太陽の恵みをたっぷり受けた完熟ブドウならではの豊かな風味がオー ストラリア・ワインの特長の一つ。補糖は法律で禁止されている HUNTER VALLEY CESSNOCK 82 WOLLOMBI 69 NEWCASTLE F3 FR EE WAY 33 1 1 SYDNEY [文] 南田登喜子 [写真]ミディ中嶋 下りるのが、 ﹁ワイン・カントリー﹂ 部も、 ﹁囚人遺跡群﹂の一つとして世 認識されるようになり、この街道の一 共インフラ整備が貴重な歴史的遺産と 昨今、植民地時代の強制労働による公 のは、700人超の囚人。もっとも重 隊のメンバーとして知られるが、本職 に広がる肥沃な平原を発見した探検 ルー・マウンテンズを踏破して、西方 めた﹁アイロン・ギャングズ﹂だった。 ラックスランドはシドニー郊外のブ 労働を強いられたのは、鉄の足枷をは はあくまで農場経営者。条件のいい土 数 年 後 に は 金 メ ダ ル を 獲 得した。ブ ﹁オーストラリア・ワインの父﹂と呼 ラリアらしい。 たのも、反権威的気質の強いオースト した〝アマチュア〟の役割が大きかっ クワクする。果敢に新しいことに挑戦 た開拓期ならではのダイナミズムにワ 国王立芸術協会の銀メダルを受賞し、 アや行動によって、物事が大きく動い シドニー郊外から﹁F3﹂と呼ばれ るフリーウェイに乗り、 号線出口で の愛称を持つハンター・バレーの中心 として機能しており、当時の苦難を偲 ウ栽培を学び、植民地での最初の仕事 た。移住前の数カ月間フランスでブド 道で長年経験を積んだプロではなかっ ばせる。 大発見に至ったということらしい。 を離れると、風光明媚な山間の田舎 の区間もあるが、大半は今も一般道路 道が昔からの玄関口であるウォロンバ 古い建造物も残っており、漂うレトロ となった場所。付近には砂岩でできた レート・ノース・ロード﹂建設の拠点 シドニーとハンター地区を結ぶ﹁ グ 団の将校として入植し、後に有力な農 いる。ニュー・サウス・ウェールズ軍 畑が南西部郊外のカムデンに出現して 1817年には植民地初の商業ブドウ のスペイン・メリノを買い付けたこと 人マッカーサーが南アフリカから 頭 の一つとなった羊毛業は、前述の元軍 易に辿りつけることがある。基幹産業 からシドニー近郊で試みられており、 繁栄を築くきっかけを作った人物に容 ドウの穂木を遥かなる南の大陸へ持ち ワイン生産地を訪れ、600本近いブ めのバズビーが、1831年 月から ドへ赴任していった。そんなお役所勤 は、駐在弁務官としてニュージーラン ハ ン タ ー・ バ レ ー で 数 年 過 ご し た 後 教えることだったが、その後は臨時に こそ、学校の農場管理とブドウ栽培を 税金徴収員として雇われたこともあり、 な雰囲気に誘われて、ワイナリー巡り 説になっている。たった一人のアイデ 場主となったジョン・マッカーサーは、 から、すべてが始まったというのが定 年後には西郊のペンリスで フランスで収集したブドウの木を増や し、 万リットルのワインを生産するまでに きた全長240キロの街道で、 年余 最初にワイン輸出を手がけたのは、 1806年に入植した自由移民のグレ なかった1820年代にやってきた最 9 なった。 10 初の自由移民たちが総督に請願してで グ レ ー ト・ ノ ー ス・ ロ ー ド は、 ハ ンター地区への交通手段が帆船しか の前に、一息ついていきたくなる。 意味するウォロンバイは、開拓時代に、 ま る が、 ブ ド ウ の 栽 培 は 入 植 早 々 イ渓谷へと続いている。先住民アボリ 陸路の建設と前後して、ハンター・ ジニの言葉で、 ﹁水が出会う場所﹂を バレーでは本格的なワイン生産が始 オーストラリアの歴史を紐解いてい ておもしろいことの一つに、この国の 少し手前の 号線出口でフリーウェイ 地を探し求めて、未知の大地を探検し、 ばれるジェームズ・バズビーも、その [上]オーストラリア最古のワイン生産地ハンター・バレー。ブロークンバッ ク山脈の麓の緩やかな丘陵地帯を中心にブドウ畑が広がっている [下右]交差点にあるワイナリーや宿泊施設、レストラン等を示す標識。年 間 250 万人が訪れる人気エリアだけあって、観光案内が充実している [下左]ブドウ畑では、ひょっこり野生のカンガルーと出くわすことも……。 