映画産業の今後の展望 ~ミニシアターの可能性

映画産業の今後の展望
~ミニシアターの可能性~
グループ
3 年 7 組 20 番
3 年 14 組 24 番
3 年 3 組 11 番
3 年 17 組 12 番
3 年 21 組 3 番
土屋文乃
田中新一
榧谷 宜広
葛生卓也
石田勇樹
映画産業の今後の展望
~ミニシアターの可能性~
1、
論文課題
映画産業の今後の展望をミニシアターの可能性に注目して述べる。
2、
キーワード
ミニシアター、ATG、映画産業の衰退、映画流通経路、シネマコンプレ
ックス
3、
要旨内容
1950 年 後 半 に 最 盛 期 を 迎 え た 映 画 産 業 は 1950 年 代 半 ば の テ レ ビ の 普 及 に
よ り 以 後 斜 化 し て い き 、1990 年 に は レ ジ ャ ー の 多 様 化 、CATV・衛 星 放 送 に よ
る多メディア化により映画人口の低迷や映画館数の減少が深刻化していった。
そ ん な 中 1993 年 に シ ョ ッ ピ ン グ ・ モ ー ル 、 飲 食 と い う 商 業 施 設 を 併 設 し 、 多
くのスクリーンを持つ全国ロードショー公開されているほとんどの映画が一つ
の建物の中で見られるシネマコンプレックスが登場した。
その結果、シネマコンプレックス台頭の時代を迎えたのである。全国ロードシ
ョー型の映画では、主に大衆性の強い一般娯楽映画を上映している。現在、映
画はその話題性や、順位により評価され人々はそれを元に見る映画選択してい
る傾向にある。映画というものがそれだけで判断されていいのかと疑問を持っ
た私達はそこで芸術性、前衛性、新しい表現方法、さらには、時代を映し出す
鏡としての役割を担っているアート系作品など個性の強い、質にこだわった作
品を上映しているミニシアターに注目した。アンケートの結果やユーロスペー
ス の 北 條 氏 の 話 か ら 、質 に こ だ わ っ た 作 品 を 求 め て い る 人 々 が い る と い う こ と 、
また映画が順位だけでなく質的に評価されるべきであるということを学んだ。
そ こ で 、映 画 産 業 の 今 後 の 展 望 を ミ ニ シ ア タ ー の 可 能 性 に 注 目 し て 述 べ て い く 。
【目次】
1頁
序章
第 1章
映画の歴史
第 1節
映画の誕生
2頁
第 2節
ミニシアターの誕生
3頁
第 3節
シネマコンプレックスの台頭
5頁
第 2章
アンケートから見る映画の実情
第 1節
アンケート
8頁
第 2節
相関係数から見るアンケート
9頁
第 3節
分析
12 頁
第 3章
映画産業の現状
第 1節
大手映画業界の現状
12 頁
第 2節
ミニシアターの現状
13 頁
第 4章
ミニシアターの今後
第 1節
映画産業の中のミニシアター
14 頁
第 2節
映画文化の循環から映画の質の向上へ
15 頁
第 3節
おわりに
16 頁
注
16 頁
参考文献
19 頁
序章
日 本 の 映 画 産 業 は 1950 年 代 に 全 盛 期 を 向 え そ の 時 代 映 画 は 大 劇 場 で 上 映
さ れ て い た 。こ の 時 代 映 画 は 多 く の 人 々 の 娯 楽 と し て 発 達 し 、映 画 産 業 は 好
調 で あ っ た 。 し か し 、 1950 年 代 半 ば の テ レ ビ の 普 及 に 始 ま り 、 ビ デ オ の 登
場 、余 暇 の 多 様 化 を 背 景 と し て 衰 退 の 一 途 を た ど る 。さ ら に は 、映 画 の ビ デ
オ 、 DVD 化 や レ ン タ ル な ど も 始 ま り 、 家 庭 で 気 軽 に 映 画 が 鑑 賞 で き る 環 境
が 整 っ て き て い る 。そ こ で 、わ ざ わ ざ 映 画 館 に 出 向 い て ま で 映 画 を 見 る と い
う 習 慣 が 薄 れ て い き 、 つ い に は 観 客 動 員 数 が 全 盛 期 の 10 分 の 1 に な る 深 刻
な状況に陥った。
そこでその対抗策としてシネマコンプレックス
1
(以下シネコン)など
が 続 々 と 登 場 し た 。シ ネ コ ン は 少 数 の 映 画 を 広 い 劇 場 で 上 映 し て い た 今 ま で
の大劇場
2
と違い、多数の映画を小さめの劇場で上映する形をとっている。
こうすることにより、映画の人気度に応じて上映ホールの大きさを変更し、
ヒット作であれば複数スクリーン
3
で時間差上映することもできたり、人
気 の な い 映 画 に 対 し て も 、小 さ め の ス ク リ ー ン に 変 更 し た り 、上 映 期 間 を 短
く し 、そ の 枠 で 他 の 映 画 を 上 映 す る こ と で 、リ ス ク を 抑 え る こ と が 可 能 で あ
る 。日 本 の 映 画 産 業 は こ の よ う に 独 自 の 経 営 戦 略 を 実 行 し 、日 本 人 の 映 画 離
れを持ち直そうと努力しているのだ。
しかし、この人気作品先行のシネコンの台頭によって昔からある大劇場、
個 性 的 な 作 品 を 上 映 す る ミ ニ シ ア タ ー( ミ ニ シ ア タ ー の 定 義 に つ い て は 後 で
述 べ る )は 一 部 の 人 し か 見 な い も の に な っ た 。こ こ 最 近 ミ ニ シ ア タ ー は 盛 り
返 し て い る が 、映 画 好 き と い わ れ る 人 以 外 は 見 る 機 会 は 非 常 に 少 な い 。や は
りミニシアターとシネコンを併用して映画を見られるような環境を作らな
け れ ば 、映 画 業 界 全 体 の 衰 退 、映 画 の 質 を 下 げ る 恐 れ が あ る 。そ こ で 私 達 は
本論文にて、マイノリティを育てるミニシアターの重要性を調べた。
第1章
映画の歴史
第 1節
映画の誕生
映画が誕生した瞬間のもっとも有力な説として、リュミエール兄弟の話が
あ げ ら れ る 。 1885 年 12 月 28 日 、 フ ラ ン ス ・ パ リ の グ ラ ン ・ カ フ ェ に お い
