NASA の体質 ――チャレンジャー号とコロンビア号の比較より読み取れる

NASA の体質
NASA の体質
――チャレンジャー号とコロンビア号の比較より読み取れるもの――
末木 由紀
序章
第1章
スペースシャトル計画の意義
第2章
1986 年チャレンジャー号事故
第1節
従来の見解
第2節
事故原因の再分析
第3章
2003 年コロンビア号事故
第1節
外的事故原因
第2節
内的事故原因
第4章
チャレンジャー号との比較
第5章
NASA の体質
第1節
Sean O’Keefe 長官
第2節
組織文化
終章
序章
本論文の目的は、アメリカ合衆国の独立行政機関の 1 つである航空宇宙局(NASA)の体質を明確にす
ることである。そのために、組織の体質を露呈する鍵となる 2 つのスペースシャトル事故を振り返り、NASA
内でどのような意思決定が為されたのかを明らかにする。1 つは 1986 年のチャレンジャー号、もう 1 つは
2003 年のコロンビア号の事故を検証する。これら 2 つのケースに関する意思決定過程を追うことによって、
NASA が持ち続けている独自の文化が見えてくると考える。チャレンジャー号及びそれ以前のシャトルに関
する研究が先行研究として存在し、参考として使用することができるので、私の論文ではこの先行研究にコ
ロンビア号事故の新しい事実を加えた上で再度 NASA の体質について考察してみることになる。また、事
故の分析に加え、NASA の人事からも組織の文化、風土を考える。
アメリカの独立行政機関に関する研究は少なく、アメリカの行政上どのような位置づけがされているのか、
定義づけが曖昧なことがある。本論文では独立行政機関の 1 つである NASA の組織を具体的に取り上げ
て研究することによって、自分なりにアメリカの行政学上における独立行政機関の意義を見出すことができ
たら幸いであり、論文のオリジナリティーであるということができるだろう。
主に使用する先行研究について少し触れておく。Diane Vaughan の The Challenger Launch
Decision は、1986 年のスペースシャトル・チャレンジャーの事故の分析である。この事故は、発射スケジュ
ールに間に合わせるために安全の危険性を容認する NASA の決定に原因があると、一般的に受け止めら
れている。ヴォーン(ボストン大学、社会学教授)は、従来の解釈を否定し、事故原因は組織の制度上にある
と主張する。組織構成がアクションと結果を形作る「cultural belief」つまり組織文化と信念を生み出す、と
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
いうことに彼女は注目した。NASA の制度上の歴史および集団力学は、稀少資源(それらは危険負担と資
金の切り詰めを容認するという標準を生み出し、その標準に基づいて意思決定がなされていった)のための
競争を映し出す。特定の規則が明らかに破られたわけではなかった。しかし、技術的・手続的な NASA の
標準への小さく、外見は無害な修正は、それらが集合して NASA を災害へと導いた。最終的には、事故の
説明から外れ、範囲を組織一般、あるいは人間社会までに拡大し、「逸脱の正常化」がすべての人間のシ
ステムへエラーを構築するという結論まで述べられている。
一方コロンビア号に関する資料は、CAIB(Columbia Accident Investigation Board)、コロンビア号事
故調査委員会、による報告書である。2003 年 2 月 2 日、NASA はコロンビア号事故をシャトルプログラムか
ら独立して調査・レビューするため、スペースシャトルコロンビア事故調査委員会を設置した。このグループ
による最終報告書が 2003 年 8 月 26 日に表されており、本論文執筆にあたり、報告書を元にコロンビア号
事故に関する詳細な情報を収集した。
第1章
スペースシャトル計画の意義
1957 年 10 月、旧ソ連による人類初の人工衛星、スプートニク 1 号が打ち上げられた。これはソ連が核弾
頭を積んだロケットをアメリカ本土に落とす能力を開発したことを示し、米ソ冷戦中のアメリカにとって衝撃的
な事件となった。これを受けて翌年、米国はそれまでの NACA(国家航空諮問委員会)を NASA(米航空
宇宙局)に改組して本格的に宇宙開発に取り組むことになる。
宇宙開発におけるソ連のリードの巻き返しを図るためにケネディ大統領は 1961 年に演説し、アポロ計画
が始動し、米ソ宇宙開発競争が繰り広げられた。NASA は約 250 億ドルという経費と米国をあげての最新
技術をそそぎ込んで、1969 年 7 月 20 日、アポロ 11 号でアームストロング、オルドリンの 2 人が人類史上
初の月面着陸を果たし、無事、帰還した1。しかしベトナム戦争や国内経済の低迷という問題も抱えていた
60 年代の米国では、巨額の費用のかかるアポロ計画に批判も起き始めていた。
そこで誕生したのがスペースシャトル計画である。アポロ計画まで、ロケットは 1 回しか使えない使い捨て
であったが、これに対してより経済的、効率的なロケットをとの声に応える形で NASA が開発したのがスペ
ースシャトルである。
それまでのロケットと比べるとシャトルは複雑な形をしている。翼の短い飛行機のような形をしているのが
オービター(軌道船)であり、最大7 人乗りとなっている。コロンビアが失われたため、現在残るオービターは
ディスカバリー、アトランティス、エンデバーの 3 機となったが、コロンビア事故の最終報告書が求める「改善
勧告」を満たすまで飛行は延期となっている。この点に関し、NASA は 2004 年度秋の打ち上げ再開を目
指しているが、2005 年にずれ込む恐れもある2。
オービターが張り付いている大きな砲弾形が外部燃料タンクで、液体酸素と液体水素が詰まっており、こ
れを燃料としてオービターのメインエンジンを燃やす。しかし使用するのは打ち上げ時のみで、その後切り
離してしまうため、外部燃料タンクだけはシャトルの中で使いまわしの効かないパーツとなる。
オービターの脇に左右 1 本ずつ接しているのが Solid Rocket Booster(SRB)、固体補助ロケットである。
打ち上げ時に推力を増すために使用されるが、外部燃料タンクとは異なり、これは使用後も回収し、再び燃
料を詰めて再使用される。
シャトルはこの補助ロケットとメインエンジンの力で上昇し、オービターが宇宙船として地球周回軌道を回
りながら衛星を放出し、科学実験などの活動を行い、最後にグライダーのように S 字に滑走しながらほぼ重
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NASA の体質
力のみの力によって地表に降りてくるシステムになっている。この飛行システムで懸念されていた点が、オ
ービターが地球の大気圏に突入する際の摩擦熱であった。この熱から船体を守るためにオービターは底面
に約 3 万もの耐熱タイルを張っている。このタイルが何らかの原因で剥がれたらどうなるのか、というのはシ
ャトル設計におけるウィークポイントとして、開発初期段階から指摘されていた3。コロンビア事故はまさに恐
れられていた問題が実現してしまったことになる。
スペースシャトル計画が誕生した背景にもう 1 つ理由が見つかる。それは単なる経済性、効率性という問
題だけではなく、NASA による資金獲得のための行動であった。世界状況の動向や政治の動きによって左
右された米国政府による NASA への予算配分は、60 年代半ばになるとベトナム戦争や国内経済の問題が
重視され、減額された。NASA はその存続を正当化し、国内関心の中心になって予算を獲得するために、
アポロ計画に続く斬新で大々的な、国益に値するようなプロジェクトが必要であった4。
そこで NASA は 1969 年、史上初月面着陸の 2ヵ月後の 9 月に「Manned Space Program」を発表し、
その最終的な目標は宇宙に半永久的に人を配置することと定めた。この計画には 3 つの長期的プロジェク
トがあった。
① 火星へのミッションと地球周回軌道上にスペース・ステーションを建築
② 中間プログラム
③ 上記のスペース・ステーションに人と物資を運送するスペースシャトル飛行5
①は、年 80∼100 億ドルの予算で有人火星ミッション、月軌道に乗せたスペース・ステーションの建設と
再利用可能な機体によって運営される 50 人用の地球軌道上ステーション、またはスペースシャトルを含む