夕暮れ時になると、道路にも出没するので注意が必要だ 地ポコルビンへの最短ルート。だが、 界遺産に登録された。車両が通行禁止 82 8 拓く苛酷な土木工事に駆り出された た。急勾配の砂岩の断崖や渓谷を切り 年にロンドンに送られたワインは、英 ゴリー・ブラックスランド。1822 の歳月をかけて1836年に完成し 10 カ月に渡ってフランスとスペインの 9 れながらも、この国で樹齢100年を ﹁ニュー・ワールド・ワイン﹂と言わ 広まっていった。 レーの農園に植えられ、やがて各地へ シドニーの王立植物園とハンター・バ だろうか。バズビーのコレクションは、 帰ったのは、情熱のなせる業だったの 4 6 7 33 脈々と生きている。 最古のブドウの木がオーストラリアで と 思 う。い く つ か の 品 種 で は、世 界 広く普及したのは、非常に幸運だった フィロキセラ︵ブドウの根に寄生する は決して珍しくはない。ヨーロッパで 超えるブドウの古木を目にすること ﹁ブドウの木を枯らせてしまうフィロ 道路もある。 には、 ﹁ハーミテイジ・ロード﹂なる ていたし、ハンター・バレーの中心地 ラリアの大地にブドウの木が根付き、 ﹁グランジ・ハーミテイジ﹂と記され 害虫︶が猛威をふるう前に、オースト キセラは、シドニーのブドウ園にも大 の﹁グランジ﹂も、以前のラベルには 峰赤ワインと評されるペンフォールズ 別名でも知られていた。南半球の最高 ︵エルミタージュの英語読み︶という れていたシャルドネを先代のマレー・ たペンフォールズの畑で試験栽培さ したのもティレルズだった。隣にあっ ネを初めてオーストラリアで商業生産 ス。そういえば、人気品種のシャルド からリリースする﹃ Vat1 ハンター・ セミヨン﹄なんだ﹂と胸を張るブルー の白ワインは、我々が数年熟成させて 賞を一番多く獲得したオーストラリア ワイン・コンテストでトロフィーや金 情熱を捧げてきた賜物だよ。国内外の を少し譲ってくれないかと頼んで、 き な ダ メ ー ジ を 与 え た け れ ど、ハ ン 継いだ古木がこんなにある。ローヌ地 回とも断られたんだ。それで、 年目 ティレル氏が﹁拝借﹂したという逸話 1858 年の創業以来、150 年 以上に渡って家族経営を続けてきた 方の大半のブドウ園はフィロキセラで の 19 67 年 の 月 夜 の 晩 に 柵 を 乗 り ター・バレーは被害を免れたんだ。そ ﹁ティレルズ・ワインズ﹂ 代目オー 壊滅状態になったのだから、こっちが 越えたのさ﹂という。シャルドネは今、 の真偽を問うと、 ﹁父は 年連続で木 ナーのブルース・ティレル氏に、古木 本物じゃないか? なのに、フランス れで、ヨーロッパの遺伝子を直接受け が並ぶブドウ畑を見せてもらった。晴 この国の白ワイン生産量の 割を占め るブドウの古木の正式な登録一覧表の ている。 は我々に﹃ハーミテイジ﹄と呼ぶこと を禁止したんだ﹂と、いたずらっぽく れ渡った空の下で青々と葉を茂らせ ていたのは、1879年に植えられた 地下深くに根をはりめぐらせ、様々な 整備を進めている。 今年133歳になるシラーズ種の木々。 笑ったブルースは、ハンター地区に残 地層の土壌から養分を吸収して結実し 世紀後半以降のオーストラリア・ たブドウの果実からは、複雑で深みと 古 い も の を 大 切 に 守 り な が ら も、 ワインの快進撃には目を見張るもの 凝縮感のあるワインが生まれるという。 ティレルズは新しいワインスタイルや 3 地ローヌ地方のエルミタージュの丘の オーストラリア・ワインの名声を築 く先駆けとなったシラーズ種は、原産 ヨン種のワインを生み出した。 年間 も造ることができない世界最高のセミ ンター・バレーは、ほかのどの場所で 品種にも貪欲に取り組んできた。 ﹁ハ リーが次々に大手資本傘下に入るなか、 く環境は激変した。名の知れたワイナ 繰り返されたことで、ワインを取り巻 があるが、ワイナリーの買収・合併が 20 木を収集した由来から、ハーミテイジ 30 8 9 3 3 4 4 右頁 [上]1879 年に植えられたシラーズ種の古木 が並ぶブドウ畑の一画。