10 月 9 日(日)10:30-11:00 【若手研究者フォーラム】 〈分科会 4〉写真、映像、音楽 痕跡としての襞 ――G・G・ド・クレランボーの写真と衣服論に関する研究―― 安齋 詩歩子(横浜国立大学) 本研究は「服を着ること」という人間の行為の根源に接近しようとするひとつのアプローチである。 パリの警察病院に勤務した精神科医、G・G・ド・クレランボー(Gaëtan Gatian de Clérambault, 1872-1934) が撮影した膨大な量のモロッコの民族衣装の写真は、あからさまに襞(ドレープ)を強調し、その中にあ るはずの身体をほとんど無視しているように見える。襞(ドレープ)は一枚の布から衣服を構成する過程 の中に現れる現象である。 被写体の身体ではなく衣服だけを対象化するような撮影の手法は、同時代に植民地で撮影されたオリエ ンタリズムの眼差しとは異なり、ひたすらに衣服を「分析的」に撮影しようとする意図によるものだ。そ して、クレランボーは撮影した写真や古代の彫刻、レリーフに表象された衣服の観察に没頭し、独自の分 析による一枚布の衣服に関する人類学的研究を行っている。 クレランボーの写真と衣服論は、フランスの精神科医・精神分析家であるセルジュ・ティスロン(Serge Tisseron, 1948- )によって再発見され、1990 年にはポンピドゥー・センターで展覧会が行われた。また、 ティスロンはこの展覧会のカタログで、クレランボーの生涯をかけての布に対する情熱を紹介し、写真に ついても論じている。日本では港千尋がこの展覧会の開催をきっかけにクレランボーを紹介しているが、 その後本格的な研究は現れていない。 筆者はパリのケ・ブランリー美術館に収容されているクレランボーの約 1000 点に及ぶ写真コレクション を直接閲覧し、クレランボーの襞(ドレープ)や布に対するただならぬ執着心を確認することができた。 クレランボーの写真は、衣服と身体の共存を映し出すファッション写真とははっきりと異なるものであり、 その時そこにあった人間と衣服の関係を視覚的に表象するというよりも、むしろその背後にある人類発生 の起源と結び付けられた衣服の存在そのものを浮かび上がらせようとする実践なのである。 上記の人類学的実践の他に、精神科医クレランボーは、布を盗みマスタベーションを行う女性たちの症 例を「接触愛好症(aptophilie) 」と名付けた。この症候群は、身体感覚に即したフェティシズムであり、従 来の限定的なフェティシズム概念を拡張するものである。このような布へのフェティシズム概念を含めて クレランボーの業績を再考することは、人間が布を身にまとい、装い続けてきた歴史の底に横たわる根源 的な欲望の構造を明らかにしていく糸口となるだろう。 身体を離れると跡形もなく消えてしまう襞(ドレープ)に対する儚い欲望への着目は、従来の衣装論、 ファッション論とは異なる地平へと向かう挑戦でもある。本研究は人間と衣服の自明な関係性ではなく、 人間が衣服と共に在るということ/「服を着ること」への欲望を明らかにするものである。
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