西宮市と日本酒 - 大阪経済大学

西宮市と日本酒
2015 年 1 月 14 日
経営情報学部
ビジネス情報学科
指導教員:草薙
信照
学籍番号:M11-5088
クラス:62 組 39 番
氏名:松本
千賀子
目次
はじめに ········································································································· 1
第1章
西宮市における酒造の歴史 ······································································ 2
1.1
灘五郷 ····························································································· 2
1.2
西宮市と宮水の歴史 ············································································ 4
1.3
西宮市における酒蔵の現状 ··································································· 5
1.4
伊丹市における酒蔵の現状 ··································································· 7
1.5
伏見における酒蔵の現状 ······································································ 8
第2章
酒蔵分布の推移 ····················································································· 10
主な年代区分 ····················································································· 10
2.1
①明治以前························································································ 10
②明治・大正 ····················································································· 10
③昭和 ····························································································· 10
④平成 ····························································································· 11
2.2
幕末期の酒蔵分布 ··············································································· 11
2.3
昭和時代の酒蔵分布 ············································································ 13
2.4
現在の酒蔵分布 ·················································································· 15
第3章
結果と考察 ·························································································· 18
3.1
立地的要因························································································ 18
03.2
原料素材的要因 ················································································ 18
あとがき ········································································································· 19
参考文献 ········································································································· 20
付表 ··············································································································· 21
西宮市と日本酒
はじめに
(1)研究概要
今回このテーマを研究しようとした理由として、私の出身地である西宮の産業について知りた
いと思ったことが始まりである。
西宮市の産業は第三次産業が大きな比重を占めているが、一方、工業の主要産業は、ビール製
造業及び灘の生一本と呼ばれる清酒製造業が中心となっている。その中で私は、清酒産業に着目
することにした。現在でも、私が生まれ育った西宮市には酒蔵が数件存在する。その西宮の酒造
りが、現在までどのような歩みをたどってきたかという歴史的背景や、酒蔵の立地条件がについ
て、地図や文献などを使用して調べてつくることにした。
(2)研究の方法
まず、明治以降から現在までの西宮市、または灘五郷の酒蔵の住所を「灘五郷酒造組合」のH
P、文献から調べ、さらにそれらの住所の緯度経度をグーグルマップから調べることで、時代別
の地図を作成した。明治以前については、
「酒の町西宮」の古地図をもとに、大正時代の地図と現
在の西宮の地図とを照らし合わせて酒蔵の位置を割り出した。また、酒蔵の分布が時代ごとに変
化していることについては、どのような時代背景、環境の変化があったかについて文献のほかに
資料館を訪ねるなどして、同時に調べることにした。
1
西宮市と日本酒
第1章
西宮市における酒造の歴史
1.1 灘五郷
灘というのは、東は武庫川河口から西は現在の三ノ宮駅の東、生田川の近くまでの沿海約 24
キロメートルの総称である。そして「灘五郷」は阪神間の海岸に沿った灘の酒造り地帯のことを
