GKH018105 - 天理大学情報ライブラリーOPAC

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辺
周
の
そ
と
典﹄
吉平
学
目
の
ノン
テ
ル
オ
ヴ
ム片ノ
口
幸
十寸
4
元
フランスにおける 人間 (homme) に関する考察ないし 論述は,フランス特有の独自性があ
り,文学としてはモラリスト (mora Ⅱ ste) の系譜があ り,広く思想史的文化史的歴史的には
ユマニスム (humanism めの歴史があ る。周知のことではあ るが,モラリストは文学上の用
語であ って,倫理学者や 道徳家を意味するのではない。 その定義は「特に 人間性の諸傾向と 諸
習噴 とを研究する 作家」とされる。 これをストロ ウ キ ーは 「それは国民的本能,フランス 精神
の抑えようとしても 抑えられない 傾向のようなものであ る。 それは心理的観察 習噴,モラルへ
の趣味,人間を知る能力から 成り立っている。 ‥‥モラリストは 真理を, 演 縄や形而上学によ
ってではなく ,直接にとらえる」とし 大塚幸男はこれを 踏まえて「モラリストとは ,人間を
その日常生活において 観察し描写して , とりわけ人間の 心理的動きを 直観的に探究し 永遠
の人間 (永遠に変わらない 人間 ) のあ り方,人間の 条件を示して 見せ,それによって んルス を
矯正しようとの 配慮ないし俳願をも 内に秘めている 作家のことであ り,究極のところ ,言葉の
最も深く高 い意味において ,人間いかに生きるべきかの 問題を探究しその 問題に思いをひそ
める人々のことであ る」と説明して ぃ岩 。 さらに大塚はストロウスキーを 承けて,「フランス
人は観察だけでは 満足しない。 フランス人はすばやく 判断するという 意味で,根本的に 道徳的
であ る。 それどころか ,フランス人は自己の判断を 押しつけたがるという 意味で,能動的に 道
徳的でさえあ る。他の国々にはもっときびしい 一般的な道徳があ る。 しかしそれがあ るため
に,人々は個人的な 道徳的判断を 下すための努力をしないですが。 フランスでは 前世紀以来,
すべての道徳的判断は 個人的なものであ るという傾向があ る。人々は一般的な 原則では満足し
ないのであ る。 ‥‥‥そして 最後に,それらの判断はほとんど 常に一つの理想によって 支配さ
れているということであ る。現実主義者が , 抜け目のない 心理学者が,どうして 理想を持ちう
るのか ?
それは意外なことのようだが ,フランスでは各時代に,その時代特有の理想の 人間
像 があ った。 すなわち,モンテーニュの
l,honn
合
tehomme(
・
コ の時代の
時代の legentlIhomme,
パスカル やう ・ロシュフ 一
オ ネットム ), ヴォルテール や モンテスキュの 時代の lecivllIs色
などであ る。 これらの言葉はそれぞれにニュアンスのちがいはあ
るが,一言にしていえばわ
が兼好法師のいわゆる《よき 人 (高雅にして趣味ゆたかな 教養の士,あ るいは開化の 人 ) で
あ る。 フランス人には ,時として人をあ ざむく表面の 下に,詩の趣味,高貴への
欲求,人間の
尊厳という感情,個人の 価 直に対する尊敬,一口にいえば ぐ草 大への本能》 (パスカル ) があ
る。 しかも,フランス 精神史の各時期が 打ち立てた理想の 人間像は,単なる 概念ではなく (概
念だったらそれは 抽象的なものにすぎないだろう ), 生きたイメージなのであ り,この生きた
イメージにおいて ,フランスの良心はその偉大への 本能を表現するのであ る。 すなわち, こ
》
ィ
人間像は比較的な ,そして実現可能な ,完全な人間の儀なのであ る。
要するにフランス
天理大学学報
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そして人工的なモラルの
理想と規則
精神は, とりわけモラリストの 文学は,人間をあ るがままの姿において ,実証的・分析的に・
(命令) とに,実際的な理想を対立させる。
し
て, その理想、
を,人間の現実的な 可能性に,すなわちわれわれ 人間の条件に 適応させるのてあ
る」と積極的に 述べている。 ところで,ウォルテールは 本稿で考察する『哲学辞典』の「 序
言 」に「誠実な 人間 (オ ネットム ) はいかなる場合でも 害 とならず,つねに 善を施す真理につ
いて読者に疑 い をもたせてならないのであ る」と記して 自ら「哲学者」であ り,「オ ネット
ム」であ ることを示している。 このウォルテールは「 オ ネットム」を「実現可能な 人間」とし
ォぉ
う
て意味づけており ,
これがモラリストの 系譜に位置付けられることは
明白であ る。 しかし
ゃ
ルテールは作品のジャンルと 文体とからはモラリストの 領域を出ているのでもあ る。 またモ
ラリストとして 一般的に知られる 作家たちが,「個人的な 道徳的判断を 下す」ことから , キリ
スト教つまりカトリック 教会と対立するものの , この教会との 対立には厳密な 意味では消極的
であ る。 これに対し 『哲学辞典』のヴォルテールは 以下に考察するように 教会と厳しく 対立
する姿勢を貫くのであ る。渡辺一夫は「ルネサンス 期のュマ ニストたちは ,人間を歪める 教会
ォ
の制度や慣習及び 硬化した神学者たちの
か ?
言動に対して ,
" これはキリストと 何の関係があ るの
"Quid haec ad Chhristum?" と訊ねかけたと 伝えられる」とユマニスムの 成立を明確な
言葉で示したが ,ヴォルテールの『哲学辞典』をこのユマニスムの
歴史とモラリストの 系譜を
重ね合わせて 見るとき, そこに最もフランス 的な精神を具現していることが 確認されるであ ろ
。 著者であ り, オ ネットムであ るヴォルテールは ,読者たちにも オ ネットムとして 教会と護
教論者たちに 立ち向かうことを 要請するのであ る。 この要請の反響のなかに 緊張を保ったヴォ
ルテールの「寛容」の 精神が浸透していったのであ る。
本稿では以上の 確認を双提として , 『哲学辞典』の 出版時の状況と 教会および護教論者との
争点を調査しヴォルテールにおける「哲学者」としての「
オ ネットム」の 内容を考察してい
くものであ る。
う
1764 年 7 月,ジュネーブにおいて『携帯哲学辞典』が 匿名で出版され ,ついで1764 年 12月,1765
年 (Varverg版 ,「序言」はこの 版に初めて記された ), 1767 年, 1769 年と増補改訂版が 続い
たとき,教会側から 抗議の叫びが 起こりスキャングルを 引起こしていった。 この状況をヴォル
テールは正確に 判断し「これはひどくうさん 臭い」と記していたのであ る。
18 世紀には危険 害 と告発された 書物を儀式めかして 焚書とするのが 慣習化していた。 ヴォル
テールは自らの 他の作品がこの 運命にさらされるという 経験を踏んで い たのであ る。1734 ヰ に
は,パリ高等法院の判決によって『哲学書簡』が 破棄焚書を宣せられていた。 この焚書の折
, 刑の執行官で 珍本収集家であ った Mane,Dagobert
Isambeau
が『スペイン 革命』という
半端な書物を 一冊炎の中に 投じ, 「哲学書簡』は 自分のために 密かに残していたとの 報告もあ
り
る。 また 1752 年 12 月 24 日には,ベルリンで 王 フレデリック 11世がヴォルテールのパンフレット
で アカデミ 一の代表者モ
ー ペルチュ
イ
を
嚇 った『アカキア 博士への酷評 (Dia㎡ beduDocteur
Aka ㎞a) 』を広場で焚書にした。 この場合ヴォルテールが 失念して 冗 舌に溺れていたとは 信じ
難 い。 それはヴォルテールがかつて 賛辞を献じた 王が専制君主に 変貌したと受けとめられたか
らであ る。 『哲学辞典』の焚書はヨーロッパ 各地で繰り返された。 1764 年 9
ブで ,
月
25 日にジュネー
1? 月にオラングの べルヌ というように。 ヴォルテールはこの 焚書でも過度に 動揺するこ
となどなかった。
『社会契約論コめ 焚書を宣告された
かソ 一の支持者に
不平を言わせないよう
ヴォルテールの『哲学辞典』とその 周辺
