中には希望する復興住宅に入れない方もおり、復興住宅も人手不足等で

東日本大震災 平成27年度岐阜県下各市職員の派遣記録
中には希望する復興住宅に入れない方もおり、復興住宅も人手不足等でなかなか思うよ
うに建築されていないことも知りました。また、市内には震災の爪あとが残っている部
分もあり、改めて被害の大きさや震災の怖さを感じるとともに、復興には時間がかかる
ものだと再認識させられました。
最後に、釜石市の職員の方々の公私にわたるサポートに感謝を申しあげるとともに、
釜石市の復興を心より願っております。
「応援します、釜石。」
瑞浪市 南波孝彰
私は、平成27年10月から平成28年3月までの6カ月間、釜石市
役所都市計画課管理係に派遣され勤務いたしました。
都市計画課では、各種補助金業務・公営住宅の管理等を担当いたしま
した。例えば住宅リフォーム工事に対する補助金の受付・審査・支払や、
家屋の耐震診断業務の受付等事務といった責任ある仕事を任せていただ
き、初めての環境・業務内容に戸惑いながらも、職場の皆様の助けをいただきながらな
んとか完遂する事が出来ました。
釜石市の方々は、私を温かく迎え入れて下さり、いつも気にかけ声を掛けて下さいま
した。また、同時期に派遣されました岐阜県市長会のメンバーとは、現地で岐阜県人会
を開催したり、東北各地を旅行したりして、釜石での生活の悩みや不安を語り合いまし
た。このような良好な人間関係に恵まれたことも、本当に有難かったです。
私は事務職員であり、震災復興というと技術職や建築職の方の力ばかりが必要とされ
る状況かと考えていましたが、復興が進むにつれ事務量も増加しており、事務職員でも
必要とされ、出来る事はたくさんあるという事を感じました。
震災から5年という節目を迎え、平成28年度には市内の復興公営住宅の計画予定数
の大部分が完成する予定ですし、自宅を再建される方へ引き渡す宅地の造成工事もかな
り進んできています。
震災復興が少しずつ進む一方で、未だ仮設住宅等で不自由な生活をしてみえる多くの
方々が、少しでも早く安心して暮らす事が出来るようになる事を願ってやみません。半
年間という短い期間ではありましたが、釜石市で過ごした日々は自分のかけがえのない
財産であり、私にとって「第2の故郷」ともいうべき場所となりました。
これからも釜石市を応援し続けます。本当に有難うございました。
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「感謝の気持ち」
土岐市 鈴木大輔
私は平成27年10月1日~平成28年3月31日の半年間、釜石市
で派遣職員として勤務しました。釜石市にたどり着き町の中心部を見て
回ると、道路は整備され、家屋も建て直されているものが多く、復興は
かなり進んでいるという印象を受けました。しかし、後日鵜住居町等、
被害の大きかった地区を見て回ると、津波で家屋が流され平野になった
土地が広がっており、何とかこの地の復興に貢献したいという気持ちを抱いたのを記憶
しています。
釜石市での配属先は、派遣元と同じ税務課資産税係でした。主な業務としては、新築
家屋の調査及び固定資産税評価の計算、登記異動入力、税務証明書発行などです。派遣
元とは違い、震災関連の固定資産税の特例に関する問い合わせが多く、税務証明発行も
行っており、最初は戸惑う部分も多々ありましたが、税務課の皆様に助けられ、なんと
か業務を行うことができました。
新築家屋の調査では、住居を被災されて建て直す方が多くいらっしゃいましたので、
大変痛ましい気持ちになりました。ただ、そんな中でもこちらが遠方からの派遣職員だ
とわかると、「震災の時は避難所で派遣の人たちには本当に世話になった、遠くから私
たちのために来てくれて感謝している」などと声をかけていただけることがあり、あら
ためて、釜石の復興に少しでも貢献しようと強く思いました。
休みの日には、職場の方のご厚意により、宮城県石巻市~岩手県田老町までの震災被
災地を2日間に分けて案内していただきました。映像等で今まで見てきた被災地ですが、
実際に見て、被災した方に現実にどういうことが起こったのか話を聞くと、感じること
は全く違いました。
最後になりますが、知らない土地での勤務で不安しか抱いていなかった私を、本当に
温かく迎えてくださった釜石市の皆様に心より感謝申し上げます。半年経つ頃には釜石
市の全てに愛着がわき、第2の故郷のように感じておりました。これからも遠方より復
興を願っております。
釜石市唐丹町 〔H27.12.15 撮影〕
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東日本大震災 平成27年度岐阜県下各市職員の派遣記録
「釜石市への派遣を終えて」
各務原市 平野理奈
私は、平成27年4月から9月までの半年間「都市計画課 建築住宅
係」で主に確認申請の審査業務に従事致しました。都市計画課では、地
元の職員、全国各地から派遣されてきた職員、任期付職員など様々な立
