テキスト 文章理解 資格の大原 公務員講座 は し が き この「公務員講座 文章理解」のテキストは、公務員試験を受験する方々が試験対策とし て学習するための一助となることを意図して作成したものである。この作成にあたっては、 過去に出題された問題を分析し、各試験の合格水準に到達できる内容とすることを目標とし た。 テキストに盛り込む項目や内容は公務員試験に出題されたものに倣っているため、本テキ ストは一般的な概説書・基本書とは多少趣が異なっている。「文章理解」という科目におい て多く出題される、日本語の現代文による問題を解くためのポイントにもとづいて節ごとに まとめてある。 「文章理解」という科目においては、問題を解く練習を積み重ねることが重 要であるため、第 3 編には問題を解くポイントに沿って練習問題を配した。出題パターンに 慣れるためにも、自身で解いて、学習したことが身についたかどうか、確認することをおす すめする。また、付録として「語彙表」を示してあるので、これも文章を読むときの参考に していただければ、と思う。 本テキストが公務員試験を受験する方々のお役に立つことを心より願っている。 資格の大原 公務員講座 目 次 第 1 編 基礎国語編 第 1 章 文と文章… …………………………………………………………………………… 3 第 2 章 指示語…………………………………………………………………………………… 4 第 3 章 接続語…………………………………………………………………………………… 5 付録…………………………………………………………………………………………… 6 第 2 編 基礎編 第 1 章 内容把握問題の解法 第 1 節 接続語…………………………………………………………………………………… 9 第 2 節 具体例…………………………………………………………………………………… 17 第 3 節 キーワード……………………………………………………………………………… 25 第 4 節 文末表現・強調表現…………………………………………………………………… 33 第 2 章 文章整序問題の解法 第 1 節 接続語…………………………………………………………………………………… 45 第 2 節 指示語…………………………………………………………………………………… 49 第 3 章 空欄補充問題の解法 第 1 節 複数の空欄……………………………………………………………………………… 53 第 2 節 1 つの空欄……………………………………………………………………………… 61 練習問題の解答・解説……………………………………………………………………… 69 第 4 章 古文問題の解法 第 1 節 古文の読解……………………………………………………………………………… 74 第 2 節 古文読解の基礎知識…………………………………………………………………… 76 第 5 章 英文の解法 第 1 節 英文の読解……………………………………………………………………………… 88 第 3 編 総合演習 − 問題編 − 第 1 章 内容把握問題… ……………………………………………………………………… 101 第 2 章 文章整序問題… ……………………………………………………………………… 240 第 3 章 空欄補充問題… ……………………………………………………………………… 282 第 4 章 古文問題… …………………………………………………………………………… 333 第 5 章 英文問題… …………………………………………………………………………… 341 -5- 第1編 基礎国語編 1 第 章 文と文章 ─文章理解の問題を解き始めるまえに─ 文章理解の問題を解いたり、解答・解説を読んだりしても、それが何を言っているのか、 わからなければ時間のムダになってしまう。そこで問題を解くまえに、基礎的なことばとそ の意味(定義)を確認しておこう。 1 .ことばの単位 ■「文章」の定義 いくつかの文が集まって、まとまりのある内容を表したもの ・吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗い じめじめした所でニャーニャー泣いて居たこと丈は記憶して居る。…… ■「文」の定義 まとまった内容を表した一続きのことば。句点(。)から句点まで ・吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか… ■「文節」の定義 意味がわかる範囲で文を小さく区切ったときの一区切り (切れ目に「ネ」を入れてみる) ・吾輩は/猫で/ある。 2 .文節の働き ■主語・述語 主語 「何が(は)」とか「だれが(は)」のように文の主題を示す文節。 述語 「どうする」 「どんなだ」 などのように主語について述べる文節。 「なんだ」 ・赤い花がきれいに咲いた。 ■修飾語 他の文節をくわしく説明する文節。 ・赤い 花が きれいに 咲いた。 ■独立語 他の文節とは直接関係がない、比較的独立性の強い文節。 呼びかけ、感動、応答、提示などを示す。 ■接続語 並列する語句をつなぐ、文頭にあって前文につなぐ働きをする文節。 -3- 2 指示語 第 章 1 ≥ 指示語とは ものごとやその性質・状態などを指し示すことばで、「こそあどことば」ともいう。 こ(近称) そ(中称) あ(遠称) ど(不定称) 品 詞 事 物 これ それ あれ どれ 場 所 ここ そこ あそこ どこ 名 詞 こちら そちら あちら どちら (代名詞) 方 角 こっち そっち あっち どっち 事 物 この その あの どの 連体詞 性 質 こう そう ああ どう 副 詞 状 態 こんなだ そんなだ あんなだ どんなだ 形容動詞 2 ≥ 指示語が指し示している箇所 指示語が指し示しているモノ・コト(もしくはモノ・コトの性質・状態)は、その指示 語よりも前に述べられている場合が多い。 ⑴ 指示語よりも前にある場合 直前にある場合 ・ゆうべ夢を見た。それはとても恐い夢だった。…… 間に文(もしくは文章)が入る場合 ・ゆうべ夢を見た。夜が明けるまで見続けた。それはとても恐い夢だった。…… 前段落の内容(要旨)を指す場合 第 2 段落以降で、指示語で書き始められている段落は、前段落の内容(要旨)を指す と考えてよい。 ⑵ 指示語よりも後にある場合 ・こういうことは言いたくないが、君の早トチリだったんじゃないかね。 -4- 3 第 章 接続語 1 ≥ 接続語とは 前の表現をうけて、後の表現につなげる働きをすることば。文の成分の 1 つ。 どのような意味合いで後に続くのか、ということを示してくれるので、文章理解の問題 を解く際に、大きなヒントを与えてくれるものである。 2 ≥ 接続語の種類とはたらき ⑴ 逆接 − 前のことがらから予想されない、それとは逆の内容が後に続く。 しかし だが が けれども ところが でも だけど それなのに ・勉強をした。しかし試験は難しかった。 ⑵ 説明・換言 − 前のことがらに関することを詳しくしたり、違う表現で言い換える。 つまり なぜなら たとえば すなわち 要するに 言い換えれば ・何もやりたくないし、食べたくもない。要するにやる気がないのだ。 ⑶ 順接 − 前のことがらから、当然と考えられる内容が後に続く。 だから それで それゆえ したがって そこで すると ゆえに ・勉強をした。だから試験に合格した。 ⑷ 累加(添加) − 前のことがらに後のことがらを付け加える。 並立(並列) − 前のことがらと後のことがらを同じ重さで並べる。 そして そのうえ また さらに それから および あわせて ならびに ・先生に食事をご馳走になった。そのうえお土産までいただいた。 ⑸ 選択 − 前のことがらと後のことがらのどちらかを選ぶ。 それとも または あるいは もしくは むしろ ・アイスクリームを食べようか、それともシュークリームにしようか。 ⑹ 話題転換 − 前のことがらから話題を変える。 ところで さて では ときに ・前置きはこのくらいにして、では、授業にはいりましょう。 ⑺ 例示 − 主張をわかりやすくするために、例として示す。 たとえば もし(も) かりに -5- 付録 〈設問文に用いられている語句〉 要旨・趣旨・主旨 …… これらは同じ意味で用いられていると考えてよい。 主な内容。述べようとする内容の主要な点を短くまとめたもの。 筆者の主張・言おうとしていること …… 同じ意味で用いられていると考えてよい。 筆者の強い意見、考え、持論。 表題・題名・タイトル …… これらも同じ意味で使われている。 その文章の見出し、タイトル。本文中の「キーワード」と一致する場合が多い。 内容と一致するもの・合致するもの …… 文章中で述べられている肢を選択する。「正答」として選択されるものは必ずしも文 章の「要旨」でなくともよい。 いえること …… その文章の内容から「考えられる」こと。選択肢が文章中の言葉で述べられていると は限らない。 -6- 第2編 基 礎 編 1 内容把握問題の解法 第 章 第 1節 例 題 接続語 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 小説はなぜ書かれるのだろう。日記や随想ではなくて、なぜそれは小説として書か れるのだろう。小説には必ずそれを書いた作者がいる。作者は、自分の体験したこと や自分の把握した人間観や世界観を通して、小説の世界を作り上げてゆく。それは、 全く個人的な作業のように思える。しかし、小説の世界には、さまざまな人間たちが 5 独特に生きており、その人間の広がりが我々を刺激し自己発見のきっかけを促してく れるのだ。読者は自分の生き方や考え方を自分以外の人間に照らして、自分が今どん なところに生きているのかを知ることができる。小説は、何よりもまず、人間の生き ている世界を描いていると考えていいだろう。しかし、その世界は全くありもしない 世界をさしてはいない。それは、人間を囲む現実の何事かに必ず根拠を置いて作られ 10 た世界であって、人間の現実を象徴的に、しかも緊密化して描こうとした努力の結果 なのである。 1 ≥ 小説の世界とは、作者が体験したことや把握した人間観や世界観を通して、個人 的な作業の結果創り上げられた小宇宙である。 15 2 ≥ 小説の世界には独自のスタイルで生きる人間たちが住んでおり、全くありもしな い話をもっともらしく描こうとしたものである。 3 ≥ 小説とは我々に自己発見を促してくれるものであり、現実の何事かに依拠して人 間の現実を象徴的に描こうとしたものである。 4 ≥ 小説には人間の個々の広がりが刺激的に描写されており、その世界は人間の生き 20 る現実世界を緊密化して創造されたものである。 5 ≥ 小説とは読者が自己の人生観を自分以外の人間に照らして確認する鏡のようなも のであり、人間の現実を知る手がかりとなる。 25 出典:竹盛天雄編『現代文 1 』(第一学習社) 付録「小説の読み方」より -930 解 答 ・解 説 段落分けのない、ひとつづきの文章の場合は、文章中に見えているなかの最後の接続語 によって、文章の論理的な構成をつかむことになる。文章中の接続語を拾っていくと、 4 行目と 8 行目に逆接の「しかし」が得られるので、これに注目する。 4 行目 … 「しかし」 逆接 小説家の仕事が「個人的な作業」のように見える、と いう前文までの意見をくつがえし、「人間の広がり」 を感じさせてくれるものであることを述べている。 8 行目 … 「しかし」 逆接 小 説の世界が、「全くありもしない世界」ではなく、 「人間の現実を象徴的に」描こうとしたものであるこ とを主張している。 例 題 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 小説はなぜ書かれるのだろう。日記や随想ではなくて、なぜそれは小説として書か れるのだろう。小説には必ずそれを書いた作者がいる。作者は、自分の体験したこと や自分の把握した人間観や世界観を通して、小説の世界を作り上げてゆく。それは、 全く個人的な作業のように思える。しかし、小説の世界には、さまざまな人間たちが 5 独特に生きており、その人間の広がりが我々を刺激し自己発見のきっかけを促してく れるのだ。読者は自分の生き方や考え方を自分以外の人間に照らして、自分が今どん なところに生きているのかを知ることができる。小説は、何よりもまず、人間の生き ている世界を描いていると考えていいだろう。しかし、その世界は全くありもしない 世界をさしてはいない。それは、人間を囲む現実の何事かに必ず根拠を置いて作られ 10 た世界であって、人間の現実を象徴的に、しかも緊密化して描こうとした努力の結果 なのである。 1 ≥ 小説の世界とは、作者が体験したことや把握した人間観や世界観を通して、個人 的な作業の結果創り上げられた小宇宙である。 4 〜 5 行目では、小説家の仕事は「個人的な作業」であるかに見えるが、「人間の広が 15 2 ≥ 小説の世界には独自のスタイルで生きる人間たちが住んでおり、全くありもしな り」を感じさせ、我々に「自己発見のきっかけを促してくれる」ものであることを述べて い話をもっともらしく描こうとしたものである。 3 ≥ 小説とは我々に自己発見を促してくれるものであり、現実の何事かに依拠して人 いる。そして続く 5 〜 7 行目において、小説の世界は「人間の生きている世界を描いてい 間の現実を象徴的に描こうとしたものである。 る」ものであることを述べている。 8 行目の「しかし」で書き始められている文は、「… 4 ≥ 小説には人間の個々の広がりが刺激的に描写されており、その世界は人間の生き る現実世界を緊密化して創造されたものである。 」と、 5 〜 7 行目の記述をうけ否定 20 その世界は全くありもしない世界をさしてはいない。 5 ≥ 小説とは読者が自己の人生観を自分以外の人間に照らして確認する鏡のようなも の表現で結ばれており、「それは、…」で始まっている次の文で「その世界」=「小説の のであり、人間の現実を知る手がかりとなる。 世界」に対する筆者の主張を述べる、という構成である。積み重ねられてきた内容を逆接 でうけていることから、筆者の最もいいたいことは 8 行目の「しかし」以降の、「小説の 25 世界は『人間を囲む現実の何事かに必ず根拠を置いて』作られており、 『人間の現実を象 出典:竹盛天雄編『現代文 1 』(第一学習社) 付録「小説の読み方」より 徴的』に描こうとしたものである」ということであると考えられるので、この部分を内容 として含んでいる肢を選択する。 30 - 10 - 選択肢の検討 1 ≥ 小説の世界とは、作者が体験したことや把握した人間観や世界観を通して、 個人的な作業の結果創り上げられた小宇宙である。 2 ≥ 小説の世界には独自のスタイルで生きる人間たちが住んでおり、全くありも しない話をもっともらしく描こうとしたものである。 3 ≥ 小説とは我々に自己発見を促してくれるものであり、現実の何事かに依拠し て人間の現実を象徴的に描こうとしたものである。 4 ≥ 小説には人間の個々の広がりが刺激的に描写されており、その世界は人間の 生きる現実世界を緊密化して創造されたものである。 5 ≥ 小説とは読者が自己の人生観を自分以外の人間に照らして確認する鏡のよう なものであり、人間の現実を知る手がかりとなる。 1 ≥ 8 行目の「しかし」以降の記述を含んでおらず、要旨として不適切。 2 ≥ このようなことは本文中には述べられていない。 3 ≥ 4 〜 5 行目の内容「(小説とは我々に)自己発見のきっかけを促してくれる」ものであ ること、また 8 〜11行目の内容である「人間の現実を象徴的」に描こうとしたものである ことを含んでいるので、適切である。 4 ≥ 4 〜 5 行目「…人間の広がりが我々を刺激し自己発見のきっかけを促してくれる」と述 べられているのであって、「人間の個々の広がりが刺激的に描写されて」いるとは述べら れていない。 5 ≥ 小説によって、「読者」が「自分が今どんなところに生きているのかを知る」手がかり になるとはあるが、「人間の現実を知る手がかり」になるとは述べていない。 正答 3 - 11 - 〔練習問題①〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 ノーベル賞を受けた川端康成の『雪国』は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国で あった」ではじまる。主人公にとって、トンネルの向こうは別世界である。妻子のある 主人公がトンネルを抜けてこの世界に入るかどうかは、彼の気分次第だ。彼はいつでも そこから引き返すことができる旅行者にすぎない。彼が温泉の芸者たちとの愛の関係に 5 苦悩したとしても、彼はそこで傷つくことはない。傷ついた女たちを冷徹にながめる主 人公の自己意識は揺るぎもしない。なぜなら、別の(他の)世界であるにもかかわらず、 彼はなんら「他者」に出会っていないからである。しかも、川端がそのことをはっきり 自覚していることは、頻繁に用いられる「鏡」のイメージからも明らかである。つまり、 主人公にとって、女たちは鏡に映った像においてあるだけなのだ。女たちが現実にどう 10 であろうと、彼は鏡に、いいかえれば自己意識に映った像以外になんらの関心ももたな い。 『雪国』とは、「他者」にけっして出会わないようにするために作り出された「他の 世界」である。 1 ≥ 「国境の長いトンネルを抜けると…」ではじまる川端康成の『雪国』は、日本人で 15 初めてノーベル文学賞を受賞した名作である。 2 ≥ 小説『雪国』の主人公にとって別世界に足を踏み入れるか否かが気分次第であるよ うに、旅行者には引き返す自由がある。 3 ≥ 傷ついた女たちを冷静に見つめる『雪国』の主人公の自意識が揺るがないのは、彼 が「他者」に出会っていないからである。 20 4 ≥ 『雪国』の主人公が別世界に入り込んでいるのに「他者」に出会っていないことは、 作者である川端も自覚していることである。 5 ≥ 川端の『雪国』は「他者」に出会わないように作られた「他の世界」なので、主人 公は自己意識に映る像にのみ関心をもつのである。 25 30 出典:柄谷行人『終焉をめぐって』 - 12 - 例 題 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 文楽の方法は、少なくとも西洋の基準からすると、極めて「非現実的」である。な ぜなら、ここでは、人形を操作する人形師自体が、堂々と舞台上にその姿を現してい るからである。彼は、両手で人形を操る。人形劇の背景になっているのは、黒幕では なく、人形師である。観客は、人形の動きと同時に、その背景にいる人形師の動きを 5 も見るのである。人形が主役である限りにおいて、その背景の人間は邪魔物である。 西洋の人形劇は、その人間を舞台の裏に追いやることによって物理的に消去した。 だが、日本の人形劇でも、人形師は消去されているのである。ただし、その消去の 方法が違う。日本では、人形師は、心理的、ないしシンボル的に消去されるのだ。つ まり、物理的、視覚的に人形師が見えているにもかかわらず、日本の観客は、それを 10 見えていないものだ、と心理的に約束するのである。見えない、と思うことが、すな わち見えないことなのである。西洋の物理的合理主義と対照的な心理的合理主義に よって我々は事象を処理するのだ。 1 ≥ 日本の文楽は、人形師自身が舞台上に堂々とその姿を現しているので、西洋を基 15 準にすると極めて非現実的である。 2 ≥ 日本の文楽では人形師の姿が見えているが、西洋の人形劇は人間を舞台の裏側に 追いやって物理的に消去している。 3 ≥ 日本の人形劇では観客は、人形師の姿を見えないものと心理的に約束する、心理 的合理主義によって消去している。 20 4 ≥ 日本の文楽は、その背景にいる人形師の動きをも見るものなので、人形が主役で はあるが人間もまた役者である。 5 ≥ 日本の人形劇は西洋と同様に人形師は邪魔なので、非現実的であるがシンボル的 に消去され、見えないものとなる。 25 30 出典:加藤秀俊『象徴の世界』 - 13 - 解 答 ・解 説 この文章は 2 段落構成となっている。段落分けのある文章の場合、第 2 段落以降(この 例題では第 2 段落を指す)の書き出しの部分にある接続語(ここでは「だが」)に注目して、 以降の内容を把握する。以下は文章中に見えている接続語である。 第 1 段落 … 「なぜなら」 説明 日本の「文楽」が「非現実的」であるとする理由 を述べている。 第 2 段落 … 「だが」 逆接 第 2 段落のはじめに置かれていることから、第 1 段落の内容とは反することを筆者の主張として述 べようとしていることがわかる。 したがって、第 1 段落は見る必要がない。 「つまり」 換言 「だが」で書き始められている文の内容、人形師 が「見えない」ことになる仕組みを言い換えてい る。 「すなわち」 換言 上の「つまり」と同様の働きをする接続語である が、これは文中に位置しているため、重視しなく てよい。 例 題 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 文楽の方法は、少なくとも西洋の基準からすると、極めて「非現実的」である。な ぜなら、ここでは、人形を操作する人形師自体が、堂々と舞台上にその姿を現してい るからである。彼は、両手で人形を操る。人形劇の背景になっているのは、黒幕では なく、人形師である。観客は、人形の動きと同時に、その背景にいる人形師の動きを 5 も見るのである。人形が主役である限りにおいて、その背景の人間は邪魔物である。 西洋の人形劇は、その人間を舞台の裏に追いやることによって物理的に消去した。 だが、日本の人形劇でも、人形師は消去されているのである。ただし、その消去の 方法が違う。日本では、人形師は、心理的、ないし、シンボル的に消去されるのだ。 つまり、物理的、視覚的に人形師が見えているにもかかわらず、日本の観客は、それ 10 を見えていないものだ、と心理的に約束するのである。見えない、と思うことが、す なわち見えないことなのである。西洋の物理的合理主義によってわれわれは事象を処 理するのだ。 1 ≥ 日本の文楽は、人形師自身が舞台上に堂々とその姿を現しているので、西洋を 15 基準にすると極めて非現実的である。 接続語に着目して読み進めていくと、第 2 段落の冒頭に逆接の接続語「だが」があり、 2 ≥ 日本の文楽では人形師の姿が見えているが、西洋の人形劇は人間を舞台の裏側 に追いやって物理的に消去している。 第 1 段落で述べた内容とは反することを筆者の主張として述べようとしていることがわか 3 ≥ 日本の人形劇では観客は、人形師の姿を見えないものと心理的に約束する、物 るので、第 1 段落は見なくてもよい。第 2 段落 3 行目の「つまり」以降で人形師が「見え 理的合理主義によって消去している。 20 4 ≥ 日本の文楽は、その背景にいる人形師の動きをも見るものなので、人形が主役 ない」ことになる仕組みを説明し直している。 「すなわち」の後も同様であるが、これは ではあるが人間もまた役者である。 文中にあるものであるため、重視しなくてもよい。したがって、第 2 段落「だが…心理的 5 ≥ 日本の人形劇は西洋と同様に人形師は邪魔なので、非現実的であるがシンボル に約束するのである。 」の内容が重要であり、この部分の内容を押さえている肢を選択する。 的に消去され、見えないものとなる。 25 - 14 - 選択肢の検討 1 ≥ 日本の文楽は、人形師自身が舞台上に堂々とその姿を現しているので、西洋 を基準にすると極めて非現実的である。 2 ≥ 日本の文楽では人形師の姿が見えているが、西洋の人形劇は人間を舞台の裏 側に追いやって物理的に消去している。 3 ≥ 日本の人形劇では観客は、人形師の姿を見えないものと心理的に約束する、 心理的合理主義によって消去している。 4 ≥ 日本の文楽は、その背景にいる人形師の動きをも見るものなので、人形が主 役ではあるが人間もまた役者である。 5 ≥ 日本の人形劇は西洋と同様に人形師は邪魔なので、非現実的であるがシンボ ル的に消去され、見えないものとなる。 1 ≥ 第 2 段落において述べられている筆者の主張が含まれておらず、要旨とはならない。 2 ≥ 第 1 段落においては、日本の文楽と西洋の人形劇の比較がなされているが、第 2 段落の 内容に触れていないので、要旨とはならない。 3 ≥ 最も適切である。第 2 段落 3 行目の「つまり」で書き始められている文、「つまり、物 理的、視覚的に人形師が見えているにもかかわらず、日本の観客は、それを見えていない ものだ、と心理的に約束するのである。」の内容が押さえられている。 4 ≥ 第 1 段落に「人形の動きと同時に、その背景にいる人形師の動きをも見る」と述べられ ているが、 「人間もまた役者である」というようなことは述べられていない。 5 ≥ 「日本の人形劇」全般について述べた文章ではなく、また、それが「西洋と同様に人形 師は邪魔」であるとも述べられていない。 正答 3 - 15 - 〔練習問題②〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 人間は、かれらのまわりに、もの言わぬ自然、とくに森林がじゅうぶんに準備されて いる間は、それを敵として破壊してきた。そして、人類こそは地球上の最もすぐれた代 表者であり、生物社会の主役であるかのごとくふるまってきた。 しかし、現在のように、われわれのまわりから生きている緑が消滅しようとしている 5 とき、しみじみと、切実な実感を持って思い知らされる。われわれはみじめにも、緑の 植物の寄生者でしかなかった事実を。同時に、地球上のすべての有機物の唯一の生産者 であり、人間が生きるために必要な酸素の供給者である緑の植物の重要さにあらためて 気づく。しかも、単に人間や動物に有機物と酸素を供給しているだけではない。 さらに、多様な生物社会と自然環境との均衡の調整者も、森林で代表される緑の植物 10 である。局地的な気候条件から、災害防止、動物集団の過増殖や衰亡までもコントロー ルし、健全な人間の生活が自然界の秩序のなかで存続できるように、直接、間接に支え ているのは緑の自然、とくに森林である。 したがって、われわれが緑の復元や自然保護を叫ぶのを、すべて植物や自然が破壊さ れてかわいそうだからと、心情的な立場からだけでとなえている、と思う人がいたら、 15 その人は実におめでたいピエロである。実は、人間が植物や自然を保護するという感覚 こそが逆である。緑の植物や自然は、どんなに人間が破壊しようと人の十世代程度の時 間で必ず復元する。自然の最も弱くて、敏感な構成要員こそは人間である。人間が生き るためには、好むと好まざるとにかかわらず、まわりにじゅうぶんな緑の自然が準備さ れていることが不可欠の前提条件なのである。 20 1 ≥ 人間はこれまで自然の森林を破壊してきたが、現在になって緑の自然が消滅しかけ ていることに気づき始めている。 2 ≥ 森林の植物は、人間や動物に有機物や生きるために必要な酸素を供給してくれる、 地球上における唯一の存在である。 25 3 ≥ 人間はもの言わぬ自然を敵と見なして破壊し、人類こそが地球上の最も優れた構成 要員であるかのように生きている。 4 ≥ 人間は自然の寄生者でしかなく、生きてゆくためには周囲に豊かな緑の自然が備 わっていることが必要条件である。 5 ≥ 緑の植物や自然は、どんなに人間が破壊しても人間の十世代くらいの年月の間に必 30 ず見事に復元するものである。 出典:宮脇 昭『植物と人間 − 生物社会のバランス』 - 16 - 第 2節 例 題 具体例 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 最近、わが国でも、非武装による平和の立場は行きつくところ、無抵抗のまま降参 するしかないのかということが、ジャーナリズムの論議をにぎわしています。国を守 るためには、徴兵制から核兵器まで、ぜひとも必要だというわけです。しかし、これ は、考えるべきいくつもの段階を無視した議論というべきでしょう。 5 たとえば、侵略という非常事態が、いきなり平和時のただなかに突発するようなこ とはありえないでしょう。そうした危機にいたるまえに、国際関係を平和に保つため 外交上の努力が問われるのです。また、かりに軍備をもってみても、どこまで拡大す れば十分ということになるのでしょうか。狭い島国の上に高い人口密度と高い工業力 をもつ日本という国土の特性は、核兵器による攻撃に、もっとも弱い国家なのです。 10 第三に軍備をもたないからといって、すぐさま降参と決まっているわけではありませ ん。不当な侵略にたいして国民が不服従の決意をもち、あくまでも非暴力で抵抗する 道は残されています。 1 ≥ 最近わが国のジャーナリズムは、非武装による平和を主張するという立場は、結 15 局降参につながるだけだという批判を唱え始めている。 2 ≥ 国家を外敵から守るために徴兵制度や核兵器のような軍事力が不可欠であると いう主張は、思考の過程を省いた、早まった結論である。 3 ≥ 戦争という非常事態に突入することのないように、国際平和を維持しようと日々 外交上の努力を積み重ねていくことが求められている。 20 4 ≥ 自国の平和を保ち、国民の安泰な生活を維持するのに十分な軍備を考えるとき、 その規模を明確に規定することはおそらく不可能である。 5 ≥ 核兵器による攻撃や理不尽な侵略にたいして、人々は不服従の決意のもとにあ くまでも非暴力で抵抗するという道を選択するべきである。 25 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 30 - 17 - 解 答 ・解 説 これは 2 段落構成の文章である。〈第 1 節 接続語 例 題 2 〉のところで、段 落分けのある文章の場合、第 2 段落以降の書き出しの部分にある接続語に着目することを 述べたが、ここでも第 2 段落の書き出しにある接続語を拾っていく。 第 2 段落 … 「たとえば」 例示 先 に「説明・換言」の接続語として示したが、 「換言」の接続語として使われるほかに、具体例 を導く「例示」の接続語として用いられる場合が ある。 ☆ 具体例であることを積極的に示す語句・表現 ・「もし(も)」 ・「仮に(かりに)」 ・「例えば(たとえば)」 ・「具体的には(具体的に言えば)」 ・会話表現になっている(「 …… 」)、筆者以外の人物の言葉 ・他人の言説、学説、書物の記述などからの引用 例 題 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 最近、わが国でも、非武装による平和の立場は行きつくところ、無抵抗のまま降参 するしかないのかということが、ジャーナリズムの論議をにぎわしています。国を守 るためには、徴兵制から核兵器まで、ぜひとも必要だというわけです。しかし、これ は、考えるべきいくつもの段階を無視した議論というべきでしょう。 5 たとえば、侵略という非常事態が、いきなり平和時のただなかに突発するようなこ とはありえないでしょう。そうした危機にいたるまえに、国際関係を平和に保つため 外交上の努力が問われるのです。また、かりに軍備をもってみても、どこまで拡大す れば十分ということになるのでしょうか。狭い島国の上に高い人口密度と高い工業力 をもつ日本という国土の特性は、核兵器による攻撃に、もっとも弱い国家なのです。 10 第三に軍備をもたないからといって、すぐさま降参と決まっているわけではありませ ん。不当な侵略にたいして国民が不服従の決意をもち、あくまでも非暴力で抵抗する 道は残されています。 1 ≥ 最近わが国のジャーナリズムは、非武装による平和を主張するという立場は、結 段落の書き出しが「たとえば」のような「例示」であることを知らせてくれる語である 15 局降参につながるだけだという批判を唱え始めている。 場合、その段落において述べられている内容は筆者の主張を補強するために援用されてい 2 ≥ 国家を外敵から守るために徴兵制度や核兵器のような軍事力が不可欠であると いう主張は、思考の過程を省いた、早まった結論である。 る具体例であると判断できる。よって、その段落には筆者の主張がないことになるので、 3 ≥ 戦争という非常事態に突入することのないように、国際平和を維持しようと日々 第 1 段落だけを読めばよい。 外交上の努力を積み重ねていくことが求められている。 20 4 ≥ 自国の平和を保ち、国民の安泰な生活を維持するのに十分な軍備を考えるとき、 第 1 段落の前半部分において「非武装による平和の立場」についての議論があることが その規模を明確に規定することはおそらく不可能である。 示され、後半部で「国を守るためには軍事力が必要である」という意見は「いくつもの段 5 ≥ 核兵器による攻撃や理不尽な侵略にたいして、人々は不服従の決意のもとにあ 階を無視した議論」であることが述べられていることを確認して選択肢を検討する。 くまでも非暴力で抵抗するという道を選択するべきである。 25 - 18 30 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 選択肢の検討 1 ≥ 最近わが国のジャーナリズムは、非武装による平和を主張するという立場は、 結局降参につながるだけだという批判を唱え始めている。 2 ≥ 国家を外敵から守るために徴兵制度や核兵器のような軍事力が不可欠である という主張は、思考の過程を省いた、早まった結論である。 3 ≥ 戦争という非常事態に突入することのないように、国際平和を維持しようと 日々外交上の努力を積み重ねていくことが求められている。 4 ≥ 自国の平和を保ち、国民の安泰な生活を維持するのに十分な軍備を考えると き、その規模を明確に規定することはおそらく不可能である。 5 ≥ 核兵器による攻撃や理不尽な侵略にたいして、人々は不服従の決意のもとに あくまでも非暴力で抵抗するという道を選択するべきである。 1 ≥ 第 1 段落の記述に近いものになっているが、わが国のジャーナリズムにおいて「非武装 による平和」というテーマが「論議をにぎわして」いるのであって「批判」がなされてい るのではない。 2 ≥ 適切である。 3 ≥ 第 2 段落の内容で具体例にすぎず、要旨とはならない。 4 ≥ 第 2 段落の内容で具体例にすぎず、要旨とはならない。 5 ≥ 第 2 段落の内容を反映しているが、「…非暴力で抵抗する道は残されている」と述べら れているのであって「…道を選択するべきである」とまではされておらず、 3 ≥と 4 ≥と同 様に、具体例の部分であるので要旨とはならない。 正答 2 - 19 - 〔練習問題③〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 家のデザインが少々程度のわるいものであっても、垣のデザインさえしっかりしてい れば、それはけっこうみられるものなのである。 その例のひとつを、むかしの武家屋敷にみることができる。武家屋敷は、格式や防衛 上の理由から、一般に家のまわりに白壁や土塀をめぐらすが、なかの家そのものはい 5 たってお粗末なものが多い。武士はもともとそんなに富裕な階層ではないからだ。…… (中略)……さらに、侍はその俸禄によって、家の大きさがまちまちであるが、まわり にめぐらした土塀のおかげで、その不統一をかくし、一種独特の美しさをもった家が中 町を構成する。塀のもつ一種の魔術である。もし、これらの侍町から塀をとりさったら、 それらの家いえはみすぼらしくて、とても直視に耐えないものであろう。 10 塀や垣が、家のデザインを左右する大きな要素であるというのは、日本の住宅の一大 特色である。というのはもともと欧米とくにアメリカの住宅などには、ふつう垣や塀は ないものだ。あるとき、アメリカの住宅事情を視察してきた私の友人が、「これからは、 日本の住宅に垣や塀をつくるのはよそうや」といいだした。欧米の住宅なみに、隣や道 路との境に垣などはつくらず、青あおとした芝生がつづく気持ちのよい庭にしようとい 15 うのである。猫のひたいほどの庭にしがみついて、チマチマした垣や塀をはりめぐらす のは、いかにも心のせまくわびしい日本人の習性ではないか、とその友人は力説するの だが、しかしそうはいうものの、その友人自身も、みずから主張するその案を、なかな か実行しえないでいる。 しかしそれはむりもない。もともと、欧米と日本のすまいの構造が、根本的にちがっ 20 ているからだ。たとえば欧米では、玄関のドアから内側が、家であるのに、日本では垣 根のなかが、もう家になっている。感覚としては、庭も家のうちなのである。これに反 して欧米の家では、壁につづく玄関のドアは、みるからに頑丈で、そのうえしっかりし た鍵を二重にも三重にもかけて、じぶんの家の庭にたいしてさえ、厳重に区切りをつけ ている。それに玄関と裏口以外に、家と庭をつなぐ出入口はないのが一般だ。日本の住 25 宅の縁側などという気のきいたものはないのである。とすると、欧米の住宅の家の内外 を画する壁が、日本の住宅では、じつは垣になっている、といってもよい。そういう意 味では、庭をもつ一般の日本の住宅では、垣や塀などは欠かせないものなのである。 1 ≥ 一般的な、庭付きの日本の住宅においては、垣や塀は欠くべからざるものである。 30 2 ≥ 家のデザインがいくら不格好でも、垣の具合が良ければ美しく見えるものである。 3 ≥ 日本の武家屋敷は格式や防衛上の理由から、壁や塀をめぐらしているのである。 4 ≥ アメリカの一般的な住宅では、隣の家との境は芝生のつづく気持ちのよい庭である。 5 ≥ 欧米と日本では住まいの構造が根本的に異なるため、比較は成立しないのである。 出典:上田 篤『日本人とすまい』 - 20 - 例 題 5 10 15 20 25 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 「犬は人間の言葉を理解する」という意見と、「犬は人間の言葉は理解出来ない」と する意見とは昔から語られていて、世界の有名な動物学者の間でもしばしば論争され ているが、その決着は未だについていないようだ。 犬が人間の言葉を理解するという説の旗頭は進化論学者のチャールズ・ダーウィン で、 「犬はたくさんの単語や文句を理解する。この点では犬はちょうど生後十ヶ月か ら一年くらいの幼児と同じ発達の段階にあると言ってよい。なぜなら幼児もたくさん の単語や文句を理解はするが、まだ一つの単語も発することは出来ないからだ」とそ の著『人類の由来』の中で述べている。 …(中略)… これに反して、犬には人語 を理解する能力はないとする論者にドイツのベーゲ博士がいる。博士は言う。「犬が 一定の命令語に対し正確に作用するのは言葉の意味を理解するからではなく、訓練に よって習得した一定の動作を行うだけの事である。例えば飼い主が“お手”というと 手を出すがそれは手という意味を知っているからではなく、“お手”という飼い主の 声の調子でいつも手を出すように練習させられた結果にほかならない。だからもし飼 い主が“お手”という言葉で椅子の上に飛び上がることを教えればやはりその通りす るに違いない」。 …(中略)… 幼児がママと言うときはおかあさんを指し、マンマという時はご飯を指しているこ とはよく観察されるところだが、幼児はその意味を理解して言っているわけではな い。ママがマザーから来た言葉だとか、マンマがおマンマからきた言葉だなんて知ら ない。しかし知らなくとも幼児にとっては少しも差し支えない。ママは自分を愛撫し、 おっぱいを飲ませてくれる有り難い人だから、ママと言えばやって来てくれる。それ だけ解ればいいし、おなかが空けば、マンマと言うと要求がみたされることを知って いればよい。 犬が知る人間の簡単な言葉はこれに似ている。主人から「お手」と言われた時、手 とは自分の前足のことだと知っていればよいのであって、それ以上のことを知る必要 はない。だからといって人間の言葉が全く理解出来ないものときめつけるのはどうだ ろうか。私は犬が命令者の言葉の発声や調子に敏感に反応し、また主人や家人の、あ るいはそれ以外の人の表情や動作によって、その時々の事情を察知しているというこ とには全面的に賛成するが、同時に簡単な単語、それも彼が既にマスターしている単 語ならある程度の意味を理解しているのではないかと考えるのである。 30 1 ≥ 犬は人間の言葉を理解するという意見と、出来ないとする意見とが並立してい る。 2 ≥ 犬は簡単な人間の単語なら、その意味を全く理解していないことはないと考え る。 3 ≥ 犬が人間の言葉を理解する程度は、生後10ヶ月くらいの幼児と同等だと言える。 4 ≥ 犬はある言葉に対して、習得した一定の動作を行うだけで理解はできていない。 5 ≥ 犬の人語に対する理解は、幼児の発する「ママ」「マンマ」程度で必要十分であ る。 出典:戸川幸夫『イヌ・ネコ・ネズミ』 - 21 - 解 答 ・解 説 4 段落構成の文章。第 1 段落で「犬は人間の言葉を理解するか、否か」という問題を提 起し、第 2 段落で「犬は人間の言葉を理解する」という立場と「犬は人間の言葉を理解で きない」という 2 つの立場から、筆者のものではない、他人の学説を紹介し、第 3 段落で 幼児を例として挙げ、第 4 段落で第 1 段落において提示された問題に対する筆者の見解が 述べられている。よって第 1 段落と第 4 段落だけを見ればよい。 第 1 段落 … 「犬は人間の言葉を理解する」または「理解できない」 … 主題の提示 第 2 段落 … 「犬は人間の言葉を理解する」 … ダーウィンの主張の引用 … 「犬は人間の言葉を理解できない」 … ベーゲ博士の主張の引用 第 3 段落 … 幼児の言語理解の程度について(犬との比較のための例示) 第 4 段落 … 筆者自身の主張 「犬は、簡単なものならば人間の言葉をある程度は理解している。」 例 題 5 10 15 20 25 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 「犬は人間の言葉を理解する」という意見と、「犬は人間の言葉は理解出来ない」と する意見とは昔から語られていて、世界の有名な動物学者の間でもしばしば論争され ているが、その決着は未だについていないようだ。 犬が人間の言葉を理解するという説の旗頭は進化論学者のチャールズ・ダーウィン で、 「犬はたくさんの単語や文句を理解する。この点では犬はちょうど生後十ヶ月か ら一年くらいの幼児と同じ発達の段階にあると言ってよい。なぜなら幼児もたくさん の単語や文句を理解はするが、まだ一つの単語も発することは出来ないからだ」とそ の著『人類の由来』の中で述べている。 …(中略)… これに反して、犬には人語 を理解する能力はないとする論者にドイツのベーゲ博士がいる。博士は言う。「犬が 一定の命令語に対し正確に作用するのは言葉の意味を理解するからではなく、訓練に よって習得した一定の動作を行うだけの事である。例えば飼い主が“お手”というと 手を出すがそれは手という意味を知っているからではなく、“お手”という飼い主の 声の調子でいつも手を出すように練習させられた結果にほかならない。だからもし飼 い主が“お手”という言葉で椅子の上に飛び上がることを教えればやはりその通りす るに違いない」 。 …(中略)… 幼児がママと言うときはおかあさんを指し、マンマという時はご飯を指しているこ とはよく観察されるところだが、幼児はその意味を理解して言っているわけではな い。ママがマザーから来た言葉だとか、マンマがおマンマからきた言葉だなんて知ら ない。しかし知らなくとも幼児にとっては少しも差し支えない。ママは自分を愛撫し、 おっぱいを飲ませてくれる有り難い人だから、ママと言えばやって来てくれる。それ だけ解ればいいし、おなかが空けば、マンマと言うと要求がみたされることを知って いればよい。 犬が知る人間の簡単な言葉はこれに似ている。主人から「お手」と言われた時、手 とは自分の前足のことだと知っていればよいのであって、それ以上のことを知る必要 はない。だからといって人間の言葉が全く理解出来ないものときめつけるのはどうだ ろうか。私は犬が命令者の言葉の発声や調子に敏感に反応し、また主人や家人の、あ るいはそれ以外の人の表情や動作によって、その時々の事情を察知しているというこ とには全面的に賛成するが、同時に簡単な単語、それも彼が既にマスターしている単 語ならある程度の意味を理解しているのではないかと考えるのである。 30 1 ≥ 犬は人間の言葉を理解するという意見と、出来ないとする意見とが並立してい る。 2 ≥ 犬は簡単な人間の単語なら、その意味を全く理解していないことはないと考え る。 3 ≥ 犬が人間の言葉を理解する程度は、生後10ヶ月くらいの幼児と同等だと言える。 - 22 4 ≥ 犬はある言葉に対して、習得した一定の動作を行うだけで理解はできていない。 5 ≥ 犬の人語に対する理解は、幼児の発する「ママ」「マンマ」程度で必要十分であ る。 出典:戸川幸夫『イヌ・ネコ・ネズミ』 選択肢の検討 1 ≥ 犬は人間の言葉を理解するという意見と、出来ないとする意見とが並立して いる。 2 ≥ 犬は簡単な人間の単語なら、その意味を全く理解していないことはないと考 える。 3 ≥ 犬が人間の言葉を理解する程度は、生後10ヶ月くらいの幼児と同等だと言え る。 4 ≥ 犬はある言葉に対して、習得した一定の動作を行うだけで理解はできていな い。 5 ≥ 犬の人語に対する理解は、幼児の発する「ママ」「マンマ」程度で必要十分 である。 1 ≥ これは第 1 段落においてなされた問題提起にすぎず、筆者の見解は何も含まれていない ので、要旨とはならない。 2 ≥ 第 4 段落の内容である、「犬は簡単な単語であるならば、ある程度の意味を理解してい る」という筆者の見解を押さえており、最も適切である。 3 ≥ 第 3 段落において示されている、犬との比較のために挙げられている幼児の例にすぎず、 要旨とはならない。 4 ≥ 第 2 段落に示されているベーゲ博士の主張であって筆者の主張ではない。 5 ≥ 犬の言語理解能力の必要性とその程度について述べているのではない。 正答 2 - 23 - 〔練習問題④〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 知人からこんな話を聞いた。ある人が、京都の嵯峨で月見の宴をした。もっとも月見 の宴というような大袈裟なものでなく、集まって交歓会をしたのが、たまたま十五夜の 夕べであったといったようなことだったらしい。平素、月見などには全く無関心な若い 人たちらしく、にぎやかな会が始まったが、話の合間に、誰かが山の方に目を向けると、 5 これにつられて誰かの目も山の方に向く。月を待つ思いの誰の心にもあるのが、言わず 語らずのうちに通じ合っている。やがて、山の端に月が上ると、一座は、期せずしてお 月見の気分に支配された。しばらくの間、誰の目も月に吸い寄せられ、誰も月のことし か言わない。 ここまでは、当たり前な話である。ところが、この席にたまたまスイスの人が幾人か 10 いた。彼らはこの光景に驚いたのである。彼らには、一変したと見える一座の雰囲気が、 どうしても理解できなかった。そのうちの一人が、今夜の月には何か異変があるのか、 と、隣の日本人に、怪訝な顔つきで質問したというのだが、その顔つきが印象的だった、 と知人は話した。 スイスの人だって、無論、自然の美しさを知らぬわけはなかったろうし、日本にはお 15 月見の習慣があると説明すれば、理解しないこともあるまい。しかし、そんなことは、 みなおおざっぱな話であり、心の深みに入っていくと、自然についての感じ方の、私た ちとは違う何かがある。これは口では言えないものだし、またそれ故に、私たちは、い かにも日本人らしく自然を感じていることについて、平素は意識もしない。たまたまス イス人と一緒に月見をして、なるほどと自覚するが、この自覚もまた、一種の感じで 20 あって、はっきりした言葉にならない。スイス人の怪訝な顔つきが印象的だったで済ま すよりほかはない。 この日本人同士でなければ、たやすく通じ難い、自然な感じ方のニュアンスは、在来 の日本の文化の姿に、注意すればどこにでも感じられる。特に、文学なり美術なりは、 この細かな感じ方が基礎となって育ってきた、といえば、これはまず大概の人々は納得 25 していることだろう。 1 ≥ 普段は関心のない若者たちも、月見の席においては誰もが月を待つ思いをつのらせ、 心を通じ合わせるものである。 2 ≥ 日本人とは異なる自然観をもっているスイス人は、日本人の月にたいする心情を理 30 解するのに時間がかかる。 3 ≥ 日本人の月見の宴において一座の雰囲気が突然変化するという現象は、スイス人の 目には奇怪なものに映る。 4 ≥ 人間の自然に対する繊細な感じ方というものは、言葉では説明できない、身体にし みついている文化である。 5 ≥ 自然に対する伝統的な意識や価値観は誰もがもっているものであるが、日本的な感 覚は外国にはないものである。 出典:小林秀雄『私の人生観』 - 24 - 第 3節 例 題 1 キーワード 選択肢に共通して用いられている語句・表現 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 文化としての音は、各民族の感受性と美意識、それを培った風土からうまれている。 むろんそれが今日まで純粋培養されているというようなことはごくまれであり、日本 も例外ではない。むしろ日本の音は外来の影響を多くこうむることで、純化した蒸留 物のようでさえある。それだからといって、日本に影響を及ぼした中国や朝鮮の音楽 5 が一段上であるというわけでもなく、それぞれの価値はそれぞれの民族の現実生活の 中においてのみ問われるべきものであろう。 日本が西洋音楽に学ぶことは、自分を確かめまた深めるうえでたいせつなことでは あるが、それはかならずしも西洋音楽がすぐれているからなのではない。それが日本 の音楽とは異なるものだからである。とすると、西洋音楽の表現技術だけを摂取する 10 のはさほど意味のあることではない。芸術の表現技術は科学技術と同じではないの だ。表現の技術を支えている、人間の考え方や生き方の相違というものを知ることが なによりも重要であり、そのことから、人間のものとしての音楽の意味は明らかにな るのである。 15 1 ≥ 音楽の意味を考えるとき、文化としての音が純粋培養されていることはまれで あるので、他からの影響は無視してよいといえる。 2 ≥ 音楽の意味を問うことは、芸術の表現技術は科学技術とは異なるため、その技 術を産み出した現実生活において必要だといえる。 3 ≥ 音楽の意味を考えるために、自国の音楽とは異なるものからその表現技術を摂 20 取しようと努めるのは無意味で無益なことである。 4 ≥ 音楽の意味を異文化から学ぶ場合は、その民族の感受性と美意識とを培った文 化的風土が背景にあることに留意するべきである。 5 ≥ 音楽の意味を理解するには、各民族の音楽における表現技術を支えている人々 の価値観や生き方の違いを知ることが大切である。 25 出典:武満 徹『樹の鏡、草原の鏡』 30 - 25 - 解 答 ・解 説 2 段落から構成されている、この文章におけるキーワードは、選択肢すべての書き出し に共通して用いられている「音楽の意味」であると考えられる。この「音楽の意味」とい う表現を文章中に探すと、第 2 段落の末文に見つけられるので、この末文を中心に第 2 段 落を熟読して選択肢を検討するとよい。 例 題 1 選択肢に共通して用いられている語句・表現 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 文化としての音は、各民族の感受性と美意識、それを培った風土からうまれている。 むろんそれが今日まで純粋培養されているというようなことはごくまれであり、日本 も例外ではない。むしろ日本の音は外来の影響を多くこうむることで、純化した蒸留 物のようでさえある。それだからといって、日本に影響を及ぼした中国や朝鮮の音楽 5 が一段上であるというわけでもなく、それぞれの価値はそれぞれの民族の現実生活の 中においてのみ問われるべきものであろう。 日本が西洋音楽に学ぶことは、自分を確かめまた深めるうえでたいせつなことでは あるが、それはかならずしも西洋音楽がすぐれているからなのではない。それが日本 の音楽とは異なるものだからである。とすると、西洋音楽の表現技術だけを摂取する 10 のはさほど意味のあることではない。芸術の表現技術は科学技術と同じではないの だ。表現の技術を支えている、人間の考え方や生き方の相違というものを知ることが なによりも重要であり、そのことから、人間のものとしての音楽の意味は明らかにな るのである。 15 1 ≥ 音楽の意味を考えるとき、文化としての音が純粋培養されていることはまれで あるので、他からの影響は無視してよいといえる。 2 ≥ 音楽の意味を問うことは、芸術の表現技術は科学技術とは異なるため、その技 術を産み出した現実生活において必要だといえる。 3 ≥ 音楽の意味を考えるために、自国の音楽とは異なるものからその表現技術を摂 20 取しようと努めるのは無意味で無益なことである。 4 ≥ 音楽の意味を異文化から学ぶ場合は、その民族の感受性と美意識とを培った文 化的風土が背景にあることに留意するべきである。 5 ≥ 音楽の意味を理解するには、各民族の音楽における表現技術を支えている人々 の価値観や生き方の違いを知ることが大切である。 25 選択肢の検討 1 ≥ 第 2 段落末文の内容を含んでおらず、要旨としては不適切である。 2 ≥ 第 2 段落において「芸術の表現技術は科学技術と同じではない」と述べられているが、 出典:武満 徹『樹の鏡、草原の鏡』 30 「音楽の意味を問うこと」が「現実生活において必要」だとは述べられていない。 3 ≥ 第 2 段落において述べられている、「日本が西洋音楽から学ぶ」ということが否定され ており、要旨とはならない。 4 ≥ 「異文化から音楽の意味を学ぶ」場合において重要なことを主題に述べた文章ではなく、 「文化としての音(第 1 段落冒頭)」・「音楽の意味(第 2 段落末)」がどのようなもので あるのかを明らかにしようとした文章であるので、要旨としては不適切である。 5 ≥ 第 2 段落末文の内容である、「人間のものとしての音楽の意味」を明らかにするために は「人間の考え方や生き方の相違というものを知る」ことが「重要」であるという筆者の 主張を押さえており、最も適切である。 正答 5 - 26 - 例 題 2 「 」付きの語句 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 春の和歌のうちで私が特に気に入っているのは、藤原俊成の次の歌だ─「また や見ん 交野のみ野の桜狩 花の雪散る春のあけぼの」この歌によって描き出された 情景は、悲しいまでに美しい─いや、あまりにも美しすぎる。皇室のお狩場に曙 光がさす中、桜の花が雪のように乱舞している。お狩場に赴いた宮廷人の目当ては、 5 動物ではなくて桜の花。俊成はふと思う─「死ぬまでに、再びこんなに美しい光 景にめぐり会えるだろうか」答えがもちろん「否」であることを、俊成は内心悟って いる。年老いた身の彼は、二度とこのように美しい春が体験できないことを知ってい るのである。しかし、仮に彼がもっと若かったとしても、答えはやはり「否」なので はないだろうか。人は一生の間に、再び繰り返すことができないようなすばらしい体 10 験を何度かするものである。長いこと忘れられなかった風景も、実際に再訪してみる と、覚えていたほど壮大でもなければ美しくもなかった、という経験はだれにもある だろう。そして、俊成の歌が示すように、人はときとして、“最高の瞬間”を味わっ ている真っ最中に、再び同じ体験はできないことを悟っているものなのである。 15 1 ≥ 人は人生において常に最高の瞬間を探し求めているものであり、俊成はその機 会にめぐり会えた幸福な人間である。 2 ≥ 人は人生において、あまりにも美しい、最高の瞬間を目にすることがあり、そ れは日本人の場合桜の花に限定される。 3 ≥ 人は人生における最高の瞬間を何度か体験するものであるが、それは若い時期 20 の純粋な感受性による美しさである。 4 ≥ 人は人生において悲しいまでに美しい、最高の瞬間を経験することがあるが、そ の回数はごく限られたものである。 5 ≥ 人は人生における最高の瞬間を享受しているそのときに、再び同じ体験は得ら れないことを自覚している場合もある。 25 30 出典:ドナルド・キーン「日本人と桜」 - 27 - 解 答 ・解 説 ひとつの段落で構成されている、この文章をざっと読んでみると、末文に“ ”(コー テーションマーク)つきの表現である“最高の瞬間”が見える。文章中に「 」(カギカッ コ)つきや目を引く符号つきで用いられている表現は、その文章におけるキーワードであ る可能性が高いので、注意してみる(「またや見ん 交野のみ野の桜狩 花の雪散る春の あけぼの」のような和歌の引用や、「死ぬまでに…めぐり会えるだろうか」「否」などの筆 者の独白、会話のセリフなどは除く)。 選択肢に着目すると、すべてに「最高の瞬間」が含まれているので、これが本文のキー ワードであるとみて末文を熟読し、ここの内容を含んでいる肢を選択する。 例 題 2 「 」付きの語句 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 春の和歌のうちで私が特に気に入っているのは、藤原俊成の次の歌だ─「また や見ん 交野のみ野の桜狩 花の雪散る春のあけぼの」この歌によって描き出された 情景は、悲しいまでに美しい─いや、あまりにも美しすぎる。皇室のお狩場に曙 光がさす中、桜の花が雪のように乱舞している。お狩場に赴いた宮廷人の目当ては、 5 動物ではなくて桜の花。俊成はふと思う─「死ぬまでに、再びこんなに美しい光 景にめぐり会えるだろうか」答えがもちろん「否」であることを、俊成は内心悟って いる。年老いた身の彼は、二度とこのように美しい春が体験できないことを知ってい るのである。しかし、仮に彼がもっと若かったとしても、答えはやはり「否」なので はないだろうか。人は一生の間に、再び繰り返すことができないようなすばらしい体 10 験を何度かするものである。長いこと忘れられなかった風景も、実際に再訪してみる と、覚えていたほど壮大でもなければ美しくもなかった、という経験はだれにもある だろう。そして、俊成の歌が示すように、人はときとして、 “最高の瞬間” を味わっ ている真っ最中に、再び同じ体験はできないことを悟っているものなのである。 15 1 ≥ 人は人生において常に最高の瞬間を探し求めているものであり、俊成はその機 会にめぐり会えた幸福な人間である。 2 ≥ 人は人生において、あまりにも美しい、最高の瞬間を目にすることがあり、そ れは日本人の場合桜の花に限定される。 3 ≥ 人は人生における最高の瞬間を何度か体験するものであるが、それは若い時期 20 の純粋な感受性による美しさである。 4 ≥ 人は人生において悲しいまでに美しい、最高の瞬間を経験することがあるが、そ の回数はごく限られたものである。 5 ≥ 人は人生における最高の瞬間を享受しているそのときに、再び同じ体験は得ら れないことを自覚している場合もある。 25 選択肢の検討 1 ≥ 末文の内容を含んでおらず、要旨とはならない。 30 2 ≥ 1 ≥と同様、 末文の内容を含んでおらず、「桜の花に限定される」とも述べられていない。 3 ≥ 1 ≥に同じ。 4 ≥ 「最高の瞬間」を経験する回数について述べた文章ではない。 出典:ドナルド・キーン「日本人と桜」 5 ≥ 末文の内容「人はときとして、“最高の瞬間”を味わっているときに、再び同じ体験は 得られないことを悟っている」を押さえており、最も適切である。 - 28 - 正答 5 例 題 3 文章中に何度も用いられている語句 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 環境問題は現代に固有の問題ではない。どんな時代でも人間の経済活動は、多かれ 少なかれ自然環境に影響を与えてきた。しかし現代の環境問題は、そのほとんどが市 場経済を背景にして起きている点に特質がある。したがって環境問題を解決しようと すると、市場経済と環境の相互関係を分析する必要がある。環境経済学は、こうした 5 関係を分析する経済学の一分野で、最近急速に発展している。 市場経済の最大の特徴は、費用と便益を速やかに計算し、この差額である純便益を より大きくするような機能が備わっていることである。政府が介入するよりも民間の 創意工夫に任せておけば、市場取引を通じてより良い成果が得られる─これがアダ ム・スミス以来の教えであった。 10 しかし、ここでの費用や便益とは、限られた意味であることに注意する必要がある。 そもそも費用、便益とは何だろうか。人々の満足度や企業の利潤にプラスの影響を及 ぼす要素はすべて便益であり、一方、マイナスの影響を及ぼすのが費用である。もち ろん、通常の意味での費用や便益は、この範ちゅうに収まる。だが、本来は費用や便 益として考えるべきなのに、現実にはそのようにカウントされない要素がいくつもあ 15 る。自然環境はその代表例だ。紅葉の美しさは便益と見なされず、干潟の喪失も費用 とは計算されない。市場取引の外にある費用や便益は、経済学ではしばしば外部性と 呼ばれている。環境の価値の増加やダメージは市場にとって外部的な取引であり、純 便益をより大きくする市場経済の対象とはならない。 自然環境は、何らかの形で人間の便益に影響を与えているから、一種の資源とみな 20 すこともできる。しかし、環境という資源は、だれかが囲い込んで管理する性質の資 源ではない。大気を例にとれば明らかなように、だれもが費用を支払わずに使える資 源なのである。費用を支払わずに資源が利用できるとなれば、必ず浪費が起きる。米 国の保守的な環境生態学者、ギャレット・ハーディンは、公害を「コモンズの悲劇」 ととらえた。だれもが勝手に使ってしまうために起きる共有資源(コモンズ)の過剰 25 利用を公害とみなしたのである。 1 ≥ 市場経済の特徴とは損益を計算し、その差額の純便益を大きくする機能にある。 2 ≥ 自然環境は、費用を払わずに利用できるため、その浪費が起こりがちである。 3 ≥ 市場経済の自由と自然環境の保全を両立させることが環境経済学の課題である。 30 4 ≥ 公害は、誰もがむやみに過剰利用してしまう、共有資源の損失ととらえられる。 5 ≥ 市場経済にとって外部的な要素は利益の対象でないため、計算されない。 出典:細田衛士「やさしい経済学-環境と市場経済」(日本経済新聞 日刊より) - 29 - 解 答 ・解 説 問題の文章に、何度も用いられている語句や表現は、この文章のキーワードであると考 えられる。何度も繰り返し用いられているというのはそれだけ重要なのであり、必要であ るということである。そのため、頻繁に使われている言葉や表現には気をつけてみる価値 があるといえる。この問題の文章において多用されているのは「環境(問題)」と「市場 (経済) 」であるので、各選択肢がこれらを含んでいるかどうかをチェックし、これらの言 葉を含んでいない 4 ≥を消去する。 しかし、何度も用いられている言葉や表現は文章中の各所に見られるため、文章のどこ が重要であるのかがわかりにくい。そこで第 1 節で取りあげた「接続語」にもう一度着目 する。 例 題 3 文章中に何度も用いられている語句 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 環境問題は現代に固有の問題ではない。どんな時代でも人間の経済活動は、多かれ 少なかれ自然環境に影響を与えてきた。しかし現代の環境問題は、そのほとんどが市 場経済を背景にして起きている点に特質がある。したがって環境問題を解決しようと すると、市場経済と環境の相互関係を分析する必要がある。環境経済学は、こうした 5 関係を分析する経済学の一分野で、最近急速に発展している。 市場経済の最大の特徴は、費用と便益を速やかに計算し、この差額である純便益を より大きくするような機能が備わっていることである。政府が介入するよりも民間の 創意工夫に任せておけば、市場取引を通じてより良い成果が得られる─これがアダ ム・スミス以来の教えであった。 10 しかし、ここでの費用や便益とは、限られた意味であることに注意する必要がある。 そもそも費用、便益とは何だろうか。人々の満足度や企業の利潤にプラスの影響を及 ぼす要素はすべて便益であり、一方、マイナスの影響を及ぼすのが費用である。もち ろん、通常の意味での費用や便益は、この範ちゅうに収まる。だが、本来は費用や便 益として考えるべきなのに、現実にはそのようにカウントされない要素がいくつもあ 15 る。自然環境はその代表例だ。紅葉の美しさは便益と見なされず、干潟の喪失も費用 とは計算されない。市場取引の外にある費用や便益は、経済学ではしばしば外部性と 呼ばれている。環境の価値の増加やダメージは市場にとって外部的な取引であり、純 便益をより大きくする市場経済の対象とはならない。 自然環境は、何らかの形で人間の便益に影響を与えているから、一種の資源とみな 20 すこともできる。しかし、環境という資源は、だれかが囲い込んで管理する性質の資 源ではない。大気を例にとれば明らかなように、だれもが費用を支払わずに使える資 源なのである。費用を支払わずに資源が利用できるとなれば、必ず浪費が起きる。米 国の保守的な環境生態学者、ギャレット・ハーディンは、公害を「コモンズの悲劇」 ととらえた。だれもが勝手に使ってしまうために起きる共有資源(コモンズ)の過剰 25 利用を公害とみなしたのである。 1 ≥ 市場経済の特徴とは損益を計算し、その差額の純便益を大きくする機能にある。 2 ≥ 自然環境は、費用を払わずに利用できるため、その浪費が起こりがちである。 3 ≥ 市場経済の自由と自然環境の保全を両立させることが環境経済学の課題である。 30 4 ≥ 公害は、誰もがむやみに過剰利用してしまう、共有資源の損失ととらえられる。 5 ≥ 市場経済にとって外部的な要素は利益の対象でないため、計算されない。 出典:細田衛士「やさしい経済学-環境と市場経済」(日本経済新聞 日刊より) - 30 - 段落分けのある文章の場合は、第 2 段落以降の書き出しにある接続語に着目して内容を 把握するように努めるので、ここでは逆接の「しかし」で書き始められている第 3 段落に 着目する。第 3 段落の後半部分に「(自然)環境」、「市場(経済)」という言葉が認められ、 自然環境の価値やダメージという事象は市場経済の対象とはならない、ということが述べ られているので、この内容を踏まえている肢を選択すればよい。 選択肢の検討 1 ≥ 市場経済の特徴とは損益を計算し、その差額の純便益を大きくする機能にあ る。 2 ≥ 自然環境は、費用を払わずに利用できるため、その浪費が起こりがちである。 3 ≥ 市場経済の自由と自然環境の保全を両立させることが環境経済学の課題であ る。 4 ≥ 公害は、誰もがむやみに過剰利用してしまう、共有資源の損失ととらえられ る。 5 ≥ 市場経済にとって外部的な要素は利益の対象でないため、計算されない。 1 ≥ 第 3 段落では、市場経済の特徴については何も述べられていない。また、「環境」につ いて何も触れていないので要旨とはならない。 2 ≥ 自然環境の浪費を指摘しているが、「市場(経済)」との関わりについての言及がないの で、要旨とはならない。 3 ≥ 最も適切である。 4 ≥ この肢は「公害」について述べているものであって、キーワードである「環境」と「市 場(経済) 」には何も関わりがないので、この文章の要旨とはならない。 5 ≥ 「市場(経済)」にとって外部的であるとされている要素を計算し、自然環境との両立 を実現できる「環境経済学」の進展が期待されているのである。 正答 3 - 31 - 〔練習問題⑤〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 宇宙論の講演の後で出てくる質問で最も厄介なのは、「宇宙の始まり」に関すること である。無限小の時空での物質のふるまいという、摑めそうで摑めないような説明に なってしまう。何より、宇宙が誕生する以前の時空はどうなのか、と問われればわから ないというより仕方がない。そんなことがすっきり説明できないのか、と疑いの眼で見 5 られているような被害者意識をもって私は演壇を降りることになる。しかし宇宙に限ら なくても、起源の問題は現代科学の一大難問なのである。 人が自と他の区別を知ったとき初めてもつ関心は、ナルシシズムに発する「自己の起 源」だろう。やがて、自己を取り巻く客観世界の物質構造や慣習の起源へと興味が広 がってゆく。自らの出自と生きている世界を確定したいという心理的動機が出発点にあ 10 るにちがいない。同時に、神話の三大主題が、宇宙の起源、人類の起源、文化の起源で あることからわかるように、人間の根源的問いかけ(好奇心)が、各事象の原点たる起 源の問題にあることを物語っているようだ。宇宙の起源をぜひ知りたいという欲求は、 何千年も繰り返されてきた人間のきわめて自然な問いといえる。 起源の問題の本質的な困難は、「以前」のそれが存在しない時代と、「以後」の原始的 15 であれそれが存在している時代の間の、質的な飛躍にある。それが、多数の試行錯誤の 中で発見された必然の飛躍なのか、好運の積み重ねが生んだ偶然の飛躍なのかは、結果 からは判断できないのだ。この飛躍は非線形作用の最たる例証だろう。カオス軌道を逆 にたどって正確な初期条件に戻ることはできないし、分岐した解の一方だけがなぜ選ば れたかは、内在する論理だけからは導けない。現在の科学が最も不得手とする問題とい 20 えそうだ。 裏返していえば、起源の問題は、結局のところ決着のつかない、労多くして実の少な いテーマなのである。それは自然科学だけに限らない。社会や言語についても、生涯を かけてまで起源を明らかにしようなどとは考えるべきではないと言明されていたよう だ。一人一人違ったたわごとを言い合うだけでは何の意味がないというわけである。し 25 かし、それはあまりに「実」だけを求めすぎる科学のありようではないだろうか。 1 ≥ 宇宙の起源に関する問題は、現代科学における一大難問であり、人類の課題である。 2 ≥ 起源を考えるのは苦労が多いが、科学者は生涯を賭ける研究テーマにすべきである。 3 ≥ 起源の問題における本質的な困難は、質的な飛躍の背景を説明できないことにある。 30 4 ≥ 起源の問題は難問だが、骨折り損だと思わずに対応することも科学には必要である。 5 ≥ 自己の起源に始まる起源への好奇心は、何千年もの間繰り返されてきた問いである。 出典:池内 了『転回の時代に』 - 32 - 第 4節 例 題 文末表現・強調表現 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 わたしたちはマスコミの報道にあまりにも信頼をおきすぎていた点をまず反省して おきたい。マスコミの報道の多くは真実ではあるが、もっと重要なニュースが報道さ れないまま、どこかにかくされたままになっているかもしれない。かくしているのは、 政府とか企業かもしれない。 5 政府がマスコミに流す情報は、政府の都合のよいもの、政府による世論操作をね らったものかもしれない。あるいは、マスコミ自身が知っていながら、政府などをお それて、わたしたちにわざと伝えない場合もあろう。 わたしたちはマスコミの報道するもののなかに、役だつものと役だたないもの、ほ んとうのものとウソのものを、きびしく区別する鋭い眼を養わなければならない。い 10 ろいろのメディアからながされてくる情報の洪水におぼれることなく、適切な判断 力、分析力をわたしたち自身がもって、情報を取捨選択しなければならない。わたし たちは、社会全体の流れをよくつかんだ上で、その情報に冷静に接し、その情報の真 贋(本物とにせ物)をみわけねばならない。 15 1 ≥ マスコミの報道するニュースには真偽のあやふやなものが多いため、わたした ちは情報を取捨選択する必要がある。 2 ≥ わたしたちはマスコミに対し重要な情報をかくさずに報道するように要望し、そ の情報を信頼していくべきである。 3 ≥ マスコミによる報道の多くは真実であり、報道されないものは取るに足りない、 20 ありふれた、小さな出来事である。 4 ≥ マスコミの報道する情報はマスコミによって取捨選択されたものであり、わた したちにとって有益なものである。 5 ≥ わたしたちはマスコミによる報道を信頼しすぎず、自分で情報の価値を判断す る力を養っていくことが重要である。 25 30 出典:山本武利『マスコミは人を裁けるか』 - 33 - 解 答 ・解 説 この文章は 3 段落構成になっているが、これを文末表現に気をつけて見ていくと、第 1 ・第 2 段落と第 3 段落とでは、用いられている文末表現に違いがあることに気づく。 ☆ 注意したい文末表現 ・あいまいな表現 - 筆者自身の主張を、あえて控えめに、あいまいに表現しているこ とがある。 「……かもしれない。」「……ではないか。」「……だろう(か)。」 「……のような気がする。」「……のように思われる。」 ・強調されている表現 - 筆者の主張が強く述べられている箇所である。 「……べきである。」「……なければ(ねば)ならない。」「…ちがいない。」 「……まい。」「決して……ない。」(など否定を意味する文末表現) ・筆者の主張であることが明らかな表現 「……と思う。」「……と思われる。」「……と考える。」「……と考えられる。」 「……と信じる。」「……と言いたい。」「……ありたい。」 例 題 1 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 わたしたちはマスコミの報道にあまりにも信頼をおきすぎていた点をまず反省して おきたい。マスコミの報道の多くは真実ではあるが、もっと重要なニュースが報道さ れないまま、どこかにかくされたままになっているかもしれない。かくしているのは、 政府とか企業かもしれない。 5 政府がマスコミに流す情報は、政府の都合のよいもの、政府による世論操作をね らったものかもしれない。あるいは、マスコミ自身が知っていながら、政府などをお それて、わたしたちにわざと伝えない場合もあろう。 わたしたちはマスコミの報道するもののなかに、役だつものと役だたないもの、ほ んとうのものとウソのものを、きびしく区別する鋭い眼を養わなければならない。い 10 ろいろのメディアからながされてくる情報の洪水におぼれることなく、適切な判断 力、分析力をわたしたち自身がもって、情報を取捨選択しなければならない。わたし たちは、社会全体の流れをよくつかんだ上で、その情報に冷静に接し、その情報の真 贋(本物とにせ物)をみわけねばならない。 15 1 ≥ マスコミの報道するニュースには真偽のあやふやなものが多いため、わたした 第 1 ・第 2 段落においては「……かもしれない」・「……あろう」のようなあいまいな ちは情報を取捨選択する必要がある。 2 ≥ わたしたちはマスコミに対し重要な情報をかくさずに報道するように要望し、そ 文末表現が多用されているのに対し、第 3 段落では「……なければならない」といった強 の情報を信頼していくべきである。 調された文末表現ばかりである。両者を比較してみて第 3 段落に筆者の強い主張が述べら 3 ≥ マスコミによる報道の多くは真実であり、報道されないものは取るに足りない、 ありふれた、小さな出来事である。 20 れていることは明らかであるので、第 3 段落を熟読して選択肢を検討する。 4 ≥ マスコミの報道する情報はマスコミによって取捨選択されたものであり、わた したちにとって有益なものである。 5 ≥ わたしたちはマスコミによる報道を信頼しすぎず、自分で情報の価値を判断す る力を養っていくことが重要である。 25 - 34 30 出典:山本武利『マスコミは人を裁けるか』 選択肢の検討 1 ≥ マスコミの報道するニュースには真偽のあやふやなものが多いため、わたし たちは情報を取捨選択する必要がある。 2 ≥ わたしたちはマスコミに対し重要な情報をかくさずに報道するように要望し、 その情報を信頼していくべきである。 3 ≥ マスコミによる報道の多くは真実であり、報道されないものは取るに足りな い、ありふれた、小さな出来事である。 4 ≥ マスコミの報道する情報はマスコミによって取捨選択されたものであり、わ たしたちにとって有益なものである。 5 ≥ わたしたちはマスコミによる報道を信頼しすぎず、自分で情報の価値を判断 する力を養っていくことが重要である。 1 ≥ 第 3 段落に述べられている筆者の主張を含んでいるが、「情報を取捨選択する」まえに、 その情報を取捨選択するための判断力を養うことが重要であるので、要旨としては不十分。 2 ≥ マスコミに対する要望については何も述べられておらず、マスコミの情報を「信頼して いくべきである」というようなことも言っていない。 3 ≥ マスコミによる報道内容の真偽がこの文章の主題なのではない。 4 ≥ マスコミによる情報の取捨選択がわたしたちにとって有益である、というようなことは 述べられていない。 5 ≥ 最も適切である。 正答 5 - 35 - 〔練習問題⑥〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 人間はおそらく、いずれの時代でもあまり楽でなく生きていくわけですが、その一生 が一つの時代のちょうど始めから終わりまで、いわば大体中間ぐらいのところで人生を 過ごしまして、そういうことを何も意識しないですごす結構な人もあると私は思いま す。しかし、この「歴史的区切り」の期間を見ますと、不思議なほど短いわけで、大き 5 な歴史的転機を自分の一生のうちに二度も三度も経験しなければならない人もいるで しょうし、子供の時代まで含めれば各人に不可避の体験になると私は思います。簡単に 申しますと歴史的転機を意識しないで一生をすごせるということはたいへんに幸福なこ とで、そうであればそれに越したことはないと思いますが、ただおそらくその人は例外 者で、この幸福な状態をだれも保証してはくれません。 10 そこで、いまの時代も必ず終わる、終わったときに自分がどうすべきかという意識は、 心のどこかにたえず持っていたほうがいい。そしてその終わりを意識しつつ、それに よって逆に現在の自分を規制していく。この発想を常に心の中に持ち、それで自己の方 針を定めていくのが一番よいのではないか。まあ、私は大体そんな風に考えております。 そしてこれは単に個人の生涯への発想だけでなく、民族の将来に対しても常にこの発想 15 をもちつづけることが、社会の一員としての義務ではないかとも思います。 1 ≥ 人間の中には時代の転機というものに翻弄される人もいれば、そのようなことを何 も経験せずに人生を終える人もいる。 2 ≥ 常に時代の転機が訪れることを想定し、自己の生き方を決定していくということ 20 が、人生や民族の将来にとって重要である。 3 ≥ 歴史的な転機を経験せずに人生を過ごせるというのは非常に幸せなことであり、そ れは人権として保証されるべきである。 4 ≥ 時代というものには必ず終わりがあるものなので、常にその意識をもちながら、 日々の生活を有意義にする必要がある。 25 5 ≥ 民族や国家にとって将来を見据えることは最も重要なことであるので、自己の意識 をたえず磨いておくことが望まれる。 30 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 - 36 - 例 題 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 国連のみならず、世界のさまざまな国際的機関の統計的調査の結果では、日本は、 世界で最も宗教に無関心な民族という結果が出ているそうであり、これはほぼ、国際 的な通説といってよい。だがこういう通説が出来たのは昨今のことではなく、東アジ アを伝道したキリスト教諸派の宣教師は、戦前にすでに、これと同じような印象を 5 もっていた。 現在でも、韓国が人口三千万のうち約一千万がキリスト教徒、日本は一億一千万の なかで今なお信徒百万に満たないという点を「宗教的無関心」という見方で捉えれば、 統計的調査をまつまでもなく、同じような結果が出るのではないかと思う。 だが、これらの捉え方は果たして正しいであろうか? 10 過去の日本における「キリスト教伝道史」はすべて「失敗史」であったと言える。 そして三十年前までは、その失敗の理由をさまざまな対象に仮託できた。政府・文部 省・軍部・右翼・文化人等々……。確かにその中には、内村鑑三が名指しで批判した 高名な学士院会員のように、米寿の祝いに、自分は、その生涯を一貫してキリスト教 排撃に全力をつくしたと誇らかに公言した人もいるし、それに似た例はいくらでもあ 15 る。しかし、戦後三十年の状態を見れば、戦前も果たして、伝道の真の「壁」が、そ れを仮託された対象であったか否かに、疑問を感じざるを得ない。 各教派の「失敗史の研究 - その真の原因の探求」といった趣旨の討論会やセミ ナーに出席し、そこに提出された資料およびそれに基づく討論からこの「壁」を探究 して行くと、そこに現われてくるのが、われわれが不知不識のうちにもっている一種 20 の「宗教性」であると思わざるを得なくなる。 1 ≥ 日本は国際的に見て、最も宗教に無関心な民族であると言え、戦前からそのよ うに受け取られていたと考えられる。 2 ≥ 日本が宗教に無関心な民族であり、過去のキリスト教伝道がすべて失敗に終わっ 25 てきたのは、日本人の宗教性による。 3 ≥ 日本にキリスト教が根付かなかったのは、政府や文部省、軍部などの意向が壁 となってそれを妨げてきたからである。 4 ≥ 日本におけるキリスト教伝道の失敗が、政府や文部省などの機関による排撃に よるものではないことは明らかである。 30 5 ≥ 日本でキリスト教が韓国くらいにしか普及しないのは、宗教的無関心のせいで はなくさまざまな防護壁のためである。 出典:山本七平『日本人の人生観』 - 37 - 解 答 ・解 説 この文章は 5 段落の構成である。この中には文末表現として着目すべき「あいまいな表 現」と「強調されている表現」が含まれている。 第 1 段落 - 「……といってよい。 」 第 2 段落 - 「……と思う。 」 第 3 段落 - 「……であろうか。 」 第 4 段落 - 「……と言える。 」 「……を感じざるを得ない。」 第 5 段落 - 「……と思わざるを得なくなる。」 例 題 2 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 国連のみならず、世界のさまざまな国際的機関の統計的調査の結果では、日本は、 世界で最も宗教に無関心な民族という結果が出ているそうであり、これはほぼ、国際 的な通説といってよい。だがこういう通説が出来たのは昨今のことではなく、東アジ アを伝道したキリスト教諸派の宣教師は、戦前にすでに、これと同じような印象を 5 もっていた。 現在でも、韓国が人口三千万のうち約一千万がキリスト教徒、日本は一億一千万の なかで今なお信徒百万に満たないという点を「宗教的無関心」という見方で捉えれば、 統計的調査をまつまでもなく、同じような結果が出るのではないかと思う。 だが、これらの捉え方は果たして正しいであろうか? 10 過去の日本における「キリスト教伝道史」はすべて「失敗史」であったと言える。 そして三十年前までは、その失敗の理由をさまざまな対象に仮託できた。政府・文部 省・軍部・右翼・文化人等々……。確かにその中には、内村鑑三が名指しで批判した 高名な学士院会員のように、米寿の祝いに、自分は、その生涯を一貫してキリスト教 排撃に全力をつくしたと誇らかに公言した人もいるし、それに似た例はいくらでもあ 15 る。しかし、戦後三十年の状態を見れば、戦前も果たして、伝道の真の「壁」が、そ れを仮託された対象であったか否かに、疑問を感じざるを得ない。 各教派の「失敗史の研究 - その真の原因の探求」といった趣旨の討論会やセミ ナーに出席し、そこに提出された資料およびそれに基づく討論からこの「壁」を探究 して行くと、そこに現われてくるのが、われわれが不知不識のうちにもっている一種 20 の「宗教性」であると思わざるを得なくなる。 1 ≥ 日本は国際的に見て、最も宗教に無関心な民族であると言え、戦前からそのよ このうち、特に気をつけたいのは、 「……ざるを得ない」という二重否定の文末表現に うに受け取られていたと考えられる。 2 ≥ 日本が宗教に無関心な民族であり、過去のキリスト教伝道がすべて失敗に終わっ なっている箇所、 第 4 段落の末と第 5 段落の末である。否定を 2 回繰り返すことによって、 25 てきたのは、日本人の宗教性による。 より強く肯定されることになるので、ここに筆者の主張があると考えてよい。 3 ≥ 日本にキリスト教が根付かなかったのは、政府や文部省、軍部などの意向が壁 となってそれを妨げてきたからである。 第 4 段落末では、これまでの意見には「疑問を感じざるを得ない。 」という、従来の説 4 ≥ 日本におけるキリスト教伝道の失敗が、政府や文部省などの機関による排撃に への批判が強く訴えられており、第 5 段落末では、筆者自身の主張が「…と思わざるを得 よるものではないことは明らかである。 30 5 ≥ 日本でキリスト教が韓国くらいにしか普及しないのは、宗教的無関心のせいで なくなる。 」によって強調されているのである。 はなくさまざまな防護壁のためである。 出典:山本七平『日本人の人生観』 - 38 - 選択肢の検討 1 ≥ 日本は国際的に見て、最も宗教に無関心な民族であると言え、戦前からその ように受け取られていたと考えられる。 2 ≥ 日本において過去のキリスト教伝道がすべて失敗に終わったのは、宗教に対 して無関心であるという、日本人の宗教性による。 3 ≥ 日本にキリスト教が根付かなかったのは、政府や文部省、軍部などの意向が 壁となってそれを妨げてきたからである。 4 ≥ 日本におけるキリスト教伝道の失敗が、政府や文部省などの機関による排撃 によるものではないことは明らかである。 5 ≥ 日本でキリスト教が韓国くらいにしか普及しないのは、宗教的無関心のせい ではなくさまざまな防護壁のためである。 1 ≥ 第 5 段落における筆者の主張を含んでおらず、また、これは国際的に見た日本の姿につ いて述べた文章ではないので、要旨としては不適切。 2 ≥ 最も適切である。 3 ≥ 第 4 段落末に「……疑問を感じざるを得ない」として政府や軍部による「壁」が否定さ れている。 4 ≥ 政府などによるものでないのなら、何がその要因であるのか、という第 5 段落における 主張が含まれておらず、要旨とはならない。 5 ≥ 日本と韓国におけるキリスト教の普及率にちがいのあることが、本文の 6 行目に述べら れており、また、 3 ≥と同様に、この「壁」については否定されている。 正答 2 - 39 - 〔練習問題⑦〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 私たちは、よく平和を愛するとか、平和を守るということを口にします。そのとき、 しばしば、保守的な事なかれ主義を意味することが少なくありません。社会の表面が平 穏でありさえすれば平和であるとみなしがちです。しかし、そこでは、現状を乱さない ようにそっとしておこうという傍観主義、くさいものに蓋をするという現実のごまかし、 5 長いものには巻かれろという大勢順応から生まれがちです。そのかぎりでは、この平和 は、個々の人間やある集団やある民族全体が押さえつけられたり、搾取されたりしてい る状態とも結びつくことができるものです。しかし、被害をうけている当事者にとって は、この状態は、じっさい、平和の正反対でしかありえないでしょう。表面的には平和 に治まっているようにみえても、実際には社会の底辺で苦しみ憎んでいる人たちの不満 10 や要求がくすぶっています。 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」ということばを、きみたちは聞いた ことがあるだろうか。これは、聖書に出てくるイエスの有名な「山上の教え」の一節で す。イエスにとって、平和とは現にそこにあるものではなく、積極的に「つくり出す」 べきものなのです。それは、たんに平穏無事なだけの現状維持のことではありません。 15 たとえば、社会の表面では組織化された暴力による争い、反乱、無秩序が影をひそめて いるようにみえるとする。しかし、生きる上での平等なチャンスを奪われ、社会的な差 別や不正が支配しているかぎり、それは平和ではありえないのです。そうした現実の矛 盾をしっかり見つめ、その矛盾をとり除くことによって正しい平和をつくり出していか ねばならないのです。 20 1 ≥ 平和を愛するとか、平和を守るということを口にすることは多いが、本当の平和と 保守的な事なかれ主義とは異なるものである。 2 ≥ 私たちは、表面的に平和なようにみえる世の中にあっても、実際には社会の底辺で 不満を感じている人々を救済する必要がある。 25 3 ≥ 平和とはもとからそこに存在しているものではなく、私たちが社会のために努力を して積極的につくり出すべきものなのである。 4 ≥ 社会的な差別や不正が支配しているのでは、それは争いや暴力が影をひそめていて も平和な社会と言うことはできないのである。 5 ≥ 私たちに求められるのは、社会的差別や不正などの現実の矛盾を直視し、それを排 30 除して真実の平和をつくっていくことである。 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 - 40 - 例 題 3 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 「同じ文明の場」で生きるとは、日本人が苦しみ、悩んでいる事柄は、多かれ少な かれ西洋でもアラブ世界でもアジアでも苦しみ、悩んでいる、と意識することだ。平 和問題であれ、現代の資本主義の胸のえぐられるような矛盾であれ、集団主義の暴力、 不毛な愛、非人間化を強いる技術支配であれ、それは程度の差こそあれ、同じように 5 世界を苦しめているのである。ここで問題なのは、現実の矛盾をいかに自分の眼で直 視するかということだ。西洋から借りた「哲学」をいかに振り回してみても、単なる 知的虚栄心を満足させるだけで、そんなものはなんの役にも立たない。また、私たち の間で流行する言葉で現実を整理してみても、それは事態の解決をいささかも進めな い。大切なのは、どの領域であれ、他人の眼を意識せず、本気で、忍耐強く、矛盾の 10 構造を見抜くことだ。特に自分の言葉で考えることだ。日本人は執念深くないし、気 分屋で、意識過剰だ。すぐ昔のことを忘れるし、天気のよしあしで気分まで左右され る。それがプラスに働くことも事実だが、その逆になることは大いにある。地道であ ること、人にめだたぬこと、深く自分を信じること、単純な生活を送ること、そうい うことを通してしか、個人が世界と結びつけない時代なのだ。 15 1 ≥ 集団主義の暴力や技術支配などの胸をえぐられるような矛盾を解決するには、日 本人の意識過剰な性質が有効である。 2 ≥ 現代社会において個としての人間に望まれるのは、現実の矛盾に流行語を使っ て忍耐強く対決していくことである。 20 3 ≥ 現実社会の矛盾を見抜くこと、そして自分の言葉で考えることが、個人が世界 と結びつくうえで重要なことである。 4 ≥ 日本人が悩んでいる事柄には世界中の人々も苦しんでいるはずなので、私たち はその解決に全力を傾けるべきである。 5 ≥ 世界の人々と同じ文明の場で生きるためには、西洋哲学を指針として地道で単 25 純な生活を営むことが大切である。 30 出典:辻 邦生『文明の場』 - 41 - 解 答 ・解 説 強調表現とは、筆者の意見や主張を明示するような表現、もしくは筆者の主張を強く訴 えるための表現であると考えられる。文末表現のところで見た「……なければならない」 などもそのひとつであると言うことができる。前ページの 例 題 3 において強調 表現を探してみると、本文 5 行目の「ここで問題なのは」や 9 行目の「大切なのは」が見 つかる。これらは文章中でどこが最も重要な部分であるのか、つまり、筆者の主張のあり かを教えてくれている。 ☆ 他の強調表現 ・「重要なの(こと)は……」「必要なの(こと)は……」 「忘れてならないの(こと)は……」 ・「……が問題である。」「……が重要である。」「……が必要である。」 「……が求められている。」「……が急務である。」 例 題 3 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 「同じ文明の場」で生きるとは、日本人が苦しみ、悩んでいる事柄は、多かれ少な かれ西洋でもアラブ世界でもアジアでも苦しみ、悩んでいる、と意識することだ。平 和問題であれ、現代の資本主義の胸のえぐられるような矛盾であれ、集団主義の暴力、 不毛な愛、非人間化を強いる技術支配であれ、それは程度の差こそあれ、同じように 5 世界を苦しめているのである。ここで問題なのは、現実の矛盾をいかに自分の眼で直 視するかということだ。西洋から借りた「哲学」をいかに振り回してみても、単なる 知的虚栄心を満足させるだけで、そんなものはなんの役にも立たない。また、私たち の間で流行する言葉で現実を整理してみても、それは事態の解決をいささかも進めな い。大切なのは、どの領域であれ、他人の眼を意識せず、本気で、忍耐強く、矛盾の 10 構造を見抜くことだ。特に自分の言葉で考えることだ。日本人は執念深くないし、気 分屋で、意識過剰だ。すぐ昔のことを忘れるし、天気のよしあしで気分まで左右され る。それがプラスに働くことも事実だが、その逆になることは大いにある。地道であ ること、人にめだたぬこと、深く自分を信じること、単純な生活を送ること、そうい うことを通してしか、個人が世界と結びつけない時代なのだ。 15 1 ≥ 集団主義の暴力や技術支配などの胸をえぐられるような矛盾を解決するには、日 本人の意識過剰な性質が有効である。 この文章の場合、 「ここで問題なのは、現実の矛盾をいかに自分の眼で直視するかとい 2 ≥ 現代社会において個としての人間に望まれるのは、現実の矛盾に流行語を使っ うことだ。 」、「大切なのは、どの領域であれ、他人の眼を意識せず、本気で、忍耐強く、 て忍耐強く対決していくことである。 20 3 ≥ 現実社会の矛盾を見抜くこと、そして自分の言葉で考えることが、個人が世界 矛盾の構造を見抜くことだ。 」という 2 文を熟読し、これらの内容を含んでいる選択肢を 探せばよい。 と結びつくうえで重要なことである。 4 ≥ 日本人が悩んでいる事柄には世界中の人々も苦しんでいるはずなので、私たち はその解決に全力を傾けるべきである。 5 ≥ 世界の人々と同じ文明の場で生きるためには、西洋哲学を指針として地道で単 25 30 純な生活を営むことが大切である。 - 42 出典:辻 邦生『文明の場』 選択肢の検討 1 ≥ 集団主義の暴力や技術支配などの胸をえぐられるような矛盾を解決するに は、日本人の意識過剰な性質が有効である。 2 ≥ 現代社会において個としての人間に望まれるのは、現実の矛盾に流行語を 使って忍耐強く対決していくことである。 3 ≥ 現実社会の矛盾を見抜くこと、そして自分の言葉で考えることが、個人が世 界と結びつくうえで重要なことである。 4 ≥ 日本人が悩んでいる事柄には世界中の人々も苦しんでいるはずなので、私た ちはその解決に全力を傾けるべきである。 5 ≥ 世界の人々と同じ文明の場で生きるためには、西洋哲学を指針として地道で 単純な生活を営むことが大切である。 1 ≥ 筆者の主張が強く表れている 2 文の内容を含んでおらず、要旨とは言えない。 2 ≥ 1 ≥と同じ。また本文 8 〜 9 行目に「…流行する言葉で現実を整理してみても、それは 事態の解決をいささかも進めない。」とある。 3 ≥ 最も適切である。 4 ≥ 人々が苦しんでいる事柄の解決に全力を傾けるのではなく、そのような事柄を自分の眼 で直視することだというのが筆者の主張である。 5 ≥ 1 ≥と 2 ≥と 4 ≥に同じ。また本文 6 〜 7 行目に「西洋から借りた『哲学』をいかに振り 回してみても、… なんの役にも立たない。」とある。 正答 3 - 43 - 〔練習問題⑧〕 次の文章の要旨として最も適切なものはどれか。 ─ところで、フランス人のものの考え方というか、教育に対する考え方とそれに伴 う制度について(どう考えますか)。 フランスの教育には、非常にはっきりした基礎があるのです。 いま直ちに現象面から見ると、学校で教える学科目は、ある社会的な標準によって選 5 ばれています。たとえば、地理とか、歴史とか、国語とか、英語・ドイツ語・イタリー 語とか、数学とか、物理・化学など、日本と同じようにいろいろわかれています。そう いう知識を自分が働かせて、それについての自分の判断をつくる─具体的には、それ を作文にして発表するということがあるのです。 つまり、ものを覚えるということと、自分が心に思っているものを表に出すというこ 10 とが同じ重さで行われている。試験は、知識のコントロールと発表能力のコントロール との両方に厳しくわかれていて、その二つが同じ重さで行われている。このことがフラ ンスの教育制度のいちばん根本的な点だろうと思います。 それで、最も大事なことは、ただ知識を蓄えるということでなくて、発表の方法にあ る。つまりさっきいった、ことばと経験の問題の事柄、そこに連関がついてくるわけで 15 すけれども、ことばは非常に伝統的なコンベンショナルなことばを教えるわけです。フ ランス人が伝統的に使ってきたことばを徹底的に洗練して、それでもって現在のフラン ス人の思想を表わす。そういうことばと経験との結びつきということがフランスの作文 の教育において非常に厳格に行われているわけです。この点は、ほとんど日本では行わ れていないことではないかと私は思うのですが。 20 1 ≥ フランス人のものの考え方には教育に対する考え方と同様に、さまざまな知識を自 分で集め自身の判断をくだすという色彩が濃いと言える。 2 ≥ フランスの教育においては知識的な面だけでなくそれを発表する方法を身につける ことが重視されており、この点で日本とは異なっている。 25 3 ≥ フランスでは非常に厳しい教育カリキュラムがくまれており、作文指導もその一環 として完成させるべき一つのものと捉え、行われている。 4 ≥ フランス人には自国のことばを尊重する傾向が強く認められ、伝統的に用いてきた ことばを徹底的に洗練して使うように教育がなされている。 5 ≥ フランスの教育制度の根本には知識的な面と発表能力のコントロールがあり、自身 30 の考えを作文にして発表することが義務づけられている。 出典:森 有正『生きることと考えること』 - 44 - 2 文章整序問題の解法 第 章 第 1節 例 題 接続語 1 次の与文に続けてA〜Eを並べ替え、意味の通った文章とするとき、その順序とし て最も適切なものはどれか。 私たち一人びとりがたどらねばならない、このこころの旅は、人によっては、きわ めて短期間で決着がつき、スムーズに素直に歩めるものかもしれません。 A しかし、目標に到達したとき、ふりかえってみれば、自分のたどった道程が、つ 5 まるところ、自分にとって、もっとも近道であったことがわかります。 B すなわち、この世の中には、私たちの目に映っているより以上の事柄があるとい うことです。 C 人によっては、反対に、きわめて長期間を要する、苦しい回り道をたどることに なるのかもしれません。 10 D そして、自分の犯した過ちも、目標にいたりつくために避けえないものだったこ とも。 E そのとき、もっとも重要なことは、私たちがつぎのことを知っていることです。 1 ≥ C-A-D-E-B 15 2 ≥ C-A-D-B-E 3 ≥ C-D-A-E-B 4 ≥ C-E-B-A-D 5 ≥ C-E-D-A-B 20 出典:宮田光雄『生きるということ』 25 - 45 - 解 答 ・解 説 「接続語」を手がかりにして解く 要旨把握の問題のように、文章整序の問題においても逆接や説明・換言の接続語は解法 の手がかりとなる。それぞれの短文の内容から前後のつながりを見出す鍵となるからであ る。 例 題 1 を見てみると、Aが逆接の接続語「しかし」で、Bが説明・換言の 接続語「すなわち」で始まっているので、これらを手がかりに前後のつながりを考えてい く。 例 題 1 次の与文に続けてA〜Eを並べ替え、意味の通った文章とするとき、その順序とし て最も適切なものはどれか。 私たち一人びとりがたどらねばならない、このこころの旅は、人によっては、きわ めて短期間で決着がつき、スムーズに素直に歩めるものかもしれません。 A しかし、目標に到達したとき、ふりかえってみれば、自分のたどった道程が、つ 5 まるところ、自分にとって、もっとも近道であったことがわかります。 B すなわち、この世の中には、私たちの目に映っているより以上の事柄があるとい うことです。 C 人によっては、反対に、きわめて長期間を要する、苦しい回り道をたどることに なるのかもしれません。 10 D そして、自分の犯した過ちも、目標にいたりつくために避けえないものだったこ とも。 E そのとき、もっとも重要なことは、私たちがつぎのことを知っていることです。 1 ≥ C-A-D-E-B 15 2 ≥ C-A-D-B-E 3 ≥ C-D-A-E-B 4 ≥ C-E-B-A-D 5 ≥ C-E-D-A-B 20 Aに「しかし、…… もっとも近道であったことがわかります。」とあるので、これと 反対の内容をもつものを探していく。するとCに「…苦しい回り道をたどることになる」 とあり、Aの前にCが位置するとみて、選択肢のうちC-Aを含まない 3 ≥と 4 ≥と 5 ≥を 出典:宮田光雄『生きるということ』 25 消去する。次に説明・換言の接続語「すなわち」で始まっているBについて考える。「こ の世の中には、私たちの目に映っているより以上の事柄があるということです。」とあり、 何らかの「こと」について説明し直していると思われるので、これに相当する記述を探し ていくと、Eにある「つぎのこと」がそれであるとわかる。E-Bのつながりを確定して 30 2 ≥を消去する。 正答 1 - 46 - 例 題 2 次のA〜Eを並べ替えて意味の通ったひとつの文章とするとき、その順序として最 も適切なものはどれか。 A たとえばチブスの患者などのビスケットを一つ食ったために知れ切った往生を遂 げたりするのは食欲も死よりは強い証拠である。 B 「恋は死よりも強し」というのはモオパスサンの小説にもある言葉である。 C つまりあらゆる熱情は死よりも強いものなのであろう。 5 D が、死よりも強いものはもちろん天下に恋ばかりではない。 E 食欲のほかにも数えあげれば、愛国心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、 利欲とか、名誉心とか、犯罪的本能とか ─ まだ死よりも強いものはたくさんあ るのに相違ない。 10 1 ≥ B-A-E-D-C 2 ≥ B-D-A-E-C 3 ≥ B-D-E-C-A 4 ≥ B-E-A-C-D 5 ≥ B-E-C-D-A 15 20 25 30 出典:芥川龍之介『侏儒の言葉』 - 47 - 解 答 ・解 説 「接続語」を手がかりにして解く A〜Eを接続語に注意して見ていくと、Aに例示であることを表す「たとえば」、Cに 説明・換言の「つまり」 、Dに逆接を表す「が」が見つかるので、これらの接続語からつ ながりを考える。 例 題 2 次のA〜Eを並べ替えて意味の通ったひとつの文章とするとき、その順序として最 も適切なものはどれか。 A たとえばチブスの患者などのビスケットを一つ食ったために知れ切った往生を遂 げたりするのは食欲も死よりは強い証拠である。 B 「恋は死よりも強し」というのはモオパスサンの小説にもある言葉である。 C つまりあらゆる熱情は死よりも強いものなのであろう。 5 D が、死よりも強いものはもちろん天下に恋ばかりではない。 E 食欲のほかにも数えあげれば、愛国心とか、宗教的感激とか、人道的精神とか、 利欲とか、名誉心とか、犯罪的本能とか ─ まだ死よりも強いものはたくさんあ るのに相違ない。 10 1 ≥ B-A-E-D-C 2 ≥ B-D-A-E-C 3 ≥ B-D-E-C-A 4 ≥ B-E-A-C-D 5 ≥ B-E-C-D-A 15 まず、Dの逆接の「が」であるが、以下に「死よりも強いものは…恋ばかりではない」 と続いているので、「恋だけが死よりも強い」という内容をもつものがDの前に位置して 20 いると推測される。そうするとBしかないので、B-Dが得られ、これを含んでいない 1 ≥ と 4 ≥と 5 ≥は消去できる。また、Aの「たとえば」の後には「死」よりも「強い」ものの 例として「食欲」が挙げられているので、Aの前には「死よりも強い」ものについての記 述が位置すると考えられる。選択肢 2 ≥と 3 ≥ともにB-DよりもAのほうが後ろに位置し 25 ているので、条件は満たされている。次にCの「つまり」であるが、以下に「あらゆる熱 情」とあるので、人間の様々な感情をあげているEの後にCが位置するほうが適切である と判断し、A-E-Cのつながりを確認して 2 ≥を選択する。 30 出典:芥川龍之介『侏儒の言葉』 正答 2 - 48 - 第 2節 例 題 指示語 1 次のA〜Fを並べ替えて意味の通った文章とするとき、その順序として最も適切な ものはどれか。 A 道具が複雑化すれば機械となる。 B ある場合には、出来上がった物自身を道具としてさらに別の物が造り出される。 C 人間が「物」を造るには必ず「手」を使う。手によって物の形を変える。 D それがまた道具となる場合さえある。 5 E そしてわれわれの手によって直接造り得る物とは比較にならぬほど大きなもの、 精巧なものが機械によって容易に造り出されるのである。 F そこにわれわれの役に立つ物が出来上がる。 1 ≥ A-E-D-B-C-F 10 2 ≥ A-F-C-B-D-E 3 ≥ C-F-B-D-A-E 4 ≥ D-B-A-E-C-F 5 ≥ F-C-A-B-D-E 15 20 25 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 30 - 49 - 解 答 ・解 説 「指示語」を手がかりにして解く どんな文章整序の問題を解くにおいても一番初めに思い浮かべてほしいのが、それぞれ の短文(もしくは表現や文章)で、「指示語」や「接続語」で始まっているものは決して 全体の先頭には位置しない、というルールである。つまり、 「指示語」や「接続語」で始 まっているものを先頭に置いている選択肢があったら、それはマチガイであると考えてよ い。 例 題 1 もこのルールを適用するだけで、指示語「それ」で始まるDを先頭 にしている選択肢 4 ≥は消去されることになる。 例 題 1 次のA〜Fを並べ替えて意味の通った文章とするとき、その順序として最も適切な ものはどれか。 A 道具が複雑化すれば機械となる。 B ある場合には、出来上がった物自身を道具としてさらに別の物が造り出される。 C 人間が「物」を造るには必ず「手」を使う。手によって物の形を変える。 D それがまた道具となる場合さえある。 5 E そしてわれわれの手によって直接造り得る物とは比較にならぬほど大きなもの、 精巧なものが機械によって容易に造り出されるのである。 F そこにわれわれの役に立つ物が出来上がる。 1 ≥ A-E-D-B-C-F 10 2 ≥ A-F-C-B-D-E 3 ≥ C-F-B-D-A-E 4 ≥ D-B-A-E-C-F 5 ≥ F-C-A-B-D-E 15 A〜Fのうちで指示語を含んでいるものを探すとDの「それ」とFの「そこ」が見つか る。まずDの「それ」が何を指しているかを考えるが、 「それがまた道具となる場合さえ 20 ある。 」と続いているので、Bの「ある場合には、……さらに別の物が造り出される。」の 「さらに別の物」が「それ」であると見て、B-Dのつながりを確定し、 1 ≥を消去する。 次にFの「そこ」の指示内容についてであるが、「われわれの役に立つ物が出来上がる。」 とあるので、われわれ人間が「物」をつくる環境について述べているCの内容が最もふさ 25 わしいと考えて、C-Fのつながりを決めて、残っている 2 ≥と 3 ≥と 5 ≥から 3 ≥を選択す る。 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 30 正答 3 - 50 - 例 題 2 次のA〜Eを並べ替えて意味の通った文章とするとき、その順序として最も適切な ものはどれか。 A このような願いはしかしなかなか実現できそうもない。 B 他の一つの理由は私のような口下手が話す通りを書いていたのでは、到底筋の 通った文章にはならないことである。 C 何か書けと頼まれるたびに思うことは、口で話すことをそのまま文章にしてしま 5 えたらどんなに楽だろうかということである。 D いろいろな会合に出席してみてうらやましく感じるのは、即席のテーブル・ス ピーチを実に手際よくやって退ける人が多いことである。 E その理由の一つは、今日の日本語では書く言葉と話す言葉の間の隔たりが随分大 きいこと。 