てリュミエール兄弟が初めて観客から入場料金を取って映画を上映したとき
であるといわれている
4
。多 く の 人 に 見 ら れ る こ と で 成 立 し た 映 画 と い う 芸
術は、総合芸術の特殊性を物語ると同時に、大衆娯楽としての宿命を背負っ
た文化であることを意味している
5
。
「 映 画 が 誕 生 し た 瞬 間 」は 同 時 に「 映 画 興 行 が 誕 生 し た 瞬 間 」で も あ る
6
。
逆に考えれば、
「 映 画 」は 興 行 と い う 名 の ビ ジ ネ ス に よ っ て そ の 成 立 が 認 め ら
れた存在ともいえる
7
。
日本では、京都で染料会社を営んでいた稲畑勝太郎がパリ留学中にリュミ
エール兄弟の兄オーギュストとの知己を得ていた関係で、発明されたばかり
の映画の権利を得て、リュミエール社から技師とともに映写機一式を輸入し
たのが映写技術の最初の導入であったといわれている。
8
そ し て 、京 都 電 燈
会 社 ( 現 ・ 関 西 電 力 ) 敷 地 内 で 試 写 を 行 っ た 後 、 1897 年 2 月 15 日 に 大 阪 ミ
ナミの南地演舞場(現・東宝南街会館)で日本最初の興行を行った
9
。
た だ 、日 本 で 映 画 が 産 業 と し て 確 立 さ れ た の は 、1912 年「 日 本 活 動 写 真 株
式 会 社 」、 い わ ゆ る 日 活 が 成 立 し た と き で あ る
10
。 1920 年 に は 芸 能 の 老 舗
「 松 竹 」が 映 画 部 門 を 作 り 、1936 年 に は 東 京 宝 塚 な ど の 合 併 で「 東 宝 」が 誕
生した
11
。戦 時 中 の 1943 年 に 大 映 が 国 家 の お 膳 立 て で 作 ら れ 、戦 後 の 1949
年に東横電鉄(現・東急)が東映を作った
12
。さらに東宝から労働組合が
独立して作った新東宝を合わせ合計 6 つの映画会社が存在した
13
。
歴史的に見て、日本映画の急激な発展は第二次大戦後のいわゆる「戦後復興
期 」に お い て な さ れ 、他 の 大 衆 的 娯 楽 の 無 い 時 代 、映 画 は“ 大 衆 娯 楽 の 王 様 ”
といわれたのである
14
。
当 時 の 全 国 民 の 年 間 平 均 鑑 賞 回 数 は 実 に 12.1 回 を 数 え た
15
。テ レ ビ の 商
用放映前の時代、ほとんど唯一の視覚的情報媒体は映画であり、戦後復興期
において、ようやく遊興費をねん出できるようになった大衆は、こぞって街
の映画館に通っていたことになる
16
。と こ ろ が 、1958 年 に 観 客 動 員 数 で ピ
ー ク を 迎 え た 映 画 産 業 は 、以 後 斜 陽 化 し て い っ た 。そ の 最 大 の 理 由 は 、1953
年に放送が始まったテレビの影響だと考えるのが妥当であろう
17
。当初は
高 額 だ っ た テ レ ビ 受 像 機 も 国 民 所 得 の 増 加( 高 度 成 長 期 )、
「 皇 太 子 の 御 成 婚 」、
「 東 京 オ リ ン ピ ッ ク 」な ど の ビ ッ グ イ ベ ン ト で 一 気 に 普 及 率 が 高 ま り 、1960
年 代 半 ば に は 各 家 庭 に 対 し て 約 90% も の 普 及 率 に 達 す る の で あ る 。テ レ ビ と
いう新しい媒体に娯楽という確固たる地位を奪われてしまった映画館の観客
はピーク時の 3 分の1にまで落ち込んでいたのである
第 2節
18
。
ミニシアターの誕生
映画産業が衰退していく中で、ミニシアターという新たな形で時代のニー
ズに合わせた産業が出来上がったのである。ミニシアターの歴史を述べる前
に、ミニシアターの定義について少し書きたいと思う。ミニシアターとは、
席 数 200 席 以 下 の 劇 場 で 、ア ー ト 系 や 、 実 験 性 の 強 い も の 、日 本 で は 馴 染 み
のない外国映画を、拡大ロードショーではなく、単独で限定上映する映画館
を、映画業界ではミニシアターと呼んでいる
19
。ただし、ミニシアターを
正 確 に 定 義 す る 基 準 は な く 、席 数 200 席 以 上 で も 独 自 の コ ン セ プ ト を 持 っ て
単館ロードショーしているため、ミニシアターと呼ばれている劇場もある。
最近では、一般受けする映画を上映するミニシアターも増えており、ミニシ
ア タ ー の 概 念 は 、人 に よ っ て 、時 代 に よ っ て 異 な る 部 分 が あ る の で あ る
20
。
初期のミニシアターはアートシアターと呼ばれていた。映画館では、基本
的 に は 娯 楽 映 画 し か 上 映 さ れ な か っ た 時 代 に “ 芸 術 的 ”、“ 難 解 ” と 思 わ れ て
い た 前 衛 的 な 映 画 を 上 映 し て い た の が ア ー ト シ ア タ ー で あ っ た 。 ATG( ア ー
トシアター・ギルド)という配給会社がかつての日本劇場の地下で始めた客
席 数 211 の 日 劇 文 化 が ア ー ト シ ア タ ー の 始 ま り と さ れ て い る 。も と も と 観 客
を 輸 入 公 開 さ れ な い 外 国 映 画 の 地 味 な 秀 作 を 上 映 す る と い う 発 想 で 1962 年
に 小 規 模 な チ ェ ー ン と し て 発 足 し た 会 社 で あ っ た 。 ATGの 活 動 は 主 に 外 国 映
画 の 配 給 を 行 っ て い た 第 1 期 、低 予 算 で の 映 画 製 作 を 行 っ た 第 2 期 、若 手 監
督を積極的に採用した第 3 期に大別することができる
21
。
当時、日本映画の量産戦争は、映画の質的低下を招き、その上テレビの普
及 も 相 ま っ て 映 画 館 の 入 場 者 数 は 1958 年 の 11 億 2745 万 2 千 人 を ピ ー ク に 、
映 画 館 数 は 1960 年 の 7457 館 を ピ ー ク に 減 少 の 一 途 を 辿 っ て お り 、日 本 映 画
