フルトヴェングラーの コンサート

叢書・20 世紀の芸術と文学
フルトヴェングラーの
コンサート
解読・全演奏記録
山下山人【著】
アルファベータブックス
「まえがき」のようなもの
そもそも、フルトヴェングラーは《運命》と《未完成》を一晩の演奏会で指揮したこと
があるのか? このレポートは、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの残した演奏会記録から、
彼の生前の活動を振り返ろうとする試みである。つまり、判明している限りの膨大な演奏
会の記録データを集計し、さまざまな角度・観点から分析し、彼の人間性にまで迫ろうと
いうものだ。
しかし、そもそもなぜ演奏会記録を「わざわざ集計、分析する」必要があるのだろう? と自問してみる。
なぜ、そんな面倒なことをするのか? その答えは、この国のクラシック音楽評論界に対する筆者の「疑問」というか「怒り」
にある、ということに尽きる。
この国の業界では、特に 1960 年代から 1970 年代、演奏家に対しレッテルを貼り、
「決
めつけ」を行なっていた。たとえば、
●ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはマーラーの交響曲を振ったことがない。
●バルビローリはイギリス紳士なので、演奏はジェントルで、ディーリアスなどのイギリス
作品が得意だ。
●トスカニーニやメンゲルベルクはブルックナーを振ったことがない。
●カール・シューリヒトは、ドイツの地方都市で地味に活動していてナチスとは無縁であり、
モーツァルトやブルックナーに融通無碍の演奏を行ない、現代音楽はあまり演奏しておら
ず、戦前の評価は低く、ベルリン・フィルを指揮したのは戦後になってからだ。
など、数えあげればきりがない。
情報に乏しかった我々は、当時これらのレッテルを無条件に信用していた。「レコード
芸術」誌をはじめとするメディアや音楽評論家がそのように書きたて、我々は「そのよう
なものだ」と思いこんでいた。しかし、これらの多くが事実と違っていたことは、その後
ネット社会の発展とともに次々と証明されている。
そうなったのは「レコードのみの情報で演奏家を判断するこの国の業界の体質」が原因
である。この体質は現在でもなお続いていると言えよう。もちろん、レッテルを貼ったり
決めつけたりしたほうがレコード(CD)を売りやすいのだから、営業上致し方なかった
面もある。そこは否定しない。
でも、時代は変わったのだ。
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「まえがき」のようなもの
ネット社会になり、驚くほど多くの情報が誰でも容易に手に入るようになった。その結
果、過去の「決めつけ」が誤りであったらしいことが徐々に判明してきた。
そう、誤った風評は正さねばならない。性急な「思い込み」や単純な「決めつけ」など
ではなく、残された「事実」のみが「何が正しいか」を証明するのである。
ある演奏家を論じるのであれば、当たり前ではあるが、演奏会での活動を抜きにしては
語れない。あくまでレコーディングは「おまけ」にすぎないのだ。レコードを基に演奏家
を評価すること自体が誤りなのである。
さて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(以下、WF と略)は、我々にとって依然と
して興味深い分析対象であり続けている。彼については今までに実に多くのことが語られ、
議論されてきた。しかし、その多くが「商業録音」をテーマにした議論であり、彼が最も
力を注いだ演奏会やオペラにおける活動については、一部で論考があるものの、体系だっ
た議論がされているとは、とうてい言い難かった。
我々は WF の実演を聴けないうえ、残されたレコーディングも、多くが戦後、彼がレ
パートリーを大幅に縮小した時代のものが圧倒的に多く、それのみで彼を考察すると判断
を誤る可能性がある。
では、どうするか。演奏会のデータで、その演奏家の活動の全貌を知り、分析し、偲ぶ
しかない。そうして再評価すべきなのだ。
そもそも演奏家とは、グレン・グールドのような例外を除き、演奏会での演奏が本来の
活動の場である。録音できるのは、今も昔も限られた人と考えるべきで、むしろ例外的な
出来事と考えるべきである。おそらく、どんな演奏家でも、録音された活動よりは録音さ
れなかった活動のほうが圧倒的に多いはずだ。
繰り返すが、このレポートは WF の生前の活動ぶりを、主にコンサートのデータから
読み取り、振り返ろうというものだ。そこに筆者の多少の推論も交えて、彼の演奏家とし
ての「生き方」に迫ろうという試みである。
この過程で、我々が何となく想像していた事柄や、これまでメディアがはやしたててき
た「伝説」が果たして本当だったのかどうか、具体的でデジタルな「数字」で表されるだ
ろう。そして、もしかしたら、そこから想定外の結果が読み取れるかもしれない。
また、読んでいただいておわかりのとおり、筆者は随所でいくつもの疑問を呈している。
コンサートのデータから「?」となるものがいくつも出てくるが、筆者の疑問に答えられ
る情報をお持ちのほうがいらっしゃれば、ご教示いただけるとありがたい。
数字の検討過程で、彼の活動と比較する意味で、アルトゥーロ・トスカニーニ、ブルー
ノ・ワルター、ヘルベルト・フォン・カラヤン他の同業者の演奏記録も適時参照すること
にしたい。そうすることで、WF の生前の活動がいかなるものであったか、ある種の「特
徴」や独特の「におい」のようなものが見えてくると思えるからだ。
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「まえがき」のようなもの
前提とした時代区分
では、これから数字の検討に入るわけだが、その前に、WF の長い演奏歴を簡単に俯瞰
することから始めたい。