10 1 ≥ C-A-E-B-D 2 ≥ C-D-E-B-A 3 ≥ C-E-B-D-A 4 ≥ D-A-E-B-C 15 5 ≥ D-E-B-C-A 20 25 30 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 - 51 - 解 答 ・解 説 「指示語」を手がかりにして解く 指示語に着目して考えていく。まず、Aに「このような願いは」とあるので、「願い」 について書かれている部分をB〜Eのなかに探すと、Cの「…口で話すことをそのまま文 章にしてしまえたらどんなに楽だろうか…」という記述が見つかる。「このような願いは …実現できそうもない」とあることから、C-Aを確定し 2 ≥と 3 ≥と 4 ≥を消去する。 例 題 2 次のA〜Eを並べ替えて意味の通った文章とするとき、その順序として最も適切な ものはどれか。 A このような願いはしかしなかなか実現できそうもない。 B 他の一つの理由は私のような口下手が話す通りを書いていたのでは、到底筋の 通った文章にはならないことである。 C 何か書けと頼まれるたびに思うことは、口で話すことをそのまま文章にしてしま 5 えたらどんなに楽だろうかということである。 D いろいろな会合に出席してみてうらやましく感じるのは、即席のテーブル・ス ピーチを実に手際よくやって退ける人が多いことである。 E その理由の一つは、今日の日本語では書く言葉と話す言葉の間の隔たりが随分大 きいこと。 10 1 ≥ C-A-E-B-D 2 ≥ C-D-E-B-A 3 ≥ C-E-B-D-A 4 ≥ D-A-E-B-C 15 5 ≥ D-E-B-C-A 残る 1 ≥と 5 ≥とで考えることになるが、次はEにある「その理由の一つは」に注目する。 20 文末が「…今日の日本語では書く言葉と話す言葉の間の隔たりが随分大きいこと。」と結 ばれていることから、Cの「…口で話すことをそのまま文章にしてしまえたらどんなに楽 だろうか…」という「願い」が「…なかなか実現できそうもない」ことの理由であるとわ かるので、C-A-Eとつながると考えて、 1 ≥を選択する。 25 30 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 正答 1 - 52 - 3 空欄補充問題の解法 第 章 第 1節 例 題 5 10 15 20 25 30 複数の空欄 1 次の文章中の空欄A〜Dを補うものとして最も適当なものはどれか。 日本人は国語問題については、戦前から度々の激しい論争を経験してきた。しかし、 この日本語の国際化という現実は、国語問題に従来見られなかった、新しい観点をも たらすものとなるであろう。従来は国語問題は日本文化の問題であり、純粋に国内問 題であるという観点からすべてが論じられてきたのであるが、日本語の( A )と いう事実を前にして、日本語の国語問題は再検討されなければならなくなるであろ う。 日本では「国語」という意識が、極めて強い。国語と外国語の対比において、国語 は絶対化されているのである。しかし、その意識は英語・中国語・スペイン語などと 並ぶ日本語というところまで、( B )されなければならないだろう。日本語は唯 一無二の国語ではなく、多数ある言語の一つにすぎないという意識である。しかし、 この意識の相対化は、なかなかむつかしいかもしれない。この種の相対主義は確かに 国際的で、開明的で、進歩的である。( C )、日本にはまるで逆な精神が現実には 存在する。 「国語の精髄」を守り抜こうという、絶対主義的思想の持ち主がなお少な くないのである。日本は「言霊のさきはう国」であり、「随神の道」が生きている国 だからである。国内において、このような対立する思想の和解とコンセンサスを、ど のように作り上げてゆくか。それが問題である。 国際化によって、日本語は多少とも変わらざるを得ないであろう。その純粋性を保 持し続けることは、恐らくはむつかしいであろう。既に明治以来、日本語は大きく変 容を遂げてきた。語彙は豊富になったけれど、語法や表現はむしろ( D )され、 法則化が進んだと言える。日本語が国際化することによって、その傾向はいっそう進 むであろう。逆に言うと、日本語の国際化は、日本語の近代化に大きな契機をもたら すことになるかもしれない。日本語の変革のエネルギーを、そのような外からの力に 期待することは、間違いであろうか。 1≥ 2≥ 3≥ 4≥ 5≥ A B C D 国際化 相対化 けれど 具体化 法則化 国際化 だ が 細分化 国際化 相対化 しかし 簡素化 絶対化 国際化 そして 明確化 法則化 絶対化 だから 省略化 出典:梅棹忠夫「世界の中の日本語」 - 53 - 解 答 ・解 説 複数の空欄に複数の語句を補う 空欄補充の問題は、いくつかのパターンに分けることができる。そのうちの 1 つが「複 数の空欄に複数の語句を補う」タイプの問題である。 空欄が複数あるということは、手がかりも複数得られるということである。複数あるう ちの、埋めやすい空欄から埋めていけばよい。その場合の手がかりとなるのが第 1 章でも 取りあげた「接続語」や「指示語」であり、これらから空欄前後の文脈の流れを読みとる ヒントが得られる。 例 題 5 10 15 20 25 30 1 次の文章中の空欄A〜Dを補うものとして最も適当なものはどれか。 日本人は国語問題については、戦前から度々の激しい論争を経験してきた。しかし、 この日本語の国際化という現実は、国語問題に従来見られなかった、新しい観点をも たらすものとなるであろう。従来は国語問題は日本文化の問題であり、純粋に国内問 題であるという観点からすべてが論じられてきたのであるが、日本語の( A )と いう事実を前にして、日本語の国語問題は再検討されなければならなくなるであろ う。 日本では「国語」という意識が、極めて強い。国語と外国語の対比において、国語 は絶対化されているのである。しかし、その意識は英語・中国語・スペイン語などと 並ぶ日本語というところまで、 ( B )されなければならないだろう。日本語は唯 一無二の国語ではなく、多数ある言語の一つにすぎないという意識である。しかし、 この意識の相対化は、なかなかむつかしいかもしれない。この種の相対主義は確かに 国際的で、開明的で、進歩的である。 ( C )、日本にはまるで逆な精神が現実には 存在する。 「国語の精髄」を守り抜こうという、絶対主義的思想の持ち主がなお少な くないのである。日本は「言霊のさきはう国」であり、「随神の道」が生きている国 だからである。国内において、このような対立する思想の和解とコンセンサスを、ど のように作り上げてゆくか。それが問題である。 国際化によって、日本語は多少とも変わらざるを得ないであろう。その純粋性を保 持し続けることは、恐らくはむつかしいであろう。既に明治以来、日本語は大きく変 容を遂げてきた。語彙は豊富になったけれど、語法や表現はむしろ( D )され、 法則化が進んだと言える。日本語が国際化することによって、その傾向はいっそう進 むであろう。逆に言うと、日本語の国際化は、日本語の近代化に大きな契機をもたら すことになるかもしれない。日本語の変革のエネルギーを、そのような外からの力に 期待することは、間違いであろうか。 1≥ 2≥ 3≥ 4≥ 5≥ A B C D 国際化 相対化 けれど 具体化 法則化 国際化 だ が 細分化 国際化 相対化 しかし 簡素化 絶対化 国際化 そして 明確化 法則化 絶対化 だから 省略化 出典:梅棹忠夫「世界の中の日本語」 例 題 1 の場合、空欄Cに補われるのが「接続語」であることが選択肢より明 らかであるので、空欄Cの前の文と後の文の論理的なつながり方を考える。空欄Cの前で は「この種の相対主義は確かに国際的で、開明的で、進歩的である」とあり、後では「日 本にはまるで逆な精神が現実には存在する」と述べられていることから、空欄Cの前後で は反対の事柄が述べられており、空欄Cには逆接の接続語が補充されると考えられる。 - 54 - 選択肢の検討 A B C D 1 ≥ 国際化 相対化 けれど 具体化 2 ≥ 法則化 国際化 だ が 細分化 3 ≥ 国際化 相対化 しかし 簡素化 4 ≥ 絶対化 国際化 そして 明確化 5 ≥ 法則化 絶対化 だから 省略化 1 ≥ 空欄Dについてみると、「語彙は豊富になったけれど、語法や表現はむしろ( D ) され、…」とあるので、 「豊富になる」とは反対の意味のものが入るとみて「具体化」は 適切でないと判断。 2 ≥ 空欄Aに着目すると、「…、日本語の( A )という事実を前にして…」とあり、本 文 2 行目に「日本語の国際化という現実は、国語問題に従来見られなかった、新しい観点 をもたらす…」という記述のあることから、「国際化」が補われると考えられるので、消 去。 3 ≥ 適切である。 4 ≥ 空欄Cに補われるものは逆接の接続語であると考えられるので、消去される。 5 ≥ 4 ≥と同じ理由で消去される。 正答 3 - 55 - 〔練習問題⑨〕 次の文章中の空欄A〜Dに補われるものとして最も適切なものはどれか。 日本では契約がこうるさいのは、借家人の契約や、アパートの賃貸契約だけであるが、 同じ本を出すのにも、私どもと日本の出版社との約束は口約束で済むものが、アメリカ では何ページにもわたってアリのはうような細かい活字を連ねた煩瑣な契約書が、起り うるあらゆる危険、あらゆる裏切り、あらゆる背信行為を予定して書きとめられている。 5 そもそも契約書がいらないような社会は天国なのである。( A )は人を疑い、人間 を悪人と規定するところから生れてくる。 そして相手の人間に考えられるところのあらゆる悪の可能性を初めから約束によって 封じて、しかしその約束の範囲内ならば、どんな悪いことも許されるというのは、契約 や法律の本旨である。( B )別の考え方もあるので、ほんとうの近代的な契約社会 10 は、何も紙をとりかわさなくても、お互いの応諾の意思が発表された時期に契約が成立 するのだという学説もあるくらいである。( C )、契約社会の理想は、何も紙をとり かわさなくても人間が契約を守るという根本精神が行きわたれば、それだけで安全に運 行してゆくのであるが、そんなりっぱな人間ばかりでないところからむずかしい問題が 生ずるわけである。 15 しかし、私がここで言いたいのは、これほど社会的に重要であり、社会生活を規制す る根本のものが時間であり、約束であるから、したがってわれわれはそれを守らなけれ ばいけないという功利主義から言っているのではない。会社ではタイムスイッチを押 す、押さないで毎月末の勤務評定から、年末のボーナスまで響いてくるが、出勤時間と 約束との一番功利的な、一番生活に響く形がそういうところにあらわれている。した 20 がって守るというのは、実は約束の精神ではないのである。私が言いたいのは( D ) の問題だ。本来時間はそれ自体無意味なものであり、約束もそれ自体はかないものであ ればこそ、そこに人間の信義がかけられるのである。 25 A B C D 1 ≥ 背信行為 しかし したがって 約 束 2 ≥ 契約書 ところが すなわち 信 義 3 ≥ 地 獄 つまり ところが 時 間 4 ≥ 口約束 そして あるいは 功 利 5 ≥ 法 律 それゆえ そしてまた 精 神 30 出典:三島由紀夫『若きサムライのために』 - 56 - 例 題 2 次の文章中の空欄A、Bに補われるものとして最も適切なものはどれか。 感情は現在の中に( A )を生きようとする。記憶は( A )を個別に再現す る。ある場合には感情が記憶の背景になり、他の場合にはかえって記憶が感情の後か ら現われる。 感覚は現在を現在として生きる。理解は現在あるもの同士、また現在のものと 5 ( A )のものとを結びつけ整頓する。 これらはいずれもわれわれを直接( B )には結びつけない。まことに人間は ( B )に対して無力である。 ( B )に対する無定形の熱情を有する人は必ずしも乏しくない。この熱情がはっ きりした形を取り、理性によって組織立てられるのはけだし稀である。さらにもっと 10 少数の人にのみ賦与せられた洞察力と、ごく稀に現われる創意とによって、初めて現 在の中に( B )を見、現在の中から( B )が創り出されるのである。 ( A )は放っておけば逃げてしまう。人は記憶と感情とによってこれを繋ぎ止 める。 ( B )はいやでもやってくる。多くの人は手を束ねてこれを待っている。けだ 15 し容易に人をおぼれさす感覚と感情の中には、( B )は稀にしか含まれていない からである。そして( B )に対する熱情には背景となるものを与えることが困難 だからである。 少数の人はしかし( B )への設計に絶えず努力する。彼らの情熱を支持するも のは「科学」である。科学は何が果して可能であるかを教えてくれる。これこそは 20 ( B )へ向かって開かれた唯一の窓である。 A B 1 ≥ 時間 空間 2 ≥ 秩序 混沌 25 3 ≥ 過去 未来 4 ≥ 主観 客観 5 ≥ 希望 将来 30 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 - 57 - 解 答 ・解 説 例 題 複数の空欄に複数の語句を補う 2 も、空欄前後の文脈からあてはまるものを考えていくことになる。 この問題では、A、Bふたつの空欄を補わなければならないが、文章全体をざっと読ん でみて、AとBに補われる語句の関係を読みとることのできる箇所がないかチェックする。 この問題では本文12〜14行目の部分がそれにあたる。 例 題 2 次の文章中の空欄A、Bに補われるものとして最も適切なものはどれか。 感情は現在の中に( A )を生きようとする。記憶は( A )を個別に再現す る。ある場合には感情が記憶の背景になり、他の場合にはかえって記憶が感情の後か ら現われる。 感覚は現在を現在として生きる。理解は現在あるもの同士、また現在のものと 5 ( A )のものとを結びつけ整頓する。 これらはいずれもわれわれを直接( B )には結びつけない。まことに人間は ( B )に対して無力である。 ( B )に対する無定形の熱情を有する人は必ずしも乏しくない。この熱情がはっ きりした形を取り、理性によって組織立てられるのはけだし稀である。さらにもっと 10 少数の人にのみ賦与せられた洞察力と、ごく稀に現われる創意とによって、初めて現 在の中に( B )を見、現在の中から( B )が創り出されるのである。 ( A )は放っておけば逃げてしまう。人は記憶と感情とによってこれを繋ぎ止 める。 ( B )はいやでもやってくる。多くの人は手を束ねてこれを待っている。けだ 15 し容易に人をおぼれさす感覚と感情の中には、( B )は稀にしか含まれていない からである。そして( B )に対する熱情には背景となるものを与えることが困難 だからである。 少数の人はしかし( B )への設計に絶えず努力する。彼らの情熱を支持するも のは「科学」である。科学は何が果して可能であるかを教えてくれる。これこそは 20 ( B )へ向かって開かれた唯一の窓である。 A B 1 ≥ 時間 空間 2 ≥ 秩序 混沌 25 3 ≥ 過去 未来 4 ≥ 主観 客観 5 ≥ 希望 将来 30 本文12〜14行目の記述「 ( A )は放っておけば逃げてしまう。 … ( B )は いやでもやってくる。」という対句的な表現から、空欄A、Bには何らかの対応関係にあ る語が補われることがわかる。 出典:湯川秀樹『目に見えないもの』 - 58 - 選択肢の検討 A B 1 ≥ 時間 空間 2 ≥ 秩序 混沌 3 ≥ 過去 未来 4 ≥ 主観 客観 5 ≥ 希望 将来 1 ≥ 二語は対応関係にある。Aに「時間」を補っても不自然でないように感じられるが、B に「空間」を補うのは不自然である。 2 ≥ 1 ≥と同様に、二語は対応関係にあるが、A、Bどちらとも文脈のつながり方が不自然 になってしまう。 3 ≥ 最も適切である。 4 ≥ 1 ≥ 、2 ≥と同様、二語は対応関係にあるが、12〜14行目の記述である「 ( A )は放っ ておけば逃げてしまう。 … ( B )はいやでもやってくる。」に「主観」・「客観」 を補うことはできない。 5 ≥ 冒頭の部分、「感情は現在の中に( A )を生きようとする。記憶は( A )を個 別に再現する。…」に「希望」を補うのは不自然である。 正答 3 - 59 - 〔練習問題⑩〕 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 科学は魔術ではない。科学はまずものを要素に分析し、それらの要素がこういう ( A )を経たら、こういうものになるであろうという予想をたてて、ものをつくる。 その点で科学は合理主義に徹している、といえるかもしれないが、ここで注意すべきこ とが二つある。その一つは、科学が対象とするものの世界というのは、いいかえたなら 5 ば、物理的ないしは科学的操作のきくものの世界にかぎられている、ということである。 今日の科学が、物理学をその規範にしている、といわれる所以もここにある。したがっ て、より複雑なしくみをもったもの、たとえば生物の身体であるとか、生物の社会であ るとか、いったものにまで、今日の科学が適用できるかどうか、に疑問がある。かりに 適用できたとしても、それは、生物的ないしは社会的現象を、物理化学的に解明しうる 10 範囲内にとどまる、という限界を認めたうえでの適用にすぎない。 注意すべきもう一つのことは、科学のもとめているのは、ものごとの( B )や由 来であるというよりも、むしろものごとのできるすじ道、あるいは( A )である、 ということである。また、この点で、今日の科学は技術と直結し、核兵器から新幹線ま でをつくりだしてきたのである。試験管ベビーも、( A )を考えたら当然できてよ 15 いことである。しかし試験管内でいかに簡単なものとはいえ、生物をつくりだすことが、 はたしていつの日か可能であるだろうか。もしそんなことになったら、無から有はつく りだせない、というみずからの合理主義をご破算にして、科学は中世の錬金術に、頭を 下げたことになるであろう。 20 A B 1 ≥ イメージ 性 質 2 ≥ チョイス 特 徴 3 ≥ プロセス 起 源 4 ≥ ミラクル 成 分 25 5 ≥ メディア 段 階 30 出典:今西錦司『人類の周辺』 - 60 - 第 2節 例 題 1 つの空欄 1 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 かつてナチ時代には、ヒトラーを英雄視する指導者崇拝がさかんでした。ドイツの 誇るアウトバーンや、一時、世界を席巻した自動車フォルクスワーゲンまでヒトラー のアイディアによるものとされていた。よいものはすべてヒトラーという「偉人」の つくりだしたものだといわれていた。敗戦後のドイツでは、逆に悪いことは何でもヒ 5 トラーのせいとされた。ヒトラーは悪霊の化身とされ、デーモンにあやつられていた かのようにいわれた。つまり、ここには、プラスとマイナスという前符号を入れかえ ただけで、同じ英雄史観が一貫していることがわかります。ハフナーの場合には、た しかに、ヒトラーの善悪・功罪の両面について、ともに取りあげてはいます。しかし、 いずれにしても、こうした最近のヒトラー伝には、共通の危険な傾向が表れているの 10 です。 つ ま り、 ( )という ことです。この歴史を創造する「偉人」のモティーフと性質こそが、歴史を動かす原 因とされる。ナチ時代は、はじめからおわりまで、ヒトラーによってのみ規定される。 彼の意欲と行動こそが、ドイツ現代史をかたちづくるものと考えられる。それは、民 15 衆不在の歴史観といわねばなりません。むしろ、ドイツの国民が考えにいれられる場 合には、いつでも、「偉人」によってあやつられる受動的な存在とされるにすぎない のです。 1 ≥ 敗戦後のドイツ史教育においては、ナチス党首ヒトラーの悪行だけが強調され 20 て伝えられている 2 ≥ 戦後のドイツでは、プラスとマイナスの価値評価がまるで反対になってしまっ たことが忘れられている 3 ≥ 歴史をみる場合に、もっぱら脚光を浴びる「偉人」の決断力とか「カリスマ」に 関心を集中する 25 4 ≥ ナチ時代を説明する上で、ヒトラーという悪党だけがその動向を分析する材料 になってしまっている 5 ≥ 歴史上のできごとは、いつでも常にある特定の人物の意志や行為としてだけ評 価・認識されている 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 30 - 61 - 解 答 ・解 説 1 つの空欄に 1 つの語句・文を補う 空欄補充問題の出題パターンとして、 1 つの空欄に 1 つの語句・文(もしくは文に相当 する節)を補うものがある。このタイプの問題である場合、空欄とされているのは文章の 中心となる筆者の主張の部分であることが多い。筆者の主張が何らかのかたちで換言され ているので、空欄前後の文脈において換言(言い直し)されていることを積極的に示す語 句・接続語などに注意して文章を読むとよい。 この問題の文章の場合は、第 2 段落が「つまり」という換言の接続語で始まっており、 その直後が空欄になっているので、空欄の中には第 1 段落で具体例を用いて述べられてき たことが言い直されていると考えられる。 例 題 1 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 かつてナチ時代には、ヒトラーを英雄視する指導者崇拝がさかんでした。ドイツの 誇るアウトバーンや、一時、世界を席巻した自動車フォルクスワーゲンまでヒトラー のアイディアによるものとされていた。よいものはすべてヒトラーという「偉人」の つくりだしたものだといわれていた。敗戦後のドイツでは、逆に悪いことは何でもヒ 5 トラーのせいとされた。ヒトラーは悪霊の化身とされ、デーモンにあやつられていた かのようにいわれた。つまり、ここには、プラスとマイナスという前符号を入れかえ ただけで、同じ英雄史観が一貫していることがわかります。ハフナーの場合には、た しかに、ヒトラーの善悪・功罪の両面について、ともに取りあげてはいます。しかし、 いずれにしても、こうした最近のヒトラー伝には、共通の危険な傾向が表れているの 10 です。 つまり、 ( )という ことです。この歴史を創造する「偉人」のモティーフと性質こそが、歴史を動かす原 因とされる。ナチ時代は、はじめからおわりまで、ヒトラーによってのみ規定される。 彼の意欲と行動こそが、ドイツ現代史をかたちづくるものと考えられる。それは、民 15 衆不在の歴史観といわねばなりません。むしろ、ドイツの国民が考えにいれられる場 合には、いつでも、 「偉人」によってあやつられる受動的な存在とされるにすぎない のです。 1 ≥ 敗戦後のドイツ史教育においては、ナチス党首ヒトラーの悪行だけが強調され 20 て伝えられている 2 ≥ 戦後のドイツでは、プラスとマイナスの価値評価がまるで反対になってしまっ 第 1 段落の内容を接続語に着目してまとめてみる。 たことが忘れられている 3 ≥ 歴史をみる場合に、もっぱら脚光を浴びる「偉人」の決断力とか「カリスマ」に ・ナチ時代にはヒトラーを英雄視しており、彼を「偉人」として見ていた。 関心を集中する 25 4 ≥ ナチ時代を説明する上で、ヒトラーという悪党だけがその動向を分析する材料 ・敗戦後のドイツでは、ヒトラーは悪霊の化身とされた。 になってしまっている これはプラスとマイナスの符号をいれかえただけであって、同じ英雄史観が一貫してい 5 ≥ 歴史上のできごとは、いつでも常にある特定の人物の意志や行為としてだけ評 る。最近のヒトラー伝には、この危険な傾向が表れている。 価・認識されている 出典:宮田光雄『きみたちと現代』 30 「この危険な傾向」を換言しているのが「つまり」以下の空欄の部分であるので、第 1 段落の内容を最もよく押さえている肢を選択すればよい。 - 62 - 選択肢の検討 1 ≥ 敗戦後のドイツ史教育においては、ナチス党首ヒトラーの悪行だけが強調さ れて伝えられている 2 ≥ 戦後のドイツでは、プラスとマイナスの価値評価がまるで反対になってし まったことが忘れられている 3 ≥ 歴史をみる場合に、もっぱら脚光を浴びる「偉人」の決断力とか「カリスマ」 に関心を集中する 4 ≥ ナチ時代を説明する上で、ヒトラーという悪党だけがその動向を分析する材 料になってしまっている 5 ≥ 歴史上のできごとは、いつでも常にある特定の人物の意志や行為としてだけ 評価・認識されている 1 ≥ 第 1 段落の内容と合致するように見えるが、「ドイツ史教育」には触れておらず、「ヒト ラーの悪行だけが強調されて」いるともされていない。 2 ≥ 1 ≥と同じく第 1 段落の内容を押さえているが、戦前と戦後との価値基準の逆転を主題 とした文章ではない。 3 ≥ 最も適切である。 4 ≥ ナチ時代を説明することが第 1 段落の中心的な内容なのではない。 5 ≥ この肢でも要旨として不足がないように見えるが、なされる「評価・認識」がプラスで あるのか、マイナスであるのかが明らかにされておらず、ヒトラーを「英雄」としてプラ ス評価していることがうかがえる 3 ≥の選択肢がより適切である。 正答 3 - 63 - 〔練習問題⑪〕 次の文章中の空欄に補われるものとして最も適切なものはどれか。 「ノー」にあたる日本語が「いいえ」なら、「イエス」は「はい」とか「ええ」という ことになる。だが、この肯定の表現も、否定の言葉と同様に「きっぱりとした肯定、な いし同意」とは限らない。日本人は肯定においても、極めてあいまいで、否定の余地を 必ず残しておくのである。「はい」「はい」と言いながら、相手の言うとおりに行動しな 5 いということは、日本人ならざらにあることではないか。日本人は約束を守らない、ず るい、といったイメージは、日本人のこのような肯定のあいまいさにも起因しているの だ。 考えてみると、生きるということは肯定と否定から成り立っているといえよう。人生 とは肯定と否定とで織り出されている行為の集積なのである。だとすれば、その肯定と 10 否定とが、ともにあいまいであるということは、( )というこ とになろう。日本人が地球社会で生きてゆくためには、そして、各人がメリハリのある 人生を送りたいというのなら、この際、改めてイエスとノー、「はい」と「いいえ」を きっぱりと言いきる言語習慣を身につける必要があるのではなかろうか。 15 1 ≥ 行為をあいまいにしてゆくだけ 2 ≥ 肯定と否定の境界線があいまい 3 ≥ あいまいなまま行為を重ねる 4 ≥ その人生そのものがあいまい 5 ≥ 極めてあいまいな社会の集積 20 25 30 出典:森本哲郎『日本語 表と裏』 - 64 - 例 題 2 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 人間は考える動物です。記憶する動物です。しかし、記憶するのは、考えることの 一部にすぎません。考えることの重要な要素の一つに、忘れることがあります。 大部分の人は、記憶するのが、とりわけ暗記するのが苦手である、といいます。し かし、忘れるのが苦手の人はいるのです。暗記したものが、いつまでも原型をとどめ 5 ている人も、いるのです。 私は、暗記が苦手であると、自分に言い聞かせてきました。しかし、忘れるのも大 変である、と考えるようになりました。忘れたくても、いつまでも頭にとりついてい るものがあるかぎり、なかなか、次に進めない、というのが普通ではないでしょうか。 一つことにとらわれていることが、考える障害になる、ということです。 10 記憶したものを、右から左に忘れてゆく、といって嘆く人がいます。しかし、もの は考えようなのです。聞いたこと、見たものすべてとはいわないが、その大部分を、い つまでも覚えているとしたら、大変です。恐ろしい、といわなければなりません。頭脳 の容量は、無限である、といわれますが、どんどん詰め込まれる一方だったら、たまっ たものではありません。ですから、( )。 15 1 ≥ 人間は、新しいことばかりをどんどん覚え込むということができないのです 2 ≥ 新しいものをどんどん吸収するためには、どんどん忘れることが肝心なのです 3 ≥ 人間が、考え、記憶する動物であるというのは正しくないのかもしれません 4 ≥ 新しいものをどんどん吸収しようとしても、限界は必ずやってくるのです 20 5 ≥ 人間の頭脳には、考えることの障害になる要素が含まれていると言えるのです 25 30 出典:鷲田小彌太『自分で考える技術』 - 65 - 解 答 ・解 説 換言のことばを手がかりとして この 例 題 2 も、まず空欄の前後に着目してみる。「ですから」という順接の 接続語の直後が空欄となっているので、「ですから」よりも前に述べられていることに矛 盾しない、当然だと思われるような内容のものが補われると考えられる。 例 題 2 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 人間は考える動物です。記憶する動物です。しかし、記憶するのは、考えることの 一部にすぎません。考えることの重要な要素の一つに、忘れることがあります。 大部分の人は、記憶するのが、とりわけ暗記するのが苦手である、といいます。し かし、忘れるのが苦手の人はいるのです。暗記したものが、いつまでも原型をとどめ 5 ている人も、いるのです。 私は、暗記が苦手であると、自分に言い聞かせてきました。しかし、忘れるのも大 変である、と考えるようになりました。忘れたくても、いつまでも頭にとりついてい るものがあるかぎり、なかなか、次に進めない、というのが普通ではないでしょうか。 一つことにとらわれていることが、考える障害になる、ということです。 10 記憶したものを、右から左に忘れてゆく、といって嘆く人がいます。しかし、もの は考えようなのです。聞いたこと、見たものすべてとはいわないが、その大部分を、い つまでも覚えているとしたら、大変です。恐ろしい、といわなければなりません。頭脳 の容量は、無限である、といわれますが、どんどん詰め込まれる一方だったら、たまっ たものではありません。ですから、 ( )。 15 1 ≥ 人間は、新しいことばかりをどんどん覚え込むということができないのです 新しいものをどんどん吸収するためには、どんどん忘れることが肝心なのです 空欄を含む第24≥ 段落の内容を接続語に着目してまとめてみる。 3 ≥ 人間が、考え、記憶する動物であるというのは正しくないのかもしれません 4 ≥ 新しいものをどんどん吸収しようとしても、限界は必ずやってくるのです ・記憶したことをすぐに忘れてゆく、といって嘆く人がいる 20 5 ≥ 人間の頭脳には、考えることの障害になる要素が含まれていると言えるのです 「しかし」- ものは考えようである。 ・いつまでも覚えている - 大変だし、恐ろしい ・頭脳の容量は無限とはいうが、詰め込まれるばかりはたまらない 「ですから」- ( ) 25 第 4 段落初めに、「忘れる」ことを否定的に捉えている人の例が示されており、そのあ との逆接の接続語「しかし」以降で、 「忘れる」ことを肯定的に捉えようという筆者の主 30 張が展開されているのだから、 「忘れる」ことを肯定的に捉えているものを選択する。 出典:鷲田小彌太『自分で考える技術』 - 66 - 選択肢の検討 1 ≥ 人間は、新しいことばかりをどんどん覚え込むということができないのです 2 ≥ 新しいものをどんどん吸収するためには、どんどん忘れることが肝心なのです 3 ≥ 人間が、考え、記憶する動物であるというのは正しくないのかもしれません 4 ≥ 新しいものをどんどん吸収しようとしても、限界は必ずやってくるのです 5 ≥ 人間の頭脳には、考えることの障害になる要素が含まれていると言えるのです 1 ≥ 記憶したことを「忘れる」、というよりは「覚える」という視点で述べられている選択 肢であるので、不適。 2 ≥ 最も適切である。 3 ≥ 人間がどのような動物であるのか、というのは第 1 段落で述べられている内容であり、 本文中の空欄内部とは関係がない。 4 ≥ 人間の頭脳の許容量、限界について述べた文章ではない。 5 ≥ 考えることの障害についてではなく、「忘れる」ということを肯定的に捉えようという 主張である。 正答 2 - 67 - 〔練習問題⑫〕 次の文章中の空欄を補うものとして最も適切なものはどれか。 私は「熊野」という芝居の中で書いたことがあるが、ことしの花見に無理やりに美し い二号をさそって行く実業家は、その二号のお母さんが大病だというので悲しんでいる 彼女を引き立てるようにして無理やり花見に連れて行くのであるが、彼の考えによれ ば、ことしの花は二度と繰り返されない。それは人生のある時期の絶頂における花見で 5 あって、そこでこそ彼女の美しさが最高に発揮される。そのときは、母親の病気なども のの数ではないという快楽主義の主張が込められている。 約束や信義は、実は快楽主義のためにさえ守らなければならないのである。なぜなら 快楽は鳥の影のようなもので、一度われわれがそれをつかみそこねたら永遠に飛びさっ てしまうからである。 10 しかし、快楽のための約束として、もっとも普通な形がすなわち異性とのデートであ る。デートは、快楽のための約束にもかかわらず、その快楽を刺激し、じらせ、かえっ て高めるための技巧として、お互いにちょっと時間をずらして、わざと約束の時間に来 なかったり、あるいは約束におくれてみせたりするローマのオヴィディウス以来の愛の さまざまなウソの技巧が使われる。しかしそれでさえも信義の上にあるのが本当だとい 15 うのは、私の考えであって、私は昔から約束を守らない女性は、どんなに美人であって も嫌いである。なぜなら私の考えでは、どんな快楽も( )の上に成り立つという 考えだからである。 1 ≥ 芝 居 20 2 ≥ 信 義 3 ≥ 主 義 4 ≥ 刺 激 5 ≥ 主 張 25 30 出典:三島由紀夫『若きサムライのために』 - 68 - 練習問題の解答・解説 ① 正答 5 本文 8 行目に換言の接続語「つまり」が見えるので、これに注目する。「つまり」以降で これまでの内容がまとめられていると考えられるので、この部分の記述を熟読して選択肢へ。 1 ≥ このようなことは本文中には述べられていない。 2 ≥ 「つまり」以降の記述を踏まえておらず、要旨とはいえない。 3 ≥ 『雪国』の主人公を中心に述べている文章ではないので、 5 ≥のほうがより適切である。 4 ≥ 内容には合っているが、要旨としては不十分である。 5 ≥ 適切である。 ② 正答 4 接続語に着目して読んでいくと、第 2 段落の冒頭に逆接の「しかし」が見え、第 1 段落で 示した自然と人との関わりを否定して、筆者の主張が述べられていると考えられる。第 3 段 落の初めには「さらに」とあり、自然の有用性が補足され、第 4 段落「したがって」以降で 「人間が生きるためには … まわりにじゅうぶんな緑の自然」が必要であることが強調さ れている。第 2 段落と第 4 段落の内容をおさえて選択肢を検討する。 1 ≥ 筆者の主張が述べられている第 2 段落、第 3 段落の内容を含んでおらず、要旨としては 不適切。 2 ≥ 第 2 ・第 4 段落で述べられている、緑の植物が人間にとって不可欠であることが含まれ ておらず、要旨として不十分である。 3 ≥ 第 1 段落の内容しか含んでおらず、要旨とはならない。 4 ≥ 適切である。 5 ≥ 緑の自然と人間との関わりのあり方について述べている文章であって、緑の自然の復元 力について述べているのではない。 ③ 正答 1 具体例であると考えられる部分を除くと筆者の意見である部分(第 1 段落と第 3 段落冒頭 の 2 文と第 4 段落冒頭の 2 文と末尾の 2 文)はごくわずかなので、そこだけを読めばよい。 1 ≥ 適切である。 2 ≥ 家(住宅)や垣の見た目・デザインの美しさについて述べた文章ではないので、要旨と して不適切。 3 ≥ 日本の武家屋敷についての記述は、筆者の主張のために第 2 段落で挙げられている具体 例にすぎず、要旨とはならない。 - 69 - 4 ≥ アメリカの一般的な住宅についての記述は、第 3 段落で示されている具体例にすぎない。 5 ≥ 欧米と日本との比較を中心に述べている文章ではない。この比較を通して日本の住宅に おける垣の重要性を述べているのである。 ④ 正答 4 第 1 段落の冒頭に明記されているように、第 1 ・第 2 段落の内容は筆者が「知人」から聞 いた話であり、筆者の意見ではないことがわかる。第 3 ・第 4 段落を注意して読み進めてい くと第 3 段落の 2 行目に逆接の「しかし」が見えるので、以下の記述を熟読して選択肢へ。 1 ≥ 第 1 段落の内容であり、要旨とはならない。 2 ≥ 日本人とスイス人とでは自然観に相違のあることは述べられているが、その理解に時間 がかかるとは述べられていない。 3 ≥ 第 2 段落の内容であり、要旨とはならない。 4 ≥ 適切である。 5 ≥ 自然に対する「日本的な感覚」が「外国にはない」とは述べられていない。 ⑤ 正答 4 すべての選択肢、および本文中に何度も用いられていることから、「起源(の問題)」が本 文のキーワードであるとわかる。本文中の「起源」の語が見えている近辺を熟読して選択肢 を検討するのであるが、第 4 段落が「裏返していえば」という換言のことばで始まっている ので、第 4 段落の内容に特に注目する。 1 ≥ 本文 5 行目「しかし宇宙に限らなくても…」と述べられている。 2 ≥ 「生涯を賭ける研究テーマにすべきである」とまでは述べられていない。 3 ≥ その「困難」に対応するべきだという主張が含まれていない。 4 ≥ 適切である。 5 ≥ 内容には合っているが、要旨としては不十分である。 ⑥ 正答 2 本文13行目に「まあ、私は大体そんな風に考えております。」という表現が認められるの で、これに着目する。筆者の考え・意見がここにある、ということが明確に示される表現だ からである。 「そんな風」の指している内容が第 2 段落の 1 〜 4 行目までであり、また、次 文が「そしてこれは…」と順接で受けて続ける言葉で書き始められているので、内容的にひ とまとまりであると判断し、第 2 段落全体の内容を反映している肢を選択する。 1 ≥ 第 1 段落の内容でしかなく、第 2 段落の内容に触れていない。 - 70 - 2 ≥ 適切である。 3 ≥ 「人権として保証されるべき」であるとは述べられていない。 4 ≥ 「日々の生活を有意義にする必要がある」とは述べられていない。 5 ≥ 「自己の意識をたえず磨いておくこと」を望んでいるのではなく、 「自己の方針を定める」 ことを理想としているのである。 ⑦ 正答 5 本文章の末文に「…ねばらなない」という文末表現が見えるので、これを含んでいる文に 着目する。 「そうした現実の矛盾をしっかり見つめ…」と始まっているので、前文に遡り、 指示内容を確認する。16行目の「しかし」以降、末文までの内容を理解して選択肢へ。 1 ≥ 「しかし」以降の内容を含んでおらず、要旨として不適切。 2 ≥ 「不満を感じている人々を救済する」とまでは述べられていない。 3 ≥ 「平和」の内容が具体的に示されておらず、不十分。 4 ≥ 「…ねばならない」によって訴えようとしている筆者の意図が反映されておらず、要旨 としては不十分である。 5 ≥ 適切である。 ⑧ 正答 2 問いかけに対する受け答えとして、問題の文章がある。受け答えの部分の第 4 段落が「そ れで、最も大事なことは、…」と書き始められているので、第 4 段落に筆者の主張があると 見て選択肢を検討する。 1 ≥ フランス人のものの考え方・教育に対する考え方についての概略的な特色については、 とくに述べられていない。 2 ≥ 適切である。 3 ≥ フランスでは「作文の教育」が「非常に厳格」に行われているのであって、「教育のカ リキュラム」が厳しいのではない。 4 ≥ フランス人は「自国のことばを尊重する傾向が強」い、ということは述べられていない。 5 ≥ 「自身の考えを作文にして発表することが義務づけられている」とは述べられていない。 ⑨ 正答 2 選択肢から空欄BとCには接続語が補われることがわかるので、これらの空欄について文 脈の前後関係から考えていく。空欄Bの前には「…は、契約や法律の本旨である。」とあり、 後に「…別の考え方もある…」と続いているので、換言の「つまり」や累加の「そして」、 - 71 - 説明の「なぜなら」ではなく、逆接の接続語が補われると考えて 3 ≥と 4 ≥と 5 ≥を消去する。 空欄Cには「したがって」か「すなわち」が補われることになるが、どちらを当てはめても 文章がつながりそうなので、他の空欄を補うものについて考える。空欄Aは「背信行為」か 「契約書」のどちらかになるが、後に「( A )は人を疑い、人間を悪人と規定するところ から生れてくる」と続いていることから、「契約書」のほうが適切であると考えられる。空 欄Dを見て確認すると、その前後に「…守るというのは、実は約束の精神ではないのである。 私がいいたいのは( D )の問題だ。本来 … 約束も…はかないものであればこそ、そ こに人間の信義がかけられるのである。」と述べられており、筆者が重要視している事柄が 「信義」であると判断されるので、 2 ≥を選択する。 ⑩ 正答 3 空欄Aが 3 箇所にあり、ヒントが多いので、まずAについて考えていく。本文 2 行目にあ る( A )は「…を経たら、こういうものになる」と続いていることから「( A )を 経る」という表現がなされる語句であることがわかる。また、本文12行目のほうは「 …む しろものごとのできるすじ道、あるいは( A )である」とあり、「すじ道」に似た意味 合いの語句であることが推測されるので、 3 ≥の「プロセス」ではないかと見当をつける。 次に( B )についてであるが、「ものごとの( B )や由来であるというよりも、む しろ…」とあることから、「由来」と似通った意味の語句が補われると考えられる。すると やはり「起源」が最も適切であるとして、 3 ≥を選択する。 ⑪ 正答 4 これも空欄前後の文脈から考えていく。 8 行目末から「人生とは肯定と否定とで織り出さ れている行為の集積なのである。だとすれば、その肯定と否定とが、ともにあいまいである ということは( )ということになろう。」と述べられており、「人生」について述 べた前文を「肯定と否定とが、ともにあいまいである」ことを加味して言い直しているもの が空欄を含む部分であると考えられる。 人生 = 肯定と否定とで織り出されている行為の集積 ↓ 「あいまい」 ↓ 人生 = あいまいな行為の集積 「肯定と否定」の部分に「あいまい」を代入すると「人生があいまいなものだ」という文 が得られる。 「人生があいまい」という内容の肢は 4 ≥のみなので、これを選択する。 - 72 - ⑫ 正答 2 これも空欄前後の文脈から考える。空欄を含む一文は「なぜなら私の考えでは、どんな快 楽も( )の上に成り立つという考えだからである。」とあり、筆者の主張が集約さ れている部分であることがわかる。よって、他に筆者の主張が述べられている部分を探し、 それをヒントにして空欄を補えばよい。 3 段落構成の文章で、第 3 段落が「しかし」という逆接の接続語で書き始められているこ とから、やはり第 3 段落の内容をみていくことにする。すると第 3 段落の 5 行目に「しかし」 が認められ、以下に「それでさえも信義の上にあるのが本当だというのは、私の考えであっ て、…」と、筆者の主張であることがわかるので、「それ」の指示内容を前文に遡って「快 楽のための約束=異性とのデート」であることを確認して 2 ≥を選択する。 - 73 - 4 第 章 第 1節 古文問題の解法 古文の読解 1 .解法の手順 ⑴ 主語の確定 古文では主語の省略が多く、それが内容理解の大きな障害となっている。逆に言えば、 主語が確定できれば内容理解にとって随分有利になるはずである。また、主語がわかる だけで消去できる選択肢もあり、時間の節約となる。 ⑵ 人名は□で囲んでおく 固有名詞はもちろん、「ある人」「女」「人々」なども囲んでおくとよい。同じ人間で も変化することがあるので注意が必要である(例えば、同じ文章の中で、「延喜の帝」 →「帝」→「上」→「上の御前」のように変化することがある)。 ⑶ 接続助詞「を、」「に、」「ど、」「ば、」に◯をつける 主語の変化を見分ける最も簡単な方法が、「を、」「に、」「ど、」「ば、」という読点のつ いた 4 つの接続助詞をチェックすることである。これらの助詞があったら、そこで主語 が変化すると思ってよい。そうすると、「今、誰が、何をしているのか」ということが 具体的に見え、それだけで、消去できる選択肢もある(「て、」は主語が変らない、と考 えてよい) 。 例えば、 例 題 3 を見てみると、 能因入道、 、 に、 ←ここで主語が変る 、日(主語) に、←ここで主語が変る 神(主語) 。 を、←ここで主語が変る 国司 ば、←この変化で歌を詠んだのが国司ではないことがわ かる (能因)歌 を、 ば、 これを、もっと単純化すると下記のようになる。 A(主語 1 )① 、② ど、B(主語 2 )③ 、ば、 ⑤ 、⑥ に、⑦ 、⑧ 。 この場合、Aの動作が①②⑤⑥、Bの動作は、③④⑦⑧ということになる。 - 74 - ⑶ プラスとマイナスをつける 「本文チェック」の基本と同じである。現代語の感覚でも(+)と(-)がつけられ る単語があるので、そういうものをチェックしておくと、筆者の「判断」の部分が読み 取れる。特に古文の単語力がなくても、判断できるものは多い。 (例) 例 題 2 あさましう(-)、 面白く(+)、 恥も隠れ(+)、 嬉し(+)、悪しく(-) 例 題 3 嘆き(-)、和らぐ(+)、 劣らざりけり(+) - 75 - 第 2節 古文読解の基礎知識 1 .読解のための暗記事項 公務員試験は内容的に多岐に渡っているので、古文の暗記事項は最小限にとどめた。当 然これだけでは足りないが、読解のポイントとなる部分に頻出する事項を挙げておいた。 その他の知識は、高校の教科書や文法書を見直すことが望ましい。 ⑴ 重要文法 1 反語 …だろうか、いや…でない。(「か」「や」「いかで」「かは」など) 2 反実仮想 もし…だったら…だろうに。 ( 「せば…まし」 「ましかば…まし」など) 3 打消 ず(ず・ぬ・ね・ざら・ざり・ざる)、まじ、なし 4 る・らる 受身 「〜に…る・らる」〜に…される、の意 可能 打消文中に多い。 自発 自己感情語+る・らる 尊敬 身分の高い人の動作+る・らる 5 限定の助詞 だに …さえ。…だけでも。 さへ せめて…だけでも。…でさえ。 すら …までも。 6 強意・推量 「…つべし」「…ぬべし」「…てむ」などは「きっと…だろう」 とか「…にちがいない」「きっと…しよう」のような訳になる。 7 会話 会話は「とて」「と」「とぞ」「など」の前で終わる。 ⑵ 重要語句(訳にかかわる単語・慣用句) 単 語 意 味 1 あかなくに 十分でないのに・満足できないのに 2 あなかしこ 縁起が悪い・恐れ多い 3 あへなむ さしつかえなかろう 4 ありありて ついに・生きた末に 5 けしからぬ 異様な・不都合な 6 けしうはあらず 悪くはない・相当な 7 さらでも そうでなくても 8 さらぬわかれ 死別 9 さりぬべき ふさわしい 10 名に(し)負ふ 定評がある・ふさわしい 11 夕されば 夕方になると 12 こころうし つらい・不愉快だ - 76 - 13 こころぐるし 14 こころづきなし 心がひかれない・気にくわない 15 こころにくし 16 こころもとなし 不安だ・待ち遠しい 17 困ず つかれる 18 さがなし 意地が悪い 19 いぶせし 気が晴れない 20 けうとし 気味が悪い 21 わくらばに 偶然に 22 けしきばかり ほんのわずか 23 ねをなく 声をあげて泣く 24 …のがり …のところへ・…のもとへ 25 例の いつもの・ふつうの 26 あなかま ああ、やかましい・静かに! 27 あらましごと 予想・期待 28 かずならず つまらない・身分が低い 29 よすが ゆかり・親戚・方法 30 ひがごと 間違い・悪事 31 はらから 兄弟・姉妹 32 とが 欠点・罪 33 あるじ 主人・もてなし 34 いそぎ 用意・支度 35 あない 取り次ぎ 36 ことわり 道理・理由・筋道 37 たてまつる さしあげる・「乗る、食ふ、着る」の尊敬語・…申し上げる 38 いみじ 素晴らしい・ひどい 39 かげ 光・姿 40 すずろなり わけもない・思いがけない 41 かしこし 畏れ多い・たいそう優れている 42 おろかなり 不十分である・いい加減である 43 あさまし 思いがけないほど素晴らしい・興ざめである つらい・気の毒だ 奥ゆかしい - 77 - ⑶ 「死ぬ」を表す語句 むなしくなる・はかなくなる・いたづらになる・あさましくなる・かくれる・さる ⑷ 「病気(になる)」を表す語句 やまひ・いたつく・いたづき・なやみ・不例・例ならず・あつしくなる・おもり て・おこたる ⑸ 補助動詞用法(動詞に付く) 1 …わぶ …しづらくなる 2 …かぬ …しにくい・…できない 3 …わたる 一面…だ・ずっと…している 4 …わづらふ …できずにいる・…しかねる 5 …あふ 互いに…する・みんなで…する 6 …果つ すっかり…する・終りまで…続ける 7 …散らす すっかり…する・無造作に…する 8 …たつ しきりに…する ⑹ 副詞の呼応(間に挟んだ語句に意味を加える) 1 え…打消 …できない(不可能) 2 よも…じ まさか…あるまい 3 をさをさ…打消 ほとんど…ない 4 つゆ…打消 少しも…ない 5 さらに…打消 決して…ない 6 つやつや…打消 まったく…ない 7 ゆめ…な 決して…するな 8 おほかた…打消 まったく…ない 9 な…そ …するな(禁止) - 78 - ⑺ 注意すべき敬語 ・「奏す」……天皇、上皇に申し上げる。 ・「啓す」……中宮(皇后)に申し上げる。 ・「言ふ」の謙譲語は「聞こゆ・申す・奏す・啓す」(「申し上げる」と訳す) ・「奉る」 (たてまつる)……「与ふ」の謙譲語「差し上げる」/「乗る」「食ふ」 「着る」の尊敬語「お乗りになる・召し上がる・お召しになる」/謙譲の補助 動詞「…申し上げる」 ・「承る」 (うけたまはる)……謙譲語「お聞きする・お引き受けする」 ・「思し召す」(おぼしめす)……尊敬語「お思いになる」 ・「大殿ごもる」……尊敬語「お休みになる」 ・「聞こし召す」……尊敬語「お聞きになる・召し上がる・治めなさる」 ・「仕うまつる」……謙譲語「お仕えする・…申し上げる」 - 79 - 例 題 1 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 名を聞くより、やがて面影は推しはからるる心地するを、見る時は、また、かねて 思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、このごろの人の家の、そ こほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、たれもか く覚ゆるにや。 5 また、いかなる折ぞ、ただいま人の言ふ事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、 かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心 地のするは、わればかりかく思ふにや。 1 ≥ 昔の物語を聞くと、その登場人物や家を実際にあるものと思い合せてしまう。 10 2 ≥ 名前を聞いた人に実際会うと、想像通りの顔のことが多いものである。 3 ≥ 自分だけが妙な妄想に取り付かれてしまっているのは、情けないことである。 4 ≥ 最近、物忘れが多くなって、つい今しがた会った人も忘れてしまいがちである。 5 ≥ 人の言葉というものは、その人に会った時に改めて思い出すものである。 15 20 25 30 出典:吉田兼好『徒然草』第71段 - 80 - 【現代語訳】 名前を聞くとすぐに、そのまま顔つきは自然と推測される気持ちがするのであ るが、 (その人に実際)会う時は、また、以前に思っていた(予想していた)通 りの顔をしている人はいないものである。昔の物語を聞いても、(物語中の家は) 今いる人の家のそこらあたりであっただろうかと思い、(物語中の)人物も、現 実の人に自然と思い合わせられるのは、誰でもこう感じるのであろうか(自分だ けではないのであろうか)。 また、どのような時だったか、現実の人が言うことも、目に見えることも、自 分の心のうちにも、こうしたことがあったのかと感じて、いつとは思い出せない けれども、たしかにあった心地がするのは、自分だけがこのように思うのであろ うか。 解 答 ・解 説 1 ≥ 妥当である。「昔の物語を聞くと」とあるので、本文の「昔物語」とある部分を読ん でみると、 「このごろの人」「今見る」のような、「現実・実際」を表す語句に気づく。 「たれもかく覚ゆるにや」の「かく」は「自分のように」の意。 2 ≥ 第一文から判断する。「見る時は」は「実際に会うと」であるが、「思ひつるままの顔 したる人こそなけれ」なので、逆の意味になってしまう。打消の助動詞「ず」「ぬ」や 形容詞「なし」などに留意する。大学入試にあるような、細かい文法の知識は不要なの で「打消」のように確実に判定できるものを先ずチェックする。 3 ≥ この選択肢のような「雰囲気」は感じられるかもしれないが、実際はそのような記述 はどこにもない。 4 ≥ これも 3 ≥の選択肢と同じで、本文中にはない内容である。文章から受けるイメージ だけで選んでしまうのは危険である。 5 ≥ 「人の言葉というものは」という内容は「ただいま人の言ふ事も」の部分にあたるが、 それ以下の部分は本文中にない。 正答 1 - 81 - 例 題 2 次の文章の内容として、妥当なものはどれか。 この粟田殿の御男君達ぞ三人おはせしが、太郎君は福足君と申ししを、「幼き人は さのみこそは」と思へど、いとあさましうまさなう、悪しくぞおはせし。東三条殿の 御賀に、この君、「舞をせさせ奉らむ」とて習はせたまふほどもあやにくがり、すま ひたまへど、よろづにをこつり、祈りをさへして、教へきこえさするに、その日にな 5 りて、いみじうしたて奉りたまへるに、舞台の上に昇りたまひて、物の音、調子吹き 出づるほどに「災ひかな。吾は舞はじ」とて、びんづら引き乱り、御装束はらはらと 引き破りたまふに、粟田殿御色真青にならせたまひて、吾かにもあらぬ御気色なり。 ありとある人、「さ思ひつる事よ」と見たまへど、すべきやうもなきに、御伯父の 中の関白殿の下りて、舞台に昇らせたまへば、「言ひをこつらせたまふべきか、また、 10 憎さにえ堪へず、追ひ降させたまふべきか」と、旁々見侍りしに、この君を御腰のほ どに引き付けさせたまひて、御手づからいみじう舞はせたまひたりしこそ、楽もまさ り面白く、かの君も御恥も隠れ、その日の興も殊の外に増さりたりけれ。祖父殿も嬉 しとおぼしたりけり。父大臣は更なり、よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ。 かやうに人のために情々しき所おはしましけるに、など御末涸れさせたまひにけむ。 15 1 ≥ 幼い者に舞をさせようとするのは、情けのない行為である。 2 ≥ 一族には好評な行為も、それ以外の者には不評であった。 3 ≥ 芸術を理解できない者の子孫は、没落していくものである。 4 ≥ 関白殿は、機転がきき、思いやりの深い人である。 20 5 ≥ 福足君はたちが悪く短気なので、舞ができないのも当然である。 25 30 出典:『大鏡』 - 82 - 【現代語訳・語釈】 この粟田殿のご子息達は 3 人いらっしゃり、長男は福足君と申し上げ、「幼い 子はそんなものだ」と思われるが、大変呆れるほど行儀が悪く、粗野でいらっ しゃった。東三条殿の(還暦の)お祝いに、この君(福足君)に「舞をおさせ申 し上げよう」とお習わせになる間も言うことをきかず、嫌がりなさるのを、いろ いろ機嫌をとって、お祈りさえして教え申し上げているうちに、その日になって、 たいそう立派に御衣装をつけてさしあげたのに、舞台の上にお昇りなさって、楽 器の音や調子を整えて笛を吹き始める頃に、「やってられない。僕は舞うもんか」 と、びんづらを引っ張って乱れさせ、御装束をばらばらと引き裂きなさったので、 粟田殿は顔色が青くなられ、狼狽なさった様子であられた。すべての人は「思っ ていた通りのことだ」とご覧になっていたが、手の施しようがない時に、御伯父 にあたる中の関白殿が席を降りて舞台に昇られたので、「いいくるめて機嫌をと られるおつもりか、それとも、憎さに我慢できず、追い降ろさせるおつもりか」 とどちらかと思って見ておりましたところ、福足君を腰のあたりに引き付けら れ、ご自分で舞を舞われたのは、楽器もいっそう趣深く、あの君の御恥も忘れ、 その日の興も格別に盛り上がったことだった。祖父殿もうれしいと思われた。父 である大臣はもちろん、他の人々でさえ、本当に感じ入り申し上げた。このよう に(関白殿は)人のために情け深いところがございましたのに、なぜ子孫が絶え てしまわれたのでしょうか。 「まさなし」(正無し)思いがけない、行儀が悪い、不都合である 「すまふ」(拒ふ)抵抗する、拒む 「吾かにもあらず」無我夢中である、自分と他人の区別もつかない 解 答 ・解 説 1 ≥ 「情けのない行為」という記述はない。 2 ≥ 「父大臣は更なり、よその人だにこそ、すずろに感じ奉りけれ」の部分を考えればよ い。訳せなくても、「更なり」と「だに」で「父大臣」と「よその人」が同じような考 えをもっていることがわかる。 3 ≥ 「など御末涸れさせたまひにけむ」の部分の誤解釈。「など」は「なぜ」。訳せなくと も「情々しき」はプラスであり、それを受けて「なぜ」なのだから「没落していく」理 由ではないことがわかる。 4 ≥ 妥当である。 5 ≥ 「たちが悪く」は「まさなう」(まさなし)に一致するが、「短気」の部分はなく、ま た「当然である」とは言っていない。 正答 4 - 83 - 例 題 3 次の文章の内容として、妥当なものはどれか。 能因入道、伊予守実綱に伴ひて、かの国に下りたりけるに、夏の始め、日久しく照 りて民の嘆き浅からざるに、神は和歌にめでさせ給ふものなり。試みに詠みて三島に 奉るべき由を、国司しきりに勧めければ、 天の川苗代水にせきくだせ 天下ります神ならば神 5 と詠めるを、みてぐらに書きて、社司して申し上げたりければ、炎旱の天、にはか に曇り渡りて、大きなる雨降りて、枯れたる稲葉おしなべて緑に返りにけり。たちま ちに天炎を和らぐること、唐の貞観の帝の、蝗(いなご)を飲めりける政にも劣らざ りけり。 10 1 ≥ 突然雨が降ってきて、稲の葉を枯らしてしまった。 2 ≥ 唐の時代の貞観帝はいなごを飲んで雨を降らせた。 3 ≥ 能因入道が旱魃を心配して神に歌を申し上げた。 4 ≥ 歌には人民を救ってくれない神への批判が詠まれている。 5 ≥ 稲の葉が緑になったのは、貞観帝の力である。 15 20 25 30 出典:『古今著聞集』 - 84 - 【現代語訳】 能因入道が伊予の守実綱に同行して、伊予の国に下ったとき、夏の始めのこと だったが、日照りが長く続いて、民の嘆きが浅くはなかったので、「神は和歌に 感動なさるものである。試みに和歌を詠んで三島(神社)に差し上げるのがよい」 ということを、国司がしきりに勧めたので、(能因入道は) 天の川の水を苗代の水として、せき止めて下さい。天からお下りになる神なら ば(おできになるはずです) と詠んだのを、神に捧げる紙に書いて、社司に頼んで申し上げたところ、炎天 下の空が突然一面曇って、大雨が降って、枯れていた稲の葉がすべて緑に戻って いったのであった。(このように)たちまちのうちに天災を鎮めることは、唐の まつりごと 貞観の帝が、いなごを飲んで(雨を降らせた)政(祭祀)にも劣らないことであっ た。 解 答 ・解 説 1 ≥ 「にはかに曇り渡りて、大きなる雨降りて」なので、前半部は合致しているが、「枯 れたる稲葉」が「緑に返」ったのだから、後半部が誤り。 まつりごと 2 ≥ 妥当である。最後の一文は中国の故事で、この帝の政(祭祀)(雨を降らせた)に劣 らない優れた出来事であったとしている。「雨を降らせる」という共通点に気づけば容 易である。 3 ≥ 「社司して」申し上げているのだから、入道が「申し上げた」のではないので誤り。 4 ≥ 現代語訳にも記したように、この歌は「お祈り・お願い」の歌であり、「批判」では ない。 5 ≥ 日本と中国の話が混在している。書かれているのはあくまでも日本の話で、古代中国 の例にも匹敵する治世だった、ということを記している。 正答 2 - 85 - 例 題 4 次の文章の内容として、妥当なものはどれか。 家隆は四十以後、始めて作者の名を得たり。それより前もいかほどか歌をよみしか ども、名誉せらるることは、四十以後なりしなり。頓阿は六十以後、この道に名を得 たるなり。かやうに昔の先達も初心から名誉はなかりしなり。稽古数寄劫積りて、名 望ありけるなり。今の時分の人、いまだ歌ならば一、二百首よみて、やがて、定家・ 5 家隆の歌を似せむ、と思ひ侍ること、をかしきことなり。定家も、「行かずして長途 に至ることなし」と書きたり。ただ数寄の心深くして、昼夜の修業怠らず、先先なび なびと口がろによみつけなば、自然と求めざるに興ある所へ行きつくべきなり。ただ し後京極摂政殿は三十七にて薨じ給ひしが、生得の上手にておはしまして、殊勝のも のどもあそばしき。宮内卿は二十よりうちになくなりしかば、いつほどに稽古も修業 10 もあるべきぞなれども、名誉ありしは生得の上手にてある故なり。 1 ≥ 家隆が40歳ではじめて歌の世に出られたのは、宮内卿に学んだためである。 2 ≥ 歌の修練には、先ず風流心をもつことが肝要で、それから名師について学ぶこ とだ。 15 3 ≥ 有名な人の歌を真似て詠んでも、その場しのぎになるだけで、本質的な修業に はならない。 4 ≥ 歌で名声を得るためには、風流の心を深くもって日々修業することが大切であ る。 5 ≥ 長い年月の孤独な修練によってのみ、歌で有名になることができ、生まれつき 20 ではありえない。 25 30 出典:『正徹物語』 - 86 - 【現代語訳】 家隆は40歳以降、初めて作者の名(名声)を得た。それより前にも非常に多く の歌を詠んだけれども、名声を得たのは、40歳以後だった。頓阿は60歳以後、こ の歌の道に名声を得たのである。このように、昔の先輩も、初めから名誉はな かったのである。修練や風流に長い年月が積もって、はじめて名声が得られるの である。今の時代の人は、まだ歌ならば100首か200首詠んで、すぐに定家・家隆 の歌を真似しよう、と思っておりますのは妙なことである。定家も、「行かない で長い道に辿り着くことはない」と書いている。ただ風流の心が深くあって、 日々の修業を怠けることなく、先ず柔らかく口軽く詠んでいくならば、おのずと、 無理に求めなくとも興ある所に当然行き着くものである。ただし、後京極摂政殿 は37歳で逝去されたが、生まれつきの才能がおありになって、優秀な沢山の作品 をお作りなさった。宮内卿は20歳になる前になくなったので、いつ稽古や修業を したのだろうかということであるけれど、(摂政と同じに)名声のあったのは生 まれつきの才能のためである。 解 答 ・解 説 1 ≥ 「宮内卿」に学んだという記述はない。 2 ≥ 前半は書かれている内容であるが、後半の「名師について学ぶ」というような記述は 本文中にない。 3 ≥ 今の時代の人がすぐに有名人の真似をするのはおかしい、としている。「その場しの ぎ」とか「本質的な修業にならない」というのではなく、今の人は修業をしない、とい うことを述べるための例である。 4 ≥ 妥当である。「数寄」というのは「風流の心」のこと。 5 ≥ 「孤独」という記述はない。更に「宮内卿」の例は、生まれつきの才能の例なので、 後半は矛盾している。 正答 4 - 87 - 5 第 章 第 1節 英文の解法 英文の読解 1 ≥ 選択肢のチェック 読解の基本は、今まで学習してきた現代文の方法と大差ない。英語であるがゆえのテク ニックが存在するので、その内容と方法を理解すれば、現状より確実に得点率が上がる。 出題数が増えていく、という傾向は今後も変わらないであろう。 ⑴ 選択肢の重要性 現代文(文章理解)の問題では、選択肢を先に読むと先入観にとらわれやすいため、 このテキストでは「本文チェック」を先に行い、それから選択肢を検討する方法をとっ ている。しかし、英文(文章理解)の問題は、先ず「選択肢から目を通す」ということ が大前提である。そこから本文の内容が見えてくるのである。ある程度の内容を把握し た上で本文を読むことは、何もわからずに読む場合とは理解度が違ってくるので、単語 力不足に悩んでいる人にとって、大変有り難い情報ということができる。例えば、次の ような選択肢があったと仮定する。 1 ≥ 教養を身につけるためには、あらゆる種類の書物を大量に読むことが必要で ある。 2 ≥ 物知りになるためには、実用的入門書などを素早く沢山読むことが必要である。 3 ≥ 急速に変化しつつある社会では情報を得ることがすなわち教養あることに他 ならない。 4 ≥ 教養の高い人々は社会や科学の変化に遅れまいと格調高い書物を大量に読ん でいる。 5 ≥ 教養の高い人々は他の人々よりもはるかに多くの精神的な糧に恵まれている。 ここからわかるのは、本文の内容が「教養・物知り」のことを語り、「読書」に関係 することが示されているということである。細かい分析は先ずは必要ない。各選択肢に 共通する語句から、英文全体の内容を類推することが可能となる。選択肢に関係がある 部分を精読すれば、時間の節約になる。 - 88 - ⑵ 選択肢分析の実際 さらに細かく分析するのが、次の作業である。その中心は、次のようなものである。 A 主語の確定 B 文末の表現(判断部分) C 名詞の確認/修飾語の確認 D 選択肢特有の部分 E 選択肢の比較 それらを実際に書き込んでみると、次のようになる。 1 ≥ 教養を身につけるためには 、あらゆる種類の書物を大量に読むことが 必要 である 。 2 ≥ 物知りになるためには 、実用的入門書などを素早く沢山読むことが 必要で ある 。 3 ≥ 急速に変化しつつある社会では 情報を得ることがすなわち教養あることに 他ならない 。 4 ≥ 教養の高い人々は 社会や科学の変化に遅れまいと格調高い書物を大量に 読 んでいる 。 5 ≥ 教養の高い人々は 他の人々よりもはるかに多くの精神的な糧に 恵まれている 。 ① 主語の確定 主部になっているのは「教養」や「物知り」という似たような内容である。 3 ≥だ けが「社会」となっているので、正答の可能性は低い。 1 ≥と 2 ≥は「…ためには」で あり、 4 ≥と 5 ≥は「…は」という主語として設定している。本文の中心が、 1 ≥と 2 ≥ にあるのか、 4 ≥と 5 ≥にあるのかを判定する。 ② 文末の表現 1 ≥と 2 ≥には「必要」という判断が示されている。 3 ≥は「他ならない」という強 い表現がある。 4 ≥と 5 ≥には「状況」を述べた文末しかない。助動詞や強調表現を確 認することで消去すべき選択肢がわかる。 ③ 名詞の確認/修飾語の確認 1 ≥と 2 ≥と 4 ≥に共通しているのは、「本」である。 3 ≥も「情報」なので、内容的 には近い。それらに付いている「修飾語」を考えることは極めて重要である。 1 ≥で 言えば、 「あらゆる種類の」ものなのかどうか、 4 ≥ならば、「格調高い」という意味 の語句があるかどうか、という判断基準になるからである。 - 89 - 2 ≥ 本文チェック ⑴ リード部分の重要性 英文は、どちらかといえば「頭括型」(中心・核心→説明)という順序を踏む文章が 多い。つまり、各段落の第 1 文(リード)を注意深く読む必要がある。日本語で例を挙 げながら徐々に「まとめ」に入っていくのと逆の順序である。 ⑵ 比較・否定の構文 選択肢に関わってくる文法事項で最も重要なのは「比較」と「否定」である。これら は、選択肢の日本語で注目すべき箇所であり、本文との対照を厳密に行うべきものであ る。本文中にあるものは、必ずチェックするようにしよう。 ⑶ 重要動詞 基本動詞で、主語の考えを直接示しているもの(doubt think consider feel hope wish など。 )を押さえておく。 また、選択肢に使われている動詞はチェックする。 ⑷ 強調語 ⑸で挙げる②の語句は、選択肢との相関性が極めて強い。これらの語句があったら、 必ずチェックし、選択肢と対照させておくべきである。 ⑸ チェックすべき重要単語 ① 逆接・転換 incidentally ところで、偶然に alternatively あるいは meanwhile 話は変わって、その間 while 一方 but/although しかし yet しかしながら however しかしながら nevertheless にもかかわらず still なお、それでも actually 実際に as a matter of fact 実を言うと in fact 実際上 otherwise そうでなければ at any rate ともかく in spite of にもかかわらず despite にもかからわず all the same にもかかわらず nonetheless にもかかわらず - 90 - ② 限定・強調 only/just/alone …だけ rather …than むしろ、かえって certainly 必ず、たしかに surely 必ず、たしかに anyway どうしても at least とにかく in any case ともかく without fail 間違いなく necessarily 必然的に always いつも not always 必ずしも…でない rather/quite かなり in this regard この点については in reference to …に関して I mean that … つまり by no means 決して…ない in particular 特に particularly 特に for example 例えば for instance 例えば let us say 例えば take an example 例えば such as 例えば ③ 例示 ④ 結論・結果 that is(to say) つまり in other words 言いかえれば thus ゆえに namely すなわち in conclusion 結論として finally 結論として in short 結論として conclusively 結論として eventually 結論として as a conclusion 結論として to conclude 結論として therefore その結果、ゆえに accordingly その結果、ゆえに consequently その結果、ゆえに in consequence その結果、ゆえに to sum up 要するに hence したがって in follow that …ということになる anyway いずれにせよ as a result 結局 after all 結局 that is why そういうわけで - 91 - ⑹ 分野別重要単語 ① 環境問題 environmental destruction 環境破壊 pollution 公害・汚染 acid rain 酸性雨 deforestation 森林破壊 carbon dioxide 二酸化炭素 warmer climate 気候の温暖化 environmental organization 環境団体 Greenhouse Effect 温室効果 rise in sea levels 海面上昇 tropical rain forests 熱帯雨林 natural resource 天然資源 ozone layer オゾン層 ecosystem 生態系 pollutant 汚染物質 infra-red 赤外線 chloro-fluorocarbon フロンガス=CFC environmental estrogen 環境ホルモン desertification 砂漠化 soil 土壌 preservation 保護・保存 atmospheric 大気の temperature 温度 population 人口 degradation 劣化 legal restriction 法的規制 residue 残留物 global warming 地球温暖化 toxic substance 有毒物質 compound 化合物 exhaust 排気ガス radioactivity 放射能 waste/refuse 廃棄物 land fill 埋立地 garbage ゴミ - 92 - ② 現代社会 the Third World 第三世界 developed countries 先進諸国 immigration 移住・入国 racism 人種差別 ethnic minority 少数民族 child mortality rates 幼児死亡率 sexual discrimination 性差別 developing country 発展途上国 additive-free food 無添加食品 organic vegetable 有機野菜 soybean protein 大豆タンパク質 vitamin ビタミン smoker 喫煙者 nonsmoking area 禁煙区域 passive smoke 間接煙 board of education 教育委員会 nicotine/tar ニコチン/タール lung cancer 肺ガン bullying いじめ truancy 不登校 academic ability 学力 educational reform 教育改革 bioethics 生命倫理 organ donation 臓器提供 euthanasia 安楽死 brain death 脳死 gene 遺伝子 suicide 自殺 dementia 痴呆 senior 高齢者 bulimia/overeating 過食症 virus ウイルス anorexia 拒食症 plague 伝染病 technology 科学技術 Internet-related crime インターネット犯罪 artificial intelligence 人工知能 computer hacker P.Cハッカー experiment 実験 computer virus P.Cウイルス energy development エネルギー開発 allergy アレルギー ③ 科学・情報 - 93 - ④ 国際関係・経済 diplomacy 外交 economic sanctions 経済制裁 foreign policy 外交政策 political asylum 政治亡命 aid 援助 gross national product 国民総生産 embassy 大使館 economic growth 経済成長 official development ODA nongovernmental NGO assistance (政府開発援助) organization (非政府組織) consumption 消費 consumer price 消費者物価 downturn 景気下降 depression 不況 recession 景気後退 inflation インフレ economic crisis 経済危機 financial reform 金融改革 economic friction 経済摩擦 national budget 国家予算 investor 投資家 interest rate 金利 public works project 公共事業 liabilities 債務・負債 stock market 株式市場 tariff 貿易関税 currency 通貨 protectionism 保護貿易(主義) foreign exchange 外国為替市場 European Monetary 欧州通貨統合 Union EMU European Monetary 欧州通貨制度 System EMS unemployment/ 失業 market strong yen/ 円高 yen’s surge unemployment rate/ 失業率 jobless rate joblessness collapse 破綻 bankruptcy 倒産 go out of business 倒産する job-hopping 転職 layoff 解雇(一時解雇)labor union 労働組合 tax reduction 減税 expenses 経費 tax dodge 脱税 income tax 所得税 insurance 保険 disarmament 軍備縮小 constitution 憲法 jurisdiction 司法権 ordinance 条例 litigation 訴訟 court 裁判所 juror 陪審員 ⑤ 法律 - 94 - 例 題 1 次の英文の内容として妥当なものはどれか。 Jazz lyrics, the spiritual food of the masses, but even educated few are not much better provided. Science advances from discovery to discovery, and, economic and political changes follow one another with a bewildering rapidity. The educated have to‘keep up’─they are so busy keeping up that they seldom have time to read 5 any author who thinks and feels and writes with style. In a rapidly changing age, there is a real danger that being well informed may prove incompatible with being cultivated. To be well informed, one must read quickly a great number of merely instructive books. To be cultivated, one must read slowly and with a lingering appreciation the comparatively few books that have been written by men who lived, 10 thought and felt with style. 1 ≥ 教養を身につけるためには、あらゆる種類の書物を大量に読むことが必要であ る。 2 ≥ 物知りになるためには、実用的入門書などを素早く沢山読むことが必要である。 15 3 ≥ 急速に変化しつつある社会では情報を得ることがすなわち教養あることに他な らない。 4 ≥ 教養の高い人々は社会や科学の変化に遅れまいと格調高い書物を大量に読んで いる。 5 ≥ 教養の高い人々は他の人々よりもはるかに多くの精神的な糧に恵まれている。 20 25 30 - 95 - 本文の分析 Jazz lyrics, the spiritual food of the masses, but even educated few are not much better provided. (訳) ジャズの詞は、大衆の精神的な糧であるが、少数の教養の高い人でさえ、(それに) 恵まれているわけではない。 日本語と同じで、「逆接」のあとは要検討。 実際、選択肢の 5 ≥はこの部分だけで誤りで あることがわかる。 Science advances from discovery to discovery, and, economic and political changes follow one another with a bewildering rapidity. (訳) 科学は発見から発見へと進み、経済的・政治的変化は、途方もない速さで続いて起 る。 The educated have to‘keep up’─they are so busy keeping up that they seldom have time to read any author who thinks and feels and writes with style. (訳) 教養の高い人たちは、(それに)ついていこうとする。(すなわち)彼らはそれらに 遅れないように忙しいので、自分のスタイルで考え、感じ、書くという著者の本を読 む時間をめったに持つことがない。 In a rapidly changing age, there is a real danger that being well informed may prove incompatible with being cultivated. (訳) 急速に変わる時代においては、よく知っていることが教養のあることと相容れない 危険性が実際に存在する。 マイナスの意味を含む語句は必ずチェックしておく。 この場合も、「危険」なのは何か、と読み取らないと 選択肢を選べない。選択肢 3 ≥の誤りがわかる。 To be well informed, one must read quickly a great number of merely instructive books. (訳) よく知っているためには、膨大な単なる知識本を読まなければならない。 現代文と同じで、CANやMUST 単なる=マイナスの語句。ここに注 は必ずチェックする。 意すれば、選択肢 1 ≥の誤りがわかる。 - 96 - To be cultivated, one must read slowly and with a lingering appreciation the comparatively few books that have been written by men who lived, thought and felt with style. (訳) 教養をつけるためには、自分のスタイルで生き、考え、感じた人によって書かれた、 比較的少数の書物を、長い時間で吟味し、精読しなければならない。 選択肢の検討 1 ≥ 教養を身につけるためには、 あらゆる 種類の書物を大量に読むことが必要である。 ・「あらゆる」のような限定語句に注意する。第 5 文によって誤りがわかる。 2 ≥ 物知りになるためには、実用的入門書などを素早く沢山読むことが必要である。 ・妥当である。「換言」を使って、わかりにくくしているが、「物知り」=「よく知ってい る人」であるし、「実用的入門書」=「知識本」である。 3 ≥ 急速に変化しつつある社会では情報を得ることがすなわち教養あることに他ならない。 ・前半部は本文にあるフレーズであるが、後半部は第 4 文から判定できる。 4 ≥ 教養の高い人々は社会や科学の変化に遅れまいと 格調高い 書物を大量に読んでいる。 ・「格調高い」という部分が存在しない。 5 ≥ 教養の高い人々は他の人々よりもはるかに多くの精神的な糧に恵まれている。 ・第 1 文から判定できる。 正答 4 - 97 - 第3編 総合演習−問題編− 1 第 章 内容把握問題 〔No. 1 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) 贈り物ほど、その人のセンスが試されるものはない。心のこもった贈り物だの、手の かかったものなどというけれど、好意の押し売りはいけない。好意や善意であればある ほど、手の施しようがないほど困ることが多いのだ。 例えば手づくりのもの。味自慢でおいしいものをほんの少しならいいが、味も人もそ 5 れぞれつくった人がおいしいと思っても、相手がどう思うかわからない。味覚も個人的 なものだからだ。 わたしの従姉になる奈良に住む女性は、春になると庭のキンカンを甘く煮たものとち うれ りめん山椒を小さな容器に入れて送ってくれる。届くと、「あ、また春がきた」と嬉し くなる。そんな小さな好意は嬉しいが、漬け物などどっさり送られると、二人暮らしに 10 はほんとうに困ってしまう。相手の家族、生活様式、好みなどをよく知った上でなけれ ば、手づくりはやめたほうがいい。よほど親しくてわかりあえる間柄以外は手づくりは 避けたほうがいい。 仕事で出かけた先などで、お土産にと知らぬ人から手づくりの品をいただくことがあ る。手芸でつくった人形だの民芸風の袋など手がかかっていて、好意であるだけに困っ 15 てしまう。 友人のなかには、その場で断るという人がいるが、つくってくれた人の気持ちを考え るとそうはいかない。一応いただいて帰るが、まず使うことがなく、人にもあげられず 困り果てる。 出典:下重暁子「持たない暮らし」 20 25 30 - 101 - 1 ≥ 心のこもった贈り物だの、手のかかったものなどというけれど、好意の押し売りは いけない。 2 ≥ つくった人がおいしいと思っても、味覚は個人的なものだから、相手がどう思うか わからない。 3 ≥ 相手の家族、生活様式、好みなどをよく知った上でなければ、手づくりはやめたほ うがいい。 4 ≥ 仕事で出かけた先などで、知らない人から手づくりの品をいただくことがあるが、 好意であるだけに困る。 5 ≥ 手づくりのお土産をその場で断るという人がいるが、つくってくれた人の気持ちを 考えるとそうはいかない。 - 102 - 〔No. 2 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) 野球は「間」のスポーツである。一球一球、ゲームが切れる。このことは、「そのあ いだに考えろ、備えろ」といっているのだ。一球ごとに移り変わる状況のなかで、考え られるかぎりの作戦のなかから成功する確率のもっとも高いものを選択する。そのため の時間が与えられているのだと私は考えている。 5 そのときにモノをいうのが無形の力なのである。 事前にあらゆるデータを収集し、分析し、相手をよく研究して入念に準備する。そし て、これらをもとに、置かれた状況をよく観察して見極め、おたがいの心理状態や力量 を探り、判断し、最適の作戦を選択し、決断する。 たとえば、相手チームがほんとうにサインを出しているかはサードコーチを見ればわ 10 かる。サードコーチが一塁ランナーにジェスチャーを示しているとき、すべて終わりき らないうちにランナーが目をそらしたら、これはサインが出ていると考えていい。出て いないなら、こちらを欺くために最後まで見ているはずだからだ。 うそ また、コーチが流れるようなジェスチャーをしているときは、嘘のサインであること が多い。ほんとうのサインなら、キーとなる動きを正しく理解させるために、そこだけ 15 はゆっくりめになるからである。 こうした能力はかたちにならない。というより、相手には見えていない。だが、こう した力を重視し、大いに活用して臨むチームのほうが、有形の力だけに頼るチームより はるかに強い。結集した無形の力の前には、技術力など吹き飛んでしまうというのが私 の考えだ。 出典:野村克也「野村再生工場」 20 1 ≥ 野球は、一球一球、ゲームが切れ、「そのあいだに考えろ、備えろ」といっている 「間」のスポーツである。 2 ≥ 野球では、一球ごとに移り変わる状況のなかで、考えられるかぎりの作戦のなかか 25 ら成功する確率のもっとも高いものを選択する時間が与えられている。 3 ≥ 最適の作戦を選択し、決断するためには、事前にあらゆるデータを収集し、分析し、 相手をよく研究して入念に準備する。 4 ≥ コーチが流れるようなジェスチャーをしているときは、嘘のサインであることが多 い。 30 5 ≥ 無形の力を重視し、大いに活用して臨むチームのほうが、有形の力だけに頼るチー ムよりはるかに強い。 - 103 - 〔No. 3 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地初) 物理学の研究法に二通りある。一つは、直接われわれの目に見える事物の間の関係を たど 忠実に辿っていくやり方で、現象論的方法といわれる。いま一つは、あらゆる自然現象 をすべて原子や電子などの相互作用の結果と解釈しようとする立場であって、原子論的 方法と呼ばれる。今日では後者の方が盛んに使われている。 5 ところが原子や電子自身は目に見えないものである。顕微鏡でさえも見ることの出来 ないほど小さいものである。わざわざ、そんなものを相手にする必要がどこにあろうか。 でんとう 電流とは多数の電子の流れであるということを知っていてもいなくても、電燈線の故障 を直すのに何の違いもないであろう。 ふるまい 現象論的な方法こそ唯一の科学的研究法であって、目に見えない原子の振舞にまで立 10 ち入るのは邪道である。すくなくとも、専門家以外にはまったく不必要であるという考 え方が一応成り立ちそうである。 これに対して、われわれが病気にかかった場合に、どうするかを考えてみる。 ばいきん 医者はそれを黴菌のせいだという。われわれの目にはそれはもちろん見えないのであ ばいきん るが、医者のいうことは本当だと思う。そして目に見えない黴菌を徹底的に研究しなけ 15 く ちく れば、この地上から病気を駆逐し得ないことを異議なく承認するのである。かくしてわ なっ とく れわれは医学に関する限り、原子論的研究法の重要性を十二分に納得しているのであ る。 ばいきん 物理学の場合に、どうして同じようにいかないのであろうか。なるほど黴菌は顕微鏡 下でハッキリ正体を見ることが出来るが、原子の方はそうはいかないという違いがあ 20 る。しかし、例えばウイルソンの霧箱を使えば、一つ一つの電子の通った跡を目に見る ことも可能である。両者の相違は要するに程度の問題である。 出典:湯川秀樹「目に見えないもの」 1 ≥ 現象論的な方法こそ唯一の科学的研究法であって、目に見えない原子の振舞にまで 25 立ち入るのは邪道である。 2 ≥ 目に見えない黴菌を研究しなければ、この地上から病気を駆逐し得ないことを異議 なく承認するのである。 3 ≥ われわれは医学に関する限り、原子論的研究法の重要性を納得している。 4 ≥ 黴菌は顕微鏡下でハッキリ正体を見ることが出来るが、原子の方はそうはいかない 30 という違いがある。 5 ≥ 原子と黴菌との相違は要するに程度の問題である。 - 104 - 〔No. 4 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地初) 個々人がそれぞれの人生の途上で出会う問題は異なり、それを解決しようと自らが選 択するかどうかも個々人により違ってくる。問題解決に取り組んだ場合、プロセスの各 時点で抱く疑問も、選択する情報も、情報を評価する仕方も人によって違う。したがっ て、そこには、万人が認めるマニュアル化されたプロセスや正しい答えなど存在しない。 5 個々人の選んだ、あるいは遭遇した問題に自らの責任で取り組む中で、自分の能力と価 かな 値観に適ったゴールを定め、努力の末にめざすゴールにたどり着くという、自己責任で 遂行するプロセスなのである。 むろん、個人で取り組む問題に他の人々が加わってチームとして取り組むこともある だろう。また、初めから組織として情報問題解決に取り組むこともあるだろう。集団に 10 よる情報問題解決では、メンバーが手分けをして情報を探し出し、得た情報の吟味・評 価を通じて知識を共有する中で、お互いの合意を得ながら目的に到達する。チームリー ダーの指示に従って、手分けをして取り組むこともあるだろう。 個人であれチームであれ、ゴールをめざす強い意志と、途中で出会った困難を乗り越 える自信と、最後まであきらめずに努力し続ける忍耐力が必要である。問題解決に強い 15 意欲と自信を備えた人々だけが、困難な問題を解決し、高いゴールに到達できるのであ る。 出典:三輪眞木子「情報検索のスキル」 1 ≥ 個々人がそれぞれの人生の途上で出会う問題は異なり、それを解決しようと自らが 20 選択するかどうかも個々人により違ってくる。 2 ≥ 問題解決に取り組んだ場合、プロセスの各時点で抱く疑問も、選択する情報も、情 報を評価する仕方も人によって違う。 3 ≥ 問題解決とは、自分の能力と価値観に適ったゴールを定め、努力の末にめざすゴー ルにたどり着くという、自己責任で遂行するプロセスなのである。 25 4 ≥ 集団による情報問題解決では、情報を探し出し、得た情報の吟味・評価を通じて知 識を共有し、お互いの合意を得ながら目的に到達する。 5 ≥ 問題解決には、ゴールをめざす強い意志と、途中で出会った困難を乗り越える自信 と、最後まであきらめずに努力し続ける忍耐力が必要である。 30 - 105 - 〔No. 5 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地初) あなたが何かにチャレンジしようとしてちょっと壁にぶつかったとき、誰かに相談し たくなったとします。あなたは、どんな人に相談を持ちかけますか? 頭が良くて、何ごとも冷静沈着に分析してくれる年上の人、いつもニコニコしていて、 機嫌の良さそうにしている友だち、厳しいことばかり言うけど、付き合いの長い仕事仲 5 間、インターネットの悩み相談コーナーなど、選択肢はいろいろとあると思います。 この中でオススメなのは、いつもニコニコとしていて、機嫌の良さそうな友だちです。 その人が、前にすごいことをやり遂げたとか、これまでに100人の人の悩みを解決して きたとか、そんな特別な人である必要はありません。大切なのは、その人がいつもニコ ニコしているということ。その人は、人生を肯定的に考えて、心にプラスのパワーをた 10 めているからいつも機嫌良くしているのです。そういう人はたいてい、マイナスの言葉 を使いません。ですから、あなたの相談にもきっと、前向きなアドバイスをくれるはず です。 「大丈夫。できるわよ。クヨクヨ悩んでいないで、次の作戦を立てたらどう?私にで きることがあったら協力するから。がんばって!」 15 こんなふうに、プラスの言葉であなたに自信を与えてくれるでしょう。 人は壁にぶつかったとき、「大丈夫」、「できる」という可能思考がどうしても弱くな るものです。そんなときは、人から「大丈夫」、「うまくいくよ」と声をかけてもらうこ とで、もう一度、自分の可能思考を強めるようにすればいいのです。 ですから、自分の気持ちが弱くなっているときの相談相手には、あなたの可能思考を 20 強めてくれる人を選びましょう。厳しい言葉をかけてくれる人や、冷静沈着で頭の良い 人に相談するのは、自分の心に可能思考がきちんとできあがっていて、何を言われても プラスに受け止められる心の準備ができてからでいいのです。 出典:植西聰「運がよくなる100の法則」 25 1 ≥ 相談相手にオススメなのは、いつもニコニコとしていて、機嫌の良さそうな友だち です。 2 ≥ 心にプラスのパワーをためている人は、マイナスの言葉を使いません。 3 ≥ 人は壁にぶつかったとき、可能思考がどうしても弱くなるものです。 4 ≥ 自分の気持ちが弱くなっているときの相談相手には、あなたの可能思考を強めてく 30 れる人を選びましょう。 5 ≥ 厳しい言葉をかけてくれる人や、冷静沈着で頭の良い人に相談するのは、何を言わ れてもプラスに受け止められる心の準備ができてからでいいのです。 - 106 - 〔No. 6 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地初) 資源のほとんどない日本に住む我々は、原料資源を海外から輸入して加工製品として 輸出し、差額を生活の糧としている。つまり輸入した原料の一部を残して国内消費を 賄っている。原料資源を持っている国より大きな負い目を持って、生計を立ててゆくべ く運命づけられている。つまり本来余計に働かなければならないということである。よ 5 もら り積極的に新しい科学技術を活用して、他所にない、買って貰える商品を作らなければ ならないようになっている。 石油が自分のところにあれば、心配なく火力発電所を作って電気を配って工業生産さ せ、生活にも利用して貰える。ところが、わが国は石油を他所から買わなければならな いから、価格変動に何時も一喜一憂し、安い電気の作り方を考えなければならなくなる。 10 理由もなく危険の多い原子力発電などに活路を探す馬鹿はいない。 電気代が高くなれば、それはそのまま製品製造の原価に反映する。せっかくの月給も、 直接電気料金が値上がりするだけでなく諸物価も値上がりするから、実質的に相当目減 りする。だから担当者は必死になって安い電気を確保しようと努力する。 もし何かを見落して、結果的に手抜きをしたことになれば、大変なことになる。しか 15 し、あまりにも心配性になったら使えない。あるいは安全係数を大きくとりすぎれば、 高価になり効率は低下する。高い電気を使わなければならなくなる。 だから日本ほど危険と効率との間の細い道を歩まなければならぬように運命づけられ た国はないのである。 出典:西澤潤一「私のロマンと科学」 20 1 ≥ 資源のほとんどない日本に住む我々は、原料資源を持っている国より大きな負い目 を持って、生計を立ててゆくべく運命づけられている。 2 ≥ 我々は、より積極的に新しい科学技術を活用して、他所にない、買って貰える商品 を作らなければならない。 25 3 ≥ わが国は石油を他所から買わなければならないから、価格変動に何時も一喜一憂 し、安い電気の作り方を考えなければならない。 4 ≥ 電気代が高くなれば、せっかくの月給も実質的に相当目減りするから、担当者は必 死になって安い電気を確保しようと努力する。 5 ≥ 日本ほど危険と効率との間の細い道を歩まなければならぬように運命づけられた国 30 はない。 - 107 - 〔No. 7 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地初) 人間は誰だって他人から悪口をいわれたり、公に侮辱されれば面白くない。そんな時 くやしいという感情を自分に否定する必要はない。あるいは必死になって感情を操作し てその不快なことを忘れようとしても無理である。人間は意志の力で、ものを忘れるこ とはできないのだから。忘れよう忘れようとすれば、実は余計くやしくなってくる。な 5 んとか感情を工夫して相手を許してやろうとしても無理である。 われわれは自分が憎しみの感情を持つことを否定してはならない。われわれが自分に 禁止すべきは、その憎しみの感情に動機づけられた行動をすることである。 友人に悪口をいわれてくやしいといって、友人の悪口を他所でいいふらせば、余計そ の友人が憎らしくなるだけである。 出典:加藤諦三「行動してみることで人生は開ける」 10 1 ≥ 人間は誰だって他人から悪口をいわれたり、公に侮辱されれば面白くない。 2 ≥ 人間は意志の力でものを忘れることはできないのだから、不快なことを忘れようと しても無理である。 15 3 ≥ 人間は不快なことを忘れよう忘れようとすれば、余計くやしくなってくる。 4 ≥ われわれが自分に禁止すべきは、憎しみの感情に動機づけられた行動をすることで ある。 5 ≥ 友人の悪口を他所でいいふらせば、余計その友人が憎らしくなる。 20 25 30 - 108 - 〔No. 8 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地初) われわれの行動はすべて過去の記憶から導き出されます。記憶の長さに長短があるだ けで、すべては過去の記憶に依存しています。 歩いていて、足の裏に何かがささると、痛い! と飛び上がってしまいます。これは 反射と呼ばれる現象のひとつです。痛みの神経情報が神経系に入り、痛みから遠ざかる 5 方向に運動指令が出されるのです。反射は名の通り、鏡に当たった光が跳ね返るのと同 じノリでつけられた言葉です。「いま足の裏が送ってきた感覚は痛みかな? 熱さか な? 冷たさかな? どうも痛みらしいな。じゃ足を引くか」などと考えているわけで はありません。考えるより前に足が反応します。その決まりきった、すばやい反応を反 射と呼んでいます。 10 しかし、反射も記憶です。本人が生まれてから覚え込んだ記憶ではありませんが、神 経系が進化する過程で、障害から身を守るために必要な行動として獲得され、神経回路 ほ にゅうるい は ちゅうるい に記憶として残されてきたものです。動物が哺 乳 類や爬 虫 類などと枝分かれする前か らの遠い遠い記憶です。 うれ 悲しくなると泣けてきます。嬉しくなると笑えてきます。これは情動反応と呼ばれて 15 います。情動反応も遠い記憶です。昔、昔、太古の昔、まだ言葉も生まれなかったころ、 怒りや恐怖や悲しみや喜びの行動、表情は仲間同士の結びつきに大いに役立ったはずで す。同じ行動、同じ表情を共有することで、おたがいの仲間意識が大いに高まったもの と思われます。 出典:山鳥重「「わかる」とはどういうことか」 20 1 ≥ われわれの行動はすべて過去の記憶から導き出される。 2 ≥ 反射は名の通り、鏡に当たった光が跳ね返るのと同じノリでつけられた言葉であ る。 3 ≥ 反射は、障害から身を守るために必要な行動として獲得され、神経回路に記憶とし 25 て残されてきたものである。 4 ≥ 悲しくなると泣け、嬉しくなると笑えてくる情動反応も遠い記憶である。 5 ≥ 同じ行動、同じ表情を共有することで、おたがいの仲間意識が大いに高まったと思 われる。 30 - 109 - 〔No. 9 〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地初) 問題解決というと、なにか難しいことに取り組むかのように思う人がいるかもしれな い。だが、実は、よく考えてみると、私たちは決して問題を解決する能力を持ち合わせ ていないわけではない。それどころか、日々直面するさまざまな問題を意外にうまく解 決しているのではないだろうか。 5 たとえば、次のような状況に置かれたと想定してほしい。あなたはスーパーマーケッ トの経営者で、特売のためチラシを刷ったところ、印刷にミスがあり、特売品の価格が 本来の半額で載ってしまった─。「超特売の商品を求めてお客さんが殺到するに違い ない。しかし、あれは間違いでしたというわけにはいかない。すぐに売り切れになって お客さんが騒ぎ出すようなことになっても困る」。 10 しかし、こんな冷や汗が出そうな問題をいきなり突きつけられたような場合でも、い つのまにか自然と解決策が頭の中に思い浮かんでいるものである。 「急いで仕入れる商品の数を増やさなければ。だが、いまから急に、商品の手配がで きるだろうか。そうだ! 昔から取引しているあの業者に無理を言ってお願いしてみよ う」といった具合に。 15 このように、私たちは自分自身で気づいていないだけで、実は高度な問題解決能力を 持っているのである。だとしたら、この無意識のうちに働いている問題解決のメカニズ ムを細かく分析し、具体的に把握することはできないか。そして、そのメカニズムを意 識的に活用してみてはどうだろうか。それが可能となったとき、個人の問題はもちろん、 より規模が大きく複雑な社会問題も上手に解決することができるようになるはずだ。 20 出典:堀井秀之「問題解決のための「社会技術」」 1 ≥ 私たちは、決して問題を解決する能力を持ち合わせていないわけではない。 2 ≥ 私たちは、日々直面するさまざまな問題を意外にうまく解決している。 3 ≥ 冷や汗が出そうな問題をいきなり突きつけられたような場合でも、いつのまにか自 25 然と解決策が頭の中に思い浮かんでいるものである。 4 ≥ 急いで仕入れる商品の数を増やさなければならないときは、昔から取引している業 者に無理を言って商品の手配をする。 5 ≥ 無意識のうちに働いている問題解決のメカニズムを意識的に活用することが可能に なれば、個人の問題も複雑な社会問題も上手に解決することができる。 30 - 110 - 〔No.10〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地初) 徳川家六代将軍家宣は、新井白石から勘定奉行荻原重秀の悪評を告げられ、「才ある 者は徳がない、徳ある者は才がない」と嘆いたが、結局は「財政不安の今は徳がなくと も才のある荻原に頼る外はない」と判定している。 この判断は、幕府の奉行を機能組織として見る限り、実に正しい。だが、潔癖性の学 5 者だった新井白石は納得せず、様々に荻原重秀を追及した。しかし少額の金銀貨幣改鋳 うわさ 益の使途不明を指摘したほかは、何一つ罪状を明確にすることができなかった。世に噂 された汚職横領の疑惑も、荻原自身に関する限り事実無根だったのだ。しかし、今日に やから 至るも、荻原重秀一派を専横と汚職の輩とする印象がぬぐえない。才ある荻原は、人徳 がなかったのだ。 10 実際、 「才ある者は徳がない、徳ある者は才がない」というのは、人事における不滅 の公理である。才があって仕事をすれば必ず周囲と摩擦を起こして徳望は傷が付く。逆 に仕事さえせず才能を発揮しなければ、大抵の人は「良い人」、つまり徳人であり得る。 酒を飲み交わしカラオケ、ゴルフをやっている間は「良い人」だと思った相手も、いざ いや 仕事をやると実に厭な人物だったという例は非常に多い。 出典:堺屋太一「組織の盛衰」 15 1 ≥ 徳川家宣の「徳がなくとも才のある荻原に頼る外はない」という判定は、幕府の奉 行を機能組織として見る限り、実に正しい。 2 ≥ 今日に至っても、荻原重秀一派を専横と汚職の輩とする印象がぬぐえないのは、才 20 ある荻原に人徳がなかったからである。 3 ≥ 「才ある者は徳がない、徳ある者は才がない」というのは、人事における不滅の公 理である。 4 ≥ 才があって仕事をすれば必ず周囲と摩擦を起こして徳望に傷が付き、逆に仕事さえ せず才能を発揮しなければ、大抵の人は「良い人」であり得る。 25 5 ≥ 酒を飲み交わしカラオケ、ゴルフをやっている間は「良い人」だと思った相手も、 いざ仕事をやると実に厭な人物だったという例は非常に多い。 30 - 111 - 〔No.11〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地初) だれ 我々は誰しも権威には弱い。権威のある人の言うことは、疑わずに信じてしまう傾向 がある。 たとえば、健康づくりに関して、街角インタビューで一般の人が「健康には歩くこと が一番いい」と言っても信用されないが、同じことを東大医学部教授が言うと、正しい 5 と思いこんでしまう。経営論に関しても、中小企業の人が言った意見よりも、一流企業 の社長が言ったことのほうを正しいと思いがちだ。教育論に関しても、普通の人が言う よりも、ノーベル賞を受賞した人が言ったほうを正しいように思う。 それらの権威ある人の意見の中には確かに正しい部分もあるだろうし、一般の人より 正しい確率も高いだろう。しかし、すべての意見が正しいわけではないと疑ってみるこ 10 とが重要だ。どんなに偉い人でも、無意識のうちに自分の立場に縛られて発言してし まっている場合があるし、自分の専門外のことに関しては意外に知らないことも結構あ る。また、偉い人ほど、自分の個人的な経験を一般化して述べてしまう傾向がある。才 能豊かなその人には通用したことでも、それが一般の普通の人に通用する考え方とは限 らない。 出典:和田秀樹「<疑う力>の習慣術」 15 1 ≥ 我々は誰しも権威には弱く、権威のある人の言うことは、疑わずに信じてしまう傾 向がある。 2 ≥ 権威のある人の意見の中には正しい部分もあり、一般の人より正しい確率も高い。 20 3 ≥ 権威のある人のすべての意見が正しいわけではないと疑ってみることが重要であ る。 4 ≥ どんなに偉い人でも、無意識のうちに自分の立場に縛られて発言している場合があ るし、自分の専門外のことに関しては意外に知らないことも結構ある。 5 ≥ 偉い人ほど、自分の個人的な経験を一般化して述べてしまう傾向があるが、それが 25 一般の普通の人に通用する考え方とは限らない。 30 - 112 - 〔No.12〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地初) かつて日本でもよく引用されたドイツの詩人カール・ブッセの「山のあなたの空遠く」 という言葉ではじまる詩がありますが、どこか山の向こうに未知の世界があり、それが 自分たちの世界とまったく違ったユートピアのようなところだという意識は、世界のど ほう らい こに行ってもあるようです。「桃源郷」や「蓬萊山」、「地上の楽園」など、人間の理想 5 の投影としての異世界については、神話や伝説などが、いろいろなところで語り伝えて います。 実際、山のあなたへ行ってその現実を見ると、そこはユートピアでも楽園でもなくて、 逆に地獄だったなどということもあるのかも知れないのですが、といって日常の世界は あこが 平凡で面白くない。となると、人間には「異世界」に対する憧れがどうしても出てきま 10 す。それは人間にとっての本源的な衝動の一つとしてあるとしか思えないようにも感じ られます。そうした衝動はおそらく、異文化について考えるときにも発動します。異文 化に対する憧れは、自分の日頃接するものとは違ったものへの関心であり、自分たちの 文化にはないものをよそに見出そうとする、“ないものねだり”でもあるのでしょうが、 私にはそうした異文化への関心こそ人類にとっての基本的な関心であり物事を発展させ 15 る重要な動機の一つであるように思えてなりません。 