ごあいさつ 水産学部の近況 水産学部長 荒川 修 柳下直己准教授が着任されました。フレッ 携帯の電池が劣化したため、先日、再度ガ シュなメンバーの今後の活躍が期待されます。 ラケーに機種変更しました。学生から勧告さ また、本年3月をもって定年退職されました れたLINE導入もまだ実現しておらず、時代 中田英昭先生、ならびに原研治先生(20・ から取り残された感覚が強まっています。昨 製)が5月に長崎大学名誉教授の称号を授与 年4月に水産学部長を拝命後、紆余曲折しな されました。中田先生は水産学部特任教授/ がらも、鶴水会会員の皆様や教職員の方々の 長崎大学副学長/学長特別補佐/図書館長と 多大なご支援をいただき、何とか1年間乗り して、今後もしばらく長崎大学に残られます。 切ることができました。引き続き今年度もよ 原先生は九州栄養福祉大学で教鞭をとりなが ろしくお願いいたします。 ら、バイクと登山に励まれるとのことです。 さて、水産学部の近況ですが、本年3月25 国立大学では、法人化以降、6年毎に中期 日に本学部から117名が卒業し、新たに鶴水 目標中期計画を策定していますが、今年度は 会正会員となりました。また、大学院水産・ 第2期の最終年度に当たり、現在、第3期中 環境科学総合研究科水産学専攻からは修了生 期目標中期計画作成の最終段階に入っていま 28名を世に送り出しました。卒業式では、水 す。水産学部では、教育研究のグローバル化 産学部の卒業・修了生であることに誇りをも を進める一方で、地域と密着した社会貢献型 ち、誰であっても相手をリスペクトする心を の教育研究の推進とそれに基づく「地方創 忘れないよう伝えました。 生」を今後6年間の主要なテーマと考えてい 教員につきましては、平成26年10月1日付 ます。また、水産学部が保有する生物標本や で吉田朝美助教(53・化)が准教授に、平成 グラバー図譜などの古資料を保存・展示する 27年4月1日付で桑野和可准教授ならびに和 資料館を整備し、将来的には全学、附属図書 田実准教授が教授に、また、5月1日付でサ 館、長崎県、さらにはオランダ・ライデン博 トイト・シリル・グレン・ペレズ准教授 物館とも協力しながら「長崎大学附属自然史 (34・生)が教授に昇任されるとともに、同 博物館」に発展させるという壮大な計画も始 年3月1日付で海洋生産システム学講座に近 まっています。地域に寄り添いながらも世界 藤能子助教が、4月1日付で海洋資源動態科 中の人が訪れるローカルとグローバルの融合 学講座に古満啓介特任助教(52・環)が、環 した時代最先端の博物館が、10年後あるいは 東シナ海環境資源研究センターに盛田祐加助 20年後に水産学部に誕生することになるかも 教が、5月1日付で海洋資源動態科学講座に しれません。 −1− 新任教員紹介 大学大学院農学生命科学研究科、米国の南カ リフォルニア大学、そして東京大学大気海洋 研究所(所属は国立極地研究所)と、国内外 の研究室を転々としながら研究を行っており ました。この間、研究航海等をきっかけに多 くの方に出会うことができたおかげで、研究 に限らず視野を広げる事が出来たのではない かと考えております。 研究内容についてですが、私は大学院時代 より、海洋における鉄などの微量金属の分布 海洋生産システム学講座 助教 やその存在形態、そしてそれらが植物プラン 近藤 能子 クトン群集の増殖にどのような影響を与える 平成27年3月1日付で水産学部/大学院水 か、をテーマとして研究を行ってきました。 産・環境科学総合研究科の助教に着任いたし 海洋一次生産を支える植物プランクトンの ました近藤能子(こんどうよしこ)と申しま す。東京都出身で、大学院で博士課程を修了 するまでは東京に住んでおりました。祖父母 の家が神奈川県藤沢市にあり、幼少時より毎 年夏休みには家族で祖父母の家へ訪れ、海へ 出かけていました。湘南江ノ島付近の海岸は、 夏は大変賑やかな場所ですが綺麗とは言い難 いものがありました。しかし、それが私の中 での「海」のイメージであり、それ故に海洋 初めて参加した米国船による研究航海での の環境問題に興味を持つようになりました。 集合写真(前列右から3番目が筆者) 高校卒業後、東京水産大学(現在の東京海 洋大学)水産学部食品生産学科に進学し食品 科学について学びましたが、在学中に以前よ り興味を抱いていた環境化学にも触れたこと がきっかけとなり、海洋環境そのものについ て研究してみたいと考えるようになりました。 その経緯から、東京大学大学院農学生命科学 研究科に進学し、海洋化学に携わる研究者を 目指すことになりました。博士号の取得後は、 学術支援研究員やポスドク研究員として東京 −2− 微量金属の船上分析の様子 生長には窒素やリンなどの栄養塩に加え、鉄 の他微量金属の分布メカニズムや生物生産へ やコバルト、ニッケル、マンガン、亜鉛、銅 の影響について調べ、水産業や環境問題の解 などの微量金属元素が必須です。これら微量 決に寄与できる研究を行っていきたいと考え 金属元素は海水中で無機態であったり有機錯 ております。私はこれまで、指導教員の先生 体を形成したりと様々な形態で存在しますが、 方をはじめ実に多くの方々の御指導、御協力 その存在形態によって植物プランクトンによ そして励ましに支えられてきました。まだま る生物利用能や毒性、また海水中に溶けうる だ未熟ではありますが、そのことへの感謝を 濃度が変化します。そのような背景から、微 胸に、次世代を担う学生たちへの教育、そし 量金属の分布動態に関して、私は微量金属元 て更なる研究の発展をもってその御恩を返し 素の中でも特に生物生産を律速しやすいと言 ていくことができれば幸いです。そしてその われる鉄について焦点を当て、太平洋やイン 経験を通して自分自身も成長していきたいと ド洋、そして北極海といった海域を調査海域 考えております。どうぞよろしくお願いいた として研究を行ってきました。海洋研究では、 します。 実際の実験や結果の考察に加えて、フィール ドワークにおける学内外の研究者や船員の 方々との連携が極めて重要になります。その 点については時に苦労する点ではありますが、 逆にその連携を通して国内外の多くの研究者 達と出会えたことで、自分だけでは知りえな かった事を多く学ぶ事ができました。この点 が海洋研究の醍醐味であると感じております。 長崎大学は、周囲に東シナ海や大村湾など を含む多様な海域が存在し、海洋研究を行う 上で極めて恵まれた場所だと感じております。 北極海航海では流氷採取も実施しました (筆者の背後にあるのが流氷) 今後、これら海域をターゲットとし、鉄やそ 長崎新聞/6月25日付 −3− 新任教員紹介 てその後の分析や解析等を行いました。当時、 有明海にはアカエイとズグエイの2種のみが 記録されていました。しかし、複数種が混同 海洋資源動態科学講座 特任助教 されており、実際には6種も生息しているこ 古満 啓介 とがわかりました。エイ類は分類形質が少な (52・環) く、外部形態での分類が難しいグループです。 はじめは雑種の存在も疑いましたが、その後 4月1日付で水産・環境科学総合研究科の の遺伝学的な研究成果も加えて、それぞれ独 特任助教に着任いたしました古満啓介(ふる 立した種であることが判明したのです。 みつけいすけ)と申します。 私は、戦艦「大和」で有名な広島県呉市で 生まれ育ちました。実家のある場所は、海ま で車で15分ほどでしたので、家族で海に行く 機会も多く、海水浴や魚釣りなどで魚と触れ 合う機会が多くありました。幼いころは、魚 は釣って食べるものという認識しかなく、魚 に対して特別な思い入れはありませんでした。 当時は、畑正憲さん(ムツゴロウさん)のテ レビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」 小型底曳網漁船による魚類相調査 が放送されており、その姿にあこがれ、牧場 で働くことを夢見て地元の高校へ進学しまし こうした研究を進める中で、もともと皮膚 た。順調な高校生活を送っていましたが、進 の弱い私は、なんとも珍しい?「アカエイア 路を決定する際、担任の先生から魚を扱う水 レルギー」を発症してしまい、素手でアカエ 産学部があることを教えていただき、面白そ イ類に触れることができなくなりました。ア うだなと感じたのをきっかけに長崎大学を受 カエイ類の研究を諦め、魚種を変更する選択 験することにしました。 