ル・アーブル市民との相互交流

ル・アーブル市民
アーブル市民との
市民との相互交流
との相互交流
<歌声による国
による国際交流>
際交流>
概 要
当協会は、日野市と
日野市とル・アーブル市
アーブル市(フランス)
フランス)との市民
との市民レベル
市民レベルの
レベルの交流を
交流を、その活
その活
動の中心になって
中心になって進
になって進めてまいりました。
めてまいりました。
1999年
年4月
月にはル
年5月
月には日
にはル・アーブル市
アーブル市から27名
から 名の市民を
市民を日野市に
日野市に迎え、2001年
には日
野市と
野市と山梨県
山梨県白根町から
白根町から合計
から合計76名
合計 名の市民が
市民がル・アーブル市
アーブル市を訪れて、
れて、それぞれの
市で、日野/
日野/ル・アーブル市民交流祭
アーブル市民交流祭を
市民交流祭を行ないました。
ないました。日野市および
日野市およびル
およびル・アーブル
市当局のご後援
のご後援も
後援も得られ、
られ、両市の市民コーラスグループ
市民コーラスグループなども
コーラスグループなども参
なども参加しましたので、
しましたので、
幅広い交流と
交流と歌声による心
による心温まる交
まる交歓会を
歓会を実現することができました。
することができました。この相互交
この相互交
流に参加した両
した両市の市民は
市民は、温かい心
かい心の交流に
交流に深い感動を
感動を覚えずにはいられま
せんでした。
せんでした。
当協会は、ホームステイによる
ホームステイによる個人
による個人ベース
個人ベースの
ベースの交流に
交流に国際交流の
際交流の原点があると捉
があると捉
え、今後もこのような
今後もこのような活動
もこのような活動を
活動を充実させていきたいと考
させていきたいと考えております。
えております。
きっかけ
明治の
明治の半ば、南シナ海
シナ海で行方不明になり
行方不明になり、
になり、幻の巡洋艦と
巡洋艦と呼ばれた「
ばれた「畝傍【
畝傍【うね
び】」受
】」受け取りのため訪
りのため訪れたフランス
れたフランス北部
フランス北部の
北部の港町ル
港町ル・アーブルで
アーブルで、日本海軍の
日本海軍の福島
虎次郎
虎次郎少佐が
少佐が病死しました
病死しました。
しました。同少佐の
同少佐の墓は現地に
現地に作られ、
られ、その後
その後、現地市民の
現地市民の手
で大切に
大切に守られて来
られて来ました。
ました。1991年
年ル・アーブル市
アーブル市に住む日本人女性が
日本人女性が福島少佐
の墓に目をとめ、
をとめ、山梨県
山梨県に住む父親らを
父親らを通
らを通じて探
じて探したところ、
したところ、日野市に
日野市に住む山上雅
子さんが曾孫
さんが曾孫に
曾孫に当たることが判
たることが判りました。
りました。そして同年
そして同年10月山上
同年 月山上さんは
月山上さんは墓
さんは墓参を果た
し、以来、数回にわたり同市
にわたり同市を
同市を訪れ、現地の
現地の市民団
市民団体「日本ノルマンディ
日本ノルマンディ港協
ノルマンディ港協会
港協会」を
拠点に、市民との
市民との親交
との親交を
親交を温めてきました。
めてきました。これが縁
これが縁となって「
となって「ぜひ、
ぜひ、日野市を
日野市を訪問し
訪問し
たい」
たい」というル
というル・アーブル市民
アーブル市民の
の
希望が
希望
が
生
まれ、
まれ
、
日野市国
日野市
国
際交流協会
際交流協
会
の
協力のもと
協力
のもと
市民
最初の
最初の市民交流祭が
市民交流祭が行なわれたのです。
なわれたのです。
第1回
回 日野/
日野/ル・アーブル市民交流祭
アーブル市民交流祭「
市民交流祭「国際交流は
際交流は歌声から・・・
から・・・」
・・・」
期間:
期間:1999年4月9日(金)~4月11日(日)
4月
月10日
日(土):合同合唱
):合同合唱 「ラシーヌ讃
ラシーヌ讃歌」
声を合わせ、
わせ、心を合わせ・・・
わせ・・・
概要:
ル・アーブル市
アーブル市の市民コーラスグループ
市民コーラスグループと
コーラスグループと市民団
市民団体「日本ノルマンディ
日本ノルマンディ港協
ノルマンディ港協会
港協会」のメンバー27名
メンバー 名
が日野市を
日野市を訪問、
訪問、当協会会員宅
会会員宅などに
員宅などにホームステイ
などにホームステイし
ホームステイし、市民会
市民会館で開催された
開催された「
された「市民交流祭」
市民交流祭」に
参加しました。
月9日
日(金)はウェルカム・
日(土)は交流祭
しました。4月
ウェルカム・ミーティングと
ミーティングと市長への
市長への表敬訪問
への表敬訪問、
表敬訪問、10日
で、両協会会長
会会長、日野市長、
日野市長、フランス大使館
フランス大使館の
大使館の挨拶につづいて
挨拶につづいて、
につづいて、第一部では
第一部では日本文化紹介
では日本文化紹介(
日本文化紹介(一
つ的射礼
的射礼/日野市弓道連盟、
日野市弓道連盟、剣道形演武/
道形演武/日野市剣
日野市剣道連盟、
