日本では山に行けば必ず森林がある 日本の森林はヨーロッパと比較して

日本では山に行けば必ず森林がある
日本の森林はヨーロッパと比較して極めて多様性
に富んでいる
なぜか?
氷期・間氷期のサイクルに伴う植生帯の移動が関
連している
まず、日本の森林の成り立ちを理解しよう
Note)環境の歴史性
多様性・関連性・空間性・歴史性
森林と人間 −森林の自然地理学−
カール
槍ヶ岳
U字谷
高山帯のハイマツ群落と氷食地形
日本アルプスの森林限界は標高2500m付近にあり、それより上部では地面を
這うように生育するハイマツや、高山植物が広がる風景となる
(この話題は古今書院の「風景の中の自然地理」杉谷・平井・松本著、第3章を題材にしました)
■ 気候変化と植生と人間
■ 高山帯と周氷河環境
高山帯:森林が生育しえずに疎
林や草地になっている地域(図
3-1、3-5)
・中部山岳地帯で概ね2500m、
北海道で1000m以上
→森林限界
高山植物
・寒冷な気候に適応して小型で、肉厚の葉を持ち、根が良く発達
・夏が短いので初夏には花がいっせいに咲き乱れ、「お花畑」をつくる
・氷期のレリック
水野一晴:高山植物と「お花畑」の科
学、古今書院
周氷河現象
・高山帯では、植生が乏しく地表が保護されないので、地表の凍結・融解の繰り
返しによってレキが破砕され攪乱されて模様を描いた構造土が形成される
・これを、氷河周辺の寒冷地で見られる現象という意味で、周氷河現象、と呼ぶ
(周氷河環境、フレンチ著、小野有五訳、古今書院)
・氷河ができるためには、年間を通じて積雪量が融雪量を上回る必要がある
→単に、気温だけではない。気温が上がっても、降水(雪)量が増えれば氷河は
前進する
・標高が高いほど氷河は形成されやすく、その最低高度を雪線と呼ぶ
・日本では、現在の雪線は山地高度より高い位置にあるので、氷河は形成され
ていない
→アフリカに氷河はあるか?
写真:水野一晴、
地学雑誌、
Vol108(1)
■ 氷期の日本列島
・最終氷期(ヴュルム氷期)は約7万年
前から1万年前までの寒冷期
注)氷期:氷河時代の中で、氷床の拡大
した寒冷な時期。氷期・間氷期のサイク
ルからなっている。
・アルプスでは6回、北アメリカでは4回
の氷期・間氷期サイクルが認められて
いる
アルプス地方:①ビーバー、②ドナウ、
③ギュンツ、④ミンデル、
⑤リス、⑥ウルム
北アメリカ:①ネブラスカ、②カンザス、
③イリノイ、④ウィスコンシン
・当時の日本列島の雪線と森林限界は1000m以上も低下
・そのため、北アルプスや日高山脈などには氷河が形成された
・しかし、その規模は小さく、山頂部に形成されるカール氷河(圏谷氷河)であった
・面積的には、むしろ周氷河地域が卓越
・図3-1の植生帯は、氷期にはそ
れぞれ低所および南方へ大きく
移動
・照葉樹林帯は九州南端まで後
退
・その後を落葉広葉樹林帯が占
めた
・その分、高山植物や針葉樹林
が、南方や低所に拡大してきた
→中野区江古田の針葉樹化石
→北海道にはツンドラ
北海道は
陸続き
アジア大陸からも
動物や人が渡来
・海面は現在より100m程度低下していた
(環境考古学事始:安田喜憲、NHKブックス)
・当時の人類は、草原やツンドラに棲むナウマン象やオオツノジカのような大型
動物を、投げ槍で狩っていた
(環境考古学より)
・氷期にベーリング海峡が干上がった陸橋をわたってモンゴロイドがアメリカに拡
散
・イヌイットやネイティブ・アメリカン、インディオの祖先となっていった
(九州大学ミニミュージアムより)
■ 後氷期の日本列島
・最終氷期が約1万年前に終わり、後氷期となって気温が上昇すると、高山植物
や針葉樹はしだいに高山へ追いやられ、山頂部に閉じこめられていった
