社説 『ジェームズ・ハドリー・チェイス作』 - Les Polarophiles Tranquilles

社説 『ジェームズ・ハドリー・チェイス作』 新しい読者のために、直ぐに作品(実の作者、グレアム・グリーンは意図的に陰に隠れ続
けました)と公式の作者であるジェームズ・ハドリー・チェイスを区別することで、混乱
を避けたいと思います。 前の会報3号の中で、20世紀で最も成功した文学詐欺の機能を細かく分析しました。しか
し、この作者の作品そのものを分析する必要がありました。 批評家達が何かを発見することを恐れて意図的に無視したこの重要な作品があまりにも早
く忘れられることを避けるため、ジュリアン・デュプレがこの号の中で作品について話し
ています。 私からは、ルネ・ブラバゾン・レイモンド、別名ジェームズ・ハドリー・チェイスが担っ
た役割だけ述べたいと思います。何故なら、彼は自分の文学的能力は公にしなかったもの
の、目立ってはいけない、しかも金儲け主義な人気作家という最も感じの悪い役を、企て
の変遷、激動の期間、人生の浮き沈みにもかかわらず、 40年以上もの間もっともらしく、
さらには万人が認めるほどうまく演じた彼の才能を尊敬するべきだからです。 ルネ・ブラバゾン・レイモンドを選択して大当たりでした。彼は役に完璧に適応した精神
だけでなく、容姿も備えていました。元イギリス空軍の戦隊リーダーで、戦争に関する短
い記録( "The Mirror in Room 22" (『22号室の鏡』)、5ページ)を書いたアマチュア作
家で、いかにもイギリス人っぽい髭(公式の写真と推理小説コレクション「セリ・ノワー
ル」の裏表紙でこの髭はとても引き立てられています)が写真に理想的です。マルセル・
デュアメルによってフランスに紹介され、フレデリック・ダールと彼の手下であるフレデ
リック・ヴァルマンの助力のおかげで、彼は自分のイメージを認めさせ、詮索好きな人々
の意欲をそぐための丁度良い距離を見つけたのです。 共謀者かつ創造主に様々な問題をおこし、仲違いが時期尚早かつ困難な別れにつながって
しまったヴァルマンやアジャールとはかけ離れたルネ・ブラバゾン・レイモンドに、迷う
こと無く、現代文学界の最優秀ダミー賞を与えたいと思います。お見事、ルネ・ブラバゾ
ン・レイモンド! P.S. 前号で読者に出したお題に見事に成功した方がおります!アレキサンドル・クレマ
ンが、"Assez de boniments"(『でたらめはもうたくさん』)とその作者について詳しい情
報を提供してくれ、もっと手に入り易い再版("Ce bon Monsieur Fred" (『この親切なフレ
ッド氏』)というタイトル)が存在することを知らせてくれ、またも良い小説には面白い
話が付き物だということを証明してくれました。 http://alexandre.clement.over-blog.com/article-fini-les-boniments-jean-louis-martin-194487358739.html
ティエリー・カゾン (当会報 "Les Polarophiles Tranquilles" (『物静かな推理小説ファン』)会長) 1 『ジェームズ・ハドリー・チェイスの蘭』 ジュリアン・デュプレ 1、どのようにフランスで推理小説が葬られているか 10年近く前からフランスでは推理小説が大ブームです。文芸評論家も読者も、北欧や英語
圏の最新鋭の作家の推理小説を熱心に読みあさり、名の知れていない出版社が次々に「ノ
ワール」コレクションを発刊しています。今日では、あまりにもいろいろな作品を出版す
ることで、このジャンルに読者が飽き飽きしてしまうのでは、と心配する声も聞かれます
(心配して当然です)。素人作家が、新しいスティーグ・ラーソンやジェイムズ・エルロ
イではないかと期待するのは確かに滑稽です。このような問題点はあるものの、推理小説 -現代推理小説̶が人気なことは確かです。 ただ、それが問題なのです。ただの人気でしかないのです。明日にでもブームが終わって
しまえば、 他のジャンルに興味を持ち始める批評家達と、推理小説ブームに飽きた読者
達は、波のように遠くに引いていきます。その後、推理小説の専門家達のサークルに陥る
しか無いのです。そして彼らが真っ先に行うのは、彼らの主題を、ジャンルを把握出来な
い一般的な読者の侵害から守るために、非常線を張ることです。それが、このブームが生
んだ大勢の作者達を忘れさせる一番の方法なのです。 私達は、この悪循環を良く知っています。一世紀前から続いているからです。推理小説が
売り出され、ブームになり、忘れられ、専門家に解剖されるだけになるのは、今に始まっ
たことではありません。過去にもフーダニット、戦後の暗黒小説、フランスのネオ・ポラ
ールに次々と群衆が集まりましたが、毎回散らばって行き、彼らが戻ってくることはあり
ませんでした。何故なら、大成功は成功を台無しにし、ブームを利用して、自分たちが座
っている枝をのこぎりで挽くようなご都合主義者が常にいるからです。( 作家、評論家、
出版社と、どこにでも存在します。) 推理小説は、他の文学ジャンルと違い、継続性がありません。連続した波で進みますが、
新しい波が前の波と一緒に築かれたクオリティーを飲み込むのです。そのため、一番人気
のある作家が、10年後には、専門家のアンソロジーに記載された、おぼろげな名前となる
のです。その作者が才能を持っている場合、不平等だと感じます。ごく普通の読者の誰が、
見事な作品『センチュリアン』(1971年)、『クワイヤボーイズ』(1975年)と『闇にい