プロジェクトのことである。②は、予算を年間 80 億ドル未満と定めた計画で、火星へのミッションを含むもの
である。③は、年間予算を 40∼57億ドルとした比較的控えめな計画で、地球集会軌道上のスペース・ステ
ーションの建築と、ステーションと地球をリンクする手段となるスペースシャトルの開発が含まれるものであっ
た6。
しかし、ニクソンは 1970 年 3 月に、アクティブな宇宙プログラムの存続を期待する一方で、アポロ計画と
同じ予算は組めないことを明確にした7。ニクソン政権による予算削減のため、①、②のプロジェクトは中止と
なり、宇宙基地の建築を長期的視野に入れ、再利用可能という経済性も考慮した上でシャトルプロジェクト
が当面の目標として進められることになったのである。
第2章
1986 年チャレンジャー事故
第 2 章ではチャレンジャー号に関する事故分析を検証する。1986 年のこの事故に関しては、打ち上げス
ケジュールに合わせるために安全の危険性を容認した NASA の意思決定や、技術者たちによる警告を無
視する NASA 上層部が一般的に批判されている。これに対し「The Challenger Launch Decision」の筆
者であるボストン大学、社会学教授 Diane Vaughan は従来の解釈を否定し、事故原因は組織の制度上
にあると主張している。組織が月日をかけて生み出した NASA 文化と信念に注目している。チャレンジャー
に関する従来の事故分析と、ヴォーンの仮説の両方を紹介し、次の章で明らかにするコロンビア事故との
比較に役立てる。
第1節
従来の見解
スペースシャトル・チャレンジャー号(Space Transportation System mission 51-L)は当初、1986 年
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
1 月 22 日に打ち上げが予定されていた。しかし、様々なトラブルから 23 日、25 日、26 日、27 日と延期さ
れ、結局 28 日に打ち上げられた。チャレンジャーの前に打ち上げられたコロンビア号が 25 日間に渡り 7
回も延期されたのも、チャレンジャーがずれ込んだ理由の 1 つであった。28 日 11:38 A.M. EST に STS
51-Lは打ち上げられた。そしてこのミッションはわずか打ち上げからおよそ 73 秒後に終了し、全てのクルー
7 名の命が奪われたのだった。事故後、レーガン大統領によって大統領事故調査委員会が組織され、物理
学者リチャード・フェインマン氏も加わり、原因調査が開始された。
この事故の技術的な原因は、Oリング(O-ring)と呼ばれる SRB(Solid Rocket Booster)の SRM(Solid
Rocket Motor) case segments の間を塞ぐゴムのような物体に集中した。打ち上げ時の気温が異常に低く、
Oリングが気温のせいで硬くなり、熱風を塞ぐ機能を果たさなかったのが主な原因である。しかし、技術者の
間では気温が懸念されており、注意の勧告も出していた。更に、その危険性に関して打ち上げ前夜に
SRM を生産しているユタ州の Morton Thiokol-Wasatch、アラバマ州 Huntsville の Marshall Space
Flight Center、フロリダ州 Cape Canaveral の Kennedy Space Center の 3 箇所間で電話会議が開
かれていた。この会議にて Thiokol の技術者から会議参加者は全て説明を受け、28 日の打ち上げを中止
するか、時間を延期するべきであるとの警告を受けた。しかしその日の打ち上げは決定された。技術者の懸
念にも拘らず、マネージャーたちにより打ち上げが決定されたのは何故か。
以下がその一般的な説明である。まず、打ち上げに対する圧力がかかっていた。チャレンジャーの前に
打ち上げられたコロンビア号は25 日間に渡る、7 回の打ち上げ遅延がなされ、メディアに騒がれていた。チ
ャレンジャーの打ち上げ前夜までに既に 4 回延期されており、今回も当然メディアの批判は厳しかった。
NASA は、財源獲得のため、シャトルの商業化に力を入れており、顧客獲得のためにスケジュール通り飛
ばさなければならないというプレッシャーが存在した。また、レーガン政権からの政治的圧力があったとも言
われている。このミッションは、教師である一般市民が宇宙飛行を行うという輝かしいアメリカの科学技術の
功績に一般教書演説にて言及し、政府の業績を称える目的をも有していた。よって演説に間に合わせるた
め、可能な限り早い打ち上げを必要としていた。これに関しては、ホワイトハウスだけでなく、NASA 自身の
利益のためであるとも考えられる。
NASA はシャトルプログラムの財源獲得のため、ポジティブなパブリックイメージを必要としていたのである。
1958 年の NASA 発端当時は、アメリカ政府の世界での軍事・宇宙開発競争のため NASA に莫大な資金
が投入されていたが、60 年代に入るとベトナム戦争や国内経済が優先され、1969 年に生まれたシャトルプ
ログラムは最初から資金不足であった。シャトルプログラム発足当時からの運行資金難のため、意思決定の
中に「cost/safety trade-offs」が見られた。プレッシャーが頂点に達していたのである。財源獲得と国際競
争のために危険を知りながらも安全を軽視し、リスクを犯した。
第2節
事故原因の再分析
第 1 章における記述が一般的な分析の見解であり、レーガン大統領によって事故直後に組織された大
統領事故調査委員会の解釈でもある。しかし、実際 NASA 上層部では意外にも安全を軽視していたとは
誰も認識していなかったのである。寧ろ、安全を重視したNASAの複雑な規則や手続きに基づいて意思決
定をしたと考えられていた。このすれ違いはどこから生まれたものなのであろうか。
NASA 執行官たちは、安全のためにコストのかかる決定を行う傾向があった。安全確認のために設けら
れた複雑なチェックシステム、クルーのエクステンシブ訓練プログラムなど、打ち上げ前夜に実施された電
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NASA の体質
話会議でさえも、NASA が安全性を重視する体勢の表れである。チャレンジャー打ち上げ決定はマネージ
ャーの個人的意思に基づいて決定がなされたのではなく、制度上のステップに従って意思決定された結果
であったが、制度自体に問題があったのである。チャレンジャー以前のシャトルに関し、NASA は欠陥を知
りながらもそのデザインを容認し、何度もシャトルパーツの損傷を受け入れ飛ばし続けていた。しかしそれは
NASA 上層部の独断的な決定ではなく、技術者レベルの承諾を受けたリスク容認であった。シャトルはおよ
そ 250 万ものパーツから構成されており、いくらその 99.9%の安全が確保されていようと、2,500 ものリスク
が残る計算となる8。コストの問題もあり、欠陥のあるパーツのデザインを一新するより、間に合わせの修復で
飛ばすほうが経済的であり、経験からも当分の間は修復で十分であることが確認されてきた。このようなリス
ク容認の積み重ねの結果、いずれにせよシャトルにはリスクがあり、それは間に合わせの補強や修復で軽
減され、飛行には問題が生じない程度のリスクであるという認識が NASA 内で出来上がっていったのであ
る。
第3章
2003 年コロンビア号事故
スペースシャトル第 1 号として1981 年に運行を開始し、STS-107 と識別されたこの飛行はスペースシャ
トル計画としては 113 回目、同機体としては 28 回目であったコロンビア号は 2003 年 2 月 1 日、宇宙飛行
を終えて大気圏再突入の際にテキサス州上空で空中分解を起こし、小爆発を繰り返しながら幾つもの線に
分かれて落下していった。これを受け NASA のオキーフ長官は事故の一時間余り後に Columbia
Accident Investigation Board (CAIB)、独立事故調査委員会を組織し、翌日発足させ、約7ヶ月間に渡
る独立調査が行われた。委員長はハロルド・ゲーマン退役提督が務め、委員は空・海軍、連邦航空局、
NASA、学界、民間企業の 12 人で構成されている9。120 名を超えるスタッフが NASA の技術者約 400 名
と共に、CAIB の委員をサポートした。委員達は、コロンビアの破片 8 万 4 千個(機体重量の 38%)や、3
万種類の文書を分析、3,000 を超える文書を調査、200 以上に事情徴収し、10 日間に渡る 7 回の公聴会
