キーツのー4行詩教材の解釈と展開*

キーツの14行詩教材の解釈と展開*
奥田 喜八郎舳
(英米文学教室)
要旨:日頃から,学生のレポートや卒業論文などを読んでいると,学生の
詩に接する態度に,どこか物足りないものを感じさせられることが多い。
学生は,詩もまた,詩人の「詩的技術」によって創られた「言語的構築物」
であるということを,なかなか理解してくれない。詩のいちばんもとの材
料は単語である。詩人は単語を槌で打ち,これを強固な美しい模様にまで
鍛え上げているのである。ここに,詩を学習する者のために,Exp1icati㎝
de Texteという詩の読み方・味わい方を披渥してみたい。もちろん,詩
はどう読んでもよいのであるが,まず,筆者は学習者と共に手を携えて,
キーツの詩に分けいり,その意味をさぐり,その味をこまかに調べて見よ
う。
キーワード:詩,言語的構築物,Expncatio皿de Taxte
川口喬一氏は『小説の解釈戦略』の「あとがき」の中にユー「小説もまた言語的構築物」
一であると,述懐している。筆者もまた同感である。筆者は本学の大学院で,また学部の授
業で,英米詩をとり上げて演習したり,講義したりしているが,学生たちの詩に接する態度に,
大いに物足りないものを感じさせられることが多い。
伊藤信吉は『現代詩の干渉』(上)の「序」の中に2一「詩は生活と精神とにおけるひとつ
の結晶作用である」一といい,そして,一「詩人はその結晶作用を一定の様式をもって言葉
に定着させる」一ものであるという。さらに,詩もまた,一「圧縮された一瞬の時間のうち
にとらえた」一言語的構築物であるという。学生たちは,詩の方法(HoW)よりも,詩の中
身(What)についても,小説ほどに,なかなか理解しがたいようである。
詩はもちろんどう読んでもよいのである。読者は詩を自由に,気儘に,好き勝手に読んでも
よいが,しかし,学生や学徒はそれでは困る。レポートにまとめるとか,卒業論文を作成する
とか,ましてや,修士論文となると,一般読者の〈感想〉程度だけのものでは困る。学生はあ
くまでも一人の学徒としての客観的な観察眼が必要である。文学関係の論文は,科学の論文で
はない。データだけのものでは,味気ない。欲をいえば,詩の研究となると恩師島田謹二先生
のような,まず,詩人のような鑑賞眼と,学徒としての観察眼とを適え備わったものでありた
*
Exp1ication de Texte App1ied to Keats’s Poem of Fourteen Lines
**
jihachiro OKUDA (De切れmmfψ石mg〃∫ん & λmeれ。αm L〃mαfme,Nα伽 σ〃ω〃sづ妙 ψ
〃mα尻m)
一51一
い。その昔,筆者は幸運にも,大学院に在籍申,恩師島田謹二先生の侍講を受講したとき,は
じめて,Explicati㎝deTexteという文学作品の読み方・味わい方を学んだ。これは,つまり,
「作品に分けいり,その意味をさぐり,その味をこまかにしらべて見る3」という方法なので
ある。この方法を用いて,実際に,英国のロマン主義を代表する詩人キーツ(JohnKeats,
1795−1821)の作品を精読し味読してみたい。詩人キーツはこう歌い上げるのである4.
On Peac8
0Peace!and dost t110u with thy presence b−ess
The dwe11ings of this war−surrounded isie,
Soothing with placid brow our1ate distress,
Making the trip1e kingdom brightly smile?
LoyfuI I hai1thy presence;and I hai1
The sweet companions that await on thee.
Comp1ete my joy−1et not my first wish fai1:
Let the sweet mountain nymph thy favourite be,
W1th E㎎land’s happiness proc1aim Europa’s liberty.
0Europe!1etnotsceptredtyrantssee
That thou must she1ter in thy former state;
Keep thy chains burst.a皿d bold−y say thou art free;
Give thy kings law−leave not u皿。urbed the great.
So with the honourspastthou’1t win thy happier fate.