る悪魔 ‒ 高校教師殺人事件』(1987年)を書いた素晴らしい作家、ジョゼフ・ウォン
ボーを覚えているでしょうか。80年代には、(少なくともフランスでは)推理小説に関す
る名高いイベントに招待され、彼の作品はベストセラー並に売れていました。10年後には、
すっかり忘れ去られていました。2000年代後半には、ウォンボーの最新作がリヴァージュ
社から出版され、ひっそりとカムバックをします。それでは、彼の昔のヒット作は再版さ
れ、新しい年代の読者達に勧められているのでしょうか。もちろん、そんなわけがありま
せん。それでこのような不条理な状況に陥るのです。1970年から2000年にかけて20作以上
を生み出した推理小説家(しかもエルロイと同様のテーマを扱い、彼よりも遥かに上の作
家です)にも関わらず、最新の4、5作しか知られていないのです!これらの作品さえ、ま
た新しい推理小説のブームによって葬られるでしょう。どちらにしろ、忘れられる宿命で
す。 2 推理小説に欠くこと、欠いて来たことは以下です。ただのブームとしてではなく、系統を
考えた(推理小説はいつも過去の例を基にし、それを上回ろうとするからです)深い研究
です。基本的な研究は、専門家のクロード・メプレドゥ、ジャン=ジャック・シュルレ、
ジャック・ボドゥ、ミッシェル・ルブランによって行われました。しかし、彼らの研究は
アンソロジーや調査目録にすぎないため、全く不十分です1。その中で行われている文学
的研究は(研究が実際になされている場合は)あまりにもレベルが低く、専門的知識は空
回りしています。領地を君臨する城主のように、推理小説を支配していると確信した専門
家達は、SF小説の専門家達と同じミスを犯したのです。彼らの後を継ぎ、もしくは彼らを
上回るような弟子を育成しなかったため、後継者無くして年を老うことになったのです。 もちろん、彼らが作成したアンソロジーや辞書が無駄なわけではありません。新しい読者
が推理小説と呼ばれる迷路の中で目印を見つける役に立つでしょう2 。推理小説は文学ジ
ャンルの中で一番定義付けされたジャンルですが、様々な世界が存在し、それぞれ違った
才能を持った作者達が活躍しています。専門家達が、深く、イデオロギー的な偏見のない
研究を行わなかったため、この豊かさを伝えることが出来なかったのです。ところが、推
理小説にはこのような研究が必要なのです。過去から題材などを引き出し、不当に忘れら
れた作者達にチャンスを与え、古典的名作が存在することを思い出させなければなりませ
ん!しかし推理小説は、皆の想像力が欠けているせいで、再発見されるのを待ちながら、
細々と生き残っているのです。 これらのほうっておかれた古典的名作をささやかな規模で再発見するために、"Les
Polarophiles Tranquilles" (『物静かな推理小説ファン』)は10年近く前から活動していま
す。我々は、フレデリック・ダール、ドロレス・ヒッチェンズ、ジョルジュ・シムノン、
S=A・ステーマンほどの大作家達に関して何もコメントをしないということは、不当で非
常識だと考えます。その中でも、ジェームズ・ハドリー・チェイスは避けて通れないので
す・・・ 2、チェイス : ファーストクラスの葬式 他の誰よりも推理小説の古典的名作の冠がふさわしい作者がいるとすれば、それはジェー
ムズ・ハドリー・チェイスです。彼のことを全く知らない素人の読者は、彼がデビュー作
『ミス・ブランディッシの蘭』(1939年から1500万部の売り上げ)で大成功した作家とみ
なすでしょう。彼の文学的キャリアはとても長く(1939年 1983年)、途切れることの無
い成功を収めました。90作以上を生み出した幸せな作者で、20世紀最大の推理小説家の一
人です。 特に、ミステリー小説と似通った推理小説の中で、新しいタイプのバイオレンス-冷酷で、
無動機で、無理矢理社会的釈明を付けること無く、ユーモアによって和らげたりせず、た
だ人間の逸脱としか説明出来ないバイオレンス-の発明者です。ジェームズ・エルロワが
1 こ の網羅的な本の中で最も人気があるのは、2008年に発刊されたクロード・メプレドゥの『推理小説辞典』
です。しかしながら、扱われている作者に関し学ぶことはとても少なく、彼らの推理小説世界の分析はとて
も簡素で、引用も稀です。 2 私もこれらの多数の著作のおかげで、推理小説文化について学んだことを述べなければ不当でしょう。し
かし、そこで学んだ範囲や教訓からとっくの昔に解放され、テキストや作者を自己流に知覚し判断する能力
を備えたことも述べなければなりません。 3 同様の成功をどのように扱ったかはご存知でしょう。当時評論家達を引きつらせた3この
悪徳こそが、チェイス作品の生存に一番貢献したのです。セルジュ・ブリュソロやルネ・
フレニのような作家が、今日もチェイスを、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンド
ラーよりも優れた作家だと尊敬する理由でもあります。とにかく、チェイスは推理小説の
巨匠であり、大学教授や文芸評論家が優先的に研究するべき作家でした。しかし、彼らは、
この作家をあっさりと放棄してしまいます。チェイスに関する一番とっつきやすい研究は、
専門辞典の中の手短な要約にすぎません。唯一妥当なエッセイ、ロベール・ドゥルーズの
著作、"A la poursuite de James Hadley Chase"(『ジェームズ・ハドレー・チェイスを追っ
