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巻末付録 1 その他の主だった根付蒐集家とそのコレクション
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本論であまり言及できなかった国内外の根付蒐集家とそのコレクションについて略述し
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ておく。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold) 1796〜1866
オランダ商館の医師として来日したドイツ人の彼は日本から根付も持ち帰った。現在、
ライデン市国立民俗学博物館にある約 1,600 点の根付は彼の集めたものである。
ヘンリー・.シーモア・トラウアー(Henry Seymour Trower) 1843〜1912
彼は 1876 年から 1910 年まで根付の蒐集を続け、1912 年に大英博物館に一部を寄贈し
た。翌 1913 年に彼が蒐集した 1879 点の根付がロンドンでオークションにかけられ、その
うちの 48 点をアルベルト・ブロックハウスが落札した。
エドワード・モース(Edward S. Morse) 1838〜1925
1877(明治 10)年に来日した彼が大森貝塚を発見したことは有名であるが、彼は日本
滞在中にあらゆる民具や陶器も集めた。現在セーラムのピーボディ・ミュージアムに収蔵
されている民具のなかには彼が蒐集した根付 28 点が含まれている。
ジョン・ワーク・ギャレット(John Work Garrett) 1820〜1884
19 世紀アメリカの実業家ギャレット家の四代目であった彼は、印籠、根付、陶器など
日本美術品に興味を持ち蒐集したが、そのうちの 300 点近い根付がジョン・ホプキンズ大
学に遺贈された。
ウィリアム・トムソン・ウォルターズ(William Thompson Walters) 1820〜1894
ヘンリー・ウォルターズ(Henry Walters )1848〜1931
かれら二人は、石炭と製鉄で財を成した米国の資産家父子だが、父ウィリアムは 1862
(文久 2)年のロンドン万博で初めて日本美術の素晴らしさを発見し、それ以降、陶磁器、
刀、鍔、小柄、漆器と根付を蒐集した。そのコレクションは、1884 年には 4,000 点を越
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える大きなコレクションになっていた。1894 年、そのコレクションを託された息子ヘン
リーは、特に第一次世界大戦後に歴史的に重要な建造物や絵画の蒐集を開始した。米国有
数のコレクションになったかれらのコレクションはヘンリーの死後ウォルターズ家の屋敷
とともにボルチモア市に遺贈され、現在では美術館として一般に公開されている。収蔵さ
れている 149 点の根付のなかには、友忠の犬、正直の牛、岡友の猿や鼠、白龍の虎の親子、
青陽堂文章女の猪の牙に彫刻した蜘蛛など優れた作品が多くある。
W.L.ベーレンズ(W.L.Behrens)1862〜1913
彼は初期の頃の根付蒐集家の中で最大の根付コレクションを形成した。18 世紀の大柄
な人物や現在大英博物館に収蔵されている蘭林斎舟山作の「仁王」や京都正直作の「兎を
担ぐ南蛮人」、羅漢、鐘馗など迫力のある根付、そして懐玉斎の「山羊」、豊昌の「麒麟」、
友一の「鼠」、一貫の「麒麟」などの名品、さらには、風変わりな珍しい根付など、幅広
く蒐集した。それらを含む 600 点を超える根付は 1913 年から 1915 年にかけてグレンデ
ィニングスで競売にかけられ、計 2 回のオークションで 383 点の根付をアルベルト・ブロ
ックハウスが落札した。
ルイ・ゴンス(Louis Gonse) 1841〜1926
フランスの日本美術蒐集家である彼は『日本の美術』 (L'Art Japonais, Paris :A.
