1 「夢と魔法の国、ディズニーランド」 (1)地上で一番幸せな場所 ウォルト

「夢と魔法の国、ディズニーランド」
(1)地上で一番幸せな場所
ウォルト・ディズニーは、通常の遊園地に飽き足りなかった。ふつうの遊園地は「子供
の遊び場」であり、親たちは家族サービスと割り切って退屈な時間を過ごしていた。子供
をメリーゴーラウンドに乗せると、近くのベンチで待つか、はしゃぐ子供に手を振るくら
いしかやることがなかったのである。
一方、大人をターゲットにしたアミューズメントパークがなかったわけではないが、そ
れらは、低所得労働者が気晴らしに行くところで、ギャンブルや酒、スリルと刺激的なゲ
ームが多く、全体に汚く不健康な印象があった。
カリフォルニア・ディズニーランドの入り口 には“The happiest place on earth(地上
で一番幸せな場所)”とかかれた看板があるが、ディズニーがめざしたのは大人も子供も楽
しめる「夢と魔法の王国」を創り上げることであった。家族みんなが楽しめるファミリー・
エンターテエインメントの考え方である。
ここでいう「誰も」や「家族みんな」は、
「大人も満足できる」と解釈すべきである。ア
ニメなどディズニー映画(ビデオ)の対象が「小学生以下の子供」だとしたら、ディズニ
ーランドは、そうした映画やビデオを見たことのある「卒業生」を対象にしている。
(2)広大な敷地と念入りな設計
子供は、砂場で「ファンタジーの世界」を作れる。だが、大人たちを「夢の国」へ引き
込むためには立地から念入りに設計しなければならない。ディズニーのデザインした世界
を丸ごと包み込むことのできる広大な土地が必要である。
実際、ウォルト・ディズニーは、カリフォルニアのディズニーランド周辺に安ホテルが
乱立したことを嘆いて、フロリダ進出にあたってはカリフォルニアの 150 倍もの用地を前
提に設計した。
いったんディズニーランドに入れば、その中では「ディズニーの世界」だけが見えて、
山や海ですら現実の風景は見えない方がよい。そのため周囲に土盛りをして、アフリカの
ジャングルやアメリカ西部の広野が続くように見せている。また、パークを巡る鉄道は、
日常世界との境界を明確に区切る役割を果し、土盛りや森林で見えないスペースに従業員
やショーの出演者を運ぶ外周道路やトンネルが隠されている。すべてが現実の世界を遮断
するための設計である。
日本の遊園地は私鉄が開発したものが多い。阪急電鉄の小林一三が作った宝塚ファミリ
ーパークがモデルである。小林は、通勤電車の逆方向が空車にならないように、都心と反
対側に遊園地をつくり少女歌劇団と組み合わせて人を集めた。これも立派なコンセプトで
あるが、狭い日本のこと、そのために山林を切り開かねばならなくなった。地形の制約に
したがうという意味で「場当たり」的な設計を余儀なくされたのである。
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ディズニーの設計した世界は基本的におむすびを逆さにしたような逆三角形で、その一
番下の頂点にあたる所にゲートと駐車場が作られている(図表 12-3 参照)。日本の遊園地
は、地形の制約があるので、駐車場が分散していたり、入り口がいくつもあるが、ディズ
ニーランドでは、入り口は一つしかない。混雑を承知で、なぜ入り口を一つにしたのであ
ろうか。
(3)同じファーストシーン
誰もが同じファーストシーンから入るためである。ディズニーは、映画や演劇を途中か
ら見るとストーリーの世界に入りこめないことを熟知していた。そのために、駐車場は「ア
ウター・ロビー」とよばれ「グーフィー」「ドナルド」のようなキャラクター名がつけられ
ている。東京ディズニーランドでは、JR 舞浜駅から続く陸橋にはピノキオや白雪姫の小さ
な像が立ち、その足元から軽やかなメロディが流れている。「導入の仕掛け」である。
ゲートも一つだが、料金も一括払い。駐車料金は一律「一日券」で、入場料もパスポー
トという「乗り放題券」が一般的であるが、こうした価格設定も、時間を気にしたり、乗
り物の前でサイフとにらめっこするような現実感覚をなくすためである。
ゲートをくぐるとメインストリート USA と名づけられた街並みがあわられる。この通り
は、ウォルト・ディズニーが育ったミズーリ州マーセリーンの街を参考に作られたといわ
れる。ミズーリ州といえば「古き良きアメリカ」を代表する土地柄で、トム・ソーヤーや