て』)さえ、多くの暗号化された暗示4 のせいで、半分しか理解出来ません。ファンジン
や専門の雑誌に関しては、1990年に"Les Amis du Crime"(『犯罪の友』)がチェイスに捧
げた、情報豊富なファイルをお勧めしますが、かなり見つかりにくいです。インターネッ
トがある、とおっしゃりたいでしょう。しかし、検索すれば一目でジェームズ・ハドレ
ー・チェイスに関する確実な研究や情報が全く無いことが分かります。 このような欠陥に唖然とさせられます。多数の作品を通して一貫した世界を築く勇気を持
っていた(しかも世界中の何百万人もの読者の賛同を受けた!)男が、なぜ彼を擁護する
はずだった人々、特に出版社と批評家にすっかり見捨てられたのでしょうか。 なぜ『ミス・ブランディッシの蘭』で、チャンドラーやハメットより根本的に推理小説を
変革した作家を無視したのでしょうか5 。彼の作品のフランスでの出版社、有名なガリマ
ール社が、時と共に人数は減ったものの、チェイスの読者は世代を超えて存在しているに
もかかわらず、なぜほんの少しずつの再版をするのでしょうか。 陰謀だとは言いません。「チェイスのケース」は、無知と違和感を生み出します。彼は推
理小説を、文学としてではなく、大事な収入源となるために大衆的な人気を得ることを意
識しながら、幾つかの強迫観念やはっきりしたテーマを伝える媒体として初めて使用した
作家です。しかし、推理小説の純粋主義者は、チェイスはお金だけを求めていると考え、
彼の2つの目的のうち、金儲けのほうだけを記憶に留めたのです。それが意気消沈させる
ほどの誤解を生み、今日もこのイギリス人作家のイメージはその被害を被っています。チ
ェイスは、商業作家、セリ・ノワールの一目を引く「輝く星」、疑わしいミッキー・スピ
レインと同等のB級作家と扱われています。優れた推理小説の評論家、ジャン=パトリッ
ク・マンシェットでさえ彼らを同等に扱い、チェイスを「下品な商人」 6と呼びます。彼
3 ここで、当時の批評家に意気をくじかれることなく、セリ・ノワールにチェイスを出版させ、コレクショ
ンを成功させたマルセル・デュアメルにオマージュを捧げたいと思います。そのためには勇気と人並み離れ
た直感力が必要だったことでしょう。戦後のチェイスに関する批評がどのようだったか知りたい方は、才能
を金のために売る「タクシー・ボーイ」に対する嫌悪をはっきりと表しているトマ・ナルスジャックのエッ
セイ、"La fin d’un bluff" (『はったりの終わり』)(1949)を参照して下さい。 4その後解読されました。ロベール・ドゥルーズは、ダミーであるルネ・ブラバゾン・レイモンドを使って
ジェームズ・ハドリー・チェイスの全作品を実際に書いたのはグレアム・グリーンだと言いたかったのです。
この著作の発行のせいで、ロマン・ガリー/エミール・アジャール事件の後、ペンネームや名義人の話に敏
感になっていた文壇から彼は追放されてしまいました。 5 い つもチェイスを軽蔑していた批評家、ジャン=パトリック・マンシェットでさえ、『ミス・ブランディ
ッシの蘭』の重要性をいやいや認めています : 「けして傑作ではないが、道標であろう。」("SN Story,
premier épisode"(『SN ストーリー, 第1エピソード』)、"Chroniques"(『時評集』)、リヴァージュ/ノワ
ール、488号、2003年、267ページ) 6 再度、リヴァージュ社によってまとめられた、マンシェットの"Chroniques"(『時評集』)の記事を参照し
て下さい。(引用には、2003年に出版されたリヴァージュ/ノワール コレクションを利用。)一つ例を挙げ
ます :「セリ・ノワールは、ハードボイルド小説に絵になる外見だけを借用したイギリス人チェイネイとハ
4 によれば、この日和見主義のイギリス人は、流行のスタイルを卑しく悪用する者で、残忍
かつサディスティックなスタイルが流行の時はそのように、暴力が流行らなくなった時は、
教訓的で清潔なものを書くのです。ネオ・ポラールの法王、ジャンルを良く知る熟練の玄
人からチェイスがこのような呼び方をされるとは驚きです。それにしたって、作者が文学
的職業とお金を稼ぎたいという野心を混同してはいけないと禁止されているわけではあり
ません!フランスの知識階級が求めて止まないセリーヌの『夜の果てへの旅』は、20世紀
の鍵となった作品でありながら、作者が緻密に計算して作った商業的成功ではないです
か!セリーヌの文通、ガリマール社へ原稿を見せた際の手紙が証言します7。チェイスに
同じような計算をしたことを責められるでしょうか。自分の才能を考慮し、文学的にも財
政的にも最適なジャンルを考慮したことを。 「まさにそうなのです!」と非難役が声を上げます。「先ほどからあなたがべらべらと話
しているその文学的世界を見てみましょう。どの本を見ても、いつも同じサディスティッ
クな殺人犯、絶対権力を持つ大金持ち、貪欲な女に操られる可哀想な男達が出てきます。
あなたの好きなチェイスは、想像力が無く、ヒットする本のメソッドをうまく使用してい
るのです。」そしてジャン=パトリック・マンシェットが付け加えます。「多作で巧妙な
ハドリー・チェイスは、野菜ミルを平静に回し、5つか6つの不変な形式を絶えず大量に再
生産しているだけです。8」後に、チェイスの世界がどれだけ豊かで、「形式」にではな
く、いつも異なった雰囲気の中で繰り返される「モチーフ」や「テーマ」に依存している
ことをお見せします。これらの「モチーフ」や「テーマ」は、チェイスの世界を貧弱にす