にかげりが見え始めていた
22
。そのような中で上映されたポーランド映画
の 上 映 を 皮 切 り に 、 ATGは ア ー ト 系 の ヨ ー ロ ッ パ 映 画 や 、 ア メ リ カ の 非 ハ リ
ウ ッ ド の 資 本 作 品 、 ATGが 制 作 、 配 給 の 企 業 の 商 業 映 画 で は 困 難 な 政 治 や 性
の問題が取り上げられた題材で、観念的、挑発的な叙述スタイルの日本映画
などを公開し、毎年のように各映画賞の上位を占め、1 つの時代を築いてき
た 。し か し 、採 算 上 の 問 題 か ら 73 年 頃 か ら ATG崩 壊 の 兆 し が 見 え は じ め 、1
館また 1 館と減少していくという事態に陥っていくのである
23
。
1968 年 人 々 の 多 目 的 ホ ー ル と し て 設 立 さ れ た 岩 波 ホ ー ル は 、一 般 的 に 最 初
の ミ ニ シ ア タ ー と さ れ て お り 、今 日 の ミ ニ シ ア タ ー ブ ー ム の 先 駆 け に な っ た 。
岩 波 ホ ー ル の 成 功 で 、東 京 に は ハ リ ウ ッ ド や 西 ヨ ー ロ ッ パ の 映 画 だ け で な く 、
かなり変わった映画でも一定の顧客が存在することが実証された
24
。 1981
年、現在のミニシアターの基本型を確立したとされているシネマスクエア東
急が設立された。莫大な宣伝費をかけて拡大ロードショーをし、短期間で大
き な 配 給 収 入 を あ げ る と い う の が 70 年 代 か ら の 日 本 映 画 の 興 行 の 主 な 形 で
あったが、シネマスクエア東急は、以前では公開が見送られたような個性的
な作品を選りすぐり、宣伝費を最小限に抑え、客席数が少ない分長期上映で
補い、気長に配給収入を上げるという新しいシステムを生み出した。この狙
いは見事に的中しそれから、続々とミニシアターがオープンしていくのであ
る
25
。
80 年 代 は 、ミ ニ シ ア タ ー と い う 言 葉 が 実 際 に 使 わ れ は じ め た 正 に ミ ニ シ
ア タ ー の 時 代 と よ ば れ て い る 。こ の よ う な ミ ニ シ ア タ ー の 隆 盛 に は 、80 年
代から浸透し始めたレンタルビデオの存在が大きいとされている。単館公
開での興行収入はおのずと限られており、それだけで採算をとるのは容易
ではなかった。しかし、レンタルビデオの登場、普及によって、公開終了
後にレンタルビデオで封切りをし、公開後でも取得されたパテントによる
副次的収益を構造に含むことが可能となったのである。それがより多くの
外国映画が日本に入ってくるのを可能にし、必然的にそれを上映するミニ
シアターも増えるという構造が生まれた。このように様々な要素が絡み合
い 、 ミ ニ シ ア タ ー は 、 80 年 代 に そ の 黄 金 の 時 代 を 迎 え る こ と に な る
第 3節
26
。
シネマコンプレックスの台頭
90 年 は 好 景 気 に よ る レ ジ ャ ー の 多 様 化 、 CATV・ 衛 星 放 送 に よ る 多 メ デ ィ
ア化により映画人口の低迷や映画館数の減少がさらに深刻化していった時期
である
27
。これに加え、ミニシアターの主力といえるヨーロッパ系の作品
の買い付け価格の高騰により資本力のない小規模な会社での買い付けが難し
くなり、仕方なくマイナーな作品を上映するといった傾向が見られるように
なっており、良質な作品を上映するというミニシアターの本来のスタイルが
危機に瀕していたいのでる
28
。また、ブーム時の物珍しさ、新鮮さが失わ
れ作品単位で話題になることはあっても、上映する劇場自体に足を運ぶこと
自体への興味が失われてしまったのである
29
。
93 年 に 映 画 産 業 に 後 に 大 き く 影 響 を 与 え る 出 来 事 が 起 こ っ た 。外 資 系 企 業
のワーナー・マイカルが海老名にシネコンを誕生させたことである
30
。シ
ネ コ ン と は 、従 来 の 大 劇 場 と 呼 ば れ る と は 異 な り 、多 く の ス ク リ ー ン を 持 ち 、
外国映画から日本映画まで、全国ロードショー公開されているほとんどの映
画が一つの建物の中で見られるようなものである
31
。映 画 館 数 は 90 年 か ら
93 年 に か け て 減 少 傾 向 に あ っ た 。 こ れ は 90 年 か ら 突 如 起 こ っ た 現 象 で は な
く 、先 に も 述 べ た が 最 盛 期 の 映 画 館 数 は 60 年 に 7457 館 で あ っ た の に 対 し そ
こ か ら 一 気 に 年 平 均 し て 約 400 館 弱 減 り 続 け 、70 年 に は 3000 館 程 度 に な り 、
90 年 に は 最 盛 期 か ら み る と 75% の 減 少 の 1836 館 に ま で に な っ て し ま っ た
32
。
2005 年 12 月 に 発 表 さ れ た 経 済 産 業 省 の 「 特 定 サ ー ビ ス 産 業 実 態 調 査 報 告
書 」 の デ ー タ を 基 に 1994 年 か ら 2004 年 の 映 画 館 の 現 状 を 見 て み る 。
映画館(スクリーン)数の推移
3000
映画館数
2500
2000
1571
1635
1994年
1997年
2354
2464
2001年
2004年
1500
1000
500
0
(図1)
2005 年 12 月
経済産業省経済産業政策局調査統計部
特定サービス産業実態調査報告書-映画館編より
1994 年 以 降 の 映 画 館 数 ( ス ク リ ー ン 数 ) は 、 1994 年 に 1571 館 、 1997 年
に 1635 館 、2001 年 に は 2354 館 と な り 、2000 館 を 突 破 し た 。そ し て 、2004
年 に は 2464 館 と な っ た ( 図 1) 。 こ の よ う に 、 2001 年 以 降 か ら 映 画 館 数 が
