A maraaba Ghana!!

A maraaba Ghana!!
(ア
マ ラ バ
ガーナ)
第5号 Apr-Jun /2011
<はじめに>
皆さん、こんにちは。私は道路河川課の鈴木邦彦と申します。本誌をご愛読頂いている方にお
かれましては、日々ご講読の程誠にありがとうございます。そして、本誌を本号にて初めてご覧
になる方につき、私の自己紹介をごく簡単に申し上げさせていただきます。尚、初版より第 4 号
までの冒頭文ではもう少し詳しく説明させていただいておりますので、もし気になることがござ
いましたら、前述の発行号をご覧下さい。
私は現在、自己啓発休業制度を利用させていただき、独立行政法人・国際協力機構(以下、JICA
と略記)の、青年海外協力隊平成 21 年度第 4 次隊の PC インストラクターとして、アフリカのガ
ーナ共和国へ派遣されております。派遣期間は 2010 年 3 月∼2012 年 3 月の二年間、そして活動
先及び活動内容としては“英名:University for Development Studies、和名:開発大学”とい
う名の国立大学にて、主に生徒へ Microsoft Office 系ソフトの講義を担当する活動をしておりま
す。2010 年 3 月 24 日に任国であるガーナ共和国へやって参りましたので、既に一年以上ガーナ
で青年海外協力隊活動をさせていただいております。
さて、本誌はちょうど昨年のこの時期に初版を発行させていただきましたので、本誌の一周年
記念を迎えさせていただきました。誠にありがとうございます。ちょうど一年前を思い返してみ
ると、まだガーナに派遣されてから三ヶ月程度、まだ活動だけでなく本国での生活さえも、戸惑
いが多かった頃かという記憶があります。しかし、今はもうだいぶこちらの生活にも慣れ、活動
に関してもそれなりに明確な身の振り方、さらには今後の展開が見えてきておりますので、今後
も引き続き自分にできる精一杯の活動を心掛け、安全及び健康にも気を緩めることなく、残りの
派遣期間を全うしていきたいと思います。
さて、本号では前回からの引き続き、ガーナ共和国の紹介で今回は「季節」の紹介、そして、
2011 年の 4∼6 月にあった出来事を紹介し、引き続き、私の周りの風景写真の紹介させていただ
きたいと思います。最後に、今回は非常に多くのご質問を頂きました。本当にありがとうござい
ます。よって最終の Q&A コーナーが大変内容の濃いものとなっておりますので、お楽しみ下さ
い。
<ガーナ共和国について 季節 >
まず始めに、実のところ私は“季節”という
ないのに終止どんよりとした曇りの日が続き
ものの定義をよく理解していなかったため、身
ます。太陽の熱もある程度遮断するので、気温
近な辞書等で調べたところ
も涼しくなります。しかし、砂埃が日々絶えな
「季節とは、
気候や天候の移り変わりによって
い、埃っぽい日々が続きます。
一年を区分した一つ一つの区切り。温帯では
これまで、説明させていただいた時期はあく
春・夏・秋・冬の四季、熱帯では雨季と乾季に分
まで参考であり、且つガーナは南部(熱帯気候)
ける。」
と北部(サバンナ気候)では多少の時期のずれ
とされ、日本は温帯気候に属し、四季がありま
や気温が少し変わります。私の任地はガーナ北
すが、ガーナは熱帯及びサバンナ気候に属する
部であり、
サバンナ気候で大きな特徴は南部よ
ため、上述の後者である“乾季”と“雨季”に
り気温が高いです。私が任地で過ごした一年を
分けられた季節となっております。そして、さ
思い返すと、気温に関しては 25℃以下を気温
らにガーナにはもう一つ大きな特徴である
計で観測したことがありません。
一年通して平
“ハマターン”という時期があります。それぞ
均気温は 35℃程度ではないかと思います。一
れを詳しく説明させていただくと
年中の夏を体験した感じです。
<乾季>
少し余談になりますが、ガーナでは様々な果
主に 2∼4 月頃の気温が 45℃を超える日もあ
物が楽しめます。その中でも、だいたい乾季末
る程大変暑い時期です。
この時期の夜は熱帯夜
∼雨季中の期間、マーケットや道端の出店に並