るどころか、全作品の一貫性、商業作家の個性を保ちながら、幅広い分野での活躍を可能
にするのです。 それだけではありません。ジェームズ・ハドリー・チェイスの人物像も影響しています。
デビュー当時から、文壇は彼に対して批判的でした。何故なら、『ミス・ブランディッシ
の蘭』の暴力描写は40年程進んでおり、彼は成功を収め(これは許されないミスです)、
幾つかの行き当たりばったりの試み(レイモンド・マーシャル、ジェームズ=P・ドハー
ティ、アンブローズ・グラントというペンネームで)の後、見事にキャリア設計をし、純
粋な推理小説だけではなく他のジャンルにも適応出来たからです。しかし、フランスの批
評家達を一番狼狽させたのは、人間としてのチェイスの消去です。「彼について、少しし
か知らない」というのは曲言法です。チェイスをインタビューしたいと考えた記者達は、
透明で近寄れない謎の男に遭遇しました。撒かれそうになりながらも大作家に近付くこと
が出来た数少ない記者は、ルネ・ブラバゾン・レイモンという、けちけちと少ない言葉を
発するだけの、恥ずかしがり屋の大きな髭男に会いました。インタビューの結果にもがっ
かりです。チェイスは作品に登場させているアメリカもアメリカ人も好きではありません
でした。また、彼自身の作品を評価しておらず、最新作の筋を忘れる程です!お金を儲け
るために書いており、自分を作家とみなしていませんでした。彼のバイオグラフィーも簡
潔なものでした(本屋の店員、戦時中は飛行機のパイロット、それ以外は確認出来ない逸
話ばかり)。ルネ・ブラバゾン・レイモンはいかにもダミーでしたが、チェイスの死後、
出版社も批評家も、フランスの文壇でよく行われていることを暴露したくなかったようで
ドリー・チェイスというまがい物をつかい、人目を引く方法でコレクションを開始しました。」(267ペー
ジ)マンシェットは、その「絵になる外見」がどのようなテーマを覆っているか考えたことがあるのでしょ
うか。 7 その後、セリーヌが、ルイ・ギユー、ウジェーヌ・ダビ、アンリ・プライユ等当時流行っていた民衆主義
の作家達に関心を持っていたことが分かりました。民衆主義の大始祖は、シャルル=ルイ・フィリップと彼
の著作『ビュビュ・ド・モンパルナス』(1901)です。 8 "Mr John D., artisan"(『ジョン・D氏、職人』)、"Chroniques"(『時評集』)、前掲書、246ページ 5 す(少しでも真剣な文学的分析が行われていれば、すぐにわかったことでしょう)。しか
し、1981年のロマン・ガリー/エミール・アジャール事件の暴露のせいで、文壇は信用を
失っています。10年間、ガリーは年老いた「伝統的な」作家と呼ばれ、彼の作品の評価は
落ち、それに比べ、チェイスのように謎に包まれつつ、顔は知られていたアジャールの作
品は、新しく大胆だと称賛されていました 9。パリの文壇がすっかり騙されたのです。こ
のような洞察力の欠如が再度あってはいけません。そのせいでチェイスの作品は非難され
たのです。どちらにしろ、チェイスはフランスでしか人気がなかったため、外国の推理小
説好きが、突然この厄介な問題を提起する(本当に問題があればですが)リスクはほとん
どありませんでした。当時の状況は以下の通りです。推理小説の古典的名作群は、その面
倒を見なければならないはずの人々によって、意図的に放置されます。 3、しかし死体はピンピンしています・・・ つまらない仕事をせっせとやる作家であれば、この沈黙も軽蔑も理解出来ます。推理小説
は商業的なジャンルなため、このような作家がたくさんいるのです。しかし、どれでも良
いので、チェイスの作品1冊を読むだけで、カーター・ブラウンやピーター・チェイニー
とは違い、ハーラン・コーベンともかけ離れていることがわかります!物語も登場人物も
興味をそそり、文体は雑になること無く簡潔です。制御された数々の展開が猛スピードで
連鎖されるだけでなく、純粋な娯楽作品の裏に、適切な社会的および心理的背景を描いて
いるのです。彼の本はいずれも時の試練に耐えています。何故なら、いずれの作品も、多
くの推理小説を近い将来に理解不能にしてしまう社会的設定の代わりに、一定の人間観を
描いているからです 10 。チェイス作品のなかではいまいちな"So What Happens to Me?" (『自分に何が起こっているのか?』)(1973)でさえ、(90作品もあれば、どうしても
インスピレーションのレベルは不均等です)読者は作者の才能、シーンのカット割り、筋
の路線に引きつけられます。また、社会的不適応者で初老のベトナム戦争のベテラン、バ
ーニー・オルソンの深く掘り下げられた人物像に心を動かされます。彼は、人生の全てで
あった軍に見捨てられ、元兵隊の明晰さでチャンスは少ないとわかりながらも、最新の飛
行機を盗むことで、息を吹き返そうとします。同様に、" Not My Thing"(『俺には関係な
い』)(1983)ほど単純なプロットさえ、アリストテレス・オナシスをモデルにした、誰
も(彼の妻でさえ)抵抗出来ない億万長者の卑劣漢、ジャミソンがあまりにもうまく描け
ているため、納得させられます。チェイスは悪役をうまく描きます。彼は、黄昏の英雄に
力を注ぎ、輪郭を強調しすぎることなく(プロットのためにはこのようでなければなりま
せん)彼らにもっともらしい心理的深みを出すことも出来ます。これは、B級の作家に出
来ることでしょうか。 9それは、ロマン・ガリーのいとこの息子、ポール・パヴロヴィッチの顔だったのです!ガリー/アジャール