まず、WF の膨大な演奏履歴を見るにあたっては、いくつかの時代別に区分することが
有益であると考える。その理由は、後に述べよう。
私見では、彼の演奏履歴は大きく 5 つの時代に区分できる。シーズンごとに表記する
と以下のようになる。これは、それぞれに少なからぬ意味がある区分なのだ。
第 1 期「1905/06 年~ 19/20 年」12 シーズン
(1907/08 ~ 09/10 年までの 3 シーズンは記録がないため除く)
第 2 期「1920/21 年~ 21/22 年」2 シーズン
第 3 期「1922/23 年~ 32/33 年」11 シーズン
第 4 期「1933/34 年~ 44/45 年」12 シーズン
第 5 期「1946/47 年~ 54/55 年」9 シーズン
第 1 期「1905 年~ 1920 年」
(初期、または修行時代)
キャリア初期のこの時期は、大きな意味での WF の「修行時代」と言うことができる。
WF が初めて指揮した演奏会は 1906 年 2 月 19 日にミュンヘンでカイム管弦楽団を振
ったものとされている。次に確認された演奏会は、1906/07 年シーズンのチューリッヒに
おける 21 本におよぶ舞台上演である。それからの 3 シーズン、すなわち 1907 ~ 1910
年までの間はデータが存在していない。
続く 1910/11 年シーズンからが、WF の指揮者としての本格稼働時期に入ると見ていい
だろう。これ以降、1920 年までの時期はさらに 3 つに区分される。
①「ストラスブール」1910 ~ 11 年
楽長プフィッツナーの下での修行時代。
②「リューベック」1911 ~ 15 年
自身、初の楽長となる。主にコンサート・レパートリーを拡大する時期にあたる。
WF は何とオペレッタの抜粋などを数多く振っている。作曲家の国籍もバラエティ
に富む。しかし 1914 年 7 月の第 1 次大戦勃発により、面白いことに最後のシーズン
(1914/15)のプログラムには「戦争気分を鼓舞する」作品が並び、ロシア・英仏作
品が消える。
③「マンハイム」1915 ~ 20 年
マンハイム時代は、オペラの時代である。ただし、オペレッタ的作品がぱったりとな
くなり、シリアスな作品ばかりになる。まるで第 1 次大戦の開始が、WF をしてシリ
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「まえがき」のようなもの
アスな作品に目覚めさせたかのようだ。
仏フルトヴェングラー協会は、次の「1920 ~ 22 年」とあわせて、この時代を「The
learning years」と呼んだ。
第 2 期「1920 年~ 22 年」
(客演の時代)
この時期、WF はフリーランスとしてヨーロッパ各地に客演する。名声は急激に高まる。
ウィーン・トンキュンストラー、ベルリン州立歌劇場管弦楽団、そしてフランクフルト博
物館管弦楽団、それにウィーン楽友協会とも関係を持つようになる。
やがて、アルトゥール・ニキシュの死の報がもたらされる。
第 3 期「1922 年~ 33 年」
(全盛期、またはベルリン・フィルハーモニー期)
ついに WF は、アルトゥール・ニキシュの後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハ
ウス管弦楽団(以下「GOL」)とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下「BPO」)の
シェフの座を手に入れる。この 11 シーズンは、まぎれもなく WF の「全盛期」ないしは「黄
金期」である。一時期は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、
「VPO」)の指揮
者も兼任するという過密状態である。
ハンス・フーベルト・シェンツラーは、この 1922 年から 33 年までを「円熟の時代」、
仏フルトヴェングラー協会は「The glorious period」と呼んでいる。
ことに GOL と BPO を兼任していた 1922 年から 28 年のプログラムを一瞥すれば、現
在の我々がイメージする WF とはまったく違った演奏会が日夜行なわれていたことが垣
間見えるだろう。特に GOL の定期でのプログラムにおける、(一般的な概念からすると)
「WF らしくない」過激さは、別に述べるが、まったく目を疑う。
また、BPO での年間 10 回(ゲネプロを入れれば 20 回)の「フィルハーモニー演奏会」
は、
「黄金の 20 年代ベルリン」のコンサート界の頂点を極める演奏会であり、切符の入
手は困難を極めた。値段的にも他の指揮者の BPO コンサートよりも高額だった。ドイツ
音楽の使徒として、主にヨーロッパ各地に定期的(冬・春)に演奏旅行を行ない、圧倒的
な好評で迎えられる。この裏には片腕である敏腕マネージャー、ベルタ・ガイスマールの
手腕によるところが非常に大きい。まさにその名声は全ヨーロッパにとどろく。
そして最後のシーズンこそ不可解な結果になったものの、遠くアメリカまで足を伸ば
し、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団(以下、「NYPO」)を振る。その期間は
1924/25 年から 1926/27 年までの 3 シーズン連続となった。
曲目的には、GOL でも BPO でもいわゆる「同時代音楽」を積極的に取り上げ、賛否
両論を巻き起こす(この頃の WF 演奏会では、演奏中に出て行く客も多くいたのだ!)。
ヨーロッパの音楽界の頂点に君臨し、その「尊大な」態度は、一部の共演者や作曲家・演
出家から「プリマ・ドンナ的」と揶揄される。
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「まえがき」のようなもの