でなかなか寝付くことができません。日中は発
ぶ“マンゴー”が私の一押しです。ガーナに赴
汗も激しく、汗疹(あせも)や脱水症状にも悩ま
任している果樹栽培隊員から聞いた話なので
されます。尚、雨はほとんど降りません。
すが、マンゴーの木は断続的な雨に弱いため、
日本のような温帯気候での栽培は困難である
が、乾季と雨季がはっきりと分かれた熱帯気候
のガーナでは、マンゴーの栽培に適しているそ
うです。
<乾季中、最高気温観測>
<雨季>
主に 6∼8 月頃の非常に雨の多い時期です。た
だ、雨自体は日本でいうにわか雨のような短時
間で強い雨が降るタイプで、降雨中は外に出る
のが困難ですが、降るか降らないのかの分かれ
目がきっぱりしています。尚、雨の前兆は激し
い風が訪れるので非常に察知しやすくもなっ
ています。
雨が多くて不便なとこも多いですが、
気温は 30℃を下回る日もしばしばで比較的涼
しくなります。
<ハマターン>
主に 12∼翌年の 1 月にかけて発生する西アフ
リカ特有の現象で、サハラ砂漠の砂が大気中に
広がり、空を覆い、雲が掛かっているわけでも
<マーケットに並ぶ大量のマンゴー>
以上で、ガーナの“季節”紹介を終わらせて
いただきます。次号ではガーナの「学校」の紹
介をさせていただきます。
<隊員生活紹介
2011 年 4 月
∼活動編∼
>
2011 年 6 月
2011 年 5 月
私の配属先の大学は 4 月で
先月に私は一年報告会の場
第 3 号にて紹介させていただい
二学期が終了するため、これ
を利用し、一年間活動した見聞
た、昨年 12 月に首都で開催したエ
まで 1 月から 3 月に主で担当
を元に、今後の展開に関する意
レクトロニクス分科会主催のイベ
してきた AHS クラス(※詳し
見を JICA 事務所へ提示しま
ントが JICA ボランティアの情報
くは前号にて紹介)の学期末
した。その内容とは
誌も掲載されたことから、主にパ
テストの作成、監督及び採点
「実は、活動中、配属先の同僚
ソコン系職種の同期隊員から、ガ
を任されることになりまし
の口から、Access によるデー
ーナのエレクトロニクス分科会が
た。大学内に規定に則った出
タベース講義の提案が私の元
注目され、彼らより私の元にある
題数(100 問以上)、採点基準
に来ました。その提案は私も賛
依頼がきました。それは全世界の
にて、試験作成、さらに採点
成であり、今後、医療保健分野
JICA ボランティア向けの活動を
もしました。高得点を取る生
の ICT 面において、データベ
手助けするデータ等をインターネ
徒、学校の基準点に満たない
ースは大きな課題の一つであ
ットの WEB サイト上へ掲載する
生徒様々でしたが、試験の結
ると感じます。よって今後はデ
情報共有サイトの設立に向け、何
果を見ると、大半の生徒に自
ータベース・ソフトである
かしらのアクションをガーナで行
分の講義内容を理解しても
“Microsoft Access”も視野に
ってもらえないか?というもので
らえたと思いますので、授業
入れた活動展開に対し JICA
した。そのため元々予定されてい
の組立てから試験の採点ま
及び配属先で足並が揃うので
た 6 月の会議にこの議題を持ち込
で一通りすべてを初めてこ
あれば、後任の有無も検討する
みました。しかし、正直規模の大
なし、一連の流れが把握でき
必要もあり、さらに残りの一年、
きく、何よりインターネット環境
たことに達成感を感じまし
その方向性に向けた活動を展
の乏しいガーナでは分科会活動と
た。
開します。
」
して引き受けるには荷が重いとい
そしてこの 4 月にはガーナ
と言いました。そして、報告会
う結論には至りましたが、この打
の派遣後一年を経過した
後、JICA、配属先、ボランテ
合せのために、自分自身いろいろ
JICA ボランティアが、活動
ィアの三者協議により、今後は
準備もし、私的にはこの話は大変
の一年間目の振返り及び今
データベース講義確立という
興味深い内容であり、今後再度何
後の展開についての発表を
新たな目標が生まれました。私
かしらのアクションを起こしてい
