「特集 個票開示問題の統計理論」について

統計数理(2003)
第 51 巻 第 2 号 181–181
c 2003 統計数理研究所
「特集 個票開示問題の統計理論」について
竹村 彰通
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(オーガナイザー)
計算機やネットワークの急速な発展にともない,データの収集提供のあり方が急激に変化し
つつある.膨大なゲノム情報がインターネットを通じて入手可能になりつつある現状などが一
つの典型的な例である.政府統計情報についてもホームページ等での提供が進んでいるものの,
我が国における統計情報の収集・集計・公表は統計情報の連続性や正確性の確保を目的とした
伝統的な手続きに基づいておこなわれており,そのため環境の変化への適応が遅れている面が
ある.
特に我が国では集計表以前の個票レベルの統計データが提供されていない点が問題である.
これに対して諸外国の統計当局は,すでに以前よりさまざまな形で個票データを提供しており,
統計の利用者の便宜をはかり統計の存在意義をアピールしている.進んだ事例としては,統計
当局と特定の利用者の間に暗号化した通信路を確保することによって,概念的にはオフライン
に類する形でのデータの提供なども一部実用化されている.
個票データを提供する際に最も重要な問題は,データに含まれる個体が識別されないという
安全性の確保である.統計調査の回答者は個人情報が公開されないという約束のもとに回答し
ているから,間接的にせよ個体が識別されることは深刻な問題となる.個体の識別を防ぎつつ,
有用な個票データをどのように提供するか,という問題が個票開示問題である.
本特集では,個票開示問題に関する統計数理的な研究を扱っている.筆者を含めて本特集へ
の寄稿者は,ここ数年この問題に関心を持って研究を進めて来た.そのような中で,国際的な
レベルでの理論的な貢献もいくつかなされており,本特集に示されているようにかなりの研究
成果が得られてきている.一方で我が国でこの問題に関心を持つ研究者は必ずしも多いとは言
えないし,また一定の貢献を生み出すためには対象をある程度しぼって研究をおこなう必要が
あることから,本特集で扱われている個票開示問題に関する研究成果は必ずしも問題の全貌を
バランスよく反映しているわけではない.特に,数理統計の研究者による統計数理的な研究以
外の側面として,統計実務家による個票データ提供の実務面の研究やオンライン提供にともな
うアルゴリズムに関する研究が遅れている.諸外国では,政府統計当局にも研究者がおり,実
務的な観点からの個票開示問題の研究もさかんである.本特集を契機として,統計数理的な研
究に加えて,実務面やアルゴリズムの側面にも関心を持っていただける研究者が研究に参入さ
れることを期待したい.
なお,有用なデータの提供と個人情報の保護の問題は,政府統計情報に限らず民間の研究機
関によって収集される情報,さらには例えば遺伝情報の収集と提供等においても,今後の重要
な課題になると予想される.個票開示問題をそのような広い観点から理解していただき関心を
持って本特集を読んでいただければさいわいである.また個票開示問題にあらわれる統計モデ
ルは,集団遺伝学,統計的生態学,計量言語学などにも共通にあらわれるものが多く,そのよ
うな観点からも興味を持っていただけるものと思う.
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