Quantin, 1883)において、明治維新後にヨーロッパに入った日本の美術工芸品の中でま
ず初めに人々の心を捉えたのが根付であり、短期間でヨーロッパの人に知られるようにな
った、と書いている。また、自身で 150 点の根付を集めたことだけでなく、個人的には象
牙彫刻より木彫に優れたものが多いと思う、といったことまで記している。
アルベルト・ブロックハウス(Albert Brockhaus)
1855 〜1921
有名な百科事典の出版者である彼は 1887 年(明治 20 年)に正直の「蛙」を買ってから、
パリとロンドンを訪ねるたびに根付を増やしていき、15 年の間に 1,000 点以上の根付を蒐
集し、さらに 1905 年(明治 38 年)にドイツのライプツィヒから『根付』(Netsuk
e)を出版した。西洋で初めて出版された根付に関するこの本は評判となり、1909 年(明
治 42 年)、1924 年(大正 13 年)にも重版された。初版本は上質の紙を使った、カラー
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図版 53 枚、モノクロ図版 272 枚を含む総ページ数 482 ページの、立派な紺の革の表紙で
綴じられている本である。
ウィリアム W. ウィンクワース (William W. Winkworth) 1897 〜1991
彼は、中国美術のコレクターであったスティーブン・ウィンクワース(Stephen
Winkworth)の子としてイギリスに生まれた。若い頃から幅広く美術に関心を持っていた
彼は大英博物館に勤務した後、グレンディニングスでカタログ作成の仕事をし、さらにサ
ザビーズのコンサルタントとしても活躍した有名な根付蒐集家である。1929 年からマイ
ナーツハーゲンの下で根付の研究を始め、1950 年頃まで蒐集を続けた。そのコレクショ
ンから多くの根付が、友人であったマーク・ハインドソン(Mark Hindson)に譲られた。
マーセル・ローバー(Marcel Lorber) 1900 〜1986
音楽家の彼は 1929 年に最初の根付を購入した。その後、公演のために来日すると、自
由時間のほとんどを骨董店巡りにあてた。第二次世界大戦後、1947 年に再び来日を果た
し、その時にレイモンド・ブッシェルと知り合った。彼は、その後英国に住み、マイナー
ツハーゲン、ウィンクワースやハイドソンと交流を深め、ロンドンの根付オークションの
常連となった。1980 年、自分のコレクションの一部をエルサレムのイスラエル博物館に
寄贈した。また、残りの 1,000 点の根付は 1986 年の彼の死後にサザビーズのオークショ
ンで競売にかけられ、その収益金はイスラエルのチャリティーに充てられた。
マーク・セヴェリン(Mark Severin)1906 〜1987
ベルギーの画家であり、著名な木版・銅版などの彫刻家兼グラフィック・デザイナーで
あった彼は少年の頃、詩人であった父親に、美術を志すなら自然をよく観察し、日本人を
見習うように、との教えを受けた。1936 年頃から根付蒐集を開始した。最初は犬の根付
を集めたが、ウィンクワースのアドバイスもあり、対象を動物全般に広げ、遂には動物根
付の蒐集では第一人者になった。1987 年に 81 歳で亡くなり、1989 年にサザビーズ・ロ
ンドンにて蒐集した 157 点の根付が競売にかけられたが、その中には岡友、為隆、岷江、
虎渓、伊勢正直など 22 点に及ぶ犬の他にも多くの優れた作品が含まれていた。
アヴェリー・ブランデージ(Avery Brundage) 1887〜1975
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国際オリンピック委員会会長を長く務めた彼は東洋美術の蒐集家としても知られている
が、1929 年に最初の根付をシカゴで購入したのが根付蒐集の切っ掛けとなった。1959 年、
彼はサンフランシスコ市に膨大な東洋美術の一部を寄贈することに合意した。条件はコレ
クションの収蔵展示用の美術館を新たに建てることで、1966 年に新しい施設が開館した。
彼は 1959 年から、さらに完成度の高いコレクションを目指して蒐集を続け、1969 年にア
ジア美術と文化の委員会を立ち上げ、自立した美術館として運営ができ、新たな美術品の
購入や教育の為の予算獲得を条件に、2 回目の寄贈を実行した。その後も 1975 年に亡く
なるまで蒐集を続け、残りの東洋美術も遺贈された。サンフランシスコ・アジア美術館に
対しての寄贈と遺贈は 7,700 点に及ぶ。根付のコレクションは玉石混淆だが、1,500 点を