ハックルベリー・フィンの小説を書いたマーク・トウェーンが生まれたところ。アメリカ
人だったら誰にもなつかしい写真館やアイスクリームショップを見つけて童心に返る。そ
んな仕組みが用意されているのである。
アメリカの田舎町はどこも小さい。メインストリートを抜けるとどこまでも大平原が続
く。子供たちは、その大平原に夢の国を見るのだろう。ディズニーランドでも、メインス
トリートの向こうにシンデレラ城が見えるように設計されている。
カンザスを舞台にした「オズの魔法使い」では、夢の街「エメラルド・シティ」まで続
く道を「黄色いレンガの道」とよんでいる。シンデレラ城が「エメラルド・シティ」の高
い塔だとしたら、メインストリート USA は、
「黄色いレンガの道」といえよう。
(4)映画技法の活用
ディズニーは映画人としての経験と技術を活用した。メインストリート USA の手前は広
く、遠くにいくにしたがって実際に狭くデザインし、店舗の高さは、1階が通常の八分の
七、2階は八分の五、3階は二分の一に縮小しているといわれる1。こうした日常のサイズ
と微妙に違う遠近技法は、人々に不思議な奥行きを感じさせる。
配色も映画技法を発揮した。ふつうの遊園地にありがちなドギツイ色づかいは避け、建
物の外色は、豊かな色彩を配しながらトーンダウンした自然色を使い、中に入れば、カラ
フルなディズニー映画の原色が飛び込んでくる。ここでも、現実の世界からすんなり入り、
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非日常的な世界が楽しめる工夫がされている。
きわめつけは暗闇の活用である。映画館はもともと暗い空間。ディズニー・アトラクシ
ョンのほとんどが暗い建物の中にある。夜間のイルミネーションや「光のパレード」が、
闇の活用であることは言うまでもない。
(5)夢と効率
暗い建物の中をカートに乗って見るアトラクションは「ダーク・ライド」とよばれるが、
これは、暗闇を使って誰もが同じ体験をする映画技法の応用にとどまらない。徹底して計
算された時間管理システムの成果でもある。
ウォルト・ディズニーは、お忍びでアトラクションの様子を見て回ったが、冒険の国に
あるジャングル・クルーズの責任者に対して「カバの池を通った時はあまりに早すぎてカ
バがいたのかサイがいたのか、わからなかったほどだ。もし君が金を出して映画を見に行
って、真ん中の部分をカットされたらどんな気持ちがするかね」と叱ったそうである2。
その後、スタッフたちはストップウォッチでボートの周遊速度を測り、だれもが同じ時
間でコースを回るように訓練したというが、これこそフレデリック・W・テイラー(Taylor,
Frederick W.)の科学的管理法をルーツにする時間研究(time study)の手法にほかならな
い。
ディズニーランドの科学的管理法は、標準化された同じ品質のサービスを保証する生産
管理と、顧客を遅滞なく輸送する物流管理のシステムであるが、これは、限られた物理的
スペースを最大限にいかす空間設計にもつながっている。
アドベンチャーランドのアトラクションでは、人々を乗せた船がウォーターシュートの
ように落ちて、「カリブの海賊」の世界へ導く。暗闇と落差を応用した「夢の世界」への演
出だが、実は、地上を通る鉄道の線路をまたいで地下を活用するための効率的空間設計で
もある。
ディズニーランドは、シンデレラ城を中心に放射状に「おとぎの国」「冒険の国」「未来
の国」などが広がっている。これは、上から見ると車輪のように見えるのでハブ構造とよ
ばれる。
ハブ構造は、国際的な航空会社や、クロネコヤマトなど宅配業者が活用する効率的な輸
送方式である。ディズニーランドでは、どこからでも見えるシンデレラ城というハブ基地
に戻ってどこにでも行けるように設計されているのである。
さらに、ハブの中心に人が滞留しないように、放射状に広がった各「国」に、
「ウィニー」
が用意されている。「ウィニー」とは「ウィンナ・ソーセージ」の略語で、動物調教師が褒
美に与える「餌」のことだといわれる3。シンデレラ城に戻れば、次に行きたい「国」のア
トラクションが見えるようにデザインされているのである。
図表 12-3 ディズニーランドの全体設計
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能登路雅子『ディズニーランドという聖地』岩波文庫,1990 年,p.36.