指し、魚崎郷(東灘区)
、御影郷(東灘区)、西郷(西区)、西宮郷(西宮市)、今津郷(西宮市)
をいう。
東有野台
伊孑志
山⼝町船坂
⽉⾒山
大池
現在の灘五郷
奥池町
神⼾市
剣谷町
奥山
魚崎郷
油コブシ
天望山
荒神山
打越山
神⼾ 線
坊主山
中央区
生田川
六甲
石屋川
⻄宮北⼝
夙川
岡本
東灘区
摩耶ケーブル
鷹尾山
甲東園
甲陽園
芦屋市
西郷
⻑峰山
仁川
観音山
御影郷
西宮郷
⼩林
越水
六甲山
今津郷
新穂高
譲葉山
⼩林
凡例
宝塚
2
洲先
43
大石
武庫川
マリンパーク
大阪湾
図1
現在の灘五郷
0
625 1,250
2,500
3,750
5,000
m
図 1 が現在の灘五郷の酒蔵分布である。現在、灘五郷には 26 の酒蔵があり、このうち西宮には
12 の酒蔵がある。灘五郷の酒蔵の立地の特徴は沿海部にあることである。この特徴から灘は江戸
時代、酒の輸送において近畿地方のほかの酒造地域よりも優位となった。また、立地を活かした
寒造りという手法を行なうことや、近接地に酒造原料で恵まれたことで、高品質の酒を造ること
が出来た。
2
西宮市と日本酒
灘のお酒がおいしいといわれる理由として、次のような灘独自の製造法と特徴をあげることが
できる。
① 西宮における宮水の湧出発見により、良質豊富な原料用水が確保できた。
② 近接地に良質の播州米を大量に得ることができた。
③ 六甲山系の急流は水車精米に適し、高品質の白米を大量に得ることができた。
④ 吉野杉の良材に恵まれた。
⑤ 六甲おろしの寒風は内海の影響によって相和し、寒造りに好適な気候をもたらした。
⑥ 海上輸送に有利な海岸地帯に醸造場を持ち、交通に便利なため、樽廻船が十分に活躍でき
た。
⑦ 比較的近傍に勤勉な丹波杜氏(酒蔵で働く蔵人たちの長)の労働力が得られた。
(出典:沢ノ鶴 HP「灘酒の歴史」より)
これら 7 つの条件を満たしているため、おいしいお酒を造ることが出来る。
灘の酒造業の展開については、詳細不明とされているが、口碑によれば寛永年間(1624~43)に伊
丹の雑喉屋文右衛門が西宮に移り住んで酒造りをはじめたのが最初とされている。
江戸時代初期は、水と交通の便に恵まれた池田・伊丹地域が江戸向けの酒造地域として繁栄し
ていた。江戸への酒の輸送は当初、菱垣回船により大阪の安治川から運ばれていた。しかし清酒
を主に運ぶ樽回船の誕生から、伊丹・池田地域に近い伝法へと変わった。これにより池田・伊丹
地域は、酒造地域として繁栄していったのである。その後、灘が酒造地域として発展すると積載
場所が大阪と西宮港へと移り変わった。このため、伊丹や池田の酒が馬の背中に樽を積んで、港
まで陸送しなければならなくなった。また、沿岸部に接していた灘地域は大量の酒を樽廻船で運
ぶことができ、より繁栄していったのである。そして 19 世紀中期には高品質な清酒である「灘の
生一本」を生産し、評判となった。灘が最も繁栄していた幕末では、江戸に荷揚げされた酒の 6
割が灘の酒であったといわれる。
その後、第二次世界大戦、阪神大震災などを経験し、何度か西宮の酒造業は危ぶまれたが、現
在でも全国の 30%近くのシェアを占めており、製造業界を引っ張る存在である。
(図 2)
3
西宮市と日本酒
灘
26%
2012年
出荷数量
合計603千kl
その他
52%
伏見
20%
伊丹
2%
図2
出荷数量の市場シェア
(出所:日刊経済通信社「酒類統計月報」より)
1.2
西宮市と宮水の歴史
西宮市は文教住宅宣言を 1963 年にして以来、西宮市の産業はその性格を反映して、小売業と
サービス業を中心とした第 3 次産業が大きな比重を占めている。一方、工業(製造業)の内訳を
見ると、製造品出荷額等の大部分を占める飲食料品製造業が第1いであり、とりわけビール製造
業及び灘の生一本で知られる清酒製造業がその中心となっている。(表 1)
表1
西宮市における主要製造品品目名
出荷順位
製造品品目名
製造事業所数
1
ビール
2
2
清酒(濁酒をふくむ)
9
3
肉製品
5
4
コンデンサ(蓄電器)
1
5
その他の蒸留酒・混成酒
2
6
洋生菓子
4
7
発泡酒
1
8
特殊鋼冷延鋼板
2
9
処理牛乳
1
10
その他の仕上用・皮膚用化粧品
2
(出典:平成 24 年経済センサス活動調査結果より)
4
西宮市と日本酒
灘の酒造りに使われる宮水と呼ばれる水は、兵庫県西宮市の南部の表層地下水の一部から揚水
される。清酒は水、米、麹を主原料としており、清酒成分の約 80%は水であるため、日本酒造り
においては水が決め手になる。灘の清酒の場合は「宮水」と呼ばれる水を使用している。
宮水は他地方の酒造りに使われる水と比べて以下の特徴を持っている。
①酵母の増殖に欠かせないリン酸成分が約 10 倍量と特異的に多い。
②同じく酵母の増殖に必要なカリウム成分が多い。
③清酒を着色させ香味を悪くする成分である鉄分がきわめて少ない。
④塩分を適度に含んでいる。
(出典:沢ノ鶴 HP「灘酒の歴史」より)
宮水は伏流水(河川水が川底の砂利層により自然に浄化されたもの)で、昼夜の関係なく一定の
方向に流れていく。六甲山系に降った雨が 3 本の水脈となり、それぞれ「法安寺伏流」、「札場筋
伏流」、「えびす伏流」と名づけられている。また、どこを掘ってもいいというわけではなく宮水
を揚水することができるのは、久保町、石在町のみである。それだけでなく、宮水の滞水層は地
下 4m余りに限られている。海水よりやや低いところで、地下 5.5mより深くなると、鉄分が増加
し、酒造りの水としては不適格なる。
宮水を湧出する地域を宮水地帯と呼んでいるが、この宮水井戸の分布は次のように変遷してい
る。この移り変わりを図 3 で表している。明治時代は、各地方へ宮水を搬出するため、便利の良
い現在の西宮港付近に集中していた。
(第一次宮水地帯)明治末年から大正初年にかけて施工され
た西宮港の改修工事で、海水が港に近い井戸に浸透し、付近の井水は塩水化して使用不可能にな
った。そこで、やむなく宮水としての酒造用水井は、西宮港付近から北東方へ移動していった。
(第二次宮水地帯)昭和 9 年には、室戸台風の高潮の影響で、宮水の塩分が一時激増したので、
さらに、北方の地域に宮水井戸が新設されるようになった。
(第三次宮水地帯)現在は、この第三
次宮水地帯である久保町、石在町でのみ宮水を揚水することが出来る。
5
西宮市と日本酒
池田町
和上町
産所町
_
[
六湛寺町
田中町
松原町
津門稲荷町
今在家町
_
[
戸田町
馬場町
社家町
与古道町
津門西口町
本町
宮前町
津門仁辺町
染殿町
津門宝津町
浜脇町
!
?
第三次宮水地帯
津門川町
津門呉羽町
用海町
石在町
鞍掛町
第二次宮水地帯
久保町
建石町
津門住江町
浜町
東町1丁目
第一次宮水地帯
浜松原町
東町2丁目
今津水波町
今津二葉町
凡例
_
[
現在の主要施設
宮水発祥の地
!
