
。一方は、構成要素(win の主語)の A
移動による分析であり、他方は、win の主語として PRO という独立した要素の存在を仮定して、PRO と
Bill が意味的素性で一致するとする分析である。
(2) 移動分析: Bill hopes [<Bill> to [<Bill> win]]. (Boeckx and Hornstein (2004)等)
(3) PRO 分析: Billi hopes [[PROi to win]]. (Landau (2007)等)
本発表では、以下のような英語の例文を検討する。
(4) John convinced Tom [to do the dishes].
(5) John convinced Tom [to be allowed to leave].
(6) The pupil asked the teacher [to speak more clearly].
(7) The pupil asked the teacher [to leave early].
(4)において皿を洗うのは Tom(主文の目的語)であるが、(5)において、退出を許されるのは John(主
文の主語)であると解釈する英語のネイティブスピーカーが多い。(6)において、より明瞭に話すように
求められているのは教師(主文の目的語)であるが、(7)では、生徒が早退したいと教師に申し出た(to leave
early の主語は、主文の主語である the pupil)とする解釈が可能であり、教師が早く出ていってくれるよ
うに、生徒が頼んだ(to leave early の主語は、主文の目的語である the teacher)とする解釈とともに、2
つの解釈が存在する。ここで述べた(5)と(7)の解釈は、前述の 2 つの理論的な分析(2)(3)では説明しえな
い。これらの事実は、文法理論において、コントロール現象を統語論の観点のみでなく意味論の観点か
らも考察すべきであることを示していると筆者は考えており、その分析法を本発表で提示する。その上
で、文法理論の研究過程で掘り起こされたこの種の知見を、翻訳(英文解釈)の分野でどのように活か
すべきかという検討をおこないたい。
23
第 2 日 6 月 29 日(日)第二会場
11:20 より
松尾
文子(梅光学院大学)
談話標識をどのように翻訳するか
本発表では、英語の談話標識を日本語にどこまで翻訳できるのか、またどこまで翻訳すべきなのかを
考える。
談話標識は談話の中で文脈と結びついて様々な機能を持ち、種々の談話情報を与える。具体的には、
発話と発話の内容的な関係、話し手の意図や態度、話し手と聞き手の関係、談話の流れの方向づけや談
話の構造などである。談話標識に含まれる項目として、but, so, though, anyway, oh, well, after all, in fact, you
know, I mean などがある。
談話標識は語彙的・命題的な意味をほとんど持たず、翻訳することは困難である。しかし、本当に意
味が希薄なのだろうか。実際、談話標識のみで1つのターン(引用符に囲まれた部分)を形成する場合
も見られ、語彙的・命題的な意味は希薄であっても、話し手の意図や心情を豊かに伝えることができる。
このように、談話標識は語用論的に見ると決して不必要な要素ではなく、むしろコミュニケーション
の観点からすると、談話標識がないと不自然であったり、前後のつながりが曖昧であったり、時にはぶ
しつけな印象を与え、伝達行為が首尾よく行かない恐れもある。コミュニケーションを円滑に進めたい
という気持ちは、言語を問わずどんな話し手にも普遍的なものなので、かなりの部分は翻訳可能だと思
われる。ただ、談話標識の解釈は文脈に左右されるところが大きいので、辞書的に訳語を与えることに
限界がある。それでは、適切に翻訳するには、どのような工夫が必要なのだろうか。
歴史コーパスの充実に伴って、談話標識を通時的に観察して意味の発達を見る研究が、歴史語用論の
分野、特に(間)主観化のトピックとして盛んに論じられている。主観化とは、1つの語の意味において
話し手の主観的態度・判断・意味が強まるプロセスで、もともと単に客観的な意味を示していた語が、
話し手自身の主観的判断・観点・意味を表すようになる意味の発達である。間主観化とは、主観化を基
盤にして、さらにコミュニケーションの中で用いられる機能や意味を帯びる変遷で、話し手と聞き手の
関係が反映される。(間)主観性の表し方は言語によって異なり、文化的・社会的規範に適った表現形式
を取るとされる[Onodera 1995; Traugott 2003; López-Couso 2010 など]。そうであるならば、談話標識はど
