廣瀬佳子 - 名古屋大学 文学研究科 文学部

比較人文学研究年報 2007
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
−頭脳流出者がつくる母校支援インターネット・コミュニティ−
廣
瀬
桂
子*
“Brain Drain” in Ghana and Formation of an Internet Community:
Internet Community formed by the Alumni of an Elite Secondary School in Ghana
HIROSE
Keiko
要旨
インターネットは、すでに世界中に浸透しており、アフリカも例外ではない。インターネットが
つくるあたらしいコミュニケーション空間により、人と人のつながり、あるいはコミュニティのあ
り方は大きく変化してきている。本稿は、ガーナの進学高校を卒業し海外に住む同窓生が形成した
母校支援のインターネット・コミュニティの成り立ちと機能を分析し、インターネット・コミュニ
ティの形成や、語られることのない頭脳流出問題のひとつの対応策になっていることを考察する。
「頭脳流出者」のナショナル・アイデンティティがゆらぐなか、インターネット・コミュニティの「活
動」により強化される、同窓生が母校の学生時代に内面化した「同窓アイデンティティ」にも注目する。
インターネットによりつながれた、アフリカからの移住者と本国の関係があらたに構築されつつあ
る。
Abstract
The Internet has penetrated all over the world, including Africa. This new communicative practice has
affected the way people are connected and the functions of “community” as well as its concept. Presenting an
Internet community formed by a group of Ghanaian alumni of an elite secondary school residing overseas, this
paper analyses how this ‘community’ has been formed, functions and is related to resolving the brain-drain
problem to which scant attention has been paid. This paper also focuses on the OBs’ “Alma mater identity”, a
kind of educational identity formed through the OBs’ school life in their Alma mater, which has been
strengthened in the Internet community while the OBs‘ national identity has faded out. The Internet is now
acting as a link between emigrated Africans and their home countries, and a new relationship between them
has been constructed.
キーワード
インターネット/コミュニティ/頭脳流出/同窓アイデンティティ
*
名古屋大学大学院文学研究科 Nagoya University, Graduate School of Letters.
1
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
はじめに
本稿の目的は、多数の頭脳流出者を輩出しているガーナの進学高校の同窓生たちがつくるインタ
ーネット・コミュニティ(Internet community)の成り立ちと活動を紹介し、分析するなかで、インター
ネット・コミュニティが、アフリカの頭脳流出問題に対する1つの対応策になっていることをあき
らかにしたい。
近年の爆発的な発達と普及により、インターネットは一般市民の生活に浸透している。この状況
はアフリカ社会も例外ではない。アフリカ諸国におけるインターネット利用者数の増加(インターネ
ット協会 2006: 373)やインターネットカフェの普及 1)が示すまでもなく、アフリカ社会もすでにイン
ターネットが媒体する世界大のコミュニケーション空間を共有している。
「インターネットはもはや
一部特権階級や限られた地域の人々が集う“ 一枚岩のサイバー空間”ではなく、地球上のあらゆる地
域の多様な人々が利用するテクノロジーの集合体である」と、カリブ諸国・トリニダッドのインター
ネット社会の民族誌を記述したミラーとスレイター(Miller and Slater 2000: 1)は宣言する。こうした
地理的、時間的制約を超えたコミュニケーション空間の実現により、人と人のつながり、あるいは
コミュニティのあり方は大きく変化してきている。私たちの生活や社会は文化的・社会的にどのよ
うに変容しているのだろうか。人文社会科学領域での研究の始まりとして、具体的・実証的な方法
による研究が必要とされており人類学的アプローチが期待されている( Wilson and Peterson 2002;
Kollock and Robert 1999)。
こうしたインターネットの日常への浸透は、インターネット研究における、「ユートピア」的で現
実から遊離した「空間」という初期の言説を、「現実」へと引き寄せた。つまり、「仮想空間」と称され
るインターネット空間は、私たちの生活と切り離されたものではなく、「現実社会」と「相互浸透」(吉
田 2000)しあう、あるいは「連続的である」(Miller and Slater 2000; Wilson and Peterson 2002)という視点
への推移である。本研究では、このような流れの中で、「仮想空間」と「現実空間」を二項対立的に捉
えるのではなく相互に関係し合うものとする視点に立って、ガーナの高校の同窓生が形成するイン
ターネット上のコミュニティに、「現実空間」における同窓生や母体コミュニティを織り交ぜて考察
する。具体的には、「インターネット・コミュニティ」におけるコミュニケーションの表象である電
子メール、ホームページなどのテキスト、および「現実空間」での同窓生のインタビュー調査による
ものである。
ガーナは、アフリカ諸国の中でも頭脳流出が最も多い国のひとつであり、高等教育修了者の 40%
以上が OECD 諸国に移住している、と推定される (Carrington and Detergence 1998, 1999 )2)。国の発
展を担うべき人材の海外移住は、ガーナにとって深刻な問題である。しかし、母国を離れて暮らす
知識人の想いも複雑である。かつて、ガーナ独立の父ンクルマ(Nkrumah)が 10 年間過ごしたアメリ
カを去る時に、「リンカーン大学からの講師の誘いに応じてアメリカにとどまるべきか、祖国の建国
のために帰国すべきか、の激しい心の葛藤があった」(ンクルマ 1961: 2)と述懐している。祖国を離れ
たアフリカ知識人にとっての帰国か残留かの苦渋の決断を迫られたひとコマである。しかし、「グロ
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ーバル化」や「ボーダーレス化」が進み、
人やモノや情報などが日常的に国境を越えるようになった今
日、この状況は大きく変化して来ている。インターネットの利用により国外に留まったまま、様々
な方法で本国との政治的・経済的・文化的な関係を保持することが可能になってきているのである。
ガーナに、頭脳流出者を多数輩出し続けてきたセント・ピータース・セカンダリースクール (St.
Peter’s Secondary School、以下、「セント・ピータース校」と表記)という進学高校がある。同校の同窓
生で、イギリスとアメリカに居住する二人が、1997 年 12 月に、同窓生対象に母校支援を目的とす
る web サイトを開設すると、サイトへの登録者は急速に増大してゆき、2003 年3月 23 日現在で登
録者数は 693 名に達した(Ⅲ−2参照のこと)。そのうちの 44.3%、267 名が国外居住で、居住国は 22
ヶ国に及んだ。「インターネット・コミュニティ」は、母校支援を目的として形成されたが、その後、
ネット上でのアクティビィティは、母校支援活動に留まらず、既存のOB会活動の強化、新たなO
B会支部や同期会の創出、あるいは、情報・意見交換、「葬儀」などの「日常生活」の拡張にまで発展
した。
そうして世界に散在する同窓生が、「インターネット・コミュニティ」設立を可能にし継続してい
るのは、単に、「本集団が同窓生の集まりであり、情報科学技術へのアクセスを可能にする条件を満
たしている」というだけではない。私はかつて、青年海外協力隊員(1978-80)としてセント・ピーター
ス校で、数学を教えたことがあり、元教師として 2000 年5月にこの「インターネット・コミュニテ
ィ」に加入することが出来た。その後、Web サイトでの「参与観察」と合わせて、ガーナやイギリス
で同窓生に直接会って話を聞き、世界各地に散らばる同窓生たちの、母校や祖国への複雑な想いを
知ることになった。そうして記述した「インターネット・コミュニティ」は、彼らの想いの延長線上
にあった。「問題の山積する母国(Ⅳ−1 : Web 討論)」を離れて暮らす同窓生には、「自分に内在する
愛国心と現状のリアリティのバランス」(Ⅳ−1: A の考え)でジレンマがある。母校支援の「インター
ネット・コミュニティ」の形成やネット上での「活動」は、そのバランスをとるための動きとも解釈で
きる。いいかえると、「インターネット・コミュニティ」が、頭脳流出問題の一つの対策になってい
