『リチャード三世』における超自然 - 東京成徳大学・東京成徳短期大学

『リチャード三世』における超自然
闍 山 浩 子*
1 はしがき
シェイクスピアの歴史劇『リチャード三世』は、この著者がイギリスの歴史をテーマとして作り出
した、いわゆる英国史劇シリーズの一つであるが、その中でも極めて注目すべき特色のあるものであ
ろう。
この劇では、まず第一にイギリスの王朝の抗争を背景に、歴史的事実に基づきながらも、その悲劇
的特色が遺憾なく発揮されている。つまり、ここではランカスター家とヨーク家の血族が権力抗争に
巻き込まれていく過程が、グロスター公リチャードという一人の人物によって血生臭く彩られていく
様子が示されると同時に、リチャードの破滅の過程も描かれていて、権力欲の虚しさが暗示されてい
る。
この劇の背後にあって重要な役割を果しているのが、リチャードを悩ます亡霊や当時の超自然現象
に対する人々の考え方であろう。現代ではとかく無視されがちな、このような非日常的な出来事も、
この演劇が作られた16世紀末の時代においては、極めて抵抗なく受け入れられていたと考えられる。
つまり、現代では迷信と考えられ、すっかり色あせてしまったことも、その当時は生き生きとして広
く流布されていたのである。『リチャード三世』は、そのような思想的背景を基に鑑賞されなければ
ならない演劇である。
そこでここではまず、この劇を当時の世相を反映したものとして捉え、その時代の人々の超自然現
象に対するものの見方を調べ、さらにこの劇において重要な役割を担っている「予言」という問題に
も触れてみようと思う。そしてこの劇において数々の予言をする者の中でもっとも顕著な人物、つま
り先の王であるヘンリー六世の未亡人マーガレットの予言に注目し、これを劇の筋との関係において
調べてみよう。また超自然現象のうちでも、夢と現実の問題は古代から重要な課題となっているので、
ここでも夢と現実の境界とその関係について考えてみる。そしてリチャード三世を悩ます亡霊とこの
劇におけるその亡霊の役割についても考察を試みる。
*
Hiroko TAKAYAMA 英語・英米文化学科(Department of English Language and English and American Culture)
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2 15世紀の超自然
シェイクスピアの作品が作られた年代は現代でもあいまいなことが多いが、E.K.カンバースによれ
ば、『リチャード三世』が書かれたのはおおよそ1592年∼93年頃とされる。この時代には一部の知識
層を除き、ほとんどすべての大衆が身の周りに起こる出来事に、超自然の作用を認めていたようであ
る。とくに天体と人間との密接な関係を認めていて、人の運命を占うという意味で占星術が幅を効か
せており、惑星の運行が人間の生き方に深く関わっていた。
シェイクスピアは『ハムレット』の冒頭の1幕1場で、ホレイショーにデンマークに変事が起こり
そうだと言わせている。その兆候として、多分すい星と思われる天空での尾を引く星の不気味さと太
陽の輝きの喪失、および大海の満ち干を支配する月の変化などが、デンマークの空に起こっていると
いう。これはローマ時代にシーザーが暗殺される前に起きた地上での現象と比較されている。当時ロ
ーマでは、墓場から亡霊がさ迷い出て死者たちが奇妙な声をあげて町中をうろついたという。現在で
は馬鹿げた話として一笑に付されそうなこのようなことが、インテリとされるホレイショーの口から
ささやかれている。天上天下の諸事に明るい知識人のホレイショ−ですらこのような状態であるから、
一般の人々の超自然現象に対する考えはおおよそ想像がつくし、またシェイクスピアもそれをホレイ
ショ−に言わせることで、この劇の舞台の背景を如実に示していると言える。
これは『ハムレット』における超自然的背景であるが、『リチャード三世』においても、状況はほ
ぼ似ている。実在したリチャード三世は15世紀後半の時代を生きた人で、この頃のイングランドはい
わゆるバラ戦争の最後の段階の時代であり、赤いバラを紋章とするランカスター家と白いバラを紋章
とするヨーク家とが、お互いに血生臭い権力闘争をしていた。したがって、世情は混乱しており各地
で混乱が起こっていた。このような状態であるから、人々は安心して生活ができないので、そこに予
言とか亡霊のような非日常的なものの考えが入ってくる素地があったのである。
エリザベス朝時代の民話や伝説にも、超自然的現象がたびたび話題になり、あたかも超自然的存在
が如何にも実在するかのように語られているが、これも民衆のうちに超自然的現象がそれほどの疑念
もなく受け入れられていたことを示すものであろう。とくに古代の宗教であるドゥルイド的な物語や、
古代ケルト人の不可思義な話などが伝えられていて、エリザベス朝時代の人々の多くがそれらの話を