ハンター・バレー地域 のワイナリーに現存する中で最も古いという [下]家族経営のティレルズ・ワインを率いる現 オーナーのブルース・ティレル氏は、ファミリー で初めて大学に進み、農業経済学を学んだ スティックス川 (ギリシャ神話に出 左頁 てくる三 途の川の名前)が流れる [右]ティレルズをはじめ、 いくつかのワイナリー リバー・ケイブ。1923 年までは 8 畑や醸造工 では一般向けツアーを行っていて、 人乗りの小舟で渡っていた 程などを間近に見学することができる [左]ティレルズの年間生産量は約 40 万ケース。 家族経営ワイナリーとしてはトップクラスだ 酒屋に出回ることのない貴重な少数生産の限 定ワインを求めてセラー・ドアに足を運ぶ 「タ ロック・ファン」も少なくない [右]タロックを取り仕切るクリスティーナ・タロック氏は 30 代前半。タイ在住の双子の兄弟が、輸出を担当している [左上]ミネラルの多い肥沃な赤土から砂利質のローム層まで、 多様な土壌を擁する特性を活かしたワイン造りが行われる [左下]開花後にできた小さなブドウの果粒が、やがて成長し て房を形成する。ハンター・バレーでのブドウの収穫期は、例 年 1 月下旬∼ 3 月ごろ 何世代にも渡って家族経営のワイナ リーを維持・発展させていくのは、決 して容易なことではなかっただろう。 代目のヘクター・タロック氏が亡く になっていた。だが、発展に寄与した 模のブドウ栽培家として知られるよう かりか、1920年代には地区最大規 あった荒廃したブドウ畑を甦らせたば ン業界に足を踏み入れ、土地の一画に 地を受け取ったのをきっかけに、ワイ は、1895年に債権と引き換えに土 代 の ジ ョ ン・ ユ ー ニ ー・ タ ロ ッ ク 氏 ロ ッ ク 家 だ。雑 貨 屋 を 営 ん で い た 初 には、後に夫となる男性が客としてセ れてしまったという。オープン 週目 伝うつもりが、ワインの世界に魅了さ 直売所︶をほんのしばらくの間だけ手 新装オープンするセラー・ドア︵試飲 を前にたまたま実家に戻ることになり、 築きつつあったなか、長期の海外滞在 ケティング・広報の分野でキャリアを の 世 界 に 入 っ た の よ ﹂と 笑 う。マ ー 祖 父 と 同 じ で、わ た し も 偶 然 ワ イ ン 業界再編の波に翻弄されたのは、や 現在ゼネラル・マネージャーを務め はりワイン一族として知られるタ る第 世代のクリスティーナは、 ﹁曾 4 親が亡くなった時に 歳になったばか ク 家 は 家 業 を 手 放 す こ と に な る。父 なって数年後の1969年に、タロッ 年にだけ醸造されるタロックの限定シ いもあった。ブドウの出来が特別いい ラー・ドアを訪れるという運命の出会 2 ら、1 9 9 7 年 に 引 退 し て 妻 と 一 緒 ネ ラ ル・ マ ネ ー ジ ャ ー に 就 任 し て か 代の終わりにゼ りだったジェイ・タロック氏は従業員 きっと﹁クリスティーナ﹂の名を冠し チ歩きの クター﹂や祖母﹁ E.M. ﹂ 、母﹁ジュリ ア ﹂の 名 が 入 っ て い る。ま だ ヨ チ ヨ リーズのワインには、彼女の祖父﹁ヘ のブランドをタロック家の手に買い戻 だまだ強いオーストラリア・ワインも、 厚 で パ ワ フ ル ﹂と い う イ メ ー ジ が ま ク・ワインズ﹂のチーフ・ワインメー る。たとえば、 ﹁ファースト・クリー 性も少しずつ、だが確実に増えつつあ ナのようにトップレベルで活躍する女 アのワイン業界の中で、クリスティー だマジョリティを占めるオーストラリ すます発展していくだろう。男性がま を楽しむワイン・ツーリズムは今後ま ト ラ ン の レ ベ ル も 高 く、ワイン と 食 ハンター・バレーは、地産食材やレス 会に近く味にうるさい旅行者が多い レーにとって追い風になっている。都 めのワインを得意とするハンター・バ が低めのワインが好まれる風潮は、軽 向が相まって、以前よりアルコール度 たらした多様な食文化に、ヘルシー志 な っ て き た。世 界 中 か ら の移民 が も ンが前年に予約しておくため、リリー が少ない上に、常連客や高級レストラ 買えないものもある。もともと生産量 ンには、セラー・ドアへ足を運んでも ドウだけを使って丁寧に造り出すワイ のワインメーカーが自社畑で取れるブ だ。