の共謀は、1981年にテレビ番組、アポストロフ(第291エピソード)で明かされました。ついでに言えば、
司会者のベルナール・ピヴォが、本当に困惑した様子で、さらには嫌悪感を抱いたように、この文学的結合
について話すのです。「名前に関する詐欺」、「文学的詐欺」、「文学的創作が極端になると、滑稽で劇的
な奇行をさせてしまうのです」・・・ ピヴォはこのような毒舌的で道徳的な表現を使い、侮辱されたパリ
の文壇の恨みをスポークスマンとして発言したのです。 10社会的構造を使って人間性を説明したり、この構造の激変が償いに繋がったと説明するのは、今や時代遅
れです。そのため70年代のネオ・ポラールがフランスではすっかり忘れられ、そのスター作家の大半(ジャ
ン=パトリック・マンシェット、ジャン・ヴォートラン、フレデリック=H・ファジャルディ等)は、文壇
から去ってしまったか、一般小説に分野を転換しました。 6 チェイスは推理小説の帝王になるための全ての切り札を持っていました。今まで見てきた
ように、慎重な儲け主義者(お金目当てという意図を全く隠しませんでした)で、時代の
波にとても敏感で、デビュー作でスキャンダルなほどの成功を収め、40年以上のキャリア
を積みました。誰が何と言おうと彼はアーティストで、大量の消費を狙った作品の裏に、
独特の登場人物によって彼の作品だとわかる世界を作っていました。当時の批評家は、彼
の描く登場人物とアクションの展開を左右する宿命、すなわち、うまく仕組まれた陰謀を
暴く小さな砂粒があると強調しました。しかしながら、単なる貪欲以外の理由を持ったこ
の小さな砂粒の発端に関してはふれませんでした。チェイスの推理小説が、ボワロー&ナ
ルスジャックのいう典型的な「読ませる機械」(同じナルスジャックが定義した「はった
り」ではなく)だとしたら、その歯車は、我々が想像するより人間的な動機によって動か
されています。"Make the Corpse Walk" (『死体を歩かせろ』)(1945)の中で、恐るべ
きロロの策謀を失敗させるのは、スーザン・ヴェデーの勇気と、ボスである億万長者への
運転手ジョーの忠実さです。"The Sucker Punch"(『予想外のパンチ』)(1954)の中で
無節操なチャド・ウィンタースが、一儲けした後アメリカを立ち損ねるのは、彼の彼女が
裏切るからです。" Not My Thing"(『俺には関係ない』)(1983)で、ジャミソン夫人を
夫によって仕組まれた恐ろしい陰謀から救うのは、若いベトナム人、ングの愛情です。
『蘭の肉体』(1941)に出てくる、病的に乱暴なキャロル・ブランディッシでさえ、精神
病院から逃げた際に、稀な心の優しい人々の助けによって、螺旋状の運命から抜け出すの
です。また、チェイス作品の中でも特に冷酷な登場人物達は、ただサディスティックなだ
けではありません。"Make the Corpse Walk" (『死体を歩かせろ』)に出てくる恐ろしい
クレオル、セリを見て下さい。確かに野心的で何でもやりかねない人物ですが、出身地の
ハイチと、平凡で人種差別的なイギリスで居場所を見つけたいという欲望の狭間にいます
(このジレンマのせいで命を落とすことになります)。 このような例はたくさんあります。全例が、チェイス作品の登場人物を堕落させたり救っ
たりし、筋を進めるのは、お金や貪欲ではなく、悲劇的本質を持った人間的感情だと示し
ます。チェイス作品に良く出てくる、マフィア、怪しげな経営者、無免許の医者、サディ
スティックな殺し屋、ずうずうしい仲介者達の獣性が、"Trusted Like the Fox"(『狐のよ
うに信頼されている』)の作者の名声を築き上げました。しかし、彼のオリジナリティは、
この獣性がひどいめにあわせたり、励ましたりする「人間的要因」を絶対に忘れないこと
です。不健全なセンセーショナリズムから離れ、グレアム・グリーンも否認しなかったで
あろう心配事にふれましょう11。チェイス作品は、ただ商業的進展の面で一貫しているの
ではありません。作品の主題と、人間的、あまりにも人間的な動機のために裏切ってしま
う(グリーンの世界と同様、チェイスの世界にも裏切りはつきまといます)無法な世界の
描写によって一貫しています。 チェイス作品は繰り返しが多いと言われますが、それは典型的な間違いで、彼の作品を良
く知らない証拠です。チェイスの全作品をまとめて見ると、奇妙なことに、マンシェット
が尊大な口調で話していた「5つか6つの不変な形式」が複雑になってきます。既に見た通
り、登場人物達は、互換できない様々な「典型」を構成します12。私も、(他の評論家よ
りも正確に)概略するために、チェイスの作品を、以下の3つの時代に分けます。 11 当たり前です! 12 し かもこれらの「典型的登場人物」は、チェイス作品だと読者がわかるように、出発点として使われてい
るだけです。その後、チェイスは彼らを自由に操ります。例えば、全権力をもった億万長者の例です。
"Make the Corpse Walk" (『死体を歩かせろ』)(1945)のニコニコした、いかれた大富豪、ケスター・ウ
ェイドマンと、『殺人は血であがなえ』(1957)に出てくる、娘のためなら手段を選ばない冷血なクリーデ
7 第1時代、1939年 1955年 英国人作家は、一番極端な面も含めたハードボイルド小説の全面を探求しました。『とむ
らいは俺がする』(1953)に出てくる大量の死体や、"Twelve Chinks and a Woman"(『12