首都の JICA 事務所にて行う
は元々このソフトには大変興
きたいと思っています。
“一年報告会”がありました。
味があったため、活動意欲がよ
発表の持ち時間は一人 10 分、
り一層増しました。
その他、現在分科会ではネット
ワーク構築の技術勉強会を行って、
発表、プレゼン資料及び質疑
各々配属先への還元を目指してお
応答は、すべて英語で行われ
ります。
ました。
<今後の課題となった
アプリケーションソフト>
<一年報告会 発表>
<ネットワーク構築勉強会>
<隊員生活紹介
2011 年 4 月
∼私生活編∼
2011 年 5 月
>
2011 年 6 月
ガーナの小学校における理
第 3 号の 10 月の出来事で紹
サッカーに興味が無い方、大
科の授業は、教師は理論をただ
介した被爆国日本の史実と未
変申し訳ありません。
ひたすら黒板に板書し、生徒は
だ尚続く世界の核実験につい
一年報告会が終わり首都に
それをただ写して終わり・・・。
て、現地の人へ見聞を広げても
滞在している間、UEFA チャ
という現実に憂いを感じたあ
らう「平和展」を、最も首都か
ンピオンズリーグの試合で、
る小学校教諭(職種)隊員の発
ら離れた隊員の任地、そして北
スペイン リーガ・エスパニョーラの二強
案で始まった“理科実験ツア
側のブルキナファソ共和国と
FC バルセロナ vs レアル・マドリード
ー”が私の任地の小学校数校を
の国境も近い、アッパー・ウエスト州の
という対戦カード、世間では
対象に開催されたため、そのお
Lawra(ロ ウラ )と い う 場 所 で
「エル・クラシコ(伝統の一
手伝いに参加してきました。
開催しました。昨年開催時のメ
これからお話しする内容は、
戦)」と呼ばれる試合があり、
主に進行はガーナ北部に赴
ンバーは、ほぼ隊員の任期を満
首都アクラにて、サッカー観
任する理数科教諭及び小学校
了して帰国されてしまったの
戦ができるスポーツ・バーに
教諭(共に職種名)の JICA ボラ
で、今回は引継役のような立場
行き、その試合を観戦してき
ンティア、現地ガーナ人の理科
で、昨年の平和展後赴任した新
ました。店の中には大変大き
教師で、
たな広島県出身者もメンバー
なスクリーンが設置されて
「小学校の頃、理科の授業は実
に入れ、私も 1 セクション発表
おり、サッカー好きが集まる
験があってとても楽しかった。
することにもなりました。
大変活気のある場所でした。
だからこの気持ちをガーナの
その日はスペインにて試合
子供達にも伝えたい。
」という、
連した、3 月に発生した東日本
が行われたため、ガーナはほ
冒頭で述べたある隊員の想い
大震災被害の一つでもある福
ぼ時差が無いのでリアルタ
がとてもにじみ出た理科実験
島原子力発電所事故も取り上
イムで観戦できるのも一つ
づくしの素敵なイベントでし
げました。まず大変巨大な地震
の醍醐味です。そして私は世
た。中でも、水を入れ密封した
が日本を襲ったことについて、
界的にも有名なアルゼンチ
ドラム缶を熱し、その後急に冷
事前に入手した津波被害の映
ン代表でもある FC バルセロナに
やすと中が一時真空状態にな
像も流して説明し、その震災被
所属するリオネル・メッシと
ってドラム缶が激しく凹んで
害で原子力発電所から炉心溶
いう選手が大変好きで、彼が
しまうという実験や、日本でも
融による、放射能汚染事故があ
先制点を上げるのも観れた
目にするペットボトル・ロケッ
ったことを知ってもらい、原子
ため、とても楽しいひと時を
トは子供達にとって大変印象
力発電についても見聞を広げ
過ごしてきました。
に残った内容ではないかと想
てもらいました。
そして、今回は、原爆にも関
います。
<メッシの得点シーン>
<急激に冷やされ
激しく潰れたドラム缶>
<原爆に関する映像を
真剣に見入る高校生達>
<写真紹介コーナー>
今回は平和展で訪れた Lawra で目にしたガーナ北部特有の景色を始め、その他この時期に目に止まった
風景をお届けします。
Lawra の風景です。北部の壮大な自然風景が広
がっています。
Lawra にて、食料や日用雑貨等が購入できるマ