場や年代の方々が一丸となって復興にむけての業務に取り組んでいまし
た。
日常業務は、土盛り等の造成工事が終わるのを待ち続け、ようやく住宅再建に取り掛
かれる方の確認申請が多かったので、少しでも早く着工できるよう早急な審査を心がけ
ました。ただ、岩手県や釜石市のルールがあり判断に迷うこともありましたが、歴代派
遣職員の方々が作成してくださった資料と相談記録があったおかげで業務もスムーズに
進めることができ、大変ありがたかったです。市役所全体では野田市長が「攻めの復興」
と表現されるように、橋野高炉の世界遺産登録の決定、平成28年度の国体準備、平成
31年に行われるラグビーワールドカップ準備などがありました。
震災から5年目にしてやっと自宅再建にとりかかれた工務店の方、仮設住宅で業務を
行っている設計士、仮設住宅で暮らしながら復興公営住宅の入居募集をしている釜石市
職員・・・、自分のことを後回しにして仕事に専念されている姿が強く心に残っていま
す。また派遣期間中に様々な方と接することにより、なにをもって復興と表現するかは、
1人ひとり違うことに改めて気づかされることもあり、仕事を通してだけでなく、今後
も自分自身で何かできることはないかと考えるきっかけになりました。
最後になりますが、震災の犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、
愛する御家族を失った皆様に心からお悔やみを申し上げます。また、暖かく迎えてくだ
さった釜石市の方々、同時期に岐阜県市長会から派遣された皆様、派遣に快く送りだし
てくださった各務原市の職場の皆様に感謝申し上げます。
ホテルマルエ前の甲子川の鹿
釜石はまゆりトライアスロン国際大会
〔H 27.7.18 撮影〕
〔H 27.8.2 撮影〕
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「4年ぶりの釜石市」
大垣市 八神英威知
1度目の派遣業務から4年ぶりとなる平成27年10月1日に再度、
釜石市に派遣辞令を受けました。前回派遣最終日の“10月1日”から
4年後の同日の派遣辞令。ちょっとした運命を感じていました。
派遣先も前回と同じく、都市計画課の建築住宅係。よく知った懐かし
い人たちに再会し、少し嬉しくもありました。
(業務について)
業務内容は、前回派遣時と同じく建築確認審査、建築相談業務が中心でしたが、5年
前と比べて官、民ともに復興事業が進み、建築相談量が格段に多い状況でした。復興造
成工事も活発で時間的に全く余裕のない建築相談に対し、合法となる解釈、判断に相当
悩まされました。周辺市町においては復興優先で超法規的とも言える運用を行っている
事例もあり、法が何のためにあるのかを深く考えさせられました。被災地でなければ経
験できない貴重な時間だったと思います。
(釜石市の現状について)
釜石市大町にショッピングモール(イオンタウン:2014 年開店)、JR釜石駅に駅ホ
テル(フォルクローロ釜石:2015 年竣工)がそれぞれ建設され駅前の風景が一変してい
ます。また、大町地区に 2017 年完成予定の市民ホール、市内を縦横断する三陸復興道
路の建設、鵜住居地区には 2019 年開催のラグビーワールドカップのメインスタジアム、
小中学校が建設中、市内全域に大規模造成(開発、区画整理事業)で平日の市内はトラッ
クだらけです。(市内に限らず東北沿岸全域)
また市内には日本を代表する建築家が設計した建築物が多数あり、興味深いものがあ
りました。10年後の釜石の風景は全く別物になっていると思います。
(私生活について)
宿泊先は前回と同じくホテルマルエ。支配人やスタッフさんとも懐かしい再会でした。
建築年や設備の充実さでは他のホテルに劣るかもしれませんが、スタッフの皆さんがフ
レンドリーなのや細かいお願いも聞いてくれるなど、とても融通の利いた良い地場ホテ
ルだと思っています。
長いホテル生活だと運動不足が懸念されるわけですが、わたしがお世話になった配属
先の職員の方々は、たまたまなのかスポーツ活動に積極的な人が多く、その中でもトラ
イアスロンに取り組まれる方と接する機会が多かったので、触発されてロードバイクを
体験させてもらいました。これ以降、マラソンもはじめて今でも趣味のひとつとして継
続しています。
平成26年、27年の5月には釜石市の都市計画課に派遣された岐阜県市長会の歴代
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東日本大震災 平成27年度岐阜県下各市職員の派遣記録
の職員(40名ほど)と釜石市の都市計画課の職員(10名ほど)とで岐阜県で交流会
を行いました。その時に岐阜清流マラソンにも一緒に出場しました。
道の駅・釜石仙人峠にて(右から2番目)
高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン 完走 !!