急増している。これは、シネコン方式の映画館が数多く設置されたことと、
ミニシアターの増加がみられたことなどによる。
次 に 、年 間 入 場 者 数 は 、1994 年 に は 9190 万 人 、そ の 後 、1997 年 に は 9584
万 人 と 増 加 に 転 じ 、2001 年 に は 1 億 人 を 突 破 し 1 億 3423 万 人 と な っ た 。そ
し て 、 2004 年 に は 1 億 4335 万 と な っ た 。
映 画 館 の 年 間 売 上 高 は 、1994 年 に は 1431 億 円 、そ の 後 、1997 年 に は 1511
億 円 と 増 加 に 転 じ 、 2001 年 に は 2000 億 円 を 突 破 し て 2043 億 円 と な っ た 。
そ し て 、 2004 年 に は 2286 億 円 と な っ た 。
次に座席規模別の映画館の状況をみてみる。
座席数規模別映画館数構成比の推移
1994年
17.7
1997年
18.8
2001年
15.9
2004年
16.4
0%
500席以上
400席以上500席未満
300席以上400席未満
200席以上300席未満
100席以上200席未満
100席未満
図2
34.9
23.4
40.6
9.8 5.4 8.7
20.7
45.6
22.2
48.3
20%
2004年
2.6
4.3
7.3
21.1
48.3
16.4
40%
2001年
4
4.4
8
22.2
45.6
15.9
2005 年 12 月
8.8 4.5 6.6
8 4.4 4
21.1
60%
1997年
6.6
4.5
8.8
20.7
40.6
18.8
7.3 4.32.6
80%
100%
1994年
8.7
5.4
9.8
23.4
34.9
17.7
経済産業省経済産業政策局調
査統計部
特定サービス産業実態調査報告書-映画館編より
2004 年 の 規 模 別 映 画 館 割 合 は 、2464 館 中 48.34 % が 100 席 以 上 200 席 未
満 と な っ て い る 。次 い で 多 い の が 200 席 以 上 300 席 未 満 で 21.1% 、100 席 未
満 が 15.8% と な っ て お り 、300 席 未 満 の 映 画 館 が 全 体 の 85.8% 程 度 を 占 め て
いる(図2)。このように、大規模映画館の減少が著しいことがわかる。
このように映画館市場は低迷期間を脱し、拡大傾向にあることがわかる。
この大幅な増加傾向はシネコンの増加によるもので、充実した設備に、併
設されたショッピング・モール、飲食という商業施設は幅広い年齢層を集客
で き 、ス ク リ ー ン 数 の 多 さ か ら と 、客 の 選 択 の 幅 も 広 が る こ と に つ な が る
33
主に集客数の少ない地方をメインに建設を進めていった結果、これまでは興
行収入の
6~ 7 割 を 占 め て い た の に 対 し ロ ー カ ル 劇 場 が 6~ 7 割 を 稼 動 す る
という逆転現象が生じており作品成績が全国区型に変化していくようになっ
た
34
。このように、シネコンの台頭は映画産業全体に大きな変化をもたら
したと同時に既存の小規模な映画館が姿を消していくという状況も引き起こ
したのである
35
。
ところが、上の図を見てすぐに分かるように、シネコンが日本に上陸し
た 年 以 来 、映 画 ス ク リ ー ン 数 は 94 年 か ら 6 年 間 連 続 で 増 え つ づ け て 99 年 に
は 2221 館 ま で 増 加 し て い る 。 実 際 、 増 加 の 要 因 は 、 シ ネ コ ン の 増 加 に よ る
もので、充実した設備に、併設されたショッピング・モール、飲食という商
業施設は幅広い年齢層を集客でき、スクリーン数が多いため、客の選択の幅
が広がったためと推測されている
36
。主に集客数の少ない地方をメインに
建 設 を 進 め て い っ た 結 果 、 こ れ ま で は 都 市 部 が 興 行 収 入 の 6~ 7 割 を 占 め て
い た の に 対 し 、 ロ ー カ ル 劇 場 が 6~ 7 割 を 稼 動 す る と い う 逆 転 現 象 が 生 じ て
おり作品成績が全国区型に変化していくようになった
37
。このように、シ
ネコンの台頭は映画産業全体に大きな変化をもたらしたと同時に既存の小規
模な映画館が姿を消していくという状況も引き起こしたのである
38
。
だが、映画はハリウッド大作のような一般娯楽作品だけでは成り立たない。
大きな収益はあげられないがクォリティーの高い芸術的な作品も必要なので
ある。芸術性、前衛性、新しい表現方法、さらには、時代を映し出す鏡とし
。
ての役割を担っているアート系作品である。人々の中で今挙げたものを求め
ている声も多く、またミニシアターブームが再燃しているのである
第2章
39
。
アンケートから見る映画の実情
第 1節
アンケート
このアンケートは、主目的として若者の映画に対する意識調査を目的とし
た も の で あ る 。 こ の ア ン ケ ー ト は 8 月 18 日 16:00 頃 携 帯 電 話 の メ ー ル 、 8
月 20 日 紙 面 で 同 年 代 の 大 学 生 を 中 心 に ア ン ケ ー ト を 行 い 10 代 男 性 4 名 、女
性 5 名 、 20 代 男 性 32 名 、 女 性 26 名 、 合 計 67 名 に 25 の 問 題 に 選 択 ま た は
記 述 で 回 答 し て も ら っ た 。 携 帯 電 話 の メ ー ル ア ン ケ ー ト の 回 答 率 は 約 60%、
紙 面 で の ア ン ケ ー ト の 回 答 率 は 100%で あ る 。 質 問 項 目 に は 年 齢 、 性 別 か ら
映画館の利用内容、どのくらい映画が娯楽施設として身近なものかなど多岐
にわたって質問をした。
「 月 に 映 画 館 に 行 く 回 数 は ど れ く ら い で す か 」と い う 質 問 か ら 8 割 以 上 が
月に 1 回映画館に行く程度ということがわかった。また「映画は主に何で 見