肢もありましたが、エイ類、そして研究の魅 無事試験に合格し、2000年4月に長崎大学 力にはまり込んだ私はそのまま継続すること 水産学部に入学しました。4年次には海洋動 を決意しました。大学院では生態学的な研究 物学研究室に所属し、山口敦子先生ご指導の も加えて、調査海域も東シナ海をはじめ中国 下、有明海におけるアカエイ属魚類の分類学 沿岸などアジアの海へと拡大し、東アジアの 的検討というテーマで研究を行いました。漁 全てのアカエイ属魚類を対象に研究を行うこ 船や廃船になる前の鶴水丸に乗せていただく とにしました。いざ生態の研究を始めてみる などして、ともかくフィールドに出てアカエ と世界的に知見が少なかったこともあり、わ イ類を採集し、研究室では測定や解剖、そし からないことだらけで、右往左往することも −4− ありましたが、まずは分類学的な記載が不十 分であったシロエイについての研究から開始 しました。何年もかけて北は北京から南は海 南島まで(決して観光客が行くことのないよ うなところまで)、中国の沿岸域をひたすら エイを探し求めて旅をしました。努力の甲斐 なく、ついにシロエイを採集することはでき ませんでしたが、行方が分からなくなってい た学名の基準となる標本を何とか見つけ出す ことができ、あらためて再記載することで、 今年で長崎に来て16年目になります。この 混乱していたアカエイ属魚類の分類学的な整 たびは、人生のほぼ半分を過ごした長崎大学 理に一歩足を踏み入れることができました。 で特任助教として働く機会を与えていただい たことに感謝するとともに責任を感じており ます。今後はサメ・エイ類等のトッププレデ ターに関する研究プロジェクトの一端を担い ながら、私のライフワークとなっている魚類 の分類学的研究を続けていきたいと思います。 そして、水産学部の標本資料室の整備や展示 室の準備などを通して、これまで私の所属す る海洋動物学研究室で収集してきた様々な魚 類標本や、過去に在籍されていた諸先生方の 大切な標本を活用するためのお手伝いもさせ 博物館の地下にある標本庫で目当てのものを探します ていただきたいと思っています。まだまだ未 博士課程修了後は、産学官連携研究員とし 熟ではありますが精一杯努力いたしますので、 て、有明海や八代海をはじめとした九州・沖 ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申 縄沿岸の魚類の分類や生態、回遊等に関する し上げます。 調査に加え、仔稚魚の調査や生態系の構造と 機能解明の調査など、幅広い調査に携わって きました。タイ南部沿岸の環境修復を目指し、 他大学の先生方とともにマングローブ域での 魚類群衆に関する研究を行う機会も与えてい ただきました。これらの研究を進めるため、 中国、韓国、タイ、アメリカ、オランダや オーストリアなど諸外国にも出かけ、諸先生 方のご指導を仰ぎながら、様々なことを経験 することができました。 −5− 新任教員紹介 し、新たに鯨類を対象とした繁殖生理学の研 究を始めました。この時のテーマのきっかけ は人間の体で起こっていることはイルカの体 環東シナ海環境資源研究 センター 特任助教 でも起こっているのだろうか、という疑問か らでした。調べていくうちに、鯨類の妊娠維 盛田 祐加 持のしくみが詳細に理解されていないとわか り、胎盤に由来する3つのホルモンに注目し 本年4月1日より水産・環境科学総合研究 て、妊娠期間中の分泌動態の解明に取り組み 科附属環東シナ海環境資源研究センター特任 ました。修士課程修了後進学はせず、しばら 助教に着任いたしました盛田祐加(もりたゆ く働きながら水族館の飼育個体を用いた研究 か)と申します。 などに携わっていたのですが、それらの活動 長崎は高校の修学旅行で訪れた場所で、五 の中で、イルカ類の妊娠維持のしくみを明ら 島列島と市内の観光地をめぐりました。五島 かにすると共に、妊娠を正確に診断し、その の豊かな自然と、路面電車がゆっくりと走る 経過をモニタリングできるような仕組みを作 街並や美しい坂と教会がとても印象的で、長 ることが、生理や生態を知るうえでも重要で 崎という場所がいっぺんに好きになりました。 はないかと考えるようになりました。数年考 たいへんよい印象を持っていた長崎に再びご えましたが、信念が消えずもう一度、北海道 縁があったことを嬉しく思っております。 大学大学院博士後期課程に復学することにし ちょうど修学旅行で長崎を訪れた頃は進路 ました。 を考える時期でした。私は幼い頃よりイルカ 博士過程ではイルカ類の妊娠機構の解明を やアシカといった海を生息域とする哺乳類 目的とし、妊娠時のモニタリング指標として (海棲哺乳類)に興味を持ち、将来はそれら も応用可能な妊娠関連タンパクである胎児由 の動物と関わるようなことがしたいと漠然と 来のalpha-fetoprotein (AFP) および胎盤由来 思っていました。そこで海棲哺乳類の研究を のpregnancy-associated glycoprotein (PAG) 行っている大学を調べ、北海道大学水産学部 に着目して、性状解析を行いました。本研究 へ進学することに決めました。入学後、生理 により、海棲哺乳類で初めてAFPおよび 学に興味を持ち、学部4年生では環境エスト PAGの詳細な性状が明らかとなり、イルカ ロジェンの影響評価を背景とした海鳥の卵黄 類の妊娠成立・維持機構に関する基礎的知見 形成に関する生理学的な研究に取り組みまし を提供する成果が得られました。 た。残念ながらすぐに海棲哺乳類研究に携わ 学位を得て数年した後に、長崎大学のプロ ることはできず、当時は残念な思いだったの ジェクト研究員としての仕事を頂き、長崎に ですが、この時はじめた研究が現在の自分の 来る機会を得ました。本プロジェクトでは環 基礎となっているように感じています。 境変動がどのように次世代生産に影響してい その後三重大学大学院博士前期課程に進学 るか評価するという課題に取り組み、具体的 −6− にはカツオを指標とした東シナ海の水銀蓄積 した。またその時抱いた気持ちは今の研究に の現状と再生産に及ぼす影響評価の研究を進 取り組む際のモチベーションにもなっていま めています。これは2013年に「水銀に関する す。実践的な教育・実習を通じて、人間と海 水俣条約」が採択され、水銀を適切に管理す 洋生物との共存の在り方を考えるきっかけを ることが今まさに国際的に重要性の高い課題 みなさんに与えることができるようこころが として認識されていることが背景となってい けたいと思っています。どうぞよろしくお願 ます。またカツオは高度回遊性魚群であり、 い致します。 食物連鎖の高次に位置し、摂餌を通して重金 属類などが高濃縮することから、回遊および 生物濃縮を伴う水銀蓄積の現状を把握するの に最適な指標種と考え調査対象としています。 そして現在、カツオの研究を続けると共に、 教育関係共同利用拠点化の専任教員として当 センターを活用した教育事業に取り組んでい ます。当センターは2014年度より教育関係共 同利用拠点施設として認定されました。これ 研究対象としているスジイルカ は大学の枠を越えて、各施設の特色を生かし た教育研究活動を展開し、より質の高い教育 を提供できるように創設された制度です。こ れを受け、当センターでは全国の大学生を対 象とした臨海実習の実施や、調査・研究活動 の受け入れを行っています。 本事業に従事するにあたり、自分が受けて きた授業や実習、先生方や諸先輩方からのご 指導を思い起こし、改めて今の自分があるの 研究対象としているカツオ は多くの人との出会いやご指導があったから だと実感致しました。多くの方々への感謝の 気持ちをエネルギーに変えて、次の世代を担 う学生さんによい経験と知識を習得して頂け るよう努めたいと思っています。 人がものごとに興味を持つのは小さなこと がきっかけとなるのではないかと感じていま す。私は沖縄に行った際に見た、真っ青な海 の美しさと水中のいきいきとした魚に感動し、 この海を絶対に汚したくないとおもったこと 共同利用実習の様子 がきっかけで環境汚染の問題に興味を持ちま −7− 学部だより “魚礁めぐり”シリーズ(研究室紹介)− No.10− 石 松 研 究 室 教授 石松 惇(24・生) 私は、1986年5月に当時野母崎にあった長 しました。両隣には、長崎県総合水産試験場 崎大学水産学部附属水産実験所に着任しまし と、国立研究開発法人水産総合研究センター た。