〔H 28.5.15 撮影〕
〔H 28.3 撮影〕
(あとがき)
釜石をはじめ東北被災地は復興に向けて事業がピークに差し掛かっています。それに
比例して復興に携わる職員の疲労も右肩上がりのようです。
震災から5年が経ってもまだ心を患う市民、職員も大勢みえます。派遣に向かう立場
として通常業務は当然ながら、通常とは異なるコミュニケーション対応も求められます。
この2つが両立していないと派遣者としては不適格だと感じました。
最後に、派遣元である岐阜県市長会、大垣市には、貴重な体験をさせていただき大変
感謝しています。昨今は、非常事態は全国どこで起きてもおかしくない状況にあります。
岐阜県近辺で起きた場合に被災地の現場を見てきた経験を有事の際に役立てられたらと
思います。
「被災地の今、復興へ向けて」
岐阜市 杉本龍酉
私は建築技術職として平成27年4月1日から3か月間、釜石市教育
委員会総務課施設係に配属されました。派遣にあたり、震災発生直後か
ら、常々、何か復興の手伝いができないかという気持ちがありました。
また、入庁から今まで工事監理業務等が未経験だったことから、新しい
業務へ挑戦したい思いがありました。ただ、その反面、慣れない土地で
自分が3か月という短い期間で、職務を遂行できるのかという不安がありました。
私が配属された教育委員会総務課では、市民の子ども達が安全・安心に利用できるよ
う幼稚園、小・中学校等の市有施設の新築、増築、耐震補強、改修工事などの設計、積
算、監理業務をはじめ、津波により被災した鵜住居地区、唐丹地区の応急仮設校舎賃貸
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借にかかる業務を行っておりました。私は、3か月での自分の責務を、「平成27年度
各事業の道筋を定める」とし職務を遂行しました。ただし、職務を遂行するうえで、ど
の業務も数多くの課題があり、困難に直面することもありましたが、その度に、釜石市
職員の皆様に助けて頂きました。釜石市職員の皆様は本当に温かい人ばかりでした。ま
た、岐阜県市長会の同じ派遣職員にも大変助けられました。お互い慣れない環境の中で
一緒に協力し合って職務を遂行しました。
釜石市では現在、新機能で地域を支える学校の整備が待ち望まれております。釜石市
における「学校」とは、多世代にわたる地域住民が日常から集まる場となっており、学
習をする場のみならず、社会教育施設や福祉施設、集会施設、防災拠点等、その役割は
多岐にわたります。被災した鵜住居地区では平成29年3月に、唐丹地区では平成30
年2月に学校建設工事が完了するなど、少しずつではありますが、確実に復興の歩みを
進めています。
震災からの復興はまだまだ道半ばではありますが、震災により被災された地域の一日
でも早い復興を願っています。
「釜石市へ想い」
岐阜市 波能麻里
私は、4月1日から6月30日までの3ヵ月間、建築職として教育委
員会総務課へ配属され、主に市内小中学校の改修工事の設計、工事発注
等を担当しました。釜石市では、震災で特に甚大な被害を受けた唐丹、
鵜住居地区において震災から5年が経過した今なお、児童が仮設校舎を
使用しており、教育委員会ではこの2地区の学校再建が急務となってい
ました。唐丹地区ではようやく新校舎の建設工事が始まった状況で、鵜住居地区は校舎
を高台に移転するため、山を切り崩し、造成工事が進められている段階でした。また、
学校施設に限らず、津波により家屋、建物が流されてしまった所では、いまだ造成工事
の段階で仮設住宅での生活を余儀なくされている方々も多くおみえになり、復興には相
当な年月を必要とすることを実感しました。
5年前の3月11日の信じがたい映像を今も鮮明に記憶していますが、実際にこの地
を訪れ、震災を経験された皆さんにお話を伺うと、想像していた以上に現実は凄惨な状
況であったことを痛感しています。家をなくし、また、家族や仲間をなくし、大切なも
のを失った悲しみは計り知れないものだったと思います。しかし、職員の方をはじめ、
釜石市で出会った多くの方々は、その悲しみや苦しみを感じさせず、明るく、前向きに
日々を送っておられ、その姿に心打たれるとともに、それ以上に私たち派遣職員に心を
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東日本大震災 平成27年度岐阜県下各市職員の派遣記録
寄せてくださる釜石市の方々のあたたかさと強さを感じました。