るといえるのである。
Ⅰ.インターネット・コミュニティ研究
自然科学、人文社会科学を問わず、今日、きわめて多くの知的活動が、この情報社会のなかで起
る諸現象や、そうした情報社会をかたちづくる諸々のテクノロジーをめぐって営まれている(北川,
2002: i)。本稿で、インターネット・コミュニティを論じる前に、人文社会科学における「インター
ネット空間(the Internet )や「インターネット・コミュニティ」へのアプローチについて整理をしておき
たい。
「コンピューターやネットワークの中に構成される情報空間(北川 2002: 347)」を指すサイバー空
間(cyberspace)という言葉が最初に使われたのは、カナダのSF作家のウイリアム・ギブスン(William
Gibson: 1982)の作品「クローム襲撃(Burning Chrome)」であった。この中でギブスンはサイバー空間を
「物質的な実態を離れた仮想空間」と定義している。初期のインターネット空間の研究では、こうし
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たインターネット空間を現実世界から遊離したものであるとか、科学技術分野だけでなく社会的政
治的な分野においても世界に大きな貢献をもたらしうる「革命的」なもの「ユートピア」的なもの、と
いう見方が主流であった。そして、「インターネット空間は『仮想(virtual)』か『現実 (real)』か」と
いった論じられかたをした(Wilson and Peterson 2002: 450-451)。
90 年後半頃からのインターネットの大衆化にともない、インターネット空間の見方も「現実」に引
き寄せられてきた。二項対立的な議論や情報空間の「仮想的」な見方は批判を受け、「情報空間が現実
空間から遊離していると見るべきではない」という視点に変った。情報学者の西垣通(1995 : 2)は、
「『ヴァーチャル』とは、現実に対立する『虚構』という意味ではなく、たとえ虚構の信号から構成
されていても『事実上は現実と同様の効果を持つ』
ということである」と述べている。
いいかえれば、
「『仮想』的なものとは、たとえ物理的な実体を持たなくとも、人間にとってなんらかの実質的ない
し社会的機能を果たすものと定義することが出来る」(吉田 2000: 51)。
「インターネット・コミュニティ」は、バーチャル・コミュニティ(virtual Community)、サイバー・
コミュニティ(cyber community)、オンライン・コミュニティ(online community)、ネットワーク・コ
ミュニティ(network community)」などと、ほぼ同義で使われている。『情報学事典』(北川 2009: 738)
によれば、バーチャル・コミュニティは、CMC(Computer-Mediated Communication)ネットワークに
媒介されたコミュニケーション・グループである。CMC とは、「コンピューターなどの情報メディ
アを媒体にしたコミュニケーションの形態」であるから、「『インターネット・コミュニティ』とは、
コンピューターなどの情報メディアを媒体にしたコミュニケーション・グループである」と言い換え
られる。インターネット・コミュニティは、具体的には、インターネット上のメール、ファイル、
メーリング・リスト、などの文字・画像・音声「テキスト」を媒体とするコミュニケーションにより
成立するコミュニティである。このことから、インターネット・コミュニティを「コミュニケーショ
ン・コミュニティ(Communication Community)」であるとする捉え方もある(Delanty 2003)。
一方、こうした「対面性のないコミュニケーション・コミュニティは、
『コミュニティ』とはいえ
ない」、といった批判がある。「伝統的なコミュニティ」でいう「地域性」や「対面性」のないコミュニテ
ィは、成員の関係が希薄でありコミュニティとはいえない、という見方である。しかし、伝統的な
コミュニティ概念の「対面性」は、交通手段や情報通信網の発達で既に大きく修正されている。物理
的に離れていても親密な関係を維持することが可能であることはすでに先行研究が論じるところで
あり、こうした概念革命によりコミュニティは空間的に定義されるものから、社会的ネットワーク
により定義されるものとなっている。「インターネット・コミュニティ」が可能にした地理的制約を
越えた「親密性」については、「バーチャル・コミュニティ」という言葉を一般に広めた『バーチャル・
コミュニティ(Virtual Community)』の作者・ラインゴールド(Reingold 1993)が、自らの「バーチャル・
コミュニティ」での体験を詳細に報告したように、「近所の人との付き合いより、インターネット上
での人間関係のほうが親密でありうる」という実感は、すでに、インターネットを利用している人の
多くも実感していることである。
インターネット・コミュニティのコミュニティ性についての問いも、「コミュニティであるか、な
いか」、あるいは、「コミュニティは『現実』であるか、
『想像上』あるいは『虚構』か」といった二
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元論的議論は不毛であるという見方に移行してきている。そして、インターネット・コミュニティ
研究には、「インターネット空間」と「現実空間」は「連続している」という視点が必要であり(Wellman
and Gulia, et al.1999)」、「インターネット空間に創出されるもう一つの社会」(other social space)」は、イ
ンターネット・メディアにより「現実社会」の構造や関係性が変換され埋め込まれている、と考える
べきであろう(Miller and Slater 2000: 5)。
「こうした脱二元論的な連続性のあるコミュニティ、
アイデンティティ、ネットワークの研究には、
文化人類学の研究手法が最も適している」と「オンライン・コミュニティの文化人類学」で、文化人類
学におけるインターネット研究のレビューを行ったウイリアムとピーターソン(Wilson and Peterson
2002)は述べる。そして、インターネット・コミュニティ研究の始まりとして、まずはインターネッ
ト・コミュニティの民族誌を記述することが有効かつ必要であるというのが社会学者、文化人類学
者に共通する見方である( Miller and Slater, et al. 2000)。
共同体についての概念を脱構築し、共同体の枠組みを拡大しようとする小田(2004)の議論がある。
共同体の二元論を放棄するのではなく、「接合」や「相互転換」に注目することで共同体の再構築を図
ろうとするものである。インターネット・コミュニティ研究も民族誌を蓄積することによりこの枠
組みが有効になるのではないかと思う。
Ⅱ.インターネット・コミュニティの形成
1.Web サイトの設立
Perscoba サイバー・コミュニティは、1997 年 12 月にイギリスとアメリカに住むセント・ピータ
ース校の同窓生により母校支援を目的に設立された。Perscoba という名称は、St.Peter’s Secondary
School の通称 Persco に、現地語のチュイ語(Twi)で「子供」を意味する ba をつけた造語で、「セント・
ピータース校の息子たち」を意味する。セント・ピータース校が擬人化されて母親父親のイメージで
捉えられているのである
発起人は、セント・ピータース校卒業生(1972-1979, 同校在学)で、ロンドンに住む科学者のAで
あった。Aが母校支援活動を始めたきっかけは、母校のロンドンOB会の席で目にした母校の写真
(草むらと化したプール跡、ガラスが割れ蜘蛛の巣が張った校舎の窓、天井板が大きく剥がれ天井か
らぶら下がっている講義室、破損状態がひどい洗面施設など)と母校創立 40 周年(1998 年)に向けて
寄付を呼びかけるガーナの国内紙であった。写真に見る母校の校舎や施設の老朽・荒廃ぶりにAは
大きなショックを受けたと言う。
Aは、私が同校の教師をしていた年の生徒会長であった。陸上短距離走の学校代表でもあり、文
武両道を目指す同校の模範的存在であった。生徒会活動や陸上の練習で遅れた勉強を取り戻そうと
校長の特別許可を取り、長い休みに一人寮に残り勉強をしていたAの姿が私の記憶に残っている。
Aの母校への思いは特別である。
Aは早速、
母校の問題を、
インターネットで「再会」していたアメリカ在住の同級生Kに相談した。
Kはアメリカの大学で工学を学び、当時、アメリカの最大手インターネットブラウザー会社で主任
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ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
コンサルタントをしていた。そのKの提案は、インターネットを利用して広く世界中の同窓生に母
校の現状と問題を共有してもらおうというものだった。すぐに話がまとまり、Kが専門技術を活か
しホームページ開設の技術部門を行うことになった。こうしてセント・ピータース校の同窓生を対
象とする Web サイトが開設された。以降、AとKの二人が管理人としてサイトの管理・運営を行っ
ている。
2.母校・セント・ピータース高校
Perscoba 成員の母校・セント・ピータース校は、AやKのような頭脳流出者を多く輩出している(Ⅲ
−2)。ここでは、その背景を確認するという視点で同校を紹介しよう。同時に、Perscoba を含むO
B会活動が活発である要因にも注目したい。
セント・ピータース高校は、ガーナ、イースタン地方(Eastern Region)南クワウ郡(Kwahu South
District )ンクワチア町( Nkwatia)にある 1957 年にキリスト教ローマ・カソリック教会の援助で創立し
たキリスト教ローマ・カソリック系 3)の公立男子高校である。創立の年、1957 年は、ガーナがサハ
