ロンドン便りー23ー 夏のロンドン、国民投票の行方 元暁会員 伊藤庸夫 夏のロンドン 夏も終わったかなと思われるロンドン、公園のリスが木の実を懸命に探している。9 月には栗が実を つけ下に落ちるのは待っているのだろう。久しぶりにリッチモンドパークを歩いてみた。ロンドンに赴 任した時に住んでいたキューガーデンからも歩いて行けるが、その日はリッチモンドの駅から歩いてみ た。坂の上がりを歩いて 20 分、晩夏の太陽は汗ばむほどであるが公園を吹き抜く心地よい風は体には 優しい潤いを与えてくれる。 車道の巡回路は一周約 20km、公園内には緑の木々、芝の草っ原、そし て中央にあるイザベラ公園があり四季の花を愛でることができる。そこに辿り着くには最低 3-4km は 歩く必要がある広大な公園である。テイールームは一カ所しかない。ペットボトルの水は持って行かな ければならない。トイレは公園の 4 隅の入口ゲートにしかない。我慢できなければ鹿しか見ていない野 っ原で用を足さなければならない。東京でいえば山手線の中半分ぐらいの広さであろうか。東京の中心 部がすべて自然の公園であることを想像してみてください。 夏の終わりの土、日、月曜日は英国では珍しい 3 連休となっている。月曜日はバンクホリデイーとい い銀行が休む日からこの名前がついている。この日はリッチモンドゲートからシーンゲートまでの約 8km の散歩である。多くの散歩族が道なき道を歩いている。疲れれば草っ原で一休憩 360 度広大な緑 を見ているだけで心が安まる。しかしこの静寂な環境も果たしていつまで保存維持されていくのであろ うか。 この静寂とは裏腹にロンドン西部のノッチンガムヒルでは恒例のお祭りノッチンガムカーニバルが 行なわれていた。1960 年代英国は労働力不足から英連邦の 3 国(インド、パキスタン、ジャマイカ)から 移民を受け入れた。その中のジャマイカ系黒人を中心にカリブ海諸島の移民がブラジルのカーニバルを まねたカーニバルを開催したのは 1966 年からである。今でこそノッチングヒル地域は映画ノッチング ヒルの恋人で有名となり今や高級住宅地となっているが、その当時はジャマイカ系の黒人が多く住む移 民の町であった。それから 50 数年たった今果たしてこの高級住宅地化したヒルでのカーニバルが適切 なのか、町の住民といっても殆どが外国からの富裕層が主体の町に 50 万人もの黒人はじめ移民が練り 歩くのは場違いとなっている。ここ数年はおまけにフーリガンが暴れ毎年 4-500 名もの逮捕者が出るイ ベントになり、来年からどこでカーニバルをやるのか主催者側、警察、住民で協議することになった。 候補地はハイドパークになる可能性が高い。ロンドンの町が変質しているのが如実にわかるイベントで ある。 英国の夏は 6 月恒例のウインブルドンのテニスに始まり、9 月初めの Prom の最終日で終わる。この 間英国面目躍如のイベント、話題、を追ってみよう。 ① ウインブルドンテニス 1 年を 2 週間で過ごすいい男とは日本の相撲取りのことをいうが、このウインブルドンのテニスは 僅か 2 週間のトーナメントのため 1 年かけて芝を手入れし行う贅沢なスポーツ。初日はグリーン鮮 やかなコートも決勝戦では半分は踏み固められて茶色になってしまう。今年の男子の覇者は英国の マレーが2連覇、英国民全体が酔いしれた大会となった。 ② あのリンクスでのジイ・オープンゴルフは日本勢全滅、スエーデンのステンソンが優勝した。普段 易しいコースでプレーしているゴルファーにとってはリンクスの海風、目玉バンカー、でこぼこの コースには対応が難しい。日本にも難しいコースがあればと思うしかない。 ③ 今年はリオでのオリンピック・パラリンピックの年である。そのリオでのオリンピックも無事終 了、心配された IS によるテロ、リオのスラム街でのファベーラの暴動もなく、「終わり良ければす べて良し」のオリンピックとなり次の東京に引き継がれた。 オリンピック好きは何も日本だけではない。オリンピック種目の 3 分の 1 は英国発祥のスポーツで あり、英国民のスポーツ好きは前回の 2012 年ロンドンオリンピックの成功を見ればよくわかる。 英国は 2012 年のロンドンオリンピックを上回る 67 個ものメダル数を獲得(金 27、銀 23、銅 17) アメリカに次ぐ 2 位となった。そしてパラリンピックも 147 個のメダル(金 64、銀 39、銅 44)を獲 得中国に次いで 2 位となった。この背景には他国とは桁違いの強化費が費やされた結果である。 英国のスポーツ所轄は Ministry of Culture, Media and Sport であり、その Sport 部門は UK Sport と Sport England に分かれており前者がトップ選手の強化を後者が草の根のスポーツ振興を担当 している。