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に, 自分の書物が 焚書にされたとヴォルテールは 主張している。 司法官さえ『哲学辞典 コを 焚
書にする許可を 求めて来てウォルテールに 弁解をしていることは 確かなのであ る。 しかしなが
らⅠ 766 年に Abbev Ⅲe (コヒフランス
, ピカルディ ) において執行された 象徴的な火刑をウォル
テールが知ったとき , その様相はフェルネ 一でさえもはや 安閑とできるものではなくなって い
たのであ る。
1766 年 7 月 1 日不信心との 理由から死刑を 宣告された Chsva er de la Barre の火刑の夢の
上にヴォルテールの 著書が一冊投げ 入れられた。 この20オの青年は聖母マリアに 関わる極めて
不敬となる衛兵隊の 歌を歌い,聖体の行列の際に脱帽せずに 通過し戯れに 神を汚す物の 前で
脆いたとして ,神を汚す物を礼拝したとの 告発を受けたのであ る。 この青年に神を 冒漬したと
の告発が重く 掛かっていく。 信心に凝り固まった 小都市 Ahbev Ⅲe で 冒漬が行なわれていた
のであ った。 すでに 1765年 8 月 9 日朝,人々は 木の十字架が 破損され,墓地のキリストの 十字
架像 が汚物で汚されているのを 知っていたのであ る。 自由思想家を 演じる青ヰ 0 集団に疑いが
かけられた。 この都市の有力者の 息子 Ga Ⅲ ardd,Etallondeは逃亡した。 破産した良家の 出
の孤児で W Ⅲ ancourt 修道院の女子大修道院長であ った従姉に引き 取られていた Chevalier
de la Barre が逮捕された。 彼が十字架 暇 損の犯人であ ると証明できる 者は誰もおらず ,彼に
対する神の冒漬したとの 告発は抑えられた。 しかしさらに 家宅捜索の時に , 彼の書棚の狼 熱
本 『シャルトル会修道士の門番上『カルメル 会修道女の受付 係 上『寝間着姿の 修道女山『哲学
者テレーズ』の 中に一冊の正哲学辞典』が 見付けられていたのであ る。不公正な裁判の 結果,
La Barre は当時の司法上の 慣習として合法的手段であ る拷問を,通常の 拷問も矧 V¥の拷問も
受けた後, 舌 切断,斬首,火刑との
刑の宣告を 3 けた。 この「LaBarre 事件」の判決 丈 に
Ⅱ
タ
は
,「双記の Lrfe,bvredelaBarre
の身体が投げ 込まれるその 火刑の薪の中に ,高等裁判所の
死刑執行人によって『携帯哲学辞典』が
投げ込まれるものとする」と 明記されていた。
この刑の執行にあ たって, r哲学辞典をパリに 置き忘れたため , これを体刑をくわえられ
た死体とともに 焼くために,特別郵便配達人が 急 遮 派遣されたほどであ った。 高等法院の判事
パス キエ は哲学者たちに 反論して長広舌をふるい ,「焚書で気を 紛らわしてはいけない。 神が
生け費に求められるのは 著者たちなのであ るから」と言い 放ったと,『百科辞典』の 共同編集
者 グランベールがヴォルテールに 報告している。 この驚くべき 焚書には警告と 戒めの意味がこ
められていた。 哲学者たちには 沈黙が命じられ ,『哲学辞典』の 項目く国家》く 国家の宗教 )
( キリスト教 ) は,ナントの勅令廃止以来,抑圧を 加えることが 決定されているあ らゆる危険
思想の要約となっているとして ,攻撃の標的とされた。このような当局の 処置がとられたの
は,簡便な『哲学辞典] が 73項目から 118項目への増補されて ,忌まわしきもの,すなわち迷
信と狂信とが 正面斬った攻撃を 受けたからであ る。 ヴォルテールは 寛容のための 戦いに数年前
から関わっており ,作法にも感性にも 手心を加えることはしないと 決心していた :
「私は40年間信心に凝り 固まった者たちと 卑狼な者たちによる 侮辱に苦しんできた。 私
は穏健にしていて 得られるのは 何もなく,あ るのは 欺嚇 だけだということを 知っ
た。
」
そこに「カラス 事件」 (T762)が起こっていた。 息子を暗殺したとして 告発され,無実を主
張 して死んでいったこのカラスという ユグ / 一に対する不公正な 裁判に強く心を 動かされ, ;
ラスの名誉回復に 関わったヴォルテールは , 戦いの火蓋を 切って影響力あ る仕事を始める 決心
をせざるをえなかったのであ
る
「今や私の血はたぎり ,今や何かをなさねばならぬ 時 だ。 年老いていく。 失うべき時は
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ないⅡ
極めてポレミックで ,
目も眩む技巧を 配し継続的な 読書は必要でなく ,
気紛 な読書のまま
に参照できる 便利な形の『哲学辞典』は ,あらゆる敵対者が 力説して指摘する 現実の危険を 表
現してみせている。 他のどの作品よりも ,『哲学辞典』は 新しい精神を 吹き込み,既定の肯定
されている考えを 問題とすることを 可能にしているのであ る。
問
ここではこの 焚書迫害と論争が 組み合ったスキヤンバルの 規模の大きさに 冷静に注目し
題の本質を分析することが 重要となる。 このことが当時《悪魔のごとき 辞典》とされた 汚名を
晴らすことを 可能にするであ ろう。
Ill
この「哲学辞典』にまつわるフランスの 国境を越えるスキャンダルを 検討する方法として
は,書き記された 痕跡であ る資料を一歩一歩辿ることであ る。 そこには個人的な 反発と教会を
後ろ盾とする 非難の文言があ り, これに護教論者の 側からの反論が 重層的に反響している。 こ
れらの資料を 吟味しなければ ,つねに萩があ るつまらない 作られた真実も 意味深く見えたりも
するのであ る。
Ⅰ
7f65年 1 月 30
日
, 低 所得の未亡人 M" 。 Chamber
un がヴォルテールに 宛てて,『哲学辞典』
Ⅱ
一冊を求めて 手紙を書いている。 夫人は夢中になるくらいにこの 辞典に興味があ るのだと記し
ている。 そして夫人はシャロン ,
作品では『風俗史論
コ
,
モンテーニュ ,
ミルトン, デカルト, それにウォルテールの
コントでは ニザ ディバ』や『ミクロメガス』を
愛読し
ウオ ルテール
の悲劇を読むことによって 愛に目を開くようになったのであ った。 聖 バルテルミ一の 事件は
「天使を笑わせる行いであ る」と言って 悼 らない凝り固まった 信心家に対しては 夫人は拙 Ⅱ的
であ るが, まだミサにはきちんと 出ていて,祝祭日には 告白をしていた。 ところが, クリスマ
ス の頃 ,夫人の読書の趣味の告白を 聴いた修道士が 夫人を厳しく 叱責 し 「激怒して」夫人に
哲学辞典』を 読んでかるかと 尋ねた。 夫人は『哲学辞典 コの 噂を聞いたこともなかったので
あ る。夫人は罪を許されるや いなや 書店に駆けィ寸けた。 この書店主は 5 ルイという法外な 値段
ヒ半
丁
をつけて夫人にその 一冊をだしてみせた。 夫人の予算ではそのような 出費をゆるされず ,結局
ヴォルテールが 夫人にこの闇の 作品を二冊送ることになったのであ る。 この逸話は次のことを
示唆している。 つまり,『哲学辞典』が 噂の的となっていること ,地区の告解室 でさえも噂さ
れていたことであ る。
『哲学辞典』が教会側に衝撃を 与えたのは疑う 余地もない。 「キリスト教の証しに関する 哲
学的探究 (Recherches philosophiquessu Ⅱ es preuves du Christianisme)』の著者 Cha Ⅱ es
Bonnetのような信徒は ,『哲学辞典コを「ひどい
悪臭を放つ著者のあ
らゆる書物の 中で最も
噌むべき」ものと 考えた。 ルソーもこれを「社会に 加えられた侮辱であ り,人間的な 法廷で罰
すべき」書であ るとの認識を 示している。 しかし これは教会の 側に立った読解であ り,権力
者と聖職者の 恐るべき反動に 手段を与えるキリスト 教護教論者の 数千ぺー ジに及ぶ反論から 成
る
読解と連動していくのであ
る。
ンユ 不一 ブ では,検事総長 Tronchin-Boissierが即座に反応を 示した。
1764 ヰ 9 月 10 日,
一冊の反宗教的辞典が 密かに売られている 事を知ると,彼は市議会に「伝染を 抑える」処置を
講じるように 求めた。 即日,市議会はその 辞典の全部を 押収するよう 命じた。 書店の店員 Chirol の家では二冊だけが 見つかった。 この人物は Grasset 書店で12 冊ほど入手し 二冊をスイ