ラ以南のアフリカの国としては最初に宗主国から独立した年でもある。独立前の 1951 年に発足し、
その後、独立を勝ち取ったンクルマ政府は、教育の拡充を最優先課題の一つとして、1952 年に教育
開発促進計画(The Accelerate Development Plan for Education)を実施に移した。その結果、1951 年から
1957 年の間には、大学や教員養成所などへの進学のための中等教育機関であるセカンダリースクー
ルの数は 12 校 から 38 校へと飛躍的に増加した(Graham 1971: 179)。セント・ピータース校も、この
時期、1957 年にローマ・カソリック教会の援助を受けて創立された。1960 年には、Aレベル教育認
定試験(General Certificate of Education Advanced Level Examination)(理科系)の受験資格校として、西ア
フリカ試験協会 4)(West Africa Examination Council)から正式に認定を受ける。その後、1970 年に、文
系コース(Arts Course)、1974 年に A レベル商業コース(Business course)が開設された。1966 年には、
O−レベル終了時に行われる O レベル教育認定試験(General Certificate of Education Ordinary Level
Examination)で、受験生全員が合格(合格率 100%)に達して以来、そのスタンダードを保っている。
創立から 1987 年の教育制度改正までは、 セント・ピータース校は5年間のO−レベル(Ordinary
−level)と2年間のA−レベル(Advanced-level)のあるセカンダリースクールであったが、1987 年の教
育制度の改正により、3年制のシニアー・セカンダリースクール(S.S.S.: Senior Secondary School、日
本の高等学校に相当)となっている。
セント・ピータース高校は、寮制であって、生徒は全国から選抜される。また、同校は、キリス
ト教カソリック系の学校であるが、入学選抜に宗教上の制限はなくキリスト教他派やイスラム教を
信仰する生徒も入学する。学費は、基本的には他のガーナの公立高校と変わらない 5)。成績上位者
には、奨学金制度があり生活費と学費が受給される(1980 年当時、約2割の学生がこの制度を利用
していた)から、経済的に恵まれた家庭環境にある生徒が集まるわけではない。
私は、青年海外協力隊理数科教師として同校に 1978 年から 1980 年まで派遣された。当時、既に、
セント・ピータース校は理数科に強いガーナ屈指の進学校として評判が高かった。その理由は、同
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校が、開校早々、理数科の認定校になり、その後、60 年から 70 年代に、先進各国及び国際援助機
関派遣のボランティア教師が多く滞在して施設の整備や理数科教育の向上に力を入れたことにある
6)
。私の赴任当時、ガーナの経済・政治状況は劣悪であったにもかかわらず、化学実験室や、科学
模型や標本が揃った科学室が充実しており驚かされた。私は、O−レベルの2、3年生(日本の中2、
3に相当)と、A−レベル(高3から大学教養課程に相当)の数学を受け持った。進学校とは言っても、
入学間もないO−レベル低学年では、数学の基本的事項を理解していない生徒が少なくなかった。
しかし、最終学年のA-レベル生ともなると、学習態度が非常に熱心で、学習内容をよく理解した。
受け持ったA−レベル数学クラスの 16 名中 15 名が現役で、残りの1名が翌年、ガーナの大学に進
学した。その後、数名が海外の大学や大学院に留学した 7)。
当時、ガーナには、ガーナ大学(University of Ghana)、ケープコースト大学(University of Cape Coast)、
クマシ工科大学(University of Science and Technology, Kumasi, Ghana)があり、一部の学科では大学院の
ディプロマコースや修士課程が開設されていたが、留学経験のある卒業生によると「特に理系の大学
院は研究環境が整っていなかったので奨学金を受けて海外の大学院に進学する学生が多かった」と
いう。1965 年∼66 年には既に、イギリスに 2071 人のガーナ人学生が大学や専門学校に留学してお
り、学生のニーズに合うガーナの高等教育機関のあり方が問われていた(Mcwilliam 1975: 111)。
寮生活が生徒の価値の形成に与える影響は大きい。セント・ピータース校は、ンクワチアの町の外
れに位置していたが、1.4 平方 km の広大な敷地には、教室棟、化学実験室や科学教室のある科学棟、
管理棟、講義室、運動場、学生寄宿舎、食堂、給食調理場、教員住宅、教会とその関連施設があり、
自家発電、水道、ガスが整備されていた。町にはまだ電気も引かれていなかった頃であるから、同
校は周りから突出した「近代的空間」であった。そうした「空間」への入学・入寮は、生徒にとって、
家族から長期間離れ、言葉や生活習慣の異なる仲間との集団生活に入る生活の大きな転換でもあっ
た。電気や水道のある生活を初めて経験する生徒も少なくなかった。寄宿舎内は、学年を縦割りし
たハウス(house)と呼ばれる集団が基盤になっている。ハウス内での先輩・後輩の厳しい関係や役割
分担があるものの、ハウス内の団結は固く、生活態度、学力、スポーツなどを他のハウスと競い合
う中でさらに強い仲間意識や連帯感が形成される。現在、生徒の寮生活期間は 3 年間であるが、87
年の教育制度改正以前、生徒は5年から 7 年間の寮生活を送った。年齢で言えば 12 才から 23 才 8)
のまさに青年期をこの環境下で過ごしたわけである。そうして、内面化された同窓アイデンティテ
ィが、Perscoba の設立や「活動」に大きく影響を与えていくことになる。次の Perscoba 開設直後のメ
ールから、そうした同窓アイデンティティが読み取れる。
「我々のホームページ開設を心から歓迎します。本当にありがとう。本当に、よくやってくれ
た。
・・・・・・これで、我々のアソシエーションの団結がさらに高まることを期待しています。
私もそのために何か貢献できることがあれば喜んで協力させていただきたい。
・・・・・まずは、
手元にある同期のメールアドレスを提供します。
・・・(海外在住の同期の名前を出して簡単な
紹介をする)・・・ところで、君たち(管理人)は何期生ですか」(1997.12 ‘75 年卒)
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3.発起人 A とインターネット・コミュニティ設立
「私の心はいつもガーナと共にある」と、Aは言う。
Aはガーナ大学を卒業後、イギリス政府の奨学金を受けイギリスの大学院に留学した。奨学金は
一年間ものであったが、修士課程を主席で修了したAは教授の熱心な勧めで博士課程に進んだ。そ
して、修士課程を含めて 4 年間で動物遺伝子学の博士号を取得した。卒業後、数年間の予定でイギ
リスの研究機関に研究者として留まったが、「研究が発展し中断できなくなった」ので、そのままイ
ギリスに滞在し今に至る。現在、ロンドンにある医学研究機関で主任研究員として狂牛病などの病
原菌とされるプリオン(prion)の研究に携わっている。2002 年に研究の実績が評価され、イギリス政
府の医学評議会(Medical Research council)から終身雇用の認定を受けた。しかし、将来は帰国してガ
ーナの科学の発展に貢献したいと考えている。
家族は、
看護婦としてロンドンにある病院の超未熟児科に勤務するガーナ人の妻と高校生の長女、
そして中学生の長男の4人である。
ロンドン郊外の閑静な住宅街にある一戸建持家で暮らしている。
いずれはガーナに定住する予定で、
すでにガーナの首都アクラに土地を購入し家を建てた。
しかし、
一家が、あるいは夫妻が、その家に移り住むのはまだ先のようだ。その主な理由の第一は、Aの仕
事(研究)にある。Aが専門としているプリオンの研究は、90 年代に発生し世界的な問題となった狂
牛病により一段と注目され社会的必要性が高まった。Aが率いる研究チームが行っている研究は世
界の最先端を行くものであり、Aは研究をさらに発展させることに意欲的である。ガーナで同質の
研究を行うことは現状では不可能である(帰国後の有力な就職先として、日本政府の援助で設立され
た「野口英世熱帯医学研究所」を視野に入れている)。第二に、経済的な問題として、イギリスとガー
ナの賃金格差がある。「ガーナの関連研究機関に勤めた場合、給与は十分の一程度になる(2003 年現
在)。物価の違いを考慮しても4分の一程度である。少なくとも現在の半分の収入が保証されれば」
とAは言う。第三に、家族の問題として子供たちの教育への配慮がある。現在、二人の子供達が受
けているイギリスでの教育環境を変えたくないという思いが夫妻にはある。
こうした事情を補うかのようにAは、余暇をガーナ関連の社交や活動に充てている。毎月第三日
曜の午後に行われるセント・ピータース校ロンドンOB会には、
書記長として欠かさず出席している。
Perscoba 成立後は、詳細な議事録をサイトで報告している。別の日曜日に行なわれる「ガーナ人会」
の月例会も中心メンバーの一人として出席している。最近、又一つ、「ガーナの同郷人会」が発足し
た。同じ週末にイギリスの母校(大学院)の集まりがあったが、同郷人会を優先している。Aの研究
室では、毎週金曜日にパブに行くことが恒例になっているが、Aは特別な時以外は同行しない。A
がガーナ人仲間との交際を優先していることを、イギリス人をはじめとする部下の研究者たちは理
解してくれているという。
A は、大学や研究機関から講義・講演依頼や葬儀への参列などで、年に1、2回、ガーナに帰国
する。Aにとって、母国への帰郷は、母国が抱えるさまざまな「問題」を認識させられる機会でもあ
る。