以来ほぼ30年、ずっと附属施設で勤務し の西海区水産研究所があります。2005年には、 ています。おそらくこんな教員は珍しいと思 水産学部附属から独立して全学共同教育研究 います。同窓生には、野母崎の水産実験所を 施設として環東シナ海海洋環境資源研究セン ご存知の方々もたくさんいらっしゃると思い ターとなりましたが、さらに2011年に、現在 ますが、隣には長崎県水産試験場の増養殖研 の水産・環境科学総合研究科附属の環東シナ 究所があり、裏には赤瀬を目の前にして、沖 海環境資源研究センター(海洋の2文字がな 合いには軍艦島が臨まれる砂浜をもつ風光明 くなりました)となって、現在に至っていま 媚な場所でした。水産実験所は1997年、まだ す。なかなか慌しいことです。 野母崎にある時代に改組して水産学部附属海 現在の私たちの研究室は、学生7名の小世 洋資源教育研究センターとなり、1999年に野 帯です。タイから2名、ベトナム1名、中国 母崎を離れて、現在の長崎市多以良町に移転 1名(現在休学中)と留学生(全員、大学院 生)が多いため、研究室のメール連絡やゼミ は英語でなされています。また、研究室の重 要メンバーとして技術補佐員の方がおられ、 留学生の世話から研究の手伝いまで広範囲に サポートしていただいています。 研究としては、大きく2つのことをやって います。1つは、海洋酸性化と温暖化の生物 影響研究です。大気中の二酸化炭素濃度が増 えていることは皆さんご存知だと思いますが、 二酸化炭素は水に溶けやすく、炭酸を生成す ることによって、水のpHを低下させます。 この現象を海洋酸性化と言いますが、21世紀 に入ってから、海洋酸性化の潜在的脅威が広 く認識されるようになり、世界中で爆発的に 研究が進められてきました。日本は、二酸化 有明海干潟でのサンプリング 炭素の海洋生物に対する影響研究では、海洋 −8− 酸性化という言葉が生まれる前から温暖化対 る学生があまりいなかったので、なかなか継 策としての二酸化炭素海洋隔離のリスクアセ 続することができなかったのですが、昨年か スメント研究としてやっていたのですが、そ ら希望する学生が来てくれたおかげで、再開 の後EUやアメリカ、オーストラリアが大規 できました。長崎大学水産学部では、道津善 模に研究を展開して、現在ではすっかり水を 衛先生がこの研究に先鞭を付けられ、田北徹 開けられた感があります。私たちは、上に述 先 生 が さ ら に 発 展 さ せ ま し た 。 私 自身は、 べたように小さなグループですが、二枚貝や 1994年に田北先生からマレーシアのペナン島 カイアシ類に対する影響研究に始まって、現 でのマッドスキッパーにお誘いを受けたのが 在ではウニや海藻とその上に住む小型動物な 始まりです。しかし、よく考えると、私が水 どを使って研究を行っています。海藻を使っ 産学部の4年生だった時に、田村修先生にご た実験では、同じセンターのグレッグ先生、 指導を受けた卒業研究でもムツゴロウを扱い 魚類については河端先生にいろいろ教えても ましたから、そう思えば長い縁があります。 らいながら、大学院生が一生懸命研究に取り 田北先生には、マレーシアの後も、オースト 組んでいます。また、タスマニアのオースト ラリア、韓国でのマッドスキッパー研究をご ラリア南極局(Australian Divi- 一緒させていただき、さらに2011年からはベ sion)の方々とナンキョクオキアミに対する トナム南部のメコンデルタでのマッドスキッ 影響の共同研究も行っています。 パー研究にも参加いただきました。 もう一つの研究テーマは、有明海に住むト 田北先生は、ベトナムの酷暑の下での干潟 ビハゼやムツゴロウ(マッドスキッパーと総 調査でも、いつも私たちをリードして、きわ 称されます)の研究です。こちらは、担当す めてお元気でしたので、昨年お亡くなりに Antarctic なったのが、大変残念でなりません。ご病気 がわかってすぐのころ、私にマッドスキッ パーについての一般向けの本をぜひ出したい とのご希望を述べられ、書き溜めておられた 原稿をいただきました。この原稿を完成させ るべく、1年間にわたって写真を撮りなおし たり、原稿を整理したりして、ようやくほぼ 完成させることができました。今年の7月10 日に海游舎から「水から出たさかなたち−ム ツゴロウとトビハゼの挑戦」(田北徹・石松 惇著)として刊行されます。わかりやすく、 日本と世界のこの仲間の魚たちの生物学、漁 業と養殖、そして料理についてもふれていま すので、興味のある方はぜひお読みください。 長崎大学は、独立行政法人国際協力機構 「水からでたさかなたち」表紙 (JICA)が現在実施を準備中のベトナムの −9− メコンデルタにあるカントー大学に対する支 究が始まり、来年からは本格的なODA事業 援強化事業に水産と環境の分野で関わってい が開始される予定です。また、2013年からは ます。カントー大学は特に水産・農業分野が カントー大学で集中講義をやったり、昨年か 強く、またこの地域ではエビ養殖やナマズ養 らは大学院生を対象の生理学研修コースもカ 殖が大規模に行われており、米をはじめとし ントー大学でデンマークやアメリカ、カナダ、 た農産物とともに、世界中に輸出しています。 ノルウェーの先生方(というよりは昔からの しかし、大規模養殖に伴う環境影響が懸念さ 友達ですが)と一緒にやらせてもらっていま れ、また気候変動の影響を強く受けると予想 す。長崎大学の水産分野は、以前からインド される地域であることから、今後の共同研究 ネシアやマレーシアなどの東南アジアの国々 と人材交流を通していかに水産業を持続的に との交流を盛んに行ってきましたが、この 維持するかが現在の課題となっています。 JICA事業等を通して水産分野の教員や学生 私は上記のマッドスキッパー調査でカン さんがさらに国際的に活躍することを心から トー大学と繋がりがあったこともあって、こ 期待します。 の準備にも関わっています。今年から共同研 カントー大学での集中講義(2014年) 今年の教室旅行(別府)にて −10− 学部だより 第46回 鴻洋祭を終えて 第46回 鴻洋祭実行委員長 山出 貴弘(3年・海洋生物科学コース) 去る5月23日(土)∼24(日)の2日間に では、和田先生や山口敦子先生のご協力をい 亘り、第46回鴻洋祭を開催いたしました。 ただき、水産学部生が普段行っている実験を 本年度は“笑海(えみ)”というテーマの 体験できる企画や、水産学部の教授方の研究 下、実行委員一同尽力して参りました。まず 室を見学できる機会を設けることで水産学部 は、天候が危ぶまれる中、鴻洋祭を無事に終 を多くの方々に知っていただくことができま えることができ胸を撫で下ろしています。本 した。また、ここでは全てを書ききれません 年度のテーマには、「鴻洋祭へ訪れてくれた が、鴻洋祭では他にも多くの先生方のご協力 皆様を笑顔にして、楽しんでもらえる鴻洋祭 をいただきました。ありがとうございました。 を目指したい」という思いが込められていま また、鴻洋祭の開催を地域の方々にお知ら した。その目標通り、ご来場いただいた皆様 せするために、今年もみらい長崎ココウォー に笑顔が見られた事はもちろん、私たち実行 クさんのご協力のもと、3月14日(土)∼15 委員も笑顔でお客様を迎えることができまし 日(日)にデモンストレーションイベントを た。今年度の鴻洋祭には多くの方々にご来場 行いました。その他にも、テレビへの出演や いただき、大変うれしく思っております。 ラジオ放送、インターネットなどを通じて広 毎年恒例となった水族館・タッチプールで 告するなど幅広いメディアで広報活動を行い、 は、見る・触るだけでなく、展示している魚 宣伝することが出来ました。 に興味を持っていただこうと思い、掲示した 鴻洋祭を開催するにあたり、様々な困難や 生物の紹介のパネルは見やすく分かりやすい 問題がありました。ですが、多くの方々のお ように制作し、ご来場いただいた皆様に生物 力添えをいただくことで第46回鴻洋祭を無事 を深く理解していただきました。同じく恒例 に成功することが出来ました。この場をお借 企画でありますスライム作りにも非常に多く りして厚く御礼申し上げます。第46回鴻洋祭 のお客様にご参加いただき、色とりどりのス にご来場いただいた皆様が水産学部に興味を ライムをお土産として持ち帰っていただきま 持ち、身近に感じる機会となることが出来た した。また、水産加工品販売では今年も長崎 ならば幸いです。