『アメリカ、EU、日本主導による世界経済改革 ~東南アジア(ASEAN)に新たな世界経済のテンプレートを~』 1.ここ 100 年の世界経済の歴史 2.現代経済の課題 1.格差拡大 2.グローバリズムの失敗 3.金融市場の失敗 4.情報の非対称性による不正とプリンシパルエージェント問題 5.ポリシーミックス(財政政策と金融政策)の限界 6.効率化経済の持続不可能性 7.経済フロンティアの枯渇 8.経済指標:GDP の限界 3.それぞれの経済課題に対する解決策 1.格差是正の方法 2.グローバリズムの失敗の是正 3.金融市場の抑制 4.パラダイムシフト 5.奉仕型の経済の登場~精神的フロンティアの模索 6.能力評価について 7.新しい経済指標としての GDA 4.望ましい経済とはどのような経済か? 1.現代経済の課題と解決策から考える望ましい経済~マクロ経済サイド~ 2.現代経済の課題と解決策から考える望ましい経済~ミクロ経済サイド~ 3.機会均等経済システムとしての新たな市場経済システム 5.先進国主導による輝かしい未来への4つのステップ 1.1st ステップ:搾取型資本主義の崩壊期(2007 年~2020 年頃) 2.2nd ステップ:新たな経済の模索期(2010 年~2030 年頃) 3.3rd ステップ:機会均等経済システム構築期(2020 年~2045 年頃) 4.4th ステップ:世界展開期(2040 年頃~) 5.第 2 のシナリオ:東南アジアから世界への逆展開(2012 年頃~) 6.未来社会と新たなるフロンティア 1. ここ 100 年の経済の歴史 現代は経済的な混迷の時代であり、欧州危機の脅威はいつ終わるか知れず、アメリカの経 済的な低迷も恒常的であり、失業率も8%前後の高い失業率を経験しています。また、世 界的に見た場合には、貧富の差、格差の拡大という問題は経済学上の大変重要な課題であ り、現代の資本主義という経済構造を前提とした場合には、この格差の拡大というものは、 必ず解決しなければならない課題として私たちの眼前に迫ってきます。 この本では、今までの経済のあり方を経済学的な歴史、それはマルクスやケインズといっ た経済学者の思想を紐解いていくことでもありますが、そういった経済学的な歴史を踏ま えて、考えていき、そして、現代経済がどのような状況なのか、そして、それを改善して いくには、望ましい経済はどのようなものなのか、また、それは今後どのように達成可能 なのか、そして、人類は永遠に繁栄していくことが可能なのか、そういったことを考えて いきたいと思います。 非常に壮大な試みであって、これを一冊の本で記載するには、非常にボリュームが大きい 話になるのですが、この壮大な試みを次のステップに分けて考えてみたいと思います。 1. ここ100年の経済の歴史の振り返り 2. 現代の経済の課題 3. 課題に対する解決策 4. 望ましい経済とはどのようなものか 5. 望ましい経済に移行するためのステップ このような5つのステップに分けて考えてみたいと思います。 現代の経済はリーマンショック、欧州危機を経て、待ったなしの状態にあります。そして、 この危機の時代を乗り越えるには、これは根本的な意識転換であるパラダイムシフトが絶 対的に不可欠です。われわれは、もはやぬるま湯につかっていることはできないのです。 絶対的に危機の時代にあり、行動を起こして、そして、経済を社会を変革し、そして、危 機の時代を乗り越え、新たなる時代の到来を自ら作り出していかなければなりません。も はや猶予の時は与えられていないのです。 さて、上記のように5つのステップに分けて新たなる経済への道のりを考えていきたいと 思いますが、まずは最初にここ 100 年の経済の歴史を概観してみることにしましょう。 ○ここ 100 年の経済の歴史 さて、ここからはここ 100 年の経済の歴史を振り返ってみましょう。経済の歴史、過去、 どのような失敗をして今後、将来どのような経済を構築していったらよいのか、その反省 も含め、検討していきたいと思います。 ここ 100 年間の経済世界史の中でひとつの重要な事件というのは 1917 年に起こったロシア 革命であると言っていいでしょう。1910 年代前半は世界は第一次世界大戦の渦に巻き込ま れていきましたが、極北の地、ロシアでは 1917 年ロシア革命が起き、ウラジーミルレーニ ンの指導の下、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生します。世界初の社会主義経済国家の 誕生です。社会主義経済とは、18 世紀の経済学者マルクスの提唱した経済形態です。マル クスは、それまで支配的であった自由な資本主義の特徴、資本家による労働者に対する搾 取、を批判し、人類を幸福にする経済として社会全体が平等である経済を考えました。そ れが社会主義経済です。 さて、この社会主義経済の理念に従って、1928 年以降スターリンは、第一次五か年計画を 策定し 1932 年までに達成すべき数値を厳格に規定し、産業国有化、農業集団化を進めてい きました。重工業優先の計画で、各地にコンビナートと呼ばれる工業地域を建設し、農業 はコルホーズと呼ばれる集団農場へと再編されていきました。ソビエトは徐々に社会主義 化を推し進めていくことになるわけです。 さて、一方で資本主義陣営も、大きな経済の転換期を迎えます。1929 年の世界大恐慌です。 1929 年 10 月 24 日にニューヨークウォール街の株価が大暴落し世界的な規模で金融恐慌が 派生することになり、この 1929 年 10 月 24 日は「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになりま した。当時のアメリカは農業や石炭産業の生産余剰、住宅投資の下火によって資金があふ れだぶついていました。そして、このだぶついていた資金が株式市場に流れ込み、株価は 5 年間で 5 倍に高騰、1929 年 9 月 3 日には最高価格を更新しますが、市場はこのあたりから 調整局面に入り、徐々に株価が下落、1929 年 10 月 24 日に一気に下落、この日だけで 1000 万株も売りに出されるような状況でした。その後の引き続き下落し、株価下落による損失 は、連邦政府予算の軽く 10 倍を超え、第一次世界大戦の総費用を上回るものでした。そし て、この株式市場の大暴落が世界中に波及し世界大恐慌が発生したわけです。これが 1929 年の世界大恐慌ですね。 そして、これ以降、アメリカ大統領のフランクリンルーズベルトはニューディール政策を 打ち、経済の回復に力を注ぐわけです。しかし、1930 年代以降財政支出が縮小するにつれ 経済回復も遅れていき、本格的に経済が回復したのは第二次世界大戦の戦争特需によって です。 さて、経済学的には、このフランクリンルーズベルトのとった政策というものは、ケイン ズ経済学、有効需要の原理を採用したものであると言われています。大恐慌以前は市場原 理を重視した経済が世界的に適用されていましたが、1929 年の大恐慌を経験して、市場経 済に任せるのではなく、不況時には積極的に政府が市場に関与することが必要であるとし て、ケインズは有効需要の原理を提唱するわけです。有効需要の原理とは、2 章で話してい きますが、財政政策の手段の一つで、政府がお金を出すことで需要を創造し失業率を低下 させ経済を回復していく方法になります。 ここから、経済学的な論争、ケインズ経済学対新古典派経済学の論争が始まっていくこと になります。ケインズ経済学は大きな政府を志向する経済であり、政府が積極的に市場に 関与していくことを肯定します。一方で新古典派経済学はミルトンフリードマンに代表さ れるように主にシカゴ学派によって形成されますが、小さな政府を志向し、政府による市 場介入は否定し、経済は市場メカニズムによって均衡を回復すると主張します。そして、 この2つの経済学の立場というものは、そっくりそのまま世界大恐慌以降の資本主義経済 の在り方を方向付けする羅針盤となっていくわけです。 大恐慌に戻りますが、このような世界経済危機に対してソビエト連邦は何ら打撃を受けま せんでした。それは、社会主義経済体制をとり、資本主義経済陣営とは一線を引いていた からですが、そのようなソビエトの現状を見て、大恐慌に苦しむ世界の多くの国家は社会 主義という経済体制に希望を見出すようになっていくのです。 さて、1930 年代後半、国際社会は 20 世紀、最も悲惨な事件へとつき進んでいきます。第 二次世界大戦です。1939 年 9 月 1 日に勃発した第二次世界大戦は、ドイツが第一次世界大 戦で奪われたポーランド回廊を強引に奪回しようとして、ポーランドに侵攻したことから 始まりますが、当時はヨーロッパ戦争として戦われていました。そして、ちょうど同じ時 期に日本は日中戦争を戦っていて、中国の領土侵略などにより国際社会から非難を浴びて いたわけです。日本はこの非難をかわし国際的な発言力をつけるために、当時ヨーロッパ 戦争を戦っていたドイツ、イタリアと手を結ぶことになるのです(日独伊三国同盟) 。そし て、1941 年 12 月 8 日、真珠湾攻撃による奇襲攻撃によりヨーロッパ戦争は太平洋まで拡 大され、文字通り世界中を巻き込んだ世界大戦へと突入していくわけです。日本は最初善 戦していきますが、ミッドウェー海戦あたりから敗戦が続くようになり、関東大空襲、沖 縄本土襲撃、そして、広島、長崎に対する原爆の投下によって、1945 年 8 月 15 日に終戦 を迎えるわけです。ドイツ、イタリアも日本の敗戦を前にして既に破れており、日本の敗 戦によって 1945 年 9 月 2 日、第二次世界大戦は終結するのです。 時をさかのぼること 1944 年、世界各国は第二次世界大戦でぼろぼろになった世界経済を立 て直すための話し合いをアメリカのブレドンウッズで開催します。ブレドンウッズ会議で す。この会議によって、各国通貨のレート調整のためアメリカのドルを基軸通貨とした固 定相場制が採用され、国際通貨基金(IMF)が設立され、開発途上国への融資のため世界 銀行も同時に設立されます。このような世界経済体制をブレドンウッズ体制と呼ぶことに なります。 さて、このブレドンウッズ体制以降、世界経済は多様な変化を見せるようになります。ま ず、世界経済に影響を与えた事件は「冷戦」です。冷戦は、第二次世界大戦の事後処理を 話し合ったヤルタ会談までさかのぼることができますが、ヤルタ会談でのひとつの焦点が ポーランドの領土問題でした。ここで米ソの意見が分かれたわけです。ポーランドに民主 政治をもたらすことを主張したアメリカと自国の隣にある国を自国の傀儡(かいらい)政 権(自分の国の要求に従う衛星国)にしたかったソ連の意見が分かれたのです。ヤルタに おいてはアメリカの要求を呑む形でソ連も身を引きますが、以降ソ連はその約束を強引に 反故にして、ポーランドをはじめとして多くの国家をソ連の衛星国にしていくのです。こ れに対してトルーマンは悪との戦いを宣言し(トルーマンドクトリン)、世界は冷戦に突入 するわけです。 冷戦以降、世界は西側の資本主義陣営と東側の社会主義陣営へと分かれていくことになり ます。世界を 2 分して、自由な資本主義経済と平等な社会主義経済がそれぞれ運営される ことになったわけです。 まず、社会主義ですが、ソ連は、1946 年に第四次五か年計画を実行し戦後経済の復興を図 っていきますが、重工業・軍需産業重視の政策は、西側資本主義経済に後れを取ることに なり、次第に経済格差を作っていくことになります。 また、毛沢東率いる中国は 1958 年以降大躍進政策を進めていきますが、農業の集団農場化 (人民公社)によって労働意欲の低下を招き収穫高は激減、一方で社会主義政策によって 食堂は無料だったので人々の食は進み、次第に食糧の需給がバランスを失い、大規模な飢 餓が発生することになり何十万人という人が亡くなっていきました。また、ソ連と同様に 重工業重視の政策を実施していきますが、中国共産党によって鉄は自宅裏などで簡単に作 れるものであると指導され、人民はその指導に従い使い物にならない粗末な鉄を繰り返し 生産していき、政府の圧力により、その原料のための農具を使用するなどというありさま でおかげで農業に対して大打撃を与え、経済がどんどん貧しくなっていき、崩壊の一途を たどっていきました。これが毛沢東時代の経済政策です。 さて、一方で資本主義経済は着々と新興国が力をつけてきます。1950 年代、1960 年代は第 二次世界大戦の経済的な崩壊からあと 100 年は立ち直れないであろうと思われていた日本 やドイツが力をつけてきた時代であり、輸出をぐんぐん伸ばしていき、アメリカの一極支 配を脅かす存在にまでなってきました。また、当時、アメリカはベトナム戦争による防衛 費の莫大な支出で大きく赤字を抱えており GDP が縮小傾向にあり、また、ドルの地位も低 下していきました。 当時はブレドンウッズ協定により世界的に金本位制によるドルの固定相場を採用しており、 ドルが金の価値と連動することで、ドルがいつでも金と交換できる安定した価値を有する と信じられ、それゆえにドルが支配的な地位があったのですが、ドルの価値が相対的に低 くなり、その信頼が危ぶまれるようになるのです。 この傾向は 1970 年代も続き、とうとうニクソン大統領はドルと金を交換することを止める と宣言してしまいます。ニクソンショックです。これは戦後 30 年続いたブレドンウッズ体 制の終了を意味した大事件であり、この事件以降、金本位制によるドルの固定相がバ終了 し、単なるドルとの固定相場に移行したのですが(スミソニアン体制)、それも維持不可能 にあり、1973 年世界各国の先進国は変動相場制に移行していくのです。 また、同時期に世界的な大事件が起こります。オイルショックです。