で 41 人に証言を求めた。2003 年 8 月 26 日に 11 章 248 ページの最終報告書を発表している。この報告
書を中心に、本章ではコロンビア号事故を追う。
第1節
外面的事故原因
大気圏再突入のための軌道からの離脱噴射によるコロンビア号の減速は通常どおりであり、再突入での
飛行経路は標準どおりであった。再突入の時間は高度 400,000 フィートで機体が大気の影響を受け始め
る「再突入インタフェース」から秒単位で計測される。コロンビア号の再突入インタフェースは 2 月 1 日の午
前 8 時 44 分 09 秒であった。最初の異常な徴候は、再突入インタフェースの 270 秒後に起こった。この時
点で、データは、コロンビア号内で記録及び保存され、ジョンソン宇宙センターのミッションコントロールセン
ターのエンジニアにも伝送されていないことから、搭乗員も地上運用要員もまだ認識していなかった。
事故の技術的要因としては、断熱材の直撃が主であると発表された。打ち上げの 81.7 秒後、高度約 20
キロを時速 2600 キロで上昇中、外部燃料タンクから断熱材の塊が落下し、0.2 秒後に左翼前縁を直撃し、
その部分の耐熱タイルを傷つけた。断熱材とは、外部燃料タンクの表面にポリウレタンをスプレーで吹きつ
けて固めたもので、打ち上げ時、タンク内の液体水素や液体酸素が大気との摩擦熱で気化するのを防ぐと
ともに、表面に氷が付着しにくくする役割を担っている。およそ縦 50 センチ、横 40 センチ、厚さ 15 センチ
で重さ 1.2 キロほどであり、氷が付着した断熱材が機体を直撃すれば、ダメージは大きくなる10。コロンビア
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
号は左翼前縁部の強化炭素複合材(RCC)パネル 8 番付近に裂け目が入った状態で大気圏に再突入した
ため、機体との摩擦によって高温になった空気が翼内に侵入してアルミの骨格を溶かし、左翼が完全に破
壊されたのである。
再突入インタフェースから 555 秒後、コロンビア号がカリフォルニア沿岸上空を通過した時には、既に機
体の一部が落下を始めていた。機体は予定された飛行経路を飛び続け、この時点で、コロンビア号の制御
システムは(まだ、地上やコロンビア号の誰にも知られることなく)この飛行経路を維持しようと懸命に作動し
ていた。結局、テキサス州ダラス・フォートワース南西の上空において、壊滅的破損を受けた左翼がより高
密度の大気中での空気力学的な力の上昇に耐えられず、機体はコントロールを失った。速度は、時速 1 万
マイルを超えていた。コロンビア号の搭乗員にも、ミッションコントロールセンター(運用管制センター)のエン
ジニアにも、シャトル上昇中の断熱材の衝突により、ミッションに問題が発生しているという徴候を認識する
ことはなかった。ミッションマネージメントは、機体に問題が起こっているという微弱なシグナルを検知し、是
正措置をとることに失敗したことになる11。
第2節
内面的事故原因
断熱材と同様に NASA の組織的文化がこの事故に大きく関わったとの見解がある。組織文化とはその
機関および団体の機能を特徴付ける、基本的な価値、基準、信条、そして慣習のことである。その機関の
職員が仕事を実行するときに前提とする概念を組織文化という。その力は強く、組織改革や主要役員の交
代を経ても存続し得るものである12。安全性の歴史、組織論、最良のビジネス手法、現在の安全に係わる失
敗を調査することにより、NASA の組織的文化に対する大幅な構造変革のみが成功を可能にする、とコロ
ンビア事故調査委員会の報告書は述べている。NASA には飛行管理者が技術者の上に立つ階級性が存
在し、意思疎通を妨げる原因ともなっていた。飛行管理者が安全であると主張する以上、技術者は不安を
口にしにくい文化が存在する。「沈黙の安全」と呼ばれるこの独特の風土は、チャレンジャー事故を調査し
た大統領委員会も指摘していた点であった。
事故原因の 1 つに予算削減という要素が考えられる。コスト削減によって、NASA 長官らはシャトル関連
従業員の削減、安全管理を含むシャトル計画に関連する様々な責任問題の外部委託、そして最終的には
スペースシャトル計画の完全民営化を検討させるところまで追い込まれた。過去 10 年間の間にシャトル計
画の購買力は 40%削減され、繰り返しスペース・ステーションの予算超過分に回されていた。そのような状
況下においても、まだ開発段階にあったシャトル機体はオペレーショナル段階に入ったかのように使用され
続け、打ち上げスケジュールに間に合わせていた。さらに、ホワイトハウス、議会、そして NASA のトップに
立つ政策決定者らはシャトルの使用可能期間の不確実性から、シャトルの安全性と使用可能期間を延長さ
せるために必要であったアップグレードを先延ばしする結果となっていた13。不明確な事柄を明確化し、適
切な解決策を模索することなく、先延ばししてしまうような意思決定は、今回に限ったことではなく、チャレン
ジャー号に関する意思決定でもみられた現象である。ここに NASA の組織体質の 1 つが発見できる。そし
てそれは数多くの同じような意思決定を積み重ねてきたことによって慣習化されてしまったものだと考えられ
る。そして約 20 年前のチャレンジャー号の意思決定から現在に至るまでにもこの体質が存続してきたことを
示し、内面的な組織改革が行われていなかった事実が判明する。
次に組織の意思決定に影響を及ぼしたと考えられる予算について考察する。予算は国家政策の優先指
標となる。その尺度から<資料 1>を見ると、NASA の宇宙開発はここ 30 年間ほど国家政策の優先事項リ
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NASA の体質
ストにあがっていないことがわかる。NASA への予算が連邦予算全体のおよそ 4%であったアポロ計画期を
ピークに、それ以降 1970 年代初期から連邦支出額の 1%前後で推移している。1987 年に前年に比較し
て 0.5%上がっているのはチャレンジャー号事故後に予算を引き上げた影響がみられる。全体的に近年、
NASA はその大きな計画に反して、その計画に見合うだけの予算獲得が困難になっている。
1990 年にホワイトハウスは、航空宇宙産業経営幹部である Norman Augustine を委員長とした特別委
員会を設置し、シャトル計画に関する NASA とそのプログラムの抜本的な見直しを行った14。この見直しで、
NASA は実行しているプログラムすべてにおいて十分な予算配分がなされていないことが判明した。利用
可能な資源に対してプログラム負担がオーバーしていたのである。可能な範囲以上のプログラムを実施しよ
うとして、不慮の出来事に対する備えが不十分になっていると指摘した。また、再活性化された宇宙プログ
ラムにはおよそ年 10%の増加が(2000 年の間に)必要であり、年間 300 億ドル(1990 年を基準としたドル
で)の支出になるとした。2000 年会計年度のドルに換算するとこの報告の提言は 400 億ドルを超える
NASA の予算を意味することになった15。しかし実際、その年のNASA の予算は 136 億ドルに留まった16。
この背景にはホワイトハウスおよび議会の新しい宇宙開発への関心が薄れていたことが考えられると、
CAIB 報告書は述べている17。
2003 年 11 月 24 日、NASA はコロンビア号事故を教訓にした安全対策をシャトルに施した場合、最低
でも 2 億 8000 万ドルのコストがかかるとの見積もりを発表した。CAIB による安全勧告を忠実に実行した場
合、新たな技術安全センターの設立費用などにコストがかかると試算した。このうち 6000 万ドルは 2003 年
度予算に計上ずみで、2 億 2000 万ドルを 2004 年度予算に計上するとしている18。さらに額が増加する可
能性もあるが、2000 年度と同じことを繰り返す可能性も否定できない。
予算の削減にもかかわらず、NASA はそれまでのプログラムの存続を選択したため、ゴールディン元長
官の“faster, better, cheaper”というモットーが1990 年代 NASA のスローガンとなった19。NASA 本部は
3 箇所ある有人宇宙飛行センターの 1 つを閉鎖して予算を浮かすことを試みたが、センター自体、事業を
受託していた航空宇宙産業、そしてセンターが所在する州の下院議員派遣団からの強固な抵抗に見舞わ
れた。そしてこのアライアンスは官僚政治、実権派による保守連合、利益団体、共通利益の推進のために