(6)精巧なレプリカ
ふつうの遊園地の遊戯施設は「子供だまし」のようなものが多く、施設の裏側はベニヤ
板のように安っぽい。手品を裏から見ると幻滅するように、張りぼての人形や雑な舞台裏
が見えると日常世界に戻されてしまう。
ディズニーランドは施設の細部に気を配っている。たとえば、ニューオーリンズ広場に
ある建物の 2 階テラスには本場のフレンチクオーターで見かける飾りがほどこされている。
ここはジュースバーや土産物店があるだけで、2 階には上がれない。入場者のほとんどが目
をとめることのない部分だが、そんな窓飾りまで丁寧に作ってある。ボロが見えないから、
安心して「超越の世界」を楽しむことができるのである。
しかし精巧な模造品は、けっして本物ではない。ディズニーランドは自然を徹底的に排
除している。夏の花火やクリスマスパレードはあるが、基本的に四季はない。ディズニー
映画「スイスファミリー・ロビンソン」に登場する南洋の小屋を支える大木は、葉っぱの
一つ一つまで精巧な樹脂で作られている。
トム・ソーヤー島を囲むアメリカ川はエメラルド色に輝いているが、本物の水鳥は泳い
でいない。ジャングル・クルーズで出会うワニや象をはじめ園内で出会う動物は、ほとん
どプラスチック製のロボットで、ウサギやヤギのような小動物ですら、本物の動物は見か
けない。スズメやハトやカラスすらいない。
本物は汚れも臭いも出す。現実に引き戻す力がある。ディズニーの追求した徹底的な「リ
アリズムの世界」は、逆説的だが本物を排除した精巧なレプリカによって支えられている。
(7)「清潔」と「礼儀」と「ショー」
掃除を徹底して清潔な雰囲気を作るのも、
「幸せな場所」で客を現実の世界に引き戻さな
い工夫である。ディズニーランドでは、清掃従業員は「カストーディアル」といわれ、塵
取りは「ダストパン」、箒は「ハイブルーム」とよばれる。白いユニフォームを身につけた
若者が、踊るように掃除する。そこには、這いつくばって草をむしる「公園掃除人」のイ
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メージはない。
酒類はもとより弁当や飲物の園内持ち込みも禁止されている。残飯ゴミは生活感覚をよ
び起こす。花見気分でシートを広げられたり、ベンチでおにぎりを食べられたりしては、
ディズニーの世界が台無しである。このため、弁当持参の人々には、ピクニックエリアと
いう特別な食事場所が用意されている。
非日常的な世界を演出するために「あらゆるものがショー」というテーマが掲げられて
いる。従業員のちょっとした「しぐさ」や掃除の仕方まで「見せる」ということが意識さ
れている。たとえば、鉄道の車掌は、運転を開始する前に必ず、乗客の数を確認する「し
ぐさ」をする。乗客の前で、小さなボードを片手に数をかぞえ、大袈裟に運行開始まえの
確認作業を演じてみせて、運転手にそれを告げるのである。
ディズニーランドでは、入場者を「ゲスト」とよび、
「すべてのゲストは VIP」よいう接
客方針が初期から一貫してとられている。これに対して従業員は「ホスト」ではなく「キ
ャスト」とよばれる。「キャスト」とは役者のことで、仕事場を「舞台」にして、与えられ
た仕事を「役」として演じる者である。
(8)マニュアルと教育
細かいしぐさや挨拶の仕方は、300冊を超えるといわれるマニュアルにも書かれてい
る。新人は、人事部ユニヴァーシティ課の集合教育を受ける。ディズニーの歴史、哲学、
出退勤などの社則からキャストとしての基本ノウハウを教えられ、新人同士のコミュニケ