スで売り , 残りは行きずりの 外国人に売ったと 自白した。 GrassRtの妻 丘 ve Leauin は行商人
ヴォルテールの『哲学辞典」とその 周辺
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から買ったその 12 冊しかなかったと 主張した。 こうした警察の 追求が行なわれたが ,一方で,
検事総長は次のような『哲学辞典
に関する報告書を 作成した。 つまり, この辞典は「危険
で,不敬虔で,破廉恥で,革命的に
破壊的であ るから,高等裁判所の 執行人によって 市の城門
の前で引き裂かれ 焼かれるべきであ る」との結論を 出して, 1764 年 9 月 20 日にその報告書を 提
出したのであ る。 この処罰は『哲学辞典』の 流布を抑えるための 備えであ り,他方で,店員
Chirol と Grasset夫妻に対する 処罰を意味する。 こうした刑罰の 要求は, この「才能と 博識
を悪用した嘆かわしい 記念碑的作品」を 公然と非難する 論告を拠り所としていた。 『哲学辞
典コは ,宗教的,精神的,および
社会的領域で 認め難い作品となる。 「有害なパラドックス」
に満ちているこの 作品は復活と 魂の霊位の教義に 対する疑いを 広め,運命と 自由について 無遠
慮な質問を投げ 掛け, それによって「犯罪の 中心部で犯人を 眠らせることを 可能にする」こと
にもなりうる。 この辞典は啓示宗教を 重々しく攻撃し 奇跡を嚇 笑し 旧約聖書の諸編を 極め
て辛辣な風刺に 屈服させるのであ る。 この故意の下品さと 意地悪さとは , その項目の諸命題が
論文なるもの 以上に一層確実に 巧みにアルファベット 順に挿入されているだけに , ますます危
険とされる。 したがって, この刑の宣告では , 『哲学辞典』の 宣伝に手を貸さないようにし
て,大衆の好奇心をつのらせることのないように 注意して,侮辱を 受けている宗教の 復讐をす
るとが目論まれていたのであ る。
コ
多くの議論を 呼んだこのプロテスタントの 刑の宣告に続いて , 1765年 5
書,
ヴォルテールの『携帯哲学辞典』と
月
19 日に二つの危険
かソ 一の『 UJ からの手紙』に 対して,パリ 高等法院の
審判が下った。 検事 Omer Joly de 円 eury は誤れる哲学の 広がりを告発した。 検事は『哲学
辞典』の立役者の 名前が判明すれば ,その者は厳罰に処せられるべきだと 断言した。 もちろ
ん,検事は著者の名前を全然知らず ,
この辞典は作者不明で ,
ヴォルテールを 起訴することが
できない。 検事はその宗教に 関する告訴箇条を 次のように説明する。 r哲学辞典 コは はカトリ
ック教会の負 習 と規律に対する 愚弄, その教義の消滅, イェスの神性の 否定,原罪の観念の拒
否といった記述が 指摘されるということであ る。検事は次のようにもその 論告を要約してい
る。
「宗教の玄義,信条,教訓,規律,信仰,真実,
神 および人間の 権威,そのすべてが,
人間を動物の 水準に下げて 動物の種類の 中に並ばせることを 誇りとするこの 著者の冒
漬 的な ぺン 先にさらされているのであ るⅡ
パリ高等法院は , 『哲学辞典』が社会の利益に 反しており,王権と王冠に対して 無礼であ る
と
結論づけて,神の,
より正確には 教会および人間の 権 威に対する侵害を 同一共通の訴因によ
って一つぼ結びつけた。
しかし高等法院は ,
その判決で宗教を 侵害する 冒漬 的な言葉と調弁
を指摘したものの ,サリカ法 (フランスの王位継承から 女性を除外する 法 ) に対する愚弄を 除
いては, この辞典のいかなる 政治に関する 項目も告発しなかったのであ る。
こうした政治権 力の干渉に続いて ,『哲学辞典』への 反駁に捧げられた 重要な護 教的文献が
1765 年から1772 年まで継続的に 著された。 これらの文献の 数と力強さに 支えられて, みごとな
強 い影響力をもつと 観取され,哲学的破廉恥の 極みと指摘されたこの 辞典に対して ,反論する
力の結集を図るという 考えが生まれた。
ローザンヌの 神学教授でプロテスタントの Jean-AlphonseRossetが匿名で 1765 年に『携帯
哲学辞典という 題の書に対する 批判』を発表し ,反論の口火を切った。 これは誤って Dub0n
の作品とされ , ヴォルテールが『哲学辞典』の 註で「愚鈍な 頭 」と記したものであ る。 それは
指摘し辞典初版の 宗教に関
不十分な文献であ りながら, ヴォルテールの 無知,誤謬,放縦を
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する項目に次々と 反論している。
フランスでは , ヴォルテールが 潮 弄した教会の 教義の問題点を 蘇生させることに 執着する;
トリックの護教論者の 中に,相互の強い競争心が 芽生えていった。 この護教論者たちは 防衛的
な立場に自らを 位置ィ寸
け,
まず第一に,伝統的慣習による 保証がないような 検討や解釈はいか
なるものも拒否している。 教会法は明確に 唯一のカトリック 教会によって 定められているので
あ る。 その教会がなければ 救われないからであ る。 この護教論者の 文章は批判的で ,独断的で
あ
るが,重要なのはウォルテールの 評判を落とし
これらの護教論者を 挙げれば, まず神学博士
は,
『
ヘ フライ人の根源と ,
ギリシャ 人,
教会の権 威を強調することなのであ
る。
(1718一 1790)
NicolasSylvestreBergier
ラテン民族, フランス人の 根源との比較によって
発
見された言語の 基本要素』 (1764), 次にルソーへの 反論『自ら反駁される 自然 申救』 (1765),
さらに『キリスト 教護教論者に 対する批判的検討』に 対する反論であ る「キリスト 教の証しの
イ
確実性』 (1767) によって世に 知られていたが ,
Ⅱ暴かれたキリスト 教 " の 著者および他の 批
判 に反論するキリスト 教の擁護』 (1769) では『哲学辞典』の 諸項目に対する 反論を付け加え
ている。
イエズス会士 Claude-FranS0isNonn0tte
(17 Ⅱ 一 178U
は,
『ヴォルテールの 誤謬』 (1762
年初版,以後再版を 重ねる ) によって有名となり , 『宗教の哲学辞典』 (1772) ではヴォルテー
ルの『哲学辞典』を 攻撃し反論もしている。
ベネディクト 会修道士 Chaudon
(1737一 1807) は学識豊かな 編纂者であ り, r反 哲学辞典
け767年,以後増版) を著し 『哲学辞典』に対抗した。
その他の聖職者たちもヴォルテールの『哲学辞典』に
対する論戦によって 名声を得た。 例え
コ
ば,教会参事会員
Antoine
スの 作品から聖パウロの
手紙
コ
Guen
色
e の場合, イエス・キリストの 復活と改心に 関するイギリ
布教を翻訳し
『ヴォルテールへのポルトガルとドイツのユダヤ
(Academic@royale@des
(1769 年以後再版 ) による成功によって ,碑文・文芸アカデ
Inscripti0ns
&
Belles-Lettres) の会員となった。 その他, Paulian
人の
や
rabb Franoois
色
もヴ
論戦を行なったことで 名を残した。
論戦の多くはいわぬる 論文形式では 行なわれず, 多数の大衆に 好まれる可能性が 高い形式を
採用して行なわれた。 Chaudon, Paulian,Nonnotte は彼らも受け 入れている流行を 利用すべ
ォルテールと
く辞典を作成したのであ る。 これについて , Chaudon
は明確に次のように 説明している :
「辞典には真実を 入れる必要があ るが,辞典には 誤りが入れられた。 不信心の唱導者た
ちは毒をまき 散らすためにあ らゆ 8 種類の形式を 用いる。 宗教の防衛者たちも 自分た
ほ というものは 現代の・流行
ちの薬を味わわせる 手段を探さないのか。 アルファベット Jl
によって,読者を 得たいと居、うのであ れば, これに十分に 適応しなけばならない。
」
Paulian
と
Nonnotte
はその辞典の 序論で,アルファベット Jl
項で中断が,起こることに 困惑し
ており,項目を 再構成していく 辞典の読み方を 強く勧めてい