組織されている議会の小委員会らによる典型的な“鉄の三角形”のようである20。センターの閉鎖による予算
の節約が失敗に終わったため、スペースシャトルの予算が節約のターゲットになったのである。このような官
僚体質の問題も予算に影響し、事故原因につながる要素であるといえる。
シャトル計画のどの部分で予算を節約するかというと、莫大な数の労働者の削減が一番のターゲットとな
る。人員削減は 1990 年初頭に始まり、90 年代を通して削減され続けてきた<資料 2>。その結果、シャト
ル計画に従事する従業員の間に大きな不安と緊張感を生み出していた。
予算問題にも関連して、NASA の安全管理体勢にも問題があったと考えられる。シャトルに何か問題が
発生した場合、シャトルプログラム管理側は、信頼できる技術データや精密な実験データよりも過去の成功
例を基準としてシャトルシステムに過剰な自信を抱く傾向があった21。尚、この傾向はチャレンジャー号事故
の分析書にも記されており、チャレンジャー号以前から存在している NASA 組織の体質と呼べるものであ
る。
NASA の内部構成は、中央集権化され、監督機能をもつ本部と、プログラムやプロジェクトレベルでの安
全管理プログラムの遂行という分散的要素によって組織されている<資料 3>。本部はどのようにあらゆる
プログラムが為されるかではなく、そのプログラム自体の決定権を握っている。プログラムの実施方法および
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久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
安全管理の責任は、それぞれのプログラム・プロジェクトマネージャーに転嫁されている。シャトルプログラ
ムにおける安全管理は、作業現場レベルにおいては効果的な管理体制が整っていると考えられるが、プロ
グラムに間接的にしか関わらないことから、プログラムのオペレーションおよびシステム自体の管理体制は
機能していない。CAIB では、シャトルプログラム単独の安全管理体制が必要であると勧告している22。
具体的には何故コロンビア号の決定的な事故原因となった断熱材の危険性を認知することができなかっ
たのだろうか。この答えには NASA の組織構成が関係してくる。ヒエラルキーになっている組織において、
情報は下から上へと伝達され、その過程で、上部に上げられるにつれ省略され簡略化される。十分なデー
タが揃っていないものなどは上層部に行うプレゼンテーションから除外されるシステムになっている。また、
ある段階で解決したと判断される問題に関しては、その次の段階のプレゼンテーションでは触れられない23。
コロンビア号のフライト準備調査では断熱材の危険性について触れられたが、以前のフライトでも断熱材が
剥がれ落ちる事故があったことから、許容できる範囲のリスクであるとされ、打ち上げが決定されるに至った。
ここでは社会学者Diane Vaughanのいうところの“逸脱の正常化”24が NASA の意思決定過程にみられる。
“逸脱の正常化”とは、異常が積み重なり発生することによって、その異常は毎回発生する現象、すなわち
正常であるとする理論である。
もう1つ、事故原因の要素となったと考えられるのが打ち上げスケジュールのプレッシャーである。事故が
おきたコロンビアのミッションから 1 年以上先の STS-120 は 2004 年 2 月 19 日に打ち上げが予定されて
いた。このミッションが重要だった理由には、国際宇宙ステーションの一部分を運搬する役割を担っていた
ためであった。コロンビア号の打ち上げがずれ込むほど次の打ち上げにも影響が出る。またシャトルの信頼
性にも響くことから NASA 関係者は打ち上げスケジュールを守らなければならないというプレッシャーを感
じていたと話している。
第4章
チャレンジャー号との比較
チャレンジャー号事故後に組織された大統領調査委員会による報告書と、コロンビア号独立事故調査委
員会による報告書を読み比べてみると、その報告内容や勧告内容における類似点が数多く見られる。2 つ
の事故は、その技術面における原因は異なるが、事故の内面的要因に共通するものが多い。ここでは 2 つ
の報告書を比較しながらその共通点を紹介し、チャレンジャー事故から約 20 年たった現在でも NASA 組
織内部奥に存続する組織文化を読み取る。
大統領調査委員会、またはロジャース委員会の調査の中心的な調査議題は以下の 2 点であった:何故
NASA はチャレンジャー号打ち上げの何年も前から問題視されていた O リングの侵食問題を知りながらシ
ャトルを飛ばし続けたのか。また、チャレンジャー号打ち上げ前夜に、技術者らの不安をよそに、気温の低
さは許容できる範囲のリスクであるとして打ち上げを決定したのか、ということであった。一方、コロンビア号
独立事故調査委員会による調査の中心的な議題とは:どうして NASA は打ち上げ時の断熱材による損傷
があった事実を知りながら、問題の重大性を見抜くことができなかったのか、という問題である。いずれもリス
ク要素を認識しながらも、問題に適切な応対を行わなかった点に共通性がある。
2 つの事故では意思決定過程の問題点と、技術面での異常を正常化してしまうという、危機洞察の失敗
がみられる。コロンビア号調査委員会は、チャレンジャー号の苦い教訓があるにもかかわらず NASA が同じ
ような技術的な危険を察知することができなかった理由を突き止めることに苦労した。しかし、客観視するの
ではなく、NASA の技術者やマネージャーの視点に立って断熱材の事故を考察することによってその意思
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NASA の体質
決定過程を正確に把握することができた25。つまり NASA 内部の視点で事故を振り返ってみることによって
他メディアによる事故分析とは別の見解が見えてくる。組織内部ではリスクがリスクとして認識されない環境
が整っていたことがうかがわれる。
シャトルの初期デザインでは、断熱材の問題や固体燃料ロケットブースタージョイント機能の貧弱さはま
ったく予期されていなかったが、実験を重ねるにつれそれらの異常がはっきりしてきた。これらの異常は潜
在的な危険を意味していたが、いずれのケースにおいても、最初にその異常性が見つかった時点で技術
解析の結論としてシャトルの設計はそのダメージを許容できると判断した。そして技術者らは一時的な修理
を行うか、またはリスクを容認して飛行させるかの措置をとった。この最初の意思決定がリスクを抹消するの
ではなく、容認するという前例を作り上げ、続くシャトル打ち上げの意思決定に適用されることになったので
ある26。よって、それ以降のフライトで Oリングの侵食や断熱材の問題が発覚したとしても、それは異常では
なく、予測と合致しているということになる。Oリング侵食問題と断熱材問題の 2 点は、打ち上げ前に行われ
る NASA の Flight Readiness Review にて毎回提出される議題となっていたが、完全に解決された上で
打ち上げが決定されることはなかった。毎回小さな修復などを行い、手遅れになるまで間に合わせでごまか
してきたのが事実である27。
大統領調査委員会の Richard Feynman によると、以前のフライトで何度か Oリングの侵食現象が見ら
れたが、これらの飛行が結果的には成功に終わったことから侵食現象があっても飛行自体の安全性には問
題がないという結論を出すようになったという。しかし最も初期のシャトル設計段階からしてみれば、そのよう
な現象は異常と判断されるべきものであり、危険信号であることは明らかだ28。まったく同じことがコロンビア
号に関してもいえる。その違いは、対象となる部品が O リングか、断熱材かということだけである。
間に合わせのための修復を施すだけでなく、これらの異常問題は時間の経過とともに格下げする傾向が
あった29。2002 年 10 月、STS-112 に断熱材落下の異常がみられた際にプログラム管理者は事実を異常と
みなさず、寧ろ危険度を格下げした。チャレンジャー号以前から問題視されていた固体燃料ロケットブース
タージョイントは Criticality1という NASA の危険アイテムリストに分類された。このリストはシャトルの構成
部品を故障や不具合によってランク付けし、それぞれが許容可能なリスクである理由を記すものである。そ
の後、ジョイントはCriticality 1-R(redundant)という分類に降格され、チャレンジャー号打ち上げの1ヶ月