以上、Perscoba 設立の背景、成員の母校・セント・ピータース高校、Aの生活、について述べて
8
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きた。これらを基に、Perscoba 設立の要因を整理しておきたい。
まず、Perscoba 設立のきっかけは、Aが言うように「母校の写真」である。ところで、私は、協力
隊でのガーナ滞在以来、25 年ぶりの 1998 年 10 月に調査でセント・ピータース高校を訪れている。
「写真」が撮られた翌年である。写真撮影後に、創立 40 周年の記念式典があり校舎のペンキ塗りが行
われていたため、校舎のたたずまいは、25 年前とあまり変っていないという印象を受けた。しかし、
建物の中は、確かに老朽化が進んでおり修理されずに放置されている壁、窓、天井などが目に付い
た。しかし、そのような光景は、ガーナでは決して珍しくないものである。そうした状態を問題視
し、心を動かされたAの「校舎観」は、母校在学中の 7 年間で形成された同窓アイデンティティに基
づいている。Aが学生であった頃のセント・ピータース高校は、ドイツ人神父である校長の下、キ
ャンパス内は、建物や備品の保守が常に心がけられていた。Aは生徒会長であったから、校舎の一
部の管理は彼の任務でもあった。当時の「校舎のあるべき姿」がAの価値観となっている。また、
Perscoba では、「写真」に関して次のようなメールがあった。いずれもAと同時代に学生生活を送っ
た同窓生であり、「校舎観」をAと共有している。
「・・ところで、サイトで紹介されている写真は、我々の母校の印象を悪くする。何とかな
りませんか・・・」(1998.5 ‘79 卒)
「・・・現状を紹介する写真はこのまま載せておくべきだと思います。・・・私は、母校の問
題を知って立ち上がる同胞が多いと信じています。すでに私の周りでは、このサイトができ
る前から母校の状況を知ったOBが教会を通じて寄付をしています」(1998.5 ‘72 卒)
第二の要因として、Aが 10 年以上関わってきたOB会活動の「見直し・強化」が考えられる。
Perscoba 開設直後に、Aが成員に宛てたメールで次のように述べている。
「・・・私は、活発に活動しているセント・ピータースOB会・ロンドン支部と世界中にい
るOBの皆さんを結ぶ役目を買ってでました。
・・・・・(1998.2)
Aが、中心メンバーの一人として関わっているロンドンOB会は、ロンド滞在の同窓生の数に比
して成員数が振るわず、さらに会費の滞納や会への出席者の減少などで、AはOB会運営の危機感
を感じていた。若い世代のOB会離れも気になっていた。Perscoba 開設は、母校支援活動を見直し、
強化するよい機会であった。
第三の要因として、インターネット・コミュニティという活動の形態が、「生活の現状維持」を望
むAに適していたことである。Aが現状維持を特に強く望んでいることは、(1)A 自身の仕事(研究)、
(2)現在の収入、(3)子供たちの教育環境、であった。インターネット・コミュニティでの「活動は、
これらにはほとんど影響を与えずにすむからだ。
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ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
Ⅲ.Perscoba・インターネット・コミュニティ
次に、Perscoba の Web サイトと、登録された情報から成員の居住地、年齢、職業を分析する。
そのなかで、成員の頭脳流出の状況を考察する。次に、Web サイトに表出したメールやファイルか
ら、Perscoba の「活動」を分析する。ここでは、インターネット・コミュニティが「可能にしたこと」
に注目して同窓生にとっての Perscoba インターネット・コミュニティの意味を考察する。
1.Perscoba の Web サイト
Perscoba インターネット・コミュニティを Web サイトから考察する前に、インターネット・コミ
ュニケーションのもつ性質の「匿名性」やインターネット上のテキストの信憑性についてまず、述べ
ておく必要があろう。インターネット空間には多種多様なコミュニティと呼ばれるサイトが存在す
る。現実社会では面識がない、不特定多数の者同士がつくる「コミュニティ」では、むしろ匿名性に
支えられているものも少なくない。匿名性やテキストの信憑性は、サイトを個々に検討する必要が
ある。
Perscoba インターネット・コミュニティに関しては、匿名性が用いられている可能性は低く、利
用したテキストの信憑性はきわめて高いものと判断する。その理由は、(1)成員は同窓生と教師に
限定されており、(2)入会時に提出する情報(氏名、セント・ピータース高校在籍年度、住所、電話
番号、メールアドレス、職業)は、ネット上で同期別に分類され、公開されている、(3)氏名、在籍
年度、メールアドレス以外の情報の提供は自由であり、不都合であれば提出する必要はない、など
である。また、これらの情報は、信頼度において現実社会での郵便やメールで登録される同窓生名
簿との大きな違いはないと判断し、以下の分析に用いた。
サイトは、個人情報の一部(住所、電話番号、職業)を除き、「公開されている」。しかし、「個人情
報の一部」の閲覧には、パスワードが必要である。この「ルール」は、管理人が成員に意見を求め、「Web
討論」の結果、決定したものである。本研究で、個人情報をデータとして用いることにあたっては、
管理人 A と K の承認を得た。
2.Perscoba インターネット・コミュニティの成員
1997 年に3人でスタートした Perscoba は、2000 年2月に 100 名に達し、2001 年3月には 500 名
を越し、2003 年3月 23 日には 693 名となっている。セント・ピータース校の 2002 年度までの卒業
生総数は 4948 名 9)見積もられるから、卒業生の7人に1人が Perscoba の成員であることになる。
Perscoba 成員は世界中に散在している(図1)。成員 693 名中、603 名の住所登録があり、そのうち 336
名 (55.7%) がガーナ国内に、267 名(44.3%)が国外に居住している。国外の主な居住先は、アメリカ
(138 名、国外居住者全体の 51.7%)、イギリス(55 名、同 20.6%)、カナダ(19 名、同 7.1%)、ドイツ(17
名、同 6.4%)、日本(6名、同 2.2%)、オーストラリア(5名、同 1.9%)、ノルウェー(5名、同 1.9%)、
10
比較人文学研究年報 2007
以下、2名(0.7%)が、ナイジェリア、ザンビア、南アフリカ、フィリピン、ニュージーランド、ス
イス、イタリア、スウェーデン、で、1名(0.4%)が、タンザニア、サウジアラビア、フィンランド、
トルコ、コンゴ、タイである。
図1.Perscoba 成員の居住国と人数
Perscoba 名簿より作成
上記の居住国から Perscoba における頭脳流出の状況を確認するために、成員の国外移住先を、
OECD(Organization for Economic Co-operation and Development : 経済開発協力機構)加盟国と非加盟
国に分類した。その結果、成員の滞在先は、OECD 加盟国であるアメリカ、イギリス、カナダ、ド
イツ、日本、オーストラリア、ノ
ルウェー、イタリア、スウェーデ
ン、イタリア、スイス、ニュージ
ーランド、
フィンランド、
トルコ、
が全体の 95.5%を占め、非加盟国
の合計は、4.5%にしか満たないこ
とがわかった(図2)。この結果は、
以下のように説明がつく。IMF(国
際通貨基金)の Carrington W.J. and
Detragiache Enrica(1998: 24)による
頭脳流出の調査によると、調査し
た 61 の途上国の、
ほとんどすべて
11
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
の国で、高等教育修了者は初等・中等教育修了者に比べて OECD 諸国への移住者数が多い。これは、
「OECD 諸国では、特別な技術を有する外国人の需要が増加しており、高度熟練労働者受け入れの
優遇措置や、留学生の就職に関する規則が緩和されている」(「OECD 諸国への移民は増加傾向」、
OECD 東京センター・ホームページ)」ためである。
同調査によると、「高等教育を修了した途上国出身者の OECD 諸国への移住先は、アメリカが過
半数の 54%を占め、オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツを加えると全体の 93%になる」と
なっており、Perscoba の状況はこれにほぼ準じていることになる。但し、Perscoba では、フランス
の代わりにイギリスへの移住者が多い。その理由は、イギリスはガーナの元宗主国であり、(1)英
語がガーナの公用語になっているため、留学や就労をする上で言語上の問題が少なくてすむ、(2)
ガーナの教育制度や内容は、イギリスの教育制度を基に発展してきたので、留学に際して教育制度
や教育内容を受け入れ易い、(3)イギリスにはガーナ人の留学生や移住者が多く、家族・親戚・知
人を通して留学の手続きや滞在がし易い、 (4)英連邦(The Commonwealth)、ブリティッシュ・カウ
ンセル(British Council)、英国援助諸団体などによる奨学金制度が設けられている、などが考えられ
る。
職業構成
次に、Perscoba 成員の職業を、同じく、頭脳流出の視点から分析・考察をする。成員 693 名中、
Perscoba の個人情報欄に職業/職種(図3:注1参照)の記載がある成員は 593 名で、その内訳は、学
生が 299 名(50.4%)、就労者は 287 名(48.4%)、残りは、元ボランティア教師7名(1.2%)である(図3)。
