A.13.3 小児科医の重要な任務と現実の問題点

A13.3
〔参考訳〕
電車が通り過ぎていくのを見ている光景を想像してみよう。窓の中の 1 つの顔を探して
いる。電車や次々に通り過ぎていく。集中力が散漫になったり不注意になったりすると、
その人を見失う危険がある。あるいは、電車があまりに速いと、その顔はぼやけ始め、探
している人を見つけることができない。「プライマリ・ケアはまさにそのようなものだ。」
と Victoria Rogers McEvoy は私に語った。McEvoy は 50 代、長身細身で、短く刈り込ん
だブロンドの、落ち着いた目をした女性である。彼女はボストンの西の町で一般小児科を
開業している。「ことわざにある、乾草の中の針を探すことよりもずっと難しい。というの
は、乾草は動かないからだ。あなたの目の前を毎日、子どもたちが間断なく流れていく。
あなたは赤ちゃんを確認している。これは入試のようなものであり、それぞれが最新の予
防接種を受けていることを確かめるのである。この作業は型にはまったものになりうる。
そして、綿密に子どもを見なくなる。それから、癇が強く熱のある子どもを終わることな
く診ていく。それはほとんどいつも、ウイルスかのどの感染症である。みんな鈍感になり
うる。だが、致命的な病気である場合が一度はある。」
「小児科をやっていて良いことは、それはまた悪いことでもあるのだが、小児科を訪れ
る子どもたちのほとんど全てが健康である、または大した問題ではない、ということが分
かることである。」子どもたちが元気で良い、というのはもちろんだが、悪いこと、という
のは大したことのない症状が続くと集中力を無くしてしまうかもしれないからだ。そのこ
とを心にとどめながら、彼女は子どもを診る時はいつも、1 つの大切な質問を自分に投げか
けている。その子は深刻な問題を抱えているのだろうか、という質問だ。「小児科医はその
ことを、子どもが部屋に入るなり考えなければならない。
」そして、そして患者の多くが自
分の感じていることをうまく表現することのできない幼児や小さな子どもたちであるがゆ
えに、「あなたの観察力は特に鋭いものでなければならない。」
基本的に、医師はあらゆる情報を両親から得る。このことは、両親がどの程度子どもと
仲が良いのかということ、及びどこか調子が悪いかもしれないという可能性に対して両親
が示す感情的な反応の双方を、McEvoy は考慮しなければならないということを意味する。
こういった反応は極端なものとなりうる。親の中には大きな問題があることを否定する者
がいる。一方で、不安ゆえに普通の事柄を誇張する親もいる。両親は、子どもに元気がな
く、食べないといったことを伝えるが、その情報は彼女に非常に強い懸念を引き起こしう
る。しかし、ちょっと目を向けると、彼女は子どもが楽しそうに診察台の上ではしゃぎ笑
顔を見せているのを見かける。「その話は完全に誇張だった。そして、その子が深刻な病気
ではないことがすぐに分かった。」一方、正反対の場合もある。子どもがちょっと熱っぽい
のだが、他は問題ない、という母親がいた。McEvoy は子どもの呼吸が速く、母親の腕の中
で弱々しく横たわっているのを見てびっくりした。子どもは肺炎だったのだ。McEvoy は全
ての小児科医のように、ある重要な特徴を探る。子どもは笑って、おもちゃで遊び、活発
に歩き回り這いまわっていないか、あるいは医療機器が胸の上に置かれたとき、子どもは
受け身で抵抗しないか?
