海を超えたヒロシマ・ナガサキ

2015
Japanese Overseas Migration Museum News No.39
Summer
■発行元:JICA横浜 海外移住資料館
神奈川県横浜市中区新港2-3-1 JICA横浜2階
Tel:045-663-3257(代)URL:http://www.jomm.jp/ ■編集発行人:JICA横浜 海外移住資料館 館長 小幡 俊弘
7/18(土)∼9/27(日)
今年は終戦70年を迎えます。
広島、長崎で被爆し、北米・南米大陸に移り住んだ人々がいることはあまり知られていません。当資料館では、北米・南米に移住した
被爆者のインタビュー映像や写真を展示する、終戦70年企画展示「海を超えたヒロシマ・ナガサキ」
を7月18日(土)から9月27日(日)ま
で開催します。
メキシコ在住のアーティスト竹田信平さんが、2005年から8年間に渡り、
カナダ、
アメリカ、
メキシコ、
ペルー、
ボリビア、
ブラジル、
アル
ゼンチン、パラグアイに住む60人以上の被爆者を取材。故郷から離れた土地で生活する彼らの胸の奥に閉ざされた記憶を、声と写真
を通して表現します。
さらに8月8日(土)には、竹田さんが監督した映画「ヒロシマ・ナガサキダウンロード」
の上映とパネルディスカッションを行います。海
外に在住する被爆者をインタビューすることになったきっかけや、
作品に寄せる思いなど、
竹田さんにお話をうかがいました。
インタビュー
アーティスト/映像作家 海外の被爆者をインタビューすることに
なったきっかけは?
竹田 信平
(たけだ しんぺい)
1978年大阪生まれ。アメリ
カ・デューク大学卒業。現在
メキシコおよびドイツを拠
点に活動している。記憶を
テーマとして、写 真、野 外
アート、
ドキュメンタリー映
画等を制作。著書に「アル
ファ崩壊:現代アートはい
かに原爆の記憶を表現しう
るか」
(現代書館、2014)等
がある。
www.shinpeitakeda.info
海外在住被爆者の
写真やインタビューを
まとめた
『海を超えたヒロシマ・
ナガサキ』
私は親の転勤で、小学校をドイツ、中学
校をアメリカで過ごし、
日本の高校を卒業
した後、
アメリカの大学へ進みました。
アメ
リカでは、日本のことをいろいろと聞か
れ、広島、長崎の原爆のこともよく話題と
なりましたが、私はあまり詳しいことを知
らなかったんです。
2004年に、広島と長崎の被爆者の証
言を、アメリカの映画監督のために同時
通訳するという機会があって、その時、原
爆のすさまじさや、いまだに残る恐怖と痛
みの記憶など、私の想像を超える彼らの
体験に、
とてもショックを受けました。
たまたま、私が住んでいたアメリカ・サ
ンディエゴにも被爆者の方がいて、話を
聞いているうちに、海外に住んでいるから
こそ抱える被爆者としての悩みや苦労が
あり、それを乗り越えていった強さにひか
れていきました。以来8年間、アメリカ、カ
ナダ、
メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、
ボリビア、ペルー、パラグアイに在住して
いる被爆者を訪ね、彼らがどのように原
爆の記憶と向き合ってきたのかを聞き続
けました。
インタビューを通して感じたことは?
さまざまな理由によって海外
へ 移 住した被 爆 者 の 中 には、
「広島や長崎で起こったことを
忘れたかった」
「 被爆者として
差別されたくなかったから日
本から逃げ出した」
と、日本を
竹田信平さん
離れたことをきっかけに原爆の記憶を捨
ててしまいたいと望んでいる人もいて、原
爆の話を他人にするのは初めてだった人
も多く、私のインタビューが最後の証言と
なってしまった人もいます。
でも、日本を離れ海外にいると、日本で
の出来事は鮮明で色あせることなく、
まる
で昨日起こった事のように、彼らの記憶の
中に刻み込まれていました。
そして、北米や南米の被爆者が語るス
トーリーを理解するには、彼らが移住した
背景や、
どのような環境の中で、
どのよう
な苦労を乗り越えてきたかを知る必要が
あると感じたのです。
展示で表現したいものは何でしょうか?