?今津出在家町
今津社前町
鉄道2012_路線
東浜町
近畿_河川流路N
今津港町
図3
1.3
宮水地帯の移り変わり
0 62.5125
250
375
500
m
西宮市における酒蔵の現状
酒蔵とは地酒を造る工場のことを指す。また、地酒というのは同じ蔵元(工場をまとめる会社)
でも銘柄によって原料やその製造工程も違う場合があり、酒蔵をそれぞれ分けている場合がある。
以下は、現在西宮市にある酒造会社 12 社の一覧である
表2
西宮市における酒蔵の現状
酒造会社名
大関株式会社
銘柄
大関
創業
1711
今津酒造株式会社
扇正宗
1751
日本盛株式会社
國産酒造株式会社
日本盛
灘自慢
1889
1861
木谷酒造株式会社
喜一
1833
現在
灘酒造株式会社、多聞酒造株式会社の廃業により
商標を譲り受ける。西宮本社内にある、
「寿蔵」
「恒
和蔵」という二つの蔵で醸造を行なっている。
屋号だけを持ち、醸造を行っていない。現在蔵の
跡地は酒の楽市西宮今津店になっている。今津酒
造の事務所はあり、表札、看板もある。
本蔵、北蔵にて醸造を行なっている。
屋号だけを持ち、醸造を行っていない。震災後は
エディオン西宮店、商業ビルなどになっている。
事務所の建家はある。
屋号だけを持ち、醸造を行っていない。震災後は
敷地の一部は NSE 総合受注センター西宮になった
が、宮水井戸と表札はある。
6
西宮市と日本酒
本野田酒造株式会社
金鷹
1860
白鷹株式会社
白鷹
1862
辰馬本家酒造株式会社
白鹿
1662
松竹梅酒造株式会社
灘一
1924
大澤本家酒造株式会社
宝娘
1770
島美人
1919
徳若
2005
北山酒造株式会社
万代大澤醸造株式会社
1.4
屋号だけを持ち、醸造を行っていない。震災後は
洋菓子工房と店舗をもつ「アンリ・シャルパンテ
ィエハーバースタジオ 43 酒蔵通り店」になった。
のちに蔵は移転されたが事務所になっている。
北店、大北蔵の前蔵、本蔵にて醸造を行なってい
る。
1993 年(平成 5)完成の「六光蔵」にて現在も醸
造を行なっている。
昭和 22 年に宝酒造株式会社より独立し、現在も生
産が行なわれている。
寛永 3 年(1750)に堺市で創業し、昭和 29 年(1954)
に灘に進出。現在も製造されている。
屋号だけを持ち、醸造を行っていない。兵庫県加
東郡河合村粟生字島にて創業。昭和 37 年(1962 年)
に、兵庫県西宮市宮前町へ本社並びに酒造工場を
移転し現在も製造されている。
西宮市内における酒造会社では一番新しく、製造
されている。
伊丹市における酒蔵の現状
伊丹は清酒発祥の地である。それまでの濁酒造りから清酒を生み出した。元禄・享保期(1688
〜1380)に渡って広く名が知られた。元禄 10 年には 36 軒の酒造家がいたとされる。文化・文政
期に特に繁栄した。伊丹の酒が人気となった理由として木灰清澄法と木綿布濾過の組み合わせに
よる濾過技術が優れていたことが挙げられる。この手法を用いて、清酒を造り上げた。
伊丹の製造法の特徴は以下の通りである。これらを活かし「辛口の酒」を製造している。
①寒造りを改良した。(現在、伊丹が改良した寒造りが他の地域でも主流となっている。)
②生もと造りという米とでんぷん、麹から酵母を培養し、乳酸菌の作る乳酸で桶内に仕込む造り
方。
③木灰清澄法という、もろみに灰を入れることによって澄んだ酒を造る。
④柱焼酎という、米焼酎や粕取り焼酎を日本酒に加えることによって腐敗を防いでいる。
伊丹の酒造用水を調べていくと、特に詳しい資料はなく、どの水を使用して清酒が作られてい
るのかはわからない会社が複数あった。分かるものの中でも、羽束川の伏流水または、猪名川の
伏流水である「長寿の滝」と呼ばれる名水を酒造用水にしているというように灘のように1つの
水に決まっていない。このように、伊丹は水との関係が灘に比べて薄いということが分かった。
伊丹は猪名川を利用して運送し灘まで運ばれてから船で江戸まで運ばれていた。西宮や灘は海
に面しているので、川を下らなければならない伊丹より優位にあった。伊丹の酒は京都の酒とと
もに良質な酒として江戸では、高値で取引されていたが、徐々に灘に追い上げられるようになっ
た。現在では「白雪」、
「老松」などの一部が生き残り伊丹の酒造業を支えている。
7
西宮市と日本酒
現在、伊丹酒造組合には 6 社の酒造会社が属している。図 4 は 6 社の位置関係を示している。
6 社のうち 2 社は伊丹市内ではなく猪名川町と三田市に会社をおいている。その他の 4 社は JR
伊丹駅の付近に集中している。
大坂峠
羽束山
今井岳三蔵山
山王山
雨森山
猪ノ倉峠
岩ケ谷山
⻑谷
波豆
日生中央
南田原
向山
大原野
原
広根
宝塚市
道場町生野
丸山
山下
猪渕
古宝山
玉瀬
笹部
畦野
肝川
差組
赤松
柳谷
武田尾
多田
切畑 大峰山
鼓滝
塩瀬町名塩 秀ケ辻山
⻄宮市
滝山
⻄宮名塩SA
中国
道
伊孑志⽉⾒山
山本
中山
生瀬
宝塚
売布
神田
中山寺
凡例
六甲山
⼩林
越水
伊丹の酒蔵
奥池町
伊丹市
池尻
仁川
観音山
図4
1.5
兵庫県
譲葉山
⼩林
神田
荻野
山⼝町船坂
盤滝トンネル
川⻄⼩花
伊丹における酒蔵の分布
0
625 1,250
伊丹
新伊丹
2,500
3,750
5,000
m
伏見における酒蔵の現状
京都には現在、45 の酒蔵が存在する。室町時代には京洛中だけで 350 軒、応永 32 年(1425)
には洛中洛外の酒屋の数は 342 軒あったといわれている。江戸時代に入り明暦 3 年(1657)には
伊丹・京都ともに酒の全盛期となった。一方この頃、灘はまだ誕生したばかりであった。明治時
代では 100 軒、大正時代で 80 軒、昭和 31 年(1956)で 30 軒ほどに減少している。明治時代で
急に酒蔵の数が減った理由の1つとして、山城大地震(1449)、応仁・文明の乱(1467)など政
治の中心地であっただけに戦乱や大火があったことが挙げられる。
京都の中でも特に伏見の酒が有名である。京都にある 45 の酒蔵のうち 23 社が伏見にある。図
8
西宮市と日本酒
5 は伏見における酒蔵の分布である。左から桂川、鴨皮、宇治川の三つの川に隣接しているのが
特徴である。伏見は、灘同様に水に恵まれた地域である。伏見は三つの川に隣接しその伏流水が
豊富であることから「御香水」
「金名水」
「銀名水」、伏見の七つ井とよばれる名水が数多く存在す
る。かつては「伏水」と書かれていたほどである。名水が豊富であることから、京都の中でも伏
見に酒蔵を置く会社が多い。このことから伏見の酒造りには水との関係が深いことが分かる。特
に、酒造用水として伏見の七つ井の一つである「白菊水」と会社の敷地内の井戸水を使う会社が
多い。
灘の宮水が多くミネラルを含み辛口の酒であることから「灘の男酒」と呼ばれるのに対し、伏