・ライチョウやナキウサギ
・日本アルプスのライチョウは分布の南限
清澄山 東京大学千葉演習林 堂沢天然林
・日本海には暖流の対馬海流が流入するようになる
→日本海側に豪雪をもたらす
→ブナ林の拡大を助けた
・落葉広葉樹林が成立すると、狩猟の対象は森林に棲むイノシシやシカなどの
中型動物となる
→飛道具の弓矢が発達
・植物性の食事も始まり、その調理器として土器が発明
→縄文時代の幕開け
→世界最古の土器は日本の縄文土器(約12000年前)
注)この値は暦年換算で1万6千年に改訂
加曽利E式土器(4500年前):加曽利博物館
・ヒプシサーマル期:約6000年前を頂点とする高温期
・現在の沖積低地の部分には海が侵入して、漁労活動も盛んに
・縄文時代前期〜後期の最も華やかな時代
・南方から照葉樹林文化も侵入
・貝塚の分布と地形に基づ
いて復元された縄文時代の
海域(「東京湾の地形・地質
と水(貝塚爽平)」より)
・縄文時代の千葉県はほと
んど島
・しかし、この高温期を過ぎ、約4000年前の縄文時代後期になると、寒冷化のた
め採集狩猟に基礎を置く縄文文化は衰退
→世界的な寒冷化:世界各地で文明の滅亡、交代
・西暦紀元前後の寒冷期には、中国・朝鮮に戦乱が頻発したため、稲作農耕技
術を持つ難民が大挙して渡来し、まず北九州から弥生の農耕文明に突入して
いった
→春秋戦国時代(前770〜前221)
・日本列島で採集狩猟社会が約1万年にわたって持続し得たことは、その森の
豊かさを示すものであり、世界史上極めて特異な現象である
なぜこんなに豊かなのか?
■ ヨーロッパの植生絶滅
・氷期の北ヨーロッパや北アメリカ北部は、極めて広大な氷床に覆われていた
氷床:現在の南極大陸に
あるような厚さが数千mも
ある氷の平原
・アルプスなどの山岳域で
は長大な谷氷河が形成
・氷河周辺ではツンドラが
形成され、乾燥のため砂
塵(レス)が舞っていた
→黄土高原
・ヨーロッパの氷床の拡大に伴い、植物は南に避難しようとしたが、アルプス山
脈に阻まれて多くが絶滅
・現在のヨーロッパの植生は、後氷期になって氷床が融けた後の裸地に、南方
から拡大したもの
→したがって、樹種が圧倒的に少ない単調な森
「赤ずきんちゃん」、「ロビンフッド」に出てくる森を思い出して見よ
最近ではハリー・ポッターに出てくるホグワーツの裏山の森
→日本では植生の絶滅は無かったため、日本の森は、構成要素上でも豊かな
第三紀から続く太古の森
・ヨーロッパの森は中世の開墾で極度に破壊された
・ヨーロッパ農法は麦作と牧畜からなり、収益をあげるためには耕地面積を拡大
して粗放な経営を行う必要
→森を追われたオオカミは家畜を襲い、童話では凶悪者の役割
この森林破壊が近代林学の発展を促し、現在のヨーロッパの森を作り上げた
(「森と文明」安田喜憲・菅原聡より)
・中世は暗黒時代と言われるが、農業生産力が増し、気候変動の上では温
暖期であった
→この時期にヨーロッパの封建制が確立
→農業活動により森林面積の縮小
・真の暗黒時代は1500〜1600年にわたる寒冷期(小氷期)の時代
→魔女狩り
→ペスト(黒死病)
→飢饉
このように、森林の成り立ちも地域に
よって大きく異なるのだ
では、日本の森をもう少し詳しく見て
みよう!
どんぐり
どんぐり 普段の生活で馴染みが深い?
そうでもない?
落葉広葉樹林帯
・東北地方に多い
→宮沢賢治「どんぐりと山猫」
・山地ではブナ
・ミズナラ、カシワ、クリ、クルミ
(三内丸山遺跡)
・関東ではクヌギ、コナラ、エゴノキ
→ドングリ、木の実をつける
照葉樹林帯(常緑広葉樹林)
・日本の南半分
・シイ、カシ、クスノキ、ツバキ
(シイ、カシはドングリを実らせるが
数は少ない)
図3-1
日本列島の植生帯
関東平野は照葉樹林帯?