アラブ諸国は第四次 中東戦争でイスラエルに味方をする西側諸国に対して経済的な制裁を課します。石油価格 の上昇です。これによって、世界中でオイルマネーが急騰し、その影響で世界中であらゆ る物価が高騰していくのです。当時は、世界的な不況の状態であり、通常不況期には価格 が下がる(デフレーション)が確認されるのですが、このオイルショック期は不況時に価 格が高騰するという現象がみられ、このような現象は経済学上、スタグフレーションと呼 ばれました。 そして、このスタグフレーション以前は、ケインズ経済学的な有効需要の原理を主とした 経済が、大きな政府を志向する経済が主流でしたが、これ以降、サプライサイド、供給側 を志向する経済が主流になり、サプライサイドを効率化させるという理論は、減税、民営 化、規制緩和へとつながり、次第に自由主義経済、新古典派経済学の流れに経済の方向性 を変えていくことになるわけです。 そして、もう一方の出来事、各国が変動相場制に移行した出来事もひとつの経済の重要な 転換点に位置しています。変動相場制は常に為替差損のリスクを背負いますが、このリス ク軽減のために、様々な金融派生商品が生まれてきました。先物取引やオプション、スワ ップなどの金融派生商品:デリバティブです。この流れはデリバティブ取引の少ない金額 で大きな金額の取引を行うことができるというレバレッジ(てこ)の特性を生かし、次第 に利益獲得の手段として利用されるようになるのです。 そして、この自由資本主義の流れとデリバティブの流れが合一して現れたのが、アメリカ がそれ以降 30 年にわたって世界経済をリードしていくことになる金融資本主義経済です。 そして、アメリカは凋落していく自国経済を再生し、金融資本主義という経済市場を世界 各国に進めていくための外交的な交渉を行っていきます。ワシントンコンセンサスに基づ く外交です。ワシントンコンセンサスとは、小さな政府、民営化、規制緩和を3つの柱と する自由経済圏構築のための合意であって、アメリカは金融資本主義を世界に広めていく ために、このワシントンコンセンサスに基づいた外交を進めていくのです。 そして、金融資本主義は拡大していき、1990 年代に入り、様々な経済危機を招いていきま す。それが 1992 年のポンド危機であり、1997 年のアジア通貨危機であり、1998 年のロシ ア危機および LTCM の破たんです。金融資本主義が世界中で拡大するとともに、世界がい わばギャンブル市場のようになってしまい、浮き沈みの激しい非常に不安定な経済に変貌 を遂げてしまうわけです。 さて、東側諸国に目を向けると、1991 年 12 月 26 日、世界は戦後政治体制、経済体制の最 も大きな変化を目撃することになります。ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊です。ソ連 は、経済のかじ取りの失敗、次第に広がる西側との政治的経済的格差から、ゴルバチョフ がペレストロイカ(経済改革。民営化など)、グラスノスチ(情報公開)、新思考外交(ア メリカとの融和)を進めるようになります。そして、最終的にはソビエトが崩壊し、半世 紀以上の永きにわたって続いた壮大な社会主義という実験も終了するのです。それは一億 人以上の犠牲を生むことになった悲劇であり、1991 年にその悲劇もようやく幕を下ろすこ とになるのです。 ソ連はその後解体され、ロシアが誕生していきますが、当時のロシアは社会主義から資本 主義経済に移り変わったばかりでうまく経済の統制を取ることができず、ハイパーインフ レを発生させていました。その後、エリツィン初代大統領は退任し、次期大統領に就任し たのが、現在大統領に復帰しているあのウラジーミルプーチンです。プーチンはエリツィ ンの後を受け継ぎ、経済を徐々に復活させ、強いロシアをアピールしていくことになりま す。ただ、近年はロシアも国有化が相次ぎ、ソ連時代の社会主義を彷彿させるようなその ような経済の状況ではあります。 さて、一方同じ社会主義国家である中国はどうでしょう?中国は毛沢東の大躍進政策の壊 滅的な失敗の後、鄧小平が経済の舵を取り、資本主義的な経済を推し進めるようになりま す。いくつかの経済特区を置き、外資を誘致するという実験的な部分的な資本主義政策を とり、その成功により、徐々に中国が資本主義経済化していくことになるのです。その後、 中国は飛躍的に成長を遂げ、現在の世界第二位の GDP を誇るまでに成長するのです。要は 中国も社会主義の限界を感じ取り、資本主義経済に舵を取っていったわけです。 このようにソ連や中国の社会主義経済の失敗を確認する中において、社会主義経済が人類 を幸福にする経済であるというマルクスの主張はやはり間違っていたものであると言わざ るを得ないでしょう。社会主義の欠点は、まず、労働意欲の低下です。平等な社会を構築 するという理念はいいのですが、画一的に賃金も同じ、労働時間も同じであれば、収穫高 も同じになる、ではどこに働く意欲の沸きようがあるのでしょうか。また、もうひとつの 欠陥は、マルクスの理論が機械化、オートメーション化を想定していなかった、労働条件 の変化を想定していなかったというのがあげられます。マルクスは労働価値説という労働 に費やしたコストがモノの価値になるという理論を構築しましたが、単位時間当たりの労 働条件がオートメーション化によって変化するということを予見することができなかった わけです。この辺がマルクスの理論の限界ですね。 さて、社会主義が終焉を迎えましたが、一方で資本主義はどうなったのでしょうか。資本 主義は、1990 年代の様々な経済危機を経て、経済の不安定さを露呈しながらも、2000 年代 に突入していきます。2000 年最初に起きた経済的な事件とはエンロンやワールドコムの経 営者不正でしょう。これは、マクロ経済サイドというよりも、ミクロ経済サイドの事件と して区別しなければなりませんが、行き過ぎた利益偏重型の資本主義経済が世界で主流に なるに従い、このような経営者不正が多く行われるようになっていくのです。 そして、世界は 1990 年代以降、再び世界的な経済危機を経験することになります。2007 年のリーマンショックです。リーマンショックの概要は後の章で記載していきますが、こ のリーマンショック以降、世界は金融資本主義の在り方を本格的に見直す方向に向かって いきます。度重なる経済危機を経験して、ようやく、「現代の経済は何かがおかしい」と気 づき始め、経済の方向性を再検討を始めようとしているのです。 そして、その後におこるギリシャ危機から始まる欧州危機。欧州危機はギリシャの放漫経 営(ギリシャ政府の会計虚偽報告。経営学的なプリンシパルエージェント問題と同様の問 題)と金融システムの欠陥、また、EU の構造的な問題点(財政政策は各国独自に打てるが 金融政策は欧州中央銀行(EMS)のみが打つことができる。つまり、金融政策を自由に変 更できない)などが複合的に絡んだ資本主義経済の課題の総決算みたいな感じもしますが、 世界経済は今まさに断末魔の叫びを上げようとしているのです。 さて、以上、ここ 100 年の経済の歴史を概観しました。第一次世界大戦以降、経済はおそ らく7つの転換ポイントがあったと思います。 最初のポイントは、ロシア革命による社会主義経済国家の誕生。次のポイントは世界恐慌、 そして第二次世界大戦時のブレドンウッズ体制の構築と続き、第四のポイントは冷戦の始 まりと資本主義対社会主義のイデオロギー抗争の始まり、第五のポイントはニクソンショ ックとオイルショック、第六のポイントはソ連の崩壊、そして、第七のポイントがリーマ ンショックです。 ●ここ 100 年の経済的な転換ポイント 第一のポイント:1917 年 ロシア革命(社会主義国家の誕生) 第二のポイント:1929 年 世界恐慌(ここからケインズ経済学(資本主義) ) 第三のポイント:1944 年 ブレドンウッズ体制(西側諸国世界通貨制度の採用) 第四のポイント:1949 年前後 冷戦の開始(イデオロギー対立) 第五のポイント:1972 年前後 ニクソン、オイルショック(ここから新古典派(資本主義) ) 第六のポイント:1991 年 ソ連崩壊(イデオロギーの終焉) 第七のポイント:2007 年 リーマンショック(ここまでが新古典派(資本主義) ) このような形になっており、現在は、社会主義と資本主義がどちらとも行き詰っている時 代であり、また、ケインズ経済学も新古典派もどちらも行き詰っている時代です。要は、 今まで構築されてきた経済理論がすべて行き詰っている時代、それが現代であると言って いいでしょう。 以上、ここ 100 年の経済史を概観し、そこから導き出される結論として、経済が行き詰っ ているという結論が導き出されてきましたが、では我々は、これからどのような方向に経 済の舵を取っていく必要があるのでしょうか。この問いに答えるために、次の章では、ま ず、ここまで概観した経済のそれぞれの課題を明確に抽出していきたいと思います。 2. 現代経済の課題 1) .格差拡大 ここからは現代経済の課題をひとつひとつ考えていきたいと思います。そして、現代経済 の課題は非常に多くの課題があるのですが、まず最初に挙げておきたい課題は格差の拡大 です。これは、なぜ、最初に格差の拡大かというと、現代の資本主義経済においてはこの 格差拡大ということが、ひとつの根本的な経済の欠陥になるからです。 この格差を語るのに、どの部分から語ればいいのか、途方に暮れてしまいますが、まずは 私たちの身近な話題である日本に目を向けてみましょう。 格差ということが日本で話題に上がるようになったのは、2006年以降の小泉政権の時 代かもしれません。それまでの日本企業の特徴と言えば、雇用形態に目を向けてみれば、 終身雇用制という雇用形態が日本企業のひとつの特徴であり、社員は働き始めてから退職 するまでひとつの会社で働き、そして、年功序列に従って役職も上がっていく、そういう 形態が一般的でした。また、現在は郵政は国営と民営の間くらいの状況ですが、当時は国 営で市場原理(コスト競争による効率化)は働いておらず、非効率的な仕事の仕方をして いたものでした。 そこに、 「官から民へ」を旗印に小泉改革が推し進められて、郵政民営化をはじめとして、 様々な業種の民営化を推し進め、市場原理に基づく経済の運営を推し進めることになって いくわけです。 また、派遣社員の規制緩和を行い、会社が派遣社員を雇いやすいようにして、労働人口の 流動化を推し進めていきました。従来は終身雇用制の元労働の固定化(ひとつの会社にず っと就業する)が基本でしたが、派遣社員の規制緩和でそれが崩れてきたわけです。 それでどうなったかというと、市場原理、コストダウン重視、能力重視、という側面が非 常にクローズアップされて、経済は活性化したものの、貧富の差、格差拡大という問題が 現れてくるようになったわけです。 (ここで、格差拡大ということを言っていますが、日本 の場合、そうはいっても、世界的に見れば、まだ格差は低いほうです。) これは、資本主義経済の競争原理、能力主義的な側面がクローズアップされた結果です。 競争原理が働き、また能力的な優れた人間が経済を進めることで確かに企業経営の効率化 が進み、会社経営の高度化が促進され、サービスの品質向上、製品の多様性といったもの が表現されるようになりましたが、それは、能力の高い人間によって生み出されたもので あり、彼らはその対価として高い報酬を獲得します。 一方で、そういう市場原理についていけない、脱落した人々はそれなりの職に就くことに なり、いや、まだ職に就けるならばいいかもしれません、職に就けないか、またはパート タイムで働くことになり、それなりの報酬が与えられることになるわけです。そして、そ ういった職業形態が可能であるように派遣社員の規制緩和が行われたというわけです。 能力主義によって、このような経済原理によって、確かに経済は活性化するわけです。小 泉政権時代に確かに政府債務は減少し、経済成長率も回復しました。でも、こういう弱肉 強食的な経済の運営を推し進めた結果として、弱者が虐げられるような状況を作り上げて しまった、そういう負の側面を作り上げてしまったということは、確かにいえるわけです。 ここにおいて、ひとつの主張が可能かもしれません。それは、富裕層の主張として「我々 はそれだけ頑張って働いてきた。毎日、徹夜して働いてきたし、サービス向上のため知恵 を働かせた。顧客との様々な折衝をこなして、工場のコストダウンを実施し、収益率の改 善も行ってきた。だからこそ、これだけの所得を得ている。低所得で悩む前に、自分たち もがんばってみればいいじゃないか」という主張ですね。 この主張は一面ではあっていますが、他の側面から見た場合に間違っています。一面では というのは、同じように能力の高い人たちにこの主張をするのはあっています。能力が高 いのに堕落しているのは彼らが悪い。しかし、一方で、能力がどうしても足りない、追い つかない人はこれは必ずいるわけです。どうにもならない場合もあるわけです。そこに至 って、 「お前らが悪い」という主張は非常に傲慢な主張なわけです。 世の中には能力が高い人も低い人もいる。それは絶対的にそうであって、全ての人が平等 に能力が高いわけではないという事実が一つあり、そこにおいて、資本主義経済の能力主 義的な側面というものは、これは、能力が高い人のことしか考えていないということであ り、全ての要求を満たす経済でないことは火を見るよりも明らかです。これは、資本主義 経済のひとつの重要な欠陥であるわけです。 2) .グローバリズムの失敗 さて、前の章では貧富の格差の拡大ということを考えてみましたが、これは世界中各国で 見られる現象であり、解決しなければならない第一優先事項であり、重大な課題であると 言えると思います。 