(吉田城)の研究 - 愛知県高等学校工業教育研究会

城
城郭(吉田城)の研究
愛知
知県立豊橋工業高等学校
建築科
1
富安芳裕
はじめに
日本の城(城郭)は、デザイン面においても日本人の知恵と美意識が生ん
んだ芸術作品であり、日
本の建築美は、城に集約されて
ていると言っても過言ではない。戦国歴史ブー
ームの中、各地の城で復
元・整備が進み、最近では名古
古屋城本丸御殿復元が有名である。吉田城は愛
愛知県豊橋市の豊川蛇行
部、段丘面に築城されて平成 17 年(2005)に 500 年を迎えた。同市主催の「吉田城シンポジウム」
や報告書「検証・吉田城」が発
発行、市民グループ「あなたが主役豊橋の未来
来友の会」、「吉田城復元
築城を願う会」の設立など、吉
吉田城再復元を望む声は日増しに大きくなり始
始めている。しかし、復
元資料となる写真や建築図面は
は略平面図しかなく、想像上の建物を巨額の費用
用を投じて建設(復興)
することは恣意的であると思わ
われる。その資料不足はどの程度なのか、調べ
べてみることとした。
2
研究概要
本研究は①城郭建築の基本的
的な知識と、②私自身の地域・郷土への関心、愛着の湧く吉田城の成
り立ちと復元実現への理解、が
が目的である。
3
今日の城郭建築
(1)
現存天守
現在の城の建物はおおま
まかに「現存」
「復元」
「復興」に分けられる。
「
「現存」とは当時の城が
残っていることで、全国に
に現存天守・櫓は 14 基あります。「復元」は天
天守などを当時のままに
つくりなおした城で、「復興
興」は城跡にあった天守・櫓を想像して建てた
た城です。
ア
(2)
全国現存 14 天守・櫓一
一覧
弘前城(青森)
重文 9
丸亀城(香川)
重 3
重文
松本城(長野)
国宝 5
高知城(高知)
重文
文 15
犬山城(愛知)
国宝 1
伊予松山城(愛媛)
重文
文 21
丸岡城(福井)
現存最
最古、重文 1
彦根城(滋賀)
国宝
宝 2、重文 5
宇和島城(愛媛)
重 1
重文
大洲城(愛媛)
重 1
重文
姫路城(兵庫)世遺、国
国 8、重 74
松江城(島根)
重 1
重文
備中松山城(岡山)
熊本城(熊本)
重文 3
重文
文 14
史実に近い姿で復元され
れるようになった城郭
これまで城郭の復元は、建築基準によって木造 2 階以上の
建物を造りたくても造れな
なかったが、復元ブームにも平成の
復元ブーム、昭和の復元ブ
ブームがあり、違いは、より史実に
近い姿で復元されているか
か否かです。現在では管轄官庁であ
る文化庁からの指導で、城
城跡には、事実とは異なる建物を造
ることができなくなったこ
ことも理由にあります。
1
忠実に
に復元された掛川城
4
城郭の歴史的考察
(1)
城郭に関る法令・制度
元和元年(1615)、徳川家
家康は上記2法令を発した。「一国一城令」は
は諸国の城を原則として
一領国に一居城以外認めな
ないとし、諸大名に対し居城以外の城の破却を命じた法令である。続
いて「武家諸法度」は、大名
名が居城を修復する場合は総て幕府に事前に届出ることを義務づけ、
許可を得てから着工する厳
厳しい法令である。新たに築城はもとより、既
既存の城であっても修復
以外は一切禁止するものだ
だった。櫓や城門、土塀などの修復は事前の届出は不要とされたが、
堀、石垣、土塁の修復は事
事前の許可申請義務を課した。城の修復許可申請には「申請書状」と
もに修復内容を注記(朱線
線)した「城絵図」の今でいう公文書(幕用図)が必要とされ、申請
内容に偽りがあれば、幕府
府を欺き、反逆の企てがあると見なされ、改易を含む厳しい処分が待
っていた。諸大名たちは細
細心の注意を払って城絵図を作成し、藩には、その控えを保管したこ