・図3-1は 潜在植生 を示している
・潜在植生とは、人間による攪乱が無かっ
た場合、出現するであろう天然の植生を意
味する
右の絵にあるような、我々にとって身近な落
葉広葉樹林は二次林
・里山
・最近、二次林の機能が失われているため
各所で常緑広葉樹林が復活している
10年くらい前までは二次林の手入れのため
に伐採すると住民から抗議を受けた...二
次林が人手によって維持されてきたというこ
とを知らない...環境の歴史性の認識
(東大出版会:里山の環境学)
千葉県は本来照葉樹林で覆
われていた!?
(上)東京大学樹芸研
究所(伊豆)の照葉樹
林
房総に出かけた時、
峠を越えて太平洋が
見えると、山の感じが
今までと異なっている
ことに気が付いたで
しょう
照葉樹林は本来日本列島南部を広く
覆っているはずだが、実際の分布はわ
ずかである
(宮脇昭:緑環境と植生学、NTT出版)
どうやって照葉樹林の分布
を決めるのか?
宗教的に保護されてきた社
寺林の分布
(吉良竜夫:森林の環境・森
林と環境、新思索社)
■森の自然 潜在植生図に示された森林の分布は何によって決まっているか?
■ 暖かさの指数(温量指数)
・図3-1の日本の植生分布(潜在植生)は気候、中でも植物が利用可能なエネル
ギーの量に影響されて決まっている
・その表現法の一つに吉良竜夫の「暖かさの指数」がある
・これは積算気温の一種で、次のようにして求めることができる
【12ヶ月の月平均気温から5℃を引き、正の値だけ足し合わせる】
・植物は一定気温を超えると生育を始める。それを5℃として、それを越える気温
を積算すると生育期間中に生育に使うことができるエネルギーの指標とすること
ができる
注)日本は湿潤温暖帯にあるので、おもに気温が植生の生育を支配する
温量指数による森林帯の区分
90
100
90
100
・温量指数は南方と低地で
高く、北方と山地で低い
・日本の植生は、ほぼ温量
指数に対応して分布
・もちろん、温量指数以外
の地域の特徴が植生分布
を形成している
温量指数の分布
図3-2 「日本列島における「暖かさの指数」の分布」から何が読みとれるか
・山陰や北陸地方は降雪量が多いためか、一般に寒いと思われているかも知れ
ないが、実際には同じ緯度の太平洋側より暖かい
・照葉樹林は日本海側では新潟県の沿岸部まで北上している
→これは、暖かい対馬海流が流入しているから
・太平洋側では寒流の千島海流が沿岸を流れている
→よって、東北地方では太平洋側が低温となる傾向
→→夏の冷害(ヤマセ)
稲の花が低温のため受精できない現象
まとめ
①日本列島の潜在植生
・照葉樹林帯
・落葉広葉樹林帯
②中緯度ではおもに気候学的な条件によって決まる
・温量指数(暖かさの指数)
これは列島スケールの話
もっと、小さいスケールではどうだろうか?
小さなスケールの植生分布(図3-3)
・照葉樹林や落葉広葉樹といった森林帯の分布は列島スケールの話
・もっと身近なスケールではどうなっているのか?
・斜面による土壌水分や日照条件の違い→複雑な植生分布を形成
・日本の山地は地形のきめ
が細かく、地質も様々に変化
→ジグソー・パズルのような
植生分布
なぜ複雑かは歴史を考えよ
図3-3
松枯れ
・アカマツは尾根に分布している
・実際に山に入ると尾根にアカマツ
が分布しているのはよく見かける
景観である
千葉大学がある下総台地を始め、
台地は一般に水が得にくい(昔は
水道は無かった!)。数十年前ま
では台地の上を広く赤松林が覆っ
ていた。
枯れると落葉広葉樹あるいは照葉
樹が復活
これは、100年前の千葉市の土地利用です。台地の上を広く森
林が覆っているように見えますが、これはほとんど赤松でした。
これは人間活動の影響、自然状態ではどうなるか?