見は宮水に比べると硬度が低くミネラルが少ないため、口当たりのやわらかい甘口のお酒になる
ため「伏見の女酒」と呼ばれている。また、灘の酒は秋になると酒の質が向上することから「秋
晴れ」と呼ばれている。この「秋晴れ」になる要因として、宮水による影響が大きい。これに対
して、「女酒」は夏を越すと酒の質が落ちることから「秋落ち」と呼ばれている。
下京区
桂大橋
京都
東山区
⻄大路
南区
鴨川東
上鳥羽⼝
上鳥羽
山科
稲荷
稲荷山
道
名神
竹田
京都南IC
伏⾒区
伏⾒
向日市
城南宮南
桂川PA
桃山南⼝
伏⾒
中書島
六地蔵
木幡
⻩檗
淀
宇治⻄IC
巨椋池IC
巨椋IC
京都府
久御山IC
久御山淀IC
凡例
伏見の酒蔵
久御山JCT
⼩倉
久御山淀IC
図5
宇治⻄IC
伏見における酒蔵の分布
9
0 375 750
1,500
2,250
3,000
m
西宮市と日本酒
第2章
酒蔵分布の推移
2.1
主な年代区分
①明治以前
近畿から江戸への酒輸送は慶長時代にはじまり、当初は馬による陸上輸送だった。ほどなくし
て宮水が山邑太左衛門により発見され、酒造における仕込水の重要性を知った酒造家が西宮に酒
蔵を持つようになった。そして宮水は仕込水として人気となり、酒造業が停滞していた西宮が幕
末から明治にかけて起死回生していった。西宮や灘が酒造地域として繁栄していったことにより、
江戸への酒の輸送を行なう積載場所が、それまでの伝法から西宮港へと変わった。そのために、
西宮港の付近に酒蔵が集中している。
伊丹、伏見は、積載場所まで川を下らなくてはならなかった。このことから他の伊丹、伏見の
酒よりも灘は、地理的に優位にあった。さらに幕末には、宮水を使った醸造、寒作りという新し
い酒造仕込みの技術革新、水車精米という特徴を活かし、立地的優位だけではなく、品質でも他
の酒造地域を追い上げていった。
②明治・大正
明治時代も引き続き、各地方へ宮水を搬出するため、便利の良い現在の西宮港付近に酒蔵が集
中していた。
「酒の町西宮」の中で『西宮郷酒造家三五人、蔵数 7 七五蔵、造石高八万九八三八〇石であり、
今津郷は三一人・五七蔵・五万一五五石であった。』との記述がある。よって、西宮には明治期に
は 132 もの酒蔵が存在した。また酒造家が 92 人であったことから一人がいくつかの酒蔵を所有
していたことが分かる。
当時の酒蔵の住所を現在の地図に表示することは出来なかったが、付録に明治 28 年灘における
酒造家一覧をまとめた。
この時代宮水を揚水できる井戸の歴史については、明治末年から大正初年にかけて施工された
西宮の改修工事により、井戸が使用不可となり、北東方へ移動していった。そして、第一次大戦
後の経済成長に伴う酒造量の増加、揚水の電化により揚水量が激増した。大正 13 年には、全国で
も珍しく西宮全町に給水管が敷設された。また、一部の宮水揚水井戸郡が枯渇し、塩水化するよ
うになり酒造業者は、宮水の保護対策に本腰をいれるようになった。
10
西宮市と日本酒
③昭和
宮水地帯の当時の歴史については、昭和 9 年には塩分が一時激増したので、以前の西宮港沿岸
部から、それより北方の現在の久保町、石在町に移動する。また、昭和 9 年には、室戸台風の高
潮の影響で、宮水の塩分が一時激増したので、さらに、北方の地域に宮水井戸が新設されるよう
になった。これが、現在の宮水地帯である。これは、宮水発祥の石碑の近くにあり第二次宮水地
帯よりも北側の久保町、石在町に所在する。また、東西 400m、南北 400mの地域の約 30 の井戸
場に散在している。
それまで成長していた日本酒の出荷量は、昭和 50 年(1975)ピークを迎え、その後減少に転じ
る。
④平成
1995 年に起きた阪神大震災による灘五郷(神戸・西宮)の被害額は約 2000 億といわれており、
企業の規模を問わず被災した。西宮郷・今津郷には 21 社(内 2 社は移転・生産なし)が存在する
が、その被害額は約 300 億といわれている。
灘五郷では震災で伝統的な木造蔵が軒並み倒壊した。酒造会社の統廃合も続き、震災前、約 70
社だった酒造会社は約 30 社にまで減った。灘の古酒蔵のうち再建可能なものは 3 棟にすぎないと
いう壊滅的な被害を受けた。しかし、震災のわずか半年後には大手酒造会社の功績により、生産
量が震災前の 95%程度の水準を達成した。
中小、中堅の酒造会社は、大手酒造会社が生産量を震災以前の水準まで醸造する中、危機的状
況にあった。木造蔵しか所有していなかった中小、中堅酒造会社は被害も大きく、さらに再建の
費用がかかるため震災後多くの会社が廃業した。そして、震災から再建した蔵も次々に撤退、廃
業しており、出荷量の大半を少数の大手酒造会社が占め、多数の中小、中堅酒造会社との規模の
差が広がる二極化が進んでいるのが現状である。
酒蔵が崩壊、酒蔵ではなく別の用途の建物が建ったケースについて 4 つのタイプに分別するこ
とが出来る。
①住宅(マンション、一戸建て、特別養護老人ホーム)
②事業所
③商業施設(スーパーマーケット、ホームセンター)
④建物が建っていないケース(駐車場、更地、ホームセンター)
(出典:平成 17 年度日本建築学会近畿支部研究報告集より)
11
西宮市と日本酒
2.2
幕末期の酒蔵分布
慶応 3 年(1867)に西宮に存在した 46 蔵の所在を示したのが図 6 である。この時代は現在より
も海岸が内陸部にあった。また、この時代における宮水地帯は第一次宮水地帯の西宮港付近であ
る。船による酒の運輸がされていた時代であり、そのため現在の石在町、浜脇町、浜町に多く酒
造蔵が密集していることが分かる。46 の酒蔵が西宮の宮水の井戸や沿海付近を中心に所在してお
り、その酒蔵を 29 人の酒造家が所有している。酒造家によっては、4 つもの酒蔵を所有している。
立地場所として、酒蔵同士が密集しており、縦に長く並んでいるのが特徴である。
この時代の西宮で酒蔵を持つ人のうち 2 名が、約 150 年経った現在でも醸造を行っている。こ
の 2 つは西宮で白鹿、白鷹という酒銘で知られている。しかし、現在も全く同じ場所で醸造して
いるというわけでなく、道路の整備や会社の規模が大きくなるにつれて場所が変わっていった。
現在も西宮で醸造が行なわれている酒蔵は 2 社のみだが、図 6 の中には現在、御影郷で醸造を行
なっている桜正宗がある。この桜正宗の 6 代目山邑太左衛門(当時は魚崎郷)が天保 11 年(1840)
に西宮で宮水を発見した。また、2005 年に経営難で民事再生法を申請した多聞酒造も図 6 に示さ
れている。現在は、西宮の大手酒造会社である大関に「多聞」の商標及び製造・販売権を譲って
いる。
和上町
産所町
_
[
池田町
西宮市役所
六湛寺町
田中町
_
[
松原町
津門稲荷町
今在家町
西宮神社
戸田町
馬場町
社家町
与古道町
津門西口町
宮前町
津門仁辺町
染殿町
本町
津門宝津町
浜脇町
!