しかし、なによりも聴衆の人気は圧倒的だった。
まことに残念なことに、この全盛期の WF の姿を、我々はほとんど音として聴くこと
ができない。痛恨の極みである。
そして、この幸福な時代は 1933 年 1 月のヒトラー・ナチスの政権掌握とともに崩れ去
っていくことになる。1933 年 3 月 21 日、「第三帝国創立記念日」に、ベルリンでヒトラ
ー列席のもと《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を上演。
これが変調の始まりだった。
第 4 期「1933 年~ 45 年」
(
「変調をきたした時代」
、またはナチス期)
ナチス政権下で苦悩する WF。この時代を筆者は敢えて「変調をきたした時代」と名づ
ける。
筆者はこの時期をソヴィエトの大戦参戦を境にして、さらに「ナチス前期(1933 ~
1941)」と「ナチス後期(1941 ~ 1945)」とに大別したい。後期はナチス第三帝国の戦
況が悪化、ひたすら破滅へと向かっていくプロセスである。
財政難に端を発する BPO の国有化(1934 年)。「ヒンデミット事件」に引き続く BPO
などの公職辞任で世界中から賞賛されるも、その後のゲッベルスらとの不可解な和解(妥
協)による BPO 復帰。そして国有化されたことに伴い、その後の BPO との演奏はこと
ごとく「ナチのプロパガンダ」として政権に徹底的に利用されていく。
演奏の質の高さはともかく、道義的にはまことに悪名高いヒトラー誕生日記念のベート
ーヴェンの第 9。「歓喜力行団」や「ヒトラー・ユーゲント」のための演奏会。ハーケン
クロイツ旗の下での労働者向けのコンサート。
いっぽう、ユダヤ系の名演奏家は次々にドイツを去る。そんな中、WF は少なからぬ
数のユダヤ人に救いの手を差し伸べる。ユダヤ系大物演奏家に手紙を出し、ナチス下の
BPO に客演してくれるよう懇願するも失敗。解散させられそうだった VPO を、政府に
かけあってどうにか延命させる。
プログラムからは、まことに残念なことではあるが、
「ユダヤ人作曲家」の作品がぱっ
たりと姿を見せなくなる。
第 2 次大戦の開始により、コンサート・ツアーはドイツ国内中心のものとなる。2、3
の例外を除いて、基本的に WF は「占領地での演奏」を拒んだのがせめてもの救いか。
1939 年 9 月の英仏の対独参戦により、WF のプログラムからは「英仏作品」が消える。
1941 年 6 月のロシアの対独参戦以降、プログラムからは「ロシア作品」が姿を消す。
そして、1943 年と 44 年の「戦時バイロイト」における、傷ついた兵士たちを観客に
した《ニュルンベルクのマイスタージンガー》上演。この暗黒時代は、まさに皮肉なこと
に喜劇的な《ニュルンベルクのマイスタージンガー》に始まり、そして終わったと言って
もいいだろう。
国内ではヒトラーやゲッベルスとの虚しい「かけひき」や、「奇跡のカラヤン」に始ま
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「まえがき」のようなもの
る興行師フェッダーらの反 WF キャンペーン、これはゲーリング対ゲッベルスの代理戦
争でもあったわけだが、これによって WF はまさに肉体・精神ともに打ちのめされ、消
耗し、著しく「変調」をきたしていく。そして、1945 年 1 月ウィーンでの狂気に満ち満
ちたブラームス:交響曲第 2 番のあとのスリリングな脱出劇。
この時期、WF だけでなく、ドイツに残った演奏家は、否応なくナチスに協力させられ
た。ヘルマン・アーベントロート、カール・ベーム、オイゲン・ヨッフム、ハンス・クナ
ッパーツブッシュ、クレメンス・クラウス、ヨーゼフ・カイルベルトやあのカール・シュ
ーリヒトでさえも、ナチス政権下のベルリンで BPO を指揮したのだ。そして、ベルリン
州立歌劇場で WF と張り合っていたヘルベルト・フォン・カラヤン。なぜか WF とカラ
ヤンのみが、ナチスとの関わりを現代になっても未だに問題視されているように見える。
しかし、WF にとってはこのような苦悩に満ちた時代であったにもかかわらず、音資料
はそれなりに残されていることを現在の我々は深く感謝しなければならない。
戦前戦中の、
まさに火を吐くような演奏の記録を聴く時、現代に生きる我々は演奏の「もの凄さ」と同
時に、何か大きな「違和感」を感じてしまうのである。果たしてこれは「演奏」と呼んで
いいものなのだろうか? 現代の茶の間で無邪気に「楽しんで」
しまっていいものなのか? 明日をも知れぬ極限状態の人々が、その時に「生きた証し」として後世に遺した「遺言」
のようなものではないのか? 仏フルトヴェングラー協会は、この時代を「国内亡命の時代」と呼んだ。
第 5 期「1946 年~ 54 年」
(戦後、または「縮小」の時代)
1945/46 年シーズンは、1 回も演奏会が開かれなかった。
その後の「非ナチ化裁判」を経て、WF はようやく自由な指揮活動ができるようになる。
しかし、まるで戦前・戦中に負った大きな傷を思い出したくないかのように、BPO を指
揮する機会は相対的に低下していく。演奏回数を増やしてほしい、再びシェフになってほ
しいとのオーケストラ側の要請にも、なかなか首を縦に振らない。
一方で、金銭的な事情が大きいとは言え、アルゼンチンなど各地のオーケストラへの客
演が多くなる。VPO を振る回数が急激に増加していく。
プログラム的には、ますますドイツ物に固執していき、
「レパートリーの狭いフルトヴ
ェングラー」という、現在の我々日本人が持つイメージを決定づけるようになっていく。
批評家からの賞賛と(現代作品が少ないという)批判、一方で各地での大衆からの絶賛。
戦中から続くフォン・カラヤンとの確執、異様とも思える彼への並外れた「嫉妬」と「嫌
がらせ」。作曲家として評価されたいが世間はそうは認めないという、最大の悩み。