出典:青木保「異文化理解」 1 ≥ どこか山の向こうに未知の世界があり、それが自分たちの世界とまったく違った ユートピアのようなところだという意識は、世界のどこに行ってもある。 20 2 ≥ 「桃源郷」や「蓬萊山」、「地上の楽園」など、人間の理想の投影としての異世界に ついては、神話や伝説などにより、いろいろなところで語り伝えられている。 3 ≥ 人間には「異世界」に対する憧れがあり、それは人間にとっての本源的な衝動の一 つである。 4 ≥ 異文化に対する憧れは、自分の日頃接するものとは違ったものへの関心であり、自 25 分たちの文化にはないものをよそに見出そうとする、“ないものねだり”である。 5 ≥ 異文化への関心こそ人類にとっての基本的な関心であり、物事を発展させる重要な 動機の一つである。 30 - 113 - 〔No.13〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2004−地初) 自分から発想し、行動しようとしない。自分の考えを積極的に伝えようとしない。上 司の指示を待っている。 このような部下の態度は、長い時間をかけて培われたものです。かつて管理職の仕事 は、部下を管理することでした。命令をくだし、部下がそれに従って行動することを確 5 認するのが仕事だったのです。そのような環境で、部下たちに自主性や積極性を発揮す ることは求められませんでした。 ところが社会の変化は、組織の構造や人々の働き方に大きな影響を与えました。様々 な規制が緩和され、市場の競争が激しくなっている今、お客様にはたくさんの選択肢が あります。トップが市場を眺めてじっくりと決断をくだし、それを組織全体にゆっくり 10 浸透させていく時間などありません。 現場においても、個々の社員は、より自主的に、創造性を発揮して対応することが求 められています。迅速に対応できなければお客様が他を選択してしまうからです。 このように、市場は社員の自立を必要としているのに、組織内には社員が自由な発想 で仕事をする環境ができていないのが現状です。 15 また、組織によっては、リストラによって人が減らされ、一人のプレーイングマネ ジャーがかつての倍の部下を管理する状況が生まれています。しかし、たった一人のプ レーイングマネジャーが部下を管理し、指示・命令によって動かすことなどとうてい不 可能です。ですから今後、ますます個人が自分の仕事を管理し、創造的に成果を上げる ようサポートすることが求められます。 出典:菅原裕子「コーチングの技術」 20 1 ≥ 自分から発想し、行動しようとはしないという部下の態度は、部下を管理しようと する管理職によって、長い時間をかけて培われたものである。 2 ≥ 管理職は、かつては部下を管理することが仕事だったが、今後は部下が自分の仕事 25 を管理し、創造的に成果を上げるようサポートすることが求められる。 3 ≥ 市場の競争が激しくなっている今、トップが市場を眺めてじっくりと決断をくだ し、それを組織全体にゆっくり浸透させていく時間などない。 4 ≥ 現場では、お客様に選択されるよう、個々の社員が、より自主的に、創造性を発揮 して対応することが必要とされている。 30 5 ≥ たった一人のプレーイングマネジャーが部下を管理し、指示・命令によって動かす ことなどとうてい不可能である。 - 114 - 〔No.14〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2004−地初) 相手に心理的に接近するためには、相手より一歩下がることが必要だが、またもう一 つの方法として自分の弱みをさらけ出すのもいい。 あわ 「同病相憐れむ」というとおり、同じ悩みをもつ同士は親しくなりやすい。 だから、相手によっては、自分が失敗したことや悩んでいることを素直に打ち明ける 5 と、非常に強い親近感をもってくれる。 私は、自分の職業である精神科の治療でもこの方法をとっている。たとえば不眠症の 人が病院を訪ねてきたとき、「じつは私も昨日の晩は眠れなかったんです」といったり する。私もあなたと似たような状態なのだということを強調するためだ。 こうすると、患者の張りつめた神経が一気にくつろぐ。私も単刀直入にしゃべること 10 ができるし、相手も素直にそれに従ってくれる。 患者から信頼されない精神科医は治療ができないから、あえて相手の次元に自分をあ わせてみるのだ。 だから、自己顕示欲が強くて自分のことばかりしゃべりたい人は精神科医には不向き だといえる。 15 ふところ 要するに、これは自分をいわばピエロにし、先方の懐に飛び込む方法だ。 しかし、穴だらけの自分を見せるのはいいが、失敗談をあまりまくしたてるのは相手 によりけりだ。もし相手が上司や目上の人だったら、「こいつはその程度の人間か」と 思われてしまうおそれがあるからだ。 なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとしである。失敗談もほどほどをわきまえること 20 が必要である。 出典:斎藤茂太「人間的魅力の育て方」 1 ≥ 相手に心理的に接近するためには、自分の弱みをさらけ出すのも一つの方法であ る。 25 2 ≥ 「同病相憐れむ」というとおり、同じ悩みをもつ同士は親しくなりやすい。 3 ≥ 患者から信頼されない精神科医は治療ができない。 4 ≥ 自己顕示欲が強くて自分のことばかりしゃべりたい人は、精神科医には不向きだと いえる。 5 ≥ 失敗談は、ほどほどをわきまえることが必要である。 30 - 115 - 〔No.15〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2003−地初) われわれは正確でわかりやすい文章を書きたいという気持ちよりもうまい文章、名文 を書きたいという願望の方がつよいのではあるまいか。しかし、名文とはどういうもの か、と言われてもはっきりしているわけではなく、ただ、何となく、きれいな文章とい も ほう うものを想定して、好みの作家などの文体をそれに擬する。努力家はその文体を模倣し 5 て文章修行をするかもしれない。これは習字に似ている。 日本人はひと前で字を書くことを嫌う。字が下手だから恥ずかしいという。上手な字 は書道の手本のような字だと思っていて、それと同じような字が書けないうちは、つね に、下手な字だという劣等感をもっている。みんな個性をすてて美しく見える字を書こ うとしている。 10 こういう社会で、サインひとつあればどんな大金でも引き出せるという社会慣習が確立 しないのは当たり前であろう。ハンコに個性を委任してしまう。自分がいつも同じサイン ができるようになっていることがどういう意味をもつか考えない。上手に書けなくても、 自分でなければ書けない字を書く必要をわれわれはもうすこし考えるべきではないか。 名文は書けなくてもいい。書ける人は書けるにこしたことはないが、学校の作文など 15 き しょうし が名文を目標にして、気の利いた文章を書かせようとしているのは笑止である。 それよりも、骨格のがっちりした、正確で個性的なわかりやすい文章を書けるようで ありたい。何でもないことを書くのに身を削るような苦労をするのはどこかがおかしい かい り のである。名文という思想そのものが、内容との乖離を暗示している。文章が大事だと いうと、名文へ一足飛びしてしまう。思想が問題になると、文章のことはお構いなしの 20 難解な悪文になる。体と着物がちぐはぐになっている。つまり、文章というものがまだ 確立していない。そういう社会では“文は人なり”というような警句もいかにもうつろ に響くのである。 出典:外山滋比古「日本の文章」 25 1 ≥ われわれは正確でわかりやすい文章を書きたいという気持ちよりもうまい文章、名 文を書きたいという願望の方がつよい。 2 ≥ 日本人は上手な字は書道の手本のような字だと思っていて、みんな個性を捨てて美 しく見える字を書こうとしている。 3 ≥ 上手に書けなくても、自分でなければ書けない字を書く必要をわれわれはもうすこ 30 し考えるべきである。 4 ≥ 名文よりも、骨格のがっちりした、正確で個性的なわかりやすい文章を書けるよう でありたい。 5 ≥ 文章というものがまだ確立していない社会では“文は人なり”というような警句も いかにもうつろに響くのである。 - 116 - 〔No.16〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2003−地初) 遠慮の有無は、日本人が内と外という言葉で人間関係の種類を区別する場合の目安と なる。遠慮がない身内は文字通り内であるが、遠慮のある義理の関係は外である。しか しまた義理の関係や知人を内の者と見なし、それ以外の遠慮を働かす必要のない無縁の 他人の世界を外と見なすこともある。いずれにせよ内と外を区別する目安は遠慮の有無 5 だれ である。これは日本人なら誰でもする区別であるが、しかしそれでも内と外に対する態 度のちがいがあまり極端になることはよいことでないと思われている。例えば、外面は よいが内面はわるいというのは、身内に対してはわがままで気むずかしいのに、外の付 き合いでは思いやりがある好人物で通っている人を多少非難していう言葉である。内弁 慶といわれて家の中では威張っているが、外に出ると弱くなってしまう者もこれと同等 10 である。これとはまた別に、個人的付き合いはよいが、自分と関係のない外の者に対し か す てはそれこそ傍若無人のふるまいをするという場合もある。旅の恥は掻き棄てといっ はばか て、自分の住んでいるところは人目を憚って自重しているのに、見知らぬ土地に行くと 勝手気ままにふるまうというのも、同じことである。このような傾向は日本人一般の特 徴であるとして、しばしば外国人によって非難されるところである。 出典:土居健郎「「甘え」の構造」 15 1 ≥ 遠慮の有無は、日本人が内と外という言葉で人間関係の種類を区別する場合の目安 となる。 2 ≥ 外面はよいが内面はわるいというのは、身内には気むずかしいのに、外では思いや 20 りのある好人物で通っている人を多少非難していう言葉である。 3 ≥ 内弁慶といわれる人は、家の中では威張っているが、外に出ると弱くなってしまう。 4 ≥ 旅の恥は掻き棄てとは、自分の住んでいるところは人目を憚って自重しているの に、見知らぬ土地に行くと勝手気ままにふるまうことである。 5 ≥ 内と外に対する態度のちがいは、日本人一般の特徴であるとして、しばしば外国人 25 によって非難されるところである。 30 - 117 - 〔No.17〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2002−地初) 職業の世界では、専門的職業能力とその資格を身につけることが大事な一つの手段で す。これまで日本では、あまり重視されていませんでした。しかし、90年代に入って定 年まで一つの会社で働き続ける習慣がかなり薄れるようになってから、注目されていま す。ことに大企業のホワイトカラーに対して言われている「ゼネラリストからスペシャ 5 リストへ」というすすめがそれです。 ゼネラリストとは職業における万能選手のことです。多くの部門の知識や能力を所有 して総合的な判断のできる人がその資格者といえます。そのなかでも能力の高い人を上 級の管理者、経営幹部にするのです。もっともこのルールは、必ずしも完全に守られて いるわけではありません。これに対してスペシャリストとは専門家のことで、資金の調 10 達や運用などをする財務、新しい商品を開発したり生産手段を高めたりする技術、ある いは人々を上手に働かせる制度を考えて運用する人事などの専門的知識と専門的能力を 身につけた人たちのことです。 大企業で幹部になるゼネラリストたちは、種々の業務に精通し、その過程で社内の多 くの人たちと知り合い、どのような業務と人材をも管理、監督できるような体験を積み、 15 教育を受けます。彼らは、幅広い知識と経験で仕事をするゼネラリストとして育成され るのです。しかし、いま会社では、ゼネラリストをたくさん必要としない組織づくりを 進めています。それでスペシャリストへのすすめが言われているのです。また、幹部に なれる人たちに限らず、一般の社員も、種々の部門や職場で働けるように「多能的労働 者」として育てられます。そのかたわら、少数の専門家がスペシャリストとして育成さ 20 れてきました。これからは、多能的労働者でありながら専門にも長じているように期待 されるでしょう。 いま理解しておいてほしいのは、自分の職業能力を絶えず高めること、新しい状況に なじませる方法を身につけることの大切さです。それには、専門を絞りながら、新しい 技術に関心を持ち、その新しい技術を習得しながらそれまでの蓄積の生かしかたを考え 25 る能力を高めることです。 出典:森清「会社で働くということ」 30 - 118 - 1 ≥ これまで日本では、専門的職業能力とその資格を身につけることがあまり重視され ていなかった。 2 ≥ 大企業では、能力の高い人を上級の管理者、経営幹部にするルールは必ずしも完全 に守られているわけではない。 3 ≥ いま会社では、ゼネラリストをたくさん必要としない組織づくりが進められてい る。 4 ≥ これからの一般の社員は、多能的労働者でありながら専門にも長じているように期 待される。 5 ≥ これからは、自分の職業能力を絶えず高め、新しい状況になじませる方法を身につ けることが大切である。 - 119 - 〔No.18〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2002−地初) おそ 人は行動しなければ何も起こりません。世の中には失敗を怖れるあまり、何ひとつア クションを起こさない慎重な人もいます。それでは失敗を避けることはできますが、そ の代わりに、その人は何もできないし、何も得ることができません。 これとは正反対に、失敗することをまったく考えず、ひたすら突き進む生き方を好む 5 人もいます。一見すると強い意志と勇気の持ち主のように見えますが、危険を認識でき ない無知が背景にあるとすれば、まわりの人々にとっては、ただ迷惑なだけの生き方で しょう。 おそらくこの人は、同じ失敗を何度も何度も繰り返すでしょう。現実に、失敗に直面 しても真の失敗原因の究明を行おうとせず、まわりをごまかすための言い訳に終始する 10 人も少なくありませんが、それではその人は、いつまでたっても成長しないでしょう。 また人が活動する上で失敗は避けられないとはいえ、それが致命的なものになってし まっては、せっかく失敗から得たものを生かすこともできません。その意味では、予想 される失敗に関する知識を得て、それを念頭に置きながら行動することで、不必要な失 敗を避けるということも重要です。 15 大切なのは、失敗の法則性を理解し、失敗の要因を知り、失敗が本当に致命的なもの になる前に、未然に防止する術を覚えることです。これをマスターすることが、小さな 失敗経験を新たな成長へ導く力にすることになります。 出典:畑村洋太郎「失敗学のすすめ」 20 1 ≥ 失敗を怖れるあまり何ひとつアクションを起こさない慎重な人は、失敗を避けるこ とができるが、その代わりに、何もできないし、何も得ることができない。 2 ≥ 失敗することをまったく考えず、ひたすら突き進む生き方を好む人は、まわりの 人々にとっては、ただ迷惑なだけである。 3 ≥ 失敗に直面しても真の失敗原因の究明を行おうとせず、言い訳に終始する人は、い 25 つまでたっても成長しない。 4 ≥ 予想される失敗に関する知識を得て、それを念頭に置きながら行動することで、不 必要な失敗を避けることが重要である。 5 ≥ 失敗の法則性を理解し、失敗の要因を知り、失敗が本当に致命的なものになる前に、 未然に防止する術を覚えることが、小さな失敗経験を新たな成長へ導く力にすること 30 になる。 - 120 - 〔No.19〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) むかしは新幹線で駅を通過するたびに、「新横浜」「小田原」「熱海」と、はっきり駅 名が読めたのですが、今では流れてしまってほとんど読めません。高齢者マークながら ハンドルを握ればそれなりにできると思いますが、ほとんど運転はしません。その理由 の一つは、三十年間無事故で来られたということでした。 5 け が 車の運転というのは他人の命に関わります。自分は怪我しても死んでもかまわない ひ が、他人を轢いてしまったら大変なことです。しかも、自分の能力だけでなく、最近は 非常に運転マナーの悪い人がふえました。 そう考えると、自分がただの一度も人身事故も接触事故も起こさず、だれも人を傷つ けずに三十年間も運転を楽しめたのは、ほんとうに幸せなことでした。 10 あきらめるということは、よく見つめて決断して覚悟することです。信州の高原あた そうかいかん りを走っているときの爽快感を思い浮かべると、車の運転というのは、ある意味で若さ を維持するうえで大事なこととも思えます。 実際、八十歳を超えてたくみに運転している人もたくさんいますし、私自身やればま だできるとは思いますが、それでもどこかであきらめる必要があるのです。 15 かく かく しゃ 覚悟の「覚」は「理をさとる」という意味ですから、「ブッダ」は「覚者」と訳され ご へん けん ます。 「悟」もまた「さとる」で、世界の真実や真理を偏見なく正確に見るということ です。私は「覚」は感覚的なもので、「悟」の方に語勢があるように感じています。 出典:五木寛之「人間の覚悟」 20 1 ≥ だれも人を傷つけずに三十年間も運転を楽しめたのは、ほんとうに幸せなことだ。 2 ≥ あきらめるということは、よく見つめて決断して覚悟することだ。 3 ≥ 車の運転というのは、ある意味で若さを維持するうえで大事なことだ。 4 ≥ 八十歳を超えてたくみに運転している人もたくさんいるが、それでもどこかであき らめる必要がある。 25 5 ≥ 「覚」は感覚的なもので、「悟」の方に語勢がある。 30 - 121 - 〔No.20〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) 「編集」の仕事は、出版業界以外の人には理解しにくい職種のようですが、雑誌や本 の編集者は、企画を考えたり、作家やライターと打ち合わせをしたり、彼らが書き上げ た原稿をチェックしたりします。誌面の構成を考えたり、資料をとりそろえたりするこ ともあります。自らが取材・執筆をすることもあります。 5 取材してきた事柄を雑誌に載せる場合、取材したことをすべて載せることはできませ ん。スペースが限られていますし、重要でないことまで書く必要もないからです。 そこで求められるのは、どの事実を拾い、どの事実をそぎ落とすのか、という取捨選 択の能力です。「重要なこと」と「重要でない」ことを判断する能力ともいえます。 この判断力は、駆け出しのライターや記者には、まだ備わっていません。いろいろな 10 ことを詰め込みすぎる原稿になってしまいます。結局、何を伝えたいのかわからない原 稿になってしまうのです。 出典:池上彰「伝える力」 1 ≥ 「編集」の仕事は、出版業界以外の人には理解しにくい職種のようである。 15 2 ≥ 「編集」の仕事は、企画を考えたり、作家やライターと打ち合わせをしたり、彼ら が書き上げた原稿をチェックすることである。 3 ≥ 取材してきた事柄を雑誌に載せる場合、重要でないことまで書く必要はない。 4 ≥ 「編集」の仕事に求められるのは、どの事実を拾い、どの事実をそぎ落とすのか、 という取捨選択の能力である。 20 5 ≥ 「重要なこと」と「重要でない」ことを判断する能力は、駆け出しのライターや記 者には、まだ備わっていない。 25 30 - 122 - 〔No.21〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地初) 実験によって、もののある具体的な性質、あるいは現象間のつらなりが知られたとし ても、それだけでは学問とはいえない。いわゆる学問の定義の中にはいるには、そうい う知識に、ある体系が組立てられなければならない。体系ができてはじめてそれが役に 立つことになる。 5 ところで、いろいろ雑多な個々の知識に体系をつけるという場合に、二つのやり方が ある。その一つは、こういう知識を、整理することである。たとえば、分類するという ことも、一つの体系をつくることである。事実そういうことも、決してばかにはならな いのであって、古典的な動物学や植物学の中で、いわゆる分類学といわれている部門な ども、案外役に立っているのである。この頃は、そういう学問があまりはやらないので、 10 何か初歩の学問のように思われている傾向もあるが、実際にはああいう知識が、大いに 役に立っているのである。 しかしそればかりでは、もちろん今日われわれのいう学問の体系にはならない。今日 そうごう 学問の体系といわれているものは、いろいろな個々の知識を整理するだけでなく、綜合 したものである。自然現象というものは、複雑ではあるが、連続した融合体である。そ 15 れをいろいろな方面から見て、いろいろな知識を得る。そういうたくさんの知識を、一 つの綜合した知識に組み立てることが体系をつくることである。ところでそういう体系 を作ることによって、何か得るところがあるかというと、それは大いにあるのである。 多くの知識をただ寄せ集めたばかりでは、あまり役に立たない。しかしほんとうにこれ を有機的に綜合すると、学問の次の発展をうながすという、非常に大切な役目をするこ 20 とになる。 出典:中谷宇吉郎「科学の方法」 1 ≥ 知識に体系が組み立てられて、はじめてそれが役に立つことになる。 2 ≥ 分類するということは、一つの体系をつくることであり、案外役に立っている。 25 3 ≥ 今日学問の体系といわれているものは、いろいろな個々の知識を整理するだけでな く、総合したものである。 4 ≥ たくさんの知識を、一つの総合した知識に組み立てることが体系をつくることであ る。 5 ≥ 多くの知識を有機的に総合すると、学問の次の発展をうながすことになる。 30 - 123 - 〔No.22〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) 生活の中に在る人々にとって、まず関心をひくのは、外界の物、出来事であり、自分 ある に近い人々、或いは同じ社会の人々である。 自己は物や他人とちがって内から体験せられ意識せられる。しかし自己の周囲の人々 については、外界の物とちがって、対話によって、或いは身体的表現や仕ぐさによって、 5 ある程度彼の内面がわれわれに直接伝えられ理解される。そこに我と他人との共同的理 解の領野が開かれる。われわれの自己理解に対しても、この共同的理解が大きな作用を 及ぼす。 おい ほと 原始的社会に於ては、この共同理解が殆んど全面的な支配力をもつ。しかし現代の人 間社会においても、共同的な理解が世間の通念として、人々に影響力をもつ。特定の社 10 会内で、他人がおのれをどう見るかという他人の思惑が、強く気にかかるということが あるが、それは単に利害のためばかりではない。 われわれの自己理解は、共同的理解を土台にはするが、自己の現実の意識─はっき りした理解とまで行かなくても─そのものは各自のものである。われわれは、周囲の うかが 人々について、種々の機会に、彼らの自己把握の在り方を窺い知るが、その自己把握が、 15 彼らの自己の現実としばしばくいちがっていることに気づく。極言すれば、少なからぬ 人が、自己の虚像を抱いて生きていることを知り、自分を顧みて不安をもたざるを得な い。 外界の事物─事は出来事を意味する─についてのわれわれの想念は、経験によっ てかなりな程度に確かめられ、また訂正せられる。その場合われわれは、個々の事物に 20 ついて必ずしもはっきりとした観念をもつわけではない。日常生活において、周囲の事 物について、われわれの観念をいちいち確かめるまでもなく、常識で用が足りる。しか し必要な場合は、特別な経験と照らし合わせて確認し或いは訂正することが可能であ る。自己自身の意識、把握について、そのような照合の機会と基準とがあるであろうか。 他人との交わりと生活の経験とは、自己についての妄想を訂正せしめる機会となること 25 は不可能ではない。しかしそれらの経験の理解の仕方そのものは、自己によるのであっ て、そこに全く客観的な照合の基準はないのである。 出典:三宅剛一「人間存在論」 30 - 124 - 1 ≥ 生活の中に在る人々にとって、最も関心をひくのは、対話や身体的表現によって内 面が伝えられ、理解することができる周囲の人々である。 2 ≥ 現代の人間社会においても、単に利害のためとは限らず他人の思惑が気にかかるこ とがあるのは、共同的な理解が人々に影響力をもつからである。 3 ≥ 周囲の人々の自己把握が、現実とくいちがっていることがあるのは、自己理解が共 同的理解に基づいているからである。 4 ≥ 外界の事物は、対話によって理解することができないので、われわれの観念をいち いち特別な経験と照らし合わせて確かめる必要がある。 5 ≥ 自己自身の意識、把握については、他人との交わりと生活の経験によって、現実と 照合する客観的な基準により妄想を訂正することは不可能ではない。 - 125 - 〔No.23〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) ネット社会では、操作人間がその主役になる。誰もが操作人間になって暮らす。 操作人間といういかめしい言葉よりも、プッシュボタン人間とか、スイッチ人間とい う名前のほうが適切かとも思う。 昔の人は、自然の現実というものに出会って苦労した。この苦労がなくなった分だけ 5 何が発達しているのか。それはメカニズムを操作する技術と情報処理能力である。現代 の子どもは、自然の中での肉体的苦労には弱いが、情報の収集とメカをうまく操作する 能力は非常に発達している。 たとえば、冷暖房機一つ取り上げても、ボタン、スイッチの能率的かつ没個性的な操 作によって、何の骨折りも抵抗感もなく、いつ誰が行っても同じ思いどおりの結果を引 10 き起こすことのできるメカを相手にする。暑さ寒さを調節するのに、冷暖房機をうまく 操作すればよい。そして彼らは、本来なら自然との間での試行錯誤の段階をミニマム (最少)にした生活感覚の持ち主になる。昔のように、暑さ寒さを耐え忍ぶために直接 火を燃やしたり、風通しをよくしたりする必要はなくなってしまった。 そして彼らは、できるだけ多くの情報を集めて、その情報を選択する、情報優位の生 15 活感覚の中で暮らしている。誰もが、自分自身の身体や感情の苦痛、心身の労苦を耐え 忍ぶ能力よりも、むしろどのような操作システムを自分の必要に応じて選択し操作すべ きかについてたくさんの情報を持ち、その情報に基づいてシステムの適切な選択を行 い、いくつもの情報の組み合わせをつくり出す能力のほうを重んじる。つまり、冷暖房 機について、CMやカタログで情報を知り、その内容を知って、自分に合うものをうま 20 く手に入れればよい時代になっている。 インターネット時代になって、衣服を買うのも、いままでのように、お店に出かけて、 時間をかけ直接何着も身につける手数を省き、そのかわりたくさんのファッションの映 像を見て、どんな組み合わせを選ぶかを研究することに心が向く。洋服についての映像 化された情報を比較して選択する好奇心や知的な楽しみが大きな意味を持つようになっ 25 た。 出典:小此木啓吾「「ケータイ・ネット人間」の精神分析」 30 - 126 - 1 ≥ ネット社会において、スイッチ人間は、メカニズムを操作する技術と情報処理能力 が発達しており、肉体的苦労とは無縁となっている。 2 ≥ いつも同じ結果を得るために、人は、冷暖房機のボタン、スイッチの能率的かつ没 個性的な操作を習得することを大切にしている。 3 ≥ 人は、暑さ寒さを耐え忍ぶことよりも、直接火を燃やしたり、風通しをよくしたり することで、暑さ寒さの調節を図っていくべきである。 4 ≥ 情報優位の生活感覚の中で暮らす現代の子どもは、いくつもの情報の組み合わせを つくり出す能力を大切にしている。 5 ≥ 洋服についての映像化された情報を比較して選択することが合理的な行動であり、 衣服を買うために出かけることは非合理的な行動である。 - 127 - 〔No.24〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2009−地初) 自動車の販売台数の落ち込みが急で、日本経済に深刻な打撃を与えている。 しかし、いまから予想をすれば、輸出はそのうち回復する。とりわけ、中国やインド などの新興国向けの輸出はかなり早い時期に元の水準に戻るだろう。 だが、国内需要は回復しない。それどころか、たとえ景気がもとに戻っても絶対に 5 二十世紀の水準に達することはないだろう。 直接の原因は若年人口の減少にあるが、より深刻なのは若者の車離れである。若年人 口が減っているのに加えて、車を必要としない若者が増えているのだ。 ではなぜ、若者は車をほしがらなくなったのだろう? 一つは、単身者向けの高級ワンルーム・マンションの建設ラッシュに象徴される若者 10 の都心回帰がある。車は郊外の必需品であって都心のそれではない。都心では駐車場代 が高いし、交通の便がいいので車は必要ないのだ。駐車場代より部屋代を払った方がい い。 しかし、本当はもっと深い心理的要因がある。 それは、モータリゼーションが始まったときわれわれ団塊の世代がなぜ車をほしがっ 15 たのか、その動機を探ってみればわかるはずだ。 われわれが車を手にいれたいと願ったとき、移動の手段としてこれをほしいと思った 人もいただろうが、じつはそれは少数派だった。車は、自分一人になれる、あるいは恋 人とふたりきりになれる自由の空間だったからこそ若者の欲望をそそったのである。 出典:鹿島茂 日本経済新聞「一人だけの宇宙」 20 1 ≥ 自動車の販売台数の落ち込みは急だが、輸出はそのうち回復するので、日本経済は 大丈夫である。 2 ≥ 景気がもとに戻っても自動車の販売台数は二十世紀の水準に達することはなく、販 売台数を回復させるには団塊の世代が自動車を購入する必要がある。 25 3 ≥ 若者が車をほしがらなくなったのは、高級ワンルーム・マンションを借りるのでは なく購入することを優先し、車の購入を後回しにしているからである。 4 ≥ 郊外の必需品である車は、ガソリン代がかかるので、若者は車を運転することをた めらうのである。 5 ≥ 車は自由の空間だということを重視したのが団塊の世代であり、移動の手段として 30 車をほしいと思った人は、団塊の世代では少数派だったのである。 - 128 - 〔No.25〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。 (2009−地初) つ 人間は、意欲に衝き動かされて運動・行動を起すが、意識に伴われて、運動・行動の 様式が定まり、目標・目的を指向する運動・行動が活動である。意志とは、活動の起動 力となる、目標・目的を認識している意欲である。そして、人間の生活活動において、 目標・目的を呈示する、判然とさせるものが、観念であり、補完するものが概念である。 5 のぞ よくも悪くも、人間は、生活活動に臨んで観念に従い意志を定めて活動を起す─目的 行動にとりかかれるのである。活動は意志によって高揚もされ、意志が衰え弱くなれば、 活動も衰え弱小化する(活性度が低下する)。観念が正当なものでなければ、活動目的 は錯誤されたものとなり、活動は有効性を失い、空転し、やがて、成果ではなく傷害→ 破滅を招くことになる。 10 ことが、人間関係にかかわりの大きい活動、となれば、その誰かの観念が錯誤の多い ものであった場合、招来される事態は悲劇的なものにならざるを得ない。 観念は、認識不足が自覚されないまま、視野が狭かろうが度量が小さかろうが、一応 (一人の人間の中で)成立しているのが通例であるから、活動に臨んで正当な意志決定 をなし得るためには、一応成立している観念を幾度でも打破しては更成、再建しなけれ 15 ばならない。自意識、自我の確立後は、観念もそれなりに成立させているのが普遍的な 現象─事態であるから、認識不足が大きく妥当性の小さい(少ない)観念の持主が年少 者に多いのは是非もないが、成人になってもかかわるほどのものごとに対して認識不足 をそのままに観念してしまっている人間も少なくはない。観念は、その持主本人におい て常に打破更成・更新されなければならない─より妥当性の高い、度量の大きなものに 20 再構成・再建をくりかえさざるを得ないもの、とそれこそ観念すべきである。本能を後 退させ、学習する動物となった人間は、生涯学習をやめるわけにはゆかない─基本的人 格(社会人としての人格)を達成した以後は、自主学習に励まなければ、意義のある活 動はなし得ないことになる。 出典:高橋さやか「人間関係」 25 30 - 129 - 1 ≥ 人間は、意欲に衝き動かされて運動・行動を起すが、この場合の意欲は活動の起動 力となる目標・目的を認識している意欲に限られる。 2 ≥ 人間は、生活活動に臨んで、高揚もされ、弱小化する意志に従って、観念を定めて 活動を起す。 3 ≥ 人間関係にかかわりの大きい活動の場合は、活動目的が錯誤されたものになるた め、招来される事態は悲劇的なものになる。 4 ≥ 自意識、自我の確立後は、観念もそれなりに成立させているのが普遍的現象である が、認識不足をそのまま観念してしまっているのは年少者に限られない。 5 ≥ 視野が狭く、度量が小さかったため、人間は本能を後退させ、生涯学習をやめるわ けにはゆかなくなった。 - 130 - 〔No.26〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2008−地初) 共同作業で詩を作るとき、各参加者は自分自身の自我意識をたえず共同の場の中へ解 消するように努めねばならない。しかし、ここできわめて興味深いのは、そのようにし て共同性のために犠牲になったかにみえる自我が、実際には一層あざやかに自己を主張 するのが、この種の共同制作の偉大な逆説だということである。それは、自我意識を消 5 し去るその消し去り方そのものに、否定しようもなく、各人の個性が輝き出してしまう からである。また、このような共同制作の詩を協力して作る場合には、自分自身がもっ ている最良のものを相手に与えようと努力しないかぎり、相手が彼の最良のものを投げ かえしてくることはありえないからである。したがって共同制作の詩を作る場合、その 参加者に求められる最も重要な条件は、きわめて個性的な詩人でなければならぬという 10 ことである。これは一つの逆説である。しかし詩というものは、それ自体が一方では詩 人の個性、他方では超個性的な言語という二つの相反する要素のふしぎな結びつきに よって、はじめて成り立つ逆説的な一個の現実なのである。日本の伝統的な共同制作の 詩である連歌は、西欧の前衛的な詩的探求に対してこのような形で重要な貢献をした。 そのことによって連歌は、日本の詩の伝統にひそむ普遍的な性格を新しい光のもとに見 15 直すことを、日本人自身に対しても呼びかけるものになったといっていいだろう。 出典:大岡信「詩をよむ鍵」 1 ≥ 共同作業で詩を作るとき、各参加者は自我意識を共同の場の中へ解消するように努 めねばならないことから、自我が自己主張することはありえない。 20 2 ≥ 各人の個性が輝き出してしまうのは、自我意識の消し去り方そのものを共同性のた めに犠牲にしようと努めていないからである。 3 ≥ 詩の共同制作では、個性的な詩人であれさえすれば、自分自身がもっている最良の ものを相手に与える努力をしなくとも、相手は最良のものを投げ返してくれる。 4 ≥ 詩は詩人の個性と超個性的な言語とが結びついて成り立っており、連歌は、日本の 25 詩の伝統にひそむ普遍的性格を新しい光のもとに見直すことを日本人にも呼びかける ものになった。 5 ≥ 西欧では前衛的な詩的探究が行われたが、日本の共同制作の詩である連歌は研究の 対象とされることはなかった。 30 - 131 - 〔No.27〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2008−地初) カオスについて議論していく上でまず、力学系的な世界観ということを考えましょ う。この世界観の基本には自然の変化のしかたには何らかの決まった規則があるという ことがあります。状態の変化を支配する法則があって今の状態を知ればその法則によっ てこれから先の状態の変化は決定できるというものです。これがもっとも典型的にあら 5 われたのはニュートン方程式であり、それは例えば天体の運動の予測で見事な成果をお さめたわけです。こういった自然観はラプラスによって、「もし今の状態をすべて知れ ばこれからの状態はすべて予測できるもの」として表現されています。ただし、ラプラ スはこれを確率論を構築する本に書いたのであって、われわれは全知全能でないからそ の無知の部分を確率で表現する、と続いていくのです。それゆえ天体の運動は予測でき 10 ても同じようにニュートン方程式に従うサイコロやルーレットはデタラメなもの、従っ て確率で表現すべきものの代表選手とされているわけです。はたしてこういった二分法 は本当に正しいのでしょうか。さらに初期の状態さえ決めていればあとは決定されると いうのであれば、いったい自由意志とかあるのだろうかという疑問は当然湧いてきま す。結局、われわれは初期状態と法則を完全に知り得ていないから自由意志という幻想 15 を抱いているだけなのでしょうか。 出典:小林康夫・船曳建夫 編「知の論理」 1 ≥ カオスとは、自然の変化のしかたには何らかの決まった規則があるという世界観で ある。 20 2 ≥ ニュートン方程式は、力学的世界観を否定することで、天体の運動の予測において 成果をおさめた。 3 ≥ ラプラスは、今の状態をすべて知ればこれからの状態はすべて予測できるとしつ つ、われわれは全知全能ではないから、無知の部分を確率で表現するとした。 4 ≥ サイコロやルーレットと天体の運動の予測は本質的に異なるものであるから、天体 25 の運動の予測は確率で表現すべきである。 5 ≥ 人間は、初期状態と法則を完全に知ることができたとしても、自由意志という幻想 のため、結局は予測を成功させることはできない。 30 - 132 - 〔No.28〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2007−地初) 物語行為によって語られる事柄は多岐にわたっているけれども、フィクションを別に すれば、その中核部分は過去の経験と歴史によって占められるであろう。それゆえ、「赤 い花が見える」、「いい香りがする」、「お腹が痛い」など知覚的現在を直接的に描写する ことは、物語行為の対象とはならない。これら感覚的刺激によって聞き手の同意・不同 5 意が促されるような文のことをクワインは「観察文」と呼んだが、観察文は知覚状況が 共有されていさえすれば、それについての同意・不同意に間主観的一致を得ることがで きる。それに対して、物語文について同意・不同意の一致が得られるためには、知覚状 況ではなく、「物語」の文脈の共有が必要不可欠の条件なのである。 もちろん、知覚的現在はほどなく過去へと移行するが、われわれはそれを想起するこ 10 とによって、「過ぎ去った知覚的現在」すなわち過去の出来事について語ることができ る。しかし、感覚的刺激に促されて知覚的現在を描写すること(観察文)と、想起に促 されて「過ぎ去った知覚的現在」について語ること(物語文)とは、似ているようで、 全く違った種類の行為である。簡単に言えば、われわれは現在の出来事を「描写」する ことはできるが、過去の出来事を「描写」することはできない。それは、過去の腹痛を 15 今現在痛むことができないことと類比的である(今痛むことができれば、それは現在の 腹痛であって、過去の腹痛ではないであろう)。過去の腹痛は、それを今思いだし、語 ることができるだけであり、そこには描写に値する感覚的な細部が欠落しているのであ る。同じことは、過ぎ去った知覚的体験すべてについて当てはまるであろう。過去の出 来事は「描写」されるのではなく、こう言ってよければ想起的に「構成」されるのであ 20 る。 出典:野家啓一「物語の哲学」 1 ≥ 物語行為によって語られる事柄は、過去の経験と歴史によって占められるが、「過 ぎ去った知覚的現在」は、物語行為の対象とはならない。 25 2 ≥ 観察文は、感覚的刺激に促されて知覚的現在を描写するものであり、過去の腹痛を 直接的に描写したものも観察文に含まれる。 3 ≥ 物語文は、「物語」の文脈が共有されていさえすれば、聞き手との同意・不同意の 不一致はあり得ない。 4 ≥ 知覚的現在は、ほどなく過去へと移行するが、知覚自体は同じものであるから、そ 30 の知覚について描写する行為と、語る行為とは、同種の行為である。 5 ≥ 過ぎ去った知覚的体験は、感覚的な細部が欠落しているため、描写はできないが、 想起により語ることはできる。 - 133 - 〔No.29〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2007−地初) 哲学は人生について考えるのであって、人生について思い悩むのではない。哲学は人 生について悩むことはできない。なぜなら、よろしいでしょうか、ここがもっとも肝心 なところで、したがってもっとも理解され難いところなのですが、哲学は、人生につい て思い悩むほどに人生を信じてはいないからである。人が人生について悩むことができ 5 るのは、それを自明なものと信じているからに他ならないが、もしもその自明さを信じ ていないのなら、人はそんなものについて悩みようもないはずなのである。なぜって、 悩もうにも、そもそもそれが何なのだか、わからないのだから。 「考える」という言葉が、正当な意味で使用されることができるのは、ここからだ。 普通に人は、自分であるとか、生きて死ぬとか、陽はまた昇るとかいったことを、自明 10 のことと思っている。だから、考えない。自明と思うから、とくにそれについて考える ことをしないのだ。するとこれは自明なことではないというのか。違う。まさしく、自 明だ。自明すぎるのだ。考える人には、この自明さこそが、謎なのだ。わからないから、 考えるのだ、「これは、なにか」。 哲学ブームとは、「自分探し」といわれるが、そんなの大ウソだ。「ほんとの自分は」 15 とか、 「いかに生きるか」とかは、問いの体裁をとってはいるが決して問いではなく、 すでに十分答えなのだ。なぜなら、「ほんとの自分は」と問うているところの自分はちゃ んと信じられているのだし、「いかに生きるか」と問えるくらいに人生は生きるべきも のと信じられているからである。 へいげい 出典:池田晶子「睥睨するヘーゲル」 20 1 ≥ 哲学は人生について思い悩むのではなく考えるのであって、哲学によって人生を考 えれば、その人の人生についての悩みはなくなるはずなのである。 2 ≥ 哲学がそうであるように人が人生を信じることがなければ、その人は、人生につい て答えを得ることができるのである。 25 3 ≥ 人は、自分が自分である、といったことを自明のことと思っているが、自明なもの と信じているだけで、本当はそれは自明なことではないのである。 4 ≥ 考える人には、自明なことは自明であるからこそわからないのであり、人生や自分 や生死などなにかについて考えることが哲学なのである。 5 ≥ 「自分探し」をする人は、自分自身を信じられずにほんとの自分について思い悩む 30 が、すでに十分問いに答えられていることに気付いていないだけである。 - 134 - 〔No.30〕 次の文中の下線部 過不足のない美学 の意味として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) ヨーロッパの男たちの身のこなしがエレガントで、見ず知らずの日本娘がたとえば船 に乗るときに「忘れな草」をわたすのは、子供のときから精神的にも外形的にも“美し い姿勢”を要求されているからである。 乗りものに乗ればすぐわかる話だ。日本のお父さんやお母さんは、バスでも電車でも、 5 すき ま まず子供がすわる席を確保する。わずかな隙間でも強引にあけさせ、そこに子供をすわ らせ靴を脱がせる。ヨーロッパの子供は立っているのが当然なのだ。すわると「子供の くせに、老人のようにすわっている」という眼で見られる。 ホテルや空港のロビイで、ソファにべったりすわっているのは日本人である。すっき りと立っているのは外国人である。「年をとっている」「疲れている」と思われたくない 10 んです。子供のときからの躾、それはこわいものだ。「躾」という字は、もちろん国字 でしょうが、身と美の二字から成り立っている。身体を美しく保つための動作、それが できるようにすることが「躾」です。でも、私はこの「美」は「厳」と書くべきだと思 あめ つち うのです。 「愛」も「うつくし」と読ませるが(万葉集巻第二十の、天地のいずれの神 うつく こと を祈らばか、愛し母にまた言問はむ)、「厳」を「うつくし」と読むときは「過不足のな 15 い」という意味でしょう。つまり、「躾がいい」ということは「動作に過不足がない」 という意味なのです。動作に過不足がないということは、人生の過し方にもその人なり の枠がきちんとでき、無駄な背伸びやいわれない劣等感にとらわれずに生きてゆくとい うことです。 いま、そんな簡単なことが失われつつあるんじゃないか。一食一人一万円もするレス 20 トランに若い娘のグループがすわっていたり、空港や新幹線のホームに中振袖の娘たち むれ がギンギラギンで群をなしたりしている。どうも“過剰”だと思う。その逆に、わざと 見すぼらしい格好をした女が、つまらなそうな顔をして歩いている。これも、ひとつの ポーズなんでしょう。 いま、若い人たちにとって必要なのは「過不足のない美学」を身につけることではな 25 いでしょうか。 出典:草柳大蔵「お洒落」 30 - 135 - 1 ≥ 不相応の派手な格好をしたり、また逆にわざとみすぼらしい格好をすることをせ ず、つねに自分に合った服装であること。 2 ≥ 子供のときから精神的にも外形的にも“美しい姿勢”を要求することで完成された、 西洋人のような立ち居振る舞い。 3 ≥ どんなに疲れていても、公共の乗り物やホテルの椅子などに子供を座らせないと いった、親のもつ躾に対するプライド。 4 ≥ 初対面の人であっても、憧れを抱き、思わず花を贈りたいと思うような、エレガン トで人を惹きつける身のこなし。 5 ≥ 人生の過し方にも自分なりの枠がきちんとでき、無駄な背伸びもせず劣等感にもと らわれずに生きてゆくということ。 - 136 - 〔No.31〕 次の文の内容に一致するものとして、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) 動物としての機能は人間にも残っている。全くカロリーのない油は人間にもやはり受 け入れられないかも知れない。からだが「まずい」と拒否する可能性がある。 しかし、幸か不幸か人間は動物ほど純粋ではない。人間は、からだによる味覚や栄養 価値の判断のほかに新たな手段をもったのである。それは、情報の活用である。 5 動物には拒否されても、ノンカロリーはいわゆるダイエットしている人には好まし かっとう い。このような特殊な機能が情報として頭から入った場合、人間は葛藤する。おいしい ものも食べたいけれど美容や健康も捨てがたい。動物には決して見られない人間の特徴 である。人間の大脳は多様な情報処理のために巨大に肥大してきたと考える人もいる。 人間には味や栄養効果以外に情報による高度な判断基準があるから、味や栄養ですべ 10 てが決まるわけではない。まずくても健康増進に良さそうなら平気で食べ続けることも できる。 「まずい、もう一杯」という有名なCMはこの間の事情を端的に語っている。 安全や健康・栄養といった情報は、本来は味覚による判断を補助するために獲得された ものである。しかし、情報は爆発的に進化した。スーパーから買ってきた食品のパック に書かれている文字情報のおかげで、中身をいちいち真剣に味見して安全性を確かめな 15 くてもすむ。安全性は大いに高まったが、その結果として逆に味覚は鈍くなったという こともできる。 情報の発達と味覚の後退は、人間の食生活に大きな影響を及ぼしている。食品の受容 性にとって情報はあくまで予備知識や事前調査の役割を果たすもので、最終的には食べ ることによって確認されるはずであった。しかし、味覚は進化した情報に追いつかない。 20 ブランドの食材だといわれれば妙に納得してしまう。ワインのように最初に情報があ て、味覚がそれを学習するという動物としては本末転倒も随所に見られる。昨今、食品 の表示に皆が異常な関心をもつのも、自分の舌に自信がないうしろめたさの現れかも知 れない。 うまいかまずいかよりも、太らないというフレーズが人間には有効である。おいしい 25 ステーキやチョコレートよりも、情報がもっとおいしい。人間とは奇妙な動物である。 出典:伏木享「からだで味わう動物と情報を味わう人間」 30 - 137 - 1 ≥ ダイエットをしている人にとっては、低カロリーという情報のみが、おいしさの基 準となる。 2 ≥ 健康増進が第一義という人にとっては、まずいものこそ健康によいと考え、平気で 食べ続ける。 3 ≥ 人間のみが、予備知識や事前調査のはずの情報を絶対のものとして、味覚がそれを 学習するということができる。 4 ≥ 自分の舌に自信が持てないうしろめたさが後押ししているらしく、食品の表示に皆 が異常な関心をもつようになった。 5 ≥ 動物にとっては、味覚よりも栄養があるという要素が重要であり、そのための情報 は脳に刻まれている。 - 138 - 〔No.32〕 次の文の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) 人類は言語を用い始めた最初から物語ることを始めたのではないだろうか。短い言語 でも、それは人間の体験した「ふしぎ」、「驚き」などを心に収めるために用いられたで あろう。 古代ギリシャの時代に、人々は太陽が熱を持った球体であることを知っていた。しか 5 し、それと同時に、彼らは太陽を四頭立ての金の馬車に乗った英雄として、それを語っ やみ た。これはどうしてだろう。夜の闇を破って出現してくる太陽の姿を見たときの彼らの 体験、その存在の中に生じる感動、それらを表現するのには、太陽を黄金の馬車に乗っ た英雄として物語ることが、はるかにふさわしかったからである。 かくて、各部族や民族は「いかにしてわれわれはここに存在するのか。」という、人 10 間にとって根本的な「ふしぎ」に答えるものとしての物語、すなわち神話を持つように なった。それは単に「ふしぎ」を説明するなどというものではなく、存在全体にかかわ るものとして、その存在を深め、豊かにする役割を持つものであった。 ところが、そのような「神話」を現象の「説明」として見るとどうなるだろう。確か に英雄が夜ごとに怪物と戦い、それに勝利して朝になると立ち現れてくるという話は、 15 ある程度、太陽についての「ふしぎ」を納得させてくれるが、そのすべての現象につい ※ て説明するのには都合が悪いことも明らかになってきた。例えば、蝉の鳴くのを「お母 さんと呼んでいる。」として、しばらく納得できるにしても、しだいにそれでは都合の 悪いことが出てくる。 そこで、現象を「説明」するための話は、なるべく人間の内的世界をかかわらせない 20 ほうが正確になることに、人間がだんだん気がつき始めた。そして、その傾向の最たる ものとして、「自然科学」が生まれてくる。「ふしぎ」な現象を説明するとき、その現象 を人間から切り離したものとして観察し、そこに話を作る。 このような「自然科学」の方法は、ニュートンが試みたように、「ふしぎ」の説明と して普遍的な話(例えば、物理学の法則)を生み出してくる。これがどれほど強力であ 25 るかは、周知のとおり、現代のテクノロジーの発展がそれを示している。これがあまり にすばらしいので、近代人は「神話」を嫌い、自然科学によって世界を見ることに心を 尽くしずぎた。これは外的現象の理解に大いに役立つ。しかし、神話をまったく放棄す ると、自分の心の中のことや、自分と世界とのかかわりが無視されたことになる。 蝉の鳴き声を母を呼んでいるのだといった坊やは、科学的説明としては間違っていた 30 かもしれないが、そのときのその坊やの「世界」とのかかわりを示すものとして、最も 適当な物語を見いだしたということができる。 ※ 子どもと母親のやり取りの中での子どもの発言 出典:河合隼雄「物語とふしぎ」 - 139 - 1 ≥ 現象を説明するためには、現象の客観的部分だけをまとめて、普遍的な法則として 説明すべきである。 2 ≥ 子どものころは、現象を「物語」として捉えるが、大人になるに従って、「自然科学」 として捉えるようになる。 3 ≥ 「ふしぎ」や「驚き」に対して納得のいく答えを見つけるためには、「神話」は「自 然科学」より大いに役立つ。 4 ≥ 「自然科学」は「神話」で説明する上で都合の悪いところを、補うために生み出さ れたものである。 5 ≥ 「自然科学」のみによって世界を見ると、自分の心の中のことや自分と世界のかか わりが顧みられなくなってしまう。 - 140 - 〔No.33〕 次の文中の下線部 思いがけない新局面 の説明として、最も妥当なものはどれ か。 (2010−警視庁Ⅲ類) 特権階級どころか、いまや誰でも文字を読みとばし、書きとばしながら毎日を送って いる。消費されていく新聞雑誌類の途方もない量。ワープロで作成され、コピーされ、 蓄積されていくビジネス文書。よくみるとそれぞれ違っているのだが、遠くから眺める と皆のっぺり同じようで、どうも没個性的な感じがする。人間と同じだ。 5 つまり端的にいえば、現代日本社会において、もはや文字はすっかり脱神秘化され、 世俗化されつつあるということだろう。文字が“情報”と呼ばれるとき、それは文字が 太古から保ってきた霊力の消滅をあらわしているのかもしれない。 ─とはいえ、である。物事には両面がある。情報化時代に文字が上のような変化を こうむるのは確かだが、もう一つ、思いがけない新局面も現れてきたのだ。(中略) 10 一九九〇年代半ばから始まったインターネットの一般社会への浸透はめざましい。イ ンターネットの一大特徴は、地球上の誰もが、手軽にしかも信じられないほど安い料金 で、地球上の誰とでも交信できるという点にある。こういう国際ネットワークはこれま で存在しなかった。 今のところ国境をまたがるインターネット交信はほとんど英語で行われているが、英 15 語での交信を「唯一のグローバルスタンダード」とみなすのは情けない浅見だ。人間が 歴史的存在である以上、英語に加えて他の言語、他の文字によるインターネット交信が 活発になってこそ、二十一世紀文明は豊饒なものとなっていく。 幸い、このための基礎技術は刻々と築かれつつある。地球上の多種多様な文字を入力 し表示するための技術、国際共通文字コード体系、外国語の意味理解や作文を支援する 20 ためのソフトなどが研究開発されているのだ。 かつて西欧の文化は活字出版という技術によって地球上の各地へ発信され、波及して いった。こうして近代がつくられた。二十一世紀にはインターネット経由で、アジア・ アフリカからも大いに情報発信がなされていくだろう。 やがて見たこともないような不思議な文字が、パソコン画面に現れてくるかもしれな 25 い。そのとき、われわれは再びあのふしぎな文字霊に出会うのではないだろうか。 出典:西垣通「文字」 1 ≥ 見たこともないような不思議な文字の出現 2 ≥ インターネットの一般社会への浸透 30 3 ≥ 文字の没個性化・脱神秘化 4 ≥ 他の言語によるインターネット交信の活発化 5 ≥ 文字が太古から保ってきた霊力の消滅 - 141 - 〔No.34〕 次の文章における「イギリスのヒウマー」に関する記述として、最も妥当なも のはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) 英国の笑い、イギリスのヒウマーというものがある。ヒウマーという英語は、日本へ はいってユーモアとなった。しかしユーモアと呼ばれるものは、おかしみ、おどけ、の たぐいであって、格別のものではない。その前に「イギリスの」とつくと、ユーモアで なくてヒウマーと言いたくなる。イギリスに特別のものである。それはイギリス人ある 5 いは日本人が解する力をもっている。その他の外国のことは十分に知らないが、チェホ おのおの フとかカレル・チャペックなどはその各々の国民とともに、イギリス流のヒウマーを解 し得たのではないかと思う。 私はどこか前の文章の中で「笑いは国境を越えないというのだ」と書いたことを覚え ているが、喜怒哀楽のうちで、おかしいということが一番その各々のお国ぶりを強く保 10 存しているらしい。小泉八雲が、「日本の微笑」という随想を書いてひろく知られ、そ れが日本の特色と外国で考えられていることは周知である。英国の笑いは日露チェコに 通ずるものと思う。 イギリス人は、かなり物慾に強い人種なのではなかろうか。『いがみあい』の作者ゴー ルズワージーの長編小説『フォーサイト家物語』は、物慾の世界に美がはいって来たた 15 めに起る精神的動乱を描くといわれる。第一冊は『物慾の人』である。そういう物慾に とりつかれて、この小説の人たちはあくせくしているが、彼ら英国人はどうにも動きが ごと つかなくなると、時には、富は浮雲の如しというような考え直しをして、物慾の悩みを ふり捨て、全く別の角度からもう一ぺん人生を考え直すという回復の方法を取るであろ う。イギリスのヒウマーというのは、その考え直し、転身、から生れる笑いである。彼 20 らは価値観の転換によって局面を打開する。転換してしまえば、昔は物を思わざりけり の反対で自ら笑いを誘う。 くう そのためには、人生を空の空なるかな、とか、人のすることに完全ということがある わけはないとか、あれも人の子とか、われ愚人を愛すとかいう、諸行無常の人生観が根 底になくては、そううまく転換ができない。おそらく日本人やイギリス人やロシア人や 25 チェコ人の心にはそういう哲学のかげの如きものがさしているのであろうと思う。 出典:福原麟太郎「文学と文明」 30 - 142 - 1 ≥ イギリスのヒウマーとは、イギリス人が考え方や行動で、どうにも行き詰った時に もう一度同じ角度から考え直し、転身することから生れる笑いである。 2 ≥ イギリスのヒウマーは、日本ではユーモアと呼ばれるようなものとなったが、それ はおかしみ、おどけ、のたぐいであって、格別のものではない。 3 ≥ イギリスのヒウマーとは、根底に諸行無常といった人生観を持ちながらも、改めて 再考したり、価値観の転換を図ろうとしたりすることから生れる笑いである。 4 ≥ イギリスのヒウマーとは、考え方や行動に行き詰った人間が、そこからなんとか局 面を打開しようとする時に生れる人類に共通の笑いである。 5 ≥ イギリスのヒウマーの根底には、日本人が考える諸行無常の人生観とは違った、イ ギリス流の諸行無常の人生観が色濃く流れている。 - 143 - 〔No.35〕 次の文章において、著者は「自由に考えるということ」についてどのように考 えているか。最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) 自由に考えるとはどういうことなのか。何の拘束もなしに、気楽に考えることがそれ なのだろうか。しかしもし楽に考えることが自由に考えることなのならば、習慣に従い、 惰性に従って考えるのが、一番楽だから、私たちはそこに自由の思想を認めなければな らないであろう。しかし事実は、それが偏見に固められた、一番不自由な思想なのであ 5 る。私たちは出生以来、社会的環境の異なるに従って、家庭や学校や職場などで、それ ぞれに異なるある種の考え方をするように、永年習慣づけられて来ているのである。そ してまた毎日の新聞や、ラジオや雑誌が、時々の流行に従って、あるいは国民的、ある いは階級的、あるいは宗教的な、各種の偏見を絶えず私たちに吹きこんでいるのである。 従って私たちは、自分の方から特別の努力をするのでなければ、自分でものを考えると 10 いうことはできないのであって、いつもはむしろ他のものによって、勝手に自分の考え を操られているに過ぎない。従って私たちは、自由にものを考えようとするならば、ま ずそのような先入見の一切から、私たち自身を自由にしなければならない。もしこのよ うな解放が行なわれないならば、思想の自由とか、言論の自由とか言ってみても、それ は大した意味をもち得ないであろう。 15 しかしながら、一切の先入見から自分を自由にするということは、大へんな仕事なの であって、それは容易のことではないと考えられる。デカルトの『方法叙説』なり、あ るいはむしろ『第一哲学的考察』なりを読んだことのある人は、それがどんな仕事であ るかを知っているはずだ。私たちは油断をしていると、日常の習慣に引きずられて、あ まり確かでないものまでも、ついうかうかと信じこんで、確かなことのように思うもの 20 なのである。デカルトは、私たちのこの信じ易い傾向に対して、むしろ過激な対抗策を 必要だと考えたのである。そしてそこから、一切を疑うという方法的懐疑が生まれて来 た。彼はこの方法を徹底させるために、絶えず私たちを欺こうとしている鬼神の類まで も想定しようとしたのである。事実、彼の思索は、このような鬼神との格闘なのであっ て、欺こう欺かれまいとする、真剣勝負の恐ろしい緊張が、彼の思索の一歩一歩に感じ 25 られるといっても、決して過言ではないように思われる。すなわち自由に考えるという ことは、恐ろしい仕事なのである。従って、それは常人のことではないとも考えられる であろう。人々はむしろ騙されることに、自分自身の善良さを見ようとするかも知れな い。しかし騙されることが、果して美徳であるかどうかは疑わしい。詐欺に掛かるのは、 掛かる私たちの愚かしさは無論であるが、なおまた私たちの貪欲や臆病や虚栄心など 30 の、さまざまな悪徳や弱点に乗ぜられる場合が極めて多いのである。私たちは騙された ことを恥じなければならない。少なくとも思想的なものの何かを解する者は、思想的宣 伝に欺かれるようなことを恥辱としなければならないであろう。思想の自由を保つとい - 144 - うことは、容易なことではないにしても、それは哲学者だけの、専門的な義務ではない のである。 出典:田中美知太郎「自由と偏見」 1 ≥ 考えることを専門の仕事としている哲学者に与えられた崇高な使命なのである。 2 ≥ 大へんな緊張を強いるものであって、普通の人間に求めることは無理なことであ る。 3 ≥ 普通の人々にとっては、何の拘束もなく気楽に考えるということである。 4 ≥ 習慣に従って考えることであり、そこに自由の思想を認めなければならない。 5 ≥ いかに困難ではあっても、すべての人が志向すべきものとならなければならない。 - 145 - 〔No.36〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) ヨーロッパにゆくごとに思うのだが、南欧の人人はよく知らないから別としても、ス か カンディナヴィア、ドイツからオーストリア、スイス、オランダ、といった国々で、花 びん 瓶に生けてある花の束をみれば、それがどれもこれも、根本的には、十六世紀ネーデル ランド画派の天才、ブリューゲル老のあの素晴らしい花の絵にそっくりの構成をもって 5 いる。ブリューゲルの花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響を及ぼし、それにつ づく十七、八世紀の画家たち、たとえば花瓶に生けた花束の絵をやたらとたくさん描い たホイスム(Jan Van Huysum)たちの原型となったといってもよいのだろうし、この 種の絵は各都市の美術館にゆけばいっぱいある。そうして、現代のヨーロッパ人たちが、 まるっきり、こういう絵を見ないで育ったというのは考えられないことだ。ただ、彼ら 10 が今花を生けるとしても、そういう絵を思い出してするかどうかは疑わしい。ところが、 そうであるにせよ、そうでないにせよ、彼らは花を生けるとなったら、この四百年前の ブリューゲルから少くとも二百年前まで連綿とつたわった絵画の伝統にみられる生け方 をしてしまうのである。私は、こういった例を外にも数多くあげることができる。しか し、もっと手近の例でいえば、逆に、私たちの国では、有名な料亭はもちろん、ちょっ 15 かたすみ とした郊外の小料理店の片隅をみても、花が生けてあるが、そのスタイルは、ヨーロッ パのものとは断然違う審美観と原理によっている。私はこの何世紀も伝ってきたに違い へんぼう ない日本の生け花の原型がどこにあるか知らない。しかしそれが変貌して二十世紀中葉 の日本の草月流に至る間の生け花をみても、それはブリューゲル派の華麗にして重層的 りんかく な生け方とはまるで違う。むしろそれは、少ない材料を巧みに配して、花と茎で輪廓づ 20 けてはいるが、本来はその花たちと同じくらい、それがとりのこし、埋め残した空間の 拡がりを楽しむためにあるように見られる。もしそれを詩と呼ぶなら、この詩は、語ら わず れず、語られ得ないものの存在を暗示するために、僅かな言葉を使って組みたてられた 詩である。日本人がこれ以外の花の生け方ができないと言うのではない。日本人なら、 いわゆる心得のない人が自己流でやっても、こういう生け方に導かれ、それをみる場合 25 も楽しむことを知っていると言っているのである。そうして、これは、ある時、日本の 自然の《草の根》を熟視して扱っているうちに、その本質を見抜いた人の手で芸術とし て純粋化させられて、一つの典型に達し、その後の何世紀にわたる私たち日本人の花の 生け方に関する根本的なものを規定し支配しつづけているということを示している、と 言いたいのである。 出典:吉田秀和「ソロモンの歌」 30 - 146 - 1 ≥ 一つの文化の生命とは、長い歴史の中で、いろいろな考え方の中から選択された一 つが洗練され典型となり、後世文化の規範となって持続するものである。 2 ≥ ブリューゲルの花の絵は、後にくる絵画の流れに大きな影響を及ぼし、やがてそれ は、ヨーロッパ人の花の生け方のスタイルのもとともなった。 3 ≥ 日本では有名料亭はもちろん、ちょっとした郊外の小料理店でも花が生けてある が、そのスタイルは、ヨーロッパとは全く違う審美観と原理によっている。 4 ≥ 長い歴史の中で選択され、洗練されていった一つの文化の生命とは、その文化に属 するすべての人間が納得し、また規定・支配されるものである。 5 ≥ 日本は明治維新以降、西洋の文化を積極的に取り入れ、その生活と思考法はかなり の部分で和魂洋才のスタイルが定着している。 - 147 - 〔No.37〕 次の文章において、民俗学者である著者は「日本の文化」についてどのように 考えているか。最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) (略)日本の民族文化をながめてみると、この国はまわりを海にとりかこまれた島国 だけれども、外界から完全に孤立して、日本文化が形成されてきたわけではない。ごく さ こく 短い期間には、完全な鎖国がおこなわれたかも知らぬが、その間ですら、漂流者を殺し てしまったわけではないし、密貿易もあった。むしろ内容的には、外来文化の影響を非 5 常に強く受けてきたのである。 たしかに大陸の地つづきの国のように、中身がすっかり入れかわるような変化はな かったけれども、外来文化が少しずつ、ときどき入ってくる。すると、入ってきたもの を自分なりに消化し、変容させながら吸収する。消化吸収の終ったころには次のものが 入ってくる。こういう過程をくりかえしてきたために、バラエティーに富んだ、複雑な、 10 しかもキメのこまかい文化が形成されたと思われる。 日本の固有文化を研究するのが民俗学だと、規定する人が以前は多かったようである が、そうだとすると、まず固有というのはどういうことなのかを、考えなおしてみなけ ればならない。固有ということは、文字通りに理解すると、元からあったもの、まじり けのない特有のものということである。日本の文化にあてはめてみると、欧米の文化を 15 除き、仏教も道教もはぶいて、それ以前からあったものということになる。 こうしてさかのぼっていくと、結局いきつくところは原始文化になってしまうし、そ れが日本の本当の姿だといわれても困るのである。宗教や信仰の世界では、大昔に理想 的な場所や生活があって、それが世の中の罪けがれにふれて現在にいたった、というふ うな理解の仕方もあろうが、それをそのまま学問の世界に持ちこむわけにはいかない。 20 むしろ原始文化そのものは、それほど価値の高いものではなかったのだが、たえず外 来文化をとり入れ、吸収や反発をかさねながら、現在の文化をつくりあげた、その過程 が重要なのであって、古いものほど純粋で正しいという考えかたは、必ずしも当ってい ないと思う。 出典:井之口章次「民俗学の方法」 25 1 ≥ 外来文化が、日本固有の文化と融合したものが真の日本文化である。 2 ≥ 日本固有の文化を考えるためには、固有とは何かを明確にさせる必要がある。 3 ≥ 外来文化を取り除いていけば、日本固有の文化が発見できるというわけではない。 4 ≥ 歴史をさかのぼって行き着くところに、日本固有の原始文化が発見できる。 30 5 ≥ 外来文化の「受け入れ方」の中に、日本固有の文化が備わっているのである。 - 148 - 〔No.38〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) 奈良や京都の古いお寺を訪ね、仏像や文化財と対面するとき、そこには大きく分けて、 二つの姿勢があります。一つは、信仰の対象として対する姿勢。一つは純粋に美術作品 として対する姿勢です。 しゅんべつ もちろんこの二つは、個人の中でも併存するものであって、はっきりと 峻 別できる 5 ものではありません。美術の対象として見るにせよ、古い仏像を前にして誰しも自然と 手を合わせる気持ちが起こってくるものです。しかし、多くの人にとってそれは千年も い けい 前の古人の知恵と、それを守り伝えてきた数知れぬ人々の情念に対する畏敬の念がそう させるのであって、信仰心というのとは違います。 あこが 世界的に見ても、近代という科学の時代に、信仰は憧れにすぎなくなりました。この 10 ことはフランス革命が端的に示しています。フランス革命は、宗教的世界あるいは王の つぶ 封建的社会を潰そうとして行なわれたわけで、ある意味では近代を象徴する事件でし た。アメリカの独立運動も、ヨーロッパ全体における市民革命の動きも、みなそういう ところで連動しているわけです。日本の明治維新も、立憲君主制として天皇を権威とし ましたが、それまでの宗教や道徳も含めた前近代に対して、新たな資本主義社会を基礎 15 にした市民社会をつくろうとする動きでした。 近代は世界中で一般化しました。ニーチェは「神は死んだ」と言い切り、フォイエル バッハは「神が人間をつくったのではなく、人間が神をつくったのだ」という認識を示 しました。これが近代の思想とすれば、過去を見るときも、そういう新しい目で見なく てはいけません。近代において、あるいは科学の時代において、信仰がかつてのよう 20 よみがえ に蘇るというある種の幻想を抱いてはならないと、私は思います。 そうした近代の新しい動きの中で、ヨーロッパでは美術館の運動が起こります。作品 をつくらせた環境がいかなるものであれ、作品そのもののすばらしさに価値を認めよう とするもので、ルーブル美術館をはじめとするヨーロッパの名だたる美術館は、みな近 代がつくったものです。 25 出典:E・G・サイデンステッカー 現代日本作家論 30 - 149 - 1 ≥ 仏像や宗教的文化財には二つの価値があり、一つは信仰の対象としてであり、もう 一つは美術品としてである。 2 ≥ 近代において、信仰をかつてのように蘇らせるには、美術館にある美術作品を純粋 な気持ちで鑑賞することである。 3 ≥ ヨーロッパでは美術館の運動が起こることによって、宗教美術作品の価値が認めら れることができた。 4 ≥ 近代に信仰が失われたことで、宗教美術は美術作品として、その芸術的価値を見定 めるということが初めて行われた。 5 ≥ 近代という科学の時代に信仰は憧れにすぎなくなったということは、フランス革命 が端的に示している。 - 150 - 〔No.39〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) 子どもの資質に関して選択の自由を与えられれば、たいていの親は個人としての優秀 さを選ぶだろう。親は、学校を首席で卒業したり、運動会で一等賞をとったりして、親 としてのプライドを満たしてくれる子どもをほしがる。もし親が子どもの資質を自由に 選択できるようになれば、人類の進化は否応なく個人的競争力を求める方向に向かうだ 5 ろう。そうした進化の結果は、短期的には喜ばしいものになるかもしれない。親の世代 よりも有能で自信に満ちた若者たちによって、芸術や科学の分野で創造性の黄金時代が 訪れるかもしれない。だがもっと長い目でみると、自然が数万年以上かけて人間にくみ 込んできた情緒的バランスを崩す危険を冒すことになる。個人レベルでの急速な進化 は、種のレベルで生き延びる力を弱めるかもしれない。自然は人間を強欲さと愛情とを 10 兼ね備える存在に作った。もし人間が造物主の力を手に入れたら、そのバランスを致命 的に崩してしまうおそれがある。強欲さが増大し、愛情は死に絶える。階級差別が激化 し、人類は遺伝子や情緒の異なるさまざまな種に分化してしまうかもしれない。人類を 自然の懐にひき戻してくれる〝滑車〟はどこにあるのだろう? 人間性の複雑さの源は、知性にではなく情緒にある。知的能力が目的を達成する手段 15 なら、何を目的とすべきかを決定するのが情緒である。知性は個人に属し、情緒は家族、 部族、種、あるいは自然といったグループに属する。情緒の歴史は知性よりも古く、そ の根ざすところは深い。情緒を司るとされる大脳辺縁系は、知性を司る大脳皮質よりも 古い。情緒こそ人間を自然の懐にひき戻す〝滑車〟にちがいない。いつの日かわれわれ が子どもたちの身体的、知的能力を人工的に改良できるようになっても、その情緒の根 20 を断つことだけはしないよう方策をとらなければならない。 出典:田中英道「法隆寺とパルテノン」 1 ≥ 人類が自然の中で生き延びていくためには、知的能力だけを追い求めるのではな く、自らの中にある情緒を大切にしていかなければならない。 25 2 ≥ 自然は人間を強欲さと愛情とを兼ね備える存在に作ったが、人間が造物主の力を手 に入れたら、そのバランスを致命的に崩してしまうおそれがある。 3 ≥ 親が子どもの資質を自由に選択できるようになれば、有能で自信に満ちた若者たち によって、芸術や科学の分野で創造性の黄金時代が訪れるかもしれない。 4 ≥ 子どもたちの身体的、知的能力を人工的に改良できるようになれば、情緒こそが人 30 間を自然の懐にひき戻す〝滑車〟であるということがわかるかもしれない。 5 ≥ 何を目的とすべきかを決定するのが情緒であり、その歴史は知性よりもはるかに古 く、家族、部族、種、あるいは自然といったグループに属している。 - 151 - 〔No.40〕 次の文章の要旨として妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) 話が少し横へそれますが、ご存じのとおりイギリスという国はたいへん自由を尊ぶ国 であります。それほど自由を愛する国でありながら、またイギリスほど秩序の調った国 はありません。じつをいうと私はイギリスを好かないのです。嫌いではあるが事実だか ら仕方なしに申し上げます。あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国はお 5 そらく世界じゅうにないでしょう。日本などはとうてい比較にもなりません。しかし彼 らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するよ うに、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背 後にはきっと義務という観念が伴っています。England expects every man to do his duty. といった有名なネルソンの言葉(トラファルガー海戦の際に部下を励ました言葉) 10 はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達してきた こんてい 深い根柢をもった思想に違いないのです。 彼らは不平があるとよく示威運動をやります。しかし政府はけっして干渉がましいこ とをしません。黙って放っておくのです。その代り示威運動をやる方でもちゃんと心得 ていて、むやみに政府の迷惑になるような乱暴は働かないのです。(略)一般の英国気 15 質というものは、今お話ししたとおり義務の観念を離れない程度において自由を愛して いるようです。 それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務 心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。というものは、そうしたわが ままな自由はけっして社会に存在しえないからであります。(略)存在してもすぐ他か 20 ら排斥され踏み潰されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらんこと を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられんことを 願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚ら ないつもりです。 出典:フリーマン・ダイソン「ガイアの素顔」 25 30 - 152 - 1 ≥ 個人の自由を尊びながら、また社会秩序も行き届いている国というのはおそらく世 界じゅうにイギリス以外にはない。 2 ≥ 自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、自由であるためには、義 務の観念が伴わなければならない。 3 ≥ わがままなだけの自由は、決してイギリス社会には存在しえないし、存在してもす ぐ他から排斥され踏み潰されることになる。 4 ≥ 自由でいるためには、社会に不平があれば堂々とその意見を主張するなど、個人主 義を貫いていかなければならない。 5 ≥ 自分の自由を愛するとともに、他人の自由を尊敬できるようにするためには、子ど もの頃からの教育が大事なことである。 - 153 - 〔No.41〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) 日本人のなかには「無宗教」を標榜する人が少なくない。しかし本当に宗教を否定し たり、考え抜いた上での無神論者はきわめて少ない。そのことをよく示しているのが日 本人の「宗教心」についての調査である。 調査にはいろいろあるがどれを見ても、だいたい全体の七割が「無宗教だ」と答えて 5 いる。だが、不思議なことにその七割の七五%が「宗教心は大切だ」とも答えているの だ。つまり、「個人的には無宗教だが、宗教心は大切だと思う」という人が、全体の過 半数を占めていることになる。この現象はいったいなにを意味しているのであろうか。 私の見るところ、この回答にこそ「無宗教」の秘密が隠されているように思われる。 (略) 10 だいたい日本人の多くは、(略)むしろ宗教心は豊かなのである。ただ、その宗教心 を「特定の宗派」に限定されることに抵抗があるのだ。(略)たとえば、新聞などで墓 地の広告がでるとき、ほとんどが「宗派を問わない」ことをうたい文句にしている。ま るで墓をつくり墓に詣でることが宗教ではないかのような扱いなのである。墓参がれっ きとした宗教心のあらわれであることはいうまでもない。 15 「無宗教」の葬儀ということも、形式的に特定の宗派の儀式を採用しないということ が多くの場合であり、参列者に無神論を強いるものではない。献花をしたり、故人の好 きな音楽を流したり、故人の好きな詩の一節を朗読するのも、「無宗教」流の宗教儀式 なのであり、参列者のあるものは、死とは大地に帰ることだとか、肉体を構成する元素 がまた別の組み合わせ方になったのだとか、それぞれに人間存在の不思議を解釈し、そ 20 こになんらかの意味づけを行っているのである。そうした人生についての諦観や意味づ けの試みこそ、広い意味での宗教心の発動なのであり、儀式は「無宗教」であっても、 参列者は結構宗教的気分にひたっているのである。 出典:夏目漱石「私の個人主義」 25 30 - 154 - 1 ≥ 日本では、葬儀において故人の好きな音楽を流したり、故人の好きな詩の一節を朗 読するのは無宗教流の追悼の気持ちなのである。 2 ≥ 日本人は墓に詣でることが宗教ではないかのように考えているが、墓参はれっきと した宗教心のあらわれなのである。 3 ≥ 日本人には無神論者が少なくないが、それぞれに人間存在の不思議を解釈し、そこ になんらかの意味づけを行っているのである。 4 ≥ 日本人の多くが無宗教だというのは、宗教心がない訳ではなく、特定の宗派の信者 ではないという意味なのである。 5 ≥ 日本人のなかには無宗教だという人が少なくないが、宗教的気分に浸るのは好きな 人種なのである。 - 155 - 〔No.42〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ類) どこかに、いつも変わらぬ不動の視座や超越的な人間像を設定しておいて、子どもや 生徒たちの変容を語れると楽でいい。比較すべき原点や原型があれば、子どもや生徒た ちのこの五十年来の変わりようは、社会構造や学校の変化とともに、まさに手に取るよ うに分かるのではなかろうか。 5 ところが、私たちには子どもの変容を語るさいの座標軸がない。社会通念的な基準の ようなものはあるのだが、それ自体がどんどん変わってきている。いまや子どもについ ても学校についても家庭についても社会についても、それぞれの見方があるとしか言い ようがない。 その結果と言おうか、いま世の中で言説化している子ども認識、子ども観は、むかし 10 の牧歌的な時代のイメージの残照である「旧いもの」と、ひたすら個のほとんど無制限 な自由を煽りたてるような「非現実なもの」の二つに分裂させられている。双方の子ど も観に共通しているのは、その根拠が子どもの現実的なありかたや、具体的なありよう にあるのではなく、理念から抽出されたものと言えば誉め言葉になってしまうが、それ に拠って立つ人たちが依存している世の中観や世界観から逆算したものなのである。 15 もちろん、私たちがふつうに持っている常識的な、ふつうの成人がふつうに持ってい る子ども認識、子ども観は割と共通して存在する。だが、そういう質のものは通常こと ば化されない。ことば化されて議論などに登場してくるものは、あるイデオロギー的な 志向性を持つものである。いま現にいる子どもたちを、できるだけ先入観を排して眺め る道具にはとうていならない。理想的な子ども像を前提としており、そのスクリーンを 20 通して映ったものを拡大している。 出典:諏訪哲二「学校はなぜ壊れたか」 1 ≥ いま世の中で言説化している子ども認識、子ども観では、むかしの牧歌的な時代の 「旧いもの」が失われている。 25 2 ≥ 私たちがふつうに持っている常識的な、ふつうの成人がふつうに持っている子ども 認識、子ども観は割と共通して存在する。 3 ≥ 子ども認識、子ども観がどんどん変わってしまうために、個人ではそれぞれの子ど もの変容を語るさいの、基準となる理念を持っていない。 4 ≥ いま現に生活している子どもたちや生徒たちは、それ自体としてありのままに描写 30 されたり、記述されたりするということがない。 5 ≥ 子どもは本来すばらしいものであり、理想的な子どもにしていくためにも、現実の そのありようをできるだけ肯定的に見ようとすることが必要である。 - 156 - 〔No.43〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ類) 物事や事象は部分だけで存在せず、たえず全体的、総合的に存在します。寺子屋でか つて行われていた教育にはそうした総合性がありました。文字を書くことは、言葉の世 界へ歩を進め、入り込んでいくということです。言葉を身体に組織して人間としての成 長を遂げていくわけですが、習字は言葉の背後にある歴史・地理・道徳・社会・生活な 5 しん ら ど様々な問題に関わっているのです。文字を読み書くということは、歴史と文化、森羅 ばんしょう 万 象 に通じていくことに繋がっているのです。 学ぶということに関して、近代的な分業学習をさらにもう一度考え直して、総合的な 教育というものを考えてみる必要があると言えるでしょう。その第一歩が、習字教育と 言うべきか、識字教育というべきか、書字教育の見直しと再構築にあると私は思います。 10 現在の多くの習字教育のように、子どもたちに感性教育と称して、勝手気ままに毛筆 を持たせて自由に書かせるだけなら、あるいはまたおざなりに字のかたちを整えて書く ことだけを教えるなら、習字教育は必要ではないでしょう。美意識は美術教育で済むこ とですし、文字は活字を見ればそれでこと足りるわけです。 出典:石川九楊「「書」で解く日本文化」 15 1 ≥ かつての寺子屋で行われていた教育には、物事や事象を部分的にとらえるだけでは なく全体性・総合性があった。 2 ≥ 近代的な分業学習をもう一度考え直し、子どもたちの感性がのびのびと発揮される ような習字教育というものを考えなければならない。 20 3 ≥ 習字教育は、字のかたちを整えて書くことだけを教えるのではなく、感性教育・情 操教育に繋がるように教えなければならない。 4 ≥ 習字教育は、言葉の背後にある歴史・道徳・社会・生活など様々な問題に関わって いるのであり、総合的な教養と一体化して考えるべきものである。 5 ≥ 文字を書くことは言葉の世界へ歩を進め、入り込んでいくということであり、言葉 25 を身体に組織して人間としての成長を遂げることである。 30 - 157 - 〔No.44〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ類) 臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではない か、とよく言われる。私に会うとすぐに心の中のことを見すかされそうで怖い、とまで 言う人もある。確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にし て生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心 5 などわかるはずがないと思っているのである。 この点をもっと強調したいときは、一般の人は人の心がすぐわかると思っておられる 0 0 0 0 0 0 が、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専 門家の特徴である、などと言ったりする。一般の人は、ちょっと他人の顔つきを見るだ けで、 「悪い人」とか「やさしそうな人」とわかったように思う。これに対して、専門 10 家はどれほどやさしそうに見える人でも、ひょっとすると恐ろしいところがあるかも知 れない、と思う。あるいは、怖い顔つきの人に会っても、あんがいやさしい人かも知れ ない、と思っている。要するに、簡単に判断を下さず、人の心というものはどんな動き をするのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。 たとえば、われわれカウンセラーのところには、「札つき」の非行少年と呼ばれる子 15 が連れて来られるときもある。もちろん、彼はそう呼ばれるのにふさわしいだけのこと をいろいろとやってきている。親も先生も少年を立ち直らせることに努力してきたが、 それは皆裏切られてしまった。誰もが彼を見離したというところでわれわれのところに 0 0 0 0 0 0 連れて来られる。そこで、「専門家」に期待されることは、この子の心を分析したり探 0 0 0 0 0 0 りを入れたりして、それだけではなく、子どもの親に対しても同様のことを行ない、非 20 行の原因を明らかにして、どうすればよいかという対策を考え出すということである。 0 0 0 ところが、本当の専門家はそんなことをしないのである。 一番大切なことは、この少年を取り巻くすべての人が、この子に回復不能な非行少年 は というレッテルを貼っているとき、「果してそうだろうか」、「非行少年とはいったい何 だろう」というような気持をもって、この少年に対することなのである。 出典:河合隼雄「こころの処方箋」 25 30 - 158 - 1 ≥ 臨床心理学の専門家とは、簡単に判断を下さず、人の心というものはどんな動きを するのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。 2 ≥ 臨床心理学の専門家とは、人の心を相手にして生きてきた人間であるが、一般の人 と同じように、人の心はわからないものだと思っているのである。 3 ≥ 臨床心理学の専門家とは、人の心を分析したり、探りをいれたりしながらどうすれ ばよいかという対策を考え出す専門家なのである。 4 ≥ 臨床心理学の専門家には、どれほどやさしそうに見えても、ひょっとすると恐ろし いところがある人かも知れないと、相手を疑うことが必要なのである。 5 ≥ 臨床心理学の専門家とは、例えば非行少年の場合でも、非行の原因を子どもだけに 求めるのではなく、親も含めた大きな問題としてとらえるのである。 - 159 - 〔No.45〕 次の文章において、作者の考えとして最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ) 私たちが、ふつう、私たちの生活の中で、どんなぐあいに眼をはたらかせているかを 考えてみるとよい。特になんの目的もなく物の形だとか色合いだとか、その調和の美し さだとか、を見るということ、いわば、ただ物を見るために物を見る、そういうふうに 眼をはたらかすということが、どんなに少ないかにすぐ気がつくでしょう。 5 話は私事になるが、私は、ロンドンで、なんの特徴もないが、古風な、いかにも美し い形をしたライターを見つけて買ってきた。書斎の机の上に置いてあるから、今までに たばこ たくさんの来客が、それで煙草の火をつけたわけだが、火をつけるついでに、よく見て、 これは美しいライターだと言ってくれた人は一人もない。なるほど、見る人はあるが、 ちょっと見たかと思うと、すぐ口をきく。これはどこのライターだ、いくらだ、それで 10 おしまいです。黙って一分間も眺めた人はない。つまらぬ話をするなどと言わないでく ださい。諸君は試みに黙ってライターの形を一分間眺めてみるといい。一分間にどれほ どたくさんな物が眼に見えてくるかに驚くでしょう。そしてライターの形だけを黙って 眺める一分間がどれほど長いものかに驚くでしょう。見ることはしゃべることではな い。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花 15 すみれ の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だと分かる。なんだ、菫の花か、 と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのをやめるでしょう。諸君は心の中でお しゃべりをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに入ってくれば、諸君は、 もう眼を閉じるのです。 出典:小林秀雄「新訂小林秀雄全集」 20 1 ≥ 黙って眺める一分間の長さを感じて、気にすることの少ない時間の大切さを認識す べきである。 2 ≥ 言葉とは、情報を伝えることだけでなく、理解を伝えるための道具となり、感動を 伝えてくれるものである。 25 3 ≥ 黙って眺めることは、心の中でおしゃべりをすることの本当の楽しさを与えてくれ るものである。 4 ≥ 物の形や調和の美しさは、言葉で置き換えるのではなく、黙って見続けることで感 じることができる。 5 ≥ 言葉は見ることの邪魔になるので、口にするのではなく、心の中でおしゃべりをす 30 るべきである。 - 160 - 〔No.46〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) 前近代の論理と思考は、分析的言語と概念による近代人のそれとは、およそ次元を異 はら にしている。ことがらの孕んでいる相互に矛盾しあう側面、たがいに背反しあう諸機能 も、ことがらのありように即して全一的に把握されている。分析にもとづく諸概念の呈 示ではなく、比喩による全体の捕捉と、事物による象徴とが、思考作業の根幹である。 5 たとえば主婦権というとき、主婦が家庭内で日常的に担っている権利と義務、家庭管理 の業務内容を分析的に列挙するのがいまのやりかたである。むかしの人はそうでなかっ た。彼らは彼らにとっての主婦の全体像を、生身のままシャモジという事物によって象 徴し、それでもって納得し、了解したと考える。シャモジ自身に呪的霊能がみとめられ じょじょう たのも、それが如 上 の思考方式にささえられ、シャモジが主婦そのものの姿として承 10 認されて、両者のあいだに霊的交流と交感があると信じられていたからである。 出典:高取正男「日本的思考の原型」 1 ≥ 前近代人には論理と思考が存在しておらず、ただ霊的交流や霊的交感に基づく対象 物への非論理的理解があるだけである。 15 2 ≥ 前近代人は、相手方に呪的霊能を認めえたとき、はじめてその相手を吟味する試み がなされ、分析的な作業をとおして理解しようとする。 3 ≥ 前近代人は、分析的言語や概念化という思考方式を持たなかったため、対象を理解 するには霊的直観による以外になかった。 4 ≥ 前近代人がある事物を説明しようとするときは、分析的にではなく、権威という概 20 念によって明らかにしようとする。 5 ≥ 前近代人は、対象物についての矛盾背反を承知しつつ全体的に把握し、象徴として とらえるということで、その対象物を納得し了解してきた。 25 30 - 161 - 〔No.47〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) 古画を見るのに、何か特別の作法があるのでは、というのは、まったくの誤解だ。そ んなものは何もない。それが泰西名画であろうと、日本の古画であろうと、要は絵は、 鑑賞者ひとりひとりが心静かに見ればすむことだ。もしそこに作法めいたものがあると いうのなら、作品に対する敬愛の念を忘れず、これを傷つけないよう、鑑賞者自らが細 5 心の注意を払うことは言うまでもないが、あとは、それが美術館・博物館での鑑賞なら ば、ほかの鑑賞者の迷惑にならないよう心すれば、それで充分ではないだろうか。また それが所蔵家個人のお宅での拝見の場合には、貴重な作品を、それこそ所蔵者の貴重な さ 時間を割いて見せてもらうのであれば、当然、それ相応の感謝の気持ちと、礼を失しな いための常識的配慮とは必要であるにしても、作品を見るための特別な作法はないと 10 いってよいだろう。 が、いずれにせよ日本の古い絵もまた、それが古いからといって変に身構えるのでは なく、もっともっと気楽に、何ものにもとらわれない自由な眼で見ることを勧めたい。 そうぜん そうすれば、古色蒼然、単に抹香臭いだけと思っていた日本の古画が、実に豊かな美の 世界をもっていることに気づかされるに違いない。 出典:榊原悟「日本絵画の見方」 15 1 ≥ 伝承された古画というものは、幾多の時代を経て現代に息づいているものであり、 それなりの予備知識があっても、鑑賞を邪魔するものではない。 2 ≥ 古画だからといって、それを鑑賞するのに特別な約束事などはなく、ただ先入観の 20 ない自由な眼で気楽にこれを見れば、その豊かな美しさに気づかされる。 3 ≥ 西洋の油絵に比べて堅牢性で劣るが、繊細さで勝る日本の古画を鑑賞する場合、鑑 賞者自らが細心の注意を払い、心静かにその幽玄の世界に遊ぶべきである。 4 ≥ 古画を見るという場合には、美術館であれ個人宅であれ、ただ無心にこれらを見る だけではなく、遠い昔に思いを馳せる心情を持つことは最低限の礼儀である。 25 5 ≥ 長い時間を経て現在もなお人々の眼にさらされる古画は、一般に褪色や汚れや抹香 臭さはあるものの、その偉大さに自然と感謝の気持ちがわいてくるものである。 30 - 162 - 〔No.48〕 次の文章の内容に合致するものとして、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) ドガ は、慰めに詩を書いてゐたが、ある時、マラルメ に会つて、詩を書くのはむづ ※ ※ かしい、思ひつきはいくらでも浮ぶのだが、と言つたところが、マラルメは言下に、詩 は思ひつきで書くのではない、言葉で書くのだ、と言つたさうである。この逸話は、詩 人、或ひは一般に言葉を扱ふ芸術家に対する、世人の大きな誤解をはつきり語つてゐる。 5 まづ詩的な観念があり、それを言葉にしたものが詩であるといふ偏見である。自分だつ て、詩人のやうな豊かな感情なり、複雑な観念なりは持つてゐるが、たゞそれを言葉に することが下手なだけだ、といふふうに考へるが、さういふ考へかたは、詩人の考へ方 から最も遠いのである。詩の形式から離れた詩の内容といふものはない、とは、よく言 はれることだが、一般には、このことは少しも徹底して理解されてはゐない。何故かと 10 言ふと、この考へを押し進めて行くと、一つの単語の場合でもその形と意味とは離すこ とができない。両者は同じものだ、といふことになる筈で、これは、まことに考へにく いことだからである。言葉といふ箱の中に意味が入つてゐるやうに言葉には意味が含ま れてゐる、と分析的に考へるのは、凡そ物を考へるといふ場合、我々に必至のやり方だ からである。ところが、言葉を扱ふ時に詩人は、さういふ考へ方に、なんの興味も持た 15 ぬ、或ひは、さういふ考へ方に極力反抗するのである。 詩人にとつて、言葉とは、詩作といふ行為の為の道具なのである。従つて言葉の意味 を知るとは、詩の作り方を知るといふことに他ならない。歌ふといふ行為が、自ら言葉 を生むのであり、この行為に熟練することによつてしか、言葉の意味を明らめる道はな いのである。このやり方は、子供が言葉の意味を確めて行く、あの自然なやり方と同じ 20 であつて、詩人は、この素朴なやり方を、非常に複雑な精緻な言葉の扱ひにも、一貫し て押通さうと努めるのである。 ※ドガ フランス印象派の画家、マラルメ フランス象徴派の詩人 出典:小林秀雄「白鳥・宣長・言葉」 25 1 ≥ 行為によって言葉の意味を明らかにしていくのは、子供だけが用いる方法である。 2 ≥ 詩人は一般の人とは異なり、言葉という箱の中に意味が入っていると考えている。 3 ≥ 詩人は詩作という行為を繰り返すことによって、言葉の意味を明確にしていく。 4 ≥ 詩人が持つ豊かな感情なり、複雑な観念なりが、詩作に関連しているわけではない。 5 ≥ 詩人は行為の一様式としての言葉を、その形と意味とを切り離して考える。 30 - 163 - 〔No.49〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) この休止することを知らぬ自然自身は一体誰が造ったものであるか。造り手の姿はど こにも見えないが、人間との類推によって造物者を想像することは勝手である。しかし 造物者は人間のように「手」を持って物を造りはしないのである。特別な道具、特別な 機械を使うのではないのである。文字通り自然に物の姿が変わり、物が出来上がってい 5 くのである。「天道不言而品物亨歳功成」(「天道もの言わずして品物とおり歳功なる」) という言葉の通りである。人間自身の肉体もまた自然の所産として、道具を使わずして 造られたものである。肉体の一部であるところの手自身は、けっして固体としての道具 ではないのである。 造物者が手を使わなかったとするならばそのかわりに使った物は何であったか。人間 10 との類推によって造物者の心を想像することも勝手である。その心はしかし人間よりも いつ はるかに理性的なものである。自然は自分自身の規則を持っている。そしてそれから逸 だつ ふるまい 脱した振舞をすることはけっしてないのである。自然力の発現、自然の姿の変化は、す べて自然が自ら定めた規律に忠実である結果として生まれてきたものである。造物者は 他を動かす「手」を持たない、造物者自らの「心」に従って自ら変化していくのである。 15 しからば造物者の心は何によって知り得るであろうか。人間の心は果してなんらかの 仕方でこれと共感し得るのであろうか。これに対して解答を与えるものは「科学」であ じゅんぽう る。科学は現に自然自身が 遵 奉しているさまざまな規則を見つけだしているのである。 いかなる方法によってこれを見つけだしたのであるか。あたかも目に見える顔形を通じ てその人の心を察し得るがごとく、目に見える自然の姿を通じて造物者の心を察し得た 20 のである。物を造るのに「手」が必要であったのと同じ程度において、物を知るには 「目」が必要であった。しかしながら目が単なる肉眼に止まっている間は自然の表層し か見ることが出来なかった。顕微鏡が発明され、エックス線発生装置が考案され、それ によって肉眼が補強されて、初めて自然の本当の心を見抜くことが出来たのである。と ころがそれらはまた、すべて人間の手によって造りだされた「機械」であった。ここで 25 も機械が人間と自然とを結ぶほとんど唯一の通路として横たわっているのを見いだすの である。しかしそれはけっして孤立しているのではない。形ある物としての機械の背後 には目に見えない自然力があり、物も力も不動の自然法則に従って変化していくもので あることを忘れてはならないのである。 出典:湯川秀樹「目に見えないもの」 30 - 164 - 1 ≥ 自然そのものを造った者を考えるとき人は必ず循環に陥る。 2 ≥ 人間は自らの姿を通じて造物者の心を察することができる。 3 ≥ 科学は人間と造物者の心とを結びつける機械をもたらした。 4 ≥ 自然を造った何ものかの心にあたるものは自然法則である。 5 ≥ 人間が機械を作るというのも実際には造物者の作用である。 - 165 - 〔No.50〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) 現代医療の中心概念で厄介なことは、病気とは細胞レベルにおける構造的変化を伴う 明確な実体であり、独自の発生原因をもつとする、病気の生物医学的な定義である。生 物医学モデルには何種類かの誘発因子がありうるが、研究者はどうしても「一疾患一因 子」という教義に固執しがちだ。細菌説は、その特異的病因観の最初の実例だった。バ 5 クテリア、のちにはウイルスが、事実上あらゆる原因不明の病気の原因だと考えられて リー ジョン きたのである。やがて、分子生物学が興り、遺伝子異常を含む単一障害という概念が生 まれた。そして、最近では、病気の環境的要因が研究されるようになった。いずれの場 合も、医科学者が達成しようとしてきた目標は、つぎの三点である。つまり、実験観察 による病気の正確な定義、その特異的原因の解明、その病気の発生原因を除去する適正 10 な治療法─たいがいは何らかの技術操作を伴う─の開発である。 特殊病因論は、急性感染症、栄養障害などの特殊なケースでは成功を収めてきたが、 圧倒的多数の病気は、病気の明確な実体説や単一原因説という還元主義的思考では理解 不可能なのだ。生物医学的アプローチが犯した最大の誤りは、病気の過程と病気の原因 の混同にある。現代の医学思想では、真の病根ではなく、メカニズム自体が病気の原因 15 だと考えられてしまう。 病根とはふつう、連合的に作用して病変となってあらわれる、いくつかの発生要因の 中に見いだされる。おまけに、そのあらわれ方は人によって著しく異なる。なぜなら、 病根とは、ストレスに満ちた状況に対する個人の情緒的反応、および、その状況をもた らす社会環境に根ざすものだからである。風邪がいい例だ。風邪は人間が何種類かある 20 ウイルスのどれかひとつに接触したとき発病しうるが、それらのウイルスに接触した人 間がすべて感染するわけではない。接触しても、その人に感受性があるときに限って発 病し、しかも、その感受性は、天候状態、疲労、ストレスなど、感染抵抗力を左右する 多種多様な環境に依存している。なぜ特定の人だけが風邪をひくのかを理解するには、 そうした多くの要因を検討し、それら相互の比重を測定しなければならない。 25 出典:フリッチョフ・カプラ「新ターニング・ポイント」 30 - 166 - 1 ≥ 病気の明確な実体説や、単一原因説という還元主義的思考は、急性感染症、栄養障 害など、多くのケースで成功を収めてきた。 2 ≥ 風邪はその人に感受性があるときに限って発病するが、その感受性とは、感染抵抗 力を左右する多種多様な環境に依存している。 3 ≥ 細菌説は「一疾患一因子」という病因観の最初の実例であり、バクテリア、のちに はウイルスがあらゆる原因不明の病気の原因だと考えられてきた。 4 ≥ 現代医療の考え方において厄介なことは、病気とは細胞レベルにおける明確な実体 であり、独自の発生原因をもつとする生物医学的な定義である。 5 ≥ 現代医学では病気は明確な実体で、独自の発生原因をもつとされるが、実際にはい くつかの発生要因があり、さらにそれは多様な環境に関連している。 - 167 - 〔No.51〕 次の文章において、下線部分「引用文献をあまり…」中に述べられている「原因」 として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) じつは、わたしはある時期に、「あいつは本をよまないそうだ」といううわさをたて られたことがある。人物評などで、はっきりかかれたこともあるし、面とむかっていう 人もあった。しかし、わたしどものような職業※の人間が、本をよまずにすませている などとかんがえるのは、ばかげた空想である。そんなうわさがたったのは、おそらく、 5 わたしが「読書はすきでない」という意味のことをかいたことがあるからだろう。しか し人間は、あまりすきでないことでも、していることがたくさんあるものだ。 わたしが本をよまないとおもわれた理由として、おもいあたることのひとつは、わた しのかくものには、ほかの本からの引用がひどくすくないことである。学術論文の場合 でも、たしかにすくない。それは、科学者としてうけた基礎訓練の性質にもよるのかも 10 しれない。文科系の論文には、ときどき、おびただしい参考文献や引用がならんでいて 目をみはらされるのがあるが、そのなかには、その論文とはあまり関係ない、一般的な 本がたくさんふくまれていることがある。著者の読書量を誇示しているようで、気はず かしくて、わたしなどはとてもまねができない。理科系の論文では、主題に直接に関係 する文献しかあげないから、引用文献はすくないのがふつうである。 15 引用文献をあまりならべないというのは、気はずかしいなどという美意識の問題とと もに、もうひとつは、本のよみかたそのものに原因があるのかもしれない。他人の本を たくさん引用した論文をかくには、はじめから本を読むときに、「引用してやろう」と いう身がまえでよんでいるのだろうとおもう。 (略) 20 たくさん本をよんで、それから縦横に引用して何かをのべる。いかにも学問的で、け んらんとしているようにみえるが、じつはあまり生産的なやりかたとはおもえない。わ たしのやりかたでいけば、本は何かを「いうためによむ」のではなくて、むしろ「いわ ないためによむ」のである。つまり、どこかの本にかいてあることなら、それはすでに、 だれかがかんがえておいてくれたことであるから、わたしがまたおなじことをくりかえ 25 す必要はない、というわけだ。 ※文化人類学者 出典:梅棹忠夫「人生読本 読書術〈読書─知的生産の技術〉」 30 - 168 - 1 ≥ 本を書くときには、まどわされないようにするために、なるべくほかの本を読まな いようにするから。 2 ≥ 自分の考えが新しいものかどうかを確かめるために、ほかの本を読んでいるような ものであるから。 3 ≥ 理科系の論文では主題と直接的に関係のない本を、引用文献として挙げることは通 例でないから。 4 ≥ 自分の考えが一定の水準を保てているかを確かめるために、ほかの本を読んでいる ようなものであるから。 5 ≥ 何かをいわないためにではなく、むしろいうためにほかの本を読んでいるようなも のであるから。 - 169 - 〔No.52〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) 何かの機会に、いつも考えさせられることは、時間と永遠の問題である。時間という は刻刻に移りゆくもの、しかしこの移りゆくということのほかに時間はないのである。 