10 月 16 日(日)10:05-10:35【若手研究者フォーラム 会場 G】 中西夏之の絵画場の研究 筑波大学 小田原のどか 中西夏之(1935年-)は、1960年代にハイレッドセンターの一員としてアートパフォーマンス を発表し、オブジェの制作や舞踏の舞台美術製作を経て、絵画の制作と大規模なインスタレ ーション作品の発表を行っている。国際展横浜トリエンナーレへの招聘出品や、東京都現代 美術館、渋谷区松濤美術館で個展が開催されるなど、国内外で影響力をもつ美術家である。 中西夏之の絵画をはじめて目にした鑑賞者は、彼の絵画は抽象絵画であると認識する ことだ ろう。なぜなら鑑賞の距離に関わらず、彼の絵画は何が描かれているのかが判然としないか らである。しかし光田由里(1962-)は松濤美術館での個展に際し、中西の絵画は表象となるこ とを拒否するところからはじまる絵画であるとして、抽象絵画の範囲には入らないと述べ、 さらに中西の絵画を前にしてそこに何が描かれているのかを我々は語りあうことができない と述べている。では我々は彼の絵画に何をみることができるのだろうか。 中西夏之は自作を『穏やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置』であると表現する。中 西が装置という語を使用する意図は、レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472)が提 唱した窓という西洋絵画の定義と対比することによって、よりその独自性が明らかになると 松浦寿夫(1954-)は指摘する。西洋絵画は窓というみるための装置であるが、対して中西にお いては絵画そのものが絵画をみるためにその場にながく立ち止まるための装置なのだという。 中西は野々村仁清(1613?-1694?)の壷を鑑賞した経験から、壷の周囲をめぐり歩きながら絵柄 を眺めるというような、歩き回りを伴う鑑賞こそが絵の鑑賞にふさわしい在り方だったので はないかと仮定し、絵本来の形は円筒形であったと考察する。そして、絵画の平面とは連続 した円筒形から断絶され発生し、それゆえに絵画の前での静止が必要になったのだと述べて いる。このような絵の姿形の点検を通して明らかであるのは、中西のもつ絵画とその絵画の 存在する場に対する特異な視点である。 中西夏之の絵画とは描写されるべき対象が存在しない絵画である。先に解説したように、中 西にとって絵を描く際の衝動とは、何かを描写したいという欲求から発生しているものでは ない。では一体何を意図して中西はキャンバスに絵具を置いているのだろうか。 本発表では、2008年国際展横浜トリエンナーレに出品された中西夏之作品《着陸と着水—X II YOKOHAMA 絵画列による》にみられる諸要素の考察を通して、中西夏之の絵画思想が作品 にどのように結実しているかを解説し、中西の絵画が我々にどのような経験を与えるのかを 明らかにする。
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