戦後の WF は、演奏の円熟と同時に全盛期から見ると「縮小」していった時期である。
こんな状況なのに、音資料は逆に充実していく。「WF の演奏はテンポが遅い」という日
本の評価はここから来ている。確かに、偉大な円熟の境地は垣間見える。だが、それも
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「まえがき」のようなもの
1920 年代の「全盛期」に鳴っていた活き活きした音からすれば、影(エコー)のような
ものではないだろうか。
なお、仏フルトヴェングラー協会は、この最後の時代を「アポテオーシス」と呼んでいる。
以上見てきたように、WF の約 45 年間にわたる演奏史は、1933 年の「ナチスの政権掌
握」で見事にポジがネガに転じる。これを境にはっきりと 2 つに大別される。この間の
断層の深さはあまりにも大きい。あたかも、それまでの登り坂が急に下り坂に転じるよう
だ。
上記で区分した第 3 期(全盛期)と第 4 期(変調をきたした時代)は期間的に同じく
らいのスパンがあるが、前半の「全盛期」はいわば「栄光の時代」であり、ナチスが政権
掌握して以降の後半「変調をきたした時代」は、逆に「苦難の時代」である。
最後の第 5 期(戦後)では、相変わらずドイツの巨匠として尊敬は集めるものの、「元
ナチス」との非難や、戦後の価値観の急激な転換で「時代遅れ」とみられたり、作曲家と
して評価されたいと願うもそのとおりにはいかなかった、必ずしも本人的には豊かであっ
たとは言いがたい。未来への希望があるわけではない、いわば「生きづらい」人生となっ
たのだ。
この基本的な人生の流れを正しく理解しないと、WF の芸術の変遷を理解できないであ
ろう。
戦争やナチスから受けた打撃は、実に大きく後半生に影響を及ぼしているのだ。
そして、人生の前半・人生の後半とも、「戦争」というものが重要なキイワードとなっ
ていくのだ。
これからのレポートでは、もうひとつの大きな軸として「戦争」と「ユダヤ人作曲家」
、
それに賛否両論ある「同時代音楽への関わり」も考慮していきたいと思う。
最後になったが、本書を最愛の妻、恵および両親に捧げたい。
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「まえがき」のようなもの
演奏会の集計方法について
WF の演奏会データを集計し、分析するうえで基本となるのは、何と言っても Tahra
によるレネ・トレミヌ編纂の『コンサート・リスティング』1997 年版である。これが出
版されて CD ショップの店頭に並んだ時の衝撃といったらなかった。これにより私たちは、
それまで想像でしかなかった巨匠の演奏会プログラムの「ほぼ全貌」を知ることができ、
巨匠についていろいろ噂されていたものが真実となったわけで、亡きトレミヌと仏フルト
ヴェングラー協会には感謝しても感謝しきれないと言えよう。
ただ、もとよりこの種のデータにはまったく当然のことだが、100% 完全なものはあり
えず、この本も完全とはいえないし、その旨も記載されている。特に戦時中の BPO ツア
ーの曲目は資料が散逸して判明していないものが多いし、
「知られざる Lille 時代」とい
う項目まである。しかし完全収集を求める努力は未だに続けられているようで、Tahra の
ホームページに 2004 年版として改訂版がアップされ、その後も随時手直しされているよ
うだ。ただ、トレミヌの死により、このデータベースが今後どのように運営管理されるの
かが気にはなる。
本集計は、もちろんこの 2004 年 HP 版を基礎としているが、そのデータにあるいくつ
かの明らかな誤りを修正すると共に、別の情報源に基づき筆者の判断でデータを追加して
いる。そうして主に手直ししたものを最後に記載しておいた。
とにかく、以上のデータをひたすら集計し、並べ替え、さまざまな切り口で分析したの
が、これからご披露する結果である。
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「まえがき」のようなもの
参考資料
本文では次のとおり略記している。これ以外の文献はそのつど記載した。
「 ト レ ミ ヌ( 原 ) 本 」:Rene Tremine 『Wilhelm Furtwangler Concert Listing 1906 ~
1954』1997 TAHRA Productions
「HP」:Tahra のホームページ内の「The Concerts」(*)
(*)http://www.furtwangler.net/inmemoriam/data/conce_en.htm
「シラカワ本」
:サム・H・シラカワ『フルトヴェングラー 悪魔の楽匠』
(上・下)アルファベータ
「ハフナー本」
:ヘルベルト・ハフナー『巨匠フルトヴェングラーの生涯』アルファベータ
「プリーベルク本」
:フレート・K・プリーベルク『巨匠フルトヴェングラー ナチ時代の音楽闘争』
音楽之友社
「ガイスマール本」
:ベルタ・ガイスマー『フルトヴェングラーと共に』東京創元社
「アードイン本」
:ジョン・アードイン『フルトヴェングラー グレート・レコーディングス』音楽
之友社
「ケイター本」
:マイケル・H・ケイター『第三帝国と音楽家たち』アルファベータ
「平林本」
:平林直哉『フルトヴェングラーを追って』青弓社
「諸石本」
:諸石幸生『トスカニーニ その生涯と芸術」音楽之友社
「リース本」
:クルト・リース『フルトヴェングラー 音楽と政治』みすず書房
「奥波本」
:奥波一秀『フルトヴェングラー』筑摩選書
「アスター本」
:ミーシャ・アスター『第三帝国のオーケストラ』早川書房
「桜井本」
:桜井健二『マーラーとヒトラー』二見書房
オーケストラの略称を用いた。
BPO :ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