上記(「OECD 諸国への移民は増加傾向」、OECD 東京センター・ホームページ))のように「留学生の就
職に関する規則が緩和されており」、これら成員の学生は、今後、「頭脳流出者」になる可能性は高い
ことが推察できる。以下では、就労者についてさらに詳しく見ていくことにする。成員の職業を、「法
律・政治(3名、成員の全職業の1%)」「経済・金融(51 名、同 17.8%)」「医療関係(41 名、同 14.3%)」、
「技術系(86 名、同 30.0%)」「研究者(40 名、同 13.9%)」、「その他(11 名、同 3.8%)」「公務員、団体職員
(同 9.1%)」、「経営者、会社員(同 9.8%)」、「農業(0.3%)」と大分類し、このうちの、「法律・政治」、「経
済・金融」、「医療関係」、「技術系」、「研究者」、「その他」をさらに「専門的・技術的職業」とした。「そ
の他」は、個々の職業から判断した。ただし、登録された記載のみで適切に分類できるものでないと
いうことを付け加えておく(図3の「注」を参照のこと)。その上で、さらに考察を進める。「専門的・
技術的職業」の合計は、就労者の 80.8%を占める。さらに、「専門的・技術的職業」を職種の分野によ
り、大きく理系と理系以外に分類してみると(図4)、全体の 67.4%が、「理工系専門職」といえるもの
であることが分かる。これは、成員の母校・セント・ピータース高校が、理数科系の学生を多く輩
出していることを反映している。そして、「理工系専門職」が、頭脳流出をしやすい、つまり世界市
場のニーズが高い職種であるということを如実にあらわしている。
つぎに、職業と国外流出の関係を考察する。就労している成員で居住地が分かっている 268 名の
うち、国外居住は、その 53.4%(「国外」143 名、「ガーナ国内」125 名 )と、半数以上を占める。職業別
に「ガーナ国内」、「国外」で比較すると、国外に特に多いのは、「会計士」(国内9名、国外 18 名)、「医
12
比較人文学研究年報 2007
ガーナ
国外
(% 注 4)
(% 注 5)
居住地
大分類
法律・政治
経済・金融
専
門
的 医療関係
・
技
術
的
技術系
職
業
研究者
その他
職業
弁護士
政策アナリスト
会計士
システム/金融アナリスト
エコノミスト
経営コンサルタント
医師
歯科医師
獣医
薬剤師
医療技師
医療/安全コンサルタント
エンジニア
建築士
コンピューター関係
大学教官
科学系研究者
他分野研究者
編集者,同時通訳・翻訳業
グラフィックデザイナー、
キリスト教教会関係、パイロット
専門的・技術的職業の合計
公務員、団体職員
経営者、会社員
農業
教員
公務員(教員除)、団体職員
経営者,管理職
会社員、販売
農業
就労者合計
1 (0.8)
0 (0)
9 (7.2)
7 (5.6)
1 (0.8)
2 (1.6)
不明
合計
3
(1.0)
51
(17.8)
1
(0.8)
19
(15.2)
1 (0.7)
1 (0.7)
18 (12.6)
4 (2.8)
2 (1.4)
2 (1.4)
2
(1.4)
26
(18.2)
0
4 (3.2)
15
(12.0)
1 (0.8)
0 (0)
6 (4.8)
4(2.8)
0 (0)
24 (19.2)
38
(30.4)
4 (3.2)
10 (8.0)
7 (5.6)
17
(13.6)
9 (7.2)
1 (0.8)
3
(2.4)
8 (5.6)
1 (0.7)
1 (0.7)
6 (4.2)
4 (2.8)
2 (1.4)
30 (21.0)
2 (1.4)
12 (8.4)
4 (2.8)
9 (6.3)
6 (4.2)
22
(15.4)
4
41
(14.3)
44
(30.8)
4
86
(30.0)
19
(13.3)
4
40
(13.9)
8
(5.6)
0
11
(3.8)
121(84.6)
14
232(80.8)
93 (74.4)
3 (2.4)
8 (6.4)
15 (12.0)
5 (4.0)
1(0.8)
11
(8.8)
20
(16.0)
1(0.8)
4 (2.8)
10 (7.0)
4 (2.8)
4 (2.8)
0 (0)
6
14
(9.8)
8 (5.6)
1
0 (0)
0
0
26
(9.1)
28
(9.8)
1(0.3)
125 (100)
143 (100)
19
287(100)
188
0
3
20
93
7
4
20
18
0
2
51
299
7
9
91
336
267
90
693
学生
大学生、大学院生
元ボランティア教師
不明
その他
未登録
総計
単位:人、( )内の単位は%
図3.Perscoba 成員の居住地別職業構成 2003.3.23 現在
Perscoba を基に作成
注1.会員登録の職業欄(Occupation)をもとに作成したが、その記載方法は、職種、業種、所属機関名と様々
であるので、以下のようなことが考えられる、(1) 専門分野(例えば「生化学」など)での登録は、研
究者に分類したが、大学教官などの可能性もある(2)「customer service」や「manager」などは、「経営者、会社員」
としたが、業種が「専門的・技術的職業」に属することもありうる。
2.会社・所属機関名のみの記載で、職業の判定不能なものは「不明」とした。
3.「researcher」は研究者とした。
4.ガーナ国内居住の就労者全体に占める割合
5.国外居住の就労者全体に占める割合
師」(国内4名、国外8名)となっており、両職業とも国外の就労者が国内のちょうど2倍になってい
る。医師の国外流出はガーナにとり深刻な問題であるが、Perscoba でもその流出率は高く、住所登
13
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
録のある医師では 67% (12 人中 8 人)となる。「国外」より「国内」に特に多い職業としては、「経営者・
会社役員」〔12.0% (国内)/2.8% (国外)〕、「建築士」(同 3.2/1.4)、「大学教官」(同 5.6/2.8)、「システム・金
融アナリスト」(同 5.6/2.8)などである。「経営者」の中には、管理人K(Ⅳ−1)のように、海外で習得
した知識や技術を生かし、母国に戻り起業をする成員の存在が推察できる。就労者に対する「専門
的・技術的職業」の割合は、「国外」(84.6%)が「国内」(74.4%)より高い。
以上見てきたように、Perscoba 成員の職業構成では、「専門的・技術的職業」に分類されるものが
約8割を占め、その半数以上(121/214 名)が国外就労である。以上のことから、Perscoba、明らかに
頭脳流出の状況にあるといえる。
図4.Perscoba 成員の職業構成グラフ 図 5 より作成 (単位:%)
年齢構成
次に、Perscoba 成員の年齢構成を考察する(図5)。グラフは、卒業年度ごとの成員数と Perscoba
加入率をそれぞれ棒グラフと折れ線グラフで表したものである。卒業年度ごとの現在の推定年齢は、
「注2」の方法で算出してある。Perscoba の成員の年齢は、20 歳から 60 歳までと、40 歳の年齢差が
ある。成員数は、年を追うごとに、入学学生数の増加に伴って増加している。Perscoba への加入率(成
員数/卒業生数)は、0∼30%の間に分布し、1975 年から 1977 年(現在の推定平均年齢 47-45 歳)と、
1987 年から 1993 年(同 35-29 歳)に顕著なピークがある。前者は、Perscoba の創設メンバー(A、Kと
もに 1979 年卒)の世代であり、Perscoba を設立し、積極的に「活動」をしている成員の世代である。
後者は、就職し、仕事に慣れ、生活が安定してきた頃の世代か。職業で見てきたように Perscoba 成
員の多くが、「専門的・技術的」職種に就いており、コンピューターへのアクセスには恵まれている
状況にあると推察できる。
14
比較人文学研究年報 2007
こうした、年代の異なるグループが、インターネット・コミュニティでどのような関係を構築す
るのだろうか。それは、現実社会での「力関係」を維持するのか、それとも再構築されるのか、今後
のインターネット・コミュニティ研究の課題のひとつでもある。
(%)
(人)
60
50
35
成員数
30
加入率(成員数/全卒業生数)
25
40
20
30
15
20
10
5
0
0
(60歳
)196
2
1963
1964
1965
(55 歳1966
)
1967
1968
1969
1970
(50歳1971
)197
2
1973
1974
1975
(45歳1976
)197
7
1978
1979
1980
(40 歳1981
)
1982
1983
1984
1985
(35歳1986
)
1987
1988
1989
1990
(30歳1991
)199
2
1993
1994
1995
(25歳1996
)199
7
1998
1999
2000
(20歳2001
)200
2
10
成員のセント・ピータース校卒業年度と現在の推定年齢(注2)
図5 Perscoba成員数 と卒業年度別加入率(成員数/卒業生)
Perscobを基に作成
注)1.卒業生数については本文の注9参照のこと。
2.推定年齢は、次のように算出した。旧学校制度下、セカンダリースクールへの入学者の年齢は、小学校から直
接入学する生徒では12才、
中等学校に在籍してから入学する生徒では14歳から16歳と4歳の開きがあった(セ
ント・ピータース校は入学年齢の上限を 16 歳としていた)。ここでは、12 歳と 16 歳の中央値の 14 歳を入学
年齢、O-レベル卒業年齢を 19 歳として、推定平均年齢を算出した。
3.1995 年以降は新学校制度における卒業生であるが、入学時の年齢は、同校では 15 歳から 17 歳であるので、
中央値をとり 16 歳としたため、平均卒業年齢はセカンダリースクール時代と同じ 19 歳となった。
3.Perscoba の「活動」−インターネット・コミュニティが可能にしたもの