これは14行詩である。これは,別にソネット(somet)といわれている。しかし,残念なこ
とに,これは正規でないシェークスピア風ソネットーabab/cdcd/dded/ee一である。シェー
クスピア風ソネット(Shakespeareans㎝net)というのは,その脚韻を見ると,一abab/
cdcd/efef/gポーといったふうに押韻しているからである。
アロット(MiriamAllott,1918一)説によると5,「この14行詩は,おそらくは,1814年の春
4月頃に作詩された」という。それも,「イギリスとフランスとの長い戦争もようやく終決し,
それを祝う」ために歌われたソネットであるという。しかも,ナポレオン(Napoleo皿Bovaparte,
1769−1821)一世が1814年にエレバ島(islandofE1ba)に流されたことを知った先輩詩人ハ
ント(Leigh H㎜t,1784−1859)は,そのナポレオンー世の廃位をとなえた論説を,雑誌伽
α〃mγに発表した,そのハントの論説の記事を読んだ文学少年キーツは興奮の余り,「先輩詩
人ハントのその論説の語調・口調の影響をうけて」声高らかに歌い上げたのが,上記の14行詩
であるという。思うに,この作品の中に明示されている少年キーツの疑問の提示や,また命令
口調などに,先輩詩人ハントの語調がこだましている,と見るのが筆者の解釈である。
さらに,この14行詩の第8行目の一the sweetmo㎜tainnymph一という詩行の中に,先輩
詩人ミルトン(JohnMi1ton,1608−1674)の作品「快活な人」(“L’Allegro”)の中の6,一
一52一
And in thy right hand lend with thee,/The Mountain Nymph,sweet Liberty…一という2行
の反響を鮮明にとどめているというのは,興味深い限りである。思うに,厳格な道徳律を信奉
し,簡素な生活を信条とする信仰の厚いピューリタン詩人ミルトンの自由観が,文学少年キー
ツのこの短詩の奥処に躍動している,というのは筆者の解釈である。
文学少年キーツは先輩詩人ミルトンの厳格なピューリタンとしての自由観を踏まえて,平和
な国イングランドを切実にうたい上げたのが,この14行詩である。そして,幸運にも先輩詩人
ハントに見出されて,文学少年キーツはやがてイギリス詩壇に登場するのである。それも,先
輩詩人シェークスピア風ソネットの様式を用いて,文学少年キーツはキーツ独自の「平和」を
厳粛に歌い上げているのもまた,心楽しい限りである。
キーツ独自の「平和」観というのは,もちろん,この短詩の中に,ギリシア神話に登場する
エウロペ王女を歌い定めているからである。エウロペ(Europa)というのは,ゼウス(Zeus)
に愛された,フェニキア(Pho㎝icia)の王女である。ゼウスは白い牛に身を変えて,エウロ
ペを背にのせてクレタ島まで連れて行った,という話は有名である。その後,2人の間に,3
人の子供が生まれて,それぞれが「黄泉の国の裁判官」に任ぜられたという話である。念のた
めに,小林稔訳「ギリシア神話小事典』をひもといてみると7,重複するが,エウロペは,
フェニキアの王女である。愛らしく,元気のよい,茶目な娘で,強大な武将たちの家柄で
あることをたいへん誇りに思っていた。エウロペは冒険の物語が好きでなによりも勇気に敬
意をはらった。ある朝,侍女たちと牧場で遊んでいたエウロペは,大きくてりっぱな白い牡
牛が草を食んでいるのを見た。待女たちの一人が彼女に牡牛にのってはと誘いかけると,エ
ウロペは喜び勇んで牡牛にまたがり,かかとで牛の脇腹を蹴って,牛を疾駆させた。牛は全
速力で駆け出した。一中略一じつをいうと,この牡牛はゼウスだった。ゼウスは前日はじ
めてエウロペの姿を見かけて恋に落ち,娘をさらうために姿を変えたのだった。エウロペは
泣き止み,この冒険を楽しみ始めていた。今までどんな娘もこんな遠くまで旅したものはい
ないだろうと彼女は心中思った。世界中のどんな娘も,わたしがいずれ父の宮廷に帰ってす
る話に敬うような話はできないだろう。だが彼女は二度と宮廷には帰らなかった。
ゼウスはもとの自分の姿にもどり,エウロペを自分の生まれた洞穴,クレタ島のイデ山の
山腹にうがたれた広大な暗い洞窟に連れていった。ゼウスの娘の「時」の女神たちが,この
洞穴にりっぱなつづり織の壁掛をかけ,床に花を敷きつめて,花嫁をむかえる芳しい部屋や
用意した。この部屋の中でゼウスはほかのすべての人間の娘たちにまさる栄誉を彼女に与え,
