文章1

2008 年度
未修者コース(第3回)小論文試験問題
問題
次の写真は、「ハゲワシと少女」題する写真である。この写真を見た上で、それに関する
下記の三つの文章を読んで、末尾の問いに答えなさい。
(写真:荒地にやせ細った少女がうずくまっている。その後ろ
に、ハゲワシが、少女を狙うように首をもたげている。)
※ 著作権関係の事情があるため、写真は掲載できません。
■文章1■
この写真を撮影したケビン・カーター氏は、1994年度のピューリッツァー賞・企画
写真部門賞を獲得した(当時33)
。
南アフリカ出身の写真報道家であるカーター氏は、アフリカ・スーダン南部に潜入して
内戦と飢餓の現実を克明に取材し、その悲惨さを世界に訴えようとしていた。そこに広が
っているのは多くの人が餓死しかかっている光景であった。カーター氏は「ハゲワシと少
女」の写真撮影の前後をこう語っている。
「国連などの食料配給センターから500メートル離れたところで一人の少女に出会った。
こんな風にうずくまって必死に立ち上がろうとしていた。その光景を見たあと、いったん
はその場を離れたが、気になってもう一度引き返した。すると、うずくまった少女の近く
にハゲワシがいて、その子に向かって近づいていった。
その瞬間、フォト・ジャーナリストとしての本能が
写真を撮れ
と命じた。目の前の
状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じた。スーダンで見続けてきたもののなかで、最
も衝撃的なシーンだと感じた。自分はプロになりきっていた。何枚かシャッターを切って
からもっといい写真を撮るのにハゲワシが翼を広げてくれないかと願った。15分から2
0分ひたすら待ったが、膝がしびれはじめ諦めた。起き上がると、急に怒りを覚え、ハゲ
ワシを追い払った。少女は立ち上がり、国連の食料配給センターの方へよろよろと歩きだ
した」
1
「この後、とてもすさんだ気持ちになり、複雑な感情が沸き起った。フォト・ジャーナリ
ストとしてものすごい写真を撮影したと感じていた。この写真はきっと多くの人にインパ
クトを与えると確信した。写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、少女が歩
き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。私は祈りたいと思った。神様に話を聞
いて欲しかった。このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。木陰
まで行き、泣き始めた。タバコをふかし、しばらく泣き続けていたことを告白しなくては
ならない」
この少女がその後どうなったか、確認はされていない。
この写真は、大きな反響を呼んだ。フロリダのセント・ピータースバーグ・タイムズ紙
は「少女の苦しみを完璧な形でフレームに納めるためにレンズを調整する彼もまた、彼女
を食い物にする第二のハゲワシである」と書いた。「なぜ少女を助けないのか」「ピュリツ
アー賞は取材の倫理を問わないのか」といった素朴な批判も寄せられた。
カーター氏は、こうした非難の中、1994 年の 7 月に自殺した。
■文章2■
次のコメントは、この写真撮影への賛否である。
①
否定的意見
「この写真はジャーナリストに必要な良心が感じられない。写真をとることが大切なのか、
目の前で起きている事が大切なのか、それが問われている」
②
肯定的意見
「ジャーナリストは倫理的に考えて、取材しようとしている状況を変えることは出来ない
という責任がある。カメラマンがハゲワシを追い払うべきだとは思わない。少女の命を救
うことは彼の仕事ではない。彼はねばって子どもが死んでハゲワシが肉をついばむところ
を見届けるべきだった。残酷に聞こえるかもしれないが、それがジャーナリストの役割だ」
③
あるノンフィクション作家の肯定的意見
「ジャーナリズムは写真に限らず、文章に限らず罪深い職業だと常々思っている。誰かが
不幸になっている、惨事に巻き込まれている、その上に成り立つ職業。自分が同じ状況に
置かれたらどうするか。やっぱり撮る。徹底的に見る。鬼になって見る。絶対に目の前に
起きていることから目をそむけない。これを自分に課している。人間としておかしいじゃ
ないかといわれるが、『可哀相だ』という情緒的反応を起こさないように努力する。怒り、
暗澹たる気持ち。一体、飢餓は何故起きるのか。問いつめていくうちに、やがて、それを
2
撮ることが飢餓の現実を変える確信につながるならば、ジャーナリストとしての自分の倫
理観との緊張関係のなかで仕事をする。苛酷な現実を見た時、誰も強制しないのだから、
確信が持てなければ撮らない」
④
あるフォト・ジャーナリストの否定的意見
今回の取材で、ガザでのことです。
ラファの最前線を訪れました。そこではまだ破壊されていない家の前でパレスチナ人の
家族がパンを焼いていました。
彼らの後ろは、瓦礫が延々と続き、そこはイスラエル軍のパトロール地帯になっていま
す。
その時イスラエル軍の戦車が近づいてきました。ジャーナリストを迎え入れるな、とど
なっています。この路地は最近も米ジャーナリストが射殺された所です。子どもたち 3 人
も殺されたとききました。
戦車といっても大砲を備えているものではなく、普通の倍ほどの高さがあり、一番上に