ーケット(青空市場)の様子です。この日は大変賑わ
っていて普段の倍以上の人がいたそうです。
実験ツアーで、訪れた小学校の教室です。一見た
こちらの店は Melcom(メルコム)というガーナ各
だの壁の無い平屋で、最初教室とは気付きませんで
地にある、家電製品、雑貨、食材等が揃うチェーン
した。
店で、任地の店が改装して綺麗になりました。
クリスマスのご馳走とされる七面鳥です。ガーナ
で初めて実物を目にしたため、鶏の 3、4 倍はある
図体の大きさに驚きました。
日本では数千円すると言われる程立派なマンゴ
ーですが、ここでは 2 セディ(約 120 円)です。
このコーナーは、ガーナに関すること、青年海外協力隊に関すること等のご質問を頂
いた際、私の答えられる範囲での回答をさせていただくような、皆様と少しでも、よ
り一層コミュニケーションが深められるようなコーナーです。
今回は 10 件のご質問を頂いております。本当にありがとうございました。では早速ご質問の回
答に移らせていただきます。
【質問①】
:ガーナでの生活でカルチャーショックだったことを 3 つ挙げてください。
<回答>
“3 つ”ですね・・・。ガーナに来てからというもの、ほぼカルチャーショック的なことで驚くこと
ばかりで、正直何を挙げればよいものか非常に考えましたが、その中でも特に印象深いものを 3
つ挙げるとすると
①:挨拶
②:日常茶飯事の停電・断水
③:車のクラクションの多さ
です。それぞれ簡単に補足をしますと
① ガーナでは道路上、街中、職場内、場所を問わず、他人とすれ違い様や目が合った時は赤の
他人でも挨拶をするのが習慣になっています。さらにこれは男性同士で多いケースですが挨
拶と同時に握手もするとことも一連の流れとなっています。そのため、私の職場のオフィス
は大学関係者、生徒問わず来客が多い職場ではしょっちゅう見知らぬ男性と握手もしていま
す。さらに、あるイベント会場で見知らぬ男性が私の横に座りました。数秒後肩を叩かれ、
何かと思ったら「なぜ、私が隣に座ったのに挨拶ができないんだ!!」と理不尽に怒られた
こともあります。日本では見知らぬ人間が隣に座り、突然挨拶された方が逆に驚きますよね。
しかし、磐田市役所庁舎内では挨拶運動も行われていますので、握手までとは言いませんが
挨拶を心掛けることは日本に帰ってからも役に立ちそうです。
② 読んで字の如くですが、派遣前からこのような環境は知っていたので覚悟はしていましたが、
いざ体験してみると想像以上に不便です。ただ一つ分かったことは、停電はある程度我慢で
きますが、ただでさえ暑い国でもあり、衛生面から見ても断水は非常に困ったものです。
③ これから言葉が少し乱暴になりますが、これは大変頭にきます!!なぜクラクションが多く
なるかというと、ガーナ人の乗用車及び二輪車運転手は目視確認をあまりしません。それは、
私の任地では停電も多いためまず交差点に信号機がほとんどありません。その他注意喚起を
促す道路標識等もほとんど無い上、車内もミラーが無い車両もしばしばで、視覚に頼ること
が少ないためか、近くを横切る車両がクラクションで合図するのが風習となっていると思わ
れます。それと確か第 2 号の写真紹介もしましたが、
“頭に大きな荷物を載せて”道路を通行
する人が多く、その方々は頭に重い荷物を載せているため、首を振って周囲の確認が容易に
出来ないので通貨車両が気を利かせてクラクションを鳴らすケースや、タクシーが満席だと
待ち人に合図するケース等用途使用は様々ですが、直接関係無い人にとっては、非常に耳障
りです・・・。さらにクラクションは大型の車両になればなる程、音が大きいのです。ある日の
こと、超大型貨物トラックが遥か前方の車両に合図を出したのだと思います。私はすぐ横を
自転車で通行していました。鼓膜が破裂するのではないかという位のクラクションを耳に受
け、その日一日中耳鳴りが止まらなかった日もあります。それと、周囲を目視確認してれば
事故を起こしてないのでは??と思うところも多く、これは早く改善されることを切に願い
ます。
【質問②】
:ガーナにはサッカー観戦のほかどのような娯楽がありますか?プレステなどは普及
していますか?
