第273回:おちおちカラオケもできないとは

ひと息コラム『巨龍のあくび』
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第273回:おちおちカラオケもできないとは
生まれて初めてガブリと中国語をかじったのは銀行の命令で半年間通った六本木の中国語学校であった。
ときは1979年(昭和54年)、中国は破壊と混乱の文化大革命がやっと終わった頃であり、中国語テキスト
も文革時代に作られたせいか革命の痕跡が色濃く残っていた。当時筆者が知っていた中国語はチー、ポン
にラーメン、タンメンだけだったので、学習方法は文章の丸暗記しかなかった。だから教科書に出てくるクソ
面白くもない革命京劇や日本鬼子が中国侵略云々のセンテンスをやむなく暗記した。
両頬が痙攣するくらい暗記したお蔭で、いまでも暗唱できるフレーズは多い。例えば江青(毛沢東夫人)
が指導したといわれる革命京劇「智取威虎山」のくだり。物語は国共内戦時代、東北部の山中における人民
解放軍と国民党系の匪族との戦闘を描いた作品で、50 年代に書かれた小説『林海雪原』が原作。国民党と
結託して威虎山に要塞を築き、村々を襲っては殺人略奪を繰り返し、人民を苦しめている匪賊を退治するた
め、解放軍の偵察兵が匪賊を装ってアジトに潜入し、近くの村に潜伏する人民解放軍の小隊と内外で呼応
し、敵の根拠地を壊滅させるというストーリーだったような。
最近国営中央テレビ(CCTV)の有名アナウンサー畢福剣氏(56歳)が宴会の席上、中国共産党を讃える
「智取威虎山」の革命歌に、面白おかしいコメントを加えながら歌い、政府の逆鱗に触れる椿事が発生した。
報道によると、私的な宴会で歌った毛沢東をおちょくる動画がネット上に流出したのだという。
宴席を囲み、談笑する人々。画面中央に映る畢アナが上機嫌で歌を歌い出す。問題となったのは革命歌
のさわり、36名の解放軍小隊が土匪の要塞に突撃する場面だ。歌詞はこんな感じかな、わざと東北訛りの
ズーズー弁で歌っている。
( ^0^)θ~♪工農軍!深山に突入だ(何しに?)
( ^0^)θ~♪反動派を断固打倒するぞ(あんだ、ケンガして勝てるの?)
( ^0^)θ~♪北から南まで何年かけても革命を継続だ(おづかれさま!)
( ^0^)θ~♪共産党毛主席がわれらを導く(ぢいさんにはひでえ目に遭った!)
( ^0^)θ~♪軍帽に紅い星、両襟に革命紅旗(何のおめかし?)
( ^0^)θ~♪紅旗はためき、解放区人民は地主を打倒する(地主が何か悪いことしたの?)
( ^0^)θ~♪匪賊のアジト威虎山は遂に陥落した(うそばっかし!)。
さすがは中国を代表する人気アナ、実に秀逸な宴会芸だ。ただ習近平政権が毛沢東万歳を繰り返すな
か、私的宴会とはいえタイミングが悪すぎ、また彼の社会的地位も高すぎた。畢氏はCCTVで放送されてい
る娯楽番組の名物司会者で、今年も日本の紅白歌合戦に相当する旧正月の恒例番組「春節連歓晩会」の
司会も勤めたチョー有名人だ。
悪いのはプライベート画像をネットに流出させた宴会参加者の誰かだが、本人は潔く「社会に対して深く
お詫びします。公人として今回のことを教訓とします」と謝罪し、勤務先のCCTVも最初は不問に付そうと思
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東洋証券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第 121 号
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ったようだが、ネットが大炎上したため、CCTVはやむなく緊急声明を発表し、畢氏の発言が「重大な社会的
影響を起こした」と述べ、「入念な調査を行い厳正に対処する」ことを明らかにした。いまのところ停職処分だ
が、クビで済むかどうか微妙なところだ。改革開放が始まったばかりのころの中国はテレサ・テンの流行歌
が禁止されるような窮屈な国だったが、21世紀になって、ずいぶん社会的雰囲気が好転したと喜んでいた
のだが、習近平時代になって時代は逆流の傾向にあるようだ。
この事件に接し、他人事として大喜びしている中国人は多いようだが、もし自分がその立場に置かれたら
と考え、ぞ~っとしている人は更に多い。笈を負って上京し、裸一貫から身を起こし、ようやく豊かな生活を
享受できるようになった苦労人が、仲間内の宴会で流れ弾に当たっては、たまるものかわだ。
なにしろ、いまの時代カラオケの現場を撮影するのに大型撮影機材は不要だ、アップルでもサムソンでも
いいからスマホでいとも簡単に動画が撮れる。親しい友人たちと交わした会話の内容が漏れだしたことを危
ぶむ声が現地では続出するのは当たり前で、新聞・雑誌・TV・ネット等の空間で言論統制が強まる現状に
「第二の文化大革命が勃発した」との警戒感が高まっている。
中国で腐敗追放キャンペーンの旗振り役を勤めている党中央規律検査委員会が密告を奨励しているくら
いだから、密告は中国の伝統芸なのかもしれないが、私的な団欒の場での会話が漏れたことは極めて遺憾
である。仲間内でのリークがなければ表に出るはずのないことであり、そもそも畢アナのパフォーマンスは、
体制批判ではなく、軽い揶揄にすぎない。いま中国の野次馬ネチズン諸君は動画流出の犯人を懸命に探し
ており、流出させた真犯人もほぼ特定され、ネット上には「親友を売り飛ばした裏切り者のひとでなし」と実名
入りで非難轟々だ。
習政権は、中国版ツイッター「新浪微博」の通信を規制し、グーグルを監視対象にするなど、ネット監視
を強化している。最近中国の各地で少数民族、労働者、不満分子等が絡む凶悪犯罪が多発しており、北京
や上海などの大都市で監視カメラが大量に設置されはじめている。これって、治安を維持するために有効な
手段という側面はあるものの、「治安維持に名を借りた言論統制だ」という意見も強く、中国も遂に「本格的
な監視社会に後戻りした」と見る人は多い。
カラオケバーで革命歌をリメークして歌うことが犯罪なら、筆者の中国の友人の大半は牢屋入りだ。綱紀
粛正か何か知らないが、中国のインテリはみんな笑うか呆れるか失望している。
文中の見解は全て筆者の個人的意見である。
平成27年4月23日
筆者プロフィール
杉野光男
東洋証券株式会社 主席エコノミスト
一橋大学商学部卒、 三菱信託銀行(現三菱 UFJ 信託銀行)入社、上海華東師範大学へ留学
同行北京駐在員、上海駐在員事務所長、理事中国担当部長を経て、2007年より現職
著書
日本の常識は中国の非常識(時事通信社)、中国ビジネス笑劇場(光文社)等
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