真に受けていたように思われる。『シェイクスピアと超自然』の著者カンバーランドも、同様のこと
(1)
を述べている。
『リチャード三世』の時代背景は、エリザベス朝よりも1世紀以上も前の話であるから、人々は当
然のこととして超自然的存在を素直に受容していたに相違ない。この劇はまず、主人公で後のリチャ
ード三世となるグロスターの独白から始まり、すぐ上の兄クラレンスがロンドン塔に連れられてくる
場面となる。その理由は長兄で王であるエドワード四世が、Gの字を頭文字とする者が王位を狙うと
いう予言とも噂ともつかぬ話を信じたことによる。エドワード四世もやはり世の迷信に惑わされてい
ることがわかる。この劇の冒頭でのリチャードの独白から、観客は上述のような話はリチャードの作
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ったものであることを知っている。したがって、『リチャード三世』という悲劇は、まず国王エドワ
ード四世が迷信や魔法使いや予言というような超自然的現象を信じ込んでいることから生じると言っ
てもよい。
3幕4場で、グロスターは周囲にいる貴族たちにこう語り掛ける。
Gloucester. I pray you all, tell me what they deserve
That do conspire my death with devilish plots
Of damnéd witchcraft, and that have prevailed
Upon my body with their hellish charms?(2)
(III. iv. 58-61)
これに対し、ヘイスティングはこう答える。
Hastings. The tender love I bear your grace, my lord,
Makes me most forward in this princely presence
To doom th’offenders: whosoe’er they be,
I say, my lord, they have deservéd death.
(III. iv. 62-65)
ここでは妖術やまじないが、あたかも真実のように語られている。グロースターもヘイスティングも
そのような超自然的現象を否定しないし、むしろありふれたもののように考えている。ここにこの劇
に超自然を受容するのを当然とする、シェイクスピアの構想を知ることができる。
こうして『リチャード三世』という劇の背後には、重要なモティーフとしての予言や他の超自然現
象があることがわかる。
3 予言と運命
『リチャード三世』を特色づけているもののうちで、まず注目するべきことは予言の重要性であろ
う。
人間の運命は予測できないので、そこに予言の効果があると言える。ギリシア時代において人々に
信じられていた神託は、一種の予言であるが、これは神の言葉を神官あるいは巫女という仲介者を経
て語られる言葉である。これは古代世界では非常に重要な役割を果していて、ギリシアの古代の指導
者たちはデルフォイの神殿で神託を受けて行動したのである。
中世のヨーロッパにおいて宗教的にはカトリック一色の4世紀末以後の帝政ローマ時代では、キリ
スト教の神の警告や予告は日本語では「預言」と言われ、一般的な「予言」とは区別して語られる。
もちろん神学的な意味を持つ物語では預言は重要な意味を持つが、この『リチャード三世』では神の
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預言ではなく、人間が語る予言が中心となる。
すでに述べたように、この劇では予言が重要な役割を果している。それは予言がこの時代には存在
意義があったし、時代思想の背景として大きな比重を占めていたからである。
グロスター公リチャードは、この時代の人々のこうした予言の信じ易さを巧みに利用している。彼
はこの劇の1幕1場の冒頭の独白で、そのことをこう述べている。
Plots have I laid., inductions dangerous,
By drunken prophecies, libels and dreams.
To set my brother Clarence and the king
In deadly hate the one against the other:
And if King Edward be as true and just
As I am subtle, false and treacherous,
This day should Clarence closely be mewed up,
About a prophecy, which says that G
Of Edward’s heirs the murderer shall be.
Dive, thoughts, down to my soul−here Clarence comes.