これからも実行委員一同、 かんぼこ王国さんのご協力をいただき、鴻洋 多くの方々からの助言をいただきつつ、来年 祭へ訪れてくれた皆様に長崎県の名産である の鴻洋祭は今年以上のものになるよう一丸と 練り物の素晴らしさを知っていただきました。 なって活動していく所存です。今後ともご理 「体験!水産学部」では、橘先生や谷山先生、 解とご協力の程を、宜しくお願い申し上げま 桑野先生や村田先生、「研究室見学ツアー」 す。 −11− 2015年 鴻洋祭の立てカンバン 大きな風船できたよ 海の動物生態観察(タッチプール) 水槽の生き物たち ハマチの解体 −12− 同期会だより 同窓会便り 沖縄支部 報告 鶴水会沖縄県支部長 仲宗根勇夫(22・海) 拝啓 会員の皆様におかれましては、朝夕 様でございました。 しのぎやすい季節となってまいりましたがい 年に一度の総会は那覇市内の居酒屋「海の かがお過ごしでしょうか。 ちんぼーらー」において10人の参加があり、 さて、2014年10月3日、鶴水会沖縄県支部 総会終了後の懇親会では、終始和やかな雰囲 総会を開催しました。そのご報告をいたしま 気で、たがいの近況報告や話題提供などを交 す。 えながら、開始からアッという間に2時間余 会務報告につきましては、①会員名簿の確 が過ぎました。 認 ②会計報告 ③長崎での鶴水会総会出席 県内に住所を有している同窓生は30人ほど 報告が行われました。 おられるようです。鶴水会の一員でもある当 提案事項としまして、①会員への結婚祝金 支部はもちろん加入脱退は自由ですが、「老 の支出 ②任期満了に伴う役員の選出の2件 い」も「若き」も気持ちをひとつにしてやっ があり、協議の結果、2会員への結婚祝金贈 ております。 呈が承認され、新役員については、会長に仲 時代の流れで世代交代もあり、組織のあり 宗根勇夫(22・海)、幹事に前城統(25・ 方も変わっていくものと存じますが、今後と 海)、会計に佐藤佳菜子(53・海)が選出さ も情報交換を密にして盛り上がるよう努めて れました。任期は2年となっております。前 まいりますのでよろしくお願いいたします。 支部長友利昭之助には2期4年間大変ご苦労 ハイビスカスと守礼門︵首里城︶ 長崎新聞/6月 日付 15 −13− 同窓生からの寄稿 起業25周年を迎えて 平井 朋来(29・開) 長崎大学水産学部を卒業してもう33年が経 社設立しましたが3社合わせて社員11人しか ちます。月日の過ぎるのは早いものです。 いない弱小企業体です。昨年度は2月に全羅 【大学時代の思い出は】 南道で知事賞を頂き、5月には韓国農林食品 ① 同級生の和田君に影響されて、海外 大臣賞を受賞し、今年の5月12日には韓国農 に憧れアメリカの大学で9ヶ月英語の 協の理事よりご招待頂き、全南大学の農学部 勉強をした事 で授業を受け持ちました。 ② 卒業前に用務員室で平山先生と宮原 個人的には長崎大学水産学部の劣等生が、 先生が麻雀をしておられ、その時の平 上記の賞を頂いたり、大学で教壇に立つ機会 山先生の一言「人生ばくち、ばくち が有るとは、学生時代は夢にも思いませんで や!」この留学経験と平山先生の一言 したが、これも和田君や平山先生、当社の社 が私の人生に大きく影響しました。 員のおかげと思っています。 大学時代は勉強もせず、試験も自分の頭よ り机がよく勉強していました。 昨年度より長崎大学水産学部の会社説明会 に参加させて頂き、学生に学生時代に勉強す 試験の思い出は3年生3学期の平山先生の べき科目、企業面接の対応の仕方、履歴書等 再試のできが悪く、アメリカに行けないかと 文章の書き方を教えるかたがた、当社への人 ぞっとしましたが、たまたま幸運にも再再試 材を捜させて頂いております。 になり、これに通り、4年になり休学してア 昨年度の長崎大学での会社説明会の参加し メリカに行く事が出来ました。 てくれた学生の一人が、私の教えた事が役に この思い出は強烈で試験の出来が悪く大学 立ったようで、少しでも母校の学生たちにプ を卒業出来ない夢を未だに見ます。同級生の ラスになればと思っており、迷惑でなければ MくんやWくんたち留年経験者は、同じよう 今後も毎年会社説明会をかねた学生への簡単 な夢を見るようです。 な指導を行って行くつもりです。 私は学生時代は典型的な劣等生でしたが、 また最近は韓国との関係が悪化して来てい 今はそれなりに頑張り1993年に起業以来2018 ますが、私自身は買い手の立場からか韓国で 年には設立25周年を迎えます。 は優秀で信頼出来る人たちに恵まれて、仕事 主な仕事は水産ではなくいつの間にか農業 および将来の夢を見る事が出来ています。私 の世界に入り込み、現在では韓国からの生鮮 自身が関係する事により少しでも韓国との関 青果物輸入販売の取扱量NO.1になる事が出 係がよくなればと思っています。 来、今では国内に2社、アメリカ、香港に会 −14− 韓国全南大学での合同写真 1976年(昭和51年)入学(28回生)の同窓会のご連絡 開催予定日 平成27年10月10日(土)in 長崎 最近円安の影響で海外からの観光客増え、また10/7−9に行われるおくんちの 影響でこの日程のホテル混雑が予想されますので参加希望の方は早めにホテルの予 約お願い致します。 約80名連絡が取れましたが、何人かはまだ連絡取れていません。連絡が行ってな くまた参加希望の方は tomokihirai@handfintl.com 平井 朋来まで連絡ください。 −15− 同窓生からの寄稿 第5回 私の履歴書 徳丸 博美(8・増) 輸出不適格真珠の買取補償と廃棄処分 真珠を輸出しようとする者は、かならず農 林省の国営真珠検査所の検査を受けなければ ならない(当時)。 検査所は、検査規則第五条に基いて、上級 (Hグレード)と下級(Lグレード)に判定 する。検査の必要な真珠形態は、バラ珠と一 時的(テンポラリー)な連し糸を通している ものと、クラスプ(留め金)付きの完成品で 連はバラ状にして袋詰 ある。従って真珠を用いた指輪、ブローチ等 うものである。そうは言っても、資金が必要 は検査が不要で輸出できることになる。それ で限度もある。資金は組合員対象で、輸出時 では検査はざるではないかと疑問が生じるで の重量に課するチャージ、もんめ当り3円で あろうが、そうではない。完成品の輸入は関 ある(当初、国の検査料は5円であったが、 税が高く2∼3倍の価格になってしまう(後 2円に減額を要求、3円を組合の収入とす 進国程大きい)。通常、連の場合はテンポラ る)。勘定課目の名称は特別賦課金とする。 リーストラングの状態で輸出をし、輸入国側 非組合員に対しても同じ金額で、受入協力費 でクラスプを付けることになる。更には半製 とした。手元に、平成9年度の決算書の原稿 品を自国で付加価値を付け、育成したいとい が残っているが、受入協力費(収入)は300 う輸入国側の思惑もあり、当時は輸入させな 万円程度である。又私の記憶では、非組合員 い国も多々あった。又、検査所はグレードの に補償金を支払った記憶もない。当初は、補 判定はするが、Lグレード商品の輸出を禁止 償金を3千万円程度支払っていたような気が する制度ではない。そこで登場するのが、通 するが、上記の決算書の平成9年度では、16 産省の輸取法による、Hグレードの商品だけ 百万円近くの補償金を支払っている。不適格 を輸出するという輸出組合の品質協定(カル 品の供出も2種類あって、有償供出と無償供 テル)の施行である。それでは、検査に不合 出があり、組合は国税庁と交渉し、輸出不適 格になった商品はどうするのかが、上記の表 格品の無償供出(証明書を発行)に対して、 題である。 税法上の優遇策を講じて貰い、無償供出の割 「不合格品は何んぼでも持っていらっしゃ 合が増えることになる。平成9年度で233貫 い、全部輸出組合で買取補償しますよ」と言 (233,000もんめ)。有償・無償供出の合計 −16− 処分真珠積込み作業(中央が筆者) 廃棄処分品の封印 量で廃棄処分をしている。 一番近い所で高知沖で、汚物廃棄指定海域 次に廃棄処分の方法であるが、これは非常 (A海域)の少しだけ手前である。処分品は に大事なことで、簡単に焼却処分をすればよ 真珠検査所の確認を受け封印、廃棄も検査所 いというものではない。かつてブラジルで の立ち会い確認を要する。本庁の大型漁業取 コーヒー豆が大量に余り(不良品を含め)、 締船が神戸港に入港するのを利用し、高知沖 焼却処分の様子が報道(新聞・ニュース映 で処分することにした。