のように、またどの程度まで翻訳可能なのだろうか。
これらのことを踏まえ、本発表では日本語の談話標識を含めた表現法も視野に入れ、英語の談話標識
の日本語への翻訳の可能性を探る。
24
第 2 日 6 月 29 日(日)第三会場
10:00 より
松本
知子(東海大学福岡短期大学)
英語句動詞の段階的指導
―認知意味論の視点から―
日本の英語教育において重要視されているコミュニケーション能力を身につけるためには、話し言葉
の特徴を理解しておくことが不可欠である。例えば、go up や come on といった動詞と不変化詞からなる
句動詞は日常会話で頻繁に使用される。しかし、英語の句動詞は動詞と不変化詞による意味の拡張が起
こり、統語的にも不規則であるため、英語学習者にとっては習得が極めて困難とされている。
句動詞は統語的・意味的観点から分類されることが多い。本発表では、分類に応じて難易度の低い句
動詞から高い句動詞へと段階的に指導する指導案を提示する。Ishikawa (1999)は動詞と不変化詞の意味
の融合度という観点をふまえて句動詞を3つのタイプに分類している。その分類は、①simple combination
type、②pure idiom type、③hybrid idiom type である。①は cut off に見られるように、off が元の意味を保
持し、動詞の選択制限も変化しないものである。②は take in(だます)のように in が本来の意味を失い、
動詞の選択制限も変化するものである。③は look up(調べる)のように up は本来の意味を保持するが、
動詞の選択制限は変化するものである。この分類法に従うならば、①、③、②の順で難易度が上がる。
本発表では、①のタイプも 2 種類に分けられると考える。1 つは cut off のように日本語の訳に不変化詞
の意味が反映されるもので、もう 1 つは、clear up や finish off といった句動詞に見られるように、up や
off が訳出はされないが、不変化詞が動詞に何らかの意味を付け加えている句動詞である。さらに、英語
話者の言語習得にも①のタイプから②や③の意味の拡張が見られるタイプへというように習得の過程が
存在することにも触れる。
本発表は、①のタイプの take off、hang up、take down、pick up が繰り返し使われる映画『ベスト・キ
ッド』と、『アポロ 13』を用いて、特に 2 点に注意を払った指導案を示す。それは、高頻度の句動詞に
限定することと、日本語にはない英語の空間認識を培うために、メタファーによる不変化詞の基本イメ
ージに着目することである。2 つの映画を用いた理由は、不変化詞が空間における移動を表し、それが
表されている場面が多いことと、映画を利用することにより、学習者が直感的に句動詞を理解すること
ができると考えたためである。応用問題として多義の句動詞を幅広い文脈を用いて提示し、基本イメー
ジを基にした推測活動を行い、その意味の理解を促す問題を設ける。このように段階的な指導を行うこ
とで、②のタイプの句動詞も動詞と不変化詞の基本イメージをもとに意味の類推ができることを実感し
てもらうとともに、学習者が習ったことのない句動詞の意味も推測できる力を培うことをねらいとする。
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第 2 日 6 月 29 日(日)第三会場
10:40 より
村松
直子(早稲田大学)
英語教師に必要とされる異文化教育の理解と方法
―教員養成課程「英語科教育法 Ⅲ・Ⅳ」の指導経験をふまえて―
本発表では、日本人英語学習者の抱える英語運用上の弱点を、英語教育を通して克服していく方略に
ついて検討考察する。日頃日本人大学生の英語コミュニケーションを観察していて最も致命的なミスに
なりうると痛感するのは、彼らが、それぞれのシチュエーションで、英語母語話者であれば使わないよ
うな表現を使って発話したり、日本語の言語・非言語コミュニケーション・スタイルを英語のそれへ転
用したりする時である。前者のミスは、社会言語能力(言語を社会的コンテクストに照らして適切な表
現・方法を用いて使う能力)にかかわるミスであり、後者はコミュニケーション・スタイル上のミスで
ある。
では、なぜ学生達が高度な「言語能力」(文法能力)を持つ場合でさえ、上記のような英語運用上のミ
スをおかすのかといえば、その一因は、日本の特に中学・高校の英語教育が、あまりに語彙力増強と文
法訳読法を中心としており、