そして、このような格差が起こってきた原因がなんであったかというと、それは資本主義 のグローバリズムにあったということが一つの重要な要因としてあげられると思います。 20 世紀のグローバリズムがいつ起こってきたかということは定かではありませんが、ひと つの重要な節目として 1970 年代のアメリカの経済の後退があげられるかと思います。 経済の歴史の中で考えたように、アメリカは第二次世界大戦当時、世界の富の 50%を占有 する非常に強大な国であり、世界経済の中心でした。そのために、1944 年のブレドンウッ ズ協定において、アメリカのドルと金を連動させる金本位制による固定相場制が成り立ち、 アメリカのドルは絶対的な価値を有すると考えられてきました。 ところがその神話が崩壊する出来事、ニクソンショックが 1972 年に起こるわけです。ニク ソンショックとは、当時の大統領であるニクソンがアメリカドルと金を交換するのを止め ると一方的に宣言した事件であり、これによって、戦後数十年続いた金本位制による固定 相場制がついえることになります。 では、なぜ、そのようなことが起こったのか、なぜアメリカはそこまで追い詰められたの かというと、それはいくつかの要因があります。つまり、当時はベトナム戦争の真っただ 中であり、軍事支出が膨大に大きくなり、アメリカの経済を圧迫したこと、そして、第二 次世界大戦直後の状態を考えるとあと 100 年は再生ができないだろうといわれていたドイ ツや日本といった新興市場国が台頭し、アメリカの輸出を圧迫してきたこと、そういった 要因が挙げられると思います。このような状況にあって、アメリカ経済は疲弊し、ドルの 価値も下落の一途をたどることになるわけです。 そして、極めつけは、1973 年のオイルショックによる経済の世界後退現象です。ここに至 って、先進各国はドルとの固定相場の維持を止め、変動相場制へと移行していくことにな るのです。 さて、1970 年代の世界状況を見ると、高度成長期にあった日本やまた、ドイツの復活によ り、もはや実物経済、製造業におけるアメリカの優位性はついえたかに見えました。特に 日本製品は品質が高く、アメリカは国際競争力で日本の製品に後れを取ってい行ったわけ です。 そのような状況下において、アメリカは次なる経済のフロンティアを探索するわけです。 製造業ではもはや日本にはかなわない、我々の強みを生かす何か新しい経済のフロンティ アはないのだろうか、と経済フロンティアを開拓していくわけですが、このときにアメリ カが見つけたフロンティアというのが、いわゆる金融市場だったのです。 まず、当時、ちょうど先進各国が変動相場制に移行していきましたが、この変動相場制は 各国通貨価値が変動するため、常に為替リスクを背負うことになります。せっかく外貨を 獲得しても、自国通貨価値が高くなると、外貨が目減りして外貨決済の際に支払う金額が 減ってしまいます。そのような為替リスクを軽減するために編み出されたのが種々の為替 予約であったり、先物取引であったり、オプションといったデリバティブ商品であったの です。 そして、それ以降アメリカは様々な金融商品を生み出して、金融市場という名の経済フロ ンティアを開拓していくことになるのです。 アメリカは、この金融市場取引が世界中でうまく機能するために、資本移動が自由であり、 またその経済フィールドの中で自由に取引ができる経済市場を構築しようとしました。そ して、市場開放のために世界各国に働きかけていくのです。このような自由市場を構築す る考えは「ワシントンコンセンサス」と呼ばれる考えに集約され、この考えをグローバル スタンダードとして推し進めようとしていったのです。内容としては小さな政府、民営化、 規制撤廃などの自由資本主義を推し進める考えになります。 そして、発展途上国が IMF に資金援助を受けるような場合には、資金援助をするかわりに ワシントンコンセンサスの基準を適用させようと押し付けていくわけです。この過程で、 多くの発展途上国で自由主義経済が推し進められ、各国経済が混乱していくわけです。1997 年のアジア通貨危機の際にもアジア各国に対して IMF が融資する条件としてこのワシント ンコンセンサスがあったというわけです。 このようにアメリカは自由主義経済を自らのアングロサクソン型の経済を世界中に推し進 めていったわけです。そして、その考えは世界中に浸透していき、グローバル資本主義経 済が形を整えていくことになるのです。 その過程で、世界各国で先ほどお話ししたような日本と同じ状況が発生していったわけで す。要は、発展途上国でも、能力が高い人間が多くの富を占有するようになり、能力がそ こまで追いつかない人間は、ついていけなくなるか、または地方で今まで通りの暮らしを することになる。一方で都市が発展するとともに、経済が発展し物価も上昇していき、今 まで通りの地方と、富裕化する都市でくっきりと格差が現れてくるわけです。 そして、富裕層の富は通常、貧困層に配分されることも無く、貧富の差は拡大し、その貧 富の差により社会情勢不安や不衛生による様々な病気ウィルスの発生、森林伐採などによ る砂漠化の拡大や自然環境破壊、生態系の変化、それによる被害の拡大、そういった社会 問題が特に東南アジアやアフリカ以南そういった地域で発生しているというわけです。 要は、富むものはより富んでいき、貧困層は今までよりも余計に貧しくなり、また、それ らの状況というものは自然環境にも影響を及ぼし、今や地球的な大いなる課題であるとい うことなのです。このような状況というものは是正していかなければならないわけです。 3) .金融市場の失敗 さて、前章ではグローバル資本主義の失敗ということを考えてみましたが、ここでは、そ のグローバル化の根源である金融市場の失敗を考えてみましょう。 そもそも、金融市場という名の経済フロンティアが開拓されたのは 1970 年代のことです。 先ほどもお話ししましたように、1970 年代初頭、世界はニクソンショックとオイルショッ クという2つの経済的ショックに見舞われて経済的な転換を迫られていました。 そして、それは近代経済史的に非常に重要な2つの転換を見ることになるわけです。ひと つはオイルショックから派生する転換であり、サプライサイド経済学、自由資本主義への 転換です。もうひとつがニクソンショックから派生するデリバティブという金融派生商品 の開発です。 まず、オイルショックに関してですが、これは当時、世界経済情勢は不況でした。不況で 失業率も高止まりしていたわけです。そして、そのような状況の中、中東で第四次中東戦 争が勃発するわけです。これはイスラエル対アラブ諸国の戦争ですが、このときにアメリ カをはじめ西側諸国はイスラエルに味方をするわけです。物資や兵器をイスラエルに提供 するわけですが、それにアラブ諸国は怒りをあらわにして経済的な制裁を西側諸国に与え ることになるのです。その経済的な制裁とは何かというとこれがオイル価格の上昇という ことです。アラブ諸国間の石油カルテル OPEC で価格上昇が決定され、その価格が世界的 に適用されたわけです。 そして、石油は非常に重要な燃料であり、原材料であり、様々な製品の原料になっている ために、この石油の価格上昇を受けて多くの商製品価格が上昇していったのです。 通常は、不況時には価格が下がっていくというデフレーションという現象がみられるので すが、このときは不況時に価格が上がっていくという不可思議な現象(スタグフレーショ ン)に見舞われ、経済が大混乱を起こしていくわけです。 そして、それまでの経済政策は経済学的にはケインズ経済学の不況時には有効需要を創出 することで失業率を低下させ経済を安定化させるという、有効需要の原理に従った経済政 策が主流だったのですが、スタグフレーションにおいてはケインズ経済学は通用しなかっ たわけです。なぜなら、いくら有効需要を増やしても、原材料価格が高止まりして利益率 も悪いために供給側が需要に追い付かなかったからです。これは、ケインズ経済学、有効 需要の原理の限界でした。 そこで、サプライサイドに立脚したサプライサイド経済学が流行していくわけです。サプ ライサイド、つまり、企業側のコストダウンを通じて企業効率化を行い、また、法人税減 税によって投資増による生産高増加、売上増加を狙い、経済成長を達成していこうという 動きです。このサプライサイド経済学の流れに従い、企業側を効率化させて経済成長を達 成するという考えが主流になり、それはやがて市場開放、減税、規制撤廃、民営化という 自由主義経済へと発展していくことになるのです。 経済が自由資本主義経済になってきた経緯はこのような 1970 年代のオイルショックにあっ たわけですね。そして、経済が更に発展し自由な解放市場的な金融資本主義経済へと発展 していくのはもうひとつの要因、ニクソンショックによってです。 ニクソンショックは既にお話ししたように、ベトナム戦争の疲弊や日本やドイツといった 新興市場国の台頭によってドルの価値が低下し、金本位制を維持できなくなったことによ って、ニクソン大統領がドルと金の交換を停止すると発表した事件のことを指します。そ れまで戦後世界経済を支配していたブレドンウッズ体制が崩壊を見ることになるのです。 そして、その後もドルの価値下落は持続し、世界各国は 1973 年以降こぞって変動相場制へ と移行するわけです。 そして、この変動相場制は為替相場の変動という為替リスクを持つため、この為替リスク を低減させるために様々な金融商品が開発されてきました。それが先物取引でありオプシ ョン取引でありスワップ取引といった金融派生商品、デリバティブです。 デリバティブはこのように開発当初、為替リスクをヘッジするという手段の元開発された 金融商品でしたが、その特性、つまり、少ない金額で多くの金額を取引できるというレバ レッジの特性によって、売買の差額(利ざや)を稼ぐ手段、利益を得るための手段として 利用されるようになっていくわけです。そして、この利ざやを稼ぐことをひとつの商売と して組織的に金融商品を売買する会社がいわゆるヘッジファンドです。 そして、このデリバティブの開発により経済市場というフィールドはギャンブル市場とい う賭博場へと変貌を遂げていくわけです。1990 年代までは実体経済9に対して金融経済が 1でしたが、1990 年代以降実体経済1に対して金融経済の比率は9にまで市場を拡大して いくことになったのです。これはとんでもないことです。 そして、こういった金融市場のフィールドを拡大するためにアメリカがとっていった外交 手段というのが、先ほどお話ししたワシントンコンセンサスだったわけです。こうしてア メリカはベトナム戦争以降衰退していった実体経済から新たなフロンティアである金融経 済へと移行し、そして、サプライサイド経済学、自由資本主義経済と合わせて、弱肉強食 型の金融資本主義経済を世界的に運営することになるわけです。そして、その中心人物が 自由経済の天才騎手である FRB のあのアラングリーンスパンだったのです。 ところで、この金融資本主義においては世界は数度の経済危機を経験しています。1992 年 のポンド危機、1997 年のアジア通貨危機、同ロシア危機、LTCM の破たん、そして、2007 年のリーマンショックです。 まずは 1992 年のポンド危機からおさらいしましょう。これは当時の欧州通貨制度の背景お よびイギリスの経済状況というのを把握する必要があります。 現在ヨーロッパは統一通貨ユーロを使用していますが、元々はご存じのとおりマルクやフ ランなどといったように各国ごとに通貨が分かれていたわけです。それを数十年かけて通 貨統合を行ったわけですが、一度にユーロに統合するのは難しいので、いったんある通貨 を基軸通貨としてその基軸通貨に各国通貨が連動するような暫定措置を取り、その後通貨 統合しようというステップを踏んでユーロに統合されていったわけです。そして、その基 軸通貨にドイツのマルクが選ばれ、この暫定措置を EMS(欧州通貨制度)と言い 1979 年 3 月に開始されたのです。 さて、イギリスも将来は通貨統合を果たそうと EMS 参加を申請するわけです。その際に、 イギリスは国内情勢がインフレ状態だったためインフレを抑えるために実際よりも通貨高 で EMS に参加するという条件を付けるわけです。そして、EMS もこれを受け入れます。 一方、EMS 加入後イギリス経済はインフレが抑えられてきました。インフレが抑えられて きたため、通貨安の方向につまり金利を下げる方向に金融政策を打ちたかったのですが、 実はこれができなかったのです。 つまり、マルクが高止まりしていたため、固定相場制を維持するためにはポンドも高止ま りを維持する必要があります。通貨安の方向に金融政策を打ちたかったのですが、EMS が 足かせになり、それができなくなってしまったのです。 これは、国際金融経済学的には国際金融のトリレンマとして知られ、固定相場制と自由な 資本移動、および自由な金融政策という3つをすべて満足することはできないわけです。 固定相場と自由な資本移動を満足させようとすると、自由な金融政策を犠牲にしなければ ならなかったわけです。そういうわけで、イギリスは自由な金融政策を打つことができず、 金利を下げることができなかったわけです。 しかし、イギリスとしてはいつまでも通貨高のままでもいられません。通貨が高止まりし ていると輸出不振になり経常収支が赤字になり経済が縮小していきます。そこで、イギリ スとしてはいつかは通貨安の方向に動く必要があったわけです。 そして、ここに目を付けたのがあのジョージソロスです。ソロスは、イギリスが EMS の条 件を守ることができなくなると目をつけ、その時点でポンドの空売り(金融市場でポンド を借りてきて売ってしまう。のちに買い戻して返却する。)を開始します。