( I. I. 32−41)
このようにリチャードは、兄弟たちを押し退けて自分の出世の筋書きをたてるが、それはすべて予
言や中傷や夢占いなどの方法で行なうものであった。リチャードはここで、兄たちの迷信や予言の信
じ易さを巧みに利用しようとしているのである。そして彼の思う通りになっていったのは、やはりこ
うした時代的な思想のせいであろう。とくに効果を挙げたのは、一族のうちでGの頭文字を持つ者が
王位の継承者を皆殺しにしてしまうという予言が流布されていたことが、この言葉からよくわかる。
もちろんこのような予言は、リチャードが事前に流しておいたに相違ない。
予言の効果は、皮肉にもリチャード自身ににも及んでくる。3幕5場でリチャードに欺かれて謀反
人に仕立てられて処刑されることになったヘイスティングが、リチャードに恨みを込めてこう予言す
る。
Hastings. O bloody Richard! miserable England!
I prophesy the fearfull’st time to thee
That ever wretched age hath looked upon.
Come, lead me to the block; bear him my head.
They smile at me who shortly shall be dead.
(III. iv. 102−106)
そしてリチャードは、やがてヘイスティングの予言通りの運命を辿って行くことになるのである。こ
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のヘイスティングの言葉に、リチャードの運命が予言されていることになり、ここでも予言のもつ重
要性が示されている。
リチャードの運命は、別の予言でも示されている。4幕2場でランカスター家のヘンリー六世の言
葉を思い起こして、リチャードはこう言う。
King Richard. I do remember me, Henry the Sixth
Did prophesy that Richmond should be king,
When Richmond was a little peevish bcy.
A king! perhaps−
(IV. ii. 92−95)
この予言の通り、ランカスター家のリッチモンドはやがてリチャードを倒し、ヘンリー七世となる。
そしてヨーク家の先王エドワード四世の娘マーガレットを妃に迎えて、30年間続いた争いに終止付が
打たれ、両家の仲直りとなるのである。
予言についてのリチャードの不安はまだ続き、次のような台詞となる。
King Richard. Richmond! When last I was at Exeter,
The mayor in courtesy showed me the castle,
And called it Rougemont: at which name I started,
Because a bard of Ireland told me once
I should not live long after I saw Richmond.
( IV. ii. 100−104)
ここに見られるように、リチャードはアイルランドの詩人がかつて彼に語った予言を思い出して、自
分の将来に不安感を持つのである。
リチャードは世人が予言に対して持っている一種の信仰を巧みに利用する反面、自分もそのような
信仰の束縛を受け、すでにリッチモンドと戦う前から不安を募らせている。このように、予言の効果
は一連の悪事を働くリチャード本人にも及んでいて、シェイクスピアは、この劇の進行に予言の効果
を最大限に利用しているのである。
4 マーガレットの予言と呪い
予言の効果がもっとも顕著に観客にわかるのは、夫ヘンリー六世をリチャードの手に掛かって失っ
たその妃マーガレットの場合であろう。マーガレットは最愛の夫と豊かな生活を失った嘆きを、リチ
ャ−ドとその取り巻きに投げつける。
彼女の激しい呪いの言葉は、まさに仇敵の運命を予言する。この予言的な言葉は、この劇の初めの
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部分から続いていて、次第に高まっていくと、テリヤードは考えている。
She refers to her prophecies made earlier in the play and now fulfilled.(3)
シェイクスピアはこのようにマーガレットの言葉を借りてリチャードとその臣下たちの行き着く先
を示唆しているのである。マーガレットはこう言う。
The worm of conscience still begnaw thy soul!
Thy friends suspect for traitors while thou liv’st,
And take deep traiors for thy dearest friends!
No sleep close up that deadly eye of thine,
Unless it be whlie some tormenting dream
Affrights thee with a hell of ugly devils!
Thou elvish-marked, abortive, rooting hog!
Thou that wast sealed inthy nativity
The slave of nature and the son of hell!
Thou slander of thy heavy mother’s womb!
Thou loathéd issue of thy father’s loins!
Thou rag of honour! thou detested−
(I. iii. 222−233)
このマーガレットの言葉通りに、リチャードはやがて部下たちにも疑念の目を向け、腹心の部下バッ
キンガムにも背かれる。夢の中にも彼に殺された人々の亡霊が現われて彼を苦しめることになる。マ
ーガレットの呪いは、リチャードの上に事実となって覆いかぶさってくる。
マーガレットはそれまでバッキンガムにだけは呪いをかけなかったが、バッキンガムがリチャード
を恐れて彼女の忠告を無視するので、彼女は怒ってこう述べる。
Queen Margaret. What, dost thou scorn me for my gentle counsel?