時間という言葉は、観念的で、抽象的で、それに対する実体はない。実体はただ移りゆ くということ、そのほかには何もない。移りゆくということも、事実の上でいい得るこ 5 とか、それもわからぬ、移るというと、何か移るものがあるように考える。しかしそん なものがあるとすれば、それは何か、その実体を捉えるわけにゆかぬ。 この点からみると、永遠などということは、すこぶる抽象せられた概念で、そんなも のを夢みるだけのことである。「何か」が移るもので「永遠」は移らぬものとすれば、 その「何か」と「永遠」とは互いに対照することになる。この対照は考えられぬ。 10 永遠の生命などというが、そんなものはあり得ない。生命は移り変わるのが生命、移 りかわるそのことが生命だから、そのほかに移り変わらぬものがあるとはいわれない。 移り変わらぬ永遠の生命があるとすれば、その生命は生命でなくて、死そのものである。 永遠の生命は永遠の死にほかならぬ。このような生命を願うなどということは、いかに も妄想だというよりほかはない。 15 はたして然りとすれば、われらは何の故に、移りゆくということ、新陳代謝、生死流 転ということのほかに、さらに永遠とか不死とかいうことをいい得るのであろうか。永 遠の生命はそれだけで矛盾であるのに、どうしてその矛盾を願うてやまぬのであろう か。 人間の考えというものは、二つのものが相対していないと出てこないのである。一つ 20 だけだと、何も考えるなどということはない。すなわち移るということと、移らぬとい うこと、いいかえれば、永遠と転移との二つを対照させて、はじめて刻刻に移る時間と、 少しも変わらぬ永遠とが考えられる。永遠の生命を願うということは、生死流転がある からである。またこういってもよい。生死を流転と考えること、そのことが永遠の生命 を願うからだ、と。 25 人間の意識は経験そのものを離れて経験を見ることができるから、出てくるのであ る。 出典:鈴木大拙「新編 東洋的な見方〈時間と永遠〉」 30 - 170 - 1 ≥ 刻々と移りゆく時間を、止めることができないのは誰にでもわかることであり、永 遠の生命が得られると考える人間がいるわけではない。 2 ≥ 永遠の生命を願うということは、それが得られないものであるからこそ願うのであ り、人間の意識は、経験できないことを考えたくなるものである。 3 ≥ 人間は考えるためには二つのものを対照しようとするが、「時間と永遠」について も、移りゆくということのほかに時間はなく、対照は考えられない。 4 ≥ 時間という言葉は、観念的で、抽象的で、それに対する実体はなく、実体はただ移 りゆくということ以外には何もない。 5 ≥ 人間が「時間と永遠」について考えようとすれば、「時間」を移りゆくもの、「永遠」 を移らぬものというように、二つに分けて考えようとする。 - 171 - 〔No.53〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) (前略)一本の木は科学的に見る限り、細かい事実は明らかになるとしても、あくま で一本の木である。人間はそれを「使用」したり「利用」したりはできるが、それと心 がつながることはない。ところが、その木は「おじいさんが還暦の記念に植えた木です よ」という「物語」によって、俄然そこに親しみが湧いてくる。あるいは、木を介して 5 祖父の思い出が浮かんできて、祖父との心のつながりを感じるかもしれない。いずれに しろ、そこに情緒的な関係が生じるのである。 人間は「物語」なしには生きてゆけない。何らかの不思議なことや感動的な体験をし たとき、誰でもそれを誰かに「物語る」はずである。物語によってその体験が自分とつ ながり、他人ともつながりをもつ。子どもたちは、母親に「聞いて、聞いて」と自分の 10 物語を語る。これを受けいれず、子どもに物語る機会を与えなかったら、子どもはひど い神経症になってしまう。大人も「物語」が好きである。それは「飲屋」にゆけばよく わかる。各人が自分の「物語」を一生懸命に語っている。適当な酔いによって、通常の 意識と少し異なる状態になるのは、物語のためにはよい条件である。そこで、人には自 慢話をしたり、失敗談を語ったりしつつ、自分が孤独ではなく他の人々とつながってい 15 ることを確認し、明日の仕事に向かうエネルギーを補給するのである。 出典:河合隼雄「神話と日本人の心 序章」 1 ≥ 子どもは、何らかの不思議なことや感動的な体験をしたときに、それを物語る機会 が与えられなければひどい神経症になってしまう。 20 2 ≥ 科学的な細かい事実は、それを物語らない限り、事実と事実がつながりをもって明 らかになることはない。 3 ≥ いろいろな面で「つなぐ」はたらきをもった「物語」なしには、人間は他人とのつ ながりをもてず、生きてゆけない。 4 ≥ 大人にとって、適当な酔いによって、通常の意識と少し異なる状態になるのは、明 25 日の仕事に向かうエネルギーを補給するために必要なことなのである。 5 ≥ 人間は、「物語」によって、物事をありのままに見られなくなるということを理解 し、科学的に物事を見ることで、真実を明らかにしなければならない。 30 - 172 - 〔No.54〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) 哲学を不幸な病気だと考えることが、わたしにとっては「哲学とはなにか」を考えて ゆく上での出発点になっているかもしれません。よく、日本には哲学がないからだめだ、 といったふうなことを言う人がいますね。しかし、わたしは、日本に西欧流のいわゆる 「哲学」がなかったことは、とてもいいことだと思っています。たしかに日本にも、人 5 生観・道徳思想・宗教思想といったものはありました。そして、西洋でもこうしたもの が哲学の材料にはなっていますが、これがそのまま哲学だというわけではありません。 「哲学」という言葉の由来や性格や意味についてはあとでゆっくり考えなければなり ませんが、いまは哲学とは、そうした人生観・道徳思想・宗教思想といった材料を組み こむ特定の考え方だということにしておきましょう。あるいは、哲学とは、「ありとし 10 あらゆるもの(あるとされるあらゆるもの、存在するものの全体)がなんであり、どう いうあり方をしているのか」ということについてのある特定の考え方、切り縮めて言え ば「ある」ということがどういうことかについての特定の考え方だと言ってもいいと思 います。 こうした考え方が、西洋という文化圏には生まれたが、日本には生まれなかった。い 15 や、日本だけではなく、西洋以外の他の文化圏には生まれませんでした。というのも、 そんな考え方をしうるためには、自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、そ の全体を見渡すことのできる特別な位置に立つことができると思わなければならないか らです。 いま、 「存在するものの全体」を「自然」と呼ぶとすると、自分がそうした自然を超 20 えた「超自然的な存在」だと思うか、少なくともそうした「超自然的存在」と関わりを もちうる特別な存在だと思わなければ、存在するものの全体がなんであるかなどという 問いは立てられないでしょう。自分が自然のなかにすっぽり包まれて生きていると信じ 切っていた日本人には、そんな問いは立てられないし、立てる必要もありませんでした。 西洋という文化圏だけが超自然的な原理を立てて、それを参照にしながら自然を見ると 25 いう特殊な見方、考え方をしたのであり、その思考法が哲学と呼ばれたのだと思います。 出典:木田元「反哲学入門」 30 - 173 - 1 ≥ 西洋人は、自分が自然を超えた特別な存在と思い自然を見るので、哲学が生まれた が、日本人は、自分は自然に包まれて生きていると思っていたために、哲学は必要と しなかった。 2 ≥ 日本にも、人生観・道徳思想・宗教思想といったものはあり、 「ある」ということが、 どういうことかについての特定の考え方はあった。 3 ≥ 哲学とは、ありとしあらゆるもの、存在するものの全体が何であるかを考えること である。 4 ≥ 自分たちが存在するものの全体のうちにいながら、その全体を見渡すことのできる 特別な位置に立つことが哲学には必要である。 5 ≥ どこの国でも人間は、超自然的な存在を「神」と呼んだが、「神」そのものの具体 的な内容は、各文化圏で異なるものであった。 - 174 - 〔No.55〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) ま 日本の文化を特徴づけるものとして、「間」というものがある。「間」は「間が抜け る」 、 「間違い」、「間が悪い」、「間合い」、「間のび」など、日常生活から芸術活動に至る まで主要な規範となっている。それは、単にタイミングとか規則性などという瑣末なこ とでなく、人間関係をも左右する本質的な規範である。日本音楽においては、芸術的な 5 価値の大半はこの「間」のとり方によって決まってしまうと言ってもいい。 ことに日本文化を「異文化」として客観的に見直そうとするとき、最もやっかいな概 念のひとつは、この「間」である。「間」とは何か、「間」の起源は、そして「間」は何 のためにあるのかを考えることは、日本文化を理解するためにどうしても必要なことで あろう。 10 それは、行動そのものよりもそれが作り出されるまでの「間」によって価値が決定さ れるという日本人の美意識の基礎になっているし、それが拡大されて日常生活の中にま で入り込んで、日本人特有の生活規範とさえなっているからだ。「間合い」を知ってい る日本人は、そこに独特の快適さを見出す一方、外国人には最も理解しがたい日本人の 曖昧性の一部となっている。 15 日本人は個人の行動より団体活動を重視し、常に「仲間」意識を持って行動する。自 分と他人との間に、断絶状態としての間隙をはさむのではなくて、そこに「間」と称す べき積極的な関係を相互に作り出し、それを微調整することによって常に孤立を避け る。 「仲間」という「間」は、そういう意味を持っている。「世間」、「人間」などという いい方にもその「間」が反映されていると思われる。 20 「間」というのは、もともと時間的な間隙のことであるから、音と音との間の空白の 時間のことであり、音を基調とする芸術、音楽からきていると考えられる。実際日本音 楽やそれに付随した舞踊では、「間」は最も重要な表現の要素である。しかもその「間」 は、西洋音楽に見られるリズムとか、メロディーの間の休止符の長さなどとは全く違っ て、積極的な身体的時間の表現なのである。 25 出典:多田富雄「脳の中の能舞台〈間の構造と発見〉」 30 - 175 - 1 ≥ 日本文化を「異文化」として客観的に見直そうとすると、「間」は最もやっかいな 概念であり、外国人には理解しがたいものである。 2 ≥ 行動そのものよりも、それが作り出されるまでの「間」が日本文化の特徴であり、 音楽や舞踊においても、時間的間隙は、音と音との関係を作り出す積極的な表現であ る。 3 ≥ 「間」というのは、もともと時間的な間隙のことであり、音と音との間の空白の時 間のことであり、音楽という芸術からきていると考えられる。 4 ≥ 日本人は個人行動よりも団体活動を重視し、自分と他人との間が断絶状態にならな いように、常に「仲間」意識を保とうとする。 5 ≥ 「間」は西洋音楽に見られるリズムとかメロディーの間の休止符の長さなどとは全 く違って、外国人からすると曖昧とも見える身体的時間の表現なのである。 - 176 - 〔No.56〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅱ類) およそ人間が人間らしい生存を営むために必要な情報の伝達(これには同一世代内の 横方向の社会的伝達と、異なった世代のあいだの縦方向の歴史的伝達との二つがある) において、言語の果たす役割は不可欠・決定的なものがあるが、その言語は、伝達すべ き情報の内容として過去や未来のことを含まざるをえないうえに、過去や未来そのもの 5 ご い がいわば重層化されているために、それを誤りなく伝えうるためには、語彙としてさま ざまの時間的な表現(たとえば今日、昨日、一昨日、明日、明後日など)を含むととも に、言語そのものが時間的な構造化を行なうこととなる。それがいわゆる時制であり、 それはさまざまの民族言語によって特異の形態を持つが、このことはそれぞれの民族が 独自の時間観念を持つことと対応するものであろう。 出典:中埜肇「時間と人間」 10 1 ≥ 人間が人間として生きるに値する生活を確保するためには、情報の伝達力は絶対に 必要な能力であり、これなくして人類は今日の地位にはいなかった。 2 ≥ 言語はかならず時制を伴っており、さらに民族のもつ時間観念の相異が、おのおの 15 の民族言語における時制の形態を多様化させている。 3 ≥ 情報伝達技術のうち、言語のみが時間的表現をもっており、そのため言語に特有な 付随物として時制が発達した。 4 ≥ 人間が生存を続けるためには、未来を先取りしていくことが必要であり、それを可 能にしてくれる主要な用具が言語である。 20 5 ≥ 言語は民族ごとにあり、それは本当にさまざまな内容をもっているものであるが、 言語のもつ時間感覚はすべて同一である。 25 30 - 177 - 〔No.57〕 次の文章において、日本人の特徴についての記述として、最も妥当なものはど れか。 (2007−警視庁Ⅱ類) 西洋(舶来)の品物と日本人の品物を比べてみると非常にちがう。たとえば裏と表に 力を用いることが反対である。西洋の鏡は「表は盛に金を飾りて目を射るばかりなるも、 裏を見れば、ただ粗末なる荒木の板を打ち付けたるのみ」。 ところが日本の場合はちがう。日本の細工ものは、箱の底でも、たんす、鏡台のひき 5 出しでも、すべて人の眼に見えぬところまで、全体の品柄に相応するだけは念を入れて、 表と裏、場合によっては裏のほうに力をこめて奥ゆかしく見せることすらある。服装に ついても同様である。日本の場合には、下着の模様とか、人の眼の及ばない胴裏の品柄 にまで心配するが、西洋人の衣服はそうではない。貴婦人の衣装は何百何千円といって も裏はいたって質素である。家のつくりもそうだ。西洋人の普請は外側を非常に大事に 10 する。だが家の中はそうでもない。日本では普通の人の家は外回り、遠くから見たとこ ろはあまり注意しない。ただ家の中は非常に大事にする。 出典:南博「日本人論の系譜」 1 ≥ 世間体を気にして生きる生き方を美徳とし、その結果、他人の眼をひくこと、目立 15 つことを極端におそれる。 2 ≥ 外に注意をはらうことについて全く無頓着であり、人から見られることのない内、 裏にたいしてのみ力を入れる。 3 ≥ 華美になることを恥とする独特の価値観をもち、人の眼にふれることになる外側や 表側についてはむしろ貧相にみせる工夫をする。 20 4 ≥ 外よりも内にむいており、人から見えるところよりも見えないところを大事にする 傾向がある。 5 ≥ 自分を誇示することに興味がなく、西洋人のように他人によく見せたいという姿勢 を軽蔑する風潮をもつ。 25 30 - 178 - 〔No.58〕 次の文章の下線部分のように作者が考える理由として、最も妥当なものはどれ か。 (2007−警視庁Ⅱ類) 二十年ほど前、料理について吉本隆明さんが書いた、ちょっと怖い文章を読んだこと がある。 じゅん ち 女性が、じぶんの創造した料理の味に、家族のメンバーを 馴 致させることができた ら、その女性は、家族を支配できるにちがいない。支配という言葉が穏当でなければ家 5 族のメンバーから慕われ、死んだあとでも、懐かしがられるにちがいないといいかえて もよい。それ以外の方法では、どんな才色兼備でも、高給取りでも、社会的地位が高く ても、優しい性格の持主でも、女性が家族から慕われることは、まず、絶対にないと思っ てよい。 ( 「わたしが料理を作るとき」) 10 家族の事情があって七年間、毎晩、天候にも気分にもかかわりなく、仕事の段取りを つけて、夕食の材料を買い出し、お米をとぎ、おかずを作ってきた詩人の言葉である。 ごはんを作ってもらい、食べさせてもらうというのは、大げさにではなく、「存在の 世話」をしてもらうというところがある。他人に何かを「してもらう」という経験のコ アとでもいうべきものだ。本書のはじめのところで、乳児が哺乳瓶のミルクを口を塞い 15 で拒む例をあげたが、その赤ちゃんはきっとこの「存在の世話」において母親の気持ち が余所に行っていることに抗議していたのだ。 料理をするということについても考えておこう。ひとは食べずには生きていけない。 そして食べるためには、食べるものを作らなければならない。狩猟民や採集民にしても、 獲物や採集物を、調理もせずに食べるのはまれであろう。調理は、人間生活における 20 もっとも基礎的な行動であることは疑いない。火がしばしば文明の象徴とされるのも、 おそらくそういう理由からであろう。 が、この調理といういとなみに、奇妙なことが起こっている。独身の人たちにかぎら ず、料理をしないひとが増えてきたというのは、正確な数字情報はもっていないが、コ ンビニエンス・ストアやデパートの地下の食料品売り場、あるいは夜の居酒屋などの風 25 景を見るかぎり、どうもたしかな事実のようである。昼休みともなると、みずから調理 したお弁当を開けるひとはさらに少なくなる。ほとんどのひとが社員食堂に行くか、 ほっかほか弁当を買いに行く。パンやスナック菓子ですませるひとも少なくない。 作らないということは、食事の調理過程を外部に委託するということだ。調理を家の 外にだすということ、そのことの意味は想像以上に大きいように思われる。 出典:鷲田清一「悲鳴をあげる身体」 30 - 179 - 1 ≥ 料理を作ることこそが、女性にとって何よりも大切であるからである。 2 ≥ 料理をすることは、人間生活の最も基礎的な部分であるからである。 3 ≥ 料理だけが、家族を支配するということは怖い考えであるからである。 4 ≥ 料理の腕を磨くことは、人間に与えられた使命であるからである。 5 ≥ 料理の味が持つ重要性を認識するためには、調理体験が必要であるからである。 - 180 - 〔No.59〕 次の文章において、宣長にとって「やまとだましひ」を持った歌人とはどのよ うな人か。 (2007−警視庁Ⅱ類) 「しき嶋の やまとこころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」の歌も誰も知 るものだが、これも宣長の琴歌と思えばよいので、やかましく解釈する事はないと思う。 散り際が、桜のように、いさぎよい、雄々しい日本精神、というような考えは、宣長の げん 思想には全く見られない。後世、この歌が、例えば、「敷島の大和心を人問はば、元の 5 使を斬りし時宗」などという歌と同類に扱われるに至った事は、宣長にしてみれば、迷 惑な話であろう。だが、この歌が日本主義の歌でないとしたら、どういう事になるか。 不得要領な単なる愚歌ではないか。明治の短歌復興にともない、そういう通念が専門歌 人を支配するようになった。これはおかしな話であろう。 この歌は、宣長が、還暦に際して詠み、自画像に自賛したものだ。それはよく知られ 10 ているが、宣長という人が、どんなに桜が好きな人であったか、という肝腎な事が、よ く知られていないのは、どうも面白くない。それを知れば、この歌は先ず何をおいても、 桜が好きで好きでたまらぬ人の歌だと合点して受取れるわけで、そうすれば何の事はな い、 「やまと心を人問はば」の意は、ただ「私は」と言う事で、「桜はいい花だ、実にい い花だと私は思う」という素直な歌になる。宣長に言わせれば、「やまとだましひ」を 15 持った歌人とは、例えば業平の如く、「つひに行く道とはかねて聞きしかど、きのふけ ふとは思はざりしを」というような正直な歌が詠めた人を言う。 出典:小林秀雄「考えるヒント」 1 ≥ 後世に命運を託す精神の持ち主 20 2 ≥ 愛をもって接する精神の持ち主 3 ≥ 雄々しい日本精神の持ち主 いさぎよ 4 ≥ 散るを潔しとする精神の持ち主 5 ≥ 素直で純真な精神の持ち主 25 30 - 181 - 〔No.60〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地上) 私はデカダンス自体を文学の目的とするものではない。私はただ人間、そして人間性 あざむ というものの必然の生き方をもとめ、自我自らを欺くことなく生きたい、というだけで にく にせ おそ ある。私が憎むのは「健全なる」現実の贋道徳で、そこから誠実なる堕落を怖れないこ いつわ とが必要であり、人間自体の偽らざる欲求に復帰することが必要だというだけである。 5 もろもろ 人間は諸々の欲望と共に正義への欲望がある。私はそれを信じ得るだけで、その欲望の 必然的な展開に就ては全く予測することができない。 しか 日本文学は風景の美にあこがれる。然し、人間にとって、人間ほど美しいものがある はず 筈はなく、人間にとっては人間が全部のものだ。そして、人間の美は肉体の美で、キモ そうしょく ノだの装 飾 品の美ではない。人間の肉体には精神が宿り、本能が宿り、この肉体と精 10 あや 神が織りだす独特の絢は、一般的な解説によって理解し得るものではなく、常に各人各 い 様の発見が行われる永遠に独自なる世界である。これを個性と云い、そして生活は個性 によるものであり、元来独自なものである。一般的な生活はあり得ない。めいめいが各 自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の 目的だろうか。 出典:坂口安吾「堕落論」 15 1 ≥ 人間は諸々の欲望と共に正義への欲望がある。 2 ≥ 欲望の必然的な展開に就ては全く予測することができない。 3 ≥ 人間の美は肉体の美で、キモノだの装飾品の美ではない。 20 4 ≥ 生活は個性によるものであり、元来独自なものである。 5 ≥ 人生の目的は、各自の独自なそして誠実な生活をもとめることである。 25 30 - 182 - 〔No.61〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地上) 今は、周りに流されやすい時代だ。情報の量がふえ過ぎ、それへの依存度がどうして も高くなってしまう。高くなると、イメージを思い浮かべたり、ものを創るといった力 が弱まってしまいがちだ。そんな中で、自分なりのスタイルや信念を持つことが、非常 に大事になってきているのではないだろうか。それがないと根無し草と同じ、流される 5 だけになる。自分なりの信念やスタイルを持つことは、物事を推し進め、深めていくた めのキーなのだ。 たとえ一つの形のスペシャリストになっても、それしかやらないことがわかっていれ ば、相手はすぐに対応してくるだろう。野球で150キロを超える速球を投げても打者は バットを合わせてしまう。だが、そうであっても、もがきながらでも続けていると、い 10 ろいろ考える。考えながら多くのことが学べていると思う。とにかく、実践してみるこ とが大事である。得るものが多いと私は考えている。 ビジネスや会社経営でも同じだろうが、一回でも実践してみると、頭の中だけで考え ていたことの何倍もの「学び」がある。理解度が深まることで、頭の中が整理され、ア イデアが浮かびやすくなる。新しい道も開けてくるだろう。 出典:羽生善治「決断力」 15 1 ≥ 情報の量がふえ過ぎ、それへの依存度がどうしても高くなってしまう。 2 ≥ 自分なりのスタイルや信念を持つことが、非常に大事である。 3 ≥ たとえ一つの形のスペシャリストになっても、それしかやらないことがわかってい 20 れば、相手はすぐに対応してくる。 4 ≥ 一回でも実践してみると、頭の中だけで考えていたことの何倍もの「学び」がある。 5 ≥ 理解度が深まることで、頭の中が整理され、アイデアが浮かびやすくなる。 25 30 - 183 - 〔No.62〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地上) 科学が万能でないことは、科学がいちばんよく知っている。その科学の限界を超えた 発展をするためには、次元の異なった世界に対して一歩を踏み出していかなくてはなら ない。 二千五百年前の古代ギリシアのピタゴラスは、世界の根源は数にあると考えるように 5 なって、数の研究に熱中した。そして、有名な「ピタゴラスの定理」などを発見して、 今日の数学の基礎を築いた。自然の仕組みについて考察を重ねた哲学者であるが、その 哲学的考察が数学や天文学へと発展していったのである。 その時代の人たちが考える枠組みを超えて考えていった結果である。この世の中で 人々が一般に考えていることは、それが現実という限りにおいては、一つの真実であり 10 無視することはできない。しかし、その枠の中だけで考えていたのでは、いくら集中的 に努力をしても、大きな進歩は望めない。宇宙という広い視野から見ると、うろうろと 暗中模索をしているのと同じである。 いたずらに周囲の雑音に惑わされないで、自分ひとりで静かに深く考えてみる。人間 の奥深いところは、その思考力にある。落ち着いて沈思黙考すれば、かなり深遠なとこ 15 ろまで考えを至らせることができる。毎日の忙しいスケジュールに追いかけられている 現代の人たちは、深く考えようともしないで適当なところで結論を出してしまう。だか らこそ、その場限りの一時的で妥協的な結論しか出ないのである。 広くこの世の中のことであれ、ビジネス社会におけることであれ、もっと奥深く考え まいしん ていって、もっと普遍性のある真理の探究に邁進するべきだ。「考える」ということに、 20 もっと重点を置いた生活やビジネスに対する姿勢をとる必要がある。ピタゴラスに習っ て、何か定理を発見するくらいの熱意をもたなくてはならない。 出典:山㟢武也「本物の生き方」 1 ≥ 科学の限界を超えた発展をするためには、次元の異なった世界に対して一歩を踏み 25 出していかなくてはならない。 2 ≥ ピタゴラスは自然の仕組みについて考察を重ねた哲学者であるが、その哲学的考察 が数学や天文学へと発展していったのである。 3 ≥ この世の中で人々が一般に考えていることは、それが現実という限りにおいては、 一つの真実であり無視することはできない。 30 4 ≥ 人間の奥深いところは、その思考力にあり、落ち着いて沈思黙考すれば、かなり深 遠なところまで考えを至らせることができる。 5 ≥ 「考える」ということに、もっと重点を置いた生活やビジネスに対する姿勢をとる 必要がある。 - 184 - 〔No.63〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地上) さら 自意識は、人を規範的にし、また、自己批判を強めることによって、更なる努力を促 します。しかし、自意識がいつでもこうした建設的なはたらきをするわけではありませ ん。自己否定的な気持ちが強すぎると、強い劣等感や引け目を感じ、むしろ意欲をなく さ さい してしまうこともあります。大人から見れば、些細なことでくよくよしたり、小さな問 5 お こ ようぼう なや 題でひどく落ち込んだりする子がいます。容貌、容姿が人と少し違うといって悩みます。 勉強ができない、スポーツが苦手といって劣等感を持ちます。 私たちには、もともと、人と自分を比較するという習性があります。専門家はこれを 「社会的比較」と呼んでいます。自分の能力や魅力、価値などを知りたいと思うとき、 私たちは周囲にいる人たちと自分を比較します。ある子どもは、あるとき、友達と競走 10 すると、たいてい自分が勝つことに気づいて、「自分は走るのが得意なんだ」という認 識を持ちます。初対面の人と友達が平気で話をしている様子を見て、「自分はこうはで きないな」と一種の自己認識を形成します。走力にしても社交性にしても、絶対的基準 があるわけではありません。人と比較して、自分の特徴がわかります。 おと いろいろな面で私たちは社会的比較をしています。その結果、人よりも劣っている点 15 だけでなく優れている点も見つかるはずですが、既に述べたように、私たちは、劣って けいこう す なお いる点の方に意識が向かう傾向があります。優れた点を「よかった」と素直に喜ぶこと ができれば、劣っている点があったとしても、精神的に安定しますが、思春期にいる人 たちは、劣っている点ばかりがひどく重要なことのように思います。良い点を伸ばして いこうと前向きな気持ちになれればいいのですが、時には、劣等感の方に負けて、行動 20 い しゅく が萎 縮 してしまうこともあります。 出典:大渕憲一「思春期のこころ」 1 ≥ 自意識は、人を規範的にし、また、自己批判を強めることによって、更なる努力を 促すが、いつでもこうした建設的なはたらきをするわけではない。 25 2 ≥ 容貌、容姿が人と少し違うなどといった、大人から見れば、些細なことでくよくよ したり、小さな問題でひどく落ち込んだりする子がいる。 3 ≥ 私たちには、もともと、人と自分を比較するという習性があり、自分の能力や魅力、 価値などを知りたいと思うとき、周囲の人たちと自分を比較する。 4 ≥ 社会的比較の結果、人よりも劣っている点だけでなく優れている点も見つかるはず 30 だが、私たちは、劣っている点の方に意識が向かう傾向がある。 5 ≥ 良い点を伸ばしていこうと前向きな気持ちになれれば良いが、時には、劣等感の方 に負けて、行動が萎縮してしまうこともある。 - 185 - 〔No.64〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地上) 目の前にコップがある。全員が「これはコップだ」という。そこで、「いや、これは 花瓶です」という発想があるか。 作家というのは、何かを見るときに人と考え方や観点が違うから、絵なり音楽なりで 表現したくなる。人と同じ発想しかしていないのであれば、特殊な才能でもなんでもな 5 い。僕はそんな人の音楽をわざわざ聴きたいとは思わない。 コップを見て、花瓶に見えることがすごいわけではない。コップであることがわかっ ていながら、あえて「これは花瓶です」といってしまえるセンスを持っているか。概念 に縛られないでものが見られるか。イマジネーションがそれだけ豊かかどうか。これは ものをつくる人間にとって本質的な部分だ。 10 いろいろな物事に対して、そういう縛られない自由な気持ち、縛られないものの見方 ができるようになると、ある種の直感、あるいは本質に到達する力が強くなる。 例えば、曲づくりをしていて途中で行き詰まってしまうことがある。そういうときは、 大抵入り口を間違えている。または、どこかで方向性がブレたりしている。こういう場 合は、頭を切り替えないとどうしようもない。ある程度までできている曲であっても、 15 思いきって捨ててしまうくらいの気持ちが必要だ。 しかし、人間は固執する。時間を費やし、手間をかけ、これでいいと自分を信じてつ くってきたものだ。なかなか捨てられない。思い入れがあるほど始末が悪い。だが、ど こかで間違えてねじれてしまったものは、そのままずるずるつくりつづけても、結局ね じれたまま。納得できるものに大変身することはありえない。 20 行き詰まり、自分の間違いに気づいたとき、そこから撤退する踏ん切りがつくか。潔 くケリをつける後押しをしてくれるのは、縛られない自由な発想だ。スパッと意識を切 り替える思いきりのよさもまた、直感力である。 出典:久石譲「感動をつくれますか?」 25 1 ≥ 人と同じ発想しかしていないのであれば、特殊な才能でもなんでもなく、目の前に あるコップを「これは花瓶です」という発想こそが作家には必要である。 2 ≥ 概念に縛られないでものが見られるか、イマジネーションが豊かかどうかは、もの をつくる人間にとって本質的な部分である。 3 ≥ 物事に対して、縛られない自由な気持ち、縛られないものの見方ができるようにな 30 ると、ある種の直感、あるいは本質に到達する力が強くなる。 4 ≥ どこかで方向性がブレている場合は、頭を切り替え、ある程度までできている曲で も、思いきって捨ててしまうくらいの気持ちが必要である。 5 ≥ 行き詰まり、自分の間違いに気づいたとき、スパッと意識を切り替える思いきりの よさは、直感力である。 - 186 - 〔No.65〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地上) 社会的立場、つまり職業や肩書きにとらわれない個性的なアイデンティティを求める 動きが強まっている。 能力を発揮できる仕事なら昇進にはこだわらない、地位を得るより能力や個性をみが く仕事に就きたい、社内での評価など気にせずに実力を養っておきたい。人間関係の面 5 でも、会社の人間関係をプライベートな時間にまで持ち越さない、社内人事に血まなこ になったりしない。そんな価値観を掲げる若い世代が台頭してきている。 だが、何々会社の社員であるとか、課長であるとか、所属・肩書きに支えられ、それ にふさわしい物語的文脈を採用することと比べて、社会的役割とは別の次元で自分なり の物語的文脈を探求し、創出するというのは、大きな産みの苦しみを伴う作業となる。 10 既製品を身にまとうよりも、自分で創作することのほうが、やり甲斐が大きいぶんだけ、 苦労も大きい。会社など組織への帰属意識によって自分を社会につなぎ止めていた世代 0 0 0 0 と比べて、組織での位置づけよりも自由ややりがいを求める世代は、ある意味でははる かに険しい道を歩み始めたと言えるだろう。 そのように苦心して独自に構築されたアイデンティティも、足場のない浮遊感からく 15 る不安を和らげ、安心をもたらしてくれるものとなるには、他者から承認されたもの、 自分にとって意味のある他者から理解され、社会的に価値を認められるものでなければ ならない。僕たちは、人間であるかぎり、どうしても社会的存在であることを免れない のだ。ゆえに、少なくとも身近に接する他者から承認されるような自己物語を構築しな ければならない。 20 そうしないと、社会の中に安定した居場所が得られない。社会の中に位置づけが得ら れないということが、社会的存在である僕たちには、大きな不安の源泉となる。生命の 危険が脅かされることの少ない平和な時代にあっては、生きる不安の中のもっとも大き なものがアイデンティティの不安だと言ってもよいだろう。 出典:榎本博明「<ほんとうの自分>のつくり方」 25 1 ≥ 個性的なアイデンティティを求める動きが強まっている。 2 ≥ 能力を発揮できれば、昇進にはこだわらない若い世代が台頭してきている。 3 ≥ 社会的役割とは別の次元で自分なりの物語的文脈を探求し、創出することは、大き な産みの苦しみを伴う。 30 4 ≥ 僕たちは、社会的存在であることを免れないので、少なくとも身近に接する他者か ら承認されるような自己物語を構築しなければならない。 5 ≥ 平和な時代にあっては、生きる不安の中の最も大きなものが、アイデンティティの 不安だと言ってもよい。 - 187 - 〔No.66〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地上) ふだん、私たちはよく、会話の中で、「われわれは社会の中で生きているのだ」とか、 「社会の壁は厚いよ」とか、「社会も変わったものだ」とか、「君も、これからは、社会 の荒波を乗り切っていかなければならないよ」といったことを口にする。そして、その とき、このようなことを口にする人も、それを聞いている人も、あたかも「社会」とい 5 う実体がわれわれ人間とは別に存在するかのように考えているし、実体としての社会が あることをとりわけ不思議とも考えてはいない。また、私たちは、「子どもが変わった のは社会が変わったからだ」とか、「このような社会では人類は生きていけない」と言 い、だから、「早急に社会を変えなければならない」などとも言う。そのときも、そう 言い、それを聞くわれわれが頭の中で思い浮かべているのは、社会の仕組みだとか、組 10 織や制度や法律だとか、教育の内容だとかであって、個々の人間を思い浮かべてはいな い。 しかし、少し冷静になって考えてみれば、社会という実体が、人間と離れて存在して はいないことにすぐ気がつくはずである。ここにこういう社会があるとか、あそこにあ あいう社会があるといって指し示してみせられる社会などはないのである。社会が実体 15 として存在するとしたら、それは生きて生活している人間そのものであって、人間以外 に社会の実体をなすものはない。社会の実体であるかのように思い込んでいる組織とか 制度とか法律なども、人間が社会生活を営む過程で、社会生活を円滑にするための便宜 として、暫定的に作った作り物や作り事であって、われわれ生きている人間と離れて、 客観的に存在しているものではない。だから、制度や法律などは、われわれが生活して 20 いく上で不要と考えたら、いつでもなくせるものであり、不都合なら、いつでも都合の いいものに変えることができるものなのである。社会について考える場合、まず、この ことをしっかり頭の中に入れてほしいと思う。 出典:門脇厚司「子どもの社会力」 25 1 ≥ 私たちは、「社会」という実体がわれわれ人間とは別に存在するかのように考え、 実体としての社会があることをとりわけ不思議とも考えてはいない。 2 ≥ 私たちは、「早急に社会を変えなければならない」などと言うとき、社会の仕組み だとかを思い浮かべ、個々の人間を思い浮かべてはいない。 3 ≥ 社会が実体として存在するとしたら、それは生きて生活している人間そのもので 30 あって、人間以外に社会の実体をなすものはない。 4 ≥ 組織とか制度とか法律などは、われわれ生きている人間と離れて、客観的に存在し ているものではない。 5 ≥ 制度や法律などは、われわれが生活している上で不要と考えたら、いつでもなくす ことができ、都合のいいものに変えることができる。 - 188 - 〔No.67〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地上) こ ある人が猫の児だと思って育てていたところが、大きくなるにつれてそれが虎の児だ とわかって、あわてて山に捨てに行ったという話を聞いたことがある。科学もそれと似 か たものになってきた。それは人間全体を噛み殺す猛獣にまで成長してしまったのであ る。米ソ両国その他が貯蔵している核爆弾は全人類を皆殺しにしてもなお余りあるほど 5 の量に達しているといわれている。 そのようなものを創りだした科学はいったいなんだろうか。 毎日のように新聞の紙面をにぎわしている科学記事を読んでいるうちに、科学という ものがなにか魔術めいたものに思えてくるのではあるまいか。 しかし科学は決して魔術でもなければ、手品でもない。どのように難解で深遠な科学 10 の理論でも、ある程度の忍耐力をもって努力するなら、誰にでも理解できるようになっ ている。そこには秘伝もなければ極意もないのである。そういう点からみると、平凡な 事実のつみ重ねによって築きあげられているのが科学なのである。科学の本質はまさに 平凡さのなかにひそんでいるといってよいだろう。 科学と芸術とのちがいもそこにある。ピカソは「芸術は進歩しない」という意味のこ 15 とをいったそうであるが、それについては賛否いろいろの意見がありうるだろう。 しかし、科学が進歩することは確かである。たとえば三〇〇年むかしのニュートンと くらべると今日の高校生ははるかに多くの科学知識をもっているにちがいない。それは 科学を組立てている個々の知識はみな平凡な事実にすぎないし、それは他の人々に伝達 可能なものだからである。 20 そうだとすると科学を神秘化し、魔術視して、雲の上にあげてしまうことは明らかに まちがいであるといわねばならない。 出典:遠山啓「文化としての数学」 1 ≥ 科学は、人間全体を噛み殺す猛獣にまで成長してしまった。 25 2 ≥ 難解で深遠な科学の理論でも、ある程度の忍耐力をもって努力するなら、誰にでも 理解できるようになっている。 3 ≥ 平凡な事実のつみ重ねによって築きあげられているのが科学であり、科学の本質は まさに平凡さのなかにひそんでいる。 4 ≥ 科学が進歩することは確かであり、ニュートンとくらべると、今日の高校生ははる 30 かに多くの科学知識をもっている。 5 ≥ 科学を神秘化し、魔術視して、雲の上にあげてしまうことはまちがいである。 - 189 - 〔No.68〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地上) 筆者の先輩に、何でもとっておく教授がおられる。その先生は筆者が容赦なく捨てる のを見ると、まことに悲しそうな顔をされる。失礼ないい方になるが、ときには拾って いきたいような表情さえなさることがある。そのためか、その先生の研究室は書類の山 である。整理どころか、人間の存在する場所さえなくなりつつある。 5 経験によれば、いずれ役立つと思ってとっておいて後で実際に役に立つ確率は、たい へん小さい。それに、捨ててしまって、しまったと思っても、どこかに残されているこ とが多いから安心である。たとえば、教授会の記録を何年もきちんと残している人があ る。 「偉いなあ」と思うが、よく考えてみると、「なぜ、あんな無駄をするのか」という ことになる。実際には、学部事務室にいけば必ず保存されているから、捨てても困るわ 10 けはない。筆者は、年度末には、必ず焼却処分にすることにしている。 そもそも、整理するのは、後で再利用するためである。したがって再利用の可能性の 少ないものは、整理の対象よりも、むしろ消滅させた方が良い。それに、時代が変わっ て、スペースは貴重になりつつある。資料よりもスペースの方がずっと高価な世の中に なっている。思い切りよく捨てて後悔せず、さばさばした気持ちになることが大切であ 15 ろう。 かく申す筆者も、油断すればすぐに机や棚の中が一杯になる。幸いなことに、この十 数年の間、研究室を二度引っ越す機会があった。いずれのときも、大きな段ボールに何 箱分かの書類や資料を捨ててしまった。しかし、それで困ったことは今までない。 出典:太田次郎「文科の発想・理科の発想」 20 1 ≥ 経験によれば、いずれ役立つと思ってとっておいたものが、後で実際に役に立つ確 率は、たいへん小さい。 2 ≥ 書類を捨てて、しまったと思っても、どこかに残されていることが多いから安心で ある。 25 3 ≥ 整理するのは、後で再利用するためであり、再利用の可能性は少ないものは、整理 の対象よりも、むしろ消滅させた方が良い。 4 ≥ 資料よりもスペースの方がずっと高価な世の中になっており、思い切りよく捨てて 後悔せず、さばさばした気持ちになることが大切である。 5 ≥ 研究室を引っ越す機会に、大きな段ボールに何箱分かの書類や資料を捨ててしまっ 30 たが、それで困ったことは今までない。 - 190 - 〔No.69〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地上) 現在のように地球が狭くなり、それぞれ異なる言語を用いる人々の相互交流が、昔と 違って飛躍的に増大し始めると、異言語間の翻訳や通訳に要する労力や費用は膨大なも のとなる。またどこの国でも、高等教育のかなりの部分が外国語の学習によって占めら れ、しかも必要とされる外国語が、人により国により必ずしも一つとは限らないという 5 状態は、現代人にとってまことに頭の痛い問題である。 そこで誰しも考えることは、数千にものぼる自然言語とは別に、もし単一の世界共通 語があったらどれほど楽か知れない、ということであろう。 しかし人類すべてに共通する世界語の創造という課題は、その達成に際しての実際的 な困難はもちろんだが、実は言語そのものの本質から言って、理論的に矛盾する内容を 10 含むために、実現不可能な夢なのである。 何故かと言えば、世界の言語を統一するためには、その前に私たち人間の世界認識を 統一的に決定しなければならないからである。仮に一つの人工言語なり、あるいは自然 言語なりを選んで、それを世界語と定めたところで、人類全体が持つ経験と認識の多様 性およびその動的な発展性とを、何らかの見地から整理・統合し、ある一定の枠におさ 15 めることが出来なければ、せっかくの形式上の統一も内容の伴わない無意味なものとな り、やがてはその統一自体も、再び崩れ始める宿命を逃れられないのである。 出典:鈴木孝夫「日本語と外国語」 1 ≥ 人々の相互交流が、昔と違って飛躍的に増大し始めると、異言語間の翻訳や通訳に 20 要する労力や費用は膨大なものとなる。 2 ≥ 必要とされる外国語が、人により国により必ずしも一つとは限らないという状態 は、現代人にとってまことに頭の痛い問題である。 3 ≥ 数千にものぼる自然言語とは別に、単一の世界共通語があったらどれほど楽か知れ ない。 25 4 ≥ 人類すべてに共通する世界語の創造は、言語そのものの本質から言って、理論的に 矛盾する内容を含むために、実現不可能な夢なのである。 5 ≥ 世界の言語を統一するためには、その前に私たち人間の世界認識を統一的に決定し なければならない。 30 - 191 - 〔No.70〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地上) われわれ人間も物理的な仕事をし、そのとき物理的なエネルギーが消費されたことに い す 気づく。たとえば、重い荷物を運んだりしたときである。ところが、なにもせずに椅子 すわ に坐っていたとしても、それが目上の気の張る人の前であると、べつに物理的には仕事 をしていないのに、あとで疲れを感じる。つまり、なんらかのエネルギーの消費が行わ 5 れたと感じるのである。そこでは物理的な仕事はあまり行われておらず、「気を使う」 とか「気が張る」などの日常語にも反映しているとおり、心理的な仕事が行われている と考えられるので、それに見あうだけの心的エネルギーが消費されたと考えると、納得 がゆくのである。 このようにして、心的エネルギーという概念を導入して、人間の意識、無意識の問題 10 を考えてみると理解されやすいことが多い。たとえば、会社の中での上司の一言によっ て、無意識的に怒りを誘発されかかった人は、それを抑圧しているものの、何かそのあ ぱつ といらいらして仕方がない。このいらいらは、上司への反撥として流れ出そうとした心 的エネルギーが、それを止められたために、出口を求めて流動していることの意識的体 しか 験であると考えられる。ところが、この人が家に帰ってから、何かのことで子どもを叱 15 りつけて、そのあとでいらいらが解消してしまうことがある。つまり、上司によって流 れを誘発された心的エネルギーは代理物を見いだすことによって流出し、そこに平衡状 態がもたらされたのである。 出典:河合隼雄「無意識の構造」 20 1 ≥ なにもせずに椅子に坐っていても、目上の気の張る人の前では、なんらかのエネル ギーの消費が行われたと感じる。 2 ≥ 心理的な仕事は、「気を使う」とか「気が張る」などの日常語にも反映されている。 3 ≥ 心的エネルギーという概念を導入して、人間の意識、無意識の問題を考えてみると 理解されやすい。 25 4 ≥ 上司の一言によって、無意識的に怒りを誘発されかかった人が感じるいらいらは、 上司への反撥として流れ出そうとした心的エネルギーが、出口を求めて流動している ことの意識的体験であると考えられる。 5 ≥ 子どもを叱りつけたあと、いらいらが解消することがあるのは、怒りのエネルギー が、代理物を見いだすことによって流出し、そこに平衡状態がもたらされるためであ 30 る。 - 192 - 〔No.71〕 次の文の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地上) どんな人間でも他人との心理的距離を考えないで生きて行くことはできない。その距 離のごく小さな場合を考えると、母親と幼児のあいだに見られるスキンシップがある。 これはあまりにも接近しているから、他人という自覚をともなわない。その逆にきわめ て大きな距離をもっているのが、未知の人たちの集団、公衆を前にしたときのような場 5 合である。このスキンシップ距離と公衆距離の中間に、つき合いの距離ともいうべきも のがある。知り合いから親友までを含み、ひとりひとりが微妙に違った距離に立ってい る。 こういうつき合い距離にある相手との距離確認は通常言葉によって行われるが、日本 語はこのつき合い距離の表現がたいへん豊かに発達している。敬語もその距離の具体的 10 表示にほかならない。なるべく柔軟な言葉を送ってその反応を見る。これではすこして いねいすぎるかもしれない。それは距離を大きくとりすぎたからで、こちらの心が届か ない。もうすこしよそよそしくない、親しい言葉を使う必要があると感じる。その反対 に、これでよかろうと思った表現が相手につよくひびきすぎるということが起れば、も うすこし距離を大きくとらなくてはならない。よりていねいな言い方をする。 出典:外山滋比古「日本語の個性」 15 1 ≥ 人間は、他人との心理的距離を考えないで生きて行くことはできず、その距離のご く小さな場合を考えると、母親と幼児の間に見られるスキンシップがある。 2 ≥ きわめて大きな他人との心理的距離をもっているのが、未知の人たちの集団、公衆 20 を前にしたときのような場合である。 3 ≥ スキンシップ距離と公衆距離の中間に、つき合いの距離というべきものがある。 4 ≥ つき合い距離にある相手との距離確認は通常言葉によって行われるが、日本語はこ のつき合い距離の表現がたいへん豊かに発達している。 5 ≥ これでよかろうと思った表現が相手につよくひびきすぎるということが起れば、も 25 うすこし距離を大きくとらなくてはならず、よりていねいな言い方をする。 30 - 193 - 〔No.72〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2010−地上) 追憶は記憶ではない。記憶は過去が過去として留めおかれ脳裏に記されたものであ る。記憶は記録であるが、追憶は記録ではない。追憶は生命をもち、息づいており、変 容する。生きているというまさにそのことによって、追憶の対象ははるか彼方にありな がら、その反射は月が夜の大地を静寂のうちに照らし出すように、現在のわれわれの心 5 に微光を放っている。息づくことのない追憶があるとすればそれは記憶でしかない。追 憶と記憶とのあいだには、舞台と台本との差がある。記憶は保存であり、いつでも取り 出すことができるが、追憶は現出であり、それが追憶されているという行為を指し示す のであり、それゆえかならず本舞台である。記憶においては過去のある時点において何 があったかが問われるが、追憶においてはいま私が何を想っているかが問われる。追憶 10 は過去の自由裁断であり、静止的で決定的な映像、一つの情景の立ち表れである。その 場面は実際に存在しなかったかもしれず、そのときの夢想であったかも知れない。それ でも構わない。いまの私に深い感慨を与えることのできるものが追憶の資格をもつので ある。 追憶のその再来者は外からやってくるのではない。さまざまな追憶とその反響はいま 15 ひだ この瞬間にも心の襞かげにその姿を隠しており、かすかな息づかいによってその気配を 感じさせているのだ。追憶はそれが表れていないときにも私のなかに住み、隠れている。 むしろ心に充満しているものは追憶の霊気のようなものであり、それが消えてしまうと な 私の心も萎えしぼんでしまうという性格のものなのだ。潜む追憶によって心は過去とい う生命の大地に結びつけられるのであり、このことが失われれば心は固定ロープがはず 20 された気球のようにあてどもない浮遊を免れないのである。 出典:太田直道「人間の時間」 1 ≥ 追憶は、記憶ではなく、記録であるとともに脳裏に記されたものであり、生命をも ち、変容するものである。 25 2 ≥ 過去のある時点を明確にするため、追憶の対象は、彼方にありながらも、月が夜の 大地を照らすように、明るい光を放っている。 3 ≥ いまの私に深い感慨を与えるならば、実際には存在しない場面であったとしても、 その場面は追憶の資格をもつ。 4 ≥ 心の襞かげには追憶が隠れており、いまこの瞬間にも再来者になるために、機会を 30 うかがっている。 5 ≥ 固定ロープをはずされた気球のように心が浮遊するとしても、心の襞かげに潜む追 憶が失われることはない。 - 194 - 〔No.73〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2010−地上) 「記号」 (signe)というのはソシュールが定義して使い始めた術語です。私たちもふ だんとくに気にせずに「何かのしるし」という広い意味で「記号」ということばを使っ ていますが、ソシュールの定義はもう少し厳密です。「あるしるしが、何かを意味する こと」 、これがいちばん広義の「記号」の定義ですが、「あるしるしが何かを意味する」 5 場合にはいろいろな水準があるからです。 例えば、 「空いっぱいの黒雲」は「嵐」の「しるし」です。しかし、これはソシュー ルの定義では「記号」には含まれません。というのは、「空いっぱいの黒雲」と「嵐」 のあいだには、自然的な因果関係があるからです。「稲妻」と「雷鳴」や、「あくび」と 「眠気」も同様です。いずれも自然な関係によって結ばれていて、人間の作った制度が 10 介在する余地がありません。これは「徴候」(indice)と呼ばれます。 トイレの入り口には、そこが紳士用であることを示す「しるし」として「スーツを着 た人型の紺色のシルエット」が描いてあることがあります。(そういう場合は、反対側 のドアには「スカートをはいた人型の赤色のシルエット」が描かれているのがふつうで す。 )この看板も「あるしるしが何かを意味する」ことに変わりはありませんが、やは 15 り「記号」とは呼ばれません。これは「象徴」(symbole)と呼ばれます。 「象徴」と「記号」は似ていますが別のものです。というのは、「象徴」は、それが指 示するものと、どんなにわずかであれ、何らかの現実的な連想で結ばれているからです。 (現に、多くの男性サラリーマンは「紺色のスーツ」を着用しています。) 「てんびん」は「裁きの公正」の「象徴」ですが、これは「てんびん」の「軽重を測 20 定する」という機能が「裁き」を連想させることで成り立つ結びつきです。「てんびん」 の代わりに「やかん」を持ってきて、裁判所の前に掲げても「象徴」としては機能しま せん。象徴は「何でもいい」というわけにはゆかないのです。 一方、トイレのドアに書いている「紳士用」という文字、これこそが「記号」です。 せつ この文字と、「男性はここで排泄 を行う」という生活習慣の間には、「人為的な取り決 25 め」以外のいかなる自然的結びつきも存在しないからです。 この場合の「しるし」は言語共同体ごとにすべて違います。(英語圏ではGentlemen フランス語圏ではHommesと表記されますが、ご覧のとおり、まったく別の「しるし」 です。 )それに、「男性はここで排泄を行うべし」という習慣だって、よくよく考えてみ れば、世界中すべての集団にあるとは限りません。(排泄の場所に性別ではなく「大人 30 か子どもか」「体重六十キロ以上か以下か」「肉食家かベジタリアンか」といった区別を 設けている集団だってあるかも知れません。) 出典:内田樹「寝ながら学べる構造主義」 - 195 - 1 ≥ 私たちがふだん使っている「何かのしるし」という広い意味での「記号」には、「徴 候」や「象徴」は含まれない。 2 ≥ 自然的な因果関係があり、人間の作った制度が介在する余地のないしるしは、「象 徴」と呼ばれる。 3 ≥ トイレの入り口にある「スーツを着た人型の紺色のシルエット」が意味するものは、 言語共同体ごとにすべて異なる。 4 ≥ 「やかん」と「裁きの公正」とは、現実的な連想で結ばれていないので、「やかん」 は「裁きの公正」の「象徴」にはならない。 5 ≥ トイレのドアにある「紳士用」という文字と「大人はここで排泄を行う」という生 活習慣は、自然な関係で結ばれている。 - 196 - 〔No.74〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2009−地上) 工業社会の成立と発展は、物質的富を豊かにすることに成功し、我々は物質文明を謳 歌(おうか)することになった。しかし、物質文明が繁栄すればするほど、物質文明の 基盤を掘り崩すのである。 かつてK・ボールディングはその先駆的論文『宇宙船地球号の経済学』(1966年)の 5 なかで、経済学が先験的に置いている仮定や世界像を批判し、宇宙船地球号に適合した 経済システムを構築する必要性を指摘した。実際の地球は宇宙船地球号すなわち有限の 世界であるにもかかわらず、現実の経済は、資源採取や廃棄する場所がなくなればその 土地を放棄して別の場所に移るというカウボーイ型の経済になっていることを喝破した のである。 10 カウボーイ型経済は無限の環境容量や無料の資源を想定した世界である。本当は環境 や資源の制約を考慮しなければならなかったのだが、現実に成立した大量生産・大量消 費のシステムはそうした制約を無視してきた。 大量消費は大量生産の結果といってよく、大量生産は大量消費の実現なくしては成り 立たない。両者の相互関係はこれまでも認識されてきた。しかし、廃棄と生産・消費と 15 の間の関係も重要である。生産も消費も必然的に廃物を生じる活動であることは、自然 科学の教えるところである。大量生産も大量消費もその結果大量に生じる廃物を環境中 に廃棄できることが暗黙裏に前提にされていた。大量生産・大量消費は大量廃棄なくし て成り立たないのである。 物質文明を謳歌する現代社会が、大量廃棄を容認した大量廃棄社会であることは、あ 20 る意味必然なのである。しかしエコロジーの絶対性があるとするならば、大量生産と大 量消費の実現を可能にした大量廃棄も壁にぶつからざるを得ない。温暖化ガスの大量排 出に伴う地球温暖化も、廃棄物問題の深刻化も大量廃棄社会の帰結である。大量廃棄は もう許されないとすれば、物質文明の行き詰まりは避けられないのではないか。 出典:植田和弘 日本経済新聞「やさしい経済学─21世紀と文明」 25 30 - 197 - 1 ≥ K・ボールディングは、経済学が先験的に置いている仮定や世界像は、宇宙船地球 号を有限の世界と捉えるものであるとして批判した。 2 ≥ 現実の経済は、カウボーイ型経済になっており、カウボーイ型経済は無限の環境容 量や無料の資源を想定した世界である。 3 ≥ 大量廃棄と大量消費との関係はこれまでも認識されていたが、大量生産と大量消費 との関係はK・ボールディングによって初めて明らかにされた。 4 ≥ 現代社会においてエコロジーは絶対ではありえず、物質文明を持続するために大量 廃棄を可能とする仕組みづくりが大切である。 5 ≥ 物質文明は大量廃棄社会を前提にするものであり、行き詰まりを避けるためには、 工業社会への転換が必要である。 - 198 - 〔No.75〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2009−地上) 郊外という場所は、そこに人が住み、生きることが〝たまたまの偶然〟として現れて くるような場所であり、そのような〝たまたまの場所〟が連なり広がって、分厚い膨ら みとなった場所である。そして今、その郊外という分厚い膨らみはその偶有性、その共 異体=共移体としての移ろいやすさゆえに、そのなかに積み重なり、隣接するさまざま 5 な層を集合的記憶のなかに定着させることなしに忘れ去り、その分厚い広がりのなかに 住む人びとや地域は互いに交わす視線も持たぬままに、収縮する未来を迎えようとして いるかのようだ。通勤・通学に向かう途上で、互いに言葉も交わさず、視線もほとんど 投げかけぬまま、これから乗る電車に間に合うために黙々と歩く人の流れは、郊外のそ のようなあり方を凝縮して示しているようでもある。 10 そうした郊外のあり方に対し、記憶の共有と継承や、郊外内部の地域の相互理解や連 帯を説く人もいる。郊外生活者の選択として、そうした記憶の共有と継承や、地域間の 相互理解の促進というのはありうるだろうし、一定の意味もあるとは思う。だがしかし、 そうした共有の継承を容易に生み出さない時間性や歴史性と、並存するさまざまな場所 をみることなしにその分厚い膨らみを均質な広がりとしてイメージしてしまう空間的な 15 想像力が、郊外という場所と社会には内包されている。そしてそれは、郊外という場所 を生み出した社会の構造やメカニズムに深く根ざし、条件づけられている。そのことを みることなく、ただ共有や継承や相互理解を説くことは、郊外という場所を生きる人び との生の形と決定的にすれ違ってしまうだろう。逆にいえば、そのことを出発点とした ときのみ、歴史や記憶の共有や継承、地域や住民の相互理解の試みはリアルなものにな 20 る。 かつてそこにあったものも、そこで起こり、生きられたことも〝忘れゆく場所〟であ ること。互いに互いを見ない場所や人びとの集まりや連なりであること。そこに郊外と いう場所と社会を限界づけるものがあると同時に、人びとをそこに引き寄せ、固有の神 話と現実を紡ぎ出させてきた原動力もある。そんな忘却の歴史と希薄さの地理のなかに 25 ある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということなのだ。 出典:若林幹夫「郊外の社会学」 30 - 199 - 1 ≥ 郊外は大都市の周辺に分厚い膨らみとなって存在しており、郊外に住む人びとは、 他の地域に出ることなく暮らしている。 2 ≥ 郊外は共異体=共移体としての移ろいやすさを持ちながら、今後その範囲はますま す拡大していく。 3 ≥ 郊外は均質な広がりを持っており、そこでは同じ職業の人びとが集まり、互いに関 係を持たずに暮らしている。 4 ≥ 郊外は人びとがたまたまそこに住んでいる場所であり、各地域において、記憶の共 有と継承や地域間の相互理解の促進を行う必要はない。 5 ≥ 郊外は〝忘れゆく場所〟であり、人びとの関係は希薄であるが、そこに人びとを郊 外に引き寄せてきた原動力もある。 - 200 - 〔No.76〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2008−地上) そもそも言論は、元来、人間の全体的な現実行動から分化した一つの行動形態であり ながら、近代合理主義社会の発展とともに、やがては、「言」と「行」との形で対比さ れるような、独自の存在権を主張する「言」にまでその発達を遂げたという由来をもっ ている。しかし、だからといって言論が、「行」と完全に切り離された「言」のための 5 「言」になってしまったのでは、その存在意義を失ってしまう。つまり、少なくとも民 主主義社会では、「言」と「言」の対話的交流を介して、間接的にではあるにせよ、そ の言論の作用が、人々の「行」に何らかの現実的効果をもたらすことが目的とされてい るし、元来「言論」は、その社会体制の中で、権力をもたぬ弱者にも辛うじて許される 反権力の唯一の行動形態として、ひいては唯一の闘争手段として発達したものである。 10 そして、この観点からみると、「言」はあくまでも、やはり一つの「行」なのであるが、 むしろ近代合理主義社会では、「言」が、直接の現実行動とはその次元を異にする間接 的な代理行動であるという側面が強調され、このタテマエに即して、何とかして独自の 「言」の世界を確立し、維持できるような構造を確立することにその努力が傾けられて きた。そしてこの努力は、権力に対して「言論の自由」を獲得し、守る闘いの一側面で 15 あった。 このように「言論」には、実は常に、「行」から切り離された「言」を確立しようと する努力と、「言」に現実的な「行」としての力を獲得させようとする努力が働き、こ の相反する方向への努力が互いに相剋し合うというジレンマが内在している。 ところが今や、マスコミ活動が巨大化した大衆社会では、この基本的ジレンマが、か 20 つてみられなかったほどの増幅を受けて顕在化し、現代社会特有のいくつかの徴候を示 しはじめている。 出典:小此木啓吾「モラトリアム人間の時代」 25 30 - 201 - 1 ≥ 言論は、人間の全体的な現実行動から分化した一つの行動形態であり、言論が、独 自の存在権を主張する「言」にまでその発達を遂げるためには、近代合理主義社会の 発展が必要不可欠であった。 2 ≥ 「言」が「行」から切り離され、「言」のための「言」になったことが、むしろ「言」 と「言」の対話的交流を介して、人々に直接的な現実的効果をもたらすことになった。 3 ≥ 元来「言論」は、その社会体制の中で、権力をもたぬ弱者にも辛うじて許される反 権力の唯一の行動形態として発達したものであり、この観点からすると、「言」は 「行」から分離しているといえる。 4 ≥ 民主主義社会では、「言」が直接の現実行動とはその次元を異にする間接的な代理 行動であるという本音に即して、何とかして独自の「言」の世界を確立し、維持でき るように努力した結果、「言論の自由」を獲得することができた。 5 ≥ 「行」から切り離された「言」を確立しようとする努力と、「言」に現実的な「行」 としての力を獲得させようとする努力とのジレンマが、大衆社会では増幅し、はっき りあらわれてきている。 - 202 - 〔No.77〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2008−地上) 日本人は対話や議論が下手である、不得意である、そもそも彼らは対話や議論に向い ていない、という説は探せばいくらでもある。ひとまずそれは定説なのだろう。そもそ も向いていないというのは、もっとも極端な説だ。この極端な説から逆算するようにし て、対話や議論をめぐる日本人について考えてみるのは、けっして無駄ではないと思う。 5 対話や議論に向いていないとは、対話や議論がいったいなになのか日本人は知らな い、ということではないか。よく知っていながら意識的に避けている態度なら、そもそ も向いてないなどとは言われないはずだ。 対話や議論がなにであるのか、そのことをそもそも知らないとは、現実というものの とらえかたやものの考えかたのなかに、対話や議論へと結びつく経路がない、というこ 10 とだ。そのようなもっとも日本人的な現実のとらえかた、というものを探してみると、 それは確かにあるのではないか。 たとえば、日本は国際社会がなにであるかわかっていないとか、日本人は危機管理が きわめて下手であるといった説は、もっとも日本人的な現実のとらえかたというもの を、よく言いあらわしていると僕は思う。国際社会がなにであるかわかっていなかった 15 り、危機管理がたいそう下手であったりするのは、なぜか。 現実のなかのごく一部分しか見ないからだ。見ている一部分とは、どこなのか。たま たま自分の目の前にある、したがってきわめて見えやすく、なおかつ自分にとって多少 とも関心のある部分だけを、彼らは見る。現実というものは、広さも深さも高さも存分 にある、巨大な立体だ。そしてその内部は、複雑きわまりない三次元世界だ。 20 そういうものとしてのぜんたいには、日本人は興味がないのではないか。だからそれ は見ないから、いつまでたっても見えていないままとなる。現実のなかの、自分にとっ て興味や利害のあるごく一部分を、平板にとらえる。もっとも日本人的な現実のとらえ かたは、おおざっぱに言ってこのようなとらえかたではないか。違うよ、まるっきり違 う、と言える人は少ないはずだ。 25 たまたま自分の目の前にあって見えやすく、しかもその自分にとって興味のあるごく 一部分だけを、ひとつだけの角度から見る。そしてそのごく一部分は、いまはこれ、次 はそれというふうに、時間の経過とともに移ろっていく。次々に移ろっていくものを線 で結ぶと、それはどこまでもただのびていく線であり、核心的な一点にやがて関心が集 中する、というようなことは起こらない。 出典:片岡義男「日本語で生きるとは」 30 - 203 - 1 ≥ 日本人が対話や議論が下手なのは、そもそも対話や議論に向いていないからであ り、そもそも向いていないというのは極端な説ではなくむしろ定説である。 2 ≥ 日本人が対話や議論に向いていないのは、対話や議論がいったいなになのかを知ら ないからであり、そのことに日本人は興味がないからである。 3 ≥ 日本人が対話や議論がなにであるのか知らないとは、日本人的な現実のとらえかた そのものに、対話や議論に結びつく経路がないということである。 4 ≥ 日本人にとって現実のぜんたいが見えていないままとなるのは、日本人は現実をよ く知っていながらそれを見ることを意識的に避けているからである。 5 ≥ 日本人は自分の目の前にあって見えやすい一部分をひとつの角度から見るため、時 間がいくら経過しても、議論が終わることはない。 - 204 - 〔No.78〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2007−地上) 自然科学や技術力の発展はマスメディアの巨大化を生んだ。日々限りなく発信される テレビやインターネット情報は、あらかじめ計画されたプログラムや、統制されたメッ セージに従って人びとが行動し思考するように馴らしていく。そこで与えられる情報に は学問的に厳密な根拠が乏しく、もとより教養の幅広い基礎が欠けていることはいうま 5 でもない。 ひとたび思考において画一化の枠組みが出来上がってしまえば、その枠に従って物事 を判断してしまい、思考はもとより会話の言語や感情さえ平準化かつ均質化してしまう のである。 さまざまな文化領域において、日本人のすべてが同じ物の見方をし、画一的に考えて 10 等しく行動するということは、日本の将来にとって不幸である。均質化された思考法か らは、独創的なアイディアが生まれるはずもない。また、人間が固有の文化的伝統を喪 失し、生活環境の独自性を失うなら、人間の内面構造も画一的になることは疑いを容れ ない。問題の解決法は、ヨーロッパやアメリカの知識を外から導入してすむべき問題で はないのだ。現在いわれるグローバリゼーションも、内実はアメリカン・スタンダード 15 であるにすぎない。学生が外から強制された均一の環境に育つなら、日本にとっての損 失ははかりしれないものになろう。 教養の意味が、人間を潑剌とした生気にあふれた存在にしておくことにあるとするな ら、教養教育の基本使命は、学生がニヒリズムの気分に浸って自ら人間疎外に陥ること を防ぎ、将来の進路について学問的指針を通して考えさせることにあるといってもよ 20 い。 教養教育で摂取する学問知は、なんらかのかたちでカール・ポパーのいう「枠組み」 をもっている。「枠組み」とは、それがなければ独自に自己主張できない文化の枠組み だと考えてもよい。この「枠組み」があればこそ、それぞれの文化は一つの構造として、 そこに属する人びとの思考、感情、行動の基本的様式をあらかじめ決定し影響づけるの 25 である。 大事なのは、この「枠組み」が、ひとつの強靭な内的構造をもった閉ざされた組織体 である以上、二つ、あるいはそれ以上の異文化がなんらかのかたちで接触する場合に衝 突や矛盾が避けられないことである。公然たる文化摩擦や文化衝突に発展することもあ りうるだろう。それを避けるために外国語を習得して異文化を学ぶというのも、教養教 30 育の意義には違いない。 出典:山内昌之「歴史と政治の間」 - 205 - 1 ≥ テレビやインターネットで与えられる情報は、多様な思考法を養うためには有益な ものであるが、学問的に厳密な根拠が乏しく、教養の幅広い基礎が欠けているもので ある。 2 ≥ 思考における画一化の枠組みは、会話の言語や感情を均質化してしまうばかりでな く、独創的なアイディアを生み出すことを妨げるものである。 3 ≥ 現在いわれるグローバリゼーションは、人間を潑剌とした生気にあふれた存在にさ せるものであるが、固有の文化的伝統を喪失させ、生活環境の独自性を失わせるもの である。 4 ≥ 公然たる文化摩擦や文化衝突を避けるには、教養教育で摂取する学問知は文化の枠 組みに縛られているものであるため、学生は教養教育では習得できない学問知を学ぶ ことが必要である。 5 ≥ 外国語の習得は、異文化を学ぶためには不可欠なものであり、現在、小学校への英 語教育の導入が検討されていることは適切である。 - 206 - 〔No.79〕 次の文章で述べられていることとして、最も妥当なものはどれか。(2007−地上) 環境は価格のつかない価値物であるが、価格がつかないことと関連してもう一つ重要 な特徴は、社会にとっての共通の基盤として共同性を持つことでもある。歴史的には、 世界や日本の各地で、森林、漁場、土地などの領域で、それを個別に私的に所有するの とは異なる形でマネージメントする仕組みが作られてきたが、それはしばしばコモンズ 5 と呼ばれてきた。 ところが、生物学者のG・ハーディン(1915−)が雑誌『サイエンス』の誌上でコモ ンズの悲劇(tragedy of commons)と題する論文(1968年)を発表したことをきっか けに、コモンズのあり方がさかんに議論されるようになった。ハーディンは一つの寓話 を用いて、農民が共有地(コモンズ)を自由に利用できる限り、共有地の荒廃は防ぐこ 10 とができないと主張した。そこで用いられた寓話は要約すれば次のようなものである。 すなわち、まず、共有地に農民が牛を放牧するという状況を設定し、農民がそれぞれよ り多くの利益を求めて一頭でも多くの牛を共有地に放牧しようとすると想定する。その 結果として共有地は過放牧となって、結果的にすべての農民が被害を被るというもので ある。 15 ハーディンが想定したモデルが歴史的事実に合致しているか否かについては議論の余 地があるが、その後のコモンズの悲劇に関する論争は、再生可能な環境資源をはじめと するコモンズの管理組織や管理形態の重要性を気づかせた点で貴重であった。 この問題は、宇沢弘文氏らによって社会的共通資本の理論を基礎においたコモンズ論 として展開されている。コモンズとは、さしあたりは私有化されておらず地域社会の共 20 通基盤となっている自然資源や自然環境を指すものと考えられてきたが、注目すべき は、近年環境や資源そのものではなく、その管理のための組織やルールのあり方の問題 として議論されるようになってきたことである。 従来コモンズは、「コモンズの悲劇」論を根拠として、私的所有権が明確に想定され ていないため必然的に過剰利用されてしまうと評価されがちであった。そこから、コモ 25 ンズは管理形態として適切ではなく、私有化をすすめなければ環境資源の効率的な利用 はできないことが示唆されてきた。ところが、コモンズを解体して私有化した場合にも 数多くの問題が生じることが明らかになってきたし、そもそも「コモンズの悲劇」の議 論には、コモンズの性格や機能に関する多くの誤謬が含まれていたのである。現在では、 コモンズではむしろ、自然資源や自然環境の持続的利用(sustainable use)、管理が可 30 能であった、という点が認められ、コモンズの機能に着目した再評価が行われているの である。 出典:植田和弘「環境経済学への招待」 - 207 - 1 ≥ コモンズは、価格のつかない価値物であり、それを個別にマネージメントする仕組 みが作られているものである。 2 ≥ 「コモンズの悲劇」では、農民がコモンズを自由に利用できる限りコモンズの荒廃 は免れえないとされているが、論文中の想定は現代では成立しない。 3 ≥ コモンズのあり方を考える際には、コモンズそのものではなく、その管理組織や管 理形態を検討することが、最も重要である。 4 ≥ コモンズの解体は、環境資源の効率的な利用のためには必要であるが、コモンズの あり方としては必ずしも適切とは限らない。 5 ≥ コモンズは、社会の共通基盤として共同性を持つがゆえに、自然資源や自然環境の 持続的な利用や管理がむしろ可能である。 - 208 - 〔No.80〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) 古代の言語表現を正しく理解するとは、どういうことなのだろうか。たとえば古代の ある表現を現代語に置き換えてみる。おそらくもとの表現に数倍することばが必要とな るに違いない。その表現が、歌謡や和歌といった韻文である場合には、さらに多くのこ とばが求められることになるだろう。もちろん、それは、古代の言語表現が多義的な意 5 味を未分化なままに抱え込んでおり、現代の私たちは、そこに抱え込まれた意味の一つ ひとつを具体的に説明されないかぎり、その表現をきちんと把握することができないか らである。しかし、だからといって、古代の言語表現が、私たちのそれより低い水準に あったというわけではない。未分化なことばは、古代の表現やそれを用いた古代の人び との心性の単純さを意味しない。むしろ古代においては、ことばはあまりにも深い奥行 10 をたたえていたのである。 0 0 いうまでもなく、ことばを支えているのは、その時代その時代のある観念である。こ とばの作用は、それを支える時代の世界性のあらわれとしてある。その世界とは、古代 においては、いわば〈闇〉の領域をも包み込む、きわめて厚くかつ深いものとしてあっ た。ここで〈闇〉と呼ぶのは、意味によっては論理化しえない、しかし世界全体の基層 15 に横たわる不可知の領域のことである。それを異界と呼んでもよい。古代のことばは、 この〈闇〉の領域に深々と根を下ろしていたのである。現代は、普遍性こそをあらゆる 価値判断の基準に置く世界だから、意味的に不透明なもの、論理を拒絶するものは、表 現の世界から締め出されることになる。現代のことばが、意味の明晰さを指向するのは、 そのためである。このような現代のことばが、〈闇〉の領域を抱え込む古代の言語表現 20 にそのまま即応することができないのは、当然のことといえるだろう。たとい数倍する ことばの量を費やしたとしても、古代のことばの根幹に触れるのはなかなか困難なこと なのである。しかも、古代のことばにはある根源的な力が感じとられていた。そして、 その力を与えるものが〈闇〉の領域だったのである。〈闇〉を排除した現代のことばが、 意味の透明さと引き替えに、詩的な喚起力を喪ってしまったのは、ことばのもつ奥行が 25 ある面を境としてすっぱりと削り取られてしまったためにほかならない。ことばは、む しろ薄っぺらなものに成り下がってしまったのである。 出典:多田一臣「古代文学表現史論」 30 - 209 - 1 ≥ 古代のことばは、現代の視点からみると意味的に不透明で論理が通らないが、それ を分析すると解釈が薄っぺらなものになってしまう。 2 ≥ 古代の言語表現を支える世界観にはいまだ未解明な〈闇〉の部分が大きく、これを 論理的な現代のことばに置き換えるのは困難である。 3 ≥ 古代人の心は未分化な〈闇〉の状態にあったため、そのことばは意味的に透明であ りつつ、世界全体の基層となる普遍性を備えていた。 4 ≥ 古代人のことばは、単純な心性を反映していたが、現代の分析的なことばが、か えって詩的喚起力を喪失してしまったのは残念である。 5 ≥ 古代のことばは、異界とつながったものであって、現代の普遍的な価値観に基づく 表現に置き換えることはできない奥行をもっていた。 - 210 - 〔No.81〕 次の文章における著者の「人恋しい」という気持ちに近い表現として、最も妥 当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) ながいあいだ留守にしてがらんとした家に戻ってきたとき、あるいは仕事で何日も部 屋に籠もって腑抜けた状態になったときなど、急に人恋しくなることがある。性格の問 題もあろうけれど、からっぽになった胸のうちをだれかと話をすることで埋めたいと思 うのは、ごくふつうの反応ではあるだろう。人恋しさの「人」には、いろんな変数をあ 5 てはめることが可能だ。身近な家族や友人、会社の同僚や行きつけのお店の顔見知り。 退屈だから、さみしいから、相手はどんな連中だってかまわない、こちらの都合に合わ せて会ってくれて、何時間か話を聞いてくれればそれでいい。つまり辞書的にまとめる と、なんとなく人に会いたい、いっしょにいたい、ということになる。 しかし、日々の暮らしのなかで人恋しいという場合の「人」には、ある程度の選別が 10 なされているのではないだろうか。理由も方向性も漠然としているのに、気持ちと身体 だけは他人に向かっている状況と、その「なんとなく」を取りはずした人恋しさのあい だには、途方もない距離がある。つね日ごろから親しくしている人、頼りになる人に会 いたいと願うのともそれはちがっていて、具体的に名指すことはできないものの、自分 にとってとても大切な存在になりうる人物で、かつ、彼を、もしくは彼女を、恋しく思 15 う資格があると確信できるくらいの努力を重ねたうえで、ようやく出会いの入口まで行 ける、そのような「人」に対する厳しい恋しさは、生きていくために必要不可欠なもの なのだ。 たとえばこの空欄に「神」を当てはめるのは、たやすいことかもしれない。しかしそ うなると、厳しさの位相が変わってしまう。私がずっと夢見てきたのは、人恋しさの 20 「人」に、地面にしっかり足裏をつけている「人」を、しかもひとつの理想のように宙 に浮いている「人」を、あの人この人ではなく、ただの純粋な「人」を代入できないか、 ということだった。それを表現するとしたら、どのように精進し、どのように想いを運 び、どのように誤った力の入れ方を矯正したらいいのか? 出典:堀江敏幸「彼女のいる背表紙」 25 1 ≥ 何となく心の中の隙間を埋めてくれる人に会いたい。 2 ≥ 誠実なあこがれの気持を抱けるような人に会いたい。 3 ≥ 気持と身体が、理由なく向かっている人に会いたい。 4 ≥ 自分の生を厳しく律してくれるような人に会いたい。 30 5 ≥ 常日頃から親しくし、頼りにしている人に会いたい。 - 211 - 〔No.82〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) 刃物を研ぐというのはどういうことかといいましたらな、人からは教われませんの かんなくず や。私が弟子の小川にいったのは、自分で削った 鉋 屑を見せまして、こんなふうにや るんだ、そういっただけですわ。 私のおじいさんもそうでした。台の上に鉋を置きまして、鉋というのはこういうもん 5 がんくび やと言いましてな、キセルの雁首で鉋を引っかけまして、そっと引っ張りましたんや。 鉋屑がどこにも出てきませんのや。それで息をふっと吹きかけますと、ひゅるひゅると 出てきました。そして「こないふうにやるのや」というだけですわ。 目の前でやって見せてくれるんですから、できますのや。口で「向こうが見えるほど の屑を出してみい」といわれただけでしたら、「そんなん、できるか」と思いますが、 10 目の前で簡単にやって見せてくれるんですからな。やらななりませんやろ。 それで刃を研ぐんですわ。なかなかうまくはいきませんわ。刃を研ぐというたら簡単 なようですが、これが難しいんですな。しかし、これができんことには何にも始まりま せんのや。一年なら早いほうです。二年、三年かかる人もおります。それでいいんです。 これは早ければいいというのとは違いますのや。ゆっくりでも自分のものにせな、あき 15 ませんのや。自分の仕事ですし、それで一生飯を食っていくんですからな。 姿勢が悪くても刃は研げません。力の入れ具合が悪くてもできません。癖があったら 研げません。自分の癖はわからないものです。その癖が刃物を研ぐときに出るんですな。 急いでも、力を入れても研げませんのや。 そのたびに「何でや」と思いますやろ。それで考えるんですな。そして先輩のするこ 20 とをよく見ますな。何とかして研ごうと思いますからな。これが頭ごなしに「こうやる んだ」と教わってもできません。手取り足取り丁寧に事細かに教わってもできませんな。 素直に、自分の癖を取って、自分で考え、工夫して、努力して初めて身につくんです。 苦労して、考え考えしてやっているうちに、ふっと抜けるんですな。そしてこうやるの かと気がつくんです。こうして覚えたことは決して忘れませんで。 25 出典:西岡常一「木のいのち木のこころ(天)」 1 ≥ 古くから伝わる教え方は、要点を衝いた短い言葉と基礎の繰り返しだけである。 2 ≥ 技術というものは、素直に誠実な気持で精進した方が、結局は早く習得できる。 3 ≥ 何とかして研ごうという意欲が強すぎると、人まねになって、身にはつかない。 30 4 ≥ 本人が何も考えず努力することが大切で、手取り足取りの指導は逆効果である。 5 ≥ 技術を習得するには、ただ教わるのではなくて、自ら考えることが大切である。 - 212 - 〔No.83〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) 一九世紀末まで西洋美術の究極の美は写実であり、モチーフが本物そっくりにキャン バスに再現されることが美の姿であった。二〇世紀に入ると、この写実=美という概念 は脆くも崩れ去り、全く自由勝手ともいえるそれぞれの美を掲げ、多くの芸術家たちは 美術運動に奔走した。これが「現代芸術はわからない」という評価につながり、反対に、 5 まか 何を掲げ、どのようにそれを解釈しても美になるという逆説的な論理も罷り通ってき た。 さらにこれまで見たことのない新しい視覚表現や、そこから受ける刺激さえも美の範 疇に入ってきたから始末が悪い。例えば写真の発明によって、人間の目では捉えられな い、ギャロップする馬の脚の運びや、ミルク・クラウンのできる一瞬などを捉えること 10 が可能になり、それがそのまま芸術表現としての魅力をもつアートとして受けとめられ るようになった。 またテクノロジーによる光や運動表現は、ライト・アートやキネティック・アートの ジャンルをつくりだした。コンピュータの発明はコンピュータ・アートを生みだし、さ らにデジタルな数値の入力による、全く新しい視覚世界やバーチャルな世界を創りだし 15 た。 例えば、バーチャル・リアリティを駆使したコンピュータ・ゲームは、仮想の空間に 次々と迫力ある三次元世界を展開し、ゲームを操作する人間に一瞬の隙も与えない。こ れは極めて刺激的で、身体全体が映像の仮想空間に引きこまれる、まさしく体感する アートといえる。だが、このゲームの世界を、芸術的感性に満ちた表現である、つまり 20 芸術作品であるといえるのだろうか。 このように現代では、美の根源である芸術性のあり方が曖昧となり、人間の生理現象 に及ぼす外界からの刺激が、そのまま芸術的価値と等価であるとさえ誤認される傾向が あることも否めない。 二〇世紀の後半、コンピュータをはじめ科学技術の発展やさまざまな新素材の開発に 25 よって、芸術と技術の共生が始まった。戦後生れの人たちは、技術を応用した芸術的表 現になれ親しんで育ってきた。特に一九七〇年代以降に生れた若い世代は、映像機器や コンピュータとともに育ち、デジタル・メディアのリテラシーをとうにクリアしてい る。従って、映像表現やデジタル・メディアに対する違和感は特にもたず、メディアの 醸す心地よい生理的刺激そのものがアートであるとさえ感じている傾向がみられるので 30 ある。 出典:三井秀樹「メディアと芸術」 - 213 - 1 ≥ 現代芸術は、テクノロジーの影響を受け、写実を美と同一視する立場を離脱した。 2 ≥ 現代のアートとは、人間の生理的な現象に及ぼすメディアの刺激そのものである。 3 ≥ 現代のテクノロジーは芸術の領域をも一新し、その自由と洗練を飛躍的に高めた。 4 ≥ 現代は、技術の応用により、芸術的価値と生理的刺激の違いが曖昧になっている。 5 ≥ 現代のメディア技術とともに成長した世代は、優れた芸術的な感性を備えている。 - 214 - 〔No.84〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 紛争がこじれにこじれて、どうにも仕様がなくなったとき、やむをえないから裁判沙 汰にもちこんで、それでもなお敗れてしまったら、まあ裁判までやったのだからという ことに「あきらめ」のきっかけを求めようとはするが、心の内側では、己れの主張が容 れられず却って相手の主張が「お上」に認められ、憎い相手が小躍りしていることに対 5 する憤怒と憎悪がもえさかり、両者の間の溝は、このような「一刀両断」的解決を機縁 に一層陰にこもった、深刻なものになって行く─というのが、わが国での訴訟による 解決の実際であろう。たとい不満は残っても、ともかくこれで黒白がつけられ紛争は形 の上では終局したわけであるから、それはそれなりに意味があるといわなくてはなら ぬ。 10 しかし裁判というものの役割が何時までもこういう形にだけ止っていてよいかは問題 である。考えてみれば、所詮右のようなメンタリティは、自己も相手方も同じ価値基準 に立脚していて、自己の是とするところは相手方も是としなければならない筈だ、とい う暗黙の前提に根拠をもっているとみてよいのであろう。だからこそ、敗訴は同じ価値 観の土俵の上での絶対的な敗けであり、ひいて人格的な屈辱であるという感じになっ 15 て、カッとなるのである。社会環境が同質的であり、価値観の分裂がさまで大きくない ところでは─過去の日本などはその典型であった─裁判というものにこういう役割 がもたしめられるのは、ある意味で自然であるといってよいのであろう。 しかし、価値観の分裂が激しくなり、自己の価値観が必ずしも相手方には通用しない のだという認識が高まってき、それを社会の常態として承認するようになってくると、 20 裁判にも新しい効用が見出されてきて然るべきである。所詮自己と相手方とは別な世界 に住む人間であり、相手を説得し心服せしめるなどということはとてもできはしないに もかかわらず、そうした相手とともかくも共存して行かねばならぬのが現実であるのな ら、果てのない話し合いだとか、望みのない妥協の努力などははじめからドライにあき らめて、お互に自己の言い分をとことんまで、しかし冷静に出し合って、誰かにどちら 0 25 0 0 0 0 の方が社会の現段階ではより納得性をもつのかをきめて貰って、かりに自己の言い分が そこで通らなかったら、それが今の社会での最大公約数なのかと相対的に受けとって、 その教訓をこの次からは自己の処世の中にとり込んで行くという心構えをもつ方が賢明 だということを悟るようになる筈である。 出典:三ケ月章「一法学徒の歩み」 30 - 215 - 1 ≥ 裁判というものについて、これまでの不満を封じ込めて諦める手続きから、無駄に 精力を消耗しない方法へと、考えを転換して然るべきである。 2 ≥ 価値観の同質性が失われた社会では、話し合いや妥協を求める努力を最初からあき らめ、ドライに考えて裁判に訴える人が増えるという問題がある。 3 ≥ 裁判には、紛争当事者の感情を整理するという効用があったが、多様な価値観を許 容する社会では、裁判の論理から感情が切り離されるようになる。 4 ≥ 従来の社会では裁判に関しては感情的になったが、功利的な社会では、賢明と判断 すれば、裁判の過程においても自己の言い分に執着しなくなる。 5 ≥ 人は判決に対してややもすると感情的になるが、これは、裁判というものが本来理 性的な手続きであることに照らして、合理的とはいえない。 - 216 - 〔No.85〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) ボール 地球上のあらゆるところで、こんにち愛され行われている、ほとんどすべての球を扱 うスポーツは、アングロ・ブリティシュによって考案されつくり出された。テニス、テー ブルテニス(ピンポン)、ビリヤード、ポロ、ホッケー、ラグビー、フットボール(サッ カー) 、ゴルフ、そしてブリティシュの国技とも言うべきクリケット(球を打ったとき 5 クリケット の音がこおろぎの鳴声に似ている)。クリケットの出生はラグビーと共に古い。十六世 紀末である。(野球は新大陸で生まれたが、生んだのはやはり、アングロ・ブリティシュ 系アメリカ人) これらのスポーツの中で、一般論だが、ブリティシュを最も夢中にさせないのはゴル フである。理由はのちに書くが、金が日本でのようにどえらくかかるからではない。 10 ボール 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 球を扱うスポーツの特徴は何なのか。言わずもがな、球が行ったり来たりすること。 行ったり来たりするからには、ひとりでは決して出来ない。ゴルフをのぞいて。ディ ズニイの動画に出て来る早足うさぎであろうとも、自分でサーヴし自分で受けて打ち返 オポジット すことは出来ない。相手はどうしたって必要になる。ゴルフをのぞいて。シングル・テ ニスの場合はひとり、ポロなら四人、クリケットなら十一人。 15 アンテイ 0 0 そして─オポジットは反ではないのである。ここがかんじんなところ。 しば しば 日本語に訳してしまうと、新聞のスポーツ欄などにも屢 々 出るように、「敵・味方」 アンテイ となり、相手は「敵」、すなわち「反」。ブリティシュ的ものの見方とは、この点ですで に大きくへだたる。英語での敵はエネミイであり、エネミイはゲームのさい決して使わ れない単語である。 0 20 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 相手同志は、オポジットゆえに、ペアをなす。オポジット同志のペアなればこそ、テ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ニスを例にあげれば、テニスコートと呼ばれる共通のいわば広場に立って共通のルール によって、プレーをすることが出来るのである。オポジットは、だから、パートナーで ある。 「きょうはパートナーが都合で来られないからテニスは出来ない」と言う風に。 0 25 0 議会政治と言ったら打てば響いてブリティシュと人の答える、その議会政治とはまさ に、いましがたテニスに託して述べたものなのである。 出典:犬養道子「ヨーロッパの心」 30 - 217 - 1 ≥ ほとんどすべての球技はブリティシュ起源であるが、それは彼らがルールに従った 競争に興味をもっているからである。 2 ≥ スポーツの中で球技に特徴的なことは、プレーの中に感情を持ち込まずに純粋に技 術的に楽しむことができる点である。 3 ≥ 球技における対戦相手をパートナーとして尊重するブリティシュに特有の気風は、 議会政治の中で育まれたものである。 4 ≥ ブリティシュの議会政治では与党と野党は、敵と味方ではなく、議会という共通の 広場でプレーするパートナーである。 5 ≥ 我が国はブリティシュから球技や議会制度とともに、プレーの相手を尊重するとい う何よりも大切な精神を受け継いだ。 - 218 - 〔No.86〕 次の文章に述べられているアートプロジェクトの説明として最も妥当なものは どれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) いわゆる作品というのは自分の内面的な抽象度、あるいは純粋思考のようなものを表 現し、それをギャラリーや美術館に展示する。そこで見えてくるのは作家の内面的なも のや精神的なもの、それらの作品を成立させる個人のモチベーションです。もちろんそ れは近代、現代においても通用するアートの世界だと思いますが、環境、自分の生活、 5 空間という点から出てきた作品には自分の内面的に純化されたもの以上に外的なものの 影響が大きいわけです。そこで例えば廃屋の中で作品をつくる時には、自分の内面的な もの以上に、場の持っている力をどのように作品に取り込んでいくのかということのほ うがはるかに強力です。例えば、なぜ廃屋になってしまったのか、廃屋のまわりの住民 がその廃屋をどう思っているのか、その廃屋に以前住んでいた人たちがどのように生活 10 していたのかなどということです。そういうことがファクターとして出てくるわけで す。それらをひとつの作品に抽出化していくことがアートプロジェクトで行なわれるこ とだと思います。 アートプロジェクトでは、場所あるいは作品を成り立たせているファクターをリサー チして、自分の考えを組み立てていきます。その場が公共の場所であるなら、当然町な 15 どへのネゴシエイションが必要になります。例えば隣の人にこの場所の使用を伝えたり するなど、いろいろな人の協力が必要で、そうやって多くの人が関わる共同制作として 動き始めるわけです。すでに企画の段階から、その場を使うことでいろいろな人の情報 が必要になり、それを収集するためのテンポラリーな共同体あるいは共同制作が生まれ てくるわけです。それがひとつのコアになっていろいろな人を巻き込んでいくようにな 20 ります。 プロジェクトというのは、企て、企画と訳されていますが、個人のアトリエで制作す るものではないし、個人の内面的なものから発するものでもない。外来的なものすべて やまわりの人たちを巻き込んでいく、ひとつの運動態そのものをプロジェクトと私は 言っています。 出典:川俣正「アートプロジェクト概論」 25 30 - 219 - 1 ≥ アートプロジェクトとは、個人のモチベーションの上に成立するいわゆる作品とは 一線を画し、アートが本来備えているはずの運動に対する自覚に裏付けられた活動で ある。 2 ≥ アートプロジェクトとは、制作を行う場の歴史や関係やそこに備わっている力を取 り込んで、関係する人々を巻き込みつつ、一つの作品に表現してゆく過程そのもので ある。 3 ≥ アートプロジェクトとは、社会的な意味を持つ特定の場所において、さまざまな関 係者の情報提供や協力を得ながら、その場所を記念するアート作品を制作する企画で ある。 4 ≥ アートプロジェクトとは、芸術家が個人で作品を制作する伝統的な方法に対して、 多くの芸術家の共同作業によって、大規模な作品を構築する組織的で計画的な手法で ある。 5 ≥ アートプロジェクトとは、芸術家の内面から発した作品を制作するのではなく、制 作の現場で展開される運動によって、予期できない効果を生み出す集団的制作手法で ある。 - 220 - 〔No.87〕 次の文章の要旨から下線部「不幸によって人間は鍛えられる」を解釈したとき、 最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 植物にも動物にも、「不幸感」というものはないように思われます。アカラス にか (注) かったみじめな犬を「不幸」だと思うのも、散々に踏みつけられたダリヤを眺めて無惨 0 0 と思うのも、我々人間であり、犬は生理的な苦痛や不快を感じても、不幸とは感じない でしょうし、ダリヤにいたっては、なおさらのように思います。もっともこれは、我々 5 の勝手な推定で、真実はどうか判らぬといえばそれまでの話ですが、生物のなかで、人 0 0 間だけが己の死の必然を知る唯一のものということが考えられるならば、恐らく不幸を 感ずる唯一の生物はやはり人間であろうと思うのです。「死んだらもはや生きていない わけだから、我々は決して死というものには出会わない」というような詭弁的なことも 言われますが、我々は客観的に我々の肉体を考え、様々な経験によって、我々の死の到 10 来の必然を想像できます。つまり、生きていながら、即ち生命体の恒常ないとなみが続 けられていながらも、それを客観視して、このいとなみの終焉乃至中絶を考え、死の概 0 0 0 念を捕えるのかもしれません。死は別としても、我々が、不幸だと感ずるのは、我々の 生命体の恒常ないとなみが阻害され、一時中絶された場合に、それを客観視した時に抱 く感情でしょう。つまり、身も世もなく悲しく泣き叫びながらも、心に多少の余裕が生 0 15 0 0 じた時、自己を客観視できた時、不幸だという感慨が胸に宿るのではないかと思います。 従って、このようにして、不幸は、人間が自分の情態を客観視して抱く感情だとする ならば、その人の性格や教養や知識などによって、自分がその時陥った情態を色々に分 析したり様々な角度から眺めたりする余裕もあるわけでしょうから、最初、ひどい不幸 だと思ったことも、考えようによっては、それほどでもなくなることがあります。或る 20 感情に捕われた時に、ふとしたことから考えなおして、別な気持になることがあるのに 気がつけば、その間のことは判ると思いますし、昔から「不幸によって人間は鍛えられ る」とか、 「不幸中の幸」とかいう言い方があるのでも判るように思います。 出典:渡辺一夫「不幸について」 注 ダニによる犬の皮膚病 25 30 - 221 - 1 ≥ 不幸に見舞われたとしても、それにめげることなく生きることによって、人間は強 くなるものだ。 2 ≥ 不幸な出来事を経験して初めて、人間は他人の身の上に思いを致すだけの度量を得 ることができる。 3 ≥ 不幸にしばしば見舞われた人は、その経験からあまり些細な事に悩まずに生きるす べを知っている。 4 ≥ 不幸な経験を積み重ねてきた人は、不幸を不幸と思わないだけの豊かな人間性を備 えているものだ。 5 ≥ 不幸な出来事に見舞われてそれを不幸と感じることは、自分を客観的に見て考え直 す契機になる。 - 222 - 〔No.88〕 次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 20世紀初頭以来、科学、とりわけ自然諸科学や数理科学の発達はめざましく、新しい 発見、新しい理論の展開の噴出は、デカルトやニュートンの名前と結びついた近代的自 然観や人間観を、さらにはその延長線上に構想された19世紀の自然観を、根底から崩壊 に導いたことは周知のごとくである。しかもこれらの変革はひとり科学知識の世界にと 5 どまらない。これらの、科学の世界における発見や革新は、“現代”においては、幾多 インダストリアリズム の技術上の革新・開発と相即的に結びついて進行し、工業化の過程を軸として、産業社 会の組織や構造に質的変化をもたらし、さらには社会そのものと、人間の存在そのもの の構造にも大きな変革を急速にもたらした……。これこそ、まさに“現代”に特徴的な ことである。しかもこの構造変革たるや、19世紀以前の思想家たちの 1 人だに予想しえ 10 なかった類のものであった。現代社会の変貌は、19世紀の諸々の社会観やイデオロギー をも無効なものとするに至った。イデオロギーの終焉が問題にされるのはまさにこの点 イメージ についてである。我々の世界像は変わり、我々は新しい感覚と新しい生活感情と、それ に伴う新しい能力を身につけつつある。変化があまりに大きく、また急激であったため、 同じ現代人であっても、40才をこえたような人にしてみれば、彼が育った時代と現代で 15 はあまりに大きな隔たりがあるため、まるで成人してから新しい未知の国に移住したよ うな感じさえ抱くであろう。17世紀中葉以来三百年にわたって、ヨーロッパ世界は“近 代”と呼ばれる時代に生きてきた。そして19世紀には、近代ヨーロッパなるものは、全 世界の哲学、政治、社会、経済、文化の規範となり、さらに史上最初の普遍的な世界秩 序を確立したのである。しかし現在、すでにその“近代ヨーロッパ”はもはや生きた現 20 実からは消えつつある。しかし新しい世界も、明瞭な形をとらぬままに、現実として存 在してはいるが、いまだに確立されたものとはいいがたいようである。 出典:吉村融「現代の政治理論」 1 ≥ 現代社会の自然観や人間観は、19世紀のそれの延長上にありながらも、変化があま 25 りにも大きく急速であるため、新しい世界像のように見える。 2 ≥ 現代の特徴は、絶え間ない変化そのものであり、人々の感覚や能力がそれに適応し きれないため、新しい世界像は明瞭な形をとることができない。 3 ≥ 現代は科学技術の発達が、社会や人間の存在の構造的な変革を引き起こし、近代 ヨーロッパという普遍的な秩序を無効にしてしまった時代である。 30 4 ≥ 現代は自然諸科学や数理科学のめざましい発達によって、19世紀に牢固として確立 された規範とは全く異なる新しいイデオロギーを生み出した。 5 ≥ 現代社会は、工業化の過程を軸としたかつてのヨーロッパ近代の世界秩序を根底か ら覆し、明瞭な形をとらない混沌とした状況を特徴としている。 - 223 - 〔No.89〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) たとえば日本の建築においては、内部と外部が西欧におけるほど厳しく区別されてい ない。日本の建物では、軒下とか、濡縁とか、渡廊下など、内部とも外部ともはっきり 規定できない中間的な部分が重要な役割を果していて、そのような中間部分を通して、 内部と外部は自然につながっている。また、建物の内部においても、ひとつひとつの部 5 屋は隣の部屋と完全に遮断されてはおらず、たとえば襖や障子を取り払えばひとつにつ ながるといったような連続性をもっている。建物の内部空間が外部空間と峻別されてい ないということは、人間の世界と自然の世界もまた、連続的につながっているというこ とである。日本人は、自然を人間と対立するものとは見ずに、逆に人間もまた自然の一 部であり、自然とは別のものではないという自然観を発達させてきた。日本の美術にお 10 いて、草花や、鳥や、水の流れなど、自然に基づく形態が好んで取り上げられてきたの も、決して偶然ではない。絵巻において旅のテーマが好んで取り上げられるのも、日本 の演劇において道行が重要な役割を果しているのと同様に、それが、人間と自然がひと つに結びつく場であったからにほかならないであろう。 さらに、日本においては、伝統的に、美術作品が純粋に美術作品として鑑賞されるだ 15 けでなく、しばしば日本人の生活のなかで他の要素と結びついて、ひとつの美的世界を 作り上げるのに参加しているということも、日本人の美意識の大きな特質のひとつとし て、見逃されてはならないであろう。襖や屏風は、言うまでもなく絵画であると同時に また家具の一部であり、掛物も、季節に応じ、あるいはある特別な機会に応じて床の間 にかけられて、日常生活のなかにひとつの美的空間を作り出す。日本において、西欧的 20 な意味での絵画と工芸の区別が必ずしもつねに明確ではなく、しばしば画家が同時にま た工芸家であり、同一のモティーフが絵画にも工芸作品にも繰り返し登場してくるの は、そのためである。 出典:高階秀爾「日本美術を見る目」 25 1 ≥ 日本の建築において、内部空間と外部空間が峻別されていないということは、人間 の世界と自然の世界もまた、連続的につながっているということである。 2 ≥ 日本人は、自然を人間と対立するものとは見ず、また人間の作り出す芸術も自然の 一部であり、自然と一体化したものであるという自然観を発達させてきた。 3 ≥ 襖や屏風が、絵画であると同時に家具の一部であるように、日本における絵画の発 30 展も西欧と同じように生活と密接な関わりをもっていた。 4 ≥ 日本では伝統的に、鑑賞するためだけの純粋な美術作品という考え方はなく、常に 生活の要素と結びついて美的世界が作り上げられている。 5 ≥ 人間も自然の一部であるという自然観とともに、美術・工芸では、作品と生活の結 びつきが美的世界を構成していることも、日本人の美意識の特質となっている。 - 224 - 〔No.90〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) (略) 『難波土産・発端』によれば、近松は浄るりの文句をかくのは大変だといってい る。なぜ大変かというと、正根なき木偶にさまざまの情をもたせなければならないから だという。ところで、この「正根なき木偶」だが、人形を正根なき木偶と意識したにつ いては、歌舞伎の生身の人の芸と芝居の軒をならべて競わねばならないということが 5 あった。見方を変えれば、人形浄るり芝居がそこまで発展した、近世化した、というこ とにもなるわけだが、しかしそのとき人形は正根なき木偶として意識され、その木偶に さまざまな情をもたせうるような文句を発明しなければならなくなった。たしかにこれ 0 0 0 は大変なことである。人形は正根なき木偶になった。それに再び正根をいれなければな らない。 かつて人形は、もっと素朴単純な人形であっても、その人形を舞わせることで─同 10 かたしろ じく素朴な語りとともに─人間になにかを伝えることができた。呪的な形代的要素が あったためでもあろうが、それがいま正根なき木偶になった。土と布切れと竹と木とで 出来た木偶─フィジカルな「物」─に転落した。人形の歴史は俗的次元への転落の 歴史でもあったわけで、そしてそれが人形の近世化でもあったわけで、浄るりの文句は、 15 この正根なき人形に情をもたせうる文句として発明されねばならなくなる。しかし、こ のような厄介な関係はひとり人形浄るりに限ったものではなかった。俳諧についてもい える。あまりにうまく整合するので、却って疑わしい気がせぬでもないが、意図的にカ ラクリをやっているわけではなく結果的にそうなるのだから仕方がない。 俳諧とはなにか。滑稽である。『三冊子』にもいう、「俳諧といふは、黄門定家卿の言、 0 20 0 0 利口也」と。滑稽とはなにか。続けていう、「ものをあざむきたる心なり」と。ものを 0 0 0 0 あざむくとはどういうことか、なぜ、あざむかねばならないか。それは「心なきもの、 ものいはぬ物にものいはせ」るためであった。 人間は、心なきもの、ものいはぬ物に、避けがたく出合ってしまった。その「物」に、 ものいはせねばならない。俳諧はそのためのものである。正根なき木偶にさまざまの情 25 をもたせねばならないのと同じである。 出典:廣末保「元禄期の文学と俗」 30 - 225 - 1 ≥ 近松は、元来正根なき木偶に過ぎなかった人形に、呪的な要素を付与して情を表現 した。 