?
宮水発祥の地
津門川町
津門呉羽町
用海町
石在町
鞍掛町
久保町
建石町
津門住江町
今津水波町
今津二葉町
浜町
東町1丁目
浜松原町
東町2丁目
凡例
今津出在家町
今津社前町
慶応3年
現存する酒蔵
_
[
現在の主要施設
!
?
宮水発祥の地
鉄道2012_路線
東浜町
今津港町
図6
慶応 3 年の酒蔵分布
近畿_河川流路N
12
西宮市と日本酒
2.3
昭和時代の酒蔵分布
昭和 57 年(1982)に西宮に存在した 23 社の所在を示したのが図 7 である。前項の慶応 3 年よ
り 115 年経っている。点が集中しているのは、慶応 3 年と同じく西宮の南部である。23 社あるう
ちの 14 社が存在している。その他 9 つの会社は図 6 とは違う場所にある。図 6 の酒蔵があった場
所より右に 4 社の酒蔵(緑枠内)が存在している。ここは、今津灯台があり、西宮港と同じく今
津港として栄えた地域である。また、JR沿線に 4 社の酒蔵が密集している。
ひとつだけ、北部に酒蔵を持つ会社(赤枠内)がある。灘誉酒造株式会社である。ここに酒蔵
を持つ理由として、湿度の少ない正常な空気と市街地よりも約 3 度低い気温が酒造りに適してい
ると考えたためである。また、昭和 41 年に灘五郷の一つである福徳長酒造株式会社と合併し、数
年は本社工場として製造を続けていたが現在は使われていない。
灘誉酒造株式会社以外が、変わりなく宮水発祥の地に近い西宮南部に集中している。
伊丹市 池尻
仁川
観音山
野間
甲東園
剣谷町
常吉
甲陽園
門⼾厄神
奥山
武庫之荘
芦屋市
神⼾ 線
⻄宮北⼝
夙川
神⼾線
⽴花
_
[
西宮神社
西宮市役所
宮水発祥の地
_
[
!
?
2
凡例
図 8 の範囲
5号
湾
昭和57年
_
[
岸線
!
?
図7 昭和 57 年酒蔵分布
13
0
現在の主要施設
洲先
宮水発祥の地
375 750
1,500
2,250
3,000
m
西宮市と日本酒
図 8 は、西宮南部(図 7 の青枠内)を拡大したものである。酒蔵が密集していた慶応 3 年とは、
異なり酒蔵が以前よりも散在していることが分かる。図 5 では石在町、浜脇町、浜町に多く酒造
蔵が密集していたが、偏りがなく散在している。それでもやはり、石在町、久保町の近い場所に
所在している。図 6 とは違って、宮水発祥の地に近い宮前町と用海町にも酒蔵が存在しているの
が分かる。また、酒蔵の数も大幅に減った。昭和初期までは船による運送がまだ行なわれていた
が、順次トラックによるタンクローリー運送に切り替わった。このことにより沿海部にこだわる
必要がなくなったと考えられる。しかし、灘の酒造りの特徴である寒作りを活かすことや、また、
北部よりも南部のほうが主要道路や高速道路が通っているため、出荷しやすいといえる。仕込水
である宮水はこの地域でしか揚水することができないため、この地から離れれば離れるほど遠く
まで水を引かなくてはならない。
池田町
和上町
産所町
_
[
六湛寺町
田中町
松原町
津門稲荷町
今在家町
_
[
戸田町
馬場町
社家町
与古道町
津門西口町
宮前町
津門仁辺町
染殿町
本町
津門宝津町
浜脇町
!
?
津門川町
津門呉羽町
用海町
石在町
鞍掛町
久保町
建石町
津門住江町
今津水波町
今津二葉町
浜町
東町1丁目
浜松原町
東町2丁目
凡例
今津出在家町
今津社前町
昭和57年
_
[
現在の主要施設
!
?