しかし 哲学辞典』には 逐
一反応せざるをえな い状態で,教条的な解説の中に挿入されている 項目を参照させるだけでは
不十分であ るかもしれないというとを 彼らは皆 自覚しているのであ る。Nonnotte は自分の辞
典にキリスト 教徒の対話を 導入して, ヴォルテールと 競お としてさえいろ。 例えば,ヴォル
テールが哲学的対話の 形で項目を呈示することで 主題を活写したように , Nonnotte も「奇
跡 」の項目では 同じ方法をとったのであ る。Bergier は『キリスト 教の擁護』の 論証のため,
「続き」や「『哲学辞典』の主要項目への 反論」をイ寸け加え次のように 述べている :
「『暴かれたキリスト教』について 考察をしているときに ,われわれは『哲学辞典』の
下
う
ヴォルテールの『哲学辞典』とその 周辺
39
いくつかの項目を 検討する機会があ り, そこでわれわれは 決していかなる 書物もそれ
を飾っている 表題にはふさわしくないことを 指摘したと思う。 題目の流れを 辿る必要
性から, われわれは他のいくつかの 項目に異議を 唱えることができなかったが
ら
,
それ
0 項目はやはり 検討すべきであ る。
5l
け
こうして, 説明を一貫させようとして
,
」
『哲学辞典 のかなりの項目に 対して何の反駁もな
コ
いままにされていた。 これらの辞典の 著者たちは, ウオルテールがゆるぎなきように 配置した
項目をすべて 再検討しようとはしない。 しかし著者たちは ,最も重要な文章あ るいは最も危
険な文章には 反論しようと 気を配っているし
自分たちに必要と 思える項目を 付け加えてい
る
。 N0nnotte
においては,「信仰」「玄義」「地上の 楽園」の項目が 指摘されるし
においては,「堅信」「福音書の 教え」「十戒」といった 項目および
ウオ ルテールは特別には
じなかった他の 多くの項目が 指摘される。 「哲学辞典 のいくつかの 暗示に対しては ,
コ
がこれと全く 対等に次のような 項目で反論している。
Paulian
論
Chaudon
それは「異教徒, その救済について」
「ティアヌ のアポロン ヌ 」「 ウ ァニ 二 」「 パ、
ノドラ の 月子 ,
イェス」であ る。
Gll 色 n 色 e は, 18 世紀に・流行していた書簡の形式を 用いて新しい 試みをしているが ,彼も同様
に『哲学辞典』の 項目に対するより 直接的な反論であ る「ささやかな 注釈」を挿入している。
この書簡と注釈は 極めて論争的であ る。他の護教論者がキリスト 教の真理の回復を 最重要視し
ているのに対して , Gu 面さe は何とかその 過ちの現場を 押えようとして ,
まず最初から 敵対者
に辛辣な批判を 加える 快感に身を任せている。
『哲学辞典』は義侠の,騎士の使命感を思わせる決闘の 申し込みといった 感じをも与えていた
のであ る。 この辞典に対決するものの 中で,ナンシ 一図書館所収のあ る匿名の草稿が 呪咀 者の
文体と教条的な 堅苦しさが目立つとされる。 これは出版されなかったようであ るが, 当時次の
ような表題であ ったことが指摘されている : 『携帯哲学辞典,改訂初版, あ るいは暴かれ 明る
みに出された 哲学辞典におけるヴォルテールの 奇妙な悪賢い 仕業』
また, 1768 年には次のような 匿名の作品が 著された。 これは F あ る同胞作家による ,いわぬ
る哲学的上品 さ , あ るいは携帯哲学辞典の 著者に反論するキリスト 教の真理の弁護』であ る。
表題が示すように , この「同胞作家」は , 真の「上品 さ 」が「神託の 権威に対する全面的な 従
順さと,英知と誠実と正義による 行為の中に」あ ることを証明できると 自負している。 著者は
流行に乗った 尋常ならぬ人物と 戦わんとして , この「上品 さ 」という観俳を 提唱し社会の 中
に身を置くのであ る。 しかし この著者は啓蒙運動の 重要性を過小評価している。 この作品の
緒言と序論で , 彼は哲学者たちが 異教徒の古代の 作品口を読んだとして,
また哲学者たちが 取り
上げた誤った 宗教の危険な 体系をその作品に 見出したとして 非難している。 したがって, この
作品で,理神論の教理問答と見なされる『哲学辞典
の中に隠された 異教を告発できると 予想、
されたのであ る。 ところで, この反論は少しも 見込み通りにはならない。 その項目,「偶像,
偶像崇拝者,偶像崇拝」は 少しも注意を 引くところがない。 『哲学辞典』のローマ 神話も中国
神話も疑問に 付されることはなかった。 この作品は,好奇心をそそるのかように「 章 」と題さ
コ
れる 29 項目から構成されているが ,
その論証は非力でそこにはおそらく
従順で時として 視野が
狭い信徒の反応に 注意を促そうとする 意味が持たされているようだが ,結局は神学上の議論が
わずかにあ るだけなのであ る。Bergier のような神学者が 逐一議論し文章を 引き合いに出す
場合, この『キリスト 教の真理の弁護』の 著者は,「真理」を 振りかざすだけに 見えるのであ
る 。
18 世紀の護教論の 文学は広大な 大陸に例えられる。 啓蒙哲学が広がっていく 流れを塞き止め
天理大学学報
40
るために,この 護教論者たちは ,
r百科全書刀『好戦的哲学者』のような
秘密文書,ルソ一の
作品,特に『サヴォワ の 助 仁司祭の信仰告白山
ドルバックの 唯物論の文書を 攻撃する。 さら
に彼らは,たとえ『寛容論凹を 度々非難したとしても ,何よりもまず最初に対決の 目標として
ると考えるのであ る。 この時代に名指されたすべ
挙げるのはヴォルテールの『哲学辞典』であ
ての不信心とされるものの 中で,最も大胆不敵で ,最も危険とされる 論著の位置に 到達したの
であ ればこそ,『哲学辞典』は ,その誤謬を書き留めるにあ たってはくどくどと 財すことが多
く,時折は正当とされても ,大抵は賀雙を買い,解釈の次元では保守主義の 特徴を示しさら
に教会が有する 特権 を保持しようとの 意志を示すといった 批評に屈服させられる。 したがっ
て,ヴォルテールが犯した「違反行為」の 本質を分析しなければならないのであ
る。
W
『哲学辞典』のスキャンダルは 宗教的であ ったが,政治的に 悪用されていっ
つまりこの
辞典は,公共秩序,社会,国家および
良俗を侵害する 書物であ ると非難されたのであ る。宗教
と政治は,教会に 帰属するものを 除いては,公共道徳など 少しも考えることなく ,さまざまな
社会で密接に 絡み合っていた。 ヴォルテールの 作品は,カトリックの 世界におけると 同じくプ
ロテスタントの 世界においても 全く攻撃的であ ると受け取られるが ,カトリックの反論は国家
の権威に訴えるのであ り,これに対しプロテスタントの 反論はヴォルテールの 不信心を告発す
るに留まるのであ る。
フランスでは 教会制度と政治制度が 相互に支え合っていた。 王座と教会の 同盟に基礎を 置く
アンシャン・レジー ム においては,政治は 宗教のヒエラルキーから 神聖性を受け 取り,教会は
異端
と
と
見なすものに 対してしかるべき 権 力による処罰を 要請する。 Paul 団 。 ㏄ur は,「敬虔さ
制裁との間のこの 交換は交差する 楽器の関係となり ,その場合それぞれの 制度は一方に 欠け
は,あ
受け取る。
,宗教にとって
。
るものを他方から
るいはむしろ 教会にとっては
つまり政治にとっては
強制による身体的聖なるものによる
力 」であ ると解説して
精神的 力
ノ岩
以上の状況から Chaudon
が
Abbeville の事件に関する 執勘な警告を行なったのであ
る。彼
は若 い 罪人たちに刑を 宣告した 1765 年 3 月 19 日のパリ高等法院の 判決を再現するだけでなく
,
自らの辞典の 項目「迫害,独断的な 不信心者は罰されねばならないのか」において ,この事 牛
の例を拠り所としたのだが ,それは若い燕信仰者たちを 魅惑した哲学者たちが 自由であ るの
ィ
に,あの若い燕信仰者たちに 火刑を宣告したことに 驚きを示したことであ 援 。 また,『いわゆ
る
哲学的上品
た過激㍍為は
さ
] の匿名の著者は , AhhRvinR
,この「毒を盛られた」書であ
でイェス・キリストと 聖母の像に対して 犯され
る
T哲学辞典』を 読んだことが 原因であ ると断言