その子孫は,彼女の名にちなんで名づけら軋る地上のまったく新しい場所に住むことになる
だろうと約束した。そういうわけで,ヨーロッパ大陸はこの王女にちなんで名づけられたの
である。彼女はゼウスとの問に3人の息子を生んだ。一中略一ゼウスはいつもエウロペに
は特別の愛情をいだいていた。ゼウスはかくべつ入念に作られた星のシャンデリアを空にか
け,エウロペヘの求愛を記念して,「牡牛座」と名づけた。
と今もなお語り継がれているのだ。ここにいう3人の息子というのは,(1)ラダマンテュス
(Rhadamanthus),(2〕ミーノース (Minos),それに,(3)サルベードン (Sarped㎝)である。
一53一
(1〕ラダマンテュスという王は,生前,正義(Justice)の模範とされた王であって,死後は,
その兄弟ミーノースや,アイコア(Aea㎝s)とともに,「黄泉の国の裁判官」に任じられた
という。また,(2)ミーノースという王は,クレタ島の王となって,のちに,クノッソス(Knossos)
の宮殿に住み,ミーノータウロス(Minotaur)を迷宮に閉じ込めたという話は有名である。
死後,ミーノースは「黄泉の国の裁判官」をつとめたという。(3)サルベードンという王は,リュ
キア(Lycia)の王となり,のちに,トロイ戦争でパトロクロス(Patroclus)に殺されたと
語り継がれている王である。思うに,文学少年キーツは上記のエウロペ王女の身の上話を下敷
にして,王女の名にちなんで名づけられた,その頃の平和なヨーロッパ大陸を理想郷としてい
るのもうなずけるだろう。また,3人の息子たちの生き方を下敷にしながら,正義の国イング
ランドをユートピアとしているのもまた,これで明らかとなるだろう。そして,文学少年キー
ツは,今後の「法治国家イングランド」の建設に夢みているのもまた,これで,明白であろう。
ましてや,当時のイングランドは内外ともに問題が山積していたことなどを思い併せてみると,
なおさらである。
たとえば8,フランスがイギリスに宣戦布告をしたのは,1793年であった。イギリス軍が
Netherlandsより駆逐されたのは,1794年であった。また,イギリス軍が地中海から撤退した
のは,1796年だった。その年に,アイルランドに反乱が起きた。ネルソン(Horatio Nelson,
1758−1805)がフランス艦隊をAbukir湾に破ったのは,1798年だった。当時の首相ピット
(Wi11iam Pitt,1759−1806)が労働組合を認めず,改革派を弾圧したのは,1799年であった。
マルタ島をフランスから占領したのは,1800年であった。ネルソンはCopenhagen海戦で戦勝
したのは,1801年だった。この年に,大英帝国(GreatBritain)が,アイルランドと併合し
たのだ。そして,フランスと講和を結んだのは,1802年であった。しかし,1803年に,イギリ
スがフランスに宣戦を布告する。
1804年に第2次ピット内閣が成立し,1805年にTrafaigar沖で海戦がはじまる。1806年にピッ
トが亡くなる。その後,Grenvi11eの連立内閣が成立し,ナポレオンー世がその年に大陸封鎖
令を出す,といった騒騒しい時代だった。1807年にイギリスは奴隷貿易を禁じ,1811年に産業
革命で機械破壊の暴動が起き,その職工団員の一撲が翌年までつづく,といった喧燥たる社会
であった。この年に,皇太子ジョージ(GeorgeW)が摂政となる。1812年にイギリス全土に
機械破壊運動が一層激化すると共に,アメリカと開戦する,といった天手古舞のイギリスだっ
た。1814年にナポレオンー世がエルバ島に流され,フランス帝政が瓦解し,1815年にWater・
1ooの戦で,ナポレオンー世が決定的な敗北を喫する,といった一連のイングランドの内外の
激動の足跡をたどってみると,当時の文学少年キーツの,「平和」によせる詩的意図もまた,
明らかとなるだろう。
文学少年キーツは「平和について」(“On Peace”)と題して,はじめの4行をこう歌い上
げるのである。
OPeace!anddostthouwiththypresencebless
The dweHings of this war−surrounded isle,
一54一
Soothing with p1acid drow our late distress,
Making the triple kingdom brightly smile?