■地域を見るときの階層性
・大縮尺と小縮尺の地図で表した植生分布の違い
・環境保全を考える上で留意すべき
世界地図の上で考えるべき視点と、地域で考えるべき視点は異なる!
■環境を認識するもう一つの視点
歴史性
環境は歴史によって作られる
■ 休耕田と溶岩流に見る植生遷移 植生帯はどのような経緯で形成されるか
・植生はある状態がそのまま続くとは限らない
(例)水田→休耕田→ススキ→ハンノキ、ヤナギ
・耕地とは、耕運や除草、灌水などによって、農作物以外の植物の生育を阻害し
ている土地
図3-4(右)伊豆大島の例
・溶岩が古くなるにつれて、低木林→
混交林→照葉樹林、と変化
・これを植生遷移という
・最終的に極相林に落ち着く
・極相林では、個々の樹木は枯死して
も全体の樹種構成は変わらない
極相林になるまでどのくらいかかるの?
・溶岩の裸地から極相林になるには千年の年月が
必要
→富士山の青木ヶ原樹海は864年に噴出した溶岩
流の上に成立
(浅間山鬼押し出し園は1783年)
・温暖な日本では遷移の終点は普
通は森林
・その過程で現れる樹種は場所に
よって異なる(図3-5)
図3-5(沼田:1971)
次は人間による森林の利用
二次林
人間のインパクト
・本来の森林が何らかの原因で
除去された後に生えた森林
(例)シラカンバ(白樺)はブナ林
が伐採された後に生えた二次林
・図3-6は日本列島における主な
二次林の分布
→瀬戸内・近畿地方でアカマツが
多いのは比較的雨が少なく崩壊し
やすい花崗岩が多く、かつ古代か
ら開発が進んだため
図3-6
・人為または自然災害によって破壊された植生を復元する場合は、まず草地
を回復し土壌を固定させてから徐々に樹木を育成する
→森林破壊は一瞬、再生は100年スケールの大仕事
ヤマタノオロチは斐伊川
八つの頭と尾
・上流が多数の支流に分岐し、下流が網状流をなすこと
旧版地図
には斐伊
川が氾濫
を繰り返し
た地形が
残されてい
る
なぜ斐伊川で氾濫が多いのか?
・中国山地のタタラ製鉄
−オロチの血は鉄酸化物の色、尾中の太刀は製鉄を暗示
−「出雲國風土記」(733年)に斐伊川上流で鉄を産するとの記述あり
「先大津阿川村山砂銕洗取図(さきおおつ
あがわむらやまさてつあらいとりのず)」と
題する絵巻物に記載されたタタラ製鉄の
一場面である。タタラ製鉄は、古くから中
国地方、主として鳥取、島根、広島、岡
山、兵庫の一帯で行われていたが、本絵
巻物は、従来タタラと無関係とされていた
山口県下において幕末ではあるが、大規
模に製鉄まで一貫作業が実施された事実
を記録するものとして、製鉄史上貴重な資
料とされている。この図は製鉄のかなめに
あたるタタラ炉による操業の様子を描いた
もので、各職人の仕事分担がよくわかる
図である。 (東京大学地球システム工学
科所蔵)
中国地方における近世のタタラ
製鉄所の分布
タタラの原料は砂鉄と木炭
砂鉄:中国地方に広く分布する花崗岩に多く含まれる
・砂鉄の採掘に伴う地形改変や選鉱時の廃砂により河川に大量の
土砂を流した可能性 →下流の河床が上がり、氾濫を起こしやすくなった
木炭:精錬用、鍛冶用に大量に使用
・木炭を調達するために広い面積の森林が伐採された
鉄穴流し
花崗岩の風化土層(まさ)を水路に流
し、比重選別によって砂鉄を採取
(写真:国土交通省HPより)
鉄穴流しによって大量の土砂が河川に流された結果、下流の平野が拡
大した
赤い部分は鉄穴流しの跡地(国土交通省HPより)
■森と人間の関わり
■ 茶とミカンと神の森
・照葉樹林は日本列島を越えて朝
鮮半島南部、中国大陸南部にまで
連続
・文化的共通性
→栽培植物ではイネ、茶、柑橘類
→稲作農耕儀礼における類似点
→養蚕、麹カビを用いた発酵食品
照葉樹林文化複合
植生景観が文化を創る
西日本と東日本の違い
自然が文化を創る
きつね(けつね)
西日本:うどん
→温暖なため、イネの裏作に小麦
東日本:そば
→寒冷な地域や高地では生育期間の短いそば
文化
西:北方系(渡来人)「面長な顔立ち・一重まぶた・乾燥した耳あか」
東:南方系(縄文系)「角張った顔立ち・二重まぶた・湿った耳あか」
「もののけ姫」は両者の文化の衝突の物語
西の文化
西日本の低地では古くから開発が進んだので、照葉樹林が二次林化
・鎮守の森に原植生をよく残す
・日本の神は実体をもたず、何かの物体に憑依して人前に現れる
・その依代(よりしろ)が鎮守の森
・この森が西日本の地縁的な村落共同体の結束を守ってきた
キリスト教・イスラム教の
社会では教会堂やモスク
が町の中心にある
→アニミズム(animizum)の
世界(多神教)と一神教の
違いか?