昭和56年(1981年)、 画)され、コーヒー豆市場の暴落を招いたこ 水産庁の取締船で船名は「白嶺」、船長は里 とがある等で、イメージが悪く、真珠業界で 内船長であった。学生時代、里内教授の授業 は海中投棄し「海に戻す・還す」という言葉 を受けたことがあるので、同じ名前で覚えて を使用することにしていた。 いる。ひょっとしたら息子さんではないかと 私は毎年水産庁瀬戸内海調整事務所の漁業 思うのだが。顔もよく似ていたように思う。 取締船(雇用船)を利用し、廃棄処分の仕事 それに一等航海士が学部卒業生であった(水 にも携わってきた。瀬戸内海の一番深い所を 産庁の船には何回も乗船しているので混同し 探して投棄するわけであるが、これがかなり ているかもしれない)。操舵室で簡単な英語 重労働であった。永年の間には、相当の量に で航海日誌を書いていたのが印象的であった のぼると思うが、真珠はカルシウムが主成分 (思い当たる卒業生がこの記事を読んだら、 で溶けてしまう筈である。ところが漁船の網 連絡して頂ければ幸いです)。 に掛かったという話が私の耳に入り、この 話は廃棄処分の航海に戻るが、検査所から ニュースが報道関係者の耳にでも入ればと一 も技官が乗船し、私と二人であった。神戸港 時心配したことがある。そして、永年やって から定摺岬を通って高知へ行くのだから、そ きたこの瀬戸内海での廃棄も終わる時が来た。 れは遠い。しかも台風が接近中であるとの情 それは海上汚染防止法による産業廃棄物の海 報が入った。キャビンに特設のベッドを作っ 上投棄の規制によるものであった。 て貰ったが、船は揺れ動き、上の棚から物は 海上保安庁へ相談に行ったが、養殖真珠の 落ちてくるわ、寝ておれない。相棒の技官は 廃棄は産業廃棄物に該当し、海で育った物だ 船に酔って、ここには居れないと言ってはど から海に還すというわけにもいかず、廃棄場 こかに消えてしまった。どこかに避難する場 所は「B海域」であった。日本海にもあるが、 所があったのか、帰って来なかった。この後、 −17− 船長の方から連絡が入り、この状態の航行は よく飲む。 危険で、乗組員も休ませねばならない。これ 翌日は高知空港より、中型機で大阪空港へ では到底「B海域」には到達できない。残念 帰ることになった。天候も見晴らしも良く、 だか廃棄処分をこの海域で決行し、安全航海 高知・瀬戸内海沿いの和歌山・徳島とその景 をしたいというもので、私は了承した。「白 色は絶景であった。 嶺」はスマートでスピードは速いが、横ゆれ には弱い筈である。学生時代の時化(しけ) 余談:古代史のなかに見る真珠 (其の一) の時の航海実習の経験が役に立ち、船酔いは 洋の東西を問わず、古代史のなかに しなかった。夜は完全に明け、何時間かの後 真珠を見ることができる。真珠は人類 に高知港に入ったが、港は凪だった。検査所 が発見した。最古の宝石の一つである。 の技官は高知県庁に挨拶に行くと言うので別 文化の存する所、真珠あり。 れ、別行動をとることにした。これが私の真 珠を海へ還す最後の仕事だった(その後は、 中国では、紀元前500年頃の物と称される 神戸市内の焼却場で検査所立ち会いの下で、 「書経」に真珠のことが記されている。又、 人目に付かないように処分することになる)。 春秋戦国時代から秦(B.C.500∼200)にかけ 高知に一晩泊まって帰ることにした。 て、明月珠等と言われ、仏像の宝冠、首飾り 播磨屋橋近くのスナックに入る。開店早々 等にも用いられ、更に「金玉が九竅(ここの で客は一人も居ない。カウンターとテーブル あな)にあれば死人は不朽である」という説 が幾つかあった。若い女性が集まってくる。 があり、口中に真珠を含ませる飯盒という習 高知の女性だ! 高知は初めてで、勿論飲む 慣もあった。それに第3回余談で綴った「聖 のも初めてである。地酒を注文。例によって 書の中にも見る真珠」の如く、「旧約」の中 「どちらからおいでになりましたか」で話は で見ることができ、更には、イスラム教・仏 始まる。身体から潮風の匂いがしておったの 教・ヒンドゥー教の教えの中でも、最高の宝 かもしれない。知らない土地で、見知らぬ女 石として称えられている。 性達に囲まれ、独り酒を飲むのもいと楽しく。 他の宝石類は、原石を研磨してようやく発 考えてみると昼から食事をしていない。店の 見されるわけであるが、真珠は貝の中からそ ママに高知名物料理、皿鉢料理を食べてみた のまま輝きを持って直かに生じる。その驚き い、店を紹介してくれと頼んでみた。すると、 は大きく、感嘆。畏怖の念さえ感じたと思う。 この親店が高知の有名な料理店だというでは 機会があったら高価な無穴のバラ珠を手に ないか。早速電話をして貰うと、「何人様 取ってよく見ると、自分の顔がその球面に映 か」と言う。ママが一人と言うと断ってきた。 る。それは素晴らしく、そして穏やかな気分 量が多そうだ。「今日は暇そうだから店の者 になる。 達と一緒に食べるから、安くして」と言って 私は、ニューヨークでプレスコンファレン いる。配達して貰ってみんなで会食。お陰で ス(新聞記者・雑誌記者)を開いたことがあ 名物料理“皿鉢”なるものを賞味することが るが、日本で最高の真珠2個(壱万円を超え できた。高知の女性は明るく元気で、その上 る)を持参(カルネ輸出)していたが、御婦 −18− 人の記者達に、ケースの外から眺めるのでは るが)。 なく、手に取って見ることを勧めた。重さを 古代の主要な天然真珠(海水産)の採集地 感じ更に真珠の素晴らしさを実感することが は、ペルシャ湾のバハレーン島・南インドセ できる。コンファレンスの詳細については、 イロン島、そして日本の鹿児島の海である 海外宣伝事業の中で綴る予定である。「古代 (鹿児島に散在する貝塚にアコヤ貝の貝殻の 史のなかに見る真珠」は幾人もの人によって 層がある)。コロンブスが1492年新大陸を発 記述されているが、広く知られている物から、 見するが、3回目の航海で、ベネズエラ できるだけ系統的に幾つか紹介してみる。資 (1498年)に到達し、原住民達が真珠や黄金 料を読みとる時に、私の注意していることは、 で裸体を飾っているのを発見した。そして古 真珠は淡水真珠か、海水真珠か。バラ珠なの 代ではないが、日本以外での第3の主産地と か、製品(イヤリング・首飾類・美術工芸品 なった。 他)等の加工を施した物か、又記録なのか、 真珠を産する母貝は、日本のアコヤガイ 現物が存在するのか、そして時代(年号等) (Pinctada)系統と、クロチョウガイが主な である。 母貝であった。浅い所で3米、深い所で6米 私は、輸出組合に就職をした頃は真珠は平 を超え、その労働は苛酷で、サメ・毒魚等の 和の象徴であると、思っていた。真円真珠発 危険もあり、何よりもその収益は為政者に搾 明70周年記念事業(昭和52年・1977)で、日 取され、罪人達が使役される程の地域であっ 本真珠振興会は、一般から作文と標語を募集 た。 したが、私は密かに募集し賞を貰った。その 特筆すべきことは、カリブ海のマルガリー 字句は、「真珠の歩みは平和の歴史」であっ タ島(真珠の島)にスペイン人達は住居を構 た。因みに「真珠の歩み」は輸出組合団体史 え、先住民の所有する真珠や黄金を収穫して の名称である。多少八百長気味であった。 いたが、それが底をつくと、先住民を奴隷と 本筋に戻すと、古代史を段々と見聞きして して使役し、無人島に収監し朝から日没まで いると、かなり話は違ってくるのである。 真珠採りに従事させ、次々に死に絶え、労力 アレキサンダ大王のペルシャ・インド遠征 が不足すると、バハマ諸島の“人間狩”まで (B.C.334)やシーザのエジプト侵略(B.C.50) 行なった。スペイン人達の真珠に対する執念 等は、真珠獲得が原因であったとさえ言われ が、ひとつの地域の住民を消滅させたと言わ ている。現存する最古のネックレスはペル れている。 シャ王の遺跡(B.C.350・スーサの遺跡)で 発見された。三連タイプの連である。ペル シャ湾の海水産と判断する。 冒頭でも一寸と触れたが、孔子(B.C.552 ∼479)の著書「書経」に紀元前2200年前に 淡水真珠を貢物として使用したと記録してい る。世界史的にインダス文明の時期である (中国的いささかオーバーな書き方と思われ N.Y.プレス・コンファレンス 筆者と記者達 −19− 同窓生からの寄稿 世界一周クルーズ記 No.1 2012年12月14日横浜港出航→2013年3月25日同港帰着 児玉 孝吉(9・漁) インド洋からケープタウン・喜望峰 ジャカルタを発ちインド洋に出たのは横浜 出帆後半月経った暮れの12月29日である。 