2 ≥ 浄るりは歌舞伎の生身の人の芸をまねることによって、人形に情を持たせることが できた。 3 ≥ 近松浄るりや俳諧の文学的工夫は、その素材を即物的に見定めるところから始まっ た。 4 ≥ 浄るりが人形に情を入れようとしたのと反対に、俳諧にはものをあざむくという意 識がある。 5 ≥ 浄るりと俳諧とは、鑑賞する人の心をあざむく工夫において、相互に影響しあって いる。 - 226 - 〔No.91〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 「声」は顔や手足と同じく自分の体の一部であるが、遠慮会釈もなくあたりにいる人 様に触れる厄介な部分である。電話のベルがこちらの都合おかまいなしに呼びつけるよ うに、自分の声はいやでもあたりの人に「届く」のである。だから大声は不作法無神経、 教養ある人士はあたりをはばかって声をひそめて話すことになっている。人様の耳を汚 5 してはならない。人に自分の声が聞こえるとは、その人に自分の肉体の一部で触れるこ となのである。だから昔、下々は将軍家や殿様には直き直きには言上かなわず中継ぎが 必要だった。たまたま「お声がかかる」と感涙にむせんだのである。 のろ 人の声に接するとは、肉体的接触なのである。その接触によって聞き手は、あるいは のの あい ぶ 呪われ罵しられ、あるいはあがめられ愛撫される。選手や役者はあるいは声援され、あ 10 るいはヤジリ倒される。また、この接触によって聞き手には何かが否応なしに思い浮か ぶ。 「夏」という声に触れられれば否応なしに夏が思い浮かぶ。「インフレ」と聞こえれ いや ば、これまた厭な思いが浮かぶのをとめることはできない。忌むべき言葉に触れられれ ば、まがまがしい物事があらがい難く立ち現れる。だから、おヘソを人目に触れさせて は失礼なように、忌むべき言葉や当惑させる言葉で人に触れることは慎まれる。また、 15 神々の名は軽々しく呼ぶべきではなく、恐ろしいものの名を言うことがはばかられるの である。横暴な亭主(まだ生存していることを願うが)が「メシ!」とひと声すれば飯 が現れ出てくるように、言葉は過去の恥やしくじり、未来の不安、街や山や人や亡霊を いさいかまわず立ち所に呼び起こすのである。言葉は物事を呼び起こす、より正確には、 じゅもん 呼ばれた物事に人の視線を強制するのである。その意味では言葉はすべて呪文なのであ 20 る。 出典:大森荘蔵「言葉と暮らし」 1 ≥ 人の声や言葉が現実に対して及ぼす強制力について、現代人にはしかるべき自覚が 不足している。 25 2 ≥ およそ言葉の機能というものは、その言葉を発する人の肉体的な機能の一部分とし て発揮される。 3 ≥ 言葉には呪いの力をこめることができ、そのような言葉には現実に人を動かすほど の威力がある。 4 ≥ 言葉は声として発せられて人を強制する力を持つのであり、言葉自体にその力があ 30 るのではない。 5 ≥ 声として発せられた言葉は、聞く人を強制するのであり、それは肉体的に接触する ことに等しい。 - 227 - 〔No.92〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 人間の理知が自然現象を整理し解釈することを試みる際に眼の前に現われる無数の事 実に対していかなる態度をとるかということを明らかにするためには、一例として特殊 な種類に属する現象を選び、それらを表現し総括するために人間が逐次に採用した概念 がいかに設定せられ変形せられたかということを、科学史を通じてたどるのは非常に有 5 益である。そういう意味から考えて我々は科学的理論がその途上において出会った大き な困難の一つが次のものであるということに気づく。同一の物理的事象が、その深い本 性においては疑いもなく一つであるにかかわらず、我々の眼にさまざまな姿をとって現 われるので、それらの姿を記述するために我々はその物理的事象について次々に相異な る往々相反する見方を取るようになるということである。各時代の探究者の仕事がます 10 ます多くの現象を知らせるに従って我々は漸次それを別々の部類に分けて行くが、その 各々の部類は我々に対してその研究されている事象を完全に記述するにはかくかくの特 性を含まなければならないと要求するようになる。時には、そのさまざまな部類に属す る現象の次々に示すいろいろな特性が、同一の全体的理論の内部において融和させるこ とが出来ないように見えて来て、事態は悲観的なものとなる。にもかかわらず、あらゆ 15 う る科学的探究の基礎にある根本仮定、学者をその倦むことのない説明の試みにおいて常 に支持して来た信念は、往々久しく認容されていた観念もしくは久しく有益であった見 解を心苦しくも犠牲にしてまで、さまざまな種類の現象の暗示する部分的理論を合わせ まと て、その見かけの対立にもかかわらず一つに纏めるような綜合的な見方に到達すること が出来るはずだと主張する。こうして限りなく複雑な事実を一種の思想的統一に帰一さ 20 さ てつ かくかく せようと求める理論科学の綜合的統一的な努力は、数々の困難や一時的な蹉跌や赫々た る勝利を伴って明確に現われて来るのである。 出典:ドゥ・ブロイ(河野与一訳)「物質と光」 1 ≥ 自然現象を説明する科学的理論は、逐次的な過程を経て総合的統一へ向かう。 25 2 ≥ 科学史が教えるところによれば、理論的説明は必ず事実によって超えられる。 3 ≥ 科学的発展の主要な困難は、部分理論を矛盾なく統一する原理の発見である。 4 ≥ 現象には見方によってさまざまな面があるから、科学的理論は相対的である。 5 ≥ 物理的現象の説明は、既存の理論と思想的に整合的であることが要求される。 30 - 228 - 〔No.93〕 次の文章の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) ヨーロッパの社会構成の原理と東洋のそれとを区別する最も重要な指標の一つは、 ヨーロッパでは古典古代以来、それが「市民」という自由かつ平等な共同体のメンバー を前提として成り立っていたという点である。経済発展の様相の類似といったものにの み目を奪われている一般の歴史家には、この問題の重要性がややもすれば見落とされて 5 いるきらいがあるが、社会構成の出発点において、ヨーロッパが「市民」の原理から出 発し、東洋があえていえばシンボリカルな「家」の原理から成り立っているという事実 は、東西両洋の文化を比較する上において、いくら強調しても強調しすぎるということ がないと思うほどの大きな相違点である。部分的に、また萌芽的には、古代オリエント の都市にも市民の意識が発生したが、それはまもなく軍事力をもつ王権に押さえられ、 10 都市の住民は、歴史の大部分を通じて、支配権力者に対する寄生的・依存者的な従属的 性格を烙印づけられた。 ところがこれに反し、ギリシアやローマの国家はいわゆる都市国家であり、その内容 は、土地を保有し、戦士の性格をもつ市民の聚住または誓約団たる点にあった。だから 彼らは都市の形成とともに共同の守護神をまつり、共同の住所を防衛し、共同の法のも 15 とに立ち、平等な経済活動・政治活動のチャンスを享受することをたてまえとしていた のであり、市政の運営も文字どおり独立の自治体、独立の国政の運営とおなじであった。 したがってまた、市民を意味する「ポリテース」、「キーヴィス」といったことばは、同 時に今日の「国民」を意味していたと考えてよい。つまり「市民」と「国民」の二重の 関係に悩む必要のないしくみであったわけで、ギリシアのポリスが内外の政情に応じて 20 民主化したというのも、あるいはローマが大きな帝国に発展したというのも、内容的に はこのようなポリテースまたはキーヴィスたるものの完全な権利、すなわち「市民権」 の一部を、種々の条件をつけて一般民衆に拡大付与した過程にほかならない。 出典:増田四郎「都市」 25 1 ≥ ヨーロッパの古代都市国家においては、東洋とは異なって、自由かつ平等な一般民 衆が市民として社会構成の基盤を担っていた。 2 ≥ ヨーロッパが市民の原理に基づいて平等な社会を構成したのに対し、東洋の家の原 理は、王権の支配する軍事国家をもたらした。 3 ≥ ヨーロッパにおける社会構成原理としての市民の原理は、都市国家の運営を経て、 30 国政における近代の民主主義の基盤となった。 4 ≥ ヨーロッパでは、東洋とは異なって、自由かつ平等な共同体のメンバーである市民、 つまり今日の国民と変わらない市民が存在していた。 5 ≥ ヨーロッパの古代都市国家における市民は、今日の国民を意味し、そこでは共同精 神に基づく理想的な国政運営が実現していた。 - 229 - 〔No.94〕 次の文章の、男の子が父親に叱られたあとの気持ちを最も適切に表わしたもの はどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) その夫婦には子供が授かりませんでした。そこで、どうしても子供が欲しくて、五歳 の男の子を養子にしました。その子は赤ん坊のときに実父と死に別れています。 とても丈夫で、そのかわり、やんちゃ坊主でした。 その家は農家でしたから、父親は朝早く畠仕事に出かけ、男の子もそれについて行き 5 ました。一日たっぷり働いて、たそがれの空に星が二つ三つ輝き出すころ、二人は乾草 をいっぱいに積んだ車を馬に引かせながら家路につく。そうした毎日がつづきました。 しかし、男の子は、なかなか新しい両親になつきませんでした。畠仕事は手伝わない し、父親がどんな温かいことばをかけても、そっぽを向いて、そのやさしさに応えよう とはしなかったのです。 10 「あの子を責めるわけにゃいかんさ。おれたち夫婦だって、ずっと子供なしで暮して きたんだ。あの子に親の経験がないのと同じように、おれたちも子供を持った経験がな い。その点では五分五分だ。だったら大人のおれたちが我慢しなきゃね」 夫婦はそう話し合いました。 しかし、日ましにその子のひねくれ方はひどくなっていった。が、新しい両親は、そ 15 れは自分たちの愛の心が足りないためだと反省し、自分たちの愛があの子に通じますよ うにと、毎日神に祈りました。だが、いっこうに通じない。 男の子は、父親のいうことを聞かないばかりか、そのうちに、いたずらをするように なったのです。種まきをするとみせて、わざと畠の真中でころんで、ザルの種をばらま いたり、食べ終わった弁当の包み紙に、殺したカエルを入れておいたり。 20 それでも父親は怒らなかった。やさしい顔で、畠にばらまかれた種を一粒一粒拾い、 弁当の包み紙から死んだカエルをつまみ出して、男の子に知られないように、そっと川 へ捨てました。 しばらくしたある日、男の子が、木の枝で馬の尻をつついていたずらをしているのを 見て、父親は思わずどなりました。 25 「こら!大切な馬になんてことするんだ!この馬鹿!」 その日の夕暮れ、乾草をいっぱい積んだ馬車が、大きな夕陽に赤く染まって、家路を たどっていました。手綱を引く父親に、男の子は頭をもたせかけて、なんだかうっとり とした顔をしていました。 出典:吉田健一「私の食物誌」 30 - 230 - 1 ≥ 温厚な父親の怒りに触れこれまでの自分を恥ずかしく感じた。 2 ≥ 初めて自分が本当の子供として扱われたと感じて嬉しかった。 3 ≥ 何でも許してくれると思っていたのが現実にひきもどされた。 4 ≥ 父親の怒りの中に何か尊敬すべき存在の声を聞く思いがした。 5 ≥ 自分を慈しんでくれた父親を思い出して申し訳ないと思った。 - 231 - 〔No.95〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) あらゆる一般化はそれぞれ一つの仮説である。だから仮説には、いままでだれも異論 をはさまなかった一つの必要な役割がある。ただ仮説には、いつでもできるだけ早く、 できるだけ何度も、検証を行なわなければならない。もし仮説がこの試練に堪えられな いときには、もちろん心残りなくこれを投げうたなければならない。これは一般に行な 5 われているが、ときには或る種のふきげんを伴うことがある。 ところでこのふきげんさえもいいわけがたたない。それどころか物理学者が自分の仮 説の一つを放棄したらば喜びがあふれるはずだ。どうしてかといえば、予期しない発見 の機会を見つけ出したばかりのところだからである。その仮説は、私の想像するところ では、かるがるしくは採用されなかったのだった。その仮説は現象に当てはまりそうな 10 あらゆる既知の因子を考慮に入れてあった。検証が行なわれないというのは何か期待し なかったこと、異常なことが存在するからである。これから発見しようとする未知のこ と、新しいことというのは、まさにこれなのである。 それでは、こうしてくつがえされた仮説は結果を生まなかったか。それどころではな い、こういう仮説は本当である仮説よりももっと余計に役にたったといえる。この仮説 15 はただ決定的な実験の機会になったというばかりでなく、なおそのうえ、もしこういう 仮説を作らないで偶然この実験を行なったのだったらば、何も結果を引き出せなかった ろうし、そこに何も異常なことがあるとは気がつかなかったろうし、少しも帰結を導き 出せないような一つの事実を目録に加えるだけだったろう。 出典:ポアンカレ、河野伊三郎訳「科学と仮説」 20 1 ≥ 仮説を作って検証しようとすることで、異常なことに気づくことが可能となり、発 見の機会を得る。 2 ≥ 仮説を放棄することには心残りや、ある種の不機嫌を伴うが、それはその仮説が慎 重に採用されたからである。 25 3 ≥ 仮説を放棄して、まったく白紙の状態で行う実験には、予期しない未知の事柄を発 見する機会が隠されている。 4 ≥ 仮説というのは一般化のことであり、それは何度も繰り返された検証結果を踏まえ て行われなければならない。 5 ≥ 仮説は新しい結果を生むことと引き換えに放棄されてこそ意味があって、それまで 30 は単なる一般化に過ぎない。 - 232 - 〔No.96〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) 現代の学問において、おおむねの場合、書物は、その書物の言語が記載し伝達する事 実、それを獲得し、それに到達するものとして、読まれている。ここに私が事実という のは、個人の外部に生起する歴史的事実、社会的事実、ひっくるめて外的事実といって よいとすれば、そればかりをいうのではない。個人の内部に生起し蓄積する感情、思考、 5 論理、つまり文学的事実、学問的事実、もし再びひっくるめて内的事実といってよいと すれば、それらをも含む。 そうした内的なあるいは外的な事実、それへの到達獲得のために書物は読まれている のであり、事実への到達獲得が果たされれば、書物の言語は忘れられ、棄てられる。忘 れ棄てるのに、努力を要し、抵抗を感ずるのでない。努力を要せず、抵抗を感ぜずして、 10 忘れられ、棄てられる、ということは、それが人間の傾向として自然であることを示す。 この自然の傾向は、現代の学問が、その意識として、事実を素材とすることによって、 一そう深まっている。歴史学は、書物にたよるとしても、書物の言語によって獲得到達 された事実を素材とするのであって、言語そのものを素材とする態度でない。というこ とは、書物の言語は、事実を伝達する手段であり方法であり過程であるにすぎないとす 15 る認識である。更にその前提として、あるいはその結果として、言語は事実を伝達する 手段方法過程ではあるけれども、不完全なそれであるとする意識、もしくは意識となら ない感情がある。不完全とするのは、言語は事実そのものに完全には接近し得ない存在 だとし、つまり言語と事実との間の距離を大きく見る意識もしくは感情である。書物の 言語に対する執着は、かくしてうすれている。 20 更にまた現代の学問は、しばしば書物によらずして、直接に事実に接触しようとする。 おおむねの自然科学はそうであり、社会科学も、部分的にそうである。歴史学の部分と しても、考古学、民俗学、民族学、地理学は、それに属する。書物に対する、あるいは 言語に対する執着は、その面からも稀薄となる。 出典:吉川幸次郎「読書の学」 25 30 - 233 - 1 ≥ 現代の学問における事実の重視は、かつてのように書物を学問と同一視する権威的 な意識が通用しないことを示している。 2 ≥ 現代の学問が事実を素材とするあまりに、書物の言語に対する尊重が後退してきて いるが、これは誤った言語観に基づく。 3 ≥ 現代の学問では、書物は事実伝達手段として不完全なもの、不要なものとする意識 があり、事実伝達後の言語は忘却するという人間の傾向は益々強まっている。 4 ≥ 現代の学問では、自然科学を筆頭に、書物の言語から事実の言語へと変貌を遂げ、 かつての書物への執着をなくしている。 5 ≥ 現代の学問の進歩により、事実を伝達する方法としての言語の不完全性が明らかに なり、それは言語観にも反映している。 - 234 - 〔No.97〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) 物質と生命の間に橋がかかるのはまだいつの事かわからない。生物学者や遺伝学者は 生命を切り砕いて細胞の中へ追い込んだ。そしてさらにその中に踏み込んで染色体の内 部に親と子の生命の連鎖をつかもうとして骨を折っている。物理学者や化学者は物質を す 磨り砕いて原子の内部に運転する電子の系統を探っている。そうして同一物質の原子の 5 あ はい し 中にある或る「個性」の胚子を認めんとしているものもある。化学的の分析と合成は次 こう しつ りゅう 第に精微をきわめて驚くべき複雑な分子や膠質 粒 が試験管の中で自由にされている。 最も複雑な分子と細胞内の微粒との距離ははなはだ近そうに見える。しかしその距離は ご じん 全く吾人現在の知識で想像し得られないものである。山の両側から掘って行くトンネル がだんだん互いに近づいて最後のつるはしの一撃でぽこりと相通ずるような日がいつ来 10 るか全く見当がつかない。あるいはそういう日は来ないかもしれない。しかし科学者の 多くはそれを目あてに不休の努力を続けている。もしそれが成効して生命の物理的説明 がついたらどうであろう。 科学というものを知らずに毛ぎらいする人はそういう日をのろうかもしれない。しか し生命の不思議がほんとうに味わわれるのはその日からであろう。生命の物理的説明と 15 まっさつ び まん は生命を抹殺する事ではなくて、逆に「物質の中に瀰漫する生命」を発見する事でなけ ればならない。 物質と生命をただそのままに祭壇の上に並べ飾って賛美するのもいいかもしれない。 それはちょうど人生の表層に浮き上がった現象をそのままに遠くからながめて甘く美し いロマンスに酔おうとするようなものである。 20 これから先の多くの人間がそれに満足ができるものであろうか。 私は生命の物質的説明という事からほんとうの宗教もほんとうの芸術も生まれて来な にせもの ければならないような気がする。ほんとうの神秘を見つけるにはあらゆる贋物を破棄し なくてはならないという気がする。 出典:寺田寅彦「寺田寅彦随筆集 第一巻」 25 30 - 235 - 1 ≥ 生命は物質的に説明できればそれがほんとうの説明であり、それを踏まえない宗教 や芸術はほんとうの神秘を表すものではない。 2 ≥ 生命と物質は異なった学問分野を形成しているが、それが統一的に理解されるなら ば、科学こそが神秘であることが明らかになる。 3 ≥ 物質的な原理によって説明される生命は、いわば物質の中に瀰漫する生命であっ て、とうてい多くの人が満足できるものではない。 4 ≥ 生命が物質的な原理で説明されるかどうかは分からないが、将来もしそれが可能に なるならば、科学は面目を一新するに違いない。 5 ≥ 生命科学と物質化学は同じ到達点をめざしており、そこではほんとうの学問が宗教 も芸術も含めてすべての神秘を説明するだろう。 - 236 - 〔No.98〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) われわれは明治以来、外国語をたいへん熱心に学んできた。そのために注がれたエネ ルギーはおびただしいもので、ときに、いたましい浪費ではないかと思われるほどであ る。しかし、考えてみるに、そろそろ外国人に日本語を勉強してもらいたい、あるいは、 してもらってもよい時期になっているのではなかろうか。そう思ってみると、だれが外 5 国人に日本語が教えられるのか、だれもいないではないかということがはっきりしてく る。日本人が日本人に教えるための国語の知識では外国人に勉強してもらうときの役に は立たないのであるが、われわれの国には、外から見た日本語の意識というものが発達 していない。これが実際以上に、日本語を神秘的なものにしている。「国語」という言 い方が普通になっていること自体、うちうちの言語という建前を暗示しているように思 10 われる。 日本は近年、いろいろな点で国際的に注目されている。わが国の経済力はすばらしい 勢いで伸びてほかの国々に脅威を与えているらしい。われわれとしては別にとくに悪い ことをしているつもりはないのに、やれ、経済動物だとか、やれ、軍国主義の復活だと か、誤解にもとづくと思われるような批判をいろいろ受ける。ひとつには、われわれが 15 外から見たらどういうように受けとられるかということに比較的に無関心であること が、他意のないことまで誤解される理由だと思われる。島国に住んでいる民族は他人も 自分と同じように感じるものだと思い込みがちである。想像力が欠如している。やはり 大事なことを忘れて対外的な仕事をしてきたのだと言わなくてはならない。それはすこ しくらい外国援助をふやしてもどうにもなるものではなかろう。われわれの心の問題で 20 ある。 出典:外山滋比古「日本語の論理」 1 ≥ われわれは明治以来、外国語をたいへん熱心に学んできたが、そのために注がれた エネルギーはいたましい浪費であった。 25 2 ≥ 日本語を日本人同士のなれ合いの立場からだけでとらえるのではなく、外部の人、 外国人から眺めるとどういう姿をしているか、ということを考えていく必要がある。 3 ≥ 日本が国際的に誤解にもとづくと思われるような批判をいろいろと受けるのは、日 本人自身が神秘的な日本語を、うまく外国に説明できないからである。 4 ≥ 日本を含めて、島国に住んでいる民族は想像力が欠如しているために、他人も自分 30 と同じように感じるのは仕方がないことである。 5 ≥ 日本人の思考と論理は、日本語の性格と不可分に結びつけられているために、日本 語を理解しない外国人には、日本および日本人はなかなか理解されない。 - 237 - 〔No.99〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 0 (2007−警視庁Ⅰ類) 0 絵画における主体・客体関係の内部から見れば絵画とはひとつの客体にすぎないが、 0 0 その主体・客体関係の外部から見れば、絵画もまたひとつの空間である。関係を外部か ら見ればすべては空間である。そして内部からのまなざしによっても絵画を生み出すこ 0 0 とはできるが、外部からのまなざしを獲得しない限り、建築を作ることはできない。す 5 なわちすべてを空間として把握する外部的なまなざしがない限り、建築を作ることはで きない。そして空間とは世界のあらゆる事象を統合する可能性をもった概念である。関 係があれば空間があるのだから、物質と非物質の差を問う必要はない。美術と建築の差 を問う必要もない。建築と哲学の差を問う必要さえない。新しい時代の建築を語るのに、 空間ほど適した概念はないだろう。 10 しかし、はっきりしておかなければならないのは、空間と建築は決して同義ではない ということである。空間をいくら語っていても建築には到達することはできない。そこ には決定的な断絶がある。その断絶とはすなわち何かを構築しようとする、主体の意志 である。 まなざしの位置が高く、遠ければ、自動的にそこに空間が発生する。しかし建築とは 15 自動的に生み出されるものではない。そこには意志の存在が不可欠である。建築とは確 かに空間的なものであるが、空間そのものではない。建築を空間としてみることは建築 の巾を広げ、建築と他の領域を結びつけてはくれるが、逆に建築が構築であり、意志の 産物であるということを人々に忘れさせる。建築とは空間的な構築である。構築の本質 を問わないでは、いくらまなざしを高く、遠く設定しても、永遠に建築にたどりつくこ 20 とはできない。 出典:隈研吾「新・建築入門」 1 ≥ 建築には、主体・客体関係の外部に立った構築の意志が必要である。 2 ≥ 建築は外部からの客観的なまなざしによって構築されるものである。 25 3 ≥ 高く、遠いまなざしが作り出す空間は、建築の目的にはそぐわない。 4 ≥ 建築の本質は、そこに介在する主体の意志ではなく、空間性にある。 5 ≥ 建築は構築の意志によって絵画がもつような空間性と断絶している。 30 - 238 - 〔No.100〕 次の文章の主旨として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) コミュニティとは単に社会集団でもなければ、同じ場所に住んでいる諸個人の無関係 な集合でもない。それは互いに所属しあいかつ何かを共有する集団である。コミュニ 0 0 ティ神話を共有することは、自分たちは同一であるから互いに所属しあい共有しあって いると感ずることにある。この感情の狭さは、強い愛情関係における所属の感覚や共有 5 と対照してみると最もよくわかる。ドゥニ・ド・ルージュモンが見事に特徴づけたよう に、深い親密な関係にみられる共有関係は、特殊性、つまり他者の特異性を愛すること から成長するのであって、均質な存在のなかに自分を没入することから生ずるのではな い。しかし首尾一貫したコミュニティ・イメージの純化においては、「他者性」を愛す るよりはむしろ怖れることの方が優勢である。この怖れから経験の偽造物が生み出され 10 る。類似していたいという願望の表現である「われわれ」感情は、互いに深く見つめあ う必要を回避する方法である。その代りに、人々は互いについてすべて知っていると想 像するのである。そして彼らの認識は、自分たちが如何にして同じでなければならない かということを思い描くことにかわる。 このように「われわれ」感情は、局外者にとっては実際上大変異なった生活をしてい 15 るような印象をうける人々や、実際には殆んど何も共有しあっておらず互いの生活にお いて殆んど何も重要な関係がないように見える人々のあいだにも成長しうる。 出典:R.セネット/今田高俊訳「無秩序の活用」 注 ドゥニ・ド・ルージュモン フランスの批評家 20 1 ≥ コミュニティの同一性の感情は、強い愛情関係における所属の感覚と類似した、深 い親密な関係に自己を没入することから生じる。 2 ≥ コミュニティの構成員が「他者性」を怖れるのは、互いに深く見つめあうに至らず、 コミュニティとして純化されていないためである。 3 ≥ コミュニティは同一性という深い親密な関係に基づくものであり、単に均質な存在 25 のなかに自分を没入することから生じることはない。 4 ≥ コミュニティにおいては、互いに異なっていることを怖れるために、同一であると いう偽造的な性格を帯びた感情が共有されている。 5 ≥ コミュニティに見られる「われわれ」感情は、類似していたいという願望に基づく ものであって、実際に共有されている感情ではない。 30 - 239 - 2 第 章 文章整序問題 〔No. 1 〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) A 私の演奏する前に座って全身を傾けて聴いている20〜30人の聴衆。 B いま必要とされているのは“心を入れた音”なのだ。 C 彼ら彼女らは私に“完璧な演奏”なんか望んでいない。 D 私は初めて、聴衆に誘導されながら演奏する自分を体験した。 5 E ここで、完成度の高い優等生の音楽はいらないのである。 F その方向からくる強い“思い”が私の演奏を誘導する。 うた 出典:千住真理子「聞いて、ヴァイオリンの詩」 1 ≥ A−B−C−F−E−D 10 2 ≥ A−D−B−F−E−C 3 ≥ A−E−D−B−F−C 4 ≥ A−E−F−D−C−B 5 ≥ A−F−C−E−B−D 15 20 25 30 - 240 - 〔No. 2 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) あき A この職人の腕のなかには、技が無尽蔵に蓄えられているのかと、呆れるほど豊かな 技を持っている人がいる。 B 自分のありったけを人に伝えてはじめて、次に自分がなにを獲得しなければならな いのかを気づく人たちであった。 5 C でも、ほんとうは無尽蔵なのではなかった。 D ほんとうに優れた職人は、決して自分の道具や技を隠さなかった。 E 自分のありったけを、平気で人に伝える人だった。 出典:小関智弘「ものづくりに生きる」 10 1 ≥ A−C−B−E−D 2 ≥ A−D−E−B−C 3 ≥ A−D−E−C−B 4 ≥ D−A−C−E−B 5 ≥ D−B−A−C−E 15 〔No. 3 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2009−地初) A しかし、これは、集団意識というのとは少し違う。 20 B だから、この国家意識は比較的容易に、個人の単位にまで微分化でき、その結果、 個人の単位では、さまざまな国の人たちが平気で付き合える訳である。 C フランス人はしばしば、ドイツ人を田舎者呼ばわりし、ドイツ人はフランス人を軽 5 薄才子となじる。 D この時、彼らは、明らかに、自分を単なる個人ではなく、ある民族や国家の一員と 25 みなし、そこにある誇りを感じている。 E 国家は、彼の外部にではなく、むしろ彼の心のうちにある。 出典:佐伯啓思「「市民」とは誰か」 10 1 ≥ C−B−D−E−A 30 2 ≥ C−D−A−E−B 3 ≥ C−E−D−B−A 4 ≥ E−A−D−C−B 15 5 ≥ E−D−B−C−A - 241 - 〔No. 4 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2009−地初) A 彼は沖の白い船に自分は触ることもできると感じた。 B 少なくともその白い船は、未知の影を失った。 C かつては遠くに眺めたあの「未知」に、たしかに一度、新治はその堅固な掌で触っ たのである。 5 D しかし未知よりももっと心をそそるものが、晩夏の夕方、永く煙を引いて遠ざかる 白い貨物船の形にはあった。 E 若者は力の限り引いたあの命綱の重みを掌に思い返した。 出典:三島由紀夫「潮騒」 10 1 ≥ A−D−C−E−B 2 ≥ A−D−B−E−C 3 ≥ A−E−B−C−D 4 ≥ B−D−E−A−C 5 ≥ B−D−E−C−A 15 〔No. 5 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2008−地初) A どんなに小さなことでもいい、なにかしら「あっ」と感じる気持ち。 20 B 逆に「あっ」がありさえすれば、上手下手はあっても、必ず歌になると思う。 C その「あっ」が種になって歌は生まれてくる。 D 短歌を詠むはじめの第一歩は、心の「揺れ」だと思う。 5 E 「あっ」がなかったら、どんなにがんばって言葉を並べても、歌にはならないだろ う。 出典:俵万智「短歌をよむ」 25 1 ≥ A−C−B−E−D 10 2 ≥ A−E−C−D−B 3 ≥ D−A−C−E−B 30 4 ≥ D−E−A−B−C 5 ≥ E−B−D−C−A 15 - 242 - 〔No. 6 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2008−地初) A 会社は全体として社会の中の穴を埋めているのです。 B 若い人が「仕事がつまらない」「会社が面白くない」というのはなぜか。 C でも会社が自分にあった仕事をくれるわけではありません。 D その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。 5 E それは要するに、自分のやることを人が与えてくれると思っているからです。 出典:養老孟司「超バカの壁」 1 ≥ A−C−B−D−E 2 ≥ A−D−B−C−E 10 3 ≥ B−A−C−E−D 4 ≥ B−A−E−C−D 5 ≥ B−E−C−A−D 〔No. 7〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2007−地初) 15 A 遺伝子資源を守り、より良い環境を積極的に再生することは、人間の命の共生者で あり、生態系の主役である生きた緑をどう回復、創造するかにかかっている。 B せいぜい今の環境状況を維持するのがやっとといったところであろう。 20 5 C 環境問題に関して、現在、日常生活の中で省エネ、ゴミ処理などいろいろ対策が考 えられ、実施されている。 D この最も基本的で重要なことを、実は市民のみなさんは本能的に理解していると思 われる。 E しかしどんなに努力しても、電気や車の使用をすべてやめたり、ゴミをゼロにする 25 ことはできない。 出典:宮脇昭「いのちを守るドングリの森」 10 1 ≥ A−B−E−D−C 2 ≥ A−C−D−E−B 30 3 ≥ A−D−B−C−E 15 4 ≥ C−B−A−E−D 5 ≥ C−E−B−A−D 20 - 243 - 〔No. 8 〕 次の短文A〜Dの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2007−地初) 0 0 0 A 不正確に考えたり、まとまりのない知識をもちたいために学問をするなどというこ とはありえないことです。 B しかし反対に、正確にはっきりと知ろうとする努力をすててしまうと、人間の知識 は、いつまでも赤んぼうのようなままでとまってしまうでしょう。 5 C もちろん、いま私たちが、すべてのものについて、正確で、はっきりとした知識を、 じっさいにもっていると考えることは大きなまちがいで、そのように、ものをかんた んにわり切って考えてしまうことは、かえって私たちの知識をにぶらせてしまいま す。 D 私たちがいろいろな知識を学び学問をするのは、ものごとについて正確なはっきり 10 とした考え方をしたり、私たちのこれからのことにも、できるだけ正確で、はっきり とした考え方をしたいからです。 出典:沢田允茂「考え方の論理」 1 ≥ A−B−D−C 15 2 ≥ A−D−B−C 3 ≥ C−A−D−B 4 ≥ D−A−C−B 5 ≥ D−C−B−A 20 25 30 - 244 - 〔No. 9 〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2006−地初) A 欧米人が日本人を評する言葉でいちばん多いのが、はっきりした返事をしないとい うことだ。 B 私の最大の欠点は、なかなか「ノー」がいえないことだと自覚している。 C そのため多忙になってしまうのだが、いまのところ、その多忙を楽しむことができ 5 ているので、まあ、これでよしと、みずから免じているのだ。 D この文化が、自己責任がとれないためだと欧米人に誤解されているとしたら損だ。 E 日本人はノーというと相手を傷つけてしまうと考える傾向があり、ノーのかわりに あいまい だんまりを決めこんだり、どっちつかずの曖昧な返事ですませようとしてしまう。 出典:斎藤茂太「いい言葉は、いい人生をつくる」 10 1 ≥ A−B−D−E−C 2 ≥ A−C−B−E−D 3 ≥ B−C−A−E−D 4 ≥ B−E−D−C−A 15 5 ≥ E−B−C−D−A 〔No.10〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2006−地初) 20 A 丸暗記を邪道な勉強のように思っている人がいる。 B 本当の勉強は考える力を養うことだとか、本当の勉強は勉強の仕方を勉強すること であるとか、要するに暗記は本当の勉強ではないと思っている人がいる。 C しかし、私は暗記はあらゆる勉強の前提条件だと思っている。 5 D いわゆる基礎学力とはそのことである。 25 E たとえば漢字を暗記していないと本は読めないし、メモひとつとれない。 出典:国分康孝「<自己発見>の心理学」 1 ≥ A−B−C−E−D 10 2 ≥ A−C−B−E−D 30 3 ≥ B−C−A−E−D 4 ≥ B−C−E−D−A 5 ≥ B−D−A−C−E 15 - 245 - 〔No.11〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2005−地初) A 聖徳太子は同時に七人の言い分を聞き分けることができたとか、ナポレオンは同時 に七つのことができたといわれているが、それが事実かどうかは今となっては調べる すべはない。 B そして選択されたものに対して一生懸命になるというのが集中するということなの 5 である。 C しばらくの間は両方ともできるが、間もなく時計の音を聞くために本を読むのをや めてしまうか、読書に夢中になってしまい、時計のことなど気にかけなくなってしま うかのどちらかであろう。 D かたわらの机の上に時計を置き、その音に耳をすませながら本を読んでみよう。 10 E このように、注意というのは意識が知覚されるものの中から、ある一つのものを選 択し、他のものを抑制する働きである。 F しかし、こんな簡単なテストはできるだろう。 出典:山下富美代「集中力」 15 1 ≥ A−D−C−F−B−E 2 ≥ A−D−F−E−B−C 3 ≥ A−E−F−D−C−B 4 ≥ A−F−C−D−E−B 5 ≥ A−F−D−C−E−B 20 25 30 - 246 - 〔No.12〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2005−地初) A 経験したことのない問題の解決には、問題を自分なりに理解した上で、解決策を探 る際に、自分に欠けている知識を補ってくれる情報を獲得する必要が生じる。 B 企業活動や政治の世界でリーダーシップを担っている人々は、毎日のように問題の 解決に取り組んでいるので、こうしたスキルが自然に身に付いているのかもしれな 5 い。 C 人生の折々に出会う問題に主体的に取り組むには、まずその問題を自分なりに理解 することが必要であり、それが問題解決の第一歩である。 D では、情報スキルを身に付けた人とは、いったいどのような人のことを指すのだろ うか。 10 E そしてそれには、情報スキルが必要なのである。 出典:三輪眞木子「情報検索のスキル」 1 ≥ A−C−B−E−D 2 ≥ A−D−C−E−B 15 3 ≥ C−A−E−D−B 4 ≥ C−B−A−E−D 5 ≥ C−E−A−B−D 20 25 30 - 247 - 〔No.13〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2004−地初) A 会社でも、能力主義や成果主義への傾斜が強まるなかで、努力や意欲などの情意面 も依然として評価されている。 B 小中学校では絶対評価が導入されたいっぽうで、そのなかにテストの点数だけでな く「関心・意欲・態度」という要素が盛り込まれるようになった。 5 C 問題は、それが進学のための内申書、昇進・昇給のための人事考課といった形で、 個人の利害に関わる判定に用いられるところにある。 D 現実に取り入れられている評価要素のなかで、人物や人間性とならんで問題が多い のは、努力、あるいはその背後にある意欲や「やる気」である。 E たしかに努力や意欲は個人にとって重要な要素に違いなく、学校でも会社でもそれ 10 を能力向上のための資料として評価することに意味がないとはいえない。 出典:太田肇「選別主義を超えて」 1 ≥ A−B−D−C−E 2 ≥ B−C−E−D−A 15 3 ≥ B−A−C−D−E 4 ≥ D−B−A−E−C 5 ≥ D−C−A−E−B 20 25 30 - 248 - 〔No.14〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2004−地初) A 私は予備校時代や大学時代、優れた先生の授業は、自分ひとりに向かって語りかけ てくれているのだと思いながら聴いていた。 B そうした連帯感も当然ある。 C 勝ち負けということではなく、真剣勝負で向き合うときの緊張感をもって話を聴く 5 ということだ。 D もちろん話を聴きながら、学生たちみんなで笑ったりするのは楽しい。 E しかし、言葉が深く入る瞬間には、一対一の勝負としてイメージしている。 出典:齋藤孝「読書力」 10 1 ≥ A−B−E−C−D 2 ≥ A−C−D−E−B 3 ≥ A−D−B−E−C 4 ≥ A−E−C−B−D 5 ≥ A−E−D−B−C 15 20 25 30 - 249 - 〔No.15〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2003−地初) A 雑用というと、とかく意味のない仕事、つまらない仕事と考えがちだが、ところが どっこい、雑用は意外なほど応用力が必要で、その人間の能力を測る最高のバロメー ターでもある。 B だから、雑用のできる人間は何をやらせても器用にこなしてしまうのがふつうで、 5 逆に頭の回転の鈍い人間は、ちょっとした雑用も満足にこなせない。 C じつは、賢い上司は新入社員のそういう面を観察しているのであって、新入社員は 入社したそのときから値踏みされているのである。 D 二、三カ所回らなければならないとき、どこへ一番急いで届けなければならないか は仕事の流れがわかっていないとできないし、わからないときには、「どれが急ぐの 10 ですか?」くらい聞くのがビジネスマンとしての第一歩だ。 E なぜなら、雑用にはマニュアルがなく、その場その場で臨機応変に対応していくし かないからだ。 F たとえば、これとこれをコピーして、どこそこへ届けてくれ、といった雑用をいい つかったとしよう。 15 出典:川北義則「サラリーマン・「自分らしさ」の見つけ方」 1 ≥ A−B−C−F−E−D 2 ≥ A−B−F−C−D−E 3 ≥ A−C−B−E−F−D 20 4 ≥ A−E−B−F−D−C 5 ≥ A−E−C−D−F−B 25 30 - 250 - 〔No.16〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2003−地初) うま A ですが、このめあてをもって行動する能力も、生れつきのものではなく、成功や失 敗を含む多くの試みの中で徐々に育っていくものです。 B この意図、すなわち目的意識性とは単なる心がけだけでなく、そのための能力を必 要とします。 3 5 3 3 3 C 共謀する動物とは、社会性をその特質とすることを意味すると同時に、たくらみ、 意図にもとづいて行動し、かつ生きる動物ということができます。 だれ 3 3 3 3 3 3 3 D 人間である以上誰でも、あるめあて、たくらみをもって行動します。 E それをもっとも端的にいえば、豊かな象徴能力、つまりあらかじめ頭の中で設計す る力を駆使して行動する能力ということができましょう。 出典:大田堯「教育とは何か」 10 1 ≥ D−B−C−A−E 2 ≥ D−E−C−A−B 3 ≥ C−E−A−D−B 15 4 ≥ C−B−E−D−A 5 ≥ C−D−A−E−B 20 25 30 - 251 - 〔No.17〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2002−地初) あふ A 世間には「わかりやすいもの」が溢れて、それらはみんな、「いかにもわかりやす そうな顔」をしているのである。 B 人間は、「量」で事態を把握するものである。 C 「わかりやすさ」をアピールする本が、いかにもそれらしく「薄い」のは、そのた 5 めである。 D だから、「わかりやすいもの」は、その「わかりやすさ」にふさわしいくらいの「お ごろ 手頃感」を、「量」でも示さなければならない。 E つまり、「わかるべきこと」がいっぱいあると、「そんなにたくさん知らなくちゃな らないのかよ……」と思って、身を固くしてしまうということである。 出典:橋本治「「わからない」という方法」 10 1 ≥ A−B−D−E−C 2 ≥ A−D−B−E−C 3 ≥ A−E−C−B−D 15 4 ≥ B−A−C−E−D 5 ≥ B−E−D−C−A 20 25 30 - 252 - 〔No.18〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2002−地初) A イギリスは依然としてわが国で最も親しまれている外国の一つだろうが、イギリス の美術は今日一般的にはあまり話題にのぼることがなく、出版物もごく一部の時代、 一部の芸術家についてしか見あたらない。 B 今でもターナーは知名度が高いし、《オフィーリア》もいちおう知られていると言 5 えそうだが、それはまさに漱石の影響であるような気がする。 C もっとも、最近はイギリスの美術をとりあげた展覧会がかなり目立つようになり、 状況の変化を感じさせもする。 D 考えてみると、明治時代の日本で知られていたのもこの時期の絵画に限られていた ようだ。 10 こつ E しかし、たいていは19世紀が中心であるため、イギリスでは美術が忽然と19世紀に わ 湧いてきたような印象を与えかねない。 出典:高橋裕子「イギリス美術」 1 ≥ A−C−D−E−B 15 2 ≥ A−D−E−C−B 3 ≥ A−E−B−D−C 4 ≥ B−A−C−E−D 5 ≥ B−E−D−C−A 20 25 30 - 253 - 〔No.19〕 次の短文A〜Eの配列順序として、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) A それによって、社会の中にいる自分を再確認できるし、自分はこれでいいのだとい う安心感が得られる。 B 自分自身に「私はなぜ働いているのか」と問うてみることがあります。 C そして、自信にもつながっているような気がします。 5 うそ D お金は必要ですし、地位や名誉はいらないと言ったら嘘ですが、やはり、他者から のアテンションが欲しいのです。 E すると、いろいろ考えた挙げ句、他者からのアテンションを求めているから、とい う答えが返ってきます。 出典:姜尚中「悩む力」 10 1 ≥ B−A−C−E−D 2 ≥ B−D−C−E−A 3 ≥ B−E−D−A−C 4 ≥ D−A−B−C−E 15 5 ≥ D−B−E−A−C 20 25 30 - 254 - 〔No.20〕 次のA〜Eを並べかえて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当なものは どれか。 (2010−地初) だま A 他者に危害を加えたり、騙したり、あるいは人のものを盗んではいけない。いくら 自分がそれをしたくても、ちゃんとした理由があってそれが欲しくても、法律に違反 することはできない。 B 学校や仕事は、社会的な支配といえる。個人の肉体的な支配よりもやや緩やかでは 5 あるけれど、場合によっては(あるいは感じる人によっては)、非常に強力な制限に もなるだろう。 C 罪を犯せば(しかもそれが発覚すれば)、それなりの制裁を受けることになるわけ で、それによって受ける不自由は大きい。だから、できないことの不自由と、してし まって受ける不自由との比較を強いられる。 10 D 社会的支配には、強い強制力を持っているものもある。どんなに高い地位にあって あらわ も自分のしたいことを自由にできるわけではない。最も明確な形で顕れる支配は、法 律である。法律で規制されているため、やってはいけないことがある。 E こういった支配によって「不自由」を感じることはあるだろう。一般的な感覚で は、受け入れるしかないもの、と解釈されている。もし、どうしてもそれがしたいの 15 ならば、法によって裁かれることを覚悟でやるしかない。 出典:森博嗣「自由をつくる 自在に生きる」 1 ≥ B−A−D−C−E 2 ≥ B−D−A−E−C 20 3 ≥ C−E−B−D−A 4 ≥ C−A−B−E−D 5 ≥ C−D−A−E−B 25 30 - 255 - 〔No.21〕 次のA〜Eを並べかえて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当なものは どれか。 (2009−地初) A 「信教の自由」という言葉があるように、現在の宗教は個人が自由に選びとれるも のになりましたが、かつての宗教は、人びとが生きている世界そのもの、生活そのも の、もっと言えば、人びとの人生と一体化したものでした。 B むろん、現代の私たちも、人が死ねば葬式をやりますし、お盆やお彼岸には墓参り 5 もします。そういう宗教はいまも依然としてありますが、かつての宗教はそれとは まったく違うものでした。 C 近代以前の世界には、ヨーロッパでもアジアでも「宗教」というものが厳然と存在 し、人はその中で生きていました。 D 信 仰 を 意 味 す る「レ リ ー ジ ョ ン(religion)」 の 語 源 は ラ テ ン 語 の「レ リ ジ オ 10 (religio) 」で、制度化された宗教というニュアンスがあります。 E つまり、宗教というのは「個人が信じるもの」ではなく、「個人が属している共同 体が信じているもの」だったのです。 出典:姜尚中「悩む力」 15 1 ≥ A−B−D−C−E 2 ≥ A−C−D−E−B 3 ≥ C−B−A−D−E 4 ≥ C−B−D−A−E 5 ≥ C−E−D−A−B 20 25 30 - 256 - 〔No.22〕 次の文章につながるようA〜Eをならべかえて一つのまとまった文章にする場 合、最も妥当なものはどれか。 (2008−地初) 「神隠し」とは、ある日、突然、子供などが日常世界から消え失せてしまうことである。 A だが、その一方では、ひょっとしたら人間世界の苦しみから解放され、神の保護の もとで楽しい生活を送っているかもしれないとの思いも抱くのではなかろうか。 5 B 残された人びとは、共同体の外部へと誘い出された失踪者の〝その後〟にいろいろ な思いを巡らせ、多くは暗い気持になる。 C つまり失踪者を待っているのは悲惨な運命だと想像する。 D 「神隠し」という言葉が、暗く悲惨な響きのみでなく、柔和で甘美な響きを併せもっ ているのは、こうした二面性によっているのであろう。 10 E 失踪者は新しい世界、神の国=ユートピアに去ったのである、と。 出典:小松和彦「神隠しと日本人」 1 ≥ B−A−E−D−C 2 ≥ B−C−A−D−E 15 3 ≥ B−C−A−E−D 4 ≥ C−B−A−D−E 5 ≥ C−B−E−A−D 20 25 30 - 257 - 〔No.23〕 次のA〜Fをならべかえて一つのまとまった文章にする場合、妥当なものはど れか。 (2007−地初) A いわば、 「都市」は「文明」であり、「地方」は「文化」と対応しているわけで、で すから、地方性がなくなるということは文化の衰弱を意味しています。また、「文化」 ぼう が「文明」に変貌していくといってもよいでしょう。 B その意味ではそれは文明です。 5 C それを生み出した特定の地域や空間や場所という制約を超えて、広く普遍化してゆ くものです。 D たとえば、近代の科学や産業技術は、それを生み出した西洋のコンテクストを飛び 越えて、アジアや南アメリカなどにも拡散してゆきます。 E 「文化」とは「cultivate」、つまり、「耕す」という意味からでているように「土地 10 に根ざす」ものであって、基本的に地方性と結びついているわけです。 F 「文明」は基本的に普遍性を志向するものです。 出典:佐伯啓思「学問の力」 1 ≥ E−A−F−C−D−B 15 2 ≥ E−C−A−F−B−D 3 ≥ F−A−E−D−B−C 4 ≥ F−D−A−B−E−C 5 ≥ F−E−B−D−C−A 20 25 30 - 258 - 〔No.24〕 次のA〜Eを並べ替えて一つのまとまった文章にするとき、最も妥当なものは どれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) A 文明の進歩は、いいものをたくさんもたらしてくれはしたが、うっかりすると、だ れにも与えられているはずの、大切な生命の働きを弱め、そこからくるよろこびを奪 い去るおそれがある。自動車は自分の足で歩くたのしさを忘れさせ、スモッグはみど りの木々を枯らし、星の光をもかき消してしまう。美しいものに接して心をおどらせ 5 る機会は、都会では少なくなった。したがって、さきの詩人が歌ったような、よろこ びも与えられない。 B しかし、まさにこうしたものを失いかけている現代であればこそ、わたくしたちは かえって生命の、何ものにもかえがたい値打ちにめざめうるのではなかろうか。文明 をつくり出しておきながら、人間のほうがこれに圧倒されてほろびてしまわないため 10 にも、ひとに与えられている内なる富、すなわち心身の働きを正しく育て、強めてゆ く工夫をしたいものである。 C そのほか、自分でものを考えるたのしみ、興味のおもむくままに本を読みふけって 「われを忘れる」こと、ひとり未知のものを学んでゆこうとするときの苦心と心のは ずみ、冒険、発見、創造のスリル……。こうした体験は、規格化された教育制度のレー 15 ルに乗っていては、なかなか味わえなくなった。 D その上、困ったことには、競争を基盤とする産業社会の仕組みは、人びとにひたす ら適応と安定だけを追い求めさせ、同じ生命にはぐくまれているもの同士としての、 利害を越えたむつみあいを困難なものにしている。 E 人間の生命の働きそのものからわきあがるよろこびは、金や物や勲章などによって 20 与えられるものとは、くらべものにならないほど強く、長続きするものだ。その源泉 は幼い子どもにも、精薄の人のうちにも、すでにまぎれもなく宿っている。彼らの笑 いや驚き、歌や絵が生命の躍動にみちているのをみても、それはうたがえない。この 泉をにごりなく保つことさえできれば、苦しみの多い人生も、どれほど明るくなるこ とであろう。 出典:神谷美恵子「いのちのよろこび」 25 1 ≥ A−E−B−C−D 2 ≥ A−B−D−C−E 3 ≥ E−A−C−D−B 30 4 ≥ B−A−C−D−E 5 ≥ E−B−C−D−A - 259 - 〔No.25〕 次のA〜Eを並び替えて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当な順序は どれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) A もちろん彼らでも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたら、 ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの 分析は、 「イフ」的な思考を経ないかぎり到達不可能な分析になっている。というこ とは、書かなくても頭の中では考えていたということである。 5 のぶ なが B 歴史に、「イフ」はいけないということになっている。例えば、もしも信長が本能 寺で死なずにあと十年生きていたら、日本はどうなっていただろう、というようなこ とは、歴史では、考えてはいけないというのである。 ほんとうに、そうだろうか。 C では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしてももてあそぶのか。 10 それは、歴史を学んだり楽しんだりする知的行為の意義の半ばが、「イフ」的思考 にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。 だれ D 「誰が」 、「いつ」、「どこで」、「何を」、「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今 は や や流行りのインターネットでも駆使して、世界中の大学や研究所からデータを集めま くれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」 15 に肉迫しなければならないからである。 E 俗に言う重箱の隅を突っつくたぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人 は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その 人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということがわかる。 出典:塩野七生「「イフ」的思考のすすめ」 20 1 ≥ A−E−C−B−D 2 ≥ B−E−A−C−D 3 ≥ E−C−D−A−B 4 ≥ B−D−A−E−C 25 5 ≥ E−C−A−B−D 30 - 260 - 〔No.26〕 次の短文A〜Eを並べかえて一つのまとまった文章にしたい。最も妥当な組み 合わせはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) A しかし、改めてくり返すまでもない程しばしば指摘されてきた事ではあるが、川端 の文体は俳文の伝統に発するものとも、同様に言えるのである。 B これに関連して少し触れておいていいのは、川端が翻訳しにくいという点だ。 ゆえん C 川端を西欧の影響をつよく受けた作家となす所以は、何よりも川端の文体にあると 5 思える。 D 彼の文体の特異性がフランスや英国からの借り物であるなら、英語に訳しもどすの は当然易しいことになる筈だが、実際はまるで逆である。 E あの急激な転換や読者を驚かすイメージは、明らかに一九二〇年代の前衛的な西欧 文学と共通点をもっている。 出典:池田清彦「分類という思想」 10 【注】 川端=川端康成 1 ≥ C−E−B−A−D 2 ≥ D−B−A−C−E 15 3 ≥ C−E−A−B−D 4 ≥ D−A−E−B−C 5 ≥ C−B−E−D−A 20 25 30 - 261 - 〔No.27〕 次の文章に続けて、短文A〜Eを並べかえて一つのまとまった文章にしたい。 最も妥当な組み合わせはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ類) 「連歌」とはどのような形式の文芸なのだろうか。 A すなわち連歌は二人が唱和することからはじまったのである。 かみ のく ちょう く しも のく B このうち和歌を二つにわけて、「五・七・五」を上句とか 長 句、「七・七」を下句 5 たん く とか短句ということがある。 C そしてその句切れから、短歌は「五・七・五・七・七」、俳句は「五・七・五」と いうように、その音数律で示されることがある。 かみ のく しも のく D 短歌は、「五・七・五・七・七」すべてを一人で詠むのだが、この上句と下句をあ えて二人で詠む場合を連歌という。 10 E 周知のように、短歌は三十一音からなり、俳句は十七音からなる。 出典:綿抜豊昭「連歌とは何か」 1 ≥ E−C−A−D−B 2 ≥ E−C−B−D−A 15 3 ≥ E−D−A−B−C 4 ≥ D−E−A−C−B 5 ≥ D−A−B−E−C 20 25 30 - 262 - 〔No.28〕 次の短文A〜Gを並べかえて一つのまとまった文章にしたい。最も妥当な組み 合わせはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) A あるいはなんとなく憂鬱であり、なんとなく楽しいので、なぜこう憂鬱なのか、な ぜこう楽しいのか、感じている本人自身にもはっきりしないものです。 B 感情は心の全体的な動きで、ある傾向を表します。 C いっぽう、思考は心像という心理的な単位を縦に並べたり、横に並べたりして、そ 5 れらの間に関係を作り上げる働きです。 D 心の働きには大きくふたつの水準があります。 E ひとつは感情で、もうひとつは思考です。 F 感情と違って、「心像」というある程度形あるものを相手にします。 G なんとなく好き、なんとなく嫌い、なのであって理由ははっきりしません。 出典:山鳥重「『わかる』とはどういうことか」 10 1 ≥ B−C−A−D−F−G−E 2 ≥ B−E−F−C−D−G−A 3 ≥ B−G−A−C−F−D−E 15 4 ≥ D−E−B−G−A−C−F 5 ≥ D−B−F−E−C−A−G 20 25 30 - 263 - 〔No.29〕 次の短文A〜Fを並べかえて一つのまとまった文章にしたい。最も妥当な組み 合わせはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) A またそれらを摂取する肉食獣とのつながりもある。それらの排泄物は無数の微生物 や植物たちによって、利用しつくされている。 B とすれば、生物とは、輻射エネルギーという一本の糸にすべてがつながっているも の、といえる。 5 C たとえば、植物は太陽の輻射エネルギーを得て生長する。 D 人間も含め、エネルギー的に孤立して、独自の生命活動をおこないうる生物は、存 在しない。 E あるいは、そのあいだに存在する調和を考えれば、輻射エネルギーをあらゆる形で 最大限利用しつくすものが、生物ともいえるようである。 10 F その植物がつくった化学エネルギーを利用し、活動する多くの昆虫や草食獣がい る。 出典:武田修三郎「エントロピーからの発想」 1 ≥ D−C−F−E−B−A 15 2 ≥ D−E−B−A−F−C 3 ≥ D−C−B−E−F−A 4 ≥ D−C−B−A−F−E 5 ≥ D−C−F−A−B−E 20 25 30 - 264 - 〔No.30〕 次の短文A〜Eを並べかえて一つのまとまった文章にしたい。最も妥当な組み 合わせはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) A シューベルト、シューマン、リスト、ワーグナー、ブラームス、ベルリオーズ、ロッ シーニ、ヴェルディ、スメタナ、ドヴォルジャーク、チャイコフスキー等々─かつて かよ 通った小学校の音楽教室に肖像写真が並んでいた大作曲家たちの大半が、一九世紀の 人だ。 5 B にもかかわらず、なぜこの世紀の音楽史を語るのがそんなにも難しいのか。 C いうまでもなくこの世紀には、なじみの「大作曲家」の名前がずらりと並んでいる。 まばゆ D その理由はまさに、この偉大な個性の眩いばかりの百花繚乱にある。「音楽史を語 る」とは、単に大作曲家と名曲の名前を列挙していくことではない。 E 一九世紀は、西洋音楽史の中で最も魅力的であると同時に、最も歴史を語ることが 10 困難な時代である。 出典:岡田暁生「西洋音楽史〈クラシックの黄昏〉」 1 ≥ E−B−D−A−C 2 ≥ A−D−E−B−C 15 3 ≥ E−D−B−C−A 4 ≥ A−B−C−D−E 5 ≥ E−C−A−B−D 20 25 30 - 265 - 〔No.31〕 次のA〜Gを、首尾一貫した文章として最も適切な順序に配列したものはどれ か。 (2007−警視庁Ⅱ類) A ちまちまとした片隅の幸福を歌いたくなるとき、私の心は憤怒に塗られる。 B 振り捨てるのに必死になるほど、愛着の断ちがたいものを、探すことが先決だ。 C 一切のものが、きれいさっぱり身辺から無くなることに、むしろ執念を燃やしてい るようなところがある。 5 D 職を捨てる。大量に本を売る。精神の緊張を強いられる程度に危険の大きい賭を、 こちらから求めて好んで遊ぶ。 E しかし、そのためには、捨てるべきものをまず手に入れる必要がある。というより は、捨てるに価するものを、というべきだろう。 F だから、というよりも自分でもどうすることもできない業であろうが、気がついて 10 みると私は、何年に一度か、周期的に、安定しかかった自分の生活を自分で破壊して きたようだ。 G 古美術が好きで、無理な算段をしてまで古美術品を買うことがあるが、あるとき衝 動的にそれらを売払ってしまう。そういうときは、家人はもとより、友人たちの目に も、かなり気狂いじみて映るらしい。 出典:安東次男「物の見えたる」 15 1 ≥ A−D−C−G−B−E−F 2 ≥ A−F−D−G−C−E−B 3 ≥ A−G−D−C−F−B−E 20 4 ≥ G−A−C−D−E−B−F 5 ≥ G−C−E−F−D−A−B 25 30 - 266 - 〔No.32〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地上) がん A 雁の肉はおいしいという評判だ。 にんじん B しかし豆腐に人参やひじきを入れて油で揚げて、雁の肉の味に似たものができると は思えない。 C おでんなどになくてはならない具の一つに「雁もどき」がある。 5 D 「もどく」という言葉は『源氏物語』などでは、「競争する」「張り合う」という意 いどむ 味で使われており、そのころの辞典で「挑」という字の訓となっている。 E この大豆食品は、それに負けないくらいおいしいぞ、という意味の命名ではないか と思われる。 F さてこの「雁もどき」の語源はと聞かれると、雁の肉に似た味がする食品、つまり 10 ま ね 雁の味を真似たからと解するのが一般になっている。 出典:金田一春彦「ホンモノの日本語を話していますか?」 1 ≥ A−B−E−C−D−F 2 ≥ A−C−E−F−D−B 15 3 ≥ A−F−D−E−B−C 4 ≥ C−A−D−F−E−B 5 ≥ C−F−B−D−A−E 20 25 30 - 267 - 〔No.33〕 次の短文A〜Gの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2009−地上) A 不確実なものが確実なものの基礎である。 B ─「ひとは不確実なもののために働く」、とパスカルは書いている。 こんてい C そしてひとは不確実なものから働くというところから、あらゆる形成作用の根柢に かけ 賭があるといわれ得る。 5 D もとより彼は不確実なもののために働くのではない。 0 0 0 E けれども正確にいうと、ひとは不確実なもののために働くのでなく、むしろ不確実 0 0 なものから働くのである。 F 人生がただ動くことでなくて作ることであり、単なる存在でなくて形成作用であ ゆえん り、またそうでなければならぬ所以である。 10 G 哲学者は自己のうちに懐疑が生きている限り哲学し、物を書く。 出典:三木清「人生論ノート」 1 ≥ A−B−C−D−E−F−G 2 ≥ A−B−E−G−C−F−D 15 3 ≥ A−C−E−D−G−F−B 4 ≥ A−F−B−D−C−G−E 5 ≥ A−G−D−B−E−F−C 20 25 30 - 268 - 〔No.34〕 次の短文A〜Gの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地上) A 他者軽視と仮想的有能感との関係は、他者評価と自己評価の関係として見ることも できる。 B つまりシーソーのように、他者評価が上がれば自己評価が下がり、自己評価が上が れば他者評価が下がると考えるわけである。 5 C 例えば、自分の専門の分野で、これまで出会ったことのないようなきわめて優秀な 人に遭遇し、高い評価を与えた場合、以前に比べて自分を厳しく低く評価することに なるかもしれない。 D 他者評価の結果が自己評価に反映されたり、逆に自己評価の仕方が、他者評価に反 映されたりする。 10 E また逆に、自分が何らかの賞を与えられて、自己評価自体を高めた場合、他者に対 して優越感を抱き、他者についての評価を幾分下げることになるとも考えられる。 F 一人の評価者が行う他者評価と自己評価は、決して独立したものではない。 G これは他者評価と自己評価が相反する方向に作用する例である。 出典:速水敏彦「他人を見下す若者たち」 15 1 ≥ A−C−D−E−B−G−F 2 ≥ A−C−F−B−G−E−D 3 ≥ A−E−B−C−F−G−D 4 ≥ A−F−D−C−E−G−B 20 5 ≥ A−F−E−B−C−D−G 25 30 - 269 - 〔No.35〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地上) A 「私」は、最初から抽象的な概念としての脳に備わっているのではなく、生まれ落 ちて以来の母親や父親、その他身近な人たちとの具体的で、いきいきとした交渉のう ちに、徐々に整理され、獲得されていくのです。 B また、生き延びていくためにするべきこと、してはいけないことを整理していくの 5 も、生物としてとても大切なことです。 C 新生児は、自らの身体を動かして周囲と折衝しつつ、しだいにその体験を整理する 中で、何かにぶつかれば痛みを感じ、おいしいものを食べると喜びを感じる存在とし ての「私」の概念を獲得していきます。 D さらに、周囲の人が、「私」がとった行動にもとづいて、「私」をほめたり、怒った 10 り、無視したりといったさまざまな行動をとることを経験し、それらを整理すること によって、社会的存在としての「私」の概念も形成されていきます。 おびや E さまざまな体験を通して、何が自分の生存を脅かすことで、何が助けになることか という知が、だんだんと脳の中で整理されていきます。 F 熱いものに触ったり、階段から落ちて痛い目にあったり、犬に吠えられたり。 出典:茂木健一郎「「脳」整理法」 15 1 ≥ A−C−B−D−F−E 2 ≥ A−F−B−C−E−D 3 ≥ C−D−A−B−F−E 20 4 ≥ C−D−E−A−B−F 5 ≥ C−F−D−B−A−E 25 30 - 270 - 〔No.36〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地上) A 日本では、本の索引づくりなどは少々面倒な仕事と見られている。 B ある人は、索引のない学術書は決して読まないという。 C そういう考えが強いせいか、学術書でさえ索引のないものがときにある。 D どうせ本の付録みたいなもので、どうしてもなくてならないというものではない。 5 E 索引がなくては、二度の使用に耐えないというわけである。 F 読んで記憶に残ったことをあとで探そうにも、索引がなくてはどうにもならないか らだという。 出典:柴田武「日本語はおもしろい」 10 1 ≥ A−B−C−F−E−D 2 ≥ A−C−B−E−F−D 3 ≥ A−D−C−B−F−E 4 ≥ B−E−A−C−D−F 5 ≥ B−F−A−E−C−D 15 20 25 30 - 271 - 〔No.37〕 次の短文A〜Fの配列順序として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地上) A 科学では記号や式で表されるような、当初はまったく訳の分からないものの理解 が、まず最初に求められる。 B それでも不思議そうな顔をしていると、今度は「あまり細いと後ろの席から見えま せんし、もっと細くすると前の席からも見えなくなってしまいますから、心の中だけ 5 で本当は太さがないと思うことにしましょう」ということになる。 た C これによく堪えた場合、わたしたちはいつでも必ず成り立つ、ものごとの客観的な 理解ができるようになるらしい。 うそ D つまり、自分で自分に嘘をつくことが必要なのである。 E 気になって質問してみても、たいていは「いい質問ですが、そのうち分かることで 10 す すから、今は黒板に描いた真っ直ぐな線に太さがないことにしましょう」と、見事に 切り返される。 F たとえば、小学校の発展学習で、先生から「直線には太さがない」とか「点には大 きさがない」と教わるとき、黒板に描かれた直線に太さがあることを気にしてはなら ない。 出典:瀨戸一夫「科学的思考とは何だろうか」 15 1 ≥ A−B−E−D−F−C 2 ≥ A−C−F−E−B−D 3 ≥ A−D−C−E−B−F 20 4 ≥ A−E−F−D−B−C 5 ≥ A−F−C−B−D−E 25 30 - 272 - 〔No.38〕 次のA〜Fを並べかえて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) A 一介の読者として、詩というものをふり返ってみた場合、私が第一のよりどころと するのは、詩を読んで得た感動の記憶である。その感動の最も純一なものは、私の場 合、涙を伴っている。 B 今、私はある分量の言葉を詩たらしめているものを、ポエジーと呼ばざるを得な 5 かった。詩情とか詩魂とかの言葉もあるが、どうもしっくりこない。むしろポエジー という外来語のほうが、現代日本の詩のもつひろがりをすくいとれるように思えるの だ。 C 詩を書いている人間は、詩らしきものを書き続けることによって、永遠に「詩とは なにか」に答え続ける─とでも言うより仕方がない。が、読む側に立ってそれを考 10 はず えることは、書く人間にとっても不可能ではない筈だ。 D そしてそこにまた、日本語で書かれた詩作品のもつ〈詩〉の問題が端的に現れてい る。 E 涙を伴っている感動が最も深い感動であると断言することはできないが、少なくと もそれは心身のひとつの具体的な状態なのであって、今のところ私にはそういういわ 15 ば実体を手がかりにする以外に、詩に近づく途はない。 ぺん F 私の側に感動という実体がある、とすればそれを私に与えた一篇の詩作品の側にも ポエジーという実体があるだろう。そういう形で私は、ポエジーのすべてではないに しても、少なくともある一面を信じている。 出典:谷川俊太郎「詩を考える」 20 1 ≥ A−E−F−C−D−B 2 ≥ B−D−C−A−F−E 3 ≥ C−A−E−F−B−D 4 ≥ E−F−B−C−A−D 25 5 ≥ F−B−C−A−D−E 30 - 273 - 〔No.39〕 次のA〜Fをならべかえて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当なもの はどれか。 (2009−地上) びゅう A ここから、官治・無謬・包括という日本型国家観念はくずれざるをえない。市民・ 基礎自治体(市町村)・広域自治体(県)・国のそれぞれが独自課題をもつ《分節》政 治イメージこそが要請されている。 B これでは、自治体レベルの情報が国民の共有たりえず、個性ある美しい都市づくり 5 に必要な自治体改革をおしすすめえなかったとしても、やむをえないではないか。 C 自治の思想の形成には、市民の政治訓練だけでなく、同時に日本の近代がつくりあ げた封鎖性をもつ日本型国家イメージの分解が不可欠である。この国家観念の崩壊 は、ようやく日本の国際化・分権化というかたちですすみはじめた。日本の政策の対 外・対内的な国際化は、制度の分権化なしにはありえない。 10 D 市民文化はそれぞれ個性をもつ美しい都市へと結晶する。市民文化の成熟には、自 治体レベルをテコとした、自治の思想の形成、さらに社会科学の再編が必要とされる はずである。 E 生活レベルと国レベルとの中間に自治体レベルを設定し、これを中軸に自治の思想 が形成されれば、国家観念は市民と政府、この政府も基礎自治体、広域自治体、国の 15 各政府に分解され、私文化から市民文化への飛躍がはじまる。それは当然、政治の実 態をなす法制・財政の分権をうながす。 F 日本の思想は、これまで保・革を問わず、国レベルの思想と生活レベルの思想とに 両極化している。そこに自治体レベルの思想を欠落させてきた。自治体を制度媒体と する自治の思想を形成しえなかった。日本の社会科学も、最近まで、自治体レベルの 20 問題究明を軽視してきた。 出典:岩波書店編集部編「思想の言葉Ⅳ」松下圭一「〈私文化〉と〈市民文化〉」 1 ≥ E−D−C−F−B−A 2 ≥ E−D−F−C−A−B 25 3 ≥ F−B−A−E−C−D 4 ≥ F−B−C−A−E−D 5 ≥ F−C−A−E−B−D 30 - 274 - 〔No.40〕 次のA〜Eをならべかえて一つのまとまった文章にする場合、最も妥当なもの はどれか。 (2008−地上) A この二つを兼ね備えた人間がいれば、その人に人事を一任するのが最もよい。民主 主義とは多数決であるから、しばしば力関係が反映され過ぎ公平を欠くし、大局観も 平均値的レベルにしかなり得ない。 B ところが、このような人々が、上に述べた二つの資質を持っているとは限らないの 5 である。学問的業績が高いということは、細分化された現在の学問では、それだけ自 らの専門への傾斜が強かったということは意味しても、すぐれた大局観を必らずしも 意味しない。人格や政治能力が学問的見識と無関係なのは言うまでもない。 C いかなる組織においても、最も重要な判断は人事である。人事さえうまく行き、有 つかさど 能な人間が集まれば、あとは自然に良い方向へ流れて行く。人事を司る人間に必要な 10 ものは、何と言ってもすぐれた大局観と公平さである。 D 学内人事におけるすぐれた大局観とは、その学問分野全体を展望する広い視野と、 どうさつりょく これからの潮流を流行にとらわれずに見通す洞察 力 である。公平とは無私である。 E この二つを備えた人間を探すのは、考えるほど容易でない。たとえいたとしても、 民主主義花盛りの現今では、その人間に一任とはなりにくい。そこで通常は、学問的 15 業績の高い人とか政治能力の高い人、人格の高い人、派閥の長などが民主的会議の場 で実権を握ることになる。 出典:藤原正彦「遥かなるケンブリッジ」 1 ≥ C−A−D−E−B 20 2 ≥ C−B−E−A−D 3 ≥ C−E−D−B−A 4 ≥ D−A−B−E−C 5 ≥ D−E−B−A−C 25 30 - 275 - 〔No.41〕 次のA〜Fをならべかえて一つのまとまった文章にする場合、妥当なものはど れか。 (2007−地上) A 情緒と情緒の考察者は、眠っている人と、眠りについての考察者との関係に等しい とすれば、われわれが情緒について論じることは、熟睡する人が睡眠について論じる のに似ていると言えなくもない。 B しかし果して冷静な観察者を自己の内部にそなえた激情は、本当の激情と言えるも 5 のかどうか。 0 0 0 C われわれは喜怒哀楽をみずから感じながら、同時にもう一人の観察者を自分のなか に設定して、それを自己分析的に眺めなければならないのである。 D 情緒が身体的〈事実〉であるとするならば、情緒を味わっている人物は、全身的に その情緒に支配されているのでなければならない。 10 E ということは、激情に動かされている人物は、冷静な反省者を自分のなかに許容で きないゆえに、激情に動かされているといわれるのである。 F 情緒を論じる場合、われわれがぶつかる困難の一つは、情緒という身体的な〈事実〉 を、外から、その事実に即して論理化するというのではなく、内部にあって、その〈事 実〉を実現しつつ、それを論理的に明らかにするという点にある。 出典:辻邦生「情緒論の試み」 15 1 ≥ A−B−F−C−E−D 2 ≥ A−F−E−D−B−C 3 ≥ F−A−E−B−C−D 20 4 ≥ F−C−B−D−E−A 5 ≥ F−E−B−D−A−C 25 30 - 276 - 〔No.42〕 次の文にA〜Fを続けて意味の通った文章とするために、最も妥当な順序はど れか。 (2010−警視庁Ⅰ類) まず偶然とは何であるか、古人は、現象を確乎動かざる調和的法則に従う如くみえる ものと、彼等の以て偶然に帰するところのものと、この二つに分けて考えた。後者はあ らゆる法則に反抗し、したがってこれを予見することを許さぬものを指したのである。 あらゆる部門に於て、正確な法則はすべてを決定するものではなく、たゞ偶然の活躍し 5 得る範囲の両端を界するものに過ぎないのであった。 A もし、あまねく自然法則に無限の知識を有する全能の精神があるならば、すでに如 何なる現象をも世の初めに於て予見することができるはずである。 B かゝる思想に於ては、この偶然なる語は正確な意味、客観的な意味を有する。一人 10 にとって偶然なものは、また他の人にとっても、否さらには、神々にとっても偶然な のであった。 C 実にかゝる精神にとっては、偶然なる語は意味をなさない、否むしろ、偶然なるも のはないというべきであろう。吾々にとって偶然の存在するのは、とりもなおさず、 吾々の無力にして無知なるによるのである。 15 D しかも、すでに無力な吾々人類の間に於てすら、無知なものにとって偶然なものも、 知者にとってはもはや偶然ではない。偶然とは吾々の無知を測る尺度にほかならぬ。 偶然現象とは、吾々にとってその法則が未知な現象をいう、とでも定義すべきである。 E しかしながら、もはや吾々はかゝる思想を抱いてはいない。吾々は絶対的決定論者 になってしまった。人間の自由意志の権利を保留しようと欲する人々も、少くとも無 20 機物界に於ては、決定論の遺憾なく支配するのをみとめる。如何に微小な現象であっ ても、原因なくしては起り得ない。 F かゝる精神を有するものがもし存在したならば、吾々はこれを相手に如何なる賭け 事をも争うことはできないであろう。必ず負けるにきまっているからである。 出典:ポアンカレ(吉田洋一訳)「科学と方法」 25 1 ≥ A−E−D−B−C−F 2 ≥ B−E−A−F−C−D 3 ≥ C−A−E−B−F−D 4 ≥ D−E−A−F−B−C 30 5 ≥ E−B−C−D−A−F - 277 - 〔No.43〕 次の文にA〜Eを続けて意味の通った文章とするために適切な順序はどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 絵画や彫刻は、それ自体スタティックな作品であるが、それを鑑賞し体験する経過で は、音楽や他の時間芸術と同じように全体を一度に理解するというより、各部分を個々 に確認しつつ、それらを相互に結びつけ、比較しあい、全体的構成として意識する。 5 A もっとも時間的表現と空間的表現との決定的なちがいも無視することはできない。 B またリズムという概念が空間的表現よりも時間的表現で、より法定的要素である理 由もそこにある。 C 例えば、音楽では各部分の比較といっても、時間的に過去のものとなった楽節は、 現に聴こえている楽節のような明確な形として記憶に残っているわけではない。 10 D 空間芸術においても、多少時間的経過が必要であるばかりでなく、空間的各部分を 統一する努力は、ちょうど音楽のリズムを積極的に意識する働きと同じような性質を もっている。 E 空間的表現では、再び前の部分を観ることによってその結びつきや比較を何回もた しかめることができるが、この点時間的表現では、観賞する体験者ははるかに積極的 15 な努力が必要となる。 出典:小泉文夫「音楽の根源にあるもの」 1 ≥ A−E−C−B−D 2 ≥ B−C−E−D−A 20 3 ≥ C−E−A−D−B 4 ≥ D−A−C−E−B 5 ≥ E−B−C−D−A 25 30 - 278 - 〔No.44〕 次の文章につながるようA〜Eを並び替えて一つのまとまった文章にする場合、 最も妥当な順序はどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 「美を求める心」という大きな課題に対して、私は、小さなことばかり、お話しして いるようですが、私は、美の問題は、美とは何かというようなめんどうな議論の問題で はなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりした美しさの経験が根本だ、と考えてい るからです。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じることです。美を求める心とは、 5 物の美しい姿を求める心です。絵だけが姿を見せるのではない。音楽は音の姿を耳に伝 えます。文学の姿は、心が感じます。 A 今日のように、知識や学問が普及し、尊重されるようになると、人々は、物を感ず る能力のほうを、知らず知らずのうちに、おろそかにするようになるのです。物の性 10 質を知ろうとするようになるのです。物の性質を知ろうとする知識や学問の道は、物 の姿をいわば壊すゆき方をするからです。 B 一輪の花の美しさをよくよく感ずるということは難しいことだ。仮にそれは易しい ことだとしても、人間の美しさ、りっぱさを感ずることは、易しいことではあります まい。感ずるということも学ばなければならないものなのです。そして、りっぱな芸 15 術というものは、正しく、豊かに感ずることを、人々にいつも教えているものなので す。 C だから、姿とは、そういう意味合いの言葉で、ただふつうに言う物の形とか、恰好 とかいうことではない。あの人は、姿のいい人だ、とか、様子のいい人だとか言いま すが、それは、ただ、その人の姿勢が正しいとか、恰好のいい体つきをしているとか 20 いう意味ではないでしょう。その人の優しい心や人格も含めて、姿がいいと言うので つく しょう。絵や音楽や詩の姿とは、そういう意味の姿です。姿がそのまま、これを創り 出した人の心を語っているのです。 D そういう姿を感じる能力はだれにでも備わり、そういう姿を求める心はだれにでも あるのです。ただ、この能力が、私たちにとって、どんなに貴重な能力であるか、ま 25 た、この能力は、養い育てようとしなければ衰弱してしまうことを、知っている人は、 少ないのです。 お しべ め しべ E 例えば、ある花の性質を知るとは、どんな形の花弁が何枚あるか、雄蕊、雌蕊はど んな構造をしているか、色素は何々か、というように、物を部分に分け、要素に分け ていくやり方ですが、花の姿の美しさを感ずる時には、私たちはいつも花全体を一目 30 で感ずるのです。だから感ずることなど易しいことだと思い込んでしまうのです。 出典:小林秀雄「美を求める心」 - 279 - 1 ≥ A−C−D−B−E 2 ≥ B−E−A−C−D 3 ≥ C−D−A−E−B 4 ≥ D−C−B−A−E 5 ≥ E−A−C−B−D 〔No.45〕 次の短文A〜Fを並べかえて一つのまとまった文章にしたいが、最も妥当な組 み合わせはどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) A 確かに、あとでメモを見ても論旨がはっきりしていなかったり、話があちこちに飛 んで何を言いたいのかよくわからなかった。 B 当時の私は、人の話をしっかりと聞くことができなかった。気が短かったせいも あって、 「それからどうしたの」「それで結論は」などと相手に話を急かしたり、すぐ 5 に反論したり、自分の意見を言いたくなってしまう癖があった。 C しかし、私はそんな言葉には耳を貸さずに、聞くことを続けた。実は、私はこの上 司を使って、聞く訓練やメモをとる訓練をしていたのである。 D 私の上司に、話していることがよくわからず、しかも話が長く、みんなからうとん じられている人がいた。その人は、よく私に話しかけてきた。私は、上司ということ 10 もあって、よくわからない話を懸命にメモをとりながら聞いていた。 E 上司の話は、一時間、二時間はざらだった。聞きおわったあとは、本当にくたくた になった。よく同僚から、「よくわけのわからない話を長時間聞いていられるね。感 心しちゃうよ。私だったら、途中で口実をつくって逃げるよ」と言われたものである。 F 私は、このままではいい仕事もできないし、いい人間関係も築くことができないと 15 思っていたので、だれもが嫌がる上司の話を徹底的に聞いてみようと思ったのであ る。 出典:高嶌幸広「聞き上手になる本」 1 ≥ B−F−D−E−C−A 20 2 ≥ D−B−E−C−A−F 3 ≥ B−D−F−A−E−C 4 ≥ D−A−E−C−B−F 5 ≥ B−F−E−C−D−A 25 - 280 - 〔No.46〕 「 」で囲った文に続く、A〜Gの文を並べかえて、首尾一貫した文章にした い。最も妥当な順序はどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) 「科学的な見方の特徴は、ものごとを純粋に客観的にとらえようとするところにある。 いいかえれば、科学はだれでもが異論なく一致して認めるような確実な知識を追求す る。 」 A したがって、哲学においては、自分自身にかかわる問題として主体的に問うという 態度が何よりも大切であって、この態度がなければ、先人の見いだした真理も意義あ る言葉として語りかけてくることはないのである。 B これに対して、哲学は、この人生、この現実が全体として何であり、またいかにあ るべきかを問題にする。 C しかしこのような知識は、現実の全体を考察するのではなく、現実の一側面に限定 して考察する場合にだけ可能となる。 D このようなことがらは、純粋に客観的な知識とはなりえず、各人一人ひとりがみず からの人生を生きつつ、それに向かって問う中で明らかにされていくことである。 E ところで、科学的な知識がだれでもが一致しうる確実な知識であるということは、 科学に進歩が可能な理由でもある。 F 科学が常に、物理学、生物学、心理学などのように特定の事象についての科学であ るのはそのためである。 G なぜなら、科学的知識はその獲得にどれほどの時間と労力がついやされようと、一 度発見されてしまえば、それはそのまま万人のものとなり、後世の人はそれを前提と して先へすすむことができるからである。 出典:「哲学的な見方と科学的な見方」東京書籍・倫理 1 ≥ B−E−F−G−C−D−A 2 ≥ C−D−E−B−F−A−G 3 ≥ C−F−E−G−B−D−A 4 ≥ D−C−E−B−F−A−G 5 ≥ D−E−C−F−B−A−G - 281 - 3 空欄補充問題 第 章 〔No. 1 〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) き れい 「まあ、綺麗。お前、そのまま王子様のところへでもお嫁に行けるよ。」 「あら、お母さん、それは夢よ。」 お この二人の会話に於いて、一体どちらが夢想家で、どちらが現実家なのであろうか。 母は、言葉の上ではまるで夢想家のようなあんばいだし、娘はその夢想を破るような 5 いわゆる 所謂現実家みたいなことを言っている。 しかし、母は実際のところは、その夢の可能性をみじんも信じていないからこそ、そ のような夢想をやすやすと言えるのであって、かえってそれをあわてて否定する娘のほ うが、もしや、という期待を持って、そうしてあわてて否定しているもののように思わ れる。 10 ごと このごろ 世の現実家、夢想家の区別も、このように錯雑しているものの如くに、此頃、私には 思われてならぬ。 私は、この世の中に生きている。しかし、それは、私のほんの一部分でしか無いのだ。 同様に、君も、またあのひとも、その大部分を、 A ところで生き ているに違いないのだ。 15 私だけの場合を、例にとって言うならば、私は、この社会と、全く切りはなされた別 の世界で生きている数時間を持っている。それは、私の眠っている間の数時間である。 私はこの地球の、どこにも絶対に無い美しい風景を、たしかにこの眼で見て、しかもな お忘れずに記憶している。 出典:太宰治「フォスフォレッセンス」 20 ほか 1 ≥ 他のひとには全然わからぬ 2 ≥ その夢想を破るような 3 ≥ 夢の可能性をみじんも信じない 4 ≥ 現実と夢想が錯雑している 25 30 5 ≥ 全く記憶に残らない - 282 - 〔No. 2 〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2010−地初) か 変化を嫌う既得権益層と、変化を受け入れ未来に賭けようとしている層を、きちんと 区別できる言葉と文脈があればどんなに便利で有効だろうと思っているところです。も じょう い ちろん、たとえば開国か 攘 夷かというような単純な区分けはできませんが、古い文脈 に属する考え方と、新しい文脈を模索する考え方を区別できるような適切な基準がない 5 だろうかと思っています。 そういった基準のヒントになりそうなのは、現在の既成のマスメディアが持つ文脈で す。マスメディアの文脈を説明するのは簡単ではありませんが、一つの特徴として「対 ひとくく 象を一括りにする」ということがあげられます。たとえば教育問題などで「子どもが危 ない」 「あなたの子どもはだいじょうぶか」というようなタイトルが雑誌などで目立ち 10 ました。 子どもが危ない、という表現は、明らかに子どもを一括りにしています。また、あな たの子どもはだいじょうぶか、という表現は、子どもにはだいじょうぶな子どもと、だ いじょうぶではない子どもの二種類がいるということが前提となっています。 一括りにするとどうしても、「全体の問題であって、あなた固有の問題ではない」と 15 いうニュアンスが生まれますが、そのニュアンスは A 効果があ ります。 「日本経済に未来はあるか」というような表現も同様です。未来がある人と、 そうではない人に日本人が二極化していくことが日本経済にとって最大の問題かも知れ ないときに、日本経済という主語を使うことで問題の対象を一括りにするわけです。 出典:村上龍「日本経済に関する 7 年間の疑問」 20 1 ≥ 情報発信者の発想を転換させる 2 ≥ 情報発信者の発想を促進させる 3 ≥ 情報発信者の思考を停止させる 4 ≥ 情報の受け手の思考を停止させる 25 5 ≥ 情報の受け手の発想を転換させる 30 - 283 - 〔No. 3 〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2009−地初) 古い話をするようだが、明治時代から昭和にかけて、大学における学問は、基本的に 西欧崇拝の一色に塗りつぶされていた。大学の教師は、海外から取り寄せた「洋書」を 後生大事に抱え込んで、そこに書かれていることがらを小出しに、教室で教えたり、社 会に発表したりして、自らの知識人としての権威を維持しようとしてきた。 5 したがって、書物、とりわけ「洋書」は、門外不出、弟子が見せてくれと頼んでも、 た ね 教授先生に断られるというのが通例だった。言わば、それが飯の種子だったからだ。今 のように、インターネットで注文すれば、世界のどこからでも、何がしか時間を置けば 確実に書物が入手できる、というような状況からは程遠かった時代のことである。 これは何を意味しているのだろうか。情報という概念でこの現象を考えてみると判り 10 易い。 「ヨーロッパの学者の書いた」ということで付加価値の付いた情報を、その教授 先生は握っている。いくら付加価値が高かろうと、情報を握っているだけでは、それは 全く意味をなさない。宝の持ち腐れである。一方そうした情報を持っていないのが学生 であり、世間である。この場合情報は持つものから持たざるものへと流れる。そのとき 情報はある種の 15 A を生むことになると考えられる。 このように考えてみると、情報には次のような定義があり得ることになる。すなわち、 情報とは、受け手の無知の減少を生み出すものである。その意味で、情報とは、それ自 体としては、何の働きもない。それがちょうど水が高い方から低い方へ流れるのと同じ ように、受け手の無知を減らすように流れたとき、初めて情報は、情報としての働きを 獲得すると考えられる。 出典:村上陽一郎「科学の現在を問う」 20 1 ≥ 知識 2 ≥ 価値 3 ≥ 権威 25 4 ≥ 職業 5 ≥ 文化 30 - 284 - 〔No. 4 〕 次の文の空所A〜Dに該当する語又は語句の組合せとして、最も妥当なものは どれか。 A (2009−地初) がもっとも優れているのは、十代である。十代の頃は、私も、自分が指 した将棋の棋譜はほとんど覚えていた。先を読むこと、頭の回転、体力的にパワーを発 揮できる。しかし、二十代になり、対局の数もだんだん増えてくると全部は覚えられな くなった。ある先輩から、「三十歳を過ぎたら、ほんとうに忘れてしまうよ」といわれ、 そんなものかな、と思ったものである。 5 ところが、実際に三十歳を過ぎた頃から、自分の指した将棋をなかなか再現できなく なってきている。これには年齢という生理的なこともあるが、五歳で将棋を指し始めて 三十数年、頭脳の許容量とも関係しているのではないか。しかし、自分なりの戦法や思 考法ができてくると、大切なのは B よりも C だ。三十歳を過ぎ て も っ と も 怖 い の は、 考 え る 時 に、 先 入 観 を 持 っ て“手 抜 き” し て し ま う こ と。 10 D という名の“安楽病”にかかってしまうのである。記憶した将棋にしばら れるくらいなら、忘れることは必ずしも悪いことではないのである。 出典:谷川浩司「集中力」 15 A B C D ひらめ 1 ≥ 記憶力 閃きや判断力 情報量 才能 2 ≥ 記憶力 情報量 閃きや判断力 才能 3 ≥ 記憶力 情報量 閃きや判断力 経験 4 ≥ 集中力 閃きや判断力 情報量 才能 20 5 ≥ 集中力 情報量 閃きや判断力 経験 25 30 - 285 - 〔No. 5 〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2008−地初) あまりにも当たり前なことかもしれないが、考えることは、言葉で行う行為だ。一人 で考え事をしているときも、言葉で基本的には考えている。言葉の種類が少なければ、 自然と思考は粗雑にならざるを得ない。考えるということを支えているのは、言葉の豊 富さである。 5 話し言葉の種類は限られている。日常を過ごすだけならそれほど難しい言葉は必要な い。しかし、その日常の話し言葉だけで思考しようとすれば、どうしても思考自体が単 純になってしまう。表現する言葉が単純であれば、思考の内容も単純になっていってし ち みつ まう。逆にいろいろな言葉を知っていることによって、感情や思考自体が複雑で緻密な ものになっていく。これが書き言葉の効用である。書き言葉には、話し言葉にはない 10 ヴァリエーションがある。 言葉をたくさん知るためには、読書は最良の方法である。なぜ読書をした方がよいの かという問いに対して、「 A からだ」という答えは、シンプルな ようだがまっとうな答えだ。 出典:齋藤孝「読書力」 15 1 ≥ 言葉で基本的に考える 2 ≥ 話し言葉に難しい言葉は必要ない 3 ≥ 話し言葉だけでは思考できない 4 ≥ 思考が単純になる 20 5 ≥ 言葉を多く知ることができる 25 30 - 286 - 〔No. 6 〕 次の文の空所A〜Cに該当する語句の組合せとして、最も妥当なものはどれか。 (2008−地初) 三歳児たちが遊んでいる砂場で目にしたことからはじめよう。子どもたちは思い思い だん ご に、砂に少しの水を混ぜ込んで丸め、砂のお団子をたくさんつくり、砂場の縁に並べは じめた。それを見て、残りの子どもも競ってお団子をつくりはじめる。このような遊び でん ぱ は、すぐにもう一つのクラスにあてがわれた砂場にも伝播していく。 やがて一人の子どもが、「先生、お団子どうぞ」と、そっと受持ちの保育者にさしだ 5 した。先生は「ごちそうさま」と心をこめて言い、食べるまねをした。さらに、「ああ、 お い 美味しいこと、クリームの味がしますね」と言ったのである。 もう一つのクラスの子どもも、自分の受持ちにやはりお団子をさしだした。「ごちそ うさま。美味しいこと」と同じように心をこめて礼を言った。そのことばをかけても 10 らったときの子どもの幸せな気分は、その柔らかな微笑から伝わってきた。 二人の保育者はほとんど同じように応対しているように見える。しかし、その後の子 どもの行動はまるで違ってしまったのである。「クリームの味」と言われたクラスの子 どもたちはその後、「こんどはレモンの味」「いちごの味」「きなこがついてんの」と ヴァリエーションを次々に考え出しては先生にさしだした。さらに、水に砂を混ぜて 15 「コーヒーです。いっしょにどうぞ」などと、レストランごっこへと発展させていった のである。ところが、もう一つのクラスでは、相変わらず「お団子どうぞ」とくりかえ し、たくさんつくることを競ったり、砂場の縁にていねいに並べる遊びになっていった。 も ち ろ ん、 ど ち ら の 遊 び が 質 が 高 い か、 簡 単 に 評 価 が 下 せ る わ け で は な い。 A 20 しかし、 でも、たとえば数の概念の基礎がつちかわれているかもしれないのである。 B のほうが、子どもたちのやりとりが活発に起こり、いろいろと工 夫をしたり、考えたりしながら遊んでいる様子が、子どもたちの表情から見てとれたの である。 保育者が、見えないものを子どもに代わって「見」て、「 C 」ことをした かどうかで、二つのクラスの子どもたちの頭の中で営まれる想像活動の中身が、質的に 25 変わってしまったと言えそうである。 出典:内田伸子「想像力」 A B C 1 ≥ 団子並べ レストランごっこ ことばに表す 30 2 ≥ 団子並べ レストランごっこ 心をこめる 3 ≥ 団子並べ レストランごっこ 競わせる 4 ≥ レストランごっこ 団子並べ ことばに表す 5 ≥ レストランごっこ 団子並べ 心をこめる - 287 - 〔No. 7 〕 次の文の空所A〜Cに該当する語句の組合せとして、最も妥当なものはどれか。 (2007−地初) いかにして類人猿がジャングルから平原に出てきたか、いかにして直立歩行をし始め たか、いかにして恐竜が絶滅したか、いかにして地上に生命が発生したか、いかにして 地球から月がちぎれていったか、いかにしてビッグバンが起こったか……という問いに 対して、現在数々の答えが与えられておりますが、その場合そうした光景をわれわれは 5 ごく自然にそのときそこに行けば「 A 」というイメージでとらえている。と いうことは、もし宇宙の誕生からずっと観察し続けたら、今「 B 」という イメージでとらえているということです。 一〇〇億年以上にわたる宇宙論的過去も簡単に了解してしまうのは、やはりわれわれ が過去の体験を現に想起できるという一点に行き着く。そして、過去とは現に私が想起 10 していることの全体ではなく、およそ想起可能なものの全体だという了解に行き着くの です。 なぜ、過去においてはこうした可能性の領域がごく自然に開けてくるのか。それは多 分われわれは「忘れる」という現象をよく知っているからです。昨日の光景ですら、ほ とんど忘れている。あとで同時刻の写真を見たら、いかに多くを自分が忘れているかを 15 認めざるをえない。 つまり、 「想起」という概念はもともと「忘れる」という概念を含意しているのです。 「忘れる」ということは、現に想起している内容が過去のすべてではないということを 含意します。過去は現に憶えていることのみならず現に忘れていることも含んだ総体、 すなわち「 C 」なのです。 出典:中島義道「「時間」を哲学する」 20 A B C 1 ≥ 見えたはずだ 憶えているはずだ 想起可能なものの総体 2 ≥ 見えたはずだ 過去の体験 忘却するものの総体 25 3 ≥ 見えたはずだ 憶えているはずだ 忘却するものの総体 4 ≥ 憶えているはずだ 見えたはずだ 体験したものの総体 5 ≥ 憶えているはずだ 過去の体験 想起可能なものの総体 30 - 288 - 〔No. 8 〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地初) わたしは「力」じたいは否定しない。むしろ「力」は必要だ。解体されるべき「力」 とは、他人を動かし自分を誇示して、それを「勝ち負け」や「成功・失敗」に結びつけ る「力」である。もちろん、「力」のある者が勝ち、成功することをとめることはでき ない。かれらがのぼせあがるのもしかたがない。だが「力のある者が勝つ」は「勝つ者 5 きんちゃく き こそ力がある」となり、巾 着 切りのようなこすっからい方法を使ってでも、なにがな こ そく んでも勝てばいいのだという人間を生む。こんな姑息な「力」のどこがおもしろいのか。 夢や願望や欲望はだれにでもある。だから一生懸命努力して、人生に「成功」するこ とは無条件にいいことである。けれども「力」の思想を解体するとは、そのことを人生 の最大の価値とみなさないことだ。それはただの結果にすぎない。いや、ほんとうをい 10 えば、そんな結果すらどうでもいい。 真実は依然としてこうである。 A 。それが人生であり、それ以 外に人生はありようがないのである。考えてみるがいい。どんなに悔しくても、どんな にみじめでも、これが自分であり、これが自分の人生だと受け入れること以外に、自分 も人生もありえない。とするなら、自分のもてる力で生きていく以外にどんな方法があ 15 るだろうか。 出典:勢古浩爾「「自分の力」を信じる思想」 1 ≥ 「力」のある者だけが、人生に成功する 2 ≥ 「自分の力」をだしきれば、人生に「勝ち負け」はない 20 3 ≥ 人生に「成功」することは、無条件にいいことである 4 ≥ 一生懸命努力することだけが、人生の最大の価値ではない 5 ≥ 人生の「勝ち負け」は、すべて「自分の力」の結果である 25 30 - 289 - 〔No. 9 〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地初) コミュニケーションが深まっているときは、相手とだけではなく、自分自身と対話し ている感覚がある。すぐに言語化できる事柄だけを話しているのでは、浅い会話になっ てしまうものだが、自分の中に埋もれている暗黙の知を掘り起こしながら対話すること で、深い対話ができるのだ。自分の中に眠っているものを掘り起こすのは、精神的に労 5 力を必要とする作業だ。 文章を書くという作業は、自分自身と対話する作業である。自分でも忘れていること を思い出し、思考を掘り下げる。長い文章を書いたことのある人ならば、それが苦しく 充実した作業だということを知っている。日記をつけるという行為も、自分自身と向き 合う時間をつくることになる。言葉になりにくい感情をあえて言葉にすることによっ 10 て、気持ちに整理がついていく。 。 A 出典:齋藤孝「コミュニケーション力」 1 ≥ 対話することによって、理解が深まっていくのだ 2 ≥ 言葉にすることによって、感情に形が与えられるのだ 15 3 ≥ 自分の中に眠っているものを掘り起こすのだ 4 ≥ 自分でも忘れていることを思い出せるのだ 5 ≥ 自分自身と対話する構造をつくっていくのだ 20 25 30 - 290 - 〔No.10〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2006−地初) 歴史を考えると、すぐにぶつかる問題がある。それは、時間をどうやって認識するか、 という問題だ。空間のほうは、視覚を通してかなりの程度カバーできるから、問題はす くないが、時間のほうは、直接認識することは、人間にはできない。 これは、われわれが日常経験することだけれども、このあいだ、なにかがあった、と 5 いうことは覚えていても、それが二日まえのことだったのか、三日まえのことだったの か、一週間まえのことだったのか、一カ月まえのことだったのか、あるいは去年のこと だったのか、そういうことになると、きわめて漠然とした記憶しかないのがふつうだ。 これはなぜかというと、 A という、時間の本質から来ている。 時間というと、なにかわかったような気がしても、実はつかまえどころがないのが時間 10 だ。どれぐらいの時間が経過したかという、時間の長さを直接はかる基準がそもそもな い。 出典:岡田英弘「歴史とはなにか」 1 ≥ 時間は逆もどりできない 15 2 ≥ 時間には目盛りがない 3 ≥ 時間は止めることができない 4 ≥ 時間には際限がない 5 ≥ 時間は記憶できない 20 25 30 - 291 - 〔No.11〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地初) 一般に、絵を描くことが好きで、上手に描けるということは、子供のころからの感性 で、形や色を理知的に表現する描写力をもっているということである。それが描き続け ているうちに、自然の対象物をいかに感ずるか、美しさというものをどう解釈するかと いう、基礎的な感性の訓練が行われていく。この段階では、技術に対する自覚はそう強 5 くはないし、画家になろうという気持がなければ、芸術観とか思想といった問題は起こ らない。 しかし、画家をめざして表現技術を勉強するようになると、技術と、その人個人の思 想的なものとのバランスが大切になってくる。絵さえうまくなればいいんだというの で、技術だけ先行させると、達者だが内容がない、ということになりかねない。逆に、 10 技術を勉強しないで頭でっかちになっても、絵は描けなくなる。難しいことだが、技術 を身につけながら、自分の芸術観も養っていくというふうに、同時進行していくことが 大事だ。 自然というものにどう対し、世界をどう見て、歴史をどう解釈するか。また、人生を どう考えるかという、知的な要素、芸術観、思想的なものを自分の中で育てながら、修 15 練している技術とそれが出会う時を、じっと待つ必要がある。待つといっても、積極的 にいろいろな実験を重ねながらであり、焦りも感じるわけだが、時が来なければ、生ま れないのが本当の芸術だ。いったん、 A 、描くべきものが何かは おのずとわかってくる。そこに独創性も表れてくる。 