森の文化、砂漠の文化、木の文化、石の文化・・・たくさんの書籍があるので探してみよう
博多行き新幹線で「西日本に来た」と思わせる景観
・竹林
・人工林で、タケノコや用材を取っている
・タケは熱帯と温帯アジアの特産で、民具の素材や建築材
あたりまえと思っている景観でも、風土が形成したもので地域固有のものがある
図3-10 北九州市合
馬のタケ林
・合馬はタケノコの産
地として有名
・里山の広い面積が
タケ林
・現在、その一部は
高速道路
タケは精神生活とも結びついている
・祭器や楽器、花器、茶器として使われるほか、画題としても好まれる
・中国ではタケを擬人化して「此君(ツチュン)」と呼ぶ→清少納言の秀句
・成長が早いため神秘的と考えられる→「かぐや姫」ほかの例
・夏の季語
アジア
サル
・サルは熱帯の動物で下北半島が北限
・サルは分布域では守護者
→「ラーマーヤナ」の猿王ハヌマン、「西遊記」の孫悟空、桃太郎
・一方、分布しない欧米では猿は軽蔑や増悪の対象
地域性が、住民の精神世界を形成する
風土
・人間同士のつきあいには地理学が役立つ
・日本の外交がうまくいかないのは地理学を勉強していないから?
(歴史、古典も重要)
■ ドングリと縄文人
落葉広葉樹林帯の文化−縄文文化
・大きな縄文遺跡は東日本に偏在
・縄文人は採集狩猟民であり、狩猟や漁労も行ったが、内陸部では落葉広葉樹
林に豊富な堅果類に多く依存
図3-11 縄文人の蛋
白質源の割合
・人骨中の窒素と炭
素の分析によって復
元した過去の食生活
・内陸部では堅果類
の割合が高い
(赤沢・南川、1989)
右は落葉広葉樹の
森林(東大演習林)
東北地方の山村では近代までトチが食糧の一部
・今でも秋の行楽にトチ餅を作る風習
ドングリ食文化は朝鮮半島やカリフォルニア・インディアンにもある
「ドン・キホーテ」もスペインの山中でドングリを頬張りながら原始共産制について
講釈
しかし、ドングリはひどく渋い
・渋(タンニン、サポニン)を抜くために、水で晒し、草木灰のアルカリで煮るという
高度な調理文化を必要とした
・ドングリの森における縄文人の生活が豊かで平和であったことは、創造的な彫
刻や土器を作り、死者を手厚く葬った高度の精神文化から伺える
・栄養学的にも、雑食性の採集狩猟民の食生活は、特定の作物に頼る農耕民よ
り豊かと言われる
気候変化、中国の動乱
沿岸地方、特に北方
・サケ、マス類も縄文人の重要な食糧
・北方縄文人の生活は、その直系のアイヌ民族に類似
・川魚漁に依存した生活は、アラスカ・インディアンにも見られる
・アイヌ民族の固有文化は、近世の和人の生産物収奪や、明治政府の同化政策
によって失われつつある
サケのような水産資
源もまた森林によって
育まれているのでは
ないか
陸と海の相互作用
・今、もっともホットな
研究課題の一つ
■ 山岳森林の人々
歴史に忘れられてきた
人々
焼き畑(切り替え畑)
・日本では焼き畑が1950年代まで広く
営まれてきた(図3-13)
・日本に二次林が多いのはこういう利
用が多かったためでもある
・焼き畑は(森林破壊の元凶のように
言われることもあるが)、むやみに森
を焼いて使い捨てにする粗放な農法
ではなく、一定の技術や文化に支えら
れたものであった
図3-13 1950年代の焼き畑の状況
a.焼き畑農家率50%以上の地域
b.焼き畑の分布
焼き畑
・その技術はタイ北部などのアジア山岳部でも高い共通性
・森林破壊と関連づけられるのは人口増加により都市を追われた人々が土地を