している。 その劇的結果となった 日常茶飯事の 悪意の解釈があ って,このスキャンタルが 拡大
されたのであ る。 不幸な青年 La Barre に対して何の 慈悲の言葉もない。 それに反して ,哲学
者たちが潜在的な 罪人として公共秩序を 乱す犯罪の黒幕であ ると「 反 哲学者」たちは 見るので
あ る。
Bergierは不信仰者を 弾圧できる司法官の 権利を主張している。 『哲学辞典』の 項目「無神
論者,無神論」において ,ヴォルテールは ,おそらく誤って無神論のかどで 告発され,死刑を
宣告せられたナポリの 神学者 ヴ アニ ニ について言及していた。
これに対して ,
Bergier
はヴア
ニ二の真実の 感情が何であ るかを知ることは 少しも大したことではないと 反論し彼が極刑に
値すると言うには ,彼の教育が有害であ るということで 十分であ ったと玉帳 してい 援。 Chaudon によれば,確立された 秩序をその著作物によって 脅かす者はすべて 終身幽閉されるべき
ヴォルテールの『哲学辞典』とその 周辺
41
なのであ る。
この確立された 秩序というものは ,
カトリックの ,
ローマ教皇の ,
そしてローマの 教会の権
威, そしてそれらと 君主制との同盟, さらにこの 親 秩序に決して 従わないすべての 者を破門す
る権利といったものが 公認、
されていることを 前提とする。 『哲学辞典』は, この見地に立てば
承認されない。 そこに注目されるべき 妥協など少しもなく ,ヴォルテールと 教会の立場が 折り
合うことはないのであ る。
確かに,ヴォルテールは 派閥の状態に 縮小したすべての 宗教を軽視する 万人救済論という 使
命から有神論のために 戦った。 『寛容論』では,普遍的寛容が行き渡るために ,彼は「すべて
の 存在の,すべての人間の,すべての時代の神」に 訴える。 教義と儀式はどうみても ,決して
「嫌悪と迫害のしるし」となってはならず ,「わずかな 微妙な差異」にすぎない。 天啓宗教
も,選ばれた 民のために予定された 宗教も全然あ りえない。 残るのは普遍的な 教理問答の不変
の見地であ る。つまり「神は 存在する, したがって正しくあ らねばならない」 (「派閥」 ) ので
あ る。 真理が明白であ るとき,派閥や徒党が生まれることはあ りえない。 したがって,「い か
なるたぐいにせよ 派閥はすべて 疑惑と誤謬の 集まりであ る。 スコ トゥガ派, トマス派.実俳論
者,名目論者,教皇制札賛者,
カルヴァン派,モナリ 派,ヤンセン派は仇者 にすぎない。」ヴ
ォルテールは ,
こうした信仰の 捷の遵守が混乱の 要因でないとすれば ,大衆の物笑いにしか当
らないとする。 この項目にはさらに 次のように記されている :
「だが,死ぬときは 牛の尻尾をつかんでさえいれば 神に嘉せられると 主張する人,包皮
を切ってもらいたがる 人 , ワニや玉ネギを 聖別する人,肌身はなさぬ 死者の骨やニス
一半で買うローマの 全脂宥に 永遠の救いを 認める 人 ,彼らは地上のすべての 者から口
笛を吹かれる」 (「派閥」)
, あ る派閥の宗教の 核心であ るものが,他の 派閥においては 迷信 と 見
なされるのであ るから (「迷信」 ), この見解の対立を 解決するには 力に頼ることになる。 この
ことから狂信が 原因となる一連の 戦争や虐殺が 起るのであ る。 したがって,理性の 支配を推し
進めなければならない。 1765 年に付け加えられた 項目「神父」では 次のような警告が 発せられ
ヴォルテールによれば
る
: 「理性の日の到来 に 怯えたまえ。
」
対僻する党派とは 次のようなものであ る。一方では, 自らを唯一の 受託者,唯一の代弁者,
神によって示された 真理の唯一の 保証人と信じる ,王国の伝統,特権
的地位を有する 強力な教
会があ り,他方では ,理性のものさしに 全面的に従おうとする 批判的精神の 持ち主がいる。 こ
のとから衝突 へ 同 3 暴力が生まれるのであ る。 ウォルテールが 挑発的言辞を 蓄積し, 冒漬 的な
歓喜にひたってしまうのに 対し,見事な 神父たちは容赦なく 彼を地獄へ落とす。 Bergier は 1778
年にパリでヴォルテールの 死について次のように 記している :
「私がパリに滞在していた 時 ,ウォルテールは当然そうなるにちがいなかったのだが
,
神から見放された 者のように暗い 絶望の中でくたばった。 Saint-SuIpiceの主任司祭
は乃
によれば,彼は 死の二週間前にはすでに 地獄に落とされていたⅡ
ヴォルテールは 膀胱癌で死んだ。 だが彼の死をきっかけに 極めて下劣な 悪口が広がっていっ
たのであ る。
晩年,戦い はさまざまな 戦線で展開した。 聖書注釈の場,歴史の
場,社交界の只中,政治と宗教の関連の 場というように。
しかしヴォルテールの
神の前の偉大な 聖書の読解者ウォルテールは
,
あ の「 ユ タ ヤ 民族の歴史」に 魅惑されると 同
時に嫌悪感を 抱いていた。 彼は旧約聖書をそういう 意味に捉えていた。 キリストの教訓に 関し
天理大学学報
42
ては,彼はイェスに 立法者を認めるが ,受肉した神という 概念は拒否している。 彼は世俗吏 に
おいて承認される 根拠をイェスに 適用するために ,聖なる歴史という 観念を放棄する 聖書の読
解を採用する。 それは聖書の 不統一と奇妙さを 書き留めることと 諸原典の比較とであ る。 とこ
ろで, それは べ ネティクト派の Ca@et による 24 巻に達するⅠ旧約・ 新約聖書の全巻に 関する
逐 詩的注釈 よが 証明するように ,聖書が全体的に 神によって書き 取らせたという 考えが優先す
るのであ り, ヴォルテールはこの CalmRt の著書から多くを 取入れている。
こうして,ヴォルテールは 聖書の偉大な 人物の歴史を 批判的に検討する。 例えば,次のよう
に イザク の死に際した 神への服従を 書き落としたアブラハムは 妻の美貌を利用した 嘘 つきとな
る
「彼がノ ンフイ ス に連れていった 妻 サラは , 彼にくらべるとまるで 子どものように 年若
であ った, というのも 彼なは 65 歳でしかなかったからだ。 彼女が大変な 美人だったの
で,彼はその美貌を利用しようと 決心した。 「あ なたは私の妹のふりをしなさい」と
彼は彼女に言った。 「そうすれば,
人 びとはあ なた目当てに 私を助けるでしょうⅡ
むしろ彼女にこう 言うべきであ ったろう,「あなたは私の娘のふりをしなさい」。 王が
若い サラ に思いをよせ ,
自称兄に 多くの 羊 , 牛 ,雌雄のロバ,
ラクタ,男女の 奴隷を
与えた。 (「アフラハムり
この主張に対し 護教論者はアフラハムは 決して嘘をつなかったと 声をそろえて 反論する
が ,それはサラ が同じく異母兄妹だったとするからであ
る。 ヴォルテールが サラ の80 才という
相当な年今での 妊娠を冷笑するとき ,護教論者は意見を異にする。 すべての 王 たちを夢中にさ
せ,・「妊娠しているが。
相変わらず若く ,相変わらず美しい」妻を 伴ったアブラハムの 遍歴を
ヴォルテールがコント 風に物語るのに 対し, Chhaudon は,次のようにサ さが美しかったこと
」
を 証明して, ヴォルテールに 真剣に反論する
1. 顔色が鉛色で 日焼けしているエジプト 女性との比較によって。
2. 彼女は127 オ まで生きたので ,彼女は全く 若い盛りであ ったとの理由から。
3. 彼女はその年会まで 子供が全然なかったから , それだけ一層若かった。
4. 要するに,特別な偉倖によって,彼女が若い盛りとあ らゆる魅力を 保持した。 そ
してそれが同時にアフラハムに 新たな空引
束 きさせるためでもあ ったことは当然であ る。
,注釈者が微妙な文章の説明のため 念を入れる寓意的説明を 拒否する。 こう
して,彼は次のように ,エルサレムのひどい 退廃を描いていると 見なされるエゼキエルに 関す
ヴォルテールは
る
文章を好んて 露骨に書き写している
:
一人の娘に語りかける 主を紹介する。 主は娘に言う 「あ なたが生まれた
とき, まだ謄の緒も 切らず, [. . . .] 素裸のあ なたを私はあ われんだ。 あ なたが成
エゼキエルは
長し乳房は形をととの え, 休に毛が生え ,
[. . . .1 私はあ なたの恥部をかくし
外套を着たままあ なたの上にのしかかり ,あなたは私のものとなった。 [. . .]
