Bobby Troup ----Julie London とともに歩んだ半生---上 原 昇 はじめに 川柳だったか江戸小噺だったか忘れたが 古い格言に「目病み女に風邪ひき男」という のがあり、"色っぽい"男女の代名詞とされて きた。”歌舞伎十八番”で長めの江戸紫の鉢巻 を斜めにズラしてグイと結んだ成田屋扮す る「助六」のいでたちは典型的な”風邪引き 男”のスタイルで町中へ繰り出す姿は江戸の 庶民にとって最高にカッコいい男とされた。 ジュリー・ロンドンの夫のボビー・トループ の”風邪声”は当時アメリカの音楽シーンに 響き渡り、まさに時空を超え重なって見えて ならない。 The Meaning of the Blues のこと マイルスの「マイルス・アヘッド」の挿入曲として知られる名曲「The Meaning of the Blues」 はボビーの作曲で実はジュリーのために捧げられた曲でした。作詞者 Leah Worth と共にジュ リーへの”愛の贈り物”を提供したわけです。 『Blue was just the color of the sea, Till my lover left me; Blue was just a bluebird in a tree, Till he said "Forget me." Blue always made me think of summer, Cloudless summer skies so fresh and warm; But now the blue I see is more like winter Winter skies with clouds about to storm. Blue was just the color of his eyes Till he said "Goodbye, love." Blue was just a ribbon for first prize Till he said, "Don't cry, love." And blues were only torch songs Fashioned for impulsive ingénues. But now I know, too well I know, Too well I know the meaning of the blues.』 "Blue"は恋人が私から去るまで、ただ海の色だった。 "Blue"は彼が「私を忘れてくれ」と言うまで、 ちょうど木にさえずる青い鳥だった。 ・・・ そして愛を失った今、私は全てを知った。 “The Blues“の本当の意味を・・。 このトループの曲は 1957 年にジュリーにより初レコーディングされアルバム『ABOUT THE BLUES』 (LIBERTY LRP3043 ) に組み込まれました。 今となっては、どのような想いでジュリーにこの曲をささげたのかは知るよしもありませんが 彼女への一通の”恋文”ではなかったかと思います。 ジュリーは無名の女優時代、1947 年役者のジャック・ウェッブ(Jack Webb)と結婚し引退、 二人の娘を出産しましたが 1953 年に離婚、歌手に転向した当時、不遇の思いに耐えていたと ころに現れたのがボビー・トループでした。その後 1950 年半ばから 60 年代にかけて歌手と して華々しく活躍するわけですが、俳優で、ジャズ・ピアニスト、作詞・作曲家であったトル ープ大きな存在が、心身ともに彼女を力強く支えてくれたことになります。音楽の先生でもあ るトループに支えられ水を得た魚のごとく 50 年後半から矢継ぎ早にリバティー・レーベルか ら連発される彼女のアルバムの文字通りレコード・プロデューサーとして支えました。 ジュリーのレコード・プロデューサーとして 女優でトーチソング歌手のジュリーと知り合ったボビーは 1953 年 Arthur Hamilton によ り作詞作曲された「Cry Me a River」を 1955 年暮シングル・レコードとしてプロデュースし ました。この曲は 100 万枚の売れビッグ・ヒットを記録しスターダムへ押し上げた。大きな 転機となったビッグ・ヒットの後、彼女のために数々アルバムをプロデュースしている。トル ープの初婚はシンシア・ハーレという女性でボビーとシンシアの間には、娘がいましたが、ジ ュリーとはこのレコーディングの 5 年後に結婚することになります。 ボビーがプロデュースし自作曲を提供したジュリー・ロンドン記念すべきファースト・アル バムから列挙してみると 『JULIE IS HER NAME』 (1956) LIBERTY LRP3006 SideA1 ”Cry Me A River” (Arthur Hamilton1953 年に作詞作曲) 『LONELY GIRL』 (1956) LIBERTY LRP3012 SideA1 ”Lonely Girl” (Bobby Troup)。 