FMO :フランクフルト博物館管弦楽団
GOL :ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
NYPO :ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
VPO :ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
VSO :ウィーン交響楽団
WTO :ウィーン・トンキュンストラー管弦楽団
これ以外はそのつど文中で述べることにしたい。
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目次
目次
「まえがき」のようなもの…3
I 演奏記録の全貌…19
1 WF はいったい何回演奏会を指揮したのか…19
2 WF は何人の作曲家の作品を何曲、何回演奏したのか…24
3 WF はどのオーケストラを何回指揮したのか…28
4 オーケストラ別の特徴…34
1 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)…34
2 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(GOL)…43
3 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(VPO)…47
4 ニューヨーク・フィルハーモニック(NYPO)…56
5 BPO シェフに至るまでの道(1920 ~ 1922)…60
1 ウィーン・トンキュンストラー管弦楽団…60
2 ベルリン・シュターツカペレ…63
3 フランクフルト博物館管弦楽団…65
4 ウィーン楽友協会…66
Ⅱ 誰のどの曲をいつ演奏したか…69
◎ラモー …71 ◎パーセル …72 ◎バッハ …74 ◎ヘンデル …77 ◎ハイドン …79 ◎モーツァル
ト …81 ◎ベートーヴェン …89 ◎ウェーバー …110 ◎シューベルト …112 ◎ベルリオーズ …
116 ◎シューマン …118 ◎リスト …120 ◎ブラームス …124 ◎フランク…129… ブルックナー
◎ 130…J. シュトラウス…136 ◎ワーグナー…138 ◎ヴェルディ…154 ◎チャイコフスキー…
156 ◎ドヴォルザーク…160 ◎ニコライ…164
Ⅲ 「戦争」はフルトヴェングラーに何をもたらしたか…165
1 ユダヤ人作曲家の演奏記録…165
◎マーラー …169 ◎メンデルスゾーン …176 ◎シェーンベルク …180 ◎コルンゴルト …
183 ◎ブラウンフェルス…184 ◎ブロッホ …185 ◎ゼクレス…186 ◎ラファエル…188 ◎フォー
ゲル…189 ◎エッティンガー…189 ◎クレツキ …190 ◎トッホ…191 ◎その他の主なユダヤ人
作曲家たち…192
2 「戦争」は WF のプログラムにどんな影響を与えたか…193
①第 1 次世界大戦が WF のプログラムに与えた影響…193
②第 2 次大戦勃発後のプログラムの変化…197
③ヒトラーは何回、フルトヴェングラーを聴いたのか?…201
12
目次
④ナチス系ソリストとの共演…208
◎ナイ …208 ◎ギーゼキング …209 ◎キッテル …210 ◎ケンプ …213 ◎バックハウス …
214 ◎コルトー…215
⑤ベルリン空襲下の演奏会(1943/44 年シーズン)…216
⑥戦時中最後の日々(1944/45 年シーズン)…221
3 BPO 演奏会のソリストに見る第 2 次世界大戦の影響…227
①全盛期(1922 ~ 1933 年シーズン)…227
②変調期 ( ナチス政権樹立後 )(1933 ~ 1945 年シーズン)…233
Ⅳ フルトヴェングラーは「同時代音楽の擁護者」か…239
1 WF は同時代音楽の「擁護者」だったのか…239
2 WF の同時代作曲家の演奏記録を見る…254
◎リヒャルト・シュトラウス …254 ◎ヒンデミット …261 ◎プフィッツナー …264 ◎レー
ガー …269 ◎シベリウス …272 ◎バルトーク …274 ◎コダーイ …278 ◎ドビュッシー …
278 ◎ラヴェル …282 ◎ストラヴィンスキー …285 ◎プロコフィエフ …288 ◎レスピーギ…
290 ◎レズニチェク…291 ◎オネゲル …293 ◎ブゾーニ…293 ◎マリピエロ…295 ◎カゼッラ
…296 ◎ラフマニノフ…297 ◎ショスタコーヴィチ …298 ◎ヴィルヘルム・フルトヴェング
ラー …299 ◎ミャスコフスキー…303 ◎ボルトキエヴィッチ …303 ◎シグヴァルト …304 ◎
シェリング…304 ◎ストロング…305 ◎シマノフスキ …305 ◎演奏家としてのほうが有名な
作曲家の作品…306 ◎ジョージ・セルと WF の共演…306 ◎ヘーガーの作品…307 ◎その他
の演奏家の作品より…307
3 ナチス系の同時代作曲家の演奏記録を見る…309
◎マックス・トラップ …310 ◎パウル・グレーナー…312 ◎ゴットフリート・ミュラー …
314 ◎フィリップ・ヤルナッハ…315 ◎クルト・ヘッセンベルク…316 ◎ハインツ・シュー
ベルト…317 ◎ゲルハルト・フロンメル…318 ◎ヘルマン・ツィルヒャー …319 ◎カール・
ヘラー …320 ◎パウル・ヘーファー …321 ◎マックス・フォン・シリングス…322 ◎ゲオルク・
シューマン …323
Ⅴ フルトヴェングラーはどの国の作曲家の作品を指揮したのか…325
◎北欧の作曲家…325 ◎北米・南米の作曲家…326 ◎イタリアの作曲家…327
◎フランスの作曲家…331 ◎ロシアの作曲家…333 ◎イギリスの作曲家…335
Ⅵ フルトヴェングラーはどんなソリストと共演していたのか…337
1 WF が共演したピアニスト・ヴァイオリニスト・チェリスト…337