「社会言語能力」等の言語運用能力を育てる英語教育をしていないからであ
る。1980 年代以降 Brown & Levinson (1987) の Politeness 理論や Bulm-Kulka らによる Speech Act 研究が
紹介され、日本の大学段階の英語教育では部分的に語用論指導がとり入れられるようになった。日本人
が英語運用上のミスをするもう一つの原因は、日本の謙遜を貴ぶ文化と英語圏の国々の自己表明を旨と
する文化との間の社会距離 (‘social distance’)が、世界各国の文化間における社会距離のなかでほぼ最大
値であることにあろう。すなわち、日本語コミュニケーション・スタイルと英語コミュニケーション・
スタイルの間には著しいギャップがあるため、英語教師が教えなければ、日本人学習者がひとりでに英
語コミュニケーション・スタイルを習得できるということはあり得ない。
そこで、日本人学習者が英語コミュニケーション・スタイルや言語運用能力を身に付けるためには、
1997 年に Council of Europe が採択し、英国ならびにヨーロッパ各国の言語教育政策の指針とされてきた
Intercultural Communicative Competence (‘ICC’ と略記する) 育成のための教育を日本の英語教育カリキ
ュラムにも積極的に取り入れるべきであろう。ICC は「言語能力」・「社会言語能力」・「談話能力」・
「異文化能力 (‘Intercultural Competence’)」の四つの能力から構成される総合的な異文化コミュニケーシ
ョン能力である。ここに非言語能力である「異文化能力」が含まれている点が重要である。
日本の学校教育現場では、英語コミュニケーションには異文化能力が必要であるという認識が希薄で
あり、最新の学習指導要領にも、諸大学の中学・高校英語教員育成のための「英語科教育法」シラバス
にも、「異文化能力」育成のための理論やアプローチが殆ど見られない。本発表では、発表者が ICC 向
上のために中学・高校英語教員養成課程の科目「英語科教育法Ⅲ」「英語科教育法Ⅳ」で扱っている異
文化教育の理論と方法について紹介し、それにより学生達の英語運用に対する理解がどのように深まり、
英語コミュニケーション能力が向上したか、質的調査を中心に報告する。
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第 2 日 6 月 29 日(日)第三会場
11:20 より
岩本
昌明(富山県立富山視覚総合支援学校)
無冠詞の表出とその特徴について―中学校教科書を中心に―
2013 年の発表を踏まえ今回は、無冠詞の表出について調査発表する。2013 年の発表では、中学校一年
生用の教科書全6社を調査し、不定冠詞/定冠詞がどの単元(時期)で導入されているか、それぞれど
のような日本語の意味が与えられているか(たとえば、
「普通は訳さない」と言う解説がされている教科
書とそうでない教科書がある等)や、用法についても調べた。
不定冠詞は、一般的に「1 つ、1 人など」の意味であると教科書では紹介される。しかし、教科書の本
文で、この意味で用いる英文の数が実際は多くないことを実証した。不定冠詞の指導では、
「後続の名詞
がまとまった姿かたちを持つ場合に使用される」に留めることが大切ではないかと提案できた。
一方定冠詞は、
「
(状況や文脈から聞き手がそれと分かるものにつけて)その、あの、例の」という意
味であると教科書で紹介される場合がある。しかし、これだけでは、無冠詞との区別が説明しきれず、
学習者に混乱を起こすという課題を指摘した。
今回の発表では、無冠詞がどのように出現しているのか、名詞となんらかの関係があるのかないのか
を、中学校一年生用の教科書から分析と考察を行う。
英語の時代差、英文の種類等で「無冠詞の表出とその特徴について」違いがあるかないかの比較検討
の一助として、教科書以外に以下の素材も用いる。
1.The chicken『ポール・オースターが朗読する ナショナル・ストーリー・プロジェク』から
2.芥川龍之介の『鼻』Nose translated by Jay Rubin
3.ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』
Beneath the Wheel translated by Michael Roloff より Chapter 1 から
4.Shakespeare の Merchants of Venice より ACT I. SCENE I. Venice. A street から
5.Chaucer の Canterbury Tales より Prologue の一部