今の通貨高の段 階で売って、通貨が安くなった時に買い戻せばその分利ざやを稼ぐことができます。ソロ スはこれを狙ったわけです。そして、最終的にはイギリスもソロス率いるヘッジファンド の空売り攻勢に負けてしまい、通貨安の方向に動き、ソロスは多額の利益を上げることに なるのです。 これが 1992 年のポンド危機です。そして、1997 年アジアの通貨危機が起こり、タイバー ツ、韓国ウォン、インドネシアルピーが大暴落を起こしますが、このときもヘッジファン ドによる空売り攻勢によって通貨大暴落が発生しているのです。通貨戦争、ギャンブル的 な金融資本主義によって経済が大混乱を引き起こした時代であるといっていいでしょう。 1990 年代はこのような金融的な大混乱が起こっていた時代だったのです。 さて、では 1997 年に起こったアジア通貨危機を概観してみましょう。 まず、大切な部分が当時の東南アジアの多くの国は通貨レート換算に際してドルペッグ制 を採用していました。ドルペッグ制とは自国の通貨をドルに連動させるような形で通貨運 営していくことです。要はドルに対する固定相場制を採用していたということですね。発 展途上国や新興国の経済というのは不安定な場合が多く、不安定であると外資を誘致しに くいために、通貨安定化政策としてドルに連動させる、それによって外資を誘致する、そ のような政策をとる国は多いのです。東南アジア各国もドルに対する固定相場を採用して いたのですね。 さて、タイに目を向けると、1996 年までは高い経済成長率を維持していましたが、それ以 降のタイは経常収支赤字に悩むことになります。アメリカが強いドルを志向しドル高を維 持したため、タイバーツもバーツ高を維持しなければならず、通貨高になりしたがって輸 出が不振になってきたからです。また、一方で東南アジアに進出していた企業が中国のほ うが人件費が安いとのことで中国にシフトしていったこともひとつの理由としてありまし た。要は経常収支が赤字に転じたわけです。 しかし、タイとしても、このまま経常収支が赤字が続くとGDPが縮小して経済成長率が 鈍化していくことになります。タイとしてはなんとかして通貨安の方向に動きたかったわ けですが、ドルペッグ制という固定相場制のためにそれができなかったということですね。 これも、国際金融のトリレンマの理論によります。要は解放市場化の固定相場制の採用で 自由な金融政策を打つことができなくなったわけです。 そこに目を付けたのが、ポンド危機のときと同様ヘッジファンドです。ヘッジファンドは デリバティブ市場でバーツ空売りを行い、タイに対して通貨攻撃を仕掛けるわけです。タ イも最初は奮闘しましたが、最終的にはポンド危機と同じように固定相場を止めてタイバ ーツは大暴落することになるわけです。 そして、これは、インドネシアのルピーも、そして、韓国のウォンも同じことです。アジ ア各国で通貨大暴落が発生したのです。これが 1997 年に起こったアジア通貨危機です。ア ジア通貨危機は金融資本主義経済のギャンブル性や弱肉強食性を最もよく反映した出来事 であったと言っていいでしょう。モラルに反するような事件でもあり、ジョージソロスや IMF、アメリカやヘッジファンドは非難を浴び反欧米感情を生み出していきました。 しかし、金融不安はそれだけではありませんでした。金融システムが崩壊寸前までいった 事件が起こったのです。 LTCM の破たんです。 LTCM とは Long Term Capital Management の頭文字をとった略語であり、世界最大といわれたヘッジファンドになります。マイロン ショールズとロバートマートンという 2 人の経済学ノーベル受賞者が参加したドリームチ ーム的なヘッジファンドと当時呼ばれていました。LTCM は特にオプション価格の算定に 長けており、それはブラックショールズの方程式という方程式から導かれるのですが、そ のオプション価格算定によって多額の利益を上げていくのです。 そして、この LTCM が目を付けたのが当時のロシアです。ロシアはゴルバチョフのペレス トロイカ以降、エリツィンが初代大統領としてロシアを取りまとめていくわけですが、社 会主義経済から資本主義経済へ移行した当初経済をうまく統制することができずハイパー インフレに見舞われていました。そして、多額の借金を抱えていたわけです。 このような状況ですから、国が債務不履行に陥る可能性もあったのですが、当時世界的に 核保有国は債務不履行に陥らない、 必ず IMF が助ける、 ということが信じられていました。 債務不履行に陥ったら核兵器を使って何をしでかすかわからないという理由ですね。です から、必ず IMF が助けると信じて LTCM も多額のロシア国債を購入していたのです。とこ ろが、国際社会の予想を裏切り IMF はロシアを救済せずロシア国債は債務不履行に陥って しまったのです。 そして、この債務不履行によって金融市場はパニックに陥る寸前までいってしまいました。 LTCM は多額のロシア国債を購入しており、それがすべて焦げ付けば破たんになってしま います。そして、LTCM 破たんになった場合には LTCM の金融市場における取引額は当初 135 兆円に上っていましたから、この 135 兆円がすべて焦げ付くことになり、金融市場は 大パニック、世界恐慌が発生してしまいます。これはとんでもないことになってしまうの で、当時のニューヨーク連邦銀行が金融機関を集めて LTCM に融資し救済の乗り出すわけ です。そして、なんとか世界恐慌を防ぐことができましたが、これは、世界金融が最も破 綻に近づいた時であったといっても過言ではありませんでした。 このように 1990 年代は国際社会は幾度もの金融危機を経験し、何回もの経済的な危機を経 験した時代だったのです。日本のバブル崩壊など小さく思えるくらいです。 さて、世界経済危機はこれだけでは終わらなかったことを我々は知っています。2007 年の リーマンショックです。リーマンショックはそれ自体は数年間で鎮静化していきますが、 それ以降発生した欧州危機へとつながっていき、欧州危機に至っては 2012 年後半いまだ解 決への糸口がつかめません。 リーマンショックを軽くおさらいしましょう。2005 年から 2007 年当時というのはアメリ カは住宅バブルに沸いていた時期でした。アメリカ国民にとって住宅は固定資産ではなか 卯流動資産であり、数年間で買い替える、そのような消費対象でしたが、その当時住宅投 資、住宅バブルでアメリカは沸いていたのです。 このような住宅バブル下にあって、富裕層は資金が潤沢にあるので住宅の借り換えも容易 ですが、下位階層にとっては資金が余分にあるわけでもなく借金をして家を購入する必要 がありました。そして、通常、借金をする場合には厳格な審査が必要なのですが、当時住 宅バブルに沸いていたということもあり、その審査がサブプライム(下位階層)層に緩和 されて運営されていたのです。そうした条件のもと生まれた借金というものがサブプライ ムローンです。 しかし、これだけでは、サブプライム層から返済が滞るリスクが存在します。そこで、頭 のいい金融開発者は‘金融錬金術’を使い、リスクの大小の様々な証券を混ぜ合わせて新 たな‘安全性の高い’証券、CDS、CDO(クレジットデフォルトスワップ)を作り上げて しまうのです。そして、この CDS、CDO を核付けAAAをつけて世界中に売りさばいてし まうのです。要は、世界中で債務不履行のリスクを背負うことになったわけです。そして、 案の定サブプライムローンは焦げ付き、世界中でリスク分散を行った結果、世界中で経済 的な打撃を受け、世界経済危機が発生したというわけです。 このサブプライム問題によるリーマンショックなどは金融資本主義における問題点を浮き 彫りにした事象であり、アラングリーンスパンは「私自身の経済理論には致命的な欠陥が あった」と認め、これ以降、失脚していくわけです。 1970 年代から 2007 年まで、ここまでが自由資本主義、金融資本主義の時代であったとい っていいでしょう。我々はこの自由資本主義のあり方を反省し、今後の経済を模索しなけ ればならない、その転換点にいるということです。 4) .情報の非対称性による不正とプリンシパルエージェント問題 さて、ここでは、自由資本主義の馴れの果てである経営者不正に焦点を当ててみたいと思 います。2000 年に起こったエンロン事件です。エンロンとは当時全米第 7 位を誇る巨大な エネルギー会社のことです。このエンロンが 2000 年 12 月に破産法が適用され破たんする ことになるのです。一体何が起こったのでしょうか。 エンロンの起源をたどると 1930 年に数社のエネルギー関連企業が集まってできたノーザ ン・ナチュラル・ガスにさかのぼります。ノーザン・ナチュラル・ガスは 1979 年には持株 会社としてインターノースを設立しました。その後、業界の規制緩和によって業界再編が 進む流れの中で、1985 年、インターノースとヒューストン・ナチュラルガスと合併してエ ンロンが誕生したというわけです。 その後、1980 年代終盤にはエンロンはガス取引にデリバティブを利用し多額の利益を生む 一方で企業規模を拡大していくのです。多くの経済学を学んだスタッフを雇い入れ、投資 バブルにも支えられ安定した経営を市場にアピールすることになるわけです。 ところが、エンロンはこうした健全な企業経営拡大というイメージの裏で、同じく 1980 年 代終盤頃から粉飾決算に手を染めるようになるのです。時価会計による株価の含み益の計 上で実際よりも利益を上乗せし、インサイダー取引(一般投資家が知らない企業の内部情 報を利用して株式取引を行うこと)にも手を染め始めるようになっていくのです。 また、デリバティブの利用により自ら売買を行い、架空利益を計上して、あたかも実際に 利益が上がっているかのように会計数値を捜査していたのです。その過程で、特別目的会 社を設立し、連結決算対象外として、取引上の損失を特別目的会社に計上していたのです。 1998 年ころにはデリバティブによる利益計上が 8 割を超えていたとのことですから驚きで す。1999 年には「エンロンオンライン」を開設し、そこにある商品つまり、電力だけでな く、ガス、石油、石炭、などあらゆる商品の取引をインターネット上で行い、そのすべて において自ら売買を行い、表面上は莫大な利益を上げていったわけです。 このエンロンの会計粉飾が明るみに出るのは、カリフォルニア電力危機のときです。カリ フォルニア電力危機のときにエンロン自体は前述したように多額の利益を上げていました が、電力危機のあおりを受けて 2001 年 2 月にパシフィック・ガス&エレクトリック社が倒 産します。エンロンは同社に多額の債権を有していたため、倒産による債権回収不能によ り多大なる損害を被るわけです。また、事業の失敗などもあり、株価が下がっていくわけ です。 このような状況が続く中、ウォールストリートジャーナルはエンロンの会計粉飾疑惑を報 じます。その後、証券取引委員会の調査が入り、最終的には 2001 年 12 月に連邦破産法第 11 条が適用され、倒産することになるのです。 当時、このエンロンの監査を担当していたのはアーサーアンダーセン会計事務所であり、 アンダーセンは安定した実績もあり市場の信用もあったわけですが、実際にはエンロンの 粉飾にアンダーセンも加担しており、多額の賄賂を受け取っていたわけです。会計監査す べき会計事務所が不正を働くということは当時非常にセンセーショナルな話であり、エン ロンの倒産と相まって企業統治への本格的な動きが始まるきっかけを作ったわけです。 その後、このような経営者不正による企業経営のずさんさを是正するためにサーベンスオ クスリー法 (SOX 法) が 2002 年にアメリカ議会で成立します。日本でも 2008 年以降 J-SOX 法(日本版 SOX 法)として適用されてきていますが、企業の内部統制を強化し、経営者不 正を是正し、もって健全な企業経営を確保しようという試みからこのような取り組みがな されたというわけです。 SOX 法では、経営者に対する罰則規定が強化され、財務諸表に対する不適切な表現がなさ れた場合にはボーナスの返還、また、故意の虚偽記載には最長 20 年の禁錮刑や 500 万ドル 以下の罰金が科せられています。これによって経営者不正を防ごうという算段ですね。 さて、そもそも、このような経営者不正は経営学上はプリンシパルエージェント問題とし て議論されるポイントです。プリンシパルエージェント問題とはプリンシパル(株主)と エージェント(代理人)の利害関係の問題として提起されますが、そもそも、株式会社の 特徴は所有と経営が分離していることで、それによって、企業の規模拡大が促進されたこ とです。 株式会社が発生する前までは、出資者と経営者が一致しており、自分で出資して自分で経 営する人が大部分だったのです。ですが、それではすべて自分一人で実施しなければなら ず大変ですし、出資者が有能な経営者かというとそうでもないでしょう。 そこで所有と経営の分離が行われ、株式会社という会社形態が発生したのです。そして、 所有と経営が分離したことで、所有者である株主は出資額を限度とする責任(株主有限責 任。商法 204 条一項)だけを追うことになり、株主総会などで経営者を監視することにな ったのです。 そして、株主のボーナスは配当金や株価上昇による含み益になりますが、経営者によるボ ーナスは報酬金やストックオプションといった金銭的なインセンティブになります。会計 数値が良好なほうが報酬金も多くなるために、無理に企業規模を拡大したり、会計数値を いじって粉飾決算を実施したりというインセンティブが働くことになるのです。 株主としては経営者に適正に経営を行ってほしい一方で、経営者としては多少の無茶をし ても多額の報酬が欲しい。