ま す か 」と い う 質 問 か ら 半 数 以 上 が レ ン タ ル DVD、ビ デ オ と 答 え 次 い で 映 画
館、テレビという回答になった。このことから見て、現在は映画を見るのに
は 、映 画 館 で 見 る よ り も 手 軽 に 安 価 で 見 ら れ る レ ン タ ル DVD、ビ デ オ が 一 番
利用されていることがわかる。
「 現 在 の 映 画 館 の 料 金 は 高 い と 思 い ま す か 」と
い う 質 問 か ら は 7 割 近 く の 人 が 高 い と 思 っ て い る こ と が わ か っ た 。「 二 度 と
見たくない映画はなんですか」という質問からは比較的ハリウッド映画が多
く 、ホ ラ ー 映 画 の 名 前 を 挙 げ る 人 も い た 。
「最も印象に残っている映画はなん
ですか」という質問には邦画やミニシアター系の邦画、ヨーロッパのミニシ
アター系映画、最近では韓国映画をあげる人が比較的多く、ハリウッド映画
と 答 え る 人 は 相 対 的 に 低 か っ た 。「 映 画 料 金 の 割 引 日 に 映 画 を 見 に 行 き ま す
か」という質問にはほぼ半分に意見が分かれてしまった。
第 2節
相関係数からみるアンケート
前述の「映画料金の割引日に映画を見に行くか」という質問に対してほぼ
半分に意見が分かれてしまったのは男女で意見が違うからだということがデ
ータから読み取れる。現在は高校生割引、シニア割引などたくさんの割引日
が映画館では設けられていることが多いが、割引日と言われると一番に思い
つくのはレディースデイである。このことから女性はレディースデイをうま
く利用していることがわかる
40
。また普段よりも空いている座席でゆった
りと映画を見ることができ、割引もつくことがあるレイトショー
41
も女性
の方が利用している。割引日に映画を見に行く人はミニシアターに行った経
験がある人が多く、映画に関する関心の高さがわかった。また美術館に行く
人はミニシアターの利用率が高い。これはミニシアターが美術館同様、芸術
として捉えられていることがわかる。
[図 表 1. Q 月 に 映 画 館 に 行 く 回 数 は ど れ く ら い で す か ]
40
30
31
人数
27
20
10
5
0
0回
1回
月に映画館に行く回数
2回
2
2
3回
4回
[図 表 2.Q 現 在 の 映 画 料 金 は 高 い と 思 い ま す か ]
50
45
40
人数
30
22
20
10
思う
思わない
現在の映画料金は高いと思いますか
[図 表 3.Q 映 画 は 主 に 何 で 見 ま す か ]
40
34
30
人数
20
21
10
6
4
0
映画館
購入DVD,ビデオ
レンタルDVD,ビデオ
映画は主に何で見ますか
2
家庭用通信サービス
テレビ
[図 表 4.相 関 係 数 ]
性別
映画料金
レイトシ
割引日を
ミニシア
美術館に
が高いと
ョーを利
利用した
ターに行
行ったこ
思うか
用したこ
ことがあ
ったこと
とがある
とがある
るか
があるか
か
か
性別
1.000
-.075
-.301
-.435
-.136
-085
映画料金
-.075
1.000
.116
-.053
.201
.174
-.301*
.116
1.000
.376
.194
.154
-.435**
-.053
.376**
1.000
.343**
.168
-.136
.201
.194
.343**
1.000
.424**
-.085
.174
.154
.168
.424**
1.000
が高いと
思うか
レイトシ
ョーを利
用したこ
とがある
か
割引日を
利用した
ことがあ
るか
ミニシア
ターに行
ったこと
があるか
美術館に
行ったこ
とがある
か
第 3節
分析
「二度と見たくない映画」という質問にハリウッド映画をあげる人が多か
ったが、これは一番見る機会が多いというのが理由の一つにあげられると考
えられる。ハリウッド映画にもおもしろい作品はたくさんあるであろうが、
「最も印象に残っている映画」に一つだけ名前をあげるとしたらハリウッド
映画の名前は出てきにくいのがわかる。邦画やヨーロッパ系の映画をあげる
人が多かったのは、やはりハリウッド映画とは比べ物にならない低予算で映
画を作る邦画やヨーロッパ映画はお金をかけない映像美、そして映画内容の
濃さ、が印象に残る要因であると考えられる。現在のハリウッドは邦画や韓
国映画、ヨーロッパ映画のリメイク作品を多く作っている。このことからも
邦画などの映画の内容の素晴らしさが読み取れる。
また現在は映画を見るために映画館に行くことが稀な行為として受け取ら
れ て い る 。DVD や ビ デ オ で 手 軽 に 映 画 を 見 ら れ る こ と は 、映 画 と 映 画 を 見 る
人との距離を縮めることはできたが、この手軽さから映画が消耗品として捉
えられ、映画の使い捨てが始まっていると考えられる。
第3章
第 1節
映画館の現状
大手映画業界の現状
現 在 、国 内 に お い て 実 質 的 な 支 配 的 影 響 力 を 持 つ 大 手 映 画 会 社 は 、東 宝
松竹
43
、東映
44
の 3 社である。洋画系のロードショー・チェーン
し て 東 宝 の T Y 系 と 松 竹 ・ 東 映 (+東 急 レ ク リ エ ー シ ョ ン
46
42
45
と
)のSY系が存
、
在し、邦画系は東宝と東映が持つ 2 系統のチェーンが存在している
47
。
ここでTY系(東宝洋画系)とは、東京の日本劇場を中心として、東宝直
営館はもちろんのこと、三和興行、東京楽天地、OSなどの持つ映画館を擁
する洋画チェーンのことである
の丸の内ピカデリー1
49
48
。また、SY系(松竹洋画系)とは東京
、ルーブル
50
を中心として、松竹、東急レクリ
エーション、東映などの直営館を擁する洋画チェーンのことである
51
。い
ず れ も 5~ 6 系 統 の さ ら に 細 か い ラ イ ン が あ り 、 興 行 力 の 実 績 ( 1 週 間 当 た
りの興行成績など)に基づくその順位はほぼ一定のものとなっている〔例.