とにより、全国各地に城絵
絵図が現存し、今日の城郭復元に役立っている。
掛川城御天守台崩所絵
絵図
(2)
地震によって破損した箇所を示す吉田城絵
城下町の形成
中世の末から、諸国の武将がその配
配下や商人・職人を自ら
の領地に定住させるためにつくられた
た都市が城下町の起こり
である。各藩の統治体制が確立すると、城郭を中核にして、
周囲を藩士の武家屋敷が取り巻き、その外側(外堀を境)に
町家・船場を配置した城下町が各
地
地につくり出された。
江戸図屏風(部分)
(3)
防御ラインの考え方(惣
惣構)
堀や城壁をつくることは
は内側に盛られた土塁上から堀の外側に寄せ来
来る敵との間に戦闘距
離を確保することで、近世
世以前の日本の城の特徴は、城主の家(城)のみ
み堀や城壁で堅固にし、
城下町の周囲にはこれとい
いったもの(堀や城壁)がない。秀吉の大坂城は
は、城を核として政治・
軍事・経済を集中した城下
下町とそれ取り囲む壮大な堀を構える惣構とい
いう近世城下町の先駆け
となった。
2
日本固有の石積技法
(4)
石垣組みの技術を完成させ、近畿の城では近世
世初頭から石垣積みが主
近江穴太衆(石工)が石
流となる。石垣のほとんど
どが割ったままの石材を積みあげている。これ
れは雨が多い日本では石
垣の排水を工夫し、石がは
はらんで崩壊するのを防ぐための知恵である。堀の底に太い松の胴木
を敷いて、石垣崩壊の原因
因である不同沈下を防ぎました。また、石垣に反りをつける場合、石
垣二分の一までは緩やかな
な直線で、残り二分の一の一石ごとに急にし、急勾配にします。
石垣の勾配と反り
石垣の断面
吉田城石垣胴
胴木
一見して粗雑に見える石
石垣には、土木的機能と美意識が兼ね備わっている。さらに、天下普
請によって普請方(築城工
工事担当大名・家臣)の家紋や配置確認印が刻まれている石垣も存在
する。
石垣を割るための矢
矢穴の痕
(5)
吉田城石垣刻印「片輪車・一文
文字一星」
天守構造
ア
天守・・・城の象徴的
的な建築であり、飾り立て、城主の武威と富の
の象徴である。
「断面」望楼型天守
守「立面」
イ
「断面」層塔型天守
守「立面」
破風と懸魚
破風の反りは、日本の
の城の
優美さを創り出し、懸魚
魚は破
風の下に取り付けられて
ている
彫刻を施した飾り板。火
火除け
吉田城懸魚
や魔除けとしている。
3
三花蕪
蕪懸魚
吉田城築城考察
5
(1)
丘面(高さ約 10m)の高台で展望がよくきくこ
こと。
①段丘
築城地選定理由
②交通
通要地(豊川の渡河点)に近いこと。
③深い
い川である豊川と朝倉川を自然的防御線として利用できる。
(2)
吉田城の構成と主な特徴
徴
・築城者
:池田輝政(後
後の姫路城築城者)
・城郭様式
:平城
・縄張
:後堅固の構
構え
・曲輪配置
:半円(輪)郭式
・面積
:惣構内
・堀
:空堀(惣構
構 2 条水堀)
・石垣
:野面積石垣
垣、他は土塁
吉田城本丸
約 84 万㎡
至静岡
・城郭の特徴:本丸四隅に
に天守を含む
至豊橋駅
三重櫓を配置
置「三段重ね重箱造」
(3)
至名古屋
天守、本丸の石垣・堀は存在している
吉田城惣構の広さ
加賀百万石の金沢城(城
城域面積約 30 万㎡)に対して、15 万 2 千石の
の吉田城域が約 84 万㎡
であるというのは驚異的広
広さといえる。吉田城は平城・半円郭式の先駆
駆けであると言える。
現在の国道1号線→
①
豊川
本丸
惣構ライン→
二の丸
三の丸
②
吉田藩士屋敷図(部分)
らの吉田城天守
①豊川対岸から
②惣構南西隅に位置する悟真
真寺周辺
4
(4)
吉田城天守(代用)鉄三
三重櫓
吉田城本丸鉄三重櫓につ
ついて「天守」と明記した史料
が 7 点以上も確認できる。築城大原則のうち、敵に天守
