2007年 7月 −そのこころとまなざし− 開 催 の ご案 内 日本を代表する文豪・夏目漱石は、1867 年(慶応 3) 、江戸・牛込馬 場下に生まれました。誕生の翌年、江戸は東京と改められ、元号も明 治へとうつります。漱石の人生は、明治時代のはじまりから終わりま でに、ほぼ重なります。 この展覧会では、漱石の生い立ちから文学者としての歩みを、東京 にはじめて里帰りする東北大学「漱石文庫」の漱石の旧蔵品をはじめ、 自筆の書・絵画、後世に名を残した美術家たちによる初版本のデザイ ン稿、さらに漱石が暮らした当時の東京の様子を伝える地図、版画、 写真などの関連資料も併せた、計800点あまりというかつてない規 模でたどります。 松山・熊本そしてロンドンでの異文化体験や、美術や落語に代表さ れる幅広い趣味の世界などにも目を向け、漱石が明治という時代とと もにあった約50年の生涯の中で、何を見つめ、何を考えてきたのか、 その軌跡を振り返り、今なお色褪せることのない漱石の魅力と、文学 作品の中にあらわれた明治の諸相を紹介します。 夏目漱石肖像 1912 年(大正元) 神奈川近代文学館蔵 (貸し出し写真①) 【漱石文庫】 弟子の小宮豊隆が、太平洋戦争の空襲による焼失を避けるため、漱石最期の住居「漱石山房」から、自ら が図書館長を務めていた東北帝国大学(現・東北大学)附属図書館に移動させて奇跡的に残った、蔵書約3 000冊をはじめとする漱石ゆかりの資料群です。文庫には、直筆原稿や日記・書簡の他、学生時代の答案、 小説執筆の傍ら打ち込んだ趣味の絵画、そして、イギリス留学中に集めた約500冊の蔵書群などの貴重な 資料が保管されています。 旧東北帝国大学附属図書館 昭和初期 東北大学史料館蔵(貸し出し写真②) 漱石旧蔵書より『テニスン詩集』 1895-1898 年 東北大学附属図書館蔵 (貸し出し写真③) 特別展 「 文豪・夏目漱石 −そのこころとまなざし −」 会 期 2007年9月26日(水)∼11月18日(日) 48日間 毎週月曜日休館 ただし、10月1日(月) 、10月8日(月)は開館。10月9日(火)は休館。 開館時間9:30∼17:30 ※土曜日は19:30まで(入館は閉館の30分前まで) 会 場 江戸東京博物館 1階展示室 東京都墨田区横網一丁目4番1号 主 催 (財) 東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館、東北大学、朝日新聞社 【観覧料金】 観覧料(税込) 一 般 当日券 常設展共通券 1,100 円(880 円) 1,360 円(1,080 円) 特別展前売券 1,000 円 大学生/専門学校生 880 円(700 円) 1,080 円(860 円) 780 円 中学生(都外)/高校生/ 65 歳以上 550 円(440 円) 680 円(540 円) 450 円 小学生/中学生(都内) 550 円(440 円) なし 450 円 * ( )内は 20 名以上の団体料金 * 共通券は江戸東京博物館とJR両国駅のみで販売します * 小学生と都内在住・在学の中学生は、常設展観覧料が無料のため、共通券はありません * 次の場合は観覧料が無料です 未就学児童。身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・ 被爆者健康手帳をお持ちの方と、その付き添いの方(2 名まで) ※前売券は8月24日∼9月25日に販売。9月26日以降会期中は当日料金で販売。 