宮水発祥の地
東浜町
今津港町
鉄道2012_路線
近畿_河川流路N
図8 昭和 57 年酒蔵分布拡大図
14
西宮市と日本酒
2.4
現在の酒蔵分布
図 9 は、現在の酒蔵分布と昭和 57 年の酒蔵分布を重ねたものである。昭和 57 年には 23 あった
酒蔵が、現在は 12 社にまで減少している。
ここまで減った理由の1つに、阪神大震災を挙げることができる。震災当時 19 社あった酒蔵は、
被災により表 3 のような損害を受けた。被災の影響に伴う倒産や買収から現在の 12 社にまで減少
した。12 社のうち 1 社は震災後に設立した。
大手酒造メーカーは宮水の井戸がある久保町、石在町の付近に所在している。阪神大震災の影
響でいくつもの酒造会社が倒産した。中には、大手企業に買収されブランドだけが生き残ってい
るケースもある。
表3
西宮市における酒造会社の被災状況(阪神大震災前後の比較)
酒造会社名
本野田酒造株式会社
百萬石酒造株式会社
木谷酒造株式会社
ツル正宗酒造株式会社
大関株式会社
多聞酒造株式会社
辰馬本家酒造株式会社
國産酒造株式会社
北山酒造株式会社
松竹梅酒造株式会社
日本盛株式会社
小西酒造株式会社
大澤酒造株式会社
はっこん酒造株式会社
白鷹株式会社
灘酒造株式会社
今津酒造株式会社
合同精酒株式会社
福徳長酒類株式会社
19 社
工場・倉庫
全壊「酒造蔵」
全壊「酒造蔵」
全壊「喜一蔵」
全壊「酒造蔵」
全壊「和光蔵」「平和蔵」
全壊「常盤蔵」「玄徳蔵」
全壊「煉瓦蔵」「巽蔵」
半壊「酒造蔵」
半壊
半壊「酒造蔵」
半壊
半壊
半壊
半壊
一部損壊・全壊「2号蔵」
一部損壊
一部損壊
一部損壊
一部損壊
全壊
7社
半壊
7社
一部半壊 5 社
15
製造設備
全壊
全壊
全壊
全壊
全壊
全壊
全壊
半壊
半壊
半壊
一部損壊
半壊
半壊
半壊
一部損壊
一部損壊
一部損壊
一部損壊
一部損壊
全壊
7社
半壊
7社
一部損壊 5 社
現存
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
11 社
西宮市と日本酒
また、業者数と実際の蔵数が合っていない(表 4)。業者数が 12 であるのに対して、蔵数が 7
となっており、酒蔵を保有していない業者が存在することが分かる。これは、最近の日本酒需要
が低下している煽りを受けたもので、もともと酒蔵だったところを駐車場などにして、屋号だけ
維持している休造中の業者が存在している。この表から 5 社が屋号だけ持ち、現在は休業中と灘
五郷酒造組合のHPでは掲載しているが、実際は事務所だけがあり製造を行なっていないもしく
は、空き地、駐車場等になっているのが分かる。
表4
酒造年度(平成)
西宮市における清酒の生産状況
業者数
蔵数
製成高(kl)
課税移出高(kl)
22 年
13
8
57,409
65,383
23 年
13
8
57,409
58,292
24 年
12
7
47,024
57,451
(出典:西宮市HP
仁川
観音山
統計時報より)
伊丹市 池尻
野間
甲東園
剣谷町
常吉
甲陽園
門⼾厄神
奥山
武庫之荘
芦屋市
神⼾ 線
⻄宮北⼝
夙川
神⼾線
⽴花
_
[
西宮神社
西宮市役所
宮水発祥の地
_
[
!
?
凡例
2
今津郷
西宮郷
5号
湾
昭和57年
岸線
図 10 の範囲
図9
現在の酒蔵分布
16
現在の主要施設
_ 洲先
[
!
?
宮水発祥の地
西宮市と日本酒
図 10 は西宮の南部(図 9 の青枠内)を拡大したものである。この地域に現存する酒蔵は 10 社
となっている。昭和 57 年の酒蔵と所在が重ならないものについては、新しく設立したものと人員
の増加により場所が変わったことが挙げられる。それでも震災の影響または、経営難によって 17
社から 10 社にまで減っている。10 社のうち 2 社が、図 6 の慶応三年でも酒蔵を持っている。
和上町
産所町
_
[
池田町
西宮市役所
六湛寺町
田中町
_
[
松原町
津門稲荷町
今在家町
西宮神社
戸田町
馬場町
社家町
与古道町
津門西口町
津門仁辺町
染殿町
本町
北山酒造株式会社
津門宝津町
浜脇町
宮前町
宮水発祥の地
本野田酒造株式会社
!
?
松竹梅酒造株式会社 白鷹株式会社
津門川町
津門呉羽町
木谷酒造株式会社 用海町
日本盛株式会社
石在町
鞍掛町
建石町
久保町
津門住江町
辰馬本家酒造株式会社
今津水波町
今津二葉町
浜町
國産酒造株式会社
東町1丁目
浜松原町
東町2丁目
凡例
今津出在家町
現在の灘五郷
大澤本家酒造株式会社 万代大澤醸造株式会社
酒蔵のない企業
今津港町
昭和57年
_
[
現在の主要施設
!
?
宮水発祥の地
今津社前町
今津酒造株式会社
東浜町
酒蔵を持つ企業
図10
現在の酒蔵分布拡大
鉄道2012_路線
近畿_河川流路N
17
大関株式会社
西宮市と日本酒
第3章
結果と考察
3.1
立地的要因
灘が酒造地域として繁栄した要因の一つであるのが立地的優位である。江戸時代において、そ
の他の近畿の酒造地域に比べると積載場所までの距離が短く、川を下ってまた西宮港まで陸送し
なければならない他の地域よりも費用が少ない。また、大量に江戸へと酒を運ぶことが出来た。
特に西宮においては、西宮港の付近に酒蔵を置くことにより、他の地域よりも圧倒的に優位であ
った。時代が移り変わるにつれて、港付近に酒蔵が集中することは無くなったものの、依然とし
て宮水を揚水することが出来る久保町・石在町の付近に集中している。伊丹(図 4)、伏見(図 5)
の酒蔵の分布と比べても、西宮(図 8)の酒蔵は一箇所に集中しているのが分かる。
震災によって、多くの会社が倒産となったが、この清酒業界は年々縮小の傾向にあり今後、拡
大は望めないとされている。震災後、西宮に新たに設立された酒造会社は 1 社のみである。震災
がなくても、多くの会社が倒産となっていたかもしれない。
3.2
原料素材的要因
おいしいお酒をつくるためには、良質の米と水が必要となる。
清酒の 80%は水から出来ている。それだけに水は、酒造りにおいてとても重要であることはい