ここは,疑問符(?)を用いて,うたわれている。誰に?無論,「平和の使者」に疑問をなげ
かけているのだ。しかも,文学少年キーツは,その「平和の使者」を,thouという第二人称
単数格を用いて呼びかけているのだ。これは,yOuの古語である。「なんじ」とか,「御身」と
訳すとよいかも知れない。
古語thouに伴う動詞は,たとえば,are.have,sha11,wi11,wereがそれぞれ,art,hast.sha1t,
Wilt,Wertと変化するほかに,現在形,過去形に,一St,または,一eStの語尾を付けることになっ
ている。たとえば,前者の変化は,この14行詩の第12行目の,thou art free,であるとか,また,
最終行の,thou wilt win,であるといったふうに使用される。また,後者の語尾付けは,この
14行詩の第1行目の,Dosttho皿bless…?といったふうに使われる。ここにいうdostという
のは,doの古語で,助動詞である。つまり,ここは,(1)Do you bless A with B?という疑問
文になっているのだ。そして,(2)Doyou sootheAwithB?とうたいつづけ,さらに,(3)Do
y㎝makeAdo?とうたい定めている4行である。
(1〕DostthoublessAwithB?というblessというのは,「(神などが)(人)に恩恵を与える」
とか,「(神などが)(人・国など)にB(物)を恵む」といった意味を有する他動詞である。
たとえば,God hasblesseduswithchildren.(r神は我々に子供を恵みたもうた」)といったふ
うに用いられる動詞b1essである。つまり,文学少年キーツは,重複するが,Dost thou bless
thedwe11ingsofthiswar−surroundedislewiththypres㎝ce?とうたい上げているのである。
これは,おそらくは,「御身は自らの臨御の栄光をもって,この戦さに泡囲されている島国の
住民を祝福したまうのか?」という意味であろうかと思う。ここにいうdwe11i㎎(s)というの
は,houseの文語である。また,isleというのは,is1andの詩語セある。たとえば,theBritish
IS1e(「イギリス本島」)のような定まった名のほかは,今では比較的小さな島にのみ用いられ
る名詞is1eである。thyというのは,thouの所有格であり,古語であり詩語である。
(2〕Dostthousootheourlatedistresswithplacidbrow?というsootheというのは,「(人・情
感を)しずめる」とか,「(苦痛などを)やわらげる」といった意味を持つ他動詞である。ここ
にいうbrowというのは,特に,悲喜・決意などの感情のあらわれるところとしての「顔つき」
という意味を持つ名詞であり,詩語である。lateというのは,ここではear1yの反対語ではな
く,「近ごろの」という意味を持つ形容詞である。たとえば,The1atewar(「この間の戦争」)
というふうに用いられる限定形容詞である。思うに文学少年キーツは,おそらくは,「御身は
おだやかな表情をうかべて,我々のこの度の戦争の苦痛をやわらげたまうのか?」とうたい伝
えているのかも知れない。
(3)Dost tho皿make the triple Ki㎎dom smile brigh口y?というmakeというのは,使役動詞で
ある。つまり,「make+目的語十toのない不定詞」という構文が使用されている。たとえば,
He made me pay the bill.(「彼は私に勘定を払わせた」)というふうに用いられる使役動詞であ
る。使役動詞といえば,makeのほかに,1et,haveなどがある。もちろん,この3者それぞれ
一55一
の使い方や意味の相違などを正しく理解しておくことが,肝心である9。(イ)mkeという使
役動詞は,たとえば,I made the student write a compositi㎝by threateni㎎them.といったふ
うに使用される動詞である。(口)haveという使役動詞は,たとえば,I had the student write
acompositi㎝byaski㎎them todoso.といったふうに用いられる動詞である。そして,(ハ)
1etという使役動詞は,たとえば,Her father wi11 not let her go to Disney1and.といったふうに
使われる動詞である。このように,同じ「させる」でも,上記の例文の示す通り,haveと
makeでは,それぞれ強制力が違うのである。haveの方は,「相手の気持ちを考慮して〈して
もらう〉」といったニュアンスを有する動詞であるのに対して,makeの方は,「相手の気持を
考慮しないで強制的に〈させる〉」といったニュアンスを持つ動詞である。この2者に対して,
1etという使役動詞は,「させる」というよりも,「邪魔をしないで〈そのままにしておく〉」と
いったニュアンスを有する動詞である。思うに,このように3者それぞれのニュアンスの相違
が,大切である。
文学少年キーツは,haveや1etなどの使役動詞を使用しないで,あえてmakeという使役動
詞を用いている。これは,重複するが,「相手の気持を考慮することなく,強制的に〈させる〉」
とういニュアンスを持つ動詞である。決して,「邪魔をしないで〈そのままにしておく〉」ので
もない。つまり,文学少年キーツは,強制的に,「ほほえまさせるおつもりか?」と疑問を提
示しているのである。
ここにいうkingdomというのは,王が統治する国を意味する。the United Ki㎎domというの
は,上記にすでに説明しておいたように,1800年に,Great BritainとIre1andが連合した際に
採用された名称である。もちろん,GreatBritainというのは,Eng1and,Scot1andそれに,
Waiesを含む名称である。思うに,ここにいうthe triple Kingdomというのは,「3から成る王
国」という意味であって,おそらくは,Eng1and,Scotiand,それにWaiesをイメージする「大
ブリテン」を明示するのではあるまいか。
おお,平和の使者よ! 御身は自らの臨御の栄光をもって,
この戦さに泡囲された本島の住民を祝福したまうのか?