ピアニストとの共演記録…337 ◎ヴァイオリニストとの共演記録…340 ◎チェリストとの共
演記録…341
13
目次
2 ユダヤ人演奏家との共演記録を見る…343
◎アルトゥール・シュナーベル…343 ◎ブロニスラフ・フーベルマン…344 ◎クライスラー、
ティボー、カザルス…345 ◎ヴラディーミル・ホロヴィッツ…346 ◎カール・フレッシュ…
347 ◎グレゴール・ピアティゴルスキー …347 ◎ヨーゼフ・シゲティ …348 ◎イェフディ・
メニューイン…349 ◎その他の主な共演者…351
3 ユダヤ人以外の主な共演者たち…352
◎ヴィルヘルム・フルトヴェングラー…352 ◎エトヴィン・フィッシャー…353 ◎アドルフ・
ブッシュ…354 ◎フランチェスカッティ…355 ◎ルブカ・コレッサ…355
Ⅶ フルトヴェングラーのオペラ・舞台上演、および室内楽…357
1 オペラ・舞台作品…357
初期(1905 年~ 22 年)…358
①チューリッヒ(1906/07 年)…358
②ストラスブール(1910/11 年)…359
③リューベック(1911 年~ 15 年)…360
④マンハイム(1915 ~ 20 年)…360
⑤客演時代(1920 ~ 22 年)…363
全盛期(1922 ~ 33 年)…365
ナチス期(1933 ~ 45 年)…367
戦後(1946 ~ 54 年)…370
戦後のウィーン…371
ザルツブルク…371
2 室内楽、声楽伴奏など…373
その他、プログラムに関する余談…377
余談 1 ニキシュ追悼と、子供たちとの共演…377
余談 2 ゲーテ生誕記念のプログラム…379
余談 3 1929 年ベルリン芸術週間での「五大指揮者の写真」 にまつわる話…380
余談 4 パリにおける BPO とのフランス音楽…383
参考情報 1 ヘルツフェルトの集計値との比較…385
参考情報 2 データ変更個所について…388
1 全体に関すること…388
2 各シーズン毎の追加・修正点…389
おわりに…397
14
目次
表とグラフ
表 1 ● WF の生涯演奏回数……19
表 2 ● WF の時期別の演奏会回数……20
表 3 ● WF の作曲者数・曲目数・述べ演奏回数……24
表 4 ● WF の作曲家別演奏回数(上位 40 位まで)……25
表 5 ● WF の曲目別演奏回数……26
表 6 ● WF の国別の演奏回数……29
表 7 ● WF の都市別の演奏回数 (上位 20 都市)……30
表 8 ●トスカニーニと WF の 1930 年春のツアー日程……39
表 9 ●トスカニーニと WF の 1930 年春のツアーでの曲目……40
表 10-1 ● WF の WPO 演奏会プログラム(1927/28)……47
表 10-2 ●同(1928/29)……48
表 10-3 ●同(1929/30)……48
表 11-1 ●ナチスによるオーストリア併合以後の VPO 演奏会(歌劇場除く)(1937/38)……50
表 11-2 ●同(1938/39)……51
表 11-3 ●同(1939/40)……51
表 11-4 ●同(1940/41)……52
表 11-5 ●同(1941/42)……52
表 11-6 ●同(1942/43)……53
表 11-7 ●同(1943/44)……53
表 11-8 ●同(1944/45)……54
表 12 ● 1953 年 9 月、エディンバラ音楽祭の WF とワルター……55
表 13 ● WF のニューヨーク・フィルハーモニックでの演奏回数……56
表 14 ● WF の NYPO で演奏した国別の作曲者・曲数の回数……56
表 15 ● WF が NYPO に客演した 3 シーズンと翌シーズンの指揮者別演奏回数……57
表 16-1 ● WF のウィーン・トンキュンストラー管弦楽団での演奏会プログラム(1919/20)……60
表 16-2 ●同……61
表 16-3 ●同 1921/22)……61
表 16-4 ●同(1922/23)……62
表 16-5 ●同(1923/24)……62
表 17-1 ●同(1920/21)……63
表 17-2 ● WF のベルリン・シュターツカペレ(BSOK)での演奏会プログラム(1921/22)……64
表 18-1 ● WF のフランクフルト博物館管弦楽団(FMO)での演奏会プログラム(1920/21)……65
表 18-2 ●同(1921/22)……65
表 19-1 ● WF のウィーン楽友協会での演奏会プログラム(1921/22 ~ 1922/23)……66
表 19-2 ●同 ……67
表 19-3 ●同 ……68
表 19-4 ●同(1931/32 ~ 1938/39)……68
表 20 ● WF のバロックの作曲家作品別演奏回数……69
表 21 ● WF のモーツァルトの交響曲の演奏回数……81
表 22 ● WF のモーツァルトのピアノ、ヴァイオリン協奏曲の演奏回数……82
表 23 ● WF のモーツァルトの協奏曲と管弦楽作品の演奏回数……82
表 24 ● WF のモーツァルトのオペラ以外の声楽作品の演奏回数……83
表 25 ● WF のモーツァルトの序曲を除くオペラ作品の演奏回数……83
表 26 ●ベルリンにおける WF/BPO 演奏会でのモーツァルト交響曲演奏回数(シーズン別)……84
表 27 ● WF のベートーヴェン第 9 のオーケストラ別演奏回数……100
表 28 ● WF のウェーバー作品の演奏回数(カラヤンとの比較)……110
表 29 ● WF のブラームス作品の演奏回数……125
表 30 ● WF のフランク作品の演奏回数……129
表 31 ● 1938 年のザルツブルク音楽祭指揮者変更表……141
表 32 ● 1939 年のザルツブルク音楽祭のオペラ指揮者……142
表 33 ● WF 指揮による「イゾルデ」の配役……145
15
目次