持たない農民となったことと関連→人口問題
焼き畑の方法
・山の神に開墾の許しと豊かな実りを乞う
・火入れの面積は最小限に抑えられる
・延焼を防ぐため、斜面の上部から焼きおろす
→火入れは施肥効果のほかに害虫や雑草の種子を焼く意味
・作物は連作障害を防ぐために輪作が行われる
・特に3年目にはアズキやダイズなどのマメ科植物を栽培し、空中窒素を固定さ
せ、地力を回復させる
→自然農法の焼き畑は作物の品質が良く、石油で育てる現代農法に比べてエネルギー効率も高い
・秋の収穫祭では山の神に感謝を述べ、アワの穂、ヤマイモ、トチ餅などを捧げ
る
・数年すると畑に雑草が侵入し除草作業が大変になるので、耕作を中断して森
を再生させる
→二次林
十分な休閑期間を与えた焼畑は森
林が再生し、持続可能
休閑期間が短くなり、過度に利用が
進むと森林は再生不能になる
リモートセンシングによる土地資源評
価-東南アジアの土地利用- 長澤良
太著 古今書院
ラオス北部のランドサット画像(左)
・青くパッチ状に見えるのが焼き畑
■伝統的な焼畑
■非伝統的焼畑
リモートセンシングによる土地資源評
価-東南アジアの土地利用- 長澤良
太著 古今書院
山岳森林ではほかに、漁師、木地師、川漁師、炭焼き、木こり、漆かき、樹皮採取
者、探鉱者なども活躍 →職能集団
図3-14(左) 東北地方の漁師(マタギ)の村の分
布
図3-15(左) 紀
伊山地における
1679〜1707年間
の木地師集団の
移動
生産物は山里の市で交易
・独自の文化、高度に発達した木工芸文化
・低地稲作農耕民を多数派とする歴史の舞台に登ることはなかった
山村の過疎化により、その技術や文化は消えるのか?
(ここは主観的に述べた部分)
・ITを利用した生き残り策はあるのか?(私見)
・都会にも支持者急増か?
・人間の生き方が問われる時代
南北問題と人口問題
■ マツタケと森林破壊
マツタケ産地
・京都や岐阜が有名
・図3-13(右)は都道府県別マツタケ出荷量
(1983年)
・マツタケはアカマツの根に寄生
・アカマツは乾燥に強いので、森林を伐採し
て土砂が流出した空き地に侵入して二次林
をなすことが多い
マツタケは森林破壊と表裏一体
・環境の歴史性の認識
・マツタケに歴史あり
・花崗岩の分布とも合う→関連性
京都周辺の山地では、都や寺院を建設するために大量の樹木が伐採
→田上山地
瀬戸や美濃では窯業が盛んであり、その燃料が必要とされた
→瀬戸市近郊のはげ山の修復
たたら製鉄、製塩
→瀬戸内海周辺
→花粉分析によると、稲作農耕が始まり、鉄斧などが普及した弥生時代から森林
破壊の兆候が現れ(樹林の構成種が変化)、人間活動が盛んになった古墳時代
以降はアカマツが多くなる
→アカマツは樹脂が多くて熱量が高いので、かつては薪として好まれた
→特に磁器を焼く窯では1300℃以上の高温を得るためにアカマツを用いた。その
ため、アカマツ林は薪炭林としても維持されてきた側面を持つ
身近な光景も、歴史によって形成されてきた
その歴史は人間活動の歴史である
■ 社会の変容と森の変容
日本には植林地が多い
これは、木曽や吉野などの伝統的山地を除けば、第二次世界大戦後の現象
拡大造林
戦後の国土復興のため
に、それまでの薪炭林や
原生林を伐採して、より
経済価値があるとされた
スギ、ヒノキ、カラマツな
どが植裁
明治・大正期(左)と
現代(下)の土地利用
100年前と現在では何が違っている
か?それはどうしてか?