Perscoba インターネット・コミュニティの「活動」は、主に、メーリング・リストやファイル(OB
会)などのテキストを媒介して行われている。ここでは、Perscoba のメーリング・リストのメールや
ファイルを分析して Perscoba の「活動」を考察する。まず、メールをその内容により、「Perscoba 運営」
(小分類あり)、「母校支援」、「母校情報」、「OB会活動」、「Perscoba により発足したOB会、同期会」、
「葬儀」、「個人・グループの連絡」、「Web 討論」「その他」と、小分類した(図6)。さらにこれらを4
つに大分類し、以下、それぞれについて分析をし、「インターネット・コミュニティにより、何が可
能になったのか」の視点で、インターネット・コミュニティとしての Perscoba の特徴を考察する。(7)
まず、Perscoba の運営に関する諸問題および会費に関するメールをまとめて「Perscoba の組織作り」
15
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
(28%)とした。そもそもインターネットの存在なしには、Perscoba 規模の同窓会の設立は不可能であ
ったであろう。同窓生とはいえ、世界に広く散在している年代の異なる同窓生の住所を集めること
図6.Perscoba メールの内容分類 1997.12-1998.12,2000.1−2002.12 のメールを基に作成
注)1.原則として、1 メール1話題とした。話題は、「件名」に頼らず、メールの文面全体から判断した
2.メールは、調査者が Perscoba に入会した 2000、12 以降のものを対象にしているが、それ以前のも記録として保存されてい
たものも対象にした
3.個人宛のメールが増加したため、2002 年度より管理人の判断で、個人宛のものは全体には送付せず直接関係者に送付され
ることになった。そのため、成員全体へ送られるメール数は減少した。したがって。特に葬儀関連は、さらに多くのメー
ルが関係者間でやり取りされているものと思われる。
16
比較人文学研究年報 2007
だけでも容易なことではない。そもそも、セント・ピータース高校では、卒業生の卒業後の動向は
把握しておらず、第一期生から通した卒業生名簿も、存在していない。今後、Perscoba の成員リス
トが、同校の同窓生名簿作成の原簿となる可能性もある。また、仮にインターネットがなかったと
したら、例え同窓生の住所録があっても、郵便など他の通信手段を利用しでは、インターネットと
同質(運営に関する意見交換、情報の配信、情報へのアクセスなど)あるいは同規模(成員数)の会の発
足・運営は、不可能である。また、メールの内容からわかるように、Perscoba の組織つくりや運営
が成員の参加のもとに行われている。このことは、Perscoba インターネット・コミュニティの大き
な特徴である。
次に、「母校支援」(15%)と「母校情報」(13%)をあわせて「母校関連活動」(28%)とした。本項目は、
Perscoba の設立目的であり話題の件数が多い。10 年前の学校創立 40 周年の寄付集めに比べ、今回
の創立 50 周年の広告は、Perscoba により世界に発信されている。Perscoba では、創立 50 周年式典
関連の情報、関連するOB会の役割やOB回主催の企画がもっとも多くスペースをとって掲載され、
募金が続けられている。「母校の情報」は特にガーナ国外にいる同窓生には楽しみなものである。科
学・数学コンクールやスポーツ大会の結果の速報の後には、懐かしさや興奮を隠し切れない感想を
綴ったメールがある。報告の投稿の直後に、読者の反応を共有できるのも特徴である。セント・ピ
ータース高校の校長が Perscoba を通じて同窓生にスポーツ用品の寄付を募り、それに対してイギリ
スからの寄付が成立したこともあった。こうしたサイトの活用は非常に有効である。
「OB会活動」と「Perscoba により発足したOB会や同期会」を合わせて「同窓会活動」(20%) とした。
セント・ピータース高校のOB会は、ガーナの首都アクラに本部を置き、ロンドン支部と連携して
事業を進めてきたが、Perscoba により、アメリカにも支部が設立された。さらに、同期会開催、開
催後の同期会の結成も行われた。こうしたアメリカOB会や同期会の発足に向けてのメール数は、
既存のOB会関連のメール数に匹敵する。こうした動きが盛んに行われたといえる。既存のガーナ
OB会(アクラOB会ともいう)とロンドンOB会支部の交流や事業協力も効率や質が高まった。両
OB会とも定期的に会合を開き、詳細な議事録をサイトで公開している。
Perscoba 開設前、両OB会は手紙で連絡を取り合っていたが、郵便の遅滞や連絡の不徹底などで
コミュニケーションは滞っていた。公開された両OB会の議事録の内容を比較してみよう(図7)。
ガーナOB会の「ロンドンOB会からの報告」や、ロンドンOBの「母校支援」から、両OB会が連携
しながら事業に取り組んでいることがわかる。Perscoba で情報交換をするようになってから、オフ
ライン(コンピューターなどの電子機器がネットワークに接続されていない状態、ここでは「現実社
会」での活動)ミーティングも増えた。Perscoba で逐次、お互いの活動を把握しているので、成員が
ガーナへ帰郷したり、逆にガーナ在住者がロンドンを訪れる折には、相手のOB会に出席したり同
窓生に会うことがし易くなった(メールから)。また、本部OB会は、母校での行事・「ホーム・カミ
ング」会の案内や初代校長の追悼式・葬儀の通知を国外の同窓生に流すことが出来た。
17
ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
OB会
議題
件数
割 合
(% )
ガーナ
OB会
ロンドン
OB会
・葬儀(家族・友人の葬儀の報告、会葬・香典の礼、追悼式の案内)初代校長の追悼
式・葬儀について(献金集め、追悼記念事業)、
・母校の情報(行事、学校の問題、各種大会・共通テスト成績、 SP 校評議会の報
告、)
・OB会運営(評議員選出、会費、総会など)
・「ホーム・カミング」会について (注2)
・ロンドンOB会からの報告
・その他
・葬儀(家族・友人の葬儀の報告、会葬・香典の礼、追悼式の案内、初代校長の追
悼式・葬儀について(献金集め、追悼記念事業、アクラOB会との連携など)
・母校支援(セント・ピータース校から運道具寄付依頼、ホーム・カミング会な
ど)
・ガーナ情報(メンバーの帰国報告、母校情報など)
・Web サイトの維持 *管理人 A がロンドンOB会の主要メンバーのため
・会の維持、会費集め、出席、連絡など
・クリスマスパーティなどの親睦会についてなど
・その他
9
27
7
6
5
2
4
21
18
15
6
12
10
29
6
4
4
4
3
3
17
12
12
12
9
9
図7.ガーナ/ロンドン両OB会議事録の内容
Perscoba の「議事録(2001.12∼2002.11)」を基に作成
Perscoba の働きかけで、アメリカOB会支部が設立されたことは注目に値する。Perscoba 設立当
初、成員の居住地が距離的に離れているため、アメリカOB会の発足は難しいだろうといわれてい
た。しかし、Perscoba で準備を進めアメリカOB会を設立させた。最近のアメリカOB会は、地理
的な問題を克服すべく家族同伴一泊で行われたことも報告されている。他にも Perscoba により同期
会が成立している。Perscoba が可能にした詳細な議事録の公開が、各OB会や同期会の活動・運営
をさらに推進しているともいえる。以上から、Perscoba は、既存のOB会活動を補填・強化・拡張
しているといえる。
最後に、以上の分類に入らないすべてのメールを「生活・社交・冠婚葬祭」(31%)とした。これらは、
同窓生の多くが共有する「日常」であるからこそ、Perscoba 設立の主旨に直接関わる事柄ではないが、
自然に「活動」に加わったものであるといえる。Perscoba が伝統的共同体でいう「相互扶助機能」(『葬
儀』
、
『 結婚式の案内』
、
『出張先の宿泊先捜し』)や「情報交流機能」(『ガーナの近況』
、
『 恩師の消息』
、
『他校の情報』
、
『同窓生情報』)の「場」を提供しているともいえる。紙幅の都合で、本論では詳しく
は触れないが、「葬儀」はガーナの人々が日常で最優先する慣行の一つである。Perscoba はこうした、
同窓生がその価値を維持しているが地理的な制約で、インターネット空間抜きにはその実施が不可
能であったことを、「かたちを変えて」可能にしたといえる。
以上見てきたように、Perscoba でのメールの分類から分かったインターネット・コミュニティと
しての Perscoba の特徴は、(1)Perscoba の組織づくりや運営が成員の「参加」のもとに行われ、(2)
母校の情報をオンタイムで共有でき、(3)既存の活動(OB会)を補填・強化・拡張し、(4)あらたな
サブグループの発足(OB会支部、同期会、オフライン)を促し、(5)同窓生の中に維持されているが、
18
比較人文学研究年報 2007
地理的な制約で実行できなかった慣行などの実施、あるいは「かたちを変えた実施」の場を提供して
いる、などである。
Ⅳ.頭脳流出と Perscoba
Ⅲで、確認できたように、就労している Perscoba インターネット・コミュニティの成員の約半数
が、頭脳流出の状態にある。また、成員の半数を占める学生や、ガーナ国内に留まっている成員に
とっても、頭脳流出は身近な問題であると推察できる。ここでは、Perscoba での Web 討論や管理人
の動向、ガーナ滞在の医師の活動などから、Perscoba の成員が頭脳流出についてどのような考えを
持ち、それがどう Perscoba の活動と連関しているのかを考察する。
1.頭脳流出問題と Perscoba
Perscoba が成立して間もなく、メーリング・リストでの頭脳流出の話題が、「Web 討論」へと発展
したことがあった。発端は、ガーナの公務員給与に不満をもち、国外への出稼ぎを考え始めた国家