ブティック・ワイナリーの職人肌 リーに、根強いファンがいるのは確か に情熱を注いできた個性的なワイナ こだわりを持って質の高いワイン造り 倒 的 な 存 在 感 を 誇 っ て い る。一 方 で、 大量生産する大規模なワイナリーが圧 は、飲みやすい手頃な価格のワインを シェアは %に及び、特に輸出市場で は2477社ある。上位 社の売上高 と、オーストラリアのワイン生産者数 ス ト リ ー・ ダ イ レ ク ト リ ー﹂に よ る め、多彩なワインが評価されるように 近年はエレガントで繊細なワインを含 2 0 1 1 年 版 の﹁ オ ー ス ト ラ リ ア &ニュージーランド・ワイン・インダ したのは、2001年のことだ。 わってきた。 ﹁タロック・ワインズ﹂ 変わるなか、ずっと直接的な経営に携 そのころ、ハンター・バレーはどん な風に変わっているのだろうか?﹁濃 5 と し て 働 き 続 け、 に﹁JYTワイン・カンパニー﹂を立 たワインも加わっているに違いない。 代目が活躍するころには、 ち上げるまでの間、何度もオーナーが 20 20 2 &ワイン・インダストリー・アワード そ れ が、家 族 経 営 の ワ イ ナ リ ー が生き残るキーワードであると同時に、 の﹁ ワ イ ン メ ー カ ー・ オ ブ・ ジ・ イ ヤー﹂を受賞した。名誉あるこの賞に これからも多種多様なおいしいオース どのワインをいただこうか? ■ なっていくに違いない。さて、今夜は トラリア・ワインを生み出す原動力と 女性が輝いたのは初めてのことだ。 ︱ 今年のハンター・バレー・レジェンド パ イ オ ニ ア 精 神 を 失 わ ず、ユ ニ ー クでクリエイティブであり続けること カ ー を 務 め る リ ズ・ ジ ャ クソン 氏 は、 ス早々売り切れてしまうのだ。 45 10 11 2 ■ The Wollombi Tavern Old North Road, Wollombi 知る人ぞ知るウォロンバイ名物の「ジャングル・ジュース」。1959 年の火事で何もか も失った当時のオーナーが、お腹をこわした時の民間療法にアイデアを得て、ワインと ブランデー、ポート等をミックスしたアルコール飲料で、調合の割合は企業秘密だそう。 前夜の残りのアルコールを混ぜたのが始まり……と聞くと、ちょっと恐ろしい味を想像 するが、話の種に思いきって飲んでみると、意外にも結構イケる。村にあるパブのカウ ンターで試飲が可能。 ■ Balloon Safaris www.balloonsafaris.com.au/ ■ Balloon Aloft http://www.balloonaloft.com.au/ リムジンや馬車を利用したワイナリー巡り や、ゴルフや乗馬等、アクティビティ満載の ハンター・バレーの中で特に人気が高い熱気 球。日の出前に集合し、刻々と変化する空の 色を背景に 360 度のパノラマ・ビューを眺 める空中散歩は、とっておきの体験となるは ず。シャンペン・ブレックファースト込みで、 平日は $299 ∼、週末は $335 ∼。 13 1豪ドル=約76円(2011年11月末時点) ■ Bistro Molines 749 Mt View Road, Mount View 素晴らしい眺めが広がるマウント・ビュー・ロード沿いにある「ビストロ・モ リネス」は、ハンター・バレーの料理界の発展に多大な影響を与えてきたフラ ンス出身のロバート・モリネス氏がオーナー・シェフを務めるチャーミング なビストロ風レストラン。旬の素材、地元の食材を盛り込むために、メニュー は絶えず変化しているという。アラカルトは前菜が $25 前後、メインが $40 前後。ランチは火・水曜を除く週 5 日、ディナーは週末(金・土曜)のみ。 ■ Jazz in the Vines 1882 Broke Road, Pokolbin 年間を通じてさまざまな催しが開催され、特に緑が まぶしい春(9 ∼ 10 月)や収穫を終えた秋(3 ∼ 4 月)には、大型イベントが目白押しのハンター・バ レー。たとえば、今年 20 回目を迎えるジャズ・イン・ ザ・バインズは、広大な芝生の上でピクニックがてら、 ほろ酔い気分でオーストラリアを代表するジャズ・ アーティストたちの極上のパフォーマンスが楽しめ るハッピーなイベント。