と
ころが,あ なたは自分の 美貌をたのみ ,通りかかる誰とでも好き 勝手に姦淫をおこな
い [, . . .] 悪所を建て
[, . . .] 広場で売淫し ,そばを通る 者すべてに脚をひろ
げ...」
(「エゼキエ ル り
護教論者は憤,慨して,ヴォルテールの中に狼爽 な言葉の愛好者「淫奔な 博士」を指摘し 告発
した。
次に, ヴォルテールは 神の御心 に従 3 人間,善良な王グヴィ デ が犯した嫌悪すべき 行為を指
摘する
:
ヴォルテールの『哲学辞典
囲
43
とその周辺
「ダヴィデは王国全土を手に 入れた。 彼はラバという 小さな町 か 村を急襲しおよそ 異
様な責苦 で全住民を死なせた。 鋸で挽き, 鉄斧で裂き,陶窯で焼く, というまったく
高貴で寛大な 戦争のやり方であ る。
こうしたすばらしい 征服の後, その地方に姉年にわたって 飢鍾が起った。 実際そうで
あ ったと思
う
,
というのは善良なタウィ デ の戦争のやり 方で大地に悪 い種がまかれた
にちがいないからであ る。 (「タウィデコ
また,項目「ユ タヤ列 王記」において,ヴォルテールは 数行にわたって 一連の恐ろしい 暗殺
を列記している。
さらに, ヴォルテールはつぎのように 非常識な事が 神聖祖されることを 拒否している :
われわれから 栄養を奪って 肥えた人びとがわれわれに 対して叫んでいる ,「
牝 ラバが
語ったと信ぜよ ,魚が人間を呑みこみ,三日後に無事に浜辺に 連れもどしたと 信ぜ
よ,世界の神がユグヤ人の預言者に 糞を食べるように 命じ (エ ゼキエル ), 別の預言
者に二人の淫売婦を 買い,彼女らに 彼らの息子をつくらせるように 命じた (ホセア )
ことを疑うな。 [それらは真理と 純潔の神に語らせた 言葉そのものであ り, ] 明らかに
忌むべきあ るいは数学的に 不可能な事柄を 信ぜよ, さもなければ 隣 潤の神が何億万年
のみならず永遠にわたって 地獄の人であ なたがたを焼くであ ろう, あ なたがたに肉体
があ ろうと, なかろうとも」と。 ㏄無神論者,無神論り
したがって, ヴォルテールは 風刺と皮肉に 奔ることも多いが ,聖書を常に神聖祖 しない読み
方を実行している。 彼は教会と真正面から 衝突することになるが ,教会は伝承に応じた教会と
しての解釈を 維持しており ,
『
@ 約聖書の批判
如
(1678) を著した 団 chardS
㎞ on
を注釈上
の研究を理由に 告訴さえしたのであ る。
Bossuet は 1678 年にその Simon の新約聖書の 翻訳を検閲した 上で禁止させ , その聖職者の
職務を停止させた。 教会は聖書の 読書を禁じてはいないが ,聖書解釈の権利は教会で保持して
いた。 護教論者は旧約・ 新約聖書に関わる『哲学辞典』の 項目を反駁するとき ,初期教会の教
父たちからの 引用を根拠として ,支配的な力を 持つ伝承の有効性を 証明しようと 努力するので
あ る。
教会とヴォルテールの 対決の次の理由は 歴史の領域に 関わっている。 ヴォルテールは @口約聖
書の最初にあ るモーゼ五善を 疑 い,
ソロモンが雅歌の 作者であ ることに異議を 唱え,外典福音
書の存在を思 い起こさせた。 (「モーゼ」「ソロモン」「福音書」
) 彼は諸宗教と 比較した歴史に
よって ,
選ばれた民の 傲慢さを論証したのであ
る。 ヴォルテールはノアの 洪水や人間創造の 神
話との比較も 行なっていった。 そこで異教のフィクションと 聖書のフィクションから ,項目
「寓話」「変身」「奇跡」で目立つ共通点が 明示される。 彼は古代の宇宙進化論やエジプト 人か
らのユダヤの 民による借用があ ったことを強調する。 例えば,天使の名はカルデア 人に由来
し 割礼や婿罪の 山羊はエジプトに 由来するとの 指摘であ る。 したがって, モーゼ五善が 宇宙
全体に霊感を 与えたと強調した
Avranches
の司教 Hue 仁による『福音書の 証明』に対し ,
ヴ
ォルテールは 正反対のことを 述べている。
ヴォルテールは 新約聖書とキリスト 教の歴史に関しても 同じ態度であ る。項目「キリスト 教
(Christianisme)」では,福音書の中で語られることに 関してユグヤおよび異教の 歴史家が沈
黙していることを 指摘している。 ヨセフはキリストについても ,
ベロデ 王による幼児殺害につ
いても, イエスの 死 まつわると思われる 驚くべき現象についても 全く詰らなかった :
「人間がかつて 聞いた噂の中でもっとも 奇蹟的な事件について 詳細な報告を 皇帝や元老
天理大学学報
44
院 に送ったはずのローマ 人 総督や駐留ローマ 軍の眼前でティベリウス 治世上に起った
以上の不可思議についてローマのいかなる 歴史家も詰らなかったことに 学者たちはた
えず驚きを示してきた。 ローマ自体が 三時間も濃闇の 中に沈んで か たはずだしこの
った。
小恩
ト教」議は
) ローマおよびあ
らゆる国民のヰ
代記に記入されるべきであ
」
(「キリス
ヴォルテールは ,『哲学辞典』で 断片的に考察を 試みるキリスト 教確立の歴史では ,メシア
(「メシア」「キリスト教」 ) の人物に関して ,使徒 ドパウロ」) に関して,教皇政治の 犯罪と
算奪 (「ペテロ」
) に関して疑問が 生じることを 強調している。 項目「パウロ」には「パウロに
関する質問」という 副題がついており ,そこでは聖パウロの 行為に関する 異議とパウロの 改心
と第七天への 旅に関する疑問が 提示されている :
「私がこうした疑問を ぃ だくのは自分の 教化のためにはほかならないし
私の教化を望
む人が合理的に 語ることを私は 要求する。
」
理性の権 利を振りかざすことは ,流行していた旧約象徴論者の 典型的な説明を
であ った。 こうして彼は 次のように神秘的ないし 寓話的な意味が 込められている
拒否すること
奇蹟に関する
疑問を示す :
「その季節でもないのに 実を結ばなかったからといって
呪われた枯らされたイチジクの
樹,豚を飼わない地方での豚の 体内に送りこまれた 悪魔たち」 (「キリスト蛾目
ウォルテールは 教会の歴史の 上に無遠慮な 理性の光を投げ 掛け, コンスタンティヌスの 信用
を落とし (「洗礼」 ), 原罪や天使の 落下という本質的教義が 後になって出現したこと
(「原
罪」 ) を強調した。 項目「公会議」では ,次のようにまず皮肉を込めた 説明をしている :
「あ らゆる公会議は 無謬であ る,多分そうであ ろう, というのも,公会議を 構成するの
は 人間だからであ る。 これらの集会を 激情,陰謀,論争,憎悪,嫉妬,偏見,無知が
支配することはあ
りえな い のであ る。
」
理解不能で矛盾する 決定をした議論に 暴言の痕跡を 強くとどめるこれらの 集会の中で,イェ
スの神性と三位一体の 玄義と同様に 基本的な観念が い かなる神聖な 霊感も受けずに 念入りに 準
価 されていたのであ る。
した。
地も
,その護教論者は
㍊イエスは神学上の
護教論者の屈理屈は
覚書もまったく
仮面をつけた著権
わさなかった」山王と
力の意志のあ らわれでしかないが
不正」 ) と ヴォルテールは 抗議
キリストの教訓を 歪めたのであ る。 さらに,「イエスは ユグヤ 人であ ったが,われわれはユタ
イエスは割礼を 受けたが,われわれは 包皮を保っている。 ・・・・ イエ
ヤ人ではない ,,,,
し
スは自分の肉化と 尊厳の神秘をつねに 隠し 自分が神にひとしいとはけっして
イエスは教皇にアンコ チ の辺塞
以上によく注目しようとするならば
,
述べなかった
スポレットの 公爵 領 も与, えなかった。
ローマ教皇のカトリック 教はその祭儀および 教義のすべ
てでイエスの 宗教と対立するものであ る。 ( 寛蓉 ) 教会は福音書を 裏切ったし,神の捷 つ
」
「
」
まり神が人間に 与えた理性と 道徳の原理をも 裏切った ,
と
ヴォルテールは
次のように断言す
る
神はけっして 変更しなかったし 変更することもできない。 われわれの魂の 根源, わ
れわれの理性と 道徳の原理は 水久に同一であ ろう。 神学上の区別,その区別にもとづ
く教義,その 教義にもとづく 迫害は,喜徳にとってなんの 役に立つであ ろうか。 この
野蛮な行為にびっくりして