ーション訓練を経て、総括的な確認テストをパスしなければならない。
さらに、配属部署で部署ごとの勤務形態、配置、命令伝達等について基本訓練をうけ、
実技指導を経て、実地教育(OJT)にはいる。ディズニー流の教育は、基本に忠実に、段
階を追うシステマティックなものだが、そこにはゲストに対するサービスが常に均一なも
のでなければならないというディズニー精神が反映されている。
写真つきの服装規定があり、キャストは「ディズニールック」とよばれる身だしなみを
守らなければならない。ヘアースタイル、もみあげ、ひげ、つめ、イヤリングなどの装飾
品、すべてがチェックの対象になる。
労働力が流動的なアメリカ文化の影響もあるが、マニュアルが細かいだけでなく、相互
チェックの仕組みができている。教育方法もマニュアル化されていて、OJT は年齢の離れ
ていない先輩社員が担当し、キャスト同士で勤務態度を評価しあう「推奨表」がある。「気
づかなかったかもしれませんが、他のキャストが貴方のことを見ていたのです。真剣に仕
事に取り組んでいるその姿を見て…たくさんの良い影響が、貴方を通してロケーションに
広がっているでしょう」と、その推奨表には書いてある。
(9)リスク管理
マニュアルには、明解性(なぜ必要か)、具体性(どうするか)、合理性(やって納得)
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が必要だが、ディズニーマニュアルは図表を活用したもので、誰にでも分かりやすく、納
得できる内容になっている。
たとえば、遺失物については、発見者を確認して→ゲストの場合は→お礼をいって→所
有権について説明し→遺失物センターに連絡するが、その流れはフローチャート化されて
いて、最後に「ゲスト自身に直接申告していただくよう」明記している(図表 12-4)。
ディズニーランドでは迷子の呼び出しがない。突然、パーク内のスピーカーから「○○
ちゃんという 5 歳の女の子が迷子になっています…」というアナウンスがあったらどうで
あろうか。日常の世界に引き戻されるばかりでなく、目の前の行列や混雑が「現実として」
不快なものになる。
そのために、従業員は無線機を持ち、イヤホンをつけて「多くの目」で静かに迷子を捜
す。迷子は迷子センターに誘導されるが、大人同士がはぐれた場合は、メインストリート・
ハウスで再会できるように「メッセージ・サービス」がある。情報を集中的に管理する仕
......
組みで、あらゆるトラブルが、無線連絡という目に見えないネットワークによってカバー
されている。
キャストの行動規準として、Safety(安全性)、Courtesy(礼儀正さ)、Show(ショウ)、
Efficiency(効率)の頭文字をとった“SCSE”が有名だが、これは重要性の順にならんで
いる。礼儀正しくゲストを VIP として迎え入れるから、ショウが活き、ビジネスの効率も
あがるが、その前に、「安全第一」という大前提がある。
東京ディズニーランドを立ち上げたときに、ファイア・チーフには江戸川消防署署長、
セキュリティ・チーフには警視庁警視正をスカウトしたという。300 ものマニュアルも、あ
らゆる事態を想定したリスク管理の手順書とみることもできよう。
図表 12-4 遺失物関連のマニュアル化
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遺失物発見
ゲスト
発見者は?
丁寧にお礼
キャスト
No
リードに報告
遺失物センター
(電話○○○)
所有権を
主張しているか?