私はアーティストとして、原爆の記憶を
作品にして表現したいと思うようになりま
した。作 品にすることによって、体 験を
語った人と、それを見る人がコミュニケー
ションできるからです。被爆者というと、犠
牲者という目で見下しがちになるけれど、
実際は普通のおじいちゃんやおばあちゃ
んが体験していること、彼らの人生のたっ
た一日の中で起こった出来事なんです。
そう考えると、誰の人生にも起こるかもし
れない。昔のことではなく、現在進行形の
出来事だと感じてほしいんです。
展示では、被爆者のアルバムや当時の
写真を見てもらい、彼らがその時に何を
感じたのかを、みなさんの感性で、考え、
感じ、想像してほしい。彼らの経験を共有
してもらいたいと思います。
北米・南米に在住する被爆者
1945年当時の広島、長崎には、約3,000人のアメリカ人、さらには少
数ですが、ペルー人、
ブラジル人が住んでいました。彼らのほとんどは
若い日系人で、
「子どもの教育は日本で」
と考えた戦前移住者の二世た
ちでした。彼らは、太平洋戦争が起こると母国へ帰ることができなくな
り、原爆にあってしまったのです。
彼らの中には、戦後、再び母国へ戻った人が多くいました。また、被
爆し、
アメリカ人と結婚して海を渡った「戦争花嫁」や、
ブラジル、
アルゼ
ンチン、ボリビア、ペルーなど南米へ移住した人たちもいます。
21世紀初め頃の推定では、カナダ、
アメリカ、
メキシコを含む北米大
陸に約1,000人の被爆者が在住し、
ブラジル、
アルゼンチン、ボリビア、
ペルー、パラグアイなどの南米に約130人が在住していました。
※厚生労働省の発表では、海外在住の被爆者数(被爆者健康手帳所持者)は約4,450
人(2013年3月末現在)
ブロードウォーター美幸
(アメリカ・スポケーン)
「辛いときには、なぜ敵国のアメリカに敵国
の主人と結婚してきたんだろうって、たまに
そう思うときはあります。」
南米北米大陸在住の被爆者の分布図
資料提供:在ブラジル被爆者協会
海外被爆者の苦悩
海外では、原爆投下が戦争終結を早めたと考える人も多く、
日系人の中にも、強制収容などの苦難に終止符を打った出来事
と考える人がいました。そのような状況では、被爆者としての苦しみを打ち明けることはできませんでした。
幼い時に爆心地から遠い場所で被爆した人の中には、
自分が被爆者であることを知らずに過ごし、
日本に一時帰国したとき
に検査をして初めて知った人や、
アメリカの病院で、医師に被爆者であることを告げると態度が変わり、その後は予約がとれな
くなってしまった人もいました。
さらに、
アメリカの保険制度では、病歴のある人、健康状態の良くない人は、支払不可能なほど高い保険料を要求されること
もあるため、
もし被爆者であることが世間に知られたら健康保険を失ってしまうのでないかと心配する人が多くいたのです。
山下泰昭
(メキシコ・サンミギュエルデアエンデ)
サーロー節子(カナダ・トロント)
「だからあの時を思い出して、悲しかった、寂しかった、可
「被爆者の一人として、実際に目にして自分の身体
愛そうだった、だけじゃなくて、
じゃぁ、わたし今どうすれ
でそういうものを受けた者として、確かに後の世界
ばいいんだと。
じゃぁ、
あなたたち一緒に何が出来ますか
にも残していかなければならないものだと思う。
」
ねと。一緒に働きませんか、
と声をかける。そういう確信
(写真左)
写真提供:渡邊ゆみ
がないとお話しが出来ません。」
(写真右)
海外被爆者協会の設立
1950年代から60年代にかけて、医療的、社会的支援を受けることがで
きるようになった日本の被爆者に対し、海外に住む被爆者は「忘れられ
た被爆者」
でした。
彼らの切実な願いは、原爆症について専門知識のある医師の診察を
受けることでした。原爆の専門医は海外では見つかりにくく、適切な治療
を受けることができなかったからです。
1971年、
アメリカで「在米被爆者協会」を設立。
日米両国に訴え続けた
結果、1977年に広島県医師会を中心とした第1回北米健診団が派遣さ
れ、2年ごとの健康診断が受けられるようになりました。
また、
ブラジルで
も1984年「在ブラジル原爆被爆者協会※」を発足し、翌年、
ブラジル、パ
ラグアイ、アルゼンチンの3カ国で、広島、長崎から派遣された医師団に
よる被爆者検診が行われました。その後、ボリビア、ペルーの2カ国を加
えた南米5カ国で2年ごとに実施されるようになりました。
※2008年、在ブラジル原爆被爆者協会は、それまで被爆者だけの協会でしたが、現地の人