と特定されないよう築城当
当時は「鉄櫓」と称し、天守の
象徴である鯱を吉田城では
は全ての櫓につけていた。望楼
型と層塔型の違いは最上階
階以外に入母屋破風があるもの
は望楼型であり、層塔型は
は上階を下階より規則的に床面
積を減らして積み上げるも
ものである。吉田城天守は 1∼2
階は望楼型、3 階は層塔型の独特(独自)の「重箱造」としている。三重櫓で重箱造とするの
は弘前城(青森県)くらい
いで珍しい。また、江戸時代の櫓は御殿が見える方向に窓を開けるこ
とを禁じていることから鉄
鉄三重櫓は天守(代用)であると言える。
(5)
本丸と本丸御殿
本丸とは藩の政治を行い
い、城主が生活する場所で最重要な中心となる区画で、本丸御殿は城
主が寝泊まりする建物であ
ある。御成御殿は将軍が来城した際に使用され
れる宿所で、徳川秀忠・
家光が将軍宿所として頻繁
繁に吉田城本丸御殿を利用している。
鉄櫓
入道櫓
本
本
丸
丸
玄関
千貫櫓
辰巳櫓
吉田城本丸二の丸略絵
絵図(部分)
吉田城御本丸御殿御屋形
形絵図
御殿建築は武家諸法度に触
触れるものではないため絵図の存在が少ない。本丸御殿は書院造り様
式であり、吉田城二の丸御殿
殿の屋根は名古屋城本丸御殿と同じ「杮葺」という、薄い木の板を重
ねた高級な屋根が葺かれてい
いる。御殿は、上の本丸御屋形絵図をみると「玄
玄関」から「広間」
「大
広間」「白書院」「黒書院」が
が南から北西へ配置(書院本勝手配置)されている。
本興寺(湖西市)に寄進された吉田城二の丸御殿(茅葺)と吉田城大手
手門(高麗門形式)
5
6
日本の城がさらに面白くなる
るキーワード
(1)
石落[いしおとし]
・石垣からはみ出すように
に城壁の角に設けられたもので、有事の際は蓋
蓋をとって石を落として
攻撃できる仕掛け。
姫路城石落
(2)
吉田城石落
会津若
若松城石落
狭間[さま]
・塀や櫓に設けられた長方
方形や正方形、円形、三角形などの小窓。
・内側から外側に向かって
て窓枠が平面的に大きく開くように作られ、外
外側を狭くすることで外
部からの攻撃角度を狭め
め、内側からは敵に対して広範囲の攻撃が可能
能になっている。
(外)
銃
(櫓内)
狭間平面
(3)
姫路城城壁狭間
会津若松城城
城壁狭間
太鼓壁[たいこかべ]
・防火や防弾に優れた土蔵と同じ土壁で、壁厚は約 60 ㎝もあり、人の身
身長の高さまで太鼓壁。
(4)
堀[ほり]
・水をたたえた水堀、水の
のない空掘が一般的。壕ともいい、井戸や溜池
池こと。
山中城堀障子
子
会津若松城水堀
6
敵の動きを制限させる堀
7
おわりに
味
私にとって吉田城は大変興味
深く、忠実な復元の実現を願っています。例えば、右の合成写真
のように、国道1号線の橋から
ら見える一帯の天守、櫓、石垣等を整備・復元
元すれば、城郭ファン
ならずとも、
「城」に目が留まり
り、豊橋にはしっかりとした壮大なお城がある
るのか、一度、しっかり
見てみようとなると思います。
また、吉田城公園内に豊橋の
のB級グルメや地域の特産野菜などを提供する場(朝市)があれば、
吉田城の歴史にもふれ、豊橋の
の名物も食べることができる。そうなれば豊橋
橋の産業・文化発展につ
ながるのではないかと思います
す。
今後、さらに私自身の城郭建
建築の知識・模型制作技術を深めて、生徒が城
城郭に興味・関心が湧く
課題研究として指導していきた
たいと思います。
そして、豊橋工業建築科を卒
卒業した生徒が、将来、城郭専門家として発掘
掘・調査に関り、吉田城
復元者の一人として活躍してくれることを願っています。
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