『CALENDAR GIRL』 (1956)LIBERTYL 9002 SideA2 ”February Brings The Rain” (Bobby Troup)/SideB4 ”This October” (Bobby Troup) 『ABOUT THE BLUES』 (1957) LIBERTY LRP3043 SideB1 ”Meaning Of The ”Blues”(B.Troup-L.Worth)/SideB4 ”The Blues Is All I Ever Had ” (Bobby Troup) 『JULIE』 (1958) LIBERTY LRP3096 SideA3. ”Daddy ” (Bobby Troup)/SideA5. ”Free And Easy ” (Mancini-Troup) 『JULIE IS HER NAME Vol.2』 (1959) LIBERTY LRP3100。 『LONDON NIGHT』(1959) LIBERTY LRP3105 SideA5 ”Just The Way I Am ” (Bobby Troup) 『YOUR NUMBER PLEASE』(1959) LIBERTY LRP3130 ボビー・トループの半生 ロバート・ウィリアム・"ボビー"・トループ Jr.(1918 年 10 月 18 日から 1999 年 2 月 7 日ま で)は、俳優、ジャズ・ピアニストと作詞・作曲家でした。トループはハリスバーグ(ペンシル バニア)で生まれ、ペンシルバニア大学ウォートン校を卒業しました。 彼の最も早い音楽的成功は 1941 年にローカル・ヒットでした彼の曲「Daddy」と共にやっ て来ました。サミー・ケイ楽団は「Daddy」をレコーディングしました(ビルボードベスト・ セラー1941 年 8 週間 1 位でした)。また、グレン・ミラー楽団は自分らのラジオ放送に「Daddy」 を演奏しました。 第二次世界大戦の間、彼はキャプテンとして米国海兵隊で勤めました。海兵隊に入隊、専ら 慰問団を勤めていたが、その間サイパン島戦線にも参戦。1946 年に、彼の曲「Snootie Little Cutie」はトミー・ドーシー楽団と共にフランク・シナトラとコニー・ヘインズによってレコ ーディングされました。同年除隊するや、すぐに「ルート 66」を作曲、ナット・キング・コ ールのトリオで大ヒットしました。その後のトループ自身の軽快でユーモラスな音楽スタイル はこのナット・キング・コールのトリオをベースとしていました。 ボビー・トループの作品 ジュリーのレコード・プロデューサーとしての傍ら、50 年代と 60 年代のトループの自己の レコーディングは商業的にうまくいきませんでした。 それにもかかわらず、彼はウェスト・ コースト・ジャズ・ミュージシャンをバックに Capitol Records、Bethlehem Records 、Liberty Records のためにいくつかの素晴らしい録音をしました。珠玉のオ リジ ナ ル ・ リ リー ス の み を 順番 に列 挙す れば 、 ①「Bobby Troup」 (Capitol H-484) 最初10インチ盤で発売され、後に 4 曲プラスして12 インチLP(Capitol T-484)として発売されましたが、ほとん どが 1953 年 8 月のロスアンジェルス・セッションであり、 「Girl Frend」と「5 日 6 時 13 分」のみが 1954 年 5 月の セッション。 ② 「 Bobby and the Troop」 (Presentation Album) 10 イ ン チ 二枚組。 市 場 には 出な かっ たが 1955 年 1 月 3 日 ~ 6 日 セ ッ シ ョ ンで (Bobby Troup and His Trio Liberty LRP 3002)の 原 盤 に あ た り 四 曲 未 発 表 を 含 む 。 海 兵 隊 の キ ャ プ テン でも あっ たわ けだが The Troop(兵 団 )と ひっ か け てい るの が面 白い 。こ の彼 の作 品で は 現在 に至 っ て も 最も 貴重 であ る。 ②「 ’ Bobby Troup and His Trio」(Liberty LRP 3002) は ② と同 内容 だが 4 曲少 ない 12 イ ンチ 盤 。 ③「The Songs Of Bobby Troup」 (Bethlehem BCP 1030) ③’『Bobby Troup Sings Johnny Mercer」 (Bethlehem BCP 19) 1955 年 1 月 28 日のロスアンジェルス・セッション、 ③ と 同内 容で 。 4 曲プ ラスの 12 イ ン チ盤 。 ④「The Distinctive Style Of Bobby Troup」 (Bethlehem BCP 35) 1955 年 8 月のロスアンジェルス・セッション。 ② ~ ④の 1955 年の一連のセッションは最も彼の原点に なりうる傑作ぞろいである。甲乙つけがたいが特に③の 10 インチ二枚組は 頂点 とい って もい い作 品 。 モ ダニ テ ィ ーと 洗練 の極 地で ある と思 う。 ⑤「Do Re Mi」 (Liberty LRP 3026) リバティに録音した「ドレミ」は自作自演集でバディ・ コレット(sax)、ボグ・エネヴォルゼン(tb と sax)、ジミ ー・ロウルズ(p)、アル・ヴィオラ(g)、 マイク・ルービ ン(b)、ドン・ヒース(dms)並びにレッド・ノーヴォ(Vbs)。 56 年 11 月 6 日及び 7 日ハリウッドにて録音された。”Baby, Baby, All The Time”や”It Happened Once Before”など 彼の代表的バラードが聴ける。ジュリー・ロンドンがお 返しに、逆にこのレコードをプロデュース。 ⑥ 「 Here's to My Lady (Liberty LRP 3078)」 リバティへもう 1 枚ラッセル・ガルシアのストリング入りオーケストラで吹き込んでいる。 スタンダード中心だが、それでも 3 曲は自作で、ジュリー・ロンドンに捧げた「ジュリー・ イズ・ハー・ネイム」も歌っている。彼の”Sexy Voice” は冴え渡りここに至り極まったと の感がある。1958 年 の 録音 。 ⑦「Bobby Swings Tenderly」 (Mode MODLP-111)1957 年 7 月。歌なしの演奏のみ。 ⑧「Stars of Jazz」 (RCA Victor LPM-1959) 1950 年代の後半彼は NBC テレビショー「Stars of Jazz」のホスト(司会)を勤め特に ハリウッドで活動している様々な西海岸のミュージシャンが出演しました。 番組に登場した大がかりな演奏陣を背景に歌った 1958 年 10 月24日、11 月 10 日、12 月 3 日のロスアンジェル ス・セッション。 また後年 Previously unreleased や Transcription を集めた未発表コンピレーションとして ⑨「in a class beyond compare」(audiophile Records AP-98) 1981 年発売 1958 年の Transcription。 ⑩「The Feeling Jazz」(Star Line SLCD-9009) 1994 年発売 1967 年のセッションを中心に一部 55 年、59 年も含むコンピ。 ⑪「Kicks on 66」(Hind Sight HCD-607) 1994 年発売 1965 年、69 年のセッションのコンピ。 むすび 1999 年 2 月に、トループは、心臓発作により UCLA Medical センターで死去、彼はハリウ ッドヒルズのフォーレスト・ローン・メモリアル公園の墓地に埋葬されました。彼の妻の Julie London も、翌年あとを追うように亡くなりました。そして、彼女の墓は彼の横に置かれまし た。ところで、役者で元テレビのプロデューサーそして、ロンドンの元夫ジャック・ウェブ(1982 年に死去)も同じ墓地に埋葬されています。 トループについては日本でも自分を含めて少なからず”熱心”なファンがいると聞き及びま す。また雑誌やライナーなど古今東西いろいろなところでバイオや批評が書かれてもいる。あ まり読んでいるわけではないですが、やれ「粋」だの「四畳半」だの「小唄派」だの枚挙に暇 がないくらい似たりよったりの同じような形容がなされている。同性から見ても羨むくらい魅 力的でプレーボーイ性を一種のアピール”売り”にしているシンガーであるし、確かにあたらず といえど遠からずではあるにはある。だがよくよく考えてみれば、彼に限って言えば米国ショ ウビジネス界の真っ只中にいて、ずっと愛する妻(Julie London)を大事にしつづけ添い遂げた 生き様こそ、広く解釈すれば音楽以上になんとも"粋"だなあと思うのですが。
© Copyright 2024 Paperzz