TY系の①日劇チェーン、②スカラ座チェーン、③日劇プラザチェーン、④
日 比 谷 映 画 チ ェ ー ン 、⑤ み ゆ き 座 チ ェ ー ン 、⑥ シ ネ マ 1 チ ェ ー ン な ど 〕5 2 。
番組編成はその順位に基づいて振り分けられるが、興行成績の地域差などの
事情によりラインの載せ替えも行われる
第 2節
53
。
ミニシアターの現状
前述のロードショー・チェーンに対し、チェーンを組まない映画館、つま
りある映画を単独で上映する映画館と、そこで上映される映画を単館系と呼
んでいる
54
。ミニシアターは、かつてのATGに代表されるアート系との
違いは曖昧だが、単館系の場合、芸術的側面だけで上映作品が選択されるこ
とは希であり、以前はロードショーには向かないような大衆性に欠ける作品
の中から良質なものや作家性の強いものを選び出して上映する映画館が多く
存在した
55
。しかし最近は、ミニシアター自体が増えた上に、配給会社が
買い付けてくる作品の本数が増加しており、チェーンにかけられない独立し
た配給会社が持つ作品を消化していく傾向が強くなり、各劇場の指向性は以
前よりも薄れてきているのが現状である
56
。ミニシアター系ではデジタル
化が進んでいるため、老若男女問わず誰でも作れる状況にある。アナログ時
代のように製作することが難しくなく、簡単につくれることを意味する。こ
れ に よ り 、流 通 経 路 が 拡 大 し 、映 画 の 製 作 本 数 が ア ナ ロ グ 時 代 よ り も 増 加 し 、
芸術性の高いものを好むミニシアター系にとっては安くて良い物を買い付け
ることができるようになった。取り扱う映画本数が増えることにより、それ
を 売 る た め の 配 給 会 社 も 増 え た 。今 後 、ミ ニ シ ア タ ー の 増 加 で 商 圏 が 縮 小 し 、
競争が激化することが予想される。
しかしミニシアターには独自の客筋を持つところも少なくなく、テレビス
ポ ッ ト ( 番 組 宣 伝 用 の テ レ ビ CM) な ど の 不 特 定 多 数 に 対 す る 非 効 率 的 な 宣
伝を行うよりも、会員制度やロビーのちらしスタンドを活用して、そこに集
まる観客に番組の知名度を深く浸透させる手法が一般的となっている。
私 達 は ミ ニ シ ア タ ー の 現 状 や 10 月 2 日 渋 谷 区 に あ る ユ ー ロ ス ペ ー ス
57
の支配人北條誠人氏にインタビューし、ユーロスペースの歴史、映画館の経
営や映画の配給のしくみ、北條氏の考える今後のミニシアターの動向などの
話を伺った。ユーロスペースの主な顧客は、京王井の頭線、東急東横線、東
急 田 園 都 市 線 沿 線 に 住 む 団 塊 の 世 代 の 人 々 や 、NHKが 近 辺 に 位 置 す る こ と か
ら業界関係者である。ターゲットとしてはお金と時間を趣味に投資が可能と
考えられる団塊の世代の人々である。宣伝に関してはユーロスペースでは、
約 20 の ミ ニ シ ア タ ー と バ ー タ ー 契 約
58
を 結 ん で 、お 互 い に 映 画 の チ ラ シ や
前売り券を取り扱ったり、予告編を上映し合う他、新聞広告に載せたり、本
屋にポスターを貼るなどの宣伝方法をとっている。また音楽関連の映画はレ
コード店での宣伝を行うなど、映画によって宣伝方法を工夫している。ミニ
シアターではロードショー・チェーンほど大規模ではないが、関連業界と協
力し合う効率的な宣伝を行っている。
配給に関して、映画のフィルムは映画祭で買い付けてきており、現在、ミ
ニシアターにおける映画のフィルム代は5年から7年間の上映権が一般的で
あり、映画館での上映権であるシアトリカル、映画館以外の上映権であるノ
ンシアロリカル、映画フィルム以外のビデオテープ、DVDなどの映像を固
定したビデオグラム、地上波、サテライトケーブルの5つの権利をあわせた
オ ー ル ラ イ ツ で 約 10 万 ユ ー ロ で あ る 。 こ れ に 対 し 、 大 手 映 画 館 チ ェ ー ン で
は約 1 億円から 2 億円である。
ま た 、1 つ の シ ア タ ー の ラ ン ニ ン グ コ ス ト
額で表される。この額が損益分岐点
第4章
第 1節
60
59
である
は 1 週 間 の 客 席 数 ×1 万 人 の
61
。
ミニシアターの今後
映画産業の中のミニシアター
昔のアナログ映画は1つの作品を作るのに莫大な費用と製作時間がかかり
日本で作れる映画本数は限りなく少ないものだった。この少ない映画を全国
の映画館で上映し、同じ映画を全国で上映していた。しかし、現在はアナロ
グ撮影にこだわるハリウッド映画を除き撮影方法がアナログからデジタルへ
と移行している
62
。この映画の撮影方法の移行によって映画製作のコスト
と時間が削減され、映画製作の敷居が低くなり、インターネットのブログの
ように様々な人が手軽に映画を製作できるようになった。例えば大学のサー
クルで映画を自主制作できるようになったり、映画甲子園
63
のような高校
生の自主制作映画を盛り上げるような活動ができるようになったのである。
現在のシネコンはすべてのスクリーンを映画の人気投票順に上映しており、
人気上位の映画しか上映されていない。この状況では数多くある映画の中で
もほんの一握りの売れる映画しか上映されず、たとえ素晴らしい映画でも万
人受けしない映画はシネコンでは上映されない。そこで活躍するのがミニシ
アターである。ミニシアターはシネコンで上映される映画のように映画製作
の時点から上映が決定しているのではなく、世界各国の映画祭に出向き、面
白い映画を直接買い付けて上映にこぎつける。そこで何を買い付けるかによ
って、シネコンにはないその映画館の雰囲気や個性につながってくる。北条
誠人氏の話しによると、映画館を 1 つの箱としてとらえ、その中に何を 入れ
るかが重要であると語っている。ユーロスペースでは特に上映映画の質とい
うものにこだわり、その中で国籍・ジャンルに捕らわれず様々なタイプの作
品を上映している。
また、箱の中に入れるものとして上映映画に加えて、それ以外の分野で活
動する映画館もある。例えば、ユーロスペースでは美術アーティストを映画
館に招き入れ、後援を行ってもらうという話が出ているそうだ
64
。そこで
私たちはミニシアターの存在をより多くの人々に知ってもらい、地域社会と
の連携に注目し、映画の質を上げるための可能性を示唆したいと考えた。
第 2節
映画文化の循環から映画の質の向上へ
例えばユーロスペースでは現在お金と時間に余裕がある団塊の世代をター
ゲットに設定しているが、デジタル化がより進むことによって、映画を製作
する側の門戸が広くなり、今までターゲットとして見ていた団塊の世代が素
人であっても製作者側にまわることができる状態であると考えられる
65
。
もし、この団塊の世代が製作者側にまわってミニシアターなどで自分で作っ
た作品を上映するようになると、同じターゲット世代の人が、自分と同じ環
境下にある人が作った作品を見て自らも感化され、相乗して盛り上がること
ができる。またそのターゲット世代の子供たちにも自分の親の作品を見るこ
とで、シネコン以外の映画を見る手段、ミニシアターというものの存在、ミ