出典:平山郁夫「絵と心」 20 1 ≥ 画家として自分なりの技術が確立されてくると 2 ≥ 画家の中で優れた芸術観が養われてくると 3 ≥ 画家をめざして表現技術を勉強するようになると 4 ≥ 画家として自分のオリジナリティーが見えてくると 25 5 ≥ 画家の中で芸術観と技術の連動が起こってくると 30 - 292 - 〔No.12〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地初) 人命はかけがえがなく、人生はたった一度しかなく、死によってすべてが失われるこ と、それと A 、それらが密接に相互関係を保ちながら地球が存 在するということ、地球はわれわれが住める唯一無二の天体であること、という問題ま で、積極的に教え込んでいく教育が、いまこそ必要なのではないかということです。 5 幼い頃から生命をおたがいに大事にするとか、生きものをいたわろうという教育が徹 底すれば、現在の子供をめぐる悲惨な状況はなくなると思います。これはいまからはじ めてもけっして遅きに失せず、すぐ生かされる方法です。また、どういう環境におかれ ても事態を乗り越えてタフに生きのびる根性を培うことになります。 出典:手塚治虫「ぼくのマンガ人生」 10 1 ≥ 人間と同じ生命が自然界にみち 2 ≥ 生者も死者も同じ価値をもち 3 ≥ 人類のさまざまな文明が世界に育ち 4 ≥ 子供の強い意志と冒険心をはぐくみ 15 5 ≥ 技術とテクノロジーの社会が発展し 20 25 30 - 293 - 〔No.13〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2004−地初) あ ひとはさまざまの理由から旅に上るであろう。或る者は商用のために、他の者は視察 しんせき のために、更に他の者は休養のために、また或る一人は親戚の不幸を見舞うために、そ して他の一人は友人の結婚を祝うために、というように。人生がさまざまであるように、 旅もさまざまである。しかしながら、どのような理由から旅に出るにしても、すべての 5 旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、 あたか 旅には相似た感懐がある。恰も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、 長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。 ぬ 旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れる うれ ことである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求 10 だれ ら めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か解放された気持になるものである。或 る者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上るのである。ことさら脱出を欲し てする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する気持になるものである。旅 の対象としてひとの好んで選ぶものが多くの場合自然であり、人間の生活であっても原 始的な、自然的な生活であるというのも、これに関係すると考えることができるであろ 15 ない し すなわ う。旅におけるかような解放乃至脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴っている。即 ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、 脱出も漂泊である。そこに旅の A がある。 出典:三木清「人生論ノート」 20 1 ≥ 発見 2 ≥ 過程 3 ≥ 歓喜 4 ≥ 感傷 5 ≥ 不安 25 30 - 294 - 〔No.14〕 次の文の空所Aに該当する語句として、最も妥当なものはどれか。 (2004−地初) ヒトとは、生物としての人間を表す。そのために私は人間(ヒト)と、人間の内なる 自然、生物の一種としての性質を強調するために、よくこう表現する。人間であること が、ヒトであることの違いは何かというと、“生産する”ことである。芸術や宗教、思 想も含めて、人間は“モノ”をつくり出す。そして使う。もちろん食物まで含めて一切 5 の“モノ”は人間がつくる。つくる“モノ”がシステム化されて、社会的生産物にまで なるのは、人間がだいぶ人間化されてからだ。生産と消費という人間生活の基本が生ま れるのだが、サルには A 生産ができない。自然物を手に入れて消費すると いう点で共通なのは、サルに限らずすべての動物がそうだ。その生産と消費のありかた が、自然にないものまでつくり出す仕組みなのが人間である。人間がどうしていろいろ 10 “つくる”のか、その点が他の動物にはない性質である。 出典:小原秀雄「おもしろ自然・動物保護講座」 1 ≥ 独立的な 2 ≥ 集団的な 15 3 ≥ 近代的な 4 ≥ 意図的な 5 ≥ 自然的な 20 25 30 - 295 - 〔No.15〕 次の文の空所Aに該当する語句として、最も妥当なものはどれか。 (2003−地初) 「有為の人物」という言葉がある。これは国家とか社会などから見て役に立つ人間と ポ ピ ュ ラ ー いう意味である。価値基準が外側にある。またアメリカなどでは、「人気がある」とい うことがひじょうにたいせつに思われている。これも価値の物指しが自分の外にある。 ところが、従来の教育やカウンセリングは個人をこの外側の物指しに合わせようとして 3 5 3 きたわけだ。適応もよいが、何に適応するのかがまず問題になる。外側からの要請と内 なる要求が一致している場合とか、それほど強い潜在力がない場合はあまり問題はな い。 ところが普通の場合、〈適応〉というのは、人間性の底にあるものの多くを絶えず抑 圧することを意味し、外界に適応することはしばしば自己をそこねることになってい 10 る。 しかしわれわれは、自分の内なる欲求に耳を傾けていると、外の世界との違和感が大 かっとう きくなる。したがって必然的にといってよいほど、人間的成長は苦痛と葛藤を通じての ゆううつ み起こる。心の中で深い悩みや苦痛や憂鬱と闘うことなくして、 A 人などい ないのだ。簡単にいえば、よく伸びる人ほどよく悩むといってよいであろう。 出典:渡部昇一「「人間らしさ」の構造」 15 1 ≥ 生きがいを見出した 2 ≥ 自己実現を果たした 3 ≥ 自分の内なる欲求を抑圧した 20 4 ≥ 外界に適応できた 5 ≥ 多くの自分を捨てることができた 25 30 - 296 - 〔No.16〕 次の文の空所A及びBに該当する語の組合せとして、妥当なものはどれか。 (2003−地初) 自然科学的 A は B に反している。ここでいう は、人間が日常生活の中で自然に行なう推論をさす。たとえば、 B B と によれば、 太陽は毎朝東から上って西に沈むのであり、物を燃やせば煙が立ち上り、何かが失われ ていくと感じられる。 5 それに対して自然科学は、太陽は動かず、われわれの乗っている地球こそが西から東 に回っているのだという。また、物が燃えるときには、物から何かが失われるのではな く、物に酸素が結合するのだと教える。これらの例だけからみても、自然科学の A れらの は、まったく A B に反している。それなのに、人々はなぜ、こ に納得するのだろうか? 出典:長谷川眞理子「科学の目 科学のこころ」 10 A B 1 ≥ 説明 常識 2 ≥ 説明 経験 15 3 ≥ 理解 常識 4 ≥ 理解 感覚 5 ≥ 規範 経験 20 25 30 - 297 - 〔No.17〕 次の文の空所Aに該当する短文として、最も妥当なものはどれか。 (2002−地初) 最近は正月に『百人一首』をやるという家庭も少なくなっただろうが、私が子供のこ ふだ にお ろはどこの家庭でも、畳の上に札を広げたものだった。そのときだけはおしろいの匂い きょうせい のする着飾った娘さんが隣に座り、 嬌 声を上げながら札を取るのを見て、何となくド 3 3 3 キドキしたものだ。また、私がおはこにしていたのは「恋すてふ我が名はまだき立ちに 5 けりひと知れずこそ思ひ染めしか」というもので、それを目の色を変えて取ったら、「ま あ、ませた子ねえ」と笑われた。まだ歌の意味さえ知らずに覚えていたのである。 さて和歌はこの歌のように、五・七・五・七・七という組み合わせからなる。しか しろたえ し、中には出だしが六文字のものもある。例えば「田子の浦にうちいでて見れば白妙の たか ね よ 富士の高嶺に雪は降りつつ」とか「巡りあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜 10 わ 半の月かな」「こころあてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊のはな」といっ た句だ。これらの冒頭の六文字の部分を分けると、五と一に分かれる。「田子の浦」で 五、 「に」で一。「巡りあひ」で五、「て」で一。「こころあて」も本来これだけで一つの 意味を持ち、これに「に」がくっついたものと解釈されるのだ。二と四といった分け方 にはなっていない。 15 つまり和歌というのは、 きゅう A りゅう 。これは日本の歌だけでなく、琉 球に伝わる琉歌というのもやはり同じである。韓国に行くと「アリラン、アリラン、アー ラーリーヨ」という歌に代表されるように、三拍子の歌が多い。また中国では七言絶句、 五言絶句というように、同じように奇数の組み合わせを尊ぶ。どうやら奇数で詩歌を構 成するというのは、アジア全体の好みであるらしい。 20 出典:金田一春彦「ホンモノの日本語を話していますか?」 1 ≥ 歌の意味が分からなくても覚えられるのである 2 ≥ 長短の組み合わせでいくしかない 3 ≥ 冒頭が六文字のものも五と一に分けられる 25 4 ≥ つねに七と五と三という奇数の組み合わせから成立している 5 ≥ 英語のように強弱のリズムがないのである 30 - 298 - 〔No.18〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2002−地初) 生きることは学ぶことであり、学ぶことには喜びがある。生きることは、また何かを 創造していくことであり、その創造には、学びの段階では味わえない、大きな喜びがあ る─と私はいい続けてきた。このことはどんな人の人生にもあてはまるが、特に学問 の世界では銘記すべき事柄であろう。 5 言葉をかえて表現しよう。学問の世界においては学ぶこと、創造することの喜びはと りもなおさず、考えることの喜びだと思う。どんな分野の学問でも何か新しいものを発 見し、創っていくことに本来の意義がある。「発見」と「創造」にこそ、意味がある。 単なる知識の受け売りは学問とはいえないし評価に値することもない。さまざまな知識 は考えるための資料であり、読書は考えるためのきっかけを提供してくれるものであ 10 る。 そう思えば、知識を集めることも案外楽しいことだし、読書も苦にならない。耳で聴 き、体で感じ、目で読んで考える。考えたあとでは聴いたこと読んだことは忘れ去って もよいわけだ。覚えてなければならない、忘れてはならないと思うと、学問する前に疲 おっくう れてしまい、学ぶこと自体が億劫になってしまう。本来、学問はそんなに難しいことで 15 はなく、 A ことの好きな人間なら誰でも学問することができるし、その喜び を味わうことができるものである。 出典:広中平祐「生きること学ぶこと」 1 ≥ 生きる 20 2 ≥ 学ぶ 3 ≥ 発見する 4 ≥ 創造する 5 ≥ 考える 25 30 - 299 - 〔No.19〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2010−地初) さん ご しょう 日本は南北に長く、珊 瑚 礁 のある海から流氷のくる海まで、南の端と北の端では、 まったく、たいへんな気候風土のちがいがありますけれども、大和はほぼその中央にく らいしていて、そして日本の風土の代表的な性格である四季おりおりの変化が、あざや かにあらわれる土地ですし、また、農耕による生産が人々の命を保つうえにもっとも必 5 要であった以上、季節に対する関心は、古くから深く人々の心にやどり、人々は、自然 の変化というものを深く注意して眺めていたことでありましょう。 すがた 春の芽ばえ、夏の茂り、秋のよそおい、冬の清浄─そうした自然の流転の相を眺め て、人間の生と死の宿命を、またその喜びと悲しみを、私ども日本人は、すでに仏教渡 来以前からはだに感じていたのではないでしょうか。そしてその感情は、そののちのい 10 かなる時代の日本人の心にも受けつがれてきているように考えられます。きざみこまれ ているように思えるのです。そしてそれが日本の独自の文化を産む大きな要素となって いると思われてなりません。美の問題は風土ときりはなして考えることは絶対にできな いと考えられるからです。 また、日本人は哲学的な民族ではないといわれておりますけれども、それは、ヨー 15 ロッパのような知性あるいは理性によって深く考え、分析し、整理し、学術的な体系を 打ち立てるという方向にいかなかっただけで、じっさいには、自然の生命の把握、人間 の心の深層、そういうものを直感的にとらえてきていると思うのです。それは知性より も A の比重が大きいために、むしろ芸術的な方面で輝きとなって現われて いるように思われます。すべて人間の生きている世界を、ただ知性で割りきって考える 20 ことには無理があります。こうして私には、日本人の A のデリカシーとい うのは世界に比類のないものだと思われるのです。 出典:東山魁夷「日本の美を求めて」 1 ≥ 風土 25 2 ≥ 文化 3 ≥ 情感 4 ≥ 個性 5 ≥ 伝統 30 - 300 - 〔No.20〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2009−地初) なぜ道徳があるかを説明する哲学者流のやり方は、昔からいろいろあった。しかし、 その根本は、道徳が結局人間のためになる、得になる、という点で一致しているだろう。 あり 動物に道徳はない。少なくとも厳密な意味ではない。たとえば、蟻の集団が道徳なし にあれほど整然としていられるのは、その集団が、あたかもひとつの生き物のように、 5 ひとつの本能を持っているためである。利己主義者の蟻というようなものは、利己主義 者の細胞と同じく考えることができない。こうした集団の絆は、生物の本能が知性に席 を譲るほど弱まっていくように思われる。猿山の猿は、知性いっぱいで、ずいぶん手ひ けん か どく喧嘩する。知性は、本来群れではなく個体が生き延びる能力なのだろう。したがっ て、知的な動物にはすべて利己主義者の芽がある。 10 知性も人間くらい発達すると、本能などほとんど出番がなくなる。利己主義者である ことは、人間という途方もない知性動物の輝かしい特徴である。しかし、この奇妙にず せきつい る賢い脊椎動物でさえ、群れなしには決して生きられないように出来ている。彼を利己 主義者にしたのも、群れの一員に縛りつけておいたのも同じ自然である。自然が私たち に課したこのどうにもならない 15 A から、道徳は生まれた、取りあえずは、そ う言うことができる。本能化された生命のプログラムと違い、道徳はまことにたやすく 破ることができる。時々は破らなければ笑われるくらい、そのことはたやすい。なぜな ら、道徳を作ったものは、道徳に反抗する当の知性だからである。 出典:前田英樹「倫理という力」 20 1 ≥ 知性 2 ≥ 競争 3 ≥ 融合 4 ≥ 矛盾 5 ≥ 本能 25 30 - 301 - 〔No.21〕 次の文章の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地初) 歴史の一定のコースをふり返った時に、後になって整然と形態化され、あるいは巨大 レヴアイアサン な怪物にまでふくれ上ったものの端緒的な契機をだんだん A 探し求めよう とすることは、私達の自然の気持であるし、また歴史研究の一つの不可欠な課題ともい えよう。ただその際同時に私達は、歴史というものがいつでも、到達すべき成果へ向 5 かってのある 0 0 0 0 0 0 の実現であり、一つ一つの過程がそのための着々とした布 B 0 石であるかのように想定しがちなものである。歴史的説明としてさまざまの形態で現わ れる は、多かれ少なかれこうした傾向の所産である。のちにつくられた C 日本帝国の支配体制が、きわめて巧妙に構築されているために、今日から見ると維新政 府は、成立当初からそうした体制のイメージを明確に頭に描いて一切の政策を押し進 10 め、そうした通路の障害となる民主的な動向を着々と排除していったように考えられや すい。けれども、少なくとも維新後十数年の歴史的状況は、もっとどろどろした液体性 を帯び、そこには種々な方向への D がはらまれていたように思われる。 出典:丸山眞男「忠誠と反逆」 15 A B C D 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 ≥ 詳しく 偶発的な行為 「陰謀説」 可能性 2 ≥ 詳しく 計画的な意図 「性悪説」 必然性 さかのぼ 3 ≥ 遡って 偶発的な行為 「陰謀説」 必然性 4 ≥ 遡って 偶発的な行為 「性悪説」 必然性 20 5 ≥ 遡って 計画的な意図 「陰謀説」 可能性 25 30 - 302 - 〔No.22〕 次の文章の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはど れか。 (2009−地初) ラテン語は、無縁の言語にまでも、多分永久に、影響力を行使しうるであろうと筆者 は考えている。その理由は、それが単に大きな資源をなかに秘めているからだけではな く、その資源を最大限に再利用可能にさせる性質を A いるからである。言 語資源の再利用の可能性、それは生命力の強さと言ってもよいと思うが、それについて 5 はラテン語に勝る言語はない。その点、ラテン語と対照させて考えると日本語はいかに も資源再利用力の乏しい言語に見えてくる。 日本語は、その歴史のなかで単語をどんどん あとがま B 別の語と置き換え、捨て てきた言語である。そして捨ててしまった単語の後釜を埋めるものが日本語そのものか まれ ら出てくることは稀 である。日本人は新しい 10 料調達先としては外国の C が必要と感じると、その材 貯蔵庫に頼るのである。古いものの再生、再利 C 用という概念にしてからが、現在はリサイクルといった英語起源の単語で語られるの が、その点いかにも D である。 出典:小林標「ラテン語の世界」 15 A B C D ことだま 1 ≥ 混在させて 取り替えて 言霊 象徴的 い 2 ≥ 混在させて 古びさせて 語彙 抽象的 3 ≥ 実在させて 古びさせて 言霊 抽象的 4 ≥ 内在させて 取り替えて 語彙 抽象的 20 5 ≥ 内在させて 古びさせて 語彙 象徴的 25 30 - 303 - 〔No.23〕 次の文の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはどれ か。 (2008−地初) 仕事における ます。いや、「 というのは、すべて A B できない できると私は考えてい B は、 A ではない」とさえ A 思います。 こう言うと、「私は営業マンではないから、 5 できる B はない」 A と反発する人が少なからずいます。しかし、そんなことはありません。 そもそも、どんな仕事にも「 」があります。日付は数字そのものです。 C 大半の仕事がルーチンワークだとしても、「 「 A は十一月二十五日」とか A は今日の午前十一時」といった具合に、 A を B し て行動することは可能です。 10 さ さい どんなに些細な、つまらないと思える仕事でも、 C があると、がぜん取り 組み方が違ってきます。これは、「いつでもいいから、やっておいて」と指示された仕 事に向かうときの自分を考えると、わかりやすいでしょう。 おそらく、八〜九割の人が「いつでもいいなら、今やらない」と考え、やればすぐに できる仕事でも、なかなか 15 D 気持ちになれないと思います。 出典:熊谷正寿「一冊の手帳で夢は必ずかなう」 A B C D 1 ≥ ねらい 進行管理 動機付け 終わらせる 2 ≥ ねらい 数値化 締め切り 終わらせる 20 3 ≥ ねらい 数値化 やりがい 終わらせる 4 ≥ 目標 進行管理 成果 取り組む 5 ≥ 目標 数値化 締め切り 取り組む 25 30 - 304 - 〔No.24〕 次の文の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、妥当なものはどれか。 (2007−地初) 現代社会では、 に生きることが求められている。自分の行動を他者にき A ちんと説明し、他者を説得する必要がある。また、自分たちで A に社会を 築き、議論し、自分たちの力で社会を運営することが求められている。社会を分析し、 商品を開発し、問題点を把握して解決することが必要だ。そのためには、論理性が不可 5 欠だ。 しかも、現在はグローバル社会。日本国内で閉じこもって生きることはできない。そ んな社会に、 B な東洋の思考法が有効とは思えない。 C ももっと 欧米の論理を身につける必要があると、私は考える。現代社会に旧来の日本の論理を貫 くほうが不自然だ。欧米の論理を消化し、その上で新しい日本の論理を築いてこそ、将 10 来に通じ、世界に通じる日本文化になりうる。 つまり、私は、「 C は論理的でない」というのはある意味で正しい意見で あり、日本の論理が欧米から見て論理的ではないということは、これからの日本文化の 発展にとって、そして、日本と世界各国の D にとって、ゆゆしきことだと 考えるのだ。 出典:樋口裕一「ホンモノの思考力」 15 A B C D 1 ≥ 創造的 革新的 東洋人 相互理解 2 ≥ 創造的 伝統的 欧米人 安全保障 20 3 ≥ 理性的 革新的 東洋人 経済発展 4 ≥ 理性的 革新的 日本人 安全保障 5 ≥ 理性的 伝統的 日本人 相互理解 25 30 - 305 - 〔No.25〕 次の文中の空欄( )に当てはまる内容として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) ご存知の森鷗外、お医者さんでドイツ語の非常によくできる文学者でありますが、こ ういうことを書いていらっしゃいました。 自分はドイツ語を勉強している。が、ドイツへ行くと体の各部の痛みをあらわす単語 が、非常に多いんだそうです。お医者さんが患者を診察する場合にも非常に便利なんで 5 す。たとえば、患者がそこは何とかだと言うと、お医者さんは、ははあ、これは盲腸炎 だ、とわかる。かんとかだと言うと、胃けいれんだとすぐわかるんだそうです。 ところが日本人を診察すると、痛い痛いの一点張りなので非常に困る。東京のことば がそうであるが、わが郷里石州津和野においては、痛みをあらわす単語が四つある。虫 歯のように一か所だけキリキリ痛いのを「はしる」という。したがって患者がおなかを 10 抑えてこの辺がはしると言えばこれは胃けいれんだと、すぐわかる。「うばる」という のはおなか全体が張るように痛むことだそうです。 それから「うずく」というのは、これは東京でも言いますね。間欠的にときどき痛む ことです。もうひとつ「にがる」というのはわかりませんけれども、お腹が下るように 痛いときに、「にがる」というんだそうです。そういうふうに痛みをあらわす言い方が 15 たくさんあって、このほうが標準語とするにふさわしいということを言ってありますけ れども、たしかにそういうことが各地の方言にたくさんあると思うんです。 将来、共通語というものが日本の代表となる、標準語という名前にふさわしいものに なるためには、( )、と私は思います。それが方言と日本語の将来 というものの関係だと思います。 出典:金田一春彦「方言を考える」 20 1 ≥ 地方のことばからいろいろそういったことばをとり入れる必要がある 2 ≥ 現在のように、東京のことばを標準語とする考えではだめである 3 ≥ 方言は、各地方に非常に多く存在するので、一つにまとめる必要がある 25 4 ≥ ドイツ語から、さまざまな表現に必要なことばの用い方を学ぶべきである 5 ≥ これからの時代や生活に応じたセンスあることばを創りだす必要がある 30 - 306 - 〔No.26〕 次の文章の空所( A )、( B )に当てはまる語句の組み合わせとして、 最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) 歴史とは「時間の流れ」であるという観念は、容易なことでは揺さぶれないほどわれ われの思考の根底にまで喰い入り、常識の中に根づいている。確かに、歴史年表を開け ば、原始時代から現代に至るまで、時間は右から左へ滔々と流れているかに見える。し かしながら、( A )という表象ほど歴史の理解を妨げるものもまたとない。そ 5 れは直ちに直線状の線形時間を要求し、歴史的出来事をその数直線上に位置づけて能事 終われりとしてしまうからである。言うまでもなく、これは歴史の「側面図」であり「縦 断面」にほかならない。時間が流れ去るものである以上、時間の流れのなかに身を浸し ていたのでは、すでに過ぎ去った出来事を捉えることはできない。それは、川の流れに 身を任せながら、すでに過ぎ去った上流の景色を眺めようとするようなものだからであ 10 る。それゆえ、過去の出来事を認識しようとすれば、われわれは岸辺に這い上がって高 台に登り、そこから流れの全貌を見渡さなければならない。つまり歴史は、時間の流れ から身を引き離し、上空に飛翔した( B )から記述されねばならないのである。 これが、アウグスティヌス以来の歴史哲学の大前提であった。それが歴史の「弁神論」 を帰結するものであったことは、今さら付け加えるまでもないであろう。( A ) 15 という表象こそは、歴史の形而上学を育む格好の土壌なのである。 出典:野家啓一「物語の哲学」 (A) (B) 1 ≥ 「水平に流れ去る時間」 「超越的視点」 20 2 ≥ 「水平に流れ去る時間」 「空想的視点」 3 ≥ 「垂直に流れ落ちる時間」 「超越的視点」 4 ≥ 「垂直に流れ落ちる時間」 「宇宙的視点」 5 ≥ 「物理的に流れ去る時間」 「宇宙的視点」 25 30 - 307 - 〔No.27〕 次の文章の空所( )に入る語句として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅲ類) 我々は普通何の疑いもなく虹の色は七色だと思っている。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。 ところが英語ではred, orange, yellow, green, blue, purpleの六色であって藍はblueの中 に含まれてしまう。我々は通常、赤や青等々の色彩は実質を伴った普遍的なものだと 思っている。誰が見ても赤は赤で、青は青だと思っている。(略)ところがそうではな 5 いのである。 虹の色はズーニインディアンでは五色であると言われているし、ローデシアの一言語 であるショナ語では三色、ウバンギの一言語であるサンゴ語やリベリアの一言語である バッサ語では二色である。これらのことが何を意味するかはおわかりであろう。 色という何らかの実質があって、それに対して色の名称がついているのではないので 10 ある。我々はまずなまえをつける。然るのちになまえによって分節されたかくかくしか じかの色が、あたかも実体のような貌をして現われてくるのである。もちろん色のなま えは我々の生まれる前から決まっている。 かね 我々は生まれる前から存続している貨幣経済を自明のものとみなして、お金の価値を 認めているように、文化としての言語(ラング)が規定している色の名称を自明のものと 15 みなし、これに従って世界を眺めているのである。すなわち、 ( )。 出典:池田清彦「分類という思想」 1 ≥ 色には実質があって、それに対して名称がついているのではない 2 ≥ 実質があって、それに対して文化としての言語が名称をつけているのである 20 3 ≥ 国や人種の違いは、我々の生まれる前から決まっているのである 4 ≥ 我々の思考は、国や人種に関わりなく普遍的なものである 5 ≥ 名称体系は、我々の思考枠をしばっているのである 25 30 - 308 - 〔No.28〕 次の文章の空所に入る語句として最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅲ類) フランスの文学者アンドレ・モーロワは、第二次大戦でヒトラーのドイツに敗れフラ ンスが崩壊した理由を論じ、特に次の二つを強調した。第一に、当時のフランスに決定 的に欠けていたもの、それは「道徳心」や「精神価値」の重視であったと言う。民主主 義は国民の道徳が崩れると成り立たない制度であり、モーロワの言葉を借りれば「国民 5 は祖国の自由のためには、いつでも死ねるだけの心構えがなければ、やがてその自由を 失う」のである。自己犠牲の精神が顧みられなくなると、自由も民主主義も主権も平和 も守れない、と言う。 二つめは( )の大切さである。モーロワは言う。「自らの思想を擁護する のは、それ自体間違っていない」。自らの主義、主張、持論、信念であれば、それでいい。 10 「しかし、その思想のゆえに外国から金をもらうのは犯罪である」と。当時のフランス には、ナチスから金をもらい、「ドイツは攻めて来ない」「ヒトラーの言い分を聞くこと がヨーロッパの平和につながる」などと言いつづけた人々が山のようにいたのである。 出典:中西輝政「「美醜の感覚」を失うべからず」 15 1 ≥ 「自立できるだけの経済力をもつこと」 2 ≥ 「対抗できるような武力を備えること」 3 ≥ 「国民同士の結束する連帯感」 4 ≥ 「外国との条約を守ること」 5 ≥ 「外国の影響から世論を守ること」 20 25 30 - 309 - 〔No.29〕 次の文章中の空所( ア )〜( エ )のどれにも当てはまらないものとして、 最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) (略)日本人は人と人との和といふことを大切にします。自我の主張を醜い、やぼな ことと考へる民族です。相手が自分の思ふとほりになることに快感をおぼえるよりは、 相手と自分のあひだに摩擦のない状態を無条件に喜ぶのです。西洋人の眼から見れば、 あるいは近代的な考へかたからすれば、それがなまぬるい「( ア )」のやうに思 5 へるかもしれない。確にさういふ面があるのです。 近ごろ、数人の学者たちの座談会で、日本人の特性として「長いものには巻かれろ」 といふ封建的習性と、見てくれの体面だけを重んじる( イ )とが挙げられてゐ るのを読みました。なるほどさういふこともいへませう。そのひとたちのいふやうに、 戦争中は( ウ )を讃美し、戦後はアメリカ一辺倒になり、最近では反米といふ 10 わけで、時の花をかざしにする傾向があります。これが西洋人には理解できない。表面 は「長いものに巻かれろ」で動いてゐるが、腹の中はちつとも変らない、面従腹背の怪 しからん民族だとおもふらしいのです。この性格は順応性が強いともいへようし、 ( エ )、先物買ひのずるさともいへませう。 出典:福田恆存「日本を思ふ」 15 1 ≥ 地域主義 2 ≥ 軍国主義 3 ≥ 日和見主義 4 ≥ 形式主義 20 5 ≥ ことなかれ主義 25 30 - 310 - 〔No.30〕 次の文章中の空所( )にあてはまる語句として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) どうも日本の親は、子どもの過失を見つけても、叱るのに場所を選ぶ。欧米の親は、 子どもの過失を見つけた瞬間、たとえそれが大統領の宴席であろうと、子どもを叱るだ ろうし、大統領といえども、子を叱る親を見て、とがめはしない。 子どもの過失の責任は、子どもが幼ければ幼いほど、親の責任である。そして、その 5 子を叱ることで、親は決して自分の責任である子どもの過失を、子どもへ押し戻すので はなく、子どもを叱ることで、みずからをとがめていることになるのだ。 しっせき 子どもは忘れっぽい。犯した過失をその場所で、即座に叱責しなければ、子どもはあ とになって叱られても、そのときはすでに過失の原因をすら忘れてしまっている。 そして子どもは、親が想像している以上に( )である。もし親が場所を選 10 ちゅうちょ んで子どもの過失を叱ることを 躊 躇したら、子どもはつぎの機会には親の顔色をうか がい、場所を選ぶことで子どもを叱れない親にタカをくくって、ぬけぬけと悪事をあえ て犯す。 出典:石原慎太郎「人生読本・リーダーシップ〈スパルタ教育のすすめ〉」 15 1 ≥ 繊細 2 ≥ 攻撃的 3 ≥ 残酷 4 ≥ 狡猾 5 ≥ 短絡的 20 25 30 - 311 - 〔No.31〕 次の文章中の空所( )にあてはまる語句として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) 日本には思想がない、とはよく聞く言葉である。私はなぜそういうことが言えるのか と思う。日本には西欧に見るような思想の連続的発展がない、とも言われる。しかし、 0 0 0 日本の歴史には一つの経験が力強く流れてきて今日に到っている。それは感ぜられ、発 見され、働きかけられ、表現されるのを待っている。ただそれだけである。自ら絶望し 5 てはいけないと思う。中世のスコラ思想の中からデカルトの合理思想(それはいわゆる 合理主義とは似もつかないものであるが)が生れ、ドグマティックな古典哲学となり、 それがカントの批判を経て、主観の哲学となり、それがヘーゲルの弁証法で歴史の中に 働く理性と結びついた新しい形而上学となり、他方キルケゴールから実存の問題が云々 し、更に現象学がどうこうした、……。これをしも思想の連続的発展というのならば確 10 かに言えるであろう。古代・中世からきた終末論的なユダヤ・キリスト教の伝統とガリ 0 0 レイ以来の実証的かつ数学的自然科学の発達という支柱の上に立つヨーロッパ文明は、 そういう( )を生み出すような経験を含むもの、或いはそういう性格の経験 そのものの集積であった。 出典:森有正「ひかりとノートル・ダム」 15 1 ≥ 宗教的思想表現 2 ≥ 個性的思想表現 3 ≥ 発展的思想表現 4 ≥ 非連続的思想表現 20 5 ≥ 恒久的思想表現 25 30 - 312 - 〔No.32〕 次の文章の空所( )に入る語句として、妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) め いつか遠い未来の眼が振り返った時、二十世紀の最後の二十年は、ひょっとすると、 人類の精神史の中でも特筆すべき時代として見えるかもしれない。それは、日本を含む 幾つかの脱産業化社会において、無数の大衆が、一人一人自分が( )を十分 には知っていない、という事実に気づく可能性を持ち始めた時代だからである。 5 少なくとも今日の日本の社会ほど、人々が、多様な商品を前にして何を買うかに思い 悩み、どこへ遊びに出かけるかに心を砕き、自由な時間をいかに使うかを決めかねてい る社会は少ないだろう。町を歩いてきまって耳にするのは、「何かおもしろいことはな いか。 」という青年の会話であり、書店や新聞売り場で目にするのは、服飾、旅行、趣味、 テレビ番組など、あらゆる楽しみにかかわるおびただしい案内書の山である。大型の工 10 業製品だけについて考えても、現在、某企業が一社で生産する自動二輪車の種類は、デ ザインや色彩の違いを勘定に入れれば、常に数百に達していると言われる。まして、食 品や衣料の品種と商標は数えきれず、行楽地や文化施設の種類も限りなくあるから、何 を着て、何を持って、どこへ行くかという選択肢の組み合わせは、ほとんど天文学的な 数字に上るであろう。しかも、現代社会では、そうした選択を助けるはずの情報そのも 15 のの数が多く、消費者は案内書やカタログの山に埋もれて、まずその情報の選択に苦し まねばならない。(略) 興味深いことに、現代の日本人は早くもこの急増する選択の機会に疲れを覚え、一面 においては、無意識のうちに一種の「自由からの逃走」を試みている、とさえ見ること もできる。 20 一つには、昨今、家庭における伝統的な年中行事の復活が盛んになり、冠婚葬祭の儀 式がしだいに形式的な煩雑さを増しているというのも、そのことの兆候であるかもしれ ない。人々は、自由すぎる自分の行動に対して外的な拘束を求め、あり余る時間の中で、 いつ、何を、いかにするかについての決断の労を省こうとしているかのように見える。 更に示唆深いのは、最近の購買活動の形にいわば二極分解の傾向が見られ、一方でゆと 25 りのある買い物が好まれるとともに、他方では極端に安易簡便なサービスが求められて いる、という現象であろう。(略) 現代の消費者は、おびただしい商品の山を前にして、絶えず自分の欲望そのものの内 容を問いただされ、しばしば、実は自分がその答えを十分には知らない、という事実を 自覚させられていると言える。「何かおもしろいことはないか。」と自問する人間は、既 30 に半ばは、自分がその「何か」を知らないことを告白しているのであり、自分が自分に とって不可解な存在であることに気づき始めている、と見ることができるだろう。 出典:山崎正和「現代の個人主義」 - 313 - 1 ≥ 商品の価値 2 ≥ 時間の使い方 3 ≥ 選択すべき情報 4 ≥ 自由の意味 5 ≥ 自分自身 - 314 - 〔No.33〕 次の文章の空所( )に入る語句として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) おいしいのにカロリーがない脂肪を開発したい。菓子や食品企業の研究者の夢であ る。脂肪はコクがあってうまいが、カロリーが高いのが玉にきずである。カロリーなん ひそ か全く気にせず思う存分チョコレートやクリームを食べてみたい、と密かに願っている 人は多いだろうけれどやっぱり無茶はできない。全くカロリーがなくてしかもおいしい 5 脂肪が作れたら爆発的に売れるに違いない。それほど、切実な問題である。 (略) 食品中の脂肪は脂肪酸という分子が三つグリセロール分子に結合したものである。小 腸の中でこの結合が切断されてから体内に吸収される。結合が切れなければ吸収されな いからカロリーはない。ゼロである。この夢のような素材は実は米国の食品会社によっ 10 て開発されている。米国の一部の州では、ポテトチップスなどの形で試験販売されてい る。少し前に、これを輸入して食べてみたが、普通のポテトチップスと変わらない。脂 はいせつ 溶性のビタミンを排泄してしまうことなどが指摘されているが、味の面ではうまくでき ている。 これとよく似た原理で試作された別の脂肪が手に入った。見た目は普通の油である。 15 熱にも安定で、天ぷらもフライもうまく揚げられる。実験動物は、この試作品の油を最 し こう 初喜んで食べた。市販のコーン油と比較しても実験動物の嗜好性には差が見られないほ どよくできている。しかし、三〇分を過ぎるころから事情が変わってきた。実験動物が 次第にこの油を好まなくなったのである。それからは動物はコーン油ばかりに群がっ て、試作品の油を選ぶことはなかった。わずか三〇分で見破られてしまったのである。 20 ( )と悟ったのは、この実験の結果であった。 動物実験で三〇分というのは、深い意味のある時間である。油を摂取して三〇分ほど 経つと、脂肪は消化吸収され、からだの中でエネルギーに変わる。ここで、おそらく内 蔵からネガティブな信号が出たのである。油としてはおいしいけれど、エネルギーにな 25 らないぞ、という情報が、一挙に実験動物の嗜好性を失わせたと考えられる。 出典:伏木享(雑誌「学鐙」より) 1 ≥ いくら精巧に作ったとしても偽物ではだませない 2 ≥ 動物のほうが味覚に優れている 30 3 ≥ カロリーがなくてしかもおいしい脂肪は作れない 4 ≥ からだもおいしさを感じている 5 ≥ 動物は味覚ではなく情報で味わう - 315 - 〔No.34〕 次の文章の空所に共通して入る語句として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅱ類) 日常生活ではわれわれは、さまざまな現実的必要に直面する。飲食はもちろんのこと だが、そればかりではない。周囲の人々と意見をかわしあい、暖かい関係を保つ、とい うのも現実的必要ないしそれにもとづいて設定された目標のひとつといえよう。元来人 間の生活は、人びとが相互に交流することなしには営みにくい。 5 こうした現実的必要をみたすためであれば、人びとが( )に学ぼうとする のは、ある意味では当然である。日常生活では、人びとは単に外界に働きかけるばかり でなく、その働きかけ方がうまくいったか否か(目標を達成したか)を判断し、そのよ うな個別的な経験を集積して一般化を行い、そしてそれがなぜ成り立つのかの理由を考 える─こういった一連の過程を教え手なしでやってのけるのである。この意味で、人 10 は( )だ、と想定しうる。 出典:稲垣佳世子・波多野誼余夫「人はいかに学ぶか」 1 ≥ 相対的 2 ≥ 強制的 15 3 ≥ 能動的 4 ≥ 補完的 5 ≥ 現実的 20 25 30 - 316 - 〔No.35〕 次の文の空所A、Bに該当する語又は語句の組合せとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) 生きる熱意。前に進む意志。その質が問われている。もし、学問から勢いが失われて ばっ こ いるとすれば、それは俗悪でチープな文化が跋扈しているからではなく、ただ単に学問 自体から情熱が失われているということだろう。 情熱を支えるものは「本当のこと」であるはずである。「本当のこと」に感動する気 5 持ちである。それから、過去に素敵なことをしてくれた偉人に対する感謝の気持ちであ る。そうした、まるで子どものように問いかける気持ちが学問から失われているから、 ひ ちょうらく 人々を惹きつけることができず、結局は 凋 落しているのであろう。 「本当のこと」「大切なこと」「知りたかったこと」「そのためには、全力を尽くしても 悔いがないこと」。そういった「感情のエコロジー」こそが、探求する心を支える。そ 10 のような心の動きの根っこにあるのは、この世のさまざまを「引き受ける」という決意 であるはずだ。 は、結局は生きるということに由来する。生きるとは、行き交うことで A ある。出会うことである。幅広く眺めることである。そして、ときには、ルール無視を することである。 15 フットボールをやっていた少年が、興奮してボールを抱え、走り出す。「ラグビー」 誕生の伝説は、 B というものが本来どのような姿をしていたかをその本質 において私たちに伝える。 出典:茂木健一郎「思考の補助線」 20 A B 1 ≥ 「本当のこと」 学問 2 ≥ 「本当のこと」 ルール 3 ≥ 「本当のこと」 情熱 4 ≥ 情熱 学問 25 5 ≥ 情熱 ルール 30 - 317 - 〔No.36〕 次の文の空所A、Bに該当する語の組合せとして、最も妥当なものはどれか。 (2009−地上) わが国の都市景観は、まず第一に直線を嫌い、また、その直線と直交する建物の左右 対称性と正面性を嫌うがごとく存在しているように思われる。その上、敷地の形状が必 く けい ずしも正方形や矩形ではなく、その形が不整形である。とくに、在来の敷地割りのとこ ろに新しく計画道路ができた地域では、道路と敷地境界線の交差角が必ずしも直角とな 5 らないから、建物の正面が計画道路に対してどれも斜めになる。それは、当然、計画道 路ができたとき、敷地境界線も道路に直角に正すべきなのである。 らんぐい ば また、どのような形にでも敷地を分割することができるから、乱杙歯のように、あっ ちを向いたり、こっちを向いたりするわが国独特の街並みができる。敷地の分割が土地 所有者の自由にまかされていればこのようなことは当然の結果であり、相続の時などに 10 は必然的に分割されるおそれがある。これは都市全体の計画がなく、土地所有者の部分 部分の発想によって生じる都市形態であり、これこそが一見 B A な東京の を生みだした原因であるといえよう。 出典:芦原義信「東京の美学」 15 A B 1 ≥ 無計画 建物 2 ≥ 無計画 街並み 3 ≥ 無秩序 敷地 4 ≥ 無秩序 街並み 20 5 ≥ 不整形 建物 25 30 - 318 - 〔No.37〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2008−地上) さて私たちは、日ごろから数多くの経験をつみ重ね、これらの経験についてたえずよ く考えることによって、ものごとに関する認識をしだいに発展させている。いいかえれ ば、私たちの頭脳のなかに存在する真理はしだいに増大していく。このように真理はた えず変化している。一方、真理がたえず変化しているとすれば、そのときどきの真理と 5 思われているものもほんとうは正しくない点をふくんでいるものであって、この意味で は結局、いつになっても私たちは事物に関する正しい認識に到達することができないよ うにみえる。真理に関するこのような疑問に答えるには、真理そのものについていっそ う詳細な研究をおこなう必要がある。 いうまでもないが、私たちは、どのような場合でも、対象を完全に認識しつくすこと 10 はできない。外界を認識するための実践の範囲は、おのずから限界があり、また、技術 的手段の発達はいつの時代でも限度がある。自分のおかれている社会的立場によって、 社会にたいする理解に制約が生じてくることも多い。さらに客観的実在自身もまた変化 発展しているのが普通である。このような場合、事物のすべての発展をあらかじめ認識 しつくすことなどありえない。 15 あれやこれやで、私たちの得る真理が、完全で永続的で、不変であり、これ以上研究 することを要しない、そのような完全な真理であることなどありえない。私たちの獲得 する真理は、つねに部分的な限界のある真理である。このことを真理の相対性、またこ のときの真理を相対的真理という。 ここでひと言注意しておかなければならないことがある。それは真理がつねに相対的 20 であるからといって、その内容がけっしていい加減のものではないということである。 私たちが得るものは部分的な真理であって、この意味で相対的ではあるが、その部分に 関しては客観的で正しい真理である。このことを真理の A という。真理は 部分的という意味では相対的で、その部分に関する限り客観的で正しいという意味で絶 対的である。 出典:田中一「自然の哲学」 25 1 ≥ 変化 2 ≥ 限界 3 ≥ 絶対性 30 4 ≥ 永続性 5 ≥ 相対性 - 319 - 〔No.38〕 次の文の空所Aに該当する語又は語句として、最も妥当なものはどれか。 (2007−地上) まとまった休暇というのは、サラリーマンが会社人間という「鎖国」状態から、生活 人へと「開国」する絶好のチャンスである、と私は思う。 それまでずっと働いてきて、三カ月のリフレッシュ休暇をもらってゆっくり休み、 たっぷり遊んで、また休暇が明けたら会社人間に戻って、定年まで突っ走る─これで 5 は長期休暇の価値はあまりなく、鎖国されたままといえる。 当然すぎて、みんなすっかり忘れてしまっているが、サラリーマンといえども、会社 の一員である前に、一人の人間であり、家族の一員であり、地域の住民であり、消費者 であり、人の親であり子である。そうした一個の生活者である。会社人である前に社会 人(社会的存在)であり、アイデンティティや価値観や生きがいは会社だけにとどまら 10 ず、社会のあちこちに見つけられるはずなのである。 だから、会社人間としてだけ閉じてしまいがちなサラリーマンの意識を、生活のほう へどんどん開いて、解放・多様化する、そのチャンスとして長期休暇を活用しなくては ならない。ゆっくり休養する、たっぷり遊んで英気を養うのも大切だが、地域や家庭の 一員として A の意識をとり戻すことはもっと重要だ。 出典:川北義則「〝自分の時間〝 のつくり方・愉しみ方」 15 1 ≥ 生活者 2 ≥ 消費者 3 ≥ 一人の人間 20 4 ≥ 会社人 5 ≥ 住民 25 30 - 320 - 〔No.39〕 次の文の空所Aに該当する語として、最も妥当なものはどれか。(2006−地上) 日本人はヨーロッパ人のように自然と対決するのではなく、自然に親しみ、自然に同 化することによって安らぎを得てきた。それと同じことが社会についてもいえる。日本 人は欧米人のように個人を社会に対置することなく、世間と自分とをひとしなみに表象 ことわざ してきたのだ。「渡る世間に鬼はない」という諺がその一端を語っている。日本の自然 5 が優しい山河であるように、日本の世間も─他民族の社会とくらべれば─結構、心 安い社会だったからであろう。 むろん、日本には地震をはじめとして自然の災害も少なくない。同様に、日本の社会 も甘えていればそれですむというほど寛容なものだったとも思えない。世間の目は往々 にして冷たいのである。しかし、多くの異民族が同居しているのが常態であるような他 10 の国々とちがって、日本はきわめて同質的な社会であり、自然のきびしさも、社会のき びしさも、ほかとくらべればずっと気楽なものといえる。そして、日本人の人間観や 「 A 」意識は、このような風土の産物といってよい。こうした社会では、人 びとは自分を主張し、世間と対決して生きるよりも、自分を顧み、世間という人間関係 のなかでの自分の立場をつねに意識して、社会に協調して生きようとするのである。 出典:森本哲郎「日本語 表と裏」 15 1 ≥ 対決 2 ≥ 寛容 3 ≥ 世間 20 4 ≥ 自分 5 ≥ 自然 25 30 - 321 - 〔No.40〕 次の文の空所Aに該当する語句として、最も妥当なものはどれか。 (2005−地上) 「協調的交渉術」とは、衝突や紛争の平和的解決を目指す、話し合いのためのコミュ ニケーション・スキル・トレーニング・プログラムです。もともとは一人のアメリカ人 女性の教育専門家が、ドイチ博士の理論を元に、ロシアとアメリカの貿易交渉プロジェ クトのためのプログラムとして開発したものです(後年、同じくアメリカ女性の弁護士 5 が加わり、二人でこのプログラムを広げました)。 アメリカで開発されたプログラムですから、集団の利益より「個」の利益を大事にす る個人主義的な考え方に偏っているのではと思われる方も多いと思います。「協調的交 渉術」は、アメリカ人に多い「自己主張」と、日本人など東洋人に多い「妥協」や「譲 歩」という両極端にある二つの問題解決法の中間に位置する「協調」を目指しているの 10 です。そこにあるのは「人は一人では生きられない。周りの人や環境により生かされ、 お互い持ちつ持たれつである」という考えです。 アメリカには、「優れた交渉者は精神的にもタフである」という「タフネゴシエー ター」の迷信が古くからありました。タフネゴシエーターたちは「われわれは対立して いる」と考えて交渉の席につくのでしょう。しかしながら、「対立」や「衝突」につい 15 た ての研究が進むにつれ、「優れた交渉者は協調的交渉に長けている」ことが次第に明ら かになってきたのです。 自己主張するだけでは真の問題解決ができないことに気づいた人々が、自分たちの伝 統的な問題解決方法の中に東洋的な問題解決方法を取り入れることで、お互いを認め、 尊ぶ、つまり、 20 A を大事にしながら歩み寄るという「協調」を目指したので す。 出典:野沢聡子「問題解決の交渉学」 1 ≥ それぞれの「個」 2 ≥ それぞれの「自己主張」 25 3 ≥ それぞれの「問題解決方法」 4 ≥ 「妥協」や「譲歩」のそれぞれ 5 ≥ 「対立」や「衝突」のそれぞれ 30 - 322 - 〔No.41〕 次の文章の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地上) 自然への対抗は自然に対して人間を際立たせる一切の 努力に現われる。 A それは恵み深き自然に抱かれる態度でもなく、また自然を人間の奴僕として支配する態 度でもない。あくまでも自然に対して人間を、あるいは人工を、「 B 」せし める態度である。 5 さ 沙 漠においては「人間のもの」は本来すでに自然に対して である。夜 C の沙漠において見渡す限りの大地が黒く物すごき死の姿である時、はるかなる地平線に 現われた一二の「灯火」は、異常な強さをもって人間の世界を、 D を、暖か いなつかしさを印象する。それは海を渡るとき地平線に島の灯火を見いだした場合より もはるかに強い感動を人に与えるであろう。昔沙漠を渡り歩いた人間が、たとえばユダ 10 ヤからヘリオポリスへの長い苦しい旅のあとで、もはや都へは一日行程に過ぎないあた りの夜営地から、はるかに地平線に都の灯火を望み見た時の嬉しさというごときもの は、ただ沙漠的人間のみの知るところである。 出典:和辻哲郎「風土」 15 A B C D 1 ≥ 自主的 存置 他者 生 じ 2 ≥ 自主的 対峙 脅威 愛 3 ≥ 文化的 存置 脅威 愛 4 ≥ 文化的 存置 脅威 生 20 5 ≥ 文化的 対峙 他者 生 25 30 - 323 - 〔No.42〕 次の文の空欄A〜Eにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはどれ か。 (2009−地上) 消費社会以前の社会では、演劇に対しておこなわれる芸術支援は、まさに王侯貴族の パトロネージュに類するものであった。中世において、王侯貴族が芸術を支えたように、 近代に入ってからは、市民階級がチケットを購入することで舞台芸術を支援してきた。 しかし、それは生産者を代表する側からの生産の向上のための支援であり、それ以上で もそれ以下でもあり得なかった。ここでは 5 が、常に生産への奉仕という A 側面からのみ評価され、生産のために「ある」「ない」という座標軸でとらえられてき た。 こういった社会では、演劇やその他の芸術は生産を促進する、すなわち人間を元気づ けたり、闘争心を植え付けたり、何かそういった「 」を外部に想定しな B い限り、行政支援の対象とはならなかったのだ。 10 だが、現代の消費社会では、芸術支援をする側と受ける側は対等であり、また交換可 能である。消費社会においては、この 高いほどその活動は が確保され、市民の参加の機会が C が高いといえる。消費社会における A A は 常に相対的であり、時と場所と環境に応じて変化する。こういった社会においては、例 えば演劇は、演劇に参加すること自体に 15 があるのであり、それをおこな B う者も、鑑賞する者も、演劇それ自体が人生にとって「 られる。ことわっておくが、もちろん万人にとって演劇が 」としてとらえ D になるわけで D はない。この「演劇」というところに、音楽や絵画や、あるいはサッカーやボランティ アが入ってもいい。 昨今、粗製濫造気味とさえいえるワークショップの流行も、それが単なる流行として 20 だけで片づけられないのは、この演劇を取り巻く社会状況の変化があってのことだ。い まや E たる市民は,どん欲に、旺盛に、芸術を享受し、そこに参加しよう としている。 出典:平田オリザ「芸術立国論」 25 A B C D E 1 ≥ 芸術性 生きがい 多様性 なくてもいいもの 愛好者 2 ≥ 公共性 価値 流動性 なくてはならないもの 消費者 3 ≥ 公共性 きっかけ 流動性 なくてはならないもの 愛好者 30 4 ≥ 生産性 価値 多様性 なくてもいいもの 愛好者 5 ≥ 生産性 きっかけ 流動性 なくてはならないもの 消費者 - 324 - 〔No.43〕 次の文の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、最も妥当なものはどれ か。 (2008−地上) 「現代科学は哲学に接近しつつある」と、よく言われる。マスコミが好きな言い回し だ。しかしもともと科学と哲学は関連し合いながら発達してきた。たしかにものを見よ うとする自然科学と、たしかにものを見るとはどういうことかを大きな主題とする哲学 は、いわば 5 A の関係にある。 だが、最新の量子力学などについて「哲学への接近」がいわれるのは、それが一般人 の感覚では理解不能な、何やら神秘的な「信じる」領域に見えてしまうからにほかなら ない。ずばり言ってしまうと、よく分からないから、 B で、「信じる」こと でそれを受けとめようとしているのである。 このようにして「分かる」を諦めて「信じる」に移行するラインが、すべての人間に 10 存在する。誰でもすべてを「分かる」ことができない以上、理解力の限界の先は、他人 の説明なり、何らかの世界観なりを「信じて」納得するより仕方ない。 だが、何でもあっさりと「分からない」ですますと、その先の「信じる」が拡がって しまう。そこは自分にとっては の領域だ。 C ある人にとって、「信じる」は地動説の形を取るだろう。地動説がよく分からないけ 15 れども、学校でそう聞いたから「信じている」人も、たぶんいる。またある人にとって は、光の速さを超えるという観念が理解できない。相対性理論を「信じる」の領域とし て処理している人もいるだろう。超ひも理論で「信じる」に陥った人も多いに違いない。 ここで私が言っている「信じる」とは、もちろんネガティブな意味でのそれであって、 別に人様の信仰心や信念を貶めるつもりはない。ただ、 20 D とは、「分かる」を 前提としている。分かり合えないその先が、広ければ広いほど、世界は狭くなってしま う。数学あるいは物理学への理解とは、真に自分が「生きている世界」を拡げることな のだ。 出典:長山靖生「不勉強が身にしみる」 25 A ら せん B C D 1 ≥ 二重螺旋 感性ではなく理性 不毛 生産的思考 2 ≥ 二重螺旋 理性ではなく感性 不毛 論理的思考 3 ≥ 二重螺旋 理性ではなく感性 未知 生産的思考 はいはん 4 ≥ 二律背反 感性ではなく理性 不毛 生産的思考 30 5 ≥ 二律背反 理性ではなく感性 未知 論理的思考 - 325 - 〔No.44〕 次の文の空欄A〜Dにあてはまる語句の組合せとして、妥当なものはどれか。 (2007−地上) ベクトルを内にむけるには、「意識を手放す」ことからはじまる。 言葉をかえると、「結果」を手放し、「 」に目をむける。他者からの承 A 認や賞讃、金銭、地位、名誉、などの「結果」「成果」ではなく、「 A 」「そ れをしている途中経過」という目に見えないものに目をむけた時に、自分の無意識に存 5 在する「なりうるもの」がうかびあがってくるはずである。 しかし、あまりにも「意識」による無意識部分への抑圧が強く、いつも感情を抑えよ ろいをつけてすごすと、自分の中の「なりうるもの」に対する気づきがおこらず、 や「結果」だけを次なる目標に設定してしまいやすい。いわゆる勝ち組と B 呼ばれる人々は意識部分だけに注目して自分の目標を設定し、しかもそれが手に入って 10 しまうだけになかなか「 自分の気づかない自分の 」に目をむけることができない。 A C 、真の「その人らしさ」「なりうるもの」に気 づくチャンスは、実は(生理的欲求や、安全欲求、などが侵害されずに)勝ち組でいら れなくなった時なのである。食べる、住むことには困らずに一応窓際だが会社に行って いれば収入を確保できる、などという時や、リストラにあい大幅に収入は減少し、社会 15 的地位はダウンしたが、細々とでも食べて住めるだけの収入はなんとか確保できる仕事 をみつけた、などという時もチャンスなのだ。細々とでも社会の中で給料を得たなら、 をどこまで伸ばし年収をいくらまでにすれば生活がほぼ満足できるかを、 B ま ず 自 分 な り に 設 定 す る。 そ し て そ の ラ イ ン ま で D である。注意すべきは、 出典:海原純子「こころの格差社会」 A B C D 1 ≥ 原因 外的条件 可能性 正当な権利 2 ≥ 原因 高揚感 感性 健全な努力 25 を追求するのは を「無限大」に設定しないことだ。 B 20 B 3 ≥ プロセス 外的条件 可能性 健全な努力 4 ≥ プロセス 高揚感 可能性 正当な権利 5 ≥ プロセス 高揚感 感性 正当な権利 30 - 326 - 〔No.45〕 次の文章の空所に該当する語句として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) 芥川龍之介は取り澄ました作家であるという。それはそのとおりであろう。しかし同 時に、私たちにとって芥川ぐらい親しい作家もないのである。─あるいは新漢字、新 カナ使いで育った現代の学生にとっては、芥川の文章は読みづらいかも知れない。しか し、そういう学生にとっても、芥川の文学は理解しやすいはずである。 5 芥川の小説にはトリックが多いという。それもそのとおりであろう。しかし短篇小説 にトリックを用意することは、じつは作者の親切心からである。一面からいえば、この 親切心がサーヴィス過剰と受けとられ、小うるさく感じられることはたしかにあろう。 正直にいえば私自身、そう思うことはしばしばある。 或る年齢から芥川を読まなくなり、卒業したような気持になった。けれども私は、奇 10 妙なことに、そうなってからも芥川の作品に一層の親近感を覚えるようになったらし い。たとえば私は、ときどきふっと架空の芥川龍之介に対話をしていることがある。新 しい世相や風俗や、そのときどきのトピックについて、「あなた、いったいこれをどう 思いますか」などと見も知らぬこの小説家に話しかけているのである。 これは、つまり私が芥川に一時代の知識人の典型を認めているからでもあろう。しか 15 し普通“知識人”なる者に私は決してこのような親しさや気安さを覚えることはないの である。おそらく、それは芥川が知識人であるにも拘らず、或る語り掛けやすさを持っ ているからに違いない。短篇小説にトリックや落ちをつけることは、たしかに読者をワ ナにかけることでもあるだろう。しかし同時に、それは作者が( ) ことでもある。だから小説家は読者をうまくトリックにかけることで、最も確実に普遍 20 性を獲得していることにもなるのである。 出典:安岡章太郎「歳々年々」 1 ≥ 一見取り澄ました外見を装いつつも作品に文学的な奥行を与える 2 ≥ 純文学としての緻密な構成を一般的読者の感興に優先させている 25 3 ≥ 文学的形式の枠組みの中で読者に対する知的な挑戦を行っている 4 ≥ いかにも知識人然として読者の前に姿を現わすのを潔しとしない 5 ≥ 自分の手口を或るところまでは不特定多数の読者に披露している 30 - 327 - 〔No.46〕 次の文章の空所( )に共通して入る語句として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) たとえば東アジア一帯で広く風景と同義に使われる「山水」を例にとろう。風景は山 や水だけで構成されるわけではない。森も野も畑も見えるだろう。家もあるし道もある。 複雑な視覚像のなかから、なぜ山と水だけが採られるのだろう。この二要素だけが他を 排して抜きんでる必要性はあるのだろうか。 5 眼前の視覚世界の混沌からこの二つを採り上げ双対的に分節するのは、長い文化史の し い 中で定められた一つの恣意的な制度ではないだろうか。私たちはこのような文化の眼鏡 をかけて風景を眺めている。つまり、山水とは特定の文化圏で定められた文化の制度で あって自然現象を指すのではない。山水という風景制度は山⇔水という双対構図を成す ことにあらためて注意したい。東アジア以外の文化圏の人々とて視覚現象(見分け)と 10 して山や水が見えないはずはない。しかし、風景の印象全体が山と水の双対感覚により 代表されることはない。 このように東アジアの風景制度においては山と水はバラバラではない。二つは固く結 ばれたシステムを成している。山には水の痕跡が認められ、水には山の影が映っている のだ。 15 は (略) 「山の端」という言葉にはどこか大和絵ふうの響きがある。「スカイライン」と 等価ではないだろう。では、これと双対関係を成す風景語は何であろうか。この言葉が 風景印象の一隅を区切りとることによって意識化がなされたその瞬間に、それと双対す る風景要素が画定するはずであろう。山の端で切り抜かれた余白の虚空に美しい形が見 やまぎわ えたとき、日本人はそれを「山際」と呼んで愛した。 20 山の端は山影に意識を置くのに対し、山際は空の方から峰の形を見るのである。「春 はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて……」と書き出される まくらのそうし 『枕草子』の視線は、山の端と山際を区別しながら結びつける新しい風景観の誕生を意 味するのであろう。 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 このように風景は言分けによって立ち現れる、という側面がある。風景の言葉が大事 25 なゆえんがここにある。見分けは生物としてのヒトに普遍の生命現象であるのに対し、 文化現象としての言分けの風景は歴史の運動の中で生まれ、明滅し、円熟する。この意 味で風景は自然現象ではなく文化現象である。 自然現象に( )はないが、文化現象としての風景には( )が存在す る、と言える。 30 出典:中村良夫「風景はどのように立ち現れるか」 - 328 - 1 ≥ 名前 2 ≥ 遠近感 3 ≥ 個性 4 ≥ 古典 5 ≥ 空間 - 329 - 〔No.47〕 次の文章の空所( )に当てはまる語句として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) 地球温暖化の元凶が化石燃料の燃焼にともなう二酸化炭素の排出であるからには、地 球温暖化防止のためには、化石燃料の消費を抑制ないし削減しなければならない。十八 世紀末の産業革命の原動力となったのは蒸気機関であり、蒸気機関の燃料とされたのは 石炭であった。二十世紀にはいると、燃料として扱いやすい石油が石炭に置き換わり、 5 また一九一〇年代に大量生産の始まった自動車の燃料として、石油は欠かせぬ役割を担 うようになった。電力の集中発電と長距離送電が始まったのは、十九世紀末のアメリカ においてのことだが、大規模集中発電のための燃料としての役割をも、石炭と石油が担 うこととなった。 このように私たちは、石炭と石油を大量消費することにより、今日ある「豊かさ」を 10 勝ち得ることができたのである。したがって、地球温暖化を防止するために、化石燃料 の消費を抑制ないし削減せよというのは、二十世紀型工業文明を根本的に見直せという に等しいのである。二十世紀型工業文明は、大量生産、大量消費、大量廃棄をその旨と し、今日、大部分の先進諸国を包み込む壮大な文明である。この文明にかわる文明とは、 いかなる文明なのだろうか。それを私は「メタボリズム文明」と呼びたい。メタボリズ 15 ムとは循環・代謝という意味である。もっと具体的にいうと、メタボリズム文明とは、 適正消費、極少廃棄、省エネルギー、リサイクル、製品寿命の長期化などを内容とする 文明のことである。 文明の転換のために何よりも必要なのは、私たちの( )を塗り替えること で あ る。 ( ) は 時 代 文 脈 の 所産である。時代は( )を規定し、 20 ( )は時代を規定する。二十世紀型工業文明のもとでの一人当たりGDP競 争の勝者である私たちは、私たちの( )をそれにかなうように無意識のうち に改編してきたし、また手際よく改編できたからこそ勝者となりえたのである。メタボ リズム文明にかなう( )とはなんなのか。その子細に立ち入る余裕はないが、 メタボリズム文明を駆動する( )とポスト工業化社会を駆動する( ) 25 とは、おたがいにきわめて近しい関係にある。そのいずれもが、工業化社会へのアンチ テーゼという点で相通ずるところがあるからだろう。 出典:佐和隆光「日本の難問─閉塞の日本と勃興のアジア─」 1 ≥ 科学技術 30 2 ≥ 産業構造 3 ≥ 既成概念 4 ≥ 価値規範 5 ≥ 歴史認識 - 330 - 〔No.48〕 次の文章の空所( )に共通して入る語句として、最も妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅰ類) ホメーロスの場合はあらゆる素材が伝説的枠内でのみ展開しているが、旧約では、そ の素材は物語が進行するにつれて歴史に接近する。ダビデの物語では史実が優勢でさえ ある。もちろんここでも、ダビデとゴリアテの物語に見るような、伝説的要素は残存し ているが、他の多く、それも最も重要な部分は、語り手が自らの経験から、あるいは直 5 接の証拠から知っている事実で、成り立っている。ところで伝説と歴史の区別は、老練 な読者にはたいていの場合一目瞭然である。歴史的記述において、事実と捏造、あるい は一方的判断を識別するには、注意深い歴史学的文献学的訓練を必要とするものであ る。しかし歴史的要素と伝説的要素とを区別するのは一般に容易である。両者はたがい に( )が異なっている。奇蹟的要素やよく知られた動機の反復、場所的時間 10 的な規定の等閑視などという、伝説的物語の特徴が明らかではない時でも、伝説は一般 にその( )から識別しやすい。それは記述の仕方があまりにも滑らかである。 事件は明確に進展し登場人物の行動は単純で、これらを妨げるあらゆる不確かで未決定 な要素、横道や摩擦、偶発事、主題にまぎれこむ二義的な事柄などのすべてが削除され ている。一方われわれ自身が眼にし、あるいは直接の証人から聞くままの歴史の出来事 15 は、もっと多様性があって矛盾撞着が多いものである。これら現実の出来事は、一定範 囲の結果がでてからでないと、ある程度の整理をすることは難かしい。それでさえも、 われわれは、みずからよしと思ってした整理が再び疑わしくなり、もとの複雑さに比し て余りに単純化された結論を、目前にあるデータから引きだしたのではないかと疑うこ とが、何としばしばあることだろうか。これが伝説の場合となると、事件の配列はきわ 20 めて単純で断定的である。それは歴史の流れから切り離されているので、歴史が介入し て面倒が生ずることはない。そこには、少数の単純な動機から行動する一義的に明確な 輪郭を有する人物のみが登場し、そして彼らの感情も行為も何物かに妨げられることな く同じ調子で持続する。たとえば殉教者の伝説においては、頑固で狂信的な被害者が、 同様に頑固で狂気の迫害者に対決することになっている。したがって「迫害者」プリニ 25 ウスがキリスト教徒についてトラヤヌスに宛てた有名な書簡に認められるような、錯雑 した、とはすなわち真に歴史的な状況は、伝説の素材として適切でない。 出典:E.アウエルバッハ「ミメーシス」 1 ≥ 主題 30 2 ≥ 構造 3 ≥ 結論 4 ≥ 性格 5 ≥ 素材 - 331 - 〔No.49〕 次の文章の空所に該当する語句として、最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) 魂とは何かは、日本のこととしても時代によって同じでないので一筋には行かないの だが、比較的確実にいえる一つのことは、それが心とは質のちがうものだという点であ むらきも る。古く「群肝のこころ」とか「肝向ふこころ」とかいわれているに徴しても知りうる ように、心は身体器官としての内臓とかかわり、それら器官の内具する知情意のはたら 5 きを意味した。沖縄では心のことをキム(肝)といい、魂の方はマブイという。語源的 にもココロは、オノゴロ島などという場合の「凝る」と同じで、内臓器官の姿や形に関 係のある語ではないかと思う。 それに対し魂は、内臓に局在するのではなく、容器としての身体の深部に棲みこみ、 そして人間の生命を支える神話的あるいは形而上的な、つまり非物質的な何ものかであ 10 る。しかもそれは睡眠中とか恍惚や失神の状態とかには身体から分離しうるとされてい たま げ たようで、この点「魂消る」といういいかたには深い歴史が刻まれている。眠っている のを急におどろかしたりすると「魂消る」のは、分離していた魂がうまく身体にもどれ なくなるからだ。いうまでもなく死においてこの分離は決定的になる。しかしそのさい、 身体は土に帰するけれど魂は必ずしも滅びない。死後における魂の旅路、つまり後生の 15 ことが原始時代このかた関心の的になるのはこのためで、教義としての宗教が目ざした のも、死後なお生きるこの魂の救済にかかっていた。こうして魂の方が身体より永生き する。それだけでなく、実は魂の方が身体より古いのだ。生存中も魂が身体から分離し うるのは、それが外から身体に入ってきてそこに宿ったものであるからで、個人の歴史 についていえば、命名とか成年式とかが、あらたな魂を附与したり更新したりする大事 20 な時期にあたっていた。したがって魂は、自己のなかに棲みこみ、その生命を支える独 特な力であると同時に、( )ことになる。 出典:西郷信綱「古代人と夢」 1 ≥ 心とは不可分でその本質をなす 25 2 ≥ 自己にとっては他者でもあった 3 ≥ 実体化して心という形態をとる 4 ≥ 必然的に永遠不滅の性格をもつ 5 ≥ 心から分離派生したものである 30 - 332 - 4 第 章 古文問題 〔No. 1 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 九月ばかり、夜ひと夜降りあかしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし 出でたるに、前栽の露はこぼるばかりぬれかかりたるもいとをかし。透垣の羅文、軒の 上などはかいたるくもの巣のこぼれ残りたるに、雨のかかりたるが、白き玉をつらぬき たるやうなるこそ、いみじうあはれにをかしけれ。すこし日たけぬれば、萩などのいと 5 重げなるに、露の落つるに、枝うち動きて、人も手ふれぬに、ふとかみざまへあがりた るも、いみじうをかし、と言ひたることどもの、人の心にはつゆをかしからじ、と思ふ こそ、またをかしけれ。 1 ≥ 枝が雨にたわんで、朝日に輝いている。それを興味深いと感じても、誰も同意して 10 くれないのが寂しく感じる。 2 ≥ 枝が自然に動くのを興味深いと言ったが、他の人にはたいして面白くないらしい。 そのことが、自分には面白く感じる。 3 ≥ 蜘蛛の巣に雨がかかり、朝日に輝いて美しい。他人がどのように思っても、この美 しさは心が感じた素直なものだ。 15 4 ≥ 人の手が触れていないのに動いている枝を見ていると、情趣を理解しようとしない 他の人の心がつまらないものに思える。 5 ≥ 一晩中降った雨がいくつかの美しいものを作り上げた。そういう小さなことに気づ くのは、人間関係がうまくいっているからだ。 20 25 30 - 333 - 〔No. 2 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 よろづのことよりも情あるこそ、男はさらなり、女もめでたくおぼゆれ。なげのこと ばなれど、せちに心に深く入らねど、いとほしきことをば、「いとほし」とも、あはれ なるをば、 「げにいかに思ふらむ」など言ひけるを、伝へ聞きたるは、さし向ひていふ よりもうれし。いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、つねにこそおぼゆ 5 れ。かならず思ふべき人、とふべき人はさるべきことなれば、とりわかれしもせず。さ もあるまじき人の、さしいらへをもうしろやすくしたるはうれしきわざなり。 1 ≥ 親交のないような人から情をかけられると嬉しい反面心苦しい。 2 ≥ 面と向って言わなければ、本当の気持ちというのは伝わりにくい。 10 3 ≥ 普段から自分を思ってくれる人の言葉はいつでも嬉しい。 4 ≥ 男より女のほうが情があるのは当然のことである。 5 ≥ 情が予想されないような関係の人からかけられた情けは嬉しい。 〔No. 3〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 15 同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしきことも、世のはかなきことも、う らなく言ひなぐさまむこそ、うれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆたがはざ らむ、と向ひゐたらむは、ひとりあるここちやせむ。たがひに、言はむほどのことをば、 20 げに、と聞くかひあるものから、いささかたがふ所もあらむ人こそ、「われはさやは思 5 ふ」など、あらそひにくみ、「さるからさぞ」ともうち語らはば、つれづれなぐさまめ と思へど、げには少しかこつかたも、われとひとしからざらむ人は、おほかたのよしな しごと言はむほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかにへだたる所のありぬべ きぞわびしきや。 25 10 1 ≥ よく知っている人と風雅のことを話しても、意見が合うとは限らないものだ。 2 ≥ 仲良くない人と世間話をしていても、次第にむなしくなっていくだけである。 3 ≥ 退屈でやりきれない気持ちは心の通った人と話し合うことで解消されるものだ。 4 ≥ 気心が知れていない人と無理して話しても、一人でいるような気がしてしまう。 30 5 ≥ 真実の友とは、長い間会わなくてもすぐに話が通じる人のことをいう。 15 20 - 334 - 〔No. 4 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 仁和寺にある法師、年よるまで石清水ををがまざりければ、心うくおぼえて、ある時 思ひ立ちてただ一人徒歩よりまうでけり。極楽寺、高良などををがみて、「かばかり」 と心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつることはたし侍りぬ。 聞きしにもすぎて尊くこそおはしけれ。そも参りたる人ごとに、山へ登りしは、なにご 5 とかありけむ、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれ、と思ひて、山までは見ず」 とぞ言ひける。すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。 1 ≥ 念願の石清水に行ったが、その印象はあまり良いものではなかった。 2 ≥ 石清水での感想をある人に言うと、予想外の返事が返ってきた。 10 3 ≥ 石清水に参拝し、昔の人の信仰心の深さに感動していた。 4 ≥ 石清水で知人に出会って、お互いの信仰の深さを語った。 5 ≥ 仁和寺の法師は本当の石清水には行っていない。 〔No. 5〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 15 平宣時朝臣、老ののち、昔語りに、「最明寺入道、ある宵の間に、よばるることあり しに、 『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また使来りて、『直垂 などのさふらはぬにや。夜なれば、ことやうなりとも、とく』とありしかば、なえたる 20 直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子に土器とりそへてもて出でて、『この 5 酒を一人たうべむがさうざうしければ、申しつるなり。さかなこそなけれ。人はしづま りぬらむ。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭さして、 くまぐまを求めしほどに、臺所の棚に、小土器に味噌の少しつきたるを見出でて、『こ れぞ求めえてさふらふ』と申ししかば、『こと足りなむ』とて、こころよく数献におよ 25 びて、興に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか」と、申されき。 10 1 ≥ 人の目を気にしなければならない、寂しいひととき 2 ≥ 質素な、それでも心地よいある日の情景 3 ≥ 貧困に耐えながら、それでも健気に生きていること 30 4 ≥ 武士らしく、清貧に生きている時代の側面 15 5 ≥ 不幸が重なって、唯一の楽しみが酒であること 20 - 335 - 〔No. 6 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 「大斎院より上東門院へ、『つれづれなぐさみぬべき物語』と、たづねまゐらせさせ給 へりけるに、紫式部を召して、『何をかまゐらすべき』と仰せられければ、『めづらしき ものはなにか侍るべき。新しく作りてまゐらせ給へかし』と申しければ、『作れ』と仰 せられけるをうけたまはりて、源氏を作りたりける、とこそ、いみじくめでたく侍れ。」 5 といふ人侍れば、また、「『いまだ宮仕もせで里に侍りける折、かかるもの作り出でられ て、それ故紫式部といふ名はつけたる』とも申すは、いづれかまことにて侍らむ」など いふ。 1 ≥ 『源氏物語』は、上東門院が大斎院の退屈を紛らすために紫式部に作らせたという 10 説と、自宅にいた頃この作品を書いたために召し出されたという説がある。 2 ≥ 『源氏物語』は、紫式部が上東門院に依頼されて創作したもので、それはまだ出仕 していない頃、自宅で書いていたものを再構成したものである。 3 ≥ 『源氏物語』は、上東門院が紫式部に命令をして書かせたもので、光源氏を主人公 とした宮廷生活を描いたものである。 15 4 ≥ 『源氏物語』は、紫式部がまだ里にいたころ創作したもので、その短編を上東門院 が読んで感動し、長編として書かせたものである。 5 ≥ 『源氏物語』は、大斎院から依頼されて紫式部が創作したものという説と、上東門 院が里にいる紫式部に依頼したという二つの説がある。 20 25 30 - 336 - 〔No. 7 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 おのれ古典をとくに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことをば、わきま へいふことも多かるを、いとあるまじきことと思ふ人多かめれど、これすなはち、わが 師の心にて、つねに教へられしは、「後によき考への出で来たらむには、必ずしも、師 の説にたがふとて、なはばかりそ。」となむ教へられし。こはいとたふとき教へにて、 5 わが師の、よにすぐれ給へる一つなり。おほかたいにしへを考ふること、さらに一人二 人の力もて、ことごとくあきらめつくすべくもあらず。またよき人の説ならむからに、 多くの中には誤りもなどかなからむ。必ずわろきこともまじらではえあらず。そのおの が心には、今はいにしへのこころことごとく明らかなり。これをおきてはあるべくもあ らずと思ひの外に、また人のことなるよき考へも出で来るわざなり。 10 1 ≥ 先達の説は決して一人や二人の力で成し遂げたものではないので、むやみに批判し てはならない。 2 ≥ 古典を勉強していると師の説と違うことが出てくるが、その誤りを指摘するだけで は意味がない。 15 3 ≥ 師の説であっても誤りは誤り、悪いことは悪いというべきであるというのが、師の 教えの根本である。 4 ≥ 古代の精神はすべて明らかであると考えるような師についていては、いつになって も学問を修められない。 5 ≥ 全く誤りのない説など存在しないので、師との協調対話の中で真理を追究すべきで 20 ある。 25 30 - 337 - 〔No. 8 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 千五百番歌合の時、院の上のたまふやう、「こたみはみな世にゆりたるふるき道の者 どもなり。宮内はまだしかるべけれども、けしうはあらずと見ゆめればなむ。かまへて、 まろがおもておこすばかりよき歌つかうまつれ」と仰せらるるに、おもてうちあかめて、 涙ぐみてさぶらひけるけしき、かぎりなきすきの程もあはれにぞ見えける。さて、その 5 御百首の歌、いづれもとりどりなる中に、 うすくこく野べのみどりの若草にあとまで見ゆる雪のむらぎえ 草の緑のこきうすき色にて、こぞのふる雪の遅くとく消えけるほどをおしはかりたる 心ばへなど、まだしからむ人は、いと思ひよりがたくや。この人年つもるまであらまし かば、げにいかばかり目に見えぬ鬼神をも動かしなましに、若くてうせにしに、いとい 10 とほしくあたらしくなむ。 1 ≥ 院の上は宮内卿の歌の実力を認めていたが、その期待にそうことができなかった。 2 ≥ 実力以上に評価されていた宮内卿は、突然の抜擢に動揺し、普段の実力を発揮でき なかった。 15 3 ≥ 宮内卿の歌才は万人が認めるところであったが、特に院の上は絶対的信頼を寄せて いた。 4 ≥ 宮内卿の歌は鬼神をも感動させるものであったが、結局認められないままであった。 5 ≥ 将来性のある宮内卿が若くして死去してしまったのは、気の毒で残念なことである。 20 25 30 - 338 - 〔No. 9 〕 次の古文の内容として、妥当なものはどれか。 人は、慮なく、いふまじきことを口とく言ひ出し、人の短をそしり、したることを難 じ、かくすことをあらはし、はぢがましきことをただす。これらはすべてあるまじきわ ざなり。我はなにとなく言ひちらして、思ひもいれぬほどに、言はるる人は思ひつめて、 いきどほり深くなりぬれば、はからざるにはぢをもあたへられ、身のはつるほどの大事 5 にもおよぶ。笑中の剣は、さらでだにもおそるべきものぞかし。まだよくも心得ぬこと をあしざまに難じつれば、かへりて身のふかくあらはるるなり。おほかた、口かろき者 になりぬれば、「それがしにそのことな聞かせそ。かのものにな見せそ。」など言ひて、 人に心おかれ、へだてらるる、口をしかるべし。また、人のつつむことの、おのづから あらはれぬるにも、かれはなされしなどうたがはるる、面目なかるべし。 10 1 ≥ 人というものは、言うべきでないことをすぐに口に出し、誤りを正したいと思うも のであるが、そういう些細なことばかり考えていると、憤りが深くなり相手に不信感 を抱いてしまうものだ。 2 ≥ 人というものは、とかく他人のしたことを話題にしてしまうものであるが、言われ 15 た人も迷惑であるし、言った本人もそのために口が軽いということで不信感を持たれ て、いいことはない。 3 ≥ 自分で十分にわかっていないことを非難したりすると、かえって自分のほうが非難 されてしまい、自分の思い通りに物事が進まなくなってしまい、結局不幸になってし まう。 20 4 ≥ 他人から用心されてしまう原因には、多くを話しすぎたり、一つのことを大袈裟に 言ったりすることがあるが、これは人としては仕方のないことである。 5 ≥ 必要以上にしゃべることは避けたほうがよいというのは、一つのことでも非難を加 えていると事実を歪曲してしまい、最後は自分が苦しむことになるからである。 25 30 - 339 - 〔No.10〕 次の古文において「児」が泣いている理由として、妥当なものはどれか。 今は昔、田舎の児の、比叡の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きに咲きたりける に、風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはらより て、 「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るををしうおぼえさせ給ふか。桜ははかな きものにて、かくほどなくうつろひさぶらふなり。されどもさのみぞさぶらふ。」とな 5 ぐさめければ、「桜の散らむはあながちにいかがせむ、苦しからず。わがてての作りた る麦の花散りて、実のいらざらむと思ふがわびしき。」と言ひて、さくりあげてよよと 泣きければ、うたてしやな。 1 ≥ 桜が散ってしまうのが残念で仕方がなかったから。 10 2 ≥ 見知らぬ僧に話しかけられて恐怖感を感じたから。 3 ≥ 自分の育てた麦の花が散ることを想像して悲しくなったから。 4 ≥ 父親の栽培している麦が不作になってしまいそうだから。 5 ≥ 初めて登った比叡山で感動的な風景に出会ったから。 15 20 25 30 - 340 - 5 第 章 英文問題 〔No. 1 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地初) I have recently been told that I am one of the millions of Americans who will be afflicted* with Alzheimer’ s Disease*. Upon learning this news, Nancy and I had to decide whether as private citizens we would keep this a private matter or whether we would make this news known in a 5 public way. In the past Nancy suffered from breast cancer and I had my cancer surgeries. We found through our open disclosures we were able to raise public awareness. We were happy that as a result many more people underwent testing. They were treated in early stages and able to return to normal, healthy lives. 10 So now, we feel it is important to share it with you. In opening our hearts, we hope this might promote greater awareness of this condition. Perhaps it will encourage a clearer understanding of the individuals and families who are affected by it. 出典:Ronald Reagan:近江誠「感動する英語!」 *afflicted……苦しんでいる 15 *Alzheimer’ s Disease……アルツハイマー病 1 ≥ アルツハイマー病患者と診断される人が毎年増えている。 2 ≥ 私は、ナンシーがアルツハイマー病患者であると知った。 3 ≥ 過去において、ナンシーは乳がんに苦しみ、私はがんの手術をしたが、それらのこ 20 とを公にしたことで、人々のがんに対する注意を喚起することができた。 4 ≥ 私は、アルツハイマー病にかかったということを公にはしないで、秘密にしておく ことが大事だと考えた。 5 ≥ アルツハイマー病やがんに苦しむ患者やその家族とともに、私とナンシーも病気と 闘って行く決意をした。 25 30 - 341 - 〔No. 2 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2009−地初) Today, races ranging in distance from five-kilometer walks to marathons to raise money for charity are as much a part of life in American cities as Fourth of July parades. It is estimated that five million Americans run regularly, two or more times a week. 5 Most of them cite the health benefits, saying it keeps them in physical condition, allows them to reduce stress, and increases their creative thinking. The running craze* has matured into a full-blown* industry─every shopping mall* in the U.S.* has several stores dedicated solely to athletic footwear and apparel. Runners now“crosstrain*”to stay healthy for their exercise─lifting weights, stretching, and doing 10 specific exercises to build the muscles needed to take the pounding of city streets. For the less athletic, the charity walks are popular. How do they raise money? The participant signs up for the contest, then asks friends and associates to“sponsor” him or her─that is, to pledge to contribute a few dollars for every mile or kilometer the participant covers. 出典:Mike Dodd:堀田佳男『英語で楽しむ「スポーツ観戦」』 15 *craze……大流行 *full-blown……本格的な *shopping mall……ショッピングモール *U.S. ……合衆国 *cross-train……クロストレーニングをする 20 1 ≥ 今日、 7 月 4 日のパレードとして開催される 5 キロのウォークマラソンは、アメリ カの都市で集められる慈善募金の大部分を占めている。 2 ≥ 2 〜 3 週間かけて定期的に走れるようになったアメリカ人は、約500万人いると推 測されている。 25 3 ≥ ほとんどのランナーは健康のためで、身体のコンディションを保ち、ストレスを軽 減させて、創造力を高めるという。 4 ≥ どのショッピングモールでも、ランナー用のシューズや服は売り切れが続き、産業 界を本当に驚かせた。 5 ≥ ウエイトトレーニングやストレッチなどの特別メニューを加えた運動よりも、慈善 30 目的のウォーキングの方が人気を集めている。 - 342 - 〔No. 3 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2008−地初) Well, the monkeys set out hunting for this animal through the forest. And after they had gone a good many miles, one of them found peculiar footprints* near the edge of a river; and they knew that a pushmi-pullyu* must be very near that spot. Then they went along the bank of the river a little way and they saw a place where 5 the grass was high and thick; and they guessed that he was in there. So they all joined hands and made a great circle round the high grass. The pushmipullyu heard them coming, and he tried hard to break through the ring of monkeys. But he couldn’ t do it. When he saw that it was no use trying to escape, he sat down and waited to see what they wanted. 出典:Hugh Lofting:成田成寿「ドゥリトル先生物語」 10 *footprint……足跡 *pushmi-pullyu……プシミ・プルユー(架空の動物の名前) 1 ≥ みんなは、何マイルも進んだところの川のふちの近くで、一匹の猿の足跡を見つけ 15 た。 2 ≥ みんなが、足跡のすぐ近くにいるにちがいないということが、プシミ・プルユーに、 わかった。 3 ≥ みんなは川の岸を少し進んでいき、草が丈高く茂っている場所を見て、その中にい るにちがいないと想像した。 20 4 ≥ みんなは、手と手をつなぐように、背の高い草をつなげて一つの大きな輪をつくっ た。 5 ≥ プシミ・プルユーは、猿がやってくる音を聞きつけ、みんなが作った輪をこわして しまった。 25 30 - 343 - 〔No. 4 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2007−地初) Yesterday evening just toward dark, when I was sitting up in bed looking out at the rain and feeling awfully bored with life in a great institution, the nurse appeared with a long white box addressed to me, and filled with the loveliest pink rosebuds*. And much nicer still, it contained a card with a very polite message written in a funny 5 little uphill* back hand(but one which shows a great deal of character). Thank you, Daddy, a thousand times. Your flowers make the first real, true present I ever received in my life. If you want to know what a baby I am, I lay down and cried because I was so happy. Now that I am sure you read my letters, I’ ll make them much more interesting, so 10 they’ ll be worth keeping in a safe with red tape around them─only please take out that dreadful one and burn it up. I’ d hate to think that you ever read it over. 出典:Alice Jean Webster:磯川治一・中村吉太郎・黒田昌司「足ながおじさん」 *rosebud……バラのつぼみ *uphill……上りの 15 1 ≥ 昨日の夕方、大きな施設の中から外を見て、雨が降り続いていることにつくづくう んざりしました。 2 ≥ 私に届いたピンクの箱は、とびきり美しいバラのつぼみでいっぱいでした。 3 ≥ あなたの下さった花こそ、私が生まれてこの方初めて頂いた現実の誠心のこもった 贈物です。 20 4 ≥ あなたが私の手紙を赤いテープで束ねて、金庫の中にしまっていることが確かにわ かりました。 5 ≥ あなたが、あの手紙を最後までお読みにならないと考えるのはいやです。 25 30 - 344 - 〔No. 5 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2007−地初) That afternoon, when the old lady was told that Karen had worn red shoes at her confirmation*, she was vexed*, and told Karen that for the future when she went to church, she must wear black shoes, were they ever so old. On the next Sunday Karen was to make her first communion*. She looked first at 5 the red shoes, then at the black, then at the red again, and─put them on. It was beautiful sunshiny* weather, so Karen and the old lady walked to church through the cornfields*, for the road was dusty*. At the church door stood an old soldier with a strange reddish*-coloured beard. He was leaning on crutches*, and he bowed almost to the earth, and asked the old lady if 10 he might wipe the dust off her shoes. Karen put out her little foot also.“Oh, what pretty dancing-shoes!”said the old soldier;“mind you do not let them slip off when you dance;”and he passed his hands over them. 出典:H.C.Andersen:来住正三・佐藤若菜「アンデルセン名作選」 *confirmation……堅信礼 *vexed……腹を立てて 15 せいさんしき *communion……聖餐式 *sunshiny……晴天の *cornfield……小麦畑 *dusty ……ほこりっぽい *reddish……赤みがかった *crutch……松葉づえ 1 ≥ 今度教会に行くときは古びていても必ず黒い靴をはいて行くとカレンが言ったの 20 で、老婦人は腹を立てた。 2 ≥ カレンは、赤い靴にすばやく目をやり、それから黒い靴を見て、そしてまた赤い靴 を見たが、結局赤い靴は置いていくことにした。 3 ≥ 素晴らしい天気だったので、カレンと老婦人は、教会へ向う道に出るため、ほこ りっぽい小麦畑を通っていった。 25 4 ≥ 老兵は松葉づえにすがり、地面すれすれに頭を下げて、靴のほこりを払わせてくれ ないかと老婦人に頼んだ。 5 ≥ 老兵は、ダンスをするときには滑って転ばないように気を付けなさいと言い、彼女 達に手を振った。 30 - 345 - 〔No. 6 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2006−地初) Alice noticed with some surprise that the pebbles were all turning into little cakes * as they lay on the floor, and a bright idea came into her head. “If I eat one of these cakes,”she thought,“it’ s sure to make some change in my size; and, as it can’ t possibly make me larger, it must make me smaller, I suppose.” 5 So she swallowed* one of the cakes, and was delighted to find that she began shrinking* directly. As soon as she was small enough to get through the door, she ran out of the house, and found quite a crowd of little animals and birds waiting outside. The poor little Lizard*, Bill, was in the middle, being held up by two guinea-pigs*, who were giving it something out of a bottle. They all made a rush* at Alice the moment 10 she appeared; but she ran off as hard as she could, and soon found herself safe in a thick wood. 出典:Lewis Carroll:尾上政次「不思議の国のアリス」 *pebble……小石 *swallow ……飲み込む *shrink……縮む *lizard……トカゲ 15 *guinea-pig ……テンジクネズミ *rush……突進 1 ≥ アリスは、小石がみんな小さな菓子の周りで回っているのに気が付いて少し驚き、 そして良い考えを思いついた。 2 ≥ もし、この菓子を一つでも食べれば、私の体はもっと大きくなるから、小さくなる 20 ことはできなくなると彼女は考えた。 3 ≥ ドアから出られるくらい小さくなるとすぐ、彼女は家から走り出て、非常に多くの 小さな動物や鳥たちが外で待ち構えているのを見た。 4 ≥ 貧しくて小さなトカゲのビルは、二匹のテンジクネズミにビンから何かを飲ませて いた。 25 5 ≥ 小さな動物や鳥たちは、アリスが現れた瞬間に、力いっぱい走り出して安全な深い 森に隠れた。 30 - 346 - 〔No. 7 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2005−地初) The palace of the Emperor of China was the most beautiful palace in the world. It was made entirely of fine porcelain*, which was so brittle* that whoever touched it had to be very careful. The choicest flowers were to be seen in the garden; and to the prettiest of these, 5 little silver bells were fastened, in order that their tinkling* might prevent any one from passing by without noticing them. Yes! everything in the Emperor’ s garden was wonderfully well arranged; and the garden itself stretched so far that even the gardener* did not know the end of it. Whoever walked farther than the end of the garden, however, came to a beautiful wood with very high trees, and beyond that to 10 the sea. The tall trees went down quite to the sea, which was very deep and blue, so that large ships could sail close under their branches; and among the branches dwelt* a nightingale*, who sang so sweetly that even the poor fishermen, who had so much else to do when they came out at nighttime to cast their nets, would stand still to listen to her song. 出典:来住正三・佐藤若菜「アンデルセン名作選」 15 *porcelain……磁器 *brittle……壊れやすい *tinkling ……チリンチリンと鳴る *gardener ……庭師 *dwell……住む *nightingale……ナイチンゲール(ツグミに似た小鳥の名称) 20 1 ≥ 宮殿は隅から隅まで美しい磁器で作られていて壊れやすいため、手を触れることは 禁じられている。 