公務員Hが出した「間違メール(個人宛メールを誤って Perscoba 全体に流してしまった)」であった。
Hの生き方を支持する者、つまり頭脳流出「擁護派」と「反対派」に分かれ、白熱した意見交換がネッ
ト上で行われた。議論の展開には非常に興味深いものがあるが、内容の分析は別の機会に譲り、こ
こでは同窓生の祖国ガーナへの想いが表出している部分にのみに注目して紹介する。
政府の重要ポストを辞職し、国外への出稼ぎを考え始めたガーナ在住の元大学教授H(40 歳代後
半)に対し、イギリスの大学院に留学中のE(40 歳代前半)が出したメールを要約すると次のようにな
る。
私は今、経営学修士課程で学んでいますが、この知識を母国の再建にいかに生かすことがで
きるかを考えています。あなたは、ガーナの公務員の待遇に不満で、重要なポストである現職
を去り国外に職を求めようとしています。人生を享受するために、あなたがどのような選択を
されようと自由であり、あなたのお考えに完全に反対するつもりはありません。ただ、私達の
国には、改善されなければならない問題が山積しており、私たち『人的資源』が求められてい
る、ということを言わせていただきたいのです。現在、先進国といわれる国々でも、今日を築
き上げたのは、
『人的資源』であり、多くの人の犠牲が払われてきたということに異論はないと
思います。あなたのような優秀な方が、国を見捨てたらこの国の状況はますます悪化してしま
います。私達は、子孫のためにガーナの再建を担う義務があるのです。母国をどのように変え
られるか、やってみようではありませんか。私達『人的資源』しか祖国を変えられないのです。
このメールへのHの返事を要約すると次のようになる。
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ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
私はガーナ人であることを誇りにし、親愛なるこの国の発展に寄与したいと思っています。
しかし、そうすることを可能にする健全な精神の状態が必要なのです。残念ながら、現在のガ
ーナの賃金レベルは極めて低く、それが精神の低下を招き、頭脳流出の原因となっています。
欲求不満は人生を台無しにします。私達は、どこに住んでも、ガーナの発展に貢献することが
できます。愛国心についての考え方は、時代により変化してしかるべきだと思います。
ガーナ在住者からは先のEに同調する意見、つまり個人の犠牲を払っても母国の発展に貢献すべ
きだという趣旨のメールが数通あり、海外からは、「個人の福利が国益に優先されるべきだ」という
意見が続いた。後者の一人、M(40 歳代後半、イギリス在住)の次のメールには、移住者の複雑な気
持ちが表れている。
(Eに対して)君の愛国心は立派だ。(中略)しかし、H氏一人では、ガーナの事態を変えること
はできません。国外に出られないという欲求不満は少しずつ人間を墓場に導きます。地球のど
こにいても、H氏はガーナの発展に様々な方法で貢献できるのです。彼が望む生活の向上を、
我が愛する、しかし残念ながらリーダーに恵まれない祖国の犠牲にしてはならないのです。
・・・
とは言うものの、多分、私はよく分かっていないだけなのかもしれません(…Or maybe, I’m just
confused)。誰か、私のこの混乱した気持ちを整理していただけませんか・・・」
Mのこの気持ちの迷いには、「頭脳流出」を肯定することの「正論」を述べたものの、自分が海外に
移住してしまっていることの「後ろめたさ」が露呈している。このあと、Mに直接応えるメールはな
かった。そして、頭脳流出の是非を論ずることを避け、「OBの知識や技術を生かした起業案」など
に話題が移った。ガーナ在住の一人から「国外の仲間もガーナの再建のために腐心、努力してくれて
いることが分かった。このサイトの管理人たちがそのいい例だ」というメールがあり、Web 討論は
自然に幕を閉じた。
この Web 討論では、表面的には「地球のどこにいても祖国の発展に貢献できる」とのコンセンサス
が得られたが、一方では、移住者が共有する「後ろめたさ」が浮き彫りになった。グローバル化やボ
ーダーレス化が進み、人が国境を越え移動し仕送りをして留守家族を経済的に支援する事が日常的
に行われるようになったが、それだけでは祖国を離れている自分を正当化できないものが、知識人
の中にある。Perscoba の成立は、こうした移住者のジレンマ克服のための対応策のひとつであった
とも理解できる。
頭脳流出について、管理人Aは、次のように考える(私宛のメールから)。
・・ガーナに帰国して考えさせられることは、特に専門職にある人々の『勤労意欲の低さ』
です。私の観た範囲では、例えば、給料は払われているものの機材不足のため仕事(研究)がで
きない研究者、逆に、不本意な報酬のため勤労意欲が低い教育関係者、又、友人の職場では一
台のコンピューターを何人もが行列を作って使用するが、反応が遅くすぐにハングアップして
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比較人文学研究年報 2007
しまうので、みんな仕事にならないといったような状況でした。
残念ながら今のガーナは、専門職にある人がその技術・知識を効果に貢献できる状況にはあ
りません。ですから、今、帰国するということは私たちの才能や西欧で獲得した知識や経験を
無駄にしてしまうことになるのです。どう考えても、その選択には意味がないのです。西欧で
の安定した仕事を捨て、研究すらできないような母国に今戻ろうと人は考えるでしょうか。そ
れより自分の仕事(研究)に有利な場に留まり、例え微力でも確実に母国のためになることをし
た方が賢明だと思うのです。
私にとって、ガーナで講演をしたりすることは小さな一歩ですが、
確実に自分の進むべき方向に向かっていると思っています。
自分に内在する愛国心と現状のリアリティのバランスが必要です。もしガーナ政府が、国外
にいるガーナ人専門家に滞在先で彼らが受け取っている報酬の半分を出すといえば、ガーナか
らの頭脳流出者の大半は喜んで帰国するでしょう。私としては、家族にとって最も都合のよい
時期を見計らって帰国する予定です。それからでも、私は十分、母国に貢献できると思ってい
ます。その日が来るまで、今の私にできることがあれば何でも、ガーナに貢献できる機会を逃
さないようにしていきたいと思っています。
ガーナの友人の多くが、既にガーナに家を建築して帰国の準備をしています。今、あわてて
帰国し不満を抑えて暮らすより、
経済的な問題を幾分でも解消しさらに専門分野の経験を積み、
技術をより高めてから帰国し、ガーナでの生活を享受し仕事に専念する方が、ガーナにとって
もよいはずです。ガーナ政府もこの状況を理解し準備を始めています。ホーム・カミング(Home
coming)と呼ばれる企画はその一つです。
但し、「ホーム・カミング会」とは、国外では、アメリカやイギリスでガーナの在留大使館が主催
して行う在留ガーナ人を対象とするガーナの開発・発展に関する公聴会である。ガーナ国内におい
ては、国外で活躍するガーナ人を招いての講演会などで、Aは、企画の初期に講師として招かれて
いる。ガーナへの交通費等は自前であった。
A は、「自分に内在する愛国心と現状のリアリティのバランスが必要」であるという。Aにとり、
「Perscoba での活動」は、「バランスをとる」ための活動の一つである。それは、「その日が来るまで、
今の私にできることがあれば何でも、ガーナに貢献できる機会を逃さないようにしていきたいと思
っています」というAのひとつの実践の場である。
一方、管理人Kは Perscoba 創設後、子供がアメリカの大学に入ったのを機にアメリカの大手コン
ピューター会社を退職し、ガーナに帰国した。ガーナにコンピューター会社を設立し、途上国向け
のソフトの開発なども手がけている。家族のいるアメリカとガーナの二重生活である。彼がAの提
案に共感し、かなりの時間と労力を費やしてサイトを開設したのも、アメリカ社会へ偏重していた
帰属のバランスを求めていたからこそできたのではないだろうか。しかしながら、ガーナに帰国し
たKにとって 20 年ぶりの母国への適応は、予想以上に困難なようだ。「サイトに掲載する写真撮影
のため母校に向かうが、途中、予告もなく主要道路が寸断されていて大きく迂回することを余儀な
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ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
くされる−ガーナの道路事情、管理責任、時間の概念への疑問や不満」、「九死に一生を得た久しぶ
りのマラリヤ闘病記」、「会社のガーナ人部下たちとの仕事観の大きなズレ」などが Perscoba を通じ
て伝わってくる。その後、2006 年にKはガーナでの仕事をあきらめてアメリカに戻った。この理由
と彼の想いが次のメールから分かる(私宛のメール 2006.7)。
『仕事』をした後の集金がこれ
(略)・・ガーナで『仕事』をするのは大変です。そのうえ、
また一仕事なのです。例えば、私はあるガーナの会社からの注文に応じ、このような HP(2つ
のアドレスを添付)を設計デザインしましたが、両社とも2年たった現在、代金未納のままで
す。
・・・・非常に残念なことです。
・・それでも、私はガーナで暮らしたいと思っています。
しばらく、ガーナを空けますが、
・・・・とりあえず、今、私に出来ることは自分の持っている
技術を Perscoba のために提供することです。いま、ディスカッション・フォーラムの準備をし
ていますが、思いのほか、準備に苦戦しています。
一度、国際人となったエリートたちにとって、祖国への帰属を再構築することは容易ではない。
それは、単に、移住先で過ごした時間の長さや距離的な隔たりによるものではない。彼らが、その
高学歴や高度専門職をもって先進諸国に受容され生活するなかで獲得する生活様式や価値と祖国の