道連盟、拳法形演武/
拳法形演武/日野市少林寺拳
法連盟、
法連盟、和太鼓演奏/
和太鼓演奏/響太鼓)
響太鼓)を行いました。
いました。中でも、
でも、女性だけで
女性だけで演
だけで演じられた迫力
じられた迫力満
迫力満点の和太
鼓演奏では
鼓演奏では、
では、全員総
全員総立ちになり「
ちになり「ブラボー!」
ブラボー!」の
!」の声がしばらく止
がしばらく止みませんでした。
みませんでした。第二部では
第二部では合
では合
唱交歓
唱交歓(ロゼ室
ロゼ室内合唱団
合唱団、メンネルコール「
メンネルコール「シリウス」、
シリウス」、日野混
」、日野混声
日野混声合唱団
合唱団、花野会
花野会、アンサンブ
ル・ヴォーカル・
日(日)に
ヴォーカル・アンプレシオン)
アンプレシオン)を行い、最後は
最後は全員で
全員でラシーヌ讃
ラシーヌ讃歌を歌いました。
いました。11日
は市内見学ツアー(
ツアー(高幡不動尊など
高幡不動尊など)
)
を
行
い
、
楽
しい交流
しい
交流のひとときを
のひとときを過
過
ごしました。
ごしました
。
など
交流のひとときを
4月
月9日
日(金):ウェルカムパーティ
):ウェルカムパーティ
での対
での対面式
4月
月11日
日(日):市
):市内見学ツアー
高幡不動尊
第2回
回 ル・アーブル/
アーブル/日野市民交流祭
日野市民交流祭「
まる相互交流」
市民交流祭「心温まる相互交流
相互交流」
期間:
期間:2001年5月1日(火)~5月6日(日)
市庁舎での
庁舎での歓
での歓迎レセプション
市長さんも
市長さんも温
さんも温かく歓
かく歓迎
概要:
第1回の市民交流祭の
市民交流祭の返礼として、
として、日野市国
日野市国際交流協会
際交流協会主催の
主催の訪仏団、
仏団、日野市合唱団
日野市合唱団「花野
会」、オカリナ
」、オカリナ・
オカリナ・カルテット、
カルテット、ホームステイ協力者
ホームステイ協力者、
協力者、協会のメンバー54人
メンバー 人と山梨県
山梨県白根町の
白根町の訪仏団
22名
名が5月
月1日(火)にフランス北部
日
フランス北部の
北部の港町ル
港町ル・アーブルへ
アーブルへ向いました。
いました。コンサートは
コンサートは両日(2日
(水)カテドラル ノートルダム、
日(金)サンエロワ教
時半から
ノートルダム、4日
サンエロワ教会堂)とも夜
とも夜8時半
時半から2時間
から 時間の
時間のプログラム
で現地の
現地の合唱団
合唱団「アンサンブル・
アンサンブル・ボーカル・
ボーカル・アンプレシオン」、
アンプレシオン」、オカリナ
」、オカリナ・
オカリナ・カルテット、
カルテット、白根町「
白根町「南ア
ルプス桃源
ルプス桃源郷
郷
合唱団
合唱
団
」、日野市合奏
」、
日野市合奏団
団
「
花野会
花野
会
」
による演奏
による
演奏で
で
盛大な
盛大
な
拍手と
拍手
と
賞
賛
をうけました。
をうけました
。
桃源
日野市合奏
演奏
他の日程は
日(金))と
日(土))で
日程は終日ぎっしりの
終日ぎっしりのスケジュール
ぎっしりのスケジュールで
スケジュールで、ルアン市
ルアン市(4日
))とル・アーブル市
アーブル市(5日
))で
は市庁舎で
庁舎で市長、
市長、助役の
助役の出席のもとに
出席のもとに歓
のもとに歓迎レセプションが
レセプションが行なわれました。
なわれました。その間
その間をぬって、
をぬって、エ
トロタ、
トロタ、アンドレ・
アンドレ・マルロー美術館
マルロー美術館、
美術館、ル・アーブル港
アーブル港湾、オンフルール見
オンフルール見学、ポーズから
ポーズからセーヌ
からセーヌ河下
セーヌ河下
り、ベックエロワン修道院見
ベックエロワン修道院見学
修道院見学、ビルケ城
ビルケ城での晩
での晩餐会、ジベルニーで
ジベルニーでクロード・
クロード・モネの
モネの庭園と
庭園と生家
の見学をすることができました。
をすることができました。
帰国前日
帰国前日に
前日に、商工会
商工会議所に
議所に於いて、
いて、さよならパーティ
さよならパーティが
パーティが催され、
され、時が経つとともに会
つとともに会場では合唱
では合唱
の交換が
交換が始まり、
まり、プログラムになかった
プログラムになかった曲目
になかった曲目が
曲目が披露され
披露され、
され、フィナーレは
フィナーレは全員で
全員で日本の
日本の伝統的な
統的な
名曲「
名曲「さくら」
さくら」を合唱しながら
合唱しながら終演
しながら終演を
終演を惜しみました。
しみました。
帰国当日
帰国当日は、今回の
今回の市民交流祭が
市民交流祭が成功だったことを
成功だったことを祝福
だったことを祝福し
祝福し合い、互いに抱
いに抱き合い別れを惜
れを惜しみ
ました。
ました。
サンエロワ教
サンエロワ教会堂でのコンサート
でのコンサート
観客の拍手と
拍手と賞賛
フィナーレ「
フィナーレ「さくら」
さくら」合唱
別れを惜
れを惜しみながら・・
しみながら・・
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