このような対立関係が発生し、ここに経営者と株主の間に利害 の対立、プリンシパルエージェント問題が発生することになるのです。 このプリンシパルエージェント問題は経済学上ひとつの重要な前提を元に発生することに なります。すなわち、情報の非対称性です。情報の非対称性は情報経済学の一分野になり、 ジョセフスティグリッツがこの分野でノーベル経済学賞を受賞していますが、要は株主と 経営者の持っている情報とは対称、つまり、一致していないわけです。対称性は破れてお り、情報の非対称性があるため、株主が経営者の行動を十分に監視することができずにこ のようなプリンシパルエージェント問題が発生するということです。このことは、親が子 供にお使いに行かせる場合を考えればわかることです。子供が道草を食っておつかいのお つりでもってアイスを買っても、レシートを見せなければ親としてはアイスを買った事実 を感知できないわけです。 この情報の非対称性によるプリンシパルエージェント問題を 100%解消するのは非常に難 しいことであり、外部からは SOX 法のように、罰則規定で経営者の行為を監視するしかあ りません。もうひとつは、経営者の良心に訴える方法ですが、これは後々記載することに しましょう。 さて、今までの格差是正やグローバリズム、そして、金融市場の失敗はマクロ経済学的な 話であり、このプリンシパルエージェント問題は、どちらかというと、ミクロ経済学的な または経営学的な話題になります。経済といっても、マクロ経済学もミクロ経済学も存在 し、また経営学とも密接に関係しています。経済の再生は、ミクロもマクロもまた経営学 も一緒に考えていかなければ、達成できないということですね。総体的に確認していくこ とが必要であるというわけです。 5) .ポリシーミックス(財政政策と金融政策)の限界 現代経済に関する課題が続いていますが、ここでは、最適なポリシーミックスに関するマ クロ経済政策の課題を考えてみましょう。ポリシミックスとは、政府による財政政策と中 央銀行による金融政策をどのように連動させて経済を安定化させていくかということです。 経済安定化は主に失業率の改善とインフレの抑制の2つになってきます。 さて、まず、財政政策と金融政策という2つの用語が出てきましたが、まずこれらの用語 を解説しましょう。政府がマクロ経済政策を実行するときに、その実行する手段は大きく 2つに分かれます。それが財政政策と金融政策の2つになります。財政政策は政府がお金 を使って経済を刺激することであって、金融政策は政府ではなく中央銀行が金利のコント ロールや為替市場介入などによってマネーサプライ(市場に出回る通貨量)をコントロー ルすることで景気安定化を図る手段になります。 経済というものは貨幣とモノ(実物財)の需要と供給によって成り立っており、需給関係 を安定化させて経済を適正な状態に保っていくことが必要であり、そのための実物財の需 給関係、貨幣の需給関係をコントロールする手段として財政政策と金融政策の両者がある ということですね。 財政政策は政府が自らのお金を使って、経済を刺激するやり方ですが、これはどのように 実行するかというと、政府がお金を使って、公共事業、つまり、インフラ整備や道路交通 の整備、港湾の整備、下水道整備といった公共に供される設備を拡充する、という方法に よって実行されます。政府が発注先になって公共事業に対して発注し、それによって、公 共事業主としては仕事が増えるので、需要を満たすために雇用を確保し失業率も低下して いくという形です。政府が出すお金というのも、たとえば、リーマンショック以降のアメ リカの景気対策 7,870 億ドルとか中国の 4 兆元といった巨額の資金になってくるために、 その巨額の資金が市場に流通することで経済が活性化していくということです。これが財 政政策です。 一方で金融政策はたとえば、低金利政策などがわかりやすいですが、中央銀行が市場金利 を下げるということは、企業が借りるお金の貸出利率が下がることを意味します。したが って、企業としてはお金を借りやすくなり、結果、企業投資が増大し経済が活性化してい くということです。 また、たとえば、公開市場操作などですと、中央銀行が為替介入することによって、自国 通貨の高低を操作して、たとえば日本ですと、公開市場操作でドルを購入して円を売って いくと、市場性に縁の流動性を提供することになり、市場に縁があふれ、相対的に円の価 値が低くなっていくことを意味します。そして、円の価値が低くなると、日本の物が安く なるので輸出は増大する、したがって経済が活性化するということです。 簡単に財政政策と金融政策を概観しましたが、現実の経済を運営するのはひじょうに難し く、財政政策を打ったからと言って景気が良くなるかというとそうではない場合もあり、 また、金融政策を打ったから経済が活性化するかというと必ずしもそうとは言えないので す。 また、これは経済学派とのかかわりになりますが、財政政策、金融政策のどちらを重視す るかはケインズ経済学派か新古典派経済学派(シカゴ学派)のどちらの思想に寄っている かということにも関係してきます。 何回かご説明したように、ケインズは有効需要の原理によって不況時には政府がお金を使 って有効需要を創出すれば失業率が改善される、という経済理論を展開し、政府よりの政 策、財政政策を重視します。これは政府の権限が強大化される、つまり、大きな政府を志 向する経済政策です。 一方で新古典派経済学は、ミルトンフリードマンに代表されるように、不況の原因はいつ でもどこでも貨幣現象であり、貨幣供給量の増減によって経済はコントロールされる、と 主張します。新古典派寄りの経済学者や政治家は小さな政府を志向し、政府が市場に口を はさむことは最小限にとどめるべきであり、政府ができることは市場を整えること、つま り、規制緩和やルールの設定などに限定されるべきであり、経済は可能な限り自由である べきであると主張します。 そして、1929 年大恐慌までの時代はおおむね新古典派の時代であり、1930 年代から 1970 年代のオイルショックまではケインズ経済学が主流、1970 年代以降はサプライサイド経済 学などに代表されるように自由主義である新古典派へと戻っていくわけです。そして、そ れが続くのが 2007 年のリーマンショックまでであったと言っていいでしょう。そして、 2007 年以降の経済は混迷を極めており、ケインズなのか、新古典派なのか、はたまた別の 理論なのか経済学上も非常に混沌とした状態であるわけです。 さて、次に財政政策金融政策の歴史を振り返ってみたいと思いますが、歴史上、大規模な 財政政策が効果を発揮したといわれているのは、1929 年の世界大恐慌下におけるフランク リンルーズベルトによるニューディール政策でしょう。フランクリンルーズベルト大統領 はニューディール政策によって TVA(テネシー川流域開発公社)などの大規模な公共事業 を展開し、大恐慌から経済を救済していきます。 しかし、これは、実は議論が難しいポイントで、ニューディール政策をケインズ経済学的 な政府の財政出動による成功事例として扱っていいのか、悩ましいのです。なぜなら、ひ とつの研究として、当時、FRB が資金供給を引き絞ったために市場に流動性が提供されな かったため金融政策ではなく、財政政策が成功した、したがって、FRB が市場に資金を供 給していれば物価が相対的に下落して、人びとの購買意欲が増大し、経済は活性化された だろうというものがあります。要は、大恐慌の理由は FRB が資金供給を引き絞ったためで あり、市場に流動性を提供すれば経済は元通り活性化しただろうという仮説です。 また、もう一点は、確かにアメリカ経済は活性化していったのですが、それは第二次世界 大戦の戦争特需のおかげであり、ニューディール政策がそもそも経済活性化の原因であっ たかどうか因果関係が不明瞭であるという部分です。更に、ルーズベルトはケインズの有 効需要の原理を知らなかった。 まあ、このように言われているわけですが、ニューディール政策は財政政策のひとつの成 功事例としてあげられてはいるわけです。 そして、2009 年オバマ政権で大筋取った政策がこのケインズ経済学を基礎にする大規模な 財政出動であり、7870 億ドルの財政政策です。これによって、オバマ大統領はクリーンエ ネルギーなどを母体とした雇用創出を提示し、グリーンニューディール政策を提言するわ けですが、結局はうまくいきませんでした。公共投資は 7870 億ドルのうち 6.5%程度であ り、また、すぐに財政出動するかというと、その使用は 1 年後とか先延ばしの物でした。 一方で、米国経済が活性化していったのは、ベンバーナンキによる FRB の通貨供給政策に よってであり、 この経済活性化に対しては FRB の功績が大きかったと言っていいでしょう。 はからずしも、大恐慌下の経済停滞の理由は FRB が資金供給を渋ったためであり、市場に 流動性を提供すれば経済が活性化するということを証明することになってしまったわけで す。 そもそも、財政政策において政府がお金を使って経済を活性化するといっても、どの部分 にお金を使えばよいのか、政府が判断できるのか?という議論があります。どのインフラ を整備すべきか、どの産業を活性化するのか、どこに投資すべきが政府がどう判断するの か、ということですね。 中国ではリーマンショック以降 4 兆元の財政出動を行いましたが、それはうまくいったの かというと、当初はうまくいっていたといわれていましたが、重工業に対する投資、主に 造船ですが、それを重視した結果造船の生産高は上がり、雇用も増えましたが、折からの 欧州危機により欧州からの受注は激減、生産を縮小したくても、雇用を切るわけにもいか ず経済成長を志向している政府の目も怖い。したがって、生産の縮小もできず、利益率は 悪くなるばかり。また、中国経済というものは主に投資によって成り立っていますが、住 宅投資を重視した結果、住宅バブルを招き、それもやがて崩壊し、売れない廃屋ばかりが 都市にはあふれ、まるでゴーストタウンを見るかのようです。このように中国の財政出動 は投資主体であったため、当初はうまくいっていましたが、それが将来につながらず、経 済は縮小傾向で、企業倒産も相次ぎ、このような状況下で中国共産党の絶対的な目標であ る経済成長を維持するのは非常に難しいでしょう。 要は、財政出動といっても、具体的に経済のどの箇所に対して財政出動を行えばいいのか、 それをどのようにピックアップして財政配分を行うのか、政府にはその能力がない、その ようなことがわかるのは、常に産業の最先端にいる企業であり、政府がお金を使うよりも、 規制緩和などで産業に対する参入障壁を取り除いたほうがよっぽど経済効率がいいという 話ですね。確かにそれは一理あります。 さて、こう考えてみると、財政政策は経済にあまり効果がなく、効果があるのは金融政策 なのではないかという結論に傾きそうです。世界経済においても、現代は財政政策よりも 金融政策のほうが効果があるという認識が一般的ですが、果たしてそうなのか? 一般的な経済学的な研究によると、開放経済下の経済モデルにおいては、金融政策が有効 であり財政政策が無効であるといわれています。これはマンデルフレミングモデルと言わ れ、ノーベル賞を受賞した経済理論になりますが、本当にそうなのか?ということですね。 米経済は FRB による大規模な金融緩和策 QE1、QE2 が実施され、現在 QE3 が検討されて いますが、それでも、経済が活性化された、順調基調に乗り始めたというには程遠く、失 業率も 8%を割っていますが、まだまだ経済は停滞状態です。 また、日本の経済も、失われた 20 年に代表されるように、恒久的にデフレ状態であり、低 経済成長を持続しています。では、日銀は全く何もやっていないのかというと、ゼロ金利 政策を維持し、市場に量的緩和を伴った資金の流動性を提供しているわけです。しっかり と金融政策を実施しているわけです。 では、なぜ経済は活性化されないのか、というと、経済学的には貨幣の利子弾力性が無限 大に達して流動性の罠が発生している状態であり、この状態では金融政策は無効になる、 ということがひとつの回答にあると思います。貨幣の利子弾力性など、非常に難しい用語 ですが、要は、市場環境が非常に不明瞭で将来が不安であるため、いくら利子率をゼロに しても、企業としては新たな投資を行うために銀行に資金を借りたりはしない、つまり、 市場にお金が回らない状態になっている、ということです。 このような流動性の罠の状況において、マネーサプライ、つまり、市場に流動性をいくら 提供しても、企業側は銀行からお金を借りて投資するのではなく、むしろ、将来のために 貯蓄をし始めるので、お金が循環しないのです。いくら FRB が日銀が資金供給をしても経 済が活性化などはしないのです。 では、この状況をどのように脱するのか、ということですが、資金が市場に出回らない理 由は、将来に対する不安感にあるので、将来に対する期待感を市場に形成することができ れば、資金が市場に流通すると考えられます。これは、経済学的には、流動性の罠の状態 で名目利子率がゼロにへばりついているので、将来の期待を形成すること(期待インフレ 率)で実質利子率を低下させて、流動性の罠を脱しようという理論になります。ポールク ルーグマンが提唱している理論です。 では、どのように期待を形成することができるのか?というと、クルーグマンはその問い には何も答えていない。そもそもそんな期待を簡単に形成できるような方法論があれば、 現実経済などこんな複雑なものではないでしょう。100%期待を形成する理論などあるはず がないのです。確かに、期待を形成できれば、クルーグマンの理論は成り立ちますが、そ もそも、どうやって期待を形成するんだ、ということですね。 