復興は一歩ずつ確実に進んでいますが、まだまだ震災以前の生活再建には至っていま
せん。引き続き、岐阜県市長会からの派遣の必要性を感じると共に、今後はより長期的
な業務支援が必要だと考えます。
被災地のためになにかできることを…と強く決意し訪れた釜石市。勤務させていただ
いた3ヶ月間にできたことはあまりにわずかだったかと思いますが、派遣期間を終えた
今は、被災地へ想いをよせると共に、現状を伝え、自分なりの支援を継続したいと考え
ています。被災された皆様の1日でも早い復興をお祈りしております。
教育委員会総務課の皆様と〔H 27.7.18 撮影〕
「鉄とラグビーのまちの復興を願って」
多治見市 今川 誠
平成27年7月1日から9月30日までの3ヶ月間を教育委員会総務
課で勤務させていただきました。
教育委員会での業務は、学校施設や公民館などの修繕や耐震化と岐阜
県の派遣職員で設計から担当した幼稚園移転新築事業を完了させること
でした。
修繕工事では、工事を発注したものの落札されないなど、受け持った工事や引き継い
だ工事がスケジュール通りに進まず、また、幼稚園の移転新築工事では、終盤にきての
変更や他の工事との調整で関係の方々には多大な負担や心配をおかけしましたが、職場
のみなさんや工事関係者のみなさんに支えられ何とか乗り切ることができました。
派遣期間中に、橋野鉄鉱山・橋野高炉跡が世界遺産に登録され釜石市全体が大変盛
り上がったことや、ラグビー日本代表の歴史的な活躍があり学校施設を開放してのパブ
リックビューイングが開設されたことなど、やっぱり釜石は鉄とラグビーのまちなのだ
と感じました。
来年度には岩手国体、2019 年にはラグビーワールドカップが釜石で開催されます。
ラグビー競技場の建設や周辺施設の整備など、ワールドカップの開催に向けこれから
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の3年間で釜石の復興はますます加速することと思います。
最後になりますが、派遣期間中は釜石市役所の方々をはじめ、他市からの派遣の方々
に公私にわたり多大なるお気遣いをいただきました。また、担当した工事につきまして
は、限られた工期の中での関係者との工程調整や設計変更など地元の設計事務所や工事
受注者の方々に助けていただき業務を終えることができました。短い時間でしたが、釜
石でしかできない貴重な経験をさせていただくことができましたことに、心より感謝申
し上げます。
「ありがとう」
岐阜市 林 毅
私は平成27年10月1日から平成28年3月31日までの6か月
間、釜石市に派遣職員として勤務し、教育委員会事務局総務課に配属さ
れていました。建築職として、主な業務は建築工事の設計及び監理、また、
県からの照会等への対応に務めていました。仕事の内容としては派遣元
でも同様なことをしていたこともありそれほど気にはしなかったのです
が、見知らぬ土地で見知らぬ方々と仕事をするということであった為、そこに対しては
不安を抱えていました。
同じ工事と言っても、例えば、被災して使用することが出来なくなった学校の再建、
津波の影響を受けなくする為の道路の建設、防波堤の更新等、釜石市で現在行われてい
るこれらの根本は岐阜でのものとは全く違うもので、工事の多くは震災による影響によ
り発注されているものです。たまたま私が携わった仕事はそのような性質のものではな
かったですが、そうして発注されている工事はその経緯、目的等、私が経験してきたも
のとはまるで違うものでした。成果を上げるまでのプロセス、考え方等、今回の機会が
なければ知ることはできなかったことであり、多くを学ぶことができた貴重な時間でし
た。工事も含め、それ以外の様々な面で復興の為に尽力されている釜石市の皆さまです
が、僅かでも私が助力になることができていたのなら、大変光栄なことだと思っていま
す。
最後に、釜石市の職場へ行った初めての日、その日のことを今でも覚えています。先
にも触れたように、不安な気持ちの私は緊張を感じながら配属先に足を運びました。行
くや早々、職場の皆様に挨拶をして回ったのですが、そのとき私が最初に言われたこと、
それは、「来てくれてありがとう」という言葉でした。その一言で私は救われた気がし
ました。そして、派遣職員としての気持ちをより強く持つことができました。まだどん
な人間かも分からない私に対してそのような言葉をかけてくださった釜石の皆さまの温
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