穏かな表情を堪えて我々のこの度の苦痛を柔らげたまうのか?
この大ブリテン王国を明るくほほえまさせるおつもりか?
と厳格に文学少年キーツははじめの4行をこう歌い上げているのではあるまいか。そして,そ
れにつづけて,詩人キーツは次の4行をこう歌い定めるのである。
Joyful I h ail thy presence;and I hail
The sweet companions that await on thee.
Comp1ete my joy−let not my first wish fai1:
Let the sweet mountain nymph thy favourite be,
ここにいうhailというのは,「(Hail!といって)あいさつする」とか,「歓迎する」という意
味を持つ他動詞である。これは,hea1thと同義であって,Behail!(「僅かなれ!」)の略であ
るという。また,ほかに,Hai1.Kingofthe Jews!(「ユダヤ人の王,ばんざい」)というふうに,
一56一
よく耳にする感嘆詞hai1でもあるが,しかし,ここに用いられているhailは,他動詞である。
文学少年キーツは,厳粛に,l haH thy presence.とまずうたい定める。これは,おそらくは,
「私は御身自らの臨御の栄光をお迎えします」という意味であろうかと思う。Joyfulというの
は,形容詞であるが,しかし,ここでは,副詞として用いられている。単なる副詞Joyf皿Hyよ
りも,意味を強めたJoyfulである。この方がかえって,Joyf皿11yよりも,いきいきとした「よ
ろこび」をイメージする。ここにいうtheeというのは,thouの目的格である。
そして,文学少年キーツはそれにつづけて,andIhai1thesweetcompani㎝sthatawaiton
thee.と歌い示すのである。ここにいうawait㎝というのは,日常語のwait forの文語である。
ここは,おそらくは,「御身の臨御の栄光を今か今かと待ちうけているjとでも歌い上げてい
るのではあるまいか。aWait㎝も,Waitforもともに,「(期待して)…を待つ」という意味を
有する動詞であるのに対して,expeCtというのは,「期待するときも,また,期待しないとき
にも」使用される動詞である。この両者のニュアンスの相違に,注意しよう。また,ここにい
う。ompanion(s)というのは,「(偶然の)友だち」を意味する名詞である。これは,通例,
「friendほど堅く結ばれていない友だち」というニュアンスを持つ名詞である。たとえば,a
companion at[in]ams(「戦友」)とか,また,a boon companion(「(男の)愉快な遊び仲間」)
といったふうに使われる名詞であることを思い出してみると,文学少年キーツは,おそらくは,
ここになによりも「やさしい戦友たち」をたたえているのだと思う。そして,詩人キーツは,
その「やさしい戦友たち」に託して,同様に,敵国フランスを,戦争後の平和なヨーロッパ大
陸の同盟国として,「親切なフランスの友だち」を明示しているのかも知れない。思うに,文
学少年キーツは,おそらくは,「御身の臨御の栄光を今か今かと待ちうけている,心優しい戦
友たちをお迎えします」と晴れやかに歌い上げているのに相違ない。
そして,それにつづけて,文学少年キーツは,Comp1etemyJoy−1etnotmyfirstwish{ai1
とうたい定める。ここにいうComplete myJoyというのは,命令形である。つまり,「私のよ
ろこびを満たしておくれ」という意味であろうかと思う。let A doという使役動詞1etについ
ては,すでに上記に説明しておいた通りである。「(邪魔をしないで)そのままにしておく」と
いう意味を有する動詞であるが,しかし,ここでは,第3人称の命令に用いられている1etで
あることに,注目しよう。たとえば,Letitbed㎝eat㎝ce.(「直ぐにさせる」)とか,また,
Let him come in.(「通してやれ」)といったふうに用いられる1etである。思うに,文学少年キー
ツは,おそらくは,「私のよろこびを満たしておくれ一私の最初の望みどおりにはならなくて
もそのままにしておかないでおくれ」と切実に歌い伝えているのに相違ない。
それにつづけて,文学少年キーツは,Letthesweetmomtainnymphthyfavouritebe,と高
らかにうたい上げている。ここにいうnymphというのは,ギリシア神話やローマ神話などに
よく登場するニンフである。ニンフというのは,海とか,河とか,泉,小山,森,木立などに
棲んでいる「半神半人の精」であるという。
ニンフについて,オランダの文学博士フリース(Ad de Vries)は,こう説明している1o。
位の低い美しい女神で,自然界の豊じような場所,すなわち,森とか,雲とか,湿地とか,