屋台でワインを購入でき、食 べ物やソフトドリンクは持ち込み可。2012 年は 10 月 27 日開催予定。 12 ■ Margan Wines ■ First Creek Wines フライング・ワイン・メーカーとして国際的に 活躍したアンドリュー・マーガン氏が、ブロー ク地区の気候や土壌を活かした高品質で個性的 なハンドクラフト・ワイン造りを行っている。 約 30 の小規模ワイナリーからワイン・メイキ ングを請け負うスペシャリストで、近年は自家 ブランドでも高い評価を受けている。最新鋭の 醸造設備と瓶詰め施設を見学できるツアーあり。 1238 Milbrodale Road, Broke 600 McDonalds Road, Pokolbin ■ Pepper Tree Wines 86 Halls Road, Pokolbin 1991 年創業の比較的新しいワイナリーながら、 国内外のコンテストで数々の受賞歴を誇る実力 派ブティック・ワイナリー。エレガントで個性 のあるハンドクラフト・ワインが売り。 DeBeyers Road, Pokolbin 1866 年創業のハンター地区で最も歴史ある ワイナリーの一つで、昔の機具等を展示した ミュージアムを併設。小高い丘の上にあり、ぐ るりと広がる素晴らしい眺望が見渡せる。 ■ Tyrrell's Wines 1838 Broke Road, Pokolbin ■ Brokenwood Wines 説明は P9 参照。 401-427 McDonalds Road, Pokolbin 2001 年ロンドン・インターナショナルで世界 一に選ばれた赤ワインで、ハンター・シラーズ の存在を世界に知らしめた。1970 年創業以来 「いいワインを造って楽しむ」を社是に掲げる。 説明は P10 参照。 eR o ad Broke Tyrrell's D r i ve Jazz Festival | ★ y tr ine Coun Margan 638 DeBeyers Road, Pokolbin W Bro k ■ Tulloch Wines M ac don alds Road ■ Audrey Wilkinson Vinyard First Creek Broken Wood Tulloch Pepper Audrey Tree DeBayers 82 Wilkinson Oakey Cree ■ Noyce Brothers Wines Road k Road 2884 Wollombi Road, Wollombi ハリウッドで活躍する映画監督フィリップ・ノ イスが兄弟と経営するワイナリーのセラー・ド ア。歴史的な建物の 2 階は宿泊施設になってお り、庭園を結婚式等で利用することもできる。 Bistro Molines★ ll Wo Cessnock o m bi R oad Wollombi Wines Millfield Noyce Brothers To Sydney ■アクセス ■ Wollombi Wines Wollombi Road, Wollombi 現オーナーのホフト・ファミリーが、1994 年 に最初のブドウの木を植え、2008 年にセラー ドアをオープンした新しいブティック・ワイナ リー。収穫期には、今も家族総出で手摘みを行う。 Wollombi ロウワー・ハンター・バレーの中心地ポコルビ ン・ロスバリー地区へは、シドニーから途中フ リーウェイ (F3)を経由して車で約 2 時間。公共 交通機関はなく、広大な丘陵地帯にワイナリー や宿泊施設が点在しているため、現地での移動 手段ももっぱら車となる。 ■ハンター・バレーの遊び方 140 以上あるワイナリー、セラー・ドアのほと んどで、無料テイスティングができる。本格的 な試飲は口に含むだけで吐き出すが、心おきな く飲みたい場合は、ワイナリーを巡るツアーを 利用するのが得策。レストランはもちろん、オ リーブやチーズ等のグルメ食材にも注目したい。 14
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