Yes
所有権の説明
遺失物センター
(電話○○○)
ゲスト自身に直接申告していただく
(東京ディズニーランドで働いていた学生からヒアリングして筆者が作成)
(10)製品とは何か
駄菓子、オモチャ、すぐに死んでしまう金魚やヒヨコ…日常世界では不要なものが、祭
りや縁日で売れる。なぜだろうか。非日常的なウキウキした気分になると、ついついサイ
フの紐も緩む。ディズニーは、そうした消費者の心理も知っていたようである。
各アトラクションの後にショップがあり、関連商品を置かれている。ジャングル・クル
ーズの後には冒険隊の帽子や服装、ワニや象のオモチャ、短剣 etc である。パーク内の食事
も非日常性を演出する。たとえば、
「カリブの海賊」の内部にある「ブルー・バイユー・レ
ストラン」に入れば、ミシシッピー河口地帯の夕暮れ風景を満喫しながら、ニューオーリ
ンズ風のフランス料理を楽しめる。
ディズニーランドではさまざまな製品が売られている。中核となる製品は「夢」や「冒
険」という名で包まれた「非日常性」だろうが、アトラクションやキャラクターグッズに
加えて、「キャスト」による接客サービスも「商品」として売られている。
精巧なレプリカと完全主義的な設計、安全や清潔という目に見えない部分や遺失物や迷
子に対する対応も「非日常性」という中核製品を包む属性の束で、拡張された製品とよぶ
ことができるかも知れない。
あるいはディズニーランドは「未知」という製品を売っているのかも知れない。たとえ
ば、ディズニーランドは広すぎて一日では見きれない。何度行っても、新しい「発見」が
ある。「毎日が初演」というディズニーの言葉も「新鮮さ」に結びつく。ディズニーランド
は「未完成でなければならない」といわれるが、常に新しいアトラクションを追加する拡
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大主義は「未知の世界」を残すためであろう。ディズニーランドには、まだまだ「知らな
い世界」があると顧客に思わせる仕掛けが隠されているように思える。
コーヒーブレイク「理念としてのコンセプト」
私は、教師になる前に自動車会社に 12 年間勤めましたが、その頃は土曜出勤が当たり前でした。週末が
オフィスのある場所から始まる「半ドン」も格別なもの。あと半日が自由に使えるという午後はウキウキ
して、同じ空がいつもより明るく見えたものです。
自動車メーカーの一室に、次期型車の開発担当者が車づくりの原点ともいえるコンセプトを討議するた
めに集まりました。自動車の設計は、芸術派のデザイナーがスタイルを作り、その形に合わせて機械を組
み込むように思われがちですが、それ以前に開発の狙いや思想をコンパクトに表現したコンセプトが作ら
れなければなりません。スタイルは、コンセプトにしたがって作られるのです。
自動車は何万もの部品でできあがっていますから、部品メーカーの設計力に頼ることもあり、メーカー
の示す貸与図というデザイン以外に、部品メーカーが独自に設計する承認図とよばれるデザインもありま
す。そのためにも、車作りの基本コンセプトを明確にする必要があるのです。
コンセプト作りの最初は、アイデアを出し合うところから始まります。この会議では、各自が次期型車
に託す夢を語ってみようということになりました。社内のさまざまな部署から集まった者が自分なりの夢
を語った後に、チーフが突然「電気を消して欲しい」といいだしました。そして、まっ暗で静まりかえっ
た部屋でこんな話を始めました…
☆
☆
☆
入社 2 年目のサラリーマンを想像してほしい。この頃は責任ある仕事もまかされるようになって仕事の
おもしろ味もわかってきた。大学時代からつきあっている彼女ともうまくいっているし、何しろ最近買っ
た新車の走りがえらく気に入っている。
今日は半ドン。ただでさえウキウキする土曜日の午後に彼女とドライブする約束がある。行き先は、こ
の前、いっしょに行った日光。彼女が気に入ったペンションで夕食をとることにした。朝から仕事に力が
入る。
ところが、月曜の経営会議の資料作りで追加オーダーが入ってしまった。土曜というのに残業になりそ