うまでもなく当然のことである。灘、伏見においては、水との関わりが深いことが分かった。灘、
伏見ともに名水に恵まれている。灘には、宮水という名水がある。特に伏見には、多くの名水が
存在する。また、多くの酒蔵が現在でも酒造りを行なっている。一方、伊丹は清酒を生み出し、
酒造りの手法を改良するなど画期的であったが、水との関わりが薄い。現在は 6 社のみで酒造り
を行なっている。
酒米も酒造りに関して重要な割合は示しているが、ほとんどの酒造地域で酒米の王者とされる
山田錦が使われている。品種や栽培元は多少、異なるものの、有名な酒米を使用している。その
ため、酒蔵の立地条件と酒米については関係が低いことが分かった。
灘は、立地的要因から伊丹・伏見よりも優位に立ったことから繁栄し、また原料素材的要因か
らも高品質な酒を造ることが出来た。
18
西宮市と日本酒
あとがき
私が生まれ育った西宮には、今も酒造会社が多く立ち並んでいる。昔は、他の地域も同じよう
な街並みだと思っていた。小学校の裏が日本盛の本社で、たまに酒の香りがしたのを覚えている。
少しでも、西宮の酒造産業について知りたくて卒業論文のテーマに選んだが、詳しく調べること
が出来てよかった。同じ灘の酒でもどのように味が違うのか飲み比べたりもしたが、日本酒が苦
手であったためよく分からなかった。灘、伊丹、伏見において歴史的観点からより深く調べるこ
とが出来なかったことが残念である。しかし、作成にあたり大変なこともあったが、一つのもの
を作成することが出来て自分の成長につながったと思う。
19
西宮市と日本酒
参考文献
【Web】
灘五郷酒造組合
http://www.nadagogo.ne.jp/ (2015 年 1 月閲覧)
伊丹酒造組合
http://itamisake‑kma.jp/index.html (2015 年 1 月閲覧)
京都府酒造組合連合会
http://www1.ocn.ne.jp/ kyosake/ (2015 年 1 月閲覧)
伏見酒造組合
http://www.fushimi.or.jp/ (2015 年 1 月閲覧)
西宮市
http://www.nishi.or.jp/ (2015 年 1 月閲覧)
沢の鶴
http://www.sawanotsuru.co.jp/ (2015 年 1 月閲覧)
【書籍】
藤田 卯三郎,「西宮郷・今津郷に於る明治・大正期設立の酒造法人の動向」,平成 18 年 4 月発行
藤田 卯三郎,「西宮と酒造業」,平成 25 年発行
「酒の町「西宮」」,社団法人西宮青年会議所,昭和 57 年 12 月発行
【文献】
日本建築学会近畿支部研究報告書,平成 17 年発行
20
西宮市と日本酒
付表
銘柄名
明治28年灘における酒造家一覧
春錦
安藤
リュウ印正宗
政効(勝鯛)
泉正宗
白菱リュウスイ印正宗
いろ盛
都錦
倭譽
榊正宗
富久泉
開運
子春男
鶴壽
大世界
天盃
石田 孫七郎
石膓 勝平
泉 仙介
1,409
1,256
5,550
住所
明石郡大久保村ノ内江井島村 40(中郷組合
員)
莵原郡御影村大字御影 882
武庫郡六甲村ノ内八幡村 118
武庫郡御影町ノ内東明村 228
和泉
3,968
武庫郡西宮町ノ内濱ノ町 217
ぬい
久吉
1,206
1,145
(中郷組合員)
武庫郡西灘村ノ内味泥村 23
今津同志会社
植田宗左衛門
植田 鶴松
大江 清兵衛
大邑 隆榮
大村 松太郎
岡田 正藏
4,308
861
651
2,313
883
857
1,594
岡田
長部
長部
小野
三左衛門
文治郎
要三郎
淸七
760
5,092
1,420
817
印南郡伊保村・本社(中郷組合員)
莵原郡魚崎村ノ内魚崎村 287
(東郷組合員)
莵原郡御影村
(西郷組合員)
(中郷組合員)
川邊郡伊丹町ノ内伊丹町 1051
(今津郷組合員)
莵原郡魚崎村
武庫郡今津村ノ内今津村 191
(今津郷組合員)
武庫郡御影町ノ内御影村
鍵田
覺心
長四郎
平十郎
733
4,144
(中郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内与古道町 5
片岡
勝部
治七郎
重右衛門
863
3,623
(西郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内浜東町三丁目 193
嘉納
河北
川端
菅野
治郎右衛門
俊治
又五郎
安次郎
4,166
3,175
1,902
3,699
武庫郡御影町ノ内御影村 708
莵原郡御影村
武庫郡西宮町ノ内濱ノ町 348
神戸市川崎町 9
岸田 忠左衛門
喜多河 篤藏
木谷 市右衛門
2,935
522
1,860
(東郷組合員)
武庫郡御影町之内御影村 817
武庫郡西宮町ノ内濱石方町 114
木原
木原
伊兵衛
熊吉
1,939
1,468
莵原郡御影町 23
莵原郡御影町ノ内御影村 972
木村
京谷
小網
喜兵衛
爲助
與八郎
1,543
507
4,489
武庫郡御影町ノ内石屋村 223
(今津郷組合)
武庫郡御影町ノ内御影村 237
紅野
善三郎
3,50
武庫郡西宮町ノ内釘貫町 15
紅野
才木
坂口
柴田
平左衛門
謹藏
吉藏
長右衛門
富貴長
大関
寶正宗
タカラヅクシ印正宗
国産一
光輝国立一
有喜
蜀山人
勝海
菊正宗
總理
梅の春
菅公
天拝
アメヤ印正宗
惣花
多喜泉
喜一
宝梅タイ印
日本正宗
重陽
誉
柱立
タキコイ印
世界長
天與
いろ娘
富貴薫
富貴
豐國
寿海
長春
丹頂ニョイ印正宗
免許人名
安太
石数
952
泉
泉
萬輔
1,298
702
4,932
2,013
21
武庫郡西宮町ノ内釘貫町
莵原郡御影村御影町大字御影 703
武庫郡西宮町字稲川 2175
武庫郡都賀濱村ノ内新在家村 65
西宮市と日本酒
銘柄名
清光一
岩戸開
亀正宗
ツル印正宗
フジ印鷹
太白光
宿禰
有喜長
高賞
高運
カギ印正宗
白鹿
東自慢
神龍陽升
東褒紋正宗
オオギ印美人
鰹正宗
勤王
改進
白鷹
龍王
山海
(忠壽)
瀧山
歓賞
?印正宗
静穏
利達
聖泰
豊慶
長政
萬物長
祥瑞
関寿福
國乃礎
福徳長
日本盛
清水
下市
上念
菅井
免許人名
とく
定藏
新兵衛