ニシアターの独特の素晴らしさを今までより身近に感じることができるよう
になる。
このように親から子供へ映画の文化(特にミニシアター文化)を伝えてい
くサイクルが生まれることによって、映画文化全体の質の向上ができると私
たちは考える。
第 3節
おわりに
現在は、映画館といえばシネコンと思われるように、2 種類の映画館の形
の均衡がうまく取れていない。マイノリティが尊重されていないのである。
これからの時代は映画館の使い分け、シネコンとミニシアターの共存が映画
産業全体を支えていく基盤であり、映画の質の向上にも関係していく。例え
て言うならスーパーと八百屋である。豊富な種類の商品を備える店と量は少
ないものの質と個性を重視し「なじみ」のような関係が築ける地域密着型の
店である両者の利点を生かして消費者も選ぶべきである。この論文はミニシ
アターを中心に採り上げたがお互いの長所を生かし続け、よりよい映画産業
の発展を私たちは願う。
脚注
シネマコンプレックスとは、従来の映画館とは異なり、多くのスクリーンを
持ち、外国映画から日本映画まで、全国ロードショー公開されているほとんど
の映画が一つの建物の中で見られるような複合映画館でシネコンと略される。
1
かつて映画館が劇場(大きい映画館を大劇場とも)と呼ばれることが多く、
元々一部の大規模映画館では映画興行の合間にアトラクションとして実演(歌
手の歌謡ショーや演芸など)が催されていた事にもよる。
2
映 画 館 に あ る「 観 客 席 を 備 え た 映 画 を 投 射 で き る 部 屋( 映 写 室 )」を 指 す 。ま
た、シネマコンプレックスのような映画館で、映写室の数を数える単位として
も使われる。
3
http://www.bunkyo.ac.jp/~mediares/2002/sotsuron/eiga/2syou.html ( 1
ページ)参照
5 同上(1ページ)
6 同上(1ページ)
7 同上(1ページ)
8 同上(1ページ)
9 同上(1ページ)
10 同上(1ページ)
11 同上(1ページ)
12 同上(1ページ~2ページ)
13 同上(2ページ)
14 同上(2ページ)
15 同上(2ページ)
16 同上
(2ページ)
17 同上(2ページ)
18 同上(2ページ)
4
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~mkt/em2002/m-r1,htm ( 1 ペ ー ジ )
19
参照
同上(1ページ)
同上(1ページ)
同上(1ページ)
同上(1ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ)
20
21
22
23
24
25
26
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~mkt/em2002/m-r2.htm ( 1 ペ ー ジ )
27
参照
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
同上(1ページ)
同上(1ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ~3ページ)
同上(3ページ)
同上(2ページ)
同上(2ページ~3ページ)
同上(3ページ)
同上
高校生割引、シニア割引、レディースデイは映画館の割引方法の種類で、
高 校 生 割 引 は 毎 週 決 ま っ た 曜 日 に 高 校 生 が 特 別 価 格( 要 学 生 証 )。シ ニ ア 割 引 は
60歳以上常時1000円。レディースデイは女性のみ特別価格になる曜日が
あ り ま す 。ほ か に も ハ ン デ ィ ッ ャ プ 割 引 、映 画 の 日 割 引( 12 月 1 日 )な ど 割 引
の種類は豊富にある。
40
英 語 の "late( 遅 れ た 、普 通 よ り 遅 い )"と "show( シ ョ ー 、映 画 )"か ら 成 る
和製英語で、平日でもゆっくり見られるよう、映画館によって違いはあるが大
抵 は 21 時 以 降 か ら 上 映 開 始 さ れ る 映 画 の こ と を さ す 。
41
東宝株式会社は、映画・演劇の製作配給および興行会社。阪急阪神ホール
デ ィ ン グ ス の 持 分 法 適 用 会 社 で 、2003 年 現 在 、直 営 映 画 劇 場 112 ス ク リ ー ン 、
直 営 演 劇 劇 場 2 劇 場 ( 帝 国 劇 場 、 芸 術 座 ( 2005 年 3 月 に 休 館 。 2007 年 11 月
リ ニ ュ ー ア ル OPEN予 定 ))を 保 有 す る 。阪 急 阪 神 ホ ー ル デ ィ ン グ ス 、阪 急 百 貨
42
店とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。
日本の映画・演劇の制作・興行・配給を手掛ける会社である。映画会社 と
し て は 大 手 五 社 の 一 角 を 占 め る 。 創 業 は 1895 年 で 、 設 立 は 1920 年 11 月 8 日
(帝国活動写真株式会社の設立日)である。
43
44
日 本 の 映 画 の 製 作 配 給 会 社 。 一 般 に は 映 画 会 社 と し て 知 ら れ る 。 2005 年 現
在 、 直 営 映 画 劇 場 34 館 、 東 京 と 京 都 の 二 つ の 撮 影 所 を 保 有 す る 。 ま た 、 テ レ
ビ朝日の大株主(かつては筆頭株主、現在は第 2 位)としても有名。
チ ェ ー ン と は 東 京 都 内 の 劇 場 を 中 心 と し て 、全 国 で 同 じ 映 画 を 上 映 す る 映 画 館
の結びつきのこと。
45
46
47
48
映画興行や不動産業を手がける東急グループの企業
http://www.hi-ho.ne.jp/hidzilla/system/system.htm
同上
東 京 都 千 代 田 区 有 楽 町 セ ン タ ー ビ ル 内 に あ る 松 竹 が 所 有 す る 映 画 館 。1984
年に開館。2 スクリーンある。
49
東京 都千 代田区 有楽 町セン ター ビル内 にあ るテイ・ア ンド・テ イ 映 画 興 行
が 運 営 す る 映 画 館 。1987 年 に 丸 の 内 ル ー ブ ル と し て 開 館 。2005 年 12 月 に 映 画
施設では日本初のネーミング・ライツ(命名権)導入に伴い久光製薬が命名権
を取得しサロンパス ルーブル丸の内と改称。
50
51
52
53
54
55
56
http://www.hi-ho.ne.jp/hidzilla/system/system.htm
同上
同上
同上
同上
同上
1977 年 1 月 に「 ド イ ツ 新 作 映 画 祭 」を 戦 後 初 め て 開 催 し て 自 主 上 映 活 動 を
開 始 、ヴ ェ ン ダ ー ス 、フ ァ ス ビ ン ダ ー ら を 日 本 に 紹 介 す る 。1982 年 に ミ ニ シ ア
ター「ユーロスペース」を渋谷に開館、「シネマスクエアとうきゅう」らとと
もに、今日のミニシアター・ブームの草分けと称される。以後ヨーロッパ、ア