2012 年終盤の現在の状況としては FRB にしても、日銀にしても、この停滞する経済に対 して有効な金融政策を打てないでいるというわけです。一般的な認知として財政政策より も金融政策のほうが有効であるといわれていても、経済を構成するキーが多様すぎて、よ り効果があるといわれている金融政策を打っても、なかなか経済を活性化することはでき ないというわけです。 さて、財政政策と金融政策を考えてみましたが、では、最適なポリシーミックスとは最適 な財政政策と金融政策の組み合わせとはどのようなものであろうと考えてみるわけですが、 その答えは無いと言わざるを得ないわけです。現代のこの複雑化する資本主義経済環境下 において、ポリシーミックスの最適解を探すのは非常に困難な作業であると言わざるを得 ないわけです。 6) .効率化経済の持続不可能性 さて、ここでは、企業経営効率化ということに対して考えてみましょう。効率化経済の持 続不可能性と題してみました。これは、主にサプライサイド経済学的なミクロ経済学また は経営学の分野の話になります。現代の資本主義下においては経営の効率化ということが 至上命題ですが、それははたして今後も持続可能なのか、ということですね。 そもそも、現代の資本主義経済下においては、株主利益の最大化が企業の主要命題になり ます。株主利益最大化とはこれは財務会計上は、税引き後当期純利益の最大化になります が、企業努力はその企業の主要業務によって行われることから、株式売却損益や特別利益 などを排除した、営業利益の最大化、ここを念頭に置くべきでしょう。 さて、では、営業利益を最大化する方法は何かというと、これは売上を上げるか、コスト を下げるかのどちらかです。売上を上げるには、自社の強みを生かして市場を開拓し、世 界各国に対してグローバル戦略を行っていくことが必要でしょうが、売上を上げるのに対 して特効薬はありません。また、どちらかというとサプライサイド経済学は費用削減、コ ストダウンのほうに重きを置くので、ここはコストを下げることに対して考えてみたいと 思います。 企業のコストは、製造業であれば仕入コスト、生産コスト、販売促進コストなどといった サプライチェーン(製造から販売のプロセスは、調達から生産、販売までの流れがあり、 また、調達を行うための原材料業者も含め、それらをひとつのチェーンとして考え、サプ ライチェーンと呼ぶ)を構成する費用で形成されますが、そのそれぞれのコストを下げる ことが企業にとっては効率的に経営を行うひとつの前提になるわけです。 たとえば、原材料の調達/生産ですと、調達しっぱなしで在庫が倉庫を埋め尽くしている と、倉庫代が高くつくために生産したいときに調達するというジャストインタイム方式に よって在庫削減を実施したり、また、それを実現可能にするために仕入れ先と連携して生 産情報を共有したり、更に、自社で実施すると高くつく工程に対して外注先に委託してア ウトソーシングしたり、そういった様々な方法でもって、製造コストを削減していくわけ です。 この辺の話は、サプライチェーンマネージメントというサプライチェーンを構成するそれ ぞれのポイントを管理していく手法として現在、多くの企業が採用している状況です。ま た、それを実現するための IT 手法というのがここ 10 年非常に流行していました。 このようにサプライサイドに立脚した経済ないし経営管理手法がここ数十年非常に発展し てきたわけですが、このサプライサイド経済学にも重要な欠陥があります。 たとえば、ジャストインタイムで在庫を持たないとしたときに、顧客からの急な受注に対 して対応できるのか、ということがひとつあり、そのような状況下において、やはりジャ ストインタイムといっても、在庫を余分に持たなければならない状況はあり、コストダウ ンといっても、「遊び」の部分は必ずあるのです。「遊び」が無ければ、つまり、在庫に余 裕がなければ様々な受注要求にこたえることはできません。この状況下において、徹底的 にコストダウンして在庫を全く持たないとすると、どこかにひずみが生じるわけです。受 注先の要求にこたえることができず、受注先を取り逃してしまったり、または在庫を自社 に持たないからといって、仕入先が在庫を持っている(サプライヤーストック)とすると、 仕入先にとっては在庫コストが割を食います。自社がコストダウンをしたといっても、仕 入先としてはコストがかかっているということですね。 また、工程のアウトソーシングも利点も弊害も両方あります。アウトソースの利点はもち ろんコストダウンです。日本の工場を中国や東南アジアなど人件費の安い国に移転すれば 生産コストを安くすることができて、サプライチェーンコストが下がります。また、移転 先が発展途上国や新興国であれば、生産拠点の移転とともに技術移転が起こり、その国の 人員の技術が上がり、その技術力向上は国の技術力底上げにつながるでしょう。これは利 点です。 一方で、弊害は何かというと、まず国内空洞化です。今まで生産を国内で行っていたとし て、それを海外に移転したら、今まで校内で働いていた人の仕事がなくなってしまいます。 そういう人々は一体どこに行くのでしょうか? また、移転先の国に関しては、技術移転が起こることで国の技術力が上がるという利点を 上げましたが、その技術移転は要は優秀な人材に対して起こることであり、それは主に都 市部の大学教育を受けた人間に限ります。地方の人々や教育を受けていない人々は今まで 変わりない貧しい暮らしを続けることになるのです。そして、技術移転により、都市の暮 らしは向上し、結果賃金も上がり物価が上がっていきますが、技術移転の起きない地方に 対しては賃金は今までと同じであり変わらず、一方で物価は都市部のあおりを受けて少な からず高騰するでしょう。結果、貧しい人たちは余計に貧しくなり、富裕層はどんどん富 んでいくという、貧富の差の拡大が起きるのです。これは、重大なる弊害です。 また、もうひとつ重要な問題があります。途上国や新興国に対するアウトソーシングの目 的なコストダウンですが、アウトソースした結果として、そのアウトソース先の国の経済 は成長し、物価も上がり、賃金体系が上がっていきます。賃金が上がって自国の賃金体系 とあまり変わらなくなってくるのです。すると、アウトソースするメリットがなくなって いくわけです。米国においては、すでに中国から撤退し国内に工場を逆移転している例も 見られます。このような状況下で、さらなるコストダウン先を見つけるならば、今である ならば、例えば、東南アジア、カンボジアや本格的な投資はもうちょっと先かもしれませ んがミヤンマーなんかがあるかもしれません。しかし、先進国がアウトソースしてきた中 国やタイ、ベトナムの状況は今は物価が高騰し、徐々にアウトソース先としての魅力が減 ってきています。つまり、10 年後にはおそらくカンボジアやミヤンマーも同じように物価 が上がっていくのではないでしょうか。 ここにおいて、要はコストダウンを求めてのフロンティア開拓も底を尽きてくるのです。 あくなき、コストダウンを求めても、それは限界がある。ここ数年、十年、二十年くらい は大丈夫かもしれません。まだフロンティアはあります。しかし、ミヤンマーなどは東南 アジア最後のフロンティアと呼ばれているように、それもついには尽きてしまいます。我々 には、もはや、1990 年代の金融資本主義真っただ中のようなバブル経済に戻る道は残され ていない、私はそのように思います。 そして、サプライチェーンマネージメントに代表されるコストダウン手法も現在は世界中 で浸透している話であり、コストダウンの手法も徐々に底が尽きてきています。また、世 界経済停滞基調であり、今は世界中でモノが売れない時代であり、リーマンショック欧州 危機を経て、金融経済も依然と比較し抑制気味です。要は、売上も上がらない。 コストダウンも底を突き、売上も上がらない、それが現代企業の状況であり、それぞれの 企業に突き付けられた課題であるのです。効率化経済が行き詰まりを見せており、現代資 本主義経済の持続可能性に疑問が生じ始めているのです。 7) .経済フロンティアの枯渇 さて、前章では効率化経済の持続不可能性に関して考えてみました。ここでは、経済フロ ンティアの枯渇ということを考えてみましょう。 現代は世界的に低成長の時代であり、各国の経済政策も効果を発揮できず、G20 でいくら 世界経済成長という目標で一致しても、経済の回復の兆しは全く見えません。今後の経済 はどう推移するのか、それは、予測が非常に難しい状況です。 現代はこのように低成長の時代になりますが、これまでの歴史 20 世紀から 21 世紀にかけ ての歴史を振り返った時に、経済はどのような状況であったかというと、成長と衰退を繰 り返していたのがわかります。 1929 年の大恐慌以前は不動産バブルで経済は膨らんでおり、その後世界恐慌に入り、世界 中で経済が縮小していく。その状況下で、各国経済当局は財政政策や金融政策を実施する ことで経済の回復を図っていきます。第二次世界大戦時点では米国経済は世界の富の半分 を所有することになりました。そして、それまでの米国経済は製造業や不動産投資によっ て経済が潤っていたわけです。 しかし、それもつかの間、第二次世界大戦以降着々と力をつけた日本やドイツといった新 興国に追い抜かれていきます。価格競争で勝つことができず輸出が減少し、アメリカ経済 が衰退していきます。しかし、そのような中、アメリカは製造業などによる実体経済に変 わる広大なフロンティア、金融フロンティアを創造し、1980 年代、1990 年代を謳歌するわ けです。アメリカ経済が復活するのです。しかし、それも 2007 年のリーマンショックを機 に世界経済混迷の時代に向かいます。 さて、簡単に経済の歴史を振り返ったわけですが、これまでの歴史を振り返ると、経済が いったん衰退しそれ以降再び復活するには、ある種のフロンティアが残されていることが 必要であることがわかります。 例えば、1929 年時の大恐慌の時代には、アメリカにはまだまだ経済的な成長の余地が残さ れていたし、TVA をはじめとした公共投資が効果を発揮するだけの余力がありました。ま た、ドイツや日本に関しては、第二次世界大戦以降にようやく経済が発展し始めたのであ り、特に日本は国民的な勤勉性と品質改良の努力により高品質の製品を生み出し、そうい った日本人固有の特徴というものが製品競争力の源泉になりました。 こうして、アメリカや日本、ドイツといった先進国が世界経済のトップランナーになり、 先頭集団を走っていくわけですが、まず最初に脱落するのがアメリカです。先ほどお話し したように、日本やドイツの追い上げやベトナム戦争による財政悪化により、経済が低迷 状態に入っていくのです。 こうして、1970 年以降アメリカは低成長を続けるようになり、経済を回復するために、1985 年のプラザ合意(日本の輸出拡大によってアメリカの輸出が不振になり、アメリカのモノ が売れないから円高になるように為替操作をすることを合意した出来事)に代表されるよ うに、先進各国に働きかけを行うようになるのです。特に日本は圧力が強く、クリントン 政権以降「年次改革報告書」といった調書が毎年日本政府に送られてきて、 「今年はここを 改革しなさい」と指示が与えられるような状況であったのです。小泉改革の民営化、官⇒ 民へ、もアメリカからの圧力があったことでしょう。 そして、1970 年以降も日本は成長を続け、1980 年代はバブルで経済が絶頂期であったわけ です。ところが、1980 年代後半以降バブルが崩壊し、それ以降は歴史的な低成長、デフレ 経済の「失われた 20 年」に突入していくわけです。こうして、日本は 1960 年代では高度 成長経済でにぎわい 1980 年代まで成長を謳歌していたわけですが、1990 年以降成熟経済 に突入していくわけです。 アメリカはどうなったのか?アメリカは 1970 年代以降、金融市場という名のフロンティア を開拓し、ワシントンコンセンサスによって各国に解放市場を形成し、世界的なグローバ ル金融資本主義市場を構築していき、再び経済が回復していきます。しかし、その金融経 済は既に考えてみたように浮き沈みの激しい経済であり、そのせいで何度も世界経済破綻 の危機にさらされており、特に 2007 年のリーマンショック以降、金融資本主義に対する警 鐘が大きく鳴らされることになるのです。 そして、アメリカも再び、経済低迷の時代に入っていったのです。FRB による QE1、QE2 という大規模な金融緩和策でも経済に流動性を提供することができず、失業率も 8%程度の 高止まり状態であり、経済が停滞しているのです。 まとめると、日本は 1945 年当時は経済が壊滅的な状態でしたが、1960 年代の高度成長と ともに飛躍的な経済成長を遂げ世界第二位の GDP を有するようになりましたが、1990 年 代以降低成長、成熟経済に突入していきました。 一方アメリカは、1945 年戦時中から 1970 年代までは世界随一の経済成長を達成していま したが、日本やドイツの進出により陰りが見え始めます。しかし、金融フロンティアの創 出のおかげで復活を果たし、再び世界経済を支配するようになりますが、1990 年 2000 年 代の経済的な混乱を経験し、2007 年リーマンショックで壊滅的な打撃を受け、再び、経済 低迷の時代に突入しています。 要は、日本にしてもアメリカにしても、またヨーロッパもそうですが、経済的な景気循環 を一巡して、経済の成熟期に入っているということなのです。日本が失われた 20 年といわ れ、 「おかしい、なぜずっとデフレなんだ、いつになったら経済が回復するのだ?」と言わ れるのですが、もはや、1980 年代のように経済が回復することは無いでしょう。また、ア メリカやヨーロッパも同じです。