創価学会は、何を目的として 設立されたのか 創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として設立され ました。 創価学会の使命と目的について、歴代会長の言葉 を挙げてみましょう。 初代会長牧口常三郎氏は、 ﹁大善生活がいかにして吾々 わ ( れわれ の ) 如きも の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様 する﹂という言葉をさかんにいいますが、信仰の基 人の御精神を実践する﹂﹁大聖人の教えを広宣流布 あなたが執着している創価学会では、﹁日蓮大聖 思い込みによるのではありませんか。 へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのであ 本となる末法の御本仏日蓮大聖人の仏法の実体はあ 宝の山にはいって宝をとるかとらないかは、その人 ) すなわち、日蓮大聖人の仏法の根幹である本門戒 りません。 る﹂ 同 ( 一一三ページ ) 壇の大御本尊と唯授一人の血脈が創価学会にはない のです。しかも創価学会は、自らの非を覆い隠すた 蓮 正 宗 を、 あ ら ゆ る 悪 口 雑 言 あ ( っこうぞうごん ) ﹁なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊 様を拝まなくては、本物の信心にはなれない 中 (略 今 後 も、 で き る だ け 多 く の 会 員 を 登 山 さ せ る よ う、 計画を立てたいと思っている﹂ 同 ( 四九〇ページ といっています。 代会長の言葉を受けて、﹁わが創価学会は、日蓮正 をもって罵 の ( のし っ ) ています。このような集団 めに、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいる日 宗の信者の団体であります。したがって、私どもは、 が、人びとを成仏に導く清浄で正しい宗教であるは また、第三代会長の池田大作もかつて、初代・二 それには、仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺に 大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下にご ずがありません。 のに百発百中の法則として実証されるに到ったか。 のみ正しく伝わる唯一の秘法があることを知らねば 奉公申し上げることが、学会の根本精神であると信 会と運命を共にする﹂﹁思い切った﹂と決めつけて あなたは、仏法の正邪を深く考えることなく、 ﹁学 ならぬ﹂ 大 ( 善生活実証録 第四回総会報告一三ペー ) じます﹂ 昭 ( 和三五年五月三日会長就任挨拶 大白蓮 ジ ﹁どこまでも御開山上人の正しく御伝へ下された、 華 昭和三五年六月号七ページ 創価学会が日蓮大聖人の仏法を正しく信仰する日蓮 うのか、この大きな違いをよくかみしめ、今一度、 それとも業火に焼き焦がされる地獄の苦しみを味わ いますが、あなたが安穏な成仏の境涯を味わうのか、 正宗の信徒団体として出発し、御法主上人の御指南 ) ) ︵2︶ とあるように、いかなる法難に遭っても、即身成 御 ( 書一三九七ページ 此 こ( の) 大難に値 あ( ふ) とも後生は仏になりなん﹂ そ れ は、 こ の 御 文 の 前 段 に、 ﹁我等現 げ (ん に )は 切ってしまえばよい﹂という意味ではありません。 という御文がありますが、これは﹁見境なく思い もい切れ﹂ 御 ( 書一三九八ページ ﹁ただ一えんにお ち な み に、 ﹃ 聖 人 御 難 事 ﹄ に は、 冷静に考えてみるべきです。 あなたが、学会と運命を共にすると決めたのは、 宗門と創価学会の問題が起き た当初はどちらにつくべきか 悩んだが、今は学会と運命を 共にすると思い切った に随順して信行に励んできたことは明からです。 と述べていました。 これら歴代会長の言葉からも、 ) 日蓮正宗大石寺の御法義に従ひ奉って﹃自行化他﹄ の大善生活をなし、国家教育の革新に貢献したい﹂ 大 ( 善生活実証録 第五回総会報告五ページ と ) 述べ ています。 第二代会長戸田城聖氏は、 ﹁日蓮大聖人様から六百余年、法灯連綿と正しくつ づいた宗教が日蓮正宗である 中 (略 こ ) の仏法こそ、 私たちを真に幸福に導いてくれる宗教であること ) を、 私たちは日夜身をもって体験しているのである﹂ 戸 ( 田城聖全集三 ー一一一ページ 迷っている人があれば、車に乗せて大御本尊様の御 仏法の道理や正邪によるのではなく、偏った情報や ﹁ 私 た ち は 無 知 な 人 び と を み ち び く 車 屋 で あ る。 もとへ案内していくのが、 学会の唯一の使命である。 創価学会の皆さんへ 14 号 ) 仏の正法を迷うことなく信仰し貫くことを教え られたものなのです。 れ天台未弘 み (ぐ の ) 大 法・ 三 大 秘 法 の 随 一・ 間地獄に堕ちることは疑いないと厳しく戒めら 仰に励んでいたのでしょうが、現在の創価学会 あなたは、以前には日蓮正宗の信徒として信 れたものです。 ) 本門戒壇の御本尊の御事 お ( んこと な ) り﹂ 文 ( 段二八九ページ ﹁此の本尊は広布の根源なり﹂ 同 ( 二九〇ペー て、昼夜の別なく折伏に尽力してきたことによ れは、多くの学会員が広宣流布の実現をめざし す折伏布教に大きな成果を挙げてきました。こ て日蓮大聖人の仏法を宣揚し、広宣流布をめざ 年までの約五十年間、日蓮正宗の信徒団体とし 創 価 学 会 は、 昭 和 十 二 年 の 発 足 以 来、 平 成 三 す。すなわち、日蓮正宗を離れて真の広宣流布 と護持伝承 ご ( じでんしょう さ ) れているので 代上人によって、日蓮正宗総本山大石寺に厳然 いうまでもなく、本門戒壇の大御本尊は御歴 ご教示されています。 本尊こそ、広宣流布の根源であることを明白に 尊を弘宣 ぐ ( せん す ) ることであり、この大御 と仰せられ、広宣流布とは本門戒壇の大御本 て堕地獄の厳罰を被ることになるのです。 ないのですから、功徳がないばかりか、かえっ 弟相対の信心ではなく、信心の血脈が流れてい 尊を心に念じて勤行をしても、それは正しい師 団になったのです。 り果てました。まさしく師弟子の道に狂った教 を犯して日蓮正宗の教義信仰に背く邪宗教にな は日蓮大聖人以来の血脈を否定し、数々の謗法 ﹁死んだ先のことなど考えていない﹂などとい るものであり、この仏道精進によって、個々の はあり得ないのですから、広宣流布のために生 ジ うあなたは、日蓮大聖人の仏法をまったく理解 会員は大きな功徳を受けることができたのです。 きてきたあなたにとって、日蓮正宗から離れる 若 い 頃 か ら﹁ 広 宣 流 布 ﹂ の た め に 戦 っ て き た。 創 価 学 会 を 辞 め る こ と は、 い ま ま での人生を否定することに なる していません。 しかし、平成二年の池田スピーチに端を発し ) と、死後の成仏を心がけることこそ大切であ た創価学会の宗門への背信行為と、それを改め ﹁創価学会では成仏で き な い ﹂ と い う が、 自 分は死んだ先のことな ど考えていない ると教えられています。また、 あなたは﹁成仏﹂ ない池田の執念にもとづく指導に盲従したこと 慎みても慎むべきは来世なり﹂ 聖 ( 愚問答抄 御 書四〇〇ページ ) いうあなたは、長い間すべてをなげうって信心 ﹁若い頃から広宣流布のために闘ってきた﹂と ました。 る人や、血脈の大事を知らずして、日興上人以 中に、﹁自分は大聖人の直々の弟子だ﹂と名乗 第二祖日興上人の御在世当時、佐渡の信徒の と御教示されています。 じしょうぐき﹀ ﹄に、 この御文は、同じ南無妙法蓮華経を唱えたと と御教示されています。 ﹃折伏教本﹄より抜粋 したがって、あなたがいかに総本山の大御本 という言葉を誤解しています。成仏とは、臨終 によって、創価学会に所属する者はすべて日蓮 ﹁ 恐 れ て も 恐 る べ き は 後 世、 日 蓮 大 聖 人 は、 や死後のみをさすのではなく、現世のみならず 正宗の信徒ではなくなりました。このことは、 ことは、自分の人生を否定することになるのです。 来世においても崩れることのない絶対的な幸福 宗門にとっても、広宣流布のために努力してき 時は生 し ( ょう の ) 仏、今は死の仏、生死とも に 励 ん で き た も の と 思 い ま す。 し か し、 あ な 外の人を師匠とする人がいました。 創価学会に籍を置いている が、今でも大石寺の大御本 尊 を 念 じ て 勤 行 し て い る。 それではいけないのか に仏なり。 即身成仏と申す大事の法門これなり﹂ たがめざした﹁広宣流布﹂とは、日蓮大聖人の ﹁この法 日 興 上 人 は こ れ ら の 信 徒 に 対 し て、 ﹁いきておはしき こ の こ と を 日 蓮 大 聖 人 は、 ﹁死んだ先のことなど考えていない﹂といって 正法をもって不幸な人びとを救っていくことで 門は、師弟子をただして仏になり候。師弟子だ ) も、あなたは、三世にわたる生命論や未来の成 あって、創価学会の組織の拡大とか、自分の名 にも違い候へば、同じ法華を持 た (も ち ) まい 上 ( 野殿後家尼御返事 御書三三六ページ 仏を否定しているわけではないでしょう。にも 誉のためのものではなかったはずです。 ら せ て 候 へ ど も、 無 間 地 獄 に 堕 ち 候 な り ﹂ 歴 ( て、宗門から﹁創価学会は間違っている﹂と指 ﹁今末法に於 お ( い ) て は、 必 ず 応 ま (さ に ) しても、唯授一人の血脈を所持される日興上人 蓮大聖人が説かれる即身成仏の法門に照らし 摘されることから逃れたいためでしょう。あな 文底深秘 も ( んていじんぴ の ) 大法広宣流布す を師匠として、その御教導に従わなければ、無 ) たが大事に考えている現世の幸せはもちろん、 べし 中 (略 文 ) 底 深 秘 の 大 法、 其 そ ( の ) 体如 全一ー 八三ページ 未来永劫の幸せは、正しい仏法である日蓮正宗 何 い ( か ん 。) 答 う、 即 す ( なわ ち ) 、是 こ ( 第 二 十 六 世 日 寛 上 人 は、 ﹃ 撰 時 抄 愚 記︿ せ ん かかわらず、あなたがそのようにいうのは、日 た学会員にとっても、じつに不幸な結果となり 境涯を築くことです。 ) の教えを信仰しなければ得られないのです。
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