インド洋はいつも大きなうねりがあった。 遥か南の鯨の海南氷洋から伝わってくる感じ である。 イースター島モアイ祭壇 海の色は、海域や時間とともに変わる。太 旦の旭日にしっかり手を合わせた。 陽の高さ、気象の変化や透明度、海流、水塊 の違いで人間の視覚に大きく影響する。厄介 なことに人は感情の動物で、しかも感受性や 〈船はゆく至福か縮図かインド洋〉 性格のちがいがあるから、自然界の色の表現 社交ダンス、コーラスはもとより囲碁や は微妙に違ってくる。私は午後の太陽の出て マージャンを始める人が多くなっている。そ いる穏やかな大きなうねりのインド洋をデッ れも女性群が多いのだ。男性が現役中にうつ キから覗き込んで、ああ、これはプロシャン つをぬかすゲームをこの際どんなに楽しいも ブルーだなあと心で叫んだ。 のなのかと習いながらやっているようにも見 船の生活に馴染んで良好な体調になってい える。ほかにも大ホールでの専門家による時 る大きな要因は、私の場合、食事とヨーガで 事問題、国際紛争問題などの講演解説会、音 あったと思う。 楽イベント等に参加して、60歳以上が750人 私はクルーズ中、おおげさにいえば早朝の もいる乗客が欲望の塊となって大人の風格を ヨーガとお粥とキャベツのお蔭で5キロも体 まといながらそれぞれ船じゅうを蠢いている 重が減っていたのだ。航海中は腰痛も忘れて のだ。 いたのである。下船して清水の家に帰ったと インド洋上では、餅つき大会も紅白歌合戦 き、風呂で目方を量り、浮き上がったあばら も新年会も賑やかに催された。 骨をみて、まるでヨガの行者ではないかと驚 正月五日、朝食後にモーリシャスのポートル いたほどだった。 イス入港。 年末年始はインド洋のど真ん中をマダガス カルの東方に浮かぶモーリシャスのポートル 〈夏風に吹かれて入るポートルイス〉 イス港に向かって航行している。もちろん元 ポートルイスは古くからの国際交易港とし −20− て発展してきている。15、6世紀の大航海時 なかったが、マハトマ・ガンジーが、南アフ 代を経てヨーロッパ列強の支配下になり、オ リカの厳しいアパルトヘイトの人種差別・隔 ランダ、フランス、イギリス領と変遷して現 離政策中に、弁護士として働いていた、ここ 在は独立して共和国となりイギリスが宗主国 ダーバンで人権運動に目覚めたところといわ である。 れている。 概してこの南回りクルーズの寄港地は、当 私の頭の中の南アフリカは野生動物サファ 時ヨーロッパ列強の支配下に一度はなったこ リ、ダイヤモンド、アパルトヘイトとネルソ とがある南半球の発展途上国にある。大航海 ン・マンデラ、ストリートチルドレン、エイ 時代にヴァスコ・ダ・ガマ、コロンブス、マ ズといった言葉で語られる暗いイメージしか ゼランらが世界の未知の海を競って探検し新 なかった。 天地を発見し、植民地化していったのが列強 ダーバンに上陸して目を見張るのは前の寄 諸国であるから、寄港地の都市づくりや農場 港地ポートルイスと同様に植民地時代の列強 などの在り様にはその影響が、特に建造物に 諸国がのこした公共建造物や中心部の街並み あらわれている。カテドラル、モスク、市庁 の美しさである。花が咲いた大きな街路樹と 舎、メインストリートなどがそれである。列 ともに南国の独特な雰囲気を醸し出している。 強の財力と権力によりヨーロッパ様式の美的 しかし、そこを歩く慎ましやかな黒人と市場 センスが注ぎ込まれている。 などで働く人々やたむろする若者を見るとア 市中の道路と緑濃き樹木の調和は心地よさ パルトヘイト時代を感じると同時に貧富の差 を感じると同時に、日本の潤いのないコンク の大きさを感じないわけにはいられない。 リート都市の貧しさを感じないではいられな この時期、南の国は夏でどこでも海水浴場 い。建物の壁の色、落書きさえも、その豊か がにぎわっている。ほとんどが白人で、働い な原住民の色彩感覚にいたるところで目を奪 ているのは現地人ばかりのように見える。こ われた。 れはやはり寂しい。 インド洋の貴婦人といわれるポートルイス 寄港地の国々は白人がおしよせてきて変化 はヨーロッパのあるいは世界のセレブの保養 していくさまざまな生活環境と大自然に魅せ 地であるから、移住してきたインド系の人も られる国々である。ダーバンでのオプション 多いが、もはや東南アジアの雰囲気は私には ツアーも〈子供たちに出会う〉〈マハトマ・ 少しも感じられなかった。有色人の足は細い ガンジーの足跡〉〈動物保護区〉などに関連 が百キロは優にある堂々とした女性、スポー したもので、私は「歩行少なめダーバン観光 ツ選手のような均整の取れた女性が闊歩して とズールー文化体験」にした。 いる。異国の地だという快感が湧く。 早朝の車窓からは黒人特有の体型をした 1月10日朝6時、南アフリカ、ダーバン入 人々が動き回っている。やはり犯罪の匂いが 港。大航海時代の15世紀末、ポルトガルを出 するのはテレビや映画の影響か。 帆したヴァスコ・ダ・ガマが最初に入港した スーパーというより市場に立ち寄るのは旅 ところで、今ではアフリカ一の国際交易港で 行の定番だが、私は売り子の熱心さにいつも ある。トヨタの自動車工場もある。私は知ら 買わねばならない心境にさせられてしまう。 −21− 船で持ち帰るのだから、どんと現地の高額な 向かった1843年に初めて南米最南端ホーン岬 民芸品でも買えばよいのだがそうはいかない、 を回った。それから船長の庇護のもとフェ いつも軽いちまちましたものを買ってしまう。 アーヘブンで教育を受けたのち、すぐ若き捕 土地柄特有の形、図柄をおもわせる暖色系や 鯨船の幹部として46年日本近海を含む太平洋 原色の孫が喜ぶようなものにひかれる。 に出漁し、49年フェアーヘブンに帰港した航 ダーバンは二日停泊した。サファリツアー 海の往復は喜望峰をまわっている。 などが組まれていたせいであろう。船からの ホーン岬と喜望峰を通過することは私のこ 眺めは昨日と同じく雨雲が低く覆い、あたか の船旅の主要な目的の一つであるとは先にも もガスがかかった北海道小樽のような感じだ。 書いた。 南国の雨季ということか。隣の岸壁に、いつ の間にか私の船より一回り大きいクルーザー 〈ジョンマンも越えし岬を我も行く〉 が着岸していた。何はともあれ私の小学4年 インド洋からアフリカの南端を西に進み、 男子の孫に出した葉書の1枚をお粗末ながら 真っ白な雲をのせたテーブルマウンテンを眺 記す。 めながら喜望峰を回ってケープタウンに入港 「第7便、ケープタウンより。気温25度、 海水温27度。バスコダガマが上陸したダー した。真夏でも南緯35度のケープタウンは日 本の春先の感じがする。南氷洋からの海流に よるのであろう。特有の草木が繁茂する丘陵、 バンを1月11日夜出港しアフリカの最南た ペンギンコロニーのいる海岸、昼食のエビも んケープタウンに向かっています。アメリカ ヒラメもボリューム満点の現地シーフードな のメルビルが書いた「白鯨(はくげい)」の ど観光ツアーには満足した。 時代に日本の青年ジョン万次郎も通った喜望 とくに、坂道の多い街中の家並みの美しさ 峰(きぼうほう)が近づき、じーじは静かに は格別である。パステルのような明るい色で こうふんして海をながめています。南氷洋の 家ごとに塗られている。この胸を打たれる南 うねりで船はゆれています。」 半球の色彩の豊かさを観る感動はずっと続く ジョン万次郎が通った海路のことを記すと、 ことになる。 遭難し助け出されたアメリカの捕鯨船ジョ アフリカ最南端の喜望峰である〈CAPE ン・ハラウンド号の母港のフェアーヘブンに OF GOOD HOPE〉と看板のある岬に足を印 して、ここまで来たという達成感はある。し かし、入港の2、3日前に海を眺めながら感 じた船乗りの気分、いうなれば厳しい荒海を 乗り越えて港にアンカーをおろし、港の酒場 で一杯やろうというような安堵をともなった 心の高揚感はしなかった。なぜか考えると、 過去に現役の漁師として漁船で来た経験が無 いのと、天気がのどかで打ち寄せる波が静か だったからだろうか。 