前には問題の報告システムから除去されていた。
打ち上げプレッシャーもまた、チャレンジャー号とコロンビア号事故原因の類似する点である。チャレンジ
ャーに関しては、まずメディアの圧力があったといわれている30。チャレンジャー号の 1 つ前のミッションであ
るコロンビア号は7 回も打ち上げが延期され、それは25 日間にもおよんでいた。チャレンジャーの打ち上げ
までにも既に 4 回延期されており、メディアからの冷やかしを受けていた。打ち上げのプレッシャーは、定期
的かつ確実にシャトルを飛ばさなければ、衛星など有料貨物の依頼者からの信頼を損なってしまうという商
業的な意味も含んでいた。2 つめの圧力にはレーガン政権からのプレッシャーが存在したといわれる31。チ
ャレンジャーのミッションには、学校教員である一般市民の宇宙飛行という画期的な政治的意図も含んでい
たためである。一方、コロンビア号の打ち上げプレッシャーとは、本章前節で述べたとおりである。2 つの事
故調査報告書を比べると、その内容には多くの類似した問題点が挙げられ、同じような勧告が記載されて
いることがわかる。
285
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
第5章
第1節
NASA の体質
Sean O’Keefe 長官
第 10 代 NASA 局長 Sean O’Keefe は、2001 年 12 月 21 日に就任し、新年早々から予算切り詰めに
よる NASA の改革に乗り出した。父ブッシュ政権下では国防総省の会計検査官を務めたほか、NASA 局
長に指名されるまではブッシュ現政権の行政管理予算局(OMB)副局長の職にあった。オキーフ長官は
NASA の放漫財政に歯止めを掛けるため、ブッシュ大統領が OMB 副局長から横滑りの形で NASA に送
り込んだ人物である32。
NASA の諮問機関が 2001 年末にまとめた報告書は、経費が拡大する一方の国際宇宙ステーション
(ISS)計画の杜撰さを厳しく批判している。報告書は外部の専門家グループがまとめた勧告を全面的に支
持し、NASA の放漫な財政運営をやり玉に挙げた。そして、ISS 建設の目標がはっきり明示されていないと
指摘した。短期的、および長期的な視点から米国が計画を優先的に推進すべき理由も不明確だと断じた。
結論として、同報告書は、今後 2 年間を「NASA 信頼性回復」の期間として位置づけ、主に財政面の健
全化を図るよう要請している33。この ISS 計画への批判はスペースシャトルの運行にも影響する。ISS 建設
にはスペースシャトルによる人材及び物資の供給が必要であるからだ。よって ISS 計画を推進すべきでな
いとする報告書の結論は、スペースシャトルも運行を控えるべきであるとの結論に結びつく。オキーフ長官
は 2002 年秋、後継機開発を先送りにして、シャトルを今後10∼15 年程度は継続使用する方針を打ち出し
たばかりであった。シャトルの初登場から既に22 年も経過しており、NASA は新しいタイプへの更新を再三
予算要求していたが、政府が認めなかったため、シャトルのさまざまな部分の部品を取替えながら古い機体
が継続して使われていた。オキーフ長官が就任してからこのような(コロンビア号の)事故がおきたのは象徴
的だ34。
オキーフ長官が NASAと国防省との緊密な協力関係を模索しているのは注目してよい。同局長は1 月 9
日、「過去10 年間の技術革新により、純粋に軍事的な技術と民間ないしは商業的な技術との区別が付きに
くくなった」と語っている。また、NASA と国防総省とのより直接的な協力は、これからの時代には不可欠だ
とも述べている。
例えば、現在の軍事衛星の打ち上げなどは、使い切りのロケットを使用しているが、NASA のスペースシ
ャトルは複数回使い回しができる方式を採用している。NASA で開発した技術を、もっと軍事面にも利用し
ていくことが、国防予算上も必要と考えているのであれば、同局長の国防総省での経験が、NASA との連
携に生かされる可能性は大きい。
ところで、オキーフ長官は第 9 代局長の Daniel Goldin の後継者となるが、ゴールディン長官の方針を
ほぼ引き継いでいるといってよいだろう。ゴールディン氏は NASA 長官として最も長期間在籍した人物であ
る。1992 年 4 月に就任し、2001 年 11 月に任期を終えた35。彼は NASA の歴史の中で最も激しく変化す
る中で長官としての職務に就きながら、9 年間を過ごしてきた人物である。プログラム管理に関する彼の哲
学であった「Better, Faster, Cheaper」という方向転換を指揮する中で、59 歳のゴールディンは、NASA
を年間 1 個か 2 個の衛星を打ち上げる政府機関から、年間多くの衛星を打ち上げる組織へと変革してきた。
同時に、彼は 1 千億円もの歳出削減やおよそ 3 分の 1 の購買力という年間予算削減の年にも NASA を引
っ張ってきた36。オキーフ長官は、前代からの「Better, Faster, Cheaper」という方針を引き継いでおり、効
率性を重視する傾向が続いている。
また、NASA を有人宇宙運用組織から研究開発組織に改革する37という点でも前代ゴールディン長官の
286
NASA の体質
意向を継続しているように見受けられる。現在、シャトルの有人飛行の是非を問う声もある。上院の商業・科
学・運輸委員会の公聴会で、ワイデン議員(民主党)は「有人と無人を比較することが、将来の宇宙戦略を
めぐる国民的議論の出発点だ」と、有人飛行を思い切って中止するのも選択肢の 1 つであることを示唆した
38。The
New Republic 誌のシニアエディターであり、ブルッキングス研究所の客員研究員でもある Gregg
Easterbrook 氏は無人観測宇宙船で実験できない科学実験など存在しないと主張し、またシャトルを無人
ロケットに切り替えることによってコストも削減できると述べている39。このような声に対し、オキーフ長官は「シ
ャトル延命の選択肢の 1 つとして、(シャトルの無人化を)以前から検討している。技術的には可能だが、す
ぐ実行するつもりはない。他の貨物運送手段と比較し、何が効果的かを考える」と述べている40。今後ますま
すシャトルの無人化が議論されることになるのではないだろうか。
オキーフ長官は CAIB 報告書に基づき、NASA の組織文化改革を進めることを下院にて述べている。コ
ロンビア号事故以前から安全を軽視するような文化が形成されてきた事実を承認し、今後は、学ぶことので
きる組織作りに励むとコメントしている41。今後彼の下でどれだけ NASA の組織が見直されるのか、注目す
べき点である。
第2節
組織文化
本文 3 章でも触れたとおり、組織文化とはその機関および団体の機能を特徴付ける、基本的な価値、基
準、信条、そして慣習のことである。その機関の職員が仕事を実行するときに前提とする概念を組織文化と
いう。その力は強く、組織改革や主要役員の交代を経ても存続し得るものである42。
チャレンジャー号とコロンビア号の事故原因を分析していった結果、その内面的要因に NASA の組織文
化が関与していることが判明した。「逸脱の正常化」という独自の特徴が露呈した。NASA 内部では特定の
規則が破られたわけではないが、小さな問題が積み重なり、それがいつしかノーマルな現象と認識されてし
まっていた。これが NASA における独特の組織文化の一面であるといえる。
このような文化が生まれた背景には独立行政機関であるという事実が考えられる。アメリカ政治の現場に
おいて、行政部には、その膨大な日常的業務を遂行するために、巨大な官僚制機構が設けられている。そ
れは大きく分けて、各章によって構成される伝統的な行政部、内閣に属さず大統領が直轄する独立行政機
関、それに大統領府から成り立っている。独立行政機関には、内閣に属さず、直接に大統領に所属する行
政機関と、半司法的あるいは半立法的機能を合わせ持ち、それゆえに大統領からも独立している行政委員
会とがある43。NASAは大統領に直属する独立行政機関の 1 つに入り、中小企業庁、環境保護長、中央情
報局、人事管理庁などと同じ位置づけがされている。これらの機関の長官は大統領によって任命され、大
統領の監督下に置かれている。よって、上記のとおり、現 NASA 長官であるオキーフはブッシュ大統領から
任命されて配属されたのである。
一方、独立行政機関の中でも州際通称委員会、連邦公正取引委員会、全国労働関係委員会、連邦制
度準備理事会、連邦通信委員会などのような行政委員会は大統領の監督に服していない。これらの委員