ジア映画を中心に、独自の映画配給・興行とともに、日本映画の製作及び外国
映画の共同製作を行い、特異な活動を展開している。
http://www.eurospace.co.jp/company.htm
57
交 換 と い う 意 味 で ミ ニ シ ア タ ー 同 士 で チ ラ シ な ど を 交 換 し 、お 互 い に 宣 伝
を行っている。
59 建物や設備機器、システムなどを維持管理していくのに必要なコストのこ
と。
60 収益と費用が等しくなって、損益がゼロになる売上高。売上高がこの点以
下では損失が生じ、それ以上になると利益が生じる。
6 1 2006 年 10 月 2 日 午 前 11 時 か ら 12 時 ま で ユ ー ロ ス ペ ー ス の 北 條 誠 人 氏 の
インタビューによる。
58
アナログ撮影には莫大なコストがかかるがデジタル撮影はアナログ撮影の
より安価で撮影することができる。
62
63
映 画 甲 子 園 は 、全 国 の 高 校 生 が 文 化 祭 等 で の 上 映 用 に 団 体 や 個 人 で 製 作 し
た映画や、部活動・個人の芸術的活動として製作した映像作品を対象とし、募
集作品は著名な文化人・映画関係者の審査選定を経て、都内の映画館で一般公
開される。また、この一般公開は最終審査を兼ねており、一般公開時の投票と
審査員票をもって優秀作品が決定される。優秀作品製作者には「映画製作奨励
金 」、 並 び に 副 賞 が 与 え ら れ る 。
映 画 甲 子 園 2006 ホ ー ム ペ ー ジ
http://www.eigakoushien.jp/index.html
2006 年 10 月 2 日 午 前 11 時 か ら 12 時 ま で ユ ー ロ ス ペ ー ス の 北 條 誠 人 氏
のインタビューによる。
65 同上
64
【参考文献】
・ Donald Richie 著 『 A HUNDRED YEARS OF JAPANESE FILM 』
・ KODANSHA INTERNATIONAL, 2005 年
・ 能 間 義 弘 著 『 福 岡 博 多 映 画 百 年 』 今 村 書 店 サ ン ク リ エ イ ト , 2003 年
・ 大 高 宏 雄 著 『 ミ ニ シ ア タ ー 的 ! 』 WAVE 出 版 , 1998 年
・ 高 島 秀 之 著 『 デ ジ タ ル 映 像 論 』 創 成 社 , 2002 年
・ Susan J Napier 著 『 ANIME』 palgrave, 2000 年
・G Sadoul 著『 Histoire du Cinema Mondial』Librare ERNEST FLAMMARION,
1980
年
・ 増 淵 健 著 『 B 級 映 画 フ ィ ル ム の 裏 ま で 』 平 凡 社 , 1986 年
・ 田 山 力 哉 著 『 カ ン ヌ 映 画 祭 3 5 年 史 』 三 省 堂 , 1984 年
・ マ ル セ ル = マ ル タ ン 著 『 フ ラ ン ス 映 画 1943 現 代 』 合 同 出 版 , 1987 年
・ Andrea Gronemeyer 著 『 ワ ー ル ド ・ シ ネ マ ・ ヒ ス ト リ ー 』 晃 洋 書 房 , 2004
年
・ 山 口 猛 編 集 『 映 画 撮 影 と は 何 か 』 平 凡 社 , 1997 年
・読 売 新 聞 社 編『 リ ュ ミ エ ー ル か ら ス ピ ル バ ー グ ま で 、映 画 が 作 っ た 2 0 世 紀 』
読 売 新 聞 社 1995 年
・ 森 直 人 『 2 1 世 紀 /シ ネ マ X:映 画 最 前 線 の 歩 き 方 』 フ ィ ル ム ア ー ト 社 、 2000
年
・ 佐 藤 忠 男『 ATG 映 画 を 読 む : 6 0 年 代 に 始 ま っ た 名 作 の ア ー カ イ ブ 』フ ィ ル
ム ア ー ト 社 、 1991 年
・Hiromi Akimoto, Mayumi Hamada『 English grammar in focus』Macmillan
Languagehouse,2006 年
・ 大 黒 東 洋 士 『 映 画 と と も に 5 0 年 』 高 知 新 聞 社 、 1981 年
・ セ ル ゲ イ ・ M・ エ イ ゼ ン シ ュ テ イ ン 『 映 画 に お け る 歴 史 と 現 代 』 キ ネ マ 旬 報
社 、 1976 年
・ 岩 本 憲 児 『 映 画 の 誕 生 』 日 本 図 書 セ ン タ ー 、 1998 年
・ D.J ウ エ ン デ ン 『 映 画 の 誕 生 』 公 論 社 、 1980 年
・ 岩 崎 昶 『 映 画 史 』 東 洋 経 済 新 報 社 、 1961 年
・ス ク リ ー ン 編 集 部 編『 大 型 ス ク リ ー ン 時 代 の 栄 光:1954~ 1960』近 代 映 画 社 、
1997 年
・ 赤 城 昭 夫 『 ハ リ ウ ッ ド は な ぜ 強 い か 』 筑 摩 書 房 、 2003 年
・通 商 産 業 大 臣 官 房 調 査 統 計 部〔 編 〕
『 特 定 サ ー ビ ス 産 業 実 態 調 査 報 告 書 、映 画
制 作 ・ 配 給 ・ 業 、 ビ デ オ 発 売 業 編 』 通 産 統 計 協 会 、 1999 年
・ 増 淵 健 『 B 級 映 画 フ ィ ル ム の 裏 ま で 』 平 凡 社 、 1986 年
・ ロ バ ー ト ・ ス ク ラ ー 著 、 鈴 木 主 税 訳 『 映 画 が 作 っ た ア メ リ カ 』 平 凡 社 、 1980
年
・ 岡 田 晋 『 映 画 の 誕 生 物 語 : パ リ ・ 1900 年 』 美 術 出 版 社 、 1980 年
・ 田 中 純 一 郎 『 映 像 時 代 の 到 来 』 中 央 公 論 社 、 1980 年
・柳 下 毅 一 郎『 興 行 師 た ち の 映 画 史:エ ク ス プ ロ イ テ ー シ ョ ン・フ ィ ル ム 全 史 』
青 土 社 、 2003 年
・大高宏雄『東京人-渋谷はいかにして、ミニシアターの町になったのか』都
市 出 版 2006
年
・著者不明『東京人-小特集 ミニシアター新世紀 映画は渋谷で!』都市出
版 、 2006 年
・ 横 田 由 美 子 『 い ま 輝 く ビ ジ ネ ス ・ ウ ー マ ン の 肖 像 ( 8) 中 村 由 紀 子 ( 東 急 文
化 村 ル・シ ネ マ 担 当 マ ネ ー ジ ャ ー )老 舗 ミ ニ シ ア タ ー を 核 に し て「 シ ブ ヤ 」
を 大 人 の 手 に 取 り 戻 す 』 PHP 研 究 所 〔 編 〕 /PHP 研 究 所 、 2003 年
・新 村 千 穂『 ヒ ッ ト 映 画 は ミ ニ シ ア タ ー か ら 誕 生 す る 』東 京 歴 史 文 化 財 団 、2000
年
・ 掛 尾 良 夫 『 映 画 興 行 は 面 白 い ( 3) ミ ニ シ ア タ ー 編 』 キ ネ マ 旬 報 社 、 2000 年
・ 菅 谷 寿 鴻 『 高 精 細 DVD へ の 展 望 』 社 団 法 人 電 子 情 報 通 信 学 会 、 1997 年