越す膨大なものである。
コーネリウス・ルーズべルト(Cornelius Roosevelt) 1915〜1991
彼はアメリカ第 26 代大統領セオドア・ルーズべルトの孫である。特に 1950 年代から
1960 年代にかけて熱心に根付を蒐集し、グロテスクなものやユーモアのあるものを好ん
だ。亡くなった翌年の 1992 年に彼の蒐集した約 500 点の根付がサザビーズ・ニューヨー
クのオークションにて売却された。また、彼の集めた世界中の根付に関する書籍や雑誌、
オークション・カタログはもとより、展示会カタログや新聞の切り抜き、手紙、パンフレ
ットに至るまで、1,000 点を越す文献はロサンゼルス・カウンティー・ミュージアム・オ
ブ・アートに寄贈された。
ロバート・グーゲンハイム(Robert Guggenheim) 1910〜1991
彼は日本の鯉や盆栽の蒐集でアメリカ有数のコレクションを築き上げたが、根付の蒐集
家でもあった。1970 年代後半から 1980 年代前半という極めて短い期間にハワイのバーナ
ード・ハーティグ(Bernard Hurtig)を通して最高級の根付を購入し、世界でも有数のコ
レクションを作り上げた。1990 年、ロンドンでコレクションの展示即売会が開かれたが、
友忠の虎の親子、山羊の親子、岡友の虎の親子、音満の二匹の山羊など数多くの名品があ
った。
ジュリウス・カチェン(Julius Katchen) 1926〜1969
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ピアニストの彼は音楽と同じくらいの情熱を根付蒐集に注ぎ、優れたコレクションを持
っていた。彼の死後も夫人のアーレット(Arlette)が蒐集を続けた。
リチャード・.シルバーマン(Richard Silverman) 1932〜
シカゴのトレド博物館に陶磁器の根付コレクションを寄贈し、サンドフィールドととも
に、トレドに一つの根付の拠点を作った。
ノーマン・サンドフィールド(Norman Sandfield) 1945〜
現在、根付書籍のリストと根付を所蔵する美術館のリストを作成している。シルバーマ
ンの寄贈を機に様々な文献を同美術館に寄贈した。
エドワード・ジョンソン 3 世(Edward Crosby Johnson、III)
富豪である彼のコレクションには現代根付を含む優秀な作品が多く含まれている。
鹿嶋號吉田(1846〜?)
京橋で紙問屋を営んでいた鹿嶋號吉田の蒐集品 500 点が大正 9 年(1920 年)に東京美
術倶楽部で売り立てられた。根付が纏まって入札されたのはこれが最初であった。売立目
録(故関戸健吾日本根付研究会名誉会長所有)によると、1920 年の売立の時には 75 歳で、
それまで 60 年以上袋物を中心に鋭意蒐集したと記されているので、十代の頃の幕末から
明治、大正を通しての大コレクターだったことが分る。
五代目清元延壽太夫(1862〜1943)
本名を斎藤庄吉といい、15 歳で初代清元菊壽太夫に入門し、1890 年に四代目延壽太夫
の養子となった。森田藻己と親交があり、人形町の文蔵(ふみくら)を通して藻己の作品
を数多く購入した。1936 年(昭和 14 年)11 月東京美術倶楽部で延壽太夫の愛玩品の入札
があり、根付は煙草入に付属したもののほかに単体で 40 点が出品されている。森田藻己
の根付は煙草入に付いたものを含めて 15 点あり、そのほかの根付では懐玉斎、光廣、忠
義、是真、夏雄、秀楽、東谷など幕末明治大正期のものがほとんどであった。格調の高い
名工による作品がずらりと揃ったコレクションといえる。特に加納夏雄の金菊の鏡蓋根付
と柴田是眞の浪に千鳥の蒔絵根付には洗練された美しさがある。
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佐々木忠次郎(1857〜1938)
明治、大正、昭和の昆虫学者で、東京大学在学中、エドワード・モースなどの指導を受
け、貝塚の発掘調査にも参加した。害虫や蚕の研究を行ない、多くの著書と論文を発表し、
没後その功績を称えて旭日重光賞が贈られた。佐々木がいつ頃から根付の蒐集を始めたの
かについては不明だが、1936 年(昭和 11 年)に出版された著書『日本の根付』(光融館書
店 )によると 1890 年頃ミュンヘン大学に留学していた時に、30〜40 点の根付を携帯した。
また、著者の所有していた根付 2,512 点の題材・作者名・素材・著者所有原簿番号が掲載
されているが、そのほとんどが無銘であり、民芸的なものがその大半を占めている。
上田令吉(1884〜1945)