会は仲裁や裁定を行う半司法的機能、および独自の規則を制定する半立法的機能をあわせ持っており、
行政部から独立して問題を処理する機関である44。よって、NASA が属する大統領に直属する行政機関は、
行政委員会と比較しても政治的色合いが濃いと考えられる。
アメリカ行政学最初の体系的教科書といえるホワイトの『行政研究入門』から引用すると、行政ないし行政
の目的はつぎのように定義される。「行政は、国家目的達成のための人および者の管理である。(中略)「行
287
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
政の目的は、官吏および職員の自由になる資源の最も能率的な利用である。(中略)あらゆる方面で、良い
行政は、浪費の除去、物資と精力の保存、および節約と勤労者の福祉とに合致した公共目的の最も迅速
且つ完全な達成を追及する」45。また、ギューリックによると、「公私を問わずアドミニストレーションの科学に
おいては、基礎的“善”は能率である。アドミニストレーションの科学の基本的目標は、手許の仕事を人力お
よび資源の最小の費用で達成することである。能率は、かくて、アドミニストレーションの価値の秤における
公理第一号である」46。行政部から完全に独立していない NASA には能率を重視する面が見られる。ここ
からくる NASA の根本的な体質が、本論文で述べてきた組織文化の形成背景にあることが推測できる。
終章
2004 年 1 月 14 日、ブッシュ大統領により新たな宇宙開発計画が発表された。この計画は、大幅な予算
の追加なしで月面に基地をつくり、そこから火星に有人飛行するというものである。ブッシュ大統領の計画
では、NASA の予算を今後 5 年間で 10 億ドルしか増やさないことになっている。つまり、NASA は大幅な
追加予算なしに、まずは月への有人飛行を再開し、さらには火星へと向かうミッションを実行する方法を検
討しなければならないということになる47。シャトルを引退させ、国際宇宙ステーションの建設からも手を引く
ことによってコストを抑える方針のようである。
今回の新宇宙開発計画の発表は、選挙の年であることと大きな関連がある。ブッシュのアドバイザーであ
るカール・ローヴがこの計画の立案に関与しており、彼は今回の計画は大きいほど、また楽観的であるほど
良いと認識していた。必然的にテロとの戦争というやっかいなトピックに焦点があてられるような選挙キャン
ペーンにおいては、スケールの大きく、明るい話題が必要であるということだ48。
アメリカの宇宙開発計画は過去に何度も選挙キャンペーンに使われてきた歴史がある。そのプレッシャ
ーのために NASA 組織内部の意思決定が乱れることがあったり、リスクをリスクとして認識しない組織文化
が形成されていったりもした。宇宙開発計画は成功すれば国家的偉業となり、国家を超えた人類の夢が実
現する可能性をも持つが、成功するためには大きなリスクを伴う。2 度起きてしまったスペースシャトル事故
のような惨事を繰り返さぬよう、NASA の組織文化を見直し、改善された安全管理体制の下での新たな宇
宙への挑戦が望ましい。
『中央公論』2003 年 4 月、p.171
朝日新聞、2003 年 11 月 26 日朝刊
3 『中央公論』2003 年 4 月、p.172
4 Diane Vaughan, The Challenger Launch Decision: Risky Technology, Culture, and Deviance at NASA,
(The University of Chicago Press, 1996), p.19.
5 Alex Roland, “The Shuttle: Triumph of Turkey?” Discover, November 1985, p.29.
6 http://science.ksc.nasa.gov/shuttle/missions/51-l/docs/rogers-commission/Chapter-1.txt Report of the
Presidential Commission on the Space Shuttle Challenger Accident (In compliance with Executive Order
12546 of February 3, 1986) ケネディースペースセンターHP より
7 http://science.ksc.nasa.gov/shuttle/missions/51-l/docs/rogers-commission/Chapter-1.txt
8 『TIME アジア版』2003 年 2 月 10 日、p.23
9 Columbia Accident Investigation Board Report Volume1, Appendix B, pp.239-241(13 名の調査委員の紹
1
2
288
NASA の体質
介) http://www.nasa.gov/columbia/home/index.html(NASA のホームページより)以下 CAIB Report.
*Admiral Harold W. Geheman JR. (RETIRED)
コロンビア号事故独立調査委員会、委員長。元国防省、2000 年 10 月に爆破された米海軍駆逐艦コール調査団副
委員長。退役前、ゲーマンは NATO 連合軍最高司令官、米総統軍総司令官、海軍作戦本部副参謀長を務めた。
ペンシルベニア州立大学にてインダストリアル・エンジニアリングの理学士号を取得し、4-star 提督として退役した。
*Major General John L. Barry
コロンビア号独立調査事務局長。オハイオ州、ライトパターソン空軍基地における本部ディレクター。空軍士官学校
から優等卒業しオクラホマ州立大学より MPA 取得。戦闘機のパイロット、また空軍司令長官としての実績もある。事
故調査員としての実績もあり数多くの航空機事故調査を統括、または調査に務めた。チャレンジャー号事故当時は、
NASA におけるホワイトハウス特別研究員であり、ホワイトハウスとの連絡係であった。DesertStorm 時は国防長官
の軍事顧問として活躍し、米空軍の戦略的計画ディレクターであった。
*Brigadier General Duane W. Deal
コロラド州ピーターソン空軍基地にて21 代スペースウィング司令官。現在、米空軍の第 8 司令官でとして活躍中。12
以上の打ち上げおよび航空機事故の調査に関わってきた。ランド研究所の特別研究員、また国際関係に関するハ
ーバードセンターの特別研究員の経験もある。ミシシッピ州立大学、南カリフォルニア大学卒業。
*James N. Hallock, PH.D.
マサチューセッツボルペ国立交通システムセンター航空安全部マネージャー。MIT 器具研究所のアポロ光学グル
ープで働き、また、NASA 電子リサーチセンターの物理学者であり、そこでスペースエアークラフト姿勢決定システム
を開発した。マサチューセッツ工科大学から物理博士号を取得。航空交通監査に関する安全分析、機体審査などに
精通している。
*Major General Kenneth W. Hess
ニューメキシコ州カートランド空軍基地、空軍安全センター司令官。ワシントン D.C.米空軍本部。1969 年に空軍に入
り、7 機種の航空機を操縦。テキサス A&M 大学およびウェブスターカレッジ卒業。
*G. Scott Hubbard
カリフォルニア州、NASA エームスリサーチセンターのディレクター。NASA 本部の初の火星プログラムディレクター
としてミッション失敗後にプログラムを再構築した。NASA では他に研究副長官、宇宙生物学研究所ディレクター、月
探索ミッションマネージャーとしての経歴がある。
*John. M. Logsdon, PH.D.
ワシントン D.C.、ジョージワシントン大学国際関係学エリオットスクール宇宙政策研究所ディレクター。1970 年から同
大学にて教職員を務める。元 NASA 諮問委員会メンバーで、現在は商業宇宙運搬諮問委員会と、国際宇宙航行学
アカデミーのメンバーである。ザビエル大学、ニューヨーク大学卒業。
*Douglas D. Osheroff, PH.D
カリフォルニア州スタンフォード大学の物理学および用物理学教授。ヘリウム 3の超流動の発見により1996 年ノーベ
ル賞受賞。米科学アカデミーの特別研究員、そしてマッカーサーフェローでもある。コーネル大学から博士号取得。
*Sally T. Ride, PH.D.