ポートルイス −22− 卒業生・修了生・新入生をよろしく 水 産 学 部 卒 業 生 水 産 部 卒 業 者 の 就 ㈶福島県栽培漁業協会 ㈱チムニー JALスカイ九州 有限会社フェスティバロ社 諫早市役所 伊藤ハムウエスト 長野県水産試験場 株式会社アヴァンティ 株式会社うおいち 茨城海洋高校 株式会社OCC グリムスグループ 株式会社チャーム 株式会社UNIGEN 東七株式会社 諫早市役所 アイホン株式会社 鳥羽水族館 マックスバリュ九州 たちばな信用金庫 青木植木店 株式会社リコー 第一製網株式会社 九州通信ネットワーク株式会社 マツハヤ・コーポレーション マルハニチロ株式会社 株式会社たらみ 株式会社ハウディ キユーピーたまご 宮崎県漁船保険組合 株式会社物語コーポレーション 再春館製薬所 株式会社うおいち ヤマエ久野株式会社 南高愛隣会 株式会社ユーコー 株式会社マリーンパレス 日本出版販売株式会社 水 学 産 学 部 卒 業 長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科(5年一貫) 長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科 東京海洋大学専攻科 東京大学大学院新領域創成科学研究科 者 職 先 タックルベリー㈱ 大東魚類㈱ 日本エヌ・ユー・エス 株式会社トーホー 香川県警 株式会社セントラル 日東コンピューターサービス オタフクソース株式会社 株式会社サン・ダイコー 長崎県県警 株式会社えがお マックスバリュ九州 キユーピー株式会社 株式会社才津政男商店 株式会社レッドバロン 株式会社ジーフット 島根県庁 の 進 学 先 九州大学大学院理学府 九州大学大学院生物資源環境学府 公務員専門学校 水産・環境科学総合研究科修了生 生 産 科 学 研 究 科 修 了 生 水 産 仙味エキス株式会社 株式会社同仁化学研究所 株式会社生活品質科学研究所 日東メディック株式会社 ニチレイロジグループ カネリョウ海藻株式会社 ジンマー株式会社 林兼産業株式会社 水 産 学 部 卒 業 者 の 就 職 先 いであ株式会社 クロレラ工業株式会社 水産・環境科学総合研究科 博士後期課程 日本ハム食品株式会社 九動株式会社 株式会社たらみ 伏木海陸運送株式会社 リバテープ製薬 株式会社キューレイ 株式会社テクノプロR&D社 日本港湾コンサルタント ハナマルキ株式会社 中部飼料株式会社 長崎県庁 山口県庁 広島県庁 学 学 部 卒 業 長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科 博士後期課程 −23− 者 の 進 先 平 成 27 年 度 氏 名 出身校名 新 入 生 都道府県 氏 名 出身校名 都道府県 氏 名 麻生 莉菜 大 村 長 崎 澤田 拓海 豊 田 西 愛 知 林 瑞恵 匝 瑳 千 葉 荒木明日香 西 陵 長 崎 塩田 彩夏 岐 林 岐 阜 原口 慧 春 日 福 岡 高 和歌山 原田 樹 春 日 福 岡 南 大 分 平井 慎也 春 日 福 岡 島 鹿 児 島田 茜 長 崎 北 陽 台 長 崎 平田 佑 島 原 長 崎 家原佑実子 松 五十川純太 大 江 分 池田奈々子 鹿 阜 農 北 島 根 塩谷 天秀 日 舞 児 鶴 大 分 芝原 知弘 中 津 出身校名 西 兵 庫 廣岡 拓也 天 都道府県 石田 尊之 畝 傍 奈 良 清水 貴広 姫 伊藤 尚斗 島 原 長 崎 下津佳乃子 筑 紫 女 学 園 福 岡 福手 悠介 岐 山 岐 阜 今村 祐太 葦 合 兵 庫 白井 海渡 西 宮 北 兵 庫 藤谷 紳平 一 条 奈 良 西 山 口 末永 望美 長 崎 南 長 崎 渕上 奈々 福 岡 福 岡 岩崎 雅弥 下 関 上田 峻也 基 飾 町 広 島 末松 由光 城 浦 健人 太 田 原 栃 木 杉山 碧 静 江原野乃子 長 崎 北 長 崎 鈴木 辰弥 西 大井 惠介 向 大上 厳輝 桃 路 陽 愛 知 砂原 雄大 翔 山 学 岡村 知海 長 崎 市 宮 洋 学 北 埼 尾崎 研太 鉾 崎 田 尾塚 勇仁 長 第 崎 笠原 拓朗 戸 永 良 部 鹿児島 立 静 岡 星田 大樹 熊 本 農 業 熊 本 東 兵 庫 本間 康平 福 岡 中 央 福 岡 園 茨 城 松尾 則仁 豊 玉 埼 玉 松田 悠平 金 東 愛 知 橋 世 保 南 長 崎 蘭 千 里 大 阪 善 福 岡 高辻 彬仁 大阪教育大学付属 大 阪 松田 佳之 朝 倉 福 岡 東 長 崎 高橋 千代 早 島 佐 賀 靹 山 口 宮崎 悠暉 鹿 善 福 岡 宮野 紗樹 和 歌 山 信 愛 和歌山 小川 郁弥 中 京 大 学 付 属 愛 知 多久島輝弥 明 小川 海 長 南 福 岡 古八 雅樹 沖 院 大 阪 壽守 美紀 広 島 国 泰 寺 広 島 松下 賢太 佐 大出 亜弥 聖 セ シ リ ア 女 子 神奈川 高澤 紘司 城 緒方 菜月 明 岡 寺 大 阪 王 西 長 崎 竹重 璃世 宇 都 宮 女 子 栃 木 見山 航希 上 宮 大 阪 田 鹿児島 向原 遼太 大 村 長 崎 一 茨 城 竹宮 宝 加 世 西 長 崎 田中 遼 清 風 大 阪 森 誠 久 畑 福 岡 谷山 嗣幸 甲 南 鹿児島 森岡莉々佳 広 島 な ぎ さ 広 島 米 福 岡 留 笠原 直哉 北 広 島 北海道 田村 豊 柏 原 兵 庫 森原 大地 海 加藤 大知 北 須 磨 兵 庫 近重 統郁 西 陵 長 崎 守谷 友志 東海大学付属望星 東 京 上西園透生 長 崎 北 長 崎 津島 洋佑 下 亀倉 康平 帝 京 加茂田大嗣 姫 長 路 南 山 口 矢野美彩妃 戸 関 畑 福 岡 岡 新 潟 坪田 紘 大 阪 青 陵 大 阪 山口 太一 長 崎 北 陽 台 長 崎 東 兵 庫 天宅 晶信 滝 川 第 二 兵 庫 山下 裕希 五 島 長 崎 津 千 葉 山田 海璃 諫 早 長 崎 島 佐 賀 當寺盛佑哉 木 川崎 北斗 鹿 洋 京 都 更 河手 梓 捜真女学校高等学部 神奈川 富田 可也 春 日 福 岡 山道 泰平 長 崎 北 長 崎 喜久山 壮 興 南 沖 縄 長崎 佑登 松 陰 愛 知 山本 大河 佐 賀 西 佐 賀 北川 紘匡 春 日 福 岡 中野弘太朗 松 山 南 愛 媛 湯澤 健太 諏 木村 直人 御 影 兵 庫 中溝 凌颯 久 留 米 福 岡 吉川 周作 岐 山 岐 阜 訪 青 陵 長 野 黒川 要 長 崎 南 山 長 崎 中村ゆり子 伊 那 北 長 野 吉田 祥麻 光 陵 福 岡 桑原 一平 浜 松 日 体 静 岡 西田 明巨 猶 興 館 長 崎 葭田 遼介 熊 谷 埼 玉 南 長 崎 沼田 彩香 広 島 な ぎ さ 広 島 吉村 鈴奈 大 村 長 崎 小池はるか 長 崎 小長井美緒 白 陵 兵 庫 畑田 菜緒 兵 庫 県 立 農 業 兵 庫 梁 弘基 水 近藤 幹大 御 影 兵 庫 服部 直矢 南 西城 駿範 鳳 大 阪 濱町 諒介 中 佐野 良平 富 岳 館 静 岡 濱村 好聖 長 山 愛 知 MA JEONGMIN 村 高 知 崎 −24− 鶴 洋 長 崎 戸 第 三 茨 城 韓 国 お 知ら せ 「水から出た魚たち−ムツゴロウとトビハゼの挑戦」 教授 石松 惇(24・生) 本号の“漁礁めぐりシリーズ”「石松研究室」 の欄にも紹介させてもらいましたが、今年の7月 10日に、田北 徹先生(2014年8月2日逝去)と 石松が執筆した標記の本が海游舎から刊行されま した。この本は、日本のムツゴロウとトビハゼだ けでなく、東南アジアやオーストラリアの仲間に ついても、一般向けにわかり易く紹介したもので、 写真も数多く使ってあり、見ているだけでも楽し い仕上がりになっています。 内容は、ムツゴロウの仲間の分類に関する「第 第4章あたりまでは田北先生の文章がほとんど 1章ムツゴロウって何者?」から始まり、有明海 です。第5章と第6章については、寄稿してい やマングローブ干潟について説明した「第2章 ただいた文章とともに、主に石松が執筆しまし ムツゴロウたちが棲む環境」、ムツゴロウとトビ た。同窓生の方々にも、この本を作るに当たっ ハゼの生態について記した「第3章ムツゴロウた て、大変お世話になりました。25回卒業の古賀 ちの生活」、特に注目される干潟での再生産につ 秀昭氏(佐賀県農林水産商工本部:元佐賀県有 いてやや詳しく書いた「第4章ムツゴロウたちの 明水産振興センター所長)には有明海でのムツ 繁殖と成長」、マッドスキッパー(ムツゴロウ類 ゴロウ漁法と種苗生産技術開発について、寄稿 の総称)と古生代の両生類の祖先を比べて、動物 していただきました。