他など様々な英文も参考にしながら、無冠詞の表出について考察を試みることとする。
無冠詞の表出について以下の分類を考え、それが後続の名詞種類と何か関係があるかないか検証し、
自分の冠詞指導を見直す機会ともしたい。
①所有代名詞が用いられている場合
②指示代名詞が用いられている場合
③無冠詞+抽象名詞
④無冠詞+複数形の場合
⑤他の品詞が名詞に転化している場合
⑥その他
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第42回日本英語表現学会全国大会シンポジウム要旨
翻訳表現の可能性を探る
司会・提案者 吉田
雅之
(早稲田大学)
提案者 梅宮
悠
(早稲田大学)
提案者 新井
恭子
(東洋大学)
提案者 伊藤
佳世子
(京都大学)
英語表現を考える際、
「翻訳」の 2 字は避けて通ることの出来ない作業です。幕末明治以来、英語と取
り組んで来た先覚者達は数々の工夫を行いました。まずは(1)吉田雅之が西洋文化を意識しつつ、初期
の英学者(一部は蘭学者)達が「旧来の漢語」をどう換骨奪胎していったかをみていきます。漢語の中
には中国由来のものだけではなく、日本人の生み出した表現や意味が存在します。中でも仏教関連の用
語は元来が梵語からの漢訳なので大きく意味変化しました。これら漢語表現の変遷を英語の語源と絡め
てみていきます。次に(2)梅宮悠氏が文学作品の金字塔と言えるシェイクスピア作品を用いて各時代を
代表する翻訳者達の和訳を比較しつつ、舞台翻訳を考えます。何よりも、日本人に馴染みの薄い概念・
事実をどう表現するべきかを考えた場合、結果として出来上がったものは「翻訳」なのか「翻案」なの
か、具体的な場面を通して考察していきます。
以上 2 名が「英語から日本語」への翻訳を考察した後、残りの 2 名が「日本語から英語へ」の翻訳を
考察します。まず(3)新井恭子氏が俳句の英訳を通して日英の違いを考察します。俳句自体が極度に圧
縮された表現形式なので、それを同じ程度に圧縮して英訳することがどこまで可能なのか、捨象すると
したら、どこを捨象することになるのか、最後まで残る要素は何なのか、を関連性理論の枠組みを利用
して考察します。最後に(4)伊藤佳世子氏がアカデミックライティングの指導を通して見えてくる日英
翻訳上の問題点を考察します。東京五輪招致のスピーチを思い出していただけば分かるように、writing
の後には presentation がつきものです。真の発信型 writing とはどのようなものか、一緒に考えてまい
ります。
以上 4 名がそれぞれの立場から、how to express yourself を追求してまいります。
「翻訳語としての漢語と英語の語源」(吉田雅之)
英語から日本語への「翻訳」とは通常、
「漢字仮名混じり文」への翻訳を意味するが、漢語自体が一枚
岩ではないため、その扱いは慎重でなければならない。一般に漢語を確認したいと思った場合、我々は
まず漢和辞典を利用する。ただし旧来の漢和辞典は「漢文を読む」ことが主目的とされていたため、日
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本語の中で起きた漢語の変遷が十分に意識されてこなかった。近年、それを補うための辞典が数点出版
されてはいるものの、
「日本での漢字・漢語の意味・用法を説明することに重点を置いている」とされる
『岩波 新漢語辞典』
(第三版。2014 年刊)ですら、まだ情報不足の面があり、中国語に由来する漢語
以外の個々の語の研究は柳父章、杉本つとむ、そして近年は今野真二等に頼らざるを得ないのが現状で
ある。また仏教用語は日常生活の中で転用される際、多くの場合意味変化を生じていることを忘れては
ならない。
今回は「翻訳」が契機となって誕生した 2 種類の漢語を調査対象とし、可能な範囲で英語の語源と関
連させてみた。第一に幕末明治期に生まれた漢語を考える。これらの単語の中には英語の語構成(大半
がラテン語・ギリシア語で語形成を説明できる)とよく似た語構成を持つものが見られる。背景には幕
末の蘭学が関与している点を確認していきたい。
(例:「酸素 = oxygen」「水素 = hydrogen」)。第二の考
察対象は仏教用語としての漢語である。大半が梵語(サンスクリット語)あるいはパーリ語を中国語に
「翻訳(義訳あるいは音訳)
」する際に生まれた。梵語は印欧諸語のひとつなので、ラテン語・ギリシア
語のみならず英語の語源とダイレクトにつながる例がしばしば見られる。仏典にみられる梵語とその漢
訳を通して日本語と英語の意外なつながりを紹介していきたい。