一57一
川とか,湖などに住む。
元来,聖王(Ki㎎)と関連が深く,ニンフたちは,聖王が季節ごとに姿を変えるときは
聖王のあとを追いかけたといわれているが,ふだんは「彼の熱い視線を逃れるために」姿を
変えていた。たとえば,ゼウスはメティス(Metis),あるいは,ネメシス(Nemesis)のあ
とを追い,ペレウス(Peleus)はテティス(Thetis)のあとを追い,ピュトン(Python)
はレト(Leto)のあとを追った。また,シレノス(Si1enus)はロバのほかに,ニンフにのっ
た姿で描かれることがあり,彼がニンフに運ばれていたことを表すと思われる。おそらく,
ニンフは,「不死のリンゴ」(the Apple of Immortality)を手渡す女神,すなわち,巫女の
別の姿であろう。
という。「元来,聖王と関連が深く,ニンフたちは聖王が季節ごとに姿を変えるときは,聖王
のあとを追いかけた」という民間伝承を踏まえて,文学少年キーツは「Ki㎎(一dom)のあと
を追いかけて,大ブリテン王国の山に棲むニンフ」をたたえているのもまた,キーツらしい絶
妙な詩境である。
両手をあげて御身自らの臨御をお迎えします。そして御身を今か
今かと待ち受けている心優しい戦友たちをもお迎えします。
私の悦びを満たしておくれ一私の最初の願を挫かせないでおくれ。
心優しい山の精を御身のお気に入りのものにしておくれ,
と声高らかに歌い上げながら,さらに,文学少年キーツは次の4行をこう歌い定める。
With E㎎1and’s happiness proc1aim Europa’s iiberty.
OEurope!Letnotsceptredtyrantssee
That thou must shelter in thy former state;
Keep thy chains burst,and bo1d1y say thou art free;
ゼウスに愛されたエウロペ王女の冒険などを想起してみると,ここにいう「エウロペの自由」
というのもまた,明らかとなるだろう。しかも,自由は自由でも,freedomの自由ではなく,
1ibertyの自由である。1ibertyの自由というのは,自由に発言したり,行動したりする権利とか,
また,束縛や強制などから開放される自由を強調する名詞である。freedomという自由は,も
ちろん,幅広い意味を持つ名詞である。日常語としては拘束や障害のない自由,または解放感
をさす名詞である。思うに文学少年キーツは,ゼウスと共に自由に発言したり,行動したりす
るエウロペ王女の生き方に共鳴しているのだと思われる。
ここにいうwith E㎎land’s happinessというwithというのは,「付帯状況」,すなわち,「並
行行為」を示す前置詞である。「時」のつながりを意味する。つまり,「同時だ」11という意味
である。proclaimというのは,「…を宣言する」という意味を有する他動詞である。たとえば,
they proc1aimed the Crown Prince(to be)the new King.(「彼らは皇太子を新国王と宣言した」)
というふうに用いられる動詞である。思うに,ここの大意は,おそらくは,「イングランドの
幸福と共に,エウロペ王女を自由の身だと宣言しておくれ」というのではあるまいか。
さらに,文学少年キーツは,それにつづけて,OEurope!let notsceptredtyrants see/
一58一
That th㎝must shelter in thy former stateと規定する。ここにもlet A doという構文が用いら
れている。これは,第7行目のそれと同じである。tyrant(s)というのは,「暴君」という意
味を持つ名詞である。たとえば,古代ギリシア世襲によらず,独力で政権を握った者で,初め
は卓越した独裁者となり,善政をおこなった者もあったが,後には暴虐な者も現われ,遂に,
「暴君」の意味に転化するに至った名詞である。思い出されるのは,やはり,ネロ(Nero
C1audiusCaesarDrususGermanicus,37−68)というローマの皇帝だろうか。彼は残虐で,淫蕩
な暴君であったという。
ここにいうsceptre(d)というのは,儀式のときに王[女王]が持つ棒状のもので,王権の
象徴である。つまり,「王笏」である。「王笏を持った暴君たち」という意味であろうか。次の
that構文の中のthouというのは,少少,厄介であ糺ここにいうthouというのは,エウロペ
王女を差していると読むのもまた,楽しい。というのは,後半にうたわれているthyformer
Stateというのは,その昔,エウロペ王女がゼウスに連れてこられた,あのクレタ島のイデ山
の山腹にうがたれた広大な暗い洞窟を明示している,と読めないことはないからである。この