彼の著書『根附の研究』は本論でたびたび参考にしたが、氏のコレクションに関する資
料は少ない。1930 年(昭和 5 年)3 月 20 日の『大阪時事新報』には、「電気協会関西支
部書記長上田令吉氏」の根付蒐集についての記事が掲載されている。それによると、虎渓
の虎、北斎の竹の皮と海老、友一の猿、一貫の鼠、懐玉斎の鶴の輪、出目右満の能面、光
廣の鯛と擂鉢、壽玉の骸骨、忠義の千鳥、無銘の猿楽面等を蒐集していたことがわかる。
また、1934(昭和 9)年 6 月には、東京帝室博物館に対して根付6点(清水富春作蜘蛛、
森川杜園作能人形、飯田玉琴作獅子、平井鳩斎作木魚、澤木正香作鼠、宮城直斎作面)を
寄贈したことが、昭和 9 年 12 月 10 日付『河内太陽』という新聞に掲載されている。『東
京国立博物館図版目録、印籠・根付篇』にて根付の画像を確認できる。1934 年に『趣味の
根付』を著し、1943 年にはそれまでの根付蒐集とその研究の集大成として『根附の研究』
を出版した。
稲垣規一(1907〜1992)
下谷区(現在の台東区)御徒町に生まれ、慶応義塾大学を卒業した後、1933(昭和 8)
年より 1947(昭和 22)年まで横浜、福岡、飯塚、佐賀、飯田、千葉、東京の地方裁判所
判事を歴任、退官後弁護士となった。1975 年に日本根付研究会(当時は根付研究会)が発
足した当初からのメンバーで、1977 年に日本根付研究会初代会長となり、1991 年まで 14
年間会長を務めた。日本根付研究会会報『根付の雫』に毎回根付に関するエッセイを寄稿
しただけでなく、美術骨董雑誌『目の眼』でも「根付の幻想」という連載コラムを担当し、
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洒脱でかつ教養溢れる文章を執筆して大いに根付の魅力を語った。そのエッセイを纏めた
ものが『根付讃歌』として 1991 年(平成 3 年)に里文出版から出版されたが、そのなか
には根付の図版が 135 点掲載されている。高度な技術を駆使して美しく仕上げてある根付
の多いコレクションであるが、特に京都正直の木彫根付「鶏」と懐玉斎の象牙根付「鼠」
は優れた作品である。
関戸健吾(1926〜2008)
山梨県出身で、慶応義塾大学大学院法学研究科を修了した後、東京都庁に勤務し、図書
館長、総務局副主官、都副参事などを歴任した。刀装具研究の第一人者で、長年日本美術
刀剣保存協会小道具審査員を務めた。1991 年に日本根付研究会第二代会長に就任し、
2005 年まで 14 年間会長を務めた後、名誉会長となったが 2008 年に死去した。著書に『刀
装金工後藤家十七代』(1973 年、共著)、『横谷宗珉の芸術』(1992 年、共著)があるほ
か、刀装、根付、印籠に関する多くの文章を残している。あらゆる観点から完成度の高い
コレクションを親から譲り受け、それを充実させた。特に 3 点の根付に注目したい。懐玉
斎正次の牙彫百花百草は、一つずつの草花を丁寧に透彫で仕上げ、紐通しから入ってきた
紐の留めとなる部分も裏から見ても美しいように丹念に作られている。森田藻己の羅生門
は、鬼が渡辺綱から腕を取り戻して逃げていく姿を、僅か 3.8cm の根付の中に迫力と動き
をもって表現し、コンパクトに纏めている。山田法實の木彫羅漢像には法實の自筆の手紙
が付いている。現在知られている、法實の筆跡と唯一確証できるものである。羅漢の物静
かな表情、身体の筋肉や骨の写実、衣の流れるような線など技術的な熟練が見られるが、
それにも増して、72 歳の法實の人となりが伝わってくる作品である。
木下宗昭 1943〜
2007 年 11 月、氏は清宗根付館を京都に開館したが、自身で蒐集した、主に現代根付約
400 点が展示されている。年に四回、期間限定の開館をしている。
その他にも、たとえば若山秀子(1924〜)、榑林美喜男(1942〜)、石原昌夫(1946
〜)、嶌谷洋一(1949〜)など、日本根付研究会の会員の中には優れたコレクションをも
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つ根付蒐集家がいることを付記しておきたい。なかでも榑林美喜男はウニコールを素材と
した珍しい根付を蒐集している。
以上、本論では取り上げることのできなかった、その他の主だった根付蒐集家とそのコ
レクションについて略述した。なお、煩雑を避けるために、参考にさせていただいた多く
の資料、出典、美術館や博物館のホームページ等については割愛させていただいた。
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