要助
石数
572
1,061
1,644
627
角谷
關口
太白
政吉
增藏
多十郎
639
702
4,022
莵原郡御影村(中郷組合員)
(中郷組合員)
莵原郡都賀野村ノ内味泥村 19
高井
高岡
淸兵衛
源七
1,010
2,577
武庫郡西宮町ノ内濱久保町
武庫郡今津村ノ内今津村 112
高島
辰馬
太郎
たき
1,369
2204
辰馬
半右衛門
辰馬
與兵
7,382
武庫郡御影町ノ内東明村 165
西宮町ノ内浜ノ町 230
(中・西宮郷組合)
武庫郡鳴尾ノ内鳴尾村 158
(今津・西宮郷組合員)
武庫郡鳴尾村ノ内鳴尾村 202
辰馬
辰馬
喜十郎
半蔵
6,989
4,505
武庫郡西宮町ノ内濱之町 231
武庫郡西宮町浜東一丁目 65
辰馬
辰馬
辰馬
辰馬
辰馬
檀喜
寺田
悦蔵
潤
半左衛門
安蔵
權藏
兵衛
廣吉
4,261
2,097
1,841
1,823
1,063
697
1,185
武庫郡西宮町ノ内浜鞍掛町 68
武庫郡西宮町ノ内濱ノ町 218
武庫郡鳴尾村(西宮郷組合員)
(西宮郷組合)
(今津郷組合)
武庫郡御影町ノ内御影村 773
武庫郡魚崎村ノ内魚崎村 285
都賀
時枝
儀兵衛
さだ
1,883
1,123
莵原郡都賀濱村ノ内大石村 56
武庫郡御影村ノ内石屋村 115
殿井
豐田
豊原
長尾
みよ
準介
甚介
政吉
620
828
701
2,801
(中郷組合員)
(中郷組合員)
莵原郡御影町ノ内東明村 8
莵原郡御影町ノ内東明村 145
永田
永田
渚善
助藏
亀吉
太郎
840
695
878
15,941
新居 嘉右衛門
西宮企業会社
3,557
5,298
天賜
日本醸造会社
4,871
戎面
都賀意鶴
金盃
扇正宗
笑顔
富久娘
富久盛
はな筏
娘盛
日本摂酒株式会社
野田 三蔵
13,562
6,687
住所
武庫郡今津村ノ内今津村 196
武庫郡魚崎村ノ内魚崎 420
莵原郡御影村
莵原郡御影町大字御影 49
莵原郡深江村
莵原郡本莊村字深江 266
莵原郡都賀濱町大字新在家 76
莵原郡御影町 258
武庫郡西宮町ノ内浜東町二丁目 204(西
宮・今津郷組合員)
武庫郡今津村ノ内今津村 304
(今津・東郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内濱東二丁目 1
武庫郡西宮町ノ内濱脇町 30
野田
六左衛門
1,743
武庫郡今津村ノ内今津村 154
花木
甚右衛門
6,088
莵原郡都賀濱村ノ内新在家村 71
花木
兼松
1,125
武庫郡都賀濱村ノ内新在家村 190
22
西宮市と日本酒
銘柄名
惣大将
モクレン印正宗
ミマスボタン印
出世娘
神龜
銀正宗
金盃正宗
コヅチ印正宗
シャチホキ印壽楽
辰昇
忠勲
ケソカタバミ印正宗
富源
和合盃
はや利マス印
美挙
全盛
日本輝
福禄壽
善楽
大黒正宗
梅一輪
壽長
盛長
春福
榮タイ
有賀タイ
延喜一
(久治郎と共同)
壽泉
ヨウロウノカキ印孝
桜正宗
猩々正宗
慶典
朝陽
稜威
牡丹正宗
貴娘
愛嬢
タチバナ印正宗
南國ハシ
正成
万花長
忠勇
若盛
美功
濱谷
藤田
牧野
増井
増井
増田
松尾
免許人名
幾松
卯三郎
惟雄
徳藏
久太郎
富藏
仁兵衛
松岡
松岡
宗七
淸吉
694
1,093
松谷
松谷
常七
辰七
930
640
松村
丸岡
善太郎
茂吉
1,260
1,728
武庫郡魚崎村ノ 390 ノ
武庫郡都賀濱村ノ内大石村 7
宮崎
宮崎
森本
九兵衛
なを
甚兵衛
959
923
4,566
守舎
新兵衛
2,029
武庫郡西宮町ノ内濱東町三丁目 337
(中郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内濱久保町 96
(今津・西宮郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内濱東町二丁目
安福
又四郎
2,779
武庫郡御影町ノ内東明村 251
安福
武之助
3,995
莵原郡御影町ノ内東明村 213
山路
久治郎
2,688
武庫郡魚崎村ノ内魚崎村 286
山路
亀十郎
1,437
武庫郡魚崎村ノ内魚崎村 280
山路
山下
千馬蔵
幸助
608
1,841
(東郷組合員)(莵原郡魚崎村)
武庫郡御影町ノ内御影 880
4,807
1,096
武庫郡魚崎村ノ内魚崎村 450
莵原郡魚崎村ノ内魚崎村 292
1,508
武庫郡魚崎村ノ内魚崎村 284
18,977
莵原郡都賀野村ノ内味泥村 1
山邑太
山邑太
石数
710
3,686
1,078
2,001
1,365
1,805
1,806
左衛門
三郎
住所
(中郷組合員)
武庫郡西宮町ノ内濱久保町 43
莵原郡御影村 479
武庫郡御影町ノ内御影村 479
莵原郡都賀野村ノ内味泥村 2
莵原郡都賀濱町大字新在家 70
莵原郡魚崎村
(西郷組合員)
武庫郡西灘村ノ内味泥村 10
莵原郡都賀野村ノ内味泥村 10
莵原郡都賀野村ノ内味泥村 21
山本
仙助
若井
源左衛門
若井
若井
餘八
得藏
1,514
882
(西郷組合員)
莵原郡都賀野村ノ内稗田村 16
若林
茂左衛門
2,749
莵原郡御影町ノ内石屋村 240
若林
若林
若林
若林
若林
與左衛門
與平
常右衛門
三藏
春三
4,640
4,071
1,858
1,258
927
莵原郡新在家村
莵原郡都賀村ノ内稗田村 16
莵原郡石屋村
(西郷組合員)
(西郷組合員)
23
西宮市と日本酒
志ら泉
銘柄名
鷲尾
免許人名
久太郎
大東
大鷲
大樹
丸鷲
鷲の威
愛國
ツル印正宗
鷲尾
伴五郎
4,567
鷲尾
萬助
3,107
武庫郡今津村 643
鷲尾
鷲尾
鷲尾
渡邊
幸十郎
清太郎
良三
富三郎
2,745
2,203
1,157
1,866
(今津郷組合員)
武庫郡今津村 321
(今津郷組合員)
莵原郡御影町ノ内御影 973
渡邊
徹
1,099
莵原郡御影町ノ内東明村 7
國光
秀花
天爵
小綿
四季の友
石数
9,031
24
住所
武庫郡今津村ノ内今津村 141
(今津・東郷組合員)
武庫郡今津村ノ内今津村 315
(今津・東郷組合員)