方が,より自然な読み方であるかも知れない。思うに,文学少年キーツはエウロペ王女の身の
上を想起しながら,おそらくは,「王女はあの昔の洞窟の中に身を隠さなければならないなん
てことにならなければよいが…」といたく危惧している,と読むのもまた心楽しい限りである。
She1terというのは,場所を提供して保護することを含意する動詞である。それは,まるで
雨宿りする,といった感じである。muStというのは,抵抗しがたい程の強い圧力を感じさせ
る助動詞である。どちらかというと,うむをいわせない「命令」のニュアンスをもった助動詞
である。
文学少年キーツはそれにつづけて,Keepthychainsburst,andboldlysaythouartfreeと規
定する。chainにsが付くと,奴隷や,囚人をつなぐ鎖を意味する。また,ここにいうKeep
AC(「AをCにしておく」)という語法が用いられている。たとえば,Keep the door op㎝.(「ド
アをあけておく」)とか,Keepthewindowc1osed.(「窓をしめておく」)といったふうに使わ
れる語法である。
イングランドの幸福と共にエウロペは自由の身だと宣言しなさい。
おおヨーロッパ大陸よ! 王笏を持った暴君たちに覚らせないでおくれ
御身は,あの,昔のクレタ島に姿を隠さねばならぬなんてことを。
鎖をぱっと断ち切っておきなさい,そして大胆に自由だと言っておくれ
とおごそかに歌い上げるのではあるまいか。そして,それにつづけて,文学少年キーツは最後
の2行をこううたいおさめる。
Give thy kings law−1eave not uncurbed the great.
So with the honours pastthoult win thy happier fate.
ここには,leave AC(「AをCにしておく」)という語法が用いられている。たとえば,leave
itmsaid.(「それは言わないでおきなさい」)とか,leavethedooropen.(「ドアをあけておく」)
といったふうに使用される語法である。これは,第12行目のkeepACとよく似た語法である。
一59一
後者のkeepの方は,(人・物が変化しないで)同じ状態[位置]を保つという基本義を有する
のであるが,それに対して,前者のleaVeの方は,(物を)あとに残す→ (場所・人・団体な
どから)離れるという基本義を有する。両者のニュアンスを理解しよう。
ここにいう㎝rbというのは,車道との境目にある歩道の「へり石」「ふち石」という意味を
持つ名詞である。イギリスでは,curbよりも,kerbの方を普通,よく用いられるようであるが,
しかし,ここでは名詞ではなく,一種の形容詞として用いられている。㎝rbedというのは,
過去分詞形で,つまり,形容詞用法である。それに,㎜一という接頭辞が付いている。つまり,
「拘束しない」という意味であろうかと思う。leave皿。t㎜curbed the greatというように,こ
こは,2重否定が使われていることに,注意しよう。このように,1つの文章の中に否定語を
2つ使用することは,一般には正しい語法と認められていないが,しかし,興奮して,強い否
定をする場合などには12,教養のある人でも使うことがあるようである。思うに,文学少年キー
ツは興菅の余り,「努努偉大な人たちを拘束しておかないでおくれ」とうたい示しているので
はあるまいか。
最終行の中の,th㎝’ltというのは,thou wiltを短縮したものである。wiltはwi11の古語で
ある。ここにいうWinというのは,「(人・物事が)(人)を味方につける」)という意味を持
つ他動詞である。たとえば,His speech won the listeners.(「彼の演説でラジオの視聴者の味
方ができた」)といったふうに用いられている動詞Winであると是非読みとりたい。というの
は文学少年キーツは,fate(「運命」)に託して,ギリシア神話やローマ神話に登場する「3人
の運命の女神」を鮮明に明示していると思われるからである。それも,あの,エウロペ王女の
3人の息子たち」と呼応させながら,ここに「3人の運命の女神」がはっきりとイメージして
いる,と読むのもまた楽しいではないか。
「運命の3女神」(the three Fates)というのは,(1)人間の生命の糸をつむぐ女神をクロト
(Clotho)という。(2)その糸の長さを決める女神をラケシス(Lachesis)という。そして,
(3)はさみで,その糸を断ち切る女神をアトロポス(Atropos)という。fateという語は,元,
ラテン語のμ一舳から派生した語であって,原義は「神の判決」という意味を有するという
のは,面白い。それも,fateという語は,避けがたい宿命で,ときに悲劇的な結末を含意する
名詞であるというのもまた,印象深い限りである。それに対して,destinyという語は,より