小児科医のパターン認識はふるまいから始まる。そして小児科医の技芸とは、子どもを
さらに調べながら、同時に両親がいう事を解釈することである。McEvoy が言うには、こう
いったデータの統合は教科書から得られる技術ではない。なぜなら、家族に対する医師自
身の感情について、医師が一定レベルの認識を持たなければならないからだ。最初に受け
る印象はしばしば正しい一方で、十分に注意深く、かつ常に自分の最初の反応を疑わなけ
ればならない。「両親に対して親密に耳を傾けることなく、両親の言っていることを大真面
目に真に受ける小児科医は愚かしい」と McEvoy は言っている。
「しかし、子どもの状態に
ついて両親が言ったことを、フィルターにかける必要がある。」私は彼女に最初の子ども
Steve の話をした。私の妻 Pam と私はカリフォルニアで住んでいたところから東海岸へと
戻ってきた。それは 7 月第 4 週の週末のこと、私たちはコネチカットに立ち寄り、彼女の
両親を訪ねた。Steve は 9 か月で癇が強く、アメリカを横切る飛行機の間中、気分がすぐれ
なかった。Pam の両親の家に着いたとき、Steve はベビーベッドの中で全く落ち着きがな
かった。私たちは Steve をその町にいる経験豊富な小児科医に連れて行った。その医師は
Steve を一目見て、子どもが重篤ではないかという Pam の心配を即座にしりぞけた。
「心配
しすぎですよ、初めて子どもを持ったお母さん。」その小児科医は彼女にそう言った。「両
親先生はそんなものだ。
」ボストンに着くまで、Steve はうめきながら足を胸まで引っ張り
上げていた。私たちは彼をボストンの子ども病院の救急室に急いで連れ込んだ。Steve は腸
閉塞ですぐに手術が必要だった。Pam と私は、コネチカットの小児科医が長年の診療経験
にも関わらず、軽率な判断、すなわち Pam が最初の子どもについて不合理に心配し、子ど
もの行動や状態のいわくありげな変化について、Pam は信頼できる報告をしているのでは
ないと判断した、と結論付けるしかなかった。
コネチカットの小児科医は電車が過ぎるのを何時間も、何日も、何年も、数十年と眺め
ていた。私は、同じく数十年診療に携わってきた McEvoy に「あなたはどうやってまぶた
を開いたままにしているのか?」と尋ねた。
「私は毎回診察をする前に、精神的に覚悟を決めている」と彼女は答えた。それはちょ
うど、テニスの試合の前に精神的に自分自身を整えるのと同じである。1968 年、McEvoy
は大学在学中、テニスで国内 3 位にランクされ、ウィンブルドンにも出場した。アスリー
トとして彼女は精神を集中すること、予想外の回転を先読みすること、経験に関わらず過
信しないことを学んだ。しかし、スポーツの技術以上に、
「あなたは単純に診る患者の数を
管理しなければならない。本当のところ、ほとんど小児科医は、毎日たくさんの子どもた
ちを見ることで、なんとか成り立っているのだ。」
現在の仕事に就く以前、McEvoy はボストン郊外にある別のところで、忙しくグループ診
療に携わっていた。その時彼女を 4 人の子どもを自宅に抱えていた。彼女は毎日、たくさ
んの患児やその両親の世話に時間を割いていた。「だが、私を忙殺させたのは、夜の呼び出
しだった。」と彼女は語った。彼女は 20~30 分おきに連絡を受け、呼び出しは次の朝まで続
いた。電話での問い合わせに基づいて重大な懸念がある場合は、McEvoy は時間に関係なく
診療所に戻って子どもを診た。「そういったことを数年間続けた後、私は燃え尽き始めてい
た。もう耐えられなかった。」McEvoy は自分がイライラして厳しくなっていることに気づ
いた。「そういった厳しいスケジュールのせいで疲れ切っていたため、その頃の私は両親に
対して失礼で厳しいことを言っていた。そしてその後、そういうことを言ったことを悔や
んでいた。」と彼女は私に語った。「小児科はもはや楽しくなかった。最も気がかりなこと
に、小児科が私の考えに影響していた。親からの電話が不適当なものだとすぐに考えてい
た。私はまさに疲れ切っていたのだった。」
McEvoy はその診療所を辞した。常勤の小児科医は一日で 20 人以上の子どもを診ている
かもしれない。現在彼女は短時間で診察し、多くの患者を診つづけることの慌ただしさが
あるにも関わらず、1 回の診療時間で診る患者の数を制限している。プライマリ・ケアに従
事する医者の多くがこのようにしているのは、そうしなければうまく働くことができない
と感じているからだ。中には収入が減って苦しんでいる人もいる。管理職へと移り、診る
患者を減らしながら収入を保つ人もいる。McEvoy は 3 つのうちの最後を選んだ。彼女のグ
ループは MGH 及びそこが設立した Partners Healthcare と連携している。これによって、
容赦ない夜間呼び出しの問題は大きく解消した。このグループは、夜間の電話に対応する
経験豊富な小児看護師を雇ったのだ。これらの看護師が両親に対してアドバイスを提供し、
それでも家族が医師と直接話をすると言い張る場合は、医師が呼び出されるのである。「こ
れが健全さを保つ唯一の方法だ。」「そしてケアもより良くなる。なぜなら医師が燃え尽き
ることがないからだ。」と McEvoy は語った。
〔解答〕
(1)
1. C 2. E 3. F 4. B 5. I 6. J 7. H 8. L
(2)
A, E, G, H