<回答>
ガーナ文化のご理解誠にありがとうございます。おっしゃるとおり、ガーナでおそらく一番の娯
楽はサッカー関係です。ただその他となると、バレーボールが次に人気のあるスポーツであると
思われ、日本のように野球はまったく普及されていません。アシャンティ州のクマシ(詳しくは初
版ガーナ紹介参照)では、ゴルフ場があるとの話も
耳にしたことがあります。プレイステーション等
のテレビゲームは普及していないと思います。ノ
ートパソコンでゲームをしている方は見かけます。
パソコンを持っている人にとってはネットサーフ
ィングも娯楽の一部だと思います。休日のインタ
ーネットカフェは混雑しています。あと、村落部
に行くと、木陰で“オワリ”と呼ばれるゲームを
しているのをしばしば見かけます。すみません、
ルールはよく分かりません・・・。
<“オワリ”を遊戯する大人達>
【質問③】
:ガーナの生活から先進国の日本が学べることがあるとしたら何ですか?
<回答>
パッと思い付くものが二つあります。
まず、一つ目ですが、質問①でも回答した“他人でも皆で挨拶をする”という心掛けです。これ
により、どこにいても孤独感を感じることが少ないため、挨拶はコミュニケーションの一環とし
ても大事なことだと思います。
そして、二点目ですが、私のように国立大学というある程度恵まれた環境で活動しているとつい
忘れがちになってしまいますが、主に村落部で活動する隊員と接すると気付かされることで、
“モノに恵まれてないのは、当たり前。いかにその中で最良の策を講じる知恵”です。創造力と
も言い換えることができると思いますが、こういう経験は日本でもきっと役に立つ能力ではない
かと思います。
【質問④】
:ガーナで生活してみて、日本を見る目が変わりましたか?
<回答>
・日本の科学技術の素晴らしさ。
・時間を守る公共交通機関の素晴らしさ。
です。日本で生活している頃、これらは当たり前だった気がしますが、こうしてガーナに来てみ
るとありがたさがしみじみ伝わってきます。前者は万物の総称だと思いますが、後者を挙げた理
由が、私は首都から離れた任地にいるので、主に首都を往復する際に大型の移動バスを利用しま
す。発車時刻どおりにバスがステーションに来ることは稀で、私は、発車予定時刻から、最大 3
時間待たされたことがあります。同じ任地の隊員は 9 時間近くの待ちぼうけを体験した方々もい
ます。何事にも言えますが「時は金なり」という意識が根付いてもらいたいです。
【質問⑤】
:早く日本に帰りたい、と思ったことはありませんか?
<回答>
実はガーナに派遣されてから、早くも最初の一ヶ月間に 3 回も思いました。
・一回目:ガーナ到着後約 5 時間後
【理由】
初めての海外がここガーナで、時差ボケを体験したことが無い上、何かの書籍で、その国独特の
空気が体質に合わないことがあるという文面を思い出し、ガーナ到着後、数時間して意味不明の
頭痛、目まい、吐き気が私を襲い、このガーナの大気中から来るもので私は本で読んだ体質の持
ち主だと思い、二年どころか一日も無理だと思いました。しかし、一晩寝たらすっかりその症状
が無くなって、ただの時差ボケからくる睡眠不足ということが判明して安心しました。
・二回目:初めて任地に到着した日(ホームステイプログラムの任地到着日)
【理由】
非常に汚い話で申し訳ないのですが、お腹を下し、一晩に確か 20 回近くトイレに駆け込む程下
痢が止まらなく、体中の水分がすべて無くなるのではないかという位の腹痛をいきなり任地で体
験し、ここに二年間住むのに不安を感じました。原因はおそらく何かの食あたりだと思いますが
その後 3 日間安静にして回復したので、安心しました。
・三回目:同ホームステイプログラム中
【理由】
毎日 40℃を越えるガーナ北部の気候の中、5 日間の断水があり、ホームステイ先が貯蔵してくれ
ていた水が底をつき、三日目くらいから水浴びすら我慢をせざるを得なくなり、暑さと断水のダ
ブルパンチに心が折れそうになりました。
今では、時差ボケもありませんし、腹痛の頻度も非常に少なくなりましたし、断水のための準備
も怠っていないため、まったく帰りたいと思わなくなりました。それどころか、もう一年と三ヶ
月以上ガーナに滞在しているのかと時が経つのが異常に早く感じて驚いている程です。
【質問⑥】
:ガーナでの経験は、帰国後、どのような面で役に立つと想いますか?
<回答>
まず、職種の関係上、パソコンの知識はだいぶ身に付いていると思います。そして、今は明確な
目標がありませんが、現在自分を取り巻く環境を見てみると、第一に国際協力の現場に赴いてい
ること、そして、教育の現場でもあり、配属先の関係上、医療保健分野に位置する隊員であるこ
とです。どれも秀でて自信のあるものはございませんが、これらの経験を今後所属する部署に見
合った手法で、磐田市へ還元していきたいと思っています。
【質問⑦】
:JICA での国際支援の経験は、同僚にも積極的に勧められるものですか?