人の中国人と1人の女』)(1940)のフェナー探偵が悪人の腹を素手でえぐったり、殺し
屋のペコが野性的に「もう少し!もう少し!」と叫びながら一人の男の首を締めたりする
乱闘シーンがその証拠です。この頃のチェイスは、当時の流行を適用しています。それは、
いかにもアメリカ風な雰囲気の中で、あちこちに野蛮さを描くことです。しかも、『ミ
ス・ブランディッシの蘭』の後、読者はこのような獣性を彼の作品に求めていました。ジ
ェイムズ・エルロイの作品を知っている現代の読者は、このような残虐行為を笑うでしょ
う。しかし、このような徴候と同時に、1940年からチェイスは暴力に距離を置くようにな
り、70年代のモダンな推理小説家達が羨むような暗示的な暴力シーンが出てきます。それ
は"Lady, Here’s Your Wreath"(『レディ、これがあなたの花輪です』)(1940)から始ま
ります。この本の語り手は、裸の女性死体(彼に責任を負わせようとして誰かが彼の家に
置いたものです)を、友達のアッキーの助けを得て、始末しようとします。しかしこの不
気味なシーンは、退廃的な状況とは裏腹にユーモアを持って描かれています。まずは、死
体を足の先から頭のてっぺんまで覆わなければなりません。(『彼女が立ってくれれば、
仕事が楽になるのに』等という台詞が出てきます。)そのためには、脚、腕などを持ち上
げ、座らせなければなりません。チェイスはこのシーンを、恐ろしい行為には似合わない、
驚くべき滑稽さで描いています。読者に、二人の男が人形(巨大な人形)で遊んでいるよ
うな印象を与えます13。それだけではありません。この死体を落とさずに車まで運び、通
行人や警察官の注意を引かないためにきちんと座らせ、床に落ちないよう注意し、警察官
に止められる時は彼女を生きているかのように動かし、しゃべらせるために腹話術までや
らなくてはなりません!また、チェイスは死体の運搬中に、死体の硬直さを使って、シー
ンをますます難しくします。このように、たった一つの章に中に、息をのませるサスペン
ス、ひどく病的な強迫観念、荒廃的なブッラクユーモアを見せるのです!この直後に、最
初から最後まで尋常でない"Miss Shumway Waves a Wand"(『ミス・シャムウェイが魔法
の杖をふる』)(1943)で、チェイスがエスカレートするのも無理はありません。成功す
る形式を創る作家と言われ、最も正統なハードボイルド小説が染み付いているようにみえ
る彼がこのような素晴らしい多様性を持っていることも、驚くべき事ではありません。
1944年には、実は一度も行ったことがないと言っていたこのアメリカを使った作品と平行
して、幾つかの作品の舞台をイギリスに設定するようになります。これらの作品は、詐欺
行為にロンドンの景色がはまっているからだけでなく、"More Deadly Than the Male"
(『男性よりも致命的』)(1944)や"Trusted Like the Fox"(『狐のように信頼されてい
る』)(1948)では、邪悪さと悲劇の最高峰に達するため、チェイスの最良の作品と言え
るでしょう。 ィと、裏切り者には容赦ない小さな男、"Believe This... You’ll Believe Anything "(『これを信じて下さい。何
でも信じるようになるでしょう。』)(1974)のヴィダルの間には、金銭的富以外には何の共通点もありま
せん。"The Joker in the Pack"(『ジョーカーを手に』)(1975)に出てくるサディスティックなヘルマン・
ロルフと、"So What Happens to Me?" (『自分に何が起こっているのか?』)(1974)に出てくる同じく恐
るべきレーン・エセックスの間にも、何も共感するものはありません。皆容姿的にも心理的にも似ておらず、
筋の中で同じような経歴をたどることもありません。そのため、チェイス作品の連続性は、見た目だけで、
バルザック作品でもそうですが、作者の文学的世界を統一するのに役立つだけなのです。 13 同様のアイデアが、ピーター・ローランの1984年の作品、"Jacqui"(『ジャッキー』)で使われ、小説の
最初から最後まで登場します。 8 第2時代 1954年頃、チェイスは、全てを語らせ、飽きてしまったハードボイルド小説を決定的に逸
脱し、どんどん様々なジャンルに挑戦します。既に見て来たように、彼は臨床医学的な暴
力描写と同様に効果的なブラックユーモアや不気味さを取り入れて、型を破ってきました。
1954年に、エレガントなドン・ミックレムや不可能なミッションを得意とするマーク・ガ
ーランドのような登場人物を用いて、冒険物のスリラーやスパイ小説に挑戦し、新しい一
歩を踏み出します。それと平行して、背景も英語圏だけではなく、国際的になっていきま
す。『ヴェニスを見て死ね』(1954)はイタリアで、ガーランドの冒険は東ヨーロッパと
アフリカで、また『カメラマン ケイド』(1966)の中で写真家ケイドが運命に出会うの
は、スイスのスキー場です。他の報酬目当ての登場人物は、実入りのいいミッションを求
めてアジアに行き、『ミス・クォンの蓮華』(1960)の中ではベトナムに、"A Coffin
from Hong Kong"(『香港からの棺』)(1961)では香港に赴きます。いつも出不精だと
言っていたチェイスの作品にこのようなバラエティーにとんだ背景が出て来て、彼がそれ
をもっともらしく描く器量があることに驚きます。実はたくさん旅行をしていたのでしょ