表 34 ●バイロイト(1951)とスカラ座(1950)の《リング》配役……150
表 35 ● BPO における WF とワルターの指揮したマーラー……171
表 36 ● BPO におけるニキシュが指揮したマーラー……171
表 37 ● GOL におけるワルターと WF の指揮したマーラー……172
表 38 ●ウィーンにおけるワルターと WF の指揮したマーラー……173
表 39 ●同時代作品を WF は初演後何年以内に取り上げたか……247
表 40 ● WF による「世界初演」リスト……250
表 41 ● WF が「初演後 1 年未満で演奏した曲目」リスト……252
表 42 ● WF のプフィッツナー作品の曲別演奏回数……265
表 43 ● WF のレスピーギ作品演奏記録……290
表 44 ● WF による自作交響曲第 2 番の演奏履歴……301
表 45 ●トラップ作品の演奏記録……311
表 46 ●グレーナー作品の演奏記録……313
表 47 ●ブルーノ・ワルターによるグレーナー作品の演奏記録……313
表 48 ● WF による 41 年~ 42 年の演奏曲目より抜粋……316
表 49 ● WF のイタリアの作曲家作品の時期別演奏回数……328
表 50 ● WF のフランスの作曲家作品の時期別演奏回数……331
表 51 ● WF のロシアの作曲家作品の時期別演奏回数……333
表 52 ● WF が 5 回以上共演したピアニスト……337
表 53 ● WF と共演した有名ピアニスト……338
表 54 ● WF とピアニストとして共演したことのある有名な作曲家 ……338
表 55 ● WF が 5 回以上指揮したピアノとオーケストラの協奏的作品……339
表 56 ● WF と 9 回以上共演したヴァイオリニスト……340
表 57 ● WF と共演したことのある有名なヴァイオリニスト ……340
表 58 ● WF が 5 回以上指揮したヴァイオリンとオーケストラの協奏的作品……341
表 59 ● WF と 6 回以上共演したチェリスト ……341
表 60 ● WF と共演したことのある有名なチェリスト……342
表 61 ● WF が 5 回以上指揮したチェロとオーケストラの協奏的作品 ……342
表 62 ● WF とアルトゥール・シュナーベルとの共演記録……344
表 63 ● WF とブロニスラフ・フーベルマンとの共演記録……344
表 64 ● WF とカール・フレッシュとの共演記録……347
表 65 ● WF とグレゴール・ピアティゴルスキーとの共演記録……347
表 66 ● WF とヨーゼフ・シゲティとの共演記録……348
表 67 ● WF とメニューインとの共演記録……349
表 68 ●フルトヴェングラーがピアニストとして BPO と演奏した曲目と回数 ……352
表 69 ● WF とアドルフ・ブッシュとの共演記録……354
表 70 ● WF とルブカ・コレッサとの共演記録……355
表 71-1 ● WF がマンハイム時代(1915 ~ 20)に上演したオペラ①……361
表 71-2 ●同②……362
表 72 ● WF の全盛期(1922 ~ 33)都市別のオペラ上演回数……365
表 73 ● WF が全盛期に上演したオペラ……365
表 74 ● WF のナチス期(1933 ~ 45)都市別オペラ上演回数……367
表 75 ● WF がナチス期に上演したオペラ……368
表 76 ● WF が戦後に上演したオペラの都市別上演回数……370
表 77 ● WF が戦後上演したオペラ作品の都市別演奏回数……370
表 78 ● WF の室内楽、声楽伴奏等の回数……373
表 79 ●ヤニ・サーントとの共演記録 ……375
表 80 ● 1929 年ベルリン芸術週間のスケジュール……381
表 81 ●パリでの WF と BPO の演奏会でのフランス作品……383
表 82 ● 1911-1939 年シーズンまでの作曲家別集計値順位……385
表 83 ●筆者の集計よりもヘルツフェルトの集計が多かった曲……386
16
目次
グラフ 1 ■ WF の全公演(3256 回)の内訳……19
グラフ 2-1 ■ WF のシーズン別演奏会数①初期……21
グラフ 2-2 ■同②全盛期(BPO 期)……21
グラフ 2-3 ■同③ナチス期……22
グラフ 2-4 ■同④戦後……23
グラフ 3 ■ WF のオーケストラ別演奏回数の割合……28
グラフ 4 ■ WF の時期別の BPO と WPO を指揮した回数と割合……28
グラフ 5 ■ WF の都市別の演奏回数(全 3256 回)……31
グラフ 6-1 ■ BPO ツアー演奏回数(1922/23 ~ 23/33)……41
グラフ 6-2 ■同(1933/34 ~ 44/45)……41
グラフ 7 ■ WF のハイドン交響曲演奏回数……79
グラフ 8 ■フォン・カラヤンのハイドン交響曲演奏回数……79
グラフ 9 ■ WF のモーツァルト交響曲演奏回数……84
グラフ 10 ■ WF のモーツァルトピアノ協奏曲の演奏回数……86
グラフ 11 ■フォン・カラヤンのモーツァルトピアノ協奏曲の演奏回数 ……87
グラフ 12 ■ WF がベートーヴェンをとりあげた演奏会の回数……90
グラフ 13 ■ WF のベートーヴェン交響曲の曲ごとの演奏回数……90
グラフ 14 ■フォン・カラヤンのベートーヴェン交響曲の演奏回数……92
グラフ 15 ■ WF のベートーヴェン交響曲の演奏会の回数……93
グラフ 16 ■ WF がベートーヴェン交響曲を 2 曲以上取り上げた演奏会の回数とその内訳……93
グラフ 17 ■ WF のベートーヴェン交響曲を単独で取り上げた割合……94
グラフ 18 ■ WF のベートーヴェンの交響曲を単独で取り上げた回数……95