うだ。しかたがない。丸の内の商社で働いている彼女に電話して、一足先に電車で日光のペンションに行
ってもらうことにした。時間を気にしていては仕事に集中できない。仕事で手を抜くのは嫌な性格だ。
午後 2 時半。課長の OK が出た。背広を片手に地下の駐車場へ。
「たのむぜ」と黒い新車のボンネットを
たたく。よく走る。日光街道へ続く都心の道は渋滞ぎみだったが、小気味よい走りで裏道から抜けられた。
後は一本道。アクセルを踏むと車はピタッと道についてくる。運転しやすい車だ。
ところが、雲行きがおかしくなってきた。ポツリ、ポツリ。ブツ、ブツ、ブツ。そしてザザー。夕立だ。
でも両輪は道をしっかりホールドしている。デフロスターはよくきくし、ワイパーも雨を左右にかきわけ
て視界は良好だ。もともと静かな車だが遮音性がよいので大雨の中でもいつものサウンドが楽しめる。
だが、雨とカミナリはますます激しさを増してきた。空を走る閃光。どんどん近づく雷鳴。何という日
だ。稲妻と雷鳴の時間が短くなる。山道に入って道幅も狭くなり、ハンドルを握る手が少し汗ばむが、こ
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の車はイロハ坂でもレスポンスがいい。加速が落ちない上にハンドルのキレがよい。だから自分の思う運
転ができる。
何より、この余裕が楽しいじゃないか。もう、ペンションのある杉並木にさしかかっている。待ってい
る彼女の顔が浮かぶ。白いペンションがもう見えてきた。
が、そのとき。ピカッ。目の前の大木にカミナリが落ちた。ドーン。耳をさくような落雷の音とともに
巨木が二つ折れになって車の前に倒れかかってきた。あっ!ブレーキを踏もうとしたが、もう間に合わな
い。どうしようか。アクセルを踏む足に自然と力が入った。
ズシーン。大きな音が後ろでした。不思議なことが起こった。瞬間、その黒い車は、ヒョウが躍るよう
に杉の木立を走り抜けていたのである。
暗い部屋でしばらく沈黙が続いた。車が好きで自動車メーカーに入ってきた者ばかりである。誰もがイ
メージをしっかりつかもうとしていた。デザイナーはどんなスタイルがよいだろうかと考え、エンジン設
計者はどんなエンジンを作ったらよいだろうかと考えていた。…そして、長い沈黙のあとに、その開発リ
ーダーはポツリと言った。「私は、そんな車を作りたい」…
☆
☆
☆
いかがでしょうか。多少脚色が入りましたが、現場の雰囲気が伝わったでしょうか。もちろん、車のコ
ンセプトはこのような話だけで作られるわけではありません。ホワイトボートや模造紙にアイデアを書き
込む段階もありますが、現行車の問題点を洗い出したり、競合車の性能を調べたり、販売データの分析を
したり、ターゲット・ユーザーの絞り込みをしたり、ユーザーのライフスタイルの研究をしたり、安全・
排ガス規制などの法規制へ配慮したり…と、非常に多くのプロセスを経て多面的に検討されるものです。
しかし、なぜあえてこのような話をしたかというと、コンセプト作りには夢が込められていなければな
らないと思うからです。フォードにエドセルという優れた車がありましたが、社内にその車を支える熱い
ものがなかったので、失敗車のレッテルをはられた、という有名な話があります。
よくコンセプト(concept)を「概念」と訳す人がいますが、それでは不十分です。コンセプトは理想や
夢の込められたものとして「理念」と訳すべきものではないでしょうか。
製品開発には多くの人の協力が必要ですが、多くの人の心をつなぐためにも、感動を共有できる「理念」
がほしいものです。そうゆう夢のあるコンセプトともった製品は、市場に出しても、その情熱が自然と顧
客にも伝わるものなのです。
参考文献
マッカーシー著/栗屋義純監訳『ベーシック・マーケティング』東京教学社,1978 年(1975 年第 5 版枕訳)
能登路雅子『ディズニーランドという聖地』岩波新書,1990 年。
志澤秀一『ディズニーランドの人材教育』創知社,1990 年。
1
2
3
能登(1990)p.40.
志澤(1990)p.69.
能登(1990)p.46.
9