サンディエゴカリフォルニア大学、物理学教授。マジナリーラインズ株式会社社長兼代表取締役。アメリカ人初の女
性宇宙飛行士であり、スペースシャトルチャレンジャー事故を調査する大統領委員会の一員として活躍。元 NASA
戦略計画ディレクター、宇宙研究委員会、サイエンスとテクノロジーの大統領委員会に務めた。スタンフォード大学卒
業。
*Roger E. Tetrault
マクダーモット・インターナショナル退役会長および最高経営責任者。ジェネラル・ダイナミックスのランドシステム部
のトップを務めたこともある。1963 年に米海軍兵学校を卒業、リンチバーグカレッジから MBA 取得。
*Rear Admiral Stephen A. Turcotte
バージニア州海軍安全センター司令官。ジャクソンビル海軍航空基地元指揮官。15 機種の航空機操縦経験があり、
機体メンテナンスおよびオペレーションに精通している。マーケット大学を卒業、海軍大学から国家安全保障および
戦略研究学位取得。
*Steven B. Wallace
ワシントン D.C.連邦航空機関事故調査部ディレクター。イタリア国ローマ米大使館代表、ニューヨークおよびシアトル
オフィス弁護士など。スプリングフィールドカレッジ、聖ジョンズ法科大学を卒業。ニューヨーク州および連邦裁判所に
て法律業務の遂行を認可されている。
*Sheila E. Widnall, PH.D.
マサチューセッツ工科大学宇宙航空学エンジニアリングシステム教授、MIT にて副学長、空軍秘書の経歴もある。
流体力学の先駆者であり、MIT 航空宇宙学部卒業。
10 朝日新聞、2003 年 2 月 4 日、夕刊
11 CAIB Report Volume 1, Chapter 3, pp.49-78
12 CAIB Report Volume 1, Chapter 5, p.97
13 CAIB Report, Volume 1, Chapter 5, p.99
289
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
Dan Quayle, Standing Firm: A Vice-Presidential Memoir (New York: Harper Collins, 1994), pp.185-190
Report of the Advisory Committee on the Future of the U.S. Space Program, December 1990, p.2 of the
report’s executive summary, (米宇宙計画の将来に関する諮問委員会による報告書より)
16 http://www.nasa.gov/audience/formedia/features/MP_Budget_Previous.html(NASA ホームページより)
17 CAIB Report, Volume 1, pp.102-103
18 http://www.asahi.com/science/update/1125/002.html
19 Howard McCurdy, Faster, Better, Cheaper: Low-Cost Innovation in the U.S. Space Program (Baltimore:
The Johns Hopkins University Press, 2001)
20 CAIB Report, Volume 1, p.106
21 CAIB Report, Volume 1, Chapter 7, p.184
22 CAIB Report, Volume 1, p.186
23 Diane Vaughn, 前掲書
24 Diane Vaughan, 前掲書
25 CAIB Report, Volume1,Chapter 8, p.196
26 Dian Vaughan, 前掲書
27 William H. Starbuck and Frances J. Milliken, “Challenger: Fine-tuning the Odds until Something
Breaks.” Journal of Management Studies 23(1988), pp.319-340(CAIB, p.196 より)
28 Richard Feynman, Minority Report on Challenger, The Pleasure of Finding Things Out, (New York:
Perseus Publishing,2002)
29 Report of the Presidential Commission on the Space Shuttle Challenger Accident, (Washington:
Government Printing Office, 1986), Volume II, Appendix H.
30 David Ignatius, “Did Media Guide NASA into the Challenger Disaster?”, Washington Post, 30 March,
1986, section D, 1.
31 Richard C. Cook, “The Rogers Commission Failed” Washington Monthly, November, 1986, pp.13-21.
32 『世界週報』、2003 年 3 月 11 日、p.37
33 『世界週報』、2002 年 2 月 12 日、pp.24-25
34 朝日新聞、2003 年 2 月 2 日朝刊、p.1
35 http://history.nasa.gov/dan_goldin.html (NASA のホームページより)
36 http://spaceref.co.jp/homepage/colum/goldin_interview.htm
37 http://www.spaceref.co.jp/homepage/colum/nasabudgetcut.htm
38 朝日新聞、2003 年 9 月 25 日朝刊
39 『TIME アジア版』2003 年 2 月 10 日
40 朝日新聞、2003 年 9 月 25 日朝刊
41 http://www.nasa.gov/pdf/50096main_okeefe_testimony_091003.pdf
(Statement of Sean O’Keefe Administrator NASA Before the Committee on Science House of
Representatives)
42 CAIB Report Volume1, Chapter5 , p.97
43 阿部齋、久保文明『国際社会研究Ⅰ 現代アメリカの政治』放送大学教育振興会、2002 年、p.44
44 同上
45 Leonard Dupee White, Introduction of the Study of Public Administration, 1 st ed., 1926, p.2、手島孝『アメ
リカ行政学』日本評論社、1995 年、p.80
46 Gulick, “Science, Values and Public Administration,” Papers on the Science of Administration, 1937,
p.191. 手島、前掲、p.90
47 http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20040115301.html
48『TIME アジア版』2004 年 1 月 26 日、p.34
14
15
290
NASA の体質
【参考資料】
<資料 1> CAIB Report, Volume 1, p.102
<資料 2> CAIB Report, Volume 1, p.106
291
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
<資料 3>
【参考文献】
<一次資料>
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http://www.caib.us/default.asp CAIB 公式ホームページ
*
http://www.nasa.gov/ NASA 公式ホームページ
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http://www.ksc.nasa.gov/ ケネディ宇宙センター公式ホームページ
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http://science.ksc.nasa.gov/shuttle/missions/51-1/docs/rogers-commision/table-ofcontentsu.html
*
Report of the Presidential Commission on the Space Shuttle Challenger Accident, (Washington:
Government Printing Office, 1986), Volume II, Appendix H.
<二次資料>
*
http://www.nasda.go.jp NASDA 公式ホームページ
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http://www.nasda.go.jp/press/2003/09/columbia_20030903_j.html
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http://www.asahi.com/
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http://spaceref.co.jp/
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http://www.hotwired.co.jp/
*
Diane Vaughan, The Challenger Launch Decision: Risky Technology, Culture, and Deviance at NASA,
292
NASA の体質
(Chicago: The University of Chicago Press,1996)
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Joan Lisa Bromberg, NASA and the Space Industry, (Johns Hopkins University Press, 1999)
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Richard Feynman, Minority Report on Challenger, The Pleasure of Finding Things Out, (New York:
Perseus Publishing,2002)
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Richard C. Cook, "The Rogers Commission Failed" Washington Monthly, November, 1986
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(Federal Document Clearing House, Inc.,Sep.23 1999)
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阿部斉、久保文明『国際社会研究Ⅰ 現代アメリカの政治』財務省印刷局、2002 年
*
手島孝『アメリカ行政学』日本評論社、1995 年
*
小泉成史「NASA・宇宙飛行士・事故」『中央公論』2003 年
*
明石和康「シャトルの悲劇と宇宙開発」『世界週報』2003.3.11
*
『中央公論』2003 年 4 月号
*
『世界週報』2003.3.11
*
『世界週報』2002.2.12
*
朝日新聞
293
久保文明研究会 2003 年度卒業論文集
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・末木由紀
思い起こせば入ゼミ論文は『アメリカ社会と音楽』だった。これで本当に政治学科なのだろうかと思われるようなタイト
ルで、入ゼミの面接のときに先生から「あなたは政治に興味があるのですか」と問われてドキッとしたことが思い出されま
す。
三田祭ではアメリカの内政だけではなく、国際的な視点で捉えたいという思いから外交分野を選択し、『ブッシュ政権
による CTBT 離脱』という論文を書きました。
そして卒業論文では NASA…。一貫性がまったくないように見えますが、書いた時期それぞれの自分の興味関心に
合った勉強をしてきたんだなあと感じます。特に入ゼミと卒業論文に関しては、アメリカに関することならばどのような題
材でも OKということだったので、資料を集めて読み進め、文章にしていくことが楽しいと感じられました。結局最後は毎
回のように徹夜で辛いと思うこともあったのですが、やはり興味があったから論文を完成させることができたのだと思いま
す。先生の寛容さに感謝です。
私が卒業論文で NASA を取り上げようと思ったきっかけは、先生の著書のひとつである放送大学の教科書を授業で
扱ったときに出てきた「独立行政機関」という言葉でした。もともとアメリカ政治とは関係なく宇宙や NASA という組織に
は関心があったので、この組織をアメリカ政治に関連して研究してみると面白いと思い、扱う題材は即決定しました。
ただ、やはり政治学に関連付けて考察することは容易なことではなく、本当にこの題材で論文が書けるのか、中には
心配していてくれた人もいたようですね。仲間からのコメント・批判はとても参考になりました。ただ自分の力不足もあっ
てすべての批判や要望に応えることが出来なかったのが残念ですが、お陰様で第一稿からある程度改善されたものを
提出できました。読みにくかったであろう第一稿を一生懸命読んでいただいた皆様に御礼申し上げます。先行研究もな
いので参考資料等が充実した論文にすることは出来なかったのですが、自分の出来る範囲内で楽しみながら執筆に当
たることができたことをとても嬉しく思います。
2 年間ご指導いただいた久保先生ならびに、ゼミの 13 期皆様に心より御礼申し上げます。
末木由紀ちゃんの論文を読んで
【岡田美穂】
スペースシャトル計画は、成功すれば国家的偉業となり、国の強さの誇示にもなり、国民の感情も沸かせることができ
る。一方、高度な技術が要求され、人命に関わる事業であるので失敗は許されないが、チャレンジャーとコロンビア号に
おいては、最悪の事態となってしまった。コロンビア号の事件後、新聞各紙が紙面を大幅に割き、コロンビア号の事件
について書き競った記憶はまだ新しい。このようなホットな話題を卒論で取り上げるのは、大きなオリジナリティーでもあ
ると同時に、大変難しい作業である。それでも、チャレンジャー号とコロンビア号の比較の観点から、安全性と効率のトレ
ードオフの問題に関する決定を「逸脱の正常化」というNASAの意思決定過程で発生する問題に注目して論じていき、
NASA の構造批判をしている点は大変興味深く、また賞賛に値する。また、今日スペースシャトル計画における意義の
低下による、予算削減は重要な問題である。このような予算、プロジェクトの意義、行政機関の組織構造について、政
治の駆け引きの中で論じていくことは大変興味深いものではないだろうか。
個人的な NASAへの関心と、筆者への愛の裏返しとして、敢えて厳しい批評をさせていただこうと思う。まず、第一に、
「はじめに」の中で何を論じたいかをはっきりさせておくことが重要だと考える。NASA の組織文化についての論文だと
いうことはわかるが、「逸脱の正常化」などのキーワードを挙げるくらい明白な方がインパクトがあるのではないだろうか。
第二点は、なぜ NASA の構造について取り上げたのかという動機。また末木さんの考える意義を「はじめに」の中で
述べていただきたい。これが読者を惹きつける要素にもなるであろう。
第三は、第 3 章における詳細な記述はすばらしいが、時系列的になってしまっていてもったいないことだ。組織的構
造につての論述は、第 4 章に回すなど構成を工夫してほしい。興味深い情報なので、ぜひもっと活かしていただきた
い。
論文全体に関しては、大変面白いテーマであり、引き込まれながら読ませていただいた。国防省とNASA のつながり
や、オキーフ長官、ゴールディン元長官についての論述など、大変興味深い。また、今年起こったコロンビア号の事故
について書かれた学術的な論文はまだ数少なく、情報収集や氾濫する情報の処理など、難問が多々だったと思われる。
このような中で、論文を完成させた末木さんの功労は大きく評価されるべきである。
【和田紘】
宇宙を活躍の場とする特殊な組織である NASA だが、そのあまりに専門的に見える分野を取り上げるということで、
実は、当初私は「大変なテーマに取り組むのだなあ。」と内心心配していた。しかし、私の心配をよそに末木さんは「なる
ほどねえ。」と思わず唸るような論文を書き上げてみせた。
私が末木さんの論文を読んで初めて知ったことは、意外にも NASA が苦しい組織運営を余儀なくされているというこ
とだった。そして、末木さんは論文を通して、財政的にも政治的にも苦しい NASA の組織運営の皺寄せが、チャレンジ
ャー号やコロンビア号の重大な事故に繋がったことを指摘している。「逸脱の正常化」というシンボリックなキーワードを
使うことで、読んでいるうちにワクワクさせるような論文に仕上げてくれたと思う。
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NASA の体質
私が思わず納得してしまったのは、スペースシャトル建設に 250 万ものパーツを使うことから、いかに完璧を目指そう
とも数字上はやはり不備が生まれてしまう、ということだった。しかし、スペースシャトルの事故原因を単に技術的なもの
で終わらせることなく、その背景に組織構造としての問題点があると指摘しているところに末木さんの論文のおもしろさ
がある。そして、チャレンジャー号とコロンビア号という時間の隔たりがある二つの事故を比較検証することで、その主張
の説得力を加えようとしているあたりに構文の巧さを感じる。
ここで敢えて幾つかの改善点を挙げるならば、もっと末木さんの見解なり主張を前面に出してもよいのではないか、と
いうことである。一般的な見解は充実しているが、末木さんの顔がその主張からは見えてこないような気がする。これは、
文体の問題であるかもしれないし、読み取るこちらの稚拙さから生じる誤解かもしれないが、もっとはっきり末木さんの主
張を打ち出すべきではないかと感じた。悪く言えば、事故原因の分析からくる末木さんの主張が弱い、ということだと思
う。そして、欲を言えば「リスクをリスクとして捉えない」NASA の組織的文化を作り出してきた背景を叩き、末木さんなり
の今後の展望や、打開策を主張の一つとして打ち出してみてはどうだろうか。
些細な批判点を挙げてはみたものの、やはり論文のおもしろさを否定できない。それほどこの論文は目を引くし、緻
密なデータによって論文を書き上げていった末木さんの努力には頭が下がる思いである。こちらとしてはただ、完成稿
を読める日を楽しみに待つ次第である。
【川口洋介】
末木さんの論文のテーマは NASA(航空宇宙局)についてであるが、日本におけるアメリカ研究の論文において、
NASA を扱ったものは非常に少ないのではないだろうか。このテーマ設定にオリジナリティ、面白さを感じる。また、ドキ
ュメンタリー番組を見るように一気に読むことが出来た。
NASA については我々が知っていることは決して多くはない。しかし、論文では第 1 章でスペースシャトル計画の意
義を中心に、NASA 誕生の経緯まで述べられている。また、NASAの体質をチャレンジャー号とコロンビア号という 2つ
のスペースシャトル事故より考えるということは、NASA のアメリカ政治・行政における地位についてはもちろんのこと、
航空・宇宙に関する技術的な知識も必要とする。これは著者にとっても難解なことであるが、読む方としても大きな問題
である。しかし、末木論文はひとつひとつ丁寧な説明を加えることでこの点をクリアしている。これにより専門的な知識を
持たない者でも、ストレスなく読み進めることが可能である。
前述のように、末木論文はテーマ設定にオリジナリティを持っている。しかし、「はじめに」の部分で、独自性・アメリカ
研究における存在意義が十分には述べられていない。よりはっきりと主張すべきである。この論文はそれだけ価値のあ
る内容だと考える。
また、全体のバランスとして、第 3 章が他の章と比較して、長いように感じる。「第 3 章 2003 コロンビア号事故 第 1
節事故原因の分析 第 2 節チャレンジャー号との比較」から「第3 章 2003 年コロンビア号事故 第 1 節 外的事故原
因 第 2 節 内的事故原因 第 4 章 チャレンジャー号との比較」としてはどうだろうか。チャレンジャー号とコロンビア号
事故の比較は NASA の体質を明らかにする上で、極めて重要な作業である。意思決定過程とリスクに関する問題、打
ち上げプレッシャーと複数の共通点が見られることからも、節とするよりもひとつの章として展開する方が、論点がより強
調されて良いと思われる。
論文を読んで私がひとつ疑問に感じたのは、NASA は今後も存続していくことができるのだろうか、ということである。
起きてはならない事故が二度も起き、しかも、そこにはリスクを軽視する体質などが存在した。シャトルの無人化だけで
なく、NASA の存続についても議論になって当然の状況のように思われる。この点についてアメリカでは議論はないの
か。取り上げて頂けたらと思う。
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