And soothe the devil that I warn thee from?
O, but remember this another day,
When he shall split thy very heart with sorrow,
And say poor Margaret was a prophetess.
Live each of you the subjects to his hate,
And he to yours, and all of you to God’s!
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(I. iii. 297−303)
『リチャード三世』における超自然
マーガレットの忠告を聞かなかったバッキンガムは、やがて彼女が予言したような運命を辿ることに
なる。これ以後の出来事は、すべてマーガレットの言葉通りに運んで行く。まさにマーガレットはこ
の劇での重要な予言者の役割を演じているのである。
マーガレットの復讐心は、たいへん強烈である。彼女は親しい身内をほとんどリチャードのために
失ってしまったので、彼に対する恨みは激しいものがある。彼女はランカスター家の者であるから、
ヨーク家の者に対して深い憎しみを抱いている。4幕4場で彼女はヨーク家の者への恨みをこう述べ
ている。
Queen Margaret. Bear with me; I am hungry for revenge,
And now I cloy me with beholding it.
Thy Edward he is dead, that killed my Edward;
Thy other Edward dead, to quit my Edward;
Young York he is but boot,because both they
Matched not the high perfection of my loss:
Thy Clarence he is dead that stabbed my Edward;
And the beholders of this frantic play,
Th’adulterate Hastings, Rivers, Vaughan, Grey,
Untimely smothered in their dusky graves.
(IV. iv.
61−70)
彼女はヨーク家の者たちとその腹心の部下が、渦巻く隠謀の中で次々に殺されていくのを楽しんで
いるように思える。ヨーク家の者は誰もが彼女の敵だからであるが、とくにリチャードについては、
彼女の恨みは高まるのであった。
Richard yet lives, hell’s black intelligencer,
Only reserved their factor, to buy souls
And send them thither: but at hand, at hand,
Ensues his piteous and unpitied end:
Earth gapes, hell burns, fiends roar, saints pray,
To have him suddenly coveyed from hence:
Cancel his bond of life, dear God, I plead,
That I may live and say‘The dog is dead!’
(IV. iv. 71-78)
ここで彼女は恨み重なるリチャードについて激しく罵り、彼の惨めな運命を予言している。マーガ
レットのこの台詞は、殺人鬼リチャードへの激しく強烈な呪いの言葉である。
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(4)
リチャードとマガレットの激情が相まって、観客に一層強烈な印象を与える。
5幕1場で、リチャードの扱いにたまり兼ねて反乱を起こしたバッキンガムは、リチャード軍に捕
らえられてソールズベリーの広場の刑場へ向かうとき、マーガレットの言葉を思い出してこう言う。
That high All-Seer which I dallied with
Hath turned my feignéd prayer on my head,
And given in earnest what I begged in jest.
Thus doth He force the swords of wicked men
To turn their own points in their masters’ bosoms:
Thus Margaret’s curse falls heavy on my neck;
‘When he,’quoth she,‘shall split thy heart with sorrow,
Remember Margaret was a prophetess.’
Come, lead me, officers, to the block of shame;
Wrong hath but wrong, and blame the due of blame.
(V. i. 20−29)
このようにマーガレットの呪いと予言は、バッキンガムの場合にもあてはまるのである。バッキンガ
ムはここでマーガレットの言うことを聞いておけばよかったと考えているように思われる。
このように、マーガレットの予言は、この劇の進行上、観客に大きな示唆を与えるものである。そ
れも、予言という超自然的な性質を持つものに、人々の一種の思い入れがあることを前提としている
からであろう。
5 夢の神秘性
この時代の超自然的なもののうちで、夢はたいへん一般的なものであったであろう。この時代にお
いては、夢は現実の投影ではなく、むしろ将来を占うものであった。旧約聖書の「創世記」に出てく
る話であるが、ヘブライ人のヨセフがファラオが見た七頭の肥えた雌牛が後からやってきた七頭の痩
せた雌牛に食べられてしまう夢を、エジプトに七年の豊作の後七年の凶作がやってくるものとして解
き明かしたというが、まさに古代においては、夢は未来を占うものであった。
『リチャード三世』の場合も、夢は同じような機能を果たしていると考えられる。またカンバーラ
(5)
ンドによれば、この劇に出てくる亡霊は、客観的な亡霊ではなく主観的な亡霊である。
1幕4場でクラレンスは、ブラッケンベリーに自分の見た夢を語る。
As we paced along
Upon the giddy footing of the hatches,
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Methought that Gloucester stumbled, and in falling
Stuck me, that thought to stay him, overboard,
Into the tumbling billows of the main.