アメリカやヨーロッパは今この時点で、金融フロンティ アも喪失し、ここから日本と同じように長期低迷の時代に入っていくでしょう。 要はフロンティアが喪失しているのです。戦後のアメリカ、または高度成長当時の日本は 「実体経済/製造業」という名のフロンティアが広大に広がっていました。そして、その フロンティアを開拓していけば自然と経済成長を達成できたのです。しかし、その製造業 が厳しい競争にさらされて自国の競争優位がなくなった時に、 「サプライチェーンコストの 削減」というフロンティアの余地が残されており、サプライサイドに立脚した経営を進め ることが必要になりましたが、前章で述べた通り、それも頭打ちになります。では、ほか のフロンティアはどうだ、ということで、1970 年代以降「金融市場」という名のフロンテ ィアが現れますが、ここも手詰まりになりました。 あとは、スマートフォンなどの技術革新程度のスズメの涙程度のイノベーションフロンテ ィアが残されているだけであり、もはや、大々的なフロンティアは地球上に存在していな いのです。あえていえば、クリーンエネルギーや宇宙開発でしょうが、それも、かつての 産業革命のような広大なフロンティアを生み出す原因にはならないでしょう。 このようにアメリカ経済や日本経済は衰退していき、そして、経済は東南アジアに移って いくことと思います。東南アジアは今ちょうど経済成長の時期であり、東南アジア最後の フロンティアであるミヤンマーに至っては日本で言えば、終戦直後の状況でしょう。ここ から、東南アジアの経済成長、ASEAN の経済成長が始まっていくのです。ASEAN 諸国に とってはまだ実体経済的なフロンティアが残されているわけです。 しかし、いいでしょうか。東南アジアで経済成長が始まるとはいえ、それもアメリカや日 本と同じようにいつかは経済衰退の時期が来ます。いつかは経済フロンティアが枯渇する のです。 「実体経済フロンティア」も「サプライチェーンコスト削減フロンティア」も「金 融市場フロンティア」もどのフロンティアも枯渇して経済が手詰まり状態になっていくの です。要は、ここ数十年で地球上の経済フロンティアは枯渇し、手詰まり状態になってい くでしょう。 現在は、環境の持続可能性という二酸化炭素排出によるオゾン層破壊や生物多様性保護、 海洋生物保護といった自然環境に関する持続可能性が危ぶまれている状況でありますが、 それと同じように、資本主義経済という経済形態の持続可能性が危ぶまれるのです。 資本主義経済はあらゆる資源を搾取して営まれています。自然環境を搾取し、他人の利益 を搾取し、コストを搾取し、そして地球上にある様々なフロンティアを搾取するうちに眼 前に広がるフロンティアをすべてほりつくしてしまい、もはやそれ以上前に進めないので す。これが経済フロンティアの枯渇であり、資本主義経済の持続不可能性です。 そして、このような状況に対しての唯一の解決策はシュンペーターの言うようにイノベー ション、技術革新です。しかし、それは、先ほど申しましたスマートフォン開発とかそう いう小さいことではなく、たとえば、アインシュタインの相対性理論による時間と空間の 相対性による新たな人類の価値観の創出、というような大きなレベルでのイノベーション が必要になってきます。それはパラダイムシフトです。価値転換のイノベーションが必要 になってくるのです。そして、相対性理論のような世界観の転換によって人類の価値転換 が行われ、そこに至って、次の段階として次なる世代の新たなるイノベーションが引き起 こされるでしょう。つまり、今がパラダイムシフトの転換点にある、ということなのです。 マルクスではないですが、現代の利益搾取型の資本主義経済では、今後人類が数 100 年に わたって経済を続けていくことは不可能です。現代的な資本主義経済は持続不可能なので す。そして、この資本主義経済を乗り越え、次の世代の経済に移行するためには人類の価 値転換、パラダイムシフトが必要であるということです。それは後の章でゆっくりと話す ことにしましょう。まずはここでは、経済フロンティアが枯渇して、現代の資本主義経済 は持続不可能である、そのことを押さえたいと思います。 8) .経済指標:GDP の限界 さて、ここまで様々な部分で現代経済の課題、問題点を上げてみましたが、ここでは GDP の問題点を上げてみましょう。まず、GDP とは Gross Domestic Product の略であり、国 内総生産という風に日本語では訳されます。 国内総生産とは何かというと、これは、一国で一定期間に生産された付加価値の総量と解 釈されます。たとえば、製造業者でしたら原材料を使って加工をして製品を生産しますが、 その製造業者が価値を生み出したのは加工賃の部分であって原材料に関しては生み出して いません。したがって、製品コストのうち原材料部分を差し引いた金額でもって付加価値 として産出するわけです。そして、その合計値が GDP になるわけです。そして、現代は、 この GDP を基準にして、国の経済規模を測定し、GDP の経年比較によって国の経済成長 率を測定しているのです。 2012 年現在、世界全体の GDP は 6,000 兆円程度であり、これが世界全体の、地球の GDP になります。そのうちアメリカが1/4の 1,500 兆円程度を占め、日本は 500 兆円程度、 中国は 700 兆円程度でしょうか。このような状況であるということです。ただ、一人あた りの GDP で見た場合には中国は 13 億人以上も人口があり、対して日本は 1 億 2 千万人程 度ですから、日本のほうが一人当たり 10 倍程度中国よりも生産効率が高いと言ってもよさ そうです。このような状況ですから、中国がいくら GDP で世界第二位になっても、なかな か先進国の仲間入りはできないわけです。 簡単に GDP に関して考えてみました。そして、この GDP が現代の経済指標として国の経 済の状態を把握するものとして最も重要な指標として扱われているわけですが、近年本当 に GDP だけで国の経済を表現しきれるのか、という疑問が起こっています。GDP で世界 一のアメリカでは、貧富の差が非常に激しく、ジニ係数(貧富の差の拡大状況を示す係数) が 0.45 程度(1に近いほど格差が激しい)で先進国中トップの格差率です。それで本当に 経済的に豊かであると言えるのでしょうか? 中国では毎年数万件のデモ、暴動が起こっていると言われます。それは貧富の差の拡大に よる中国共産党への低所得層の不満の現れですが、そのような社会情勢が不安定な国の経 済が本当に世界第二位であると胸を張って言えるのでしょうか。 2012 年初頭、なかなか回復しないアメリカの景気を憂いて、FRB のベンバーナンキは「我々 はブータンの GNH を見習う必要があるかもしれない」と漏らしたと言われています。GDP だけでは、国の経済状況を総合的に判断するには非常に難しい、国が本当に豊かであると 判断するには GDP だけではちょっと足りないのです。 たとえば、企業会計上、営業権、 ‘のれん’というものがあります。これは、無形固定資産 の分類になりますが、実体としては存在していない資産であり、これがどういうものかと いうと、その会社の業界優位性、競争力の源泉を表しています。ブランド力と言ってもい いでしょう。そのブランド力によって、人びとを引き付け、売上を上げていく、その源泉 になっているものであり、それを会計上営業権、 ‘のれん’として計上するわけです。しか し、いったい営業権はどのように計算して計上するのでしょうか。これは、一応計算式も あるのですが、しかし、本当にその会社のブランド力はその計算された値で正しいのでし ょうか?それは誰にもわからないです。価格付けが非常に難しいのです。 また一方でよく言われるのは、主婦の家事労働は GDP 上計上されません。しかし、子供教 育にとって重要で、その子供が将来的にどのような子供になっていくかはある意味主婦の 子育てにかかっていると言っていいでしょう。子供が坂本龍馬のように社会を変革してい くかもしれないし、アインシュタインのように相対性理論のような理論を構築して世界に 光を投げかけるかもしれません。そう考えると、主婦の子育てというのは非常に価値があ る仕事なのですが、その価値が GDP 上はどこにも表れないのです。 また、一方で、人間は少なくとも幸福になりたいと思っています。不幸になりたいと思っ ている人はいないでしょう。そのような中で経済は人間の幸福に密接にかかわっていると 思いますが、この幸福度というものは、どのように算定されるのでしょうか?たとえば、 裕福でお金持ちであっても、自殺をするような人もいます。大富豪でもいつ資産を奪われ るのか気が気ではないという人もいるようです。つまり、お金と人間の幸福というものは これはイコールではないように思えます。そして、GDP はお金でもって換算されますが、 では、そのような人間の幸福を算定できない GDP が「国の豊かさ」を測る指標になりえる のか、という疑問がわいてきます。 さて、いろいろ GDP という経済指標に疑問を投げかけてみましたが、このような疑問を元 に GDP という経済指標を改善し、独自の経済指標を構築した国がありました。ブータンで す。ブータンでは、GDP に変わる指標として GNH(Gross National Happiness)を導入 し、国の豊かさを測る指標として使用しています。 GNH は、1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、 8.生活水準、9.自分の時間の使い方という 9 つの構成要素によって成り立っており、その 9 つはそれぞれ 8 つの質問に分けられており、合計 72 に項目に分割して構成されています。 この 72 の項目に対して 8000 人ほど一人当たり 5 時間の面談を行います。そして、その結 果を数値化して、GNH とするのです。 このブータンの取り組みは、ひとつの重要な取り組みであると思います。現在の GDP では 把握できない幸福の要素を補足して、国全体が本当に幸福であるのかどうか、それを指標 として提示するのは、非常に重要な試みであると思います。先ほども申しましたように、 FRB のベンバーナンキでさえも GDP の限界を感じ取り、GNH を見習う必要があると言っ ているくらいで、世界経済全体としても、この時点における経済指標の見直しということ は非常に重要なポイントであると思います。 さて、以上が経済指標 GDP に対してです。そして、ここまでが現代経済の課題ということ になりますが、いかがだったでしょうか。改めて記載してみると、現在の世界経済という ものが非常に重要な分岐点にいるということを改めて思い知らされます。この分岐点とい うものが非常に大切であり、ここをどう乗り切るかが勝負で、どう乗り切るかによって、 次の新たなる光の時代に進めるのか、それとも崩壊していくのか、その2つの道に分かれ ていくのであろうと思います。 ここまでは、経済の課題ということで記載しましたが、次の章からは、望ましい経済とは どのような経済なのか、そして、この章で記載した課題をどのように克服して、また、ど のように経済を運営していくべきなのか、それを考えていきたいと思います。 3. それぞれの経済課題に対する解決策 1) .格差是正 最初に格差是正に関してです。前の章でこの格差拡大に対しては日本の格差拡大に関して 考えてみましたが、グローバリズムの失敗の部分で考えましたように、もちろん格差は世 界中のいたるところで起こっています。富裕層と貧困層、この2つの階層の格差を是正し、 世界中の人々が安心して暮らせる世界、そのような世界を構築することが重要なことであ ると思います。 グローバリズムが促進することによって、世界中がひとつにつながり、ひとつの大きな経 済市場として展開し、そして、誰しもがこの経済市場に入ってこれる、経済というフィー ルドが世界中でフラットになった、ということはひとつの重要な流れであったと思います が、その過程において富裕層や高所得層と低所得層、貧困層の格差が拡大していったのは、 ひとつの重要な失敗であったと言っていいでしょう。 この格差拡大に対しては、経済政策として所得の再配分を実施し、つまり、高所得層から 低所得層への経済的な所得の再配分を実施し格差是正を図っていくことが必要であると思 います。 さて、今高所得層から低所得層への再配分ということを言いましたが、こう言うと、必ず と言っていいほど高所得層からの反発です。オバマ大統領も 2012 年後半、改めて富裕層減 税の打ち切りを明確化していますが、共和党からの反発が非常に強いのが現状でしょう。 そして、常に富裕層の言い分はこうです。つまり、減税が打ち切りになると投資意欲が減 退する、経済を推進しているのは富裕層なのだから、富裕層の減税を打ち切ったら国の経 済は衰退し経済成長がますます鈍化するだろう、というものです。これは一理あるのでし ょうが、しかし、必ずしも信憑性があるとは疑わしい。減税が打ち切りになっても、それ でも、多くの場合には今までと同じような投資行動を続けていくものです。それよりも明 日生きていけるかどうかわからない、今日をどうやって生き抜いたらいいかわからない。 毎日を 100 円以下で生活している貧困層を救うほうがどれほど大切でしょうか? また、レーガン政権時代、トリクルダウン経済学というものが流行して 2012 年の大統領選 挙でもミットロムニー候補がそれを強調していました。トリクルダウン経済学とは何かと いうと、上位層が潤えば、その富は自然と下に滴り落ちるというものです。確かに所得の 再配分はそのようなプロセスで実施されますが、しかし、どう自然にしたたり落ちるので しょうか?したたりおちていないのは、現状を見れば明らかなのです。