また、26回卒業の川村嘉 の上陸について考える「第5章マッドスキッパー 応氏(ノリ養殖技術アドバイザ:元佐賀県有明 から進化を考える」、そして最後にムツかけで有 水産振興センター所長)には、ムツかけのきれ 名な有明海のムツゴロウ漁に始まって、中国、台 いな写真を使わせていただきました。 湾、ベトナムでのムツゴロウ類の養殖、さらには 写真は、できるだけ田北先生が撮影されたも 日本、韓国、台湾、中国、ベトナムとバングラデ のを使いたいと思っていましたが、いかんせん、 シュのムツゴロウ料理について紹介した「第6章 カメラの性能のせいで古い時代に撮られた写真 ムツゴロウ類の漁業・養殖・料理」となっていま はあまり解像度が良くなく、撮影し直したもの す。その他にコラムとして、東京湾のトビハゼの もかなりありました。有明海には何度も写真撮 現状について、葛西臨海水族園の田辺信吾氏(社 影に通いましたし、沖縄や韓国、ベトナムでも 会人学生として石松研究室で学位を目指していま 写真を撮り直しました。 す)に書いてもらいました。さらには、ムツゴロ ムツゴロウのなかまは日本に5種いますが、 ウやトビハゼが見せる謎の行動について、コラム 2015年に発行された『レッドデータブック2014 「なぜムツゴロウたちはごろんとするのか?」で −日本の絶滅のおそれのある野生生物−4汽 少し考えてみました。 水・淡水魚類』には、4種が登録されています。 この本は、田北先生が御存命の2014年初頭に石 この本が干潟とその生態系の保全に少しでも役 松に託された原稿から始まりました。第1章から 立てば、大変うれしく思います。 −25− お 知ら せ 同窓会名簿発行について 来年はオリンピックが開催される年、すなわち、4年に一度の名簿発行の年に なります。平成27年7月より、現状調査などが始まる事を会報誌にてお知らせい たします。 発行は、来年(H28)の3月に発行予定になっております。そのため、平成27 年から平成28年にかけて現状の調査や名簿の注文受付が始まります。往復調査ハ ガキなどの送付は7月あたりから発送が行われ、その後、返信がない方には、電 話による確認なども行われる予定です。なお、名簿発行にあたっては郵便等によ る返信あて先は長崎大学水産学部鶴水会の住所を使用します。また、小野高速印 刷株式会社熊本営業所(熊本県熊本市)に名簿発行の業務委託を行っております。 電話による名簿に関する問い合わせについてはこの会社以外からのものは本会と は無関係とご判断ください。 また、同窓会Webサーバでは悪質な業者等への情報提供にならないようにとい うことで名簿発行に関する情報発信を行っておりません。ご承知おきください。 同窓会会員名簿は、同窓会や学校、および、会員間の交流などのために発行・管 理しているものですので、ご理解の上、ご協力をお願いいたします。 本 の 紹 介 前長崎大学水産学部長の片岡千賀之先生が永年にわた る研究の集大成として、今回長崎文献社より「西海漁業 史と長崎県」(定価3,200円)を出版されました。 片岡先生は1992年∼2011年長崎大学水産学部教授とし て水産経済を中心に講義されました。内容は明治期の県 の捕鯨業まき網漁業、以西底引き網漁業、戦後の以西漁 業の形式、北東アジアにおける漁業の変遷と今日。 鶴水会に10冊寄贈されました。ご希望の同窓生は送料 代負担で贈呈いたします。(希望が多い場合は抽選) −26− 涼 風 献 上 −27− 涼 風 献 上 各種ご宴会・ご予約承り中 お一人様 2,000円コース(2名様より) ■お一人様 3,000円コース(2名様より) ■お一人様 4,000円コース(2名様より) 季節の素材を活かし心をこめたお料理を 満喫してみませんか ■ 飲み放題 ︵2時間︶ 上記のコース料理に プラス1,500円で ●県庁 ●県警本部 ★ ココ ●エキサイ会病院 ●夢彩都 長崎市樺島町8−2 TEL 821-4661 日曜・祭日歓迎(要予約) ※写真はイメージです。 ൦ငᆔᒁဃငᵆᮄὉဍᵇẦỤ഻Ẇᚇចᮄဇ૰ᴾ ẝỤỡỦὉೞửӕụৢạዮӳՠᅈỂẴ㩷 ൦ငᆔᒁဃငᵆᮄὉဍᵇẦỤ഻Ẇᚇចᮄဇ૰ᴾ ൦ငᆔᒁဃငᵆᮄὉဍᵇẦỤ഻Ẇᚇចᮄဇ૰ᴾ 㪉㪉 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ↢㇢䋨ઍข✦ᓎ␠㐳䋩㩷 㒢ળ␠ 㩷 㩷㩷 ẝỤỡỦὉೞửӕụৢạዮӳՠᅈỂẴ ẝỤỡỦὉೞửӕụৢạዮӳՠᅈỂẴ ൦ငᆔᒁဃငᵆᮄὉဍᵇẦỤ഻Ẇᚇចᮄဇ૰ᴾ 㪉㪋 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ᐙሶ㩷 㩷 㩷 䉝䉟䉣䉴䉲䊷 㩷 㩷 ẝỤỡỦὉೞửӕụৢạዮӳՠᅈỂẴ 㒢ળ␠ 㒢ળ␠ 㩷 㩷 䉝䉟䉣䉴䉲䊷 䉝䉟䉣䉴䉲䊷 㩷 㩷 㒢ળ␠㩷 䉝䉟䉣䉴䉲䊷㩷 㪍㪈 ࿁↢㩷 ↰㦮㩷 ᕺ᪸ሶ㩷 㩷 㩷 㩷 㩷 ࿁↢㩷 㪉㪉 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ㊀㊁㩷 ↢㇢↢㇢ 䋨ઍข✦ᓎ␠㐳䋩 䋨ઍข✦ᓎ␠㐳䋩 㩷 㩷 㪍㪉㪉㪉 ࿁↢㩷 ↰⣁㩷 ᄥ㇢㩷 㪉㪋 ࿁↢㩷 㪉㪋 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ㊀㊁㩷 ᐙሶ㩷 ᐙሶ㩷 㩷㩷 㩷㩷 㪿㫋㫋㫇㪑㪆㪆㫎㫎㫎㪅㫀㫊㪺㪈㪐㪍㪇㪅㪺㫆㪅㫁㫇㪆㫀㫅㪻㪼㫏㪅㪿㫋㫄㫃 䇾㪏㪊㪏㪄㪇㪈㪈㪌㩷 ጟ⋵ዊᏒᄢ 㪈㪇㪈㪎㪄㪌㩷 㪍㪈 ࿁↢㩷 㪍㪈 ࿁↢㩷 ↰㦮㩷 ↰㦮㩷 ᕺ᪸ሶ㩷 ᕺ᪸ሶ㩷 㩷 㩷 㩷 㩷㩷 㩷㩷 㩷 㩷 㪉㪉 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ↢㇢䋨ઍข✦ᓎ␠㐳䋩㩷 㪫㪜㪣㪑㪇㪐㪋㪉㪄㪎㪌㪄㪊㪍㪍㪎㩷㪝㪘㪯㪑㪇㪐㪋㪉㪄㪎㪌㪄㪎㪋㪋㪌㩷 㪜㪄㫄㪸㫀㫃㪑㩷㫀㫊㪈㪐㪍㪇㪗㪾㫆㫃㪻㪅㫆㪺㫅㪅㫅㪼㪅㫁㫇 㩷 㪍㪉 ࿁↢㩷 㪍㪉 ࿁↢㩷 ↰⣁㩷 ↰⣁㩷 ᄥ㇢㩷 ᄥ㇢㩷 㪉㪋 ࿁↢㩷 ㊀㊁㩷 ᐙሶ㩷 㩷 㩷 㪍㪈 ࿁↢㩷 ↰㦮㩷 ᕺ᪸ሶ㩷 㩷 㩷 㩷 㩷 㩷 㩷 䇾㪏㪊㪏㪄㪇㪈㪈㪌㩷 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095-830-1233 HP : http://rikagaku.web9.jp/ E-Mail : [email protected] 水産養殖関連資材、テント、シート フィルター製作(医薬品、化学製品、製粉工場用) 長崎天幕株式会社 代表取締役社長 小 吉 泰 彦 本 社・工 場/〒850−0043 長崎市八千代町1番15号 T E L :(095)822−2412 F A X :(095)827−6169 E-mail : [email protected] http://www.tenmaku.co.jp −29− 長崎市平和町24-14 TEL :095-848-5221 長崎市中里町1384 TEL :095-839-3090 佐世保市日野町755 TEL :0956-28-4365 福岡市博多区板付1丁目9-18 TEL :092-418-1184 涼 風 献 上 フルノ九州販売株式会社 代表取締役社長 坂井 孝正 〒852-8003 長崎県長崎市旭町3番15号 Tel: (095) 861-3261・Fax: (095) 861-3290 支 店:西九州、北九州、南九州 営業所:長崎、佐世保、福岡、下関、萩 宮崎、延岡、鹿児島、沖縄 出張所:阿久根 〒850-0904 長崎市船大工町5-39 睦美ビル1F TEL 095-823-9335 店主 小山 静美・小山 太郎 鶴 水 会 支 部 長 副支部長 監 事 理 事 同 上 同 上 同 上 同 上 顧 問 相 談 役 前田 俊勝 田嶋 猛 畑中 進 尼ケ崎雄文 前田 一郎 広村 正徳 浦川 真仁 中岡 歩 内田 純近 和田 弘喜 印刷文化に貢献します 福 岡 支 部 (17・漁業) (20・製造) (17・増殖) (13・製造) (34・生産) (41・生産) (53・生化) (53・生管) (15・増殖) (08・製造) 自費出版、販促物など企画から 印刷まで何でもご相談ください。 事務局長兼務 会 計 監 査 渉 外 担 当 渉 外 担 当 事務局担当 渉 外 担 当 渉 外 担 当 〒852-8134 長崎市橋口町21-12 協 和 印 刷 TEL 095-849-5733 生命と平和の花︵ポーランド人民共和国︶ 原爆投下中心碑 乙女の像︵中華人民共和国︶ 無限 ︵全人類の平和と協調を表す︶ 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