【問い合わせ】 江戸東京博物館 〒130-0015 東京都墨田区横網一丁目4番1号 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp ℡.03-3626-9974 【展覧会公式サイト】 http://www.asahi.com/soseki/ 【取材のお申し込み】 「文豪・夏目漱石−そのこころとまなざし−」展 広報事務局 (株式会社ウインダム内) TEL. 03-3639-0721 FAX. 03-3664-3833 〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町 1-28-9 ヤマナシビル 4F 【展示の見どころ】 1 .「 漱 石 文 庫 」 所 蔵 品 の 公 開 太平洋戦争の最中、東北大学附属図書館に移され、奇跡的に残った漱石の旧蔵品「漱石文庫」の全容を 東京にて初公開します。 「漱石文庫」は、漱石直筆の原稿、絵、書、日記、メモなどからなり、創作の源泉に触れることができ る貴重な資料群です。 2年間のイギリス留学中に購入した洋書約500冊も初めてまとめて公開されます。漱石自身による書 き込みなども残り、質・量ともに迫力があります。 2 .「 漱 石 と 美 術 」 美術への造詣も深く、絵画や書の趣味を持っていた漱石。 水彩画で描いた絵手紙から、南画風の大作まで漱石の手による美術作品を幅広く紹介します。 また、自著の装幀にもこだわりを見せた漱石が、その才能を見出した橋口五葉による『吾輩ハ猫デアル』 装幀デッサン稿や、漱石自らが装幀した『心』の原画なども紹介。 漱石の、文学だけに留まらない幅広い知識と興味の対象に触れることができる展示です。 3 .「 ゆ か り の 地 か ら の 里 帰 り 」 漱石が教師として赴任したゆかりの地、松山、熊本からも、漱石ゆかりの品が里帰り。 インク跡が残る着物や、松山で励んだ俳句なども紹介します。 4 .「 漱 石 が 描 い た 明 治 の 東 京 」 新聞に小説を発表していった漱石が、小説の中で取り上げた事象や、その反対に世間が漱石の小説の影 響を受けて作り出した流行などを江戸東京博物館所蔵の地図、版画、写真、生活資料などから紹介しま す。 江戸博という会場ならではの切り口で、漱石が見つめ、思索した軌跡を辿ります。 5 .「 漱 石 の 体 と 声 」 会場入口では漱石の等身大マネキンがお出迎え。体格から皮膚の感じまで精巧に作られています。併せて、 骨格などをもとに精密に再現した漱石の声もお楽しみいただけます。 夏 目 漱 石デスマスク の 型 臨終を迎えた漱石の顔に、石膏をのせて取られた型。公開される機会の少ない資料です。 本展にも出品予定のこの資料を、記者発表当日には記者のみなさまに特別にご覧頂きます。 デスマスクは弟子の森田草平の発案で、彫刻家・新海竹太郎が制作したもの。 朝日新聞社に所蔵されている漱石デスマスクは、この石膏型から起こしたものです。 【公式ガイドブック 発売のお知らせ】 漱石の人生と漱石が生きた時代をビジュアルに紹介する展覧会公式ガイドブックを、展覧会会場や 一般書店にて発売します。 『文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし』 2007 年 9 月 20 日発売予定。 発行:朝日新聞社 【展示構成】 1章 生い立ち・学生時代 夏目漱石(金之助)は、1867年(慶応3)、牛込馬場下の町名主の家に生まれました。1歳で養子 に出された後、養父母の不和から養家と生家の間を行き来する複雑な少年時代を過ごします。成長し、 英文学を志した漱石は、帝大で正岡子規と出会います。子規の影響から漱石は文学活動を始めるよう になりました。 2章 身長・体重メモ 夏目漱石筆 落書きのある帝大時代のノート 東北大学附属図書館蔵 夏目漱石筆 東北大学附属図書館蔵 松 山・熊本時代∼ ロンドン留学 1895年(明治28) 、漱石は中学校の英語教師として四国・松山に赴きました。