うか。それと平行して、犯罪捜査を扱った物語を書き続けますが、文体が大きく変化しま
す。状況の中のバロック調、ハードボイルド小説特有の比較や比喩14は消え、少しの言葉
で倹約的かつ冷淡な構成が現れます。彼の誹謗者達が、この時期チェイスが自分の才能を
合理的に利用する方法をみつけ、特定の読者達を得るためにそれを繰り返したと考えても
仕方が無いでしょう。その可能性は高く、事実でしょう。しかし、それはチェイスの世界
が、サディスム、セックス、密猟を併せた推理小説だと単純化出来ない証拠でもあります。
逆に、彼の世界は進化し、その進化が正統なハードボイルド小説の境界まで行く(もしく
は、先ほど見たように境界を越えてしまう)からといって、悪いものだとは限りません。 第3にして最後の時代 60年代後半に始まります。チェイスは成功のすべての切り札を握っており、一見、物語の
語り手としての優れた技量に関する心配しかしていないようです。当時の評論家達は、一
般的に、この時期からチェイスが様々なジャンルの中に迷い始めると言います。確かに、
彼の全作品が店頭に並んでいます。古典的な推理小説、スパイ小説、冒険物スリラー (例えば、1969年に発行された"The Vulture Is a Patient Bird"(『禿鷹は辛抱強い鳥』))、
さらに警察小説(例えば、フロリダの億万長者達の最後の巣窟かつ様々な取引のかなめで
ある避暑地のパラダイス・シティにおける警察官トム・レプスキーとその班の調査)まで
あります。実際には、この時期に彼の才能が頂点に達しただけでなく、複雑な主題を把握
しています。全作品の中で、チェイスの強迫観念である裏切りが、純粋で単純な(お金や
女性への)渇望によって、又は登場人物の人間性の過度によって生まれ、善から悪が現れ
るのです15。そして、第1、第2時代と比べて、成功作と駄作の数が変わりないことを強調
しなければなりません。初期のチェイス作品を高く評価し、その後彼が変わってしまった
14 比較や比喩は、推理小説が文学的みてくれの良さを得ることで、高潔な文学になろうと試みた跡です。レ
イモンド・チャンドラーが最初に移植を試み、多数の作家が彼を追いました。チェイスでさえ、"Lay Her
among the Lilies"(『彼女を百合の中に寝かせなさい』)(1940)でシーン全体(精神病院に入れられた探偵
は『さらば愛しき女よ』への敬意を表しています)だけでなく、変わった隠喩でチャンドラーの文体にオマ
ージュを捧げています。「暖炉の近くに座っている老女のように、事業に動きが無かった」、「コンクリー
トを壊すほど強いウィスキー」等です。 15 この点に関して、"Lady, Here’s Your Wreath"(『レディ、これがあなたの花輪です』)を再度見てみまし
ょう。語り手が、美しいマルディ・ジャクソンを守るためにどのような危険にも勇敢に立ち向かい、最後に
は、幸せを掴む目前に彼女が殺人者だと知るのです。ハッピーエンドから一転し、悲劇となります。チェイ
スはこのテーマを後年の作品、"Have a Change of Scene"(『シーンを変更しろ』)(1973)でも扱います。 9 ことを後悔する傾向にあります。しかし実際には、当時のチェイスの全ての過度を含んだ、
盗まれた死体に関する奇抜な物語、"Make the Corpse Walk" (『死体を歩かせろ』)
(1945)と、だいぶ後に書かれた、アメリカの組織化され、現代化されたマフィアに関す
る明晰で冷淡な描写、"Knock, Knock! Who’s There ?"(『トントン!誰かいますか?』)
(1973)というすっかり異なった2つの作品に、レベルの違いはありません16。本が変わっ
ても、背景が変わっても、いつも同じ負け犬("Make the Corpse Walk" (『死体を歩かせ
ろ』)のスーザン・ヴェダー、"Knock, Knock! Who’s There ?"(『トントン!誰かいます
か?』)のジョニー・ビアンダ)が日の当たる場所を求めて争い、いつも同じ権力者が彼
らを邪魔する者を押しつぶし(又は押しつぶさせ)、いつも同じ冷淡で描写的なスタイル
で、いつも同じ容赦ない筋の展開で、いつも同じ幻想を失ったビジョンなのです。世界は
大きな落とし穴で、そこではどんどん巧妙になっていく罠を避け、その果てに罠に落ちる
しかありません。チェイス自称のデカダンスはよく嘲弄されましたが、それも聞き飽きま
した。むしろ成功した変革だととらえるべきです。ハードボイルド小説の一番派手な面か
ら発ち、その繊細さを作品に組み込んだ後、それを超越するのです。特に、彼の世界を拡
大しながらも、歪めることなく、迷うこともないのです。このような無謀な行為を成功さ
せたと自慢出来る作家はそうそういません。 それでもチェイスは純粋な商業作家でしょうか。彼のように、一般的でない強迫観念やテ
ーマを多数の読者に好奇心の対象として提供した作家は稀です。戦後、多くのフランス人
作家が批評家達の叫びを無視して、架空のアメリカ人ペンネームを使って、チェイスの形
式を応用したのは大正解です。(一番有名なケースはもちろんヴェルノン・シュリヴァン
のペンネームで書いたボリス・ヴィアンです。)しかし、彼らはチェイスの形式を見つけ
ることができず、それはチェイスの作品が、読者の好みにあわせて定期的に届けられる商
品ではなく、オリジナルな一つの世界をなすパーツだということを示しています。初期の
作品に見られたサディスムや残虐行為は、素人の読者が、もっとグローバルな世界と人間