今回の Rio オリンピックへは 2013 年から 2017 年までの予算として、75%はロッタリ ーから財源を得ておりその額は 3 億 5 千万ポンド(約 475 億円=135 円/ポンド)にも上る。それが合 計 214 個のメダル獲得に繋がったのであろう。如何に英国民の賭け好きがスポーツの発展に貢献し ているかの実例でもある。 ④ そのオリンピック中に世界一と言われるプレミアリーグが密やか開幕した。いつもの年であれば今 シーズンのプレミアリーグの覇者はどこか、どのクラブが高額な移籍金で選手を獲得したか、新監 督の出来はどうかといった話題が主流となるのであるが今年はオリンピックの陰に隠れてしまった ようだ。しかし今年のプレミアリーグの移籍金総額は1ビリオンポンド(1350 億円)を超え、フット ボールの歴史上最大の金額がクラブからクラブへ流れたのだ。その財源はというとテレビの放映権 料が 5,136 ビリオンポンド(6933 億円/3 年)と前回(2311 億円/年)から 71%も増加したためである。 最大移籍金額はユベンタスからマンチェスターユナイテッドに移籍したポール・ポグバで何と 89.3 百万ポンド(約 120 億円)という史上最高額の移籍である。アーセナルの経済学士ベンゲル監督曰く 「このような高額の移籍金は決してペイしない。経済的ではない」と批判しているが 513 百万ポン ド(693 億円)もの売上高を挙げているクラブ、マンチェスターユナイテッドとしてはペイすると確信 しての投資であろう。しかし 9 月 20 日現在彼は期待された結果(ノーゴール、ノーアシスト)を出し ていない。過剰投資であったかはシーズン終了まで待たねばならないであろう。 ⑤ そして 9 月 10 日のプロム最終日がやってきた。 夏の音楽祭としては世界最大と言われるプロムは 7 月中旬から 2 か月ロンドンのロイヤル・アルバ ートホールで行われるクラシックの音楽祭である。主催は BBC オーケストラ。クラシックとはいえ ジャズも軽音楽もメニュにある。最終日はロンドンハイドパーク、グラスゴー(スコットランド)、ス ワンジー(ウエールズ)そしてベルファースト(北アイルランド)の数千人の聴衆を集めたオールブリ テインの音楽祭のフィナーレである。伝統の Land of hope and Glory、Bethlehem、Oh Britannia を何回も唄い栄光の英国を称えるのである。この唄こそ British の真骨頂を発揮する根源でもある。 この音楽祭の最終日には前列に常連が蝶ネクタイ、肩開きドレスの正装で並びその後ろは世界中の 国旗を振り回し歌うのである。日本の国旗も見える、ドイツも、ブラジルもそして今年目を見張っ たのは EU 旗があったことである。Brexit への当てつけの意味であろうか。ともあれこのプロムこ そ英国団結のイベントであり、このプロムが終われば英国は秋、冬へと突入していくのだ。 さて前回のレポートで EU 脱退の国民投票の予想と現実を記述したが、その結果とその動向にも触れ てみたい。 国民投票結果の行方 ① 国民投票の結果 6 月 22 日の結果はご承知の通り Brexit52% Remain48%の差で EU 離脱が決まった。そのうち Remain 派が多数を占めたのは移民の多いロンドン、マンチェスター等の大都市であった。そして 大学都市の Oxford、Cambridge も Remain であった。しかし移民の少ない大多数の都市は Brexit であった。やはりこの国民投票の結果は移民問題に寛容な EU との決別を意思表示したといえよう。 ② Brexit への政権交代 Remain を標榜し何とか EU に留まろうとした保守党の党首、首相のキャメロンは辞任、財務大 臣もオズボーンも辞任した。新たに首相の任に就いたのはテレサ・メイ元内務大臣であった。キャ ンペーン中は Remain 派であったメイは内務大臣時代、移民政策には批判的であり移民、難民対策 では硬派と言われていただけに、保守党大会で彼女が指名されたのは、彼女の行政能力と政治力が EU 離脱に必要とされたからであろう。大人の選択といえる。 Oxford 大出身 59 歳、鉄の女サッチャー元首相を彷彿させるだけに期待は大きい。本命と言われ たボリス・ジョンソンを Brexit の盟主として外務大臣に就任させ、側面から円滑な EU 離脱を図る ことにしたことも彼女の見識であろう。 Remain 派の労働党は引き続きマルクス主義者のコービンが党首としてその存在を党内で発揮し ているが、彼が党首である限り永遠に政権は取れないとする国民感情から今やメイ保守政権安泰と なり、メイ首相も国民投票の直後に起こった再度国民投票をという訴えを退け、2 年後 2019 年 EU からの完全撤退へ直進している。 