O Lord, methought what pain it was to drown!
What dreadful noise of waters in mine ears!
What sights of ugly death within mine eyes!
Methoughts I saw a thousand fearful wracks;
A thousand men that fishes gnawed upon;
Wedges of gold, great ingots, heaps of pearl,
Inestimable stones, unvalued jewels,
All scatt’red in the bottom of the sea.
(I. iv. 16−28)
ここでクラレンスは、弟グロスターのために海に落ち込んで恐ろしい死の世界を見るのであるが、そ
れはすぐ後にくる彼のはかない運命を物語るものであった。こうして観客はクラレンスの夢から、彼
の身に何か起こるのではないかと予測する。夢が近い未来のことを示すということが信じられている
とき、この彼の夢の話は信憑性をますことになる。
クラレンスの恐怖はなおも続き、彼の霊魂は永遠の夜の世界へさ迷い、そこでさらに不思議な目に
合い、恐ろしい光景が展開される。
The first that there did greet my stranger soul,
Was my great father-in-law, renowned Warwick;
Who spake aloud,‘What scourge for perjury
Can this dark monarchy afford false Clarence?’
And so he vanished. Then came wand’ring by
A shadow like an angel, with bright hair
Dabbled in blood, and he shrieked out aloud,
‘Clarence is come; false, fleeting, perjurd Clarence,
That stabbed me in the field by Tewkesbury:
Seize on him, Furies, take him unto torment!’
With that, methought, a legion of foul fiends
Environed me, and howléd in mine ears
Such hideous cries that with the very noise
I trembling waked, and for a season after
Could not believe but that I was in hell,
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Such terrible impression made my dream.
(I. iv. 48−63)
こうして彼は、夢の中で恐怖のどん底に追いやられる。このようなクラレンスの夢は、彼の身にこれ
から起こることを暗示していると考えられる。夢はクラレンスの場合にも、リチャードの場合と同様
に運命の予示であった。
5幕3場で、リチャードは亡霊の夢を見て恐れおののき、それは敵兵1万人よりも恐ろしいものだ
と言う。
King Richard. By the apostle Paul, shadows to-night
Have struck more terror to the soul of Richard
Than can the substance of ten thousand soldiers
Arméd in proof, and led by shallow Richmond.
(V. iii. 216−219)
リチャードはすでに、戦う前から一晩中夢のために苦悩を受けている。そのため猜疑心が一層強くな
り、味方が裏切るのではないかと疑うことになる。すでに戦う前から気持ちが乱れている。
一方、リッチモンドは素晴らしい夢を見たと言う。
Richmond. The sweetest sleep and fairest-boding dreams
That ever ent’red in a drowsy head
Have I since your departure had, my lords
Methought their souls whose bodies Richard murdered
Came to my tent and cried on victory:
I promise you my soul is very jocund
In the remembrance of so fair a dream.
How far into the morning is it, lords?
(V. iii. 227−234)
ここでリッチモンドは、夢に見た亡き人々に励まされ、すがすがしい気分で目が覚めたのである。夢
の予示性を信じる両者にとって、この夜の夢は勝敗に大きな転機を与えることになり、観客もそれを
充分に感じとるのである。したがって、この劇においては夢の効果は大きいと言える。
6 亡霊の果たす役割
この劇ではまた、亡霊の果たす役割も大きい。実際に亡霊が現われるのは、終幕の第3場における
リチャードとリッチモンドの夢の中であるから、ある意味では客観性に欠けるかも知れないが、少な
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くともこの両者においては、精神的にたいへん大きな意味を持つことなのである。
5幕3場で最初に現われる亡霊は、ヘンリー六世の王子エドワードの亡霊である。この亡霊はリチ
ャードとリッチモンドの両者に向かってこう叫ぶ。
Ghost.[
‘to Richard’
]Let me sit heavy on thy soul to-morrow!
Think how thou stab’st me in my prime of youth
At Tewkesbury: despair therefore, and die!