たちと共に平和活動を進めるため、名称を「ブラジル被爆者平和協会」へ改めました。
カーペンターすえ
森田 隆
(ブラジル被爆者平和協会会長 ブラジル・サンパウロ)
「8月6日の1.2kmの地点で生かされ、やはり私に
はやらなくてはいけない何かが仕事として残って
いるんだ、生かされているんだと思いました。」
被爆者はどこにいても被爆者
(アメリカ・サンディエゴ)
海外の被爆者は、来日して
「被爆者健康手帳」の交付を受けた場合に
「医者は、
これは特定の症
のみ、健康診断、病気治療の医療費の給付、健康管理手当等の支給を
状だとも言えないし、そう
受けることができましたが、厚生省(当時)が出した1974年の402号通
ではないとも言えないし、
達「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者は被爆者法の適用が
また何故そうだということ
ない」により、
日本国外で補償を受けることはできませんでした。
も解明できません。彼らが
これに対し、海外の被爆者らは「被爆者はどこにいても被爆者」
と、
日
原因を解明できなければ、症状なんか、
もとか
本政府や関係機関に訴え続け、海外の日系人が東京に集まって開催さ
らなかったものだとされてしまうのです。
」
れる「海外日系人大会」においても、海外在住被爆者に対する支援を
写真提供:カーペンターすえ
要望してきました。
2003年、402号通達が廃止され、海外在住の被爆者にも健康管理手
当が支払われることとなり、2008年になって、
ようやく、海外からも
「被
爆者健康手帳」の申請が認められるようになりました。
関連
イベント
8月8日(土)13:00∼17:00 JICA横浜4階 かもめ
第1部 パネルディスカッション
(13:00∼15:00)
岐路の記憶を紡ぐ
−Hiroshima, Nagasaki, 水俣−
Collecting memories at historical crossroadses
-Hiroshima, Nagasaki, Minamata- パネリスト
竹田 信平
和氣 直子
下田健太郞
アーティスト/映像作家
ミシガン州立大学教授(歴史学)
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程(人類学)
コメンテーター
久光 翔・須藤 遼・山本晶子
慶應義塾大学大学院文学研究科
コーディネーター
柳田 利夫
慶應義塾大学文学部教授(JICA横浜海外移住資料館学術委員)
入場無料・予約不要
第2部 映画上映 (15:30∼17:00)
「ヒロシマ・ナガサキダウンロード」
2010年、竹田信平監督作品
北米に渡った被爆者を若者2人が訪ね、
自分達に
とっての原爆の意味を探るロードムービー(73分)
TOPICS
海外移住資料館や海外移住にまつわる
さまざまな情報をお届けするコーナーです。
Topic-1
Topic-2
二宮正人サンパウロ大学教授が
「私とブラジル」
をテーマに講演
秋篠宮同妃両殿下が
ご来館されました
「海外移住の日」である6月18日
6月21日、特別展示「移民画家 半田知雄の世界」に関連して、
コレクションを寄贈し
に、秋篠宮同妃両殿下がご来館さ
た二宮正人サンパウロ大学教授による特別講演を開催。129人が参加しました。
れました。
二宮教授は、
「私とブラジル」をテーマに、二宮家がブラジルへ移住した経緯、
秋篠宮殿下は、2006年9月以来
1950年代の移住当時のブラジルの生活の様子や、
日本からの要人がブラジルを訪
2回目、妃殿下は初めてのご来館
問した際に通訳を務めた時のことなど、写真やエピソードを交えて紹介し、参加者
となります。
からは「日系人の方の激動の人生に感動した」などの感
両殿下は、
常設展示をご覧にな
想が寄せられました。
られた後、
日ブラジル外交関係樹
また、7月3日には寄贈作品の贈呈式が行われ、二宮
立120周年記念特別展示「移民画
教授が「日本に生まれブラジルに育ち、
日本に留学させ
家 半田知雄の世界−二宮家ブラ
てもらったおかげで今がある。
日本に恩返しがしたかっ
ジル移住60周年記念コレクショ
た」
と述べると、小幡俊弘館長は「大変貴重な移住関係
ン」
をご覧になりました。
資料として、今後、有意義に活用させていただきます」
と
感謝の意を表しました。
目録を贈呈する二宮教授(右)
と小幡館長
Topic-3
「海外移住の日」のイベントに700人が来館!