なお本発表のきっかけは東日本で昨年 10 月末から始めた読書会であった。具体的には梅宮悠氏の『マ
クベス』論の中で話題になった「魔女」という日本語が出発点である。
「魔」という漢字自体が、梵語を
漢訳(音訳)する際に生まれている。また「魔女」をマジョと読むまでにも日本語の中で変遷があった。
『日本国語大辞典』で確認できる 2 つの別読み、すなわちマオンナ、マニョのうち前者は「彼女」を当
初カノオンナと読んでいたことと呼応し、後者は仏教用語が平安時代以来原則として呉音で発音されて
いた(e.g.「老若男女」
「女人禁制」
)ことを反映している。西洋の「魔」的な存在を日本人がどう翻訳し
たか、幕末明治ではなく 16 世紀のキリシタン文書も参考にして梅宮氏の発表に繋げて行きたい。
「シェイクスピア翻訳の変遷から見る曖昧表現」
(梅宮悠)
『マクベス』
(The Tragedy of Macbeth)はシェイクスピアの手がけた四大悲劇の一つとして、日本での
受容も高いように思われる。黒澤明が自身の視点と『マクベス』を融合させ生みだした 1957 の映画『蜘
蛛の巣城』が、国内外で高評価であることは周知のことだろう。現存する最古の『マクベス』の翻訳は、
森鷗外が森林太郎の名で警醒社書店から 1913 年に出版したものとなっている。爾来、今日までの 101
年の歴史の中で、坪内逍遥や福田恆存、木下順二らを含む蒼々たる面々が『マクベス』の翻訳に着手し、
出版されたものに限っても 20 種類を数えることができる。
これらの各翻訳本にはさまざまな特徴が見られ、それは訳者たちが自らに課したスタイルの実践であ
ることに疑いの余地はない。しかし、果たしてシェイクスピア作品の、諸要素を投影しきっている訳と
いうものは存在するのだろうか。シェイクスピアの作品には弱強五歩格(iambic pentameter)などで書か
れる韻文のリズムや、地口(pun)が含まれており、英語で書かれたそれらの劇的手法を日本語に転化す
るために、訳者たちは大いに悩み、種々の工夫を凝らした翻訳を生みだしてきた。本発表では、かねて
から注目されてきた韻律や語呂合わせの保存ではなく、上演当時の時事的な内容にまで解釈の幅を広げ
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ることの出来る多義的な曖昧表現の訳に焦点を合わせたい。日本語で表現しきれない内容については、
大場健治や河合詳一郎が採用したように、註を付けて作品の外で解説するという形が取られることもあ
った。しかし、多義的な表現とは、一つの表現が表出した瞬間に複数の意味が捉えられてこそ本来の効
果を発揮するものではないだろうか。本発表では、『マクベス』における曖昧表現が、如何にこれまで
の翻訳本では簡略化されているのかを検証し、それらをシェイクスピアの残した言葉として訳出する最
適な表現方法、あるいは表記方法の提案を行い、今後の翻訳言語としての日本語の可能性を探る。
「俳句の「省略の効果」をどのように翻訳するのか-関連性理論による説明-」(新井恭子)
本研究の目的は、近代語用論の中でも、特に、ウィルソン&スペルベルが提唱した、人間の認知傾向
の原理に基づいて構築されたコミュニケーション理論である関連性理論を枠組みに使って、俳句が英語
に翻訳される場合、俳句の持つ文学的価値「省略の効果」がどのように保持されているのかを検証する
ことにある。
関連性理論は「人間は刺激に対し常に関連性を求める」という認知の原理を提案している。関連性と
は、処理労力を差し引いた認知効果の度合いであり、認知効果は、人間が認知環境(脳内の発話解釈の
作業場)に持つ旧情報が新情報に変化すればするほど大きくなるものと定義されている。話し手は、話
しかけるという行為で、聞き手に関連性を期待してよいことを伝える。(伝達の原理)聞き手は自分に
とって関連性が最大になるように解釈を続け、関連性の期待が満足された時点で解釈をやめると考えら
れている。このように発話解釈には推論能力が発揮されるため、話し手は、伝えたいこと全てを言葉に
せずとも(省略しても)聞き手に意味が伝わるわけである。
俳句は「省略の文学」と呼ばれ、その省略が俳句の価値であり、人間の推論能力を最大限に利用した
文学表現であるだろう。俳句の省略部分を推論するには労力がかかるが、多くの意味を推論することが
できるため文学鑑賞の喜びとして見返りがある。この効果は認知効果とは区別され、詩的効果と呼ばれ
ている。俳句の翻訳は、この詩的効果を保存すべきだというのが本研究の主張である。
関連性理論では、
「発話(文)」には、文字通りの意味、表意のほかに、その意味を基にコンテクストに