2 ≥ 選び抜かれた花々が庭に咲き、その中でも一番きれいな花の前には小柄な老人が鈴 を持って立っていた。 25 3 ≥ 皇帝の庭にあるものはすべてきれいに整えなければならない上に、庭はあまりに広 いので、庭師の仕事は終わることがない。 4 ≥ 美しい森の高い木々は、とても深くて青い海の際まで生い茂っているので、大きな 船はその枝のすぐ真下を通ることができる。 5 ≥ ナイチンゲールの鳴き声があまりに美しいので、漁師達は網を投げることも忘れ 30 て、夜になるまでその歌声に耳を傾けた。 - 347 - 〔No. 8 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2004−地初) You should see the way this college is studying! We’ ve forgotten we ever had a vacation. Fifty-seven irregular verbs have I introduced to my brain in the past four days─I’ m only hoping they’ ll stay till after examinations. Some of the girls sell their text-books when they’ re through with them, but I intend 5 to keep mine. Then after I’ ve graduated I shall have my whole education in a row in the bookcase, and when I need to use any detail, I can turn to it without the slightest hesitation*. So much easier and more accurate than trying to keep it in your head. 出典:Alice J. Webster:磯川治一・中村吉太郎・黒田昌司「足ながおじさん」 *hesitation……ためらい 10 1 ≥ 私たちが勉強している学校への道順はだれでもわかる。 2 ≥ 私は、不規則動詞を57もこの 4 日間で頭の中に詰め込んだ。 3 ≥ 何人かの少女は、自分の教科書を使い終わらないうちに売却する。 4 ≥ 私は、卒業後には自分の教科書を図書館の本棚に寄付するつもりだ。 15 5 ≥ 私は、他のだれよりも容易かつ正確に頭の中の知識を引き出すことができる。 20 25 30 - 348 - 〔No. 9 〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2003−地初) The shepherd went to fetch a small sack and poured out a heap of acorns on the * table. He began to inspect them, one by one, with great concentration*, separating the good from the bad. I smoked my pipe. I did offer to help him. He told me that it was his job. And in fact, seeing the care he devoted to the task, I did not insist. That was 5 the whole of our conversation. When he had set aside a large enough pile of good acorns he counted them out by tens, meanwhile eliminating* the small ones or those which were slightly cracked, for now he examined them more closely. When he had thus selected one hundred perfect acorns he stopped and he went to bed. There was peace in being with this man. The next day I asked if I might rest here 10 for a day. He found it quite natural─or, to be more exact, he gave me the impression that nothing could startle him. The rest was not absolutely necessary, but I was interested and wished to know more about him. He opened the pen* and led his flocks* to pasture. Before leaving, he plunged* his sack of carefully selected and counted acorns into a pail of water. 出典:Jean Giono:大久保洋子「木を植えた男」 15 *acorn……どんぐり *concentration……集中 *eliminate……除く *pen……囲い *flock……群れ *plunge……突っ込む 20 1 ≥ 私は、パイプを吸っていたので、羊飼いの男がどんぐりを一つ一つ注意深く調べな がらえり分け始めたのを手伝おうとはしなかった。 2 ≥ 私は、羊飼いの男が真剣に仕事をしていたので、話しかけることができなかった。 3 ≥ 羊飼いの男は、選び出したどんぐりが大分たまると、さらに細かく見て小ぶりのも のやわずかでも傷があるものを取り除き、10個ずつに分けて数えた。 25 4 ≥ 私は、本当に休息が必要だったので、羊飼いの男にもう一日ここで休ませてもらっ てよいかと頼んだ。 5 ≥ 羊飼いの男は、出かける前に、慎重に選び出して数えておいたどんぐりを袋から出 して、水の入ったおけに入れた。 30 - 349 - 〔No.10〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2002−地初) Soccer has deep roots in nineteenth century working-class culture. Traditionally working men went to support their local team with their“mates” (friends). Thus, it is a sport watched by a largely male audience. Until recently most stadiums featured not seats but terraces*, where fans stood to watch games. The fans are divided into 5 different areas and sing songs often not so much in support of their team as hostile* to their opponents. Large quantities of alcohol are consumed* before and after the game, and the atmosphere created by this concentration of drunk, over-excited chanting* males is often described in the newspapers as“tribal.”* 出典:ジャイルズ・マリー「「英国」おもしろ雑学事典」 10 *terrace……テラス *hostile……敵の *consume……消費する *chant……気勢をあげる * “tribal”……“部族闘争” 1 ≥ 労働者階級の人たちは、地元のチームに彼らの友達が出ていると応援に行った。 15 2 ≥ サッカーの観客の大半は男である。 3 ≥ 座席を確保できない人たちは、立ってゲームを観戦した。 うた 4 ≥ ファンは、ひいきのチームを応援するために、それぞれの場所に分かれて歌を唄う。 5 ≥ 興奮して気勢をあげる選手たちに対して、しばしば新聞紙上では“部族闘争”と表 現している。 20 25 30 - 350 - 〔No.11〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地初) In contrast, the Japanese stand smiling and continue to wave and/or bow until people have completely gone out of sight. At first, this seemed awkward and uncomfortable to me since I was used to departing promptly, following American customs. Over time, however, I have grown to love the long good-byes I share with 5 my sweetheart* and with my many Japanese clients . Rather than feeling uncomfortable, I now relish feeling truly cared about when I depart, and showing my care for others when they depart. I have noticed this“care for others over one’ s self”in a number of other Japanese customs, including the pouring of alcohol and the turning of one’ s chopsticks* before 10 serving oneself during meals. The customary*“Tadaima-Okaeri”is another example of how the Japanese take the time to acknowledge a loved one’ s absence from the home and his/her return at day’ s end. I will never forget the first time my sweetheart and I honored this custom in his family’ s home. What a pleasure to step onto the shiny hardwood floors* and feel we were really being welcomed back. We 15 certainly have similar rituals in the United States including“Hi, how was your day?”, but somehow the rhythm of our language doesn’ t quite match the Japanese phrases. 出典:Lisa Mednick:矢野安剛「アメリカの心・日本の心」 はし *sweetheart……愛しい人 *chopsticks……箸 *customary ……習慣的な *hardwood floors……木の床 20 1 ≥ 私は、日本人が別れ際にいつまでも笑顔で手を振り続ける習慣が理解できない。 2 ≥ 私は、日本の酒のお酌や箸の使い方などの「人への心遣い」がすたれたことに気づ いた。 3 ≥ 日本人の「ただいま」「おかえり」という日常のあいさつは、一日の終わりを告げ 25 る私のとても好きな言葉である。 4 ≥ 私には、彼と一緒に初めて彼の両親を訪ねたときに受けた心遣いが、忘れられない。 5 ≥ アメリカにも、日本と同様に素晴らしいあいさつの方法があるが、日本人には絶対 に真似ることができない。 30 - 351 - 〔No.12〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地初) You probably have the impression that Alaska is a dark and cold place where life * must be monotonous* and difficult. But for those who live there, Alaska is a very comforting place. I wish you could all see Alaska’ s Nature for yourselves, and of everything, what I would like you to see most is the aurora borealis*, for it’ s one of 5 Nature’ s truly fascinating phenomena. When seen from a place where people are living, the aurora borealis is genuinely beautiful, I think. But when you view it, for example, by yourself off in the mountains, a powerful aurora borealis moves about as if it were alive, which makes it seem not so much beautiful as frightening. Because the natural environment of the Arctic* is so severe, animals aren’ t able to 10 live there in the great variety they do in Africa. Only those animals having the ability to adapt to cold can live there. Once, I joined the Eskimos* on a whale hunt. The hunt took place in the open sea formed by breaks between ice floes*. One evening I set off from the camp alone on a walk. As I was walking along I saw an animal heading my way on the ice surface off 15 in the distance. At the time it still looked like only a dot and I didn’ t know what it was, but I thought that any animal in a place like that was probably a polar bear*. I watched as it approached, and sure enough, that’ s what it was. 出典:星野道夫:Robert A. Mintzer「未来への地図」 *Alaska……アラスカ *monotonous……単調な 20 *aurora borealis……オーロラ *Arctic……北極の *Eskimo……エスキモー *ice floes……乱氷群 *polar bear ……シロクマ 1 ≥ アラスカというのは、暗くて寒くて単調でとても過ごしにくいところであり、そこ 25 で生活している者にとっても気持ちの休まらない場所だ。 2 ≥ アラスカの自然を皆さんにも見てほしいが、その中で一番見るのが難しいのは、本 当に美しい自然現象であるオーロラだ。 3 ≥ 例えば山の中でひとりでオーロラを見ていると、生きているかのように動きまわ り、怖さを忘れる美しさである。 30 4 ≥ 北極の自然はとても厳しいので、アフリカのようにたくさんの種類の動物が生きる ことはできず、寒さに適応した能力を持つ動物しか生きられない。 5 ≥ 遠くの氷面を逃げていく動物が見えたが、多分こんなところにいるのはシロクマだ ろうと思った。 - 352 - 〔No.13〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2009−地初) This wasn’ t the first time I noticed the tendency of Americans to open up to perfect strangers. My family used to laugh about how waitresses or gas station managers or doctors would often tell their life stories to my dad. I also remember the surprise of a German friend, Stefan, who visited San Francisco. 5 “At the bus stop one morning two total strangers were talking about their recent divorces!”This is just the opposite of Germany, where people tend to keep the details of their lives to themselves. “I would only talk about such things to my closest friends,”Stefan explained. “But then I would tell them everything.” Stefan’ s comment made me think. Maybe the reason people could talk with 10 seeming* openness* to a stranger was the fact that they’ d never meet that person again. They wouldn’ t have to feel ashamed later of what they’ d said. But could they tell a stranger everything? This year I talked to a counselor regarding a problem someone in my family was having. When I told him it was the first visit to a counselor in my life, he was taken 15 aback. At least on the West Coast*, it seems that nearly everyone has gone to a counselor at one time or another. But while I was living in Japan, I went to my friends whenever I was facing a serious difficulty. 出典:Jeffrey Clark:小林由香利「Back in the U.S.A」 *seeming ……うわべの *openness……率直 20 *West Coast……西海岸 1 ≥ アメリカ人が見ず知らずの人に心を開きがちだと気づいたのは、これが初めてで あった。 2 ≥ サンフランシスコを訪れたドイツ人の友人、シュテファンが、バス停で見ず知らず 25 の人どうしが、最近結婚したことを話していたと驚いていた。 3 ≥ 人々は見ず知らずの相手の話をうわべでは率直に聞くが、それは、恐らくその人に 二度と会わないからだ。 4 ≥ 少なくともアメリカ西海岸では、ほとんど誰もが、何かの折にカウンセラーのもと を訪れたことがあるようだ。 30 5 ≥ 日本に住んでいる間、僕は深刻な問題に直面すると、きまって両親に相談をした。 - 353 - 〔No.14〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地初) We’ d stayed at a hotel downtown(I can’ t remember the name of it)and had walked around the city most of the first day, counting people wearing Cleveland Indian T-shirts. We’ d even run into a couple of people from Heaven. They were eating ribs* at the 5 burn-off in The Flats. (The Flats used to be old warehouses* right off the river, but now artists lived in the buildings and festivals were held in the streets.) Mom and Pops* had stood around and talked while Butchy and I stuffed ourselves with elephant ears* and french fries. It was a good weekend. I know it doesn’ t sound too cool, but I like to hang out with my family. They’ re a 10 good time. 出典:Angela Johnson「heaven」 ろっ *rib…… (肋骨付きの)あばら肉 *warehouse……倉庫 *pop……お父さん *elephant ears……「象の耳」という揚げ菓子 15 1 ≥ 私たちは、名前が知られていない無名の郊外のホテルに宿泊し、最初の日は一日中、 町を歩きまわった。 2 ≥ ホテルに宿泊した私たちの目的は、クリーヴランド・インディアンズのTシャツを 着たヘブン出身の 2 人を見つけることだった。 3 ≥ ザ・フラッツの対岸にあった古い倉庫街では、芸術家たちが頻繁にお祭り騒ぎをし 20 ていた。 4 ≥ お父さんとお母さんが立ち話をしている間に、バッチーと私は、揚げ菓子とフレン チフライをたらふく食べた。 5 ≥ 私は、寒いのが苦手であったので、週末に室内で家族と暖かく過ごすことが大好き だった。 25 30 - 354 - 〔No.15〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地初) In Japan, very few people send Christmas cards, but almost everyone sends New Year’ s cards. New Year’ s cards are used to express appreciation, and also to keep in touch with friends and acquaintances. Cards are sent to friends, and many businesspeople also send cards to their co5 workers*, customers, and business contacts. Many business people send well over 100 cards every year. Sometimes the messages are just printed by computer and not even written by hand. In some companies, it’ s expected that everyone will send New Year’ s cards to one another. However, the number of New Year’ s cards people send seems to be decreasing. 10 More and more people are using e-mail and Internet New Year’ s cards. People also often send gifts to show appreciation at the end of the year, but this custom is also not as common as in the past. 出典:David A. Thayne「英語で答えるニッポンの不思議」 *co-worker ……同僚 15 1 ≥ 日本では、クリスマスカードと年賀状の両方を送る人の数はまだ少ないが、その数 は年々増えている。 2 ≥ 年賀状は、感謝の気持ちを表すために使われるだけでなく、友達や知人と連絡を保 つためにも使われている。 20 3 ≥ 社会人の多くは、友達には手書きの年賀状を送り、顧客にはパソコンで印刷した年 賀状を送っている。 4 ≥ 人々は、電子メールやインターネットの普及にかかわらず、はがきを使って年賀状 を送ることを好む傾向にある。 5 ≥ 年賀状を送る習慣は、感謝の気持ちを示すため 1 年の終わりに贈り物をする習慣よ 25 りも根強く残っている。 30 - 355 - 〔No.16〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地初) In the morning the telephone rang, but Mama Girl didn’ t jump up and answer it, so I put my mouth close to her ear and said,“The telephone, Mama Girl.” Without opening her eyes Mama Girl said,“Please answer it for me. Tell them I’ m asleep. Tell them to call me tomorrow.” 5 I jumped out of bed and answered the phone. It was Mike McClatchey, only he thought I was Mama Girl. “Get your little daughter and let’ s have breakfast,”he said. “I’ m downstairs*.” “Mr. McClatchey,”I said,“my mother’ s asleep, and she says please call her tomorrow.” 10 “Mr. McClatchey?”Mama Girl said. She jumped out of bed and took the receiver* out of my hand and talked quickly and laughed and said we’ d be right down─just give us fifteen minutes. She hung up, and then there was a lot of running around in 2109*. Mama Girl drew a bath while we both brushed our teeth, then we both got in and soaped and rinsed, 15 then we both got out and dried, then we got dressed in our best matching dresses: bright yellow with little white flowers all over. 出典:William Saroyan「Mama, I Love You」 *downstairs……階下に *receiver ……受話器 *2109 …… 2109号室(ホテルの部屋) 20 1 ≥ ママ・ガールは電話に出たが、目を閉じたまま、明日にしてくださいと一言つぶや いて、そのまま眠りそうになった。 2 ≥ 私は、ママ・ガールがあまりに眠そうに話しているので電話を代わり、電話の相手 に、私がママ・ガールに代わって話を聞くと伝えた。 25 3 ≥ 電話の相手は、ママ・ガールを起こしてこれから一緒に朝ごはんを食べに行こうと 私を誘ったが、私はそれを断った。 4 ≥ 電話の相手がマイク・マックラッチーさんだと分かると、ママ・ガールは飛び起き て受話器を取り、すぐに行きますと早口に笑いながら言った。 5 ≥ ママ・ガールと私は、急いで2109号室へ行くための支度をはじめ、おそろいの小さ 30 な白い花模様の黄色い服を着た。 - 356 - 〔No.17〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地初) One day Little Bear came to visit Grandmother and Grandfather Bear in their little house in the woods. This was something Little Bear liked to do. He liked to look at all the nice things, the pictures, Grandmother’ s flowers, Grandfather’ s toy goblin* that jumped up and down in a jar*. 5 He liked to put on Grandfather’ s big hat and say,“Look at me!” And he liked Grandmother’ s cooking very, very much. He had some bread and jam, cake and cookies, milk and honey, and an apple. “Have some more,”said Grandmother. “Yes, thank you,”said Little Bear. “I am not eating too much, am I?” 10 “Oh no, no!”said his grandmother. Then Grandfather said to Little Bear,“We will have lots of fun today, you and I.” “Yes,”said Little Bear. “But Father Bear told me not to make you tired.” “Me─tired?”said Grandfather. “How can you make me tired? I am never tired!” He got up and did a little jig*. “Never tired!”he said, and sat down. 15 Little Bear laughed and clapped* his paws*. “Do you know what?”he said to his grandmother and grandfather. “What?”they asked. “I like it here,”said Little Bear. He hugged* them. 出典:Else Holmelund Minarik「LITTLE BEAR’ S VISIT」 *goblin……ゴブリン(いたずら好きな小鬼) *jar ……瓶 20 *jig ……ジグ(ダンスの一種) *clap……手をたたく *paw ……(動物の)手 *hug ……抱きつく 1 ≥ おもちゃのゴブリンの動きをまねて、小熊は瓶に向かって何度も飛んだり跳ねたり した。 25 2 ≥ 小熊は、おばあさん熊とおじいさん熊へのおみやげに、ジャム付きパン、ケーキ、 クッキー、牛乳、はちみつ、りんごを持ってきた。 3 ≥ ごちそうを前にして、小熊が「僕、そんなに食べられないよ。」と言うと、おばあ さん熊は「だめだめ。」と答えた。 4 ≥ おじいさん熊は、「お前のお父さんから、お前を退屈にさせてはいけないと言われ 30 たのだよ。」と小熊に言った。 5 ≥ 「僕はここが好きなんだ。」と小熊は言って、おばあさん熊とおじいさん熊に抱き ついた。 - 357 - 〔No.18〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地初) The next week, when Vashti walked into her art class, she was surprised to see * what was hanging above her teacher’ s desk. It was the little dot* she had drawn─ HER DOT! All framed in swirly* gold! “Hmmph! I can make a better dot than THAT!” 5 She opened her never-before-used set of watercolours and set to work. Vashti painted and painted. A yellow dot. A green dot. A red dot. A blue dot. The blue mixed with the red. She discovered that she could make a PURPLE dot. Vashti kept experimenting*. Lots of little dots in many colours. “If I can make little dots, I can make BIG dots, too.”Vashti splashed* her colours 10 with a bigger brush on bigger paper to make bigger dots. Vashti even made a dot by NOT painting a dot. 出典:Peter H. Reynolds「the dot」 *Vashti……ワシテ(主人公の名) *dot……点(絵画的なもの) *framed in swirly ……渦模様の額縁に入った *experiment……試す 15 *splash……飛び散らす 1 ≥ ワシテは、お絵かきの教室に入ると、先生の机の上に飾られていたものがなくなっ ていたので驚いた。 2 ≥ ワシテは、渦模様の金色の額縁に入った先生の作品を見て、私ならもっと上手に描 20 けると思った。 3 ≥ ワシテは、いつも使っている水彩絵の具のセットを開けて、様々な色の小さな点を たくさん描いた。 4 ≥ ワシテは、絵の具を飛び散らせながら、大きな絵筆で大きな紙に大きな点を描いた。 5 ≥ ワシテは、点そのものを描かずに点を表現することを試してみたが、結局できな 25 かった。 30 - 358 - 〔No.19〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地初) Names can be tricky , especially when two different cultures come together. Japan * and the U.S. have practically* opposite customs* when it comes to names, so it’ s not always easy to know what to do. I was reminded of this recently. Not knowing the name of a new American 5 colleague*, I asked the Japanese secretary who told me it was Ms. Smith. “Oh,”I said. “But what’ s her first name?”For me, it would be strange to call this woman, someone fairly close to my own age,“Ms. Smith.”In fact, it might even embarrass* or offend* her if I did. The reason is that Americans tend to use titles like Mr. and Ms. only when a person is a lot older or in a much higher position than they are, or 10 sometimes in formal situations. Of course Japanese culture is more formal than American culture, and there’ s nothing wrong with a Japanese person using Mr. or Ms. in this situation. But, it would sound odd coming from another American. 出典:Kay Hetherly「A Taste of Japan」 *tricky ……扱いにくい *practically……ほとんど 15 *custom……習慣 *colleague……同僚 *embarrass……恥ずかしい思いをさせる *offend……怒らせる 1 ≥ 日本とアメリカとでは、名前のことではほとんど正反対の習慣があるので、どう対 処すべきかを決めるのは、必ずしも簡単ではない。 20 2 ≥ 秘書に新しいアメリカ人の同僚の名前を尋ねられたので、彼女はスミスさんですと 私は教えた。 3 ≥ 私にとって年齢の近いこの女性を「スミスさん」と呼ぶことについて、特に違和感 はない。 4 ≥ アメリカ人は、自分よりもずっと年上の人や地位の高い人に対しても、敬称をほと 25 んど使わない。 5 ≥ ふつうのアメリカ人にとって、敬称を付けて名前を呼ぶことは違和感があるので、 日本人も日本でアメリカ人の名前を呼ぶ際には敬称を付けない方がよい。 30 - 359 - 〔No.20〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2008−地初) Jane came skipping up the street. What a good day it had been so far! And it was * going to be even better, of that she was sure. It had been a good day in school because the drawing teacher, Miss Partridge, who visited every class in town once in the fall, once in the winter, and once in the spring, had paid her autumn visit that day. 5 Everyone in Jane’ s class had drawn an autumn leaf. Everyone in Rufus’ s, a pumpkin*. Everyone in Joe’ s, an apple. All the children in the grammar schools* came home with a drawing fluttering* in the wind─a drawing of a pumpkin, an apple, or an autumn leaf. It is true that sometimes the children grew tired of drawing leaves, pumpkins, and apples. However, Miss Partridge never thought of letting them 10 draw anything else. 出典:Eleanor Estes「The Moffats」 *skip……跳ね回る *pumpkin……カボチャ *grammar school……小学校 *flutter ……はためかす 15 1 ≥ ジェーンは、跳ね回りながら通りを上がって行き、今日があまりにもよい一日だっ たのでこれ以上いいことは起こらないだろうと考えた。 2 ≥ パトリッジ先生は図画の先生で、年に 1 度、秋、冬、春のいずれかの季節に学校を 訪れた。 3 ≥ ジェーンのクラスの子どもたちは皆リンゴの絵を描き、ジョーのクラスの子どもた 20 ちは皆秋の木の葉の絵を描いた。 4 ≥ 小学校のすべての子どもたちは、カボチャの絵か、リンゴの絵か、秋の木の葉の絵 を風にはためかせながら、家に帰って行った。 5 ≥ 子どもたちは、木の葉やカボチャやリンゴを描くのに飽きることはなかったが、パ トリッジ先生は子どもたちに何か他のものを描かせようと思った。 25 30 - 360 - 〔No.21〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2008−地初) Edmund Aird was nearly forty when he married for the second time, and his new wife Virginia was twenty-three. She hailed* not from Scotland but from Devon, the daughter of an officer in the Devon and Dorset Regiment* who had retired* from the Army in order to run an inherited* farm, a considerable spread of land between 5 Dartmoor and the sea. She had been brought up in Devon, but her mother was American, and every summer she and Virginia crossed the Atlantic in order to spend the hot months of July and August in her old family home. This was in Leesport on the south shore of Long Island, a village facing out over the blue waters of the Great South Bay to the dunes* of Fire Island. 出典:Rosamunde Pilcher「SEPTEMBER」 10 *hail……〜の出身である *regiment……連隊 *retire……引退する *inherited……相続した *dune……砂丘 1 ≥ エドマンド・エアドは再婚したとき40歳をとうに超えており、彼の新しい妻の 15 ヴァージニアは23歳であった。 2 ≥ ヴァージニアは、スコットランドではなくデヴォンの出身であり、デヴォン・ドー セット連隊に所属していた将校の娘であった。 3 ≥ ヴァージニアの父が相続したダートムアと海との間にある農場は、かなり狭かっ た。 20 4 ≥ ヴァージニアと彼女の母は、 7 月と 8 月の暑い時期をエドマンド・エアドの実家で 過ごすため、毎夏、大西洋を渡った。 5 ≥ エドマンド・エアドの実家は、ロングアイランド南岸にあるリーズポート村のグ レート・サウス・ベイに面していた。 25 30 - 361 - 〔No.22〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2007−地初) He thought it would be fun to join the big boys in their snowball fight, but he knew he wasn’ t old enough─not yet. So he made a smiling snowman, and he made angels*. He pretended* he was a mountain-climber. 5 He climbed up a great big tall heaping* mountain of snow─and slid* all the way down. He picked up a handful of snow─and another, and still another. He packed it round and firm and put the snowball in his pocket for tomorrow. Then he went into his warm house. 10 He told his mother all about his adventures* while she took off his wet socks. And he thought and thought and thought about them. Before he got into bed he looked in his pocket. His pocket was empty. The snowball wasn’ t there. He felt very sad. While he slept, he dreamed that the sun had melted* all the snow away. 15 But when he woke up his dream was gone. The snow was still everywhere. New snow was falling! 出典:Ezra Jack Keats「The Snowy Day」 *angel……天使像 *pretend……まねをする *heaping ……山盛りの 20 *slide……滑る *adventure……冒険 *melt……とかす 1 ≥ 彼は、体の大きな男の子たちの雪合戦に加わることができる年齢になっていたの で、男の子たちと一緒に雪合戦を楽しんだ。 2 ≥ 彼は、明日に備えて、雪をすくい上げ、雪の玉をたくさん作って農場の周りに置い 25 てから、雪の玉を一つ家に持ち帰り、ポケットにしまっておいた。 3 ≥ 彼は、自分が冒険してきたことをすべてお母さんに話してから、ぬれた靴下をお母 さんに脱がしてもらった。 4 ≥ 彼は、ベッドに入る前に、ポケットの中をのぞき込んだところ、ポケットには雪の 玉がなく、とても悲しくなった。 30 5 ≥ 彼は、日光が雪をすべてとかしてしまった夢を見て、目を覚ますと、家の外には雪 はどこにもなかった。 - 362 - 〔No.23〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2007−地初) “What’ s the matter?”asked the little white rabbit. “I’ m just thinking,”replied the little black rabbit. “What are you always thinking about?”asked the little white rabbit. “I’ m just thinking about my wish,”replied the little black rabbit. 5 “What is your wish?”asked the little white rabbit. “I just wish that I could be with you forever and always,”replied the little black rabbit. The little white rabbit opened her eyes very wide and thought very hard. “Why don’ t you wish a little harder?”asked the little white rabbit. 10 The little black rabbit opened his eyes very wide and thought very hard. “I wish you were all mine!”said the little black rabbit. “Do you really wish that?”asked the little white rabbit. “I really do,”replied the little black rabbit. “Then I will be all yours,”said the little white rabbit. 15 “Forever and always?”asked the little black rabbit. “Forever and always!”replied the little white rabbit. The little white rabbit gave the little black rabbit her soft white paw*. 出典:Garth Williams「The Rabbits’ Wedding」 *paw ……足 20 1 ≥ 小さな白いウサギが、何をしているのかと尋ね、小さな黒いウサギは、えさのある 場所を探していると答えた。 2 ≥ 小さな白いウサギが、いつも考えていることは何かと尋ね、小さな黒いウサギは、 自分の願い事について考えていると答えた。 25 3 ≥ 小さな白いウサギは、小さな黒いウサギの返事を聞いて、もっと一所懸命願い事を しなさいと、何も考えずにすぐさま言った。 4 ≥ 小さな黒いウサギは、小さな白いウサギの返事を聞いて、私の持っているものをす べて、あなたに贈ると言った。 5 ≥ 小さな黒いウサギは、小さな白いウサギに、いつもいつまでもと言って、自分の柔 30 らかい足を差し出した。 - 363 - 〔No.24〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2007−地初) Everything in America seems big as well. The cars, the streets, the shops, the homes are all much bigger than what we got used to in Japan. A single hamburger* at the local restaurant has as much meat as we would have used to make dinner for the five of us back in Tokyo. I now understand why Americans are always so 5 obsessed* with dieting. The average meal they eat seems big enough to feed a giant* ─at least in the eyes of people just returned from Japan. The number one thing we like about being home in America, though, is not being called“gaijin”any more. We greatly enjoyed our life in Japan, but we never liked being treated as“outsiders.”It didn’ t seem fair. We paid our Japanese taxes, obeyed* 10 Japanese law, put out our trash* each week in the officially approved transparent* bags. We worked hard to be part of Japanese society. But everybody called us “outsiders.” 出典:Tom R. Reid「Heisei Highs and Lows」 *hamburger ……ハンバーグステーキ *obsess……悩ます 15 *giant……大男 *obey ……従う *trash……くず *transparent……透明な 1 ≥ 私たちには、車、道路、商店、家を除いて、アメリカのものの方が日本で見慣れた ものより大きく見える。 20 2 ≥ 私たちが家族 5 人で東京の郊外にあるレストランに行ったのは、 1 人 1 枚ずつ、ハ ンバーグステーキを食べるためであった。 3 ≥ 私たちがアメリカに帰ってきて第一番に気に入っていることは、もはや「外人」と 呼ばれないことである。 4 ≥ 私たちは、日本では「部外者」として扱われ、日本での生活を全く楽しむことがで 25 きなかった。 5 ≥ 私たちは、日本で税金を払い法律に従っていたが、日本の社会の一員になろうとは 思わなかった。 30 - 364 - 〔No.25〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2007−地初) Henry was glad when summer vacation started. It took him so long to feed his fish that he no longer had time to play with the other children on Klickitat Street. He spent all his allowance* on fish food, snails*, and plants for his jars*. He slept with his windows shut if he thought the night were going to be cold. He wasn’ t going to have 5 his fish getting sick if he could help it. All day long the boys and girls in the neighborhood rang the doorbell and asked to see Henry’ s fish. Finally his mother said,“Henry, this can’ t go on. You must get rid* of some of those fish. You’ ll have to give them to your friends.” 10 Henry liked each fish so much he couldn’ t decide which one he liked best. They were all so lively, swimming around in their fruit jars. Henry didn’ t see how he could part with any of them, but now that he was on the third row of jars around his room, he decided to try. He started asking his friends in the neighborhood if they would like to have some fish. 出典:Beverly Cleary「HENRY HUGGINS」 15 *allowance……小遣い *snail……巻貝 *jar ……瓶 *rid……取り除く 1 ≥ ヘンリーがほかの子どもたちとクリッキタット通りで一緒に遊ぶ時間は、ヘンリー 20 が彼の魚にえさを与える時間より長かった。 2 ≥ ヘンリーが窓を閉め忘れてしまったので、彼の魚は病気になってしまったが、ヘン リーは彼の魚を助けることができた。 3 ≥ ヘンリーは、各々の魚がとても好きなので、どの魚が一番好きなのか決めることが できなかった。 25 4 ≥ ヘンリーが飼っているすべての魚は、瓶の中を泳ぎ回るほど元気な状態ではなかっ た。 5 ≥ ヘンリーは、魚を飼っている瓶を片付ける決心がついたので、近所の友達に魚を 飼ってもらえるか尋ねることをやめた。 30 - 365 - 〔No.26〕 次の英文の内容と一致するものとして、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) Pollution from ships is generally of two kinds: operational and accidental. Operational pollution is a function of the manner in which ships operate. Oil tankers, for example, traditionally washed their oil tanks and disposed of oily residues at sea, causing significant volumes of pollution. The objective of international regulation in 5 this context has been to eliminate the need for such discharges, through technical solutions and the provision of shore facilities. The second form of marine pollution, more dramatic but in aggregate less significant, emanates from marine casualties. The sinking of large oil tankers such as the Torrey Canyon, the Amoco Cadiz, or the Exxon Valdez exemplifies the scale and potential severity of such accidents, whose 10 seriousness derives mainly from the volume of oil or other pollutants released in one place. Such accidents harm coastal communities, fisheries, wildlife, and local ecology. In some areas, such as the Arctic or Antarctic, climatic conditions exacerbate both the long-term effects and the difficulty of dealing with this kind of pollution. The purpose of regulation here is to minimize the risk and give coastal states adequate means of 15 protecting themselves and securing compensation. 出典:Patricia W. Birnie/Alan E. Boyle「International Law and the Environment」 [語義] dispose of 処分する/oily residue 油性残留物/eliminate 除去する/ discharge 排出/provision 設置/shore facility 陸上施設/ in aggregate 全体として/marine casualty 海難事故/coastal 沿岸の/ 20 exacerbate 悪化させる/adequate 適切な/secure 確保する/ compensation 賠償 1 ≥ 船舶の運航・操作に起因する汚染の方が、海難事故によって引き起こされる汚染よ りも、海洋汚染としては重要性においてまさる。 25 2 ≥ オイルタンカーなどの海難事故は、漁業、野生生物、地域の生態系だけでなく、石 油業界にも大きな損害を与えることになる。 3 ≥ 船舶の操作上の問題に起因する汚染の国際規制については、海難事故の国際規制と の関連性を慎重に考慮して、対策を練っていく必要がある。 4 ≥ アジア・アフリカ沿岸においては、気象条件が汚染の影響を長期化し、海難事故に 30 よる汚染の処理を困難にする要因となる。 5 ≥ 甚大な海洋汚染を引き起こすタンカーなどの海難事故は、どのようなケースであろ うとも常に深刻なものとして考えなければならない。 - 366 - 〔No.27〕 次の英文で挙げられている、人類が環境に配慮しなければならない理由として、 最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅲ類) In an obvious way, care for the environment is one of ecologism’ s informing (although not exhaustive)principles. Many different reasons can be given for why we should be more careful with the environment and I want to suggest that ecologism advances a specific mix of them. In this sense, the nature of the arguments advanced 5 for care for the environment by ecologism comes to be a part of its definition. In our context such arguments can be summarized under two headings: those that suggest that human beings ought to care for the environment because it is in our interest to do so, and those that suggest that the environment has an intrinsic value in the sense that its value is not exhausted by its being a means to human ends─and 10 even if it cannot be made a means to human ends it still has value. 出典:Andrew Dobson「Green Political Thought」 [語義] inform 啓発する/advance 提案する/summarize 要約する/ intrinsic 内在的な/exhaust 使い果たす 15 1 ≥ 環境に配慮しなければ人類は近いうちに資源を使い果たしてしまうから。 2 ≥ 環境は「人類」というものを定義するための一部となっているといえるから。 3 ≥ 環境に対する配慮は人類そのものに対する配慮にもなるものであるから。 4 ≥ 環境に配慮するということは我々人類の利益にかなうことであるから。 5 ≥ 環境が人類にとって目的達成のための手段でなくなると、価値を持たなくなるか 20 ら。 25 30 - 367 - 〔No.28〕 次の英文の内容として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) In Russia, politicians touch cheeks when greeting each other. When Arabs talk, their faces almost touch. Japanese, however, prefer to keep some physical distance when having a conversation. There are cultural differences about what is considered a comfortable distance 5 between people, and misunderstandings can arise. Japanese require a degree of distance. When speaking with someone from another culture, they often end up stepping backward in order to maintain this distance. Inevitably, the other person assumes that the Japanese is trying to avoid him. One American grumbled,“I met a Japanese fellow at a buffet, but he didn’ t seem to 10 like me.”Listening closely to the American’ s story, it turned out that the Japanese kept moving away from him and avoided eye contact. He also said“maybe”to everything. The American couldn’ t tell if he was getting his point across. These kinds of misunderstandings are a result of subtle cultural differences. (略) 15 Conversation intervals also pose a problem. In addition to keeping a comfortable physical distance, Japanese are also comfortable maintaining intervals of silence in a conversation. When one person finishes a sentence, Japanese like to leave a short interval of silence before the next person begins conveying his ideas or telling a story. This silence bothers Americans, whose conversations have much fewer intervals. 20 They tend to fill in any absence of sound with words, like hitting a tennis ball back and forth. 出典:賀川洋「誤解される日本人」 1 ≥ 快適な距離感は国や文化によって違うことから思わぬ誤解が生じることがあるが、 25 仕方のないことである。 2 ≥ あるアメリカ人は、立食パーティで日本人と会話をするうち、相手がどんどん後ず さりしていくので、言いたいことをうまく伝えられなかった。 3 ≥ 日本人は相手を避けたい時は、相手から距離を置き、アイコンタクトはせず、「メ イビー」を連発する。 30 4 ≥ 日本人が、相手が何か話したあと少し間合いを置くのは、すぐに自分の意見を言う のは失礼だと思う気持ちからである。 5 ≥ 日本人は会話中に「間」を置きたがるが、アメリカ人はテニスの打ち合いのように、 言葉で沈黙を埋めようとする。 - 368 - 〔No.29〕 次の英文の内容として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅲ類) Today, snakes are hated very much. People are very scared of them and often scream at the sight of them. People sometimes throw stones at them. There were, however, some earthenware that were decorated with shapes of snakes in the Jomon period, and some bronze bells that were drawn pictures of snakes on them in the 5 Yayoi period. It seems that ancient people had a feeling different from people today. Japan became to have agricultural culture because the rice cultivation reached during the Yayoi period. It was the water that was essential for the rice cultivation. Snakes like wetlands and, from their looks, they were thought as children of the dragon, the god of water, or as messengers of it. They came to be the symbol of 10 religious belief as Mizuchi(Water Spirit). So, various snakes appeared in ancient myths. For example, Yamata-no-Orochi (8-Branched Giant Snake)appeared as an evil god that interfered with agricultural work, and later, Susa-no-O-no-Mikoto killed it in Izumo. Kusanagi-no-Tsurugi (Kusanagi Sword)was taken out from its tail and was given to the Emperor’ s family 15 as one of the three sacred treasures. Later, it was dedicated to the Atsuta-jingu Shrine in Owari(Aichi Prefecture). Omiwa Shrine whose ghost is Mt. Miwa that had strong ties with the Emperor’ s family also enshrines Omononushi-no-Kami, who was originally a snake. 出典:中西康裕、Gregory Patton「英語対訳で読む日本の歴史」 20 [語義] earthenware 土器、陶器 1 ≥ 日本に古くからヘビが生息していたことは、遺跡の出土品や日本神話からも判明し ている。 2 ≥ 縄文時代の土器や弥生時代の銅鐸にヘビが模様としてあしらわれていることから、 25 古代社会ではヘビと人間が共存していたと考えられる。 3 ≥ 水辺や湿地を好むヘビは、農耕に欠かせない水のある場所に出没し、その姿形から 水神の龍の子、あるいはその使者とみなされ信仰の対象となった。 4 ≥ スサノオノミコトは出雲でヤマタノオロチを退治すると、その尾から三種の神器の 一つである剣を取り戻し、天皇家に返上した。 30 おおものぬしのかみ 5 ≥ 天皇家とゆかりの深い三輪山には、もともと大物主神というヘビがご神体として祭 られていた。 - 369 - 〔No.30〕 次の英文の内容と一致するものはどれか。 (2008ー警視庁Ⅲ類) That first year was full of surprises. Like a lot of Americans, I had never traveled abroad before, and suddenly I was living in a foreign country so very different from Texas, where I grew up. Just seeing signs in Japanese, pachinko parlors, and those amazing plastic foods was thrilling, not to mention the beauty of traditional Kyoto. All 5 in all, it was a great time, and I went back to school in Wisconsin knowing this: I would live in Japan again, but with one big difference. In Kyoto, I had lived almost completely in an English-speaking world, but I wanted a deeper experience of Japan the next time. And as many Japanese speakers of English know so well, the best way into a culture is through the language. So I began studying Japanese seriously along 10 with my major classes. Then, sure enough, in 1991, I moved to Tokyo and have been here ever since. 出典:Kay Heatherly“A Taste of Japan” 1 ≥ 日本語の看板やパチンコ店、プラスティック模型の食べ物は、京都の伝統美にそぐ 15 わないものだった。 2 ≥ 京都で経験した日本の文化は、自分の育ったテキサスとはあまりにも違うもので あったので、また日本に住むことはないと思っていた。 3 ≥ 京都ではほとんど英語しか使わない環境で生活していたので、深いところまで日本 を経験することはできなかった。 20 4 ≥ 日本語が達者な多くのイギリス人は、文化に入り込む最良の方法は言葉を通じてで あることを、よく知っているのだ。 5 ≥ 専攻科目として真剣に勉強し始めた日本語を、より確実に身につけるため、1991年 に東京にやってきた。 25 30 - 370 - 〔No.31〕 次の英文で、教授が最初の授業で学生に伝えたかったことは何か。 (2008ー警視庁Ⅲ類) There is a story of a professor of medicine who was giving his first lesson to young men who were going to be doctors. He said to them that if they wanted to become good doctors there were two things most important for them: one was to observe well and carefully, and the other was not to be disgusted at unpleasant things. In front of 5 him was a bowl of dirty dishwater, with an offensive smell, and he went on to say that, to test them, he was going to put a finger first in the water and then in his mouth, and that he wanted them all to do after him exactly what he did. Accordingly he dipped in a finger, and then put a finger in his mouth. In spite of the unpleasantness of the water, the students came up one by one, and put a finger in the 10 water and then in the mouth, bearing the very unpleasant taste as best they could. At the end of it all the professor said:“I must congratulate you, gentlemen, on all having one of the qualities necessary, but one alone. You do not let horrible things disgust you, but unfortunately, you do not observe carefully, or you would have noticed that, whereas I put my second finger in the water, it was the third finger that I put in my 15 mouth.” 出典:JULIAN HUXLEY, An Introduction to Science 1 ≥ 嫌だと思うものでも嫌がらないことが大切であること 2 ≥ 理論だけでなく、何事も実際に行ってみることの重要性 20 3 ≥ 実際に起こることを綿密に観察することの大切さ 4 ≥ 自分勝手に実験を行うのではなく、教授の指示に従って行うことの重要性 5 ≥ 多分こうなるだろうとあらかじめ予想することの大切さ 25 30 - 371 - 〔No.32〕 次の英文の内容と一致するものはどれか。 (2007ー警視庁Ⅲ類) Socrates(470- 399 B.C.)is possibly the most enigmatic figure in the entire history of philosophy. He never wrote a single line. Yet he is one of the philosophers who has had the greatest influence on European thought, not least because of the dramatic manner of his death. 5 We know he was born in Athens, and that he spent most of his life in the city squares and marketplaces talking with the people he met there. “The trees in the countryside can teach me nothing,” he said. He could also stand lost in thought for hours on end. Even during his lifetime he was considered somewhat enigmatic, and fairly soon 10 after his death he was held to be the founder of any number of different philosophical schools of thought. The very fact that he was so enigmatic and ambiguous made it possible for widely differing schools of thought to claim him as their own. We know for a certainty that he was extremely ugly. (...)But inside he was said to be“perfectly delightful.” It was also said of him that“You can seek him in the 15 present , you can seek him in the past , but you will never find his equal.” Nevertheless he was sentenced to death for his philosophical activities. 出典:Jostein Gaarder, SOPHIE’ S WORLD-A Novel About the History of Philosophy, (Berkley Books, New York) [語義] enigmatic 謎めいた/ambiguous 曖昧な 20 delightful 気持ちのいい、人に喜びをもたらす 1 ≥ ソクラテスは、そのドラマティックな死に方とは関係なく、ヨーロッパの思想に最 大級の影響をおよぼした哲学者の一人とされている。 2 ≥ ソクラテスは生涯のほとんどをアテネの町中で過ごしたが、彼はまた「田園の木々 25 は‘無’ということを教えてくれる」とも言っている。 3 ≥ 生きているうちから謎めいた人物と思われていたソクラテスは、死後まもなく、あ らゆる学校で哲学の創始者であると教えられるようになった。 4 ≥ さまざまな哲学の流派がソクラテスを元祖としてまつりあげるのは、彼があまりに 謎めいて曖昧な人物だったからこそである。 30 5 ≥ 現在にも過去にもソクラテス像を探し求めることはできるだろうが、それは時代に よってまったく異なったものとして見出されるはずだ。 - 372 - 〔No.33〕 次の英文の内容と一致するものとして、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) Let me say something about the town─the town where I was born and raised and first slept with a girl. The sea out in front, hills behind, and right next door, a major port. It’ s a tiny speck of a town. Flying along the highway on the way back from the harbor, I make 5 a point of not smoking. In less time than it takes to strike a match, I might just miss the town. Population of seventy thousand plus, a figure that will hardly have changed in five years. Most of these people live in two-story houses with yards and own automobiles; two-car households are not uncommon. 10 These statistics aren’ t just something I dreamed up; they’ re from actual findings published each year-end by the registrar’ s office. I especially like the part about “two-story houses.” The Rat’ s house had three stories and a rooftop greenhouse no less. A basement garage carved into the slope was home to his father’ s Mercedes-Benz and the Rat’ s 15 own TR- 3. Strangely enough, the garage with its two roommates was probably the most“homey”room in the house. 出典:村上春樹「風の歌を聴け」Alfred Birnbaum訳(英題「Hear the Wind Sing」) [語義] a tiny speck of ほんの小さな/make a point of 〜することにしている/ statistic 統計値、数字/registrar’ s office 役所の統計課/ 20 no less (驚きや称賛を表して)実に、まさしく/TR- 3 自動車の車種 1 ≥ 僕が生まれ育ったのは、海と山に挟まれた大きな港街で、隣接するごく小さな街と は国道で結ばれていた。 2 ≥ 港から国道を車で飛ばす時は煙草を吸わないことにしていたが、今ではマッチを擦 25 るだけで、この小さな街のことが懐かしく思い出される。 3 ≥ 街の市役所が毎年度末に出す統計資料によると、街の人口は 7 万余で、住民の大半 は庭つきの二階建て住宅に住み車を所有している。 4 ≥ この小さな街の中でも、三階建ての家に住む鼠はかなり裕福な家庭で生まれ育ち、 広い庭の温室で野菜を栽培している。 30 5 ≥ 斜面をくりぬいた地下のガレージには、鼠の家族以外に 2 人の家政婦が住んでお り、最も家庭らしい雰囲気を備えている場所だった。 - 373 - 〔No.34〕 次の英文の内容と一致するものとして、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅱ類) The following is the number of believers or followers of religions based on reports of Japanese religious corporations. Shintoism118. 38million Buddhism 5 89. 03million Christianity1. 51million Others11. 15million (Agency for Cultural Affairs, Religious Yearbook 1994) Strangely enough, these numbers, when added up, amount to 220. 07million, which is far greater than the Japanese population. 10 It is partly because the religious corporations surveyed did not report the number of people who ceased to be followers. When one asks the Japanese,“What’ s your religion?”many of them, excluding Christians and followers of new religions, would answer“I have no religion.” However, when asked“What is the religion of your family?”they might answer “Jōdo sect of Buddhism,”or“Nichiren sect of Buddhism.”That means, the religion 15 that each family has had since ancient times for the purpose of worshiping their ancestors has stayed with the household. Often times it has little to do with one’ s religious faith. 出典:講談社インターナショナル編「英語で話す『日本』Q&A」 [語義] Agency for Cultural Affairs 文化庁(編)/surveyed 調査対象の 20 1 ≥ 信者数の合計が日本の総人口より多くなっているのは、神道と仏教という複数の宗 教を信仰する者が多いためである。 2 ≥ 日本で信仰されている仏教の中で、最も多くの人に信仰されている宗派は浄土宗 で、二番目が日蓮宗である。 25 3 ≥ 信仰している宗教は何かと聞くと、キリスト教や新宗教の信者とくらべ、おおかた の仏教徒は浄土宗や日蓮宗といったその宗派まで答える。 4 ≥ 日本では個人の信仰と関係なくそれぞれの家に、昔から先祖を祀るための宗教が存 在している。 5 ≥ 一般に日本の家は、昔から先祖を寺に祀るという慣習が根付いているように、仏教 30 への信仰心はあつい。 - 374 - 〔No.35〕 次の①〜③は、あるSF小説に出てくる「ロボット工学三原則」であるが、述べ られている内容と一致するものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) ① A robot may not injure a human being, or, through inaction, allow a human being to come to harm. ② A robot must obey the orders given it by human beings except where such orders would conflict with the First Law. 5 ③ A robot must protect its own existence as long as such protection does not conflict with the First or Second Laws. 出典:Isaac Asimov「I, ROBOT」 [語義] injure 傷つける/inaction 何もしないこと、無為/ allow 〜 to… 〜に…することを許す[認める]/obey 従う/ 10 conflict with 〜 〜と対立[矛盾]する 1 ≥ ロボットは人間から危害を与えられない限り、人間に危害を加えてはならない。 2 ≥ ロボットは人間に危害をおよぼす危険を見過ごしてはならない。 3 ≥ ロボットは人間から与えられた命令に無条件に従わなくてはならない。 15 4 ≥ ロボットは自らを犠牲にしてでも人間を守らなければならない。 5 ≥ ロボットは第 1 条、第 2 条に反する恐れがある場合は自己を守らなければならな い。 20 25 30 - 375 - 〔No.36〕 次の英文の要旨として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅱ類) Our challenges may be new. The instruments with which we meet them may be new. But those values upon which our success depends─honesty and hard work, courage and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism─these things are old. These things are true. They have been the quiet force of progress throughout 5 our history. What is demanded then is a return to these truths. What is required of us now is a new era of responsibility─a recognition, on the part of every American, that we have duties to ourselves, our nation and the world, duties that we do not grudgingly accept but rather seize gladly, firm in the knowledge that there is nothing so satisfying to the spirit, so defining of our character, than giving our all to a difficult 10 task. 出典:Obama Oath And Inaugural Speech [語義] tolerance 寛容/era 時代/grudgingly 嫌々ながら/seize つかむ/ define 特徴づける 15 1 ≥ かつて我々の成功は、誠実や勤勉、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心と いった価値観にもとづいていた。しかし新しい時代の挑戦に必要とするのは、米国民 一人ひとりが自分自身や我が国、そして世界に義務を負っているという責任感なの だ。 2 ≥ かつて我々がよりどころにしていた誠実や勤勉、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠 20 誠と愛国心といった価値観は、すでに過去のものだ。新しい責任の時代に入るにあ たって我々に必要なのは、米国民一人ひとりが追うべき義務を喜んで引き受けるとい う認識だ。 3 ≥ 我々の挑戦も、それに立ち向かう手段も新しいものかも知れない。しかしその成功 の鍵は、誠実や勤勉、勇気と公正さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心といった昔と変わ 25 らぬ価値観である。これらは今も変わらない真実である。 4 ≥ 我々の新しい挑戦の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛 国心といった価値観にかかっている。新たな責任の時代にあたって、歴史を通じて進 歩の力となってきたこの真実に立ち返り、米国民一人ひとりが負うべき義務を喜んで 引き受けるべきだ。 30 5 ≥ 誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観が、歴史 を通じて我々が前に進む、静かな力となってきたのは真実だ。新しい時代の新しい挑 戦に必要とされるのは、これらの真実に立ち返ることだ。 - 376 - 〔No.37〕 次の英文の内容として、妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) Using an English title with only a first name also sounds funny. That is, unless you happen to be a character in an old movie, like Gone With the Wind, as in Miss Scarlett or Mr. Rhett. Of course in Japanese, using san with a first name is fine, so it’ s easy to get confused. In fact, san is a lot simpler than the American titles, and for 5 that reason, I quite like it myself. Unlike Mr. and Ms., or the old-fashioned Miss and Mrs., san has nothing to do with gender, marital status, or age. Very democratic! But when Japanese and non-Japanese people meet, many of us do wonder what to call our new friend or colleague. Like most Americans, I prefer to be called by my first name, so that’ s how I usually introduce myself. Then, probably wanting to help 10 me feel comfortable, the Japanese person I’ m meeting will sometimes ask me to use his or her first name too, or maybe a nickname. “Call me Kaz,”says one guy, and if we were in the U.S., I would. But if we’ re in Japan and everyone else in the group is calling him“Tanaka-san,”it will feel very strange for me to be the only one calling him,“Kaz.”Even if he’ s using my first name, it seems much more natural for me to 15 call him“Tanaka-san”like everyone else, even though we’ re mixing cultures. 出典:Kay Hetherly「A Taste of Japan」(鈴木香織訳) title 敬称/Gone With the Wind『風と共に去りぬ』/get confused 混乱する/ gender 性(別)/marital status (未婚・既婚・離婚などの)結婚状況/ colleague 同僚 20 1 ≥ 英語では、ファーストネームだけに敬称をつけるのは、古い映画にも出てくるよう に、伝統的で、当たり前のことである。 2 ≥ 英語の敬称にくらべると、日本語の「さん」は女性と目上の人にしか使わないので、 シンプルなのに礼儀正しく、私はとても気に入っている。 25 3 ≥ 私自身は姓よりもファーストネームで呼ばれる方が好きなので、自己紹介をすると きもファーストネームしか名乗らないようにしている。 4 ≥ 日本にいる時でも、ファーストネームやニックネームで呼んでほしいという日本人 にたいしては、そうすることにしている。 5 ≥ 日本にいる時は、相手が私をファーストネームで呼んでくれていたとしても、私は、 30 相手が日本の方であれば、姓に「さん」付けで呼ぶ方が自然に思える。 - 377 - 〔No.38〕 次の英文の内容として、妥当なものはどれか。 (2008−警視庁Ⅱ類) Very few people were coming to eat at the White Rose Restaurant, and its owner did not know what to do. The food in his restaurant was cheap and good, but nobody seemed to want to eat there. Then he did something, and in a few weeks his restaurant was always full of men with their lady friends. Whenever a gentleman 5 came in with a lady, a smiling waiter gave each of them a beautiful menu. The menus looked exactly similar on the outside, but there was an important difference inside. The menu that the waiter gave to the man gave the correct price for each dish and each bottle of wine, while the menu that he gave to the lady gave a much higher price! So when the man calmly ordered dish after dish and wine after wine, that lady 10 thought he was much more generous than he really was! 出典:チャート式シリーズ 詳細英文解釈法 1 ≥ レストラン「白バラ」の主人は、メニューには、実際より高い値段をつけ、支払い のときに婦人に気づかれないように割り引くようにした。 15 2 ≥ レストラン「白バラ」では、男性が婦人と一緒に客として来店すると、料理やワイ ンが安くなったので、婦人連れの男性客で満員になった。 3 ≥ レストラン「白バラ」では、給仕が婦人に渡したメニューには、料理やワインに実 際より高い値段がつけられていた。 4 ≥ レストラン「白バラ」では、給仕が男性に渡したメニューには、婦人に出す料理は 20 値段を安くすると書かれていた。 5 ≥ レストラン「白バラ」では、給仕が男性に渡したメニューには、値段が安い料理や ワインしか載っていなかったので、男性は次々と注文することができた。 25 30 - 378 - 〔No.39〕 次の英文の内容に一致するものはどれか。 (2007−警視庁Ⅱ類) DEAR OLD PAL: I want you to be at Sullivan’ s place, in Little Rock, next Wednesday night, at nine o’ clock. I want you to wind up some little matters for me. And, also, I want to make you a present of my kit of tools. I know you’ ll be glad to get them─you couldn’ t 5 duplicate the lot for a thousand dollars. Say, Billy, I’ ve quit the old business─a year ago. I’ ve got a nice store. I’ m making an honest living, and I’ m going to marry the finest girl on earth two weeks from now. It’ s the only life, Billy─the straight one. I wouldn’ t touch a dollar of another man’ s money now for a million. After I get married I’ m going to sell out and go West, where there won’ t be so much danger of having old 10 scores brought up against me. I tell you, Billy, she’ s an angel. She believes in me; and I wouldn’ t do another crooked thing for the whole world. Be sure to be at Sully’ s, for I must see you. I’ ll bring along the tools with me. Your old friend, JIMMY 15 出典:A Retrieved Reformation(Project Gutenberg,'Roads of Destiny by O. Henry') wind up 片づける duplicate 複製する lot ひと組、全部 old scores 昔のこと crooked 曲がった 1 ≥ ジミーは、1000ドル相当の道具をサリヴァンにプレゼントすると書いている。 20 2 ≥ ジミーは、次の仕事を最後に、現在の仕事から足を洗おうと考えている。 3 ≥ ジミーは、二週間後に結婚する女性のために立派なリビングルームを作っている。 4 ≥ 100万ドルが手に入ったら、ジミーは二度と人の金には手をつけないつもりだ。 5 ≥ 結婚後ジミーは、彼の過去を知る者のいない西部へ行くことにしている。 25 30 - 379 - 〔No.40〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものはど れか。 (2010−地上) I do not like peas now. I did not like peas then. I have always hated peas. It is a complete mystery to me why anyone would voluntarily eat peas. I did not eat them at home. I did not eat them at restaurants. And I certainly was not about to eat them now. 5 “Eat your peas,”my grandmother said. “Mother,”said my mother in her warning voice. “He doesn’ t like peas. Leave him alone.” My grandmother did not reply, but there was a glint in her eye and a grim set to her jaw that signaled she was not going to be thwarted. She leaned in my direction, 10 looked me in the eye, and uttered the fateful words that changed my life. “I’ ll pay you five dollars if you eat those peas.” I had absolutely no idea of the impending doom that was heading my way like a giant wrecking ball*. I only knew that five dollars was an enormous, nearly unimaginable amount of money, and as awful as peas were, only one plate of them * 15 stood between me and the possession of those five dollars. I began to force the wretched things down my throat. My mother was livid*. My grandmother had that self-satisfied* look of someone who has thrown down an unbeatable trump card. “I can do what I want, Ellen, and you can’ t stop me.”My mother glared at her mother. She glared at me. No one can 20 glare like my mother. If there were a glaring Olympics, she would undoubtedly win the gold medal. 