[
‘Richmond’
]Be cheerful, Richmond; for the wrongéd souls
Of butchered princes fight in thy behalf:
King Henry’s issue, Richmond, comforts thee.
(V. iii. 118−123)
このようにエドワードの亡霊は、リチャードには激しい恨みの言葉を言い、リッチモンドには励まし
の言葉を言う。
次に現われるのはヘンリー六世の亡霊で、この亡霊もリチャードを呪い、リッチモンドには優しい
激励の言葉を与える。
Ghost.[to Richard]When I was mortal, my anointed body
By thee was punchéd full of deadly holes:
Think on the Tower and me: despair, and die!
Harry the Sixth bids thee despair and die!
[
‘to Richmond’
]Virtuous and holy, be thou conqureor!
Harry, that prophesied thou shouldst be king,
Doth comfort thee in thy sleep: live and flourish!
(V. iii. 124−130)
このようにそれぞれの亡霊は、リチャードには敗戦を、リッチモンドには勝利を期待して言葉をかけ
る。別の亡霊が次々と現われて、一方には恨みを他方には励ましのことばを残して消えて行く。それ
らの亡霊は皆リチャードに殺された者たちである。ヘンリー六世の後には、クラレンスの亡霊が現わ
れ、次はリヴァ−ス、グレー、ヴォーン等の貴族たちの亡霊が出現して、リチャードを悩まし、リッ
チモンドを励ます。さらに、ヘイスティングやリチャードに殺された二人の幼い王子の亡霊も現われ
て、同じような内容のことを言う。そしてついにはリチャードの妻のアンの亡霊まで現われ、夫に恨
み事を言う。そして最後には、バッキンガムの亡霊がリチャードを激しく罵り、リッチモンドを勇気
付ける。
このように、決戦場ボズワースの野においてテントを張る両陣営に、それぞれの総大将の夢の中で、
リチャードに殺された者たちがそれぞれ罵りと激励の言葉を言うのである。その結末は、大勢の亡霊
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から恨みを買ったリチャードは破れ、激励されたリッチモンドが勝利を収める。この場面では、亡霊
の言葉は両者の勝敗を暗示していると言える。
7 むすび
このように見てくると、『リチャード三世』においては、超自然的な要素がこの劇の成行きに大き
く関わっていることがわかる。
この劇の背景となった15世紀の後半においては、まだ超自然的なものがあたかも現実のように信じ
られていたし、シェイクスピアがこの劇を書いたとされる16世紀末ですら、まだ迷信や超自然的なも
のが実在するように思われていたのである。したがって、劇の中でそうした超自然的なものが劇の進
行に重要な役割を果たしたとしても不思議ではない。
この時代には、まだ予言の類が信じられていたと思われる。リチャードはその予言を上手に利用し
たが、自らもマーガレット等の予言に惑わされている。この劇は予言の通りに進行して行くので、実
のところ予言がこの劇の筋の一部を形成しているとも考えられる。したがって、劇の構成から言って
も、予言はたいへん重要なものとなっている。とくにマーガレットの予言は、この劇では中心的な方
向を示している。
夢のみならず亡霊も、この劇を盛り立てる意味で、大きな役割を演じていると言える。夢を信じる
ことでリチャードは恐怖感を煽られて猜疑心が強くなり、味方が信じられなくなる。一方、リッチモ
ンドは夢によって勇気付けられ、それによって勝利の確信を得る。夢と亡霊はこの両者にとっては、
それぞれ敗因と勝因の大きなモティーフとなったのである。
以上のような考察から、『リチャード三世』においては、超自然的なものが大きく関わっていて、
この劇の筋ともなり、この劇を一層面白く興味深いものとしていると言って差し支えないであろう。
〈注〉
盧
Clark Cumberland, Shakespeare and the Supernatural (New York: Haskel House Publishers Ltd., 1971),
p.134.
盪 Richard III, ed.J.D. Wilson (Cambridge: Cambridge University Press,1954), p.73.
蘯 E.M.W. Tillyard, Shakespeare’s Historical Plays (London: Chatto & Windus Ltd., 1974), p.206.
盻 Edward Dowden, Shakespeare−A Critical Study of His Mind and Art (London: Routledge & Kegan Paul,
1957), p.191.
眈 Cumberland, p. 31.
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