影響を受け、推論のみで引き出される意味を推意があるとしている。詩的効果は、文法的な省略部分の
復元だけでなく、この推意を多く推論することによって生まれる効果である。
松尾芭蕉の「古池や、かわづ飛び込む水の音」の次の2つの翻訳を比較してみよう。
A: by R.H. Blyth
the old pond
a frog jumps into
the sound of the water
(Higginson & Harter, 2009)
B: by N. Yuasa
breaking the silence of an ancient pond
a frog jumps into water
a deep resonance
(Britton, 2002)
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A の翻訳は、ほぼ、もとの俳句の語句を英単語に置き換えたが、B にはもとの俳句の語句には含まれ
ていない語句が追加されている。これらは、翻訳者が、作者のコンテクストを想像して推意を復元した
のであろう。しかし、あまりに翻訳者が復元した推意を翻訳に追加してしまうと、聞き手(読み手)が鑑
賞するときに復元する推意を制限してしまう。俳句の省略の効果を保存するためには、翻訳者は最小限
の翻訳でよいのではないかと本研究は主張する。
「エッセイ・ライティングからプレゼンテーションへの指導」(伊藤佳世子)
日本ではこれまで多くの大学で従来の学部・学科名を「国際学部」や「国際学科」に変更したり、ま
た新たに「国際」と冠をつけたものが数多く創られてきた。国際的に活躍することを重視したその背景
は、企業においても同様である。またここ数年、企業や学問の世界でさかんに「グローバル化」という
言葉が市民権を得ている。
「国際化」であっても「グローバル化」であっても、speaking や presentation
を流暢にできる人材が求められていることは言うまでもない。それにともない小学校から大学までの実
際の教場では発信型の英語教育が主流となっている。英語教育は reading, listening, writing, speaking を指
導されるが、writing に関しては、高校までの英語教育ではまだまだ発信型といえるレベルにまで到達し
ているとは言いがたい。つまりほとんどの学習者は、大学までの 6 年間の writing 指導においては、与え
られた日本語から英訳する逐次英訳の学習だけしか学んでいない。このような状況は、様々な事情から
大学入試に英作文を取り入れることができない大学が増え、また仮に英作問題が出題されたとしてもマ
ークシートの方式で評価するために、英文の並べ替え問題の方式が多く利用されてきたことがその理由
として考えられる。
そのような背景のもとで大学生になって初めて自らの意見を論理的に説明する、academic writing を学
ぶ学習者達に、現在 essay writing から presentation に至までの手法を講義している。これまでの指導経験
から、本発表では、第一に essay writing 学習初期の学生の特徴を 3 つのカテゴリー(トピックを与える
と[1]すぐに英文で書き出す帰国子女や留学経験が長い学生、
[2]日本文でまずパラグラフを書き、そ
れを英文に訳す学生、
[3]日本文を書く段階でかなり苦戦している学生)に分類し、それぞれのカテゴ
リーの学習者に対する指導の具体例を挙げる。
第二に上記のカテゴリーに関係なく、レトリックによって、日本文を書く過程を経ずに比較的すぐに
英文が書けるトピックと、日本文を作ってからでないとどうしても英文が書けないトピックがある。レ
トリックによる差異が何であるか、またその指導をどのようにしているかについて考察を加える。
第 3 にここ数年、学生の講義中の様子を観察すると、トピックの決定、情報収集の仕方、語彙選択、
さらに presentation file の作り方等、各々の過程でそれ以前の学習者達とは異なった特徴がみられる。毎
年、基本的な essay writing の手法に関する指導内容は同様であるにも拘らず、数年前とは異なり、学習
者の理解力、一般常識、さらには道徳観まで考慮にいれ、従来の教材とはかなり異なったものを作成す
る必要がでてきた。essay writing から presentation に至までの段階で、これまでの学習者との特徴的な違
いを挙げ、それに対する教材作成や指導について実践報告をする。
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