一年余りの松山の 生活で、漱石は「坊っちやん」の素材を得、子規との共同生活を通じて俳句に親しみました。翌年、 五高の教師として熊本に赴任するのと相前後して結婚し、長女をもうけました。 1900年(明治33) 、漱石は官命を受け、英語研究のためにイギリスに留学します。ロンドンでは 生活費を切り詰めて本を買い、日夜研究に勤しみました。2年余りに渡る留学体験は、漱石に西洋と 日本の違いを痛感させ、思想の上で大きな影響を及ぼしました。 イギリス地図 夏目漱石筆 渡航日記 夏目漱石筆 東北大学附属図書館蔵 (貸し出し写真④) 1900 年(明治 30)東北大学附属図書館蔵 「オックスフォード」 夏目漱石画 東北大学附属図書館蔵 3章 帰国・創作開始 帰国後、教師生活を送りながら創作活動をはじめた漱石は、落語の手法やユーモアを取り入れて「吾 輩は猫である」 (明治38)を執筆しました。そして猫の好評をきっかけに、 「坊っちやん」 (明治39)、 「草枕」「二百十日」 「野分」 (同年)など、続々と作品を発表し、1907年(明治40)、朝日新聞 社の招きに応じて教職を辞し、職業作家の道を歩む決意をしました。 a b d c e 『四篇』 夏目漱石著 d e 『吾輩ハ猫デアル』装幀 橋口五葉画 鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵 橋口五葉装幀 a 上編ジャケット下絵 1905 年(明治 38) (貸し出し写真⑤) 神奈川近代文学館蔵 b 上編ジャケット画稿 1909 年(明治 43) 1905 年(明治 38) 、c 上編表紙画稿 1905 年(明治 38) d 下編表紙画稿 1907 年(明治 40) 、e『縮刷・吾輩ハ猫デアル』表紙・見返し・扉画稿 1911 年(明治 44) 4章 漱石が描いた明治東京 朝日新聞社に入社した漱石は、さっそく第一作「虞美人草」を書き上げました。作品の発表をきっか けにして小説にちなんだ商品が流行しました。新聞小説として発表された小説には、近代都市として 整備されていく街の様子や時事的な話題が巧みに盛り込まれ、人々の関心を誘いました。 「漱石八態」岡本一平画 大正後期 川崎市岡本太郎美術館蔵 (貸し出し写真⑥) 池辺三山筆朝日新聞社主宛て漱石推薦の書簡 1907 年(明治 40) 大阪朝日新聞社蔵、日本新聞博物館寄託 5章 漱石山房の日々 「虞美人草」完成後、漱石は牛込区(現・新宿区)早稲田南町に転居しました。多くの作品が生み出 された書斎「漱石山房」は、漱石の人間性と学識に惹かれた門下生が集う場にもなりました。東北大 学附属図書館に「漱石文庫」を収めた小宮豊隆をはじめ門下生との交流や、橋口五葉、中村不折、津 田清楓ら書籍の装丁に係った画家についても紹介します。 弟子に貸した本のリスト 漱石模写「ミレー画 鵞鳥を追う少女」 「山上有山図」夏目漱石画賛 東北大学附属図書館蔵 山梨県立文学館蔵 1912 年(大正元)岩波書店蔵 (貸し出し写真⑦) 6章 晩年 1910年(明治43)、胃潰瘍の悪化から療養先の修善寺で人事不省の危篤状態に陥り、翌年には、 博士号の辞退や五女・ひな子の急逝、病気の再発など、さまざまな事件に見舞われました。引き続き 小説を発表する一方、鋭い批評眼と幅広い教養で社会や芸術をテーマにした評論も展開していきまし た。執筆の傍ら、漢詩や書画の制作にも勤しみ、 「則天去私」の境地を拓いた後、1916年(大正5) 49歳の生涯を閉じました。 『心』装幀原画 夏目漱石画 漱石デスマスクの型 1914 年(大正3)岩波書店蔵 新海竹太郎作 (貸し出し写真⑧) 個人蔵 (貸し出し写真⑨) 1916 年(大正 5)
© Copyright 2024 Paperzz