一方スコットランドでは EU Remain 支持率が 60%と高く、スタージェン代表は再度 UK からの 脱退、そして EU 加盟の方向へ進む国民投票をする時期を模索しているが、国民投票後の世論調査 では圧倒的にまずは UK に残りスコットランド独立はしないという政策への支持率が高く、当面は UK 全体で EU 離脱へ向かっているといえよう。 ③ 経済面での変化 離脱したら 95 万人もの失業者が出る(英国 CBI)。多くの外資系企業が撤退する。国民一人当たり 2,000 ポンドの負担が生じる。更にオズボーン元財務大臣は GDP も EU 離脱により 2030 年には 2016 年比で 2.2%減となり、景気後退が加速化される。といった Remain 派の主張は悉くブラフで あったことが EU 離脱決定後の 3 か月では実証されている。 1) 英国株式市場の FTSE は 6 月 23 日の国民投票の結果、瞬間的には FTSE100 が 5.5%下落した が、その後の推移は著しく 2 月から見ると 20%上昇、国民投票前日 6 月 22 日の Index が 6261 であったのが 9 月 22 日の Index は 6911 と 10%以上の上昇、投票前の株価下落の予想を裏切っ た結果となっている。日本の東証は 6 月 23 日逆に未曾有の下落を喫し、英国の EU 離脱の経済 評価は世界共通ではないことを示したことになる。 2) 通貨は 6 月 22 日、ポンド円為替は 153.48 円であったのが 9 月 22 日は 135.68 円と 12%円高 となった。結果としては英国のポンド安による輸出高の増加を生み、輸出産業特に、自動車産 業は活況を呈し、16 年振りに最大生産台数を記録した。7 月の生産台数は 2015 年の 7 月から 7.6%上昇、ジャガー、ランドローバー、トヨタ、日産、ホンダは 2000 年以来の生産台数が年 百万台を超えた。さらにポンド安による夏の観光客の大増加を生みロンドンは経済的にも潤う EU 離脱決定であった。 3) 失業率も投票後は政府の警告もあり上昇するものと思われたが、7 月の統計では 7000 人減少、 EU 内での最低失業率(4.7%)を維持している。 4) 住宅についても、ここ 10 年右肩上がりで上昇している住宅価格も EU 離脱とともに下落しデ マンドも下がるのでは懸念されていたが、住宅金融の借り入れは Bank of England の金利低下 (公定歩合の金利を 0.05%とした)により 6%上昇し、価格も下落することなく推移している。 5) 消費者物価指数は 7 月対前年同月比 0.6%と上昇し適切な物価上昇となっている。 6) ポンド安と EU 諸国の治安不安(難民、IS テロ等)から英国への観光客の増加は昨年度に比して ロンドンを休暇地とする外国人は 17%、英国人も 11%上昇、ホテルが満員、飲食業、店舗も活 況を呈している。Brexit のお陰で移民が制限されルとの期待から欧州一治安がよいのもその増 加の一因であろう。 このような経済指標に表されているように離脱を決定して以来、心配されたマイナス効果は今のとこ ろ出ていない。言ってみれば逆に EU 全体の経済が落ち込んできた中で、英国が勝ち組になりつつある ことを示している。しかし、現在の状況はまだ現実に離脱したわけではなく、一応 EU の枠内での経済 活動継続中であり、これから 2 年間の年数をかけ EU との交渉によっては何がどうなるかが決まるわけ で、まだまだどうなるかの予想はつかない。 ④ 外交面での変化 1) 9 月 4 日の G20 国際会議が中国杭州で行われた。メイ首相にとっての初舞台。離脱決定の英国に とっては格好の PR の場であったが、メイ首相の序列は 2 列目と今までの前列から一歩後退とな った。アメリカのオバマ大統領はドイツのメルケル総統と前列中央に主催国中国国家主席、習近 平と並び現在の世界のトップリーダーを誇示した(日本の安倍首相は 2 列目)。しかし裏舞台での 個別首脳会談ではさすが外交国英国の面目躍如の活躍を果たした。 2) アメリカ、オバマ大統領は英国の EU 離脱に国民投票事前から警告を発していたがメイ首相との 会談でも「Punish=罰」というきつい言葉を使い、米英関係の暗雲を示した。これに対する英国 の一般的な見方は「すぐに引退する大統領より次の大統領との関係を重視したい」との姿勢をと っており、メイ首相はたじろぐことなく対応した。また日本の安倍首相もこのような国際会議で の個別会談で相手国へ強い不快感を表明することはなかったが、あえて「EU 離脱に関して日本 及び現地日本企業が他 EU へ撤退するかもしれない」と警告。この日本の態度に対し、一般英国 民は驚きと不快感を表わしている。果たして日本企業がフランス語のフランス、ドイツ語のドイ ツへ英語を捨てて移転するであろうか?