ジャック・ クール宮 - Palais Jacques Coeur à Bourges

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日本語
用語集
雨覆い : 雨水の排水のために壁に設けられたく
り型。
会計役 :王族家では、会計役が備品管理係を務
め、貴重な物品、家具、衣装の調達および保管
を担当していた。ジャック・クールは、軍人や民
間向けの店舗を開き、担保付きで金銭を貸し出
すなどして、その機能を拡大した。
ガレー船、ガレアス船: 中世期に、櫂と帆を備え
た船が戦争や商用に用いられた。
カンティング・アームズ : 所有者の名前を図形で
表した紋章。ここでは、ハートと貝殻の図案
が、三大巡礼地の一つサンティアゴ・デ・コンポ
ステラに関連付けられている。
マントルピース : 暖炉本体を収納する突出部。
持ち送り : 壁面の台座
役に立つ情報
平均見学時間 : 1時間
フランス語による解説付き見学あり
身体の不自由な方の見学可.
書店-ブティック
「Itinéraires」シリーズの一冊として、当モニュメントのガイドが
書店-ブティックにてお求めになれます。3ヶ国語版を揃えています。
Centre des monuments nationaux
Palais Jacques Cœur
10 bis rue Jacques Cœur
18000 Bourges
tél. 02 48 24 79 42
fax 02 48 24 75 99
www.monuments-nationaux.fr
crédits photos Médiathèque de l’architecture et du patrimoine/Archives photographiques/repro CMN, Paris. conception Plein Sens, Anders. réalisation beau fixe. traduction Caractères et cætera. impression Stipa, janvier 2014.
歴史
ジャック・クール
「大邸宅」
王のお気に入りとして (1440-1450)
ジャック・クールは、最も権勢を誇った時期に、
その出世人生にふさわしい立派な邸宅を所望し
ました。
1443年、クールは、ガロ・ロマン期の城壁に隣
接した特等地を獲得します。
ジャック・クールは、ベリー公に仕えていたブー
ルジュの豊かな商家に生まれました。
まず父親の事業を引き継いだクールは、1418年
の マ セ ・ド ・レ オ デ パ ー ル と の 結 婚 を 契 機 に し
て、ブールジュ造幣局での任務に就きます。
1432年、近東の旅から戻ったクールは、近東諸
国との商取引におけるイタリアの介在を退ける
ために、王のための船団をつくることを推進し
ます。
地中海沿岸におけるフランスの商業ベースを築
いたクールは、大いにその名声を高めました。
1438年、シャルル7世がジャック・クールを会計
役*に指名します。1441年の授爵によって、クー
ルは社会的ステータスを一気に高めます。
クールは、パリ造幣局長などの多くの任務を果
たし、莫大な権力を手にしました。
寵児の没落 (1451-1456)
債務者らによる反感の高まりや、自身の財政問
題によって、クールは1451年に逮捕され判決を
受けます。
友人であったニコラウス5世教皇の仲裁によっ
て、死刑判決を免れ、1454年にローマに亡命し
ます。
新教皇カリスト三世によって、トルコ十字軍の
総指揮官に任命されたクールは、この遠征中の
1456年にキオス島で亡くなりました。
1461年にはすでに伝説となったジャック・クー
ルは、詩人フランソワ・ヴィヨンの作品「遺言詩
集」においても、その生涯を歌われています。
*裏面に解説あり
ジャック・
クール宮
ゴシックフランボワイヤン様式
民間建築の傑作
野心的な建設プラン
豪華な私邸
他に並ぶもののないクールの邸宅は、中世の民
間建築史上における転換期となりました。ジャ
ック・クール自身の言葉によれば、この邸宅は
「大きく、広く、高く、豪華」でなければなりま
せんでした。
ムアン・シュール・イエーヴルにあるジャン・ド・
ベリー公の城をモデルにし、要塞化した家が建
築されました。
要塞とはいうものの、一歩中に入れば、社交
性、豪奢さ、私生活、快適さといった、クール
のあらゆる必要性に応えるものでなければなり
ませんでした。
広大な商業ネットワークを築いた商人で、シャ
ルル7世(1422-1461) **の会計役*を務めたジャッ
ク・クールは、1443~1451年、故郷の町に自身の
社会的ステータスに見合った華麗な邸宅を建設
しました。
この建物は、最も美しい私有の都市建造物のひ
とつとして、瞬く間に有名になりました。
1451年、ジャック・クールの逮捕を受けて、こ
の館は一旦王によって押収されましたが、1457
年にはクールの家族に返却されました。
館は、その後何度も所有主を変えた末に、1682
年、最後の個人所有者となったコルベールが、
ブールジュ市に売却しました。
建築工事
工事は1444年に着手されました。複雑な建設プ
ランのために、絶えず建設作業の進展を監視す
る必要がありました。頻繁にブールジュを離れ
なくてはならなかったクールは、この監視役
を、1457年からこの家に暮らすようになった妻
と自身の執事に任せます。
建築作業は非常に短期間で進められます。これ
は、1451年にクールが逮捕された際に、財産目
録の作成を担当した王の行政官たちが、大量の
家具調度類や銀食器類のあるこの邸宅を見出し
たためです。
公共建造物
19世紀初
頭の宮殿
この建物は、市役所と
して使用された後に、
