甲斐性ある

新ヒラリ ズム
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甲斐性ある
陽羅
義光
甲斐性 とい う語は 、甲斐 の国 とか武 田 信玄とか 関係 ありそ うだけ れど
も、よく 解ら ない。
信玄は もち ろん甲 斐の人 々の 性格が 解 らないの だか ら、も し語源 がそ
こらから きて いたと しても 、やっ ぱり よ く解らな い。
甲斐性 とい うと、 フイッ ツジ ェラル ド の『グレ ート ・ ギャ ツビー 』を
思い起こ す。
甲斐性 があ るか、 甲斐性 がな いかは 別 にして、 甲斐 性とい う言葉 を思
い起こさ せる のだ。
小説を 読ん でも映 画を観 てもお なじ こ とだ。
これは じつ に不思 議な物 語で 、ギャ ツ ビーがど うし てデイ ジーに あれ
ほどまで 魅せ られた のか、 よく解 らな い 。
デイジ ーは 贔屓目 に見て も、 ファッ シ ョンセン スに たけた 良家の お嬢
さんに過 ぎな い。
美しい とい っても 、一芸 に秀 でた美 し い女とち がっ て、思 考も志 向も
嗜好も平 凡な 女であ る。
だから 、甲 斐性が なかっ た若 い時代 の ギャツビ ーを 、いつ までも 待て
なかった 。
甲 斐 性 のあ る、や はり凡 人のお 金持 ち と結婚を する 。
作者の 描き 方がわ るいの か、 それと も そのてい どの 女に一 途にな り、
待ちこが れ 、女が 結婚し た後も 、健気で 奥 ゆかしい スト ーカー となっ て、
近所に大 豪邸 を建て て、女 を待 ち受け る 、そうい うギ ャツビ ーの信 条と
行為を描 きた かった のか。
つまら ぬ女 である デイジ ーだ けれど も 、じつは セッ クス巧 者で、 それ
がギャツ ビー は忘れ られな かっ た可能 性 もあるが 、書 かれて いない から
推測にす ぎぬ 。
恋愛は 病気 の一種 なのだ から 、これ で も辻褄は 合う のだけ れど、 ギャ
ツビーが 再び デイジ ーをゲ ット できそ う に なった とこ ろで、 ギャツ ビー
が殺され るの は、ご 都合主 義小説 もい い ところだ 。
この小 説で 一番不 快なと ころ は、あ る いは一番 泣か せると ころは 、ギ
ャツビー がデ イジー をゲッ トす るため に 、大金持 ちに なり、 大金持 ちに
なったこ とを 見せび らかす こと であっ て 、まさし く甲 斐性な くして (平
凡で美し い) 女はな びかな いこと の証 明 部分であ る。
「甲斐性 があ る」
とは、 本来 こうい うこと ではな いは ず だが。
『グレー ト・ ギャツ ビー』 は、
「いまや アメ リカ文 学を代 表する 小説 」
という のが 定説だ そうだ が、 ホント に これが代 表な ら、ア メリカ 文学
も たいし たこ とはな い。
映画は ロバ ート・ レッド フォ ード主 演 のものと 、レ オナル ド・デ カプ
リオ主演 のも のとが あるが 、ど ちらの 二 枚目スタ ーも 、一途 に焦が れる
男の哀愁 を表 現して いてな かなか のも の だった。
けれど も、女 に焦が れて 哀愁が にじみ でる、大 金持ち の男を 、
「 グレー
ト」と呼 んで はいけ ない。
じつに リア リティ のない 小説な のだ が 、それは 我々 が、
【一日の うち に感じ たり示 したり する 恋 愛には限 りが ある】
という ヴァ レリー の言葉 に真実 を見 る からだ。
この小 説の タイト ルは、
『フール ・ギ ャツビ ー』と か、
『チープ ・ギ ャツビ ー』と か、
が似合 って いる。
洒落て もい るし、 奥が深 い。
『グレー ト・ ギャツ ビー』 と付 けたフ イ ッツジェ ラル ドのセ ンスを 疑う
他はない 。