の置かれている状況から、理解出来た部分だけを即時に翻訳した結果でしかないのです
(チェイス作品が、アメリカとイギリスを発ち、その無情な世界をイタリア、旧ソビエト、
アフリカ等世界中に移し替えるには理由があります)。そのうえ、このサディスムは一番
明白な翻訳でしかないのです。チェイスはヒューマニズムに忠実で、無情な人物を描くの
は、形而上学的なその厳しさの裏側を追いつめるのが目的です。出口の無い世界に生まれ
た嫌悪感、生き残るために戦わねばならない苛酷さ、または逆にピラミッドの頂点に立っ
たときに、あらゆる手段を用いてその地位を守らなければならない恐ろしさ。それはただ
作家の技術的な器用さではなく、最善と最悪の人間の感情が、この道徳心の無い世界を紡
ぐのです。これらの感情はプラスであったり、マイナスであったり、時にはプラスとマイ
ナスの両方であったりします。読者は、"Trusted Like the Fox"(『狐のように信頼されて
いる』)(1948)に出てくる、紛れもない親ナチス派で、憎しみと心の痛みを抱きながら
戦後を生き、誰にも愛着を持てないと知りながらも可哀想なグレースに愛着を持ち、彼女
のために自己を犠牲にするカッシュマンをけして忘れないでしょう。この自分の愛の対象
を辱め、最後には彼女を愛する、邪悪で倒錯した人物は、チェイスの世界像と男性像の症
候を示しています。いくら自分の権力を見せつけ、全ての人に憎しみを叫んでも、あなた
の存在を失わせる弱さであり、あなたの人間性をあらわにしながらあなたを救う、人間的
16 チェイスの全作品の中には、成功作と同数の駄作があります。その意味で、『とむらいは俺がする』
(1952)は、"The Joker in the Pack"(『ジョーカーを手に』)(1975)に劣りません。それでも『とむらい
は俺がする』には、裏の意味を読んで楽しむ愛読者がいます。"The Joker in the Pack"(『ジョーカーを手
に』)も、ヘルガ・ロルフという、裕福で無情な女性で、疑い易く、彼女を信用する人々を裏切ることを恐
れがちな、興味深い人物が登場します。 10 要因に必ず捕らえられるのです。これほど豊富でバリエーションにとんだ主題は、お金に
貪欲で才能を駄目にするような作家の仕事ではありません。チェイスは、推理小説が自分
の言いたいことに最も適した構成を持っているとよくわかっていたのです。そして推理小
説だけでは満たされなくなったときに、読者を失うこと無く、冒険小説やスパイ小説に向
かったのです。すべてのジャンルにおいて彼ほどの才能を持って活躍した作家はいません。 4、結論として 本の展示会で、ある推理小説専門家とチェイスを話題にしたところ、彼は私にこう言いま
した。「あなたがやっていることはとても良いと思います。しかし、彼と同様才能のある
現代作家にも興味を持つべきです。」以下のように答えるべきでした。「そうかもしれま
せん。しかし、私の代わりに皆がやっています。」古本屋の知り合いも「他の人がうまく
やってくれているなら、何故彼らと同じことをしなければならないのだ?」と言っていま
した。冗長性は現代の疫病です。推理小説においては、潮流ではなく、商業的成功を進歩
と考えるため、当然の結果として、ジャンルの中ですでに行われたことに興味を失ってし
まいます。しかし、推理小説作家が亡くなったからといって彼の作品まで金庫にしまい込
むことはありません。特に、作品が重要で、一貫性を持ち、豊富で現代性を帯びたジェー
ムズ・ハドリー・チェイスの作品であればなおさらです。チェイスの世界ほど生き生きと
し、今日性を帯びたものはありません。(チャールズ・ウィリアムズ、デイ・キーン、ロ
ス・マクドナルド、ハリー・ウィッティントン、その他数多くの作家達の世界と比べても
です。)我々は、いつかフランスの批評家と大学の研究者が彼の重大さに気付き、今度こ
そしっかりと注意を払ってくれることを望んでいます。そして、出版社が大量に再版する
ことを諦めていません。しかしながら急がなければなりません。推理小説の古典作家は多
くないため、チェイス作品のような大作を無視することは出来ません。作者の人物像が良
くわからないものの、彼の作品がジャンルの進化に重要な役割を果たしたことに間違いは
ありません。彼が推理小説に悲劇を取り入れただけではなく17、悲劇が基本原則となり、
社会的状況の告発や心理描写よりも小説の存在を正当化するようになりました。チェイス
の後に、忠誠と裏切りの間で引き裂かれることが無く、悲劇につきものの不運も形而上的
な背景(大まかに描かれることもありますが、否定出来ません)もない推理小説を書くこ
とは不可能になり、暴力は悲劇の中で最も目に見える現象でしかなくなりました。この作
者の作品の役割と重要さが認められない限り、このジャンルの見解は不完全で誤っている
といえるでしょう。 ジュリアン・デュプレ リヨン、マルセイユにて、2011年11月30日 17確かに、チェイスの前に悲劇を取り入れた先駆者がいます。ジェームズ・マラハン・ケインが、チェイス
も『あぶく銭は身につかない』で真似た、有名な『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934)で取り入れまし
た。しかしその後すぐにケインは登場人物の現実的観察に興味を持ち、推理小説の構成から離れ、様々な社
会的、職業的背景の描写をするようになりました。そのため、ケインと純粋な推理小説との間にはほとんど
接点がなく、彼はアメリカの一般小説の分野で活躍したと言えます。 11