は四方に射撃できるように銃座が設けられているものです。
それが突進してきました。のしかかるように現われた戦車の前で、パンを焼いていた女
性や子どもたちは、パニックになって逃げ惑います。
この時シャッターを切れば、それは大変な写真になった、と思います。
でもシャッターを切れませんでした。
私と戦車を結ぶ線上に、女性や子どもたちがいたからです。戦車はあきらかに私を威嚇
するために行動を取っていました。私がカメラを構えたら、射撃が始まる可能性は、5 分 5
分だったでしょう。その時は確実に、私だけでなくこの人々が犠牲者になったと思われま
す。私は自分の写真の為に人々を巻き込むことになります。
「フォトジャーナリストなら写真を撮るのが使命」という分かったようなことを言う人
もいます。これがどれほどばかげた発言か私は知っています。例の「ハゲタカと少女」の
写真を巡って、まことしやかな言葉が多く語られました。
この日からしばらくの間、私は自分がシャッターを切らなくてよかったと、何度も思い
ました。切っていたら、それが私のフォト・ジャーナリストとしての人生の終わりになっ
ていただろう、と思いました。しかし同時に、あの瞬間、人々の命を巻き添えにしないで、
しかも撮影できる場所に瞬間に移動して、撮影してこそプロだという気持ちも、長く付き
まといました。
■文章3■
マックス・ウェーバーは、「職業と政治」の中で、次のように述べています。「倫理的に
方向づけられたすべての行為は、根本的に異なった二つの調停しがたく対立した準則の下
に立ちうるということ、すなわち「心情倫理的」に方向づけられている場合と、
「責任倫理
3
的に方向づけられている場合がある」岩波文庫版89p(1980)
ここにいう心情倫理とは、社会に対する結果責任に焦点をあてるのではなく、
「キリスト
者は正しきを行い、結果を神に委ねる」という意味です。また責任倫理とは、人は予見し
うる結果の責任を負うべきだとするものです。それぞれ二者択一的な命題ではなく、重点
の置き所が違うだけなのですが、一つの行為を選択する際にそれぞれが違う結論を指し示
すことがあります。
責任倫理も心情を無視するわけではなく、心情倫理も責任に無関心ではありえないので
すが、とりわけ責任倫理を選択した場合、社会的目標の達成のために心情的には「悪」と
思われる手段と手を結ぶことを容認しなければならない、そして、職業的政治家は、「この
パラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時
も忘れてはならない」とウェーバーは述べています(同99p)。同時に「自分の魂の救済
と他人の魂の救済を願うものは、これを政治という方法によって求めはしない」とも述べ
ています(同100p)
ウェーバーはさらに次のように続けます。
『心情倫理家として行為すべきか、それとも責任倫理家として行為すべきか、またどんな
場合にどちらを選ぶべきかについては、誰に対しても指図がましいことはいえない。ただ
次のことははっきり言える。もし今、<中略>突然,心情倫理家が輩出して,「愚かで卑俗
なのは世間であって私ではない.こうなった責任は私にではなく他人にある.私は彼らの
ために働き,彼らの愚かさ,卑俗さを根絶するであろう.
」という合い言葉を我が物顔に振
り回す場合,私ははっきりと申し上げる.まずもって私はこの心情倫理の背後にあるもの
の内容的な重みを問題にする.そしてこれに対する私の印象はといえば,まず相手の十中
八九までは,自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンティックな感動に酔いしれた法
螺吹きというところだ,と.人間的に見て,私はこんなものにはあまり興味がないし,ま
たおよそ感動しない.これに反して,結果に対するこの責任を痛切に感じ,責任倫理に従
って行動する,成熟した人間−−老若男女を問わない−−がある地点まで来て,
「私として
はこうするよりほかない.私はここに踏みとどまる.」と言うなら,計り知れない感動を受
ける.これは人間的に純粋で魂を揺り動かす情景である.なぜなら精神的に死んでいない
限り,我々は誰しも,いつかはこういう状態に立ち至ることがありうるからである.その
かぎりにおいて心情倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく,むしろ両々相俟って「政治
への天職」をもちうる真の人間を作り出すのである.(102p)』
問
あなたがカーターと同じ写真報道家であるとして、カーターのとった行動に 1000 字程
度でコメントしなさい。あくまで自分が写真報道家(つねにそうした職務を意識している
人間である)という前提で回答すること。
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出典:
[文章 1] 秋山久「『ハゲワシと少女』のカメラマン自殺」
[文章 2] 秋山久「『ハゲワシと少女』のカメラマン自殺」
広河隆一「シャッターを押せなかった 1 枚の写真」
[文章 3] 石川准『見えないものと見えるもの』
(医学書院)
ただし、問題文とするにあたり、表記等の変更を行っています。
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