明治・大正期と平成の千葉
県周辺の土地利用
・都市域の拡大
・水田の減少
・台地部で針葉樹の減少、
畑の拡大
・広葉樹林の減少
・桑畑の減少
・荒れ地(茅場)の減少
一時は山村の主な生業となった
高知県檮原村における生
業の変化(図3-18)
・大正期から商品経済に取
り込まれ和紙原料の生産
・戦後は製炭、造林
・その後、過疎化と生業の
多様化
・1955〜1973年の高度経済成長に伴い、建築材の不足から安価な外材の輸
入が自由化され、木材価格が下落
・搬出費、人件費が高い日本の森林は競争力が低い
・間伐材の用途も減少
→割り箸は使うべきか、やめるべきか?
・エネルギーも木炭から石油へ
図3-19 1951年および1983年の
都道府県別木炭生産量
・和歌山ではウバメガシから生産
される備長炭の生産が有名
→ウバメガシの不足
→輸入拡大すれば新たな森林
問題のおそれ?
森林の復権はあるのか!
・レクリエーションの場
・CO2の吸収源
・自然志向の高まり
図3-20 過疎地の分布(1985年)
山村の抱える問題点
・都市への人口流出
一方で、都市の人口集中問題
ITは解決策にならないのか
(主観的なコメント)
これまでのまとめ −森林と人間−
1.日本の主要な植生帯
*列島〜大陸スケールの視点:
照葉樹林帯と落葉樹林帯
中緯度ではおもに気候学的な条件によって決まる→温量指数(暖かさの指数)
*地域スケール: 様々な影響因子がある →斜面における樹種の棲み分け
対象とする空間スケールによって観点は異なる
森を見て木を見ない、木を見て森を見ない
−森を論ずる視点
−木を論ずる視点
Think Globally, Act Locally
−グローバルな視点で、ローカルを論じることは困難(位置付けることが重要)
−ローカルな現象から、グローバルを類推することは困難
Global Change 地球規模の環境問題に関する認識の推移
①1980年代に地球環境問題の重要性が認識された
②1990年代中頃までに研究が進む
→知的資産の形成
③1990年代中頃以降に、地域に対する貢献が求められるようになる
→膨大な予算に対する科学のアカウンタビリティー
④21世紀は科学の成果を地域にフィードバックさせることが求められる時代
例えば、
IHDP International Human Dimension Programme on Global Environmental
Change
HELP Hydrology for Environment, Life and Policy
注)大学の講義なので、批判的に聞いて良い。独自の考え方を持つことも重
要。
環境とは 地理学の世界観
(帰納的な)
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演繹的な世界観
・様々な要素からなる
・要素間に関連性がある
・空間的に分布している
・歴史を持つ
・認識の仕方において階層性を有する
多様性・関連性
空間性・時間性
多様性・関連性
空間性・時間性
(多様性)
(関連性)
(空間性)
(時間性)
(階層性)
多様性・関連性
空間性・時間性
多様性・関連性
空間性・時間性
多様性・関連性
空間性・時間性
多様性・関連性
空間性・時間性
多様性・関連性
空間性・時間性
地域の個性をグローバルの中に位置付ける
シ
ス
テ
ム
2.現在の森林の成立には歴史がある
*植生遷移 裸地から極相林までには千年オーダーの時間が必要
*人間活動のインパクト
二次林の立地・・・人間活動の歴史
環境の総合認識における歴史性
*環境には、現在の状態に至った歴史がある
*それを知ること→正しい環境認識
・人間は自然に対して負のインパクトを与えたかも知れない
・しかし、利益も得てきている
・どう生きるべきか、どう生きたいか
未来の森林
トピック1 おしまい