猛然と反 擬 する自然がすべての
人間に呼びかけるのだ
r公正であ れ,排他的調弁家になるな」と。( 正 と不正
1531
)
「
」
,
ヴォルテールの『哲学辞典』とその 周辺
ヴォルテールは
告発は ,
45
自らの責任として ,憤慨しつつ雄弁によってあ ふれでる告発を 続ける。 その
愛の宗教であ るキリスト教が 終わりなき 殺 顔を生み出す 元凶となっていることであ
る
「充分証明ずみの 見事な残虐,充分確認ずみの 立派な殺顔,実際に殺され,積みかさね
られた父母,夫婦,乳春子から流れる 血の河を示せというのか。 恐るべき迫害者たち
よ,真相はあ なたがたの記録の 中を探せばよ い のだ。 それはアルビ 派にたいする 十字
軍, メランドール
と
ガブリエルの 虐殺, 聖 バルテルミ一の 恐ろしい祝日,アイルラン
ドの虐殺, ヴァルド派の 峡谷, に 見か だされるであ ろう。 (「殉教者」)
」
これについで ,風味な皮肉がつぎつぎと 現われるのは ,
この皮肉によって「吹き 出したくな
る」殉教者の 話,つまり「最古の 処女を失わせる」刑を 宣告された セ 十オの七人の処女の 話,
生来のnE りで,舌を切られると 能弁に喋り始めた 聖 ロマ ヌス の話が詰られる 場合であ る (「殉
教者」 ) 。 こうした皮肉によって ,教皇たちの驚くべき犯罪の 一覧表が暴露されるとき ,ヴォ
ルテールは決して 情け容赦しない :
ストゥルビ
メ
スは言った, よく考えるならば ,教皇の神聖と 無謬を疑う人びとを 許す
ことができよう ,
と
。
四-ト 四回の教会分裂が 聖 ペテロの教壇を
た,
汚し二十
セ 回の教会分裂がそれを 血で染め
と 。
司祭の息子ステファ ヌ ス七 世は 前教皇フォルモス ス の遺体を堀りだし ,
を 切った ,
その死骸の首
と 。
殺人の罪を認めたセルギウス
三世はマロ ジア に男子をつくらせ ,
それが教皇職を 継い
だ, と 。
テオドラの愛人ヨハネス 千世は彼女の 寝台で掘 殺された,
ヨハネス十一世はその 放蕩 で知られる,
と
聖 べ ろ ディクトゥス 九世は教皇職を 売買した,
と 。
と
。
グレゴリウスセ 世はその後継者たちによってつづけられた
と
セルギウス三世の 息子
。
ヨハネス十二世はその 愛人の家で暗殺された ,
た人であ る,
と。
五百年間の乱を 引き起こし
。
最後に,野心家で血 なまぐさい多くの・淫蕩 の教皇たちのうちでもアレクサンデル 大世
0 名はネロ やヵ リグラのそれと 同様の恐怖をこめて 発せられる, と 。 (「ペテロり
「魂の暴君」 (「誤った精神」) は自分と同じ 意見でないものはすべて 迫害する。 「教皇や修道
士たちの権 勢を強め王国のすべてを 偽善者にするための ,驚嘆すべき全くキリスト 教的な発
明」であ る異端審問に ,ヴォルテールは 恥辱の言葉を 吐きかけた。 彼はその訴訟手続きを 明る
みに出す :
「どんな破廉恥な 人物の告発だけでも 投獄され,息子は父を , 妻は夫を告発できるし
告発者との対決はおこなわれず ,財産は裁判官の利益のために 没収される。 今日まで
の異端審問のやり 方は少なくともこうであ った。 そこには神聖な 何ものかがあ るの
束縛に手棒強く 耐えてきたことは 不可解だからであ
だ, なぜならば人間がこんな
る。 (「異端審問式
ヴォルテールは 思考の自由つまり 発言の権 利を要求し,「 人 びとを鉄鎖につなぐような 前代
未聞の権 限」 (「思考の自由」) を 偕敬する者たちに 反対する改善運動に 出る。 彼は聖職者にへ
り下る屈伏した 人びとは「調子を 合わせて黙々と 櫓をこぐ酒役刑囚の 平穏」を楽しんでいるる
」
天理大学学報
46
と
,その人びとの「魂が酒役刑に処せられている」と
, 考える。
『哲学辞典』は教会に対抗して 組立られた兵器であ り,教会の誤謬と 欠陥を点検し 教会の
権威を認めない。 心教区で役に 立ち,判断し 助言を与え,世話をする「司祭の 教理問答」の
善良な司祭 テオ チームが唯一免除される。 しかし司法官は 司祭を「支持しっつも 抑制し」
(「司祭」 ) なければならない。 「痴呆で残忍な聖職者たち」 鰻四旬節」) に対して不幸な 人びと
の糧で私腹 をこやしてきたあ の神父たち (「神父」 ) に対して,多くの 告発の言葉が 浴びせられ
る。 一読に値する 文学的特質を 有するこの携帯用の 作品の中に鎮められたこの 驚くべき告発に
よって , 『哲学辞典』は危険な書物となっていた。 護教論者たちは『哲学辞典』の 策略を暴き
だし,ヴォルテールの 評判を落とし 破廉恥行為の 現行犯として 彼を捕えようとする。 彼らは
数千夏 は達する反論を 並べ ,
自らの信仰のためだけにとどまらず
,教会の権威のために闘う。
Panlianの項目「哲学者」が 示すところでは ,彼らの重大な恐れは教会が 聖霊から授けられた
権威を奪われることであ 1591
る。Chhaudonが激しく非難するところでは ,真の哲学は従順と服従
の中に存在するのであ 1601
る。彼らが不服従の 精神が構築されるのではないかとの
恐れを抱きつ
つ ,『哲学辞典』を 取り巻くスキャンダルの
広がりの程度を 判断するため ,彼らの反論の中で
も最も穏健な『 い わゆる哲学的上品 さ 』に再び立ち 帰ることに決めるのは ,この作品によって
ヴォルテール 風の言葉とその 時代の誠実 (sincere) で従順な信者の 言葉を区別する 差異が明
るみに出されるからであ る。 この作品ではいか
ろ
異議も出させないために ,
また歴史的事実の
くだらなさを 叩くために,十分な 伝承に思いを 至らせることが 目的とされた : 「絶えず広く世
間に受け入れられて い て,千五百 ヰ 以上受け継がれてきた 事実の伝承は 誠実な人間 ues
hommesdebonnef0
けの間ではつねに 議論の余地のない 証拠であ ろ ザ。 」ヨセフスがキリス
トはついて語らないとすれば ,それは悪意からであ
滑な ユ タヤ人」にほかならないからであ
る, というのはこの 歴史家ヨセフスは「猿
る。 イエスに関して ,
この著者は「七つの 秘蹟につい
て語る際に, イエスが永遠の 生を受け,神と 同質の神の子であ ることをすべての 民族に教える
際に,聖霊が父と子より発するという 2 3 に,イエスの人格が二つの 本質と二つの 意志から成
ると,考えた」のであ る。 キリストが教会の 行な 結婚の秘蹟を 始めたことを 証明するため
う
に,
この著者は カナ の結婚の解釈を 行なうことを 考えついた : 「キリストは神の臨 左 によって
ガラリヤの カナ の結婚を神聖なものとし
夫婦相互の契りを 祝福しⅢ。」この確信に 立って,
この「同月色 作家」は,古代の奇蹟が「われわれの 聖なる書物の 中で読まれる 真の奇蹟にならっ
て想像されたフィクション」であ ることを,あ るいは 聖 ヒエロニムスが 牧神とサチュロスとに
首尾よく出会うことができたことを 断言できるのであ る。
このような確信が 現実の秩序を 強固にしていた。 護教論者は権 威を拠り所とし 権威に全幅
の信頼を寄せることで 十分であ った。 ところがヴォルテールはこの 平穏を激しく 嫌悪する。 彼
は疑問となるものを 集め,欠落したものと 悪用されたものを 人目につくようにし ,情け容赦な
目を開かせようとする。 この批判的思考に 基づいて確立された 総括から,教会とは 別個の権
力の分担を求め , 新たな権 利を求めるように 読者を導く。 『哲学辞典コは 項目「市民法と 教会
法」の提案で 示されるように ,世俗的なものを 宗教的なものから 分離する社会の 世俗移管の進
展を提起する。 国民はもはや 制度的に信者となるのではなく ,また少なくとも ,市民を信者か
ら 区別しなければならないとされる。
ヴォルテールは 宗教を根こそぎにすることは 狙わず,信
者の諸特権 を制限することを 目指していた。 すでに『哲学書簡』 (1734) において,彼は様々
な宗教的信条をもつ 個人が共に取引を 行な ロンドン証券取引所を U として示して ぃ甲 。 宗教
は,団結の要因であ る有神論が基礎を 築くまで待つこととしそれまではせ いぜぃ 私的事業で