客観的で,すばらしい結末を含意する名詞であるというのもまた,興味深い限りである。思う
に,ここの大意は,おそらくは,「御身はより幸福な運命の女神を味方につけるだろう」とい
うのではあるまいか。それも文学少年キーツは悲劇的な結末を予測しながら,その予測は確立
の高い予測を13を,この助動詞wiltに託しているのもまた,皮肉である。
withtheh㎝ourspastというwithというのは,第9行目のそれと全く同じ「付帯状況」を
示す前置詞である。ここにいうpastというのは,passの過去分詞(=passed)であるが,し
かし,形容詞であると読めないことはない。というのは,これは,もちろん,名詞の前にも,
また,後にも使用されるからである。思うに,文学少年キーツは興奮の余り,最後の2行をこ
ううたい収めるのではあるまいか。
一60一
王たちは法律に従わせよ 努努偉大な人々を拘束したままにしないで。
過去の栄誉と共に,御身はより幸福な運命の女神を味方につけるだろう。
参考文献
拙文の作成にあたって次の事典・辞書を参考にした。それぞれ付記しなかったものもあるの
で,お断りしておきたい。
*The Anchor亙m星〃5κ一∫ψαm8e Dづ。わmαη.ed.Shibata Tetushi.Tokyo:Gakushu Kenkyusha,
1986.
*Iwanami’s∫{m〃刀ed E㏄8’{5κ一∫妙舳es2D{oκ㎝αη.ed.Shimam阯ra Morisuke.Doi Komichi.a皿d
Tanaka Kikuo.Tokyo:Iwanami Shoten,1976.
*Dictionary of∫ツmわ。’5αm∫mα8eη。ed Ad de Vries1London:North−HoHand Publishing
Company,1974.
〈注〉
1 Kyoichi Kawaguchi,∫〃。〃5e伽 mθKα{5κα后m (lnterpretative Games of the Nove1Titied
W〃肋〃伽g〃e{8〃5)Fukutake Books7(Tokyo:Fukutake Shoten,1989).p.236.Mr.Kawa・
guchi is fu11professor of Literature at Tukuba University.
2 Shinkichi Ito.Gmdα{一∫〃伽κmsんm(Appreciation of Modem Poems),Shincho皿Bunkou.
(Tokyo:Shinchou−sha.1977),p.i.
3 Kinji Shimada.Seiichi Yoshida,Tθ洲m M勿5〃κα伽κm(Appreciation of Touson−s Famous
Poems),(Tokyo:Tenmei−sha,1949),p.i.
4 John Keats,丁此e Comク如fe Pmm∫oグ∫o此mκeαお,ed Miria㎜AHott(Engla皿d:Longman Group
Ltd,1986),PP.5−6.
5 〃d.
6 Wi11iam Henry Hudson,M〃。〃α〃〃∫戸。eゆ(London:George G.Harrap and Co.Ltd..
1919)、P.59.
7 Bemard Evsiin,God5Dem{goぬ&Dem㎝5:λ㏄肋。ツ。ゆe〃αぴGme昆Mソ肋。’o8ツ,trans Mino川
Kobayashi(Tokyo:Shakai Shisou sha,1982),pp.58−59.
8 Nobuyuki Sakurada,λH{sサ。ηoグE〃g〃sκL〃eγα切m (Tokyo:Taishukan−shoten,1985),p.
143.
9 Hiroto Onishi&P舳1Chris McVay.M〃m∫少m加〆s〃8〃5κCγαm伽〃(Tokyo:Kenkyusha,
1995)、P.8.
10 Ad de Vries,D{cκmαリ。グ∫ymあθ’s伽d ∫mαgeη.trans Keiichiro Yamashita (Tokyo
Taish皿kan−shoten,1994).p.465.
11 Hiroto Onishi& Paul Chris McVay,此吻螂∫枇α加〆s〃g〃5地 G伽伽m〃2 (Tokyo
Kenhyusha,1996),p.91.
一61一
12 Genya Nagasaki,κ{8助{m〃わ舳ク。〃 (A Miraculous English Grammar)
Non−Book−98.
(Tokyo:Shougatukan,1976),p.234.
13 Hiroto Onishi&Pau−Chris McVay,
」Vαれ〃e∫クeα伽γ’3Em8〃∫κGγα伽榊αγ3
y・・h・,1997),P.19.
一62一
(Tokyo:Kenk一