「6月18日は海外移住の日」
イベントが6月18日から21日までの4日間行われ、
約700人のみなさんに来館いただきました。
イベントでは、
日本初の喫茶店でブラジル移民と関係の深い「銀座カフェー
パウリスタ」のパネル展示や、
ブラジル・ミナスジェライス州の日系農家が栽培
しているコーヒーの試飲会、移民カルタで遊びながら移住について学べる
「カ
ルタで遊んでタイムスリップ!」
が行われました。
※1908
(明治41)
年6月18日は、
第1回ブラジル移民船
「笠戸丸」
がブラジル・サントス港に到着し
た日です。
1966
(昭和41)
年に
「海外移住の日」
に制定されました。
コーヒー試飲会の様子
I n f o r m a t i o n
公開講座シリーズ
入場無料・予約不要
「日本人と海外移住」
(全12回)
JICA横浜 海外移住資料館・日本移民学会共同開催
第9回
9月26日(土)「東南アジアへの移民」
13:00∼14:30
早瀬晋三
(早稲田大学教授)
第10回 10月31日(土)
「在日ニューカマー:在日ブラジル人を中心に」
13:00∼14:30
第11回 12月5日(土)
13:00∼14:30
アンジェロ・イシ
(武蔵大学教授)
「在日オールドカマー」
リースーイム
李 洙任
(龍谷大学教授)
第12回は、2016年2月下旬頃に実施予定です。
☆各回講座の概要およびレジメは当資料館HPに掲載しています。
次 回 企 画 展 示 予 告!
横浜・バンクーバー姉妹都市提携50周年記念企画展示
「KAKEHASHIかけ橋
−カナダ移民の歴史と現在」
2015年10月24日∼2016年1月24日
カナダの日系人には、1933年にカナダで
に と べ いなぞう
亡くなった教育者新渡戸稲造の「願わくば、
われ太平洋の橋とならん」の志が今日まで
受け継がれています。
カナダ日系博物館の協力のもと、カナダ
日本人移民の歴史、
日系社会次世代への取
り組みなど、
カナダと日本の「かけ橋」
となっ
てきた日系カナダ人の姿を紹介します。
第25回パウエル祭ポスター
なつやすみイベントスケジュール
★詳細は海外移住資料館HPをご覧ください。
ミュージアム クイズラリーよこはま2015
7月18日∼8月30日 参加費無料・予約不要
子どもから大人まで楽しめる大人気の企画です。今年は「食は文化だ!」の
テーマで出題。
当資料館では、
かつてアメリカに渡った移民に送られていた食
べ物に関するクイズを用意して、
みなさんのチャレンジをお待ちしています!
★クイズラリー用のクイズノートを3階食堂で提示すると、500円以上の飲食
をされたお客様に1ドリンクサービス! ※資料館パスポートとの併用はできません。
かながわ子ども・子育て支援月間 ∼カルタで遊んでタイムスリップ∼
=神奈川県では、8月を
「かながわ子ども・子育て支援月間」
としています=
8月19日 10:00∼16:00
― 小・中学生対象― 参加費無料・予約不要
★参加者には国旗デザインの缶バッジをプレゼント!
夏限定!資料館パスポート提示で
ドリンクプレゼント!!
開催中! 8月30日まで
資料館のパスポートにスタンプを押して3階食堂で提示する
と、500円以上の飲食をされたお客様に1ドリンクサービス!
※クイズラリー用のクイズノートとの併用はできません。
JICA横浜
海外移住資料館
子どもアドベンチャー2015
参加費無料
8月18日 13:00-16:00 ●ミニ資料館を作ろう!定員10名(事前申込・抽選)
収蔵庫に眠るお宝を発見!そのお宝をみんなの手で展示してみよう!
★参加者には「資料館ジュニア・ス
タッフ認定証」
と
「記念写真」をプ
レゼント!
8月19日 10:00-16:00
●カルタで遊んでタイムスリップ!
(予約不要)
一緒に
「移民カルタ」
で楽しく遊びましょう!
★参加者には国旗デザインの缶バッジを
プレゼント!
カップヌードルミュージアムとの
コラボレーション企画
7月18日∼8月30日
カップヌードルミュージアムとJICA横浜、2館訪問で
オリジナルグッズをプレゼント!
7月18日
(土)∼9月27日
(日)
●関連イベント 入場無料・予約不要
8月8日
(土)13:00∼17:00 JICA横浜4階 かもめ
●開館時間
●休 館 日
●入 館 料
10:00∼18:00(入館は17:30まで)
月曜日
(月曜日が祝祭日の場合は翌日)
、
年末年始(12月29日∼1月3日)
無料
第1部
「馬車道」駅(4番出口)から徒歩約8分
「みなとみらい」駅(クイーンズスクエア方面改札)から徒歩約15分
「桜木町」駅から
(汽車道→ワールドポーターズ→サークルウォーク)
JR線・市営地下鉄
徒歩約15分
岐路の記憶を紡ぐ
−Hiroshima, Nagasaki, 水俣−
Collecting memories at historical crossroadses
-Hiroshima, Nagasaki, Minamata-
アクセス みなとみらい線
パネルディスカッション
(13:00∼15:00)
第2部
映画上映 (15:30∼17:00)
「ヒロシマ・ナガサキダウンロード」