ものとの間に、大きなギャップが生じるためである。
さまざまな理由で頭脳流出者のナショナル・アイデンティティがゆらいでいる。その理由は、(1)
地理的・時間的な隔たり、(2)祖国の政治・経済状況への不信や不満、(3)生活様式や価値観の違い、
などである。しかしながら、それでも断ち切ることができない祖国への熱い想いが知識人のなかに
ある。
Perscoba は、そのような知識人のジレンマの中で設立され、同窓生の支持を得てきた。それは、
かれらのナショナル・アイデンティティがゆらぐ一方で、Perscoba は頭脳流出者を支える教育アイ
デンティティを根幹に持つ同窓意識に根ざしているからである。同時に、情報テクノロジーという
やはりかれらの教育アイデンティティに根ざした近代技術を媒介にしているからである。
2.ガーナ在住成員と Perscoba
最後に、ガーナ在住者の頭脳流出問題に Perscoba がどのように関わっているかという一例を挙げ
ておこう。セント・ピータース校OBでガーナ大学医学部の医師と研修医、総勢 8 名が、母校に出
向きエイズや健康管理をテーマに講演会とワークショップ、医療相談会を行った。有志がボランテ
ィアで行ったもので今後もこのような活動を定期的に行うという。その詳細な報告が Perscoba で伝
えられ、反響は大きかった。ガーナ人医師の海外流出は深刻であるがゆえに、こうしてガーナに踏
み止まり医療活動を続ける若い医師や研修医に激励のメールが続いた。医師としてアメリカ在住の
成員からは、医薬品提供の申し出があった。この講演会で使用されたパワーポイント資料に関心を
示したカナダ在住の社会学者もいた。この事例では、Perscoba により、ガーナの成員の活動が国境
22
比較人文学研究年報 2007
を越えて紹介され、国際的に評価された。ガーナと先進諸国の賃金格差は大きく、このような「活動」
だけで医師の流出が抑えられるとは決して思わないが、Perscoba でのこの反響は、8人の医師や研
修医にとって、ガーナ国内に留まり活動をすることの励みになったに違いない。国内に留まるべき
か否かで医師らのナショナル・アイデンティティがゆらぐ中、国際人となり海外で活躍している同
窓仲間からの激励や評価という、同窓アイデンティティの強化が同窓生の頭脳流出問題の緩和につ
ながると考えてもよいのではないだろうか。同時に、国外の同窓生にとっても、医薬品の提供など
でガーナ在住仲間の活躍の一端を担うこと、メールを出して評価を表明すること、あるいは同窓仲
間のこのような活動を知ること自体が、自分たちの同窓アイデンティティの確認と強化になってい
るといえる。
同窓生の頭脳流出問題と Perscoba の関係を見てきた。Web 討論での白熱した議論や、管理人たち
の生活姿勢、ガーナ国内の医師の活動に対する同窓生の反響の大きさに、同窓生の頭脳流失問題へ
の関心の高さと祖国への複雑な想いが表れている。同窓生はサイト上では、「同窓意識」を最優先さ
せ、母校支援活動に終始しているかのように思われるが、その背景には祖国ガーナの国益と自分の
福利のバランスでジレンマを感じていることが分かる。同窓生の Perscoba への参加や活動は、こう
してゆらぐ同窓生のナショナル・アイデンティティに代わって、同窓アイデンティティを強化する
ことである。こうした同窓アイデンティティの強化は彼ら流の祖国へのアプローチでもある。こう
して国際人となった頭脳流出者と祖国、そして祖国に居住する同窓生とを結び付ける「場」として
Perscoba インターネット・コミュニティは、重要な役割を果たしていることが明らかになった。
おわりに
アフリカの情報化時代におけるひとつの動態として、ガーナの頭脳流出者による母校支援のイン
ターネット・コミュニティを報告することができた。本論で論じた「インターネット・コミュニティ」
は、「現実社会」と密接に「連続し」、「つながり」を持ったものであり、成員たちが抱える頭脳流出問
題への対応策のひとつの「場」になっていることが明らかになった。
「問題が山積した」母国を離れ、国外で生活するガーナの頭脳流出者には、「愛国心と現実のリアリ
ティのバランス」でジレンマがある。そうした成員たちにとって、Perscoba の設立や「活動」がその対
応策のひとつになりうるのは、(1)ゆらぐナショナル・アイデンティティにかわり、成員が共有す
る同窓アイデンティティにも基づくものであり、(2)インターネット・コミュニティの性質から、
成員の「実際社会」での生活を維持したまま「活動」が可能であり、(3)Perscoba での「活動」は逆に、「実
際社会」での活動につなげることができる、からである。
本研究は一方、インターネット研究のひとつの試みでもある。インターネットはすでに、私たち
の日常に「埋め込まれ」ており、「インターネット空間」の研究は、「現実社会」と切り離しては成立し
ない。本研究においても、同窓生の「現実社会」と Perscoba の「活動」において次のような「つながり」
があきらかになった。Perscoba インターネット・コミュニティは、(1)OB会などの既存の活動を拡
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ガーナにおける頭脳流出とインター ネット・コミュニティ
張・補填・強化し、(2)あらたなサブグループ(同期会など)やオフライングループを創出し、(3)地
理的な制約から実施することが難しくなっていた、しかし、同窓生の中にその価値が維持されてい
た慣行などの実施、あるいは、形を変えて実施することを可能にした。今後、こうしたインターネ
ット・コミュニティの民族誌の記述を重ねることにより、その「コミュニティ性」を論じることがで
きるようになるのだろうと思う。
Perscoba が開設されて今年で 10 年になる。その間、メーリング・リストで活発に「活動」が行われ
た期間、オフラインを余儀なくされた期間があり、そして現在は、オンではあるが、ディスカッシ
ョン・フォーラムがまだスタートしておらず、多対多のコミュニケーションが途絶えている。2007
年 10 月には、母校創立 50 周年を迎える。Perscoba 設立の目的は、この事業を支え、一緒に祝うこ
とである。あと、半年。どのような「活動」が再開されるのか、あるいは「静かなまま」50 周年を迎え
てしまうのだろうか。Perscoba インターネット・コミュニティの一成員として「参与観察」を続け、
Perscoba のあらたなる展開をあらためて論じたい。
註
1)
ガーナでは、大都市のみならず、地方の中都市や町にもインターネットカフェが普及している。料金もバス代
程度の金額で手軽に利用でき、特に若い世代の利用者が多い(2006 年3月調査時のインターネットカフェの利
用料金は、首都のアクラ(Accra)では 3000∼10000 セディ/ 時間であった。(cf. 1円=78 セディ(cedi)に対して、
乗り合いバス1区間 2000 セディ∼、パン大(20cm∼30cm 位の食パン)1本 3000∼5000 セディ、日刊紙 4000 セ
ディなどであった)
2)
IMF の Carrington W.J. and Detragiache Enrica(1998)は、既存のデータを駆使し、61 の発展途上国から OECD 諸国
への教育レベル別、移住状況を数値化した。それよると、ガーナの高等教育修了者のアメリカへの移住は、
15.1-18%であり、アメリカ以外の OECD 諸国へは、25.7-34.6%であり、合計は 40.8-52.6%になる(数値の開きは
用いた複数のデータの違いによる)。(データの不備が指摘されている)アフリカ 諸国の中では最も高い。但し、
ナイジェリアはデータの不備から統計に含まれていない。
3)
ガーナの公立学校では、教師の派遣や、教師の給与、教科書と一部教材の支給は政府が行うことになっている
が、その他、学校が必要とする資金や物品の支援は各支援団体(キリスト教各派、地方自治体、NGO など)が行
っており、その支援団体(あるいは関連)の名称が学校名になっていることが多い。
4)
西アフリカ英語圏5カ国(ガーナ、ナイジェリア、シエラレオーネ、ガボン、リベリア)により組織され、5カ
国共通の中等教育卒業認定試験実施機関。
5)
但し、学校への納入額は、学費の他に PTA 会費、教科書使用代、スポーツ費、施設管理費など、学校毎に異な
る諸経費が加算されるため、総納入額は学校差がある。
6)
60 年代から 70 年代前半までは国外のボランティア教師が多く滞在し、理数科を担当することが多かった。特
に、第二代校長は物理学が専門であったことから、出身国・ドイツから援助を取り付け理数科施設を充実させ
た。90 年代になり校長をはじめ教師のほぼ全員がガーナ人になったが、理数科教育の高いアカデミックレベル
は維持されている。
7)
数学クラス 16 名中、Perscoba に加入しているのは3名で、内2名がアメリカの大学院に留学し、博士号を取得
している。一人は医学博士としてカナダに住み、もう一人はアメリカの大学で工学部の教授となって教壇に立
24
比較人文学研究年報 2007
っている。残り一人は、ガーナの大学で数学を専攻後、ザンビアで UN ボランティアとして数学を教え、現在
は帰国して家業の運送業を継いでいる。
8)
入学時の生徒の年齢は、(1)小学校から直接入学−12 才、(2)中等学校の3年次終了後−15 才、卒業後−16 才、
とさまざまであった。セント・ピータース校では16才までと入学者の年齢制限をしていたが他のセカンダリ
ースクールではこの通りではなく、入学時の年齢にさらに開きがあった。
9)
調査した限りでは、同校には卒業生総数の統計は存在しなかった。そこで、2003 年に当時のセント・ピーター
ス高校の校長から入手できた 80 年代以降の入学者数と、卒業生(60 年代卒業)から入手した情報をもとに、卒
業生数を推定した。
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