「アメリカに同調する日本」というレッテルが明らかに なった会談であった。 3) 日米両国の警告に対しメイ首相はあえて答えず、代わりに日米がそのような態度をとるのであれ ばとまずは中国との経済協力を推進し、併せ英連邦諸国のインド、オーストラリアとの経済協力 を推進することを強調し合意した。その結果は一旦棚上げしたヒンクリー原子力発電所(前キャ メロン政権時代に合意)建設を結局は認めることにしたのである。建設は中国が主体となり行わ れる金額 18 ビリオンポンド(約 2 兆 4000 億円)のビッグプロジェクトである。日米が引くなら、 英国は中国、インド、オーストラリアといった経済大国かつ友好国との経済協力を強力に推し進 める外交手段へと再展開しているのだ。 日本企業のトヨタ、日産、ホンダといった自動車産業が英国に定着し、今回のポンド安の恩恵を 受け着実に伸長しており、更に日本のソフトバンクが英国テクノロジー会社 ARM 社を 240 億ポ ンド(3.2 兆円)投資し買収することになった。ソフトバンクとしては EU 離脱結果で、為替で 10% 下がったことで踏み切ったとみられている。 日本国が英国に警告を与えるだけの理由はない。逆に EU 離脱決定後の日本企業の英国への投資 は変わらず、政府のいらぬお節介は多分にアメリカ寄りの政府当局(外務省、通産省あたりか)の 差し金ではと勘ぐってしまう。現在大型プロジェクトとして HST(高速鉄道)の建設が論議されて おり、これが実現すれば日立はその車両を生産することがほぼ決まっている。このことを何故推 し進めるよう圧力をかけなかったのか、日本政府の外交音痴ぶりが目立った G20 であった。 4) 国民投票の争点となった移民難民対策について、メイ首相は移民の条件として「移民したい場合 は事前にその国にて予め労働許可を取得してからでないと入国させない」と事前の審査を重視し、 スペシャリスト以外の移民は認めないことにするとしている。 フランスカレーにある難民キャンプ(英国への入国を図る移民、難民用)は現在の EU 法(最初に入 国した EU 国が責任を持つ)を適用しフランスが責任を持つ事とし、違法入国を阻止するためカ レーからフェリーまでの高速道路に高い壁を作ることを提唱している。まるでトランプ米大統領 候補の発想と似ているが。一方では現在 80 万人を超えたポーランド移民については現時点で職 業を持っていることを条件に離脱後も Work Permit を発行すると明言した。 ⑤ EU 離脱へ向けてのロードマップ それでは何時完全撤退するのかについては、 ① まず英国政府が EU の European Council へ Leave を通告しそこから各項目(関税、移民協定、 人権問題等々)を協議し。いわば離婚調停を行い合意し、英国議会の承認を経て完全離脱となる。 ② 期間は 2 年かかるといわれている。メイ首相は 2017 に交渉開始し、2019 年に完全離脱すると その方針を発表した。 ③ 英国側は David Davis 担当大臣、ボリス・ジョンソン外務大臣を中心に交渉団を結成し対応す る。一方の EU 側は強面、英国嫌いの元ルクセンブルグ首相、EU Commission の President であるジャン・クロード・ユンケルが交渉の窓口となる。彼の政策は極端であり、英国民がホ リデーで EU に入国する際は 50 ポンドの Visa 料を課すとか、関税を他国並みに 10-20%課す とか(現在の英国経済での EU 依存率(輸出)は 12%しかないともいわれているが)である。Brexit 対ユンケルの戦いはこれから始まる。 結び いずれにせよ、これから 2 年紆余曲折あると思うが後には戻れない、戻らない(メイ首相言)英国 の EU 離脱は着実に進んでいる。一方現在のロンドンは過去の付けが回っており正しく外人による 外人のためのロンドンになりつつある。もう元に戻ることはできないであろうが食い止めることが 英国の伝統的文化を守る事になるというのが Brexit の本音であろう。レストランでも地下鉄のアナ ウンスでも多くのショップでも Queens English を喋る人はごく少なくなった。皆移民の英語とな っている。地下鉄内の乗客の言葉は英語ではなく、外国語が横溢している。東欧スラブ語、ロシア 語、西ヨーロッパ語(北欧、イタリア、スペイン、フランス語)そして中国語がごちゃごちゃに聞こえ る。決して文句を言わない英国紳士、淑女は何処へいってしまったのか。 それを Diversity というのであろうか。文化の変容と消滅はこのようにして成るのかと思われる ロンドンである。 2016 年 9 月 22 日
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