勧められる場合、勧められない場合、どんな理由ですか?
<回答>
喜んで勧められます。
【理由】
同じ職場に似た経験をした職員がいてもらえると共通理解や、JICA ボランティアでの経験は、
市役所業務という幅広い分野においても、行政サービス向上が図れると感じるため。
【質問⑧】
:自分の価値観や考え方について、ガーナの同世代の人たちとの違いは感じますか?
<回答>
非常に難しいご質問です。“常に感じる”という回答が正しいのでしょうか・・・。そもそも“価値
観”というものは、日本の同世代の友人を見渡しても人それぞれで尺度や考え方がまったく違う
ため、国籍が違えば尚のこと当然ということになり、明確な判断の難しい内容でしっかりとした
回答になっていないのかもしれませんが、申し訳ありません。
【質問⑨】
:JICA による派遣を希望している者ですが、派遣員に対する JICA の研修や支援に
改善点はありますか?
<回答>
自分の経験では特に改善点等は無いと思いますので、安心して派遣をご希望下さい。
まず、私は PC インストラクターというパソコンを扱う職種で、さらにもう一つコンピュータ技
術という職種もあり、これらの職種は、同期のボランティアが合同で、技術補完研修(二週間)が
あります。そして、その後派遣予定国により、福島県二本松市か長野県駒ヶ根市のどちらかに振
り分けられる派遣前訓練(65 日間)があり、どちらも、期間内に大変充実した研修内容で、派遣前
に、語学、職種別の技術、国際協力に対する意識、途上国での立ち居振る舞い及び健康管理の知
識が大幅に身に付きます。具体的に分かりやすく説明すると、語学の英語では、人によって多少
の差はありますが、一般の英会話に約二年間通う程の学習を 65 日間という短い期間で身に付け
られる内容となっているそうです。その他、同時期に派遣される仲間ともかけがえの無い絆が深
まるのもこの研修及び訓練なのではないかと思います。
さらに、派遣中において JICA は何よりまず「安全」を第一に動いてくれます。私が派遣されて
いる間、チュニジア、エジプト、シリア、ニジェール、ブルキナファソ五カ国で、国内で暴動が
あり、危険な状態に陥っても、JICA の対応は大変迅速で助かったと、どの国の同期隊員も話し
ていました。
<日本にいる間に撮影した同期ボランティア集合写真>
現在も、それぞれメーリングリストを作成し、各々任国へ派遣後も連絡を取り合っている同期の
仲間達です。それぞれどのようなグループかと言いますと、左から技術補完研修を一緒に受講し
たパソコン系の隊員。二本松訓練所のメンバー。同訓練で、生活班と呼ばれる最も一緒にいる時
間が多かったメンバー。今は皆、世界各地に散らばって元気に活動しています。
【質問⑩】
:自己啓発等休業は無給だと聞きましたが、どうしてそこまでして
派遣を希望しましたか?
<回答>
「お金では得ることの出来ない価値がそこにある。」
と
「派遣中は、磐田市の行政へ“直接”的に貢献するわけでは無いため、磐田市の税金の一部を給
料として受け取るのは申し訳ない。
」
と思ったからです。
以上です。今回は大変長々と失礼致しました。
最後になりますが、本当に多数のご質問ありがとうごいました。
尚、今後、質問がある方は、大変お手数ですが、私へ直接では無く、
磐田市役所 総務部 職員課:市川 まで
お問合せ先 ℡:0538-37-4807 e-mail:[email protected]
ご質問頂ければ、市川が定期的に取りまとめ、その後、私が質問内容を確認させて頂
く段取りとなっておりますので、ご承知おき下さい。
それでは、ガーナ通信「A maraaba Ghana!!」第 5 号を最後までお読み頂き、誠にあ
りがとうございます。次回は 2011 年 7 月∼9 月の出来事をまとめ、10 月の発行を考
えておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
【作成】
総括責任者:磐田市役所 総務部 職員課
係長 市川
暁
発行者:磐田市役所 建設部 道路河川課
技師 鈴木
邦彦
(現:青年海外協力隊 平成 21 年度第 4 次隊 ガーナ派遣 PC インストラクター)