グラフ 19 ■ WF とフォン・カラヤンのベートーヴェンの協奏曲の演奏回数……103
グラフ 20 ■ WF とフォン・カラヤンのベートーヴェンの序曲の演奏回数……105
グラフ 21 ■ WF のシューベルト交響曲の演奏回数(カラヤンとの比較)……112
グラフ 22 ■ WF のベルリオーズ作品の演奏回数……116
グラフ 23 ■フォン・カラヤンのベルリオーズ作品の演奏回数 ……117
グラフ 24 ■ WF とフォン・カラヤンのシューマンの交響曲の演奏回数……118
グラフ 25-1 ■ WF のリスト作品の演奏回数①……121
グラフ 25-2 ■同②ハンガリー狂詩曲……121
グラフ 25-3 ■同③……122
グラフ 26 ■フォン・カラヤンのリスト作品の演奏回数……122
グラフ 27 ■ WF のブラームス交響曲の演奏回数……125
グラフ 28 ■フォン・カラヤンのブラームス交響曲の演奏回数……125
グラフ 29 ■ WF とフォン・カラヤンのブラームス協奏曲・ドイツ・レクイエム演奏回数……128
グラフ 30 ■ WF とフォン・カラヤンのブルックナー作品の演奏回数……130
グラフ 31 ■ WF のマイスタージンガー上演回数……139
グラフ 32 ■ベルリンとウィーンでの WF とフォン・カラヤンのトリスタン上演回数……143
グラフ 33 ■ WF のヴェルディ作品演奏回数 ……155
グラフ 34 ■ WF のチャイコフスキー作品演奏回数 ……156
グラフ 35 ■フォン・カラヤンのチャイコフスキー作品演奏回数……156
グラフ 36 ■ WF のドヴォルザーク作品演奏回数(全て戦前・戦中)……160
グラフ 37 ■フォン・カラヤンのドヴォルザーク作品演奏回数……160
グラフ 38 ■ WF のユダヤ人作曲家の演奏回数(演奏回数・作曲家数)……166
グラフ 39-1 ■ WF のユダヤ人作曲家のシーズン別演奏回数① 1911 ~ 22 年……167
グラフ 39-2 ■同② 1922 ~ 35 年……167
グラフ 39-3 ■ WF のユダヤ人作曲家のシーズン別演奏回数③ 1935 ~ 45 年……168
グラフ 39-4 ■同④ 1946 ~ 55 年……168
グラフ 40 ■ WF とフォン・カラヤンのマーラー作品の演奏回数……169
グラフ 41 ■ WF とフォン・カラヤンのメンデルスゾーン作品の演奏回数……177
グラフ 42 ■ WF のシェーンベルク作品の演奏回数……180
グラフ 43 ■フォン・カラヤンのシェーンベルク作品の演奏回数……180
グラフ 44 ■第 1 次大戦のプログラムへの影響(演奏回数)①ドイツ・オーストリア・ハンガリー系作曲家
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目次
の作品……194
グラフ 45 ■第 1 次大戦下の総プログラムにおけるベートーヴェン作品の割合……195
グラフ 46 ■第 1 次大戦下の総プログラムにおけるワーグナー作品を取り上げた割合……195
グラフ 47 ■第 1 次大戦のプログラムへの影響(演奏回数)②ドイツ以外の作曲家の作品……195
グラフ 48 ■ WF のフランス・ロシア・イギリス系作品の演奏回数……199
グラフ 49 ■期間別、作曲家別演奏会数の割合……200
グラフ 50 ■ WF が取り上げた同時代作曲家の割合……240
グラフ 51 ■ WF が取り上げた同時代の作品数の割合……240
グラフ 52 ■時期別・全演奏回数に占める同時代作品の割合……240
グラフ 53 ■ BPO の本拠地プログラムにのった作曲家の同時代作曲家の割合……241
グラフ 54 ■ベルリンでの BPO 演奏会における同時代作品の演奏回数……242
グラフ 55 ■ベルリン以外での BPO 演奏会における同時代作品の演奏回数……242
グラフ 56 ■ベルリンでの BPO 演奏会における同時代作品をとりあげたプログラム数……243
グラフ 57 ■ GOL 首席指揮者時代にとりあげた同時代作曲家の割合 ( シーズン別 )……244
グラフ 58 ■ GOL 演奏会における同時代作品をとりあげたプログラム数 ( シーズン別 )……244
グラフ 59 ■ WF が初めて演奏したのは初演後(作曲後)何年以内だったか……246
グラフ 60 ■ WF が初めて演奏したのが初演後 5 年以内の曲の割合……246
グラフ 61 ■ WF の同時代作品演奏頻度(作品数)……253
グラフ 62-1 ■ WF の R.シュトラウス作品演奏回数①フォン・カラヤンとの比較……254
グラフ 62-2 ■同② ……255
グラフ 62-3 ■同③……255
グラフ 63 ■ WF のヒンデミット作品の演奏回数(フォン・カラヤンとの比較)……261
グラフ 64 ■ WF のレーガー作品の演奏回数……269
グラフ 65-1 ■シベリウス作品の演奏回数(WF)……272
グラフ 65-2 ■同(フォン・カラヤン)……272
グラフ 66 ■ WF のバルトーク作品の演奏回数 ……274
グラフ 67 ■フォン・カラヤンのバルトーク作品の演奏回数……275
グラフ 68 ■ WF のドビュッシー作品の演奏回数(フォン・カラヤンとの比較)……279
グラフ 69 ■トスカニーニのドビュッシー作品の演奏回数……280
グラフ 70 ■ WF のラヴェル作品の演奏回数……282
グラフ 71 ■フォン・カラヤンのラヴェル作品の演奏回数……282
グラフ 72 ■ WF のストラヴィンスキー作品の演奏回数(フォン・カラヤンとの比較)……286
グラフ 73 ■ WF のオペラ・舞台作品の時期別上演回数……357
グラフ 74 ■ WF の室内楽、声楽伴奏等の回数……373
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