裁判所となりました。
裁判所に改造された
1820~1830年の間に、
私邸の館内装飾が大幅
に削除されました。
1840年の歴史的建造物第一目録に加えられたこ
の宮殿は、数回にわたる修復工事を受けます。
1923年、国が建物全体を買収し歴史的建造物部
門に委託した後は、同部門が修復工事を引き継
ぎました。
*裏面に解説あり
**治世の開始と終末年
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ジャック・クール
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一階
中二階
二階
N
a
4
5
三階
N
7
12
e
b
c
b
14 15
17
1
N
10
13
6
2
11
9
8
3
d
N
f
16
15
g
快適な私生活を配慮した部屋の配置によって、公
共スペースとプライベートスペースがはっきりと
区別されています。
豪 華 な 装 飾 に は 、 ジ ャ ッ ク ・ク ー ル の 社 会 的 成
功と影響力が反映されています。ゴシック要素
(植物模様の装飾、ミニチュアの城塞型装飾)、フラ
ンス王の象徴 (ユリの花の紋章)、ジャック・クールの
カンティング・アームズ*(貝、ハート)、そしてクー
ルの家族や使用人たちを表した日常生活の現実的な
表象といった要素が、装飾を構成しています。
通りに面したファサード
このファサードは、礼拝堂を擁した背の高い入口
館を、二側面から囲みこんでいます。
1 入口の館 大きくそびえ立つこの館には、シャルル
7世へのオマージュが数多く残されています。
ステンドグラスのタンパンには、両側に二つのハー
トをあしらった大きなユリの花が見られます。その
すぐ下には、石製の天蓋があります。1792年まで、
この天蓋下には騎馬姿の王像が配されていました。
天蓋の両サイドの見せかけ窓には、ジャック・クー
ルとその妻の肖像彫刻が置かれていたと考えられ
ます。
入口の館の左手には階段小塔があります。この階
段のバラスター欄干には、家主の格言「勇敢な心
(フランス語でクール)を持つものに、不可能なこと
はない」が刻まれています。
雨覆い*と小円柱の交差部には、個性が豊かに表現
された小さな17体の頭像彫刻が配されています。
中庭
2 母屋のファサード は、三つの多角形階段小塔でア
クセントがつけられています。
左側の小塔は、式典の間の二つ目の出入口に通じ、
右側の小塔は、タンパンの彫刻装飾に示されている
ように、台所と地下室、屋根裏に通じています。
3 中央小塔 には、住まいの中央玄関があります。こ
の小塔には最も丹念な装飾が施されています。
彫刻パネルには、エキゾチックな樹木や、日常生
活における人々が表されています。最上部に描か
れているのは、ジャック・クールとその妻だと思わ
れます。
内部
4 宴の間 このレセプションおよび式典用の大広間に
は、音楽家たちが利用していた高壇が設置されて
います。
装飾には、シャルル7世のシンボルが使用されてい
ます。バラの茂み、アイリスの花束や、王の色で
ある赤、白、緑を用いた彩色跡が、大きな暖炉の
マントルピース*上に見られます
5 配膳室 には、宴の間のための料理が配されました。
壁に設けられたハッチ(料理を通す窓口)から、宴の
間が見えるようになっています。
6 小台所 は、暖房用ボイラー室兼水仕事のための部
屋でした。床暖房の要領で、かまどが次の間を暖
めていました。
7 蒸し風呂 は、当時の衛生と快適さへの強い関心を
示しています。•a• 階段を上る
8 中二階 は小さなプライベートスペースです。低い
天井によって暖が取りやすかったため、冬場に用
いられたと考えられます。•b• 階段を上る
9 式典の間 は、王廷裁判所の法廷を設置するため
に 、 1822年 に 徹 底 的 に 改 造 さ れ ま し た 。 こ の 法
廷では、バルベス、ブランキ、ラスパイユらに先
導された1848年の一連の暴動が裁かれています。
•c • 階段を上る
10 住まいの屋根裏 は、船底をひっくり返した形の骨
組で覆われています。
11 宝物の間 の持ち送り*装飾には、中世の伝説「トリ
スタンとイゾルデ」の一場面が表されています。
•d • 階段から1階に戻る
12 市参事会員室 は主塔内に設けられています。室内
には、ジャック・クールの格言が刻まれた暖炉のマ
ントルピース*装飾が保存されています。
17世紀末期、この部屋は市参議会の会議室に改装
されました。
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ミシェル・ロンゲのグリザイユ画によって、1687年
の、ルイ14世の孫ベリー公シャルルの誕生を称え
る祝祭の様子が描かれています。•e• 廊下を渡る
« ガレー船* »の寝室 の扉のタンパンには、ガレー
船が彫りこまれ、ステンドグラスには大帆船が表
されています。これらの装飾は、ジャック・クール
の地中海沿岸の船団旅行を想起しています。
ジャック・クールの執務室 からは、隣接する円形の
廊下がうかがえます。この廊下によって、各部屋
の独立性が守られていました。•f• 階段から下りる
二つの回廊 は通路として利用され、礼拝堂に通じ
ています。二つ目の回廊は娯楽の場としても用い
られました。
礼拝堂 には、1869年に修復されたヴォールトの絵
画モチーフが保存されています。これは、壁面装
飾と同様にドゥニュエルが手掛けたものです。
祭壇の両側には、ジャック・クールとその妻マセ・ド・
レオデパールのための二つの小礼拝堂があります。
最後の回廊 には豊かな彫刻装飾を施した二つの暖
炉があります。•g• 階段から中庭に下りる
*裏面に解説あり