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ヴォルテールの『哲学辞典』とその 周辺
47
あ るとし有神論が 無神論を追い 回すことのな い寛容が説かれた。 この寛容の要求に 対して,
護教論者は拒否の 叫びをあ げた。 一方で Abbe pranCois や Nonnotte は,教会が真理の 独占
権 を保持し キ
の教訓の独占的受託者であ
り,唯一の権威あ る代弁者であ ると主張
し 他方で Paulianたちには,寛容の説の中には知信仰しか 見えないのであ る。 これらすべ
ての者が「神学的不寛容」の 必要を説くことに 賛成したのであ る。
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本稿は Chnistia Ⅱ feMervaud
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の『哲学辞典のスキヤンダ
匂に拠るところが
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で; 回書に記されるように , 『哲学辞典』は「しかるべき 構造や価値および 精神構造の大混乱
のみをつねに 狙う強気の賭けによってスキヤンタルとなった」との
印象を与えるところが 多い
であ ろう。 しかし『哲学辞典』の 訳者高橋床が 同書の「解説」で 指摘されるように ,ヴォル
テールの顔がいかに 多くの顔に分類されようとも ,「ヴォルテールの 真像はますます 一つな
る 」のであ り, それは「哲学者」 二
オ ネットム」としての 姿であ ろう。 また同氏が「そこ
で 我 何を知るか」というモンテーニュの 名句をもじって
丁を矢口らさるか」とスコラの
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徒に言わせるウォルテールは ,あくまでフランス・モラリストの 伝統のうちに 生きつづけた」
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とされるところには 異論はないであ ろう。 『哲学辞典コの 「序言」には「しかもこの 本は啓発
された人間にしか 読まれないのであ る..・.一言で
言えば,哲学的作品は 哲学者だけのもの
であ り, あ らゆる誠実な 人間 け ネットム ) は哲学者であ ろうとつとめるべきであ り, またそ
れを鼻にかけてはならないのであ る」とも記されている。 ヴォルテールが 情報の渦の中につね
に身を置き, とくに数値を 正確に判断し 数学的思考の 身を任せたことは 周知のことであ る。
『哲学辞典』の特徴や著書の 本領を把握するためにはど
したがって, さらに高橋 氏が ,「では,
のような手段が 可能であ ろうか。 この膨大な量の 項目すべてに 論及することは 不可能であ る
が, もし開きなおって 一発勝負ということであ れば,私はためら
ところなく 魂」という項
目に賭けるであ ろう。 その理由には ,二つある。第一は, この項目が『携帯用哲学辞典』の 初
版本に登場してから『百科辞典への 疑問』 1770年版までに三回も 加筆され, 『哲学辞典』の 中
で最長論文になったことであ る。 第二は, この「 魂」という項目が 戦闘的な性格をもつ 本書の
中でもっとも 非戦闘的なテーマとみえるが ,実はそこにこそ 著者の根本姿勢を 問 べきであ る
ということであ る」と言われるところはとりわけ 首肯できるのであ る。 この項目「 魂」は次の
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ような言葉で 結ばれている。 「われわれは言いたい, われわれは神の 御言葉に頼る ,
と
。 理,性
神の敵であ る諸君, そのいずれをも 冒漬する諸君は , イソップ寓話の 中で狼が作半にやった
ように,哲学者の謙虚な懐疑と 服従を取りあ げ,哲学者に「先年,きみは僕の悪口を 言った
ね, だから今度はきみの 血を吸わしてもらうよ」と 言う。 これが諸君の 行為であ る。 ご承知の
ように,諸君は 賢者から侮辱されたと 思いこんで知恵を 迫害した。 諸君も述べているし
周知
のことであ るが,諸君は 自分にふさわしいことを 思いついた,つまり 復讐を望んだのであ る。
だが哲学はけっして 復讐しない。 哲学は諸君の 無駄な努力を 平然と笑殺する。 諸君が自分に 似
せて愚昧化しようと 望む人びとを ,哲学はやさしく 啓発するのであ るⅡ
と
ところで, 18 世紀のフランスで 普及した 岡 chelet の『フランス語辞典』には , Christianisme
く
「キリスト教」) という項目が 出ていないのであ る。 それほど「キリスト 教」について 語 るこ
とは当時は抑圧されていたのであ る。 ヴォルテールが『哲学辞典』を 作成するにあ たって,膨
大な量の情報を 正確に見据え , 厳しく資料を 調査し的確に 判断したことは 明白であ りそこに
「哲学者」二 オ ネットム」と 重なり合う人間像への 現実的な確信がはたらいたことは 疑う余
「
天理大学学報
48
地 はない。 この「 オ ネットム」には『哲学辞典
ているのであ る。
コに 独特の, ウォルテール
風の意味が込められ
以 上
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(1)
大塚幸男『フランスのモラリストたち』白水仕.1967.
(2)
p.21
同上書
p.14
22
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[法政大学出版局]
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渡辺一天日フランス・ユマニスムの成立』岩波書店.1958.
(5)
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1995.
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1860.
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(8)
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dn. Volt:taire, Gen vVe.oxford, 1968-1977.
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(23) 0p.cit, [Ch.Mervaud]p.g0-91
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(24)
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(39) op.cit. [DictionnaⅡ ephilosophiquel P. 4 周 訳 p. 7
(40) op.c 什 . [Chaudon
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(41) op.cit. [Dictionnairephilosophique]
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(42) Nonn0tte
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[Paulian] article, Tolerance)
[Mervaud '.Lescandale ‥. ] P.45
r哲学辞典』 (高橋訳@ 「解説」 p.602
回書「解説」p.599-f6no
op.cit. [Dictionnairephilosophique]
p.XXXII
同調 p. 4
前掲書 「解説」 p.599
op.cit. [Dictionnairephilosophique]
P.l5 回訓 p.18
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