富裕層は減税によ ってますます富裕化していきますが、その富が自然にしたたり落ちることは無く、トリク ルダウン経済学は自然には機能しないのです。 もちろん、基金や財団の設立などによって所得配分を実施している富裕層、富豪もいます が、そういう善意の財団の力だけでは足りず、経済政策として富裕層の富を低位層に配分 していくことが必要であるということです。 さて、では、どのように所得の再配分が実施できるのでしょうか?これは、簡単に言えば、 「抜本的な税制改革」によって可能です。税制度を低所得層に配分されるように、改善し ていくことで達成されます。 まず最初に、累進課税の上位層に対する税率アップが考えられます。累進課税とは、所得 が上昇するごとに税金を多く課す制度のことですが、この制度の高所得層に対する税率を アップしていくことが考えられます。これによって、所得の再配分を実施していくわけで す。たとえば、日本においては野田政権が社会保障と税の一体改革ということを実施して いますが、これは、たとえば累進課税の強化で高所得層からの新たなる税収を社会保障の 財源として確保し、それによって政府の財政負担を減らそうという考えです。日本の政府 債務は 1,000 兆円を超える勢いでもはや、日本は借金することはできない、政府債務残高 は非常に危険な領域にあり、ここにおいて、野田政権の実施しているように税制改革によ って社会保障の財源を確保していくことは非常に重要なことであると思います。 また、オバマ大統領の実施する富裕層に対する減税打ち切り、このような施策も重要であ ると思います。今までのアメリカは、サプライサイド経済学の影響でサプライサイド、つ まり、企業側に有利なような経済政策が実施されてきました。この企業側とは、大企業、 そして富裕階層のことですが、彼らにとって有利な経済政策が実施されていました。これ をたとえば、経済学者のジョセフスティグリッツは「世界の 99%を貧困にする経済政策」 と揶揄するわけですが、今までのアメリカの政策は富裕層優遇、低所得層に対しては厳し い政策が打たれていたということです。したがって、アメリカは貧富の差が激しかったの です。 そこに、中位階層重視、また、低所得層の底上げでミドルレンジの厚みを作るというオバ マ大統領の政策が現在のアメリカでは新しい考えとして(中位階層、低位階層にとって) 歓迎されるわけです。ただし、経済成長や強いアメリカの復活という点では失業率が 8%台 で高止まりしている現状をかんがみると、再度ロムニー候補のような 1990 年代のアメリカ に戻るような政策も重要であるのではないか、とも考えられ、その部分が 2012 年大統領選 挙の最も大きな争点になり、最後まで両候補の争いは熾烈を極めたわけです。 さて、所得の再配分の議論に戻り、もうひとつ重要な論点は国際連帯税です。これは、金 融市場の失敗の是正の部分で詳しくは記述したいと思いますが、国際連帯税とは国境をま たがる活動に対する課税を行うことで、航空券取引税や金融取引税、通貨取引税、多国籍 企業税などといったものがあります。現在実施されているのは航空券取引税のみであり、 金融取引税や多国籍企業税などまだ現在は導入されておらず、導入を検討している段階で すが、このような国際連帯税は所得の再配分、貧困の撲滅にとって非常に重要な概念であ ると思います。 さて、何個か税制面において格差是正を考えてみましたが、ここで国際社会における取組 を取り上げたいと思います。国際社会では主に貧困の撲滅ということに関して取り組みが なされていますが、貧困撲滅に関しての取り組みは MDGs(Millennium Development Goals:国連ミレニアム活動)という取り組みによって実行されています。もちろん MDGs は貧困の撲滅だけではなく、地球環境の持続可能性、人間の生活環境の保全という観点か ら総合的な取り組みとしてなされているものですが貧困の撲滅も大変重要な指標として MDGs で取り上げられています。MDGs の起源は 1970 年代にまでさかのぼります。 1960 年代、1970 年代人類は経済活動を活発化していきますが、その過程で地球環境への影 響が懸念されるようになり、1972 年ストックホルムで国連人間環境会議が開催されました。 そして、 「人間環境宣言」が採択されました。国連人間環境会議は「かけがえのない地球(Only One Earth) 」をキャッチフレーズとした環境問題に対する世界で始めての国際会議でした。 ここから、人類は地球環境や人間の生活に対して意識を払うことになります。 これ以降、地球環境保全に対する意識は高まり、ワシントン条約(1973 年)、オゾン層の保 護のためのウィーン条約(モントリオール議定書、1973 年)気候変動枠組条約(1992 年) および京都議定書(COP3 において採択,1997 年) 、生物多様性条約(1992 年)、砂漠化対 処条約(1992 年)といった形で様々な方面から地球環境の保全を目指した取り組みが行わ れていきます。 そして、それらの取り組みは、2000 年の「国連ミレニアム宣言」の採択により定められた 国連ミレニアム開発目標(MDGs)という期限(2015 年まで)と達成数値が具体的に定め られた8つの開発指標へと結びついていき、世界各国がその目標の達成に対して取り組み を行うことになったのです。 このように、MDGs は人間が持続可能な経済活動を行っていくために地球環境、人間の生 活する社会環境を整備していくことを目的としています。そして、その8つの開発指標と は、1. 極度の貧困と飢餓の撲滅、2.普遍的初等教育の達成、3.ジェンダーの平等の 推進と女性の地位向上、4. 幼児死亡率の削減、5. 妊産婦の健康の改善、6. HIV/ エイズ、マラリアその他疾病の蔓延防止、7.環境の持続可能性の確保、8. 開発のため のグローバル・パートナーシップの推進 の8つです。これらの目標は 2015 年までに達成 という期限がつけられており、また、その目標とする値も具体的に決められています。た とえば、 「1.極度の貧困と飢餓の撲滅」に関しては、 ‘2015 年までに 1 日 1 ドル未満で生 活する人口比率を半減させる。 ’ 、 ‘2015 年までに飢餓に苦しむ人口の割合を半減させる。 ’ などです。 そして、この MDGs 達成のために世界各国で活動が行われているということです。先ほど 記載しました国際連帯税である航空券取引税の税収もこの MDGs に拠出されています。た だし、先進国の援助が思ったほど受けられていない、MGDs で決められた枠組み(GDP 比 率 0.7%の援助拠出など)も守られていないというのが現状でしょう。2015 年まであと 3 年であり、この MDGs の目標を達成するために、世界各国で今まで以上の協力関係、連帯 関係が必要になってくるのです。 さて、いろいろ格差是正、貧困撲滅に関して記載してきましたが、税制改革とそれを再配 分する仕組み、そういったものを今後より強化していく必要があるということですね。そ うして、国内における格差を是正し、世界中で格差を是正し、また貧困を撲滅していく、 そういう取り組みが必要であるということです。 2) .グローバリズムの失敗の是正 ここでは、グローバリズムの失敗の是正に関して考えてみましょう。グローバリズムの失 敗といった場合にまずあげられるのは格差拡大の話ですが、それは既にお話ししてため、 ここでは、違った観点からのグローバリズムの失敗を取り上げ、それに対する是正に関し て考えていきましょう。この違った観点とは、グローバリズムによって、世界が均一化し ていき、国の特性が奪われていくということです。 既にお話ししたように、グローバリズムは第二次世界大戦以降勢いを増していき、特に、 1970 年代以降、アメリカ主導で強く推し進められてきました。その内容はワシントンコン センサスによるものであり、つまり、市場の開放、小さな政府を志向すること、民営化を 志向すること、規制撤廃すること、そういった内容であり、このワシントンコンセンサス を元にアメリカは世界各国に経済の開放を要望し、そのような外交を展開していったので す。 このグローバリズムの功罪も既にお話しした通りですが、利点としては発展途上国、新興 国の国全体の底上げが行われたこと、先進国から途上国に対する技術移転が行われたこと で国の技術力も上がっていったこと、などがあげられると思います。そして、インターネ ットの利用により、世界中がひとつのマーケットとして機能するようになり、世界がフラ ット化していき、グローバルな取引が行われるようになったということですね。 そして、罪の部分は、貧富の差の拡大があげられますが、ここでもう一点上げたいポイン トは地域特性の喪失です。これは、身近な話題として我々日本の経済を考えてみればわか ることと思います。 日本でワシントンコンセンサスの内容、つまり、小さな政府、民営化、規制撤廃を強く感 じるようになったのは、小泉政権の 2000 年代初頭でしょう。小泉元首相は官から民を旗印 に、郵政民営化をはじめとして多くの国有企業の民営化を行い、小さな政府を志向すると ともに、派遣社員の規制緩和を行っていきました。これは、おそらくアメリカからの「年 次改革方針書」の圧力があったのだろうと想像されますが、そのような小さな政府を志向 する改革を小泉元首相は実行していったわけです。 そして、確かに、小泉改革で政府の債務は減少し、経済も持ち直しましたが、それによっ て日本が失ったものもありました。日本的経営の喪失です。日本的経営の特徴は1.終身 雇用制度、2.年功序列制度、3.企業別労働組合という3つに代表されますが、一言で いうと、従業員との長期的な信頼関係を重視した経営方式であると言っていいでしょう。 アメリカ型の自由資本主義、ワシントンコンセンサスは効率化を重視し、規制緩和による 派遣社員の採用に代表されるように、利益を重視する考えであり、長期的な信頼関係を重 視した経営、取引とは時として相容れない場合があります。 日本的な経営とは、今申しましたように従業員との長期的な信頼関係を重視する考えであ り、それは取引先との関係も同じように信頼関係に根付いたものとなり、そのような経営 慣行が日本的な経営のひとつの形態であったわけです。また、それぞれの従業員を尊重し た集団的な意思決定を意思決定手段の方法として採用しており、ボトムアップ型の意思決 定手法であるという風に言われています。これは QC サークルに代表されるように現場で の改善活動にもつながっていく意思決定手法になります。 そして、そのような経営慣行が長い間日本の強みとして実行されてきたわけですが、それ が小泉改革によって破壊されていったわけです。それによって、雇用関係の不安定さや取 引関係の不安定さ、短期的な利益を重視して経済活動を実行するために顧客との長期的信 頼関係の構築の難しさ、といった弊害が生じてきているのです。また、資材を購入するに しても、今までは長期的な信頼関係を重視し小売店ごとと取引を行っていたのに、効率化 を重視してその取引を廃止し、チェーン店と一括取引を行うなど、小規模企業の倒産を招 いてきたのです。そして、小規模企業を経営する経営者は職を失い、ここにおいても貧富 の差が拡大する要因になったわけです。 このように、アメリカナイズされたワシントンコンセンサスによるグローバリズムを推し 進めた結果地域特性が失われるのは、国の競争優位を失うことであり、その国の良さを失 うことを意味します。世界がアングロサクソン経済一色で染まってしまい、国の個性がな くなってしまうのです。 では、グローバル化を止めて、国内で閉じていたほうがいいのか、つまり、日本が江戸時 代でやっていたように鎖国をしたほうがいいのかというとそれも極端です。グローバル化 にはれっきとしたメリット、利点があるのです。グローバル化によって途上国の経済は発 展し、また、人びとの生活も豊かで便利なものになっているのはまぎれもない事実なので す。 では、どのようにすればよいのか?それは、グローバル化する際に地域特性を残しつつ、 グローバル化していくように地域を尊重することです。地域特性を尊重し、地域の経営文 化、社会文化を残しつつ、その状況でグローバルに取引が行えるように市場整備していく ことです。 たとえば、アメリカが日本にグローバル市場の「開国」を迫った時、規制緩和や民営化を 強制しないでも、それはできたはずなのです。規制緩和や民営化は、要はアメリカの企業 が日本市場に入ってきやすいように、日本の市場で競争を行いたいがために(強く言えば、 乗っ取りたいがために)要求したことです。でも、思想的に、自分の経済だけが潤うので はなく、相手も自分も潤うようにもって世界全体が潤うように、という思想を持っていさ えすれば、もう少しバランスのとれた交渉ができたはずなのです。つまり、あまりにも非 効率な経営を行っている国営企業は民営化するが、ただし、雇用関係は長期信頼性を重視 し長期雇用を維持する、また、長期信頼関係を重視した結果、競争がなく停滞している業 界に対しては参入規制を緩和する、など、バランスを取った「開国」を行えたはずなので す。 ですから、地域特性ですね。これは日本だけではなく、それぞれの国の地域の特性という ものがあるのですから、画一的にワシントンコンセンサスを推し進めるのではなく、地域 特性を考慮したうえで「開国」していくことが必要であるということです。つまり、グロ ーバルとローカルのバランスを取っていくことです。このバランスをどのポイントでとる かは難しい問題ではありますが、少なくとも、「自分の国が輸出を伸ばしたいから、GDP 成長率を伸ばしたいから」という理由で他国を‘搾取‘してはならない、とそのように思 います。
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