出典:Paul Auster:柴田元幸・畔柳和代「ナショナル・ストーリー・プロジェクト 2 」 *wrecking ball……建物解体用の鉄球 *unimaginable……想像できない *livid……ひどく怒った 25 *self-satisfied……自己満足の 1 ≥ 僕は、グリーンピースが嫌いだったが、今では食べられるようになった。 2 ≥ 僕は、グリーンピースを進んで食べる人に出会ったことがない。 3 ≥ 僕は 5 ドルもらうために、グリーンピースをのどに無理やり押し込みはじめたが、 30 飲み込むことができなかった。 4 ≥ グリーンピースを食べられなかったので、母と祖母は僕をにらみつけた。 5 ≥ 祖母は、誰にも負けない切り札をテーブルに投げ出した人のような大満足の顔だっ た。 - 380 - 〔No.41〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2009−地上) Because the U.S. is home to so many different nationalities, one can find almost any kind of restaurant in practically all the larger cities. Listings in the classified telephone directory may be by national cuisine or by area of the city or both. Restaurants range widely in price. Many post their menus in the window so you can 5 get an idea of prices before you enter. If not, you may want to ask to see a menu before you get really settled, or else just ask about the price range. Appearances from the outside can be deceptive as to price─what looks small and inconspicuous* may turn out to be very expensive, or a nice-looking place may be quite moderate. It works both ways. You can get a good meal for about $ 5 or slightly more if you eat in 10 snack bars, fast food chains, or drugstores, but in a medium-priced city restaurant you should expect to pay $ 15 and up per person for a nicely served dinner─with wine or drinks extra. Prices in big cities go upward fast! If you are going to a middle- or upper-level restaurant to dine, telephone ahead for a reservation─the earlier the better. Keep to the time you have given or else phone to 15 say you will be late. Good restaurants will not hold reservations for more than a short time. If you are turned away or asked to wait because you have not reserved ahead, don’ t take it personally. It happens all the time. The management has no choice. Fire laws are extremely strict about the number of occupants, and unannounced fire inspections are frequent. No restaurant owner dares overcrowd* his establishment. 出典:Alison R. Lanier:今井宏明「アメリカ生活ハンドブック」 20 *inconspicuous……目立たない *overcrowd……超満員にする 1 ≥ 職業別電話帳には、市内にある国別の料理や地域別の料理のレストランが掲載され ている。 25 2 ≥ 小さな目立たない店は手ごろな値段であり、立派に見える店はとても高いところで あるものだ。 3 ≥ 市内の中程度の値段のレストランに行けば、ひとり15ドルでワインやドリンクのつ いた立派な夕食を取ることができる。 4 ≥ もし事前に予約をしていないからというので断られたり待たされたりすることが 30 あっても、自分ひとりがそんな扱いを受けているとは思わないように。 5 ≥ 防火条例によって定員が厳密に決められており、消防署の抜き打ち検査がたびたび 行われるが、店を超満員にすることを拒む店主はいない。 - 381 - 〔No.42〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2009−地上) The question of the effects of climate and other natural phenomena on human history is not all speculative. We can see some of its very practical ramifications in the problems of cattle, soil, and grasslands. Here the chemistry of soils enters in as well as climate, but the two are not without relation. 5 From time to time, in different parts of the world, cattle exhibit perverted* appetites. They take to chewing bones, and will sometimes even devour the carcasses of other cattle that have died. These abnormal instincts are invariably the prelude to grave disorders. In typical cases the bones grow soft, the joints become swollen, the animals get thin and feeble and move stiffly and awkwardly*; their hoofs grow 10 abnormally long; sterility* and abortion are common. Milch cows* and young growing beasts are invariably the most seriously affected; and imported modern breeds suffer worse than the poorer native types. Sheep may be affected in the same sort of way; and horses too, though more rarely. These outbreaks, which may inflict severe losses, may only recur every few years; 15 or they may continue unabated* for long periods. In every case they are confined to particular regions. In such a region, even in years when there is no actual disease, the animals are generally below par. 出典:Julian Huxley:小泉一郎・多田幸蔵「自然科学と社会科学」 *perverted……異常な *awkwardly……ぎこちなく 20 *sterility ……不妊 *milch cow ……乳牛 *unabated……衰えない 1 ≥ 世界各地で、時折、家畜が異常食欲を示すことがある。 2 ≥ 重大な病気の典型的な症例では、骨格が硬化し、関節が腫れ上がり、動物はやせ 25 細ってしまう。 3 ≥ 貧弱な国内種の方が輸入された近代種よりも重大な病気の被害がひどい。 4 ≥ 重大な病気の発生は、損害は少ないが、数年に一度起こる。 5 ≥ 重大な病気が発生する地域でも、実際に病気発生を見ない年では、動物たちは元気 が良い。 30 - 382 - 〔No.43〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2008−地上) There is a tendency with any group of achievement-oriented people for them to want to excel, putting a lot of pressure on themselves and their teammates to perform. While achievement is an admirable characteristic, a potential risk is that high performers might not ask for help when they need it. Why? 5 To some team members, asking for help, even asking for clarity, can be interpreted ─from their perspective─as a sign of personal weakness. After all, aren’ t they supposed to know how things are done? Isn’ t that a reason why they have been included on the team? Haven’ t they always known the right answer in the past? Instead of asking for help, some high performers either avoid doing a task or do it 10 the way they think it should be done. Either way, the pressure to perform without asking for help is going to cause problems for the team. How can a team make it easy for people to ask for help? The team leader can encourage asking for help; in fact, he or she might model that behavior by asking for help when faced with a problem he or she can’ t solve alone. 15 In addition, teams can build coaching to match the way the team works. For any given assignment or project, team members can talk about how things should be done ─the steps, the concepts, the techniques─as well as provide examples of different ways of doing things. In a way, the team is simulating a step in the work process and learning from the experience, providing all members with a clearer view of how-to. 出典:Michael Maginn:松本茂「チームワーク」 20 1 ≥ 高い業績をあげる人たちは、目標を達成するという素晴らしい特性を持っているた め、手助けを必要とする潜在的なリスクはない。 2 ≥ メンバーの中には、助けを求めたり、明確にしてもらうように求めたりすることで、 25 自分の弱さを克服しようとする人もいる。 3 ≥ 仕事ができる人たちは、皆、助けを求めることも仕事を避けることもなく、自分が 正しいと思ったように仕事をする。 4 ≥ リーダーは、手助けを求めるように促すこともでき、自分自身がひとりで解決でき ない問題で助けを求めることで、手本を示すこともできるかもしれない。 30 5 ≥ メンバーは、一つの課題やプロジェクトについて、手順、コンセプト、テクニック を話し合うことはできるが、別の方法を例示することはできない。 - 383 - 〔No.44〕 次の英文中に述べられていることと一致するものとして、妥当なものはどれか。 (2008−地上) He knew he was beaten now finally and without remedy and he went back to the stern* and found the jagged end of the tiller* would fit in the slot of the rudder well enough for him to steer. He settled the sack around his shoulders and put the skiff* on her course. He sailed lightly now and he had no thoughts nor any feelings of any 5 kind. He was past everything now and he sailed the skiff to make his home port as well and as intelligently as he could. In the night sharks hit the carcass as someone might pick up crumbs from the table. The old man paid no attention to them and did not pay any attention to anything except steering. He only noticed how lightly and how well the skiff sailed now there was no great weight beside her. 10 She’ s good, he thought. She is sound and not harmed in any way except for the tiller. That is easily replaced. He could feel he was inside the current now and he could see the lights of the beach colonies along the shore. He knew where he was now and it was nothing to get home. The wind is our friend, anyway, he thought. Then he added, sometimes. And the 15 great sea with our friends and our enemies. And bed, he thought. Bed is my friend. Just bed, he thought. Bed will be a great thing. It is easy when you are beaten, he thought. I never knew how easy it was. And what beat you, he thought. ‘Nothing,’he said aloud. ‘I went out too far.’ 出典:E. Hemingway:林原耕三・坂本和男「対訳ヘミングウェイ 2 」 20 *stern……船尾 *tiller ……舵柄 *skiff ……スキフ( 1 人用の小船) 1 ≥ 彼は、わずかな望みを残しながらも、ついに打ちのめされたことを知った。 2 ≥ 彼は、様々な感情を抱きながらも、何も考えず軽やかに船を進めた。 25 3 ≥ 彼は、海岸の村の灯に沿って、潮流に流されていると感じた。 4 ≥ 彼は、どうしたって風とは友達になれないと思った。 5 ≥ 彼は、人間負けたとなれば気楽なものだと思った。 30 - 384 - 〔No.45〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) ‘When’ s dinner? It smells great.’ ‘Pot roast, honey, nothing special. But we won’ t be eating until seven-thirty or eight─your dad had a late tee* time.’ ‘Perfect,’ Roy said. ‘Bye, Mom.’ 5 ‘What are you up to?’ she called after him. ‘Roy?’ He pedalled at full speed to the block where Dana Matherson lived, and chained his bicycle to a street sign. Approaching the house on foot, he slipped unnoticed through a hedge into the backyard. Roy wasn’ t tall enough to see in the windows; he had to jump and hold himself up 10 by his fingers. In the first room he saw a thin rumpled* figure lying prone on a sofa: Dana’ s father, holding what appeared to be an ice pack to his forehead. In the second room was either Dana’ s mother or Dana himself, wearing red spandex* pants and a ratty wig. Roy decided it was probably Mrs Matherson, since the person was pushing a vacuum cleaner. He lowered himself and resumed creeping along the 15 outside wall until he reached the third window. And there, sure enough, was Dana. He lay sprawled* on his bed, a lazy blob* in dirty cargo pants and unlaced high-top sneakers. He wore a stereo headset, and his head was jerking back and forth to the music. 20 Standing on tiptoe, Roy tapped his knuckles* against the glass. Dana didn’ t hear him. Roy kept tapping until a dog on the porch next door began to bark. 出典:Carl Hiaasen「HOOT」 *tee……ゴルフ *rumple……しわくちゃにする *spandex……繊維 *sprawled……大の字になって *blob……小塊 *knuckle……げんこつ 25 30 - 385 - 1 ≥ ロイは、父親が遅い時間にゴルフへ出かけたため、夕食の時間が 7 時半か 8 時位と なることに腹を立てた。 2 ≥ ロイは、ダナの住むブロックを目指し全速力でペダルをこいだが、途中、自転車の 進入を禁止する道路標識に遮られ、その後は歩いてダナの家へ向かった。 3 ≥ ロイは、最初にのぞいた部屋で、ダナの父親がソファに座り、冷たい飲み物を前に くつろいでいるのを見た。 4 ≥ ロイは、二番目にのぞいた部屋で、ネズミのようなかつらをかぶり、掃除機をかけ ている人物を見て、ダナの母親だろうと思った。 5 ≥ ロイは、三番目にのぞいた部屋で、ベッドの上で大の字になって眠っているダナを 見つけ、窓をたたき続けたが、ダナはまったく動かなかった。 - 386 - 〔No.46〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) M R . Fox examined the wall carefully. He saw that the cement between the bricks was old and crumbly, so he loosened a brick without much trouble and pulled it away. Suddenly, out from the hole where the brick had been, there popped a small sharp face with whiskers*,“Go away!”it snapped. “You can’ t come in here! It’ s private!” 5 “Good Lord!”said Badger*. “It’ s Rat!” “You saucy* beast!”said Mr. Fox. “I should have guessed we’ d find you down here somewhere.” “Go away!”shrieked* Rat. “Go on, beat it! This is my private pitch!” “Shut up,”said Mr. Fox. 10 “I will not shut up!”shrieked Rat. “This is my place! I got here first!” Mr. Fox gave a brilliant smile, flashing his white teeth. “My dear Rat,”he said softly,“I am a hungry fellow and if you don’ t hop it quickly I shall eat-you-up-in-onegulp*!” That did it. Rat popped back fast out of sight. Mr. Fox laughed and began pulling 15 more bricks out of the wall. When he had made a biggish hole, he crept through it. Badger and the Smallest Fox followed him in. 出典:Roald Dahl「Fantastic Mr. Fox」 *whisker ……ひげ *Badger ……アナグマ *saucy……生意気な *shriek……金切り声を出す *in one gulp……ひと飲みに 20 1 ≥ キツネが壁を念入りに点検すると、レンガとレンガとの間のセメントが古びてもろ くなっているのが分かった。 2 ≥ アナグマは、レンガを引き抜いてできた穴にひげの生えた顔を入れて様子を確認し た後で、 「さあ、早く行きましょう!」と言った。 25 3 ≥ ネズミは、「オレは、腹が減って気が立っているんだ。食べ物のありかを教えろ!」 と金切り声を出した。 4 ≥ ネズミに向かって、キツネは「我々が来た方向に行くと、ごちそうがたくさんある よ。」とにっこりと微笑んで言った。 5 ≥ キツネが壁に開けた穴の中に入ることができたのは、アナグマと一番小さいキツネ 30 が穴の中に入ってしばらくしてからだった。 - 387 - 〔No.47〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) Wind loves to play with the wash on the line. He blows the pillow slips into balloons and shakes the sheets and twists the apron strings. And he pulls out all the clothespins that he can. Then he tries on the clothes─though he knows they’ re too small. 5 And Wind loves umbrellas. Once when I took one out in the rain he tried to take it away from me. And when he couldn’ t, he broke it. If the gate in the pasture* is left unlatched*, Wind plays with that, too. He opens it up, then bangs it shut, making it squeak* and cry. “Wind! Oh, Wind!”I say, and I go and climb on. “Give me a ride!”But with me on 10 it the gate is too heavy. Wind can’ t move it at all. When the grass is tall in the meadow* Wind and I like to race. Wind runs ahead, then comes back and starts over. But he always wins, because he just runs over the top of the grass and I have to run through it and touch the ground with my feet. When the big boys on the hill have kites to fly Wind helps them out. Wind carries 15 their kites way up to the sky and all around. But when I have a kite Wind won’ t fly it at all. He just drops it. “Wind! Oh, Wind!” I say. “I don’ t like you today!” 出典:Marie Hall Ets「GILBERTO AND THE WIND」 *pasture……牧場 *unlatch……掛け金をはずす 20 *squeak……キーキー音を立ててきしむ *meadow……草原 1 ≥ 風は干してある洗濯物と遊ぶのが大好きで、いつも僕の小さな服から順に乾かして くれる。 2 ≥ 雨が降るたびに風と僕は傘の取り合いをして、風はいつも僕の手から傘を持って 25 いってしまう。 3 ≥ 僕が牧場の掛け金がはずれた木戸に登って「揺らしてよ!」と言うと、風はいつも 大きく揺らしてくれる。 4 ≥ 草の丈が伸びた草原で風と僕はかけっこをするのが好きで、風はいつも僕に勝って しまう。 30 たこ 5 ≥ 丘の上でお兄ちゃんたちの凧を高く揚げてくれるように、風はいつも僕の凧も高く 揚げてくれる。 - 388 - 〔No.48〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2010−地上) We put off filing because the piles on our desks are usually large and overwhelming and because we worry about being able to find what we need if it’ s filed. So you need to reduce the piles by filing a little at the end of each day, and you need to set up a filing system that works for you. 5 Set up your working files in your desk drawer(s)or within arm’ s length. Organize them alphabetically or chronologically*, whichever makes more sense for you. Limit the categories by keeping them broad. Set up 7 to 10 ; if you have more, it will take longer to find a file. I’ d suggest files for“fingertip info” (phone lists, addresses, and information you use frequently), current projects(a file for each 10 project), routine tasks, clients or prospects, and problems or issues to be researched. Don’ t put too many papers in a file or it will take longer to find what you want. Split big files into smaller files for greater convenience. Toss what you no longer need. As you name each file, think about how you would try to find it later. Make your file names interesting, but logical. Keep them short─not more than three words. 15 Write them in large letters with a marking pen to make the files easy to find. 出典:Kenneth Zeigler「Getting Organized at Work」 *chronologically ……発生順に 1 ≥ 机の上の書類の山が大きくなりすぎると、必要なときに書類が見つけにくくなるの 20 で、私たちはいつも欠かさずファイリングを行っている。 2 ≥ 一日の仕事の終わりに、まとめてファイリングを行うことは難しいので、自分に都 合の良い時間を見つけて適宜ファイリングを行う必要がある。 3 ≥ 書類の種類が多い場合は、ファイルの分類が 7 から10程度では必要な書類を見つけ にくいので、ファイルの分類は多くしておく。 25 4 ≥ 必要な書類が必要なときにすぐ見つけられるように、一つのファイルには多くの書 類を入れる方がよい。 5 ≥ それぞれのファイルに名前をつけるときは、後でどのように探そうとするのかを考 えて、面白く、けれども論理的な名前にする。 30 - 389 - 〔No.49〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地上) Provence is not the only place that I began to appreciate and wanted to explore because of its portrayal in art. I once visited Germany’ s industrial zones bacause of Wim Wenders’ s Alice in the Cities. The photographs of Andreas Gursky gave me a taste for the undersides of motorway bridges. 5 Patrick Keiller’ s documentary Robinson in Space made me take a holiday around the factories, shopping malls and business parks of southern England. In recognising that a landscape can become more attractive to us once we have seen it through the eyes of a great artist, the tourist office in Arles is only exploiting a long-standing relationship between art and the desire to travel, a connection evident in 10 different countries(and in different artistic media)throughout the history of tourism. Perhaps the most notable and earliest example emerged in Britain in the second half of the eighteenth century. Historians contend that large parts of the countryside of England, Scotland and Wales went unappreciated before the eighteenth century. Places that were later taken 15 to be naturally and inarguably beautiful─the Wye Valley, the Highlands of Scotland, the Lake District─were for centuries treated with indifference*, even disdain*. 出典:Alain de Botton「The Art of Travel」 べつ *indifference……冷淡 *disdain……軽蔑感 20 1 ≥ 私は、プロヴァンス以外の地域についても、芸術作品として描くため訪れたいと思 い始めている。 2 ≥ 映画の撮影の仕事で、私は南イングランドの工場やショッピングモールを訪れたこ とがあった。 3 ≥ アルルの風景は、観光客にとって、偉大な芸術家たちの眼を通して表現されたどの 25 芸術作品よりも魅力的である。 4 ≥ 歴史家たちは、イングランドやスコットランド、ウェールズの田舎地方は、現在で もまだその真価を認められていないと主張している。 5 ≥ ワイ渓谷やスコットランドのハイランド地方、湖水地方は、何世紀にもわたって冷 淡に、軽蔑感すらもって扱われてきた。 30 - 390 - 〔No.50〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地上) Dad and I would leave his apartment early, meet Margaret, Grandpa, and Ethan on the beach, and do our walk. Then Dad would return to Grandpa’ s and change into his business suit and leave for work. If time permitted, Dad would join us for breakfast. If not, the four of us would eat without him. We usually watched the rest of the 5 Today Show* before going for a swim. Grandpa and Ethan got into an unofficial contest about how many laps they could do. I did not participate. I took a short swim, got out of the water, sat on the sidelines and read while Grandpa was teaching Ethan how to dive. He wanted to teach me, too, but I preferred not to. 10 One afternoon, we went to the movies. It was blazing hot and bright outside. We went into the movies where it was cool and dark, and then we came back out into the bright, hot sun. I felt as if I had sliced my afternoon into thirds, like a ribbon sandwich. Ethan, who never said much, had a lot to say about the camera angles and background music and described the star’ s performance as subtle. Never before in all 15 my life had I heard a boy use the word subtle. 出典:E. L. Konigsburg「The View from Saturday」 *Today Show ……トゥデイショー(テレビ番組の名称) 1 ≥ おじいちゃんは、お父さんと一緒に海岸を散歩した後、間違えてお父さんの背広を 20 着て仕事に出かけた。 2 ≥ 我々 4 人はお父さんに時間がないときにはお父さん抜きで朝食をとり、我々は泳ぎ に行く前に大抵はトゥデイショーを見た。 3 ≥ イーサンは、おじいちゃんから教わったばかりの飛び込みの方法を、早速私に教え てくれた。 25 4 ≥ 焼け付くような暑さのある日の午後、私達が涼を求めて入った映画館の中は最初こ そ涼しかったが映画が終わる頃には次第に暑くなってきた。 5 ≥ イーサンは普段から口数が多い男の子だったが、映画館ではカメラアングルなどに ついて、これまでにないほどやかましかった。 30 - 391 - 〔No.51〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地上) When I bought the piece of land on which I built my house, I chose it primarily because it sat in the middle of what appeared to be unspoiled woodland, with a good chance of staying that way for some time. Its trees, largely oak, were the sign of a relatively mature forest, though I later identified thirteen different species of trees 5 within its boundaries, including a couple of wild apple trees and a nice stand of tupelo*, or black gum, on the front slope. The first time I walked the bounds, a brilliant day in early spring, a large grouse* the color of the forest floor exploded out of last year’ s leaves directly in front of me. Along the stone wall that forms the back boundary, I found a green-and-gold garter 10 snake* soaking up the April sun on an old lichen-spotted* boulder*. They appeared to me as signs of the place’ s wild, abiding* nature. It seemed like a desirable neighborhood. 出典:Robert Finch「The PRIMAL Place」 *tupelo……ヌマミズキ(植物の一種) *grouse……ライチョウ 15 *garter snake……ガーターヘビ *lichen-spotted……まだらのコケ *boulder ……丸石 *abiding ……不変の 1 ≥ 私が自宅の敷地を選んだ主な理由は、いつかは自宅までの道路が舗装されると見込 んでいたからであった。 20 2 ≥ 私が自宅の敷地を購入したとき、敷地の周囲には巨大なオークが数本見られたが、 森というには程遠かった。 3 ≥ 私は敷地の前の斜面に、リンゴの木や立派なヌマミズキ、黒いゴムの木を含めて13 種類の木々を植えた。 4 ≥ 早春の明るい日、大きなライチョウが私の真ん前の葉っぱの中から飛び出してき 25 た。 5 ≥ 緑色と黄金色のガーターヘビの存在は、私にとってはその場所の野生が不変である あかしと感じたが、近隣からは好まれていないように思えた。 30 - 392 - 〔No.52〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2009−地上) By now, the morning sun was just over the horizon and it came at me like a sidearm pitch between the houses of my old neighborhood. I shielded my eyes. This being early October, there were already piles of leaves pushed against the curb─more leaves than I remembered from my autumns here─and less open space in the sky. I 5 think what you notice most when you haven’ t been home in a while is how much the trees have grown around your memories. Pepperville Beach. Do you know how it got its name? It’ s almost embarrassing. A small patch of sand had been trucked in years ago by some entrepreneur* who thought the town would be more impressive if we had a beach, even though we didn’ t 10 have an ocean. He joined the chamber of commerce and he even got the town’ s name changed─Pepperville Lake became Pepperville Beach─despite the fact that our “beach”had a swing set and a sliding board and was big enough for about twelve families before you’ d be sitting on someone else’ s towel. It became a sort of joke when we were growing up─“Hey, you wanna go to the beach?”or“Hey, it looks like 15 a beach day to me”─because we knew we weren’ t fooling anybody. Anyhow, our house was near the lake─and the“beach”─and my sister and I had kept it after our mother died because I guess we hoped it might be worth something someday. To be honest, I didn’ t have the stomach to sell it. 出典:Mitch Albom「for one more day」 20 *entrepreneur ……企業家 1 ≥ 朝日が水平線の上に現れ、昔なじみの近隣の家々をサイドスローの投球のように差 す光景に、私は思わず目を見張った。 2 ≥ 10月の初めで、道端には早くも吹き寄せられた葉がたまり始めていたが、私が覚 25 えているここでの秋に比べると葉は多くはなかった。 3 ≥ 久しぶりに故郷に帰って気がつくことは、自分が成長したため、記憶より木々が小 さく感じられることだ。 4 ≥ 海がないにもかかわらず、ビーチがあれば町がもっと印象的になると考えたある企 業家によって、何年も前に小さな土地に砂がトラックで運び込まれた。 30 5 ≥ 妹と私は、母親が亡くなるとすぐにペパーヴィル・ビーチの近くにあった家を手放 したが、私は家を売ったことを後悔してはいなかった。 - 393 - 〔No.53〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2008−地上) In July 1972 I was walking along a beach on the tropical island of New Guinea, where as a biologist I study bird evolution*. I had already heard about a remarkable local politician named Yali, who was touring the district then. By chance, Yali and I were walking in the same direction on that day, and he overtook me. We walked 5 together for an hour, talking during the whole time. Yali radiated* charisma* and energy. His eyes flashed in a mesmerizing* way. He talked confidently about himself, but he also asked lots of probing questions and listened intently. Our conversation began with a subject then on every New Guinean’ s mind─the rapid pace of political developments. Papua New Guinea, as Yali’ s nation is 10 now called, was at that time still administered by Australia as a mandate of the United Nations, but independence was in the air. Yali explained to me his role in getting local people to prepare for self-government. After a while, Yali turned the conversation and began to quiz me. He had never been outside New Guinea and had not been educated beyond high school, but his 15 curiosity was insatiable*. First, he wanted to know about my work on New Guinea birds(including how much I got paid for it). I explained to him how different groups of birds had colonized New Guinea over the course of millions of years. He then asked how the ancestors of his own people had reached New Guinea over the last tens of thousands of years, and how white Europeans had colonized New Guinea within the 20 last 200 years. 出典:Jared Diamond「Guns, germs, and steel」 *evolution……進化 *radiate……発散させる *charisma……カリスマ *mesmerize……魅惑する *insatiable……飽くことを知らない 25 30 - 394 - 1 ≥ 私は、ヤリが政治家であることを知らなかったが、ヤリは、私が生物学者であるこ とを知っていた。 2 ≥ 私がニューギニアの海岸を歩いていたところ、たまたま前方からヤリが歩いてき た。 3 ≥ ヤリが私を見つけて声を掛けてきたので、私とヤリは立ち止まって 1 時間ほど話を した。 4 ≥ ヤリは、ニューギニアの鳥に関する私の研究について、私がどれくらいの報酬を得 ているのかも含めて知りたがった。 5 ≥ 私はヤリに、ヤリの祖先たちは、過去数万年の間に実際にはどのようにしてニュー ギニアに移り住んできたのか尋ねた。 - 395 - 〔No.54〕 次の英文の中で述べられていることと一致するものとして、最も妥当なものは どれか。 (2008−地上) Friday morning, when my first week’ s rent was due, I went to the piano in the parlor* to place my money on the ledge*. The piano keys were dull and discolored*. When I pressed one, it made no sound at all. I had put eight one-dollar bills in an envelope and written Mrs. Croft’ s name on the front of it. I was not in the habit of 5 leaving money unmarked and unattended. From where I stood I could see the profile of her tent-shaped skirt. She was sitting on the bench, listening to the radio. It seemed unnecessary to make her get up and walk all the way to the piano. I never saw her walking about, and assumed, from the cane always propped against the round table at her side, that she did so with difficulty. When I approached the bench she 10 peered up at me and demanded: “What is your business?” “The rent, madame*.” “On the ledge above the piano keys!” “I have it here.”I extended the envelope toward her, but her fingers, folded together 15 in her lap, did not budge*. I bowed slightly and lowered the envelope, so that it hovered just above her hands. After a moment she accepted, and nodded her head. 出典:Jhumpa Lahiri「Interpreter of Maladies」 *parlor ……客間 *ledge……棚 *discolored……変色した *madame……奥様 *budge……動く 20 1 ≥ 私は、 8 枚の 1 ドル紙幣をクロフト夫人の名が書かれた封筒に入れたが、ふだんは 現金を出しっ放しにしてしまう癖があった。 2 ≥ 私は、ステッキが、いつも彼女のわきにある丸テーブルに立て掛けられていること から、彼女が歩き回るのは難しいと思った。 25 3 ≥ 私は、彼女に私の職業を尋ねられたので、アパートを管理する仕事をしていると答 えた。 かぎ 4 ≥ 私は、彼女にピアノの上にある棚から鍵 を取るように言われたが、棚には鍵はな かった。 5 ≥ 私は、軽く腰をかがめて、彼女の手をかすめそうな高さに封筒を差し出したが、彼 30 女は封筒を受け取らなかった。 - 396 - 〔No.55〕 次の英文において、ポスト情報時代に起こると考えられているものとして、最 も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) The transition from an industrial age to a post-industrial or information age has been discussed so much and for so long that we may not have noticed that we are passing into a post-information age. The industrial age, very much an age of atoms, gave us the concept of mass production, with the economies that come from 5 manufacturing with uniform and repetitious methods in any one given space and time. The information age, the age of computers, showed us the same economies of scale, but with less regard for space and time. The manufacturing of bits could happen anywhere, at any time, and, for example, move among the stock markets of New York, London, and Tokyo as if they were three adjacent machine tools. 10 In the information age, mass media got bigger and smaller at the same time. New forms of broadcast like CNN and USA Today reached larger audiences and made broadcast broader. Niche magazines, videocassette sales, and cable services were examples of narrowcasting, catering to small demographic groups. Mass media got bigger and smaller at the same time. 15 In the post-information age, we often have an audience the size of one. Everything is made to order, and information is extremely personalized. A widely held assumption is that individualization is the extrapolation of narrowcasting─you go from a large to a small to a smaller group, ultimately to the individual. By the time you have my address, my marital status, my age, my income, my car brand, my 20 purchases, my drinking habits, and my taxes, you have me─a demographic unit of one. 出典:Nicholas Negroponte「being digital」 [語義] age of atoms 物質を扱う時代/bits 情報の単位/adjacent 隣接する/ narrowcasting 特定の人々に向けたテレビ放送/niche 市場の隙間/ 25 demographic 人口統計学的/extrapolation 推定/ marital status 結婚状況 1 ≥ 生産部門が時と場所を選ばなくなること。 2 ≥ マスメディアの対象が二極分化すること。 30 3 ≥ 情報提供サービスが個人単位になること。 4 ≥ 新しいメディアが次々と開発されること。 5 ≥ 個人情報の保護と匿名化が進展すること。 - 397 - 〔No.56〕 次の英文の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2010−警視庁Ⅰ類) The first thing of any importance that I discovered, was that a writer who has worked for years, and achieved some success, in writing other kinds of verse, has to approach the writing of a verse play in a different frame of mind from that to which he has been accustomed in his previous work. In writing other verse, I think that one 5 is writing, so to speak, in terms of one’ s own voice: the way it sounds when you read it to yourself is the test. For it is yourself speaking. The question of communication, of what the reader will get from it, is not paramount: if your poem is right to you, you can only hope that the readers will eventually come to accept it. The poem can wait a little while; the approval of a few sympathetic and judicious critics is enough to 10 begin with; and it is for future readers to meet the poet more than half way. But in the theatre, the problem of communication presents itself immediately. You are deliberately writing verse for other voices, not for your own, and you do not know whose voices they will be. You are aiming to write lines which will have an immediate effect upon an unknown and unprepared audience, to be interpreted to that 15 audience by unknown actors rehearsed by an unknown producer. And the unknown audience cannot be expected to show any indulgence towards the poet. The poet cannot afford to write his play merely for his admirers, those who know his nondramatic work and are prepared to receive favourably anything he puts his name to. He must write with an audience in view which knows nothing and cares nothing, 20 about any previous success he may have had before he ventured into the theatre. Hence one finds out that many of the things one likes to do, and knows how to do, are out of place; and that every line must be judged by a new law, that of dramatic relevance. 出典:T. S. Eliot「On Poetry and Poets」 25 [語義] verse 詩/in terms of=by means of/paramount 最重要の/ judicious 思慮深い/meet〜half way 〜に歩み寄る/ rehearse 稽古をつける 1 ≥ 詩人が詩劇を書くためには、詩作とは異なった心構えが必要である。 30 2 ≥ 詩人が初めて劇を書くとき、最も難しいのは会話部分の扱いである。 3 ≥ 聴衆の文学的教養に配慮できていない詩劇は、成功を期待できない。 4 ≥ 詩劇はひとり作者のみならず、演出家や俳優などの共同作品である。 5 ≥ 詩と劇とは大きく異なるから、詩人は劇作に手を出すべきではない。 - 398 - 〔No.57〕 次の文章は、言葉を定義する方法として、具体的な対象を指し示す方法(A) と別の言葉で記述する方法(B)について述べているが、AとBとの関係が文章 の内容として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) Suppose we show an infant a ball and say,“This is a ball.”The little child might assume that ball means“anything spherical.”As a result, he might start producing the word ball at the sight of any spherical object, even watermelons and peas. His parents will probably laugh and correct him. The child learns that the word ball 5 cannot be used for peas or watermelons. As he continues using the word ball with different objects, sometimes eliciting praise, sometimes laughter, he gradually realizes that ball may be applied only to a certain type of object which satisfies certain conditions. Instead of pointing to an object, we sometimes try to teach someone a word by 10 means of other words. This is essentially an alternative to repeating definitions by designation many times, under many different circumstances. In other words, what we do in such cases is to set limits and spell out the conditions regulating the use of a word so that the other person may acquire the same experience that we have regarding a certain word. Therefore, the definition of a word through the medium of 15 other words may take an infinite variety of forms, depending on the differences in experience between the speaker and the addressee, as well as on the purpose for which the word is being defined. For example, suppose we are teaching the word lion to a child who does not know what a lion is. If he already knows what a cat is, we can narrow the boundaries of 20 the object considerably by describing a lion as a big cat. But even then the child will be unable to distinguish a lion from a tiger or a leopard. We will have to describe the animal in more detail. But no matter how detailed the description, it can never be complete in the absolute sense of the word. 出典:Takao Suzuki「Japanese and the Japanese」 25 [語義] spherical 球形の/elicit 引き出す/designation 指示/ spell out 詳細に説明する/addressee 聞き手 30 - 399 - 1 ≥ Aは子供に対する初等的な方法であるのに対して、Bは既に一定の経験を積んだ人 に理解可能な方法である。 2 ≥ Aは帰納的な定義であって決して完結することはないが、Bは演繹的な定義である から一意性をもっている。 3 ≥ Aは言葉の使用経験を蓄積してゆく方法であり、Bは言葉の使用を規制している条 件を共有する方法である。 4 ≥ Aは定義を行う状況に依存するのであいまいさを免れないが、Bは際限なく精密な 定義が可能な方法である。 5 ≥ Aは具体的な対象と言葉を結びつける本質的な方法であり、BもAによる定義を暗 黙のうちに前提している。 - 400 - 〔No.58〕 次の文章の大意として最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) One day I had been to a service at the Cathedral of Notre Dame, a magnificent building which is always packed with people. I was just starting back to my hotel when I happened to see Peter Gilles talking to an elderly foreigner with a sunburnt face, a long beard, and a cloak slung carelessly over one shoulder. 5 From his complexion and costume I judged him to be a sailor. At this point Peter caught sight of me. He immediately came up and said good morning, then before I had time to reply, drew me a little further away. ‘Do you see that man over there?’he asked, indicating the one he had been talking to. ‘I was just bringing him along to visit you.’ 10 ‘If he’ s a friend of yours,’ I said,‘I’ ll be very glad to see him.’ ‘When you hear the sort of person he is,’said Peter,‘you’ ll be glad to see him anyway─for there’ s not a man alive today who can tell you so many stories about strange countries and their inhabitants as he can. I know what a passion you have for that kind of thing.’ 15 ‘Then I didn’ t guess too far wrong,’ I remarked.‘The moment I saw him, I thought he must be a sailor.’ ‘In that case you made a big mistake,’he replied.‘I mean, he’ s not a sailor of the Palinurus type. He’ s really more like Ulysses, or even Plato. You see, our friend Raphael─for that’ s his name, Raphael Nonsenso─is quite a scholar. He knows a fair 20 amount of Latin and a tremendous lot of Greek. He’ s concentrated on Greek, because he’ s mainly interested in philosophy, and he found that there’ s nothing important on that subject written in Latin, apart from some bits of Seneca and Cicero. He wanted to see the world, so he left his brothers to manage his property in Portugal─that’ s where he comes from─and joined up with Amerigo Vespucci. 出典:Thomas More「UTOPIA」 25 [語義] complexion 様子/ Palinurus ローマの古典叙事詩に登場する職業的な船乗り/ Plato ギリシアの哲学者/Seneca ローマの哲学者/ Cicero ローマの哲学者/Amerigo Vespucci イタリアの海洋探検家 30 - 401 - 1 ≥ 私が礼拝の帰りに会った友人と一緒にいた男は、古典的な哲学にあきたらず、航海 で見聞を広げ、見知らぬ国のことを誰よりも知っているそうだ。 2 ≥ 私がノートルダム大聖堂で会った友人は、古典ギリシアの哲学を究めるにはラテン 世界では限界があると考え、遠くギリシアまで航海したという。 3 ≥ 私は礼拝で久しぶりに旧友ジャイルズと会ったが、彼は一緒にいた男と共にアメリ ゴ・ヴェスプッチの世界周遊に参加し、帰国したところだった。 4 ≥ 私は人々でいっぱいのノートルダム大聖堂の広場で、友人と一緒に人々を眺めなが ら、その物腰や服装などで職業を推理する楽しみに興じていた。 5 ≥ 私は友人のジャイルズの紹介で、ユリシーズのような冒険を経験してきたという船 乗りに出会ったが、彼の名はアメリゴ・ヴェスプッチといった。 - 402 - 〔No.59〕 次の英文の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) “The beat of my heart has grown deeper, more active, and yet more peaceful, and it is as if I were all the time storing up inner riches...My[life]is one long sequence of inner miracles.”The young Dutchwoman Etty Hillesum wrote that in a Nazi transit camp in 1943, on her way to her death at Auschwitz two months later. Towards the 5 end of his life, Ralph Waldo Emerson wrote,“All I have seen teaches me to trust the creator for all I have not seen,”though by then he had already lost his father when he was 7, his first wife when she was 20 and his first son, aged 5. In Japan, the late 18thcentury poet Issa is celebrated for his delighted, almost child-like celebrations of the natural world. Issa saw four children die in infancy, his wife die in childbirth, and his 10 own body partially paralyzed. I’ m not sure I knew the details of all these lives when I was 29, but I did begin to guess that happiness lies less in our circumstances than in what we make of them, in every sense.“There is nothing either good or bad,”I had heard in high school, from Hamlet,“but thinking makes it so.”I had been lucky enough at that point to stumble 15 into the life I might have dreamed of as a boy: a great job writing on world affairs for Time magazine, an apartment(officially at least)on Park. In the corporate world, I always knew there was some higher position I could attain, which meant that, like Zeno’ s arrow, I was guaranteed never to arrive and always to remain dissatisfied. 20 Avenue, enough time and money to take vacations in Burma, Morocco, EI Salvador. But every time I went to one of those places, I noticed that the people I met there, mired in difficulty and often warfare, seemed to have more energy and even optimism than the friends I’ d grown up with in privileged, peaceful Santa Barbara, Calif., many of whom were on their fourth marriages and seeing a therapist every day. Though I 25 knew that poverty certainly didn’ t buy happiness, I wasn’ t convinced that money did either. 出典:P. Iyer「The Joy of Less」 [語義] Time magazine アメリカの時事週刊誌/Park セントラル・パーク/ Issa 小林一茶/mire ぬかるみにはまる/Calif. California州の略 30 - 403 - 1 ≥ 人間は不幸の中に置かれて初めて、自らの人生の深い意味に気づくものである。 2 ≥ 幸福は環境そのものにあるのではなく、そこに何を見出すかということにある。 3 ≥ アメリカ社会は、豊かな経済的環境とは裏腹に、精神的にはむしろ貧困である。 4 ≥ 人間は豊かになると、さらに豊かさを求めるが、実はそれが不幸の原因になる。 5 ≥ 幸運と不運、幸福と不幸は、その人が置かれている環境に相対的なものである。 - 404 - 〔No.60〕 次の英文の要旨として、最も妥当なものはどれか。 (2009−警視庁Ⅰ類) No great historical event is better calculated than the French Revolution to teach political writers and statesmen to be cautious in their speculations; for never was any such event, stemming from factors so far back in the past, so inevitable yet so completely unforeseen. 5 Despite all his political acumen even Frederick the Great had no inkling of what was in the air. He was very near to the Revolution yet he failed to see what was happening under his eyes. More remarkable still, his management of public affairs fell in line with the new ideas; he was a precursor, one might almost say a promoter, of the Revolution. Nevertheless, even he failed to perceive the signs of the long- 10 impending storm, and similarly, when at last it broke, the features distinguishing it from a host of previous revolutions passed unnoticed─anyhow, to begin with. It was watched with extreme interest by foreigners all the world over; everywhere it gave rise to a vague awareness that a new order was in the making and to equally vague hopes of changes and reforms. But nobody as yet had any idea what form 15 these were to take. The European Kings and their Ministers, unlike their subjects, completely failed to realize the way events were shaping and regarded the French Revolution as one of those passing maladies to which all nations are subject from time to time and whose only practical effect is to open up new political possibilities to enterprising neighbors. On the rare occasions when they spoke the truth about it 20 they did so unwittingly. True, at the conference of Pillnitz in 1791 the leading German potentates declared that the peril of the French monarchy was shared by all other European sovereigns, but at heart they believed nothing of the sort. Confidential records of the time prove that such declarations were disingenuous pretexts intended to mask the speaker’ s true designs or to present them to the masses in a false light. 25 出典:Alexis de Tocqueville「The Old Re `gime and the French Revolution」 [語義] acumen 洞察力/inkling 暗示/precursor 先駆者/ potentate 支配者/confidential 秘密の/disingenuous 正直でない 30 - 405 - 1 ≥ フランス革命は、当時の世界中の国王が、自分達の地位に影響する可能性を憂えた 初めての出来事であった。 2 ≥ フランス革命が勃発すると直ちにフレデリック大王は、それを武力介入を行うため の絶好の機会と理解した。 3 ≥ フランス革命に対し、ヨーロッパ諸王のうちで真の危機意識を抱いたのは、フレデ リック大王だけであった。 4 ≥ フランス革命当時、いかなる過去の例とも異なるその性格を把握し、その過程を予 測できた人はいなかった。 5 ≥ フランス革命は、ヨーロッパ諸王の知らない間に、大衆の間に根強い信奉者を少し ずつ確実に増やし始めた。 - 406 - 〔No.61〕 次の文章の主旨として最も妥当なものはどれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) I have found it impossible to go far in the study of organizations or of the behavior of people in relation to them without being confronted with a few questions which can be simply stated. For example:“What is an individual?” “What do we mean by a person?” “To what extent do people have a power of choice or free will?”The 5 temptation is to avoid such difficult questions, leaving them to the philosophers and scientists who still debate them after centuries. It quickly appears, however, that even if we avoid answering such questions definitely, we cannot evade them. We answer them implicitly in whatever we say about human behavior; and, what is more important, all sorts of people, and especially leaders and executives, act on the basis of 10 fundamental assumptions or attitudes regarding them, although these people are rarely conscious that they are doing so. For example, when we undertake to persuade others to do what we wish, we assume that they are able to decide whether they will or not. When we provide for education or training we assume that without them people cannot do certain things, that is, that their power of choice will be more 15 limited. When we make rules, regulations, laws─which we deliberately do in great quantities─we assume generally that as respects their subject matter those affected by them are governed by forces outside themselves. 出典:Chester I. Barnard, The functions of the executive, Harvard University Press, 1968 20 [語義] evade 回避する 1 ≥ 人間とは何かという古来の問題は、抽象的な思弁ではなく、社会組織における実践 活動の中に答を求めるべきである。 2 ≥ 本来的に人間は社会的な生き物であるから、組織は人間と対立するものではなく、 25 むしろその本質的な一側面である。 3 ≥ 人間は組織の一員として行動し機能する場合でも、組織目的が人間性の本質に適合 したときに最大の能力を発揮する。 4 ≥ 組織は規則に従って機能するものであるから、本質的に個々の構成員の人間性とは 齟齬をきたすことを避けられない。 30 5 ≥ 人間の行動は、ほとんど意識されていないが、人間に関するその人の基本的な認識 を前提としている。 - 407 - 〔No.62〕 次の文章における下線部分にあたる空所に該当する文として最も妥当なものは どれか。 (2007−警視庁Ⅰ類) Jessica always felt slightly nervous when she entered this part of the cave.‘Daddy? Suppose that great boulder fell down from where it’ s wedged between those other rocks. Wouldn’ t it block our way out, and we’ d never, ever, ever get home again?’ ‘It would, but it won’ t, replied her father a little distractedly, and somewhat 5 unnecessarily brusquely, as he seemed more interested in how his various plant samples were accustoming themselves to the dank and dark conditions in this, the most remote corner of the cave. ‘But, how do you know it won’ t, Daddy?’Jessica persisted. ‘That boulder’ s probably been there for many thousands of years. It’ s not going to 10 come down just when we’ re here.’ Jessica was not at all happy with this. ‘Surely, if it’ s going to fall down sometime, then the longer it’ s been there, the more likely it’ s going to fall down now?’ Jessica’ s father stopped prodding at his plants and looked at Jessica, with a faint smile on his face.‘ .’His smile became more noticeable, but now 15 more inward. ‘Actually, you could even say that the longer that it’ s been there, the less likely that it’ s going to fall down when we’ re here.’No further explanation was evidently forthcoming, and he turned his attentions back to his plants. 出典:Roger Penrose, Shadows of the Mind, Oxford University Press, 1994 [語義] boulder 大きな岩/wedge くさびで留める、割り込ませる/ 20 distractedly 取り乱して/brusquely 無愛想に/dank じめじめした/ prod 突く/ 1 ≥ No, it’ s not like that at all. 2 ≥ I believe firmly you are right. 25 3 ≥ That’ s completely what I said. 4 ≥ Yes, I all agree with you. 5 ≥ But, you forget what I said. 30 - 408 - 付録 アイデンティティ�������������自分の本来あるべき姿 曖昧(あいまい)・ファジー ��������ものや考え方がはっきりしないこと アナログ�����������������情報や角度や長さなど物理的に連続する量で表現する方式 アナロジー����������������類似点、共通点をもとにして他を推し量る考え方 アニミズム����������������自然界に存在する万物に霊魂が宿ると考える信仰 異常(いじょう)�������������一定の基準から外れた混沌とした非日常的な状態 一般(いっぱん)�������������広く認められていて、多くの場合にあてはまること 一義(いちぎ)・一元(いちげん)������物事がひととおりなこと。一面的に物事を捉えること イデア������������������考え、観念。理想、理念 イデオロギー���������������人の思考や行動を拘束するものの見方・考え方 イメージ・心象(しんしょう)�������心の中に思い浮かべる像や情景 因果律(いんがりつ)�����������原因には必ず結果が伴うという自然の法則 宇宙(うちゅう)・コスモス ��������存在する一切のものを含んだ空間 一定の秩序をもつ統一体としての世界 エゴイズム����������������自己中心の意識。自我 他者の利害をかえりみない、自己中心的な考え方 懐疑(かいぎ)��������������物事を不確実であるとしたり、疑いをもったりすること 概念(がいねん)�������������ある事物の概括的な意味内容 思考内容や表象、言語表現の意味内容 科学(かがく)��������������ある対象を一定の目的・方法のもとに実験・研究し、その結 果を体系的に組み立て、一般法則を見つけ出す学問 神(かみ)����������������信仰の対象となる、人間を超える能力をもつ神聖な存在 還元(かんげん)�������������複雑な事柄を単純なものに置き換え、帰着させること 観念(かんねん)�������������物事について抱く考えや意識。人間の意識内容 記号(きごう)��������������あるものをその代わりに示す、文字や数字、信号など 帰属(きぞく)��������������最終的に何かの所有、所属になること 帰納(きのう)��������������多くの個別的な事実から一般的な法則を導き出すこと 逆説(ぎゃくせつ)・パラドックス �����真理に反するようで、実はある真理を言い表している表現法 客体(きゃくたい)・対象(たいしょう)���動作・作用が向けられるもの、働きかけられるもの 客観(きゃっかん)������������主観から離れてとらえられた一般的・普遍的存在 強迫観念(きょうはくかんねん)������常に心からはなれない不快・不安な気持ち 虚構(きょこう)・フィクション ������事実でないことを事実のように作り上げること。また作り上 げたもの - 409 - 近代(きんだい)�������������時代区分の 1 つ。日本では明治維新以後第二次世界大戦終結 まで、西洋ではルネサンス以後をさす 空間(くうかん)�������������上下・前後・左右にわたる無限の広がり 時間とともに物体界を成立させる基礎形式 具体(ぐたい)・具象(ぐしょう)������形・姿を備えていること 形而下(けいじか)������������形があり、感覚によって認知することができるもの 形而上(けいじじょう)・メタフィジックス �形がなく、感覚によってその存在を知ることができないもの 言語(げんご)・言葉(ことば)�������音声や文字によって人間の思想や意思を表し、伝達するもの 後天的(こうてんてき)����������生まれつきでなく、経験・環境などによって備わるもの 合理(ごうり)��������������論理的に正しいこと、道理にかなっていること 悟性(ごせい)��������������論理的、概念的、推論的認識力のこと 個別(こべつ)��������������一つ一つ、一人一人、別々なこと コミュニケーション������������情報伝達。感じたり考えたりしたことを伝え合うこと 混沌(こんとん)・カオス ���������物事が入り混じっていて区別がはっきりしない様子 コンプレックス��������������一種のゆがみをもつ感情。劣等感 恣意(しい)���������������自分勝手な考え。自分の思ったとおりにすること 時間(じかん)��������������過去・現在・未来と継続して永遠に流れゆくもの。空間とと もに世界を成立させる基本形式 自然(しぜん)��������������人間の手の加わっていない、そのままの状態 人間を含む宇宙・山・川・海・生物など天地間の万物 実存(じつぞん)�������������物事が現実に世界のなかに存在すること 社会(しゃかい)�������������共同の生活を営む人間の集団。世の中、世間 捨象(しゃしょう)������������抽象を行うとき、個々の特徴を捨て去ること 宗教(しゅうきょう)�����������神仏などの超人間的・絶対的なものを信仰して、安心・幸福 を得ようとすること 修辞(しゅうじ)・レトリック �������言葉を凝らしたり美しく飾ったりする表現技術 主観(しゅかん)�������������外界の事柄に対して認識したり考えたりする意識の働き 主体(しゅたい)�������������何らかの作用・行為を他に及ぼす、その基本となるもの 受動(じゅどう)�������������他から働きを受けること。受身 止揚(しよう)・揚棄(ようき)�������物事が内包する矛盾や対立をより高い次元で統合すること ・アウフヘーベン 常識(じょうしき)・コモン−センス ����社会で生きていく上で必要な知識。良識 象徴(しょうちょう)・シンボル ������抽象的な概念を具体的な事例や形で表現すること。また表現 されたもの 情報(じょうほう)������������ある個人またはメディアから発信され、別のものが受容する 知識 - 410 - 神話(しんわ)��������������ある特定の社会において人々に真実として捉えられている説 話 身体(しんたい)�������������人間の体。肉体 ステレオタイプ・紋切り型(もんきりがた)�一定の型にはまっていること。きまりきった様式 正常(せいじょう)������������一定の基準に即した秩序ある日常的な状態 精神(せいしん)�������������思考や感情の働きをつかさどると考えられる人間の心 絶対(ぜったい)�������������何ものにも比較できないこと。何ものにも制限されず、関係 をもたないこと 先天的(せんてんてき)・アプリオリ ����生まれつき身に備わっていること 創造(そうぞう)�������������新しいものをつくり出すこと 相対(そうたい)�������������他のものとの関係・比較において成立し、存在すること 唯一絶対ではないこと 疎外(そがい)��������������よそよそしくすること。きらってのけものにすること 多義(たぎ)・多元(たげん)��������物事がさまざまな意味をもっていること。 さまざまな面からものを考えること 建前(たてまえ)�������������表向きの方針・意見 タブー・禁忌(きんき)����������社会制度や宗教において、ある場所や事柄・行為・言語に関 わることを禁じること 秩序(ちつじょ)・コスモス ��������整然として全体的なまとまりがある様子 抽象(ちゅうしょう)�����������種々の具体的事物から重要な性質や共通性を引き出して一つ の概念を作り上げること ディジタル����������������情報が数値配列で表現されていること 諦念(ていねん)�������������道理をわきまえて悟ること。思い切ってあきらめること テーゼ������������������ある一定の立場を表明する主張 特殊(とくしゅ)�������������他の物事とは異なる面をもち、一般的ではないこと 二元論(にげんろん)�����������二つの対立する原理や構成要素を前提として世界をとらえる 方法や立場 人間(にんげん)�������������ひと。人類 能動(のうどう)�������������自分の意志・力で、自分から他に働きかけること パラダイム����������������科学者集団内で見本や規範となっているもの。思考の枠組 み、認識構造 範疇(はんちゅう)・カテゴリー ������基本的区分の、それぞれの範囲 実在または思惟の最も普遍的・根本的な形式 皮肉(ひにく)・アイロニー ��������意地の悪い遠回しの非難。あてこすり 比喩(ひゆ)���������������何かを伝えるとき、それに似た事物を引き合いに出すことで 理解度を高めたり、表現内容を強調したりする方法 - 411 - 不合理(ふごうり)������������論理的にあわないこと。道理にかなっていないこと 普遍(ふへん)��������������多くの場合に該当すること。物事すべてに共通すること 文化(ぶんか)��������������人間が社会の一員としてつくり出していくものやこと 文脈(ぶんみゃく)・コンテキスト �����文章における前後のつながり。前後関係 弁証法(べんしょうほう)���������矛盾対立する概念を克服・統一することによって、より高い 次元の新しいものへと発展していくとする考え方 本音(ほんね)��������������本心から出た言葉。口に出さずに隠している本当の考え マスメディア���������������大衆に情報を伝達するための大規模な媒体 無機的(むきてき)������������全体としてのまとまりがなく、関連や影響がないさま 矛盾(むじゅん)�������������つじつまが合わないこと。二つの事柄が同時に成り立たない ・二律背反(にりつはいはん) こと 無常(むじょう)�������������万物は生滅・流転し、永遠に変わらないものはないというこ と 模倣(もほう)��������������既にあるものを真似ること モラル・倫理(りんり)����������人として守るべき道。道徳 揶揄(やゆ)���������������(皮肉やあてこすりを言って)からかうこと 有機的(ゆうきてき)�����������多くの部分が結びついて全体をつくり、たがいに関連・影響 しあっているさま ユートピア����������������理想郷、理想社会。桃源郷 ユーモア�����������������温かみのあるおもしろさ。上品な滑稽・洒落 楽観(らっかん)・オプティミズム �����将来に対して明るい見通しをもつこと リアリズム����������������人生観・世界観上の現実主義。認識論上の実在論 理性(りせい)��������������感情に流されず、知り、判断し、理解する思考能力 理念(りねん)・イデー ����������物事のあるべき状態についての基本的な考え。 理性の働きとして得られる最高概念 歴史(れきし)��������������人間社会が時間の経過とともに移り変わってきた過程と、そ のなかでの出来事 ロマンティシズム�������������近代合理主義に対して、個人主義を根本におき、人間の感性 や自由を重んじる芸術上の立場 和魂洋才(わこんようさい)��������日本古来の精神を保持しながら西欧の科学技術を受け入れ、 活用すること - 412 - 本問題集に収録されている英語の問題文に関して、出典が特定できないなど の理由により、著作権の許諾の可否を確認できないものがあります。情報が ございましたら、大原公務員科宛にご連絡いただけると幸いです。 テキスト 2011年 7 月20日 初版第 1 刷発行 2013年 3 月20日 初版第 3 刷発行 2013年 6 月20日 第 2 版第 1 刷発行 発行者 大原出版株式会社 印 刷 株式会社メディオ 非売品 文章理解
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